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ななくしゃ
:2017/12/24(日) 19:19:04 ID:fqwjHBzY0
感性と知性
12/3/2017
今日は感性と知性の話をしたいと思います。何でこんな話をするかっていうと、社会的にうまくやっていく上では、高い感性か高い知性が求められるものの、タイプや心理機能はそのどちらも保証しないからです。僕の書いてるタイプ解説がピカピカしてるのって、僕の友人がピカピカした人生を送っているからであって、そのタイプの人、全部が全部それだけ恵まれてるわけじゃあないからね。さあさてじゃあ本題の、感性や知性をどう磨いたら良いか考えよう。
感性�� いろんな芸術に触れましょう。もしくは自然と触れ合いましょう。一言でいえば、情報量の莫大なものを理解する感覚を養うことが大事です。鑑賞する際は、自分がわからないからと言って、無価値だとか無意味だとか決めつけるのはやめましょう。それは、自分自身が、無価値か無意味だとひっそりと断言していることと同じです。自分の理解を超えているものほど、学ぶべき点が多いものです。つまり、さして努力もせずに理解できるものというのは、あまり重要ではないのです。過去を振り返ったところで、己の矮小な感覚というものを再認識させられるだけです。村社会において価値があると認められる物に対してのみ、社会的価値を付与するというのが日本的感性のほぼ全てですから、個人的な見る目を養うことは難しいのだろうけれどやらないと始まらない。村の感性をあてにしてみても、村はあなたの人生を保障してくれるわけではない。村のやり方と心中してみたって、あなたに残されるものは何もない。なぜなら、すべては村に帰属していたのだから。情緒的共産主義体制下において、あなたの私的な所有物などない。ああ、つい熱くなっちゃった。何が言いたいのかというと、個人としての価値を磨かなければ、社会的・経済的に難しい立場に追い込まれる時代であるということです。感性が鋭ければ、どんな選択が人々に訴えかけるかがわかるから、生活レベルの話で言えば、お金になる行動を選べるようになる。感性というものは、生まれつきの要素が大きいですが、訓練でもある程度のバランスはとれるもののように思います。ここでいう感性とは、文化資本とは少し違うものです。だって、別にお金持ちでも感性のないやつらなんていっぱいいるからね。だから感性は、日常何に接して生きていくかという能動的な気配りで、向上させることの可能なものなのだと思います。
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知性�� 未知である物事に対して、
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見る/読む/体験する(入力) → 考える(処理) → 話す/書く/表現する(出力)
��
�� を繰り返すことが必要です。入力するだけでは、全く不十分で、考える段階でもまだ足りません。頭に入れたことは、再構成をして外に出すところまでやって、使える知性が育ちます。知性と知識は別物で、単なるデータやハウツーは知識の類です。これだけを蓄積してもあまり意味がありません。なぜなら、情報は相互に関連させて運用できる脳にインプットされたときに、初めて意味を持つからです。そうだね例えば、引用ばかりで話す人って頼りになる?そういうことです。はっきり言って、この手順は面倒でしょう。ですが、面倒くさがっていると伸びしろのある頭も腐り落ちます。一個人の人生の中においても機能のダーウィン的な自然選択は行われるでしょう。だって、使わないものは、どんどん退化していくのだから。じゃあ具体的に何を入力したらよいか簡単にまとめてみましょう。
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本であれば:
�� (今の自分から見て)内容が少し難しいものが良い。書き方が難しいだけのものは避ける。なぜなら、書き方が難しいだけのものは、ただの積み重ねお勉強で書いているものだからです。わかりやすく言えば、資本主義社会の生んだ産物。ええっとね、昔は天才的な子供を見出して特別に目をかけて教え込んで、学者でもなんでも自分の地位を継がせたでしょう?今の学者って言うのは、ただ何年と学校で時間だけはかけて研究をした人たちのことです。本来はさ、社会をけん引する知力を持ったインテリってのは、相応の覚悟とエリート意識を埋め込まれなきゃいけない。持ってる力の分だけ、大きな責任を社会で負うからです。ちょっと脱線したね。ジャンルは文学でも学術書でも、何でもよいと思います。
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