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聖典引用 板
1314
:
a hope
:2012/09/22(土) 10:17:08 ID:r8H4x9xE
新版 生活読本
第1章 此の世界の成立ちは?
♦幸福になるには幸福の種をまけ
われわれがこの世で幸福な生活を送ろうと思いましたならば、
「自分は不幸である、幸福になりたい」などとかんがえてはだめなのであります。
「自分は不幸である」という心の思い種をまけば、心がもとで、すべてのものがうまれてきたのでありますから、
「自分は不幸である」という心の思いが種となって、形に見える世界に「不幸」なすがたがあらわれてくるのであります。
だから幸福になりたい人は、今、不幸であっても、今、幸福がなくとも、どちらでも
「わたしは今、幸福である、幸福である」ととなえていれば幸福がでてくるのであります。
神さまは太陽も地球も、天も地も、お星さまもない世界に「天がある、天がある」と思われますと、
すなわち心で「言葉」を宣(の)べますと、「天」があらわれてきたのであります。
「地がある、地がある」と心でとなえられますと、しまいには地球がうまれてきたのであります。
草も木もない世界に「草がある、草がある」と心でくりかえしくりかえし思われますと、「草」があらわれてきたのであります。
そして「人間がある、人間がある。神さまのように、なんでもできる力を形にあらわしたものがでてくる、でてくる」
と心でねんじられますと、人間がうまれてきたのであります。
「人間が神のすがたにつくられた」と聖書に書いてありまするのは、
「神さまのような、なんでも知り、なんでもできる力をもったすがたにあらわしたら人間になった」という意味であります。
だから、人間は神さまとおなじように、心で思うことを、この世界になんでもつくり、
なんでもうみだす力をもっているのであります。
(つづく)
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