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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5591チバQ:2009/09/13(日) 12:03:46
http://www.toonippo.co.jp/kikaku/seikenkoutai/rensai-hendou/0901.html
2009年9月1日(火)

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■ 09衆院選本県選挙区/変動と波紋

(1)岐路/民主喜べぬ全員当選 自民、再生へ足場残す


横山氏の当選のあいさつに拍手する支持者たち=8月30日午後8時すぎ
 30日午後8時すぎ。衆院選の投票が締め切られた直後、本県1区に立候補した民主党前職横山北斗の青森市の事務所は一気に沸き上がった。あまりにも早かった横山の「当選確実」の報。さらにテレビ番組は「民主圧勝」の調査結果を流し続けていた。

 本県3、4区の情勢もその時点では民主がやや優勢とみられ、さらに2区の候補の比例での復活当選も確実視されていた。想定通りならば民主党は小選挙区で3勝し、比例復活の1議席も加えて同党衆院議員は4人になり解散前の2人から倍増する。全国的な民主党への追い風は、自民党中心の県内政界図を塗り替えると思われた。横山事務所での万歳三唱を終え、意気揚々と同市の党県連事務所に入った県連代表の田名部匡省ら幹部は、続く吉報を待った。

 だが、午後11時すぎ、テレビの衆院選速報に見入る田名部らの顔はみるみるこわばっていった。終わってみれば、小選挙区で勝ったのは横山だけ。2〜4区は小選挙区で自民党候補に敗れ、比例での復活当選だった。全国的には政権交代を果たし、本県の民主党衆院議員も4人になったものの党県連に高揚感はなかった。

 民主党県連には、衆院選で大躍進し、勢いに乗って10月の八戸市長選、2010年の参院選、そして11年の統一地方選、知事選につなげたいとの思いがあった。その大きなステップとなるはずだった衆院選で生じた誤算。風任せで日常の地道な選挙活動が不十分だった候補がいたことを認めた県連幹事長の田名部定男は「この追い風の中で1勝3敗は負け。完敗だ。目算が崩れてしまった。態勢を立て直さなければならない」とつぶやいた。

 一方、青森市の自民党県連事務所。30日午後11時45分ごろ、開票終了寸前まで当落がもつれていた3区の県連会長大島理森に当選確実が出た瞬間、県連幹部や事務職員は思わず「万歳」と叫び、喜びを爆発させた。一部民放テレビが対立候補に当確(後に訂正)を打っていたこともあり「奇跡が起きた」との声すら上がった。全国的には自民党の惨敗が確定していたが、県連内は重苦しいムードが消えていた。

 かつてないほどの強い逆風の中、自民党県連が支援した1区の無所属津島淳は当選できなかったものの、公認した3人が勝ち残った。県連総合選対本部長の成田一憲は「厳しい選挙を勝ちきった。大島会長も残った。仮に2勝2敗、1勝3敗だったら参院選や知事選に甚大な影響があった。民主党に寝返る人が続々と出る可能性もあった。それを断ち切る価値ある3勝だ」と胸をなで下ろす。

 3区選対本部長の滝沢求は「自民党は今回の逆風の意味をしっかりと反省し、新たなスタートにつなげることが必要だ。他県の議員が次々と議席を失った中で、再生への足場が残った青森県連が先頭に立って党の立て直しをしなければならない」と強調する。

 「全国的に民主党圧勝の中で、青森だけ地図の色が違う」と語る田名部定男。だが、県内決戦は自民党側に軍配が上がったものの、民主党が政権を奪取した事実は重い。国政と県政のねじれは、県政界にさまざまな影響を及ぼすとみられる。

 青森中央学院大学大学院教授の木村良一は「県内の自民党候補は従来型の組織選挙で逃げ切ったとみられるが、民主に相当追いつめられた。今後、政権交代を経験することで、有権者は人よりも政策を重視するように変わっていくだろう」とし、政党の支持基盤が変質する可能性も示唆する。


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