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kujyu-metudouさんとの対話

66日和る:2018/07/16(月) 23:20:53
苦集滅道さん。はじめまして。
「悟り」ですか。差取り。なんて語呂あわせて語る方もいらっしゃいますね。私は、単純に「わかった」、それも「全てがわかった」が、しっくり来ます。
ですけども、そこで、その「わかった」は、あくまでも自我のわかったであって、夢の中(リアルな現実)の住人が言ってることとなる。すると。その住人はいない。
幻想なんです。と幻想の話ってことになり、それじゃぁその「わかった」「悟り」も「幻想」よ。って話がでてくる。
そこで、さらに、その自我が消えた。ところで、自我が「わかった」とする論理的、感覚的、またが、摩訶不思議的思考は、記憶されてるはずのものもなくなるわけですから
つまり、「わかった」も「なんだっけ」でもない「  」になるわけですので、「悟り」すらないということになるのでしょう。ね。
ところが、自我は死すまで自我。自我も本来(衆生本来仏なり)で、この世は幻想だけども横に置いててもいいような軽くはなく、まやかしのニュアンスでも非ずで、自我のこの世以外、
「生きる」という世界は「ここ」だけですね。つまり「そのもの」からすると自我の作った幻想でも幻想が消えるわけでないないし、幻想は死ぬまで続くわけです。
「幻想も本来」であると思ってます。ある意味「制限をつけその場で暮らしてみて下さい」という「もうひとつの本来」と思います。荘子の「胡蝶の夢」がまさにです。
ですから、別の表現だと、「悟り」って自我、個人が「そのものの仕組みを知ること」だと思います。
※注釈 自我をエゴイズムだけとしているわけはなく、肉体、記憶、思考、感情、行動を含んでます、エゴの執着を捨てるは可能だとは思いますけど。。。


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