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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
2021
:
ufloat
:2009/06/16(火) 22:53:26
>>2015
カレーライスさんのおっしゃりたいことは大いに理解できますし、おそらく
根本の立ち位置はそれほど変わらないのではないかと考えていますが、以下3点ほど。
1.抑止効果
>これこそが死刑の特別な抑止力
確かに「終身刑」ではパンチは弱そうですが、抑止効果にそれほど差が生じるものでしょうか。
「死刑」のインパクトで踏みとどまるような人間は、「終身刑」でも踏みとどまりそうですし、
「終身刑」を気にしない人間なら、「死刑」も気にしないのではないかと考えられますが。
こればかりは答えの出ない問題でしょうか。「死刑になりたかった」などと言って
大量殺人を起こそうとする者も出るほどですし、効果の測定は困難そうです。
2.不可逆性
>生命にしろ時間にしろどちらも不可逆であることに間違いはありません
ごもっともです。しかし、生命とそれ以外には根本的な違いがあるのではないでしょうか。
私が尊敬する論客の1人である紫煙狼さんが、「電車内強姦事件」の記事No.110で
ものすごく良いことをおっしゃられていたことを思い出しましたが、
(「あなたの間違いは、その主張のために殺人と強姦を比較したこと」の部分)、
これは他の不可逆的なものにも当てはまる論ではないでしょうか。
カレーライスさんのおっしゃる通り、確かに時間は不可逆です。取り戻せません。
先の記事で述べられている強姦被害も、物理的な傷は回復したとしても、
精神的な傷は大変なものです。不可逆と言ってよいでしょう。
上記記事で語られている、「強姦は殺人クラスの罪」という意見は確かに分かります。
あなたが今、この掲示板を見るのに使用している目も、PCなどの装置を操作している腕も、
失われるとなれば不可逆です。あなたが愛する人の形身を持っていれば、それもまた
不可逆なものでしょうし、私が愚考をつづった文章にしても、消え去ればもはや不可逆です。
2022
:
ufloat
:2009/06/16(火) 22:55:33
しかし、生命とそれ以外のものには本質的に差があると、お考えにはなりませんでしょうか。
(「大切な形身や強姦被害も、お前の駄文とは本質的に違うだろう」と言われれば、ごもっともですが)
極端な話、足利事件その他の死刑・無期懲役・長期懲役冤罪事件で刑務所暮らしを受けた方々が
「死刑にならなくて良かった、とはいえない」、つまり長期懲役は死刑と同等以上であるのなら、
冤罪かそうでないかにかかわらず、長期懲役者は収監直後に全員殺してしまった方がマシだ、
ということになります。こんな無茶な論理は通りませんね。
さらに言えば、生命が本質的に他の不可逆的なものと異ならないというのなら、
そもそも生命刑など不要ですし、殺人にことさら重い刑罰を課す必要はないでしょう。
生命刑の存廃がこれほど関心を持って論じられるのも、殺人が最も重い刑罰の1つとされるのも、
生命が本質的に他のものと異なるからではないでしょうか。
申し訳ありませんが、それでもなお「不可逆的なのは時間とて同じだ」と主張なさるのなら、
私の価値観においては、それを前提とするご意見は理解できないかもしれません。
3.冤罪
>私自身は冤罪は司法の問題であり、死刑存廃問題にはなり得ない
正直、私はこのご意見がよく解せないのです。
確かに冤罪は司法の問題ですが、刑罰のない世界を作らない限り、おそらくは
冤罪のない世界も作れないでしょう。司法に対して「気をつけろ」と叫んだところで、
司法に携わる人々とて人間ですから、誤りをゼロにするのは不可能です。
死刑存置論者・廃止論者ともに、本来は司法の問題であるはずの「冤罪」問題を
死刑論の中で論じることがあるのは、それが前提となっているためでしょう。
極端な話、「冤罪は司法の問題なので、死刑論に冤罪の考慮は不要」というのは、
危険な設備について「使用時にミスするのが悪いのだ。ミス後の考慮など不要」
と称するのと似たような印象を受けます。
もし司法が100%正確なら、私も他の方も死刑論の中で冤罪の可能性を論じたりはしません。
司法が間違いを犯す場合もあるからこそ、冤罪死刑の可能性を考えるのではないでしょうか。
2023
:
ufloat
:2009/06/16(火) 22:57:58
それから、
>生きているからいいなどと言うのは冤罪を許す言い訳
すみませんが、私は勉強不足ゆえ、これの真意が分かりかねます。
死刑相当であろうと、チカンであろうと、冤罪が許されないのは当然です。
私は「無実の人が冤罪で死刑になると取り返しがつかないので、その意味では
終身刑にも意義はある」と主張しており、「終身刑なら冤罪は許される」とは
主張していませんが、カレーライスさんの論調を見る限り、そのようなことは
釈迦に説法、百も承知かと存じます。
そうなると、「死刑ではないのをいいことに、司法が冤罪可能性がある事件に対して
平気で終身刑判決を下してしまう恐れがある」という意味にも取れます。
もしこの解釈が間違っていれば、「論理の飛躍」と批判されても仕方がありませんが、
この解釈はカレーライスさんの意図されたところでしょうか。
以下、そのように仮定して論じてみますが、冤罪の恐れがある死刑相当事件において、
今までは「罪としては死刑の事件だが、冤罪で死刑は困るから、疑わしきは罰せずだ」
と判決を下していたところを、絶対的終身刑導入後は
「冤罪でも命は失われないからいいや。終身刑にしてしまえ」
などという判決を下す可能性がある、ということでしょうか。
私個人の考えとしては、このようなことが発生するとは到底考えられないのですが。
もし死刑廃止・絶対的終身刑導入国において、このような判決が実際に発生している
のであれば、事例を示していただけるとありがたいです。本当にそのようなことが
発生するとなれば、終身刑を論じる上で、かなり衝撃的な事実に間違いありませんので。
無論、カレーライスさんのおっしゃりたいことは非常に良く分かります。しかし、
冤罪に関する考え方の部分で、少々価値観の相違が発生しているようで。
合意点の10メートル手前に柵がある、とでも表現しましょうか。
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