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聖典引用 板
1295
:
a hope
:2012/09/15(土) 06:46:06 ID:r8H4x9xE
新版 生活読本 谷口雅春先生著
はしがき③
幸福は心の乱れたる世界には、存在しないのであります。
幸福とは心の平和から来るのであります。
心の平和は、今ある所の恵みに満足するところから来るのであります。
印度(インド)の本には、牛が如何にも幸福そうに草を食べているのを見て、
ある悩んでいる人が、そのわけを宗教家に尋ねたということがあります。
「あの牛はどうしてあんなに、たのしそうなんだろう」とききますと、
「彼は草を食べて生けるなり」と宗教家は答えたそうであります。
草を食べて生きているというのは最低生活に甘んじているということにではないのであります。
そのままそこに幸福に生活しているという意味なのであります。
そのままそこに幸福を見出すということが大切であります。
そのままそこに幸福を生きる時、そこに常に幸福が見出されるのであります。
汝は幸福である、この小さき石よ
道ばたに静かに横たわりて
哲人の如くものを考う。
という誰かの詩がありますが、あなたは小さき石よりも偉大なのです。
この事実に目覚めねばなりません。
この小さき石ころは、どうして幸福なのでありましょうか。
それはそのままそこに与えられたる生命をたのしんでいるからであります。
そのままうけてたのしむものは常に幸福なのであります。
そのままそこに横たわるということは、何もしないで生活しているということではないのであります。
与えられるそのままに横たわり、神催(かみもよお)しのままに動くという意味であります。
流るるままに不動、不動のままに流れるのであります。
自分のはからいがないのでありまして、神にはからわれるのであります。
自分の今与えられた位置をたのしんで、そのままそこに全能力を発揮する時、
その人は幸福になれるのであります。
(はしがき④につづく)
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