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現代人が納得できる日蓮教学

215犀角独歩:2005/10/03(月) 07:57:25

一字三礼さん

ご賛同、有り難うございます。

どうも、「末法」また「思想」という成句が、定まらないところで行き違いが存するのかも知れません。

オフ会で一字三礼さんにお会いし、その深い学識と洞察、また、礼儀正しい人間性を存じ上げ敬意を表してきました。一方、Pohさんはわたしの朋友であり、豊富な知識と悩める人々の交流に敬意を表してきました。たぶん、お会いになって議論となれば、和やかに談論となるのでしょう。どうも掲示板というツールは誤解に誤解が重なったり、文字自体の限界から、心の部分までが伝わらないことが多く存するものだと思った次第です。しかし、それでも、一定の矜持を保ち、深いな表現など、一つもないところに、お二方の深い人間性を感じました。もちろん、意見の異なりがあることは大いにけっこうなことであり、妥協せず、徹底して真摯に議論することにわたしは賛成です。

お二方から離れ、記します。

ネット上のでのやり取り、実は、この部分も「現代人が納得できる日蓮教学」と大きく関わるのかも知れません。そういうわたし自身も、この掲示板上で多くの意見の対立を経験してきました。けれど、議論は議論として、意見の異なりから事実が見えてくればよいと考える質ですから、どれほど、議論が食い違っても、会えば、その人と和やかに歓談するのが常です。しかし、それでもここを通過していったなかには、わたしに遺恨を遺されている方々も存することでしょう。

「法華系、なかんずく、創価学会、顕正会、妙観講というのは、どうしてあそこまで、口汚く、差別的で、侮辱的なのか。あんな姿は仏教じゃない」

というのは、一般の人々が見るネット上の富士門の姿でしょう。

このような有様は、まさに‘現代人が納得しない日蓮教学’そのものでしょう。
語ることが日蓮の教説であっても、反対者を詰る言辞は、侮辱、軽蔑、差別、よくぞここまで人をひどく言えるものだと驚くような単語を使い所属の違う相手を徹底的に貶して優位に立とうとします。

時には、「日蓮大聖人は、良観房を両火房と言って攻撃し、謗法を許さなかった」などと、日蓮が肯定理論に駆り出されます。しかし、これはつまり、日蓮その人が悪いのであって、いくら尊敬敬愛しようとも真似てはいけない日蓮の欠点です。

ネット上のエチケットすら守れない富士の日蓮門下、まさしく、決して現代人が納得することのない日蓮を信じる人々の姿でしょう。また、その日蓮の汚点を見本として、相手リーダーを書き立てる文章は、けっして一般メディアでは使用されることのない単語のオンパレードです。このようなものを読み、その団体に正義があると思う人間は内部のメンバー以外に有り得ません。それでも同意する人があるとすれば、そのような姿勢は平和、共存、人権といった遵守されるべき人類の目標を逆行する差別主義者なのだろうと判断せざるを得ません。

現代人が納得する日蓮教学の第一歩は、相手を敬い接することができることにあると、まず第一歩として、わたしは考えます。実はこれが今日的な「不軽菩薩」の具体的な現れではないのかとも、わたしは考えています。


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