したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

kujyu-metudouさんとの対話

150ラピ。:2018/07/18(水) 07:08:54
>楽ちんこ道さん普通の人です。
>言えますよって理解されますから
なるほど、私が 日和る さんの言葉に
「わかる、わかるよ!私もそうだよ!」といえばいいわけですね。
そうすれば日和るさんも満足!ってことですね。
ポイントは 日和るさんのいっていることに共感するか、しないか、ってことね。
私が否定ばっかりして共感しないからダメなんですね(笑)

>渇愛から苦が生まれる。
>一切皆苦は釈迦の言われた事です。(経典)
悟る前はね。悟ればそうではないです。だから悟った釈迦には渇愛はないですね。
でも悟った後も教えは説いていました。(教えを説いているように見えた)
教えを説いた釈迦に渇愛はあったのでしょうか。

>瞑想で釈迦は悟りを開いた。(定説)
>瞑想は内面を観るものです。
悟る前の釈迦(内面あり)が瞑想し、ついには内面が消滅。
悟る前は内面があり、精進することによって内面が消滅する
瞑想はまだ悟ってないときの行法です。内面がある時の行法。
内面がある時に瞑想をし、悟ったとき、内面は消滅する。
悟った後は釈迦は瞑想していないと思います、できません内面がないから。
内面なかったら瞑想しようがない。何もできません。

>内面って勘違いされていません?
日和る さんには内面、ありますよね。釈迦も悟る前は内面があり、瞑想し、ついに内面が消滅した=悟ったのです。
勘違いしていないですよ。普通、内面はあります。
それを消滅させるために精進するのです。内面は苦の原因ですからね。

>じゃ繰り返しますが、単純に
>喜怒哀楽は「自我」だから現れるのです。よ。
>理解出来ませんか。
それは解りますよ。(笑)日和さんもそうですよね。
自我があるから喜怒哀楽がある。
しかし、悟った後の釈迦に自我はないはずですが喜怒哀楽があるように見えました。
これはどう説明しますか。
たしか、 日和さん 曰く教えを説いている時は自我でしたっけ?
そしたら教えを説いている時、釈迦に苦はあったのでしょうか。

>そうであろうは、「解釈」いいます。
へぇ、そうなんだ

>>ちなみに教えを説いている釈迦や楽ちんこ道さんに
>>それは渇愛ですよ、って言います?
>教えを説いてる最中にには言いませんよ。あしからず。そんな非常識ではありません。

そういう意味ではなくって(笑)
私の表現が下手くそでした。
釈迦や楽ちんこ道さんは教えを説いていると思いますが
その人たちも渇愛しているから説くのですか?

、、伝わるかな(;・∀・)
日和る さんには内面があります。
そして内面が消滅するなんてありえない、と言っているのですね。
日和る さんがまだまだ知らない世界があったとしたらどうしますか?
日和る さんの言っていること、解りますけど私に当てはめて言うからそれは違うよ、と言っているのですよ。
内面、それがかつて私にもありました。だから内面がある、というのは理解できますよ、普通の人は。
だから私もかつては瞑想もできました。
でも今は内面がないんです。
日和る さんはすべてを知っているのですか?本当にすべて正しいですか?
もし、知らないことがあったらどうしますか?
釈迦は自我消滅していたと思います。
そうじゃないとあのような教えは説けない。
(説くことなく、説いていたのですけどね、悟っていたなら)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板