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現代人が納得できる日蓮教学

156乾闥婆:2005/08/08(月) 01:04:33
>>152
犀角独歩さん。

>乾闥婆さんは止観を難しいものとしてとらえていらっしゃるようですが、これは「難しい」という暗示にかかっていませんか。

そうなのかもしれません。止観は難しいから題目なのだ、末法はそれでいいのだ、というような暗示が無意識のうちに働いているのかもしれません。

>小止観(略明解蒙初学座禅止観要文)からお読みになってみればよいと思います。

何度か書店の店頭で、新田雅章氏の『天台小止観』(春秋社)を手にとって購入しようか迷ったことがあります。現代語訳がされていて分かりやすそうでしたので…。小止観から入ってみようと思います。

>観じられる十法界、三千法界もさることながら、このような観念状態にある脳波は穏やかで、心身によい影響を与えることも実感できます。たぶん、日蓮が考案した唱題行も、この道からぶれなければ同じ止観禅の、発声(唱題)を伴った行の範囲であったのかも知れません。

そうですね。一時期、私は禅定に入るための行法として唱題を限定的に捉えようと必死になっておりました。今でも基本的にはその線にあるつもりです。しかしそれは宗祖の意に反することになるのでしょうか。

>その根拠となる法華経に始まって、日蓮の本尊抄にしても、観仏法界については記されません。…法華経は「如是我聞」が前提で、記したのは仏ではなく、日蓮もまた仏ではありませんから、仏の正確な記述ができるはずはありません。だからこそ、法華経は「教菩薩法」なのでしょう。寿量品も、一念三千の最後の三妙合論も、その記述から類推するしかない仕組みが、ここにあります。

そうなのですね。久遠実成の仏とは、あくまで彼岸にあるのですね。その仕組みに驚き入っています。なぜ今まで気づかなかったのでしょう…。

>なお、乾闥婆さんが記されるところは、所謂、凡夫本仏論ですが、これは『秘密荘厳論』の所説を、派祖に当てはめるふりをした法主本仏論という作為に始まるものであるとわたしは見ます。

はい。日蓮本仏論、法主本仏論、凡夫本仏論は、一本の線でつながっているのですね。私も結局はその範疇にいたのでしょう。久遠実成の仏の位置を確認できたことは非常に大きな出来事でありました。


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