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聖典引用 板
1351
:
「訊け」(初心者さま向け)
:2012/09/29(土) 08:04:00 ID:???
(つづき)
◇実相は具体的なもの
谷口雅春:そんなことない、そんなことないですよ。実相の中に〝個生命〟があるんだ、だからあんたの考えは前提が違うんだ。実相といったらズンベラ棒で、目も鼻も何もなしに、空気みたいなエーテルみたいなものだというんじゃないんですよ。実相の中には〝実の相(すがた)〟があるから実相と言うんで〝空〟じゃないんだ。あんたは〝空〟みたいな実相を考えているが、そんなズンベラ棒な意味じゃない、現象よりもっと具体的なものがあるんです。それが実相です。その具体的なもの――実相が、縦、横、厚みの現象世界へ映って出ているので、それはちょうど、テレビ・スタジオの(実物の)テレビのスターがテレビ・セットへ映って出ているように、生まれ変わっているのであって、テレビ・スターがいつもテレビ・スタジオの中におるのと同じように、いつも個生命が実相の世界の中におるのです。
柴山実:個生命は結局、実相の世界にある〝理念〟でございますね。
谷口雅春:理念といっても、そういう抽象的なものじゃない。具体的に生き生きとあるのであって、「理念ですね」なんていうような哲学的な表現をすることも、説明のためにあるけれどもだね、理念というような哲学的な漠然とした概念じゃないんですよ。生きている生命として、個々の生き生きとした〝いのち〟として実相の世界にちゃんと個生命がおる。テレビのスターが、テレビ・スタジオにおるようにおる。それがテレビ・セットにいろいろ映って出て来ておるように出て来るんだよ。波長が違うと日本教育テレビに出て来たり、日本テレビ、NHKテレビに出て来たりするように、各所に転現しながら同一スタジオにおる。各所に生まれ変わりながら実相は生まれ変わっていないという状態――だから「維摩経」における文殊菩薩と維摩居士との問答のように〝来らずして来る〟というように、現象(ここ)へ実際は出て来ないで、しかも出て来たように現れている。
柴山実:どうもわかるようでわからんような・・・・・・・・・・。
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