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【資料】神秘主義の系譜【探索】
94
:
名無しさん
:2013/07/20(土) 23:19:55
貞慶 1155‐1213(久寿2‐建保1)
じょうけい
鎌倉初期の法相宗の僧。解脱上人と号する。藤原貞憲の子で,保元の乱の立役者信西の孫にあたる。1162年(応保2)8歳で南都に下向,11歳で出家して以来,82年(寿永1)28歳で維摩会の研学竪義,86年(文治2)32歳で維摩会講師を務めるなど,興福寺学侶としての栄達の道を進んだ。この間,九条兼実をはじめとする貴族の帰依も得たが,92年(建久3)生涯の転機となる笠置寺への隠筒を行った。この笠置隠筒の理由についてはこれまでも諸説があげられているが,弥勒浄土とされた笠置寺を拠点として弥勒信仰を広めることで,顕密仏教改革派の立場から法然の浄土教学に対抗せんとしたことがその一つの理由であろう。1205年(元久2)の著述になる,法然を批判した《興福寺奏状》がある。08年(承元2)海住山寺に移り,観音信仰を修め,同時に戒律興行を図った。著書に《愚迷発心集》がある。 細川 涼一
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