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現代人が納得できる日蓮教学
223
:
Poh
:2005/10/03(月) 10:05:41
8)
それにしても彼ら法華経制作者たちは、あの時代の西北インド・ガンダーラ地方で、いったいどうしていたのでしょう。どんな目に遭っていたのでしょう――。
そしてそもそも彼らに限らず、大乗仏教徒たちはどうだったのでしょう。上座部は?
まずはそこから……
カニシカ王が厚く仏教を保護したとは言っても、こと大乗仏教運動の動向については、当時の状況を俯瞰して、それが当時の中心的運動としてこの地西北インドで巨大な潮流となっていた……とまで、果たしていえるのかどうなのか?
たとえばカニシカ王が行ったとされる第4回仏典結集(ただし、上座部の説一切有部の論典『大毘婆沙論』の骨子が編集されたことをカニシカ王に付託して物語るために「つくられた」伝承ではないかとの疑問符から、史実かどうか不明ともいわれている)は、上座部中心で――というか、異道者(大乗?)の多いガンダーラを避けてカシミールで開催されたともいわれているようです(ただしこれも先の疑問符から、上座部が意図的にそういう伝承を残したのかもしれませんが)。
またさらに残念なことながら、どうやら現在のところ、ことガンダーラからは、上座部の存在を裏付ける遺跡はあっても、大乗が栄えたという考古学的資料はほとんど見つかっていないようなのですね(ちょっと前の資料なので、もしやその後新たな発見があったかもしれません。そしてもちろん、今後続々発見されてゆく可能性もありますが)。
たしかに大乗教典にはしばしば裕福な商工業者の支持を得ていたことを思わせる記述があるようですが(法華経にもあったような……?)、しかし同時に、たとえば法華経梵本では、法華経を受持する者、みだりに人に近づくべからず、人里離れた山中、森の奥深く、荒野の洞穴などで修行し、孤独を選ぶべしといったようなことが書いてあるそうですね(なにしろ今の私、あの岩波法華経さえ人に貸しているという状況なので、確認できず。近日中に取り返してきますんで、とりあえず今日のところは申し訳ない)。あるいはそれは、布教どころか、世俗から離れ、地下に潜伏しなくてはならない当時の彼らの状況を暗に物語ったものなのかどうなのか……。
法華経制作者集団の境遇に関しては、いまだ謎に包まれているようですが、しかし時代にあらがって毅然と立ち上がり、「我こそ!」と救いの手を衆生に広げようとする崇高な精神、そして迫害に対するあの毅然たる姿勢、忍耐への決意、孤高なる殉教精神――それらはいったいどこからきたものなのでしょう。何をして、彼ら法華経制作者たちにそう叫ばしめたのでしょう。
――それは自分たちの教えが世に認められない事への怒り悲しみ、そして迫害(被害者)意識ゆえなのか?あるいは彼らの境遇ではなく広く社会を見渡して、民衆の苦しみを救おうと決意せざるを得ない過酷な時代状況や社会情勢あったがゆえなのか?
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