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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2
5528
:
名無しさん
:2009/09/10(木) 19:15:58
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000000909100005
政権交代@山形 農協、距離感探る
2009年09月10日
農協幹部らの前であいさつするJA全中の茂木守会長=上山市のホテル「ニュー村尾」
∞民主政策に反発 でも「陳情は与党でないと」
農協が「政権交代」に大きく揺れている。長年支えてきた自民党が下野。農政を大転換するマニフェストを掲げる民主党とどう付き合っていくのか、立ち位置が定まらないのだ。とはいえ「陳情」は政権党となる民主に向かわざるをえない。来夏の参院選も視野に入れつつ、政界との駆け引きがしばらく続きそうだ。(柳沼広幸、川原千夏子)
「今後、民主党の農政が誤りなきよう強く求めていく必要がある」
9日、上山市で開かれた北海道・東北地区JAトップセミナー。200人以上の農協幹部の前で、来賓の茂木(もてき)守JA全中会長が語気を強めた。
民主のマニフェストの中で農協の反発が特に強いのが、日米自由貿易協定(FTA)だ。選挙戦中盤、自民候補の応援で来県した茂木会長は、急きょ招集した農協組合員を前に繰り返した。「FTAは日本の農業に大打撃を与え、農家には耳障りの良い戸別補償制度と矛盾する」
●参院選は「白紙」
さらに総選挙後、民主は秋の収穫を控えた農村に衝撃を与えた。財源確保のため、09年度補正予算の一部を凍結する方針を打ち出したからだ。補正予算に盛られた交付金を当てにして農機具の購入計画を立てている農家も多くいたが、その財源が不透明になった。
農協の政治団体・県農協政治連盟の今田正夫会長は9日、朝日新聞の取材に対し、「農家から不安の声が上がっている。自民でも民主でも農業の現場をわかってくれる政治家がいないと農家は立ちゆかない」と訴えた。来夏の参院選でどの党を支援するかは白紙という。
●接近する動きも
だが、一部ではすでに民主と接近する動きも出ている。
「JAてんどう」のある幹部は、総選挙の1区で民主の鹿野道彦氏を水面下で支援した。「これまでの農政に反発し、自民支持のJAを嫌って離れていく農家もいる。そうした農家を引き留めたい」との思いもあっての「造反」。農協支所などで民主陣営からマニフェストを説明してもらう場をつくったりした。
1区の自民陣営の選対幹部をしていた遠藤芳雄・前JA山形会長も、実は選挙戦のさなか、民主参院議員の舟山康江氏と平野達男農水委員長と面談し、民主の政策の説明を受けていた。舟山氏側から昨年秋に申し込まれた時には断ったが、このときは応じた。
自民の大物農林族、加藤紘一氏の3区でも変化が起き始めている。加藤氏が野党議員になったうえ、酒田市が地元の民主の和嶋未希氏が比例区で初当選したからだ。
県農政連の副会長を務めるJA庄内みどり(酒田市)の阿部茂昭組合長は戸惑いを隠せない。「政権が変わり、すでに補正予算も凍結され始めた。どうなるのか……」。今までなら加藤氏にお願いすればよかったが、今回の補正予算については「和嶋さんを頼らざるを得ない」。
阿部氏は7日、当選のあいさつでJA庄内みどりを訪れた和嶋氏と面会した。これまでは「自民党オンリー」で民主と話す機会はなかったが、これからは違う。「政権与党、政策に近い人に働きかけていく必要がある」
5529
:
名無しさん
:2009/09/10(木) 19:23:02
なぜか03衆と04参を無視。
http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20090910dde012070025000c.html
早い話が:小鳩はホホと鳴く=金子秀敏
自民党政権では「青き森」という言葉があった。青木幹雄前参院議員会長と森喜朗元首相が永田町を仕切っていると思われていた。
民主党が政権をとると「小鳩体制」という言葉ができた。小沢一郎次期幹事長と鳩山由紀夫次期首相が権力を握った。ただし、小が鳩より上にある。
小鳩体制は自然の流れだ。鳩山氏も小沢氏も自民党竹下派にいた。2人は93年に離党して、鳩山氏は新党さきがけに、小沢氏は新生党に参加し、ともに細川連立政権に加わった。
鳩山氏は首相官邸で官房副長官、小沢氏は新生党本部の代表幹事(幹事長)。このときの小鳩関係と、いまの小鳩関係は相似形だ。
細川政権の崩壊後、紆余(うよ)曲折があり、鳩山氏は民主党、小沢氏は自由党に別れた。だが03年、小沢自由党は民主党に合流、いまの小鳩民主党ができた。
この合流こそ、保守合同以来の55年体制を終わらせる「第2次保守合同」だった。かつて保守合同を唱えた三木武吉は、保守の総得票率70%に着目した。その物差しを使うと、第2次保守合同の重要性がわかる。
民主と自由の合併後、国政選挙が3回行われた。その得票率を比例代表について比較すると−−
▼05年衆院選=自民38%+民主31%=計69%
▼07年参院選=自民28%+民主39%=計67%
▼09年衆院選=自民27%+民主42%=計69%
自民が勝っても民主が勝っても、合計は7割弱で変動していない。ここがポイントだ。
小鳩民主党という、自民と対抗する第2保守党が生まれた時点で、7割の保守票を2大政党が争う時代に戻ったのである。保守と革新が体制選択選挙をした55年体制は終わったのである。そういう時代を作り出したのは小沢氏だ。選挙に強くて不思議はない。
これから大変なのは自民、民主以外の政党だ。今回の得票率をみると、公明党が11%、共産党は7%、社民党は4%で、前2回の選挙とほぼ同じ。
約7割で安定した保守票。その土俵の中で、十数%の票が2大政党の間を揺れ動いて政権が決まる。土俵の外の中小政党は政権選択に参入する余地がない。
それなら、小選挙区主体の衆院をあきらめ、極端な議席差がつきにくい比例代表主体の参院に重心を移していくのではないか。(専門編集委員)
毎日新聞 2009年9月10日 東京夕刊
5530
:
RAINY DAYS
◆UNJSUkn/rI
:2009/09/10(木) 19:43:18
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090910/200909101428_8798.shtml
平野県議が県政自民クを退会 衆院選で民主支援
2009年09月10日14:28
県議会の最大会派・県政自民クラブ(中村慈会長)に所属する平野恭弘県議
(75)=岐阜市選出、当選6回=が10日までに、同クラブに退会届を出し
ていたことが明らかになった。
平野県議は「都合により」としているが、今夏の衆院選の岐阜1区で民主公
認候補を支援したとして同クラブで問題視されており、自主的に退会の意志を
表明したものとみられる。
5531
:
山口新聞男
:2009/09/10(木) 20:04:54
>>5529
民主党の成長は、すなわち保守票の適度な分散を意味する
中選挙区では、当選ラインを押し上げることになり社共の議席獲得が困難になったが、
小選挙区では保守票を奪い合うからこそ、逆に最後の一押しとして革新・その他票が効いてくる
保守二大政党であっても、保守系だけの争いにはならない
議席として目に見えてこないので、受けは良くないのだが・・・
ちなみに自民+民主の得票率は03年衆院選が72%、04年参院選が68%
03年が高いのは、5党(自・民・公・社・共)しか比例に立候補していなかったからだろう
5532
:
◆ESPAyRnbN2
:2009/09/10(木) 20:39:39
民主を「保守」扱いするなら、国民新は当然、公明も「保守」の範疇に入ってきそうだけどなあ。
郢書燕説な気がする。
「みんな」や「日本新」、「大地」も。
山口新聞さんの、二大政党制、小選挙区制だからこそ、マイノリティーの一押しが重要という
意見には、納得ですけど。
中選挙区は身内を固めれば勝てる(負けない)制度でしたから。
5533
:
名無しさん
:2009/09/10(木) 23:25:22
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090910-OYT1T00097.htm
「昨年秋に選挙やっていれば」悔やむ麻生首相
政権交代
首相官邸に入る麻生首相=田中成浩撮影 ――首相官邸、9日午前11時5分 麻生首相が秋山昌広・海洋政策研究財団会長との面会で、ついに後悔の念を口にした。
「(昨年)10月に選挙をやっていれば、こんなに負けていなかったかもしれないが……」
「選挙の顔」と期待された首相は昨年9月の就任直後の衆院解散を模索したが、「政局より政策」と景気対策を優先して先送り。今なお党内では「あの時解散していれば」との恨み節がくすぶる。
首相は秋山氏に対し、「(解散すれば)金融恐慌に対応できなかったし、経済の立ち直りはなかった。(選挙)結果を犠牲にして、経済のためにやってきた」と、自らに言い聞かせるように振り返ったという。
しかし、首相の“悔恨”を聞いた自民党職員は吐き捨てるように一言。「まだ分かってない。麻生さんを選んだこと自体が間違いだったんだ」
――自民党本部、午前8時30分 その自民党は“余震”が続く。「党再生会議」の初会合が開かれたが、「頭撮り」と呼ばれる会議冒頭の公開が急きょ取りやめに。党職員が記者団を呼び込もうとすると、座長の山本有二・元金融相が「ちょっと待て。頭撮りなんかいいじゃないか」と命じた。
約1時間の会議終了後も、小池百合子・元防衛相が待ち構えたテレビカメラの前で無言を貫くなど、15人の出席者の口は一様に重かった。「それぞれ好き勝手に発言されると混乱した印象を与える」(出席者)とかん口令が敷かれたと見られ、ピリピリした雰囲気。
しかし、山崎拓前副総裁が昼のテレビ番組で言い放った。「2世、3世、官僚出身は一切総裁選に立つべきではない」
――国会、午前10時 一方、公明党の山口代表ら新執行部は各党に就任のあいさつ回り。社民党では、阿部知子政審会長が難航する大詰めの連立協議に触れ、「大変ですね、連立っていうのは」と漏らすと、山口氏は「出発点が大事ですよ」と経験を踏まえ応じた。
山口氏は朝のラジオ番組で、「連立でぼけてしまったことがあるかもしれない。公明党の持ち味である福祉、平和、教育、環境で妥協し、分かりにくくなった点は否めない」と、連立の難しさを指摘しており、“主役交代”を印象づける一幕となった。
――民主党本部、午前9時41分 連立協議が続く中、民主党本部はこの日も千客万来の様子。鳩山代表の地元・北海道から上田文雄・札幌市長が駆けつけ、北海道新幹線の札幌延伸などをさっそく要請した。民主党推薦で当選した上田氏は「これからは陳情ではなく、対等な意見交換」と期待を隠さなかった。
音楽、文筆などで幅広く活躍する上田市長は、面会に当たり、自分の歌のCDを2枚持参し代表にプレゼント。実は鳩山代表も約20年前にレコードを出しており、2人は“歌手”同士でもある。鳩山氏の歌の名は「Take HEART 翔(と)びたて平和の鳩よ」。連立協議もまとまり、20年の年月を経ていよいよ「鳩」が飛び立つ。
(2009年9月10日03時09分 読売新聞)
5534
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 12:24:30
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090911136.html
自民“民主批判CM”は逆効果…6割が悪印象
今回の衆院選で、対立政党を批判するCMを見た人の約6割が、批判された政党ではなく、批判した政党側に対して悪い印象を持ったことが11日、情報通信学会「間メディア社会研究会」の調査で分かった。
同日記者会見した研究会の遠藤薫学習院大教授は、自民党が民主党の政策を批判するアニメCMをネットで公開したり、ビラや冊子を配布したりしたのは「日本で初めての本格的なネガティブキャンペーンだった」と指摘。“逆効果”になっていたことが調査で明らかとなり、「有権者は良識を持って行動している」と分析している。
調査は、衆院選後の8月31日と今月1日の両日、選挙に投票した20代から60代の男女千人を対象に、インターネットを通じ、メディアが投票行動に及ぼす影響を調べた。
それによると、45・5%の人がネガティブCMを見ており、そのうちの63・5%が批判する政党に対して悪印象を受けた。自民党に投票した人の33%もネガティブCMについて悪い印象を持ったと答えた。
インターネットの情報を重要と感じる人の割合は全体の57・3%。20代では76%が重要と答え、58%の新聞、75・5%のテレビを上回った。
[ 2009年09月11日 20:14 ]
5535
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 12:25:57
http://www.asahi.com/culture/update/0911/TKY200909110186.html
総選挙、「薬物」に負けた? TV報道時間、押され激減2009年9月11日15時1分
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女優の酒井法子被告の薬物事件がなければ、今回の衆院選で民主党の得票はもっと伸びていた? メディア研究者らでつくる「間(かん)メディア社会研究会」(主査=遠藤薫・学習院大教授)がテレビ各局の全番組と有権者意識を分析したら、こんな結果が出た。芸能ニュースに押され、盛り上がりに欠けたテレビの選挙報道が浮き彫りになった。
7月13日から衆院選開票日の8月30日まで、NHKと在京民放5社が放送した全番組を調べた。衆院が解散した7月21日を含む同20日から8月2日までで総選挙に触れた番組は各週34〜37時間。しかし、酒井被告の夫が逮捕されたことが明らかになった同4日以降は放送内容が一変。9日までの1週間で、酒井被告や、やはり薬物事件で逮捕された押尾学被告に関する放送時間は54時間55分。選挙は17時間52分まで激減した。
遠藤教授は「テレビは民主優勢の影響を受けた報道内容だった」と指摘した上で、「もっと放送量が増えていれば、選挙結果では民主への支持の振れ幅がさらに大きかった可能性がある」と分析。
また、同研究会は有権者1千人への意識調査も同時に実施。有権者が投票の際に重視した政策テーマは(1)景気対策(2)年金(3)医療、の順番だった。だが、放送された番組時間を分析すると、(1)年金(2)医療(3)教育の順で、「景気対策」は「年金」の1割程度しかない。有権者の最大の関心とずれて、結果的に自民党が選挙戦で強調した「景気対策」が埋没してしまった。(湯地正裕)
5536
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 12:27:08
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091101000836.html
衆院選、他党批判は“逆効果” 6割が悪印象、ネット調査
今回の衆院選で、対立政党を批判するCMを見た人の約6割が、批判された政党ではなく、批判した政党側に対して悪い印象を持ったことが11日、情報通信学会「間(かん)メディア社会研究会」の調査で分かった。
同日記者会見した研究会の遠藤薫学習院大教授は、自民党が民主党の政策を批判するアニメCMをネットで公開したり、ビラや冊子を配布したりしたのは「日本で初めての本格的なネガティブキャンペーンだった」と指摘。“逆効果”になっていたことが調査で明らかとなり、「有権者は良識を持って行動している」と分析している。
調査は、衆院選後の8月31日と今月1日の両日、選挙に投票した20代から60代の男女千人を対象に、インターネットを通じ、メディアが投票行動に及ぼす影響を調べた。
それによると、45・5%の人がネガティブCMを見ており、そのうちの63・5%が批判する政党に対して悪印象を受けた。自民党に投票した人の33%もネガティブCMについて悪い印象を持ったと答えた。
2009/09/11 20:13 【共同通信】
5537
:
チバQ
:2009/09/12(土) 15:43:44
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/syuin/kikaku9/01.html
激動 民主全勝 政権交代09ながさき
大物陥落
気付かなかった疲弊 13年間で地盤変容
閣僚や党の要職を歴任した自民の重鎮、久間章生(68)と薬害肝炎訴訟の元原告で抜群の知名度を誇る民主新人、福田衣里子(28)が戦い「政権交代」の象徴区となった長崎2区−。投開票が行われた30日午後11時近く、久間が選挙事務所内でテレビ局の全国中継に出演する直前、ひな壇脇に置かれたテレビが福田の当選確実を伝え始めた。
「結局ね、伝わらなかった。(防災干拓の出発点となる)諫早大水害も50年以上前。若い人や新興住宅地の人には、今や関係ない話なんだよね」。テレビから流れる福田陣営の歓声を背に、久間は選挙戦で感じてきた、地盤の変容を淡々と語った。
敗戦の弁で久間は「自民への向かい風が強すぎた」と述べた。自民への逆風は、旧来の自民支持層の“久間離れ”も招いていたが、「離れたんじゃなくて、政権交代への期待の波が大きすぎた」と選挙戦を振り返った。
「今回選挙をやっても会うのはお年寄りばかり。お互い年を取りましたなあという感じ」。当落が判明する数十分前、支持者と報道陣でごった返す諫早市の事務所の一室で久間はぽつりと語った。13年間、地元に帰らずに選挙をしてきた久間。この間、地盤を支えてきた支持者も地元の様子もすっかり変わっていた。
落選が決まり報道陣の質問に答える久間章生氏=諫早市栄町の選挙事務所
選挙戦で新幹線整備や諫早湾干拓、道路問題など郷土の主要課題に徹底してこだわった。だが、久しぶりに地盤を歩き回り、疲弊していく地方の実態をあらためて知ることになる。地方の不満は政権与党に向けられていることも。「官僚政治の打破」「変革」を求める民主の勢いに対し、久間は自民政治に批判的な有権者の視線を薄々感じていた。
「自民も地域政策を大胆に転換しなくてはいけない」。久間は選挙戦後半こう訴え「変革」を求める民意に応えようとしたが、遅かった。
衝撃の落選から一夜明けた31日昼。久間は長崎市の自民県連を訪ね、党県連会長職の辞意を伝えた。選挙期間中、「世代交代」「バトンタッチ」という言葉を度々口にしていた久間。だが、金子知事は久間の落選について「非常に残念だ」と述べ、自民関係者からは久間の政治力に今後も期待する声が上がった。「選挙区支部長は当面続ける。後継者はすぐには見つからない」。久間は報道陣にこう述べ、今後の政治活動に含みをもたせた。(敬称略)
2009年9月1日長崎新聞掲載
5538
:
チバQ
:2009/09/12(土) 15:44:20
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/syuin/kikaku9/02.html
激動 民主全勝 政権交代09ながさき
自民の苦悩
小泉改革で基盤崩壊 終盤の焦点は「負け方」
テレビ各社が開票速報で民主党圧勝を伝えていた8月30日午後11時25分。長崎市江戸町の自民党県連幹事長室。3時間ほど前に落選が報じられた長崎1区の前職、冨岡勉(61)が県連幹事長の田中愛国や政調会長の小林克敏に支援のお礼を述べ、頭を下げた。
「小泉さんで勝って小泉さんで負けたということですよ」。2人からねぎらいの言葉を掛けられた冨岡は「言いたいことを言って当選できるなら何でも言う」。民主党が掲げた子ども手当などのマニフェスト(政権公約)を暗に批判したが、その声に力はなかった。テレビ画面では追い風に乗って当選した民主党の新人候補が喜びを爆発させていた。その姿はまるで4年前の冨岡だった。
冨岡は前回、小泉首相の突然の郵政解散を受け急きょ出馬。小泉旋風に乗り比例で復活当選を飾った。しかし小泉首相が進めた構造改革で格差は広がり、地方は疲弊。一転して猛烈な逆風を受けた。もともと強固な個人後援会も持たず、無党派層も多い長崎市を選挙区とする冨岡にはこの突風にあらがう力はなかった。
自民党県議団の議員総会で衆院選の小選挙区全敗について総括する田中愛国幹事長=8月31日、県庁
自民党への逆風は冨岡だけでなく、これまで民主党に負けを許さなかった2、3、4区の候補もなぎ倒した。投票3日前の8月27日に東彼川棚町で開かれた個人演説会。「町長や町議は合併でいなくなった。建設業者も郵政も小泉首相のせいでみんないなくなった」。3区の前職、谷川弥一(68)は小泉改革に伴う自民党の支持基盤の崩壊を嘆いた。そしてこう結論づけた。「自公政権は負ける。しかし農家の気持ちが分かる人間が必要だ。どうか通して(当選させて)ほしい」。応援に立った知事の金子原二郎も「戦後、健全野党がいたから政策のバランスが取れた。自民党が一定の議席を確保することが重要だ」。選挙戦終盤、関係者の焦点はどこまで議席を死守できるか、その「負け方」に移っていた。
自民党は農政連や建設業界など支持基盤を引き締めた。県医師連盟は「比例は公明党」と初めて機関決定するなど公明党との連携を強化。しかし肝心の自民党県議団の動きは鈍かった。ある自民党県議は「県議OBまでフル稼働していた民主党に比べ、こちらはほとんど動いていなかった。国会議員と地方議員との連携が足りない。公明党に頼りすぎては駄目だ」と反省も漏れる。
惨敗から一夜明けた31日、自民党県議団の議員総会であいさつした田中は「これほど負けるとは思わなかった」と率直に述べた。この日、金子を訪ねた2区の前職、久間章生(68)は自民党について「自民党崩壊とマスコミで言われているが僕は『腐っても鯛』だと思っている」。しかし党再生への道のりは険しい。(敬称略)
2009年9月2日長崎新聞掲載
5539
:
チバQ
:2009/09/12(土) 15:45:01
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/senkyo/date/syuin/kikaku9/03.html
激動 民主全勝 政権交代09ながさき
勢いづく民主
夢物語“風”で現実に 組織の強化に課題も
8月31日。午前0時半を回った長崎市樺島町の民主党県連に、幹事長の渡辺敏勝ら県議、市議、支援者約20人の歓声が沸き上がった。比例九州ブロック(定数21)で当選が報じられた川越孝洋(66)は「えらいことになった。盆と正月が急にきた」と興奮気味に話した。事務所内は政権交代の高揚感に包まれ、関係者は全勝を祝う万歳を何度も繰り返した。
川越は比例単独候補として九州ブロック29位に名を連ねた。選挙中は長崎3区の前職、山田正彦(67)の統括選対本部長として山田を支えた。名簿に載ることさえ予想しなかった川越だが、党への追い風を背景に重複立候補した県内の4人を含む20人が次々に小選挙区で当選。同ブロックで9議席を獲得した党の最後の1議席が転がり込んだ。
川越が県議として民主党県連結成に参画し幹事長に就いた1998年12月。県連の国会議員は1区の前職、高木義明(63)1人だった。それから約11年。今回の衆院選で衆参合わせ8人の国会議員を擁し、自民党(2人)を大きく上回る勢力に成長した。高木は川越の当選について「ここまでくると夢物語。まあそれが現実だが」と民主党を圧勝させた世論に戸惑いも見せた。
比例九州ブロックでの当選が決まり渡辺敏勝県連幹事長(左)らと万歳する川越孝洋氏(中央)=8月31日、長崎市樺島町の民主党県連
衆院選で初めて県内全選挙区勝利を飾った民主党だが、3区と4区では自民党候補に詰め寄られ復活当選を許した。ある民主党県議は「やはり自民党は底力がある」と認める。特に「大差で勝利できる」との見方も出ていた4区の元職、宮島大典(46)の陣営にはショックも広がった。9年ぶりの国政復帰を決めたが約4500票差にとどまり、自民前職、北村誠吾(62)が復活当選。喜びに水を差された。総合選対長を務めた県議の久野哲は31日、静けさが戻った選挙事務所で「選挙はふたを開けてみなければ分からない。正直がっくりきた」と肩を落とした。民主党の佐世保市議の一人は「これで次の選挙は自民党が必死で巻き返しにくる」と警戒する。
労組関係者は「県内での追い風はそれほど強くなかったが、勝てたのは地力強化の表れだ。ただ、前回の郵政選挙を見ても分かるように、逆風が吹いても生き残れるのは高木ぐらい」と指摘する。党所属の県議や市議ら地方議員の少なさを含め、地方組織の脆弱(ぜいじゃく)さは課題として残ったままだ。
小選挙区制度では、世論の動向が当落を大きく左右する。郵政選挙で小泉旋風に乗って当選し「小泉チルドレン」と呼ばれた83人の新人議員のほとんどは再び国会に戻れなかった。2区の新人、福田衣里子(28)の選対関係者は「党への人気が高いほど時がたてばその反動が出てくる。小泉チルドレンとは違うところを見せないと」。関係者の次の戦略への模索は始まっている。(敬称略)
2009年9月3日長崎新聞掲載
5540
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 15:59:28
http://mainichi.jp/area/akita/news/20090901ddlk05010005000c.html
「交代」の激震:’09衆院選/上 2区 川口氏に民主の風 /秋田
◇自民や社民、無力感
「政権交代」という歴史的転換点となった09年衆院選。県内3選挙区も自民党が全敗し、民主党が勢いを伸ばすなど政治勢力図をがらりと変える大きなうねりが起こった。県内で民主党へ追い風が吹いた要因は何か、そしてこの変化は何をもたらすのか。選挙区ごとに振り返り、今後を展望する。
「政権交代を成し遂げようじゃないですか」。
衆院選の選挙戦中盤となった8月23日夜、能代市文化会館で開かれた個人演説会で、白いスーツに身を包んだ川口博氏(62)がこう語りかけると、聴衆は沸き立った。
集まった顔ぶれは、普段着姿の女性や会社員など。議員や政治家の後援会関係者、作業着姿の業者といった、従来型の集会と趣を異にした。川口氏が4カ月ほど前に、知事選の候補者としてこの場で演説会を開いたときとも、様相が一変していた。
川口氏は当選した要因について笑顔で語る。「声なき声が後押しし、草の根で一人一人が自分のことのように動いてくれた」
★ ★
2区といえば、元農相の前職、野呂田芳成氏(79)が強固な組織を作り上げてきた。野呂田氏は、4月の知事選に立候補した川口氏を全面支援。選挙期間中は同行し、集会で支持を訴えた。川口氏は敗れたものの、2区の市町村では佐竹敬久知事を圧倒する票を得た。
だがその川口氏の衆院選出馬について、地元では当初厳しいという見方が強かった。
野呂田氏が後継指名していたのは、前参院議員の自民党新人、金田勝年氏(59)。市町村長の多くも金田氏支援に回った。
これに対し川口氏は、いったん“不出馬宣言”。結局立候補を表明したのは公示13日前で、組織は個人的な支持者と民主党を離党した人たちぐらいだった。
それでも知事選を通じ、有権者が求めるものを感じ取っていた。「私は有権者の体温と心を知っている」。8月16日の事務所開きで、前評判を覆す自信を見せた。
演説会場には「いよいよ、政権交代」と表紙に書かれた民主党のチラシを置き、政策もほぼ民主党と同じ内容を掲げ、街頭では「比例代表は民主」と訴えた川口氏。「草の根選挙が2区全体に爆発的に広がった」と振り返った。
同党は連合秋田とともに社民党元職の山本喜代宏氏(53)を推薦していたが、民主党候補がいない選挙区で追い風に乗ったのは川口氏の方だった。
★ ★
「川口さんが立候補してから、支持してくれていた人が顔を見せなくなったこともある」。金田氏は投票から一夜明けた31日、苦渋の顔で振り返った。08年1月に衆院選への出馬を決め、組織固めに奔走。本人も「つじ立ちを重ね、これまでにない選挙をやった自信があった」というほど“ドブ板選挙”に徹した。
「野呂田さんの地盤を引き締めれば勝てる」と陣営は読んでいたが、中盤に世論調査でリードされていると報じられ衝撃が走った。毎日新聞の出口調査では、川口氏は民主支持層の72%、自民支持層からも25%を取り込んだ。
金田氏は能代市などで川口氏を上回り「地盤は切り崩されていない」と強弁したが、「組織選挙」が「風」に負けたのは明らか。金田氏も「逆風というより、暴風雨だった。風以外にも敗因はあるが、今はわからない」というのが精いっぱいだった。
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1351票差での当落。金田氏も比例代表で復活当選し、川口氏は「結果的に2区から国会議員が2人出た。終わったらノーサイド」という。だが旋風のつめ跡は小さくない。
民主を離党した元県連幹部らは選挙中から「いずれ復党する」と本音を漏らしていた。当選した川口氏自身、「1人では何もできないので、どこかの党に入りたい」と述べ、事実上民主党入りの意向を示した。
知事選での川口氏擁立をめぐり民主党と社民、連合の間に生じた溝が、さらに深まった。民主党と選挙協力しながら、2氏に埋没して敗れた社民の山本氏。同党県連の関係者は悔しさをにじませながら言う。「うちらは選挙協力をやったが、(民主党に)裏切られた。でも国民の総意を得ているから逆らえない。突風がやむのを待ちながら、力を蓄えるしかない」【百武信幸】
5541
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 15:59:57
http://mainichi.jp/area/akita/archive/news/2009/09/02/20090902ddlk05010004000c.html
「交代」の激震:’09衆院選/中 3区 農家票も自民離れ /秋田
◇組織、地盤を飛ばす逆風
「ポスターの掲示を農家に依頼したら、3、4軒に『え、自民党?』と断られた」
秋田3区前職で、今回議席を失った自民の御法川信英氏(45)の陣営関係者は、こう打ち明ける。
前回と同様、自民県議の支援が無所属の新人、村岡敏英氏(49)側と割れたうえ党の支持率が低下する中、遊説すると有権者の反応は思いのほかいいと感じていた。一方で各社の世論調査の結果は軒並み劣勢。御法川氏は「戦う相手が分からず、雲をつかむようだった」と話す。
だが陣営の中でも、異変に気付いていた人は少なくなかった。
従来の有力な支持基盤だった農家票離れもその一つ。県農政連は自民党の3候補を推薦したが、選挙で御法川氏を支持した農協幹部は公示前に「今回は京野氏が勝つだろう。規模拡大を目指す政府や自民党の農政が、作り手の高齢化や米価の下落に対応できていない」と指摘した。
さらに後援会組織は会員の高齢化が著しく「父の故・英文氏時代から広がっていない」(別の陣営関係者)。週1回程度地元でミニ集会を開いていたが、外務政務官の公務もあり支持者からは「最近顔を見ないな」との声も漏れた。
05年の“郵政選挙”では追い風を受けて大量得票したが、逆風をはじき返すほどの組織力はすでになかった。
★ ★
3区で当選を果たした民主新人の京野公子氏(59)は8月25日、大仙市のホテルで開いた集会で約150人を前に「政権交代の『駒』として当選させてほしい」と呼びかけた。
訴えの内容は、年金や医療、農政の課題、官僚主導の問題点など。ただ反自民の風任せで選挙戦に臨んだわけではない。
有力な地盤を持たず、平日は街頭に立ち土日はミニ集会を重ねて知名度向上を図った。その京野氏が「きつかったが、徹底的に鍛えられた」と名前を挙げる人物がいる。
小沢一郎・民主党代表代行の公設第1秘書で、政治資金規正法違反容疑で逮捕・起訴された大久保隆規被告。陣営関係者は「街頭に毎朝立ったか、ミニ集会を何回開いたかをABCで採点し、党本部に報告していた」と明かす。大久保被告の逮捕後も別の小沢氏秘書がその担当を引き継ぎ、小沢流の選挙戦術をたたき込んだ。
選対には社民市議や市議OBらも入り、ポスター張りなど実動部隊を担った。京野氏は「連合や社民を敵に回しては戦えない」と認め、民主と社民・連合で支援候補が分かれた4月の知事選では沈黙を守った。
それでも社民県連関係者の一人は「ポスターの下には『比例代表は民主党へ』とあった。『どうしてこれを張らないといけないのか』との声もあった」。2区で当選した川口博氏(62)の民主党入りをめぐり連合や社民とあつれきが起きれば、微妙な立場に立たされる可能性がある。
★ ★
父兼造氏から組織と地盤を受け継いだ村岡氏は2回目の挑戦。自民公認を得られず、「政界再編」を掲げて平沼赳夫・元経済産業相のグループから出馬した。
前回の落選後20万人と会い、5000回以上の街頭演説を重ねた。「地元を歩き回り、(有権者の家に)上がり込んで話を聞いた人間を国会に送り込んでほしい」と地域密着を強調。さらに従来型の組織頼みの選挙活動には限界があるとみて、無党派層向けに無料情報誌の配布などで浸透を図ってきた。
公約集では県内の課題をデータとともに細かく示し、ある大仙市の商工関係者から「公約で言えば御法川氏より魅力的」との評価もあった。それでもふたを開けてみれば前回より票を減らし、再び3位にとどまった。
村岡氏の地盤である由利本荘市で7月に開かれた京野氏のミニ集会。参加した高齢の男性数人が「一度民主に(与党を)やらせ、だめなら自民に戻せばいい。『平沼グループ』と言ってもよくわからない」「これまでは社長に動員されて村岡氏の集会に出ていたが、きょうは違う」と声を上げた。
「有権者に『政権選択』の意識が強い。誰より『どぶ板』に力を入れ、顔見知りを増やすなど種をまいたが、花は咲かなかった」。陣営スタッフは、苦渋の表情を浮かべた。【岡田悟】
5542
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 16:00:45
http://mainichi.jp/area/akita/news/20090903ddlk05010057000c.html
「交代」の激震:’09衆院選/下 1区 組織選挙再び敗北 /秋田
◇新手法見えぬ自民
29日午後9時過ぎ。選挙活動を終えて秋田市の事務所のソファに腰をおろした秋田1区の自民前職、二田孝治氏(71)はぽつりとつぶやいた。「こういうときにオレが出てよかったんじゃないか。別の新しい人を立てても厳しかったでしょう」
街頭では「民主党をたたきつぶさなければならない」と声を張り上げていた二田氏。だが事務所で見せた表情に悲壮感はなく、むしろすがすがしかった。「恥ずかしくない票は取りたいね」
前回に続き二田氏と民主の寺田学氏(32)が激突した1区。05年は郵政解散による「小泉旋風」をはねのけて寺田氏が勝ち、二田氏は辛くも比例復活を果たした。今回は逆に自民党にとって経験のないほどの向かい風で、厳しい選挙は覚悟していた。
30日午後8時過ぎ、開票が始まる1時間以上前に各社が次々と寺田氏当選を報じた。二田氏は同じ事務所で、支持者に深々と頭を下げた。
★ ★
8期目を目指す二田氏が選挙前の決起集会として8月9日に開いた「ふれあい集会」。会も中盤に差しかかるころ、司会者が来場者の参加団体を一つ一つ読み上げ始めた。その時間は約10分に及び、合わせて110人に上った。会場には全農の永田正利会長をはじめ、農協関係者や農林中央金庫の幹部ら約650人が集まった。
危機感を抱いていた二田氏は今回、「自分の原点の選挙」を徹底させた。朝のつじ立ちを繰り返し、公示前から合わせて100社以上を回って支援者宅への訪問も重ねた。
公示後は選挙カーを使って市内を駆けめぐり、住宅地の街区ごとの公園でマイクを握った。「最後の奉公」「政治生活の集大成」をにじませて組織の一体感を強め、「比例は公明」と繰り返して公明支持者の組織にも頼った。
結果は3万1245票差。組織選挙はまたしても敗れた。選挙後、二田氏は「失われた基盤を再構築しなければ」と話した。
★ ★
「少子高齢化が進んで、老後に不安がある」。8月21日に秋田市浜田の海の家で開かれた寺田氏の集会で、1人の男性が切りだした。
約30人に党のマニフェストを配り政権交代の意義を訴えた寺田氏が「何でも聞いてください。プライベートなことでも何でも」と呼びかけると、質問が相次いだ。「高速道路を無料にして本当に大丈夫だか」「財源は?」−−。
寺田氏は「家計が厳しくなると、ビールを発泡酒に替えるなど、優先順位を決めて節約する。国も同じです」などと例を挙げ、わかりやすさを心掛けた。
終了後、参加者の男性(73)は「医療費や年金がどうなるか気になる。とにかく今の状況を変えてもらわなきゃ」と語った。
寺田氏は小集会重視の姿勢を今回はより徹底させ、公示後の集会は85カ所に上る一方で選挙カーは一切使わなかった。
有権者個人に話しかけ、納得してもらって支持を受けるスタイル。二田氏の陣営側は「追い風の中で余裕があったのだろう。ぎりぎりの選挙になってもあのやり方が貫けるか」と冷めた見方をするが、寺田氏は大きな手応えを感じている。
「次も有権者のみなさんと触れ合える選挙をしたい。できれば少しずつでも1区の全戸を歩いて回りたい」
★ ★
自民党内では次の選挙に向け、「1区の後継者」や「次世代の育成」が一部でささやかれる。若手県議を推す声もあるが、ある自民党関係者は「自民大敗のこの状況で前に出ていくのは難しいだろう」という。
二田氏は敗戦の弁を述べた30日、「引退」を口にしなかった。しかし29日には、こんな心情を吐露していた。
「保守をまとめる種を残してやらねばと思ってやってきた。本当はそういう路線を敷いてやりたかったんだが……」。県政界では与党にして過半数を占める最大会派の自民党。国政での「県都奪還」は悲願だが、“新しい選挙”に対抗する手は、まだ見えない。【百武信幸】
5543
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 16:36:53
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000000909010003
政権交代@青森 民主、小選挙区で1議席
2009年09月01日
小選挙区で落選し、複雑な表情を見せた田名部匡代氏。県内では民主党候補のうち3人が比例区での復活で生き残った=30日深夜、八戸市下長1丁目
■幹部は「がっかり」 追い風取り込めず■
「がっかりしているんだ」。31日、県議会民主党会派の控室。同党県連の田名部定男幹事長は渋い表情だった。
総選挙の結果、同党の県選出国会議員の数は衆参合わせて4人から6人に。これまで同数だった自民は3人に減り2倍の勢力となった。だが、3選挙区で自民候補に敗れ、比例復活での当選に終わった結果に、勝利の喜びはなかった。4小選挙区全勝を目指していたからだ。
民主にとって、今回は小選挙区で得票を伸ばす条件がそろっていた。共産、社民両党が1区以外に候補者を立てず、社民との間では初めて選挙協力の協定も取り付けた。連合青森をはじめとする労組組織も政権交代を旗印にかつてない協力態勢を敷いた。そこに全国的な「追い風」。にもかかわらず、十分な勝利を得ることはできなかった。
県内にも風は吹いていたのか。
全国の民主候補の応援に走り回っていた平山幸司参院議員が投票日前日の29日、4区の津島恭一氏の街頭演説に駆けつけた際、報道陣に聞かれると、「んー」と一瞬、言葉に詰まると、答えをはぐらかした。
◇風感じぬ候補◇
津島氏自身も同日夜、選挙運動を終えると、「みなさんが言う風と、私が感じているものとがイコールじゃないような気がする」と語り、風が感じられなかったという感想を漏らした。
共産党の比例区東北ブロックで当選した元青森県議の高橋千鶴子氏は31日、民主の今回の戦いぶりを聞かれて言い放った。
「県内の民主党は保守の流れをくんでいる。他県にある民主党と同じような存在だと青森の県民が思わなかったのではないか」
民主党県連は、もともとは自民出身の田名部匡省氏らが所属した旧新進党県連の解散後、その組織を受け継いだ政治団体「県民協会」のメンバーが中心となって、現在の態勢ができあがっている。高橋氏の発言は、旧民社党系や旧社会党系が力を持つ他都道府県の地方組織より保守色が色濃い点を意識したものだ。
◇「二世に甘え」◇
その田名部氏の娘、匡代氏は今回も3区で自民の大島理森氏の壁を破れなかった。
匡代氏は31日昼、敗戦の弁で「私は二世議員で、出馬したときから今まで父親の後援会に乗ってやってきた。まだまだ自分の甘えがある」と率直に語った。
確かに今回の選挙戦は、参院議員の改選期を迎える匡省氏との二人三脚だった。選対幹部は「(匡省氏は)自分が現職のうちに何としても勝たせたかったのだろう」と、その心情を代弁する。
しかし、その様子は、突然の引退表明後、長男の淳氏を後釜に据えたいとの意向を周辺に伝えた自民前職の津島雄二氏とそっくり。世襲問題は民主党も無縁ではない。
◇比例票が救う◇
一方、2区の中野渡詔子氏は30日夜、小選挙区の勝敗が決まらない中、比例区で当選確実の一報が伝えられると、事務所で支持者と一緒にバンザイをした。あとでその話を聞いた同党県連関係者は「小選挙区で勝つのが目的なのに認識が違いすぎる」と不快感をあらわにした。
選挙を自分の力で勝ち抜いた末ではなく、追い風を受けた東北ブロック全体の民主への票に救われただけという思いがそこにある。
開票作業の途中で、負けたと思いこみ、比例復活の可能性があるにもかかわらず、「十字架を背負って歩いていく」と「敗北宣言」を述べた3区の大島氏とは対照的だ。
県内のある自民支持者は選挙中、ある民主候補が「県内の時間給の最低賃金を1千円にする」と訴えていたことに違和感を覚えた。
民主のマニフェストは確かに、全国平均時給1千円の最低賃金を目指すとしている。しかし、県内の時間給の最低賃金は600円台。経営者は言う。「7、800円台ならばまだ分かる。いきなり青森で1000円というのは、経済を分かっていない。理想のまた理想だ」
今回、唯一小選挙区で勝利を収めた1区の横山北斗氏。比例で復活当選した1期目以上にその働きぶりが問われる。
当選後の会見で、横山氏は緊張した表情を見せた。「公約として掲げたことを4年以内に実行していくことが大事。それができなければ、4年後にはまた、逆の結果になる。それぐらい有権者の目は厳しい」(栗田有宏)
5544
:
チバQ
:2009/09/12(土) 17:03:58
全然情報のなかった南関東比例下位当選の相原しの女史の情報
http://www.townnews.co.jp/020area_page/04_sat/02_hada_sat/2009_3/09_03/hada_top1.html
第45回衆院選
秦野にも民主の風
8月30日に投開票が行われた第45回衆議院選。世論の圧倒的な追い風を受け全国的に民主党が躍進するなか、秦野市を含む神奈川17区でも、民主党の新人神山洋介氏が初当選を果たした。
新人4氏の争いとなった17区で神山洋介氏は、13万9千678票を獲得。これは2005年9月に行われた前回の衆院選と比較すると、民主党候補者として5万票近い上積みだ。自民党から出馬した牧島かれん氏は10万5千806票。無所属の井上よしゆき氏は4万2千881票、幸福実現党の中野じゅん子氏は4千67票にとどまった。
市内でも、神山氏が最多の4万5千760票を獲得、牧島氏に1万4千票近い大差を付ける結果となった。
比例代表においても、民主党が県内で、前回衆院選の自民党得票(約203万票)をも上回る211万票を獲得して圧勝。市内でも民主が3万9千164票と、自民を1万5千票以上引き離した。市内の投票率は、68.16%(小選挙区)と、前回から2.98ポイント増。
相原史乃氏(菩提在住)が比例で当選
今回、比例代表選南関東ブロックで、民主党から立候補していた相原史乃氏(35歳・菩提在住)が当選。衆参両院制度後では、市内から5人目となる国会議員が誕生した。
相原氏は当紙取材に対し、「日本経済の9割を占め、日本経済を支える底力」である中小零細企業を守り、「国民が明るい気持ちで生き生きと暮らせる労働環境」の整備・改善を出馬理由とした。また今後の抱負として「労働者環境と経営者環境の双方の調整・整備」「公務員改革」「教育改革」の3点を挙げる。
略歴/1996年3月慶應義塾大学総合政策学部卒業。現在は(有)茜堂を経営。2001年に小沢一郎政治塾に第1期生として入
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名無しさん
:2009/09/12(土) 18:10:27
http://203.139.202.230/09senkyo/090906sen01.htm
衆院選を終えて 県内政党座談会
政権選択を最大焦点に8月30日投開票された第45回衆院選は、野党第1党だった民主党が全国で308議席を獲得する歴史的勝利を収め、惨敗した自民、公明両党は政権を明け渡すことになった。 一方、県内3小選挙区はいずれも公明の推薦を得た自民前職が、民主新人、共産元職・新人、無所属の元知事らに勝利し、逆風をはね返して四たび議席を独占。1区は福井照氏(55)が4選、2区は中谷元氏(51)、3区は山本有二氏(57)がともに7選を果たした。比例代表四国ブロック(定数6)は比例単独の公明前職の石田祝稔氏(58)が5選、自民前職は届かなかった。重複の県内選挙区の民主候補はいずれも復活できず、本県は与党衆院議員がいない唯一の都道府県となる。 民主党中心の新政権で政治はどう変わり、本県への影響はどうなのか。県内主要5党の責任者に選挙の総括などを語ってもらった。
※出席者 自民党県連幹事長・武石利彦氏、民主党県連幹事長・大石宗氏、公明党県本部幹事長・黒岩正好氏、共産党県委員会委員長・佐竹峰雄氏、社民党県連合幹事長・今西忠良氏、司会=堅田正剛(高知新聞社政治部長)
【写真】左から、自民党県連幹事長・武石利彦氏、民主党県連幹事長・大石宗氏、公明党県本部幹事長・黒岩正好氏、共産党県委員会委員長・佐竹峰雄氏、社民党県連合幹事長・今西忠良氏
総括
―全国的に民主党が大勝する一方、県内3小選挙区は自民が独占した。総括を。
武石 県内の戦いで言えば、政権が代わることへの有権者の期待感と不安感が交錯し、衆院解散までは期待感の方が強かった。だが民主党のマニフェスト(政権公約)修正などで不安感が増し、自民党候補への期待に変わった。それをベースに組織力を生かして戦えた。公明党の選挙協力も大きな勝因の一つ。また(党県連が割れることが多かった)橋本県政から尾?ア県政に代わり、久しぶりに党が一枚岩で選挙に臨めた。全国的な惨敗は真剣に受け止めている。
大石 厳しい審判だ。新しいもの(政治)に踏み込むことへの有権者の恐怖感、不安感をいかに取り除き、安心や期待に変えていけるかがポイントだったが、選挙本番に入り、期待より民主の政策への不安が多くなった。党マニフェストが一部で誤解のある表現で流れるなど、その中身を有権者に届けるのに手を尽くせなかった。戦略不足、手勢不足だった。全国的な圧勝は、自公政治への不満の上に民主党が無駄遣いの根絶、脱官僚主導政治などを提示し、今の時代に必要な考え方として理解いただいたものだと思う。
黒岩 比例四国の議席を維持でき、目標は達成した。梼原町で公明が比例第1党になるなど、前回より比例票が増えたのは、自公の選挙協力が一定実った結果だと評価している。3小選挙区の結果は、本県の経済などが厳しい状況にある中、有権者が地域代表を選ぶとき、経験や実力のある前職に期待したのではないか。
佐竹 自公政権の退場は歓迎すべき結果。共産党の全国で(改選前の)9議席確保は健闘と言えるが、四国で議席を獲得できず、県内比例票も約1万2千票減らした。客観要因としては小選挙区制の壁だ。自公への逆風が民主に集中し、マスコミも含めた政権選択キャンペーンの中、「政治を変えよう」という風が共産には逆に圧力にもなった。一昨年の参院選以降、集会などで党の全体像を理解してもらう努力をしてきたが、まだ道半ば。足りなかったとの反省もある。
今西 (比例、小選挙区含めた)四国での議席獲得が悲願であり、残念な結果となったが、自公政権に終止符を打てた。全国的にも(改選前の)7議席を確保できたことは大きい。県内小選挙区では民主3人をローカルレベルで推薦し、特に1区、3区は社民が前面に出て戦ったが、自公の壁が厚かった。
―自民独占を後押しした自公協力では、2、3区の公明の比例票は伸びる一方、1区では減っているが。
黒岩 自公協力は結果として成功したと思っているが、(1区で)現実的に減った部分は今後、分析する。
武石 (2、3区の)郡部では政権交代への不安が票の増加につながる一方で、無党派層の多い1区は、自公政権批判の強さが(そのまま)結果に表れたのではないか。
―民主県連は立て直しが急務だ。
大石 (有権者との)チャンネルを充実させる意味で、今後の選挙で多くの同志をつくり、地域の現場を知る仕組みを構築することが必要だ。県連が結束し、今回の結果を肝に銘じ、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の気持ちで取り組む。
5546
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 18:11:14
>>5545
今後の政局
―政権が交代し、特別国会が開かれ組閣人事に入る。予算の取り扱いも注目だ。
大石 マニフェストをいかに実現していくかが問われる。説明不足で県民に不安を感じさせた部分も、実行で解消しなければならない。政権公約を提示して選挙協力しており、連立協議も心配していない。本県は全国で唯一、民主党の衆院議員がいない県になってしまった。県連として本県の事情を伝えていく。来年の参院選が実行具合を測る物差しになる。それまでにいかに信頼を得るかが県連の宿題だ。
今西 参院は民主党が(単独で)過半数を占めておらず、野党共闘で社民は重要な位置にいた。政権にかかわる条件は党の基本政策が保障され、社民という政治勢力が弱くならないことがベース。重要な基本政策が違う政権に付いていくのは、かつての村山政権時のように一面では自殺的行為になりかねない部分もある。外交や安全保障、憲法など大きく違う面もあり、個人的には閣外協力がベターではないかと思う。
佐竹 新政権下では建設的野党の役割を果たす。良い点は協力。悪い点は反対、阻止。問題点はただす立場で臨む。自民党も破壊的野党にならず、私たちと適切に手を携えてほしい。後期高齢者医療制度の廃止や労働者派遣法の抜本改正、子育て教育支援は大いに協力する。しかし日米のFTA(自由貿易協定)は日本の農業に壊滅的打撃を加える。衆院比例定数の削減は世論を削ることになる。民主党は財界中心の政治、日米軍事同盟の最優先という枠を超えていない。共産党ならではの提言が必要だ。
黒岩 民主はマニフェストに財源も明確に示さないままだ。農業の戸別所得補償や高速道路無料化、子ども手当などがあるが、新聞報道では16・8兆円の財源に関して党の最高顧問が「そこまで触れなくていい。どうにかなるし、ならなければ『ごめんなさい』と言えばいい」と。国民も期待感を持って一票を投じたと考えられ、示した政策は責任を持ってやらなければ大変な詐欺的行為だと感じる。しっかり頑張っていただきたい。
大石 2年前の参院選で与野党が逆転して、いろんな問題が明らかになった。政権交代で本当の国の姿が明らかになる。今後の行動で評価をいただく。
今西 衆院比例の削減は政治が活力を失い民主主義に反する。高速道路無料化も受益者負担に反し、環境への負荷も大きい。財源とのバランスも含めて考えてほしい。
―自民は総裁選が控える。
武石 党再生には総裁選が重要な位置付けになる。派閥の力学では断じてやってはならない。党再生プランを争点にすべきだ。勢力が減った中から真に党再生のエッセンスをつくり、その輪を大きくするためにも新リーダーは重要。県連も党員個々の意向が反映できる予備選挙に取り組みたい。
―当選した自民党3氏が果たすべき役割は。
武石 高知県に与党衆院議員がいなくなる。当選した自公の議員は責任が大きい。政権運営の経験があり、力のある野党議員だ。自民党の大惨敗は中央集権的な分配の時代でなくなり、役目を失ったのが要因の一つ。民主党は分配型政権ではないと言うので、与党議員がいないから本県に分配がないとは論理的にならない。3氏は地元にいる時間を増やし、現場主義に徹して地方から政策を練り上げ、尾?ア知事とともに本県の実情を政権に訴える。野党100%の本県から地方分権の動きをつくりたい。
5547
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 18:11:30
>>5546
参院選対応
―来年の参院選にどう臨むのか。
大石 衆院選の総括と併せ、党県連の方向性をできるだけ早く示したい。党公認の独自候補を擁立するのが命題だ。衆院選2、3区で協力した現職、広田一氏を前回は推薦したが、党員ではない。これから広田氏と話し合いたい。
今西 総選挙が終わったばかりでまだ頭にない。少数政党なので衆院選では県内選挙区に候補者を立てられず、参院選も長く独自候補は立てていない。最近は民主党候補を推薦してきた。独自候補は厳しいだろう。
佐竹 参院選は「政権交代」一色にはならず、政治の中身が問われるはずだ。衆院選の反省を踏まえ、できるだけ早く候補者を決め、どう戦うか方向性を定めたい。来年早々にも見込まれる党大会に向け、意見を集約していきたい。
武石 参院は自民が2議席とも失っている。衆院選で一枚岩になれた県連の態勢を崩すわけにはいかない。一枚岩になれ、確実に議席を奪還できる候補を擁立しなければならない。前職も含まれるし、公募という方法もある。どういう方法で選定するか、まず党員に問い、年内にも決めたい。民主の政権運営を見極め、争点を明確にしていきたい。
黒岩 党代表も幹事長も落選し、党の立て直しが命題。参院選に向けた具体的方向性は、その後になる。従来通りなら、比例区に力を入れた取り組みになる。生活実感のある政治、信頼ある清潔な政治という二大政党にはない党公約を掲げ、政策を基本に臨むことになるだろう。(自公選挙協力は)自公連立10年で信頼感がつくられた歴史がある。それは大事にしていかなければいけない。
国と地方の関係
―民主党政権へ交代後の国と地方の関係をどう見通すか。
大石 全国で唯一、民主党の衆院議員がいない県だが、国政では政権を担う立場。地域の実情を知るためいろんなチャンネルを構築し、県民と意見交換の場をつくっていく。中央集権のひずみがいろいろな弊害を起こしている。地方が将来に向けて自立できる体制を目指し、他県連の2倍、3倍の努力をして国政の場に県の実情を訴えていきたい。
今西 今日までの地方と国の関係が、政治的にも経済的にも行き詰まってきた。三位一体改革や規制緩和で格差が生まれ、国民生活が疲弊し、財政を理由に福祉、教育、環境が切り捨てられた。政権交代をした今こそ、真の地方分権を確立し、地方の税財源の充実強化を進めなければならない。国と地方代表が協議する地方行財政会議の法制化が急務だ。
黒岩 公明党の地方分権の政策は、全国知事会から高く評価された。民主党政権で、地方分権がどう進展していくか注視したい。民主党の予算組み替えが県、市町村にどういう影響を与えるか、大勢の県民が懸念している。厳しい本県がさらに厳しくなることがないようにしてほしい。
武石 政権が代わっても、本県の厳しい財政、雇用への対策は継続しなければならない。県議会が7月に可決した大型補正予算がどうなるのか、今後の公共事業の在り方、暫定税率廃止、高速道路無料化が県に与える影響を憂慮している。日米自由貿易協定締結や補助金廃止が本県の農業をますます弱めるのではないか。力ある野党として、政権に物申していく。
佐竹 民主党政権に対して、良いことは推進、悪いことは反対、問題点はただすという姿勢で臨む。分権に関してはただすことが多くなるだろう。民主党は国の役割を外交、防衛、危機管理などに限定する方針だが、国が国民のナショナルミニマム(最低限保障すべき水準)に責任を果たせるのか不安だ。無駄削減と称して公共事業予算がなくなるのは、本県にとってとんでもないこと。地方分権については、道州制や強制的な市町村合併には反対していく。
(2009年09月06日付朝刊)
5548
:
名無しさん
:2009/09/12(土) 18:46:01
http://www13.plala.or.jp/news21/shimen/0911_sp01.html
衆院選当選者に聞く/民主党県連代表・寺田学氏
今回の総選挙で、小選挙区の秋田1区から民主党で出馬し当選した寺田学衆議院議員(民主党県連代表)に、これからの動きなどを聞いた。(9月4日インタビュー)
■今回の総選挙の民主党の風について。
「民主党に支持が集まったというより、自民党がダメだということで、結果として民主党に票が集まったということでは。自民党への批判の受け皿になったということだと思う。私自身選挙中、追い風の実感はなかった。厳しい質問を受けたり、集会所を確保する際、民主党には貸さないというところも少なくなかった。秋田が強い保守地盤であることは、前回同様肌で感じた。地方議員の数を見てもわかるのでは」。
■これから国政で力を入れていきたいことは。
「秋田の地元が元気になるように、中央からの財源委譲など地方分権に力を入れたい。また、若者の雇用や社会保障についても地道に頑張りたい」。
■党内ではどのグループに属するか。
「菅直人氏に指導いただき、国政の今後についていろいろ話している。菅氏は今まで自民党に入ったことがなく、純粋さがあり、政権交代にぴったりする人。よく攻撃的だと称されるが、実際会うとそんなところはない。具体的に菅氏のグループに参加したのは、4年前の私の2期目の時からで、党の代表選以降」。
■野党から与党になるが。
「今までは与党を追及してきたが、今度は結果が求められる。後で言い訳したところで国民の厳しい審判が待っている。そういう点からも、今回の当選は前回の2期目とは違い、喜びよりも緊張感がある。重責を感じる」。
■2大政党制について。
「政権交代が可能な政治体制に今回なった。今回は民主党が圧勝したが、今後選挙が続けば次第に議席が落ち着いてくるのでは。政権交代が可能な政冶体制の中で、しっかり役割を果たしていきたい」。
■どういう秋田にしたいか。
「働くこと、老後、子育てが安心してでき、ゆとりがそこそこあるような県にしたい。のんびりした県民性で、自然などの豊かさを享受できるのは秋田の魅力。大事にしたい」。
■秋田2区の対応について。
「無所属で当選した川口博氏は、直接民主党に入党を申し込んできており、近々結論を出す予定。おそらく受諾する方向で決まるのでは(※9月5日、民主党県連常任理事会で入党了承)。党を離れて県連が定めた方向性とは別の候補を応援した方々については、軽々に入党を認める環境にはない」。
【続きは誌面で】
5549
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:49:31
明日への選択 第3部 政権の条件
(1)背水結束演出 危機は去らず
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/01.shtml
衆院解散から一夜明けた22日午前。兵庫7区の自民前職大前繁雄(67)は空路東京から戻ると、地元西宮市で支援者へのあいさつ回りに向かった。
「麻生さんも謝り、(反麻生の急先鋒(きゅうせんぽう)だった)中川(秀直元幹事長)さんも握手した。あれで『よし、やろう』という気になれた」
内閣支持率の低迷、大型地方選4連敗などかつてない逆風に、総裁選の前倒しを強く訴えてきた大前だったが、前日の両院議員懇談会に触れ、気持ちの切り替えを強調した。
ただ、それで危機感が和らいだわけではなかった。今年初めには、自身が理事長を務める学校法人による不透明な国有地取得が表面化。「道義的責任を感じる」などと議員辞職や立候補辞退の可能性にまで言及したことが、選挙に及ぼす影響も懸念されている。
発言の機会は与えられなかったが、懇談会で大前はある提案をしようと考えていた。「総総分離」。首相は麻生のまま、別の人物を党総裁に据えて選挙に臨もうという戦略だ。
「別に麻生さんが嫌いなわけじゃない。総裁が代わればご祝儀で政党支持率は必ず上がる。そんなおいしい手をなぜとらないのか。これまでもそう言ってきただけだ」
■
大前と同様、11区の自民前職戸井田徹(57)も両院議員懇談会後、麻生の下で戦うことに異を唱えなかった。
6月中旬、日本郵政の社長人事をめぐり、前総務相鳩山邦夫が「更迭」されたのを受け、「納得できない」と厚生労働政務官を辞任。昨年9月の党総裁選では麻生の推薦人に名前を連ね、政権誕生に貢献した戸井田だったが、鳩山とともに政権、そして党にも深いダメージを与えた。
「景気対策を最優先させてきた首相の方針は支持できる。あの(総務相更迭)判断だけが残念だった」。戸井田はそう批判のトーンを弱め、党内一致結束を訴えた。だが、行動を共にする鳩山からは「1人では何もできないので、いろんな方と相談する」と新党結成をほのめかすような発言も飛び出す。
■
前回、民主候補にダブルスコア以上で圧勝した9区の自民前職西村康稔(46)は、総裁選前倒しなどをめぐる党内の主導権争いとは一定の距離を置いてきた。解散翌日の22日も淡路島内を走り回り、支持者らに「政治刷新」や「世代交代」を強く訴えかけた。
「改革派の若手が連携し、先頭に立って自民党政治を立て直す覚悟だ」と西村。「民主の大勝なら大勢の“小沢チルドレン”が誕生し、党内から少なからず不満が出る。接戦なら、大連立とか新党結成の可能性もある」。その目は既に衆院選後の政界再編も見据えている。=敬称略
◇
自公政権が歴史的な大勝を収めた「郵政選挙」から4年。政権選択が最大の焦点となる衆院選が事実上、スタートした。未曾有の不況などに直面する今、この国の明日を託せるのはどの政党なのか。その条件とは何か。兵庫の現場から探る。
(総選挙取材班)
(2009/07/23)
5550
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:50:12
明日への選択 第3部 政権の条件
(2)反動ひずみ残す「小泉改革」
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/02.shtml
初当選した4年前から続ける朝の駅立ち。兵庫3区の自民前職関芳弘(44)は23日もJR須磨駅前で午前6時から約3時間、通勤客らに支持を訴えた。ただ、「自民」の2文字を口に出すことは一切なかった。
前回、党の公募で衆院解散の2日後、候補に選ばれた関。銀行員を辞めての挑戦だったが、「地盤も看板もないのに『郵政民営化に賛成、小泉改革を支持する』と訴えるだけで支援の輪が広がっていった」という。
しかし、今回は状況が180度異なる。政党色はできるだけ出さずに選挙戦へ臨む決意を固める。前面に打ち出すのも「小泉改革」ではなく、小選挙区での雪辱を期す民主前職土肥隆一(70)も意識した「世代交代」だ。
国土交通省の官僚から転身、2選を目指す1区の自民前職盛山正仁(55)も「今回は自分自身の実績を訴える。それを有権者に評価してもらいたい」と話す。
全国で80人以上もの「小泉チルドレン」を生み出した郵政選挙。自民への追い風は、4年で完全にその向きを変えた。
有権者の熱狂的な支持を得た郵政民営化に代表される元首相小泉純一郎の改革路線。だが、そのひずみはさまざまな所に現れている。
「三位一体改革」で計5・1兆円の地方交付税が削減され、悲鳴を上げる自治体財政。規制緩和による市場主義の徹底は都市と地方の格差を拡大させた、とされる。日本郵政の「かんぽの宿」売却問題は、前総務相鳩山邦夫と社長西川善文との確執という形で、麻生政権の足元を揺るがす事態にまで発展した。
今月上旬、神戸市を訪れた山口俊一首相補佐官は、県内の首長らとの対話集会で小泉改革を「画期的だったが、地方を疲弊させたことは間違いない」と総括。麻生政権による地方再生への取り組みをアピールした。
党内に高まる小泉改革の否定、路線転換を求める声にチルドレンの1人、6区の自民前職木挽司(50)は反論する。「ひとくくりに『負の遺産』とするのはおかしい。規制緩和推進は経済成長に欠かせない」
■
小泉政権の下などで構造改革の一環として推進された「平成の大合併」。兵庫県内でも21市70町(1999年度末)が29市12町に再編された。その陰で、自民の国政選挙を支えてきた保守系の市町議約500人が引退を余儀なくされた。
「地域に根ざした地方議員の存在が力の源泉だったが、それが崩れてしまった」と自民県連幹事長の五島壮(66)。逆風が強まる中、五島ら県連役員はこうした引退議員を訪ね、衆院選への協力を呼び掛けている。週明けに開く商業、建設業団体などとの会合の場でも支援を要請するという。
改革で崩れかけた支持基盤との関係は修復できるのか。大勝の代償が重くのしかかる。 =敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/24)
5551
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:51:37
> 民主がマニフェスト(政権公約)に盛り込む政権機構の構想概要が23日、明らかになった。政治主導の政策決定へ、各省庁に100人以上の与党議員を送り込むという。
> 小選挙区の民主公認候補は266人。このうち新人は兵庫の5人を含む111人と4割以上を占める。民主が衆院選に大勝、水面下の調整などに当たる委員会の筆頭理事にベテランを起用していくと、大臣や副大臣に新人ら当選回数の少ない議員を登用せざるを得なくなる。
>「新人を筆頭理事に起用すれば、国会が回らなくなる。優秀な新人であれば閣僚は務まるだろうが、ベテランたちがこれを受け入れることができるのか」
> 政策研究大学院大教授の飯尾潤は「民主の最大の弱点になる」と指摘する。=敬称略
明日への選択 第3部 政権の条件
(3)弱点新人4割、地盤に不安も
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/03.shtml
首都圏での公認候補回りの途中、民主党副代表の参院議員石井一(74)は車内から、兵庫5区の元職梶原康弘(52)の携帯に電話をかけ、一気にまくしたてた。
「相手(自民前職谷公一)陣営は選挙区内に張り巡らした組織網で地上戦を展開してくる。40日あれば何が起こるか分からない。風頼みの戦いはするな」
参院民主の総選挙対策本部長代理を務める石井は、大型地方選連勝や民主優勢を伝える報道各社の世論調査などで党内に漂う楽観ムードが気掛かりで仕方なかった。21日の衆院解散直後、党本部(東京)で公認証を受け取った兵庫の立候補予定者たちの高ぶったような表情も、そんな懸念に拍車を掛けた。
民主が有利と言われた4年前は解散直後、首相だった小泉純一郎の会見で風向きが一変、石井自身も強烈な逆風を受け議席を失った。だからこそ引き締めに躍起にならざるを得ない。選挙に慣れていない新人陣営には、サポート役として現職の参院議員を置くほどの念の入れようだ。
「世論調査に一喜一憂する前に1人でも多くの支援者と向き合い、急いで強固な地盤をつくり上げなければならない」
■
「気の緩み」とともに、不安視されるのが選挙を支える地方組織が、自民などに比べはるかに脆(ぜい)弱(じゃく)なことだ。
兵庫県の場合、県議や市議は神戸、阪神間などを中心とした都市部に集中。保守地盤とされるほかの地域では党所属の地方議員は数えるほどだ。「(支持団体の)連合の組合員がいないとポスター張りさえできない陣営もある」と県連幹部。後援会やサポーター党員の拡充も図るが、思うように進んでいないという。
今月5日投開票の県知事選では党方針に反して、「地方の事情がある」と県連独自で自公などとともに現職候補を推薦。政権交代を目指す衆院選を前にした与党との相乗りは、組織の足並みがそろっていない現状を浮き彫りにした。
■
民主がマニフェスト(政権公約)に盛り込む政権機構の構想概要が23日、明らかになった。政治主導の政策決定へ、各省庁に100人以上の与党議員を送り込むという。
小選挙区の民主公認候補は266人。このうち新人は兵庫の5人を含む111人と4割以上を占める。民主が衆院選に大勝、水面下の調整などに当たる委員会の筆頭理事にベテランを起用していくと、大臣や副大臣に新人ら当選回数の少ない議員を登用せざるを得なくなる。
「新人を筆頭理事に起用すれば、国会が回らなくなる。優秀な新人であれば閣僚は務まるだろうが、ベテランたちがこれを受け入れることができるのか」
政策研究大学院大教授の飯尾潤は「民主の最大の弱点になる」と指摘する。=敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/25)
5552
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:51:51
なぬ!?06年迄あったんかいな。
>会見が開かれた尼崎は94年の市長選で、「非自民・非共産」という兵庫独自の選挙協力方式「連合・5党協」(2006年に消滅)が発足した地でもある。
明日への選択 第3部 政権の条件
(4)軸足連立10年 迫られる総括
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/04.shtml
「よそから来た全く関係ない人に、尼崎の地を譲るわけにはいかない」
24日午後、JR尼崎駅前。公明党代表太田昭宏と並びマイクを握った兵庫8区の同党前職冬柴鉄三(73)は、こぶしを握りしめて声を張り上げた。
ほぼ同時刻、近くのホテルでは、参院議員から同区にくら替え立候補する新党日本代表の田中康夫(53)が記者会見を開いていた。会見には民主党代表鳩山由紀夫も同席し、田中推薦を発表。冬柴の言葉は2人への「宣戦布告」だった。
1999年10月、党幹事長として「自自公」連立政権発足に携わった冬柴。旧自由党が離脱した後も自公連立の要の役割を果たしてきた。一方で国交相当時、同省が道路特定財源でマッサージチェアなどを購入していた問題に、役所擁護の発言をし批判を浴びた。
そんな冬柴に民主は勝負を仕掛けた。白羽の矢を立てたのが長野県知事時代、「脱ダム宣言」で公共事業の在り方に一石を投じ、全国から注目された田中だった。
先月の同市議選で、公明は候補者を前回の当選者より2人減らして臨んだ。自民に恩を売り衆院選での協力体制を固める―。公明側の強い危機感が表れた「取引」だった。
■
「野党時代の公明は『国益』(を考える)という点で、足りない面があった。自民にも庶民の目線など欠ける部分があった。それを互いに補い、学び合ってきた」
今月から兵庫県内各地で自民、公明両党が開く合同国会報告会。衆院比例近畿ブロックに立候補予定の公明前職赤松正雄(63)は「自公連立」の意義をそう強調している。
公明は支持母体創価学会の強固な組織力で自民の選挙を支え、児童手当拡充を実現させるなど政府与党内で確実に発言力を増してきた。
一方で、自衛隊のイラク派遣など安全保障政策では譲歩を重ねた。支持者からは「平和の党として独自性を失った」との不満も漏れた。
■
民主の代表代行小沢一郎と公明代表太田との直接対決が取りざたされ、兵庫8区と並び注目された東京12区。24日、小沢の「国替え」は見送りが決まった。
田中の会見中、将来的な公明との連携の可能性を問われた鳩山は「(小沢が国替えすれば)公明との関係は決定的になっていた」と微妙な言い回しでかわした。会見が開かれた尼崎は94年の市長選で、「非自民・非共産」という兵庫独自の選挙協力方式「連合・5党協」(2006年に消滅)が発足した地でもある。
民主が政権を取った場合、公明は自民とともに野に下るのか。「すぐに自民との関係を解消することは信義上あり得ない」。公明兵庫県本部幹事長の野口裕(59)はそう断言した上で続けた。
「自民が分裂などでごたつけば、いろいろ考えなくてはならないだろう」=敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/27)
5553
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:52:27
>2000年以降、3回の衆院選で兵庫6〜8区に候補者を擁立してきた社民も今回は、8区の新人市来伴子(31)に絞った。「党勢を考えると、ほかに立てられる状況ではなかった」と同党兵庫県連幹部。
兵庫の社民も衰亡著しく民主に収斂されるのももう少しかなぁ。。
宝塚市長の中川
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1069407561/1293
が変にパワーアップして戻ってくる危惧はあるけど。。
明日への選択 第3部 政権の条件
(5)存亡埋没回避へ続ける模索
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/05.shtml
衆院解散直前の19日、神戸・新開地の共産党兵庫県委員会で開かれた地区委員長会議。議題は1週間前に行われた東京都議選の総括と衆院選への展望だった。
「都議選の得票は前回(2005年)や07年参院選の都内での比例票を上回った。衆院選へ重要な足掛かりになる」
冒頭、同党県委員長岡正信が党中央委員会の見解を報告した。得票増は投票率の大幅上昇(前回比10・5ポイントアップ)が大きな要因の一つだが、岡は参院選比例票の約1・3倍と伸び率では民主を上回ったことにも触れ、「勢い」を強調した。
ただ、結果は改選前の13から8へと5議席の減。自民中心か、民主中心か―。衆院選の焦点「政権選択」が都議選でもクローズアップされ、存在はかすみがちだった。
兵庫では今月5日の知事選で、自公や民主県連などが推す現職と争った新人が、完敗ながら共産単独推薦候補として過去最多の得票を記録。だが周囲は、相乗りを嫌った民主支持や無党派層の「受け皿になっただけ」との見方が大勢だ。
ある共産地方議員は「衆院選は経験したことのない厳しい戦いになる」と覚悟を決める。
■
衆院選に向け共産は今回、これまで目標としてきた全小選挙区での候補者擁立方針を転換。「参院比例の得票率8%以上」、または「各都道府県で1人以上」を基準に擁立区を絞った。前回12選挙区すべてに候補を立てた兵庫は、神戸・阪神間の6選挙区に半減した。
一方、世界同時不況に伴う「派遣切り」で浮かび上がった非正規雇用問題への取り組み、格差社会やワーキングプア(働く貧困層)を背景とした「蟹工船」ブームに、県委員会幹部は「党勢拡大の好機」とする。目標は「比例近畿ブロックで4議席以上」「兵庫で比例票35万票」。
県内唯一の比例重複候補で3区に立つ新人金田峰生(43)は、与党批判票を取り込もうと、自民を支援してきた農業団体などへの接近を試みる。
■
2000年以降、3回の衆院選で兵庫6〜8区に候補者を擁立してきた社民も今回は、8区の新人市来伴子(31)に絞った。「党勢を考えると、ほかに立てられる状況ではなかった」と同党兵庫県連幹部。「党内の閉塞(へいそく)感を打ち破り、若い世代を含む幅広い層に受け入れられる人材を」と唯一の候補として、NPO法人で環境保護活動などに携わる市来を選んだ。
候補が未定だった民主党に協力を要請。社民県連代表の今西正行(70)自ら出身労組が同じ民主選対委員長の赤松広隆(61)を訪ね、擁立見送りを打診した。しかし、その望みも民主が推薦する新党日本代表、田中康夫(53)の登場でついえた。
「二大政党では拾うことのできない声がある」。そう訴える今西もまだ党浮上の戦略を描けていない。=敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/28)
5554
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 18:53:08
>>5549-5554
明日への選択 第3部 政権の条件
(6)世襲「政治参加」阻む足かせ
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/shakai/200907asu/06.shtml
「ガンバロー」。約250人の出席者全員が拳を突き上げて叫んだ。20日、豊岡市内で開かれた兵庫5区の自民前職谷公一(57)の事務所開き。衆院議員を9期27年務めた元農水相の父洋一(82)も姿を見せた。谷のすぐ後ろには、地元選出の自民県議日村豊彦(56)が立っていた。
2003年の衆院選、洋一の引退を受けて、日村は立候補に強い意欲を見せた。しかし、谷との予備選に敗れ断念。4年前は県議を辞職した上、自民を離党、「地盤や知名度がないからこそ新しい政治がつくれる」と無所属で谷に挑んだが、落選した。
その後、県議に返り咲いた日村は昨年10月、復党。今回は自民の地元県議として谷の支援に回った。それでも自身も経験した、新たな人材の政治参加を阻む世襲への憤りは消えていない。
「同じ顔触れがいつまでも政治や選挙を仕切っている。党主体で人材発掘の仕組みをつくらないといけない」
■
共同通信の集計によると、8月の衆院選での「世襲候補」は自民が110人、民主は28人(今月21日現在)。兵庫は自民4人、民主1人の計5人がこれに当たる。5区に立つ民主元職の梶原康弘(52)は世襲ではないが、父は元参院議員。いわゆる2世だ。
27日に発表された民主党の衆院選マニフェスト(政権公約)。「五つの約束」と題した項目の一つに、同一選挙区で3親等以内の親族の連続立候補を禁止する制限を盛り込んだ。
民主が世襲制限を公約に盛り込んだ背景には、「改革」を掲げた元首相小泉純一郎の次男後継指名や、世襲が3分の2を占めた麻生内閣に対する批判の高まりがあった。
一方、その自民も民主に対抗、選対副委員長の菅義偉を中心に衆院選の目玉公約にしようと調整に入ったが、党内から異論が噴出。6月、党改革実行本部が麻生首相に提出した答申書では、実施時期が明記されず、公募などの条件を満たせば世襲可能など“骨抜き”の内容にとどまった。
兵庫10区で3度目の挑戦となる民主新人岡田康裕(34)。自民前職の元文科相渡海紀三朗(61)は、父親の地盤を引き継ぎ、当選6回を重ねてきた世襲候補だ。ところが、岡田からは世襲批判は聞かれない。
「渡海さんが世襲なのは、この地域の人ならだれもが知っていること。あえて口に出す必要はない」と岡田は説明する。
■
「地方議員にも世襲や2世は多い。制限に手を付ければ途端に人材がいなくなってしまう」
元岩手県知事で総務相も務めた増田寛也は世襲制限に疑問を投げ掛ける。人材を呼び込むには、立候補の資格を広げる方が現実的という。
国政を任せられる人物なのかどうか。候補者の資質を判断するのは、有権者しかいない。=敬称略
(総選挙取材班)
(2009/07/29)
5555
:
a
:2009/09/12(土) 18:53:18
。..*☆゜∴ *☆∵。..
..∴★ ∵.★..゜ .゜*★ ∴..★*
。☆* ..゜☆* ゜..☆∵ ゜.☆∵
*★.∵ .。.★* *★゜. (b´ε'★)☆゚*。:゚+大 好 き+゚:。*゚☆(b´ε'★)
..。☆* .∴.☆。..
∵★゜.. ..゜★*.. o。.*:..。o○(*´-ω)(ω-`*)○.:*
゜☆*.. *☆∵゜
゜.∵★* *゜★..。 ┃神社┃ (-ω・人)。o○【恋愛成就祈願】
*.☆゜∵ ..゜☆*∵
*★∵ コレを1時間以内に貼り付けてねんw
夢がヵなぅwwwかもw
張らなかったら逆効果っすょwww
5556
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:42:38
選挙中の記事ですが
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009082100035&genre=A1&area=K00
Kyoto Shimbun 2009年8月21日(金)
変化の波 激震の「王国」
京都5区 09衆院選激戦区ルポ
「相手は背中まで迫っている」。自民党前職の谷垣禎一は衆院選公示翌日の19日、舞鶴市の漁港や農村を回った。舞鶴市は民主党新人の小原舞の出身地。小原の追い上げを肌で感じた谷垣は「民主党は米国と自由貿易協定を結ぶという。日本の漁村や農村を守れない」と切々と訴えた。
京都5区の有権者は約26万人。前回、谷垣の得票は約10万7千票で、民主候補に約5万票差で圧勝した。財務相として全国遊説で忙しく、地元入りは2、3日だけだった。それでも「保守王国」の強さをみせつけて9選を飾った。
だが今回、その余裕がなくなった。自民への逆風と、若さと地元育ちを前面に掲げる小原の挑戦。谷垣は「初心に帰る」を繰り返し、顔色を変える。山深く人影まばらな集落にまで足を運んでいる。
小原は20日、谷垣のおひざ元である福知山市の農村に入った。「構造改革で地方は見捨てられた。農家への戸別所得補償で後継者を育てる」。選挙カーから身を乗り出して手を振った。
昨年9月の立候補表明以降、小原は知名度を上げようと街頭演説を繰り返してきた。その集大成として公示1週間前の11日夜に舞鶴市で開いた集会には千人が詰めかけた。小原は「古里を元気にしたい」と声を振り絞った。
集会後、今度は福知山市内の病院に向かい、地元の医師有志数人と懇談。福知山医師会長の高尾嘉興の姿もあった。府医師会の政治団体「府医師連盟」は谷垣の推薦を決めたが、高尾は個人の立場で小原支援に回る。父の代から谷垣を支援してきたが「医師不足や交通網など何も変わらなかった」。
府北部で医療格差が広がる。京都府立与謝の海病院で脳神経外科医がゼロになり、丹後医療圏内ではどの病院も脳外科手術ができない深刻な事態に陥った。
この解消に向け共産党新人の吉田早由美は署名活動を展開し、外来診療再開の扉を開いた。20日、福知山市内に立った吉田は「安心できる社会保障が必要だ」。前回得票(約2万5千票)の上積みに躍起になっている。
元海上自衛官の小原は自民の堅い地盤とされる自衛隊関連の「防衛票」にも手を伸ばし、自衛隊OBでつくる府隊友会舞鶴支部に加入した。ある週刊誌に浴衣姿で挙手敬礼する姿が載った。
自民府連幹事長の多賀久雄は16日、舞鶴市内の海上自衛隊(海自)基地や官舎前で「海自のインド洋給油に反対する民主党に国防は任せられない」と演説をぶった。翌日、舞鶴市の事務所に海自OBら100人近くを集め、イラク派遣の「ヒゲの隊長」で知られる元陸上自衛隊福知山駐屯地司令の参院議員佐藤正久が支援を求めた。集会に参加した海自OBは「心情的には元隊員の小原。でも民主の政策では隊員の士気が下がる」と言葉を選んだ。=敬称略
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チバQ
:2009/09/12(土) 20:44:25
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009082200107&genre=A1&area=S00
「郵政後」問い一騎打ち
滋賀2区 09衆院選激戦区ルポ
地元県議らとともに選挙区を回って支持を訴える候補者(米原市醒井)
滋賀県彦根市にある民主党前職田島一成の選挙事務所。公示日の18日夕、応援のマイクを握ったのは地元の郵便局長会長若林茂だった。「4年前を思い出してほしい。郵政民営化は地域の格差を生んだ」
同じ日、約1キロ離れた市内の事務所で、自民党前職藤井勇治は「ふるさとの発展に全力を尽くす」と訴えていた。前回、郵政民営化に反対して党公認を得られなかった小西理への「刺客」として送り込まれた藤井は、この日も「地域の代表」の立場を強調した。
滋賀2区は前回、前々回ともに自民系が分裂、田島が2連勝している。ただ、前回の藤井、小西の自民系の得票合計は9万7千。田島を3万票も上回っている。自民党候補が一本化された今回は、藤井と田島の事実上の一騎打ちとなる。
18日、藤井の出発式で彦根市選出の県議西村久子は藤井の傍らで、「地域のためには実績が必要」と訴えた。
前回は小西を支援し、藤井と対決したが、「党の大逆風の中で勝つには、分裂した票をまとめなければ」。小西を推すため一時離党した他の県議3人とともに、藤井の選対幹部に就任している。
同日夕、西村は後援会員と市内のスーパー前で「民主の政策はばらまき。時代に逆行する」と買い物客に訴え続けた。
藤井も、分裂した自民支持層をまとめるため300カ所以上のミニ集会を開催、トンネル付け替えなどの実績をこまめに訴える。国交相や地元首長を招いた6月の国政報告会では「地域振興には国政とのパイプ役が必要」と繰り返した。
その一方で、民主も着実に支持を広げている。国政選挙の比例得票(東近江市除く)は、田島が初当選した2003年衆院選では自民に約4千票差をつけたが、07年参院選では約1万票差まで引き離している。
地方議員数も大幅に増えた。党の公認や推薦を受けた県議はこの4年間で2人が7人に、市町議は32人が46人へ。田島は彼らの選挙戦で応援の前線に立ち、足元を固めた。
その一人、米原市選出の県議西川敏輝は20日、田島を先導し、藤井が地盤とする長浜市や米原市の農村部を回った。「ここでがっぷり四つなら、勝利がぐっと近づく」
長浜市選出の県議田中章五も16日、自民の勢力が強い市北部に足を運んだ。「高速道路無料化は疑問だ」と民主の政策を批判した住民には、駆け寄って「経済効果がある」と一つ一つ説明した。
2区では今回、前回約1万票を獲得している共産党が候補者擁立を見送っている。田島サイドは「われわれも暮らし重視の政策を重ねている。普通に訴えていれば、(共産票は)取り込める」と、「自公政権の打倒」を掲げる共産の支持増にも期待を寄せる。(敬称略)=おわり
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チバQ
:2009/09/12(土) 20:45:14
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009082100032&genre=A1&area=S00
Kyoto Shimbun 2009年8月21日(金)
保守の牙城で攻防過熱
滋賀1区 09衆院選激戦区ルポ
保守地盤の固い高島市内を汗をかいて歩き、握手で支持を求める候補者(19日午前10時50分、同市マキノ町)
「国道161号バイパス全通を目指します」。19日朝の高島市。自民党前職の上野賢一郎は集まった約300人の支援者に、地元への貢献を約束した。
その8日前の11日夜、民主党前職の川端達夫も同市で、250人の支持者を前に「今回は高島でトップを取る」と決意を述べた。
高島市はかつて、閣僚を務めた故山下元利、故河本嘉久蔵ら自民党の大物議員を輩出した保守地盤の強固な地域。川端も過去4回の衆院選で自民党候補の票を上回ったことはない。前回の「郵政選挙」では上野に5千票差で敗北したが、うち3千票分は同市で引き離されている。
ただ今回は「政権交代」の勢いに乗り、自民の牙城を崩しての完全勝利を目指す。相手の地盤である同市に自ら足を運び、積極的な切り崩しをかける。
「お父さん、川端さん来てはるで」。6月下旬、田で草取りをしていた保守系の同市議会議長渡邊近治は、妻の声に驚いた。なんと、川端が立っていた。「当然、応援は拒んだが、『負けられない』という強い意気込みを感じた」。渡邊は警戒する。
川端は、2年前から高島市でそれまで行っていなかった後援会や労組の小集会をほぼ毎月開催。農業団体や医師会会員など保守支持層にもあいさつにまわっている。
自民党も手をこまねいてはいない。「高島での負けは、滋賀の保守地盤の崩壊を意味する」。上野を支える保守系市議、県議らの危機感は強い。
11日、小雨が時折ぱらつく蒸し暑い陽気の中、市議3人が上野の妻とともに支援者宅に足を運び、汗をふきながら約200軒を頭を下げてまわった。
議員1人が1千枚の選挙はがきを配布して支持の輪を広げるほか、個人演説会への動員も求め、結束固めを図る。合併で急減した保守系の地方議員の動員力を補うため、議員OB会を立ち上げた。
ただ、1区の大票田は、有権者の7割が住む大津市内。上野サイドは若手経営者らが新たに支援組織をつくって集会を開き、著名な党所属国会議員が駆けつけて街頭でアピールするなど、都市部の無党派層対策も進める。
公示日の18日夕、上野は知名度の高い党の参院議員とともに川端の地元・JR石山駅前でマイクを握った。しかし、上野が立ち去った30分後、川端が現れ、駅利用者らに「おかえりなさい」と頭を下げ続けた。
一方、共産党新人の川内卓は18日、JR大津京駅で「生活から安心と活力を奪った自公政治を退場させよう」と訴えた。自民、民主の争いに割り込み、党独自の政策を訴えて比例票の掘り起こしを狙う作戦だ。医療、福祉などの現場でも小集会を重ねる。
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:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:46:02
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009081900092&genre=A1&area=K00
Kyoto Shimbun 2009年8月19日(水)
国政象徴 揺れる勢力図
京都1区 09衆院選激戦区ルポ
応援演説に駆けつけた党首と並び、繁華街で街宣車から支持を訴える候補者たち(18日午後6時半、京都市下京区四条河原町交差点付近)
衆院選が公示された18日午前。大阪市で第一声を放った民主党代表の鳩山由紀夫は、そのまま新幹線で京都に入った。支持者が待ち受ける京都市下京区の四条河原町交差点付近で民主新人の平智之を隣にして「平君とともに新しい日本の歴史をつくっていこう」。ガッツポーズで支持者を鼓舞した。
その6時間後、同じ場所に共産党委員長志位和夫が共産前職の穀田恵二と並んだ。「自公政権退場の大波を京都1区から起こそうではないか」。沿道を埋めた支持者の数は鳩山代表の街宣を上回った。
同じころ、自民前職の伊吹文明は派閥議員の応援から京都に戻り、中京区の選挙事務所で繊維業界の後援会の決起集会に臨んだ。「今までで一番厳しい選挙。お得意さん以外にも広めてほしい」
1998年に結党された民主は京都でも台頭してきたが、京都1区は小選挙区制度の96年以降、地方議員の数と後援会組織の分厚さで優位な伊吹が4回すべてを制してきた。
有権者は約38万人。前回、伊吹は約11万2千票を得て、民主候補(約6万8千票)、穀田(約5万5千票)を大きく引き離し、その力を見せつけた。
だが、今回は激しい逆風が吹く。「共産の参院指定席を民主が獲得し政界図を変えた」(連合京都幹部)というように民主が力をつけ、業界団体にも浸透を始めた。共産も全国唯一の「必勝区」と定め、選挙区での議席獲得に本気で挑もうとしている。
「経験したことのない厳しさを肌で感じている」。公示直前の16日午後の選対会議。ここでも伊吹は強い危機感を示した。出席した市議は「こんなに厳しい表情の伊吹さんは見たことがない」。猛暑の中、異例の街頭演説に3日連続立ち、各種団体役員を学区単位で訪ね歩いた。「いかに目減りを抑えるかだ。府議や市議が地道に回るしかない」。選対事務長で府議の田坂幾太は強調する。
平は18日夜、上京区の西陣織会館で演説会を開いた。西陣織物振興連盟は今回、伊吹だけでなく平にも民主1区候補初の推薦を出した。「身の引き締まる思いだ」と職人への支援策を訴えた。立候補表明から約10カ月。知名度ではベテランの伊吹、穀田に劣る。拡声器をかついで大通りから路地裏を歩き続けた。「強い伊吹さんの背中が見えてきた」。参院議員の福山哲郎も街宣車から平の名前を連呼した。
穀田は17日、比例近畿ブロックで1位にランクされた。だが、党はあくまで選挙区勝利を求める。共産は今回、小選挙区候補を半分に絞り、「必勝区」の候補に穀田を選んだ。衆院解散後には党幹部が続々と1区に入った。13日、書記局長の市田忠義は京都駅前のホテルに支援団体幹部を集め、「小選挙区の勝利が自公には痛打になる」と檄(げき)を飛ばした。府委員長の渡辺和俊は「伊吹さんが(票を)減らすのは間違いない。民主が抜け出るとも思わない。勝機はある」。国政の行方を象徴し、京都政界の主導権をかけた戦いが、激しさを増している。
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チバQ
:2009/09/12(土) 20:48:00
http://www.tokachi.co.jp/feature/200909/20090901-0002614.php
【激震11区 2009衆院選】(1)保守地盤に地殻変動
2009年09月01日 15時18分
自民が議席を失い、民主が圧勝した十勝の衆院選。「激震」が走る地元政経界の地殻変動を追った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
衆院選圧勝の翌朝、十勝大橋のたもとでつじ立ちする石川知裕氏
産業界 始まる駆け引き
「『王国』と戦う姿勢を示すために街頭に立った。このスタイルは変えない」
衆院選開票から一夜明けた8月31日の朝。民主党の石川知裕氏は圧勝の余韻に浸ることもなく、十勝大橋のたもとでつじ立ちを行った。「2代続いた王国は強固で決して崩壊していない」−。あくまでも「謙虚さ」を強調した。
自民党の中川昭一氏は開票日の夜、比例復活でも次点となり、「帯広、十勝、日本が心配。父親(故・一郎氏)や私がやってきたこと、やっていかなくはいけないことがある。恩返しするべく進んでいきたい」と語った。国政復帰に含みを持たせたものだが、後援会関係者は微妙に口を濁した。
衆院選で明暗が分かれた2人。今後の動向を政治関係者は注視する。
開票日の夜、議席を失い記者会見する中川昭一氏
中川氏の「出直し」支える組織に危機
当面の焦点は、中川氏の去就だ。当選8回、議員生活26年ながらも年齢は56歳。「政治家として脂が乗った年齢。まだまだ働いてほしい」と中川系の市議は語る。
ただ後援会内部の敗戦のショックは大きく、復帰の道のりは容易ではない。「(本人が)十勝8万戸の1軒1軒を自分で歩いて信頼を回復するくらい、人間が変わらないと周りは付いていかない」と後援会幹部は語る。
矢野征男選対本部長は「後援会組織は世代交代や組織自体の立て直しが必要。(年齢や立場が)自分たちのようなのが前面に出てはいけない」と一歩距離を置く。中川氏の地元後援会は、帯広連合(会長・岩野洋一帯広商工会議所前会頭)と、十勝連合(会長・有塚利宣十勝地区農協組合長会会長)がある。昨秋の役員改選を選挙後まで延ばしており、落選を機に幹部は辞任するとみられる。
今衆院選では後援会の弱体化・高齢化が明確となり、古参の支持者は「組織が瓦解している」と危機感を語った。バッジを外した中で、これまで支持基盤として固めてきた農業界や経済界と、どう関係を維持、再構築していくかが大きな課題だ。
石川氏と鈴木氏連合軍の強さ鮮明
保守系代議士不在のすき間を突きたいのが石川陣営。「十勝選出」の唯一の代議士となり、与党とのパイプを前面に出せば支持を拡大する好機になる。選挙期間中から政権交代への支持を示す建設会社も現れていた。「十勝を代表する企業とつながりのある地元の人材をブレーンに取り込みたい」と陣営幹部。駆け引きは活発化している。
十勝毎日新聞社が投開票日に行った出口調査によると、中川氏は前回票の約6割しか固めきれず、その一方で新党大地支持者の約75%が石川氏に投票した。比例代表の投票結果では民主・6万4992票、大地・5万1621票に対し、自民・6万2376票。石川氏と鈴木宗男氏(新党大地代表)の「連合軍」の優勢が鮮明となり、反中川の構図が浮かび上がった。
石川氏は保守層の基盤を構成していた経済界、農業界との関係づくりに関し、「耳を傾けてくれるのなら十勝の発展に協力しようと呼び掛けたい」と話す。
本名武氏、中川一郎・昭一氏と、半世紀にわたって守ってきた十勝の保守議席。保守系市議は「これまで基本だった保守の流れ、枠組みが根こそぎ変わった。今後の変化も想像しにくい」と漏らす。十勝の保守地盤は揺らいでいる。
(衆院選取材班)
5561
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:49:41
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1223878241/211
【激震11区 2009衆院選】(2)市長選 勢力図一変
http://www.tokachi.co.jp/feature/200909/20090903-0002630.php
【激震11区 2009衆院選】(3)パイプ役「未知数」
2009年09月03日 15時23分
当選にわいた石川知裕氏の選対事務所には管内町村長も続々と駆け付けた(左から高橋正夫十勝町村会長、石川知裕氏、竹中貢上士幌町長、勝井勝丸池田町長)
行政、経済界 続く暗中模索
「十勝経済を停滞させない」。衆院選開票翌日の8月31日、帯広商工会議所の高橋勝坦会頭は臨時の正副会頭会議を招集した。確認したのは中川昭一氏に代わり国政窓口となる石川知裕氏との対応。高橋会頭は「中川氏は国とのパイプ役として心強かった。石川氏は未知数」と、経済界と関係が薄かったことを示唆する。
故・中川一郎氏から続いた中央との太いパイプ。「十勝にお金を引っ張って来る人がいなくなるかも」、帯広商工会議所のある役員は不安を漏らした。
中川氏の電話で局長級が現れた
投開票日の夜、中川氏は落選決定後の記者会見で「十勝の事業はすべて私がやったと思っている」と語り、強烈な自負をにじませた。
保守系代議士不在だった釧路で過去数年間、実現した国の主要事業は釧路港の耐震・旅客船ターミナル整備などわずか。これに対し十勝はJAの農産物貯蔵・加工施設増設、高規格道路建設など枚挙にいとまがない。市内の経済人は「市長の陳情では役所の課長級だったのが中川氏の電話1本で局長級が現れ驚いた」と振り返る。
帯広の森屋内スピードスケート場のオープニング式典(8月30日)。来賓席に中川氏と石川氏の姿があった。屋内スケート場も中川氏には強い思い入れのある施設だ。2006年、自前整備に方針転換したものの財源手当てに苦心する市を、農水相だった中川氏が小坂憲次文科相の了解を取り付け、国交省に働き掛けて補助(都市公園事業)を引き出した。
ただ実績を認めつつ、一部の首長は中川氏に不満を募らせていた。中央要請で上京しても、時折不機嫌そうな態度で対応され、「あれはないだろう」と内心へきえきすることも。十勝町村会の高橋正夫会長(本別町長)は「石川氏はこれから何十年も頑張ってもらえる大事な宝」と語る。
清水町の高薄渡町長は「中川氏には比例で復活当選してもらいたかった」と強調。その一方で「石川氏には経済・雇用、社会保障、農業振興などの対策に関し住民の声をよく聞き中央で努力を」と、微妙なバランスを取る。
公共投資削減も仕事なくさない
実績がまだない石川氏は、地域の不安を解消するのが課題だ。民主はマニフェスト(政権公約)に「国出先機関の原則廃止」を盛り込んだが、帯広第2地方合同庁舎建設など地元共通の懸案処理に意欲を示す。削減を盛り込んだ公共投資に関しても「環境分野の土木事業など質を変えるべきだが仕事をなくすことではない」とする。
一連の言動・動きを受けて帯広建設業協会の萩原一利会長は、「北海道のインフラ整備は今後も不可欠。道開発局の存続も業界、地域の繁栄に必要と(石川氏を通して)中央に訴えたい」とする。
最近は秘書を務めた小沢一郎代表代行の政財界人脈を生かし、帯広空港のダブルトラッキング化に関して一部地元経済人らと水面下で意見交換もした。民主党十勝代表代行の池本柳次道議は「与党代議士として責任は重くなる。地域の思いを的確にくみ取れるよう本人も勉強しなければ」と語る。
新政権では行革は「行政刷新会議」、政策決定は「国家戦略局」に統括、族議員が発言力を持った自民党との違いを鮮明にしている。新しい政治環境の下、陳情体質が染み付いている十勝の行政、経済界の暗中模索は続きそうだ。
(衆院選取材班)
5562
:
チバQ
:2009/09/12(土) 20:50:12
http://www.tokachi.co.jp/feature/200909/20090904-0002641.php
【激震11区 2009衆院選】(4)しこり残した農業界
2009年09月04日 16時23分
公示前日に開いた「日米FTA」への反対集会。地区別で全国最大規模の集会は、民主との間にしこりを残した(8月17日、音更町のアグリアリーナで)
政策めぐり意識のズレ
「十勝農業を守るために中川(昭一)氏を応援してきた。農政活動は政治と農業の役割を確認すること。政権がどこになろうと時の与党としっかり政策協議を行う」
衆院選投票日翌日の8月31日、帯広市内の農協連ビル。十勝地区農協組合長会の会議の冒頭、有塚利宣会長が淡々と今後の運動方針を説明した。有塚氏は中川氏の十勝連合後援会の会長も務める。政変と停滞が許されない農業情勢を考えれば、こういう言葉しか見当たらなかったのだろう。
ひた隠した数字1戸900万円以上
8月17日に農業団体が中心となって開いた、民主党マニフェスト(政権公約)の「日米FTA(自由貿易協定)」に対する3000人規模の反対集会(音更町)。実質的に中川氏の応援集会で、JA系統の自民支持を鮮明に印象付けたが、ある参加者は「ちょっと露骨では」と胸中穏やかではなかった。
その不安は政権交代で現実になった。今後は民主党の石川知裕氏が政権・与党の窓口に。石川氏が政治の師と仰ぐ小沢一郎代表代行は農業団体の政治姿勢に否定的な姿勢を示し、FTA問題で攻撃するJAグループを「相手にする必要はない」とした。選挙が終わり、農業団体は戦々恐々とした思いでいる。
管内農業団体が中川氏を支持してきたのは、畑作、酪農・畜産が主体の十勝農業の特殊性・必要性を政権与党の中枢で訴えてきた実績にほかならない。
水田・畑作経営所得安定対策でも、小麦の手取り不足分が発生すれば「先進的小麦生産等支援事業」に全道で64億円もの予算を付け、その大半が十勝、網走に配分された。同対策では道内1戸当たり平均支払額が約530万円に対し十勝は900万円以上。他地区や農業者以外の批判を招きかねないと、農業団体はその数字をひた隠しにしたほどだ。
選挙期間中、農業団体は民主と自民の農業政策を比較するビラを回し、「民主の予算1兆円を販売農家戸数で割り返した1戸当たり交付額は63万円」「民主の農業政策は十勝農業を崩壊させる」と不安をあおった。中川氏も、民主が掲げた租税特別措置法の見直しで「肉用牛売却所得課税特例措置(通称肉免)」が撤廃されることを取り上げ、「農家の皆さんは本当に民主党でいいのか」と批判した。
しかし、農村部は中川氏に「ノー」を突き付けた。背景にあったのは水田・畑作経営所得安定対策をめぐる感情的な衝突。ある地区懇談会では「努力が報われない」とする出席者に対し、中川氏は「勉強していない」と怒るひとコマもあった。帯広市内の農家は「中川さんに対する不信感が充満していた。無条件で支援する系統と末端農家の間にも意識のズレがあった」と振り返る。
農家の声を吸い上げる仕組みを
民主批判は政権交代のうねりにかき消され、残ったのはあつれきだけ。戸別所得補償制度を前提に輸入自由化もいとわないとする小沢氏のスタンスは、道内農業団体が受け入れられるものではない。「小沢さんが元書生の石川さんの言葉にどれだけ耳を傾けるのか…」「上京しても(陳情に)行くところがない」。農業団体幹部は漏らす。
全十勝地区農民連盟の山田富士雄委員長は語る。「民主の情報がないから不安が広がっている。努力が報われ、最終的に自給率が向上する制度を設計するために農家の声を吸い上げる仕組みが必要。(現場も)陳情オンリーでは難しくなる」
(おわり、衆院選取材班)
5563
:
とはずがたり
:2009/09/12(土) 21:09:21
>>5558
川端は幹事長として臨んだ前回の衆院選で屈辱の比例復活でしたからねー。
> 高島市はかつて、閣僚を務めた故山下元利、故河本嘉久蔵ら自民党の大物議員を輩出した保守地盤の強固な地域。川端も過去4回の衆院選で自民党候補の票を上回ったことはない。前回の「郵政選挙」では上野に5千票差で敗北したが、うち3千票分は同市で引き離されている。
それでも今回も高島市では400票差で上野の勝ち,か。大津で3万票の大差がついたけど。
http://www.pref.shiga.jp/senkyo/syu-giin_sousenkyo/210830/toukaihyo.html
名前(党) 選挙区計 大津市 高島市
川端(民) *112,590 97,585 15,005
上野(自) **82,262 66,824 15,438
川内(共) **19,920 17,677 *2,243
対中(幸) ***2,037 *1,725 **312
5564
:
◆ESPAyRnbN2
:2009/09/12(土) 21:52:09
>>5562
> 水田・畑作経営所得安定対策でも、小麦の手取り不足分が発生すれば「先進的小麦生産等支援
> 事業」に全道で64億円もの予算を付け、その大半が十勝、網走に配分された。同対策では道内1戸
> 当たり平均支払額が約530万円に対し十勝は900万円以上。
> 選挙期間中、農業団体は民主と自民の農業政策を比較するビラを回し、「民主の予算1兆円を販売
> 農家戸数で割り返した1戸当たり交付額は63万円」「民主の農業政策は十勝農業を崩壊させる」と
> 不安をあおった。
一方では「民主党の戸別所得補償には財源の裏付けのないバラマキ」と言っておきながら、
他方では「民主党の農業政策予算ではバラマキが足りない」と言っていたわけか。
5565
:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:47:48
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090812/20090812_0003.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】故郷での風向きは… 「首相・麻生太郎」初の地元入り
2009年08月12日 11:05
まとわりつくような熱気は、梅雨明けによる暑さのせいだけではなかった。
6日午後6時、福岡県飯塚市のイベントホール前広場には7千人(主催者発表)の人だかりができた。古里が生んだ「宰相」を一目見ようと集まったのか。建設業や農業など各業界団体関係者のほか、学生やお年寄りも目立った。
首相・麻生太郎として初めての「お国入り」。原爆死没者慰霊式のあった広島市から福岡県に入り、北九州市や古賀市を経由して飯塚市が5カ所目。この日最後の遊説地だった。
首相の到着を合図に、わき起こる「太郎コール」。遊説カーの上に首相が現れ、マイクを握ると、一瞬張り詰めた空気が漂った。最初にどんな言葉を発するのか、誰もが聞き漏らすまいとしているようだった。
「麻生太郎、帰ってまいりました」。首相は深々と頭を下げた後こう切り出した。「この飯塚から東京に(衆院議員として)送っていただき、ちょうど30年。内閣総理大臣にまで育てていただいた」。さらに演説の中で「ありがとうございました」と4度繰り返した。
昨年9月、自民党幹事長だった首相は、福田康夫前首相の後継を選ぶ党総裁選に出馬。「地元で決意を示したい」と飯塚入りした。4度目の総裁選で初の「本命」となり、後援会幹部との会合では「甲子園の決勝まで来た。断固優勝したい」と並々ならぬ意欲をあらわにした。
あれから約11カ月。「悲願」をかなえた首相を、地元は再び温かく迎え入れた。「いいぞー!」「頑張れっ」。演説中には激励の合いの手も飛んだ。だが、その雰囲気は「熱狂」とは微妙に違っていた。
「失言などで自民党への信頼を失わせてしまったのは私の力不足。おわび申し上げます」。神妙な顔つきで語る首相。聴衆の拍手の大きさが、かえって有権者と首相との隔たりをにじませた。
◇ ◇
政党力が揺らいでいる。特に日本の戦後政治をほぼ一貫して担ってきた自民党は、足元の集票システムが崩壊しつつある。18日の衆院選公示まで10日余り。果たして巻き返しは可能なのか。麻生首相をはじめ福岡県を地盤とする大物候補の“選挙戦”を追う。
●83年麻生氏落選 再起へ角栄流 動員力鳥肌立った
1979年の初当選以降、麻生首相の選挙の中核を担ってきたのは曾祖父・太吉氏が興した炭鉱を発祥とする地方財閥の麻生グループ。ひとたび選挙となれば、従業員やその家族が「集票マシン」としてフル回転した。
だが、首相が選挙区とした旧福岡2区は元来、革新基盤の強い土地柄。83年12月、首相は3度目の選挙で苦杯をなめた。選挙手法に迷いを感じていた首相が相談した相手は、「政治家になる前からほれ込んでいた」(首相の元秘書)という故田中角栄元首相だった。
7万5千票余りを獲得しながら2678票差で次点となったことを話す首相に、田中氏はこう諭した。「いいか。すべてを変える必要はない。変えなきゃならんのは2678票だ」
ロッキード事件で逮捕され保釈中の身にあった76年の総選挙で、2位の3倍以上の得票をたたき出してトップ当選した田中氏の言葉には説得力があった。首相は迷いを振り払い、今までの選挙活動をより一層強化した。
陣営には、麻生グループから延べ千人以上がスタッフとして送り込まれた。社員たちは市町村ごとに責任地区を振り分けられ、各後援会支部に張り付いた。ビラづくりを担当した元社員は「100万枚なら刷ってから配るまで3日あれば十分だった」と豪語する。
演説会など集会での動員も群を抜いた。飯塚市体育館での演説会には2千人を集めた。市中心部のバスセンター前で開いた演説会では、集まった人の多さに周辺道路が通行止めになったほどだ。
圧倒的な動員力に加え、企業や支援団体を締め付ける典型的な「自民党型選挙」。当時、麻生事務所の所長だった深町純亮さん(84)は「思い出すと今でも鳥肌が立つ。まさに『空前絶後』の選挙運動だった」と振り返る。
再起を期した86年の選挙で首相は13万4千票余りを獲得。2位の候補に3万6千票差をつけて圧勝した。
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チバQ
:2009/09/12(土) 23:48:12
■ ■
7月21日の衆院解散後、首相は事実上の選挙活動の第一歩に支援団体回りを選んだ。街頭に立ち、有権者に支持を訴えた民主党の鳩山由紀夫代表とは対照的だった。
「党総裁として有権者にアピールする方が先では」。自民党内から疑問の声が上がったが、首相に長く仕えた地元秘書OBは真っ向から反論する。「組織固めこそ自民党選挙の王道」。首相は7日も、福岡県農政連や同県の地場企業グループとの会合をこなす予定だ。
衆院選の前哨戦とされた都議選の大敗など、前評判では「自民劣勢」との見方が大勢を占める。だが、この秘書OBは「太郎さんは負けるなんて思っていない。イメージしているのは6区補選だ」と言い切る。
6区補選とは、現職死去に伴う2002年10月の衆院福岡6区補選のこと。期間中、党政調会長だった首相を含め延べ100人の国会議員が選挙区入り。首長や業界の締め付けも激しかった。結果、「落下傘」の自民新人候補が形勢を逆転、民主前職に2万3千票以上の差をつけて勝利した。
首相は最近、衆院選の事務方に自信たっぷりにこう指示している。「これからは、おれをどんどん接戦区に入れるよう予定を組め」
●上の言う通りになる時代じゃない ポスター机に放置
飯塚市内にあるビルの一室。首相の地元入りを伝える数日前の新聞を広げた運送会社社長は6日、しかめっ面でつぶやいた。「もう上の言う通りになる時代じゃないよ」。テーブルには、麻生首相の後援会入会用紙やポスターが数カ月も放置されたままだ。
社長には、業界団体や市議を通じて同日夕の首相の街頭演説会に参加するよう声がかかった。9人の社員にも話したが、うち4人には「今回は自分の判断で行動したい」と言われた。
自民党単独政権が続いた55年体制時代、後援会入会の依頼があれば、多くの同業者がすすんで名前を書いた。右肩上がりの経済。自民党を支持することは、見返りの利益につながった。
今、時代は様変わりした。財政ひっ迫や利害の多様化で業界団体ぐるみの組織選挙は失速。団体の支持も一辺倒ではなくなった。首相の陣営幹部は「昔は計算できた集会の動員数も今じゃできない。動員しても票になるわけじゃないし」と嘆く。
4年前、当時の小泉純一郎首相が九州最大の繁華街、福岡市・天神で行った街頭演説に集まったのは5千人(主催者発表)。小泉氏は聴衆を言葉で熱狂の渦にのみ込んだ。
7日、その天神に首相が立つ。
=2009/08/07付 西日本新聞朝刊=
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チバQ
:2009/09/12(土) 23:51:21
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090812/20090812_0002.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】小泉演説から4年 首相、天神へ 「熱狂」には遠く
2009年08月12日 11:02
九州最大の繁華街、福岡市・天神。ひっきりなしに人と車が行き交う。気温32度を超える炎天下に響くセミの声が、都心の喧噪(けんそう)に拍車をかけていた。
7日午後1時半、天神の中心部にある福岡市役所前広場に、麻生太郎首相の声がこだました。「日本には底力がある。それを引き出すのは政治の力。政権ではなく、政策を選択してほしい」
首相は応援遊説のため1泊2日の日程で福岡県入り。6日は地元の飯塚市など5カ所で遊説を行った。1カ所につき約20分間、景気対策を中心に、首相就任後10カ月の実績を強調する内容。失言を恐れてか、首相の持ち味であるアドリブは影を潜めた。
この日も同じ路線を踏襲した。「普段の麻生さんの話より具体的で分かりやすい」。福岡市の会社員男性(28)は評価したが、拍手や掛け声はまばら。演説の様子をいちべつし、足早に通り過ぎる通行人も少なくなかった。
主催者発表によると、聴衆は5千人。4年前、小泉純一郎首相(当時)が近くの公園で行った街頭演説に詰め掛けた聴衆も、主催者発表で5千人。その会場にもいたという福岡市の会社員男性(36)はこう比較した。
「4年前も暑かったが、まさに『熱狂の渦』という言葉がふさわしい雰囲気だった。今回は明らかに熱気が違う。むしろ冷めたムードを感じた」
■ ■
その2時間前、首相は近くのビルで開かれた自民党福岡県連支部長・幹事長会議に出席。あいさつでは「福岡では広田弘毅先生以来72年ぶりに総理大臣を拝命した」と、「地元が生んだ宰相」とのアピールを忘れなかった。
街頭演説を行った広場から歩いて5分。林立する商業ビルの谷間に、静かなたたずまいの神社がある。天神という地名の由来にもなった「水鏡天満宮」だ。
鳥居にかかる石造りの額には、のびのびとした字で「天満宮」と記されている。書いたのは、首相が名を挙げた広田弘毅(1878―1948)とされる。戦前の36年、同県出身者として初の内閣総理大臣になった。
広田は、「ワンマン宰相」と呼ばれた首相の祖父・吉田茂と外務省の同期。福岡県出身者としてただ2人、日本の最高権力者に上り詰めた首相と広田には浅からぬ縁があるようにも見えるが、生まれ育った環境は好対照をなす。
●戦後の経済成長「誰のおかげか」 自身のルーツに重ね
貧しい石工の家に生まれた広田に対し、首相は「銀のさじをくわえて生まれてきた」(党幹部)と言われる。父・太賀吉が衆院議員、祖父が吉田元首相、高祖父は明治の元勲・大久保利通という政治家一族の血筋。さらに、曾祖父・太吉が興した炭鉱に端を発し、戦後復興、高度経済成長と歩を合わせるように一大地方財閥へと発展した麻生グループの資力が、首相の政治活動を後押しする。
麻生グループはエネルギー革命による石炭産業の衰退後、セメント事業に移行。多くの地場炭鉱が閉山となる中、「黒から白への鮮やかな転換」(首相陣営関係者)を成し遂げた。そこには、吉田氏の薫陶を受けた佐藤栄作元首相の助言もあったとされる。
現在はグループ全体で従業員約6千人。医療や教育、人材派遣の分野にまで事業を拡大し、年商は1400億円に上る。「地元では『昔は地下を掘り、戦後は山を掘り、今は人を掘っている』と言われている」。元飯塚市議はこう話す。
「今から64年前、この辺は丸焼けだった。それから今日まで、日本は何の資源もないのに世界第2位の経済大国にのし上がった。誰のおかげか。間違いなく、父母や祖父母のおかげでしょうが」
天神での演説で、首相が最も力を込めた場面。自身の立身出世の基盤となったグループへの自負心がのぞいた。
■ ■
この日、天神での街頭演説では首相の脇を固めるように、次期衆院選福岡1―3区に立候補を予定している遠藤宣彦氏、山崎拓氏、太田誠一氏の前職3人が並んだ。遠藤氏は元官僚、山崎氏は県議出身のたたき上げ、太田氏は元学者。「多彩な人材が自民党の強さとしたたかさを支えてきた」。県連幹部は強調する。
しかし、現在、自民党前職の3分の1は世襲。首相も父の地盤を即引き継いだわけではないが、その1人であることに変わりはない。2代続けて世襲議員の首相が1年で政権を投げ出した後を受けた首相は、自身と党に注がれる有権者の懸念を払拭(ふっしょく)できるのか。
首相の全国遊説は続く。
=2009/08/08付 西日本新聞朝刊=
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チバQ
:2009/09/12(土) 23:52:44
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090812/20090812_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】山崎拓氏 背水の駅前 冷たい逆風 肌に感じ
2009年08月12日 11:02
「今回は私がかつて経験したことがない厳しい選挙です。ぜひ助けていただきたい」
10日午前、福岡市内で開かれた後援会女性部の会議。自民党副総裁などを歴任し、党内第4派閥を率いる山崎拓氏(72)は150人の支援者を前に声を振り絞った。
この日の早朝、山崎氏は福岡市南区の西鉄大橋駅前に立っていた。
「お勤めご苦労さまです。今日も頑張ってください」。駅に吸い込まれる通勤客の列に、ひたすらマイクで呼びかけた。足を止める人はいない。それでもお辞儀を繰り返した。
「今までとはちょっと空気が違う。自民党への厳しく冷たい逆風だ」。公示前から朝立ちを繰り返す山崎氏は、肌でそう実感したという。
陣営は「背水の陣」を敷き決戦に臨む。
■ ■
大橋駅前に一緒に立った大橋商店街連盟の幹部(74)は言う。「(2003年の衆院選で)落選を経験してから、拓さんは地元をよく回っている。今回は民主党が人気だけど、力のある拓さんじゃないと地元に予算はもってこれん」
秘書たちが配布していた後援会会報には、15の地域課題がずらりと並ぶ。「天神地区水害対策の早期完成」「地下鉄七隈線の博多駅への延伸」…。山崎氏が選挙区の福岡2区向けにつくった地域マニフェストだ。
《私の目の黒いうちに、井尻駅の高架を成し遂げまして、西鉄福岡大牟田線が春日原まで一気通貫となるよう努力をいたしたいと思います》
《福岡市は活気のある街。県政、市政、そしてわれわれ国政がしっかり手を結び、地元のための政策を展開します》
これまでに行った街頭演説の内容は、得意の外交・安全保障政策ばかりではない。
「いまの官僚機構の中で、地域の要望を通すには有力政治家が必要。山崎拓なら、こんなことを実現できるとアピールしたい」。系列市議は、あえて“利益誘導”を強調する狙いをこう明かした。
●規制緩和「企業選挙」に限界 地域密着が力の源泉
「山崎拓」の名前は、福岡市内の至る所に根を張っている。
都市高速道路、地下鉄、港湾整備…。「人工島の耐震岸壁計画のため東京事務所に陳情に行くと、山崎先生はその場で国交省の幹部に電話を入れた。事業が採択されるまで、ものすごくプッシュしていただいた」。福岡市元幹部(60)は中央官庁とのパイプの太さを思い知ったという。
大型事業に限った話ではない。「商店街のサンドーム(天井)は拓さんのおかげで助成金がついたと聞いた」と話す下着店経営の女性(50)。「どこにお願いしても駄目だったが、事務所に相談したら、消火設備に国の補助金が下りるのを支援してくれた」という医療関係者もいる。
地元発展のため公共事業誘致や予算獲得に奔走する国会議員と、見返りに投票する有権者。1年で人口の10%前後が入れ替わる都市型選挙区で、12回も当選を重ねてきた山崎氏の力の源泉は、こうした地域との蜜月関係にある。
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チバQ
:2009/09/12(土) 23:53:13
■ ■
大橋駅前に一緒に立った大橋商店街連盟の幹部(74)は言う。「(2003年の衆院選で)落選を経験してから、拓さんは地元をよく回っている。今回は民主党が人気だけど、力のある拓さんじゃないと地元に予算はもってこれん」
秘書たちが配布していた後援会会報には、15の地域課題がずらりと並ぶ。「天神地区水害対策の早期完成」「地下鉄七隈線の博多駅への延伸」…。山崎氏が選挙区の福岡2区向けにつくった地域マニフェストだ。
《私の目の黒いうちに、井尻駅の高架を成し遂げまして、西鉄福岡大牟田線が春日原まで一気通貫となるよう努力をいたしたいと思います》
《福岡市は活気のある街。県政、市政、そしてわれわれ国政がしっかり手を結び、地元のための政策を展開します》
これまでに行った街頭演説の内容は、得意の外交・安全保障政策ばかりではない。
「いまの官僚機構の中で、地域の要望を通すには有力政治家が必要。山崎拓なら、こんなことを実現できるとアピールしたい」。系列市議は、あえて“利益誘導”を強調する狙いをこう明かした。
●規制緩和「企業選挙」に限界 地域密着が力の源泉
「山崎拓」の名前は、福岡市内の至る所に根を張っている。
都市高速道路、地下鉄、港湾整備…。「人工島の耐震岸壁計画のため東京事務所に陳情に行くと、山崎先生はその場で国交省の幹部に電話を入れた。事業が採択されるまで、ものすごくプッシュしていただいた」。福岡市元幹部(60)は中央官庁とのパイプの太さを思い知ったという。
大型事業に限った話ではない。「商店街のサンドーム(天井)は拓さんのおかげで助成金がついたと聞いた」と話す下着店経営の女性(50)。「どこにお願いしても駄目だったが、事務所に相談したら、消火設備に国の補助金が下りるのを支援してくれた」という医療関係者もいる。
地元発展のため公共事業誘致や予算獲得に奔走する国会議員と、見返りに投票する有権者。1年で人口の10%前後が入れ替わる都市型選挙区で、12回も当選を重ねてきた山崎氏の力の源泉は、こうした地域との蜜月関係にある。
■ ■
「景気が上向いてきたのは、まさに現政権の政策のおかげ。厳しい選挙といわれているが、正義は勝つ」
今月3日、福岡市の九州電力本店で開かれた激励会。山崎氏の「企業選挙」を事実上取り仕切る松尾新吾・九電会長(71)は、幹部社員と取引先企業の500人を前に声を張り上げた。
「七社会」と呼ばれる地場大手企業のトップ級が後援会長に座り、400を超える業界団体が支援に回ってきた自民党の組織選挙。「中選挙区時代は、2―3人の自民候補の中で、最も苦戦している候補に集中的に票を回すことができるほど財界の力は強かった」と秘書は振り返る。
企業にとって「霞が関」ににらみが利く自民党は今も昔も頼りになる存在。小選挙区になっても、政権与党の空白区になることだけは避けたい、との思惑が経営者側の背中を押してきた。
だが、規制緩和により企業が官庁の顔色をうかがうことも減った。「(国全体で年間)80兆円あった建設投資は50兆円に減り、たまに仕事があっても一般競争入札。自民党を支援する恩恵は感じなくなった」。建設会社幹部は本音をこう打ち明ける。
●事務所応援社員 くじで決定 投票は個人の意思で
2000年から独占市場の自由化が進み、料金引き下げが認可制から届け出制に移行した電力業界も同様だ。「昔は与党を応援することに義務感があった。でも、最近はお付き合い。そう、部下に酒をおごるような」。九電OBは「政治家−官庁−企業」の力学の変化を実感していた。
「後援会事務所に応援に来てもらえませんか」。九電本店に、山崎氏の事務所から“ボランティア派遣”の要請が来たのは7月末のことだ。
九電が派遣するのは、民主党を支援する労組に配慮して、課長級以上の幹部社員。ある部署は指名し、別の部署はくじ引きで該当者を決めた。延べ約70人。今月中旬から投票日前まで12日間、公休を取って事務所に詰め、支持者カードをもとに電話をかける。
事務所に行くことになった幹部社員は苦笑し、こう言い切る。「決まった以上は行く。でも、こんなやり方がいつまでも通用するとは思えん。どこに投票するかは自分で考えるよ」
「個人」の意思が尊重され、企業への忠誠心も薄れゆく時代。そんな時代の波が、自民党の足元を削る。
=2009/08/11付 西日本新聞朝刊=
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チバQ
:2009/09/12(土) 23:54:47
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090825/20090825_0002.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】太田元農相 農業地域で熱弁 揺らぐ地盤に危機感
2009年08月25日 13:47
「(民主党は)アメリカとFTA(自由貿易協定)を結ぶと言っている。アメリカの輸出品の中心は農産物であり、そうなれば日本の農業にとって死活問題になる」
11日夜、自民党前職の元農相太田誠一氏(63)は、福岡県前原市の伊都文化会館で約400人の聴衆に訴えかけた。
次期衆院選で福岡3区に立候補を予定する4人のうち3人が出席した公開討論会。「景気対策」「年金」「安全保障」など6分野で、事前に決められた各分野の持ち時間はそれぞれ1人4分間。太田氏は「農業・食料自給率」で民主党の政策を批判する一方、糸島地区の先進的な農業を絶賛した。
前原、志摩、二丈の1市2町を指す第1次産業地域「糸島」は、落選した2003年選挙でも民主党候補を上回る票をたたき出した、太田氏のホームグラウンド。「身ぶり手ぶりを交えて糸島の農業を持ち上げたのは、足元が揺らぐ危機感の裏返しでは」。討論会に参加した会社員男性は、こう受け止めた。
■ ■
父は元博多大丸会長、伯父は元衆院議長、義父は元福岡県知事の故亀井光氏。経済学者から政治家に転身した当初は「農業なんて全然分からない『御曹司』だった」(元JA糸島幹部)。
旧福岡1区への出馬に際し、亀井氏は親密にしていたJA糸島組合長の県議とともに、甘木・朝倉、糸島、粕屋の農村部を「息子を頼む」と行脚したと伝わる。元衆院議員の故森田欽二氏が築いた“農業人脈”を引き継いだ太田氏に、JA福岡中央会の花元克巳会長(77)はこうハッパをかけた。
「福岡県の『農業担当』になれ」
1980年の初当選以来、太田氏はその言葉通り「農政通」を目指した。「官僚の言いなりにならないよう勉強した」とも胸を張る。昨夏の農相就任は、太田氏を支えてきた農業関係者にとっても悲願だった。
昨年8月30日夜。太田氏の農相就任を祝おうと、古くからの有力支持者約10人が福岡市中央区の料亭に集まった。
「大臣はまだやりたいことを遠慮している」。同席した秘書官の冗談に、太田氏は「そうかなあ」と笑いながら上機嫌で杯を傾けた。出席者は「やる気に満ちあふれていた」と振り返る。
その20日後、汚染米問題と「消費者がやかましい」との失言で引責辞任する事態になるとは、誰も想像していなかった。
× ×
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チバQ
:2009/09/12(土) 23:55:25
●盤石の農業票 足で固め 炎天下、現場に学ぶ
前JA糸島組合長で、糸島地区後援会長を務める田中久俊さん(78)は、太田氏の“指南役”の一人。1994年、大渇水が糸島に甚大な被害をもたらした際、作業服に長靴姿で視察に回る太田氏の姿が目に焼きついているという。
炎天下の二丈町。ひび割れた田んぼの稲に、井戸水をまく農家の男性がいた。真意を問う太田氏に田中さんは説明した。「焼け石に水でもシャワーを浴びせてやりたい。農家にとって稲は息子なんですよ」。太田氏は黙って何度もうなずいた。
昨夏の農相就任会見で太田氏がぶちあげた「カロリーベースで食料自給率50%」の目標も、「勉強」の延長線上にある。ミャンマーを訪問した田中さんは、現地で「日本はコメと油を断たれればおしまい」と言われ、衝撃を受けた。戦中戦後の食料難を知る田中さんは帰国後、太田氏に口酸っぱく自給率アップを進言した。
ガットの新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)で、当時の細川連立政権が受け入れたコメのミニマムアクセス(最低輸入量)。「太田さんは最後まで反対し、党罰を受けた」と県農政連糸島支部前委員長の井田磯弘さん(71)は明かす。
農村を固めた太田氏の当選回数は、順調に伸びていった。
■ ■
盤石の農業票に異変が生じたのは、自民党が大敗を喫した2007年夏の参院選だった。
一定規模以上の農家に支援を集中する方向に政策転換したことで、「小農切り捨て」との不満が噴き出した。JA福岡中央会関係者は「『米価の下落を防ぐ』と言われて減反などを受け入れてきたのに、価格は1回しか上がらなかった。仕組みのおかしさに気付き始めた」と解説する。
糸島も例外ではなかった。自民党候補が獲得したのは約1万7800票にとどまり、民主党候補に約1000票差で初めて負けた。
JA糸島幹部は「その流れは今、さらに加速している」と言う。安定しない所得、後継者不足、耕作放棄地の増加…。農業をとりまく環境は年々厳しさを増し、今年は集中豪雨と日照不足の影響で糸島の作況指数予想も厳しい。
民主党が打ち出した「戸別所得補償」が農家の心を揺さぶる。
× ×
●農相辞任、失言で逆風 「農家の思い理解せず」
衆院解散直後の7月23日、糸島と福岡市の農政連幹部合同会議。「糸島の票のとりまとめが厳しい」との報告に、長い沈黙が続いた。
ある出席者は「表だっては誰も言わないが『一度民主党にやらせてみよう』との空気がかなりある」と打ち明ける。
太田氏個人には、農相辞任と失言の逆風も吹く。長年の支持者だった60代の農業男性は今回、民主党元職の藤田一枝氏(60)に投票するつもりだ。「自民党の農業政策がどうのこうのという前に、あの失言にあきれている。農家の思いを全く理解していない」
今月5日、花元さんはJA役職員による太田氏の激励会で力を込めた。「この30年、自民党、太田氏と一緒にやってきた。最後までやらざるを得ない」
一方、元JA糸島幹部は自民党を支持してきた理由を問われ、こう答えた。
「自民党が与党だったから。与党じゃないと、農家が求める要望や政策を形にしてもらえないじゃないですか」
=2009/08/12付 西日本新聞朝刊=
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チバQ
:2009/09/12(土) 23:55:56
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090813/20090813_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】古賀誠氏「道路族」前面に 声高に功績並べ
2009年08月13日 20:44
白いスーツ姿の歌手松山千春さん(53)が壇上に上がると会場は支援者集会とは思えないほど華やいだ雰囲気に包まれた。
12日午後2時半、福岡県大牟田市の大牟田文化会館大ホール。自民党前職、古賀誠氏(69)の「女性の集い」に駆け付けた松山さんは約1時間、約1500人を前に毒舌を交えつつ古賀氏を持ち上げた。
「そりゃいろいろ言われるよ。誠橋、誠道路、インターチェンジまで造ってさ。これが利益誘導だって言うけど、こんなことができない一山幾らの国会議員を出してどうするの」
松山さんはヒット曲を歌い、最後には「古賀誠の力になって下さい」と壇上で土下座のパフォーマンスまで披露した。
続いて登壇した古賀氏は、打って変わって落ち着いた口調で話し始めた。「橋を造れば誠橋、道を造れば誠道路。仕事をすれば誹謗(ひぼう)中傷の嵐だった。しかし調べてもらえば分かるが、皆さん方に恥じる行為は一つも致してない」
地元・福岡7区で建設され、「誠橋」とも呼ばれる朧(おぼろ)大橋、九州新幹線の駅設置、大牟田市から大川市まで延びる有明海沿岸道路の延伸…。「税金の無駄遣い」との批判が強い中、自身の「功績」を並べ立てた。インフラ整備の必要性を語る口調は、少しずつ声高になっていった。
「私は皆さん方から育てられた国会議員として、古里へのご恩返しとして次の世代に必要な基盤をつくる。何と言われようとつくる」
■ ■
7月22日夜、東京都内の料亭。有明海沿岸道路の延伸を国土交通省に陳情するために上京した福岡県の大牟田、みやま、柳川、大川の4市長に対し、古賀氏は余裕たっぷりに語りかけた。
「あす国交省に行く必要はないですよ。局長を呼ぶから、僕のところで済む」
翌朝、国会議員会館にある古賀氏の事務所に行くと、既に道路局長が呼ばれていた。「沿岸道路を佐賀空港に延ばすまで、局長をしときなさい。君の責任だよ」。4市長を前に道路行政のトップに念押しする古賀氏の様子を、その場にいた一人は生々しく証言した。
●九州新幹線 地元に新駅も 「次」期待し応援続々
1980年に初当選した古賀氏は、故宮沢喜一元首相など官僚出身者が多く、当時「公家集団」とも言われた派閥・宏池会に身を置いた。
建設政務次官、衆院建設常任委員長、運輸大臣と着実に階段を上がり、建設・運輸の「族議員」として足場を築く。2001年には自民党道路調査会長に就任し、「道路族のドン」の地位を確固とした。
その影響力を示すエピソードの一つが、古賀氏の地元で建設中の新幹線鹿児島ルート「筑後船小屋駅」。当初構想にはなく、04年に追加された。久留米、新大牟田の両駅からの駅間距離はわずか十数キロ。地元では「政治駅」と揶(や)揄(ゆ)される。
昨年秋に駅名を決める際、地元・筑後市がこの5文字の駅名を希望したのに対し、JR側は渋った。「5文字の駅名だとコンピューターシステム代が数億円高くつく」。困った桑野照史市長は古賀氏に陳情。2日後、桑野市長の携帯電話が鳴った。「話が付いたよ」
古賀氏を頼るのは地元だけではない。昨年、佐賀県の古川康知事たちは地元で古賀氏を「応援する会」を結成した。九州新幹線西九州ルート着工に伴う並行在来線の運行維持問題を解決してもらったことへの「恩返し」だという。年明けには古川知事や沿線自治体の佐賀、嬉野、武雄各市長、有力県議が交代で古賀氏の地元集会に足を運び、熱弁をふるった。
「佐賀の国会議員は頼りにならん。頼りは古賀先生だけ。こぎゃん恵まれた選挙区(7区)はない。うらやましかぁ」
熱弁には佐賀県内での沿岸道路の早期延伸などへの期待も透ける。
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:
チバQ
:2009/09/12(土) 23:56:41
●誰のおかげで仕事あるのか 「未来のため」後付け
4年前の前回衆院選。大牟田市で土木業を営む男性は、古賀氏の選挙事務所を出入りする高級車に目がくぎ付けとなった。ナンバーを見ると同業者の社長の愛車だが、運転者は見ず知らずの選対関係者。業者が車まで貸す選挙戦に驚いた。「聞いてはいたが、こんな協力までしているのか」
この男性は選挙が近づけば、パーティー券を購入した。朝礼や集会への動員要請はざら。会場では動員数がチェックされ「踏み絵を踏まされているようだった」とも言う。耳にイヤホンマイクを付けた知人の同業者が集会場で古賀氏に付き添い、ガードする姿を見たこともある。
「三池炭鉱の閉山後、大きな産業はなく地域は悲鳴を上げている。公共事業は不可欠」。40代の建設会社社長は、今回も支援者回りなどで古賀氏の選挙を手伝う。同社は有明海沿岸道路や九州新幹線の土台部分の工事に加わった。
■ ■
だが、沿岸道路や九州新幹線の整備工事をめぐって、地元の中小建設業者には不満がくすぶる。「この数年間で1500億円が地元に落ちる」と言われながら、孫請けにも入れないからだ。
宮崎県などの知事たちが逮捕された事件で談合防止策も厳格化された。「公共事業は安値入札の撃ち合いばかり。選挙に人を出せる余裕などないよ」。ある社長は中小業者全般の苦境をこう代弁し、業界全体の“体力”低下を指摘する。
4年前の選挙中、業界の集会に参加した土木業の男性は、古賀氏周辺から飛び出した言葉に耳を疑った。「今まで誰のおかげで仕事をもらっているんですか」
男性はその後、会社の受注を民間工事中心にシフトさせた。今回は民主党新人の野田国義氏(51)を支援し、リーフレット配布などを手伝っているという。
「国や自治体が膨大な借金を抱える中、さらに借金を増やしてまで公共工事を推し進める時代じゃない。将来地元が栄えるためと言われてもね。(公共事業を進める)後付けの理由でしょ」
=2009/08/13付 西日本新聞朝刊=
5574
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:03:15
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090814/20090814_0002.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】高齢化、細る遺族会 「会長やけん落とせん」
2009年08月14日 13:28
夕空にニイニイゼミの鳴き声が響き、足元に敷きつめられた玉砂利から昼の余熱が立ち昇る。
お盆の入りの13日午後7時すぎ、福岡県みやま市の山川中学校で開かれた市遺族会山川支部の戦没者慰霊祭。自民党前職、古賀誠氏(69)が校庭の片隅にある忠霊塔に一礼した後、あいさつに立った。「残念なことに戦後生まれの方々が75−80%になってしまい、愚かな戦争がどんどん風化しようとしている。わが国の平和を永遠に語り継ぎ、戦争を繰り返さない国を残すことが大事です」
約30人の参列者は、ほとんどが70−80代。用意されたパイプいすは空席も目につく。古賀氏は続けた。「国民一人一人が心を一つにして古里を守り、平和の尊さを次の世代にしっかりと語り継いでいきたい」
式典終了後、古賀氏が手押し車のおばあさんに声をかけた。「元気にしとるね」。彼女が「80歳を超えました」と答えると、傍らの息子が続けた。「まだ選挙には行けます。大丈夫です」
みやま市出身の古賀氏は2002年、戦争遺児として初めて日本遺族会の会長に就任した。
会場を回る古賀氏と握手を交わした70代後半の男性は、人の輪を離れると自らを鼓舞するように力を込めた。「私らの会長やけん、絶対に落とせん」。さらに、こうつぶやいた。
「それにしても(慰霊祭に参加する)人が少のうなったなあ」
■ ■
古賀氏が4歳のときに父がフィリピン・レイテ島で戦死。母がリヤカーで行商をして子どもたちを育てた。かつて、政治家を志した動機を聞かれ「生活苦を訴える手紙を政治家に送る母を見て、『政治とは生活だ』と実感した」と答えている。
自民党に強い逆風が吹くなか、古賀氏はかつてない頻度で地元に帰り、ミニ集会を重ねている。そして、戦争遺児の悲哀を語りながら、選挙区内のインフラ整備を「古里への恩返し」と言い切り、情と利に訴えかける。
●大平首相「君は何もないね」 「貧と苦」糧に中枢へ
古賀氏が国会議員秘書を経て初めて国政に挑んだのは、30年前の1979年。4中選挙区に分かれていた福岡県で、そろって初出馬したのが麻生太郎首相(68)と太田誠一元農相(63)だった。
3人一緒に首相官邸へあいさつに行ったとき、大平正芳首相(当時)は古賀氏の経歴書を見ながら言った。「君は何もないね。何もないじゃないか」
麻生氏は吉田茂元首相の孫で地方財閥の御曹司。太田氏は経済学者で福岡県知事の娘婿。身構える古賀氏に大平首相は続けた。
「でも君は、一番の財産を持ったじゃないか。貧と苦だよ。政治家にはこれが必要なんだ。おやじを戦争で亡くし、貧乏で育った体験を国政にどう生かすかだ」
大平首相の助言通り、古賀氏は「貧と苦」を語り、豊かさを実感できる国造りを掲げた。地元遺族会の全面支援を得て9期連続で当選。運輸大臣、党国対委員長、幹事長、派閥の領袖と国政の中枢へ駆け上がった。元秘書は「古賀さんには運の強さとすばしっこさがある。学閥も地盤も看板もなく、そうでなきゃ生き残れなかった」と振り返る。
加藤紘一元幹事長(70)が当時の森喜朗首相降ろしに動いた2000年の「加藤の乱」では、“兄貴分”と慕っていた加藤氏と土壇場で袂(たもと)を分かった。4年前、郵政民営化関連法案の衆院採決の際は、法案反対の動きを見せていたが、採決直前に退席して「棄権」。離党勧告処分を免れた。
ひとすじにつらぬく‐。長く古賀氏を支援し、今回は民主党新人の野田国義氏(51)を推す60代の男性は、古賀氏のキャッチコピーを皮肉り「権力の中枢を目指す姿勢だけは貫いてきた。今回も選挙直前に選対委員長を辞めた」と手厳しい。
5575
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:03:58
■ ■
今月9日、野田氏の出身地、福岡県広川町で遺族の集いが開かれた。
集まった70人ほどを前に、古賀氏の陣営幹部が頭を下げた。「かつてなく厳しい選挙。1票でも多くお願いします」。遺族会の役員が続けた。「まずは足元を固めんと。みなさんの奥さんや息子さんは大丈夫ですか」
終戦から64年。古賀氏の選挙戦を支えてきた遺族会の平均年齢は80歳前後。ある遺族会役員(74)は「息子から下は遺族の意識が薄い。選挙しか会をまとめる機会はなか」と話す。
気温30度を超す猛暑が続くなか、遺族会役員は選挙区内約7000人の支援者を一軒一軒回っている。
●東国原氏擁立騒動が影 慰霊祭欠席 失望の声
ただ、一枚岩に見える遺族会に、東国原英夫・宮崎県知事(51)の擁立騒動が影を落とす。
沖縄戦「慰霊の日」の6月23日。毎年、日本遺族会会長として戦没者追悼式に参列してきた古賀氏は、宮崎県庁にいた。「沖縄の慰霊祭は欠席したことがないんですが、今年は東国原知事にお会いするため、こちらに来ました」。知事との会談の冒頭、テレビカメラの前でそう明言した。
「慰霊より人気取りを選んで、失望した。どげな事情があっても沖縄に行くべきじゃった。遺族ば軽んじて、おごりがあるとやなかろうか」。ある遺族会役員は憤りを胸に秘め、“面従腹背”で野田氏を支援している。
古賀氏はパフォーマンス嫌いとされる。しかし、後援会幹部は「今回は違う。なりふり構っていられない」と言う。大牟田市であった会合では、古賀氏自身が演歌を熱唱し、会場を沸かせた。支持者の男性(64)は「大勢の前でカラオケを披露するのはめったにない。びっくりしたよ」。
間奏で古賀氏は、こうつぶやいたという。「これも自民党のためだ」
=2009/08/14付 西日本新聞朝刊=
5576
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:04:29
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090815/20090815_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】鳩山前総務相 強気の毒舌 「党たたき直す」
2009年08月15日 18:52
気温33・7度。強い日差しに、アスファルトの焼けるようなにおいが立ち込める。
14日午後、福岡県久留米市郊外の七木(ななき)地蔵尊。自民党前職、鳩山邦夫氏(60)の街頭演説も熱い。「今の政治には正義がない。民主党はホラばかり吹いている。民主党も自民党も落第だ。それなら、自民党をたたき直すしかない」
敵は民主党か、自民党か‐。鳩山氏の演説は、その境界線すらあいまいだ。掟(おきて)破りの毒舌だからこそ聴衆には受ける。
「かんぽの宿」の売却問題を批判して、6月に総務相を辞任。「盟友」とされた麻生太郎首相(68)とも距離を置く。
鳩山氏を支持する地元のある首長はささやく。「選挙前の大臣辞任は絶妙のタイミング。自民党も民主党も批判できるフリーハンドを手に入れたのだから。言っちゃあ悪いが、渡り鳥だからこその嗅覚(きゅうかく)だ」
自民党から新進党、民主党を経て、再び自民党。4年前の前回衆院選では、東京18区から福岡6区へ選挙区を変えた。久留米市は、母方の祖父・石橋正二郎がブリヂストンを創業したゆかりの地。それでも「落下傘」の声がつきまとった。
鳩山氏は、世間の注目を集める武器として「過激な発言」を意図的に使う。メディアへの露出が増えるほど、地元でも名前が売れるからだ。
■ ■
1972年、鳩山氏は田中角栄元首相の秘書を振り出しに、政界に足を踏み入れた。
「戸別訪問3万軒、つじ説法2万回やりゃあ、勝てるぞ」。角栄氏の教えは鳩山氏の原点。この日、支持者宅へ初盆参りに向かう途中も、街角で数人の姿を見つけては車を降りて握手を求めた。
スーパーの店内にも「どうも、どうも」と入っていく。4日夜、久留米市中心部であった夏祭りでは、約3千人に名刺を手渡した。
メディアに便乗しての「空中戦」に加え、選挙区を地道に歩く角栄氏仕込みの「地上戦」。逆風が強いとはいえ、自民党すら標的にする攻撃的な街頭演説。「そこまでやるか」。中選挙区時代から自民党を支えてきた党員には反発もある。
5577
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:04:47
●かつて「巨人、大鵬、自民党」 「選挙は祭り」地盤固め
「厳しか。自民党の下野を覚悟せないかんかもな」。6日夜、福岡県久留米市の郊外。自民党支部の関係者が行きつけのすし店に顔をそろえた。
地方議員、建設業者、専業農家、公民館長…。中選挙区時代から自民党の選挙を支えてきた面々だ。「巨人、大鵬、自民党、じゃったけどな」と50代の農業男性は嘆く。
高度経済成長期。地元の建設業者は、自民党の候補者陣営に差し出す名簿の数を競った。陣営は名簿に載った世帯に1軒ずつ電話をかけた。手応えがあれば「実」。なければ「空」。その実績に応じて、公共工事が業者に割り振られた。建設業者は「ある意味、公平な成果主義だった」と振り返る。
農家の若手も選挙戦に欠かせない実動部隊となった。街頭のポスター張りは、1枚80円から100円の報酬が相場。豊富な資金力を誇る党本部から両面テープなどの備品が大量に届いた。それらを節約して余らせ、地元の文房具店に原価以下で買い取らせた。店はもうかり、陣営若手の飲み代になった。
選挙は「祭り」。どの事務所も「飲ませ、食わせ」が当たり前の時代があった。酒や炊き出しの材料は、地元の店で買うのがしきたり。酒店が3軒あれば、それぞれ平等に数ケースずつビールを買う。それが地元への気配りだった。
●今は「面従腹背」… 甘言だけ「一度痛い目に」
時代は変わった。事務所で使う文房具は、100円均一の店やインターネットで調達する陣営も多い。炊き出しは消え、コンビニやチェーンの弁当店を利用する。
もちろん酒はご法度。1994年の公職選挙法改正以降、候補者本人以外でも悪質な違反があれば当選は無効となる。
地元議員の一人は「すべてがドライになった」とも言う。地域経済を潤してきた公共工事は激減。兼業農家が増え、後継者がいない農家も多い。候補予定者の集会に動員を掛けても、若手はなかなか集まらない。
規制緩和も影を落とす。スーパーや郊外の大型店に客を奪われ、地元の商店街は壊滅状態。自民党の支持基盤が揺らぐ。
古株の自民党員が集まったすし店の近くには、数件の造り酒屋がある。日本酒に赤く顔を染めた地元議員がつぶやいた。「全国的に一時期、混ぜ物の多い甘ったるい日本酒が増えただろう」。その結果、日本酒離れが進んだ。
「自民党も同じようなことをしてきた。甘い言葉で国民をごまかし、一生懸命に仕えてきた農家をだまし続けた。一度、痛い目に遭えば、愚直な政治をせないかんと気付くじゃろう」
構造改革、格差拡大、地方の切り捨て…。鳩山氏は「ドライな社会を変える」とうたう。
■ ■
福岡県大川市。自民党県議の秋田章二氏(59)は開業医でもある。
「自民党を頼むよ」。診察を終えた患者に声を掛けても、反応は芳しくない。特に子育て世代。「自民党が好かんとか、政治に無関心というわけでもないんやけどな」。育児や教育に関係する政策、その財源について説明すれば、母親たちは身を乗り出して聞く。
「それで自民党をよろしくと頼むと、急に皆、しらけたような表情になる」。政権を任せられるのは、どの政党か。有権者は一見、冷めているようでいて、じっくり見極めている。秋田氏の目にはそう映る。
地元の医師連盟は今回も自民党を推す。しかし‐。「今度は民主党」。秋田氏の周囲でも、そう公言する医師が少なくない。
「面従腹背。ずっと自民党を支えてきたあらゆる組織にそんな空気がある」。鳩山氏と戦う民主党前職、古賀一成氏(62)の陣営幹部は、こう見ている。
鳩山氏の陣営関係者は言う。「だから地道に選挙区を回り、一人でも多く握手するんだ」
=2009/08/15付 西日本新聞朝刊=
5578
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:06:14
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090816/20090816_0001.shtml
【ドキュメント 自民党 福岡発】揺らぐピラミッド 師の墓前、決意の終戦記念日
2009年08月16日 16:01
都心にひっそりとたたずむ禅寺は、せみ時雨に包まれていた。
終戦記念日の15日。衆院選公示まであと3日に迫ったこの日、黒いスーツに身を包んだ自民党前職の山崎拓氏(72)は、福岡市博多区の聖福寺で、境内に眠る2人の「先達」の墓前に花を手向け、ぬかずいた。
元首相の広田弘毅と、自民党創立の功労者である緒方竹虎−。山崎氏にとって、2人は母校・修猷館の先輩であり「目標」。緒方が自民党総裁のいすを目前に急逝したとき、早大1年生だった山崎氏は父親とともに通夜に駆けつけた。
額の汗をぬぐおうともせず、山崎氏は語った。「自民党最大の危機を迎えている。だが、健全保守の政党である自民党を、守り抜く決意であると墓前に申し上げた」
■ ■
「郷土の先達の志を継いで総理を目指す」。山崎氏がそんな目標を胸に秘め、初当選を果たしたのは1972年。36歳の若さだった。国会議員−県議−市町議。中選挙区制の旧福岡1区で、山崎氏は順調に系列議員を増やし、ピラミッド構造の頂点に君臨した。
96年に小選挙区比例代表並立制に変わった際、山崎氏が選んだのは現在の福岡2区だった。保守地盤の厚い他の選挙区での立候補を促す声もあったが、広田と緒方を輩出し、自らの原点と見定める「福岡のど真ん中」にこだわった。
だが、福岡2区は無党派層が有権者の4割ともいわれる都市型選挙区。今回、民主党新人の稲富修二氏(38)を相手に劣勢も伝えられ「政権を一度変えたいといううねりが起きている」と自民から民主支持に変わった商店主(62)は言う。
小選挙区制への移行はまた、国会議員と地方議員の関係も変ぼうさせた。盤石だった保守地盤には“ひずみ”が生じていた。
■中選挙区地方議員に「系列」 国会議員と一蓮托生
7月下旬、福岡市博多区のホテル。通称「旧1区の会」と呼ばれる会合が開かれた。
集まったのは、中選挙区制の旧福岡1区で「山崎派」とされた県議や市議たち数十人。小選挙区制への移行後、福岡市は三つの選挙区に細分化されたため、現在は山崎氏と選挙区が重ならない議員も少なくなかった。
席上、会合を呼びかけた議員が真顔で切り出した。「今の選挙区は違うけど、おれは拓さんのために頑張る」。何人かの議員はうなずいたが、その場にしらけた空気が漂った。
一つの選挙区から原則3―5人が当選する中選挙区では、同じ選挙区に複数の自民党候補が立候補することから、公認獲得や選挙戦での資金面で派閥の力が大きくものをいった。
領袖を総理・総裁にすることを「最大目標」とする各派閥の争いは、国会議員の地元で地方議員の「系列」を生み、留守を預かる県議や市議たちも、それぞれの議会で議長などのポスト争いに明け暮れた。
「保守同士、同じ土俵での戦いだから熱の入れ方が違ったし、それが党全体の活力になっていた」。自民党県議は懐かしむように振り返る。
5579
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:06:33
■ ■
「拓さんに頼んで実現した公共事業もある。拓さんを当選させることが自分の選挙にもつながった」。「旧1区の会」出席者の一人はこう語る。中選挙区時代、国会議員と系列議員は「一蓮托生(いちれんたくしょう)」の関係でもあった。
だが、1996年から導入された小選挙区制により、こうした構図は一変。公認権は党に集約され、政党助成金制度により党本部から支部に直接資金が入るようになったことで、派閥の「恩恵」は薄らいだ。派閥推薦の順送りだった閣僚人事も、小泉政権誕生後は首相による「一本釣り」が当たり前になった。
県議や市議の系列に“ねじれ”も生じた。旧福岡1区で「誠拓戦争」と呼ばれる激しい政争を繰り広げた山崎氏と太田誠一氏(63)。それぞれ2区と3区を選挙区にしたことで、議員や秘書の「トレード」が行われた。
それでも「選挙後においしい思いをするのは系列の“譜代大名”だけ。外様はしょせんは外様だった」。元議員は苦々しい表情で話す。
■選挙区越え保身に奔走 崩れた“集票マシン”
9日、福岡県久留米市のホールは千人を超す人であふれ返った。久留米市議会議長に就任した栗原伸夫氏(67)を励ます会。あいさつに立った参議院議員の松山政司氏(50)が「7区に電話を」と絶叫すると、拍手と歓声がわき起こった。
深々と頭を下げたのは隣接する福岡7区から立候補予定で、「励ます会」の発起人と紹介された自民党前職の古賀誠氏(69)。地元・福岡6区の自民党前職、鳩山邦夫氏(60)は妻が代理出席したが、その姿も乾杯前に見えなくなっていた。
中選挙区時代、古賀氏は有権者の多い久留米市に盤石の支援組織をつくった。久留米市議会(定数42)の最大会派「緑水会」は、栗原氏を含めて11人。大半が「古賀派」を自認するほど今もつながりは深い。
「いざ鎌倉だ。おやじ(古賀氏)を支える」。栗原氏は5月からほぼ毎日、7区に入り、古賀誠事務所に詰める。「立候補するときに支援を受けた」「古賀夫妻が仲人」…。栗原氏と同様に古賀事務所に日参する6区内の地方議員は多い。
■ ■
「まさに枯れ木も山のにぎわい。6区の議員が7区に来てもやることは限られる。6区にも、7区にも票にならない動きだ」。7区で古賀氏を支える地方議員の一人は、こう突き放す。
ただ、選挙区を越えた応援は「恩義」だけではない。ベテラン議員は、合併や定数削減で地方議員の議席が減り、次回の統一地方選も激戦が予想されていることを挙げる。「国会議員の後ろ盾がないと出馬できそうにない。忠誠を尽くす姿を見せることが、自分の選挙運動になる」
別の市議も「地元6区で不人気の自民党に理解を求める運動をしたら、自分の票が減る。それより、まず出馬できる環境を得るために7区に行くのが得策」と明かす。自民党への逆風の中、“集票マシン”と呼ばれた地方議員は、保身のために奔走している。
=おわり
=2009/08/16付 西日本新聞朝刊=
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:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:09:26
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090820/20090820_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<1>分裂 自民王国に異変あり
2009年08月20日 11:52
4年前の郵政選挙で、演壇に並んだ自民党県議たちの姿はなかった。衆院選公示の18日朝、宮崎市の宮崎神宮。「県連が公募で選んだ候補では、とてもじゃないが(野党共闘の)相手候補に勝てません」。宮崎1区の前職、中山成彬氏(66)は第一声で“身内”への批判をぶちまけた。
自民党県連が選んだ候補とは、元参院議員の上杉光弘氏(67)を指す。中山氏が日教組をめぐる過激発言で昨秋、不出馬表明したことを受け、県連が公募で決めた。ところが中山氏は前言を翻し出馬へ。党本部は一本化を断念し、中山氏は「1区支部公認」、上杉氏は「県連公認」を掲げ、双方が無所属で戦う。宮崎1区は、九州・沖縄38選挙区で唯一、自民公認がいない選挙区だ。
過激発言による国土交通相辞任や、二転三転した進退騒動への批判が根深い中山氏。妻の中山恭子参院議員を選対総本部長に据え、巻き返しを図る。しかし、後ろ盾だった主要経済団体の推薦もなく、陣営内には焦りの色もみられる。
「敵は民主党なのに。自民党同士でけんかしても始まらんやろ」。動員に応じた地元の建設業者(48)はいら立ちを隠さず、出陣式を後にした。
■支援組織に不満
ちょうど同じころ。宮崎市内の繁華街でマイクを握った上杉氏の隣に、県連幹部や1区内の県議全5人が並んだ。緒嶋雅晃県連会長は「中山先生は『出ない』と言った。有言実行が政治家の使命だ」と分裂の種をまいた中山氏を責めた。
緒嶋会長らはその後、近くの県農協会館に直行した。上杉氏を推薦する県内最大の政治団体・県農民連盟の幹部に、呼び出しを受けていたからだ。1区内の連盟の組合員は1万8千人。家族も含め5万5千票を動かすとされる。
「党本部と県連の騒動は、われわれには関係ない。選挙事務所には県連の姿が見えない。うちにおんぶに抱っこじゃないか」。連盟幹部や1区内の農協組合長らが緒嶋会長らに食ってかかった。
自民分裂に不満を募らせるのは農民連盟に限らない。陣営は、宮崎地区建設業協会(130社)に後援会名簿の提出を求めたが、協会側は縦に首を振らなかった。党と候補の後援会、推薦団体の「三位一体」で勝ち抜いてきた宮崎自民。要の党営選挙が抜け落ち、瓦解の芽が見え隠れする。
■初の「野党共闘」
宮崎県では1996年の小選挙区制導入後、自民が過去4回、3小選挙区を独占(郵政選挙の復党組含む)してきた。
民主、社民、国民新の野党3党は今回、元林野庁長官で無所属新人の川村秀三郎氏(60)を初めて相乗りで擁立。全国的な追い風に加え、自民分裂の敵失に乗って悲願の議席奪取を目指す。
その選対本部長を務めるのが、宮崎市郡医師会の会員。川村氏は、林業関係など保守系団体にも食い込む。「引き締めるだけ引き締めないと…。油断が一番の敵だ」。陣営関係者は緩む表情を引き締めてみせた。
共産新人の馬場洋光氏(40)は「自公政権の退場を」と主張。政治団体・幸福実現党新人の鶴丸千夏氏(44)も景気対策などを掲げる。 (報道センター・郷達也、宮崎総局・山田育代)
◇ ◇
30日の投開票に向け、第45回衆院選がスタートした。政権を懸けた各党、候補者たちの攻防を全国各地に追う。
5581
:
チバQ
:2009/09/13(日) 00:10:32
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090821/20090821_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<2>象徴 与党大物に女性刺客
2009年08月21日 13:20
麦わら帽子の女性が、手ぬぐいを首にかけた男性が、街宣車を取り囲んだ。18日午後1時、東京・JR赤羽駅東口。
「民主党の政策なら消費税は20%を超す」。身を乗り出したのは自民党の「ポスト麻生」候補、舛添要一厚生労働相。並んだ公明党公認の前職太田昭宏代表(63)が目の下を紅潮させ、叫ぶ。「くるくる変わるマニフェスト…。民主党に政権は渡せない!」。自民党が候補を立てない自公協力の象徴区。2時間後には麻生太郎首相も来援。「女性のがん検診無料化は浜四津(敏子公明党代表代行)先生から猛烈にお願いされた」。連立10年の実績をアピールすると、聴衆がどっと沸いた。
下町情緒漂う足立区西部、北区にまたがる東京12区は創価学会員が最も多いとされる別名「公明区」。だが7月の都議選で北区の自公票が民主票を下回り陣営は青ざめた。党が認めない比例との重複も一時は検討した。
「地元の庶民代表は太田1人」(陣営)。溶接工にパン職人、大工など7種の職に装った太田氏のポスターを用意、民家や個人商店の壁に張った。学会員は全国から「太田ファン」(都議OB)が集結。公示日には会員でタレントの山本リンダ氏も商店街を回った。
太田氏も全国遊説の合間に街頭に立つ。「消防車より速く駆けつける」「皆さまにしがみついてやる覚悟」‐。悲壮な声が響く。
■2晩で約3千枚
民主党が擁立したのは、小沢一郎前代表の秘書も務めた元タレントの青木愛前参院議員(44)。新人女性が元総務相を破った一昨年の参院選岡山選挙区にならい、長崎2区、群馬4区なども含め、与党の大物に女性刺客を送り込む戦略だ。とりわけ、与党党首に小沢氏の「秘蔵っ子」が挑む東京12区は、民主党にとっても象徴区である。青木氏は18日午後、赤羽駅西口で青い選挙カーから降り、懸命に手を振った。
のぼり立てなど準備に2分。「政権交代で暮らしを守る」と訴える演説は3分。片付け2分、移動に3分。計10分間の遊説を1日40−60カ所。細い路地にも入り込む。
「足で稼ぐしかない」。発案者は小沢氏の秘書(51)。国政選挙を何度も仕切り、青木氏が出馬表明した7月24日から陣頭指揮を執る。初日から約150人に号令。2晩で小沢氏と青木氏が並ぶポスター約3千枚を張り巡らした。公示前日には駅周辺の民主党のポスターが、半日で満面の笑みを浮かべる小沢氏の写真に替わった。「ここまで統率された選挙戦は初体験」(民主都議)。味方も度肝を抜かれた。
■一枚岩に不安も
自民党は今回、初めて12区選対本部を発足。太田氏支援とともに「比例は自民」と訴えるが、都議選で争った後でもあり、落選した自民前都議も、公明関係者も「正直、複雑」。与党サイドは必ずしも一枚岩ではない。
一方、民主党地元議員の間では、小沢氏に12区に「国替え」してもらう待望論が一時盛り上がった。「小沢は将来の公明との連携に気を使ったのだろうが、だれが候補でも小沢と比べると差がある」と都議団幹部(65)。地元出身でない青木氏に、太田氏陣営は“落下傘”批判を強め始めた。
共産新人の池内沙織氏(26)、幸福新人の与国秀行氏(33)も支持を訴える。 (東京報道部・三宅大介)
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:11:07
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090822/20090822_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<3>攻防 実績か変革かの縮図
2009年08月22日 11:53
長崎県諫早市の諫早湾奥部。公示から2日後の20日夜、約10キロ離れた2地区で、同時に開かれた個人演説会は対照的な雰囲気に包まれた。
「お年寄りは、障害者は、地方はどうなる。変えるには今しかないんです」。干拓地を見渡す高台の施設で、民主新人の福田衣里子氏(28)が訴えた。言葉を発するごとに起こる「そうだ」の声につられるように、「どうか力を貸してください」。頭を下げる福田氏の声はかすれていた。
一方、干拓地の背後に広がる水田に囲まれた公民館に、自民前職で元防衛相の久間章生氏(68)がいた。「農水省の集落排水事業というのは予算が付きやすいんですが、集落の戸数が減ると、維持管理費はすごく高くなる…」。畳敷きの大広間にすき間なく座った支持者は、国営諫早湾干拓事業を推進した久間氏の説明に黙って耳を傾ける。だが、最後列で高齢の女性2人が、こうささやき合った。「難しゅうて、分からんね」
■支持者に「げき」
29年前から赤じゅうたんを踏むベテランと、国会に初挑戦の28歳女性−。
対照的な2人が戦う衆院長崎2区を、民主党の鳩山由紀夫代表は「政権交代を象徴する選挙区に仕立てる」と宣言。公示前から党幹部や各地の参院議員を相次ぎ投入、党県連や連合長崎もスタッフを重点配置する。
「2区の有権者が福田を当選させられるか、日本中が注目しているんです」。個人演説会では、県連総合選対本部長の西岡武夫参議院議員が支持者に「お願い」ではなく、ハッパをかける。
在京マスコミの取材が熱を帯び、全国的な注目度アップも福田陣営の思惑通りだ。しかし、懸念も出てきた。週刊誌が当落予想で、福田氏優位を相次ぎ報じたからだ。陣営幹部は「内部に『いける』という空気が漂っている」と上滑りを警戒。陣営の選対本部は公示前日、内部資料で「『風』がそのまま2区の票につながるわけではない」と楽観ムードを戒めた。
■核兵器廃絶掲げ
当選9回を重ねた自民ベテランの苦境は、党への逆風ばかりではない。市町村合併に伴い、集票活動の要になる市町村議が激減。地元の県医師連盟諫早支部が自主投票を決めるなど、支援組織の離反もある。「自民の医療施策に期待が持てない」。同支部幹部からは批判の声が公然と上がる。
今は、身内より連立を組む公明党の支持票の方が「確実に計算できる」(陣営幹部)と、演説会場では応援弁士が「比例は公明」を連呼。原爆投下をめぐる発言が引きずる批判のくすぶりにも配慮してか、党のマニフェスト(政権公約)にも記載がない「核兵器廃絶」と記した看板も掲げる。それだけ、陣営の危機感は強い。
13年ぶりというたすき姿の久間氏を乗せ、棚田を縫って走る選挙カーから、女性の連呼が山あいの集落にこだまする。「今回は久間、今回も久間、今回こそ久間」
政治団体・幸福実現党新人の柴田愛氏(35)、無所属新人の山崎寿郎氏(29)、無所属新人の相浦喜代子氏(45)も支持拡大に走っている。 (諫早支局・阿比留北斗、長崎総局・福間慎一)
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:12:16
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090823/20090823_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<4>謝罪 「中川王国」崩壊寸前
2009年08月25日 13:19
「十勝が崩壊するか発展するかの戦いだ」。安倍晋三元首相が応援に駆け付けた22日、自民前職の中川昭一前財務相(56)は北海道帯広市で危機感もあらわに訴えた。
2月のイタリア・ローマでの「もうろう会見」から約半年。世界中に発信された醜態に加え、自民党の低支持率が重なり、猛烈な逆風が吹く。
19日、JR帯広駅前。秋の気配が漂う北の大地に響いたのは、男2人の謝罪の言葉だった。
「私の監督不行き届きで、大変見苦しい形をお見せすることになった」と、
盟友をかばう麻生太郎首相。中川氏は「総理の片腕を自任していた私も、総理に大変迷惑を掛けてしまった」。傘も差さずに頭を下げる中川氏を雨が打ち続けた。
■遺産食いつぶし
「あのー、ふう、おぶぁま(オバマ)政権に対して…」。これまで中川氏を支持してきたという帯広市の自営業女性(44)は2月、昼食に立ち寄ったラーメン店で問題の会見映像に遭遇。はしの動きが止まった。「とうとう出ちゃったか…」
農相や財務相、党政調会長など主要ポストをこなし、地元では「次は首相」という期待すら高まっていた。その一方で、酒好きで知られる中川氏には、以前から酒をめぐる醜聞が付いて回った。
会見について、「風邪薬が原因」と飲酒の影響を否定し続ける中川氏だが、9日の集会では「日本のために酒を断つ」と支持者に宣言。それでも、この女性は「今回ばかりは、少し考え直してみたい」。
中川氏の父親は、「北海のヒグマ」の異名を取った元農相の故・一郎氏。全国有数の酪農、畑作地帯に一代で強固な選挙地盤を築き上げた。
それを受け継いだ中川氏は、中選挙区時代を含め連続8回当選。小選挙区になった過去4回は、有権者30万人弱の選挙区で、多いときで次点に6万票の差をつける強さを誇ってきた。北海道11区が「中川王国」と言われるゆえんだ。それが一転。「王国」は崩壊の危機に直面している。
公示後も全国を応援で回り、地元には数日しかいないというのが最近の中川氏の選挙だったが、今回は3月からのおわび行脚でベタ張り状態。応援も、もらう立場だ。
「楽な選挙で後援会が緩んでいた上、ローマ会見が追い打ちをかけ、おやじさんの遺産を食いつぶしてしまった」。陣営幹部はこう嘆く。
■骨肉の争い再来
中川氏に挑むのは民主前職の石川知裕氏(36)と共産新人の渡辺紫氏(60)。石川氏は前回中川氏に敗れたが一昨年、比例で繰り上げ当選した。
石川氏は小沢一郎代表代行の元秘書。西松建設事件絡みで東京地検に参考人聴取を受けたが、「かえって知名度が上がった」(陣営)と強気だ。
石川氏は、十勝出身の新党大地代表、鈴木宗男氏の支援も受ける。一郎氏の急死で、中選挙区時代の1983年に「骨肉の争い」の末、初当選したのが長男の中川氏と秘書だった鈴木氏。因縁の戦いが再来した格好だ。
「地方を疲弊させたのは自民党」と訴える石川氏。中川氏は日米自由貿易協定(FTA)をめぐる民主党のぶれを攻撃しつつ、父親の威光を頼る。「米国の農産物が無税で入ってくると、十勝の農業はつぶれる。父に何と報告したらいいんでしょうか」 (東京報道部・山口英宏)
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:12:42
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090824/20090824_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<5>師弟 「利益誘導」是か非か
2009年08月24日 16:43
公示後、初の週末の22日午後、福岡県大牟田市のスーパー駐車場。気温30度の中、白いポロシャツと運動靴姿の自民前職の古賀誠氏(69)は汗を流しながら、何人もの買い物客に笑顔で歩み寄って握手を交わした。
地元市議団の要請で、「1996年の選挙以来13年ぶり」(陣営幹部)という街頭演説に立った古賀氏。動員はなく、聴衆はわずか40人ほど。マイクを握ると、笑顔が消えた。「民主党の議席は300を超えるという予測。大変なことが日本の政治に起きる」
報道各社の世論調査結果への危機感や、平和の尊さなどを訴えた後、持論に言及した。「一歩ずつ社会基盤の整備が進んでいる。10年、20年先にこれらを活用すれば、多くの企業が進出して雇用が創出される。いまそのための汗をかいている」
■利と情を交えて
福岡県南部の福岡7区。「道路族のドン」と呼ばれる9選の古賀氏は、有明海沿岸道路や基幹国道の整備など、この地でのインフラ整備の実績を強調してきた。「古里への恩返し」と訴え、時に「何と言われても(道路や橋を)つくる」と強弁もみせた。
一方、有権者の「情」に訴える場面も目立つ。出身地・みやま市での18日の出陣式では涙ぐんで支持を呼び掛けた。翌19日には、7区内で人口1600人と最少の同県矢部村でミカン箱の上で林業再生を唱えた。
比例代表との重複立候補を辞退し、「負ければ終わり」という党実力者の危機。陣営は、古賀氏が党選対委員長の際、選挙協力の見直しなどを唱えて反発を招いた公明党や支持母体・創価学会との顔合わせを8月上旬に終え、いま選挙協力の強化を急ぐ。
■市役所への抗議
「この7区には豪華すぎる公共工事が多すぎる。一部の政治家が名を残すために(規模が)大きくなってしまう」。22日、福岡県筑後市での街頭演説。元福岡県八女市長で民主新人の野田国義氏(51)は、古賀氏の政治姿勢を「税金の無駄遣い」と暗に批判し、対決姿勢を強めた。
かつて古賀氏の秘書を務めた野田氏。「師弟対決」といわれる7区だが、「古賀氏との主張の違いが対比され、有権者にも分かりやすい」(陣営関係者)と、利益誘導の是非を問う構図に持ち込む狙いが透ける。
政権交代が現実味を帯びる中、民主陣営は古賀氏を支持する首長たちへの「警告」とも受け取れる行動に出た。「中立な立場を外れ、国政選挙への介入が目に余る」。野田氏の選対本部長を務める大久保勉参院議員が20日、大牟田市役所に乗り込み、古賀氏の応援を続ける古賀道雄市長あてに質問書を提出。市幹部を慌てさせたのだ。
さらに大久保氏は、古賀氏推薦を決めている医師連盟や商工連盟、農政連などを回り、切り崩しを図る構えだ。
「民主党300議席」を伝える世論調査。その中で、7区では両者の激しい競り合いが続く。陣営幹部は「ラスト1週間で何とか追い抜きたい」と気を引き締める。
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:13:26
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090825/20090825_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<6>世襲 “小泉党”地盤に異変
2009年08月25日 13:20
「父も兄も応援に入りません。地元のみなさんが頼りなんです」
20日夕、神奈川県横須賀市郊外の駅前。顔を真っ黒に日焼けさせた自民党新人の小泉進次郎氏(28)は、街宣車の上からマイクで訴えた。
父は小泉純一郎元首相、兄は俳優の孝太郎氏。進次郎氏は曾祖父から100年間、この地で衆院議員を輩出する小泉家の「4代目」だ。比例への重複立候補はせず、民主党新人の横粂(よこくめ)勝仁氏(27)、共産党新人の伊東正子氏(68)、政治団体・幸福実現党新人の鶴川晃久氏(35)らと戦う。
■ブランドに陰り
昨年9月、元首相が突然引退を表明し、秘書だった次男進次郎氏を後継指名。世襲批判がわき起こったものの、「小泉ブランドがあれば誰が相手でも負けない」(陣営幹部)とみられていた。
ところが6月28日、横須賀市長選で元首相が応援していた現職が敗れ、その威光に疑問符が付いた。それまで父の支持者回りを優先させ街頭演説などは控えていた進次郎氏だったが、2日後、つじ立ちを始めた。それでも声を掛けられたり、握手を求められたりすることは意外なほど少ない。
自民党への逆風に加え、小泉陣営が気にしているのが今年5月、横須賀市内の祭り会場での出来事。あいさつしようと、民主党の横粂氏が「進次郎さん、進次郎さん」と間近で何度も呼び掛け握手を求めたが、進次郎氏は、それを無視するかのように有権者と握手しながら歩き続けた。
その場面が偶然、撮影され、映像がインターネットに流出。アクセス数は数十万件に上った。「無視するなんて常識がない」「親が元首相だから偉そうだ」‐。ネット上に批判が殺到。「本人に悪意はなかったが、世襲批判と相まって間違ったイメージがつくりあげられてしまった」。頭を抱える陣営幹部は今なお釈明に追われている。
■「ベルリンの壁」
民主党の横粂氏は愛知県出身の「落下傘候補」。大学卒業後、東京で弁護士をしていた。
元首相支持者を刺激しないよう、当初は世襲批判を封印。しかし7月28日、候補予定者がそろった討論会では「恐縮ですが…」とかしこまりながらも、進次郎氏に「お父さんが目指した方向は間違っていた、お父さん謝ってくれ、とお考えでしょうか」と問いただした。苦笑いの進次郎氏は「小泉改革に批判があるなら時代に合わせて変えればいい」と応じた。
横粂氏は毎日、自転車にのぼり旗を立てて走り、つじ立ちを繰り返す。父は「トラック運転手」。庶民感覚をアピールし、「生活が分からない人に政治はできるのか」と世襲候補との違いを訴える。インフルエンザ感染で一時活動を自粛したが、公示日の18日には回復した。春ごろには街頭に立っても見向きもされなかった。今は違う。「小泉に負けるな」と、度々声も掛けられる。
民主党の小沢一郎代表代行が「厚い、高い、小泉氏の壁も30日、国民の力でベルリンの壁と同じように必ず崩壊する」と語った神奈川11区。「進次郎氏の背中も見えない」と横粂陣営は言うが、横須賀市中心部の商店街では、自営業男性(71)がこう漏らした。「こんなに商店街がさびれたのは誰の責任か。みんな小泉支持だが、今回ばかりは考え直す」 (東京報道部・伊藤完司)
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:14:54
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090826/20090826_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<7>優劣 背水の陣 譲らぬ前、新
2009年08月26日 11:09
福岡市のホテルに20日、2500人を集めた自民前職の山崎拓氏(72)の集会。「『わが人生に悔いなし』という石原裕次郎の歌を練習しているんですが、『悔いはある』と歌ってます」。山崎氏はそう冗談を飛ばし、会場を沸かせた。
応援に駆けつけた山崎派の石原伸晃幹事長代理が傍らにいたためだが、山崎氏は次の瞬間、表情を引き締め、言葉を継いだ。「ひょっとしたら今回が最後の勝負になるかもしれないが、必ず国のため、郷土のために、立派な働きをします」
当選12回。派閥を率いる党の重鎮として全国を駆け回っていた選挙戦は一変した。報道各社の世論調査で「劣勢」が伝えられる中、50の小学校区ごとに動員なしで街頭演説を繰り返す。夜も連日4、5カ所の公民館で個人演説会を重ねる。
「初心に帰る」「総決算」と自身に言い聞かせるように“どぶ板”に徹する山崎氏。「政治生命をかけた戦い」と系列議員は力を込める。
■離反する支持層
「何としても山崎拓を福岡から失うわけにはいかない」。24日朝、福岡市・天神のビルの一室。急きょ集まった地元財界300社の幹部たちに、九電会長の松尾新吾氏(71)が呼びかけた。
陣営は、苦戦の原因を足元の自民支持層を固めきれていない点にあると分析。約10万700世帯分に達した後援会リストを基に、再び一軒一軒に電話をかけ、支持固めに躍起だ。
自民支持層の「離反」はそのまま民主新人、稲富修二氏(39)の追い風に変わる。23日、福岡市のホールで開かれた稲富氏の集会。応援演説に立ったのは、自民党県議を支援してきた建設業男性(66)だった。
「米国ではオバマ大統領が誕生した。日本でも稲富のような一本気な男が、政治を変えてくれると期待している」。自公政権への不満と政権交代への期待感が、「山を動かしている」と稲富陣営幹部は推測する。
■陣営の緩み警戒
稲富氏は24日、福岡市南区の交差点に自転車で現れ、マイクを握った。「民主党に不安はあるだろう。でも、行き詰まった日本の状況打開には今、変えるしかない」。若さをアピールするかのようにポロシャツに運動靴姿で、官僚主導の政治撤廃を訴えかけた。
前回の福岡11区から選挙区を替え、2007年10月に福岡2区内に転居した「落下傘候補」。「風では勝ちたくない。草の根の支持基盤をつくりたい」と毎日、自転車を走らせる。1日50回を目標とする街頭演説は計3300回を超えた。
前回衆院選、一昨年春の県知事選と2回続けて苦杯をなめた稲富氏にとっても、今回は負けられない背水の陣。相次ぐ「優勢」報道にも稲富氏は表情を崩さない。「相手は大物。必ず巻き返してくる。簡単に勝てる相手ではありません」
福岡2区では、「建設的野党」をアピールする共産新人の小林解子氏(29)と、政治団体・幸福実現党新人の佐竹秀夫氏(55)も支持拡大に走り続けている。
(都市圏総局・浜田耕治、鶴加寿子)
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チバQ
:2009/09/13(日) 00:15:31
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/rensai4/20090827/20090827_0001.shtml
焦点区を行く ’09衆院選<8完>余波 小泉改革の風に翻弄
2009年08月27日 11:37
新興住宅街に響く叫び声にも、秋の気配が漂っていた。
静岡県・浜名湖にほど近いスーパー前。自民党前職の片山さつき氏(50)は25日、赤いビールケースに乗り、マイクを握り締めていた。
「大変な逆風です。助けてください。助けてください」
財務省キャリアだった片山氏は4年前の郵政選挙に初出馬。小泉純一郎元首相の郵政民営化に反対、自民党を離党した城内実氏(44)への「刺客」だった。空前の小泉旋風。落下傘候補ながら748票差で城内氏に競り勝った。今回、無所属出馬の城内氏と再び戦う。
その片山氏が今年7月の事務所開きで、支援者に土下座した。「残りの人生を公のために使いたい」。前回から一転、自民党への厳しい向かい風に翻弄(ほんろう)される「小泉チルドレン」の姿を象徴していた。
北は、長野県境の山間部から、南は沿海部の浜名湖周辺まで広がる静岡7区。片山氏のほか、民主党新人の斉木武志氏(35)、政治団体・幸福実現党新人の竹内隆文氏(51)を抑え、城内氏の優勢が伝わる。
■元首相にも距離
今月15日に開かれた片山氏の決起大会には、小泉元首相の姿があった。約1700人が集まり、立ち見も出た。「それでも、4年前の雰囲気とは違った」(陣営幹部)
郵政選挙後、自動車や楽器など地元製造業の業績は悪化し、地域の地盤沈下が進んだ。決起大会で、小泉元首相は構造改革の正当性を強調した。しかし、片山氏の支援者の中にさえ「行きすぎた改革が地域を疲弊させた」「いいかげんにチルドレンから卒業した方がいい」との声がある。陣営は決起大会で、これまで小泉元首相に批判的だった地元医師会の会長に応援演説を依頼。元首相との微妙な距離感を演出せざるを得なかった。
■追い風に“異変”
「信念を貫く男」。そんなのぼり旗が風になびいていた。城内氏は24日、古い住宅街で訴えた。
「私は抵抗勢力ではなく、正義のために戦ってきた。郵政選挙はいかさまだった」。この4年間、小泉改革への批判を続けてきた。
選挙区を歩き回った。ミニ集会など年間800回近く開いた。車座になった集会では、出席者と握手するため、両ひざをつけたまま動く。ズボンが1カ月で破れた。
選挙戦に入ると、城内氏の孤軍奮闘ぶりを伝える報道を通じて、雇い止めになった若者が、ボランティアとして全国から集まった。改革のひずみで切り捨てられた被害者だった。地元財界の重鎮、自動車メーカー「スズキ」の鈴木修会長兼社長も支持を表明。ある県議は「表向きは片山氏支援、水面下では、城内氏を応援する自民党県議も少なくない」と明かす。
自民、民主、無党派と幅広い層から支持を集める城内氏。その情勢に、民主党斉木氏の陣営は戸惑いを隠せない。全国的に吹く民主党への追い風を、城内氏に奪われる“異変”が原因だ。
「小泉元首相は、構造改革ですべて良くなると言ったが、事態は逆に悪くなった。今回の民主党への追い風は、その失望から始まった反自民の風にすぎないのかもしれない」。小泉旋風の余波‐。陣営関係者は、現状をこう分析してみせた。 (東京報道部・斉田康隆)
=おわり
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名無しさん
:2009/09/13(日) 02:18:06
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/121583
民・自・公が衆院選総括 各党県組織 参院選対策も論議 福岡市
2009年9月13日 01:34 カテゴリー:九州 > 福岡
民主、自民、公明3党の県組織が12日、福岡市内でそれぞれ会合を開き、衆院選の総括や来年夏の参院選対策を話し合った。衆院選で議席を大幅に伸ばし、県内第1党に躍進した民主党県連は、首長や各種団体からの陳情を受けるため、新政権発足に合わせて県連の組織改編を進めることで合意。一方、自民党県連と公明党県本部は参院選での党勢回復を目指し、地方組織の立て直しを急ぐことで一致した。
8月の衆院選で、比例復活を含め県内で擁立した10人の公認候補全員が当選した民主党県連。常任幹事会にはその10人が出席し、お互いの健闘をたたえ合った。
冒頭、県連代表の松本龍衆院議員が「暑い夏の戦いを経て、多くの同志と集えたことをうれしく思う。謙虚に国民目線で行動してほしい」とあいさつ。その後、当選者が1人ずつ抱負を語った。
組織改編の計画では、政権与党として地方自治体などからの陳情・要望を受けるため、国土交通省や厚生労働省など6分野ごとに国会議員に担当を割り当てる。大学教授など外部スタッフの意見を取り入れ、政府や党本部への要請など具体的行動に移していくという。
一方、衆院選で県内11小選挙区中4勝にとどまり、勢力を大きく後退させた自民党県連。会合では、敗因について地方支部代表などから「マニフェスト(政権公約)に盛り込んだ政策の説得力が足りなかった」「党本部の足並みの乱れが響いた」などの意見が相次いだ。
県連は来年の参院選に向け、地方支部の体制強化を図ることを確認。衆院選で県連選対本部長を務めた松山政司参院議員は「参院選勝利のため必要なのは地方の声を吸い上げること。執行部のもと一致結束していかないといけない」と話した。
公明党県本部の議員総会には、党本部から山口那津男代表が出席。山口代表は「政権交代を求めるうねりの中で、党の実績を投票行動に結び付けることができなかった。体制を整え、何としても参院選では勝利をつかみたい」と訴えた。
=2009/09/13付 西日本新聞朝刊=
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名無しさん
:2009/09/13(日) 11:18:40
http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000000909130004
落選堀内氏、続投表明
2009年09月13日
自民党県連の国会議員経験者と現職県議の合同会議であいさつする堀内光雄氏(左から2人目)=甲府市丸の内2丁目
民主党県連の幹事会に参加した小沢鋭仁氏、後藤斎氏、坂口岳洋氏(左から)=甲府市丸の内1丁目
■次期総選挙 明言せず
総選挙の山梨2区で落選し、進退が注目されている自民党の堀内光雄氏(79)は12日、甲府市内で開かれた自民党県連の会合に出席し、終了後、報道陣の取材に対して、政治活動を継続する考えを表明した。総選挙前から「今回が最後の選挙」と公言していた堀内氏だが、次期総選挙に立候補する可能性については、明言を避けた。県連は、堀内氏を含む3人の前衆院議員から、新会長を選任する方針。(床並浩一、佐藤美鈴)
■自民県連 今月中に新4役
落選後、県連主催の会合に初めて出席した堀内氏はこの日、朝日新聞などの取材に、「生涯現役。選挙中に約束したことや私ができることは、政治家として続けていかなければならない」と説明した。
ただ、次期総選挙については「その時の調整による。選挙区の皆さんの考えによる」と慎重な姿勢を示した。
県連はこの日、堀内氏ら国会議員経験者のほか、現職県議を集め、人選を先送りしてきた新執行部について協議。堀内氏ら落選した前衆院議員3人から新会長を選ぶ方針で大筋合意した。今月中に会長ら新四役を選任。来月の総務会を経て、正式に発足させ、来夏の参院選の公認候補者選びを本格化する見込みだ。
3人のうち、赤池誠章、小野次郎両氏は、05年総選挙での当選1回のみ。このため、前島茂松会長代行ら現執行部の信頼が厚く、10回の当選経験を持つ堀内氏が有力との見方が、県連内部に強まっている。
堀内氏も会合で、「党が危急存亡の時と感じている。県連がどういう具合に取り組むか、先生(県議)と大いに意見を戦わせることが重要」とあいさつ。報道陣の取材に対しても「(党の再生に)使命感を持っている。党員として協力する」と意欲を見せた。
だが、衆参両院で全議席を失うという事態を受けて、堀内氏の再登板に難色を示し、若手を推す声もあり、人選は難航する可能性がある。小野氏の後援会長を務める清水達雄元参院議員は会合で、一般論として「新執行部は、若く、フレッシュな人を選ぶことに重点を置いてくれたらと思う」と話した。
■民主県連 小沢鋭仁氏は代表続行
一方、県内3選挙区で議席を独占した民主党県連もこの日、甲府市内で幹事会を開き、総選挙の総括と参院選の対応を協議。小沢鋭仁氏が来年2月の任期満了まで県連代表を続ける方針も確認した。
会合は報道陣に公開され、今後の課題として、党所属の地方議員や党員・サポーターを増やすことに加え、政権交代後に幅広く意見・要望を聞くため、県内の各種団体と関係を深める必要があるとした。参加した地方議員からは、党本部が進める今年度予算の執行見直しについて、「混乱の声も出ているが、切るべき事業は切るべきだ」といった意見が出た。
幹事会終了後、鳩山党代表の側近として入閣の可能性も取りざたされている小沢氏は、報道陣の取材に対し、「正直言ってわからない」と答えた。
幹事会を欠席した輿石東参院議員会長は、甲府市内でこの日の午後に開かれた連合山梨主催の式典に出席した。渡辺一彦会長から「引き続き、任を担っていただく以外にない」と、来夏の参院選への立候補を要請されたが、「今はそれどころではない」と、明言しなかった。
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名無しさん
:2009/09/13(日) 11:56:01
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/news/20090912-OYT8T00876.htm
衆院選の総括 明暗
民主、参院選輿石氏有力 自民、執行部人事先送り
民主党と自民党の両県連は12日、衆院選の結果を踏まえ、それぞれが甲府市内で会合を開いた。衆参ともに県内の全議席を独占した民主党県連では、早くも来年夏の参院選に向けた候補者選定が話題となった。一方、自民党県連は衆院選敗北から組織を立て直すため、県連会長を含めた新執行部人事が議題となったが、結論は先送りとなった。先を見据える民主党と、足元の人事を決められない自民党で明暗が分かれた。
■小沢氏代表続投
民主党県連は拡大幹事会を開き、衆院山梨1区〜3区で当選した小沢鋭仁、坂口岳洋、後藤斎の3氏らが出席。小沢氏は衆院選後、県連代表を辞任する意向を示していたが、拡大幹事会で慰留されたことから、続投することが決まった。
幹事会では来年夏の参院選について、「党本部の方針が決まり次第、すぐに県連として対応できる態勢を整える」ことを確認。候補者を正式決定する県連大会を来年2月にも開くことを了承した。
会合後、小沢氏は記者団に対し、参院選の候補者について「(輿石東参院議員会長が)最有力候補であることは間違いない」と語った。輿石氏は同日、甲府市内で記者会見、自身の参院選出馬について「今はまだ何も考えていない」と述べた。
一方、自民党県連は国会議員経験者と県議の合同会議を開催。衆院選で落選した赤池誠章、堀内光雄、小野次郎各氏に加え、元同党国会議員の保坂武甲斐市長、清水達雄氏らが出席した。
現在空席の会長人事は20日頃に改めて当選3回以上の県議による会合で協議することとなった。会議後、記者会見した前島茂松会長代行は「会長は(国会議員経験者を)基軸に幅広く検討したい」と述べた。また、堀内氏は記者団に対して「生涯現役だ」と述べ、政治活動を継続する考えを示した。
自民党を離党し、2区から無所属出馬し落選した長崎幸太郎氏も政治活動を継続する考えを示している。
(2009年9月13日 読売新聞)
5591
:
チバQ
:2009/09/13(日) 12:03:46
http://www.toonippo.co.jp/kikaku/seikenkoutai/rensai-hendou/0901.html
2009年9月1日(火)
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■ 09衆院選本県選挙区/変動と波紋
(1)岐路/民主喜べぬ全員当選 自民、再生へ足場残す
横山氏の当選のあいさつに拍手する支持者たち=8月30日午後8時すぎ
30日午後8時すぎ。衆院選の投票が締め切られた直後、本県1区に立候補した民主党前職横山北斗の青森市の事務所は一気に沸き上がった。あまりにも早かった横山の「当選確実」の報。さらにテレビ番組は「民主圧勝」の調査結果を流し続けていた。
本県3、4区の情勢もその時点では民主がやや優勢とみられ、さらに2区の候補の比例での復活当選も確実視されていた。想定通りならば民主党は小選挙区で3勝し、比例復活の1議席も加えて同党衆院議員は4人になり解散前の2人から倍増する。全国的な民主党への追い風は、自民党中心の県内政界図を塗り替えると思われた。横山事務所での万歳三唱を終え、意気揚々と同市の党県連事務所に入った県連代表の田名部匡省ら幹部は、続く吉報を待った。
だが、午後11時すぎ、テレビの衆院選速報に見入る田名部らの顔はみるみるこわばっていった。終わってみれば、小選挙区で勝ったのは横山だけ。2〜4区は小選挙区で自民党候補に敗れ、比例での復活当選だった。全国的には政権交代を果たし、本県の民主党衆院議員も4人になったものの党県連に高揚感はなかった。
民主党県連には、衆院選で大躍進し、勢いに乗って10月の八戸市長選、2010年の参院選、そして11年の統一地方選、知事選につなげたいとの思いがあった。その大きなステップとなるはずだった衆院選で生じた誤算。風任せで日常の地道な選挙活動が不十分だった候補がいたことを認めた県連幹事長の田名部定男は「この追い風の中で1勝3敗は負け。完敗だ。目算が崩れてしまった。態勢を立て直さなければならない」とつぶやいた。
一方、青森市の自民党県連事務所。30日午後11時45分ごろ、開票終了寸前まで当落がもつれていた3区の県連会長大島理森に当選確実が出た瞬間、県連幹部や事務職員は思わず「万歳」と叫び、喜びを爆発させた。一部民放テレビが対立候補に当確(後に訂正)を打っていたこともあり「奇跡が起きた」との声すら上がった。全国的には自民党の惨敗が確定していたが、県連内は重苦しいムードが消えていた。
かつてないほどの強い逆風の中、自民党県連が支援した1区の無所属津島淳は当選できなかったものの、公認した3人が勝ち残った。県連総合選対本部長の成田一憲は「厳しい選挙を勝ちきった。大島会長も残った。仮に2勝2敗、1勝3敗だったら参院選や知事選に甚大な影響があった。民主党に寝返る人が続々と出る可能性もあった。それを断ち切る価値ある3勝だ」と胸をなで下ろす。
3区選対本部長の滝沢求は「自民党は今回の逆風の意味をしっかりと反省し、新たなスタートにつなげることが必要だ。他県の議員が次々と議席を失った中で、再生への足場が残った青森県連が先頭に立って党の立て直しをしなければならない」と強調する。
「全国的に民主党圧勝の中で、青森だけ地図の色が違う」と語る田名部定男。だが、県内決戦は自民党側に軍配が上がったものの、民主党が政権を奪取した事実は重い。国政と県政のねじれは、県政界にさまざまな影響を及ぼすとみられる。
青森中央学院大学大学院教授の木村良一は「県内の自民党候補は従来型の組織選挙で逃げ切ったとみられるが、民主に相当追いつめられた。今後、政権交代を経験することで、有権者は人よりも政策を重視するように変わっていくだろう」とし、政党の支持基盤が変質する可能性も示唆する。
5592
:
チバQ
:2009/09/13(日) 12:04:22
http://www.toonippo.co.jp/kikaku/seikenkoutai/rensai-hendou/0902.html
2009年9月2日(水)
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■ 09衆院選本県選挙区/変動と波紋
(2)1区/横山氏次戦に着々と布石 完敗の2新人も再挑戦へ
県選管から当選証書を受け取った横山氏=写真左。写真右は握手を交わす津島氏(左)と升田氏
政権交代の興奮から一夜明けた8月31日午前8時半前の青森市中心街の柳町交差点。前日まで無所属候補同士として相対し、ともに落選した津島淳と升田世喜男が鉢合わせした。選挙のお礼演説のため訪れた2人は笑顔でがっちりと握手、「ご苦労さまでした」と労をねぎらい合った。
マイクを握った津島は表情を引き締めた。「厳しい結果になり、期待していた人におわびする。ここから再チャレンジが始まる」。高らかに次期衆院選への再挑戦を宣言した。
津島が獲得した6万9千票近くをどう見るか。当選した民主党の横山北斗に3万2千票差をつけられ完敗。しかし、陣営内には「この短い時間で、よく取れた」と評価する声が少なくない。
自民党県連は、津島の父で自民党前職の雄二が衆院解散直前に突然不出馬を表明したことで、後継候補選びから仕切り直した。津島淳に決まってから投票日までわずか1カ月。公認は得られなかったが、公明党の支援のほか後援会も最終盤にはフル回転し、「政権交代」の逆風の中、基礎票と同程度を確保した。
「当然、次期候補の最有力」とはある青森市議。一方で別な市議は「政治家の顔になりつつある」と成長ぶりを認めながらも、国政に意欲を見せる人物が党内に多いことから「今後どうなるかは分からない」と、今後の党内議論を注視する。
31日朝の演説で、升田は「今日は3度目の挑戦をすることの決意表明です。皆さんに、もう一度出直して来いと言われたと受け止めている」と叫んだ。
取材に対し「無所属でも具体的な政策を提案できるように、現場の調査や勉強がもっと必要だった」と今後の課題を挙げた。
3万5千票という自身の得票を「少なかった」としつつも「3倍、4倍に伸びた地域もあり、満足している部分もある」。「国政一本。特に(元の)県議になる選択肢はほぼゼロに近い」と一層国政進出に懸ける決意を固めた。
一方、前職として新人に胸を貸し、圧勝した民主党の横山。得票は10万票を超え、前回より2万票以上伸ばした。農家や医療関係者ら本来の自民支持層にも浸透、独走状態でゴールテープを切った。
だが「当初の情勢分析に比べ伸びなかった」と横山。要因に世論調査の優勢報道を挙げ、揺り戻しの影響で「8〜10ポイントくらい消えた」とこぼす。津島については「あの短い期間で票を固めた。かなり脅威だ」。二大政党対決のはざまで、前回より1万票近く増やした升田についても警戒感を強める。
4年前の郵政選挙で圧勝した自民党が今回衆院選で惨敗したことを考えると、大量の議席を得た民主党が次期衆院選でも安泰という保証はない。選挙区内に小規模な後援会をいくつもつくってきたのは、次回以降も視野に入れた布石だという。
横山は31日朝から東郡の漁業関係者や青森市内の市場を回った。
「これだけ漁業が厳しい中、まだ自民党のポスターを張っている所が多い。そういう相手方の地盤に入り込み、ひっくり返していきたい」(文中敬称略)
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:
チバQ
:2009/09/13(日) 12:04:55
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2009年9月3日(木)
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■ 09衆院選本県選挙区/変動と波紋
(3)2区/3000票減「逆風だった」 江渡氏、建設業界に乱れ
2区の県議や首長らが顔をそろえた江渡氏の街頭演説=8月19日、七戸町
選挙戦中盤、自民党前職・江渡聡徳の陣営は不安の色を隠せなかった。報道各社の世論調査が相次いで発表され、衆院選本県2区は江渡と民主党新人・中野渡詔子との接戦と伝えられていた。
「政治の素人と思われる方に、これほど肉薄を許しているのか」。8月23日、東北町で行われた江渡の街頭演説で、マイクを握った選対幹事長の中谷純逸は本音を漏らした。
1週間後、江渡は強固な組織力を生かし、中野渡を約2万2千票離して勝利を収めた。中野渡は、民主党への圧倒的な支持を得て比例復活を果たした。小選挙区での得票で、両陣営の見解は分かれる。
江渡は約8万7千票で、4年前の衆院選より約3千票落としただけだった。それでも江渡本人は「ものすごい逆風だった。この1年、組織をさらに拡大した。(支持する)議員の数も考えると、もっと(得票が)多くてもよかった」と、厳しい選挙戦を振り返った。
一方の中野渡は約6万4千票。二人三脚で戦った元県議・中村友信は、自身が出馬した4年前の得票数と比較。「前回、民主と社民、共産の各候補の票は合わせて約6万5千票。この基礎票にどれだけ上乗せできるかが勝敗を決めるとみていた。結果的に、2区にはあまり風が吹かなかったのではないか」と語る。
地域の経済状況などで、2区の有権者の投票行動が複雑に動いたと指摘する声もある。
江渡を支えた業界の一つが建設業だ。経済基盤が弱い2区の主力産業でもあり、江渡は選挙戦で、民主党が掲げた公共事業削減の政策を批判し続けた。
だが、ある建設業者は「既に仕事がない状態。自民党政権が続いても仕事が増える保証はない。だったら民主党に入れよう、という仲間もいた」と明かした。別の業者は「号令を掛ければ従業員が(選挙で)動く時代ではなくなった」と語る。
今回の選挙で、中野渡の街頭演説に立って弁士を務めた現職県議、首長、市町村議長はゼロ。大部分は江渡支持を鮮明にした。
十和田市長の小山田久は、今年1月の市長選では江渡の支援を受けた。選挙結果に「地元から2人の代議士が誕生することは心強い。政権交代しても、公共事業、雇用、地域医療、地方財政など地域の問題に目を向けてほしいとの思いは同じ」とし、今後の江渡との関係を「野党になっても、地域の問題についてお願い、相談していくことに変わりはない」と語る。
ただ、地元政界にも動きは出てきた。選挙期間中、むつ市選出の無所属県議・菊池健治が県議会の民主党会派に入った。中野渡が同市で開いた個人演説会で、菊池が自民党批判を展開する一幕もあった。
これまで、民主党より自民党を手厚く支えてきた2区。だが、ある民主党関係者は「政権交代により民意がはっきりした。今後の統一地方選、知事選にも相当な影響が出てくるだろう」と見通す。
(文中敬称略)
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:
チバQ
:2009/09/13(日) 12:05:26
http://www.toonippo.co.jp/kikaku/seikenkoutai/rensai-hendou/0904.html
2009年9月4日(金)
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■ 09衆院選本県選挙区/変動と波紋
(4)3区/郡部死守した大島氏 市部勝利、田名部氏届かず
郡部での浸透を図る大島氏(右)(8月20日、三戸駅前)と田名部氏(8月28日、階上町役場前)
「風」が絡む大型選挙の場合、大票田の市部の票が勝敗を左右するケースが多い。今回の3区は違った。自民党の大島理森がわずか367票差で民主党の田名部匡代を退けるという大接戦。有権者の75%を占める八戸市では田名部が2319票上回った。一方、三戸郡6町村は大島が全勝を死守し、2686票上回った。勝負を決めたのは郡部票だった。
「逆風が吹いても、地元に(支持の)根が張っていれば吹き飛ばされることはない」。大島陣営の関係者は公示前、危機感を強めつつも、支持基盤の底堅さに一定の自信は持っていた。だが選挙戦突入後は「郡部が厳しい」と漏らし始めた。
田名部陣営は、民主党が掲げる農家への戸別所得補償をアピール。8月27日には党副代表の前原誠司が南部町で演説し「日本の農業は崩壊しかかっている。自民党政治で将来に明るい展望が持てるか」と攻め込んだ。
その翌日の28日。全国農協中央会専務理事で、全国農政連幹事長の冨士重夫が大島支援のため、田子町と三戸町の街頭に立った。日米自由貿易協定(FTA)の交渉を促進するという民主党の主張を強烈に批判し「日本の農業が立ちゆかなくなる」と反撃した。
両陣営が激しい争奪戦を演じた郡部票にも「風」の跡は見て取れる。大島は全町村で勝ったが、軒並み票を減らし、4年前の前回に比べ郡部で約千票減。田名部は約3千票伸ばした。それでも得票は大島が上回った。
田名部はこれまで郡部で一度も勝っていないが、2年前の参院選では民主党の平山幸司が自民党の山崎力に三戸郡で勝っている。「郡部では平山も山崎もなじみが薄かったから、『民主対自民』の構図で戦えた。衆院選は違う。地元ではやはり『田名部対大島』の戦いが根強い」と田名部陣営の三戸町議。
大島陣営の三戸町議は「大島が落選すれば大変だと、とにかく(有権者に)頼み込んだ。タバコ農家、リンゴ農家は大島支持が固かったのではないか」と話す。「勝利は奇跡だ」とも語った。
一方、大票田・八戸市。「政権選択」を訴えた田名部が前回より約1万3千票上積み。大島も247票とはいえ積み増し、すさまじい逆風の中で勝利への執念を見せつけた。
中盤の報道各社の情勢分析で、民主大勝と田名部の勢いが報じられると、田名部陣営は警戒心を募らせた。「3区での揺り戻しが心配だ」と選対本部長の山内正孝。今まで通り大島も田名部も必要という有権者の「バランス感覚」が働けば、大島支持に傾斜しかねないという懸念だ。
大島陣営の市議らは終盤、この「バランス感覚」に訴えるように街頭などで「民主の人(田名部)は比例(復活)で当選する。選挙区は大島」と強調。陣営関係者はあいさつ回り先で「選挙区は大島だが、自民は駄目だ。比例は絶対、民主と書く」と通告された。
大島9万176票、田名部8万9809票。田名部は約1万6千票の増。大島は749票の微減に食い止めた。投開票日翌日の31日。「私の場合、根の張った選挙で勝つしかない」と大島。田名部は「経験不足を含め自分に大きな責任を感じる。各地域の組織強化が課題だ」とかみしめるように語った。
(文中敬称略)
5595
:
チバQ
:2009/09/13(日) 12:05:58
http://www.toonippo.co.jp/kikaku/seikenkoutai/rensai-hendou/0906.html
2009年9月6日(日)
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■ 09衆院選本県選挙区/変動と波紋
(5)4区/津島陣営結束に弱さ 木村氏、「党より人」奏功
写真右は小選挙区落選を支持者にわびる津島氏(8月30日午後10時50分すぎ)。写真左は当選が決まり支持者と握手する木村氏(8月31日午前0時すぎ)
開票から一夜明けた8月31日、民主党の津島恭一の弘前市の選挙事務所。最後の片付けをするスタッフの表情には、1人の衆院議員を送り出したという高揚感も充実感もなかった。
その空気は、開票日の夜と全く同じだった。票が開くたび、「郡部はいける」という読みはことごとく外れた。11市町村中、津島が制した自治体はゼロ。「党がこれだけの追い風を受けて一つも取れないとは」と、陣営関係者はがくぜんとした。結局、選挙区は勝利を逸し、比例代表での復活当選に甘んじた。
選挙戦は、民主、社民、連合青森、全国郵便局長会の政治団体「郵政政策研究会」が、初の共闘態勢を敷いた。しかし「大同団結」の掛け声とは裏腹に、組織間で意思疎通を欠いたり、互いに遠慮して動きあぐねたりと、ちぐはぐな場面がしばしば見られた。
最大の弱点は、寄り合い所帯のまとめ役の不在だった。民主党の参院議員2人、4区内の党県議2人はそれぞれ、独自の動きが目立った。「連帯や組織体制に問題がなかったとは言えない。そこが大きな敗因かもしれない」と、選対本部長の県議三上隆雄は素直に認めた。
自民の議席を死守した木村太郎は1日、弘前市の事務所で、やや硬い面持ちで記者会見に臨んだ。終了後、ポケットからクリを取り出した木村は「支持者がくれた“勝ち栗”。こういう人がいるから、やり抜くことができる」とぽつり。表情がようやくほぐれた。
強い逆風下でも、木村は前回に続き約11万票を獲得した。開票日、選挙事務所で厳しい結果を覚悟していた選対本部長で黒石市長の鳴海広道ら陣営幹部も安堵(あんど)した。
「党より人」の戦略が奏功した。大票田の弘前市で、自民の比例得票は3万票弱にとどまったが、選挙区の木村票はそれを2万票上回る約5万票を確保した。党四区支部選対本部長の県議西谷洌は「太郎は落とせない、続けてほしいという思いが有権者にあった。われわれもそこを強調し、前回の3倍以上の運動量で票固めをした」と明かす。
しかし、選挙戦を底支えした元知事の父守男の後援会の高齢化など、組織上の課題も露呈した。支援団体の再編も視野に、後援会幹部は「逆風が吹いても、はね返す力を出せるように、中間の世代を中心に組織を強化していく。今回の選挙が教訓になった」と次を見据える。
今回の選挙で、4区の首長は中立の弘前市長相馬〓一(しょういち)を除き木村支持に回った。来年前半から、平川市、弘前市、黒石市など首長選が続く。津島の当選で、民主党勢力には核ができ、対立候補擁立への展望も開けてきた。しかし鳴海は「今回は、風やムードが後押しした結果で、民主党組織が確立して実力でもぎ取ったものではない」と首長選への影響については否定的だ。
それでも、民主党の県議山内崇は「独自の地域政策づくりを進め、あらゆる選挙に自民の対抗馬を立てる」と首長選での対決に意欲を燃やす。
※相馬〓一市長の「〓」は「金」へんに「昌」
(文中敬称略)=終わり=
5596
:
名無しさん
:2009/09/13(日) 13:27:50
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20090913ddlk19010117000c.html
県連:民主、参院選向け態勢作り 自民、足元おぼつかず /山梨
衆院選で県内選挙区を独占した民主党県連と惨敗を喫した自民党県連は12日、それぞれ会合を開いた。来年7月の参院選を見据え、民主党県連は組織固めを既に始め、輿石東・党参院議員会長を全力でサポートする態勢作りを進めている。一方、参院選に向け組織固めを急ぎたい自民党県連は、県連会長人事を含む新体制発足について協議したが、決定は先送りされるなど足元固めさえおぼつかない。【沢田勇、曹美河】
◇民主、参院選向け態勢作り 連合山梨、輿石氏支持を確認
次期参院選に出馬するとみられる民主党の輿石氏はこの日、党の支持母体である連合山梨の結成20周年記念式典に出席した。連合山梨の渡辺一彦会長は、既に輿石氏の出身組織である県教職員組合などに出馬要請をしたことを明らかにし、参院で単独過半数の獲得に向けて活動を活発化させている。
輿石氏は式典で「政権交代で出番を作っていただき、マニフェストを実現せよという責任を与えていただいた」とあいさつ。式典後の記者会見で参院選出馬について問われると、「何も考えていません。今はそれどころではない」と話した。しかし、式典に先立って行われた民主党県連の幹事会では、県連代表を務める小沢鋭仁氏(山梨1区)が「(参院選の)最有力候補」と話し、一丸となってサポートする姿勢を強調した。
幹事会には小沢氏のほか、坂口岳洋氏(2区)、後藤斎氏(3区)の3衆院議員が選挙後初めて一堂に会し、次期参院選に向けて党員・サポーター数を拡大することなどが確認された。
◇自民、足元おぼつかず 県連会長人事は先送り
党所属国会議員が初めてゼロとなった自民党県連は、衆院選で落選した赤池誠章、堀内光雄、小野次郎の3氏が出席した会合を甲府市内で開き、次期参院選に向け早急に組織の立て直しを図ることを確認、年内にも立候補予定者を擁立する方針を決めた。しかし、不在となっていた県連会長人事を含む新体制発足について協議したが、決定は先送りされた。
同県連会長はこれまで、慣例として現職国会議員が就任してきた。しかし、議席をすべて失ったため、選出範囲を元国会議員や3期以上の県議まで広げ調整している。新役員人事は10月の総務会で承認、来年3月に県連大会を開催し、参院選へ向けた総決起につなげたい考えだ。
衆院選で同党を離党した長崎幸太郎氏を支援した中村正則、堀内富久、石井修徳の3県議については、今月20日をめどに、県議による会合を開き、対応を協議するという。だが、衆院選で深まった県連内の亀裂が修復できるかは不透明な状況だ。
また、落選後去就を明らかにしていなかった堀内氏はこの日、初めて公の場に姿を見せ報道陣の取材に応じた。今後の政治活動について「生涯現役。選挙中に約束したことは政治家として続けていかなくてはと思っている」と述べ、引退を否定した。
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:
名無しさん
:2009/09/13(日) 13:44:36
民主新人、自己破産隠し初当選=近畿比例ブロック48位で
9月12日20時4分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090912-00000102-jij-soci
衆院選で比例近畿ブロックから立候補し、初当選した民主党の渡辺義彦氏(53)が12日、大阪市内で記者会見し、自己破産していたことを明らかにした。
渡辺氏は、党本部や府連などに破産の事実を伝えておらず、「隠したいという思いがあり、あえて伝えなかった。今思えば言うべきだった」と謝罪した。
破産で被選挙権が制限されることはないため、議員を辞める考えはないという。
一方、党本部や府連は同日、渡辺氏から破産の報告を受けたといい、今後の処遇について早急に検討したいとしている。
渡辺氏によると、負債総額は約1億4000万円で、知人の借金の連帯保証人になったことや、父親の借金が原因という。
大阪地裁に自己破産の申し立てを行い、3月27日に受理された。
渡辺氏はこれまでに2度参院選に立候補し、落選。今回の衆院選では、比例近畿ブロックで名簿順位48位で当選した。
5598
:
5597
:2009/09/13(日) 13:48:09
静岡市議選で最下位落選した人を静岡県連の了解が無いまま比例名簿に載せたり、
こういう人の身体検査も無いまま比例名簿に載せたり。
民主党本部のやり方には納得できません。
こんな人たちを当選させる為に私たちは比例票の獲得の為に汗を流していたのではないのですから。
こんな事をやっていては、今後の比例票獲得に大きなマイナスとなってしまいます。
5599
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名無しさん
:2009/09/13(日) 18:01:21
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20090913ddlk40010251000c.html
民主・自民・公明:明暗分けた各党の県連、県本部会合 /福岡
◇全員当選の喜び改めて−−民主
◇党運営、戦略に不満の声−−自民
◇党再建へ結束呼びかけ−−公明
民主、自民、公明の各党の県連、県本部は12日、幹事会などの会合を開催。比例復活も含め候補者10人全員が当選した民主の会合は、新人議員らが出席し改めて当選の喜びを語った。それに対し、現職7人が落選した自民と、「九州・沖縄で1議席増」の目標が達成できなかった公明の会合では、選挙戦の反省や党本部への注文が相次いだ。【斎藤良太、川名壮志】
民主党県連は衆院選後初の常任幹事会を福岡市で開催。松本龍代表が「過酷な選挙をよく頑張った。国民の目線に立つことを忘れず団結して頑張ろう」と抱負を述べた。
その後、当選した各議員があいさつ。「選挙区で初めて勝ち、地元でも政権交代が果たせた」(5区・楠田大蔵氏)などと喜びを口にする一方で、「小選挙区で勝てず力のなさを痛感した」(7区、野田国義氏)、「風に助けられた面があった。おごらず、まじめにやっていきたい」(9区・緒方林太郎氏)など気を引き締める声も上がった。
終了後、助信良平幹事長は、県連内にも党本部に呼応する形で「国家戦略局」を設置し、地方自治体の陳情・要望に応じる窓口を新設する方針を示した。
自民党県連は同市内で役員と地域・職域の支部長ら約120人が参加した合同会議を開催。冒頭、選対本部長の松山政司参院議員は「今最も大事なのは、地方の声をしっかり反映させた新体制を作ることだ」と結束を呼びかけた。
参加者からは「子育て支援や高速道路無料化を打ち出した民主党に比べ、自民には響くような政策がなかった」「党本部の足並みの乱れは今後あってほしくない」など、党の運営や戦略などに対する不満の声が相次いだ。
公明も同市内で県内地方議員ら約120人が参加した議員総会を開催。衆院選後に就任したばかりの山口那津男・新代表は「微力ではあるが、党再建のため、参院選勝利のため先頭に立って働く決意」と述べ、結束を呼びかけた。
〔福岡都市圏版〕
5600
:
とはずがたり
:2009/09/14(月) 14:33:45
大物になるかも。
>リベンジを誓った石山が取り組んだのは政治活動ではなく、実家の農作業。あまりの熱心さに党本部が「別な候補に差し替えた方がいい」と本気で検討したほどだ。
>周囲を心配させたこの行動が実を結ぶ。「いまの農政に何が必要か、肌感覚で分かった」。土と格闘した人にしか分からない訴えが、静かだが着実に浸透していった。
劇・激・撃 衆院選みやぎ(上)民主王国再興/期待一身、重圧ひしひし
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1031/20090901_22.htm
30日投開票の衆院選は、劇的な民主党圧勝で政権交代が確定した。宮城県内6選挙区は民主党が1〜5区を制覇し、自民党は社民党と争った6区の議席を死守した。吹き荒れた民主旋風は各選挙区に激しい地殻変動を引き起こし、自民党は深刻な打撃を被った。「40日決戦」の軌跡を振り返り、知事選(10月8日告示、25日投票)への影響を追う。(敬称略)
<中盤から手応え>
日焼けした顔に、政権与党の一員になった喜びと緊張が入り交じった。
「いまは仕事ができる希望でいっぱい。国民の生活が第一の政策を次々に実現します」
歓喜の雄たけびから一夜明けた31日朝、3区を制した民主党元議員の橋本清仁(38)は、名取市のJR館腰駅前でマイクを握り、通勤中のサラリーマンに熱っぽく訴えた。
2005年の郵政選挙では自民党前議員の西村明宏(49)に歯が立たなかった。雪辱を期した今回は西村に約2万2800票差をつけ、初めて選挙区の議席を獲得した。
確かな手応えを感じたのは選挙戦中盤だった。
23日、JR名取駅前での街頭演説を終えて橋本がマイクを置くと、頭上で「頑張れ」と声援が飛んだ。見上げると、主婦らしきマンションの住人が、ベランダから橋本の演説に耳を傾けていた。
目を凝らすと、別の階でも複数の住人が手を振っていた。隣のマンションも同じだった。「こんなことは初めて。これが追い風というやつか」。橋本は思わずうなった。
民主党は候補5人が全員当選し、県内で「王国」の冠を取り戻した。その躍進ぶりは4区の戦いに象徴される。
27日夜、大崎市で開かれた新人石山敬貴(39)の個人演説会で、石山は詰め掛けた300人の熱気に触れ、感極まり言葉が詰まった。「こんなに大勢…」。真っ赤な目で声を絞り出すと、天を仰いで涙をこらえた。
<土と格闘し浸透>
4区は自民党前議員の伊藤信太郎(56)が父で元衆院議長の故・宗一郎から受け継いだ伝統の保守地盤。親類の反対を押し切って初挑戦した前回は伊藤に大敗した。
リベンジを誓った石山が取り組んだのは政治活動ではなく、実家の農作業。あまりの熱心さに党本部が「別な候補に差し替えた方がいい」と本気で検討したほどだ。
周囲を心配させたこの行動が実を結ぶ。「いまの農政に何が必要か、肌感覚で分かった」。土と格闘した人にしか分からない訴えが、静かだが着実に浸透していった。
30日夜、支持者と約12万票の完勝に酔った石山は、変革のうねりを感じながら「地域の代弁者として国を変える」と声を張り上げた。
<これからが勝負>
圧勝の喜びはやがて政権与党の重圧に変わる。
「着実に政策を実行し有権者の思いに応えていきたい」。2区で初当選した新人の斎藤恭紀(40)は31日、仙台市青葉区の連合宮城の事務所で幹部に決意を語った。お天気キャスター時代からのセールスポイントで、選挙戦でも見せた人懐っこい笑顔は消えていた。
1区で再選を決めた前議員の郡和子(52)も後片付けが進む選挙事務所で、自らに言い聞かせるように話した。「これからが本当の勝負。与党経験がないから猛勉強は必要だが、絶対にやり抜く」
(衆院選取材班)
2009年09月01日火曜日
5601
:
とはずがたり
:2009/09/14(月) 14:34:17
>伊藤信太郎(56)を支える選対幹部が、農協幹部や農業委員ら有力支持者にポスター掲示を依頼すると断られた。いずれも、伊藤の父で元衆院議長の故宗一郎時代からの支援者たち。
>足場固めを怠ったことも響いた。ある首長は「伊藤氏に市町村ごとに後援会をつくれと助言したが、聞く耳を持たなかった」と打ち明ける。
>選挙戦序盤の8月20日。伊藤は塩釜市の塩釜仲卸市場を訪ねた。履いていたのは革靴。翌日にここであいさつ回りをした石山が、白いゴム長姿で市場に溶け込んでいたのとは対照的な場面だった。
劇・激・撃 衆院選みやぎ(中)自民地盤崩壊/不満充満 反応冷え冷え
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1031/20090902_01.htm
<掲示を断られる>
「自民党離れ」を感じ始めたのは、昨年秋ごろだった。
県内随一のコメどころ大崎市。4区の自民党前議員の伊藤信太郎(56)を支える選対幹部が、農協幹部や農業委員ら有力支持者にポスター掲示を依頼すると断られた。
いずれも、伊藤の父で元衆院議長の故宗一郎時代からの支援者たち。「自民党を信じてきたが、何も良くならなかった」と言われ、幹部は返す言葉がなかった。
減反を進めても米価は低迷したまま。農業の将来像を示せない政府・与党に対する不満は、自民党を支えてきた農村部に充満していた。
<聞く耳持たない>
足場固めを怠ったことも響いた。ある首長は「伊藤氏に市町村ごとに後援会をつくれと助言したが、聞く耳を持たなかった」と打ち明ける。
「鉄板」だったはずの地盤は静かに瓦解し、票は初当選した民主党新人の石山敬貴(39)に集まった。伊藤は4区の12市町のうち10市町で石山にリードを許した。
選挙戦序盤の8月20日。伊藤は塩釜市の塩釜仲卸市場を訪ねた。履いていたのは革靴。翌日にここであいさつ回りをした石山が、白いゴム長姿で市場に溶け込んでいたのとは対照的な場面だった。
仲卸業者は「4年に1回だけ来られても愛着はわかない。今回は石山だ」とつぶやいた。
民主党元議員の橋本清仁(38)に初めて敗れた3区の自民党前議員の西村明宏(49)。約2万3000票差をつけられる完敗だった。
ミニ集会や町内会の夏祭りに顔を出す地域戦を徹底して行った。農政連や土地改良区の推薦を得て、票固めも狙った。
<後援会にも衰え>
西村を支持した名取岩沼、みやぎ亘理の両農協は自由貿易協定(FTA)をめぐる民主党の政策を疑問視。選挙期間中、組合員に「国内農業は壊滅的打撃を受ける」と呼び掛けた。
それでも農家の反応は冷ややかだった。「農業政策で失敗した自民党と農協は信頼されていない。幹部が圧力を加えると逆に票は逃げる」。農協関係者は苦り切っている。
元蔵相の故三塚博から引き継いだ後援会にも衰えが見え始めた。ある市議は「機能していない。三塚さんから受け継いだ後、自分で組み替えるべきだった」とこぼした。
1区で落選した自民党前議員土井亨(51)は1日、支持団体をあいさつして回った。「業界、団体の一般会員は独自の判断で投票する。幹部への働き掛けの効果は薄かった」と振り返った。
自民党が守った議席は6区だけ。4選を果たした小野寺五典(49)は「古い自民党の体質を改善し、ゼロから出直せというのが有権者の評価。早い段階で党を再生する必要がある」と言う。強まる危機感とは裏腹に、支持基盤を再構築する妙案は見当たらない。(敬称略)
2009年09月02日水曜日
5602
:
とはずがたり
:2009/09/14(月) 14:37:57
>>5600-5602
劇・激・撃 衆院選みやぎ(下)知事選秋対決/現職淡々、民主じわじわ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1225012514/758
<再選出馬表明へ>
スイッチは「知事選モード」に切り替わったようだ。
2日開会した県議会9月定例会の本会議。知事村井嘉浩(49)は、トヨタ自動車関連工場の誘致を相次いで成功させた成果を強調した。
政権交代には淡々と触れ、「地方分権の実現に向け、新しく誕生する内閣のリーダーシップを期待する」と民主党にエールを送った。
<自民の応援奔走>
自民党県議出身で党県連幹事長も務めた村井。初当選した前回知事選(2005年)は自民党の推薦を受けた。今回の衆院選では「お世話になった人の役に立ちたい」と自民党候補の応援に奔走した。
49歳の誕生日だった8月20日早朝。村井は4区の前議員伊藤信太郎(56)とともに、ハマの男たちでにぎわう塩釜仲卸市場に立っていた。
午後は東松島市に転戦し、県議時代の先輩に当たる5区新人の斎藤正美(54)陣営のマイクを握った。
自民党も不人気の党幹部らより、村井への依存度を強めた。
22日夕には、2区前議員の中野正志(61)を応援するため、仙台市泉区の区民祭りを訪ねた。「あ、知事だ」。村井は握手や写真撮影を求める人垣にもまれた。中野が傍らに立ち、県政との太いパイプを強調した。
<岡田氏が不快感>
村井の行動に民主党は神経をとがらせた。
公示前の12日、仙台市入りした民主党幹事長岡田克也の目に1枚のポスターが飛び込んだ。自民党候補者と村井が一緒に写る2連ポスター。岡田は「何だあれは」と不快感を示したという。
結果は1〜5区で民主党が圧勝。自民党は6区の議席を守っただけだった。
(敬称略)
2009年09月03日木曜日
5603
:
名無しさん
:2009/09/15(火) 23:36:22
http://www.news.janjan.jp/area/0909/0909100043/1.php
結局「どうにもやるせない」宮崎のほんとの総選挙総括
別に「民主の風」が吹いたわけじゃない、根っこ変わらぬ政治風土
中川修治2009/09/12
衆院宮崎1区開票結果(8月30日)
川村秀三郎 無所属新 109,411
中山成彬 無所属前 55,114
上杉光弘 無所属新 47,116
上杉、中山票を足せば10万2,000で川村氏との差は7,000票程度。この票差をみると、「民主党への風が吹いた」などと安易な事は言えないのだが、ここは民主党推薦の保守系候補・川村秀三郎氏が保守の分裂選挙の間隙を縫って早々と当選を決めた。しかし、この分裂選挙の原因をつくった当の中山斉彬氏がこの民主党推薦候補を、前回の知事選挙で本命とされていた候補の対立候補として引っ張り出した張本人なのだから呆れる。
自民党県連が一時、中山氏の不出馬を受けて県連独自で公募決定したのが、前回2区で「刺客」を務めた元・参議院議員の上杉光弘氏。この人を前回(5年前)の参議院選挙で落としたのが松下新平氏なのだ。松下氏は非自民ではあるものの、初めは民主党に近いところに居たのが、だんだんと保守寄りになって、「改革クラブ」というところが現住所。最近は原発推進派となってしまった。「多分、金がなくなったんだ」ともっぱらの噂。姿勢で前向き一生懸命さだけは演出して、地元では好感をもってもらってたりしる。でも、中身が無いなぁ。
前回の知事選、勝つつもりは無いけど、とりあえず来年行われる参議院選挙への前哨戦ということで出てみたら、あれよあれよと非自民で勝ってしまったのが現宮崎県知事・東国原英夫さん。誤算でした。で、教科書どおりに!「談合はいかん。競争入札」ってやったら、談合して乏しきを分かち合うしかなかった土建屋の集合体の保守の牙城がガタガタになってしまった。これって「遅れてきた小泉改革」だった訳ですよ。
さて、その土建屋利権の予算の大元、国交省の官僚も狡猾である。国道220号線を挙げておけば、必ず馬鹿が大騒ぎをする。そして、「復活だ」と言う。それで予算要求が通ると言う訳。
だから、道路族のドン・古賀さんがはるばる宮崎までやってきて、東国原さんの異常なマスコミ人気にあやかろうと誘いをかけたときに調子こいて、「私を総裁候補に」なんて言ったもんだから、ドンは頭から湯気が上がっただろう。多分、「このままでは済まないぞ」と思ったろう。それこそ、時代が時代なら暗殺されていたかもしれない。
結果、しっかり仕返しされて、国道220号のみが予算を外されてしまった。全く東君は猿以下の使われ方だ。ご苦労さん・・・。可哀想なのはホント、地元の普通の人たちだったのだ。
で、東君は、この一連の騒動で「みあがっちょうね」と宮崎弁では言われている。つまり、こっちの表現では「調子こいて自分を見失っておられますよ」と言う事らしい。メッキがはがれてしまった訳です。
ただ、芸人で上手だから、何とか泳いで行くだろう。で、人の良い県民はだまされ続けるかも・・。何といっても支持率80%だそうなんで・・・。まあ、その理由も比べるものがないからと言うことを言う人もいる。
話を元に戻して、今回の選挙。多分、中山さんは自分が引っ張り出した川村さんとは戦いたくなかっただろう。だから、東国原をおだてて国政に行って貰って、空いた知事の椅子にでも 座ったらてな話も、初めはあったんじゃないだろうか・・・。
でも、結局、引くに引けなくて・・・。お山の大将になりたい人たちが利権をどうたらい回しにするのか、調整が付かなかったと言う訳だ。
5604
:
名無しさん
:2009/09/15(火) 23:36:50
>>5603
さて、次に宮崎2区。
やっぱ、田舎は困ったときほど縋りつくしかないのよね、という悲しい姿が見えてしまった。 どうも、田舎は自ら自分たちの未来を考える力を無くしてしまったみたいだ。
人・モノ・金が出て行ってしまった日本の田舎。ゴミ捨て場にされるしかないのか・・・。格差がどんどん大きくなる。で、えびの市みたいな市長が公共工事に絡む汚職事件などが起こる訳だ。←えびの市は3区だけど、体質は同じ。確か、県北で以前、某町長がこの手の話で捕まっている。
「もうちょっとマシなやつは居ないのか」って? だって引き受け手も居なければ、ちょっとはマシなのを選ぼうという意識も無いのだから、致し方ない。ちょっと厳しすぎるかな・・・。これもそれも、東京一極集中の明治維新以来の日本の作り方を間違えて人材が流失したからだ。「残ったのは3流以下の人間だ」とか地元のやり手経営者が言ったのを直接聞いたことがある。
やっぱり、親父譲りの土建屋利権に乗っかった江藤拓くんは強い。県内初の民主党公認候補・道休誠一郎氏は比例区で復活当選。元々、旭化成という巨大労組がかつては民社党の委員長の米沢隆を支えたところ。でも、最近は保守化してるんだろうなぁ。貧すれば鈍するだ。
ここからは、自民党ではあるものの、大原一三という、それなりに見識を持った人材を送り出していた。この人は大蔵官僚から転進した国会議員。ただ、この人は金融財政については詳しかったものの、地元への利益誘導は疎くてあまり出来なくて・・・。だから、その息子が出たのだけど結局、得票数は訳の分からん宗教団体の取った票とどっこいどっこい。法定最低得票数にも達せず、供託金も返ってこなかったようだ。
大体、直前になって出るとか言うからだ。この方、田舎のことが何も分かっていなかった。育った場所がここではないのだから・・・。それにおやじの現役時から秘書でもして地元回りをしてないと無理に決まっている。
外のことを知らない若い世代すらが自民党支持だったりするし・・・。構造的な問題を解析して未来をどう変えたら良いのかと言うビジョンが出てないから、既得権益の奪い合いになるのだろうな。哀れだよなぁ。
復活当選の道休さん、まあ、よく、この厳しい中で民主党から出たものだ。次はどうなんだろう? やっぱり、選挙区選挙を勝てるかというと、難しい。だって、どうしたって有権者は利権誘導を望むんだもの・・・。
ただ、利権分配でこそ票をつなぎとめられる利権誘導システムに乗っかった自民与党政治が働かないのだから、2区の選挙民も本当に自分たちが何をすべきなのかを考えるかもしれない。とすると、これまでの投票行動は今後変わる可能性が無い訳ではない。
5605
:
名無しさん
:2009/09/15(火) 23:37:04
>>5604
3区は、やっぱ、古川禎久氏。これはもう、よっぽどの人間で無いと無理。一種の田舎人的カリスマ性を持っている。でも、絶対に都会では勝てないタイプだけど・・・。この人の都市へのルサンチマンは凄いからねぇ。百姓仕事をしつつ2回も既得権をもった自民現職に挑んだという根性は伊達じゃあない。ちょっとやそっとの風や、柔な理屈やなんかじゃ勝てませんよ。熱いハートは持っているのだけは確か。はい、ここに組合出身者を出しても無理ですわ。もう、理屈じゃない世界ですからね。
で、2区、3区とも前回選挙では「地方切り捨ての郵政民営化反対」で自民党を離党して戦った人たちでしたから、当然、行くべきは先は国民新党だったでしょう。が、やっぱ、利権のある自民党へさっさと帰られたわけです。ですから、利権が無くなった状態でどうなるのか・・・。
本当にこれから暫くは有権者が「お願いしま」すだけでは無理だという事を自覚して、自分たちがどうこの地域で生きるのかを考える事が必要になったという事なんでしょう。
で、次の知事選は誰が出てくるか・・・。東国原君はもう出ないだろうし、そうすると・・・。まさか、中山さん、上杉さんに現宮崎市長の津村さんって話もあるけど、この人って、本籍民主党だったのだけど、やってる事はその前にやってた土建屋利権政治家の長友さんそっくりなんだよな。 それに、どうなんだろう?若手で県議会でやってるのが将来は県知事って思っているらしいとの噂もあって・・・。
(※9月10日付の地元紙によれば、津村さんは出ないそうだ。口さがない巷のうわさでは、もう十分に蓄財できたからだろうって・・・。)
どういう社会にしなきゃいけないのかという理念も無い連中が公金を使った買収システムを動かしていく政治って、終わっているのだけどなぁ。不良債権が増えるだけ。真に必要なのは、ここから未来を拓く力を持っていると、宮崎の地域が持つ潜在能力を生かすビジョンを提示して、人々と一緒に未来を作ろうと訴えられる人だろうか・・・。
「自然エネルギー100%県」とか、「エコ贔屓税制」とか、「持続可能な新たな文明の未来を拓くのだ」とか・・・。結局、きちんと自立した未来を構想していく力が地域の人たちに問われているんだなあと思う。
5606
:
名無しさん
:2009/09/16(水) 23:46:07
http://www.asahi.com/politics/update/0914/TKY200909140381.html
苦戦でカリカリ? 森元首相の「当選万歳」取材拒否騒動(1/3ページ)2009年9月16日21時40分
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当選確実の連絡で、支持者らと事務所に入る森喜朗氏=8月30日午後11時18分、石川県小松市、矢木隆晴撮影
森喜朗氏の事務所から退去させられたテレビ局のカメラマンら=8月30日午後、石川県小松市、山本裕之撮影
先の衆院選で当選したにもかかわらず、「万歳」の光景がほとんどのメディアで流れなかった自民党議員がいる。元首相の森喜朗氏(72)。公示前から地元紙以外の取材を拒み、投開票日も事務所から記者やカメラマンを閉め出した。その経緯は――。
人口10万人を超える小松、白山両市を中心とした石川2区は、中選挙区時代を含めて長年森氏の一人勝ち状態だった。ところが今回の総選挙は民主党新顔の田中美絵子氏(33)と激しい競り合いになり様相が一変。投開票日の8月30日夜には、100人を超える報道陣が森氏の事務所に詰めかけた。
「地元2紙以外は取材を遠慮願いたい。いますぐ外に出てほしい」
まだ投票が続いていた午後7時ごろ、事務所に残っていた新聞・通信社の記者らに森陣営の県議が告げた。
その約1時間前、県議は「場所が狭く混乱する」との理由で、事務所内に脚立の設置を始めていたテレビ局のカメラマンらを退去させ、窓のカーテンを閉め切っていた。
日本ABC協会によると、北国(ほっこく)新聞(約30万部)と北陸中日新聞(約9万部)の地元2紙で、石川県の朝刊(約45万2千部)の9割を占める。
森陣営はその前日、石川県政記者クラブに加盟する報道15社に対し、事務所で「当選セレモニー」を開くとファクスで通知していた。報道陣が突然の方針転換の説明を求めても、陣営の福村章・選対本部長(県議)が「(森氏)本人と家族の意向」「理由は本人でないとわからない」と繰り返すばかりだった。
午後11時ごろ、報道陣が事務所付近で詳しい説明を求め続けていると、森氏が黒塗りの車で現れた。
「撮影をやめろ」「言うことが聞けないのか」。フラッシュを光らせるカメラマンに森氏はこう怒鳴りながら、「(報道陣の排除は)ぼくが公示の日から決めたことだ。(理由は)申し上げる必要ない」「みなさんにおわびする、あるいは喜びの声を上げる姿は、後援会のみなさんだけに知ってもらえばいい」。こう一方的に話して事務所に向かった。
5607
:
名無しさん
:2009/09/16(水) 23:46:23
>>5606
その直後、当選確実の情報が届き、事務所内にどよめきが上がった。玄関前で、報道陣と陣営スタッフ、当確に喜ぶ支援者、県警の警備担当者らがひしめいて大混乱となり、怒号が飛び交うなか、カメラマンら数人が転倒。
まもなく扉を閉ざした事務所の中から当選を祝う「バンザイ」の声が響いた。
31日午前0時すぎ、ようやく事務所から出てきた森氏が取材に応じ、選挙戦の簡単な感想とともに、「さんざんマスコミに振り回された選挙になった」とぼやいた。新聞・通信社とテレビが、それぞれ約10分ずつの取材だった。
今回の総選挙で、森陣営は公示前から取材を拒んでいた。総選挙では元首相として応援演説に飛び回るのが慣例だった森氏は今回、毎日地元に張り付いた。
情勢の厳しさが伝えられるなか、個人演説会の入り口では、陣営スタッフが記者やカメラマンに腕章や身分証の提示を求め、地元2紙以外の入場を拒んだ。街頭演説でも森氏が「お前に頭をさげているんじゃない」と記者らに言葉を荒らげ、別の日にはカメラマンにお茶をかけようとする一幕も。森氏が乗る選挙カーの行程や立ち寄り先は地元紙だけに伝えられた。
投開票翌日の8月31日、福村選対本部長は、朝日新聞の取材に応じ、地元2紙以外の排除について「すべて森さん本人の指示だった」としたうえで、「決していいことだと思わないが、昨年秋から週刊誌に『美女対野獣の闘い』などと書かれ、森さんは相当カリカリしていた。週刊誌を排除すれば、なぜ新聞、テレビはいいのかとなる。それなら、シェアが高い地元2紙に限ろうとなった」と話した。
福村氏によると、投開票の約3日前、当落について全社の取材に応じるよう森氏を説得。森氏が了解したため、陣営が当選セレモニーを通知した。ところが30日朝になって森氏が「やっぱりダメだ」と翻意したのだという。
事務所内で取材した北陸中日と北国は、翌日の31日付朝刊で森氏が当選を喜ぶ写真と記事を社会面で大きく掲載。北陸中日は「多くの報道陣が建物の中に入ることを拒まれた」とベタ記事で載せ、北国は言及しなかった。
■大物が大人げない
《森首相時代に自民党幹事長を務めた野中広務氏の話》 森さんのような大物が大人げない。自らが主張する姿を正々堂々と記者に見てもらえばいい。ただ、今回の選挙報道を自民党にとって厳しいと受け止める候補者も多く、取材を拒みたくなる心境に追い込まれたのだろう。それでも、マスコミの取材に応じるのは有権者に対する説明責任であり、政治家としての基本姿勢だ。ぼくも気に入らない質問に答えないこともあったが、取材拒否はすべきでない。
5608
:
いなばやま
:2009/09/17(木) 02:17:41
朝日も取材が甘いなw
5609
:
とはずがたり
:2009/09/17(木) 03:10:06
どの辺ざんしょw
5610
:
名無しさん
:2009/09/19(土) 17:18:24
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0909/0909190474/1.php
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0909/0909190474/img/photo184759.jpg
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0909/0909190474/img/photo184761.jpg
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0909/0909190474/img/photo184762.jpg
2009年総選挙分析(1)自民党は麻生太郎敗因論を克服できるか?
菅原琢2009/09/19民主党が大躍進し歴史的な政権交代を遂げた今回の総選挙。麻生政権が自民党の大敗を招いたとの見方が多くあるが、はたして敗因はそれだけなのか?東大先端研の菅原琢特任准教授が様々なデータから総選挙を分析する第一弾。 第12回となる今回から数回にわたり、総選挙の分析を掲載する。初回はまず総括から入ろう。
全体総括
まず、選挙後に熊本日日新聞に今回の選挙の総括を寄稿したので、ここに引用しておきたい。ここに今回の選挙に関するだいたいの要素が含まれている。(※なお、掲載前の原稿であるため、紙上の表現とは若干異なるところがある。)
麻生政権が自民党の大敗を招いたと考える人は多い。だが、通常の政権であっても自民党は敗北していたはずである。
自民党がかつて強かったのは、単に多く得票していたからではない。大政党のみが地域代表という立場を独占できる衆院の中選挙区制、地方の1人区を独占し複数区では最低限の議席を確保すればよい参院選、著しい定数不均衡など、極端に有利な選挙制度があったからこそ負けなかったのである。
小選挙区比例代表並立制の導入は、地域代表という特権を自民党から奪い、衆院の定数不均衡を緩和し、野党結集の引力を生み出した。さらに投票時間延長、不在者投票要件の緩和は、都市部を中心に新しい投票者層を生んだ。野党がまとまり、これに都市部が味方すれば、自民党は不利になる。これが98年参院選の自民党大敗を生み出したのである。
その後、自民党政権が陥落しなかったのは、都市部補強効果を持った公明党と小泉政権のおかげである。だが安倍晋三による郵政造反組復党と保守反動路線は、都市部の支持者を離反させ、07年参院選での大敗を招いた。この大敗は、小泉構造改革による農村部の疲弊がもたらした逆小泉効果だという説がまことしやかに広まったが、これは間違いである。野党間協力を主因として野党候補の得票が大幅に増えたため、1人区が自民党の金城湯池でなくなったのである。
だが、古い自民党政治家は逆小泉効果説を盛んに唱え、地方への公共事業の配分を声高にもとめ、ますます党勢を負の方向に引っ張った。一方、民主党は社国両党との協力体制を強化することで弱点の農村部での浸透を図り、衆院選に備えた。
自3民2という当落だけ見れば、熊本の結果は全国の趨勢とは異なる。しかし野党間協力で「戦える選挙区」を農村部でも増やす戦略の、最も典型的な例となった。農村部では、自民党議員が比例票を大幅に超えて得票し、民主党候補は比例票にも届かず惨敗するというパターンがこれまで数多く見られた。自民党議員はこれを個人票だと過信しているフシがあるが、これは違う。単なる「勝ち馬に乗る」投票である。自民党議員を積極的に支援する票ではなく、対抗馬に全く勝ち目がないので集まっているだけの票である。逆に言えば、これなら勝てるかもという体制が構築され、有力感漂う対抗馬が立てば、勝ち馬票は移動し始める。
今回民主党は、圧倒的に自民が強かった4・5区を国社に譲り2・3区に集中した。また両野党ともよく協力し、全国有数の強さを誇っていた自民現職を相手に5区では社民候補が復活当選を果たした。今回に限れば、全区で民主党が候補を立てたほうが結果はよかったかもしれないが、今後を考えれば協力によって全て「戦える選挙区」にした意義は大きい。
自民党が万年野党とならないためには、都市部の票を再度取りにいく必要がある。そのために古い政治家、路線を一掃する必要がある。それができるか、見守って行きたい。
5611
:
名無しさん
:2009/09/19(土) 17:18:50
>>5610
以上を簡略化して言えば次のようになる。自民党は、本来もっと前に負ける予定だったが、小泉政権により都市部での支持を回復し、しばらく政権を維持することができた。これが古い自民党政治に戻ったので、当然のこととして負けたのである。
このことは、今回の敗北を単純に麻生太郎政権のみに帰することが間違いであるということを意味する。もちろん、景気対策の名の下にハコモノ主導の大型補正予算を組むなど、親小泉的な支持層が反発するような政権運営を行ったという点について、一定の責任はあるだろう。しかし、こういう路線に政権を向けさせたのも、そして麻生太郎を総裁として選び出したのも、古い路線に固執する古い自民党政治家たちである。古い自民党のままでは、都市部の投票者を獲得できず、敵失をただ待ちぼうけするだけの政党となってしまうだろう。
都市部の新しい投票者
図1は、全国を90年以降比較可能な1906の地域に分け、各地域の第1次産業従事者数と建設業従事者数の全就労者に占める割合が高いほうから有権者数約10%ずつのグループ(農村度10、9、・・・1)に分け、各グループでの投票率を示したものである。ここでは一般的な投票率(投票者数÷有権者数)ではなく、無効票を除いた有効投票率(得票総数÷有権者数)を用いている。90年と93年を除き、いずれも比例区でのデータである。都市と農村の格差を見やすくするためにそれぞれ底を50%、35%としている。
農村度について、もう少しデータを明確にしておこう。農村度1から10の地域それぞれの第1次産業・建設業就業者割合は、7.2%、9.3%、10.3%、11.1%、12.5%、14.3%、16.3%、19.6%、26.3%、38.8%となっている。全体平均は16.6%である。各グループについて、イメージをつかむために東京都の具体的な地名で見ると、島嶼部の一部が農村度10となり、本土だと檜原村は農村度8、奥多摩町は7となる。昭島市や府中市、東村山市などは農村度3となり、八王子市が2、あきる野市が5あたりで、特別区はほぼ1である。農村度10の地域のほとんどは小規模な地域であり、有権者数が最多なのは弘前市、次に一関市となっている。1990年のデータでは弘前市の就業者のうち30.6%が第1次産業か建設業に従事していた。
図1の投票率のデータには、自民党にとってなぜ都市部での支持が重要であるのか示されている。中選挙区時代の自民党は、複数候補による地域対抗型の集票活動によって農村部の広い面積を持つ選挙区で圧倒的な強さを誇った。これは投票率にも反映され、衆院の農村部での投票率はかなり高くなっていた。選挙制度改革は、この効果を緩和することになり、都市と農村の投票率格差を縮めることとなる。
一方、6時までの投票時間、厳しい不在者投票要件は、特に都市部の有権者にとって「規制」となっていたが、98年参院選以降、これが8時までとなり、要件や手続きが徐々に緩和されて期日前投票へと発展するなど、投票の規制緩和が進んだ。これによって参院選では大幅、衆院選では小幅、都市と農村の投票率格差が縮まる。一時は衆参の投票率がほぼ並んだが、「投票しやすさ」の浸透は、選挙への関心が高まるときに投票率がより上がりやすくする効果を持った。このため、前回と今回の衆院選では投票率が大幅に伸びるとともに都市と農村の投票率格差がさらに縮まる結果となったのである。
この、新たに加わってきた票は、それまで投票していた票と比較すると、政治関心は低く、政治に不満があり、自民党支持率が低い層である。だから98年参院選で都市部を中心に負け、2000年衆院選では「無党派は寝ていてくれれば」という願いも空しく与謝野馨をはじめとする東京都の大物議員が比例復活も出来ずに負けたのである。
◇ ◇ ◇
5612
:
名無しさん
:2009/09/19(土) 17:19:19
>>5611
農村依存に戻ったものの農村に裏切られた自民党
図2は、自民党の農村度別比例区得票率の変遷を示している。左の絶対得票率からまず見ていくと、前回選挙と比べれば都市部ほど大幅に下落しているが、2003年などと比較すると最も農村的な地域を中心に得票率が落ちていることがわかる。これを古い自民党政治家は「小泉さんへのアンチテーゼ」と表現するのかもしれないが、本当に反小泉であれば公共事業予算が削られた2003年、2005年で下落が見られ、大型補正予算で公共事業を増やした今回減るというのはまことに不思議である。2004年参院選でもやはり小泉時代直前の98年に比較しての下落は見られない。
実のところ、小泉構造改革路線が自民党の大敗を招いたという論法は、古い政治家が自らの一部支持者への利益誘導ために唱えて回っているものであり、自民党の党勢回復を図るための冷静で意味のある分析がもたらしたものではない。
今回の選挙における農村部での自民党得票率の2003年に比べての下落は、今のところ仮説としておくが、民主党の農村部での浸透が進んだことと、自民党が与党でなくなることがだいぶ前から予見されていたことによる勝ち馬の乗り換えが要因であると考えられ、小泉への反発という成分は小さいだろう。これは、小選挙区のほうがより顕著に出ている。連載の中で再度触れてみたいと思う。
都市部では、2000年段階に比べれば健闘しているように見えるが、投票率が大幅に伸びたことによる効果も含まれ、右の相対得票率では最も都市部以外は2000年と2009年とで大差がないか、大きく下落している。農村部の地域であっても投票率が伸びた分、新しい投票者層は、基本的に自民党政治に不満を抱いている層であり、これがストレートに出るようになったと、今のところは簡単に解釈しておこう。
いずれにせよ、逆小泉効果的な動きはあったとしても小幅で、小泉路線を捨てたことによる都市部での得票減のほうがよほど大きいということは明らかである。仮に農村部での投票率増加分が新しい投票者層ではなく旧来の投票者層と同質と仮定し、老化による政治離れも無視し、農村重視の公共事業分配路線に都市部住人が反発しなかったとして、自民党が1996年レベルの相対得票率を獲得できたとしてみよう。そしてその分、民主党が得票率を減らしたとしてみよう。それでも、民主党には少なくとも4ポイント程度の差をつけられて負ける計算となる。都市部で得票できないと自民党は負けるのである。
5613
:
名無しさん
:2009/09/19(土) 17:19:33
>>5612
民主党の一党優位体制?
最後に、他党についても見ておこう。図3は、2009年衆院選における各党の農村度別比例区絶対得票率であるが、圧倒的な得票率もさることながら、民主党が都市も農村も区別無く得票していることに驚かされる。以前は都市部中心の政党であったが、選挙を経るごとに都市依存を弱め、ついに全地域で自民党を引き離す結果となっている。
一方、共産党やみんなの党は都市部に強く、公明党は都市度1を除き全体的にフラットな傾向が見られる。社民党や国民新党は農村のほうが若干強い。ただしブロックによっては名簿を出していない政党もあるので、もう少し細かく見る必要がある。このあたりの政党については今後の連載の中で触れていく。
半分繰り返しになるが、自民党が挽回するためには、古い政治家の言うことを聞いて農村部対策を声高に叫んでいてはいけない。もしこれをすれば、都市部住民はますます離れる。与党に付きたい農村の人々も帰って来ないだろう。そもそも、自民党が強固な支持基盤としてきた第1次産業や建設業の就業者の割合は、すでに就業者全体の15%を切っている。巨大与党・民主党に対抗するのに頼るべきは、普通の有権者である。もっとも、二大政党の一角を占める政党は、どこの国でも平均的な有権者を狙うのが当たり前である。自民党もその当たり前の政党に仲間入りすればよいだけである。
注意すべきは、再び小泉構造改革路線に戻れば万事解決、というものでも無いという点である。小泉時代にある程度改革は進んでおり、またそう思われている。改革の進展に応じて有権者の意識も変化している。そうすると、次の一歩をどこに定めるかの問題となり、小泉と全く同じことを言っていても大きなプラスにはならないことは明らかだろう。自民党の次期総裁は、その一歩を決める立場となる。したがって来る自民党総裁選は、単なる党首選びに留まらず、日本の政党政治の今後を決めるという重要な意味を持つことになる。各候補がどのように総選挙での惨敗を総括し、次の一歩をどこに定めるか、注意して見ていきたい。
◇ ◇ ◇
■プロフィール
すがわら・たく――1976年東京都生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程、同博士課程修了。博士(法学)。専門は政治学で、「日本政治における農村バイアス」(『日本政治研究』第1巻第1号)ほか、統計分析を中心とした国政や選挙に関する論文多数。 東京大学教養学部でゼミを開講し、データの見方、利用法を教える傍ら、2008年より当社『ザ・選挙』の技術アドバイザーを務めている。
5614
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 00:16:57
総務省で今回の参院選のデータがアップデートされてました。
エクセルなので分析が楽でいいですね。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/shugiin45/index.html
5615
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 14:20:31
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1031/20090820_05.htm
知事選対応しこり残す 秋田県職労、連合秋田と別路線
衆院選(30日投票)で、秋田県職員労働組合(約3000人)が、加盟する連合秋田と異なる対応を取っている。秋田1、3区の民主党候補、2区の社民党候補を推薦する連合秋田に対し、推薦を出したのは2区だけで1、3区は自主投票とした。背景には、民主党県連が4月の知事選で、一方的な県職員の人件費カットを掲げた候補を支持したことへの反発があるようだ。
知事選で、民主党県連の支持候補は「県職員の定期昇給の2年間凍結」を主張。県連も、県内に配布した候補者紹介の印刷物で、行財政改革の推進を重要な県政課題として前面に打ち出した。
「あの主張を見ると、労使間の交渉や人事委勧告というルールを、民主党は軽視しているように感じる」と県職労幹部。組合員に民主党候補を積極的に応援すべきだという意見はなかったといい、7月の中央執行委員会で自主投票とすることを決めた。
県職労の上部団体である自治労県本部(約1万2000人)も同様に連合秋田との「温度差」を抱える。3候補を推薦してはいるが、2区の社民党候補を強力に支援する半面、1、3区では民主党候補から推薦要請がなかったことを理由に労組ごとに対応を任せる方針だ。
自治労県本部の幹部は理由として、1区の候補でもある民主党県連代表が寺田典城前知事の次男という点を指摘する。
寺田前知事は2007年2月、県職員給料の削減方針を突然表明し、県職労など労組の反発を招いた。前知事の残したしこりが、多くの自治体職員に「次男にも同様のアレルギーを抱かせている」(幹部)という。
従来の支持基盤である労組の思惑をよそに、民主党県連は今回の衆院選で、業界団体への本格的なアプローチに乗り出し、成果を挙げている。
自民党一辺倒だった県建設業協会や県トラック協会から、初めて推薦を取り付けた。民主党県連幹部は「推薦をもらうことで、候補者があいさつ回りをしやすくなるなどメリットは多い。業界側も、『政権交代』後を見据えているのだろう」と話している。
2009年08月20日木曜日
5616
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 14:27:19
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1031/20090827_05.htm
1議席死守へ背水の陣 社民、比例東北で危機感
衆院選(30日投票)で、東北の社民党が背水の陣を敷いている。解散前の議席は比例東北の1議席。報道各社の世論調査で民主党の「独り勝ち」の可能性が強まったことに伴い、虎の子の議席を失う危機感が広がっている。各県連や自治労を軸とした支持労組が、党の存亡をかけて支持拡大を図っている。
「民主党の独り勝ちでいいのか。清く正しく美しい社民党が選挙後の政治に必要だ」。社民党の福島瑞穂党首は20日、仙台市の大通りで声を張り上げた。解散後、2度目の仙台入りだ。
23日には名誉党首の村山富市元首相がJR仙台駅前で「比例代表だけは社民党に入れてほしい」と呼び掛けた。
党のビッグネームが相次いで入ったのは比例での支持拡大が狙い。前回(2005年)の比例東北の得票は36万2500票。今回はそれを上回る38万票の獲得を目指す。
比例東北は党の最重点地区に位置付けられる。東北ブロック協議会は「東北の議席数が党勢のバロメーター」と分析。仮に東北がゼロになったら「全国で3議席ぐらいしか取れない」と焦りを隠さない。
選挙区候補も比例票を重視する。秋田2区の元議員山本喜代宏候補(53)の陣営は、選挙カーや集会で社民党を前面に出して訴える。
宮城では連合宮城の仲立ちで6区の前議員の菅野哲雄候補(60)を民主党が支援する。連合宮城は自治労など社民党支持労組向けに「比例は社民へ」と記載したチラシを作成し、比例での支持拡大を後押しする。
大票田の仙台市で支持拡大の軸になるのは、仙台市職員労働組合。組合員に「比例は社民」を徹底している。
仙台市を分ける宮城1、2区では民主党候補を推薦。社民党をアピールできる機会が少ないのが懸念材料だ。
仙台市職労の伊藤啓志書記長は「民主党候補の集会に招かれることはあるが、比例は社民との呼び掛けは信義に反する。組合員とその家族を通して地道に支持を広げる」と話す。
社民党は最終盤、選挙区に候補者がいない仙台、秋田、山形、福島の各県庁所在地を中心に電話作戦などで浸透を狙う。東北ブロック協議会の沖田捷夫事務局長(党宮城県連元幹事長)は「ここが踏ん張りどころ。東北の社民党の灯は消さない」と強調している。
2009年08月27日木曜日
5617
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 14:32:24
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2009/20090417110250.asp?fsn=eb33f76037153e93cde084f7e7644d6f
2009年4月17日(金)
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対応割れる社民系労組/衆院選危惧する声も
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青森市長選で鹿内博候補を自主的に支援している社民党の支持労組の中で、対応が分かれている。同党の支持団体の一つ、自治労県本部の中で最大労組である県職員労働組合(県職労)が自主的に鹿内候補を支持する一方、青森市労働組合連合会(市労連)は現職・佐々木誠造候補の推薦をいち早く決め、戦いに臨んでいる。
四年前の前回市長選で自主投票とした社民党県連は今回、三人の候補者のうち政治的スタンスが近いとして、鹿内候補の支援を決めた。
県職労も前回市長選は自主投票とした。約三千人で構成し、このうち市長選の有権者は千人程度。同労組は、鹿内候補が県議時代に賃金カットや行政改革などの問題を取り上げた経緯から、三月の定期大会で支持を決めた。県職労の伊勢富雄・中央執行委員長は「鹿内さんは一貫して働く側の立場に配慮してくれた」と語る。組合員に支持の方針を説明したが、あくまで自主的な支持のため、それ以上の踏み込んだ活動はしていないという。
一方、市職労、交通労、水道労の三労組からなり職員約二千三百人で構成する市労連は、昨年十二月に佐々木候補の推薦を決定。組合員や組合OBに支援を呼び掛けたり、法定チラシを配るなどして活発に支援活動を展開している。藤田誠・市職労中央執行委員長は「佐々木市長とは長い歴史の積み重ねと信頼関係がある」と話す。
両労組を束ねる自治労県本部は前回市長選で佐々木候補を推薦したが、今回は両労組の方針を尊重し、自治労県本部としての対応は決めなかった。次期衆院選ではともに社民党の公認候補を支援するだけに、今後の体制への影響を危惧(きぐ)する声もあるが、力石利博・中央執行委員長は「事情あって今回は分かれたが、メーンは次期衆院選。自治労が一つになって戦う」と強調する。
5618
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 14:45:10
http://373news.com/_senkyo/09/syuuin/koubou/19.php
'09/08/15 本紙掲載
19社民、存亡かけ戦い小選挙区で連続独自候補なし
旧社会党時代、衆院中選挙区制の下、“自民王国”といわれる鹿児島で、一定の議席を確保してきた社民党が、かつてない苦境に立たされている。2005年の前回に続き小選挙区で独自候補を擁立できず、今回も比例のみの戦い。「次への展望を切り開くための重要な選挙」と位置付けるが、自民と民主両党が政権選択をめぐり激しくしのぎを削る中、社民は存亡をかけた戦いとなりそうだ。
街頭演説で支持を訴える社民党議員=13日午後、鹿児島市
■党員、労組相次ぎ離脱
「選挙区に候補者はいませんが比例は社民でお願いします」
衆院選公示を5日後に控えた13日。JR鹿児島中央駅前で演説に立った社民党市議はこう訴えた。今回、比例九州で前回より1増の2議席獲得を目標に掲げる社民。県内で7万票を目標に、18人の県・市・町議らが生き残りをかけ戦う。だが「比例だけでの戦いは難しい」のが実情だ。
中選挙区時代、1990年の消費税解散時には、県内10議席のうち4議席を獲得した旧社会党。ところが小選挙区制導入後、浜田健一氏が議席を失ったのを境に党勢は衰退。00年の衆院選で11万5703票あった社民比例票は、05年衆院選で5万1713票まで約半減。07年参院選ではさらに3万6100票まで落ち込んだ。
組織弱体化の背景には、労組の社民離れがある。現在、連合鹿児島に加盟する旧総評系労組を支持母体としてきた社民県連合だが、全国的に2大政党制への流れができるにつれ民主支持の傾向が加速。前回衆院選で社民県連合を支持した二つの労組も、今回は支援の輪から離脱、民主支持へ移行した。
加えて、党を支えた主力党員らが続々と離党したことも追い打ちをかける。自治労出身で社民党籍だった皆吉稲生氏が民主にくら替えして04年参院選に出馬。また同年、二牟礼正博県議も離党。さらに前回衆院選では、県連合代表まで務めた浜田氏が選挙直前に民主にくら替えした。
社民党議員の一人は「十分な総括もないまま今日に至ってしまったのが要因の一つ。社会党時代の思い出につかっているようではダメだ」と手厳しい。
ただ、北森孝男県連合幹事長は「民主党への追い風がこれだけ強い中、社民の比例票を広げていくのは簡単ではない」としながらも、「郵政解散時よりプラス面の方が大きい」と強調する。前回、民主と票を分け合った県教職員組合が今回は社民を全面支援。さらに、社民県連合として、鹿児島4区の民主新人・皆吉氏を推薦する替わりに、自治労傘下の5団体の協力を得ることになったからだ。
元々根は同じ支持労組や議員をめぐり綱引きを繰り返してきた社民と民主の間に、しこりがあるのは事実。しかし、自らもかつて社民に籍を置いた民主党県連の青木寛幹事長は「今回勝ったとしても、民主単独政権は考えられない。政権の重しとして、社民や国民新の存在感には期待している」と古巣にエールを送る。
5619
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 14:54:01
http://logs.dreamhosters.com/html/1/219/755/1219755688.html
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/08/20080826t71030.htm
★社民との選挙協力に異論 民主・東北
東北6県の民主党県連幹事長・政調会長会議が25日、仙台市内で開かれた。
会議は非公開で行われ、出席者によると、次期衆院選に向けて党本部主導で
進む社民党などとの選挙協力に、一部の県連から懸念や異論が出された。
秋田県連は、秋田2区で小沢一郎代表のトップダウンにより社民党元衆院議員
の推薦が決まった経緯に触れて、「地元の抵抗が強く、順調には進んでいない」
と発言した。
党公認候補が決まっていない宮城6区については、小沢代表が公認候補に
こだわらない姿勢を示している。党本部には社民党現職の推薦も念頭にあると
みられ、宮城県連は「連合や地元支持者の意向、党本部の方針が一致しない」
と苦渋をにじませた。
これに対し、3選挙区で既に社民党との選挙協力が決まっている山形県連は
「完全に協力関係ができている」と自信を見せた。
5620
:
とはずがたり
:2009/09/20(日) 15:00:23
>>5600-5602
>リベンジを誓った石山が取り組んだのは政治活動ではなく、実家の農作業。あまりの熱心さに党本部が「別な候補に差し替えた方がいい」と本気で検討したほどだ。
>周囲を心配させたこの行動が実を結ぶ。「いまの農政に何が必要か、肌感覚で分かった」。土と格闘した人にしか分からない訴えが、静かだが着実に浸透していった。
>伊藤信太郎(56)を支える選対幹部が、農協幹部や農業委員ら有力支持者にポスター掲示を依頼すると断られた。いずれも、伊藤の父で元衆院議長の故宗一郎時代からの支援者たち。
>足場固めを怠ったことも響いた。ある首長は「伊藤氏に市町村ごとに後援会をつくれと助言したが、聞く耳を持たなかった」と打ち明ける。
>選挙戦序盤の8月20日。伊藤は塩釜市の塩釜仲卸市場を訪ねた。履いていたのは革靴。翌日にここであいさつ回りをした石山が、白いゴム長姿で市場に溶け込んでいたのとは対照的な場面だった。
衆院選09 選択の構図
(上)政権選択
自民 副大臣が祭り行脚/民主 風読むしたたかさ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/feature/tohoku1249488065962_02/news/20090806-OYT8T00134.htm
「泥まみれ、汗まみれ、血まみれになって戦います」
2日午前に塩釜市で行われた事務所開き。4区から出馬する自民党の伊藤信太郎(56)は、あいさつの間、手にした白いハンカチでしきりに鼻をぬぐった。目には涙。来賓の中曽根外相ら400人の出席者は一様に静まり返っていた。
町内会のお祭りでみこしをかつぐ伊藤信太郎氏(1日)=伊藤信太郎事務所提供
元衆院議長の父宗一郎の地盤を継ぎ、麻生内閣で外務副大臣を務める伊藤は、久々の晴れ間がのぞいた前日の1日、神社や町内会の夏祭りを8か所回った。多賀城市では一緒にみこしを担ぎ、富谷町ではカラオケ大会の合間にあいさつに立った。
2区の自民党の中野正志(61)も先月27日、仙台市の集会で女性支持者を前に声をからして訴えた。
「わが党の世論調査で女性票は(民主候補に)勝るが、30〜60代の男性では圧倒的に負けている。だから弟やお子さんに言ってください。『お母さん、お姉ちゃんの言うことを聞いて』と」
陣営は名刺やビラを数十万枚刷った。4年前とはけた違いの量だ。組織力に定評がある当選3回の中堅だが、今回は秘書たちが手分けして1軒ずつ支援者を回る。
それでも、陣営の一人は首をひねる。「経済産業副大臣の実績もある。これだけ人もかけている。だが、手応えがない」
◇
先月27日、民主党県連選対委員長で県議の内海太(62)が気仙沼市の魚市場に顔を出した。「いよいよ政権交代だね」「勝ちすぎるのも良くないぞ」。あちこちで声がかかった。漁協は旧来、自民の支持母体で、漁業関係者も自民支持者が多いとされるが、思わぬ好反応に内海は驚いた。
2007年の参院選で、民主党の岡崎トミ子(65)は自民候補に19万票差で圧勝。「郵政選挙」と呼ばれ、民主が惨敗した05年衆院選に比べ、潮目が明らかに変わりつつあることを印象づけた。
「百の理屈より政権交代。(開票日の)8月30日、世の中がひっくり返る」
つなぎ姿で農家の人々にあいさつする石山氏(左、3日)
都議選を含む地方選の連勝で勢いづき、選対会議で豪語する民主候補予定者もいた。そして、時勢をしたたかに読む戦略もみえる。
4区の新人、石山敬貴(39)は加美町の農家出身。そこで、つなぎの作業着姿でおにぎりを手にしたポスターを製作した。名は「おにぎり王子」。分かりやすいキャッチフレーズが浸透し、農村票を切り崩す。
テレビ局のお天気キャスターだった2区の新人、斎藤恭紀(40)のブログ「教えて!斎藤さん」は毎日4000〜5000アクセスだ。2日はホームページを刷新し、街頭活動などの映像を盛り込んだ動画をアップした。
民主党県連幹事長の木村勝好(58)は「政権交代を望む流れは、止まることはない」とみる。だが、自民も、郵政選挙で歴史的な勝利を収めたが、首相3人の交代などで逆風に見舞われる。
木村は言う。「衆院選が終わった途端、風はやむかもしれない。それから真価が問われる」。(文中敬称略)
(2009年8月5日 読売新聞)
5621
:
とはずがたり
:2009/09/20(日) 15:00:37
>>5616
> 宮城では連合宮城の仲立ちで6区の前議員の菅野哲雄候補(60)を民主党が支援する。連合宮城は自治労など社民党支持労組向けに「比例は社民へ」と記載したチラシを作成し、比例での支持拡大を後押しする。
>大票田の仙台市で支持拡大の軸になるのは、仙台市職員労働組合。組合員に「比例は社民」を徹底している。
>仙台市を分ける宮城1、2区では民主党候補を推薦。社民党をアピールできる機会が少ないのが懸念材料だ。
衆院選09 選択の構図
(中)埋没回避へ
共産 比例選が「主戦場」/社民 民主協力ジレンマ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/feature/tohoku1249488065962_02/news/20090806-OYT8T00141.htm
仙台市青葉区の共産党県委員会事務所には最近、若者がよく訪れる。
共産党のイベントで、お茶を飲みながら、不況や将来の不安を語る若者たち(2日、仙台市青葉区の柳町集会所で)
2日夜に同区内で開かれた集会にはフリーターや学生ら11人が集まっていた。「不況のせいで、求人票が学校に届かない。仕事に就けないかも」と専門学校の女子学生がつぶやくと、男子学生も「親の仕送りがなく、バイトして学費を払うのが精いっぱい」と打ち明けた。
20年にわたり減少傾向にあった共産党員は、参院選があった2007年を境に増加に転じた。昨秋からの不況がその伸びに拍車をかけ、年末には党の支持者から事務所に布団やストーブ、鍋、炊飯器が各地から続々と届けられた。この2年間で県内で新たに入党したのは200人。大半は30歳代という。
集会に参加した1区の党公認の新人候補、角野達也(50)は「今回ほど『変えたい』という若者のエネルギーに満ちた選挙はない」と実感する。
「政権選択が最大の焦点」と騒がれ、自民対民主の対決が注目される中、小規模政党はアピールに懸命だ。
「自民への批判が、政策論争不在のまま『自民か、民主か』の二者択一で終わっている」。社民党も、県連幹事長の岸田清実(54)が危機感をあらわにする。6区から出馬する菅野哲雄(60)は「命を大切にする政治」を掲げ、非核三原則の堅持など安全保障政策を中心に民主との違いを打ち出す。
選挙戦略にも知恵を絞る。前回は県内6選挙区すべてに候補を擁立した共産は今回、2選挙区にとどめ、1議席死守を目指す比例選を「主戦場」と位置づける。先月、多賀城市の街頭演説で4区の新人の加藤幹夫(45)がマイクを握ったのは4分弱。続いて登場した比例の女性候補予定者が17分間、熱弁を振るい、「比例シフト」を印象づけた。
◇
選挙協力をめぐっては深刻なジレンマも抱えている。自公政権の打倒という共通目標で民主と一致する共産と社民だが、その民主を応援するほど、自らの比例票を減らしかねないためだ。
社民党県連は今回、選挙区候補を立てない1〜5区で民主候補を応援する。ただ、踏み込んだ協力関係を検討しているだけに、「候補本人はいいが、『民主』を連想させる応援はご法度」(県連幹部)と慎重で、民主候補に党名を入れない名刺を発注してもらう案まで浮上している。
一方、候補を立てる1、4区以外は自主投票とした共産。現場レベルでは「選挙区は民主、比例は共産」との呼びかけが広がっている。無党派層の反与党票を取り込む戦略だ。
政権交代の先を見据え、いかに存在感を強めるか。模索が続く。(文中敬称略)
(2009年8月6日 読売新聞)
5622
:
とはずがたり
:2009/09/20(日) 15:00:59
>>5620-5622
衆院選09 選択の構図
(下)集票マシン
「うまみ」減り 力失う
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/feature/tohoku1249488065962_02/news/20090811-OYT8T00133.htm
自民、公明の候補者推薦を決めた農政連。5日の運営委員会では、民主の政策に疑問を投げかける声も(仙台市青葉区で)
県農協政治連盟(農政連)の事務所に7月30日夕、民主党県連幹部から電話が入った。「文書だけでは失礼と思いまして」と丁寧に切り出す県連幹部は、仙台市で開く政権公約(マニフェスト)説明会への参加を求めてきた。
県農政連は14農協が加盟する地方政治団体で、自民の有力支持母体の一つとして知られる。農政連側は「明らかな切り崩し」と受け取った。
農政連は、今回も自民候補を推薦する方針を貫く。「民主の政策は財源の確保に疑問が残る。農家の要望を聞いてくれた自公政権に頑張ってもらいたい」と会長の木村春雄は語る。
しかし、コメ農家の所得は20年間で半減した。米価の低迷や生産調整(減反)に振り回され、農家の不満は爆発寸前だ。
「自民を支持しろと農協は言うが、これ以上自民に任せても先細りする現状は変わらない」と加美町の稲作農家の男性(39)は憤る。角田市の農家の男性(38)も「民主が掲げる所得補償制度は魅力的。周りの農家の多くも『いっぺん政権を変えてもいい』と思っている」と明かす。
◇
組織の号令で大量動員をかける業界団体は「集票マシン」と呼ばれる。その選挙スタイルが、足元から崩れつつある。
元蔵相の三塚博が「自民王国」を築いた3区で、象徴的な場面があった。先月18日、岩沼市で行われた民主元議員の橋本清仁(38)の事務所開き。200人の出席者を前に乾杯の音頭を取ったのは、郵便局長らで作る郵政政策研究会(郵政研)の地区会長だった。
三塚の強固な支持基盤だった郵政研は、05年の郵政民営化法案に賛成した後継の西村明宏(49)と決別し、民主支持に切り替えた。「242票差で初当選した03年より厳しい選挙になる」。西村は覚悟する。
関連業者のすそ野が広く、最強の集票マシンとされた建設業界も様変わりした。この10年間で倒産が相次ぎ、県建設業協会の昨年度の会員企業は277社と半減。協会は今回も自民候補を推す方針だが、石巻市の建設会社社長は「昔なら人も金も口も出した。経営が苦しくて今は余裕がない。しらけてますよ」と冷ややかだ。
日本大の岩井奉信教授(政治学)は「小泉構造改革の影響で補助金や公共投資が激減し、地方に利益が十分回らなくなった。その結果、自民を支えた業界や団体は地方組織や末端の構成員への拘束力を急速に失った」と指摘する。
党選対役員の自民県議はぼやく。「政権が代われば、たちまち立場が弱まる。このご時世、『集票マシン』は俺たち地方議員だけさ」(文中敬称略)
(2009年8月7日 読売新聞)
5623
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 15:04:43
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/09_sousenkyo/toyama/CK2009040202000256.html
「小選挙区は民主と共闘」 社民県連選対会議
2009年4月2日
社民党県連は一日、富山市下新町の自治労とやま会館で次期衆院選と富山、砺波両市議選に向けた総合選挙対策会議を開いた。
県連代表の又市征治参院議員が「社民には筋を通すご意見番の役割が求められている。小選挙区では民主党と共闘し、比例代表では北陸信越ブロックの議席を取り戻す」と呼び掛けた。
決意表明で、富山2区から立候補予定の藤井宗一氏(60)が「自民の力は巨大で簡単にひっくり返せないが日本の政治を変えねば」と与野党逆転への意気込みを述べた。また3区で民主、社民両党推薦で無所属統一候補として出馬表明した相本芳彦氏(53)は「風は吹いている。それにどう乗るかが重要。1、2、3区で結果を出そう」と訴えた。
十二日告示の富山、砺波両市議選に党公認で出馬予定の四人も決意を述べ、必勝を期した。
(対比地貴浩)
5624
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 15:19:09
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-145744-storytopic-196.html
15人が立候補予定 衆院任期残り3ヵ月2009年6月10日
衆院選沖縄選挙区と比例の立候補予定者(クリックすると拡大、PDFファイル2.61MB)
衆院は10日で、9月10日の任期満了まで残り3カ月となった。7月28日まで延長された今国会中の衆院解散が有力視されており、総選挙が間近となっている。政権選択選挙となる今回の衆院選で、沖縄選挙区には4小選挙区に計15人が立候補を予定する。諸派で、宗教団体「幸福の科学」を支持母体とする幸福実現党は、12日に4選挙区すべてで出馬を表明する。
【1区】自主投票の社民票が鍵
国民新現職の下地幹郎氏(47)に、自民新人の国場幸之助氏(36)、共産新人の外間久子氏(70)が挑む構図。諸派新人の平良成輝氏(40)を含め4人が立候補を予定する。自主投票とした社民票の行方が鍵を握る。7月5日投票の那覇市議選の結果が選挙区情勢に直結するとあって、各予定候補者とも前哨戦の位置付けで市議選と一体で取り組んでいる。
下地氏は、国民新と民主の野党共闘を前面に、従来の支持層以外への浸透を狙う。連合沖縄との政策協定や民主党県連との関係修復など、基盤固めを急ぐ。
国場氏は、比例に回る公明とのセットを徹底し、自公議席の奪還を狙う。1区で自民の公認候補は13年ぶり。5月に新事務所を開設し集票を本格化させる。
外間氏は、護憲、反基地を掲げ、革新支持層に浸透を図る。共産は選挙区の擁立を1区のみに絞り、比例票の掘り起こしとともに、大票田で総力戦の構え。
【2区】現職同士保革が激突
社民の照屋寛徳氏(64)と自民の安次富修氏(54)の現職同士による事実上の一騎打ちとなる。前回は照屋氏が選挙区で当選し、安次富氏が惜敗率によって比例で復活当選した。今回は自公対反自公の対決構図がより明確となり、勢力分布が注目される。諸派新人の富川昇氏(65)も立候補を予定する。
照屋氏は、山内徳信参院議員らの応援を得て、革新地盤の中部地域で着実に浸透を図る。民主党県連が支持を決定したことで、反自公の選挙協力が固まった。
安次富氏は、2月の浦添市長選の応援や公明とのセット集会への参加など、各地で精力的に運動する。今月下旬から支部を設置し、選挙態勢を本格化する。
【3区】5人が乱立、混戦模様
与野党ともに分裂選挙を余儀なくされ、5人が乱立する混戦模様だ。5期目を狙う自民現職の嘉数知賢氏(68)に対し、元県議の小渡亨氏(56)が自民を離党して無所属での出馬を表明した。野党側も民主新人の玉城デニー氏(49)と社民新人の新川秀清氏(72)が競合し、革新支持票の綱引きが激しくなっている。諸派新人の金城竜郎氏(45)も立候補を予定する。
嘉数氏は、建設業界など保守支持層の取りまとめを急ぐ。5月には所属派閥会長の町村信孝衆院議員が支援要請で県内を回った。
玉城氏は、全駐労など民主支持労組が支援態勢を強め、運動を活発化。県議会会派・改革の会のメンバーの後押しを受ける。
新川氏は、自治労県本など社民基軸労組が実動部隊。選挙を昨年10月と想定していた態勢を立て直し、集票活動を再び本格化させる。
小渡氏は、嘉数氏に対抗し、保守系の市町村議員を囲い込む。泡瀬復興期成会など地元の地域票を固め、北部での浸透が課題。
【4区】自公対反自公の対決
4区は自民現職の西銘恒三郎氏(54)を、民主新人の瑞慶覧長敏氏(50)が激しく追い上げる展開。野党候補が民主公認に一本化され、自公対反自公の事実上の一騎打ちとなっている。諸派新人の富川満也氏(34)も立候補を予定する。
西銘氏は、国土交通政務官としての実績をアピールし、3期目に挑む。保守地盤の島尻、宮古島地区で、首長や地元議員からの支持を集める。農協など支援団体への浸透を図る。
瑞慶覧氏は、5月の選挙資金パーティーから集票活動を本格化。2区とのバーターで社民との選挙協力が成立し、自治労など社民基軸の労組が動きやすい状況になったのが好材料。
3氏が出馬予定/比例代表九州ブロック
比例代表九州ブロックには、共産現職の赤嶺政賢氏(61)のほか、公明が白保台一元衆院議員の後継として自民と選挙協力を組む遠山清彦氏(40)、幸福の科学沖縄本部長の諫山征和氏(37)が出馬を予定している。
5625
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 15:38:54
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-07-20-M_1-002-1_002.html
[攻防・09衆院選](4)勢いづく労組
政策実現へ発言権狙う
那覇市の自治会館で14日に開かれた労働組合の総決起大会。
会場は立ち見が出るほどの盛況で、200人以上の支援者が駆けつけた。
「支援者の顔つきが違う」。ある立候補予定者は大会終了後、連合沖縄の幹部に電話をかけ、支援に対して謝意を伝えた。
連合沖縄は、民主の2新人と国民新、社民の現職を推薦。選挙区ごとに大会を開くのは初めてだ。
仲村信正会長は「政権交代が実現すれば、労働者派遣法や労働基準法の改正が可能になる」と語り、労組の主張する雇用安定を図る政策の実現に向け、期待感を表明する。
しかし、組合内は加入率低下や若者の政治的無関心もあり、選挙運動への取り組みが弱体化している。
「今回勝てなければ、選挙での組合の発言力も低下しかねない。総力を挙げて取り組む」と別の幹部は話す。
冷ややか
労組内で政権交代に向け、期待感が日増しに高まる一方、派遣や期間工で職を失った求職者の中には、各政党が政権選択をかける衆院選に冷めた見方もある。
昨年から世界的な経済不況で派遣切りや学生の内定取り消しなど雇用情勢の悪化がクローズアップされ、5月の県内の完全失業率は8・6%で、失業者数も8カ月連続で増加。「企業も組合も守ってくれない」と考える失業者もいる。
那覇市のハローワーク。多くの人が職を求めて集まる。愛知県で期間工の契約が切れ、先月から職探しに励む男性(37)=那覇市=は「経済の流れは政権交代しても、変わらないと思う」とつぶやく。
一部分裂
連合沖縄が民主基軸の支援態勢を組む一方、3区では連合沖縄が民主公認の新人の玉城デニー氏(49)、県庁や市町村職員で組織する自治労は、社民公認で新人の新川秀清氏(72)を支持し、対応が割れている。
2005年の衆院選も野党内で候補者の一本化ができず、民主、社民の候補者の共倒れとなった。
その教訓を元に、連合沖縄は08年1月に社民、民主両党県連に候補者の一本化を要請したが、不調に終わっている。関係者は「再び共倒れになれば、しこりだけが残る最悪の結果になりかねない」と危惧する。
1区で候補者を支持していない自治労は、17日の執行委員会で1区の人員を3区の新川氏の応援に回すことを決定。全駐労が主体となって運動を展開する玉城氏との対決姿勢を前面に出すなど、野党間競争も激化している。(09年衆院選取材班)
5626
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 16:17:11
http://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000300806100001
2009衆院選
【胎動衆院選】
社民・民主共闘 原発対立解消棚上げ
2008年06月10日
次期衆院選の佐賀3区で、社民党は民主党の推薦を得て県連合幹事長の柳瀬映二氏(54)を擁立する。両党は既に昨年12月、連合佐賀の仲立ちで県内小選挙区での選挙協力を決めていた。だが、国内初のプルサーマル計画が10年度内に九州電力玄海原発(玄海町)で始まるという原子力発電については、社民が「断固反対」を掲げるのに対し、民主の有力な支持労組の電力総連は推進の立場だ。3区の重要課題を巡る「水と油の関係」解消は、当座、棚上げになっている。(伊東邦昭、市川雄輝)
社民の支持労組でつくる「県平和運動センター」が8日に唐津市で主催した柳瀬氏の総決起集会。「2年半前に佐賀でプルサーマル反対のデモをした。全国で反対の声が高まっている」と福島瑞穂党首が演説し、自治労や県教職員組合の組合員ら約500人が一斉に拍手した。
来賓に招かれた電力総連出身の武重信一郎・連合佐賀会長は集会後、「柳瀬氏には地域の労組を回る中で『原発不要』と言い難い状況を理解してほしい」と打ち明けた。
05年衆院選で両党は、佐賀1区と2区は民主、3区は社民の公認候補をそれぞれ応援し合い、1、2区では比例復活当選を果たしている。
柳瀬氏は、無所属で出馬した「郵政反対組」保利耕輔氏(73)=自民党に復党=と自民公認の「刺客」広津素子氏(55)に大差で破れ、復活もならず。出馬表明が公示半月前と出遅れ、民・社の協力が不十分だったと柳瀬氏と陣営は「総括」している。
柳瀬氏は今回、早々と昨年12月に出馬表明したが、会見ではプルサーマル計画に言及し「反対」を明言している。
佐賀3区における電力総連の組織「唐津地区連絡会」では傘下労組の労組員約500人の多くが玄海原発で働く。連合佐賀の武重会長は「共闘しやすいよう地域の各労組と話し合いを重ねてほしい」と柳瀬氏に注文をつける。
唐津地区連絡会の幹部の一人は「柳瀬氏の考え方は変わらない。政権交代という大局を見よ、と言われても協力できるかどうか……」と話す。
◇
佐賀3区では共産党も県常任委員の瀬戸雄也氏(29)を擁立予定。プルサーマル反対も主張に折り込んでいる。
5627
:
名無しさん
:2009/09/20(日) 16:18:00
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/oita/20080917/20080917_0001.shtml
自治労県本部 対応決まらず 定期大会開会 次期衆院選1、3区
2008年09月24日 20:09
自治労県本部の定期大会が16日、2日間の日程で大分市内で始まり、次期衆院選について「民主党県連と2007年の参院選の対応でけじめがついていない」として、同県連が擁立予定の大分1、3区の対応について当面、態度を保留する議案が提案された。前回参院選で崩壊した野党共闘の修復はいまだ難航している。
村田正利委員長代行は冒頭のあいさつで解散総選挙の時期は近いとした上で「1、3区の方向付けはできないが、短期決戦を闘うための態勢づくりをお願いしたい」と訴えた。
定期大会は17日までで、村田委員長代行を委員長に選任する議案などを採決する。
=2008/09/17付 西日本新聞朝刊=
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