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現代人が納得できる日蓮教学
175
:
Poh
:2005/09/28(水) 03:53:24
1)
一字三礼さん
はじめまして。
犀角独歩さんがご紹介下さいました私の拙文と資料に対するご指摘ですので、私の方から
お答えさせて頂きます。
(こちらの掲示板で本格的な書き込みをするのは初めてになります。皆様、どうぞよろし
くお願いいたします)
末法思想の起源を語るたびに、これまでも他掲示板等で多くの方から、羅什訳『妙法蓮華
経』中の「末法」に関する質問をお受けして参りました。
あるいは当然ありうるご疑問・ご指摘だとも考えております。
この件に関して、以下他掲示板での自己レスを再編集したものをアップさせて頂きます。
まず、『妙法蓮華経』ではたしかに正法、像法に関して、
○正法、像法、滅尽の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき。
(常不軽菩薩品第二十)
○世尊、後の五百歳濁悪世の中に於いて、其れ、是の経典を受持すること有らん者は
(普賢菩薩勧発品第二十八)
と「正法・像法・滅尽」という使用が認められます。
この部分、サンスクリット原文のsaddharmaを「正法」 と、saddharma-pratiru■pakaを
「像法」としていますが、「正・像法」に関しては、先に私からの提供資料として独歩さ
んがご紹介下さった、平凡社世界大百科事典の記述「正法時と像法時については,インド仏教で早くから考えられていたが〜」の通りです。
ですから、AD1世紀前後とも言われる法華経成立時に「正・像・滅尽」の思想が成立し
ていたとは想像できると思います。
一方、『妙法蓮華経』中で「末法」の語が確認できるのは、たしかにご指摘の2箇所にな
りますが、いずれも「正・像」との(思想的)関連性なく単独使用であり、意味的にも前
後の文脈からも「正・像・滅尽」との関連性は言及されていません。
さらに重要な問題として、この「末法」にあたるサンスクリット原文は、
『saddharma-vipralopevartartana■ne』
であり、それをクマーラジヴァが「末法」と漢訳したわけですが、しかしこのサンスクリ
ット語は、直訳すると「正しい教えが滅びる時代」という意味で、これは末法思想の「末
法=教のみで行も証もない時代」の語義とは異なっており、つまりこれが決定打となって、
この「末法」は「末法思想としての末法」と考えることには無理があるというのが、現代
の仏教学者・研究家たちのおおかたの見解のようです。
このあたり、『大乗仏典4 法華経Ⅰ』松濤誠廉、梶山雄一、丹治昭義著。中公文庫、P291
では、以下のように解説されています。
『「正しい教え」(正法)と「正しい教えに似た教え」(像法)とは、前者から後者へ教
えが漸次衰微してゆくという歴史観の上の時代区分に用いられる述語。ここではこの両語、
すなわち順にsaddharmaとsaddharma-pratiru■pakaの両語が見えるのみである。他方、羅
什が「末法」と訳している「正しい教えが滅びる時代」saddharma-vipralopevartartana
■neの語は、のちに第十三章(「法華経Ⅱ」)に単独であらわれている。正法・像法・末法
の三時を分ち、そのあいだに教・行・証が漸次衰微する状況を説く歴史観(正法の時代には
教・行・証の三者がそなわり、像法では教・行のみ、末法の時代には教のみで行も証もない
という)は、おそらく中国において整備確立されたものであろう。』
[続く]
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