[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
kujyu-metudouさんとの対話
169
:
苦集滅道
:2018/07/19(木) 07:17:23
>私はよくそのものと表現しています。
>これは愛に限らず、そのものなんですね。
>そういったことが例えて言えば「愛」と表現できるのかしら。
>でも例えて言えば愛であれば「愛そのもの」
>幸せであれば「幸せそのもの」
・・・言わんとするニュアンスは充分伝わります。
らぴ。さんは、例えとして「愛そのもの」としていますが、たいていの覚者様は 「愛」・・・以外にはないと、限定?断言しています。別に 誰がそう 断言しようとも かまわないことですが、私の中では「 」が
「愛」という言葉に表現できるのかが疑問にあります。ですが、らぴ。さんも「愛そのもの」として表現できるということは、あれが「愛」として表現できるもの。そんな風に思います。あれっていうのは、私の体感。
で、今の私には どこにも無い、だから 愛無き者。自我に在るのは、先に書いた人間的な「愛」でも それは、普通に在るもので、意識して目指すものでもないよね(笑)
日常で「愛」(思いやりとかいたわりの念とか、欠いていたなぁ、利己的だったなぁ・・・と思う場面は多々ありますが、だからといって「愛」がない訳でもありません。むしろ 在るからそれが意識されます。
たいていの人は そんなカンジだと思う。いつも「愛念」に充ちている・・・これは 修行のテーマにもなるけれど、人であれば 他者との関りにおいて 当たり前のことと思う。
では その人間的な「愛」を超える「愛」があるのだろうか?「愛そのもの」は いつもある(らしい)、幸せそのものも、いつもある(のだろう)
「 」そのものって 例えが使えるのは いつのことだろう(笑)
お応え頂き ありがとうございました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板