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ななくしゃ
:2017/12/24(日) 19:49:29 ID:fqwjHBzY0
Death in XXX
10/12/2017
生きていく上で、どういった性質の共同体に所属するかというのは、極めて重要な岐路である。共同体の性質を見誤れば、生き死ににさえ関わる。21世紀は、何の変りもなく人種的偏見に満ち満ちた差別の世紀の軸上にある。今後しばらくこの差別という区別は加速するだろう。
�� 僕は長いこと、ブラック・コミュニティに居すぎたし関わりすぎたと思う。それは当世風の教養という気取りではなく、単に気が合ったからというだけだ。だが、それがまずいのだ。ホワイトな人たちは、僕がそういう教養の延長線上で、ブラックに理解がある寛容な人間なのだととらえている。その誤解を真実にするべく動き出せば、僕は死ぬまで、こと生存という観点からは大した苦労もないだろう。ホワイト・コミュニティは、有力者にどんな風が吹いたところで、僕にまあまあの物理的・精神的な居場所というものを保証してくれる。ホワイトには、法律というものがあると読み換えてもらっても構わない。だが、閉鎖的なブラック・コミュニティで生きながらえられるのは、黒を除けば中国人くらいのものである。その中国人でさえ、ブラックと物理的空間は共有しても、明確な距離を置いている。一応、カラードらしいカラードに対しては、かなり限定的な寛容さをブラック・コミュニティは持っている。ブラック・コミュニティは物理的・精神的、両面から人種差別的だ。もちろんホワイト・コミュニティも、精神的にはとても差別的だが。かねてから見たいと思っていたビクトリア湖を見るのは、いつかいるかもしれない子供にせがまれてから考えることにしよう。残念なことに、ホワイト・コミュニティはブラックを生理的レベルで嫌悪している。脳が、あの色にたいして拒否反応を示すというのが、今のところの科学的事実だ。それを教育というフィルターを通すことで、一緒に社会でやっていけるようにしている。そういう話にぶち当たると、教育というのもまあまあの平和を飼うことに役立っているのかもしれない。最近とても面白いことを聞かれた。「あなたどうして、そんなに黒人を特別扱いするの?」そして、僕はこう答えた。「個人個人がユニークだからだよ。」あまりいい感触じゃなかった。僕はこう続けた。「ほら、中国人なんかどれも似たり寄ったりでつまらないでしょ。だから僕は黒ってユニークだと思うんだ。」当たり前だ、ホワイトの方がユニークでオリジナルだというのが、ホワイト・コミュニティの当然の前提なのだ。素直に感情に従うほうがいい場合というやつだ。何の努力もせずに、好意を示してくれたコミュニティを尊重するのが当然だろう。率直にものを言って人を傷つけないためには、どちらか一方を選ばなければならないだろう。中身を認めて握手してくれたのはブラックで、中身を見ないで握手をしてくれたのがホワイトだったということが僕を狂わせる。確かな選択をするものは、正しいことをしたと錯覚し、正しい選択をするものは、正しさの持つ不確かさをよく知っている。確定している答えに対して、あとから自問自答するのは悪い癖だ。
遠い島国から見ていれば、人種だ移民だと、なんて野蛮なことだろうと思えるかもしれない。じゃあ、日本にたくさんのインドネシア人が住むようになって、それでもニコニコしていられるか自分に問うてみるといい。いわゆる東南アジアというところから、白人でも黒人でもないものがやってきて、職を奪い街をぶらついていたら、日本人は寛容で好意的でいられるか。日本人は中国人や韓国人に対しては、あれこれ言うが一目は置いている。歴史や文化において、多く世話になってきたし、共有するものが多いからだ。それに、これらは金持ちも多い。だが、タロイモの奪い合いに終始して、翡翠細工一つ作れなかった未開人に対しては、蔑みの目を送っていることだろう。僕はインドネシア人の人種を値踏みするような目が大嫌いだ。相手が、ホワイトかノンホワイトかなんて観点で、自分に得になるか損になるか計算している。だから、インドネシア人の応答は少し遅い。気づいていないわけではない、浅はかな算術を駆使しているのだ。たった二択で、損したり得したりできると思っているようだから、誰もインドネシア人を信用しなくなる。
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