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【資料】神秘主義の系譜【探索】

79名無しさん:2013/07/20(土) 22:59:21
笠置山
かさぎやま

京都府南部,相楽郡笠置町にある山。標高288m。木津川南岸に位置し,西側を白砂川,今川,東側を布目川が流れ,いずれも深い峡谷を形成し,南へは尾根が続き柳生へ通じている。黒雲母花コウ岩からなる険しい山で,ふもとから山頂まで各所に絶壁,巨岩がある。山上に笠置寺や,虚空蔵石などの石仏群があり,平安時代には弥勒信仰の中心として尊崇を集めた。北麓に笠置温泉があり,西側山麓を中心に旅館などが多い。
                        金田 章裕

[信仰]  元弘の乱において後醍醐天皇は笠置山に入って倒幕の挙兵をした。それは地理的な条件以上に笠置寺を中心とする修験,山伏の勢力に期待してのことであったと考えられている。元弘の乱を含めた南北朝の内乱において,吉野,熊野を中心とした修験者の活躍には目覚ましいものがあったが,笠置山も1194年(建久5)に南都の解脱上人貞慶が般若台院を設けて中興して以来,修験道場として一大勢力を形成していた。平安中期以来,吉野,大峰,熊野が修験道の根本道場となるに及んで吉野金峰山を弥勒兜率天の内院,笠置山をその外院とする考えが示すように,この山は弥勒浄土の霊場と想定され,山中の30宿の行場をめぐる抖芹(とそう)修行も成立した。また金峰山への御嶽詣が盛んになるにつれて,その代行地,前行地とされた。しかし元弘の乱によって一山はことごとく灰燼(かいじん)に帰してしまい,1381年(弘和1‖永徳1)に笠置寺が再建されたものの,かつての繁栄を再現するまでには至らなかった。
                      宮本 袈裟雄

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