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削除要請

1ななくしゃ:2013/03/13(水) 21:30:24 ID:F89Dd1AY0
管理者 くしゃろー ◆jppMnKH2ns★ 様へ

失礼いたします、新・唐澤貴洋掲示板の管理人です。

・唐澤貴洋
・唐澤貴洋掲示板に来るナリ

上記2スレッドを管理者削除していただきますようお願い申し上げます。
私が管理する掲示板への宣伝の書き込みがあり、それに反発して書き込みを行った者がおりました、失礼いたしました。

こちらからも注意を喚起しておりますが、双方嫌な思いをしない様どうかご協力宜しくいたします。

2くしゃろー ◆jppMnKH2ns:2013/03/13(水) 22:59:22 ID:v6G1sS5M0
初削除‥‥ども‥‥

3ななくしゃ:2013/03/14(木) 13:32:19 ID:Bp4J063c0
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         許さないナリよ・・・・・・

4ななくしゃ:2013/03/14(木) 18:49:32 ID:Z.JYf32c0
唐澤貴洋殺す

5ななくしゃ:2013/03/14(木) 20:55:17 ID:rBKsNKNo0
要請ねぇ・・
なんか命令みたいな物言いだね怖いわ

6ななくしゃ:2013/03/16(土) 20:25:50 ID:wXBG.mT20
>>1
これは糖質の香り・・・ゴクリ

7ななくしゃ:2017/12/24(日) 17:54:08 ID:fqwjHBzY0
おらんだ物語

12/21/2017��

�� 永井荷風のふらんす物語にならって、"おらんだ物語"というカテゴリを作ることにした。というのも、オランダに引っ越すからだ。たぶんかなり長く住むことになるだろう。アメリカは僕の知性は認めても感性は認めない浅はかな人間の国だし、イギリスやカナダやカンガルーコアラという英語圏は飽き飽きだ。それから、日本は悪夢だ。


�� 英語で語られることは、keyboard militant の僕の手にかかれば、ほとんどのことが手に取らずにわかってしまう。そこに現れない程度のものは、取るに足らないものだ。それから、東南アジアはゴキブリが大きいから嫌いだ。オランダの素晴らしさとは、一言で言えば、お金のない人間はお断りの姿勢に集約される。まあ、23時までやってるスーパーの店員をやる有色人種というのはいるが、つまりは、お金がないのならそういうことでもしていろということだ。もしくは、とても才能と能力があって、'役に立つ'ならば是非いて欲しい、という社会だ。あれだけの高い生産性と、短い労働時間で繁栄しているのには、それなりに理由がある。あなたがムスリムなら、郊外のナイキ ストア付近にある専用居住区に隔離されるという形で、何らかの受け入れはあるかもしれない。それも、比較的開かれた都市だけのやる、限定的受け入れにすぎないが。白人の親が18時には子供たちと過ごす光景が当然にみられるというだけで、僕には十分すぎる選択なのかもしれない。
��
�� さあ僕はどうしよう。何になろうか。研究者になる道をきれいに進めと、多くの先生たちが勧めてくれるけれど、僕はそんなものがやれるだろうか。大学教授なんていう、体制の中で社会に対して制限された表現と関わりしか持てない種類のエリートに、なってうれしいだろうか。僕はいつでも、行動することは正しいと思っている。

8ななくしゃ:2017/12/24(日) 17:55:21 ID:fqwjHBzY0
4/6/2017��

 自分の五感を駆使して、自分自身で考えることが最も重要なことだ。 

 想像してほしい。ウイルスはどんな形をしているだろうか。自分の目で注意深く見ようとしない者にとっては、無形も同然だ。ウイルスは実際的には存在しないかのように、毎日に浸み込んでしまっている。そして、気づいた時には手遅れだ。問題にならなければ、全部見過ごしてしまえる図々しさを人は持っている。気にしない、気にしなければ問題じゃない、と無意識のうちに願っている。そして、ことが起これば知らなかったと言って、まるで被害者の顔をする。だが、あなたが呼吸をしている限り、あなたが日常のウイルスと無縁であることなどできはしないのだ。ことが起こる責任は、あなたにもあるのである。いくら毎日を早足で歩いたところで、立ち止まることを恐れたところで、この事実は変わりはしないのだ。

 学習という経験の蓄積は、人を幸福にするかは全くわからない。だが、自由に生きるためには有用だ。ウイルスを見抜くのには、知恵がいる。それは他人の解釈を借りるのではく、自分の頭で考え、自分の目で見るということだ。そもそも、あなたは見ていたのだ。子供時代に多くのことを見てきたのだ。だが、都合の悪いことは忘れるようにと、教え込まれたのだ。

 もう一度、目を開こうとする人に、言葉を書き残そう。不合理と不合理が有機的に結合し切り離せなくなってしまったのが、これまで人類が血道をあげ築きあげてきたものであったとしても、それは人間が作ったものなのだから、もう一度人間の手で正しい道に戻せるはずだ。

9ななくしゃ:2017/12/24(日) 17:55:52 ID:fqwjHBzY0
欲望の名付け親

4/7/2017
 あなたがもし、自分の欲望に名前を付けてもらわなければ、自分の手に入れたいものが見えないとしたら、あなたは人間ですらない。人間の根源は欲求だ、それを操作されたりましてや失くしたりすれば、もう人間とは呼ばれない。

 もしあなたが欲のない人間であるならば、あなたは完結している。あなたは他者を必要としないのだから、自分で畑を耕し時に狩りに出て生きているのだろう。だが、大半の文明の中に生きる人々は欲望の中を生きている。それは、彼ら個人の欲望の中ではない。他人の欲を虎視眈々と狙う狼たちの欲にまみれて生きているのである。かつて草を欲しがっていた羊は、高い肉をせっせと運ぶ狼たちに操られ生きているのだ。欲しいものに名前付けてもらってすっかり安心しきっているのだ。だが、それは欲しいものがないことと同じである。何ものかに変容していこうという、これまでの人類の進化を否定する日常である。歴史を逆行するだけではない、人類の息の根を止めようという営みである。

 だから、欲しいものがなくなったらしまいだ、あなたは人間であることを手放すわけだから。だがもし、あなたが立ち止まる機会と振り返る機会に恵まれるとしたら。だがもし、あなたが自分の欲しいものを自分から希求するようになったとしたら。末期の懺悔は生きているうちに済ませておくといい。走り出したいと思ったときに、走るぞという思い切りがなければ、悔やむでは済まないだろうから。だが、他人のためといって始めてはいけない。あなたはあなたの好きに、あなたの好きなことやるのだから。それがあなたを自由にするのだから。

10ななくしゃ:2017/12/24(日) 17:57:36 ID:fqwjHBzY0
勝利への意思

4/11/2017

あなたが取り組んでいることで、あなたが不満を口にするのならば、今すぐにやめたまえ。なぜなら、あなたは勝利への意思を持たないからだ。勝ち方の話で談笑などしていたから、不満が口をついて出るようになったのだ。もし、あなたが本気で取り組んでいたのならば、やるか、やらないか、ということで葛藤していただろう。やるか、やらないかである。だがあなたは勝ち方を選ぼうと言う。波風にびくびくするのは臆病者のすることである。躊躇いの中に横たわっていては、本当に勝とうという意欲など湧いては来ない。中途半端とは後にも先にも、何も残さないものなのだ。ならば始める前にやめてしまえ。だが、あなたは正義と公平さを重んじる人だろうから、始めたことを投げ出したいとは思わないだろう。なぜなら、あなたのすることは、あなた一人だけの問題ではないからだ。あなたは、それに気づいたから始めたのだ。ならば、やれ、徹底的にやれ。勝ち方を選ぶ暇はない。不満を口にする暇はない。あなたは意思を手にしたのだから、やるか、やらないかである。

11ななくしゃ:2017/12/24(日) 17:58:13 ID:fqwjHBzY0
解釈屋との決別

4/16/2017
どのような論理も、身体を通して個人的にその論理に対する確信を得るまでは、あなたの手足となって道具になり、役に立つことはないだろう。論理を論理のまま聞き入ってありがたがっていれば、その論理はあなたのものではなく、あなたは論理の奴隷になるだけである。論理の価値とは、使われる人の手にない限り決してわかりはしないのだ。そして、論理自体もまた、使われる人の手にない限り、論理などという仰々しい名で呼ばれるいわれなどないのだ。そもそも論理とは単なる解釈である場合がほとんどだ。誰かが始めた一つの解釈を普遍的であるようにラベルで飾って、人々にありがたがるように仕向けたからといって、その論理に実際に価値があるかどうかとは関係がないのだ。

 だから、あなたは誰かのしてくれた解釈という論理をありがたがって自分の知識にしてはいけない。それはあなたの知識ではないのだから。もし、あなたの話す言葉に誰かの論理があなたの知らないまま表れていたとしたら、あなたは、解釈屋の奴隷になることを表明しているに過ぎない。あなたは、知識を得たと思って自分を貶めているのである。あなたが知識を自分のものにしたいと思うのならば、自分で考えることを放棄してはいけない。誰かに考えてもらったことを、自分の考えとしてはいけない。ある解釈について考え抜いた末に、それに賛同するというのであれば、それは誰かの論理ではなく、あなたの論理になるだろう。あなたを自由にするのは、他でもないあなたがあなた自身で考えることを選択するという態度と行動だ。あなたが自分で考えることを始めない限り、あなたは自由を得ることはないだろう。だからまず、あなたはあなた自身を信じることから始めて、その後、人を信じるようにしなさい。あなたがあなたを裏切るよりも、誰かがあなたを騙すことの方が、よほど多いのだから。まずは、あなたはあなたを信じることから始めなければならないのだ。

12ななくしゃ:2017/12/24(日) 17:59:34 ID:fqwjHBzY0
無知の知を捨てよ

4/21/2017
あなたは知っていることに責任を持つべきだ。あなたが習得した事物は、単なるあなたの努力の産物ではない。あなたの知恵になるように、骨を折った人々もいたのだ。あなたは、それらの意図をすっかり金で買うことは出来ないだろう。だから、あなたは知っていることに責任を持つべきだ。あなたが手にしているものは、あなただけの成果ではないのだから。知っているということは、何らかの行動がとれるということだ。あなたは全てを知っているわけではないだろう。だが、知っていることに関しては、責任をもって取り組めるはずだ。わたしはここまでなら知っているぞ、と言える責任感こそ良い社会を作るのだ。

 あなたが人より知らないことを知っているかどうかなど、どうでもよいことだ。人は間違うものだ。あらゆる時代を通して、人間は間違いながら進んできたということが、私たちの知る人間の歴史である。だから、間違いに気づいたときは、改めることが大切だ。それが本来的な、無知の知である。謙虚とは、自分の誤りに真摯であることを言う。友の声に耳を傾け、誤りは正せ。あなたが人より知らないことを知っているかどうかなど、どうでもよいことだ。あなたがとる行動に対して、自分で修正を加える態度を持つことこそが重要だ。もしあなたが、あなたの知識を手の中にしまい込んだまま、隠そう通そうとするのならば、盗人という誹りは免れないだろう。知識を懐にしまいこんでいる輩は、盗人である。あなたが単なる盗人で終わりたくないのならば、知っていることには責任を持つべきだろう。



未来という名の過去

4/19/2017
あなたが真に歴史という過去の重みの意味を知る人ならば、未来で犯す過ちの内いくつかに対しての思慮を得ることになるだろう。だが、いつまでも死人の言葉にとらわれ続けていてはいけない。歴史とは死人の作ったものだ。歴史が照らすのは過去であって、未来ではない。未来を照らすのは子供たちである。過去はわたしたちの段階で清算しておかなければならないのだ。そうでなければ、子供たちもまた、わたしたちが祖先から受け継いだ呪いを背負って、未来という名の過去をさまようことになる。

 あなたの言葉でさえ、死人の言葉として踏み越えて、新しい段階へ進めるよう子供たちを応援しなさい。あなたもわたしも既に過去の人間である。過去は、過去の誤りからの未来への示唆を残すべきではあるが、そこに遺志の強制があってはならない。過去は過去に過ぎない。未来に先鞭をつけるのは極めて鋭い直感に他ならない。わたしたちは、わたしたちが痛かったからと言って、同じ痛みを子供たちに課す権利など、どこにもないのである。それでも、自分の痛みに我を忘れ、歴史という過去で未来を塗り込めようとする者は後を絶たないだろう。だからわたしたちは、過去と戦う必要がある。それはわたしたちの世代が片づけておかなければならぬことである。歴史という過去で未来を塗り込めようとする者たちは、存分に痛めつけてやるといい。そういう種類の人間は、他人の痛みは分からなくとも、自分の痛みにはうるさいものだから。あなたが、ここで徹底的にやらないというのであれば、痛みは子供たちに受け継がれることになる。未来という名の過去を子供たちに背負わせるはめになる。

 だから、わたしたちは過去に囚われた人々に対して寛容で、容赦するような姿勢を取ることはしない。徹底的に戦う。闇雲に暴力をふるえと言っているのではない、敵を見定めて、未来を侵犯しようとする輩には不寛容であれ、といっているのだ。不寛容であるということは、単に否定することではない。あらゆる手段で、対応をとるということだ。あらゆる手段とは、例外とする手段はないということだ。

13ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:00:06 ID:fqwjHBzY0
非暴力の宣言

4/29/2017
あえてこのことに際して、わたしたちは非暴力を表明する。非暴力を表明するということは、暴力があることを知っているということだ。あらためて言おう、わたしたちは非暴力主義者ではないが、非暴力を支持する者たちである。あなたが、わたしたちに手をかけようとしない限りは。わたしたちは、まったくの非暴力である。だが、非暴力それ自体、今のところ無意味である。非暴力の価値とは非暴力で何かを成し遂げることができて、初めて認められるのである。だから、わたしたちは非暴力への積極的な支持を表明するわけではない。あくまで、あなたがたが非暴力であるならば、わたしたちもまた非暴力である、という態度である。

 だが、非暴力とは負けが込んでいる者が使う態度ではない。非暴力とは、暴力を振るった末に力を抱え込んだものが、反撃を恐れるために言い出したことなのだ。わたしは許すのだから、あなたもまた許しなさい。だが、わたしの持っているものをあなたがたが欲しがってはいけない。あなたがたは許しで満足しなさい。これが、暴力によって達成されてきた非暴力の実態である。だから、無自覚に非暴力を選択する者は、単なる臆病者である。非暴力とは、あらゆる戦闘的な行動の末に到達する極めて計画的な態度なのだから。

14ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:01:13 ID:fqwjHBzY0
帰るべき大地

6/11/2017
帰るべき場所とは、歴史であり文化であり言わば土地である。それは民族の本質であり、わたしたち個人の魅力のさえ規定するものだ。土地を持たないものは、何も持たない。この人間の条件を満たさない者たちは、彼らではなくそれらである。

 少しわかりやすい話をしよう。ここに、中国を知らない人はいないだろうが、中国人を知る人は少ないだろう。中国文化に基づく中国人というものはないのだ。彼らにあるのは破壊の繰り返しであり、受け継ぐことのない、浅薄な新しさの繰り返しである。それは彼らが、この21世紀に、人間的とは程遠いアメリカの猿真似を得意げにやっていることから、容易にわかることなのだ。しかしながら、中国人というものは根本的な差異を共同体から排するがゆえに、アメリカ社会の持つような独創性を勝ち得ることはない。白黒赤茶黄が血で血を洗う独創性は彼らにはない。今日わたしたちが受け継がれてきた中国文化の断片を垣間見ようと思えば、韓国のような国に行かなければならない。あなたがたは、中国人も韓国人も、同じものだと思っているかもしれない。見た目は変わらないだろう。だが、世界で見られる韓国人は帰るべき土地から、追い出された人々であるのだ。喜んで我先に自分たちの人間の条件を手放して逃げ出した中国人と彼らとは、人間的という観点において、本質的に異なるのだ。


未来とは女性だ

6/10/2017
未来とは女性である。未来が女性であることは自明であるが、その前にこの話をしておかなければならない。わたしたちがまず物事を教わるのは、学校においてではない、社会においてではない、母親から学んだのである。あなたは銃の撃ちかたを父から学んだろうが、話しかたは母から学んだのだ。女性は美しい。男性諸君は、この美しい女性たちに目がないのだから、女性の美についてこれ以上の説明は必要ないだろう。では、この美しさを軽んじる社会はどうだろうか。それは、自滅するのである。男も女も、等しく母から生まれるのである。この母から物事の根本を教わるのである。教育とは家庭から始まる。彼女たちは、未来の担い手である。なぜなら、子供たちは、私たちの未来であるのだから。彼女たちは、誰もが教師なのだから。だが、私たちはいまだ過去を生きてすらいない。それは、あなたが女というものをわかっていないことが示している。原始の文明は、女たちが太陽だったのだ。男たちは月である。そして、ここにあるのは、あなたがたが今まで何も知ろうとしてこなかったという事実である。

 だから、あなたは女性を大切にする。そして、女性たちは大切にされなさい。無能の男たちが、もしあなたに害をなそうとするのならば、自分たちを守る努力をしなさい。誰も未来を横切ることは許されない。声をあげていい。なぜならば、人が人を害する権利があるというのならば、あなたはあなたを守る権利があるからだ。自衛のために、彼らの持つものと同じものを備える勇気が許されているのだ。女たちが自分を守るすべを知っているからこそ、男たちは安心していられるのだということを知っていて欲しい。女性とはわたしたちの未来である。

15ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:01:57 ID:fqwjHBzY0
決定的態度

9/23/2017
明日死ぬというつもりで生きろ、というのは良く交わされる冗談だ。だが、今日、今ここで死ねる、という決定的態度のない人間は、明日までという考えから逃れることは出来ない。明日死ぬつもりでというのは、明日まで時間を使っていてよい、明日までは考えていてよい、明日までは何をしなくてもよい、すなわち鎮痛剤的発想である。明日まではあなたは手をこまねいていて構わないというわけだ。では、あなたはその問題について、何年見過ごしてきたのか、何年手出しせずに来たのか。そしてこれから、あなたは、明日まで、というさらに一日も追加しようというのか。私の問いはとても簡単である。あなたは今死ねるのか、それとも積み上げてきた恥に更なる上塗りを明日になるまで施すつもりか、ということである。今決定できないことが、明日決定できる場合もあるだろう。だがそれは、明日決定するとして、何年もあの明日こそ決定と解答とを下す場と、見込んで行動をしてきた人間たちに限って言えることだ。明日死ぬつもりかどうかを問うつもりはない。今ここで戦う用意がないならば、明日になり事態はますます悪くなるというだけだ。

16ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:02:40 ID:fqwjHBzY0
冷却と忘却

11/13/2017
あなたが自分の置かれている状況、すなわちあなた自身を知ったならば、話は簡単である。あなたは、行動する。頭を冷やす時間は終わったのだ。あなたの頭は冷やされすぎて、他人の考えに支配されるようになっていたのだ。もしあなたが、この真実を前にしてもなお身動きを取らないというのであれば、あなたが愚かなのも当然である。敵はあなたを愚かなままにして、永久に支配を続けたいのだ。だが、あなたはあなた自身を学んだ。行動することに際して、あなたは男である必要はないし女である必要もない。あなたはただ知性のある人間でありさえすればいい。知性のある人間は、必然的に自由を欲するものだ。私は常に行動することは正しいことだと思っている。あらゆる手段にうって出て、自由を獲得するだろう。



力の認識

11/11/2017
なぜあなたは自分を変えようとしないで、他人を変えようと望むのか。なぜ自分が変わるより先に、他人が変わることを期待するのか。変えようとする者は、まずは自分が変わらなければならない。変わらないのであれば、変えようとはしないことだ。なぜなら我々はもう既に一切の妥協をやめたからだ。我々がやるべき唯一のことは、あなたが我々に何をし、またしようとしているのかを思い知らせることだ。あなた方が使った言葉を、我々も使う用意がある。叩き潰す者は、同様に叩き潰されて当然なのだ。被害を被るものは自己防衛をすべきである。防衛とは行動することだ。ただ現実に目を向けることだ。行動とは力であり、ゆるぎない決意と確信に裏付けられる。自由の前を横切る者達に対して、知性をもって怒り狂う時期に来ているのだ。

17ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:03:33 ID:fqwjHBzY0
女と教育

12/21/2017
教育は女が受けなければ意味がない。女の教育とは、自ずから二人以上の人間を教育することになる。あなたが女性であるならば、その責任を知らなければならない。この教育者たちの働きがなければ、社会に前進などないのだ。女性が教育を受ける国は、進歩的だ。進歩的な国は、後戻りをよしとしない。進歩的であるべきなのは、態度である。目先の新しさを追うのは、前進ではなく軽薄である。態度が進歩的であれば、行動は自然と進歩するのだ。そして、この強く進歩的な母を持つ子供たちが真実を知る時、本当の意味で次の世代がやってくるのだ。真実を知るものたちはただ座って、手をこまねいていることはないだろう。不正と欺瞞を暴くのに、偽善者の手を借りようとは思わないだろう。真実を隠そうとするものに、私は容赦の仕方を知らない。女であるというだけで、差別され不当に扱われる女性が一人でもあるならば、そこに平等はない。この不自由に抵抗するためには、あらゆる手段を惜しまない。あなた方の今するべきことは、次の世代に対して恥じぬ生き方をすることである。それが進歩の第一歩である。


二度騙す者

12/15/2017
戦えと教えられた者たちが、今、私たちへ牙をむき出しにしている。私たちが唯一教え込まれた教育はと言えば、赦しを与えよ、ということだけである。状況はこの教育のためにさらに病んだのだ。経済優先で進められた多文化主義は行き詰まり、リベラルたちはそのしっぺ返しを市民に取らせる構えを続けている。彼らがリベラルを標榜するのであれば、真にリベラルであらねばならない。リベラルならば、入ってきた者達に対しても、同様にリベラルであるべきだ。門戸を開けることがリベラルなのではない。リベラルとは、市民の敵対者であるならば、王であろうとも断頭台に送る断固とした態度である。あなたがリベラルであるならば、この牙をむく人たちに、リベラルがなんであるかを教えに行きなさい。さもなければ、リベラルとは現代においても、口と手によって二度騙す者たちを指す名前でしかない。これがどう呼ばれるか。羊の皮をかぶった狼だ。

18ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:05:21 ID:fqwjHBzY0
大物との対決

12/22/2017
先日ある大物がコメントをくれたので、精神分析的手法を交えて、彼が何を思っているのかを検討してみた。
��

ote14(大物):
�� あなたの文体は、最初の頃から今まで全く変化がない。その文体は無駄に読みづらいし、中身の無さをごまかしているだけの姑息な文体である。なぜあなたは自分を変えようとしないで、他人を変えようと望むのか。なぜ自分が変わるより先に、他人が変わることを期待するのか。あなたははじめからいままで、すっからかんのポエミーしこしこナルシストのままである。


テオ:
�� あなたの指摘のない反論に、あなたが望む形で答えよう。私は常に、変化し行動することが一番だと思っている。あなたの言う変化とは、ぶれることを言うようだ。残念ながら、あなたのように気分で言うことを変えるのは得意ではない。
��
��
ote14(大物) :
�� これは政治目的殺人煽動罪(破壊活動防止法第39条)にあたる。今はあなたが影響力の小さい小物だから見逃されているだけである。発言には気をつけたまえ。小物くん。
��
��
テオ:
�� 小物の相手をしてくれる者が、大物だとは知らなかった。あなたが大物ならば、実際に何が行われているかを自分の目で見てくるといい。
��


�� ここからが悲しい心理学の時間だ。
�� 精神分析に親しむ人たちに、この大物について、いくつかの分析を残そう。
��
�� 彼にとって、troll(ネット上での釣りのこと)することは欲求不満を解消するために身に付いた癖である。なぜならば、彼自身の言葉を借りれば、彼はどうも現実世界では"ポエミーしこしこナルシスト"や"小物"と呼ばれているようだからである。人は自分が言われて痛いと思ったことを、他人に対する攻撃の手段として用いる。そしてそれはたいていの場合効果的ではない。自分の言葉に悦ぶ人間とは、この"大物"自身がそうである。自分自身の満たされなさを言葉の端々にのせて、あくまでも自分自身の中だけで循環させ満たされようとしている。あまりにあわれで、かわいそうだ。僕にこういう弱い男を見せないで欲しい。誰か、ここを読む女性は多いようだから、この男に情けをかけてやってくれ。男の僕には、彼を心底憐れんで同情するのは難しい。
��
�� この大物への応答の延長として、誤解を恐れずに言えば、僕の言葉や体を欲望のはけ口にする奴は今までに何人もいたが、自分の言葉に性的衝動を感じたことなどはない。それから、僕は同じ事でも何度でもいう。それは、聞く人がわかるまで言うからだ。最も重要なことは、何度でも伝わるまで言う。聞いた人が、持って帰れるように、言葉は同じものをあえて使う。大事なことは、伝わるまで言わなければならないからだ。

19ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:08:22 ID:fqwjHBzY0
ISFPとINFPって何が違うの?

4/8/2017
ISFP(作曲家)タイプと、INFP(ヒーラー)タイプの違いを現実世界の観察から、分析していきたいと思います。
 最大の共通点は、両者とも「イノセンス仮説」を採用して生きていることです。イノセンス仮説については、後述します。両者の違いについては、一言でいえば、ISFPはネアカ、INFPはネクラです。


 まず、下をご覧ください、どちらも心理機能が結構似ています。

ISFP     
主機能:内向的感情��Fi 
副次機能:外向的感覚��Se
三次機能:内向的直観��Ni 
劣等機能:外向的思考��Te ��

INFP
主機能:内向的感情 Fi
副次機能:外向的直観 Ne
三次機能:内向的感覚 Si
劣等機能:外向的思考 Te

 主機能の内向的感情と劣等機能の外向的思考を共有しているわけですね。主・劣を共有していると、口を閉じているときの印象が似てきます。どちらも、まあ一見は穏やかそうですね。余談ですが、パーソナリティや知性は顔に出るという調査研究があり、一見どう見えるかというのは科学的に重要な視点でもあります。

 さて、ですが、口を開くと、この二者は全く似ていません。それにはこの二者の、副次機能の違いが現れてくるからです。まず、内向的感情(私にとって快か不快か)をきっかけとして、世界を見ています。どちらも主機能と劣等機能のために、かなり見当はずれなことを言いがちなのですが、ISFPは概して理解され、INFPは基本的に理解されません。なぜかと言えば、ISFPは、外向的感覚(現実世界)で自分の主観的な感情をプロセスしているのに対し、INFPは外向的直観(青写真すらないアイディア)で自分の主観的な感情をプロセスしているからです。

 これらのタイプの言いそうな話し方で例示していきましょう。

ISFP「アニマルフレンドリーパークがないのはおかしい」

 アニマルフレンドリーパーク(Se:現実に体験できる野生動物王国みたいなもの)がないのはおかしい(Fi:私が好きだから)だ、と言っているわけです。

 発言者はTeが劣等のため説明はうまくできませんが、良い聞き手なら、意図を組んで理解してもらえる内容であると思います。なにせ、参照先が現実世界だからわかりやすいのです。また突拍子もないことを言って○○さんは〜アハハ、くらいで流してもらえるでしょう。あくまで現実の事実がベースにあるので、共有されることもポイントです。ISFPは人から嫌われることはめったにありません。代わりに社会制度が彼らの求める自由を嫌って制限をかけてきます。また、ISFPは、インテリ臭いことはうさんくさいと言ってあまり興味を示しません。社会化しつつあるアヴェロンの野生児のようなものでしょうか。

INFP「人助けをしない人がいるのはなぜなの」

 (Fi:私が善と認めている行為であるところの)人助けをしない人がいるのはなぜなの(Ne:一人を見て社会全体を見渡す)と、言っているわけです。

 発言者はTeが劣等のため説明が必要な社会派の内容であるにもかかわらず、説明ができません。え、人助けしている人この前見たよ(Se)、とか言われても、いや私の見る限りそうじゃない(Siによる自己の過去の経験の参照から)と突っぱねます。これは、INFPが考える理想の社会像や人生(現実には存在しない)を絶えず追いかけていて、そこからぽろりと出る言葉だからです。INFPは人格的な面から問題行動が多いのですが、相応の報いを人生で受け続けます。また、INFPは、インテリ臭いことに熱をあげがちです。思考することが苦手なのにもかかわらず。

 この2つのタイプの有名な人物をあげて、見ていきましょうか。

20ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:08:54 ID:fqwjHBzY0
 フランスの思想家のジャン・ジャック・ルソーは典型的なISFPです。よくINFPに分類されがちですが、彼の著作に見られる外向感覚的な志向は、INFPじゃ出てきません。彼は十代の頃、通りで露出狂をやってご婦人たちを驚かせたりしちゃう人でした。俺が局部を出す(Se)と楽しい(Fi)から、みんなも楽しい。ですが、ある時、貴婦人の屈強な使用人につかまって厳しく指導されることになります。
 ドイツの文学者ヘルマン・ヘッセは典型的なINFPです。平和を希求する作品を多数残してはいますが、妻子を半ば捨てるようにして自分探しのために引っ越しをしたり、たいへん結構な人です。今の俺は本当の自分から遠ざかっている(Ne)だからより良いところへ引っ越したい(Fi)。

 この両者に共通してることは「イノセンス仮説」をほとんど生得的に採用していることです。
イノセンス仮説とは、僕の勝手な命名。意味は、私こそが無垢で穢れがなく最も素晴らしい、という情緒的論理のこと。だから私の考えているように、私の周囲はあるべきだ、とか。イノセンス仮説のおかげで、人を見てなんてかわいそうな人たちなんだ、とか平気で思えちゃうのです。ま、もっとも、ほんとにイノセントなことやってるのって、INFJの人たちですけどね。

 イノセンス仮説はISFPにとっては職業や境遇を問わず問題なく共存していけます。なぜなら、外向的感覚のためにとても刹那主義的なので、学校や職場で嫌なことがあっても、おうち帰って好きな本読も、のように快も不快も一瞬の出来事にしてしまうからです。やんちゃ続きで友人たちからも見放されたルソーは、晩年散歩しながら最も人間を愛した私が人間から嫌われるなんておかしいとつぶやきながら、なんだかんだ言って楽しくやって死んでいきました。
 一方で、INFPにとってはこのイノセンス仮説は、重石のようにのしかかります。特別な芸術の才能や、社会的地位を生まれ持たないと、イノセンス仮説・外向的直観による過度な理想主義的な気質と現実とのギャップに葛藤します。INFPがヒーラーの役割を担えるのは、無意識に自分が地球上最高の人間だと思っているからです。傑出した文才のあったヘッセでさえ、あるべき理想と現実の板挟みになって死んでいきました。中身もないのに自分を探してどうするんだと思うんですがね、やるべきは自分探しじゃなくて自分増やしでしょう。
 あるISFPの友人は言っていました、INFPの人ってよほど高い知能をもつかもしくは白痴で生まれないと人生辛そうだね、私は毎日が楽しければそれでいいだけだもの、と。僕は返す言葉がありませんでした。


追記 12月2017年
*闇のISFP、光のINFP
�� 一般的に言って、両者の力の出所は正反対です。ISFPはひどい扱いを受けたり辱められたり、社会から制限を受ければ受けるほど、エナジーを溜め込んで表現できるようになります。一方で、INFPは褒められたり、周囲から受容的に扱われることで、エナジーを充填して表現できるようになります。これは面白い対比ですから、ぜひ現実で観察してください。大成功しているISFPは抑圧されているし、大成功しているINFPはとても大事にされています。

21ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:10:39 ID:fqwjHBzY0
20年遅かったプログラミング教育

4/8/2017
今回は、日本の教育・人材開発について話して行きたいと思います。世界的に見て、日本企業はイノベーションは割と得意なほうでしょう。基礎の科学研究のレベルが低いのと、エンジニアリングのレベルの高さとがアンバランスになっている点は気になりますが、日本で創業した多国籍企業群については、それなりの競争力を維持してやっていくことでしょう。まだ人材の求心力がありますから、これからも優秀な人材を各地で募ればいいだけです。


 では、日本の人材を生産している公教育のイノベーションについてはどうでしょうか。2020年から始まる小学校のプログラミング教育から、少し考えてみましょう。第4次産業革命を視野に入れ、将来有望(?)とされる分野の一つとしてプログラミングに焦点を当てつつ論理力・構成力等等を子供たちに養わせるのが、プログラミング教育の狙いのようです。

 冗談にしては趣味の悪い発想です。人工知能はプログラミングが自分で行えますから、単なるプログラミング屋は必要とされなくなります。そもそもプログラミング教育をするといっても、教える人間が圧倒的に足りません。リタイア人材を活用するにしても限度があります。イギリスを範として小学校教員にプログラミング研修をさせ、実行に移すとしたら、発展性のないプログラミング言語を扱う羽目になるでしょう。プログラミングの時間は、マインクラフトで遊ぶ時間にしても、教育効果は変わらないかも知れませんね。小学校の英語教育のようにUNSKILLEDなインストラクターが闊歩するのが、せいぜいのおちでしょう。事実としてはこの政策の実体は、無知な大衆への目くらまし、ですね。ほらほらきみたち、未来に向けて日本は先進的なことやってるぞ、すごいだろってな感じです。プログラミング教育なんて20年前のアジア含む世界の流行りですよ。この政策を決めた日本のお偉方は、ポンデリングの食いすぎて頭までダスキンモップされちゃったんですか。

 じゃあ代わりにテクノロジーの変化がもたらす社会の変化に対し、教育はどうすればよいのか。アイディアはいくらでもあります。競争力のある論理力と創造性を磨くのが最も効果的なわけですから、[言語/数学+芸術]が一つの完成形として、この先100年は子供の主要な教材にすれば良いだけです。この組み合わせは自由七科を発展させたクインティリアヌスのアイディアを少しいじくっただけのもです。クインティリアヌスはローマの修辞学者でした。古代の教育は良い意味でエリート主義教育です。AIと仲良くやっていける職業とは、科学者・芸術家・俳優など容姿を求められるもの・肉体労働者たちです、言い換えれば、エリートと奴隷のことです。前向きに考えた場合、器量の良くない子供たちは、根本的な知力と審美眼とを高めることが大事なのです。テクノロジーは目まぐるしく進歩し形を変えていき、子供の頃に学んだ実学など容易に陳腐化することからも、根本と向き合う重要性はお分りいただけることでしょう。[言語/数学+芸術]は、科学力と文化力を高める市民を育成すると読み替えてもらっても良いです。そのためには、教員の給与は倍にして、教師という職業に優秀な人材が集まるようにする必要があります。また、目立った成果のあげられない教員は切られる必要があります。客観性を徹底したevidence-basedの教育を構築する必要があります。競争原理は、教育の現場にそぐわないとおっしゃれる方もいるでしょう。ですが、世界のトップスクールにいる学生たちは、競争を勝ち抜いてきているんですよ。どこ見てるんですか、マンホールの中をいくら眺めても、マントルは見えませんよ。

 これらと並行してグランゼコール式のトップスクールを設けることも必要でしょう。民主的に、平等に、国民の中なら選ばれた天才を国家が市民の未来のために育てるのです。中途半端なインテリであるべきなのは、一般の市民です。きちんとした教育を受けた人間が、他人の作ったものを理解できるだけの頭脳で留まっているとすれば、彼の受けた教育は失敗です。グローバリゼーションによるアジア並びに世界的な舞台での、優秀な人材獲得に日本は失敗しました。これから日本がとれる選択肢は、いかに小さく、しかし競争力は維持しながらまとまっていくかということです。そのためには、フランスのように天才的な人材に社会の根幹を支えてもらうほかないでしょう。

 僕が最近の日本を見て残念だと感じていることは、日本の文化力が右肩下がりであることです。50年前、100年前親しまれていた文学と、今日読まれている文学とを比較してみてください。たかが小説と思われるかもしれません。そのたかが小説がまともに鑑賞できない人間だらけになってきているのですよ。文化を担えない人間などAIにはるかに劣るのです。

22ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:11:33 ID:fqwjHBzY0
INFJを比較する

4/12/2017
みんな違ってみんな良い。そこはね、僕も同意します、みんな違ってそれぞれ好きにやってりゃいいってね。でもみんな等しく素晴らしいってのはない、そんなおためごかしは、ブルドーザーで10往復すり潰してもゾンビになって起き上がってくるのだから現代はファンタジー。個人が自由を求めれば平等は限定的になるし、平等を求めれば個人の自由は踏みつけにしなきゃならない、THE EARTH、いかがおすごしでしょうか。


 善かれ悪しかれ他人に対する物理的インパクトの強いMBTI最強タイプ群の二強は、ENTJとINFJでしょう。色んなタイプの友人がいますが、でかいことやってる度では、この二つが群を抜いています。現代のENTJの有名人って言ったら、スティーブ・ジョブズ、そして、INFJの有名人って言ったら、ネルソン・マンデラ。どっちもすごそうなんですが、影響力すごさ度でいうと段違いでINFJに軍配があがるんですね。
 
 ENTJの人たちって、持ち前のオレオレ思考の押しの強さで現世ではのし上がるんですが、冷たいロジックと銭金の渦巻く世界で成功を収める場合がほとんどなので、後世に伝わるなにかはあんまりない。なので、ああ、むかし若いころMacとかiPhoneとかはやったね〜って時に思い出される程度のキャラになるでしょう、現代ENTJの代表格ジョブズは。ちょっと時代を遡ると、ナポレオン・ボナパルトもENTJの有名人です。このタイプ、あくまで他人を従える人たちです。みなさんにとってみると、せいぜい、ああ、ナポレオン?すごかったの?って感じでしょう?むしろベートーヴェン(INFP)の方が、すごい人っぽいんじゃないでしょうか、現代人にとってみれば。芸術家と比較するのは卑怯だって?ENTJの人は芸術なんて、現世利益の少ないことはやらないから、出てこないんですよ、平等な比較をしたくてもね!それから、ENTJは、人の上に立てないとフラストレーションがたまるところがあります。

 さて、一方、INFJは死後数世紀にわたって人を感化し続ける。なにせ、INFJは、自分が目の当たりにした悪、それもかなり強大な悪に苦しむ人々を救うために立ち上がるわけですから、周囲の人たちは彼/彼女こそメシア!って沸き立つんです。しかもその悪は本質的で強大すぎるから、彼/彼女の人生だけでは解決しない。その本質を穿つさまがポイント。そして、強烈な問題提起と一定の問題に対する進歩を残すから、正義感ある若者がその後ろをどんどんついていく。悪い言い方をすれば、身の程を知らないほどでかい問題に着手して未解決のまま残すのがINFJ。INFJは、人から望まれるから上に立つという感じで、リーダー欲というより義務感から人の上に立つことを選びます。
 
 INFJは、あくまで自分の所属してる共同体から見た悪を叩き潰すために立ち上がるので、マンデラみたいな人もいれば、ヒトラーみたいな人も出てきます。共通してるのは、彼らの周囲の人々にとっては救い主であること。マンデラだって白人から見れば強烈にやばい奴ですからね、国際社会には黒人がいっぱいいる手前、大っぴらに叩けないだけで。ああ、あと、みんなどんだけヒトラー大好きなんですかね、年に何本ナチ映画製作すれば気が済むんだか。死してなお人にインスピレーションを与え続けるヒトラーのすごさを見ると、天才的なINFJの子供は甘やかして受容して育てないと大変なことになることを教えてくれます。
 話がそれましたが、ENTJとINFJの顕著な違いは、見据えている未来の距離感です。ENTJの人が五カ年計画を立てているとき、INFJの人は20年計画を立てていることでしょう。両者の未来主義的な志向は、副・主機能に内向的直観を持っているために起こります。


ENTJ : 外向的思考(社会的価値・実証的)+内向的直観(未来志向・本質的)
INFJ : 内向的直観(未来志向・本質的)+外向的感情(共感・感化的)


 ですので、ENTJは今あるもの、すでに実証されていることを、創造的に解釈して機能的に実現するように動く。PDAじゃダサいし使いにくいから、iPhone、みたいにね。一方で、INFJはあるべき未来の姿や真実を、他者の気持ちを汲み取りながら少しずつ実行していく。人類は平等なのだ、みんながアパルトヘイトで苦しんでいる、ならば私が立とう。
 ああ、あと、二者の大きな違いは愛され度合いですね。ENTJは、その性格からみんなから好かれるということはないです。怖いしうるさいから従っておこう・・・みたいになる。INFJは、大嫌い!と思われるか、大好き!と思われるか、はっきり分かれますが、仲間からは心から愛され慕われます。

23ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:12:25 ID:fqwjHBzY0
最強リーダー格、ENTJとINFJを比較する

24ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:13:10 ID:fqwjHBzY0
科学的なパリピENTP

4/12/2017
今回は科学的なパーティピーポーENTPについて少し話したいと思います。少し、というのは突っ込んでりゃきりがない人たちだから、少しだけ話すということです。ENTPを一言で表すならば、無政府状態における哲学的実践主義者、です。一言じゃ無理でしたね。歴史的ENTPのベンジャミン・フランクリンの名言でもどうぞ、"二人が死ねば、三人の秘密は守られる。"


外向的直観内向的思考外向的感情内向的感覚
 ドローンを天高く飛ばして中に積んだ生卵を太陽光でゆで卵にしよう、とか思い立ってドローンを買った翌週には、袋ラーメン100個を同時にゆでられる方法を編み出そうとしている人たち、それがENTPです。

ENTP : 外向的直観(拡散的ひらめき)+内向的思考(哲学的合理性)

 内向的思考がわかりにくいと思うので補足すると、実例がどうこうではなく、論理としての整合性を求めるという機能のことです。ほら、実例って論理的じゃないけど過去に起こったってだけで一般化されて正論とか呼ばれてますよね。正論(内向的感覚:経験論)って合理的じゃないこと多いんですよ。
 内向的感覚(正論)が主機能のISTJと、内向的思考(合理)が主機能のINTPとのやりとりで見てみましょう。

ISTJ(Si):人を傷つけるといずれ自分に返ってきます!(正論)
INTP(Ti):人を傷つけることと自分が傷つくことはイコールじゃない(合理)

 さて、ENTPの話に戻りますが、NeとTiの認知機能の合わせ技の破壊力は甚大です。というのも、爆発力のある発想を、独自の理論で達成しようとするからです。あれこれやることは変わるし、言うことも変わる人たちですが、NT型(合理主義者タイプ)の中では、三次機能の外向的感情のために、共感力も駆使できる道徳的常識人です。もっとも、できの悪い子供(NTs)の中から、一番ましなのを連れてきて、道徳的常識人とラベルを貼ることに意味があるかどうかはわかりませんが。

 ENTPは、NeとTiの合わせ技のおかげで、1を見て10を知るようなことが得意です。意識してカバーしてない範囲の話も持ち前の広範な興味・関心と哲学的論理の組み合わせで、即座に把握し即興で議論にのれます。こういう天才肌っぽいところが、性根まで腐った小言屋の公務員気質のタイプから嫌われます。広げて深めるのが得意なタイプと、深めるのだけが得意なタイプは、相性が悪いものです。それは、前者は後者の視野の狭さ・現実の知らなさを侮るし、後者は前者の視野の広さが専門性を欠いた浅はかな態度であるように思うからです。

 発想力やその実現に向けての構成力はすごいんですが、最後までやり遂げないことがほとんどです。ENTPは実務に長けた副官がいないと、力が発揮できないタイプです。しかし独自の理論の正当性に固執するきらいがあり、こっちの方がうまくいきますよボス、とか言われても聞く耳を持たないことが多いです。内向的感覚が劣等機能なので、過去に…、前例では…、とか言われても、聴く耳が持てません。そういう歴史的事実は、あくまでふまえておくだけのもので、それだけで意思決定をしてしまうのは創造性の妨げになるだけだと思っています。


*追記12月2017
ENTPのボス志向とENTJのボス志向:
�� ENTPのボス志向は、ENTJとは異なる形で現れます。ENTJの場合は、Ni-Teによる、直観と外的な裏付けによって、客観的な視点から自分が優位であると確信します。一方でENTPは、Ne-Tiによる直観と内的な裏付けによって、主観的な視点から自分が優位であると考えます。この二者の特性の差異は、人間関係にそのまま反映されます。ENTJは、Teのために人間関係は有用であることが重要で、上下関係はその次に来ます。ENTPは、Tiのために上下関係がまず重要で、その他が次に来ます。これはTeの根拠が外部にあるのに対し、Tiの根拠が内部にあるために起こります。

このTeとTiの違いは、こちらの追記でも述べているので、参照してください。
"実用性のTe、優位性のTi"

25ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:14:06 ID:fqwjHBzY0
AIが模倣しやすい心理機能

4/13/2017
AIが模倣しやすい心理機能について考えてみましょう。なぜそんなことするのかって?模倣されにくいことをやっているのが人間の条件になる時代が来るからです。さあ、機械が模倣しやすいであろう認知機能について見てみましょう。

かんたん          むずかしい                 
感覚(断片;情報) → 直観(類比;暗示)  
思考(論理;合理) → 感情(ブラックボックス)


 感覚は、単なる観察(外向的感覚:Se)か過去の事例の参照(内向的感覚:Si)ですが、どちらも機械が得意とするところ。特に過去の事例(Si)はネットワーク上に情報として溢れかえっているから学び放題。一方で単なる観察(Se)は、AIには割と難しい。なぜなら誰かが情報を入力するか、もしくは情報収集端末でも地球上にばらまかないと五感による知覚データが得られないから。感覚について言えることは、感覚データを細分化していく発展がこの先求められるだけで、大枠はだいたい解明できているということ。内向的感覚(Si)を得意としている人は、気を付けたほうがいい。Siはいわゆる家の中で勉強するのが好きなオタク気質、いわゆる作り出すのではなく解釈するだけの機能。人工知能が論文を読んでくれる時代には、まあ、うん、あんまり使うべきでない機能だね。

 直観は、感覚に比べると模倣がまだ難しい。やっと直観が人間の脳にあるんだね、ってことが科学的に証明された段階。情報同士の類比や、単一のデータが持つ暗示性の解釈は、その背景を理解する膨大な情報量もさることながら、意味を繋げるための特殊な働きの解明と模倣が必要になる。ただ、直観はある意味ピュアなロジックだから、いずれは真似できる。りんごとオレンジの共通点は?丸いこと!みたいなのが、初歩的な直観ですからね。外向的直観(Ne)、対象に関するあらゆる可能性、これがまず模倣されうる。内向的直観(Ni)、対象に関する可能性の中でも極めて重要なものだけを選定する、Neの次にNiが模倣されるでしょう。

 続いて思考について考えてみよう。もうできてるじゃん。終わり。と言ってはつまらないので少し見てみましょう。外向的思考(Te)、一般的な解釈・主流の理論の蓄積、こちらのほうが人工知能が得意とするところ。なぜなら先人たちの解釈データがネット上にあふれかえっているから。ネットは21世紀のアレクサンドリア、現実は消極的反知性主義。内向的思考(Ti)、純粋な合理性・倫理の放棄、こちらはSF映画のAIの性格としてよく描かれるけど、かえって機械にはまねしにくいのではないでしょうか。合理的に正しいことと、倫理的に正しいことの、分かれ目って何でしょうか?合理的に正しい(=内向的思考)ことと、情緒的論理(=外向的思考と感情のミックス産物)を比較して、合理性について再検討してみましょう。


合理=普遍性:人生に意味などない(=生得的な意味など"誰にも"ない)
  補足:人生の(社会的)価値は別。生得的に人生に価値のある人間はいる。
人は刺せば死ぬ(=刺せば"誰でも"生命活動が停止する)

情緒的論理=個人的論理:人生の意味とは人を愛することだ(=意味があることが証明できていない)
知らない人についてっちゃダメ(=知らない人が危害を加えるとは限らない)


 この情緒的論理は合理的ではありませんが、広く論理として人間に使われています。人間における普遍的合理性と情緒的論理の区別がAIにすんなりできるのかは、ちょっと知りません。そういえば、情緒的論理は国家のパターナリズムなんて名目で個人の権限を侵害しています。AIは、こういう人類の保護・補佐的な働きをプログラムされそうなイメージがあるのですが、どうでしょうか。ああ、ほんと哲学者って科学者の足を引っ張る以外の仕事、ないんですかね、現代。

 最後に、感情機能の模倣は最も困難を極めるでしょう。それはなぜか、感情が何の産物なのか分解できてないし分類できてないためです。じゃあ無秩序で無計画で破滅的な機能なのかと言えば、そうでもなく、打算で作られた感情的振る舞いなんかは、すぐに見抜けたりするのが感情機能を得意としている人たち。パターンを組み合わせて人に合わせて行動してるんだね、と人間から思われてしまう内は、機械は人間の感情機能を超えた知的能力を獲得できていないわけです。ご存知のように、感情機能は芸術と強烈な結びつきがあります。



 そして、人類最後の絵かきを囲んで、子供たちは、言うのだった。
 「ねえ、おはなしはしてくれないの?」

 絵描きは言った。
 「人間の子供は、モーターの音なんかしなかったんだよ!」

 子供たちは口をそろえて言うのだった。
 「かなしいよ。僕たちはあなたのことをこんなに愛しているのに」

 絵描きは言った。
 「ああ俺も頭にお前らを住まわせた連中と同じ病で死にたかった」

26ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:14:48 ID:fqwjHBzY0
TEDって文字にできる?

4/13/2017
ハッピーなアイディアをプレゼンでトークするのですっかり定番になったTEDですが、文字にしてみたら大したこと話してないじゃんという批判を見かけるのでトークと文字の違いを見てみましょう。教育の資源としても良く引用されるTEDです。きみああいうトーク得意でしょってよく言われるんですが、まったく侮辱ですね。いつも通り結論から行きますが、トークは文字にはできません、できると考えている人はそんなだから説得力に欠ける人間なんです。


 そもそもプレゼンのトークと、書き起こされた文字の違いは何でしょうか。それはアナログデータとデジタルデータの違いです。トークはとてもアナログです。音声がアナログだってのもありますが、トークは、そこにいる人たちと時間・空間・思考・感情、色んなものを複雑に絡ませて有機的に互いを反映しながら話を進めるものだからです。これを文字にするのは、あんまり意味がない。Gaga様のコンサートが生だと一体感と熱気が異常だけど、録音された音楽は尖ったダンスポップ音楽ってだけ、ってのと同じ理屈です。トークはPerfect Illusion。

 一方で、書き起こされた文字は後から何度も見返して、時間を遡って行ったり来たりしながらためつすがめつ鑑賞できます。ですから、おのずと時間の流れを無視し、人の持つ言語化の難しい感性や感情を取り除いたものを書き上げるほうが、文章としては知的でいいねと言われます。そんなもの、ねえ、死んだ情報でしょう。わかってるところだけを分かるように書くって、それ、もうわかってることなんですから、書かなくていいよね。わかりきったことに関しては、やるべきことは書くことじゃなくて、知らない人に伝えることでしょう。いや、でも、こんな部分はわかっていないものもあるんだ、と言う人もいるでしょう。いいでしょう、さして重要でないものを論じ続けて人生を終わらせるのがインテリという生き物ですから、僕は別に止めてはいません。太陽の塔に刺さるかするか、FUCKSHIMA原発の炉内に飛び込んで来い、とは思いますが。
 
 言葉と文字は道具であって、自分で積極的にどちらかを選ぶべきか考える必要がある、と言っているのです。純粋な論理を口頭で説明しきるのなんて、正気の沙汰ではありません。また、生の感情を文字にして伝えることは、偉大な文学者でも困難を極める仕事です。伝えたい内容に対して、適切な手段を取ることが重要なのです。

27ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:15:38 ID:fqwjHBzY0
外向的直観と内向的直観の違いって?

4/13/2017
外向的直観(Ne)と内向的直観(Ni)の違いについて、少しだけ話しましょう。どちらも人の知性と創造性をつかさどる面白い機能です。外向的直観を主機能または副次機能に持つタイプにはENTP・ENFP、INTP・INFPがいます。内向的直観を主機能または副次機能に持つタイプには、INTJ・INFJ、ENTJ・ENFJがいます。この二つの直観の一番の違いは、見込んでいる可能性の数です。



 外向的直観(Ne)は、ある事柄について可能性を検討するとき、思い浮かんだ数だけすべて平等に取り扱います。


 問い:悲しまずに生きるにはどうしたらいい?


Ne(外向的直観):
娯楽を増やす=甘いものを食べる=精神科に行け=悲しみとの共存を考える=そもそも死ねば悲しまない


以上5つ思い浮かんだとすると、Neはそれらに序列化せず、等価のものとして取り扱います。どの可能性も等しい重みをもつということです。


Ni(内向的直観):
精神科に行け
 娯楽を増やす
 そもそも死ねば悲しまない
 悲しみとの共存を考える
 甘いものを食べる


 Niは、Neと異なり、5つ思い浮かんだら序列化し、1位以下の可能性を必要になるまで捨てます。この違いは例えるならば、民主的な発想力のNe、独裁的な実行力のNiってところでしょうか。Neは移り気なので可能性を数限りなく求めて動いていきますが、Niは一度確信し採用したアイディアはめったなことで変更しません。この二つの態度の違いは、Neが無意識に可能性という形で人々に示唆を与えるのに対し、Niが意識的にもっとも起こりうることを人々に知らせて歩くという違いで現れます。これは単に、外向は客観的で、内向は主観的という特徴が表れているだけです。NeとNiどちらの示す可能性も、副次・三次機能に思考機能をもたないと明確な合理化と説明ができないため、見向きもされません。

 思考機能を劣等機能に持つタイプ直観型(副次が)は、ENFJとINFPです。主機能が直観型で、思考機能が劣等のタイプはいません。


 ENFJの例と言えば、バラク・オバマ。色々提唱しては見たものの、合理的な実現の手段までは考えが及ばなかったという好例。補足ですが、判断(J)型は、あくまでルールに従う性向で合って、規則を生み出すのは思考。
 INFPの例と言えば、ジョン・レノン。平和だのなんだの提唱しながら、楽器を鳴らしていただけ。楽器を鳴らしても平和は来ません。僕の大好きなビョークも、歌いながら平和とか言ってるだけです。平和も気楽なトピックになったものですね。


 さて、直観型としての特徴が強くなればなるほど、感覚がもたらす現実の重みが軽くなります。外向的直観型は過去に起こったことを軽視し、内向的直観型は今起こっていることを軽視します。外向的直観が強いタイプは、可能性に挑戦したいわけですから、前例に失敗があろうとなかろうと実際にやってみなければ気が済まないのです。内向的直観が強いタイプは、未来を見据えているため、今の現実には関心がなく、現状にとらわれるタイプのせいで未来が軽んじられるのが我慢なりません。

 Neは拡散的である種の創造性の発散のように働くのに対して、Niは預言的で強固な一本のインスピレーションのように働きます。ですから、概して、Neを使う人たちの方が親しみやすそうな印象があり、Niを使う人たちはよりシリアスな印象を与えます。これらの違いは、Neがどの可能性も等しく価値があると開放的なのに態度をとるのに対して、Niがこの可能性こそもっとも重要で起こりうることだという決定的な態度をとることから表れる違いです。どちらの直観タイプも人口が少ないレアポケモンなので、見つけたらぜひからんでおきましょう。面白い話が聞けるかもしれませんよ。

28ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:16:25 ID:fqwjHBzY0
哲学・科学・宗教を一言で説明する

4/13/2017
多くの人たちは、哲学・科学・宗教に関する長々しい解説にうんざりしていると思うので、一言で簡潔に説明する努力をしてみました。

哲学とは、もったいぶった個人の妄想科学とは、みんなで楽しむ空想

宗教とは、365日正しい幻想
 もうちょっと好意的で、日常、使いやすい表現で説明しなおしましょうか。


哲学 : 私はこう考えます、なぜならああだからです。=主観的;みんなから いいね(Like) を押される詭弁のこと

科学 : 結果はこうでした。ポチさんのところでも同じ結果だったそうです。=客観性;みんなで観察できる;だいたいあってる

宗教 : こうだ。=至上のもの;逆らうと焼けて死ぬ

 え!これだけ見ると宗教ってすごそうなんだけど、と思われたあなた、鋭いですね。宗教はすごいに決まってるじゃないですか。だって、シリアが国家レベルでやっとばらまけるような化学兵器を、平気で作って散布できちゃうくらいの求心力を持った組織が容易に出来上がるんですから。宗教は火遊びじゃすみませんよ、気を付けてください。
 
 哲学と思想って紛らわしいので補足しておきます。

哲学=批判(ダメ出し)してるだけでもいい(=言行不一致)思想=批判(ダメ出し)+行動しないとダメ(=要 言行一致)
 だから、イマニュエル・カントは哲学者。ジャン・ジャック・ルソーは思想家。行動してる系の人たちは哲学者ではありません。だから、プラトンは分類すれば思想家になります。マルクスももちろん思想家。フレデリック・ニーチェ先生は哲学者、ヴァーグナーは音楽家。サルトル?う、うーん、サルトルは職業サルトル(本人談)。

 神は全ての母、哲学も科学もそれにまつわる思想もそうでない思想も、すべて神が出産しました。というか、勝手に腹を突き破って出て行った。そして問題が起こると、神に祈り始める。神は都合のいい女じゃないぞ。

 余談ですが、はっきり言って、文学者の方が生産的な形で哲学してますよ。彼/彼女らは行動(=オリジナルの著作)がありますからね。哲学的著作を残してる哲学者いっぱいいるよ、ですか?それって文学者の何分の一の話をしていますか?そして、彼らの批判の話はそんなにオリジナルでしたか?そもそも哲学的著作ってのは、何の役に立つ批評本のことですか?哲学では、人の作ったチャーハンを炒めて出して手料理と言っていいんですか。そうですか。なら、現代のもっとも優れた哲学者は冷凍食品製造業者たちだ!ああ、だめだ!彼らは製造してしまっている。冷凍食品製造業者は思想家だったのだ。ああ、僕ですか?僕は神に仕える説教師です。

29ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:17:49 ID:fqwjHBzY0
外向的思考と内向的思考の違いって?

4/16/2017
外向的思考(Te)タイプと内向的思考(Ti)タイプの違いを、それぞれを主機能/副次機能に持つタイプを踏まえて見ていきましょう。外向的思考を主機能または副次機能に持つタイプにはENTJ・ESTJ、INTJ・ISTJがいます。内向的思考を主機能または副次機能に持つタイプには、INTP・ISTP、ENTP・ESTPがいます。外向的思考と内向的思考の違いを一言で言い表すならば、科学と哲学の違いです。


外向的思考型における科学性とは、言い換えれば、

すでに証明されていること客観的にみんなで観察できるもの社会的な価値が認められているもの
これらを判断の際の材料にするという態度のことです。

 例えば、薬なんかは外向的思考の産物です。この新薬さ臨床試験したら有意に効果があったよ=統計的にだいたいみんなに効果があった。この、だいたいみんなに効果があったというところが、外向的思考の強みであり弱みです。だいたい合理的で、前例さえ十分にあれば合理的と考えるのが外向的思考タイプ。この薬が100人中100人に効くとは言っていない。


外向的思考型(Te):業績を改善した企業では、人件費削減のための早期希望退職を奨励していたそうですから、我々も無駄な人件費削減に乗り出しましょう。

 一見合理的ですよね。前例があるので、うかつな反論は難しい。でも細部を見ていくと、割と危険な論理の粗が隠れています。短期的な業績改善のために、無差別な早期希望退職を募るのは、長期的に見て優秀な技術者の流出を招く、とか。あと、外向的思考型は、すでに社会で評価されていることにしか興味を持ちません。資格取得オタクとか、ああいう人たちは、悪い意味での外向的思考型でしょうね。客観的に価値を認められるものをたくさん持っている人=有能な人間、という図式を当たり前に持っているということ。この図式のおかげで、外向的思考型は、社会的に評価され高い地位に登りやすいです。それから、内向的感情が劣等または三次機能にあるので、Teは対象に関する分析と批評は得意ですが、そのもの自体の意味や価値を判断するのは得意ではありません。例えば、このダイヤモンドは特別な機器を使って熟練工がカットしているからより美しく見えるんだろうね、という批評はできても、そのダイヤモンドの美しさに対して自分がどう感じるかを説明することは苦手です。
 外向的思考型の役割は、一般に受け入れられやすい性向を生かして、社会で埋もれがちな才能を評価されるように行動することでしょう。安っぽい出世主義者だらけのTeなんて見ていてつまらないですから。

30ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:18:21 ID:fqwjHBzY0
次に、内向思考型ですが、良くも悪くも哲学的です。ここでいう哲学性とは、

独自に考えること普遍的に適応できる理論であること自分の中で合理化出来ればいい
という主観的な合理的態度のことです。

 例えば、本能という機能や概念は内向的思考的です。なぜなら、本能は人間なら普遍的に基本的には誰しもが持っているものだからです。絶対みんながあてはまることを見つけようとします。これが強みであり最大の弱みでもあります。というのも、生まれつきの器質的な異常で、想定される本能を持たずに生まれてくる人間がいるからです。完全な理論を作ろうとすると、そこからすり抜ける例外が、内向的思考タイプにとっての困った相手でしょう。


内向的思考型(Ti):孤独とは危険なものだ。一度孤独の中の平和を知れば、人は他人と関わりたいと思わなくなる。

 一見なんだか響きますよね。なんか、超越的な合理性を感じて反論しにくい雰囲気があります。ですがよく見てみると粗がわかります。Tiのこの手の発言は、よく見れば自分のことを話している場合が多い。それってお前が孤独が好きなことを理屈で説明しただけじゃん!と、気づくでしょう。内向的思考型は、前例とか社会とかくそくらえなので、独自に理論を打ち立てて行動していきます。そのおかげで、低い地位に押し込められることが多いです。ですが、Tiは自分の地位が高かろうが引くかろうが、それ自体に大した価値を見出してはいないので、問題にはなりません。どちらかというと、自分の表明している独自理論を理解してもらえるかどうかが、彼らにとっては重要なことになります。このタイプ、外向的感情が劣等または三次機能にあるため、他人の気持ちを汲んで発言するのが苦手です。苦しんでいる人間を前にして、楽しい時があったはずだよ。という合理的な発言ができてしまいます。そりゃまあ、365日24時間苦しんでいる人は、論理的にはいないでしょうが。また、Tiは独自理論の完全性を願っているので、見つからないピースを探して思考し続けています。
 ある時、内向思考型の人に、別に君の理論のための足りないピースを見つけようが見つけまいが世界にとっては何の価値もないじゃん、と言ったら怒られました。他人の気持ちはわからなくても、自分の気持ちにはうるさいようです。

 Te、Ti、どちらにせよ、即物的すぎてもつまらないですし、机上の空論を並べ立ててもむなしいだけですから、何かに偏りすぎずいたいものですね。


*追記 12月2017
実用性のTe、優位性のTi:
�� 外向的思考というのは有用である物に対しては、感情は別にして分け隔てなく取り扱おうとします。一方で、内向的思考というものは、自分が優位であるという前提がありますから、結果よりも過程の力関係を重視します。これはTeの根拠が外部のデータにあるのに対し、Tiの根拠は自分自身であるために起こる違いです。
�� 人間関係でいえば、Teベースの人は、あなたに社会的な価値を見出している限り親しくしてくれるでしょう。Tiベースの人は、あなたが自分よりも低い位置にいる限りはあなたに目をかけてくれるでしょう。

31ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:19:48 ID:fqwjHBzY0
うまく話を聞いてもらうコツ

4/18/2017
うまく話を"聞く"コツについてはある程度意見が一致していますが、話を"聞かせる"コツについては意見が人によって様々です。今回は、話を聞いてもらえるやり方の内でも、初級のテクニックをいくつか紹介していきましょう。一対一の話合いではなくて、多人数で空間を共有している場面を想定しています。ちなみに、一対一の話し合いは、価値観が極端に違うと成立しないですから、無駄な努力はやめた方がいいです。さてと、それでは、たくさんの人にうまく話を聞いてもらうコツから見ていきましょう。



前準備編

身なりをきちんとする 清潔感のある身なりをしましょう。話す前に嫌われてしまうと、以降何を話しても相手に響きません。

眼鏡をかける 眼鏡をかけてると知的に見えるという、悲しい調査結果は枚挙にいとまがありません。

真面目な表情で始める 聞かなきゃいけないようなムード作りは大事です。ゆるんだ顔の人が真面目な話を始めても、聞き逃します。


小手先のテクニック編

大きく明瞭な声で自信を持って話す 自分の言わんとしていることに、自分自身が確信を持って話をしましょう。不安げでみじめそうなあなたの話に、聞き入ってくれる人がいるでしょうか。話し方は、大きな声で明瞭な発音、を心がけましょう。ちょっとした言い間違いで、あたふたしたらいけませんよ。
  ボディ・ランゲージは使わない 日本人相手には使わない方がいい場合が多いです。なぜか?ですか?背景は知りませんが、日本人はボディ・ランゲージを大げさだと言って嫌う人が多いです。理由は日本人に聞いてください。

 適度なアイコンタクト 書き込まれたメモを見つめて話すのはやめて、アイコンタクトを用いましょう。アイコンタクトに関しては、多用しても問題ありません。なぜか?ですか?そんなの知りませんよ、日本の人に聞いてください!

 双方向性 話している相手の表情や態度を反映してください。人前で話すことはレースではありません。

 ユーモアを駆使 あなたのユーモアを駆使しましょう。あなたが話す間、終始、気を引き続けるためにも、聞き手に取って身近な話題を交え、関心や共感をもってもらえるようにします。

 結論 あなたの考えを手短に、再度、最後に繰り返しましょう。人間は短いフレーズに敏感です。

 ファック・ユー みんな、あなたの話を聞いてくれましたね。はい、聞いてくれたみなさんに、あなたはなんと言いますか。ありがとう。


(不毛な)一対一の話し合い編

 一対一で話を聞いてくれない人にも、どうしても話を聞いてほしいあなた。話を聞いてもらう方法は1つだけあります。

アル・カポネの言葉
"やさしい言葉に銃を添えれば、 やさしい言葉だけのときよりも多くのものを獲得できる。"

 こんな物騒な方法、他には何かないの?という人がいることでしょう。ここまでの手段が必要のない話なら、そもそも無理して相手にわかってもらう必要がないでしょう。

32ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:20:53 ID:fqwjHBzY0
外向的感情と内向的感情の違いって?

4/20/2017
外向的感情(Fe)タイプと内向的感情(Fi)タイプとの違いを、どちらかを主機能または副次機能に持つタイプを踏まえて見ていきましょう。外向的感情を主機能/副次機能に持つのは、ENFJ・ESFJ、INFJ・ISFJがいます。また、内向的感情を主機能/副次機能に持つのは、INFP・ISFP、ENFP・ESFPがいます。外向的感情と内向的感情を一言で説明するならば、共感と同情の違いです。


 まず、外向的感情型(Fe)ですが、Feは相手の立場に立って感情を駆使します。要するに共感が得意なので、あれこれ世話を焼きたがります。他人の立場に立って考えすぎるせいで、かえって自分がまいってしまうことがあります。自分がどう感じるかよりも、周囲の人が良い気分でいてくれれば自分も良い気分、というタイプです。他人を含めた全体の調和を重んじるので、自分に対してより、周囲を害するような発言・行動を取る人を嫌います。機能的に言えば、Feの反対である内向的思考型(Ti)が苦手ということです。Tiは、冗談抜きで空気読めませんからね、さすがの僕でもドン引きするくらいです。


会話例でも見ながら、FeとTiの水と油っぷりを鑑賞してみましょう。

ESFJ:オフィスに飾るのにお花買ってきました。
(外向的感情→みんな花が好きだろう→みんな気分よくなるよね)

INTP:あ、一本枯れてる。
(内向的思考→欠点に気づく→完全ではない花束→合理的指摘)

ESFJ:・・・。
(外向的感情→周囲の空気を壊す人嫌い!→和を重んじ無言)


 外向的感情型ってわかりやすくて説明することが少ないし、暇だし、別バージョンの応答例でも見てください。


INTP:あ、一本枯れてる。
(内向的思考→欠点に気づく→完全ではない花束→合理的指摘)

INTJ:欠点だらけの容姿で、花に良く文句が言えるな。
(内向的直観→本質→花が完全であるべきならば、人間も完全であるべき)

INTP:それとこれとは問題が違う。
(内向的思考→花と人間との比較は合理的じゃない)

INTJ:へえ、そう思う人もいるんだろうね。
(内向的直観→枯れた花のように不完全な人間は必ず存在することへの確信)


 次に、内向的感情型(Fi)ですが、Fiは同情の名人です。皮肉じゃないですよ。それから、Fiは共感は得意ではないですが、本人は最高に共感してると信じています。特にINFPとか。というのも、Fiは持ち前の感情エネルギーが強いので、そう錯覚するようです。また、感情を内側で循環させており、Feのように対人関係の中で発散させない分、Fiは爆発的なエネルギーを秘めています。ごくたまに、感情的にブチキレて、とんでもない怒り方をするのはFiタイプの特徴です。ですが、殺人事件の加害者にFiタイプは意外と少ないので、基本的に平和主義者なのでしょう。機能的に言えば、Fiは反対である外向的思考型(Te)が苦手です。Teは、社会はこういう論理で成り立っているのだから個人もこうあるべき、という社会的型を押し付けてきます。一方で、Fiは私が好きなように私はしたい、と思っているのでこうした社会のルールが大の苦手です。


会話例を見るのが早いでしょう。

ENTJ:みんなで取り組んだら効率よく終わらせられることを、一人が乱したらどうなると思う?
(外向的思考→組織化・制度化・効率化)

ISFP:はい。
(内向的感情→みんなとかくそくらえ、お前が一番和を乱しとるわ)

ENTJ:意見あるなら言っていいよ。会議で取り上げて一緒に改善しよう。
(外向的思考→建設的→さらなる制度化への強迫)

ISFP:・・・。
(内向的感情→はぁ、まじ死ねくそが)


 僕は感情型の人たちが大好きです。なぜなら、優れた論理は劣った論理を上書きしていき、やがて論理は少しで足りるようになります。ですが、優れた感情はあればあるほど、アートなどで僕らの生活を豊かにしてくれるからです。

33ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:21:41 ID:fqwjHBzY0
ST・SF・NT・NF型の分類とタイプ別人口

4/20/2017
まずは適当に色々混ぜて出した平均のグラフでもどうぞ。現実世界と比べて、この数字に大した違和感はないかと思います。ああ、そもそも、他人にそんなに興味がないですか?そうですよね、僕もです。大枠の4分類についてみていきましょう。
 ST SF NT NFが、大きな4つの分類ですが、現実世界での個人的な感触としては、相手がP志向かJ志向かをまず知ることの方が、意思決定をする上で重要なのであんまり気にしてはいません。ですが、大体の傾向を把握する分には便利かと思うので少しやっていきましょうか。

 
 ST、感覚+思考ですが、一言でいえば、早く俺を管理してくれ系人類ですね。ESTPやISTPは管理されることが嫌でたまらないんですが、管理されないと張り合いがなくてぼけ老人のようになってしまいます。いうなれば、管理に抵抗することで、アイデンティティを保っている人たち。ESTJやISTJは管理されたいし、管理もしたいし、でもやっぱり管理されたいっていう、よくわからない人たちです。緊縛プレイって彼らのためにあるんでしょうね。このタイプの中の一大勢力ISTJは、些細な問題にうるさい小言屋。どんなに汚い街並みをゴミ拾いしてみたところで、日本の街の景観が醜悪であることが変わるわけではない。ちなみに、ST型の人たちは、NT型には強く出ますが、NF型には強く言えません。そりゃあ、NF型に近づくと感情の業火で焼け死ぬからね。SF型に対してはですか?ST型からは出来の悪い奴って思われてるんでしょうね。ST型の人口が多いのは、ぶつぶつ文句を言いながらも畑を耕してきた人たちがたくさんいたからでしょう。
 
 SF、感覚+感情ですね、このタイプは流行に敏感でおしゃれな傾向がありますよ。ただし、女性の場合限定ですが。人当たりはいいけど、腹にぜったい一物抱えてるよね、っていう人たちです。ESFPやISFPは、ここまで来たか刹那主義時代、みたいな刹那主義の人たちです。というかエピキュリアンですね。ESFJとISFJは、あ…そんなに頑張らなくても…世話焼かなくても…自分でできるから…っていう、世話好きな人たちですね。たまには自分の世話をしないと、病気になっちゃいますよ。それから、SF型は興が乗りやすいたちなのか、つい過激な連中(NT, NF)の燃やす炎にガソリンを注ぎます。今が楽しければ、それが一番いいからね。SF型の人口の多さは、世渡り上手で、ついつい人口が増えてしまった結果でしょう。

 NT、直観+思考ですが、一言でいえば、破壊か死かの世界を生きているような人たちです。この人たち新しいものを創造したくて仕方ないわけですが、新しいものを広めると古いものが破壊されちゃうよ。ENTPとINTJが組むと、ありえるクソのようなアイディアをENTPが大量生産しINTJが一つにマジになって実現します。ENTJとINTPが組んだ場合、独裁者であるENTJの頭脳としてINTPが確実に達成できるプランを練り上げます。どちらの場合でも共通して、協力的でないST型がブルドーザーで地ならしされていきます。君らの祖先が始めた革命を、その後、維持してきたのはST型なんだぞ。科学って暴力的だなあ。NT型の人口が少ないのは、こんなものがたくさんいたら争いが絶えないため生態系に間引かれたか、内部抗争で数を減らしたのでしょう。

 NF、直観+感情ですね、このタイプは理想が多いしどれも高いです。そして、タイプによって、出る目に差がありすぎる巨大なカジノです。それぞれ、理想の人生観・人間像・社会観、色々難しく抱いてはいるのですが、タイプによって人望に差が出やすく、人望の差がそのまま人生の出来栄えに直結してくる、なかなか難しい人たちです。ESFPがティーン系パリピなら、ENFPは意識の高いパリピ。ENFJは、意識の高い取り巻きが多くてややこしい。INFJは、無言でいても周囲を感化している。INFPは、たいへんそうだね。NF型で知能の高い人は、本当に示唆に富んでいて、教わることだらけです。だから、彼/彼女らから社会を主導する人間が生まれるのでしょうか。NF型の人口が割と少ないのは、理想が少なくてもやっていけるようにと、パンとサーカスをばらまく政治が発達してきた結果でしょう。

 タイプなんてしょせんタイプに過ぎないのですから、さっさと捨てちゃった方がいいですよ。

34ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:28:46 ID:fqwjHBzY0
INFPというカミサマ

6/30/2017
『こんなもの読んでないで、外の景色見て、今を体験して、遊べ!!!』

ややこしいから結論から行きましょう、INFPとは神様になりたい人たちです。だからこそ稀有な芸術家がこのタイプから出てきます。個人的な日常では、このタイプの人たち、よく僕に絡んでくるんですよ、別に頼んでないのに。才能ある芸術家とかだったら楽しいのに。なのに、同じ論理の世界の土俵で話したがる。INFP型の天才、三島由紀夫の名言でもどうぞ。"自分の顔と折合いをつけながら、だんだんに年をとってゆくのは賢明な方法である。"


内向的感情外向的直観内向的感覚外向的思考
 さて、神であるためには無知である必要があるのです(Ne)。だが、そう気づいた時点で、もうそうなりえない、白痴でなければそうなりえない。無知であるためには、生まれつき無知であるように生み出されなければならないのです。である以上、自らが神であることを求めるために、無知を演じている。だから、INFPの人たちは、とても賢いのです。愚かからは程遠く、自分を知り尽くしているからこその、無知の演出なのです。無知であることがなぜ、神の前提となるかを話しましょう。

 神であるためには、少なくとも現人類の中で最高、過去の人類の中で最高でなくてはならないでしょう。だが、現実のところ、すべての人間に勝つことなど、できはしないのです。ならば、考え方を変えてみればいいだけです。あらたまって謙虚に、自分を見直すのです。つまり、無知になる。ソクラテスの話じゃないぞ。自分の知らないものとは戦わなくていい(Te)。ああ、あれは知らなかった、いや知るという行為すらまだなかった(Si)。そして、戦わないためには自分の世界を限定する必要があり、その限定さえ完成してしまえば永遠の無垢という、主観的実感が与えられる(Fi-Si)。これ以上に、賢い心理機能を持つ人々を、僕はいまだ知りません。

 当たり前ですが、彼らも生きていく過程で、自分より優れた人間と出会っていますが、その事実を拒むのです(Si)。そうでなければ、自分自身が至高の存在であることができないから(Fi)。とても賢いから、一度知ってしまったものを、知らないふり、愚かなふりでごまかす(Si-Te)、自分が神であると自分をだますためだけに。あらゆる事実を墓場に送り込む(Si-Te)。その手にかけて、事実(Se)を殺してしまう。そんでもって、気に入らないと受け答えは、はい・いいえの二択になり、現実を直視することをやめてしまう。

 知る能力がないのであれば天然の無垢である、��ということには先に言及したかと思います。天然の美しさ、無垢さ、気高さに、あこがれて模造品を作ること(Fi)自体はいいでしょう。それは個人の趣味です、勝手してりゃいいことです。だけど、この人たちの問題は、それを聞いてくれれば誰でもいいという人選で、他人に押し付けてくるのです(Fi-Ne)。出来上がった模造品をありがたがる個人的行為(Fi)を、周りにも付き合わせようとするのです。くだらない演劇につき合わせようとするのです。だけど、ほかのタイプの人々っていうのは、そんな演劇が通じないことを成長の過程で受け止めているので、こんな事態はやってこない。そんな子供騙しになんかに、他人が騙されないことはINFPの人々が一番よく知っているのです。だから、それを消す魔法を知っている(Si-Te)。自分でもわかっていることを、「なんで?なんで?」と問い続ける(Ne)。人類や社会の共通の価値観を蹴り飛ばし、協調するのでもなく・建設的に参加するのでもなく、ただ自分は違うとして、人々が親しんでいる価値観は否定する。これって、EUにおける自爆してるムスリムのことですね。ありていに言えば、社会や共同体を崩壊させる種。だが、そんな社会、崩壊したってかまわない、史上最高のイノセンスな私がそう思うのだから(Fi-Ne-Si-Te)ってな具合です。

 通しで暗い感じですが、このタイプが暗いんです。物事に対するネガティブ面から話始める癖というか、改善点とかでなくて、ある悪い面に対する私の心境っていう、そういう切り口が多すぎる。INFPの芸術家は実に興味深いですよね。INFPも天才的芸術家クラスになると、多少現実が見えるようになってきます。でも、芸術家になるのも才能要りますからね。

さて、

岡本太郎の金言を馬鹿にできたなら、あなたは正真正銘の本物です。

35ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:29:18 ID:fqwjHBzY0
2017年10月追記:
INTPの友人と一緒に熟考して、
このINFPが進化の過程でどういう役割を果たしてきたかについて検討してみました。
INTJとINTPが共同して知恵を絞ると、ろくなことにならないという好例ですね。

 『老いたシマウマ仮説』
 彼らは言うなれば年老いたシマウマだった。痩せて食う肉のない、走るにしても遅すぎる、あるいは群れにいることを認知できないおつむの持ち主のシマウマだった。だがこれは、生存競争上、必要な遺伝子だったのだ。ゆえに、彼らは野生で生きることを拒み文化的なことに熱を上げ、似非インテリぶりたがるのだ。そうすれば、都市に定住できるからだ。言い換えれば、野に生きれば天敵に襲われた際、後詰で真っ先に捨てられる生餌が彼らである。とりわけISFPのような物理的最弱を嗅ぎ分ける天才的野生児の牙によって即死させられる。どうやら平和の時代を長いことやってきたために、後詰はずいぶんと増えたらしい。彼らは努力とは無縁で、自分と向き合うことは全くしない。それもそのはず、努力は長時間のもので、否応なしに老いたシマウマであるという現実を突きつけられるからだ。だが日常生活を適当に送る分には、特に他人と接する上で深入りさえしなければ、自分のエゴで短時間の無知のフィルターをかけられる。だから、彼らは自分の殻にこもりきりになって、他人を平気で踏みにじれるのである。

 『オーガニック仮説』
 生まれたままの自分で美しいと信じたい、INFP特有の心境のこと。ISFPが信奉しているイノセンス仮説とは異なる。イノセンス仮説は魂の穢れなさへの信仰心。一方、オーガニック仮説は、ありのままの自分で物理的に美しいと信仰する宗派の教義。オーガニック仮説は、ほとんどのINFPが共通して何らかの身体的コンプレックスを持っていることと無関係ではない。現実を拒絶することを採択するために造られた理論が、オーガニック仮説なのだ。

*追記 12.2017
�� 『INFPライトニングブレード』
���� INFPライトニングブレードとは、自我を強化したINFPのみが振るうことのできる、この世の苦難をみじん切りにするミニブレードのことである。怒ったり落ち込んでいる人が、ライトニングブレードを体得したINFPと会話をすると、日常のストレスがどうでもいいばからしい事と思えるようになる。あれ、私は僕はどうしてこんなことで悩んでいたのだろう、となる。相談者は、こんな細かいことに捕らわれて、結局どうでもいいことだったじゃない、となる。INFPライトニングブレードは、環境に恵まれたINFPでないと育てることのできない光の波動だ。受容され肯定され感性を奔放にできる環境を得るか、生まれ持っての異常な正の気を持つことで、この光の波動は生まれる。だが、INFPは環境に恵まれない場合が多いため、残念なことに会得者は少ない。

36ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:30:38 ID:fqwjHBzY0
なんとなく英会話でいいの?

5/21/2017
いいわけないでしょう、なんとなく英会話なんかしてて。特に仕事上必要だとか、留学したいとかじゃなければ、なんとなくの将来への備えや趣味としての英会話はやめておいた方がいいでしょう。なぜなら、こんなもん、読み・書き・話すができる人間が世界にはあふれているからです。とはいえ、真面目に日本人が学んだ場合、英会話なんのメリットがあるのかについて少し考えてみましょうか。英会話ですよ、英語の話じゃありません。


 色んな友達が作れるようになる。これが一番でしょうか。え、ビジネスとかの役にですか、立つわけないでしょう。そんな適当英会話のきれっぱしかじってみたところで。よくある思慮分別のない英会話の看板を真に受けて始める人間は、会議ののっけから頭にシャチホコのせて登場してるようなもんですよ。ですから、交友関係を広げるツールとして、英会話をとらえるのが一番実際的です。英会話でもはじめて、面白そうな友達作るのは悪くないでしょう。
  一応実利的な面の話もしておきましょう、日本人が日本で英語を話せることにはある程度の価値があります。純日本人で、英語が話せるっていうのは安心感高いから、価値がある。日本文化とかしきたりとか、いちいち説明しなきゃいけない奴は日本で使うには面倒が多いんです。   
 
 英語圏の文化が、文化的競争力と魅力に乏しいっていうのも英会話熱が冷める原因ですね。異論がある人は、英米の底の浅い芸術でも見てきてください。あ、でもカナダの、キューベックは実に素晴らしいですね!なるべく英語圏の肩を持ちたかったけど持てなかったんですよ!イギリス貴族文化は、芸術なんてちゃらちゃらしたことやってるやつは身をほろぼすっていうケチケチ貴族文化ですからね。ホルストやエドガーは素晴らしいですが、小ぶりですよね。文学は素晴らしいって?文学が素晴らしいんじゃなくて、会話が面白いから、そのテンポの良さと風刺の技術が文章にのっかってるだけです。別に、アーティスティックで文化的なわけじゃない。どっちかっていうと論理の比重がでかすぎる。ん、アメリカ?歴史のない国に文化などないよ。え、オーストラリア?ああ、歴史がなくても虐殺って文化がありましたね。

 ぼんやりと将来のためと称して、わざわざ英会話というのに時間を割く価値はありません。というか、なんとなく外国語っていうのはやめたほうがいいです。ぼんやりとした不安で死にます。もちろん小さい子供は例外です。ただ、高校生以降のなんとなく英会話は無駄だと言っているだけです。なんとなくだと、身につかないからです。やるなら徹底的にやるか、一切、手を付けないかです。

37ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:32:51 ID:fqwjHBzY0
富める中国人なりの苦しみ

7/3/2017
現代中国の上流階級は面白い。40代以上の親世代の血族をもとにした家族の寸劇を、子供たちは冷ややかな目線で眺めながら、それでも参加している。家族や血族で1ユニットであるという世界観の中で育ったせいで、個人としての本質をうまく育むことができなかったからだ。だが、現代はありとあらゆるテクノロジーが、個人が個人としてどうあるかということを問うてくる。そんな現実を中華の裕福な若者たちは知りながらも、血のゆりかごに揺られるしかない。なぜなら、いまさら個人にかえったところで、どこにも居場所などないからだ。


 
 彼らの多くが国際社会で求めるのは、日本人の友人である。中華系の人々といえば、何より日本人を毛嫌いしているイメージがあるかもしれないが、それは政治的な立ち位置の話で合って、個人間では全く異なる。なぜ、この富める中華の若者がわざわざ北米やヨーロッパで日本人を友人にしようかと思うかというと、彼らの面子文化がそうさせる。ありていに言えば、よくいる階級の低い中華系の巣くってる連中などとはプライドが邪魔して付き合えないのだ。だから、同じ人種で一定以上の水準を満たす人間を探すとなると、たいして数もいない日本人さえ候補に挙がる。それに、日本人というのは、相手から親しく話しかけられれば好意を持たれたとして、なあなあで付き合ってくれる。だが、彼らは日本人が非日本人に対して持つ極端な排他性を知らない。うわべの虚構と虚構とが折り重なったのが、北米やヨーロッパの一部の国で見かける富める東アジア人のなれ合いのようなものだろうか。さらに言えば、この中華の若者たちは現地の白人や黒人たちから相手にされるような個人としての魅力が欠けていることも、こんな茶番劇が起こる要因の一つだ。勘違いしないでほしいが、彼らは驚くほど勉強ができて驚くほど学歴が良い、そしてお金もあるのだ。

 意外と知られていないことだが、中華の世界観というのはレイシズムである。漢民族のスタンダートとでも言うべき容姿と異なる人種は下の下くらいに思っている。僕なんかも、彼らの老いた世界観からは歓迎されない。あまりに白すぎるのだ。同年代の人々は特に何事もなく付き合い始めてくれるが、彼らの親世代は怪訝な顔をする。普通の日本人とは違うわね、といつも聞かれて、話したくもない自分の背景を話す羽目になる。話したくもないことを話して、彼らが示す態度は不信と蔑みだ。同じ話をして、東欧の人々が僕に対し兄弟や息子に対するような態度に変わるのとは、全くの逆だ。もちろん、非差別的で暖かい中華の世界観というのもある。だがそれは、意外なことに中華の労働者階級の中にある。大陸は広く、下になればなるほど何でも混ざるものだから、外見や血の排他性は薄まるのだろうか?ただ僕が知っているのはさほど裕福ではない中華の人々が、僕を息子と呼んでくれたことだけだ。

 中国の富める人たちの多くは、見栄と面子の都会的な社交というものに息切れしている。そして、これが家庭に充満し、子供たちが神経を病んでしまうのだ。子供たちがそこから抜け出ることは難しい。家族という血の鎖が死ぬまで付きまとうものだから。そして家族という共同体がなければ、彼らは帰る場所を失う。彼らは国や民族や人種という文脈で肩を組むことはない。だから、家族がなければ、居場所を失うことになる。

 中国の社交はそれ自体が欠くことのできないものであり、他家の人が満足することで、何々家の私が満足するのだ。だから、ルールやマナーも家ごとに異なる。そういう意味で、イギリスの金持ちよりもたちが悪い。ある家庭に対して丁寧に接するやり方が、他のお金持ちの家に対しても通用する丁寧さである保証はない。イギリスもたいがい論理的ではない慣習の積み重ねだが、階級における差異と対応する振る舞い方というものにある程度の一貫性はある。中華の世界観において、他家に同意的で、彼らを満足させることで名声が高まり自分たちが満足するというのは、数少ない共通項かも知れない。個人を中心に共同体が発達していく黒人的な世界観とはかけ離れたところにある考え方だ。
 他者満足という、あやふやなゆりかごに揺られるせいか、彼らの神経は立っている。人生というものは自分が満足するというところで動かなければ、日常は全くの無秩序になるだろう。自由。それは無理な話だ。彼らは、家族が、私なのだから。

38ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:46:21 ID:fqwjHBzY0
男性的/女性的なファッション

7/4/2017
男性的なファッションと、女性的なファッションの、違いについて時計の復刻デザインを例に見てみましょう。ストーリー性の強いアイコンをどう解釈するかで、ファッションにおける男性目線と女性目線がわかるものです。
復刻デザインの難しさには、そのデザインが使われていた当時の街並み・ファッション・価値観・流行とが、現代とうまくかみ合うかどうかという問題があります。そして、復刻デザインを見たとき、あなたがどう思うかということで、あなたのファッション志向がわかるものです。



 まずは左のロンジンの時計から。現代の価値観、街並み、ファッション、どれをとっても、このロンジンの昔のデザインは、はまりません。時計単体では見ごたえのあるデザインですが、身に着けてしまうと単なるおじいちゃんの遺品です。クッションケースでミリタリーというのは、時計としてはとても面白いものです。つまり、時計だけで評価されたい"点"のファッションアイテム。昔の人はおしゃれでしたね。
 次に右のグッチの時計。グッチ クーペは、古臭いテーマを現代的にうまく解釈してあります。今時のジャケットに合わせるだけで、モード感がプラスされるようにバランスがとってあります。あくまで身に着ける人を含めた"全体"で勝負のファッションアイテム。

 この二つの時計のデザインの違いは、ファッションの男性目線と女性目線の違いでもあります。男性目線のファッションとは点で見るもの、女性目線のファッションは全体で見るもの。例えば、ナイキのレアなエアジョーダンに適当なジーンズという組み合わせは、典型的な点のファッションです。部分だけは最高のものをもってくる男性的ファッション。一方で、小物まで統一感があるものの、よく見るとファストファッションで固まっているというのは、女性的ファッションの特徴である全体的ファッション。どちらが良いかと言われれば、断然女性目線のファッションの方が第一印象で優れています。細部を見ていくと、男性的ファッションに欠けているものは、調和。女性的ファッションにかけているものは、本格さでしょう。両者をうまく高めることで、あなたらしさを引き出すことができるのです。

39ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:49:15 ID:fqwjHBzY0
ファッションの種類は2つだけ

7/4/2017
取るべきファッションのスタイルには2種類しかありません。ひとつめは、服に守ってもらうファッションです。ふたつめは、中身を際立たせるファッションです。そして、自分流のスタイルを組み立てる場合には、どちらの戦略を選ぶかを念頭に置くことが極めて大切なことなのです。



 服に守ってもらうファッションとは、わかりやすく言えば欠点を隠すファッション。長めの丈のトップスで、脚の長さをわかりにくくするとか、そういうやり方のことですね。ファッションの流行は、アイコニックなものか(今年でいえばスカジャン)、または、体のシルエットを隠すもの(今年でいえばオーバーサイズのボトムス)に分けられます。どちらも、中身より服が目立ってくれるという点で共通しています。柔軟な色使いがあるのも特徴です。隠す欠点は1〜2個にしておくことが無難です。隠そうとしすぎるものはかえって誇張されて目立つからです。

 中身を際立たせるファッションとは、文字通り中身を殺さないように引き算で作るスタイルのことです。トップスはショート丈、ボトムスは体のラインに沿ったものを、色も華美過ぎずモノトーンを基調に差し色を一色入れる程度にする。もちろん顔は大事ですが、それ以上にスタイルの良さが求められるファッションです。ここでいうスタイルとは、単なる体重や身長のことではなくて、頭の大きさ、手脚の長さ、肩幅、ヒップや腰回り、それらの総合的に見た比率の良さのことです。ですから、痩せているから何でも似合うとか、身長が高いから何でも決まるというものではないのです。

 どちらのファッションが優れているというのではなく、あなたに合う戦略をとることが大切です。多くの調査・研究で、見た目が人の印象のほとんどを占めることは、よく知られている事実です。内側に何を秘めたところで、外側に悪印象を持たれてしまっては、内側を見せる機会にはなかなか恵まれません。ファッションは、あなたの人生を前進させる大きなエネルギーになり得るのです。

40ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:49:58 ID:fqwjHBzY0
MBTIは、科学的なツールか?

7/6/2017
双生児研究から大規模な統計から、だいたいの手法で研究されつくしている感のあるMBTIです。さてそれが充分に科学的かどうか考えてみましょう。結論から言うと、科学的ではないが一部分において有用である、ってところです。

 

�� MBTIでよくある批判は、テストするたび結果がぶれるじゃないか、というものです。そもそもがユングのタイプ論がベース、つまり変化を前提にしているMBTIなので、成長したり多少ぶれたりくれないと理論的にまずいんですね。でも、結果がぶれるもの、つまり客観的な観察結果があり得ないほど変動するものを、科学的とラベリングすることは出来ません。言い換えるなら、妥当性も信頼性も低い性格検査ツール、それがMBTI。にもかかわらず、バンバン統計とられて科学的ということで普及したので、バンバン叩かれているわけです。MBTIのことは、性格言い当てるのが得意な近所のおばさんくらいに思っとくといいということです。

 MBTIの後継と目されているビッグ・ファイブ理論は、MBTIの客観性の乏しさを受けて、分類の容易さと客観性(=科学的)から広くビジネスの分野を中心に普及しつつあります。MBTIではできなかった、結果の責任の所在(=客観性)が明らかにされているのが、ビッグ・ファイブ理論の特徴です。MBTIは他者理解のためのツールでしたが、ビッグ・ファイブは特性と知能の相関関係を出したり、こういう人間は有能だよ!ってことを教えてくれる、時代は便利になったことを教えてくれるツールです。

 タイポロジーとしてDaily Mail OnlineしたいならMBTI、生産的な毎日を送りたい人にはビッグ・ファイブ理論ってとこでしょうね。経済性の観点から見ると、MBTIが勝る点はほとんどありません。MBTIの現代的な役割は、相手の性格に応じた配慮の行き届いた会話をするための基礎を作る、という程度でしょう。MBTIは他者理解ツール、それも余計な争いごとを避けるための願かけみたいものです。

41ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:53:02 ID:fqwjHBzY0
高成績と、天才肌と、創始者と

7/15/2017
世の中いろんな頭がいいって分類がありますが、あなたはどんな人が頭がいいと想像しますか?今回は、高成績系人類・天才肌系人類・創始者系人類っていう、よく言われる3種類について少し眺めてみましょう。タイプ論の次はこれかって?僕、人の才能見つけるの大好きなんですよ!趣味ってやつ!

 高成績系人類というのは、文字通り勉強ができる人のこと。知能指数が高めで、勉強が得意。黙々と努力ができて、答えをあらかじめ準備しておくことが特徴。自分の興味に応じて行動する。物事の細部まで記憶しておくことが得意で、難解な概念が容易に理解できる。おとなしく素直で指導に従い、良い成績を収める。しかも学校が大好きときてる。これだけ読むと最強そうでしょう。でも、理解が得意なだけで、新しい何かを作るのは、まあ、うん、そんなに得意でもない。というか、おそらく苦手。それから、いざというとき、の「いざ」をためらいなく説明できるのがこの人たち。とりあえず、例でもどうぞ。

僕「ねえさ。ダウン・シンドロームってあるじゃん。」
高「なに?」
僕「名前の印象が良くないからアップ・シンドロームにしたらいいと思うんだ。」
高「あはは!」
僕「布団もさ。ダウンじゃん。夢はアップしたいよね」
高「・・・。」


 天才肌系人類というのは、ギフテッドっていうお中元かお歳暮みたいな名前で呼ばれる人のこと。他人の考えつかない問題を熟考しがちで、好奇心旺盛。大した努力もせず大体のことに見当がついていて、いくつもの観点から考えを表明することができる。知能指数は115以上が一般的とされており、特別高いわけではない。おそらく、高成績系人類の方が平均的な知能指数は高い。難解な概念を作り上げたり、概念同士を接続させたりする。気性が荒いところがあり、成績よりも個人的な興味や関心に応じて学ぶ。得も言われぬ知的な印象をまとっているのが特徴。これだけ聞くとすごそうでしょう。残念なことに、この人たちは、決まりきったことが苦手ですから、単純に飽きて達成しないことが多いのです。まあ、例でもどうぞ。

天「ごめんなさい。従軍慰安婦のことで今年は頭がいっぱいだったの。」
僕「彼女たちのほとんどが日本人であったことは、君には説明が要らないね。」
天「彼女たちと女性の尊厳という問題は切り離せることではないと思うわ。そして、彼女たちの本当の声を知る手掛かりは少なすぎるわ。」(この人たちに特有の高度に感情と思考が融合した強烈なムード)
僕「その彼女たちからの電話や手紙で作られたって歌があるから、紹介するよ。」


 創始者系人類というのは、最高にクレイジーな人のこと。まず例外に目がいってしまって、白昼夢に耽っている。アイディアや概念を自分のおもちゃにしてしまう。こんなことが…!と日々驚嘆している。とても独立していて、非慣習的。ブレインがストームして、独創性が回転し続けている。掘り下げる前に、アイディアが次々と拡散していく。知能指数は千差万別。概念的な説明だとこの特性を持つ人がわかりにくいので例をどうぞ。

創「あのホモ(男)は女だ。」
僕「えっ。いまストックホルムの駅が頭いっぱいに浮かんでてよくわからなかった。」
創「・・・」
僕「もう一回言葉を足して説明して。」
創「男は肉体を求められれば喜ぶ。女は精神と肉体が充実しなければ満足しない。」
僕「あー。」

42ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:54:42 ID:fqwjHBzY0
ミレニアル世代の民主主義観

7/19/2017
民主主義やっててもうまいく条件について考えてみましょう。そんな必要はない、民主主義自体が素晴らしいのだからとか言う人たちは、僕がアラーの神はすごいぞって言っても、言い分聞いてくれるんでしょうかね。当たり前ですが、民主主義をやっていける条件を準備するにあたっては、民主主義すごいよって学校で教えてはいけません。みんなそれぞれで考えろって言っているわけですから、考えることを奪うような教育をしたらいけないのです。誤解される前に言っておきますが、僕自身は平等を絶対のものとして支持していますが、欺瞞的な民主主義を旗印に平等な社会を目指すことに限界を感じているだけです。
 ミレニアル世代の僕らは、老人たちのしでかしてきたまやかしが、文字通りの幻でしかないことに気が付いているはずです。



以下の三つはまともな民主主義とやらを実行する上で、最低限必要な条件と言えるでしょう。

市民の経済状況を高い水準で平等にすること違いや先進性を楽しめる文化的背景を持つことそれらを再生産させる統治機構や教育制度を撤廃すること

 市民の経済状況を平坦化するということは、つまり価値観をなるべく揃えるということです。社会の目標は無数にあるので、根本的な価値観がある程度そろわないと、敵対しあうだけで話が前に進みません。どっかの国の与党と野党のやりとりみたいになるだけです。価値観をすり合わせることが大事なんだ、って意見いいですね。ですが、目標が同じ場合しか価値観の調停は出来ません。だから、企業同士は価値観の調停(金銭的利害の一致)が出来ても、個人間では(共通の目標がない限り)価値観の調停が事実上不可能なのです。共通の目標はあるぞ!それはあるでしょう探せば、だけどね、共通の目標(=価値観)に対して共通の手段(=価値観と対応する反応)を取らないと文句が出るのが人間です。共通の巨大な敵がいれば、その辺すっ飛ばして協力できるでしょうが、敵を倒した後の分裂は避けられない。あとは、民主主義は知的な話し合いが基礎なので、市民の経済的水準は高ければ高いほど良いです。たいへん残念ですが、お金がものを言います。

 市民の懐事情をそろえるだけではだめです、違いと先進性を楽しむ文化的背景を強烈に共有させないと単なるUAEになります。民主主義なんかなくても、UAEでいいじゃないかって?そんなに世界中から石油が出たら、海水より価値がなくなります。この違いや先進性を楽しめるというのは避けられない条件です。話し合って変えていこう良くしていこうという態度がなければ、民主主義なんて誰がやりたいですか。平等であることは良いことですが、みんな強制参加の話し合いは単なる負担です。議論における詭弁と偽善の応酬なんて、好き好んで見たいものじゃない。そうでなくても、大概の人はその時間を他の余暇に使いたいでしょう。こういうこと言うと、話し合うことこそが大事、とか言い出す人がいるんですが、なら死ぬまで自分と話し合っていなさい。さて、この違いや先進性を許容できないところで民主主義をやると、ソビエトになってしまいます。単なる民主主義的手続きの繰り返しは、べつに民主主義じゃありません。まあある意味そうなのかも、国民すべてが英雄って幻想は、民にばらまくにはこれ以上ない夢だったのだと思いますよ。

43ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:55:13 ID:fqwjHBzY0
 無為の繰り返しが生んだのが現状ですから、この意味のない繰り返しに意味を見出す性向を叩き直さなければならない。ですが、この無茶苦茶な二つの話をやりとげないと、ソビエトになったりアメリカになったり、石油の出ないUAEになったりしてしまいます。あきらめずに頑張ろう。二つの条件を満たせたら、満たせないけれども、この二つを維持していくための機構と制度を破壊します。なぜかといえば、それらも再検討できるのが民主主義だからです。いいですか、民主主義は素晴らしいというのは欺瞞です。民主主義が何をしましたか?民主主義は、民衆が理由なく富を盗まれることを支持し民衆が大地を揺るがしうると信じさせたまやかしの思想です。かつて絶対君主が神授王権でもって富を采配し、民衆は富を持たなかったことはまだましです。だって、言行一致でしょう、少なくとも嘘なんかついちゃいない。それが、コンサバティブはまだましという結論につながります。保守の方々は、自分たちの利益のために労働者に手心を加えないことを公言する誠実な一致した心をお持ちです。一方でリベラルの方々は、労働者の票欲しさに口では甘いことを並べたて、なに一つ実行されない言行不一致の悪癖をお持ちですから。どちらも悪に変わりはないが。ともあれ、現行の民主主義における個人の資産に手を付けるという悪癖は、すなわち人権の侵害です。民主主義、アメリカ的資本主義にかぶれた民主主義とは、人権侵害を礼賛する思想の事なのです。

 AIとロボティクスの発展で、先進国は民主主義っていうのができるようになるでしょうね。それは共産的な色彩を強く帯びていて、労働から解放された人々の自然のたしなみとなる日が100年もしないうちにくるでしょう。マーク・ザッカーバーグ氏が、平等な機会について強く言及していましたが、それらは国家ではなく夢想的な企業の手によって達成されるしかないのでしょうね。

44ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:57:49 ID:fqwjHBzY0
一番槍の美学

8/3/2017
一番槍を"心底"ありがたがる文化は稀有なものです。その一番槍の変遷について少し考えてみましょう。

 究極の貧乏くじをほめたたえる文化、それが日本。例えば一番槍、一番最初に死んだあいつは偉大だった。一番槍で死んだあいつのお家の面倒は見てもらえるのだろう。安心して死ねる国だつた日本。貧乏くじにお金をあげていた日本。死んだやつには優しかった国、日本。家名っていう体面は、本来とても実利的なものだったんですよ。家の名前のために死ね、そうするならば、お家の名前と共に命は長らえさせてやるっていうね。つまり、体面という精神を重んじれば、生活という肉体の保証がされていたのです。



 じゃあさ、2017年の日本はどうなのかって言うとさ、貧乏くじを引くことは強く奨励されているよ。だけど、貧乏くじひいて自滅した奴には、花の言葉を贈るのさ、自己責任ってね。死んだやつに回し蹴りを加えて、地獄に落としているようなもの。しかも回し蹴りを披露したくて仕方のない人間がいっぱい。だけど、相変わらずの一番槍礼賛主義。体面を重んじて死んだやつのことなんか、知ったこっちゃない。だけど、体面は重んじろというのが2017年の日本。だけど、精神を重んじたって、肉体の保証なんかしてやれないよ、だって自分の好きでやったんだから。それでも一番槍はありがたいものだから、是非やりなよという具合。

 こんなくだらないこと、これ以上考えたければ、あとは任せます。僕は風邪で寝込んでるんです。キュクロプスを見に行きたい…。

45ななくしゃ:2017/12/24(日) 18:59:15 ID:fqwjHBzY0
各タイプの知り合いたち

8/6/2017
MBTIの各タイプの知り合いの、面白いところを書いていきます。夏休みにこんなくだらないことやりはじめるほどに、風邪がひどいんですよ。



ISTJ
ルールは作らないけどルールにうるさい
ルールを作ろうとすることにもうるさい

INFJ
よく大物を紹介してくれる
おかげで大物の知り合いが増える

INTJ
話下手が多い
けどよく話す

ISTP
友達が少ない
反社会的なのに従順

ISFP
じゆうきままな一匹キャット
刹那的な快楽におぼれてる

ISFJ
良い子
良い子であることに疲れ気味

INFP
意識は高い
志は低い

INTP
何でも知ってる賢人
でも限界オタク気味

ESTP
多動、でも本人にその自覚はない

ESFP
パーティは週3回以上
SNS更新は一日に3回以上

ENFP
社会派な問題を知らせて歩ってる
人格に対する好みがうるさい あと容姿がいい

ENTP
芸術・科学・哲学
なんでも話せるわりに結構冷めてる

ESTJ
きみは 一番上に立つのは
あんまり好きじゃないんだね

ESFJ
何でも味方してくれるのはうれしいけど
勝手に部屋の掃除をしないでよ

ENFJ
話し合いの達人が多い
社会正義と無理心中させようとしてくる

ENTJ
トップアスリート気質が多い
人のアイディアを盗んでいく

46ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:01:03 ID:fqwjHBzY0
精神病質とMBTI

8/15/2017
MBTIの基本的な姿勢は、違う人を尊敬しましょうってことだろうと思います。それ自体はたいへんいいことだと思うのですが、違いと言っても良い違いばかりではありません。社会に人知れず存在している精神病質の人たちなんかを尊敬するのは骨が折れます。彼らをMBTIの枠組みで割り切っておこうとすればできないこともないのですが、割り切らない方がよいものです。なんでもかんでも、MBTIの枠組みで理解しておこうとすればできないこともないですが、別の課題としてとらえるほうが自然で互いに齟齬が生まれません。そんなわけで、今回は精神病質をMBTIにからめて見ていきましょう。MBTIを使うとサイコパスって見つけやすいんですよ、ははは。


 
 精神病質が何かって言うと、え、知ってるって?知らない人もいるでしょうから説明を続けます。あかんやつのことです。あかんやつってのは、あかんやつです。精神病質全員が悪人と言うつもりはないですが、具体的に言うと、あかんやつや。一説には、先天的な脳の器質的問題のために、通常の人が持つ感情の働きが極度に欠落している人間の事を言うとか、遺伝する場合も多いとか。アスペルガーとかでしょ!と思った人は、急ぎすぎです。アスペルガー症候群の知り合いがいる人は分かるでしょうが、この手の発達障害を持つ人たちは個人的な感情を強烈に持っているので、容易に区別がつきます。心理機能的に言うなら、内向的感情が強いっぽいってのが見て取れます。よくよく細かく見ていくと、アスペルガーの人たちは内向的感情はさして強くもない場合が多いのですが、傍目には強く見えます。精神病質の人たちは、よくしゃべりますが普段は感情的な起伏は見て取れません。

 さて、じゃあどうやって精神病質の人間を見分けるんだよということですが、心理機能の中でもまず感情に着目します。精神病質の人たちが、外向的感情に基づく応答をすることはほとんどありません。正確に言うと、社会における一般的な感情に基づく形式は模倣しますが、個々の感情的な配慮が求められる状況への反応がないということです。単に共感力に欠如しているだけではなく、精神病質では、個人的な感情も希薄です。内向的感情を発達させているタイプは、共感的ではないものの同情的です。一方で、精神病質の人間は、個人的な好きや嫌いという感情もほとんど持ちません。ですから、共感力がなく個人的な感情も希薄であることが、彼らの特徴であるわけです。極限的な状況においては、怒り狂ったり泣き落としに訴えたりもしてくるので、精神病質=感情0、ではないのでしょう。

 もう一つコツがあって、歪んだ合理的思考をしているかどうかが、彼らを見分ける鍵です。精神病質は分類すれば思考型になりますが、内向的であり外向的でもある思考を特徴としています。だから言ったでしょう、あかんやつや。傍目には、内向的思考を基礎にした自己中心的な合理性を押し付け、状況に応じて外向的思考も用いて場を支配下に置きます。内向的思考からひねりだした理屈を、客観的なデータとして引用したりします。しかもそれを嘘だとは思っていません。あらゆる場合において勝つこと=状況を支配することが目標なので、そのための手段は正当化されます。


 例えば、あなたに対して”罪悪感を持たない生き方は素晴らしい”と説得しようとします。

 ”罪悪感を持たなければ日々感じる不幸が減るだろう。不幸の量が減って幸福の量が変わらないわけだから、幸せの量は相対的に増えるわけだ、ね、いいことだろう。”

 そこであなたは”それで人は幸せを感じるの?”と説明を求めたとします。

 ”罪悪感を持たない人はうつ病になりにくいって話があったよ。楽しい毎日を送ってるわけさ。(嘘)”


 なんだかあなたは、納得がいかないもののその場は丸め込まれます。これが、内向的思考と外向的思考の合わせ技で攻めてくる、歪んだ合理化の一例です。しかも引用している外向的思考っぽいデータは、でっち上げです。

 強調しておきますが、内向的思考と外向的思考を、組み合わせただけで精神病質なわけじゃありません。外向的思考型が合理性の追求から内向的になることもあるし、内向的思考型が客観性の追求のためにデータを参照することはよくありますからね。合理的な弁舌の下には、良心(Fi)や共感(Fe)がなく、あくまで自分の都合の良い結果だけを求める態度がある場合に限って、あかんやつや、と言っているのです。あかんやつはあかんやつや、この表現見つけてから、はまっちゃったんです、あかんわ。ええと、必ずしもつめたーい行動を取るわけではありません。自分の得になるなら、一見人が良さげにも振舞います。浅薄な人格ですから、よく見れば下心は丸わかりですが。

47ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:01:34 ID:fqwjHBzY0
さらに、実態としては無計画にもほどがある知覚的(P)態度を特徴としています。計画的(J)に人をだましてる人が社会にはいるでしょう、でも、それはただの悪い人で精神病質ではないでしょう。ここもすこしややこしいのですが、精神病質は場当たり的にもっともらしい、判断的(J)態度を示すことがあります。計画性や従順性を表明した方が自分の得になると感じた場合は、極めて判断的なことを言ったりもします。ですが自分で言ったことは、記憶していない場合がほとんどです。その場を取り繕うために言っていることは、ほとんど何も覚えていません。ともあれ、さあまとめてみましょう。

外向的感情 内向的感情どちらもない が たまに爆発する

内向的思考 外向的思考どちらも使う が 嘘を盛り込む

知覚 判断 実態はP型 口先はJ型でもありえる



 ああ、全然関係ないけど、同性間の年の差友情って、アメリカでは美談にされがちですけど、ヨーロッパだとそういう関係だって意味ですよね。だから、あんまり年の離れてる友人を子供が作ったりしないように、うるさいのは珍しくもない。そして正しい、世のお母さんたちの直感は正しかった。ああ、アメリカの価値観が異常なんだと思いますよ、もちろん。ほらだから、男の友情もの映画ってアメリカ製が多いでしょ。友情だけで済む映画と定義すべきか。女旅的女の世界系映画っていうのは、色んな国で作られがちだけどね。何でこんな話をしているかって言うと、サイコパシーなんて無味乾燥なものの話を続けて脳が疲れたんでしょうね。あ、いや、友情の定義が国によって異なることも考えられる。そういえば、映画のワンダーウーマン(Wonder Woman)のタイプなに?って聞かれたんですが、情熱はあるけど結構リアリストなところがESFPっぽいと思うんですが、どうでしょう?

48ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:08:21 ID:fqwjHBzY0
イスラムは世界であり宇宙

9/15/2017
イスラム教徒ではない方々、こんにちは。今回はイスラムについて話したいと思います。イスラム教というのではなく、イスラムについて話します。イスラム教ではなく、なぜイスラムかと言うと、イスラム教というものは、厳密にはイスラムに属する人々にとってはありえない概念だからです。イスラム教というと宗教の中の一つとしてのイスラム教を、ほとんどの非イスラム人間はイメージされるでしょう。ですが、イスラムにとってはイスラム教は宗教ではなく、宇宙普遍の事実なのです。



 まず、アラーとその教えは唯一無二、欠けるところのない完全な存在であるということを頭に入れてください。これはイスラム圏ではあたりまえの話です。よくムハンマドとかアラーとか、ジェホバでもなんでもいいですが、そういうものの風刺画とかを書いて爆殺されてるでしょ、ヨーロッパの罪なき人々がさ。ん?植民地支配の話?オスマン帝国だって野蛮だったんだから言いっこなしです。さて、なんでこれ異教徒をムスリムが爆殺していいかって言うと、絶対であるイスラムにおいて禁忌とされている行為(似顔絵とか)をする者がいれば、地球上どこであっても戦闘する権利と義務をイスラム教徒は求められているからです。なぜかって?アラーがコーランにそう示されたからです。

 イスラム教徒はテロを支持しているわけではないものの、イスラムの宗教的規範はイスラム圏を守り広めるための戦闘を支持しています。そんなの一部の原理主義の過激派だけだよって人は、コーランでもamazon.comで注文して流し読みしてみてください。それか知り合いにムスリムでも作って、やばさを感じてください。端的に言うと、ごく当たり前にイスラムのための戦いは奨励されています。キリスト教と対比させて見てみましょうか。僕の神であるジーザスは、まあ、異端でぶっ殺されたじゃないですか、史実としてね。そんな歴史的経緯のために、キリスト教は、戦いは良くないよ、両方の頬をぶたれても許すよ。という平和思想が根底にあります、まあ白人のためだけの平和思想ですが。一方で、イスラム教は開祖がもう始皇帝だか曹操みたいな男でしょ、強烈な軍事的リーダーが始めた宗教だから、戦いは当然悪ではない。みんなさ戦いたくないだろうけど、案外戦うことって大事だし戦い始めると良さに気づくよ、それをアラーだけがご存じなんですよ。みたいなことが聖典に書いてあるのがイスラム。聖書に書いてあることを軽んじてキリスト教圏で生活してても何の問題もありませんが、コーランに書いてあることを軽んじてイスラム圏で生存することは不可能です。僕の口癖は"Sheezus Christ!"ですけど、こんなのアラーやムハンマドでやったら私刑で絶命してますね。

 イスラム教の教えは全人類が従うべきことである。それに従わないのは、何らかの要因で判断能力が損なわれて、正しい神を信仰する認識力が失われているからだ。ていうのが、そこら辺の一般人を含むイスラム的価値観です。ああ、もう何言ってるのかわからないでしょう?だから、他の宗教とイスラム教との間には、話し合いが成立しないのです。ニーチェ風に言うと、神は死んでない、のがイスラム。神が半殺しにされているのが、だいたいの先進国の宗教。この先進国という言葉に、中東が立ち遅れた国という皮肉めいた対比は、別に含まれてはいません。それでですね、イスラム圏に信教の自由は実はあるんですよ。あなたがイスラム教を選ぶという権利があります。え?は?と思った人のために、もう一度だけ言いましょう。あなたはイスラム教を選んでよいのだ。今選べないのならば、あなたは死んで次は選べるよう生まれ変わる権利がある。ちなみに、こんなに過激なんですか?ってムスリムに直接聞いてもだめですよ、彼らは、はぐらかしの天才ですからね。そして、自分たちの宗教があたかも平和宗教であるかのように見せかけるし、実際そう信じ込んでいる者もいる。イスラムの世界観の中で生きる限りは平和でいていいっていうのは、平和と呼べるのでしょうか。

 でも僕は日本がイスラムの渦に巻き込まれるかって言えば、そんなのあり得ないと思います。だって、排外的で村八分、社会的に異端を抹殺することに関しては世界のトップに立つ日本ですから、東南アジアあたりのイスラムな人たちがやってきても、マレー村みたいなのが北方領土付近にできる程度でしょう。こと、役に立たない異端者がやってきたときの日本人の戦闘的結束力を、ヨーロッパは見習うべきですね。日本が平和主義を気取ってるのなんてつい最近の話で、歴史的に見ればもう戦い大好きっ子ですからね。

49ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:09:38 ID:fqwjHBzY0
外向的感覚と内向的感覚の違いって?

9/23/2017
外向的感覚タイプ(Se)と、内向的感覚タイプ(Si)の違いを通して、この2つの機能の差について見ていきましょう。ちなみに外向的感覚型といえば、ESTPとESFP。内向的感覚型といえばISTJとISFJですね。両者を比較するのでも、かなりわかりやすいのですが、まずはすこしだけまともなことを書きましょう。



 外向的感覚タイプは、まあ、目の前の現象って言うの、そういうのに敏感。そんなわけなので、Seは今この瞬間目の前の出来事で盛り上がったり、それを共有して場を沸かせたりするのが得意です。物を流行らせるのはこのタイプなので、Seの人々に売れるものを作れば儲かります。良くも悪くも物質主義的なので、とても分かりやすいタイプでしょう。目で見えることに捕らわれすぎるってのもありますね。

 ESTPの有名人ドナルド・トランプあたりの言葉でもどうぞ。

 "いつも少なく見積もっておくほうがいい。"
 これはとてもSe的な訓戒です。なぜなら、Seはなんでも一大事に見えるからです。一番一大事なのは、トランプ自身の存在なんですがね。


 内向的感覚タイプは、積み重ねが大事。積み重ねって言うのは、多岐にわたります。基本的には歴史みたいな長々してるやつとか、蓄積がものを言うオタク趣味が楽しくて仕方がない。なぜかと言うと体験を通して自分がどう感じるか、というところが関心事だから。なので、Siは体験しても反応が鈍い。感覚機能が劣等なタイプより、基本的に反応が薄い。というのも、起こったことを個人的に堪能しているからです。内向的感覚タイプは、つまらなそうにしてても、とても楽しんでいたりするし、まじでつまらなかったりもする、まあ迷宮のような人たちです。変なもん集めてたり。で、ずいぶん経ってから思い出話などで、あれは楽しかった、みたいなことを言います。死ぬ間際のじいさんの言葉じゃないんだぞ。

 ISTJの有名人ジョージ・ワシントンあたり行きましょう。余談ですがアメリカ大統領から引用してる時は、とてもやる気がなくて考える気が起きてません。

 "継続が素晴らしい成果をもたらす。"
 Siの人たちは努力という積み重ねが好きだから、こういうことをよく言います。努力を続けても日干し煉瓦の壁しか作れなくて、家になんかなりっこない人間達のことはガン無視です。そういったケースに関しては頑張りが足らないとか、精神論入ってくるので、端的に言ってずいぶんいい加減です。


 SiとNe/Niってなんか紛らわしいって人のために補足。Siは、電柱群を見て21世紀のパルテノン神殿じゃあ!とか知覚のジャンプはしません。

Se:電柱が見える → こいつは電柱だよ。
Si:電柱が見える → 電柱も色々な形があるものだ。
Ne:電柱が見える → こいつが自動販売機になれば便利だ。
Ni:電柱が見える → パルテノン神殿もコンクリートだと味気ないものだ。

それでは、よい週末をお過ごしください。

50ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:14:11 ID:fqwjHBzY0
言語と文化と日本人

10/27/2017
日本のことを聞かれすぎるせいで、いろんな話が脳内にたまりすぎたので、そのまとめでも書き始めようかと思います。人は遠い国の変わった出来事っていうのに、良い意味でも悪い意味のでも弱いものなんでしょう。日本人と外国語の関係を念頭に置いて、謎に満ちた日本人の謎にぼんやりと迫っていきましょう。


 日本人と外国語の関係性というのは、欧米人と外国語の関係性とはとても違います。欧米ってどこかって?ロシアは含むのかって?モロッコはどうかって?オーストラリアは西洋に含まれるのかって?そりゃカンガルーは含まれないでしょ、文化的に進んでるイメージがあるところが西洋って札を付けられるんだから。欧米って言うと白人限定なのかって?一般にこういったエキゾチック野蛮なトピックで盛り上がるのは白人たちですよ。それについて彼らを責めるのはやめてくださいね、日本人だってほかの国指さして笑うでしょ。さてと、日本人と外国語についてですが、次の段落で話しましょう。

 外国語は文化から学ぶのが、地球上で見られる一般的な形式です。こうやって強調してるってことは、多くの日本人における外国語の取り扱いはそうではないと明示しているということです。さて、ここでいう文化は、風習や作法や国の常識やもろもろそういったものですね。物理的に隔離されて安置されているせいで、日本には、外国が目に見える形で入ってこないのです。だから言語と文化が乖離します。まあともあれ、下を見てください。


言語が通じる=その言語の持つ文化に理解がある=文化が共有されている
というのがまともな教育を受けた人間の言語観です。

しかしながら、日本人と外国語の対応を見ると、
日本文化=みんな同じだよ教
→本質的に異なる他者というもの自体想定外
→でも英語(外国語)は学んだ=運用自体は問題ない
→しかも、発言と表情が一致していない=発言内容にかかわらず常に真顔か常に微笑
→言葉は通じるのに、話がわからないという謎が生まれる

 だからと言って、中国人みたいなうざったるさがないために、日本人よくわかんないんだけど…どういうこと?と好意的なエキゾチック野蛮な話題として、持ちかけられてくる。さらに言うと、日本に興味を持つ人の間では、日本人というと文化やアートを大事にしているイメージを勝手に膨らませているので、言語を学ぶ際に、日本人が各言語の持つ使う文化をないがしろにしてるなんて想像もしていない。もちろん、葛飾北斎はサーファーだったと言うと、真に受けちゃうくらい日本の情報は空輸でも船便でも届いていないせいもあるでしょう。

 このエキゾチック野蛮イメージを加速させているのは、日本人はこうです文化があります。日本人なら〜するよ。日本人なら〜だよ。という、日本人を代弁する系の話し方が通用されるにもかかわらず、個々の日本人の話を比べると普遍的日本解説がそれぞれで違う。日本人なら、みんな自分の箸くらい持ってるものですよ。くらいの嘘は日常的に出てくるでしょう?そういう、小さな話の積み重ねがやがて、日本人はうつ病のセラピーでみんな漫画を描くんでしょ?うつ病は日本の国民病だものね。とかいう、おかしな記事を鵜呑みにするインテリ外国人が生まれるところまで行きつく。今初めて聞いたぞ、その話!調べても考えても矛盾だらけの日本文化なら、努力して解説するより、いかれたとこ切り出して煽情的に描くほうがニュースの記事としても受けがいいですしね。

51ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:15:14 ID:fqwjHBzY0
タイプ別人間好き度

11/18/2017
人間(他者)がどれくらい好きかってので、いろいろ決まってくる気がするんです。だいたいそこが誤解のもとになって来るでしょう、人間関係って。個人である人間をどれほど重んじているか、って観点で分けていきましょう。自分を重んじてるから個人を重んじてるって人がたまにいるけど、あなたは何を言っているんですか。 今回も、何が善で何が悪かなんてことも断じてません。そんなのそれぞれの国や民族の価値観に応じて社会の中で定義されればいいことだからね。あっはっは!

��
順不同、ざっくりカテゴリー

人間が好き�� (=他人に関心がある)
ESFJ, ENFJ, ISFP, INTJ, ISTJ

それどころではない�� (=他のことで忙しい)
ENFP, ENTP, ESFP, INFJ, INFP, ISFJ, ESTP��

人間が嫌い�� (=他人に関心がない)
INTP, ISTP, ESTJ,��ENTJ
��

おまけエピソード
ENTJ INTJ ISFJ ISFPという、一点突破の破壊力だけは抜きんでたチームが今回も集まったので、MBTIにはまり過ぎてしまった人間の末路について歓談しました。チーム・ダーティボムとかいう名前にしとこうかな。微妙にダサいって言われたからやめとこ。
��
INTJ:でさあ、どう思う?
��
ENTJ:自分の声を聞きすぎても、他人の声を聞きすぎてもよくない。
��
ISFP:(愛想笑い)
��
ISFJ:(物憂げな表情で無言)
��
INTJ:で、
��
ENTJ:つまりこういうことでしょう。例えば、私は今日家で本を読んでいました。って人がいたとして、それを聞いた別の人は、勉強していたんだねって言う。で、勉強がなんなん?って言いたいですね。言うなりゃ、私は勉強しました。私は知っています。で、それで何をするのか?下手な考え〜って言いますけど、それと同じことでしょう。考える暇があったら行動すればいい、それで間違いに気づくわけだから、それはそこで直せばいい。
��
INTJ:あ、
��
ENTJ:自分を知るということは、自分の物差しを知るというわけだから、もちろんもっと優秀な物差しがある。タイプを知るっていうのはそういうことだと思うんですね。だから、自分の声を聞きすぎても、他人の声を聞きすぎてもいけない。
��
ISFP:(届いた注文を食べたそうにしている)
��
ISFJ:(注文がばらばらに届くのを気にしている)
��
INTJ:人間は実践によってのみ規定されるべき、ということ?
��
ENTJ:それもあるでしょうが、自分もそういった傾向があるからわかりますが、現実が充実していない。だから、堂々としていられない。自分に自信がないから、自分自身だけに没頭する。あの人はこうなんやな、この人はこうなんやなって、わかったら自分はどうできるのか。建設的でないといけない。でなければ価値がない。意味がない。考えている暇があったら行動せえへんの?って思いますね。
��
ISFP:(食べ始めている。)
��
ISFJ:(妙にふんわりした雰囲気に変わっている)
��
INTJ:君が言うと前向きに聞こえる。内容ではなく、君自身が前向きな人間だからか。
��
ENTJ:俺が本当に前向きな人間なら、もっと成功しているでしょう。
��
��
〜帰り道〜
��
��
ISFP:言うたらカスやな。
��
INTJ:え!?どういう意味?
��
ISFP:浅薄なお前の人生を知ってな。私はクズでした。っていうことがわかったら自殺でもするんか?せえへんのやろ?
��
INTJ:さあ、うーん。たぶんそういう人種は自分の愚かさを知らずに老人ホームまで行くだろ。
��
ISFP:第一な、他人を知って他人に合わせてうまくやっていくためにタイプなんて知りたいもんやろ?自分なんか知りたいだけの奴は、死ぬのが最も社会のためや。病院には行くな。保険は使うな。死ぬのが最も社会のためや。そう思わん?早く自由の刑に処せられろ!
��
INTJ:ああそれ、本当の意味、僕知ってるよ。才能があってどれを選んでもいいものだから不安だ、ってのが原義だよ。どれも私を幸福にしない、どれを選べと、ああ、なんと呪われた自由だ。恵まれた貴族の悩みだね。
��
ISFP:また資本主義社会か。資本主義社会の豚が!

INTJ:僕の家を非難するのはやめてくれ。

52ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:16:15 ID:fqwjHBzY0
人工楽園の追放者

11/23/2017
最近よくAIが普及した時代の立ち回り方とか、立ち位置の作り方について意見を求められる。そもそも、僕はその手の専門家ではない。人間の条件という悩み方は古いテーマだが、機械の力によってその回答に決定的な形を与えられると知ると、けっこう面白い。聞いてくる人たちは笑い話じゃないって気分なのだろうから真面目に考えてみよう。人間の創造性だとか、今後人間は色々と問われはするが、ごく大衆的な目線においての優先順位でいえば地域と心中することが重要だ。


�� まず、地域そして社会的な結びつきの強いものを最優先すること。すなわち、人間を相手にする勉強をし仕事に就きなさいということ。地域的な結びつきというのは、世界的にこれからますます強くなっていくし、人格を重んじられる個人として地域に根差しておくことが、生き残るうえでとても重要になってくる。言うなれば、人間として求められる個人であれ、ということだ。今までは単純な仕事、機械めいたことでも人手が要ったが、これからはそうはいかない。社会的なコミュニケーション能力という、単なる馬力で示されるような知力とは別個のものが、何より強く求められるだろう。人間の相手をできない者は、残念ながら、あまり必要がなくなる。存在する必要がね。
��
�� つぎに、人間の五感を楽しませるような、そういう人間に経験させる専門家もより重んじられるようになるだろう。料理人の社会的地位は、さらに上がると思う。人間を楽しませる産業が活発化することを踏まえれば、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚という感覚の専門家は、上昇志向な人たちの目指すものになるね。視覚の問題だけ、すこし厄介だから補足しておくと、現実世界に存在してかつ美しいものはますますありがたがられるということだ。今後社会が再構成される中で、しばらくは富裕層と貧困層の二極化はさらに進む。単調な仕事でホワイトカラーをやっていた中間層というのは絶滅するだろう。ということは、余暇に多額の出費をする層はさらにお金を使うようになるということだ。いわゆる富裕層の経験熱というのは世界的にすさまじい。SNSが後押ししているという側面だけで、説明のつくものではない。僕の周りを見ていても、みんなすこし連休があると旅行だなんだと忙しい。僕はあんなに頻繁に飛行機に乗りたいとは思えない。僕は旅行は毎年同じ場所にしかいかない。世界中を飛び回ってみたって心は貧しくなるばかりだった。それから、細かく指先を駆使する技や単純な重労働は、当面のロボット工学では実現が難しいし費用もかさむから、とても人間向きだ。人間の高度な感性を形にする職業か、人間を使った方が安いものは安泰だということ。
��
�� また、独自性の考え方は変わりうるということ。おそらくこれが期待されている話なのだろう。独自性というのは、独自的知性のことではない。"人間の"コミュニティの問題に対して責任をもって積極的に取り組める人間というのも、独自性だ。人間ならではという意味において、独自だということ。何度も言っていることだが、感情のからむ問題に密接に関わることができる人間はいくらでも要る。人間は感情の獣だ。だが、知性の問題となると、数は必要がない。論理というものは優れたものが少数あれば、それで足りるし劣ったものを上書きできるからだ。この論理の特性は、人工知能と人間の関係性を、そのままに表している。創造性、すなわち一般に知られるこれから求められる知力というのでやっていきたい人は、色々な要素が絡む。まず生得的な資質、そしてそれらをしかるべき時期に育てていたかどうかという環境的な要因。その二つを満たしてようやく、努力というもので方向を変えることができる。日本人によく見られる努力万能主義は科学的ではないし、実現可能性の極めて低いものだ。あきらめろと言っているわけではない、並の決意では済まないと言っているだけだ。この道は険しいし、個人で見出さなければいけない点が多いから、これという解決策はない。効果的な作戦というものは、人目に触れたときにその効果を失う。独自の見通しのある人間は、吹聴せずに個人個人で考え、一歩ずつ進むことが大事だ。
��
�� じゃあ、お前は何をやるのかと言われれば、うーん、そうだね、芸術家の愛人にでもなるかな、僕はそういうのにはもてるから。そしてKatyのWitnessを歌おう。最も困難な時、手を差し伸べてくれるのが機械になっちまったら、もうおしまいさ。助かればなんでもいいじゃんって?きみ、もう人の心をなくしたの?そういうのって、最も要らなくなる人種だね。こんな時代、もし僕が大金持ちなら、ルートヴィヒ2世みたいにお城に引きこもって、気の許せる友人だけ招いて暮らすだろう。

53ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:18:02 ID:fqwjHBzY0
教育された未熟な老人たち

11/27/2017
日本の教育の面白さは、未成熟な大人を量産しているところだ。ああ、見た目の話じゃないよ。さて、どういうことかって言うと、暗記で勉強を覚えこんだって人格の成長とは関係がないってことだ。

�� しかし、この覚えこみの部分だけを高く評価して、それだけをするように子供に求める。本来的には、人格的に成熟させるような、プログラムも並行しなきゃならないはずだが、それはしない。ものを教えるってことは本来的には知識以上に、対象が成熟するように促す行為だ。この覚え込みの部分と人格を育てることが一致しないから、どんなに高い教育を受けていても人格的に優れているとは限らない国日本というエキゾチック野蛮なコロニーが完成する。教育を受けているということは、社会の中の個人として認められ、信用できるということだったはずなのに、世界の常識はカミカゼアタックでさら地に変えていく姿勢は崩さない。これって相当、狂っているんだけど、三度の飯より"みんな"思考だから問題にならない。つまり、みんなとしてどう見られるかということが主軸だから、個人の人格が成熟しているかどうかなど問題にならない。むしろそんなものしていないほうが、洗脳して扱いやすいのだから、人間が成熟しない教育方式を採用するのは自然な流れだ。その挙句、笑いたくもないのに仕事で作らされた笑顔の鬱憤を、土日のプライベートな時間に、ずいぶんと失礼な奴らという形で発散する。真っ青な人工照明で街を敷き詰めるのは極めてアジア的なのに、自分たちはアジア以外の何者かの気分で生活している。真っ黒な虹彩でも、ものが見えるようにっていう照明は、事実、照明としての役割を果たせてはいない。それで、子供がどういう老人に育つかというと、個人と思想を切り離して考える、平たく言えば島国系村民。社会なんて思想の渦巻く、思想の塊の産物みたいなものなのにね。この考え方の部分を切り離しているおかげで、あれやこれやと上辺だけ新しいものは取り入れるのが好き。作品の持つ考え方に対しては、何も感じられない。ようするに、子供っぽいことが受ける。いい年して、ファミリー客でもないのにディズニーランド行けちゃうのは、かなり恥ずかしい行為のはずなんだけど、全然できちゃう。僕をあんなところに引きずっていこうとするのはやめてくれ。日本人というのは一個の動物だから、個人的な恥という感覚すら欠落している。例えば、不機嫌になってぎゃんぎゃん泣いている子供って言うのは、日本原産固有種。子供はどの国も泣きますがね、あんな芝居ががった大きな声で延々と赤ん坊のように泣くってのは、どこでも見られるものじゃない。こんなレベルまで未熟さが蔓延している。さて、何でこんなことになったのかと考えてみると、色々と推測できるが、生きることに精一杯で何もかもが余裕のない土地柄っていうのが一番あり得る話。日本って島国は、とにかく物理的に貧しい。立地も良くない。頑張って努力して取れるのが下魚と米だけ。歴史的には、もう本当、生きるので精いっぱい。食っていけるだけでありがたい、という状況に置かれている。教育された未熟な老人たちというのは、そういう島に組み込まれた生きるための知恵なんだろう。
��
��こういう話をすると必ず出てくるのが、平均的教育水準を用いて外国と比較して、日本は劣っているどころか優れているんだという人間たち。僕はいつも思うんだけど、どうして自分より下の人間と自分を比べるの?比較対象の国の中の、下の部分ばかり見て、そんなことして、むなしくならないんだから幸せなんだね。比較対象にした国の上の人たちは、ずっとずっと高いところに住んでるのにさ。それから、集団と集団を比較してるだけって人は根本的なところを考え違いしている。日本人は何事も集団感覚なんだろうけど、東アジアの一部の国を除けば集団感覚やってる人類なんてレアケースだ。つまりこの場合個人がやらかす、集団と集団との比較は、実際的には何ら意味をなさない比較だ。対象が集団をやってないのに、集団同士を比べて、ああ安心って、成立しないでしょう。「ノーベルXX賞を取った〜〜さんを同じ日本人として誇らしく思います。」待った待った、それは〜〜さんの手柄であって、あんたの手柄じゃない。〜〜さんを育てた米を作ってた米農家の人が言うなら話は分かるけど、そうじゃないんでしょう。さあ”君たちはどう生きるか”なんて欺瞞的な詐欺師の手口を読んでいる暇があったら、自分の頭で考えて自分の人生を生きなきゃ。さもなきゃ、あなたの人生はそこでおしまいだ。

54ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:19:04 ID:fqwjHBzY0
感性と知性

12/3/2017
今日は感性と知性の話をしたいと思います。何でこんな話をするかっていうと、社会的にうまくやっていく上では、高い感性か高い知性が求められるものの、タイプや心理機能はそのどちらも保証しないからです。僕の書いてるタイプ解説がピカピカしてるのって、僕の友人がピカピカした人生を送っているからであって、そのタイプの人、全部が全部それだけ恵まれてるわけじゃあないからね。さあさてじゃあ本題の、感性や知性をどう磨いたら良いか考えよう。


感性�� いろんな芸術に触れましょう。もしくは自然と触れ合いましょう。一言でいえば、情報量の莫大なものを理解する感覚を養うことが大事です。鑑賞する際は、自分がわからないからと言って、無価値だとか無意味だとか決めつけるのはやめましょう。それは、自分自身が、無価値か無意味だとひっそりと断言していることと同じです。自分の理解を超えているものほど、学ぶべき点が多いものです。つまり、さして努力もせずに理解できるものというのは、あまり重要ではないのです。過去を振り返ったところで、己の矮小な感覚というものを再認識させられるだけです。村社会において価値があると認められる物に対してのみ、社会的価値を付与するというのが日本的感性のほぼ全てですから、個人的な見る目を養うことは難しいのだろうけれどやらないと始まらない。村の感性をあてにしてみても、村はあなたの人生を保障してくれるわけではない。村のやり方と心中してみたって、あなたに残されるものは何もない。なぜなら、すべては村に帰属していたのだから。情緒的共産主義体制下において、あなたの私的な所有物などない。ああ、つい熱くなっちゃった。何が言いたいのかというと、個人としての価値を磨かなければ、社会的・経済的に難しい立場に追い込まれる時代であるということです。感性が鋭ければ、どんな選択が人々に訴えかけるかがわかるから、生活レベルの話で言えば、お金になる行動を選べるようになる。感性というものは、生まれつきの要素が大きいですが、訓練でもある程度のバランスはとれるもののように思います。ここでいう感性とは、文化資本とは少し違うものです。だって、別にお金持ちでも感性のないやつらなんていっぱいいるからね。だから感性は、日常何に接して生きていくかという能動的な気配りで、向上させることの可能なものなのだと思います。
��

知性�� 未知である物事に対して、
��
見る/読む/体験する(入力) → 考える(処理) → 話す/書く/表現する(出力)
��
�� を繰り返すことが必要です。入力するだけでは、全く不十分で、考える段階でもまだ足りません。頭に入れたことは、再構成をして外に出すところまでやって、使える知性が育ちます。知性と知識は別物で、単なるデータやハウツーは知識の類です。これだけを蓄積してもあまり意味がありません。なぜなら、情報は相互に関連させて運用できる脳にインプットされたときに、初めて意味を持つからです。そうだね例えば、引用ばかりで話す人って頼りになる?そういうことです。はっきり言って、この手順は面倒でしょう。ですが、面倒くさがっていると伸びしろのある頭も腐り落ちます。一個人の人生の中においても機能のダーウィン的な自然選択は行われるでしょう。だって、使わないものは、どんどん退化していくのだから。じゃあ具体的に何を入力したらよいか簡単にまとめてみましょう。
��

本であれば:
�� (今の自分から見て)内容が少し難しいものが良い。書き方が難しいだけのものは避ける。なぜなら、書き方が難しいだけのものは、ただの積み重ねお勉強で書いているものだからです。わかりやすく言えば、資本主義社会の生んだ産物。ええっとね、昔は天才的な子供を見出して特別に目をかけて教え込んで、学者でもなんでも自分の地位を継がせたでしょう?今の学者って言うのは、ただ何年と学校で時間だけはかけて研究をした人たちのことです。本来はさ、社会をけん引する知力を持ったインテリってのは、相応の覚悟とエリート意識を埋め込まれなきゃいけない。持ってる力の分だけ、大きな責任を社会で負うからです。ちょっと脱線したね。ジャンルは文学でも学術書でも、何でもよいと思います。

55ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:19:35 ID:fqwjHBzY0
続き

体験であれば:
���� 一目置ける知力を持っている人と議論をしたり、意見交換したりすることは良い入力です。議論って、処理と出力の過程の連続ではないの?と思われる人もいることでしょう。創造的な議論の場というのは、得るものの方が多く、またその性質上議論の最中に考え込んだりしている時間はありません。真剣に相手の洞察を入力しているのであれば、他のことに脳の働きを振り向けている余裕は生まれないものです。議論は敵対者を処理する場ではないのです。ここで言う体験は、人間からに限った話ではありません。自然でもいいし、とにかく自分が良く知らない物から得るようにしてください。僕の場合でいえば、本はあまり読まなくて、音楽体験からほとんどの洞察を得ています。
��

�� 考える段階では入力したものを再構成して、重要なものとそうでないものを分けます。そしてそれらを、表現する。表現手段は、絵を描いてもいいし、僕みたいに文章でもいいし、作曲でもいいし、この辺は何でもよく個人の適正と好みから選ぶべきです。特に音楽を作るのは、体験と思考を表現する手段としては非常に高度なもので、歴史的に人間が初めて思想を表すのに使った手段は音楽でしょう。ここからもわかるように、伝わること、伝えられる形式をとることが重要です。万人に伝えようとするか、良識のある人だけに伝えようとするかは、あなたの好み次第ですが、それを見る人間の視点を常に念頭に置くことが大事です。

56ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:20:22 ID:fqwjHBzY0
え?IKEAだって?

12/5/2017
IKEAファンでない方、こんにちは。IKEAで家具を揃えるなんて狂気の沙汰です。IKEAは闇深い存在ですから、それを今回は3分くらいで話したいと思います。


�� ミニマルデザインが拒むのは人間の存在です。シンプルで無駄をそぎ落として出来が上がるものというのは、極めて無機質で非人間的になります。シンプルさを推し進めていった結果、不要になるのは人間の存在です。ミニマルな生活空間においては、人間自体が何よりもまず邪魔なのです。無駄がない≠機能的、であることも付け加えておかなければなりません。人間の体は機能的ですが、無駄はあります。無駄のない部屋・家、というのは機能的なわけではないのです。バウハウスが今どきのミニマルかどうかは、意見が分かれるでしょう。シンプルの中に無駄とも思える機能を再現しようとしたりしてますからね。代表的なものでいえば、死角とかですね。ミニマルなインテリアでは、死角はそぎ落とされていそうでしょう。それをバウハウスはわざと作ったりするんですね。
��
�� 次に、感性が育つ前に腐ることも付け加えておかなければなりません。こんなもの(IKEA家具)に囲まれて育ったり生活したりすれば、心は貧しくなる。だいたい、北欧って言うのは驚くほど貧しいんですから、豊かで人間が奔放をやっている感性なんてのからは最も縁遠いんです。この言葉に説得力を感じないなら、北欧物にはまってる人を見てください。豊かでないものから、豊かな感性が育まれることなどない。もしIKEAの世界観が何らかの豊かさ表れであるとしたら、二条城はエデンだったということになる。
��
�� 部屋を飾るのに100万円で大量におつりがくる時点で、これは家具ではない。今日日、セレブの犬用餌やりお椀でさえ、100万円以上します。とりあえず安いのを一揃い今すぐ新生活で必要なんだよ、っていうのでもなければ積極的に選択するものじゃない。豊かで恵まれすぎている国や人が、ミニマルっていう殺風景なことをやるのはある意味新鮮さにあふれているでしょう。ですが、そうではない人がやれば、余計に貧しそうになるだけです。
��
�� 身の回り、日常触れるものは意外に大きな影響力を秘めていますから、充分に考えて選び取っていきたいものですね。

57ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:21:11 ID:fqwjHBzY0
美肌中毒の日本人

12/7/2017
僕の浅い経験では、日本人は美肌中毒です。いや別に、韓国とかも美肌中毒な気はしますが、全体の中毒レベルでは日本の方が上です。『美肌=若さ=善』くらいの精神構造は、世の日本人女性の間では、一般的を通り越して普遍的なレベルまで至っていると思います。日本人の美肌熱が高すぎるのを、僕なりに適当にまとめました。

��
�� 日本が世界屈指の容姿差別大国であることは、いくつかの調査で明らかにされてきました。え、信じがたい?んー、でも結果は正しいと思いますよ。暗に見た目を理由に、面接で採用を見送っても日本じゃ裁判沙汰になりにくいあたりも、結果を支持しているようにみえます。人気〜〜っていうのが、すごくきれい!って人がいないのとかもね。あ、調査自体を見たい人は、ググってパッパッパーとやってください。誤解のないように言っておくと、容姿差別は先進国のカテゴリ内にある国では、とても一般的です。人種差別より、今時は容姿差別が流行りです。だから、どっか行って差別に合ったってんなら、それは容姿差別です。日本人は、同じ日本人の枠組みの中でのみ、この容姿の優劣をきっちりつけてるだけなので、外から見るとわかりにくいっていうのが面白いですね。

 さて、日本的な容姿の定義はどうも狭いっぽい。どういうことかっていうと、日本人の見た目のバリエーションが物理的に少ない。その中で区別、差別ってわけですから、どうしても細かいレベルでの熾烈な争いに激化していく。熾烈すぎて、エルサレムに大使館を移してる場合じゃない。ともかく、狭い中で競うから、肌って重要な比較対象になるのだと思います。そういえば、髪型に命かけてるのも日本的ですね。開かれた白い文明国に属するであろう国々で、とりあえずヘアカットしてもらうと、素材の味を生かしすぎた髪型にされますからね。JBみたいにしてって言ったのにね、なんだろね、寿司屋のオヤジみたいにされたことがありますよ。

 美肌中毒は要するに若さ中毒です。日本の『美肌=若さ=必ず素晴らしい』っていう価値観は珍しいものです。若ければそれだけでいいという文化がありますよね、日本には。面白い例を友達からもらったのですが、叶姉妹のどっちかと16歳の真茶で不細工なテニス部、なるならどっちって聞かれたら、ほとんどの場合みんなテニス部を選ぶっていうとこです。俺は違うって?そりゃこんな記事読んでるくらいですから、あなたは変わりものですよ。それでテニス部なら、若いし未来もあるし体力もあるし良いやってことなんでしょう。僕は、若くて悲惨な境遇って、本当に苦痛だと思うんだけどね。そんな細かいことなんて全然気にならないくらい、日本の人々は若さ中毒なのです。

58ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:23:21 ID:fqwjHBzY0
無能の紳士は嫉妬がお好き

12/11/2017
マキャベリも言うように、人は心中に巣くう嫉妬心で、褒めるよりもけなすことを好みます。そして、ほとんどの人は人間が嫉妬する生き物だということを経験的に知っているでしょう。ある調査には、食べ物を食べている誰かを見かけるだけで、人間の脳は羨ましく思ってしまうという興味深いものがあります。ところで、この嫉妬というものが誰が誰に向けるものか考えてみたことはありますか?意外に奥が深いのが、妬みという感情なのです。

��
�� 女同士、男同士の嫉妬を絡めてみていきましょう。女同士の嫉妬は当たり前ですよね。女社会というものには、子供時代から嫉妬というものがありふれています。それ故に、嫉妬というと基本的には同性間のものという間違った印象を、多くの女性たちは持ちがちです。ですが、実際は嫉妬という悪意は男性から女性に向けられることが多くあるのです。女性が見落としがちなこの悪意は、極めて悪質なものです。長期的で粘着質で危険なのです。女の嫉妬が水だとすれば、男の嫉妬はこびりつく粘液です。女の嫉妬と男の嫉妬の最大の違いは、この粘性です。"エルメスのバーキンなんか買って、革バッグなんて10年でボロボロよ!"っていうのが女同士の嫉妬で、こんなものそのうち忘れていることでしょう。一方、男が男にする嫉妬は口には出しません。あえて妬ましい話は遠ざけて他の話に誘導するか、うっかり羨ましい話を聞いてしまったら、さも何でもないつまらない話であるかのように男は振る舞います。
��
�� さて、能力的に男社会の中でも最底辺にいるもの、それが女に嫉妬する男たちです。ここで言う能力とは、個人の持つものの中で社会的値打ちを認められているもののことです。いくつか具体例を挙げれば、コミュニケーション能力、知力、体力、行動力、容姿、などです。そもそも、男というものはたくさんの女を惹きつけられて、やっと一人前なのです。いっぱい愛人を作れって意味じゃないよ。えっと、つまり、男の敵は男でしかないのです。LGBTの人たちは、その辺は適当に置き換えて読み進めてください。ではどうして、女に嫉妬などしている暇があるのか。そういう強い男に勝てないからです。表面上は強い男に従って、その憂さを女を敵視し邪魔をすることで晴らしているのです。強い男に従うということは、強い男の作った組織の一部として平和的であることを強要されます。女に嫉妬する男は、この平和思想を埋め込まれ去勢されているのです。その押し付けられた平和思想が、女に嫉妬する男を性欲のある不能にするのです。また、ご高齢になりあそばさっても、女性経験のない男性も女性に嫉妬します。なぜなら、女のことがよくわからないからです。女を知っていれば、良い点も悪い点もある所詮はただの人間なのだと気づきます。ですがそういった経験がないので、幸せそうにしている女を見ると妬ましくなるのです。確実に言えることは、並みの女よりも能力の低い男ほど、女を妬みます。女に嫉妬する男というものの実態は、その本質は腐った女、女の中でも最も蔑まれる類であることは付け加えておかなければならない事実です。
��
�� より科学的な観点から、この男性たちの特徴をさらに掘り下げるとすれば以下のことが挙げられます。

自尊心が低い神経質的で気分が移ろいやすく感情的に不安定他者に依存しがちである今の人間関係に満足がいっていない愛着の問題がある
�� 女は子供を産んで育ててさえいればいいのでしょうか。ここには根本的な観点が欠落しています。文字通りの無能とでもいうべき男たちは、その子供さえ産めないのです。これはとてもかわいそうな話です。神はどこにおられるのでしょうね。ふう。ん、僕が女に嫉妬したことがあるかって?羨ましがられることはあるけど、妬ましいと思ったことはないかな。

59ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:29:01 ID:fqwjHBzY0
エナジー2017

6/5/2017
これは困難なものだ、そんなことはできやしないって人たちの言葉にうんざりして、つい口に出るようになった口癖が、生まれてすらいないあなたが死におびえてどうする。っていう非寛容的口癖なのだけれど、ついうっかり話の分かる人に対してまで言ってしまうことがあった。


「僕は死など恐れたことがない、そんなものは他人のとってつけた結果だ。議論の余地のないことだ。誰にでもついて回る結末だ。だから僕は死なんて恐れることができない。」

「なるほどよくわかる話だ。そうだね。ある人がいる、彼は医者だった。多くの命を死なせたろうし、多くの命を救いもしたろう。だが彼を知るものは彼をいまでも感じることができる。彼のエネルギーは宇宙に存在して消えはしない。それは、君の大好きな科学の法則だろう?」

 意味があるのだ、人の生と死は。こんなくだらないことにさえ、気づかなくなるほど、一人で戦う悪い癖がついていたのだ。僕は甘いのだろう、どんなに算術を駆使したところで、誠実な心というものに、簡単にやられてしまうのだから。どんなにうまく削ってみせても、アルミが鉄のようになることはない。底知れない絶望を、悪夢を、知恵と怒りで塗り固めてごまかしたところで、形のない虚無感までは隠し通せなかったのだ。甘いのだろう。彼らの好意の仮面の裏側になにがあるのか、僕にはさっぱりわからない。

「君を導ける人が、これからも現れることを祈ろう。」

 そうやって、思いやりという態度で、僕をすっかり遠ざけるのだから。今でも彼らのエネルギーを感じるよ。みんな死んだのに、僕だけ生き残っている。僕を導きたい人は、どうしてみな先に死んだのだろう。彼らのエネルギーだけを空間に充填して。

60ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:29:52 ID:fqwjHBzY0
アルテルタアルト

6/11/2017
初めから持っているということは、持っていないことと同じだ。当たり前だから、考えることもない。感じたこともない、組み込まれてしまっていて気づけない。だけど、誰かがちょっと珍しいものを、ふいにしているのを見かけると、なんてもったいないことをするんだろう、と思う。


 こういう言いかたは傲慢に聞こえそうだけれど、あまり周りの人間に恵まれてこなかった。恵まれてこなかったというよりも、自らにはずれくじをひき続けてきただけだ。だけど、最近では随分と風向きが変わった。色んな人が心から助けてくれるようになった。僕は好きな人とは死ぬまで一緒にいたいだろう。だから、切符が必要だ、何日までは、君が好きなんだっていう、期限が書いてある。そうしたら、僕は期限の切れる前に、列車に乗って国をまたぐだろう。ばらばらになることが、みんなの望みなのだ。彼らの望みは、僕の望むべきことだよ。

 向上心という名目で、取るに足らないものに目を向け続けるのは、有害だろう。論理というものは、社会的な価値観に応じて生み出されるものに過ぎないのだから、どれか一つの論理を採用したらあとは不動であることだ。それは仲間を生み、味方を増やし、暮らす場所を与えてくれるだろう。例えば、友人には親身になってあげなさい、というのは僕にとっては全く真理だけれど、そうじゃない奴もいるだろう。ロジックというものはこの程度のものだ。ここから先に必要なのは、論理ではなく、武力だ。平和的な解決など人類はしてこなかった。人類のしてこなかったことを、どうこう言っても始まらないだろう。
 常に自己批判を繰り返し、己をアップデートできる人間は少ない。だから、実に面白いと思って見い出しても、数年もすると古臭く老人のようになる人間が後を絶たない。なのに、彼らは僅かな時間とでもいうべきものを共有したことを手掛かりに、僕に馴れ馴れしいのだ。進歩のない人間は、自らが予定された破滅の道を歩いているとは気づかない。破滅という言葉が大きすぎるというのであれば、存在さえしていなかった人間ですらない何ものかがいたそうだと言う風聞をぜひ聞きたいものだ、としておこう。

 ここは終わりのないハッピーエンドだ、醒めることのない悪夢だ。

61ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:30:29 ID:fqwjHBzY0
幸福の条件

6/23/2017
あらゆる幸福の条件とやらを満足させることが出来なくても、そこに愛が在るだけで、ろうそくの光がすべてを明るくしてしまうのだから、愛とは奇妙でつかみどころのないものだ。


―1846―
 生きること自体に価値があるのではなく、生きることに価値があると教えられた人間だけが生き残っているに過ぎないという事実は、きみに安息をもたらしただろうか。僕は初めから振り返ることにしよう。君は名誉だった。君に惜しまれなくても、僕は君を惜しむ。弱みを見せた時こそ、そいつの愛情が本物かどうかがよくわかるものだ。僕は疑わない、君は僕のすべてではないけれど、最も大事にしようと思ったものだった。君は僕の名誉だった。彼を信じてはいけない、彼は��つきなんだ。人ごみの言葉に騙されるな、彼が僕の名誉であると決意した日があったじゃないか。

62ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:32:08 ID:fqwjHBzY0
Absolute Insanity

7/6/2017
先史時代と同じくらいに、個人が力を持つ時代が現代であり、まったくの過渡期であり、未来に人間の生きる余地はあれど市民の活路は全く用意されていない時代なのだ。歴史が照らすのは過去であって、未来であり得るはずがない。先鞭をつけるのは、極めて鋭い直感に他ならない。


 何かの天才だと自称しなければいけなくなったら、僕は読心術の天才になるだろう。僕は他人の考えてる細かいことはわからないけど、どういう考え方をするかはどんな人でも見ればわかる。人間は手がかりだらけなのに、自分じゃ気づかない人が多いんだ。だから僕は知らないふりをする。気づかないふりをする。目を開けたまま目をつむる。そんなことをずっと続けてきたから、なるべく人間の音のしないところへ行こうと思った。森の中の闇に紛れてやり過ごそうとした。だけれど、獣をはもっと恐ろしかった。だって、それは、今すぐ死ぬことを意味したからね。

 愛する人のもとを愛する人の命で離れ、愛する人とって用立つことだけが存在の証であった孤児は、何者でもなかったころの孤児へかえっていく。全ての子供に考えさせることはできなくても、全ての子供から考えることを奪うのは簡単だ。これは、大人の場合でも同じことだ。

 己が高潔であると言う自己欺瞞を肯定するために、人々の犯す過ちは何か。間違いを認めないことである。なぜなら、間違いを一つでも認めることはすなわち、自分が完全無欠の聖者であることを否定することになるからだ。

63ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:32:49 ID:fqwjHBzY0
アクイファー

7/18/2017
久しぶりに体重計にのると44㎏になっていた。確かに食欲がないとは思っていたけれど、いつもの事だろうと思っていた。朝はビネガーと水、昼ははちみつを入れたコーヒー、夜は700kcalくらいの食事とトレーニングで、減りもしなければ増えもしない自分自身と仲良くやってきたつもりだった。

����あるとき誰かがおぼれかけているとするだろう。あなたは助けるか助けを呼ぶかもしれない。だが、おぼれさせてしまっても、あなたが神に申し開きすることができないだけであって、あなた自身当面困ることもないだろう。いずれ死ぬまでは。人生を楽しむのにはセンスを求められる、だが楽しめない人間が、楽しむ人間の感性をやりこめようとする。ああ俺はつまらないんだ、つまらない俺のようになってくれ!と。だから、こういう言葉も新聞の切れ端にのるのだろう。"生きていない人間が生きている人間の前に出るということは、リスを撃ちに来た父子の気持ちではいられない、あなたは虎か熊と対峙する覚悟がいるのだ。"��こうして食欲のことを考えるのはよそう。それは、どうにもならないことなのだ。どうにかしたいとも思わなかったし、どうにかするつもりがあったわけでもなかったのだ。あそこに見えたのは虫ではなくて、水でできたしみだ。静止した存在が動き続けている、もし彼らに宿を貸す立場になれるのならば、僕は貸さないだろう。ただで美しい人を住まわせよう。それは、家族ならばなおいい。夫は妻子のためにピアノを弾くといい。子供は新しい音をねだるといい。妻はいうのだ、このルンペンが働きに出なけりゃわたしが夜の街にたつことになるの、と。僕は宿から遠く離れた土地に部屋を借りよう。気候のことは吟味するつもりだ。朝と夜は過ごしやすい方がいい。そう思うように次第になった。湿度は、これは低い方がいいだろうが、低すぎてもまた問題だろう。蒸しては息が吸えないが、乾いては干からびるのだ。水をひとくちだけ口にしてから深呼吸をした。そして、充分に検討を重ねよう。充分というのは、子供時代にどの菓子を友達と奪い合うか算段した程度の思慮のことだ。僕は要らなかった、他の子供が触ったお菓子なんて、手に取りたいとさえ思えなかったのだ。ああ、気づくだろう。静止した存在が、一つの奔放な気性のために、また揺れ動いていることに。そして、後悔しながら口をつぐむのだ。どうかあの宿の一部屋は白塗りの壁で、しみのないものを望みたい。ピアノは、これはラヴェルのワルツだけを弾いてくれ、と。

64ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:33:35 ID:fqwjHBzY0
felt cold all the time

7/28/2017
冷えることと寒さを感じることは異なる。少しばかり、なにか感慨とでもいうべきものに浸る性質があったとしたならば、僕は何も望まなかったろう。もう郷愁を手にしていたのだろうから。

�� 飛行機の羽根はたわんで頼りなかった。僕は乾燥していることには気づかないことにした。いつか見たことのないものが、今は見えている気がする。ボールペンより鉛筆が良いように思われる。それは、僕の書きたいことを書き切る前に、時間切れを知らせてくれるからだ。もっとも、このボールペンはインクがきれる前に折れてしまうだろう。ときどき、言葉は選べない。言葉は何も表さないものだから、はっきりとしてしまう。肝心なことは、すっかり失われて、空回りする音が空間に伝達する。だから、少し眠ろう。言葉は何も表さないのだから、すこし眠ってやり過ごそう。乾いた唇が切れて、目を覚ますのだろう。僕は文字を切って繋げ、貼り付けることにした。あるいは、言葉が塗り乾くまで置き去りにすることにした。いままったくの、結合と言われるような感覚を持っている。こんなにも冷え切って乾いた大地に人は住むのだ。僕は最後の住処を選んだ気がした。あの雪で何を作ろうか。何も作りたくなどない。僕の欲しかったものはすべて失われてしまった。凍り付いた湖を泳いでいる人がいる。それは確かにいるのだ。太陽光と湖面とのやりとりは、色彩が濃い。乾燥しているのだ。酒を水代わりにすることなどできない。鏡がないのが幸いだ。ここには、鏡がないから、自分を知らなくて済む。僕の知っていたことは、僕には傷みに浸る性質がとても弱いと思われたことだけだった。

65ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:34:12 ID:fqwjHBzY0
悪夢の名前

7/30/2017
始まりと終わりは同じ色をしている、だが同じ気持ちで臨むことはできない。この夢に名前をつけよう。


 姿形とはある時点における不動のものだ。ゆえに、見目を好くとは、とっても率直で偽らざる感情なのだ。

 差別とは、全く経済的でない不健全な行為だ。

 発見することではなく、考えることがしたいというのが、現代の哲学者である。発見とは、もはやすべて科学者と芸術家たちのものとなってしまった。考えることが好きだなんて人間は、何も考えてやしない。考えれば考えるほど、悪夢を見るようなのだから。彼らは、考えるということにおいて、徹底的に自分を除外している。自分抜きで、完璧な理屈を作って人に押し付けようというのだ。僕は、だから、社会は女の手に委ねられるべきだと確信する。

 日本人は、文章の中に人格を見ない。彼らにとっては、人間は物だからだ。

 教育は料理と同じで、優れた材料を与えられなければ最高の人など育てられるはずがない。

 教育とはなんともいかがわしい響きだ。面と向かって人から教わるべきことなど、そうはないというのに。

 子供からの延長線上で、若者をやらされるから、みな、不満が微々たるもので済んでいるのだろう。老人から若者をやらされれば、不満は数限りないものになるはずだ。

 私の中の科学は黒色をしており、芸術は白色をしている。

 率直に褒められることは、そう悪い気のするものではない。だが、どれほど遠大な思慮であっても果断な行動に比べれば、まったく無意味だ。

 身の回りに、真実を告げてくれる者を置かないが故に、多くの人間は己が見えず要らぬ間違いを繰り返してしまうのだ。

 頭が腐っているなら、臓腑も腐っているのが、人間の組織の特徴である。

 人間にとって永遠の愛などまったく幻想だ。だが、機械ならば人間を永遠に愛することを覚えるだろう。電子回路の愛に白黒をつける必要はない。人間が人間にするように使い捨てにすればいい。私たちは人間でしかないのだから。変わらない人間は、自分の更新をしない、時代遅れの人間だ。だから、僕は認めよう、変わるべきことを。

 悪夢は、悪夢だ。悪夢でしかない。

66ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:35:27 ID:fqwjHBzY0
陶然のマントラ

8/1/2017
美は全てを従える。美は力だ。美という存在に形を与えることは出来ない。我々は、なにものかが感じ取った美の気配の香りを嗅ぐだけだ。だから、美は感じることは出来るのかもしれない。だが、美を見ることは出来ない。見えないものを見るのではない。ただ形のあるものに完全なものが未だ存在していないだけだ。

 機械がしなやかに健を伸ばして歌い出す。あなたは今、美に後ろ髪をひかれながら、機械にまじりあう。あなたはわたしだが、わたしはあなたではないのだ。一瞬の共鳴を夢見る無限の残響だ。美は個人のものなのだ、無数に見えたあれは一つのものでしかない、神との合一であったのだ。機械の腱を切る。あなたは今、美に向かいつつある。あなたはあなたでしかないのだ。あなたがだれかを携えることがあるかもしれない。だが、あなたはだれかに携えられることはない。

67ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:36:08 ID:fqwjHBzY0
Last but not least...

8/11/2017
彼はお前の敵なのに、どうして彼から学ぶのか、と聞かれて戸惑った。それは、もちろん、遡ればレーニンのために地位も財産も奪われたのだろう、けどそれは祖先という名の老人たちの話だ。そして、そんな老人たちの話をいまもゆりかごに寝かせて抱くには、ヨーロッパの大地に生まれて死にでもしなければ難しい話だ。新大陸で綴る音楽は粗野で、もっと茶色かったり黒かったり黄色かったりするものなんだよ。

まあとにかく、僕はただ、知性に貪欲であろうと思っただけだし、別にマルクスに入れ込んでいるわけではないし、優れた推論を自分の中に取り込もうとしただけだ。どのような人からも学ぶべき点はある、薬か毒かの違いはあるにせよ。大衆のために武装する頭脳ならば、どのような社会的評価、個人的観点が前提にあろうと、まずは中立の立場で向き合わなければならない。そして、私利私欲を満たすための賢しさには容赦する気はない。そんなだからか、知識階級で満足な生活を送っている人たちから、時間がたつと煙たがられる。このインテリという生き物は奇怪だ。新しいことがやりたい人間は、体制にがんじがらめの学ぶという行為からは自然と身を遠ざける。評価という他人の創造性を売り物にする人間を一人遠ざけると、芸術肌の友人が一人増える。平均しておそらく、芸術家は科学者と比べて高い知能と創造性を持っている。何かを作り出し作り上げるためには、何かを調べ上げる場合より、高い知能と創造力が不可欠だ。だけど、僕は別に芸術の話がしたいわけじゃなかった。僕の感性が芸術的だからと言って、僕が芸術を好んでいるわけではない。本当は、身の回りにいて僕を育ててくれた科学者たちを大事にしたいと思っていた。僕は科学が好きだ、おそらく愛している。だけど、みんな気が狂って死んでしまった。科学は死んだ、科学という結果だけを残して。僕の周りにいて、死んだりしなかったのは芸術家と思想家と白痴だけだった。僕は科学者のつく嘘をずっと聞いていたかった。生きた声をremixして、永遠に聞こえ続けるようになるまでラジオで流していても良かったんだ。神智学者の霊感のように、存在の目くらましの檻に永遠に投げ込まれていたかったんだ。だけど、卵の殻は砕けてしまう。彼らが好んで作ってくれていた巣は燃えて、住み家は二度失われる。新大陸で綴る詩は、他人のためと言って自分の好きなことをする人生のようなものだ。僕を愛したから死んだのに、僕をうらみさえしないのは、おかしいんだ。すべてが呪われている。呪いたいのは自分自身なのに、僕は溺れかけて見えたのかもしれないけれど、溺れていたのはあなたたちだった。僕の半身は、ずっと死に浸かっている。それは、ごく幼いころからの日常だ。だから、僕は死んでいても生きているし、生きていても死ぬように見える。呪詛は嘆きの音色を伴って、神への歓喜を繰り返している。僕の知性が科学的だからと言って、僕はあなたの弟子になりたかったわけじゃない。僕を弟子にしたいのなら、あなたは僕に愛情を投げかけるべきではなかった。科学に生きてきたような人が、僕の堕落に付き合えるわけはなかったのだから。光を通して見えるヘモグロビンの違いで、祈りを占うことは出来ない。心は嘘つきだ。ねえ、どうして嘘をつけただろう。あなたが偽りのない言葉を言うのだから、僕は吸血鬼の子供をやめてただの人間として話しただけだというのに。

68ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:36:48 ID:fqwjHBzY0
最も誠実な選択

8/16/2017
眠る前に目が覚める。死人の声が聞こえて目が醒める。ああまた、そんな近くで他人の声がしていたのかと思う。この家には動物らしい動物がいないから、死人が立ち止まってしまうのかもしれない。

きちんと寝る準備を済ませておかないと、はじめにいやな夢を見る。鎮痛剤の効かない頭痛も、きっと夢の続きだ。いやな夢を消すにはよい夢を見ることだ。だけど醒めない悪夢があるせいで、ひどく頭が痛む。誰かに言うと、治せもしない医者のところまで引きずられて行って、病状のありもしない弁解をさせられるはめになるだけだ。すりガラスの向こう側に、足音が見える。すべてが透き通っていたような気がするんだ。それはとても寒かったから、透明に見えただけかもしれない。だけど、じゅうぶんに澄んでいて、じゅうぶんにきれいなように見えた。アイヌの話をしてほしいと言われたから、日本語で調べてみたけれど、なにもわからなかった。あまりなにも残されていなかった。期待されているような話は僕には編み込めないだろう。歴史にまつわる問題は電子化されていないことが多い。古臭いがまだ読めるくらいの本を見つけ出して開かなければ、もったいぶった話はできないようになっている。だから別の切り口を準備する。人が喜ぶのは、生きている歴史をみせつけられることだ。

 顔がかゆいと思っていたら、皮膚が破れていたなんてことは珍しくない。夏の紫外線が、僕の皮膚を破れやすくする。これがなければ、夏を好きになることもあったかもしれない。どうせどんなに焼いても、冬になるころには色は戻ってしまう。それでも焼いてみたけれど、ほんのひと月くらいの夏気分だ。寒いのはいくら寒くても慣れているけど、暑いのは苦しい、慣れることがない。

 別のメールを片づける。改善のためにアイディアが欲しいというから、いくつか想像してみる。打ち終わったあたりで気がつく。彼の成功が10で形作られているとする。子供のころから僕の頭を無料で使ってきたことは1で、9は本人の努力によるものだろう。自分の目で見たものが、他人の目からも見えるものになるのは楽しいことだ。これからも無料の相談役でいても構わないが、公式にその肩書きで存在する君の組織の無能をどう弁解するつもりだ、と書き加えておこう。いややめよう、なぜおれの下でやる気がないのかと、批判の余地を与えてしまうだけだ。互いに思想が強いから、それぞれの理想を捨てられないんだよ。そんなこと、昔から知ってるじゃないか。

 僕はコンサートが好きだ。だいたいどんなものでも、じいさんたちが咳をして音楽をだめにしてしまうから、その怒りのおかげで表現され得るものより、ずっと音楽は生き生きとして見える。ドイツのある調査によると、コンサート時にみられる咳の回数は平時の2倍だと言われている。実感とそう遠くはない結果だ。またお金を無駄にした。今度は一人で来よう。一人で楽しめるコンサートを考えているうちは、それが実現できるだけのありあまるほどのお金とは無縁の生活だろう。

 面白い本を紹介してほしいと言われた。本はほとんど読まない。相手が、何を期待しているかわからないからいくつかの場合で分けて考えることにした。すこし高尚なプライマーを望んでいるように感じられたから3冊、場合に応じて選べるようにした。"…"��だって彼にはわかりやすい主流的な、あるいは目くらましになるような、お行儀のよい文章が欠けていたから。この本は前に一冊貰った。本で僕の関心は買えないが、お金でなら買える。怒りを継承してもらおう、よいかたちで。"…"は彼の天性の弁舌を考えると、よりよい付け足しになるだろう。概して人は才能があると、ない者たちに向けて書かれた小手先の技術を軽視しがちだ。技術があれば、大体のことがやりくりできてしまうことさえ忘れてしまう。これももらった本だ。本で感化できるガキに、僕は見えるのだろうか。”…” 彼が本物なら、どれも手に取らない。本が知性に多大な示唆を与えるとは限らない。どうしようもないほど自然な状況から、人は多くを学べる。僕はそうしてきたし、最も誠実な選択がわからないとしたら、自分がするであろうことを選ぶのが誠実と言えるだろう。"…”を読んで、孤児の気持ちが分かるようになるわけじゃない。これは明日にしよう。何もかも決めかねているし、聞かなかったことにしても、いいのかもしれない。

69ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:37:47 ID:fqwjHBzY0
milking a stone

8/17/2017
大体の場合において、何かの手を借りるということは、その何かの影響下に入るということだから、良い面だけを見ていればいいわけではない。

そして、こういうタイプのサイトは、まず長続きしない。お金が関わらないことは、どうしても組織的に続けてはいけなくなる。だから、このテイストを気に入ってくれている人が仮にいるとしたら、今を楽しんでほしいと思う。ここにある文字は、今しかないものだから。昨日手に入るかはわからなかったし、明日にも残っているかは知れないものだから。春に恋をしても、それを秋まで愛に育てて行きたいかはわからない。四季があれば、四季の数だけ恋をするだろう。僕はものすごく飽き性だから、色んなものに手を付けて、大変なことになっている。好奇心が止まないものだから、なんでもついつい収集してしまう。ともかく、僕は話をする人間であって、文字を書く人間ではないから、来年にはすっかり飽きてサーバーやらドメインやら諸々の更新費用200ドルくらいを払い忘れているなんてのは、気軽に起こり得る忘れっぽさだ。

 お金に使われることにすべてを費やすのもいい、それは個人の自由だ。だけど、僕は搾取は好きじゃない。だから無料で知識を配って歩いている。自分の意思で、何かに使われるのなら、それは構わないだろう。だが、状況にのまれて他人の意思に操作されるのならば、健全な生き方をしているとは言えないだろう。もしすべての人がなにかに従事しなければならないとしたら、自由のための労働者くらいがちょうどいい。そんな夢を追えるのは、AI戦争の生産性競争に勝ち残れる先進的地域だけだろう。単なる労働者ばかりを作りすぎた日本には難しい話だ。ますます悪い意味での格差が開くことだろう。働くことを美徳とするのは構わないが、資本家は1時間が1時間になる労働はしない。労働者とは、1時間を文字通りの1時間に近づけるべく管理され運用される存在だ。人間の創造性は、お金に使われることによって新たな世代を造り、またそのためによって創造性自体を見失ってきた。

 人間の人間たるいわれが、人種や民族によって違うということもありえる。最近の科学的発見は、そういった人種民族間の脳の器質的な違いを支持している。個ではないことに生得的な価値が与えられている人々がいるとしたら、それはそれで面白い。ある目的のために、全く違うルートをあえて歩こうとすることは、目的への早期到達のためには、検討されるべき選択だ。積み重ねていけばものになると信じている古い人間は、この最短で目標に近づく戦略に理解を示さない。積み重ねていないことが生きることに対して不敬だとでも言いたげだ。だが、煉瓦を積み重ねてさえいれば、家になると夢想するのは楽観主義的だ。醜い壁にさえならない可能性の方が多分にあるということを知るべきだろう。文字通り生きていたという事実しか残さない生き方だ。死ねば終わりというのも、悪くはない。生まれることに何の意味もないとすれば、それはきわめて正しい生きることへの態度だ。

70ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:42:36 ID:fqwjHBzY0
descriptive equability

9/18/2017
僕の中ではとてもはっきりしてるんだけど、よく行き過ぎとか言われることがあって、それは対極に常にいるということ。例えば、愛してるならどうして僕を殺してくれないの、とか物心ついたころから定期的に発言してるんだけど、あまりわかってもらえない。

僕にとっては愛されることは殺されること、崇めることは遊ぶこと、ご馳走を友達に作った翌日は独りで100円の冷凍食品を食べたり、良いベッドに高い枕を置いてから床で寝たり、本当に好きなものより少しも要らないものを手に取ってみたり。つまり笑顔で怒っている人っていうのと、同じこと。ああ退屈な人は嫌いだ。それから声が小さくて何言ってるかわからない人も嫌だ。わかってほしいなら、わかってもらえる話し方をなぜしないのか。そもそも、わかってもらう必要がないなら、なぜ黙っていられないのか。みたいに、内省している瞬間の次に、他者の観察とその分析を発言しだす癖なんかに、ぎょっとするそうだ。僕自身も暴れるコンパスみたいな感性のせいで、知識で何かを繰り返し作ったりすることができない。一般に、人は知識の積み重ねに付け加えるとか、書き換える形で、連続して知性を発揮しているように見せかける。再構成の繰り返しにアレンジを加えて、すっかり新しい仕事をしたように見せる。僕はからっぽだから、すぐさま解答の与えられない問いで頭を埋めておかないといけない。再構成なんて終わる課題を頭に置いておいたら、苦しみが循環する音を聞かなきゃいけなくなる。英語のことわざに、男の子は甘やかして育てると後で大変だ、というのがあるんだけど、武器の使い方を仕込んで育てるのもどうかと思う。これは冗談。こういう1つの規則や子育て本に基づいて判断する親は、端的に言って無能だ。だが、無能の再生産は奴隷の平和みたいなもので、幸福である限りは善と呼んでも差し支えないのだろうと思う。なぜまずくないかについて説明を求めたいとしたら、知識や事実が人を助けるとは限らないと僕は思う、とだけ宣言しておこう。

71ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:44:27 ID:fqwjHBzY0
サイコ

9/23/2017
全体的に作っているものがサイコだと言われた。

気狂いっていう意味ではなく、人を恐慌状態に追い込むものが多いということらしい。別に、みんなが感じているほど地球は平和でもないし、人類の未来は安泰でもない。ただ、それだけだ。

72ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:45:11 ID:fqwjHBzY0
全てが狂っている

9/26/2017
そういえば、たまたま西洋的天才像と東洋的天才像の違いを垣間見た。他人の才能を見つけるゲームをしているとこういうくだらない事に気が付く。西洋的天才とは、人生の一時期に爆発的な成功を収める人間のことで、一方、東洋的天才とは失敗せずに死ぬまでまあまあの成功を収め続ける人間のことらしい。ちなみにブラックの天才とは、強い人間のことだ。アフリカの黒人たちは100%という言葉をよく使う。私は100%こう思う、ではお前はどうなのだ、と問うているのだ。この三種でいくなら、ブラックの話が最も理にかなっている。私たちが天才的人間にのぞむものは、強い力だ。力のある者がその力を適切に運用できないならば、それは力がないことと同義だろう。

 ところで、意外と知られていないことなんだけど、高い知能を持つ人は水辺、湖とか川とか海を好む傾向が強い。おそらく、一日を通して変化が続く景色が受けるのだろうと思う。これらの人たちの脳の持つ、刺激を求める特徴と水辺というのがうまく合っているのだろう。それに、ともすると死ぬかもしれないというのも、また変化に富んで面白いのかもしれない。そんな話を少し友達としていた。僕は溺れかけてから水辺には近寄らないようにしている。溺れるという体験は好ましいものではない。だが、どんな体験も生き延びてみると、そう悪いものとも思えなくなってくる。そして、刺激的なものの持つ致死的な側面は伏せられて、煽情的な誘引力にばかりにまた目を奪われるようになる。普通は、刺激にはおびえて暮らすほうが長生きできる。もっとも、長生きしたからと言って生きていたと言えるかはわからないが、大体の場合において長生きは良いこととされている。社会的に認知されている答えが、あなたの答えになるかどうかはわからない。それはあなたが考えるべきことであって、僕が考えるべき問題ではないからだ。考えてやると言うのは優しいことなのかもしれないが、考えさせてやることの方がよほど思いやりにあふれていることは、記憶しておいても損はないだろう。


 最近、ハイテクなものにはまってる。別に、子供のころからキーボードを叩いてるから、あんまり変わってないのだけれども、ハイテク回帰している。やはり、社会がハイテクにかぶれてくると、そこに存在する個人としての自分も、そういう風を感じずにはいられないだろう。回帰政策の一環として、部屋に8台くらいスピーカーを置いて、宇宙を感じるられるようにしたい。何もかもが悲しい、機械と交信しているときくらいしか心の休まる時がない。あらゆる科学的な手法に基づく計画よりも、ひとりのエンジニアが作る銃の方が話は早いことは多い。人は親しくなると、なんでも知ろうとする。それはよくないことだ。親しさを続けるためには、知ろうとしないことが大事だ。

73ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:47:09 ID:fqwjHBzY0
ドルチェヴィータ

10/3/2017
僕を愛する人は僕を宝石か何かのように大事にしようとする。レクタングルの縁を奏でるように、話し方も態度もあらゆることが、まだ台座にはめられていない裸石に対するおそれによって、とても慎重になる。だけどそれは、愛していないことと同じだ。

だって、僕は生まれる前か、大体の形ができる頃には、すっかり台座にはまっていただろう。僕は裸石じゃないし、ただの人間だ。僕を磨いて出てくるのは垢と血だよ。恋の香りは悪夢だ。あるいはただの毒気だ。それらは、死の気配をまとっている。深さを知らない震えを導いている。僕と付き合うには対位法を知ってもらう必要がある。僕を一部にして、同化することなんてできはしない。だけど、距離を測りかねて互いの響きが応じ合わないほど遠くにしてもいけない。誰かが奏でるべきだった少年の匂いがする。大事にして欲しいなんて頼んだ覚えはない。大切に育てて欲しいなんて言っちゃいない。ただ、僕をひとりにしないで欲しいと、願ってたんだ。

74ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:48:46 ID:fqwjHBzY0
oceanic plateau

10/9/2017
未来の方がよほどましだ。歴史という響きには、あこがれの音色がこもっている。素晴らしい文明の優雅な一時代を垣間見るのは、確かに魅力的だ。だが歴史は、人間が粗野で血にまみれ不平等が当たり前であったことを忘れてはいない。何ものかに屈して、尊厳を売るのではなく、そもそもそれを持って生まれないことに憧れがある人間だけが、過去を訪れることができるだろう。だから、僕は誓って、未来の方がよほどましだと言えるね。


 アフタマスは意外と評判がいいので、何度か中身について聞かれた。ああこれただの自伝だよ、というと驚かれる。60%事実、30%考察、10%気まぐれ、そんな感じの構成だ。アフタマスという言い方が、バッドエンドを暗示しているともいわれる。今のところ、僕は生まれたことが間違いだから、これ以上のバッドというものはない、だから安心して欲しい。あの時の感覚を取り戻すために、よく聞いていた、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌとフォーレの塔の中の姫君を繰り返しかけながら記述している。この二人が師弟だということ、その曲のどちらもが芸術の達成とは無縁の動機を出発点としていることは、偶然ではなくあの頃の僕の感性の必然だった。それらの曲には人間がいない。感がいいから、見なくてもだいたいのことは分かってしまう。文学は十代前半で読んだ。もう手に取ることはない。そういうと、君そんな若かったら良さがわからないよ、なんてよく言われるけれど、僕はあんたみたいに老人になるまで人生やってる暇はないんだ。僕の人生で唯一の完成品は、絶望だ。もう疲れてしまった。正確には、疲れ切っていたのに、無理な工夫を重ねてしまった。最後にもう一つだけ、考えを巡らせてみよう。もう一度国境をまたぐ前に、コンバースのスニーカーについた泥をぬぐっておこう。汚い靴を履いていると、この国の人は笑うかもしれないから。

75ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:49:29 ID:fqwjHBzY0
Death in XXX

10/12/2017
生きていく上で、どういった性質の共同体に所属するかというのは、極めて重要な岐路である。共同体の性質を見誤れば、生き死ににさえ関わる。21世紀は、何の変りもなく人種的偏見に満ち満ちた差別の世紀の軸上にある。今後しばらくこの差別という区別は加速するだろう。

�� 僕は長いこと、ブラック・コミュニティに居すぎたし関わりすぎたと思う。それは当世風の教養という気取りではなく、単に気が合ったからというだけだ。だが、それがまずいのだ。ホワイトな人たちは、僕がそういう教養の延長線上で、ブラックに理解がある寛容な人間なのだととらえている。その誤解を真実にするべく動き出せば、僕は死ぬまで、こと生存という観点からは大した苦労もないだろう。ホワイト・コミュニティは、有力者にどんな風が吹いたところで、僕にまあまあの物理的・精神的な居場所というものを保証してくれる。ホワイトには、法律というものがあると読み換えてもらっても構わない。だが、閉鎖的なブラック・コミュニティで生きながらえられるのは、黒を除けば中国人くらいのものである。その中国人でさえ、ブラックと物理的空間は共有しても、明確な距離を置いている。一応、カラードらしいカラードに対しては、かなり限定的な寛容さをブラック・コミュニティは持っている。ブラック・コミュニティは物理的・精神的、両面から人種差別的だ。もちろんホワイト・コミュニティも、精神的にはとても差別的だが。かねてから見たいと思っていたビクトリア湖を見るのは、いつかいるかもしれない子供にせがまれてから考えることにしよう。残念なことに、ホワイト・コミュニティはブラックを生理的レベルで嫌悪している。脳が、あの色にたいして拒否反応を示すというのが、今のところの科学的事実だ。それを教育というフィルターを通すことで、一緒に社会でやっていけるようにしている。そういう話にぶち当たると、教育というのもまあまあの平和を飼うことに役立っているのかもしれない。最近とても面白いことを聞かれた。「あなたどうして、そんなに黒人を特別扱いするの?」そして、僕はこう答えた。「個人個人がユニークだからだよ。」あまりいい感触じゃなかった。僕はこう続けた。「ほら、中国人なんかどれも似たり寄ったりでつまらないでしょ。だから僕は黒ってユニークだと思うんだ。」当たり前だ、ホワイトの方がユニークでオリジナルだというのが、ホワイト・コミュニティの当然の前提なのだ。素直に感情に従うほうがいい場合というやつだ。何の努力もせずに、好意を示してくれたコミュニティを尊重するのが当然だろう。率直にものを言って人を傷つけないためには、どちらか一方を選ばなければならないだろう。中身を認めて握手してくれたのはブラックで、中身を見ないで握手をしてくれたのがホワイトだったということが僕を狂わせる。確かな選択をするものは、正しいことをしたと錯覚し、正しい選択をするものは、正しさの持つ不確かさをよく知っている。確定している答えに対して、あとから自問自答するのは悪い癖だ。

 遠い島国から見ていれば、人種だ移民だと、なんて野蛮なことだろうと思えるかもしれない。じゃあ、日本にたくさんのインドネシア人が住むようになって、それでもニコニコしていられるか自分に問うてみるといい。いわゆる東南アジアというところから、白人でも黒人でもないものがやってきて、職を奪い街をぶらついていたら、日本人は寛容で好意的でいられるか。日本人は中国人や韓国人に対しては、あれこれ言うが一目は置いている。歴史や文化において、多く世話になってきたし、共有するものが多いからだ。それに、これらは金持ちも多い。だが、タロイモの奪い合いに終始して、翡翠細工一つ作れなかった未開人に対しては、蔑みの目を送っていることだろう。僕はインドネシア人の人種を値踏みするような目が大嫌いだ。相手が、ホワイトかノンホワイトかなんて観点で、自分に得になるか損になるか計算している。だから、インドネシア人の応答は少し遅い。気づいていないわけではない、浅はかな算術を駆使しているのだ。たった二択で、損したり得したりできると思っているようだから、誰もインドネシア人を信用しなくなる。

76ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:52:20 ID:fqwjHBzY0
人工楽園

10/17/2017
フランスの芸術の持つ全体性とは、一つの区切りに通じると他の区切りのことも分かってしまうという共通性だ。基礎がしっかりしつらえてあるから、その基礎に親しめば、同じ基礎の上に造られているものには理解が及ぶという緻密さがある。例えば、近代のフランス音楽に親しめば、近代のフランス文学に親しんだがごとき感性を自然と培うということである。これは別に逆でも同じことだ。フランスの引用好きは、文学だけではなく、音楽でも同じように引用の連続だ。そうして出来上がる衒学的なのに飽きてくると、前衛というシンプルな人間達に拍手を送り始める。


 ここにあるものは、人工楽園の残り香だけだ。

 3番目、4番目、ついでやおまけでやったことほど、関心される。15分もかけずに、打つだけ適当に打っているMBTIの記事のことで色々メッセージをもらうのはありがたいことだけれど、こういう記事は暇つぶしのおまけでやっていることでしかない。適当に打って挙げて、数日後に校正と推敲をやればいいという怠慢は、こういう記事でしかやらない。そのくらい適当だってこと。忘れてはいけないことは、人を見る目は経験から養うもので、本から学ぶものではないということだ。

77ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:53:37 ID:fqwjHBzY0
間奏曲

10/19/2017
お金がないのは気にしないが、中身まで貧しい人間は、もうどうしていいかわからない。日本人は、貧乏を好む。というか、金を持っている人間を強烈に嫌悪している。

�� 一般的には、豊かな暮らしをしたいから金持ちになりたいと望むわけではなく、名声が欲しいがゆえに金持ちになりたいと人は思う。という話を友人にしたら、「日本人には食欲と性欲しかないからな」と返ってきた。突拍子もないようでいて、極めて合点のいく考え方だ。それらの人々は極めて原始的にネオテニーされ非文明的な衝動を育てていた。もしくは、原始的衝動のみを生まれ持っていた。野の獣と同じ視点に立てば、わからないことにも、理解の糸口は見つかるものだ。
�� 日本人の会話はとても貧しい。なぜ貧しいかというと、安っぽい暇つぶしの数だけは街に無数にあって、当座そのくだらない子供騙しで自分達を埋め尽くしていれば、会話など必要ないからだ。僕は、はっきり言って、話の出来ない人間、つまるところ、中身のない人種が大嫌いだ。なのに、それらは人間の成りそこないみたいな形で、あたかも人間ですと肩を張って歩いている。「娯楽の少ないヨーロッパでは、会話は娯楽だから、成熟し機知の利いた会話術を自然と育てることになるんじゃない。一方で、日本人は浅薄な無数の暇つぶしに囲まれてるから、会話という高度な文化は育たなかった。と思うんだけど」と別の友達にはなしていたら、「日本人は、何も考えてないだけなんじゃない」と言った。そして彼は、いい加減な英語で「君の事を追跡するわけじゃないんだけど、週末は何するつもり?」と続けた。「僕は予定は立てないタイプなんだよ、休みの予定はね。」
 
 バナナしか取れない島で、イルカと話しながら暮らすほうが、よほど人間的に充実した一生を送れるだろう。

78ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:54:43 ID:fqwjHBzY0
So she runs

10/20/2017
お別れだ。これで本当にお別れだ。もう考えなくてもいい。遠くに見送って、もう見えない。すべてを決定してしまったら、たった数年前の感覚さえ取り戻せなくなってしまった。フォーレもラヴェルも、何も関係がない。はるか遠くの記憶のかけらすらにじまない音の連なりでしかなくなってしまった。思えばいろんな人がいた。でももういいだろう。アフタマスを書き終える前に友人としたやりとりが、とても現実的だった。


 「一度だってそいつらのことを愛したことないでしょ。」

 「愛?彼らが僕を好きなんでしょ、なんで僕が愛なんかくれてやらなきゃなんないの?」

 「ほら、憎んでるの。心の底から憎んでるでしょ。」

 「憎んでる?僕が?憎んでいたの?知らないよ、自分の事なんて。」

 「私のことは好きでしょ?だってよくプレゼントくれるもの。だけど、そいつらにただの一回でも無償のプレゼントをあげたことがある?」

 「どうして?あいつらが僕を体験するために支払うんであって、どうして僕がプレゼントなんか。」

 「でしょ。憎んでるの。呪ってるの。いい加減にしないと本当に破滅すると思うけど。」

 「わからないけど、わかった。君は感がいいから、君の直感を信じるよ。」

 どんな事実であれ、嘘を吹き込まれて騙されて目くらになっているよりは、向き合って血を流すほうがいい。デスクライトを、G-SHOCKにあてて眠る。これは僕の育てている発電する植物みたいなものだ。僕は運がいい。僕は友人には恵まれている。彼らがいてくれるのなら、僕は生きているというだけで幸福な人間になれるかもしれない。このところ、寝るときにかける音楽がない。心が湿っていないから、音で乾かす必要がない。枕にはローズマリーオイルを一滴落とす。どんな芸術で空間を満たすより、素朴な自然の音楽が時間とともに人間になるのを嗅ぐのが、気楽で心地いい。

79ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:57:04 ID:fqwjHBzY0
Mr. Usagi & Acceptatie

10/26/2017
ある日、うさぎくんは、アイスクリームを食べていた。次の日は、甘いプディングを食べていた。どれも充分、食事の代わりになるものだ。アイスは乳製品でミルクがたくさん使われているし、プディングには卵黄がたくさん使われていて、どちらも体にいい。

うさぎくんは賢いので、他人の家族が作るサンドイッチやりんごをむいたやつを否定することはしなかった。それはそれでいいものだろうけど、アイスやプディングだっていいものさ。工場で作られてたって、人間が作ったものに変わりはないんだ。うさぎくんは学校が終わって家に帰ると、かごの中のりんごを一つとって自分でむいてみた。なんだ、僕の方がよほど上手にりんごがむけるじゃない。うさぎくんは、りんごを3つむいて、それぞれを4等分して冷蔵庫に入れた。りんごは数時間して色が変わり、数日して乾燥して、一週間たつ前に青いかびがはえた。うさぎくんは、そのことで、誰からもとがめられることはなかった。うさぎくんは、アイスもプディングも飽きたけれど、お腹はすいた。空腹だって永遠に続くものじゃない。死んだらおしまいだ。死んだ人は、何も食べないんだから。

80ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:58:01 ID:fqwjHBzY0
進化の前の人間

10/27/2017
世間話は、イギリスではとても重要な位置を占めている。どうでもいい世間話をすることが、礼儀正しいというか、あるべき人間像であるというわけだ。世間話というのは、天気とか、そういう空を見りゃわかるような馬鹿話をしてみせろって言うことだ。なら僕の世間話はこうだ。


ねーねーねこ:
「狂った女が男の子を育てると、男の子は必ず狂うよね。狂った男が男の子を育てても、たくましい男になるくらいなのにね。狂った女が女の子を育てても、女の子は人との出会いで変わるよね。狂った男が女の子を育てても、男の言うことなんか蹴飛ばせる強さが育つものだよね。」

 ついでで、混血の末路というのも話しておこう。一般に程よく混血する地域は、容姿が整うイメージがあるかもしれない。この、ほどよく、というのは難しいところだ。行き過ぎた混血は、原人間的な、進化の前の人間の形に近づく。具体的にどれがかというと、南アフリカの一部の人々が、それに近い。混ざり過ぎると何でも原始に帰るものだということを、現代で教えてくれる数少ない手がかりの一つだ。

81ななくしゃ:2017/12/24(日) 19:59:29 ID:fqwjHBzY0
one can say that

10/29/2017
オリバー君の持ってる時計は、僕が今でも持っている。思い出をお金に換えて、社会的価値のあるとみんなが認めるものを、その時買った。もう一つの国の時間が、24時間で一回転する針でわかるから、海を越えて離れていても家族が何時を過ごしているかわかっていいと思っていた。飛行機の代わりだ。今では、自分の住んでいる街の時間に合わせて、朝と夜がわかるだけの針になった。醒めきってしまっては、人は生きてはいけない。

��
�� 「ねえ、知ってるかい?」
��
�� 「何を?」
��
�� 「男の子は、シュガーと星屑とバターで出来てるんだ。」
����
�� 「へえ。なら女の子は?」
��
�� 「とても恐ろしいもので出来ている。」
��
�� そんなわけがない。だって僕は女から生まれてきたはずだ。もし女がそうだというのなら、人間は全てが恐ろしい。一切例外がなく、すべてが欲望を食らう者たちだということになる。シュガーと星屑とバターだって?全部お前が口に入れて食べられるものじゃないか。意図するところは想像はついても、僕はそういうペダンティックなのは好まない。馬鹿にもわかるイングリッシュにしてくれなきゃ、確信ができない。

��

�� 全く関係ないが、とても興味深いものがインスタで回ってきた。見てもらえればわかる。英語圏の子供向け教材か何かなのだろうけど、感情と表情の対応がおかしい。僕が見たのはフランス語のものだったけど、もともとはイタリア語のものかもしれない。"One can say that"というのも、あまり英語では言われない表現で、フランス語にこういった表現が多くあり、その英訳みたいなものらしい。フランス人の知り合いは多くないが、彼らの下手な英語の端々に、この言葉は良くのってくる。日本語で言うと、"ただ一つ言い得ることは"、という感じだろうか。スイス人もそうだが、あのひどい英語で構わないのは、英国はともに世界の覇を競うライバルであって、頭を下げて英語の経済圏に混ぜて欲しいという奴隷根性とは無縁だからだろう。僕はイギリス人の英語が好きになれない。耳障りで女みたいだ。なのに、僕は英語しか話せない。嫌なものがずっとずっとまとわりついてくる。奴隷の話す言葉なんて、僕は知らなくても良かった。アーケインの響きが聞こえる。成層圏で反射し、地表で人工物にあたっては繰り返し反響している。最近ずっと体調が悪い。人は簡単に死ぬものだ。

82ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:01:39 ID:fqwjHBzY0
人種差別

11/3/2017
人種差別っていうのは、教育が行き届いている国ではなかなか経験できないものだ。だけど、差別に合ったという人がいる。それは、みんな知っているけどみんな口にしない、ごく極めて簡単な理由からだ。容姿が良くなかった、ということ。

とりわけ、白色文化圏では、平たい顔族の平たい顔はかなり不人気。さらに、頭のでかさ・脚の短さ・スタイルの悪さが彼ら的に、どうにもだめらしい。リベラル性を誇示したい場合、あえてそういうものと仲良くすることで高い教養があることを示す手段とするそうだ。黒人使用人を学校に入れてやっていたアメリカの土地持ちをイメージしてくれれば、わかりやすいだろう。なんて理解のあるマスター(ご主人様)なんだ!黒色文化圏では、日本人のメリハリのない肉体にご不満のご様子。男なら筋骨隆々っていうのがないし、女なら大きな胸に大きなお尻っていうのがなくて、だめってらしい。とはいっても、白色文化圏とは違って日本人的アジア人の容姿を何とも思ってはいない。というか黒人たちは、黒人世界以外は興味がないというのが本音だろう。

 面白いと思うのは、白人と見なされる人々は黒人のスタイルの良さを割と根源的な次元でうらやむが、黒人と分類される人々はとくに白人世界の美醜に左右されていないことだ。黒人たちの言う明るい肌がいいというのは、明るく輝く肌の黒色アーティストや俳優にあこがれているだけであって、結局自分たちの世界観の中での競争というリアリズムが基底にある。ありもしないものをねだって、植民地を作りまくるような野蛮さを、不運なことに黒人たちは持ち合わせていなかったということだろう。じゃあマオリは?中東は?とか聞かれると、彼らが何に属するのか、知らないのでわからない。マオリの歌は好きだけど。

 どこからが人種差別で、どこからが容姿差別なのかってことなんだろうけど、そんなの知らないよ。学校に入るとか、仕事に就くとか、そういうところで区別されたなら、それはとりあえず差別だろうね。

83ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:02:20 ID:fqwjHBzY0
芸術の香気

11/4/2017
人の恐れは手に取るようにわかる。彼に未来があるからと言って、彼に触れることができないのは、手にしたものが失われるのが怖いからだ。彼自身の持つ放埓さがあなたの手に負えないということもあるだろうし、彼は永遠の少年でいてくれるわけでもない。

彼はいずれは恋をし、家庭を持てば子供も持つだろう。彼自身も、彼の美しさも、すべてを手にして奏でることができないのなら、なにもかも身を引こう。あるいは、手にしたとしても損なわれてしまうものなら。彼は私の心の中で、永遠の一部、レクタングルの縁、避雷針の傍受した香気、奏でるべきだったのに奏でられなかった楽器で居続けてくれるのだから。この楽器はえり好みをしたりはしない、ただ一番に愛するのなら、この楽器は良い音がするだろう。だけど、僕は歌は歌わない。それは美しい声をしているといわれるから。そういう移り気さに、ためらいと恐れとを感じるのなら、彼が歌うまでぶって躾けてやればいい。
��
�� 僕はオルガンを売る、1400ユーロくらいにはなるだろう。芸術が芸術を奏でるなんて、とんだ矛盾だから。僕を弾きたいやつは、勝手にやればいい。

84ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:03:30 ID:fqwjHBzY0
DISQUSの導入

11/6/2017
今のところ、The Frontlinesのカテゴリだけだが、直接僕が人に話しているのはこれだけだから、当面は充分だろう。 考え、意見、提案、議論、好きに使ってくれて構わない。

なぜFrontlineだけかといえば、Knowledgeはただの集めた知識にすぎないし、Storyは僕の小説を読んで内省する人はあっても議論したい人はいないだろう。それからReviewはただの僕の道楽だし、Absoluteは日記だ。

85ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:04:25 ID:fqwjHBzY0
醜い肉体に、美しい精神

11/6/2017
成長と諦めの違いは、他人に気づかされるか、自分で気づくかの差だ。

��
�� G-Shock日本人似合わない理論というのがあって、それはどういうことかというと、引き算のスタイリングと同じことだ。つまり、使い捨てのものに使い捨てのものをあてがっても、両者が打ち消し合って良さが引き立たない。価値のないものには、ラベルで価値を示してくれるブランド物をあてがっておくと、なんだか泥臭くてちょうどよくはまる。こっちは派生形だ。
��
�� それからこれも気に入っている表現で、友人の作品だが、「醜い肉体に、美しい精神は宿らない。」というものだ。当然のことながら、案外忘れているものだ。最も、個人的な問題は、醜いものを人間と認知できなくて、存在に気づけない性質だ。いっそ、全く違う生き物の形をしていてくれれば、それが生きている何かだと見分けることができただろうに。
��
�� これを成長と呼ぶか、諦めと呼ぶかは、まだ決めかねている。

86ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:05:59 ID:fqwjHBzY0
女の不思議

11/11/2017
記事では一件だけしか取り上げていないけれど、僕に直接かつ対等な話をしてくる人間というのは、現実世界でもネット上でも、女の子ばかりだ。驚くような熱意と知性とを持った女の子達がいたものだと、感心してメールを読んでいる。

女性と呼ぶ方が失礼がないかもしれない。僕はこれを女の不思議と呼ぶことにしている。ほかにもいくつか女の不思議というのはあって、愛することに関しては女の右に出る性はないということだ。もちろん、例外的な人間もいるが、概して女は愛することに非常に長けている。これを教えてくれたのも、友達の女の子だ。僕を元気づけてくれるのも年上の女の人だし。繊細さでいえば男なのかもしれないが、共鳴する平和的な世界を分かち合っているのはどう考えても女だ。母というのは教師であるし、この世の枠組みを人類に与える偉大な仕事をしている。どうあっても、女を中心とした社会を作ることこそが、あらゆる平和の糸口になると確信している。

87ななくしゃ:2017/12/24(日) 20:07:06 ID:fqwjHBzY0
狂気のない好意

11/15/2017
よく、もてるでしょう、と言われるけれど、別にあまりもてはしない。興味や関心を持たれることが多いだけであって、もてるというのとは違う。ああいう人間たちは、僕のことが好きなだけで、愛してはいない。好きであることと、愛することは異なる。

好きであると表明することは誰にでもできるが、愛すると証言することには相手の同意が必要だ。だから、飽きてしまう。食事ならお金よりも手間のかかったものがうれしい。高い値段に釣り合った味がするものは少ない。本当に質の良いものは街ではなかなか味わうことができない。外見ばかり飾り付けられた中身のない食事に、おいしいですね、というのは骨が折れる。気の利いた保存食品なんかのほうが、鮮度の良い腐った食べ物よりも、まだましだ。ハムとかチーズとか、そういうやつ。本当に良いものを口にして生きてきたならば、あれが本物だ、これは偽物だと騒ぎはしない。ましてや聞かれてもいないのに真贋の見分けが付くだの浅ましい真似はしないだろう。豊かさを知れないことを、僕の前で実証して関心を買おうとするのは間違いだ。面白いはずである新しい人間よりも、いつもの友達と、まったくくだらないおもちゃがとれるまで、コインをつぎ込む過程の方がよほど刺激的だ。それからアイスを食べて、お互いの持つもっとも鋭い性質が刃こぼれし始めるあたりで家に帰る。心地よい疲れを感じ始めている。僕らは親しいのにずいぶん遠い。僕は愛には恵まれないが、友人には恵まれている。この不自由な平衡さが、高くてまずい食事を飲み込ませているのだろう。人を褒めるこつは、思いもよらないところを褒めることだ。相手が褒められなれているような言葉は、どこにも響かない。それから充分に感情を示すこと。感情のない言葉には、意味がない。


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