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現代人が納得できる日蓮教学
226
:
Poh
:2005/10/03(月) 10:08:49
11)
では「世尊、後の五百歳濁悪世の中に於いて、其れ、是の経典を受持すること有らん者は、」(普賢菩薩勧発品第二十八)はどうなのでしょう。他にも、
「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の、阿弥陀仏の大菩薩衆の囲繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん」(薬王菩薩本事品第二十三)
でも「五百歳」とあるようですが――余談ながらこの「500」という数字、私にすれば、インド人にしてはあまりに具体的かつ短すぎる(笑)という感覚で、はじめて読んだ時は正直驚きました。今でも違和感の固まりです。もしかしてこれこそ異文化・異宗教の影響をそのまま受け入れてしまった記述ではないかとも思うし、また全くの勘ながら、この部分を書いたのはアーリヤ系インド人僧侶ではないのではないかとまで妄想がふくらみますが、このあたり、アーリヤ系インド人の数字概念の考察はまた別の機会にでも改めて――、とりあえずこれは上記田村氏の分類に従えば、偶然なのか両箇所ともAD150年頃の成立となっています(田村氏分類:薬王菩薩事品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十七までを第三類とし、西暦150年ごろの成立)。
つまりクシャーナ朝がカニシカ王北西インドの支配を安定支配し、また仏教を厚く保護した(あるいは上座部のみ?)という王国の絶頂期にあたるということです。この時期、アーリヤ系インド人たちも、クシャーナ朝による侵略を受けた時に比べれば、その支配が長期化し、王国が繁栄してゆくにともなって、生活はかなり改善されていったようですね。それに異民族の支配者のもとでは、カースト制度の規制がゆるんで、自由と解放を味わうことができたという側面もあるらしいし(カニシカ王の在位はAD130〜155頃の他、AD78〜103頃という別説もあるのですが、ここは現在優勢な説の方を採っておきます。もしも別説を採れば、まったく違う結論になるかもしれませんが、それはこの際考えないことに。笑)。
ですからこの時代の法華経制作者が、民衆と国のありようから「正しい教えが滅びる時代」を実感したと、はたしていえるのかどうなのか――むしろあるとすれば、先に書いたようにカニシカ王の時代、上座部の優勢があったとして、そちらとのかねあいの方が強いのではないかとも思われますが、しかしこの田村氏分類によるAD150年頃成立したとされる薬王菩薩事品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十七までを丹念に調べ、「仏教の漸衰滅亡を示す言葉」とそれを使用した論法が果たしてどれくらいあるのか、またそれ以前AD100ごろ成立とされる部分と比較して、その表現の違いや量の多寡に際だったものがあるのかどうなのかということを調べてみると、案外このカニシカ王時代は法華経制作者たちが「正しい教えが滅びる時代」と実感していたと思わせる部分は少なかったりして?……いやいや、それはないのかな?(笑)
まあとりあえず、社会が安定している時に、「今こそ正しい教えが滅びた時」だと説いて、民衆にとって説得力があったのかどうなのかという疑問はありますが。
加えて、為政者(カニシカ王)への遠慮とか、そういうことはなかったのかなと……まあこれは彼が仏教保護者とはいえ、大乗に対してどうだったのかということにもかかわってきますけど。
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