鈴木さんがNo.92で重要なご指摘をされたように、シラーが最初に第九の『歓喜の歌』の元になった詩を書いたのは1785年(1786年?)ですが、この時の題名は『Hymmne a la liberte(自由賛歌)』であり、1803年になって、一度シラーによって『An die Freude(歓喜に寄せて)』書き直され、後にベートーヴェンが第九の第四楽章の合唱向けに冒頭部分の追加修正を行っております。
この間の歴史の変遷につきましては、先に鈴木さんからご提示頂いた年表と当時の欧州、特にフランスやドイツ辺りの歴史と対比してみれば何が起こっていたか気が付くことと思います。もちろん、彼が何に影響を受け、どのような影響を与えてきたかについても。。
特に鈴木さんから既に続けてコメントが投稿されておりますように、Christian Gottfried Körner(日本語では「ケルナー」と呼ばれることが多いようですね)は要着目です。
鈴木さんからの投稿を受けて、Wikisourceを確認し、シラー版の『An die Freude (Schiller)』とベートーヴェン版の『An die Freude (Beethoven)』、そして過日ご参考までに貼り付けた『交響曲第9番』のURLに記載されている歌詞(原文と対訳)、更に同じく手元にある書籍からの原文と対訳を一通り比べさせて頂きましたが、そもそもベートーヴェン版『An die Freude (Beethoven)』はオリジナルのシラー版『An die Freude (Schiller)』から、想像していた以上に存在していない詩が多いですね。
英訳して頂いたおかげで助かりましたが、No.100とNo.101における7行目のご指摘については、その前の6行目と7行目自体がベートーヴェン版とシラー版では異なっており、ベートーヴェン版では、
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
(時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる)
ですが、シラー版(シラーの原詩)では、
Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,
(時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)
小生の知らないうちに盛り上がっていることに大変喜ばしく。
『Hope on the deathbeds』に触発されているわけではございませんが、愚生なりに今際の際のセリフがそれなりに分かりつつあります。しかるがゆえに、生きている間のその人物の生き方を表すものであるのかもしれない云々というものも愚生なりに認識しております。
いずれにしても、如何に「生」をまっとうすることができるのかにヒントがあるのかなと思っております。詳細は明日以降にて。
この番組が今日(こんにち)の日本のクラシックブームの火付け役となり、先に申し上げた通り、その勢いは現在に至っても止まることなく、今年正月には二夜に渡ってヨーロッパへ舞台を移したスペシャル番組が組まれ、パリのコンセルヴァトワール(ドラマで使われたのは『Conservatoire National Superieur de Musique』ではなく『Conservatoire national superieur de musique et de danse de Paris』のようでしたが)など、現地の本物の舞台が使われ、内容も視聴者へより深い楽しみを与えてくれるものであったと思います。