したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

1271うのはな:2012/09/10(月) 14:43:33 ID:2lPhm8Go
私のクラス会  谷口輝子 先生著 『愛が魂に目覚める時』P146〜

 私の車が停ったところはクラスメートの国方さんの玄関前であった。
私は車を降りてもすぐにドアに手をかけられなかった。国方さんの庭から這い上り、
堀の上から顔を出しているツルバラの花が、余りに美しく可憐なので、私はそれに近よって、
しばし見惚れていたからであった。

 やがてドアをあけると、気配を感じてドヤドヤと出迎えて下さったのは、国方さんとお嫁さんと、先着の
二人の友たちであった。応接間に通されてしばらくすると、四人の友もみんな到着されたので、予定通り八人が揃った。
みんな二階に案内されて落ち着いて坐った。みんなは直ちに楽しい賑やかな会話にはいった。
国方さんの息子さんは建築家なので、変った面白い建て方がしてあり、洋間にも日本間にも棚の上には亡き御主人の作らしい
彫像が飾られてあった。一流の彫刻家だった御主人が去年亡くなられたが、沢山の作品が、あの部屋この部屋に、そして廊下にも
飾られてあるので、矢張り夫と共に暮して居られる感じがした。

 八人のクラスメートの中で、夫が生きて居られるのは、矢沢さんと私との二人だけであった。
大阪からはるばると上京して、今日のクラス会に加わられた高井さんの夫は、最近亡くなられたのである。
仲のよいという評判の夫に逝かれたのに、高井さんは思いのほか明るい顔をして居られる。私の隣りの席に坐って、
高井さんは夫の死について話しつづけられた。
「去年から、誰からか判らないのですが、毎月私に『白鳩』を送って下さるので拝見しています。貴女は二つも文章を
出して居られるんですね」
「ええ、もう、もう一つ『理想世界』という青年誌にも書いて居りますの」
「うちの主人はね、軽い脳軟化症でしたが元気だったのですよ。死ぬ前の晩に“わしはもう死ぬよ”と申しましたが、元気でしたから
私は本当に思って居りませんでした。ところが翌朝の七時頃でした。水が飲みたいから持って来てくれと申しますので、コップに入れて
持って行きますと、『ああ美味しい。もう一杯くれ』と申しますので、また持って行きますと、それを飲まないうちに、横になったかと思うと、
息が切れたのですよ。私は水を運ぶ時、それが末期の水になるとは思いもかけないことでしたが、後で考えて見ると、近頃は逢う人毎に、『いろいろお世話に
なりまして』と御礼を言って居りましたし、私にも、『お前は良い妻だった。大変世話になった。有難うよ』などと申して居ました。
自分では死の予感があったのでしょうね」
などと高井さんは言われた。

 御主人が余りにも立派な死に方をされたので、彼女の顔は明るいのであった。私は大阪の白鳩の一人が、名も告げないで愛行をして、
高井さんに送本していて下さることに、蔭ながら御礼を言いたいと思った。一昨年まで東京に居られた高井さんが、もはや東京のクラス会の
メンバーでなくなったのに、特にはるばる参加されたのは、こんな話や、満州引揚げの時に、一般の引揚者は一人千円しか持ち帰れなかったのに、
高井さんは大袋いっぱいのお金を持って帰られた話もされた。引揚げぎわに、銀行から会社の預金を引き出されたので、日本へ帰って来られた時、
会社から非常に感謝されたそうである。珍しい話だと思った。

 杉並に住んで居られる佐賀さんも「白鳩」誌を長年読んで居られ、大阪に在られる息子さんも、九州の大学へ行ってる孫さんも「生長の家」に熱心だと、
ひどく私に御礼を言われたのでクラス会なのに、白鳩会と錯覚しそうになった。
クラス会に行った翌日、沢山の郵便物の中から取り出した二通の封書の一つは、品川の海雲寺というお寺から送られた“時の宣伝”なる印刷物であった。
時間を大切に生かして使えという宣伝を、前住職から続けて来られたそうである。
そ 世の中は今日より外はなかりけり 昨日はすぎつ明日は知られず
 昨日見し人はと問へば今日はなし 明日また我も人に問はれん
 後の世と聞けば遠きに似たれども 知らずや今日もその日なるらん
 かほどまで偽り多き世なれども  死ぬるばかりは偽りでなし

 (読人不知)


つづく


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板