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現代人が納得できる日蓮教学
199
:
乾闥婆
:2005/09/29(木) 22:51:26
続き
信行みずからの内省、自己批判もきびしかった。自分は出家し修道し僧となった。しかし僧が俗人よりもすぐれた修道者などと思うことが大罪であることは、みずからよく知っている。僧戒を受けたが、それを守りおおせているか。否。僧戒を必ず守ると誓約しながら、それを守っていない。否、守りえない現代社会を生きているのである。彼はみずから進んでかつて受けた僧戒を捨てて、僧位を降りて沙彌(小僧)と称して、若い僧の末座にしかすわらなかった。生きとし生けるもの、仏も、人も、悪魔も、自己の仏教を進める機械を恵む仏とありがたく拝せよ。世の今の人にとっては、批判を捨てて普く敬うことのみが仏行だと、徹底的に自己と現代の凡夫性、罪悪性を内省して、そこから謙虚敬虔な普敬行に進んだ。
彼は外出すると、坂の多い長安の坂下に、額に汗して荷車を引いてくる労働者を待った。彼は黙々と汗を流して車の後押しをして坂の上までたどりつく。ありがとうと礼をいう労働者に合掌して、将来のみ仏よ、おかげさまで仏行を一つさせていただけましたと礼拝して去る。それが、僧位を捨てて沙彌となった信行、三階教祖であり、その教徒の師表であった。
彼の真剣な実践を伴う、現代末法到来、従来の仏教では救いがたい、末法こそ「普」の仏教、凡夫悪人と自覚し懺悔する人が、「みずからのはからい」をすべて捨てて、仏典間の勝劣を批判し、仏・ボサツの優劣を論争するような越権を捨てて、ただ普くすべての人格の尊厳に敬をいたし、普く他のために奉仕せよ、との力強い呼びかけに、廃仏を経験した僧俗男女の仏教徒が、これこそ新しい今の救済と共鳴し、同行同信として、「三階院」を建てて別住し修道にはげんだ。
隋の初期仏教復興の長安で急速に盛大になる彼の教団は、「無尽蔵」という経済機構もって社会に奉仕した。多少を問わぬ信者の喜捨を蓄積する無尽蔵の資金は、廃仏で荒廃した寺院の復興のためには、どこへでも低利で、事情によっては無利息で、いつかは返す誓約
だけで信用融資された。無尽蔵への感謝は、必然に各地の仏教徒から平等の慈悲実現の大乗ボサツの仏教よとの称誉とともに寄せられた。しかし、この新仏教の主張は、このころ競い復興した学問的仏教、さらに三論・摂論・天台・華厳など新宗の運動にとっては、きびしい批判をぶつけるものである。邪教異端と排除しなければみずからが立たぬ。仏教界はこぞって、三階教は邪教だ異端だと訴えた。ついに三階教禁断の勅が出た。ために道綽の浄土教帰入のころには、一時地下に潜流したかにみえたが仏典に明記されている「末法到来の世」の憂慮は、仏教徒からぬぐい去ることはできなかった。
(中略)
末法到来に仏徒が心をゆすぶられているときである。邪教と排斥された三階教も、唐代の道綽・善導の専修浄土教活動期にはには復興し、都の長安はもとより道綽の住む山西省にも熱狂的な信者を集めていた。長安の南の隠棲修道者の好み住む終南山に、善導も、信行伝をのせた『高僧伝』を書いた道宣も住んだが、その山の一角に信行は遺言して、その死屍を捨てて鳥獣に供養させた。白骨のみになって信者はこれを納めて墓碑を建てた。師表を慕う信者はつぎつぎに信行の墓側に葬られることを希望して、三階教徒墓域ができた。「百塔寺」として長安の名刹名所となったものである。(P157-162)
引用終わり
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