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死刑制度についてひと言お願いします
2069
:
無精髭
:2009/06/23(火) 00:00:56
「犯罪や冤罪はすべからく許されざるべき」という言辞には、原則としてみれば
コンスタンティヴな正しさは確実にあると言えるでしょうが(※)、果たして
それを字義通りに解釈した場合のパフォーマティヴな効果は望めるものでしょうか。
つまり、社会内の治安維持やそこに生きる人々の生活保全のため、その中にいて
それらに無関係ではいられない者にとってはその言辞を疑い得ないという点で、正しく
なければならないのでしょうが、「犯罪・冤罪は絶対に許されざるべき」と声高々と
言明することに犯罪や冤罪を予防する効果は見込めるのかどうか、それは成功しうるか
どうかは、カレーライスさんが仰るかのごとき自明の理とはちょっと思えないというのが、
私の正直な感想です。あと、本題から逸れますが、本当に「犯罪や冤罪はすべからく
許されない」ことなんでしょうかね? 逆に、「犯罪や冤罪は許されることがある」
が正しいんじゃないでしょうか。もしくは、許されたといっても好い様な事例が過去に
あるんじゃないでしょうか。いずれにせよ、カレーライスさんが「防犯思想の第一条件」
と仰ったあの言辞は、むしろ事実そうだから原則となるのではなく、言葉の意味など
問うことなく社会内部に出回ることで原則となる、いちいち由来を疑わずにただ周りに
説いて聞かせることで人々の間で防犯思想として定着する、とまぁこういう風に意味に
注目するより先に機能として捉えるべきなのでしょう。冤罪問題については後日再び
書き込むかもです。繰り返しになるかもしれませんが。
※関係ない話かもしれませんが、事実命題のみから当為命題は導出できないとか、
記述文「〜である」と規範文「〜べし」は論理的身分が異なるというのが、論理学の定説
らしいです。って有名な話ですけど。
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