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聖典引用 板
1282
:
うのはな
:2012/09/12(水) 18:20:55 ID:R80If25o
自己処罰と失敗について 断られて残念がらず
安達 鼎
私自身の体験を申上げます。私は満州から終戦一カ月前に内地に帰って参りましたが、
前から私は事業とか一切の仕事をすてて、生長の家を通して、人類を救うことをやりたいという希望を
もっておりましたので、習字でも教えて小遣いを五十円位もらったなら生活は出来るから、後は全部人類光明化
のために働きたいと、こういう覚悟でした。けれども戦後は社会情勢が激変してしまったので、再び勤めることを
決心したのであります。
そうしますと、「あなたなら、私の所へ来て下さい」「参りましょう」という所が三、四ヵ所ございました。
ところが、向うから言われて、こっちも承知した話ですから、もう大丈夫だと思っておるのが、九分九厘の所でポッと駄目に
なるんです。その時に、私は“あっ、断られて残念だ”と思ったことは一回もありません。駄目になったときにすぐ「ありがとうございます」
と神様に感謝致します。なぜかというと「これが得られなかったのは、私に下さるものは、こんなちっぽけなものではなかったのか、もっと大きな
仕事を私に下さるんだ。ああ、ありがとうございます。大きな仕事には手間がかかります。ありがとうございます」と思うから必ず、そのとき感謝致します。
そして最後に頼まれたのが、ある工場の工場長の話でした。
そこは給料はよろしい しかも、共産党などの非常に盛んなところで、始終闘争があったところです。そこに頼まれたとき、「ああよかった、これが私の仕事である。
どうか、この工場の人達を、みんな生長の家にしたい」という念願から、給料は望みませんからということで入りましたが、おかげで社長が生長の家に共鳴し、会社はすばらしく
よくなりました。
そこでこの体験から、九分九厘成功してあと一分で駄目になったからと落胆することは、これは本当に神を信じておらないものがやることだと思います。
本当に神を信じたならば、神はすでに与えておるんです。私たちはすでに仕合せをもらっておるんです。
ですからたとい何かのために話が進まなくっても、遅れているのは何かほかに理由があるからだと
“本来のもの”を神に感謝しておれば、必ず結果はよくなると確信をもって待っています。
それを、九分九厘できているのに、一分の所で欠けてしまったじゃないかと残念がったり、くやしがったり、
生長の家をやっておるのに、まだお蔭が与えられない、という考えをもつようになると、ますますだめになってしまうのだと
解釈致します。
『實相研鑽』 第三集 谷口雅春 先生監修 P84〜
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