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【資料】神秘主義の系譜【探索】
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キーワード:弥勒
:2013/07/20(土) 22:54:46
大峰山
おおみねさん
紀伊山地の中央を南北にのびる脊梁山脈が大峰山脈で,広義の大峰山は大峰山脈の峰々をさし,狭義にはその北部の主峰山上ヶ岳(1719m)をさす。大峰山脈は北の吉野山から南の玉置山まで,南北約50kmの山地で,近畿地方の最高峰八剣(はつけん)山(1915m,仏経ヶ岳,八経ヶ岳ともいう)をはじめ,北から大天井ヶ岳(1439m),山上ヶ岳,大普賢岳(1780m),弥山(みせん)(1895m),釈梼ヶ岳(1800m),大日岳(1593m)などの峰々が連なり,大和アルプスともいわれる。山地の地質は,北部は古生層,中部以南は中生層を貫いた大峰酸性岩類と呼ばれる石英粗面岩などが分布している。山頂にはお花畑があり,山頂からの眺望が雄大である。山上ヶ岳は古くから西日本の修験道の根本道場で,信仰の山となっており,今も女人禁制の霊山である。山の戸開き(5月8日)から戸閉め(9月27日)まで,大山参りとか大峰参りといわれる白衣姿の信者の登山でにぎわう。登山路は下市口から洞川を経るコースが一般的で,1970年に登山口の竜泉寺まで自動車道が通じて清浄大橋まで女性も入れるようになり,竜泉寺の境内も女性に開放されるようになった。
水山 高幸+清水 弘
[信仰] 吉野から熊野に連なる大峰連峰は,中世以来修験道の根本道場とされてきた。平安朝以来多数の修行者が吉野,熊野に入山し修行を続けてきたが,御嶽詣,熊野詣に在俗者の参詣が多くなると修行者たちはさらに奥山に入り修行するようになった。修行者たちの集団化がすすみ修験道が形成され,その修行形態も山岳抖芹(とそう)に重点がおかれたものとなるにつれて大峰連峰各所に散在する行場に宿が設けられるなど相互に関連づけられていった。こうして熊野,吉野を結ぶ行場が成立し,近世以降はほぼ大峰七十五靡(なびき)(宿)として固定した。行場はおもに岩場,洞窟,滝,池などによって構成され,蔵王権現,不動明王,金剛童子,神変大菩醍をはじめとする多数の諸仏諸神や高祖開祖がまつられている。75靡は熊野本宮(1番),那智山(2番),熊野新宮(3番)に始まり,玉置山(10番),深仙の宿(38番),孔雀ヶ岳(42番)の両部分け岩によって吉野側の金剛界と熊野側の胎蔵界に分けられ,八経ヶ岳(51番),弥山(54番),弥勒ヶ岳(61番),笙の岩屋(62番),小笹の宿(66番)を経て山上ヶ岳(67番)に至る。さらに愛染の宿(70番),金精明神(71番),吉野蔵王堂(73番)を経て柳の宿(75番)をもって終わる。このうち山上ヶ岳には大峰山寺(山上本堂)や役行者(えんのぎようじや)が蔵王権現を出現させたとする涌出岩のほか表行場,裏行場など多数の行場がある。小笹の宿は聖宝が竜樹菩醍から秘伝を伝授されたといわれる場所で,当山派入峰修行の最大の拠点となっている。一方,本山派では深仙灌頂を行う深仙の宿が最も重要なものとされている。 宮本 袈裟雄
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