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聖典引用 板

1269SAKURA:2012/09/10(月) 09:56:58 ID:SbalnCM2
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

おはようございます…。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今月は…『セフテンバ−…9月』
暦の上では、どうしても浮かびますのが……二百十日、二百二十日と…
そうなのです〜〜ョネ!【台風シ−ズン】…何となく?過ぎ去って欲しいものです…。
それでは、本日の“言葉”から〜♫〜

■■ ―― 如意自在の生活365章 ――
―――【 汝は“神の子”一切は自己より出ず 】 ―――

ソクラテスが“汝みずからを知れ”と言ったごとく、宗教の根本課題は“汝みずからを知る”こと
である。“お前はどこから来たのか” “お前は一体何者か”の問題である。自己を物質でできた肉体
であり、中には内臓があり、内臓の内部には糞雑穢が充ち満ちている有限の存在であると見ている限
りにおいては、人間は物質の法則に左右され、物質の法則の奴隷であり、出せば減る存在であり、富
むためには奪わなければならない惨めな劣弱なる存在であるほかないのである。

 肉体は“自己の表現”の一部分であり、自分は宇宙の造り主なる神と一体であり、あらゆる処に
“自己表現”を自分がなしつつあるのだという自覚をもたなければならないのである。わたしたち
は、善なる神を妨げる対立的な力があるということをみとめてはならないのである。不調和を来たす
力が実在すると考えてはならないのである。そのような不調和を起す力があると考える程度におい
て、“不調和な力”を自分がそこにその時点に表現しつつあるのである。   (雅春先生著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■肉体…一時的な借物でしょうか?
この「現象世界=現実世界…」での、人生劇場の役者としまして…頂きました“仮の姿”かと?
当に【自己表現…】の手段としての【肉体人間…】でしょう。

では?本質の私は、何者でしょうか〜〜〜? 自問自答しますと〜〜〜?
勿論!【霊的人間…】なので〜〜す。今年亡くなりました「母の御霊様」を、見ましてからは、
更に“お前はどこから来たのか”と言われますと…勿論!
この現象世界の次なる世界…そうです〜〜ョネ!【霊界…】から〜♫〜
そこには、肉体こそありませんが、今の私の状態を引きずった状態での“世界…”と申すべき
でしょうかしら〜〜〜ン!

但し懸念して居ます事があります…。その「御霊の色…」ウフフ><
【生命の実相】の中に“色別…評価”がありましたモノ!
「赤色」・「黄色」・「青色」・「白色」……etc いったい?私の場合は〜〜〜なんて考えてしまいます。
ならば…『神と一体』に於きまして…『魂の向上』を、この現実世界である今!今!…
磨いていきます事が、次なる世界への素晴らし〜〜〜イ!世界へ「旅立つ〜♫」でしょうか?

神の世界は「調和の世界」ですから…これを踏まえまして【自我をたちきるべし…】
そうしませんと…【我欲…執着】になりまして【調和の世界…】には、到底行けませんでしょうか?

今から…『神の子としての自覚』を持ちまして【今!今!この世界にて“心の向上”…】を、
霊的人間は“自由自在”しかも”無限の力“がありますモノ〜♫〜
益々勉強して参りたく思います。…が?
                              再合掌 

PS:トキ様は?本日の“言葉”どの様に受け止められましたでしょうか〜〜〜?
アドバイス頂きますと、幸いです。…が?

1270ハマナス:2012/09/10(月) 13:35:32 ID:0kyCzJg6
神の子のみなさま
こんにちは。今日も、こちらは暑いですが、皆さまは如何にお過ごしですか?

上役のやさしい言葉  (『新版 生活の智慧365章』P.242)

 人は本当に自由になったとき、責任感をもち、真面目に仕事をすることが出来るのである。
業主は従業者を自分の息子又は娘であると感じて、その幸福のために誠心(まごころ)を
尽くしてやるべきである。真心は真心を呼び出し、冷酷は冷酷を呼び出すのである。冷酷
なる親に対しては子は親不孝になるのは当然である。子は親の愛を感じたら、親に対して
反逆の心を起こしたりすることはないのである。

 従業員は概ね貧しいのである。その生活には苦労が多いのである。その上経営者から辛く
扱われてはたまらないのである。経営者はもっと従業員の生活の労苦を軽減してやるように
意を用いてやらなければならないのである。上役のやさしい言葉や、同情ある態度、思いやり
ある扱いが、これらの従業員を明るい温かいものにしてくれるのである。人は何の位置におかれても人に愛を施すことが出来るのである。

感謝合掌

1271うのはな:2012/09/10(月) 14:43:33 ID:2lPhm8Go
私のクラス会  谷口輝子 先生著 『愛が魂に目覚める時』P146〜

 私の車が停ったところはクラスメートの国方さんの玄関前であった。
私は車を降りてもすぐにドアに手をかけられなかった。国方さんの庭から這い上り、
堀の上から顔を出しているツルバラの花が、余りに美しく可憐なので、私はそれに近よって、
しばし見惚れていたからであった。

 やがてドアをあけると、気配を感じてドヤドヤと出迎えて下さったのは、国方さんとお嫁さんと、先着の
二人の友たちであった。応接間に通されてしばらくすると、四人の友もみんな到着されたので、予定通り八人が揃った。
みんな二階に案内されて落ち着いて坐った。みんなは直ちに楽しい賑やかな会話にはいった。
国方さんの息子さんは建築家なので、変った面白い建て方がしてあり、洋間にも日本間にも棚の上には亡き御主人の作らしい
彫像が飾られてあった。一流の彫刻家だった御主人が去年亡くなられたが、沢山の作品が、あの部屋この部屋に、そして廊下にも
飾られてあるので、矢張り夫と共に暮して居られる感じがした。

 八人のクラスメートの中で、夫が生きて居られるのは、矢沢さんと私との二人だけであった。
大阪からはるばると上京して、今日のクラス会に加わられた高井さんの夫は、最近亡くなられたのである。
仲のよいという評判の夫に逝かれたのに、高井さんは思いのほか明るい顔をして居られる。私の隣りの席に坐って、
高井さんは夫の死について話しつづけられた。
「去年から、誰からか判らないのですが、毎月私に『白鳩』を送って下さるので拝見しています。貴女は二つも文章を
出して居られるんですね」
「ええ、もう、もう一つ『理想世界』という青年誌にも書いて居りますの」
「うちの主人はね、軽い脳軟化症でしたが元気だったのですよ。死ぬ前の晩に“わしはもう死ぬよ”と申しましたが、元気でしたから
私は本当に思って居りませんでした。ところが翌朝の七時頃でした。水が飲みたいから持って来てくれと申しますので、コップに入れて
持って行きますと、『ああ美味しい。もう一杯くれ』と申しますので、また持って行きますと、それを飲まないうちに、横になったかと思うと、
息が切れたのですよ。私は水を運ぶ時、それが末期の水になるとは思いもかけないことでしたが、後で考えて見ると、近頃は逢う人毎に、『いろいろお世話に
なりまして』と御礼を言って居りましたし、私にも、『お前は良い妻だった。大変世話になった。有難うよ』などと申して居ました。
自分では死の予感があったのでしょうね」
などと高井さんは言われた。

 御主人が余りにも立派な死に方をされたので、彼女の顔は明るいのであった。私は大阪の白鳩の一人が、名も告げないで愛行をして、
高井さんに送本していて下さることに、蔭ながら御礼を言いたいと思った。一昨年まで東京に居られた高井さんが、もはや東京のクラス会の
メンバーでなくなったのに、特にはるばる参加されたのは、こんな話や、満州引揚げの時に、一般の引揚者は一人千円しか持ち帰れなかったのに、
高井さんは大袋いっぱいのお金を持って帰られた話もされた。引揚げぎわに、銀行から会社の預金を引き出されたので、日本へ帰って来られた時、
会社から非常に感謝されたそうである。珍しい話だと思った。

 杉並に住んで居られる佐賀さんも「白鳩」誌を長年読んで居られ、大阪に在られる息子さんも、九州の大学へ行ってる孫さんも「生長の家」に熱心だと、
ひどく私に御礼を言われたのでクラス会なのに、白鳩会と錯覚しそうになった。
クラス会に行った翌日、沢山の郵便物の中から取り出した二通の封書の一つは、品川の海雲寺というお寺から送られた“時の宣伝”なる印刷物であった。
時間を大切に生かして使えという宣伝を、前住職から続けて来られたそうである。
そ 世の中は今日より外はなかりけり 昨日はすぎつ明日は知られず
 昨日見し人はと問へば今日はなし 明日また我も人に問はれん
 後の世と聞けば遠きに似たれども 知らずや今日もその日なるらん
 かほどまで偽り多き世なれども  死ぬるばかりは偽りでなし

 (読人不知)


つづく

1272うのはな:2012/09/10(月) 14:44:47 ID:2lPhm8Go
>1271 つづき

 お寺らしく、仏教的無常観の歌を記して居られるが、全く現象の世界は映し世と呼ばれる通り、
今日あって明日はどうなるか解らない肉体人間の世界である。私は高井さんの御主人のように、少しも
苦しまないで、見る人ごとに感謝してあの世へ旅立たれ、遺族も心安らかに明るい顔をして
暮らせることを、有難く尊いことに思いながら、もう一通の手紙を開いた。それは愛知県の或る町の誌友の娘
Aさんからのものであった。
『拝啓、前文ごめん下さい。私の父は十年ほど前から生長の家に参加し、心そう感やら、甘露の法雨を一所懸命読んで
おりました。それが二月十八日突然吐血し、市立病院に入院しました。今日まで病院で一進一退の状態で、何の奇蹟も起らず、
悲嘆のあまり、一宮市の婦人講師Nさんに来ていただき、個人指導をお願いいたしましたが、いっこうに要領をえず、三度目の奇蹟も
おこりません。神様は、かねて平等の愛である生長の家に書かれておりますが、十年も誌友となっておりました者が、何んの奇蹟もいただけないもの
でしょうか。私の家では毎月一度、二十名ぐらいの人があつまりまして、たのもしの常会を開き、生長の家の本の話や、世間話などを話合っております。
私も誌友であり話合っておりますが、これはどういう事でしょうか。よく理解できます返事を、私個人にお送り下さい。
神様は平等にお守り下さると言う事ですが、生長の家の本に書いてある事とは大ちがいで、びっくりしています。
毎月集まって来る人達もご返事を待っています。返事がもらえぬ事なら、私達もその様に思います。父は返事がいただける迄この世に生きていられるかどうか
わかりませんが、出来ますれば、この世に生きていられる間に、なっとくの行く返事を聞かせてあげたいと、私達子供、親戚一同せつにお願い申し上げます』

 このお手紙は原文のままのものであるが、私はこのお手紙を読みながら、今更のように考えさせられた。信仰というものは一人一人のものであって、同じ教えを
受けても、各自の受け入れ態勢が異なるために、深く悟る人もあるし、浅い理解しか得られない人もある。
この手紙の人のように、入信して十年もたつというのに、「生長の家」の最も重要な行事である「神想観」を「心そう感」としか書けないということは、信仰に熱心でないことを
表している。毎月発行される「白鳩」誌を読み、「白鳩相談室」へこのお手紙をよせられた人なのに、心そう感と書かれるようでは、心をこめて読んで居られないことが判る。
「白鳩相談室」宛のものは誌上回答を原則としてあるので、この人個人への返事は早速本部講師より出して貰ったが、この人の家に集って来る人たちや、同じ質問をもつ人たちのために、
私は誌上で答えることにした。の宣伝ビラの終りの方に、四首の歌が記されてあった。

つづく

1273うのはな:2012/09/10(月) 14:49:20 ID:2lPhm8Go
すみません。上の1272 の最後の文 の宣伝の終りに、、消し忘れていました。

1274うのはな:2012/09/10(月) 15:31:09 ID:YWcH1hUU
>1272 つづき

 まことに神様は一切の人々に平等の愛を与えて居給うのである。あの人を愛し、
この人を愛さないということは、最高の神の心ではなく、如何なる人をも愛し給うものである。
 神は、生きとし生けるもの凡てに、愛を振りかけていられるのだけれど、その愛を受け取る人と
受け取らない人とがあるのである。ちょうど、ラジオ局から放送をしていると、スイッチを入れて受けようとする人と、
スイッチを入れない人とがあるように、神は愛の放送を休みなくしつづけてい給うけれど、受け入れ態勢をしない人には、
幸福は得られないのである。


 幸福な人とは何であろうか。それは人々の幸せのために働き、生きている限り感謝の生活をし、死ぬる時も、神に感謝を捧げ、
一切の人々に感謝を捧げて死ねる人のことをいうのである。
 信仰する人たちは、しばしば奇蹟的な救いを語り、信仰すれば奇蹟が得られると思いがちであるが、「生長の家」では、奇蹟は無いと
説かれている。一見奇蹟のごとく思われる不思議な救われを得る人がしばしばあるけれど、それは特別な奇蹟というものではなく、その人の
或いはその人の家族の信仰によって現れた当然の現象なのであるから、入信しても、真剣にみ教えを実生活に生かしているか、よい加減に生活して
いるかによって、結果は原因にふさわしいものとして現れるのである。入信して一ヵ月の人も、十年二十年の人も、年月の長短とかかわりなく、唯その人が
如何に真剣に道を行じるかにあるのであって、多く与えた人は多く得られ、与えなかった人は得られないのである。

 手紙の人は、唯奇蹟ばかりを欲しがり、『甘露の法雨』を読んだが奇蹟が起らない、N先生に来て貰ったが奇蹟は現れなかった。三度目の奇蹟も起らなかったら、
教えがうそのように思って居られる。この人たちは、奇蹟を奇蹟をと、唯お蔭を欲しがってばかり居られるが、父君が仮りに胃潰瘍で吐血されたとすると、その病気になられた
について、その原因の心の在り方について、反省して見られたであろうか。一切の不幸は自分の心で作ったのであるから、その病気の原因である心の持ち方を変えねばならない。

 現代の医学者でも、胃潰瘍は精神的な原因によると言われているほどだから、自己を反省して、誰を憎んだか、何ごとに不足をもったか、何が思うようにゆかないと不満をもっていたか
を思いめぐらせて、人に、事に、調和し赦し、感謝に変えるように努力されたらよいと思う。
感謝あるところに、病気やその他の不幸が現れる筈がないからである。

 アメリカの光明思想家グレン・クラーク教授は、子供が瀕死の重態に陥っているので祈ってくれと頼んで来た婦人に、
「みこころならば、どうぞこの子供を、天国にお引き取り下さいと祈りなさい」と教えています。
これは「治したい、治したい」という病気をつかむ心を棄てさせるためである。
そしてその母親が、その心境になって、神様にお委せする気になったとき、子供が治っているのである。
自分の心の中から病気を放さないので、お蔭が得られないことを金光教祖は、
「ままよという心にならねばお蔭は得られぬ」とおっしゃっていられる。
生きるも死ぬるも、神様あなたにお委せいたしますという気持ちになった時、神の癒しの働きが自分に及んで来るのである。
そのままの心、神意のまにまに在らしめ給えという祈りの心が大切である。

 私の友の佐賀さんの令息が癌の疑いで入院された時、令息の見舞いに大阪まで行かれた佐賀さんは、枕許に『生命の實相』を
置いて帰京せられた。熱心に読まれた令息は癒された。真理を知って心が変られたのであろう。
今はその令息夫妻もその子も、熱心な生長の家人となって居られる。母として祖母として、深い感謝の意を私に示された。
クラス会に行った私の、思いがけない収穫であった。
わたしには眼には見えない大きなおみやげであった。

昭和45年8月  おわり

1275a hope:2012/09/11(火) 07:40:56 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

明るい人はなぜ出世する


事業の成功ということも、就職の希望がかなうということも、
良き良人や妻を迎えるということも、すべて明るい、元気な、その人の顔を一目見るだけで、
とても愉快になり、気持ちがよくなるような人間であってこそ速やかに得られるのです。
誰でも、こんな人に在ったら好意を感ぜずにはいられません。
こんな人から頼まれることは嫌だとは言われません。
こんな人には何か助けをしてあげたくなります。
雇ってくれと頼まれれば雇わずにはとてもいられません。
そういう人は、他の人々を自分の思う通りに動かす魔術の棒を持っているようなものです。
その魔術の棒はどこにあるか。
それはあなたの明るい心と明るい微笑とにあるのです。
(つづく)

1276ハマナス:2012/09/11(火) 12:51:40 ID:0kyCzJg6


神の子のみなさま
こんにちは。

奪うものは奪われる  (『新版 生活の智慧365章』P.243)

 上役や経営者は利己的であってはならない。また上役が貪欲であってはならない。上役及び
経営者は、従業者と共に富んで行くのでなければならない。従業者の犠牲に於て富もうと思う
ならば、それは「奪う心」であるから「奪う者は奪われる」と云う法則に随って、従業者の
サボタージュや、ストライキで「奪い返す」はたらきが起こってる来るノである。

 またサボやストを露骨に行わないにしても従業者が上役や経営者に対して好意を持たない
ときには、働く意欲が減少し、機械、器具、什器などを乱暴に取扱い、火災に対する深重な
警戒などもしてくれないので、不測の災害を惹起すに到らないとも限らないのである。
火災は往々「人心の摩擦」の具象化として起りがちなものである。仕事に対する従業者の
深切注意を喚起するには、上役及び経営者が従業者の生活について深切な愛を持つに若(し)
くはなのである。

感謝合掌

1277SAKURA:2012/09/11(火) 22:32:15 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1167>>1170>>1171>>1174>>1175>>1190>>1194>>1210>>1227
>>1238に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。
実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 混乱を静める方法 ) 

――――― 混乱静める方法  ―――――

|❤なんですって。そんなことは不公平です。そんなことではあの人たち
|をそのままにほっておくことになるではありませんか。すんだことは水
|に流せというのですか。それでは結局、わたしたちはあの人たちにやら
|れっぱなしということになるじゃありませんか。

 たしかに不公平です。しかし、人生とは不公平なものですよ。あの人たち
は実際、逃げおおせたことになります。そのことにたいして、あなたが現在
できることはなにもありません。いまさら貸したものを清算する方法はなに
もないのです。ハムレットは他の悲劇の主人公と同じように、結局は賃借を
清算したのですが、それは死歌流形かのどちらかを選ぶことによってのみ達
成されたのでした。神話にもあるように、エレクトラは母親を殺してしまい、
二度と家庭で母親を見ることはなかったのです。

 人生にはまた別の生き方があります。それは寛容の精神をもって、愚痴を
こぼすのはやめ、物事を大目に見ることです。あなたは全人生を両親に持ち
逃げされないようにしなさい。あなたの全人生をみずからあきらめてしまう
ことをやめることができるのです。
      ――――――― ❤ ――――――
|❤わたしたちは過去を帳消しにするべきなのですね。あらゆる悩み、過
|去の年月、子どものときに信じていたことのすべて、これらを全部忘れ
|なさいというのですか。わたしたちが考えていたことはすべてなにもな
|かったのだということを受け入れなければいけないのですね。

 いいえ、ある意味では、そのときあなたが考えていたとおりだったのです。
人間というのは、それを打ち立てた時点ではまちがっていなかったという
ことが、なかなかわからないのです。
          ――――――― ❤ ――――――――

                        (つづく)

1278SAKURA:2012/09/11(火) 22:34:58 ID:jH5uEFzM
                        
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1277投稿の続きです

|❤言葉で表現できないような漠然した見解をもっている限りは、世間
|を正しく認識しているとはお考えにならないわけですね。

 いやむしろ、それはわたしたち自身の問題と取り組むときの最善の方法だ
ったわけです。わたしたちは、家庭という身近な世界で、もっとも小さな非
力な存在として出発しています。子どものころの無力感は理屈ではなく、事
実なのです。

 社会とかかわりをもつ初期の段階では、他人の力をかりなければなりませ
ん。五歳のときには誰もが母親を必要とします。欲しいものを手に入れるた
めには母親に気に入られ、母親の機嫌をうかがう必要があります。わたした
ちの人生は文字どおりそうすることしかありません。子どもが子どもとして
の独自のことを達成するためには、おとなを動かさねばならないのです。キ
ャンデ−を手に入れたり、映画に行くためにはおとなを征服しなければなり
ません。すなわち、こどものころは人に頼り、他人の愛や同情、理解を求め
る方法を身につけることが、適切なやり方なのです。自分の力に頼ることが
できるのはあくまで二次的なものでしかないのです。

 この無力感、そして他人を操作する要求を成人期までつづけて持ち越すと
ころにまちがいがあるのです。かっては事実であった事柄が、いまや虚構の
ものになっているのです。成人期には人の機嫌をうかがうことで、すべてが
うまくいくとは限らないのです。かって人があなたにしてくれたことを、い
まやあなたは自分自身にたいしてやれるのです。

 三〇歳にもなればあなたが三歳のときのように、母親から愛を受ける必
要はもはやないのです。子どものときのように母親を気にしたりする必要も
ないし、当時のような接し方も必要ないのです。もはや母親の怒りを恐れる
こともありません。母親の好きなネクタイをしたり、母親が認めるような女
性とデ−トしなくてもよいのです。それらはすべて過ぎ去ったことです。あ
なたの古い歴史のひとこまにすぎません。いまやあなたは独立した人格をも
った一人前の人間なのです。しかし、多くの人はこの事実に気づいていない
ようです。

PS:トキ様
子どもの頃(赤ちゃんも含め…)は、その行動には?確かに限度が、ありますでしょうか?
つまり其の“行為”の「主体者」・「客体…」この区別が、必要です〜〜〜ョネ!
この件は「機関誌…9月号」にて「現総裁雅宣先生…」が述べられています。…が?
ある程度の年齢までは「両親…母親…」からの影響が、多大なモノです〜ョネ!
しかし、この事から更に【時間…経過】を致しまして【自分自身での行為】事が可能であり、
それはすべての事に関して【自己責任…】といいます事を認識しました時、
次なる“ステップ”へと繋がるモノと思います。これこそが「成功へのステ−タス」でしょうか?
【人 格 の 向 上】へもつながりますでしょうかと???
この事は「トキ様…」如何お考えでしょうか?
                                   再合掌

1279a hope:2012/09/12(水) 07:52:57 ID:r8H4x9xE

人生読本 谷口雅春先生著

自分の人物試験法


先ずあなたの顔を鏡に映して御覧なさい。
当り前にしている時の心持で、故意と顔の表情をかえないで、今あるままの顔で、
口をボンヤリ開いているならば開いているままで、眉をしかめているならば顰(しか)めているままで、
ソーッと今あなたの机の上にある手鏡を、あなたの顔の前に持ってお出でなさい。
そして、その鏡の中に移っている自分の顔を御覧なさい。

あなたの顔は明るい気持ちの良い顔をしておりますか。
あなたの今の顔は自分でも好きですか。
自分でも嫌になるような陰気な顔をしておられはしませんか。

口がポカンと開いている癖があったら、これから常に心を引締めて物を言わない時には、
口をしっかり噤(つぐ)んでいる習慣をつけましょう。
眉を顰めているならば、これからは常に眉と眉の間を引伸ばすような心持で生活しましょう。
眼に険があって鋭ければ、母に甘えるような一番柔らかな気持ちで物を観るようにしましょう。
眉をひそめている習慣があるのは、心が常にイライラしているか、焦っているか、悲しんでいるか、
狭い心でいる証拠ですから、眉を左右へ伸ばして暢(の)んびりとした広々とした愉快な気持におなんなさい。

そして口辺(くちのあたり)に微笑を湛(たたえ)えて、すべての物に微笑みかける気持になんなさい。
そういう人は人生の宝です。世の中が世知辛くなって、みんながイライラした顔をしている中に、
そういう愉快な輝かしい顔をしている人は人生の宝です。

人生の宝ならばあちらからもこちらからも来て欲しいという人が多数で、
思わぬ幸福はそこから生まれて来るのです。
これが出世する道、幸福になる道です。



人生読本 (完)

1280うのはな:2012/09/12(水) 13:36:55 ID:q1/hjc9I
信仰の操を貫く 『實相研鑽』第三集 谷口雅春 先生監修

林 利男

 さて私の申し上げたいことは、信仰には“操と信念”がなくてはならぬということです。
私の考えているのはそれだけで、あっちへ行ったり、フラフラしたりするようなことじゃいかん。
生長の家は万教帰一だから、日蓮宗関係へ行っても、他の団体へ行って信仰の対象としても良いというような、
操のないことではいかんと思います。私が伊藤都連会長に褒められるとしたら、その操を貫いてきたということだけです。

 御承知の通り私は、今度の戦争で三度も焼け出され、六法全書と聖経と中聖典(『生命の實相』)一冊と若干の夜具のみの文無し
になり、「物質無」を徹底して味わいました。また、たった一人の可愛い大切な息子はまだ帰っていません。
現象的には逆境とみえましょう、それで、生長の家を離れて自分が別の教団をつくり教祖になった人が、私を仲間に入れようとして断られたあげく
自分の本に何と書いたといいますと、「生長の家の顧問弁護士・林利男を見よ。彼は生長の家の誌友であるけれども、一人息子を死なせ、戦災で三度も
焼けて倉住まいをしているようなみじめな生活をしているじゃないか」と書いています。

 またある婦人は最近、「林さんはいっこうに幸福になっていない。生長の家の教えが良けりゃ、林さんなんかもっと幸福になってなきゃならんのに」と
言うわけなんです。

 しかし私は、現象的に逆境とみえるそんな体験を、私の魂を磨く糧としてありがたく受けているんです。
寂しくも何ともない。一人息子はいませんけれども、毎日陰膳をすえて三人ともに食事をしていますし、夫婦して喜んで生活しています。
ですから、そんな現象上の不幸でよろめくような信仰だったら、やめたらよいと言うんです。
家が焼けたから信仰を失うとか、身近に病人があり、現象の肉体を失うものならやめた方が良い、と私は申しております。

 前回も申上げましたが、紳士録の宗教欄に私は『生長の家』と出しています。
私の家は代々浄土真宗ですが、私は死ぬまで、否二世三世、未来永劫に生長の家の誌友と確信しておりますから、馬鹿の一つ覚えと
言いますか、操を通しているという私の信念の証しとして出しております。

 別に難しい理論の下に通しているわけでもなく、惰性でいるわけでもありません。
それが神への道であり、谷口先生への御恩返しの道であると、ただそれだけを考えて全ては神まかせに精進しているだけです。
谷口先生の前でこんなことを申上げては恐縮ですが、戦時中に多少、生長の家が弾圧されはしないかという傾きがあったとき、
もしものことがあったら先生と運命を偕にしよう、先生の御盾となろう、という覚悟でついてきました。

 故人の小永井先生が郡山警察に留置されたときも、私は行くばかりになっていましたが、必ず釈放されると念じていて、まもなく
釈放されました。そういうしだいで、私としましてはつねにみ教えと一緒にという決心で一貫して、信仰生活をつづけているだけでございます。

1281トキ:2012/09/12(水) 14:01:22 ID:wOnf3jnI
>>1280

林先生は弁護士さんですね。立派な方です。このくだりは、自分も感激して読んだ記憶があります。

1282うのはな:2012/09/12(水) 18:20:55 ID:R80If25o
 自己処罰と失敗について  断られて残念がらず

 安達 鼎

 私自身の体験を申上げます。私は満州から終戦一カ月前に内地に帰って参りましたが、
前から私は事業とか一切の仕事をすてて、生長の家を通して、人類を救うことをやりたいという希望を
もっておりましたので、習字でも教えて小遣いを五十円位もらったなら生活は出来るから、後は全部人類光明化
のために働きたいと、こういう覚悟でした。けれども戦後は社会情勢が激変してしまったので、再び勤めることを
決心したのであります。

 そうしますと、「あなたなら、私の所へ来て下さい」「参りましょう」という所が三、四ヵ所ございました。
ところが、向うから言われて、こっちも承知した話ですから、もう大丈夫だと思っておるのが、九分九厘の所でポッと駄目に
なるんです。その時に、私は“あっ、断られて残念だ”と思ったことは一回もありません。駄目になったときにすぐ「ありがとうございます」
と神様に感謝致します。なぜかというと「これが得られなかったのは、私に下さるものは、こんなちっぽけなものではなかったのか、もっと大きな
仕事を私に下さるんだ。ああ、ありがとうございます。大きな仕事には手間がかかります。ありがとうございます」と思うから必ず、そのとき感謝致します。
そして最後に頼まれたのが、ある工場の工場長の話でした。

 そこは給料はよろしい しかも、共産党などの非常に盛んなところで、始終闘争があったところです。そこに頼まれたとき、「ああよかった、これが私の仕事である。
どうか、この工場の人達を、みんな生長の家にしたい」という念願から、給料は望みませんからということで入りましたが、おかげで社長が生長の家に共鳴し、会社はすばらしく
よくなりました。

 そこでこの体験から、九分九厘成功してあと一分で駄目になったからと落胆することは、これは本当に神を信じておらないものがやることだと思います。
本当に神を信じたならば、神はすでに与えておるんです。私たちはすでに仕合せをもらっておるんです。
ですからたとい何かのために話が進まなくっても、遅れているのは何かほかに理由があるからだと
“本来のもの”を神に感謝しておれば、必ず結果はよくなると確信をもって待っています。

 それを、九分九厘できているのに、一分の所で欠けてしまったじゃないかと残念がったり、くやしがったり、
生長の家をやっておるのに、まだお蔭が与えられない、という考えをもつようになると、ますますだめになってしまうのだと
解釈致します。

『實相研鑽』 第三集 谷口雅春 先生監修 P84〜

1283SAKURA:2012/09/12(水) 20:38:13 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日はこの前【ウエブ誌友会…】のテキストからの一部です。いろいろ“投稿”させて頂こうかと、
思いました。…が?時間的に〜〜〜><でも!更に“続き投稿”を私なりにマイペースにて“投稿”…
してみたくなりました。では〜♫〜

■【生命の実相Ⅰ巻 總説篇/實相篇 上】
―――― 第 五 章  活きた事実を語る ―――――
 
皆さんは悲しげな顔をしている人のそばへ来ると自分もなんとなく悲しくなり、淋しそ
うな顔をしている人のそばへ来ると自分も何となく寂しくなったような経験がおありであ
りましょう。また腹立たしい顔をして咎めつけられるとこちらも腹が立って来たというよ
うな経験もまたおありでしょう。このようにわれわれの心の状態は付近の人々に感染(うつ)
って行くのであります。心の状態が感染るものであるとしますと、病気すなわち病的な
心の状態が形にあらわれたものも、感染るのが当然であります。たいていの人は伝染病
だけが感染るように思ってほかの病気は感染らないように思っていられますが、胃病や神
経衰弱も感染るのであります。家族全体が一種の気欝症になって、そのためみんなが消化
不良症や神経衰弱症に悩まされているような実例も世の中には少なくはありません。こ
れは皆あらゆる病気は精神的に感染するからであります。
                         (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■【伝染系の病気…】だけではなく【心の病気…】も“感染”されます〜〜〜ョネ!
【笑いの体操…】をします時に、大きな声をあげて笑います。
“ワ〜〜〜ハ!ハ!ハッ!〜♫〜” そして、気がつきますと【笑いの渦…】に、
まるで?打ち寄せては引く“波み”のように…引きこまれたり〜♫〜更に【浄心行…】の時は、
逆に【涙の渦…】でしょうか??

■私が小・中学の時代でしょうか??大牟田まで【小中学の練成会…】に、参加したモノです。
私一人で、其処に参加する様にと、両親から行かされましたが、今振り返りますと、素直に、
良くその道場へ行ったものです〜〜〜ョネ!当時は、“八幡駅”から〜〜〜“大牟田駅”までです。…が?
更に、駅の道案内で問い合わせながら?小学校の頃!一人で、まるで当時の私は、
【一人の行動が一人前のような感じで…】本当にルン〜ルン〜♫〜気分で、張り切って出かけたモノです。
その時は【笑いの体操…】は、ありませんでしたが〜【浄心行…】です。

当時を振り返りますと【両親への感謝…】という感じですが、私自身、当時は「悩み無し?」という
心境そのもので、実に「平和な心境」でしたから、“両親への不満・反発心”は、まったく無く、素直に
参加していますから…困惑しましたのが、正直な気持ちです。

当時の先生からの【親に感謝…】を、表しなさいと言われて……いざ【浄心行…】が、始まり〜〜〜
『お父様・お母様 ありがとうございます…。』と、何度も唱えていましたら…><
“隣の子”がシクシク泣いています。更に“また隣の子”も泣いています〜♫ “また!また隣の子”も!
当時の私は?泣かないといけないのかしら〜〜〜ン!と、当時は「小学高5年生?」でした。…が?
一生懸命 “父・母の顔!” を描きながら、気がつきますと“涙…”が出て来ます。

段々!あふれるように“泣きだしました。…が〜♫〜”大粒の涙くん“です。
その後の【浄心行…】でも、よく“涙くん〜♫”が出ました。…が?
やはり【心ヘの感染…】しますでしょうか〜〜〜?ですから【ア!ウン!の呼吸…】なのです〜ョネ!
私も【ア!ウン!の呼吸…】で【心の法則】つまり、【心 = 人 格】でしょうかしら〜〜ン!

■■同じ“感染系”でしたら……【真 理 の 感 染】が、最高ですかと???
 
再合掌

PS:トキ様 へ
脱線しますかしら〜〜ン?「トキ様」も【浄心行…】は“涙くん〜♫”でしたでしょうか???
余談になりますが??「もらい泣き〜♫〜専門…」が、パ−トナ−です。…が?

1284ハマナス:2012/09/12(水) 23:42:53 ID:0kyCzJg6
神の子のみなさま
こんばんは。

温かい太陽の如く  (『新版 生活の智慧365章』P.244)

 温かい太陽の日差しにおかれた縁側にある鉢植えの梅がもうふくらんで、二,三輪ひらいている。
しかし霜に覆われた庭の梅の蕾は固い。暖かい愛情のあるところ、生命は中(うち)から開いて
くるのである。冷たい寒風のような心をもって人に対するとき、其の人の魂が固くとじて開かなく
なるのも無理はないのである。普通の人は冷酷な人や、むごい人に対して、忠誠な働きをすること
はできない。低卑な貪欲な業主に対して真面目に好意をもって働くことが出来ないのが普通である。

 愛する者は愛され、好意を示す者は好意を示される。尊敬する者は尊敬され、深切を施す者には
深切が返って来る。従業者から愛され、好意を持たれ、尊敬され、深切忠実に仕事をして貰おうと
思ったならば、先ず自分自らが、これらの諸徳を従業者に与えねばならぬのである。而も今なお
多くの経営者がこの真理を知らないのは残念なことである。

感謝合掌

1285a hope:2012/09/13(木) 07:07:15 ID:r8H4x9xE

みなさま おはようございます。

丁度、8か月前の今年1月11日、わたしは「信仰/体験板」に聖典『人生読本』
の謹写を始めました。

その時の、決意表明が下の文章です。

――――――――――――――――――
730 :a hope:2012/01/11(水) 08:14:08 ID:kcv2QXTk
みなさま 

おはようございます。
わたしは 最近思うのです。
「真理」を知るとはどういうことだろう?
「生長の家」の教えは奥が深くて、勉強すればするほど、さらに新しいことを知りたくなります。
そして、次から次へと新しい本を買って、読み、新しい知識を増やしていく。
でも、頭の中にどんなにたくさん「真理」の知識が入っていたとしても、
魂が納得していなければ、それは本当に「真理」を知ったとは言えないような気がします。

わたしは、毎日少しずつ子どもたちに「人生読本」を読み聞かせています。
雅春先生が、子どもに語るようにお話されていて、どのページを読んでも、良く理解でき、
自分も純粋な童心にもどって、真理の言葉をスポンジのように魂にしみ込ませることができるのです。

これから、この場所をかりて、無理のないように、少しずつ、書き写させていただきたいと思います。

感謝 合掌。
――――――――――――――――――

実は、昨日、聖典『人生読本』の全ての謹写を終えて、その達成感からか、
もう、一冊の聖典を連続してこちらの掲示板に謹写するのはやめようと考えていました。
ですが、今朝神想観をしていると、自分がどうして8か月前に『人生読本』の謹写を始めたのか思い出しました。
それは、『誰のためではない、自分自身の魂の向上のために始めたこと』なのでした!

ですから、これからも、自分のペースで、聖典の謹写を続けさせていただきたいと思います。

このような素晴らしい勉強の場を与えてくださる、管理人のトキさまにはいつも心から感謝しています。

合掌。

1286a hope:2012/09/13(木) 07:11:54 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

はしがき①

人間は〝神の子″ですから、如何なる境遇も、如何なる人間も、
吾々自身を侵害して吾々の幸福を吾々から奪いとることは出来ません。
それならどうして吾々の生活が貧乏になったり、不幸になったりするのでしょうか。

それは自分が自分の「生命(いのち)」の本質を知らず、そのため自分で不幸になったり、
貧乏になったりするのであります。吾々は自分の生命の本質を知れば今直ぐにでも幸福になれるのでありまして、
未来のある時に、環境がどういう風になって来たから幸福になれるというのではなく、今すぐ幸福になれるのであります。

吾々は幸福を探し廻るのにあちこち、ここに見よ彼処(かしこ)に見よという如くはには探し廻る必要はないのであります。
幸福とは空に舞う蝶のようなものであります。
それを捕らえようとして走り廻れば幸福の蝶は逃げてしまって、空にとび去るのであります。

吾々が幸福を求めあぐねる心を捨てて、唯自分の心を平和にし、自分の心の花を美しく咲かしてしていたならば、
幸福の蝶は私達のそばに今来たって、肩の上にとまってくれるのです。

まことに、幸福は追求して得られるものではなく、幸福は「今此処(いまここ)」に見出さるべきものなのであります。
(はしがき②へ つづく)

1287ハマナス:2012/09/13(木) 14:10:03 ID:0kyCzJg6


神の子のみなさま
こんにちは。

人生は山彦である  (『新版 生活の智慧365章』P.244)

世界は鏡であり、人生は山彦である。世界は自分の心が示す姿の通りの表情をもって応えて
くれるし、人生は自分の心の響きの通りを呼び返してくれるのである。鏡に向かって手を
あげて挑(いと)みかかれば、鏡の中の像も手をあげて挑みかかって来るであろう。鏡に
向ってにこやかに微笑めば鏡の中の像もにこやかに笑い返してくれるのである。谷に向かって
大声で叫べば山彦は大声でその通りの声を送り返すし、金切声で叫べば山彦はまた金切声で
応えてくれるのである。

 それと同じことが経営者(又は業主)と従業員との間にも行われるのである。経営者が
従業員の福祉を切実に思ってくれるならば、従業員もその事業と経営者の繁栄と福祉とを
切実に思ってくれるのである。経営者が唯、単に従業員にサラリーと云う物質を形式的に
冷たい心で与えているだけで、従業者の温かい忠誠を期待するのは無理である。

感謝合掌

1288a hope:2012/09/14(金) 07:27:48 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

はしがき②


幸福の蝶が自分のところへ向こうから飛んで来るのではなく、
又こちらから向こうへ往って幸福の蝶をつかむのでもなく、
自分の心に「今」幸福の花は咲くことが必要なのであります。
幸福は外から与えられるものでなく、自分の内からよびだされるべきものなのであります。
偶然の出来事が、吾々の足もとに咲く菫(すみれ)の花のように吾々の生活を飾ってくれるものではないのであります。

幸福は、立派な画家がどんな景色を見ても美しい姿にそれを油絵に描きだし得るのと同じように、
どんな環境にでも美しく心の中に描き出す技術によって得られるのであります。
幸福は芸術の創作と同じであります。
心が悩んでいる人は悩んでいる創作を造りだすよりしかたないと同じように、
心が悩んでいる人は、どんな環境をも不幸に感ずるのであります。
だから高位高官の人も、富める人も、やはり悩むのでありますが、
ダイオジェネスのように樽の中に生活していても、心の中にその幸福を失わない人もあるのであります。

多くの人にとっては環境というものは、まことにその文字の通りに、
自分の周囲にあるものだと思われているのであります。
ところが環境というものは、自分から、はなれてあるものではないのであって、
自分の心が変れば自分の環境が変ってしまうものなのであります。
(はしがき③につづく)

1289「訊け」管理人:2012/09/14(金) 16:29:00 ID:???
「生長の家」誌(昭和50年12月号)より謹写――

神の國のみこころ
吾が中に流れ入り來たりて、
吾が心となり給ひて
吾が内に輝き滿ちぬ。
されば吾がねがひは、
されば吾が求めは、
されば吾が働きは、
吾が業のなすに非ず、
神により行はれ、
且つ導かる。
吾が意志は吾が意志ならず、
神の意志吾を導く。

1290うのはな:2012/09/14(金) 20:52:44 ID:uk3bgnv2
   握りめしの味  谷口輝子 先生

 孫の佳代子が、毎朝のように弟妹たちのためにお弁当をつくっている。
大きな運び盆に並べて、台所から運んで来たのを見ると、赤や緑や黄などの
色とりどりのおかずが、白い御飯の上に花咲いたように美しい。

 朝食を頂きながら見ているので、私はそれを食べたいとも思わないが、彼女の弟妹たちは、
学校での昼食は楽しく美味しいことだろうと想像するだけである。
 佳代子の作るお弁当は、時々握りめしのことがある。その握りめしは大抵三角形である。表面は白い御飯
の時は、中におかずがはいっているらしいが、表面に赤や緑が出ている時は、おかずが御飯全体にまぜてあるらしい。
とにかく味は知らないが、色彩の美しいことが魅力的である。

 握りめしを見ていると、私は幼い頃の「母の味」を思い出す。母の作ってくれた握りめしは、三角形でなく、丸く握って
上下を押えて平らにした形や、米俵のような形のものであった。中に入れられた梅干は、赤紫蘇を沢山入れた母の手製のものであって、
握りめしを割ると、内部が真赤に染まっていることもうれしかった。煎卵を入れて海苔で巻いて贅沢なものよりも、赤い梅干入りの方が
私は好きだった。

 母亡きあとの台所では、嫂が御飯をお櫃に移したあと、窯底に残った薄焦の御飯を米俵型に握って、お釜のふたの上に並べていたことを
覚えている。嫂の子供たちも、「お母さん、おにぎり、おにぎり」とせがんでいるのであった。
どこの子供もお握りが好きのようであるし、お握りは母親の愛とつながっているようでもある。
丸型のお握りしか知らなかった私が、二十四歳の時、綾部の今井楳軒先生を頼って行った或る日、今井夫人が器用な手つきで握られた握りめしは
三角形であった。「まあ、三角のおにぎり」と私は珍しがって眼を丸くした。
握りなれないと三角はむつかしそうに思えた。しかし私がそう言うと、佳代子も壽美も、
「あら、三角にするの何でもないわ」とサラリと言う。ともあれ握りめしは、庶民的で親しみ深い食べものである。

 この間、作家の渡邊喜恵子さんが、尼僧法団の機関紙『花はちす』に寄せられた随筆を読んだ。
渡邊さんが或る日汽車中で、帰郷する女医さんに逢って、その身上話を聞かされたそうである。
女医さんの愛娘が東大出の秀才と結婚後、わずか一ヵ月で離婚された。離婚の原因となったものは握りめしであった。
握りめしくらいで離婚に踏み切るとはと人は思うであろうが、根本は夫なる人の精神である。
女医さんの娘の第一の失望は新婚旅行の時に感じたのであった。新夫婦は、楽しい旅行の帰りに、夫の實家に立ちより、翌朝
帰京しようとすると、貧しい母親は大きな日の丸握りめしを作って下さった。車中で新婦が食べようとしたら、新郎は怒って、
「窓から捨ててしまえ」と、取り上げるが早いか、足で踏みつけてしまった。一等車で握りめしを食べることは不体裁であろうけれど、
母が折角作ってくれた弁当を、足蹴にするような人と、一生を倶にするのが嫌になったと言うのである。

 つまり、花婿は新婚旅行の途中で、早くも花嫁に愛想をつかされたのである。
東大出の秀才も台なしである。秀才とは、学問がよくできる人のことであって、人格的に秀でている意味ではない。
自分の母を愛し尊敬しないで、母の愛情のしるしである握りめしを、足蹴にかけて踏みにじるような男性は、新妻から愛と
尊敬の心を受けることだ出来なかったのである。学問的にだけ優れていることは人間的には価値少なく、魅力がないので、燃え上ろうとしていた
新婚の妻の、楽しい夢に冷水を浴びせたのであった。女医さんは、「わがままに育てた親の責任を感じている」と言われたそうだが、渡邊喜恵子さんは、
「世間ていは二の次です。別れてよかったんじゃありませんか」と答えて居られる。

このような場合、世の母たちは、そして花嫁たちは、どうしたらよいのであろうか。
「わがままを言わないで辛抱しなさい」と娘を押えなだめる母もあろう。
「そんな人は、サッサと見切りをつけて帰って来なさい」と甘やかす母もあろうし、
「夫を徹底的に拝みなさい。拝んで拝んで、夫の神性を掘り出しなさい。貴女の愛が足りないのです」
ときびしい激励の言葉をかける母もあろう。そして娘たちは、この母の言葉に従うのだろうか。それは
娘たち各自それぞれの愛情と力量が問題である。

つづく

1291SAKURA:2012/09/14(金) 20:58:21 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日はこの前【ウエブ誌友会…】のテキストからの一部です。いろいろ“投稿”させて頂こうかと、
思いました。…が?時間的に〜〜〜><でも!更に“続き投稿”を私なりにマイペースにて“投稿”…
してみたくなりました。では〜♫〜【>>1283投稿の続きです。】

■【生命の実相Ⅰ巻 總説篇/實相篇 上】
―――――  第 五 章  連想作用で起こる病気  ―――――

 ある種のこころの状態は連想作用によって起こるのであります。連想作用といえば「梅
干」といえば「酸い」ということを思い出し、「酸い」と思えば唾液が口からたくさん出て来
るように、一つの事柄を思えば、それに連絡のある他の事柄が自然に思われてくる心の作用を
いうのであります。ある心の状態がこのように連絡作用によって起こることが解りますと、病
気もまた一つの心の状態の客観化(かたちになったもの)でありますから、連想作用によって
も起こることがわかるのであります。

 皆さんのお友だちのうちには雑誌の衛生記事を常に好んで読んだり、通欲医学書を常に
あさって読んだりしている方がありましょう。こういう人たちはよほど自分の健康に自信
のある方でないかぎりたいてい自分の身体が虚弱になって病気にかかりやすいのでありま
す。皆さんのお友だちは虚弱なために、健康になりたいと思って、薬の広告や衛生や医学や
健康法の本をお読みになるかもしれませんが、それはおぼれまい、おぼれまいと思いなが
ら逆に水の深みへはいって行くようなものであります。たとえばここに『健康世紀』とか
『家庭医学』とかいう衛生雑誌があるとしますと、それをちょっと開いて見ると、その中の
記事に医学博士と麗々しく肩書を付けた人が「何々病の予防と治療」などという題で、ちょ
っと見たらいかにもその記事を読めばその病気を予防したり治療したりすることができる
かのように見せた記事がのっているのであります。が、記事の内容(なかみ)をよくよく読
んでみますと少しも病気を予防する方法も治療する方法も書いてはないのであって、かえっ
て病気にかからすための暗示が書いてある場合が多いのであります。なぜ私がこんな皮肉な
こというかと申しますと、たいていそんな記事にかぎって、病気を予防するためにといって
病気の症状が書いてあるのであります。こんな容体になったら萎縮腎であるとか、こんな徴
候は神経衰弱の徴候であるとか、胃がこういうふうに痛めば胃潰瘍の疑いがあるとか、、原因
不明の微熱がつづいて不眠や消化不良がともなう場合には肺結核の疑いがあるから注意すべき
であるとか、実に読者の恐怖をそそることが書いてあるすえに、それを治す方法が親切に書い
てあるかというと、何一つそんな深切なものは書いてないのであって、ただ、こういう徴候の
場合には素人診断は危険であるから医者に診断してもらえと書いてあるだけなのであります。
これでは何かの生理的感じをもってただちに病気ということを連想せしめ、その連想作用に
よって病気かからせ、読者の恐怖心を利用して、医者のところへわざと来させるように
医者が自己繁昌策として書いたものだと思われてもしかたがないでありましょう。だから
私はそんな記事は皆さんの病気を治すためよりも、病気にかからすために書いてあるというの
であります。

 薬の広告もこれとほとんど同様でありまして、誰にでもあるようなちょっとした疲労の
感じや、折りふしの消化不良や、不眠などを、実に恐ろしい病気の前兆でもあるかのよう
に書いてあって、その終(しま)いにこの薬を服(の)めとすすめてあるのがザラにあります。
こんな広告記事を読んでいますと、連想作用によって自分も其の病気ではないかとフト思う
ようになり、フト思ったところの「自分は何病だ」という観念の種が潜在意識に植えつけ
られて強く強く心の底に根を張る様になりますと、肉体の上にも本当にその病気があらわれて
来るのであります。                            (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
             
 <つづく>

1292SAKURA:2012/09/14(金) 21:00:39 ID:jH5uEFzM

こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1291投稿の続きです…。

■【前回…】の続きなのですが?【>>1283の続きです。】
【心の状態が…感染】と申しますか?確かに【連想ゲ−ム?】と申しますか?
先生の“梅干し”の例からでも、人はその「イメ−ジ」を想像できます…。“すっぱ〜〜〜イ”

という事は「すべて…心で“イメ−ジ化”ができますモノという事になります〜〜〜ョネ!
よく「生長の家…」では、【肉体なし〜♫】と申します〜ョネ!
■『甘露の法雨』の中にも……その中の「人間の項…」を拝読しますと、天の童子が、???
「人間は物質には非ず、        肉体に非ず、
脳髄細胞に非ず、          神経細胞に非ず、  
血球に非ず、            血清に非ず、
筋肉細胞に非ず。          それらすべてを組み合わせたるものにも非ず」
このように教えいらっしゃいます。私は何度も申します様に「亡き母の魅霊」を、見るまでは、
『霊的人間…』この実感がありませんでした。【白い〜白い〜丸い“魅霊様”】です。…が?

更に『甘露の法雨』の中に「肉体はただ心の影なる事実を見たり」…当に、実感しましたかと?

■『久遠生命の神示』の中にもあります様に、
「『死は無い』というのは肉体のことではない。現に肉体細胞は刻々死滅し流転している」
「すべての人はいつかは肉体を失うであろうが死ぬのではない」
誰もが“肉体”そんものは、死んでなくなります。

■『天使の言葉』の中に…更に…
「迷いは言う『人とは肉体也』と。           されど肉体は人には非ざるなり。
『人』の実相は神の子として、             生きとおしの生命なれば
生滅常なき肉体を以て代表せしめ得るものには非ず。   すべて生滅常なきものには
実体に非ずして                    ただ信念の反映に過ぎず 」
このように生れてきたり、死んでなくなるような、生滅常なきものは、【信念の反映?心の影?】…
最終的には実体でないことになります。

では「雅春先生」も説かれます様に…
■『甘露の法雨』の中にも…最終的には
「真の『汝そのもの』は物質にあらず、肉体に非ず」
「人間と神とは一体なり」…云々…

ですからすべてが「心で作られたモノ…“病”…」その事が現実となって“肉体の上”に、
あらわれたに過ぎないものです〜〜〜ョネ!
しかしながら「神の子…」の自覚が在りましたならば、当に『病無し〜♫』ですネ!

■海外の【霊界通信…】でも“人は死なない〜永遠の生命〜”と…【ジュリアンの音信】でも〜
従いまして、「本来は“病無し”…」という事ですもの?
こうしていきますと…「本来は“病”はありえません…病なし」…しっかり『意識…』すべきかと?

■更に今回の「現総裁雅宣先生」の『大自然讃歌〜♫』の中にも
「人間も肉体の維持・発達為すこと能(あた)わず。    されど汝ら、
人間の真の目的は肉体の維持・発達に非ず、   地上に神の栄光現すことなり。」…云々…
従いまして、【神の子…人間】を、説かれています。…

更につづきを“投稿”させて頂きますが『個性…表現方法』は人によりまして、異なって来ます。
その事が「偽物」とか〜〜〜この表現は“オカシイ〜もの”との判断になりますかしらん!
それぞれの方が『共鳴する…文章表現法』で…納得されましたらよろしい〜〜のでは?

■■何度も申しますが〜♫〜『真理は一つ…』という事になりますのでは〜〜〜☆

                                再合掌

1293神の子さん:2012/09/14(金) 21:10:13 ID:???
よろしいですかー

雅春先生は多くの人々から共鳴されて「生長の家」は大きく発展しました。

雅宣総裁は共鳴する人が少なくなり「生長の家」は衰退しています。

これは歴然とした事実であり、誰か他の人が悪いのではありません。

真理のコトバの輝きが圧倒的に違うからです。

本当はみんな気がついているはずです。

1294ハマナス:2012/09/15(土) 00:28:52 ID:0kyCzJg6


神の子のみなさま
ありがとうございます。

現象の沈滞を見ない (『新版 生活の智慧365章』P.245)

 原稿を書くのを仕事にしている人なら誰でも知っていることだが、その時の自分の気分の
有りかたによって全然筆がとまってしまうこともあれば、すらすらと筆が運ぶこともある
のである。建築設計家にしても、科学的発明をするのを仕事にしているにしても、その時
のムード(気分)によって、どんなに努力してもいいものが思い浮かばないことがあるもの
である。単なる手工業ではそれほどでないにしても、矢張り、其の人の気分が如何にあるかが
仕事の品質に非常に関係があるのである。

 景気が後退し、需要不振期に入り、製品の滞貨が山のように倉庫に堆積していつ捌けるか
わからないようは状態のときには誰でも気分が陰鬱になり、絶望感に覆われやすいのであるが、
そんな時に事業を挽回打するには、そのような現象の「沈滞」を見ず、実相の完全さを見て
先ず気分を引き立たすことである。その時よい考えが出て自分を救ってくれるのである。

感謝合掌

1295a hope:2012/09/15(土) 06:46:06 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

はしがき③


幸福は心の乱れたる世界には、存在しないのであります。
幸福とは心の平和から来るのであります。
心の平和は、今ある所の恵みに満足するところから来るのであります。
印度(インド)の本には、牛が如何にも幸福そうに草を食べているのを見て、
ある悩んでいる人が、そのわけを宗教家に尋ねたということがあります。

「あの牛はどうしてあんなに、たのしそうなんだろう」とききますと、
「彼は草を食べて生けるなり」と宗教家は答えたそうであります。
草を食べて生きているというのは最低生活に甘んじているということにではないのであります。
そのままそこに幸福に生活しているという意味なのであります。
そのままそこに幸福を見出すということが大切であります。
そのままそこに幸福を生きる時、そこに常に幸福が見出されるのであります。

汝は幸福である、この小さき石よ
道ばたに静かに横たわりて
哲人の如くものを考う。

という誰かの詩がありますが、あなたは小さき石よりも偉大なのです。
この事実に目覚めねばなりません。
この小さき石ころは、どうして幸福なのでありましょうか。
それはそのままそこに与えられたる生命をたのしんでいるからであります。
そのままうけてたのしむものは常に幸福なのであります。

そのままそこに横たわるということは、何もしないで生活しているということではないのであります。
与えられるそのままに横たわり、神催(かみもよお)しのままに動くという意味であります。
流るるままに不動、不動のままに流れるのであります。
自分のはからいがないのでありまして、神にはからわれるのであります。
自分の今与えられた位置をたのしんで、そのままそこに全能力を発揮する時、
その人は幸福になれるのであります。
(はしがき④につづく)

1296ハマナス:2012/09/16(日) 09:22:33 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
おはようございます。

繁栄のための基礎
(『新版生活の智慧365章』p.246)

経営者も気分が引き立たねば、良い考えが浮かんで来ないと同じように、従業者も気分が引き立たねば、良い考えは浮かはず、よい精密な仕事はできないのである。不安定な憂鬱な気分の下で働いているとき能率の上らない成績不良の工員が、安定した悦びの感情で生き生きと仕事をするとき、見ちがえるほど良質の仕事を手ぎわよくやってのけることがあるものである。

収入の安定、将来への進展の希望、自分の伎倆(ぎりょう)と能力とがみとめられていると云う悦び、自分がその会社に有用な重要人物であると云う自覚、自分が社長や上役から愛されていると云う歓喜ーーこれらのものは、その人の仕事の能率と品質とを高め、新しい良き計画や発案が浮かび上って来るために基礎となるべき心の状態であるのである。その基盤を培ってやるのが経営者及び上役の仕事である。

感謝合掌

1297a hope:2012/09/16(日) 09:47:08 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

はしがき④


若(も)しあなたが、自分の生命(いのち)の本性を自覚しそれを行動にあわせれば、
毎日すべての時間が幸福の時間になるのであります。
その自覚と実行の方法を本書は与えるものです。
特定の日、特定の時間、特定の境遇によって幸福が来るのではないのであります。
境遇を支配する力はあなた自身のうちにあるのです。
キリストは「求めよ。さらば与えられん」と仰しゃられました。
然(しか)し求めて与えられている人は少ないのであります。
求める心を捨てて、そのまま自分のもてるすべてのものを人に与え切った時、本当の幸福が出て来るのであります。

此(こ)の本は、むつかしい真理を出来るだけ易しく書いたのですが、
なお分かりにくいと思われる文字の下には(括弧・かっこ)の中にその意味を書いておきましたから、
どんな子供にも、文字をならわない老人にも読んでいただいて、その人の人生が幸福になれるのであります。

著者識(しるす)
(はしがき終り 次回から本文へ)

1298a hope:2012/09/17(月) 06:43:53 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本  谷口雅春先生著

第一章 此の世界の成立ちは?

♦世界は心の「思い」でつくられた

人間は自分の思いで、一歩一歩、自分の運命をきずいて行きます。
国の運命も、その国の人々の思いで、築いて行くのです。
築くばかりではない、こわしても行くのです。
その人が自分の思いの善し悪しを知っておろうが、知らずにおろうが、
こわす思いは自分をこわし、生かす思いは自分をも生かすのです。

何よりも知らなければならないことは、この世界は、「思い」でつくられていると云うことなのです。
神様がこの世界をおつくりになったのも、神さまが心の中に先ずどんな世界をおつくりになろうかと
お考えになったその「思い」によってつくられたのです。
「思い」どおりになったのがこの世界なのです。

「思い」と云うのは生命の動きでありまして、生命の動きをコトバとも申します。
何でも考えるのは心のコトバを思い浮かべるのでありますから、「思い」でこの世界が造られたと云うことは、
この世界がコトバで造られたと云うのと同じであります。
神様はこの世界をおつくりになって、七日目にお休みになったと聖書には書いてあります。
これは神様は世界の大きな部分をお造りになりまして、
あとは自分の生命をつぎ込んで神様自身のお姿につくられた人間に一切のことをおまかせになりまして、
自分みずからは、人間のことに直接には干渉(おせっかい)しないことにして、お休みになったことを云ったものであります。
(つづく)

1299ハマナス:2012/09/17(月) 07:18:49 ID:mR2szZkc

神の子のみなさまおはようございます。

部下の家庭状態に愛情を
(『新版生活の智慧365章』p.247)

類は副会長類を呼び寄せ、類でないものは反撥する。愛念は愛念を招び、冷淡は冷淡を招び憎しみは憎しみを招ぶ。これみな心の法則にほかならないのである。学校教師のうちでも深切な人は家庭訪問をして、その家庭の状況を知り、子供を良くする方法について充分なヒントを与えようとするのである。

ある事業会社の上役の人だって、これほどの愛情ある注意を、自分の“部”に属する社員の家庭訪問をしてあげ、病人はいないか、成績不良のために困っている児童はいないか、その家庭状態は幸福であるか、不幸であるかーー充分自分の家庭を見てやるような気持ちで親しく接して相談に乗ってやるならば、その社員も家庭的な愛情で仕事にはげんでくれることになるのである。家庭の中に心配すべき状態をいだきながら、勤め先だけは能率を完全に挙げ得ると云うことはあり得ないのである。

感謝合掌

1300ハマナス:2012/09/17(月) 07:25:28 ID:mR2szZkc
すみません、一行目を訂正お願いします。
正しくは→類は類を呼び寄せ

1301うのはな:2012/09/17(月) 11:32:02 ID:R80If25o

生長の家光明掲示板

 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=261

1302SAKURA:2012/09/17(月) 21:57:09 ID:A5psoVbE
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

いろいろ書いて参りますうちに、やはり【心の法則…】を、最終的には“マスタ−”する事が、
【人生の航路…】航海します上での一番の“メイン=羅針盤”ですかしら〜〜〜ン!
そうです〜〜〜ョネ!【人生は心で支配せよ…】・【心でつくる世界…】でしょうか?
それが【意識=我】を超越していく【起動力…】になるものでしょうか??
【人生の勝者になる…】には〜〜♫〜〜
では!〜〜今から【栄える生活365章】を開きます。

■栄える生活365章
―――――人間誕生の神聖性―――――

あなたが此の人生に生まれて来たことは、まことに素晴らしい事なのです。神はその大自然
力をもって鉱物植物動物等のいろいろなものをお造りになりましたが、それらはすべてのもの
はすべて神の創作であり、神から造られたもの――被造物に過ぎないのであり、神の属性の
一部分が表現されているに過ぎないのであるけれども、人間は単なる被造物ではなく、神御
自身の最高の自己実現であるのである。

 神が無機物的な、“大自然の力”をもってしては成し遂げなかった色々の精巧な仕事を、
神が“人間”という知能的人格としてあらわれ給うて、成し遂げようとなさるのが、この世
に“人間誕生”の意識であるのである。人間誕生の、この神聖なる意義を忘れて、単に人間
を肉体的性欲の因果関係の産物として自分が生れて来たのだというような「根本的劣等感」
から、人生の色々の罪悪が生じて来るのである。吾々は自己存在の根元をもっと神聖なもの
に認め得たとき、人生は全く異なる光で観ることができるのである。
                               (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

PS:トキ様 へ
今日【栄える生活365章】を、開きますと……不思議で〜〜〜す。
やはり【総裁雅宣先生】は、【雅春先生の伝言…】を、と思います。…が?

既に販売されています【讃歌…大自然賛歌】でも、同じ様【自然とのかかわり事】を、更に、
詳細に、述べられていますかと???

■【人間は、意識=我=愛 に“超越”する事のできる…素晴らしい存在】だと改めて、
思う次第です。…が?今回の「雅春先生」の言葉より、
【人間誕生の神聖性…】は、同様な意味合いを説かれていらっしゃいますものと思われますが?

「トキ様」は、どの様に、思われますでしょうか……???

                                  再合掌

1303a hope:2012/09/18(火) 07:41:20 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第1章 此の世界の成立ちは?
♦人間の運は自分でつくる(p17~)


そこで神様にすべてのことをまかせられた人間は、人生(このよのくらし)の主人公となったのであります。
人間は自分で自分の主人公なのです。人間は奴隷ではないのです。
人間は自分の運を自分でつくるのであって、人間の運と云うのは、よそから勝手にやってくるのではなく、
われわれの命ずるままにやってくるのです。
だから人間の運のことを命運(めいうん)とか運命とか云うのです。
命令するままに人間の運は、よい運でも悪い運でもやって来ます。
命令すると云うのは、心の中にコトバを思い浮かべるか、その思い浮かべたコトバを口で発表するかすることなのです。

運の悪い人は、「私の運が悪い、悪い」と口でブツブツ云い、心でブツブツ思います。
その「思い」の力、「コトバ」の力でいつまでも悪い運を引き寄せるのです。
東京裁判でわかったところによりますと、山本五十六元元帥(やまもといそろくもとげんすい)でさえも、
「負ける」と思い「負ける」とコトバで言っていたそうです。
そして、日本人全体は「海行かば水(み)づく屍(かばね)、
山ゆかば草むすかばね」(海へ往ったら日本軍は負けて土左衛門(どざえもん)になる、山で戦争したら死んで屍(しがい)には草が生える)と云っていました。
そして、そのコトバを音楽と共に合唱して感情(こころ)の底に深く思っていたのです。
何と云うこれまでの日本人は愚かなことだったでしょう。
言葉は万物をつくる。国をつぶすのも国を起こすのも皆、人間の「思い」と「コトバ」の力です。
今まで、国をつぶして来た日本人は早く目をさまして、国を平和におこし、国民を生かす「思い」と「言葉」をつかわねばなりません。
(つづく)

1304SAKURA:2012/09/18(火) 23:05:40 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1167>>1170>>1171>>1174>>1175>>1190>>1194>>1210>>1227
>>1238に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。
実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??【コロンビ
ア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 思い込みを捨てよう ) 

―――――   思い込みを捨てよう  ―――――

|❤なぜ気が付かないのでしょうか。なぜ人はその自由を得ようとしない
|のでしょうか。


 人には誰にでも大切なもの、つまりそれなしでは生きていけないと思い込
んでいるものがあります。そして、それを失うことを極度に恐れているので
す。ご存じのようにフランスの哲学者のルソーは、「人は生まれながらにし
て自由である。しかし、いたるところで人は束縛されている」といいました
が、これはつぎのようにいうと、さらに 真理に近くなるでしょう。「人は生
まれながらにして束縛されている。しかし、誰でも自由になれる可能性をも
っている」と。人間というものは、すでに自分がこうした束縛を脱してしま
ったあとでさえも、それに固執する傾向を示すものなのです。


|❤ええ、みんなは明らかにそういう傾向にはまっているように思われま
|す。しかし、なぜわたしたちはそうするのでしょうか。いったいなにを
|失うことをそんなに恐れているのでしょうか。


 それは実際、わたしたちがずっとかかえてきた幼稚な安心感なのでしょう
ね。自分のことを小さな、頼りない人間であると考えている限り、わたした
ちは目に見えない、強力なおとなの前にいるように感じてしまうのです。

 そうしたおとなたちは、かならずしも立派な人間ではないのかもしれませ
ん。わたしたちはいつもそういうおとなたちが自分を非難したり、どなった
りするのではないかと思っています。しかし、おとなが近くにいる限りにお
いては、一人ぼっちではないのです。もしどんないやな両親でも、いなくな
れば、わたしたちは一人ぼっちになってしまう――このことがもっとも恐ろ
しいことなのです。しかしながら、この心理もまた四歳ぐらいのときから身
についてきたものです。捨てられるということは、子どもにとって大きな不
安をもたらします。つまり、子どもは生きていくことができなくなるからです。

 しかし、おとなにとって孤独というものは、子どもの場合とはちがった意
味をもつのです。おとなは生き残ることができます。いや、そればかりでは
なく、孤独というものは、人間的に成長し、自分を知り、力を養うために
往々にして必要なものなのです。孤独に耐えられない人は、自分が孤独によ
って成長するということがわからない人です。たしかに幼年期につちかわれ
た安心感という虚構を捨て去るには、とても勇気がいります。一度捨て去っ
てしまえば、世界はもはやそれほど安心感に満ちた、たしかなものとした目
に映らなくなるからです。

 しかし、わたしたちが自己の独立を獲得し、独自の人格を形成しえたとき
には、どんなにか気分爽快な新しい息吹きを感じることでしょう。このとき、
おとなとしての人生がはじまるのです。

                 (つづく)

PS:トキ様 へ
■【人 間 の 孤 独 感】を考えますと……別の観点から〜♫〜
現在の私の“環境…”は、前以上に“次なるステップへ羽ばたく為?”の勉強でしょうか?
今回!此処FUKでの問題で、前以上に【信仰…】について、更に【真理…】が、解るように
なりました。…が?まだ!まだ「勉強中…」で〜〜〜す。
今の「生長の家…」も、モット〜モット〜前以上に、大きくなる前の
【自壊作用…通過地点】でしょうか〜〜〜??そして今!かかえている問題も、
【今の…「生長の家?」は今から、段々!本当の意味での“真理…伝導”に代わって行く!
途中経過…更に、通過地点】なのでしょう。…とも思いますと、「序盤=前触れ…」にと、
思える様になりましたが……??
「トキ様」は、どの様に思われますでしょうか〜〜〜?

1305a hope:2012/09/19(水) 07:27:49 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第1章 此の世界の成立ちは?
♦自分の心の舵をとれ(p19~)


船を海の上に走らすのにも舵が要ります。
ただ波のもてあそぶままに船を浮かべておくだけでは、
大波がきたときに其の船は岩にうち上げられて、くだけてしまうでしょう。
人間の運命も、ただ思いついたコトバを出鱈目に云い、
ただ思いついた「思い」を出鱈目に思うだけでは「運」の波をのり切ることは出来ないのです。

航海のとき、船長の命令するとおりに舵取(かじとり)が舵を取るのと同じように、
人生の海をわたるにも、一時の自分の気分の運ぶ(ハコブは「運」です)ままにまかせず、
自分の心を自分で舵をとり、命令して、自分の運命を自分で支配しなければならないのです。

あなたは自分の心に自分で命令を与えておりますか。
腹が立ったときに腹の立つにまかせ、悲しいときに悲しがらせるにまかせ、
なまけたいときになまけるにまかせているのでは、それはただ成行きにまかせているのです。
お釈迦さんは、法句経(ほっくきょう)の中で、「よく調えられた自分こそ、世界のどんな王様よりも尊い王様である」と云われました。

「よく調えられた自分」になることが何よりも必要なのです。
どんな時にも、明るい、愉快な、楽しい、失望せず、落胆しないように、
心の舵をとり、明るい、楽しい、平和な、希望に満ちたコトバを使うことが必要なのです。
「よく調えられたる自分」こそ、どんな都合のわるい境遇でも、よく乗り切って、美しい楽しい希望の国へ連れて往ってくれるのです。
何よりも先ず「よく調えられた自分」をつくることが大切です。

それには「思い」の力、「コトバ」の力を上手に使うことが大切です。
(つづく)

1306ハマナス:2012/09/19(水) 13:05:47 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
ありがとうございます。

事業は人である
(『新版生活の智慧365章』p.248)
精神は交流し、互いに相感応するものである。経営者が心に描いている従業者に対する想念(かんがえ)は従業者は甚だすみやかにそれを感じとって知っているのである。“自分は経営者にただ利用されているに過ぎないのか”それとも“経営者は私を愛しているのであるか”それとなく、それを知っており、それが仕事の面にあらわれて来るのである。その会社の成績は経営者の“心の成績”にほかならないのである。

事業は経営にあり、経営の良否は経営者の心境の如何にあるのである。だから経営者が立派な人事関係をもち、新しい技術に進出する意欲をもつ会社であるならば、その会社の営業が現在世界景気の波動によって不景気に陥っておろうとも、その会社はいつかは立ち直ること必至である。投資するなら、そのような立派な精神の会社の沈衰期に投資しておけば必ずむくいられる時が来るのである。言うまでもなく事業は人である。

感謝合掌

1307SAKURA:2012/09/19(水) 23:26:16 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
>>1097>>1098>>1167>>1170>>1171>>1174>>1175>>1190>>1194>>1210>>1227
>>1238>>1304に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。
実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??【コロンビ
ア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 思い込みを捨てよう ) 

―――――   思い込みを捨てよう  ―――――

|❤あなたのおっしゃることは、わたしにもわかります。それはすばらし
いことのように思えますが、でも、同時にまた脅威でもあり、なんとな
く背筋が寒くなる感じもします。あなた自身はそのようなお考えかもし
れませんが、わたしのこころのなかのなにかが、そうするのをためらわ
せるのです。それがなぜなのか、わたしにはわからないのですが。

 なにもあなたに限ったことではありません。たいていの人はその第一歩を
踏み出すことをためらいます。その理由はもし自分が前進したらどんなこと
が起こるかということについて、きわめて大きな誤解をしているからです。

 それは幼年期のもうひとつの神話でもあるのです。子どものころ、わたし
たちは世界には一人の男と女、つまり両親がいました。両親は偉大なおとな
でした。子どもとして振舞うことが、子どもにとって唯一の生き方であった
わけです。したがって、この世界には一人の男と女しか存在しないと思い込
むようになり、もし別の誰かがあつかましくも、自分はおとなであると自慢
するようなことがあれば、その人をたたきのめさなければならなくなります。
このようにして、わたしたちは人生の競争に足を踏み入れることになります。
つまり、ボールにお金を払うためには、ピーターからお金を盗まなければな
らないのです。

 こうして人生観は、この同じつまらない人生観をもっている両親によって
再認識させられます。

 自分の得た成果が、もし十分にみんなに行き渡らないときには、かならず、
他人の憤慨をかうでしょう。そのとき、わたしたちの行為はなんともみじめ
なものになるのです。自分の人生を守ろうとすれば、他人の人生を乱すよう
なことにもなりまねないのです。そんなとき、わたしたちは致命的な一撃を
あるとすれば、みんながためらうのも不思議ではありません。

 みずからの人生をはじめるためにはとんでもない悪者として振舞わなけれ
ばならないのです。まるで殺人者のような心理をもつことには耐えられない
ので、尻込みしてしまいます。しかし、そうした心境に耐え、とにかく、前
進しなければなりません。それが自己主張のための代償なのです。
                            <つづく>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

PS:トキ様 へ
今!私が、置かれています“環境”は、実に私の【精神の成長…】に、なくては、
ならないモノと、今にして思います。…が?
そうしますと、現在の【お家騒動…】は、やはり一つの“思い込み”にも?思えます。
…が?…今回「別のボ−ド」に投稿しましたものは、やはり〜〜〜
なくてはならない、それを踏まえての【行動開始…】に、なるのでしょうか〜〜〜?
さらに“投稿の続き”をさせて頂きますが〜〜〜とりあえず“此処”までと?? 

再合掌

1308a hope:2012/09/20(木) 07:12:45 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第1章 此の世界の成立ちは?
♦毎日の「思い」を善くせよ


仏教では、「思い」の力、「コトバ」の力を業と云いました。
仏教は業の力を説く宗教です。あの人は業が深いと申しますと、
業と云うものは悪ばかりだと思えるかも知れませんが、業の力は悪ばかりではありません。

お手本を見て習字をします。
すると最初は下手であったのが、毎日お習字をつづけて行くうちに段々上手になって行きます。
これは毎日、よき文字の形を見、心にその形を思いうかべて、その通り筆を動かす業をかさねて行ったからです。

そのように吾々の「思い」の力も、最初は自由に思うようにならないでも、
つとめて明るいことを思う、楽しいことを思う、人のよい方面ばかりを見る、
悲しいときにも笑うようにして行きますと、習字がだんだん上手になって行くように、
心もだんだん善くなって「よく調えられた心」になって来るのであります。

心がよく調ってくると、何事も都合よく往くようになり、仕事も、勉強も、成績も、健康も、
すべての運命が調ってくるのであります。
(つづく)

1309ハマナス:2012/09/21(金) 00:20:04 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

周囲に「愛」の燈を点ずる

(『新版生活の智慧365章』p.248)
人に愛念を与えることは、決して自分が損をすることにはならないのである。それは自分の燈をもって周囲の蝋燭に火を点じて行くようなものである。それによって自分の燈が光を減ずる訳ではなく、周囲の燭台が輝いてくるだけである。自分一個の燭台の光であれば“燈台もと暗し"の諺の通り、自分の脚下は、兎もすればよく見えないのであるけれども、周囲の燈台が輝いていれば、自分の脚下もよく見えるようになり、自分自身の繁栄の基礎を築くことなるのである。

経営者は、多くの燭台の立ち並んでいる中の一本の中心になる大きな燭台のようなものであるのである。自分一個だけが輝いているのでは部屋全体を照らすことは不可能なのである。「愛」の燈を移して周囲の燈台に「愛」を点じてやることによってのみ、全体の部屋が明かるくなり、自己の燭台の脚下も明かるくなるのである。

感謝合掌

1311元本部職員s:2012/09/21(金) 00:47:32 ID:4XyYSDw.

管理人様上記のさくら様への書き込む場所を間違えましたので削除をお願い申し上げます。

1312a hope:2012/09/21(金) 09:30:45 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第1章 此の世界の成立ちとは?
♦民主主義とは何か

自分が自分の主人公であると云うのが民主主義であります。
これは自分勝手な我儘をしても好いと云う意味ではないのであります。
他(ひと)にたよらずに、自分で自分の心の調子をととのえることが出来ると云うことであります。
また自分の運は自分の心で思うようになれると云うことです。

先ず朝目がさめたら、学生ならば口のうちで自分にだけ聞こえる言葉で、
「自分は神の子だ、いつも達者だ。いつもたのしい。品行方正、学術優等」
こう云う言葉をニ十ペン程となえてから元気に愉快に起きることにし、
夜寝床で眠りしなにも「眠っている間に神様が一層わたしをよくして下さる。達者で楽しく優等だ」
と心のうちでとなえながら眠ってしまうことです。

そうすると、夢を見ても楽しい夢が見られますし、寝ている間に健康となり、
頭がよくなり、どんな勉強もすぐれて出来るようになります。
何故なら、この世界は、神が先ず、コトバと「思い」でおつくりになり、
あとは、人間自身が、コトバと「思い」で自由に出来るようにおまかせ下さったからであります。
(つづく)

1313ハマナス:2012/09/22(土) 00:20:26 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

経営者の人格的権威

(『新版生活の智慧365章』p.249)
経営者にとって必要なのは従業者に対する愛と、その事業に対する強き意欲である。従業者に対する愛が薄れて来るとき、経営者に対する従業者の尊敬と信頼がなくなるのである。尊敬は自己を高慢に振舞うことによって得られるものではなく、寛大なる愛によって得られるのである。みずから高くするものは却って低くせられ、みずから低きに降りて愛する者は却って高くあげられて尊敬せられるのである。

始終、従業者の欠点を見つけて、軽蔑し、小言を言うものは、却って従業者から軽蔑せられる。度かさなる小言の繰返しは蓄音機の噪音(そうおん)のようになって人格的権威と云うものはなくなるので、小言を言う効果は零になり、ただ経営者に対する憎悪と反撥とが多くなるばかりである。そのような会社の工場に於ては「心の影」として故障が起りがちであり、鉱山に於ては爆発や落盤が頻繁に起る。


感謝合掌

1314a hope:2012/09/22(土) 10:17:08 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本

第1章 此の世界の成立ちは?
♦幸福になるには幸福の種をまけ


われわれがこの世で幸福な生活を送ろうと思いましたならば、
「自分は不幸である、幸福になりたい」などとかんがえてはだめなのであります。
「自分は不幸である」という心の思い種をまけば、心がもとで、すべてのものがうまれてきたのでありますから、
「自分は不幸である」という心の思いが種となって、形に見える世界に「不幸」なすがたがあらわれてくるのであります。
だから幸福になりたい人は、今、不幸であっても、今、幸福がなくとも、どちらでも
「わたしは今、幸福である、幸福である」ととなえていれば幸福がでてくるのであります。

神さまは太陽も地球も、天も地も、お星さまもない世界に「天がある、天がある」と思われますと、
すなわち心で「言葉」を宣(の)べますと、「天」があらわれてきたのであります。
「地がある、地がある」と心でとなえられますと、しまいには地球がうまれてきたのであります。
草も木もない世界に「草がある、草がある」と心でくりかえしくりかえし思われますと、「草」があらわれてきたのであります。
そして「人間がある、人間がある。神さまのように、なんでもできる力を形にあらわしたものがでてくる、でてくる」
と心でねんじられますと、人間がうまれてきたのであります。

「人間が神のすがたにつくられた」と聖書に書いてありまするのは、
「神さまのような、なんでも知り、なんでもできる力をもったすがたにあらわしたら人間になった」という意味であります。
だから、人間は神さまとおなじように、心で思うことを、この世界になんでもつくり、
なんでもうみだす力をもっているのであります。
(つづく)

1315<削除>:<削除>
<削除>

1316ハマナス:2012/09/22(土) 23:20:36 ID:mR2szZkc
みなさま
ありがとうございます。

新しいアイディアの創造

(『新版生活の智慧365新版章』p.250)

繁栄に関する新しい企業進出ーーその智慧と意欲ーーそれがまた経営者には絶対必要な性質である。新しい企業進出の智慧と意欲がない場合には企業に前途の希望が少ないから従業者にも希望が少なくなるのである。従業者には「希望」を吹き込まなければならない。前途に希望があれば、現在の収入が少なくともその希望に燃えて心が明るくなるし、仕事を熱心にやる勇気も出てくるのである。

新しいアイディアの欠乏せる経営者には何の魅力もないのである。何を生産するかは重大である。常に新しいアイディアによって新製品をつくり出し、その新製品の魅力によって販路と需要を拡大して行かなければならないのである。またその宣伝技術に於ても常に新しいアイディアの創造が必要である。それには、新しいタレント(才能者)を見出だして豊かに人物を招聘する大度胸をもたなければならない。


感謝合掌

1317ハマナス:2012/09/22(土) 23:27:46 ID:mR2szZkc
すみません、タイトルが間違っていました。

正しくは、『新版生活の智慧365章』です。

1318a hope:2012/09/23(日) 09:31:56 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第1章 此の世界の成立ちは?
♦うれしいきもちで父母に感謝していると良いことが出てくる

うれしい、うれしい。お父さん、お母さん、ありがとうございます、と心のなかで、
つねに喜んでお父さんやお母さんに感謝していますと、人間は自然とうれしいことがでてきて、
ありがたい感謝すべきことがうまれてくるのであります。

それは「うれしい、うれしい」という心の種をまくから、そのとおりのものが、
形の世界にあらわれてくるのであります。

また「お父さま、お母さま、ありがとうございます」という心の種をまきますから、
形の世界に本当の深切な、ありがたいお父さんお母さんのすがたがあらわれてくるのであります。
(つづく)

1319SAKURA:2012/09/23(日) 09:35:49 ID:O9S1o2DM
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1238>>1304>>1307>>に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。
実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??【コロンビ
ア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 思い込みを捨てよう ) 

―――――   思い込みを捨てよう  ―――――

|❤しかし、みんなが尻込みするからといって、責める気にはなりません。
|わたしだって殺人犯のようになりたくないのです。それでなくてもみん
|なはそれ相応の罪を背負っているのですから。

 あなたが自己の成長を願うならば、そうした感情を克服しなければなりま
せん。あなたがやっつけようとしているものはじつは両親ではなく、両親を
恐れる気持ちであり、両親から受ける圧力であるといえます。容赦のない素
朴なやり方でそれを制圧しなければなりません。もしあなたがいつまでも自
分の要求や衝動や願望を両親の支配下におきつづけるなら、あなたはけっし
て自信をもつことができないでしょう。

 この根本的な主張を思いきってするならば、亡霊以外には、誰もこころの
戦場で死ぬような結果にはなりません。もちろん、あなたがそれをなるべく
早く実行するならば、その間に現実というものがあなたの空想する虚構に調
和し、真実のものの見方ができるようになるでしょう。

わたしの知ってるいるある女性は、もし自分が子どもをもったら、その子が
祖母にあたる彼女の母親を殺すかもしれないと考えたことがあるそうです。
そのため、彼女は四五歳になるまで子どもを生むのを待ちました。ところが
現実には彼女の母親は、その年に亡くなりました。こうした場合の結果はた
いていそれほど劇的なものではないのです。

 強いしっとや心理的葛藤や怒りなどの原因となる情緒の欠乏状態とは、ま
ったく不思議な現実です。それは魔法のような思考法であり、他の人に与え
る衝撃を大きく誇張するものです。しかし、実際はまったくそんなものでは
ないのです。あなたがなにかを達成したとしても、それは他の人からなにか
を取り上げることではありません。あなたがなにをしようと、世間は無関係
に動きつづけるでしょう。

              <つづく>

1320SAKURA:2012/09/23(日) 09:37:45 ID:O9S1o2DM

ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1319投稿の続きです。…


 人間は現実の世界で、現実的なものを求めて競争しなければならないので
す。たとえば職を求めたり、奨学金を得ようとするのもいいでしょう。しか
し、わたしがお話したいことはそんなことではありません。わたしたちは自
分にたいするよい評価を求めて競い合う必要はないのです。あなたがもっと
よくなってもそれでわたしが悪くなるわけではありまえん。世のなかには、
すばらしい人間になりうる余地も、すばらしい仕事をなしとげる余地もいく
らでもあります。その余地を現実につかんだとき、わたしたちは他の人が仕
事をなしとげたことを喜び合うことができるのです。つまり自分が小さな存
在であるというひがみを感じなくてもすむのです。そして他人にたいする不
安や罪の意識をもつことなく、自分自身の問題に専念できるでしょう。

 わたしたちは、実際には感情面で豊かな社会に生活しています。それはみ
んなに十分行き渡ってあまりあるくらいです。人間資源を開発するというこ
とはそれを使いつくすことではありません。むしろ人間がもつ可能性を拡大
することなのです。これらの資源は保存のきかないものです。いま、あなた
がそれを採掘しておかないと、その鉱脈は永遠に失われてしまうでしょう。
 このことも人々がなかなか気がついていないのです。人々は自分の前途は
はてしないもので、きょう実行しなくても、明日があればあさってもあるさ、
と思っています。あたかもゲ−ムでもやっているかのように考えていて、つ
づけてやっていれば勝つと思っているのです。ゲ−ムなら結局最終的には相
手がいやになってしまい、こちらの望むこと、つまり勝利を譲ってくれるの
ですが、人生はゲームではありません。そこには相手がいないのです。いつ
までも引き延ばしていたならば、あらゆるチャンスを失ってしまうでしょう。

 わたしたちは永遠の世界に生きているのではなく、有限の世界に生きてい
るのです。そのことを計算に入れておかねばなりません。わたしたちの成長
と発展には際限がないけれども、時間には際限があります。もちろん、誰し
もこのことは認識しています。人々はしばしば、自分を歳をとっていくこと
や、時間が刻一刻と過ぎ去ることをとても気にします。しかし、そんなこと
を気にするよりも、わたしたちはいつ、なにをしたらよいか、ということに
もっと関心を払うべきです。

PS:トキ様 へ
一昔前・・・【人生はゲ−ム〜♫】といいます“言葉”が、流行りましたが…?
これは本当に、間違いです〜〜〜ョネ!
今!私は【現 象 世 界 = 有 限 社 会】の中で生きている…!!
この事は、まぎれもない事実?若い頃は、これが当たり前の事のように思いがち?
になるのでしょうか??そうです〜〜〜ョネ!
今日出来なかった事は“明日”が!!あると言った感じでの“捉え方”でした。…が?
この年齢になりますと、否応なしに“刻々過ぎ去る時間の概念…”が、怖いくらいに、
早く〜余りにも早く〜感じますが〜〜〜
【生長の家…】では今を活かす事!今!今!…今を生き抜く!これが大事です〜ョネ!

私の“夢…”は、何年も待ちつづけて?待ちぼうけ?なのでしたかと??大変です。
これは…【待つ事は〜〜〜“末”で終わる事に、つながりやすいです〜〜〜ョネ?

今日の“言葉”より???
【今を活かすことに“全力投球”しながら、捉えて行くべきでしょうか〜〜〜?】
【活 か す こ と が 人 生 の 勝 利 者】でしょうか???
トキ様も「時間管理…」は、どの様に、捉えていますでしょうか???

                             再合掌

1321ハマナス:2012/09/23(日) 22:48:27 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

経営の智慧も人類愛から

(『新版生活の智慧365章』p.251)

「立ち向かう人の心は鏡なりおのが姿をうつしてや見ん」と云う黒住教祖の教歌は真理を表現しているのである。相手の神性を呼び出そうと思えば、こちらの神性を相手に示さなければならないのである。神は愛であるから、自己が先ず愛を相手に示さないでいて、相手の愛をかち得ようと思ってはならないのである。

本当の愛があれば智慧が出てくるのである。技術の智慧も、経営の智慧も、その事業を本当に愛し、その事業が人類のためになることを念願して止まない大愛を経営者がもっているならば、必ずその事業を発展さすための智慧と熱意が経営者にも出てくるし、その人類愛の熱意は、神の愛につながり、神の智慧を呼び出し、困難を切り抜ける勇気と自信とが湧いて来るにちがいないし、その意気と理想と大愛と勇気と自信とは従業員にも反映してその事業を益々発展せしめるに至るのである。

感謝合掌

1322a hope:2012/09/24(月) 06:20:04 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第1章 此の世界の成立ちは?
♦ふくれ面をしたら面白くない事がでてくる


ふくれっ面をしたら、ますますふくれっ面をしなければならないような面白くないことがでてくるのは、
自分が「心」の世界に面白くないことを、心に思いうかべて「面白くない、面白くない、つまらない、
つまらない」という心の種をまいているからであります。

朝目がさめた時から「今日はうれしいぞ。すばらしい日だぞ。よいことがでてくるぞ。たのしいぞ」とかんがえなさい。
そうすると、よいことが、たのしいことが、ぞくぞくと皆さんの身のまわりにでてくるのであります。
「愉快を思えば、愉快がでてくる」「つまらないと思えば、つまらないものがでてくる」のであります。
心でえがいたものがはえてきて実をむすぶのであります。

この法則を利用しますと、自分の成績でもなんでもよくすることができます。
勉強する時にでも、「自分は算術がへただからよく勉強しましょう」などと考えてはなりません。
「へただから」などと思うと、その「へた」ということが心の種になって、じっさいへたになってしまうのであります。

そこで、勉強する時には、「自分はへただから」などとはかんがえずに、
「自分は、神さまのえらい力が、形にあらわれたのが私だ。自分にはえらいえらい力がやどっている。
自分は天才だ。自分はよくできる。よくできるから、喜んで勉強するのだ」と、
こう心にとなえながら勉強にとりかかるのです。
すると心にえがいたとおりが、形にあらわれてくるのであります。

(第1章 終り 次回から「第2章 人間の「考え」は血の流れを変えます」 へ)

1323「訊け」管理人:2012/09/24(月) 16:47:42 ID:???
『神の意義とその理解』59頁より謹写――

◇超越内在の神を〝生命の体験〟として自覚せよ

 生長の家は「神」をそのように説く。その学説を諸君が読む、そして生長の家は、「神」のことをそのように説いているのだな――と諸君がわかっただけでは何の効果もないのであります。諸君自身が、「超越無限力の神が自己に内在していて、その神こそが自分の本体であり実相である」と自覚しなければならないのです。その自覚が〝生命の体験〟として完成してこそ、「天の父われに在(いま)して、御業をなさしめ給う」とイエスが言ったような偉大なる功業を樹(た)てることができるのであります。
 時々、一見信仰深き人は「神にすべてをお委せ致します」と言います。しかしその「神」とは自己に「内在する神」だということを知らなければなりません。遠く天上にある神にお委せして自分は何の努力も工夫もしないでも好いのだというような考えで、「すべてを神にお委せします」というのでは、神を自分と離れた「外にあるもの」(外在神)とみとめる信心で、迷信だというほかはありません。
 「わが魂の底にこそ宇宙にみち満ちている超越普遍の神が宿ってい給うのだ。その〝魂の底の底なる神〟こそ〝本当の自分〟であり、その神を今自分は喚(よ)び出して働かせるのだ。否、現にその神が働き給うているのだ」という自覚を喚び起すのでなければ、実際に神の無限の力を自己の出口を通して発揮させることはできないのであります。「わが魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出でよ」と私たちは一日数回、一寸した時間でも利用して、この内在超越の神を意識面に喚び出して活動せしむべきであります。

1324SAKURA:2012/09/24(月) 21:33:17 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
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実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??【コロンビ
ア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

◆【ベスト・フレンド】  ( 成長と発展の条件 ) 

―――――  ►► 成長と発展の条件 ◄◄ ―――――

|♣おっしゃることはきわめて賢明であり、すばらしいことだと思います。
|わたしはそれをそのまま大事に家へ持って帰りたいくらいです。しかし
|「言うは易く、行うは難し」ではないかと思うのです。それは人々に
|とってあまりに過大な要求ではないでしょうか。現実を、そんなにも堅
|実な目で眺めることのできる人がいるでしょうか。わたしだって人生に
|ついて多少のことは知っているつもりです。しかし、人生の指針をしば
|しば失ってしまうことがあります。そんなときわたしは勇気を失い、い
|らいらし、不安でたまらなくなり、将来がどうなるか、とても心配にな
|ります。いったい、わたしたちはあなたがおっしゃるほどに成長できる
|ものなのでしょうか。

 人はあらゆる面で完全に成長する必要はないのです。これはみんなが誤解している
ことのひとつです。成人期というものは片開きのドアではないのです。誰もがいった
んそれをくぐり抜けたら、二度と後戻りできないものと考えがちです。成長する、と
いうことは片道切符の旅行ではありません。子どもがおとなのような行動を示すこと
があるように、おとなもまた子どもっぽい行為を示すことがあります。

 このふたつの状態は幸いなことに相互に相容れないものではありません。もしそう
でなければいわゆるジェネレーション・ギャップというものはもっといっそう大きな
ものになり、両者は橘のかけられないほどに大きな溝に直面することになったはずで
す。これは子をもつ親が現在直面している問題でもあるのですが、ふつうおとなには、
人を理解するための努力や、想像力を働かせる努力をしようとする真摯な態度、さら
に他人は自分とは異なるのだという事実を認めようとする真摯な努力が不足している
といえます。

 ときには未熟な面があっても、それはかまわないでしょう。たとえば完全に成長し
たおとなはまわりから見ると多少の脅威を感じさせるものです。

 結婚というすばらしい事実もその一例でありましょう。望ましい結婚は二人が
まったくおとなとしての関係をもつことです。しかし、夫と妻は互いにどんな役割を
も演じるのです。二人は愛する者と愛される者の関係にあることは当然ですが、互い
に親にもなり、遊び友だちにもなるのです。また必要とあれば赤ん坊にもなるわけです。
わたしたちはみんなそうしているのです。ただひとつ困ることは二人が同時に赤ん坊の
ようになりたいと望み、しかもどちらもどうしてそれを譲らない場合です。

PS:トキ様
今回の【お家騒動…】は、これにたとえますと〜〜〜
まるで〜まるで〜どちらも【精神の成長は? 心の成長は?】と考えてしまいますが?
「雅宣先生は、現在!「生長の家…総裁」でいらっしゃいます。…が?
今までの!“投稿…”を閲覧していますと
【分派…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」……etc】 皆様の…
【人 格 の 成 長】は???と考えてしまうような“言動”が多いのですが?
ご存じのように……私自身…【現総裁雅宣先生…擁護派一人】です。・・・が?

◆何度も!何度も!【分派の方々からの…“イジメ”…】がありましたが……
例えばですが?【文章が…云々…とか??記号が…云々…とか??】
これが…【人 格 向 上…】と言えますのでしょうか??
この事をとりましても…【人 へ の 救 済】果たして、出来るものでしょうか?
ここでの“投稿発言”も、やはり???私は【人 格】が、必要にも思えますが???

それに関して、トキ様はどの様に思われますでしょうかしら〜〜〜ン   再合掌

1325ハマナス:2012/09/24(月) 23:39:16 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

事業の成否は「人」に
(『新版生活の智慧365章』)

その事業が成功するか成功しないかはそれに従事する「人」如何によるのである。されど「人」とは如何なるものであるか。それは「これ位の能力」と限定されるべき者ではないのである。何故なら「人」は神の子であり、その内には「無限」が宿っているからである。されば、その事業の成否は、「無限」の宿っているところの人間から、どれだけの量と質とをその「無限」から引き出し得るか否かによって定まるのである。より多く引き出し得た者は、その事業により多く成功するであろうし、より少なく引き出した者は少しか成功しないであろう。

多くの事業会社の従業員は自己の持っている能力や天分の十分の一すらも完全に発揮し得ないような仕組みになっているからである。それはただ上司の命令を機械的に「事務する」だけであって、創意を出すべき機会を与えられていないからである。機会と責任とを与えられるときのみ能力は発揮される。
」感謝合掌

1326a hope:2012/09/25(火) 06:11:04 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第二章 人間の「考え」は血の流れを変えます
♦「考え」の目方をはかる法①


エール大学のW・G・アンダーソン教授は人間の「考え」(心の力)目方をはかるのに成功したと云うことが、
マーデンの本の中に書いてあります。
先ず大きな天秤のハカリに人間を仰向けにのせます。
その天秤は一枚の板のようなもので、その中程(人間の腰のあたりが乗る辺)に中心があって少しでも重い方に、
丁度シーソーゲームのように一方に傾くようになっているのです。

その板の上に先ず人間が乗りまして、その板がとちらへも傾かないように水平になるように調節(ちょうしをととのえる)します。
さてその板の上に乗っている人間に算術の難しい問題を考えさせるのです。
すると、その人間の乗っている板は、頭の載っている方が重くなって下へ傾くのです。

これは頭が物を考えるから「考え」の重みによって頭が普通より重くなったのです。
皆さんはこれを「考え」の目方だと思いますか。
いつも、いらぬ取越苦労を考えて、頭が重い重いと云っている人がありますが、
それはつまらぬことを考えすぎるが為に「考え]の目方で頭がおさえつけられているのです。
吾々はつまらぬ「考え」を思わぬようにすることが頭を軽くするのに大切です。

ところで、もっと頭のよい人は、それは「考え」の目方ではない。
その「考え」が頭へ血をのぼらせ其の血の目方だと思うでしょう。
こう考えることの出来る人は、普通以上にとびぬけた頭の好い方です。
本当は「考え」に目方はありません。
その証拠に諸君が体格検査のときに自分の目方をはかる台秤(だいばかり)の上に乗って、
笑おうが、心配しようが、むつかしい算術の問題を考えようが、同じ目方でありましょう。

ところで、此処に問題となるのは難しい問題を考えると、頭の方へ血がのぼせてくることです。
心配や取越苦労をすると頭に血がのぼせ過ぎて、そこで頭が重くなるのです。
だからものを考えるのに下っ腹に力を入れて物を考えますと、肝玉が落着いてあまり頭の方へ血がのぼせずに、
いつまでも物を考えてもつかれずに落着いて物を考えることができます。
(②につづく)

1327うのはな:2012/09/25(火) 14:35:19 ID:WMqYQDyc
>1323
『神の真義とその理解』だとばかり思い込んでいました。
ありがとうございます。

1328神の子さん:2012/09/25(火) 17:11:52 ID:4JneCjg.
>>1327
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/B000J8I9ZG/ref=dp_image_text_0/378-9750956-1701548?ie=UTF8&n=465392&s=books

1329神の子さん:2012/09/25(火) 17:18:52 ID:4JneCjg.
信仰心なく神を語る亡者の群れ

訊け、初心者、さくら、・・・・

1330天の童子:2012/09/25(火) 17:33:21 ID:4JneCjg.
>>1329
トキさんへ

上記書き込みと>>1329は、書きかけであるし、スレッド違いなので削除願います。

1331SAKURA:2012/09/25(火) 20:20:58 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
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◆【ベスト・フレンド】  ( 成長と発展の条件 ) 

―――――  ►► 成長と発展の条件 ◄◄ ―――――

|♣とても結構なお話ですね。うかがって安心しました。わたしが超人で
|ある必要はないことがわかり、ほっとしました。わたしはふだんなんと
|か完全な人間になりたいと努めていたのですが、じつはそれが人から見ると、
|他人を軽べつするような態度にみえたのではないかと思います。
|みんなまったくそんな態度を好んでいなかったのです。

 あなたは自分が子どものようであることをけっしてよいことだと思わなか
ったでしょう。しかし、わたしたちそれぞれのなかに子どもの部分があるの
です。そしてその子どもにやさしくしなければなりません。

 もうひとつ認識しておかなければならないことはつぎの点です。たとえば
二五歳になってあることをあきらめたときに、それは、それを必要としてい
た四歳のときの自分から取り上げたということはならないのです。誰しも自
分が四歳のときに起こったことをぬぐい去ることはできません。せいぜいで
きることは」、いまなお自分のこころのなかに存在する四歳の子どもにたいし
て共感を示すことぐらいです。おとなは、四歳の子どもにたいしては、たい
ていの場合やさしく振舞います。ところが、自分が四歳の子どものような気
持ちになったり、行動したりすると自分にたいしてものすごくいやになるの
です。そして自分にあいそをつかし、自分のこころのなかに存在する子ども
を拒否してしまうのです。
                      (つづく)

1332SAKURA:2012/09/25(火) 20:22:51 ID:jH5uEFzM
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1331投稿の続きです。…

おそらくそういう人たちは、ごく小さいときからそうしていたと思います。
どういうわけか、成長の過程――これは基本的には新しいものの見方に到達
することでなければならないのですが――において、むしろいままでの古い
ものの見方に嫌気をさすようになってしまいます。これがじつは自己嫌悪の
はじまりなのです。真の成長とは新しいことを試みる勇気と自信とを身につ
けることであり、その過程において過去の殻を打ち破ることなのです。

とにかく前へ進みなさい。新しい挑戦を開拓することは楽しいもので、わたし
たちの興奮を呼びさますものなのですから。あなたは行動を起こすことに脅威
を感じることもあるでしょう。これはけっしてあなたの昔からある自己を否定
することにはならないのです。あなたはもっとよいものを手に入れるために、
もはや必要としないものは思いきって捨ててしまいなさい。
                   (次回につづく)

Ps 「トキ様」 へ
■【成長する…】には、『新しい挑戦!!』が、大事です〜〜〜ョネ!!
【 日本開国…明治維新 】は、やはり、当時に於きましても…
【斬新なアイデア・新しい挑戦…】と、思います。

そして、今!尚【生長の家も、新しい開国論…】が始まりまして“スタ−ト地点”
いつまでも〜いつまでも〜“古い体制・考え・・・”を誇示している様では、
【将 来 の 展 望】もと?思います。…が?

今日の“言葉”より……
私も「デザイン…」は、いつまでも、同じデザインをしていますと〜〜〜
これは決して“時代性…”を、反映するものでは有りません。【経験済み】
そこに…泊まるのではなく、前向きに?進むには??
私の仕事を例にとりますと……【新しい息吹〜♫〜】を取り入れる事が
進歩向上!!になる分けなのです。そして、人々に受け入れられる〜
このように思いますと、前以上に【真 剣 な 光 明 化】をしていきます。…が?

「建物も古い場合」??それを維持し後世に残す場合は??
【修理・補修…】が、必要だったり、或いは、どうかしますと、立て直しもあるカモ?
この様に、今!【 生長の家 】も、新しい挑戦に挑む事が〜〜〜
今・今・今しか“チャンス”がない様にも〜〜〜思えます。…が?

【今日のベストフレンドで】のお考えは、トキ様はどの様に思いになりますか???

1333a hope:2012/09/26(水) 07:40:40 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第二章 人間の「考え」は血の流れを変えます
♦「考え」の目方をはかる法②


アンダーソン教授は、その次に板の上に仰向けに乗っている人に、
算術を考えさせることを止めて、自分の脚で一生懸命足の体操をしていることを思わせたのです。
すると、足の方の目方がふえて、人間の載っている板は足の方が重くなって下(さが)りました。

そこで、こういう事がわかります。
「考える」ことは必ずしも、頭へ血がのぼせない。
「頭で考える」―――頭・頭・頭と思うから、頭の方へ血がのぼせるのです。

腹でものを考えると思って、いつもへその下の丹田と云うところに力を入れて、
其処で考えるのだと思って、勉強すれば、頭が常に軽くてよく勉強が出来るのです。
昔から偉くなった人は、丹田の修行と云って、下っ腹に力を入れる修行をしたものです。

白隠禅師は、寝るときに足の踵で呼吸をする稽古をしたと云われています。
呼吸は鼻からするのは、白隠さんだって同じことですが、真直(まっすぐ)に足をのばして、
足のかかとに軽く力を入れ、かかとに息の出入口があって、かかとでゆっくり呼吸をする気になると、
血が足の方へ沢山いって、心が落着き、頭が軽くなって、いつの間にか好い気持で眠れるのであります。
(つづく)

1334SAKURA:2012/09/26(水) 21:29:30 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
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実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??【コロンビ
ア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

◆【ベスト・フレンド】  ( 成長と発展の条件 ) 

―――――  ►► 成長と発展の条件 ◄◄ ―――――

|♣お話だけうかがうとそれは大変やさしく、簡単で、すぐできるように
|思えます。しかし、成長することは容易なことではありません。それは
|わたしたちにとって大きな苦しみですし、至難の業のように思えます。
|わたしたちはどこを目ざして進めばよいのでしょうか。はたしてそこへ
|到達できるのでしょうか。この点について、どうもあなたのお話では確
|信がもてないのです。もうひとつこれだというものが欲しいし、まだま
|だすっきり入ってないのですが。

 そのとおりです。子どもが重要な新しい一歩を踏み出そうと努力するとき
には、いままでの古い習慣をむしろ荒っぽいやり方で追い払う必要がありま
す。もはやそうした古いものは必要としないのですが、部分的にはまだそれ
に固執する面が残ります。だから子どもたちの行動はまわりの人たちとはま
ったく対立し、安定を欠くことがあるのです。子をもつ親ならわたしのいう
ことがよくわかるでしょう。

 しかし、そうした幼いころの自我をあまりにも強く否定してしまうと、そ
の結果として成長するどころか自己嫌悪が生じてしまいます。そうした人は、
自分が成長して脱出しなければならないと思っているさまざまな欲求を充足
させないままに、なんとかやっていく手だてを身につけることができるかも
しれませんが、そのためにエネルギーをつかいはたしてしまうでしょう。

 わたしたちは、幼いころの自我に反抗しながら成長していくのではなく、
その自我がもっている力に依存しながら成長していかなければなりません。
それがお互いにとって有益なことであることを認識する必要があります。し
かし、いまは別のことに専念するときなのです。

PS:トキ様
「生長の家」が発展するには〜〜〜♫〜
やはり…【新 し い モ ノ へ の 挑 戦 !】でしょうか…??

【時代が変化…】しています。観覧者の皆様も、感じます事があられますのでは??
何度も〜何度も〜申し上げますが…
【今 を 活 か す…】のは〜〜〜><
❤〜今の【教義・教本以上に、すばらしい現代人の心を揺さぶるモノ】が必要では?

良いものをこの世に再び出す事が〜〜と、思わずにいられません。…が?
【世の中は、病んでいるのです。私の廻りにも?皆様の廻りにも…?】

時代は変わるのです。いえ!時代は変わりつつあるのです…。

例えば「服職業…」を携わっていますと…【流行のサイクル??】は、一応あります。
したがいまして…今!皆様が見られています【アジアン・ルック…】これも?
【私 が 高 校 の 頃 で し ょ う か??】

アジアンは、当時は、詳しく申しますと【フオ−ク調】の感じでしたが…
今!また繰り返しでも〜〜〜よく見ますと……
またそれなりの【デ ザ イ ン の 変 化】なのです〰〜〜ョネ!
【信仰も求める者の価値観】が、変化していますが〜〜〜
【成 長 と は?】
今の時代の【現 状 を 認 識 す 事】ではないでしょうか?
もう一度…【分派の皆様方は・・・“時代の流れ”〜〜対応性は???】

                             再合掌

1335うのはな:2012/09/26(水) 21:48:55 ID:YT9aDVnY
   天地一切のものと和解すること

 私が神戸におりました時に河野とみ子さんという婦人が子供の教育の話で指導を
求めて来られたことがあります。この人は当時山下汽船株式会社の重役の奥さんでしたが、
彼女に中学二年生ぐらいの子供があったんです。

 その子供が不良少年の仲間にはいりまして、体は大きいんだけれども、ちょっと足がちんばである。
どういうもんですか、心がちんばになっていると足がちんばになる。大阪の北浜に松岡道治先生という
医学博士で整形外科の先生があったんだが、そこへ行ってみてもらったけれども治らない。
手術はしなかったけれども。わたしが兵庫県の住吉村にまだおった時代にその子共をつれてきて、そして
「先生この子供どうしたらよくなりますか」と言われた。

 その時分は、まだ映画を活動写真といった時代で、「悪漢ジゴマ」と題する活動写真が映画館で上映されて
評判だったんです。そのお母さんは私に、「先生、この子供の目を見てごらんなさい。あのジゴマみたいな目をしてるでしょう」と
いって人相の悪いことを特に強調して、「こんな子供になったんですが、どうしたらよくなりますか」と言われたことがあるんです。

 その時にわたしは注意した。
「子供の前で、あんたそんな悪い言葉を使うもんじゃないですよ。親の言う通りに子供はなるのですよ。悪いことをコトバで聞かしてはならない。
すべての子共は“神の子”であり、神の完全な生命が宿っているんだから、それをほめて引き出すようにすればいいのですよ」という話をしたのでありました。

 その子供はちっとも勉強しないと母親は訴える。そしてその不良少年のグループの中へはいって、そしておどかされて金をもち出したりいろんなことばっかりやっておったんです。
その時、私は直感で、その子供が不良になった原因がわかった。それで、「あんた子供がこんなに悪くなったのは誰かに怨まれてはいないですか」と言った。
そしたら彼女は、恨んでいる人があることを告白したんです。

 それは、山下汽船の重役の椅子に今、この子供のお父さんが坐ってるんですけれども、この子供の父は、神戸の商科大学をでた人なんですが、実はこの商科大学をでるについて学資なんかを
援助してもらっておった山下汽船の前任の重役があったんです。それが何かスキャンダルがあって、会社の公金三十万円とかを自分の名前にしたとか消費したとか その時分の三十万円といったら
たいしたものです。今の金じゃ、おそらく三億円以上かもしれない そんな噂がたってその前任の重役は詰め腹を切らせられて、ともかく刑法の上では内緒で済ましたんだけれども退職を命ぜられた。
その後任として重役の椅子に坐ったのが、前任の重役のお世話になって商科大学を卒業して引き立てて貰った今の河野とみ子さんの夫が重役になったんです。
そしたら、その前任の重役は、「自分のスキャンダルを知っているのはあの河野君の他はないんだ。それをあいつ、あばきやがって、自分を落してそのあとがまに重役としてすわりやがった。怪しからん」と、
非常に憤慨して河野家を恨んでいるというのであります。

 そんな経緯がありましてから、河野一家では、今までは、お世話になっていたから毎月一回はこの重役のところへ挨拶にでかけて行って親しく仲好くつき合っておったんですけれども、そういう事件があってからは、
一ぺんも訪問したことがないというのでした。

つづく

1336うのはな:2012/09/26(水) 21:50:16 ID:YT9aDVnY
>1335 つづき

 それでわたしは言いました。
「あんた聖経『甘露の法雨』の冒頭に、“汝が何物かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に
冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ”
ということが『七つの燈台の点燈者の神示』にあるでしょう。それで子供がそういう不良になるのは
誰かに怨まれておって、逆念が遠隔操縦みたいに放送されてきて、子供が不良になったり次から次に運が
悪くなるということがあらわれてくるのは、誰かに怨まれたり憎まれたりしているのが、その念波の影響で
出てくることがある。その前任の重役の人と仲直りしなければならない。それだから、その重役の家を、重役の好きな
ようなものを手土産にもって訪問し、長い間の御無沙汰したそのおわびをして、その間の事情を詳しく話して、けっして
時分がそういうあなたのスキャンダルなどをあばいたりしたことはないということを相手が納得するまで、諄々と話して
仲直りしなさい」とわたしは勧告したのでした。

 そしたら、河野夫婦は、わたしが勧告したように、早速、その日の夕方でありましたが、夕食が終ってからその前任重役の
宅を訪問していってその重役に会い、諄々と事情を話しして仲直りしたんです。そしたら、相手の恨みが解けたと思われるその
時間に不思議な感応が起こったのです。

 今までどんなに勉強せよと言っても勉強しなかった中学二年の河野さんの息子が突然自分の書斎で勉強を始めたということが後で
わかったんです。それ以来その子供は勉強家になりまして、成績もよくなってきた。けれども同じ学校にいると不良の友達からまだまだ
離れられないので、誘惑される恐れがあるので、神戸第一中学校を これはいい学校なんでしたが、それを退学させて、それから立派な
息子さんになったという話です。

こういうことはみなさんが家庭訪問せられて、成績の不良の子共でもある時に、何か他の人と仲違いしてるとか、恨まれているとか、
天地一切のものと和解していないことがないかと省みて、もしそんなことがあると、不良の子共がでてくることがあるんですから、何らかの
方法で仲直りをしておくとよいのであります。

 子供は感応しやすいアンテナみたいな心をもっているものですから一番感じやすいわけなんです。
だから天地間、何事でも、何物とでも和解していないならばまず「天地一切のものと和解する」ことが
必要です。皆さんに、不良の子共の指導を求めて来られた人があるなら、恨んだり憎んだりしている相手は
ないかと反省して、それと仲良くなるというように指導してあげるということが必要なのであります。

『生命の根元を培う新しき教育』 谷口雅春 先生著 新教育者連盟編

1337ハマナス:2012/09/27(木) 00:20:25 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

位置と責任を与える
(『新版生活の智慧365章』p.252)
何人も充分責任ある地位に置かれるならば、内在無限の力を揮り絞り出す機会も与えられるのである。世間に随分沢山ある実例であるが、良人が生きている間は、全然良人の経済力と能力にたよって、ただ深窓にこもって家庭の仕事だけをつとめるのが精一杯だと思われたお嬢さん育ちの婦人が、突然夫が死んだために、自分で経済を何かとやって行かなければならなくなったときに、何と、彼女は旺盛な企業意欲を伸展し得て、良人が生きていたときよりも尚一層事業を発展させてその経済能力を発揮し得たような実例が随分あるのである。

それは彼女自身に重大な「責任」がふりかかったのと、自分で女主人公として能力を搾り出して一切を切り盛りして行くより仕方がない責任ある位置に立たせられた結果なのである。それと同じく従業員それぞれ責任ある位置に信頼して置くならば今より尚一層の能力を出させることができるのである。
感謝合掌

1338a hope:2012/09/27(木) 08:13:34 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第二章 人間の「考え」は血の流れを変えます
♦眠るときの気持ちを楽しくせよ


眠る時の気持ちと云うものほど大切なものはありません。
いい気持ちで眠ったら、明日の朝目がさめたときには、スガスガしい好い気持で、
その日いちにち愉快にたのしく勉強が出来、仕事が出来ます。


眠りしなに私は、
「神様の生命(いのち)、わたしに流れ入って、眠っているうちに健康に幸福に、無限の智慧を与えて下さるのである」
と心のうちで唱えながら眠ることをおすすめ致します。これは私もやっています。
これは子供でも学生でも、大人でも唱えて効果がある方法です。
また、
「神様、私の中に流れ入り満ちたまえ」と念じながら眠ってもよいのです。

毎晩そうとなえて眠りに入るように致しますと、その人の智慧があきらかになり、
勉強の力が加わり、記憶力(ものおぼえ)がよくなり、肉体が健康となります。
足のことを心に強く思ったら、足に血が行きますように、「勉強がよく出来る」
と念じたら勉強がよく出来るところに、身体の血がめぐって、其処を丈夫にして下さるのであります。
(つづく)

1339SAKURA:2012/09/27(木) 22:49:37 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
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>>1238>>1304>>1307>>1319>>1320>>1324>>1331>>1332>>1334>>
に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??【コロンビ
ア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

◆【ベスト・フレンド】  ( 成長と発展の条件 ) 

―――――  ►► 成長と発展の条件 ◄◄ ―――――

|♣ほんとうにおとなになるためにはかならず正真正銘の幼年期を経なけ
|ればならない、と誰かがいっていますが、それはどういう意味でしょうか。

 望ましい幼年期とは自由で開放的なものです。賢い親は自分の子どもが進
歩するのを援助します。幼年期の非劇はおとなが鍵をかけてふたをしてしま
うことからはじまります。そうしたおとなたちは自分がかって手にしていた
もの。あるいは望んでいたものを自分の肩越しに見ながら人生を送っている
といえましょう。彼らはおとなとしての喜びを手にもできず、自分が幼年期
に十分に得られなかった幸せを取り返そうとして、いたずらに年月を費やし
ているだけです。

       ――――――― * ――――――――

|♣それは麻薬患者が求めているものと同じですね。

 そうです。そういう人々は以前の幸せを取り戻したい、と願っているだけ
です。しかし、それはうまくいくものではありません。わたしたちは前進し
なけばならないのです。それはもっとむずかしいことです。立ち戻ったとこ
ろで、そこでなにが得られるというのでしょうか。現実にはそこへ立ち戻る
ことはできないのですから、そうした試みはまったく無益なのです。前進す
るということはチャンスをつかみ、一度もしたことのないことをやってみる
ことなのです。あなたが先ほどいわれたことのなかで――どこに到達するの
か確かでない――、もっとも辛いことは、あなたがなんらかのものを放棄し
なければならないことであり、またもしそうしたとしてもその代りになにを
手に入れることができるのかわかっていない点です。

 人生、悩むことをやめないという理由はほんとうはこの点にあるのです。
人はひとたびなにかを手に入れてしまうと、それ以外にもまだなにかがある
とは信じようとしないのです。フォークナーの小説に出てくる人物の一人が、
つぎのようにいっています。「悲しみと無のどちらかを選べというならば、
わたしは悲しみをとるでしょう」と。わたしたちの場合は悲しみと生きがい
に満ちた人生のどちらを選ぶか、ということになります。生きがいのある人
生に向かって第一歩を踏み出すためには孤独感と喪失感の鋭い痛みに耐えな
ければならないでしょう。しかし、いずれにしても人間は一人ぼっちの存在
なのですし、あなたがいま抱いている喪失感もずっと以前に起きたことなの
です。あなたがいま失いつつあると思っているものは、ただの夢にすぎない
のです。
         ―――――  *  ――――――

|♣不思議な目ざめにちがいないですね。生まれてはじめて目を開いたよ
|うな………。

 ただ、このときは、生まれたままの裸のままではありませんが、おとなと
して目ざめる準備ができたときには、わたしたちはおとなの社会に対応する
ために必要なものを備えているべきです。

PS:トキ様
此処【2チャンネル】に参加しながら、思いにふけることが増えました。…が?
最初は、唯!唯!と〜〜どまる事ばかりでしたし、本当に「生長の家…の人」なの?
と、思えてなりませんのですが??【真理…の勉強】の捉え方…一つでも、
各自の【個性…】が見えて…本当に【生まれてから〜死ぬ時は“一人”なのですョネ!     
それでも、本当に見る?見える世界?……それは、やはり【心 の 眼】でしょうか?
少し【私 の 心 は 自 由 に 進 歩】になって行くようです。トキ様は〜??

1340ハマナス:2012/09/27(木) 23:58:56 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

人物は到る処に
(『新版生活の智慧365章』p.253)

多くの経営者は「人が無い」「人物が無い」などと叫んでいるけれども、それは現象を見て実相を見ないからである。現象は「自己」及び「他の人」が認めた程度にしかかあらわれて来ないものであるら、今、現象界にあらわれている彼の状態は、「過去に認めた程度」だけがあらわれているのである。今後のことは、これから「認める」程度にしたがってあらわれて来るのである。

経営者又は上役は従業員に劣等感を与えるような言葉をもって、叱りつけたり侮辱したりしてはならない。そのような劣等感を与える言葉は将来有能なる其の事業の支配人となり重役となり、その事業を更に大きくならしめる筈の“事業の支柱”を取り除きつつあるようなものである。従業員を信頼し、その価値をみとめ、それに責任ある地位を与え、賞賛と激励とを与えるならば、どんなに沢山仕事が山積していても、それを充分消化(こな)して行くにちがいないのである。

感謝合掌

1341菊池風磨:2012/09/28(金) 08:41:27 ID:SYyxbZaw
[※ これを全部読んだら願いが叶います。祈ってください。

菊池風磨の境界性人格障害は心の余裕が無くキレやすい。激しい怒りの感情をコントロール出来ない。物事を勝ち・負け でしか考えられない両極端思考。見捨てられる事に不安を感じている・自己否定されると自己防衛の為に相手の評価を下げる。フられるとストーカーになる。常に精神状態が不安定・情緒不安定。変な人・性格が悪い人と思われる。気が付くと周りから人が居なくなる。周りの人を振りまわす。嫌われたと思うともっと嫌われる様な事をする。会話が成立しない。コミュニケーションが下手。落ち着きが無い。気分によって態度がコロコロ変わる。フられるとリストカットをして気を引こうとする。アダルトチルドレン。トラブルになりやすい。自己中心的。自殺率が高い。繊細で傷付きやすい。幼少期に虐待されていた。人の意見を真に受けやすい。人との意見の違いに怒りを感じる。感情のコントロールが出来ない。などの症状が有ります。

この文章をコピーして2ちゃんねるの掲示板に10回貼り付けないと願いと逆の事が起こります。 ]

1342a hope:2012/09/28(金) 08:42:24 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第二章 人間の「考え」は血の流れを変えます
♦朝目が覚めたときには


そして朝、目がさめた時には、すぐ寝床の上に坐って、手をあわして、目をつぶり
「神のいのち、私に流れ入って、われを健康にして下さいます。」
これをニ十遍(ぺん)ほど心で唱え、さらに、
「神の智慧、私に流れ入って、今日一日私を導いてくださるから何事も都合よく行く」
と念ずるのであります「念ずる」というのは、
「心でとなえて、そのことをシッカリ思う」のであります。

そうすると思うとおりに、血がめぐって、健康になる。
またすべて考えることがハッキリした智慧に導かれて、よく出来るのであります。

何事も、よいことだと教えられたら必ずやって御覧なさい。
それも、たった一日ではなく、少なくとも三カ月は実行して御覧なさい、
屹度(きっと)いいことが出て来るのであります。

廊下でも、たった一日拭いたのでは艶はでません。
毎日拭けばつやが出るのであります。
心もその通りですから、毎日実行なさいませ。
(つづく)

1343「訊け」管理人:2012/09/28(金) 16:15:15 ID:???
『生命の實相』第24巻113頁より謹写――


生命の實相読者――

 五官と頭で神が分ると思ったら大間違いだということになるが、完全な人間なら、そんなにまでせずとも、素直にすらすらと神が分り、したがって迷いもせず、本来悟入していなければならないはずに思えるが、事実はこれと反対だとすれば、人間は至極不完全なものということになり、したがって神の完全性と相容れないように思われます。そしてこんなに考えても(人間の神性、完全さが)分らないということは人間の不完全を表していると言えるのではないでしょうか。結局、人間小智の小円内で議論しているかぎり、この問題は分らぬとも言えるが、しからば完全なるべき人間はなぜこの小智から脱却できないのかということになり、ここでまた不完全ということになります。


谷口雅春――


 ご質問は「実相人間」と「肉体人間」とを混同して、「肉体人間の知恵はなぜ不完全で真理がわからぬのであるか?」と言っていられるので、いつまで経っても正当な回答ができぬのであります。釈迦は『法句経』において「怨み心ではいつまでも怨みは解けぬ」と申されましたそのように、「肉体人間の迷い心ではいつまでも迷いは解けぬ」のであります。
「肉体人間」は本来存在しないのであります。(本来存在しないから、やがて崩壊するのであります。)存在しないものが不完全であるのは当然であって、ただ完全なるもののみが存在するのであります。
存在しないものが「存在するもの」を理解しえないのは当然であります。あなたは「なにゆえに完全なるべき神の子『人間』がその実相を直観できないのであるか」と言っておられますが、完全なるべき神の子たる「実相人間」には、その実相を直観するもしないもない、すでに完全なのだから問題はないのであります。
この辺の消息は議論をもって押し進めていっても「肉体人間の知恵」にわかるはずはないのであります。ただ「肉体人間の知恵」(迷い)を薄くすることによって、霧が破れて日光の輝き出ずるがごとく、肉体人間にも実相智の光線が射しはじめるのです。この「虚」の闇を破って実相智の光線を射しはじめることを、「直観によって、実相人間の完全さを知る」というのであります。
肉体人間の知恵は「暗」のようなもので、実相人間は「光」のようなものであります。「暗」はそれを薄くすることによって光の存在を知るのであります。「暗の無知無明はなぜあるのか」とあなたは論議されますが、暗とは「光の虚」であります。「光の虚」が光を知らないのは当然であります。光を知ればもう「光の虚」(暗)ではないのであります。がから「光の虚」なる人間知は真理を知らないのは当然であります。
あなたは「肉体人間が聖典を読んで、実相人間を知る」と言われますが、「肉体人間」が聖典を読むのは、本来無いところの我見(肉体人間の知恵ー迷い)を捨てるためで、「肉体人間の知恵」がなくなれば、ひとりでに内在の光が発現してきて、「本来の実相」が輝く。これは「肉体人間が聖典を読んだので実相人間を知った」のではなく、肉体人間(光の虚)がそれだけ減ったので実相が輝き出したのであります。
肉体人間の知恵、はからいいっさいを捨てるほど実相人間があらわれるので、「肉体人間が実相人間を自覚する」などということは「迷いが悟りを自覚する」などという言葉と同様で、ありえないことなのであります。

1344「訊け」管理人:2012/09/28(金) 16:20:50 ID:???
この投稿と1343を削除願います(改行でミスを致しました)

1345「訊け」管理人:2012/09/28(金) 16:21:29 ID:???


『生命の實相』第24巻113頁より謹写――


生命の實相読者――

 五官と頭で神が分ると思ったら大間違いだということになるが、完全な人間なら、そんなにまでせずとも、素直にすらすらと神が分り、したがって迷いもせず、本来悟入していなければならないはずに思えるが、事実はこれと反対だとすれば、人間は至極不完全なものということになり、したがって神の完全性と相容れないように思われます。そしてこんなに考えても(人間の神性、完全さが)分らないということは人間の不完全を表していると言えるのではないでしょうか。結局、人間小智の小円内で議論しているかぎり、この問題は分らぬとも言えるが、しからば完全なるべき人間はなぜこの小智から脱却できないのかということになり、ここでまた不完全ということになります。


谷口雅春――


 ご質問は「実相人間」と「肉体人間」とを混同して、「肉体人間の知恵はなぜ不完全で真理がわからぬのであるか?」と言っていられるので、いつまで経っても正当な回答ができぬのであります。釈迦は『法句経』において「怨み心ではいつまでも怨みは解けぬ」と申されましたそのように、「肉体人間の迷い心ではいつまでも迷いは解けぬ」のであります。

「肉体人間」は本来存在しないのであります。(本来存在しないから、やがて崩壊するのであります。)存在しないものが不完全であるのは当然であって、ただ完全なるもののみが存在するのであります。
 存在しないものが「存在するもの」を理解しえないのは当然であります。あなたは「なにゆえに完全なるべき神の子『人間』がその実相を直観できないのであるか」と言っておられますが、完全なるべき神の子たる「実相人間」には、その実相を直観するもしないもない、すでに完全なのだから問題はないのであります。
 この辺の消息は議論をもって押し進めていっても「肉体人間の知恵」にわかるはずはないのであります。ただ「肉体人間の知恵」(迷い)を薄くすることによって、霧が破れて日光の輝き出ずるがごとく、肉体人間にも実相智の光線が射しはじめるのです。この「虚」の闇を破って実相智の光線を射しはじめることを、「直観によって、実相人間の完全さを知る」というのであります。
 肉体人間の知恵は「暗」のようなもので、実相人間は「光」のようなものであります。「暗」はそれを薄くすることによって光の存在を知るのであります。「暗の無知無明はなぜあるのか」とあなたは論議されますが、暗とは「光の虚」であります。「光の虚」が光を知らないのは当然であります。光を知ればもう「光の虚」(暗)ではないのであります。がから「光の虚」なる人間知は真理を知らないのは当然であります。
 あなたは「肉体人間が聖典を読んで、実相人間を知る」と言われますが、「肉体人間」が聖典を読むのは、本来無いところの我見(肉体人間の知恵ー迷い)を捨てるためで、「肉体人間の知恵」がなくなれば、ひとりでに内在の光が発現してきて、「本来の実相」が輝く。これは「肉体人間が聖典を読んだので実相人間を知った」のではなく、肉体人間(光の虚)がそれだけ減ったので実相が輝き出したのであります。
 肉体人間の知恵、はからいいっさいを捨てるほど実相人間があらわれるので、「肉体人間が実相人間を自覚する」などということは「迷いが悟りを自覚する」などという言葉と同様で、ありえないことなのであります。

1346ハマナス:2012/09/28(金) 23:52:33 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

埋れた無限の才能
(『新版生活の智慧365章p.254)

ある会社に勤めていた社員が、その会社にいた頃には碌々として何ら為すところを知らなかった平凡な人間であったのに、其社を止めて他に転じた後、急にその才能を発揮して課長となり、部長となり新任の会社でなくてならぬ一流社員や重役となってしまった実例なども随分あるが、これは前の会社で認められなかった“埋蔵されたる才能”が後の会社に於て認められたために機会と智恵を得て、十二分に発揮されることになったからである。後の会社の経営者又は上役は彼を信頼し、地位を与え誉め勇気づけた結果、彼の内に潜んでいた“無限の力”の一部が発揮されることになったのである。

人にやどる「無限の力」は、それを発揮し得る地位と責任と機会と賞嘆とを与えることによってどれだけでも発揮させることができるのである。人物を雇いながら、これらを発揮せしめずに埋れたままで放置するのは大いなる資源を失いつつあるものである。

感謝合掌

1347SAKURA:2012/09/29(土) 00:29:20 ID:jH5uEFzM
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんばんは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1087>>1092>>1093
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>>1238>>1304>>1307>>1319>>1320>>1324>>1331>>1332>>1334>>1339
に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( 幸福への第一歩 ) 

―――――  ►► 幸福への第一歩 ◄◄ ―――――

|♣あなたはわたしたちが第一歩を踏み出すべきだといいました。その第
|一歩とはなんでしょうか。どのようにして出発するのですか。

 その第一歩は昔の夢を捨て去ることです。というよりもむしろ、夢のひも
をゆるめ、少しずつそれを捨てていくことです。誰でもいっぺんにそのすべ
てを放棄することはできませんから。これは基本的な第一歩です。つまり、
どうやって踏みだしたらよいか誰かが教えようと思っても教えることのでき
ない最初の一歩なのです。夜が明けてくるように、なにかが少しずつ目に見
えてくるはずです。昔の夢に固執する努力がいかに無益で、なんと報いの少
ないものか、ということが少しずつわかってくるでしょう。またもしそうし
た無益な努力をやめるならば、わたしたちの行く手にはもっとすばらしいこ
とがあらわれてくるかもしれないということに徐々に気がついていくでしょ
う。
      ―――――――― * ――――――――
|♣お話をうかがっていて「Hold Back the Dawn」という古い映画を思
い出しました。しかし、そうした夜明けをもたらすためにわたしたちは
なにをすればよいのでしょうか。
 
 まずはじめに、注意深くなることです。もし物事があなたの思うように進
まないときには、自分からわざわざ進ませないようにしていないかどうかを
自問してみることです。あなたの行為と気持ちとの間に食いちがいがないか
どうかもう一度考えてみなさい。じっくり落ち着いて考え、その後で答えを
引き出しなさい。なぜあなたは自分自身にたいして不親切に冷たく振舞うの
か。なぜ自分の足をすくうようなことをみずからやるのか。それによってな
にを得ようとしているのか。どのような生き方に固執しているのか。もし自
分がひとりでやっていけなくなったら、誰かがとんできてくれるとでも内心
思っているのではないか。本心は、失敗しても人が愛すべき者として見てく
れると考えているのじゃないか。
        ―――――――― * ―――――――――
                         (つづく)


PS:トキ様
実は、この書物…若い時に読みました。…が?この年で読み返しますと…
本当に、若い時は【財産…❤】ですネ!〜〜〜当時の私は、“書物”について、
悟りました?(微笑) 身についてい感じで“天才バカ”でしたでしょうか〜〜?

この様に、現在!多々なる書物を、読む機会を得ました現在、
やはり【海外の哲学…】は、すごいです〜〜〜ョネ! 【ネット・ニュ−ス】にて、
【ハリ−ポッタ−・シリ−ズ】の女性作家が“本”を出版するそうで……
この方も「イギリス人」で、経歴が〜〜〜><子どもを寝かし…場所が狭いので…
当時「カフェが本人の仕事場…」そこにて、執筆活動…
【働きながらも〜〜“執筆”〜〜〜】やはりそのベ−スに【哲学…篇】でしょうか〜?
分野が違っても【哲学…は、奥深いモノ】〜〜ですネ!

■【今!立て……!】と「雅春先生」の“声”が、耳元で聞こえてきそうですが〜〜☆
                        
                            再合掌

1348a hope:2012/09/29(土) 07:30:54 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第二章 人間の「考え」は血の流れを変えます
♦右腕を運動させると左腕も発達する


アンダーソン教授はまた別の実験をして見ました。
大学の学生に腕の力の試験をしたのであります。

すると、皆の力を平均しますと、右手で引上げ得る力は百十一ポンドでした。
(一ポンドは百二十匁(もんめ)<453グラム>ですから、
百十一ポンドは十三貫(かん)三百二十匁<50・283キログラム>です)
左の腕の力は九十七ポンドでした。

ところで、一週間のあいだ特別に引上げる力を増す運動を右手ばかりにさせたのです。
すると右手の力は六ポンド増えました。

左手はその間、すこしも力持の運動をしませんでしたがその力は六ポンドふえていました。

こんなことになったのは何故でしょうか。
運動して鍛錬(きたえる)した腕力がふえるのは当りまえですが、
運動しない方までも其の力がふえているのは、筋肉が発達するかのは、
必ずしも運動するからではなく、運動を心に思うからなのであります。

「物を引上げよう」と思うと、実際は右手だけしか使わなくとも、
左手の物を引上げる力も一しょに増えるのであります。

世界で一番美しい筋肉の発達したサンドウと云う運動選手は、
(この人は鉄啞鈴体操を創始(はじめ)た人でありますが)鏡を見ながら、
運動ごとに筋肉が美しく張り切るさまを鏡にうつして、それを見つめて、
「私の筋肉はこんなに美しく張り切っている」と心に念じながら体操すると、
普通に体操するよりも、一層はやく筋肉が発達すると云っています。
(つづく)

1349「訊け」(:2012/09/29(土) 08:01:29 ID:???
『神 真理を告げ給う』44頁より謹写――

完全な神の分身であるあなたが何故迷うかと、あなたは問うであろう。〝迷いは何処から来たのか〟 というのは仏教でも重大な設問になっている。「〝迷い〟本来無し」と一刀両断に截ち切る解答は従来からある。それでも、「では、その本来無き迷いが、どうして恰(あたか)もあるかの如くあらわれて来るのか」という最後の問が残るのである。その最後の問に〝わたし〟は答えることにする。

                                      ○

 あなたは仏教の「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という語をたびたび聴いたこともあるし、読んだこともあるであろう。〝迷い〟がそのまま〝菩提〟の道程であるということである。〝迷い〟という「菩提とは別なもの」があるのではないのである。〝迷い〟と見えているものが、實は〝悟り〟が動き出し、現象化しつつある道程であるから、〝迷い〟本来無しといい得るのである。
 あなた達が〝迷い〟だと思っているものは、実は〝わたし〟が〝神の国〟を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのものなのである。
                                      ○

 時間及び空間というものは本来ない。実相世界は超時空的存在の世界であるからである。時間の観念、空間の観念は物質的存在を心に描くための謂(い)わば〝画布(カンバス)〟として必要なので〝わたし〟が人間に与えたところの架空的観念である。それは光の波を固定して映画の光景として見せるスクリーンの役目をなさしめるために〝人間の心〟に対して〝わたし〟が与えたところの概念である。このスクリーン上に生命の波動(心の波)が放射されると、生命の波動(心の波)が固定化されて物質化して感じられるのである。この物質化として感じられる基盤がなければ、地上に天國を建設するという〝わたし〟の芸術を成就することが出来ないので、〝わたし〟は人間に時間空間の観念を与えたのである。
 時間及び空間は〝わたし〟の創造である。
                                      ○

 空間の観念を与えられた人間は、恰もスクリーンを与えられた人間が映写機から放射される光の波を、単に〝光の波〟として感受せずに物質界に起った具体的事象として感ずると同じ原理で、生命の波動(心の波)を単に波動として感受せずに、それを地上世界の物質的事象として感じ、その物質を具体的確固な存在として感ずるのである。地上が具体的存在だと感ずる精神的地盤が成立しなかったら、地上に天国を実現することは不可能なのだから、生命の霊的波動を物質化して感じ、地上を具象的存在だと感ずることは地上天国建設の第一歩の成就なのである。
                                      ○

 しかしながら、また別の観点からするならば、生命的波動を、空間面上の〝物質〟と飜訳して誤認することは〝迷い〟の発生ということにもなるのである。そして、それが、その〝迷い〟の発生は何処から生じたかという常に投げかけられる原因になるのである。〝光〟がなければ影を投ずることもないように、〝迷い〟は地上に天国を描き出すための画布として、〝わたし〟が投げかけた影である。

1350「訊け」(初心者さま向け):2012/09/29(土) 08:03:26 ID:???
『實相研鑽一』174頁より謹写――

自己の意識と現象生命と実相

◇現象生命は不滅か

柴山実:私は昨年地方講師補に御任命いただきました。入信しまして二年あまり、一番わからないでいつも質問しています〝実相〟の問題についてお訊ねしようと思いましたが、結局〝現象〟ということになってしまいまして、こんな問題ではどうもならないと思いましたけど、これもまた研鑽会の意義であると思いまして、勇をこしておたずねいたします。(以下質問書を読む)

 ――人間の過程は永遠であり、物質界、霊界と輪廻転生の各周期をくり返しつつ、最後の終局に達するまで、いな達しようとして〝永遠の生命の道〟を進むものであります。その無限の道をわれわれは〝自己〟という明らかな意識を持って進み、その過程において限りない神の愛と智慧とを学ぶのであります。このすばらしい自己は永遠であるとしますと、その不滅の自己意識とは、すなわち〝現象〟の意識ではないでしょうか。
 この〝意識〟のない限り〝自己〟はなく、〝自己意識〟ある限り〝現象〟であるとしますと、われわれは永久に〝自己〟であるところの〝現象意識〟と、自らが〝実相であるという意識〟との〝二つの意識〟の中にあることになります。そして一方においては〝現象〟を否定し、一方においては自覚しながら、〝永遠〟に進むのではないかと思います。この〝二つの意識〟の比較対照によって、その矛盾性によってわれわれは初めて、〝実相〟のなにものかを、〝表現〟の何ものかを学びとることが出来るし、〝二つの意識〟なくして実在すら知ろうとすることもできない。としますと、〝現象意識〟すなわち〝仮の存在〟なる〝現象の自己〟は、真の実在のようには永遠そのものではないが、永遠と区別できないほど永久のものであり、実在的のもののように考えられますが、いかがでございましょうか。〝現象意識〟を〝実在〟と対立せしめるのではありませんが、〝自己〟という〝現象意識〟の永遠性を思うとき、現象もある観点から不滅のように考えられますが、これは完全なる二元論か、間違っているのか、諸先生の御高説を頂きたいとお願いします。

(このとき谷口雅春先生より御発言あり、「あまり深遠な難しい問題を、文書を一ぺんスラスラと早口で読むだけでは、質問の内容はよく分からんですよ」と注意さる。次いで参集の各講師より意見が発表された)


谷口雅春:柴山さん、今、いろんな意見を述べられた人に対して、「私の質問はそういう意味じゃないんだ」とか、「それならこういう問題があるじゃないか」と反論を言ってごらんなさい。そうでないと、あんたの質問の要旨がよくわからない。


◇輪廻転生における意識は?


柴山実:はい、〝実相〟ということをよく把握できないで、こういう質問をするのはちょっとおかしいのでございますが、結局、われわれが肉体の世界を離れて霊界に行き、また肉体にもどり、また霊界に行き、輪廻転生をくり返しますが、霊界の各段階の高所に、無限に上がるとしましても、自己の意識はあくまでも自分の意識として残っており、これは永久に消えることがない。たとえば古今の多くの聖者も、現象から見るならば絶対に神とは一体になれない。実相そのものに入ることはできない、と聞いているのであります。そうしますと結局、いろいろの生命の過程を通じて無限に進展しましても、いつまでたっても〝自己〟という意識はなくならないとしますと、それは実相とはあくまでも別個なものと感じるのです。実相のなかにありながら、しかも自己をもって無限に進んでいくと考えますときに、それはいつまでたっても平行線で一体にはなれないということになります。自分が実相であるということは先生の御本で理論としては分るのでありますが、実相に入ることができない。しかも自己の〝意識〟は無限につづいていくというような矛盾が、常に難問として出て来るのであります。


谷口雅春:実相の中には、個生命がないという意味ですか。


柴山実:ええ、今まで私が知ったところによりますと、実相は――


谷口雅春:実相の中には、個性あるところの個々の生命はないという前提で言っているのですか。


柴山実:実相の中には〝個生命〟はある。あるけれども実相そのものは〝個〟はない、いわゆる一つの・・・・

(つづく)

1351「訊け」(初心者さま向け):2012/09/29(土) 08:04:00 ID:???
(つづき)

◇実相は具体的なもの


谷口雅春:そんなことない、そんなことないですよ。実相の中に〝個生命〟があるんだ、だからあんたの考えは前提が違うんだ。実相といったらズンベラ棒で、目も鼻も何もなしに、空気みたいなエーテルみたいなものだというんじゃないんですよ。実相の中には〝実の相(すがた)〟があるから実相と言うんで〝空〟じゃないんだ。あんたは〝空〟みたいな実相を考えているが、そんなズンベラ棒な意味じゃない、現象よりもっと具体的なものがあるんです。それが実相です。その具体的なもの――実相が、縦、横、厚みの現象世界へ映って出ているので、それはちょうど、テレビ・スタジオの(実物の)テレビのスターがテレビ・セットへ映って出ているように、生まれ変わっているのであって、テレビ・スターがいつもテレビ・スタジオの中におるのと同じように、いつも個生命が実相の世界の中におるのです。


柴山実:個生命は結局、実相の世界にある〝理念〟でございますね。


谷口雅春:理念といっても、そういう抽象的なものじゃない。具体的に生き生きとあるのであって、「理念ですね」なんていうような哲学的な表現をすることも、説明のためにあるけれどもだね、理念というような哲学的な漠然とした概念じゃないんですよ。生きている生命として、個々の生き生きとした〝いのち〟として実相の世界にちゃんと個生命がおる。テレビのスターが、テレビ・スタジオにおるようにおる。それがテレビ・セットにいろいろ映って出て来ておるように出て来るんだよ。波長が違うと日本教育テレビに出て来たり、日本テレビ、NHKテレビに出て来たりするように、各所に転現しながら同一スタジオにおる。各所に生まれ変わりながら実相は生まれ変わっていないという状態――だから「維摩経」における文殊菩薩と維摩居士との問答のように〝来らずして来る〟というように、現象(ここ)へ実際は出て来ないで、しかも出て来たように現れている。


柴山実:どうもわかるようでわからんような・・・・・・・・・・。

1352志恩:2012/09/29(土) 20:34:45 ID:.QY5jUA6
『真理5巻』女性編


宗教というものは、無我になってただ、ひたすら神の心を実現する事であります・・

わが意を実現することではないのであって神の心を実現するというのが、これが本当の信仰生活であります。

そして、神の御こころを本当に実現できたならば、神の御こころのなかには悪いものはないのだから、現実世界はまた、

必ず良くなるのである・・・



本当の信仰は無我になることから始まるのであります。

無我ということは握っているものをまず捨てることなのです。



信仰というものは、仏の御心をいきること、神の御心を生きることであって

自分の都合の良いように工夫することではない・

自分がいっぺんほんとうにカラッポになって、そこから出直すことなんです。

1353ハマナス:2012/09/30(日) 00:06:01 ID:???
神の子のみなさま
こんばんは。

信用こそ事業者発展の一大資産

(『新版生活の智慧365章』p.255)
事業発展の最大の要素は、顧客から受ける信用である。あの会社又はあの商店の品物はすべて良心的でウソがなく廉価で良品であると云う信頼を受けたならばその会社又は商店は必ず繁栄するのである。仕事商品にケレンや掛け引きがあってはならない。ケレンや掛け引きがあってはならない。ケレンや掛け引きがあっては、一時は儲かるかもしれないけれども永遠に繁栄することは難しい。いつかはそのケレンや掛け引きがバレて信用を失い、商売がガタ落ちになってしまうものである。

それをふせぐためには、一にも誠実、二にも誠実をもってし、顧客の幸福と便利とに奉仕し得る末長き使用に耐える商品のみを供給するようにするならば、必ずやその商社は信頼されるようになるのである。レッテルと中味とが相反したり、上に並べたもののみが上等で、下には屑や未熟の品をつめ合わせて売る式の誤魔化しの商法では、やがて店の破滅の時が来るのである。それは人から欺いて奪う心であるから又人から奪われるのである。
感謝合掌

1354るんるん:2012/09/30(日) 01:02:20 ID:NS71OwS.
志恩様
>>1352
そうなれば、いいですねぇ。私は自我の塊だから。

1355るんるん:2012/09/30(日) 01:04:19 ID:NS71OwS.
訊けさま
>>1350
>>1351 の続きをどうかお願いしまっす!!

1356志恩:2012/09/30(日) 02:46:03 ID:.QY5jUA6
るんるん様

私もそうです。人間て、うっかりしてると、自我で考えてる。
で、気がついて、その都度、神に振り向くのですよね。

1357a hope:2012/09/30(日) 08:49:04 ID:r8H4x9xE

新版 生活読本 谷口雅春先生著

第二章 人間の「考え」は血の流れを変えます
♦胃袋を丈夫にする法


そこまで解ってまいりますと、御飯を食べるときにも、胃袋の筋肉を丈夫にし、
胃腸を達者にするには、どうしたら好いかよくわかるのです。

筋肉がはたらくためには「思い」の力が必要なのです。
「思い」の力で鼓舞(はげます)しますと筋肉は発達します。

腕の筋肉は物を持上げたり押したりするための筋肉ですから、
「物を持上げる」と強くはげしく繰返し思ったり、
「物を押す」と一生懸命思ったりしたら発達するのでありますが、
胃袋は「美味しい物」を消化するための筋肉ですから、
「これは美味しい、有りがたい」と思いながらたべたらよく消化するのであります。

「不味(まず)い、こんなものは食べられない」と思ったら、消化液を出さず、
却って食べものを吐き出すように、胃袋の筋肉は働きます。
それでは健康になりようがないのであります。

胃を丈夫にして、どんなものを食べても、よく消化して達者になるためには、
何を食べるときにも、「これは神様から頂いたたべものであるから美味しい、身体の滋養になる」と、
「美味しい」と云う思い、「有りがたい」と云う思いをしっかり起こしながら食べると、
胃袋の筋肉は丈夫になり、なにを食べてもよく消化して身体が元気に愉快になるのであります。
(つづく)

1358SAKURA:2012/09/30(日) 16:10:37 ID:7joi1ZJA
トキ様 へ  
観覧者の皆様 へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>1238>>1304>>1307>>1319>>1320>>1324>>1331>>1332>>1334>>1339>>1347
に関しましては、【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれてい
ますが?)意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
❤〜【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? ベスト・フレンドは哲学になります…
初歩のかたでも、判り易いのでは〜〜昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

・・◆【ベスト・フレンド】  ( 幸福への第一歩 ) 

―――――  ►► 幸福への第一歩 ◄◄ ―――――

|♣あなたは前にわたしたちは全人生をとおしてこころの小説を書いてい
|るとおっしゃいましたが、それは演技の一種で、わたしたちは私小説ド
|ラマのなかで自分の役を演じながら、できれば他の人がいまの役割を演
|じて欲しいと願っているように思うのです。もし、それがすべて幻想に
|すぎないとしたらなぜ自分で自分にそんな割に合わない役割を与えるの
|でしょうか。

 そこが重要なところです。それはあなたが考えるほど損な役割ではありま
せん。わたしたちが自分自身にたいして犯す大きなまちがいには、つねにな
んらかの報酬を期待する気持ちが含まれているのです。結局、罰でさえも現
実には報酬となることがあるのです。

 罰を受けているときのみ、自分が愛されているという気持ちをもつ子ども
がいます。そういう子どもが罰以外に両親から与えられるものといえば、無
関心さだけです。これは最悪の状況です。そうして、おとなになったときに、
かっては自分にとって大切な存在であった人をうまくあやつって、思うつぼ
にあてはめてやろうと絶えず考えるようになるのです。そして、そういう人
たちが、まだまわりにいるのではないかと思っては、みずからを地獄の苦し
みに追い込むのです。しかし、もはやそんな人はわたしたちの近くにはいな
いのです。そうした苦しみを味わったところでなんの意味もないのです。た
とえそれらの人たちが、まだ現実に生きている人間の亡霊であったとしても、
しょせんは亡霊とつきあっているにすぎないのです。

          ――――――― * ――――――――
                    次の質問につづきます……
PS:トキ様
「吸血鬼…ゾンビ達」に…【四面楚歌…】されています現在…まるで“亡霊”みたいでしょうか?
「生きた亡霊に?」でも!〜〜〜【こころの法則】が、潜在意識に入り込み、更に!それを、
自由自在に活用出来ますと…「亡霊」に付きまとわれる必要も、なくなるのです〜〜〜ョネ!

❤〜全ては【 心 = 意 識 = 意 志 に 繋 ぐ 事!!】の様に〜〜現在の私は、
「亡霊…」に?「悪魔の囁き」に?心が、揺れ動いているのです〜〜〜ョネ!
これを払いのけるには【魔法の呪文…】 ウフフ そうなのです〜〜〜ョネ!
「悪魔天使?」更に「亡霊・ゾンビに?」にも決して犯されない【心…】を保つには、
私の・・・【活きた〜〜意 志 = 意 志 力】に繋いでいきま〜〜〜す。
                                再合掌

1359志恩:2012/09/30(日) 18:10:34 ID:.QY5jUA6
生命の実相 14巻 

  「和解の倫理の要点」   今昔物語より

三代目・谷口雅宣氏の「今の教え」が「日時計主義」の“傘”に隠れた「間違いの教え(虚説)」であることを言えば、

 “それは「批判」である。批判せず実相を直視すれば、実相が自然に自分で出てくる。

「大調和」の教えであるから“批判”するのは間違いである、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 という信徒の人々も沢山いることも事実であります。

 そのような考え方は間違いであることが『生命の實相』にはハッキリと書いてあるのであります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

*「生命の實相」第14巻・倫理篇下巻 ・第4章< 和解の倫理>には、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<<われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。虚説に和解したら実相をくらますことになります。実相をくらませば、みずから迷うことになるのであります。(P.60)


異端・盲説・妄念・妄想は、<本来無い説>―虚説―でありますから、その実相をみれば「本来ない」ことが判るわけでありますから、本来ないもの「虚説」に和解することは絶対に出来ないのであります。光は闇と和解することは出来ない。光が近ずけば闇は消えるほかはない。それと同じく、真説は虚説に近ずけば虚説を消す働きをする。(P.63)


虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。

 また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。

 虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。(P.63−64)


虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。・・・

 要は「天地一切のものと和解せよ」との「生長の家」の第一最大の誡命(いましめ)は「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、

 仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。

 釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃(ばくげき)せられたのであります。(P.64−65)

1360志恩:2012/09/30(日) 18:22:29 ID:.QY5jUA6
【「時代即応」について】
              本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合 作成


「生命の実相」第14巻・倫理篇下巻には「虚説に和解してはならぬ」とあり!然らば「真説(正説)」とは?
「虚説」とは?その見分け方は如何?!これが大切であります。


・第三代目・谷口雅宣先生は、この見分け方の基準を「理性」に求められていると推察できます。

 しかし改めて「理性とは?」となると明確な説明は無いのであります。

 この見分け方の正解は、<真説(正説)は真如すなわち「久遠を流るる生命」の世界から出てきたもの>で、

 真説(正説)は実相世界にその源が存在するものであります。これは肉体頭脳知のみの思索では到達出来るものではありません。


・真説(正説)に到達するには現象の存在を一切「無し」と全否定して「無の関門」を超えて百尺竿頭進一歩して実相世界に超入し、
 自らの実相生命の実相覚で以って絶対実在の絶対認識を為さねばならない訳でありますが、
 これは凡人の到底なし得ざるところのものであり、深き神縁による人のみが可能なのです。

 大宇宙神界の摂理に基づき使命づけられた深き霊的機縁の熟した人のみであり、生長の家においては開祖・谷口雅春先生お一人のみであります。

 この事は「生命の実相」第20巻<神示を受けるまで>・「無門関解釈」<第6則世尊拈花の公案解釈>・

 「驀進日本の心と力」<日本学的大乗仏教の樹立>等の御著書において明白であります。


・以上の意味において生長の家の御教えの「真説(正説)」は、開祖・谷口雅春先生の実相把握(お悟り)の全相であって、その法灯継承者・谷口清超先生以下谷口雅宣先生をも含めて、すべてが雅春先生のお弟子さんであって、この「真説(正説)」を奉じてゆかねばならないのであります。

「時代即応」とは、この「真説(正説)」を人・時・処三相応に応じた説き方を工夫してゆくこと、霊的感動を与え失わしめないような説き方の変化・変革であって、

 開祖・谷口雅春先生のお悟りの全相から逸脱した真説ならざる<新説>を肉体頭脳知で作り上げて行くことではないのであります。


<新説>ではもはや大宇宙に今、鳴り響いている「真・生長の家」ではないのであります。

 雅宣先生の説かれる「今の教え」は何ら霊的感動のない学者的・評論家的「虚説」の部分が多く、
 その「虚説」の権威付けのために開祖・谷口雅春先生の真説(正説)の中から利用できる部分の引用(いわゆる真理のつまみ食い)を上手になさっているに過ぎないのであります。

 しかし時々その引用が的外れになっているのです。この観が否めないというのが古参の信徒たちの偽らざる本音の感想であります。

<私心>を無にして常に虚心坦懐・謙虚かつ真剣な求道心が必要かつ大切なる所以であります。

1361志恩:2012/09/30(日) 18:27:47 ID:.QY5jUA6
生長の家本流宣言掲示板より 転載

【中心帰一理念】

日時:2012年05月30日 (水)
名前:伝統

    *『生命の實相 第37巻(幸福篇上)<五月三十日>』(P145〜146)より

「三界は唯心の所現である」釈迦のこの所説は正しい。

しかし、「唯心」とはただの「思考作用(おもうはたらき)」だけではない。
深いところの感情である。

ハッキリ思考に現れない以前に心の中に動いている原因不明の魂的な動きがそれである。

思考の上では完全に論理的には組み立てられないが、大和魂なるものは理論を超越している。

戦死の瞬間に天皇陛下万歳を唱える心は、これは理論でも学問でも思想でもない。
われわれの魂の奥底に横たわる深い感情である。

この深い感情は、明瞭に脳髄的意識としては理論的には組み立てられていないが、
脳髄的思考の理論発生以前にその奥に存在する実在の理念なのであって、

この中心帰一理念(弥的魂<ヤマトだましい>)こそが真統(ほんとう)の
日本人の深い感情の根本となっているのである。

物質分子さえも「中心帰一理念」の中にあるから
原子核を中心として陰電子が回転しているのである。

理念といえば、その文字面から「道理と想念」とを一緒にしたような言葉に思われるが、
人間の深いところの感情はすべて、実在者の「理念」から発生してくるものなのである。

「理念」の力は内より押し出す最も力強い感情であり、その「理念」はそれが現象的に
現れるのに幾回失敗しても、

やがてそれが形に現れずにはいないのは、朝顔の花は何回
萎れてもまたやがてそれが形に現れずにいないのと同じである。

楠本正成の忠誠心は「中心帰一理念」の発現であるから、
湊川で挫折しても、「理念」は結局は敗北するものではない。

「七生報国」の正成の語(ことば)は、
「中心帰一理念」は全世界を支配することになるのだということを顕わしている。

全世界は「中心帰一理念」に支配されているのである。
一勝一敗を契機として中心帰一理念を失ってはならないのである。
物質でさえ原子核が破壊されたら正体もなく飛び散るではないか。

”みずからの民族の中心を見失い、帰一すべき何物もなくなったとき、
民族は崩壊するほかはない。”

”理念は永遠である。”

理念さえ失わねば形には幾変遷あろうとも、またもとの姿があらわれて来るのである。

   

1362ハマナス:2012/09/30(日) 23:36:29 ID:mR2szZkc
神の子のみなさま
こんばんは。

人と仕事は一体

(『新版生活の智慧365章p.256)

其処に“働きたい人”があるならば、その人の働くべき“位置”は既にあるのである。また其処に働く人を求める位置があるならば、其処に“働きたい人”は既にあるのである。“働きたい人”と“位置”とは、本来別々の存在ではなく「一つ」のものの別の面に過ぎないのである。“人”と“位置”とは互いに求め合っているのであるが、それが迷いによって見いだされないだけのことである。謂わば、彼は“迷い児”になっているのである。“迷い児”は家に帰る道を見出せばよいのである。その道を見出す方法が「祈り」であり、「神想観」である。
適当な働き人を求める人は「求むる仕事と、求むる人とは一体である。此処に仕事がある以上、それに適する人が存在しない筈がないのである。既にその適当な人は此処に来て働いているのである」と繰り返し念ぜよ。また求職する人は、この祈りの言葉の「仕事」と「人」とを取り換えて祈ればよい。

感謝合掌

1363うのはな:2012/10/01(月) 01:06:18 ID:f2bwKGw2

 生長の家神示講義 光明掲示板より

 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=416

1364志恩:2012/10/01(月) 05:19:59 ID:.QY5jUA6

「地上生活は人間にとってその、魂が訓練され、陶冶され、研磨されて、無限に美しき神霊たる実相の
霊光を放つに至るまで入学せあられている魂の生活学校なのである。

完全にその過程を終了して、つに卒業するに至るまで幾度でも、魂は地上生活に生まれ変わって来るのである。」

  (続・真理の吟唱 p259・260)

1365志恩:2012/10/01(月) 05:30:17 ID:.QY5jUA6

唯物論ではなく、唯心論でもなく「唯神実相論」である。

この哲学こそ、人類を根本的にこのままお救い下さる真理である。宇宙にある一切のものは、唯神によって創造された・・・
これが実相であり、実相の他はニセモノ、唯一神のみが実在。

神はコトバである。聖書に「始めに言(コトバ)あり、言は神と供にあり、言は神なり、萬のものこれによりてならざるものなし」

すべてのものは神様のコトバ即ち、神様の心の思いが形に顕われたのである。
そして神は無限の善であり、無限の完全である。

そして、その善にして完全なる神様の造られた世界が即ち「実相の世界」でありますから、実相世界には無限に完全なものであり
其処に住んでいる人間はみんな「神の子」であって、無限に完全である。皆さんも神の子なんです。

そして、実相世界のすべてのものは、何によってつくられているかと言うと、物質によってはつくられてはいないのである。

吾々がそれを物質と見るのは、この五感の目を通して見るからそれを物質と解釈して見るだけの事である。
本当の人間は何によって造られているかと言うと、「神の言葉」によって創られているのであります。

悟りというものは相対認識の立場を超えて、実相を直視する立場に立ってはじめて得られる。
それは絶対意識の絶対認識であってこれが本当の立場なんです。

すでに今此処に実相の世界があり完全な実相の人間と言うものがある。

    (実相と現象 p59〜)

1366志恩:2012/10/01(月) 05:48:23 ID:.QY5jUA6

< 「本来の教え」・・・比較〉  【生長の家は「空・無」の思想を超えたもの】



・「今の教え」の内容を読めば、「常恒不変なる肉体は無い」・「水の流れの無くなったものは川ではない」。
  ここから連想されるものは<空仏教>の教歌である「引き寄せて結べば柴の庵なり。解くれば元の薪なりけり。」であります。  

・「今の教え」の「肉体は無い」の説明は、この空仏教の教えと同じであります。なぜならば、「肉体はナイ」だけの説明、
  つまり学者的緻密な分析知による説明だけで終わっており、「金剛不壊なる理念としての人間」・「人間・神の子の真理」・「実在としての実相宇宙の形相」が
  説かれていないのであります。

・「今の教え」では、「理念は現象に先立つ」・「理念が現象として現れてくる」の所まで説明が行き届いていない。
 「理念としての人間」・「理念としての川」・「現象世界の無限倍層の至美至妙なる実相世界の実態」の説明がなされていない。

・空仏教の範囲だけの説明では厭世的無常感に陥り、人間の病・悩・苦の現実的救いは現われないのであります。
 宗教の講演・講習会は、学者の研究発表の場所ではない。話を聴くものに霊的感動を与え、病・悩・苦から現実に救われる場でなければならないのであります。

・さらに言えば、神様の自己実現としての私たち個生命は、仮存在としての本来ナイ肉体を顕して、それを乗馬としてこの仮存在としての三次元地上世界に於いて真理を学び、
 無限の価値の創造の過程を通して、自己の霊魂進化の階梯を登って行くのであると言うところまで生長の家の講習会であれば説かれなければならないのであります。

 ここにおいて、本当の霊的感動と霊的歓喜の人生が開けて来るのであります。
 お話を聴きに来た人達もそれを心の底から望んでいるのであります。
 

                           本当の「生長の家」を伝え遺す信徒連合・作成

1367志恩:2012/10/01(月) 06:22:01 ID:.QY5jUA6
「信仰とは自分が宇宙とひとつである自覚を取り戻すことであり、神の中に新たに生まれることである」
そこから片寄りのない、平衡のとれた動きが生まれて来る事だと申されております。
                  
                           (常楽への道 p120 )

1368SAKURA:2012/10/01(月) 06:25:16 ID:ZcyE/ry6
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます…。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

【祈り…】
やはり神様との“メッセ−ジ”交信…この事は、魂の向上にもなりますもの〜
【自 己 改 善】でしょう〜〜〜か?

■■ 私 は こ う し て 祈 る      「谷口雅春 著」

―――― ■ 愛と寛容の精神を養うには…… ――――

貧乏は、「欠乏」の想念、「努力」の欠乏、「誠実」の欠乏、「サ−ビス」の欠乏、「愛念」の欠乏、
「持続の力」の欠乏、「寛容精神」の欠乏、「与える心」の欠乏等の具象化 であるということが
できる。特に寛容精神の欠乏は、甚だしく他に対して批評的になるために、他から愛されること
なく、いかに自己が賢明でも、実力も、努力も、誠実もありながら世に容れられないで失敗して
しまう原因になるのである。だから、次のように念じて愛と寛容の精神を養うように私はつとめ
ている。

「吾と神と一体である。神が吾を赦し愛し給うが如く、吾もすべての人を赦し愛するのである。
神の無限の愛と赦しが、わがうちに満ちていてすべての人を赦し愛したまうのである」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

PS;トキ様
そうです〜〜ネ!精神の欠乏??「いつも!いつも!心をポジティブ状態に、持って行く事の
出来る…いかなる状況でも??その様に思います。…が?

今回は、投稿しています内容を…【即…奥に押し込む】しかも? “ 1 行 ”たらず??
それにての【回転率…】でしょうか?これって【嫌がらせ…】なのでしょうか??
この事も【心 の 豊 か さ の 欠 乏??】でしょうか……
そして
この頃は、如何なる状況下でも【心の豊かさ…】保つために…そのためにも、
強い〜〜〜【意 志 力 = 認 識 = 意 識】という事を、常に、心がけています…。

「トキ様」「観覧者の皆様」……  今日も〜❤〜 素敵な一日 を… 神と共に

                                     再合掌


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