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現代人が納得できる日蓮教学

190犀角独歩:2005/09/28(水) 23:41:58

184 Pohさん、どうも。たしかに思わず、にやついております。

なんだか議論がパラレルしているので、わたしはPohさんに返レスしましょう。

そうなんですね。法華経に出てくる「五百年」という時間は、まさに釈迦滅後から法華経が創作された時間差そのもののわけです。つまり、この創作者は自分達を地涌菩薩に想定しているのでしょうね。

要は釈迦が入滅したあとに、一体誰が主人公だ、地涌菩薩である我々であると経典創作者は暗に記しているわけでしょう。けれど、遂にインドでは法華経を依教とする教団は成立しなかった。中国でも、当初は成立しなかったわけですが、法華経に先駆けて、人気のあった涅槃経と法華経をダッキングさせ、このコラボレーションによって、一躍法華経教団は成立していくことになったわけでしょう。

そしてまた、ここでも慧思は自分自身が末法82年に生まれたという自覚を持っていたわけでしょう。この姿勢は当然、天台にも見出せるでしょうし、何より、日蓮にいたってその頂点を迎えます。つまり末法に生まれ・弘法するという自意識です。

わたしは小野文著師の御説を拝して、日蓮が言う末法は始めの五百年に時制があるのであって、これはその後の万年・尽未来際とは別立てだという指摘に「なるほど」と膝を叩いた一人です。しかし、この点に門下は気付かずに来ました。

戦前の日蓮主義、二度の末法説で世界最終戦争から広宣流布というコンセプトにしても、またしても、この末法意識の亡霊が顔を出すわけです。


この広宣流布ということにしても、真偽未決文ながら、日蓮の教説とするものを見ると、万民一同に南無妙法蓮華經と唱えるのが広宣流布で、それは地涌菩薩の出現がなければ叶わないというわけです。

たとえば、本日ただいま日本民全員が南無妙法蓮華經と唱えたとしましょう。となると、上記、教説からすると広宣流布だと、こうなります。しかし、そこから100年経ったら、その万民は一人として生き残っていません。広宣流布はどうなったという話のわけです。こんな当然のことが、しかし、まったく考慮されていない机上の空論といって等しい広宣流布観が平然と語られるわけです。

故に日蓮の教説は末法の始め五百年にこれが達成されるという前提で成り立っていたのだろうと思います。では、この五百年という限定時間は、といえば、法華経創作時の釈迦滅後五百年というコンセプトを背負っているわけです。

こういう、いわば「ネタ元はなんだろうか」という謎解きからすると、法華経信奉者というのは、釈迦滅後五百年後を想定してまとめられた法華経の成立を、自分達が生きている時間に引き寄せるために、正法五百年・像法五百年、さらに正法五百年・像法千年として、慧思を始めとする末法意識があり、さらに日本ではこれにさらに五百年プラスして正法千年で、入末法年代永承7年(1052)として、日蓮その他の末法自意識が支えられることになったわけです。

これまた、貫名師が指摘したことですが、浄土真宗本願寺派では、既に入末法・永承7年(1052)説を、もはや放棄した如くです。

http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/next/shaka.htm

わたしは、この手の構造を、日蓮門下も、もういい加減に認めたらどうかと思うわけです。


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