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kujyu-metudouさんとの対話

1ラピ。:2018/07/09(月) 22:26:43
kujyu-metudouさんからの質問についてお答えしていきたいと思います。


kujyu-metudouさんからのご質問です


教えてください。
らぴ。さん こんにちわ。
見性体験って 悟り以前に経験されているかと思います(?)
一瞬間に「 」がわかり、一切の疑問が氷解して自己存在の核を思い出すような精神経験です。
先日私に書いてくれた、想像できない空間です。
私が想像する範囲の「外」にあることが内に起きたようなね(笑)
・・・これがきっかけで、精神性に興味を持ち、「そこ」にはない「苦悩」が、今にあるのは何故だろうか?この探究を進めてきました。
二度目の体験のトキに向こう側(根源)から、こちら側(自我)に訪れて、私(自我)を見抜いてくれた(ような感覚)ので、
私(自我)の中身(思考・記憶・概念・意志)がよくわかりました。同時に「静寂で何も起きていない」のが私だとも解りました。

苦の根本がそれまでの「概念」(頭の中で一切が起きている)にあることがわかりましたので、
一時期には苦悩って経験してませんでした。苦の概念を外しました。経験しようがありません(うまく書けないです、もどきかもしれませんw)
ですが、今は普通に苦しみを持ちます(耐えられる範囲、カバーできる範囲です)

私の荷物は、一瞥でかいまみた自己の本性、静寂・無の体験に、(いまだに)しがみついていることです。
知ってますよね?w

どうすれば、今にあることが成せるのでしょう?示唆頂ければ、必ず活かします。

長くてごめんなさい、それでも超ダイジェストなので、赦してね。

2ラピ。:2018/07/09(月) 23:28:01
kujyu-metudouさん へのお返事です

>見性体験って 悟り以前に経験されているかと思います(?)
>一瞬間に「 」がわかり、一切の疑問が氷解して自己存在の核を思い出すような精神経験です。

私もかつて神秘体験をしています。
私の場合、すべてが一瞬につながった感覚を得たり
周りが金色に輝く体験です。
(それぞれ別のタイミングで)

>自己存在の核を思い出すような精神経験
というのはなかなか興味深い表現ですね。

その経験は割と前のことですか?
その時の経験は本当に
「自己存在の核を思い出すような精神経験」でしたか?
今の状態で思い出して
言葉にあらわすとそうなってしまうのかな、と思います。
その経験で
そこに経験していた人はいたでしょうか?


>先日私に書いてくれた、想像できない空間です。
>私が想像する範囲の「外」にあることが内に起きたようなね(笑)

これもなかなか興味深い表現ですね。
この表現から kujyu-metudouさんの状態が
なんとなくわかります。

>・・・これがきっかけで、精神性に興味を持ち、「そこ」にはない「苦悩」が、今にあるのは何故だろうか?
>この探究を進めてきました。

この体験がきっかけで精神性に興味を持ったのですね?
その経験をするまでは何もそれについては興味なく、
偶然、体験したのですか?

確かにその体験時は苦悩はなかったと思います。
kujyu-metudouさん のその問いはなかなか鋭いと思います。

>二度目の体験のトキに向こう側(根源)から、こちら側(自我)に訪れて、私(自我)を見抜いてくれた(ような感覚)ので、
>私(自我)の中身(思考・記憶・概念・意志)がよくわかりました。
>同時に「静寂で何も起きていない」のが私だとも解りました。

なるほどです。
本当にその時の体験はこの文章の通りですか?
それとも何かの本に書いてあったことと
自分の経験を照らし合わせてこの文章を書きましたか?
「あの文章の内容はやっぱり本当だったんだ!」と。

もし、その体験が本物であれば
その状態であったときは解ることなく
しかし、その体験後
普通の状態に戻って意味づけをした、という感じになりますが
いかがでしょうか?
(うまく伝わるかな?)

>苦の根本がそれまでの「概念」(頭の中で一切が起きている)にあることがわかりましたので、
>一時期には苦悩って経験してませんでした。

苦の根源は正確に言えば
頭の中で一切が起きていると言っているそれです。
頭の中で一切が起きていることがわかる、と言っているそれです。
うまく表現できませんが
その「わかった」と言っているそれが苦悩の原因です。
頭の中で一切が起きていることが苦悩の根源ではなく
頭の中で一切が起きていることがわかった、と言っているものが根源です。
しかし、それは幸せの原因でもあるのです。
それは決して悪いものではないのです。



>苦の概念を外しました。経験しようがありません(うまく書けないです、もどきかもしれませんw)
>ですが、今は普通に苦しみを持ちます(耐えられる範囲、カバーできる範囲です)

言葉に表すのは難しいのですね。
でもそれは kujyu-metudouさんの真実なのですね。

>私の荷物は、一瞥でかいまみた自己の本性、静寂・無の体験に、(いまだに)しがみついていることです。
>知ってますよね?w

その経験があるからこそ苦しい、とも言えますかね?

>どうすれば、今にあることが成せるのでしょう?示唆頂ければ、必ず活かします。

今にあることが成せる ことが目標ですか?

>長くてごめんなさい、それでも超ダイジェストなので、赦してね。

kujyu-metudouさん の今までの経験を短い文では
表現しきれないですよね。
いろいろ書いてくださってありがとう。
超ダイジェストなので私が誤解していることもあるかもです。
少しづつ対話していけたら
と思います。

3苦集滅道w:2018/07/10(火) 09:56:25
うわぁ〜 すごい場所できてる(笑)私、めんたる弱いので攻撃はやめてねwww

まず、一瞥の内容について書いてみます。らぴ。さんは使い慣れていないようなので。
6年位前、「ソレ」を体感して、?これってなんだろう?って思い、大御所のAさんブログを見つけて、一瞥とか見性の体験って言われているのだと認識しました。
以来、私の中では「一瞥」か「見性体験」って使ってます。書籍なんかも「一瞥」が使われているのを読むと、自分の体感と一致しています。
その「空間」を説明してみますね。その体感の直前っていうのは、経営上の悩みで鬱々として日々を過ごしていました。とても苦しく、生き辛い精神状態でした。
悩みを解決するという意識よりも その苦しさをなんとかしたい気持ちで はじけそうでした(笑)
休憩室の椅子に座り、内面を見つめていました。瞬間に、「 」に入りましたというか、思い出したというか、自我を経験する以前の自己に立ち還ったような「安堵感」「安らぎ」「いつも在った場所・空間」「根源」「素」「生以前、死以後」「自我以前、自我以後」とても懐かしくて、そこに居たことが思い出されました。
「ソコ」では、そのままで充たされていて 自我の不安も心配もそれまでの苦渋に満ちた精神もありません。何も 無いです。自分を自分として確認できるものが一切ないけど一切が自然で一切が和める、永遠にいられるような空間です。
で、瞬時にそれまでの疑問が解けました。自分が自分を創り上げていたこと。今までの人生の歩みに間違いとか選択ミスとかがなくて、その現実だけで完結していること。自我が経験知であって、私自身を直接に示してはいないこと。誰の本質も私とは一切が変わらない不変の状態?にあること。
そうした思考が流れました。

で、総体的に「わかった」という感覚です。通常に生活している場面での意識では 想像ができない、つまり想像(空想)や人間的な「想定」の範囲の中にはない、意識だと思いました。
「 」の内にあって、納得ができますが、人間的な頭脳では 創造主が創造物に宿り、創造主であることを忘れて 創造物に同化して生きている。っていう説明が、近いと思います。

まぁ、そんな体感が私の身の上にだけでなく、起きていることが解ったので、色々とその後に検索を続けて、とりあえず、理解をまとめていきました。納得できる論理にまとめていきました。そこは自信あります(爆)
で、二週間位でしょうか、人の神秘、精神の成り立ちというか仕組みというかが成されたことへの感謝に歓喜的な涙に暮れて過ごしました(笑)
ですが、もとのもくあみといいますか、一度はきれいに消えた「苦しい」という感覚は戻り、人並みに戻りました。
で、本来「苦」はないことを知った後で、苦を経験することが、何故なんだろう?って、また苦しみを持ちました。死ねばあり得ない苦しみが生きてる間に経験されることは、どこか遠いところに「島流し」にあったようで、とても 重苦しい精神を経験させます。

・・・で、この苦しみを何とかしないと、生きてられない(笑)死活問題として苦悩と向き合いました。
色んなことを試して、緩和させるようなことは できました。
たぶん、思考が納得できたのでしょう。知的に理解できたので、落ち着いた精神になれたのでしょう。

一瞥の後に起きたのは、ここまでのことです。二度目も経験しますが、そのことはまた後にします。

>その経験は割と前のことですか?
>その時の経験は本当に
>「自己存在の核を思い出すような精神経験」でしたか?
>今の状態で思い出して
>言葉にあらわすとそうなってしまうのかな、と思います。
>その経験で
>そこに経験していた人はいたでしょうか?

経験の場面と中味を上記しました。後で書籍やブログで読んだものの知的情報を思いこんだのではなくて、書かれているものが当時の経験に一致するものを表現として活用しています。後付けの知識ではなくて、当時の感性感覚を表現していると思ってくれていいです。むしろ、今の感覚では違っていることがあります。この記述のままが今の私でもないです。
今の私が 書くとすれば、もっと ねちっこく理屈になってしまいます。当時の心境の再現として読んで下さい。
一瞥はさとりでもなんでもない・・・ことを明確にしたいので、一瞥そのものの中身を書きました。

>そこに経験していた人はいたでしょうか?
・・・これ、何人もの人に聞かれて、その都度 答えに窮した問いかけです(笑)

こうして、経験知として書けていますから経験者はいます。
記憶にもイメージにも鮮明に刻印されています。
ただ、今までの自分と思ってきた自分が、実は自分ではなかったという「衝撃」はありました。
間違いなく、そのトキの私は 私ではありません。変な書き方なのは承知です(笑)

とりあえず、ここまでで、投稿します。

4苦集滅道w:2018/07/10(火) 15:51:01
>その経験をするまでは何もそれについては興味なく、
>偶然、体験したのですか?
当時は、神の子が人間だって 強く信じていました(笑)苦しみを持ち続ける自分がホントに神の子なのかどうかを確かめたかった。
その答えは、それまでに考えたことも聞いたこともない、想像しようもない真実でした。

>なるほどです。
本当にその時の体験はこの文章の通りですか?

・・・この二度目の体験には、おっしゃるとおり どっかで読んだ内容が書いてあります。
スペースがないので、簡潔さを狙いました(笑)

あらためて、当時のままを書いてみます。

一瞥の三年後、今から三年前です。苦しみって特に なかったです。順風満帆、私生活も充実してました(笑)

お昼ご飯を食べようと思い、おかずをレンジにチンしに立ち上がったトキでした。

おなかの中あたりかな、何も起きてなどいない空間っていうか静寂と表現できるもの?が拡がってきました。
これが私のホントさなのだ・・・って理解されました。
そこで、私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。

で、これが自我の意識に生きてることなんだって、理解できました。
何て言うか、ホントの自分が肉体の眼とか器官とかを通して認識してるだけで、根源と自分とがばらばらではないと思いました。
っていうか、根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感がありました。
ここは、誰彼となく書いていますが、その通りだと思いました。

これが、そのままのことですが、この頃には書籍とか読み込んでましたので、言葉は借り物かもしれません。
ですが、起きたことは 実際です。別に思いこむ必要などありませんでした。割と充たされていたトキでしたので。
自我の意識って こういうものなのだって、認識できたのがこの体験でした。逆に そうでない意識ってこうなんだとも思いましたし。

>その経験があるからこそ苦しい、とも言えますかね?
・・・言えます。知ってしまったので、戻れないです。自我は経験と解っても 苦しいものは苦しいです(笑)
だから 何も さとってないです。二十四時間の そこはかとない幸せな感覚に 在り続けることが、目的とも言えます。
そこはかとない幸せ感って、人間的な感覚の中で「 」の体験に近いものと思ってます。
「 」とビンゴ(一致)には どうあがいてもなれそうにないので、いつも 幸せ感にあることを 願っています。
何も なくても、幸せ。みたいな感覚って たま〜〜〜〜にしかないです(笑)

>今に在ること・・・これは、よく見かけるスローガンですが、思考に思考を重ねてしまうことが 
疲れたり、迷ったりする原因になっていますので、
今の感覚知にだけ焦点のあった 普段の在り方になりたいですね。
深い意味があるのでしょうけど、よくは解りません。浅い意味合いで 過去から切離れていたいです。
一瞥とかって、「 」は知るのだけど、今には ないから、回想することがあります。
気にしても 仕方ないのに(笑)

忘れてしまうくらいでないと、先にはいけない気がします。
先があるかどうかも解りませんが、こちらで 何かしら得るものがあれば 喜ばしいです。
今 読み返すと明確な質問にもなっていないですね。何を聞けばいいのかも わかってないなぁ〜〜私(笑)

問いには答えられたと思います。

では。よろしくお願いします。

5苦集滅道w:2018/07/10(火) 17:52:28
明確な質問を考えました(笑)

一瞥で垣間見た「 」を わかったはずなのに、或いは知ったはずなのに、
相変わらず苦悩に充ちた(ちょっともってますw)現実が体験され続けるのは、
本当には悟っていないことです(言い切ってもいいですよね)

ここで、おしまいと思いこむこともできますが(実際私はこれ以上はないと思ってました)
それにしてしまうのは、やはり本意ではありません。何より 自分が似非なことに気が付けた訳ですから、
本物のさとりそのものになるには、何をしなければいいのでしょうか?

何も しなくても「ソレ」なことは学習済ですので、何も したくはないのですが(笑)
もとから さとりそのものだから、そのものになるっていう表現は 正しくはないと思います。
でも 他に聞きようがないので、変なカンジですが さとりそのもので生きるには どうすればよろしいのでしょうか?

6ラピ。:2018/07/10(火) 23:29:14
>うわぁ? すごい場所できてる(笑)私、めんたる弱いので攻撃はやめてねwww

勝手に作っちゃいました笑

めんたる、弱いの?
そうじゃない気がしますが(笑)

攻撃するつもりは全くありません。
でもそう感じてしまったらごめんね。

いろいろありがとう
よくわかりました。

一瞥では kujyu-metudouさん改め苦集滅道wさんは「わかった」と書いていますね。
悟りでは「わからない」、これなのです。

一瞥で経験した状態がずっと続いている状態が悟りです。
そう思ってもらってよいと思います、例えですが。

>総体的に「わかった」という感覚です。通常に生活している場面での意識では 想像ができない、つまり想像(空想)や人間的な「想定」の範囲の中にはない、意識だと思いました。
>「 」の内にあって、納得ができますが、人間的な頭脳では 創造主が創造物に宿り、創造主であることを忘れて 創造物に同化して生きている。っていう説明が、近いと思います。

一瞥では純粋な体験をしていますが
(厳密には体験でもないのですが)
元に戻った時、そういった表現になるのは理解できます。

>で、本来「苦」はないことを知った後で、苦を経験することが、何故なんだろう?って、また苦しみを持ちました。
>死ねばあり得ない苦しみが生きてる間に経験されることは、どこか遠いところに「島流し」にあったようで、とても 重苦しい精神を経験させます。

表現が上手ですね。
わかります。

しかし、決して死んではいけないことも
苦集滅道wさんは解っていましたね。

もちろん私もわかっていました。
だから今があります。
死ぬことなく自我が死ぬべきです。(例えです)
そしてそれはできるんです、死ぬ気になれば。

>・・・で、この苦しみを何とかしないと、生きてられない(笑)死活問題として苦悩と向き合いました。

わかります。
「わかってしまった」からにはもう後戻りはできないですよね。
もう進むしかありません。
かつての私もそうでしたよ。

>色んなことを試して、緩和させるようなことは できました。
>たぶん、思考が納得できたのでしょう。知的に理解できたので、落ち着いた精神になれたのでしょう。

私もそういう時、ありました。

しかし、それは私の場合、
例えて言えば麻痺していたからこそ、でした。

真実を追求することをやめていた時でもありました。
真実を追求するなら向き合うしかありませんが、ある意味逃げていたのかな。

今さえ楽しければいい、みたいな。
しかし実は、この頃が一番体調が悪かったです(笑)


>そこに経験していた人はいたでしょうか?
>・・・これ、何人もの人に聞かれて、その都度 答えに窮した問いかけです(笑)

そうなのね。

>こうして、経験知として書けていますから経験者はいます。
>記憶にもイメージにも鮮明に刻印されています。

さすがよくわかってらっしゃいますね。


>ただ、今までの自分と思ってきた自分が、実は自分ではなかったという「衝撃」はありました。

わかります。

>間違いなく、そのトキの私は 私ではありません。変な書き方なのは承知です(笑)

変ではないのですが
何か、別の影響がある書き方になっているのではないかな
と感じることがありました。

苦集滅道wさん が「経験」した出来事は
本当だと思っています。

その出来事をこれからどう生かすのか
が大切だと思います。

ちなみに私に一部の消滅が起きたのは
職場の休憩室でのミーティングの時でした。

なんか、ちょっと似てるかな

この消滅のおかげで
ある程度「楽」は達成できていましたが
まだ、楽をコントロール(選択)しようとする自我が存在していました

それに気づき、最後の扉への道が開かれました。

7ラピ。:2018/07/10(火) 23:39:43
神の子ですか。
余談ですが、、、神という存在も悟っていません。

対象がある世界で遊んでいます。
だから争ったり、いろんな願望を達成したりするんです。

神も好き放題したらさすがに気づくでしょうね。
「これは一体どういうことだ?なぜこうなんだ?」と

そこから悟りの道は始まります。

この世界を神が創造した、はある意味本当でしょう。
しかし、悟った人なら何も創造しない。
創造するものがないし、想像する必要がないから。

この違い、なんとなくおわかりでしょうか?

しかし、この世界を創造してくれた神々には感謝ですね。

2度目の体験についてですがこの体験を経験するきっかけとして
何か精進されていましたか?
どこかを鍛えるとか?

>私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
>探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。

なるほどです。
不思議な体験ですが悟りではないですね。
何かが起きているとわかることは わかる人が存在するし、「何か」(対象)が起きていますからね。
ご存知の通りです。

しかし、その体験が悟りへ導くきっかけにはなりえるかもしれません

>で、これが自我の意識に生きてることなんだって、理解できました。

そうですね

>何て言うか、ホントの自分が肉体の眼とか器官とかを通して認識してるだけで、根源と自分とがばらばらではないと思いました。

そうなんですね?
本当にばらばらでないなら
根源も自分もない状態なのですが
この時の経験をそういう風にも表現できますか?

>っていうか、根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感がありました。
>ここは、誰彼となく書いていますが、その通りだと思いました。

自我の意識たる私という表現は面白いですね。

「根源の側」が「自我の意識たる私」を見抜く

本当にその根源が悟りと言うのであれば
自我の意識たる私を根源は見抜くことができません

「根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感」

根源は私ではなく、
私でない根源が 自我の意識たる私を見抜いてくれたのでしょうか?

苦集滅道wさんと根源は別物ですか?
そうでなければ 苦集滅道wさんを対象として見抜くことはできません

その根源とはいったい何でしょうか?
自我の意識たる私を見抜いてくれた感じを受けた苦集滅道wさんが
そう感じたのかもしれませんが
根源は何もしていないのですよ、それが本物であれば。見抜くことなく。

見抜いている、と感じたのは 苦集滅道wさんであって
本当の根源であればそれは何もしておりません、ただそうであるのみです。

これは悟った人とそうでない人との関係に似ています。

悟った人は何もしていないのに
そうでない人が悟った人に意味づけしてしまうのです。

悟った人は何もしていないのに
そうでない人が悟った人を見て
「〜している」という。

そうでない人が本当に感じていることが、それは「はずれ」なのです。
真実とは一体、どこにあるのでしょうか。
感じたことが真実でしょうか?
実は違うこと、多々あるのです。
(うまく伝わりますでしょうか)


>これが、そのままのことですが、この頃には書籍とか読み込んでましたので、言葉は借り物かもしれません。
>ですが、起きたことは 実際です。別に思いこむ必要などありませんでした。割と充たされていたトキでしたので。

本当に起こったと思っています。
少なくとも苦集滅道wさんにとっては
確実にそれが「起こった」のでしょうね。

>自我の意識って こういうものなのだって、認識できたのがこの体験でした。逆に そうでない意識ってこうなんだとも思いましたし。

自我の意識って表現が面白いですね。
自我と自我の意識は別物ですか?

私からしたらどっちも自我です。

8ラピ。:2018/07/10(火) 23:40:38
続きです

「何もなくても幸せ」はかつて私が実践していたことの一つです。
そうであるよう、頑張りました(笑)

何もなくても幸せって表現は幸せに条件を付けていますよね。
「何もなくても」という条件です。

今は条件が必要ありません。
何もなくても、でもなく
何かがあったら、でも もちろんなく
ただただそうであるのみです。

>自我は経験と解っても 苦しいものは苦しいです(笑)

正直でいいと思います。

>「 」とビンゴ(一致)には どうあがいてもなれそうにないので、いつも 幸せ感にあることを 願っています。

まず、「 」と一致することは私でも無理です。
そもそも一致するものではないからです。
一致するには分離している必要がありますから。

>今に在ること・・・これは、よく見かけるスローガンですが、

ほんと、よくある言葉です。
かつての私もそうであるよう、頑張っていました

>思考に思考を重ねてしまうことが 
>疲れたり、迷ったりする原因になっていますので、

確かにそうですね。

>今の感覚知にだけ焦点のあった 普段の在り方になりたいですね。

なるほど。
しかし、悟れば今もないし、感覚知もある意味ありません。

これは、例えて言えば
悟ることなく、普通の人として生きていきたい、という理解でいいですか?

普通の人として生きられることは
とても幸せなことです。
幸せだと感じなくても。

変な表現なのですが人は、人として生まれただけでもとても幸せなのです。

>深い意味があるのでしょうけど、よくは解りません。浅い意味合いで 過去から切離れていたいです。

正直でいいですね。
「今に在ること 」 は誤訳かもしれません。
変な日本語です。

今、今、今に生きることは、精進の道の一つです。
本当にそう生きていれば勝手に過去から切り離されてしまいますね。

なぜなら今に100%生きていたら
過去に何パーセント生きることができますでしょうか。
ゼロですよね。

>一瞥とかって、「 」は知るのだけど、今には ないから、回想することがあります。
気にしても 仕方ないのに(笑)

回想することによって自分を奮い立たせ
がんばるきっかけとしたらいかがでしょうか。

今に100%生きていたら
今以外にいることはできません。

>忘れてしまうくらいでないと、先にはいけない気がします。

今を一生懸命生きていたら
過去を思い出す時間はありません。

思い出す時間がないくらい今を頑張る

かつての私の実践の一つがそれに似ています。

9ラピ。:2018/07/11(水) 00:32:14
>一瞥で垣間見た「 」を わかったはずなのに、或いは知ったはずなのに、
>相変わらず苦悩に充ちた(ちょっともってますw)現実が体験され続けるのは、
>本当には悟っていないことです(言い切ってもいいですよね)

はい、言い切っていいです。

「 」を垣間見た、わかった、と思えるのは「 」を例えて言えば体験しただけで
「 」そのものにはなれていませんからね。

>ここで、おしまいと思いこむこともできますが(実際私はこれ以上はないと思ってました)

ええ?そうなのですね。

>それにしてしまうのは、やはり本意ではありません。何より 自分が似非なことに気が付けた訳ですから、
>本物のさとりそのものになるには、何をしなければいいのでしょうか?

「 」そのものになるのには簡単ですが難しいです。

例えば私は確実に 「 」そのものになる方法を知っており
それを実践したから 「 」そのものなのですがその方法を伝えることができません。
言葉で表してもそれはその方法の一部であり正確に100%伝えることができません。
しかし、私のやった方法は100%間違いなくやらなくてはいけなくて
1%でもぶれがあったら、おしまいです。
(私のやったことを100%できるのであれば悟れます。)

ではどうしたらよいのでしょうか。
一つのヒントとして。

苦集滅道w さんが「 」を経験したきっかけはなにですか。
何度か経験した一瞥は何がきっかけでっしたか?
実はもう、苦集滅道wさんは方法を知っているかもしれません。

私は最後の道は誰にも教えてもらうことなく自分の知っている方法で突破しました。

苦集滅道wさんが経験した闇、そこにヒントがあります。
何をしてそれはそうなりましたか?

>何も しなくても「ソレ」なことは学習済ですので、何も したくはないのですが(笑)

残念ながらそういう気持ちでは無理ですね(笑)
学習したのではだめなのです。
それそのものにならなくてはなりません。

学習したら本物になるのか?
全く違います。

あほな例えですが算数の教科書を学んだら算数の教科書になれるのか?
なれません

教科書が存在していて、教科書を学ぶ自分がどうしても存在していますよね。
教科書そのものになるためにはどうしたらいいか、私は知っています

>もとから さとりそのものだから、そのものになるっていう表現は 正しくはないと思います。

本当にそう思っていますか?
さとりをわかっていないからこそ言える言葉です。

>でも 他に聞きようがないので、変なカンジですが さとりそのもので生きるには どうすればよろしいのでしょうか?

もとからさとりそのものであればご存知の通り何もしないでそのままでいいと思います。
というか、さとれが何もしません(例えですが)
なぜ、問いが出てくるのでしょうか。
なぜなら実はさとりそのものではないことを知っているからなのです

本当にさとりそのものであればそのような問いは発生しません。
どうやっても発生しようがないのです。

さとりという言葉は例えです

さとるという 言葉を調べてみると
1.はっきりと理解する。見抜く。「言外の意を―」。感づく。「陰謀を―」
これは対象ある状態についてなのでここで言っているさとりとは違いますね

2.仏教 心の迷いを去って真理を会得(えとく)する。悟りを開く。
この表現はさとってない人が「悟るとはこういうことだ」と定義しただけです。

さとれば真理を会得する?
そもそも真理を会得するって、どういうことでしょうか。
会得したものは必ず失われます。
失われない為にはどうしたらいいか、真理そのものになればよい

悟りを開く、というのは例えであってほんとうに開いたり、開けたりはしません。

この世界にある悟りについての解説は厳密に言えば間違いが多いです

釈迦の教えは釈迦以外の人が残したものです。
釈迦はなにも残しませんでした。
しかし、釈迦の言葉を、それを聞いた人が残しています。
釈迦の言葉を聞いた人の解釈が入ったものが代々伝わっているのですよ、確実に。

釈迦の教えがきちんと伝わっていたら
この世は悟りそのものの人だらけなはずですからね。

さとりそのもので生きるのにはどうしたらよいか?

一つヒントです
苦集滅道って、どうことかご存知ですか?

10苦集滅道w:2018/07/11(水) 07:21:46
たくさん書いてくれましたね〜(感謝)
それと私の書き方があなたに妙な気遣いさせてました。
攻撃って私の被害妄想です(笑)

で、感想なのですけども、たくさんでてきます。
上から順に書いていきますが、ゆっくりと書いていきますので、
途中で気がついたことがあれば、差し込んでくれてかまいません。

>悟りでは「わからない」、これなのです。
・・・この言葉がわからないw・・・そういうものなのですね〜

>一瞥で経験した状態がずっと続いている状態が悟りです。
>そう思ってもらってよいと思います、例えですが。
・・・そんな風に思っています。ですが、最初に自我の次と自我の前にそうであるっていう思い込みを持ってしまい、今がそうであるっていう観点には立ちづらいのです。
何も無い世界?空間?から、人身に宿り 自我が芽生え、人身を去って そこへと回帰するっていうイメージが定着しています。
これが なかなかしぶといです(笑)体験に意味を自分で持たせたようです。
たとえですね?雰囲気だけは、そんな気でいるようにします。ただ、あの「 」が続くっていうイメージは、人間的な活動とか一切できなくなるような気がしていて、それでは生きてる意味がないような感覚もしばしば持ちます。
あれで 生きる?ことは、現実には 難しいと思う。色んな意味で。それで生きなきゃいけないっていうことでもないらしいし、一種のあこがれも 今はなくなりました。
このあたりのことは、自分で処理?できます。

一瞥とか心境とか わかってもらえて嬉しいです。やはり通じるものですね(笑)
ただ、この気持ちの中にも、私を認めて的なある種の自己顕示がはいってます。別の影響って、そんなことかもしれません。
自分で気がつけるのは、一瞥の記述とか一連に まだ、優越感みたいなおごりがはいってることです。(ここはながしてね)

>ラピ。 :2018/07/10(火) 23:29:14への感想は、ここまでです。
ありがとうございました。

11ラピ。:2018/07/11(水) 08:04:37
>悟りでは「わからない」、これなのです。
・・・この言葉がわからないw・・・そういうものなのですね〜

わからなければ考えようもないですよね。
想像ができない。
それが正しい姿勢です。

さとりに対してもそうあればいいかな

過去の体験を思い起こしてそれを悟りと結び付けたら
それは間違いで
そもそも悟りは想像してしまったらそうではなくなってしまいます。

よってさとりについて想像することは意味がないのです。
それはさとりもどきですから。

ちょっと書き込みました

12苦集滅道w:2018/07/11(水) 08:24:45
らぴ。さん おはようございます。膨大な時間費やしてくれてありがとう。
うん、全体的に やわらかく書いてくれているので、とても 読みやすいです。
もう、言葉の意味を考えたりとか 思索とかでは、なんともできないことがよくわかっています。
想像するのも やめます(笑)無駄に思えるのでねwww

今日は昨日よりは体調もよくなっています。動けるからね(笑)御心配なく。

13苦集滅道w:2018/07/11(水) 17:28:15
ラピ。 :2018/07/10(火) 23:39:43のコメントへの返信です。

>余談ですが、、、神という存在も悟っていません。
・・・って、神は存在している?そして悟っていないと?
わかりませんが、興味深いコメントです。


>悟った人なら何も創造しない。
>創造するものがないし、想像する必要がないから。

・・・全く わかりません。腑に落ちません(笑)

>しかし、この世界を創造してくれた神々には感謝ですね。
・・・?わかりません。感謝の対象として創造神がでてくるの?

>2度目の体験についてですがこの体験を経験するきっかけとして
>何か精進されていましたか?
>どこかを鍛えるとか?

・・・特にないです。一瞥後の苦しみをなんとかカバーして、わりと幸せだっただけですが、
直前に 自分のものではないとわかる 悲しみの感情に支配されて、自分は悲しくないけど、涙がでて結構泣きました。
悲しい感情と私は 別でした?(笑)

その後、涙を拭いて ご飯たべようと思ったトキのことです。w

>>私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
>>探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。

>何かが起きているとわかることは わかる人が存在するし、「何か」(対象)が起きていますからね。
>ご存知の通りです。

・・・そう、何も起きていないことが わかる自分がいました。どこで起きているかが わかる自分がいました。

「静寂」とか「無」とか「何も起きていない」って 使っている人の出所(体感)がわかったと思います。それだけかな。

14苦集滅道w:2018/07/11(水) 17:30:07
ラピ。 :2018/07/10(火) 23:39:43 への返信2です。

>しかし、その体験が悟りへ導くきっかけにはなりえるかもしれません

・・・そうですね、一瞥と同様にそのイメージは 今も残っています。
だから そうした言葉を使っている人達の意図みたいなことは 読み解けます。
・・・ですが、らぴ。さんの言葉は さっぱりわかりません、私に体感がないからです。

>>何て言うか、ホントの自分が肉体の眼とか器官とかを通して認識してるだけで、
根源と自分とがばらばらではないと思いました。

>そうなんですね?
>本当にばらばらでないなら
>根源も自分もない状態なのですが
>この時の経験をそういう風にも表現できますか?

・・・ええと、一瞥では、根源と自我は別個として 認識しました。自我以前、自我以後、生前、死後が根源であると。

今も そうである。・・・この認識があの場面で起きました。それが わかったので、見抜くって言葉になってます。

15苦集滅道w:2018/07/11(水) 17:33:12
ラピ。 :2018/07/10(火) 23:39:43 への返信3です。

>本当にその根源が悟りと言うのであれば
>自我の意識たる私を根源は見抜くことができません

・・・見抜く・・・は、見抜かれた。の意味合いです。自我ってこうなってるんだ、とあの場面で思いました。

で、こうしたところに つっこんでくるということは、根本的に私が認識違いをしている可能性があると思います。

私の意図が、ここでは読み取られていないです。それは 私の意図が間違っていることを意味しているとも 取れます。

私は間違っているかもしれません。


>「根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感」
>根源は私ではなく、
>私でない根源が 自我の意識たる私を見抜いてくれたのでしょうか?

>>見抜いてくれた感・・・は率直な感想なのですが、伝わらないってことは、私の考え違いかもしれません。

>苦集滅道wさんと根源は別物ですか?
>そうでなければ 苦集滅道wさんを対象として見抜くことはできません

>その根源とはいったい何でしょうか?
>自我の意識たる私を見抜いてくれた感じを受けた苦集滅道wさんが
>そう感じたのかもしれませんが
>根源は何もしていないのですよ、それが本物であれば。見抜くことなく。

>見抜いている、と感じたのは 苦集滅道wさんであって
>本当の根源であればそれは何もしておりません、ただそうであるのみです。

・・・うん、これ わかるんです(笑)偽の根源って感じようがないですよ。
二人の共通認識として根源と使ってますが、人間的な意識がある訳ではないです。「 」とかがいいかな。
何もしていない・・・っていうのは、超わかりにくいです。
何かをしているのは、自我であるという認識と自我は何かをしているという認識にしか 普段はいません。
(このあたりは 不問に願いますw) 


>これは悟った人とそうでない人との関係に似ています。
>悟った人は何もしていないのに
>そうでない人が悟った人に意味づけしてしまうのです。

・・・うん、そうです。とても素晴らしい境地に達してられる、どんなに素晴らしい世界観と心情が展開されてらっしゃるのでしょう・・・みたいな、
期待感満載です。・・・そうですね、勝手に神様みたいに持ち上げていきますね(笑)

>そうでない人が本当に感じていることが、それは「はずれ」なのです。
・・・ああ〜、そこ解ります。本当に感じているから 本当だと思います。これ以外に本当はない。
・・・それが、はずれだとは、思い難いです。何か体験がないと、本当に対しての「嘘」の感覚というか、
疑念っていうのは出てこないと思う。


>真実とは一体、どこにあるのでしょうか。
>感じたことが真実でしょうか?
>実は違うこと、多々あるのです。
>(うまく伝わりますでしょうか)・・・うん、根源の体験に絡んだものでも、違うことはありそうです。。。


>これが、そのままのことですが、この頃には書籍とか読み込んでましたので、言葉は借り物かもしれません。
>ですが、起きたことは 実際です。別に思いこむ必要などありませんでした。割と充たされていたトキでしたので。

>本当に起こったと思っています。
>少なくとも苦集滅道wさんにとっては
>確実にそれが「起こった」のでしょうね。

・・・起こったというよりも 体験したですね。自己体験を否定はできないので、起きたと言えば起きたことです。

>>自我の意識って こういうものなのだって、認識できたのがこの体験でした。逆に そうでない意識ってこうなんだとも思いましたし。

>自我の意識って表現が面白いですね。
>自我と自我の意識は別物ですか?
>私からしたらどっちも自我です。

自我の意識って 違う意識と区別して使ってます。違う意識って 根源だけど、意識として扱っていいかは わからないです。

自我と自我の意識は同じです。で、根源と区別するのは、通常は自我の意識が全面・全体を支配しているので、
根源のままというのは、考えられないからです。・・・という意見を持ってます(笑)悟りを根源の意識?として使うなら、
その状態で生きることは、私の中では あり得ない。だから さとりって、ない・・・(はずwww)



別に 否定しようと 望もうとも そのトキがくることに 変わりはないでしょう?死んでからかもしれませんが(笑)

二度目の体験と称しているところで、少し 動きました。もしかしたら勘違いかもしれないって 思いました。
後は、神への認識が 今までには聞いたことがなかったので 残りました。

16ラピ。:2018/07/11(水) 18:16:27

>何も無い世界?空間?から、人身に宿り 自我が芽生え、人身を去って そこへと回帰するっていうイメージが定着しています。
>これが なかなかしぶといです(笑)体験に意味を自分で持たせたようです。

この部分はよくわかりますよ。
私もそういう体験がありますし、
そう意味づけていました。
(やっぱり似ていることろがあるかも)

しかし、私は常に自分を捨てていたため
この経験に捉えられることはありませんでした。
「そういうことがあった」くらいの位置づけでした。

これが苦集滅道w さんとの違いかな。
体験したは似ているかもしれません。


>ただ、あの「 」が続くっていうイメージは、人間的な活動とか一切できなくなるような気がしていて、それでは生きてる意味がないような感覚もしばしば持ちます。
>あれで 生きる?ことは、現実には 難しいと思う。色んな意味で。
>それで生きなきゃいけないっていうことでもないらしいし、一種のあこがれも 今はなくなりました。

そういわれていること、とてもよくわかります。
私も同じ思いでした、悟る前は。
その状態が悟りと言われても、あれが?それって幸せなん?みたいな。

しかし、私は生きています。
楽ちんに。

悟らずに経験した「 」は
まだ「 」そのものではない状態で経験したので
例えて言えば引き裂かれかけたような感じでした。

まだ自我があったため、
自我のない世界に耐えられない、とも例えられるかもしれません。
自我のあるままで 「 」を 経験して
よく無事、もどってこれたなぁ、としみじみ思います。
苦集滅道w さんもですよね?

ええ、言われていること、わかります。

でも安心してください。

すっかり「 」そのものになってしまえば
(自我がすっかり消滅してしまえば)
そこはある意味、想像できなかった想像以上の天国です。


>今日は昨日よりは体調もよくなっています。動けるからね(笑)御心配なく。

よかった。
嬉しいです。@(*・ω・*)ポッ

17苦集滅道w:2018/07/11(水) 18:31:47
9: ラピ。 :2018/07/11(水) 00:32:14・・・への返信です。

一瞥のきっかけ?私は知っているかもしれない?経験した闇?そうなったのは何故か?苦集滅道の意味は?

・・・???ここから 導き出される ことって・・・もしかしたら、私が 数年?行い続けて、一瞥の後に否定した
精神の行為???

でも、それだと きれいに説明がつきます。

結局、中途半端で その「道」って行いきれてないです。

うん、今 結構苦しんでる最中です。そうなっているのは、何故か?・・・ここですね。たぶん、いや、きっとね。

私に伝わったと思います。いえ、私だけでなく 読んでる人にも 伝わったと思います。。。


お疲れ様でした。ありがとうございました。。。

約束通り、活かします。

18苦集滅道w:2018/07/11(水) 18:39:35
16: ラピ。 :2018/07/11(水) 18:16:27・・・のらぴ。さんへ

>よく無事、もどってこれたなぁ・・・あの後、「虚無」に襲われて、寝たきりに近くなりました(爆)
面白い経験でしたね。どれほどの精神の苦痛を経験しようとも・・・「無傷」よね〜

19ラピ。:2018/07/11(水) 18:41:47
>わかりませんが、興味深いコメントです。

>・・・全く わかりません。腑に落ちません(笑)

そう言っていただけて嬉しいです(笑)
ありがとう


>>しかし、この世界を創造してくれた神々には感謝ですね。
>・・・?わかりません。感謝の対象として創造神がでてくるの?

ありがとう。
もちろん私が感謝しているわけではなく一般論的に書いただけです。
私にはそもそも世界も存在していませんからね、ご存知の通り。

例えて言えば
悟る前の私が言えたこと、かな


>・・・特にないです。一瞥後の苦しみをなんとかカバーして、わりと幸せだっただけですが、
>直前に 自分のものではないとわかる 悲しみの感情に支配されて、自分は悲しくないけど、涙がでて結構泣きました。
>悲しい感情と私は 別でした?(笑)

>その後、涙を拭いて ご飯たべようと思ったトキのことです。w

そうなんですね。
そこは私と違いますね。

そっかぁ、、、。なるほどです。



>>私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
>>探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。

瞬時、ですよね。
私もそうでした。

なるほど、なるほどです。


>・・・そう、何も起きていないことが わかる自分がいました。どこで起きているかが わかる自分がいました。

これがわかるなら先があります。


>「静寂」とか「無」とか「何も起きていない」って 使っている人の出所(体感)がわかったと思います。それだけかな。

うん、うん。

そういう世界はあるんだな、みたいな?

どうもありがとう。

20ラピ。:2018/07/11(水) 19:02:50
>・・・そうですね、一瞥と同様にそのイメージは 今も残っています。
>だから そうした言葉を使っている人達の意図みたいなことは 読み解けます。

悟っていない人の言葉だから
悟ってない人が共感できる内容になるんです。

>・・・ですが、らぴ。さんの言葉は さっぱりわかりません、私に体感がないからです。

それが正解です。
ありがとう

今まで私の言葉をどれだけのことが誤解してきたか(笑)

さっぱりわからない、本当ならそうであるはずです。


>・・ええと、一瞥では、根源と自我は別個として 認識しました。自我以前、自我以後、生前、死後が根源であると。
>今も そうである。・・・この認識があの場面で起きました。それが わかったので、見抜くって言葉になってます。

なるほどです。

ではその一瞥はさとりの断片でもなく
神秘体験です。

すっかり忘れたほうが良いと思います。

さとりとは関係ない体験です、残念ですが。

私の神秘体験も
さとりの断片ではなく、ある意味素晴らしい体験でしたが
それは自我があるからこそ素晴らしいと感じるのであって。
さとれば、例えて言えば
素晴らしい体験すらも必要ないのです。

変な表現ですけど(笑)

21ラピ。:2018/07/11(水) 19:12:14
>一瞥のきっかけ?私は知っているかもしれない?経験した闇?そうなったのは何故か?苦集滅道の意味は?
>・・・???ここから 導き出される ことって・・・もしかしたら、私が 数年?行い続けて、一瞥の後に否定した
精神の行為???
>でも、それだと きれいに説明がつきます。

その精神の行為でしょう。

ちなみに苦集滅道wさんの経験は
さとりに近いものと、そうでないものがあります。

今までのやり取りで何となくわかりましたか?

そうでないものはさっぱり忘れてください。
そしてそうであるものも、、、、さっぱり忘れてください


>結局、中途半端で その「道」って行いきれてないです。

ほら!道がありましたね。

途中まで行ってその経験をしているのなら
そこがヒントです。


>うん、今 結構苦しんでる最中です。
>そうなっているのは、何故か?・・・ここですね。たぶん、いや、きっとね。

その苦しみ、代わってあげたいです。
いくらでもその苦しみを私に投げてください。
ぜひ、私に。私が受け取ることなく受け取りますから、大丈夫です。

でもでも、最後は自分が頑張るしかありません。

でも危険な道かもしれません。

おすすめはできない。
でももう苦集滅道wさんは道の途中まで来てしまっている。

引き返す?
進み続ける?


>私に伝わったと思います。いえ、私だけでなく 読んでる人にも 伝わったと思います。。。

ありがとうございます。

22ラピ。:2018/07/11(水) 19:22:57
よく無事、もどってこれたなぁ・・・あの後、「虚無」に襲われて、寝たきりに近くなりました(爆)
面白い経験でしたね。どれほどの精神の苦痛を経験しようとも・・・「無傷」よね〜

無傷 、そうやね(笑)
人って思ったより強いよね。

寝たきりは大変でしたね。
>今日は昨日よりは体調もよくなっています。動けるからね
とのことでほんとよかった。

私の場合は、そこから帰って、普通になるのに必死でした。
(そもそも普通って何?状態でもありましたが)
私のやってきたことは自分の意志を精一杯使うものだったので
普通になるのにも精一杯頑張りました

※コメントのお返事できていないところがありました。
またお返事します

23苦集滅道w:2018/07/11(水) 21:03:31
ラピ。 :2018/07/11(水) 19:12:14・・・のらぴ。さんへ・・・

いや、大げさよね(笑)でも 有難いですよ。

うん、絶対に大丈夫(受け売りw)。何も危険など ありはしません。

むしろ・・・心地よく この道を生きます。

色々と ご指示・ご示唆頂きまして ありがとうございます。

コメント的には これで良いかと思いますw

※裏で二人で 笑ってますよねw

24ラピ。:2018/07/11(水) 21:08:45
>・・・うん、そうです。とても素晴らしい境地に達してられる、どんなに素晴らしい世界観と心情が展開されてらっしゃるのでしょう・・・みたいな、
>期待感満載です。・・・そうですね、勝手に神様みたいに持ち上げていきますね(笑)

(笑)

しかし、私のことはそうとは思わないでしょう?
私は普通ですから(笑)

>・・・ああ〜、そこ解ります。本当に感じているから 本当だと思います。これ以外に本当はない。
>・・・それが、はずれだとは、思い難いです。何か体験がないと、本当に対しての「嘘」の感覚というか、
>疑念っていうのは出てこないと思う。

そうですね、そうなんですが
はずれなんですよね、それについては。


>・・・起こったというよりも 体験したですね。自己体験を否定はできないので、起きたと言えば起きたことです。

なるほど、わかりました。


>自我の意識って 違う意識と区別して使ってます。違う意識って 根源だけど、意識として扱っていいかは わからないです。

「 」=根源という定義で使われていますか?

答えだけを言ってしまえば
「 」は意識ではありません。


>自我と自我の意識は同じです。で、根源と区別するのは、通常は自我の意識が全面・全体を支配しているので、
>根源のままというのは、考えられないからです。・・・という意見を持ってます(笑)悟りを根源の意識?として使うなら、
>その状態で生きることは、私の中では あり得ない。だから さとりって、ない・・・(はずwww)

なるほど。
さとりは根源の「意識」ではありませんが
言っていることはわかります。


>別に 否定しようと 望もうとも そのトキがくることに 変わりはないでしょう?死んでからかもしれませんが(笑)

いいえ、来ないかもしれません。
だからまた、何度も生まれ変わるんです。

例えて言えば、何度生まれ変わって来たでしょうか。

しかしついに私はもう生まれ変わりません。
今世が最後です。
カルマは終了です。


>二度目の体験と称しているところで、少し 動きました。
>もしかしたら勘違いかもしれないって 思いました。

くわしく教えていただいてもいいですか?
気が向いたらでいいです。


この掲示板でのやり取りは大切ではありません。
苦集滅道wさんの日々が最も大切です。

だから気が向いた時で書き込みはいいですからね。
私はどんな時も応援しています。


ちなみに 苦集滅道とは
苦をめちゃくちゃ集めて消滅させる、という意味です。

私の実践に近いものがあるので
苦集滅道という言葉を初めて聞いた時、
実は、そういうことかと少ししてからわかりました。

それで悟ったようなものですから
苦集滅道 はさとりの道を表しています。
(この言葉を初めに言った人、すごい!)

苦集滅道さんのやっていた精神の行為と
苦集滅道wさんの共通点はありますか?

またお時間あったときでもいいし、
お答えしなくてもよいです。

すべてが苦集滅道さんの道の力になれますように。

25苦集滅道w:2018/07/12(木) 08:08:45
>だからまた、何度も生まれ変わるんです。
>例えて言えば、何度生まれ変わって来たでしょうか。
>しかしついに私はもう生まれ変わりません。
>今世が最後です。
>カルマは終了です。
・・・輪廻からの解脱と理解しますが・・・知識情報でしかないです。
両者ともに、確認?自覚?解明?実際?真理?と、わかる人っているんですね。
私には 両者ともに真偽はわかりません。信じる信じないも しません(笑)

>この掲示板でのやり取りは大切ではありません。
>苦集滅道wさんの日々が最も大切です。
・・・うん、そうですね。百万の言葉を連ねても、苦労自慢を書いても、決意表明を書いても、
精神世界の用語を知的な理解で解説してみても、誰かの心境を憶測しても・・・聞いてみても、
私の思考?は、自己満足はするかもしれないけど・・・祭りの後は、また 一人の世界です。
そこには 私しかいませんね。他者へのオファーもコミュニュケーションも イットキの出来事で、
いつも 終わり続けていきますね。
今までの ここでの会話を終わらせます。とても 面白かったです(笑)

私の中では 悟り系精神世界観の知識や情報に左右されてきた自分との 決別の場となり、
この機会を与えられたことに 感謝しております。

真実は 普段の生活・日常の中に見出だして生きます。
その中で 何か問題があれば、また 質問させて頂きます。

ここは、消されても、置かれても 管理者にお任せします。

26ラピ。:2018/07/12(木) 12:55:27
苦集滅道wさん

こちらこそ、いろいろありがとう

>真実は 普段の生活・日常の中に見出だして生きます。

はい!そうですね。
まずは生きることが大切です。

>・・・輪廻からの解脱と理解しますが・・・知識情報でしかないです。
>ともに、確認?自覚?解明?実際?真理?と、わかる人っているんですね。
>私には 両者ともに真偽はわかりません。信じる信じないも しません(笑)

もう生まれてくる理由がないので、その通りです。

苦集滅道wさんのその姿勢は大切だと思います。
つい私も書き込んでしまいましたが
不必要などうでもいい情報でした。

いつか分かるときが来るかもしれません。
でもそれはそうであればやってくるので
今は今を生きること、どうぞ大切になさってください。

この掲示板は置いておきますね。
誰かの道のヒントになるかもなので。

いつまでも応援しています。
どうもありがとうございます!!

27苦集滅道w:2018/07/12(木) 13:11:58
>不必要な・・・
あ 聞きそびれたな(笑)実は 今朝から、輪廻と解脱・・・けっこう気になってます。
・・・そうですね。聞いても真偽はわかりませんからね、我が身でわからないとね。
もう、生まれてくる理由がないってことは、生まれてくる理由があって 私達は生まれてきているのですか?
生まれる理由って なんですか?(結局、聞いてみるwww)何故、生まれていますか?(まさか、生まれてないし死ぬこともないとかって、よく聞くものではないですよね?)
もう 生まれない・・・って、何故自覚されたのですか?今 生きてるから、不自然な気がしますが(って、深く聞いてもみるwww)

28名無しさん:2018/07/12(木) 20:35:54
>あ 聞きそびれたな(笑)実は 今朝から、輪廻と解脱・・・けっこう気になってます。
そうなのね

>・・・そうですね。聞いても真偽はわかりませんからね、我が身でわからないとね。
そうですね

>もう、生まれてくる理由がないってことは、生まれてくる理由があって 私達は生まれてきているのですか?
なるほど

うんと、
生まれてくる理由がない、それだけです。
理由がない、理由がある、の理由がないではなく、単に理由がない、それです。

自我(対象)が消滅していますから体がなければこの世界に存在できません。

だから体が死んでしまったら
本当に消滅でしょう。

こうやって苦集滅道wさんとの対話も悟る前の名残である体がなければ不可能です。

本当に消滅してしまったらどうやってまた生まれることができるでしょうか。
(生まれる元がない)

もう、対象もないためそして私の存在には理由がないため、生まれることができません。
生まれようがない。

しかし、普通、人には理由が必要だったりします。

だから、生まれてくる理由が必要であり、知りたいのですね?

人は生まれる「もの・元」があるから生まれるのです。


>生まれる理由って なんですか?(結局、聞いてみるwww)
>何故、生まれていますか?(まさか、生まれてないし死ぬこともないとかって、よく聞くものではないですよね?)

そもそもなぜそのような質問が出るのでしょうか?
なぜ知りたいのですか?

それは自我(願望)があるからです。

悟った人からしたら答えは「生まれる理由はない」です。

人はなんでも意味をつけたがる。
それが人が生まれる理由のひとつでしょう。
なぜ?と問えば答えがある。
なぜ?が発生すれば、答えも発生しているんです。

なぜ生まれるのか?
この問いが発生すれば例えて言えばその答えを得るために出来事が起こるのです。

言い換えればその問いが生まれる限り(自我がある限り)生まれ続ける、ということです。

ちなみにかつての私を思い出せば
人とはどういうことかを学び(「なぜ?なぜ?」が多い人でした(笑)
しかしもう十分学んだから卒業、という感じですかね。

もう問いが発生しないのです。


>もう 生まれない・・・って、何故自覚されたのですか?
>今 生きてるから、不自然な気がしますが(って、深く聞いてもみるwww)

自覚したのではありません。そうだから、です。
(自覚しようがないんです)

悟る前の名残である体があるからこうやって例えていえば生きています。(笑)
しかし自我はもう生まれも死にもしない状態です。

悟った人は何もしていません。
何の理由もありません。
ただただそうであるのみです。

もう発生したり、消滅したりするものがないのです。
ただ名残があるだけ。
私に理由がありません。

苦集滅道w さん、この表現しがたい状態、そうなればわかります。
その時に問いが解決する、というよりは問いそのものが消滅するのです。

この状態は想像できないと思います。
そして「問いそのものが消滅するって、どういうこと?」と問いが発生しますよね。
例えて言えば問いが消滅していない状態だからそのものになれず問いが発生する。
問う=疑いがある、疑問がある、ということですからね。

ちなみに今、生きていく上で
苦集滅道w さんに生まれた理由が必要ですか?

29ラピ。:2018/07/12(木) 20:41:21
↑投稿者はラピです

30苦集滅道w:2018/07/12(木) 21:07:34
うわぁ〜〜〜、予想外の展開ですが、わからないなりにも そうなんだぁ〜って思います。
想像できないなりにも、ああ〜って 納得がいきます。。。
この手の質問には 肩透かしっていうか のらりくらりの回答が多いイメージがありますが、
あなたの回答は「がち」だと 信じることができます。

ありがとうございます。体裁でなく本心です。で、その感覚って 生意気かもしれませんが、受け入れられます。
>生まれた理由が必要ですか?・・・いえ。気がついたら生きていたので、理由も何もなく、今が「がち」です(笑)
この現実に中で、生きる以外にはありません。

理屈っぽい質問でしたが、あなたのお応えは大いに 役立ちました。
聞いてみて、良かったです。
らぴ。さん 楽できたね(笑)

31苦集滅道w:2018/07/12(木) 21:09:14
>投稿者はらぴ。です。

ちゃんちゃんwww

32苦集滅道w:2018/07/12(木) 21:24:17
>その問いが生まれる限り(自我がある限り)生まれ続ける
・・・いえ、「 」に問いも疑問も何もないです。それは、共通の認識かと思います。

死後の「 」が、肉体に宿りますか?私は その場に在って「 」に、留まる。自信があります(笑)
・・・って、くいついてみる。どう 答えますか???

33ラピ。:2018/07/12(木) 22:10:14
>>その問いが生まれる限り(自我がある限り)生まれ続ける
>・・・いえ、「 」に問いも疑問も何もないです。それは、共通の認識かと思います。

そう意味ではありません。

「 」に問いも疑問もないというのは
「 」に対して問いも疑問もない、という意味ですよね?

そもそも問いも疑問もない というのと
「 」に問いも疑問がない

この違い、わかりますか?



>死後の「 」が、肉体に宿りますか?私は その場に在って「 」に、留まる。自信があります(笑)
>・・・って、くいついてみる。どう 答えますか???

死後の「 」ってなんですか??
(多分「 」についての定義がそれぞれ違っています。
私と同じであれば 死後の「 」 という表現はへんてこりんんすぎてできません)

>私は その場に在って「 」に、留まる

「 」は留まる対象ではないのですが?

その自信があるのならぜひ、そうしてみてください。
なぜそうしたいかはわかりませんが。

34ラピ。:2018/07/13(金) 07:50:59
そう意味ではありません。→そういう意味ではありません

そもそも問いも疑問もない というのと
「 」に問いも疑問がない

→そもそも問いも疑問もない というのと
「 」に問いも疑問もない

の間違いです(;・∀・)

35苦集滅道w:2018/07/13(金) 08:15:56
>「 」に対して問いも疑問もない、という意味ですよね?

・・・「 」の内に在っては、問いも疑問もないです。今は「 」の内には いませんので、問いも疑問も持ちます。
そのことも 理解・認識しているので、「 」の内 そのものに至ることが、私には悟りと思えます。

今、自我であること。四苦八苦しながら 生きていることに、抵抗はなく、受け入れているのは、「 」が、自我のない、
というか もともとの私であることを 思い出しているので、安心して 自我を経験しているのです。

無傷であり、直接の自分は 真理そのものであり、地上での思考感情、苦悩・迷い・欲望といったものは、
経験として過ぎ去っていきますし、また 過ぎ去ることがわかっています。
らぴ。さんは 「 」のままに、今に在るのかと推察していますが、
私は 自我の経験・観察・独立した意識(意志)を、味わっているところです。

「 」は、「 」であることを知っています。そこから 人の意識が経験されている場面が 私の意志と生涯の全体です。
これが 終われば、「 」であることに 在り続けます。

悟った人と 悟っていない人の違いは、自我の経験だと思います。根本根底には 違いはないです。誰もが。
ただ、生きて「 」という根本を知るか 知らないかで、違っているようには観えます。
ここまでのことで、おわるか 「 」のままに生きるかは、選べない気がします。
自我を拡大・拡張する行為では そうはならないと思うし、為す術はないかと思います。

今日は 比較的 平静な精神が戻ってきています。あなたの 言うことにYESということは簡単ですが、自己主張してみました(笑)

問いも疑問もない、は 問いも疑問もない場所(心の内)が、「 」ということでなく、
問いも疑問も持つ 自我の意識に対しては、そこは 自我の疑問も問いかけも迷いもない場所だと言えます。
「 」に自我はない。その「 」が自我を経験するのは、自我の全体を創造しているから、自我からは「 」は観えない。
その「 」を表現するには、自我にあるものを 否定しつづけないと書けないです。

疑問も 問いも 謎も 苦しみも 生き辛さも 概念も 個性(私)が創造される 以前には、何も 無いです。
何も無いことを説明するには、今 持ちうるもの全体を消去していくしかないですね。
意識の全体が 創造物・経験であることを知ることは 最初の「山場」です。
これが 多くの人には まず 伝わらない。
伝わらないと 思っていることを伝えようとすることもないと、今は思ってます。
以前は ブログで挑戦していましたが、諦めました。

らぴ。さんが 私に書いてくれることも、同じように 今の私には 伝わらない次元の性質かもしれませんし、
もしかしたら すでに伝わっている性質のものかもしれません(笑)

脱線したことを 書いちゃいましたが、このままにします。

わからないことだらけです。ただ、わからない・・・が 何故起きてくるか、思えるのか・・・は、わかります。
疑問や問いは、自我の拡張しようとする好奇心みたいなものだと思います。

「 」は 一切のはじまりにありますので、疑問も問題意識も 持ちようがありませんね(笑)

36苦集滅道w:2018/07/13(金) 14:25:56
自我がない・・・っていう人の言葉を 見つけました。

わかんないけど、そういうものか〜って、思いましたので、その部分を転載してみます(問題があれば 削除して下さい)


>なぜすべての自我が死んだと言い切るかと言うと、それから数ヶ月をかけて、この体を通し、この体が歩んだ人生がどんな風だったかを努めて思い出し、

>更には初めはすべての認識が持てなかったので、ひとつひとつの名称から覚えた。例えばコップをコップと見ることができなかった。家族を、家族として認識することができなかった。

>言葉を知らない赤子同然だった。

>その体を、この世に存続させたのは、お釈迦様の話しで言うところの梵天だった。

>個人的な意識はなくとも、梵天の、宇宙の叡智が体を生きた。

「ブログ永遠の無題」http://kuujigen.hatenablog.com/entry/2016/08/12/063720 よりの引用ここまで。

この言葉を発した人も、このブログを書いている人も、らぴ。さんも、自我がない・・・っていうのは、ホントなんだと思います。

なんか すごすぎて、私の次元には 出てこないかと思う(笑)

37ラピ。:2018/07/13(金) 23:18:04
「 」の内 という表現は(言いたいことはわかりますが)変ですね。

>そのことも 理解・認識しているので、「 」の内 そのものに至ることが、私には悟りと思えます。

内外は人の世界のものです。

>今、自我であること。四苦八苦しながら 生きていることに、抵抗はなく、受け入れているのは、「 」が、自我のない、
>というか もともとの私であることを 思い出しているので、安心して 自我を経験しているのです。

本当に安心して経験していますか?

>らぴ。さんは 「 」のままに、今に在るのかと推察していますが、

「 」そのものです
しかし、「 」のままに、今に在る とは表現しがたいです。

>「 」は、「 」であることを知っています。そこから 人の意識が経験されている場面が 私の意志と生涯の全体です。
これが 終われば、「 」であることに 在り続けます。

この表現は面白いですね。
「 」は、「 」であることを知っています、とは誰が知っているのでしょうか? 苦集滅道w さん??
私の今の状態である「 」だったら、「 」であることに 在り続けます。なんて表現はしません。
在るも続けるもないのです。

>悟った人と 悟っていない人の違いは、自我の経験だと思います。根本根底には 違いはないです。誰もが。

悟ればそもそも経験しないんです。根本根底が違うのです。
(そういう意味ではないかな??)

>ただ、生きて「 」という根本を知るか 知らないかで、違っているようには観えます。

「 」は知るものではないので「 」であれば知ることはありません。

>ここまでのことで、おわるか 「 」のままに生きるかは、選べない気がします。
>自我を拡大・拡張する行為では そうはならないと思うし、為す術はないかと思います。

本当にそうですか?

>今日は 比較的 平静な精神が戻ってきています。あなたの 言うことにYESということは簡単ですが、自己主張してみました(笑)

はい
いいのですが、その自己主張は私からしたら「??」が多いです。

>問いも疑問もない、は 問いも疑問もない場所(心の内)が、「 」ということでなく、
>問いも疑問も持つ 自我の意識に対しては、そこは 自我の疑問も問いかけも迷いもない場所だと言えます。

そうではないのですがそう思うのは自由です、、。というしかないのかな、、、。

>その「 」が自我を経験するのは、自我の全体を創造しているから、自我からは「 」は観えない。

「 」 であったら自我を経験しようがありません、ないから。

>その「 」を表現するには、自我にあるものを 否定しつづけないと書けないです。

そうでしょうか。
苦集滅道wさんの言われている「 」は自我の延長上にあるもので悟りではないのではないでしょうか。

>疑問も 問いも 謎も 苦しみも 生き辛さも 概念も 個性(私)が創造される 以前には、何も 無いです。

知らないのにそう断言するのですね??

>何も無いことを説明するには、今 持ちうるもの全体を消去していくしかないですね。

それはそうなのですが、全体を消去しようとしても通常できません。
なぜなら、その消去しようとすること自体が自我だからです。

>意識の全体が 創造物・経験であることを知ることは 最初の「山場」です。
>これが 多くの人には まず 伝わらない。

意識の全体、ってなんですか?
「 」は意識じゃありませんが、「 」のことではないですよね?

>わからないことだらけです。ただ、わからない・・・が 何故起きてくるか、思えるのか・・・は、わかります。
>疑問や問いは、自我の拡張しようとする好奇心みたいなものだと思います。

そうでしょうね。
わからないことだらけ、でいいと思います。それが正解です。「 」はわかる「もの」ではないのです。

>「 」は 一切のはじまりにありますので、疑問も問題意識も 持ちようがありませんね(笑)

なぜそう断言するのですか?
「 」は 一切のはじまり ではありません。
「 」って今の私の状態、悟りでよかったですかね?

今回の内容は言い切っている内容が多いですがほとんど間違っているとしたらどうしますか?

(厳しい言い方になってしまいましたか?ごめんね)

38<削除>:<削除>
<削除>

39苦集滅道w:2018/07/14(土) 07:37:24
>内外は人の世界のものです。・・・うん。そうですね、そうらしいですね。
>「 」は知るものではないので「 」であれば知ることはありません。
・・・同上。
>本当にそうですか?
・・・いやwなんか言い訳じみてる。努力しないことの正当化みたいにね。
>その自己主張は私からしたら「??」が多いです。
・・・うん、途中経過はあってるかと思いましたが、そこも違ってるみたいですね。
>知らないのにそう断言するのですね??
・・・経験知で、そうだったから そう 思っています。断言できます(笑)ここ、引きさがると、私の中では何が何やら訳わからなくなりますので、変えないです。
>その消去しようとすること自体が自我だからです。
・・・うん、ここはわかりますよ。全体?にある人(肉体)には、そう思えるのだと思う。
でも 説明には、有効かと思いました。
>意識の全体、ってなんですか?・・・うん、「全体」に対しての「部分」が自我の意。
「 」を意識ではないと定義すると、意識は自我だけのものですが、それでも「部分」として、自分の一部として私は認識していて、全体っていうのは、全部って思う。
自我は 今の自分を生きています。でも、経験の一部だと思います。その経験の一部が自分そのものであるかと言えば、経験する以前に私は在る。と、認識しています。
>今回の内容は言い切っている内容が多いですがほとんど間違っているとしたらどうしますか?
・・・これは、簡単。ある意味では 自分の「支え(思い込み・信念・結論・プライド・達成感・実力?)」を全部なくすことになりますが、
そんなことがあっても 私は「無傷」なので、私個人の考え方とか 持ち物とかが全否定されても、何も 思わないし、感情も微動だにしない自信があります。
借り物は 借り物で、生きる為に使っているだけです。
そうは 言っても「思考」はその判断・認識を変えざるをえないでしょう。
全く、心から わからない・・・って、思うでしょう。それは それで いいと思う。

うん、ここでは 今の私の認識・理解が 通じるか否かを求めました。聞いてみました。
なんか ほとんど全滅みたいなので、根底から 考え違いがあるようですね(笑)
今までの変な観点を持って 今後生きなくてもいいのですから、楽になりましたよ。
それだけでも 貴重です。ありがとう ございます。

うん、「空手」で 生きてみます。

40苦集滅道w:2018/07/14(土) 07:47:16
余談です(笑)

>この方には自我があります。
>申し訳ないけど、よくある内容のブログです。
・・・うわぁ〜、・・・ ・・・ レベル高いと思いますが、私には 何も見えていなかったのかもしれませんね。

私が読みましたので、2018/07/13(金) 23:20:10は 消去されていいですよ。

41ラピ。:2018/07/14(土) 09:27:59
>「 」を意識ではないと定義すると、意識は自我だけのものですが、それでも「部分」として、自分の一部として私は認識していて、全体っていうのは、全部って思う。

意識は自我だけのものです。正解です。
ここは表現しがたいのだけど
>「部分」として、自分の一部として私は認識していて、全体っていうのは、全部って思う
そしてこれらは全〜部自我なのです。


>自我は 今の自分を生きています。でも、経験の一部だと思います。その経験の一部が自分そのものであるかと言えば、経験する以前に私は在る。と、認識しています。

これは巷ではよく言われていることですね
>経験する以前に私は在る
なんかそういうのあったなぁ、、、と懐かしく思います。


>・・・これは、簡単。ある意味では 自分の「支え(思い込み・信念・結論・プライド・達成感・実力?)」を全部なくすことになりますが、
>そんなことがあっても 私は「無傷」なので、私個人の考え方とか 持ち物とかが全否定されても、何も 思わないし、感情も微動だにしない自信があります。
借り物は 借り物で、生きる為に使っているだけです。

なるほど。
なかなか強いですね。
今までの経験が役に立っているのでしょう。

これからの道、今までの経験が役に立つ時とそうでない時があります。
それがわかるセンスが 苦集滅道w さんにあることを信じています。


>そうは 言っても「思考」はその判断・認識を変えざるをえないでしょう。
>全く、心から わからない・・・って、思うでしょう。それは それで いいと思う。

「 」に関してはワカラナイ、その言葉が本物です。例えて言えば。


>うん、ここでは 今の私の認識・理解が 通じるか否かを求めました。聞いてみました。
>なんか ほとんど全滅みたいなので、根底から 考え違いがあるようですね(笑)

そもそも「考え」ではないですからね
しかし、今はしっかり考えて、納得するまで考えることも必要かもしれません。
それが生きるということですもんね。

しっかり生きること、素晴らしいです。

たださとりに関しての記述について、違っていたら言わせてもらいます(笑)

人としてこの世界に生きることについては
苦集滅道w さんの言っていることは正解です。
苦集滅道w さんの経験ですからね。

「 」に関してはほぼ違っています。


>今までの変な観点を持って 今後生きなくてもいいのですから、楽になりましたよ。
>それだけでも 貴重です。ありがとう ございます。

そう感じることができるのは素晴らしいですね。
やはり、今までの積み重ねは無駄ではかなったですね。

そう、いらぬものは荷物になるだけで
持っていても邪魔になるだけなのです。


>うん、「空手」で 生きてみます。

うん、うん。
どうぞ、生きてください。

どうもありがとう!

42苦集滅道w:2018/07/14(土) 09:58:52
そういえば、これは言葉上のことですが、自我があるとかないとか、消失したとか・・・って書き方は、わかりにくいです(汗)
私が 話している相手は・・・誰?って 考えちゃいます(笑)

も少し、違った観点での書き方って ないものでしょうか?

43ラピ。:2018/07/14(土) 10:38:25
なるほど。

う〜ん
苦集滅道wさんにはラピ。がいますが
わたしはそうでないのですね。

しかし、体があるから苦集滅道wさんが例えて言えばわかります

でももし体がなければ(悟り前の名残がなければ)
苦集滅道wさん (私には)はいないのです、例えて言えばです

だからギリギリラインです、ある意味(笑)

自我は消滅
だから対象もない
よって私もあなたもいない

けどこうやって対話できるのは
この人の世のものである体があるからです。

体は人の世のものなので
人の世のものの法則に従っています。
だから変化し続ける

しかし、例えて言えばラピ。はいないのです。

そもそもラピ。とか私という言葉も正しくはないのですが
掲示板ではそれでは話にならないため
例えで私といっています。

対象のある方への言葉を
対象を用いて表現しています
私にはないのですがね。

悟る前の名残があるからそれくらいはわかります

しかし、ギリギリです

うまく伝えられてないかもです(;・∀・)

違った観点かぁ、、、。
そもそもないものを表現しようとしているのですが
ワンパターンかな(笑)

まぁ、工夫してみます、そのうち(笑)

44苦集滅道w:2018/07/14(土) 12:09:45
>そもそもないものを表現しようとしている・・・のが、私達からは 在ると観えるから、
在るものを 無いと表現しているように思えます(笑)

「  」の説明っていうか、書き方っていうのは、理解できるものです。
でも、実際に今もこれからも 「  」であると、他者に語るトキに、すでに「  」ではないのでは?
っていう疑問が、私達には ぬぐえないのです。

解脱したよ・・・って書かれると、一般人全員が解脱したら 生まれてくる人はいなくなるんじゃないか?とか、それが目的ではなくて、自我の喜怒哀楽や独立した個人意識が体験されることの それ自体が、
この世界の仕組み(意図)に そもそもあるのではないか?って 思います。
それが 一般人の思考回路です(えっへんw自慢にはなりませんがねw)

工夫、期待します。よろしく お願いします。

45ラピ。:2018/07/14(土) 13:33:46
>私達からは 在ると観えるから、
>在るものを 無いと表現しているように思えます(笑)

わかりますけど(笑)
こればかりは証明しようがありませんが
まぁ、苦悩から解放されていますし、
苦悩の原因もわかっています。
こればかりはどうしようもない。

そもそも在るものを 無いと表現するメリットがわかりません
そんなに暇じゃありませんよ(笑)

私の場合、苦悩から解放されたので
少しでも誰かのお役に立てるよう、
また、こういう状態があるんだよ、と言えるから
こうやって表現しています。

自我がないということを表現するのが一番の目的ではないです。
どうでもいい。

ただ、苦悩の原因が自我ですから
自我がない、という表現になってしまうのですね。


>解脱したよ・・・って書かれると、一般人全員が解脱したら 生まれてくる人はいなくなるんじゃないか?とか、
>それが目的ではなくて、自我の喜怒哀楽や独立した個人意識が体験されることの それ自体が、
>この世界の仕組み(意図)に そもそもあるのではないか?って 思います。
>それが 一般人の思考回路です(えっへんw自慢にはなりませんがねw)

えっへん!って
なんだか可愛いですね(笑)

こういった心配も自我の動きです。

苦の原因=自我が消滅したらそんな心配消えます。
心配が消える、というよりは問題そのものが消えることによって
心配が起こりようがない、という感じかな?

これは想像できないと思います。
私は悟る前は想像が全くできなかったし
そもそもそんなこと想像すらなかった。

>工夫、期待します。よろしく お願いします。

期待することなく期待しててね(笑)
、、、いつになることやら

楽ちんだから昔の人の言葉を使ってるよ
そっちのほうが伝わりやすい、共通語になっているから、ある意味。

釈迦はすごいわぁ。

46苦集滅道w:2018/07/14(土) 13:47:33
それはね、想像ができるというよりも、そのものであります。

もし、そこのことが おとしどころだとすれば、それで いいなら、私は終わっていることになります。
やはり この先には何も無かったのだと。。。

47苦集滅道w:2018/07/14(土) 19:14:21
そういえば、お互いが 自我という言葉を使っています。同様に精神世界観のブログなんかでも 普通に「自我」って使われています。

自我ってどんな中身を指して 使っていますか?

私は、大まかに言えば、個人の意志や意識。こちらと他人を区別している 自分の全体像の総称です。
個の肉体を操る者の意識。個の肉体に責任を持つ「主」。
成り立ちは、この世界を経験していく中での反応と感想と意見。

48ラピ。:2018/07/14(土) 19:57:11
>もし、そこのことが おとしどころだとすれば、それで いいなら、私は終わっていることになります。
>やはり この先には何も無かったのだと。。。

無かったと知りましたか?
それは自我がある状態での体験なのでそうなるのでしょう。

さらに想像できないその先があって、
さとればこの先に何も無かったことを知ることもないんです。
例えですけどね。

49ラピ。:2018/07/14(土) 20:29:19
>そういえば、お互いが 自我という言葉を使っています。同様に精神世界観のブログなんかでも 普通に「自我」って使われています。
>自我ってどんな中身を指して 使っていますか?

その質問が面白いです。
中身って???

>私は、大まかに言えば、個人の意志や意識。こちらと他人を区別している 自分の全体像の総称です。
>個の肉体を操る者の意識。個の肉体に責任を持つ「主」。
>成り立ちは、この世界を経験していく中での反応と感想と意見。

なるほど。
苦集滅道wさんがそうやって自我の定義をしている、
その定義をしているのが自我です。

自我が、自我について知ろうとしても
自我が知ろうとしているので正しく知ることはできません。
なぜならその知ろうとしているのが自我だからです。

そうだなぁ。自我を別の言い方をすると、
意識、意図、意志

人は理由や目的が行動には必要ですよね?
さぁ行動しよう!という意志が必要ですよね。
嫌々行動する、、、という、嫌々も同じ。
行動には必ず何かが付随していますよね?普通。
自我がなければ理由、目的、意志は必要なく動けます。
行動に付随するものがない。
(理由、目的、意志、これらがないです)

例えて言えばそんな感じ。

苦集滅道wさんがこれらの言葉を聞くと、何とも言えない感じがしますか?

私からしたらすべてがオートマチックでらくちんです。

抵抗、苦悩それらもない
ない、ない、ないです。

自我とは何か?と人から問われたら
そう問うているのが自我です。

他、いろいろ表現できます。
人の行動の大元、ともいえるかな。

人が自我だと思っているさらに自我があります。
(思うことも自我だから)

50苦集滅道w:2018/07/14(土) 21:04:29
>例えて言えばそんな感じ。
・・・ごめんなさい。例えであろうとなかろうと、YESなんです。
あなたにとっては 意外かもしれませんが、そんなことは YESでしかないのです。

伝えるには 言葉が必要で、言葉には 込めた理解が個々によってちがっています。
そこを まず 明らかにしないと、読み手の理解を慮る(想像する思いやり、相手の心情に立てること)ことができませんよね。
自我・・・なんて思ったことも考えたこともない。。。それが、読み手の多くです。

簡単に使う「自我」・・・これによって、私達の指し示す「中身」「内容」を明確にしないと、読み手は「エゴ」とか分離した意識とかって、間違った認識を持ち続けることになるでしょう。
自我・・・という認識は、自我以外(真理)の認識があって成り立ちます。あなたのすきな「対象」ってやつです。
自我の内容を克明にすることは 自我以外の真実を浮き彫りにする可能性があります。
自我ってこういうものです。その説明が完璧になされたトキ、人は 私ってそれだけじゃないよね?
っていう疑問が生まれます。そう、それが「  」の真実ですよね。

51苦集滅道w:2018/07/14(土) 21:21:13
読み手の方の参考になることを書いておきます。

結局は「 」を解った人は それまでの自己経験の辛さとか苦しさとかから簡単なことを知るのは、難しい(つまり自分は労苦を通してわかり得た)という、自負みたいな、特別な意識が働きますので、
他の人が知ることはないと、決めつけます。そんなことはありません。知ったヒトは知ったままです。難しいのは知らない人に伝えることであって、知ったヒトとの対決ではありません。
色々と書いてきましたが、最後まで私が認められることはありませんでした。そこには、個人の思い込みがあります。もし「  」に在るのであれば、私のことは 簡単に理解されます。

同じである。とね(笑)

52ラピ。:2018/07/15(日) 07:19:45
苦集滅道wさん、それは知ることではないですよ。

私は「 」を知ることはありません。

〜を知る状態は、知る自分と「 」に分離があるのです。

かつて経験したことは理解しております。
でも「 」を経験することと「 」であることは全く別物です。

「 」を経験したこともなかなかのものですが
「 」を経験することと「 」そのものになるのには大きな違いがあります。

私は「 」を知りません。「 」そのものだからです。

「 」を知ることによって苦から解放されたのであれば
それでもいいのかな、と思います。

そしてそうであれば私に問う必要はありません。
どうぞ幸せに生きてください。

私は誰にも問う必要がない。
「 」そのものだからです。

完結しております。

かつての私と苦集滅道wさんは同じです、ええ同じです。

苦集滅道wさんが「知っている」のであれば
私にもう聞くことはないと思います。

それでいいじゃないですか。

もし、「まてよ?どうなんだろう?」
と今、自分が知っている状態に疑問を持った時
新しい扉が開かれるでしょう。

私はそうでした。

それまでは扉は現れることもありません。

53日和る:2018/07/15(日) 08:37:44
ラピさんはじめまして、書き込みます。
仏道の渇愛って知ってますか。
渇愛=苦です。苦しみは「〜したい」から始まり自我です。
苦は滅してもまた新たに生まれるものです。

>「 」そのものだからです。
そのものは、なんでもいいのです。なにもしないのです。

苦しんでる方を手助けしたい、助けたい、お手伝いしたい。

ブログ、掲示板に書くも渇愛での行動です。

自身の頭脳で分析して文章を書く、自我です。

あなたは「自我」そのものです。

よかれと思うはとてもよいことですが、それも渇愛で自我なんです。

そこから認めて活動されたほうがよろしいかと思いました。

そう、知って自我をどう生きるかです。ね。

54苦集滅道w:2018/07/15(日) 10:32:46
ラピ。 :2018/07/15(日) 07:19:45 のらぴ。さんへ・・・

そうですね、自分の内面を言葉にするって、なかなか難しいです(笑)それは、お互いにそうでしょう。で、言葉から受けるイメージで、相手を理解したり、その器や人間性を推し計ろうとしますよね。
悲しいかな、私達には それしかできない。相手の内面は 相手自身は勿論よくわかっているのですが、誰かに そのままを伝えようとしても そのままって、言葉にした時点でどこにもないですよね。
だから、お互いが共通して 知っている、解っている、超えてきた理解や認識って、言葉で確認し合うことが・・・難儀ですね。両者共に、相手の言葉に自分なりのイメージ(想像)が付加されていますのでね(笑)

そんな めんどくさい規律の在る中で、ここまでの会話を通して、私は クリーンになれました。あなたのとこへ通い始めた自分は ひどく、鬱々として、澱んでいて、自分色に染まってました(自覚あり)
らぴ。さんが、この会話を通して どのような内面の変化があったかは わかりませんし、また なかったかもしれませんが、それも わかりません。
私は この場でのやり取りをする中で、前の自分よりも 少し 大きな自分になれたと自覚しています。この場を開示してくれて ありがとう。私には とても大きな変革の場となりました。

さて、大いなる感謝の中で、私説を 少し書かせて下さい。
自我の定義(意味合い・内容)を 私なりに推し進めてみました。

自我って、私の中の全部です。でも、それは 他の誰の内側にも無関係で直接知ることのない、私だけのものです。思考しかり、感情しかり、何かへの反応しかり、肉体感覚しかり、
・・・そう 全部私自身でしか体験・体感していない全部の事象(思考・感情・反応・感覚知など)です。

「  」っていうのは、この自分でしか わかり得ない、内面の動向(精神)の一切が、自分自身ではないことを わかる・自覚される空間と言えます(書き方の一例としてね)
ですが、そのトキにあっても、やはり 内面の一切の動向って自覚があります。さて、その自覚って自我でしょうか、そうではないでしょうか?

私とあなたとは、その自覚を自我とする私と その自覚は自我でないとする者同士の会話では なかったのでしょうか。
指し示そうとする「  」それ自体には 何も 違った意味合いを含ませてはいなかったのだと、
私は 理解しております。

つくづく、人間ってめんどくさいと思います(笑)

日和さんが 書いているのも こうした意味合いを理解されてのことではないでしょうか?

55ラピ。:2018/07/15(日) 21:23:16
日和る さん、初めまして

>仏道の渇愛って知ってますか。
知らないけど、わかる気はします、悟ってない場合ですね。

>>「 」そのものだからです。
>そのものは、なんでもいいのです。なにもしないのです。
ふむふむ。

>苦しんでる方を手助けしたい、助けたい、お手伝いしたい。
>ブログ、掲示板に書くも渇愛での行動です。
私の場合は違います。

>自身の頭脳で分析して文章を書く、自我です。
頭脳で分析して文章書いているように見えますか?

>あなたは「自我」そのものです。
いいえ

>よかれと思うはとてもよいことですが、それも渇愛で自我なんです。
違うんですよね

>そこから認めて活動されたほうがよろしいかと思いました。
>そう、知って自我をどう生きるかです。ね。
私は活動していませんが、活動しているように見えますか?

私には師匠がおりました。
師匠から根気強く否定され続け、かつての私は自分の道を見いだし、最後の道を歩き終えました。
(否定されることはありがたいことなんですよ、悟りの道では(笑)

悟ったときは自分の状態がさっぱりわからず(今もわかりませんが)でも師匠に報告して終わり、でした。(なんじゃこりゃ状態で今もある意味そうですが)

ブログは悟る前から書いていました。
しかし、悟った後は、更新がストップいたしました。
その後、報告としてブログに書き込んだ記憶があります。(記憶が定かではないです、どうやったかな、、、)

この状態の言語化練習などを師匠からある意味提案され、問題を出されたり(私の意志ではありません)
また、ある掲示板への書き込みを提案され、言語化を練習しなさいといわれました。(確かこんな感じだったかな)
またかつて、別の掲示板もあったんですが、これも師匠の提案です。
希少なものなのだから公開する必要があると言われました。

日和る さん の言われていることは解ります。
実際、そういう人もいるので。

かつての私を振り返ってみると、かつての私にとっては師匠の存在は大きかったです。
師匠のおかげで悟りのきっかけを得ましたので、かつての私のような人がいたら、、、と思うのはあります。
かといって、そういう人を探したりなんてもちろんありえません。

自我が消滅して苦から解放された。それだけなんです。

だから私はこの状態を説明する必要もありません。
その状態が私にとって、普通だから主張する必要もない。

っていうか、私、そもそもなんもしてないんです。
この掲示板に書き込みしているように見えます?何もしていないんです(笑)
何もすることなくできるんですね。

>そのものは、なんでもいいのです。なにもしないのです。

なんでもいいのです、ってどういうことでしょうか?
「なんでもいい」も超えていますよ。いいもいいでないもない。
何もしないというのは、何もしないもするもない。する、しない、のしないではないのはご存知ですよね?

対象のある方からしたら私はめちゃくちゃ何かを求めて何かを行動しているように見えますか?
何も求めず、(求めようがない)何も行動せず(何もしていない)なんですが人からしたら、行動しているように見えるだけです。

自我がある方であれば、苦しんでる方を手助けしたい、助けたい、お手伝いしたいからブログを書くんですかね。

そんなのなくても書くことなく、書けるんですよね。
それがどういう状態か、わからないと思います。

今、こうやって掲示板に書くことなく書いているのは悟る前の名残がありますし、それまでの経緯があります。

続ける理由もなく、しかしやめる理由もない。
(うまく表現できていませんが、まぁ 日和る さんの言われていることははずれです
言語化へたくそですみません(笑)

今すぐやめても 渇愛していませんので問題ないです。(笑)渇愛してると、それは苦ですよね、私にはないですが。

過去のブログをすべて消してしまってもこの掲示板をやめてもなんも変わりませんし、問題ありません。

56名無しさん:2018/07/15(日) 22:18:32
>そうですね、自分の内面を言葉にするって、なかなか難しいです(笑)それは、お互いにそうでしょう。
私に内面はないんですよね、、、。

>で、言葉から受けるイメージで、相手を理解したり、その器や人間性を推し計ろうとしますよね。
私の状態では使わないであろう言葉が出ると、「 」について語るならそうではない、と言います。

>悲しいかな、私達には それしかできない。相手の内面は 相手自身は勿論よくわかっているのですが、誰かに そのままを伝えようとしても そのままって、言葉にした時点でどこにもないですよね。
苦集滅道wさんに内面はあるんですよね?私はないのです。

>だから、お互いが共通して 知っている、解っている、超えてきた理解や認識って、言葉で確認し合うことが・・・
>難儀ですね。両者共に、相手の言葉に自分なりのイメージ(想像)が付加されていますのでね(笑)
申し訳ないけど、私は知ってもいないし、解ってもないです、例えて言えば、そして認識もないので
知っている、解っている、認識する、という言葉を使われると、私はその言葉には当てはまらないので否定してしまいます。

>そんな めんどくさい規律の在る中で、ここまでの会話を通して、私は クリーンになれました。あなたのとこへ通い始めた自分は ひどく、鬱々として、澱んでいて、自分色に染まってました(自覚あり)
よかったです

>らぴ。さんが、この会話を通して どのような内面の変化があったかは わかりませんし、また なかったかもしれませんが、それも わかりません。
はい、ないです、そもそも変化するものがないので

>私は この場でのやり取りをする中で、前の自分よりも 少し 大きな自分になれたと自覚しています。この場を開示してくれて ありがとう。私には とても大きな変革の場となりました。
よかったです。

>自我って、私の中の全部です。でも、それは 他の誰の内側にも無関係で直接知ることのない、私だけのものです。思考しかり、感情しかり、何かへの反応しかり、肉体感覚しかり、
>・・・そう 全部私自身でしか体験・体感していない全部の事象(思考・感情・反応・感覚知など)です。
はい

>「  」っていうのは、この自分でしか わかり得ない、内面の動向(精神)の一切が、自分自身ではないことを わかる・自覚される空間と言えます(書き方の一例としてね)
いいえ、「 」であればわかることもないし自覚もないです。

>ですが、そのトキにあっても、やはり 内面の一切の動向って自覚があります。さて、その自覚って自我でしょうか、そうではないでしょうか?
自我です。

>私とあなたとは、その自覚を自我とする私と その自覚は自我でないとする者同士の会話では なかったのでしょうか。
「自覚する」のは自我です。「 」であれば自覚はありえません、何を自覚するのでしょうか。

>指し示そうとする「  」それ自体には 何も 違った意味合いを含ませてはいなかったのだと、私は 理解しております。
そうなんですか、、、。

>つくづく、人間ってめんどくさいと思います(笑)
人間は幸せな存在ですよ、思っている以上に。

57ラピ。:2018/07/15(日) 22:20:54
↑ラピ。の書き込みです!(笑)

58日和る:2018/07/16(月) 00:09:31
ラピさん
問いの回答に、「私は」「私は」ってあります。
それが「自覚」です。

59日和る:2018/07/16(月) 01:16:15

>実際、そういう人もいるので。
実際、そういう人しか。。が、現在までの私の感想です。


>っていうか、私、そもそもなんもしてないんです。
この掲示板に書き込みしているように見えます?何もしていないんです(笑)
何もすることなくできるんですね。

>そんなのなくても書くことなく、書けるんですよね。
それがどういう状態か、わからないと思います。

自動手記、自動タイピングのようなことを指してるのですか。
自動運転のようなことを書かれてたかと思います。
そこに、自我が無い(意志、目的が無い)として、
からっぽの単なる肉体だけが書き込んだ。と言う風なことで、
日常生活もいつもからっぽの肉体だけが動いているということでしょうか。
それで。。。感想?が「楽ちん」と感じる?のでしょうか。
また、その「楽ちん」と感じたのは「誰」なのでしょうか。
「 」そのもの。ですか。
いや、「そのもの」は楽ちんとは感じるものなのでしょうか。

自我のついでに、それでは「自分」という感覚はありますか。


>自我がある...ブログを書くんですかね。
ブログ、SNSは、自己顕示欲の現れで、「私」「我」を表現の場として
さらには自我の強化にもなると、いう心理学では言われます。よ。


苦がある方の手助けの為。。のような書込みしてた記憶があります。
そこに〜たい、〜したい、の現れで渇愛ですねと書いたわけです。

60苦集滅道w:2018/07/16(月) 08:05:05
名無しさん :2018/07/15(日) 22:18:32・・・のらぴ。さんへ。
>私に内面はないんですよね、、、。・・・ここでの「私」って、便宜上使っていると思います。
私がいる・・・と思ってる人達は「私」って こういう風に使っているだろうっていう学習知みたいなもので、あなた自身は「私」はいないのですね。
・・・そこで、両者の認識がかみ合わない。私は 「私」はいないって人は 私という主語は書けないと思うし、あなたは「私」っていう主語を書かないと、苦集滅道には文章上で伝わりにくかかろうって、あえて、使っているのでしょう。
でも、「私」と書かれれば、個人(らぴ。さん)の意志だと思いますし、自分色はあるでしょうって思います。
そうした使い方なのだろうって、あなたを想像するにすぎませんから、実際のあなたがどうなのかはわかりません。
ただ、感じるがままに書けば、自我、私、「  」の「書き方・言葉・意味合い」に、あなたなりの「こうだ」っていう固定観念を持たれているように観えます。
そうではないと言われるでしょうが、実際 自我のあるなしも 「 」の状態も もう関係ない精神の領域にあるのでしょう。
私なんかは 自分と他人を分けます、肉体の内面と外側を分けます。
あなたには そうした「観点」それ自体が「無い」という観方であっていますか?

私達が 基準に持っている、私とあなた、自他の区別認識、内面と外側の境界線、
「  」と自我といった、相対する事象(認識)の一切が もう ない。
・・・という受け止め方で あっていますか?雰囲気・ニュアンスとして。

61苦集滅道w:2018/07/16(月) 08:23:24
↑のコメントにおいて 補足しときます。

>学習知みたいなもので・・・あなたは、私達に対して使ってくれている訳で >あなた自身は「私」はいないのですね。
「私」として表現する ものがない。・・・を、補足します。読み取りにくい文面でしたので。

62苦集滅道:2018/07/16(月) 17:02:53
日和さんへ・・・らぴ。さんとの会話 興味深く 読ませてもらっています。

ですが、何か かみ合っていないですね。

もし、お手間でなければ、日和さんの 「悟り」感と言いますか、悟りってこうでしょ・・・っていうのを、書いてもらっていいですか?
悟り何て 無いよ、とも 書けるかと思いますが、ここでは らぴ。さんが 悟りを連発していますので、悟りがあることを前提に 一筆お願いします。。。

63ラピ。:2018/07/16(月) 22:33:41
>問いの回答に、「私は」「私は」ってあります。
>それが「自覚」です。

掲示板上でそう書かないと、わけわからない文章になるでしょう。
私はかつては自我がありましたので「私」という言葉を
どういう時に使ったらいいかくらい
わかります(笑)

>この掲示板に書き込みしているように見えます?何もしていないんです(笑)
>何もすることなくできるんですね。

はい、そうですよ

>>そんなのなくても書くことなく、書けるんですよね。
>それがどういう状態か、わからないと思います。

そうですよね〜

>自動手記、自動タイピングのようなことを指してるのですか。
>自動運転のようなことを書かれてたかと思います。
>そこに、自我が無い(意志、目的が無い)として、
>からっぽの単なる肉体だけが書き込んだ。と言う風なことで、
>日常生活もいつもからっぽの肉体だけが動いているということでしょうか。
>それで。。。感想?が「楽ちん」と感じる?のでしょうか。

「楽ちん」と感じることはありませんよ、もちろん
例えて言えばラクチンということです。


>また、その「楽ちん」と感じたのは「誰」なのでしょうか。

ご存知の通り、誰でもありません。
感じようがありません。

>「 」そのもの。ですか。

いいえ、「 」そのものはそのものなので、感じようがありません。

>いや、「そのもの」は楽ちんとは感じるものなのでしょうか。

いいえ、そう感じるとは書いておりません。


>自我のついでに、それでは「自分」という感覚はありますか。

ないです、例えて言えば。


>ブログ、SNSは、自己顕示欲の現れで、「私」「我」を表現の場として
>さらには自我の強化にもなると、いう心理学では言われます。よ。

一般的にはそうかもですね。

>苦がある方の手助けの為。。のような書込みしてた記憶があります。
>そこに〜たい、〜したい、の現れで渇愛ですねと書いたわけです。

苦がある方の力になれたら、というのはあります。
かつての自我があった私が、悟った人のおかげで悟れましたから。

単にそれだけで、渇愛が根底にはあり得ません。

日和る さんにどう思われてもかまいませんよ
それは 日和るさんが思うだけで私には関係ありません。

自由ですよね。
どうぞ、ご自由に。
わかってもらえなくても問題ありません。

64ラピ。:2018/07/16(月) 23:06:29
>私に内面はないんですよね、、、。・・・ここでの「私」って、便宜上使っていると思います。

そうです、ありがとう

>私がいる・・・と思ってる人達は「私」って こういう風に使っているだろうっていう学習知みたいなもので、あなた自身は「私」はいないのですね。

なるほど、そうですね。
そうかもしれません。

>・・・そこで、両者の認識がかみ合わない。私は 「私」はいないって人は 私という主語は書けないと思うし、あなたは「私」っていう主語を書かないと、苦集滅道には文章上で伝わりにくかかろうって、あえて、使っているのでしょう。

はい。実際「私」と言ったところで
意味のない言葉ではあるのですが、(何も示さない単なる単語)
私という言葉を使わないと、通じません。

>でも、「私」と書かれれば、個人(らぴ。さん)の意志だと思いますし、自分色はあるでしょうって思います。

なんもないんですよね。
まぁ、悟る前の生き方の名残はあるかもしれません。


>そうした使い方なのだろうって、あなたを想像するにすぎませんから、実際のあなたがどうなのかはわかりません。

その通りです。どうなのかはわからないですね。

>ただ、感じるがままに書けば、

それは苦集滅道wさんが感じていることですね。

>自我、私、「  」の「書き方・言葉・意味合い」に、あなたなりの「こうだ」っていう固定観念を持たれているように観えます。

それがないんですよね。

>そうではないと言われるでしょうが、実際 自我のあるなしも 「 」の状態も もう関係ない精神の領域にあるのでしょう。

例えて言えばそうでしょうか。
しかし、実は関係ない精神の領域にもありません。

そもそも例えて言えば精神もないのです
否定だらけになってしまいますが、関係ない状態、とは例えられるかな、
関係のない精神の領域、とは例えにくいです。

>私なんかは 自分と他人を分けます、肉体の内面と外側を分けます。
>あなたには そうした「観点」それ自体が「無い」という観方であっていますか?

そうですね、そういう言葉であらわせると思います。

>私達が 基準に持っている、私とあなた、自他の区別認識、内面と外側の境界線、
>「  」と自我といった、相対する事象(認識)の一切が もう ない。
・・・という受け止め方で あっていますか?雰囲気・ニュアンスとして。

「 」の反対語は自我ではなく、 「  」と自我といった、相対する 〜、というのは違います。
例えて言えば自我と「 」はまったく別物です。
自我がない状態が「 」そのものとよく例えで確かに表現していますが、、。

・「 」は自我がない状態です。
・自我がなく「 」そのもの
この文面から、「 」と自我が相反しているように見えるかな??

「 」と自我は相反していません。

そもそも「 」の状態は相反しようがないから
何かと相反している、とは言えないのです。
(例えば自我と「 」は相反している、ではない)

自我がある状態で「ある」「ない」は相反しています。

「 」そのものである場合は相反しようがない。

自我と「 」は相反していない、例えて言えば別次元です。


>補足しときます。
>>学習知みたいなもので・・・あなたは、私達に対して使ってくれている訳で >>あなた自身は「私」はいないのですね。
「私」として表現する ものがない。・・・を、補足します。読み取りにくい文面でしたので。

補足前の文面もよくわかりましたよ。ありがとう。

65ラピ。:2018/07/16(月) 23:20:00
苦集滅道さん

ちなみにそんなに悟りを連発していましたか!(笑)

べつに「悟り」という言葉でなくてもいいのですけど、そうでしたか!(笑)

66日和る:2018/07/16(月) 23:20:53
苦集滅道さん。はじめまして。
「悟り」ですか。差取り。なんて語呂あわせて語る方もいらっしゃいますね。私は、単純に「わかった」、それも「全てがわかった」が、しっくり来ます。
ですけども、そこで、その「わかった」は、あくまでも自我のわかったであって、夢の中(リアルな現実)の住人が言ってることとなる。すると。その住人はいない。
幻想なんです。と幻想の話ってことになり、それじゃぁその「わかった」「悟り」も「幻想」よ。って話がでてくる。
そこで、さらに、その自我が消えた。ところで、自我が「わかった」とする論理的、感覚的、またが、摩訶不思議的思考は、記憶されてるはずのものもなくなるわけですから
つまり、「わかった」も「なんだっけ」でもない「  」になるわけですので、「悟り」すらないということになるのでしょう。ね。
ところが、自我は死すまで自我。自我も本来(衆生本来仏なり)で、この世は幻想だけども横に置いててもいいような軽くはなく、まやかしのニュアンスでも非ずで、自我のこの世以外、
「生きる」という世界は「ここ」だけですね。つまり「そのもの」からすると自我の作った幻想でも幻想が消えるわけでないないし、幻想は死ぬまで続くわけです。
「幻想も本来」であると思ってます。ある意味「制限をつけその場で暮らしてみて下さい」という「もうひとつの本来」と思います。荘子の「胡蝶の夢」がまさにです。
ですから、別の表現だと、「悟り」って自我、個人が「そのものの仕組みを知ること」だと思います。
※注釈 自我をエゴイズムだけとしているわけはなく、肉体、記憶、思考、感情、行動を含んでます、エゴの執着を捨てるは可能だとは思いますけど。。。

67日和る:2018/07/16(月) 23:48:54
ラピさん
回答ありがとうございます。
>日常生活もいつもからっぽの肉体だけが動いているということでしょうか。
このモレがありました。どうなんでしょうか。

つかぬことになるかもですがお聞きします。重要なことです。
「痛い」とか、「うふふ」とか日常生活でありますか。
総じて喜怒哀楽はあるのでしょうか。つまり、記憶と経験から判断、反応が生じて喜怒哀楽はなるのですが、
「そのもの」になって、つまり起こり様がないと思いますが、どうでしょう。
例えば、「いつも無表情」って感じですか。
「そのもの」の方の日常って聞くだけでも参考になりますので。

68日和る:2018/07/17(火) 00:01:48
ラピさん
>苦がある方の力になれたら、というのはあります。
かつての自我があった私が、悟った人のおかげで悟れましたから。
単にそれだけで、渇愛が根底にはあり得ません。

単にそれだけでも渇愛なんです。

69日和る:2018/07/17(火) 00:06:42
ラピさん
>渇愛が根底にはあり得ません。
根底にあるものではなくなんというんでしょうか浮き上がる、沸き上がる、つまり、生じるものです。
あり得ません。の表現って「決っして!」って感じですか。

70日和る:2018/07/17(火) 00:15:24
68の追記。
単にそれだけでも渇愛なんです。
追記、過去の「記憶」は残ってるんですね、
「 」そのものに。

71ラピ。:2018/07/17(火) 00:33:14
>>日常生活もいつもからっぽの肉体だけが動いているということでしょうか。
>このモレがありました。どうなんでしょうか。

その例えは使いませんね。
空っぽとは例えますが空っぽの肉体だけが動く、とは言わない

そもそも動いてもいない(笑)

>つかぬことになるかもですがお聞きします。重要なことです。

なぜ重要??

>痛い」とか、「うふふ」とか日常生活でありますか。
>総じて喜怒哀楽はあるのでしょうか。つまり、記憶と経験から判断、反応が生じて喜怒哀楽はなるのですが、
>「そのもの」になって、つまり起こり様がないと思いますが、どうでしょう。
>例えば、「いつも無表情」って感じですか。
>「そのもの」の方の日常って聞くだけでも参考になりますので。

そのものとは、そのものです。
なぜそのものが無表情になるのでしょうか。

痛いなら痛みそのもので、痛む人はいなくて痛みそのもの。
例えて言えば、喜怒哀楽はあるでしょうね。
悟る前よりストレートかもしれません、例えて言えば自我というストッパーがないですから。
かといって、人に迷惑はかけませんよ、それくらい常識でしょう。
(かつての人としての名残)

何度か書きましたが、悟る前の名残である、例えて言えば体が存在しているため
(しかし、認識するものでない)
人の法則は体には当てはまります。

切れば血が出るし、たたけば痛い。
だって体には神経があるからね。
しかし、痛がる人はいない、う〜ん、表現しがたいです。

また感情については、私はかつて例えて言えば人でしたので
感情がわからない、という例えは使いません。

また、私は普通ですよ例えて言えば。
別に「 」そのもの!なんて日常生活で言ったりしません、そういう必要がないから、ないでしょう。

>単にそれだけでも渇愛なんです。
日和るさん だったら、ということですね。

>>渇愛が根底にはあり得ません。
>根底にあるものではなくなんというんでしょうか浮き上がる、沸き上がる、つまり、生じるものです。
日和るさん だったら、ね。

>あり得ません。の表現って「決っして!」って感じですか。
そうなりようがない、ということです。

>過去の「記憶」は残ってるんですね、
>「 」そのものに。

体に残っている、と例えています。

あの、別に 日和るさんに私の状態を知ってもらわなくてもいいのですが、、。

なんなんでしょうか???

72苦集滅道:2018/07/17(火) 08:55:17
らぴ。さん おはようございます。・・・ようやく、「普通」さをとりもどしましたよ(笑)
なんか、一度気持ちが落ち込んだところから、日々 上向いてきています。ここでの会話も、役に立っています。

64: ラピ。 :2018/07/16(月) 23:06:29・・・のらぴ。さんへ
>私という言葉を使わないと、通じません。・・・うん、そうですよね(笑)
>否定だらけになってしまいますが、関係ない状態、とは例えられるかな、
・・・うん、私は あるものしか観えていないので、その否定で、ないものが 観える(かも)しれません。
>「 」そのものである場合は相反しようがない。・・・そのものなら、そうですね。自我のある立場だと、結局は「  」さえも相反するものとして、認識しようとしてしまいます(笑)
>自我と「 」は相反していない、例えて言えば別次元です。・・・うん、想像できる 範囲の「外」つまり 想像不可能(領域・次元)ねwww

ありがとうございました。

73苦集滅道w:2018/07/17(火) 09:17:09
66 : 日和る :2018/07/16(月) 23:20:53 ・・・の日和さん、丁寧な理解を書いて下さりありがとう。

全文、同意。

でね・・・このこと(理解)は、ちゃんとした 覚者様なら、通り道にあったと思う。まだ 通っていない覚者さまも ちらほら見受けられますが(笑)

例えば、クリシュナムルティ氏は、ちゃんとした覚者様に 私には思えるけど、彼も 自我の終焉を示唆しています。

ですから、自我がないとか、消えたとか、私はいない、とか いなかった・・・を 言葉で書いてるのは、らぴ。さんだけではないので、私とあなたの興味は らぴ。さんにはなくて、
自我の消失・・・された 状態のそのものにあると言えますね。

でも、どうしていいかは 解りませんね(笑)

74苦集滅道:2018/07/17(火) 11:15:50
余談で一言(笑)

悟り・・・っていう言葉は、人の認識の「手垢」がついていて、そのものを識る(わかる)人は、稀かもしれません。
しいて言えば、例えて言えば、「  」そのもの・・・ってらぴ。さんが書いてることが言葉上の限界なんでしょうね。

連発・・・っていうのは、常用として 使われている・・・に、訂正しておきますね(笑)

75ラピ。:2018/07/17(火) 15:08:29
余談ですが、、、。
自我が消滅する前からブログを書いておりましたがその頃のブログに
「悟りとは知ることだ」と断言してました(笑)
(読んでくださっていた方はご存知だと思います、今は見れませんが記事は残しております。)

悟るというのが辞書通りの意味の「はっきりと理解する。見抜く。」であれば「知ること」でいいと思いますが
精進して至った私の今の状態ではそう表現できないのですね。

お二人の言われていることはわかるんですよ。
そう言ってしまうということはわかります。
かつての私もそうでしたからね。

それでいいのなら、それもありです。
私も「悟りとは知ることだ」と断言していた時期がありましからね。

その頃、ある意味、幸せでしたよ。
しかし、違和感がでてきたんですね。

その時の私のテーマは「幸せを選択(意図)する」だったんですが、、。(笑)
「この幸せは自分が幸せを選択しなければならない。
そんな幸せ、本物だろうか。
もっと違う幸せがあるのではないか?
この幸せを選択している自分は一体、なんだ?
幸せを選択する自分が記憶喪失になったとき、私は幸せを選べるだろうか。
この自分の意志に頼った幸せって、心底本物であろうか?
私はさらなる本物の幸せがいい
意図しなくても常に幸せがいい」

「悟りとは知ることだ」と言い続けていては今の状態にはなれなかったんです。

でも「悟りとは知ることだ」と断言しながら、自分が信じたことを自分なりに一生懸命生きたおかげで
違和感に気づくことができました。(師匠から指摘されたこともきっかけの一つです)

みんな同じチャンスがあります。
「悟りとは知ることだ」でいいのかな、、と思ってしまいますが、、。
それを信じて精一杯生きることはいいかもしれません。
そうすれば必ず、気づきがあるはずです、精一杯生きれば。かつての私と同じように。

私も頑固でしたから、 「悟りとは知ることだ」で幸せを意図しながらがんばっていました。
しかし、ちょっと大変な幸せだったかもですね、懐かしいです(笑)

余談です(笑)

76苦集滅道:2018/07/17(火) 18:04:20
知る・・・は、頭脳上の知識ですが、「わかる」というのは、「知った」とは 違うと思う。
>自我が消滅する前・・・と書かれていますので、ひとつ 教えて下さい。
何かが 消えると認識されるのは、何かが在ったという認識においてのみですよね?
自我で生きていて、自我が消失した。消失以前には自我はあったと思います。
最初から自我ってなかったのですか?それとも 在るのものが消えたのですか?
消失以前に在った「自我」と言葉にしていたものは何なんでしょう?

77ラピ。:2018/07/17(火) 18:41:35
知るもわかるも対象があってできることです。だから同じ。
それとも、そのわかるというのは対象なしの事ですか?
では、何をわかるのですか?


何かが消えたと認識したのではないです


『この私はだれですか?
師匠、何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
何もできないのですがこの私はなんですか?
師匠、これはなんですか?』

これは悟ったとき(悟った、とも例えですが)師匠にメールした原文そのままです。

元々自我がなかったなんて書きましたっけ?
かつて、ありましたよ。
しかし、あるものが消えた、という表現は例えで書けるかもですが
多分苦集滅道 さんの思っている答えではないと思います。

>消失以前に在った「自我」と言葉にしていたものは何なんでしょう?
自我でしょうね

78日和る:2018/07/17(火) 19:20:32
ラピさんへ
>そもそも動いてもいない(笑)
まぁ、そうなんでしょうけど。
>なぜ重要??
自我の反応だからです。

>そのものとは、そのものです。
なぜそのものが無表情になるのでしょうか。
名残の肉体の一部「顔」はどぉいう表情なのかなと思いました。
自我がないなら無表情かなぁと想像しました。

>痛いなら痛みそのもので、痛む人はいなくて痛みそのもの。
なるほど。

>人に迷惑はかけませんよ、それくらい常識でしょう。
迷惑とも、そのくらいなども書いてませんが、ひとりボケツッコミが面白いです。

>悟る前の名残である、例えて言えば体が存在しているため
喜怒哀楽はある。が名残、ということはその体と同時に記憶は残っていてそれぞれ反応もするということですね。
喜怒哀楽、人は個々人で反応が違いますね。一事象に対し笑う人もいれば怒る人もいる。
それはそれぞれの記憶と経験で判断され反応が起きるわけです。それは自我の要因ですね。
ということは、自我は消えた。としてるが「名残の肉体」には自我特有の反応が起きてるということです。
でも、ラピさんは「そのもの」であるという。

とするならば、「名残の肉体」とは切離された印象が持たれます。
これは俯瞰している状態なのかなとも思います。どうでしょう。
しかしながら「そのものである」は「名残の肉体」も含有であり、少し不思議にも思えました。
自我が残った名残の肉体が幻想という体験の中で、痛みを感じと同時にそのものも痛みだけがあるなら
自我含有でもあるなぁなどと感想を持ちますね。
名残でもその自我は続いてるのですね。

>普通ですよ。
ええ、記載からすると普通に自我あるように見えますね。端から見て(見てないですが)

>>単にそれだけでも渇愛なんです。
>日和るさん だったら、ということですね。
役立てたいとした名残のラピさんにということです。私じゃありません。

>>>渇愛が根底にはあり得ません。
>>根底にあるものではなくなんというんでしょうか浮き上がる、沸き上がる、つまり、生じるものです。
>日和るさん だったら、ね。
前出、以下同文。

>>過去の「記憶」は残ってるんですね、
>>「 」そのものに。
>体に残っている、と例えています。

そうですね、先に書いたように名残の肉体に自我はありますね。

>なんなんでしょうか???
怒ってます?

あなたは自我です。を否定されました。
師匠さんが言われた否定は有り難い事です。を、ただいま実践で問い掛けています。

この問掛けで、過去の肉体には自我は残るが、かつそのまま縁起は流れてるように思えます、
しかし、現れる現象は「苦」は無くなったわけではないが「やわらいだ」のではと考えてしまいます。
が、またもしかし、それを眺めるような感じなのかとも考えますが、「そのもの」なら名残の肉体つまり
過去の自我も含有している意味にもとれるので、過去の自我を持ちぃ〜の眺めてる姿勢?なのか。
って表現が難しい。

などと考えてしまいました。

79ラピ。:2018/07/17(火) 19:55:47
日和るさん

>>なぜ重要??
>自我の反応だからです。

自我の反応だから重要なのですか?
??

>>人に迷惑はかけませんよ、それくらい常識でしょう。
>迷惑とも、そのくらいなども書いてませんが、ひとりボケツッコミが面白いです。
(笑)
これはね「例えて言えば自我というストッパーがないですから。」という記述に対しての追記です。
ストッパーがないからなんでもありか、いえそうではないですよ、という意味です。

>喜怒哀楽はある。が名残、ということはその体と同時に記憶は残っていてそれぞれ反応もするということですね。

反応ではないですね。

>喜怒哀楽、人は個々人で反応が違いますね。一事象に対し笑う人もいれば怒る人もいる。
>それはそれぞれの記憶と経験で判断され反応が起きるわけです。それは自我の要因ですね。

これ、日和るさんの解釈です。

>ということは、自我は消えた。としてるが「名残の肉体」には自我特有の反応が起きてるということです。
違うんですよね。

>でも、ラピさんは「そのもの」であるという。
例えて言えばそうです

>とするならば、「名残の肉体」とは切離された印象が持たれます。
>これは俯瞰している状態なのかなとも思います。どうでしょう。
違いますね。

>しかしながら「そのものである」は「名残の肉体」も含有であり、少し不思議にも思えました。
不思議なのは確かなのです。
自我が消滅してから、人と何が共通なのだろうとすると、体なんですね。
切ったら血が出る。一緒ですよね。

本当に、私は意図なく動くことがでるんですね。
何もしなくてもできるんですね。

ただ、何もできない、これはなんだ?という状態になったのですね。
でもできるんですね。

>自我が残った名残の肉体が幻想という体験の中で、痛みを感じと同時にそのものも痛みだけがあるなら
>自我含有でもあるなぁなどと感想を持ちますね。
>名残でもその自我は続いてるのですね。

どうぞ、ご自由に

>ええ、記載からすると普通に自我あるように見えますね。端から見て(見てないですが)

そうですか

>>日和るさん だったら、ということですね。
>役立てたいとした名残のラピさんにということです。私じゃありません。

日和るさん という目線で 日和るさん がそう判断している、ということです。
単なる言葉の羅列でそう判断している。

>>日和るさん だったら、ね。
>前出、以下同文。

同じく

>そうですね、先に書いたように名残の肉体に自我はありますね。

そうなんですか?

>>なんなんでしょうか???
>怒ってます?

いいえ、怒るわけないじゃないですか(笑)

こうやって 日和るさんは自分で勝手に怒っているって解釈しているでしょう?
(又は怒っているの?という質問がわく)
その解釈、本当に真実ですか?

>あなたは自我です。を否定されました。
???

>師匠さんが言われた否定は有り難い事です。を、ただいま実践で問い掛けています。
だれがですか?

>この問掛けで、過去の肉体には自我は残るが、かつそのまま縁起は流れてるように思えます、
>しかし、現れる現象は「苦」は無くなったわけではないが「やわらいだ」のではと考えてしまいます。
>が、またもしかし、それを眺めるような感じなのかとも考えますが、「そのもの」なら名残の肉体つまり
>過去の自我も含有している意味にもとれるので、過去の自我を持ちぃ〜の眺めてる姿勢?なのか。
>って表現が難しい。

言語化下手くそですみません。
日和るさんの返答を見ると、私はへたくそだなぁ、と思います
全く伝わっていないから(笑)

でも書いていること、嘘は全く書いておりません。

80日和る:2018/07/17(火) 20:36:21
>自我の反応だから重要なのですか???  そうです。
>これ、日和るさんの解釈です。  世間一般、自我をひも解くと。。です。 学問的には心理学。 仏道的には自我を注視する。。着目点。
>いいえ、怒るわけないじゃないですか(笑)  笑ってくれてありがとうです。そう、冗談です。ですので、その後の文はラピさんの解釈です逆に。

>本当に、私は意図なく動くことがでるんですね。
何もしなくてもできるんですね。
ただ、何もできない、これはなんだ?という状態になったのですね。
でもできるんですね。

ここは注目してます。他力ってことですか。ついでに出来るんですねぇという感想は誰なんでしょう。

>言語化下手くそですみません。
いえ伝わってます。ただ、「そのもの」の希少性とひも解く機会であると感じてます。よ。

81苦集滅道:2018/07/17(火) 20:40:11
>それとも、そのわかるというのは対象なしの事ですか?
YES、対象が持てるのは 自我にある間に「だけ」でしょう。

>では、何をわかるのですか?
「  」

82日和る:2018/07/17(火) 20:48:12
ラピさん。
喜怒哀楽は。。。。喜びたい怒りたい悲しみたい楽しみたいの渇愛から生じる「反応」です。
自我の縁起の現れ(果)です。

注釈経典より

83ラピ。:2018/07/17(火) 20:50:27
日和るさん

>ここは注目してます。他力ってことですか。ついでに出来るんですねぇという感想は誰なんでしょう。

いいえ、他力じゃないです。

ついでに出来るんですねぇという言葉を感想だと捉えたのですね、日和るさん。

84ラピ。:2018/07/17(火) 20:51:40
苦集滅道さん

>>では、何をわかるのですか?
>「  」

「 」をわかるということですね

85ラピ。:2018/07/17(火) 20:52:33
日和るさん
>喜怒哀楽は。。。。喜びたい怒りたい悲しみたい楽しみたいの渇愛から生じる「反応」です。
>自我の縁起の現れ(果)です。

あの、何もしていないってずっと書いていますが、、。

86日和る:2018/07/17(火) 20:53:30

>本当に、私は意図なく動くことがでるんですね。
何もしなくてもできるんですね。
ただ、何もできない、これはなんだ?という状態になったのですね。
でもできるんですね。

これどこかで聞き覚えが。。。で、そう、楽ちんこ道とかいうブログの方が書いてたのを思い出しました。その方は一瞥して「苦の消滅」がされてからと言われてました。ちなみに、そのもとは言ってませんでした。

87ラピ。:2018/07/17(火) 20:55:11
日和るさん

そういえば
>ついでに出来るんですねぇ
って書きましたっけ?

88ラピ。:2018/07/17(火) 20:57:50
日和るさん

楽ちんこ道とかいうブログの方、セミナーとかしてます?

89日和る:2018/07/17(火) 20:57:51
>ついでに出来るんですねぇという言葉を感想だと捉えたのですね、日和るさん。
じゃ、なんでしょう、ラピさん。

90日和る:2018/07/17(火) 20:58:48
>楽ちんこ道とかいうブログの方、セミナーとかしてます?
知りません。

91ラピ。:2018/07/17(火) 20:59:08
日和るさん

あの、そもそも
ついでに出来るんですねぇと書いていないです(笑)

92日和る:2018/07/17(火) 21:00:49
>ついでに出来るんですねぇ
って書きましたっけ?

ついでは、接続詞、できるんですねぇは、どっかで書いてた。。記憶。

93日和る:2018/07/17(火) 21:02:01
不思議。。なんちゃらのニュアンス。ラピさん。

94ラピ。:2018/07/17(火) 21:02:11
なるほど。

できるんですねぇって感想になるの?

95日和る:2018/07/17(火) 21:02:51
で、そこ、気になりますか?

96日和る:2018/07/17(火) 21:04:01
感想じゃなかったら何になるのでしょう。ラピさん。

97ラピ。:2018/07/17(火) 21:05:44
なんでしょうね。

98日和る:2018/07/17(火) 21:07:01
あ、楽ちんこ道さんは、セミナーというより飲み会でわ?かなり前でいまは知りませんが。。

99ラピ。:2018/07/17(火) 21:08:00
飲み会?何のためでしょうね

100日和る:2018/07/17(火) 21:08:50
98 ↑ ラピさんへ

101ラピ。:2018/07/17(火) 21:09:04
ちなみに釈迦って、本当に教えを説いたと思いますか?

102日和る:2018/07/17(火) 21:10:27
なければ感想でいいのでわ? ラピさん。

103ラピ。:2018/07/17(火) 21:11:25
なければ、も接続後?

104ラピ。:2018/07/17(火) 21:12:02
接続語の間違い

105日和る:2018/07/17(火) 21:13:19
生きるため食事&アルコール摂取。彼女もその後オートマチックを多用してました。ラピさん。

106ラピ。:2018/07/17(火) 21:15:31
>生きるため食事&アルコール摂取。彼女もその後オートマチックを多用してました。ラピさん。

アルコールはいらないなぁ、私は。(笑)

日和るさん、その人は本物だと思ってます?

107日和る:2018/07/17(火) 21:17:46
釈迦は、当時の宗教に対抗する為に教えをつたえたとさ。自我に戻って。らぴさん。

108ラピ。:2018/07/17(火) 21:18:56
>釈迦は、当時の宗教に対抗する為に教えをつたえたとさ。自我に戻って。らぴさん。

対象が消滅している釈迦がそんなことするかなぁ。

109日和る:2018/07/17(火) 21:20:17
その人自身は、本物だから飲み会開いたんじゃないでしょうか。らぴさん。

110ラピ。:2018/07/17(火) 21:21:12
>本物だから飲み会開いたんじゃないでしょうか

教えを伝えるためにですか?

111日和る:2018/07/17(火) 21:24:23
釈迦も自我であって、弟子がつて回ってメモとってたんじゃないですかね。バラモン教?でしたっけカースト制度に怒り心頭とお伺いしてますが。。どっかで。らみたん。

112日和る:2018/07/17(火) 21:25:33
111 ↑ ラピさんへです。

113ラピ。:2018/07/17(火) 21:25:34
釈迦も自我であったのですか、そうなんだ。

114日和る:2018/07/17(火) 21:28:13
そう、釈迦は死んで涅槃。。。。と詳しいまるまるさんとかいう方がいうてました。とおもう。ラピさん。

115日和る:2018/07/17(火) 21:30:53
そろそろ、ラピさん。何をやって「 」になられましたか。

116ラピ。:2018/07/17(火) 21:32:00
釈迦は自我
釈迦は死んで涅槃ということですが

悟りという言葉はどこに当てはまりますか?

釈迦は悟っていたの?

117日和る:2018/07/17(火) 21:34:10
どうでしょう。ただ飲みしたかったのか、自慢話かもしれません。大阪の人は商売が上手です。ラピさん。

118ラピ。:2018/07/17(火) 21:36:02
>どうでしょう。ただ飲みしたかったのか、自慢話かもしれません。大阪の人は商売が上手です。ラピさん。

本物がそうしますかね。

119日和る:2018/07/17(火) 21:39:06
釈迦と言えば悟り。つまり同義語だと。っていう具合。ですラピさん。

120日和る:2018/07/17(火) 21:41:28
ラピさん。十牛図って知ってますか。最後の図は悟った人が衆生と酒を飲み交わすです。

121ラピ。:2018/07/17(火) 21:44:58
釈迦=悟り=自我ですか?

122ラピ。:2018/07/17(火) 21:47:27
>十牛図って知ってますか。最後の図は悟った人が衆生と酒を飲み交わすです。

十牛図、知らないです。

悟ったら酒を飲みかわす、ということですか。

123日和る:2018/07/17(火) 21:48:29
私、遊ばれてます?

124ラピ。:2018/07/17(火) 21:50:31
真面目に聞いています

125日和る:2018/07/17(火) 22:05:36
>釈迦=悟り=自我ですか?
自我である釈迦自身が、悟りを開いた。悟りの中身が「無我」、教えてる時は自我。

126ラピ。:2018/07/17(火) 22:09:48
>>釈迦=悟り=自我ですか?
>自我である釈迦自身が、悟りを開いた。悟りの中身が「無我」、教えてる時は自我。

面白い解釈ですね。
自我と無我を行ったり来たり、ということですか?
では釈迦は自我消滅していなかった、ということですね。

そして死んだら涅槃=自我消滅、という風に日和るさんは捉えられているということでいいですか。

127日和る:2018/07/17(火) 22:15:31
>自我と無我を行ったり来たり、ということですか?
そうではないですよ。一行会話で極省略ですね。

128ラピ。:2018/07/17(火) 22:22:12
>悟りの中身が「無我」、教えてる時は自我。

これ、どういう日和るさんの解釈ですか。
これ、本当にそうですか?

129日和る:2018/07/17(火) 22:32:09
逆に、教えてる時、日常的に「私はいません」と言ってて、かつ、教えを説いてたという経典があるなら示してもらいたいですね。

130日和る:2018/07/17(火) 22:35:33
そもそもそのものなんですから教えてもらわなくて・・・ってどっかに書いてましたよね。

131ラピ。:2018/07/17(火) 22:36:26
>逆に、教えてる時、日常的に「私はいません」と言ってて、かつ、教えを説いてたという経典があるなら示してもらいたいですね。

なんだかすごく勘違いされていません?

132ラピ。:2018/07/17(火) 22:38:23
ちなみに私は教えを説いていません

133日和る:2018/07/17(火) 22:43:52
いつから一行掲示板になったのやら。そこはかとなんとなく。

134日和る:2018/07/17(火) 22:49:26
数千年の釈迦の内面は。。誰にもわからなかったと思います。内面を探ってが、経典です。

135ラピ。:2018/07/17(火) 22:59:19
はい、釈迦のことは誰にも分らないでしょうね。

136ラピ。:2018/07/17(火) 23:00:28
わからない の間違いです。

137日和る:2018/07/17(火) 23:17:51
自我と無我のことかな。?

138ラピ。:2018/07/17(火) 23:25:39
>自我と無我のことかな。?

わからない、がですか?

いいえ

釈迦がどういう状態であったか、普通の人にはわからない、ということです。
内面を探って書かれた経典(←本当に?)は釈迦が書いたわけではないので
本当に忠実に書けているかは謎ですね。

釈迦が言ったことをそのまま書いてあるのならいいですが
それに誰かが解釈を付けてしまうと、間違いが起こるでしょうね。

ちなみに釈迦には内面はないと思いますよ。

139日和る:2018/07/17(火) 23:37:41

>それに誰かが解釈を付けてしまうと、間違いが起こるでしょうね。

で、

>ちなみに釈迦には内面はないと思いますよ。

解釈がついてます。けど。

そうそう、たぶんですが、苦集滅道さんも内面はからっぽだと言うと思います。

※からっぽ=ない

140ラピ。:2018/07/17(火) 23:39:35
解釈ではないです(笑)

141日和る:2018/07/17(火) 23:40:28
なんでしょうか。

142ラピ。:2018/07/17(火) 23:50:54
解釈ではなく、そうであろう、ということですが。

釈迦が自我が消滅しているとしたら、内面はないでしょう、ということです。

143ラピ。:2018/07/17(火) 23:51:34
日和るさん

ちなみに教えを説いている釈迦や楽ちんこ道さんに
それは渇愛ですよ、って言います?

>喜怒哀楽、人は個々人で反応が違いますね。一事象に対し笑う人もいれば怒る人もいる。
>それはそれぞれの記憶と経験で判断され反応が起きるわけです。それは自我の要因ですね。

これって釈迦にも当てはまります?
バラモン教?でしたっけカースト制度に怒り心頭って書いてましたよね。

144ラピ。:2018/07/17(火) 23:56:19
あと、日和るさんは釈迦に内面はある、と思われていますか?

「内面を探って書かれた経典」って書かれていましたから
これは釈迦に内面がある、ということで良いですか

145日和る:2018/07/18(水) 00:44:44

>>喜怒哀楽、人は個々人で反応が違いますね。一事象に対し笑う人もいれば怒る人もいる。
>>それはそれぞれの記憶と経験で判断され反応が起きるわけです。それは自我の要因ですね。

楽ちんこ道さん普通の人です。
言えますよって理解されますから

渇愛から苦が生まれる。
一切皆苦は釈迦の言われた事です。(経典)

逆に書きますね。自我を
>なんだかすごく勘違いされていません?

お師匠さんってお坊さんじゃないみたいですね。
これは勘違いしました。

146日和る:2018/07/18(水) 00:49:42
瞑想で釈迦は悟りを開いた。(定説)
瞑想は内面を観るものです。

内面って勘違いされていません?

147日和る:2018/07/18(水) 00:54:57
じゃ繰り返しますが、単純に
喜怒哀楽は「自我」だから現れるのです。よ。
理解出来ませんか。

148日和る:2018/07/18(水) 01:06:59
>解釈ではなく、そうであろう、ということですが。

そうであろうは、「解釈」いいます。

149日和る:2018/07/18(水) 01:15:32


>ちなみに教えを説いている釈迦や楽ちんこ道さんに
それは渇愛ですよ、って言います?

教えを説いてる最中にには言いませんよ。あしからず。そんな非常識ではありません。

150ラピ。:2018/07/18(水) 07:08:54
>楽ちんこ道さん普通の人です。
>言えますよって理解されますから
なるほど、私が 日和る さんの言葉に
「わかる、わかるよ!私もそうだよ!」といえばいいわけですね。
そうすれば日和るさんも満足!ってことですね。
ポイントは 日和るさんのいっていることに共感するか、しないか、ってことね。
私が否定ばっかりして共感しないからダメなんですね(笑)

>渇愛から苦が生まれる。
>一切皆苦は釈迦の言われた事です。(経典)
悟る前はね。悟ればそうではないです。だから悟った釈迦には渇愛はないですね。
でも悟った後も教えは説いていました。(教えを説いているように見えた)
教えを説いた釈迦に渇愛はあったのでしょうか。

>瞑想で釈迦は悟りを開いた。(定説)
>瞑想は内面を観るものです。
悟る前の釈迦(内面あり)が瞑想し、ついには内面が消滅。
悟る前は内面があり、精進することによって内面が消滅する
瞑想はまだ悟ってないときの行法です。内面がある時の行法。
内面がある時に瞑想をし、悟ったとき、内面は消滅する。
悟った後は釈迦は瞑想していないと思います、できません内面がないから。
内面なかったら瞑想しようがない。何もできません。

>内面って勘違いされていません?
日和る さんには内面、ありますよね。釈迦も悟る前は内面があり、瞑想し、ついに内面が消滅した=悟ったのです。
勘違いしていないですよ。普通、内面はあります。
それを消滅させるために精進するのです。内面は苦の原因ですからね。

>じゃ繰り返しますが、単純に
>喜怒哀楽は「自我」だから現れるのです。よ。
>理解出来ませんか。
それは解りますよ。(笑)日和さんもそうですよね。
自我があるから喜怒哀楽がある。
しかし、悟った後の釈迦に自我はないはずですが喜怒哀楽があるように見えました。
これはどう説明しますか。
たしか、 日和さん 曰く教えを説いている時は自我でしたっけ?
そしたら教えを説いている時、釈迦に苦はあったのでしょうか。

>そうであろうは、「解釈」いいます。
へぇ、そうなんだ

>>ちなみに教えを説いている釈迦や楽ちんこ道さんに
>>それは渇愛ですよ、って言います?
>教えを説いてる最中にには言いませんよ。あしからず。そんな非常識ではありません。

そういう意味ではなくって(笑)
私の表現が下手くそでした。
釈迦や楽ちんこ道さんは教えを説いていると思いますが
その人たちも渇愛しているから説くのですか?

、、伝わるかな(;・∀・)
日和る さんには内面があります。
そして内面が消滅するなんてありえない、と言っているのですね。
日和る さんがまだまだ知らない世界があったとしたらどうしますか?
日和る さんの言っていること、解りますけど私に当てはめて言うからそれは違うよ、と言っているのですよ。
内面、それがかつて私にもありました。だから内面がある、というのは理解できますよ、普通の人は。
だから私もかつては瞑想もできました。
でも今は内面がないんです。
日和る さんはすべてを知っているのですか?本当にすべて正しいですか?
もし、知らないことがあったらどうしますか?
釈迦は自我消滅していたと思います。
そうじゃないとあのような教えは説けない。
(説くことなく、説いていたのですけどね、悟っていたなら)

151日和る:2018/07/18(水) 08:27:54
私にはありますね。たぶん。
楽ちんこ道さんは少なくともあるでしょう。
って会った事もブログもかすった程度で、そう知りません。(すまん)
ですが、ユーチューブやらで「そのようだ」の解釈です。

『話の肝の内面ですが。。。それじゃ外側だけってことですね。
よく言われます。外側は内面の投影です。内面無くして外側はありますか?
外側、つまり観ている世界は幻想世界ですよね。幻想世界だけにいるっつうわけですね。』

152日和る:2018/07/18(水) 08:44:33
お釈迦さまでも、渇愛は起きます。生きてる間は人ですから
渇愛ってわかりましたか。例えば「ハラ減った」でも渇愛はすでに生じてるんです。

>まじめに聞いてます。
も渇愛です。

153日和る:2018/07/18(水) 09:33:53
>楽ちんこ道さん普通の人です。
>言えますよって理解されますから

これに。。。

>なるほど、私が 日和る さんの言葉に
「わかる、わかるよ!私もそうだよ!」といえばいいわけですね。
そうすれば日和るさんも満足!ってことですね。
ポイントは 日和るさんのいっていることに共感するか、しないか、ってことね。
私が否定ばっかりして共感しないからダメなんですね(笑)

が、つながりませんが。。。
問い掛けである、ちんこ道さんのことを書いただけで、ラピさんについて何も申し上げてませんが。
思考展開がわかりません。そのものさん及びラピさん。

154日和る:2018/07/18(水) 09:37:26
↑ 楽ちんこ道さんでした。
あ、でも、ところで名前、楽ちんこ道でほんとうに合ってるかわからない。

155苦集滅道w:2018/07/18(水) 14:46:31
日和さん・・・差し出がましい意見を一言書かせて下さい。

2013年3月に、らぴ。さんは 悟った(らしい、私にはわかりません)と書いてます。
で、今から五年前のことです(時系列上)・・・で、五年間 苦しみが無い、っていうのは、もう 私には考えられない。今でも 何かしらの「苦」は感じていますからね(笑)

で、釈尊さんが 悟りとは何かを聞かれた際に、「苦悩がないこと」って、その人に対しては そう 答えられたそうです。(それが、定義ではないかもしれませんが、例えとしてね)
五年・・・って、だから 何か そのこと(悟り)を示しているような気がします。つまり、常人には 五年さえも 無理難題なことです。
私も、たまたま 二年間くらいかな 苦悩とは無縁に生きましたが、一時的で、つまり 偽物だった訳です(笑)

わたしらの 想像できない 心境って、あるのではないかなぁ?

156苦集滅道:2018/07/18(水) 17:01:48
     >『この私はだれですか?
(師匠、)>何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
     >何もできないのですが この私はなんですか?
(師匠、)>これはなんですか?』
・・・このトキは、わからなくて、訪ねたのですね。自分では わからなかった。
自分で わかる。のが、一瞥でした。で、この「わかる」に対象があるのか?
ああ 何かがわかる。では わかったことって何?ってことですね。
そうね、わかるっていうのは 言語上で、(何かが)わかる(知る)と使いますものね。
何かっていう対象が必要ですよね。

>この私はなんですか?・・・これが、対象かな。それが わかりました。

157ラピ。:2018/07/18(水) 19:11:13
日和りさん

>話の肝の内面ですが。。。それじゃ外側だけってことですね。
>よく言われます。外側は内面の投影です。内面無くして外側はありますか?
>外側、つまり観ている世界は幻想世界ですよね。幻想世界だけにいるっつうわけですね。

さっぱりわかっていないですね(笑)

でも、日和りさんの信じている通りでいいんじゃないでしょうか。
ええ、そうなんじゃないですか。ご自由に。

>お釈迦さまでも、渇愛は起きます。生きてる間は人ですから
>渇愛ってわかりましたか。例えば「ハラ減った」でも渇愛はすでに生じてるんです。

へぇ、お釈迦様の事分かるんだぁ。
はい、はい。それでいいんじゃないですか?

>>まじめに聞いてます。
>も渇愛です。

そうなんですね。
日和りさんって、何でもわかってるんですね〜〜。それが正しいんですねぇ!

>が、つながりませんが。。。

私は見えていますから(笑)

「言えますよって理解されますから」って書いてるよね。
理解されるから言えるんですよね?(違う意味?)
でも、もし理解されなかったらどうするのかしら?
それでも言います?(笑)

158ラピ。:2018/07/18(水) 19:16:34
苦集滅道さん、お久しぶり(笑)

>この私はなんですか?・・・これが、対象かな。それが わかりました。

いえ、いえ違います。

この掲示板のやり取りで「私」という言葉を使っているのと同じです。
あまりにそうだったので、どうやって表現していいかわかりませんでした。
「?????」だったのです。
しばらく、そうでありました。

そしてしばらくたって師にメールしました。

この文章で師匠は私が悟ったとすぐにわかりました。

あ、勘違いされているかな
>『この私はだれですか?
>何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
>何もできないのですが この私はなんですか?
>これはなんですか?』

これ、すべて私のメール内容です。
師匠の言葉は入っていません。
訪ねた、とはちょっと違うかな。
例えて言えば、報告です。

159ラピ。:2018/07/18(水) 19:25:57
苦集滅道さん

あ、そういうことではなかったかな(笑)

このメールの内容については一切返事はありません
>『この私はだれですか?
>何もできなくなる、努力ができなくなるってこういうことですか?
>何もできないのですが この私はなんですか?
>これはなんですか?』

だってたずねていないですから。
たずねていないのです。
師もわかっていたと思います。

160苦集滅道:2018/07/18(水) 20:12:13
>この文章で師匠は私が悟ったとすぐにわかりました。
・・・そうでしたか、それなら、納得がいきます。

うん、このメールを載せると 誤解されます。

そういう ことです。

161苦集滅道:2018/07/18(水) 20:22:25
ま、私は 誤解した、に訂正しますので、あなたの主旨・やり方は あなたのものです。失礼しました。

162苦集滅道:2018/07/18(水) 20:36:43
さて、私としては、ここでクリーンになり、何も 持ち越すものはありません。らぴ。さんの解答において、疑念はありません。それも 私の側ですので、手前勝手なものではありますが。

たいていの覚者様、自称悟ったとする人は、根本が「愛」であり、「愛」そのもの、「愛」に充ちている・・・といったニュアンスのことを 私みたいな愛無き者に教えてくれます。

私は、その「愛」として示すものが、よく わかりません。人間的な愛、つまり 親兄弟や恋人、友人や縁ある人との間に 通い合う「思いやり」や「優しさ」、「慈しみ」「慈愛・敬愛」といった類でないことは 予想がつきますが、
そうでなければ、彼らが 「愛」として表現している言葉は 何を示しているのでしょう?

彼らが そう思うだけのこと・・・って 突き放した返信は 期待しません(笑)

人間的な「愛」と 根源的な「愛」?その違いを 解かり易く 御指示願えませんか?あなたには 想像もできない・・・は、受けると思いますが、それはないかと思います(笑)

163ラピ。:2018/07/18(水) 20:41:21
苦集滅道 さん

わざわざ、ありがとう。
ちなみに、、なぜ誤解されるかがわかってなかったり(;・∀・)

そんな感じです(笑)

164苦集滅道:2018/07/18(水) 20:46:11
いえ、誤解の話しは 私の受け止め方から生まれていますので、あなたは そのままで、できれば「愛」について 一筆願います。

165ラピ。:2018/07/18(水) 22:51:19
>さて、私としては、ここでクリーンになり、何も 持ち越すものはありません。
>らぴ。さんの解答において、疑念はありません。それも 私の側ですので、手前勝手なものではありますが。

どうもありがとうです。
はい、私の解答に対しては信じることなく、しかし疑うことなく、がいいと思います。
「そうなんだぁ〜」くらいで良いと思います。

>たいていの覚者様、自称悟ったとする人は、根本が「愛」であり、「愛」そのもの、「愛」に充ちている・・・といったニュアンスのことを 私みたいな愛無き者に教えてくれます。

いろんなところでよく見る言葉たちですね。
>私みたいな愛無き者   って、そうなの?

>私は、その「愛」として示すものが、よく わかりません。人間的な愛、つまり 親兄弟や恋人、友人や縁ある人との間に 通い合う「思いやり」や「優しさ」、「慈しみ」>「慈愛・敬愛」といった類でないことは 予想がつきますが、
>そうでなければ、彼らが 「愛」として表現している言葉は 何を示しているのでしょう?

なかなかいい質問ですね! その「愛」 について勝手に適当な解説をしてしまうより、わからない、という姿勢のほうがいいです。
予想されていると思うけど「何も示していません」本物であれば。

>>彼らが そう思うだけのこと・・・って 突き放した返信は 期待しません(笑)

了解!あ、でも「そう思うだけ」のこと、とは例えません、思わないからです、本物であれば(笑)

>人間的な「愛」と 根源的な「愛」?その違いを 解かり易く 御指示願えませんか?
>あなたには 想像もできない・・・は、受けると思いますが、それはないかと思います(笑)

そうですね、想像できないと思います(ありゃりゃ!でもそうなんです(笑)
ちなみに私も想像「できない」です。

でも言語化してみます。

>根本が「愛」であり、「愛」そのもの、「愛」に充ちている・・・
これってどういう例えで書いているのかな、と思います。
本物が表現する場合、例えでしか表現できません。そもそも表現できない「 」を言語化するから。
・根本が愛
根本??そんなものないですが、何を例えているのでしょうか。
・「愛」そのもの
これは私もよく使う言葉です。
愛そのものとは、愛する、愛さない、といった動作ではなく
愛そのもの、何もしなくても愛そのもの
どうしたって愛そのもの、って感じですかね。何もしていないとよく書いてますよね。
そう、動作ではないのです。愛するという動作ではない。何かを愛する、ということではない。
・「愛」に満ちている
愛そのものならすでに愛なので愛に満たされる必要はないですよね。
愛そのものだから。だからこの言葉は例えでは使わないですね。
「根本が愛」という表現より、「愛が根本」の方がしっくりいくかな。
根本はない。愛そのものであるから根本が愛、って感じかな。
愛が根本なら、根本あるやん、って突っ込まれそうですが、例えです、うん、ニュアンス
なんとなくわかってもらえますか?

続きます

166ラピ。:2018/07/18(水) 22:52:42
165の続きです

そしてそもそも。愛って本当、何でしょうか。
人が愛だと定義しているいろんなことは苦集滅道 さんが言われていることが一般的ですね
「人間的な愛、つまり 親兄弟や恋人、友人や縁ある人との間に 通い合う「思いやり」や「優しさ」、「慈しみ」>「慈愛・敬愛」」
これら人としての愛を全うすれば、どんな時も全うすれば、ある意味悟りの道となります。 苦集滅道 さんはきっとわかると思う。

今、人として、何が愛であるかという定義により愛ある行動をすること、それが大切です。悟りに近い道となります。
例えば「愛ってなんだろう」と自分に問うた時、覚者がいう愛ではなく 苦集滅道 さんが疑わない愛のカタチって何でしょうか。
それを生きることは愛に生きると言っていいのです。
今「知っている」愛を生きることが大切です。
知らない愛は生きることができないよね(例えですが)
自分の愛を心底全うすれば究極となりえるでしょう。

>根本が「愛」であり、「愛」そのもの、「愛」に充ちている・・・
これって同じ人が言っていますか?それとも別々の人の言葉の寄せ集め?
玉石混合になっていないでしょうか?本物も偽物もいそうです(単語だけだからこれだけではわからないけどね笑)

私はよくそのものと表現しています。
これは愛に限らず、そのものなんですね。
そういったことが例えて言えば「愛」と表現できるのかしら。

でも例えて言えば愛であれば「愛そのもの」
幸せであれば「幸せそのもの」

そのものであること自体が愛といえるのかな。
誰々を愛する、といった動作ではないし、何かに限った(対象が限定されている)愛ではないです。
あふれだす、満たされる、という性質の愛ではないです。
何処からあふれ出すのでしょうか、すでに愛そのものなのに。

悟りとは「知る」とか「わかる」とか動作を表すものではありません。
例えて言えば「 」の状態。なにもすることなくそうであるのです。

愛することなく愛そのもの。
動作ではない愛

う〜ん、もっとうまく例えられるかな、、、(;・∀・)

ここに書いていることは例えなのでそのままを信じず、しかし疑わず、ですよ

そして 苦集滅道 さんが信じて疑わない愛を生きれば道は開けます。
今の時点で 苦集滅道 さんが思う愛です。

ちなみに私の場合、愛というよりは真実を探求する道でした。
自分の人生において何が一番のテーマなのか、苦集滅道 さんは愛ですか?
それなら愛に生きることが 苦集滅道 さん の道ですね。
私は自分の真実に生きて、生き切りました。
これら含めてすべて愛といえるのかな。

例えて言えば、こうやって自分の理想とする人生を自由に生きられるなんて
最高に愛ではないでしょうか!私は愛だったと思います。人としての愛。(かつての私にとって、です)

そしてついに究極の愛そのものとなっちゃいました。
なにもすることなくただ愛。いや、ただ「 」、のほうがいい感じ(笑)
だって愛に限る必要はないからです

例えですけどね!

167日和る:2018/07/19(木) 06:52:15
>私に当てはめて言うからそれは違うよ、と言っているのですよ。

も、

>日和りさんって、何でもわかってるんですね〜〜。それが正しいんですねぇ!
↑日和るです。

私ののいままでの理解したものと照らし合わせています。よ。

>さっぱりわかっていないですね(笑)
同じく、わからないから問答してますね。

>ええ、そうなんじゃないですか。ご自由に。
>はい、はい。それでいいんじゃないですか?
投げやり?

>私は見えていますから(笑)
何が見えてますか?

>「言えますよって理解されますから」って書いてるよね。
理解されるから言えるんですよね?(違う意味?)
違います。

でも、もし理解されなかったらどうするのかしら?
それでも言います?(笑)

違います。
ラピさんが「言えますか」の問い掛けられたから、「言えます」と書きました。
「理解されます」は、そう、勝手な想像で他意はない。

改めて回答待ちしてます。よ。

168日和る:2018/07/19(木) 07:13:55
楽ちんこ道さんの「オートマチック」という表現とおなじだなぁということで書いたわけで
でも、彼女の自我は残ってる、その差はどこなのかという思考展開ですけど。

でも、ラピさんは講演会は?本物?って私の探究の思惑からはずれ出し、ただそれに応えた形。

そう話は戻って、彼女との違いは、「性格も、いままでの好みもそのまま。でも自動運転で流れが好転してる」というニュアンスでしたね。
そこで、ラピさんの場合は名残の肉体のままで全てが自動運転している様相なのかな。と、しかし、過去の自我(記憶等)は文字通り名残
ってことか?と、ここまでの私の思考展開を追記しておきます。ね。

169苦集滅道:2018/07/19(木) 07:17:23
>私はよくそのものと表現しています。
>これは愛に限らず、そのものなんですね。
>そういったことが例えて言えば「愛」と表現できるのかしら。

>でも例えて言えば愛であれば「愛そのもの」
>幸せであれば「幸せそのもの」

・・・言わんとするニュアンスは充分伝わります。

らぴ。さんは、例えとして「愛そのもの」としていますが、たいていの覚者様は 「愛」・・・以外にはないと、限定?断言しています。別に 誰がそう 断言しようとも かまわないことですが、私の中では「  」が
「愛」という言葉に表現できるのかが疑問にあります。ですが、らぴ。さんも「愛そのもの」として表現できるということは、あれが「愛」として表現できるもの。そんな風に思います。あれっていうのは、私の体感。
で、今の私には どこにも無い、だから 愛無き者。自我に在るのは、先に書いた人間的な「愛」でも それは、普通に在るもので、意識して目指すものでもないよね(笑)

日常で「愛」(思いやりとかいたわりの念とか、欠いていたなぁ、利己的だったなぁ・・・と思う場面は多々ありますが、だからといって「愛」がない訳でもありません。むしろ 在るからそれが意識されます。
たいていの人は そんなカンジだと思う。いつも「愛念」に充ちている・・・これは 修行のテーマにもなるけれど、人であれば 他者との関りにおいて 当たり前のことと思う。
では その人間的な「愛」を超える「愛」があるのだろうか?「愛そのもの」は いつもある(らしい)、幸せそのものも、いつもある(のだろう)

「  」そのものって 例えが使えるのは いつのことだろう(笑)

お応え頂き ありがとうございました。

170ラピ。:2018/07/19(木) 07:30:33
日和るさん

なにについて回答したらよいですか??

171日和る:2018/07/19(木) 07:50:57
私は何もしてない考えてもないが肉体は自動運転で動いている
その行動は「過去の性格、好みそのまま」のようだ。ただそれ。であるが、その肉体行動は「私ではない」
「思考も感情も」わかるが「自己の持ち物ではない」。。。という感じですかね。
楽ちんこ道さんは、私、自己としてるが、ここの違いかというところです。

172ラピ。:2018/07/19(木) 07:55:48
>私は何もしてない考えてもないが肉体は自動運転で動いている
>その行動は「過去の性格、好みそのまま」のようだ。ただそれ。であるが、その肉体行動は「私ではない」
>「思考も感情も」わかるが「自己の持ち物ではない」。。。という感じですかね。
>楽ちんこ道さんは、私、自己としてるが、ここの違いかというところです。

これ全部 日和るさんの感じた事、思ったことですね。

また楽ちんこ道さんがどういうひとなのかわからないのでお答えしようがありません。
(だからいろいろ聞いたのですが、それだけではわかりませんね)

173日和る:2018/07/19(木) 07:56:55
あと、先の内面がないという私の理解が違うなら、わかってないねぇでなく、回答をってことですね。

174日和る:2018/07/19(木) 08:41:04
>これ全部 日和るさんの感じた事、思ったことですね。
そうですよ。だから、その違いは?どうでしょうか。楽ちんこ道さんは省きましょう。
追記、普通は自分の目で見てですが、「そのもの」の場合は、違う見え方?するのですか?
あ、もしかするとブログに詳細書かれてます?
私は掲示板からで、「自我消滅」で参入しただけであるのならそちらから読みますが

175日和る:2018/07/19(木) 09:03:40
釈迦の余談ですが、悟り後もバラモン教などからの抵抗迫害はあったようですね。(by ブッダ手塚治虫書)
あ、それから、自我、無我を行ったり来たりは、お坊さんなどは「呼吸と呼吸の間」って表現したりはしますね。

176苦集滅道:2018/07/19(木) 18:55:42
らぴ。さんへ・・・読み返してみました。改めて聞かせて下さい。

以下、らぴ。さんの記述より
>そうだなぁ。自我を別の言い方をすると、意識、意図、意志
>人は理由や目的が行動には必要ですよね?
>さぁ行動しよう!という意志が必要ですよね。
>嫌々行動する、、、という、嫌々も同じ。
>行動には必ず何かが付随していますよね?普通。
>自我がなければ理由、目的、意志は必要なく動けます。
>行動に付随するものがない。
>(理由、目的、意志、これらがないです)
>例えて言えばそんな感じ。
>苦集滅道wさんがこれらの言葉を聞くと、何とも言えない感じがしますか?

>私からしたらすべてがオートマチックでらくちんです。
>抵抗、苦悩それらもない
>ない、ない、ないです。
らぴ。さんの記述ここまでです。以下、苦集滅道wにて。

>>苦集滅道wさんがこれらの言葉を聞くと、何とも言えない感じがしますか?
反射的な行為・・・例えば、車から勝手に体が逃げる。猛獣?から 身を護ろうとする。
おぼれた子供を観て、川に飛び込む。
そうした行為には、目的を思考する「間」もなく、行為に直結することがありますよね。
反射的、刹那的、考えることなしの行為、特に 危険から身を護るトキに多く経験しますよね。
あと、スポーツとかで 身体を動かす場面では、やはり 条件反射的な「思考」なき行為もありますが。

・・・それは、らぴ。さんのおっしゃる、身体の名残・・・とは、違ったものですか?
その連続と考えることは、的外れなものでしょうか?

>>私からしたらすべてがオートマチックでらくちんです。

・・・「思考」が介在しないということは、楽であると私も思います。
ただ、総てがオートマチックという感覚は事件や出来事に際しては 
感動とか 歓びとかが 感じられないような気がしますが、そうではないのですよね?
オートマチックとして表現された らぴ。さんの体の名残からの感想っていうのは、
「何もしない」から、「していること」が、自動であると感じたものでしょうか?
何もしてないけど、何かが起きていくので、自動である。
そんなニュアンスですか?

177ラピ。:2018/07/19(木) 19:02:39
日和るさんって、何がしたいのですか?

178日和る:2018/07/19(木) 20:37:19
えっ? 何が。。。いま、ですか。
いまPC開けて、私の問いへのラピさんの回答が早く読みたい。
ですが。

179ラピ。:2018/07/19(木) 21:25:12
日和るさん

>えっ? 何が。。。いま、ですか。
>いまPC開けて、私の問いへのラピさんの回答が早く読みたい。
>ですが。

そういう意味の質問ではないのですが、ま、いっか。(笑)

>私は何もしてない考えてもないが肉体は自動運転で動いている
>その行動は「過去の性格、好みそのまま」のようだ。ただそれ。であるが、その肉体行動は「私ではない」
>「思考も感情も」わかるが「自己の持ち物ではない」。。。という感じですかね。
>楽ちんこ道さんは、私、自己としてるが、ここの違いかというところです。

そもそも、この質問の意味がわからないです。
私はそんなこと言ってないし、 日和るさんの解釈がわからないです。

>あと、先の内面がないという私の理解が違うなら、わかってないねぇでなく、回答をってことですね。

内が無かったら外って、、、。
内も外もないんです。

>普通は自分の目で見てですが、「そのもの」の場合は、違う見え方?するのですか?

見る、ではなくて見える、という例えで言えるかな。

>あ、もしかするとブログに詳細書かれてます?
さぁ、書きましたっけ? (ほんとに覚えていない(笑)

>私は掲示板からで、「自我消滅」で参入しただけであるのならそちらから読みますが
この文の意味がわからないです。

180ラピ。:2018/07/19(木) 21:29:15
苦集滅道さん

>反射的な行為・・・例えば、車から勝手に体が逃げる。猛獣?から 身を護ろうとする。
>おぼれた子供を観て、川に飛び込む。
>そうした行為には、目的を思考する「間」もなく、行為に直結することがありますよね。

そうですね。そう、その状態に近いかもです。
このときって、空っぽだよね。
行動そのものになっていませんか?
体なんて気にならず、どうやって、なんて思考もない。
何も考える必要なく、できてしまう、という感じ。
その状態が普通となっています。

>反射的、刹那的、考えることなしの行為、特に 危険から身を護るトキに多く経験しますよね。
>あと、スポーツとかで 身体を動かす場面では、やはり 条件反射的な「思考」なき行為もありますが。

反射的な行動とは違いますが、例えて言えば思考なくの行動です。

>そうした行為には、目的を思考する「間」もなく、行為に直結することがありますよね。

厳密には違いますが、近いですね。(そもそも目的や意図はないので思考しようがないです)

>・・・それは、らぴ。さんのおっしゃる、身体の名残・・・とは、違ったものですか?
>その連続と考えることは、的外れなものでしょうか?

身体の名残とは、
私は自我がないと言っていますがまったくの記憶喪失の状態ではないのですね。
(ただし、その記憶すらも かすか です。周りの人が覚えてくれているから、というのもあるかもしれない)
かすかな記憶があるのであれば、この世界と「 」をつなぐのは体です。
(つなぐ、というのは例えで厳密にはそうではありませんが)
それを例えで名残、といいました。

体の名残とはそんな感じです。


>>私からしたらすべてがオートマチックでらくちんです。
>・・・「思考」が介在しないということは、楽であると私も思います。

そうですね。

>ただ、総てがオートマチックという感覚は事件や出来事に際しては 
>感動とか 歓びとかが 感じられないような気がしますが、そうではないのですよね?

感動、歓びなど、 苦集滅道さんが今、感じているものとは違いますが
例えて言えば、あります。

ただ、感じる対象がないから、感動したり、喜びを感じたりするわけではないです。
うまく言えませんがやはり、そのもの、って感じ。
感動や喜びを感じるのではなく、感動や喜びそのもの。

>オートマチックとして表現された らぴ。さんの体の名残からの感想っていうのは、
>「何もしない」から、「していること」が、自動であると感じたものでしょうか?
>何もしてないけど、何かが起きていくので、自動である。
>そんなニュアンスですか?

この状態については体の名残はないです。
そして何もせず、しかし、できてしまう、といった感じです。

>「何もしない」から、「していること」が、自動であると感じたものでしょうか?
違いますね。
しないも、するもないのですね。また、感じることはありません。

>何もしてないけど、何かが起きていくので、自動である。
こっちのほうが近いかな。

ただし、何もしていない、というのは「何もしない」と決めてそうするのではなく
何もできない、のほうが表現的に近い。

自我がないからできない。しかし、できてしまう。
それを「〜することなくする」と言っています。

181日和る:2018/07/19(木) 21:44:01
>私は掲示板からで、「自我消滅」で参入しただけであるのならそちらから読みますが
この文の意味がわからないです。
深い意味はなく、ググったらたどり着いたの意味です。

>さぁ、書きましたっけ? (ほんとに覚えていない(笑)
記憶がすぐ消えるって方を知ってます。
忘れる(憶えていない)ってのは共通であるようですね。

>見る、ではなくて見える、という例えで言えるかな。
ぜひ例えを聞きたいですね。

>内が無かったら外って、、、。
内も外もないんです。
ええ。そのものってことでしょうが、もう少し具体的。。例えを。

>日和るさんの解釈がわからないです。
まぁ、その解釈の違いを書いてほしいと書いてるのですが、わかりませんでしたか。
一点、名残の肉体は書かれてましたが、記憶、性格、好みも残ってませんか。
それとも名残の肉体だけで、以前の記憶、性格、好みなどないのでしょうか。

そんな所ですが、通じませんか。

182ラピ。:2018/07/19(木) 22:43:21
>深い意味はなく、ググったらたどり着いたの意味です。

ほんとにわかりませんでした(笑)どんな深い意味?

>記憶がすぐ消えるって方を知ってます。
>忘れる(憶えていない)ってのは共通であるようですね。

さぁ、どうですかね

>>見る、ではなくて見える、という例えで言えるかな。
>ぜひ例えを聞きたいですね。

↑例えをすでに書いています

>>内が無かったら外って、、、。
>内も外もないんです。
>ええ。そのものってことでしょうが、もう少し具体的。。例えを。

どんなに例えたらいいでしょう?
外も内もない、それだけですが?

>>日和るさんの解釈がわからないです。
>まぁ、その解釈の違いを書いてほしいと書いてるのですが、わかりませんでしたか。

その解釈がわからないから違いを書きようがないです。

>一点、名残の肉体は書かれてましたが、記憶、性格、好みも残ってませんか。
>それとも名残の肉体だけで、以前の記憶、性格、好みなどないのでしょうか。

さぁ。

何を書いても 日和るさんは自分のものさしで解釈して意味づけて
私の言っていることをそのまま受け入れようとはしませんからね。

183日和る:2018/07/19(木) 23:14:41
あ、通じないのか振りなのかなんでしょね。
仕方ありません。
でも苦集滅道さんので「そのもの」って大体分かりました。
ので、もう、書込みはしません。よ。
ご安心下さい。

184日和る:2018/07/19(木) 23:50:46
掲示板のやりとりで思いましたが、「そのもの」でも、人同士、対人のやり取りでは、自我が現れる気がします。
楽ちんこ道さんもおっしゃってました。確か。
なるほどです。
あくまでも解釈です。

185苦集滅道:2018/07/20(金) 00:00:15
Ⓐ>その状態に近いかもです。
 >このときって、空っぽだよね。・・・空っぽの意味合いが伝わりました。

Ⓑ>感動、歓びなど、 苦集滅道さんが今、感じているものとは違いますが
 >例えて言えば、あります。・・・「今、感じているものとは違います」で、(私の場合は)了解です。

Ⓒ>ただ、感じる対象がないから、感動したり、喜びを感じたりするわけではないです。
 >うまく言えませんがやはり、そのもの、って感じ。
 >感動や喜びを感じるのではなく、感動や喜びそのもの。
 >自我がないからできない。しかし、できてしまう。
 >それを「〜することなくする」と言っています。
・・・ようやく、「対象」って言葉にしている「対象」の意味合いが、解けてきました。

で、Ⓐ〜Ⓑを総括して、言えることがあります。
勿論 私の勝手なイメージですが・・・
「 」が、人の意志をすりぬけて、直接に「歓び(例)」のままを感じている。
・・・って、書くと らぴ。さんには だめだしされます。(爆)

「 」は人を介さない。「 」は、何も介入するものがいない。
・・・これでも、ダメ出しは続きます(笑)

「  」は、私には 説明ができない。ただ、愛のあるトキ、感動のあるトキ、歓びのあるトキ
静寂にあるトキ・・・にだけ、そのスガタを あらわにするものである。
・・・うん、こんなカンジかな。渾身の詩集より。。。w

186苦集滅道:2018/07/20(金) 00:18:47
日和さん、お疲れ様です。よくぞ、らぴ。さんから 色々と 聞き出してくれましたね。ありがとう。
私も そこから(らぴ。さん語録w)質問しますからね〜〜。

↑のⒶ〜ⒷをⒶ〜Ⓒに訂正。www

187らぴ。さん語録:2018/07/20(金) 07:09:46
らぴ。さん語録(編集:苦集滅道)


【肉体の苦痛】
>自我が消滅してから、人と何が共通なのだろうとすると、体なんですね。
>切ったら血が出る。一緒ですよね。
>切れば血が出るし、たたけば痛い。
>だって体には神経があるからね。
>しかし、痛がる人はいない、う〜ん、表現しがたいです。
>痛いなら痛みそのもので、痛む人はいなくて痛みそのもの。
>例えて言えば、喜怒哀楽はあるでしょうね。
>悟る前よりストレートかもしれません、例えて言えば自我というストッパーがないですから。
>かといって、人に迷惑はかけませんよ、それくらい常識でしょう。
>(かつての人としての名残)

【人の法則】
>何度か書きましたが、悟る前の名残である、例えて言えば体が存在しているため
>(しかし、認識するものでない)
>人の法則は体には当てはまります。


【感情】
>また感情については、私はかつて例えて言えば人でしたので
>感情がわからない、という例えは使いません。
>感動や喜びを感じるのではなく、感動や喜びそのもの。

【オートマチック】
>ただ、何もできない、これはなんだ?という状態になったのですね。
>でもできるんですね。
>自我が消滅して苦から解放された。それだけなんです。
>だから私はこの状態を説明する必要もありません。
>その状態が私にとって、普通だから主張する必要もない。
>何もしないというのは、何もしないもするもない。
>する、しない、のしないではないのはご存知ですよね?
>本当に、私は意図なく動くことができるんですね。
>何もしなくてもできるんですね。

【行為者の不在】
>っていうか、私、そもそもなんもしてないんです。
>この掲示板に書き込みしているように見えます?何もしていないんです(笑)
>何もすることなくできるんですね。
>自我がある方であれば、苦しんでる方を手助けしたい、助けたい、
>お手伝いしたいからブログを書くんですかね。
>そんなのなくても書くことなく、書けるんですよね。
>続ける理由もなく、しかしやめる理由もない。

【自我】
>自我がないからできない。しかし、できてしまう。
>それを「〜することなくする」と言っています。

188ラピ。:2018/07/20(金) 16:17:16
>あ、通じないのか振りなのかなんでしょね。

ほんとにわかりませんのよ(笑)

>掲示板のやりとりで思いましたが、「そのもの」でも、人同士、対人のやり取りでは、自我が現れる気がします。

これは 日和る さんの常識に当てはめて見るからですよ。
現れたり消えたりするのなら「消滅」って言葉は使わないです。

日和る さんに嘘はまったくついておりません。
信じられないことばかりかもしれませんが、嘘はついておりませんので
ちょっと、「もしかして、そういうこともあるの?」と思っていただけたら。
少しでも、、、。
そうすれば日和るさんの可能性が広がるのではないでしょうか。
しかし、信じるひつようはないですよ、もちろん。

189ラピ。:2018/07/20(金) 16:20:51
苦集滅道さん

>「 」が、人の意志をすりぬけて、直接に「歓び(例)」のままを感じている。
>・・・って、書くと らぴ。さんには だめだしされます。(爆)

はい、ダメ出しを、、、笑
「 」の状態ではすでに人も意志はないのです。
そして歓びを感じるのではないですよ〜。
直接、という言葉を使って 苦集滅道さんが表現したいことはわかりますが
感じるのではないのです。


>「 」は人を介さない。「 」は、何も介入するものがいない。
>・・・これでも、ダメ出しは続きます(笑)

なはは〜
苦集滅道さんの言いたいことはわかります。
「 」の状態で人はそもそもいないからなあ、、。
>「 」は、何も介入するものがいない。
これはちょっとイイ感じかな。

>「  」は、私には 説明ができない。ただ、愛のあるトキ、感動のあるトキ、歓びのあるトキ
>静寂にあるトキ・・・にだけ、そのスガタを あらわにするものである。
>・・・うん、こんなカンジかな。渾身の詩集より。。。w

すてきな詩となっております、、が!(笑)

ちなみに常に「 」であり、姿を現したり消えたりするものではないのです。
「 」そのもの、常にそうであります。

「 」はなにもすることなく愛であり、感動であり、歓びである
何も遮るものはなく、ただただそうであるのみ。


らぴ。さん語録 !!

あの、、。何も書いていないのでこれらの言葉はラピ。のものではないんです、例えていえば。
そう、書いたっけな〜(と例えて言えば他人事なのでした笑)

190らぴ。さん語録:2018/07/20(金) 17:21:01
らぴ。さん語録 !!・・・を らぴ。さん個人が所有するものでないことは 承知よw
じゃさ、真理の言葉・・・でいい?はずかしいでしょ?(爆)
うん、この言葉集は いいものとなってます。これだけ 読めば ぴんとくる人もいる。
何か この中から質問をしたかったのですが、もともとが解答なので、質問がないです。

さて、いじってもらったようですので、感想など 書いてみます。

>ちなみに常に「 」であり、姿を現したり消えたりするものではないのです。
「 」そのもの、常にそうであります。
・・・そう、そうであって 悟り?なのだと思う。
一切皆苦・・・は、自我ありきの諸相。。。一切皆空だけが 悟り人の諸相なのでしょう。

らぴ。さん語録を 読むと、既読したことのない 新しい表現に充ちていることがわかる。
今までの情報・知識には なかった、初めて聞くようなことで 充ちている。
それは、言葉でもそうだし、その言葉に表現する感覚も、勿論 その感覚・感性自体が、今までには、なかった。(かすっている部分は、あるにはあるが。)
この感性・感覚・状態?の中で 生きていること。たぶん、それが 真正の悟りなのだろう。
では、今まで 私が「悟り」として 組み立ててきた「理解と体感」とは 何だったのか?と言えば、それこそが 自我の活動そのものであったに違いにない。
今まで、自分と同じように 自我の活動範囲の中で 自我の活動を悟りとして提示している「自称覚者」様の言葉や示唆に左右されてきた事自体が、自我(笑)

で、別に、誰が目覚めとか覚醒とかを語るとも、それ自体が・・・自我。で、私自身も全部が自我であることが
通説に認識されました。結局、どこかで 自分は違っている、悟りに近い精神にある・・・っていう自負があったのだけれど、もう そんな考えも思いも 無関係に、自我だとわかったwww

すると、自分が何らかのカタチで苦しんでいるのは、自我だから、っていう簡単な結論で終わり、
「悟って苦しみから脱却したい」という思いが、実は 自我をいじくりまわすことに繋がっていただけで、根本的な解決の道には 通じていなかったことが、わかりました。

悟ると苦しみがない。これは、苦しむ人がいないから 苦しみがなくなる。。。に、認識が変わりました。
苦しむ人がいない。・・・うん、確かにそれは わからないわ(笑)想像もしようがないわ。

191ラピ。:2018/07/20(金) 21:37:16
らぴ。さん語録さん

くーさんよね?(笑)

>じゃさ、真理の言葉・・・でいい?はずかしいでしょ?(爆)
わははは!ほんとやね!(笑)

>うん、この言葉集は いいものとなってます。これだけ 読めば ぴんとくる人もいる。
>何か この中から質問をしたかったのですが、もともとが解答なので、質問がないです。

くーさん、いろんな点でセンスあるよね。さすが!

>それは、言葉でもそうだし、その言葉に表現する感覚も、勿論 その感覚・感性自体が、今までには、なかった。(かすっている部分は、あるにはあるが。)
>この感性・感覚・状態?の中で 生きていること。たぶん、それが 真正の悟りなのだろう。

感性・感覚はないかな。状態は例えで使うかな。そして生きることなく生きています。わけわからんよね(笑)

>では、今まで 私が「悟り」として 組み立ててきた「理解と体感」とは 何だったのか?と言えば、それこそが 自我の活動そのものであったに違いにない。
>今まで、自分と同じように 自我の活動範囲の中で 自我の活動を悟りとして提示している「自称覚者」様の言葉や示唆に左右されてきた事自体が、自我(笑)
そうですね。自我がしっかりあるのに、悟ったと勘違いしてしまうことは問題です。

しかし自我の活動 (自称覚者の活動はだめだけど) 、すばらしいのですよ。自我があるから頑張れる、例えていえば自我があるから悟れる。
そして例えていえば、その自我の活動を極めたところに
うんと、、例えていえば、自我が存在できないくらい究極に極めれば
自我が存在できなくなって勝手に消滅します。

自我を消滅させようとしても決して消滅できません。消滅させようとすると、消滅した気になることもある。
消滅させようとするのではなく、自我が存在できない状態にすること(くーさんなら、なんとなくわかるかな)
そうしたら例えていえば ある変化によって「?」という時が来る。
この時「あ!消滅した!」なんて言葉は全く当てはまりません。全くですよ。
「消滅した!」なんて言えるときはまだ自我が残っています。

>で、別に、誰が目覚めとか覚醒とかを語るとも、それ自体が・・・自我。で、私自身も全部が自我であることが
>通説に認識されました。結局、どこかで 自分は違っている、悟りに近い精神にある・・・っていう自負があったのだけれど、もう そんな考えも思いも 無関係に、自我だとわかったwww

私もクーさんと同じ状態の時がありました。その状態を悟った後にこう例えました。
「悟りに近くて、最も遠い」
いいとこ行ってるんだけど、それ自体が道を邪魔する。
そう、かつての経験はさっぱり捨てなければならない。私も同じでした。基本にもどることが大切。私はそうでした。

>すると、自分が何らかのカタチで苦しんでいるのは、自我だから、っていう簡単な結論で終わり、
>「悟って苦しみから脱却したい」という思いが、実は 自我をいじくりまわすことに繋がっていただけで、根本的な解決の道には 通じていなかったことが、わかりました。

ちなみに付け足すと「悟って苦しみから脱却したい」これは悟りの道のきっかけにはなりますね。
しかし、それはきっかけとして使い、その後捨て去るべきものです 、ご存知の通り。ここを間違うと例えていえば絶対悟れません。
私のかつての場合を例にすると。私は完璧な良い人になりたかった。そしてどうすれば良い人になれるかを考えまくった。
自分なりの答えがでた。それを一生し続けようと決心した。それが私の生きる道となった。
それを実行すると決めたら、「完璧に良い人になる」という目標は忘れて、自分の決めたことをひたすら実行し続けた、結果を思うことなく。
(自分は良い人になった!と思った時点で終わりなのです。なんとなくわかるかな。偉そうだよね(笑)
結果を思ってしまったら、それは想像、幻想、妄想で終わる。(悟りについても同じ)
結果を想像することは、道の妨げになります。本物になりたかったら、想像しないことです。想像の結果が嫌なら。

>悟ると苦しみがない。これは、苦しむ人がいないから 苦しみがなくなる。。。に、認識が変わりました。

うん、苦の根源が消滅したから苦が起こりようがない。例えていえば起こそうとしても起こりようがないのです。

>苦しむ人がいない。・・・うん、確かにそれは わからないわ(笑)想像もしようがないわ。

くーさん?(笑)キャラクター変わってる?(笑)あは!(と勝手に苦集滅道さんをくーさんと呼ぶ(笑)

192日和る:2018/07/20(金) 22:29:59
嘘とは思いませんが。。。
やりとりの中で、深い意味はないに、対して、>どんな深い意味??。。??話の噛み合なさと、
>さぁ。。。。っていう回答。
至極希少であろう「そのもの」との対話が、「書込み」と「そのもの」自体に興味が失せました。

です。ね。

193日和る:2018/07/20(金) 22:30:50
あ、ありがとうございました。(もれです)

194苦集滅道:2018/07/21(土) 07:46:12
生涯苦悩ありき(一切皆苦)で、生きるしかないと 思ってきましたが、そうでも ないかなぁ・・・と、心が動いてきました。

自我を終わらせても いいかも・・・って、納得してきました。

苦しみの根本は 自我にある。・・・これも人生の学習知ですね。

たいていの人は、自作自演の苦の正体には届かないし、また どうしようもなく、

生きられないような 苦悩になんて 滅多に遭遇しませんからね。

(遭遇したら、起因にはなる。自我終焉へのね。)

苦・楽を交互に体験している内に 生涯が終わっていることでしょう。

幸いにも 私は、もう 自我の苦悩に あきがきた。

苦悩の度に、自我でそれを解決させていく作業が、面倒なのだ。

いっそ、自我を終わらせて 苦悩というめんどくさい体験値を 終わらせようと

思い始めました。(わりと、真剣。わりと、本腰)

苦悩の根本が 自我だとわかってるのだから 自我を終わらせて 苦悩なき・・・を 過ごそうと思う。

歩き出すか、最後の人の道筋を。・・・と、思い始めているだけ(笑)

195苦集滅道:2018/07/21(土) 11:13:47
まぁ、苦悩という仕組みにあきがきたからといって、終わるほど自我は 甘くないよなぁ〜。苦悩は 仕組みだと思う。こうすれば こうなるという 計算できる 因果応報、原因と結果。その体感・体験が 言ってみれば自我。
自作自演の一人芝居の主人公・自我意識。ここから 経験者が 抜かれた状態が 「  」である。(のだろうw)・・・こう 書いとかないと うるさい人いるからなwww

>至極希少であろう「そのもの」との対話・・・って書いてる人もいるので、聞けることは 何でも聞いておこう(笑)

Q1:おみうけしたところ、ユーモアのセンスもあり、感情の入る文面もちらほら感じとれるのですが、個性・・・って多分に 名残があるのでしょうか?
  
Q2:私達が 持つ、これはこう、あれはああだ・・・といった、固定観念、別名 概念って言われてる 思い込み・・・って、悟り後に、残るの?
  ・・・会話の中で 相手を「こうだ」って 決めてかかるものが、多々見受けられますが、
  人時代?の名残は 相手への先入観とか 経験知からの「こうだろう」といった 分析能力もそのままなのですか?
  常に 新しい 真白の観点から 物事が観られている訳でもないのですか?

Q3:昨今のスピ系ブログとかでは、目覚め・・・というロゴがさかんに使われています。なじみがなくて意味が解らないかもしれませんので、簡単に説明しますと
  自分の正体に気が付く、地上の「夢」から 目覚める、っていう意味合いなんです。
  
『人は その目覚めを目指しているものであり、たくさんの人が目覚めることで、地上の変革・進化向上が著しく 促されていく。全員の目覚めが、目的で、そうなっていく。』
・・・こんな風なニュアンスを語る人がスピちゅあるリーダーと言われる人には多いのですが、・・・この観点っていうのは、全く悟ってない人の 自我への啓蒙と妄想に、私は思えますが、
らぴ。さんは どう思われますか?

Q4:スピに傾倒する人達が、瞑想法を習うにお金かけたり、セミナーや講演会にあししげく通い詰めることは 珍しくもなく、彼らの自由ではありますが、もし 悟りへと向かおうとする人がいれば、彼らの行為は
的を外れたものように 思うのですが、どう 思われますか?つまり 瞑想法にお金かけて、神社参りに時間とお金かけて、講演会の追っかけをすることも・・・悟りへの重要なポイントなのでしょうか?

Q5:よく、世界も個人も 根底は「ひとつ」であり、我々の意識も 根底では「ワンネスの意識」である。そうした ことが、まことしやかにスピリーダ達から語られていますが、
「ひとつ」「ワンネス意識」について 思うところがあれば、教えて下さい。

Q6:この世界(社会・地球上の国々・生きている人達等)は、今のままでいいと、納得されますか?世界の不幸も 個人の不幸も あるがままに思いますか?それとも 違和感を感じていて 進化・変革・変容が
必要であると思われますか?

196日和る:2018/07/21(土) 11:36:09
苦集滅道さんへ

苦が消滅は宜しいのですが、どうも自我という観点はまだ疑問は残るのですね。頭の整理をしてみました。自我の捉え方は同じかなと思い再度書いてみます。「見える」世界は幻想ですと学んできました。
自我が生まれて創造されるものだと。
死して、苦は消滅。自我消滅して苦が消滅する。
このふたつは「見える」の存在が消えるのだ思います。
さて、「見える」世界はそのままで、「そのもの」だから「苦」は一切無い。のでしょうが、それだと自我は消えてますかね。先に記した見える世界は自我の投影ではあり、そう学んで理解してます。
つまり、自我が消滅なら「見える」世界も無くならなければ話が合わないわけです。とすると「見える」世界は自我の投影だけでは無いということになりますね。または、自我が消えたのでは無く、そうだとするなら「意識」に統一されたのではとも。そうすると「見るもの」だけであり「苦」は無い。わかりますかね。ありがとうございました。

197苦集滅道:2018/07/21(土) 13:47:51
うん わかるよ〜〜。

自我が無かったら 死んでるやないかい〜〜〜って ことでしょ?

でもね、らぴ。さんは 生きてる、たぶんね、肉眼で確認してないけど、たぶん どっかにはいると思うよ(笑)

だから、らぴ。さんが ないとする自我と、我々が ないと死んでるとする・・・自我の示すものが違ってる。

だから、自我って何か・・・この共通の認識が最初にないと、お互いが違うものを 自我だと定義しているので、

かみ合わないことは 必然よね?

我々が 自我だと思う 事象?中味?内容?で、らぴ。さんが 保有しているものは、らぴ。さんに言わせれば 自我じゃないことになる。

肉体は たぶん、らぴ。さんも持ってる。アンドロイドでないとすればね(笑)あとコンピュータ頭脳だけっていう線も消せないかな?(笑)

肉体は自我じゃない。で、ちゃんと 考えて話してるよね?(書いているよね)だから 普通に思考回路も 持ってるよね?コンピュータ頭脳かもしれないけどw

で、ウイットにとんだ会話もついていってるから、普通に 人の感性ってあるよね?

たぶん、眼に見えるものも 見えるだろうし、臭いものは臭いと判断する 能力もあるw

おそらく、我々が五官によって 感知・感得するものは らぴ。さんも 同じように 感知・感得できるのだと思う。

肉体の痛みも 痛いってわかってる風だし、切れば血がでるらしいから アンドロイド説は消えるよね?

コンピュータ頭脳だけって線も 消えるwww

たぶん、見た目には 町中を歩く お嬢さん(よいしょw)と 何も変わらない。

すると、自我っていうのは、内面あるものだと、誰にでも想像がつきます。

じゃ、内面にあるものって、何か?

これは、誰に聞かなくても 私なら私の内面にあるものがわかるし、日和さんなら日和さんの内面にあるものがわかるよね?

で、らぴ。さんが 例えば宇宙人で、地球人とは内面が違っているなら、想像もできないけども、

たぶん 日本国籍はあると思うので、その 内面も私達とは変わらないと仮定wする。

さて、私と日和さんが 内面に所有しているもので、らぴ。さんには 無いものがあります。

それは 何でしょう?それが、らぴ。さんが、自我を指し示している ものです。

・・・答えは 全部です。だって らぴ。さんは 内面がないって書いてるからね。

故に 我々が 内面として感じているもの 一切が その内容のどうこうに関わらず、らぴ。さんには

・・・じゃ、じゃん・・・ない。

内面が ない・・・? 内・外の判別認識が・・・ない?

でも 肉体の痛みもあり、眼も見えているし、たぶん 話せる。

肉体の機能も そのままにあるから 生きるには、困らない状態にあるのが らぴ。さんなのだ。

だから 我々が考えている 自我のイメージが たぶん、生命とか 魂とかに置き換わっているので、

らぴ。さんが ちゃんと生きている、ことに 疑問がわくのでしょうね。

君の名誉は はらしといたぜぃw

198苦集滅道:2018/07/21(土) 14:32:22
>「見える」世界は幻想・・・?は、見える世界に「幻想」を加えているように 私は 思いますよ。
だから、自我の消滅は 見える世界への幻想の消滅。私風には ですが。

>「意識」に統一されたのでは・・・これは 私も「  」と自我の溶け込み、とか 融合とか、壁がなくなるとか、
色んなイメージを持ちましたし、自我は最初からなかった、とも定義しましたが、それも ある人にだめだしされました。

なくなったことが わかるのだから、やはり あるものとして認識が可能なのでしょう。
近いのは 心。心がない・・・なんて 想像もつかないでしょう?私もよ(笑)

199苦集滅道w:2018/07/21(土) 15:23:16
心とは?

>体に対し(しかも体の中に宿るものとしての)知識・感情・意志などの精神的な働きのもとになると見られているもの。
>また、その働き。 「―ここにあらず」(うわのそらだ)

意志は自我と らぴ。さんは、言ってるので、知識と感情はどうか?知識は 忘れていくものが大半だが、一時的には記憶に残ってるらしいw
感情は 喜怒哀楽はあるが、僕の喜怒哀楽とは 違っているらしいw

・・・そこから導き出される 答え・・・とは?・・・続く。。。つづくんかい〜〜〜w

200日和る:2018/07/21(土) 15:56:51
苦集滅道 さん
一点だけ。
>「見える」世界は幻想・・・?は、見える世界に「幻想」を加えているように 私は 思いますよ。だから、自我の消滅は 見える世界への幻想の消滅。私風には ですが。
この「幻想」は精神世界の入りはじめに、とあるA氏に問い掛けました。応えはなかったですが、他の方にも期待しましたがなかったです。仏道では「全部、夢の中」と表現されますね。
それから、量子物理なんたらも現実はホログラムという説の発表されてるらしいです。理解するは全部が幻想、夢。しかし、書かれた「個」の幻想も加えられる仕組みと思います。
A氏への質問には、他者間同士の絡み具合はどうなのかも含めての問いでした。その後も一瞥者でも応えていませんね。

201苦集滅道:2018/07/21(土) 17:17:47
>仏道では「全部、夢の中」・・・ですか、・・・らぴ。さんに聞きましょう。
その表現は 的確ですか?

202苦集滅道:2018/07/22(日) 09:24:07
>・・・そこから導き出される 答え・・・とは?・・・肉体を着た「  」。肉体を着た「私」ではない。

203ラピ。:2018/07/22(日) 09:50:49
苦集滅道 さん
>Q1:おみうけしたところ、ユーモアのセンスもあり、感情の入る文面もちらほら感じとれるのですが、個性・・・って多分に 名残があるのでしょうか?

かつての私とは違うかもですね。かつては結構真面目でしたから(たぶん笑)
例えて言えば、もう固定するものがないので何にでも応用が利く、といった感じかな。
適当です(笑)しかし嘘はついてませんよ(笑)

>Q2:私達が 持つ、これはこう、あれはああだ・・・といった、固定観念、別名 概念って言われてる 思い込み・・・って、悟り後に、残るの?

これは苦集滅道さんがそう捉えているだけで実は違います。
悟りについては私の状態を言えばいいわけで
私の状態でそういいようがないことについては「違うよ」としか言いようがないです、
それでいて、そう例えることができないよ!ということがほぼ全部、なんです。

私の状態でそう例えれないことについて、別に指摘する必要もないのですが(どう思おうと自由ですもんね)
それでいいなら、否定はしません。そう例えられないけど、苦集滅道さんはそう思っているのね、で終わりです。

>Q3
説明ありがとう。目覚めも気づきも私からしたら思い込みだと思います。
しかし、そう言いながらそのご本人が苦から解放されているならいいと思いますが、、。
しかし、私の状態では目覚めもないし、気づきもないです、
なぜそんな言葉を使うのだろう、私の状態ではありえない、という時に
それは悟りではない、という言い方になります。

>Q4
そのようなことは全く必要ないことが、私のかつての経験からわかると思います。
出家、ひつようなし!お金、かける必要なし!
>瞑想法にお金かけて、神社参りに時間とお金かけて、講演会の追っかけをすることも・・・悟りへの重要なポイントなのでしょうか?
全く必要ありません、もちろん自由ですが私はそういったこと、やってなくて今の状態になったので。
神社詣りについては心の支えくらいにはなるのかな?なぜ行くのかな。

>Q5「ひとつ」「ワンネス意識」について
どういう例えでそう言っているのかわからないけど 例えば誰かが本や記事などで一度そう表現すると
それに当てはまる事柄を自分で見つけて「ワンネス意識」と言っているんじゃないかな。
多分、 それぞれが「ひとつ」「ワンネス意識」という言葉を使っても
それぞれが違うことを言っていると思います。(それぞれが違く感覚)
私の状態だと感覚そのものが例えて言えばないので、そうなったら(例えて言えば悟ったら)誤解しようがないです。

>Q6
言いたいことはわかります。
基本に戻れば私の状態では世界がないので、そして何もできないのですね。
しかし言えることは私の状態になれば
誰かに危害を加えたり、自分のことだけを考えて周りはどうでもいいということはあり得ない、ということです、対象がないから。
そして私の状態では苦もありません。
例えですがうまく伝わるといいです。

204ラピ。:2018/07/22(日) 10:29:16
>自我の消滅は 見える世界への幻想の消滅。私風には ですが。
この表現だと、世界はあって、その世界を幻想と捉えることなく世界そのものを見ることができる、という意味ですか?

>この「幻想」は精神世界の入りはじめに、とあるA氏に問い掛けました。応えはなかったですが、他の方にも期待しましたがなかったです。仏道では「全部、夢の中」と表現されますね。

まず、普通に生きていたら幻想は存在します。
どうやっても幻想はあるんですね。
どうやって悟るかというと(←例えですが)その幻想を利用します。
愛という幻想を心底精一杯生きていくと幻想は存在できない状態になって幻想の愛が消滅する。するとどうなるか?そうなる。
(愛という幻想を否定しない。これらは喜びを生むのだから、ある意味、素晴らしい)
心底そこまで精進することが大切です。

>理解するは全部が幻想、夢。しかし、書かれた「個」の幻想も加えられる仕組みと思います。
>A氏への質問には、他者間同士の絡み具合はどうなのかも含めての問いでした。その後も一瞥者でも応えていませんね。

人の世界はある意味、幻想で出来ていると言えるかもしれない。
思い込み、誤解、言っていることが伝わらない、この時点で例えて言えば幻想。
なぜなら、自分はそう言っていないのに、とうまく伝わらないことが多々ある。
本当に幻想でなく真実であれば必ずみんなに伝わるはずだから。
そして伝わらない、誤解されることから苦は生じる、ご存知の通り。

その幻想を打破するために精進して幻想の原因である「思い込み」「誤解」「人それぞれ違う」が消滅する。

悟った人と、そうでない人の間では
そうでない人に疑惑、誤解が生じている。(この掲示板でもそう)
しかし、悟った人からしたら全部見えているので、疑惑も誤解もない。

言っていることが伝わらない、と思われているかもだけど
そもそも的外れな内容(質問)は、応えようがないです。
言いたいことはわかるけど、、、という感じもある。
または幻想を言っている場合、本当にわからない。(つじつまがあっていない)
だから誤解なく「わからない」と例えていえば言う。

>理解するは全部が幻想、夢

これが真実だとして、ではどう生きるか?
私の場合、普通に生きている間は「絶対的な真実がある」と信じて精進しました。
全部が幻想、夢だからどうでもいいや〜、では全くなかったです。

幻想も夢もいいじゃないですか。
それが真実への道の一歩になるのですから。

まぁいろいろ自由ですが、かつての私ならこの世界が幻想であろうがなかろうがどうでもいいことであって
ただただ自分の真実を生きるのみ、でした。

205ラピ。:2018/07/22(日) 14:17:32
>Q2:私達が 持つ、これはこう、あれはああだ・・・といった、固定観念、別名 概念って言われてる 思い込み・・・って、悟り後に、残るの?

ちょっと答えがずれていました(;・∀・)
残らないです。
でもこういう質問が出る時点で
悟っても残ってるんじゃないの?と感じているのでないでしょうか。
そして上記の文章に続きます。

206日和る:2018/07/22(日) 20:56:48
性格は変わった、苦が無いと自由に書き込めるのでそう言う意味で性格が変わったとはいえず、普通はタガはずれるという、本人の言われるストッパーが外れると同じででしょう。また、この掲示板に書き込むには知識が必要。その知識はいわゆる智慧からなのか。いや、従来の名残肉体の記憶なのかどうかという疑問は残りますね。智慧としても日本語、外国度多岐言語はある。他言語なんてなんでも可能よ。っていう智慧なのか。
そのあたりの自己(?)分析されたかどうかは、どうなんでしょうね。苦集滅道 さんどう思われますか。(という手法)

207日和る:2018/07/22(日) 21:02:27
分かってはいたが、長期間A氏のブログに居座り続けたのがほんと「無駄」だったとは思う。と、苦集滅道 さんへグチを言ったりした。いま。。

208日和る:2018/07/22(日) 21:11:32
過去の私。という照らし合わせが出来るわけだから、この掲示板で表現も出来るだろうと考える「過去の私とそのもの」との比較は、自己分析という表現が合ってるかどうかはわからないが一応注釈ふうに書いてみた。苦集滅道 さんと私が知りたいのはそういうことだと思いますが、苦集滅道 さんどう思いますか。

209日和る:2018/07/22(日) 21:23:30
「見える」という視覚的な要素なのだが、悟る前後の視覚的差があるのかないのか、いや、それはもう世界的でも宇宙にも拡大可能だというSF的視野にもなれるんですよ。なんて言ったら苦集滅道 さんどうします?。

210日和る:2018/07/22(日) 21:34:28
苦集滅道 さんへ
性格は変わった、。。いやなんでもなれると書いてあるので、ココは無かったことに。

211苦集滅道:2018/07/22(日) 22:03:42
らぴ。さん、お応え頂き ありがとうございました。完全に 答えになっています。(わかる わからないは別としてですが、w)

聞いたことに関しては、もう疑問はありません。というか、疑問の出所自体が 呑み込めました。

驚くべきことに、これだけの長い会話の中で、一貫した状態を言葉にされてますね。そこが、ぶれてない。
私なんかは 考え方を変えることや、思いを変える事で、色んな変化や状況や立場や気分といったものに
対応しようとしますので、一貫性なんてなく、その場 その場で生きてますが、
卓越した人は その根本自体をとらえてられるのでしょう。
変わるものが ない。
変えようとするもの自体が すでにない。と、お見受けします(って時代考証せえよ、w)

聞いて得た 答えは、基本身につかないもので、思考知に 居座るだけですが、私は そうはさせないですから。

なんか わかりませんが、今 聞いていることには それなりに意味があるものと思います。
そういう意味では 日和さんも これを読まれている読み手の方も 同様であるはずです。

お互い、そうなんだぁ〜〜、そういうことなんだぁ〜〜〜で、終わらないようにしましょう(笑)

212苦集滅道:2018/07/22(日) 22:27:13
>そのあたりの自己(?)分析・・・分析しつくしたので、全部なくなったのではないかなぁ?瞑想で観るもの(内面)が・・・じゃじゃん♪・・・ない・・・って、普通書けない。
ハートに集中して ハートを拡大してって、言ってる人もいるけど、そのハートが・・・じゃじゃん♪♪・・・ないのですよ。だから、瞑想する意味がないって・・・書いてる人は初めてです。
やっぱり、ハートとか、心とかって、自分でないものを指しているのでは ないかなぁ〜?認められるものは、直接の自分では ないですよね?認識できるものは、自分の外ですよね。

私は らぴ。さん個人を信じてるわけでなく、らぴ。さん個人の考え方など どうでもいいですよ〜。
「  」そのものにある状態?にしか 興味ないですよ。聖者探しに 興味はないですろ〜〜w

私が・・・「  」そのものでありたいのよね〜〜。

>「無駄」・・・って わかったのは 本物に近づいたからですよ。。。大いなる 無駄さに・・・乾杯www

213日和る:2018/07/22(日) 22:54:15
苦集滅道 さんはそうでしょうけど、私はまず、「仕組みに」興味がありますね。
「そのもの」ったってこういう「掲示板に書く」文字、文章、理論ってどっからで出てるの?って考えますね。
「そのもの」、「無」、「何もない」「誰でもない」だったら、[書かない」「書けない」「なんもしない」で終わる思います。
「こういうやり取り自体成り立たない」思いますね。
でも、こうやって書いて、やり取りできる不思議さです。書くには「知識」って必要でしょ。それはどっから?
だから、その元はどこだってことですね。「 」にほど遠いから仕組みは知っておきたいんでしょうね。って自己分析。

214日和る:2018/07/22(日) 22:58:20
>「 」にほど遠いから仕組みは知っておきたいんでしょうね。って自己分析。
いや、いま思う、こういう考え方、(仕組み)昔から、いままでも、そういまも。。。あるって思った。を書く。

215日和る:2018/07/22(日) 23:02:37
他力じゃないって書いてた。確か。なら、自力?そのものは、自力なのか。(メモ代わりに書く)

216日和る:2018/07/22(日) 23:23:53
「無駄」。。いやA氏には、始めから「おかしい?」があって結局「間違い探しの執着」をやってた自我の性格でしょうね。いまもか。いや、これぞ仕組みを探る手段ってことも。

217日和る:2018/07/22(日) 23:48:12
「思い込み」これはいえる。、。最近そう思ってた。なにしろ、PC に弁天様はでるし、つい最近は韋駄天だって。なんですかぁ。。。「祈り」やら、「まんとら」ってね。(夏祭りで酔いました。とさ、あ、Aさんです)

218苦集滅道:2018/07/23(月) 07:39:01
>「そのもの」ったってこういう「掲示板に書く」文字、文章、理論ってどっからで出てるの?って考えますね。
>「そのもの」、「無」、「何もない」「誰でもない」だったら、[書かない」「書けない」「なんもしない」で終わる思います。
>「こういうやり取り自体成り立たない」思いますね。
・・・うん、私もそう思ってたから、探りを入れてきました(笑)
だから、何を自我としているかを質問に混ぜ込んで 聞いてきました。
私の思っている自我がないとしたら、すでに死んでいる人なのですが、どうやら生きてるらしいので、
私が思っている自我の定義が彼女とは違ってると思います。
「  」そのものでも 生きている。で、生きるには困らないことを彼女は しきりに書いている(聞いてもないことも含めてね)
生きることは、できなくなるはずって私は思ってきたけれど、どうも そういうことにはならないらしい。
で、ここで私の頭の中では、超絶な整合性を求めての「考える」ことが起きてくるのだけれども、その一切を終息させて 今は それほど考えていないです。

で、理論的に書くとすると・・・

自我って、最初から無い。無いものを有るとしている「だけ」。
「  」でしかないけど、今は 肉体という「よりどころ」を得ているので、
記憶・思考・感情・肉体感覚・社会的な配慮・認識・意識・個性(概念・観念)
が 持てています。
・・・ここに自我っていう定義を持たせて 認識しているのが「私」という「意志」です。
で、「私」という「意志」を自我って 総称している。
記憶・思考・感情・肉体感覚・・・といったものは、記憶・感情・思考・肉体感覚でしかなくて、「私」とは言えなくなる。
そこが 自我がなくなる意識上の場所ですね。

「  」の後(上)に自我があるわけでなく、「  」の以前(下)に自我があるものでもない。
肉体として生まれたトキから、その肉体感覚、五官によって、頭脳が「自我」なるものを「想定」します。
この単に 想定されたにすぎない「自我意識」をあると言ってもいいし、無いといってもいい・・・表現者のセンスによるものです。

>文字、文章、理論、知識、社会通念、常識感覚、生活態度、こみゅにゅケーション能力、個性・・・は 記憶からでしょうね。
単に記憶であって、そこには 誰もいないのでしょう。記憶そのものを自我だと定義すれば、自我がないは 嘘になり、定義しなければ 自我がないは 本当になります。

前者と後者が かみ合うことはないです(笑)

219日和る:2018/07/23(月) 08:45:32
苦集滅道さん。すばらしい。
私も自我意識というのが表現すればですが当てはまるというか、簡単に言うとその自我としてたものが「思い込みだった」、
そうタガがはずれたのだと思います。「強固の思い込み」がはずれるのは簡単ではないでしょうが。。。
すると痛みやら感覚、なにより、よくいう「ありのまま」見えるということでしょう。
いずれにしても、至極稀な希少な「そのもの」さんとの会話ができたのはこれからの苦集滅道さんにとって善いことには違いないですね。
って、私は電柱の陰から聞き耳たててましたよ。

220:2018/07/23(月) 09:15:46
皆さん小難しく考え過ぎです。

赤ちゃんの頃は「 」でした。その後、物心がつく=自我が芽生えます。
意志力という自我の一つを強化し筏にして、その他の自我の激流の中を渡る事で至ります。
至れば筏も激流も私も世界も無い「 」に。体は大人のままで。

そうした覚者といえど物質である肉体の期限はあります。いわんや、修行の道にすら立っていない者をしてをや。です。

それともう一つ。本物の覚者は夢を見ないと思います。
夢に限らず、見る者と見られる者がいません。なのに身体には眼があって映像は映る。
それは想像もつかない有様でしょうね。言葉にしようがないから、だってそうだもんとしか言えないかも。笑


さて。お邪魔しました。私もまた持ち場に戻ります。

らぴ。さん。ご無沙汰しております。あれからの私はコツコツ歩いていますよ。命は案外短いのです。
こうやって時折、あなたがまだ居るか覗いて確かめてしまいますが (すなわち気が散ってます)
いつか道の終わりにたどり着き、まだその先に行きたい誰かの為になりますように。

221苦集滅道:2018/07/23(月) 16:39:16
楓さんが きれいにまとめてくれて、らぴ。さんの解答も 日和さんの疑問も 私には、過去を洗い流すには 充分な「素材」となりました(笑)

みなさん どうもありがとうございました。(って、しきってんじゃね〜www)

222ラピ。:2018/07/23(月) 20:55:37
楓 さん お久しぶり!

>命は案外短いのです。

うん、そうだと思う。後悔ないよう、だよね。
書き込み、どうもありがとう。お元気そうでよかったです!

いつまでも応援しております!

223ラピ。:2018/07/23(月) 20:56:41
苦集滅道さん

しきってくれてありがとう!
ほんとに、ほんとに!

@(*・ω・*)ポッ

224ラピ。:2018/07/23(月) 21:15:20
ちなみに瞑想は悪くないと思いますよ。
ただ瞑想にお金をかける必要はない、という意味です。無料でできるよね。

ちなみに私はかつては日常を瞑想としていましたので(例えですけど)
目をつむって静かにすごす時間を作る、といった瞑想はほとんどしたことがありません。

生きることが瞑想となるよう生きました
瞑想となるよう、という表現はちょっと変かもしれないけど
例えて言えば精進すること=日常=当たり前
という感じでした。

普通に日常を生きて、それが終わったら瞑想、って感じだと
瞑想の時間がすくないな、と思いました。
24時間、無駄にしたくなかったのです、かつてですよ。

225苦集滅道:2018/07/23(月) 21:15:44
そろそろ、あなたの今の記事を 読ませて下さい。あ 私には もう 伝えることがないかなぁ〜〜〜・・・なんちゃって!

226inri1225:2018/07/24(火) 00:14:03
>そろそろ、あなたの今の記事を 読ませて下さい。

これがエゴですよね。こういう思いが出る余地が無い程に精進すればエゴの居場所が無くなり勝手に消滅すると何度も書かれてますよ。
精進、精進また精進ですね。
たとえ納得できる答えが出たとしても想像出来る範囲ならそれは違うという事ですよね。
エゴの働きに無駄なエネルギーを使わないのが本当のエコですねo(⌒0⌒)o。
神社に鏡が祀っているのは、カガミの真ん中のガ(我)が抜けるとカミになるという教え。
わからないものを分かろうとするのもエゴの働きですよね。

227苦集滅道:2018/07/24(火) 05:55:23
inri1225 さん 善意なコメントありがとう。

お互いに 精進に励みましょう。

ちなみに、これがエゴですよね。・・・は、思い込みですよ、受け止め方は自由ですが、私の意図は そこではなかったです(笑)

228inri1225:2018/07/24(火) 07:35:12
これは失礼致しました。

何事にも負けず突き進む強靭なエゴは善玉エゴで激流を渡るイカダとして使うとも書かれてました。

お互いに最後まで諦めないで頑張りましょうね。

229苦集滅道:2018/07/24(火) 08:10:52
楓さんにも あなたにも も少し ↑の方で、お会いしたかったです(笑)

230日和る:2018/07/24(火) 09:38:21
まぁ、作業を没頭するなどは、「そのもの」にはなれる気はします。
が、はたして対人はどうなんでしょう。相手への思いやり、場の空気なんてそんなものはなく「そのもの」として「見れる」で対人のやりとりができるのか。
「なんもしない」「なにもしてない」いふには。。。「流れ」である。としてるのか。(めも、めも)

231ラピ。:2018/07/24(火) 18:35:24
苦集滅道さん

まだまだ突っ込みたいことはあるかも、、、。(笑)
しかし、書くことがないです、例えて言えば(笑)

ブログの方ではコメントのやり取りが更新されています。
よかったら!@(*・ω・*)ポッ

232ラピ。:2018/07/24(火) 18:38:35
inri1225さん

お久しぶりです!書き込みありがとうです。

エコに座布団3枚!(笑)
そのパワーを日常に生かしていただければ
日常もよくなるし、いろんな点で良くなりますね。

ありがとです@(*・ω・*)ポッ

233苦集滅道:2018/07/24(火) 19:12:21
>そもそもなんもしてないんです。・・・らぴ語録187頁よりの引用w
・・・これね〜、読み取りにくいですよね。
何もしていないが、何かしているようにしか周りには見えませんからね。
>何もしないというのは、何もしないもするもない。
>する、しない、のしないではないのはご存知ですよね?・・・同らぴごろくよりの引用

以下にらぴ語録未収録集wからの引用です。
>ただし、何もしていない、というのは「何もしない」と決めてそうするのではなく
>何もできない、のほうが表現的に近い。
>自我がないからできない。しかし、できてしまう。
>それを「〜することなくする」と言っています。
・・・うん、すごく難解で わかりにくいですよね?
私はね、ヒントを体験してます。二瞥目って、らぴ。さんには、全然受けなかったけど(笑)
日常生活の中で、何も 起きていない、起きようもない素の空間を経験?してるので、
「  」には、何も起きようがない、何も起きてなどいないことを知ってます。
何かが起きていると判断してるのが、頭の中でした(笑)
もし、私が「  」でなく、頭の中が私自身だと思いこんだら、私が 考え、私が 悩み、
私が 空気を読み(笑)私が対人とのやりとりをしている・・・流れがあるとかないとかも私が考えているように
思いこむでしょう。この文面の「私」がいない(らしい・・・って書いとかないと添削されるからなぁwww)
この文面で言えば、最初の「 」だけが いつもある状態?(でないけどもw)にあるのが、
悟り人(らしい・・・以下同文w)

これで 日和さんなら、読める(理解の方ね)でしょ?

234苦集滅道:2018/07/24(火) 19:30:16
@(*・ω・*)ポッさんへw

>書くことがないです・・・これは わかります。しいて言えば 全部ここに書いてますしね(例えていえばw)
いらん気ぃつかったかな、私。(らぴ。さんには これで通じますのよw)

ブログのコメ欄ね〜〜、すっごい難しかったよw 脳天から煙でましたからね〜www

もしかして・・・誘ってくれてる〜〜?

(*・ω・*)ど しよかなw

235日和る:2018/07/24(火) 20:08:49
そう、わかります。追加で、赤ちゃんの時って表現がありましたが、もし、その赤ちゃんの時、悟った人つまり「そのもの」になった人が、私へその事を教えようと「表現」ってできますか?
対人への対応?、年を経てつまり学力、経験を経て対人対応のいまがあるわけでそれを「知識」「社会通念上」っていいますね。それなくして「いまのブログも掲示板のやりとりもできませんね」
それから、その幼児段階で悟った人(らしき)方もいまして、その方はそう、「ご苦労なさったそうです」わかりますよね。「知識」の漏れ、「常識を知らないががないため」、「社会通念が理解できないでそのまま歩んできたわけです。
わからないをわかろうとするがエゴって書き込みもありましたが、『ベース』になるものも『必要』だし現にそれを元に『成ってるとお見受けしてます』といいたいわけです。。。。。これも、通じないかな?何が言いたい?何が聞きたい?

236日和る:2018/07/24(火) 20:16:25
エゴはエゴイストに特定しがちに思うんですよ。苦集滅道 さんと私がいってる自我は、そのエゴというものだけでなく、生まれて学んだ知識というものを正確にはあるでしょうということです。全てが悪い要素ではないですね。『精進』には全く知識は論理は使いませんか?

237苦集滅道:2018/07/24(火) 21:00:51
>『精進』には全く知識は論理は使いませんか?

いい観点ですね。精進は いらないです。知識も論理も 精進だけに関わらず 無意味です。自我=知識論理と言い換えても いいぐらいです(笑)あと、聖者の言葉と その意味合いの「模倣・コピー」ね。それも 無意味ではありますが、
とりあえず、有意義な人生は送れるでしょうね。無駄に 過ごすよりも 聖者の言葉やその意味合いを コピーして それをよすがにして 生きる方が ずっと気が利いています。でも 悟りとは無関係ですね。

そこに気が付くまでに らぴ。さんが精進を重ねただけであって、精進と悟りは「無関係」です。

らぴ。さんが、精進しないといけない・・・って結論を持ってるわけではありません。ただ 読んだ人は 「そうか、自我を目いっぱい経験しきらないと 悟れないんだ」って 思うことは、別に害はないですね。

むしろ 悦ばしい。原因と結果の因果関係は 自我には必須の項目です。自我を めいっぱいのばせば、自我が 終わるって考えることは ある意味では「進化」です。

238苦集滅道w:2018/07/25(水) 18:38:33
我ながら くだらないことを書いてましたね(笑)あまりにひどいので、つっこみようもないかw

さて、らぴ。さんの登場で、悟りって そんなカンジなんだぁ〜〜〜ってことが、なんとなく 腑に落ちました。誰も 悟っていない中では、悟りって観えてこないですよね。
釈尊さんは、悟っていたのだろうけど、時代が古く、経典の解説とか読んでも、らぴ。さんの悟りの観念?とは、違ったものです。どこか 曖昧で、遠巻きに眺めてる印象をうけるかな。
とんでもな 悟り解説って、たくさんありますね。らぴ。さんの解説を基にすれば、ですが。

で、らぴ。さんの解説が 本物であれば、あるほどに・・・その悟りの状態?は、雲の上にあるようなもので、そうなれる(至る)・・・なんて気は 全くしませんね。
夢の中での 夢見さえも 打ち砕かれました(笑)

らぴ。さん
自我の世界で 自我が終ると この世界はどのように 映りますか?

239苦集滅道w:2018/07/25(水) 19:15:48
記事のコメ欄から、ひとつ聞かせてください。(まだ、続いているようなので、ここで聞きます)

>かつてのかつては「自分を捨てて」を実践していましたが
>最後の道では自我への挑戦でした。
>よって最後は自我の放棄ではなく、挑戦でした。

自我を捨てての実践から、自我への挑戦で、至ったと大筋として理解しますが、自我への挑戦を激流に例えていますか?
どうも ぴんと来ないのですが、自力で総てが終ったのでしょうか?自我の延長線上で 総てが終ったのでしょうか?
その結果が、自我がなくなって なにもできない・・・と 表現されてますか?

・・・自我への挑戦・・・って、例えが よくわかりませんのですが?

240ラピ。:2018/07/25(水) 23:35:07
色々書かれているけど、違うなぁ、、、
まぁ、自由です(笑)

私がしてきたことは自我への挑戦、例えて言えば限界への挑戦。
限界に挑戦している時、自我が言うよね。
(もうやめたほうがいいんじゃない?死ぬよ?大丈夫?これ意味ないんじゃない?)
この言葉を無視してさらに究極に精進したのです。

そしたらある時、その挑戦が終わったのですね。
終わらそうとして終わったわけでもなく
自分が終わった、と決めたわけでもなく。
挑戦しようとしても挑戦する人がいなくなった。

何もできなくなったのです。例えて言えば。

241苦集滅道:2018/07/26(木) 07:56:12
らぴ。さんはたいへんだなぁ〜と思う。悟ったから悟ったと書いてるだけで、それは どんな状態で、どうやってそうなったのかを
しつこく追及を受ける(笑)ほんとは説明するような義務も必要性もないのだけれど、応えずにはいられない。或いは 答えない理由もないので、
答えてはくれる。そうやって 真摯に応えても、相手(私)は強固な自我の塊なので、そのままが伝わることもない。でも そうしたことも気にはならないのでしょうね。

時折、書かれる(何を考えようと、受け止めようと)自由です。の言葉は、自我で生きてる人には、様々な人の持つ個性の自由として受け止められるのでしょうが、
そうではないはず、自我が何を考え、どんな反応(感想や意見)をしようとも、本質には無関係・であるが故の 自由なのでしょう。
これを読まれる人の中には、突き放した言い方に聞こえる人も いるかもしれませんが、そうではないことを補足しておきます。

さて、思考(人間が考えたり 思ったり、理論だてたことなど)は、日替わりで変化し、トキにはさっき考えていたこととは正反対の結論を
持ったりしますので、全く あてにはなりません。その場その場で変化して、思考そのものが不変なる事実になることはないでしょう。
私も 思考そのものが真実だと 思いこむことが少なくはありませんが(笑)

そんなこととは 無関係に、不変なる自己を突きとめていこうと思っています。

興味本位や自己の考えとのすりあわせの為の質問など、自我のある人なら 無視されるような低位な発想に、誠実にお応え頂きまして
ありがとうございました。

242日和る:2018/07/26(木) 13:50:09
苦集滅道さん
彼女のいまのブログは読みましたが、そう、何をやったかがわからない。ですが、その前のブログで書かれてたのでしょう。仏道でいえば『「成りきり」の継続』かと勝手に想像します。
成りきりについては、否定はしません「没頭する」ことで自身が消えますから、しかし、継続されて日常生活、そのまま生きるは疑問が湧きますね。何をされたかで「考察」は可能ですが。。
成りきり。。そう、坐禅の「坐るが坐る」あのフレーズです。

243日和る:2018/07/26(木) 17:39:33
坐ったまんま。。。戻らない?ヒトっているのでしょうか? 違う表現で、坐ったまんま日常生活に戻る? (もれです)

244苦集滅道:2018/07/26(木) 18:16:50
日和るさんへ

「 」そのものを体感した人が、「 」そのものになり切ることはないです。もともと「  」だから、なり切るのは自我の行為です。
とりあえず、一瞥の体験者が、「 」になり切ろうなんてことは 無意識であっても 在り得ないです。
だから、今 私は自我を生きてることが 明確に自覚されています。

あの「 」の空間は 今には どこにもありません。ですから その空間に生きている らぴ。さんに すごさを感じています。

普通は 悟った人って聞くと おお それは すごい・・・って思考が反応しますが、私の おお、すごいっていうのは 悟りの状態で
この地上を生きられていることに対してです。「  」そのものは、すでにわかっています。で、その感覚がしばらくは続くことも経験済で、
苦悩のしようがない精神状態も 二年位は体験しましたが、それは 今には続いてないです。で、そのトキの状態が「 」のままなのか?と言えば
私にとっては、ごく普通の状態でしかありません。悟ったなんて自覚は起きない「  」ならばね(笑)

だから、悟りがその状態が続く事、変化しないことを らぴ。さんが書いてますので、それが 事実なら、驚愕すべきことなのです。

肉体に付随する 後付けされた意識が自我です。肉体があれば、自我は在り続ける。この認識を らぴ。さんは覆してみせたのです。

245苦集滅道:2018/07/26(木) 18:43:30
>坐ったまんま。。。戻らない?ヒト
>坐ったまんま日常生活に戻るヒト?

面白い観方ですね。

「  」は実際の我ですから、いったきり戻らなければ、地上は虚無で夢で幻で 相手にしなくなります(笑)
いわゆる暗黒の世界観、現実が「無」で、あの世が「有」へと逆転したままです。アブない人ですね。その場合は。

で、現実に引き戻すのが自我の意識。とりあえず、生きてる間は 自我が必要となるのは、いったきりだと生活できなくなるからね。
そこには、自我への「理解」が必要です。一瞥あたりで、地上も自分も「夢」なことが 認識されます。
じゃ、なんで自我という夢が 見られているかと言えば、肉体の眼や機能が、認識を可能にしていて 頭脳に集積された知識情報学習知、
趣向や概念・観念といったものが個性という塊をカタチづくります。それが、自我。
だから 自我で生きることに 何も 不思議さってないんです。普通、そうでしょ・・・の認識でしかない。

そのことが、腑に落ちると「  」が自我を生きてることに 違和感がなくなるし、別個のものとしての観点って抜け落ちる。
肉の身の経験が 自我を成り立たせているだけのことで、「  」に変わりはないです。誰もがねw

で、座ったまま日常生活に戻ることが できるのは、自我の意識そのものを 見抜いた人ね。
それ以前に「  」の体感は必須ではあります。そこで 精神の仕組みは全部わかるようになってます。
自分への疑問は その時点で消えます。わかるから。単に。

ま わかったとは言っても、自我に左右されることは 避けられなくて、それさえも 自覚して 生きることが可能となってます。
私の場合だと、くだらないたわごと(思考の変化する様、別にどうでもいい脳内での論理・感覚)だと、自覚はしていても、書かざるを得ないとかね、
無意味だとわかっていても、当面必要があれば 書いてみる、とかね。極論を書けば らぴ。さんの経験もどうでもいいこと。私の持ち物じゃないからね、
でも達観してみても うずくものがあるので、こうして 足しげく通い詰めて、無意味な会話に 意味を持たせたりしています(笑)

まぁ、私も日和さんも 自我である場面で 考えることなんて、同じようなことですよ(笑)
だから わかりあえる・・・ともよwww

246日和る:2018/07/26(木) 19:04:20
何れにしても、「そのものは」全知全能ってわけではなさそぉー。はわかりました。
しかしながら『苦』は無くなった(小さな、細かな苦はありそうな?)ということと、他力ではない、じゃ自力か、いや、「そのもの」というでしょうが、結局、自身とか、「個」の範疇、言い換えれば個の身の回りだけのことであり、つまり神の領域や、宇宙規模のようなとまでは言えず。。
ぐらいが途中経過。・・・何か言いたい?何か聞きたい?

247苦集滅道:2018/07/27(金) 07:07:30
日和さんは、自我とエゴを同じと認識していますか?それとも 自我は肉体感覚をも含めての自己で、
エゴっていうのは その中の独善的・利己的・自己顕示・自己中心的な素養として認識していますか?

私は後者で、自我=エゴという意味を持たせてないです。エゴっていうと 何か人間の悪い側面っていう印象を受けます。
自我がない・・・は、肯定できないけど、エゴがない・・・は肯定ができて 自分もそうありたいと思います。

そんなことかもしれませんし、そんなことではないかもしれませんが(笑)

248苦集滅道:2018/07/27(金) 08:02:01
自己中心・自己保存の思考・行為を 戒めていくことは、実践として成り立ちますね。
目的と結果が一致します。自我を消す?となると、結果には 消そうとする自我がいませんので、目的と結果に矛盾が生じます。

エゴを 戒め、自己中心から利他中心へとなるように 精進を試みようと思う。

一瞥の後の数年間って、自我は最初からないことがわかったので、自我をどうこうしようって気分にはなりませんでした。
でも、自我で生きるしかない諦めの中にあって、自我に向き合わないと すすめなくなっていました。

・・・起死回生の一手は。。。エゴイズムへの挑戦。

249苦集滅道:2018/07/27(金) 10:42:38
らぴ。さんへの質問で始まって、私が得た回答は エゴなき我を目指す行為(精神の)そのものです。

らぴ。さんはじめ、おつきあい頂いた方々に感謝申し上げます。とちゅう、生意気なことを のたまっていますが、
エゴって そういうものだと ご理解下さい。www

250日和る:2018/08/16(木) 18:53:42
らぴ。さん、おひさ。ぶりです。
コメントの「大丈夫」。そうですね。まったく使い方は同じ、この世だけに使う言葉です。
苦集減道さんのA氏の死んでも大丈夫のニュアンスはおかしい思ってます。
それから、一生懸命生きるもいいですね。これっておそらくですが、仏道「成りきり」と同じと思いました。
「いつも瞑想」も分かる気がします。
ということで、らぴ。さんは「そのようだ」とは思います。

さて、しかしながら、掲示板でいろいろ書きましたが、どうでしょう文章の捉え方の差異という観点から、
「そのもの」であるは、エゴが無くなって「自分」「他人」つまり自他の境界線がなくなったことを言われてるように思えるのですが
苦集滅道さんも書かれた>エゴなき我・・のことなのでは・・・
対象がない。だけでは、普通に読むと、「対象物が見えない」ともとれます。そうではないでしょう?

だいぶ日が経って書込みました。

251苦集滅道:2018/08/17(金) 18:59:22
日和さま  お久しぶりです。
小池龍之介住職という方が、Aさんと同じようなことをブログの対談で言ってます。

http://www.ohtabooks.com/press/2017/03/31115800_4.html

ジェットコースターを降りる・・・のくだりと、降りてるには、持続的な訓練が必要である云々のくだりって、
Aさんとかが言ってることと一致すると思うのですが、如何でしょう?

私は これを読んで、なんと単純シンプルだけど・・・できかねる(笑)と思いましたよ〜。

252日和る:2018/08/17(金) 20:47:14
苦集滅道さん。
小池さん自身が、議題も「死の恐怖」に対してで、体感しわかり、それを、自我の小池さんが「納得の感想として大丈夫」と使ってる普通の表現だと思います。(ってか小池さんについては否定しない)
A氏の「大丈夫」も普通に取れることも多々ありますが、。。。もう忘れましたがまったく理解出来なかった「大丈夫」の使い方の印象だけが残ってて。。って感じ。です。
>・・できかねる(笑)と思いましたよ〜。。。。ですが以前からっぽを確認できるって書いてませんでしたか?同じ事だと思ますが。。。らぴ。さんのは、なんか幼少時代から「自我(エゴ)を消すことを長期にやってきたと何処かで読みました。結局は同じ思いますね。
小池さんは普通に自我ですが、瞬間、瞬間、あの隙間という表現では確認できるようですが、(例えです)そのものと理解します。つまりジェットコースターを降りれる。らぴ。さんは降りたままの継続でそのままという、そのようである。

253苦集滅道:2018/08/18(土) 08:13:11
日和さん、私もそんな風に思います。

Aさんも 小池住職も 降りた場面においては 同様の状態にあると思います。ジェットコースターに乗ってしまえば 個性とか執着とか
普通に使っているでしょうね。説き方もアプローチも、お二人にはやはり個性があると思います。
私達が マッチするかしないかだけでしょうね(笑)

254苦集滅道:2018/08/18(土) 10:55:36
ジェットコースターから 降りたことがあります。死んでもここにくるなら、全然怖くなくて むしろ安心・安全・至福・静寂なので、
はやいとこ ここに戻りたいものだ(笑)と、今でも思っています。
その精神状態が、Aさんにも 小池さんにも、常時ではないにしても、継続はあるのでしょう。
その継続を妨げているのは、生きて身に着いた理解と認識、思考と記憶なのでしょうね。
その状態をジェットコースターに乗っていると表現するならば、では そこから降りるには 如何なる方法か精神行為が必要なのだろう?
となります。両者共に瞑想・禅定を選んでいます。私は本格的な?瞑想も禅定も 一瞥以後は行ってませんが、内観という大雑把な精神の行為は
幾度となく行ってきました。その中で、問題意識自体が浮かばない感覚、何も内面にはない「からっぽ感」もありますが、いつも それらは
通り過ぎていくだけで、気が付けば また 自我の苦悩に入っています(笑)
今は もう、苦悩は苦悩として苦悩していることに気が付く事が精一杯で、降りた状態にある 苦悩がそもそもがない場面には 出逢ってないです。

Aさんでも 小池さんでもが書かれる文面からは、降りればいいことが理解はされますし、その通りだとわかってもいますが、
実際に そこに降り立つには、簡単なことではあるという理解はあっても、行うには 難易度が高いですね。
わかっては いるけど、なかなかそこにはいけないのです。小池さんの解説による禅定は始めてはいます。続くかどうかw

Aさんの書き方からは、降りた場所が「  」なのか、気休めでしかないのか、自我の「いまここ」という思い込みなのかが
よく判別がつきかねるのですが(Aさんは「 」の意味で書いてると思うけど読者には自我の範囲でしか読み取れてないと思う。
小池住職の「ジェットコースターを成り立たせているベースの部分に心がどんと落ち着く感じ。表面での心が気持ちよかろうが苦しかろうが
そのベースの部分は全く影響を受けなくて完璧に幸せである」・・・の記述が示す状態っていうのは、自我と「 」の関係性がよくわかる書き方で、
私も これなら経験してたので、なるほどと思っています。それで いいなら、そうなれるかと思ってはいます(笑)

ネックになるのは、自我への執着心と 現実社会への対応ができなくなるのでは?といった不安ですが、そこも 小池さんは、「ベースの『絶対的な幸せ』に
心がいると、やる気がわかないっていう時間は基本でてこない」と書いてくれていますので、打ち消すことができそうではあります。
で、自我への執着心っていうのは、ないんだけど、今までに信じてきたような観念みたいのが へばりついてるカンジで 難儀してます。
ここの自我を修身する方向が らぴ。さんが言われる 幸せに向かうことなのでしょう。一切の自我を修めて、幸せでしかない自我を目指すこと、
全力で努力することなどです。・・・で、私は そこの方法は向きません。そもそもが 自我がないことを知っていますので、今更物語を創れないです。
自我を鍛えたり、概念を落としていったり、私心を消すような作業を行ったりは、今は できないですね。やる気の問題ではなくね。

ジェットコースターから降りる。これで、自我の企てる一切の問題意識から 解放されます。それは すでに わかっていることですが、
そう うまくは運びません。禅定から始めてみます。

255日和る:2018/08/18(土) 19:59:04
>降りればいいことが理解はされますし
でもふたりの大きな違いは、降りると決めたのは?、が、「全体」か「個」だと思います。加えれば、瞑想も「するは」個の意志がする
小池さんは「私はいない」いってますが、個の要素からの組立で話されてる思います。A氏は「あなたがしてるわけじゃない」「全体」だそうです。
だから、瞑想するも決めたのは「全体」という話です。そこの根底が違ってると思います。よ。

256日和る:2018/08/18(土) 22:40:02
追記
で、全体が「決めて」「個人から・・取る」っておかしかないですか。話が・・・。
小池さんは、あくまでも「個」だから個に伝えてますね。。。はっきりしてます。

257苦集滅道:2018/08/19(日) 08:39:56
そうですね、そういうことも書いてましたね〜、全体の中で個の意志は ない。自動操縦的な、個人が決めてないようなニュアンスのこと。

小池さんは、禅定を通して個人の内面が 観察されていき、苦悩なき 絶対的な幸福感に至る・・・ニュアンスで書いてます。
目覚めも 悟りも 覚醒も、確かでてこない。個人の努力とか、戒めを守るとか、そうした個人の意志から入ることを薦めています。

もし、ジェットコースターを降りることが、最短最速の真理?への道筋ならば それを直接書くのでしょう。で、Aさんは 直接書いてますよね?
お二人の間に 認識の違いがあると思います。Aさんは 全体とか自動操縦とかの結論を書き、小池さんは 簡単には降りれないことを知り 
自我というジェットコースターを終息させないといけない結論を持っているのではないかなぁ?

個人の意志を 最初から、夢だとするAさんと、夢であっても現実であり そこには、カルマもあり、感情の堆積もあり、概念の蓄積もあるので
それらを きれいにすれば、おのずと「それ」は顕れてくるのだと、言いたいのではないかなぁ?

「いまここ」でしかないと言われるAさんと、「いまここにある」のは内観によって内面を自覚する(ような)ことだと言われる小池さん。
漠然とした気分を書くことと、具体的に細胞の動きまでに行き着くと書かれる 小池さん。
お二方共に 全部がわかっているにしても、行為として 何をどうすればいいかが 解かり易いのは小池さんと思います。

何にしても 思考は対象を持つと、際限なく 感想や意見や結論を堂々巡りさせるだけのようです。
ジェットコースターから降りたままに 日常をおくる場面は、思考でなく 感覚にフォーカスができるようになるまでは、来ないと思ってます。
そこの難しさを 今 実感しながら、これを書いています。

そういえば、先日 ひとつ・ワンネスの悟りを経験された方のブログを読みました。8年前の経験は 今でも鮮烈にはあるし、そこで得た真理は
動かないけど、現実の今は 自我で生きることに何も変化を与えてはいない。わかるけどワカラナイままに過ごしている。とのニュアンスが書かれていて、
私も同じだと思いました。知識経験では わかるんだけど、現実自我の中では 何も ワカラナイです(笑)

258日和る:2018/08/19(日) 09:09:27
何が言いたいか。といいますと。
自動運転。心臓、血液の流れ、歩くを憶えて歩行など自動です。他のお坊さん(外人さん)は、自動運転から手動運転をおやりなさいと言われてます。(立ち読み程度)
そうです小池さんは「個」の細部を観察して行くから教えてますね。しっかりそこに「個」があることも大事だと思うし、「胡蝶の夢」もその個も本来、
印象ですが、Aさんはこの世自体を捨ててるニュアンスが漂います、小池さんはこの世の生き方ですね。

259日和る:2018/08/19(日) 09:23:36
追記
>小池 瞑想の生徒さんたちでも、本当にそのことがわかりはじめてくると、一瞬怖さを感じる人はけっこういるんです。脳っていう牢獄に「私」が閉じ込められている状態から脱出しようとすると、まるでアラームが鳴るみたいに「脱出すると怖いことが起きるぞ」と脅すんです。
紹介のブログ2ページなのですが、「これ」でしたね。怖くて目を開けてしまいました。ここを抜出したら降りる事になるのでしょうね。

260苦集滅道:2018/08/19(日) 18:23:44
>ここを抜出したら降りる事になるのでしょうね。

そうなんでしょうね、私もちかづかないようにしました。
瞑想からそこに行くには そうした心理的な恐怖心も克服していくことになるのでしょうね。

小池さんはこうも書かれています。
>一定以上忙しくすると うっかり ジェットコースターに乗ってしまっているトキがあります。
>そこに間違えて乗らない為に訓練が継続的に必要で。

・・・これ、逆に言えば 訓練していれば、降りてられるってことなんでしょうね。。。すごいよねw

自動か手動か、起きているか起こしているか、この世に生きるか、この世を捨てるか・・・は、書き手のレベルによるのでしょうね。
自動・私はいない・起きているだけ・この世は夢幻・・・っていうのは、理論知で書いてて、その場では 自我でしょう(笑)

261苦集滅道:2018/08/19(日) 18:29:50
Aさんであれ、非二元の先生であれ、書いてることは真実でも、書いてる場面(日常)で、そう体感されているかどうかは疑問です(笑)

降りたり、乗ったりを繰り返していると思います。
だって、日常で生きられそうにないから、たぶん、内面で 高速の乗り降りが繰り広げられていそうです。らぴ。さんは 別ですが。

262苦集滅道:2018/08/19(日) 18:35:12
私も 日和どのも、自分は根源だって 書くことに問題はない。だって真実だから、動かない。
で、根源が日常で苦しむことはないから、苦しいと自我だって自覚できる。ああ、自我してるんだなぁ〜って自覚があるので、そろそろ
降りてみたいなぁ〜と 思い始めて、いまだ この世界に定住してる訳でしょ?www

263日和る:2018/08/19(日) 20:37:06
まぁわたしも小池さん流派ですからぁ・・・やってみます。
それにしても、らぴ。さんの掲示板のはずですが、返事ありませんね。お盆で帰省かもしれませんね。・・♪つけとこ。

264日和る:2018/08/21(火) 09:01:19
コメント欄より引用。

>この「私」はいろいろな言い方ができます。
>思考、意思、思い、意図、対象

そうなのでしょうが・・・

>何もしていない、と例えでよく言っていますが
>それは何かをしている自分がいない、とも言える状態です

コメント書くにも意志あって思考するし、意図も想いも対象もあるでしょうしぃ・・・
つまりは、仮の姿のらぴ。さんがしてること?なのか、そうすればその「私」と会話してないことともいえるかと。

思うに、それは・・・仮の姿と、「そのもの」が・・・分離してる・・のかな?
例えが多い印象を持つけど、ある程度、描写って表現はでそう・・・なのだけども?

疑問が湧いたので書いてみた。

265ファン:2018/08/22(水) 11:13:38
前のブログのコメント欄に御邪魔したことがあるファンです。
お久しぶりです。
お願いがあって、書き込みします。
「ポッ」はやめたんですか?
やめないでほしいんですが。

266ファン:2018/08/22(水) 12:57:38
失礼しました。
コメント欄には「ポッ」がありましたね。
よかったです(*^_^*)

267日和る:2018/08/24(金) 09:31:35
>対象とする(感じることのできる)世界は消滅し
わかることのできる対象が消滅するからです。

見えてる世界?になにも判断しないただ見えてる?だけ、イタイも、いや痛みでなく、イタミは在る。総じてそのものだけ、みたいな。でも、コメントは書く仕事もしてる高度であろう人のコミュニケーションも出来てる。じゃ、誰がしてる?他力が合致する。な。としか受取れない。
しかも「幸せ感はつねにあるそうな」感じるは誰と聞きたくなる。が、回答は「そうである」なのだろう。しかし、人はこの世を一生懸命生きると言う。当人?はどうなんだろう。至るがそれで、その後の一生懸命は「どこ」「だれ」がってことに。コメント上、端から見ると「分離?」「遮断」が浮かぶだけで、その幸せ感ってある?。
至ったあとの仮の姿は他力なのか、見てる「私」はなんなのかこの仕組みはどういうことなのか。「精査」されてない印象を持つ。「だからぁ、対象物がないのだから精査も何も無い」・・っていいそぉ。 もぉいいかな。・・・(笑)つけとこ。

268苦集滅道w:2018/08/24(金) 19:12:55
日和るどの・・・らぴ。さんが そういった疑問にどう応えられるかはわかりませんが、そういったあらゆる疑問さえも 彼女は超えていると思いますよ。

普通、自我って生活全般に在って、死ぬまでの間には、自己意識って持ち続けるものである。っていう理解も 勿論彼女にも以前にはあって、尚 そこを超えているのだと思います。

ただ、自我を「意志」として表現したのは、うかつだと思う。「意志」だけじゃないからね、自我って。感情は 勝手に起きてくると解釈するにしても、受け止める「器」って自我だから。

社会に適応しようとするのも、朝 顔を洗おうとする習慣が残ってるのも自我だよね。名残って 使っているけど、自我だよね。普通に。記憶を操るのも、条件反射も 何らかの受け答えや

反応も 自我ですよね。我々が使う 自我って、意志だけじゃないよね。そんなことも わかった上で、尚 自我がない。。。と記述してるってことは、もう 想像の範囲の外です。

だから 私は彼女の心境?に興味を持ちました。日和さんも ありえないことが書かれているから興味を持った訳でしょ?

自我がなくて生きている・・・っていうのは、目にしたことがないですよ、それくらい 斬新で奇抜で不可思議な領域なのです。

彼女はさらりと 書いてのけているけど、それが 実際なら驚天動地、世界があっと 驚く発見でもあるでしょう。たぶん そうなのでしょう。真実なのでしょう。

自我がなくても 生きていける・・・ってことがね。

これね、瞑想とか禅とかで、一時的に 自我がない状態って「空」で体感できる。小池さんも それを知っているから、禅定に重きをおいて、ジェットコースターから 降りた状態が

日常を支配してると思う。仕事が忙しかったの何らかの事情でもない限りは、ずっと おり続けてるはずです。これはね 私でも よくわかる。できないけど、できる。

で、ここまでのよた話しwっていうのは、自我を実体として認めている立場でのもの。

自我は 最初から ないからね。何も 起きてないし、何も 起きてこなかった、って言える。一切が 無でしかない。或いは 根源でしかないってことも 言えます。

その場合だと 自我はホントに幻で 根源しか実在がないことを 見抜くと、自我もないって観方が成立もします。

この観方っていうのは、何人かはいましたよ。日和さんなら 覚えているでしょう?花の名前のHNの人がいましたよね。デルフィーさんとかもいましたよね。

自我っていう観点がなくなった人達ね。楽しむとか 安心感とかのままに生きてるような 人達がね。

ただ その場合、輪廻っていう時間経過を伴う 発想ってもう でてこない。今だけしかなくなる(笑)

以上、よた話しであり、意味もない 単なる思考の論理ですがwww

269日和る:2018/08/24(金) 23:49:56
あ、輪廻。そう、それ。自我が無いなら輪廻もありませんね。だって、名残の「創作、作り話が残ってる」だけでしょうね。
死んだら、記憶もクリアで消えるでしょうし、それだけを残し・・ハイ、次っ!って?・・・自我がないんだからぁ〜さぁ。幼年期の記憶ってのも母親のお話だとか、神秘な絵本を聞かされた・・・記憶。じゃね?って思いますね。「しってた」じゃなくて・・さ。
でね、いつもしあわせ感ってのもいいんですが、あくまでも、生きてるうちの仮のからだ、または、名残、脳でもいいんですが・・それが処理して「しあわせ感」を出してる思いますね。そのものになってても仮の「からだ」という機能が処理して・・そこはかとなく・・ね。
なんとなく。思います。つまり、生きてる時だけの限定の「感覚?」とも言えると思ってます。そのものでも。そぉ。なんですかね。降りたあとでも・・「個」の範疇、範囲だというのが・・・やっぱり「個」を超えられてないで、「全体」って言えるのかどうかってね。・・・の感想は変わらない。
そぉ、「生きてるから」。・・・・・エンドロール流れて、By 日和る    でした。

270日和る:2018/08/25(土) 00:15:18
それから。「生きてる」って。・・・・年齢があり、昨日があった、いまがある。そして年を増す。時間が・・・「そのもの」でも幻想は、時間を元に記憶があり話もするし行動もしてる(例えね)ってことだから、厳然とその幻想は続いて(死まで)いる。つまり、「そのもの」でもその幻想の仕組みの中ってことになる。
あ、いや、ではなく、「そのもの」は全くその場面にはなく、あえて「次元」解釈として別個とみるなら・・・小池さんのいう降りた状態、らぴ。さんの「なにもしてない、でもしてる」という俯瞰、ではないと書いてたな。でもニュアンス的にはそんな感じかな。と。となると、「そのもの」は幻想の仕組みの外。なのかもしれない。
書くうちに、・・まとめてしまった。・・♪またつけとこ。

271日和る:2018/08/25(土) 08:48:09
誰も書かれてない疑問を書く。
ありのまま。観ている世界は幻想ともいう。そして、ひとり(個)だけの世界とも言う。それの視覚的世界観がはっきりとは誰も書いてない。というかおそらく書けないであろう。なぜなら、悟っても「個」の範疇、範囲内(個の世界のみ)だと思うから。そこで、私の考察する世界観を少しイメージしてほしい。その世界はひとりダケのもの他者はいない。そこに、他者共通のベースとなる世界はあるのであろう。身の回りの人々は私が創作した私だけに与えられた私仕様の人々。しかし、その人々も存在はするが別物、つまり、その人々もそれぞれの世界を持つものである。であるから同時にふたりが会話をしているとしよう。観ている世界は別物、しかし、共通の世界の部分はある。そこの部分は「透過的に存在している」(例えです)ような格好である。しかし、対相手はあくまでも私自身の仕様で現れた人物としてである。例えばそのふたりが会話をしてるが一方は相手が話が合わず怒ったように見えてるが、対相手の方には少しだけ違う意見を言ってるだけのように見える構図なのかと。
どうでしょう?・・・・面白い?

272苦集滅道w:2018/08/25(土) 10:52:21
うん、面白いよ〜 世界って言葉をどこに定義するかで、そういう観方もあると思います。

A 世界を この世、現実、三次元物質世界とするか
B 世界を 内面の精神の全体(思考・感情・個性・感覚・意識・精神・イメージ等)とするか
C 世界を 死後の世界とするか(根源の世界とか、何次元の世界とか)
この三者の定義があると思います。

全員が眼にしているのは、Aの現実の世界。
個人にしか わかり得ないブラックボックスの中の世界観が B。
覚った人が 示すのは、Cの世界観。

>観ている世界は幻想・・・の発想は、現実世界のはかなさを示しているもの。カタチ在るものはやがて消え去る幻・・・っていうのと、いつまで私達はこの世界にはいられない、やがて死んでしまえば、
今の世界にはもう いないので、今にはあるけど、やがてなくなるしかないので、幻。で、この二者は誰もが考え着くことなので、覚った人は 特に示すことがないですよね。
覚った人が 示したがるのは、現実に観える世界そのものが 幻、虚実・虚構であって、本当には ひとつのものでしかないという 超難易度の高い、常人には理解しがたい説明です。
この説明が受け入れられるには 実際に「ひとつ」を体験しないと無理でしょうね。つまり 体験以前の私には、単なる知識でしかないです。

>ひとり(個)だけの世界・・・っていうのも、またいくつかの理解がありますよね。内面がブラックボックスで、自分自身にしかわかり得ません。たくさん人はいるけど、結局 思考も感情も他人のものは
自分のものでなく、精神の世界は孤独でしかないっていう理解もあるし、覚った人が 死後には、自分しかいないつまり 他者も自分も同一化していることを示している理解もありますよね。
ひとつとかワンネスとか言われる世界観です。私しかいなかった、っていう感想もあれば、みんなが私だったという感想もありますが、両者が示しているのは同じことだと思います。

続く

273苦集滅道w:2018/08/25(土) 10:54:23
>悟っても「個」の範疇・・・っていうのは、いくらかの誤解にあると思いますよ。個の範疇にあるなら、それを悟りとは言わないはずです。
いつも個の範疇にある人が、個の存在が虚構・虚実であったことを見抜くのが悟りではないかなぁ?それが 継続するかどうかは また 別の次元としてねw
じゃ、何故 日和さんが、悟っても個の範疇にあると 思うのか?っていうと、悟った人でも 自我だから。何が 自我で生きてる人と 悟った人の違いなの?違わないよね?
っていう発想からだと思うよ。で、自我がないっていう人もいるけど、悟った人でも自我はある。じゃ 自我のある悟った人を悟ったとは言わないのか?っていうと、今度は
悟りの定義を決めないと、あやふやになって訳がわからない説明となってしまうでしょう。

悟った瞬間・・・ていうのがあって、そこでは、一切がわかります。その一切を書けば、書けないこともないけど、基本的には 内面にある感覚・感性なので、言葉にしづらいです。
で、このトキに 自我って最初からなかったことまで、わかります。或いは 自我として思われている意識が 何故 できあがっていうのかもわかります。
で、この場面において 人は悟ったと思いこみます。で、ブログとか本とか書いて、私って実はいないんだよとか、みんなが私なんだよ的な 根源の説明をし始めます。
こういう立場の人が 圧倒的に多いと思う。で、そうした人達は 今度、ずっとその悟った意識にはいられないことに気がついていきます。
つまり、生活するには 自我がいるよね的な。で、そこを うまく巧みな話術や詐称によってかわして生きながら 覚者の立場を維持させていきます。おそらく 生涯にわたってね。

で、今の時代?っていうのは、根源が自分で 自我が錯覚の意識で 死んで根源に誰もが帰還することを知って・・・それからを生きてる人が多数います。私もその一人ね。
で、そういった認識が もう 当たり前になっていて、別に自我で生きることに 問題意識を持たない段階の人達が でてきています。
ここまで、いかないと 一瞬の悟りって ほんとに一瞬で終り、現実には活かせないことになります。活かせないで終わる人も 多数いますよ。
不思議経験はしたけど 不思議なままで終わったみたいな人ってやっぱりいます。

で、悟り体験を 生きていく中で完全に活かして生きることが、やっぱり その次の悟りだと思う。悟った自我の生成。
で、この時点では まだ 日常には自我の意識が 残り続けます。私も そうだけど、自我の範囲であることを 知っている「自我」です。

で、その「自我」が 完全にない・・・人が 顕われてきた。

ですから、悟っても個の範疇っていうのは、悟りそのものには、個人はいませんが、悟り後の人生には、個が存在しているという意味合いでは 間違ってないです。
でも 自我がない人に言わせると、自我の無い状態が そもそも悟った状態ということになるでしょうね。
で、ここで悟りっていう言葉を 使っていますが、そもそもが 悟りって観念自体が 自我の持ち物というか 創作された意味合いであって、本来には 悟り自体が ないですよね。
一番最初に書かれている >あるがまま・・・の世界しかそもそもが展開されてはいません。自我があるとか ないとか語る自体が自我の範囲にあって、しかるべきものであり、
その枠組に 一線を引くことも 自我の総意工夫の中にあるものでしょう。

で、こうしたやり取りで 自我のあるなしやら 根源のなんとかとかの説明とか感想を語り合うこと自体が 自我の役割ですよね。
いいも わるいもなく、自我を経験しているから こうしたことが可能となっていて 本心から根源に回帰されていれば、こうしたやりとりも 疑問も 何も 最初から「無い」ままの
自己がありますよね。その状態に いつもあることを 自我がないと表現しているのではないかなぁ?

それにしては、細かい感情の動揺とか、思い込みの正当化とかって 行われてもいるのでしょう。それがないと 会話さえも成り立たないから、やむを得ないことなのでしょう。
そこまで理解してみれば、自我がない・・・って書くことも ありなんだと思います。

単純に根源に回帰してみれば、それだけで 満足であり、完結していて 他者への一切のオファーが止んでいるものです。

で、そこでは 何も この世界に影響を与えられないので、自我の行使もやむを得ないものですよね〜。
自我を行使して 自我の無いことを書く・・・そこに すかさず 日和さんの疑問がささりこんでいるように 思いますよ〜(笑)

274日和る:2018/08/25(土) 11:33:33
フェーズを合わせたいので書きます。
その現実(リアル)の「ありのまま」ですが、意言い換えれば「純」な視覚要素だと思います。ですが、それも幻想(創造物)、ベース、基盤に過ぎない。
そう思ってます。つまり無い自我が生まれて、最初に見え始めるステージ、場面って必要ですから、それが「ありのまま」、逆に、自我創造、仕組みの基盤でもある。
合ってます?
で、書かれた>Cが、「ありのまま」すらからも降りた場所?

275苦集滅道w:2018/08/25(土) 17:08:33
フェーズ・・・なんかかっこいいですね。

厳密なありのまま・・・なら、降りようがないと思います。
で、「ありのまま」って、ほとんどの人にとっては、イメージなので、どんな風にも解釈が可能です。
浅い解釈の「ありのまま」であるなら、降りる必要がある人も いるでしょうね、
つまり 自我の想像・理解でこてこてになった「ありのまま」なら 降りた方がいいでしょうね(笑)

Cの定義は 覚った人にしかわからない、ありのままの「素」の世界観です。私ら 覚ってない者からみての世界観です。世界そのものじゃないです。
ここが、生きて体感されているならば、降りる必要ってないですよね?

なかなか そこにあるがままには 生きられないので、自我そのものから降りることが 必要となっていますよね?
ジェットコースターなんて、幻と解っていても はらはらどきどきするものに 乗ってると神経がすり減ってかなわないので、たまには降りて、安心感を感じたいので、降りますよね?
これは 人によるかもしれませんが、ジェットコースターでの 最悪の悪夢って 死を熱望することだと思う。それ程に 追いつめられて、背水の陣になったトキ、活路を見出すには
もう 夢観てる場合じゃないっていう 真剣な意志が、悪夢のステージから 降りることへと導きくのだと思います。適度に 快適で、耐えられるほどの苦しさなら、降りる必要がない
単なる 自我の体験で終わるものでしょうね〜。

日和さんは 真剣・がちに この世界から降りたいと 思っていますか?

276苦集滅道w:2018/08/25(土) 18:12:22
自我がない・・・っていうのは、↓こういうことかもしれません。

http://kuujigen.hatenablog.com/entry/2018/04/02/010252

>ある時決定的に、自我の全てが死んだ。私、は居なくなった。
>背骨に沿って絶え間なく至福のエネルギーが巡っていた。
>その状態のまま約半年が過ぎ、残った物質体を物質の次元で生かすべく、最低限の自我を構築していった。

最低限の自我っていうのは、らぴ。さんの言われる名残みたいなものかもしれません。
お二人共、その状態が継続されているのだろうと推察します。何にしても想像を絶しています。。。

277日和る:2018/08/25(土) 20:13:59
「ありのまま」って幅があったんですね。よくAさんや、余計なほどのもっ氏が「いまあるのはPC画面がある」、「ふれる」、「なめる」、ってことよく書かれてて浅い話だって思ってました。
>書かれた>Cが、「ありのまま」すらからも降りた場所?って思ってました。
さて、ガチでって聞かれるとそうでないともそうかもとしか言えません。それは、見えない意識があるかもとも。

あ、くうさんですね。この方は私が入りはじめに見つけた「 」と思う方です。の、前が津留晃一氏でした。
このふたりの話が、依然として根底に残ってますね。Aさんへの問いもこれらがベースとなってます。私の方向性はぶれてません。ね。(いま思えば)
くうさんですが、当初、多次元の表現やら、まったく意味不明の叫び声のようなツイッターになりはじめてわからなくなり離れて行きました。けど、最近落着いたようですね。
多分ですが、その次元を突き進んだときの表現をだだ列記していたのと思います。

そう、記憶までも走馬灯のごとく消えて行って赤ちゃんレベルになったようです。逆に自我構築に数年ですから、つまり、この世の生活が出来なかったわけです。幸いにサポートする母親、友達がいたからです。端から見ると廃人のようになってるわけです。怖い思いましたよ。もうひとり数年の体験してる方がマックハルト氏(名前は適当です)

278日和る:2018/08/25(土) 20:19:17
くうさんも、いま20代だと思います。若くして悟るって今後どうなるのでしょうね。

279日和る:2018/08/25(土) 21:07:02
くうさんの場合からすると、赤ちゃん状態になったのだけども、文字から習うではないわけで、つまり、記憶とつながらなかったと言えると思います。ですから、肉体というか頭、記憶と分離したと言える思います。人とコミュニケーションできなかったことを意味します。数年です。一人だったら生活できませんね。

280苦集滅道w:2018/08/26(日) 09:17:49
>端から見ると廃人のよう・・・そう、自我がないってことは、そんな風になる気がしますね。でも実際には、くうさんは 最低限の自我を構築して 今、活動されてますし、
らぴ。さんも肉体の名残で生活されているようですので、困ったことにはならないのですね。
で、お二人が伝えんとしていることって、そんな体験以前に不安になるような要素(自我がないことに伴う恐れ)ではないはずです。

らぴ。さんは幸せを目指せと言い、くうさんはそのままで今の自分を愛せよと言います。・・・自分のようになりなさいとは、言ってないですね。ま、それを言われても
お二人の心境って、書かれた文字を読んだだけで とてつもない「深さと拡がり」を感じます。そういう風になっているんだぁ〜と感想を持つことが精一杯ですがね(笑)
思考の範囲でしか構築されていない 浅い真理の認識を 売りにしている人達とは、一線を画しているようです。
で、そっちの方が お手軽なので、一般には普及しやすいでしょう。・・・そうした精神世界観の手時されていく状況って、仏教の伝達形式に似ていると思う。
らぴ。さんは釈迦の悟りかもしれません。くうさんは、超えてるかもしれません。彼女達に熱心なお弟子さんでもいれば、お手軽な仏教論が広がるのかもしれませんw
しかし、お二人共に地味な活動で、読む人が何かしら受け止めてくれればいいというスタンスを取られていますね。

と、ふと思いました(笑)外野の感想にすぎませんが。

281日和る:2018/08/26(日) 09:20:55
>お二人共、その状態が継続されているのだろうと推察します。
くうさんは継続してない思います。問答してたあの時、入るために瞑想してるニュアンスでした。(入るのは早いでしょうが)
また、A氏同様に商いしてて一度対面したかったのですが高くてできなかったです。(金欠のさなかでしたし)問いだけでですまそうとしたら回答してくれなくなりました。(笑)つかいます。
そんなんで、普通は自我と思ってます。いまはしりませんが。
くうさんの時は、その状態はどんなものか。構図的な興味が先ででした。あ、いまもそこにですね。

方法論は、今朝確信しました。間違ってないなぁの印象です。従来から考えていたこと。でした。
コメント欄面白いです。らぴ。さんの師匠見つけました。掲示板読み始めてます。感動してます。考えが一緒だと。同じ方向性と重いました。ここなんですね。A氏との違い、これに反応して対峙するカタチで居座ってました。もっ氏にもそれで対抗してましたね。

282日和る:2018/08/26(日) 09:25:48
訂正。
>とてつもない「深さと拡がり」を感じます。
いまブログを読むとそう感じてます。そして、常にあるかもしれません。
が感想です。

283日和る:2018/08/26(日) 09:30:46
あ、でも、くうさん。『わけのわからないおっさんがいうてるが。。」と誰のブログを指してるかわかりませんが、
異論大有りの感じで、たまに、素に戻ってる。。風にもとれました。

284苦集滅道w:2018/08/26(日) 10:09:27
>らぴ。さんの師匠・・・考えが一緒でしたか〜良かったですね。
後押しになって自信が持てたようで 何よりです。

日和さんが感じるA氏M氏への違和感って、たぶん私も同じことを感じてると思う。
そこじゃないよ、もっと奥だよ・・・みたいな感覚。それが、書かれていたようですね。
で、それは間違ってはいなかったと確信されたようですね。

だから、精神世界を説くことは、ある意味で「賭け」ですよね。
いったい自分が今 どのあたりにいるかが冷静に見て取れる人が いない。
絶対に中途半端な精神の状態なら、「不都合さ」「不合理さ」「矛盾」といったものが
経験されてるはずなんだけど・・・論理思考で そこをする〜させていくからねw
そうした人達は、こうなんだと真理観を極めた?場所に居座り続けるけど、
実は 本当に底の浅い場所であったりね〜(爆)

くうさんは、あくまで、書かれたものからのイメージです。実際は わかりません(笑)

285日和る:2018/08/26(日) 10:54:38
状態がそこはかとなく、なんとなく。

>君の次元は音は聞こえている、景色は見えている、言葉は発せられている、ただし、自分のもの
では無い、このようではないだろうか。ここでは、「自分」と言う捉え方は消滅したが、視覚情報、聴覚情報、言葉との微妙な距離感が
発生しているのだが、あまりにもそれが微妙すぎるがゆえに中々気づけないものだ。 <中略>君の所では「識別作用(対象)」が消滅し「楽」を実現したという事で間違いはないし、これも
既に稀な現象であると言える。ただしこの先もあるのだ。君の所では「識別作用(対象)」が消滅し「楽」を実現したという事で間違いはないし、これも
既に稀な現象であると言える。もし君の段階の人がさらに先に進もうと思うなら、この微妙に存在する「距離感」を手掛かりに
確実に存在するものとしてしっかり掴み取ることだ、しかし、今の君が今のままで「楽」と言うのなら私はあえてさらに先に進んだ方が良いなどとは言わない。

286苦集滅道w:2018/08/26(日) 11:07:36
おおお〜、そうそう、この段階みたいなひとつひとつは わからないけど、流れとして そうなっていくことが、納得がいきます。
どこかで 立ち止まっていて満足していて、そこが全部だぁ〜〜〜って 思ってる人は、めちゃたくさんいそうですよね。
そこでいいなら、いいんだけど、そこが全部みたいな 書き方とかされると ちがうだろぉ〜〜〜って心理が働いて、いちゃもんつけたくなりますよね?

なんか おしゃかさんの説法みたいで、小気味が良いですね〜。

287苦集滅道w:2018/08/26(日) 11:17:44
そう、それと 今の自分の立ち位置が 屁みたいなものに思える。
自我がなんたら 根源がなんたら 苦悩がなんたら・・・って真剣に討論してる 自分って、めっちゃレベルが浅いわw
根源でしか生きてないなんて当たり前のことで、付随する 自我の性質や法則性(カルマ・輪廻・引き寄せ・心理面の動向の理解)なんてことは、
砂漠の中の砂粒一個にも 満たない 稚拙な悟りでしかないことが、自覚されましたよ。

おお〜、燃えてきました(笑)いや、マジでね。

我は 何て ちっぽけなんだ〜〜〜、海に向かって 叫ぶwww

288日和る:2018/08/26(日) 11:48:50
>おお〜、燃えてきました(笑)
おお〜。良かったです。

でも、方法論は。。。。ですね。
盛り上がったのに。。。なんなんですが。。。

釈迦の最期の言葉。「怠らず努めなさい」。。なんですよ。

えっ。ってなりました?
でも、苦Maxのとき、「がむしゃらに働いた」と書いてましたよね。その後ですよね。
「がむしゃら」これだと思います。ね。「怠らず努めなさい」。。。。ってね。
らぴ。さんの「精進せよ」がこれでしょうね。

289苦集滅道w:2018/08/26(日) 14:03:55
>今の君が今のままで「楽」と言うのなら私はあえてさらに先に進んだ方が良いなどとは言わない。

・・・そう、誰に対しても この方は 言わないでしょう。

普通 言いたくなりますよ、君は まだまだだよ、とか、君は もう 僕と同じだよとかってね〜 その場所が真実であれば あるほどに

言いたくなりますよ。私なんか 思考のきらめきでさえも 誰かに言いたくなる。で、こういうの書いてる訳で、こういうの書き込んでる時点で

もう おわってるw・・・誰に 何を 言わずとも いい心境って、やっぱ あるんでしょうね〜〜。

そこだけ 抜き取っても この師匠って人は すごいと思う。

290苦集滅道w:2018/08/26(日) 14:17:03
>「怠らず努めなさい」・・・は、「道」を行く人に向けてのものでしょうかね?

仏弟子に向けて 言ったのならば、仏道に怠らず努めなさい、との意でしょうね。
そもそもが、私達の多くは 仏道に目覚めてさえもいません(笑)でも その道に目覚めたならば、怠らず努めなさい・・・の意とするところが
わかるようになってます。って 偉そうだけど、それだけ この道を歩き続けることが、難易度が高いですよね?

まずは、道。これを 自己に課すこと。だと思う。

291日和る:2018/08/26(日) 20:30:36
>思考のきらめきでさえも 誰かに言いたくなる。で、こういうの書いてる訳で、こういうの書き込んでる時点でもう おわってるw・・・
私も書き込みを何度やめようとしたことでしょう。いまだにやってる。自我増幅化でしかないってことですね。ムコウのコメ書き込む常連さんもそういうことです。思ってたけど。

>仏道に怠らず努めなさい。
普通はそのようにとっておわりますが、師の方は「怠らず努めなさい」の言葉だけを重要視してるみたいです。
怠らず=他に見向きもせずに、努めなさい=精進なさい だろうかと。

って言うか。紹介を引き延ばしたみたいです。・・で、読んだのはらぴ。さんの掲示板にその師が書き込んだ形跡でした。
改めて読んでみて下さい。キンクマさんからのワードで検索しただけです。でも、これだけで私は充分ですね。その悟りの状態(イメージも)と、方向性が見えたから。
見えたのなら、・・・「怠らず努めなさい」ってことです。っていうか、その実践と手応えは納得してる次第ってところです。♪つけるよ。

以下です。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/

292日和る:2018/08/26(日) 20:31:28
あ、そのワードは「TK師』です。

293日和る:2018/08/26(日) 20:48:36
あ、面白い事に。(何が面白いの?)
A氏のブログ、「気にしなくなって、読まなくなった」って言えればって書いた記憶。

面白いのは、紹介の掲示板に・・・悟りのTK師さんの定義が書かれてあります。

「悟り」とは・・・・・・「何も気にしなくなること」

素晴らしいです。ね。

294日和る:2018/08/26(日) 20:57:52
なにが一緒かっていいますと。その道の達人や、スポーツを極めた人を題材に持って来てることです。マツイ、イチロー、その他頂点を極めた人に全く同じ考えを持ってました。A氏にそれを書いても無反応それどころか「目的などない」で却下で苛立ちすらおぼえました。
ご存知かと思います。TK師の考え、まったくもって同じです。(ちょい自我アピールっか?)

295ラピ。:2018/08/26(日) 23:06:50
こんばんは!
お久しぶりです。

掲示板の書き込みにまったく気づかずごめんなさいね

@(*・ω・*)ポッ

296苦集滅道w:2018/08/27(月) 14:46:15
日和さん紹介の掲示板にひととおり眼を通して、これを書いています。こんな私的なこと書いていいのかなぁ〜と、迷いながらもw

TK氏が書かれている中で、直接自分に関与するのが、今のスピ系への示唆の部分でした。
私も 数年にわたって、目覚め系(スピの一部・心理的な教えが中心)のブログを書いてまして、
らぴ。さんと 出逢う何ヵ月か前に 書くことを止めました。
苦しみはないと、言いながら 気がつけば苦しみにまみれていて、
日常が 平穏でもなければ 静寂でもない、つまり 書いてきたことが実現してない状態なので、
このままでは「詐称」となり、自分を信じてくれた人達に申し訳なさもあり、
さりとて 全面的に自分が間違っている自覚もなく、しばらく 修行すれば 
また、その先のことが書けるとも思い、筆を置きました。

・・・書かなくて良かったんですね。自分の書いてきたことが 根底から真理に届いていなかった事実を認めるのは
やはり 悔しいのですが、それよりも 害毒を撒くことに、とにかく終止符を打った自分の行為は、正解でした。

TK氏が指摘した スピ系の誤った観念って、今も 自分の思考にある訳で、いますぐに それらを捨てて「素」から
実践し直すという意識には なりませんが、今は 酔っぱらっている状態がふらふらしていて・・・苦しいことに気がついています。

酔っぱらった状態を 今 経験しています。言い得て妙な 例えだと思いますよ。
がつんときました。書いておいてくれて ありがとうございます。

297日和る:2018/08/27(月) 22:06:56
らぴ。さん。。。。。。おせーよ。(笑ってね)

まぁ。先に書いた通りでございます。怠らず努めなさい。ですね。
実はただいまやってることは、ジム、スイム、ラン。それにTK師いわれる類いを付け足したカタチで行っておりますよ。まぁ至るには遠きでしょうけど。仏道の「なりきり」つまり集中してです。面白い事に(。。。?)
「楽」を味わっています。ゾーン。私流なら「一対」と表現。(集中の先のそれ自体の意味)もたまに。。。ありますね。
そんなこんなでTK師の掲示板はまさにワードが合致するほどでした。どうやらTK師さんはお坊さんのようですね。
最後に、ちなみに宮本武蔵の最後の奥義は。。。「無刀」です。。。。。ありがとうございました。

298ラピ。:2018/08/28(火) 06:37:29
苦集滅道w さん

人に伝えるためには
自分がそうでなければならないですよね。

かつて私もブログを書いていましたが
あくまでも探究者としてのスタンスで書いておりました。
しかし、まぁ、思い込みがありましたね、、(笑)

悟りなんて興味なかったのに
(私は覚醒のほうが興味がありました)
悟りとは知ることだ!
なんて書いていました(大間違い 笑)

悟りについての知識なんてほとんどなかったのにね。
なんでさとりについて書いてんねん!

しかし覚醒を目指して、結果的に今この状況です

人生、なにが起こるかわかりません(笑)

299ラピ。:2018/08/28(火) 06:39:04
日和るさん

またせたな!(笑)

本当に本当に気づいてなかったよ、ごめんちゃい(笑)


>どうやらTK師さんはお坊さんのようですね

違います(なぜそう思った????笑)
個人情報はお伝え出来ませんが、全く違います。

今の日和るさんの方向性は良いんじゃないですかね?
なかなかいい線いっていますよ
@(*・ω・*)ポッ

ちなみに私についてもかなり誤解されているところがありますが
全く問題ないので置いときます。にやり

300苦集滅道w:2018/08/28(火) 07:36:24
旧来の既存他力の信仰から自力の新興宗教へ、そっから江原氏のスピリチュアルへ、そっから目覚め系のスピへ・・・って、いくつもの
「これが絶対の真実だ」を繰り返してきました(笑)今の目覚め系への「ここが精神性の果てだ」・・・が、実は 果てでもなんでもなかったことを
認めるのは、正直言って きつい(笑)確信しきってきたから。寸分違わない真実に目覚めていると思ってきたから。・・・うん、でも自分で気がついちゃった。
らぴ。さんに全否定されるまでもなく、自分でね(笑)・・・今、持ち来る「苦」が、今のままでは解けないことが、わかってきました。

らぴ。さん
私は、何かを信じるってことが、嫌いで 一切は自分によって確かめることが叶う、と思っていますので、あまり あなたの言葉だけを頼りにはしたくは
ありません。のですがwひとつだけ、改めて聞かせて下さい。

私からみての あなたの精神は、一切の動向が終ったものなのですよね?つまり、私が 繰り返してきたような、精神のどんでん返し(確信の崩壊と新生みたいな)は
ないんですよね?

301日和る:2018/08/28(火) 08:02:47
らぴ。さん

>>どうやらTK師さんはお坊さんのようですね>全く違います。

じゃぁ変えます。お坊さんのような人ですね。


>今の日和るさんの方向性は良いんじゃないですかね?

この世を楽しんでます。よ。

>全く問題ないので置いときます。にやり

そう、気にしなくなりました。

いずれにせよ。渇愛に流されるのが人の性。決めたのなら「怠るな」でしょうね。そこが分かれ道。

302苦集滅道w:2018/08/28(火) 10:34:04
日和さん

むこうにちょっかいかけたくなり、いってみたら すでに 日和さんがおられて 笑いましたよw
>夢の中では、夢を夢だと思えないこと。・・・って、やっぱ おかしいよね?じゃ なんで夢だと言うのか?
TK氏の言葉がよぎる。。。結果を抱きしめているような、不完全性と屁理屈(笑)

303日和る:2018/08/28(火) 10:41:40
だめだ。ムコウに書きたくなる渇愛が止まりまへん。
そう。昨日の記事は、もう、たまりません。握りしめきった不完全性と屁理屈。
TK師さんは、ブログやってないのですかね。

304苦集滅道w:2018/08/28(火) 11:28:30
>もう、たまりません。・・・って、私もよ(笑)

でも、渇愛ではないと思いますよ〜。ただ、そうしたくなる気持ちは 私も同じです。
別に私が悟ったわけでなく、違う情報に乗り換えただけなのですが、自我は自分が知ったことを自慢げに語りたがる(笑)
しいて、正当化しようとすれば、個人の思い込みって 公にすれば、影響を少なからず与えてしまうので、
残念だけど、個人が握りしめていくしかないと思う。そこに やっかみとか、責任転嫁とか、自己顕示とかが入り混じっていて
>「なにもしない」が、実現されてないですよね。或いは 何も気にならないも、同様にね〜
ま、お互いに まだまだということで、スピの訂正に励みましょうよ(笑)

305苦集滅道w:2018/08/28(火) 14:47:29
らぴ。さんへ

私の すっとんきょな質問から始まった このスレッドですが、
そろそろ新しいテーマについてのスレッドを新設しては如何でしょう?
(実は僕の名前がでてるの恥ずかしいw)

私にとって、今 興味があるのは、誤解認識による悟り知識の改善?みたいな、今まで信じて疑ってこなかった
定説化されたような、目覚め系の知識情報って、何が まずいの?っていう具体的な対話。
日和さんも詳しそうだし、のってくると思う(笑)

勿論、教祖様個人への批判でなく、広く周知されている精神世界の認識全般について。
らぴ。さんなら その監修も 間違いなくできそうだし、どうでしょう?

306ラピ。:2018/08/28(火) 22:04:53
苦集滅道w さん

きついの、わかります。
心底信じていればこそ、つらい。

でも、お見事。
そろそろ新しい扉が現れるかな?これからの苦集滅道w さん次第ですね。

>私は、何かを信じるってことが、嫌いで 一切は自分によって確かめることが叶う、
>と思っていますので、あまり あなたの言葉だけを頼りにはしたくはありません。

よい、姿勢だと思います。
その姿勢、徹底的に貫くのもいいのではないでしょうか。

、、でも微妙にスピ系の話、鵜呑みに信じていましたよね、、、。

>のですがwひとつだけ、改めて聞かせて下さい。
>私からみての あなたの精神は、一切の動向が終ったものなのですよね?
>つまり、私が 繰り返してきたような、精神のどんでん返し(確信の崩壊と新生みたいな)はないんですよね?

ないです。

そもそも確信ではないのでひっくり返りようがないのです。
悟りとは確信することではないです

私の状態は「一切の動向が終った精神」ではありません。

なぜならそもそも精神がないんです。
よって動向もない、どんでん返しもない。

それらの現象が起こりうる根本である精神が
そもそもないので何も起こりようがないのです。

原因となるものがないため、結果も起こりようがないのです。

だから、本当に悟ればわかりますよ、例えていえば。

精神?なに?それ?

それが悟った状態です、例えていえば。

307ラピ。:2018/08/28(火) 22:08:51
日和るさん

TK師がお坊さんのような人かぁ、、。
日和るさんにはそう見えるのですね。

ええ、そうですね。
ただただ精進ですね、後悔ないように。

道が見えてきたようですね!

308ラピ。:2018/08/28(火) 22:11:32
苦集滅道wさん

んでは、新しいスレッド作成、苦集滅道wさんにお任せしてもよいですか?
@(*・ω・*)ポッ

参加させていただきます〜!

309苦集滅道w:2018/08/29(水) 07:49:05
>それらの現象が起こりうる根本である精神が
>そもそもないので何も起こりようがないのです。

・・・そうなんでしょうねぇ〜。しかも あなた以外に確実に もう御一方がいられる。
二人の人が同時期に同じことを話すこと。
しかも精神性の根幹にも触れる内容であることから、ありえる。。。とだけ、判断しています。
そして、『そうなってみないと解らない内容』を追いかけるべきでもないと思うのです。
勿論 そうした方が そこに近いという目論見があってのことですが(笑)

さて、精神性を突き詰めるにしても、日常を心安らかに豊かに過ごすにしても、
迷い苦しみながらこの「生」を全うするにしても・・・それらは、
ひとりの「私」という人物の意識の中で、「私」という人物の意識の中だけで、
終わりゆく現象と経験であると認識しています。
例えば、悟りなる精神性の果てみたいなことが体感されても、
わかったとされたとしても それが事実と合致していたとしても・・・
ただ、ひとりの精神の中に 埋もれていくことが不条理に思うのです。
「勝手に生きて、勝手に悟り、勝手に死んで、何も残らない。」
哲学的なのかもしれませんが、そんな風に一人の精神の中だけで、
私は終わらせたくはないなぁと たまに思うのです。

一人の意識は、多くの人の為に。多くの人の意識は、一人の私の為にある。

そんなことを、新しいスレッドの中で、書いたり、書かれたりしたいと思います。
ちょっと、今 タイトルで悩んでいますが(笑)近いうちに、立ち上げてみますね。

310日和る:2018/08/29(水) 08:04:54
らぴ。さん。
改めてお聞きします。成就されたのは、他力ですか。自力ですか。(他に表現あれば)
それから、いまの状態は自力、他力、それともなにもない。どうでしょうか。

311ラピ。:2018/08/29(水) 21:18:54
苦集滅道wさん

>『そうなってみないと解らない内容』を追いかけるべきでもないと思うのです。

その通りです。
特に悟りについてはその通りで、
悟りについての議論はあまり意味がないのですね。

>ひとりの「私」という人物の意識の中で、
>「私」という人物の意識の中だけで、終わりゆく現象と経験であると認識しています。

苦集滅道wさん の認識はお変わりなくですね。
その認識、実体験ですか?
本当にそうですか?
みんな、そうだ思いますか?
絶対的真理だと思います??
それとも個人的感覚ですか?

>「勝手に生きて、勝手に悟り、勝手に死んで、何も残らない。」
なかなか面白い表現ですね。
そう見えるのかな?そう感じるのかな?

新しいスレッド、どうもありがとです♪

312ラピ。:2018/08/29(水) 21:23:16
日和る さん

例えていえば自力ですかね??
自分の意志を精一杯使って、自我をフルに総動員して
起きている間は実践し続けました。
それを自力といっていいですかね?

今の状態は自力、他力という表現ではできませんね。
そもそも今の状態が自力、他力というのはどういう意味でしょうか?

日和るさんは今、自力ですか?他力ですか?

313日和る:2018/08/29(水) 22:40:50
らぴ。さん
自力ですね。同じです。
五木寛之氏は、「無力(ムリキ)」ってつけてます。
他に表現してなくて個人的に気にいってます。

今の状態。そうですね。表現できなことなのでしょう。

314苦集滅道w:2018/08/29(水) 22:54:27
?そこ?そこなの?(笑)人の精神はブラックボックスになっていて、
直接には、接点はないと思います。間接的に想像や思いやりは、当然ありますが、
個人の痛みは 個人のものでしょう。
個人の思考は 個人のものでしょう。
個人の苦しみは個人のものでしょう。
そんなことが、不条理に思えるので、個人を超えた意識とは何か?
それを学ぶ「渦中」にあります。

315苦集滅道w:2018/08/30(木) 18:01:24
らぴ。さん・・・TK師との対話を地味に読み進めていく中で、これは?という記述を眼にしました。

>賢者は死後物質的な肉体を離れたら、別次元に行くのですよ、ところが、
>賢者も物質的な肉体を持つ上では、
>どんな低次元の者とも容易に接触し言葉や文字などの物質的な伝達手段を通して交流が容易ですよね。
・・・ここなんですけど、人には 次元段階の違いがあるのでしょうか?

死後に段階・階梯・次元構造・霊界階層?みたいのがあると、スピリチュアルでも言われていて、
私は 一瞥以前はこの 次元段階説?を信じていました。
ですが、目覚め系にはまっていて、今は 人に線引きはないと思っています。
ひとつとか ワンネスとかに 人の経験が終れば 誰もが同じ根源へと回帰するのでは
ないのですか?

316苦集滅道w:2018/08/30(木) 18:12:50
らぴ。さん、もう一点聞かせて下さい。

TK師との対話スレッドを 読み進めていく中に

アセンションという言葉があって、?となりました。別に アセンション自体は
スピ系では普通に語られていて、トキに 目覚めっていう言葉も同じ意味に使われて
いたりします。目覚めた人達が 世界を変える、みたいなね。
これを私は 信じてない。人は自我を経験行為するために 今の世界にいると思うのです。
自我が進歩向上する以外には この世界は変化しようがないと思ってます。
同様に アセンションもないと思ってます。

一切の真理を見抜いて生きることが、この世界(三次元地球)に求められては
いなくて、人は自我と言う 小さな乗り物を行使して この次元の向上と進化を
図るものだと 思ってます。

TK師も らぴ。さんもアセンションを果たしているようですが、あまりにもレベルが高いので
続く人って、いないんじゃないですかね?あまりにも 高度すぎます。
まさか その先達としてお二人が アセンションしてみせた?のでしょうか?

317ラピ。:2018/08/30(木) 20:43:37
日和るさん

ちょっと調べたのですが
この方の言われている無力って絶対他力という感じなのですか?

かつての私にはあり得ないです(笑)

318ラピ。:2018/08/30(木) 21:12:24
苦集滅道w さん

>・・・ここなんですけど、人には 次元段階の違いがあるのでしょうか?

例えていえば、段階はあります。

>死後に段階・階梯・次元構造・霊界階層?みたいのがあると、スピリチュアルでも言われていて、
>私は 一瞥以前はこの 次元段階説?を信じていました。

人として生きているときは段階があります。
私の道もその通りで、段階を経て、最後には段階がないところまでぶっ飛びました(笑)

>ですが、目覚め系にはまっていて、今は 人に線引きはないと思っています。

みんな、人間という点では同じですね。

でも赤ちゃんと大人は違いますよね?同じ人間でも。
同じ人間だけど、違います。
それを(よくない意味で)線引きといいますでしょうか?
段階はあります。
成長の段階とか。それを線引きとは言わないと思いますよ。

>ひとつとか ワンネスとかに 人の経験が終れば 誰もが同じ根源へと回帰するのでは
>ないのですか?

スピ的思考ですね。その思考が希望となるのならいいかな。

問題なのは
死ねばどうせワンネスになるんだから、生きている間、どうでもいいんだよ、なんでもありなんだよ、
っていう思考です。

そうなるまでまつのですかね?
いつかワンネスになることを妄想して過ごします?

いつなるかわらないワンネスの想像をしながら
せっかく人として生まれてきた経験を無駄にしてもいいのかな。

誰もが同じ根源へと回帰するのであれば
なぜ安心して挑戦しないのでしょうか。

誰もが同じ根源へと回帰することが
何かをしなくてもいい理由になるなら
そんな理論いらないと思います。

それがスピ系の問題点なんです。

何をしてもワンネスに最終的になれる、としても
人には心があります。

その心が問題です。

人には善悪の判断があります。
それが、自分を苦しませ、自分を裁きます。
どうやって生きてきたかが自分が一番、わかるのです。

ワンネスから再び経験に戻って来た時
「私(心)」が思うことが経験となるのです。

悟りとはそもそも心が消滅すること。
ワンネス→心・経験→ワンネス→心・経験このループは起こりません。

しかし、ワンネスって何でしょうね。

私にはワンネスすらないですけどね。
@(*・ω・*)ポッ

319ラピ。:2018/08/30(木) 21:27:09
316: 苦集滅道w さん

>アセンションという言葉があって、?となりました。

そういう言葉は、アセンションという言葉を使っている人に対して
わかりやすくするために例えで使っていたのだと思います。

単語にとらわれないほうがいいですよ。

>別に アセンション自体はスピ系では普通に語られていて、トキに目覚めっていう言葉も同じ意味に使われて
いたりします。
>目覚めた人達が 世界を変える、みたいなね。

懐かしいですね
そういう理論もありましたね。(笑)

>これを私は 信じてない。

信じる必要、ないと思います〜

>人は自我を経験行為するために 今の世界にいると思うのです。

これは信じているのですね。

>自我が進歩向上する以外には この世界は変化しようがないと思ってます。

例えていえばその通りですね。

>同様に アセンションもないと思ってます。

はい、ないと言えば、ないですね。

>一切の真理を見抜いて生きることが、この世界(三次元地球)に求められてはいなくて、
>人は自我と言う 小さな乗り物を行使して この次元の向上と進化を図るものだと 思ってます。

この次元が好きで、ずっとこの次元に居たいのですね。

>TK師も らぴ。さんもアセンションを果たしているようですが、あまりにもレベルが高いので
>続く人って、いないんじゃないですかね?あまりにも 高度すぎます。

アセンションって言葉は例えかな。
私自身はアセンションという言葉はなんだか笑えてしまいます。

>まさか その先達としてお二人が アセンションしてみせた?のでしょうか?

自分の道をひたすら歩き続け、あきらめなかったらそうなっただけのことです。

そしてその状態には苦がないものですから
かつての私が求めていたのはこれだったのかな、って。
(求めていた以上、想像外でしたが、、)

そしてかつての私のような人がいたら
そういう世界もあるから、頑張れば叶うよ、ということは言えるかな。
私のかつての経験から。

(まだ対象のある)かつての私には「あきらめるな!がんばれ!」と言うかな。
もう言えませんけど(笑)

320日和る:2018/08/30(木) 22:00:08
らぴ。さん
忘れて下さい。TKさんの読んでたらどうでもよくなりました。私も忘れます。言葉ですからぁ。
青春の門のイケメン作家です。作家ですから他力、自力の検証を試みたのでしょう。
ですが、至ってはいませんから。作家目線とご理解を。ってわたしがフォローしてもね。

321ラピ。:2018/08/30(木) 22:14:56
日和るさん

うん、うん。了解!

イケメンなんだぁ!
@(*・ω・*)ポッ

322苦集滅道:2018/08/31(金) 07:54:28
らぴ。さん

アセンションについては、同じです。考え方が。
段階説については、生きている中には、あります。そこ同じです。
ですが、死後にまで反映?されて別個の次元にいくのか?と言えば 相変わらず???です。
(ここは、別に今 解らなくても構わないものですがねw)

>この次元が好きで、ずっとこの次元に居たいのですね。
・・・好きだから、居たいのか?と 問われれば、あんまり魅力を感じないので、
是が非でも居たいとは 思ってないです。

仕方ない。・・・っていうのが本音よ(笑)

323苦集滅道:2018/09/07(金) 17:39:36
四諦八正道。ここに行き着きました。何故、釈尊さんは、人の道を説いたのか?自我はない(とは説かずに、自我の道を説いたか)
これが、長い間に疑問でした。普通は疑問でなく、賛美するのかもしれません。ですが、自我はないと説く、スピ系に洗脳されていますと
八正道っていうのは、自我の道筋ですから、不要な教えに思えるんです(笑)

うろ憶えだった「八正道」を調べてみますと、「諸行無常」「縁起」が最初の説法だったようです。
その通りだと今は思います。スピ系では、ここは無視していますね(笑)
そして「四諦八正道」が説かれたようですが、四諦とは「苦集滅道」であり、私が参考とした解説には、苦しみを集めてくるのが自我であり、その自我を
滅することで、苦が滅せられ、その道が「八正道」である・・・とのこと(理解は他にもあるかもですが、私は納得します)

・・・なんだ、そういうことだったのか。。。「八正道」が説かれたのは。。。

私が最後に選ぶ「道」は、これです。

苦・集・滅・道を。

324ラピ。:2018/09/09(日) 18:20:44
苦集滅道さん
いろいろありがとう。

苦集滅道さんの幸せを祈ります。

余談ですが、、、
私の道は苦集滅道でした。

これってね。
漢字のまま、その意味なのです。

苦をめちゃくちゃ集めて道を滅する。
=自我消滅です。

苦集滅道
昔の人は真理を例えで上手にあらわされています。
(真理というのも例えですが。)

皆様の道がますます素晴らしいものであるように。

困難があってもそれを乗り越えた人には
新しい道ができるでしょう。

そしてその道をさらに極めたものは 例えていえば
そもそも道というものすら必要なくなるのです。

難しい言葉はほとんど知りませんが
苦集滅道
素晴らしい言葉です。

どうもありがとう
@(*・ω・*)ポッ

325苦集滅道:2018/09/15(土) 08:30:34
>苦をめちゃくちゃ集めて道を滅する。=自我消滅です。
(中略)
>そしてその道をさらに極めたものは 例えていえば
>そもそも道というものすら必要なくなるのです。
・・・ひさしぶりに来てみますと、らぴ。さんからの一筆に、想いが深まりました。
本当にその通りなんだろうと、想うのです。私も一筆(笑)
らぴ。さんはブログにて、幸せを目指そう。精進に励もう。実践しよう!
といった、自我の成長を促す、啓蒙を発しております。
私には その意図がわかりませんでした。私に限らず、今のスピを信条?みたいにされて
いる人にとっては、「自我なんて、やがて(今も)存在しないのだから、鍛えてみることには
意味がないでしょう?」・・・そうした気持ちが強くあるものです。
その気持ちが、一般的な「虚無の意識」「虚無思考(思想)」であることに、
最近、眼が覚めました(笑)
そう、スピは「虚無」という結論を植え付ける。 何もすることに、意味がないと判断
させてしまいます(スピリーダーは、善意からなので、おとがめはないのですが)
私は数か月にわたり、「虚無感」の中にいて、仕事も私生活も何に対しても身のはいらない
空虚な生活を続けていて、それが何故なのかさえも判断することが難しかったです。
とらえどころのない、漠然として「空虚・空白」な心の内にいて、悟るわけでもなく
現実に復帰することもできず、ただ、こうした場所において、それまでの知識を動員して
らぴ。さんとの会話をしていました。(内面の変化動向があり)今は おかげさまで、しっかりと仕事でお金儲け
することに意識が向けられております(爆)
「虚無感」に辿り着くとか、そこを超えるとかの道筋って、無いです。
もし、らぴ。さんが、至る、とか悟りとかを人に薦めるのであれば、そこだけを取り上げた
自分がいない人達が増産されていくだけでしょう。人の道を説き、幸せへの道を説き
精進し続けることを説くことは、正に 正解でしかなったのだと、今は理解を深めております。
ダイジェストでしか、書けませんが、生きてること自体が自我なので、自我がなければ
生きることが成り立ちません。果たして、宇宙は、或いは神は、自然界は生きることを
破棄させるだろうか?まさかですね。生きる為に自我があります。
生きることが嫌なので、或いは怠惰で息苦しいので、逃避する世界観がスピにあります(笑)
これを本末転倒の思考回路と呼ばずにはいられませんね。
それが 私でした。
で、誤解していたのは、らぴ。さんやTK氏のような人が、人の先にいる人達である
という認識そのものでした。彼らは、滅多にはいません。ほとんど、これから先にも
いないでしょう。その状態?って意図的に望んでも、ほぼ無理で、歴史上にも数人程度が
必要があって、そうなったにすぎず、私達は そこを望むべきでなく、生きることを
究める以外には、ないと勝手に断言できます。
七十数億の人が、自我に生きています。その現実が総てであると 私は考えております。
目覚めとか 覚醒とか 悟りとか・・・なくはないのでしょうが、ほぼ無いと思うのです。
それらが・・・あるとして、人類の向かうべき道だと訴えている人達が、常軌を逸しているのです。
或いは、逸脱してしまっているのです。
世界は このままで 何も変わらない。それが、この世界だと思います。

スピ系に思考が侵食されて、日常が滞る人達に、たくさん言いたいことはありますが、
心は不可侵条約が結ばれているようなので、立ち入ることができませんね(笑)

ただ、もし私のように「虚無感」に苦しむ方が、いれば、声をかけて下さい。
援けたいです。

326ラピ。:2021/11/21(日) 16:21:26
苦集滅道さん

大変お久しぶりやけど
お元気かなぁ
@(*・ω・*)ポッ

327名無しさん:2021/11/24(水) 01:04:42
NFTアートとNFTゲームとGameFiとDeFiとブロックチェーンゲームと
noteとVoicyに今すぐ提供する側・作る側として参入しよう。
DAOとPlay-to-Earn(遊んで稼ぐ)が世界の未来になる
特にNFTアートとNFTゲームとGameFiは今なら先行者利益取れるぞ
NFTアートとNFTゲームとGameFiとDeFiはこれから1000倍規模の市場になる

328苦集滅道:2021/11/26(金) 16:39:43
>苦集滅道さん

>大変お久しぶりやけど
>お元気かなぁ

ラピ。さん、お元気かなぁ?と想い久しぶりにブログを覗きました。
IDがないので、コメントはできませんでしたが、こちらに懐かしい掲示板がありラピ。さんが思いだしてくれているので、私も元気ですよと伝え書きしますね(笑)

ラピ。さんのことが思念に浮かんだのは、会話の中で「対象がない」という言葉を使われていて、当時にはさっぱり理解できませんでしたが、今は。
そうなるんだぁ〜と、自分の心境を顕わそうとしますと、「対象がない」と言う言葉が一番妥当かと想います。
これは、実に不思議ですが、不思議でもなく当たり前だと思いますw

こちらに投稿したり、ラピ。さんとコメント欄で会話していましたが・・・対象を持ってました。たくさん持っていましたが、書いたことの一切は今には何もありません。
なにもない。しかし、全部を持とうと想えば総てが持てますし、それが私と言う自我の全部です。
しかし、総てがないけど、総てがある。対象が顕われれば、対象に向かうこともできるし、対象のない我?にあることもまたできます。
何て言えばいいのか。そんなカンジで日々を自我を行使することと、何も無い、何も始まっていない精神空間?に戻る?そこには何も問題がなくて考えることさえも起きません。

これが、たぶんラピ。さんならわかるだろうと思います。
わかる必要もなく、ただわかるのでしょうが、私もラピ。さんに同意を求めなくても、単にわかるのです。

この会話にも意味はないけど、意味を持たせて書いています。

ラピ。さんがそれでも何も困らないように、私も困ることは何もありません。

・・・大雑把に言いますと、私も元気でブログ書いたりしています。あなたも変わらずに道なき道を説かれているご様子で何よりです。
お互いに共通する何かがラピ。さんの意図に起きれば、会話させてもらいたいと思います。

気に留めていて下さり、ありがとうございました!

329ラピ。:2021/11/27(土) 09:57:58
>>328
苦集滅道さん

おお!
お久しぶりです!!
お元気そうでよかったです。@(*・ω・*)ポッ

>全部を持とうと想えば総てが持てますし、それが私と言う自我の全部です。

この表現が私にはあてはまらないかなぁ、、。(笑)

>そんなカンジで日々を自我を行使することと、何も無い、
>何も始まっていない精神空間?に戻る?
>そこには何も問題がなくて考えることさえも起きません。

苦集滅道さんは行ったり来たりの状態かな?
(例えば瞑想状態と普通の状態?がある?)

私は行ったり来たりはないのですよ。

>私もラピ。さんに同意を求めなくても、単にわかるのです。

通常は同意を求めてわかるけど
苦集滅道さんは同意を求めなくてもわかる、ということかな?

「同意を求めなくても」という表現が
不思議なのです。

今回、書き込みとても感謝です。
苦集滅道さんの気づきになりますように。

これからも応援しております!
@(*・ω・*)ポッ


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