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現代人が納得できる日蓮教学

180犀角独歩:2005/09/28(水) 11:03:46

なかなか活発な議論となり、提案した甲斐があります。

小池さん

> 南無妙法蓮華経とは、末法における衆生を救う唯一の法なのでしょうか。なぜ末法においては南無妙法蓮華経でなければ成仏できないのか、よくわからないのです

羅什訳、慧思を経て天台、そして妙楽で確定されてきた法華解釈を、伝教を経て、日蓮が継承したということですね。

「南無妙法蓮華經は法」かというのは、なかなか大問題であろうと思います。
結論から申し上げれば、法と言えるのは妙法と羅什が訳した言葉が指したものであるはずです。妙法蓮華經は経典の名前であり、南無妙法蓮華經はその経典に南無するという以上の意味はないところを経題そのものを法としてしまった教学的な姿勢を直視する必要があります。

では、法華経で言う妙法とは何か? ということになります。この原語は松山師に拠れば、agradharmaとsaddharmaを訳分けずに用いた漢訳であるということですが、この漢語は既に増一阿含で使用されているとのことでした。法華経全編を読んでみると、諸仏はこの経典によって成仏したとか、経典自体が遠い過去から存在していたという記述はあっても経典自体が法であるという記述は勿論ありません。また、そもそもその法が何であるのかという点で明確に記述される句を探せば、わたしは「教菩薩法」に尽きると思います。
ところがこの漢訳に該当する梵本直訳を見ると「菩薩をいましめ」る(岩波文庫『法華経』上 P45)という以上の意味はありません。しかしながら、法華経とは菩薩をいましめ、成仏記別を与える最高の教えという内容になっていることは了解できます。
では、その成仏というのはどのようなことかと言えば、寿量(菩薩道をした二倍の寿命・五百塵点劫)というストーリーとなっています。

以上のことから、わたしは題目五字七字が法であるという教理解釈には反対の立場です。故に、わからないと思われるほうが、よほど的確に事実を捉えていると思います。


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