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聖典引用 板

1290うのはな:2012/09/14(金) 20:52:44 ID:uk3bgnv2
   握りめしの味  谷口輝子 先生

 孫の佳代子が、毎朝のように弟妹たちのためにお弁当をつくっている。
大きな運び盆に並べて、台所から運んで来たのを見ると、赤や緑や黄などの
色とりどりのおかずが、白い御飯の上に花咲いたように美しい。

 朝食を頂きながら見ているので、私はそれを食べたいとも思わないが、彼女の弟妹たちは、
学校での昼食は楽しく美味しいことだろうと想像するだけである。
 佳代子の作るお弁当は、時々握りめしのことがある。その握りめしは大抵三角形である。表面は白い御飯
の時は、中におかずがはいっているらしいが、表面に赤や緑が出ている時は、おかずが御飯全体にまぜてあるらしい。
とにかく味は知らないが、色彩の美しいことが魅力的である。

 握りめしを見ていると、私は幼い頃の「母の味」を思い出す。母の作ってくれた握りめしは、三角形でなく、丸く握って
上下を押えて平らにした形や、米俵のような形のものであった。中に入れられた梅干は、赤紫蘇を沢山入れた母の手製のものであって、
握りめしを割ると、内部が真赤に染まっていることもうれしかった。煎卵を入れて海苔で巻いて贅沢なものよりも、赤い梅干入りの方が
私は好きだった。

 母亡きあとの台所では、嫂が御飯をお櫃に移したあと、窯底に残った薄焦の御飯を米俵型に握って、お釜のふたの上に並べていたことを
覚えている。嫂の子供たちも、「お母さん、おにぎり、おにぎり」とせがんでいるのであった。
どこの子供もお握りが好きのようであるし、お握りは母親の愛とつながっているようでもある。
丸型のお握りしか知らなかった私が、二十四歳の時、綾部の今井楳軒先生を頼って行った或る日、今井夫人が器用な手つきで握られた握りめしは
三角形であった。「まあ、三角のおにぎり」と私は珍しがって眼を丸くした。
握りなれないと三角はむつかしそうに思えた。しかし私がそう言うと、佳代子も壽美も、
「あら、三角にするの何でもないわ」とサラリと言う。ともあれ握りめしは、庶民的で親しみ深い食べものである。

 この間、作家の渡邊喜恵子さんが、尼僧法団の機関紙『花はちす』に寄せられた随筆を読んだ。
渡邊さんが或る日汽車中で、帰郷する女医さんに逢って、その身上話を聞かされたそうである。
女医さんの愛娘が東大出の秀才と結婚後、わずか一ヵ月で離婚された。離婚の原因となったものは握りめしであった。
握りめしくらいで離婚に踏み切るとはと人は思うであろうが、根本は夫なる人の精神である。
女医さんの娘の第一の失望は新婚旅行の時に感じたのであった。新夫婦は、楽しい旅行の帰りに、夫の實家に立ちより、翌朝
帰京しようとすると、貧しい母親は大きな日の丸握りめしを作って下さった。車中で新婦が食べようとしたら、新郎は怒って、
「窓から捨ててしまえ」と、取り上げるが早いか、足で踏みつけてしまった。一等車で握りめしを食べることは不体裁であろうけれど、
母が折角作ってくれた弁当を、足蹴にするような人と、一生を倶にするのが嫌になったと言うのである。

 つまり、花婿は新婚旅行の途中で、早くも花嫁に愛想をつかされたのである。
東大出の秀才も台なしである。秀才とは、学問がよくできる人のことであって、人格的に秀でている意味ではない。
自分の母を愛し尊敬しないで、母の愛情のしるしである握りめしを、足蹴にかけて踏みにじるような男性は、新妻から愛と
尊敬の心を受けることだ出来なかったのである。学問的にだけ優れていることは人間的には価値少なく、魅力がないので、燃え上ろうとしていた
新婚の妻の、楽しい夢に冷水を浴びせたのであった。女医さんは、「わがままに育てた親の責任を感じている」と言われたそうだが、渡邊喜恵子さんは、
「世間ていは二の次です。別れてよかったんじゃありませんか」と答えて居られる。

このような場合、世の母たちは、そして花嫁たちは、どうしたらよいのであろうか。
「わがままを言わないで辛抱しなさい」と娘を押えなだめる母もあろう。
「そんな人は、サッサと見切りをつけて帰って来なさい」と甘やかす母もあろうし、
「夫を徹底的に拝みなさい。拝んで拝んで、夫の神性を掘り出しなさい。貴女の愛が足りないのです」
ときびしい激励の言葉をかける母もあろう。そして娘たちは、この母の言葉に従うのだろうか。それは
娘たち各自それぞれの愛情と力量が問題である。

つづく


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