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聖典引用 板
1285
:
a hope
:2012/09/13(木) 07:07:15 ID:r8H4x9xE
みなさま おはようございます。
丁度、8か月前の今年1月11日、わたしは「信仰/体験板」に聖典『人生読本』
の謹写を始めました。
その時の、決意表明が下の文章です。
――――――――――――――――――
730 :a hope:2012/01/11(水) 08:14:08 ID:kcv2QXTk
みなさま
おはようございます。
わたしは 最近思うのです。
「真理」を知るとはどういうことだろう?
「生長の家」の教えは奥が深くて、勉強すればするほど、さらに新しいことを知りたくなります。
そして、次から次へと新しい本を買って、読み、新しい知識を増やしていく。
でも、頭の中にどんなにたくさん「真理」の知識が入っていたとしても、
魂が納得していなければ、それは本当に「真理」を知ったとは言えないような気がします。
わたしは、毎日少しずつ子どもたちに「人生読本」を読み聞かせています。
雅春先生が、子どもに語るようにお話されていて、どのページを読んでも、良く理解でき、
自分も純粋な童心にもどって、真理の言葉をスポンジのように魂にしみ込ませることができるのです。
これから、この場所をかりて、無理のないように、少しずつ、書き写させていただきたいと思います。
感謝 合掌。
――――――――――――――――――
実は、昨日、聖典『人生読本』の全ての謹写を終えて、その達成感からか、
もう、一冊の聖典を連続してこちらの掲示板に謹写するのはやめようと考えていました。
ですが、今朝神想観をしていると、自分がどうして8か月前に『人生読本』の謹写を始めたのか思い出しました。
それは、『誰のためではない、自分自身の魂の向上のために始めたこと』なのでした!
ですから、これからも、自分のペースで、聖典の謹写を続けさせていただきたいと思います。
このような素晴らしい勉強の場を与えてくださる、管理人のトキさまにはいつも心から感謝しています。
合掌。
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