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現代人が納得できる日蓮教学
225
:
Poh
:2005/10/03(月) 10:08:08
10)
念のため確認しておくと、法華経作成当時(〜AD150年頃)は、あくまで「正法=500年or1000年」「像法=500年or1000年」という「○○年間」という概念もなく、あくまで漠然とした「お釈迦さんが死んでしばらくすると、彼の説いた法もだんだん変容し、彼の真意も失われ、『これこそ釈迦の説いた教え』などと吹聴していかがわしい教えがはびこるようになってゆくものだ(そして今がまさにそうだ)」といった思いのみがあったのではないかということです。ですから、当時の仏典制作者に、日蓮さんのような具体的な年数として「今は像法の○○年だから、あと××年で滅尽を迎える(当時は正像滅尽だと仮定して)」といった種類の恐れはなかったのでしょうね。
ですから、先にも挙げた、
「正法、像法、滅尽の後、此の国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき」(常不軽菩薩品第二十)
の「正法」「像法」「滅尽」というのは、独歩さんが
>>181
でまとめられているように、サンスクリットの直訳「如来が入滅したのち、正しい教えの模倣の教えが消滅したとき」(下 P131)をクマーラジーヴァが漢訳したもので、やはり独歩さんの
>>181
「如来が生きているときは、その如来から直接、教えを聞いて修行できるが、入滅後は、それを模倣する教え、しかし、それも時の経過と共に消滅する」くらいの意味が、おそらく法華経制作者たちの思いだったのではないでしょうか。
そしておそらく、
「又文殊師利、如来の滅後に末法の中に於て是の経を説かんと欲せば、安楽行に住すべし」(安楽行品第十四)
「悪世末法の時 能く是の経を持たん者は則ち為れ已に上の如く 諸の供養を具足するなり」(分別功徳品第十七)
も、おそらく大意としては、同様の思いで記されたものではないかと思います(サンスクリットの訳でご確認下され)。
そしてこの2つは、先の田村芳朗氏分類に寄れば、「法師品第十から属累品第二十一までと序品第一とを第二類とし、西暦100年ごろの成立と見なし」なのでAD100年頃、つまりクシャーナ朝がまさにガンダーラ地方への進出した前後であり、カニシカ王の即位以前、つまり彼が仏教の保護をする前の成立ということになるわけです。
この地のアーリヤ系インド人は代々、新たな外来民族の侵略を受けるたび、悲惨な境遇に陥ったらしく、乱暴狼藉の限りを尽くされ、それはもう大変だったようです。ですから、あるいはこの時期の「正しい教えが滅びる時代」は、上座部との確執から来たものというより(それどころじゃなかったろうということで……でも分からないか、日蓮さんのような例もあるかもしれないし)、民衆の悲惨な現状に対する切々たる思いから来たのかもしれません。つまりこの場合は、法華経制作者たちが「もはや正しい教えが滅びた!」という実感を持ちえるだけの――いや持たざるを得ないほどの、悲惨な社会的状況があったのかもしれませんね。
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