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【資料】神秘主義の系譜【探索】

72キーワード:弥勒:2013/07/20(土) 22:52:02
益山
えきざん Iksan

韓国,全羅北道益山郡金馬面を中心とする,いわゆる益山の地は,三国時代百済の遺跡が多い。金馬面の街の南郊1kmほどのところには,幅約230m,長さ約450mの長方形平面をした土塁があり,益山王宮址と推定される。その南郭の王宮里廃寺跡には,五重石塔が残る。そこから,東方に約1.5kmのところにも,帝釈寺跡がある。王宮里から北方6kmあまりの弥勒山には,山城が築かれている。弥勒山の南西麓で,金馬面の街からは北西方に約3kmのところには,弥勒寺址があり,朝鮮半島で最大級の石塔が現存する。この塔の東方でも塔跡がみつかったが,東西2塔の中間で北寄りのところに,別の建物跡が知られ,3院からなる特殊な伽藍配置を示す。弥勒寺址の北西方およそ3km,蓮洞里には,光背を備えた石仏座像がある。また,弥勒寺址の直南3kmあまり離れたところに,石旺里双陵と呼ばれる大小2基の円墳があり,百済の武王とその後妃の陵とする伝承がある。これらの遺跡群は,主として百済後期の所産であり,京都市青蓮院所蔵の《観世音応験記》に,〈百済武広王遷都〉とみえることなどから,益山の地を,7世紀前半の武王の時期の別都とする見方が強くなっている。益山はまた,百済に先立つ馬韓50余国のなかの乾馬国に比定されている。また益山郡多松里出土の多鈕(たちゆう)粗文鏡をはじめ,数ヵ所の青銅器の出土地としても知られる。                    西谷 正

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