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死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

2004紫煙狼:2009/06/15(月) 21:55:20
制度を変えるということは、これは大事なワケでして、一般的な会社でも制度を変えるとなると
上を下へのおお騒ぎになるのは必定。しからば国をしておや、というわけで、試しに死刑制度を
廃止する…という不安定極まりない実験的な死刑制度廃止はあってはならないことです。
一事不再理ではありませんが、実験的に死刑を廃止した結果、凶悪な事件が増加し、結果的に
死刑を復活させた…という前例が出来上がれば、未来永劫、二度と死刑が廃止されることはない
でしょう。従って、死刑制度を廃止するとなると、余程に廃止の必要性が高まらない限り、無茶
なのですが、その必要性が高まる兆しがあるかといわれれば…今はないですね。当分は安泰です(笑)

ところで「死刑廃止後の受け皿が整っていない」という言葉が妙に引っかかったのですが、なぜ
「代替刑罰だけで現行の死刑制度によってもたらされているものを補充」しようとするのですか?
カレーライスさんの出す代替案(後に一刀両断に切り捨てられている案)はどれも、刑罰のみに
よって、現行の死刑制度のメリットを補充しようとするからナンセンスになるのではないでしょうか?

そこで、着目すべきは「報復による被害者及び遺族、社会の感情の沈静化」ではないかと思うのです。
もっと部分的に着目すると「報復による」という部分ですね。確かに現在は「報復」によって被害者
感情や社会不安を沈静化させている。それは事実です。しかし、逆に被害者感情や社会不安を沈静化
させる方法は、本当に「報復以外にありえない」「刑罰以外にありえない」のでしょうかねぇ…。

出発点はそこだと思いますよ?そこも併せて考えない限り、死刑に代替できる制度は生まれようもない
とは思いませんか??ついでに、カレーライスさんは死刑制度のメリットを強調していなさるが、
デメリットの部分は皆無でしょうか?そして、メリットを享受するのが第一であり、そのためには
一部のデメリットに目をつぶるべきなのか、逆にデメリットを排除するためには一部のメリットを
諦めなければならないのか。そういう視点で考えてみませんか?

2005紫煙狼:2009/06/15(月) 22:19:13
そもそも…カレーライスさんは近代刑法成立に関しては非常によく理解なさっているが、
其の先の「現代刑法」や「近未来刑法」「未来刑法」についてどのようにお考えですか?
つまり、今後どのようにしてゆくのが望ましいか?ですね。それは必ずしも今すぐの話
ではなく、長い将来を見据えて、どのような形にしてゆくのが望ましいか…です。

私も何度となく投稿していますが「今すぐ死刑を廃止するのは危険だ」と思っています。
そして、その理由の一端が「受け皿」問題であることは、言うを待ちません。私は時間を
かけてでも、デメリットを排除しメリットを享受する方法を整えていくのであれば、
デメリット排除のために死刑を廃止し、メリット享受のために報復ではない社会保障を
充実させなければならない、と考えているのです。
従って、現在死刑を廃止している国が多かろうが少なかろうが、そんなことには無関心だし、
現在死刑を廃止しているような国々が、たいそう立派な制度を拵えている、理想的だ!とも
さらさら思っていないのです。(参考資料の前文を埋める程度の役にしか立たんでしょう)
そして、そんな出来損ないの制度の国々を見て「でも日本よりはマシ」とも思えないですね。
デメリットを無くす為に死刑を廃止してメリットを諦めるならまだしも、また別のデメリット
を抱えてしまったようなアホな国に比べれば、死刑制度が存続している日本のほうが何万倍も
マシなのかもしれないと思いますよ?本当。

ただね…。裁判の主体が誰であるべきか?という問題については、私は永久にカレーライスさんと
平行線をたどりそうな気がしてなりませんね。なので(何度となく言っていることだけれど)今の
うちに私の考える裁判の主体を明確にしておきますと、私は「刑事裁判は被告人のために行われる」
と思っているのです。被害者を主体におくべきだというのであれば、検察官は被害者の代理人として
被告人を断罪すべきである、ともね。
刑法学の偉い先生方は仰いますね、国が被害者の報復感情を代行する。よって検察官は国の代理人と
して、被告人を断罪するのは至極明快なことである…と。国は個人から私的復讐という権利を奪う
代わりに、国が復讐を代行するという社会契約を交わした、なんて表現しますか?

私は、その考えたかを「古臭くてカビの生えた論理武装だ」と感じるわけです。

2006紫煙狼:2009/06/15(月) 22:52:19
たとえば…民事は原告と被告の両者のために存在しますね。私は民法のあるべき姿を
「両者の係争を円滑に、かつ円満におさめ、一定のルールの下で和解を促す」もので
あると考えています。従って、民事なら「喧嘩両成敗」ではないですが、両者とも
一定のリスクを負いながら、それぞれの思うところの権利を主張しあうわけです。

しかし…刑事はいかがでしょう?言い方は悪いですが、リスクを負っているのは
被告人だけではないですか?冤罪を除き、国が刑事裁判においてリスクを抱えている
とは、私にはどうしても考えられないのですね。いや、そのリスクがあるものとして、
被告人と国のどちらがより大きなリスクを抱えているか…と比較で話したほうが良い
でしょうかね?

私は全ての刑事裁判において「被告人の有利に」判決が下されるべきであると考えています。
ただし、現在の司法用語としての「被告人の有利に」とは意味を異にするものですよ?
何でもかんでも「被告人の有利に」の言葉の下、軽罰化していくとすれば、それはあまりに
馬鹿げています。これはね、子供のしつけと一緒で、本当に被告人の将来を考えればこそ、
厳罰を以って臨むべき場合は多々あるはずなんです。ションベン刑の受刑者を見れば、それは
一目瞭然でしょう。満期上等とばかりに、何ら更生せず野に放たれるクズどもを見てみれば、
軽罰化の愚かしさは誰にでも理解できるはずでしょう。私の言う「被告人の有利に」とは
言い方を変えれば「被告人のためになる刑罰を」であり、それは時として、非常に厳しい
罰を以って処断せねば更生できない。更生すらできない刑罰が被告人の有利であるわけがない。

こう考えると、心を入れ替え善に目覚めた囚人ですら野に放つことのできない絶対終身刑や
それを待ってか、待たずしてか命を奪う死刑は、全く以って被告人のためにならない。
これが果たして刑罰と呼べるのだろうか?と思うわけですね。それくらいなら、極端な話、
仮釈放ありの死刑の方がマシかもしれませんね。ところが今度は死刑を執行するタイミングが
非常に難しくなってくるでしょう?善に目覚める可能性まで奪う事になりますから。
いや、逆に、現行の法律に厳密に従って、確定後半年の間に執行する…を守るとか、
つまり更生するまでの猶予期限を明確に決める死刑ならアリかもしれませんよ?そのあたりは
各人の感じ方で結構です。私も「何が何でも死刑を廃止すべし!」と強硬姿勢はとりません。

子供のために子供に罰を与えるのが躾。親の気分や周囲の都合のために子供に罰を与えたら、
それは虐待ですよ。私は刑罰に躾を求めこそすれ、虐待を求めるのは許しがたいのです。
この延長線上には「被害者感情のため」や「社会不安の沈静化」という周囲の都合で、
死刑という罰を与えるのも、単なる虐待でしかない、という結論が待っています。


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