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聖典引用 板
1361
:
志恩
:2012/09/30(日) 18:27:47 ID:.QY5jUA6
生長の家本流宣言掲示板より 転載
【中心帰一理念】
日時:2012年05月30日 (水)
名前:伝統
*『生命の實相 第37巻(幸福篇上)<五月三十日>』(P145〜146)より
「三界は唯心の所現である」釈迦のこの所説は正しい。
しかし、「唯心」とはただの「思考作用(おもうはたらき)」だけではない。
深いところの感情である。
ハッキリ思考に現れない以前に心の中に動いている原因不明の魂的な動きがそれである。
思考の上では完全に論理的には組み立てられないが、大和魂なるものは理論を超越している。
戦死の瞬間に天皇陛下万歳を唱える心は、これは理論でも学問でも思想でもない。
われわれの魂の奥底に横たわる深い感情である。
この深い感情は、明瞭に脳髄的意識としては理論的には組み立てられていないが、
脳髄的思考の理論発生以前にその奥に存在する実在の理念なのであって、
この中心帰一理念(弥的魂<ヤマトだましい>)こそが真統(ほんとう)の
日本人の深い感情の根本となっているのである。
物質分子さえも「中心帰一理念」の中にあるから
原子核を中心として陰電子が回転しているのである。
理念といえば、その文字面から「道理と想念」とを一緒にしたような言葉に思われるが、
人間の深いところの感情はすべて、実在者の「理念」から発生してくるものなのである。
「理念」の力は内より押し出す最も力強い感情であり、その「理念」はそれが現象的に
現れるのに幾回失敗しても、
やがてそれが形に現れずにはいないのは、朝顔の花は何回
萎れてもまたやがてそれが形に現れずにいないのと同じである。
楠本正成の忠誠心は「中心帰一理念」の発現であるから、
湊川で挫折しても、「理念」は結局は敗北するものではない。
「七生報国」の正成の語(ことば)は、
「中心帰一理念」は全世界を支配することになるのだということを顕わしている。
全世界は「中心帰一理念」に支配されているのである。
一勝一敗を契機として中心帰一理念を失ってはならないのである。
物質でさえ原子核が破壊されたら正体もなく飛び散るではないか。
”みずからの民族の中心を見失い、帰一すべき何物もなくなったとき、
民族は崩壊するほかはない。”
”理念は永遠である。”
理念さえ失わねば形には幾変遷あろうとも、またもとの姿があらわれて来るのである。
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