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現代人が納得できる日蓮教学

128犀角独歩:2005/08/05(金) 12:12:35

【124の訂正】

誤)その間替え
正)その間違え

【127の訂正】

誤)まこの上行
正)この上行

129犀角独歩:2005/08/05(金) 12:23:15

モモさん、お久しぶりですね。

『マインド・コントロールの恐怖』のなかでハッサン師は、引用して

「エドマンド・バークの言葉を使えば、『悪が勝利するのに必要なのは、良い人が何もしないことだけ』」(P354)

と記していました。わたしは石山の彫刻本尊を本物であるといい、創価学会員800万人から500億円近い献金を巻き上げたのは、戦後に本妻大の宗教犯罪であると考えています。また、それが偽物であるといちばん知っていながら、その5000年使うと言った建物を僅か四半世紀で建て直し、いまだに騙し続けている例の御仁は、池田さんよりも、浅井さんよりも遙かに罪深い人物であると思っています。

また、ここで事実を知りながら変わらぬ日々を過ごす、そんな宗教犯罪に荷担するあなたをわたしは罪人の片棒を担ぐ一人であると思いますよ。わたしはこのような点で歯に衣を着せる気はありません。

「歓喜」というのは「快楽」の間違いではないでしょうか。

130犀角独歩:2005/08/05(金) 12:24:45

昼の休み時間に慌てて打っているので打ち間違い連発です。

誤)戦後に本妻大の宗教犯罪
正)戦後日本最大の宗教犯罪

131モモ:2005/08/05(金) 18:48:59
犀角独歩さん、レスありがとうございます。以前と変わらず手厳しいようで(笑)。

現代人が納得できる日蓮教学とは非常に興味がある話題です。日蓮「大聖人」を奉じ、題目を唱える人間の一人として、今後どのように信仰観を持てばよいか、ということを私は模索しています。少なくとも大石寺の三宝義は正しい、といった形での布教はできなくなったと考えています。また六老僧は実は不次第だった、と言われてもそれではさて、日蓮門下の統一は非現実的な感じがします。

日蓮は題目口唱を世に広めて、個人の成仏と立正安国の世の中にするのが目的だったのではないでしょうか。そうすれば、戦争や経済不安、災害、テロのない、ぎのうの世になるということだったと私は考えています。そのような本来の目的に沿った現実的なビジョンが見えてくればと思います。

今後どのような信仰観を持っていけばよいかについて、また、どのように布教していくかについて、大石寺の三宝義にかわる現実的で明快なビジョンが示されれば幸いです。

あと、三大秘法抄、二箇相承、当体義抄、総勘文抄、などの大石寺教学の重要御書が偽書だというなら、誰がいつ頃どのような背景で書いたのか、ということについても興味があります。三大秘法抄の作者は日時上人なのでしょうか。

オフ会も今回は見送らせていただきますが、今後都合が合えば、またいろいろなお話を是非とも伺いたいとも考えております。よろしくお願いします。

132犀角独歩:2005/08/05(金) 21:34:27

モモさん、おぉ、なかなか唱題に鍛錬された批判にめげない、怒らぬ返信、たいへんに結構です。まあ、そのうち、また、顔を出してください。歓迎します。

133為吉:2005/08/05(金) 21:55:48
犀角独歩さん

はじめまして。

>行えます。菩薩道という理念・観念があるから菩薩道があるのではありません。菩薩道と、後天的に名付けられた理念・観念と実践が本来、人間に具わっていたからこそ、菩薩道は言われるようになったのです。これもまた主客が逆転しています。

「菩薩道と、後天的に名付けられた理念・観念と実践が本来、人間に具わっていた、、、」
これは如何なる根拠によるものでしょうか?

ちなみに私は乾闥婆さんの「菩薩道に対する観念も理念もない者に菩薩道が行えるでしょうか。」という御意見を支持します。仏の智慧に裏付けられた利他の行いであるが故に「菩薩道」と呼べるのであり、そのような裏付けのない善意は「猿猴捉月」あるいは「地獄への道は善意の石で敷き詰められている」といった類に堕してしまう恐れがあります。

134犀角独歩:2005/08/05(金) 22:03:01

為吉さん、はじめまして。

「菩薩」という概念がいつ頃、どのように生じたかということについては、随分と前に議論した内容です。元より、仏教に菩薩などという考えはありませんでした。

その発生はイランのミトラ教における救世主思想がマイトレーヤと変節して弥勒信仰として習合した段階で定着したと見るのが、一般的な学説です。つまり、まず救世主思想ありき、このような思想史を知っての難詰であれば、お聞きしますが、「仏の智慧に裏付けられた利他の行いである」などと記されるところを見ると、そのような思想史は、意識されていないようですが、如何でしょうか。

135犀角独歩:2005/08/05(金) 22:14:31

ミトラ教から弥勒、菩薩という思想史は、いくつもそれを載せるサイトはあり、検索してもらえばよいのですが、当掲示板で「ミトラ」さんというHNを有して紹介下さったサイトがありますので、参考に紹介しておきます。

http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/extra006.htm

いちおう、反論するのであれば、この程度の基礎知識ぐらいは身に付けてしてください。

136為吉:2005/08/05(金) 22:40:53
>そのような思想史は、意識されていないようですが、如何でしょうか。

「富士門流信徒の掲示板」という名称の掲示板で菩薩道を話題にするのに
「ミトラ教」なる宗教(?)の知識が「この程度の基礎知識」という扱いであるとは思いが至りませんでした。失礼いたしました。

しかしそうであるならば、犀角独歩さんが語られるところの「菩薩道」とは「ミトラ教」で主張されるところの「菩薩道」なのですね。
御紹介頂いたサイトを熟読したいと思います。

137犀角独歩:2005/08/05(金) 23:00:55

為吉さん

> 「菩薩道」とは「ミトラ教」で主張されるところの「菩薩道」

いえ、違います。
ミトラ経に遡源して、そこから本日に至るまでの菩薩道です。

既に顕正居士さんもご指摘くださっていますが、弥勒菩薩は、当初、阿弥陀如来と身分で摂取され、また、本生譚では、釈迦の前世のみを指す言葉として定着しました。

この頃の菩薩道は、心身を捧げることを意味しましたが、しかし、これが法華経では、単に弘教することが菩薩の意義のように変遷します。この点について、わたしは大いに異義を唱えてきたわけです。

以上のような点は、過去数年に詳細に亘り、議論されたことです。紹介サイトのみならず、過去ログもご参考下さい。

138為吉:2005/08/05(金) 23:34:05
熟読とまではいきませんが…

●御紹介頂いたサイトの記述
>15 佛教への影響
直接の影響は、西域でミフラクを弥勒と音訳し、仏教の中で菩薩という微妙な地位を獲得します。人物であった釈迦が神様になりますから、そのお付の者になるわけです。

●為吉の記述
>仏の智慧に裏付けられた利他の行いであるが故に「菩薩道」と呼べるのであり…

なんだか結構似ていました。

139顕正居士:2005/08/06(土) 00:27:57
菩薩(bodhisattva)は悟りを求める衆生という意味で、釈尊の大悟以前の求道の時代を指す言葉からはじまり、
次に釈尊の前世をいうようになった。インドの民話を釈尊前世の慈悲の修行に仮託したのが本生譚(jātaka)
です。それから過去七仏の思想が生じた。菩薩は釈尊の修行時代に限らなくなった。ここまでは大乗仏教以前
にすでに出来たのです。

大乗仏教以前の菩薩
http://www5.ocn.ne.jp/~ono13/page59.html

140顕正居士:2005/08/06(土) 01:02:24
犀角独歩がおっしゃるように、法華経にはたしかに「宣教主義」とでもいうべき特徴が見られます。法華経では
教主釈尊は阿含経と同じ丈六の仏として現れ、尊特の身を示さない。四諦、十二因縁等の釈尊直系の仏教の
名目を次々と挙げ、一種古めかしい結構です。しかし五種法師の修行など、この法華経を宣布することを強調
する。けれども法華経の意趣は釈尊直系の仏教を小乗と敵視したいわゆる大乗仏教を仮城とし、無二無三の
絶対一乗をかかげ、さらに仏教以外の人・天の教えも開会し、万人の未来成仏を示すところにあります。

法華経の「宣教主義」は諸宗教、諸宗派の争いを止揚する福音なりというところから来るのですから、これと
正反対のわが教会にのみ救済ありの布教の精神とは一緒にすることができないと考えます。本門立教により
教学上の問題をいろいろ残した日蓮も、だから決して一宗一派を開く目的はない、またどの宗派の後継者でも
ないと述べたのだとおもいます。

141顕正居士:2005/08/06(土) 01:06:59
失礼しました。犀角独歩→犀角独歩さん。

142犀角独歩:2005/08/06(土) 09:09:24

為吉さん、おはようございます。

> なんだか結構似ていました

そうですね。それはつまり、為吉さんが考える菩薩道がミトラ教から1本の線でつながっていると言うことでしょうね。宗教の本質は、つまり、こういったシンクレティズムにこそあるというわけです。

ちなみに、「信」(正確にはバクティ=誠信)ということも、仏教が起源ではなく、バカバットギータであるというのが、ここで議論されたことです。宗教=信仰という論理構築もまた、実は後天的な習合の結果でした。

また、神仏に至っては輸入デパートのようなもので、日蓮漫荼羅に記されるところはほとんど外来の神仏です。典型的な例では、パンナコッタさんも指摘されていたと思いますが、愛染明王(漫荼羅左側の梵字)はキューピットと同起源であると言います。日本で刻まれる愛染明王像とキューピット、随分と違いますが、起源は同じ。オウム真理教が主神にしたシバ神は、日蓮漫荼羅は第六天魔王(他化自在天)として、日蓮に摂取されています。

そして、重要なこと、神仏も、その教えも、人間より先にあったのではなく、人間が作ったものであるということです。そんな意味から菩薩道も人間が考え出した救世主神話に基づく以上、(人間の)精神が先にあったとわたしは記しました。ミトラは弥勒菩薩になって仏教に定着しましたが、一方、西洋ではミュシュランとなって、キリスト伝説と習合していくわけです。ミトラが生みの親ならば、弥勒菩薩とキリストは兄弟というわけです。

143犀角独歩:2005/08/06(土) 09:30:33


140の顕正居士さんのまとめに、大いに賛同します。

法華経は般若経、阿弥陀経に次いで創作された初期大乗経典であるといいます。(松山俊太郎師は、八千頌般若経の次が法華経であるといいます)

その形態は後シンプルで、顕正居士さんが仰るよう、教えといい、仏と言い、期大乗経典より素朴であると思えます。寿量仏が三身相即などと言いますが、その教学的な位置は久遠仏であり、無量の寿命を持つ生身の肉体を持つ仏で、三身で言えば応身、しかし、三身を具足しているとは経典からは読み取れません。また、即身成仏の経典といわれながら、そのコンセプトは顕正居士さんが仰るとおり、未来成仏(記別)で、ただ竜如のみが、変成男子・成仏を見せるばかりです。その意味で法華経を即身成仏の経典というのは、どうかという疑問も成り立ちます。

もっとも、松山師に拠れば、法華経の第一次原形は方便品の詩句から見宝塔品(含提婆達多品)の詩句といいます。となると、第一次原形の最終章で悪人提婆も未来成仏を約束され、女人・畜身の竜女が成仏を遂げることが、この原始法華経のクライマックスであったと見なせるのかも知れません。

144犀角独歩:2005/08/06(土) 09:48:49

顕正居士さんがお書きくださっていますが、それでもまだ、誤解される方がいらっしゃるといけないので、補足します。

菩薩道がミトラ教に遡源できるというような話の流れと誤解されそうですが、そうではなく、菩薩道の特性である利他の精神は、ミトラ教における救世主思想に遡源できるということです。(このミトラは太陽神です)このミトラがマイトレーヤと音訛し、やがて、弥勒という救世主として、仏教に摂取されます。当初、弥勒菩薩、阿弥陀如来はかなり混同されていたようで、同一視もされていたと思われます。

この頃、釈迦はどうして、仏になったのかということから、それが前世の善行によるという過去の因縁物語が作られるようになりました(本生譚。この主人公の釈迦は修行者ですから、仏ではなく仏(菩提=bodhi:ボーディ)を求める衆生(薩[土*垂]=サットバ:sattva)この菩提と薩[土*垂]が造語され、菩提+薩[土*垂]、略して菩薩という語が生じました。これもたしか、顕正居士さんがご指摘くださったことでしたが、この過去世物語(本生譚)は弥勒信仰、阿弥陀如来の成立と並行的で、やがて、菩薩は救世主としての正確が摂取されたということです。また、一方で急激に起きていたバカバットギータの、神への絶対信仰(バクティ)を仏教側も看過できぬところとなり、これを摂取。ここに、その後の仏菩薩・信仰という素材が出揃うことになります。このような段階で、創作されていったのが、法華経であろうと想像されます。

145犀角独歩:2005/08/06(土) 13:30:19

【143の訂正】

誤)その形態は後シンプルで、顕正居士さんが仰るよう、教えといい、仏と言い、期大乗経典より素朴

正)その形態はシンプルで、顕正居士さんが仰るよう、教えといい、仏と言い、後期大乗経典より素朴

146パンナコッタ:2005/08/06(土) 19:36:32
 横レス失礼します。
ルンビニで発掘されたアショカ王の石柱(オーパーツの錆びない鉄柱ではない)には、
漢訳仏典で菩薩に相当する言葉が”ブッダ”と刻まれているそうですね。
(雑阿含経あたりなんでしょうか?) 紀元前三世紀中頃の遺跡からの資料として、
菩薩道を分析するならば注目すべき物だと思いますよ。

地域や河川敷、海岸などの空き缶・ゴミ拾い。近所の草むしりや、秋口になれば落ち葉の清掃。
駅の周りの自転車が歩道を遮っていたら、ちょっと片付ける 等といった誰に言われるでもなく
みんなの役に立てれば との自発心があり実行すれば、菩薩道に対する観念や理念が無くったって
別に構わないのではないでしょうかねぇ。

147為吉:2005/08/06(土) 21:56:47
>(人間の)精神が先にあったとわたしは記しました。

納得しました。菩薩道と後天的に名付けられた理念・観念と実践は、確かにアプリオリに人間に備わっていますね。

その菩薩道と後天的に名付けられた理念・観念と実践を発動させる動機付けとして、宗教あるいは倫理・道徳といったものがあると思いますが、その過程においては

>仏の智慧に裏付けられた利他の行いであるが故に「菩薩道」と呼べるのであり、そのような裏付けのない善意は「猿猴捉月」あるいは「地獄への道は善意の石で敷き詰められている」といった類に堕してしまう恐れがあります。

ということも真理としてあるのではないでしょうか。
真の仏の智慧が如何なる事であるのかが問題ではありますが…。

148犀角独歩:2005/08/07(日) 00:04:09

為吉さん、こんばんは。

同意が採れることがありました。進歩です。
さて次は、では、「仏の智慧」ということが為吉さんの主張を支える柱と言うことになりますね。さて、これは一体どのようなものでしょうか。為吉さんが考える仏智とは如何なるものでしょうか。

菩薩道ということで言えば、わたしはパンナコッタさんの考えに同意で、その呼称がどうであれ、何に裏付けされたものであるのかという点は、どうでもよい。要は心と実践で判断するという立場です。では、その心はといえば、法華教理で整理されたところで言えば、衣座室の三軌、四安楽行といったところでしょうか。では、仏智は? という点は、為吉さんの回答を待ってやや管見を記そうと思います。

149乾闥婆:2005/08/07(日) 00:05:52
>>124
犀角独歩さん。

>今回の乾闥婆さんのご投稿は、現代人が納得するというより、ご自身がこのように「納得していたい」というニュアンスと、わたしは読めました。

そうですね。といいますか、私は現代人ですので、その私がどのように納得しているのか、そしてその納得はどのように解体されうるのか、解体された後にどのような納得が残りうるのか、そういった行程を踏まえる上でのひとつのサンプルとして、自分があればいいと思っています。実のところ私自身の思いなど解体されていいのです。

>ここで乾闥婆さんは、一つの思弁上の混乱を来しています。これは多分、たとえば天台の止観の実践的な意味を読み取っていないためではないかと観察します。止観は全編をお読みになりましたか。

止観は菅野博史氏「一念三千とは何か」に正修止観章の冒頭から観不可思議境までが現代語訳されており、そこだけ読んだことがあります。しかしよく分かりませんでした。岩波文庫版は手元にありますが、おそらく読んでも今の私の力ではよく理解できないでしょう。いつかは取り組んでみたいと思っているのですが、なかなか勇気が出ません。

>>125

正直、驚きました。

>ここで日蓮が言う「己心に観じる」仏菩薩というのは、印度応誕の釈尊、八品来還の地涌菩薩ではありませんよ。

>そして、実際の菩薩道、成仏はいわばその追体験で可能になりますが、釈尊の三妙合論は衆生の体験ではありません。釈尊の霊山永遠の説法は我等の己心ではありません。これは釈尊=仏側のことです。しかし、我々はそれを己心でしか観じられないことを「一心欲見仏」から読むのが天台法華教学であり、日蓮が受容したところでした。

>いまここ娑婆世界(霊山)に釈尊は説法し続けている体感を、日蓮は南無妙法蓮華経と絶唱し、寿量本仏・仏像を祀る寺院の建立も予言するのが本尊抄です。

私は久遠実成の仏の側へ同化する行為を、曼荼羅へ向かっての唱題に見ておりました。ゆえに久遠実成は理念として己が心に観じられるものであり、そこ以外に久遠実成の仏はありえないのだと、考えていました。久遠実成の仏とは凡夫の我らが心のうちにあるのだと思っていました。愕然としております。

150乾闥婆:2005/08/07(日) 00:06:28
>>126

>わたしは理念・観念が不用といっているのではなく、それを漫荼羅唱題で消化して満足する点を突いているのです。

そういう傾向は確かにあるのでしょう。私は理念の具現化といった信念さえあれば問題ないのだと思っていましたが、そもそも久遠実成の仏も地涌の菩薩も理念でないのであれば、そのような信念は必要ないのでしょう。事実へ向かい合うだけのことなのですから。必要な信念があるとすれば、事実へ向かい合うことによって生じる苦難に屈しない、という信念なのでしょう。

>行えます。菩薩道という理念・観念があるから菩薩道があるのではありません。菩薩道と、後天的に名付けられた理念・観念と実践が本来、人間に具わっていたからこそ、菩薩道は言われるようになったのです。これもまた主客が逆転しています。

もちろんそうなのですが、そのような人間に備わっている行為衝動に観念や理念が付加されることで、はじめてそれらの行為は社会化されていくのではないでしょうか。理念・観念は人類が生み出した効率のよい道具です。もちろんその道具が一部の教団に悪用されることは許しがたいことではありますが、であるからといって、理念なき社会は是とされないと思います。あったほうがいいのです。犀角独歩さんも「わたしは理念・観念が不用といっているのではなく」といわれているとおりに。

>シャキャムニはバルナという階級差別でバラモン階級に特権化されていたものを下階級との禁婚で生じたものへ解放したというのが実際のところであったとわたしは認識しています。

すみません。知識不足のせいか、よく分かりません。「バラモン階級に特権化されていたものを下階級との禁婚で生じたものへ解放した」とはどのような内容を言っていらっしゃるのでしょうか。

犀角独歩さんも以前言っていましたが、>>101「ただ、シャキャムニの思弁で優れているのは、その後、科学その他で覆されるであろう内容を、敢えて、無記として扱わなかった点です。このスタンスを踏み外したときから、いまの我々のメランコリックは始まっていたと思います。日蓮もまた、密教の魅惑に翻弄されていたのかも知れません」。そのような無記の態度や、無我の思想が、当時の他の宗教に対する批判としてあったのではないかといいたかったのです。宗教へ回収されるという表現も、仏教が八正道、四聖諦にとどまらず、十二因縁や六波羅蜜、最終的には密教へと変遷してゆく過程のことを指したつもりでした。

宗教という用語を私はreligionとして使用しました。その定義はもちろん難しいものではあろうと思いますが、その思想に絶対性・超越性を持つものを宗教と私は考えています。最初期の仏教にはそのような絶対性を相対化する側面が強いと感じたのでした。

151パンナコッタ:2005/08/07(日) 00:55:55
またまた横レス失礼します。
religionを”宗教”と訳すのは明治初期に広まったようですね。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99

乾闥婆さんのとらえ方はむしろ”宗旨”の意味合いが強いように感じられますが、
いかがでしょうか?

152犀角独歩:2005/08/07(日) 11:14:55

乾闥婆さん

> 実のところ私自身の思いなど解体されていい

これはわたしもそのように考えています。
要は事実は何か、これだけです。

> 止観は菅野博史氏「一念三千とは何か」

菅野師の岩波文庫『法華経入門』は、いまでは定番になりました。わたしは一読して、納得できるところもあり、首を傾げたところもありですが、日蓮宗の僧侶でも、この師以上の法華経解釈は現在ではないという人はいます。

それはさておいて、乾闥婆さんは止観を難しいものとしてとらえていらっしゃるようですが、これは「難しい」という暗示にかかっていませんか。「像法の仏、薬王菩薩の化身といわれる天台大師が説かれたことだから、容易に理解できるはずはない」という暗示です。この手の暗示は「ご本仏である日蓮大聖人が説かれたものが理解できるというのは増上慢」だというような暗示もあります。しかし、論理的な言語であれば、読めば理解できます。

止観も別段、そんなことはなく、実に論理的に書き進み、さらに使用する言葉も逐一説明しながら書かれてあります。最初から順々に読んでいけば、理解できます。文章量が多くて挫折するようでしたら、小止観(略明解蒙初学座禅止観要文)からお読みになってみればよいと思います。ただし、これらは止観禅の解説書ですから、実際に参禅、観念観法をする具体的な態度がないと、「一念三千は生命の諸相」などという漫画みたいなことを言い出すことになります。三千不可思議境は、あくまで止観という参禅法で、己心をどのように観ていくかという話です。実際の大脳が織りなす神経信号とは違いますし、生命など問題外です。それもたった三千に分類してみる観察法です。これが難しいと思うのは、たぶん、いまの唱題の在り方が、ここから離れてしまったからでしょう。祈願唱題のように「これがほしい、ああしたい、こうなりたい」と欲望逆巻き、集中してたくさん唱えれば願いが叶うという在り方に対して、参禅は、何故そのような欲望を自分は懐くのだろう、その欲望の正体は何か、いな、その欲望を懐く自分自身の心、その欲望を懐いた自分と周囲はどうなるのかという点を観察していきます。そんな観察はついには菩薩、仏に及んでいきます。

観じられる十法界、三千法界もさることながら、このような観念状態にある脳波は穏やかで、心身によい影響を与えることも実感できます。たぶん、日蓮が考案した唱題行も、この道からぶれなければ同じ止観禅の、発声(唱題)を伴った行の範囲であったのかも知れません。

> 久遠実成の仏とは凡夫の我らが心のうちにある

正確には衆生が心の内でしか観じられない仏法界ということですね。
ところが一念三千の観法といいながら、その根拠となる法華経に始まって、日蓮の本尊抄にしても、観仏法界については記されません。これは当然で、法華経は「如是我聞」が前提で、記したのは仏ではなく、日蓮もまた仏ではありませんから、仏の正確な記述ができるはずはありません。だからこそ、法華経は「教菩薩法」なのでしょう。寿量品も、一念三千の最後の三妙合論も、その記述から類推するしかない仕組みが、ここにあります。

なお、乾闥婆さんが記されるところは、所謂、凡夫本仏論ですが、これは『秘密荘厳論』の所説を、派祖に当てはめるふりをした法主本仏論という作為に始まるものであるとわたしは見ます。つまり、日蓮のあずかり知らない考えです。最蓮房系疑偽書に倶体倶用の三身などということも改竄であり、天台の意図とは違っています。

そんなに凡夫本仏がいいたいのであれば、凡夫教と名前を変えればいいと、わたしは常々思っています。また、実際、学会を含む石山信者の欲求はまさにそれで、未来成仏を願うと言うより、生々世々に善処に人間に生まれることを欲求の中心になっています。これでは仏教になりません。人教です。しかしながら、唱題活用の欲望実現のための祈祷、換言すれば、法華経の密教化と転落はしかし、日蓮その人にも責任があるようにわたしには思えます。止観が忘れ去られるのも故無くもありません。

> 事実へ向かい合うことによって生じる苦難に屈しない、という信念

この点はもちろん同意です。

153犀角独歩:2005/08/07(日) 11:19:22

―151からつづく―

> 行為衝動に観念や理念が付加されることで、はじめてそれらの行為は社会化

ここのところは、両意とも可で、択一をするようなことではありません。
ただ、わたしが言いたいのは仏壇の前に逃げ込むな、仏壇の前で納得して終わらせるなという基本姿勢です。これは平和を唱える集団の構成員であるだけであたかも自分が平和活動をしていると錯覚することと似ています。蓋を開ければ、その集団の実際行動は平和のためには何の役に立っていないのにも関わらずです。まさに「お題目だけ」という有様です。

>> バラモン階級に特権化されていたものを下階級との禁婚で生じたものへ解放

この点は、(法華信奉者には頗る評判が悪いのですが)岩本裕著『佛教入門』(中公新書)に詳しく書かれてあります。

「…これらの人々は現実の社会でもバラモン教の教権制度に対する反逆者であったが、それは彼らが主としてバラモン教の支配する社会において蔑視された階層に属する者たちであったことが知られる。すなわち、父母の身分が異なる場合の子で、特に父がバラモンである場合が圧倒的に多い…一般に苦行者と呼ばれ、また沙門と呼ばれた」(P49)

カースト外の婚姻は禁婚ですが、シャキャムニの時代には多くこのような人々が生じていたと言います。バラモン教とは地上のバラモンが天上のバラモンになる思想ですから、そもそもバラモン階級ではない人々は、ただ、バラモンに輪廻できるのを来世に託すしかないわけです。また、その基本は禁婚を埒外に置いて成り立っていますが、しかし、実際にはそのような人々が多く発生していたのがシャキャムニの時代でした。この人たちが、バラモンとは制度的には認められないけれど、バラモンの修行(梵行)をもって道を求め、沙門と言われる一連の潮流が生じ、そのニーズに応えたのシャキャムニであったという見方です。

そもそも仏陀、阿羅漢なども、バラモンの用語なのであって、シャキャムニは新宗派の樹立者ではありませんでした。その功績はバラモンに特権されていたところをバラモンを父に持ちながら、しかし、その身分を認められない人々を中心に道を開いたところにその功績があったという視点です。この視点から


経典によく使用される「善男子」は「良家の息子」という梵語に由来するそうですが、実際のところ、出家はバラモン、そしてあとはバラモンの父異カーストの母を持つ人々であったといいます。つまり、シャキャムニは、出家弟子という範疇においてのみで語れば、両親がバラモンと、父のみがバラモンであるといった階層の人々を対象にしていたことが窺われるようです。

「余の弟子は種姓も同じでなく、生まれも同じでない。しかし、みな同じように余の教えを受けて出家し、修行している。もし人がおまえにおまえの種姓をたずねたならば、おまえは『私は沙門釈種(釈迦族出身の修行者、すなわちブッダ)の子である』と答えよ」(『長阿含経』第六『小縁経』)

「クシャトリア、バラモン、ヴァイシャ、シュードラの四種姓があるが、これらの種姓に属する人々がブッダのもとで出家し、その教えを学び修行するときには、その本来の種姓と名とを失い、ただ沙門釈種の子といわれるのだ」(『増壱阿含経』第二十一)

という経典を読むと味わいはまします。
以上の点を記したものです。

> 宗教という用語

これはたとえば、簡単に見られる資料が現宗研のサイトに置かれています。
開いて「宗教」で検索してみてください。これが本来の宗教の意味です。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/kyouron/ehyou.htm

なお、現代語の宗教は、religion とは、(いま、手許に資料が見当たりませんが)再結合、つまり、泥から作られた人間が再び神と結合するというのが原義だということでした。これを始めて聞いたとき、即座に「梵我一如」が思い起こされたものでした。このような考えは東西交流の中で共有されていった考えなのでしょう。いまいわれるような宗教の定義付けは、実はそれほど、根拠のあるものとは言えないと言うのがわたしの思いです。
乾闥婆さんの語法は、多分に「世界宗教」と言われるような意味合いを有しているように感じました。

154犀角独歩:2005/08/07(日) 14:15:44

乾闥婆さん、補足です。

わたしは、152に「観念状態にある脳波は穏やかで、心身によい影響を与えることも実感…唱題行も、この道からぶれなければ同じ止観禅の、発声(唱題)を伴った行の範囲」と記したのですが、ここから、乾闥婆さんの漫荼羅唱題の気分を想像してみたのです。案外、このわたしの記述と、当たっているものがあるのだろうかと思いました。どうでしょうか。

155乾闥婆:2005/08/08(月) 01:03:54
>>151
パンナコッタさん。

>乾闥婆さんのとらえ方はむしろ”宗旨”の意味合いが強いように感じられますが、いかがでしょうか?

宗旨とはある宗派の根本の教え、ということになるのでしょうか。確かにそのような共同体的なあり方をする宗教を、私は宗教と呼び、そのような宗教に対する批判として初期仏教はあったのではないか、しかし結局共同体的な土俗的な宗教へと回収されていったのではないか、ということを言っているのだと思います。犀角独歩さんの言われる「世界宗教」という視点は、そのように私が使った共同体的宗教に対峙するもので、超越性を持つゆえに共同体の固有性を破る側面の強い、それゆえに「世界」的な宗教となりうるものであるのだと思いました。ゆえに私は宗教という語を多義的に使ってしまっています。初期仏教をある共同体的宗教に対置して宗教批判といいながら、宗教の語を絶対性・超越性に見るといった矛盾を犯してしまいました。申し訳ありませんでした。ともに宗教のそれぞれの側面であると思います。

156乾闥婆:2005/08/08(月) 01:04:33
>>152
犀角独歩さん。

>乾闥婆さんは止観を難しいものとしてとらえていらっしゃるようですが、これは「難しい」という暗示にかかっていませんか。

そうなのかもしれません。止観は難しいから題目なのだ、末法はそれでいいのだ、というような暗示が無意識のうちに働いているのかもしれません。

>小止観(略明解蒙初学座禅止観要文)からお読みになってみればよいと思います。

何度か書店の店頭で、新田雅章氏の『天台小止観』(春秋社)を手にとって購入しようか迷ったことがあります。現代語訳がされていて分かりやすそうでしたので…。小止観から入ってみようと思います。

>観じられる十法界、三千法界もさることながら、このような観念状態にある脳波は穏やかで、心身によい影響を与えることも実感できます。たぶん、日蓮が考案した唱題行も、この道からぶれなければ同じ止観禅の、発声(唱題)を伴った行の範囲であったのかも知れません。

そうですね。一時期、私は禅定に入るための行法として唱題を限定的に捉えようと必死になっておりました。今でも基本的にはその線にあるつもりです。しかしそれは宗祖の意に反することになるのでしょうか。

>その根拠となる法華経に始まって、日蓮の本尊抄にしても、観仏法界については記されません。…法華経は「如是我聞」が前提で、記したのは仏ではなく、日蓮もまた仏ではありませんから、仏の正確な記述ができるはずはありません。だからこそ、法華経は「教菩薩法」なのでしょう。寿量品も、一念三千の最後の三妙合論も、その記述から類推するしかない仕組みが、ここにあります。

そうなのですね。久遠実成の仏とは、あくまで彼岸にあるのですね。その仕組みに驚き入っています。なぜ今まで気づかなかったのでしょう…。

>なお、乾闥婆さんが記されるところは、所謂、凡夫本仏論ですが、これは『秘密荘厳論』の所説を、派祖に当てはめるふりをした法主本仏論という作為に始まるものであるとわたしは見ます。

はい。日蓮本仏論、法主本仏論、凡夫本仏論は、一本の線でつながっているのですね。私も結局はその範疇にいたのでしょう。久遠実成の仏の位置を確認できたことは非常に大きな出来事でありました。

157乾闥婆:2005/08/08(月) 01:05:36
>>153

>これは平和を唱える集団の構成員であるだけであたかも自分が平和活動をしていると錯覚することと似ています。…まさに「お題目だけ」という有様です。

まったくその通りです。現状そのような学会員がほとんどでしょう。確かに理念・観念の有効利用もあったものではありません。

>この点は、(法華信奉者には頗る評判が悪いのですが)岩本裕著『佛教入門』(中公新書)に詳しく書かれてあります。

近いうちに購入して読んでみようと思います。岩本氏は岩波文庫版の『法華経』現代語訳とその解題で、大きく目を開かせていただいた記憶があります。

>「余の弟子は種姓も同じでなく、生まれも同じでない。しかし、みな同じように余の教えを受けて出家し、修行している。もし人がおまえにおまえの種姓をたずねたならば、おまえは『私は沙門釈種(釈迦族出身の修行者、すなわちブッダ)の子である』と答えよ」(『長阿含経』第六『小縁経』)
>「クシャトリア、バラモン、ヴァイシャ、シュードラの四種姓があるが、これらの種姓に属する人々がブッダのもとで出家し、その教えを学び修行するときには、その本来の種姓と名とを失い、ただ沙門釈種の子といわれるのだ」(『増壱阿含経』第二十一)

まさに、世界宗教とはこのような視点においてありえるのであろうと思います。

>>154

>案外、このわたしの記述と、当たっているものがあるのだろうかと思いました。どうでしょうか。

はい。似ていると思います。

158犀角独歩:2005/08/08(月) 04:43:18

乾闥婆さん

> 天台小止観

お薦めします。
この書は、わたしは唱題の糧にもなると思っています。

> 岩本氏…岩波文庫版…『法華経』現代語訳…解題…大きく目を開かせて…

わたしもその一人です。
手に入る岩本師の著者は片っ端から読んだものでした。
ところが、最近、松山俊太郎師の法華経講義を毎月聴講しているのですが、殊に岩波文庫の『正しい教えの白蓮』は駄目だと仰るのです。先には先があると思っている昨今です。

ただ、反面、松山師は法華経の復権を高らかに語ります。
渡辺照宏師などの法華経批判に対して、「この経典は、当時、全世界の中でも希にみる最高の芸術作品である」と言います。

序品・方便品の講義原稿がほぼ、まとまり、近く福神研究所から、出版が予定されています。期待しています。

習ってきたこと、信じてきたこと、何よりやってきたこと、その根幹が揺るがされるとき、信者は、それを揺るがす相手に反感を覚え、怒りすら懐きます。かつて、わたしもそうでした。ところが、自分自身を点検すると、それに十分に答える知識がない…。そんな思いから再考を始めて、幾ばくの時間が経ちました。

仏は、自分自身の心の中にいる。これは一面の真理なのだろうと思います。
そこで、わたしはふと気付きました。では、仏を尊敬する、信じると言うことは自分自身を尊敬し、信じると言うことではないのか…。
要は自身の仏は信じ・尊重できても、他身の仏を見落としてしまっていたわけです。
自分を導く仏側を見ないと、実は仏教にならないということを、最近になってようやくと気付きました。

仏を見据える、他人の仏を見据える、そして、始めて自分の仏を見据えるという三つの見仏があるとわたしは最近、思うようになりました。そのためには、どのような形であれ、禅定は必要なのだと思います。その一形態に唱題があっても、よいとも思います。唱題が禅定の延長である限り、有効なのだと思えます。

159パンナコッタ:2005/08/08(月) 11:02:30
乾闥婆さん、
”宗教”という言葉の持つ意味の多様性は、ややこしいですね。
さらに、一般の人が持つイメージはおおよそ、宗教=うさんくさい ではないでしょうか。

ちょっとズレるんですが、「目からウロコが落ちる」という言葉がありますね。何か真理に近づいたら
ウロコが剥がれ落ちて物が見えるようになったと。しかしこれには落とし穴があると思いますよ。
【「目からウロコが落ちる」というのは聖書の世界の言葉である。『使徒言行録』九章、キリスト教徒を迫害していたサウロが、天からの光とともに
「なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞き、とたんに目が見えなくなる。彼の家に、やはりイエスの声に導かれたアナニアがやってきて、
サウロの上に手を置く。すると、目からウロコのようなものが落ちてサウロはまた目が見えるようになる。彼は改心して洗礼を受ける。
 だから、何かの宗教に入信した人が「目からウロコが落ちた」と言うのは、用法としては正しいのである。しかし、僕みたいな無神論者は、ついつい
星氏と同じ事を言いたくなってしまう。「それって本当はウロコが飛びこんだんじゃないの?」と。
ウロコとは、心の目にかかった偏見のフィルターである。フィルターがなくなれば、世界がよりクリヤーに見えると思われるかもしれない。それは逆だ。
このフィルターは自分の都合の悪い情報をシャットアウトする働きがある。だからウロコが飛びこんだ者は、不都合なことが目に入らなくなり世界が
単純明快に見える。「目からウロコが落ちた」と勘違いしてしまうのだ。】       #星氏とは作家の 星新一 氏のこと。
  トンデモ本の世界S あとがき「目に飛びこんだウロコの話」山本弘  より引用

160パンナコッタ:2005/08/08(月) 11:02:58
 続き
【一例を挙げるなら、「唯物論や進化論は人間を堕落させる」と主張する人たちがいる。神や霊が存在することや、人間が神に創造されたことを
子供に教えれば、神を崇める心が生まれ、人は犯罪に走るはずがない、というのだ。
 しかし歴史を見れば、人類は唯物論も進化論もない時代から、戦争・大量虐殺・拷問・虐待・人身売買・弾圧などなど、数え切れないほどの
愚行・悪行を犯してきたのは明白である。宗教が原因で起きた戦争や虐殺事件やテロもたくさんある。むしろ昔の人間の方が今よりはるかに残酷で
モラルも低かった。人権意識が向上し、そうした行為が禁止されるようになってきたのは、むしろ唯物論や進化論が台頭してきた十九世紀以降である。
それなのに、彼らはその事実を都合よく無視する。
「科学物質は危険」「天然のものは安全」という信仰も、やはりウロコである。自然界にも毒物は多数存在するし、人工物質にも無害なものはたくさんある。
そもそも「化学物質」という言葉を天然物質の反対語として使うのが間違いである。自然界に存在する物質も(単体の元素から構成されたもの以外は)
すべて化学物質であり、化学物質を使用しない生活など絶対に不可能なのだ。】
       トンデモ本の世界S あとがき「目に飛びこんだウロコの話」山本弘  より引用

161パンナコッタ:2005/08/08(月) 11:03:23
続きの続き
【こうした「○○が諸悪の根源である」という考え方は、たいていウロコであり、間違っている。世の中の複雑な構造を、
そんな短い文章で要約できるわけがない。単純に図式化すれば分かりやすくはなるだろうが、正しくはない。
それが正しいように見えるのは、図式に合わない事実をフィルターが切り捨てているからだ。
 おそらく「フリーメーソンの陰謀」とか「相対性理論は間違っている」といったトンデモ説も、同じ心理―
―「世界は単純なものであるはずだ」という誤った信念に根ざしているのだろう。「世界がこんなに混乱しているのは、
どこかにすべてを操る悪玉がいるからだ」とか「相対性理論のような難解なものが宇宙の真理であるはずがない」というわけだ。
 いいかげん、こんな幻想は捨てよう。世界は複雑である。ちっぽけな人間の頭ではとうてい把握できないほどにややこしく
広大なのである。正解が存在しない問題だってたくさんある。それに単純な正解を出そうとするのは間違った行為なのだ。
「ウロコが落ちた」と思った時が危ないのだ。】
   トンデモ本の世界S あとがき「目に飛びこんだウロコの話」山本弘  より引用

どうでしょう。各教団の教えをそのまま鵜呑みにする事は、「目にウロコを飛びこませている行為」そのものではないでしょうか。

162乾闥婆:2005/08/11(木) 22:26:01
>>158
犀角独歩さん。

>序品・方便品の講義原稿がほぼ、まとまり、近く福神研究所から、出版が予定されています。期待しています。

松山俊太郎氏は『蓮と法華経』(第三文明社)を読んだことがあります。非常に刺激に富んだ内容でありました。氏の法華経講義ならばぜひ読んでみたいと思います。楽しみです。

>要は自身の仏は信じ・尊重できても、他身の仏を見落としてしまっていたわけです。
自分を導く仏側を見ないと、実は仏教にならないということを、最近になってようやくと気付きました。

>仏を見据える、他人の仏を見据える、そして、始めて自分の仏を見据えるという三つの見仏があるとわたしは最近、思うようになりました。

よい言葉を聞かせていただきました。「三つの見仏」という視点、大事にさせていただきます。

163乾闥婆:2005/08/11(木) 22:26:37
パンナコッタさん。

>どうでしょう。各教団の教えをそのまま鵜呑みにする事は、「目にウロコを飛びこませている行為」そのものではないでしょうか。

私もそのように思います。

164犀角独歩:2005/08/11(木) 23:56:35

乾闥婆さん、なんだかお久しぶりという気分です。

166顕正居士:2005/09/02(金) 20:56:55
今日の既成仏教に求められること

日蓮宗に限らず、わが国の僧侶の実際は「共同体の祭祀の司祭」であります。
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/07621929c8639679c0790dcc6491e40c
旧来の僧侶に該当するのは大学の研究者でしょう。仏教学は今は本山や檀林ではなく、
政府の認可を受けた大学で研究されています。そして私立大学でも予算のおよそ半分が
国庫支出ですから、宗門大学は国家、宗門、学生の布施によって成立しているわけです。
ただし仏教学や宗学研究の成果が一般僧侶に普及しているかというと、そうはいえない。
研究者の大多数は僧侶であり、住職あるいは副住職を兼業しています。その上に宗門の
重職をおこなうのには無理がある。宗派のいちばん有名な学者が管長等に就任すること
は減少している。また過疎地の僧侶は学校教員などを兼業しており、大都会の僧侶は
葬儀と法要の需要で、それぞれに多忙である。最大の困難は多忙であろうと思います。
したがって今日の既成仏教が税金の支出という国民の布施に対して提供し得るサービス
は居士に対する仏教学書の執筆、出版と滞りない葬儀、法要の執行であります。

ただし新興宗教、特に新々宗教と称される教団には反社会的傾向が著しくなっています。
上記のサービスに加え、カルト教団に関する知識の普及は既成仏教各教団に潜在的に
求められている事柄であろうと考えます。しかし新々宗教はきわめて多種多様です。
http://life7.2ch.net/psy/
今は宗教学者、社会学者、神学者などの助力を得て、僧侶と学問がある檀徒がこれらの
知識を学ぶ段階でしょう。各教団の出身者で伝統宗学、近代仏教学、宗教学、社会学に
関心がある方々のネットワークを構築することも非常に大切であると考えます。

167パンナコッタ:2005/09/03(土) 12:41:47
横レス失礼します。
各大学の宗教学や仏教学の公開講座は、参考になろうかと思います。
 http://www.syougai.metro.tokyo.jp/linkun01.htm
 http://www.kotobuki-p.co.jp/link/link2.htm

168思惟:2005/09/04(日) 15:11:56
顕正居士さん どうもありがとうございます。
パンナコッタさん はじめまして。
今の既成教団とその修学過程、現在の実際の構図がよく理解できました。

>日蓮宗に限らず、わが国の僧侶の実際は「共同体の祭祀の司祭」
であります。

なるほど、見事に実態を言い切っているように思います。

>今は宗教学者、社会学者、神学者などの助力を得て、僧侶と学問がある檀徒
がこれらの知識を学ぶ段階でしょう。各教団の出身者で伝統宗学、近代仏教学
、宗教学、社会学に関心がある方々のネットワークを構築することも非常に
大切であると考えます。

顕正居士さんが述べておられる実態であれば、そうしたネットワークによって
公開情報、知識としてひろく社会に示すことは意味があると思います。
情報過疎ともいうべき、鎌倉時代でもありませんから、教学のことは、
私論を交えず情報として知らしめるようにすべきとも思います。 創価学会や
、他の在家団体の多くの一般信者には、広い知識は及んでいないし、またそれ
を必要ともしていない傾向がありますが、 その背景には、世間一般に常識的
な仏教的な啓蒙すらもおざなりになってきたからではないかと感じます。 
あくまで学問は学問であり、信仰の意味と、世間における人の生き方としての
指針となり得るには、それを示す人の機根が伴なうことが必須であるのが、
宗教の宗教たる基本と思います。 
余談になりますが、 他の学問分野でも大学の各専門知識を有する方々が
パネラーなどで専門的な知識を提供したり、多種の活動を行政や、民間より
要請を受けて活動されているのをお見かけしますが、そうした方々は、共同と
かネットワークとかよりも、個人の権威に執着が強いように思いますので、
自ら進んで、学識の比較、補正を図るようには思えないのですが。・・・ 
教(経)・行がやはり二つ並立して、示して行くことが先学の使命とも思いま
す。そう考えると、今の時代は 法の実践的展開は至難なのだと実感します。

169犀角独歩:2005/09/26(月) 06:14:02

一昨日、わたしの恩人である貫名英舜師とお会いしたのですが、「末法」ということが話題になりました。

鎌倉時代が釈尊滅後2000年を経過していなかったことは今さら記すまでもないことですが、わたしはもう一点、気になったことがありました。

それは中国と日本の入末法とする年の相違です。
故高木豊師の『増補改訂 日蓮 その思想と行動』(太田出版)のなかに

「仏滅を紀元前942年とし、中国では正法500年、像法1000年を経て、末法に入るとされた。したがって中国では552年、日本では1052年(永承7)年が入末法の歳であった」(P124)

とあります。この根拠は、文中に示されていない(他の所に記されてあるのかも知れませんが)、ともかく、高木師は入末法年代が中国と日本では違うと主張していました。

ここで改めて気付いたことがあります。重要な点です。
始めて三時説を唱えたという慧思の生誕は515年で円寂577年、天台大師の生誕は538年で円寂が597年、妙楽大師の生誕は711年で円寂は782年、さらに日本の伝教大師の生誕は767年で入唐が804年(妙楽滅8年後)で円寂は822年です。また、聖徳太子が実在の人物であるとすれば、その生誕は574年とされます。

すなわち、中国の入末法年代、552年とは、つまり、中国仏教における天台諸師の活躍と、また、日本における法華経流布の二祖もまた、“中国の入末法年代”の合致していることになります。

http://www.kosaiji.org/hokke/nenpyo.htm

天台が自分が生きている時代を末法である考えていたという記述を、30年近く前に『私の天台観』(第三文明社)で読んだ記憶があります。そのときは「へぇ」と、さほど、重要とも思わなかったのですが、いま振り返ってみると、これはたいへんな話でした。創価学会の、この手の伝統教学と仏教学への造詣の著しいまでのギャップは、特に季刊『東洋学術研究』と『大白蓮華』の御書講義などで散見され、わたしは当時、完全に消化不良を起こしていました。しかし、30年経ってもこの点を創価学会はクリアできないままなのだと思えます。それはともかく、

http://page.freett.com/Fnet/di19.html#Tendaikan

以下は、わたしの類推に過ぎませんが、日本の末法思想とは、要するに中国の末法意識の‘焼き直し’として成立したのではないかと思うわけです。

さらに伝教大師の作とされる『末法灯明記』は延暦20年、すなわち、801年の作とされるわけで、中国で考えられた末法の始め500年に当たることになります。

本尊抄に日蓮は

「後五百歳於閻浮提広宣流布と。天台大師記して云く ̄後五百歳遠沾妙道。妙楽記して云く ̄末法之初冥利不無。伝教大師云く ̄正像稍過已末法太有近等云云。末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意也。伝教大師、日本にして末法の始めを記して云く ̄語代像終末初。尋地唐東羯西。原人則五濁之生闘諍之時。経云、猶多怨嫉況滅度後。此言良有以也」

と、殊に「末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意」としますが、しかし、妙楽円寂直後に入唐した伝教大師が中国末法観を意識していないとは考えられず、すなわち、天台、妙楽はもちろんのこと、伝教もまた、自分達が生きている時代を末法と認識していたと考えざるを得ません。となれば、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という題名はおろか、「仏滅度後二千二百二(or 三)十余年」などという考えは、近代仏教学を待たずとも、根底から瓦解します。

もとより、大集経の三時というのは、ミレニアム(千年紀)から派生したものでしょうから、それが仏説であるわけもないのですが、その点を問題とは別に、天台・妙楽・伝教が、自分達は「末法」を生きていたかどうかという認識は必要であると思うわけです。

170犀角独歩:2005/09/27(火) 11:15:49

わたしの投稿を読んでくださった朋友 Poh さんが、当掲示板へ紹介可ということで、資料を送付くださいました。長いので、わたしのHPにアップしました。

Pohさんの末法思想資料抜き書き
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/poh01.html

以下、追伸として、過去のご投稿もご紹介くださったので、こちらは以下に転載します。

******

「創価学会をみんあで考えよう」過去ログ倉庫『電話盗聴事件』 スレッドより
http://kangaeyou.hp.infoseek.co.jp/piza.000106.html

(過去ログ倉庫:http://kangaeyou.hp.infoseek.co.jp/

56 名前:Poh 投稿日:2002/3/6(水) 17:24:57

正法時・像法時の年数は経論によって異りますが、その中で有力なのが正法500年
・像法1000年説と、正法・像法ともに1000年説。
で、昔の中国の伝承では釈迦入滅は御書辞典のようにBC949だったので、末法の
世に入るのは第1説ではAD552年、第2説では1052年ということになってい
た――しかし末法思想自体は、レス53の通り、エフタルのミヒラクラ王による猛烈
な仏教迫害をこうむったカシミールの仏教徒が作り出した思想で、この直前=AD6
Cに成立したばかり。
直後その地から556年に北斉に到着したナレンダイヤシア(那連提耶舎)が『世はす
でに末法時代に入って久しい』と説き、また558年には正像末の3時期区分=末法
思想を中国人として初めて明確に表明した南岳慧思の「立誓願文」が執筆されたわけ
です。
その後中国の末法思想は、ナレンダイヤシアが566年に漢訳した「大集月蔵経」
(偽経?)によって流行しはじめたところに、574年に北周の武帝による三武一宗
の法難の第2回目とされる仏教への大弾圧が行われ、
やがて旧北斉領に廃仏を断行したことなどが重なって、そのため中国では主として5
52年に末世に入るとされた第1説=正法500年説(像法1000年、末法1万
年)が多く信じられたわけですな。
ところがこの552年こそ仏教が日本に初めて伝わったとされる年なもので、中国と
違って日本では第2説による計算が採用されて1052年から末法の世になると信じ
られ、平安末〜鎌倉時代の末法仏教運動が展開されるに至ったと・・・。
――まあ、こうやって見てみると、末法思想そのものも、後代の創作といってよいで
しょうし、正法500年or1000年説いずれも、日本・中国それぞれのご都合主
義解釈によって両国別々の説を採用したわけで・・・ましてその大前提の釈迦入滅時
がそもそも中国では間違っていた(BC949)となると、末法に関してどんなこじ
つけも「有り」で、でも何をどうこじつけても説得力ないなぁ〜〜なんて思いますけ
ど。(苦笑)

58 名前:Poh 投稿日:2002/3/6(水) 20:14:39

>>56
ちょっと補足です。
>この552年こそ仏教が日本に初めて伝わったとされる年なもので、
実際、日本へ仏教が公式に伝えられた年ははっきりしていません。
「日本書紀」では552年となっているため、その後ずっとこの年が仏教公伝の年と
されていましたが、近年は「上宮聖徳法王帝説」や「元興寺縁起」などに記されてい
る538年をとる学者が多いようです。
もっとも公式の伝来以前にも仏教は渡来人によってもたらされていて、522年には
司馬達等が中国から渡来して大和国に仏像を安置して礼拝したという記録(扶桑略
記)があります。
〜〜〜以上、一応念のため。


59 名前:Poh 投稿日:2002/3/7(木) 02:52:05

>>51 佛哲辞典編纂員さん
>日本、中国,朝鮮では、正法1000年,像法1000年を取っています。
えっと、ですから>>56、中国は正法500年説じゃないかと思うんですが。
朝鮮はちょっと手元に資料がないので確認できないですが、中国と一緒じゃなかっ
たっけなぁ(やや不安)???
いずれにせよ、ご確認願えますか???(僕が間違っていたら訂正お願いします)

171古池:2005/09/27(火) 21:20:47

独歩さん

>末法思想は、エフタルのミヒラクラ王による猛烈な仏教迫害をこうむったカシミールの仏教徒が作り出した思想。

末法について、大変参考になりました。有難うございます。

一点教えてください。
南無妙法蓮華経とは、末法における衆生を救う唯一の法なのでしょうか。なぜ末法においては南無妙法蓮華経でなければ成仏できないのか、よくわからないのです。釈尊の八正道は釈然とするのですが、南無妙法蓮華経が成仏の法だというメカニズムがよくわかりません。不敬な言葉遣いがありましたらお詫び致します。

172一字三礼:2005/09/27(火) 21:52:31
横レス失礼します。

>末法思想は、エフタルのミヒラクラ王による猛烈な仏教迫害をこうむったカシミールの仏教徒が作り出した思想。

この推測は年代的に無理があります。

エフタルの王トラマーナ (位490-512頃) とその子ミヒラクラ (位512-528頃)は5世紀末〜6世紀前半の人物です。
しかしながら、末法思想は紀元前後に成立した最初期大乗経典にも登場します。法華経もその末法思想を含んだ経典の一つです。

173菱村正敏:2005/09/27(火) 21:58:09
>しかしながら、末法思想は紀元前後に成立した最初期大乗経典にも登場します。法華経もその末法思想を含んだ経典の一つです。

 初期とされてる経典など、法華経に末法思想があるというのは無理があります。
どこに末法思想が示されているのでしょうか?

174一字三礼:2005/09/27(火) 22:51:15
菱村正敏さん:

又文殊師利、如来の滅後に末法の中に於て是の経を説かんと欲せば、安楽行に住すべし。(安楽行品第十四)

悪世末法の時 能く是の経を持たん者は則ち為れ已に上の如く 諸の供養を具足するなり(分別功徳品第十七)

末法という用語に言及されている上、末法が悪世であるという認識まで法華経にありますよ。

175Poh:2005/09/28(水) 03:53:24
1)
一字三礼さん

はじめまして。
犀角独歩さんがご紹介下さいました私の拙文と資料に対するご指摘ですので、私の方から
お答えさせて頂きます。
(こちらの掲示板で本格的な書き込みをするのは初めてになります。皆様、どうぞよろし
くお願いいたします)

末法思想の起源を語るたびに、これまでも他掲示板等で多くの方から、羅什訳『妙法蓮華
経』中の「末法」に関する質問をお受けして参りました。
あるいは当然ありうるご疑問・ご指摘だとも考えております。
この件に関して、以下他掲示板での自己レスを再編集したものをアップさせて頂きます。

まず、『妙法蓮華経』ではたしかに正法、像法に関して、
○正法、像法、滅尽の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき。
                             (常不軽菩薩品第二十)
○世尊、後の五百歳濁悪世の中に於いて、其れ、是の経典を受持すること有らん者は
                           (普賢菩薩勧発品第二十八)
と「正法・像法・滅尽」という使用が認められます。
この部分、サンスクリット原文のsaddharmaを「正法」 と、saddharma-pratiru■pakaを
「像法」としていますが、「正・像法」に関しては、先に私からの提供資料として独歩さ
んがご紹介下さった、平凡社世界大百科事典の記述「正法時と像法時については,インド仏教で早くから考えられていたが〜」の通りです。
ですから、AD1世紀前後とも言われる法華経成立時に「正・像・滅尽」の思想が成立し
ていたとは想像できると思います。

一方、『妙法蓮華経』中で「末法」の語が確認できるのは、たしかにご指摘の2箇所にな
りますが、いずれも「正・像」との(思想的)関連性なく単独使用であり、意味的にも前
後の文脈からも「正・像・滅尽」との関連性は言及されていません。

さらに重要な問題として、この「末法」にあたるサンスクリット原文は、
『saddharma-vipralopevartartana■ne』
であり、それをクマーラジヴァが「末法」と漢訳したわけですが、しかしこのサンスクリ
ット語は、直訳すると「正しい教えが滅びる時代」という意味で、これは末法思想の「末
法=教のみで行も証もない時代」の語義とは異なっており、つまりこれが決定打となって、
この「末法」は「末法思想としての末法」と考えることには無理があるというのが、現代
の仏教学者・研究家たちのおおかたの見解のようです。

このあたり、『大乗仏典4 法華経Ⅰ』松濤誠廉、梶山雄一、丹治昭義著。中公文庫、P291
では、以下のように解説されています。
『「正しい教え」(正法)と「正しい教えに似た教え」(像法)とは、前者から後者へ教
えが漸次衰微してゆくという歴史観の上の時代区分に用いられる述語。ここではこの両語、
すなわち順にsaddharmaとsaddharma-pratiru■pakaの両語が見えるのみである。他方、羅
什が「末法」と訳している「正しい教えが滅びる時代」saddharma-vipralopevartartana
■neの語は、のちに第十三章(「法華経Ⅱ」)に単独であらわれている。正法・像法・末法
の三時を分ち、そのあいだに教・行・証が漸次衰微する状況を説く歴史観(正法の時代には
教・行・証の三者がそなわり、像法では教・行のみ、末法の時代には教のみで行も証もない
という)は、おそらく中国において整備確立されたものであろう。』
[続く]

176Poh:2005/09/28(水) 03:54:48
2)
それでは日本語訳ではどうなのかということですが……。
実は私ごとではありますが、この2年ほど学会問題や仏教から遠く隔たった生活をしてお
りまして、岩波文庫『法華経』(坂本 幸男、岩本 裕訳)が知人に貸し出し中ですぐに確
認できず、やむなく他の手持ちの書籍を当たったところ、『妙法蓮華経』中の「末法」の
訳は以下のようになっています。
 ○菅野博史(創価大学文学部教授)著『法華経 永遠の菩薩道』
    安楽行品第十四「末法」=「末世で法が滅しそうな時」
    分別功徳品第十七「悪世末法」記述なし
 ○小島繁一著(仏教研究家)著『法華経がわかる』
    安楽行品第十四「末法」=「正しい教えの廃れた末の世で」
    分別功徳品第十七「悪世末法」=「悪徳はびこる末の世で」
と、明らかにサンスクリット原文の意味を反映させ、「末法思想としての末法」との違い
を意識した訳をしているものもあれば、
 ○藤村義彰(宗教哲学研究家)著『新訳 法華経』
    安楽行品第十四「末法」=「末法の時代」
    分別功徳品第十七「悪世末法」=「悪世末法(そのまま)」
のように、「末法思想としての末法」との違いが分からないものもあるようです。
(あるいは著者自身がその違いを認識していないか、あるいは同一のものだという自分な
りの確信のもとに訳しているのかもしれませんが)

その他の訳本に関しては、恐縮ですがご自身でご確認頂ければ幸いです。

たしかに日本では、少なくとも近代以前においては、『妙法蓮華経』の「末法」をそのま
ま自然に「正像末の末法」として解釈してきたという歴史的背景があります。おそらく日
蓮さんもその例外ではないでしょうし、また現代に至っても、その是非はともかくとして、
過去の解釈をそのまま何の疑いもなく信じておられる方が多いのは事実です。
私個人の思いとしては、今後、「末法」に限らず、教典等の語句一つ一つに対する、言語
学、文献学、歴史学、地域文化学、民俗学、考古学等々からの幅広い多角的な研究がさら
に一層進んでゆくことで、教典成立当時の根本思想により迫ってゆけることを期待してお
ります。

最後に、犀角独歩さん、私が仕事上の理由から、現在こうした掲示板等への書き込みを自
制しているということで、色々気を遣っていただき、ありがとうございました。またその
ため今回は余計なお手間を取らせることになりましたこと、お詫び申し上げます。

177菱村正敏:2005/09/28(水) 08:13:52
 法華経の文言にある末法を末法思想のそれと同じ意味に解するのは
短絡的だと思います。

 法華経には書写・読誦などの功徳を説き、坊主が戒律を固く保つこ
とを強調しています。法華経が末法思想を踏まえた経典であれば、
このような表現はしないでしょう。

 法華経の末世・末法という表現は、せいぜい悪世という意味しか
ないと思っています。上記の方が細々と書いてますから重ねて書き
ませんが、安易に混同しないほうが良いと思います。

178一字三礼:2005/09/28(水) 10:47:19
Pohさん

はじめまして。
丁寧なレスありがとうございます。

法華経で主張する三時は「正法・像法・滅尽(末法)」とみるよりも、「在世・正法・像法」ではないかと考えています。授記の際に未来仏に明かされる釈尊の予言では、何れも像法までであり滅尽もしくは末法に対しては時代として認識していないと思われます。

だから私もPohさんのご指摘のとおり末法ないし滅尽を「正しい教えが滅びる時代」=「悪世」という意味で理解しており、その意味で法華経には末法思想がある、と記しました。

>『妙法蓮華経』中で「末法」の語が確認できるのは、たしかにご指摘の2箇所になりますが、いずれも「正・像」との(思想的)関連性なく単独使用であり、意味的にも前後の文脈からも「正・像・滅尽」との関連性は言及されていません。

正法・像法との直接の関連性が無くとも「悪世末法(悪徳はびこる末の世で)」を警戒する思想があれば「末法思想」と言えるのではないでしょうか。

>これは末法思想の「末法=教のみで行も証もない時代」の語義とは異なっており

これは特定の経典もしくは釈の末法の定義ではないでしょうか。

私は「末法思想」というものは、「仏法の滅びる時代」という発想を中心とした、ひとつの思想潮流であると考えておりますがいかがでしょうか。

Pohさんの仰る「末法思想」の定義をまずは教えていただけませんでしょうか。

179一字三礼:2005/09/28(水) 10:59:21
菱村正敏さん

>坊主が戒律を固く保つことを強調しています。

仰るようなことは法華経には見当たりません。

 此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めた もう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く(妙法蓮華経 見宝塔品第十一 )

この文は受持即持戒と理解されております。菱村さんは、法華経を読んでから仰っているのでしょうか。

末法に関しましては、178レスをごらんください。

180犀角独歩:2005/09/28(水) 11:03:46

なかなか活発な議論となり、提案した甲斐があります。

小池さん

> 南無妙法蓮華経とは、末法における衆生を救う唯一の法なのでしょうか。なぜ末法においては南無妙法蓮華経でなければ成仏できないのか、よくわからないのです

羅什訳、慧思を経て天台、そして妙楽で確定されてきた法華解釈を、伝教を経て、日蓮が継承したということですね。

「南無妙法蓮華經は法」かというのは、なかなか大問題であろうと思います。
結論から申し上げれば、法と言えるのは妙法と羅什が訳した言葉が指したものであるはずです。妙法蓮華經は経典の名前であり、南無妙法蓮華經はその経典に南無するという以上の意味はないところを経題そのものを法としてしまった教学的な姿勢を直視する必要があります。

では、法華経で言う妙法とは何か? ということになります。この原語は松山師に拠れば、agradharmaとsaddharmaを訳分けずに用いた漢訳であるということですが、この漢語は既に増一阿含で使用されているとのことでした。法華経全編を読んでみると、諸仏はこの経典によって成仏したとか、経典自体が遠い過去から存在していたという記述はあっても経典自体が法であるという記述は勿論ありません。また、そもそもその法が何であるのかという点で明確に記述される句を探せば、わたしは「教菩薩法」に尽きると思います。
ところがこの漢訳に該当する梵本直訳を見ると「菩薩をいましめ」る(岩波文庫『法華経』上 P45)という以上の意味はありません。しかしながら、法華経とは菩薩をいましめ、成仏記別を与える最高の教えという内容になっていることは了解できます。
では、その成仏というのはどのようなことかと言えば、寿量(菩薩道をした二倍の寿命・五百塵点劫)というストーリーとなっています。

以上のことから、わたしは題目五字七字が法であるという教理解釈には反対の立場です。故に、わからないと思われるほうが、よほど的確に事実を捉えていると思います。

181犀角独歩:2005/09/28(水) 11:04:15

Pohさん

遠征いただきまして、有り難うございます(笑)

> AD1世紀前後とも言われる法華経成立時に「正・像・滅尽」の思想が成立

これは殊に『常不軽菩薩品』第20から、こう記されるのだと思いますが、該当の部分は

「…如来が入滅したのち、正しい教えの模倣の教えが消滅したとき…」(下 P131)

を「正法像法。滅尽之後。」と什が訳したものですね。
梵本法華経紀元前1世紀から後2世紀ぐらいのあいだでせいりつしたということですから、如来が生きているときは、その如来から直接、教えを聞いて修行できるが、入滅後は、それを模倣する教え、しかし、それも時の経過と共に消滅するという考えは、この時点であったのだろうと思います。

一方、什の妙法蓮華經の漢訳はどうでしょうか。後秦の姚興に向かい入れられて長安に入ったのが401年で、その後、10年の間に精力的に翻訳に従事したと言います。法華経訳出年代をどこまで特定できるのかという問題はありますが、4世紀末から5世紀はじめということになります。つまり、梵本成立から250年ばかりの時間差と場所の差があることになります。

末法思想の定着は6世紀というのが取り敢えず、定説になっているようで、種々、挙げていただいた資料もそれを指示する如くですが、言葉としての「正法」「像法」「末法」もしくは「法滅尽之後」は5世紀の訳本・妙法華に既に見られるとするのが至当ではないのかと思いますが、如何でしょうか。

なお、末法思想というのは、皆さんのご指摘の通り、成句が先行し、後に正像末の三時に整理され、さらに「五百年」「千年」といった年限区分が採り入れられていったという変遷があることは押さえるべきだと思えます。

また、これらのアイディアはイランにははじまる救世主思想(ミトラ)、また、終末思想、プレニアム(千年紀)思想と習合しながら、次第に形成されたものであろうと考えます。

天台における以上のような整理は南岳慧思の『立誓願文』だそうで、正法500年、像法1000年年とし、自らの出生を末法82年としたというのが、先の貫名師の指摘でした。

ただし、わたしの今回の呈示は、以上のような成立過程というより、むしろ、それら末法思想を鼓舞する人々が、自分達が生きている時代こそ末法であるという認識に立っているという点です。

わたしは梵本法華経の制作者といえども、この例外ではないと考えます。
つまり、彼らが経典を創作し、釈迦滅後の時代を描写するのは、要するに、自分達こそ、その「末法」の弘法者であるという認識を、紀元前後の段階で既に持っていたからこそのことであろうと考えます。つまり、創作者たちがいう末法とは梵本法華経成立時点、さらにそこに登場する釈迦を担う主人公・地涌菩薩の出現もまた、創作者とその集団を指した西暦前後その時代を想定したものであったろうと考えます。

182Poh:2005/09/28(水) 12:02:53
>>178 一字三礼さん

自己紹介が遅れましたが、私は信仰の経験のない、非宗派の者であり、これまで学問とし
て仏教を考え、勉強してきた者です。
そういった意味で、おそらく多くの点で、富士門流の信仰者の方々とは仏教用語一つとっ
ても、使用語義、事実認識等の点で大きなギャップがあるかとも思います。
ですから
>正法・像法との直接の関連性が無くとも「悪世末法(悪徳はびこる末の世で)」
>を警戒する思想があれば「末法思想」と言えるのではないでしょうか。
おそらく賛同頂けると存じますが、私としては、使用する言葉に関して、まず同じ意味な
りイメージなりを共有することなくして、議論や対話は成立しないと考えております。
その点、仏教用語としての「末法思想」の語義に関しても、こうした場合、主観を極力廃
し、自分勝手な解釈を慎むことが、肝要と考えます。
ですからこの場合、「末法思想」や「三時(思想)」という言葉については、学者・専門
家たちの批判に耐え、また広く社会で認知されている普遍的な意味は何かということが大
切なわけです。

>Pohさんの仰る「末法思想」の定義をまずは教えていただけませんでしょうか。
この場合、あなたの>>172 >>174のご指摘は、私が独歩さんに提供した資料である平凡社
「大百科事典」、岩波仏教辞典の「末法思想」の記述に対するものであり(同掲示の私の
過去レスもそれらをまとめたものですので、同様に考えて頂きたいと思います)、あなた
がそこで両書の語義に関する異論反論を述べられないまま、ご指摘を始められている以上、
そうなると当然、私の>>175 >>176も、両書にある
「末法思想」「三時(思想)」
○釈梼入滅後における仏教流布の期間を3区分した正像末の三時の考え方に立脚し,末法
 時に入ると仏教が衰えるとする予言的思想のことであり,仏教の漸衰滅亡を警告する歴
 史観である。
 仏の教法〈教〉のみがあって,教法に従って修行する者〈行〉も,修行の果報を得る者
 〈証〉もなく,国土も人心も荒廃する末法時が1万年つづいて法滅尽を迎えるとする点
 では異説がない。(平凡社世界大百科事典)
○仏教における時代観ともいうべき正法、像法、末法の三時思想に出ることば。(岩波仏
 教辞典)
の語義をそのまま大前提として、またあなたとの共通理解の成立したものとして考えてお
りました。
またこの定義は、何もこの両書に限ったものではなく、広く一般的な仏教書、参考書の類
いでも通用するものだとも考えております。

ただもしもあなたが、ご自分なりの定義のもとで議論を進めていこうとおっしゃるのなら、
再度ここで、この場限りの(?)語義を定義し直し、共通理解をせねばならないでしょう。

しかし考えてみれば、あなたが
>正法・像法との直接の関連性が無くとも「悪世末法(悪徳はびこる末の世で)」を警戒>する思想があれば「末法思想」と言えるのではないでしょうか。
>私は「末法思想」というものは、「仏法の滅びる時代」という発想を中心とした、ひと
>つの思想潮流であると考えておりますがいかがでしょうか。
という、あなたなりの(?)語義を提唱なさるなら、先のあなたのご指摘そのものが、言
葉の定義の違いだけによるものとなってしまい、ご指摘の意味さえ失われ、あえて言えば、
あとはどちらが客観的視点に立って一般的か、説得力があるか、妥当なのかなどという
「言葉の定義」の是非を問うだけの議論になってゆくのではないでしょうか?

なぜなら上記両書は、おのおのの「末法思想」「三時(思想)」の定義のもとで、論を進
めているのですから……となると、意地悪な言い方になるかもしれませんが、あえてあな
たがこの件で異を唱えるとすれば、その相手としては、上記両書とその執筆者たちとする
のがふさわしいかと存じますが、いかがでしょうか?

ちなみに私はといえば、法華経にいわゆる「仏教の漸衰滅亡を警告する歴史観」が読みと
れることに異論はありません。ただそれは、正確に言えば、辞書的定義による「末法思
想」とはいえない(まだ正・像・法滅の段階)ということだと考えます。
そしてこれはまた、平凡社大百科事典に「正法時と像法時については,インド仏教で早く
から考えられていたが,〜」との記述とは矛盾しないのは、いうまでもありません。

183Poh:2005/09/28(水) 12:32:34
>>182 自己レス補足

>私は信仰の経験のない、非宗派の者であり、これまで学問として仏教を考え、勉強してき
>た者です。
これは誤解を生みそうな表現をしたものです。(汗)
といって、私はただの素人でございます。ただどうしても学問的の「窓」から仏教を眺めて
しまってきたというだけのこと。
別にはったりかまそうとしたわけではありませんので、念のため。(平伏)

184Poh:2005/09/28(水) 12:44:43
>>181 犀角独歩さん

>遠征いただきまして、有り難うございます(笑)
しまった!余計なことした!しっかり墓穴を掘ってしまった!(笑)
なにやら、にやついてる独歩さんの顔が眼に浮かぶようです。(苦笑)

厳密な学問的実証のくびきを少し離れただけでも、色々楽しい想像ができそうですね。
>梵本法華経紀元前1世紀から後2世紀ぐらいのあいだでせいりつしたということですか
>ら、如来が生きているときは、その如来から直接、教えを聞いて修行できるが、入滅後
>は、それを模倣する教え、しかし、それも時の経過と共に消滅するという考えは、この
>時点であったのだろうと思います。
同感です。すでに、
○世尊、後の五百歳濁悪世の中に於いて、其れ、是の経典を受持すること有らん者は
                           (普賢菩薩勧発品第二十八)
とあるように、釈迦入滅後「500年」というキーワードや、またそのほかにも、正法・
像法という言葉の使用こそ少ないものの、法華経にはやたらその種の説話と教訓の上に
「だ〜か〜らぁ!」という論法が繰り返されていますから、一つのロジックやレトリック
として確立されていた感さえあります。

……で、おっとまずい。ここで外出せねばならぬ時間となってしまいました。
羅什以降に関する愚考など、また時間をおいてアップさせて頂きます。申し訳ありません。

185菱村正敏:2005/09/28(水) 15:55:18
 坊主の戒律を保つことは出てますよ。安楽行品を見て下さい。
それと、読誦や書写の功徳はどういう意味があるのですか?法師品とか
ありますけど。末法思想を踏まえた経典なら書写読誦なぞ意味もない
ですし、安楽行修行も意味がありませんよね。

 法華経は2時思想の概念しかありません。正法・像法です。つまり
前五百歳が正法というホンモノ、で、今からの後五百歳が像法という
ニセモノという構図です。

 で、この釈迦滅後、長い時間が経ってその威光が失せた像法時を
悪世・末世・末法などの言葉をもって表現しただけです。

 そもそも、日蓮は、それだからこそ、釈迦が秘して沈めたと
称して専修題目を創造したということではありませんかね。
法華経が末法のために書かれた、それを踏まえた経典なら
日蓮も末法時には、そのまんま書写したり読経したりすれば
問題なかったんじゃないかと思いません?

186一字三礼:2005/09/28(水) 20:16:20
Pohさん

返レスありがとうございます。

>おそらく多くの点で、富士門流の信仰者の方々とは仏教用語一つとっても、使用語義、事実認識等の点で大きなギャップがあるかとも思います。

私は富士門流の信仰者ではありませんのでご心配には及びません。

>仏教用語としての「末法思想」の語義に関しても、こうした場合、主観を極力廃し、自分勝手な解釈を慎むことが、肝要と考えます。ですからこの場合、「末法思想」や「三時(思想)」という言葉については、学者・専門家たちの批判に耐え、また広く社会で認知されている普遍的な意味は何かということが大切なわけです。

「末法思想」という語が、その使用を仏典から梵文に遡って言語から意味を定義できるものではないので、Pohさんのご主張は一般には通用しないでしょう。

実際には「末法思想」なる語の成立はいつごろでしょう、近現代ではないでしょうか。さして古くない造語である「末法思想」という語に、仰るような「普遍的な意味」などあろうはずがありません。

187一字三礼:2005/09/28(水) 20:59:45
菱村正敏さん

>坊主が戒律を固く保つことを強調

法華経にはそのような箇所はありません。安楽行品の何処にありますでしょうか。経文を挙げてください。

>それと、読誦や書写の功徳はどういう意味があるのですか?法師品とかありますけど。末法思想を踏まえた経典なら書写読誦なぞ意味もないですし、安楽行修行も意味がありませんよね。

仰る意味がよくわかりませんが、「末法思想」があるのであれば、佛教の修行が全て意味がなくなると考えておられるのでしょうか。それでは「末法思想を含んだ経典」というのは存在自体に矛盾があるとされるのでしょうか。

>法華経が末法のために書かれた、それを踏まえた経典なら日蓮も末法時には、そのまんま書写したり読経したりすれば問題なかったんじゃないかと思いません ?

日蓮の法華経理解が、法華経の内容と一致するわけではありません。
法華経には「末法」「悪世末法」の概念はあっても、末法に法華経が通用しなくなるとは書かれておりませんので、そのまんま書写したり読経したりしても別に問題ないのではないでしょうか。

188古池:2005/09/28(水) 21:47:14

独歩さん

180
大変有り難うございました。

本件について学びたいと思い、過去ログを見てみましたが、
プンダリカで独歩さんが記されていた内容が現在閲覧できないようで
もし可能でしたら

>わたしは題目五字七字が法であるという教理解釈には反対の立場

等について、もう少し教えて頂けないでしょうか。

189問答迷人:2005/09/28(水) 23:24:33

プンダリカ掲示板

http://jbbs.livedoor.jp/study/3050/#8

190犀角独歩:2005/09/28(水) 23:41:58

184 Pohさん、どうも。たしかに思わず、にやついております。

なんだか議論がパラレルしているので、わたしはPohさんに返レスしましょう。

そうなんですね。法華経に出てくる「五百年」という時間は、まさに釈迦滅後から法華経が創作された時間差そのもののわけです。つまり、この創作者は自分達を地涌菩薩に想定しているのでしょうね。

要は釈迦が入滅したあとに、一体誰が主人公だ、地涌菩薩である我々であると経典創作者は暗に記しているわけでしょう。けれど、遂にインドでは法華経を依教とする教団は成立しなかった。中国でも、当初は成立しなかったわけですが、法華経に先駆けて、人気のあった涅槃経と法華経をダッキングさせ、このコラボレーションによって、一躍法華経教団は成立していくことになったわけでしょう。

そしてまた、ここでも慧思は自分自身が末法82年に生まれたという自覚を持っていたわけでしょう。この姿勢は当然、天台にも見出せるでしょうし、何より、日蓮にいたってその頂点を迎えます。つまり末法に生まれ・弘法するという自意識です。

わたしは小野文著師の御説を拝して、日蓮が言う末法は始めの五百年に時制があるのであって、これはその後の万年・尽未来際とは別立てだという指摘に「なるほど」と膝を叩いた一人です。しかし、この点に門下は気付かずに来ました。

戦前の日蓮主義、二度の末法説で世界最終戦争から広宣流布というコンセプトにしても、またしても、この末法意識の亡霊が顔を出すわけです。


この広宣流布ということにしても、真偽未決文ながら、日蓮の教説とするものを見ると、万民一同に南無妙法蓮華經と唱えるのが広宣流布で、それは地涌菩薩の出現がなければ叶わないというわけです。

たとえば、本日ただいま日本民全員が南無妙法蓮華經と唱えたとしましょう。となると、上記、教説からすると広宣流布だと、こうなります。しかし、そこから100年経ったら、その万民は一人として生き残っていません。広宣流布はどうなったという話のわけです。こんな当然のことが、しかし、まったく考慮されていない机上の空論といって等しい広宣流布観が平然と語られるわけです。

故に日蓮の教説は末法の始め五百年にこれが達成されるという前提で成り立っていたのだろうと思います。では、この五百年という限定時間は、といえば、法華経創作時の釈迦滅後五百年というコンセプトを背負っているわけです。

こういう、いわば「ネタ元はなんだろうか」という謎解きからすると、法華経信奉者というのは、釈迦滅後五百年後を想定してまとめられた法華経の成立を、自分達が生きている時間に引き寄せるために、正法五百年・像法五百年、さらに正法五百年・像法千年として、慧思を始めとする末法意識があり、さらに日本ではこれにさらに五百年プラスして正法千年で、入末法年代永承7年(1052)として、日蓮その他の末法自意識が支えられることになったわけです。

これまた、貫名師が指摘したことですが、浄土真宗本願寺派では、既に入末法・永承7年(1052)説を、もはや放棄した如くです。

http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/next/shaka.htm

わたしは、この手の構造を、日蓮門下も、もういい加減に認めたらどうかと思うわけです。

191犀角独歩:2005/09/28(水) 23:42:32

> 188 古池さん

わたしの投稿をお読みくださり、まことに有り難うございます。
このように真摯なご質問に接しますと、投稿の甲斐を感じます。

ご質問については、180に記した通りなのです。妙法蓮華經は経題である、なんでそれが法なのだという当たり前の疑問です。もちろん、このような当たり前の疑問は古来からいわれていたことのようで、台釈にしても、日蓮教説にしても、その弁明に終始していると強く感じます。

これはまたいままさに現代進行形の話ですが、松山俊太郎師が、この経題について、鋭利な翻訳分析を試みています。つい最近も、その聴講をしたのですが、武者震いというか、聞きながら、久方にゾクゾクしたものでした。あまりの内容に、いつもすぐにブログに覚え書きを記すのですが、殊、松山師の法華経講義にはここ2月、そのノートを睨みながら、感想も出ないショック状態にあります。筆舌に尽くしがたいという感情に揺さぶられています。

しかし、経題は経題です。その前提で、では、そこでいうagradharma、saddharma とは一体、何かいえば、これはかつて顕正居士さんもご指摘くださったことがありましたが、いうところの法は理法ではなく、間違いなく教法、もしくは行法であるわけです。では、教え、行とはいえば、教(菩薩)法、もしくは菩薩行(六波羅密)でしょう。

これはしかし、実際の実践の行を教えることです。それにも拘わらず、その教えを書いた本の名前を法と捉え違いするとき、実践行をそこで廃れてしまいます。まさに「お題目だけ」ということになります。

例になるかどうかわかりませんが、『六法全書』という四文字をいくら唱えたところで、法律を遵守することにはならないという理屈と同じであるという常識は、わたしにはあります。では、唱題が駄目なのかということを言っているのかという反詰はあるでしょうが、わたしが言いたいことは、要は法華経に書かれていることと、天台が言っていること、まして日蓮が言っていることは「違う」ということです。その違いをしっかりと認識したうえで、自分は六度万行なんか嫌だ、唱題で体験を得たというのは、それは個人的リアリティであって、そこに意義が見出せるのであれば、日蓮の唱題行は成功であったということでしょう。また、実際に成功したとも思います。ただし、行法としては、わたしは六度、また八正道といった実践行を忘却したところに後退があったという主張を取り下げるつもりはありません。

このように記しているうちに、問答さんが pundarika をご紹介くださいました。
わたしもかつて記したことで失念しているところも多くあるので、読み直してみようと思います。

192乾闥婆:2005/09/29(木) 00:37:00
犀角独歩さん。

お久しぶりです。

>天台・妙楽・伝教が、自分達は「末法」を生きていたかどうかという認識は必要であると思うわけです。

中国と日本での末法の時間のずれは私も気になっていました。以前、塚本善隆・梅原猛著『仏教の思想 第8巻不安と欣求<中国浄土>』(角川書店)において色濃く末法思想が語られているのを読み、さながら500年後の日本を見るように思いました。

『岩波仏教辞典』を読むと、末法は慧思(515-577)「立誓願文」による正法500年・像法1000年説と、吉蔵(549-623)「法華玄論」に基づく正法1000年・像法1000年説の二つがあるようです。天台(538-597)はもちろん慧思によるのでしょうが、この二つの説は同時に同じような影響力を持って存在しえたのでしょうか。

上記、中国浄土の本を読んでいて、末法思想として強く語られているのは、浄土教であり、また、信行(540-594)の三階教です。特に三階教は不軽菩薩の礼拝行を実践する信仰ということで、またその既成教団への批判や逆に既成教団からの異端視など、蓮祖といいますか、創価学会をも思わせるようなものを感じました。ほかの掲示板でもそのことは議題に上がったことがあり、三階教には地涌の菩薩の自覚の点でその後の日蓮系宗教とは違う、といった主張もありましたが、末法を生きる自覚と、その自覚から生じる既成宗教への批判、その行法以外にないのだ、といった収斂の度合いから見て、やはり似ていると感じ、地涌の菩薩の自覚云々は苦しい弁明のように感じました(菅野博史氏は『法華経思想史から学ぶ仏教』(大蔵出版)で同じような主張をされていました)。

天台自身による末法への言及があれば、その末法を生きる自覚のほどがうかがえるのですが、そのような文献はないのでしょうか。たとえば蓮祖の生涯を振り返るに、天台よりも、信行への近似を感じるのであれば、末法を生きる自覚とは、蓮祖ほどには天台にはなかったのではないか、とも思えてしまうのです。しかしそれを語るほど私は天台教学や三階教についての研鑽を積んでいるわけではないので、危なっかしい発言ではあります。(そういえば、せっかく購入した天台小止観にまだ取り組んでいませんでした)。

193古池:2005/09/29(木) 03:49:00

問答迷人さん

189
大変有難うございます。

この中の、「妙法蓮華経という言葉の由来」を拝見しようと操作しているのですが、
私の機械が悪いせいだと思うのですが、全部で37のレスがあり、5のレスの次に31になっており、
6〜30まで、all等を操作しても画面上に出てこないのです。
貴重な内容なので是非拝見したいと思いました。

194古池:2005/09/29(木) 05:15:08

独歩さん

191 大変有難うございました。

深い内容ですので、よくよく拝見したいと存じます。

一点だけ、教えて頂きたいのですが

>要は法華経に書かれていることと、天台が言っていること、まして日蓮が言っていることは「違う」ということです。その違いをしっかりと認識したうえで…

と記されていますが、法華経・天台・日蓮の書かれている(言っている)それぞれの違いを認識したいと思いますので、それぞれの違いについて、もう少し教えて頂けないでしょうか。


190 の中で

>わたしは小野文著師の御説を拝して、日蓮が言う末法は始めの五百年に時制があるのであって、これはその後の万年・尽未来際とは別立てだという指摘に「なるほど」と膝を叩いた一人です。しかし、この点に門下は気付かずに来ました。

と記されている点に興味をひかれました。「万年・尽未来際とは別立て」ということについて、もう少し教えて頂ければ幸いです。

195犀角独歩:2005/09/29(木) 12:14:43

192 乾闥婆さん

ご投稿、興味深く拝読しました。

> 天台自身による末法

今、この点について調べてみたのですが、天台三大部で「末法」を記しているのは以下のとおりでした。

摩訶止觀「須知拘那含佛末法比丘好惱亂衆僧」
法華文句「末法時世饑饉。有支佛名利咤」「不聞法華。或聞而不信遇餘佛方解耶。末法凡夫猶尚能信況聖人乎」「昔佛末法有四比丘。於法華經極生殷重」

以上から見る限り、慧思のような自覚は伝わりません。
年次を踏まえた正像末を述べるのは、寧ろ妙楽でした。

法華文句記「言後五百歳者。若準毘尼母論。直列五百云。第一百年解脱堅固。第二百年禪定堅固。第三百年持戒堅固。第四百年多聞堅固。第五百年布施堅固。言後五百最後百耳。有人云。準大集有五五百。第一乃至第四同前。唯第五五百云鬪諍堅固。言後五百者。最後五百也。若單論五百猶在正法。雖出論文其理稍壅。然五五百且從一往。末法之初冥利不無。且據大教可流行時。故云五百」

天台初期文献で見ると

涅槃經疏「經説不同。一云正像各千年。一云各五百年。一云正法五百。像法一千。或云正法一百。或云八十」

という一節があり、一節に固執していたと言うより、諸説を参考にしていたように思えます。

わたしも貫名師からご指摘を受けて、「さて、もう一度末法思想」と腰を上げたところで、失念していることも多く、また、見ていない資料も多く存します。
皆さんと議論しながら、内容を深めてまいりたいと思います。ご参加ください。

できましたら、もう少し「三階教」について、少しお記しいただけませんでしょうか。

196犀角独歩[TRACKBACK]:2005/09/29(木) 12:15:04

194 古池さん

> 法華経・天台・日蓮の書かれている(言っている)それぞれの違い

ちょっと、簡単に説明できるかどうかわかりませんが、法華経は、記してきたとおり、菩薩を教えるといい、その成仏の結果は寿量(量り知れない寿命)であるといいます。ここで重点となっているのは菩薩行でした。

しかし、羅什は、五何法と言われる箇所を九如是と約して恣意的な方向性を定めてしまった。慧師を通じて天台はこの九如是を十如是として、唯識思想、また老荘思想、華厳思想、涅槃思想等と総合して三千不可思議境という座禅(止観)の方法を論じていきます。妙楽はこれを一念三千とし、妙楽解釈の天台が天台として日本に伝わります。
ここで重点になっているのは止観という禅です。

ところが日蓮は、伝教以降、真言密教の影響を受けた天台学と念仏の影響下で純天台を目指す意識を持ちながら、南無妙法蓮華経の唱題行を立てるという独自な展開をすることになりました。

以上が行における相違として、雑駁ながら、わたしは考えています。
では、教という面ではどうかというのが、ご質問の主旨であろうかと思います。

繰り返し記してきたとおり、梵本法華経は菩薩の戒めから計り知れない寿命を持つ如来になるために、法華経典を弘める菩薩行を督励するもので、この経典は古代の東西を凌駕した聖典信仰の系譜にあるように思えます。経典は誰かが作った者であるというより、神秘な存在として永遠の過去から存在しているというものです。経典は仏が説いたというのが旧来の在り方ですが、法華経ではむしろ経典が仏にしたというコンセプトが散見できます。では、その経典は誰が作ったのかということには言及せず、神秘の存在というコンセプトです。もちろん舎利信仰、仏塔信仰、仏像信仰も肯定はされていますが、しかし、その骨子は経典信仰にあるように読めます。ここでいわれる法は、教法であり、宇宙の真理であるとか、心の有り様であるといったことを問題にはしていません。この法華経が教える菩薩の戒めこそ、唯一の教え(法)である最高のものである、菩薩以下の衆生もやがて菩薩道を行じて仏になるというのです。この菩薩は徹底した無抵抗、非暴力、不怒の菩薩です。

しかし、天台はこの「法」を什訳方便品の「諸法実相」から心から整理していくわけです「説己心所行法門」(己の心に行ずる訪問を説く)という解説はそれを端的に物語っています。天台が法という場合、それは心法であり、その観察を十界、十如、三世間から三千の止観禅として結実していたという点で、梵本法華経コンセプトとは大きく異なります。これは坂本幸男師が指摘したことですが、天台の時点では一念三千という成句化はありませんでした。「言語道・断、心行・処滅」をモットーとした天台が、このように三千分類観察する心法をしかし、三千であるとするわけがなく、三千はまた一心として、非三千にして、しかも非一、亦三千にして、亦一とするのは、実に勝れた観点であるとわたしには思えます。禅とはかくあるべきという思いがあります。

ところが妙楽は、天台の言う一心を一念とし、三千という定数化を天台が簡んだにも拘わらず、一念三千としたわけです。わたしは個人的にこの妙楽解釈は、天台から大きく後退したものであると思えます。(もちろん、天台妙楽の系譜を信じる信仰者には大いに異論があるでしょうが、この点は既に過去に議論をしたことなので、繰り返す時間を弄する気にはなれません)

日蓮に至っては、この妙法蓮華経という経題を末法付属の正体として、法華経典への南無ではなく、この五字への南無として、「南無妙法蓮華経」とし、漫荼羅という独自な境地を展開していったわけです。

やや、言葉足らずかも知れませんが、以上のような大木な差異が見られます。

> …小野文著師…「万年・尽未来際とは別立て」

これは平成13年に開催された日蓮宗東京西部教科センター主催・教師研修会『日蓮聖人の摂折観を巡って』での小野師の説に基づいてのことです。この点については、過去に投稿しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/r614-r615

以上、ご参考ください。

197吐玉:2005/09/29(木) 18:25:35
 >193 古池さん
 掲示板のトップに戻り スレッド一覧をクリックしてみてください。
そこに表示されている 妙法蓮華経という言葉の由来 をクリックすれば
全文が見られます。

198乾闥婆:2005/09/29(木) 22:50:50
>>195

犀角独歩さん。

私も『仏教の思想 第8巻 不安と欣求<中国浄土>』の塚本善隆氏による説明以上のことは知らないのですが、引用してみます。

引用開始
廃仏皇帝下に潜在した信行や道綽は宗教が現在の身に実践され体験されるものでなければならぬことを身をもって味わった。それは仏教が高遠な教理を誇っても、時代と場所から遊離し、今の時限に、この身自体に、体験に進みえぬならば、救いを目的とした宗教としては意味がない。インドの仏教を学ぶことは尊いが、しかしそれが「今」、「ここ」で、「すべての人」に実践され体験されうること、時と人とに適応するか否かが、第一問題である。信行は仏教を三時代に分かった。
 第一階 一乗別教 仏滅後五百年間、一乗教の賢者が一乗教を修学してさとりを得た。
 第二階 三乗別教 その後千年間、三乗の賢者(声聞・縁覚・菩薩)がそれぞれ三乗の教えを修学してそれぞれのさとりを得た。
 第三階 普教 仏滅後千五百年以後、つまり現代では、人は共通に「凡愚」と「罪悪」にして聖賢ではない。その社会も罪悪から離れることができぬ。仏典にいう「五濁の悪世」である。すべての仏教に対して「普敬普行」してさとりに進むのみである。
 われらは仏典にいう「生まれながらの盲目の凡人」に等しく、聖者の経論を価値批判のできる能力を持たぬ。しかるに現代の仏教界では、学僧がそれぞれの博学を誇り賢者ぶって、あるいは『法華経』こそ勝れたものだとし、『法華経』を立てて他の経の下位従属性を定め、あるいは竜樹仏教を最勝のものとして他仏教を従属的に配列し、あるいは『涅槃経』、あるいは『華厳経』を最勝として宗を立てて他の諸経を批判して仏教体系を立てる。このような聖典批判は聖者のみに許されることで、生盲の凡夫には許されざる越権であり、それは「正法を誹謗する堕地獄の大罪」である。それを現代の仏教学者は「教相判釈」あるいは「教判」と称して競い行って、各別の自宗を立てる根拠として、みずから誇り他宗をそしっている。「時」と「人」とを忘れた仏教学の遊戯、否、地獄行の罪を犯すもので、その宗はすぐれた教義であるが、今の世、今の人、罪悪社会にまみれて生活する凡人を救うになんの効力もないものである。正法、像法時代の聖賢を救った過去の仏教である。少なくとも選ばれた賢者のみの仏教である。
 諸仏や浄土に優劣を論じて、アミダ仏に帰命せよ、ミロク仏のみをおがめ、などという罪深き論争をやめよ。一切の仏に一切のボサツに普く恭敬礼拝をささげるのみが、生盲の凡人われらに許された行である。一切の仏・ボサツを拝するのみならず、仏は「一切衆生に悉く仏性あり」と説かれたではないか。すべての人はいまこそ罪悪にけがれているとはいえ、「将来仏」「仏性仏」であるとおがまれる人々だ。人々よ、すべての個人の尊厳を認めてたがいに将来仏よ仏性仏よとおがみあうこと、「普敬」こそが現代仏教の実践行である。罪悪にまみれた穢土も、これによって浄化の第一歩を踏み出すのである。人間だけではない。悪魔さえも「邪魔仏」と拝してこそみずからをはげましてくれる。そのような実証が当時もっともよく読誦研究され、天台宗の開創にまで進ませた『法華経』に明示されているではないか。
 常不軽ボサツは、仏の滅後、仏法滅尽しようとするときに生まれたが、おおよそ人を見れば「われ深く君らを敬う。敢て軽んぜず。君らは当に仏となるべきが故に」と礼拝し賛嘆した。彼らはかえってこのボサツを気狂い扱いをして悪口罵詈し、杖をふりあげ石を投げようとする者もあったが、それでもボサツは走り避けながら「われ敢て君らを軽んぜず、君らは当に仏になる人だから」と礼敬をやめなかった。この常不軽の行をつづけることによって、ボサツはさとりに到達したとあるではないか。

199乾闥婆:2005/09/29(木) 22:51:26
続き

 信行みずからの内省、自己批判もきびしかった。自分は出家し修道し僧となった。しかし僧が俗人よりもすぐれた修道者などと思うことが大罪であることは、みずからよく知っている。僧戒を受けたが、それを守りおおせているか。否。僧戒を必ず守ると誓約しながら、それを守っていない。否、守りえない現代社会を生きているのである。彼はみずから進んでかつて受けた僧戒を捨てて、僧位を降りて沙彌(小僧)と称して、若い僧の末座にしかすわらなかった。生きとし生けるもの、仏も、人も、悪魔も、自己の仏教を進める機械を恵む仏とありがたく拝せよ。世の今の人にとっては、批判を捨てて普く敬うことのみが仏行だと、徹底的に自己と現代の凡夫性、罪悪性を内省して、そこから謙虚敬虔な普敬行に進んだ。
 彼は外出すると、坂の多い長安の坂下に、額に汗して荷車を引いてくる労働者を待った。彼は黙々と汗を流して車の後押しをして坂の上までたどりつく。ありがとうと礼をいう労働者に合掌して、将来のみ仏よ、おかげさまで仏行を一つさせていただけましたと礼拝して去る。それが、僧位を捨てて沙彌となった信行、三階教祖であり、その教徒の師表であった。
 彼の真剣な実践を伴う、現代末法到来、従来の仏教では救いがたい、末法こそ「普」の仏教、凡夫悪人と自覚し懺悔する人が、「みずからのはからい」をすべて捨てて、仏典間の勝劣を批判し、仏・ボサツの優劣を論争するような越権を捨てて、ただ普くすべての人格の尊厳に敬をいたし、普く他のために奉仕せよ、との力強い呼びかけに、廃仏を経験した僧俗男女の仏教徒が、これこそ新しい今の救済と共鳴し、同行同信として、「三階院」を建てて別住し修道にはげんだ。
 隋の初期仏教復興の長安で急速に盛大になる彼の教団は、「無尽蔵」という経済機構もって社会に奉仕した。多少を問わぬ信者の喜捨を蓄積する無尽蔵の資金は、廃仏で荒廃した寺院の復興のためには、どこへでも低利で、事情によっては無利息で、いつかは返す誓約
だけで信用融資された。無尽蔵への感謝は、必然に各地の仏教徒から平等の慈悲実現の大乗ボサツの仏教よとの称誉とともに寄せられた。しかし、この新仏教の主張は、このころ競い復興した学問的仏教、さらに三論・摂論・天台・華厳など新宗の運動にとっては、きびしい批判をぶつけるものである。邪教異端と排除しなければみずからが立たぬ。仏教界はこぞって、三階教は邪教だ異端だと訴えた。ついに三階教禁断の勅が出た。ために道綽の浄土教帰入のころには、一時地下に潜流したかにみえたが仏典に明記されている「末法到来の世」の憂慮は、仏教徒からぬぐい去ることはできなかった。
 (中略)
 末法到来に仏徒が心をゆすぶられているときである。邪教と排斥された三階教も、唐代の道綽・善導の専修浄土教活動期にはには復興し、都の長安はもとより道綽の住む山西省にも熱狂的な信者を集めていた。長安の南の隠棲修道者の好み住む終南山に、善導も、信行伝をのせた『高僧伝』を書いた道宣も住んだが、その山の一角に信行は遺言して、その死屍を捨てて鳥獣に供養させた。白骨のみになって信者はこれを納めて墓碑を建てた。師表を慕う信者はつぎつぎに信行の墓側に葬られることを希望して、三階教徒墓域ができた。「百塔寺」として長安の名刹名所となったものである。(P157-162)
引用終わり

200乾闥婆:2005/09/29(木) 22:51:53
また菅野博史氏は『法華経思想史から学ぶ仏教』で次のような評価をしております。

引用開始
 信行は、末法時代に即応する新しい仏教を形成しようとして三階教を創立した。彼は、この常不軽菩薩の礼拝行を自己の信仰実践に取り入れている。三階教には、「普敬」と「認悪」というワンセットの修行が説かれるが、自己の悪を厳しく批判する「認悪」に対して、自己以外のすべての人の善を尊敬することが「普敬」である。浄影寺慧遠、智邈、吉蔵が、常不軽菩薩の礼拝行について、『法華経』にも『涅槃経』と同様に仏性が説かれる根拠として言及しただけであるのに対して、信行の場合は、自らの信仰実践「普敬」の中に積極的に取り入れた点は、大変興味深いものがある。
 西本照真氏は、「三階教に独自な実践として注目されるのは、『法華経』の常不軽菩薩の実践にならった人間礼拝行である。これは、三階教思想の大きな柱ともいえる普敬の思想の実践的具体化である。『法華経』は南北朝時代の仏教者の中で一貫して高く位置づけられていたが、実際に常不軽菩薩の人間礼拝行を実践したと伝えられているのは信行だけである。この実践は、他の修行者との対比で三階教の実践の特徴として注目されるだけでなく、まさに三階教の中心思想から直結するという点で重要な実践といえる」と指摘している。(P54-55)
 ところで、筆者は『法華経』の「一仏乗の思想」の最も生き生きとした表現が、常不軽菩薩の礼拝行であると考えているが、三階教の信行においては、常不軽菩薩の礼拝行を自己の信仰実践に取り入れた点が認められ、きわめて興味深い。(中略)ただし、三階教の場合も地涌の菩薩の自覚とは直接の関係はない。(P132)
引用終了

201古池:2005/09/29(木) 23:22:05



197 吐玉さん

出来ました。早速登録しておきました。
大変ありがとうございました。

202古池:2005/09/29(木) 23:24:35

196 独歩さん

大変ありがとうございました。
よく拝読致します。

203犀角独歩:2005/09/30(金) 00:31:01

乾闥婆さん、有り難うございました。
参考になりました。

小池さん、ご不明な点があれば、お気軽に重ねてお尋ねください。

204古池:2005/09/30(金) 05:27:38

203 独歩さん

心やさしいお言葉、誠に有難うございます。
独歩さんの文章を何回も読んでいます。
「妙法蓮華経の言葉の由来」もよく読み、日蓮の真蹟遺文も拝読し、その上でお言葉に甘えて「気軽に」教えて頂く様に致します。
有難うございます。

205犀角独歩:2005/09/30(金) 12:07:15

小池さん、松山師の法華経講義のメモが3カ月溜まっています。
ブログにもアップしないできましたが、小池さんの真摯な姿勢に触れ、刺激を受けました。
近くまとめようと思います。その節はご参考になさってください。

206古池:2005/09/30(金) 23:04:08

205 独歩さん

大変有難うございます。
是非拝読致したいと存じますが、御無理のないようにお願い致します。
有難うございます。

207Poh:2005/10/01(土) 22:04:26
1)>>186 一字三礼さん

先にお待たせしている独歩さん宛のレスを優先して書き進んでおりましたところ、ずいぶん長文になってゆきそうな気配なので、独歩さんには申し訳ないのですが、あなた宛のレスを先にアップさせて頂きます(独歩さん、そういうわけなので、どうかご了解下さいませ。本当にごめんなさい)。
そして一字三礼さん、長らくお待たせして、申し訳ありませんでした。

>>仏教用語としての「末法思想」の語義に関しても、こうした場合、主観を極力廃し、自分勝手な解釈を慎む
ことが、肝要と考えます。ですからこの場合、「末法思想」や「三時(思想)」という言葉については、学者・
専門家たちの批判に耐え、また広く社会で認知されている普遍的な意味は何かということが大切なわけです
>「末法思想」という語が、その使用を仏典から梵文に遡って言語から意味を定義できるものではないので、Poh
さんのご主張は一般には通用しないでしょう。
>実際には「末法思想」なる語の成立はいつごろでしょう、近現代ではないでしょうか。さして古くない造語で
ある「末法思想」という語に、仰るような「普遍的な意味」などあろうはずがありません。
何を仰っているのか、正直分かりません。
あるいは私の使った「普遍的」という語義を、勘違いなさっているのではないでしょうか?

三省堂『新明解国語辞典』より
 『普遍』1広く行き渡ること
2すべてのものに共通なこと
3[哲学で]ある範囲のすべてのものに共通する性質
「〜〜的」広く一般的に・行き渡る(あてはまる)様子

他の国語辞典でも、順序の差や多少の表現の違いはあれ、おおむねこのように記述されているようです。
私としましては、>>182で「広く社会で認知されている普遍的な意味は何か」と書きましたが、この場合の「普遍」とは上記の「広く行き渡ること」の意であり、また当然「普遍的=広く一般的に・行き渡る(あてはまる)様子」といった意味で使用いたしました。
さらに「すべてに共通な意味」と解されることを回避するため、わざわざあえて「広く社会で認知されている」と書き添えることで私の意図をより明確にし、さらにもし「すべてに共通な意味」なら語義的に「広く社会で認知されている」という言葉と自語矛盾を起こしてしまうことを考え併せて頂ければ、結果「ああ、これは『行き渡っている・一般的な』ほどの意味なのだな」と、読み手の皆様にはご理解頂けるだろうと想像しておりました。

208Poh:2005/10/01(土) 22:05:00
2)
「末法思想」「三時(思想)」
○釈梼入滅後における仏教流布の期間を3区分した正像末の三時の考え方に立脚し,末法時に入ると仏教が衰え
るとする予言的思想のことであり,仏教の漸衰滅亡を警告する歴史史観である。
仏の教法〈教〉のみがあって,教法に従って修行する者〈行〉も,修行の果報を得る者〈証〉もなく,国土も
人心も荒廃する末法時が1万年つづいて法滅尽を迎えるとする点では異説がない。(平凡社世界大百科事典)
○仏教における時代観ともいうべき正法、像法、末法の三時思想に出ることば。(岩波仏教辞典)
○唐の基(き)の『大乗法苑義林賞』6 に「教と行と証とを具(そな)えたるを名づけて正法と為す。但(た)
だ教と行とのみ有るを名づけて像法と為す。教有りて余無きを名づけて末法と為す」とあり、正法は、釈尊の
滅後500年あるいは1000年間、その教えと、それを実践する行(ぎょう)と、その果としての証(さと
り)の三つが正しく具わっている時代、像法は、次の1000年間で、教と行とはあっても、さとりを完成す
ることのできない時代、そして末法は、教えだけが残り、人がいかに修行してさとりを得ようとしても、とう
てい不可能な時代をいう。(岩波仏教辞典)
などは、上記両書のみならず、たとえば現在使用されている高校教科書、大学受験用参考書・用語集などでも、むろんより省略された簡潔なものながら、おおかた同様の解説がなされていることを私は確認しており、その点、少なくともここで議論している今現在においては「広く社会で行き渡った・認められた=一般的」語義であることで、まったく問題ないと考えております。

もしもあなたが私の「普遍」を、「普遍的真理」などのような「(時代を超え)すべてのものに共通なこと」といった意味に解釈されたとすれば、私としてもはなはだ残念なことです。
しかしまあ、あなたのように誤解釈される方が他にもいらっしゃるかもしれません。ここは念のため以下のように補足させて頂くことにいたしましょう。

>>182 自己レス補足・註
「ですからこの場合、「末法思想」や「三時(思想)」という言葉については、学者・専門家たちの批判に耐え、また広く社会で認知されている普遍的(*)な意味は何かということが大切なわけです。(*普遍的:広く一般的に・行き渡る(あてはまる)様子)」

そういうことで、せっかくのあなたの>>186のロジックですが、どうやら意味をなさぬものになってしまったようです。よってあなたの>>186に対するこれ以上のご返答はご遠慮させて頂きます。
お手数をかけさせてしまい、申し訳ありませんでした。(平伏)

209一字三礼:2005/10/01(土) 23:48:39
Pohさん

そもそも「末法思想」なる語は、仏教経典、仏教釈、仏教論書、その他に記された「末法」に言及されたものを、近代にそれらを同系統の「思想」として纏めて言い表したものに過ぎないでしょう。

元来「末法思想」の「末法」は仏典をその出自とするわけです。だから私はBC50年からAD150年までに成立した法華経の「末法」「悪世末法」の記述を論拠をとして、法華経に「末法思想」はあったのではないかと主張しました。

それに対してあなたは平凡社世界大百科事典、岩波仏教辞典の「末法思想」の項に記述された「三時」の要件を満たしていないので法華経には「末法思想」がないと仰るわけです。

>この定義は、何もこの両書に限ったものではなく、広く一般的な仏教書、参考書の類いでも通用するものだとも考えております。

「末法思想」:末法に入ると仏教が衰えるとする予言的思想。中国では隋代頃に流行し、三階教や房山石経を       生んだ。日本では平安後期から鎌倉時代にかけて流行し、人々を不安に陥らせる一方、仏教者       の真剣な求道を生み出した。(広辞苑)

広辞苑では「末法思想」の項に「三時」「正・像・末」には言及されておりません。広辞苑は「広く一般的な仏教書、参考書の類い」ではないのでしょうか。


あなたは「末法思想」の定義について、特定の辞書の解釈に束縛されて、実際に「末法思想」が説かれている経典を否定しているわけです。それでは本末転倒になってしまいますでしょう。わかりますか。

私はそんなに複雑な事を申し上げているわけではないのですよ。

210Poh:2005/10/02(日) 01:54:38
>>209 一字三礼さん

少しムキになっておられませんか?
ただご自分を守るだけの言葉の応酬なら、私としては応じる気はありません。

あなたがご自分の中において、「末法思想」について何をどう思い、
どういう言葉をどう定義づけようと、それがあなたの中に限ってのことである限り、
否定する気はありませんし、現にそんなことはいたしておりませんよ。

>それに対してあなたは平凡社世界大百科事典、岩波仏教辞典の「末法思想」の項に記述された
>「三時」の要件を満たしていないので法華経には「末法思想」がないと仰るわけです。
違いますよ。
私は「平凡社世界大百科事典、岩波仏教辞典、高校教科書や大学受験用参考書等で
定義づけられている「末法思想」「三時(思想)」というものは、まだ法華経では完成していない」
と申しているだけです。
それもこれは私独自の説でも何でもなく、上記の書籍等で記述されていることを、
独歩さんへの参考資料としてそのままコピペし、またまとめなおしただけのこと。

言葉の定義とは、たとえば病気と病名のような関係にあるといえるでしょう。
病気があって、はじめてそれに病名をつける。
そこれに限っては、あなたのおっしゃるとおりですよ。

しかし重要なことは、「その病名によって、万人がどういう病気かを把握認識することができる」
ということでしょう。要は「病名←→病気の両方向に、かつ一般的に理解可能か」
いわゆる現在のアカデミックな世界、またたとえば一般高等学校や一般大学受験などに必要な知識としての、
「末法思想」という語句も、それと同じことではないでしょうか?
たとえばあなたなりの「末法思想」の定義で、広く社会であなた以外の誰と話が通じますか?
あなたの定義では、上記両書による「正像末三時の末法思想」は何という語句で読んでおられるのでしょうか?
(まさか同じ言葉で説明されてはいますまい)
またあなたなりの末法思想では、たとえば「五五百歳」などはどう説明されているのでしょうか?
――そしてそれは、何も説明しなくとも、一般社会で通用しているのですか?
たとえば「末法思想」の説明を求められ、あなたの定義を大学受験の答案に書いて○がもらえるのですか?
私はそれを言っているのです。

>広辞苑では「末法思想」の項に「三時」「正・像・末」には言及されておりません。
>広辞苑は「広く一般的な仏教書、参考書の類い」ではないのでしょうか。
私の文章を切り文して、勝手に解釈しないで頂きたいですな。
私は「上記両書のみならず、たとえば現在使用されている高校教科書、大学受験用参考書・用語集などでも」
と書いておりますよ。広辞苑は高校教科書、大学受験用参考書・用語集ですか?

今一度冷静に、何のために私に反論されているのかを見つめ直されることをおすすめします。
そしてあなたのおっしゃっていること、その論法が、一般世間に通じるだけの、
筋の通ったものなのか――それを客観的な視点から見直されることも。
(まあ通用すると思っていらっしゃるから、書き込んでいらっしゃるんでしょうけれども)。

最後に、よろしければお聞かせ下さいませんか。
あなたは何かを守ろうとしてらっしゃいませんか?
あったとして、それは何ですか?
「末法思想」が上記書籍のような定義であったら、なにかお困りになることがあるのですか?

少なくとも私は、あなたが自分だけで何を信じようと、どう思いたかろうと、
またなにを守りたかろうと、興味はなく、干渉する気もありませんし、
今まで一度たりともしていないつもりですが……。

211犀角独歩[TRACKBACK]:2005/10/02(日) 11:04:14

この掲示板に来る以前から、わたしには大きな疑問がありました。

それを『つぶやきすれっど』に記しました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/r1705-r1707

上記、「末法」思想の発生と定義が語られますが、それはまあ十分に議論されればよろしいでしょう。しかし、重要な点は法華経制作者も、天台教派も、そして、日蓮も、通じて、自分達の時代が末法であるという自覚に基づいているという点です。これは要するに、日蓮教学の瓦解を意味することです。しかし、それ以前に天台が羅什漢訳に拠ったこと、法華経が後世の創作に過ぎなかったこと、これだけで十分に日蓮教学は瓦解はしています。その意味からすれば末法云々は枝葉と言うことになるのかも知れません。

以上の点は前提ですが、ここから当スレッドのテーマ『現代人が納得できる日蓮教学』を考えようと言うのが、わたしの提案の趣旨です。

見てきたように、日蓮の末法観は、結局のところ、まったく成り立たないことはわかりました。しかし、日本、鎌倉という国と時代の人であった日蓮が、当時の最高の学識であった仏教を通じて、その社会を見たとき、「末法」がリアリティを持って迫るだけの状況があったという観察は、外れたところではないでしょう。

その時に厭世的になり、現実への期待を捨て、死後の夢想世界に思いを馳せるのか、否、この現実を何とか変えることを考え、実践するのかという点で、日蓮は後者を選んだ点は評価に値するでしょう。しかし、わたしが残念に思うのは、身命に及ぶ法難が発生した段階で「霊山浄土」で三仏顔貌を拝すると何故なってしまったのかという点です。わたしはここに日蓮の限界を見ます。

しかし、それはさておき、末法認識とは、やや解釈すれば、現実社会が乱れ、滅亡に向かう様相を呈し、さらに人心が退廃している理由を、正しい教えの滅尽したことに理由を求める構造で古今一貫しているという点です。

このような事態で何をどう為すのかということは、各人の「使命感」に基づくことになるわけです。これはミトラ>救世主>弥勒>菩薩という思想系譜已来の良識と行動の発露であるのか、一部特権階級と集団が自己利益のために、大衆を煽動する基礎理論とするのか、あるいはその折衷かという点で、わたしは分析する必要があると考えます。

212犀角独歩:2005/10/02(日) 11:04:38

―211からつづく―

社会、個人に対する危機意識が、正しい教え(考え方)・善意を、邪(よこしま)・悪意が凌駕して人と国を滅亡に追いやろうとしているとき、では、どんな方法があるのか。
政治的統治であれば、政治の問題であり、関連して経済の問題であるという仏教的な言葉を使用すれば「王法」の問題である。けれど、王法は一部特権階級のみの利益構造で万民を搾取・隷属させる構造に容易くなるわけです。ここで警鐘が鳴らせるのかに法華仏教者の使命はあります。けれど、本来、仏教は、出世間法=出家ですから、国家という家から出たところの論理であり、初期経典からは(それが釈尊の教説であると直ちに言うわけではありませんが)その点が看取できるわけです。

しかし、法華経は、末法(教説が絶える=法滅)という時代に、釈尊を仰ぎ、「この世をどうするのか、衆生をどうするのかを考えた」経典であったという点は、しかし、わたしは評価できると思います。

より厳密に言えば、いま上記で敢えて「」で括った部分が評価できる点です。いわば末法観から抽出できる利点でしょう。しかしながら、これが単に法華経、その奉持集団のための弘教がと解釈されるとき、その高尚な使命感は潰えてしまうわけです。法を弘めることが至上命題になるのは、本を売れば、内容が読めれなくてもよいというようなものだからです。

要は末法という危機意識から発した各人の使命感が、この世と人にどのような利益をもたらすのかという点で、はじめて一般大衆は、その価値を見いだすわけですが、それが単に集団・指導者・教義の押し売りだけであれば、鬱陶しい教条主義、原理主義以上の意味を持たないからです。

なんら自己利益にもならない集団と指導者、その教えを信じないことが、悪という論法には二つの過ちがあるでしょう。一つは教えを奉持しながら、集団と内部者の自己満足に留まって社会一般には何の役にも立っていないこと、もう一つは、そのような役立たずの存在であるという認識がないまま、信じないことを殊更にあげつらい、他を罪悪視するという点です。何よりここで致命的なのは、法を信じること・弘めることが目的となってしまったために、末法(法の滅尽による退廃)という改善すべき状況にあって、その法が社会的に何も役立てないばかりか、信じない故に罪悪視するという悪循環が生じていることです。

末法‘思想’は、この世をどうするのか、どうか得たかによって意味をなす‘思想’であるという点を再認識し、実際に活かされれば今日的な意義を持つに至るのではないか、その可能性があるのかが、わたしの議論したい点です。

213犀角独歩:2005/10/02(日) 11:09:10

【212の訂正】

誤)末法‘思想’は、この世をどうするのか、どうか得たかによって意味をなす
正)末法‘思想’は、この世をどうするのか、どう変えたかによって意味をなす

214一字三礼:2005/10/02(日) 17:33:32
犀角独歩さん

>末法‘思想’は、この世をどうするのか、どう変えたかによって意味をなす

このお考えに賛同します。

また、末法‘思想’とは現実社会に対してどう働きかけていくのかを考えた時に、初めて経典編纂者や論師達が末法思想を成立させた'動機’を鮮明にできる、とも言えるでしょうか。

こちらの興味深いスレッドで、末法‘思想’の内容に一歩も踏み込まない無駄なレスを続けてしまいました。

謹んでお詫びいたします。


Pohさん

私の悪文で気分を害されたのであれば、申し訳ありません。

犀角独歩さんその他の方々のご見解もすでにいくつか示されております。

そろそろ定義云々ではなく、「末法思想」そのものの内容には踏み込んだレスにしませんか。

215犀角独歩:2005/10/03(月) 07:57:25

一字三礼さん

ご賛同、有り難うございます。

どうも、「末法」また「思想」という成句が、定まらないところで行き違いが存するのかも知れません。

オフ会で一字三礼さんにお会いし、その深い学識と洞察、また、礼儀正しい人間性を存じ上げ敬意を表してきました。一方、Pohさんはわたしの朋友であり、豊富な知識と悩める人々の交流に敬意を表してきました。たぶん、お会いになって議論となれば、和やかに談論となるのでしょう。どうも掲示板というツールは誤解に誤解が重なったり、文字自体の限界から、心の部分までが伝わらないことが多く存するものだと思った次第です。しかし、それでも、一定の矜持を保ち、深いな表現など、一つもないところに、お二方の深い人間性を感じました。もちろん、意見の異なりがあることは大いにけっこうなことであり、妥協せず、徹底して真摯に議論することにわたしは賛成です。

お二方から離れ、記します。

ネット上のでのやり取り、実は、この部分も「現代人が納得できる日蓮教学」と大きく関わるのかも知れません。そういうわたし自身も、この掲示板上で多くの意見の対立を経験してきました。けれど、議論は議論として、意見の異なりから事実が見えてくればよいと考える質ですから、どれほど、議論が食い違っても、会えば、その人と和やかに歓談するのが常です。しかし、それでもここを通過していったなかには、わたしに遺恨を遺されている方々も存することでしょう。

「法華系、なかんずく、創価学会、顕正会、妙観講というのは、どうしてあそこまで、口汚く、差別的で、侮辱的なのか。あんな姿は仏教じゃない」

というのは、一般の人々が見るネット上の富士門の姿でしょう。

このような有様は、まさに‘現代人が納得しない日蓮教学’そのものでしょう。
語ることが日蓮の教説であっても、反対者を詰る言辞は、侮辱、軽蔑、差別、よくぞここまで人をひどく言えるものだと驚くような単語を使い所属の違う相手を徹底的に貶して優位に立とうとします。

時には、「日蓮大聖人は、良観房を両火房と言って攻撃し、謗法を許さなかった」などと、日蓮が肯定理論に駆り出されます。しかし、これはつまり、日蓮その人が悪いのであって、いくら尊敬敬愛しようとも真似てはいけない日蓮の欠点です。

ネット上のエチケットすら守れない富士の日蓮門下、まさしく、決して現代人が納得することのない日蓮を信じる人々の姿でしょう。また、その日蓮の汚点を見本として、相手リーダーを書き立てる文章は、けっして一般メディアでは使用されることのない単語のオンパレードです。このようなものを読み、その団体に正義があると思う人間は内部のメンバー以外に有り得ません。それでも同意する人があるとすれば、そのような姿勢は平和、共存、人権といった遵守されるべき人類の目標を逆行する差別主義者なのだろうと判断せざるを得ません。

現代人が納得する日蓮教学の第一歩は、相手を敬い接することができることにあると、まず第一歩として、わたしは考えます。実はこれが今日的な「不軽菩薩」の具体的な現れではないのかとも、わたしは考えています。

216Poh:2005/10/03(月) 10:01:19
1)
犀角独歩さん

どうもお待たせいたしました。また、ご心配おかけしてすみません。
これから拙文をアップします。
私の癖で、えらい長文になってしまいました。
どうか軽く読み流すだけにしてください。大した内容でもありませんし。
もし返レスがあったとしても、一々は結構です。
それに答えてまた私が返レスすると、もっと長文を書くことになってしまいますので。
むしろそれだけはご勘弁を!(笑)


一字三礼さん

いえいえこちらこそ、です。
私は、議論は人と人の違いを認識するところからようやく始まると思っております。
そして「相手を納得させよう、分からせよう、自分と同じ考えで染めてしまおう」
と考えることを、愚とも考えております。
相手が納得するもしないも、相手の責任であり、また相手の自由なのだと。
でもこちらは、できるだけ、せめて気持ちだけでも通じるような説明だけは試みようと。
私ができるのは、せいぜいそれだけなのだと。

まあそうは言っても、私も未熟なもので、なかなかそううまくはいきません。

あなたはとても一所懸命に、真剣にレスを返してこられました。
それはたしかに私は感じました。伝わりました。
ですから私もできるだけ一所懸命に、真剣にご返答したつもりでおります。
ご不快な思いをおかけしたと思いますが、またこりずに色々突っ込みを入れてきてくださいませ。

今後とも宜しくお願いいたします。

217Poh:2005/10/03(月) 10:02:02
2)
犀角独歩さん

自己レス>>184 の続きとして、独歩さんの>>181 >>190、また横レスになりますがやはり独歩さんの>>195に対して、まとめてお話しさせて頂きます。
これをしたためているうちに、ちょっと話が先に進んでしまったようで、遅レスとなってしまい、かえってご迷惑をおかけしますが、まあ軽く読み流し、私など構わず話をさらに先に進めていってくださいませ。

まず……
どうでしょう、ここは少し違った角度から眺めて直してみませんか?
でもまあこんなこと、あなたならすでに十分ご承知のことでしょうし、また文証もなく(笑)、科学的・実証主義的検証に耐えるわけでもありません。それに第一、こうした基本知識は、あるいはこういう場所ですからすでにどこかにまとめられているのかもしれませんけれど……もしそうだったら、ごめんなさいね。

私のようないわゆる「経文読み」でもない仏教素人にして信仰門外漢は、しばしばいかにもそういう人間だからこそ許される(?)楽しみ方として、経文や仏教書などに目を通す時、傍らに歴史年表や歴史地図(歴史グラフ)、また釈迦なら釈迦、クマーラジーヴァならクマーラジーヴァ、日蓮さんなら日蓮さんの人生年表などを開いては、それをのぞき込みながらあれこれ勝手気ままかつ無責任な想像を巡らせては、時に独り合点がいった気になって無邪気に喜だりしているものなのです。

そこで、ちょっと長くなるかもしれませんけれど、少しばかり私が普段やっている楽しみ方をご紹介させていただこうかと思うのですがどうでしょう?
あなたには時間の無駄かもしれないけれど、でもこうした素人門外漢くさい『窓』から覗いてみることも、時には気分転換によろしいかもですよ……もし余計なお世話だったら、お詫びに今度ビールでもおごります(笑)。

218Poh:2005/10/03(月) 10:02:33
3)
まずは法華経について――
ご承知の通り、西北インド・インダス川中上流域ガンダーラ地方というのは、古代より民族・文化・貿易・経済の十字路といってよい場所であります。インドのアーリヤ系マウリヤ朝(BC317年頃〜BC180年頃)以降は、ギリシア系支配者層によるバクトリア王国(BC255年頃〜BC139年)、その後西からはイラン系パルティア(アルサケス朝、BC248年〜AD226年)、中央アジア系遊牧民であるサカ族(イラン系・インド=スキタイ族)が南下してそれぞれ侵入、最終的にスキタイ系トハラ人にバクトリアが滅ぼされ大夏(トハラ)が立ったものの、民族系統不明ながら元々はモンゴル高原西・南部にいた大月氏(族)に追われ(BC1世紀)、その後大月氏やサカ族などによるバクトリア地方5翕侯(小王)による小国分立状態がしばらく続いておりました(ただし大月氏の動きと5翕侯の民族構成に関しては諸説あり)。またその間も、西からの巨大王国パルティアによる浸食の脅威は絶え間なく続いたようです。
で、その5翕侯の1つ、大月氏支配下で中央アジア・アム川流域にあったイラン系貴霜翕侯(小王)が、AD1世紀後半以降、他の4翕侯を倒しつつ南下、バクトリア地方・西北インドを征服していったというのが、かの巨大帝国クシャーナ朝(AD1世紀〜3世紀)です。AD2世紀カニシカ王(位130〜155頃、別説78〜103頃)の最盛期には、パミール高原(かつて大月氏国)を含む西トルキスタンから、中央アジアでは後漢と接し、南はインドガンジス川中流域にまで版図を広げておりました(首都はガンダーラの地方の中心プルシャプラ、現ペシャワール)。ちなみにインドのその他の地域、すなわち中部デカン高原・南部・東部はほとんど分裂状態といってよく、大きな所では中部にサータヴァーハナ朝(=アーンドラ朝、BC2世紀〜AD3世紀初頭)があったくらいです。
ついうっかりすると、私たち日本人はインド史や仏教といった『窓』からガンダーラ地方やクシャーナ朝、カニシカ王などを見てしまいがちですが、こうして改めて眺め渡してみますと、このあたりには、たしかにBC1500年頃以降はインド=ヨーロッパ語族アーリヤ系インド人が多く住むとはいえ、歴史的・文化的に果たしてこれが『インド(の一部)』といってよいものやら……むしろインドから見れば、異文化・異民族の地であり人々だったと言った方がふさわしいのではないかという思いが、私にはどうしてもぬぐえません。

ところで近年の考古学的成果によって、この地方の古代都市の様子が、徐々に明らかにされはじめているようですね。そしてどうやらその都市復元図は、ギリシャ、ローマ、中央アジア、インドなど、さまざまな建築様式が混在していることを教えてくれているらしい。仏像の顔にギリシャの神々が投影されているのは、おそらく皆様もご存じでしょう。
話を少しだけ先取りすれば、法華経が説く、たとえば開三顕一といった人間的かつ普遍的思想は、きっとこの時代この地の異文化・文明同士のぶつかり合いや異人種・異民族の交流や摩擦、国家の興亡や戦乱といった歴史のダイナミズムの中から生まれたのだろうし、そういう世界的思想(宗教)が育む『心の土壌』が、きっとこの地にはあったのでしょうね。

219Poh:2005/10/03(月) 10:03:08
4)
では、今は?
試しに世界地図などありましたら、開いてみてください。
プルシャプラは、現ペシャワール。インドではなく、パキスタン北西部、アフガニスタンへ通じる、大乗仏教がここから北伝していったと言われるあのカイバル峠から急峻な山道を下りてきたところにある、周囲を岩と土ばかりの急峻な山岳群に囲まれた、盆地というより狭い高地というに近い土地に、古色蒼然たる風貌でうずくまっています。ちなみにインダス中上流域のパンジャーブ地方(含ガンダーラ)とかカシミールとか、特に大乗仏教運動に深い関わりのある地方というのは、そのおおかたが、現在はインドではなく、パキスタン・イスラム共和国内にあたります(もっともカシミール東北部の国境については現在長年に渡る紛争中で、いまだ確定していませんが)――といって実は私、この町はおろかパキスタンにも、インドにさえも行ったことはありません。ありませんが、その醸し出す雰囲気の幾ばくかは、昨今のアフガニスタン情勢に関連して、時々ニュース映像やドキュメンタリー番組、写真報道などにより、日本でもこの町とその周辺の最近の姿を見ることができ、クシャーナ朝の往事、東西貿易の一大交通路として多くの隊商がわさわさ行き交ったであろう道々の現在の姿を想像することができます。「ああ、こういう場所で、こういう環境で、この景色に囲まれて、かつて法華経たちが生を受けたのか……」町の今昔を見い出し、私は現在の殺伐たる風景がことさら感慨深く思われたりもします。ああそういえば、先日アフガニスタンを旅行中殺害された尾道の男女教師お二人は、パキスタン中西部クエッタからアフガニスタン南部カンダハルに向かう途中、国境を越えたあたりで被害に遭われたようですが、聞くところによれば、当初の予定ではその後カンダハルからアフガニスタン中部バーミヤンでタリバンによって破壊された仏教遺跡(大仏)を観た後、カイバル峠を越えてペシャワールに下りてくるつもりだったらしいですね……。

ちなみに後にガンダーラを訪れたかの法顕は『仏国記(法顕伝)』で、かつてクシャーナ朝の首府だったプルシャプラの往時をしのび、「(かつての)月氏王篤く仏法を信じ」「塔及び堂伽藍を起こし」「大富者あり多華以て供養せんと欲し、正に復た百千萬斛なるも終に満たすこと能はざるなり」(Poh註:中国ではクシャーナ朝も月氏・大月氏と呼ぶ)と語っておりますから、乱世で戦乱に明け暮れていた民族興亡の中では様々辛く苦しい時代を送っていたかもしれぬものの、少なくともカニシカ王が熱心な保護者になって以降しばらくは、この東西交易の中心地で仏教が栄え、裕福な商工業者の支持を得て人々の日常に深く根を下ろしていた輝かしい情景が偲ばれます――ただし同時にカニシカ王の貨幣にはギリシア・ローマの諸神やゾロアスター教・ヒンドゥー教の諸神の像が打ち出されており、この王が宗教的に寛容で、諸民族・諸文化の混在する大帝国を巧みに統治していたことを忘れてはなりませんが。一般に為政者にとって、古代から中世にかけては特に、異民族支配や多民族国家統治に宗教政策は最も重要な問題ですからね。弾圧するか、寛容を選び、むしろ自らの支持者・味方としてゆくか。

220Poh:2005/10/03(月) 10:03:44
5)
話を戻しましょう。
仏教の話です。そう、大乗仏教について、法華経についてです。

今更申すまでもなく、法華経は、この地西北インドで成立したと言われています。
成立年代については、先レスで紹介されていたpundarika掲示板『妙法蓮華経という言葉の由来』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3050/1054348959/l100
レス3にちょうど独歩さんが引用されていたので、これ幸いと借用させていただきますが――

1 原始法華の成立は西暦前1世紀
2 第二期の法華の成立は西北インドに於いて西暦後1世紀
3 第三期の成立は西北インドに於いて世紀100年前後
4 第四期の成立は世紀150年前後
(『法華経・上』岩波文庫 P430 岩本裕)

また中公新書『法華経』で田村芳朗氏は、「方便品第二から授学無学人記品第九までを第一類とし、西暦50年ごろの成立と見なし、法師品第十から属累品第二十一までと序品第一とを第二類とし、西暦100年ごろの成立と見なし、薬王菩薩事品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十七までを第三類とし、西暦150年ごろの成立と見なすのである」(Poh註:田村氏はこれに先立ち「『法華経』は現在二十八章からなっているが、その中の提婆達多品第十二は天台智ぎあたりから見えてくるので、したがってもとは二十七章である」とし、提婆達多品第十二を除いた二十七章で分類を行っている)としています。

まあ仮に原始法華がBC1世紀といっても、法華経がおおよそ現在の形にまとまったのはAD50年頃〜150年頃あたりと考えて差し支えありますまい。
さてここで、たとえば田村氏分類による各章(品)成立年代と、上記の北西インド・ガンダーラ地方の歴史的流れとを対照すると、色々おもしろいことが想像できそうですな。もちろんそれは、漢訳『妙法蓮華経』ではなく、サンスクリット原典を使ってのことですが。

たとえば法華経梵本中には、先にお示しした漢訳『妙法蓮華経』中の「正法・像法・滅人」や「末法・悪世末法」「後五百歳」など具体的語句にあたるサンスクリット原文以外にも、「仏教の漸衰滅亡を示す言葉」や、それを前提とした自教正当化の論法が多数見られることは、独歩さんご指摘の通りです(ただし私の場合、『末法』という言葉を使うと、条件反射的に「教えだけが残り、人がいかに修行してさとりを得ようとしても、とうてい不可能な時代」「末法一万年」などという「(後年成立した)正像末三時による末法思想としての『末法』」を勝手に連想してしまうので、サンスクリット原本saddharma-vipralopevartartana■neの訳語「正しい教えが滅びる時代」を、また同様の理由で『妙法蓮華経』中の『正法』はsaddharmaの訳語「正しい教え」、『像法』はsaddharma-pratiru■pakaの訳語「正しい教えに似た教え」をそれぞれ使用したいと存じます。梵本制作者の意図を推察するなら、おそらくその方がふさわしいのではないかとも思いますので)。

それら箇所箇所と、先の成立時代分類、そして上記のような歴史的事実を重ね合わせ対照すると、あるいは法華経制作者たちを取り巻いてきた約100年間(原始法華成立から見れば約200年間)にも及ぶ環境や境遇の変化、そしてそれがどのように教典の教えや論法に影響を与えてきたのか、などということが、少しは浮かび上がってくるのかもしれませんし、また逆にそういうことを考証してゆく過程で、法華経の成立年代や編纂の過程が、より具体的に分かってくるなんてこともあったりして?――まあただこんなことは、これら「仏教の漸衰滅亡を示す言葉」に限らず、当然文献学などの学者たちが様々な観点からすでに十分やってることでしょうし(私がその業績を知らないだけでしょう)、またそんな手間暇かかることなど、当然私自身やる気もなくて、ただ思いつきだけで言ってるに過ぎないのですが――ちなみにネットで色々調べてみると、実際色々な大学のゼミ論や卒論では、様々このあたりのことが研究されているようです。(笑)

221Poh:2005/10/03(月) 10:04:25
6)
……ところで、私は法華経のことには暗いのですが(他にことにも暗いが。笑)、たとえば華厳経などは、ご承知のごとく、様々な地域・時代に書かれた多くの独立した教典を3世紀ごろに集め編纂されたという代物なので、古く成立した部分にも、後代の加筆修正が多く認められるようなのですが、法華経の場合はどうなのでしょう。先の分類をそのまま適用するとしても、部分的に後代の加筆修正が入っているということは、可能性も含めて、やはり言えるのでしょうか?
その種の研究は当然すでに相当なされていると思うのですが、あいにく私のつたない経験では、これまで読んだ法華経の解説書・研究書の類いに、そこを深く踏み込んで記述したものの記憶がないのです。
それはともかく、そういう後代の加筆修正の可能性があるとなると(たとえば当初書かれた頃には「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使ったロジック」はなかったものの、後年それができて「これは使える!」とばかりに、説得力を増すため?加筆修正してしまったとか……他愛もない妄想ですが)、またそれはそれでややこしい話になってゆきそうですが。

まあそれはそれとして……
もしも飲み屋で一杯やりながら、独歩さんから、>>181独歩さんレスのように「あれは『自分達こそ、その『末法』(Pohの場合は『正しい教えが滅びた時代』)の弘法者であるという認識を、紀元前後の段階で既に持っていたからこそのこと』だと思わない?」と振られたら、「そりゃそうだろ」と私も即座に返すと思うのです。

しかしまあ、ここはこういう大まじめな掲示板であり、もしかするとここの過去ログのコピぺ印刷がはるか未来に出土され、21世紀初頭における日本人の仏教観を探る貴重な歴史的資料の一つとして、学者たちの論議の的となるかもしれません(んな、アホなって?分かりませんよ。今私たちが貴重な歴史資料として活用している諸資料のうちには、たしかに一部そんなものも混じっているのですから。笑)。
ですから独歩さんは、こんなことさっさと切り上げてどんどん先に議論を進めていきたいのかもしれませんけど、
私としてはうっとうしがられようとも、少しだけこの点に色々こだわってみようかなと思っています。もちろん、あくまで念のため。
結論が見えていそうな時ほど、人間とは目が見えなくなるもの。無意識に都合のよい資料や証拠ばかりを集め、自分であらかじめ決めてしまった結論を補完する独善的論理を組み立てて、「ほ〜〜ら見てみろ」と独り満足してしまいがちですからね(いわゆる恣意的推論・選択的抽出・拡大視&拡小視、極端な一般化、自己関連づけetc)。だから余計に気をつけて、むしろ自分の推論を否定するための証拠や材料などを見つけるくらいの気で考察を進めていかないと……そういうわけなので、以下うっとうしい方は華麗にスルーしてくださって結構です。(笑)

222Poh:2005/10/03(月) 10:05:02
7)
そういうことで、あえて批判者・否定者の立場に立って考えてみれば、ここでまず重要なのは、独歩さんの言葉「正しい教えが滅びた時代の弘法者」というのが、
1:法華経あるいはその未来の受持者が、来る未来、正しい教えの滅びた時代に人々を救うことになるのだ。そのための教えを今説いているのだ。
2:我々制作者が生きている今の時代こそ、正しい教えの滅びた時代であり、だから今こそ我々が世の衆生を救うのだ。
のいずれの意識なのかということではないでしょうか?
まあ別に、法華経と、そのお教えのすばらしさを語るためのロジックなのだから、どちらでもかまわないではないかと言われれば、それだけを考えるならばたしかにそうなのでしょうけど、しかしもしも独歩さんのその後のコメント「創作者たちがいう末法とは梵本法華経成立時点、さらにそこに登場する釈迦を担う主人公・地涌菩薩の出現もまた、創作者とその集団を指した紀元前後その時代を想定したもの」を検証しようとなると、そうもいきません。
もちろん独歩さんは、「1」であろうと考えておられるようですね。そしてそれは、私も「きっとそうだろうな」と同調します。そう、居酒屋ではね(笑)。でも、私は今日のここでは、あえて批判者、疑問者の立場にいます。
――ただし批判者としては、言うまでもなく私はあまりに力不足です。なにしろ法華経のこともよく知らないし、なにより今はその梵語訳さえないのですから……でも、まあ色々考えてみましょう。無い頭と無い資料を駆使して。(笑)

まず考えなければならないのは、法華経制作者たちの、当時の社会的境遇でしょうか。
もちろんそれは、先に触れたように、彼らが法華経を今に伝わるかたちにまとめるまでの約100年(もしくは約200年)間の変遷のありようを考えることでもあります。

223Poh:2005/10/03(月) 10:05:41
8)
それにしても彼ら法華経制作者たちは、あの時代の西北インド・ガンダーラ地方で、いったいどうしていたのでしょう。どんな目に遭っていたのでしょう――。
そしてそもそも彼らに限らず、大乗仏教徒たちはどうだったのでしょう。上座部は?

まずはそこから……
カニシカ王が厚く仏教を保護したとは言っても、こと大乗仏教運動の動向については、当時の状況を俯瞰して、それが当時の中心的運動としてこの地西北インドで巨大な潮流となっていた……とまで、果たしていえるのかどうなのか?

たとえばカニシカ王が行ったとされる第4回仏典結集(ただし、上座部の説一切有部の論典『大毘婆沙論』の骨子が編集されたことをカニシカ王に付託して物語るために「つくられた」伝承ではないかとの疑問符から、史実かどうか不明ともいわれている)は、上座部中心で――というか、異道者(大乗?)の多いガンダーラを避けてカシミールで開催されたともいわれているようです(ただしこれも先の疑問符から、上座部が意図的にそういう伝承を残したのかもしれませんが)。

またさらに残念なことながら、どうやら現在のところ、ことガンダーラからは、上座部の存在を裏付ける遺跡はあっても、大乗が栄えたという考古学的資料はほとんど見つかっていないようなのですね(ちょっと前の資料なので、もしやその後新たな発見があったかもしれません。そしてもちろん、今後続々発見されてゆく可能性もありますが)。

たしかに大乗教典にはしばしば裕福な商工業者の支持を得ていたことを思わせる記述があるようですが(法華経にもあったような……?)、しかし同時に、たとえば法華経梵本では、法華経を受持する者、みだりに人に近づくべからず、人里離れた山中、森の奥深く、荒野の洞穴などで修行し、孤独を選ぶべしといったようなことが書いてあるそうですね(なにしろ今の私、あの岩波法華経さえ人に貸しているという状況なので、確認できず。近日中に取り返してきますんで、とりあえず今日のところは申し訳ない)。あるいはそれは、布教どころか、世俗から離れ、地下に潜伏しなくてはならない当時の彼らの状況を暗に物語ったものなのかどうなのか……。

法華経制作者集団の境遇に関しては、いまだ謎に包まれているようですが、しかし時代にあらがって毅然と立ち上がり、「我こそ!」と救いの手を衆生に広げようとする崇高な精神、そして迫害に対するあの毅然たる姿勢、忍耐への決意、孤高なる殉教精神――それらはいったいどこからきたものなのでしょう。何をして、彼ら法華経制作者たちにそう叫ばしめたのでしょう。
――それは自分たちの教えが世に認められない事への怒り悲しみ、そして迫害(被害者)意識ゆえなのか?あるいは彼らの境遇ではなく広く社会を見渡して、民衆の苦しみを救おうと決意せざるを得ない過酷な時代状況や社会情勢あったがゆえなのか?

224Poh:2005/10/03(月) 10:07:25
9)
たとえば、制作年ははっきりしませんが法華経と同時代とも言われ、また「無量寿」を法華経の久遠実成の本仏思想が展開したものであると考えて、法華経よりもやや後代の作との推察もある浄土教の根本教典『無量寿経』には、
「我滅度之 復生疑惑 当来之世 経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳 其有衆生 値斯経者 随意所願 皆可得度」(巻下流通分・弥勒付属)とあります。
つまり「当来之世 経道滅尽」「特留此経 止住百歳」=「将来、経道がことごとく滅した時(法滅尽)、100年間だけ(100年=人の一生分から転じて、永き世との解釈もあり)無量寿経だけがこの世にとどまる」という論法を使って、無量寿経の優越を説いているわけです。

こうしてみると、「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使ったロジック」は、少なくとも法華経の専売特許とまではいえないようですね。
ではそれは、時代の流行だったのか?
ただ単に、たとえばどこかの集団がミトラ教など他の宗教や思想の論法を「これは使える!」とばかりに拝借したのが、他の集団にも広まったものなのか?(ああいう場所に生きていた人々ですから、ミトラ教だろうと、救世主思想だろうと、ギリシャ神話だろうと、終末思想やプレニアム=千年紀であろうと、習合に習合を重ね、また「ええとこ取り」することなど当たり前で、要は「何でもあり」という感じがしますね)
そして法華経がそれを先導し、無量寿教がそれを拝借しただけなのか?
それとも、当時の大乗仏教の担い手たちが「今こそ法は滅した」と本当に世を憂い、鬱憤を募らせ、それゆえ出た、両教典制作者たち共通の認識だったのか。だとしても、それは大乗仏教徒に限った「鬱積=俺らの教えこそ正しいのに、上座部のやつらばかりがのさばっていやがる」という独善的気分を「正しい教えが滅びる時代」に見立てているのか、あるいはたとえば外来民族による侵略により、乱暴狼藉、抑圧と迫害に苦しんだこの地のアーリヤ系インド人=民衆たちを前にして「なんとか救わねば!」という当時の時代状況の悲惨さを、それに見立てたものなのか?
――ちなみにもう十年以上前の記憶になりますが、やはり大乗の華厳経をざらっと読んだ時には、そういう深刻な「仏教衰滅の言葉やそれを使用した論法」があったという記憶はないんですよ(実は現在、ある必要性からもう一度読み直さなければならなくなったので、またそこで見つかったらご報告と訂正をさせて頂きますが)。
もしもその記憶通りだったら、また新たな想像も出てきますね。
もっともあのお経は、上座部に追われるようにカイバル峠から北上し、パミール高原から崑崙山脈北縁沿いに西行した大乗仏教徒たちが最初の腰を落ち着けた、中央アジアのオアシス国家ホータン(現:和田)で法華経よりも百年ほど後以降に編まれたもの。あの当時のホータンは、大乗仏教徒にとってユートピアのように、国は栄え、平和を謳歌し、また上座部の干渉もなく、国王の厚い保護のもとで大乗仏教徒がインドから退去押し寄せたと言われていますから、あるいはそういう環境では「仏教衰滅」の実感がなく、よってその言葉やそれを使用した論法が好まれず、あるいは忘れられ、またあるいはせっかく庇護してくれる国王の信仰心におもんぱかってそういう言葉をあえて使用せずにおいたということなども考えられましょうが……。

いずれにせよ、法華経梵本に見られる「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使用した論法」の真に意味するところは、法華経それ自体の客観的かつ詳細な検証とともに、先の無量寿経のみならず、他の成立時代が重なると思われる大乗教典、いやむしろ上座部の当時の教典・論書などと比較対照することで、時代の流行だったのか、法華経制作者のみに見られる深刻な「憂い」「鬱憤」だったのか、あるいは上座部の優位とそこからの干渉・排除に対抗する大乗教団共通の論法だったのかといった当時の実情が、より一層浮かんでくるかもしれませんね。

225Poh:2005/10/03(月) 10:08:08
10)
念のため確認しておくと、法華経作成当時(〜AD150年頃)は、あくまで「正法=500年or1000年」「像法=500年or1000年」という「○○年間」という概念もなく、あくまで漠然とした「お釈迦さんが死んでしばらくすると、彼の説いた法もだんだん変容し、彼の真意も失われ、『これこそ釈迦の説いた教え』などと吹聴していかがわしい教えがはびこるようになってゆくものだ(そして今がまさにそうだ)」といった思いのみがあったのではないかということです。ですから、当時の仏典制作者に、日蓮さんのような具体的な年数として「今は像法の○○年だから、あと××年で滅尽を迎える(当時は正像滅尽だと仮定して)」といった種類の恐れはなかったのでしょうね。

ですから、先にも挙げた、
「正法、像法、滅尽の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき」(常不軽菩薩品第二十)
の「正法」「像法」「滅尽」というのは、独歩さんが>>181でまとめられているように、サンスクリットの直訳「如来が入滅したのち、正しい教えの模倣の教えが消滅したとき」(下 P131)をクマーラジーヴァが漢訳したもので、やはり独歩さんの>>181「如来が生きているときは、その如来から直接、教えを聞いて修行できるが、入滅後は、それを模倣する教え、しかし、それも時の経過と共に消滅する」くらいの意味が、おそらく法華経制作者たちの思いだったのではないでしょうか。
そしておそらく、
「又文殊師利、如来の滅後に末法の中に於て是の経を説かんと欲せば、安楽行に住すべし」(安楽行品第十四)
「悪世末法の時 能く是の経を持たん者は則ち為れ已に上の如く 諸の供養を具足するなり」(分別功徳品第十七)
も、おそらく大意としては、同様の思いで記されたものではないかと思います(サンスクリットの訳でご確認下され)。
そしてこの2つは、先の田村芳朗氏分類に寄れば、「法師品第十から属累品第二十一までと序品第一とを第二類とし、西暦100年ごろの成立と見なし」なのでAD100年頃、つまりクシャーナ朝がまさにガンダーラ地方への進出した前後であり、カニシカ王の即位以前、つまり彼が仏教の保護をする前の成立ということになるわけです。
この地のアーリヤ系インド人は代々、新たな外来民族の侵略を受けるたび、悲惨な境遇に陥ったらしく、乱暴狼藉の限りを尽くされ、それはもう大変だったようです。ですから、あるいはこの時期の「正しい教えが滅びる時代」は、上座部との確執から来たものというより(それどころじゃなかったろうということで……でも分からないか、日蓮さんのような例もあるかもしれないし)、民衆の悲惨な現状に対する切々たる思いから来たのかもしれません。つまりこの場合は、法華経制作者たちが「もはや正しい教えが滅びた!」という実感を持ちえるだけの――いや持たざるを得ないほどの、悲惨な社会的状況があったのかもしれませんね。

226Poh:2005/10/03(月) 10:08:49
11)
では「世尊、後の五百歳濁悪世の中に於いて、其れ、是の経典を受持すること有らん者は、」(普賢菩薩勧発品第二十八)はどうなのでしょう。他にも、
「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の、阿弥陀仏の大菩薩衆の囲繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん」(薬王菩薩本事品第二十三)
でも「五百歳」とあるようですが――余談ながらこの「500」という数字、私にすれば、インド人にしてはあまりに具体的かつ短すぎる(笑)という感覚で、はじめて読んだ時は正直驚きました。今でも違和感の固まりです。もしかしてこれこそ異文化・異宗教の影響をそのまま受け入れてしまった記述ではないかとも思うし、また全くの勘ながら、この部分を書いたのはアーリヤ系インド人僧侶ではないのではないかとまで妄想がふくらみますが、このあたり、アーリヤ系インド人の数字概念の考察はまた別の機会にでも改めて――、とりあえずこれは上記田村氏の分類に従えば、偶然なのか両箇所ともAD150年頃の成立となっています(田村氏分類:薬王菩薩事品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十七までを第三類とし、西暦150年ごろの成立)。
つまりクシャーナ朝がカニシカ王北西インドの支配を安定支配し、また仏教を厚く保護した(あるいは上座部のみ?)という王国の絶頂期にあたるということです。この時期、アーリヤ系インド人たちも、クシャーナ朝による侵略を受けた時に比べれば、その支配が長期化し、王国が繁栄してゆくにともなって、生活はかなり改善されていったようですね。それに異民族の支配者のもとでは、カースト制度の規制がゆるんで、自由と解放を味わうことができたという側面もあるらしいし(カニシカ王の在位はAD130〜155頃の他、AD78〜103頃という別説もあるのですが、ここは現在優勢な説の方を採っておきます。もしも別説を採れば、まったく違う結論になるかもしれませんが、それはこの際考えないことに。笑)。
ですからこの時代の法華経制作者が、民衆と国のありようから「正しい教えが滅びる時代」を実感したと、はたしていえるのかどうなのか――むしろあるとすれば、先に書いたようにカニシカ王の時代、上座部の優勢があったとして、そちらとのかねあいの方が強いのではないかとも思われますが、しかしこの田村氏分類によるAD150年頃成立したとされる薬王菩薩事品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十七までを丹念に調べ、「仏教の漸衰滅亡を示す言葉」とそれを使用した論法が果たしてどれくらいあるのか、またそれ以前AD100ごろ成立とされる部分と比較して、その表現の違いや量の多寡に際だったものがあるのかどうなのかということを調べてみると、案外このカニシカ王時代は法華経制作者たちが「正しい教えが滅びる時代」と実感していたと思わせる部分は少なかったりして?……いやいや、それはないのかな?(笑)

まあとりあえず、社会が安定している時に、「今こそ正しい教えが滅びた時」だと説いて、民衆にとって説得力があったのかどうなのかという疑問はありますが。
加えて、為政者(カニシカ王)への遠慮とか、そういうことはなかったのかなと……まあこれは彼が仏教保護者とはいえ、大乗に対してどうだったのかということにもかかわってきますけど。

227Poh:2005/10/03(月) 10:09:21
12)
でもさらに問題は、この両箇所のサンスクリット語からの訳(実は先ほど本屋に行って、ここだけ岩波を立ち読みし、こっそりメモってきたのですが……笑)。
薬王菩薩本事品第二十三「また、ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、ある女性が『イシャジャ=ラージャの前世の因縁』という章を最後の五十年に聴いて、それを学ぶときは、彼女はここから生まれ変わって、スカーヴァティー世界に生まれるであろう」
普賢菩薩勧発品第二十八「世尊よ、わたくしは、最後の時である最後の五百年間が経過している際に〜」
となっており、薬王菩薩本事品第二十三の方は、どうやらサンスクリットでは「五十年」となっているようですね(このあたり、なぜクマーラジーヴァが五十年を五百年と漢訳したのか、考えてみるのもおもしろそうですか、今回はやめておきましょう)。
あとこの『妙法蓮華経』普賢菩薩勧発品第二十八には、他にもう1箇所「五百歳」の言葉がありましたね。それにサンスクリットの方は、他にもう2箇所。いずれも同じ訳がふってありました(でも、なにせ立ち読みなもので、見落とした他の箇所があったかも?)。
でも、この「最後の時である最後の五百年間」とは、いったい何なのでしょうか。漢訳では「世尊。於後五百歳。濁悪世中。」そして「世尊。若後世。後五百歳。濁悪世中。」これを岩波では「世尊よ、後の五百の濁悪な世の中において」としていましたが、あるいはこれは、クマーラジーヴァ漢訳の頃に、すでに後の「五五百歳」の萌芽でもあったのかどうなのか?
*五五百歳(岩波仏教辞典より抜粋)
「大集経月蔵分 では、仏滅後2500年間の仏道修行の衰退ぶりを解脱堅固・禅定堅固・読誦多聞堅固・
多塔寺堅固・闘諍言訟白法隠没[とうじょうごんしょうびゃくほうおんもつ](闘諍堅固)の5箇の500年
に区分する。これを三時説に配当すると、正法千年、像法千年、そして末法万年のはじめとなる。日蓮は
現時を末法に入って二百余年と認識して仏法のあり方を考え、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』を著した」

そしてもう一つ重要なこと。サンスクリットの「最後の時である最後の五百年間」が真に意図するところは?
この箇所、岩波法華経では註をしていまして、「後五百歳=後の世の後の五百歳(の濁悪の世)。正法華(Poh註:竺法護による逐語漢訳本『正法華経』10巻27品・286年のこと)は『最後の余残の末俗の五濁の世の余りの五十歳』と訳している。梵文には『後の時に後の時節に後の五百(歳)において』とある」とありました。
でもそうなると、これを「釈迦入滅後500年」と解釈することができるのでしょうか?
そしてこの「後五百歳」を語っているのが普賢菩薩であるということは、あるいは法華経制作者が自らを、この場合、普賢菩薩あるいはその従者(?)に我が身を重ね合わせたのでしょうか?
――ちなみに、この普賢菩薩勧発品第二十八は、以前読んだ中村元氏の書籍では(うろ覚えの記述ですが)、「未来に向けた教え」(要旨)といったような解釈がされていたように思いますが、仮にそうなると、あるいは法華経制作者が「今こそ正しい教えが滅びる時代」ではなく「(未来の)正しい教えが滅びた時代に向けての教え」だと考えていたということなのでしょうか?
とりあえず、この普賢菩薩勧発品第二十八が未来に向けてのものと解するのか、そうでないとするのかで、この「後五百歳」の意味するところも変わってくるのかもしれません。
……でもまあ、ここから先の推察は私のような素人の出る幕ではなく、独歩さんにご解釈をお願いした方がよさそうですね。


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