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聖典引用 板

1272うのはな:2012/09/10(月) 14:44:47 ID:2lPhm8Go
>1271 つづき

 お寺らしく、仏教的無常観の歌を記して居られるが、全く現象の世界は映し世と呼ばれる通り、
今日あって明日はどうなるか解らない肉体人間の世界である。私は高井さんの御主人のように、少しも
苦しまないで、見る人ごとに感謝してあの世へ旅立たれ、遺族も心安らかに明るい顔をして
暮らせることを、有難く尊いことに思いながら、もう一通の手紙を開いた。それは愛知県の或る町の誌友の娘
Aさんからのものであった。
『拝啓、前文ごめん下さい。私の父は十年ほど前から生長の家に参加し、心そう感やら、甘露の法雨を一所懸命読んで
おりました。それが二月十八日突然吐血し、市立病院に入院しました。今日まで病院で一進一退の状態で、何の奇蹟も起らず、
悲嘆のあまり、一宮市の婦人講師Nさんに来ていただき、個人指導をお願いいたしましたが、いっこうに要領をえず、三度目の奇蹟も
おこりません。神様は、かねて平等の愛である生長の家に書かれておりますが、十年も誌友となっておりました者が、何んの奇蹟もいただけないもの
でしょうか。私の家では毎月一度、二十名ぐらいの人があつまりまして、たのもしの常会を開き、生長の家の本の話や、世間話などを話合っております。
私も誌友であり話合っておりますが、これはどういう事でしょうか。よく理解できます返事を、私個人にお送り下さい。
神様は平等にお守り下さると言う事ですが、生長の家の本に書いてある事とは大ちがいで、びっくりしています。
毎月集まって来る人達もご返事を待っています。返事がもらえぬ事なら、私達もその様に思います。父は返事がいただける迄この世に生きていられるかどうか
わかりませんが、出来ますれば、この世に生きていられる間に、なっとくの行く返事を聞かせてあげたいと、私達子供、親戚一同せつにお願い申し上げます』

 このお手紙は原文のままのものであるが、私はこのお手紙を読みながら、今更のように考えさせられた。信仰というものは一人一人のものであって、同じ教えを
受けても、各自の受け入れ態勢が異なるために、深く悟る人もあるし、浅い理解しか得られない人もある。
この手紙の人のように、入信して十年もたつというのに、「生長の家」の最も重要な行事である「神想観」を「心そう感」としか書けないということは、信仰に熱心でないことを
表している。毎月発行される「白鳩」誌を読み、「白鳩相談室」へこのお手紙をよせられた人なのに、心そう感と書かれるようでは、心をこめて読んで居られないことが判る。
「白鳩相談室」宛のものは誌上回答を原則としてあるので、この人個人への返事は早速本部講師より出して貰ったが、この人の家に集って来る人たちや、同じ質問をもつ人たちのために、
私は誌上で答えることにした。の宣伝ビラの終りの方に、四首の歌が記されてあった。

つづく


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