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現代人が納得できる日蓮教学

169犀角独歩:2005/09/26(月) 06:14:02

一昨日、わたしの恩人である貫名英舜師とお会いしたのですが、「末法」ということが話題になりました。

鎌倉時代が釈尊滅後2000年を経過していなかったことは今さら記すまでもないことですが、わたしはもう一点、気になったことがありました。

それは中国と日本の入末法とする年の相違です。
故高木豊師の『増補改訂 日蓮 その思想と行動』(太田出版)のなかに

「仏滅を紀元前942年とし、中国では正法500年、像法1000年を経て、末法に入るとされた。したがって中国では552年、日本では1052年(永承7)年が入末法の歳であった」(P124)

とあります。この根拠は、文中に示されていない(他の所に記されてあるのかも知れませんが)、ともかく、高木師は入末法年代が中国と日本では違うと主張していました。

ここで改めて気付いたことがあります。重要な点です。
始めて三時説を唱えたという慧思の生誕は515年で円寂577年、天台大師の生誕は538年で円寂が597年、妙楽大師の生誕は711年で円寂は782年、さらに日本の伝教大師の生誕は767年で入唐が804年(妙楽滅8年後)で円寂は822年です。また、聖徳太子が実在の人物であるとすれば、その生誕は574年とされます。

すなわち、中国の入末法年代、552年とは、つまり、中国仏教における天台諸師の活躍と、また、日本における法華経流布の二祖もまた、“中国の入末法年代”の合致していることになります。

http://www.kosaiji.org/hokke/nenpyo.htm

天台が自分が生きている時代を末法である考えていたという記述を、30年近く前に『私の天台観』(第三文明社)で読んだ記憶があります。そのときは「へぇ」と、さほど、重要とも思わなかったのですが、いま振り返ってみると、これはたいへんな話でした。創価学会の、この手の伝統教学と仏教学への造詣の著しいまでのギャップは、特に季刊『東洋学術研究』と『大白蓮華』の御書講義などで散見され、わたしは当時、完全に消化不良を起こしていました。しかし、30年経ってもこの点を創価学会はクリアできないままなのだと思えます。それはともかく、

http://page.freett.com/Fnet/di19.html#Tendaikan

以下は、わたしの類推に過ぎませんが、日本の末法思想とは、要するに中国の末法意識の‘焼き直し’として成立したのではないかと思うわけです。

さらに伝教大師の作とされる『末法灯明記』は延暦20年、すなわち、801年の作とされるわけで、中国で考えられた末法の始め500年に当たることになります。

本尊抄に日蓮は

「後五百歳於閻浮提広宣流布と。天台大師記して云く ̄後五百歳遠沾妙道。妙楽記して云く ̄末法之初冥利不無。伝教大師云く ̄正像稍過已末法太有近等云云。末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意也。伝教大師、日本にして末法の始めを記して云く ̄語代像終末初。尋地唐東羯西。原人則五濁之生闘諍之時。経云、猶多怨嫉況滅度後。此言良有以也」

と、殊に「末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意」としますが、しかし、妙楽円寂直後に入唐した伝教大師が中国末法観を意識していないとは考えられず、すなわち、天台、妙楽はもちろんのこと、伝教もまた、自分達が生きている時代を末法と認識していたと考えざるを得ません。となれば、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という題名はおろか、「仏滅度後二千二百二(or 三)十余年」などという考えは、近代仏教学を待たずとも、根底から瓦解します。

もとより、大集経の三時というのは、ミレニアム(千年紀)から派生したものでしょうから、それが仏説であるわけもないのですが、その点を問題とは別に、天台・妙楽・伝教が、自分達は「末法」を生きていたかどうかという認識は必要であると思うわけです。


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