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死刑制度についてひと言お願いします

2022ufloat:2009/06/16(火) 22:55:33
しかし、生命とそれ以外のものには本質的に差があると、お考えにはなりませんでしょうか。
(「大切な形身や強姦被害も、お前の駄文とは本質的に違うだろう」と言われれば、ごもっともですが)
極端な話、足利事件その他の死刑・無期懲役・長期懲役冤罪事件で刑務所暮らしを受けた方々が
「死刑にならなくて良かった、とはいえない」、つまり長期懲役は死刑と同等以上であるのなら、
冤罪かそうでないかにかかわらず、長期懲役者は収監直後に全員殺してしまった方がマシだ、
ということになります。こんな無茶な論理は通りませんね。
さらに言えば、生命が本質的に他の不可逆的なものと異ならないというのなら、
そもそも生命刑など不要ですし、殺人にことさら重い刑罰を課す必要はないでしょう。
生命刑の存廃がこれほど関心を持って論じられるのも、殺人が最も重い刑罰の1つとされるのも、
生命が本質的に他のものと異なるからではないでしょうか。
申し訳ありませんが、それでもなお「不可逆的なのは時間とて同じだ」と主張なさるのなら、
私の価値観においては、それを前提とするご意見は理解できないかもしれません。

3.冤罪
>私自身は冤罪は司法の問題であり、死刑存廃問題にはなり得ない
正直、私はこのご意見がよく解せないのです。
確かに冤罪は司法の問題ですが、刑罰のない世界を作らない限り、おそらくは
冤罪のない世界も作れないでしょう。司法に対して「気をつけろ」と叫んだところで、
司法に携わる人々とて人間ですから、誤りをゼロにするのは不可能です。
死刑存置論者・廃止論者ともに、本来は司法の問題であるはずの「冤罪」問題を
死刑論の中で論じることがあるのは、それが前提となっているためでしょう。
極端な話、「冤罪は司法の問題なので、死刑論に冤罪の考慮は不要」というのは、
危険な設備について「使用時にミスするのが悪いのだ。ミス後の考慮など不要」
と称するのと似たような印象を受けます。
もし司法が100%正確なら、私も他の方も死刑論の中で冤罪の可能性を論じたりはしません。
司法が間違いを犯す場合もあるからこそ、冤罪死刑の可能性を考えるのではないでしょうか。


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