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現代人が納得できる日蓮教学

158犀角独歩:2005/08/08(月) 04:43:18

乾闥婆さん

> 天台小止観

お薦めします。
この書は、わたしは唱題の糧にもなると思っています。

> 岩本氏…岩波文庫版…『法華経』現代語訳…解題…大きく目を開かせて…

わたしもその一人です。
手に入る岩本師の著者は片っ端から読んだものでした。
ところが、最近、松山俊太郎師の法華経講義を毎月聴講しているのですが、殊に岩波文庫の『正しい教えの白蓮』は駄目だと仰るのです。先には先があると思っている昨今です。

ただ、反面、松山師は法華経の復権を高らかに語ります。
渡辺照宏師などの法華経批判に対して、「この経典は、当時、全世界の中でも希にみる最高の芸術作品である」と言います。

序品・方便品の講義原稿がほぼ、まとまり、近く福神研究所から、出版が予定されています。期待しています。

習ってきたこと、信じてきたこと、何よりやってきたこと、その根幹が揺るがされるとき、信者は、それを揺るがす相手に反感を覚え、怒りすら懐きます。かつて、わたしもそうでした。ところが、自分自身を点検すると、それに十分に答える知識がない…。そんな思いから再考を始めて、幾ばくの時間が経ちました。

仏は、自分自身の心の中にいる。これは一面の真理なのだろうと思います。
そこで、わたしはふと気付きました。では、仏を尊敬する、信じると言うことは自分自身を尊敬し、信じると言うことではないのか…。
要は自身の仏は信じ・尊重できても、他身の仏を見落としてしまっていたわけです。
自分を導く仏側を見ないと、実は仏教にならないということを、最近になってようやくと気付きました。

仏を見据える、他人の仏を見据える、そして、始めて自分の仏を見据えるという三つの見仏があるとわたしは最近、思うようになりました。そのためには、どのような形であれ、禅定は必要なのだと思います。その一形態に唱題があっても、よいとも思います。唱題が禅定の延長である限り、有効なのだと思えます。


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