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現代人が納得できる日蓮教学

181犀角独歩:2005/09/28(水) 11:04:15

Pohさん

遠征いただきまして、有り難うございます(笑)

> AD1世紀前後とも言われる法華経成立時に「正・像・滅尽」の思想が成立

これは殊に『常不軽菩薩品』第20から、こう記されるのだと思いますが、該当の部分は

「…如来が入滅したのち、正しい教えの模倣の教えが消滅したとき…」(下 P131)

を「正法像法。滅尽之後。」と什が訳したものですね。
梵本法華経紀元前1世紀から後2世紀ぐらいのあいだでせいりつしたということですから、如来が生きているときは、その如来から直接、教えを聞いて修行できるが、入滅後は、それを模倣する教え、しかし、それも時の経過と共に消滅するという考えは、この時点であったのだろうと思います。

一方、什の妙法蓮華經の漢訳はどうでしょうか。後秦の姚興に向かい入れられて長安に入ったのが401年で、その後、10年の間に精力的に翻訳に従事したと言います。法華経訳出年代をどこまで特定できるのかという問題はありますが、4世紀末から5世紀はじめということになります。つまり、梵本成立から250年ばかりの時間差と場所の差があることになります。

末法思想の定着は6世紀というのが取り敢えず、定説になっているようで、種々、挙げていただいた資料もそれを指示する如くですが、言葉としての「正法」「像法」「末法」もしくは「法滅尽之後」は5世紀の訳本・妙法華に既に見られるとするのが至当ではないのかと思いますが、如何でしょうか。

なお、末法思想というのは、皆さんのご指摘の通り、成句が先行し、後に正像末の三時に整理され、さらに「五百年」「千年」といった年限区分が採り入れられていったという変遷があることは押さえるべきだと思えます。

また、これらのアイディアはイランにははじまる救世主思想(ミトラ)、また、終末思想、プレニアム(千年紀)思想と習合しながら、次第に形成されたものであろうと考えます。

天台における以上のような整理は南岳慧思の『立誓願文』だそうで、正法500年、像法1000年年とし、自らの出生を末法82年としたというのが、先の貫名師の指摘でした。

ただし、わたしの今回の呈示は、以上のような成立過程というより、むしろ、それら末法思想を鼓舞する人々が、自分達が生きている時代こそ末法であるという認識に立っているという点です。

わたしは梵本法華経の制作者といえども、この例外ではないと考えます。
つまり、彼らが経典を創作し、釈迦滅後の時代を描写するのは、要するに、自分達こそ、その「末法」の弘法者であるという認識を、紀元前後の段階で既に持っていたからこそのことであろうと考えます。つまり、創作者たちがいう末法とは梵本法華経成立時点、さらにそこに登場する釈迦を担う主人公・地涌菩薩の出現もまた、創作者とその集団を指した西暦前後その時代を想定したものであったろうと考えます。


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