したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

プチ住民(゚ε゚)キニシナイ!!

1プチ住民:2003/01/31(金) 19:21
愛好会スレのプチ住民の(゚ε゚)キニシナイ!!
おまいら、煽られちゃったり・放置されちゃったり、流れにのれずレスを外しても(゚ε゚)キニシナイ!!
そこにアキラたん(*´Д`*)ハァハァ(*´Д`*)ハァハァがあるなら(゚ε゚)キニシナイ!!
合言葉は(゚ε゚)キニシナイ!!

365黒い扉 </b><font color=#FF0000>(G800glzo)</font><b>:2005/01/31(月) 21:19:49
(48)

「はあっ。はあっ・・・!!」
「アキラ君、大丈夫か」
人気のないトイレの個室に駆け込んで外に誰もいないのを確認してから、
緒方が鍵を掛けた。
「お・・・おがたさ・・・っ、・・・がた・・・さ」
対局中は必死で知らん振りしていた感覚が、馴染み深い兄弟子と二人きりに
なった途端堰を切ったように奔騰した。
芹澤によって狭い所に埋め込まれた異物はもはや異物のようではなく、
初めからあったもののようにしっくりとその箇所に馴染んでいた。
入り組んだ形のそれが強い振動を伴いながらくねくねと回転運動するごとに
自らの内壁の柔らかさと硬さを同時に感じた。
甘い痺れに全身を冒され、膝がふざけたようにがくがく震え始める。
「・・・やく・・・っ!早くどうにかしてくださ・・・っ!」
「解ってるアキラ君、すぐ楽にしてやるから」
溺れかけた人間のように物凄い力で縋り付いてくるアキラを何とかなだめつつ、
緒方は慣れた手つきでアキラのベルトを緩め下半身の衣類を膝まで引き下ろした。
汗でぐっしょり濡れた下半身に外の空気が冷たく、アキラは肌を粟立たせる。
静かな個室に、覆いを外された玩具の唸り声が高く低く響き続ける。
「あ・・・あ・・・っ、早く・・・っ!」
何という声を自分は出しているのか、アキラは耳を疑った。
春の宵に鳴く猫のような声だ。これまで緒方と何度セックスを重ねても
こんな声を出したことはない。自分の声帯がこんな声を出せるなど知らなかった。
耳元で緒方がごくりと唾を呑んだ。
「・・・力を抜くんだ」
緒方の押し殺した声が鼓膜をくすぐると、その言葉の意味が脳へ達するより先に
アキラの狭門は反射的に閉じた。
そこをゆっくりと引き抜かれる。
無数の突起を備えた異物がぐりぐりと回転しながら内壁を擦っていく刺激に、
春の猫の絶叫をあげながらアキラは今日二度目の熱を弾けさせた。

366</b><font color=#FF0000>(G800glzo)</font><b>:2005/01/31(月) 21:21:14
364はタイトルつけ忘れたわ、スマン。

367黒い扉 </b><font color=#FF0000>(G800glzo)</font><b>:2005/02/03(木) 21:32:20
(49)
「・・・・・・ッ!」
反動で後ろに仰け反った体を緒方の腕がしっかりと支えた。
「う・・・ぅ」
「大丈夫か?」
ほっと涙を滲ませながら頷くと、緒方が体内から引き抜いた物を見せた。
ぼこついた装飾過多の形状を持つそれはぬらぬらした液に塗れて生き物のように光り、
威嚇するような音を立ててまだ回転運動を続けている。
こんな物がずっと自分の中に入っていたのだと思うとアキラは改めて怖気が立った。
緒方が舌打ちしてそれを床に叩きつけ、硬い靴底で思い切り踏みつけると、
断末魔のような最後の唸り声をあげてそれは動きを止めた。

「緒方さん」
アキラが少し驚いた声をあげてもなお、緒方は忌々しそうにその残骸を睨みつけていた。
時間にすればほんの1秒か2秒のことだったろうが、その僅かな間が、
もしかしたら緒方もこの物体に苛まれたことがあるのかもしれないという
朧ろな想像をアキラの中に生んだ。
今までその凶器のような肉体を以て、一方的に自分を苛み蕩かす存在だとばかり
信じてきた緒方。
その緒方もまた自分と同じ苦痛を、屈辱を、恍惚を、味わったことがあるのだろうか?
恐らくはあの、黒い扉の向こうで。
その想像は何故かアキラの内に甘く暗い情熱のような感覚を喚び起こした。

368黒い扉 </b><font color=#FF0000>(G800glzo)</font><b>:2005/02/03(木) 21:33:34
(50)
「・・・だいぶ汗をかいているな。気持ちが悪いだろうが部屋に帰ったらすぐ
シャワーの準備がしてあるから、今は服を着るんだ」
内腿がじっとり濡れているのを指で確かめてから、
緒方は膝まで下ろしてあったアキラの衣類を引き上げようとした。
瞬間――アキラは反射的にそれを拒んだ。
視線が合う。それだけで緒方にはいつも全てを見透かされてしまう。
だが通常それで窮地に立たされるのはアキラのほうなのに、
今は身内に灯り始めた熱のあることをこの男に訴えたくて自ら目を合わせた。
眼鏡越しの緒方の目が、微かな懸念と情欲の色を閃かせて揺らぐ。
「アキラく・・・」
「ください」
何を、と言う代わりに緒方の股間をぐっと掴んだ。
視線を下に向けて確認せずともわかる。そこはもう対局中の自分と大差ないほど
固く持ち上がって興奮していた。
緒方が目を剥いたのはいきなり急所を掴まれた衝撃もあるだろうが、一つには、
いつも従順な弟弟子が今まで決して見せなかった類の積極性に驚いたのだろう。
余計なことなど考えずに今はただ自分のために興奮したものを
自分の中にすっぽりと収めて欲しくて、焦れたアキラは顔を伏せ、
猫がおねだりをする時のように緒方の胸板へ自分の頭をゴチゴチとぶつけた。
「欲しいんです。・・・今すぐ」
口から洩れた声は自分でも信じられないほど甘くかすれて誘っていた。
緒方の手がアキラの肩の辺りを躊躇うように泳いでから、意を決したように抱き締める。
ぐらりと体が傾き、慌てて緒方の首に抱きつかされたかと思うと、
アキラの体は腰と両脚ごと宙に浮いていた。
「・・・えっ。あの」
「こんな体勢で喜ばせてやれる男はそうはいないぞ」
緒方の顔が間近でニヤリと笑った。
何のことかと思った次の瞬間には熱とぬめりを帯びたものが下の入り口に押し当てられ、
一拍も置かずにめりめりと狭い箇所を押し広げながら侵入してきた。
絶叫の形に開いた口は緒方が唇と舌で塞いでしまったから、
そんな時自分がどのような声をあげる生き物なのかアキラは知らない。

369名無しさん:2005/02/08(火) 12:49:20
補完用しおり
ここまであげますた。

370名無しさん:2005/04/09(土) 21:00:08
広告のスレが上にたまって来たのでいったんageます。

371名無しさん:2006/02/03(金) 01:40:56
あげます

372名無しさん:2006/04/12(水) 01:16:47
あげます

373名無しさん:2006/04/27(木) 13:54:59


374森下よろめきLOVE ◆pGG800glzo:2007/02/04(日) 22:36:57
(65)
手と口による奉仕を止めて横たわるよう言われたアキラは、戸惑った顔をした。
「でも、まだ」
視線を落とした先には、既に獣角の如くそそり立った森下の一物がある。
少年の真っ直ぐな視線の下で、その少年により昂らされた自らの欲望の塊が
ドクンドクンと年甲斐もなく脈打っている――
その状況に、むず痒いような照れ臭さを覚えながら森下は言った。
「いや、もう十分だ」
するとアキラは屈辱を堪えるかのように唇を噛んだ。
「ボク・・・あんまり上手じゃないですか?」
「あぁ?」
「だって先生は、まだその・・・・・・しゃ、射精をなさっていません」
怒ったように少し早口にそう告げるなり、アキラの目元が赤く染まった。
使い慣れない表現を口にしたことへの羞恥心がそうさせるのだろう。
さっきまではあれほど大胆に中年男のモノを観察し、触れていたのに、
こういう所はまだうぶな一面を感じさせる。
そのアンバランスさが微笑ましく、初々しかった。

森下は息を吐き、アキラの額をぺちんと軽く打った。
「馬鹿。・・・いくらおまえの呑み込みが早くたって、こんなヒヨッ子に
ちょいと舐められたぐれェで降参するオレじゃねェぞ。若造の分際であっさり年上を
喰えると思ったら大間違いだ」
言外に、盤上の戦いで既に幾人もの高段棋士を「喰って」きた
日の出の勢いの若手に対する揶揄も込めたつもりだが、
アキラは気づいているのかいないのか、唇を尖らせて森下を見ただけだった。
「まぁ――オレが抜くこたぁ、今日の本題じゃねェだろ。
おまえのソレこそさっきから放っておかれて、ウズウズしてんじゃねェのか?ん?」
アキラの股間を指差してから顎の下を撫で、顔を覗き込んでやると、
アキラはくすぐったそうに一瞬首を竦め、耳まで赤くなった顔でむっつりと頷いた。

375森下よろめきLOVE ◆pGG800glzo:2007/02/04(日) 22:38:29
(66)
改めてベッドに身を横たえる時、アキラの表情にほんの少しだけ
不安そうな色がよぎった。
先程も同じ体勢で森下の愛撫に身を委ねはしたが、その時のアキラはまだ、
森下の帯の下にあるものを知らなかった。
だから幾分、これから起こることに対する現実味が薄かったのではないだろうか。
森下のグロテスクな逸物を目の当たりにし、その巨大さを実際に自らの手や舌で
確かめた今、それを受け入れる側であるアキラが怖気づいたとしても無理はなかった。
「・・・・・・迷ってるんなら、今だったら引き返せるぜ?」

俯き加減になった横顔に声を掛けると、アキラははっとしたように顔を上げ、
首を横に激しく振った。
「いえ、大丈夫です!お願いします」
「そうか。・・・なら、もっと力抜け。歯医者に連れて来られたガキみてェだぞ?」
わざと自分の歯を指差してみせ、からかい口調でアキラに顔を近づけた。
アキラがムッと森下を見つめ返し、言い返す。
「子供扱いしないで下さい!そういう風に一人前に見てもらえないのが嫌だから、
先生にこんなことをお願いしてるんじゃありませんか!」
「はは、そうだった、そうだった。・・・すまねェな」
不服そうに森下を睨みつけていたアキラの眼の光が少し和らいだ。
惹き寄せられるように、その額へ口づける。
額から細い鼻梁へ、少年の柔らかさが残る頬から唇へ、口づけが移動するにつれて
アキラもお返しのように森下の顔にキスを返してきた。
アキラがそんなことをしてくれるとは思わなかったので驚いたが、
単なる欲望だけではない甘酸っぱい思いで、胸が痛いほど締め付けられていくのを
森下は感じた。
元来が堅い気質の森下は、妻との間でさえキスなど新婚時代以来交わしていない。
本物の恋人同士のような優しいキスの応酬。
それが今宵限りのものだとしても嬉しかった。

376森下よろめきLOVE ◆pGG800glzo:2007/02/04(日) 22:40:03
(67)
やがてアキラの体がゆっくり仰け反り、両手に抱えた森下の頭ごと道連れに
後ろへ倒れた。質素なベッドのスプリングが古錆びた音を立て、
少年のしなやかな身体が一瞬緊張する。
「・・・力抜いて、楽にしてろ」
そう囁いて艶やかな黒髪を撫でてやると、アキラは深く息を吐いて頷き、目を閉じた。

森下への奉仕に集中していた間に、アキラのモノはさすがに幾らか
萎えかかってしまっていたが、経験を積んだ森下にとって
先程探索し尽くした身体に再び熱を点していくことは容易かった。
「はぁっ・・・せんせっ・・・先生・・・!」
アキラの上擦った声を楽しみながら、唇で、無骨な指で、厚い掌全体で、
その若い膚の奇跡のような滑らかさを堪能する。
「どうだ。気持ちいいか?塔矢」
森下の問いかけにアキラは息を乱し、熱っぽく潤んだ表情でコクンと頷く。
「そうか。オレも気持ちいいよ」
「う、嘘です・・・だってボク、今は先生に何もして差し上げてないじゃありませんか」
ボクが何も知らないと思って、と非難の眼差しを向けてくるアキラに笑いかけた。
「嘘じゃねェ。おまえの体はこうして触ってるだけで、本当に気持ちいい」
するすると掌を滑らせるたびに、そこから媚薬が染み込んでくるのではないかと
思えるような感覚。人間に精気というものがもしあるのだとすれば、
森下は今それをアキラから受けているような気がした。
瑞々しく張りつめたアキラの白い膚に触れるだけで、口づけるだけで、
使い古し草臥れた己が肉体の奥に眠っていた力が、泉の湧き出すように甦ってくる。
快楽の熱に蒸らされしっとりと汗ばんだ内腿に、森下がつい頬を当てると、
アキラは身を捩って声をあげた。
「やっ・・・せんせっ・・・、チクチクする」
「チクチク・・・?ああ、これか」
森下の顔を覆う髭の剃り跡が、敏感な内腿の皮膚に刺激を与えているのだ。
だが再度の刺激を恐れるように小刻みに震える内腿を見た森下は、
ふと悪戯心を起こした。

377森下よろめきLOVE ◆pGG800glzo:2007/02/04(日) 22:43:34
(68)
「えっ?ちょっ・・・、もう、先生、冗談はっ!」
嫌な気配を察してか後じさろうとするアキラの細腰をがっちり捕えて白い両腿を抱え上げ、
自らの顔を挟むと、森下はわざとジョリジョリ押し当てるように
髭の剃り跡を擦り付け始めた。
「嫌か?くすぐったいか?ほれ、ほれ」
「あっ、ああっ!!ああぁあっ!!」
くすぐったがって笑うかと思ったのに、アキラの顔は見る見るうちに淫らに蕩け、
股間のモノがぐんと持ち上がった。
驚いて動きを止めた森下の両側にある滑らかな内腿は、
ぴくぴくと痙攣しながらもより一層の刺激を求めるかのように、
森下の顔を挟み込んだまま上下に細かく動いている。
――全く、男の癖にどこまで敏感な体をしているのだろう。

苦笑しながら、森下は次の段階に移ることにした。
「おまえが嬲って欲しいのは――太腿じゃなくここだろ?」
とん、と、涙ぐんだ肉色の先端に無骨な人差し指を置いてやるだけで
細い喉からくぐもった嬌声が洩れる。
「たっぷり可愛がってやるからな」
我ながら月並みな文句だと思いつつ、低い声でそう囁きながら、
先端の小口から滲み出る透明な先走りを押し潰すように指の腹でこすった。
アキラはアッと一瞬息を呑んでから、目を閉じ、震える吐息を必死で抑えている。
強気そうにしかめた眉の間に苦しげな皺が寄り、赤味がかった目の縁に
涙が滲んでいるのがやけに艶かしい。
そんなアキラの様子を目で楽しみながら、先端部分からくびれへ、その下の竿へと、
透明な液を塗り伸ばしつつじんわり撫でさすっていく。
森下の無骨な指も、厚い掌も、それに絡みつかれるアキラの肉茎も、
何もかもが熱く脈打ち、ぬるぬると内臓めいた感覚の中で
一つになってしまったかのようだった。

378探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/10(日) 19:30:41
(70)
「・・・・・・何がおかしいって言うんだ?なぁみんな、オレは何か変なことを言ったかな」
楊海が一同を見回し、アキラに向かって肩を竦めてみせる。
アキラは動じず、言った。
「楊海さん。あなたは今言いましたね。厨房に誰かが潜んでいる気配がしたから、
相手を捕まえようと飛び込んでいった。けれど相手の背格好は見えなかった――と」
「ああ、そうさ。厨房の中は電気が点いていなくて真っ暗だったからね。当然だろう?」
「もし本当に真っ暗だったのなら、確かに相手の姿が見えないのは当然でしょう。
ですが、考えてもみて下さい。・・・真っ暗な部屋の中に何者かが潜んでいる。
その何者かは、凶器を持った凶悪な人物かもしれない。・・・そんな状況で、
電灯も点けず闇雲に部屋の中へ飛び込もうとする人間がいるでしょうか?」
「・・・・・・」

「確かに・・・、暗い中でいきなり斬りかかられでもしたら、おっかねえよな。
おい楊海、何でそんな危ないことしたんだ?」
倉田が不思議そうに訊くと、楊海はフーと溜め息交じりに笑って答えた。
「簡単なことさ。オレも初めは電気を点けようと思った。でも、
スイッチの場所が見つからなかったんだよ」
「あー!そう言えば」
合点がいったように倉田が壁を見遣る。
「ここの厨房、スイッチの場所が棚の陰になっててちょっと分かり難いんだよな。
オレもさっき、少し迷ったんだ」
「だろ?おまけにオレの時は、相手がいつ襲いかかってくるかも分からない、
一刻一秒を争う状況だった。だから咄嗟の判断で電気を点けるのは諦めて、
そのまま部屋に飛び込んだんだよ。・・・これで分かってくれたかな?」
楊海がおどけた仕草でアキラに笑いかけると、アキラは首を横に振った。
「残念ですが、それは通りません。・・・楊海さん」
「何?」

379探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/10(日) 19:31:35
(71)
狼狽の色を走らせる楊海を、アキラの真っ直ぐな視線が射抜いた。
「電気を点けようと探したけれど、咄嗟のことで見つからなかった――
それは恐らく真実なのでしょう。誰だって暴漢が潜んでいるかもしれない暗闇に
無防備に突っ込んだりはしたくありませんからね。でも、それなら尚のこと。
あなたが飛び込んだ厨房が、『真っ暗だった』というのは不自然なのです」
「へえ。何故だい?言っておくがオレは懐中電灯なんて持ってなかったぜ」
「スイッチや懐中電灯がなくても、この部屋に明かりをもたらす方法が
一つだけあったのです。・・・進藤。ちょっと、そこの電気を消してみてくれないか」
「へ?あぁ、これか」
ヒカルが壁のスイッチをぱちんと押すと、一瞬にして室内は暗闇に覆われた――
いや。違う。
「あれ?まだ、光が・・・」
誰かが部屋の壁に細く切り取られた明るい部分を指し、叫んだ。
「あ。・・・・・・廊下の光か!」
さっき和谷たちが厨房に着いた時、僅かに開いたままになっていたドアから、
廊下の光が洩れ込んでいるのだ。
「そうです。・・・進藤、そのままドアを全開にしてみてくれ」
ヒカルが言われた通りにすると、切り取られた明るい部分は四角く大きくなり、
その中に影絵のように黒くヒカルの姿が浮かび上がって、
暗い厨房内は薄い黄色の光と黒い影とでまだらに塗り変えられた。
「もういいだろう。・・・進藤、電気を元に戻してくれ」

再びぱちんと音が響くと、厨房内には白い光が戻り、皆眩しそうに目を細めた。
一人俯いて黙っている楊海を見据えつつ、アキラは言葉を発した。
「・・・・・・さて、今ので皆さんお分かりになったと思います。
たとえ電気を点けることが出来なくても、入り口のドアを開いておけば、
部屋の中には僅かながら廊下の明かりが差し込みます。暗い厨房のドアを開けて
中を覗き込んだ楊海さんが、そのことに気づかなかったはずはないでしょう。
厨房の中に飛び込むなら、少しでも明るくなるようにドアを大きく開けておく――
それが自然な行動です。これから正体不明の相手と格闘しようというのに、
わざわざドアを閉めて部屋を真っ暗にする人間などいません」

380探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/10(日) 19:32:36
(72)
「た・・・確かに塔矢の言う通りだよなァ。おい楊海!どーいうことだ?」
「・・・それは・・・」
倉田に問われて、楊海が語尾を詰まらせる。アキラは小さく息を吐いて言った。
「倉田さん、ボクが代わりに答えましょう。・・・ボクの推測が正しければ、
楊海さんがこの厨房に飛び込んだ時、室内には廊下からの明かりが差し込んでいました。
なのに楊海さんは、厨房の中が真っ暗だったと言う。何故か?
考えられる理由は一つです。――楊海さん、あなたは何かを隠していますね」
楊海は答えなかったが、その肩がぴくりと揺れた。
「明かりのあった厨房を、真っ暗だったと言い張る理由――それは、
そこであなたが見たものを追及されないようにするためだったのじゃありませんか」
楊海はしばらく無言のまま俯いていたが、やがて「ふう」と鼻で笑って頭を振った。
「やれやれ、オレが何を隠してるって?・・・塔矢くん、キミの推理は確かに
当たっているよ。ただし、半分だけな」
「半分だけ・・・?」

楊海は開き直ったように胡坐をかいて腕を組んだ。
「キミの言う通り、オレはドアを全開にしてこの厨房に飛び込んださ。
しかし、勢いよくドアを開けた反動か、それとも元々ストッパーを当てないと
閉じてしまうタイプのドアなのか・・・オレが厨房に入ってすぐ、
ドアはひとりでに閉まってしまったんだ。だからキミの推理も正しいし、
オレが部屋は真っ暗だったと言うのも正しい。どうだい、矛盾しないだろう」
「・・・・・・」
アキラはしばし楊海と見つめ合った後、首を横に振った。
「・・・いいえ。それはやはりおかしいのです。だって、もしあなたがこの厨房に
飛び込んでから失神するまでの間、室内がずっと真っ暗だったとするならば――
何故あなたは、その床にあるメッセージのことを知っていたのですか!」
「・・・・・・!!」
「あっ、そうや・・・」
「楊海さん、さっきあの文字を慌てて消そうとしたんだよな・・・」
囁き交わす声が広がる中、楊海はその目に走る動揺を隠すように、顔を伏せた。

381探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/10(日) 19:33:40
(73)
床の上に書かれた文字の傍らに立つと、アキラは一字ずつ読み上げた。
「4、1、C・・・さっきボクがこのメッセージについてあなたに質問した時、
あなたは失神状態から目覚めたばかりだったにも関わらず、
咄嗟に身を乗り出してそれを消そうとしましたね。何故そんな行動を取ったのか?
・・・それは、あなたが気を失う前にこのメッセージを見たことがあり、
しかもこの暗号のような文字列の意味する所を知っていたからです。
そしてそれは、あなたが芹澤先生に抱き起こされていた場所のすぐ傍らに残っていた。
――楊海さん。これは、あなたが気を失う前に書いたものですね?」
長い沈黙の後、楊海は不承不承といった表情で頷いた。
「――ああ。・・・そうさ」

ざわっと室内がどよめいた。倉田が丸い目を更に丸くする。
「おっ、おい、楊海!?」
「悪いな、倉田。信じてくれたのに・・・でも、本当のことだ。これはオレが書いた」
「何故こんなものを?」
探るような視線で問いかけるアキラに、楊海は両手を掲げて嘯いた。
「おっと、質問はそこまでだ!これを書いたのは確かにオレだが、
これは――勘違い、だったんだ。だから答える意味はないし、答えるつもりもない」
「勘違い?」
「答えるつもりはないと言っただろう?それにオレは一応、怪我人なんだ。
いつまでもキミの探偵ごっこに付き合う義理はないね」
「・・・・・・わかりました」
「わかってくれたかい。さすが、塔矢先生の息子は物分かりがいいな」
ホッとした表情で手を打つ楊海に向かい、アキラはきっぱりと告げた。
「いいえ。あなたからいただける情報がここまでなのは分かった、という意味です。
お話しいただけないのであれば・・・ボクがそれを解き明かすしかありません」
「!?」
息を呑む楊海に背を向け、アキラは高らかに宣言した。
「朝までにボクが、全ての事件を解決してみせます。・・・・・・名人と呼ばれた、
お父さんの名にかけて!」
「いや、名人は関係あらへんやろ!」と社の突っ込みが飛んだ。

382探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/10(日) 19:34:30
(74)
いまや室内の全員が、一瞬一瞬息を詰めて、アキラが次に紡ぐ言葉を待っていた。
アキラは顎に指を当てながらゆっくりとその場を歩き回った。
「・・・まず・・・最初にこのことを押さえておきましょう。
このメッセージは、一体何の目的で書かれたものだったか?ということです。
進藤。キミがもし楊海さんの立場だったら、何を一番書き残したいかい?」
「えっ、オレ?そうだなあ。こーゆー時はやっぱり・・・自分を襲った犯人の特徴、かな」
「そうだね。幸い軽い脳震盪で済んだけど、頭を打って意識を失う間際の楊海さんに
そんな結果は予測できなかったはずだ。もしかしたら命を落とすかもしれない――
そんな危機感の中、力を振り絞って数文字だけを書き残せるとしたら、
犯人を示すヒントを残したいと思うのが人情だろう」
「ダイイングメッセージっちゅう奴やな。せやけど、この三文字じゃ何のことか
よぉ分からへんで。犯人がこの、41・・・なんちゃらゆう文字列のロゴが入った服でも
着てたんかいな」
社が口を尖らせると、アキラは微笑んで言った。
「そういう考え方も出来るけど、それだと楊海さんがこうして
口を噤む理由としては、少し弱いと思うんだ。ボクは別の可能性を考えた。
これは・・・咄嗟に思いついた暗号、だったんじゃないだろうか」
「暗号やて?」

アキラは指を二本、顔の前に立てた。
「暗号には、大きく分けて二つの種類がある。一つは、解読を困難にするためのもの。
もう一つは・・・それを書く人間の、労力を省くためのもの」
「あっ・・・そうか。たとえば、漢字や仮名で何かを書き残す場合に比べて・・・
この数字みたいな文字列だと、画数が少なくて簡単に書けるんだ!」
越智が胃の痛みも薄れたかのように顔を上げて叫ぶ。アキラは深く頷いた。
「そう。いつ意識が途切れるか分からない状況では、少しでも早く確実に
自分の伝えたいことを書き終えられる方法を取るのがベストだろう。
それに、漢字や仮名よりも数字やアルファベットのほうが構造がシンプルな分、
意識が朦朧としていても正確に書き易いという側面もある。
・・・・・・いずれにせよ、楊海さんはこの文字列を使い、犯人に繋がるヒントを
残そうとした」

383探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/10(日) 19:35:10
(75)
「犯人に繋がるヒントというと――一体どんなものだったのでしょう?」
芹澤が問うた。普段は冷静な男だが、さすがに声色に微かな興奮の響きがある。
アキラはこれから起こる出来事を憂えるように少しだけ浮かない表情になってから、
静かな声で言った。
「そうですね。・・・理論上から言えば、どれはどんな情報であっても良いのです。ただ・・・」
「ただ?」
「・・・こうしたメッセージというものは、見る人に理解してもらえなければ
意味がありません。だからあまり複雑な情報がそこに込められているとは考え難い。
もしこの文字列が暗号だとしても、それはボクたちが――或いはボクたちの内の
誰かが――すぐ解読できるものになっているのではないでしょうか」
「オレたちの内の、誰かが・・・?」
呟きながらアキラの沈痛な面持ちを眺めていた永夏が、
長い睫毛に縁取られた目を急にハッと見開いた。
「まさか・・・そうか・・・そういうことか!」
「な、何や?何がそーゆーこと、やねん!」
詰め寄った社は、永夏の視線の先を追ってしばし不可解な表情をしていたが、
やがて大きく息を呑んだ。
「――あッ。ま、まさか。そんな・・・ッ!」
二人の視線の先で、ヒカルがビクリと自身の顔を指差した。
「えっ。オ、オレ――?」

384探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/10(日) 19:36:17
(76)
「進藤。楊海さんを襲った犯人はオマエだったんだな!!」
永夏が厳しい声でヒカルを指差し、追及する。ヒカルが激しく首を振った。
「しっ、知らねェよ!!オレじゃねェって!」
「じゃあ、このメッセージは何なんだ。この――」
と、文字の一つ一つを指差して、永夏が声を荒げる。
「『4』『1』『C』・・・一見、最初の二つが数字で、最後の『C』だけが
アルファベットのようだが、これを最後まで書くと――」
懐からペンと手帳を取り出して書き付ける。
「・・・『0』!Cは数字の0を途中まで書いて力尽きたものだったんだ。
三文字を繋げれば、410――これはパーティーの前にしていた会話で、
オマエの苗字として読めるって話だったじゃないか!」
「そ、そうや。そうやった!オレらの苗字を数字に変換すると、
塔矢が108でオレが846。410は――進藤!!冗談半分の話やったけど、
あの時の会話は楊海さんも一緒に聞いとった。進藤、おまえ・・・まさか・・・・・・」

「だから違うって!オレは何にもしてねェよ!!」
「ああ。――ボクもキミが犯人ではないと思う、進藤」
猜疑に晒されていたヒカルを、アキラの静かな一声が救った。
「塔矢!」
「塔矢――ライバルだからって、そいつを庇うのか?この床のメッセージを見ろよ。
そいつ以外、犯人は考えられないじゃないか」
アキラは表情を変えずに頭を横に振った。
「違うんだよ、永夏。ボクもこれを初めて見た時、一瞬進藤を疑ってしまった。
でも――仮にあの時話していたのと同じ原理、つまり日本語の数字の読みを利用して
人名を表すという原理・・・で楊海さんがこの文字列を書いたのだとしても、
進藤以外にもこの文字列に当て嵌まる人物がいることに気づいたんだ。
――そしてその人物は、今夜ここでとても不自然な発言をしている・・・」
アキラの指が、彼がいつも勝負を決める一手を繰り出す時のように、
ゆっくりとしなやかに差し延べられた。
「楊海さんが厨房の扉を開いた時――中にいた人物は――あなたですね」

385雪宴 ◆RA.QypifAg:2007/06/13(水) 13:37:47
(8)

「賀茂、俺のも触って」
光は指貴(さしぬき)をゆるめ、明の右手を自分の熱している箇所へと導く。
すると、明は眼を吊り上げ、素早く光を床に押し倒して胸上に跨り、光の摩羅を揉みだした。
「おっ、おい……!」
その問いに明は答えず、無言で光の怒張を手淫する。
強引に達せられたことが、気にくわなかったのか。負けん気の強い明は、懸命に手を動かしなが
ら、光の口内に舌をねじ込み、唾液を交わす濃い接吻を繰り返す。
普段はしない淫事を自発に行う明を眺めながら、光は自分の策略が的を得たことに、内心ほくそ
えむ。どう見ても今の明は、性愛に溺れている。

それでいい。煩雑なことは、今は忘れろ。
獣になればいい。快楽に忠実な獣に―――。

より情欲に溺れる明を、光は手にしたかった。
稚拙ではあるが確実に急所を狙う明の手淫に、光の物は昂り達しそうになる。
「…賀茂、もういいよ」
「嫌だ、まだだ」
「俺、もうやばそうなんだ」
光の首元を舌で這っていた明は愛撫を一旦止めて、真っ直ぐ貫くような視線で光を睨みつける。
「ならば、いけばいい」
そう言うと明は、ぴちゃぴちゃと音をたてながら、光の脇腹を赤い舌で舐り、陰部はやや荒々し
く手淫しながら、光の足に自分の物を擦りつけている。
気性の激しさをそのまま表すかのような愛撫に声が出そうなのを、光は必死に押し殺す。


―――確か猫って、一度狙った獲物は最後まで追いつめて狩るんだよな………。

眼じりを吊り上げ、光の急所をいたぶりながら、己の陰茎を硬くし欲情する明の姿。
光はどことなくその姿が、猫と重なった。

386雪宴 ◆RA.QypifAg:2007/06/13(水) 13:46:59
短くてすまんですよ。1日を終えるのが最近やけに速く感じるのは気のせい
だれうか(゚д゚)

387探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/23(土) 18:41:05
(77)
「!!・・・・・・っ!!」
アキラが伸ばした指の先で、「彼」は青褪め、大きく身体を竦ませた。
誰かが絞り出すように声をあげる。
「う、嘘だろ・・・まさか・・・!」
衝撃と動揺が、混乱に変わってその場を支配してしまわないうちに、
アキラは改めてその人物の名を呼んだ。
「楊海さんは、あなたを庇うために嘘を吐いたのです。――そうですね、伊角さん!」
「う・・・・・・うぁあああああああッ!!」
黒髪の青年は絶叫して顔を覆い、床に崩れ落ちた。

「嘘だっ、伊角さんがそんな・・・!塔矢オマエ、いい加減なこと言うと承知しねェぞ!!」
アキラの胸倉を掴まんばかりの勢いで、和谷が前に進み出たのを
社と永夏が両側から制した。ヒカルが目をぱちくりさせる。
「どうして伊角さんが犯人って思ったんだ?塔矢」
「今から説明する。楊海さんのメッセージをもう一度見てくれ」
床に書かれた文字列を、アキラが再度指し示した。
――41C
「見たぜ。けど、何でこれが伊角さんを指すことになるんだ?」
「さっき永夏が言ったことは、実はいい線を行っているんじゃないかと思うんだ。
皆さん、最後の『C』と読める文字をよく見て下さい。この右側が空いた半円形・・・
この半円の端と端を繋げれば、永夏の言う通り『0』――数字のゼロか
アルファベットのオーになります。けれど、一方の端を途中で折れ曲がらせると――」
アキラの指が宙に弧を描くと、誰かが驚きの声をあげた。
「ああっ。そ、それは!!――数字の、6かッ!!」
「そう。三文字全部を繋げれば、416。『しんいちろう』と読めるのです。
――楊海さん。伊角さんの下の名前は、何でしたっけ?・・・」
楊海は俯いたまま両手を顔の横に上げ、深い深い溜め息と共に呟いた。
「・・・・・・オレの負けだ。そう、そのメッセージは伊角くんを指して書いたものさ」
縺れてこんがらかっていた糸の一つが、するりと解けた。

388探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/23(土) 18:42:18
(78)
楊海は訥々と語った。
「あの時オレは、頭を打って・・・目の前がクラクラ霞んできたから、ヤバイと思った。
後はさっき塔矢が推理した通りさ。万一そのまま目覚めることがなかった時の為に、
相手の名前を書き残しておこうと思ったんだ。でも・・・」
「仮名や漢字じゃなく数字の暗号を選んだのは、やっぱそっちが書きやすかったから?」
ヒカルが訊くと、楊海はうーんと頭を掻いて答えた。
「半分はそうだし、半分は別の理由だ。伊角くんの名前を漢字で書くのは、
画数が多くて手間がかかる。だから仮名で書こうかと一瞬思ったんだが・・・
実を言うと、咄嗟に仮名文字の形が思い出せなかったんだ。
オレは外国語を喋るのは得意だが、書くほうはそんなに・・・」
「そういえば、聞いたことがあります」
アキラが思慮深い表情で顎に手を当てる。
「ボクも中国語と韓国語を習っていますが・・・ネイティブの先生によると、
日本のように外国語を読み書き中心で覚えるやり方は世界では珍しいほうで、
世界ではむしろ会話が重要視されるんだそうですね。日本の学習環境も
少しずつ変わってきてはいますが・・・」
「そうなんだ。だから漢字ならともかく、日本固有の仮名は咄嗟に思い出せなくて・・・
パーティーの時に聞いた数字と名前の語呂合わせが面白くて印象に残ってたから、
そっちで書いたのさ。410が進藤、だったら4はシンと読める。
846は社、だったら6はロと読める。慎一郎の真ん中のイチは、
まぁそのまま1で通じるだろう・・・そんな風にね」
「あの時、語呂合わせの例として進藤と社の名前が出たこともヒントになったのですね」
「そういうことだ」

頷く楊海に、和谷が食ってかかった。
「だ、だけど――この文字が伊角さんを指してたからって、何だよ!!
伊角さんがアンタを襲ったって言うのか!?伊角さんはそんなことしねェよ!!」
「あ、いや、それは・・・済まない。オレの説明が足りなかったようだ」
楊海が慌てたように手を振った。

389探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/23(土) 18:43:17
(79)
「オレは確かに伊角くんを指すつもりでこのメッセージを書いた。だが――
勘違い、だったんだ。さっきも言ったが・・・」
「勘違いだって?」
倉田が素っ頓狂な声をあげる。楊海は頷き、言葉を続けた。
「あの時、この厨房には廊下の明かりが差し込んでいた。でも相手を見るのに
十分な明るさだったって訳じゃないし、物の陰になって見えない暗がりも多かった。
実を言うと、相手の顔をはっきり見てはいないんだ。ただ、背格好が
伊角くんに似て見えたから、あの時は咄嗟にそう書き残してしまった。
でも意識を失う間際に、やはり違う――彼ではない、と思い直したんだ」
「だから目が覚めた時、楊海さんは急いで伊角さんを示す暗号を消そうとしたんだな」
ヒカルの言葉に楊海は「ああ」と頷き、厨房の隅で項垂れている伊角へと目を遣った。
「厨房は真っ暗で何も見えなかったと嘘を吐いたのも、
オレが一瞬とは言え伊角くんを疑っちまったことを彼に知られたくなかったからだ。
長い付き合いなのに、キミを疑ったりして・・・済まなかった!!伊角くん」

楊海が頭を下げると、伊角は肩をビクッと動かし、泣き出しそうな顔になった。
「や・・・・・・楊海さん・・・」
「オレが目を覚まさなかったら、このメッセージのせいでキミは本当に
犯人扱いされていたかもしれない。そんなことになったら、オレはキミに悪くて
死んでも死に切れないところだ。・・・それこそ、幽霊になって化けて出てたかもな」
「楊海さん・・・オレは・・・」
言葉を詰まらせて顔を歪める伊角に代わって、アキラが問う。
「・・・・・・楊海さん。何故、相手が伊角さんではないと思い直したのか、
その理由を聞かせていただけませんか?」
「ん?あぁ。だって、伊角くんには絶対できない犯行があっただろ?
そう・・・緒方先生が悪漢に襲われて怪我をした事件。緒方先生の悲鳴が聞こえたあの時、
伊角くんはオレたちと一緒に、この厨房に揃っていたじゃないか」
「あっ、そうです!それにこの厨房が荒らされた時も、
伊角様は直前まで私と行動を共にして、片づけを手伝って下さっていました。
厨房を荒らすことも、伊角様には不可能だったはずですよ!」
管理人の男も楊海に同意して手を打った。

390探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/23(土) 18:44:00
(80)
「・・・・・・」
アキラは同調も否定もせず、唇を結んで手を後ろに組んでいる。
まるでこれ以上を自分の口から指摘するのは本意ではない、とでも言うように。
その沈黙に耐えかねたように伊角が肩を落とした。
「どうかもう・・・オレのことなんか庇わないで下さい、楊海さん、管理人さん。和谷も。
オレは、そうやってみんなに信じてもらえる価値があるような人間じゃないんだ」
「どっ、どういうことだよ伊角さん!?」
和谷が詰問すると、静かに閉じた伊角の瞼から、涙が一筋流れ出た。
「楊海さんを突き飛ばして失神させてしまったのは・・・・・・オレなんだ。
塔矢・・・おまえにはお見通しなんだろう?」
「ええ。・・・ご自分から打ち明けていただけて嬉しいですよ」
頬を濡らすものを手の甲でそっと拭ってから、伊角は俯きがちに語り始めた。

「オレ、皆が寝静まった頃を見計らって、この厨房に来たんです。
物騒な事件のあった後で怖かったけど、その・・・どうしても用事があったから。
用事はすぐ終わると思ったので、電灯は点けずにドアを細く開けて明り取りにしました。
でも、オレが数歩歩くか歩かないかのうちに、ドアのほうで『おい、誰だ』って
鋭い声が聞こえて。その時はオレ、心臓が口から飛び出るかと思いました」
「威嚇のつもりで怖い声を出したからな。驚かせちまって済まない」
楊海が謝ると、伊角は激しく頭を振った。
「謝らないで下さい!オレが電気も点けずにコソコソしてたから悪いんです。
・・・それで・・・オレはどうしたらいいか、頭が真っ白になってしまって・・・
部屋の暗がりに慌てて隠れて、息を潜めました。でも誤魔化し切れるはずもなく、
部屋に踏み込んできた相手と取っ組み合いになって・・・オレが突き飛ばした拍子に
相手が呻いて床に倒れたので、今のうちにと一目散に自分の部屋に逃げ帰ったんです。
・・・部屋でベッドに入ってから、後悔と動悸で悶々としました。
オレが逃げても、彼は追って来なかった――打ち所が悪くて倒れているんじゃないか、
もしかして死んでしまったのじゃないか。『階下で物音がする』とでも言って、
誰かと一緒に様子を見に行ったほうがいいかもしれない・・・
そう思ってベッドから起き上がろうとした瞬間、凄い悲鳴が階下から聞こえました」
「それが倉田さんの声、だったんですね」

391探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/23(土) 18:45:02
(81)
伊角は頷き、再び目を潤ませた。
「悲鳴に続いて皆が部屋から起き出してくる音、階段を駆け下りて下へ行く音が
聞こえました。――死んでしまったのだ、と思いました。オレが格闘した相手は、
オレが突き飛ばしたせいで死んでしまった、オレは人殺しなんだ・・・と。
そう思うと怖くて、一度剥がした毛布をもう一度引き被って震えていました。
部屋から出てこないオレを心配して和谷が呼びに来てくれるまで、そうしていたんです」
室内はしいんとしていた。
誰もが、信じられないという顔、複雑そうな顔、同情を込めた顔で伊角を見ている。

零れ落ちそうになる涙を上を向いて堪えながら、伊角は続けた。
「和谷に連れられて厨房へ着くと、人だかりがしていて・・・倉田さんの話で、
オレ初めて、オレが突き飛ばしたのが楊海さんだったということを知りました」
「相手が誰か、分かってへんかったのか?」
社が唇を尖らせる。
「はい。信じてもらえるか分からないけど・・・オレ、本当に知らなかったんです。
厨房の入り口から声をかけられた時、相手の姿は逆光になってよく見えなかったし、
取っ組み合った時も厨房の中は薄暗かった・・・それに何よりオレ自身、
今日一日にあった色々な事件が頭をよぎって、殺されるかもしれないという恐怖で
相手の顔を確かめる余裕はありませんでした。ただ無我夢中で相手を突き飛ばし、
逃げ出してしまったので――」
「ちょっと待てよ。殺されるかもしれない?空々しいな。
今日起こった事件の犯人はアンタなのに、殺されるも何もないだろう」
永夏が豪華な睫毛に縁取られた目を眇めた。伊角がビクッとして青褪める。
「え――そ、そんな、違います。オレ、確かに楊海さんを突き飛ばしてしまったけど、
他の事件のことは知りません。本当です!」
「そう・・・伊角さんが他の事件の犯人ということはあり得ないよ、永夏。
理由はさっき楊海さんと管理人さんが言ったとおり、それらの事件が起こった時、
伊角さんにはれっきとしたアリバイがあるからだ。伊角さんが関わっているのは
楊海さんの事件だけだ」
アキラが告げると、伊角はほんの少しだけほっとしたように、涙ぐんで俯いた。

392探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/06/23(土) 18:46:04
(82)
ヒカルがボソッと耳打ちする。
「塔矢。・・・オマエは早くから、楊海さんの事件は伊角さんがやったって
見抜いてたんだよな?何でわかったんだ」
「ああ、単純なことだよ。さっき、倒れていたのは楊海さんだと知った時、
伊角さんは一つ不自然な発言をしたんだ。『大丈夫なんですか?
倒れていたってことは、頭でも打ったんじゃ・・・』、そう言ったんだ。
楊海さんが心配でつい口を滑らせてしまったんだろうけど、
楊海さんが刺されたり殴られたりしたんじゃなく、
どこかを『打って』倒れたことを知っているのは、彼と格闘した相手だけだよ」
「なるほどなァ」

部屋の隅では楊海と和谷が必死で伊角を慰めている。
「伊角くん、もう大丈夫だから。タンコブができた程度だし、そう思いつめないで」
「そうだぜ伊角さん!わざとじゃなかったんだし・・・」
「で、でも!!一歩間違ってたら楊海さんはオレのせいで・・・うっ!
オレが、オレがあの時、楊海さんの代わりに死んでいれば!!」
「いやだから、オレ死んでないから、伊角くん!!」
互いが互いを庇い合う、美しいとも言える光景に舌打ちをしながら永夏が言った。
「何かもうすっかり事件が片付いたようなムードになっているが、納得いかないな。
オレたちは結局肝心なところは何も聞かされていない――
そもそもそいつはどういう目的で、こんな夜中に一人で厨房にいたんだ?
その一点だけでも十分怪しいぜ。それに、そいつが関わったのが
楊海さんの事件だけだとするなら、他の事件の犯人は誰なんだ?
塔矢、オマエにはその答えがもう分かっているのか」
永夏の問いかけにしばし考え込んでから、アキラはきりりと顔を上げ、言った。
「ああ。――おおよその見当はついているよ」
その言葉を聞いた途端、伊角が怯えたようにアキラを見つめた。

393探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/04(水) 00:16:18
(83)
「まず、伊角さんが何の目的で厨房に忍んできたか・・・?
それを解く上でヒントになるのは、楊海さんが伊角さんを見つけた時の状況です」
アキラの言葉に楊海が異を唱える。
「オレが伊角くんを見つけた時の・・・?でも、あの時、厨房の中は薄暗くて、
伊角くんが何をしているかなんてオレには見えなかったぜ?」
「それでいいのです」
アキラはそう言ってから、顎に指を添えて言い換えた。
「と言うより、まさにそれこそが伊角さんの目的を推測する手がかりになるんです。
当時厨房の電灯は点いていなかった。後で楊海さんが電灯を点けなかったのは
咄嗟にスイッチの場所を見つけられなかったからという事情がありますが、
伊角さんの場合はそうではありません。誰にも知られず一人この厨房を訪れた
伊角さんは、スイッチの場所をゆっくり探そうと思えば探せたはずです。
いや、管理人さんのお手伝いをして何度かこの厨房を訪れているのですから、
スイッチの場所自体、元々知っていたかもしれない。なのに伊角さんは、
電灯を点けることは敢えてせず、廊下からの細い明かりだけを頼りに
何らかの目的をこの厨房内で果たそうとしたのです」

「でもさっきこの部屋の電気を消した時、廊下の明かりがあるとは言っても
相当暗かったぜ。あんな暗い中でできることって・・・何だ?」
ヒカルが当然の疑問を発すると、社も小刻みに顎を上下させて同意の念を表す。
「少なくとも忘れ物をして探しにきた、なんて話やなさそうやな。
細かい作業、危ない作業をするのも無理や。ちゅーか、何をするにしても
明るいほうがやりやすい気ぃがするねんけど。せめて手元に明かりが欲しいとこや」
二人の言葉に頷いて、アキラは微笑んだ。
「そう。目的が何であれ、室内があんなに暗くちゃ不便に違いない。
ただ、社の言う通り、目的を果たすに必要なだけの明かりさえあれば、
室内の他の場所が暗かろうと関係ないのも事実だ。・・・そのことと、
ここが厨房であるということを考えると、一つの可能性が浮かび上がってくる。
進藤。厨房の中で、電灯を点ける以外に明かりを取る方法は?」
しばらく考えてから、ヒカルがぽんと手を叩いた。
「あっ。・・・・・・冷蔵庫か!」

394探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/04(水) 00:17:07
(84)
「冷蔵庫ォ〜ッ!?」
倉田が声をあげる。その表情を見てアキラが首を振った。
「いえ、倉田さん。伊角さんは別に、つまみ食いをするためにこの厨房を
訪れたわけではないでしょう。皆さんご存知の通り、伊角さんはとても真面目で
繊細な性格です。お腹が空いても人の家でつまみ食いをするような人ではありませんし、
ただでさえあんな風に厨房が荒らされた後です。この厨房の食料をつまみ食い
しようだなんて考えるのは、余程――その――度胸のある人でないと」
先輩棋士に気を遣ってアキラが言葉を濁すと、倉田が胸を張って笑った。
「あ、そう?そーだよね!オレぐらい度胸のある奴じゃないと、
あんな事件のあった後でここの食料を味見しようなんて、ちょっと考えつかないかもなァ」
アキラは厨房の奥までツカツカと歩き、指紋をつけないよう注意しながら
大型冷蔵庫の観音開きの扉を開けた。中は明るく、ひんやりとした冷気と共に、
色とりどりの食料品がきちんと整理されて収まっているのが見える。
「さて、皆さん。・・・見ての通り冷蔵庫というものは、開けると内蔵の電灯が点いて
明るくなるように作られています。伊角さんが厨房を訪れた目的がこの冷蔵庫に
あったのだとすれば、厨房の電灯を点ける必要はなかったのではないでしょうか」

「なるほど。室内が薄暗くても、冷蔵庫まで歩いていくぐらいは問題ないからな。
そして冷蔵庫を開ければ、自動的に明かりが点いて内部は見える・・・」
永夏がよく手入れされた髪を掻き上げながら呟く。
倉田がこだわった。
「けどよー、塔矢。暗い中で冷蔵庫を開けて何をしようとしたってんだ?
やっぱり、食いモン目当てだったんじゃないのか?」
倉田に横目でじろっと見られて、伊角がビクリと肩を竦ませる。
アキラは冷蔵庫の隅々まで注意深い視線を何度も走らせながら、顎に手を当てた。
「そうですね。はっきりとした目的は、この冷蔵庫を見ただけではボクには・・・
ん?・・・・・・進藤、ちょっと来てくれ。これ・・・ちょっとおかしくないか?」
「えっ?」

395探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/04(水) 00:18:03
(85)
アキラの脇から、ヒカルが冷蔵庫の中を覗き込む。
そこには薄黄色い液体がコップ一杯分ほど残った、2リットル入りの
ペットボトルがあった。
「あ、これって。オレのGGレモン」
伊角の肩が再び、今度は跳ね上がるように大きく竦んだ。
「これ、折角オレ用にキープしてもらってたのに、飲めなくなっちゃって。勿体ねェ」
「そう、これは乾杯の時キミの前で開封してもらって、
その後もキミ以外は誰も飲んでいないはずのものだ。・・・じゃあ聞くが、進藤。
キミはこんなに大量にこのジュースを飲んだのか?」
「へ?・・・・・・あっ、そういや。オレは乾杯の時しか飲んでねェのに随分減ってるぞ!
もう一杯分しか残ってないじゃねェか!ちょっと、倉田さん!!」

疑いの目を向けられて倉田が憤慨する。
「何だよ進藤、オレじゃねェぞー!第一そんなジュースがあったの、知らねェよ!」
喧嘩が始まりそうな気配を断ち切るように、アキラが二人の中に割って入った。
「あぁ待って下さい、二人とも。・・・順序立てて考えてみましょう。
パーティーの時、進藤は乾杯のために一杯だけこのジュースを注いでもらって、
残りは自分用に取っておいてくれるよう、管理人さんに頼んでいました。
管理人さんがそれを無視して、このジュースを他の人に出すとは考え難いです」
「勿論です! そのジュースは後で他の飲み物と一緒に厨房に持ち帰るまで、
どなたにもお出ししませんでした」
管理人の男がきっぱり告げると、アキラは「そうでしょう」と頷いて、訊いた。
「このジュースに目を留めて飲みたがったり、話題にした人はいましたか?」
男は即座に首を横に振った。
「いいえ。お客様にお出しできない物を無雑作に持ち運ぶわけには参りません。
ですからあのジュースは、他のお客様の目に触れないようナプキンをかけて、
脇に除けてありました。恐らく、あのジュースがあることにも気づかなかったお客様が
ほとんどではないかと思います」
男の言葉に、皆が頷いて賛同の意を示した。

396探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/04(水) 00:19:05
(86)
「――でも、伊角さんはそれを知っていましたね?管理人さんと伊角さんとボクの、
三人でお夜食の準備をしている時に」
アキラの問いに、管理人の男がはっと顔を上げる。
「あの時・・・管理人さんは『冷蔵庫のレモンジュース』としか言わなかったのに、
伊角さんははっきり『GGレモンにはもう手をつけないほうがいい』と言ったんです。
その時は別段不思議にも思いませんでしたが、もし、パーティー会場で
このジュースが人目につかないよう隠されていたのなら、
伊角さんはどうしてその名前まで知っていたんでしょう?」
「あ・・・・・・あの、それは。伊角様には今日一日、何度も私の仕事を
お手伝いいただきましたから。実を申しますとパーティーの後、
会場から引き揚げた飲み物を冷蔵庫に仕舞う時も伊角様が手伝って下さいまして。
その時『こんな飲み物もあったんですね』と話題に出ましたもので、
事情をお話ししたのです」
「その時、ペットボトルの中身の残量は?」
「異状なし・・・進藤様にお注ぎした時のままだったと思います」
「パーティーの後、この厨房の食料が酷く荒らされる事件が起こりましたね。
その時、冷蔵庫のペットボトルの中身を確認しましたか?」
「いえ、あの時は・・・床やテーブルの上の食料をチェックしただけですね。
その後に塔矢様やご主人様ともう一度、厨房の探索をしましたが、
その時は刃物や道具の類がなくなっていないかに気を取られていまして。
食料はもう荒らされているものという思い込みで、あまり細かく調べませんでした」
「そうですか」

となると・・・、と踵を返して、アキラがゆっくりと言った。
「厨房の食料が荒らされていた時には既に、このペットボトルの中身は
不自然に減っていた可能性がある、ということですね。そしてその時までに
厨房に出入りした人物は、管理人さんともう一人、そのお手伝いをしていた――」
呻き声のような叫びのような悲痛な声が、伊角の喉から洩れた。
「も・・・もう、やめてくれ!!わかった。わかったよ!・・・オレの口から全部話す」

397探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/15(日) 21:29:00
(87)
「伊角さん!?」
和谷が驚いて伊角の背に手を遣る。その手の温かさに誘われるように、
ぎゅっと瞑った伊角の目から二筋、涙が零れ落ちた。
アキラが労わりにも似た静かな声で問う。
「伊角さん・・・事情をお話しいただけますね」
伊角はこくりと頷くと、涙を拭った。
「その前に聞かせてくれないか、塔矢。・・・何故このGGレモンが捨てられたのが、
厨房を荒らされる前だと分かった?普通だったら、厨房を荒らした犯人が
冷蔵庫の中のGGレモンも一緒に荒らしたと考えそうなものなのに」
「あぁ、それなら」
アキラは何でもないことのようにさらりと答えた。
「事件の要素を一つ一つ整理していったら、そういう推論に達したんです。
まず、楊海さんが厨房で目撃した相手は伊角さんだった。伊角さんは冷蔵庫に用があり、
冷蔵庫の中には不自然に量の減ったペットボトルがあった。ということは、
ペットボトルの中身を捨てた人物は伊角さんである可能性が高い。
そしてここからが肝心なところですが、伊角さん・・・・・・あなたは前にも一度、
一人で厨房に入ろうとしていましたね?」

「やっぱり気づいていたのか」
伊角が肩を落とす。ヒカルが身を乗り出して騒いだ。
「なんだなんだ、いつの話だよ?オレ全然気づかなかったぜ?」
アキラは弟をたしなめる兄のような口調で言った。
「キミもその場にいたじゃないか、進藤。ボクたち数人が、
物置を調べに行った時のことだ。調査を終えて廊下に出ようとした時、
永夏が怪しい人影を見つけて声をあげただろう」
「あぁ、あれか。人影の正体は伊角さんだったんだよな。確かオレたちを探しに来て」
「そう、そう言っていた。・・・本人はね。だけど、それはおかしいんだ」
「おかしいって何が?」

398探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/15(日) 21:30:01
(88)
考え深い瞳で腕組みをしてアキラは言った。
「思い出してみてくれ。あの時、伊角さんは明らかに――
厨房に入っていくところだったんだよ、進藤。身体はもう厨房の中に入っていて、
ドアから顔だけ半分出してこちらを見ていた。だから厨房に何か用事があるのかな、
と思ったのに、ボクたちを探していたと言ってすぐ出てきたから
少し引っかかってはいたんだ。ボクたちを探してたなら、
物置にいるボクたちの話し声は廊下にも聞こえるし、ドアの隙間から灯りも洩れる。
現に伊角さんの少し前、永夏とルーリィは声と灯りを頼りに物置まで辿り着いた。
もし仮に物置にいることに気づかなくても、厨房のドアを開けて中を覗けば、
中にボクたちがいないことは一目でわかったはずだ。なのに伊角さんは
無人の厨房にわざわざ足を踏み入れて、おまけにそれを誤魔化そうとした。
だからあの時点でこの厨房には既に、伊角さんの秘密――
中身の減ったペットボトル、が存在したことになる」
ヒカルがなおも納得しない表情で口を尖らせる。
「でも、オレたちが物置を調べに行ったのって、厨房荒らしの事件の後だぜ?」
「そうだけど、厨房が荒らされてからボクたちが調査に出かけるまでの間は、
みんなでお屋敷内を探索したりお夜食をいただいたりで、ずっと団体行動だった。
それに食料が荒らされた後は現場保存のため、今夜は誰も厨房に立ち入らないようにと
言われただろう。つまり厨房荒らしの事件が発覚したその時から、
あのペットボトルの飲み物は誰にも見つけられず、誰にも飲まれないものに
なってしまったんだよ。そんな飲み物に、敢えて人目を忍んで細工する意味は
あるだろうか?・・・そう考えると、やはりあの飲み物は厨房が荒らされる以前に
捨てられていたと考えるのが自然だ」
「うーん、そうか。なるほどな〜」

ヒカルが頷く横で、伊角が寂しく微笑んだ。
「・・・・・・さすが塔矢アキラ、ってところか。
KOされてリングに沈むボクシング選手ってのは、こんな気持ちなのかな・・・」
伊角は初め自嘲するように、言葉の最後はむしろ清々しいような表情で、
息を吐き出しながら瞑目した。

399探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/15(日) 21:31:01
(89)
厨房内は今、水を打ったように静まり返っていた。
誰もが伊角の口から語られる真相を待っている。その重苦しい空気に
少し緊張した様子で唾を呑み込んでから、伊角はぎこちなく語り出した。
「すいません、皆さん。オレ、塔矢と違って、こんなに大勢の人の前で話すのは
慣れていません。だから上手く話せないかもしれないけど・・・
オレのしてしまったことについては、全部話します」
そう前置きすると、伊角はまず、管理人の男に向かって深々と頭を下げた。
「最初に謝っておきます。・・・・・・すみませんでした、管理人さん。
塔矢の推理したとおり、そのGGレモンの中身を捨てたのは・・・オレです。
食料が荒らされる事件の起こる前、厨房であなたのお手伝いをしている時に、
隙を見てこっそり捨てました」

男はさすがにショックを受けたようで、胸の前で自らの両手を握り締める。
「伊角様・・・あなたのような方が、何故そんなことを・・・?」
伊角は精神を落ち着けるように深く息を吐いてから、しっかりとした、
けれども少し震える声で言った。
「そのGGレモンは・・・進藤専用のものだと、あなたは教えてくれました。
夜寝る前に進藤が飲むかもしれないと。それを聞いてオレは、
この計画を思いついたんです」
「えっ、オレッ?今伊角さんオレの名前言った?」
ヒカルが驚いた顔で自分の顔を指差し、周囲に確認する。
その声を背後に聞きながら、伊角の頬を再び大粒の涙が伝った。
「済まない、進藤!オレは・・・オレはもう、オマエの友達と呼ばれる資格はないっ!」
そう言うや否や、伊角はヒカルのほうを振り向くと、ガバッと土下座した。
「え、ちょっと!!伊角さん!?」
和谷と楊海に助け起こされて、伊角が泣き濡れた顔を上げる。
アキラは怪訝そうに眉を顰め、ゆっくりと問うた。
「伊角さん――あなたは一体、何をしようとしたのですか?」

400探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/15(日) 21:32:02
(90)
「塔矢も他の人も、変に思ってるだろう?ペットボトルの飲み物を捨てたりして、
一体何の意味があるのかって。でも・・・オレがしたのは、捨てるだけじゃなかった。
塔矢、そのペットボトルを見てくれ。何か気づかないか?」
伊角に言われてアキラは首を傾げた。
「ボク、ペットボトルの飲み物は普段あまり飲まないし、特に気づくことは・・・
強いて言えば、中身を全部捨てずに一杯分だけ残してあるのはどうしてでしょうか」
「そう・・・そこだ」
伊角は消え入りそうな声で頷いた。
「オレは一杯分だけ、中身を残しておいた。どうしてか?
・・・そうすれば、確実に進藤一人にそれを飲ませられると思ったんだ。
進藤が夜にGGレモンを飲むことになった時、中身がたくさん残っていたら、
近くにいる塔矢や他の人もそれを飲むかもしれないだろう?でも残りが一人分なら・・・
それに中身を一杯分にまで減らしたのは、もう一つ理由があった」
「その理由というのは・・・?」
アキラの問いかけに、肺の中の空気全てを吐き出すように深呼吸をしてから、
伊角は答えた。
「・・・飲み物の量が多いと・・・薬の効果が薄まって、効かなくなるかもしれなかった。
だからオレは、ちょうどコップ一杯だけ飲み物を残して、その中に薬を、
一回の服用量だけ入れたんだ」

「クスリだってェ?」
倉田が声をあげ、他の者も目を丸くして動揺を走らせる。
社が我が身を庇うように両手で体を抱き締めて呟いた。
「と、東京は恐ろしい所やて聞いとったけど・・・まさか、毒薬・・・!」
「毒薬なワケねーだろ!!伊角さんがそんなこと、するもんか!!」
噛み付くように、和谷が社に言い返す。アキラが冷静な声で同意した。
「ああ、毒薬ではないだろう。伊角さんはさっき、『一回の服用量』と言った。
毒薬なら、一回も何も、一回服んだら後はないよ」
「う、確かに。でもほなら、このニイちゃんは何の薬を飲み物に混ぜよったんや?」
伊角は項垂れ、ポケットから布製の小さな袋を引っ張り出した。
「これの中身・・・です」

401探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/07/15(日) 21:33:02
(91)
「あ、その袋は・・・」
アキラたちには見覚えがあった。伊角が常備薬などを入れて持ち歩いていたものだ。
伊角が膝の上で布袋を引っ繰り返して振ると、錠剤や粉薬、虫除けなどが
バラバラと落ちてきた。その中から一つ、伊角がつまみ上げたのは、
縁がギザギザになっている透明な四角い小袋だった。既に開封済みで、
袋の内部には白い粉薬の名残りが僅かに残っている。
「これは・・・?」
「皆さんで確かめて下さい」
伊角に言われて袋を受け取り、印刷されている文字を読んだ芹澤が言った。
「うむ、どうやらこれは・・・睡眠薬のようですね」
「睡眠薬?」
皆の目が伊角に向くと、伊角はこっくりと頷いた。
「そう――オレ、結構神経質で、悩み事があるとよく眠れなくなるから、
軽い睡眠薬を病院で処方してもらって、泊まりの時はいつも持ち歩いてるんです。
オレはその薬をGGレモンに入れて、進藤を眠らせようとしたんです」

しばらく沈黙が続いた後、ヒカルがやっと声を発した。
「・・・・・・なんで?伊角さん、どうしてオレにそんな薬を・・・」
「進藤、オレはおまえが・・・・・・妬ましかったんだ」
穏やかな伊角の声が震えている。閉じた目から新しい涙が落ちる。
「このパーティーに招待された時・・・オレは一つ、小さな期待をした。
それは、一晩同じ屋敷で過ごす間に、オレもあの塔矢アキラと
打てるんじゃないかって期待だった。――塔矢、パーティーの時おまえに言ったな。
おまえはオレたちの世代じゃ、いつだって特別な存在だったと・・・」
伊角と目が合った。アキラは華やかな夜の記憶を思い起こしながら、静かに頷いた。
「オレはこの機会にと、塔矢に対局を申し込もうとした。なのに、話の途中で
進藤が割り込んできて・・・オレの目の前で、怒った塔矢は進藤に徹夜碁を申し出た。
進藤はいつも塔矢を独り占めしているのに、こんな時まで・・・!そう思ったら、
自分の中の醜い感情がどんどん膨らんできて・・・進藤専用のGGレモンの話を聞いた時、
上手くすれば進藤を眠らせてオレが塔矢と打てるかもしれないと思ってしまったんだ」
淡々と語っていた伊角の喉から、やがて絞り出すような嗚咽の音が迸った。

402探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/09/02(日) 22:07:36
(108)
「恐らくそうだと思います」とアキラは頷いた。
「犯人は物置部屋に身を潜め、一階の人通りが絶えるのを待っていたのでしょう。
けれどそこで、思わぬ事態が起こりました。犯人が潜んでいる物置に、
他の人がやって来たのです」
「それが、伊角様と私・・・ですか」
管理人の男が硬い表情で呟く。
「そうです。犯人は、かなり焦ったことでしょう。しかし幸いにと言うべきか、
物置には彼が咄嗟に身を隠すことのできる死角が存在しました。
・・・さっきボクと物置を見に行った方はご覧になったと思いますが、
あの物置の入り口からちょっと離れた所に、木箱や段ボール箱が大量に
積まれていましたね?」
「ああ――あったあった。横に長く積まれていたせいか、
ちょっとした堡塁みたいな印象を受けたな」
楊海が手を打って頷く。
「そう、それです。あの陰になら、大人が一人、十分隠れられます」

「つまり伊角さんと管理人さんは――箱の後ろで犯人が息を殺してるすぐ横を通って、
物置の奥の洗い場へ向かったってのか!?スゲェ!」
ヒカルが興奮して指を鳴らしたが、伊角は貧血寸前のような顔色になっている。
「そんな・・・それじゃあ、もしオレたちがその場で犯人に気づいていたら・・・
オレも管理人さんも、大型の高枝鋏で襲われてたってことに・・・?」
アキラは少し考えてから、首を横に振った。
「いいえ。・・・それはないと思います。だって伊角さん、
あなた方が物置のドアを開けた時、中の電気は点いていましたか?」
「それは・・・点いてなかったよ。オレたちが点けて、そのまま洗い場へ向かったんだ」
アキラはにっこりと微笑んだ。
「そうでしょうね。折角物置に隠れたのに、電気を点けていては
ドアの隙間から洩れる明かりで、中に人がいると気づかれてしまいますから。
・・・つまり伊角さんたちがやって来て電気を点けるまで、彼は暗闇の中にいて、
物置の中を見渡すことは出来なかった。伊角さんたちが彼とすれ違った時点では、
彼はまだ高枝鋏を手にしていなかったと考えて良いでしょう」

403探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/09/02(日) 22:09:17
(109)
「でもよ、塔矢。オレちょっと不思議なんだけど・・・犯人は物置に隠れたり、
箱の陰に隠れたりして、とにかく人目を避けてたんだよな?」
ヒカルが眉根を寄せて宙を見た。
「それなのに、縮めても2メートル近くになるようなデカい高枝鋏なんかを
持ち歩いたら、目立って仕方ねェぜ。伊角さんたちが来た時はたまたま側に
箱が積まれてたから隠れられたけど、いつもそう上手くいくとは限らねェ。
武器になる物が欲しいならあの物置にはもっと手頃な工具だって置いてあったし、
厨房には包丁だってあったのに。犯人は何でわざわざ、その高枝鋏を選んだんだ?」
「高枝鋏は高い所の木の枝を伐る道具だよ、進藤」
「そっ、それぐらい知ってらぁ!オレが知りたいのは、そんな物を犯人がどうして」
「だから――高い所の枝を伐る用事があったんだろう、犯人には。
今夜起こった事件の中で、『木』が関わる事件が何かなかったかい?進藤」
「あっ――」
「く・・・・・・首吊り幽霊の事件かッッッ!!」
テーブルの下で落ち着いていた社が、再び青い顔でテーブルクロスを掻き抱いた。

予想外の所で二つの現象が繋がり、他の面々も色めきたつ。
芹澤が切れ長の目を縦に見開いて問うた。
「木の上に謎の物体が現れた事件と、紛失した高枝鋏が関連していると言うのですか」
「はい。逆にそうでも考えなければ、進藤の言う通り、
何故そんな嵩張る道具を持ち出したのか説明がつきません。高枝鋏と一緒に、
用途別に吊るしてあったゴム手袋の一組がなくなっているとのことですが、
なくなったのは多分、表面に滑り止めがついているタイプの物じゃありませんか?
管理人さん」
「は、はい。用途によって、炊事などには薄手で滑らかな物を使うのですが、
掃除などには今塔矢様がおっしゃったようなタイプの物を使っておりました。
なくなったのは、表面に滑り止めがついた、厚手のゴム手袋です」
「ありがとうございます。そしてここからが重要なところですが――
高枝鋏の紛失にはもう一つ、関連を考えてみるべき事件があります」
「そ、それは・・・?」

404探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/09/02(日) 22:10:31
(110)
管理人の男がゴクリと唾を呑み込む。
アキラは事もなげに言った。
「緒方さんが凶器を持つ暴漢と闘い、負傷したというあの事件です。
お屋敷の備品を常にきちんと手入れしておく管理人さんの習慣から考えて、
物置から消えた高枝鋏とゴム手袋は、何者かによって持ち出されたものと
見なさざるを得ません。では二つの道具を持ち出したのは誰だったのかと考えると、
一見最も怪しく思えるのは、緒方さんの証言に登場する暴漢です。
厨房の窓が割れて鍵が開けられ、食料が荒らされていた事件も、
そのような侵入者の存在を裏付けるように一見、見えます。しかし・・・」
「そんな人物が本当に存在したのかどうか疑わしい、というわけだ。
荒らされた食料は実際には量が減っていなかったし、
荒らした奴がもし本当に侵入者なら、あんなに派手に痕跡を残して
自分の存在をオレたちに気づかせるような真似をするはずがないからな」
「その通りです」

楊海が整理した言葉にアキラが頷くと、緒方が苦笑しながら肩を竦めた。
「フッ。まだまだ青いな・・・アキラくん。一方では侵入者の存在をアピールするように
厨房が荒らされ、一方では侵入者と格闘して怪我をしたという証言がある。
だが厨房が荒らされた件については、どうやらただの偽装らしい・・・
だからキミはもう一方の、オレの証言も嘘だと、こう言いたいわけだ。
しかし、それは二つの事件の犯人が同一人物だと仮定しての話だろう?
厨房を荒らした犯人とオレに怪我を負わせた犯人が別人だったとしたら・・・
キミの推理は一瞬にして崩れ去ってしまうんだぜ」
「・・・・・・」
「厨房を荒らした犯人は、なるほど侵入者ではなかったのかもしれん。
しかしオレは確かに外部からの侵入者と闘い、負傷したんだ。
それでもまだ、オレの証言を疑うなら・・・証拠を見せるべきだろう。
オレの言うことが狂言だという、その証拠をッ!!」
室内の全ての視線が、息詰まるような緊張をもってアキラの上に集まった。

405探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/09/02(日) 22:12:07
(111)
何秒かの沈黙の後、アキラはふぅと肩を落として緒方を見た。
「・・・・・・その手には乗りません。証拠を見せるべきはそちらでしょう?緒方さん」
「な・・・何だと・・・!?」
「あなたが凶器を持つ暴漢と闘ったというのは、あなたがそう主張しているに
過ぎません。証拠は何もない。ご自分の証言を信じて欲しければ、緒方さんこそ、
その証言を支える証拠を見せて下さい!」
「ぐぐぅうっ!!」
緒方が眉間に手を遣り、ずれた眼鏡を直す。
間髪入れずにアキラは続けた。
「それに、今緒方さんがおっしゃったことを言い換えると、こうなりますね。
犯人は二人いた。一人は厨房が荒らされた事件の犯人で、外からの侵入者ではない。
そしてもう一人は緒方さんが負傷した事件の犯人で、こちらは外からの侵入者だ、と」
「ま、まぁ。そういうことになるな」
「では、お尋ねします。その場合・・・・・・物置の高枝鋏とゴム手袋を持ち出したのは、
一体誰ということになりますか?」

虚を突かれて、緒方が言葉に詰まる。
「・・・・・・物置の?お、オレが知るか!第一、そんなことが重要なのか?」
「重要だと思うからお聞きしているんです。ちなみに、進藤。
今緒方さんが言ったことを前提にするとして、キミなら誰だと思う?」
「えっ、物置の道具を持ち出した奴のこと?う〜ん・・・そうだなぁ。
緒方先生の話だと犯人が二人もいるわけだから、そのどっちかじゃねェのかな」
「二人のうちの、どちらだい?」
「んーと。もし外部犯じゃねェとしたら、オレたちの中の誰かってことになるよな。
道具がなくなったと分かるまでの間に、オレたちが外に出た機会は一回だけだ。
緒方先生の悲鳴を聞きつけてみんなで玄関先に駆けつけた、あの時だけ。
だから、オレたちの誰かが犯人なら、なくなった道具はまだ建物の中にあるはずだ。
けど・・・この建物の中はさっき全部チェックした。オレたちが泊まってる部屋も全部、
クローゼットの中からベッドの下まで。ゴム手袋はともかく、
高枝鋏は2メートル近くもあるデカいのだろ?もしそんなのがあれば
見回ってる最中に誰かが気づいたと思うぜ」

406探偵妄想 ◆pGG800glzo:2007/09/02(日) 22:13:30
(112)
「そーだな。お屋敷内を探索した時、オレたち、注意して見てたもんな」
ヒカルの言葉に皆も賛同する。アキラが言った。
「皆さん、進藤の意見に賛成のようですね。ボクもです。
ボクたち内部の人間は誰も、お屋敷の中に高枝鋏を隠すことはできませんでした。
よって・・・もし緒方さんの言葉を前提に考えるならば、
高枝鋏を持ち出した犯人は、『緒方さんと闘った外部犯』ということになります」
ヒカルが妙な顔をした。
「あれっ、塔矢。待てよ、なんかおかしくねェ?・・・・・・そうだ!オマエさっき、
外部犯なんていない、一連の事件の犯人はこの中にいるって言ったじゃねェか!」
「ああ。言った」
「じゃあ、今の言葉はそれと矛盾するんじゃねェのか?いいのかよ」
アキラは穏やかな微笑を浮かべ、頭を振った。
「それで、いいんだ。今ボクが言ったのは、飽くまで緒方さんの言葉を
前提にしての話だからね。・・・だけど、もし高枝鋏を取って行ったのが
『緒方さんと闘った外部犯』だったとすると、ある人の発言に大きな矛盾点が
生じてしまうんだ。それは言うまでもなく――」

アキラは緩やかに、しかし大きく弧を描いて、その男を真っ直ぐ指差した。
「――あなた自身の発言ですよ、緒方さん!あなたは言いました。
相手の顔はよく見ていない、振り回される凶器を避けるのに精一杯だった。
そしてその凶器とは飛び出しナイフだった、と。けれどもし高枝鋏を取ったのが
あなたの格闘相手だとすれば、『彼』はその時、高枝鋏を持っていなければ
おかしいんです。彼があなたに撃退されて屋外へ逃げて行ったというそのすぐ後、
お屋敷は厳重に戸締まりされて、外から再度侵入することは不可能になって
しまいましたからね。『彼』が高枝鋏をお屋敷の外へ持ち出せたタイミングは、
まさにあなたが『彼』と闘ったという、その時しかなかったんです。
つまり『彼』は、2メートル近くもある大きな高枝鋏を抱えながら、
風雨の中、ちっぽけな飛び出しナイフであなたと闘ったことになる――
なのにあなたの証言には、一言も高枝鋏のことは登場しません!
この矛盾をどう説明するんですか!!」
「うぅ・・・・・・ッ!!」
緒方の目に、追いつめられた小動物のような焦燥の色がよぎった。

407CC ◆RA.QypifAg:2008/03/30(日) 20:52:27
難民、人大杉なんでこちらでお邪魔。

408肉棒だらけの打ち上げ大会 ◆RA.QypifAg:2008/03/30(日) 20:54:26
(29)
「これで……良しっ!
人がどう思っても、ボクが正真正銘の主人公だっ!!」
アキラは、ガッツポーズを取り叫んだ。ほぼ全裸で。(←背景は、しぶき舞う大荒波でよろしく)
「オ…オマエって、そういうキャラだったっけ?」

落ち込むどころか数秒で復活し、どこまでも我が道を一直線に貫く鋼の漢・塔矢アキラ。

「……今のオマエに何言っても話通じないな……。
とりあえずオマエは、少しマンガを読め。そうしたらオレの説明したことが少しずつでも分かるだろ。
ほら旅館に来る前、暇つぶしにジャン○買ったから読めよ」
ごそごそとヒカルは自分のスポーツバッグから、週○少年ジャンプを取り出し、アキラに向かって投げた。
「ジャンプ? なんだそれは」手に受け取り、アキラはヒカルに訊ねる。
「えっ、オマエ…ジャ○プ知らねえの!?
自分が載っていた雑誌ぐらい、ちゃんと覚えておけよ。
この雑誌に数年連載して、テレビアニメにもなったんだぞ。
まあ、テーマが碁で地味から、NARUTOやONE PI○CEみたいに映画にはならなかったけどさ」
「そうだったのか……知らなかった」
「今、掲載されているマンガでも、テレビアニメになっている作品がいっぱいあるんだぞ。
D.○ray-man・アイシー○ド21・銀○・NAR○TO・魔人探偵脳噛ネ○ロ・ヒット○ンREBORN!・
BLE○CH・ONE PI○CEなんかがそうだぞ。
自分が載っていた雑誌ぐらい、きっちりチェックしろよ(※2008.3月状況)」
まるで、ジ○ンプ営業マンかのようなヒカル。
だが、アキラはやけに神妙な表情をしながら頷く。

409肉棒だらけの打ち上げ大会 ◆RA.QypifAg:2008/03/30(日) 20:55:37
(30)
「ああ、そうだな。ボクとしたことが失態だ。
でも進藤、なぜこの→(※2008.3月状況)という注意書きのようなものが、キミのセリフ内に申し訳程
度に入っているんだ?」
「えーと、それはだな。この『肉棒だらけの打ち上げ大会』ていうセンスを疑うタイトルの小説最初を読んで
みろよ」
「──……肉棒……………これ書いている人、頭は大丈夫なのか。
えっと…阪神タイガース優勝のことが書いてあるが、それって何年前のことだ?」
アキラの側で、ヒカルが大きな溜息をつく。
「最初の書き出しから○年経っているから、分かりやすいように注意書きつけたんだよ、きっと」
「なるほど。ボク達にそれを説明させて状況を説明する……すなわち苦肉の策を講じたのか。
早く書かないから、こういったことになるんだ」
「まったくだよなあ、あ〜〜、かったるいっ〜〜〜〜!
ふう……この話題はもう良しとしようぜ。今更どうのこの言ったって、何か変わるわけじゃないし。
ところでさ話変わって、オマエ碁のマンガキャラじゃなかったら、何テーマのマンガに登場してみたい?」
「突拍子もない質問だな進藤。じゃあ、キミは何になりたいんだ?」
まだ体熱があり熱いのか、アキラは団扇を扇ぎ、髪をなびかせて微笑む。
「えーと、オレはぁー…、野球とかサッカーなんかのスポーツ系に出てみたいな。
あとラーメン職人とか、メシを食うグルメマンガなんかも面白そうだ。で、オマエは何だ」
まだ飲み足りないのか、ヒカルは事前に購入していたコーラの2ℓボトルを出してきて、ゴクゴクと勢いよく
飲みだした。
「………碁」
「えっ」
「だから碁をテーマにした作品とかなら」
「碁なら、今オレ達が出ているのがそれじゃねーかよ。他になりたいのはないのか」

410肉棒だらけの打ち上げ大会 ◆RA.QypifAg:2008/03/30(日) 20:58:29
(31)
「ボクには、碁しかないよ」
いつのまにかヒカルは、ポテトチップスもどこからか持ってきたらしく、バリボリと頬張りながら言う。
「まあ、オマエらしいっちゃらしいけど……オマエ、最高につまんねえ奴」
「つっ、つまらないとは、どういう意味だ」
「何でもかんでも固く考えるな、軽くでいいだよ。そんなんで、よく頭疲れねえなあ」
「ほっといてくれ、これはボクの性分なんだっ」
「あー、はいはい。オマエは囲碁が一番なんだよな。分かった、分かったよ。
……もしも……、もしものことだからな。
もしオマエが女と付き合うことになったら、絶対速攻フラれるタイプだな確実に」
口をモゴモゴしながら、アキラにポテトチップの袋を差し出すヒカル。
ポテトチップスを一枚だけ摘まみながら、アキラは軽くヒカルを睨みつける。
「ボクは今、キミしかいないから、そのようなことは無いだろうが……、なぜそうまで断言できるんだ」
「だって、女が喜びそうなデートコースとか組めるのか?
囲碁しか頭に無いオマエがっ。自分の興味無いことは、一切頭に入らない単細胞のオマエがっ。
相手が喜びそうな所を連れて行ったりするようなこと、オマエ苦手だろ」
「うっ……、そっ、それは……。でも、努力すれば…」
ややどもりながら、ポテトチップを口に入れるアキラ。
そんなアキラを眺めながら、ふとヒカルの頭によぎった図。
             ↓
デートぴあに付箋をつけながらデートスポットをチェックし、眉間に大皺を寄せて目を血走りながら頭を悩ま
せるおかっぱの姿。それも、自分の部屋である和室畳上にて正座ポーズ。
またネットでもデートスポットを探して、情報の渦に迷いに迷いて頭が混乱。
未知の世界に頭爆発寸前、ショートしてくすぶり、頭から煙がプスプス上っているおかっぱ。
いつのまにか日が暮れて、部屋が暗くなってもそれに気付かず、暗闇でブツブツ独り言を繰り返すおかっぱ。

―――全然、似合わねえ。つうか、見たくもねえ不気味すぎるっ!

411小花恋唄 ◆pGG800glzo:2008/06/24(火) 21:36:55
なかなか続き書けなくてごめんよ。
以下、Oの字口の白雉アキラたんの置屋妄想につき
嫌いなヤシはスルー頼んます。

412小花恋唄 ◆pGG800glzo:2008/06/24(火) 21:37:58
(83)
「・・・・・・お話中、失礼致します。公宏坊ちゃま」
襖の向こうで遠慮がちな声がした。真面目な話を途中で遮られた格好となり
照れ臭そうにヒカルに目配せをしてみせてから、筒井が振り返る。
「何だい?どうかしたの、爺や」
「もう一組、お客様がお見えでございます。坊ちゃまにお会いしたいと・・・」
「おう、筒井っ!オマエが会いたい相手を連れてきてやったぜ」
爺やの声に被さるように豪気な声が響いて、勢い良く襖が開いた。
そこに仁王立ちしていたのは、いつもながら堂々たる体躯に自信に満ちた表情の
彼らの親友――加賀である。筒井の枕元にヒカルがいるのを見て
加賀は白い歯を見せ片手を上げた。
「よっ。進藤、オマエも来てたのか」
筒井が気抜けしたように微笑む。
「なんだ、加賀じゃないか。爺やってば、コイツならすぐ通してくれて構わないのに」
「今日はオレ一人じゃねェからな。爺やさんも気を遣ったんだろうぜ」
ニヤニヤしながら加賀が親指で自分の背後を指し示す。
大きな加賀の陰に隠れていた少女が、おずおずと姿を現した。
「え・・・あ・・・・・・つ、津田・・・・・・さん?」
「・・・・・・」
少女は筒井と視線が合うのを避けるように加賀の身体越しにゆっくりと部屋を見回し、
肌寒い日とはいえ厳重過ぎるほど温められた室内の空気や、何種類もの薬袋と水差し、
布団の脇に置かれた洗面器や手拭や体温計、などを認めたようだった。
そして躊躇いがちに彷徨っていた視線が、とうとう布団の上の痩せ細った筒井に辿り着いた時、
彼女はわッと顔を覆って泣き出した。
「つ、津田さん」
「御免なさい、御免なさい、筒井さん。私何も知らなくて」
「な、泣かないで。でもどうしてキミが・・・」
「そりゃあよ、筒井。正義の味方が教えてやったに決まってんだろ?
邪魔者は退散するから、後はちゃんとオマエから彼女に話してやりな!ほら、行くぜ進藤」
「え?あ、あぁそうだな・・・それじゃ筒井さん、また来るから!」
加賀に引っ張られるようにして、ヒカルは筒井の家を後にした。

413小花恋唄 ◆pGG800glzo:2008/06/24(火) 21:39:14
(84)
夕闇が霧に濡れた道を薄蒼く染めていた。
一人で帰るなら心細くなってしまいそうな夕べだったが、隣で加賀が口笛を吹いている限り
怖いとか心細いなんて感覚とは一生無縁でいられるとヒカルは思った。
「・・・加賀、また背が伸びた?」
話しかけられてこちらを見下ろすその目線が、記憶よりも随分高い所にある。
加賀は背丈を測るように自分の頭頂部に手をかざした。
「そうかァ?自分じゃ分かんねーけど」
「伸びたぜ。もうほとんど大人の人と変わらねェくらいだ」
羨望を込めてヒカルは言った。元々ヒカルや三谷より年上ということもあり
親友四人組の中では飛び抜けて背が高かったが、
しばらく疎遠になっていた間にまた一段と大きくなったように見える。
まだ肉はあまり付いていないもののがっしりと頑丈そうな肩部の骨組み、
男らしく飛び出た喉仏、どれを取って見ても大人の男へと脱皮しつつある青年の
健全な逞しさを感じさせた。

「ま、オマエとこんな風にゆっくり話すのも久しぶりだからな。
しばらく見てなかった奴が言うなら伸びてるんだろう」
加賀は拘らずにそう言うと身を屈めて道端の草を毟り、口に咥えて草笛を吹き出した。
口笛ほどにはうまくいかず、間が抜けたような哀切なような独特の音が二人の道に響く。
その音を聞きながら黙って歩くうちに、ヒカルの口からぽつりと言葉が零れ出た。
「筒井さんの病気・・・、加賀は知ってたんだ」
草笛の音が止み、「ああ」と返事が返ってくる。
「オマエや三谷に隠してた訳じゃなかったんだ。オレが知ったのもたまたまで・・・
前にオレが学校の終わった後、伯父さん夫婦の家に出かけたことがあってよ。
その時、隣町の大きな病院に入ってく筒井を偶然見かけてさ。
ただの風邪にしちゃ大袈裟だと思ったから学校で会った時に問い詰めた。それで・・・」
「そっか・・・」
そう言えばあかりや筒井が、加賀は最近伯父夫婦とよく行き来しているようだと
以前話していた。筒井が隣町の病院に行ったというのは、もしかすると
自分が母と喧嘩して家を飛び出し、筒井の家に泊めてもらったあの日のことだろうか。
あの日はアキラと金平糖を食べて、美しい星空の下を幸福な気持ちで帰ったのに。

414小花恋唄 ◆pGG800glzo:2008/06/24(火) 21:40:39
(85)
「・・・筒井さん、元気になって戻ってくるよな?」
そんなことを聞いてもどうにもならないことは分かっている。
ただ誰かに、筒井は必ず戻ってくると、また皆で冒険する日々が返ってくるのだと
嘘でもいいから保証して欲しかった。しかし加賀は素っ気なく答えた。
「さぁな。オレだって医者じゃないのに分かるか、そんなもん。・・・けどよ」
「?」
見上げたヒカルに向かって白い歯を見せ、加賀は笑った。
「さっきのアレで、あいつもちょっとは発破かけられたんじゃねェか?
あいつ最近、自分はもう死ぬもんだと思って半分諦めてるような節があったけどよ。
惚れた女を待たせてると思えば勇気も出る。希望も湧く。
結果がどうなるかはお釈迦様しか知らねェが、筒井は全力で病気と闘うと思うぜ。
オレはそう信じてる」
「・・・・・・うん。うん、加賀。そうだよな!」
加賀の言う通り、結果がどうなるかは分からない。けれどもこの数十日の間に
死への抵抗を止めて酷く透明になってしまったような筒井が、
もう一度生きる意欲を取り戻し果敢に病に立ち向かってくれるなら、
それは彼の親友として応援すべきことなのだろう。

「加賀はやっぱり凄いや。オレたちの中で一番大人だよな」
ヒカルが誉めると、加賀は「へっ。よせよ」と満更でもなさそうに鼻の下を掻いてから、
ふと真顔になった。
「ま、実際オレは進藤たちより年食ってっからな。今まではオマエらの兄貴みたいなつもりで
面倒見てきたが・・・卒業したらそうもいかなくなる。今のうちにオマエらもしっかりしとけよ」
「う・・・うん。そうだよな。卒業したらみんな進路は別々だろうし」
予期していることだったが、面と向かって釘を刺されるとやはり寂しい。
夕闇の道をてくてくとしばらく無言で歩いてから、ヒカルは聞いてみることにした。
「そう言えば、まだ聞いてなかったよな。加賀は卒業したらどうするんだ?」
「オレか?オレは・・・オレも、筒井と同じでこの町を出て行く。伯父さん夫婦の養子になって
商売継ぐことになったんだ」
「ええっ!?」
思わず歩みを止めた。

415小花恋唄 ◆pGG800glzo:2008/06/24(火) 21:42:19
(86)
蒼い闇の中でも加賀の真面目な表情は見て取れる。冗談を言っているのではない。
「加賀・・・今のお父さんとお母さんの子供じゃなくなるのか?」
「ああ。親戚の伯父さん夫婦がちょっとした造り酒屋をやってるんだが子供がなくてな。
うちの兄弟の中から一人跡取りに貰って蔵継がせたいって、最近親父に頼みに来てたんだ。
それでオレが気に入られて引き取られることになったって訳だ。オレは力仕事が得意だから
卒業したら働きに出るつもりだったのに、浪人してもいいから上の学校行って
経営学をやれなんて言われるし・・・参ったぜ」
「そう・・・なんだ・・・」
加賀の家は男兄弟が多く、喧嘩もするが仲のいい家族という印象だった。
本人は飽くまで軽い語り口だが、たった一人家を後にするその胸中はどうなのだろう。
「・・・・・・加賀ならきっと、どこに行ってもやっていけるよ。この町を離れちゃうのは
寂しいけど・・・時々は会えるんだろ?お祭りの時に里帰りしたりして」
しばらくの間答えずに草笛を唇の端で弄んでいた加賀は、やがて「うぅん・・・」と唸った。
「最初の数年は無理かもしれねェ。向こうで覚えることが山程あるだろうし、
遠い土地なんだ。米と酒が美味くて、日本海が見えて、冬には雪がどっさり降るんだと。
・・・でも弟たちの顔も見たいしな。すぐには無理でも必ずいつかこっちに戻ってくる。
そしたらその時は、三谷と元気になった筒井も一緒に、みんなで飯でも食おうぜ」

――少し前まで思いもしなかった。
四人の仲間で冒険に胸躍らせる少年の日々が、永遠に続くような気がしていた。
けれど筒井はもうすぐこの町を去り、加賀もやがて遠い土地に旅立ってゆく。
――オレは?
自分はどうなのだろう。ずっとこの町で、母と共に暮らし、働き、老いていくのだろうか。
帰宅後布団に入った後も変に頭が冴えていて、明け方までそんなことを考えていたら、
寝返りを打った目尻から一粒、何故とはなしに涙が零れた。
加賀が吹いていた草笛の鈍重で物悲しい音色が、夜の耳の中にいつまでもこだましていた。

416小花恋唄 ◆pGG800glzo:2008/06/24(火) 21:43:32
(87)
翌日、ヒカルはあかりの家を訪れ、預けてあった包みを受け取った。
桜草の暦からすると例の下男は今日あたりアキラのいる置屋を訪れるはずで、
彼に自分の話を信じてもらうにはアキラが客を取らされている証拠の札束を見せるのが
一番手っ取り早いと思ったのだ。
直接会って話をすればアキラを救い出す糸口がきっと開ける。
それを果たすまで、己自身の将来に対する不安や焦燥はひとまず棚上げだ。
「ありがとな、あかり。助かったぜ」
「いいよ。ヒカルが困った時は、またいつでも相談してね。・・・それと」
あかりは少しきまり悪そうに、大きな目を上目遣いにして言った。
「津田さんから聞いたの。筒井さんのこと。あたしったら何も知らずに大騒ぎして、
筒井さんにもヒカルにも迷惑かけちゃって馬鹿みたい。・・・・・・御免ね」
「あー・・・、いいよ。オレも昨日知って驚いたぐれェだし」
「筒井さん、頑張って治すって津田さんに約束してくれたんだって。彼女も凄く喜んでた。
療養に行ったらしばらく会えないけど、文通しようって約束したそうよ」
「そっか。・・・・・・良かった、よな」
「うん」
筒井も加賀も、新しい生活に向けて走り出そうとしている。
自分も何かしたい。何かのために若い体と若い情熱を一心に傾けて遮二無二生きてみたい。
そうして走った先にはきっと希望の地平が広がっているように思えた。
もう一度あかりに礼を告げると、飛び出したいような心地で、
ヒカルはアキラが待つ置屋へと向かった。

三月も末の昼下がり。
町外れの置屋の古びた庭は、日が落ちるまで訪れる人とてない気だるさを漂わせつつも
松は緑に、花は綻んで、新しい命が萌え出ずる春の瑞々しい輝きをきらきらと湛えていた。
「最初に来た時は、四人だったんだよな・・・」
口の中で呟いた。あれは二月半ば、まだ冬から抜け切らない低い西陽の射す頃。
加賀と筒井と三谷と自分と、ほんの軽い冒険心でこの庭に忍び込んだ。
そこであの子供のような、甘いたどたどしい歌声が流れてきたのが全ての始まり。
軽い冒険心は淡い恋を生み、恋心はやがて相手を救いたいと願う強い気持ちに変わった。

417小花恋唄 ◆pGG800glzo:2008/06/24(火) 21:45:03
(88)
いつもの格子窓の前に立ち、最初にしたのは正面に飾られた一輪挿しを確認することだった。
思ったとおり、おもちゃのような花瓶に活けられた花は萎れ切って茶色く変色している。
――つまり、まだ「アイツ」は来てねェってことだ。
ヒカルはほっと溜息をつき、改めて室内の様子を窺った。
「アキラ。・・・・・・アキラ?」
そっと呼びかけるが、返事はない。身を隠す場所とてない四畳半だ。
部屋の中にはいない・・・例の下男の訪問日ということで、身奇麗にするために
また風呂に入れられてでもいるのだろうか?
ほんのり桜色に色づいた白い裸体を瞬間的に想像してしまい、ヒカルは慌てて頭を振った。
「ま、いねェもんは仕方ねェよな。どっかに隠れてしばらく待つか」
そうして手頃な庭木の陰に屈もうとした矢先、聞き覚えのある旋律が流れてきた。

「・・・・・・アキラ・・・・・・?」
庭に面した渡り廊下に腰を下ろし、脚をぶらぶらさせながら、アキラは歌っていた。
そよ風に揺れる庭木に合わせて体を揺らし、池の中の鯉の泳ぎに首を傾げ、
陽の光を四枚の羽のおもてに受けて飛ぶ小さな蝶を物珍しげに眺めながら。
それはきっと子守歌なのだ。
世界中に存在する、悲しみを胸に抱え持つ全ての者を優しく癒し、包み、眠らせるような。
「アキラ」
庭木の陰から出てもう一度小声で呼ぶと、アキラはこちらに気づきぱっと表情を明るくした。
腰掛けていた渡り廊下からぴょんと飛び降り、不慣れな足取りで駆けてきて、
石に躓き前のめりになる。
「わっ――」
危ない、咄嗟に抱き止めたが自らも平衡を保てなくなり、二人して庭木の茂みに倒れ込んだ。
「つっ・・・あ、危なかった・・・。よく見たらオマエ裸足じゃねェか。部屋を抜け出したのか?」
「あー。あー」
ヒカルに助けられたことを知ってか知らずか、アキラはにこにこと嬉しそうにしている。
陽に透けるヒカルの金色の前髪を指に絡めたり引っ張ったりして満足気だ。
「てっ、痛っ。ったく、仕方ねェなぁ・・・オマエはもう・・・」
苦笑しながらも、初めて格子窓に隔てられずこうして触れ合っていることが嬉しくて、
ぎゅっとアキラを抱き締めた。

418裏失楽園:2008/06/24(火) 22:45:25
>417 こんばんは!
久しぶりにまた読めて嬉しいです。

419 ◆pGG800glzo:2008/06/26(木) 00:55:55
>418
裏失たん来てたー!!お久しぶりです(;´Д`)ハァハァ
気が向いたら裏失楽園の続きも読ませてくだせえ。
エロカッコイイ兄貴とヒカルとアキラたんの緊張感ある関係に
また(;´Д`)ハラハラしたいっす!!

420 ◆pGG800glzo:2008/08/11(月) 23:57:07
以下、アキラたんとヒカル&ヤシロの3P展開につき
かわいそう(?)なアキラたんを見たくないヤシはスルー頼んます。

421戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/11(月) 23:58:03
(93)
「・・・・・・証拠?」
アキラは訝るように問い返してきた。きっと彼には想像もつかないのだろう。
たった今自分の中に、一点の染みのように黒く生じた、下衆な企みなど。
一瞬だけヒカルは躊躇った。――今ならまだ引き返せる。
だが見えない破滅的な力に衝き動かされるように、どす黒い感情は勝手に言葉となって
舌の上を躍り出た。
「初日の夜にオレを突っぱねたのは、オレが嫌だったからじゃねェって証拠だよ。今ここで――」
そこで言葉を切り、傍らで眠りこけている社を見遣ってゴクリと唾を飲み込もうとしたが、
口内にはもう一滴の潤いも残っておらず、乾いた痛みだけを呑み下した。
「――今ここで、オレにヤらせろよ。そしたら、オマエのしたこと許してやる」
ヒカルの発する一語一語を注意深い顔つきで聞いていたアキラが、ぴくりと目を見開いた。

ひりつくような沈黙の後、整った唇から、やっとのことで反応の言葉が返ってきた。
「――・・・馬鹿な」
「何が馬鹿なんだよ?」
「そんな真似、出来るわけがない!この部屋には社もいるんだぞ?彼が目を覚ましたら・・・」
「酒飲んで、鼾かいて寝てんだ。ちょっとやそっとじゃ、起きねェよ」
「し、しかし――」
「さっきオマエ、オレの気が済むまで謝るって言ったじゃねーか。あれ、嘘かよ?
そう・・・もしオマエが今ここでオレの言う事聞いてくれるんだったら、全部許して・・・
――社にはオレとの『関係』、秘密にしといてやってもいいんだぜ?」
今度こそ、電撃に撃たれたようにアキラの全ての動きが止まった。
強張った黒い目の底にある感情は怒りなのか非難なのか、苦痛なのか軽蔑なのか懇願なのか――
こっちだってもう頭の中は滅茶苦茶で、何も分からない。
「塔矢」
低く叫んでヒカルはアキラの体を抱え込んだ。そのまま上衣の裾から手を滑り込ませ、
指に馴染みのある滑らかな膚を撫でさすりつつ、耳元で囁く。
「なぁ、いいだろ?・・・それで全部、何事もなかったみてェに上手くいくんだ」
いつもそうしているように、上方の小さな突起を指先でつまみ上げ優しく押し揉んでやると、
アキラの喉から快楽とも絶望ともつかない喘ぎが洩れた。

422戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/11(月) 23:58:59
(94)
どのような状況下であれ、一度でも劣情の炎に灼かれたことのある身体に再び火を点すのは
困難なことではない。
下のほうに燻っている燠火をくすぐって燃え立たせてやれば良いのだ。
ヒカルの巧みな誘導によって、アキラの燠火もすぐ燃え上がった。
「――塔矢オマエ、いつもより感度いいんじゃねェ?興奮してんだろ」
「そ、そんなことっ、・・・んっ・・・っはぁ・・・はぁ・・・っ!」
「ンなこと言って、息上がってるじゃん。誰も信じねェぜ?オマエのこんな姿見たらさ」
「ふぅっ・・・!あ、はぁっ・・・・・・!」
部屋の片隅に共通の友人を寝かせたまま、声を殺しての遣り取り。
アキラの衣類をずらして乳首から膝までを大きく露出させながら、ヒカルもまた、
一種非日常の興奮が自らの神経を鋭く尖らせていることに気づかないわけにはいかなかった。
普段なら気に留めることもない衣擦れの音や、アキラの髪先が畳の表面をかする音。
喉から胸にかけて薄い皮膚の下にはっきり読み取れる鼓動と、熱く潤んだ表情。
何もかもがまるで普段のセックスを十倍にも凝縮したように、濃密で、鮮やかで、淫猥だった。

「進藤・・・っ、早く・・・ッ」
ろくに湿らせてもいない指で内部を穿たれる異物感に眉を顰めながら、
アキラがヒカルのTシャツの腹の部分を引っ張り、ハーフパンツの紐をほどこうとする。
紐を押さえ、ヒカルは苦笑した。
「おい、もうかよ。まだちょっと早いんじゃねェか?」
「の、のんびり・・・しているわけにも、いかない・・・だろうっ。こんな状況、で・・・」
確かに・・・。
時に高く時に低く、鼾を立てて眠りこけている社のほうにヒカルはちらりと目を遣った。
ついさっきアキラに想いを打ち明け、受け入れられた――ヒカルはその場面を確と目撃した
わけではないけれども、あの様子では恐らくそういうことなのだろう――幸せな友人。
彼にこの状況を気づかれないためには、彼が目を覚まさぬうちに事を済ませることが肝要だ。
ヒカルはにやりと笑みを浮かべた。
「――いいぜ、塔矢。今すぐ挿れてやるよ」
アキラはほっとした表情で、膝下辺りに蟠っていた衣類をもどかしげに自ら脱ぎ捨て、
自由になった長い脚をヒカルの腰に絡みつけてきた。

423戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:00:37
(95)
「――はぁっ、はぁっ・・・進藤・・・進藤・・・っ!」
悲鳴交じりの荒い息で自分の名を連呼するアキラに、嗜虐に似た興奮を覚える。
今この時にアキラが見せる表情のどんな小さな瞬間も見逃さないよう、目を凝らしながら、
ヒカルはアキラの奥に向かって腰を打ちつけ続けた。
十分に慣らす時間がなかったため潤いの足りなかった内部は、当初、締めつけが強いばかりで
動くと痛いぐらいだったが、やがてヒカル自身の先端から滲み出るものの働きにより、
無味乾燥な摩擦感は脳髄を蕩かす快感に変わった。
「っ・・・、塔矢・・・」
「進藤・・・しんどう・・・っ!」
うわ言のように自分の名を呼ぶアキラを体の下で揺すぶりながら、
一瞬、何もかもを許してやってもいいような気分になった。
たとえどんなすれ違いがあったにせよ、たった今、自分とアキラはこんなにも一つだというのに、
他の人間が間に入り込む余地などあるだろうか。
自分はもしかすると、ありもしない危機に怯えていただけなのではないか。
熱に浮かされたようなアキラの表情、いつも端然と結ばれているその唇は
絶え間なく洩れる熱い吐息のため乾き切って、すんなり伸びた脚は貪欲にヒカルの腰にしがみつき、
結合部からはぬちゃぬちゃと粘着質な音が弾けている。
こんな淫らな顔をアキラが見せるのはこの世に自分一人で、
こんな淫らな音をアキラが聞かせるのもこの世に自分一人で、
それだけでもう何も不満に感じる理由などないのではないだろうか。

だが、予期せぬ出来事が起きた。
部屋の隅に寝かされていた社が寝返りを打ち、呟いたのだ。
「ん・・・うぅん・・・・・・とーや・・・・・・」
「・・・・・・!」
その瞬間アキラの表情に起こった変化は、ヒカルの網膜に痛みと共に焼きついた。
それまで一心にヒカルを見つめていた両の目がゆっくりと閉じてゆき、眉と口とが切なげに歪む。
それに伴い、ヒカルを締めつける内部の収縮は一層激しくなり、ぴくぴくと忙しない痙攣を始めた。
「・・・あ・・・あっ・・・うぅっ・・・!」
――ふざけんなよ。オレを見もしねェまま、勝手にイきそうになってんじゃねェよ。
絶頂へ向けてアキラが昇りつめようとした矢先、
ゴトリと大きな音が響いた。

424戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:01:47
(96)
しばらくの間、アキラは何が起こったのか理解していないようだった。
たった今耳に届いた音を怪しむかのように瞼を薄く開き、曖昧に視線を彷徨わせる。
だがその表情はまだ現と夢の間を漂い、ヒカルと繋がったままの部分は、
中断された刺激を求めてきつくヒクついている。
「・・・どーした?」
殊更に優しい声で囁きながら、腰を前後に軽く揺さぶって中を擦ってやると、
アキラは再び喘ぎの形に唇を開いて、ヒカルの背骨の上でしっかりと脚を組み直し、
揺すられる動きに腰を合わせ始めた。
――数十秒後、ふと部屋の片隅に投げられた視線が、あるものを捉えてしまうまでは。

快楽の熱でとろとろに蕩けていたアキラの表情が瞬時に凍りつく。
視線の先には倒れた日本酒の壜。
さっきまできちんと立っていたはずのそれが卓袱台の上に横たわっているということは、
先程響いたあの不吉な音が、夢や幻聴などではなく現実だったことを示している。
そしてそのような音が室内に響き渡ったことによる当然の結果として、
倒れた壜の向こうに――
驚愕と衝撃に見開かれた二つの目があった。
「・・・進藤・・・、・・・・・・とう・・・や・・・・・・?」

ひゅ、と息を吸い込む音がよじれた。
注がれる視線から逃れようとしてなのか反射的に翳されたアキラの両手を畳の上に押さえ込み、
自由を奪う。
アキラは喘ぎながら顔を背けた。その耳に唇を近づけ、目線はもう一人の男に送りながら囁く。
「・・・塔矢ァ、どーした?おまえギャラリーには強いほうだったじゃん。
あいつオレたちのこと、穴の空くほど見てるぜ。ちゃんと見せてやれよ。オマエの一番イイ顔を」
言うなり、細い顎を掴んで無理やり彼のほうを向かせ、もう片方の腕でアキラの腰を抱え上げる。
深々と繋がった結合部を見せつけるように。
「オラッ塔矢、しっかりしろよ!さっきみたいにヤラシク、腰振ってみせろ!――社の前で!!」
「あっ、ああっ、しんど、進藤、やめっ・・・あ、やァッ、あぁぁぁあッ!!」
今までにないほど激しい動きでアキラの奥を突き、次第にその間隔を小刻みに詰めてゆき、
やがてアキラの体が大きく弓なりに反った瞬間、ヒカルはアキラの最奥めがけて欲望を打ち放った。

425戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:02:53
(97)
二人同時に果てた後もなお、ヒカルを押し包む弾力性に富んだ粘膜は
ビクンビクンと物欲しげに蠢いていた。
その動きに促されて、最後の一滴まで余すことなく注ぎ込み、漸く息を吐く。
結合部がよく見えるよう肩に掛けたアキラの脚が、急に重たく感じられた。
邪魔そうにその脚を外し、腰を引くと、
汗ばんだ白い双丘の間に肉色の秘孔がぽっかりと口を開け、だらしない涎を垂らしている。
その涎のひとしずくを指先に絡め取りながら、聞こえよがしにヒカルは言った。
「あ〜あ、こんなにしちまって!畳汚しちゃったから、後で拭かなきゃな。
でも、こっちに派手に飛び散ってるのは塔矢が出した分だぜ。そんなに気持ち良かったか?
オマエの穴、まだヒクヒク言ってっけど」
アキラは答えない。両手で顔を覆った下から、嗚咽のような音だけが微かに洩れ聞こえてくる。

言葉を失って固まっていた男が、やっとのことで声を発した。
「・・・・・・な・・・・・・何しとんのや、二人とも。悪い冗談・・・」
「冗談でこんなことするかよ。社、オマエも今見てただろ。塔矢はオレとこーいう関係なんだよ」
「か、関係て」
「だから――オレがヤりたい時は塔矢が挿れさせてくれるし、
塔矢がヤりたい時はオレが挿れてやる。そーいう関係。別に驚くことじゃねェだろ?
オマエだって塔矢とこういうことしてェから、さっきコイツに告ってたんだろ」
「・・・・・・!!」
顔に朱を上らせた社の顔を見て、自分の考えが邪推ではなかったことを確信する。
今まで他人に対してこんな残酷な気持ちになったことはなかった。
自分でも驚くほどの無感情な声で、ヒカルは告げた。
「ちょうどいいや。社、オマエもこっち来いよ。塔矢と一発、ヤらせてやるよ」
顔を覆っていたアキラの両手がぴくりと動く。社は一瞬呆気に取られた後、
顔を真っ赤にして取り乱した。
「な、なっ・・・・・・何ゆうとんのや!!そ、そないなこと、オレはっ・・・!」
「塔矢が社にどんな風に言ってたのか知らねェけど――どうせオレとのことは隠して、
都合のいいように言ってたんじゃねェのか?だけど社が眠ってれば、
それをいいことに同じ部屋でオレと今みたいなことをする。そういうヤツなんだよ。
だからオレたちに何されたって文句は言えねェんだ。――なぁ、塔矢?」
問いかけに対して、無論答えはなかった。

426戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:04:19
(98)
社は膝立ちになり、強張った表情でアキラを見下ろしている。
揺れる視線、言葉を探すように開いては閉じる唇から、心の動揺ははっきりと見て取れる。
とどめの一押しと、ヒカルは声に力を込めた。
「まだ分かんねェのか、社。オレもオマエも、こいつに騙されたんだよ。
両方にいい顔して、両方とも自分の好きな時に遊べるオモチャにしようとしたんだ。
だけど、どうせ塔矢がオレともオマエともこーいうことするつもりなら、
今ここでオレたち二人が同時にヤったっておんなじことだろ!!」

ドクンと一つ、社の心臓が大きく鼓動を打ったのがわかった。
膝立ちの姿勢から緩慢な動作で立ち上がり、ヒカルがアキラを組み敷いている場所に近づいてくる。
ヒカルは薄く笑うと、黒髪を乱れさせているアキラの頭の脇へ移動し、
顔を覆っていた手を頭上で束ね合わせるようにして押さえ付けた。
その間アキラは全くの無抵抗だったが、顔を隠すものがなくなった瞬間だけ小さく息を呑み、
横を向いた。
乳首の上辺りにくしゃくしゃになった衣類が僅かに引っ掛かっているだけで、
そこから下は一糸纏わぬアキラの裸身が、社の前に曝される。
しどけなく開いたままの脚、先程の情事の跡がまだ濃厚に残る白い膚――
しかしこの期に及んでも、社はなかなか行動を起こそうとはしない。
何をやっているのかとヒカルが目を遣ると、社の表情には明らかに迷いの色があった。
想いを寄せていた相手の無防備な姿が目の前にあって、そうしようと思えばすぐにでも
意のままにできる状況でありながら、彼はまだ何かを待っている。
恐らくはアキラの言葉を。
他の人間に何を言われようと、たとえどんな酷い裏切りを受けようとも、
アキラが弁解したなら、或いは一言「やめろ」と言ったなら、
この男はきっとそれ以上踏み出そうとはしないのに違いない。
――だがアキラは何も言わなかった。
逡巡と欲望のせめぎ合いの果て、社は一瞬だけ悲しそうな顔をして、
嗚咽に似た呻き声を洩らしながらアキラの身体にむしゃぶりついていった。

427戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:05:10
(99)

――何をしてるんだろう。なんでオレ、こんなことやってるんだろう。
そんな思いがぐるぐると濁流のように渦巻く。
アキラの両手首を押さえ付けるヒカルの目の前で、社はアキラを抱き、
その間ずっとアキラは声一つあげずに目を閉じていた。
狂気に駆り立てられた時は過ぎていき、やがてアキラの名を呼びながら達した社が、
我に返ったように汗に濡れた顔でアキラを見つめた時、
ヒカルは胸の奥からせり上がってくるものをこらえ切れなくなって部屋を飛び出した。

暗い廊下をよろめきながら突っ切り、一番手近な密室であるトイレに駆け込む。
そこでヒカルは、気道を圧迫して息をできなくさせている不安と不快の塊のようなものを
吐き出そうとした。
しかし何度えずいても、喉からは透明な唾液と苦い胃液とが唇を伝い溢れ落ちるばかりで、
不快な塊は無くなってくれない。
罰が当たったのだとヒカルは思った。
自分を裏切ったアキラに意趣返しをするために、あんな酷いことをしたから、
こんな苦しい塊が胸の奥に出来たのだ。
この苦しさは一生消えてなくならないのかもしれない。
でもそれも、自分が二人にしたことを思えば当然だ。
ヒカルはしゃくり上げた。するとさっきアキラが自分に酷いことを言われて嗚咽していた姿が蘇り、
頭がガンガン鳴った。
明日アキラに会った時、どんな風に声をかけたらいいのか分からなかった。
社にもどんな顔をして会ったらいいのか分からない。
ぐちゃぐちゃになった頭で辛うじて理解できるのは、
アキラと社の間に育ちつつあった信頼関係に対し自分がこれ以上ないほど深い傷を負わせたことと、
この数日間アキラと社と三人で過ごした素晴らしい時間は、
もう二度と返って来ないのだということだけだった。

へたへたと、ヒカルは扉を背にして座り込んだ。
――あの花火から後、自分たち三人の間に起こったことが全部夢だったらいいのに・・・
折り畳んだ膝の上に顔を伏せると、夢の中に落ちて行けそうな気がした。
身も心も疲れ切っていたヒカルは、いつしかそのまま眠ってしまった。

428戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:38:51
(100)

「・・・・・・進藤。おい進藤、だいじょぶか」
軽く頬を叩かれて気がついた。
重い瞼をぼんやり開くと、目の前に社の心配そうな顔がある。
「・・・やしろ・・・?なんでオレ・・・」
友人を見つめる自分の眼が酷く腫れぼったく感じられるのを訝しんで、
何度か強く瞬きをした。
固い壁と床に当たっていた足腰が痛い。
睫毛の縁が何かに濡れたように冷たく、目元と頬には軽く引き攣れるような感触があった。
喉の奥に、胃液の苦味が微かに残っている。
それでヒカルは全てを思い出した。

「・・・・・・っ!!」
目を見開く。何か言いたかったが、口が動かなかった。
石になってしまったように両膝を抱えて、目の前の友人を見つめていた。
だが社は必要以上に言葉を費すことはせず、にこりと小さく笑った。
「・・・良かった。便所の外からドア叩いてみたけど反応あらへんし、
さっき酒も飲んだから、中で倒れてたりしたらどないしょ思って・・・」
何かを問いかけるようなヒカルの大きな目に少し困った表情を返して、
社は手を差し延べた。
「ほれ。・・・・・・立てるか?」
途端、枯れきったと思っていた眼の奥から鈍い痛みが押し寄せてきた。
痛みは熱となり、熱は目の縁から溢れて、後から後から頬を伝い落ちる。
「うっ・・・うぇっ・・・ぐっう、うぇぇっ・・・!!」
みっともないと思うぐらい嗚咽が止まらなかった。
ちゃんと言葉にして謝らなければと思えば思うほど、涙が噴き出してくる。
全身でしゃくり上げるヒカルの頭をあやすように叩いて、社が言った。
「うん。進藤。・・・・・・堪忍な。・・・・・・ホンマ、堪忍や。御免なあ」
――何を謝ることなんかあるんだよ。酷いことしたのはオレなのに。
社に、塔矢に、酷いことをした。一生謝っても足りないぐらい酷いことをした・・・
自分を気遣ってくれる社の優しさが、ヒカルには却って苦しかった。

429戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:40:13
(101)
心配そうな社を先に帰して、洗面所で顔を拭ってから部屋に戻った。
気は進まなかったが、荷物も何もかも全部あそこに置いてあるのだし、
こんな時間に外に出て行て行ったりしたら却って二人に気を遣わせるだろう。
小さな赤い電球一つに照らされた室内には、既に布団が二つ敷かれて、
三つ目の布団に社がせっせとシーツを被せているところだった。
既に敷かれた布団の片方から、見覚えのある艶やかな黒髪が覗いていることに気づいたヒカルは
それ以上歩を進めるのを一瞬躊躇ったが、社が口に人差し指を当てつつ
真ん中の布団に行くようヒカルに促したので、足音を忍ばせ、言われた通りにした。
隣の布団に恐る恐る目を遣ると、アキラは掛け布団を頭まで被って
静かな寝息を立てているようだ。
乾き切っていない濡れ髪の甘い匂いが微かに漂っているところを見ると、
ヒカルが眠りに落ちている間に一度、風呂に入って身を清めたのかもしれない。

「・・・塔矢を一人にすんのも心配やし、今夜はこーして三人で寝るのが一番いいと思ったんや。
オレたちももう寝よ」
自分の布団を設えた社が小声で言い、ヒカルも頷いた。
電気が消され、布団に潜り込む音が少しの間ガサガサと響き、静寂が訪れる。
目を閉じても眠れなかった。
社にも、眠っているアキラにも気づかれないように、
ヒカルは隣の布団からほんの端っこだけはみ出しているアキラの黒髪を眺めた。
しっとりとした匂いを放つ美しいそれに指を伸ばして触れてみたかったけれど、
今の自分にそんなことが出来るはずもない。
明日の朝を迎えれば二度とアキラに手を触れることも、
口を利くことも出来なくなってしまうかもしれない。
だからせめて今夜は目の前にあるこの黒髪を、
自分にまだ見つめることが許されているアキラの一部を、
このまま夜明けまで眠らずに眺めていようと思った。

430戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:41:15
(102)
背中側の布団から小さな声が呼びかけた。
「・・・・・・進藤。進藤、まだ起きとるか」
黙っていると、声はそのまま続けた。
「・・・寝とるならそのままでええ。オレが一人言言いたいだけやから、夢ん中で聞いてくれ。
そやなぁ、何から話そ・・・東京から電話がかかってきて、塔矢にこの研究会に誘われた時、
オレほんまに嬉しかってん」
――社は何を話そうとしているのだろう。
寝たふりをしたまま、ヒカルは背中に神経を集中させた。

考え考えという調子で、間を置きながら社は続けた。
「もうバレバレやろォけど・・・オレ、塔矢のことが好きや。北斗杯の時から、
いやきっと、初めて見た時から好きになってたんやと思う。塔矢は強くて・・・
女みたいな顔してる癖に、碁盤の上でも碁盤の外でも、ほんまムカつくぐらい強い奴で。
塔矢のそういうとこ、反発したくなる時もあったけど、憧れてた。せやから・・・
研究会に参加したらまた塔矢と会える思て、オレ、柄にもなくドキドキして、
電話もらってから東京着くまで、ずーっと何にも手に付かんとドキドキしっ放しやった」
――わかっていた。社がどれだけ純粋にアキラを想っているか。
そしてアキラがどれだけ社に惹かれているかも。
アキラを一番側で見つめてきた自分は、痛いほどわかっていた。
わかっていたのに・・・
心臓が錐を捩じ込まれたように痛んで、ヒカルは我知らず眉を寄せた。
社の声は穏やかに続いた。
「・・・・・・けど、オレが東京に来たのはソレばっかのためやない。塔矢や進藤とまた打てる、
北斗杯の時みたいにもう一遍三人で碁漬けの時間を持てるんやて、それが一番楽しみやった。
ここに来てからの時間は楽しくて・・・碁を打ってる時間もそうじゃない時間も、
ホンマに全部楽しくて・・・夢みたいで・・・。塔矢といられるのも勿論幸せやったけど、
進藤と打ったり話したりする時間も、無茶苦茶楽しかった。
あぁ進藤てこんなトコもあるんやとか、こういうトコはオレと似とるとか。
そういう風に感じることがたくさんあったんや。・・・・・・せやから」
一旦言葉を切って息をついてから、ぽつりと一言。
「同じ相手を好きになんのも当然やと思った」

431戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:42:18
(103)
布団に横たわったままヒカルはぎゅっと拳を握り、目を閉じた。
自分がアキラと社の想いに気づいたように、社も自分の想いに気づいていたに違いない。
この数日間同じ屋根の下で、互いが互いの視線の先にあるものを知りながら、
それを口にするのを避けていた。
三人で過ごす、この楽しい夢のような一時を壊したくなかったから。
一つ何かを間違えば、たちどころに均衡を失い崩れてしまうだろうこの生活を
それでも守り抜きたいと、誰もが願っていたから。
けれども皆が自身の想いを押し殺してまで保とうとしたその素晴らしい時間は、
最後の夜に崩壊したのだ。・・・最悪の形で。

逡巡するような間を置いてから、社が再び切り出した。
「・・・・・・進藤は・・・塔矢とオレが二人でいた時の会話、聞いてたんやったな。
でも多分、全部は聞いてへんのやろ。だから少し誤解しとんのやと思う」
――誤解?
ヒカルは薄く目を開いた。
確かにあの時、二人の会話を最初から全て聞いたわけではない。
だが、誤解も何も、自分があの時見た光景。
社がアキラを抱き締め、アキラもそれを拒まなかった。それが全てではないのか?
だからこそ――だからこそ自分は絶望し、怒りに任せ、アキラを傷つけてやろうと思ったのだ。

背後で社の声が躊躇いがちに告げた。
「あん時、オレが塔矢に自分の気持ち伝えたんはホントのことや。
アンタのことが好きやて、そう言うた。・・・・・・けど、本当言うと塔矢はあん時、
OKしてくれたわけやないんや。も少し考えさせて欲しい、て。
オレのこと気になっとるけど、自分には他にも好きな相手がいるから、今は答え出されへん。
ちゃんと答えを出せるのは何年も先になるかも分からへんし、
その時どっちを選ぶか約束も出来ひんけど、それでもエエなら待ってて欲しい、て。
そういう返事やったんや。・・・その相手ゆうのが誰なのか塔矢は教えてくれんかったけど、
オレには進藤のことやて、何となくわかってた。せやからオレ、いつまででも待つて、
その間に碁の腕磨いて、塔矢に認めてもらえる男になれるよう頑張るて、そう答えたんや」

432戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:43:11
(104)
ヒカルは一言も声を発さなかった。
声を発さないまま、頬は涙で濡れていた。
「――この数日のこと、オレ一生忘れへん」
言い切った社の声にはきっぱりとした響きがあった。
「何年か何十年か後、塔矢がたとえ誰を選んだとしても・・・
この家で塔矢と、進藤と暮らした数日はオレが今まで生きた中で一番大切な思い出で、
それはオレが死ぬまで一生変わらへん。だから・・・・・・ありがとう。
二人とも、ほんまに感謝してる。・・・・・・ってことをな。一人言で言っときたかったんや」
最後に照れ隠しのように付け加えて、ゴソゴソ布団を被り直す音が響いたかと思うと、
それきり社の布団からは規則正しい吐息しか聞こえなくなった。
ヒカルは声を立てないように泣いた。
目の前の布団から覗いているアキラの髪は、ヒカルが見ている間夜明けまで一度も、
僅かたりとも動くことはなかった。
もしかしたら、アキラもあの時泣いていたのかもしれないと後で思った。

433戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:44:06
(105)
一晩中起きているつもりだったのに、やはり疲れが一気に来たのだろう。
薄青い明け方の光が障子から差し込んできたのを感じた辺りでヒカルの意識は途切れ、
目を覚ました時はもう予定の起床時刻を一時間以上も過ぎていた。
「げっ。ヤベッ」
両隣の布団は既に畳まれて、部屋の隅に寄せられている。
慌てて廊下に出て隣室を覗くと、障子いっぱいの白い光に満たされた室内で、
アキラと社が碁盤を挟み向かい合っているところだった。
無意識にヒカルの足は碁盤の脇に向かった。
ヒカルが傍らに腰を下ろしても、アキラと社の視線は動かない。
ヒカルも二人の顔を見てはいなかった。
誰も言葉を発さず、それでいて三人の心が真っ直ぐ一つの場所に向いていることを
三人ともが知っていた。
それは今自分たちが囲んでいる、碁盤の上だ。
きっとこの先何があっても――
たとえ修復不能なほどに互いの関係が壊れてしまう日が来たとしても。
自分たちは必ずこうしてまた帰ってきてしまうのだろう。
自分たちが出会うきっかけとなった、全ての始まりである十九路の交差の上へ。
そのために、幾度同じ過ちを繰り返し傷つけ合ったとしても。
一手一手噛み締めるように目の前で紡がれていく対局を見つめながら、
ヒカルの胸をそんな予感がよぎった。

434戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:45:30
(106)
終局後、アキラがヒカルを振り向き「おはよう」と言った。
ヒカルも「おはよう」と返し、そのまま三人で短めの検討をした。
それから、数日間世話になったこの家の碁盤を綺麗に拭き、碁石を洗って、元の位置に収め直す。
「ああ、今日も暑くなりそうだね・・・」
窓を開けて新しい空気を入れながら、照りつける夏の日に眩しげに手を翳してアキラが呟いた。

最後の朝食と後片付けを済ませ、ヒカルと社が荷物をまとめ終わると、三人で家を出た。
玄関を出る時、アキラの白い指が旧式の鍵のツマミを回し、
ゼンマイのおもちゃのような音を立てるのを、不思議と懐かしいような気持ちで眺めた。
この数日間に目に馴染んでしまった風景の中を駅まで辿り、改札を過ぎ、電車に乗り込む。
流れ行く車窓を眺めながら、互いにぽつりぽつりと他愛もない話を交わした。

新幹線のホームに着くまであっという間だった。
ヒカルとアキラは途中で買った東京土産と弁当を社に渡した。
「おおきに」
社は二人から渡された紙袋を両手に掲げて見つめ、はにかむように唇の端を上げた。
到着案内のアナウンスが流れ、新大阪行きの新幹線がホームに滑り込んでくる。
ドアが開き、乗り降りする人の波が忙しなく動き始めた。
「ほなオレ、そろそろ行くわ。ホンマ、ありがとうな、見送りまでしてくれて。
大阪に戻っても、オレぎょうさん碁を打って、二人に負けないぐらい強なってみせる。約束する」
「ああ。オレたちだって負けねェ!なっ、塔矢。・・・・・・塔矢?」
アキラは無言で俯いていた。
切り揃えられた髪が端正な横顔の目元と頬に陰を作って、表情が見えない。
「塔矢・・・」
社の声が揺らいだ。
発車時刻が近づいたことを告げるベルの音がけたたましく鳴り響く。
ドアに背を向け、社がアキラのほうへ吸い寄せられるように進もうとしたその時、
すっと白い手が差し出された。
社が見つめる。陰を払ったアキラの瞳が、真っ直ぐに社を見つめ返す。
そこだけ時が止まったように、一瞬視線が交じり合った。
「・・・・・・おお!」
鳴り響くベルの中、最後にアキラとしっかり握手を交わして、社は大阪へと発って行った。

435戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:46:28
(107)

――そうあれは、もう過ぎ去った夏の盛りの出来事。
社が東京を去った後、ヒカルとアキラの間にはほとんど元通りと言っていいような
日常が帰ってきた。
ほんの少しの疚しさと痛みを、日常の顔の後ろに隠したまま。
あの夜起こった一連の出来事については、互いを責めることもなかったし
普段の会話に上すこともなかった。
それでも時折、真夏の熱に悪酔いしたようなあの夜の昂りがぶり返して
ヒカルを残酷な遊びに駆り立てる。
「し、進藤・・・んぅッ・・・!イヤだっ、あっ・・・あっ・・・!」
「んっ・・・、ンなこと言って・・・ぐいぐい締め付けてきてんじゃねェよ・・・っ、
ホントはオマエ、あの夜のこと思い出しながらすんの、大好きだってバレてんだよっ・・・!」
綺麗に畳まれた夜の布団が崩れそうに揺れて、
上気したアキラの肌から立ち昇るのは、あの夜と同じ仄かな火薬と煙の匂い。
荒い息をつきながらアキラの奥を穿つたび、己が精と共に、
この胸の底に鬱積したアキラへの愛憎も一緒に放ってしまえれば良いのにと思う。
そうしてアキラのことを忘れ去ってしまえば、いつかアキラが他の相手を選んだとしても
胸の痛みとは無縁でいられるのだから。
だが実際は、体を重ねれば重ねるほど苦しさも欲も募るばかりで、
アキラの体を意のままにすればするほど、心まで全て欲しくなる。
大阪に帰った社は、アキラの側にいられないせいで苦しい思いをすることもあるのだろうが、
アキラの側にいるヒカルには、側にいるがゆえの苦しみがあった。

限界が近づいた時、ヒカルの目の裏には、あの夜見た花火の光景が蘇った。
ヒカルと社、二人の花火に挟まれて灼かれ、鮮やかに花開いたアキラの花火。
三人の熱が溶け合うばかりに交じり合い、ただ一時だけ実現したあの混交の美――
あの時の花火のように、自分たち三人もあの夜狂おしい熱を貪り合い、
境も分からなくなるほどに交じり合い、
そのまま燃え尽きて消えてしまえていたら良かったのかもしれない。
そうすればヒカルも社もアキラを失うことはなく、
アキラもヒカルと社のどちらかを失うなどという選択をしないで済んだのだ。
実はそれこそが、あの夜三人が口に出さず心の底に押し込めていた本当の望みではなかったか?

436戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:47:30
(108)

――きっと夏が来るたび、花火を見るたびこの胸をよぎるのだろう。
儚いが忘れ難い一瞬の輝き。
焼きついてしまった夏の思い出。
膚を冷やす闇の中、時季外れの炎の華の残り火に浮かされるように、
ヒカルとアキラは互いの熱を求め合った。

                             <終>

437毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:15:01
(19)

「――じゃあ、昨夜は結局、その妖しを見失ってしまったって云うのかい」
「そ。オレはそん時、別の通りを巡回してたから見てねェんだけど。
直接そいつを見た検非違使仲間の話じゃ、噂どおりに馬鹿デカくって、
山猫と牛車のあいの子みてェな格好の化け物だったらしいぜ。
でさ、その化け物が一度吼え声を立てたらしいんだけど、
それが地獄の底から轟くような物凄ェ声で、それ聞いた検非違使たちはみんな
体が竦んで身動き取れなくなっちまったんだって。
それはともかく、このお菓子美味ェな。あかり、もう一個くれよ。ホラ、賀茂も」
「いや、ボクはもう十分・・・」
口元まで菓子を近づけられた明は、丁重に手をかざして辞退した。
女房部屋の一角、冬晴れの昼下がり。
陰陽寮の仕事をこなし、帝への指導碁も終えた明は、帰宅する前の一時を
友人の近衛光たちと過ごしていた。
菓子を拒まれた光は肩を竦めて、それを自らの口に放り込む。
「ンだよ、オマエが昨夜から寝てねェ、朝もほとんど食ってねェって云うから、
オレのお菓子分けてやろうと思ったのに」
「光はさっきから食べ過ぎでしょ!んもう、折角舶来物のお菓子をいただいたから
明様と光の二人にと思って出したのに、一人でほとんど食べてるじゃない!」
頭の左右で髪を二つに結わえ、残りの髪を後ろに梳き流した女房姿の美少女が
可憐な唇を尖らせる。
光の幼馴染、あかりの君である。
日頃人と打ち解けることが少ない明だが、以前強力な蛇の妖しに取り憑かれた際、
あかりの君を通してもたらされた護符に窮地を救われたせいもあって、
最近では光と共に彼女の局でくつろぐ機会も少なくなかった。
もっとも、積極的に談笑に加わる質ではない明は、光と彼女の遠慮のない掛け合いを
少し微笑みながら見ているだけ、というのが常であったが。

438毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:16:01
(20)
「・・・いずれにせよ、その化け物に検非違使も歯が立たないという事態が続くようなら、
ボクたち陰陽師の出番かもしれないね」
明の呟きに、あかりの君との口喧嘩を止めて光が振り向く。
「・・・あのさ。聞こうと思ってたんだけど、賀茂はその化け物に心当たりとかあるのか?」
「いや?それは無いけど」
「そっか!・・・だよなァ」
ほっとしたように頷いて、新しい菓子に手を伸ばす光の態度が明には少々気になった。
形の良い眉を顰めて問い質す。
「近衛。今のはどういう意味だい?」
「え、どういうって?」
「自分で云うのもなんだけど、ボクは都の陰陽師の中では名の知れたほうだと思ってる。
普通に考えたら、一般の人よりは妖しに詳しいはずだ。・・・そのボクが、
キミの云う化け物を知らないことが意外じゃないのかい?ボクの力量はその程度だと?」
「いや、それはさ、そういう意味じゃなくて。別にオマエの力を侮った訳じゃなくて・・・
そんな目ェ吊り上げるなって。あーもうっ、メンド臭ェ奴だな、オマエは!
・・・・・・仕方ねェから話すけど、さっきの検非違使仲間の話で、
その化け物の姿を途中で見失っちまったって云ったろ」
「ああ。それが?」
明が首を傾げ黒い眸でじっと見つめると、光は云いにくそうに視線を逸らし、告げた。
「皆がその化け物を見失った場所ってのが・・・ちょうど賀茂の邸の辺りだったらしいんだ。
化け物の吼え声で金縛りに遭った検非違使たちがやっと動けるようになって、
声の聞こえたほうへ追いかけて行ったら、もうソイツの姿は何処にも見当たらなくて。
――代わりに、オマエの邸の門が閉まるのを見たんだって。
だから、ひょっとするとあれは陰陽師賀茂明が使役している式神で、
都の大路を徘徊した後、主人である賀茂の邸に帰って行ったんじゃねェかって
怯えてる奴もいた」

439毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:17:05
(21)
「主人だって?ボクがその化け物の?」
明は驚いて問い返した。しばし言葉を失った後、ゆっくりと首を振る。
「・・・馬鹿な。ボクは帝をお守りし、都とこの国の安寧を保つのが仕事だ。
そのボクが化け物を使っていたずらに都を騒がせるなんて、あり得ない」
「そうよそうよ。明様はそんなことする方じゃないわよ!
光は明様の友達なのに、そんなことを云われて黙っていたの!?」
あかりの君にも詰め寄られて、光がたじたじと手を上げる。
「わ、分かってるって!オレだって賀茂がンなことするなんて思っちゃいねェし、
みんなにもそう云ったよ!・・・たださ、知らない間に妖しに取り憑かれることだって
無いとは云えねェだろ。ついこないだも、あっただろ?・・・そういう事件」
光がボソボソと横を向いて云う。明は言葉に詰まった。
「う・・・ま、まぁそれはそうだが・・・」
明が強力な蛇の妖しに取り憑かれ、光や社の活躍によって漸く解放された事件から
まだふた月も経ってはいない。
己が心驕りをして、またあのような得体の知れぬモノに魅入られないようにと、
光は案じてくれているのだろう。

明は吊り上げていた眉を下げて、ほうと息を吐いた。
「・・・・・・わかったよ、近衛。今のところボクにそんな心当たりはないけど・・・
おかしなものを近づけないよう、身辺にはなるべく気をつけよう。
社にも、ボクの留守中に妙なものを邸に入れないよう、云っておくよ」
「うん、そうしてくれよ!そのほうがオレも安心だしさ」
ほっとしたように光が表情を和らげる。あかりの君が握り拳を作って力強く保証した。
「大丈夫よ、明様なら!なんたって都一の陰陽師様ですもの。
高麗国の太子様だって、この国には大変優れた陰陽師殿がおられるそうですね、
是非お会いしてみたいものですって、興味津々だったんだから!」
「太子様?」
明と光の声が揃った。

440毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:18:09
(22)
明は己の顔に苦い表情が浮かぶのを止めることが出来なかった。
昨夜はその太子の気紛れに振り回されて、気の張る宴に明け方まで付き合わされたのだ。
今回、明は急病になった学問僧の代役として通訳を務めたに過ぎないのだから、
今後はもうあのような席に駆り出されることはなかろうが、
たった一晩彼の傍らに侍っただけでも酷い気疲れが今日まで残っていた。
明のそんな事情を知らない光は、幼馴染の口から外つ国の貴人の名が出たことに
純粋に驚いているようである。
「あかり、オマエいつの間に太子様と話なんかしたんだよ。ってかオマエ、
高麗の言葉なんか話せたのか?」
「あら、云わなかった?太子様はとっても気さくな方で、宮中にいらした時は
私たち女房の局にもよくお見えになるの。このお菓子だって太子様が下さったのよ。
背丈が高くて素敵だし、お顔も佐為様や明様に負けないぐらいの美丈夫だって、
女房たちの間ではもう凄い人気。太子様のお付きの中にこの国の言葉を話せる
男の子がいるから、お話する時はその子を通じてするの。
女房の噂話なんて殿方にはつまらないでしょうに、太子様はこの国のことを
学びたいからって、どんな小さなことでも真剣に聞いて下さるのよ」
「へェ、そんな気さくな人なのか。そういや加賀の話でも、
お忍びで市に出かけたりして、割と庶民的なところがある太子様みたいだったなぁ」

二人の会話を聞きながら、明には少し引っ掛かることがあった。
女房の噂話に積極的に加わったり、市まで足を運んだり――だと?
古来、女を篭絡することと、人が多く集まる市へ出向くことは、
間者などがその国の情報を収集する際の常套手段である。
昨夜宴の席で、太子がふと洩らした言葉。
――オレはその霊獣を探しにこの国へ来た・・・
そして、その霊獣の毛皮を身に纏った者は、世界の王となるべき力を手にするという。
世界の王という言葉の下に、この日の本の国をも手中に収めるという意味が
隠されているのだとしたら、彼は何かとんでもない野望を秘めて、
この国にやって来たのかもしれない。
そんな考えがふとよぎり、明は背筋を冷たいもので撫でられたような心地がした。

441毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:19:14
(23)

「あんまキョロキョロよそ見してんなよ、筒井。市は人が多いんだから迷子になるぞ」
「あっ、うん。ごめん加賀」
人だかりの最後列で懸命に背伸びしていた筒井がビクンと肩を跳ね上げ、
ずり落ちた眼鏡を指で押し上げながら駆け戻ってきた。
「通りの向こうで面白そうな辻芸をやっていたから、つい見入っちゃって」
その言葉どおり、筒井が走ってきた方角からは賑やかな鐘や太鼓の音が響き、
人だかりの向こうで時折、鞠や松明らしきものが高く放り上げられているのが見える。
加賀はフンと鼻を鳴らした。
「まぁ気持ちは分からないでもねェけどよ。勤務中なんだ、気ィ引き締めな。
なんたって太子様の護衛だ。怪しい奴なんかを近づけないよう注意しねェとな」
とは云うものの――と心の中で付け足す。
もし己がスリやかっぱらい、はたまた太子の命を狙う刺客の類だったとしても、
今の状況下で犯行に及ぶ勇気だけはないだろう。
老若男女が行き交う市の雑踏の中でも、異国から来たこのみこ――
永夏太子の歩む先は、自然と人の波が開けて道が出来る。
それほどまでにこの太子は、とにかく目立っていた。
すらりと高い背丈に鮮やかな彩りの異国風の錦衣を身に纏い、
橙がかった明るい色の髪を風になびかせて、沓音も高く悠々と歩みを進めていく。
あまつさえ太子の周囲には、五色の糸で作った日除けのきぬがさを差しかける小者やら、
太子が国から連れてきた従者やら、加賀たちを含む検非違使の集団やらが
ぞろぞろと二十人ばかりもついて歩いているのだ。
埃っぽい市の風景に似つかわしくない珍客の訪れに、彼らを取り巻く京の人々が
皆一様に呆気に取られた顔をしているのも無理からぬことと云えよう。

442毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:20:25
(24)
「ったく、人騒がせな・・・市で欲しい物があるなら、従者に買って来させりゃ
いいじゃねェか。毎回オレたちまで護衛に狩り出されてよ」
加賀、筒井と並んで歩いていた三谷が小声で毒づく。
「しっ。そんなこと云って、聞こえるよ、三谷」
「だって、オレは今日非番だったんだぜ?なのにこの任務のせいでさ・・・」
加賀がニヤリと笑って冷やかした。
「三谷、オマエが非番の日にすることっつったら、惚れた女に碁を教わりに
行くことぐらいじゃねェか。ホラ、確かあの・・・かねこの君とか云ったか?
やめとけやめとけ。相手は都でも評判の才女で絶世の美女なんだろ?
オメーみてーなガキ、相手にされるワケないって」
「な、何だと!あの人はそんな情けを知らぬ御方ではない!い、いや違う、
オレはそんな不純な気持ちであの人の所を訪れているわけじゃ・・・!」
他愛もない言い合いの最中に、加賀の鍛え上げた検非違使としての本能が、
空中に弧を描いて飛んでくる「それ」を逃さず察知した。

「はぁッ!!」
白刃一閃、太子の前に躍り出た加賀が刀を振り下ろすと、
ぶつりと何かが切れる音がして、バラバラと細かい物が地面に降り注いだ。
「・・・・・・!」
空気が一瞬にして凍りつく。
従者たちと検非違使が一斉に刀を抜き、太子を守るように円陣を組んで身構えると
彼らを見物していた群衆の間にもサッと緊張が走った。
そんな中、ひしめき合う人々の中から一人の少女がまろび出た。
黒い髪を短く切って、肩や袖には継ぎを当てた、貧しげな身なりの少女である。
少女は地面に散らばった物を一目見ると泣き出しそうな声をあげた。
「あぁっ!私のお手玉が・・・」
「お手玉?」
よく見れば、地面に散らばった細かな物は古びた豆や雑穀の類で、
傍らには見事真っ二つに裂けた襤褸布が落ちている。
どうやら加賀が斬ったのは、この少女が手元を誤り飛ばしてしまったお手玉だったらしい。

443毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:21:18
(25)
『貴様!太子に向かってこんな汚い物を投げつけ、行く手を遮るとは無礼千万!』
太子の連れの従者の一人が、激昂して少女に刀を向ける。
「えっ・・・あ、ああぁっ!ご、ごめんなさい!・・・」
事態を理解した少女が目を大きく見開き、悲しみと恐怖に顔を歪ませる。
『ええい、子供だとて容赦はせん!斬り捨ててくれる!』
従者が刀を振り上げ、誰もがハッと息を飲んで目を覆った瞬間、
――まずい!
考えるより先に加賀の身体は飛び出していた。
従者の刀を、少女の命ではなく己が刀で受け止めるべく、
加賀は頭上に愛刀を真一文字にかざし持ち、襲い来るはずの斬撃を待った。

――が、それはいつまで待てどやって来なかった。
目の前では従者が刀を振りかざした体勢のまま、血の気の引いた顔で固まっていた。
刀を握り締めるその従者の手首を、背後からがっちりと片手で捉えていたのは――
永夏太子その人である。
愛撫のような囁きが太子の艶やかな唇から洩れた。
『――オレがこの国へ来た目的を忘れたのか?こんな所で悪評を立て、
オレの計画を台無しにするつもりか?・・・オマエもオレのお仕置きを味わいたいか?』
『ひっ。も、申し訳ございません!』
異国の言葉での遣り取りは加賀たちには意味が取れなかったが、
少女を斬ろうとした従者を太子がたしなめている、ように見える。
泡を吹きそうな顔で卒倒した従者が倒れ込んでくるのを優雅な身のこなしで避け、
太子が傍らにいた通訳の少年に何事か指示すると、少年は溜め息をつきつつ
荷の中から何かを取り出し、少女にそれを差し出した。
「え・・・?」
少女の脇から加賀が覗き込むと、それは一反の美しい綾絹と、
袋一杯に詰めた大粒の小豆であった。少年はこの国の言葉で告げた。
「ええと、キミ、遊び道具を壊してしまって済まなかったね。
お詫びのしるしとしてこの絹と豆を受け取ってくれるようにとの、太子の仰せだ。
これで新しい遊び道具を作るといい」
「え、これ、私がもらっていいの?わぁっ!私、こんな綺麗な布を触るの初めて!」
少女が手に取って広げた絹の華麗さに、取り巻く群衆から感嘆と羨望の声が上がる。

444毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:22:19
(26)
更に少年は太子の言葉を代弁するごとく群衆を見回し、告げた。
「ここにいるそなたらにも聞いて欲しい。我々は高麗の太子の一行である。
間もなくこの国で冬を迎えるに当たり、太子は貴人が身につけるに相応しい
皮衣を探しておられる。色は白。既になめしてある物でも、
そのような毛皮を取れそうな生きた獣でも良い。何処ぞの寺や貴族の宝物蔵に
そうした毛皮が眠っているという噂でも良い。有益な情報を持ってきた者には
褒美をつかわすゆえ、七条大路の鴻盧館まで知らせに来るように」
大波のように、興奮気味のざわめきが見物人の間に広がる。
たった今彼らの目の前で太子が少女に与えた品の見事さが、
その興奮に拍車をかけていることは明らかだった。

――なんだなんだ?この雰囲気はよ。
突如として市を支配した異様な空気に、加賀は顔をしかめる。
確かに太子は一人の少女に温情をかけ、その命を救った。
そればかりか彼女に見事な品々まで与えて寛大さを示した。
しかし視線を脇に転ずれば、先ほど太子に何か囁かれただけで卒倒してしまった従者が、
今も真っ青な顔で両脇を仲間に抱えられているのだ。
一方では従者をこんなにも怯えさせ、一方ではこのように巧みに人心を掌握して、
その中心にありながら平然としている太子の美貌が、加賀には薄気味悪かった。

『これで良かったのかい、永夏』
『上出来さ、秀英。さすがオレの乳兄弟だ』
浮かない顔の通訳の少年に、太子が笑いかける。
『けどあんな緩い条件で褒美を約束したら、褒美目当ての詐欺師が押し寄せるんじゃ?』
『最高の情報を釣り上げるコツは、まずどんな些細な情報にも手厚く対応することさ。
それに、寛大で気前のいい太子様と見られておくに越したことはない。
いずれオレはこの国の王にもなるんだからな。今の帝よりもオレに
この国を治められるほうがいいと、誰もが思うように今から仕込んでおくのさ』
『そう上手くいけばいいけど・・・』
太子と秀英が交わす会話の中身を、無論加賀は知る由もなかった。

445盤上の月2(9) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:17:14

「ほどほどにしとけよ和谷」
笑いながら冴木がつい口を出す。
「だって冴木さん、コイツ本当にムカつくんだよおっ」
「まあまあ和谷君気持ちはわかるが、でもちょっとキミはイライラしすぎじゃないか? 
そんなキミにちょうど良いものがあるぞ」
門脇は自分のバッグからある物を取り出す。
「………ほら、これ貸してやるからストレス解消しろよ」
「それ何ですか門脇さん?」
ヒカルの首を絞めるのを止めて和谷は門脇が差し出した物を受け取った途端、「わあっ」と驚きの声を
上げた。
「コココココ、コレッて……!」
門脇が和谷に渡した物は、アダルトDVDだった。
「今が旬の野木ららちゃんの新作だよ。今日発売日でつい買っちゃったんだ。
オレこの子タイプなんだよな」
「これ……本当に借りてもいいっスか!?」
「ああ、いいよ。でもオレまだ見てないから早めに返してくれよ」
「もちろんですっ!」
和谷は門脇に何度も大きく頷いてにんまりと笑い、あっという間に上機嫌になる。
「門脇さん、……和谷の扱い慣れてますね」
関心して冴木は門脇をまじまじと見る。
「まあ、あの年頃はそんなものだろ」
そんな和谷と門脇達のやりとりを、越智は眉間に皺を寄せて眺めていた。
「………ボクは遊びにここへ来てる訳じゃないのに」
和谷の研究会はメンバー達の仲が良く、碁の研究会から脱線することが時々あった。
「ボクは時間を無駄に過ごすのが一番嫌いなんだっ」
1人憤慨する越智を、ヒカルはぼんやりと眺めて少し顔をゆがめる。
「………越智。オマエさあ、なんだかなあ……塔矢みたいなことを言うんだな」
「塔矢みたいだって?」

446盤上の月2(10) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:21:30

「ああ、真面目一筋みたいなところとかさ……」
「真面目で何が悪いのさっ!」
ヒカルに不満を漏らして不機嫌な表情をする越智に、和谷は目を向けた。
「越智〜、何だよオマエこういうの見ないのかよ。1人ですました顔しやがって〜。
オマエはどんな子好きなんだ? 教えろよ〜、ほらオレの秘蔵のエロ本貸してやるからさあ」
機嫌が良い和谷は、自分の大事なエロ本を手にしてニヤニヤしながら越智に詰め寄る。
「和谷! ボクは遊びに来たんじゃないんだ。研究会をしないならば帰るよ!」
「あ〜、悪かったよ。つい聞いてみたかったんだよ。じゃあ、検討の続きをするからさ〜」
越智のキツイ視線に少し焦りながら和谷は碁盤前に座り、検討中の棋譜内容の石を並べ始めた時、トン
トンと玄関ドアをノックする音が研究会メンバー達に聞こえた。
「慎ちゃ〜ん、私よ、桜野。ここ開けてくれないかな?」
九星会所属・女流棋士の桜野の声だと伊角はすぐ気付く。
「えっ、桜野さん!?」
驚きながら伊角は急いで玄関ドアを開けると、そこには笑顔の桜野が右手を上げて小さく振っている。
「慎ちゃんがここの研究会で頑張っているって、以前聞いたのを覚えていたのよ。
偶然この近くで用事があったから寄ってみたの。ほら差し入れ持って来たわ」
桜野はチェーン店のドーナツの入った手提げ袋を伊角に手渡す。
「ありがとう桜野さん、良かったらどうぞあがってください。狭くて汚いところですが」
「聞こえたぞ伊角さん、狭くて汚くて悪かったなっ!」
大声をわざと出す和谷に、伊角は手提げ袋を手にして振り向きながら苦笑いする。
「桜野さん、こんにちは〜」
「こんにちは」
研究会のメンバー達が、桜野に挨拶をした。
「こんにちは。うわあ〜、見事に男所帯ねえ〜。でも結構綺麗にしているじゃない。
じゃあお邪魔するわよ」

447盤上の月2(11) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:22:59

桜野がヒールを脱いで和谷の部屋に入ってすぐ目についたのは、畳上に散乱している和谷が門脇から借
りたアダルトDVDや和谷秘蔵のエロ本だった。
「―――ちょっと、これ何なのよおっ! アンタ達、本当に真面目に研究会やってんのお!?」
悲鳴のような金切り声を桜野は上げた。
「わあっ、ヤバッ!  桜野さんがいきなり来たからしまうの忘れてたっ!!」
和谷の顔は一瞬で蒼白する。
「慎ちゃん、どういうことなの!? 慎ちゃんも一緒になってコレ見てたの!?
もう信じられなあ〜い!」
「いや、桜野さん、これには事情があって……」
しどろもどろに伊角がなんとか場を治めようとするが、桜野はヒステリックになり伊角の言葉が耳に入
らない。
「もう〜、アンタ達はいったいここで集まって何やってんのよおおおおっ〜、こらああ〜!」
「うわあああっ〜」
和谷やヒカル達は桜野がエロ本やDVDを研究会メンバーに投げつけてくるのを避けながら、アパート
の部屋の中を駆けずり回った。
「ああ〜、オレのららちゃんが〜!」
桜野に投げられたDVDが壁に当たり、ケースから本体が飛び出て床に落ちるのを見て、門脇は悲痛な
叫び声を出した。
「もう〜、何でこんなことに! 和谷が悪いんだからね!」
越智が和谷の背中をバシッと強く叩きながら怒声を投げつける。
「和谷〜、オレ飲み物買ってくるからあと頼むなっ!」
ヒカルは素早く玄関で靴を履いて、和谷のアパートから脱出した。
「進藤〜!? 逃げるのか〜、ひきょうものおおおッ〜!」
後ろから和谷の情けない声が聞こえるが、ヒカルはお構いなしにアパートの階段を降りると近くのコン
ビニへと走りだした。
4月に入ったが、まだ外気は寒くて肌に冷気がまとわりつく。
駆け足で道を走る中、ふっと空を見上げると、すでに夕陽が落ちて辺りは暗くなり始めていた。
そして夕空には、一際青白く光る月が眩しくヒカルの瞳に映る。

448盤上の月2(12) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:25:01

どことなく今日の月は霞んでいて、柔らかい印象があった。
ヒカルは真冬に自分の部屋から眺めた時の、寒々とした冬の月を思い出した。
月は日によって見た目の感じが変わり、時には冷たく、または柔らかく見えるようにヒカルは感じる。
―――なんだか月って、塔矢みたいだなあ……。
息を弾ませて走りながら、ヒカルはそんなことを思った。



日本の囲碁総本山・東京市ヶ谷の日本棋院。
理事長の佐賀は、棋院の一室で今後の棋院経営について頭を悩ませていた。
佐賀は前理事長の任期終了後に就任したばかりの理事で、もともと囲碁愛好家であり、銀行経営退職後に棋
院理事を引き受けた立場にあった。
囲碁人口がここ近年激減を辿り、赤字経営の棋院は常に危険に晒されていた為、棋院は経営に疎い棋士
理事ではなくて、優れた経営手腕を持つ佐賀に目をつけて体制建て直しを図ろうとした。
また今の財政では税金面で優遇される公益法人へ上手く移項しないと、倒産する可能性も出てきた。
世間から一際注目を浴びていた日本碁界の顔である行洋は、棋院所属を脱退して世界へ旅立ち、年間億
の収入がある行洋が脱退するなどとは棋院は思いもよらず、寝耳に水であった。
行洋には援助を惜しまないスポンサーや政界の面々がついており、今まで棋院は間接的であったが助力
を行洋に願いでていた。それほど行洋の碁は、人々を魅了する力があった。
行洋の働きかけで新しい棋戦も創立したほど、行洋は有識者等に強く支持されて支援を受ける立場にあ
った。その行洋が日本の碁界から抜けたことは、棋院に大きな痛手となっている。
「失礼するよ、佐賀さん。ワシに何用かな?」
部屋に1人の老人が入ってきた。本因坊タイトル防衛中である老将・桑原だ。
「桑原先生、ご足労おかけします。実はご相談したいことがありまして」
「佐賀さんがおっしゃりたいことはわかりますよ。経営のことじゃろうて……」
「ええ、桑原先生にはお知り合いの有識者が多くいると存じております。何とか力を貸して頂けないで
しょうか」

449盤上の月2(13) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:26:18

桑原は、ふむっと一言を発し、その場でしばらく考え込む。
「確かに棋院は昔から有力なパトロンがいて、創立した経緯がある。空襲でこの市ヶ谷の棋院は1度跡
形も無く破壊され、パトロンの援助で立て直されたからな。
だがな、佐賀さん。スポンサーやパトロンも確かに大事だが、普及の方を力を入れるべきではないか。
根本的な問題はそこじゃろうて。
人に愛されない、見向きもされないものは、廃れていくのが自然の摂理であるならば、そこをなんとか
関心を持つように時間をかけて働きかけるしかなかろうて………。
ワシの戯言と聞き流してくれてええよ」
「桑原先生のお話は痛いほどわかります。だが時間が無いのです……」
「まあ囲碁が普及しないのは、この老いぼれにも責任がある。出来るだけ力になれればと思うとるよ。
どうじゃろう、佐賀さん。世間から注目を浴びやすい国際棋戦や世界棋戦に、若手を参加させてみると
かは。見所のある低段者でも経験を積ませる。国の棋戦だけじゃ世界には通用せんよ」
「………………」
「佐賀さんも知っていると思うが、今の碁界は若手が育ってきておる。
リーグ戦やタイトル戦に名があがるようになった若手の倉田。
また昨年の北斗杯で名をあげた塔矢さんの息子である塔矢アキラや、進藤ヒカル、それに社。
活気が出てきておる」
「………古参の棋士先生方や棋院関係者らは、納得されないでしょうね……。
しきたりを重んじる時代錯誤の碁界では、特に進藤君は一部からあまり評判が良くない。
以前の手合い不戦経歴や、北斗杯で塔矢アキラを押しのけて大将についたことを良く思わない重鎮もい
るんですよ」
「進藤の小僧は、苦労するかもな……。ワシは気に入っているのだが。
力をつけて実力を奴らに見せつけるしかないじゃろう。それにいつでもどこでも、新しい風に歯向かう
輩はいるだろうよ。血を流す改革無くして風向きは変わらんよ、佐賀さん」
「………確かに経営を軌道に乗せるには、かなりの血肉を削らねばならないでしょうね……」
2人は部屋から見える曇空へ目を動かして少し眺め、互いに小さく息を吐く。
桑原は佐賀のいる部屋から出て喫煙室へ向かうと、そこにはすでに先客がいた。

450盤上の月2(14) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:28:07

緒方だった。煙草を吸いながら緒方の視線は、ゆっくりと桑原の方へ移動する。
「おお緒方君じゃないか。調子はどうじゃ」
「……またリーグ戦で再度挑戦権を取りますよ」
無表情で緒方は、ぼそりと話す。
緒方は前回の本因坊戦の挑戦資格を取得して桑原に挑んだがタイトル奪取を逃し、桑原の本因坊防衛成
功を重ねる結果となった。
―――この老いぼれジジイ。タイトル死守しないで、年寄りらしく若手に早く寄越しやがれっ!
緒方は心の中で、桑原に悪態をつく。
「ひょっひょっひょっ、ワシはいつでも待っておるぞ緒方君。
………そうだオマエさん、佐賀理事長から何か話を受けんかったか?」
「………桑原先生はどうなんですか」
緒方は相変わらず無表情で、桑原を見ないで話す。
「ワシは経営が困難だから協力してくれと頼まれた」
「……………」
無言で煙草を灰皿内で消して、初めて桑原の方へ緒方は体ごと向けた。緒方の顔はやや強張っている。
「やはりオマエさんも同じか。よほど経営は苦しいのだな……」
ちょうどそこへ棋院の職員が手に新聞を持ちながら、喫煙室へ入ってきた。
「あっ、桑原先生に緒方先生、お話中に失礼します」
ドアの外で他の職員達の声がざわめき騒がしいのが、室内にいる緒方と桑原にもわかった。
「何かあったのですか」
緒方が棋院職員へ聞くと、「新内閣が誕生したんですよっ!」と棋院職員はやや興奮気味にやや早口で
話す。
「ほう……、で、今度の内閣総理大臣は誰なんです?」
緒方は再び煙草を出して口に加え、ライターの火をつけながら棋院職員へ訊ねる。
「新国潮党の青木久治氏です。この人、囲碁愛好家で、すごく有名なんですよっ」
「おっ、今度の総理は囲碁好きか。これは普及に役立ちそうだの」
棋院職員の説明に、桑原が食いつく。

451盤上の月2(15) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:29:04

「ええ、ここ最近の内閣総理大臣は囲碁を嗜む方の就任がほとんどなくて……。
もしかしたら働きかけ次第では、普及に協力を得られるとつい皆で期待をしてしまって」
棋院職員は嬉嬉として、次々とまくりたているかのように話す。
「…………青木久治氏……か………」
表情をくもらせ、煙草の煙を吐きながら緒方は呟く。
「どうした緒方君?」
「青木氏は、塔矢先生の熱烈な支持者ですよ。青木氏の希望で、塔矢先生は指導碁を時々受け持ってい
た。相手が相手だから、塔矢先生も断れなかったようで………」
「………ふむ……、ややきな臭いのう……。
棋院がこのような時期だから、使えるツテは上層部はなんでも利用するじゃろうなあ……」
「ええ………」
緒方はカバンから携帯を取り出すと、電話をすぐかけた。
「………ああ、アキラ君か。今、少しいいかな。
…………そうか。では明日、久しぶりに飯でも食いにいかないか?  
芦原も都合良ければ誘おうと思っている。場所は………、そう、その店だ」
電話先がアキラだとわかると、桑原は微笑を浮かべる。
―――緒方君は、ああ見えても結構面倒見が良いからのう。見た目はクールなのに面白い男じゃ。
緒方がヒカルの院生試験を受けれるように力になり推薦した話は、密かに棋院内で有名になっていた。
「それにしても、…………碁打ちになったのに、どうして対局以外で頭を悩ますことになるのかの……」
ふんっと、桑原は鼻息を荒くする。

452CC ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:32:06
(13)空襲でこの市ヶ谷の棋院→空襲で棋院……の間違い。
確か以前は別場所にあったと思った。うろおぼえ。

453盤上の月2(16) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:27:57

アキラは夕暮れを過ぎた頃、都内の自然が多い場所にある料亭へと向かっていた。
道の街路樹は桜並木になっていて、夜桜を楽しむ人が多く賑わっている。待ち合わせの料亭に入ると、
着物を纏った店員が個室へとアキラを案内する。
案内された個室は和室の畳部屋で、緒方と芦原が座椅子に座って夕食を兼ねた宴会をすでに始めていた。
窓からは日本庭園が見え、獅子威しが時々辺りに低く鳴り響いている。
「おっ、アキラ来たか! 先に始めてるぞ〜」
ほろ酔い気分の芦原が、グラスを右手に持ってアキラへと声をかける。
「アキラくん、久しぶりだな」
緒方も酒が入り、やや上機嫌になっている。
「遅くなりすみません、でももう2人とも出来上がってませんか?」
クスクス笑いながらアキラは席へと腰を下ろす。
「こんなの酔ったうちにはいらないよアキラ。オマエが来たから刺身持ってきてもらうかな」
芦原は部屋にある電話で注文をしていると、「芦原、これ追加な」と緒方がグラスを手にして左右に揺
らす。
「はいはい、今頼みますよ。アキラは何飲む?」
「じゃあ烏龍茶を」
おしぼりで手を拭きながらアキラは答える。
「ここの料亭は久しぶりですね。半年前に両親と来た以来かな」
「オレはこんな高いところ、緒方さんの奢りでなきゃ来ないぞ………っという訳で、緒方さん。
今日は好きなモン頼んじゃいますけどいいですか?」
「ああわかったよ、好きなだけ食って飲め。アキラ君も好きなもの頼めよ」
「はい緒方さん、ありがとうございます」
アキラは緒方へ頭を下げた。序列が高く活躍している棋士が食事等の料金を支払うことが、棋院の暗黙
の規律となっているため、3人の中で緒方が支払うのはごく当然の流れだった。
しばらくすると店員が刺身や天ぷら等を運んできた。
「ここの天ぷらが絶品なんだ。あと椀物も最高だな」
緒方は揚げたての天ぷらに荒塩をまぶして口に入れる。
「うん、うまい」

454盤上の月2(17) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:28:57

「オレも食べるぞ〜、ほらアキラも熱いうちに食べろ」
箸で天ぷらをつまみながら、芦原はアキラに声をかけた。
「今、頂きますよ」
笑いながらアキラも天ぷらに箸を運ぶ。
「でも久しぶりだな。こうして3人で飯を食うのは」
緒方は芋焼酎のロックをぐいっと飲みながら、しみじみと言う。
「アキラの対局数が多くなってきたから、時間がなかなかあわないもんな。
今オマエ、名人戦と碁聖戦のリーグ入ってるだろ。オレも頑張らないと」
緒方と同様に芋焼酎のロックを口に流し込みながら、芦原は箸を動かす。
緒方は現在、十段・碁聖のタイトルホルダーであり、アキラは今後碁聖戦のリーグを勝ち抜き挑戦手合
い権を得ると、緒方への挑戦者となる。
追う者と追われる者とが一緒に食事をする。一見、奇妙な関係がそこにはあった。
―――いつか来る日だとは思っていたが、こんなに早く来るとはな………。
穏やかに笑いながら食事をするアキラを見て、緒方は少し複雑な心境になった。
わかってはいた。あの時からいつかこんな日が来ると。
………………オレは知っていた……………
緒方の目線は眼前のアキラや芦原を通り越し、別のところへと彷徨う。



―――約12年ほど前。
プロになりながらも、親の都合で緒方は高校に通っていた。
緒方の親はプロになることに賛成を示さず、緒方の兄弟や親戚筋は、皆一流大学へ進学して有名企業へ
就職していた。緒方の親はそのような進路を求めたが、緒方は自分の進みたい道を選んだ。
緒方が行洋の研究会へ参加するため塔矢邸を訪問すると、そこには大抵アキラがいた。
アキラはその頃は5歳ぐらいだと緒方は記憶している。
いつもアキラは1人で碁盤に石を並べていた。
緒方が友達と遊ばないのかと訊くと、アキラは悲しそうな顔をして緒方に言う。

455盤上の月2(18) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:29:49

「ボクは、おともだちにいつもきらわれちゃうの……」
研究会の合間に緒方はアキラに碁を打った。アキラは緒方と碁を打つのをとても楽しみにしていると、
行洋から聞いていた。
正直、緒方はあまり子供は好きではなかったが、アキラは聞き分けが良くて大人しいので、相手にする
のは苦ではなく、それどころかとても自分に懐いてくれたので悪い気はしなかった。
研究会で塔矢邸の玄関に立つと、決まってアキラが駆けてきて「おがたさんだ〜」と、満面の笑顔で出
迎えてくれるのを、緒方は密かに楽しみにしていた。
人に嫌な思いをさせないアキラが友達に嫌われるというのを緒方は理解出来なく、いつか行洋にそのこ
とを訊いてみた。
行洋は視線を落として、静かに話し始めた。
アキラは物覚えが抜きん出ており、同じ年代の子達と遊んでいても、すぐ物を作れたりゲームを覚えて
制覇してしまって遊びが成り立たないことが大半だった。遊ぶ子達はアキラを敬遠し、また強い劣等感
を持つことが多く、その結果アキラは仲間はずれにされてしまうということだった。
人よりも秀でることが、アキラにはマイナスに働いてしまう。
それはとても不幸なことだと緒方は思った。
ある日、研究会後に緒方はアキラと碁を打ち、その後アキラを両手に抱きかかえて庭に出た。
行洋以外にそのようなことをされたことがなかったのか、最初はキョトンと不思議そうな表情をアキラ
はしたが、しばらくすると緒方ににこっと微笑む。
「アキラ君は、大きくなったら何になりたいんだい?」
「えっとね……、おとうさんみたいにきしになりたい……」
「どうして棋士になりたいのかな」
「ボクもおとうさんといっしょで、いごすきだから」
「うん、囲碁はいいぞ。勝ったら全部自分の手柄だからな。
アキラ君、強くなれ。囲碁だったら、キミが勝ち進めば皆それを認めてくれる」
「……ほんとうなの、おがたさん?  
ボクはいままでなにかができたら、ようちえんのせんせいはほめてくれるけど、うさぎぐみのみんなに
はきらわれるよ」

盤上の月2(19)

「囲碁は勝つか負けるか。その二つしかないからね。それに最善の一手をずっと考えるのも飽きずに面
白い」
「……ほんとう?  ほんとうにボクがかったら、ひとはボクをみとめてくれるの?」
「ああ、本当だよ。実際にオレがそのことを実感しているからね」
アキラは大きく目を見開き、緒方をじっと見つめる。
「じゃあ、おがたさん。ボクとやくそくして」
「約束?」
「いつかボクがおおきくなってきしになったら、ボクとたいとるせんのたいきょくしようよ」
「いいよ、約束するよ」
「ほんとうだね、おがたさん!
ボクがんばるよ。つよくなって、ひとにボクをみとめてもらえるようになるよ。
そしてきしになって、おがたさんとたいとるせんのたいきょくできるぐらいにつよくなるよ」
アキラは緒方に指きりげんまんをせがみ、そして笑う。
アキラと指きりげんまんをしながら、たった一瞬であったが緒方は見逃さなかった。
微笑むアキラの瞳に、激しい炎が生まれたことを。碁を打つことが自分の存在意義になったアキラに、
闘争心が宿った瞬間だった。
この時に緒方はアキラを、自分と同じ人種であること認めた。
碁に全てを注ぎ込むことを躊躇無く選ぶ生を歩むだろうと―――。


「―――……さん、緒方さん……どうしたんですか?」
緒方はアキラの声で、手元の焼酎に視線を戻した。ガラス内の氷がカランと軽い音を鳴らす。
「ああ、何かなアキラ君?」
目の前には5歳ではなくて、16歳のアキラがいた。
話しかけているのに反応が無かったから、どうしたかのかと……」
「いや、ちょっと考えごとをしていてな。で、何だい、アキラ君?」
「……今日はただ食事を一緒にするだけではないように感じたので」

456盤上の月2(20) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:33:14

「ええ、そうなの?
オレはてっきり緒方さんが珍しく奢ってくれると思って、沢山食べるために来たんだけどな」
「芦原、いっぱい食え。豚のようにな」
「うわあ〜、ひっどいッスよ〜、緒方さ〜ん!」
芦原の横で声を出さずに肩を小刻みに揺らして笑うアキラを見て、緒方は重々しい口調で語り出した。
「アキラ君は、ニュースで新しい内閣が出来たことを知っているだろ?」
「ええ、青木さんですよね。新しい総理大臣になったのは。
お父さんが時々、指導碁へ行っていた方です。ちょっと驚きましたけど。
かなり前だけど、ボクの家にも来られたことがあったので覚えてます」
「あ〜、そういえば塔矢先生が指導碁していた数少ない人でしたよね。
塔矢先生は碁の勉強時間を削るのが嫌で、極力指導碁を断っていたけど、青木さんはさすがに断れなか
ったって言ってましたね。政界関係者は難しいですよね。あっ、この煮物追加でお願いします」
芦原は皿を下げにきた店員に追加物を頼みながら、緒方の話題に口をはさむ。
「誠実な感じがする人と記憶してますね。碁がとても好きだから、お父さんとも気が合ったようです。
それにお父さんがタイトル戦防衛したり、国際棋戦で勝つと、必ず贈答品を送ってくれてました」
烏龍茶を飲みながら、アキラは緒方に覚えていることを伝える。
「……オレの勘ぐり過ぎならいいのだが、もしかしたらこの青木氏の指導碁の依頼がキミへ来るかも
しれん」
「えっ?」
意外そうな表情をアキラは緒方にあらわにした。
「アキラにですか。どうして?
塔矢先生の息子だから親近感がわくのかな。それとも他に指導碁で気に入る人がいないからか?」
「指導碁だけならいいんだがな………。
まあしばらくは政局で忙しくて碁など打っている暇なぞないだろうがな……」
「ボクもお父さんと一緒で、極力指導碁はお断りしているんですよ。
やはり勉強時間が少なくなってしまうのが嫌で……」
「でもさあ、政治家の指導碁って、破格の料金って聞くぞ」
「だがな、日本の棋士が世界に通用しないのは、指導碁で食べていけるのも原因だと思うぞ。
棋戦で勝ってこそがプロだろ」

457CC ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:35:17
18−19と一気に2個分うぷ出来るんだな。
一気と1個ずつのうぷと、どちらが読みやすいかなあ?

458盤上の月2(21) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:42:54

酒の酔いが回ってきたのか、緒方はかなり饒舌気味になっている。
「そりゃそうだけど、実際棋戦で食べていけるのはほんの一部だけですよ。
オレも指導碁やセミナーとかで随分助けられてるからな」
「おい、芦原。早くオマエもリーグ戦に来いっ!」
「わっ、わかってますよっ! 
オレやっと本因坊最終予選に残れたんですよ。なんとかリーグ入り果たしたいですよ〜」
「オレは前回挑戦者だから自動的にリーグ戦入りだ。芦原淹れてくれんか」
緒方は芦原へ空になったグラスを差し出した。グラスを受け取った芦原は、氷を追加して芋焼酎の入っ
た陶器をグラスに注ぎ緒方へと手渡す。芋焼酎の入っている陶器内はすでに空に近かった。
「ボク本因坊の最終予選に残ってますよ、芦原さん」
「うげえっ、じゃあどこかでアキラと当たるかな。
緒方さん、今日はアキラがいるんだから酒はほどほどにしてくださいよ」
「ああ、わかってるよ。……アキラ君、煙草吸っていいかな?」
「どうぞ。ボクのことは気になさらずに」
すまんなと言いながら、緒方は背広から煙草を出して火をつける。そして襟元をゆるめてネクタイを少
し崩した。
芦原のグラスがほとんど空になったことに気付いたアキラは、芦原の芋焼酎ロック割りを作って手渡す。
「芦原さん、本因坊戦で当たったらよろしく。あと焼酎がもう無いけど追加しなくていいの?」
「おっ、ありがとアキラ。出来ればアキラには当たりたくないなあ、……まあ仕方ないことだけど。
緒方さん焼酎追加しますか」
「おお、頼んでくれ」
「はいはい、アキラは何か頼むか?」
「ボクはいいよ、もうお腹いっぱいだから」
「相変わらず、あまり食に関心がわかないか?」
あまり食べないアキラを、緒方は煮物を口にしながら訊く。
「……そうですね、ボクは好き嫌いはほとんどないのですが、特段に何かが好きというのもなくて…。
まあ和食が一番好きかなぐらいで」
「アキラは肉より魚のほうが好きだよな。ほらこれも美味いぞ」

459盤上の月2(22) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:43:52

刺身盛り合わせの皿を、芦原はアキラの方へ寄せる。
「うん、どちらかと言えば魚の方が好きかな」
喋りながらアキラは箸で刺身を取り、醤油をつけて口に運ぶ。
昔からアキラは食がやや細く、必要以外に口にすることがない。
対局時も食事を取ると気が散るため、あえて昼・夕食を取らないことがほとんどであり、碁以外の関心
事が抜け落ちているかのようだった。
「対局は体力消耗が激しいから下手すると一局で2〜3キロ落ちる。
対局日はアキラ君も食事を取るように癖づけたらいいとオレは思うがな」
「夕方ぐらいの時間は緒方さんはブドウ糖を取るんでしたっけ? 
オレはチョコレートとかよく食べるなあ」
「ああ。オレは特に甘い物は好まんが、糖分補給でブドウ糖を取るな」
「そうなんですか。ボクもブドウ糖だったら口に入るかな?」
「まあなんだ、そのアキラ君。何か変わったことがあったらオレや芦原に連絡をくれ。
芦原はあまり役に立つとは思えんが」
「それどういう意味ッスか、緒方さんっ!」
「そのままの意味だ」
「ひどいですよおお〜」
緒方と芦原は酒に酔い、やや大声を出しながら戯れている。
そんな2人の様子を苦笑いしながら、アキラはぼんやりと眺める。緒方はアキラを心配して食事に誘っ
てくれた。
立場は昔よりもお互い微妙になっているのに、緒方や芦原の気づかいがアキラにはとても嬉しく感じる。
3人が料亭を出る頃はすでに時計の針は深夜の1時を大幅に過ぎていた。料亭にタクシー依頼手配をし
てもらって料亭から出た途端、いきなり突風が吹き周りに咲いている桜の花弁が一気に宙へ舞い、アキ
ラ達は花吹雪に巻き込まれた。
3人は桜まみれになったのを笑いながら、それぞれがタクシーで乗り込んだ。
家に着いてアキラが背広を脱ぐと、畳の上に数枚の桜の花弁がひらひらとゆっくりと落ちていった。
桜の花弁を1枚拾い窓の外へ離すと、花弁は風に乗り春宵の空へと優雅に舞いながら高く飛んでいく。
桜が散り舞う夜は、春の終わりを告げていた。

460盤上の月2(23) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:45:56

アキラ達の食事会があった翌日、ヒカルは自宅で朝から気が滅入っていた。
今日は日曜日で特に用事はないので、いつも通り1人で碁の勉強をしていたが、時々心によぎるアキラ
のことで考えがまとまらずに集中が出来ない。
「……こういう時は遊びに行って、気分転換すっかなあ……」
和谷は仕事が入っていて遊びに誘えない為、ヒカルは1人で出かける準備をして階段を下りていると、
ちょうど呼び鈴が聞こえた。
「はーい」
玄関のドアをヒカルが開けると、そこにはチョコレートケーキを皿に乗せて、両手で持っているあかり
がいた。
「ヒカル、久しぶりね、元気してる? ケーキ焼いたのだけど、良かったら食べて」
「おっ、サンキューあかり。今度はチョコレートケーキか、上手そうだな」
時々あかりは、ヒカルにお菓子を焼いて持ってくる。勿論それはヒカルに会うための口実だったが、ヒ
カルにはあかりはただの幼馴染としか捕らえていないので、あかりの気持ちには全然気付いていない。
チョコレートケーキを受け取ったヒカルは、あかりの顔をじっと見た。
「……何、ヒカル?  私の顔になにかついてる?」
「いやあ、ちょどオレ遊びに行こうとしたところなんだけど、友達が用事あって会えないんだ。
オマエ今日は暇ある?」
「えっ、これから!?」
「ああ、用事あるならいいけど」
「いっ、行く行くっ! 今すぐ仕度してくるっ!」
「別にその格好でいいよ」
「えっ、いやだ、こんな格好、部屋着よコレ。すぐ着替えてくるから待っててヒカル!!」
そう言うと、あかりは急いで家に帰り、タンスの中からいろんな洋服を取り出した。
「コレがいいかなあ〜、でもちょっと派手かな? コレならどうかな。……地味かもしれないなあ」
あかりは流行柄の花柄ワンピースに白いレースのカーディガンを選び、赤色のポーチと靴を履いて家を
出ると、そこにはヒカルが待っていた。
「遅せえよ〜、あかり何やってんだよ〜」

461盤上の月2(24) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:46:51

「ごめん、ヒカル待った?」
「まあいいよ。ほら、行くぞ」
「うん!」
あかりは顔がゆるみっぱなしだった。ヒカルが遊びに誘ってくれたことが嬉しくて、有頂天になる。
「……遊びにっても、オレ最近碁ばっかりで全然出かけてないなあ。
和谷達とはたまにサッカーとかして遊ぶくらいだし。あかり、オマエはどこ行きたい?」
「えっとね、そうだ私、お姉ちゃんから映画券もらっているの。映画でも見に行かない?」
「映画か……、たまにはいいかもな」
「じゃあ決まりね」
2人は近くのバス停へ歩き出した。

足を運んだ映画は最近流行りのファンタジー物で、ヒカルはそれなりに楽しめた。
今日は日曜日なので、街はいつも以上に大勢の人で溢れている。ヒカルとあかりは、とりあえず喫茶店
に入った。
「ねえヒカル。棋聖戦の最終予選決勝で負けて残念だったね」
アイスショコラテをストローで飲みながら、あかりは2人座りの対面席にいるヒカルに訊いた。
「えっ、何でオマエそのこと知ってるの?」
「だって私、今年から週刊碁を定期購読しているから」
「気張りすぎて滑った……」
そう言うとヒカルは、ズズズと音を立ててストローでサイダーを吸う。
「だけど北斗杯選抜戦があるし、本因坊最終予選には残っている。今年こそはリーグ戦入りしたいな。
そうだオマエさ、高校で囲碁部作るって話どうなってるんだ?」
「……う〜ん、やっぱり囲碁に興味持ってくれる人って、ほとんどいなくて……。
部員は中学校の囲碁部で一緒だった久美子ちゃんと私の2人だけなの」
「久美子って、津田のことか。津田とオマエ、同じ高校だったんだっけ?
都合のいい日にあかりの囲碁部へ行こうと思ったんだけどな」

462盤上の月2(25) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:47:50

「そうだ、同じ年頃のヒカルがプロで指導碁が出来るってことに、興味持ってくれる人がいるかもしれ
ない!
それに北斗杯ってインターネットで中継するんだよね。
ウチの高校、パソコンがあるから少し見れるかも。ヒカル、北斗杯頑張ってね!」
「ああ、もちろん頑張るよ。去年は緊張しちゃって前半グダグダだったからな
じゃあそろそろ昼飯にするか。ラーメンでいいよな」
「え〜、ヒカルは相変わらずラーメンが好きねえ。私、もっとおしゃれなところでお昼したいよ」
ヒカルとあかりはお互いの昼ご飯の主張をしながら、喫茶店を出る。あかりは道沿いの店のウインドー
に映る並んで歩く自分達を見つめた。
―――私とヒカル、2人並んでいると他の人達からは付き合っているように見えるかな?
そう思うと、あかりは顔を瞬時に赤らめる。
行きかうカップル達は、手を繋いだり腕を組んだりと楽しそうに歩いている。
―――いいなあ。私もヒカルと手を繋いで歩きたいなあ……。
  私、ずっとヒカルを小さい頃から見てきた。これからもずっとヒカルを見ていきたい。
  ずっとずっとずうっと。……………でも、それっていつまでなんだろう………?
今まで湧いたことがない疑問に、あかりは少し戸惑う。ヒカルがいつも一緒にいることが普通であり、日常
であった小学生時代。中学生になるとヒカルは囲碁のプロの棋士になり、自分より早く社会人となっている。
自分と違う世界に身を置き、先々へと歩むヒカルを頼もしいと思う反面、どこか置いていかれるような気が
して、あかりの心は複雑に揺れる。
「あかり、こっちの店とあっちの店のどっち入る? オレはこっちのサンドイッチ店がいいな」
ヒカルが立ち止まり、二つの店を指してあかりに訊く。
「そこのサンドイッチ店はキッシュも美味しいんだって。でもあのパスタ店も捨てがたいなあ」
「おい、どっちなんだよオマエは」
ヒカルが笑いだすと、つられてあかりも笑ってしまう。ヒカルの笑顔は人の気持ちを明るくするところは昔
から変わらない。あかりはヒカルの笑顔が大好きだった。
「あれって……進藤君じゃないかい? 女の子とデートかな」
ヒカルとあかりが歩くところを、ふっくらとした体格の年配男性が視線を当てている。

463盤上の月2(26) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:48:47

アキラの碁会場常連客である広瀬が、たまたま通りかかり偶然に2人を目撃していた。
楽しそうに話しをするヒカルとあかりは、他者から見て恋人同士に見えなくもない。
「まあ、進藤君もお年頃だしねえ……、いいねえ若い子は」
広瀬はヒカル達の姿が人だかりで見えなくなるまで珍しそうに目で追い、その後行きつけの囲碁サロン
へ足を運ぶ。
「いらっしゃい広瀬さん、北島さんはお先に来ているわよ」
碁会場にはいつものように受付嬢の晴美が、笑顔で広瀬を迎える。
「こんにちは市河さん、今日はいい天気だね」
「遅いよ、広瀬さん」
すでに席についている北島が、広瀬に苦言を放つ。
「いやあ、すまんです北島さん。今日、つい珍しい光景を目にして遅くなってしまって。
おや、今日は若先生が来ているんですね、お久しぶりです」
「こんにちは、広瀬さん」
奥の席で1人棋譜並べをするアキラは、広瀬に頭を軽く下げて挨拶をする。
「珍しいって何を見たんだい?」
北島が広瀬に訊くと、広瀬はヒカルが女の子と歩いているのを見たことを話し出した。
「いやあ、進藤君もやるもんだねえ。女の子は遠くから見ただけだけど、結構可愛い子でしたよ」
「へっ! 若先生はここで碁の鍛錬をしているのに、進藤はデートかい。いいご身分なことだな。
進藤なんざ棋聖戦の最終予選決勝で落ちて、今いちパッとしないぜ」
緑茶を淹れて広瀬へ運ぶ晴美は、顔をしかめながら北島を諌めるように言う。
「北島さん、最終予選決勝に残るってすごいじゃない。
それに進藤君だって年頃なんだから、デートの一つや二つはするでしょうよ」
「そうだよねえ市河さん……、確かに年頃だものねえ……でもそれは進藤君だけじゃないよね……」
「うん………その……頑張れっ……市ちゃん!」
広瀬と北島は2人顔を見合わせて、心配そうに晴美を見つめる。妙齢の晴美が独身であるのを密かに心
配しているのは他客にも多いので、独特の雰囲気が碁会場に漂っている。
年配男性2人が良縁の無い自分を心配しているのに気付いて、晴美は声を荒げた。
「おふたりに心配されなくても結構ですっ!  私はこれでも毎日楽しいのよっ!」
北島らがヒカルの話で盛り上がるのを、アキラは棋譜並べを続けながら静かに聞いていた。
碁石を持つ手が一瞬だが強張り、そして口元をきつく噛みしめる。アキラの瞳には暗い光が滲み揺らぐ。
ほとんど見ず知らずのあかりに対して、アキラは煮えたぎるような激しく赤黒い感情にかられる。
アキラの心に、嫉妬が芽生えていた。

464盤上の月2(27) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:51:38

第2期北斗杯選手代表選抜―――東京予選。
昨年と同じくヒカル・和谷・越智・稲垣が勝ち、選抜戦本戦へと進む。

第2期北斗杯選手代表選抜―――本戦
今年はヒカル・和谷が勝ち抜いて、代表選手枠を獲得。
社は以前から不調が続き、今回も本調子を取り戻せなくてあえなく敗退。
和谷は昨年の悔恨をバネに成長が著しく、出場者達も目を見張った。
今年の日本代表は、塔矢アキラ・進藤ヒカル・和谷義高の3名に決定となる。
アキラは選抜本戦の当日は仕事が入っており、日本代表枠を知ったのは仕事後に出向いた棋院で週間碁
の記者・古瀬村に問い合わせてからだった。

ロビーで古瀬村に声をかけられたアキラは、北斗杯・日本代表決定のメンバーを聞いて「そうですか…」
と、一言のみ答える。
「やっぱり今年も進藤君が選ばれたね。でもそれって当然だけど。
社君は残念だったけど、和谷君の活躍も楽しみだよ」
「ええ、こういう場は数多く経験するほうがいいでしょうから、いろんな人が出場したほうが好ましい
と思います」
「今年こそ打倒韓国・中国だよ塔矢君! 期待しているよっ」
握りこぶしで熱く語る古瀬村に対してアキラは頷きながら、ヒカルの事を思い出す。
真正面からヒカルへと向き合う時期が来たことを、アキラは密かに待ち望んでいた。
アキラは家には帰らずに囲碁サロンへ行き、いつもの指定席へと座る。困難な事が起こったら逃げずに、
その事へと立ち向かうのがなによりも近道──碁を通してアキラはそのことを知っていた。
ただ今日は1人で家にいるよりも、人のいる所へ身を置きたかった。ここへ来れば晴美が笑顔でいつも
で迎えてくれ、他の客も声をかけてくれる。アキラにとって落ち着ける場は、幼い頃からこの碁会場だ
った。
晴美がコーヒーを持ってきてくれた直後、聞きなれた声の主が碁会場へ入って来た。
「こんにちは市河さん。ここにアキラ君が来ているかな?」
「緒方先生、こんにちは。アキラ君なら、ちょうど今来たところですよ」


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板