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現代人が納得できる日蓮教学

28犀角独歩:2005/07/17(日) 22:32:42

―27からつづく―

わたしのところには毎日のように多くの相談が寄せられますが、最近、「戒名ってどうやってつけるんですか。自分でつけちゃ駄目ですか」といった類の問い合わせが入るようになりました。漫荼羅でさえ、ネットからダウンロードして、自分の納得のいく紙を選びプリントし、表装することが起きている現在、自家製戒名は、ある意味、戒名不用と並ぶ、新たな時流となるのかも知れません。わたしはこれもありだと考えます。「親からもらった名前ではなく、ネットでは自ら決めたハンドルネームで行く」というのが、先駆けであれば、死んだのちの自分の名前(戒名)を自分で決めるという流れが生じるのは、寧ろ必然とすら思えます。

宗教は所詮人間が作ったものだ。人知を越えたものなど、実は何もない、という当たり前のことがわかると、いままでの脅迫衝動は一挙に消滅します。「まだ、科学でわからないことはたくさんある」、そんなことは当然ですが、しかし、そのあとに、故に、わたしは続けてきました。「だから、科学性以前の宗教じゃ尚更のこと」。

しかし、人間は老いさらばえて、やがて病み、死にます。この摂理の前で、日蓮さえ、無力でした。無宗教の人が立派に死んでいく姿をわたしは幾例も見てきました。また、反面、唱題の力で、闘病を越え、立派な死を迎えた例もたくさん、見ました。

原型の仏教より、それ以降の発展系のなかで、秀でた部分もたくさんあると思います。
シャキャムニの教えは、林棲し、死に向かう教えという側面が強い気がします。ですから、一般社会を生きるためには役に立たないところもたくさんあります。しかし、それだけに死に行くためには有効であると思えます。

日蓮の教えはどうでしょうか。その教学体系=法華経釈尊究極の直説という教義大綱は、先に記してきたとおり、既に潰えてしまいました。けれど、実際に、唱題をした、各人の実体験は、そのような点を超えて人生に大きく役立った部分もあります。反面、勤行唱題に逃げ込んで、それだけで自己満足してしまう思考と行動の停止を呈しているという信者が気が付けない坑に墜ちている部分もあります。

四箇格言差別とも言うべき日蓮門下の脅迫衝動。彫刻本尊信仰圏で言えば、模造の彫刻、日蓮本仏、血脈談義。信不信によって醸造される差別と憎悪です。

しかし、日蓮の消息文に見られる細やかな感性、(日蓮なりに考えたことであったにせよ)正しいこと、それを貫こうとする正義心。親を思い、国を思う心等。賛同し、見習うべき点は数多あるようにも思えます。

現代人が納得できる日蓮教学は、換言すれば、 現代人を納得させられる日蓮教学ということでしょうか。しかし、その教学は集団、指導者の商業ツール、説得、購買動機の説明原理から決別し、各個人的な精進のために吟味する段階に入ったのだと、わたしは思います。

29犀角独歩:2005/07/18(月) 09:09:54

> 25

このような姿勢は、多かれ少なかれ、門派・派祖教学には、日蓮に限らず、恵心流口伝法門辺りでも見られることなのでしょうが、しかし、なんとまあ、ひどい文章だと思いました。こんなものを読んで「素晴らしい」と思うとすれば、これはかなり重症だというほかありません。

そもそも言うところの「御書」は真偽選定すらされていない自分達のご都合で解釈されるところであり、石山においては、たとえば、「釈尊」とあっても、それを「日蓮」と読み直し、本仏の意義を添えてしまうわけです。第一段階として、御書によるといいながら、実は相伝に拠っているのであって、その相伝は日蓮に由来すると信じるという条件を勝手に付したうえで、唯授一人の指導者のみが正しく相承し、その解釈権も保持するというわけです。こうなれば、どのような解釈も可能であって、つまるところ、御書のとおりでなくても一向に構わないと言う悪弊が生じることになります。

なるほど、どのような形で、勝手解釈が罷り通るようになるかを示す好見本のような文章であると思った次第です。

3001:2005/07/18(月) 13:59:18
ここまできましたか。うーむ。

31空即是進化:2005/07/18(月) 21:37:11
 管理者さん、顕正居士さん、犀角独歩さん、本スレッド立ち上げありがとうございます。
息をひそめて議論の展開を見守っている方が、かなりいらっしゃるのではないでしょうか。
簡単に結論が出るようなものでないことは百も承知ですが、よろしくお願いします。
 
 特定の宗教を信じることの怖さを改めて感じる日々ではありますが、何らかの超越した
モノを欲するのも人間の本能の一部ではないでしょうか?
 特に子育てをしていて思うのは、親として子供たちに自信を持って伝えるものが無いと
いうことのさびしさです。
 敗戦後の親たちは、それまでの価値観を捨て去り、新たに信ずるものを求めて、子に伝
えようとしてきました。それから60年、私たちは何を伝えようとするのか。
 「21世紀の日蓮」に期待するところ大です。

 今のところ、私の方から情報提供できるようなものが思い当たりません。それでもよけ
れば、次回のオフ会に参加したいと思うのですが。

32犀角独歩[TRACKBACK]:2005/07/19(火) 08:24:50

空即是進化さん、オフ会への参加を歓迎します。

さて、先に挙げた15のことは、わたしは実はかなり早い時期に自分では知ってました。しかし、閉じた心がそれを事実として受け入れませんでした。たぶん、ロムされている方の大半も、段階の差こそあれ、いまはそのような状態ではないでしょうか。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/r1705

残念ながら、わたしがここで確認したことは紛れもない事実であって、もはや動きません。しかし、日蓮は、法華経が釈尊最期8年の唯一最高の極説であるという大前提から、その教理を打ち立ていました。そして、日蓮にとって、信行学は相依矛盾しないものであって、分離して考えるものではありませんでした。しかし、現代の日蓮信奉者は、その分離を余儀なくされています。

わたし自身、僧侶の、また、信者に多くの知人があり、友人があり、以上のことをストレートに述べることに躊躇がありました。また、それをストレートに認めてしまうことは、自己実存の否定ともなる点で恐怖を帯びていたために回避していたのも事実です。しかし、そのような惰弱、脆弱なことで自分を誤魔化し続けるのは時間の無駄ですし、また、話し合える場所がある以上、ここでしっかり書き残しておこうと思ったわけです。

以上の話をし、日蓮門下という立場にあって、これをストレートに認め、護教保身を超えて、真摯に応じてくれた日蓮に関わる人を、まだ、わたしは2人しか知りません。

一人は富士宮の日蓮宗寺院住職・貫名英舜師であり、もう一人は沙門行明師です。貫名師は日朝像を祀る寺院の住職ですが、寺院で生まれ育った方でした。住職になってから寺院興隆にを勤め檀家も増加させてきました。一方、ここ10年、積極的にカルト問題と取り組んできた活動家でもあります。バランス感覚のある師は、保守的な寺院典礼、運営で、上記のようなことを話すことはありませんが、「さて」と腰を据えて話すとき、まさに上記の内容を避けず、逃げず、真正面から考え、思索してきました。当掲示板の身延・西山・石山・北山観光オフの際、皆で、帰りに押し掛けて、話を聞いたこともありました。

師の結論は、「空」ということでした。結局のところ、仏説、論釈、日蓮教説も含めて、悉く一切は、「空」であり、仮であった。しかし、それをとらえていけば、実のところ中道として意義を見出せるという点に活路を求めておられました。そして、その起源を、「無常」という釈尊の悟りに求めるという形で思索を進めているようにお見受けします。

もう一人は、沙門行明師で、四半世紀前、渡印し、藤井日達師の弟子となり、インドに3寺を建立。その後、一宗派の所属を克ち、一人の沙門として、日印を往復しています。
また今回も、本日から出発され、アルメニアグルジアドイツ英国…カシミール…ラダック…アルメニアグルジアロンドン…アンダマンニコバル諸島と、それぞれの仕事を済ませ、9月に帰国と言うことでした。年収200万円といい、インドでは、乞食を主とし、いまは、唱題に限らず、マントラも称え、念仏道場にも訪れるも言います。海外における宗教者の役割は、日本と比べものにならないと、師は言います。発言の持つ力が大きく民衆と政治・経済の指導者を動かす要因となるということです。また、インドにおける沙門は、その人が何を説いているのかというより、戒律を護り、僧侶としての生活をちゃんとしているかどうかのほうが遙かに大きな意味を持つともいいます。「漢字で書かれた漫荼羅を見せても、なんだか、理解されません。ただ、唱題するより、太鼓を打ってのほうが人々の心も打ちます」という万国共通の民衆の反応を話してもらったことが印象に残っています。この師の結論も、やはり、空、無常無我という点に迫るもののように思えました。

33犀角独歩:2005/07/19(火) 08:25:21

―32からつづく―

わたしが仏教談義をして、もっとも納得がいったのは精神科医・高橋紳吾師でした。師は、当初、龍谷大学で仏教を学んでいましたが、その本質を極めるために精神医学を修める必要があると考え、医師に、それも精神科医となった人です。その専門は宗教病理学と犯罪心理学でした。何度か紹介しましたが、以下の文章は、その思索を簡潔にまとめた秀でた師の仏教見識であると考えます。少し長いのですが、引用します。岩波書店から発刊された『超能力と霊能者』の一節です。

―― 教祖の釈迦は、現代のカルト的宗教が説くような、「私を信じなければ不幸になる。地獄におちる」式の脅しの言説は一切していない。
とはいえ仏教が輪廻思想から自由でないのは、当時のバラモン(婆羅門)や沙門(シュラマナ)たちが共有していた文化的な枠組みのなかで釈迦が生きていたからだが、釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決であり、苦悩の原因が執着によっておきることを解き明かし、それらは正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたるという極めて常識的な教えを提示することだった。とすれば人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できることで、したがって釈迦は秘技伝授の超能力者でも霊能者でも、ましてや「最終解脱者」でもなく、もちろん「神」のような絶対者でもなかった。しかしカリスマを求める周囲の心情はいつの時代も変りがない。死後の釈迦は次第に神格化され、俗化される。たとえば釈迦の骨がフェティッシュな崇拝の対象となったり、、釈迦の言説とされる教典それ自体が信仰の対象となったりという、釈迦が最も忌避した「執着」へ人々は再び回帰したのである。そこにあるのは象徴(シンボル)の病である。
もっとも八正道の実践だけでは出家修行者のみ可能な小乗仏教であって、これでは一般大衆には宗教的な喚起の世界は与えられない。そのために救済のビジョンが必要で、大乗仏教における阿弥陀信仰のように、方便として帰依の対象が求められる。これは補助自我とみなすことができよう。それは超越的な形態をとっていても、もう一人の「自分」なのであるから、その「超越者」を「信じている」自分を調べる義務は、その個人にある。
(補助自我−自我のかたわらにあって、自我の充足を助けるもの。「ペット」や「わが子」のレベルから「思想」や「神」などの抽象的なものまである。) ――

執着から脱却、象徴(シンボル)からの脱却、八正道、菩薩道、補助自我といったところがキーワードでしょうか。

執着は煩悩と言い換えても善いかも知れませんが、これと象徴の病は同義異語であり、つまるところ、無常無我、また、のちの空(さらには三諦)といった観念とも矛盾しないと思えます。また、それらを内実的な結論とするとき、対外的に具現しようとすれば、それは菩薩道という様態を採ることに、わたしは賛成します。(もちろん、涅槃経説は問題外ですが)

以上の前提から、日蓮を点検すると、どうなるのか。わたしは日蓮の言っていることは、ある面、短絡過ぎないかと思うところが多くあります。法華経は絶対だ。だから、帰依すれば、人も国家も安泰になる。究極は南無妙法蓮華經だ。口に唱題、身には漫荼羅を帯すれば現世安穏・後生善処であるというわけです。法華経、題目、漫荼羅といったものが完全にシンボル化しています。さらにその‘安全’を保障するものは「信」であるというわけです。まあ、俗化して表現してみれば、どんなことになっても日蓮と法華経・題目への信仰を捨てなければなんとかなる。本当は何とかなるんだが、過去に積んできた悪い業でそうならないので、その罪障消滅をすれば、その後は善くなる、といった思考パターンに拠っているわけです。

いまだ日蓮信奉下にある人は怒るかもしれませんが、結局のところ、この思考パターンは「善くなりたい」という執着から、一歩もでていません。この執着は、煩悩と言い換えてもよいかもしれません。しかし、実際のところ、この点検が、日蓮の実像とあっているかどうか、わたしは考えています。ただ、以上、デフォルメした素描した日蓮信仰は、もはや、無常無我を標榜した仏教というより、俗化した密教に近いようにわたしには映じます。こんな部分で日蓮を前面に押し出しても、欲得と、死・病の恐怖に振り回される人には通用しても、真剣に人生と社会を考える人々からは冷笑を被るばかりでしょう。

以上の前提から、では、日蓮は、ということです。

34問答迷人:2005/07/19(火) 22:00:36

犀角独歩さん

>無常無我を標榜した仏教というより、俗化した密教に近いようにわたしには映じます。こんな部分で日蓮を前面に押し出しても、欲得と、死・病の恐怖に振り回される人には通用しても、真剣に人生と社会を考える人々からは冷笑を被るばかりでしょう。

原始仏典にみる釈尊の教えは、人間は、苦・空・無常・無我なる存在である、と達観することに尽きるのだと思います。

しかしながら、大乗の教えは、人間とは苦・空・無常・無我なる存在であると達観した時に、浄・楽・我・常の世界が開かれると教えたと考えています。所謂、『我此土安穏・天人常充満』と法華経に説かれる如くです。これは、俗化した密教と軌を一にするとお考えでしょうか、或いはどう違うとお考えでしょうか。

35犀角独歩:2005/07/20(水) 08:57:43

問答名人さん

> 『我此土安穏・天人常充満』と法華経…俗化した密教と軌を一…或いはどう違う

まず、整理したいと思いますが、挙げられる経文は言うまでもなく自我偈です。
一方、常楽我常は涅槃経の所説ですから、この偈が契当すると言えば、法華の涅槃的解釈と言うことになるのでしょうか。

少し調べてみましたが、常楽我常は涅槃経の哀歎品等に説かれることのようです。あと、延命十句観音経の

「観世音 南無仏 与有因仏 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心」

というのがあるとのことでした。

たしかに、学会を含む石山門下では常楽我常は特記されるところで、たとえば、石田次男氏なども、四大真徳といい、これを取り上げていた記憶があります。

以上の前提で、天台が言う三妙合論はたしかに仏の常住、その国土の常住、安穏を言う如くで、常楽我常と類型と感じさせます。

ご質問の意図は、やや斟酌しかねますが、涅槃経にいたり、常楽我常は説かれるところの、密教との関連ということでしょうか。

法華経の編纂成立は紀元前100年から遅くとも300年頃までということのようです。
その後、早い時期に漢訳され、天台も解釈を付けますが、その頃、密教はまだ中国には伝わっていなかったわけですね。では、インドにおける密教は?ということになりますが、この辺りはどうなのでしょうか。仏教の密教と言うより、インドの雑多な信仰形態が仏典と称されるものと一緒に持ち帰られ、中国で仏典として扱われたと考えたほうがよいように、どうもわたしには思えます。ヒンドゥー教と一言で言うとあまりにも大雑把すぎますが、ともかくベーダー以来の呪(まじな)いやらなんやらが結局は仏教といわれるものと習合して成立していくのが密教であって、どうにも、定義することに困難を覚えます。密教は小乗・大乗を超えた金剛乗だと言うわけですが、わたしはこんなものが仏教だとは到底思えません。俗信、迷信、呪い、祈祷といった類に映じます。これを仏教という気は起きません。しかし、信者のニーズはこちらのほうが大きかったのでしょうか。大乗経典成立時に、既に金剛乗の影響があったかどうか。どうでしょうか。

また、その密教の成立が、法華経、涅槃経に影響を与え、仰るような常・楽・我・浄という、無常・苦・無我・不浄(染?)の逆転的な発想として固定したのかどうか。わたしにはよくわかりません。どなたか補完していただければ有り難く存じます。

やや、資料手放しで記します。

現代風の言い回しをすれば、仏は衆生の最終様態と言うことになりますから、その常住を言い、常楽我常とそれまでの教えを180度逆転させてもよいと、一応は言えるのでしょうか。しかし、これが直ちに衆生全般に当てはまるとは思えません。「時我及衆僧 倶出霊鷲山」と仏僧(梵本では、たぶん、仏と四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)を意味していたのであろうと思いますが)が霊鷲山に現れることを示します。

その条件として、「広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命」と舎利供養・不自惜身命という条件が示されています。六道の衆生は有為転変にあり、無常・苦・無我・不浄(染?)なのではないでしょうか。しかし、霊鷲山は違うという、ここに聖地信仰が成立している如くです。

この霊鷲山信仰とも言うべき、法華経の際だった特徴が、の三宝の常楽我常を示す如くで興味が惹かれます。

個人的な意見を言えば、常楽我常を言ってしまった仏教は、当初の釈尊が確立した無常・苦・無我(・不浄(染?))のいっさい逆を言い、つまり、その前の状態に戻り、元の木阿弥となり、ここに仏教は終わったように、わたしには感じられます。それは大乗から、密教という仏教ではない教えの幕開けと軌を一にしたとは言えるのかも知れません。

36問答迷人:2005/07/20(水) 10:52:15

犀角独歩さん

>常楽我常を言ってしまった仏教は、当初の釈尊が確立した無常・苦・無我(・不浄(染?))のいっさい逆を言い、つまり、その前の状態に戻り、元の木阿弥となり、ここに仏教は終わった

という事は、涅槃経は仏教ではない、と判断されているわけでしょうか。

37犀角独歩:2005/07/20(水) 11:43:50

問答名人さん

> 涅槃経は仏教ではない、と判断

悩ましいところですね。なにをもって仏教というか、という問題になります。
これはあくまで個人のことですが、わたしは八正道、四聖諦ぐらいまでしか、仏教と思っていません。十二因縁となるとどうだろうかという感じです。
要は、シャキャムニが説いた(可能性のあるもの)ものまで、ということです。

そこから、その後の発展、また、仏教の名の下に拡大解釈されていったものをどこまで、含めるかという点で、答は出していません。つまり、この決定ができないのは、白黒できちんと分けられず、大乗経典のこの部分は初期経典から延長、ここはイラン系の習合、ここはギリシャ、漢訳のこれは中国思想…、ここはどこのものだろうかという具合に判断しかねるからです。多かれ少なかれ仏典といわれるものは、習合、混淆が織り混ざっていますので、一経まるごとを仏教・非仏教と区分するより、句節、思想ごとに分類しなければならないだろうという思いがあるからです。

涅槃経についていえば、『ブッダ最後の旅』として、訳されるようなものは、まあ、受け入れますが、大経などに見られる「刀杖執持・斬首」は、仏説として受け入れるわけにはいきません。ただし、政教一致の書という観点から、為政者の統治論が書かれていると読めば、そんなものだろうとは思います。殊に、涅槃経というのは、ありとあらゆる思想、宗教のみならず、執政に至るまで、いまでは仏教に区分されない内容まで孕んだ種々雑多な集成のように見え、その全体を仏典と言われれば、頷くわけにはいかないという判断です。

もう一つ、個人的な感覚で言えば、わたしは涅槃経より法華経、妙楽より天台のほうが、より仏教的ではあると思えます。では、仏教的という判断肢は何によるのかと言えば、まさしく常楽我浄の逆、無常・苦・無我という点ではないのかという思いがあります。なお、‘浄’という点について、この逆が不浄、もしく染(染浄二法の染)、また、穢と見るような考えは、インド起源と言うより、中国思想的な発想と感じなくもありません。

サハー(娑婆)という概念がどこまで、遡れるのかわかりませんが、この語源は、ご承知のとおり、堪忍(堪え忍ぶ)ということです。この我等が生きる世界を、穢れた世と見たり、衆生の階位(十界分別)の低位を染まり・穢れたものと見るような、「穢れ」思想のようなものが、シャキャムニにおいてあったとは思えません。故に、浄の逆をシャキャムニ以前に起源を探ることは無意味な気もしています。

あとこれはご質問の趣旨からは離れますが、わたしは法華経の涅槃経解釈には反対です。また、妙楽より天台を優位と見ています。

天台、日蓮は法華経を涅槃経で解釈しようとしたところに、そもそもその躓きがあると、わたしには思えます。法華涅槃から、純法華。天台妙楽から天台。その天台から涅槃を除いてみるほうが、より健全な教えになっていくとわたしは思えます。

第一段階として、法華経の涅槃経解釈は止めようと主張しておきたいと思います。

38問答迷人:2005/07/20(水) 12:19:30

>法華経の涅槃経解釈は止めよう

『自我得仏来。諸経諸劫数。無量百千万。億載阿僧祇。常説法教化。無数億衆生。令入於仏道。爾来無量劫。為度衆生故。方便現涅槃。而実不滅度。常住此説法』

この寿量品の一節は、僕は、原始仏典以来の、仏の概念を根底から改変するものだと思います。そもそも、仏とは『仏に成れば、もう、この世界には生まれて来なくなれる、六道の輪廻を断ち切れる』といった意味を含む概念であったと思います。この点は如何お考えでしょうか。

39問答迷人:2005/07/20(水) 12:58:37

関連しますが、一つ大きな疑問。それは、覚りを開いたシッダルタが、なぜ人々に教えを説いたか、という疑問です。この世は苦であり空であり無常であり無我であると悟ったなら、そのような世を遁れるべきではなかったのか、という事です。にも拘らず、彼がその後歩んだ道は、所謂九横の大難と言われる迫害の嵐であり、せっかく広めた教えも、程なく元々のヒンドゥー教に飲み込まれて、名のみの仏教に成り果ててしまうわけですから。

この点も合わせてお考えをお聞かせ願えるとありがたいです。

40顕正居士:2005/07/20(水) 13:04:24
常楽我浄について述べた祖書、玄義の主な文

「外道は常楽我浄と立てしかば、仏、世にいでまさせ給ては苦空無常無我ととかせ給き。二乗空観に著して
大乗にすすまざりしかば仏誡めて云く 五逆は仏の種、塵労の疇〈たぐい〉は如来の種、二乗の善法は永不
成仏と嫌せ給き。常楽我浄の義こそ外道はあしかりしかども、名はよかりしぞかし。而れども仏、名をいみ
給き。悪だに仏の種となる。ましてぜん(善)はとこそをぼうれども、仏二乗に向ては悪をば許して善をばいま
しめ給き」(十章抄)

「馬鳴龍樹菩薩等は仏滅後六百年七百年等の大論師なり。此人々世にいでゝ大乗経を弘通せしかば、諸々
の小乗者疑て云く 迦葉阿難等は仏の滅後二十年四十年住寿し給ひて、正法をひろめ給ひしは如来一代の
肝心をこそ弘通し給ひしか。而るに此人々は但苦空無常無我の法門をこそ詮とし給ひしに、今馬鳴龍樹等は
かしこしといふとも迦葉阿難等にはすぐべからず是一。迦葉は仏にあひまいらせて解をえたる人なり。此人々
は仏にあひたてまつらず是二。外道は常楽我浄と立てしを、仏世に出させ給ひて苦空無常無我と説かせ給ひ
き。此ものどもは常楽我浄といへり是三」(報恩抄)

「大經に云く。一實諦とは則ち二有ること無し。二有ること無きが故に、一實諦と名く。又一實諦とは虚偽無き
に名く。又一實諦とは顛倒有ること無し。又一實諦とは魔の所説に非ず。又一實諦とは常樂我淨に名く。常樂
我淨とは空假中の異り無し。異らば則ち二と為す。二ならば故に一實諦に非ず」

「常樂我淨とは一實諦に名く。一實諦とは即ち是れ實相なり。實相とは即ち經の正體也。是くの如きの實相と
は、即空・假・中なり」(玄義卷第八下) http://ccbs.ntu.edu.tw/cgi-bin/webgetfile_.exe?pid=27582&offset=8

諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 (一切皆苦)〜三法印(四法印) / 諸法実相〜一法印 という。
大乗の涅槃経には法身の常住、涅槃の四徳(常楽我浄)、悉有仏性(衆生内在の法身)が説かれる。八宗の
祖龍樹は生死即涅槃と決択されたから、仏のみならず、衆生も国土も常住である、と中国仏教では考える。
法華経では「諸法従本来 常自寂滅相」といちおう空性の立場であるが、その八不中道(中論帰敬偈)、諸法
実相が法華経の経体であるから、空性の名が妙法蓮華経であると三論宗ではいう(大乗三論大義抄)。

41顕正居士:2005/07/20(水) 14:28:27
仏教の教義はすべてが六道輪廻の考えの上で説かれている

インド人以外が仏教を含めたインド思想を理解する上で、最も重要な事柄が六道輪廻(輪廻転生)である。
インド人にはこの考えは堅く信じられていて、疑う余地がない、まったく与えられた事実である。われわれ
インド人でない者はこのことを信じていないから、中国人や日本人の仏教では六道輪廻は教義の発明や
解釈のための約束に過ぎない。信じていない者は想像を逞しくするしかない。もしわれわれが六道輪廻を
疑う余地がない、まったく与えられた事実と信じていたら、もう一回でも再生することは鬱陶しく感ぜられる
のであろう。再生を断絶して涅槃寂静の境涯に至る、解脱ということがあらゆるインド宗教の目標である。
死んだら終わりと信じているから、インド人以外は永遠のいのちを得るために、キリスト教やイスラームや
浄土教に帰依する。つまり三世説(六道輪廻)が主観的の事実であるのに対して、二世説(復活、浄土)は
希望である。インド人以外が六道輪廻を信じると云う場合には、もう一回くらい再生したいという願望に過ぎ
ない。死んだら終わりと信じている場合には、それが反対に人情であろう。インド、中国、日本と変遷する
仏教の教義には土台に死生観の相違がある。外来宗教はその民族固有の宗教の上に概念装置としては
君臨しても、決して主観的の事実を変更し得ない。たとえば、日本の仏教系新興宗教は「功徳と罰」を説く。
これは神道系新興宗教の「おかげとたたり」を漢語で云ったに過ぎない。おかげとたたりは祖霊から来る。
日本人は先祖供養を重んじるが、儒教から由来したのではない。主な目的は先祖が祟らないためである。
祟らないようにきちんと祀ったことを日本仏教では「成仏」という。これら基本的な概念はマレーポリネシア
諸民族に共通である。祖霊がいる場所は山岳あるいは叢林(草葉の陰)である。もっとも日本的な仏教の
開祖である日蓮は二世説(浄土教)を激しく嫌い、祖霊の住む場所は霊鷲山(わびしい山岳)であるとした。
三(四)法印、一法印の問題や、なぜ智邈や日蓮が大乗の涅槃経を重視したかは根本的に民族の死生観
の相違に由来する。

42犀角独歩:2005/07/20(水) 20:25:44

問答名人さん

既に顕正居士さんが正鵠を得たご投稿を下さいましたので、わたしはご質問のみ、簡潔に記させていただこうと存じます。

>『自我得仏来…常住此説法』
> …原始仏典以来の、仏の概念を根底から改変

なるほど。

> …世界には生まれて来なくなれる

無余涅槃とは、もちろん、そのような謂いであろうと存じます。
この思想は、阿羅漢果が先行し、その意味するところは、最後の肉体を持つ者という意味であったと思います。ブッダは目覚めた人、覚った人と意味ですから、やや意味するところは違いますが、当然、仰るような意味合いを有すると思います。

顕正居士さんがご指摘くださったように、インド人にとって、輪廻は脱したい束縛と捉えられていたようで、ところが中国に入ると、まったく逆転して認識されたと言われますね。つまり、死んでも自分が無くならないと受容され、この点は日本も同様であったという指摘を以前、読んだことがあります。この筋から、漢訳経釈の常楽我浄を捉えないと、意味を取り損ねるのではないかと思えます。

しかし、寿量品における仏の常住は、インド発想と言うことになります。では、ここからどのように読み解けるのでしょうか。問答さんが仰るように、これは大きな改変であると、わたしは思います。どうやら、天台教学では法華経は、既に三諦論を成就しているということになってしまっていますが、常住此説法の仏とは、わたしは三身よりももっと原初的であると考えます。法華経におけるコンセプトは成仏とは長寿(寿量)覚徳を意味するもので、つまり、不死を得た如来が永遠に霊鷲山にいて、説法をし続けるという文字通りの意味なのであろうと思います。その意味において、そこに三身説が介在する余地がないのが寿量品でしょう。しかし、こう書けば、天台教学を墨守する人は、釈文をもってきて難を付けるでしょうが、わたしはこの点では譲りません。

以上の次第から考えるとき、「此の世に生まれてこなくなる」という以前に不死を得た如来であるから、というのが天台釈によらず、直裁にみた法華原文の意味であろうとわたしは考えます。

> 覚りを開いた…空…無常…無我…世を遁れるべき

わたしはこの点で実に現実的にしか考えていません。生きている以上は食べなければならなかった。食べて生きていれば、人々は集まってきたという循環であったろうと。

> 九横の大難と言われる迫害の嵐

わたしは、むしろ、シャキャムニは王に庇護され、長者に精舎を寄進されるなど、「大難」という程のことはなく、ただ、釈迦族の滅亡、提婆達多・阿闍世王の暗殺未遂は大きな事件であったにせよ、しかし全体的には庇護、尊敬を集めた生涯であったと思えます。

> せっかく広めた教えも、程なく元々のヒンドゥー教に飲み込まれて、名のみの仏教に成り果ててしまう

これも、全体的に見れば、そうでしょうが、全部が全部ではなく、いまでもシャキャムニの教えを厳守する人と集団は生き残っていると言います。砂漠で一粒のダイヤのような存在であっても、わたしはいまに継続していると考えています。

43犀角独歩:2005/07/20(水) 20:36:18

―42からつづく―

しかし、そのような営々とした流れとは別に、第一次分裂以降、次々と俗化し、混淆していった集団論理は、ついに密教化まで行き当たり、そのほとんどが灰燼に帰したのは事実ですね。

わたし達が信じてきたものは、日蓮の教えを含めて、果たしてどこまで、胸を張って仏教だと言える要素があるのか、仏教信仰を語る人は自己肯定化論理ではなく、この点を率直に反省し、正面から考え直してみる必要があると思います。

44犀角独歩:2005/07/20(水) 20:55:19

そう一つ書き落としました。

バラモン教という点です。シャキャムニがなしたことは、仏教という新しい宗教の確立であったのかという問題があります。みかんさんが、ロムされておれれば、たぶん、突っ込んでこられる点です。

シャキャムニ自体、新しい宗教を立てたという自己認識はなかったのではないのかと言われます。階級化旧バラモン教に対して、新バラモン教というか、新しい視点で再興したのではないのか意味です。ちょっと、例としてはうまくなく、誤解を招くかも知れませんが、聖書社会における旧約に対する、新約の位置を果たしたのが、シャキャムニではないのかという意味です。ブッダ、サンサーラ、アートマン、アールハットなど、その他諸々の用語は、仏教独自のものと言うより、当時、インドにおけるバラモン教の用語であったのではないでしょうか。ただ、その中の、自由思想家の一人の成就者を中心とした集団であり、それ以上でも、それ以下でもなかったのが当時の集団の実像ではないのかと思います。

45通りすがり2:2005/07/20(水) 23:34:44
・・・仏説では死後についてはそもそも無記だろ。

46犀角独歩:2005/07/21(木) 00:01:21

その仏説が何であるのか、杳としているという話です。

しかし、ここの掲示板で「だろ」はNGです。言葉遣いには気を付けましょう。

47顕正居士:2005/07/21(木) 16:03:32
マウリヤ朝のアショカ王が崩御した後、国を奪ってシュンガ朝を建てたプシャミトラ王は廃仏を行った。また
近隣諸国から「三悪王」が侵攻し、仏教はおおいに疲弊したと『阿育王経』などにある。その後、クシャン朝の
カニシカ王は仏教を保護し、この時代に大乗仏教が興起した。地図を見るとクシャン朝の領土はマウリヤ朝
の領土よりずっと北西に移動している。歴史上、インドといわれない地域が多い。大乗仏教はこの地域と関係
がある。チャンドラグプタ2世(超日王)のグプタ朝の領土はだいたい北インドである。この時代に六派哲学と
いうインド正統派の教学が成立し、宗教面ではヒンドゥー教(インド教)と呼ばれる。仏教もサンスクリット語で
経論を編纂し、インド正統文化と互換性をたもちながら、一種の対抗文化としての仏教のかたちが定まった。
ヴァルダナ朝のハルシャ王(戒日王)が最後の仏教の保護者として知られる。以後、インドはイスラーム侵攻
の時代に入る。最後のインド大乗仏教の形態は哲学的には瑜伽行中観派であり、宗教的にはタントリズム
(密教)である。13世紀始めにヴィクラマシーラ大寺がムスリムにより破却されたのをインド仏教滅亡とするが、
末期インド大乗仏教はチベットへ亡命した学僧により、かの地へ移植され、以後チベット仏教として発達する。

古代インド歴史地図 http://eurekajwh.hp.infoseek.co.jp/kougi/kougi/ind/ind01.html

インドで仏教が滅亡した理由は不明である。仏教はインド文化の中の異端、少数派である。イスラーム侵攻
が滅亡する契機ではあったろうが、それらがどのような機序ではたらいたのか。最近、新説が発表された。

保坂俊司・『インド仏教はなぜ亡んだか』 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0820.html

仏教はインド文化の中の対抗文化であった。民族の聖典を尊敬せず、ヴァルナ、ジャーティに対して否定的な
見解を有する。大乗仏教は生死観に三世説でなく、二世説の傾向を示し、神観に一神教的の傾向を有する
(西域との関係)。対して末期インド仏教は三世説を堅持し、汎神教的である。したがって浄土門仏教徒は多く
イスラームに改宗し、聖道門密教の学僧はチベットに逃れ、信者はヒンドゥー教(インド教)に同化した、という
考えは説得力がある。インド密教は凶悪な「護法尊」のイメージに溢れている。ヴィクラマシーラ大寺が破却
された理由は、インド文化の中で異端、少数派であるのに、対イスラーム抵抗は先鋭であった、と考えるなら
理解し易い。

48乾闥婆:2005/07/21(木) 16:50:15
私は蓮祖の教学をその時代に限定的に見、考えるという作業は非常に有益なものと考えます。中世日本は現代日本とは別の世界であり、その枠の中で思考するように努めることは、現代社会においての蓮祖の教学を括弧に入れ、直接的な行動原理とはさせない、理知的な態度であると思います。

しかし、私は「現代人が納得できる日蓮教学」とはどういうことなのだろうと考えてしまいます。納得する必要があるのでしょうか。宗教とは納得するものなのでしょうか。

日蓮系宗派に限らず、多くの宗教は現代人に納得できるものなのでしょうか。私にはそのようには思えません。イエスが復活したり、種々の奇蹟を行ったりすることは、納得できません。西方に浄土があるということも納得できません。禅者はいったい何を納得するのでしょうか。私は宗教とは納得するものではないと思います。

科学という観点は宗教から従来のような強い精神的な拘束力を奪った、そういう意味では宗教を死に至らしめた、と思います。それを受けて宗教は従来のままであってはいけないことは自明のことです。しかし、むしろ納得できてしまう宗教などという視点こそ危険なのではないでしょうか。宗教が科学的に現代人の目から見て、つまり誰が見ても納得しうるものとして、ありうる、そのような幻想は抱くべきではないし、宗教とはそのようにはありえないと思います。創価学会も懸命に自分たちの信仰は科学から見ても正しいといいうるのだ、といった主張をしていた時期があると思います。私はいかがわしい、と常々感じていました。なぜ信仰に科学の証明を導入しようとするのか、それらはまったく別物ではないのか、そう感じていました。彼らは逆に科学という言葉を利用して自分たちの正当性を主張しようとしていたのだと思います(もちろん成功するはずもありませんが)。現代人の誰もが納得できる宗教という幻想は結局創価学会のようなあり方を生み出してしまうのではないでしょうか。

現代における宗教とは犀角独歩さんも指摘されているとおり、もはや寓話としてしか生き延びる道はないと思います。>>16 「キリスト者が、世が1週間出来た天地創造やら、土からできたアダム、肋骨からイブが出来たとかという話をかつては絶対の真実としていながら、いまでは寓話として、精神、社会貢献で生き残ってきました。精神・生活規範として、人類に貢献する部分があれば、生き残るでしょう。そのようなものが日蓮にあるかどうかです。」

寓話・物語、として生き延びる宗教は、それを受け入れる人間の中でしか生き残れないのだと思います。キリスト者が受け入れている寓話を私は受け入れませんし、もちろん納得もしません。それはもはや信仰者個々の問題であるのだと思います。「現代人」と括られる不特定多数の人間によって納得されうる宗教などないし、だからこそ、それは個々の人間において極私的に受容される以外ないものなのだと思います。創価学会で問題となるのはその受容形態が組織的であり、その本来あるべき私的な受容としての信仰を否定する側面があるところなのでしょう。

大事なことは各々の宗教はそれぞれひとつの物語に過ぎないと、理解して自身の信仰をはぐくむことではないでしょうか。物語は人間に対して有効か無効か。私はそれを物語であると理解して受け入れるのであれば有効であると考えています。ここで行われているような、蓮祖真蹟遺文のみによった検証は、蓮祖のその時代における姿を捉える上で非常に重要ではありますが、それはある意味で、信仰そのものとは別次元の問題であると思います。危険なことは、ひとつの物語にすぎない教義を唯一絶対の真理として受け入れてしまうこと、現代人の誰にでも納得しうる宗教はありうるという幻想を抱いてしまうこと、なのではないでしょうか。

以上、ここまで読ませていただいて、私の感じているところを長々と述べさせていただきました。失礼いたしました。

49犀角独歩:2005/07/22(金) 06:33:05

顕正居士さんがご紹介くださった麗澤大学(早稲田大学)の保坂俊司師の『インド仏教はなぜ亡んだか』は、わたしはご本人から直接、いただき拝読しましたが、非常に優れた一書であると思います。

その書とは別に勝手な個人的な意見を述べます。仏教集団とは出家、つまり、政経と距離を置くことによって成り立つものですから、社会から距離を置いて成り立つものであり、非武力的であったから、それがいちばんの衰退の原因になったのではないのか、また、イスラムの侵攻は、当初はその信者が貿易をすることで入り込み、併せて教えが伝わり、さらに武力行使で確定的になった。仏教集団の非武装を、わたしは支持しますが、しかし、武力攻撃を受ければ、一溜まりもないのは事実です。法華経のような無抵抗菩薩論理が涅槃経のように武装殺人菩薩によって補強されたが故に中国仏教は生き残り、日本まで到達できたのでしょうか。仏教の第一次分裂では貨幣で供養を受け取れるとした方が発展し、最終的には武力肯定したほうが生き残ったという史実は考えさせられます。少なくとも、法華涅槃仏教とは、そのようなもので、日蓮もまた、その影響下にあるのであって、それを民主、平和の象徴であるといった論調は真跡遺文が語る日蓮とは食い違った虚像であるとわたしには映じます。

実際のところ、近代史を見ても、日輝以降の摂受の日蓮宗より、折伏闘争の創価学会のほうが勢力を拡大したのは、正邪の問題というより、寛容と暴力、どちらに立つほうが優位を考えるうえで一つの視点になるのかも知れません。

乾闥婆さんの、

> 納得する必要があるのでしょうか。宗教とは納得するものなのでしょうか

という、問いは重要ですが、スレッドが立った意図からはやや違っているとわたしは思います。わたしが「納得」というとき、それは、つまり、入信、もしくは帰依を意味すること、また、その場合、入信動機として、納得できる最低限の説得性を有すかどうかという議論でした。また、信者とならない人々にとって、納得がいかないとは、非科学的である、反社会的であるなど、社会の一員としての条件を満たさないことを意味します。一方、乾闥婆さんが仰る納得は、信仰姿勢とは納得するものではない、また、対社会的な意図は考慮に入っていないようにお見受けしました。

わたし個人はシャキャムニの教えを合理的なものとしてとらえています。八正道は、現在でもまったく通用する教えです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93

この観点から見ると四聖諦もまた、同様であると思います。ところがこれを十二因縁からとらえると、途端に怪しくなってきますが、それはいまは置きます。さて、しかし、日蓮となるとどうかというのが、ここでの議論ですね。

50犀角独歩:2005/07/22(金) 06:33:32

―49からつづく―

> 蓮祖真蹟遺文のみによった検証…信仰そのものとは別次元の問題

わたしは、この点はどうも仰る意味がわかりません。真跡遺文から確実に知られるところの日蓮の信仰観はあるし、疑偽書・門派教義を添加したうえでの信仰も当然成り立ちます。これを真跡遺文考証を信仰から分離するのは問題です。ただし、確実な日蓮教義信仰観がある程度、特定できたところで、それが信仰の対象足り得るかどうかは各人の判断に委ねられるからです。それが「納得」ということです。しかし、これは日蓮を採るか捨てるかという択一論ではなく、この部分は採れるが・この部分取れないといった姿勢で受け止めていけるかどうかが重要なのでしょう。納得できるか・どうかでは、納得できる部分もあるが、できない部分もある、「それは、ここと、ここが」という議論の形です。納得するかしないかという択一論ではありません。択一論が危険なのです。

> 危険なことは、ひとつの物語にすぎない教義を唯一絶対の真理として受け入れてしまうこと、現代人の誰にでも納得しうる宗教はありうるという幻想

この文脈は、よくわからないのですが、要は「唯一絶対の真理として受け入れられる」=「現代人誰もが納得しうる宗教がある」というのが幻想だということでしょうか。そうであれば、そんなことは当然でしょうね。しかし、この連文は=でつなげるのでしょうか。あるいは、前文は危険なこと、後文は幻想を意味しているのでしょうか。

たしかに、物語を唯一絶対の真理として受け入れることが危険です。それがしかし、信仰というものでしょう。鰯の頭も信仰の対象となり得ます。やっている本人は納得しているのでしょう。ただし、わたしは納得しません。

後者の、「現代人が誰しもが納得できる信仰があるという幻想」というのは、漠然としています。誰しもとは大多数ということでしょうか。それとも全員がということでしょうか。信仰者からすれば、納得=信仰ですが、一般大衆からすれば、そうではありませんね。社会的親和性があり、また、実害がなければ、受容されることになります。この場合、その内容が理解されていなくても納得されたということでしょう。

納得とは教義に向けられる場合もあるし、その信仰をする個人集団の行動に向けられるときもあります。前者の場合、入り口では科学・学術・倫理道徳と違反しないこと、反社会的でないことが大事な要件となるでしょう。しかし、十分な納得となれば、教義の完全な認知なくしては議論のしようがないことになります。これもまた納得です。前者は社会大衆でも「納得」できますが、後者は信者以外では関係のないことでしょう。

行動面で言えば、非科学的、反社会的であるものは、その内容如何とは関係なく、万人が納得することは有り得ません。しかし、そのような非科学的、反社会的、具体的には違法性を帯びない限り、信教の自由は保障されるわけですから、それを否定する理由はありません。この否定する理由がないことは納得に入りませんか。

わたしが先に挙げた、かつてわたしが超えた15のハードルについていえば、日蓮と、その後の、特に石山教学・本尊・血脈の類はもはや問題外です。もう終わっています。ただ、それとは別に、日蓮に意義を感じる人々が、これから何を為すかという点では、何も終わっていません。寧ろ、いまそのスタートに立っているとわたしは思うのです。

51問答迷人:2005/07/22(金) 10:53:03

乾闥婆さん

>納得する必要があるのでしょうか。宗教とは納得するものなのでしょうか。

僕は、蓮祖曼荼羅の信仰者です。それを止める気はありません。恐らく、生涯、蓮祖曼荼羅の信仰者であり続けるであろうと思います。つまり、蓮祖曼荼羅の信仰者として、この現代日本に生きてゆこうとしています。

その時、蓮祖の遺文に示された教えが、果たして、現代にも全て通用するかと思うとき、例えば、蓮祖の示す仏教テロリズムはやはりそのままでは受け入れることはできません。このギャップは僕に取ってはどうしても折り合いをつけるべきものです。そして、合理的な折り合いのつけ方が定まったとき、一つの納得が生まれるわけです。信仰者に取って、受け入れがたい教義はやはり、そのような形で納得・受容されるべきものであると思います。

なお、仏教テロリズムの教えについては、僕としては、現在のところ、どう折り合いを付けるか結論は出ていません。

52顕正居士:2005/07/22(金) 15:23:38
>>48 乾闥婆さん。

さまざまな宗教宗派はそれぞれの時代と社会の学問、道徳が要求する基準を満たし、納得できるから信仰
されたのではないでしょうか?基準を満たさない場合には邪教邪宗として取り締まられた。今日、「破壊的
カルト」というのと同じです。犀角独歩さんがおっしゃるように、基準の一つは時代の学問に合致することです。
わが国では室町時代までは仏学が最高の学問であった。だから宗派の信仰はまず仏学に合致しなければ
ならない。次に社会生活の基準である儒学、神道の規範に反してはいけない。日蓮の遺文は檀越に宛てた
比較的短いものであってさえ、自らの信仰を積極的に説くというより、これらの学問と規範に合致するのだと
いつも論証しようとしています。
中国の仏教は宋の時代にはほぼ完成し、以後、大きな発達はありません。したがってわが国でも江戸時代
に入ると、仏学は訓詁の学が中心となった。先端の学問は儒学、蘭学に交替し、やがて国学も興ります。
ついに幕末明治には仏教は蒙昧な迷信であり、国力を弱める邪教であると批判されます。理由は一つは
自然科学に反する。室町時代に世界が球体であるとする天文学も、世界地図も伝来しています。しかし仏家
は頑なに須弥山説を説き続けた。明治に真宗の僧で佐田介石という方が視実等象儀という機械を作って
須弥山説をなおも普及しようとした。依頼を受けて機械を作ったのは東芝の創業者である田中久重翁です。
「理性の衰弱」 http://www.kibicity.ne.jp/~j-kida/image/2004/092501/
理由のもう一つは文献学に反する。すでに18世紀に富永仲基が仏典成立史をあらかた解明しましたが、
仏家は釈尊金口を唱えるばかりであった。平田篤胤は仏学の2大欠陥を大いに嘲笑した。明治廃仏に至り、
ついに仏家も寝言を云ってはおられなくなった。東本願寺は執持刀杖の仏説に依り僧兵訓練を復活した。
当時、南条文雄は東本願寺僧兵であった。彼が欧州へ留学し、現代仏教学の建設者の一人として知られる
ことになったのは、石川舜台という傑僧が権力闘争に勝利して宗務行政を掌握したからであります。

さて乾闥婆さんがおっしゃるように宗教宗派の信仰とは神話すなわち物語に基づくという方面があります。
フィクションだから、幾らでもことなる物語が成り立つのであり、それらは事実や史実ではないが信者(ファン)
にはなんらかの「真実」を感銘する。事実と真実との混同がたしかに西欧のキリスト教や日本の仏教の歴史
に見られます。それはおそらく、西欧のカトリック教会、日本の比叡山延暦寺がその宗教の中に凡ゆる学問、
芸術を包含し、不可分に融合していたために、異端を武力で征伐するということを行った。異端の方では
やはり武力でもって正統教会と闘った。そういう事情があるとおもいます。この考えから見ると、日蓮の活動
は「反−宗教改革」であって、イエズス会の創設者、イグナチウス・ロヨラに比較するのが適切です。「真実」
だから構わないということは云えません。アル・カイーダの「真実」は折伏(武力討伐)されなくてはなりません。
日蓮の思想を構成する要素の大部分は、今日では棄てられねばなりません。彼の思想中で、とるべき事柄
は、現代文明に反逆する宗教宗派は言論と武力で退治すべきという一事のみだと、わたしは考えています。
日蓮の誤謬を「真実」どころか「事実・史実」などと迷信する教徒は、当然、最初に折伏されねばなりません。

54乾闥婆:2005/07/23(土) 00:41:43
今仕事から戻り、皆様からのレスを読ませていただいたところです。

また明日も仕事で早いので後日必ずレスをいたします。
皆様のそれぞれの角度からのご意見、興味深く拝見させていただきました。
レスをいただきありがたく思っております。

57犀角独歩:2005/07/23(土) 08:57:30

いちおう、確認ですが、わたしの個人的な自覚としては、いまでも富士門流人ではあると思っています。ただし、信徒ではないということです。このようなスタンスは、その僧俗ともに認めないでしょうが、このような自由なスタンスが認められるようになることも、わたしの目標の一つです。

たぶん、数10年、あるいは100年以上経った頃、わたしのこのスタンスのほうが、信徒方より多数を占めるようになると考えています。いわば、その先駆けの位置にわたしはいる自覚です。

62犀角独歩:2005/07/23(土) 18:10:52

事実を語ることに感情的になって、異論を排除することでしか、保身を考えることの出来ない愚論は捨て置くことにします。まさに「理性の衰弱」した保身は、何等問題の解決になりません。

さて、顕正居士さん

明晰な分析、ことに「真実」「事実」「史実」を明確に使い分かれての敬服します。また、ご呈示の点、大いに参考になりました。有り難うございました。

以下、当スレッドのテーマから離れます。我々が直面している問題は、ここ10年は破壊的カルト・マインドコントロールという心理操作に係る問題でした。わたしもこの問題に積極的に取り組んできた一人ですが、これが個人レベルの解決であるとき、まだ、その処方箋はありました。しかし、社会心理学のテーマである破壊的カルト・マインド・コントロールは、人を操作し、自分たちと異質のものに憎悪と排除、さらに言論を含む暴力を肯定する論理となるとき、社会問題になります。それが武力肯定となるとき、テロリズムとなっていきます。かつては宣戦布告という、それでも、一定のルールに基づいて開戦され、勝敗を喫して終了するというものでした。しかし、現在は、テロリズムというまったく違う様相を為すに至りました。そして、このテロリズムは一神教を信仰する人々によって行使され、現段階でその終息を見る可能性は極めて低い状況にあります。この時点で、顕正居士さんが「武力討伐」をここに明確に記された決断に、正直、驚きを感じました。わたしはこの点は、現段階では答えを保留しているからです。

我が知人・沙門行明師は、「宗教者には宗教者しかできないやり方がある」、そう言い残して、海外行脚へ旅立っていきました。いまは、その詳細をここに記すことはいたしませんが、わたしはこのカードを最後まで捨て去るわけにはいかないと考えております。

> 現代文明に反逆する宗教宗派は言論と武力で退治

ここで仰るところは、国民は認められた言論の自由に基づきこれを退治し、国家統治側が、時には警察権にはじまる武力行使をもって断固、退治するということを仰っているのだと拝察いたします。実際のところ、東京都壊滅を企んだオウム真理教のサリン散布は、当初、飛行機を使う空中散布も目論んでいたと言われます。また、水源、原発を標的とするようなテロを言論で封じ込めることは出来ません。しかし、それらを国民一人ひとりが武器を手にとって、その暴信徒を退治することは法律的に認められていません。

過去10年、一定の成果を収めたカルト問題への関わりは、世界レベルに拡げて考えることを余儀なくされる段階に入っています。テロの脅威に曝される現在、この点は看過できません。しかし、その前に、日蓮を21世紀に生き残させる方途を具体的に考えておきたいと思います。もちろん、それは新興宗教を作る云々などという大きく的を外した見立てとは全く異なるものであることは賢明なロムの皆さんは理解下さっていることでしょう。

63犀角独歩:2005/07/23(土) 18:11:29

―63らつづく―

さて、スレッドのテーマに戻ります。

>

> 日蓮の誤謬

門下は明らかとなった日蓮の誤謬を正確に掌握し、今後をどうするのかを真剣に考える時期に入りました。また、実際のところ、この大部は既に答えは出ています。あとは、事実を受け容れられるか、受け容れて、どうするのかという課題が残るばかりです。

テロリズムというテーマからすれば、日蓮門下のコップのなかの嵐など、既に終焉した過去の遺物ということは簡単です。しかし、ここにはわずかながら、数百万レベルの信者が喜怒哀楽を示しています。この閉鎖社会で、たとえば、昨晩からの論調のように、富士門流信仰という何か固定したものがある幻想したうえで、それにしがみつき、その幻影を脅かすものは排除することで安定を図ろうとする愚かな感情論が未だにあることは実に嘆かわしいことです。

日蓮門下が現代文明下、ここ100年で闡明になり崩壊した仏教神話、コップのなかで言えば、日蓮神話から脱却し、‘次を’考え、その答えを示し、「納得」が得られないとき、この信念体系は死滅するという事態にいま追い込まれている現実が見えないのでしょう。このような、感情論はここでは捨て置くことにします。

わたし自身、半世紀に日蓮を敬愛してきた一人として、日蓮を21世紀に残したいというささやかな願望があります。しかし、このままでは陣内さんが15に記されたとおり、今後の行く末は、富士門流に限らず、日蓮門下全般、もはや「絶望」的です。

このために、まず、わたしは日蓮の実像を正確に掌握すること、次にそのなかから、今後も人々を納得するに足りる要素を抽出し、それを言語化する作業が必要であると痛切してきました。

その課程で、神話と過去の亡霊にしがみつく、迷信は退治することは必須条項でした。この点はしかし、当掲示板でも一定の成果を収めることが出来たと思っております。

しかし、肝心の21世紀に耐える「日蓮」教説の抽出は、先の退治以上に困難な作業であると実感しています。
顕正居士さんは、この点に就き、どのような報とがあるとお考えになりますか。ご賢察を拝聴できれば、有り難く存じます。

64犀角独歩:2005/07/23(土) 18:18:52

【62の訂正】

誤)…使い分かれての敬服します
正)…使い分けてのご賢察、敬服します。

【63の訂正】

誤)どのような報とがある
正)どのような方途がある

68パンナコッタ:2005/07/23(土) 20:53:50
宗旨・宗派にこだわりすぎると、本来在るべき物を見失い、意味が逆転した物を肯定したりと悪癖が無視
できませんね。更に悪感情で意見の違う人を侮蔑的に見下し、嫌がらせを平気でやったりする行為は自分の
教団にとって正義と思えるかもしれませんが、全くの独り善がりで一般社会には絶対受け入れられる物ではなく
結局は日蓮大聖人の顔に泥を塗っている行為なのだと、自覚し反省してほしいですね。
(もっとも自覚があればやるわけないですし、助長しているのであれば社会悪です)
現代人が本当に納得し、未来に伝えていける日蓮の教えとは宗教教団の形式では、最早無理なのではないかと
思います。

しかしながら、一般の民衆・大衆はそのような事にはむしろ無頓着で結局、おすがりの対象がほしい人、
苦しいときの神頼みの対象になる物がほしい人がほとんでしょう。(日本人の典型例でしょう)
また教団に所属すれば、教団活動を生き甲斐と感じている人、絶対のモノに洗脳されたい人、 などにとっては
救いのオアシスなのかもしれません。しかし、国民全員がそのようであるわけではない為に、布教活動において
一般社会との軋轢を生む要因となりトラブルが発生する。 これは本末転倒、無駄・無意味な気がしてなりません。

各教団の姿勢が大きく変わる事はないと思います(獲得信者の減を嫌うと思うため)。教団の硬直した箱庭的思考の
限界なのでしょう。 ならばそうした古い殻を破り個人で横のつながりを保った信仰のスタイルが伸びて行く事は、
必然の流れになるのではないでしょうか。

72乾闥婆:2005/07/23(土) 23:46:18
>>49
犀角独歩さん。

>わたしが「納得」というとき、それは、つまり、入信、もしくは帰依を意味すること、また、その場合、入信動機として、納得できる最低限の説得性を有すかどうかという議論でした。また、信者とならない人々にとって、納得がいかないとは、非科学的である、反社会的であるなど、社会の一員としての条件を満たさないことを意味します。

信者となる人の「納得」と信者とならない人の「納得」は違う、ということでしょうか。信者とならない人の納得は分かります。「非科学的である、反社会的であるなど、社会の一員としての条件を満たさない」宗教には「納得」しない、つまり逆を解せば科学的であり、社会的親和性に富む宗教であれば信者とならない人でも一定の理解を示せるというレベルでの「納得」はあるのでしょう。しかし「科学的であり、社会的親和性に富む宗教」とはどのような宗教でしょうか。たとえばキリスト教の教義と科学的であることとはどのように折り合いがつくのでしょうか。また宗教というものが、社会的であることから阻害された人々にとって魅力あるものと映るのは、そのような社会的疎外者を受け入れる要素がそもそも宗教にあるからなのではないでしょうか。それが先鋭化するときに非常に危険な信仰集団が成立するだけのことであり、宗教とは元来そのような危険な要素を常に孕む存在なのではないでしょうか。信者となる人の「納得」となるとさらによく分かりません。帰依に至る「納得できる最低限の説得性」とはどのようなものなのでしょうか。科学的であり、社会的親和性に富むことは、消極的な「納得」の条件とはなるのでしょうが、帰依に至る人間はそのような条件だけで、ある特定の宗教を選んだりはしないと思うのです。そのような条件を飛び越えたところで帰依するのでなければ、数ある宗教の中で、なぜその宗教を自身の信仰として選んだのか、よく分からなくなってしまいます。条件が揃ったから信仰する、揃った条件に「納得」がいったから信仰する、そんなことではないと思うのです。同じ条件が揃った異なる宗教が目の前にあったとして、どちらをその人間は選ぶのでしょうか。それゆえに、私は、信仰を選ぶものは「納得」などして選んでいるのではないのではないかといったのです。

>一方、乾闥婆さんが仰る納得は、信仰姿勢とは納得するものではない、また、対社会的な意図は考慮に入っていないようにお見受けしました。

対社会的な意図は信者とならない人たちがその宗教を社会の枠組みの中で受け入れることができるのかどうか、といった局面において考慮されるべきだと考えています。それは、信者が信仰する意識内においては、究極的には排除されると考えています。「現代人が納得できる日蓮教学」といった表題は、二つの側面があるのでしょう。信者ではない現代人が受容できる「日蓮教学」。もうひとつは現代人であるところの私たちが信者として信仰しうる「日蓮教学」。その二つの側面は表裏一体にせめぎあうのだと思いました。

73乾闥婆:2005/07/23(土) 23:46:53
>>50

>真跡遺文から確実に知られるところの日蓮の信仰観はあるし、疑偽書・門派教義を添加したうえでの信仰も当然成り立ちます。

少し言葉が足りませんでした。現在の、たとえば曼荼羅本尊の信仰などは、真蹟遺文を突き詰めて解体しえたとしても、信仰として残る、といったことを言いたかったのです。私は正直に言って、曼荼羅へ向かっての唱題を、どのように真蹟遺文に限定することにによってその本尊としての根拠を奪われたとしても、「信仰として」捨てないと思います。疑偽書といわれようとも、「諸法実相抄」などを、おそらく愛することでしょう。私にとって、それはそれ、これはこれ、なのです。なぜならば信仰とは納得する条件が揃うからするものではないからです。蓮祖をその時代に限定し、その真蹟遺文に限定し、その事実に迫ることは、非常に重要ですが、結局蓮祖は受容され変容され現在に至る信仰としてあるのです。事実による変容された姿への異議申し立ては、前にも書きましたとおり、現代社会における蓮祖の教学を括弧に入れ、直接的な行動原理とはさせない、重要な役割を果たします。それは蓮祖の教義は対社会的な強制力をもはや持たない、といった前提を私たちに与えてくれます。しかし一個人の信仰に対しては、また逆にそのような蓮祖の事実は強制力を持たないと考えるのです。それは信仰が基本的には非社会的な部分にかかわる営みだからだと考えます。蓮祖の対社会的な積極姿勢は、もはや現代社会においての説得力に関して言えば絶望的です。そしてそれでいいのだと思います。蓮祖の言動やその受容・変容をすべて括弧に入れて、物語として、信仰者の意識の中で、蓮祖は生き延びるのだと思います。

>納得するかしないかという択一論ではありません。択一論が危険なのです。

そうですね。信仰とは「納得するかしないかという」ことではないと私も思います。択一ではなく、それ以外なくなる、といった方がいいのかもしれません。ちょっと犀角独歩さんの論旨とずれてしまいますが、物語として受容することを信仰の生き残る道と考えている私は、そもそも択一する意味がないのでしょう。物語を物語と知って読む者は、この物語以外はすべてダメ、という言い方を普通はしません。しかしひとつの物語を読んでいる人間は、基本的にその物語の世界にいます。

>要は「唯一絶対の真理として受け入れられる」=「現代人誰もが納得しうる宗教がある」というのが幻想だということでしょうか。そうであれば、そんなことは当然でしょうね。しかし、この連文は=でつなげるのでしょうか。あるいは、前文は危険なこと、後文は幻想を意味しているのでしょうか。

そういう文章ではなくて「ひとつの物語にすぎない教義を唯一絶対の真理として受け入れてしまうこと」とは私の目に映る創価学会のようなあり方を指し、「現代人の誰にでも納得しうる宗教はありうるという幻想を抱いてしまうこと」とは、このスレッドから感じた私の印象を指します。ゆえにこの連文はイコールではありません。しかし結果として同じ陥穽にはまるのではないか、といったことを示唆したものではあります。もちろん信者ではない現代人でも受容しうる「日蓮教学」を視野に入れているこのスレッドに対しての、私の勘違いではありました。申し訳ありませんでした。

>日蓮と、その後の、特に石山教学・本尊・血脈の類はもはや問題外です。もう終わっています。ただ、それとは別に、日蓮に意義を感じる人々が、これから何を為すかという点では、何も終わっていません。寧ろ、いまそのスタートに立っているとわたしは思うのです。

同意いたします。私の読み続けてきた物語も、本門戒壇大御本尊であるとか、血脈であるとか、そういった部分は、すっかり廃れきっております。もう少し枠の広い蓮祖という物語を読んでいるのでしょう。その一環としてこの掲示板はあり、常々読ませていただいております。この掲示板のおかげで、私の読む蓮祖の物語の枠は大きな広がりを見せております。事実、という魅力あるテーマのもとに。

74乾闥婆:2005/07/23(土) 23:47:25
>>51
問答名人さん。

>僕は、蓮祖曼荼羅の信仰者です。それを止める気はありません。

私もおそらくそのようにしてあり続けるのだろうと思います。

>蓮祖の示す仏教テロリズムはやはりそのままでは受け入れることはできません。このギャップは僕に取ってはどうしても折り合いをつけるべきものです。そして、合理的な折り合いのつけ方が定まったとき、一つの納得が生まれるわけです。信仰者に取って、受け入れがたい教義はやはり、そのような形で納得・受容されるべきものであると思います。

折伏に関して、私は現代社会においてはその用を成さないことを、蓮祖自身が規定されていると考えています。現代社会はどう見ても、「邪智謗法」の者が多い国ではありません。蓮祖における「邪智謗法」とは法華誹謗であるのでしょうが、いまは法華経の名すら知らない人が充満している国ではないでしょうか。「無智悪人」が充満している国であると思います。仏教テロリズムの不要な時代であることを蓮祖自身の規定により、私は「納得」し受け入れています。

75乾闥婆:2005/07/23(土) 23:48:04
>>52
顕正居士さん。

>さまざまな宗教宗派はそれぞれの時代と社会の学問、道徳が要求する基準を満たし、納得できるから信仰されたのではないでしょうか?基準を満たさない場合には邪教邪宗として取り締まられた。今日、「破壊的カルト」というのと同じです。犀角独歩さんがおっしゃるように、基準の一つは時代の学問に合致することです。

蓮祖はいわば、取り締まられた側の人間であると思います。つまり当時の鎌倉幕府から「納得」されなかったのではないでしょうか。しかし蓮祖を出発点とする幾多の信仰集団は生き延び続け、現代に至るのだと思います。それは「納得」した人々もいた、ということなのかもしれません。それはしかし「それぞれの時代と社会の学問、道徳が要求する基準を満たし」たからであるというよりも、信仰として、それを切実に受容せずにいられない人たちがいたからなのではないでしょうか。その切実さに、私は「それぞれの時代と社会の学問、道徳が要求する基準を満たし」たから「納得」できたといった、説明に収まりきれないものを感じます。時の権力に「納得」されえなくても求めた、信仰とはそのようなエネルギーを指すのではないでしょうか。

自然科学と、文献学によって、蓮祖の信仰は社会的強制力を持ちうる宗教から、物語としての宗教へと移行せざるを得なくなったと思います。しかし多くの宗教も似たような立場に立たされているのではないかと考えます。そしてそれでいいのだと考えます。

>それらは事実や史実ではないが信者(ファン)にはなんらかの「真実」を感銘する。事実と真実との混同がたしかに西欧のキリスト教や日本の仏教の歴史に見られます。

大いに同意いたします。事実と真実の混同こそ、現代社会へ移行する過程で、分離されなければならない点です。

>日蓮の活動は「反−宗教改革」であって、イエズス会の創設者、イグナチウス・ロヨラに比較するのが適切です。

そうですね。保守反動としての蓮祖を仏教史の中で見出すことは重要だと思います。

>「真実」だから構わないということは云えません。アル・カイーダの「真実」は折伏(武力討伐)されなくてはなりません。日蓮の思想を構成する要素の大部分は、今日では棄てられねばなりません。彼の思想中で、とるべき事柄は、現代文明に反逆する宗教宗派は言論と武力で退治すべきという一事のみだと、わたしは考えています。日蓮の誤謬を「真実」どころか「事実・史実」などと迷信する教徒は、当然、最初に折伏されねばなりません。

少々驚きましたが、「日蓮の誤謬を「真実」どころか「事実・史実」などと迷信する」ことはやめるべきですし、真実は個人の感動であっても社会的強制力を持つものではないことは、大いに自覚しなければならないことだと考えます。そのような思い違いに対しては強制力を持った対処が必要なのかもしれません。

76通りすがり2:2005/07/24(日) 00:30:25
今日、折伏すべきなのは、テロリズムでもなければ、古めかしい宗教でもなく、
物質主義的なものの考え方や享楽主義だろう。

77犀角独歩:2005/07/24(日) 09:21:08

72 乾闥婆さん

レス、有り難うございます。
拝読して思ったのですが、乾闥婆さんは、スレのテーマを読み違えていませんか。
現代人が納得できる日蓮教学ということを、わたしは、日蓮を21世紀に残すために考えてみようと思って、このスレッドに望んでいます。そのために一般的な見地から見える日蓮、その一般の人々が納得するものは何かを抽出する作業をしようとしているわけです。批判として読んでいただきたくないのですが、乾闥婆さんのご投稿を読んだ一般の人は、言葉は悪いかも知れませんが、多分に「言い訳臭い」と感じるのではないでしょうか。
このスレ・テーマは自己信仰への弁明を目的とするより、何によって人は日蓮を受容するのかという模索です。その意味で、乾闥婆さんは、何か勘違いなさっているようにお見受けします。

斯くいうわたしは、生まれながらの「日蓮正宗」信徒「創価学会」員でした。両親は熱烈な活動家でした。家族の一員であること、親孝行であること、良い子であること、それらの価値観を満たす条件で、最優先事項は「正しい」信徒会員であることでした。そこには一切の選択肢は存在せずに育ちました。ご指摘を受けるまでもなく、納得して信仰などしてきませんでした。しかし、ここに出口があることを知りました。

'95年の地下鉄サリン事件を機に、わたしは自己信仰の点検に入りました。平行して、ここ10年来、社会活動として、所謂、カルト集団と信者、また、その被害者と向かい合ってきました。そのなかで同じようにカルト問題を考える多くの人々との出会いがありました。精神科医、弁護士、博士、臨床心理士から、牧師、神父、各派僧侶…、その数は200名近くになります。また、カルト入会活動する子・配偶者を持つ家族の悲痛な叫びを多く聞くことにもなりました。

この人たちとので出会いと会話を通じて、自分が信仰してきたものは、日本の一般社会、ましてや全世界的宗教問題では、まったく通用しないことを痛切に思い知らされました。
ロムの多くの方々、特に的外れな無責任な書き込みを吐き捨てる人々は誤解しているようですが、わたしは日蓮を、いまでも敬愛しています。故に何とか、この日蓮を、未来に継承したい。そのような思いがあります。そのために一般人の視点を借りて、では、納得できる日蓮の要素とは何かを考えてみようというのがテーマです。

> 「科学的であり、社会的親和性に富む宗教」とはどのような宗教でしょうか

この問いはそもそも、わたしの記述を取り違えています。科学的な宗教などあるはずはありません、その成立が科学以前の訳ですから。そうではなく、非科学的な宗教は説得性を有さないというのみです。これは=科学的な宗教という意味ではありません。

しかし、「社会的親和性に富む宗教」の例など、いくらでもあります。文明、文化全般、政治・経済、諸学問に至るまで、宗教の延長から発展したものはいくらでもあります。その具体的な事例が思いつきませんか。

78犀角独歩:2005/07/24(日) 09:22:13

―76からつづく―

> キリスト教の教義と科学的であることとはどのように折り合いがつくのでしょうか。

この問いは先に答えた点で無意味となりましたので、繰り返しません。

> 社会的…阻害された人々…魅力…受け入れる要素がそもそも宗教にある

これは社会的疎外者の定義が曖昧すぎます。
社会的疎外者のなかには、社会的弱者が含まれるでしょう。このような人々が、社会的恩恵を被ることなく、むしろ、宗教によって助けられてきた点を、どうして、わたしが否定する理由があるでしょうか。このような要素は、人をして宗教を納得させる要素となり得たのは歴史的な事実です。天地創造を言いながら、キリスト者が社会一般でボランティアその他貢献するのは、その例でしょう。しかし、一般の人は、その教義のなかから、神話的な要素を除外視し、「博愛」の精神と実践を評価しているのに過ぎません。その部分が人々を納得させるのでしょう。わたしが「納得」の要素として考える一つです。わたしの恩人である浅見定雄師がご自身ハーバードで学んだ神学者でありながら、「何を信じているのかを問題にするのではなく、何をしているのかを問題にする」という優れた視点でカルト門田を解決してこられたのも、この視点でした。この何をしているのかが、公共に寄与すれば社会的親和性をもち、反面、反社会的であれば、カルトと断罪されるでしょう。「納得」を考える重要な一面です。

> 非常に危険な信仰集団が成立するだけ

「だけ」?、ですか。
社会的阻害を受ける人々の中には反社会性を有する人々という一面もあるでしょう。カルト・リーダーを、心理、もしくは精神分析し、その異常性を分析するデータがあります。また、近年では人格障害という側面からのこれら人々の真相を究明することも行われてきました。宗教が、この異常者の満足の道具となり、また、同じように社会不満を暴力行使も辞さず、社会改革幻想に、実際に犯罪を犯す例はあります。日本で言えば、オウム真理教です。ここで紡がれる「物語」はしかし、個人の信仰という枠を超え、仮想現実という妄想から現実社会の被害を及ぼします。

「物語」は、そのような側面も有していることは看過してはならないとわたしは思います。このような信者の仮想現実埋没、幻想物語は、選民思想を生み、ファンダメンタリズムを生み、歪んだ自画像は信仰者以外の侮蔑と差別を容易に惹起します。このような物語と幻想に警戒をするのは寧ろ当然のことでしょう。

> 宗教とは元来そのような危険な要素を常に孕む存在

そのようなことは十二分に理解しています。そのような危険な要素は、しかし、社会的被害を起こすという実害に対する、被害者の痛みがまるで考慮されていません。そのような宗教は駆除されなければならないでしょう。危険を行使する宗教は、もはや、宗教ではなく、社会的に見れば、単なる犯罪集団であるからです。宗教と名を置けば何をやってもよいという屁理屈は通りません。

> 帰依に至る「納得できる最低限の説得性」とはどのようなもの

反対にお聞きしますが、乾闥婆さんは、鰯の頭を仏壇に飾って拝みますか。
夜、口笛を吹くと蛇が出ると信じますか。ミミズに小便をかけると局部が腫れ上がると信じていますか。もし、信じていれば、話になりませんが、もし、信じないとすれば、何故でしょうか。わたしがいう最低限の説得性とはそのような意味です。

> 数ある宗教の中で、なぜその宗教を自身の信仰として選んだ

わたしは、この記述は、虚偽であると思いますよ。
日本だけでも数万もあるという宗教、世界的に見れば、その数は数十万、数百万、いやもっと多いかも知れません。実に狭い選択肢のなかから、たまたま、知り得た宗教に意義を感じたというのが現実ではないでしょうか。

79犀角独歩:2005/07/24(日) 09:24:38

(一つ前77からつづくのまちがいです)―78からつづく―

> 条件が揃ったから信仰する、揃った条件に「納得」がいったから信仰する

そのようにお考えですか。たとえば、日蓮の信仰姿勢というのは、まさにこのような納得ずくめで確立されたものであると、わたしには映じます。下克上がなぜ起きたか、何故、同士討ちが起きるのか、他国から攻められるのか、不幸が起きるのか、それらを解決する条件とは何か、釈尊の極説は法華経である、末法には、南無妙法蓮華經である…。日蓮は、鎌倉当時に考えられる最高水準の「学問」をもって自身納得していった様が、真跡遺文から、ありありと読み取れると、わたしは思います。

> …信者ではない現代人が受容できる「日蓮教学」…現代人である…信者として信仰しうる「日蓮教学」。その二つの側面は表裏一体にせめぎあう

「せめぎあう」ですか。それは不条理、納得できないことを、それでも信じたいという心があるからでしょうね。そこを過ぎると、せめぎあいは消えていきます。

> …私にとって、それはそれ、これはこれ、なのです

個人的には勝手です。まさに鰯の頭も信心で論じあったテーマです。
そのような信仰は、信教の自由によって保障されています。
ただし、それが不変な真理だ、それを信じない者は地獄に堕ちる、誹謗正法だ、極悪、堕獄だどうのと他者攻撃、差別、言論を含む暴力の道具となるとき、社会鑑識に晒され、反社会的であれば、排除されることになるでしょう。また、自分一人で納得するだけであれば独り善がりです。

> なぜならば信仰とは納得する条件が揃うからするものではない

これは、乾闥婆さんの信仰観でしょう。個人的にはどのように、考えようと上述したとおり、自由です。しかし、日蓮は鎌倉時代の学問宗教の最高水準で自身納得がいく条件が揃ったからこそ信仰をしたと思いますし、わたしは現代の水準で納得がいけば、あるいは信仰というカードをもう一度手に取るかも知れません。

> 物語として、信仰者の意識の中で、蓮祖は生き延びる

このような一面もあります。しかし、それだけではない、その点を模索したいというのが「納得」というテーマです。

> 択一ではなく、それ以外なくなる

このような姿勢は、ご本人、気を悪くされるかも知れませんが、まるで、親鸞の言う信仰観に酷似していますね。

わたしが「択一ではない」と言った意味とまるで違います。
善いところは採り、悪いところは捨てるという意味合いで記しました。つまり、一つのものを白黒どちらかでレッテルを貼らないという意味も含みます。一つのものを多面的に観察する見識眼を養うということです。一人の宗祖、一仏、一経、相対的に取捨すれば最高のものが残るというのは幻想に過ぎないでしょう。

> 物語として受容することを信仰の生き残る道…物語を読んでいる人間

これは換言すれば、仮想現実の住人、夢の住人、妄想の住人となるという意味になりませんか。自分が納得できるベッドを用意して、現実を放り出して、夢を見ることが宗教ですか。日蓮の考えからもかけ離れているように見えますが。

> 掲示板…私の読む蓮祖の物語の枠は大きな広がり…事実、という魅力あるテーマ

このようなお考え、ロムいただくことは有り難いことであると思います。

乾闥婆さん、漫荼羅信仰を卒業して、さらに見る日蓮漫荼羅は、信仰で見る日蓮漫荼羅より遙かに規模が大きいことに、いま、わたし自身、驚いています。漫荼羅唱題・日蓮を‘出口’にすると、世界は広漠と広がっており、その広野は実に絶景です。いつしか、この光景をご覧になってください。

80犀角独歩[TRACKBACK]:2005/07/25(月) 15:33:06

レスが停まったようです。とても不思議なんですが、先にわたしが挙げた15の関門は、既に周知の事実であって、更に足せば、仏滅年代は500年の時間差があり、鎌倉時代はまだ像法であった。また三時(正・像・末)を説く大集経も後世の創作であり、釈尊とは何ら関係なし。これらのことを納得ずくで、信仰をし続けるのは、まあ、信じていたときからの継続といえばそれまでですが、しかし、この関門を知ったうえで、どうやって、布教をしようというのか、とても疑問です。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/r1705

どんな方法をもって、皆さんは布教しているのでしょうか?
それより、何より、自分自身を納得させているのでしょうか?

特に糾弾しようなどという意図はありません。参考に、どなたか、お聞かせいただけませんか。

81乾闥婆:2005/07/25(月) 16:01:34
>>77
犀角独歩さん。

>このスレ・テーマは自己信仰への弁明を目的とするより、何によって人は日蓮を受容するのかという模索です。その意味で、乾闥婆さんは、何か勘違いなさっているようにお見受けします。

そうですね。勘違いであったと思います。ただ私は自分の信仰の自己弁護をするつもりは毛頭なく、私自身の信仰観を通して、一般論として信仰の成り立ちはこのスレッドで語られるものとは違うものではないかという疑問を、書き込ませていただいたのでした。しかし信仰者による納得という視点に限定されずに、広く社会に受容される「日蓮教学」を模索する当スレッドの趣旨を読み違えていることは前回のレスにおいても理解を示し、申し訳なく思っていることも述べさせていただきました。改めてここでお詫び申し上げます。

>この問いはそもそも、わたしの記述を取り違えています。科学的な宗教などあるはずはありません、その成立が科学以前の訳ですから。そうではなく、非科学的な宗教は説得性を有さないというのみです。これは=科学的な宗教という意味ではありません。

そのように私も思います。つまり宗教は科学的に納得されるものではないということになるのでしょう。

>しかし、「社会的親和性に富む宗教」の例など、いくらでもあります。文明、文化全般、政治・経済、諸学問に至るまで、宗教の延長から発展したものはいくらでもあります。その具体的な事例が思いつきませんか。

確かにそのとおりです。申し訳ありません。非科学的・反社会的といったワンセットでの使用を犀角独歩さんがなされていたので、そのような並列的な扱いに沿った受け答えの表現となってしまいました。本来この二つは分けて検討しなければならないのではないでしょう。非科学的であっても社会的親和性に富む宗教はありうる、といいますか、科学的宗教はありえないのであれば、問題はもはや対社会という視点に立ってその宗教はどうなのか、といった部分に収斂するのでしょう。

82乾闥婆:2005/07/25(月) 16:02:09
>>78

>しかし、一般の人は、その教義のなかから、神話的な要素を除外視し、「博愛」の精神と実践を評価しているのに過ぎません。その部分が人々を納得させるのでしょう。わたしが「納得」の要素として考える一つです。

このような視点は非常によく腑に落ちます。信仰外部の人間に「納得」される部分とはまさに、そのような要素を置いてないでしょう。

>わたしの恩人である浅見定雄師がご自身ハーバードで学んだ神学者でありながら、「何を信じているのかを問題にするのではなく、何をしているのかを問題にする」という優れた視点でカルト門田を解決してこられたのも、この視点でした。

そのように、信じている対象から分離した地点でカルト問題を考えておられる浅見氏の言葉は至言であると思います。浅見氏の本は旧約聖書に関するものを随分前に一冊読んだことがありますが、その後ホームページ上で、創価学会のカルトとしての側面を指摘した文章を読み、目の開かれる思いをしたことがあります。

>ここで紡がれる「物語」はしかし、個人の信仰という枠を超え、仮想現実という妄想から現実社会の被害を及ぼします。

そうですね。オウム事件は非常に強い驚きでありました。なぜこのような稚拙な物語に人々は回収されてしまうのであろう。当時文学を志していた私にとって、その無力を思い知らされる事件でもありました。物語を物語として認識する理性を、人は持ち得ないのでしょうか。そのような理性こそ、宗教が個人の受容にとどまり、社会的被害へ至ることを抑制する視点であると思っているのですが。

>危険を行使する宗教は、もはや、宗教ではなく、社会的に見れば、単なる犯罪集団であるからです。宗教と名を置けば何をやってもよいという屁理屈は通りません。

これは宗教という名称の範疇をどのように見るのか、ということになるのだと思いますが、私は危険を行使する宗教も宗教だと考えています。もちろん宗教という名のもとに何をやってもいいということではありません。不法行為は取り締まられ裁かれなければなりません。当然です。しかしそれらをなしたのは宗教であり、宗教とはそういった行為へと拡散する危険性を抱えている存在であるというのが、私の宗教観です。オウムもちろん宗教です。宗教集団にして犯罪集団だった、ということだと考えています。

>反対にお聞きしますが、乾闥婆さんは、鰯の頭を仏壇に飾って拝みますか。
夜、口笛を吹くと蛇が出ると信じますか。ミミズに小便をかけると局部が腫れ上がると信じていますか。もし、信じていれば、話になりませんが、もし、信じないとすれば、何故でしょうか。わたしがいう最低限の説得性とはそのような意味です。

なんとなく分かったような気がしますが…。私が曼荼羅へ向かうことの説得性は、法華経の霊山会の再現とそこへの参加、という点にあります。これは私にとって、この信仰形態の説得性を有しています。鰯では霊山会がイメージできません。そういったレベルでの説得性ということでよいのでしょうか。確かに説得性のない状況設定の物語では読者は「納得」しません。

>わたしは、この記述は、虚偽であると思いますよ。

たしかに「数ある宗教の中で、なぜその宗教を自身の信仰として選んだ」とは一種のレトリックを含んだ表現となってしまっています。申し訳ありませんでした。ただ科学的根拠を挙げたりして詰めてゆくのではない受容とは、結局のところ飛躍を含む行為であると考えています。飛躍を含まない宗教受容はないのではないかと考えています。

83乾闥婆:2005/07/25(月) 16:04:12
>>79

>たとえば、日蓮の信仰姿勢というのは、まさにこのような納得ずくめで確立されたものであると、わたしには映じます。

もちろんそのようにして蓮祖は突き詰めてゆき、自身の信仰に至っているのだと思いますが、蓮祖はその突き詰めたぎりぎりの段階で一気に飛躍する人間であると考えています。唱題行の提唱など、学問的に突き詰めて納得した果てに、その向こう側へと突き抜けて誕生した易行形態なのではないでしょうか。開目抄にしても、その信仰者としての自覚は、「鎌倉当時に考えられる最高水準の「学問」をもって自身納得していった」ことを前提としながら、その体験を通しての大きな飛躍を垣間見せる遺文であると思うのです。

>「せめぎあう」ですか。それは不条理、納得できないことを、それでも信じたいという心があるからでしょうね。そこを過ぎると、せめぎあいは消えていきます。

私の心の中ではもはやせめぎあってはいないのです。物語を物語としてきちんと認識していれば、物語はその外部へと自身の物語世界を押し広げていく必要がないからです。しかし外から見ると、また違ったように映ることでしょう。たとえば蓮祖の非科学的な信仰から、その精神だけを取り出して、うまく社会に受容されえたとしても、唱題行、虚空会の儀式、といった「物語」はその信仰を保つ者以外にはよく理解し得ない、「納得」されえない部分として残ると思います。そこは結局信仰の内部と外部の融合し得ないラインとして残り続け、せめぎあい続けると思います。心の内部のせめぎあいではなく、内部と外部のせめぎあいという構造的な問題はどこまでいっても残り続けるだろうといったことを言いたかったのです。

>また、自分一人で納得するだけであれば独り善がりです。

そうですね。そこは私がこれからも考え続けていかなければならない問題点です。ただ社会的受容と、宗教の個人的受容は、分けて考えなければなりません。もちろん社会的に受容されえないような行動は慎むべきです。しかし宗教の個人的受容の社会的連帯ということは難しい問題であると思います。今後創価学会や既成教団はそのような連帯の機能をうまく果たしえるのでしょうか。宗教の、信仰としての個人的受容の、その社会化は、一歩間違えれば結局オウムや創価学会の様な形態に至ってしまう危険性を孕んでいるのだと思います。

>わたしは現代の水準で納得がいけば、あるいは信仰というカードをもう一度手に取るかも知れません。

現代の水準とは科学的基準をクリアする必要が生じると思います。それは非常に難しいのではないでしょうか。ある意味、初期仏教がそれに近いのではないかと考えます。八正道と四聖諦ですね。それは犀角独歩さん自身も触れられていることでした。

>このような一面もあります。しかし、それだけではない、その点を模索したいというのが「納得」というテーマです。

了解いたしました。物語ということは置き、今後のこのスレッドを拝読させていただきたいと思います。また考えのあるときは書き込みに参加させていただきます。

84乾闥婆:2005/07/25(月) 16:04:43
続き
>このような姿勢は、ご本人、気を悪くされるかも知れませんが、まるで、親鸞の言う信仰観に酷似していますね。

そうなのかもしれません。私はほかの宗祖もそれぞれの物語を模索した偉大な宗教家と考えていますので、気を悪くすることはございません。犀角独歩さんは身延隠棲後の蓮祖を評価しない、といわれていたように覚えていますが、私には身延隠棲にいたり、霊山浄土を言い始める蓮祖には、また強い興味があります。霊山会への没入といった印象があり、もっとそのあたりは勉強しなければならないと考えています。

>一つのものを多面的に観察する見識眼を養うということです。一人の宗祖、一仏、一経、相対的に取捨すれば最高のものが残るというのは幻想に過ぎないでしょう。

同意いたします。さまざまな側面を視野に入れて考えるべきだと思います。

>これは換言すれば、仮想現実の住人、夢の住人、妄想の住人となるという意味になりませんか。自分が納得できるベッドを用意して、現実を放り出して、夢を見ることが宗教ですか。日蓮の考えからもかけ離れているように見えますが。

しかしそのような仮想現実が仮想であることを認識している人間は、夢の住人ではなく夢の外に立つ人間です。妄想の住人ではなく、妄想と現実との境界線を知っている人間です。現実を放棄しているのではなく、現実と仮想現実としての物語のあいだに厳しい境界線を設けている人間です。私は意識してその両世界を行き来します。それ以外に宗教が現代社会で、実害なく生き延びる方途が見出せないのです。蓮祖の考えは現代社会において、対社会的には破綻しています。しかしその精神は生かしうるかもしれません。しかしそのような対社会的に積極的に働きかける根拠として蓮祖を持ち出すことは十分に注意しなければならないのであって、そのような警戒心が、私のありようを「日蓮の考えからもかけ離れている」ように見せるのかもしれません。今後の課題です。

>乾闥婆さん、漫荼羅信仰を卒業して、さらに見る日蓮漫荼羅は、信仰で見る日蓮漫荼羅より遙かに規模が大きいことに、いま、わたし自身、驚いています。漫荼羅唱題・日蓮を‘出口’にすると、世界は広漠と広がっており、その広野は実に絶景です。いつしか、この光景をご覧になってください。

はい。ありがとうございます。以前大日蓮展が上野で行われたとき、いわゆる「臨終滅度の御本尊」曼荼羅を拝見いたしました。そのとき私はまだ曼荼羅信仰の内部でその曼荼羅を見ていたのか、その外部に立って見ていたのか、定かではありませんが、日々の曼荼羅に向かっての唱題を行うのとは、違った感動に捉えられました。それが何であったのか、いまだよく分かりません。この掲示板を通して、多くのことを学んで行きたいと思っています。

85乾闥婆:2005/07/25(月) 23:38:38
>>81
本来この二つは分けて検討しなければならないのではないでしょう。×
本来この二つは分けて検討しなければならないのでしょう。○

>>82 >>84
霊山会×
虚空会○

申し訳ありません。ひどい間違いをしてしまいました。

86犀角独歩:2005/07/26(火) 09:23:07

乾闥婆さん

> 宗教は科学的に納得されるものではない

たしかにそうですが、一方、科学が宗教の過ちを是正してきた歴史経緯もあります。
『科学と宗教の闘争』(訳・岩波新書)でホワイトが記した問題に、ようやくと重い腰が挙げざるを得ない事態を迎えたということです。

> 非科学的・反社会的…二つは分けて検討しなければならない

関連し合う部分もありますから、分未両面からであると思います。

> 対社会という視点に立ってその宗教はどうなのか、といった部分に収斂

これはまったく宗教問題を考える視点と同じです。賛同します。

> 浅見氏…旧約聖書

ええ。師は、そもそも旧約聖書が専門です。師の説明に拠れば、その旧約聖書で記されていることを、自集団・教義の説明として盗用されたことから、統一協会、さらにはオウム真理教と関わらざるを得ないことになったということでした。

いまの日蓮門下の問題も同様のところがあります。煎じ詰めれば、言いたいことは自己正当化のために、日蓮を使用しているのに過ぎません。

> …危険を行使する宗教も宗教…宗教集団にして犯罪集団

この点は重要ですので、記させていただきます。
たしかに、宗教は、個人的な他愛もないおまじない・迷信の類から、国家レベルの民俗宗教にいたるまで、それら一切を包括して、宗教には違いありません。

それはそうに違いないのですが、わたしが記したのは、もっと常識的なレベルからです。要は現日本社会は法治国家であり、― 信仰者の思いとは裏腹に ― 宗教は法律の範疇を越えることは出来ないという意味からです。つまり、信仰は各人の内心の自由に属しますから、個人的にはまったくの自由です。しかし、それが一度、社会性(2人以上の人間関係)に持ち込まれたとき、そこでは国民としての法の適用がはじまります。この段階から宗教行為は国法に違反すれば、宗教としてではなく、法律から裁かれるでしょう。この点が最も重要なわけです。また、最も宗教関係者が疎んじ、その薄弱な認識が宗教に関わる犯罪を容易に引き起こす原因になっています。いわばカルト問題とはこの点を考えるものです。つまり、何を信じているか=信仰者 / 何をしているのか=国民 は適用される法が前者は、仏法(また、神の律法 ctc. )、しかし、後者は国法です。

ですから、単に宗教行為と信仰集団・指導者・信者が判断するものも、実際のところ、そこに国法が適用されることになります。この認識こそ、重要です。また、この認識のない集団・信者が問題を起こすわけです。

乾闥婆さんも、オウム真理教を例に採りましたが、たとえば、ポアをすることは彼等の教義からすれば、否、日蓮も、受容した涅槃経から見ても、犯罪ではなく、全く正当な護持正法の実践以外の何ものでもありません。「仏法」に違反していないことになります。また、日蓮門下によく見られる自己の信義以外の主張に対して口汚く批判する(=折伏だそうですが)ことも許されると勘違いしている非常識な態度もまた、同様です。しかし、ポアという護持正法の行為であったサリン散布は、国法からすれば無差別大量殺人であり、テロ以外の何ものでもありません。また、口汚い批判は人権侵害という憲法違反行為に違いありません。

わたしは、このような犯罪教義を有するものからは宗教の名を剥奪すべきだと考えています。オウム真理教・地下鉄サリン事件以降、(いや、創価学会の折伏大行進以後もそうですが)、「もう宗教なんか、こりごりだ」という風潮は、「日本人は無宗教」というまで高まったわけです。ですから、わたしは、乾闥婆さんが仰ることはわかりますが、わたしは違法集団とその教義・行動を宗教にカテゴライズせず、法律から違法と裁くことを常とします。そうしなければ、殊にここ日本社会で宗教が復権する可能性はさらに薄らぐからです。

87犀角独歩:2005/07/26(火) 09:23:54

―86からつづく―

> 曼荼羅へ向かう…法華経の霊山会の再現…参加

このような個人的な体感は否定されるところはありません。
しかし、霊鷲山は法華経序品では「耆闍崛山中。与大比丘衆。万二千人倶」と1万2000人の弟子を釈尊が連れ立っていたと記述されますが、この山は小さく、せいぜい50人も集えばひしめき合うことになるというのが現実だそうです。(わたしはまだ渡印していませんので、旅行記を来たい話を記すことしかできませんが)また、虚空会という記述は物語としてはけっこうですが、そんな史実はあるはずはありません。さらにこの会(え)の時間は、「五十小劫」、しかし、それを「謂如半日」というわけです。五十小劫がどれほどの時間であるか、わたしは理解できませんが、「霊山八年の説法」とは矛盾します。さらに法華経をシャキャムニが説いていないことも明確になったいま、かつて、わたしもかつて懐いたこの‘イメージトレーニング’は、色が褪せてしまいました。

さらに当掲示板でも議論してきましたが、真跡遺文と史実から鑑みるとき、日蓮が漫荼羅を拝んでいた形跡には当たれません。実際のところ、漫荼羅の‘用途’とはなんであったのか? という難問が解けない限り、わたしは、漫荼羅への読経・唱題を布教する蛮勇は俄に生じない気分になりました。

要は、わたしが、このスレッドで問題にするのは、この点です。日蓮門下は法華経から「広宣流布」という布教を、半ば宗教義務としています。となれば、たとえば、信仰者が、…乾闥婆さんがと、特定してもよい訳ですが…、わたしに布教しようとしたとき、以上のような反論を為されるとき、いったい、どう対処するのか? というのが、わたしが投げかける疑問です。これはしかし、学会を含む石山僧俗に止まらず、日蓮門下全般、それどころから、日本仏教界全体の大問題ではないのかと、わたしは問うているわけです。
単に不信謗法だなんだと人格攻撃をしたところで言った本人の良識が疑われるだけの話です。

結局のところ、この問に対して、明確な回答、否、回答がないにせよ、信仰として勧められるべきものを呈示できなければ、死滅することになると、わたしは記しているわけです。これは日蓮と、その教学に対する批判であるとかなんとかというレベルの話ではありません。一般社会の実状・現状から鑑みた‘警鐘’です。

> 蓮祖…体験を通しての大きな飛躍

これもまた事実ですね。たとえば、生身虚空蔵菩薩から智慧宝珠を袂に入れてもらったこと、不動・愛染感見という‘体験’からの飛躍といえば飛躍といえるかも知れません。
また、当時流行しはじめていた「南無阿弥陀仏」に代わり、「南無妙法蓮華経」だというのは、天台教学の法華最為第一からの帰結であるにせよ、飛躍といえば、飛躍です。さらには漫荼羅図示に至っても飛躍といえるかも知れません。その他、教学的立場にもそのような点は散見できるかも知れません。

ただし、ここで、わたしが「納得ずくめ」と記したのは、要は、日蓮が厳格に(当時信じられていた)仏説に忠実であろうとした姿勢を表現したものでした。

> …内部と外部のせめぎあいという構造的な問題はどこまでいっても残り続ける

この点は、よくわかります。
勝手に翻訳すれば、「唱題の実体験」は経験し、実感を得たものしかわからないということでしょう。ところが実際のところ、法華経は非仏説、その他も「物語」に過ぎなかったという、‘パンドラの函’は開いてしまいました。けれど、それでも、唱題によって得た体験は如何ともし難いというのが経験者の偽らざる心境と言うところでしょう。乾闥婆さんが漫荼羅・唱題を終生やめないと仰るのもそんな意味でしょうか。(この気持ちは、中学1年から朝晩の唱題と1時間の唱題を欠かさなかったわたしの経験からも痛い程もわかります。痛い程わかりますが、さらに前へ、わたしは進もうと思いました)

88犀角独歩:2005/07/26(火) 09:24:38

―87からつづく―

わたしはこの問題を考えるとき、過去10年の経験から、二つの‘資材’をここで考えに入れざるを得ません。一つは信仰実勢に基づく、体験功徳は、宗教の数だけある、あるからこそ、宗教として成り立っているということ。もう一つは、オウム真理教脱会支援において、もっとも障壁になるのは、信者の神秘体験であり、この‘実体験’から彼等はなかなか卒業できないという問題です。

前者について言えば、日蓮教義が現代の科学的成果から「物語」にすぎないとなると、では、他の体験を得る方法のなかから、何故漫荼羅か・唱題かという特定する根拠も崩れている現実があります。つまり、「物語」と方法は、日蓮が御立てた通り、実は不離の関係にありませんか。

後者で言えば、実体験、神秘体験は「個人的リアリティ」と分析され、宗教病理であれば、感応、妄想を含めて、このような特異体験は、薬物、若しくは脳内分泌物質異常と判断され、「正常」と診断されることはないように思えます。再現性のない因果論を「絶対」「最高」と断言すれば、一般では虚偽に分類されるだけです。さて、どうするか、です。

この二つのハードルを越え、どうやって他者に‘納得’させるのかという問題が残ります。個人的な体験だから、他者は関係がないというのであれば、それはそれです。個人として、実感し、口をつぐんでいればよいわけです。しかし、そうなれば、布教という使命は果たせないことになります。

> 霊山浄土を言い始める蓮祖には、また強い興味…霊山会への没入

この辺りから、日蓮は、自分の死を確実なものとして意識しはじめたのであろうと思います。法華経精神からは逸脱した、極楽往生という若い時代の修学への退行現象のようにも思えますが、林棲・瞑想、弟子の育成のみならば楽でいいかも知れません。

> 仮想現実が仮想であることを認識している…夢の外に立つ人間

では、ずばりお尋ねしますが、それが日蓮が示した教えと同様でしょうか。
この‘立て分け’は実は日蓮の思弁とも行為とも違っていませんか。違っていながら、日蓮の漫荼羅・唱題という方途を使用することに矛盾はないでしょうか。

かつて創価学会のキリスト教批判で使われた言葉ですが、二面分離とは「二重人格」という批判を免れ得ない側面もあることは考慮されなければならないと思います。

もっとも、このような変更がなければ、日蓮は21世紀に生き残りようはないかも知れません。わたしはしかし、このような部分に意義を見出すと言うより、むしろ、「何をしているのか」という公共利益への換言として「納得」させるほうが、先決であり、理解も進むとは思います。

> 境界線を知っている…境界線を設けている…両世界を行き来します。それ以外に宗教が現代社会で、実害なく生き延びる方途が見出せない

これは一種の温存療法と、わたしには映じます。
一つの方途でしょう。しかし、このようなことを、まずインフォームドコンセントして、そのうえで、現実と物語を往来する必要性を感じる人がどれほどいるか、疑問は残ります。「あとから知った者の、自己弁明」としては意味を持つことは事実だと思いますが。

> 日々の曼荼羅に向かって

まあ、これは余談ですが…、
日蓮の漫荼羅図示というのは実に‘オーダーメイド’だと思います。
用途、授与者に合わせて、自在に図しています。
今さらに記してどうなるのかという反詰する向きもあるかも知れませんが、それでも敢えて述べれば、結局のところ、自分用に図示された漫荼羅へ向かうということが、実は日蓮外とした漫荼羅信奉の基本である。それが既に本で師の段階で見失われて700年経ったという一面を、わたしは見逃しません。
乾闥婆さんの漫荼羅はご自身のために記されたオーダーメイドですか。

あと、これまた、蛇足ですが、ご訂正の部分、元のままのほうが、本尊相伝に近い気がします。

89犀角独歩:2005/07/26(火) 09:50:56

【87の訂正】

誤)旅行記を来たい話
正)旅行記を聞いた話

【88の訂正】

誤)日蓮外とした漫荼羅信奉の基本
正)日蓮が意図した漫荼羅信奉の基本

90顕正居士:2005/07/26(火) 15:35:38
「わが国の仏教は今は整然、3種類に分かれるに至った。学問仏教、葬式仏教、仏教系新興宗教である」と
スレッドのはじめに述べました。

明治維新以後、学問仏教としての日本仏教は新時代に適応し、今も繁栄しています。なぜ繁栄して来たかと
いうと、葬式仏教があったからです。わが国の僧侶の多くは家業を継承するのと同じに寺院を相続して住職
になります。業務はほとんどソフト葬儀業といって差し支えがない。しかし寺院には日本仏教のエートスが
存在し続け、篤信の少年には仏教学者となることがいわば真の出家でした。研究者、教育者の仕事とともに
住職の勤めを果たし、宗務行政においても重役を担うことがあった。一般僧侶も葬儀、法要をまじめに遂行し、
宗門に献金し、宗門大学を維持し、小部数の仏教学術書の刊行を支えました。

何故、わが国の儀礼仏教が葬式仏教に集約したかといえば、仏家の睡眠のせいはあるが、泰平の江戸時代
に僧侶の教育が向上し、現世利益を説くことが少なくなったからがあるとおもいます。このことが逆にはたらき、
新興宗教全盛になった。新興宗教のほとんどは功徳と罰(おかげとたたり)を教義の中心としました。ただし、
どこのお地蔵様にお参りするとこの利益があるという迷信に類するのではなく、もっと組織的に説き、「勤勉」が
重視された。この徳目が効果的だったのが昭和の30年代で、創価学会の教義は時期によくあっていました。
しかし「勤勉」でさえあれば成功したのは、西欧に比較し数十年分の経済の遅れがあった明治のはじめ、及び
終戦後の経済復興の時代です。社会が安定したら、各個が正しい目標を見いだし、適切な工夫を発明しない
となりません。新興宗教の典型的な教義では役に立たないのです。

葬式仏教のシステムは農業人口が大半であった時代に出来たものです。、寺院は、維持する檀徒がもういない
過疎地と葬儀と法要の需要に応えられない大都市に二分した。霊友会、佼成会、創価学会は都市型葬式仏教
ともいえます。葬儀は宗教の起源の一つであり、人類は今後も亡き人の葬送の儀礼を続けるでしょう。幸福な
生活を実現するための系統的な智慧も求められ続けるでしょう。あらゆる学問をまなび、いっさいの情報を得て
自分の人生を設計することは個人の努力では不可能です。クリーンなコンピュータと通信機器を与えれて、その
プログラムはぜんぶ自分で作れと云われても出来ません。これに日本仏教を喩えれば、日本の学問仏教を
学習する人口が増加し、その人達によりOSやさまざまなアプリケーションが作成されて、次の世代はその便益
を得ることができる。日本仏教はそういう時代に入ったと考えています。

91犀角独歩:2005/07/26(火) 23:11:57

顕正居士さん、有り難うございます。

結局のところ、近代創価学会は敗戦後の復興による、生活向上を「創価学会と先生のお陰、御本尊様の功徳」というリアリティの構築(換言すれば虚構)に成功したために、現在の発展を見、具体的には出版その他の事業、財務、政治関与というシステムを構築したことによって永続性を確保した、ただ、それだけのことであったということなのだと、ほぼ確認できました。

このようなリアリティは、模造の漫荼羅に創作物語を付し、リアリティをもって、捉えられるための装置を用意した石山の虚構に支えられたものであったわけですが、なかなか宗教団体の営業トークとそれに誣いられた人々の心象風景が透けて見えて参考になりました。

人々が信じたいもの、それは最高の神仏というより、最高の神仏を信じて体験を得た自分自身なのかも知れません。それが各人が信仰を永続する大きな理由になっているのでしょう。一つ、構造の仕組みが解けました。

92犀角独歩:2005/07/27(水) 08:09:04

もう一カ所間違いがありました。他にもあるかも知れません。ご判読いただきたくお願いいたします。

【88の訂正】

誤)本で師の段階
正)本弟子の段階

94乾闥婆:2005/07/29(金) 22:37:34
>>86
犀角独歩さん。

>わたしは違法集団とその教義・行動を宗教にカテゴライズせず、法律から違法と裁くことを常とします。そうしなければ、殊にここ日本社会で宗教が復権する可能性はさらに薄らぐからです。

たしかに信教の自由は違法行為集団には保障されえないのでしょうから、法的な意味では宗教の範疇からは離れるのですね。日本社会において宗教の持つ印象は確かにいくつかの違法行為集団によって悪くなる一方のように思います。それらの集団の違法的側面を宗教の範疇から排除して断罪することは重要なことであろうと思います。しかし同時にそのような犯罪に至る要因として、その宗教が教義レベルで検証されなければならないのでしょうし、まさに、この掲示板はそのような検証の場であるのだと考えます。その上で宗教の復権はなるのか、なかんずく「日蓮教学」は現代人に納得されうるのか、ということなのですね。

95乾闥婆:2005/07/29(金) 22:43:10
>>87

>虚空会という記述は物語としてはけっこうですが、そんな史実はあるはずはありません。

以前、ある掲示板で議論をしているときに「日蓮は宝塔が宙に浮いたり地涌菩薩が出現したりなど、法華経に書かれてあることは事実として釈迦在世のインドで起こったことだと信じていた、そんなことはありえないので、日蓮の主張の根拠は間違っている」といった発言を目にし、驚いたことがありました。私たち現代人の目から見れば法華経の示す世界とはどう見ても信仰世界を抽象的に表現した物語に過ぎません。さすがに宝塔が宙に浮いたり、地面が割れてそこから多くの菩薩たちが出現するなどを、現代人が事実であると考えることはないでしょう。しかし上記の発言を目にしたとき、果たして蓮祖はそれら法華経の記述をどう捉えていたのだろうか、不安になりました。確かに蓮祖は天台五時を事実として受け入れていたでしょうし、ゴータマ・ブッダの晩年、「霊山八年の説法」を事実として捉えていたでしょう。しかしそうすれば犀角独歩さんのご指摘のとおり、従地涌出品の「五十小劫」と矛盾します。しかしそもそも虚空会の時空間はまったく現実のものを飛び越えてしまっているのであり、そうであるから「如是我成仏已来。甚大久遠。寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数」であり、「衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度」であり「常在霊鷲山」であると思うのです。このようなイデアともいうべきゴータマ・ブッダのあり方を、蓮祖は本当に事実として捉えていたのでしょうか。今もゴータマ・ブッダはインドの霊鷲山に出現し続け法を説き続けていると考えていたのでしょうか。そのあり方が一種の理念世界であることを了解していたのではないでしょうか。もちろんこれは現代人の目から見た法華経のその受容を、蓮祖に仮託して考えているのに過ぎないのかもしれません。

>真跡遺文と史実から鑑みるとき、日蓮が漫荼羅を拝んでいた形跡には当たれません。実際のところ、漫荼羅の‘用途’とはなんであったのか? という難問が解けない限り、わたしは、漫荼羅への読経・唱題を布教する蛮勇は俄に生じない気分になりました。

確かに蛮勇かもしれません。私がこの掲示板を読んで最も衝撃を受けたのは、曼荼羅は本尊ではないのではないか、といった見解に関してでありました。しかし曼荼羅本尊の受容の歴史は長いのではないかと思います。蓮祖の意図を明らかにすることとは別に、曼荼羅に向かうことの心的作用としての「効用」はなしとはいえないというのが、現時点での私の捉え方です。しかしこの掲示板は蓮祖の意図をこそ問題とする場でありました。そのような解明が、現実社会の中での受容対象としてこの宗教が耐えうるのか、を問う前提として求められているのでしょう。ただ曼荼羅信仰については判断停止する以外ないにしても、虚空会の儀式といった物語は、理念世界として、いまだ有効と捉えています。

>法華経は非仏説、その他も「物語」に過ぎなかったという、‘パンドラの函’は開いてしまいました。

そうですね。パンドラの函を開ける前と開けた後ではやはりその信仰に対する意識も同じままではいられません。私も小学三年生のころから朝晩の勤行を欠かさず行い、中学・高校生のころは唱題を一日一時間と決めて取り組んできました。首都圏の人材グループにも加わり、池田氏と接する機会も一般の未来部員より多かったと思われます。大石寺での夏期講習会にも参加しました。しかし大学に入り、地域の学生部と衝突し、その後、自分で一般の仏教書を読むことでパンドラの函を開けてしまってからは、やはり子供のころのような信仰は持てません。まして創価学会に対してをや、です。しかし「さらに前へ」と進まれた犀角独歩さんとはもとより比べようもありませんが、一度開けてしまったパンドラの函を再び閉じ、パンドラの函をそれと自覚して受容している今の自分は、法華経や蓮祖を相対化し始めた直後よりも、後退しているように思います。なぜ振り切れないのか、なぜまたここへ戻ってきてしまうのか。家族というしがらみはあります。地域の幹部としてずっと第一線で活動し続けている父に対し、たとえば近代仏教学以降の知識を示してその信仰心を破るような真似は、私にはできませんでした。今は離れて暮らしていますが、創価学会の曼荼羅を受け、ほとんど読みもしない聖教新聞を取り、訪れる学会員を受け入れもします。対外的活動は一切しませんが、どのように自身の信仰と社会的存在としての自身のあり方を関係させていいのか、分からずに行き詰っている状況は続いています。

96乾闥婆:2005/07/29(金) 22:45:02
>>88

>では、他の体験を得る方法のなかから、何故漫荼羅か・唱題かという特定する根拠も崩れている現実があります。つまり、「物語」と方法は、日蓮が御立てた通り、実は不離の関係にありませんか。

そのように思います。前回犀角独歩さんが指摘されたとおり、数ある宗教(方法)のなかから、特定のものを選ぶ、という状況には本当はないのだと思います。ただ、その信仰の中にある、のでしょう。物語という方法の中に、信仰者はただ身を置いているのでしょう。つまり逆に言えば、唯一絶対の宗教(方法)など、ありえない、そんな唯一性を主張する根拠はどこにもない、ということです。しかし蓮祖の教義は、現代においては、唯一絶対の信仰があるという物語であり、しかし物語であるゆえに唯一絶対ではありえないという、入れ子構造のようになってしまいます。私が「さらに前へ」と進めずに、循環世界に捕らわれ続けているのは、そのような構造に嵌っている故でもあるのでしょう。

>実体験、神秘体験は「個人的リアリティ」と分析され、宗教病理であれば、感応、妄想を含めて、このような特異体験は、薬物、若しくは脳内分泌物質異常と判断され、「正常」と診断されることはないように思えます。

個人的な信仰受容は、しかし結局は求められてしまうのでしょう。「薬物、若しくは脳内分泌物質異常」は薬物によらずとも体現でき、その体現できる方途として宗教があり、また求められてしまう。そのような受容のされ方を排除することによって、社会性を得られたとしても、それはもはや宗教ではないのかもしれません。といいますか、宗教である必要がないといいますか、慈善事業団体、といったものではあるのかもしれません。個人的な宗教体験を信仰外部の人間に「納得」してもらうことは、やはり困難であると思います。

97乾闥婆:2005/07/29(金) 22:45:25
続き

>この‘立て分け’は実は日蓮の思弁とも行為とも違っていませんか。違っていながら、日蓮の漫荼羅・唱題という方途を使用することに矛盾はないでしょうか。

蓮祖の生きた時代は仮想現実として、宗教を捉える側面はありえたのかどうか、が問題となると思われます。中世日本においてたとえば浄土は実態として捉えられていたのではないでしょうか。補陀落渡海などはその現われだと思います。そうしますと、やはり蓮祖の霊山浄土観も実態的に捉えられていたのでしょうか。もとよりそれらを検証する能力は私にはございません。先に記した内容とも重なりますが、もし蓮祖がそれら信仰体験を一種の理念として捉えているのであれば、現実を理念の側へと近づける方向での思弁・行為はあったとしても、現実・仮想現実の二分法はなかったとはいえないのではないでしょうか。「観心本尊抄」に見られる「今、本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり」といった「いま、ここ」を浄土に見立てる思弁もありますが、後生に行くべき霊山浄土、といった思弁もまた持ち合わせています。理念と現実との乖離は現代社会においてますます大きいとは思われますが、それゆえに宗教のあり方やその存在意義が問われるのだと思います。蓮祖の現代的受容とはそのような時代の相違を踏まえながら、なおかつ現代人にとってどのように有効かを考えなければならないのでしょう。

>もっとも、このような変更がなければ、日蓮は21世紀に生き残りようはないかも知れません。わたしはしかし、このような部分に意義を見出すと言うより、むしろ、「何をしているのか」という公共利益への換言として「納得」させるほうが、先決であり、理解も進むとは思います。

それはある意味で宗教者の行う慈善事業などへの理解ではありえても、宗教そのものへの理解ではないことでしょう。もちろんそういった社会貢献という側面や、その行動に対する社会の「納得」は重要なことではありますが、それは「日蓮教学」の現代的受容とは違った側面の話になるのではないでしょうか。宗教のその教義内容へと足を踏み入れて現代的受容がありえるのかを検証するのが、この掲示板の重要な意義であると考えております。

>これは一種の温存療法と、わたしには映じます。

この掲示板に出入りをするようになって、このようにはっとさせられる言葉に何度もめぐり合います。「温存療法」「あとから知った者の、自己弁明」とはまさに、そうであるのだと、改めて自身のありようを確認いたしました。ありがとうございます。「さらに前へ」進まなければならないのでしょう。その行き道をこの掲示板を読みながら考えていきたいと思います。

>乾闥婆さんの漫荼羅はご自身のために記されたオーダーメイドですか。

いえ、レディーメイドです。そういうものがありえるとして…

>ご訂正の部分、元のままのほうが、本尊相伝に近い気がします。

そうなのですか。曼荼羅は虚空会に擬したつくりであると思っていました。二仏並座の姿でもありますし。…

98犀角独歩:2005/07/30(土) 11:14:03

乾闥婆さん

たいへんに落ち着いたご投稿に接し、また、有意義な議論ができ、嬉しく存じます。
また、かつての自分の心象風景でもありながら、既に過ぎ去ってしまったために忘却していた部分と重複するところも多々あり、参考になりました。

> 蓮祖は本当に事実として捉えていたのでしょうか

わたしは、事実としてとらえていたと思います。
生身の虚空蔵菩薩から智慧の宝珠を受け取ったのも、不動明王・愛染明王の感見も事実としてとらえていたと思います。そこから、本尊抄を読まないと、日蓮が垣間見ていた世界は、実際に上行等の四菩薩が出現する世界とならないことになります。

> 今もゴータマ・ブッダはインドの霊鷲山に出現し続け法を説き続けていると考えていたのでしょうか。

先の問いかけに応答に続きますが、娑婆世界で説法教化する釈尊は、信仰体験のうえでしか見仏できないという矜持はあったと思えます。

なお、この釈尊を日蓮は「ゴータマ・ブッダ」ととらえていなかったでしょう。

(ゴータマ・シッダールタ(瞿曇・悉達多)((梵)Gautama siddhaartha、(パ)Gotama Siddhattha)

釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来、釈迦牟尼世尊としてとらえていたと思います。

やや論点は違うののですが、この話題は実は昨日福神が開催した定例の勉強会・小松邦彰師(立正大学)の真跡遺文講義で話題になった点でした。日蓮が久遠実成釈迦牟尼仏への信仰の確立を佐前と見るか・佐後と見るかで聴講参加の今成師と意見を分かって議論されていました。

> 曼荼羅本尊の受容の歴史は長い

そうだと思います。たぶん、日興等、派祖の時点にまで遡れると思います。
これも聴講した話に属しますが、本化ネットの勉強会で中尾師の漫荼羅講義を聴講した折、師が、日蓮の書くような漫荼羅はそれまで存在しなかったために、それをもらった弟子は、それをどう扱ってよいか困惑し、また、それを理解させるのに、「日蓮聖人が苦心惨憺した様子」が遺文から伝わると語っていました。この点は、唱題も同様で、700年経ったいまでは当たり前のことになっていることは草創期には、弟子檀那ですら理解されていなかったということは多々あったと思います。まして、いまのようにメディアの発達があるわけでもなく、交通機関も発達していなかった時代、その伝達は人づて、手紙に限られたわけです。また、自師を、その前師のように仰ぐというのはいつの時代も一つの信仰姿勢に含まれますから、やがて、蓄積された各人のオリジナルは日蓮に仮託され続け本日に至るわけですね。漫荼羅を拝むという風習もそのようななかで定着し、やがて日蓮その人の教えのように扱われ、既に700年を経たのでしょう。ただ、わたしがここで問題にしているのは、「では、日蓮聖人はどうされていたか」という一点であるわけです。

99犀角独歩:2005/07/30(土) 11:14:37

―98からつづく―

> 曼荼羅に向かうことの心的作用としての「効用」はなしとはいえない

これはもちろん、当然のことで、効用はあるでしょう。
この効用については、蓮師の原意、祖意を探求とは別に派祖の段階では、中世の段階では、近代では、また、現代ではと、その変遷を整理して分類することが必要であると思います。

> 虚空会の儀式といった物語は、理念世界として、いまだ有効と捉えています。

ここで思い描かれるイメージは、同様の信仰体験を持つわたしには容易に想像できます。その前提でお尋ねしますが、乾闥婆さんは、どのように「有効」とお考えになるのでしょうか。参考にお聞かせ願えませんでしょうか。

> 地域の幹部としてずっと第一線で活動し続けている父に対し、たとえば近代仏教学以降の知識を示してその信仰心を破るような真似は、私にはできませんでした

なるほど。このようなお気持ちは理解できます。わたしも齢80を超えた母にその説明をする蛮勇は俄に生じません。

> 自身の信仰と社会的存在としての自身のあり方を関係させていいのか、分からずに行き詰っている状況は続いています。

このお気持ちもまた、よくわかります。
乾闥婆さんは学会員なのですね。わたしもかつてそうでした。
わたしは池田さんの指導全部をそのまま鵜呑みに立場にはありませんが、活動家であった頃、聞いた指導の心に残っているものはいくつもあります。そのなかで、正確な文字データは記録していないのですが、概ね、以下のようなものがありました。
「地涌の菩薩であるから実践するのではない。実践するから地涌の菩薩なのだ」
そんな論法の「指導」でした。これを読んでわたしは吃驚した記憶があります。教学的には、こういった論法は禁じ手と思ったからです。しかし、「人は生まれによってバラモンになるのではない。行いによってバラモンとなる」と言った原始経典の説とは、しかし、一致します。つまり、この池田「指導」は卓見であったわけです。(もちろん、池田氏をわたしがいまも尊敬しているかどうかとは別問題、また、その他の点を受容するということとも別問題ですが)

結局のところ、日蓮教説から学べるものは、物語を物語と率直に受け入れたうえで、そこから読み取れる精神の、それも自分(自利)と社会に有益な部分(利他)の抽出という方法しか残っていない、わたしには思えます。

> 物語であるゆえに唯一絶対ではありえない

この点で、わたしは日蓮の無謬性を捨てるしかありませんでした。
ここから、「卵が先か・鶏が先か」のような議論になってしまうのですが、日蓮は、特定の目的成就のために、法華経から、更に南無妙法蓮華經という題目を選び取っていったと思えます。

100犀角独歩:2005/07/30(土) 11:15:19

―99からつづく―

目的成就とは成仏であり、立正安国であったろうと思えます。
(法華経という経典は国家安寧とはまるで無縁で、各人が菩薩道によって成仏を目指すというコンセプトです。これに鎮護国家的な要素を含ませるために活用されたのが涅槃経であったという関係とわたしは考えます)

では、成仏とはという問題は多岐に亘りますが、その方法論は菩薩道であるという点は法華経で確認できます。各人の菩薩道の結集はやがて国家安寧も成就するという涅槃経的な解釈も、わたしには有効と思えます。ただ、それを説明する‘天ぷらのコロモに当たる’物語が、現代には通用しないということだろうと思うわけです。

いわば、法華経創作者は、それを説明、補完するために物語を紡いだのだろうと、―― 善意的な解釈ですが ―― わたしは考えています。善行=自利利他としての菩薩道は、では、「納得」に値しないのかという問題が浮上します。わたしは値すると思います。

飛躍的なことを述べれば、その菩薩道に基づいて実践され、記録される事実は、わたしは現代の法華経なのだろうと思えます。2000年前に記された物語の法華経とは別に、各人の実践の法華経ということです。

さらに飛躍して記せば、いまの時代を見聞して、法華経創作者が、法華経を創作すれば、その物語は、神話的な要素を捨て、いまの最高水準の学術・科学をもって書こうとするでしょう。ではその核は何を書こうとするのか、わたしは菩薩道であろうと思います。

「日蓮がいまの時代に生まれたら」という問いを顕正居士さんが記述されたことがありました。日蓮が700年、生き続けたら、どうその教説を書き換えていったでしょうか。どこまで書き換えても消え去らないもの、それはたぶん、菩薩道、国家安全、世界平和であるかもしれません。

事実を知るなかで、物語を真実と思っていた側は自信を喪失せざるを得ません。
しかし、自信を喪失して立ち止まっていても、人生の残り時間は瞬く間になくなっていきます。わたしは結局のところ、法華経を書き上げた根本精神を採ればよいと思います。他の物語は書き換えればよいでしょう。当時の人達がその精神をより説得するために苦心惨憺した創作物語であったという創作課程を俯瞰すればよいのだと思います。

そうして残っていくものは、実は唱題でも、漫荼羅でもないとわたしは思えます。
わたしは法華経の記述のなかで衣座室の三軌というのは誇れるものであると受容しています。

「是善男子。善女人。入如来室。著如来衣。坐如来座。爾乃応為四衆。広説斯経。如来室者。一切衆生中。大慈悲心。是如来衣者。柔和忍辱心是。如来座者。一切法空是。安住是中。然後以不懈怠心。為諸菩薩。」

では、日蓮は、というのが、しかし、ここのでのテーマでした。

> …私が「さらに前へ」と進めずに、循環世界に捕らわれ続けている

物語であるという事実の前で信者であった者が採れる態度は概ね三つしかない気がします。一つは物語であることを否定すること、二つには物語と信仰の分離、三つには棄教。

101犀角独歩:2005/07/30(土) 11:15:58

―100からつづく―

そして、信じ続けたいと思うものがとる態度は、反撃です。謗法であるとか、信心がないとか、そういった類の過剰反応です。ハッサン師の言葉を思い起こされます。

「破壊的カルトは、どんな種類の反対も我慢できないのである。人々は賛成するか(または入会候補者とみなされるか)、さもなければ敵である」(P188)

忠実に従うことが信心であると条件付けられてきた人々にとって疑問は挟むことは、敵対行為にしか分類されないように‘配線’されています。また、その原因は、

「グループのリーダーは、『金銭のためにやっている』のではなく、私の見るところ自分の影響力に中毒になっている人間たちだった。多くの破壊的聖書カルトのリーダーは、目立った浪費家でもなく、神と聖書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、聖書と神意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである」(P183)

実際の会の運営側はまったく金銭のためにやっていますが、各地域など小規模な後輩、部下をもつリーダーと呼ばれる地位に就く人々は、その職責も相俟って、自分の影響力の中毒になり、命令や、自分の述べることに反論されることが我慢できない人格的な特徴を持つに至っています。「意味がわからなくても信じること」の中毒はこのような形で現れます。

しかし、物語から脱却し、その精神だけを採るとき、そこには無謬性の卒業がありますから、「かつては自分も通った道だ」という経験則があります。子を育てる成熟した親は、そんな経験値を有効に活用するように、時には叱ることはあっても、菩薩道を見失わないでしょう。わたしが、ここ10年間会ってきた、法華・日蓮を信奉しながら、カルト問題で活動する優秀な僧侶方は、皆、そうでした。

> 個人的な宗教体験を信仰外部の人間に「納得」してもらうことは、やはり困難であると思います。

「神秘的な側面は」というカッコ付ではないでしょうか。
先に挙げた衣座室の三軌などは、納得される要素はあると思います。
苦・空・無常・無我は受容していく課程は、精神的鍛錬と静慮(禅定)を必要です。まして、そこから、対個人、対社会に貢献しようと言う考えを菩薩道とすれば、その覚悟は、それなりの精進なくしては、利己で留まるのみです。

漫荼羅唱題は、インナートリップを目指すのか、対他のための方途としてあるのか、あるいは、その両面かという位置づけで大きく異なってくる点であろうと思います。

> 蓮祖…現実・仮想現実の二分法はなかった

わたしもそう思います。残念ながら、この点では、日蓮の思弁には限界があったとわたしは思います。それは日蓮の責任と言うより、700年昔という限界であったろうと思います。ただ、シャキャムニの思弁で優れているのは、その後、科学その他で覆されるであろう内容を、敢えて、無記として扱わなかった点です。このスタンスを踏み外したときから、いまの我々のメランコリックは始まっていたと思います。日蓮もまた、密教の魅惑に翻弄されていたのかも知れません。

102犀角独歩:2005/07/30(土) 11:16:45

―101からつづく―

> 理念と現実との乖離は現代社会においてますます大きいとは思われますが、それゆえに宗教のあり方やその存在意義が問われる

現代社会における理念と現実の乖離が、宗教の存在意義とどう関わるかという問いに解があれば、それは現代人を納得させうる力となるでしょうね。しかし、いまの学会を含む石山は自集団と指導者がいちばん素晴らしいという宣伝マンであることが信仰であると思う倒錯心理に陥っています。また、体験は、自己実存の‘藁’として、信仰者が手放さないものになっていませんか。

> 蓮祖の現代的受容とはそのような時代の相違を踏まえながら、なおかつ現代人にとってどのように有効かを考えなければならないのでしょう。

そうですね。その具体的な答がなければ、やがて、日蓮門下は死滅するでしょう。その壊死は既に始まっています。止められるかどうかは、理解しない一般人が悪いのではなく、その納得する日蓮を素描できない信仰者側にその責任にあります。

> それはある意味で宗教者の行う慈善事業などへの理解ではありえても、宗教そのものへの理解ではない

ここです、ポイントは。乾闥婆さんは、たとえば、漫荼羅に向かっての唱題によって得られる極個人的な体感を宗教であると考えますか。わたしは違います。野放図、ぐうたら、自己中心的、社会のことも考えない自分が、苦・空・無我・無常という達観に到達し、かえって対個人、対社会に対して行動しようと言う精神と行動にわたしは宗教を見ます。それを菩薩道と換言してもよいと考えています。山林に閉じこもり、人、社会を縁を切って自分の精神世界に埋没するのではなく、法華経から帰結した自己の成果を、人に対し、社会に対して、実現しようとしたところにこそ、わたしは彼の宗教を見ます。一方、生身虚空蔵、不動・愛染感見といった密教的神秘体験は宗教病理、妄想に分類し、評価しません。

> 宗教のその教義内容へと足を踏み入れて現代的受容がありえるのかを検証するのが、この掲示板の重要な意義であると考えております。

まさにそのとおりで、では、その教義内容と成果は、個人が神秘体験か、否、対他的功利性か、後者こそ、実は宗教ではないのかというのが、わたしが問いかけていることです。
>> …漫荼羅…オーダーメイド
> レディーメイド

他に与えられた漫荼羅を複写して使うことを日蓮は考えていたか、また、万人共通の大量生産される漫荼羅(形木から印刷まで)を考えていたか、どうか。もし、考えていなかったとすれば、漫荼羅を拝むという日蓮以後の発想と共に、それを日蓮に仮託して拝むことの説明もまた、併せて考えなければならないことでしょう。

シビアなことを記します。魔札に祈って見られる世界があるとすれば、それは魔界でしょう。日蓮の意図と裏腹の書写漫荼羅は本当に、乾闥婆さんが仰るような虚空会を見せるかどうか、一考を要します。虚空会と思って見た世界は(わたしが涅槃経の所説を引用するのはなんですが)魔仏の世界である可能性は視野に入れてはいらっしゃらないのでしょうか。

> 曼荼羅は虚空会に擬した

これは、創価学会人間革命で言うところで、本尊相伝とは違います。

「今此の本尊大漫荼羅とは霊山一会の儀式を書き顕はす処なり、末法広宣流布の時分に於いて本化弘通の妙法蓮華経を受持せん輩は霊山一会の儀式を直に拝見し奉る者なり」

乾闥婆さんの拝んでいらっしゃる漫荼羅が石山歴代住職のものであれば、以上の相伝に基づいてい記されていることになります。

つまり、ここでも、元来、意図されたこと(霊山一会の儀式を直に拝見)と、ご自身がなさってきた用途(虚空会を見る)されてきたことは違っていたわけです。

これは偽らざる一面の現実です。

103乾闥婆:2005/08/01(月) 22:25:41
>>98
犀角独歩さん。

こちらこそ、私のような浅学な者の稚拙な発言に真摯にお答えいただき感謝しております。

顕正居士さんも別のスレッドでカルト集団内の2世、3世の家族問題について明晰な分析をされていましたが、そのような私たちに先行され、大胆に「さらに前へ」踏み込まれている犀角独歩さんは、私自身の行き道を考える上でも、われわれ2世、3世にとって非常に大きな意味のある存在です。そのように振舞われている犀角独歩さんに感謝しております。

>なお、この釈尊を日蓮は「ゴータマ・ブッダ」ととらえていなかったでしょう。
>釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来、釈迦牟尼世尊としてとらえていたと思います。

私は仏身論に詳しい者ではありませんが、蓮祖の仏身観とはどのようになるのでしょうか。法華経でいえば、従地涌出品や如来寿量品に現れる久遠実成の釈尊と他の始成正覚の釈尊とをどのような整合性をもって見ていたのでしょうか。久遠実成とは実態性のない一種の理念的存在であると思うのですが、これを蓮祖は実態的に見ていたのでしょうか。「観心本尊抄」の「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也」といった表現は釈尊の信仰者による内面化・理念化と読めなくもないと思うのですが。

104乾闥婆:2005/08/01(月) 22:26:18
>>99−100

>ここで思い描かれるイメージは、同様の信仰体験を持つわたしには容易に想像できます。その前提でお尋ねしますが、乾闥婆さんは、どのように「有効」とお考えになるのでしょうか。参考にお聞かせ願えませんでしょうか。

永遠の相に触れる、ということなのだと思います。この側面は多くの宗教に見られるものではないでしょうか。虚空会はまさに、時間・空間を現実相から飛び越えて永遠の相へと没入してゆく装置であると思っています。そして法華経は再び霊山会へと戻っていきます。この往還の図式を再現することこそ、曼荼羅へ向かい題目を唱えることの意義であると思っています。永遠の相に触れることが何を意味するのか、が問われるのだと思います。法華経では、虚空会の儀式において末法における正法流布の参加者への付嘱があり、虚空会を終えて現実世界へ立ち戻ってのその実践があるのだと思います。そうなると正法とは何であるのか、が問題となるのでしょう。そこで私は壁に突き当たります。

正法とは何であるのか、法華経とは何であるのか。犀角独歩さんは明確に「菩薩道、国家安全、世界平和」と言われています。「その菩薩道に基づいて実践され、記録される事実は、わたしは現代の法華経なのだろうと思えます。2000年前に記された物語の法華経とは別に、各人の実践の法華経ということです」といわれています。その件りにこのたびも私ははっとさせられました。

しかし、そのような吹っ切れ方を私はまだできないでいます。それはおそらく犀角独歩さんが「そうして残っていくものは、実は唱題でも、漫荼羅でもないとわたしは思えます」といわれるようには、唱題も、曼荼羅も、振り切れないでいるからだと思います。またそのように振り切れてしまえば、結局日常の現実の生活のなかで、私は永遠の相に触れる機会を失い、ただただ日常の雑事に流されていってしまうのであろうことは、容易に予想されてしまうのです。宗教とはまさにそのような頽落的日常に楔を打ち込むための物語としてあるのではないでしょうか。そういう意味で、私はまだ蓮祖の打ち立てた、そして受け継がれていった信仰は、まだ現代社会の中で有効であると捉えているのです。誰もが「菩薩道、国家安全、世界平和」に直接的に日々かかわり続けられるものではないでしょう。多くの人たちは日常の仕事に追われ、その生活を守るために必死であると思います。そのような中で、しかし、「菩薩道、国家安全、世界平和」を自身の気持ちの上では意識し続けるということを、私はつまらぬこととは思いません。そのような思いを持ち続け、社会生活をまじめに生き抜くための、楔として蓮祖やその受容された信仰が寄与しているのであれば、たとえば、唱題や曼荼羅といった装置を、私はなくてもいいものとは思わないのです。もちろん違法行為に至ることはまったく別問題であり、取締われ処罰されなければなりませんが。

105乾闥婆:2005/08/01(月) 22:26:54
>>101

>「神秘的な側面は」というカッコ付ではないでしょうか。
先に挙げた衣座室の三軌などは、納得される要素はあると思います。
苦・空・無常・無我は受容していく課程は、精神的鍛錬と静慮(禅定)を必要です。まして、そこから、対個人、対社会に貢献しようと言う考えを菩薩道とすれば、その覚悟は、それなりの精進なくしては、利己で留まるのみです。

そうですね。問題はその「神秘的な側面」を媒体として自身の精神を鍛錬している場合(それを鍛錬とは犀角独歩さんは言わないのかもしれませんが)、やはりその部分は納得されない部分として残り続けるのでしょう。あとはもはやその人の振る舞いによる、としかいいようがないのかもしれません。

しかしこのことは重要なことなのだと思います。ある意味でどのような「神秘的体験」をしていようとも、世間は無関心でありましょう。問題はその人間がどのように振舞っているのか、であるのだと思います。私の好きな蓮祖遺文に「崇峻天皇御書」があります。「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ」。それに尽きるのだと思います。

106乾闥婆:2005/08/01(月) 22:27:27
>>102

>現代社会における理念と現実の乖離が、宗教の存在意義とどう関わるかという問いに解があれば、それは現代人を納得させうる力となるでしょうね。

私は宗教にしろ文学にしろ、その重要な役割は世界観の提示であると思っています。理念をその世界観によって提示する、そのことで現実社会を引っ張る。しかし、そのような提示された世界観に説得力がなければ、それらは力を持ちえません。また世界観の提示は危険な方向へと現実社会を引っ張る力さえ有しています。

>乾闥婆さんは、たとえば、漫荼羅に向かっての唱題によって得られる極個人的な体感を宗教であると考えますか。わたしは違います。野放図、ぐうたら、自己中心的、社会のことも考えない自分が、苦・空・無我・無常という達観に到達し、かえって対個人、対社会に対して行動しようと言う精神と行動にわたしは宗教を見ます。

私はその両面を不可分であると考えています。不可分であるから宗教であるのだと。分離しうれば、それは宗教の名を冠さずともいいのではないでしょうか。哲学であり、思想であると。その意味で、初期仏教は宗教であるよりも、むしろ哲学であるように思います。ギリシャ哲学が宗教にならなかったように(キリスト教への影響はあったでしょうが)、仏教も宗教にならない道がありえたのではないかと考えます。

>他に与えられた漫荼羅を複写して使うことを日蓮は考えていたか、また、万人共通の大量生産される漫荼羅(形木から印刷まで)を考えていたか、どうか。もし、考えていなかったとすれば、漫荼羅を拝むという日蓮以後の発想と共に、それを日蓮に仮託して拝むことの説明もまた、併せて考えなければならないことでしょう。

そうですね。そこは意識して考えていかなければならないと思います。蓮祖以後の受容の中で曼荼羅の構造にたとえば日蓮本仏論などの影響はあるのでしょうか。私はその部分からは抜け出てしまっているので(また本門戒壇之第御本尊からも)、曼荼羅へ向かって唱題をしていても、その中心に蓮祖がいることはないのですが。いずれにしても蓮祖自身の思弁の中にそれはないのでしょう。そのような認識の下に達師や寛師の曼荼羅に向かうのはもはや違っているのかもしれません。

>虚空会と思って見た世界は(わたしが涅槃経の所説を引用するのはなんですが)魔仏の世界である可能性は視野に入れてはいらっしゃらないのでしょうか。

私は結局のところ曼荼羅は道具であるのだと思っています。私の意識内の問題として魔があるのであれば、魔仏の世界に魅入られているのだと思います。

>これは、創価学会人間革命で言うところで、本尊相伝とは違います。

それが本尊三度相伝なのですね。「人間革命」第一巻に出獄したばかりの戸田氏が自宅にある曼荼羅を手に取り、じっと見つめるシーンがあります。「彼は心につぶやきながら、獄中で体得した、不思議な虚空会の儀式がそのままの姿で御本尊に厳然として認められていることを知った」とあります。もしかすると、創価学会自体が富士門流と違って受け止めているのかもしれません。

107犀角独歩:2005/08/02(火) 20:36:51

乾闥婆さん

> 蓮祖…久遠実成の釈尊と他の始成正覚の釈尊とをどのような整合性

これは整合性というより従浅至深、前判御判、また、五重相対と言われるところの権実、本迹相対の見地でしょう。

> …久遠実成とは実態性のない一種の理念的存在…蓮祖は実態的に見ていた…我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也…信仰者による内面化・理念化

「現代人が納得する」という当スレッドのテーマからは離れますが、これはつまり、「理・事の一念三千」という教学的な姿勢に回答が為されている点ではないでしょうか。

地涌菩薩を、日蓮は三度しか出現しないと限定しています。久遠下種・初発心、三千年前法華説処付属、そして末法の初めの五百年の流通です。五百塵点劫を永遠と見る教学的姿勢にわたしは反対の立場ですが、しかし、日蓮は「無始古仏」を言います。となれば、それは仏菩薩を己の心に観るという宗教的な境地であるにせよ、実際の上行の出現を待つ日蓮にとって、これが理念であるはずはありません。

> 虚空会はまさに、時間・空間を現実相から飛び越えて永遠の相へと没入してゆく装置

乾闥婆さんの宗教的体験は、日蓮とは違いますね。
乾闥婆さん、モニターから目をそらし、少しうえを凝視してみてください。壁でなく、天上でもなく、その中間にある空間です。それが虚空です。もっと正確に言えば、霊鷲山から仰ぎ見た天空、そこが虚空です。虚空会には元来、乾闥婆さんが仰るような意味は有していません。
多分、乾闥婆さんは驚かれると思いますが、真跡遺文に「虚空会」はただ1回しか記述されていません。

「阿弥陀仏等の十方の諸仏は各々の国を捨てゝ霊山虚空会に詣で給」(下山御消息)

もちろん、二処三会という教学的用法は日蓮が用いるところですが、これは説処をいうものであって、虚空会は永遠の説処ではなく、後霊鷲山会が始まれば終了します。つまり、常住此説法は、「霊山一会儼然未散」、寿量品で言えば「常在霊鷲山…我浄土」、すなわち霊山浄土です。虚空会が久遠の儀式であるという考えは、日蓮のみならず、天台にもありません。

つまり、乾闥婆さんが「虚空会」という記す宗教的な思弁は、「霊鷲山・浄土」のことでした。


> 法華経では、虚空会の儀式において末法における正法流布の参加者への付嘱があり、虚空会を終えて現実世界へ立ち戻ってのその実践がある

残念ながら、このような思弁は日蓮にはないと思います。
ただあるのは、上行菩薩塔中付属の正体が、妙法蓮華経であるという自覚ではないでしょうか。日蓮は虚空会に永遠を観、現実と往還するような思弁はなかったのではないでしょうか。ただ、あるのはこの世界は釈尊の御領であり、正法とは南無妙法蓮華経であるという思弁ではなかったでしょうか。

> …唱題も、曼荼羅も、振り切れない

乾闥婆さんは、日蓮が、別々に考案した漫荼羅と唱題に関連性を見出した派祖教学から、そこに虚空会を見、永遠性に意義を感じるという宗教的な感得を体験的に取得されたのであろうと思います。その在り方は、概ね、わたしが再考するに日蓮その人の意図とは違っているとは思えます。ただ、わたしにある興味は、では、日蓮が考えた形のままでやればどうなるのかという点です。

しかし、乾闥婆さんの漫荼羅唱題を否定的に捉えようと言うことではありません。しかし、ただ、乾闥婆さんがご覧になっている世界には先があるということです。

108犀角独歩:2005/08/02(火) 20:37:39

―107からつづく―

> 結局日常の現実の生活のなかで、私は永遠の相に触れる機会を失い、ただただ日常の雑事に流されていってしまう

ここなのです、乾闥婆さん。わたしは、自分が菩薩道に具体的に生きるとき、その瞬間に永遠を感じています。しかし、器物崇拝者は、そのシンボルに永遠を見てしまうために、現実のなかに永遠を見られなくなってしまいます。まさにこれはシンボルの病ではないでしょうか。宗教儀式、勤行のなかに菩薩道があるのではありません。道に倒れた人があれば抱き起こし、飢えた人に食を与え、寒熱に衣を与え、共に泣き、共に喜ぶところに永遠の菩薩道はあります。それを宗教儀式のなかで見て終わりにすれば、それでは理念、観念の域でしょう。実態とは自分が心の実感であり、心身を尽くす人との関わりのなかにしかありません。

漫荼羅も、唱題も、そして、日蓮の教えも、その菩薩道に至る道標であることがわかります。しかし、道標は目的地ではありません。単に指し示すばかりです。その道標を拝んで、満足しているのが多くの器物崇拝の墜ちた坑ではないでしょうか。

> 「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ」。それに尽きるのだと思います。

まさにそのとおりです。

> 宗教にしろ文学にしろ、その重要な役割は世界観の提示

このお考えには賛同します。

> 初期仏教は宗教であるよりも、むしろ哲学であるように思います

これは主客逆転です。初期仏教こそ仏教であり、いまわたしたちが思っているほうが仏教ではなく、宗教ではないのです。いまようやくと、科学的成果と思弁で、幾重にたまった澱と、垢が洗い流され、宗教と、仏教が見えてきたのではないでしょうか。

> 曼荼羅は道具

そうですね。結局のところ、人々が感じる神仏、菩薩、さらに宗教というものは、その人自身の願望、思念にほかならず、実は一歩も自分の心から出ていないという事実を正視しないと前に進みません。

> 「人間革命」第一巻…不思議な虚空会の儀式がそのままの姿で御本尊に厳然として認められている

漫荼羅図示の有様は虚空会というより、先の日蓮の言説の通り「霊山虚空会」であるというのが正確でしょう。ただ、戸田さんの個人的体験がどんなものであったのか、これを追体験するような漫荼羅唱題を繰り返すことは、無意味であるとわたしは思います。仏壇の前に人生があるのではなく、永遠も神秘も奇跡も、一切は、いま生きているこの瞬間の現実のなかで見いだせることだからです。これはさらに拡げて言えば、宗教団体という狭い場所が提供する世界観は、実に小さく、仏教徒は言い難いものです。その出口を出れば、そこは入り口であり、広漠な世界観が、文字通り、広がっています。それは宗教団体や、その指導者が提供する退屈なご都合世界とは違い、漫荼羅唱題で見られる世界より、さらに広く、大きく、そして、永遠の世界であると、わたしは感じてきました。

> 創価学会自体が富士門流と違って受け止めている

もちろん、そのとおりであろうと思います。創価学会の教学は、まるで石山と違い、石山はまた冨士門全般と違い、その富士門は日興と違い、日興はまた日蓮と違います。この現実から目をそらさない人だけが、「納得」を考えることができる人たちでしょう。

109顕正居士:2005/08/02(火) 23:20:45
曼荼羅が虚空会の図像であることは新尼御前御返事(断簡現存)に

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給、世に出現せさせ給ても四十余年、
其後又法華経の中にも迹門はせすきて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品属累に
事極て候しか」とありますよ。

妙宗本尊弁考−御本尊の意義を考える−
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho27/s27_097.htm

110犀角独歩:2005/08/02(火) 23:28:59

顕正居士さん、仰るとおり、富士門外では、当然、そのような顛末であると認識しております。わたしが記したのは、しかし、富士門では本尊相伝で霊前儀式図示というのに、戸田さんは、それを他日蓮門下の如き、虚空会に事寄せた、となると、書写の認識と、礼拝者の認識に齟齬が来すであろうという指摘でした。

111犀角独歩:2005/08/02(火) 23:29:51

【110の訂正】

誤)霊前
正)霊山

112顕正居士:2005/08/03(水) 00:02:06
大石寺の教義は「寿量品の儀式」ですね。

「問う、諸流一同の義に云く「今此の本尊は本門八品の儀式なり」と云云。この義は如何。
答う、凡そこの本尊は正しくこれ寿量品の儀式なり。何となれば宝塔品の時、二仏座を並べ分身来集し、涌出品
の時本化涌出し、正しく寿量品に至って十界久遠の上に国土世間既に顕れ、一念三千の本尊の儀式既に円満
円足して更に一事の闕滅なし。豈寿量品の儀式に非ずや。
然るにこの本尊の付嘱未だ畢らず、故に儼然未散にして通じて嘱累品に至るなり。故に寿量品の儀式は通じて
八品に亘る故に八品の儀式なりといわば、これ大なる妨げなし。然るに諸門流の輩、これ寿量品の儀式なること
を知らず、直ちに八品の儀式という、故に不可なり」(本尊抄文段下)
http://nakanihon.net/nb/honnzonnsyoumonndannge.html

113犀角独歩:2005/08/03(水) 09:05:44


いちおう、確認ですが、109、112は、顕正居士さんがお書きになった文章ですか。
顕正居士さんの名を騙り、誰かが投稿したものではないのですね。

であれば、当スレのテーマから離れますが、日寛教学について、退屈ながら、やや記しますが。

顕正居士さんが、こんな基本的な部分がおわかりにならないとは、到底、わたしには思えないので、いちおう、確認させていただきます。ご解答いただきたくお願いいたします。

いちおう、先に申し上げれば、これは「大石寺の教学」ではなく、「日寛の教学」です。また、「寿量品の儀式」というのは、「我が内証の寿量品」「寿量文底(秘沈)」「寿量品の肝心」「内証の寿量品」、また、在世の寿量品が「迹中之本」から論じられているという前提での日寛説であることは言うまでもないことです。法華28品中の寿量品を直ちに指すものではないのが、日寛説です。つまり、112に書き出しは切り出しに過ぎず、日寛説を満足していません。

では、本尊三度相伝と日寛説とがどこで違うのか、該当の投稿が、本当に顕正居士さんに拠るのであれば、ここで日寛説を簡ぶ理由を記します。こんな基本的なことを記さなければ駄目でしょうか。

114犀角独歩:2005/08/03(水) 11:05:30

なお、日寛の教義は、本尊を寿量品の儀式としますが、これは簡んで、日寛が言うのは

「この御本尊は正しくこれ文底下種の本仏、本地難思、境智冥合、久遠元初の自受用の一身の相貌…寿量品の儀式は文上脱益、迹門の理の一念三千、教相の本尊なり。若し今遺付の本尊は文底下種、本門の事の一念三千、観心の本尊…今日寿量品の儀式を以て、久遠元初の自受用の相貌を顕す…久遠本果の本を顕し已んぬれば更に一句の余法なし。唯これ久遠本果の為体、一念三千の儀式」

です。なんぞ、文上寿量品の儀式とのみ、言うことができるでしょうか。
日寛は「文上熟脱の本尊を簡びて、文底下種の本尊を顕す」と言っています。

115顕正居士:2005/08/03(水) 19:25:08
「今此の本尊大漫荼羅とは霊山一会の儀式を書き顕はす処なり」(本尊三度相伝)
まずこの霊山一会という語は、二処三会中の虚空会を指すと解すべきでしょう。二仏並座は虚空会の間です。

次に「未有寿量佛。来入末法始此仏像可令出現歟」(本尊抄)とありますから、この宗の本尊が寿量品の仏で
あることも明らかです。したがって大石寺のように曼荼羅正意を取る場合には、曼荼羅が虚空会の図像で
あるというだけでなく、曼荼羅が寿量品の仏であることも示す必要があります。さらに寿量品の仏といっても、
「今日寿量品の儀式を以て、久遠元初の自受用の相貌を顕すなり。妙楽の所謂『雖脱在現・具騰本種』これを
思い合すべし」(本尊抄文段)といい、つまり在世の寿量品の仏ではなく、「五百塵点乃至所顕三身無始古仏」
(本尊抄)の表現だとする。むろん大石寺ではその無始古仏を「教主釈尊五百塵点已前仏也。因位又如是」
(本尊抄)の因位のほうの仏とするわけですが、因本果迹論を別にすれば、曼荼羅正意の論は「己心釈尊」、
「無始古仏」を取って、在世寿量品の仏を取らない思想といえます。

116犀角独歩:2005/08/03(水) 20:41:51

> 115

漫荼羅は十界勧請漫荼羅といい、仏菩薩はまだしも、「他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表す」というわけで、勧請諸尊のすべてが虚空会に収まるわけではありません。他の衆生は霊山の大地にあります。故にここは日蓮の記述の通り「霊山虚空会」ということになりませんか。

多分に日蓮の考えでは、むしろ、八品の儀式、もしくは寿量品の儀式という意識があり、しかし、本尊相伝の段階では、それを霊山の儀式とする隔たりがあります。さらに日寛はそれを人即法本尊、(寿量品の)文底秘沈、内証、肝心というも、在世の法華からさらに隔たりという相違が存します。これは一本の線で繋ぐことは出来ず、特に会通を加えて、整合性を採る必要をわたしは感じません。日蓮と本尊相伝、日寛の思想にむしろ異轍を見ることを自然と考えます。

その他のご説明には、特に異論はありません。

117犀角独歩:2005/08/03(水) 20:57:53

【116の補足】

> 仏菩薩はまだしも

とは、仏=釈迦多宝、菩薩=四菩薩という塔中、虚空の聖衆はまだしもとの意味です。
なお、「霊山一会の儀式」と記されるところを虚空会と読み直す理由はないと思います。十界衆生は霊山の大地から虚空・宝塔に亘るからです。

118顕正居士:2005/08/03(水) 21:25:54
虚空会とは見寶塔品第十より囑累品第二十二までのことです。虚空のことではありません。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~kosho/siryo001.html

霊山会全体なら霊山三会(りょうぜんさんね)というはずです。
「宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり」(兵衛志殿御返事、真翰完存)

119犀角独歩:2005/08/03(水) 22:02:21

> 118

そうですね。仰るとおりです。霊山一会とは二処三会で霊山か・虚空かということではありません。「霊山八年」の説法という法華説法の場を指します。そこを説法という側面から見れば二処三会となります。虚空会はしかし、多宝塔中の説法というほうが、また、正確と言うことでしょう。

ですから、「霊山一会」は法華説法の現場を指す用語であるとわたしは思います。その中から、時空を超えた虚空会なるものを夢想するのはナンセンスであるとわたしは記してきたつもりです。

120犀角独歩:2005/08/03(水) 22:06:01

> 119

まあ、しかし、こんなことは当スレからはかけ離れたテーマです。

121乾闥婆:2005/08/04(木) 21:42:33
>>107
犀角独歩さん。

>日蓮は「無始古仏」を言います。となれば、それは仏菩薩を己の心に観るという宗教的な境地であるにせよ、実際の上行の出現を待つ日蓮にとって、これが理念であるはずはありません。

久遠実成は、やはり現実相を超えていると思います。問題は蓮祖のその時代、久遠実成ということが、どのように受け止められる事態であるのかなのだと思うのです。「地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子也。寂滅道場にも来らず、雙林最後にも訪わず、不孝の失之有り。迹門十四品にも来らず。本門六品にも座を立ち、但、八品の間に来還せり。是の如き高貴の大菩薩、三仏に約足して之を受持す。末法の初めに出ざるべきか。当に知るべし、此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」。地涌・上行の出現とは理念の具現化ではないでしょうか。地涌の菩薩は地涌の菩薩として現れるのではなく、上行も上行として現れるのではなく、ある姿をとって現れるはずです。蓮祖の待つ「実際の上行の出現」とは法華経に語られる虚空会「八品の間に来還」した菩薩群の現実相における、ある姿をとった顕現であって、それを待つからといって蓮祖か観じた己心の仏菩薩が理念ではないとはいえないのではないでしょうか。己心に観じるがゆえに、「経に云く_我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数等云云。我等が己心の菩薩等也。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属也」といった言葉も出てくるのではないでしょうか。顕現されるものは実態的なものであるよりも、むしろ理念的なものなのであると思います。

>真跡遺文に「虚空会」はただ1回しか記述されていません。

確かに驚きました。しかも「霊山虚空会」とセットになった表現ですね。虚空会と霊山会は切り離せない関係にあるのですね。しかし虚空会で語られるところの久遠実成が、現実相を破るものであることには変わりはないのではないでしょうか。そうであるから「霊山虚空会」に参加している諸菩薩は驚き不審に思うのでしょうし、蓮祖も法華経の信じがたさとして、久遠実成をいわれるのではないでしょうか。

>虚空会は永遠の説処ではなく、後霊鷲山会が始まれば終了します。つまり、常住此説法は、「霊山一会儼然未散」、寿量品で言えば「常在霊鷲山…我浄土」、すなわち霊山浄土です。虚空会が久遠の儀式であるという考えは、日蓮のみならず、天台にもありません。

確かに虚空会自体は永遠の説処ではないのですね。了解いたしました。虚空会は永遠が語られる舞台ではあるのでしょう。しかし後霊鷲山会が始まっても、虚空会にて語られた「常住此説法」の釈尊像は残像として残り続けます。法華経は二処三会・八年の説法ですが、蓮祖は「今、本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり。仏、既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化、以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足三種の世間也。迹門十四品に未だ之を説かず。法華経の内に於ても時機未熟の故か。此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。何に況んや其の已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付属したもう」と虚空会の付属を持って、娑婆世界に常住浄土を見、仏の常住を見ています。そのこと自体は後霊鷲山会が始まっても、消え去らない観念なのだと思います。法華経の二処三会という構造の中でも、語られるところの久遠実成は現実相を超えていますし、そのことを蓮祖は正面から見ていると思うのです。そしてそのような釈尊や菩薩を内在化しているのではないでしょうか。

122乾闥婆:2005/08/04(木) 21:42:53
>>108

>それを宗教儀式のなかで見て終わりにすれば、それでは理念、観念の域でしょう。実態とは自分が心の実感であり、心身を尽くす人との関わりのなかにしかありません。

もちろんそのとおりです。しかしそれは宗教儀式のなかで見て終わりにした場合、です。理念・観念が不要のものかどうかということとは別問題です。理念も観念も私は必要だと思っています。そのようなものなくして人間は筋目正しく生きられるでしょうか。「心身を尽くす人との関わり」を形成する行動原理として理念が必要なのではないでしょうか。日々の煩雑な用件に流される日常の中で、そのような理念を持つ者と持たない者とは振る舞いにおいて違ってしまわないでしょうか。菩薩道に対する観念も理念もない者に菩薩道が行えるでしょうか。

>漫荼羅も、唱題も、そして、日蓮の教えも、その菩薩道に至る道標であることがわかります。

私もそのように思います。しかし道標はあったほうがいいのではないでしょうか。もちろん、それが道標であることを知っていることは重要なことであります。

>これは主客逆転です。初期仏教こそ仏教であり、いまわたしたちが思っているほうが仏教ではなく、宗教ではないのです。いまようやくと、科学的成果と思弁で、幾重にたまった澱と、垢が洗い流され、宗教と、仏教が見えてきたのではないでしょうか。

初期仏教はむしろ宗教批判としてあったのではないでしょうか。宗教批判としてあった仏教が宗教へと回収されていった、そして回収された宗教としての「仏教」を今の私たちは仏教と呼んでいるのではないでしょうか。

123モモ:2005/08/05(金) 05:55:06
お久しぶりです。皆様いかがお過ごしでしょうか。最近はこのスレッドを拝見するようになっております。あれから色々考えたのですが、大石寺の三宝義が正統ではないということは良く考えれば自明なことなのだと思うようになりました。

それにしても正宗の三宝義が正統であると何故信じ込んでしまったか、また創宗戦争もいわゆる茶番に踊らされていただけだったのか、というようなことを最近は考えています。

しかし、この掲示板で知り得たことを他の正宗信者に話そうという気にはなりません。今でも朝夕の勤行は勤行要点の通りにし、唱題は毎日一時間、そして毎月の登山参詣は欠かしておりません。私の中では唱題の功徳と御開扉の歓喜は本物なので、それはこれからも大事にしていきたいと考えています。

124犀角独歩:2005/08/05(金) 09:44:02

乾闥婆さん

ここでのテーマは「現代人が納得できる日蓮教学」ということですので、やや論点がずれてきてしまいましたね。しかし、押さえておくべき点がいくつかありますので、やや脱線して記させていただきます。

今回の乾闥婆さんのご投稿は、現代人が納得するというより、ご自身がこのように「納得していたい」というニュアンスと、わたしは読めました。

ここでのテーマは、日蓮がどのように考えていたかというのが一つ、次にその間替えのどの部分が21世紀でも通用するかが第2番目に考える事項というのが、当スレッド参加の意義と考えています。

> 久遠実成…現実相を超えている

日蓮の記述から、それを理念とするような‘不信仰’な記述は見られないと思いますが。

つまり、現代科学から見れば、ということではないでしょうか。
故福島源治郎さんが…学会は蛇蝎のように嫌いますが、わたしは蘇生の会の勉強会に何度か出たことがあります。しかし考えはまったく違いますが、それでも、…五百塵点劫を時間的に遡ったら今の宇宙すら存在していなかったはずだと言ったのをいまでもよく覚えています。しかし、これは今の科学的な成果を知っているからこその発言であるわけです。古代インド人にしても、上古鎌倉の日蓮にしても、四劫(常・住・壊・空)と認識していたとしても、十界衆生は永遠流転のものであったと思っていたはずでした。

乾闥婆さんは理念と実態と言う言葉をよくお使いになりますが、わたしはこの点に注目し、この言説を読むたびに、日蓮門下教学で言われる理事の三千が彷彿としします。
日蓮は理念は天台によっています。しかし、日蓮の自覚は、そこに留まりません。それまで、末法の初を在世以上に重んじ「仏意を推知するに、仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず。正像末の人の為也。又、正像二千年の人の為に非ず。末法の始め、予が如き者の為」と宣言する日蓮の自覚は、理念であるはずはありません。日蓮が求めたものは、常に釈尊が法華に、天台が釈義に記した理念が現実となる時を「末法今時」と睨んだ現実、乾闥婆さんの言葉で言えば実態にあります。

> 地涌の菩薩は地涌の菩薩として現れるのではなく、上行も上行として現れるのではなく、ある姿をとって現れる

ええ、もちろん、日蓮はそう考えていたでしょう。具体的には僧となり摂受、賢王となって折伏を為すという具体性です。つまり、自身僧として上行の自覚で摂受、日本を攻める蒙古は梵天帝釈の仰せを被った賢王折伏という具体性でしょう。


> …己心に観じるがゆえに、「経に云く_我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数等云云。我等が己心の菩薩等也。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属也」といった言葉も出てくるのではないでしょうか。顕現されるものは実態的なものであるよりも、むしろ理念的なもの

ここで乾闥婆さんは、一つの思弁上の混乱を来しています。これは多分、たとえば天台の止観の実践的な意味を読み取っていないためではないかと観察します。止観は全編をお読みになりましたか。

125犀角独歩:2005/08/05(金) 09:45:07

―124からつづく―

ここで日蓮が言う「己心に観じる」仏菩薩というのは、印度応誕の釈尊、八品来還の地涌菩薩ではありませんよ。日蓮己心の仏菩薩です。つまり、日蓮本人の一念三千です。日蓮によって、観念観法された仏界・菩薩界です。観法とは十法界ということで、止観禅で観念していく行法では一々の十界を観、十如を観、さらに百界、千如、三千不可思議境を観、さらにその三千・一なるを観るという座禅法が止観に記されるところです。ここで仏菩薩を観じることによって、自身が菩薩になることを自覚し、未来成仏を信じるための観察を言うのです。学会を含む石山系信者は天台を読まないためにこの当たり前の基礎を読み落とします。

この観念観法は寿量品に三妙合論として説かれる本因・本果・本国土を経証とし、天台止観を釈証とするので、日蓮はそれを引用します。そして、実際の菩薩道、成仏はいわばその追体験で可能になりますが、釈尊の三妙合論は衆生の体験ではありません。釈尊の霊山永遠の説法は我等の己心ではありません。これは釈尊=仏側のことです。しかし、我々はそれを己心でしか観じられないことを「一心欲見仏」から読むのが天台法華教学であり、日蓮が受容したところでした。つまり、これは日蓮が訓えた我等衆生側のことです。生・仏の異なりです。

以上の観念観法と、末法の初に上行等の四菩薩が出現し、具体的に久遠実成釈尊仏像が出現すると言うこととはしかし、理念(理の一念三千)が事実であれば、末法出現の上行等四菩薩久遠実成釈迦牟尼仏の出現(事の一念三千)も事実であり、故にその事を行ずる事行の一念三千、南無妙法蓮華経唱題の功徳も事実であるという一本のレールで考えていったのが日蓮です。ここでは理・事・行は一つのものと昇華して欠減がなく、始めて事実となる故に故に末法の初は正中正、日蓮が根本となると宣言するわけです。これが日蓮でしょう。これが理念に留まるはずはありません。現実として日蓮はとらえていたことになります。日蓮のような実践の人に観念の遊戯は無縁です。

いまここ娑婆世界(霊山)に釈尊は説法し続けている体感を、日蓮は南無妙法蓮華経と絶唱し、寿量本仏・仏像を祀る寺院の建立も予言するのが本尊抄です。それは理念ではなく、具体的な設計図とも言えるわけですが、これを「生命」なる魂の十界解釈のような珍妙な理屈でみると、一切の日蓮の具体性は霧散してしまいます。また、勤行唱題で体感できる世界などと思えば、空想、神秘の世界に埋没します。日蓮は瞑想のインナートリップに麻薬のように酔いしれるドラッガーではなく、実際の現実社会を、政治も含めて考えて、どうすれば変えられるか、それを変えるのは、娑婆世界は釈尊の御領である故に、その使者、流通を二千余年の印度において多宝塔中に誓った上行等の四菩薩の仕事として、現実のものとしてみていたのでしょう。ここに空理空論に耽る余地は、厳寒の佐渡に、絶体絶命の日蓮にはなかったと思います。

> 蓮祖も法華経の信じがたさとして、久遠実成をいわれる

違うと思います。日蓮にとって、久遠実成は事実であったのでしょう。実成の実です。それを事実として、とらえるに足りる臨死体験とも言える擬刎頭・遠流という過酷な体験が可能にしたのではないでしょうか。日蓮は理論家と言うより、実体験家であったことは、生身虚空蔵、不動・愛染感見という(日蓮にとっての)実体験によって証明されていたはずです。

> 本時の娑婆世界は…

これを理念と見るのは現代人の視点でしょう。
日蓮が言う霊山は、キリスト者が言うような天の国ではありません。無色界といった此土を離れた別世界ではありません。日本から海を渡り、中国を経て歩いていける地続きの場所です。これを時空を超えた別世界、天国のような世界を浄土と思うのが、キリスト教の影響でしょう。当時、印度の霊山は、現代、ロケットで行く月よりも遠い世界であったと当時の人は感じていたでしょうが、しかし、それはこの世の場所、須弥山が大地の中心であると信じられたように、この世の中心、寿量仏の住まいであり、その場所は劫火にも焼けない常住の浄土であるというのが本尊抄の記述でしょう。孫悟空の物語で言われる天竺のほうがキリスト天国よりイメージとしては近いはずです。この仏を、キリスト教の神、この地を天国のように感じるのは、明治以降の西洋文明に占拠された現代人の読み違いです。そんな誤謬は、実際の大地にある霊鷲山をイメージの世界に追いやり、時空を越えた虚空会というイメージ世界に追いやったということでしょう。

126犀角独歩:2005/08/05(金) 09:45:40

―125からつづく―

> 釈尊や菩薩を内在化

以上の次第ですから、これは観念世界に内在化された空論と、日蓮はとらえていなかったでしょう。

> 理念・観念が不要のものかどうかということとは別問題です。理念も観念も私は必要だと思っています。そのようなものなくして人間は筋目正しく生きられるでしょうか。

これはわたしの文章を誤解して記されているのではないでしょうか。
わたしは理念・観念が不用といっているのではなく、それを漫荼羅唱題で消化して満足する点を突いているのです。

> 菩薩道に対する観念も理念もない者に菩薩道が行えるでしょうか。

行えます。菩薩道という理念・観念があるから菩薩道があるのではありません。菩薩道と、後天的に名付けられた理念・観念と実践が本来、人間に具わっていたからこそ、菩薩道は言われるようになったのです。これもまた主客が逆転しています。

ただ、もちろん、菩薩道が言われるようになったあと、経釈を引いて、それを教えることはけっこうなことですが、それをしかし、一教団内の利得、信者僧侶の搾取の理論として使用することは非難されるべきであるというのがわたしの信念です。また、菩薩道とは対他的…、現代語で言えば、社会的活用ですから、対社会・対個人に向けない単なる理念としての菩薩道など有りえず、もしそのようしか捉えなければ、それはただの空理空論だというのがわたしの言いたいことです。いわば、漫荼羅唱題のなかでしかない菩薩道は、絵に描いた餅に過ぎないというのが、わたしの言いたいことです。
仏菩薩が理念化してしまうのは、漫荼羅唱題で事足りるという自己満足でのことではないでしょうか。

> 道標はあったほうがいい…道標であることを知っていることは重要

しかし、道標はしるべであって、道ではありません。その道を歩かず、道標を拝んでいても前に進まないと言うのが、わたしが記してきたことです。

> 初期仏教はむしろ宗教批判としてあったのではないでしょうか。宗教批判としてあった仏教が宗教へと回収されていった、そして回収された宗教としての「仏教」を今の私たちは仏教と呼んでいるのではないでしょうか

ここは、わたしには何を書かれているのかよくわかりません。
「宗教批判」というのは昭和30年代に読んだ『折伏教典』の主要テーマでした。
シャキャムニはバルナという階級差別でバラモン階級に特権化されていたものを下階級との禁婚で生じたものへ解放したというのが実際のところであったとわたしは認識しています。宗教?を批判というのは何のことであるのか皆目理解できません。
「仏教が宗教に回収」となると想像もつきません。

ここで言語既定をしないと混乱するので、いたしましょうか。
「宗教」という語は、法華経では見られませんが、天台は玄義で、妙楽もその釈で挙げ、伝教も使用します。しかし、日蓮遺文には見らません。この段階での宗教はしかし、いま言われる宗教とは意味を異にしていると思います。現代語の宗教は、天台已来使用されていたこの佛教用語を、西洋の religion の訳語として使用されてしまった段階からその意義と意味は大きく変わってしまいました。 

ここら辺の概念規定は乾闥婆さんでは、どのようになっているのかわかりませんので、該当の記述を判読することができませんでした。レクチャーいただければと存じます。

127犀角独歩:2005/08/05(金) 12:02:24

―126からつづく―

現代人は法華経が3000年前にインドでシャキャムニが説いたものでないことを知っています。ということは久遠実成が物語であることも当然、認知することになります。

では、日蓮はどうであったのでしょうか。乾闥婆さんの述べるところでは、法華経の説法は事実としてとらえていたが、久遠実成は理念としてみていたということになるのでしょうか。

しかし、このように日蓮の法華経観を見ると、日蓮教説は成り立たなくなります。
何故か。日蓮の考えでは、法華の要法たる南無妙法蓮華経を上行等が付属し、それを末法に弘めるということは、紛れもない事実だったからです。では、、他の迹仏、他土菩薩を斥けて、上行等にこれを託したかといえば、それは久遠成道の釈尊(寿量仏)の初発心の弟子であるからです。インドにおける付属は、事実だが、久遠下種は理念であるとなると、まこの上行等が菩薩になった因がないことになります。これでは法華経は成り立たないわけです。

つまり、3000年前の法華説法とその付属が事実であれば、その付属をした仏がいつ仏になり、その仏の下種が誰であるのかという因縁果報を論理的に充足させるためには久遠実成、久遠下種は事実でなければ論理は破綻します。

わたしが日蓮が事実としてとらえていたというのは、そのような意味です。


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