したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

1尾崎清之輔:2007/11/04(日) 22:20:25
まず、はじめに、このスレッドのタイトルを付けるにあたって、数日ほど悩んでしまった。

当初は、秋という季節にちなんで『芸術と読書と食について』というような名称にして、そこから徐々にリベラルアーツへ展開していくことを目論もうと考えたが、『食』については長い間このテーマを文明論的な視座で捉えられている素晴らしい塾生の方がいらっしゃるし、読書については既に『戦後日本の十大名著とは』と『最近読んで印象的だった本』の2つのスレッドが存在しているため、残りは『芸術』ということになるが、これも既にフィボナッチ数列やラチオについて語られているスレッドが存在していること、芸術のサブセットである音楽ひとつとっても、たかが1000枚程度のクラシックCDやDVDの所有と、実際の鑑賞に出向いた数が100回にも満たないくらいではこのようなテーマを専門にして語ることは誠に恐れ多い。
更に「秋という季節にちなんで」という考え方では、一過性もしくはそのシーズンにならないと盛り上がらなくなってしまいかねない危険性がある。
よって、このようなタイトルを付けさせて頂くに至ったが、良く考えてみたら(…というより実は考えるまでもなく)最も大層なタイトルを付けてしまったため、提唱者である私にとっては文字通り『無謀な挑戦』となること必定であろうが、このテーマを出来るだけ長期に亘り続けていくことで、藤原さんの近著(KZPやJZP)で触れられていたリベラルアーツに少しでも近付くことができるよう、私自身、修養を重ねていきたいと思うが、実際のところ本場のリベラルアーツである「自由七科」を学んだわけではないので、教養(リベラルアーツ)とカッコ付きにさせて頂いたことをご了承願いたい。

もう1つのテーマである場創り(共創)については、これまでも何度か取り上げられてきた内容ではあるが、本来あるべき姿としての「場」は広がりを持つ系であり、私が「場」と言われて出向いたその多くについては、残念ながら閉じた系である「空気」でしかなかったことだ。
従って、これも前者の教養や修養と密接に関わりを持つことで、開いた系としての「場創り」に向けられるのではないかと考えたことから、この2つのテーマを一緒にさせて頂くことにした。

さて、前置きが長くなり過ぎて辟易としたでしょうから、そろそろ本論(まずは序文)に向かいたいと思う。
「共創」と言えば同音異義語に「競争」があるが、これは、いみじくも正慶孝さんが自著で看破されていた、現代のIT社会を司る「Communication」「Control」「Computation」といった3つの「C」に対して、私からもう1つ「Covetous(貪欲な)」を加えさせて頂くと、たちまちにして「賤民資本主義(パリア・キャピタリズム)」という人造ダイヤの4℃を構成することになってしまい、これが現代における「競争」の本質を示しているのではないかと考える。
日本におけるマックスウェーバー研究の泰斗である中村勝巳慶大名誉教授が20年前から仰せのように、まともな躾を受けぬまま「カバレリア・ルスティカーナ」の限りを尽くし続けてきたことが、最近のクライシスの根底にあると私も考えているが、これは亡国云々以前に、人間のあり方そのものの問題として捉えられるべきではないかという意味で、中村博士の意見に共鳴を覚える。
尚、蛇足だが、今夏来日したパレルモ・マッシモ劇場の「カバレリア・ルスティカーナ」を観て、これまで何度も同じ作品を観たにも関わらず、中村博士の仰った意味が漸く正しく理解できた気がする。
場創り(共創)に向けては、同じ「Communication」という言葉であっても、「通信(としての手段)」ではなく「人間同士の意思の疎通」が肝要であり、これに「Confidence(信頼、信用)」「Conscience(良心、分別)」「Coexistence(共存)」または「Covivence(共生。但しsymbioticという意味とは関係ない)」を加えて磨き続けることによって、自然が創り出した原石である天然ダイヤに4℃の輝きが増していくのではないかと思っている次第だ。

※上記の「ダイヤ」はメタファーとして使わせて頂いた。

73尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:25:32
年末の大掃除に伴い、整理整頓を続けておりましたところ、過日の書籍300冊云々どころの話ではなく、無用の長物が矢鱈と多いことに気が付き、先程まで片付けるのに大変な状況でした。
一旦というか、漸く収束が付きましたが、まだまだあれもこれも捨てたいと思う物が一杯見つかりました。これも、日頃の行いが肝心ということを改めて知った次第です。

そのような中、私の親族のある方(現在は故人)から頂いた10年ほど前の年賀状を見つけ、さり気ないその文面の美しさに思わず目がとまり、頂いた当時、忙しさにかまけて賀状のやり取り以外はすっかり疎遠になっていた自分を恥ずかしく思いました。
読書家で、且つ学生時代には日本各地の寺を廻って巡礼するのと同時に、スポーツカー好きでもあった彼は、私が幼少の頃から何台も乗り回しており、30年以上前にポルシェ911ターボを所有されていたので相当のマニアだった思います。
卒業して教職を務めた後、暫くして親の会社を継ぐこととなりましたが、常に読書は欠かさなかったようで、私の手元にある何枚かの賀状の文面を拝読する限りにおいても、それらが感じられます。
そんな故人に今夜は敬意を表しつつ、その一部を以下にご紹介させて頂きます。

◆国ありて、その下に民草は折り敷き、という朦昧たるこの国の濃霧、晴らしたし。


さて、明日(既に今日ですが)の東京は、気温はやや上がるものの、この時期には珍しく雨模様でお昼頃までは降り続きそうです。
年末で皆様いろいろやることがあって慌しいでしょうから、早めに晴れることをお祈り申し上げます。

74尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:30:52
私にとって、半ば年末行事と化しておりました『ベートーヴェン 交響曲第九番』の鑑賞ですが、今夏に東京フィルによるベートーヴェン交響曲のチクルスを聴いていたことや、年末に鑑賞できる主要なオーケストラの第九はここ数年で一通り聴いてしまったこと、更には所有している歴史的な名演のCD及びDVDが数多くあることなどから、今年末はあえて鑑賞に出向くことを止めました。

この話題と関連して、久しぶりにブログ『toxandoria の日記、アートと社会』から、第四楽章の合唱部である『歓喜に寄す』について触れた文章をご紹介させて頂きます。
ちなみに原文では『ベートーベン』となっておりましたが、統一性を保つため、引用者にて『ベートーヴェン』とさせて頂きました。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071222

◆ベートーヴェンはシラー(ゲーテとともにドイツ古典主義の代表者)の詩『歓喜に寄す』を第四楽章の歌詞に取り入れた『Symphony No.9 in D minor、 Op.125』を作曲しています。晩年にシラーが重視した精神的自由には、ゲーテの「ヒューマニズム」と「プロテスタントの救済の精神」に通ずるものがあり、それは産業革命(科学技術発展≒頑迷固陋で殆どカルトに近いという意味での制度設計主義)の台頭と賭博化した資本主義経済の発達によって分断され孤立化した一般民衆への励ましでもあったと見なすことができます。


尚、2007年12月27日付の同ブログの記事においては、EUにおけるリスボン条約の意味するところと、日本の相変わらずというか、政・財・官・業とも全てひっくるめた、余りの政治的社会的貧困さとの対比も優れていると思いましたので、以下にURLをご紹介します。
同じ記事中の、ミュンヘン、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、フュッセン・シュバンガウ、ローテンブルク・オプ・デア・タウバー、ハイデルベルク、ライン川クルーズ、といった風景画像の観賞と併せてご一読頂けますと幸いです。

◆市民の厚生を見据えるEU、軍需利権へ媚びる日本/リスボン条約の核心
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071227

75尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:52:09
(No.74の続きです)

この第四楽章の合唱部の対訳については、原語に近い内容のものから、日本人にも分かりやすい解釈へ改められているものなど、かなりの数が出ておりますが、私自身ドイツ語を解せないため、どの訳が適切かは分かりません(…と言っても誰にとって適切かという重要な観点は抜いております)。
従って、ここではWikipediaの外部リンクにあったサイトと、私の手元にある、『ベートーヴェン事典』(東京書籍)からの抜粋をご参考までにご紹介させて頂きます。

◆ベートーヴェン交響曲第9番 −曲目解説− より(Wikipediaからの外部リンク)
http://kcpo.jp/legacy/33rd/b-sym9top.html#head


◆『ベートーヴェン事典』(東京書籍)からの対訳抜粋
おお友よ、この調べではない!
もっと快い調べとともに声を合わせよう、
喜びにみちた調べに!
(ベートーヴェン)

歓喜よ、美しい神々の輝きよ、
天上の楽園からの乙女よ、
我らは情熱にあふれて
天国の、汝の神殿に足を踏み入れる。
汝の不思議な力は、時流が
厳しく引き離したものを再び結び合わせる。
すべての人々は兄弟となる、
汝のやわらかな翼がとどまるところにて。

ひとりの友を真の友とするという
大きな難事を成し遂げた者、
また優しき妻を得ることができた者、
そのような人々は歓声をあげよ!
そうだ、この地上で
一つの魂でも自分のものと呼び得る者も!
しかしこれをできなかった者は
涙を流しながらこの集いから立ち去れ。

すべてのものは、喜びを
自然の乳房からのみ
すべての善なるもの、すべての悪なるものは
自然のばらの小径をたどる。
自然は我らに接吻とワインを与え
死の試練を経た友を与える。
快楽は虫けらにすら与えられており
そして天使は神の前に立つ。

多くの星々が、天の完全なる計画によって
喜ばしくとびかけるように
走れ、兄弟たちよ、汝らの道を、
勝利に向かう英雄のように喜ばしく。

互いにいだき合え、もろびとよ!
この接吻を全世界に!
兄弟たちよ、星の天幕の上には
愛する父が必ず住みたもう。
地にひれ伏すか、もろびとよ?
創造主のあることに気づいたか、世界よ?
星の天幕の上に神を求めよ!
星の彼方に神は必ず住みたもう。
(フリードリヒ・シラー)

76尾崎清之輔:2007/12/29(土) 14:02:02
私の願いが通じたのか(笑)、それとも天の気紛れか、昨夜からの雨模様だったお天気も、私の居住している地域では、今日の午前の比較的に早い段階から上がりました。尚、都内でも午前中には上がったようですね。

さて、先週のうちにマイケル・ポランニー(著)『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)を精読し終わり、幾つかの投稿において、引用と若干の感想を述べさせて頂きましたが、自らのものとするには、まだまだ何度か読み直す必要性を感じております。
しかも、前にも申し上げましたが、『個人的知識―脱批判哲学をめざして』(地方・小出版流通センター)へ至るまでには相応の時間が必要であると改めて思い知りました。
そこで、現在は『暗黙知の次元』の再々読とともに、同じ著者による『創造的想像力』(ハーベスト社)を読み始めておりますので、読み終えた段階か、または途中で何かしら気が付いた段階で、投稿させて頂くつもりです。
尚、この『創造的想像力』では、「直観」の意味と重要性についても明確に述べておりますので、必読と考えます。

77田中治:2007/12/30(日) 12:50:19
今年も残すところあと僅かとなったが、慌しい年の瀬の生活の中で今年1年を振り返っている。今年新しく出会った人々、これまで培った友人知人そして家族、人との出会い・語らいからは人生の豊かさを実感すると共に多くのことを学んでいることに改めて気づく。また今年新たに出会った書籍の数々、振り返るとどれも手応えはあったが、
このスレッドでも尾崎さんが何度も引用と共に触れられていらっしゃるように、「丸山真男 音楽の対話」
は別格の読後感が残った。「日本の思想」(丸山真男著)と共に読み進めたのだが、あまりに深い本質的な内容
を含んでおり、日頃の問題意識に対するヒントや答えを得た思いでいっぱいになり、心から感動を覚えた。
今年は、個人レベルでも社会レベルでも、強いてはインフォメーションレベルで伝わってくる国家レベルの諸問題においても、「身体における背骨」の役割と同様、「精神における背骨」としての思想や理念の不在がどれほど人間の生活そして社会に影響を及ぼしているかを痛感せざるをえないようなことが続き考えさせられた年となった。これまでだって感じないことはなかったのだが、今年はより大きく感じていた時に、改めて丸山思想の一端に触れ、そこに自分なりに多くのヒントを見つけたので、自分のできる範囲で未来に実践したいと思っている次第である。
 日本ではこの時期そこかしこでベートーヴェンの第9交響曲が鳴り響いている。しかし、この曲は本来、その年1年を祝うといった歳時的なレベルの内容ではないはずだ。欧州ではEUの歌に制定されており、またベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一したときに東と西の人々が共に歌ったのも第九だった。この曲の中に哲学・思想・理念が在り、
近代以来の精神的な背骨としてこれほど偉大な曲は他にないからであると思う。丸山は言っている。
「・・・・・バッハは神のために、ハイドン、モーツアルトは現世の人々のために音楽を書いたけれど、ベートーヴェンは人類に向かって呼びかけを行った。「第5」や「第9」はその典型です。音楽の中に哲学があるのです。・・・・」
(「丸山真男 音楽の対話」中野雄著 P.73ページより)
フルトヴェングラーのベートーヴェンを聴いていると、ベートーヴェンという作曲家と彼の生きた時代の「創造」とフルトヴェングラーという指揮者と彼の生きた時代の中で作り上げられた「追創造」が大きく相まり、偉大な寓意図を読み解いた時と同じような言葉では言い表せないほどの感動はその響きの中で人生観を変えるほどである。
その存在と精神の気高さ(昨今日本で流行の「品格」などという言葉では言い表せない)と丸山が繋がっていたことが
読者として大変嬉しかった。
クラシック音楽の世界では、これから先どのような偉大な芸術家を生み出し我々に「追創造」を聴かせてくれるのだろうか。そのこととこれからの時代がどうあるかは密接に関わっているし、すなわちクラシック音楽の未来のみならずすべての芸術文化にいえることだろうと思う。

78田中治:2007/12/30(日) 12:55:33
ところで、最近、個人的に注目している芸術家にイギリス人やイギリスに在住している人が多いことに気がついた。もちろんドイツやフランス、スペイン、北欧とヨーロッパのあらゆるところから優秀な芸術家が輩出されているとは認識しているが、イギリス系はなかなか一筋縄ではいかない。「伝統」に則ってみると「正統」ではない筋なのだがこんな時代には柔軟な聴き方・見方が必要と思い、枠にとらわれずに聴くようにしている。 イアン・ボストリッジという若いテノールが歌うシューベルトはなかなか素晴らしいと思う。リート歌手として日本でもコンサートやCDで人気のようだが、これまでとはちょっと違った歌手のようだ。経歴も興味深い。ケンブリッジとオクスフォードで哲学と歴史を勉強し、博士論文のテーマは「中世イギリスにおける魔女について」だとか。音楽大学で専門教育をうけたことはなくほぼ独学でコンサート活動を行っているのだから、大変にユニークでイギリス人好みの生き方を体現しているように思う。 ピアニスト内田光子もイギリス在住で、以前雑誌で日本の音楽界について批判していたのを読んだ覚えがあるのだが的を得たものだったので印象に残っているし、演奏もモーツアルトやシューベルトは自由な楽想で美しかった。
ベルリンフィルの常任指揮者サイモン・ラトルもその活動内容には目を見張るものがあり、賛否両論あるだろうがなかなかユニークな存在だ。丸山真男の言うように、音楽が生命体であるならば、今後、作曲界におけるベートーヴェンや指揮者におけるフルトヴェングラー、ピアニストにおけるケンプはもう出てこないであろう。しかし、我々は、後ろを振り返りそこから学びつつも、前を向いて歩んでいくより他ない。テクニックが素晴らしいだけならこれからの世界はロボットに任せたらいいのだし、人間にしかできない領域となるとインタンジブルな価値を内包していることが必要だろう。藤原博士によるMTKダイアグラムの図の普遍性を思い出しながら今後の価値観の在り方の行く末を音楽の話題と共にしばし考えるのも無駄ではないと思う。

79尾崎清之輔:2007/12/30(日) 19:18:04
一昨日、ベートーヴェンの交響曲第九交響曲に関する投稿をさせて頂きましたが、先日の大掃除で私の蔵書に眠ったままとなっていた書籍を偶然見つけました。

◆『ベートーヴェンの「第九交響曲」―“国歌”の政治史』エステバン ブッフ(著)(鳥影社ロゴス企画部)

BOOKデータベースには、以下内容が記載されており、それなりの厚みを持つため、こういうお休みの時期でないと手に取らないでしょうから、この際、一挙に読破してみようと思います。

◆その最終章の『歓喜の歌』が、今やEUの歌にさえなった『第九』、その政治的読解を試みる。『第九』が誕生するまでの思想的・歴史的背景、誕生以後の『第九』の政治的受容をダイナミックに捉える。

また、田中さん仰せの通り、この曲は本来、その年1年を祝うといった歳時的なレベルの内容ではなく、書籍の帯にも以下の通り明確に書かれてありました。

◆ヒトラーは自らの誕生日を『歓喜の歌』で祝った。しかし一方、強制収容所のなかに至るまで、人々はこの曲で彼に抵抗した。
『歓喜の歌』は、常にオリンピックで鳴り響いている。ついこの前、サラエボでも響き渡っていた。この曲はまた、人種差別の国、ローデシアの国歌であった。今日ではEUの歌である。


尚、第九交響曲の成立は19世紀前半(作品完成時期は1824年5月)であり、これは、欧州において、産業革命を経て、近代国家群と国旗ならびに国歌が成立した後ということになると思いますが、そのあたりに、以前ここの掲示板で大変盛り上がった「国旗とミランダ」の話にも繋がるのではないかと考えつつ、読んでみたいと思います。

◆交響曲第9番(ベートーヴェン):Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

80尾崎清之輔:2007/12/30(日) 19:49:03
ご参考までに、第九の映像作品について、以下に幾つかURLをご紹介させて頂きます。ちなみに私個人としては、第三楽章全体と、第四楽章の真ん中あたりにある『Allegro assai vivace−Alla marcia』の管弦楽のみによる演奏から、「歓喜」の合唱に至る部分が最も好きです。

◆フルトヴェングラー指揮+バイロイト祝祭管弦楽団の演奏(1951年)をBGMにしたイメージ映像。
・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part1
http://www.youtube.com/watch?v=FRQ2fb6w7P0

・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part2
http://www.youtube.com/watch?v=L494cJlP98I

・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part3 (end)
http://www.youtube.com/watch?v=v7Pvib56teI

◆フルトヴェングラー指揮&BPOによる戦前ライブ(1942年)の抜粋より。彼の指揮ぶり(≒文字通りの意味での生きた音楽の肉体化)が良く分かります。
・Furtwangler on 4.19.1942 Full edition
http://www.youtube.com/watch?v=Yqff1F0Ijn0

尚、演奏後にゲッペルスと握手したシーンは敗戦後に物議を醸したことは有名ですね。

◆フルトヴェングラー亡き後にBPO常任指揮者(後に終身指揮者&芸術監督)に就任したカラヤン&BPOの演奏です。こちらは第一楽章から第四楽章までフルバージョンです。
・Karajan - Beethoven Symphony No. 9:Part 1
http://www.youtube.com/watch?v=O2AEaQJuKDY

・Karajan - Beethoven Symphony No. 9:Part 2
http://www.youtube.com/watch?v=cSEqQsAXbJw

81田中治:2007/12/30(日) 22:09:13
尾崎さんが早速ベートヴェンの第九について呼応してくださり、Youtubeでフルトヴェングラーの戦前の演奏に接することができるとは知らなかったので教えていただき大変感謝申し上げたい。早速フルトヴェングラーとカラヤンの映像つきの第九の演奏を鑑賞した。ナチスの旗のもとでタクトを振るフルトヴェングラーの姿は大変に貴重な映像であり、百聞は一見にしかずと言う通り、歴史の真の姿に対峙できる一級の資料ですね。フルトヴェングラーの指揮姿やその演奏はさることながら、当時の観客の表情を写したシーンも、非常に印象に残った。
「明日がない、これが最後のコンサートかもしれない、と覚悟したとき、人間はこんな音楽をやるんだねえ。・・・・・人類の音楽は、フルトヴェングラー戦時中の音楽をもってその頂点とするんじゃないだろうか。戦後の録音、とくにスタジオで作ったLPにはこの凄みが欠けるんです」・・・・・・・・・・・・
「でもあんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら「音楽」とは何なんでしょう」・・・・「人間の本質にかかわるテーマですね」・・・・(「丸山真男 音楽の対話」(中野雄著)P233~234より抜粋)
尾崎さんが所有されている書籍もご紹介くださり感謝申し上げたい。是非私も取り寄せて読んでみたいと思っております。ヨーロッパの演奏会では年末に第九が恒例化していないし、逆に第九を演奏するときは何か意味のある出来事に即して演奏するのが大体だ。第九は彼らの偉大なる遺産であり、共通の理念の象徴なのだと思う。血肉なのですよね。日本では興行的な効果を期待して始まった現象だと専門家の口から聞いたことがあるが、それにしても日本人というのは、こういった現象にある意味無頓着で居られるのだということに同じ日本人として改めて驚くと共に、それを「バッソオスティナート」と表現した丸山真男には尊敬の念を覚える。

82尾崎清之輔:2007/12/31(月) 01:06:54
フルトヴェングラーとカラヤンの第九を演奏された映像作品を早速ご鑑賞いただき、また第九の意味するところから、日本の古層であるバッソオスティナート(執拗低音)へ繋げていただきました田中さんへは、誠に感謝致します。

ところで、No.78におきまして、田中さんが仰っていられた、現在のBPOの常任指揮者サイモン・ラトルの活動内容につきましては、私も以前から着目しており、就任当初は外野がいろいろと五月蝿かったようですが、3年前の『ベルリンフィルと子どもたち』あたりから少しずつ何かが変わりつつあると思い、今年6月にベルリン郊外で開催されたヴァルトビューネコンサート(通称:ピクニックコンサート)をNHKのBSハイビジョンで偶然視聴した際には、漸く新生BPOの音創りの意味するところが明確になってきたようで、ラトルとBPOが一体となった瞬間を垣間見るような気が致しました。

今年のヴァルトビューネコンサートは、「狂詩曲(ラプソディー)」を中心としたテーマでしたが、中でも圧巻であったと思ったのが、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲 作品43』で、スティーブン・ハフ(ピアニスト)とラトル&BPOとの協演には深い感動を覚えずにはいられませんでした。
ラトルも、BPOのメンバーも、おそらくお互いに成長しあうということへの喜びを見出したのではないか、そして、そのような「表現」を創り出した『場』から『共創』が生まれ、聴く者に対してある種の感動を伝え、覚えさせるに至ったのではないか、そんな想いでした。

尚、コンサートの模様がYouTubeに載っておりましたので、ご参考までにお知らせします。

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 1
http://jp.youtube.com/watch?v=OFM_LxkR6Yc

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 2
http://jp.youtube.com/watch?v=yhZkC8trqKQ

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 3
http://jp.youtube.com/watch?v=kXkLghuoIJc

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 4
http://jp.youtube.com/watch?v=epsIWa7EZnU

83田中治:2007/12/31(月) 05:18:16
尾崎さん、昨年のヴァルトビューネの映像と演奏のご紹介をありがとうございます。小生は2001年のヴァルトビューネを現地で鑑賞した経験があるのですが、
それは感動的でした。プラシド・ドミンゴの指揮でスペインの音楽をたくさん演奏していた記憶があるのだが、とにかく「場」としてのヴァルトビューネ
は素晴らしく、ヴァルトビューネは“Waldbuehne”文字通り「森の舞台」で、演奏はもちろんすばらしいのだが、石の客席の上に
それぞれ持参したクッションを敷いて座り、またまたそれぞれが持参したバスケットの中にはワインやチーズ・サンドイッチが入っていて
それをおもむろに開けほおばりながら仲間同士乾杯をして皆思い思いに開演を待つ。その間夕日が沈み、空が徐々に暗くなり、自然が幕開けを予告
してくれる。日が沈むとザワザワとこれまた森の木々が夜風に乗ってざわめき始める。それぞれが良い気分に浸っているときに、照明がつき
BPOの素晴らしい演奏が始まる。あれは一度体験すると病みつきになるのではないか。尾崎さんが「場」から「共創」という言葉を使っていらっしゃるが
ヴァルトビューネはサイモン・ラトルという指揮者の個性にはとりわけうってつけの「場」であるように思う。

ところで、BPO創立125周年記念を前にDie Welt(ドイツの高級紙のひとつ)と共同でBerliner Philharmoniker im Takt der Zeit(ベルリンフィル
ハーモニカー その時代のタクトの中で)という12枚組のCDが発売されており、ひょんなことから今年知人に頂いたのだが、これがなかなか興味深い。
中に冊子が入っており創立以来歴史的な事象と合わせてベルリンフィルがどのような変遷を辿ったかを時の常任指揮者のそれぞれの時代と合わせて
紹介されている。ここにも、音楽が単なる表層的なお飾りではなく、時代に翻弄された人々の心の支え、精神的な背骨のひとつであり、人々の血と肉
になっていることを実感する。12枚のCDは二キシュからラトルまで往年の常任指揮者たちの演奏が入っているのだが、BPOが各指揮者のどの演奏を
ピックアップしているのかに興味が湧いてよく見ると、因みにフルトヴェングラーのCDには3曲収められており、
ベートーヴェンの交響曲第五番(運命):1943年6月30日
モーリス・ラベルのダフネとクロエ:1944年3月22日・20日
ベートーヴェンの交響曲第一番:1954年9月19日 
であった。やはり1943年6月30日の第五が入っており、一方でフランス物であるラベルも、信じられないぐらい美しい。最後の第一は、死の2ヶ月前の演奏で、BPOとの最後の演奏であった、と記されているが、その演奏をあえて言葉で表現する気にはならない。

尾崎さんも仰るとおり、サイモン・ラトルはこの数年、「未来」を強く意識した活動を通常のシーズン以外にも力を入れているようであり、おそらく彼なりの
思想があるのだと個人的に注目している。その思想にBPOが感応してまさに尾崎さんが仰るところの「場」から「共創」へと変容している。後期アバド時代の重厚で真摯でそれでいてヒューマンなBPOも素晴らしかったが、ラトルは21世紀の幕開けと共に新しい生命力を吹き込んだようで、今後も楽しみだ。31日のジルヴェスターコンサートは日本でもライブで放送されるようだから、ご興味がある方は是非ご覧ください。
末文ではあるが今年後半、尾崎さんによる本スレッドでは、たいへん多くのことを学ばせていただいており、この場を借りて心より感謝申し上げたい。
皆様どうぞ良い年をお迎えください。

84尾崎清之輔:2007/12/31(月) 10:37:08
田中さん仰せの通り、ベルリン郊外にある森に囲まれたヴァルトビューネ野外音楽堂でのこのコンサートは、通常の劇場でのコンサートと異なり、皆々、思い思いのカジュアルなファッションに身を包み、サンドウィッチやワインなどの入ったバスケットを持参して、観客と演奏者が一体となり、文字通りのピクニックコンサートと呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出しております。

私は、そのあたりにも、欧州における「精神における背骨」としての思想や理念を感じさせ、延いては精神の気高さ、つまり『精神の貴族性(アリストクラシー)』に繋がるものがあると思っております。

さて、今年を締め括る言葉として、このスレッドを立ち上げてから僅か2ヶ月にも満たない短期間で、我ながら良くぞここまで書き続けることができたという思いがございますが(実は今だから申し上げられますが、スレッド立ち上げ直前の頃には数日で挫折しそうであるという私信を送ったこともございました)、これからが始まりであり、今年の感謝の言葉は直接的に、または掲示板を通して、様々な箇所に散りばめることでもお伝えさせて頂いておりますが、来年の目標に、暗黙知と複雑系(主に「共鳴場」「共鳴力」「共進化」)のシンフォニーを念頭に置くことで、普遍的価値を持つ藤原博士のMTKダイアグラムの知識集約型における現在と近未来の在り方を考えつつ、人間にしかできない領域であるインタンジブルな次元への展開(表現や価値創りなど)を行っていくことができるよう励みたいと思いますので、今後もより一層のご指導とご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

本年はどうも有難うございました!
今年も残すところ僅かとなりましたが、皆様どうぞ良いお年をお迎え下さい。

85佐藤:2007/12/31(月) 15:48:03
尾崎さんと田中さんの仰っておられる、ピクニックコンサートですが、ここロスアンジェルスのハリウッドにもあります。多分ドイツの真似をしたのでしょう。ハリウッドボールと言って、約1万人収容のハリウッドのど真ん中の山と山の間にあり、各自思い思いのワインと食事を持ち込んで演奏を聞いております。夏の間、毎日演奏が行われます。クラシック音楽に縁遠いと思われる当地ですが、皆楽しんでいます。

86尾崎清之輔:2008/01/01(火) 22:41:30
新年、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
また、皆様におかれましては、良い子年を過ごされますよう、心よりお祈り申し上げます。

本日は先程まで『ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート2008』を視聴しており、今もその余韻に浸っているところです。
毎年、話題となる指揮者の選出と演奏作品、そして視ていて楽しくなる演出ですが、今年はフランス・クラシック音楽界の大御所で、ニューイヤー初登場かつ史上最高齢(83歳)のジョルジュ・プレートルがタクトを振り、演奏された曲も例年とは趣向が異なり、非常にユニークなものになったと感じました。

その演奏は、『ナポレオン行進曲 作品156』からはじまり、『パリのワルツ』や『ベルサイユ・ギャロップ 作品107』といった、これまでのニューイヤー・コンサートでは演奏されなかったと思われるフランス関連の曲や、『ルクセンブルク・ポルカ』、『ロシア行進曲 作品426』、『中国風ギャロップ』、『インドの舞姫 作品351』などといった多国籍に渡った選曲であり、シュトラウス一家のレパートリーの多さにも驚かされました。
ちなみに『インドの舞姫』については、ひょっとしたら昨年のニューイヤーの指揮者を務めたズービン・メータへの御礼のメッセージが込められていたのかもしれません。
(ルーマニアとブルガリアがEUへ加盟したことに対する歓迎の挨拶)

また、2008年のサッカー欧州選手権の開催地がウィーンということに因んで、『スポーツ・ポルカ 作品170』が演奏され、ラストは例年と同じく、指揮者からの挨拶とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー全員による『あけましておめでとうございます!』の後、オーストリアの第二の国歌と呼ばれる『美しく青きドナウ』と、もう一つのアンコール曲である『ラデッキー行進曲 作品228』で締め括られます。

ところで、この番組ではウィーン市内のメインスリートであるケルントナー通りが紹介されており、番組内でも話が出ておりましたが、このケルントナー通りには余計な電飾や看板などが一切無いところに、以前No.3で紹介させて頂きました中村勝巳先生の『経済的合理性を超えて』(みすず書房)に書かれていた『芸術や美的な要求、また市民自治の伝統への誇りといったことが、欧州社会の根底に存在していることの重要性』の意味するところを思い知らされました。

尚、余談ですが、かつて観客と演奏者たちを大いに楽しませた「踊る指揮者」こと「カルロス・クライバー」指揮による1989年と1992年のニューイヤーのDVDがあることを思い出しましたので、亡きクライバーを偲ぶ意味で久しぶりに聴いてみようと思います。

87尾崎清之輔:2008/01/01(火) 22:47:42
佐藤さん。No.85では、ハリウッドボールの情報をご紹介いただき、有難うございました。
仰っておられた内容から、とても楽しそうな光景であることが想像されます。
日本もいずれこのような光景が見られるようになる日をつくり上げていけるだけの本当の意味での「余裕」が必要ですね。

88尾崎清之輔:2008/01/03(木) 01:31:51
新年に入って2日過ぎましたが、皆様におきましては、いかがお過ごしのことでしょうか。

さて、新年と言えば、「初夢」を見られた方々も多いと存じますが、初夢は一般的には、1月1日〜2日または1月2日〜3日にかけての夜に見る夢のことを示しているそうです。
ちなみにこの初夢に関して、Wikipediaその他を幾つか拝読させて頂いたところ、室町時代から良い夢を見る秘訣が存在していたようで、それは七福神の乗った宝船の絵に、

◆永き世の遠(とお)の眠(ねぶ)りの皆目覚め 波乗り船の音の良きかな

という回文を書いたものを枕下に入れて眠ると良いとされているとのことでした。
この辺り、以前どこかのスレッドで賑わった回文の話題にも絡めて考えてみたいですね。
尚、これで悪い夢を見た場合は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをしたそうです。

また、初夢で縁起が良いとされるものは、「一富士、二鷹、三茄子」と呼ばれ、その起源は定かではないですが、江戸時代には一般化されていたようです。それ以降の良い夢の順番につきましては諸説ございますので、ここでは割愛させて頂きます。
未だ初夢を見られていない方々、または昨夜の夢が余り宜しくなかった方々は、ものの試しに先の回文を枕元に置いてみたらいかがでしょうか。

ところで話題はがらりと変わり、またまた音楽の話題になって恐縮ですが、田中さんがNo.81において、フルトヴェングラーの戦前ライブを歴史の真の姿に対峙できる一級の資料であるというコメントを頂いたことから、(私自身は既にDVDを所有しておりますが)戦時中のフルトヴェングラーとカラヤンが、それぞれ同じ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の前奏曲をライブ演奏した映像が残っており、やはりYouTubeに掲載されておりましたので、ご参考までにご紹介させて頂きます。
あの時代のお互いの演奏=音楽への取り組み方の違いも必見ですが、特にカラヤンの戦前ライブ作品(映像自体はニュース扱い)については、彼が帝王になる過程で、あの時代の映像に関しては、政治力を駆使して相当数を闇に葬ったという噂を聞いたことがございましたので、非常に希少価値と思います。

・Furtwangler conducts Die Meistersinger in 1942
http://www.youtube.com/watch?v=3rM96_RS1Os

・Karajan in Paris in war time
http://www.youtube.com/watch?v=iMwVaDDpIAE

89田中治:2008/01/03(木) 08:52:24
2008年あけましておめでとうございます。今年も皆様にとって良い1年でありますようこの場をお借りして
お祈り申し上げます。

昨晩は一日遅れでウィーンフィルの新年演奏会を聴き、その曲目の多彩さ・洒脱さからも多民族国家ハプスブルグ家の薫り高い文化の名残をテレビを通してではあるが堪能したところである。藤原博士の「オリンピアン幻想」の中でも、若き藤原博士がグルノーブルからウィーンまで雪道の中を車で向かい、ウィーンフィルの新年演奏会を堪能したくだりがあったことも思い出し、また昨年本スレッドでも触れさせていただいたハプスブルグ家の歴史とヨーロッパにおけるウィーンの位置(地理的・精神的)をも、つい思い出しながら演奏を楽しんだ。

さて、尾崎さんがまた興味深い映像をリンクしてくださり、早速鑑賞させていただいた。ほぼ同じ頃の演奏であるにもかかわらず、両者の演奏の響きがここまで違うとは・・・当時の録音技術事情を差っ引いても、その違いはこうして鑑賞すると明らかだ。「丸山真男 音楽の対話」にもいくつかのエピソードと共に記述があるように、フルトヴェングラーの演奏に聞き入る一般聴衆の背格好・眼差しなどから当時のドイツあるいはベルリンの人々にとっていかに彼の演奏が精神的な支えであったかが伝わってくる。フルトヴェングラーの演奏はたとえワーグナーであっても、響きの美しさはさることながら、その演奏の中に良心や慈悲・節度を感じる。ところであくまで私個人の趣味で恐縮だが、私は昔からカラヤンという指揮者を好きになれない。彼の指揮姿、そして彼の音楽には、傲慢さと強烈な自己顕示性を感じて辟易してしまう。以前、日本におけるその道の大家にそのことをつい口走ったら、激しく罵倒されてしまった。その方曰く、カラヤンがわからない奴は音楽がわからないのだという。その後、ひょんなことからカラヤン時代にBPOのコンサートマイスターを務めた方にお話を伺う機会があったのだが、カラヤンの人間性について私が彼の音楽からなんとなく感じていたことを裏付けるようなエピソードを聞き、おかしな言い方だが納得してしまった経験がある。尾崎さんがリンクしてくださったこの1940年のマイスタージンガーの演奏とその指揮姿からは戦後よりも激しい自己顕示性を感じるし、この映像の中にハーケンクロイツが一緒に映っていなかったのが、せめてもの救いだと思った。
東京は元旦から素晴らしい晴天に恵まれているが、太陽の光の中で、しばし明晰さを取り戻し今年の抱負をもう一度意識しなおして正月三が日の最終日を過ごそうと思っている。

91鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:00:56
ベートーヴェンの略年譜(Career of Ludwig van Beethoven):1770〜1827

1770年:12月16日(17日説も有る)ドイツのボンに生まれ17日に受洗。
     イギリス産業革命。
1775年:( 4歳)アメリカ独立戦争。
1778年:( 7歳)3月26日最初のピアノ独奏会をケルンで開催。
     パヴァリア継承戦争開始。
1781年:(10歳)小学校を退学しネーフェに入門、和声と作曲の勉強を始める。
     83年には最初の『ピアノ・ソナタ 作品161』を作曲。
1784年:(13歳)ネーフェのボン宮廷管弦楽団の次席オルガニストに就任。
1785年:(14歳)ブロイニング家のピアノ教師となる。
1786年:(15歳)2月、シラーが詩『歓喜に寄す』を発表。
1787年:(16歳)4月、ウィーンのモーツァルトを訪ねる。
1789年:(18歳)ボン大学聴講生になる。
     フランス革命勃発、アメリカ初代大統領にワシントンが就任。
1790年:(19歳)12月、ボンでハイドンに初会見。
1791年:(20歳)12月5日、モーツァルト死去。
1792年:(21歳)11月10日ウィーンに移り、ハイドンに師事。
     フランス、王政廃止。
1793年:(22歳)フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネット処刑。
1794年:(23歳)『ピアノ三重奏曲 作品1』を作曲。
1795年:(24歳)『歌曲「相愛」』を作曲。
     アルト歌手M.ヴィルマンに求婚し断られる。ナポレオン登場。
1798年:(27歳)ハイドン、『オラトリオ「天地創造」』を作曲・初演。
     『歓喜に寄す』のスケッチを試作。
1799年:(28歳)『ピアノ・ソナタ「悲愴」』を作曲。ナポレオン第一統領就任。
1800年:(29歳)『交響曲第1番』を作曲。
1801年:(30歳)『ピアノ・ソナタ「月光」』を作曲。神聖ローマ帝国崩壊。
1802年:(31歳)耳疾の不治を悟る。夏ハイリゲンシュタットに転地。
     10月6日、失意の内に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。
1804年:(33歳)『ピアノ・ソナタ「ヴァルトシュタイン」』、
     『交響曲第3番「英雄」』をナポレオンに献呈する積もりで作曲。
     4月ナポレオン帝位に就いたため、献呈を取り消す。
1805年:(34歳)歌劇『フィデリオ』(初題は「レオノーレ」)の第1作、
     『ピアノ・ソナタ「熱情」』を作曲。
1806年:(35歳)ブルンスヴィック家のテレーゼと婚約。
     『弦楽四重奏曲「ラズモフスキー」』、
     『ヴァイオリン協奏曲 作品61』を作曲。
     ナポレオン大陸封鎖令、神聖ローマ帝国滅亡。
1808年:(37歳)『交響曲第5番「運命」』『交響曲第6番「田園」』、
     『合唱幻想曲』を作曲。
1809年:(38歳)5月31日、ハイドン死去。
         『ピアノ協奏曲第5番「皇帝」』を作曲。
1810年:(39歳)テレーゼとの婚約解消。『ピアノ・ソナタ「告別」』を作曲。
1811年:(40歳)『ピアノ三重奏曲「大公」』を作曲。
1812年:(41歳)『交響曲第7番』『交響曲第8番』を作曲。
1814年:(43歳)4月ナポレオン退位、エルベ島に配流。
1818年:(47歳)『ピアノ・ソナタ「ハンマークラヴィーア」』を作曲。
1821年:(50歳)ナポレオン、セントヘレナ島で死す。
1823年:(52歳)『ミサ・ソレムニス』を作曲。
1824年:(53歳)『交響曲第9番「合唱付き」』を作曲。
1826年:(55歳)生涯最後の作『弦楽四重奏曲 作品135』を作曲。
1827年:(56歳)3月26日雷雨の中で死去。
         3月28日頭骨を切り解剖し
          彫刻家ダンハウザーが死面(デスマスク)を採る。

92鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:23:24
日本において『第九』が陳腐な年末行事と化してわけのわからぬ有象無象の大衆が下手な聴いておれん発音でストレス発散のために
うたいまくりそれで儲けた音楽家がその金で家を建て かくして 第九で大工が 儲かる 仕組みが 日本において 確立されたのであった。
というのは 笑い話として、既に知られたことではあるかもしれぬが、『第九』の裏には上記の年表からも察せられるが実に奥深い世界が横たわって
いるのであって、それを少し紐解いてみよう。
まずこの詩の作詞家シラーであるが、当然彼と『クンドコ団』及び『クンドコ思想』(ここでは便宜的にこう呼ぶ。皆さんは勝手に好きな名称を当てはめて
読まれたし)に触れずして、この詩の本当の内容を理解することはできない。

93鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:36:15
1784年にシラーは、貴族と町人(音楽家!(笑))の娘の間の恋愛をテーマにした劇『Kabale und Liebe』(邦題:たくらみと恋)を発表、フランクフルト・アム・マインにて4月に初演され、大成功を収めた。その頃ザクセン王国のライプツィッヒに、この作品に痛く感化され、心の底から共鳴し、シラーを尊敬崇拝敬愛して止まない若いカップル達が居た。男は貴族、女な銅版画家の娘姉妹達で、自らの結婚を親に反対され、絶望の淵に沈んでいたのであった。

94鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:54:14
富裕な男の名前は、Christian Gottfried Körner(最も近い発音:キュウオナー)。彼らは、人間シラーの思想やその作品に対する絶大なる信頼と賛同を手紙に記し、シラーにエールを送り続けたが、結果として、1785年にシラーは(金に困っていた、という事情もあり)、彼らの招請に応じる形で、男の所有するドレスデン近郊の館に身を寄せるのである。シラーとキュウオナーは信頼関係を築き、数々の手紙のやりとりがあるが、その中であるときシラーは、知り合いのボーデ(Johann Joachim Christoph Bode)(軍楽隊のオーボエ奏者、音楽家、翻訳家、クロップシュトック、レッシング(『賢者ナタン)』等の著作の出版者)から、クンドコ団への加盟を薦められた(誘われた)ことを伝え、どうすべきか相談するのである(やっぱり出てきたか)。

95尾崎清之輔:2008/01/03(木) 18:02:00
鈴木さんがNo.92で重要なご指摘をされたように、シラーが最初に第九の『歓喜の歌』の元になった詩を書いたのは1785年(1786年?)ですが、この時の題名は『Hymmne a la liberte(自由賛歌)』であり、1803年になって、一度シラーによって『An die Freude(歓喜に寄せて)』書き直され、後にベートーヴェンが第九の第四楽章の合唱向けに冒頭部分の追加修正を行っております。
この間の歴史の変遷につきましては、先に鈴木さんからご提示頂いた年表と当時の欧州、特にフランスやドイツ辺りの歴史と対比してみれば何が起こっていたか気が付くことと思います。もちろん、彼が何に影響を受け、どのような影響を与えてきたかについても。。
特に鈴木さんから既に続けてコメントが投稿されておりますように、Christian Gottfried Körner(日本語では「ケルナー」と呼ばれることが多いようですね)は要着目です。

96鈴木次郎:2008/01/03(木) 18:04:28
自身正当且つ真面目なクンドコ団員であったキュウオナーはしかし聡明な男で、シラーに対し、ボーデが入会を勧めてきたのは実はクンドコ団の亜流であり、インゴルシュタット大学で唯一の非ジェスイット系教授で、学内のジェスイットとちゃんちゃんばらばら戦っていたアダム・ワイスハウプトが興した『キンドコ会』(そのシンボルはミネルヴァの梟)であることを伝え、やめるよう、諭したのであった。

97尾崎清之輔:2008/01/03(木) 18:31:16
久しぶりの話題のため、すっかり記憶から遠のいておりましたが、このあたりを整理していく上では、概説書になりますが、『間脳幻想』(東明社)の中でも触れられていた、セルジュ・ユタンの『錬金術』(白水社)並びに同じ著者による『秘密結社』(白水社)の再読の必要性を感じました。

98鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:04:36
おっとっと。ちょっと暴走してしまったようです。#96の中でキンドコ会が戦っていた相手のことは今後便宜的に『ラヨローズ』と呼ぶことにします。
ちなみに、近年にないくらい(瞬間的に?)このスレッドが活性化したために既に大分前になってしまいましたが、私としてはいずれスレッド#27,28,29,31,33,34などにこの話をつなげて行きたいと思っておりますので、お付き合い頂ける皆様はぜひここでこれらのスレッド及びその前後のスレッドを読み返して頂ければと思います。

99鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:39:34
さて、#96に続けます。
キュウオナーの時代、啓蒙思想の浸透とあいまって、というか、啓蒙思想の担い手として、クンドコ思想と、クンドコ会は隆盛を極め始め、市井の多くの人間がクンドコ会に入会し始め、会は次第に大きくなっていった。ザクセンにおいては、当時の貴族がそれぞれのクンドコ会の長を務め、その興隆と発展・振興、会員同士の交流に心血を注いだことも、勿論、同会の発展と無縁ではなかった。クンドコ会は、その会の性格上、その思想や教えを独特の形で会員に伝えていたが、そのひとつのやり方が、そのイデアを詩にして、それに曲を付け、会員がディナーの席上で歌う、ということがあった。まじめなクンドコ会員であったキュウオナーは、シラーに対し、キュウオナーが属していたクンドコ会ドレスデン支部の会員を念頭に置いた、集会の時に利用できる曲のための詩、の作詞を依頼したのである。不遇の身を囲っていた自分をドレスデンに招き寄せ、憂いの無い生活を通じて思い存分創作活動に邁進させてもらっていたことに恩義を感じていたシラーは、友の依頼を二つ返事で引き受け、友と色々対話し語り合いながら1785年に最初の詩が出来上がったのである。

100鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:57:24
ではここに、1785年バージョンの先ずは導入部分を、オリジナルのドイツ語と、わかりやすいように英語の対訳を付けて紹介してみよう。ここで是非ともご注目頂きたいのは、⑦の部分である。これは、現在日本で歌われているものには、勿論、ない。

1 Freude, schoener Goetterfunken,
1 Joy, beautiful spark of Gods,

2 Tochter aus Elysium,
2 Daughter of Elysium,

3 Wir betreten feuertrunken,
3 We enter, fire-imbibed,

4 Himmlische, dein Heiligtum.
4 Heavenly, thy sanctuary.

5 Deine Zauber binden wieder
5 Thy magic powers re-unite

6 Was der Mode Schwert geteilt
6 What custom's sword has divided

7 Bettler werden Fuerstenbrueder
7 Beggars become Princes' brothers

8 Wo dein sanfter Fluegel weilt.
8 Where thy gentle wing abides.

101鈴木次郎:2008/01/03(木) 20:16:17
このスレッドの#75において 尾崎さんが、現在歌われているベートーベンの歓喜の歌の日本語訳歌詞を、番号をあわせて書いてみる。そうすると、より一層、オリジナルとの違いが鮮明になると思うので。

①歓喜よ、美しい神々の輝きよ、

②天上の楽園からの乙女よ、

③我らは情熱にあふれて

④天国の、汝の神殿に足を踏み入れる。

⑤⑥汝の不思議な力は、時流が
厳しく引き離したものを再び結び合わせる。

⑦すべての人々は兄弟となる、

⑧汝のやわらかな翼がとどまるところにて。

しかし大変申し訳ないが、どうして日本語になると、こう、意味不明 に なってしまうのかな。仕方ないけど。

102鈴木次郎:2008/01/03(木) 20:26:37
さらに、オリジナルにはあって、現在の歓喜の歌には ない 部分ですが、

97 Rettung von Tyrannenketten,
97 Delivery from tyrants' chains,

98 Grossmut auch dem Boesewicht,
98 Generosity also towards the villain,

99 Hoffnung auf den Sterbebetten,
99 Hope on the deathbeds,

100 Gnade auf dem Hochgericht!
100 Mercy from the final judge!

101 Auch die Toten sollen leben!
101 Also the dead shall live!

102 Brueder, trinkt und stimmet ein,
102 Brothers, drink and chime in,

103 Allen Suendern soll vergeben,
103 All sinners shall be forgiven,

104 Und die Hoelle nicht mehr sein.
104 And hell shall be no more.

でこのあと あと 4行 詩が 続き、おわり、です。これを受け取ったキュウオナーは喜んだの何の。クンドコの長老も兄弟達も拍手喝采あめあられ。残念ながら今日まで伝わっていないが、キュウオナー以下数人のクンドコ達が、早速自前で曲を付けるほど。

103尾崎清之輔:2008/01/03(木) 21:25:27
鈴木さんからの投稿を受けて、Wikisourceを確認し、シラー版の『An die Freude (Schiller)』とベートーヴェン版の『An die Freude (Beethoven)』、そして過日ご参考までに貼り付けた『交響曲第9番』のURLに記載されている歌詞(原文と対訳)、更に同じく手元にある書籍からの原文と対訳を一通り比べさせて頂きましたが、そもそもベートーヴェン版『An die Freude (Beethoven)』はオリジナルのシラー版『An die Freude (Schiller)』から、想像していた以上に存在していない詩が多いですね。
英訳して頂いたおかげで助かりましたが、No.100とNo.101における7行目のご指摘については、その前の6行目と7行目自体がベートーヴェン版とシラー版では異なっており、ベートーヴェン版では、

Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
(時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる)

ですが、シラー版(シラーの原詩)では、

Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,
(時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)

となっており、これだけでも一目瞭然ですが、No.102でご指摘のシラー版にしか存在しない部分については、思わず「成程!」と唸ってしまいました。
(それは確かに早速自前で曲を付けたくなるでしょうね)

104鈴木次郎:2008/01/03(木) 22:15:40
尾崎さん、早い(!)ですね。ありがとうございます。#100の中の⑥ですが、私の貧困な想像ですが、ここで言う Schwert / Swordの言葉の使われ方ですが、悲惨な戦争を戦うのも刀であり、ある人を平民から貴族に列する際にも、英国女王の叙勲の例に漏れず、刀を肩に振り下ろすことでナイトの称号を与えますよね。また#102ですが、これは、キリスト教の教義に異を唱えている、という見方ができるのではないか、と思っています。97のtyrantとは、ストレートに訳すと 暴君、とでもなりましょうが、人間の精神を教義を通じてがんじがらめに縛る 暴君的思想、教義、教化、とも捉えることができそうです。そして、勝手な意訳を更に許して頂くならば、99と100なんかは個人的には笑ってしまいます。例えば思い出すのは、フランスが誇る大宰相・外交官タレイランは、オータンの大司教でもあったのですが、実はとんでも無いことに(詳細は忘れました)聖職者として必要であったある種の手続きを踏んでおらず、その死の床にあって、告解をし、署名をするかどうかが、キリスト教徒として生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとっては大変重大な問題でした。ダフ・クーパーの伝記は、このタレイラン(らしい?)最後の騒動の詳細をレポートしていますが、99と100は、そんなキリスト教の滑稽な様子をちゃかしているようにも思えます。そして極めつけは、すべての罪人に恩赦を与え(103)、しかも、実は地獄なんてないのさ!(104)と宣言するあたりです。

105鈴木次郎:2008/01/03(木) 22:21:02
ということで、もともと『歓喜の歌』の詩は、本来は『クンドコの歌』『クンドコ節』とでも言えるものであったわけで、それをベートーベンが自らの曲の為に一部を抽出し、使った結果、オリジナルとはある意味全く違うものが出来上がったわけです。でも、尾崎さんも指摘頂いた異なる箇所については、シラー自身が、確か1803年頃だったと思いますが、手を入れて、変更しています。

106尾崎清之輔:2008/01/04(金) 00:37:34
No.104に関連して、折角なので拙宅の書棚を漁って、ダフ・クーパーの伝記『タレイラン』を探し、後半部分をさっと斜め読みさせて頂きましたが、どの部分が『聖職者として必要であったある種の手続きを踏んでおらず、その死の床にあって、告解をし、署名をするかどうかが、キリスト教徒として生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとっては大変重大な問題』になるかまでは、正確には今一つ分かりませんでしたが、そもそもローマ法王と仲違いした(教皇ピウス六世から、それまでの反カトリック教会的行為を咎められて破門された)ことや、ダフ・クーパーの伝記にも記載されていた、三つの重大な過失である、『僧侶の市民憲法を承認したこと』、『勝手に司祭を叙任したこと』、『彼自身の結婚の問題』、ではないかと推測しました。これらがローマ教会側からの罪状列挙と捉えられていたようで、これらの打開のために、神父デュパンルーがその役所に立ったようですが、いずれにしても、大司教自らが、一種の声明文並びに法王へ宛てた書簡の両方に、あらかじめ懺悔者(この場合はタレイラン)が宗教上の慰めを得るに先立ち、自身の手で書名されない限り、先述の通り、キリスト教徒としての生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとって大変重大な問題になったようです。
尚、余談ですが、同著では彼が胸に十字架をかけない司祭としても有名だったようですね。

107藤原肇:2008/01/04(金) 10:20:00
ローマ教会に対しての生涯をとうしたタレイランの反抗精神に対して、「のごころ」を真情にして生きた私は若い頃から関心を持ち、彼が死ぬ間際に果たして教会と和解したり妥協したかは重大な関心事だった。だから、彼が死の直前の五月十七日にサインした二通の手紙の内容について、留学生時代に図書館で調べたことがあった。
「前言撤回書」はクーパーが書いているように、「若い頃のことが教会を悲しませたことを残念に思う」という文面だけであり、彼が教会に対して犯罪を犯したとは触れていないのでサインしたので、タレイランは自己の立場を押し通したのでサインした。それもクーパーが書いたように完全な署名でサインした。
二通目の法王にあてた手紙は「青春時代に不向きな職業に就いた」とは書いてあるが、それが間違っていたとは言っておらず、そこに彼の抵抗と自己主張があったと私は思うが、彼はローマに対して謝罪はしていないと思う。ローマ法王よりもボルテールに敬愛の念を持って旧体制に反発した彼は、死ぬまで自分はフランスとヨーロッパのために人生を生きたと確信し、いかにも外交の達人として受け入れられた文書だったので、自分の死を見守る人たちを安心させるために、くつろいだ気分で署名したのたと思う。
だから、ダフ・クーパーの伝記にも記載されていた、三つの重大な過失である、『僧侶の市民憲法を承認したこと』、『勝手に司祭を叙任したこと』、『彼自身の結婚の問題』はローマ側の問題点ではあったが、それに関しては触れることなくタレイランは満足げに署名して死んだのだと考える。
幕末のときの唯一の体制側の自決者は川路聖謨だというが、タレイランがもし日本人なら署名した後で、果たして切腹したかどうかは興味深いテーマだが、国際政治を見る目は彼の方がナポレオンより優れていて、ナポレオンは島流しという刑に服したけれど、タレイランは国王ルイ・フィリップの見舞いまで受けてベッドの上で安眠したのである。

108田中治:2008/01/04(金) 17:42:13
死に際や死に方というのは案外その人物の生き方を表すものであるのかもしれないと常々思っているのだが、藤原博士の投稿でタレイランは国王の訪問を受けベッドの上で安眠したというくだりから、フランス革命からナポレオン時代にかけてタレイランと共に台頭したジョゼフ・フーシェの葬式の話を思い出した。フーシェはトリエステで死に、葬式の日には当地特有の強風が吹き荒れ、棺を乗せた馬車の馬達がこの強風に驚いて前脚を上げてのけぞったため、バランスを崩して棺は地面に投げ出されて遺体は地面に転がり出たという。悪天候の中、彼の遺体は地面の上で泥まみれになり、馬達に蹴散らされたというが、このスレッドでしばしば話題にあがる「精神の気高さ」「精神の貴族性」といったことをここでもまた両者の生き方から学ぶのであり、作家シュテファン・ツヴァイクが世紀末のウィーンで伝記「ジョゼフ・フーシェ」を書いた意味があらたに浮かび上がる。

109田中治:2008/01/04(金) 17:58:09
訂正:シュテファン・ツヴァイクが「ジョゼフ・フーシェ」を公表したのは1929年であった。フーシェの死後から約100年後、時は世紀末どころか世界大恐慌の年であり、第2次世界大戦へと向かっていく時代のさなかであった。

110鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:14:48
皆様、そして藤原先生まで

あやふやでいい加減な私の記述を補足いただきましてありがとうございます。
しかし、このリズム、反応こそが、“活きている”スレッドの醍醐味、でしょうか。

111鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:23:36
1800年に、シラーがケルナー(この書き方だと、個人的にはKellner=レストランの給仕を思い浮かべてしまうのですが、日本的慣例に従いましょうか)に宛てて書いた手紙において、『貴殿の(あの詩に対する)思い入れと賞賛、高く評価してくれていることはわかるが、あれはあくまであの頃の、(限定的な)時代状況、背景において、限定的に価値のあるものであって、それ以上でも以下でもない、と思います・・・』というようなことを言っています(意訳ですみません)。当時、少なからぬキンドコ関係者もシラーに接近し、シラーもそれと知って付き合っていたようですが、彼は、クンドコ対キンドコの“内輪もめ”に類する抗争や軋轢、緊張を熟知しており、それらを知っていたが故に、自分自身は、交流は続けたものの、仲間に加わらなかった(理由の)ようです。これは全くの想像で、もしかすると文献があったり、既に発表されているのかもしれませんが、シラーは、自ら数箇所に訂正を入れることで、クンドコ・ソングにより広い意味を持たせたのかもしれません。全くの推測です。

112鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:42:16
クンドコに関するambivalentなスタンス、という意味で興味深いのは、大物のクンドコ、そして、最終的にはクンドコを超えてしまったフォン・ゲーテがいます。彼は、ある時期までは個人としてクンドコの人間形成のシステムや世界観に深い共感を覚えていたようですが、政治家としては、実に微妙な立場にあり、必ずしもクンドコに賛成・支援していたわけではないようです。1934年、だったでしょうか、政権を掌握したナチスは、クンドコ禁止令を出し、結果としてドイツのクンドコは表向き解散を余儀なくされ、クンドコ達は地下に潜行しました。これには、クンドコが“国際フンバラ資本と結びついており、その一機関としてドイツの転覆を企図している”といった悪質なデマ、誹謗中傷が流され、しかし多くの大衆がそれを信じた、ということがあります。ちょっと前のスレッドにおいて、クンドコの厳格(先鋭化した)版であるキンドコについて言及しましたが、18世紀〜19世紀、大学、学生がクンドコに興味を持ち、現にキンドコはせっせと優秀な学生の勧誘に励んだようです。しかし、日本の安保闘争や、ベトナム戦争に対する米国のカリフォルニアの学生による反戦運動でも明らかですが、学生が政治に結びつき、活発に活動することは、時の政府としては政情不安を警戒せざるを得ず、これがあってゲーテは、ドイツの大学都市におけるクンドコ設立に反対の意見書を提出しています。結果として、クンドコには学生はあまり加わらず、学生はその代わり、とでもいいますか、学生団など、クンドコのシステムを模した、様々な団体を学内に作るようになり、これらが18、19世紀のドイツにおいて大変盛んになります。

113尾崎清之輔:2008/01/05(土) 04:25:35
小生の知らないうちに盛り上がっていることに大変喜ばしく。
『Hope on the deathbeds』に触発されているわけではございませんが、愚生なりに今際の際のセリフがそれなりに分かりつつあります。しかるがゆえに、生きている間のその人物の生き方を表すものであるのかもしれない云々というものも愚生なりに認識しております。
いずれにしても、如何に「生」をまっとうすることができるのかにヒントがあるのかなと思っております。詳細は明日以降にて。

114田中治:2008/01/05(土) 14:02:50
ベートーヴェンの第9の話題から、シラーによる「歓喜の歌」の原詩Urtextの全文とその成立の背景について、鈴木さんに深く掘り下げた投稿を続けていただいた。これらの内容は、小生が本スレッドにて27・28また33・34・35番で触れさせていただいたあたりの歴史背景とも絡んでいくことと思い、それにしても保守反動勢力の牙城としてのオーストリアからバイエルンまでの地域(Region)で、鈴木さんが投稿で紹介されたバイエルン州の都市インゴルシュタットを中心に18世紀末に保守反動の急先鋒に対するもうひとつの急先鋒が理性という名の衣を身につけ登場してきた事実には、喩えそれが長い歴史の中では亜流の筋であるにしても、その影響は別の大陸においてactualであるように思えるし、またこの辺り一帯の地域(Region)からはこの事象以外にも特に近代以降ラディカルな事象や人が生み出されている点で、この地域の持っている特性についてはもっと深く掘り下げる必要性を感じている。なお本筋である啓蒙思想については、鈴木さんが別のスレッドを立ち上げられたようなのでそちらで議論を期待したいと思う。

何はともあれ、メッテルニッヒの旧体制下、ビーダーマイヤーBiedermeier様式とされる小市民的な市民社会の中で、ベートーヴェンはそれまでの西洋音楽の蓄積の産物である交響曲Symphonyに、人間の声による合唱(それはかつてマキシミリアン1世がフランドルからウィーンに持ち帰った多声音楽ポリフォニーPolyphonyを源とする)と、その集団としての人間の声をより特化させた4人のソリストたちの声とに、シラーによるテキストを与えて一体化したこの壮大な曲を当時の旧体制然とした雰囲気のウィーンで作曲したことの意味はあまりにも大きく迫ってくる。どう考えてもこの曲は西洋音楽におけるひとつの頂点であろう。

話は少し変わるが、小生は昨年より「丸山真男 音楽の対話」(中野雄著)に続いて、故小泉文夫氏による「対談集 音のなかの文化」を精読中であるが、音楽を軸としながらも世界の民族文化歴史全般に渡る幅広く奥深い内容からは多くを学ぶことができ、本スレッドでの活発な議論と共にあらためて「対談」「対話」の素晴らしさを身にしみて感じているところだ。

115尾崎清之輔:2008/01/06(日) 00:34:10
藤原博士から貴重なコメントバックを頂きましたので、ダフ・クーパーの伝記『タレイラン』(中公文庫)の後半部分を再読してみましたところ、ローマ教会側からの問題指摘に対して、私も確かにタレイランから謝罪を行ったことは無いという理解であり、そのことは『タレイラン』第十四章「最後の条約」にも幾つかの文章で示されていると思います。
自身の回顧録ならばともかく、伝記として残っているこの文章から読み取るに、正しく死の瞬間までタレイランはその威厳を保ちつつ、永眠の途へつかれたようですね。
おかげさまで、気高き人であり且つ信義と誠実を重んじたタレイランの人となりを改めて知った次第です。

さて、田中さんも仰せの通り、掲示板を通じて、久しぶりにこのような早さでの対話・対談ができたことは誠に喜ばしく、また、啓蒙思想については鈴木さんが別スレッドを立てて頂いたので、続きはそちらで行っていきたいと思いますが、他のスレッドでも「場」の整理に絡めて若干触れさせて頂きましたように、今年からはいろいろな意味で「実行」の年であることを認識しました。

116尾崎清之輔:2008/01/06(日) 01:11:29
先程までの投稿内容から一変して、若干「場創り」に関わるお話をさせて頂きます。
個々人それぞれが成長しつつ喜びと感謝に繋げていくために、これまでも何度かご紹介させて頂きました藤井尚治先生の『アナログという生き方』(竹村出版)から、印象に残っている文章を以下に引用します。

◆人間は恐れ、疑い、怒り、迷いを必ず持つ。持つから人間だとも言える。名人と呼ばれる人は訓練することでこの4つをいわば解脱していった。しかし、神になることは決してなかった。私たち凡人も生きていくうえでこうした訓練が必要になるだろう。それは人生の経験と言ってもいい。
ストレス学のハンス・セリエ流に言えば、何でもいいから、とにかく勝つことだ。そうすれば、自信ができる。自分に対する疑い=不信が一番いけない。

(中略)

小さくても成功感があれば、生きやすくなる。人生には成功体験が欠かせないのである。セリエはその成功体験に「敵も味方も傷つけないで」という条件を付けている。


そして、これこそが『愛他的利己主義の真髄である』と藤井先生は明確に述べております。

藤井先生が仰せのように、事の大きい小さいは関係なく、何かの成功感=成功体験の積み重ねが肝要であり、何かの資格であっても認定であっても免状であっても、とにかく何でも構いません。たとえ極めて単純なことであっても、生きているということの充足感を味わっていくために、何かをやりとげてみる、やりとげるために続けてみる、これでいいと思います。有り体な言い方しか思い付かず誠に恐縮ですが、お互い人生という日々を気持ち良く楽しく歩んでいきましょう。

117スワヒリオーズ:2008/01/06(日) 01:22:19
先日リラックスして英語検定試験を受けたら満点でした。くだらないとお思いかもしれませんが、実に気持ちが良かったのです。この結果を使ってどうのこうの、と、18歳の学生でもあるまいし、そういうことはいまさらないのですが、でも、なんだか、うれしいのです。くだらない、矮小な話でごめんなさい。

118鈴木次郎:2008/01/06(日) 01:30:03
在りし日の藤井先生が出席された最後の脱藩クラブの会だったでしょうか。そこで先生は、『これから注目すべきは、○○と、イチローですね。』と おっしゃったことを、思い出しました。イチローも、メジャーリーグのバッターボックスに立って、実に颯爽と、飄々と、ヒットやホームランをたたき出しますが、あの裏の苦労、苦悩。小さな勝利を積み重ねながら、やっているんだろうなぁ、と思うのです。彼は、毎日毎日、一瞬一瞬を勝負している。してきた。私には、そのように思えますが、いかがでしょうか。

119田中治:2008/01/06(日) 01:43:31
素晴らしいですね。まさに同意を得たりです。周囲の人間や環境に不平不満をぶつけず、恐れ、疑い、怒り、迷いを持っても屈せず自己努力を続けることなしに心の平安はないし新しい次元の展開もないのだと経験からもまた信念からもまったく同感である。高みに登り少しずつ世の中が俯瞰できてきたとしても自分は人間であることを謙虚に受け止め人間として人生を全うすることが大事であると考える。また自己努力を続けながらその時々に「足るを知る」ことも忘れず人生のプロセスを気持ちよく楽しんで歩みたいと年頭にも心に誓ったばかりだ。まさに「場作り」への基礎ですね。

120尾崎清之輔:2008/01/06(日) 22:31:06
No.116にて申し上げた私の投稿に対し、皆様からの反応の早さに驚くとともに、大変嬉しく思いました。
引き続き、『アナログという生き方』から、以下ご紹介させて頂きます。

◆人生はしょせんわからないものだが、頭の中でシミュレーションをして軌道修正できれば、大負けすることはなく、勝てるチャンスが増えてくる。
「空を飛ぶ弾丸は見えないが、弾痕によって逆算できる」(英国の物理学者、アーネスト・ラザフォード)
「木の葉がそよぐことによって、風の存在を察知できる」(英国の詩人、ジョン・ダン)
人生で起こること、すべてを知ることはできないが、想像力でそれを補うことができる。ここにストレスの意義がある。ストレスは目に見えないし、手に触れることもできない。しかしながら、暑さ、寒さ、怒り、喜びといった心身のできごとが起こるたびに、何かが動く。それがストレスである。私たちはストレスによって、人生のできごとを逆算し、察知することもできる。それが人生の学習であり、訓練である。


内容とか大きいとか小さいとかは全く問わず、とにかく何かひとつ新たな目標を立てて、それに向かって邁進し、続けてみる、もちろん納得するまでやってみる。そして自らの行動の中でルーティン化していくことが肝要であると思っております。

この件に関連してイチローの話が出ておりますが、イチローがバッターボックスに入った際に必ず行う行為(アドレス)があります。これはイチローに限らず、所謂一流のスポーツ選手には決まったアドレスが存在しており、これが先に述べたルーティン化の一環であると考えます。

また、鈴木さんが仰せのように、人生は日々一瞬一瞬が真剣勝負そのものであり、それはいみじくも清水博さんの『生命知としての場の論理』(中公新書)で触れられていた、尾張柳生新陰流の「剣の真髄」ということになると思います。
なぜ、尾張柳生新陰流が「殺人剣」ではなく、「活人剣」なのか。それは相手を自由に動かして(≒働かせて)、その動き(≒働き)にしたがって「勝つ剣」、ということになりますが、それは自分と相手(これは複数の場合も当然有り得る)との関係性、つまり自分と相手との間に生ずる「場」というものを瞬間的に見極め、相手を斬るのではなく、自分の人中路(自分の中心線)を截り徹す、その結果、相手が斬られている、ということになりますが、この奥義書を読破された方々でしたらこの辺りはあえて申し上げるまでもございませんね。

121尾崎清之輔:2008/01/07(月) 01:03:33
先の投稿に、ちょっとだけ補足させて頂きます。
人生は長いようで短い、でも短いようでも長い。だから、天を仰ぎ見ながらも、焦らずに、慌てずに、一歩ずつ、地に足を付けながら歩んでゆけばよく、そして、畏まることなく、固くならずに、ありのまま、あるがままの自然体で自分らしくできることからはじめていきましょう。まずは、こうでありたいという自分のイメージを頭の中でつくり上げて進んでゆけば良いと思います。

122尾崎清之輔:2008/01/08(火) 00:57:36
先ほど『なんでもコーナー』にて、珪水さんの『日本人の最も苦手とする「待つ」事』や『時間(間取り)の捕り方が巧さ』について、小生の愚見を述べさせて頂き、時間を支配できる者が『自由人』であるならば、時間に支配される者が『奴隷』であると言及させて頂きましたが、これは延いては、中村勝巳先生が、自著『近代社会市民論』(今日の話題者)で仰せの、『日本では「長期」とはいっても、三年とか、五年とか、せいぜい十年くらいです。ヨーロッパでは長期というのは百年単位です。世紀単位で考えているぐらいの視野で考えなければ、長期的予測と計画などはできるものではありません。』ということにも繋がり、身の回りの具体例としてあげたのが、清水博さんの『場の思想』(東京大学出版会)と考えておりますが、この辺りについては以下の通り明確に述べております。

◆現在の日本の企業や組織の経営者(★)には、創造的思考の持ち主が少なく、その多くが適応的な思考をする人々である。適応的な思考をする人々の特徴は、周囲に適応することを行動原理とするために、自己否定を通じての変態的想像ができないことである。それは目が内向きになりがちで、自分の周囲の即興劇しか目に入らないからである。これに対して創造的な人に共通な思考パターンは、できる限り広い世界を掴んで、その動きの中に自分自身を位置づけて、その動きを積極的に進めようとする点にある。
(★引用者注:これは何も企業や組織の経営者に限った話ではないと考える)


そして、以下のような多くの名文とともに、清水先生のこの書籍と、先述の中村先生の書籍のご紹介を兼ねつつ、いつもながらの愚見を披露させて頂きたいと思います。

◆柳生石舟斉の言葉に、「昨日の我に今日は勝つべし」があるが、日々創造的に生きることは、人生劇場において日々新しく純粋生命に出会うように生活をすることである。創造不断が充実した人生をもたらす。ここから生死に対する覚悟が生まれる。その覚悟とは、いつでもどこでも、自己の全存在(命)を賭けた行為(生活ドラマ)を実行することを決断していることである。

123田中治:2008/01/08(火) 09:56:38
藤原博士がJZPの中で述べられているように、「真善美」という言葉とともにリベラルアーツは古代ギリシャの都市国家において非奴隷つまり「自由人」が正しく世の中を見極め、正しく考えを進め、人間社会の秩序づけに貢献するための「根幹」であっただろう。それは自由七科の最上段に「哲学」が置かれている事からも明らかだ。尾崎さんが仰せの通り、時間を支配するのが「自由人」であるとすれば、英語でいうところの「ハイカルチャー」は、(西洋においては古典文学・詩・諸学問・クラシック音楽・美術など、また日本においては古典文学・和歌・茶道・華道・能・日本画・仏教美術など)時間を支配できる者のみが享受できる文化であり、その対極には大衆文化としての「マスカルチャー」があり、(諸芸能・マンガなど)それらはあまり時間を必要としない即興的・即物的な文化であると言えると思う。もちろんここで言う「自由人」とは、現代において社会的階層や職業的な差別を基にして指すのではない。ここに「教養」の意味が存在するのであり、本来は大学における「教養課程」の意味でもあるわけだが、日本においては大学で「教養課程」を受講する時間そのものが、それまでの熾烈な受験戦争から解放され「緊張から弛緩へ移行する時間」「骨休めの時間」として存在するので本末転倒であるし、その「教養課程」自体も未だ西洋の二番煎じのようなものだから、期待はできない。建築同様、万全の基礎作りのないところに強固な構築は不可能なのであるし、今一度、現代人にとっての、また日本人にとっての真の「教養」を捉えなおす必要があると思っており、それを「精神における背骨」として世界の中の日本を意識し、個人レベルで「自由人」を志向し切磋琢磨するより他ないと考える。昨年末、福田首相は中国訪問の最終日に孔子廟を訪れたというニュースに触れたが、それが例えパフォーマンスであったとしても、靖国問題などで世界の人々を不愉快にさせるよりは、はるかにましだと思っており、その意味は多義的ではあっても、世界と未来に向けたメッセージになる点では個人的に評価したいと思った。

124尾崎清之輔:2008/01/09(水) 01:25:06
田中さんが仰せの通り、リベラルアーツの自由七科を司るその最上段に「哲学」が置かれていることの意味するところは非常に重要であると私も考えており、おかげさまで「哲学」つまりフィロソフィ(philosophy)が、ギリシャ語の「philos」(愛)と「sophia」(知)という2つの言葉の結合により、「知を愛する」という意味が込められていることから、藤原さんと正慶さんの共著『ジャパン・レボリューション』(清流出版)で言及されていた以下の文章を思い出しました。

◆社会貢献を英語でフィラントロピィと言うが、「フィロス」は「フィロソフィ」(哲学)のフィロスと同じで、ギリシャ語の「愛すること」という意味だし、「トロピィ」は「アントロポロジー」(人類学)と同じ人類で、フィラントロピィは人間愛という意味を持つ。

125尾崎清之輔:2008/01/10(木) 00:08:06
No.124にて、『フィラントロピィ』という言葉を出させて頂いたことから、再び『ジャパン・レボリューション』より以下の文章をご紹介させて頂きます。

◆フィラントロピィの本質はカネよりも心であり、社会に恩返しをすることを意味していて、単にカネやモノを出すのはチャリティーという。


以前も『社会への恩返しのすすめ』のスレッドで申し上げましたように、嘗てこのような活動に若干携わっておりましたが、その多くがチャリティーに過ぎなかったという反省から、現在は位相を変えた活動へ主軸を移しておりますが、それは『場創り』の基本とはいったい何か、ということを自分なりに整理し、認識しなおした結果、(日々の仕事や日常の雑事に追われていたとしても)やはり自らの頭と身体を使って納得した上、主体的な動き(≒働き)として行っていくべきであると思ったことによります。

その根底には、先に述べた『自由人』の類義語と考えている『ノブレス・オブリジェ』があると思っており、これも日本では言葉としては存在していても、実体としては殆ど無いに等しいと考えており、事実そのような「場」に幾つか出向いたところ、それらは日本型ギルドの一種にしか過ぎなかったことや、主催者側の(他に立ち上げた組織体のための)宣伝活動の一環として行っていると思われたこと等から、『ジャパン・レボリューション』で藤原博士が述べられておりました、本来の『ノブレス・オブリジェ』である、『尊敬に値する立場の人は、それに相応しい品性、教養、良識を備え、社会に進んで貢献をする。』ことが意味への正しい認識と実際の行動とを、どのようにしていったら日本社会の上で普遍的な価値として、時間をかけてでも植えつけていくことができるか。。。

二十世紀を席巻した収奪型社会から、二十一世紀の夜明けを経て既に7年が過ぎましたが、理想を生かす今世紀の場創りと社会創りに向けて、何を優先に考えて実際の行動へ移していくべきか、真剣に考えていく必要を痛切に感じております。

126鈴木次郎:2008/01/10(木) 00:52:52
今米国のとある地方都市の空港ロビーにおります。手持ちのラップトップでワイヤレスLAN接続を試してみると、空港の開設している無料ポータルが見つかり、快適にインターネットが動いています。日本、例えば東京ではいまだにワイヤレスLANが街中や公共施設にこのような形で普及しておりません。なんだかんだと金をとることばかり優先してしまっているようです。米国ではワイヤレスLANでインターネットに入り込むことのできるポータブルデバイスが、特に学生を中心に爆発的に普及しています。大学のキャンパス中にワイヤレスLAんの網が張り巡らされているからです。これが本当の情報化社会であって、その点日本はハードばかり出ていますが、肝心のネットワークはお寒い限りです。私はほぼ10年ぶりに米国に滞在しておりますが、限定的な観察から言えることは、米国においても藤原先生が日本の現象として指摘されている 賎民資本主義がますます進展している、ということでしょうか。今回の米国体験については、折を見て別途、書かせて頂きたいと思います。

127尾崎清之輔:2008/01/11(金) 00:28:21
No.126で鈴木さんから、米国においても『賤民資本主義』がますます進展しているとのご報告を頂いておりますが、やはりキャピタリズムの本家である米国においては、そのような状況に進展しやすいのはある程度必定であると思っております。

但し、藤原博士が仰っておられていたように、仮に米国という「国」が崩壊しても(これは国家という存在が「想像の共同体」の一種である以上、そういうことから免れないのは歴然たる事実)、『教養』だけは残るという意味では、確かに建国以前からリベラル・アーツという全人教育に主眼を置いた『教養創り』という歴史が存在していたことから、太平洋の対岸に位置する日本が似たような状況にありつつも、そこのあたりの決定的な差が、如何に現在のお寒い状況を生み出しているかは言わずもがなと言ったところです。

さて、世界レベルの視点からすると、実質的にはとっくに嘗ての「経済大国」では無くなってしまった現在の日本において、未だ一部の者たちが追い求めている幻想(≒幻覚)でしかない「量としての大国主義や思想」とか「ミーイズム的な発想や行動」ではなく、そこに生きる多くの個々人の質である『クォリティ・オブ・ライフを如何に高めていくか』に主軸を移していくことで、創造的破壊が起こり、大国的な幻想とミーイズムからの脱却はもちろんのこと、次の新たなる場(≒社会)創りや次世代のライフスタイルも段々と明確になり、本来の『経世済民』に繋がると考えておりますので、長い間には高い精神性と文化を持つ「場」として生まれ変わる可能性も残されているのではないかと思う次第です。
そのためには、長期的な考え方に基づく戦略的な思想や発想、そして実際の継続的な行動に移していくことが最重要であることは申し上げるまでもございません。

無論そうは申し上げても、先に申し上げた通り、すぐには思った通りにいかないのが現実であることは十分理解しておりますが、その上で、やり遂げるために続ける、という姿勢は常に持ち続けていこう、ほんの少しのことでも良いから自分のできることからしてみよう、たとえ私の代では出来ないような大きなことであってもそれならば次の代へ託そう、そして託せるためには、やはり日々弛まなく続けていこう、そういったことを念頭に置いていきたいと思います。
また、そのためには日々の真剣勝負の場を通じて、以前に述べた「活人剣」すなわち「勝つ剣」を身に付けていかねばなりません。

尚、前にも申し上げましたが、藤原博士が『ジャパン・レボリューション』で「フィランソロピー」でも「フィランスロピー」でもなく、何故『フィラントロピィ』という言葉を使ったか、現在、私なりに推考を重ねておりますので、この辺りにつきましても、いずれ改めて私見を述べさせて頂ければと思っております。

128尾崎清之輔:2008/01/12(土) 00:43:17
先日の投稿でも若干ご紹介させて頂きましたが、久しぶりに清水博博士の『場の思想』(東京大学出版会)を他書と共に読んでおり、この本にも様々な箇所に線が引いてあって、最初に読んだとき、どのようなことを考えていたのか、当時のことをいろいろと思い出しつつ、再読しているところです。

特にこのスレッドのタイトルの一つである『場創り(共創)』に関連して、『創造』という用語を何度か使用させて頂いておりますものの、では『創造』とは何か、一体どういう意味を持っているのか、前にご紹介した『丸山眞男 音楽の対話』やマイケル・ポランニーの『暗黙知』等から引用させて頂いた『創造』を頭に置きつつ、考えていきたいと思いますが、まずは清水先生の著書から、私が線を引いた箇所を中心に引用させて頂きます。

◆新しい世界の枠は、現在の世界の外側からは限りなく遍在的な純粋生命が働き、そしてその内側からは局在的な自己(意識)が働くかたちで創出される …(中略)… すなわち、無限定と限定とが出会うのである。

◆まず、意識的な思考によって、現在の世界において生じた諸矛盾の原因を、論理的にはこれ以上追究することができないとぃう状態まで追いつめることが必要である …(中略)… つぎに朝目覚めたときに、昨夜まで考えていた問題がすっかり解消して消えているという不思議な現実感を経験することがよくおきる。 …(中略)… つまり限りなく遍在的な生命の活きによって、無意識のうちに自分自身が変化している − 無意識のうちに創造的飛躍が起きている − と考えられるのである。

◆創造に純粋生命の活きが必要であるということは、新しい世界の発展の方向が純粋生命の活きに合致していなければならないことを意味している。自分自身の欲望の充足のためだけに創造するということはありえない。創造には、「世のため、人のため」という志や使命感が存在していなければならないのである。

ちなみに、この著書では『純粋生命』を『地球環境』と同義的に捉えておりますが、私はもっと広義の意味に捉える必要性を感じております。
つまり、メタサイエンスやホロコスミクス図から認識できる、宇宙を超えた宇宙システムの先にある『空』の世界、また極小から特異点を超えた“欠けているものが何も無い”『無』の世界、そして特異点での位相変換により完成されるトーラス図を動態的に見据えない限り、『創造』がどのように発生し、派生して、フィードバックループし、また新たな『創造』へと至るか、本当の意味で説明ならびに理解できないと考えるからです。

129尾崎清之輔:2008/01/12(土) 01:23:22
先の投稿では、『場』に関連した広義な世界について、私なりに敷衍をさせて頂きましたが、実は人と人との直接的または間接的なコミュニケーションにおける、ちょっとした切っ掛けが、日常を生きていく中で、様々な『創造性』を私に与えてくれる「楽しみ」や「喜び」の意味も理解しているつもりです。

また、別のスレッドにて、珪水さんが、『この場に集う人の大半の本質は妥協をする生き方とは無縁の方々』と仰せのように、私も妥協しないことを是とする考えを持っていることは確かです。

そして、妥協しないことによるストレスが活力の源泉であると同時に、『人生まあるく』という心の余裕を常に持ち続けることが、より広く大きく高みの世界へと自らを導き、且つ導かれると確信しており、それらをお互いの成長に向けた動き(≒働き)へと繋げていくことによって、お互いの人生が螺旋状に登っていく楽しみや喜びを得ていくことができれば幸いであり、そうしていきたいと思います。

130尾崎清之輔:2008/01/12(土) 22:56:00
昨年11月初めにこのスレッドを立ち上げ書き込みはじめてから、早いもので、2ヶ月強で130ほどの投稿数へと至りました。ここに改めて皆様へ感謝の意を表します。

今回の投稿でNo.130になり、音楽作品の付番からすると、Op.130(作品130)ということになりますが、Op.130で思い起こされる作品としては、ベートーヴェンの『弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調』がございます。

この作品は、当初その難解さと曲の余りの長さから、後に別枠で単独扱いとされた『大フーガ 変ロ長調』(Op.133)を含んでおり、「第九」完成後のベートーヴェンが、その後どのような心境に至っていったかを知ることのできる貴重な作品群の一つであると思います。

ピアノソナタの最晩年作品群と呼ばれ、至高なる精神の宿った30番〜32番の一つ前である、29番すなわち『ハンマークラヴィーア』で、ピアノとしての表現可能な最大を極めたと思われるベートーヴェンは、「第九」を経て、室内楽曲による表現の極みを、10数年のインターバル期間をおいて、後期の弦楽四重奏曲に託したのではないかと考えられます。

ちょうど今、40年近く前に結成され、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の演奏団としても有名である、一時期ウィーンフィル(VPO)のコンサートマスターも務めたギュンター・ピヒラー(Günter Pichler)をリーダーとした、アルバン・ベルク四重奏団(Alban Berg Quartett)のライブ作品群を視聴しておりますが、ベートーヴェン弦楽四重奏曲の後期作品群のうち、13番や大フーガといった、崇高さや壮大さから精神の精華を感じさせる曲と、最後を飾った『16番 ヘ長調』のように、他の後期作品群と比べて小規模でありつつも、肯定的で陽気な鳴り響きから、章が進むごとに透明度が高くなっていくような風にも思われる曲が、ほぼ同じような時期(およそ1年以内)に作られたことに大変興味を持っております。

この辺りの時期のベートーヴェンに『啓蒙的な何か』があったかどうかは未だ分かりませんが、そちらの内容は鈴木さんに立てて頂いた『啓蒙思想』のスレッドで掘り下げていきたいと思いますので、ここでは引き続き「音楽」をはじめとした芸術などの話題から『教養と場創り』へ結び付けていきたいと思います。

そして、これからの私の投稿も、掲示板としての品位を保ちながらも、時には少し世俗的な内容を交えていくことで、この場を初めてまたは稀に訪れる方々に対して、一読して分かりやすさと楽しさが含まれていると感じさせられるようにもしていくつもりです。

131尾崎清之輔:2008/01/14(月) 01:59:26
『丸山眞男 音楽の対話』から、『シューベルトという作曲家の神髄は、ケンプのピアノを聴けば分かります。』という文章を前に引用させて頂きましたが、その後ケンプ(ヴィルヘルム)のピアノソナタ全集を入手して、シューマンのピアノソナタ集と共に暫く聴き入っております。

テレビ番組を余り視ることが無いものの、一昨年の秋頃に日本で大ヒットした、クラシック演奏を通して人間の成長をモティーフとしたコメディタッチの連続ドラマ(原作はアニメ)があり、実際の放送では最終回のラスト10分程度を視聴したに過ぎませんが、後に発売されたDVDセットを一通り視聴することにより、単なるドラマとかアニメを遥かに超えた内容であると感じさせられました。

この番組が今日(こんにち)の日本のクラシックブームの火付け役となり、先に申し上げた通り、その勢いは現在に至っても止まることなく、今年正月には二夜に渡ってヨーロッパへ舞台を移したスペシャル番組が組まれ、パリのコンセルヴァトワール(ドラマで使われたのは『Conservatoire National Superieur de Musique』ではなく『Conservatoire national superieur de musique et de danse de Paris』のようでしたが)など、現地の本物の舞台が使われ、内容も視聴者へより深い楽しみを与えてくれるものであったと思います。

二人の主人公のうち、一人はピアニストとして、もう一人は指揮者として、お互いに影響を与え、そして与えられつつ、演奏者として成長していきますが、いま聴いているシューベルトのピアノソナタから、今夜は日本を舞台にしていた頃の内容を若干の感想を交えて述べさせて頂きます。

日本でのピアノコンクールの予選時に使われた『第16番 イ短調D.845』を、(コンクールに向けて初めて本気になった)主人公の一人が悪戦苦闘して練習している際、携帯メールでもう一人へ送った『シューベルトはなかなか気難しい人みたいで、頑張って話しかけてもなかなか仲良くなれません。』に対して、『シューベルトは本当に気難しい人なのか? 自分の話ばかりしていないで、相手の話もちゃんと聞け! 楽譜と正面から向き合え。』というようなコミュニケーションが多くあり、『楽譜と正面から向き合え』の『楽譜』を別の言葉に置き換えて考えられる、示唆に富んだセリフが随所に散りばめられており、これらの言葉に感銘を受けつつ、原点に立ち返ることの大切さを再発見しております。

尚、この掲示板の常連の方々や良く訪れる方々にとって、『正面から向き合って』いくことは、人生の入り口の「当たり前」の一つに過ぎないかもしれませんが、No.130で申し上げましたように、私はあえて、初見の方々やこれからの方々へ向けたメッセージも多く伝えていきたいと思いますので、その辺りにつき予めご了承願えますと幸いです。

132尾崎清之輔:2008/01/14(月) 23:49:34
昨年暮れに大掃除と片付けや整理整頓を行ない、一旦は収束が付いたものの、逆にまだあれもこれも捨てたいと思う物が一杯見つかったというお話をさせて頂きましたが、この連休のうち丸一日を使って、7割ほどを捨てました。

いっそのこと、この機会に全て捨ててしまいたかったのですが、残りの多くがもう使わなくなって久しい家電製品(古い機種で壊れたまま放っておいただけですが…)など粗大ごみ扱いのため、手続きはしたものの、その日にならないと捨てられないことや、片付けた後の空いたスペースを掃除していたところ、あっという間に時が過ぎてしまいました。

ちなみに、このようなことを書いていると、まるで拙宅が相当広いように思われてしまいますが、実は単に余計な物が普通の人と比べて圧倒的に多かっただけで、昨年末に大掃除を始めるまでは、特に本棚に入りきらなくて積みあがった書籍の山や、空けてみるまではいったい何が入っていたかすっかり忘れていたプラスチックケースとかダンボールなどのおかげで、狭い家の中を文字通りの“迷路”にしていたほどでした(笑)。これでは一見すると形だけ整っているようで実態はゴミ屋敷と何ら変わりございません。

掃除と片付けを通して、更に不必要なものと必要なものが見えてきた中で、前にも申し上げましたが、こうして自分が住む場所という日々を過ごす重要な「場」が、段々と片付いてきれいになっていく様は、本当に気持ちが良いです。

ところで、昨年暮れからの掃除&片付けの過程で、何年か前に入手してそのままとなっていた(元々どのような切っ掛けで手元にしたかは忘れてしまいましたが…)、太田朋さんという絵本作家、より正確には『シンプルなイラストに短い言葉を添えたスタイルが一部の方々に人気のある大人のための絵本作家』、の作品が2冊ほど見つかりました。

実はこの時期と前後するようにして、太田朋さんのイラスト&言葉が入ったメッセージを頂く機会があったことから、その偶然性に大変驚きと感銘を覚えております。

しかも、手元2冊のうち1冊は、『ぼくの手のなかには』(大和書房)という題名ですが、『いらない物を掃きだして』、『気持ちよいほどのひとり』、というイラスト&言葉から始まり、『ぼくの手のなかには なにもなくて』、『ぼくの手のなかには なにもかもがある』、というイラスト&言葉で終わる、今の私にとっては示唆的とも黙示的とも言える内容であったと申し上げておきましょう。
(終わりの二つの言葉は、申し上げるまでも無く、老荘思想そのものですね)

133尾崎清之輔:2008/01/16(水) 01:47:48
No.130の投稿において、ベートーヴェンの『大フーガ 変ロ長調』(Op.133)が、その難解さと曲の余りの長さから、弦楽四重奏曲『第13番 変ロ長調』(Op.130)から外されて、別枠で単独扱いの曲となったことを述べさせて頂きましたが、今回の投稿がNo.133だからと言って、それを模したわけではなく、全くの偶然に過ぎませんが、ごく最近、このスレッドのタイトルの一つに関連して、非常に目に障る状況に陥りつつあることを再発見しましたので、この考えを忘れないうちに書きとめておきたいと思い、少し寄り道をさせて頂きたいと思います。

このスレッドを立ち上げた際、タイトルを付けるにあたって、『場創り(共創)については、これまでも何度か取り上げられてきた内容ではあるが、本来あるべき姿としての「場」は広がりを持つ系であり、私が「場」と言われて出向いたその多くについては、残念ながら閉じた系である「空気」でしかなかったことだ。』と述べさせて頂き、『開いた系としての「場創り」』に向けたことを考え、行動していく中で、関連すると思われる書籍や、音楽とか絵画の話題、そして場の整理整頓や片付け、更にはその他日常の様々な出来事をベースにして、多くの投稿をさせて頂いていることはご存知の通りです。

最近、ほんの少しずつではございますが、『競争から共創へ』とか『共生へ向けた』様々な提言や発信が為されてきたようですが、残念なことに(…と言うよりこのようなことは余り申し上げたくはございませんが予想通り…)その多くは私が先に申し上げた通り、『閉じた系である空気』でしかなく、それだけならばまだしも、政界、財界、学会などへ身を置いている(または嘗て身を置いていた)、一般的には社会的立場があると言われており、且つ現在も社会的にある程度影響力の与えている人たちの多くが、現役時代は『競争』そのものを是とするが如く活躍され、また影響力を行使されていた頃に、いったい『共創』や『共生』に対して何を為されてきたか、具体的にどのようなことへ取り組んでこられたか(…実質的には取り組んでないに等しいと言っても過言ではないですが…)といったことを全く棚上げにして、当たり前の如く『共創』や『共生』といった用語を安易に使い始めているような気がしてなりません。

特にどの人間(延いては生命体)に対しても、一日に等しく与えられた24時間という時間から、生命体の健康維持に必要な睡眠時間、毎日規則正しく食事を取るための時間(つまり早飯とは無縁な時間)、日々の読書の時間、コンサートや音楽鑑賞の時間、絵画鑑賞の時間、ゆっくりと自らを省みる時間、自らの健康を保つため休養にあてる時間などにつきましては、生涯に渡っての全人教育という名の教養創りのための必須な時間と考えており、これが昨今の(意識的か無意識的かには関わらず)「市場原理主義」やその極限である「賤民資本主義」的な思想や発想や行動様式から、健全なる人間としての立場を取り戻すための焦眉の急の課題であると考えます。

134尾崎清之輔:2008/01/16(水) 03:02:12
(No.133から続きます)

実際、その人生の多くの時間を、文字通りの「生き馬の目を抜く」ことに費やしてこられた結果、見る人が見れば一目瞭然の「人相の悪くなった」方々が、『競争』という生き方から、いくら『共創』や『共生』を唱えたとしても、全く説得力が無いどころか、寧ろ胡散臭さを覚えてしまい、却ってその方々が少なからず持っていたであろう「信」さえも失うのではないかと危惧しております。

ちなみに、これはその方々への危惧のみではなく、そのような立場であった方々の豹変振りと、提言と実態との乖離も予め見えてしまうだけに、その方々の「信」だけではなく、こういう方々を実質的に支え、または暗黙的に支持してきた、市井に生きる我どもに対しても、世界的な視点からは、同じように「信」を失ってしまうという悪影響を与えかねないからです。

数多くとは言わないまでも、嘗て幾つかそのような場所や会合、また勉強会や研究会などへ出向いて知ったことは、彼ら彼女らの多くは、所謂「社会的優等生」であり、端的に申し上げますと、傍目には一定の社会的成功を収めた人たちの集まりが多いことから、畢竟、自らの範囲ないしは枠組みに終始したことに関する発言はできても、例えばある一つの問題提起から想定し、考察していくべき普遍的なテーマに対しては、全くと言って良いほど議論することが出来ず、逆にそのような課題提起をさせて頂くと、黙ってしまうか、若しくはそのテーマと全く関係の無い「自分の周りに起こった出来事」へ話の流れを逸らされてしまい、大抵の場合は「退かれて」しまうのが実態でした。

数年前、ある会合において、確か藤原さんか管理人さんの許諾を得て、博士の『日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ』をサブテキストに、中村博士の『経済的合理性を超えて』からの抜粋やマックス・ヴェーバーなどから、日本の病理診断をはじめとして、日本の古層である「バッソ・オスティナート」や、1300年以上にも渡る鎖国精神などの議論を行い、より普遍的な方向への展開を目論見ましたが、案の定、最初の時点から非常にレスポンスが悪く、一言二言のコメントは出たものの、次の展開に向けては程遠く、尻切れトンボ以前に議論が始まることなく終わってしまった経験がございます。

◆日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/zaikai0107.html

135尾崎清之輔:2008/01/16(水) 03:20:37
(No.134から続きます)

おそらく、多くの「社会的優等生」の方々は、その寄って立つところから、自己否定にも繋がりかねないテーマに対しては、意識的に避けて通る傾向がある、つまり現代社会に起こっている様々な矛盾的現実を正面から見詰めることの出来ないタイプ(つまり、正面から見詰めることによってその多くは自己破壊へと至りかねない≒心身の病に至りかねない、というタイプ)であると思いましたが、そのような場所や会合へ出向く以上、何らかの潜在的意識を少しは持っていることは確かと思いますが、彼らは優秀なテクノクラート型のタイプであるがゆえに、特定の与えられた課題に対するソリューションには強くても、何が起こるか分からない21世紀の時間軸の中では、想定外の問題とかより大きな課題などが常例しておりますので、まだ社会の第一線には現れてきていない『テレオクラート』という『遠い将来を見通すことのできる専門家』の存在が必須であることは、正慶孝さんが藤原さんとの共著『ジャパン・レボリューション』(清流出版)で看破された通りであると思います。

136尾崎清之輔:2008/01/16(水) 04:07:56
(No.135から続きます)

ここまでの話題と関連して、『賢者のネジ』(たまいらぼ出版)などをご一読された方々でしたらご存知のように、藤原さんがオイルビジネスという世界最大のビジネスにおいて、米国のカンザスやテキサスを本拠地として複数の石油開発会社を起こし、まさに絶頂期へ向かおうとしている40代前半の頃に、大韓石油協会へ招待された際の晩餐会の席上で、当時の韓国財界の大立者の申さんという元自動車会社の会長であった方から、『40過ぎてビジネスをやっているのは人間のカスだよな』という言葉に続いて、しみじみとした口調で『40歳を過ぎて人類のためになることをしなかったら、生きている甲斐がないよな…』という発言が為され、これを藤原さんは「申さんショック」と呼んでおり、後に藤原さんが2倍の人生を生きる決意と実行に至る切っ掛けになったことは、藤原ブッククラスターの方々でしたらご存知の通りと思います。

確かに、申さんご自身が韓国の実業界に入って、自動車会社のトップになった後、40歳で自動車メーカーの会長を辞め、全財産を投げ出して奨学金財団を作り、韓国経済研究所を設立して、ソウル大学に隣接した4階建てのビルの一部を、談話室、自習室、図書室などとして開放した上で、申さんは遊軍的な役割として自由に動き回りつつ、国内外からの面会希望の方々とのお相手や、余生を人材育成のために使っているという内容につきましては、前項までに申し上げた方々の動向に対して、個人レベルのボランタリーを超えたフィラントロピィ精神の具現化を考えていく上で、非常に示唆的な内容であると感じさせられました。

尚、私は、そう遠くないうちに、今夜述べさせて頂きました内容をベースに論旨を纏め上げ、これまで「場」と呼ばれて出向いて失望感を覚えた場所なども含め、私なりにほんの少しずつですが理解しつつある「脱構築」に向けた提言を、必要に応じて公開書簡の形で表明させて頂こうかと思っているところです。

137尾崎清之輔:2008/01/16(水) 08:27:50
No.133からNo.136において、私の文章に一部文法のミステイクがございますが、そのあたりにつきましては、ご了承下さい。
また、書き足りない内容が未だ多くございますものの、続きは改めて投稿させて頂きます。

それにしても、今回の投稿をさせて頂く過程で、今から14年前の藤原博士と小室直樹博士との対談を思い出さざるを得ませんでした。

◆「意味論」音痴が日本を亡ぼす
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/semantics.html

138尾崎清之輔:2008/01/16(水) 23:48:53
今夜の話題へ移る前に昨夜(…と言いつつ今朝未明まで続いてしまいましたが…)の続きを少しだけ。

昨夜の連続投稿をさせて頂く過程で、藤原博士と小室博士との14年前の対談である『「意味論」音痴が日本を亡ぼす』を思い出さざるを得なかったと書かせて頂きましたが、これは『共創』や『共生』といった言葉のみでなく、以前も申し上げました『暗黙知』とか、別のスレッドで取り上げさせて頂きました『ウェットウェア』など、その言葉が本来持っていた意味から余りにも懸け離れた使い方をしたり、または矮小化したりするケースが多く、このようなところにも求心型の文化というか、縮み思考へ陥りやすい傾向が垣間見られると思っております。

やはり主旋律には決して成りえない「執拗低音」の歴史が長く続いてきたことの証左かもしれません。

139尾崎清之輔:2008/01/17(木) 00:18:54
さて、昨夜の話題と打って変わって、いま聴いているシューマンのピアノ作品に絡めたお話をさせて頂きたいと思います。

過日の投稿でもご紹介させて頂きました、ヴィルヘルム・ケンプによるシューマンのピアノ作品集と、マルカンドレ・アムラン(Marc-André Hamelin)によるシューマンのピアノ作品集を聴き入っておりますが、シューマンの多くのピアノ作品が小品にも関わらず、どれも豊かな響きを持ち、自由な形式と思われる曲調は、シューマン独特の味わいや、幻想的な遊び心を醸し出しているようです。

現代の技巧重視とか華麗重視の考え方からは遠く離れているケンプですが、『鍵盤から指が離れた瞬間に、後から音が付いてくるような』彼の奏でるメロディは、聴く者に対して、常に最高のロマンと素晴らしさを提供しているように感じられます。
これが晩年のケンプの穏やかさのうちに秘めたる情熱であり、きっとシューマンはピアノ作品ではこういう音色を出したかったのだろうなぁと思いつつ。

ところが、アムランの方はケンプとは全く逆で、「技巧派の雄」と申し上げても過言ではないほど、そのテクニックと彼のピアノから奏でられる音色が持つ鮮度の高さは、単なる技巧派とか超技巧派といったレベルを超えて、まるで激しく燃える炎のような情念と、冷徹に光る剣のような鋭さが同居しているように思われたほどです。
「全ての音を叩いて表現できるアムランのピアノの技量」といったレビューを以前どこかで見たことがございましたが、そのコメントに嘘偽りは無いと感じさせられました。

特にケンプとアムランの対比については、先にご紹介した連続ドラマの(日本での)ピアノコンクール本選曲にも使われていた『ピアノソナタ 第2番 ト短調 作品22』に明らかであり、どちらも全く違ったタイプのピアニストですが、甲乙付けがたいとはこのことを言うのでしょうか、この曲に関しては、本当にそう思ったほどです。

いずれにしても、この曲(特に第一楽章)、弾き手にとって、もの凄く難しい作品であることは確かかと思います。

ちなみにYouTubeで適当な動画を探しましたが、マルタ・アルゲリッチの映像作品(静止画付きの演奏作品)くらいしかなかったので、ご参考までにURLをご紹介します。

◆Martha Argerich plays Schumann Sonata in G minor mov. 1
http://www.youtube.com/watch?v=147-ttSq4tg

140尾崎清之輔:2008/01/18(金) 01:37:53
『場』の概念と『空気』の概念が全く違うことは明らかであると思いますが、意味論(セマンティックス)が正しく成立していない私の住む日本においては、『場創り』の基本中の基本であるコミュニケーションがなかなか取り辛いこともあって、『共創』へ至るまでの道程には、相応の覚悟を決めてかからねばならないと思いつつ、日々を過ごしております。

もちろん、私自身、『意味論』の修得までには、まだまだ相当の努力と時間を必要とすることは確かであり、懸命に取り組んでいくことで、いずれは身に付けたという実感を覚えたい存在の一つであると思っております。

先にご紹介した藤原博士と小室博士の対談においては、意味論について藤原博士から、

◆言葉がある特定の意味をどうやって獲得し、他の言葉とどんな関連を持ち機能するかを理解して、コミュニケーションをする場合に、ある言葉がどんな枠組みで定義され、どんな概念を含んでいるかを知ること

と明解に述べられており、この答えとも申すべき内容に対する認識が、『場』の形成に至ることができるのか、それとも『空気』となってしまうかの重要な岐路と考えております。

(この項、続く)

141尾崎清之輔:2008/01/18(金) 02:30:22
(No.140から続きます)

今年正月に頂いた年賀状の中に、『社会への恩返し』のスレッドで話題にさせて頂きました、若手フォトジャーナリストの方や、嘗てフォトジャーナリストであった方からのものもあり、自筆で認められた久しぶりの文面とその行間には、たとえ時空間が離れていたとしても、その方々との数年前の邂逅からはじまり、且つ今でも続いている、開いた系である『場』の持つ素晴らしさについて、改めて感じざるを得ませんでした。

一人は『社会への恩返し』のスレッドで、活動内容の詳細について幾つかご紹介させて頂きましたが、以前から行っている複数の海外での取材テーマに加えて、国内での取材テーマについても本格的に取り組んでおり、文字通りの「八面六臂」の活躍ぶりであることが良く分かりました。

また、別の一人は海外での教育活動、しかも当時在住していた海外の国から別の国へ留学させるための教育という、非常に困難と思われる活動に暫く従事しており、最近になって再び日本に戻り、アジアと太平洋の研究活動を始めているとのことでした。
ご本人自身、それが出る場所を知っているからこそ、勉強つまりインプットすることが好きだと明確に述べており、今回の帰国が次へのステップであることはスグ読み取れました。

余談ですが、二人とも観光目的ではない数十カ国への旅や取材、またボランタリー的な要素を持つ教育活動などを通して、一人は4カ国語だか5ヶ国語、もう一人は何と8カ国語をほぼ独学で覚えたほどの猛者です。ちなみに男女の違いについて云々申し上げることは、私の信念からすると些か違和感を覚えてしまいますものの、それでもあえて申し上げさせて頂けるならば、後者の方は一見すると「癒し系」の女性です。

このような、私より一回り半ほど年下にあたる若者たちは、その存在だけでもこれからの世代とこれからの市民社会の形成に向けた『場創り』というテーマに関連して、夢と希望と勇気を与え、いずれは何かしら共感や共鳴を覚えた他の人たちの方向性についても、各個々人の頭と身体を使って熟考させるだけの器量を持つ、若しくは器量を持たせることができるだけの確たる可能性を秘めており、彼ら彼女らとのコミュニケーションにおいては、最近の一般的な通念とは若干異なる、本来の意味での「一期一会」の世界の素晴らしさがあると考えており、そのような世界観の持ち方、つまり自身の人生をどこまで『正面から向き合って』きたかが、自らの時間の大切さを十分知りつつ、常に心の余裕を持って培ってきた『資質の高さ』を感じさせると考えます。

142尾崎清之輔:2008/01/18(金) 02:51:43
(No.141から続きます)

このようなところにも、開いた系である『場』と、閉じた系である『空気』との違いが鮮明に現れていると考えており、それを強いて同じ『場』という言葉を使わせて頂くならば、前者は『出会いの場』であり、後者は『群れ合いの場』になるということについては、いみじくも清水博博士が自著『場の思想』(東京大学出版会)において、下記で述べた通りであると思います。

◆群れ合いの場では結局閉じた場の枠が閉鎖集団に特有の自他分離構造をつくってしまう。そして枠の中の自然は大切にするが、その外にある自然は破壊するという「我々」のエゴイズムが生まれてくる。群れ合いの場は閉鎖しているために、その内部では創造的な活動力は生まれない。これに対して出会いの場では、人々が「我と汝」として出会い、互いに自己を開いて交流し、そして再び別れていく。つまり、枠はあるが固定されていないために出入りは自由である。出会いの場では、ともに生きる仲間として人々が絶対的に台頭であることが要求される。その結果として「ともに生きている」ことは「ともに活かされている」ことであるという自覚をもつ。このともに活かされているという自覚がはたらくことによって、異質の背景をもつ人々の間で共創が生まれる。


尚、上記の引用文章のみでは若干とはいえ重要な誤解を生み出しかねない危険性があるとも考えておりますので、その辺りにつきましては追々続きを書かせて頂きたいと思っております。

143尾崎清之輔:2008/01/18(金) 03:41:18
ちなみに、『場』を形成できるだけの要素を持っている、または本人に未だ明確な自覚が無いとは思われるものの、そういう要素を持っている『資質の高さ』を感じさせる方は、何も先に述べたような生き方を選んでいる方々のみでなく、実は意外なところ(…これは悪い意味や変な意味は全くございません…)にも潜んでいると考えており、事実そうであると思っております。

そのような方は、たとえ多くの人と接していても、そのような面については殆ど若しくは全くと言って良いほど見せることが無いか、または何か理由が無い限り、意識的に人前へ余り出ないようにしているため、そのような方から『資質の高さ』を感じ取るには、感じ取る側、つまり受け手側に相当の訓練と直観に基づいた感性の鋭さと豊かさが存在しないと、なかなか認識するに至ることは困難であると思います。

このように申し上げたからと言って、何も私がそういう特殊な能力を持っているなどという、自意識過剰的で傲慢とも思われる発言をするつもりは毛頭無いですが、本当にごく稀ではあるものの、やはりそのような『何か』を感じさせられた方については、必ずと言って良いほど、皆その人なりに成長の過程を歩んでいることは確かです。
少しずつで構いませんので、こうでありたい自分のイメージを鮮明にしながら、自信を持って日々を歩んで下さい。

144尾崎清之輔:2008/01/20(日) 00:28:12
今夜の投稿No.が「144」ということに因んで、宇宙が奏でる自然の姿であり、延いては藤原博士が提唱された、究極的な大宇宙構造体であるホロコスミックスを司る、フラクタルやフィボナッチ数について、少々語らせて頂きたいと思います。

実は今回の投稿内容を考えていた際、『ロマネスコ』という不思議な植物の花蕾に関する情報を発信して頂いた方がおり、このロマネスコの花蕾群の形状がフラクタルやフィボナッチ数を表していることを知ったことから、全くの偶然なのか、それとも目には見えない何かが働いたのか分かりませんが(…前者&後者ともに同じ意味を持っているとも考えられます…)、いずれにしても、私にとって、そのことを知った瞬間は、頭の中のみならず全身にスパークを覚えたほどでした。

◆ロマネスコ(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%B3

145尾崎清之輔:2008/01/20(日) 01:04:21
自然界の現象の多くを司るフィボナッチ数でありますが、その中でも「144」は平方数も兼ねている(1を除いた)唯一の数であり、人間界における様々な行為やその経過や結果なども包含した神秘的な数値を示していることは、ご存知の通り、藤原博士のメタサイエンス系の書籍群や、落合莞爾氏との共著『教科書では学べない超経済学』(太陽企画出版)、また『フィボナッチ数列や律動とラチオについて』など幾つかのスレッドにおいて議論されてきた通りです。

◆フィボナッチ数列や律動とラチオについて(ご参考)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1138439045/l50


尚、私がこの領域へ本格的に踏み込むには若輩者の謗りを免れませんので、まだ止めておきますが(前項で少々と申し上げたのはそれが理由)、144という数値に関連して、『賢く生きる−藤原肇対談集』(清流出版)の対談者の一人である首藤尚丈さんが会長職を務めておられるダイヤモンド会社(ディアナメディカル株式会社)のHPに、対談からの抜粋が掲載されておりましたので、ご参考までにお知らせ致します。

◆首藤尚丈「閃きを支える理知的発想」(ディアナメディカル株式会社【対談】より)
http://www.dianamedical.com/interview_1.html

146尾崎清之輔:2008/01/20(日) 01:21:29
先の投稿で肝心なことを書き忘れてしまいましたが、藤原博士の大理論である「ホロコスミックス」に関する講演内容と論文について、未見の方々へご参考までにご紹介させて頂きます。

◆21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦(講演)
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/meta01.htm


◆Holocosmics: Beyond the new horizon of a unified theory in the Meta-Sciences(論文)
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/paper/meta/meta.htm

147尾崎清之輔:2008/01/20(日) 03:10:24
実はNo.145以降で、「144」という数値をベースにフラクタルやフィボナッチ数に関する論文を、昨日(土曜)の4時間強ほどを費やして書き上げていたものの、投稿する前に再度熟読したところ、論文中における「弁証法」の欠陥や、四科の「幾何学」と「天文」について稚拙極まりないと思われる部分、つまり私の教養不足が明らかなところが散見していて、納得できない文章になってしまったと感じたことから、投稿するのを止めたことを正直に白状しておきます。
じっくりと時間をかけて再考し、追加修正など行った上、いずれ機が熟してきたと思った頃に掲載させて頂こうと思います。

お口直しにヴィルヘルム・ケンプのピアノ演奏(シューベルト、ベートーヴェン、シューマン)をお楽しみ下さい。

◆Wilhelm Kempff Plays Schubert Sonata D664 1st Movement
http://www.youtube.com/watch?v=Sv6XQc2s6Jc

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven Sonata 27 Opus 90, Movement 1
http://www.youtube.com/watch?v=_usz70f5ONg

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven Sonata 27 Opus 90, Movement 2
http://www.youtube.com/watch?v=3KL-lZOT564

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 1
http://www.youtube.com/watch?v=O6txOvK-mAk

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 2
http://www.youtube.com/watch?v=vDNsX4DtzZs

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 3
http://www.youtube.com/watch?v=oqSulR9Fymg

◆Schumann - 'Arabesque' Wilhelm Kempff
http://www.youtube.com/watch?v=IgHf3xu8ElI

148尾崎清之輔:2008/01/20(日) 22:59:32
No.141から143にかけて展開させて頂いた、『場』を形成できる素養を持つ方々について少し触れさせて頂きましたが、既に着々と『場創り』の地歩を固めつつある方々については、申し上げるまでも無く、目に見える形となって現れてきておりますが(…とは言っても70年以上前にオルテガ先生が喝破した「凡俗な生」に溺れる大半の方々はそういうことに全く気が付かないか、または気が付いてもあえて無視している…)、「これから」徐々に成長して地歩を固めていくことができると思った方々については、若干説明不足のところがあると思いましたので、その補足をさせて頂きたいと思います。

『場』を形成できる素養を持つ『資質の高さ』を感じる方々の共通項として、前者と後者いずれの方々にも共通していると私が感じる重要な要素の一つに、『丸山眞男 音楽の対話』から何度か引用させて頂いている『精神の貴族性(アリストクラシー)』があると思っており、これはオルテガ先生(オルテガ・イ・ガセット)が述べたところの『精神の貴族』または『高貴な生』にも繋がっていると考えます。

まずは、毅然たる態度、凛とした音楽(姿)、背筋をピンと伸ばして、孤高を守り抜いたという『精神の貴族性(アリストクラシー)』とは、丸山博士ご自身にとってどのようなものであったか、『丸山眞男 音楽の対話』の以下の文章に表されております。

◆私生活にあっては簡素を旨とし、「贅」という言葉の入る余地のない日常を送っていた丸山であるが、彼の生き方で最も見事だと思うのは、彼自身が生涯「精神の貴族性」を守りぬいたということ、その一事である。そして丸山は、そのような生き方を貫いた人が大好きであった。

そして、オルテガ先生の『精神の貴族』がどのような意味を持っているかについては、自著『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)の第七章『高貴な生と凡俗な生 − あるいは、努力と怠惰』において、以下の通り述べております。

◆貴族とは、つねに自己を超克し、おのれの義務としおのれに対する要求として強く自覚しているものに向かって、既成の自己を超えてゆく態度をもっている勇敢な生の同義語である。かくして、高貴なる生は、凡俗で生気のない生、つまり静止したままで自己の中に閉じこもり、外部の力によって自己の外に出ることを強制されないかぎり永遠の逼塞を申し渡されている生、と対置されるのである。

従って、オルテガ先生は人間の凡俗なあり方を「大衆」と呼んでいることはご存知の通りです。

(この項、続く)

149尾崎清之輔:2008/01/20(日) 23:38:58
(No.148より続きます)

この『精神の貴族=高貴なる生』について敷衍させて頂くために、同じく『大衆の反逆』の『高貴な生と凡俗な生 − あるいは、努力と怠惰』から以下に引用します。

◆選ばれたる人とは、自らに多くを求める人であり、凡俗なる人とは、自らに何も求めず、自分の現在に満足し、自分に何の不満ももっていない人である。一般に考えられているのとは逆に、本質的に奉仕に生きる人は、大衆ではなく、実は選ばれたる被造物なのである。彼にとっては、自分の生は、自分を超える何かに奉仕するのでないかぎり、生としての意味をもたないのである。したがって彼は、奉仕することを当然のことと考え圧迫とは感じない。たまたま、奉仕の対象がなくなったりすると、彼は不安になり、自分を抑えつけるためのより困難でより苛酷な規範を発明するのである。これが規律ある生−高貴なる生である。高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によって計られるものであり、権利によって計られるものではない。まさに貴族には責任がある(Noblesse oblige)のであり、「恣意につきて生くるは平俗なり、高貴なる者は秩序と法をもとむ」(ゲーテ[「庶出の娘」、「続篇のための構想」])のである。

そして「原注」には以下の重要な補足がございます。

◆なんらかの問題に直面して、自分の頭に簡単に思い浮かんだことで満足する人は、知的には大衆である。それに対して、努力せずに自分の頭の中に見出しうることを尊重せず、自分以上のもの、したがってそれに達するにはさらに新しい背伸びが必要なもののみを自分にふさわしいものとして受け入れる人は、高貴なる人である。

150尾崎清之輔:2008/01/21(月) 00:11:04
(No.149より続きます)

ここまで読んでこられて、これまでにご紹介させて頂いた、丸山博士や清水博士の言説との共通性に気が付くことは必定であると思います。

そして、精神の貴族ないしは高貴なる生を、自らの時間と努力で獲得し、享受していくための第一歩としては、やはり『自らの人生と正面から向き合うこと』が肝要であり(…前にご紹介したドラマの「楽譜と正面から向き合え!」もその一環…)、そこから(…人には滅多に明かすことが無いものの、対話などを通して感じることの出来た…)幾つかの自問自答や悩みを繰り返しながらも、同じように成長していくことへコミットメントして、歩み出せる方々(…まぁ、そういう方々は実際なかなか居ないのが実情ですが…)との対話などを通じて、お互いの中に『共鳴場』や『共鳴力』が生まれ、それらを継続していくことが、いずれは本格的な『高貴なる生』へと至り、自然と『精神の貴族性』を身に付けることになると考えております。

「これから」徐々に成長して地歩を固めていくことができると思った方は、大抵の場合、人へは「自分らしく」と言いつつも、実は同じところに安穏として留まることがなく、常に新たな目標の設定や挑戦を行っていくために、あえて自らそのような場所を求め、そこで自ら課したテーマに向かって邁進しようとしているエネルギーが見え隠れしていることを、私は見逃していないつもりです。

その結果、いずれは地歩を固めて「自らの道」の獲得へ至るのであると考えており、そのような方は、未だ目には見えない形ではあっても、上記で述べたエネルギーとか、その人が持っているポテンシャル、または時折ですが垣間見せるパフォーマンスなどから『資質の高さ』を十分感じ取ることが出来ましたので、先に申し上げた「素養」について言及させて頂いた次第です。

151尾崎清之輔:2008/01/22(火) 00:07:14
今夜は、お片付けと整理整頓の話題に変わりますが、現在、いろいろな物事を片付けて(または削ぎ落として)いく過程において、他のいろいろな物事を受け入れられる自分があることに、少しずつですが気が付き始めております。

確かに、今年に入ってから、身の回りに起こっていることを含めて、いろいろと大きな変動が生じていることから、上記のような心情にもなりつつあるようで、この辺りにつきましては、珪水さんが仰せの「質と格」にも若干繋がるのではないかと思っている次第でおります。

元来、いろいろなことを広い心で受け止められたら、どれだけいいだろうと思って過ごしてきてはいましたものの、実際その局面に立たされたとき、果たしてどれだけ受け入れることが出来たのか、またはそういう心の持ち方であったのか、その当時はもちろんのこと、今でもはっきりとは分かりませんが、いずれにしても、自らの心の垣根を取り払っていくことで、広がっていく自分に気が付くのであれば、日々を過ごしてきた甲斐があったというものです…

152尾崎清之輔:2008/01/23(水) 00:58:30
No.151で言い忘れてしまいましたが、お掃除とお片付けと整理整頓を続けていくと、そう遠くないうちに、身の回りに何か大きな変動が生じるか、またはこれまでとは別の大きな物事(しかも時には全く想定していないような…)がやってくることは確かであると、最近実感しております。

…なので、時折ものすごい時間帯に書き込んでおりますが、その辺りはご想像下さい。(笑)

そして、これが本当に自らにとって良い方向、すなわち納得できる方向となるか、それとも大きな変動にただ漠然と流されてしまうか、大きな物事に押しつぶされたりするかは、『場』全体を見る目である『観』と、そこの『場』で自らが主体的創造的に起こす『行』を、日々どれだけ意識して自らを高位の次元へ上げていくことができるか、またその過程を辿っていくことができるか、が肝要と思っております。

これを出来るだけ平たく、分かりやすく申し上げさせて頂けますと、例えば、寝る前とかの瞑想による、自分と自分の周りの未来、近未来、直近、の、それぞれに対するイメージ創り、そして翌日以降に(自らを含めた場で)起こる、瞬間々の動き(≒働き)、を全て楽しみながら、主客非分離として捉えていくことに重要な鍵がある、と考えます。

また、先の投稿で、『場』の意味について説明させて頂きましたが、No.150でも述べた、高位の次元へ上がるための『共鳴場』や『共鳴力』を互いの関係性の中で生じさせ、継続させていくことにより、『高貴なる生』や『精神の貴族性』が自然と身に付くと考えますので、それが延いては他者との間に生まれる『共創』へと至ることにもなり、その辺りについては、『場の思想』から引用する形で再び整理しますと、以下の通りになると思います。

◆世界の枠が閉鎖しているときに、その中に生まれる「我々」は場に束縛されると同時にその枠を守ろうとする。このために創造が生まれない。この束縛された「我々」が存在する場が「群れ合いの場」である。

◆世界の枠が開かれてその世界の中に生まれる場で異質の人々が出会うときに「我と汝」の関係が生まれる。その場こそが「出会いの場」である。人々が出会いの場で出会うことで場に位置づけられた両者のあいだに新しい関係が生まれて個の活きが統合され、両者が開かれることが創造の必要条件である。両者が開かれれば新しい自己表現が創造されて場も新しく変わるからである。この出会いのときに異質の「我と汝」が「我々」として統合されさらに開かれることが共創の必要条件である。

153尾崎清之輔:2008/01/25(金) 04:46:31
都合により一回休み

◆Teo Torriatte(Let Us Cling Together)
http://www.youtube.com/watch?v=vJpLV38i3FI

154尾崎清之輔:2008/01/26(土) 01:22:08
以前から何度も引用させて頂いております、藤井尚治博士の『アナログという生き方』を基にした一部投稿が、掲示板上のみならず、個別にも良いとか印象に残ったというレスポンスを頂いたことから、今夜もまたまた引用しつつ、若干ですが愚見を添えさせて頂きます。

自分の個性をどのように創り上げ、磨き上げていくかについて、藤井先生は以下のように明朗に語っております。

◆個性とは、どこから生まれてくるのか。それは自分の中の基準であり、確信である。1人ひとりの人生とは本来、手作りのはずなのに外側の基準に合わせて生きようとするから、息苦しくなる。学歴、大企業、肩書き、男や女といったアイデンティティに頼るから、標準化や画一化の波に飲み込まれてしまう。
 ひとは人生の設計者であると同時に、作り手でもある。とくに日本人は人生の設計と製造が未分化のままで、他人任せになっているから、生き方に確信がもてない。
(中略)
人生も同じことだ。生きることが目的だから、学歴や肩書きがなくても大丈夫である。家がなくてもお金がなくても心配は不要。その日のごはんが食べられていれば、本来いいはずである。これを原点に、自分なりの人生ストーリーを描ければいい。ただし、今日明日のストーリーはだいたい決まっている。選択の幅は少ない。しかしながら5年後10年後になると、大胆なストーリーが描けるはずである。
 いやもう5年先も10年先も決まっているという人は、自分でストーリーの幅を狭めているだけだ。もしくは今の収入を確保しながら、ストーリーを描こうとしている。そんな都合のいい話はない。 (…中略…) 自分は違うという反論が返ってきそうだが、そんな日和見の保守主義こそ捨てなければならない。保守もときには必要だが、それで何か新しいものを作り出したことはない。古いものを捨てなければ、新しいことは出てこないのである。


先の投稿でも述べさせて頂きましたように、やはりここでもお片付けと整理整頓の重要性(=古いものを捨てることで新しいことが出てくる)が語られておりますね。

155尾崎清之輔:2008/01/26(土) 01:45:25
(No.154の続きです)

また、藤井博士は『情報とは信頼の関数』という名言をはさみながら、続けて以下のように展開されております。

◆他人の信頼を得るためには、懐深く生きなければならない。きっぷの良さ、こだわりのなさ、骨太、腰がすわっている人、と言い替えてもいい。デジタルな人は二者択一の世界に生きているから、他人のことをすぐ判断し、批判する。利口か馬鹿か、能力があるかないか、仕事ができるかできないか、出世をするかしないか、という判断や批判は、仕事をするうえで、役に立たない。何故なら、すべてが相対的な問題だからである。
(中略)
 私たちは当然のことながら、起こり得ることのすべてに対処することはできない。だから、必ず失敗をする。その失敗は自分たちの何かが欠けているから、起こるのである。欠けている何かに気づけば、その失敗は成功のもとになる。気づかなければ失敗し続ける。名人の失敗というのもある。定跡にはまってしまった時だ。猿も木から落ちるのだから、「そんなこと、いいよ、君」と自分にも言い聞かせたい。

◆真実はいつも中庸にある。自分を知れば知るほど、極端な考え方や意見に偏らないで済む。自分の力や限界がわかっているから、悲観論や楽観論に捉われない。(※イチローが)打てなくても淡々としていたり、負けてもくさらないのは、その原因がつかめているからだ。敗因がわからなければ、悔しい思いをするし、次回も同じ負け方をする可能性がきわめて高い。

※引用者にて付加

◆戦争は勝つことも負けることもあるから、本当は負けにこだわる必要はない。しかし負けたことにこだわっているから、「普通の国」や「小さな国」という発想になるのだ。
 人生はゲームそのものである。負けないゲームなんてない。だから負けにこだわっていないで、先に進めばいい。ただし、誰が考えても負けることがわかっているゲームは初めから降りておいた方がいい。負け戦を知っていて、始める馬鹿はいない。ゲームは勝つと嬉しいから、勝つに越したことはない。「己を知れば、百戦危うからず」。百戦百勝の名人は負け戦をしないだけだったのかも知れない。

156尾崎清之輔:2008/01/26(土) 02:24:23
(No.155の続きです)

そして、藤井先生は新たなる時代に対し、『大局観』を持って歩んでいくことの重要性を、以下の通りズバリと語っております。

◆大局観とは、情勢判断である。終わりつつ始まる時代に悲観論と楽観論が出てくるのは、新しい時代への不安が人びとの心の中にあるからだ。従来の経験論でものごとが測れない時代になってきたのである。それは、高度経済成長時代の明るい舗装道路を走っていたクルマがいきなり夜中に舗装されていないガタガタ道を走るようなものである。
 そこまで行ったら舗装道路にたどりつけるかどうか、わからない。道がこの先、途切れているかも知れない。明かりを点けて、確認しながら走りたいと思う。この明かりが悲観論であり、楽観論なのだ。しかし、真実は明かり(イメージ)でなはい。もの(実体)そのものである。こういう時代は手探りで行くしかない。大局観があれば、手探りでも怖くない、間違ったら、道を引き返せばいい。ものごとを鳥瞰していれば、それができる。


この『大局観』を持った人生を歩んでいくためには、バランスをとることが大事であると藤井先生は仰っており、その過程においては、お茶を飲む、食事をする、マッサージをする、散歩をする、お酒を飲む、などといったアイドリング時間を持つことが必要ということになり、『人生は効率ではない。非効率な遊びをすることで、バランスが自然ととれてくる』ことになると仰っておられます。
これは、過日ご紹介させて頂いた、太田朋さんのイラスト&メッセージのひとつ『明日の船でもよいのです』にも繋がると考えます。

157尾崎清之輔:2008/01/26(土) 02:39:46
(No.156の続きです)

この終わりつつ始まる時代は、要するに新しい価値観や場を創る絶好のチャンスということになりますので、藤井先生も仰せのように、焦らず、諦めず、勝てると思ったときに全力を尽くす、といったことを念頭に置いて、長く歩んでいきましょう。

158尾崎清之輔:2008/01/27(日) 00:44:08
余談ではございますが、先に引用させて頂いた藤井先生の書籍の『真実はいつも中庸にある』の『中庸』という言葉から、同音語である『中洋』という概念を思い出しました。
これは、文明論的な視座から多くの書籍を残されている梅棹忠夫博士の、通念として知られている東洋的文明史観や西洋的文明史観ではない、生態学的な観点から捉え直した独自の文明論からきている概念だったと思いますが、この件に関して触れられている梅棹博士の著書が確か拙宅の蔵書のどこかに埋もれていた記憶があるので、いずれこの場で展開させて頂こうと思います。

159村山:2008/01/27(日) 11:00:41
尾崎さんの精力的で熱のこもった書き込みに敬意を払います。きっと音楽絵画という芸術の世界に対して趣味を持ち、心の余裕があるために平常心できちんとしたことを書けるのでしょう。
そういえば藤井先生の「アナログという生き方」の中に、「ストレスの状態が長く続くと、だんだん無反応になってくる」と書いてありましたね。
猛烈社員を良いことだと思ってがむしゃらに働き、経済大国らしいものを作った結果として、日本の男は「燃え尽き症候群」で反応力がなくなってしまったようです。

160尾崎清之輔:2008/01/27(日) 23:52:36
村山さんからご紹介のあった、藤井先生の『アナログという生き方』に書いてあった「ストレスの状態が長く続くと、だんだん無反応になってくる」ことに、私も同意いたします。

仕事やプライベート、先に挙げた様々な会合、勉強会、研究会などで、実際そういう現場を数多く目の当たりにしてきており、これらが社会的な病理現象として顕現化していることは、心ある幾人かの方々からご指摘されている通りですが、これは短くとも戦後から現在に至る中で、もう少し長いスパンで捉えると明治維新から現代に至るまで、一貫して続いている歴史の流れの中で発生し、派生してきているある種の要因が根底の一つに存在していることは確かでしょうから、既に対症療法的な手段(…まだこのようなことでしか対処できない多くの藪医者には驚くばかりですが…)のみでは解決できないことは申し上げあるまでもなく、同種療法や予防医学などからもヒントを得て、先の歴史から導き出される病理現象と要因について正しい診断を施した上で、長い時間をかけて体質改善を行っていく、すなわち「脱構築」に向けた準備を整えていかねばならないと思っております。

更に、コンピューター、マルチメディア、インターネット、という存在を背景にした現代という時代においては、情報交換のスピードと一方的に垂れ流されてくる情報量の莫大さが加速度的に更新されてきていることから(…と言っても、その殆どはゴミ同然か、精々がタメにする情報)、何も考えず条件反射的に反応しているに過ぎないことになり、この具体的な症状として、「ひとの話を聞かない人」、「無反応な人」、「すぐキレる人」などの増加に繋がっていることは良く知られている通りです。

この辺りは藤井先生の『アナログという生き方』でも以下のように触れられております。

◆朝から晩まで年がら年中、情報をたれ流すことによって、私たちの思考時間を奪っている。もう少し隙間の時間を作らないと、私たちは煮詰まってしまう。煮詰まると考え方が堂々巡りするから、悩みやすくなり、時としてバランスの悪い結論を出す。投げやりになって、何でもよくなってしまう。
 「短兵急」というのも、ストレスレベルが高い結果として出てくる。事前の情報選択がうまくいかないため、意思決定がコロコロと変わってしまう。“朝令暮改”である。根拠のはっきりしない情報に振り回され、青くなったり、赤くなったりする。情報をよく見て考えれば、わかるのに、その時間を作らないから、状況判断を間違えてしまう。

特にここ数年は、“朝令暮改”ならず、“朝令朝改”も是であるような、無責任で且つ戯けたことを平気で言って憚らない、企業や組織の経営者や同等クラスの方々も相当増えてきており(もちろん政治家や高級官僚は言わずもがなですが)、その余りの程度に低さには辟易としております。
時代が時代なら、こういう方々こそ真っ先に『お家取り潰しの上、切腹』か、昔の小室直樹博士流に言わせて頂くと、『市中引き回しの上、獄門』といったところでしょうか。(笑)

161田中治:2008/01/28(月) 13:03:08
尾崎さんの連日のご投稿には村山さん同様、頭が下がる思いであり、日々更新されるその文章を目で追いながらも活発に反応できない自分の非力を思い知るが、時々でも駄文だがこうして投稿を試みてみる次第です。

年が明けてまもなく慌しい日々が続いていたが、この週末は久しぶりにゆっくり時間が取れ、また天気も上々だったので家人と共に上野界隈を散歩した。上野仲町通りにある明治の文豪達も通ったという江戸時代からの老舗の蕎麦屋で昼食を取った後、カモメが飛び交いたくさんの鴨が泳ぐ不忍池の周りを散歩して、池之端にある横山大観の旧住居(今は記念館になっている)を訪ねた。ビルが立ち並ぶ池之端の大通りに面した一画に、土塀に囲まれた日本家屋がひっそりと立っているのがそれであるが、建物自体は東京大空襲で消失しているので戦後再建されたものらしいのだが、門をくぐり建物の中に入ると外の喧騒が嘘のようにひっそりと静まり返っている。庭に面して広く窓が取られた一部屋に、大観が生前から所有していたという藤原時代の不動明王が安置されている。私はこのさほど大きくもない古い木造の不動明王が大好きで時折ここに来てその像の前に座っては手を合わせるが、今回は身心が疲れていたこともあり、不動明王の表情に深く見入りながら、庭と家屋全体に流れている静寂さの中で、過剰な頭の働きが自ずと鎮まり、しばし時の過ぎるのも忘れて庭や所蔵されている作品を眺めて廻った。たまたまこの記念館の研究員の方が大観の人となりなどについて語って下さったのでしばらくその説明に耳を傾けた。大観の師であった岡倉天心は「模倣はいけない。模倣にとどまらず己の創作を重ねねばならない。またそこに立ち止まるのもいけない。常に進化せねばならない」といったようなことを常々言っていたそうだ。思えば岡倉天心も横山大観も維新の頃に生まれて明治の御世に形としての西洋文化が押し寄せる中、日本画を世界の中に位置づけようと理想を掲げ研鑽を積み、インドやアメリカ・ヨーロッパにも旅を重ねて、日本画における精神の背骨としての思想や信念は作品の中に見事に実を結び、また新しい日本画の確立につながったのだった。大観は英語も流暢に話し、漢籍に親しみ、ニューヨークで「茶の本」を発表した岡倉天心の弟子でもあり・・・研究員の方の話を聞きながら、私はそこで、明治時代の、真に国際的な日本人をまたひとり発見した思いになった。

162田中治:2008/01/28(月) 13:08:13
ゆっくり時を過ごし記念館を後にして、日没までにはまだ時間があったので、そこからほど近い旧岩崎邸を訪れることにした。大観の家から5〜6分ほど歩いてゆるやかな坂を登ると、黄色に塗られた壁の洋館が建っている。イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計だという。玄関前には背の高いやしの木が数本植えられていて館の黄色い壁が午後の青空に映え一瞬南欧風(イタリアあたりの)を思わせるが内部に入ると一転して暗く重厚な雰囲気であり、ジャコビアン様式が主調ではあるが、細部は様々な折衷様式であり、その趣味には正直なところいささか辟易としてしまった。洋館の中を一通り見学して進路にしたがって歩むと、突然日本家屋につながってゆく。洋館から日本家屋につながる廊下を歩き狩野派の襖絵が描かれた大広間へ抜けるとなんとも奇妙な感覚が襲ってきた。ある民族ないしは文明がその地において長い時間をかけて醸成してきた生活洋式の結果である建築を、裏打ちされた精神の背骨としての思想なしに簡単にくっつけてしまうその感覚、その中を普通に歩いている私を含めた見物客の群れの中で、なんとなく息苦しくなり外に出て深呼吸をしながら明治から大正・昭和・そして平成と今に至るまでの、自分の知る限りの知識を総動員して歴史の流れを遡ったり追ったりしながらいろいろ考えてしまった。つい先ほど眺めた大観の作品とその裏に流れている思想、そのような歩みの一方で黒田清輝や藤田嗣二といった洋画家たちの歩みをも併せて思い出し、明治から現在に至るまでの日本人の精神の所在とその変遷に想いを馳せ、上野から御徒町の雑踏している繁華街の中で妙な気分はしばらく続いた。そんな気分を払拭して強い気概を得るのには、絵画ならば、500年も前に西洋の宗教画の金箔の技法を見事にモノにした上で独自の強烈な美の世界を描いた狩野永徳や、鎖国時代であっても世界の遺産になるべき素晴らしい作品を遺した伊藤若冲の繊細だが力強い作品に触れたいと思った。ただの散歩のつもりがいろいろ考える一日になってしまったのだが、この日もっとも貴重だったのは結局、大観の家で過ごした静寂のひとときであったかもしれないと思う。現代の都会の生活の中で「静けさ」ほど貴重な要素はないのではないか?ひとたび街にでれば物も情報も色も音も雑多にあふれかえっており、それらはストレッサーとして過剰に作用し、活き活きとした感性をしだいに失わせるように思う。まずは一度静けさを取り戻し、その中で落ち着きを取り戻し・・・・・家庭でも都市空間でもそのような場を意図的に創りだすことが何よりも急務であるように思える。

163尾崎清之輔:2008/01/29(火) 00:52:05
またまた田中さんの叡智に富んだ書き込みへ改めて敬意を表すと共に、いずれは取り掛からねばと思いつつ、未だ私が不得意としている日本画の世界や、明治から大正時代にかけた建てられた洋館や和館、また日本家屋といった建造物の世界に対し、冴えた目で捉えられていることには深い感銘を受けました。

特に、旧岩崎邸に対する評価、つまり、辟易としてしまうほど細部に渡って様々な折衷様式が存在しているという悪趣味的な感覚と、『ある民族ないしは文明がその地において長い時間をかけて醸成してきた生活洋式の結果である建築を、裏打ちされた精神の背骨としての思想なしに簡単にくっつけてしまうその感覚』という文面から、私の脳裏にスグに浮かんだのが『鹿鳴館』と申し上げておきます。

それにしても、上野という地域は不思議な場所で、このたび田中さんが訪れられ、コメントされた西側は、湯島の最北にあたる不忍池の南側から、根津を経由して、北へ足を伸ばせば谷中へと至りますが、(最近は足を伸ばしていないので今でも同じかどうか分かりませんが)この辺り一帯は閑静な場所が多いことで知られており、まさしく「静寂」という言葉が相応しいと思われます。

更に根津へ向かう途中で西を見渡しますと、世界では200番目くらいの評価でしかない大学が、「我こそは日本一」とばかり君臨しており、その滑稽さはともかくとして、そういった土地へ建てられたことについては、やはり何かの意味を感じざるを得ないほどです。

また、上野公園へ足を伸ばすと、北東から東にかけて、東京国立博物館、東京国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、そして数多くの名のあるクラシックコンサートやオペラまたバレエなどが上演されている東京文化会館が聳え立っており、これらは他の追従を許さないほど、芸術を堪能できる場所であることはご存知の通りです。

それに対して、東側、つまり不忍池の最南端から御徒町を経由して上野駅に至る辺りは、雑踏とした街並が一種独特の雰囲気を醸し出しており、これと、先に挙げた「静寂」と「精神の高揚」とが同居している上野という地域が持つ不思議な感覚は、上野が江戸城(皇居)からみて鬼門にあたる丑寅(艮)の方角にあることから、怪僧『天海』が建立したと言われている『上野寛永寺』と何かしら関係しているのであれば、また歴史を紐解くことの楽しみが一つ増えるものであると思います。

尚、この辺りにつきましては、嘗て、藤原博士や珪水さんから、この年齢になってから本格的に取り掛かるのは『ミイラ取りがミイラ』になるから止めておけと言われた、『弥盛地(イヤシロチ)』と『気枯地(ケガレチ)』の世界が入り混じっているようでなりません。

164田中治:2008/01/29(火) 19:28:05
週末の散歩の感想文であった小生の投稿に対して、早速にも東京という都市レベルの観点から上野界隈について俯瞰していただき、この界隈の持つ不思議さについてまで話をつなげていただいた尾崎さんには誠に感謝申し上げます。

小生が旧岩崎邸で感じた違和感について「鹿鳴館」を即座に思い浮かべられた尾崎さんの暗黙知はさすがで、いわずもがな旧岩崎邸も鹿鳴館も同じジョサイア・コンドルの設計による建築であり、明治期のお雇い外国人であったイギリス人のコンドルの銅像は世界で200番目と評価された大学(工学部)の構内に現存しております。

尾崎さんが寛永寺へと話を繋げてくださったわけだが、江戸城から見て丑寅の方角、つまり東北の位置にある寛永寺は今でこそほんの一部しか残っていないが、江戸時代には今の上野公園一帯すべてが寛永寺の範囲だったようであり、それは相当な広さであることからも江戸城から見て東北の位置つまり鬼門に位置する場所に相当の鬼門封じがなされていたことは明らかであるが、易経によれば、この鬼門の方角には「万物の終わりを成すところで、かつ始めを成すところ」という意があることを考えると、幕末から明治にかけて上野の山一帯は戊辰戦争中の激戦の末に新政府軍が勝利を治めて江戸から東京と名が変わったし、また第2次世界大戦後は現在もアメ横の名で親しまれる一画があるように焼け野原から闇市が立ち並び戦後のスタート地点のひとつになり、また当時は上野駅が東北地方などへの玄関口として機能していたことは江戸城を中心として見た際の上野の歴史の一端として示唆的と言えると思う。

体制が変われども首都としての東京も江戸城という建物も未だ現存していることから鬼門封じは今も機能していることになるのであろうが、徒然草の第82段にあるように「しのこしたるを、さて打置たるは面白、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず、造り果てぬ所を残す事なり」という一文を思い出しながら、尾崎さんが的確に表現されたように上野界隈が持つ不思議さは古代よりつづく秘伝の仕掛けの相似象かもしれない。

丑寅はまた一年365日という時間の中においては、12月と1月に当たるようであり、現在はまさにその時の真最中であることに気づく。もうじき立春を迎えることもあり、寒さの中で今はまだ不毛に思える土中深く、既に春へ向かって芽を出そうとする植物のわずかな生命力の兆しを個々人のレベルでも察知されながら過ごされている方も多いことと思う。まだまだ寒い毎日が続きそうだが、養生しつつ新しいステップに思いを馳せながら毎日を過ごしたいと思う。

165尾崎清之輔:2008/01/30(水) 02:56:55
上野という不思議な空間への散歩を通して、公共という「場」における静けさと落ち着きを取り戻すことの重要性を述べられた田中さんの趣旨に対して、やや脱線気味となってしまった私の投稿内容から、更に話を発展させて頂きまして、誠に有難うございます。

おかげさまで、ジョサイア・コンドルの銅像が世界で200番目として評価された“最高学府“の構内に現存していたことを初めて知りました。ここに重ねて御礼申し上げます。
確かにコンドルは明治時代のお雇い外国人として来日した当初は、工部大学校(後の工学部)の教師として迎え入れられたのですから、そういうことになりますね。

また、寛永寺の話から少し続けさせて頂けますと、江戸城から見て同じ丑寅の方角には、寛永寺より数百年以上も昔から存在している浅草寺があり、天海僧正と徳川家をキーワードに、寛永寺と浅草寺の関係とか歴史的な位置付けを捉え直して考察すると、先の投稿でも若干触りの部分のみ挙げさせて頂いた「聖俗の世界」の存在をはじめとして、なかなか興味深い発見や、表面の歴史には決して出てこないような繋がりがあることはよく知られており、その極々一部については「カムイ伝」(特に二部以降)の世界でも展開されているようです。

更に、後の寛永寺の貫主が輪王寺宮(皇子ないし天皇の猶子といった直宮が歴代務めた)であったことから、その後の歴史と関係性までをも辿っていくと、またまた深遠な歴史の時間になってしまいますが、この辺りにつきましては、紙面の都合と物理的な時間の制約から、今後よく熟考した上で、いずれ項を改める形で展開できたら幸いと思っている次第です。ちなみに「宮崎駿さんの作品群」に対する深遠な世界への言及もまだまだでした。

それにしても、徒然草の第82段の引用につきましては、日本文化の持つ独特な美学とでもいうのでしょうか、現時点の私には詳しく述べられるだけの素養を持つに至っておりませんが、作者の吉田兼好こと卜部兼好がその名の通り「卜部氏」の出自であることから、卜占(ぼくせん)を業としていたことは間違いなく、そのあたりに古代より続く秘伝の仕掛け云々が関係しているのではないでしょうか。

尚、余談ですが、この徒然草の一文から「足るを知る」という言葉を思い出し、更にこの一文とは直接的には全く関係ないものの、シューベルトの「未完成交響曲」の美しさも脳裏に浮かんだことで、あえて(意図的に)完成させなかった美しさとか、これから成長しようとしている未完の方々が持っている一種のポテンシャルの美しさにまで想いが広がり、そういったことが、いずれそう遠くないうちに、冒頭での私の発言を含めた「場創り」の具現化に向けて、お互いが何らかの形で寄与していけるだけの土台を創り上げていきたいと思っております。

166尾崎清之輔:2008/01/31(木) 01:16:46
No.165の私の投稿の後半部分にある『そういったことが…』以降の文章につきまして、言語系三学を司る「文法」「修辞学」「弁証法」における明らかな欠陥が見られ、本来申し上げたかったことを正しく伝え切れていないと思ったことから、以下の通り訂正させて頂きます。

◆そういったことが、冒頭での私の発言を含めた「場創り」の具現化に向けて、静態における(未完の)美と、動態における(未完の)美の両方を鑑みつつ、お互いが成長しあい、何らかの形で共創しあえる関係性を確立させていくための土台を創り上げていきたいというのが、未完の一人である私の切なる願いであり、且つ考えでございます。

167尾崎清之輔:2008/01/31(木) 02:26:32
少し話は戻りますが、田中さんがNo.164で仰せの通り、江戸城から見て丑寅の方角にある寛永寺に相当の鬼門封じが為されていたであろうことは、その建立に天海僧正が関わっていることからしても明らかであると思っており、「万物の終わりを成すところで、かつ始めを成すところ」という易経の意から、戊辰戦争や第二次世界大戦後のアメ横の話など、示唆的な内容を幾つか列挙して頂いておりますが、私の方からもう一つだけ敷衍させて頂けますのならば、第二次世界大戦における当時の日本=大日本帝国の崩壊、すなわち敗戦直前直後に発生した昭和陸海軍の最後の悪足掻きとも言える三大徹底抗戦の一つである「水戸教導航空通信師団事件(通称:上野公園占拠事件)」も付け加えておきたいと考えます。

これは、敗戦直前直後に発生した様々な大変動からすると、非常に地味な事件に過ぎませんが、その少し前に発生し、後に文藝春秋より書籍化(大宅壮一のノンフィクションとして知られているが執筆したのは半藤一利)され大ベストセラーとなり、三船敏郎をはじめとした当時の大スターたちをふんだんに使って映画化までされた『日本のいちばん長い日』で知られる『宮城事件』とも若干関係していることを念頭に置くならば、宮城事件の発生した皇居の位置から丑寅の方角にある上野公園近辺(より正確には現在の東京藝術大学の美術学部あたり)で蹶起した陸軍一部将校たちの行動と、宮城事件では、なぜ蹶起行動に参画したかが今一つ不思議であると一部で言われており、上野公園占拠事件では逆に蹶起将校たちの説得にあたった結果、血気に逸った若手将校に射殺されてしまった石原少佐(近衛第一師団参謀)の行動は、石原少佐ご本人が死に場所を求めていたという通説のみでなく、歴史の大きな濁流の中で「終わりを成すところで始めを成すところ」に招かれてしまったと考えるのは余りにも飛躍し過ぎでしょうか。

ちなみに『宮城事件』そのものにつきましては、昨年夏に発売された一冊の書籍が語られている内容ならびにそれに呼応した多くのレビューと、先の『日本のいちばん長い日』(こちらは「半藤本」とも呼ばれる)との対比の中で、特に一次情報や一次資料にあたることの重要性や、そこから考察を重ねていくことに関して、いろいろ指摘すべき点が多いと考えており、それは「教養」というキーワードから「歴史に対する冷徹なる観察を通して普遍性を学び洞察力を身に付ける」ことが根底に存在していると考えておりますので、いずれ時間に余裕が持てたとき、簡単にではございますが、改めて私なりの見解を述べさせて頂きたいと思っております。

168田中治:2008/01/31(木) 12:08:30
尾崎さんのご投稿により、丑寅には「万物の終わりを成し、かつ始まりを成すところ」の意があることからそれを示唆する事件として通称「上野公園占拠事件」を挙げていただき、いまだ真実が明らかでない昭和史の一端にまで話を深化していただき誠にありがとうございます。

小生も知人や書籍を通じてこの事件について触れたことがあり、奇妙な感覚を覚えていたが、こうして「江戸城から見た上野」の視点で俯瞰すると実に興味深く、改めてこれら一連の事件の不思議さに気づかされた次第である。因みに東京から見て水戸は丑寅の方角に存在し、先の投稿で触れた横山大観は水戸の出身で父親は水戸藩士である。その長い人生の中で日本画壇に貢献した功績は素晴らしいものだと認識しているが、昭和に入ってから有名な冨士の絵を多数描き、皇室にも度々その絵を献上しており、偉大な画人が国粋主義的な流れの中に位置づけられてしまうことは今となっては誠に惜しいことではあるが、実際には戦中の諸々の活動に対し、戦後GHQより戦犯として取調べを受けた事実があるようだ。もっともこの事件が東京美術学校の敷地で起こったからといって、大観とこの事件を結びつけようなどとは考えておらず、焦土と化した当時の東京では文化的施設が多く残る上野界隈といえども他に立て篭もる場所はなかったのかもしれない。しかしあえて「東京美術学校」に焦点を合わせれば、明治から終戦まで、特に昭和初期から終戦にかけてこの美術学校が輩出した芸術家の中にはその芸術活動以外の行動にも興味深い人物が少なくないようであり、当時の東京美術学校またその向かい側の東京音楽学校で学ぶ者たちの中には当時の社会の上層部の子女子弟が数多くいたし、一般には知られていない歴史上重要な人間関係の繋がりも想像に難くないと思う。
通称「上野公園占拠事件」もそして繋がりがあるとされる「宮城事件」も、明らかにされていないのは、真の首謀者は誰かということであり、昭和史は戦後60年も経つというのに未だ謎が多すぎる。

明治初期に行われた「神仏稀釈」も、単に国家神道から敗戦に至るまでの精神史として片付けるにはあまりにも大きな問題を含んでいるように見え、特にこの仏教受難の時代における真宗や日蓮宗の動きには、まだまだ知られざる側面があるようである。
図らずも先の投稿で触れた大観の家にある藤原時代の不動明王を思い出し、「神仏習合」により醸成された平安時代のスケールの大きさに再び思いを馳せ、日本が再び場としても内容としてもダイナミックな第2の平安京を築けるのかは、平和憲法を持つ現代の我々がユーラシア大陸との長く深い歴史を見直しもう一度日本列島の歴史を評価しなおすことがポイントのひとつになるように思う。2月3日は節分だが「福は内、鬼は外」で鬼にされたのは誰だったのか、福とされたのは誰だったのかについても、あのお面の顔を思い出しながら、日本における支配階級と被支配階級の歴史、強いてはより高い次元であるユーラシア大陸を主にアジアにおけるそれをも包括的に捉えなおしていくのも未来へ進化するには必要なイニシエーションかもしれないと思う。

169田中治:2008/01/31(木) 12:27:34
訂正:神仏稀釈→廃仏稀釈

170尾崎清之輔:2008/02/01(金) 01:19:19
田中さんが敗戦直後の「上野公園占拠事件」に関連して、丑寅の方角という観点から水戸へと話を繋いで頂き、しかも横山大観が水戸出身で父親が水戸藩士であることに触れて頂いたおかげで、江戸と水戸との重要な関係を思い出しました。

徳川御三家といえば、尾張、紀州、水戸、とくるのが一般的ですが、徳川宗家(江戸)、尾張家、紀州家、が本来の御三家で、水戸家は欧州における選帝侯の役割にあたり、そのために学問の裏付けがある見識を保持する必要性から「水戸学」が生まれたことにつきましては、『宇宙巡礼』(東明社)を一読された方々でしたらご存知の通りです。

この辺りにつきましては、『宇宙巡礼』での対談以外にも、過去スレッドに若干ですが言及されておりますので、ご参考までに以下にURLをご紹介させて頂きます。

◆回天−月にふたつあり
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/mb/board/kaiten.htm

そして、「上野公園占拠事件」を起こした「水戸教導航空通信師団」は、「陸軍航空通信学校」が前身であり、昭和20年5月に本土決戦に備えて改編され、陸軍航空本部隷下の師団となりましたが、通信学校時代には現在の水戸市住吉町近辺にその場所がございましたものの、連日の空襲により、師団改編後に偕楽園脇の山林へ総移転を行うことになりましたが、この移転場所が、元は水戸藩の二代目藩主「徳川光圀」の別荘地であったことを考えますと、ここにも光圀公の薬だか猛毒だかが効きすぎたのか分かりませんが、300年近くもの時を経ているにもかかわらず、何という歴史の因縁でしょうか、顕密の「密」の部分への理解も含めた深遠なる世界について感じざるを得ませんでした。

また、東京藝術大学の前身である「東京美術学校」と「東京音楽学校」につきましても触れられておりましたが、確かにこの美術学校が輩出した芸術家の中には、芸術活動以外の特殊な活動に携わっていた方々もそれなりにいたようで、その中の一人が田中さんの先の投稿の中に含まれていることは、落合莞爾さんが連載中の「吉薗周蔵日記」を読まれてこられた方々でしたら即座に分かることと思います。

ちなみに、こういった辺りの昭和史を穿り出してしまうと余りにも波及が大きくなってしまうからでしょうか、正面切って対峙している書籍や論文には殆ど出会えませんが、明治初期の「廃仏稀釈」から「国家神道」に至る仏教受難時代の歴史の流れにおいても、上つ方の一部が陰に日向に仏教へ関わっていた事実からも、日本からアジア、更にはユーラシア大陸へと続く、長くて広い歴史観から捉えなおしたくなるほど、知られざる側面が多々あることは確かだと思います。

171尾崎清之輔:2008/02/01(金) 02:29:50
ところで話は全く変わりますが、ご存知の通り、ここ最近の私が深夜の遅い時間帯にも(…時には未明にも渡って)投稿を行っているということは、そもそもこのスレッドを立ち上げようとした頃から若干前兆は現れておりましたものの、No.152でも申し上げた通り、お片付と整理整頓を通じてやってきた大きな変動や大きな物事の発生ということを意味しており(…これは一般的には物理的時間的に相当の制約を与えかねない大仕事が同時期に幾つもやってきたと捉えて頂いたら分かりやすいのではないかと思います…)、これらは自らにとって必ずしも(…というより必ずと言って良いほど)即時的な満足を得られるものでは決して無く、寧ろ大きく聳え立つ山を登りきることや、大きな濁流に飲み込まれないよう、ビッグ・ウェーブのような波を乗り切っていくことを試されているようで、下手をすると嘗てのガダルカナルやインパール、またサイパンや沖縄などといった戦時中の悲惨な状況に巻き込まれないとも限らないため、今後これらをこなしていくための一環として、まずは交通整理を行い(つまり別の意味での整理整頓をして)、優先度付けを行い、しかも藤原博士が過去の書籍群で提唱されたエネルギー史観から私なりに感じ取られた重要な意味をベースにして、中には状況に応じてソフトランディングさせるか、それともハードランディングさせるかといったことも含めた覚悟が必要であると認識しつつ、まだほんの少しずつではございますが、実際の行動へ繋ぎ続け始めているところです。

もっとも、歴史の深層海流に横たわる普遍性について若干なりに学んできた身としては、まずは(過信ではない)自らを信ずるという基本中の基本からはじまり、藤原博士や珪水さん、またこの場を通して対話をさせて頂いた多くの賢者の方や、このスレッドを立ち上げるに至り継続していく中である種の暗黙知的な影響を与えて下さった方のおかげで、私なりに培われつつある「精神における背骨」としての思想をもとに日々を大切に過ごしていくため、更なる修養を重ねつつ飛躍へと向かうつもりでおりますので、今後ともご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

172尾崎清之輔:2008/02/03(日) 00:30:10
大きな変動や大きな物事の発生を切っ掛けにして、より高位の次元へ上がっていくために、清水博博士の「即興劇モデル」をベースに少し深めていきたいと思います。

先述の通り、「自らを信ずること」をもとに蘇生の遺伝子をスイッチONさせるには、自己が持つ旧さの徹底的な否定を経て、その根底から自己を一新させるという、自らの創造的破壊が肝要であると考えており、すなわちこれは、自己のみならず、自己が活躍する「場」がより広がりを持つ系として変化を遂げていくことにも繋がり、更にはその「場」を通じて直接的にまた間接的に影響を与えていく、より大きな枠組みとしての「場」である「社会」へ連鎖を起こしていくことにより、旧い秩序構造を内側から徹底的に壊して新しい秩序構造への置き換えに至ると思います。

これに関連して、清水さんの著書『場の思想』から印象に残った文章を以下にご紹介させて頂きます。


◆人間は逆境に置かれることによって精神を自己変革し、厳しい環境にも精神的に耐えて生きることができる人間に成長していく。もしも逆境を避けていたら、自己の精神的成長はない。大切なことは生き続けていける形をとることであり、それ以上でもまたそれ以下でもないのである。

◆私は弱い人間である。私の中には自分自身を変えようとしない自分がいて、それが自己変革に抵抗して、さまざまな言い訳を思いついて勇気を奪おうとする。私が否定しなければならないのは、このように変化に抵抗をする自分なのである。そこでこのように方針を決めておけば、悩むことも少ない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板