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死刑制度についてひと言お願いします

1979無精髭:2008/11/21(金) 23:51:37
>>1978
あうさん。さげちゃ駄目でしょう。
紫煙狼さんにレスなさるなら、もっと堂々としなきゃ。

ご掲示のソースに関しては、なんか聞いたことがある。。。
きっと有名な話なんでしょうね。だからといって、失礼ですが、
あうさんが紫煙狼さんの発言のどのあたりに反論なさっているのかが
私には明瞭でないのですけど。否、賛同されている可能性というのも
否定できない(笑)。私の読解力不足は、書き込み欄の余白を埋めたいが
ためのご愛嬌ということで、ご勘弁戴きたい。

いちお、あげときますので。

1980無精髭:2008/11/22(土) 00:29:46
追記。

なるほど、GIGAZINEが情報源ですかw
結構面白いサイトなんで、私も見てますよ。
そういえば、児童ポルノ単純所持規制問題についての記事もあったなぁ。

2008年11月21日 10時55分00秒
アドルフ・ヒトラーにはこう丸が一つしかなかった
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081121_hitler_did_have_only_one_ball/

1981一言広告募集:2008/12/19(金) 05:28:01
死には価値がある。

1982Ken:2008/12/20(土) 07:58:48
イランであった痛ましい事件なんですけど、ふられた腹いせで硫酸をかけられて
顔が焼け爛れて両目失明までした女性の話なんですけど、裁判では検事がディーヤ
(血の代償金)を勧めたのですが、被害女性は頑としてキサース(応酬刑)を
求めたところ、男に両目に5滴ずつ硫酸をたらすという判決が下されたそうです。
男が上訴しないと刑が執行されるそうです。

イタリアで被害女性の目の治療に当たったお医者さんは複雑な心境みたいで、
失明した人が同じことを他人に求めるのにショックを受けていると同時に、これが
自分の娘だったら自分がどうしたか分かんないって。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/12/13/AR2008121302147_5.html

1983柏木:2009/04/21(火) 20:24:16
>>1750

裁判員制度が5月から始まるが、市民が死刑判決を下す責任を負うならば、死刑執行に関する詳しい情報の開示がますます求められるようになるでしょう。

死刑の実態を知るためには、やはり実際に見てみないとわからないというのは正論です。国によっては(たとえばインドネシア)ネットでその模様を公開することを決定した。ネット上の掲示板でアニメの世界を語るがごとく想像で議論を続けてもまともな結論は出ない。自分の司法についての偏った知識を垂れ流す臭い自慰行為と同じだ。法務省はどうやって死刑を執行するのか(人の息の根を止めるのか)を国民に開示し確り違憲性の不在を説明する責任があるのではないか。本当の事情を国民より知っている法務省が、死刑判決を下す責任を詳細に知らされていない裁判員となった一般国民に転嫁するのは、知られたくない醜い事情があるといわれても仕方がない。憲法で禁止されている「残虐な刑罰」にあたるのか否かを、実際に執行状況を見てみないとやはりわからない。政府はなぜ見せない?死刑の執行の模様が嘔吐を催すようなものと伝えられている。そのこと自体、残虐である可能性があるのではないか。

1984紫煙狼:2009/04/22(水) 11:46:44
>>1983
概ね同意…なんですが。

確かに「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。(憲36)」なのですが、
別スレのhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1058885208/482
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1058885208/483のように
むしろ「凶悪な犯罪者に対しては残虐な刑罰によって臨むべし」という論調も根強いようです。

次に、現状の日本における絞首刑が目を覆いたくなるような凄惨なものであるとしても、
「法手続に則らず、個人的な欲望のために命を奪われた被害者の受けた残虐性」と
「法手続に則り、法に定めた方法で厳粛に行われる絞首刑の残虐性」は同位に比較すべきものではなく、
かつ、残虐な刑罰を禁止する憲法下で制定された刑罰には残虐なものが含まれるわけがない。
そもそも残虐とは何を以って残虐とするものぞ。凶悪殺人犯が無辜の被害者の命を奪う残虐性に
比較すれば、同程度の苦痛は刑罰にも許されなければならない。という主張もあるようです。
簡単に言えば憲36の解釈として「必要以上に過酷な刑罰」を「残虐な刑罰」と定義し、
「必要と認められる程度の刑罰」は「残虐な刑罰」にあたらず、死刑も必要と認められる
場合においては「残虐と断ずることはできない」という論調ですね。。。

では、逆に安楽死や老衰のように「本人の痛みは知る由もないが、第三者から見る限り、
まるで眠るように死んでいく方法(例えば薬物使用)」で死刑を執行すれば、柏木さんの仰る
「死刑の残虐性」は排除できるのでしょうか???そうなってなお死刑は残虐であるという
主張は世論に受け入れられるでしょうか?

私は現状の死刑執行の瞬間を広く一般に公開することは、死刑の方法の見直しにしか繋がらず、
「死刑という制度の下、犯罪者の命を奪う事の残虐性」という私の考える本質からは、
むしろ遠ざかるような気がします。

1985loveless:2009/05/23(土) 19:18:18
少し亀な話もありますが、、

最近の死刑か無期かという裁判(求刑が死刑のもの)で、
(1)秋田児童殺人事件は、無期が決定
(2)神隠し事件は、無期の一審判決
(3)闇サイト事件は、一人無期、二人死刑の一審判決
(4)毒カレー事件は死刑確定
という結果になりました。

(1)は、殺意は認定、刑事責任ありと判断するものの計画性がないという判断で死刑回避。
(2)は、死体損壊と殺害は分けて考え、殺害方法が残虐でないということで死刑回避。
(3)は、殺害方法が残虐で、かつ社会的影響も大きいということで死刑判断するものの、
主犯格の一人については自供が認められ、刑1つ減刑して無期。
(4)は、状況証拠のみで物的証拠はなく、かつ動機も解明できていないが、
動機解明は裁判の結果に影響しないという判断もあり死刑。

正直、どれも判断難しく、裁判員制度が導入されて、こんな判断が自分にできるかなあ
と思ったりします。

もし、自分が判断するなら、マスコミからの情報しかありませんが、
(1)(2)は死刑、(3)は主犯格のみ死刑、他2人は無期、(4)は事件そのものは無期相当
の気がしますが、裁判の内容を見ると死刑やむなし、かな?

1986紫煙狼:2009/05/27(水) 22:12:08
>>1985
じっくり考えていたら亀レスになってしまいましたが…。

>正直、どれも判断難しく(中略)と思ったりします。
lovelessさんが裁判員に選出されたとして、かならずしもこのような判断を
下す必要は全くないと思います。それこそ
>もし、自分が判断するなら(中略)死刑やむなし、かな?
で大いに結構ではないでしょうか?

同じ事件の裁判でも、一審で無期懲役判決が二審で逆転無罪とか、その逆とか、
担当判事の違いが刑罰の重さの違いに多少なりとも影響を及ぼしているのは
明らかだと思うのです。(ある種の判例に縛られている面も否めませんが)
それでも、判事は自分の良心にのみ従い判決を下すのであって、それこそが
判事の使命なのだと思います。

裁判員もまた、自分の良心に従って審理に加わればよいのではないでしょうか?

最終的な合議の結果が、必ずしも自分の思うものと異なったものになったとしても、
自分の思ったことを思ったとおりに主張しさえすれば、自分の良心に恥じることは
ひとっつもありません。

ただし…。「自分の良心」と「自分の正義感」だけは取り違えないように注意する
必要があるかもしれませんね。正義感は良心の一部でしかないのですから、
正義感の塊にならないように心がける必要はあるかもしれません。
と、言っても…。正義感のみで人を裁いたからと言って、自分の中でそれが正しい
ことなのであれば、それもまた誰に縛られるものでもないと思います。

1987無精髭:2009/06/02(火) 01:04:39
裁判員に選ばれることに不安を感じるのは、人を裁くことの難しさや
責任の重さがあるからでしょうけど、法律用語や裁判の流れについては
要所要所噛み砕いての説明があるでしょうし、実際審理するにあたっては、
裁判官の方が手に手をとってくれるでしょう。
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=14036&catid=308

そういったことより少々気がかりなのは、犯行の計画性や残虐性とか
状況証拠とか有罪無罪などなど、聞いた覚えがあり意味もなんとなく
分かった気でいるような言葉が、実際の裁判ではそういう日常感覚と
異なって使われている、ということです。

1988無精髭:2009/06/02(火) 01:05:28
たとえば「計画性」ひとつ取ってみても分からないことが多いです。「ご利用は計画的に」みたいな
キャッチコピーしか思い浮かびませんが、、、(いや、消費者金融でお金なんて借りませんけど)
むりやり計画性の有無を争点にした例で考えてみますと、、、

街で、お互いのことを知らない者同士であるAとBが喧嘩になった。(とします。)

(1)Aがその場でBを殺したならば、Aの犯行に計画性がないのはいわずもがな。

(2)AがBの後をつけて、Bが人目がない場所を通っているところを不意打ちした場合はどうか。

Bの行く先をAが知らないなら、Bがどこを通るかもAは知らないわけだから、
せいぜいAは付近一帯の地理からBが通る道を推測するしかない。実際、Aの尾行は
Bの恣意性に委ねられている。ということは、計画性があるとまではいえないことになりそうだけど。。。
初めから不意打ちを狙っているなら、計画性ありということになるのかも。

(3)しかし、Aが付近一帯の地理をもとに、Bはここを通るに違いないと判断できた場合、
たとえば道が一本だったときなどはどうか。

(4)付近一帯の地理に関する知識・Bの進行方向などからBが行く道を予想した上で、
人目がない地点まで先回りして待ち伏せし、Bがそこを通りかかったときに襲い掛かった場合は?

殺意を以って尾行すること自体、計画性ありとされるのなら、(2)〜(4)は無駄な問いでしょうけど。

更に、別ヴァージョン。

(い)誰でもいいから人を殺したいと思った。思い立ったら吉日とばかりに

(ろ)街へ直行し、→(は)or(に)

(は)簡単に殺せそうなやつを選んで殺した。

(に)ちょうど目に付いたホームセンターで人を殺すのに手ごろな得物を買って、→(は)

さて、凶器を事前に準備しておくことは「計画」と言えるでしょうが、
殺す相手を品定めするのは「計画」と言えるかどうか。。。

凶器を準備することは結果的に犯行を引き延ばすことになりますから、
では犯行を引き延ばすことだけで計画性ありと言えるでしょうか。

今日殺すのを止めて、明日殺そう。(で、一日たった後、実際に殺しちゃったと。)

準備を一切しない場合、犯行の先延ばしが明日までだろうが一ヵ月後までだろうが、
計画性はないといえそう。

Cという都市に住むAがDという村に住むBを殺そうと思った。Bに会うために、
AはCからDまで最も早く移動できる方法を考えた。これは計画性の有無に関わるのでしょうか。

1989無精髭:2009/06/02(火) 01:15:45
これまでの話とずれるでしょうが、司法判断と市民感覚とのズレというものを
>>1985の事例に即して書いてみますと、、、(私の意見ばかりではないですが)

(1)殺意十分なのに計画性がないために死刑回避とは??? ※
(2)死体損壊と殺害は分けて考える、って発想についていけない。殺人自体が残虐じゃん。
(3)自供が認められて減刑というのもよく分からないが、死刑から1つ減刑で無期懲役というのにギャップを感じてしまう。
(4)動機解明と殺意認定ってセットで考えるべきでは??? ※※

※豪憲君殺害の動機として、「自分に向けられた彩香ちゃん殺害の嫌疑をそらす」だの
「彩香ちゃんの死が事故ではなく殺人によるものであるとの主張に目を向けさせる絶好の機会は今しかない」だの、
いろいろと言われているようですが、いずれにしてもそう思い立った以上、後先考えずにすぐに豪憲君を殺して
しまったのだとしても、少なくとも彩香ちゃん殺害を隠蔽するための計画性はあったと見るべきではないでしょうかねぇ。

※※そりゃ砒素入れれば人が死ぬってことは誰にでも分かるので、人を殺す目的はどうあれ、
砒素を入れた以上は殺意もあったということになるんでしょうが。。。(未必の故意ですか?)

・・・以上、市民感覚から司法判断を批判する見方しかできませんが。。。
(司法から市民感情を批判するなんてのは起こりえないでしょうけどね。)

1990紫煙狼:2009/06/10(水) 21:38:25
私も司法関係者じゃないので、唯一無二の正答を出せるわけではないですが、
無精髭さんの問題とされる「計画性」について、個人的には以下のように考えています。

「殺意を抱いてから実行までの経過時間と準備の兼ね合い」

よく言う「かっとなって、手元にあったもので殴ったら死んでしまった」というのは
殺意を抱いた瞬間から実行までの時間が極めて短いうえに、準備らしきものを何一つ
していませんよね?そういう意味では、これは計画性を否定できるのではないか、と。

それに対し、常日頃から殺意(あるいはそれに類するもの)を抱いていて、
何かあったときのための武器(とっさの護身の用に供する限度を超えるもの)を携帯すれば
最終的に「かっとなって(いよいよ我慢できなくなって)携帯していたブツで殴った」場合は
計画的犯行と断じても良いのではないでしょうかね?(この際プロの格闘家は肉体そのものが
凶器となり得るものであるとの認識を自覚していたはずなので、コブシひとつも立派に
武器を携帯と表現できると考えます。)

で、無精髭さんの挙げた「場当たり的な通り魔犯罪」については
実行する対象は最終的に一人になると自覚しながら「誰でも良い」という不特定多数を
対象とする殺意をもち、犯行を実行するための準備として街に繰り出し、
「犯行の用に供する目的で」得物を購入するという準備を経て犯行に及んでいる。
これは明白な「計画的犯行」で良いのではないでしょうか?というのも、
国内で重大事件を起こし、政治的圧力として利用しようと考えて無差別爆弾テロを
行うという行為は明白に「計画的な犯行」なのですから、その犯行の目的が何であろうと、
被害を受ける対象が犯行直前まで、もしくは既遂となるまで特定できなかったとしても、
その犯行により人命が奪われるという自覚があり、もしくは、その危険性を認識しつつ、
犯行への着手を断念しないと言う行為は「計画的」と目してかまわないと思うのですね。

1991紫煙狼:2009/06/10(水) 22:02:03
でね?

>今日殺すのを止めて、明日殺そう。(で、一日たった後、実際に殺しちゃったと。)
>準備を一切しない場合、犯行の先延ばしが明日までだろうが一ヵ月後までだろうが、
>計画性はないといえそう。
ここの考え方ですが、紫煙狼説では、こう解釈します
「殺意を抱き、犯行に最適な日を選ぶこと自体が準備に当たる」とね。
準備の着手は不可罰的であったも、犯行の着手は可罰的であると考えるので、
「俺はヤツを憎んでいた。いつも殺そうと思って機会を伺っていたさ。でも先を越された」
なんてドラマでは必ず登場する容疑者の一人…(大体この後、真犯人を強請って殺される)は
準備への着手を済ませたが犯行に着手していないので、殺人未遂には当たらない。
百万歩譲って携帯していたものが銃や包丁なら「銃砲法違反」どまりかな、と。

同様に、
>Cという都市に住むAがDという村に住むBを殺そうと思った。Bに会うために、
>AはCからDまで最も早く移動できる方法を考えた。
これも犯行計画(準備)に着手しているので、これを利用して実際に犯行に着手した場合、
計画性がある、と断じて良いでしょう。でも、時刻表を覗き込んで西村京太郎ごっこを
しているだけなら(つまり犯行に着手していなければ)まったく問題ないですよね?

そういう意味では「刑事犯罪における計画性」というのは犯行に着手した時点から、
問題視されるものであって、それはあくまで情状面で刑罰を決定付けるための要素の一つに
過ぎず「計画性」そのものを罰する意味を持つものではない。逆に「計画性」そのものを
罰するとすれば、実際の犯行以前の行動を遡及的に罰することになるので、法の精神に
そむくものではないかなぁ、と思いますね。

1992紫煙狼:2009/06/10(水) 22:34:23
ようやく>>1989に言及できます(笑)

>(1)殺意十分なのに計画性がないために死刑回避とは??? ※
私にだって殺してやりたいヤツは居ますよ(笑)殺意充分です。
でも、私はソイツを殺すための行動を一切起こしていない。そして、たまたま、待ち構えていたわけでもないのに
神様の悪戯で、犯行にまたとない機会が訪れ、たまたま、手元にあった石で相手を殴り殺した…。
死刑に値するかは別途考慮する余地がありますが、殺意と計画性は、やはりそれぞれ別に考えても良いでしょうね。

>(2)死体損壊と殺害は分けて考える、って発想についていけない。殺人自体が残虐じゃん。
殺人自体は残虐ですが「生きている人を苦しめて苦しめて後、殺害する」のと「遺体(法的にはモノ)を壊す」のは
やはり別物でしょう。例として非常に不適切ですが、生きている動物を解剖して死に至らしめるのと、
死んでいる動物を解剖するのは全く別ですよね?それが「医学の進歩のため」であれば許されるとしても、
単に「解剖したい・切り刻みたい」という目的のためであれば、少なくともその目的のために命を奪うことは
決して許されないはずですから、死体損壊と殺害を分別する考え方は私的にアリ。その後の死体損壊の目的により
犯行の情状面を加減すべきではないですかね?(スーパーで売られている鶏肉を買ってきて切り刻んで捨てても、
それは道義的にいかがなものかとは思うけれど、刑事的に罰するべきものとまでは思いません。しかし、
野生の鳩を捕まえてきて切り刻んで殺して捨てれば、刑事的な罰が待ち構えているでしょう。)

>(3)自供が認められて減刑というのもよく分からないが、死刑から1つ減刑で無期懲役というのにギャップを感じてしまう。
死刑と無期懲役のギャップの大きさを指摘する意見は非常に多いですよねぇ。それ自体は別に不思議でも何でも
ないのですが、無期懲役が終身刑であるという認識がない人は非常に多いですね。終身刑という言葉を聴くと、
一生涯牢獄の中で…と思う感覚はわかりますが、無期懲役は一生涯出所することはなくて、許されるのは
仮出所なんですよ。(シャバに出すなら同じじゃね?って意見も尤もだとおもいますよ?)そして仮出所中は、
軽微な犯罪でも仮出所を取り消され、塀の中に戻される恐れが付きまとうという意味では、シャバに出ても、
皆さんが想像するほど「大手を振って往来を歩く」なんて可能性は低いですねぇ。酔っ払いに絡まれて喧嘩したら
自分が悪くなくても塀の中に戻される可能性があるんですからね。

>(4)動機解明と殺意認定ってセットで考えるべきでは??? ※※
私も普通の殺人事件を見る限り、同じ意見だったんですけど、最近つとに感じるのは
「殺害するのに動機は必要なくて、必要なのは殺意なんだなぁ」ってことです。これは私が精神を患って初めて
感じたことなのですが、理由もなく死にたくなる時があるんですね。どう考えても死ぬほどの理由なんて何一つ
思い当たるフシはないのに、とにかく、死にたくてたまらない時がある。これは「自分に対する殺意」なので、
実際に犯行に着手しても、せいぜい、残された皆さんのお手を煩わせる程度なんですけど、これが外部に向く人も
居たっておかしくないだろうなぁ、と思うのですね。もちろん、そういう人全てを「病気だ」と言う訳でも心神耗弱により
減刑すべきという訳でもないのですが、少なくとも、人の心の動きには「合理的説明がつかない」場合もあるのでは
ないでしょうかね?

1993紫煙狼:2009/06/10(水) 22:49:26
もうひとつ付け加えるなら…。

(4)の例で「動機の解明がされていない」ってところですが、じゃぁ、逆に…。
動機が解明されていれば、物的証拠が殆どなくても状況証拠と推測される動機だけで死刑にして良いのか?
(被告人が犯行を否定している以上、動機も被告人の口から告白されるものではなく、検察側の推測に過ぎない。)
次に、その動機が何とも「ああ、それは、しかたないねぇ…」という万人に同情を得られるようなものであっても、
無差別的に食料に毒物を混入させるという犯行方法に対する判決が死刑未満となりうるか?

ここで、林真須美死刑囚に対する裁判の判決だけに着目すれば
「物的証拠が殆どなくても状況証拠が揃っていて、他に犯行が可能となる合理的な説明がつかない」のであれば、
有罪判決を出すことに躊躇する必要はない。故に有罪判決が出ているわけです。そして、有罪判決を出すことに
躊躇する必要がないのであれば、犯行の方法は、いかなる動機を以ってしても死刑未満となりえない犯行である。
ならば、この場合、動機の如何を問わず、死刑判決に躊躇する必要はない。という事なんでしょうね。

ちなみに、私の心象としては林真須美死刑囚はクロだとおもいますが、物的証拠が余りに乏しいため、
疑わしきは罰せずの原則に従い「限りなく怪しいけど無罪判決」が妥当だったと思いますね。

1994無精髭:2009/06/14(日) 18:47:14
>>1990-1991(亀レス失礼。)

法律家的・優等生的な唯一無二の正答を志向しつつも、ところどころシェンさん独自の解釈が
垣間見られて、好いんじゃないでしょうか。「プロの格闘家は自らの肉体が凶器であると自覚
しているはずだから、何も持たずとも凶器を携帯しているといえる」とか「スーパーで売られて
いる鶏肉を買ってきて切り刻んで捨てても、(後略)」とのことですが、もしシェンさんが裁判員に
選ばれてそのような見解を開陳なさったりしたら、他の裁判員の方々は度肝を抜かれるんじゃない
でしょうかね。

>「殺意を抱いてから実行までの経過時間と準備の兼ね合い」

>そういう意味では「刑事犯罪における計画性」というのは犯行に着手した時点から、
問題視されるものであって、(後略)

ご承知のとおり(というか仰るとおり)、犯罪の実行に着手していなければ(特殊な場合を除いて※)
基本的に罪には問われないんですよね。未遂罪についても実はよく分からないことが多いんですが。。。
裁判員として選ばれる可能性がある一般市民として勉強しなきゃならないこと(知っておかなきゃ
ならないこと)というのは意外に多いですね(苦笑)。

※あんまり詳しいことは分からないのですが、何年か前に共謀罪の是非についてかなり白熱した
議論がなされていた記憶がありますけど、国際的な組織犯罪に適用されるとのことですね。
あと、それ以前からあるのは、シェンさんが無差別爆弾テロという例を挙げてくださったことに関連
しますが、ナントカ予備罪とかナントカ陰謀罪とかですかね。まあ、こういう事件に関しては
裁判員制度下の審理対象とはならないでしょう。

1995無精髭:2009/06/14(日) 18:49:42
「計画性」への該当事例について、あるいは「犯行計画」の可罰/不可罰についてなど、
大体シェンさんが仰ることで納得できるのですが、いざ実際に計画性の有無や程度を判定するのって
すごく難しく思えるんですよね。たとえば、―――また>>1988の例えで恐縮ですが―――
(い)(ろ)(は)(に)のような場当たり的な通り魔犯罪について、被告が犯行の計画性を否定していて、
弁護側が次のようなことを主張している場合なんか特に。

「実は当時被告はフラフラっとホームセンターに寄って何気なく凶器となる得物を買って、
それを見ているうちに人を殺したくなったのです。」

んなバカなっていう話ですが。でも、計画性の有無を確かめるには厄介なことになりそう。
まあ、計画性の有無に関わらず(あえてそこのところを争点とはせずに)、適切に処罰することは
可能かと思われますがね。

ですが、次のことはシェンさんが>>1992で仰った「動機がない殺意」というものもありうるんだよ
とのご指摘に気づかされたのですが、それを考慮に入れると、

「後に凶器となった得物が被告の生活上必要なものであったため(たとえば日曜大工という趣味のため
ハンマーとか錐が必要だったとか、調理用具として包丁が必要だったとかいった事情が考えられます)、
ホームセンターへ出向いたのだが、実際に購入した後、それをまじまじと見ているうちにムラムラと
殺意が沸き起こり、、、」

みたいな場合、そういった弁護側の説明が事実なら計画性はないということになるのでしょうが、
ホントかよー、という疑いは消せませんし、じゃあどうやってそれを確かめたらいいんじゃい(審理の
仕様がないよお)と途方にくれてしまいそうです。和歌山毒カレー事件裁判の事実認定だって、被告が
一貫して無実を主張していたわけですけど、シェンさんと違い推定無罪の原則を採用しない限りは、
有実か無実かと徹底的に審理しようと思えばものすごく難航を極めるであろうことは必至で、それと
同じような(あるいはそれ以上の)困難さを「動機なき殺意」の認定には感じてしまいます。

ナイフとかライフルとかボウガンとか、そういう武器の形状には、ある面実用性を追い求めた美しさって
ものがあると思うのですが、そういう危険な美に魅了(!?)されたから対人的に使用してみたくなった
のだ、といった言い分もそれなりに人間心理の一面を突いているんじゃなかろうかと。


あと、通り魔犯罪の計画性といった例だけでなくて、西村京太郎ごっこ的な犯行計画を認定する・しないも
なかなかに難しいことかと思われます。アリバイ偽装のためじゃなくて、たんに犯罪を円滑に遂行するための
計画を立てたという例を引き合いに出しますと、

「Cという都市に住むAがDという村に住むBを殺そうと思った。Bに会うために、
AはCからDまで最も早く移動できる方法を考えた。これは計画性の有無に関わるのでしょうか。 」

またまた>>1988の例で恐縮ですが、上記の文から「ある時点で明確な殺意を抱いた」的な箇所を
抹消してしまうと、やっぱりシェンさんの「動機なき殺意」あるいは「ポッと出の殺意」とやらの
可能性と、明確な旅行計画のみが残されてしまいます。そうなると、どうやって目的地への最適移動
手段を思案した計画と殺意との関連を見出すのか、言い換えれば旅行計画と犯行計画の境界線を
どこに引くべきか、という問題が浮上することでしょう。

まあ、シェンさんの仰る「動機なき殺意」を認定するには精神鑑定が必須でしょうから、結局のところ
現状における精神疾患の有無、あるいは精神科や神経科への通院記録の有無によっても、その考慮の
対象となるか否かはあらかじめ分かったようなものでしょうけれどもね。


以上が、私が「計画性」という言葉にこだわるところの背景ですかね。それと、単なる計画が
犯行計画として認められた場合、それが何のための計画なのか、によって罪の重さって変わる
のかなという疑問もありますね。たとえば、同じ殺人についての審理でも、アリバイ偽装のための
計画と、殺人の成功を期するため(目的どおりに遂行するため)の計画と、どちらが悪質なのかな、
という疑問ですね(笑)。たぶんこんな阿呆なことを考えているのは日本中で私くらいなものでしょけど。

>>1992-1993については後日レスいたします。

1996紫煙狼:2009/06/14(日) 20:58:26
>>1995
中崎タツヤ氏(漫画家)の「じみへん」という短編集の中で、人が物を使うという本来の
姿をはなれ、モノによって人は使わされる…という実態を暴いた作品があるんですね。

つまり、子供の頃初めて虫眼鏡を手にした、あの時の「使いたくってたまらない」感ですね。
特に必要もないのに、なんでも拡大して見て見たくなる、あの感覚。つまり、モノには
人にそれを「使いたい!」と思わせる魔力がある。ちなみに、その作品のオチは、
「コンドームを持っているが故に、誰彼かまわず異性を抱いて試したい…のは違うな」
という、非常に私好みのオチなのですけれど。。。

で、まぁ、それも確かにあるな、と思うわけです。時代劇に出てくる若殿様が新しい刀を
手に入れてしまい、その魔力に魅入られて、辻斬りを繰り返す…とかね。私自身、LEDの
懐中電灯(光の強いやつ)を買うと、何でも照らさずには居られない(笑)従って、
>「実は当時被告はフラフラっとホームセンターに寄って何気なく凶器となる得物を買って、
>それを見ているうちに人を殺したくなったのです。」
という弁明はありえるし、それが事実である可能性も否定できない。ならばいっその事、
裁判員は「自分の心象を第一に」考えればよろしいのかな…と。この弁明を一笑に付すも、
真剣に事実と受け止めるも、裁判員の心象ひとつに委ねて構わないのではないでしょうか?

また、
>アリバイ偽装のための計画と、殺人の成功を期するため(目的どおりに遂行するため)の
>計画と、どちらが悪質なのか
これも、心象に委ねましょうよ。それこそ「自由心象主義」で宜しいのではないでしょうか?
無理に計画性を認めて刑罰加重する必要も、無理に計画性を認めず情状酌量する必要も、
それこそ、まーーーーーーったく、ないんですよ(笑)

確かに、審理当日は「計画性がある!これは凶悪だ!もっと重い罰を以って!」と考えた裁判員が
後日「いや、あの時は冷静さを欠いていた。あそこまで重い罰を課す必要はなかった」と思うかも
知れませんね。それがイヤで、つまり自分のその時の見解が一生涯変わらぬ見解足るかの自信が
ないため、裁判員になるのを拒む人は多く居るでしょう。自ら望んで判事になるのと、ある日突然
裁判員に選ばれるのではワケが違いますものね。自分が誤った判断を下すのではないかという、
恐怖のため、裁判員制度に反対している人の存在は、私も無理からぬことと思います。

1997カレーライス:2009/06/14(日) 22:51:06
人に勧められてこちらに来ました。
すべてのレスを読んだわけではないですが、10ほどさかのぼって読ませていただいて興味深い書き込みがあったので私からもレスを付けさせていただきます。
犯行の計画性について話をしていたようですが、私は事件が衝動的に行われたかどうかが争点になのではないでしょうか?
例をいくつかあげたいと思います。

ケース1
加害者Aが被害者Bを常日頃殺したいと殺意を持っていたとします。
・ここではまだ殺人を犯していないため何の罪もありません。
加害者Aが被害者Bと口論をして殺害をした。
・ここで初めて殺人という罪を犯したことになりますがまだ計画性があったかどうかはわかりません。
加害者Aは被害者Bにひどくなじられたことに腹を立て、その場でBの首を絞め殺した。
・これはAがなじられたことによって衝動的に殺害したことにより計画性は感じられません。
加害者Aは被害者Bにひどくなじられたことに腹を立て、近くのホームセンターで包丁を買ってその包丁でBを刺し殺した。
・これはAがなじられるまでは同じですが、その場で衝動的に殺害したのではなく、包丁という凶器を用意することでより確実にBを殺そうとしていることから計画性が感じられます。

ケース2
加害者Aはホームセンターに立ち寄り包丁を見たときに誰かを殺したいと感じた。
・ここではまだ殺人を犯していないため何の罪にもなりません。
加害者Aはホームセンターに立ち寄り包丁を見たとき誰かを殺したいと思いそれを手にとって近くにいる人を刺し殺した。
・これは包丁を見たことによって衝動的に殺害を思いついて目の前の人を刺したため計画性は感じられません。
加害者Aはホームセンターに立ち寄り包丁を見たとき誰かを殺したいと思いそれを手に取り、店の外まで出て目についた人を殺した。
・これも上記と同じで衝動的に殺害を思いつき人を探して殺していることで計画性は感じられません。

ケース3
加害者Aは誰でもいいから人を殺したいと思った。
・ここではまだ殺人を犯していないため何の罪にもなりません。
加害者Aは誰でもいいから人を殺したいと思い、目の前にいる人を首を絞めて殺した。
・これは衝動的に誰かを殺したいと思い目の前の人を殺しているため計画性は感じられません。
加害者Aは誰でもいいから人を殺したいと思い、包丁を購入し人を目の前の人を刺し殺した。
・これは包丁を購入することによってより確実に人を殺す方法を考えていることから計画性を感じられます。

殺意を持つと同時に衝動的にその場で人を殺した場合は計画性はありませんが、凶器を用意するなどより確実に相手を殺害する方法を取ることにより計画性が発生するのではないでしょうか?

1998無精髭:2009/06/14(日) 23:34:41
>>カレーライスさんへ

はっきりと書いて下さったから気がついたのですけど、
殺意と衝動性って確かに区別して然るべきことですよね。

で、凶器を選択したり準備したりすることが計画性に当たるというのは
頷けますよ。紫煙狼さんとまったく同じ意見ですからね。

・・・って、ここ最近の流れにレスをお付けになられたか(苦笑)。
死刑存廃議論から滅茶苦茶逸れちゃっているのですけど。。。
まあ、半分以上は私の責任ですがね。

私は>>1995で申し上げたように、紫煙狼さんの>>1992-1993に対するレスを
考えなきゃいけないので、すぐには死刑議論に参加できませんけど、
過去ログのなかで是非とも読んで頂きたい・議論をする上で知って置いた方が
良いレスなどを指示することはできますから、まあ、分からないことがありましたら
聞いて下さい。

ちなみに、こちらの死刑制廃止派の論客はシェンさんこと紫煙狼さんです。
紫煙狼さんは常連さんですし、他のスレッドにも多数レスを書いておられる
方です。もちろん今現在もご健在です。もう一人、Kenさんという方も死刑廃止論者
なのですが、この方も紫煙狼さん同様常連さんだったのですが、今ではなかなか
降臨して下さいません。でもこの方も紫煙狼さんに勝るとも劣らない論客です。

実を申しますと、死刑廃止論者としてこのスレに書き込んでおられる方は
このお二人だけです(苦笑)。


>>シェンさん他、諸賢のみなさまへ

お勧めいたしたのは私です。2ちゃんの死刑関連スレで少しの間お付き合いさせて
いただきました。この方は死刑存置論者で、あちらでのレス内容を見る限り、
誠実な方とお見受けしたので、より有意義な議論をと考えまして、こちらの
掲示板を紹介させていただきました次第です。

1999無精髭:2009/06/14(日) 23:55:25
ちなみに、本当にこちらのbbsは書き込み頻度が低いので(一週間以上更新されない
ということはざらです)せっかく書き込んでもレスが付かないということが珍しく
ありません。ですから、焦って議論を吹っかけるよりも(荒らしでもない限り、
そういう人はたぶん相手にされません)気を長くしていてちょくちょく覗いて見るほうが
好いかと思います。ネットでの活動拠点なら、今までどおり2ちゃんでもかまわないと思います。
ただ、真剣に議論したい場合(見識を深め合いたい場合)はこちらを利用する、というふうに
決めればいいかと。まあ、空いた時間を使って過去ログを読んでみて、気になった書き込みに
レスを付ける、というのが一番ですかな。紫煙狼さんやKenさんの過去の書き込みに的確に
レスを付ければ、十中八九レスが期待できるかと思います。

あと、まあ、今更カレーライスさんに申すのは釈迦に説法ですが、感情的にエスカレートした
表現とか、議論相手を尊重しないような口調は、ここではご法度ですのでお気をつけ下さい。

2000無精髭:2009/06/14(日) 23:58:33
もちろん、私もできる限りカレーライスさんの書き込みにレスを付けたいと思います。
これから色々とご教示いただければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

2001カレーライス:2009/06/15(月) 16:34:52
>>2000
レス遅くなりました。
スレを全て読んでからレスしようかと途中まで読んでいたのですが…さまざまな人の書き込みで正直頭がパンクしそうになってしまいました。
ですので少し方向性を変えてレスさせていただきます。

ここで私の死刑存置論を発表させていただき、反論などありましたらその都度おっしゃっていただいたり、すでに議論がなされた事柄にはそこを指摘していただければと思います。
前述した通り、私は死刑存置論者です。
ですが私自身は死刑は本来ない方がいいと思っています。
しかし現在の日本では死刑は存置するしかないと思っているため死刑存置論者と言えるだろうと思います。
ここではなぜそのように考えるか、そしてそこに至る経緯を説明させていただき私の存置論とさせていただきます。

Ⅰ 死刑がなぜ存置すべきなのか
 一言でこれを表すならば「死刑廃止後の受け皿が整っていない」です。
 これをいくつかの状況にあてはめて考察してみます。
 

 ①死刑の役割
  まず近代司法においてなぜ死刑という理不尽極まりない刑罰が生まれたのかを考えていただきたい。
  死刑に何を望み、なぜそれを運用しているのか?
  それは一般の刑罰と同じく
  1.目的刑論に示される抑止力
  2.応報刑論に示される報復による被害者及び遺族、社会の感情の沈静化
  の2つになります。
  具体的に取り上げると「1.目的刑論に示される抑止力」とは一般予防と特別予防の2つに分けられます。
  特に死刑に限定した一般予防及び特別予防がなければ死刑を存置する理由にはならないと言われていますがそれがあるかないかを考察してみましょう。
  
  まずは一般予防からですが、一般予防とはアクション(犯罪)に対するリアクション(刑罰)のリスクを課すことでアクションを起こさせないようにすることを言います。
  つまりどのような刑罰であれ、そのリスクを感じなかったり、感じたとしても脅威に思わなかったり、リスクを考えない人には全く意味はありません。
  死刑廃止論で言われる死刑に特別な抑止力はないというのは殺人のような重大犯罪ではその衝動性や欲求の多大な増大、完全犯罪を目論む計画性の上で抑止力が働かないと言われています。
  では、実際に犯罪に対する抑止力はないのでしょうか?
  これを証明することは誰にも出来ません。
  しかしある程度の考察は可能となります。
  
  死刑存置国が死刑廃止国となり、死刑の執行を取りやめたときに必ず起こるのがある種の犯罪の増加です。
  それはマフィアなどと呼ばれる犯罪を管理し、犯罪によって利益を生むことを優先する集団の報復行動及び、殺人とテロリストなどによる警察官や要人の殺人の増加です。
  特に死刑廃止直後はそれが顕著に見られます。
  彼らは犯罪に対する刑罰のリスク管理を集団単位で明確に行います。
  これは個人の利益による犯罪とは異なり、集団の利益で犯罪を犯すため、犯罪を犯した個人が死刑になるようなことはまず行いません。
  しかし、死刑が廃止されると今まで「これは死刑になる」と個人が判断し、行動を起こさなかった者が行動を起こすためです。
  これらは はまの出版「人はなぜ、人を殺すのか?」小田晋著 にも書かれているもので興味がある方は読んでみてください。 
 
  このことにより死刑の一般予防はおそらくあるだろうと考えることができます。
  次に特別予防ですが、特別予防とは1度罪を犯した者に2度と罪を犯させないようにすることを言います。
  これは明確に受刑者が死亡しているため、要件を満たしています。 

  次に「2.応報刑論に示される報復による被害者及び遺族、社会感情の沈静化」ですが、これは日ごろテレビでニュースなどを見ていれば加害者に「死」を与える刑罰として十分にその有用性が見て取れるでしょう。
  特に光市母子殺害事件において被害者遺族である本村さん、オウム真理教「被害者の会」の高橋シズエさん、名古屋OL拉致殺害事件の磯谷さんなど多くの遺族から死刑の声が上がり、その声に社会も同意しています。
  
  また、世界の廃止国でも凄惨な殺人事件、特に子供が犠牲者になるような凶悪な殺人事件が発生した時などは死刑復活の声が上がります。
  オーストラリアで世論調査をを行ったところ、事件の直後は死刑復活の声が60%を超えることもあります。
  また平時であっても子供が犠牲になる事件にでは死刑は復活すべきだという声が約半数あります。
  これは特にオーストラリアに限ったことではなく、他の廃止国でも同じような状況にあります。

2002カレーライス:2009/06/15(月) 16:36:18
 ②死刑の代替案
  現在死刑を廃止した後に死刑の代替案として浮上しているいくつかの刑罰を紹介させていただきます。

  1.絶対的終身刑
   現在、日本において死刑の代替案として最も有力視されているのがこの(絶対的)終身刑です。
   これは死ぬまで刑務所に留め置き、2度と社会復帰をさせない刑罰で、日本の廃止論者のほとんどがこの刑罰を持って死刑を廃止すべきだとしています。

   では実際この絶対的終身刑がどのような刑罰であるかを考察してみましょう。
   どのような国でこの絶対的終身刑が採用されているのか。
   世界の主要国ではアメリカ、中国、イギリス、オーストラリアを含む数カ国しかありません。
   100カ国以上あると言われる死刑廃止国及び死刑停止国ですが、この絶対的終身刑を採用している国はイギリス、オーストラリアを含むたった数カ国しかないことは意外と知られていません。
   1980年代以前には死刑廃止国でもまず絶対的終身刑を採用していました。
   しかし現在では絶対的終身刑を採用している国はほとんどありません。
   その理由が「死刑と同等かそれ以上に残虐な刑罰であり、人権尊重の見地からあってはならない刑罰である」というものです。
   つまり、本来死刑の廃止は人権を尊重するからこその廃止であり、そのあとに絶対的終身刑を採用することは死刑を廃止する意味がないということです。

   ここで1つ考えなくてはならないのが「では人権とはなんだろう?」ということです。
   日本において生存権は「生きる権利」であり、生きていればいい権利だと勘違いされがちです。
   これは生存権とは日本の憲法第13条にある幸福追求権を指すということです。
   人権先進国と呼ばれるEUの各国でも昔は絶対的終身刑が存在していました。
   ところがだれも予想しないところから死刑復活の声が上がりました。
   それはなんと絶対的終身刑受刑者からの声でした。
   イタリア・フランス・カナダではこの絶対的終身刑受刑者から死刑を復活して自分たちを殺してほしいと政府に対して嘆願書が提出されました。
   その理由が「将来に希望がない我々の人生は無に等しく、毎日少しずつ命を削られるような刑ならばいっそ死刑にしてもらうほうがましだ」というものでした。
   
   ではこの絶対的終身刑とは実際どのような刑罰なのでしょうか。
   この刑罰の最大の特徴は仮釈放がないということです。
   つまり一旦収監されると二度と社会に復帰が出来ないため、希望もなくただただ死ぬまで単純な毎日を繰り返すだけとなります。
   ここで一番問題なのが受刑者の心の問題です。
   希望がなく、生きていること自体が無意味に感じるようになり、ストレスから精神に異常をきたし精神病(拘禁ノイローゼ)になる人、人格破壊が起きてしまう人、自殺する人が多数発生しています。
   そして「死刑以上に残虐な刑罰」といわれる所以がここにあります。
   受刑者の体調管理は国の義務となります。
   つまり精神病を患ったり、人格破壊が起こったり、自殺未遂をしたりした場合、国はそれを治療する義務があります。
   そして治療が終わるとまた収監します。
   しかし、たとえ治療をしたとしても彼らの病気の原因が刑罰にあるためまた収監されて同じ病気にかかります。
   治療→収監→再発→治療→収監→再発のスパイラルが死ぬまで永遠に繰り返されることになります。
   途中で自殺が成功するか、意思の疎通さえも不可能な廃人となるか、この刑罰本当に恐ろしいところはここです。

2003カレーライス:2009/06/15(月) 16:36:38
  2.相対的終身刑
   相対的終身刑とは仮釈放が認められた終身刑のことです。
   つまり日本の無期懲役から懲役を取り除いた刑罰だと考えればいいでしょう。
   つまり日本に無期懲役がある以上採用されることはありません。

  3.無期懲役
   現在日本で採用されている懲役刑。
   近年最高有期刑年数が30年となったため仮釈放の期間が大幅に上がって来ています。
   平均でおよそ30年、最高50年を超える受刑者もいるため、他の懲役刑と同様に受刑者の平均年齢が年々上昇してきています。
   これによって新たな問題として獄中死と出所後の社会復帰が不可能となるなどの問題が発生しています。
   これは世界でも同様の問題が発生しており、フランスの新聞で懲役が20年を超えると社会復帰が困難になるという記事が出て世界的に懲役刑の長期化に歯止めをかけるきっかけとなりました。
   確かに30年、40年の服役期間を経て70歳、80歳になって出所してどのように生活するかというのは大きな問題でしょう。
   アメリカでは長期服役を経て出所した受刑者の自殺が社会問題に発展したことすらあります。
   日本では受刑者の数が少なく、出所後どのように生活しているかを発表することがないためどうなっているかはわかりませんが、おおよそまともな社会生活が出来てるとは考えにくいでしょう。
   
  4.長期有期刑
   これは懲役何十年、何百年と呼ばれる刑罰です。
   これも有期ではあるが、生涯刑期が終わらないという意味で仮釈放がなければ絶対的終身刑、仮釈放があれば無期懲役とかわらない刑罰となります。
   
 
 さてここで①死刑の役割を②のいずれかの刑罰によって補うことが可能でしょうか?
 確かに絶対的終身刑であればその内情の悲惨さが社会に浸透することで死刑の役割を補えるかもしれません。
 しかし、人権尊重を名目に死刑を廃止するにあたって死刑と同等かそれ以上に残虐な刑罰と呼ばれる絶対的終身刑を採用するでは本末転倒であり、無意味と言わざるを得ません。
 かといって無期懲役があるのに相対的終身刑を採用する意味はなく、ただ単に死刑を廃止し、無期懲役だけでは軽罰化による犯罪の増加が否めないとともに、これでは被害者及び遺族、社会感情の沈静化を図ることは難しいと言わざるを得ません。
 つまり、死刑を廃止したとしてもその後に続く受け皿となるべき刑罰がないため、死刑を廃止できないという結論に至ります。

2004紫煙狼:2009/06/15(月) 21:55:20
制度を変えるということは、これは大事なワケでして、一般的な会社でも制度を変えるとなると
上を下へのおお騒ぎになるのは必定。しからば国をしておや、というわけで、試しに死刑制度を
廃止する…という不安定極まりない実験的な死刑制度廃止はあってはならないことです。
一事不再理ではありませんが、実験的に死刑を廃止した結果、凶悪な事件が増加し、結果的に
死刑を復活させた…という前例が出来上がれば、未来永劫、二度と死刑が廃止されることはない
でしょう。従って、死刑制度を廃止するとなると、余程に廃止の必要性が高まらない限り、無茶
なのですが、その必要性が高まる兆しがあるかといわれれば…今はないですね。当分は安泰です(笑)

ところで「死刑廃止後の受け皿が整っていない」という言葉が妙に引っかかったのですが、なぜ
「代替刑罰だけで現行の死刑制度によってもたらされているものを補充」しようとするのですか?
カレーライスさんの出す代替案(後に一刀両断に切り捨てられている案)はどれも、刑罰のみに
よって、現行の死刑制度のメリットを補充しようとするからナンセンスになるのではないでしょうか?

そこで、着目すべきは「報復による被害者及び遺族、社会の感情の沈静化」ではないかと思うのです。
もっと部分的に着目すると「報復による」という部分ですね。確かに現在は「報復」によって被害者
感情や社会不安を沈静化させている。それは事実です。しかし、逆に被害者感情や社会不安を沈静化
させる方法は、本当に「報復以外にありえない」「刑罰以外にありえない」のでしょうかねぇ…。

出発点はそこだと思いますよ?そこも併せて考えない限り、死刑に代替できる制度は生まれようもない
とは思いませんか??ついでに、カレーライスさんは死刑制度のメリットを強調していなさるが、
デメリットの部分は皆無でしょうか?そして、メリットを享受するのが第一であり、そのためには
一部のデメリットに目をつぶるべきなのか、逆にデメリットを排除するためには一部のメリットを
諦めなければならないのか。そういう視点で考えてみませんか?

2005紫煙狼:2009/06/15(月) 22:19:13
そもそも…カレーライスさんは近代刑法成立に関しては非常によく理解なさっているが、
其の先の「現代刑法」や「近未来刑法」「未来刑法」についてどのようにお考えですか?
つまり、今後どのようにしてゆくのが望ましいか?ですね。それは必ずしも今すぐの話
ではなく、長い将来を見据えて、どのような形にしてゆくのが望ましいか…です。

私も何度となく投稿していますが「今すぐ死刑を廃止するのは危険だ」と思っています。
そして、その理由の一端が「受け皿」問題であることは、言うを待ちません。私は時間を
かけてでも、デメリットを排除しメリットを享受する方法を整えていくのであれば、
デメリット排除のために死刑を廃止し、メリット享受のために報復ではない社会保障を
充実させなければならない、と考えているのです。
従って、現在死刑を廃止している国が多かろうが少なかろうが、そんなことには無関心だし、
現在死刑を廃止しているような国々が、たいそう立派な制度を拵えている、理想的だ!とも
さらさら思っていないのです。(参考資料の前文を埋める程度の役にしか立たんでしょう)
そして、そんな出来損ないの制度の国々を見て「でも日本よりはマシ」とも思えないですね。
デメリットを無くす為に死刑を廃止してメリットを諦めるならまだしも、また別のデメリット
を抱えてしまったようなアホな国に比べれば、死刑制度が存続している日本のほうが何万倍も
マシなのかもしれないと思いますよ?本当。

ただね…。裁判の主体が誰であるべきか?という問題については、私は永久にカレーライスさんと
平行線をたどりそうな気がしてなりませんね。なので(何度となく言っていることだけれど)今の
うちに私の考える裁判の主体を明確にしておきますと、私は「刑事裁判は被告人のために行われる」
と思っているのです。被害者を主体におくべきだというのであれば、検察官は被害者の代理人として
被告人を断罪すべきである、ともね。
刑法学の偉い先生方は仰いますね、国が被害者の報復感情を代行する。よって検察官は国の代理人と
して、被告人を断罪するのは至極明快なことである…と。国は個人から私的復讐という権利を奪う
代わりに、国が復讐を代行するという社会契約を交わした、なんて表現しますか?

私は、その考えたかを「古臭くてカビの生えた論理武装だ」と感じるわけです。

2006紫煙狼:2009/06/15(月) 22:52:19
たとえば…民事は原告と被告の両者のために存在しますね。私は民法のあるべき姿を
「両者の係争を円滑に、かつ円満におさめ、一定のルールの下で和解を促す」もので
あると考えています。従って、民事なら「喧嘩両成敗」ではないですが、両者とも
一定のリスクを負いながら、それぞれの思うところの権利を主張しあうわけです。

しかし…刑事はいかがでしょう?言い方は悪いですが、リスクを負っているのは
被告人だけではないですか?冤罪を除き、国が刑事裁判においてリスクを抱えている
とは、私にはどうしても考えられないのですね。いや、そのリスクがあるものとして、
被告人と国のどちらがより大きなリスクを抱えているか…と比較で話したほうが良い
でしょうかね?

私は全ての刑事裁判において「被告人の有利に」判決が下されるべきであると考えています。
ただし、現在の司法用語としての「被告人の有利に」とは意味を異にするものですよ?
何でもかんでも「被告人の有利に」の言葉の下、軽罰化していくとすれば、それはあまりに
馬鹿げています。これはね、子供のしつけと一緒で、本当に被告人の将来を考えればこそ、
厳罰を以って臨むべき場合は多々あるはずなんです。ションベン刑の受刑者を見れば、それは
一目瞭然でしょう。満期上等とばかりに、何ら更生せず野に放たれるクズどもを見てみれば、
軽罰化の愚かしさは誰にでも理解できるはずでしょう。私の言う「被告人の有利に」とは
言い方を変えれば「被告人のためになる刑罰を」であり、それは時として、非常に厳しい
罰を以って処断せねば更生できない。更生すらできない刑罰が被告人の有利であるわけがない。

こう考えると、心を入れ替え善に目覚めた囚人ですら野に放つことのできない絶対終身刑や
それを待ってか、待たずしてか命を奪う死刑は、全く以って被告人のためにならない。
これが果たして刑罰と呼べるのだろうか?と思うわけですね。それくらいなら、極端な話、
仮釈放ありの死刑の方がマシかもしれませんね。ところが今度は死刑を執行するタイミングが
非常に難しくなってくるでしょう?善に目覚める可能性まで奪う事になりますから。
いや、逆に、現行の法律に厳密に従って、確定後半年の間に執行する…を守るとか、
つまり更生するまでの猶予期限を明確に決める死刑ならアリかもしれませんよ?そのあたりは
各人の感じ方で結構です。私も「何が何でも死刑を廃止すべし!」と強硬姿勢はとりません。

子供のために子供に罰を与えるのが躾。親の気分や周囲の都合のために子供に罰を与えたら、
それは虐待ですよ。私は刑罰に躾を求めこそすれ、虐待を求めるのは許しがたいのです。
この延長線上には「被害者感情のため」や「社会不安の沈静化」という周囲の都合で、
死刑という罰を与えるのも、単なる虐待でしかない、という結論が待っています。

2007ufloat:2009/06/15(月) 23:00:32
お初にお目にかかります。
この掲示板の高度な議論についていく自信がなかったため、今までは
閲覧にとどめていましたが、カレーライスさんの書き込みに触発されまして、
私も愚考をつづってみることにします。お手柔らかにお願いいたします。
この掲示板はかなり以前から読んでおり、保持されているほとんどの記事にも
目を通しておりますので、過度のお気遣いは無用にてお願いします。

私は特に死刑廃止論者というわけではありませんが、カレーライスさんの
ご意見に対して、どちらかといえば死刑廃止の論調から、少しばかり
愚考をさせていただきました。
紫煙狼さんが言外におっしゃられていることを、一部でも表現できていれば
良いのですが、なにぶん勉強不足ゆえ、意図されたものとは異なることを
書いてしまっているかもしれません。その際はご容赦のほどお願いいたします。
1.一般予防効果について
カレーライスさんが「絶対的終身刑は残酷」とおっしゃられているように、
絶対的終身刑が死刑と同等程度に、あるいはそれ以上に残酷であるのなら、
死刑と同等程度の一般予防効果が実現される可能性は
大いにあるということになります。
少なくとも、死刑より極端に劣ることはないものと、私は考えています。
この仮定が正しければ、一般予防の観点では、絶対的終身刑は死刑の
代替案になりえるといえます。
2.特別予防効果
絶対的終身刑は永久に社会に出さない刑罰であるので、脱走などといった
まれな事情でもない限り、特別予防効果は死刑と同等です。
この点でも絶対的終身刑は死刑の代替案となりえます。
3.応報刑論
遺族や人々の感情は千差万別で、死刑が良いとも絶対的終身刑が良いとも
いえませんし、そもそも応報刑論を重視すべきかも定かではないので、
ひとまず保留とさせてください。
ここまではカレーライスさんのご意見をなぞっているだけですが、私が
大いに主張したいのは、以下の点です。
4.冤罪などに対する耐性
4大冤罪事件などを見ての通り、冤罪と死刑は切っても切れない関係です。
最近でも富山強姦事件などのような冤罪は発生していますし、足利事件は
最近の裁判所なら死刑を下してもおかしくないほどの事件でした。
死刑を執行してしまえば、後で冤罪が判明したとしても、処刑された人を
生き返らせることはできません。終身刑であれば、失われた時間は
取り戻せませんし、刑が長期にわたると獄中死の可能性もあるとはいえ、
冤罪で命を奪い去ることは回避できます。
これを考えると、一概に「絶対的終身刑は代替案になり得ない」とは
いえないのではないでしょうか。

2008紫煙狼:2009/06/15(月) 23:08:02
ねぇ、カレーライスさん。私がここでどんなに熱弁を振るっても、それが大きな波紋となって、
やがて社会を揺り動かし、死刑が廃止される…なんてことは夢にも思っていないのですよ。
もちろん、そうなれば、それはそれで私にとっては意味のあることですけれど、そこまで大層な
野望を持っているわけではないのです。

私はね、私が死刑廃止を唱えることによって、皆さんに「死刑は有って当然」という部分に一度
メスを入れてほしいのですよ。「あれ?死刑ってそんなに当然なの?」ってね。そして熟慮した
結果が「やっぱり死刑制度は必要」という結論なら、それはそれで尊重するべきですよ。
ただね、上辺だけを眺めて熟慮したツモリになっている人々が、凶悪犯罪者に血の制裁を求め、
処刑によって正義が行われた!と能天気になるのであれば、それは某政党から「ふるさと創生金」
を貰って能天気になって、併せ技の消費税を飲み込むような「誰かの手のひらの上で踊らされる」
ような民衆に成り下がってほしくないのですなぁ。何事も一度疑問の目、疑惑の目で見て、熟慮
しなければ本質は見えてきませんよ。「1+1=2」に疑問を持たない子供に、ニュートン力学に
疑問を持たない子供に、新しい学説が生み出せますか?そういうことなんですよ。

だから、私自身はカレーライスさんの言い分はよく理解できるが、敢えてそこに反論を持ち出さねば
よりよい法体制なんてのは生まれるわけがないと思っているわけです。そこだけは最初にご理解頂い
て、気の長いお付き合いをお願いしたいですね(^^)

2009カレーライス:2009/06/16(火) 00:31:23
>>2004
早速のレスありがとうございます。

私自身も現在の死刑制度にデメリットがないとは考えていません。
しかし「死刑廃止後の受け皿」は必要ではありませんか?
確かに私は刑罰のみを抜粋しています。
それもやはり現実問題として受け皿となるべき刑罰が一番大切だと考えるからです。

ここで少し私の「更生と再犯」についての考察を聞いていただければと思います。
みなさんそれぞれ「更生」とはなにか、どうなれば「更生」したと判断できるかを考えたことがありますか?
刑務所で「更生」が本当に可能かどうかという問いに私は常々疑問を感じています。
刑務所とは懲役刑の判決を受けた受刑者をその定められた期間の間収容する施設です。
更生をしていようが、してなかろうが基本的に懲役期間が満了すれば出所させます。
つまり、刑務所とは更生施設ではなく、収監施設であり刑務所に入ったからと言って更生するわけではありません。
もちろん、更生を促すプログラムを実施したりすることもありますが刑務所の目的は収監でしかありません。
では刑務所を更生施設として機能させることができるのでしょうか?
この答えはNOです。
まず、更生とは受刑者が更生の意思を持たなければ更生させることができないという根本的な問題があります。
そして何より、ほとんどの受刑者には刑期が決められています。
つまり、その刑期を満了すれば出所させなければならないため更生は不可能となります。
無期懲役であれば更生するまで収監するという方針も可能でしょうが、それでも更生が可能だとは言い切れません。

2010カレーライス:2009/06/16(火) 00:31:49
なぜ初犯よりも再犯の可能性のほうが高いのでしょうか?
それは人は経験を積む生き物だからです。
1度経験することにより物事はハードルが一気に下がります。
例えば、お化け屋敷に入るとき、最初はどんなお化けが出てくるのかわからない未知の領域であるため恐怖を感じることでしょう。
しかし、1度入ってしまえば2度目はどんなお化けが出てくるか知っているため最初ほど恐怖は感じなくなります。
それが2度3度繰り返すことによってそのハードルはどんどん下がります。
犯罪も同様に経験を積むことで2度目、3度目はより容易になります。

このことを加味すれば更生とは後悔や反省とは全く違うものではないと結論が導けるでしょう。
お化け屋敷に入ったことを後悔したり反省してもお化け屋敷に入ったという経験は蓄積されます。
つまりお化け屋敷に入ったことによりハードルは下がっているわけです。
もちろん後悔や反省をすることでハードルは上がることはあって、ハードルを入る前の状態に戻すことはできません。
更生とはこのハードルを経験する元の状態に戻したり、それよりもさらに高い位置に導くことだと私は考えます。
更生は決して受刑者一人でなし得るものではなく、専門的な知識を持った人間と一緒になって行わなければそのハードルが元の状態に戻ることもさらに高い位置に導くことも出来ないということです。
そして何よりも大切なのが最初の経験で何を感じたかが重要になります。
初めてお化け屋敷に入ったとき、恐怖を覚えた人間でないとハードルは決して上がらないということです。
つまり初めて経験したときに何も感じなかったり、もしくはそれに快楽や悦楽を覚えた人間はハードルが上がることはないということです。
これこそが更生の難しさであり、再犯を防止する上でもっとも困難な問題となります。

刑務所に収監することによって更生が可能なのであれば、無期懲役や相対的終身刑でも十分でしょう。
しかし死刑判決を受けた加害者ははハードルが上がる見込みがないと判断された者達です。
つまり、犯行を見て客観的に自分が犯した犯罪に恐怖を感じて後悔しているか、また反省をし更生することを受け入れることができるかどかを見たとき、それが不可能だと判断された加害者だということです。
宅間守や加藤智大のように社会に対して怒りや憤りを感じ、自分の行動を正当化しようとする者、宮崎勉や大久保清、山地悠紀夫のように自分の欲求のために人を殺した者たちは後悔も反省もないため更生が不可能だということです。

もし死刑が廃止された場合彼らはどうなるでしょうか?
どのような受け皿で彼らのような加害者に対応することができるのでしょうか?

紫煙狼さんの着目する「報復による被害者及び遺族、社会の感情の沈静化」についてですが、確かに死刑以外でもその方法があるかもしれません。
近年、成果をあげ始めているVOMによる修復的司法もその一つと言えるでしょう。
しかしこの修復的司法も加害者と関係者の協力が不可欠となります。
宅間守のように遺族の見守る裁判で「幼稚園に行っていればもっと殺せたのに」などという暴言を吐くような人物には望むべくもありません。
宮崎勉のように遺族に対して偽名で遺灰を送りつけるような嘲笑を受けた遺族がそれを受け入れるでしょうか?
松本智津男のように裁判の最中に居眠りをするような人間にもそれは出来ないでしょう。
こんな残虐非道ともいうべき犯罪を犯した加害者たちに対して、最愛の家族や恋人を奪われた遺族やその心痛を受け止める社会はどうやってその感情を落ち着かせればよいのでしょうか?
こうなるともう報復に頼るしかないと言わざるを得ないのではないでしょうか。

死刑のデメリットも当然あるでしょう。
それでも死刑を存置し続けなければこのような現状を打開することは出来ないのではないでしょうか?

2011無精髭:2009/06/16(火) 00:42:50
まあ、私のごとき外野がはやし立てる(?)のは何なのですがね。

シェンさんが心配なさらなくとも、カレーさんはご自身の理論の矛盾や不備をよく自覚なさって
おられるということです。少なくとも2ちゃんでしばしば見られるかのごとき、自分の考えが
絶対の真理であるみたいなヒョットコ野郎とは全く無縁の立場の方であるはずですよ。
2ちゃんのスレでカレーさんがお書きになったことの数々が今になって思い出されますよ。。。めちゃ最近のことですがw

「相手を・そしてその考えを熟知すること」とか「存置にも廃止にも絶対の正解はない」とか
「自他共に矛盾を抱えている可能性を考慮すべき」とか「海外の廃止論では被害者や遺族の
ケアを十分に行うことをまずは前提にしているからこそ好意的に読めもする(ということは
つまり裁判の主体が誰であるかということでシェンさんがカレーさんとの議論で危惧されていた
問題も、カレーさんからすれば許容の範囲内というか共通前提であるはず)」等々。

前にも申し上げたことがあったかと思いますが、私がここ無限回廊に張り付いているのは
死刑存廃議論や犯罪をテーマに議論したいからではなく、それどころか議論のテーマなんて
はっきり言ってどうでもよくて、議論(疑問)によって・言葉によって魂の交流ができるから
ですよ。紫煙狼さんをはじめ、こちらにいらっしゃるコテハンの方々と言葉を交わすというのは
ネット上ではとても貴重な経験だと思いますね。カレーさんもレスを付けられたなら、もう
お分かりのことと存じますけど、紫煙狼さんのような議論相手って2ちゃんねるには皆無でしょ?
2ちゃんねるで深く生産的な議論ができないのは、こういった奇特な方がいないからというのが
理由のおそらく3分の1。そして残りのさらに半分(3分の1)は人が多すぎること。もう半分は
管理人boroさんにおける類い稀なる度量の深さとROM精神とのたまものということになるんじゃ
ないでしょうか。

紫煙狼さんが前に仰ったことですが、私も一つの問題をともに分かち合える仲間というのは
好いもんだと思います。そういう仲間が増えるのはうれしい限りです。まあ、頭がよさげで
知識も豊富、おまけに議論にも強そうだ、って三拍子揃っている人を見かけたからって、
めったやたらに他所から誘導したりなんかはしませんよね、普通。そんな三拍子揃った人など、
実は誠実な人間よりも世の中では珍しくはない存在ですから。

>>2007
ufloatさんもずっと以前からのROM専の住人でいらっしゃったのなら、尻込みなぞせずに
短いレスでも構いませんから何か書いてくだされば宜しかったのに。おそらくは私の先輩
ということになりましょう。私から申し上げるのは僭越千万ですが、これからはどうぞ
お気軽にお書き込みくだされば幸いです。

2012無精髭:2009/06/16(火) 01:01:14
ああ、そうそう。わざわざお断りすることでもないかと思いますけれども。

久しぶりにスレの進行が早くなっていることですし、各人から続々と
非常に読み応えある長文が投稿されて来ておりますので、書き込みは
人のレスを熟読玩味されてからなされることをおススメ致します。

こりゃ「気軽に投稿して下さい」とか気軽には言えない罠。

2013カレーライス:2009/06/16(火) 01:26:46
>>2005
私は刑法というのはどれだけ年月を重ねてもさほど変わらないと考えています。
古来より刑というのはさほど変化がないものです。
大きく変わったことがあるとすれば人権という概念が生まれ、これを侵害するような刑罰(拷問など)が消えたくらいではないでしょうか。
ここに死刑が含まれるかどうかというくらいで服役刑や罰金刑は変わらず、あとボランティアなどを刑として課すかどうかに留まるでしょう。
もちろん無刑罰にもならないでしょうし、SFのような冷凍保存なんて刑罰も生まれることはないと考えています。

世界的に見て日本は人権後進国と呼ばれていますが、私個人はそれでも構わないとも考えています。
というのもEUやアメリカ、諸外国と比べて日本は全くことなる文化を継承しているからです。
まず日本はこの国際社会において非常に珍しい民族的要因を持っています。
それは諸外国のようにさまざまな民族が共存している国ではないことに起因しています。
それは日本はいまだに95%以上が大和民族(琉球民族、アイヌ民族を含む)というほぼ単一民族国家であるということです。
現在の国際社会でこの比率がほぼ変わらないことは異常ともいえますがこの民族形態によって人権後進国であっても成熟した独自の文化を持っています。
もちろん100年、200年先のこととなるとまた情況が変わってくるでしょうが、少なくとも数十年はこの状況が続くこととなるでしょう。
日本には世界より入ってきた人権という概念とともに日本独自の「和」という文化があります。
私はこの「和」の文化こそ世界に誇る日本の素晴らしい文化だと考えます。
「和」とは、「調和」であり、「融和」であり、そして「平和」です。
受け入れ、混じり合い、そして共に歩むことこそこの「和」の考え方であり、これこそ平和の文化ではないでしょうか?
そして日本のことわざに「罪を憎んで人を憎まず」というものがあります。
これは憎むべきは犯罪であり加害者であってはならない、そして、刑罰は犯罪に対して執行されるのであって加害者に対して執行されるのではないというものです。
私はこれこそ日本の刑罰のあるべき姿だと考えます。
私は「刑事裁判は犯罪を裁くために行われる」べきだと思います。
報復とは加害者に対して行われるのではなく、犯罪に対して行われるべきだと考えています。
加害者は生まれながらに犯罪者ではありません。
さまざまな社会の環境や人間関係の影響を受けて犯罪を犯す人格形成がなされ、そして犯罪を犯したときに初めて加害者となります。
犯罪者になるべく生まれたのではないことを忘れてはいけないのではないでしょうか。
かなり宗教的な表現になりますが、罪を罰で洗い流し、人として生まれ変わらせるための刑罰こそ日本の文化を象徴する刑罰となると私は思います。

まぁこの考え方も「古臭くてカビが生えた感情論だ」と言われるかもしれませんが日本人であるならば十分理解できるのではないでしょうか。

2014カレーライス:2009/06/16(火) 01:49:01
>>2006
かなり抽象的な表現のレスになり申し訳ありませんでした。

「被告人に有利に」というのは私も同感です。
だからこそ徹底的な「推定無罪の原則」が必要なのでしょう。
足利事件はこの原則がまったく機能していない判例ともいえるでしょうね。

先ほども言いましたが「裁判は罪を裁くため」にあるべきではないでしょうか。
今までの日本の裁判はずっと「被告人を裁く裁判」に終始していたため裁判で被害者や遺族が癒されることがありませんでした。
近年初めて被害者の遺族が証言台に立つことにより被害者だけでなく遺族も裁判に参加することが出来るようになりました。
これによって重罰化が進行したとも言えますが、遺族の心痛が軽減されたとも言えます。
犯罪とは加害者だけでは成立しません。
被害者がいて初めて犯罪が成立するのであれば、裁判において被害者や遺族がその場に立つことも必要なのではないでしょうか。
確かに絶対的終身刑や死刑は被告人のためにはならないでしょう。
しかし、だからと言って更生の可能性のない人間を社会復帰させることは何よりも被害者や遺族にとってとてつもない負担となります。
そして同時に新たな被害者を生むことにもつながる可能性があり、社会にとっても紛れもない負担となります。
死刑という刑罰であったとしても更生を拒否し可能性がないと判断されたならばやむを得ないのではないでしょうか。

2015カレーライス:2009/06/16(火) 02:09:33
>>2007
確かに絶対的終身刑の残酷さを全ての人が正確に認識すれば死刑と同様かそれ以上の抑止効果を期待できるかもしれません。
しかし単純に見聞きしたときの印象はどうしても拭えないのではないでしょう。
例えば「殺すぞ!!」と脅されるのと「一生閉じ込めるぞ!!」と脅されるのはどちらに脅威を感じるでしょう。
ほぼ100%の人が「殺すぞ!!」と脅された方に脅威を感じるでしょう。
これこそが死刑の特別な抑止力と言えるのではないでしょうか。

私自身は冤罪は司法の問題であり、死刑存廃問題にはなり得ないと考えています。
今回冤罪が濃厚とされ釈放された足利事件の菅谷さんに向かって「死刑じゃなくてよかったね」とだれが言えるでしょうか。
冤罪はたとえどのような軽微な刑罰であったとしても絶対に起こしてはならないものです。
日本を代表する死刑廃止論者として団藤重光元最高裁判事が冤罪を理由に死刑の廃止を訴えています。
彼は冤罪の可能性のある事件で有罪判決を出したとき「人殺し」と傍聴席から叫ばれたことがきっかけだとおっしゃっていましたが、この死刑廃止論はどうしても言い訳にしか聞こえません。
「人殺し」と叫ばれた時に彼が取るべき行動は死刑廃止ではなく、冤罪を生む可能性のある裁判の抜本的改革と推定無罪の原則の普及ではないでしょうか。
確かに死刑がなくなり終身刑を採用すれば生命は存続出来るかもしれません。
しかし生命にしろ時間にしろどちらも不可逆であることに間違いはありません。
生きているからいいなどと言うのは冤罪を許す言い訳にしかなりません。

2016カレーライス:2009/06/16(火) 02:14:52
>>2008
私自身、私の考えが正しいというつもりはありませんよ。
2chでもいいましたが死刑の存廃論に正誤はありませんから。
私の存置論はより社会に適したベターではないかというだけです。
「人の命を奪う」ことを正しいなんて言う人はただ傲慢な人でしょう。
私自身そうかもしれません。
しかし、それでも今これがベターだと思っています。
ですからこのほうがいいんじゃないかな程度に読んでいただけるのが一番です。

2017Ken:2009/06/16(火) 13:33:52
仮釈放のない終身刑

>>200 100カ国以上あると言われる死刑廃止国及び死刑停止国ですが、この絶対的終身刑を採用している国はイギリス、オーストラリアを含むたった数カ国しかないことは意外と知られていません。

ソースきぼんぬ。これも小田晋著「人はなぜ、人を殺すのか?」からの引用ですか?
この人、精神科医ですよね。死刑制度・刑法の国際的な比較にはあまり信頼できんのでは。

Wikipediaの記事も見てみましたが、JapanのJまで見ただけですが、仮釈放のない
終身刑が制度としてあるのは「たった数カ国」よりもはるかに多そうですが。
http://en.wikipedia.org/wiki/Life_imprisonment#Countries_with_life_imprisonment
アルゼンチン、デンマーク、エストニア、フランス、ハンガリー、インド、イタリアなどなど。

一方で、仮釈放のない終身刑と無期懲役に関してこういう有意義なサイトも見つけたのですが
http://www.geocities.jp/y_20_06/index1.html
ここでも仮釈放のない終身刑がある国は少数派、と書いてありますね。言葉の訳し方とか、
刑法にそう書いてあるのかとか、制度・運用としてそうなっているのかとかで
ちょっと混乱しているようです。

ちなみに、日本には仮釈放のない終身刑はないですが、無期懲役が実質的にそのような
運用のされ方をしています。上記日本語サイトによると無期懲役で50年以上刑務所に
入っている人が2000年の時点で二人いますし

>1998年から2000年までの3年間に、26人が無期刑の受刑に係る刑事施設拘禁中に死亡し、うち4人は獄死までの在所期間が25年以上であったことが判明しており、1998年から2007年までの10年間では、計120人が無期刑の受刑に係る刑事施設拘禁中に死亡していることが判明している。

ということですので、実質的に仮釈放のない終身刑としても運用されているわけで
カレーさんの議論は実際上あまり意味がないかなあと。まあ実際、刑法に「仮釈放のない終身刑」と
いう新しい罰が書き加えられると相当なインパクトがあるとは思いますが。

そもそも「○○は国際的には少数派だからダメ」という議論を始めちゃうと、死刑廃止という
結論にしかならないと思うのですが。死刑存置国は少なくとも先進国では少数派なんで。

2018Ken:2009/06/16(火) 13:37:38
この記事(のダイジェスト)はおもしろかった。

メイキング・オブ『死刑執行』
http://blog.goo.ne.jp/gendai_premier/e/30e1fdeb419c775a78571f8c921bcdf9
(シリーズです)

2019カレーライス:2009/06/16(火) 19:38:08
>2017
えっと…少し誤解があるようなので説明をさせていただきます。
終身刑とは2つに分けられます。
1つ目は絶対的終身刑であり、2つ目は相対的終身刑と言います。

相対的終身刑:Life Sentence
絶対的終身刑:Life Sentence without possibility of parole(LWOP)

と英語では表現します。
英語のWIKIはLife imprisonmentとは無期刑のことを指します。
つまり相対的終身刑や仮釈放が認められる無期懲役のことです。

「無期懲役に関する誤解の万円を防止するためのホームページ」にある「各国の刑罰体系」の一覧表を見ていただく方がわかり安いと思います。
DPが死刑、LWOPが絶対的終身刑、Lifeが相対的終身刑、有期刑の上限というのはそのままですね。
DPもLWOPもLifeにも○印がないものは最高刑が有期刑であり、その上限があるというものです。
ちなみにイギリスは終身刑制度にタリフと呼ばれる制度があり、これは最低服役年数を裁判の中で決めるというものです。
その結果、タリフが平均寿命よりも長く設定された場合に絶対的終身刑となります。

あなたのおっしゃるように、日本の無期懲役が実質的に仮釈放がされず、結果として絶対的終身刑になってしまっています。
そして、これは日本だけではなく、EUなどでも同じ現状で問題視されています。
しかし日本の場合、その内情を見るとなるほどと納得せざるを得ない場合も往々にしてあります。
というのも無期懲役の仮釈放条件に、社会復帰があるためです。
刑期が20年、30年を超えて、いざ仮出所させようとしても年齢が70歳を超えているという場合は、その後1人で自活出来るとは言えません。
よって、家族や親類などその身柄を引き取ってくれる人がいるかどうかが問題になります。
詳しくは無期懲役の仮釈放条件が「無期懲役に関する誤解の万円を防止するためのホームページ」に乗っているので参考にしてみてください。
これがいないため仮出所が認められず、結果として50年を超えるということが起こり得ます。

絶対的終身刑と無期懲役の大きな違いは、最初から仮釈放を認めないのか結果として仮釈放を認める要件を満たせないのかということです。
30年以上の無期懲役は「更生していない」ということもありますがどちらかと言えば「本人が仮釈放後の生活が社会で行えない」ということのほうが大多数となります。
同じように見えて全く否なるものとご理解いただければ幸いです。

「○○は国際的に少数だからダメ」ではなく、「少数なのはなぜなのか?」が重要でしょう。
絶対的終身刑は>>2002で書かせていただいた理由で少数であり、採用すべきではないということです。

2020カレーライス:2009/06/16(火) 19:40:24
>>2019
訂正。

英語のWIKIはLife imprisonmentとは無期刑のことを指します。
つまり相対的終身刑や仮釈放が認められる無期懲役のことです。


英語のWIKIのLife imprisonmentとは無期刑のことを指します。
これは相対的終身刑や絶対的終身刑、無期懲役など刑期が一生涯続く刑罰の総称です。

2021ufloat:2009/06/16(火) 22:53:26
>>2015
カレーライスさんのおっしゃりたいことは大いに理解できますし、おそらく
根本の立ち位置はそれほど変わらないのではないかと考えていますが、以下3点ほど。

1.抑止効果
>これこそが死刑の特別な抑止力
確かに「終身刑」ではパンチは弱そうですが、抑止効果にそれほど差が生じるものでしょうか。
「死刑」のインパクトで踏みとどまるような人間は、「終身刑」でも踏みとどまりそうですし、
「終身刑」を気にしない人間なら、「死刑」も気にしないのではないかと考えられますが。
こればかりは答えの出ない問題でしょうか。「死刑になりたかった」などと言って
大量殺人を起こそうとする者も出るほどですし、効果の測定は困難そうです。

2.不可逆性
>生命にしろ時間にしろどちらも不可逆であることに間違いはありません
ごもっともです。しかし、生命とそれ以外には根本的な違いがあるのではないでしょうか。
私が尊敬する論客の1人である紫煙狼さんが、「電車内強姦事件」の記事No.110で
ものすごく良いことをおっしゃられていたことを思い出しましたが、
(「あなたの間違いは、その主張のために殺人と強姦を比較したこと」の部分)、
これは他の不可逆的なものにも当てはまる論ではないでしょうか。
カレーライスさんのおっしゃる通り、確かに時間は不可逆です。取り戻せません。
先の記事で述べられている強姦被害も、物理的な傷は回復したとしても、
精神的な傷は大変なものです。不可逆と言ってよいでしょう。
上記記事で語られている、「強姦は殺人クラスの罪」という意見は確かに分かります。
あなたが今、この掲示板を見るのに使用している目も、PCなどの装置を操作している腕も、
失われるとなれば不可逆です。あなたが愛する人の形身を持っていれば、それもまた
不可逆なものでしょうし、私が愚考をつづった文章にしても、消え去ればもはや不可逆です。

2022ufloat:2009/06/16(火) 22:55:33
しかし、生命とそれ以外のものには本質的に差があると、お考えにはなりませんでしょうか。
(「大切な形身や強姦被害も、お前の駄文とは本質的に違うだろう」と言われれば、ごもっともですが)
極端な話、足利事件その他の死刑・無期懲役・長期懲役冤罪事件で刑務所暮らしを受けた方々が
「死刑にならなくて良かった、とはいえない」、つまり長期懲役は死刑と同等以上であるのなら、
冤罪かそうでないかにかかわらず、長期懲役者は収監直後に全員殺してしまった方がマシだ、
ということになります。こんな無茶な論理は通りませんね。
さらに言えば、生命が本質的に他の不可逆的なものと異ならないというのなら、
そもそも生命刑など不要ですし、殺人にことさら重い刑罰を課す必要はないでしょう。
生命刑の存廃がこれほど関心を持って論じられるのも、殺人が最も重い刑罰の1つとされるのも、
生命が本質的に他のものと異なるからではないでしょうか。
申し訳ありませんが、それでもなお「不可逆的なのは時間とて同じだ」と主張なさるのなら、
私の価値観においては、それを前提とするご意見は理解できないかもしれません。

3.冤罪
>私自身は冤罪は司法の問題であり、死刑存廃問題にはなり得ない
正直、私はこのご意見がよく解せないのです。
確かに冤罪は司法の問題ですが、刑罰のない世界を作らない限り、おそらくは
冤罪のない世界も作れないでしょう。司法に対して「気をつけろ」と叫んだところで、
司法に携わる人々とて人間ですから、誤りをゼロにするのは不可能です。
死刑存置論者・廃止論者ともに、本来は司法の問題であるはずの「冤罪」問題を
死刑論の中で論じることがあるのは、それが前提となっているためでしょう。
極端な話、「冤罪は司法の問題なので、死刑論に冤罪の考慮は不要」というのは、
危険な設備について「使用時にミスするのが悪いのだ。ミス後の考慮など不要」
と称するのと似たような印象を受けます。
もし司法が100%正確なら、私も他の方も死刑論の中で冤罪の可能性を論じたりはしません。
司法が間違いを犯す場合もあるからこそ、冤罪死刑の可能性を考えるのではないでしょうか。

2023ufloat:2009/06/16(火) 22:57:58
それから、
>生きているからいいなどと言うのは冤罪を許す言い訳
すみませんが、私は勉強不足ゆえ、これの真意が分かりかねます。
死刑相当であろうと、チカンであろうと、冤罪が許されないのは当然です。
私は「無実の人が冤罪で死刑になると取り返しがつかないので、その意味では
終身刑にも意義はある」と主張しており、「終身刑なら冤罪は許される」とは
主張していませんが、カレーライスさんの論調を見る限り、そのようなことは
釈迦に説法、百も承知かと存じます。
そうなると、「死刑ではないのをいいことに、司法が冤罪可能性がある事件に対して
平気で終身刑判決を下してしまう恐れがある」という意味にも取れます。
もしこの解釈が間違っていれば、「論理の飛躍」と批判されても仕方がありませんが、
この解釈はカレーライスさんの意図されたところでしょうか。
以下、そのように仮定して論じてみますが、冤罪の恐れがある死刑相当事件において、
今までは「罪としては死刑の事件だが、冤罪で死刑は困るから、疑わしきは罰せずだ」
と判決を下していたところを、絶対的終身刑導入後は
「冤罪でも命は失われないからいいや。終身刑にしてしまえ」
などという判決を下す可能性がある、ということでしょうか。
私個人の考えとしては、このようなことが発生するとは到底考えられないのですが。
もし死刑廃止・絶対的終身刑導入国において、このような判決が実際に発生している
のであれば、事例を示していただけるとありがたいです。本当にそのようなことが
発生するとなれば、終身刑を論じる上で、かなり衝撃的な事実に間違いありませんので。

無論、カレーライスさんのおっしゃりたいことは非常に良く分かります。しかし、
冤罪に関する考え方の部分で、少々価値観の相違が発生しているようで。
合意点の10メートル手前に柵がある、とでも表現しましょうか。

2024カレーライス:2009/06/17(水) 00:19:11
>>2021
抑止力について言えば、絶対的終身刑と死刑で際立った差は生まれないと思いますよ。
しかし、相対的終身刑(無期懲役)と死刑では大きな隔たりがあるでしょう。
前述しましたが、特にマフィアやテロリスト、日本ならば暴力団の犯罪というのは明らかな差が生まれることとなるでしょう。
また、わずかな差とは言え、その差で何人もの人の命が奪われるということを忘れてはいけないのではないでしょうか?
年間1人の差しかなくても10年で10人、20年で20人の人の命が奪われる計算になります。
これは冤罪で死刑になる人の数の何倍になるのでしょうか?
冤罪では人の命が奪われることにとても敏感になるのに、抑止力ではそうではないとおっしゃるのは私は間違っていると思います。

冤罪はどんな刑罰であっても許してはいけない。
しかしその許さないことに差があるというのも私はおかしいと感じます。
例えば、窃盗事件で懲役3年になった。
強盗で懲役10年になった。
殺人で15年になった。
大量殺人で死刑になった。
これらは罪の重さによって刑罰が変わります。
しかし、窃盗事件で冤罪により3年懲役を受けた。
強盗で冤罪により10年懲役を受けた。
殺人で冤罪により15年懲役を受けた。
大量殺人で死刑の冤罪を受けた。
これらはみんな無実で冤罪なんです。
本当に罪を犯した者はその罪の重さによって量刑が変わります。
しかし冤罪の場合は何も罪を犯してないのにそれぞれ起訴された事件の重さによって量刑が変わる。
あなたは3年だからいいんじゃない?
あなたは10年だからちょっとかわいそうだね。
あなたは15年だからかなりかわいそうだね。
あなたは死刑だから絶対に許せないね。
となるのでしょうか?
私はどれも「絶対に許せない」でなければならないと思います。
確かに時間と生命であれば本質的な差があるでしょう。
しかしそれが冤罪によって奪われることに差はないのではないでしょうか?
どちらも理不尽極まりない、決して許してはいけないことです。

あなたは殺人と窃盗が同じ刑罰で構わないと思いますか?
私は同じ刑罰では不当だと感じます。
それは罪の重さが違うからです。
しかし、冤罪は罪を犯したわけではありません。
殺人も窃盗も行っていないのに刑罰を受けることとなります。
これはどちらも理不尽ではありませんか?

例えば足利事件ではDNA鑑定が試験的に導入された重大事件でした。
DNA鑑定という新しい技術の信用性を社会に認識させるためにこの事件は逮捕した段階で有罪でなければならなかったというのが司法の考え方として当時あったのでしょう。
しかし実際このDNA鑑定は当時たった16人(8人だったかも?)に1人しか見分けることができない技術でした。
足利事件の菅谷さんと同様に当時の未熟なDNA鑑定によってすでに死刑に処された飯塚事件の久間受刑者は同じ16-26という形だったとしてこちらも冤罪が疑われています。
では仮に飯塚事件が冤罪であったとすると、久間受刑者は絶対許せない冤罪事件を受けて死刑になった、だから死刑は即刻廃止すべきだ。
しかし、足利事件が冤罪であったとして、菅谷さんは絶対許せない冤罪事件で17年もの年月を奪われたが、生命は無事でよかったから無期懲役は廃止すべきではない。
私はこの2つの文章にすごく違和感を感じます。
どちらも決して許してはいけない、そして2度とこのようなことがあってはいけないと感じませんか?

「死刑冤罪は2度とあってはいけないから廃止すべきだが、懲役冤罪はとりあえず時間ならお金を渡せば解決するから廃止の必要はない。」
少し穿った言い方ですが、廃止論者の方の冤罪を理由に死刑の廃止を迫る方のこれが真実ではないでしょうか?
どちらの冤罪も何も罪を犯していないんです。
何か非があるのであればそれはやむを得ないと言えるかもしれませんが、何も非はないんです。
何も非がない人が冤罪にかけられて、片や絶対に許せないと声高に叫びながらもう一方ではそれはしょうがないではこんな不平等なことはないのではないでしょうか?
あなたは痴漢冤罪を受けて懲役刑になってもなお、「死刑じゃなくてよかった」と思えますか?
そんなことが言える人間はこの世に1人もいないと思いますよ。
自分が当事者じゃないから許してもいいなんていうのは被害者にとって最悪の言葉ではないでしょうか?
私は、自分が冤罪事件の被害者になったとき、死刑はもちろん、懲役刑でも罰金刑でも絶対に許せないでしょう。
だって私は何も罪を犯していないんですから。

2025紫煙狼:2009/06/17(水) 00:43:00
ちょっと亀レスね
>>2009
>更生とは受刑者が更生の意思を持たなければ(中略)ならないため更生は不可能となります。
まず、死刑廃止を唱える人というのは現行の制度への変革を要求しているという根本的なことを
忘れてもらっては困りますね。死刑を廃止すればパラダイスになる!なんてこたぁ言ってない。
つまりですね、司法によって定められた刑期よりも早く仮釈放という方法で行政が出所させる
権限を持っているなら、逆に、満期になっても更生が見られない者を仮収監という形で刑期延長
させる権限を持たせてもいいじゃないですか(笑)
つまり、矯正施設内で問題を起こした者は、収監された罪のためではなく、問題を起こした罪で
刑期延長させればいい。監獄内で問題を起こしたりしていても刑期満了で出さなければならないと
いうほうが間違っているとは思いませんか?単位を習得しなければ卒業させない。当たり前でしょう。

>無期懲役であれば更生するまで収監するという方針も(中略)言い切れません。
更生しない者は殺してかまわないというのは傲慢も甚だしいと、ご自身でも思われてますよね?
まして、更生が不可能であるとの判断は常に間違いのないものでしょうか?わたしは一兆分の一未満の
可能性でも残されている限り、命を奪うのは早計であると思いますよ?なぁに、人間はいずれ死ぬんだ。
凶悪犯という生き物が人為的な方法で破壊しない限り半永久的に生き続ける動物なら話は別ですが、
手を下さずともいずれは死ぬんだ。死ぬ瞬間まで待ってあげてもいいじゃないですか(笑)
遠い未来、スーパーコンピュータと被告人の大脳を結線してその後の更生の可能性を寸分の狂いもなく
シミュレートできるような画期的な技術が開発されて科学的裏づけが取れれば、構いませんがね。
人は神ではない以上、人様はもとより自分の可能性ですら確実に立証するのは不可能ですよ。

>>2010
>こんな残虐非道ともいうべき犯罪を犯した(中略)得ないのではないでしょうか。
被害者の感情を慰撫するために人命を奪うことは許されるのかな?ならば、欲望という感情を慰撫する
ために人命を奪うということも本質は変わらないのではないですかね?どんな強い感情であれ、どんな
に理解(同情)を得られる感情であれ、感情のために人命を奪うというのは決して許されざる行為ですよ。

>それでも死刑を存置し続けなければこのような現状を打開することは出来ないのではないでしょうか?
でもね、カレーさんが挙げた例は死刑が存在する日本で起きた事件だよ。従って、死刑を存置し続けた
ところで、現状が打開できるわけなかろうよ?別途、何らかのプラスアルファが必要じゃないかな?
「このような現状において死刑を廃止することがいかに危険であるか」を唱えるならわかるけれど、
貴方の論理展開で「現状を打開する」ならば、それはむしろ残虐な方法による死刑制度、執行の方法に
残虐性を持たさなければ打開できない!というのが無理のない展開ではないですか?

>>2016
そう、貴方が言っているのは「ベター」の話ですね。「ベター」は現実的で実践しやすく一定の効果を
即座に求めることができる。その「ベター」を認めるからこそ、私も今すぐ死刑を廃止する…廃止すれば
全てが問題解決される…なんて馬鹿げたことは言わないわけですよ。死刑を廃止するとしたら、それ以外
にも変更しなければならない点は山ほどある。紙ベースの書類を電子ベースのデータにするのと同じく、
ただ媒体を変えれば良いというものではなく、運用そのものを考え直さなければ意味がない。
そして私は「ベター」のままで未来永劫人類が成長を止めるという事に異を唱え、ベストを模索しなけれ
ばならないと言うているのです。カレーさんは優等生だが、新しいものを生み出すのは苦手かな?
私はむしろ、その灰色の脳細胞を現状維持ではなくより良いものを生み出すためにフル活用して欲しいなぁ。

2026紫煙狼:2009/06/17(水) 01:12:44
>>2021-2023
ごめんなさい。無視してるつもりは全くないんです。ちゃんと読んで理解しています。
ただ…こうも立ち居地が似通っていると、逆に何か付け加えたり反論したりというのも
難しいもので、ただただ、似たようなことを考えている人の存在に驚いています(笑)

>>2024
>冤罪では人の命が奪われることに(中略)おっしゃるのは私は間違っていると思います。
そうですか?平たく言ってしまうと「悪人が無辜の一般人の命を奪う」のは普通のことでしょう?
そして、その普通が日常になられたらよろしくないから、いろいろな方策を考えるのですよ。
ただね?冤罪死刑というのは「善人が無辜の一般人の命を奪う」のですから意味が違いますよ?
これは数量的に考えるべき問題ではないでしょう?

冤罪は一切許すべきではない、という意見には120%同意しますよ?全く以って仰るとおりだ。
だが、逆に冤罪を0%にできると確信をもてますか?それこそ、先ほども挙げたように、
コンピュータと脳を結線して記憶を動画にダウンロードできるような技術が開発されれば、
冤罪は0件にできるでしょうね。ただ、それは当面、無理っぽくないですか?

存命中に名誉を回復され、すずめの涙程度でも国から賠償や補償を受けられるのと、
死後、遺族が賠償や補償を受けるのでは意味合いが違いませんかね?
私個人の感覚ですがね?私が冤罪で無期懲役でも終身拘禁刑でも受けるとしましょう。
そりゃ許せないですよ。あんまりにひどい話だ。だけどね、私が生きている間に、
「間違ってました!ごめんなさい!」って謝られて、その後の生活もある程度保障して
くれるのであれば、20億3千万分の一ほどには留飲が下りますがね。私が処刑された後に
遺族に保障金を渡してもらっても、私は何ら恩恵にはあずかれませんねぇ。

人間、死んでしまったら、それで終わりですよ。その終わりが人為的にもたらされるのと、
人為的にもたらされた苦境の中で自然死するのは、まったく趣が違うと思いますがね?

2027Ken:2009/06/17(水) 14:44:04
>>2020
自力でLife imprisonmentに対する誤解を解かれたようで何よりです。当方は読んだ人に誤解が生じないように(日本の無期懲役と区別するために)「仮釈放のない終身刑」という表現を一貫して使用しております。

英語は得意とお見受けしましたが、私が紹介したWikiの記事はお読みになりましたか。この記事を含めて死刑・刑法に関する英語版Wikipediaは他の分野と比べると出典が少なくて全体的に低調なのが不満なのですが、それでもフランスに関しては出典つきで

In the case of child murder involving rape or torture, the court can impose a safety period of up to 30 years, or order that the prisoner is to spend the rest of his or her life in prison [8].

と書いてあります。それでフランス語は全然読めないのですが、出典[8]を辿るとフランス政府が刑法の英語訳を提供してくれてます。ARTICLE 221-3には

Nevertheless, where the victim is a minor who is under fifteen years of age and the assassination is preceded by or accompanied by rape, torture or acts of barbarity, the Cour d'assises may by a special decision either increase the safety period to thirty years, or, where it imposes criminal imprisonment for life, decide that none of the measures enumerated under Article 132-23 shall be granted to the convicted person.

と書いてあります。わけのわかんない人のために解説すると「無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ」では、刑法132-23条を根拠にフランスには仮釈放のない終身刑はない、としているのですが、実際には221-3条により、被害者が未成年(15歳未満)でその殺害が強姦、拷問など残虐な行為を伴う場合、重罪院(Cour d'assises)は終身刑を課す場合には特例として、132-23条に掲げられた条項(仮釈放の条件)を有罪判決を受けた者に対して一切認めないと決定することができます。つまり、フランスには仮釈放のない終身刑が少なくとも法の上では存在します。そういう感じで「無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ」は各国の刑法とその運用方法を必ずしも網羅していないおそれがあります。(一応「ホームページ」では221-3条にも言及しているが、30年まで延長可の前半部分しか見てなくて後半部分を見落としている。)というわけで他の国に関しても本当はいちいちちゃんと調べないとダメなのですが、仮釈放のない終身刑が存在する国はいくらなんでもたったの「数カ国しかありません」ということはないだろう、という点について同意いただけたらと思います。(今のところ、少数派であることまで否定するつもりはないです。)

>>「○○は国際的に少数だからダメ」ではなく、「少数なのはなぜなのか?」が重要でしょう。絶対的終身刑は>>2002で書かせていただいた理由で少数であり、採用すべきではないということです。

いやだから、全く同じ理屈が死刑にも当てはまるという反論なのですが...。「死刑は少数であり、採用すべきではない」と書き換えることができますよね。両者は国際的に少数ですよね?死刑はよくて仮釈放のない終身刑はダメというのだったらダブル・スタンダードに見えるのですが。

冤罪に関してはすでに>>1452>>1750で自分の考えを述べてますが、簡単に繰り返すと、紫煙狼さんが指摘している通り、冤罪に対する補償を考慮するならば死刑とそれ以外の刑罰は質的に同じだとはとうてい言えないが、カレーさんが指摘している通り、冤罪は死刑に限った問題ではないので死刑にだけ絡めて議論するのは片手落ちである、という感じです。要するに、冤罪は死刑に反対する有効な理由の一つではあるが、冤罪だけをもって死刑を否定することはできない、という感じでしょうか。ただし、実際に日本で死刑が廃止されるとしたら、冤罪で死刑になった人が確認されたときくらいだと思います。

2028カレーライス:2009/06/17(水) 16:42:30
>>2025
更生しているかどうかを他人が正確に判断できるのであればそれもいいと思います。
でもそれは不可能ではないですか?
本当は更生しているのにそれが他人に伝わらなかったら刑期が延長されるなんてのはあってはならないでしょう。
また、人の心とは他人がそれを知ろうとしてもわかるものではありません。
そしてそれは見極める側全ての人間が同じ判断基準を持っていないと不平等が生じます。
北海道の刑務所では仮釈放が得られたが、長野の刑務所では刑期が伸びたなんてことがあっては絶対にならないと思いませんか?
もちろん刑務所でも問題を起こして仮釈放が伸びることもありますし、それが法に抵触していれば刑期が伸びることもあるでしょう。
しかし更生しているかどうかというあいまいな判断基準でそれをやってしまうことはとても危険だと思いますよ。
司法はどんな人間にも平等でなければ意味がありません。
もちろん現在でも平等でないこともあるでしょうが、さらに不確定要素を加えることはさらななる不平等に拍車をかけることになります。
これはとても危険なことではないでしょうか?

更生したかどうかを見極めるのが難しいように、更生する可能性があるかどうかを判断するのもとても難しいことでしょう。
しかし、前述した通り人は経験をすることによって物事に対するハードルが上下します。
殺人を犯してそれに恐怖を覚えない人間、特にそれを喜々とする人間はハードルは限りなく0に近いものになるでしょう。
例えばテッド・バンディやアンドレイ・チカチイロが我々と同じく、人を殺すことを嫌悪出来るようになる可能性があったでしょうか?
確かに1兆分の1更生の可能性があったとしても、彼らが再び犯行を重ねる可能性のほうがはるかに高いとは思いませんか?
人は確かに神様ではありません。
死刑という刑罰は間違っているのと私も思います。
しかし1番大切なのはこれ以上の犠牲者を出さないことではないでしょうか?
抑止力の部分で記述しましたが、死刑の特別な抑止力によって犠牲者が1人でも減るのであればまずその犠牲者を救うことこそが大切だと思いますよ。
冤罪でもない限り刑罰とは犯罪を犯さなければ受けることはないものですから。

確かに被害者や遺族の感情を慰撫するためだけに人を殺すことは間違っていると思いますよ。
もう少し複合的には考えられないでしょうか?
1つ1つの理由で考えるのではなくよりベターなのは何かと考えなければ局所的に「ここがダメ」だからではベターな選択はできないと思います。

死刑を含む刑罰の抑止力が万能でないことはあなたもご存じだと思います。
現状が完璧でなければそれは間違いなのでしょうか?
もちろんより完璧に近づける努力はするべきですが、完璧でないから他の方法でなければならないと考えるのは間違いでしょう。
また、死刑だから人権を無視して言いという理屈は通用しません。
確かにより残虐な拷問死などを用いれば抑止効果は上がるかもしれません。
しかし現行法規において禁じられていることを刑罰に組み込むというのはナンセンスではありませんか?

確かに私はあまり新しいものを生み出すことは得意ではないのかもしれません。
お聞かせいただければと思うのですがあなたは死刑廃止後どのような刑罰を用い、どのような施策を用いることがベターだと考えますか?
また、死刑を存置していてはベストを模索出来ないのでしょうか?

2029カレーライス:2009/06/17(水) 16:42:54
>>2026
わかりにくい書き方だったみたいですね。
もうしわけありません。
当たり前か当たり前でないかではなく、許されるか許されないかということです。
善人だろうが悪人だろうが「命を奪う」こと自体が間違いだと思いませんか?
悪人が命を奪うことは当たり前で、善人が命を奪うことは当たり前じゃない、ならば善人に命を奪わせるなと考えるのは間違いです。
だからこそ1人でも多くの犠牲者を減らす努力をすることが大切だとは思いませんか?

冤罪が0になることはないでしょうね。
冤罪が0にならないから刑罰制度を撤廃しますか?
死刑だけを特別視することが誤りだと言っているだけです。

もう一度問います。
あなたは痴漢冤罪を受けて懲役刑を受けてもなお「死刑でなくてよかった」と思えますか?
それとも「ふざけるな!なんでやってもない罪で懲役に行かなきゃいけないんだ」と激怒しますか?
私はこの問いの答えこそが冤罪問題だと思いますよ。
おそらく100%の人が後者のように激怒するでしょう。
そしてそんな激怒をしているときに「死刑じゃなかったんだからいいじゃん。お金ももらえるし。」などという言葉を聞いたらいかがでしょうか?
どんな冤罪だろうと絶対に許すべきではないし、許してはいけないんです。
冤罪はどんな冤罪であろうと120%存在してはならないし、そこに刑罰の重さは関係ないです。

2030カレーライス:2009/06/17(水) 18:00:10
>>2027
私は特になにも誤解していることはなかったと思いましたが…なにか疑問に思われることがありましたか?

フランスに関して勘違いしているようなので訂正させていただきます。

フランス刑法で仮出獄,刑の停止又は分割,外出許可等に関する適用を一定期間は受けることができない「保安期間」(periode de surete)という制度を設けており,
その期間は,刑期の2分の1,無期懲役では18年と定められているが,裁判所の特別な判決があれば,刑期の3分の2,無期懲役は22年まで延長し,あるいは期間を短縮することもできるとされている。
ただし,重罪院(cour d′assises)は,殺人の被害者が15歳未満の場合及び強姦・拷問等を伴う場合については,保安期間を30年まで延長し,無期懲役を言い渡す場合には,仮出獄等を一切認めない旨の特別の決定を行えるものの,
有罪言渡し後30年を経過した時点で,医学の専門家による鑑定を棄施し,裁判所組織の頂点に位置する破棄院(courdecassation)において,その決定を取り消すことが可能である。
出典
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047791805/l50

保安期間を設けることにより15歳未満の被害者に対して強姦や拷問などを行った場合は無期懲役において30年の保安期間を通じて仮出所を認めないということです。
しかし、30年を過ぎると自動的に仮釈放の許可申請が可能になるのでフランスには絶対的終身刑は存在しないということになります。

他にもスウェーデンなどは法律上は絶対的終身刑はありますが、必ず有期刑に減軽する国などもあります。
スウェーデンのように確かに存在はするもののそれが機能していない国(死刑停止国みたいなものです)もあります。

厳密に死ぬまで仮出所を認めない国というのは数カ国しかありませんよ。

私は少数だから絶対的終身刑を採用すべきではないとは言っていません。
>>2002で書かせていただいた理由で採用すべきではないと申し上げております。
その裏付けとして世界的に見ても少数の国しかないんですよということです。
これはダブルスタンダードになるのでしょうか?

2031カレーライス:2009/06/17(水) 18:00:33
それでは各国の終身刑がどのようなものか少しですが紹介させていただきます。
特に死刑廃止国の状況をお知らせしたいと思います。

ドイツ
絶対的終身刑も1981年に違憲として廃止されています。
また、最低服役年数は15年で、ほとんどが20年以内に仮釈放が許可されています。

フランス
絶対的終身刑は置かれていません。
最低服役期間は18年で22年まで延長されることがあります。

イギリス
裁判官が個別に最低服役期間(タリフ)を決定します。
タリフは誘拐や強盗、強姦などを伴う複数謀殺などに対して終生のタリフを定めることが出来るため絶対的終身刑が存在することになります。
ただし、恩赦や25年の服役後再審査による減刑の可能性は残されています。

フィンランド
絶対的終身刑は置かれていません。
最低服役期間は通常12年、21歳未満の場合は10年です。

イタリア
絶対的終身刑は置かれていません。
最低服役期間は21年もしくは26ねんです。
ちなみに10年以上服役したj系者に対しては外泊や外部通勤が認められることがあります。

他にも、オーストリア、アイルランド、スコットランド、スペインも絶対的終身刑はありません。

オランダ、ハンガリー、スウェーデン、オーストラリアでは絶対的終身刑があります。
ただし、オランダでは最低服役期間は設置されていませんが仮釈放が認められることもあります。
スウェーデンはかなり例外的です。
絶対的終身刑はあるのですが、運用上、全て恩赦により有期刑に減軽されることになっています。
そのため絶対的終身刑は存在しないとする見方もあります。
オーストラリアはアメリカのように州によって絶対的終身刑がある州とない州にわかれます。

2032ufloat:2009/06/17(水) 20:21:56
>>2024 , >>2029
終身刑と抑止論に関しては、紫煙狼さんがすべて述べてくださっているので、
私から申し上げることはないとして、冤罪に関して。
おっしゃる通り、いかなる罰であっても冤罪はあってはいけません。
死刑でも、無期懲役でも、有期懲役でも、罰金でも同様です。
しかしながら、死刑とそれ以外の刑罰では、結果の重大性において本質的に差があると
私は考えており、それゆえに冤罪死刑について述べているのです。

カレーライスさんは以前の書き込みで
「確かに時間と生命であれば本質的な差があるでしょう」
と述べられていますので、この点についてはご同意いただけたものと考えますが、
それを踏まえて、以下のケースをご想像ください。
1.速度を守って運転していたのに、なぜか速度違反で罰金に処せられた。
2.身に覚えがない窃盗の濡れ衣を着せられ、懲役刑に処せられた。
3.凶悪事件の犯人にされ、終身刑に処せられた。
4.凶悪事件の犯人にされ、処刑された。
「生命が本質的に他のものとは異なる」ことに同意いただけているのであれば、
1〜3と4との間には、結果において本質的に差があるようにはお考えになりませんでしょうか。
確かに、上記のようなケースはいずれもあってはなりません。許されないことです。
しかし、冤罪は決してゼロにできない以上、上記のいずれのケースも発生する可能性があります。
その際、これらの結果は「どれも冤罪なんだから全部同じ」と言えるでしょうか。
結果において、1〜3と4は明らかに異質ではないでしょうか。

カレーライスさんのご主張は分かりますし、死刑の必要性についても理解しています。
私は決して「明日にでも日本から死刑を撲滅しよう」などと主張する気はありませんし、
その点は無精髭さんによって「死刑廃止の論客」とご指名されたお二方も同じでしょう。
しかしながら、冤罪によって死刑に処せられる可能性が現実に存在し、「生命」が他の物と
本質的に異なる以上、死刑の場合とそうでない場合の結果は本質的に異なるわけで、
この問題は死刑や終身刑を論じる上で、避けて通れないことではないかと申し上げているのです。
無論、この点を検討した上で、それでも死刑にはそれを補って余りあるほどのメリットがあり、
存続した方が良いと判断されるのであれば、それは大いに結構です。
一方、やはり冤罪死刑は重大だから、死刑のメリットをもってしても存続は問題ではないか、
とお考えになるのなら、それもまた大いに結構です。
しかしながら、
「冤罪は司法の問題なのだから、死刑存廃論において冤罪死刑を考慮する必要はない」
「冤罪死刑が問題というのなら、他の冤罪だって全く同じだ。
死刑存廃や終身刑の議論の中で、ことさら冤罪の話を持ち出してくる必要がどこにあるのか」
このようなお考えには、残念ながら全面的には同意しかねます。

2033ufloat:2009/06/17(水) 21:21:10
>>2032
無礼と取られかねない表現がありましたので、補足をば。
「カレーライスさんのご主張は分かりますし、死刑の必要性についても理解しています」
のくだりですが、これは
「(私は)カレーライスさんの主張は分かり、死刑の必要性についても理解している」
という意味です。

>>2027
Kenさんの鋭い一矢には、いつも感服しております。
以前にどこかで見かけた、以下のような小話を連想してしまいました
(あくまで小話ですから、事実かは非常に怪しいですが)。

---
タイタニック号が氷山に衝突し、沈没寸前となった時のこと。
乗客はボートに避難したが、全員が乗り込むには到底足りない。
多くの乗客は、暗く冷たい海の中に飛び込まねばならなかった。
その際、船員は次のように乗客を説得した。
アメリカ人には「これであなたはヒーローになれます」。
英雄意識の強いアメリカ人は、次々と海に飛び込んだ。
イギリス人には「あなたは紳士です」と説得し、
ドイツ人には「これがルールですから」と説得した。
彼らもまた、海の中に飛び込んでいった。
さて、もしここに日本人がいたら、船員はどう説得すべきだろうか。
次のように言えばいいのだという。
「他の皆さんもなさってます」。
---

この種の論理、実はかなり危険ですよね。
「青信号を待ってる人なんていないって。さあ渡ろう」
「ほら、運転する人もみんな飲んでるじゃん。律儀に飲まない人なんてめったにいないって」
「元凶悪犯罪者にも人権はあるなんて言う人は、ごく少数じゃないか。
なあに、連中の一家が離散しようが、首くくろうが、知ったことじゃないって」
「人権が一定以上保障される国なんて、北米大陸か、欧州辺りか、日本くらいなんだから、
人権なんて存在しなくて構わないんじゃない」
このようなことは、言うまでもなくダメです。
死刑にしても、「反対している人が少ないから」検証・議論が無用ということにはなりませんし、
絶対的終身刑導入国が少ないからこれは導入すべきでない、などともなりませんし、
当然ながら死刑にしても、他の国が廃止しているから日本でも廃止せよ、とはならない、と。

>ただし、実際に日本で死刑が廃止されるとしたら、冤罪で死刑になった人が確認されたときくらいだと思います
日本版エヴァンス事件ですか。このような事件でもなければ、冤罪死刑を踏まえた議論が深まらないというのも
悲しい気がしますが・・・。

2034カレーライス:2009/06/17(水) 23:58:47
>>2032
1〜4の事例において…私は1と2〜4とは明らかに違うと思います。
1はまだお金が帰ってくるならば不可逆とは言えませんから。
しかし2〜4は時間にしろ生命にしろ不可逆という意味では同じではないでしょうか?
いずれのケースも絶対にあってはならないとお考えなのになぜ「しかし」と続くのでしょうか?
どれも絶対にあってはならないならどれも絶対に許してはならないのではないですか?
冤罪が0に出来ないにしろ、全て絶対あってはと考えているならば全て許してはいけないと断言しなければならないでしょう。
あなたにとって冤罪は0にできないから懲役刑の冤罪は起こってもしょうがないが、死刑の冤罪は許せないとお考えなのですか?
文章を読ませていただいてあなたも私と同様に懲役刑の冤罪ももちろん絶対に起こってはならないとお考えだと感じたのですが…。
失われるものに本質的な差があったとしてもいずれも絶対に許してはならないと考えることがあたりまえでしょう。

実際に今問題になっている飯塚事件のことをおっしゃっているのでしょうか?
もし飯塚事件の久間さんが冤罪によって死刑に処されたとするならば絶対に許してはならないでしょう。
しかし足利事件の菅谷さんの冤罪も絶対に許してはならないのではないですか?
死刑を語る上で特別冤罪を論じる必要があるとは感じていません。
もちろん司法や刑罰全体を語る上では死刑を論じる必要があると思っています。
ただ、これは私の主観ですから、あなたがそれを論じる必要があるとおっしゃるのであればもちろん上記のようにお答えはします。

そしてもちろん私は死刑は存置すべきだと考えています。

2035紫煙狼:2009/06/18(木) 01:38:22
刑事犯罪はすべからず許されざる行為なれど、なかでも殺人は何を以ってしても
特段に許されざる行為であり、せめて殺人事件の発生を100%防ぐことができれば、
刑事事件の発生を100%防ぐことはできなくとも格段の進歩と言って過言ではなかろう。

と言えば「さもありなん」とご理解いただけるだろうに、

冤罪はすべからず許されざる事態なれど、なかでも冤罪死刑は何を以ってしても
特段に許されざる事態であり、せめて冤罪死刑の発生を100%防ぐことができれば、
冤罪の発生を100%防ぐことはできなくとも格段の進歩と言って過言ではなかろう。

と言えば「冤罪死刑だけを特別扱いするのは不合理である」と仰る。

どちらも"All or Nothing"で極論すべき問題ではないように思いますがいかが?
そして、冤罪発生を防ぐための方策を色々と考えるのには積極的でも、殺人事件発生を
防ぐための方策には刑事罰の一般予防論しか出てこないと言うのも寂しい話ですね。

もちろん、冤罪回避が死刑廃止の中核となりえないのは自明の理であっても、
冤罪をすべからく「同程度に許されざる」と評価するのは、刑事犯罪をすべからく
「同程度に許されざる」と表現するのと同じくらい無謀な話ではないでしょうかねぇ。。。

2036カレーライス:2009/06/18(木) 10:35:41
>>65
日本の裁判は判例主義です。
過去の判例を参照することで刑罰の均一を図っています。
どんなに慎重な人がいたとしても、どんなに死刑に積極的な人がいても、判例を挙げてどういう量刑が妥当であるかという説明を裁判官より受けることによって偏りをなくそうと言うのが裁判員制度の量刑判断の取り方になります。
しかし最初から死刑判決を出す気がない人には過去の判例と照らし合わせて死刑が妥当だと言っても死刑に反対するでしょう。
逆に慎重な人は慎重なだけで死刑判決を出さなければならないならば死刑判決を出すことができます。

上記させていただきましたが、この判例主義と量刑決議に裁判官が同席することにより、量刑の均一化を図るとともに裁判員個人の意見が通りにくいという問題点が裁判員制度にあります。
判例を盾に、「あなたはスピード違反の罰金が警察官のあなたへの印象に左右されるのは不当だと思いませんか?」などと問われればだれも逆らえないのではないでしょうか?
正当な理由もなく裁判員の信条や思想などで裁判がおこなわれることへの危惧はあります。
しかし、原則として判例主義にて裁判を進行していくことによってそれらは均一化を図れるようになるでしょう。

これは以前までの裁判でも同じです。
判例主義だからこそ裁判官が異なっても同じ判決が出るようになっていましたし、1審判決が判例に沿った判決内容であれば2審、3審でもそれを支持します。


>>2035
私は別に犯罪の中で殺人だけが特段に許されざる行為だとは思っていませんよ?
犯罪はどんな軽微な犯罪であっても絶対に許してはいけないと考えています。
そこに私は差異はないと考えています。
殺人だから許されない、窃盗ならまだマシと考えることこそ犯罪増加への考え方ではないでしょうか?
どのような犯罪であれ絶対に許さないと考えなければ犯罪が減少することはないでしょう。

ご存じだとは思いますが、法を犯すという行為は最初は軽微なものからどんどんエスカレートして重篤なものに変わっていく傾向がどんな加害者にも見られます。
逆に言えば軽微な犯罪を防止することによって重篤な犯罪も同時に減少すると私は考えています。
だからこそ軽微な犯罪も重篤な犯罪も絶対に許すべきでないのではないでしょうか。

"ALL or Nothing"ではなく、すべからく関連性があると考える方がより理屈が通ると思うのですがいかがでしょうか?
それから私は殺人事件の発生を防ぐ方策が刑事罰だけでいいなどとは考えていません。
ただここではスレタイが「死刑制度についてひと言お願いします」だから死刑の一般抑止力でそれをなし得ると申し上げているだけです。
刑罰が犯罪の抑止力のすべてではなく1つの方策とご理解していただければと思います。

犯罪は「すべからく許されざるべき」と表現するのは間違っているのでしょうか?
私はその通りだと思いますよ。
殺人加害者が過去に別の犯罪(傷害事件や窃盗事件)を犯していることは非常に多いです。
これは軽微な犯罪から重篤な犯罪へエスカレートがみられるという証明になるでしょう。
以前にハードルの話をしましたが、あまり許されない犯罪と絶対に許されない犯罪という考え方によって生まれるハードルの差が低いハードルから順番に高いハードルを飛び越えるようにエスカレートするのではないでしょうか。
逆にいえば、どのような犯罪も絶対に許さないと考えることこそが防犯思想の第一条件だと私は考えます。
この考え方は無謀な話でしょうか?

2037カレーライス:2009/06/18(木) 10:36:54
すみません…。
上半分は別のスレの話です。
>>65の部分は関係ないので無視してください。

2038Ken:2009/06/18(木) 13:34:44
>>2030私は特になにも誤解していることはなかったと思いましたが…なにか疑問に思われることがありましたか?

はい。カレーさんは二つの誤解をしてます(しました)。

>>2019えっと…少し誤解があるようなので説明をさせていただきます。

という表現から、カレーさんは私が何かを誤解していると誤解していると思いました。私は終身刑について何も誤解していません。初めから日本の無期懲役やいわゆる終身刑と区別するために「仮釈放のない終身刑」という用語を用いています。そうでないというのであれば、私のどの表現が何と何を誤解しているのか具体的に指摘してください。

>>2027自力でLife imprisonmentに対する誤解を解かれたようで何よりです。

というのは具体的には

>>2019英語のWIKIはLife imprisonmentとは無期刑のことを指します。つまり相対的終身刑や仮釈放が認められる無期懲役のことです。

というふうに、Life imprisonmentには仮釈放のない終身刑が含まれないとカレーさんが誤解していたのを後で思い直して

>>2020英語のWIKIのLife imprisonmentとは無期刑のことを指します。これは相対的終身刑や絶対的終身刑、無期懲役など刑期が一生涯続く刑罰の総称です。

というふうに訂正したことを指します。ひょっとすると「誤解」というのは言い過ぎで、単なる書き間違いに過ぎなかったのかもしれないですが。

>>2030フランスに関して勘違いしているようなので訂正させていただきます。

いやだから、英語読んでくださいよ。読むつもりないんだったら最初から英語使わなきゃいいじゃないですか。URLが間違ってますけど、この日本語訳は平成8年度版の犯罪白書からの引用ですね。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/37/nfm/n_37_2_3_9_4_3.html
それで「ただし,重罪院(cour d′assises)は,殺人の被害者が15歳未満の場合及び強姦・拷問等を伴う場合については,保安期間を30年まで延長し,無期懲役を言い渡す場合には,仮出獄等を一切認めない旨の特別の決定を行える」の部分がフランス刑法221-3条の訳ですね。ただ、この日本語訳はおかしいです。"Either...or..."という構文なので「(無期懲役でない場合には)保安期間を30年まで延長する旨の、あるいは、無期懲役を言い渡す場合には、仮出獄等を一切認めない旨の特別の決定を行える」と並列に訳さなきゃダメです。私のこの読み取り方はしごく普通で、同様にこの条文を根拠に

In the case of child murder involving rape or torture, the court can impose a safety period of up to 30 years, or order that the prisoner is to spend the rest of his or her life in prison [8].
(強姦や拷問を伴う子どもの殺人事件では、裁判所は最長30年の保安期間を課すこと、あるいは囚人に刑務所で一生を過ごすことを命令することができる)

とWikipediaに記している人がいます。

それで「有罪言渡し後30年を経過した時点で,医学の専門家による鑑定を棄施し,裁判所組織の頂点に位置する破棄院(courdecassation)において,その決定を取り消すことが可能である」の部分ですが、なんという条文を指しているのか分からないので確かなことは言えないのですが、「有罪言渡し後30年を経過した時点」という書き方からして、この決定の取り消しに関する規定は、前者の保安期間を30年まで延長した場合のみを含み、後者の仮出獄等を一切認めない無期懲役は含まれない、というのが素直な読み方だと思います。というか、保安期間が30年まで延長されようが、仮出獄等を一切認めないと決定されようが、30年経ったら取り消せる、というのだったら、221-3条で二つを分けて書く意味がない。

あと「○○という判決・決定・刑罰は取り消せる」ということと「○○という刑罰は存在しない」は同値ではないです。米国では死刑が終身刑に減刑されるということが普通に行われてますけど、そのことをもって米国に死刑は存在しないとは言えないです。本当は私がフランス語が読めて、仮出獄等を一切認めない決定を受けた殺人犯とか仮出獄が認められずに獄死した囚人とか具体的に見つけられたらいいんですけど。

2039Ken:2009/06/18(木) 13:36:31
>>イタリア 絶対的終身刑は置かれていません。

Libertà condizionata(仮釈放)に関してはイタリア刑法176条で規定されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Libert%C3%A0_condizionata
http://en.wikipedia.org/wiki/Murder#Italy
http://en.wikipedia.org/wiki/Life_sentence#Italy
(あと私には役に立たんですが、原文)
http://www.unifr.ch/ddp1/derechopenal/legislacion/l_20080616_59.pdf

それで

A person sentenced for a crime related to the mafia or terrorism is ineligible for libertà condizionata unless he cooperates with the authorities

あるいは

Prisoners sentenced for associations with mafia activities or terrorism that do not cooperate with the authorities are ineligible for parole, and thus will spend the rest of their life in prison.

つまり、マフィアやテロリズムに関わって有罪判決を受けた人で当局に協力しない人は仮釈放の申請ができず一生を刑務所で過ごすことになります。つまり、イタリア刑法には終身刑を仮釈放のない終身刑として運用する条項が存在します。これはカレーさんの

>>2028更生しているかどうかを他人が正確に判断できるのであればそれもいい

とも関わってくると思いますが、イタリアでは当局の捜査に協力しているかどうかで改悛しているかどうか、仮釈放してもよいかどうかの判断基準の一つにしているみたいです。

2040Ken:2009/06/18(木) 13:37:51
>>2033(あくまで小話ですから、事実かは非常に怪しいですが)。

タイタニック号には日本人も乗ってたみたいなんで可能性として完全に否定できないとは言い切れないともいえない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF_(%E5%AE%A2%E8%88%B9)#.E3.81.9D.E3.81.AE.E4.BB.96
この手の飲み屋でするような話はいろんなバージョンがありますよね。ガールフレンドは何人がいいかとか。

>>この種の論理、実はかなり危険ですよね。

そうそう、だから髭さんのような日本人離れした懐疑主義者は貴重だなあと。

2041Ken:2009/06/18(木) 14:19:27
>>2030私は少数だから絶対的終身刑を採用すべきではないとは言っていません。>>2002で書かせていただいた理由で採用すべきではないと申し上げております。その裏付けとして世界的に見ても少数の国しかないんですよということです。これはダブルスタンダードになるのでしょうか?

話がなかなか噛み合わないと思ってたら理由が分かりました。私が>>2002をちゃんと読んでなかったからです。すいません。カレーさんは人道尊重の見地から死刑よりも仮釈放のない終身刑のほうが問題だ、という立場なんですね。まあ、そう考える人がいることは否定しませんが、常識的に考えてそれが一般的に受け容れられているとは到底考えられないです。囚人のほうこそ死刑を望んでいるなんて暴論です。疑問が氷解したというわけでもなくて、>>2002には今まで以上に疑問点があるので、自分でも調べてみるつもりですが、知ってる範囲で教えてください。

>>2002人権先進国と呼ばれるEUの各国でも昔は絶対的終身刑が存在していました。ところがだれも予想しないところから死刑復活の声が上がりました。それはなんと絶対的終身刑受刑者からの声でした。イタリア・フランス・カナダではこの絶対的終身刑受刑者から死刑を復活して自分たちを殺してほしいと政府に対して嘆願書が提出されました。その理由が「将来に希望がない我々の人生は無に等しく、毎日少しずつ命を削られるような刑ならばいっそ死刑にしてもらうほうがましだ」というものでした。

・妙に講談調の文面が一見してうそ臭いのですが、ソースは何ですか?
・それぞれの国で最後の死刑、死刑の廃止、仮釈放のない終身刑の廃止はそれぞれ何年ですか?
・上と関連して、死刑は(廃止の機運が高まる)→(無期限に停止される)→(正式に法的に廃止される)という過程を経て廃止されると思うのですが、死刑が廃止される前・死刑の停止期間中に「殺してくれ」との嘆願は死刑囚から出なかったのですか?
・仮釈放のない終身刑のほうが人権上問題があるというのだったら、これらの国でそれより先に死刑が廃止されたのは変じゃないですか?
・それぞれの国で「絶対的終身刑受刑者」は何人いて、そのうち「死刑を復活して自分たちを殺してほしいと政府に対して嘆願書」を提出したのは何人ですか?
・逆に、死刑がまだあった時にそれぞれの国で「殺さないでくれ」と助命嘆願した死刑囚は何人ですか?

最後二つが一番肝になる質問なのですが、要するに死刑を復活して自分たちを殺してほしいと政府に対して嘆願書を提出した受刑者が特殊で例外的な存在ではないという保証がないとカレーさんの理屈は単なる詭弁です。日本にも早く処刑してくれと頼み込んだ死刑囚でタクマという人がいるんですけど、この事例だけに注目して「日本の死刑囚は一刻も早い処刑を望んでいる」などと結論するのは間違いです。タクマは特殊な例なんで。「檻の中で生き延びさせられるくらいならいっそのこと殺してくれ」と考える囚人よりも「殺されるくらいなら檻の中にいるほうがましだ」と考える囚人のほうがはるかに多そうだ、というのが私の直感です。

たとえば、米国では死刑執行直前の助命嘆願が制度化しているのですが、それが認められると一等減刑されて仮釈放のない終身刑になったりします。今ぱっと思い出せるのはRobin Lovitt。助命嘆願が認められてなかったら1976年に米国で死刑が復活してから記念すべき1000人目になっていたはずの人です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robin_Lovitt
それで、助命嘆願をしない死刑囚というのは聞いたことないです。仮釈放のない終身刑受刑者で死刑に志願した人とというのも寡聞にして知らないです。ですから、少なくとも米国では「檻の中で生き延びさせられるくらいならいっそのこと殺してくれ」と考える囚人よりも「殺されるくらいなら檻の中にいるほうがましだ」と考える囚人のほうがはるかに多そうです。

2042ufloat:2009/06/18(木) 19:27:15
>>2034 , >>2036
・「冤罪は許されない」に「しかし」が続くのはおかしい
・犯罪は軽微でもそうでなくても許されない
などのご主張を見て、ようやく話が進まない理由が分かってきました。
今までの書き込みを読む限り、カレーライスさんは制度論について大変お詳しいご様子。
そのためなのかは分かりませんが、原則論・建前論の立場に立っていらっしゃるのではないでしょうか。
一方、私はあまのじゃくですから、冤罪が発生したらどうなるか、冤罪死刑が起こったらどうなるか、
などといった、平たく言えば「起こりうることについての可能性」や「仮定」を論じている立場です。
この両者は、別に一方が他方より優れているわけではなく、車の両輪ともいえるでしょう。

確かに、原則論からすれば、「冤罪は許されない」に「しかし」が続いてはならないでしょう。
それはそうです。冤罪は許されない、決してあってはならないものなのですから。
同様に、冤罪は決して許されないものですから、冤罪による死刑だろうが、懲役だろうが、
発生してはダメなものはダメです。どちらも同様に「あってはならない」のです。
一方、私の立場からすると、「冤罪は許されない」に「しかし」が続くのは当然です。
言ってみれば、実際に今ここで冤罪が発生したら、といったことを考えているのですから、
「冤罪は許されない。終わり」では何の解決にもなっておらず、何も主張していないも同然です。
冤罪死刑に関しても、生命と時間その他は両方とも不可逆ではあるものの、両者の間には本質的な
違いがある以上、「今ここで発生した」冤罪について、処刑されるのと、終身刑に処せられるのでは、
結果の重さが全く異質である。それゆえ冤罪死刑はとんでもなく重い問題で、死刑論を考える上では
冤罪による死刑の可能性は死刑の欠点の1つとなり得る、というのが私の立場です。

2043ufloat:2009/06/18(木) 19:29:32
原則論からすれば、カレーライスさんのおっしゃることはすべて正論です。
冤罪は絶対にあってはならないでしょう。その結果が死刑であれ、懲役刑であれ。
冤罪自体があってはならないことですから、それによって死刑である場合がどうとか、
懲役刑ならどうとか、そのようなものを論じること自体がナンセンス、というのは確かです。
この観点であれば、私もカレーライスさんのご主張に、ほぼ100%同意いたします。
ただ、カレーライスさんには、ぜひとも車のもう片方の車輪についても考えていただきたいのです。
必ずしも私にご返答なさる必要はありません。ただ、以下のようなことを色々と考えていただきたいのです。
冤罪は絶対に発生してはならないものだが、もし冤罪が発生したら?
生命と時間その他は両者とも不可逆なれど、その重大性は本質的に全く異なるものであるが、
実際にその冤罪によって無辜の人が処刑されるのと、終身刑に処せられるのでは、結果の重大性が全く異質ではないか?
そうであるなら、冤罪死刑の問題は、死刑の欠点の1つとしてリストアップできるのではないか?
もしカレーライスさんが、それでも「冤罪はあってはならない。だが、と続けることは許されない」と
ご主張なさるなら、それも結構です。しかし、この点を考えてみることで、カレーライスさんの
死刑存続論はより多面的になり、よりいっそう深みを増すのではないかと私は考えておりますが、いかがでしょうか。

2044カレーライス:2009/06/19(金) 01:02:46
>>2041
>・妙に講談調の文面が一見してうそ臭いのですが、ソースは何ですか?
イタリアの嘆願書はかなり有名だと思うのですが…。
2007年の5月に終身刑受刑者2000名のうち300名程度の連盟によって嘆願書を大統領に提出しています。
http://blog.livedoor.jp/anti_aress/archives/51135129.html
他にも色々なサイトで紹介されているのでググってみてはいかがでしょうか。

フランスにおいては10人の無期懲役囚が公開状を提出しています。
http://www.news.janjan.jp/world/0702/0702049395/1.php
また、フランスにおいては長期の服役は社会復帰の妨げになるとして終身刑受刑者の刑期の短縮がバダンテール元法相によって訴えられています。

カナダについては私もどこで読んだのか正確に覚えてないので忘れてください。
確か昔「無期懲役に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ」内で見た記憶があるんですがそのページが見つからないので。

>・それぞれの国で最後の死刑、死刑の廃止、仮釈放のない終身刑の廃止はそれぞれ何年ですか?
最後の死刑や死刑廃止年数などは
http://www.geocities.jp/aphros67/indexs.htm
こちらのページで結構詳しく紹介されています。
参考にしてみてはいかがでしょうか。

>・上と関連して、死刑は(廃止の機運が高まる)→(無期限に停止される)→(正式に法的に廃止される)という過程を経て廃止されると思うのですが、死刑が廃止される前・死刑の停止期間中に「殺してくれ」との嘆願は死刑囚から出なかったのですか?
どうなのでしょうか?
私もそこまで詳しくないので何とも言えません。

>・仮釈放のない終身刑のほうが人権上問題があるというのだったら、これらの国でそれより先に死刑が廃止されたのは変じゃないですか?
これも私も詳しくは知りませんが、今の日本の状況などを考慮して推察することはできます。
死刑廃止が現実的になったときにその代替案として仮釈放なしの終身刑が設けられたのではないでしょうか。
で、実際運用してみて問題点が多かったため廃止したと考えるのが自然だと思います。
死刑廃止以前に絶対的終身刑を採用するのはコスト面などを考えてあまり現実的とはいえませんので。

申し訳ありませんが私もなんでもかんでも疑問にお答えできるほどよく知っているわけではありません。
私が絶対的終身刑が死刑よりもなぜ残酷だと考えるに至ったかがわかればあなたも少しは私の言っていることに理解が出来るかと思います。
私ももともとは死刑が廃止されるならば絶対的終身刑を代替案とすべきだと考えていました。
そのとき、たまたま保岡法相が「終身刑は一生獄中につなぐ残酷な刑罰」、「希望のない、真っ暗なトンネルを歩いていくような刑はあり得ない。」という発言をききました。
果たして本当にそうなのかどうか、私自身もかなり懐疑的でしたがこの2つに目を通してなるほど考えるようになりました。
あなたももし時間があるならご覧になってみてはいかがでしょうか?
http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_muki_syusin.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/colum3.htm
まぁこれに関しては個人的に様々な感想が出てくるとは思います。
私と同じように考える人もいれば、これを読んでこの刑罰のほうが死刑よりも相応しいという人もいるでしょう。
日本はアメリカやEUなどの諸外国よりも受刑者の待遇がかなり厳しいことはよく知られています。
(諸外国には、テレビや運動、遊興はもとより受刑者の外泊や受刑者の家族の刑務所内の宿泊なども許されているところがあります。)
そんな厳しい刑務所生活で一生仮釈放が得られないと知っていればノイローゼや精神病にかかるのも明白です。
収監→精神病→治療→収監→精神病→治療→収監、と言った永遠のスパイラルで人を廃人に追い込むような刑罰がはたいて人道的と言えるのでしょうか?

2045カレーライス:2009/06/19(金) 01:04:24
順番が逆になって申し訳ありませんでした。
>>2038
えっと…Life Imprisonmentは単なる書き間違いです。
それから私はあなたが絶対的終身刑と相対的終身刑や無期懲役を誤解しているとは思ってませんよ。

フランスに関してですが、別に英文の訳はあなたの言う通りで正しいですよ。
保安期間を30年に設定することと無期懲役において仮釈放を一切認めないどちらかを決定するというのは間違っていません。
しかし、仮釈放を認めない決定を出したとしても、30年経過した時点で破棄院においてその決定を取り消すというものです。
これを複合して法解釈すると絶対的終身刑は存在しないとなります。
保安期間の30年であれば保安期間の終了とともに自動的に仮出獄の申請を行えるようになります。
よって、この破棄院の「決定が取り消すことが可能」というのは後ろの仮出獄を一切認めない旨の決定と考えるのが自然ではないですか?
つまり事実上絶対的終身刑は存在しないとなります。
現在、フランスに絶対的終身刑を受けている受刑者は1人もいません。
仮釈放が認められずに獄中死することは多数ありますが、仮釈放申請が出来ずに獄中死というのはありません。
例外として、保安期間内であったり最低服役期間内に獄中死することはあります。

こちらのサイトが日本人のよくある終身刑への誤解を開設したページになります。
もしよろしければ読んでみてはいかがでしょうか?
http://www.geocities.jp/y_20_06/wagakunino.html


>>2039
捜査協力をするかどうかによって仮釈放が認められるかどうかというのは別にイタリアに限ったことではないと思いますよ。
仮釈放だけではなく刑務所内の待遇なども模範囚であるかどうか、所属している団体(マフィアやテロリスト)に対する捜査協力によって左右されるというのはどこの国でも同じなのではないでしょうか?
アメリカなどの司法取引もこれに当たると思いますよ。

2046カレーライス:2009/06/19(金) 01:18:33
>>2042
私は原則論ではなく現実論で話をしているつもりなのですが…。
人が人を裁いている以上、冤罪が発生することは十分起こりえることです。
その上で死刑冤罪であってもその他の冤罪であっても変わらないと考えていますよ。
現在、冤罪のある死刑ではないかと言われている飯塚事件の久間受刑者のことが問題になっていますよね?
この久間受刑者はすでに死刑が行われており、もし冤罪であったら大問題です。
足利事件の菅谷さんと飯塚事件の久間受刑者、結果の重さは確かに死刑のほうが大きいでしょう。
この考え方には私も同意します。
しかし、どちらも許してはいけないのではないですか?
にもかかわらず、冤罪による死刑の可能性は死刑の欠点であるとして廃止の是非を問う。
しかし、冤罪による無期懲役の可能性は無期懲役の欠点ではあるが廃止の是非を問う必要はない。
こちらのほうがおかしいのではないでしょうか?

私は原則論であっても現実論であっても仮定を論じる時であっても、冤罪はすべからく許されるべきではないと思っています。
逆にいえば、私の廃止論に対するこれが答えです。
存置論として冤罪を取り上げる必要はないと考えています。

2047ufloat:2009/06/19(金) 07:43:29
>>2046
>私は原則論であっても現実論であっても仮定を論じる時であっても、冤罪はすべからく許されるべきではないと思っています。
原則論ならともかく、現実論としてそう主張されては、ゼロ回答と同じではありますまいか・・・。

さて、冤罪死刑に関して。
これまでと同じことを書いたとしても、まずもって議論の深まりが期待できませんので、あえて大暴論をば。
日本は死刑存置国です。犯した罪によっては、死刑になることがあります。
それでは、いかなる罪なら死刑になるかといえば、言うまでもなく「殺人」です。
法的には「外患誘致」や「放火」などにも死刑の規定がありますが、実質的にはほぼ「人を殺すこと」のみが
死刑となる犯罪です。また、法の上では人を殺さなくても死刑になる犯罪にしても、人の生命に著しい危険を
及ぼす可能性が非常に高い行為にのみ、死刑が定められていると言ってよいでしょう。
実際、放火は放火でも、生命の危険が発生する可能性が低い非現住建造物への放火には、死刑の規定はありません。

人の生命を奪った場合は、死刑となる可能性がある。これは当然です。
勘違いを受けていそうですが、私は必ずしも死刑廃止派というわけではありませんし、
仮に廃止派であったとしても、日本に死刑がある以上は当然のことです。
ところが、人を監禁して時間を奪ったとしても、死刑となることはありません。
あれ?おかしくありませんか?なぜ死刑にならないのでしょう。
誰かが強姦事件を起こし、被害者に一生癒えない傷を負わせたとしても、死刑にはなりません。
殴られた被害者の体に障害や傷跡が残ったとしても、泥棒があなたの大切な品を盗んで
処分したとしても、この世に2つとない大事なものを誰かが破壊したとしても、死刑にはなりません。
生命が不可逆なら、時間も不可逆でしょう。強姦被害による精神の傷も、傷害事件による一生残る傷も、
あなたの大事な物品の破壊も、すべて不可逆です。
なぜ生命を奪った場合のみ、死刑になる可能性があるのでしょう。
時間にしても、一生の精神の傷にしても、あなたの大切な物品にしても、不可逆でしょうに。
殺人であってもその他であっても、変わらないと考えられませんか。
それは確かに、結果の重さは物品より精神、精神より生命の方が上かもしれません。
しかし、これ全部許してはいけないのではありませんか?
生命を奪った場合は、時として生命をもって償えという。
しかし、時間やその他を奪った場合は、生命をもって償う必要はない。
変ですよね。強姦も傷害も窃盗も器物破損も、不可逆の損害を与えうるはずなのに。
これはおかしいのではないでしょうか。
どれも死刑に処せられてしかるべきか、あるいは全部死刑に問わないか、でなくてはならないでしょうに。

我ながらとんでもない大暴論でしたが、意図の1%でも伝わったなら幸いです。

2048カレーライス:2009/06/19(金) 11:20:31
>>2047
ゼロ回答と言われてもすごく困るのですが。
私はしっかりと回答していると思いますよ。
ただあなたの望む回答でないことは認めます。
なにより私の言っていることの意味を理解でき、それが間違っていないとあなた自身がわかっているならこれは回答ではないでしょうか?

罰というのは罪の種類(重さ)によってその量刑が変化します。
あなたは「冤罪死刑は人を殺すことが過ちだ」とおっしゃっているのだと私は解釈しているのですがそれでよろしいでしょうか?
同じように「冤罪無期懲役は人を懲役刑をあたえることが過ちだ」としているのでしょう。
人を殺すこと、懲役刑を与えることを意図してやったのだとすればあなたの言うようにそれぞれの過ちの重さが変わってくるでしょう。
しかし実際に冤罪事件とは判断を誤ったことが過ちなのではないでしょうか?
誤った判断をした結果として人を殺してしまった、もしくは懲役刑を与えてしまった。
結果として相手に与える損害は大きく異なりますが、過ちは判断を誤ったことです。

冤罪の問題点とはどこなのでしょうか?
裁判官が誤った判断をし、冤罪が発生し、無実の人が死刑になった。
さて、この時、冤罪が発生したのはなぜか?
その原因は「裁判官の誤った判断」です。
そしてその結果として「無実の人が死刑になった」あります。
「何が過ちなのか?」に対する認識が私とあなたとは違うからこそずっと平行線が続いているのでしょう。
冤罪の過ちは「原因」なのか「結果」なのか根本的に重視する部分が異なるのですから平行線になって当然です。

私は冤罪の過ちは原因にあると思います。
裁判官が判断を誤らなかったらその結果は生まれない。
ならは問題になるのは「判断を誤ったこと」ではないでしょうか?

死刑制度が存在していることによって冤罪死刑が生まれたというのは間違いないことです。
しかし裁判官が判断を誤るから冤罪死刑が発生するのではないでしょうか。
死刑が存在することが誤りなのか、裁判官が判断を間違えることが誤りなのかをもう一度考えてみてください。
もしも死刑が存在することが誤りなのだとしたら、全ての冤罪事件の誤りは刑罰があることが誤りになってしまいます。

2049紫煙狼:2009/06/19(金) 23:45:51
>>2044
あやうく凄まじく重要な点を見落とすところでした。
>絶対的終身刑を採用するのはコスト面などを考えてあまり現実的とはいえませんので
つまり金がかかるから殺すんですね?????おそろしい物言いだ。

2050カレーライス:2009/06/20(土) 00:09:03
>>2049
なんかものすごく釈然としないのですが…
もっとほかに疑問に思うことやご自身がなぜ廃止をしなければならないのかと言った意見をお聞きしたいです。

”死刑廃止以前に”絶対的終身刑を採用するのはコスト面などを考えてあまり現実的とは言えないと記してあります。
”死刑廃止以前に”にとしているのに金がかかるから殺すなどというのは理屈としておかしくないですか?
また、政治の上で金の問題は議論に上がって当然でしょう。
税金は無限に徴収することはできません。
予算が限られている以上、より合理的に判断をするのは当たり前ではないですか?

もう少し実りのある議論をお願いします。

2051無精髭:2009/06/20(土) 01:35:41
過去ログにおいてこの度の議論に関連のあるレスをよりにもよって私からご提示いたすのは筋違い甚だしいのですけれども。

>>2050
>もっとほかに疑問に思うことやご自身がなぜ廃止をしなければならないのかと言った意見をお聞きしたいです。
おそらく紫煙狼さんからしてみれば、ここ一連の議論で最初に投稿なさった
>>2004-2006>>2008
で、大体のところは言い尽くされているのではないでしょうか。
他にも、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1058885208/495-496
が参考になります。

紫煙狼さんの死刑論その他について、内容的に充実していて、時期的に集中している投稿は以下。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047791805/1836-1982
これは同害報復の是非についてです。私のせいで議論があっちこっちへ脱線してますが、
入江さん(死刑存置派で同害報復論者)という方と紫煙狼さんのレス以外は読み飛ばして戴いたほうが宜しいかもです。
ああ、Kenさんも参加されてますので、そちらも併せてご覧下さい。途中でやる気をなくされたかの観がありますが。

あと遡りますが、
>>2002
>では、実際に犯罪に対する抑止力はないのでしょうか?
>これを証明することは誰にも出来ません。

死刑の犯罪抑止力についてはKenさんの書き込みが参考になります。
(ご存知のソースでしたらごめんなさい)
>>1752
>>1794-1795
>>1797
>>1801>>1807-1808

閑話休題。

>>1999で申しましたように、
>焦って議論を吹っかけるよりも(荒らしでもない限り、
>そういう人はたぶん相手にされません)気を長くしていて
>ちょくちょく覗いて見るほうが好いかと思います
今、場の雰囲気が()内に書かれたような感じになりかけているのかなぁって気が。。。はるか上にて、ホスト規制された「菊田先生」
とかいう方や「しげる」とかいう方とその愉快な一門さんたちがいましたが、みなさんそういう方の相手はするんですよね。
彼らと議論するためではないですけど。

・・・もう少し経ったら議論に復帰できそうです(苦笑)。

2052ufloat:2009/06/20(土) 02:09:08
新しい流れに少し乗ってみようかと。
>>2050
いや、十分実りあるテーマかと。
外国の調査ですが、死刑より終身刑の方が実は費用が安かった、という調査もありましたね。
無論、いかなる場合にも当てはまるか、特に日本で当てはまるかは、全くの別問題ですが。
そんなこんなで、別にカレーライスさんにのみ質問するわけではなく、他の様々な立場の方にも
考えていただきたいのですが、仮にあなたの意見が死刑存置と廃止の境界線上にあるとして、
コストの問題が明らかになったとしましょう。
絶対的終身刑の方が死刑より or 死刑の方が絶対的終身刑より、いくらか安いと判明したのです。
あなたがこれをもって、死刑存置 or 廃止論者となることはありますか?それとも、この結果は判断に無影響ですか?

平たく言えば、コストは判断材料の1つになりえるか、という質問です。
私はおそらく無影響の側でしょう。「金がかかるので囚人に首くくらせることにした」、あるいは
「金がかかるので死刑囚たちを飼い殺しにすることにした」、というのに納得いきませんので。
ただ、「その分の金を犯罪抑止など割り当て、命を救った方がいいのではないか」などといった
意見を否定することは私にはできませんので、どちらが正しいなどと言う気はもちろんありません。
どのように判断するからどうこうではなく、死刑とコストに関してどのような考え方があるのか、
どれほど重視されるべきなのかが知りたいな、と。

>>2051
色々申し訳ありません。
カレーライスさんとの議論では、私も得るものはそれなりにあったのですが、
そろそろ謝意を表して区切りをつけたものかと考えておりました。ご迷惑おかけしました。
やはり私は、無精髭さんの言うところの「ROM専」がせいぜいで、Uターンすべきなのかもしれません。

2053カレーライス:2009/06/20(土) 03:18:19
>>2051
正直に言うと私がこのスレに来て1番疑問に思っていることは死刑廃止論者だと言いながら廃止論がほとんど展開されないことです。
どちらかと言うと「死刑存置論に対して反対をする」に議論が留まっていることがすごく不思議です。

私が「死刑廃止後の受け皿がない」として、いくつかの死刑を廃止できない、存置すべき事由を挙げさせていただきました。
みなさん、それは間違っているという意見はたくさん出てくるのですが、こうすべきだ(死刑を廃止して終身刑を導入するだったり、死刑を廃止して現在の無期懲役で仮釈放条件の見直しを図る)と言った意見がまったく出てこないんです。
存置が間違っているという主張に終始しているため、「廃止論」となっていないと感じるのは私だけなのでしょうか?

制度に反対するというのは素晴らしいことだと思います。
しかし、その制度の入れ替わってよりよい社会環境が出来上がることが前提でなければそれはただの制度に反対するだけの批判に留まってしまいます。
話をしていてここにいらっしゃる方は「法」について、世界の状況についてとても明るい方が多いと感じています。
ならば是非にそう言った方の「廃止論」をお聞かせいただきたい。
それこそが私がここにきて1番望んでいることです。

私は焦りすぎていますか?

2054カレーライス:2009/06/20(土) 04:02:10
>>2052
アメリカでは死刑囚1人当たり2億円以上のお金がかかると言われています。
それに引き換え終身刑では年間200万円程度の費用がかかると言われています。
終身刑受刑者が100年収容されるのと死刑囚1人が同じくらいの金額がかかるということらしいです。
もちろん終身刑受刑者だからと言って100年も収容されることはないので終身刑のほうが費用が安く済むということになります。

果たして本当に終身刑のほうが費用が安く済むのでしょうか?
収容費用と言うのは死刑囚も無期刑囚もさほど変わりはないでしょう。

ではなぜ、死刑が他の刑罰よりも費用が多く必要なのかを考えればその答えはおのずと明確になるでしょう。
まず他の刑罰よりも突出して多くの費用がかかるのが裁判費用です。
死刑判決が出るような裁判ではよほどのことがない限り、最高裁まで上告が行われます。
そしてそれに費やされる時間とお金はその分増大します。
また、死刑判決を受けた後でも再審請求などが行われます。
これによってさらに費用が増大するわけです。

死刑というのは極刑であり、最高刑です。
これ以上重い罰はありません。
被告人が控訴、上告する場合考えるのは、自分がより軽い刑罰になりたいと考え判決に異議を唱えるわけです。
その際にもちろん最高刑である死刑にはなりたくないと考え、死刑判決が出たら控訴、上告を行うこととなります。
言いかえるならば死刑判決が出た時、控訴、上告をすればもしかしたら罰が軽くなるかもしれないということです。
すでに最高刑判決が出ているために、控訴、上告でこれ以上重い罰の判決が出ることはないとわかっているためにほとんどの被告人が行うこととなります。

ここまで来ると私の言いたいことも伝わるかと思いますが、死刑は死刑だから費用がかかるのではないということです。
死刑は最高刑だからこそ費用がかかっているということですね。

では、死刑が廃止され、終身刑が新たに採用されたとします。
当然最高刑が終身刑となるわけですが、被告人は死刑ではないからと言って最高刑の終身刑判決を受けて告訴、上告をしないという選択をするでしょうか?
答えはNOです。
告訴、上告をしても今以上に重い刑罰になることはないのでより軽い刑罰の判決が出ることを期待して告訴、上告するでしょう。

そうなると死刑の費用がいくらで終身刑の費用がいくらという考え方よりも、裁判費用や再審請求費用は最高刑であるならばさほど差異はないということです。
あとは実際に収監する費用と死刑にのみかかる死刑費用ですが、当たり前ですがこれは終身刑受刑者のほうが圧倒的に多くかかることになります。
収容期間も当然終身刑のほうが長くなりますし、病気やケガをした時の治療費も終身刑のほうが多くかかるでしょう。
また、終身刑受刑者が老年になったときに介護費用もかかります。

そう言ったコストを全て合算すると最高刑が死刑よりも最高刑が終身刑のほうが多くのコストがかかることになります。

さて、本題ですが、私はコストで死刑の存廃を語るべきではないと考えます。
存廃問題はそんなことよりももっと重要な問題がたくさんあるでしょう。
もちろん、死刑を存置しながら終身刑を採用することはあり得ないと思っています。

2055Ken:2009/06/20(土) 12:37:50
>>2044
紫煙狼さんと同じく、ちょっと待ってw

この嘆願書に関する記事読んでみましたけど(どちらも興味深かったです)、一番肝心な>>2002「それはなんと絶対的終身刑受刑者からの声でした」の部分が読み取れないんですけど。イタリアの記事に関しては

>>要するに、終身刑とは名ばかりで、一生を監獄で送る例はないといっていい。

フランスの記事に関しては

>>10人の無期懲役囚が「火にじわじわと焼かれるより直ちに殺された方がまし」との公開状を提出した。

要するに日本の無期懲役相当の囚人が刑期を短くしてくれ、ないし待遇を改善してくれとごねてるだけなんじゃ...。どちらも2年前の記事なんで両国でつい最近になって仮釈放のない終身刑が廃止されたと考えるのは不自然じゃないですか。あと「死刑にしてくれ」はどう考えてもレトリックで本当に死刑になりたいわけじゃないでしょ。その証拠にイタリアでは

>>どうせ同情を買う狙いだろうと思っていたら、国会議員の多くから「終身刑廃止」の声が上がった。何事につけても、石は投げてみるものだ。

フランスの記事では

>>強盗の罪で約20年収監され、出所したクロード・ルカスは、「死刑は民主主義の恥だが、それをただ終身刑に置き換えるのも良くない。終身刑は拷問だ。刑期は20年以下とすべきだ。それを超えては、誰も新たな人生を再開できない」と語っている。

というように、終身刑囚が世間の注目を集めるためだけに「死刑復活」という言葉を使ってるだけなんじゃ...。

>>死刑廃止が現実的になったときにその代替案として仮釈放なしの終身刑が設けられたのではないでしょうか。で、実際運用してみて問題点が多かったため廃止したと考えるのが自然だと思います。死刑廃止以前に絶対的終身刑を採用するのはコスト面などを考えてあまり現実的とはいえませんので。

これ、カレーさんの憶測ですよね。死刑を仮釈放のない終身刑で代替したという事実ないしそれを示唆するようなことは一切見つからないのですが。たとえばカレーさんに教えてもらったサイトではフランスに関しては「既に確定している死刑判決を期懲役刑又は無期禁錮刑に代替」って書いてありますけど。
http://www.geocities.jp/aphros67/090540.htm
あと、フランスの記事の原文では、死刑廃止直前に死刑判決を受けたPhilippe Mauriceは減刑されて20年刑務所に入った後釈放されたとあります。だから、少なくともフランスは死刑を仮釈放のない終身刑で代替させてないです。

事実は、ヨーロッパでは(少なくともフランスでは)単に死刑を廃止しただけで、それまで死刑相当だった人が終身刑(無期懲役)を受けるようになっただけで、あらたに仮釈放のない終身刑を導入したという事実はない、じゃないですかね。

それで、私の最初の論点に立ち返りたいのですが、これらヨーロッパの事例から汲むべきことは「ヨーロッパでは犯罪者の人権が尊重されていて、死刑がとっくに廃止されたばかりか、今では終身刑(無期懲役)でさえ問題視されているらしい」ということであって、どう考えてもヨーロッパの事例が日本の死刑制度を維持する根拠になるはずがないです。要するに、人権尊重の見地からまず問題にすべきなのは今存在している死刑であってまだ導入されてもいない仮釈放のない終身刑ではないです。「日本で死刑が廃止されたら後にどうするか」という前提の上でなら、仮釈放のない終身刑の導入には慎重になったほうがいいだろうという点に関しては同意できますが。

>>私自身もかなり懐疑的でしたがこの2つに目を通してなるほど考えるようになりました。

一つ目の記事はデータが豊富で私好みです。二つ目の記事は以前誰かがすでに紹介してますね。来栖さんによる記事は「何だかな」という感想が多いのですが、この記事も「何だかな」という感じです。

2056Ken:2009/06/20(土) 12:42:21
>>2045
仮釈放のない終身刑に関しては二つの側面からアプローチすることができると思います。

・法理面
>>しかし、仮釈放を認めない決定を出したとしても、30年経過した時点で破棄院においてその決定を取り消すというものです。

確かに、よく考えたらそうですね。破棄院が取り消すことのできるという特別決定は、後者の仮釈放が認められない無期懲役のことですね。ただし、「可能である」というこうことは取り消さなくてもいいわけで、はやり法理面からはフランスには仮釈放のない終身刑があるというのが正しいと思います。あらゆる刑罰にはふつう恩赦や減刑の取り決めがありますし。

・実態/運用面
>>つまり事実上絶対的終身刑は存在しないとなります。現在、フランスに絶対的終身刑を受けている受刑者は1人もいません。

フランスで最長受刑記録(41年)を持ってるのはLucien Légerという人です。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Lucien_L%C3%A9ger
http://intlawgrrls.blogspot.com/2008/05/lwop-under-european-judicial-review.html

11歳の男の子を殺して終身刑判決を受けたということで最初は仮釈放が認められない特別決定を受けたのかと思いましたが、そうじゃなくて改悛の情がないとして仮釈放の申請をことごとくはねられた結果だそうです。ただし、上記サイトではこれだけ刑期が長いのは事実上のLWOPだと批判されてます。

カレーさんがLWOP(もうめんどくさいんでこう書きます)がある、ほぼ唯一の例外だという英国での最長受刑記録は55年でJohn Straffenという人が持っています。真性のLWOP受刑囚。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Straffen

それで、日本はどうかというと2008年の時点で50年以上の無期懲役囚がなんと6人、40年以上が24人、ということなので、日本には事実上仮釈放のない終身刑が存在すると考えないとおかしいです。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/82129ef2e4d139f6402b621ef16f0ad5
米国と比べて日本ってぬるいなあ、とか思ってましたけど、ヨーロッパと比べると日本は凄まじいですw
仮釈放のない終身刑の導入に反対する政治家とかって、上っ面をなぞっているだけだなんだなあと。50年以上服役している人を無視すんなよ。

2057Ken:2009/06/20(土) 12:45:11
>>2053
死刑を支持するとつるし上げにあうというのは他所ではあまりなさそうですよね。

2058Ken:2009/06/20(土) 12:46:08
>>2052ただ、「その分の金を犯罪抑止など割り当て、命を救った方がいいのではないか」などといった
意見を否定することは私にはできませんので、どちらが正しいなどと言う気はもちろんありません。

死刑廃止によってういたお金を犯罪対策に当てることもできるわけで、その抑止力が死刑そのものによる抑止力を上回るのであれば、死刑の抑止力を強調する死刑存置論者は当然死刑廃止派に鞍替えせにゃ筋が通ってないですよね。米国では実際、まさにその論点から死刑廃止を唱えている人たちがいます。>>1751参照。

2059オタ@リーマン:2009/06/20(土) 17:47:25
ども。
ヨコからになるかもしんねけど。
こんしゅう辺見庸タンの「犬と日常と絞首刑」がわりと話題になったよ。
はっとくね。http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/inuto.htm
http://yo-hemmi.net/category/6531743-1.html

2060loveless:2009/06/21(日) 02:44:04
#最近スレの進行が早くてついていけない・・

>>2059
コラム読みました。紹介ありがとうございます。

率直な感想としては、「死刑廃止」活動を妨害しているのは、こういうコラムの存在なんじゃなかろうか?
と思ったりしました。
プロの作家さんなので、おそらく意図的にミスリードしようとしていると思いますが、ちょっと酷いですね。

まず、死刑制度を天皇制と結び付けて考えるのは、問題をより複雑にするだけで何の利点もないですね。
それよりも、その後で記述されているように、また、ハンムラビ法典の例をあげるまでもなく、
死刑というものが、そもそも文明社会成立において、その制度維持に必要だった普遍的なものである
という見方の方が正しいかと思います(死刑が日本固有の文化というわけでない)。

つまり、何らかの文明社会が成立するにあたって、死刑制度が存在するほうが普通であって、
そうでないのが特殊であると考えます。で、あるならば、その後の記述で「EUの制度にどのように反論するか」
などと死刑存置派に問われてモナー、という感想を持ちました。

廃止の方が制度として特殊だと書いているのだから、どの辺りが特殊で、どの辺りが死刑存置に比べ「優位」
なのか説明する責任は廃止派にある、と結論するのが普通かと思います。

例えば、、、最近、人の「死の定義」について国会で議論されていますが、これなんかも、普遍的な考えを
覆そうとしている動きであり、脳死派はさまざまな「利点」について説明・議論しているかと思います。
それでも、脳死がすんなり受け入れられるかは微妙な情勢ですから、それに比べても死刑廃止の「優位」点は
説明が不足していると思います。

ちなみに、EUの制度がなぜ特殊な方向へ動いたかというのは、EUがキリスト教文化圏であるという文化面を
考えないといけないと思います(日本はキリスト教文化圏じゃないんだから、死刑制度についてEUの制度
を真似する必要はないと思います)。

2061loveless:2009/06/21(日) 02:55:02
続き、、
ちなみに、日本も平安時代は長らく死刑が停止していた時期がありました。
これは日本の歴史の中でも特殊な時期であったと言えるかもしれませんが、
わざわざEUなどを引き合いに出さずとも、この時期、なぜ停止していたのか?
停止して不都合はなかったのか?なぜ復活したのか?といったことを見直すのも
よいかと思います。

なお、私は存置派なので上記について説明する気はありませんw

2062紫煙狼:2009/06/22(月) 00:01:12
あんまり同じことを何度も申し上げるのは好きではないので、私の主張は他の人の主張とあわせて
過去のログをご覧頂きたいですね。特にこれ、と言った提示はしませんよ?むしろ、私の死刑廃止論が
どれくらい右左に大きくブレながら、ここまで来ているかの過程もお楽しみアレ(笑)

でね?死刑を廃止するなら、それに代替されるものを挙げよ!ってのは私一人じゃ無理。というのも、
私の主張自体は「死刑が刑罰として不適切で危険なものであるから廃止の方向で考えるべき」であって、
ただし「死刑を廃止するとして何が必要となってくるのかはみんなで考えませんか?」というスタンス
ですから。「どうやったら死刑を廃止できるか考えましょう?」と呼びかけているだけですから。
そして「死刑を廃止するに充分な制度や体制が整うまで死刑は廃止するべきではない」という存置論も
私は主張していますよ?そこが私の中途半端なところでもあり、限界でもあるのですがね。

で、カレーさんは「死刑に代替できる刑罰なんて存在し得ない」のだから「死刑を廃止するべきではない」
と仰るが私は「そう?それって死刑が存在することを良いことに、あるべき姿への模索を放棄してない?」
と天邪鬼るわけです。

はっきり言って、今現在、適法であるとして通用している死刑制度を存置することに言い訳なんて不要でしょ?
もう少し突っ込んで言えば>>2001「ですが私自身は死刑は本来ない方がいいと思っています。」これは私の言う
廃止論とは全然意味合いが違いますよね?あなたが望んでいるのは死刑を適用しなければならないだろう犯罪の
発生がなくなればいい、と言っているのであって、もし、それが可能であれば、逆に制度として死刑を残して
おいても何ら問題ないでしょう(笑)ただ、私は死刑が死文化しても、残されている限り廃止を訴えますよ?
だって、死刑は躾けたり得ないもの。

まだ勘違いが抜けないようなので重ねて言いますが「今すぐ死刑を廃止したらデメリットしかない」のは
こっちも百も承知なんだわ。で、カレーさんの言う受け皿問題ってのは私にとっても課題の一つなのよ。
だから「じゃぁ何か提案してみろ」って言われても、カレーさんを唸らせるような妙案は一つも出やしない。
これが解決できない限り、死刑を廃止するべきではない、ってのも同じ見解ですよ。

ただ、私がアナタの意見に対し反論をぶつけるのは、私のほうが正しいことを言っていると証明したいのではなく、
「死刑はベストではない。ベターでしかありえない。」ことを立証しているのであって、現実的な運用から言って
現状ではベターを選択するより他にないのは自明の理なのですよ。そういう面ではカレーさんの主張は非常に
合理的だし、現状においてはベストと言ってもいいんじゃないですかね?私は別にカレーさんの存置論を受け入れ
るのにちいっとも吝かじゃないですよ。ベターでしかないのはカレーさん御自身でも認めていなさるでしょう?
ならば、一緒にベストを模索しませんか?

そういう面で、カレーさんと私の唯一の差は「死刑がベストである可能性」を認めるか認めないか…でしょうね。
私は死刑はベター以上になりえないと考えるので、ベターを採択しつつもベストを目指す必要性を説くし、
カレーさんは「死刑がベストである可能性を否定しない」ので、その必要性を感じないのでしょうね。。。

2063ufloat:2009/06/22(月) 01:51:53
最近、なぜか眠い割に寝不足で、何か変なことを書いてしまうかもしれませんが・・・。

>>2054
まずはお答えいただきありがとうございます。
でしたら、カレーライスさんの意図としては、記事中で「コスト」と書いてはみたものの、
それは存置理由とはしない、ということでよろしいでしょうか
(単なる確認です。トラップなど仕掛けてはおりません(笑)。念のため)。

さて、本題にお答え願えたので、この先を書く必要はあまりない気がしないでもありませんが、一応。
死刑に金がかかる理由が、裁判費用などにあることについてはほとんど議論の余地はありませんが、
そのようになる理由としては、私は「最高刑だから」ではなく「罰による部分が大きい」と考えています。
米国では分かりませんが、少なくとも日本の今の制度では。
まずカレーライスさんのおっしゃる
>すでに最高刑判決が出ているために、控訴、上告でこれ以上重い罰の判決が出ることはないと
>わかっているためにほとんどの被告人が行うこととなります
これですが、刑事訴訟法の第四百二条に
「被告人が控訴をし、又は被告人のため控訴をした事件については、原判決の刑より重い刑を言い渡すことはできない」
とありますので、最高刑だから控訴する、ということはないでしょう
(被告人と検察が双方控訴した場合には、当然判決が重くなることはあります)。
それでは、いかなる場合に控訴や上告、再審請求といった行為が行われるのでしょう。
例えば、日本で絞首刑以上の刑罰を導入したとしましょう。lovelessさんが言及されているような時代の、
火刑だとか、一族根絶やしだとか、キリストの十字架だとか、何か絞首刑より重い刑罰を。
もし私がそのような判決を出されたら、それはもう、死に物狂いで控訴や再審請求を出すと思いますよ。
しかし、絞首刑より重い刑罰が作られたからといって、絞首刑判決の被告人や死刑囚たちが
控訴をしなくなったり、再審請求を出さなくなるかといえば、私にはそうは見えないのです。
絶対に減らないかは検証しようがありませんが、ほとんど減らないのではないかと考えています。
一方で、控訴や上告がなされているうちは未決ですし、再審請求も死刑を回避できる可能性がありますので、
死刑の執行を遅らせる意味で、これらをやっている被告人・死刑囚らも少なくないでしょう。
終身刑や無期懲役は、収監自体が目的の刑罰ですから、このようなことは発生しえませんよね。
したがって、死刑が終身刑よりコストがかかるのは「死刑だから」と表現することもでき、
Kenさんが >>2058 にて紹介されているような主張にも、十分な説得力が出てくるかと考えています。

ちなみに・・・。
私は死刑反対派ではなく、廃止派と名乗るにも語弊があり、「慎重派」くらいかと、自分では考えています。
現状はひとまず安定した形ではあるものの、もしそれより良い方法があるのなら、死刑存続にこだわるつもりはなく、
死刑廃止もいとわない、程度に考えていただければと。ただ、私はまだ「良い方法」を得られておらず、現在模索中です。

2064ofr:2009/06/22(月) 19:59:34
罪を裁くのであって被告人を裁くのではない
って、それなら被告人不詳、被告人不在でいいじゃん
上手い事を言おうとして自分でわけわかんなくなってねぇか?

久々にワロタ\(^O^)/

2065紫煙狼:2009/06/22(月) 21:48:31
>>2064
ちがうよ。罪こそが裁かれる主体なのだから、被告人に対する個人的な
感傷は捨てて、冷静に冷徹に公平に裁くべきだと言っているんだよ。
加害者・被害者、どちらの情にも流されず、公平に裁くべきと言って
いるんだよ。それくらい読み取ってあげようよ。

2066無精髭:2009/06/22(月) 23:28:47
>>2033>>2040
では、船・海つながりで・・・私もささやかな小噺をば。
みなさん、G・K・チェスタトンはご存知でしょうか?
ブラウン神父譚というシリーズ物の短編推理小説を書き、
江戸川乱歩をして「トリックの宝庫」などと言わしめた、
その道では有名な人です。逆説と警句を駆使しときに諧謔
をも交えながら物語る手法は、彼の本業である文芸・文明
批評家としての気質と才能によるところがおそらく多分で、
ミステリーの作品群はその副産物といって好いでしょう。

そんな彼にこんなエピソード。

「無人島に漂着したとして、そのとき持っていたいと思う
本を一冊挙げてみよ」とのアンケートに、他の者が
「聖書」とか「シェイクスピアの戯曲」を挙げる中で、
この皮肉屋は「造船術の本」と答えたらしいです(笑)。
http://www.geocities.jp/luck_of_eden_hall/c/giru.html
日本語で検索してみたのですが、ほんの少ししかヒットしませんでしたね。

英文 http://www.anecdotage.com/index.php?aid=1933

このことを私は澁澤龍彦経由で知りましたが(どの本に書いてあったかは失念)。
問いに対する答えというのは、問われている当のものを
光の下にさらけ出すこともあれば、場合によって答え
そのものを無効にしてしまうこともあるわけですね。

2067無精髭:2009/06/22(月) 23:34:19
>>2066訂正
すいません。
下から2行目>場合によって答えそのものを無効にしてしまうこともある
「答え」ではなくて「問い」の方でした。

2068無精髭:2009/06/23(火) 00:00:25
気を取り直して。>>2053
上記、私が紹介いたしました諸賢の過去レスをお読みになった上でのご発言であれば、
「廃止論が展開されていない」とのご指摘の点について私から言うべきことは何も
ございません。確かにお疑いのように、カレーライスさんがこちらへいらしてから
廃止派から展開されたという事実はないですね。しかし、死刑廃止論にはおそらく
2つの側面があると思われるのです。一つは死刑制度とそれを支持する言説への批判。
もう一つはカレーライスさんが仰ったような展開された廃止論、存置論に対比される廃止論
でしょう。これらは互いに無関係でなく同じコインの両面のようなものだと思います。
ですから、カレーライスさんのご主張に向けられた批判は、書かれていない部分(言外の意)
を含めて読み込めば、完璧とは言えずとも、中途半端には廃止論的であるはずです。
もう少し具体的に申しますと、カレーライスさんがご自身の主張に対してなぜ批判が
ありうるのかをお考えになり、その批判者の意図や反論が成り立つ根拠を汲みあげ、それを
頼りに想像力をフルに働かせて戴けるなら、朧げながらも当の批判者に特有の論理の輪郭
は見えてくるかと思われます。また、同一人物による、それぞれ異なった時間・スレに
投稿された複数の文の間に関連性を読み取るということも、議論相手(友でもあるし
敵でもある)を知る上で重要ですから、やはりこのスレのみならず、BBS全ての過去ログ
参照は必要なのでしょうね。

カレーライスさんは、字義通りの読解にかけては文句の付けようがありませんが、
パフォーマンスとしての言語表現を読み取ることにかけては苦手なご様子。どうやら
これは言語行為論における、言語表現の事実確認的、並びに言語遂行的側面という
分類に当てはまるらしいのですがね。良い例が、カレーさんが>>2002で論拠として
提出された終身刑囚らの嘆願書の件でしょう。彼らの「殺してくれ」という言葉が
どういう状況で・誰によって・どのような形で発せられたかで、その意味がどの程度
字義・語義から遊離して多様に解釈され得るかも変わるわけです。「このカレーライスは
死ぬほど美味い」と言っても別にカレーを食べて死にそうになっているわけではないし、
「風呂・飯・寝る」の三拍子もそれしか言わない亭主関白な夫の存在があればこそ
意味の通ずる言葉なのです(冗談)。あと、これは批評家の東浩紀氏が以前好んで
使っていた例ですが(今もか?)、「お前はバカだ」という言葉には「A(私がお前と
呼ぶところの存在)はバカである」という事実を指示するコンスタンティヴな機能と、
「お前はバカだ」と相手に伝えることで同時に語義以上のものを伝達するパフォーマティヴ
な機能がある、と。注意すべきことは、前者に対しては正誤を問うことができるが、
後者に対しては正誤を問うことが出来ないということです。なぜなら「お前はバカだ」
と言うことで親愛の情を伝えることだってありうるから、だそうです。したがって
そこでは、発話者の発言が文法に違わぬか否か・事実に妥当するかどうかではなく、
発話者の意図が聞き手にきちんと伝わったかどうかが問題となります。つまり言語のパフォー
マティヴな面については、正誤でなく、成否を問うことが有効となる、とのことです。
愛情表現のつもりで「お前はバカだ」と言って、相手が怒り出したら失敗になるわけ
ですね。こういった例はネット上のコミュニケーションでは良く見られる光景でしょう。
私がカレーライスさんに焦っているのではないか、という風な趣旨の書き込みをしたら、
カレーライスさんから実は全然焦っていなかったと取れるレスポンスがありましたが、
この場合は先述した例と事情が異なりかなり複雑ですが、私の「少し過去ログを読んで
(一服でもして)、落ち着きましょう」という意図が、カレーライスさんの一連の書き込み
におけるパフォーマティヴな面を読み誤ったことに端を発している、といったことに
どうやらなるようです。そういえば「犯罪や冤罪は許されない」という言葉にも、
事実に符合する側面と、意図を伝達する側面がありますね。

2069無精髭:2009/06/23(火) 00:00:56
「犯罪や冤罪はすべからく許されざるべき」という言辞には、原則としてみれば
コンスタンティヴな正しさは確実にあると言えるでしょうが(※)、果たして
それを字義通りに解釈した場合のパフォーマティヴな効果は望めるものでしょうか。
つまり、社会内の治安維持やそこに生きる人々の生活保全のため、その中にいて
それらに無関係ではいられない者にとってはその言辞を疑い得ないという点で、正しく
なければならないのでしょうが、「犯罪・冤罪は絶対に許されざるべき」と声高々と
言明することに犯罪や冤罪を予防する効果は見込めるのかどうか、それは成功しうるか
どうかは、カレーライスさんが仰るかのごとき自明の理とはちょっと思えないというのが、
私の正直な感想です。あと、本題から逸れますが、本当に「犯罪や冤罪はすべからく
許されない」ことなんでしょうかね? 逆に、「犯罪や冤罪は許されることがある」
が正しいんじゃないでしょうか。もしくは、許されたといっても好い様な事例が過去に
あるんじゃないでしょうか。いずれにせよ、カレーライスさんが「防犯思想の第一条件」
と仰ったあの言辞は、むしろ事実そうだから原則となるのではなく、言葉の意味など
問うことなく社会内部に出回ることで原則となる、いちいち由来を疑わずにただ周りに
説いて聞かせることで人々の間で防犯思想として定着する、とまぁこういう風に意味に
注目するより先に機能として捉えるべきなのでしょう。冤罪問題については後日再び
書き込むかもです。繰り返しになるかもしれませんが。

※関係ない話かもしれませんが、事実命題のみから当為命題は導出できないとか、
記述文「〜である」と規範文「〜べし」は論理的身分が異なるというのが、論理学の定説
らしいです。って有名な話ですけど。

2070無精髭:2009/06/23(火) 00:34:24
紫煙狼さんの>>2062がある以上、以下は無用なレスの可能性大ですが。

>しかし、その制度の入れ替わってよりよい社会環境が出来上がることが前提でなければそれはただの制度に反対するだけの批判に留まってしまいます
実に良く分かります。「裁判員制度+被害者参加制度」スレッドで紫煙狼さんが裁判員制度を
無意味であると難じられたカレーライスさんに対して仰ったことと同様の趣旨のお話ですので。

>>2050で、「もう少し実りのある議論をお願いします。」 と仰いましたけれど、
紫煙狼さんからしてみれば、同じ土俵に立ってくれないのであればそんなこと
言われてもなあ、って心境だと思いますよ(ufloatさんはそれなりに得るものがあったと
仰っていますが)。そんなカレーライスさんはというと、冤罪問題は死刑存廃問題とは
関係ないと断じたかと思えば、終身刑の非人道性を死刑存置の論拠の一つになさって
いたところをKenさんに擬似問題ではないかと指摘されて(後に存廃後の問題であると
訂正されましたが)、それでも尚死刑の代替刑があるか否かという問題に拘っておられる。
死刑制度の役割・機能・意義を刑罰制度の中でだけ論じようとする姿勢がカレーライスさん
ご自身を知らず知らずの内に紫煙狼さんから引き離してしまうのではないですかね。
そしてKenさんとの距離はさらに遠いものであろうと私は見ております。

ちなみに>>2049の件ですが、、、
カレーさんが行刑コストの話をお出しになったから、そんなものは死刑制度を廃止するか
否かにおいて二の次三の次でしょう?っと切って返されたのだと思います。

2071無精髭:2009/06/23(火) 00:34:45
たぶん紫煙狼さんもKenさんもカレーライスさんが仰るような(期待するような形の)廃止論を
披露することは難なく出来ると思いますよ。特に紫煙狼さんの場合、ここに書き込まれる前
から死刑存廃に関する議論は飽きるほどやってきた(あるいは見てきた)のではないかとの
節を過去ログの発言から見て取ることができますし。でも、あえてそういう方針では死刑議論に
望まないと心していらっしゃるのではないでしょうか。死刑制度の是非については内外における
歴史的蓄積がありますが、死刑存置・廃止の双方からさまざまな論拠が提起され、また一方の
主張に対応する他方からの反論が幾度となく試みられていることからもお分かりのように、
双方がともに相手側から容易に論破されぬように防御という形でかなり慎重な論理を展開している
かに思われます。カレーさんの存置論はおそらくそういう伝統的な死刑存廃議論の文脈に沿った
ものであるとお見受け致します。ですが、歴史の中で淘汰されたというのもあるのでしょうが、
既存の問題を見渡しやすくするために整理された論点を前提・援用して、言葉は悪いですが
出来合いの問題の中でウンウン唸っていても、人を納得させるような答えは導き出せないのでは
ないでしょうか。そもそも今日まで受け継がれてきた「死刑存廃問題」は、存置派・廃止派の
双方から妥協点を模索して築き上げてきた性格のものというよりは、その問題を共有したと
同時に双方の相違点・対立点が際立ってしまうような性格、一方的な見方をすればいわば自らの
主張の中に相手側の主張にない利点の存在を見出しそれを誇示するといった性格のものだと
思われてなりません。もちろん、カレーライスさんの主張がそうだと申しているわけではなく、
世に広く流通している「死刑存廃問題」がそうではないかと申しているのです。今私は、
「死刑存廃問題」は共有されたと同時に論者を対立する2つの立場・主張に引き裂くという風に
申したつもりでしたが、正しくは「死刑存廃問題」はそれを己の問題として引き受けた時点で、
同じくそれに参加する他者全員と完全に共有されることなどありえない、というべきでしたろう。
「死刑存廃問題」に出会い、その領域に足を踏み入れた者は、死刑制度について存置を問題と
するか(廃止を課題とするか)、廃止を問題とするか(存置を課題とするか)という選択を
迫られることでしょう。あくまで「死刑存廃問題」を己や社会や国家にとって真の問題と見なし、
けっしてその問題の問題たる所以を疑わないのであるならば。ただし、相手の主張を呑みこんで
自らの主張を昇華させる、反対に自分の主張が呑み込まれて相手の主張が昇華される、という
ような議論に発展しうるかどうかは甚だ疑問です。なぜなら既存の問題を無反省に受け入れて
しまう以上、そこに問題そのものの解体の意思もなければ、低次の問題をより高次な問題へと
高めてゆくことや、議論を通して問題が深まることもありえなさそうに思われるからです。
私は、議論の方法・過程とはディアレクティーク(弁証法)こそ本質であり、正しい立論と
それに対する正当かつ有効な批判には、問題の共有が必須であると考えます。

まあ、以上が>>2066-2067で申しあげたかったことをいささか強引に敷衍したものですがね。
こちら以外のところで行われている「死刑存廃問題」を、こちらの皆さんと一緒に無効化・
もしくは解体したいわけですよ、わたくしは。それは同時に本当の<死刑存廃問題>の
生成でもあるでしょうなあ、きっと。

2072無精髭:2009/06/23(火) 00:51:25
>>2068またまた訂正です(苦笑)。
>これは言語行為論における、言語表現の事実確認的、並びに言語遂行的側面という分類に当てはまるらしいのですがね。
「言語遂行的」という部分は「行為遂行的」の誤りです。
学術用語の名称に関する誤記なので、放置はできませんでした。
ちなみに、訂正した箇所から後、何度か出てくる
「コンスタンティヴ」と「パフォーマティヴ」という用語ですが、
前者の訳が「事実確認的」で、後者の訳が「行為遂行的」となります。

2073無精髭:2009/06/23(火) 01:08:00
>>2068-2069>>2072度重なる訂正・連レス、誠に申し訳ない。
曖昧な記憶を頼りに書き連ねて参りましたから、
今になって心配になりググって見たところ、
案の定「コンスタンティヴ」ではなくて
「コンスタティヴ」でした。

2074紫煙狼:2009/06/23(火) 09:00:19
ぶわっはっはっは、あんまり言葉の定義でいじめるのはやめておくれよぉ(笑)

死刑の存廃に関しては強硬派とそうでない派がありますよね?
「死刑は間違っているのだから、受け皿なんてどうでもよくて、即刻停廃止すべし」
なら死刑反対派だし「死刑は正しいことなのだから、未来永劫、残しておくべきだし、
どんどん活用すべし」なら死刑反対派だと思うのですよ。

そういう極右(もしくは極左)勢力に対し、幾分中庸なのが死刑存置派だったり
死刑廃止派だったりすると、私は思っていて、特に私は存置と廃止を同時に
主張しているあたりでは一貫性がないとも言えるし、逆に極端でない分マシかも
しれないと思っています(笑)

そこにおいて、私が「死刑廃止派」を自認するのは、あらゆる体制を整えてまでしても
死刑はいずれ廃止しなければならない、と考えるからであって、逆に、存置派の中には
そこまでいろいろな体制を整えてまでして死刑を廃止する必要はないという人もいる。
そういうことを言いたかったのね。存置派も廃止派も、一定条件の下では、死刑のない刑法
もしくは死刑のある刑法に吝かではない人をさすのだと思うのですよ。

つまり、私は現行法制において死刑が適法として認められている限り、これを認める。
カレーさんも死刑に代替できるすばらしい体制が整うのであれば死刑にこだわる必要はない。
よって、私は死刑廃止派、カレーさんは死刑存置派と名乗りを上げているわけです。

この廃止派と存置派の戦いというのは、廃止派にとって非常に不利な戦いでして…。
というのも、廃止するのに必要なものを一緒に考えてくれる人が異常に少ない。
存置派なんてのはいい気なもので、現状を切々と訴えて「ほら代替案を出してみろ」と
上段の構えで待ち構えていればいい。でも、廃止派というのは、死刑という刑罰自体に
問題を感じていて、今すぐではないにせよ、いずれは廃止の方向に向かうのが正しいと
考えるからには、存置派の人々が考える「一定条件下」つまり死刑に代替され、死刑の
メリットを残しつつデメリットを減ずる案を出さなければご納得いただけないようで…。

そこで、私の戦い方は、まず死刑が必要か不要かではなく、死刑が刑罰としての態を
なしているのか、刑罰とはなんぞや、刑罰によってなにが達成されなければならないか
それを訴えることで、死刑の刑罰としての問題点、死刑が現行では仕方ないにせよ、
どのみち未来永劫に正しい選択とは言いがたいことを浮き彫りにし、そこからは理想を
皆さんのお力を借りて考えませんか?と出るしかないわけです。

2075Ken:2009/06/23(火) 13:14:21
>>2060
わたしも辺見庸さんはわざとまだるっこしく書いてるようなのが嫌いです。ただ、この記事は我が意を得たり、という気がしました。天皇制の箇所は不要だと私も思いましたが(これって単に「なんだ死刑反対論者ってブサヨじゃん」という予断しか与えないと思います)。しかしながら

>>死刑制度を天皇制と結び付けて考えるのは、問題をより複雑にするだけで何の利点もない

と書いておきながら

>>EUの制度がなぜ特殊な方向へ動いたかというのは、EUがキリスト教文化圏であるという文化面を考えないといけない

は同じ間違いを犯しているような。死刑制度をキリスト教と結び付けて考えるのも、問題をより複雑にするだけで何の利点もないような。まだEU正式加盟国にはなってないですが、トルコとアルバニアは事実上のイスラム国ですし(ただし、両国とも完全には死刑を廃してないようです)、それいっちゃうと、カンボジア、ミクロネシア、ネパール、パラオ、東チモール、トルクメニスタン、といったキリスト教ではないアジアの国でなぜ死刑が廃止されえたのか、一大キリスト教国の米国がなぜ熱心に死刑を行っているのか、うまく説明できんでしょう。(死刑廃止国・存置国の一覧は以下からリンクを辿ってください)
http://www.un.org/docs/ecosoc/documents.asp?id=880

もうしゃあないから、専門誌の論文読んでますけど、この国連報告書では死刑廃止国に代替刑は何かも聞いていて、それによると
・LWOPで代替させた国―なし(ただし下記も参照)

・殺人には終身刑を一律に課す国―7カ国
フィンランド(仮釈放には大統領恩赦が必要、平均して13年)、ルーマニア(20年、61歳以上男性または56歳以上女性は15年)、カナダ(第一級殺人の場合25年、ただし多くの囚人は15年の特例にあずかる)

・終身刑を最高刑として課す国―17カ国
デンマーク(12年)、オーストリア、リヒテンシュタイン、モナコ、スイス(以上15年)、イタリア(26年)

・有期刑を課す国―9カ国
そのうち、コスタリカ、アイルランド、モザンビークの三カ国では最低入所期間がある

となっています。あと、スウェーデン、ブルガリア、ウクライナには形式的にLWOPがありますが、恩赦の申請ができます。この国連報告書を離れれば、死刑のかわりにLWOPを導入したのは英国とグルジアだけみたいです。グルジアの場合、LWOPは不安に駆られた国民向けのポーズで、事態が落ち着いた時点で終身刑は再審査可能となったそうな。以上
http://bjc.oxfordjournals.org/cgi/content/full/47/4/597

というわけで、諸外国の例に倣うと、日本はとりあえず死刑を廃止するだけでいいみたいです。日本の無期懲役は国際比較ですでにかなり厳しいんで。あるいは、死刑囚・死刑相当だったはずの無期懲役は仮釈放の審査を慎重にするとか、最低25年間は仮釈放の申請ができないようにするとかすればいいんじゃないでしょうか。

2076ufloat:2009/06/23(火) 21:08:03
>>2070
>ufloatさんはそれなりに得るものがあったと仰っていますが
いや、あの状況で「全然何も得られませんでした」とは書けないでしょう。
・・・というのは冗談で(笑)、このスレッドにはもう2000以上もの書き込みがあり、
紫煙狼さん、Kenさん、lovelessさん他、相当な英知が終結しているにもかかわらず、
意見の統一など夢のまた夢です。ましてや、私などがそれをしようとしたとしても
絶対に不可能ですし、最初からそのようなことをしようとも考えていません。
ましてや、私は新人であって、これまでの主張のログというものがありませんから、
カレーライスさんとの議論は完全な暗中模索です。
その中で、カレーライスさんの最初のご主張では完全に度外視されていた「冤罪」を
議論の中に引き出し、絶対的終身刑の効果などについても多少は触れられたので、
欲張らなければ収穫はあったといえるかと。

それで、無精髭さんが触れられている、紫煙狼さんの >>2049 なのですが、
これは確かにぶしつけな物言いでないとはいえません。私は紫煙狼さんのスタンスを
ある程度存じていますので、別に失礼には感じませんでしたが、カレーライスさんには
失礼に感じられた可能性は否定できません。
しかし、あの状態で非常にまじめな内容の記事を書いたとしても、またしても話が
あさっての方向に飛んでいくのは見えていましたので、変化球の一種ではないかと。
ところが、やはり変化球も上手くいかなかったので、私が >>2049 を書き直して
トゲ抜きし、>>2052 を書いてみた、という次第です。

2077無精髭:2009/06/23(火) 21:54:49
>>2076
>紫煙狼さんの >>2049 なのですが、これは確かにぶしつけな物言いでないとはいえません。
>私は紫煙狼さんのスタンスをある程度存じていますので、別に失礼には感じませんでしたが、カレーライスさんには
>失礼に感じられた可能性は否定できません。

同感です。
カレーさんに「釈然としない」と書かれた時点で、シェンさんは
パフォーマティヴな言語使用に失敗したということになるわけです。
でも、シェンさんもそうですが、Kenさんだって過去に結構失敗して
いるんですよ。というか、パフォーマティヴに失敗するというのは、
ネット上のコミュニケーションでは避けられないことだと思いますね。
私はですね、それをむしろ良しとするのですよ。まさにそういった
綱渡り的な意見の行き来にこそ、このBBSに書き込まれた幾多の文章を、
読む者が自由気儘に解釈する可能性が開かれるのですから。

まあ、シェンさんの場合、他の方がパフォーマティヴな失敗を犯した際の
フォローは万全ですからね。こんなことを申すのは失礼に当たるかも
知れませんが、実に気配り上手ですよ。

2078無精髭:2009/06/23(火) 22:03:03
・・・・・・
いや、カレーさんの>>2050における弁明が正しいものだとするなら、
シェンさんはコンスタティヴな言語使用においても間違ってしまった
ということになるのかな? (失敗したということではなく。)


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