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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

376よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/02(火) 23:49:11 ID:/62hH2s20
>>373>>374>>375

水落静さんに、昭和初期の水落家の聖霊祭についてお聞きしました。「8月の13日朝から、主人が三津寺の千日前墓所まで、尊聖(そんじょ、ご先祖)さんをお迎えに行き、安土町の家までお連れします。入口でおがらをたき、主人の母がろうそくとりんを持って出迎え、りんを鳴らしながら家の仏壇へご案内します。 早速、お昼に、家でつくったおはぎ(こしあん・きなこ)をお供えします。仏さんのお膳は、春慶塗りのお膳を13、お供えしました。晩は、黒豆入り茶粥と香 のもの(奈良漬の瓜、浅漬のおなす)。14日の朝は、お味噌のおつい(おなす)とおなま。昼は、お煮し(かんぴょう、おなす、こんにゃく)。おやつは西 瓜。晩は、昔はすすりだんごだけやったと聞いていますが、分家からおすもじ(おすし)が届きます。このとき、かいわれ菜の塩漬をいただいたと思います。す すりだんごは、白玉だんごが入ったおしるこ(こしあん)です。15日の朝は、冬瓜のおつい、おなま、めえ(あらめ、あるいはひじきと揚げさんの煮いたん)。昼は冷やそうめん。おやつは、送りだんごにきな粉をつけて食べます。送りだんごは、餅屋さんが、大きなやわらかいだんごを届けてくれますので、それ を小さくちぎって、まるい平べったい形にして、きな粉ににまぶして、お供えしました。晩はずいきのおつい、のっぺい汁(ごんぼ、しいたけ、こいも、揚げさ ん)。15日の晩は、おついばっかりで、おなかがだぼだぼになりました。15日の晩早めにお供えして、上台所の入口のところで送り火をたいて、尊聖さんを お送りします。そのあと、お供え物は、下げて、大きな蓮の葉に包んで、東横堀川の本町橋の上から船へすーと落としました。お供えしたお茶湯やお水は、しか える度にバケツへ取っておき、15日の晩に「無縁さん、無縁さん」といいながら、門口へ撒きました。16日は精進あげで、お魚をいただきました。」

これでみると、戦前の水落家では、江戸時代とほとんど変わりなく、お盆の行事をしておられたことがよくわかります。

377よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/03(水) 23:57:41 ID:n2OWEXO.0
神輿渡御祭:堺の「お旅所」まで練り歩き−−住吉大社 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110803ddlk27040342000c.html

 住吉大社(大阪市住吉区)の神輿渡御(みこしとぎょ)祭が1日あった。若者らがみこしをかつぎ、約6キロ離れた堺市の「お旅所」まで練り歩いた。

 住吉大社の夏祭りを締めくくる伝統行事で、約900人が参加。みこしの行列は約800メートルにもなった。大和川でみこしを受け渡す「神輿受渡式」では、担ぎ手らが「べーら、べーら」と大きなかけ声を上げながら川の中を練り歩き、堺市側の担ぎ手にみこしを引き継いだ。担ぎ手がみこしを高く掲げると、河川敷に詰めかけた人たちから拍手が起こった。

 行列には先月24日に57年ぶりに復活した堺市の伝統行事「鯨まつり」で奉納された、全長12メートルの鯨の山車(だし)も参加した。【内田幸一】

378よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/04(木) 00:18:42 ID:n2OWEXO.0
大阪発 羅針盤
地域の取り組みや課題、人々の動きや思いを通して大阪の明日、日本の未来を展望します。


大阪城天守閣復興80周年
2011年8月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/compass2011/110801/20110801033.html

「プリトヨ」続く魅力発信を ヒットの陰に大阪の人間力

大阪を舞台にした映画「プリンセストヨトミ」は興行収入が15億円を突破し、「ヒット」作品になった。スクリーンを通して衆目を集めた大阪城の天守閣は折しも11月7日に復興80周年を迎える。これを機に観光の名所だけなく、娯楽芸能の世界でも「絵」になる白亜の城を多角的にとらえ、「プリンセス…」に続く二の矢、三の矢の話題に思いを致し、大阪の魅力を発信する策を考えたい。

■独特な視点を
 5月28日公開した「プリンセス…」の第1週は「パイレーツ・オブ・カリビアン」に次ぐ興行成績を記録するスタートダッシュとなり、7月25日現在の興行収入は15億8400万円、観客動員数は127万3千人を数えた。プロデューサーの土屋健氏によると、「15億円を超え、素晴らしいヒットと映画業界は思っている」そうだ。では、ヒットした要因は何か。

 1615年の大坂夏の陣で自害した豊臣秀頼の息子、国松は処刑され、豊臣家の血筋は途絶えたという通説に反し、国松は生き延びてその末裔(まつえい)を守るため、大坂の人たちは「大阪国」を発足した−。物語の設定は「太閤びいき」の大阪の土地柄を印象付け、大阪国の国民が立ち上がるシーンを作品の見せ場にしたように思う。

 その製作の意図が映画パンフレットのインタビュー欄に載っている。

 原作者の万城目学氏「ずっと住んでいる大阪で、大好きな大阪城に大阪の人の気質や人情を絡めてヘンなエンタテイメントを作った」

 監督の鈴木雅之氏「彼らがあることに関してだけは団結する“人間力”を持っているということを浮かび上がらせたかった」

 虚構の世界とはいえ、大阪の人が脈々と受け継ぐアイデンティティーの強さを描いた視点が「ヒット」につながったすれば、その大阪を象徴する大阪城の捉え方によっては話題になりはしないか。

 大阪城が立つこの地の歴史を独特な視点で捉えた最近の見解として、関西大教授の藪田貫氏が昨年10月に書き下ろした「武士の町大坂」は特筆に値する。その書き出しはこうだ。

 江戸時代の大坂といえば、「町人の都」「天下の台所」と相場が決まっている…しかし時は「武士の世」、大坂にも武士がいたことは間違いなく、なによりもいまも聳(そび)える大阪城が、武士の存在を物語る。

 現在では印象の薄い大坂武士に光を当てた本書は、通説に満足しない層の関心を集め、固定化された大阪のイメージに一石を投じた。斬新な論を展開した著者のよりどころになったのが、いまも聳える「大阪城」だった。

379よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/04(木) 00:19:36 ID:n2OWEXO.0
>>378

■「お城ブーム」
 1931年11月7日完成した現在の天守閣は、3代目に当たる。太閤秀吉が創建した初代は夏の陣で焼失し、徳川幕府が再建した2代目は1665年の落雷によって焼失した。戦火、災害に消えた歴史を踏まえた3代目は当時としては最新の鉄骨鉄筋コンクリート造りによって完成し、その財源は大阪の象徴を求めた市民の浄財だった。

 復興30年史に興味深い記述がある。

 1958、59年の両年にかけて全国各地で合計七つの天守閣が再建されたほか、静岡県・熱海には忽然(こつぜん)と熱海城なるものまで出現するありさまで、世はまさに「昭和築城時代」といわれるほどに「お城ブーム」は極点に達した。その端緒が大阪城だった、と30年史は伝えている。

 復興80周年の節目に大阪城天守閣の管理運営関係者は、復興当時を振り返る特別展を計画している。せっかくの機会だけに、全国発信する未来志向の取り組みを望みたい。それだけの素地が、市民の力によって復興した日本で最も親しまれる城の「大阪城」にはある。

「大河」へ署名活動
幸村の入城400周年で長野の有志

 大坂夏の陣で徳川軍と戦った豊臣軍の武将、真田幸村の大阪城入城400周年に当たる2014年に向け、幸村ゆかりの長野県上田市の有志が、NHK大河ドラマの放映を目指して署名集めを展開。7月22日来阪した阿部守一知事や母袋創一市長が、橋下徹知事に協力を呼び掛けた。
 大阪城天守閣復興80周年の今年ヒットした映画「プリンセストヨトミ」の盛り上がりを、大阪城入城400周年に合わせたドラマ化につなげる。そんな機運の醸成を大阪に期待する母袋市長は手始めに、橋下知事に署名簿へのサインを求めた。
 「真田幸村は大阪でも人気。実現すれば長野と大阪のつながりができる」と橋下知事は応じたが、機運の醸成はいかに。
 5月17日時点の署名数合計50万178人のうち東京は3万516人、大阪は1万9193人と2大都市圏の間に開きがあり、母袋市長は「大阪を中心に最後の追い込みをしようと思っている」と話している。
 真田幸村は信濃上田城主の昌幸の子で、地元の有志は2009年11月に署名活動を開始。真田家の旗印「六文銭」にちなんで66万6666人の署名集めを目標にしている。

380よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/04(木) 00:24:34 ID:n2OWEXO.0
子規「の・ボール」熱闘交流
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110803-OYT8T00077.htm

 夏の甲子園(第93回全国高校野球選手権大会)が開幕する6日、大会発祥の地の豊中市で、俳人・正岡子規が故郷の松山に伝えた明治時代の野球を再現した「の・ボール野球」の交流試合が行われる。両市がチームを結成し、当時のルールで初めて対戦。豊中市は「試合をきっかけに、野球に縁の深い市同士の交流を深められれば」と期待する。2日は、松山市から豊中市役所に届いたレトロなユニホームに市職員らが袖を通し、着心地を確かめた。(渡辺彩香)

 豊中市は、1915年に同大会の前身にあたる第1回全国中等学校大会が開かれた「高校野球発祥の地」。あまりの人気で観客を収容しきれず、第3回からは兵庫県西宮市に会場を移し、甲子園球場では第10回から行われるようになった。球場のあった豊中グラウンド(豊中市玉井町)は大正末期に取り壊され、住宅地に。現在は、外壁の赤れんがが一部、残っている。

 一方の松山市では、子規が、東京大学予備門時代に熱中したベースボールを1889年(明治22年)頃、故郷の松山中学の生徒らに教えた。子規は野球を題材に短歌や俳句も多く作り、2002年、野球殿堂入り。同市はこれを機に、子規の雅号「野球(のぼーる)」にちなんで明治の野球を「の・ボール野球」と命名し、当時の史料を参考にユニホームや用具、ルールを再現、継承に取り組んでいる。

 交流試合は、豊中市の市制75周年記念事業の一つで、同市側が松山市に呼びかけて実現。ユニホームや用具一式は同市から借りる。両市の選抜メンバーが出場し、豊中市が「紅」、松山市が「白」と胸に刻んだユニホームを着用。スパイクの代わりに足袋を履くほか、審判は羽織はかま姿で登場する。

 また、子規が楽しんだ当時のルールを採用。投手は下から押し出すように投げ、打者は投げてほしいストライクゾーンを打席ごとに審判に申告。飛球はワンバウンドキャッチもアウトで、フォアボールは五球。審判はホームベースを挟んで打者と向き合う位置に立つ。

 豊中ローズ球場(豊中市曽根南町)で6日午後5時半から開会式。山口最丈・松山市副市長が投手、浅利敬一郎・豊中市長が打者を務める始球式の後、プレーボール。

(2011年8月3日 読売新聞)

381よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/04(木) 23:50:10 ID:ON4pbSHQ0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/218 日本橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110804ddlk27070485000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇道頓堀近く宿屋ずらり 明治まで商店、民家なく
 道頓堀川を西へ歩く。次第に川沿いがにぎやかになっていく。幹線道路の堺筋に架かるのが日本橋だ。このすぐ西が道頓堀の繁華街。お江戸は「にほんばし」、大阪は「にっぽんばし」。大阪案内人の西俣稔さんが「名前のいわれは不明なんです」という。国の名前を付けてるのに……。

 江戸幕府が直接管理した12の公儀橋の一つ。和歌山へと続く紀州街道にあたり、橋のたもとには京都や金比羅参りの船着き場があって、水陸の交通の要衝だった。また、南詰めには幕府のお触れを張り出す高札場もあって、罪人がさらし者にされた。

 長町と呼ばれた橋筋は、はたごが軒を連ねる旅館街だった。大坂一の繁華街、道頓堀に近く、大坂への観光客は日本橋に宿泊した。明治時代まで、ほかの商店や民家はほとんどなく、1898(明治31)年刊の「大阪繁昌(はんじょう)誌」には43軒の宿屋の名が記されている。今はホテルはホテルでも、周辺にはラブホテルが目に付く。

 そんな宿屋街のお噺(はなし)が「宿屋仇(がたき)」だ。一軒の宿屋に「静かな部屋に泊めてくれ」とお侍がやって来る。どうした拍子か、その隣に伊勢参り帰りの若い衆3人連れを入れたのが騒動の始まり。今の草食系男子ならいざ知らず、若いもん3人で泊まって静かにしてるはずがない。芸者をあげてのドンチャン騒ぎに、お侍が怒らんわけがない。

 仕方なく、3人は布団に潜り込むが、相撲の話に熱が入りすぎ、ドッタンバッタンと相撲を取り始める。侍が怒る。今度は力が入らん話をと、色ごとの話を始めるが、またまた騒ぎ出して−−。

 日本橋は1877(明治10)年に鉄橋になり、1912(同45)年に堺筋が拡幅された時、架け替わった。今の橋は1969年、地下鉄堺筋線の建設で架け替えられた。しかし、川沿いの遊歩道から見上げると、橋の下部は安っぽい緑色に塗られていて、興趣のないことったら、この上ない。橋の上にはいつも、道頓堀の観光客を降ろした観光バスが止まってるし。駐車場の整備をさっさとやるべし。

 日本橋の北側に見上げんばかりの石碑が建っていて、ハトの羽休め場になっている。「安井道頓 安井道卜(どうぼく)紀功碑」と刻まれている。1914(大正3)年、道頓堀川を開削したとされる2人に従五位が追贈されたのを記念して、川沿いの町々がお金を出して建立した。

 道頓は親類らと相談して川の開削を始めたが、大坂の陣で豊臣方について戦死。従弟(いとこ)の道卜らが遺志を継いで完成させた。南堀川といったが、大坂城主となった松平忠明が道頓の功をたたえて道頓堀川と名を変えさせた−−。

 長らくこう信じられていたのだが、道頓は実は平野郷(大阪市平野区)の名家、成安家の出で成安道頓だったのだ。安井道卜の子孫が「道頓堀はうちのもの」と起こした裁判で明らかになった。だから、厳密にはこの碑は間違いということになるが、そう堅いことを言ってたのでは世の中、回らない。

 道卜は大坂三郷の南組の惣年寄(そうどしより)を務めた。惣年寄とは町政をつかさどるトップで、町人の一番えらいさんだ。周辺の町の開発に尽力したと伝わるから、安井家が道頓堀の功労者であることは間違いないようだ。【松井宏員】

382よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/07(日) 23:40:20 ID:aACWRE8I0
>>380

子規「の・ボール」のびのびプレー
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110807-OYT8T00022.htm

夏の全国高校野球大会が開幕した6日、大会発祥の地・豊中市で、俳人・正岡子規が明治時代、故郷・松山市に伝えた「の・ボール野球」の試合が当時のルールで行われた。

 子規の雅号「野球(のぼーる)」から命名した「の・ボール野球」の普及を図る松山市に、豊中市が市制施行75周年を記念し、対戦を申し入れた。市民から選抜された両チームの選手は足袋を履き、審判も羽織はかまと当時の姿を再現。打者がストライクゾーンを指定してから打つなどのルールで対戦し、松山市が3対0で勝利した。

 試合に参加した松山市の新開国広さん(67)は「発祥の地のグラウンドで戦うことができて光栄。お互い野球熱の高い地域なので盛り上がり、楽しかった」と満足げ。ヒットで一矢を報いた豊中市の奈須正典さん(55)は「甲子園のような迫力はないけど、牧歌的な楽しさがあった。野球を好んだ子規の気持ちが分かるような気がした」と話していた。

(2011年8月7日 読売新聞)

383名無しさん:2011/08/08(月) 21:13:28 ID:w67qFruI0
歴女の次は…“考古学キッズ”講義ツアー人気 古市古墳群
2011.8.8 14:19

世界遺産登録を目指す古市古墳群(大阪府羽曳野市)で、観光ガイドを行っているボランティアグループが、小学生ら子供向けのガイドを夏休み限定で行っている。年配層に考古学ファンが多いなか“考古学キッズ”を育てて、次世代に歴史遺産を受け継ごうという試みだ。「歴女」など、近年の歴史ブームを子供にも広げたいと願っている。

 子供向けガイドを企画したのは、羽曳野市の細見克さん(70)が代表を務めるボランティアグループ「フィールドミュージアムトーク史遊会」。古市古墳群は都市化された地域にあることから、関心を高めることで古墳を開発の波から守ろうと活動している。

 子供の場合、知識の詰め込みではなく、実際に古墳をめぐってもらい、歴史を体感してもらうのが一番と、時間に余裕がある夏休み限定にしたという。

 毎週、火曜日と木曜日に行われている“講義”は子供たちに盛況といい、応神天皇陵前では、市内の小学校に通う子供たちが「古墳はなんでこんなに大きいの」などと質問をぶつけるシーンも。細見さんは「身近にある歴史遺産の面白さを、分かりやすい言葉で伝えたい」と話している。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/110808/osk11080818130005-n1.htm

384よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/08(月) 22:49:44 ID:axk1QB5k0
なにわ人物伝 −光彩を放つ−

中馬 庚
2011年8月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110806/20110806031.html

野球発展に尽力した教育者 子規より明確に訳語

 三善 貞司
 中馬庚はベースボールを「野球」と訳し、真の野球道の発展に尽力した教育者で、しかも墓が大阪府豊中市に現存する。城井睦夫氏の『中馬庚伝』は、その生涯を知る最高の書物で、氏の庚に対する敬愛の念と資料収集の情熱があふれており、脱帽のほかはない。以下同書を典拠にして大要を紹介したい。

 庚は明治3(1870)年鹿児島県西千石町の漢学者今藤悔堂(かいどう)の次男に生まれた。この年は庚午(かのえうま)だったので庚四郎(こうしろう)と名付けられる。四つのとき中馬源太夫の養子になり、明治21年上京、第一高等中学校(後の一高)に入学した。同校では英人教師ストレンジが「ベースボール会」を立ち上げ、生徒の鍛錬に当たっており、庚は「赤組は正岡常規(つねのり)(俳人子規)と岩岡保作(九州帝大教授)が、交互にピッチャー、キャッチャーを務めた」(『一高野球部史』)と書いており、自身は内野手、なかなかの強打者であった。

 昭和9(1934)年河東碧梧桐(かわひがしへきごどう)は、「ベースボールを野球と書いた嚆矢(こうし)は子規だ。本名の升(のぼる)をもじって野ボールにしたのである」(『子規を語る』)と書いている。しかし子規は文章の場合弄(ろう)球とか投球と記し、野球の文字は用いていない。大谷藤次郎に宛てた手紙の末尾に「野球(ノボル)拝」とふざけた程度だ。

 子規の本名は常規だが、自作の墓碑銘に、「又(また)ノ名ハ処之助(ところのすけ)、又ノ名ハ升(のぼる) 又ノ名ハ子規 又ノ名ハ獺祭書屋(だつさいしょおく)主人 又ノ名ハ竹ノ里人」と記し、野球(のぼる)はない。

 明治27年一高卒業時に庚は同部史に「速(すみや)かに我(わが)部の名定めずんば 底球部等の奇語慣例化せむ。議決を得ずと雖(いえど)も余は野球とせば、大いに適すべし」と、明確に主張している。東京帝国大学史学科に進学した彼は、同30年日本初の野球文献といわれる『野球』を刊行、詳しく捕球や投球術を記し、魔球(ドロップとカーブのこと)の投げ方図まである。

 卒業後は教職畑を歩いた。県立鹿児島一中をふりだしに、同第二中学教頭、県立新潟中学教頭等を歴任。また日露戦争期には歩兵中尉として広島の大本営に勤務、明治天皇の御前講演にも選ばれ、「終生の栄誉なり」と感激する。

 性格は豪放磊落(らいらく)、正義感の強い型破りの熱血教師で、転勤も多いがその理由の大半はこの気質により、数々のエピソードを残している。友情も人に倍して厚く、大正元年に一高時代の親友で秋田県知事秦豊助に頼まれ、遠く離れた県立大館中学校長に就任するが、「俺は九州男児だ。口も悪いが手も早い。けんかならいつでも買ってやる」とあいさつし、生徒たちの度肝を抜いたそうだ。

 同3年豊助は徳島県知事に転勤、問題のあった県立脇町中学校の再建を懇望する。庚は快諾し校長に着任、英語が達者なくせに修身と漢文を担当した。同校の卒業文集に校長の思い出が綴(つづ)られているが、いずれも痛快無比、「風貌魁偉(かいい)、知識該博(がいはく)、率先実行」と誰もが口にする。

 同5年暴力行為で退学になった他校の生徒Hを、面白い男だと職員会議の反対を押し切って受け入れ、野球部に入部させる。だがHを嫌う生徒グループがいたずらして用具を隠したのを怒り、Hは彼らと乱闘騒ぎを起こし数人にけがを負わせる。被害者の親たちは県を通じHの処罰を要求したが庚は拒み、いきなり辞表を出し誰の仲裁も聞かなかった。

 同7年大阪に移り浪速銀行に入社、同14年退社して麻田村(大阪府豊中市刀根山)に隠棲(いんせい)。好きな釣りを楽しみ、ひっそりと晴耕雨読の毎日を重ねた。昭和7年3月没。享年61。墓は円満寺(同市刀根山5丁目)にある。

 先記した『中馬庚伝』に、「庚の野球殿堂入り(昭和45)に奔走したのは、脇町中学の教え子幸田昌三氏」と記されている。(地域史研究者)

385よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/10(水) 21:27:25 ID:U9.R10Ig0
戦争の悲惨さ ここにも 「戦時中の動物園展」始まる
2011年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110810/20110810019.html

 戦争の犠牲になった動物を悼む「戦時中の動物園展」が9日、大阪市天王寺区の天王寺動物園レクチャールームで始まった。第2次世界大戦中に安楽死させられた飼育動物の剥製などが展示され、戦争の悲惨さを今に伝えている。15日まで。

 戦争中は、空襲でおりが壊れると、動物が逃げ出す恐れがあるため、各地の動物園で猛獣が安楽死させられた。

 天王寺動物園では、1943年8月から44年3月にかけて、ライオンやヒョウ、トラなど猛獣10種26頭が安楽死させられたほか、45年3月の空襲で園内に2千発の焼夷(しょうい)弾が落下し、オオワシなど鳥類10種33羽が焼死した。

 会場には、安楽死させられたアムールトラやヒョウ、ライオン、ピューマなど8体の剥製を展示。食料不足でゾウの餌が青草から栄養価の低いサツマイモのツルに変えられたことや、燃料不足で暖房が使えず、キリンなどの熱帯動物が寒さで死んだことなどが紹介されている。

 親子同然の動物をやむなく安楽死させた当時の飼育員の心境もつづられていて、来場者は、戦争のむごたらしさを感じ取っていた。

386名無しさん:2011/08/11(木) 14:46:35 ID:uC/CHkmo0
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110810-OYT8T01214.htm

戦争に翻弄 私で最後に 中国残留42年 鶴見の女性

スパイ容疑拘束、偏見に苦しみ・・・ 「子供いたから生き抜けた」

終戦直前の1945年4月、一人の少女が養父母に連れられ旧満州(現中国東北部)に渡った。異境の地で待ち受けていたのは養父母との別れ、望まぬ結婚、偏見、スパイ容疑での拘束……。それでも耐えてこられたのは、生み育てた子供たちへの家族愛だった。「私のように戦争で翻弄された人生を、誰にも味わってほしくない」。66回目の終戦記念日(15日)を前に、女性が半生を振り返った。(鈴木隆弘)

 中国残留邦人だった大阪市鶴見区の斎藤和子さん(81)。故郷の島根県を離れ、旧満州の開拓団に合流したのは14歳の時。既に日本の敗戦は濃厚となり、中国人からは「命を捨てに来たのか」と言われた。8月に入ると一緒に来ていた男たちが軍隊に召集されていった。

 終戦前夜、「避難しろ」と言う大人たちに従い、暗闇の中を逃げた。盗賊に襲われ、友達と腕を組んで草むらに隠れた。銃声とともに友達は胸を血で染め息絶えた。逃げる途中で養父母も病死。現在の黒竜江省方正県にたどりつくと、多くの開拓団が集まり、日本人であふれていた。

 「嫁に来てくれ」。間もなく、4人の中国人男性から言い寄られた。無理やり連れて行かれそうになり、柱に抱きついて抵抗したこともあったが、一緒に逃げてきた開拓団の年配の男性から、「いい人なら行ったほうがいい」と諭された。45年12月、身を守るために覚悟を決め、結婚した。まだ15歳だった。

 2男3女の子宝に恵まれたが、一歩外に出ると「日本鬼子」とさげすまれる日々。長期間遠出をすれば公安局に呼び出されて事情を聞かれた。「スパイの子」とからかわれた長女は学校に行かなくなった。66年に文化大革命が始まると、11か月間もスパイ容疑で拘束された。問い詰められても、「子供に害が及びませんように」と念じ、耐えた。

 何度か帰国許可を求める書類をもらったが、認められるのは本人だけ。同じ境遇の母親の中には、泣き叫ぶ子供を振り切り、帰国した人もいた。「私は子供を残して帰れない」。望郷の思いを断ち切るように、書類を家族の前で破り捨てた。

 その後、家族を連れての帰国が認められるようになり、80年代には多くの残留邦人が日本に戻った。「子供を連れて帰れば、今度は中国人だと言われつらい思いをする」。帰国しようとしない母親に、長男が「僕たちのことは心配しないで」と背中を押してくれた。

 87年、56歳で永住帰国を果たした。相次いで来日した子供たちの仕事の都合で、島根から大阪市に移り住んだ。毎年、5月の誕生日には、子供からひ孫まで約30人が集まってくれる。

 日本と中国の国籍が入り混じるが、一つの家族であることにかわりない。「中国での42年間、本当につらかったけど、子供がいたから生きてこられた。家族みんなで集まれる今が一番楽しいね」。斎藤さんは目を細めた。

(2011年8月11日 読売新聞)

387名無しさん:2011/08/11(木) 14:49:46 ID:uC/CHkmo0
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/11/20110811-056437.php

2011年8月11日

伝説もとに板絵4枚新調 紀貫之ゆかり 泉佐野の蟻通神社本殿
 紀貫之ゆかりの大阪府泉佐野市長滝の蟻通(ありとおし)神社本殿の板絵4枚が新調された。唐招提寺(奈良市)の伝統行事「うちわまき」の絵を毎年手がける大阪芸術大(河南町)の非常勤講師で画家の中島裕司さん(58)が、神社に伝わる伝説をもとに描いた。

大阪芸大の中島さん描く

 昔、孝行ものの中将が「老人は捨てよ」という定めを破って、老いた両親をかくまっていた。そのとき、唐が日本をわがものにしようと3つの難題を突きつけた。そのひとつが曲がりくねった小さな玉に糸を通すことだった。中将は両親の知恵でアリと蜜を使って玉の中の曲がった穴に見事糸を通した。帝は感心し、老人を捨てる法を改めたという。

 両親は死後「蟻通明神」として祭られたが、あるとき紀貫之が馬に乗ったまま明神の前を通り過ぎようとしたのが無礼であると明神の怒りに触れて嵐になった。落馬した貫之は和歌を詠んで明神の怒りを鎮めた。

 中島さんは幼稚園のころにこの伝説を紙芝居で見たことがあり、板絵制作の依頼を快諾した。

 板絵は馬に乗る貫之や腰に糸をつけられたアリが蜜をたどって玉のなかの穴に糸を通す様子など、もともと描かれていた絵を踏襲して色鮮やかに描いた。

 神社は昭和18年に現在の場所に移り、平成25年が遷座70年にあたる。神社は「新しい板絵とともに歴史を刻んできた神社を次世代に継承していきたい」と話している。

388よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/11(木) 20:22:42 ID:KIbwj2EQ0
大阪天満宮で地下水試掘 飲用水質検査へ
2011年8月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110811/20110811017.html

 大阪天満宮(大阪市北区)の境内で行われている地下水の試掘作業が10日までに、地下約50メートルに達した。地下水の試掘に携わる関西大「社会的信頼システム創生センター」や地元の天神橋筋商店連合会の関係者が現場を訪れ、地層や地下水の状態などを視察した。地下水の存在は確認されており今後、水質チェックのための採水が行われる。

 大阪・天満地区にはかつて多くの酒蔵が立ち並び、くみ上げた地下水を使った酒造りが行われていた。歴史ある「天満の地下水」を地域の活性化につなげられないかと、大阪天満宮の協力を得て、同センターと天神橋筋商店連合会が1日から現地で試掘作業を進めていた。

 9日夕、工学博士で地質学に詳しい関西大の楠見晴重学長ら関係者が現場を訪れ、地下の地層の状態などを商店街の関係者に説明。地下水は確認されていることから、11日にも飲用に適しているかなどを確認するための採水を行う。今月中にも水質検査の結果が出ることになっている。

 楠見学長は地下水のについて「地域の活性化のインパクトになる。市民にとっては明るい話題」と話していた。

389よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/11(木) 20:53:28 ID:KIbwj2EQ0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/219 相合橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110811ddlk27070459000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇なぜか縁切り橋と呼ばれ 悪名払しょく?橋上に広場
 日本橋を西へ歩けば、道頓堀の繁華街だ。しかし、このかいわいも様変わりしたものだ。

 私が学生時代は道頓堀にも、さらに西の日本橋かいわいにも何軒か古本屋があって、よくのぞいたものだが、とうになくなった。相合橋筋にも1軒あり、落語の書籍をなんべんか買った覚えがある。この古本屋はまだあって、先日のぞいたら、おばちゃんが店番していた。落語関係も相変わらず充実していて、よく残ったものだとうれしくなった。

 相合橋は「あいおいばし」と呼ばれているが、字面通りなら「あいあいばし」。正しくは「あいあうばし」と読み、橋にもそう刻まれている。

 大阪案内人の西俣稔さんの解説。「最初に架けられた時は、中橋という名前でした。道頓堀川の真ん中あたりだから。その後、長堀川の橋に、同じ中橋という名前を付けてしもたので、名前を変えたんです」

 いわれにも諸説あり、「中橋と中橋が相対するから、とか、道頓堀の芝居町と、川を挟んで反対側には色町があって、男と女が会ってたから、とか」。なかなか色っぽいやないですか。

 最初は江戸時代の1680年代に架けられたらしく、近松門左衛門の「心中重井筒」に「中橋」が出てくる。「八百八橋物語」(松村博著)によると、1703(元禄16)年の書物に「相合橋」の名が見える。ところが、出会いを連想させる名前なのに、なぜか縁切り橋と呼ばれて、婚礼の行列は絶対に渡らなかったという。

 「心中重井筒」の筋自体が、お店(たな)の入り婿でありながら遊女と縁が切れず、女を刺し殺し、自分も井戸に落ちて死んでしまう−−という、救いようのない話だ。

 戦災で焼け落ちたが、地元が寄付金を募って1950年に木橋として架けられた。いかに地元の愛着深い橋だったかがわかる。62年に鋼の橋に替わった。73年には橋の幅を広げ、縁切り橋の悪名を払しょくしようとしたわけではなかろうが、橋の上に憩いの広場ができた。

 北詰めに石碑が一つ建っている。「盛り場を むかしに戻す はしひとつ」。大正から昭和初期にかけて活躍した文人、食満(けま)南北の句碑だ。1961(昭和36)年に建立された。建立発起人代表は、友人の日本画家、菅盾彦。ほかの発起人には松竹の白井信太郎、歌舞伎役者の片岡仁左衛門、中村雁治郎、文楽の竹本綱大夫、史家の牧村史陽ら、そうそうたる名前が並んでいる。

 南北が詠んだ「はし」は、西隣の太左衛門橋のことだ。芝居好きの南北は、島之内の自宅から太左衛門橋を通って道頓堀の芝居小屋へ通い、ついに雁治郎の座付き作者となった。戦災で焼失した橋が戦後、復活したのを喜んで作った句だという。初めは太左衛門橋に建てられたが、こっちに移ったようだ。

 相合橋の南詰めの、先の古本屋のある相合橋筋のかかりは更地になっている。映画館「道頓堀東映」の跡で、かつての道頓堀五座の朝日座がここにあった。西にビルを一つ挟んで、また更地。ここも道頓堀五座の角座の跡だ。

 人通りは多いものの、はて、南北が句に託した願いは、かなっているのだろうか。【松井宏員】

390よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/11(木) 21:04:04 ID:KIbwj2EQ0
菅笠の技術を次世代に 主婦らが保存会
2011年08月11日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001108110002

 江戸時代、伊勢参りの人たちが使った菅笠(すげがさ)の一大生産地だった大阪市東成区深江地区で、主婦9人でつくる「深江菅細工保存会」が菅笠作りに励んでいる=写真。全国から菅笠の注文も入るようになり、同会は「今年保存会に若い人が2人も入ってくれた。技術を次の世代にしっかり引き継いでいきたい」と話している。


 深江地区では20年に一度伊勢神宮である式年遷宮に菅笠を奉納している。1988年、その職人が同区深江南3丁目の幸田正子さん(73)だけになり、5年後に迫った菅笠奉納のため、幸田さんが地元の主婦に声をかけ、保存会を作った。メンバーは家事の傍ら技術を学び、奉納用の菅笠やコースターなどの菅細工を作ってきた。8年前からは途絶えていた菅笠の注文も入り始め、お遍路さんや海釣りのマニアらから年間20、30個の注文があるという。


 同会は毎年、地元の小学生を対象にスゲの刈り取りや菅細工作りの体験教室も開いている。メンバーで幸田さんの長女島谷真由美さん(46)=東大阪市高井田元町2丁目=は「菅笠の技術を今も残せていることは深江の誇り。これからも続けたい」と話している。

391名無しさん:2011/08/13(土) 22:59:57 ID:9jiMpZ5k0
米美術館所蔵の太刀など、仁徳陵出土に疑問符

読売新聞 8月13日(土)21時30分配信

 米ボストン美術館が所蔵する、世界最大級の墳墓・大山古墳(仁徳天皇陵、5世紀中ごろ、堺市)の出土品と伝わる獣帯鏡(じゅうたいきょう)や
環頭大刀(かんとうたち)など5点の考古遺物が、6世紀第1四半期のものとみられることが、宮内庁書陵部の調査で分かった。

 古墳の築造時期とずれがあり、大山古墳の出土品である可能性は低くなった。

 調査成果は同庁の「書陵部紀要」に発表された。それによると、同庁研究官がボストン美術館の考古遺物を実見し、国内外の同類の遺物と比較して、
その実年代を検討した結果、同一古墳からの出土品であることを前提とすると、いずれも
「6世紀の第1四半期を中心とした時期であるとすることが最も妥当」と判断した。

 またこれらの遺物は、同美術館に勤務していた美術家・岡倉天心が1906年6月に、京都で購入した可能性が高いことも分かった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110813-00000656-yom-soci

392よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/14(日) 08:49:33 ID:.lBx5.Cw0
先祖を思い祈り 四天王寺で万灯供養法要
2011年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110812/20110812021.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で、盆行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)万灯供養法要」が行われている。境内・中心伽藍(がらん)に並ぶ約1万本のろうそくのともしびに参詣者らが先祖を思い、手を合わせている。16日まで。

 ろうそくの明かりは迷いの闇を晴らす「智恵」の光の象徴とされ、まとまって大きな感謝や祈りの火を上げる行事として、平安時代から行っている。

 戒名や先祖の霊名を記した特製の万灯ろうそくが金堂と塔を囲うように置かれ、夕刻から徐々に点灯を開始。ろうそくが燃え尽きるまでそばにたたずむ人々の姿が見られる。

 会期中は、同寺僧侶の列が般若心経を唱えながら伽藍内を練り歩く法要を厳かに執り行い、多くの参詣者らが後に続いて伽藍内を1周する。

 今年は伽藍の出入り口に細かい霧をまくミスト機械を設置するなど、ろうそくの熱気に包まれる参詣者らに涼んでもらう工夫をしている。

393よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/14(日) 08:51:52 ID:.lBx5.Cw0
救われた命、向き合う空襲 京橋駅空襲、あす慰霊祭
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201108130091.html

 終戦前日の8月14日、米軍の爆撃で多くの市民らが犠牲になった「京橋駅空襲」。今年も慰霊祭が14日午前11時、大阪市城東区のJR京橋駅前で開かれる。終戦から66年。命拾いした高原秀夫さん(78)は、ようやく昨年から出席できるようになった。

 当時12歳。軍需工場に動員され、「東洋一」とうたわれた大阪砲兵工廠(こうしょう)に研修にきていた。

 正午ごろ。食堂へ行こうと、路上を歩いていた。警戒警報から空襲警報。ウーウーとうなるサイレンの間隔がどんどん短くなる。そして、敵機来襲のサイレンが鳴った。

 近くにいた将校のひとりが、「そこへ入れ」と防空壕(ごう)に逃げるよう指示。高原さんは壕へ飛び込んだ。

 スーっと音がし、数秒後に着弾したのだろう。地響きと轟音(ごうおん)。地面が揺れた。

394よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/14(日) 09:04:36 ID:.lBx5.Cw0
炎に浮かぶ幽玄世界 大阪薪能始まる
2011年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110812/20110812020.html

 大阪の夏の恒例行事「大阪薪能(たきぎのう)」(大阪能楽協会大阪支部、大阪薪能委員会主催)が11日、大阪市天王寺区の生國魂神社(中山幸彦宮司)で始まり、来場者はかがり火が照らす能舞台の幽玄世界に浸った。

 1546(天文15)年に同神社の神前で能が演じられたという故事にちなんで1957年から毎年開催され、今年で55回目。この日は、半能「敦盛」や狂言「御冷し」が披露された後、火入れ式が行われた。

 薪がパチパチと音を立て、幽玄世界を演出する中、第50回を記念して制作された能「生國魂」、続いて「紅葉狩」が上演され、来場者は炎に照らされた舞台に見入っていた。

 12日も午後5時半から開催される。

395よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/14(日) 09:28:01 ID:.lBx5.Cw0
なにわ人物伝 −光彩を放つ−

北畠 顕家(1)
2011年8月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110813/20110813027.html
弱冠20歳で花と散る 市民の思い、堂々たる墓碑

三善 貞司
 北畠公園(大阪市阿倍野区王子町3丁目)にある北畠顕家の墓碑は広く知られる。「別当鎮守府将軍従二位権中納言兼右衛門督陸奥権守源朝臣顕家卿之墓」と刻まれた見事なもの。

 ただし、もとは「大名塚」と呼ばれた阿倍野古墳群のひとつで、古松一株ある塚だったが、享保8(1723)年並河誠所(なみかわせいしょ)がこれを顕家墳墓だと断定し、建墓したのに因(よ)る。

 井上正雄は名著『大阪府全志』で、次のように記している。

 「(大名塚と称した墳を)『太平記』の記事に因(より)て、卿の墳墓となしたるなり。岡田溪志(おかだけいし)の『摂陽群談(せつようぐんだん)』に、所伝云(いう) 北畠中納言顕家卿ノ古墳也(なり)ト とあり。是時(このとき)伝説のみにて称呼せしかば、並河永(誠所)の摂津志に至り、直(ただ)ちに顕家卿墓と標(しる)し、在阿部野村云々(うんぬん)と註(ちゅう)したれば、かく認定せられし」

 並河誠所は徳川中期の儒学者。伊藤仁斎の高弟。博学で知られ、経史・諸子百家(中国春秋戦国時代の思想家たち)から和歌・文武・兵法にまで通じたという。日本には地誌のないのを嘆き、享保年間(1716〜36)五畿内を歩いて史跡・口碑・伝承などを収集、『輿地(よち)通志』61巻にまとめて幕府に献上、世間を驚かせている。摂津志もそのひとつ、好奇心旺盛な学者だから、巷説(こうせつ)にとびついたのかもしれない。なお『摂陽群談』は元禄14(01)年の刊だから、溪志は30年ほど前に大名塚が顕家の墓というのは「伝云(伝承の話)」だと、明確に書いている。

 その伝承を事実だと認定した根拠は、『太平記』(著者不詳)の次の部分だ。

 「(天王寺で高師直(こうのもろなお)大軍と戦った顕家軍は)小勢なれば身命棄てて戦ふといへども、利無くして諸卒散々、顕家卿芳野へ参らむと志し、僅(わず)か二十余騎にて大敵の囲(かこみ)を出でむとせしも、戦功徒(いたず)らにして、五月二十二日、和泉の境安部野にて討死し給ひければ、相従ふ兵悉(ことごと)く腹切(きり)一人も不残失(う)せにけり」

 この記述を全くの誤伝だと指摘したのは文学博士星野恒で、大正初年に「北畠顕家卿の戦没地と其(その)墓」と題した論文を発表する。彼は「深掘文書」「吉川・小早川文書」等の古文書と、『公卿補任』『元弘日記裏書』等数多くの文献を詳細に検討し、大要次のように述べている(口語に直す)。

 (1)官軍(顕家軍)は延元3(1338)年3月16日、師直(足利尊氏(あしかがたかうじ)の家臣。合戦の名手高師直)兵と天王寺、及(およ)び安部野で戦い、官軍利を失って敗走。

 (2)5月6日、官軍堺浦を攻撃。和泉の日根野道悟、足利勢に加担し防戦。

 (3)5月8日、師直天王寺に陣す。

 (4)5月9日、官軍熊取・佐野・長滝三城を攻めるも、道悟軍に敗北。

 (5)5月16日、師直堺浦の官軍を猛攻。

 (6)5月22日、顕家官軍諸兵を糾合(きゅうごう)し、堺浦師直兵を攻撃するも大敗。顕家石津で戦没。名和義高・南部師行・新田綿打等皆死す。

 さらに恒は、顕家の戦死を喜んだ足利尊氏が、諸国の大名たちに告知した手紙を挙げ、そのなかに「五月二十二日辰刻(たつのこく)摂津国堺浦 顕家・綿打等凶徒数輩討(うち)取」「顕家等凶徒和泉石津 悉討取」などと記されていると明示し、「安部野は天王寺と接している。敗走した顕家軍が、師直の本陣に近い安部野で戦うわけがない。太平記の著者の杜撰(ずざん)なうろおぼえにすぎず、資料の価値もない」と断定している。

 事実はそうであろうが、北畠公園は昭和3(1928)年「北畠顕家顕彰会」が募金活動を行い、墓域を拡張、民家や私有地を買収して史跡公園を造成、大阪市に寄贈したものだ。二重台石に伏亀を置き竿石(さおいし)を乗せた堂々たる墓碑で、弱冠20歳で花と散った若武者顕家を惜しむ市民の熱い思いがあふれている。

(地域史研究者)

396よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/14(日) 09:31:06 ID:.lBx5.Cw0
澪標 ―みおつくし―

文学者を偲ぶ住まい 高橋 俊郎
オダサク倶楽部・図書館司書
2011年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/110812/20110812027.html

 文学者のゆかりの地やその作品の舞台を歩き、空間を共有することが文学散歩の楽しみだが、街の匂いや音の風景、その住まいのたたずまいからは、作家の息遣いすら感じる時がある。ただ、その住まいが残されているものは少ない。

 東京都新宿区に「林芙美子記念館」がある。『放浪記』を代表作とする林芙美子が、昭和16年に建てて夫や母と暮らし、第2次大戦の戦災からも免れ、大阪を舞台にした『めし』を新聞連載中の昭和26年に亡くなるまでを過ごした住居である。

 茶の間や客間、書庫などが当時のまま残され、新宿区の文化財に指定されている。著名な建築家山口文象の設計で、純和風建築の中にもバウハウスの流れを引くモダンな感覚や、芙美子のこだわりが随所に感じられ、広い庭とともに落ち着いた豊かな空気が流れている。自らが調理したという台所の流し台の高さは、小柄な芙美子を想像させ、倒れて亡くなったという書斎では、背を丸めて一心不乱に執筆する姿を見たような気がした。

 全国に文学者の記念館は様々(さまざま)あるが、自宅をそのまま記念館としたものは意外と少ない。時代の古い作家の場合はもとより、戦災で失われたものなど現在に残るものが少ない中で、老朽化や所有者の事情で失われてしまうものもあり、残念すぎる現実もある。

 大阪ではこの1月に、東住吉区北田辺にあった開高健の育った家が解体された。神奈川県茅ケ崎市には、亡くなるまでの15年間を過ごした邸宅が「開高健記念館」として残されているから、大阪人としては寂しさが増すばかりである。

 逆に、直木三十五は生まれ育った中央区谷町に、民間のからほり倶楽部を中心にして、6年前に「直木三十五記念館」が建てられた。この記念館の内装のモデルは、晩年に自ら設計した横浜市金沢区富岡東の邸宅だが、この邸宅が6月末に取り壊された。

 関東大震災後に関西に移り住んだ谷崎潤一郎は転居をくり返したが、昭和3年に神戸市東灘区岡本に自ら設計して建てた「鎖瀾閣(さらんかく)」は阪神大震災で全壊して、再建はできなかった。他に住んだ家は『細雪』の舞台となった東灘区住吉東町の「倚松庵(いしょうあん)」や芦屋市宮川町の「打出の家」が残されていて、芦屋市には「谷崎潤一郎記念館」が建てられている。

 住まいが残されていなくても、記念館や文学館によすがを残すと、地域の資源として生かされる。川端康成は北区天神橋に生まれ、東淀川区豊里を経て茨木市で育ったが、昭和60年に茨木市が「川端康成文学館」を建てた。茨木市には中央図書館に併設して「富士正晴記念館」もあり、その書斎も再現されている。

 さて、紛れもなく大阪の作家である織田作之助は天王寺区生玉前町の長屋に生まれたが、もちろんその生家は残っていない。しかし、生涯にそこだけ「織田」の表札を出し、そこで『夫婦善哉(めおとぜんざい)』も執筆した新婚当時の長屋が堺市東区丈六に残っており、東京に出て亡くなる直前まで身を寄せた富田林市寿町の実姉宅に残された遺品が、近くの旧杉山家住宅に展示されている。生誕百年を2年後にひかえて、織田作之助という資源を大阪としてどう生かすのか、私たちの課題に他ならない。

 (たかはし・としろう 大阪市西区)

397よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/14(日) 10:38:52 ID:.lBx5.Cw0
2011年8月13日
境内に映えるサギソウ 坐摩神社
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/13/20110813-056521.php

 大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社で栽培されている「サギソウ」=写真=が見ごろを迎え、風に揺れる純白の花々が訪れた人たちを楽しませている。

 サギソウは、日当たりの良い湿地などに自生するラン科の多年草。細長い茎の先に直径3センチほどの白い花を2〜3個ずつ付け、シラサギが翼を広げた姿によく似ている。

 同神社の神紋「鷺丸」にちなみ、権禰宜(ごんねぎ)の北岡忠澄さん(36)が十数年前から育てており、境内には「青葉」「暁」など5種類のサギソウ約40鉢が並ぶ。順々に花を咲かせていくため、9月上旬まで楽しめるという。

 北岡さんは「サギソウの白い花を見てひとときの涼を感じてもらえれば」と話している。問い合わせは同神社(電話06・6251・4792)。

398よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/14(日) 13:10:12 ID:.lBx5.Cw0
終戦前日の空襲 犠牲者慰霊祭
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004769391.html

66年前のきょう、終戦の前日にアメリカ軍の空襲で大きな被害を受けた大阪・京橋で犠牲者を追悼する慰霊祭が行われました。
大阪・城東区の現在のJR京橋駅の付近は終戦前日の昭和20年8月14日にアメリカ軍の爆撃機による空襲を受け、住民や電車の乗客など500人を超える犠牲者が出たと言われています。
JR京橋駅ではこの悲惨な歴史を風化させまいと毎年、犠牲者の遺族や地元の人たちが慰霊祭を行っていてきょうはおよそ200人が参列しました。
慰霊祭では千羽鶴がささげられた慰霊碑の前で近くにある大阪市立聖賢小学校の児童が「学校で空襲や戦争を学びましたが、爆弾が落ちたとき、自分がそこにいたらと思うと恐くてたまりません。世界中から戦争がなくなる日が来ることを願い、わたしたちも二度と戦争を起こさないことを誓います」と平和への言葉を読み上げました。このあと法要が営まれ、参列した人たちは戦争で犠牲になった人たちに祈りをささげ手を合わせていました。
当時、現場にいたという81歳の男性は「爆弾が落ちた後、あちらこちらに手や足のちぎれた大勢の女の人が倒れていました。戦争は本当にいやだという思いで体が動く限りこれからも参列したいと思います」と話していました。

08月14日 12時18分

399よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/14(日) 13:16:45 ID:.lBx5.Cw0
「今でも爆撃思い出す」 大阪・京橋駅空襲慰霊祭
2011.8.13 23:39
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110814/osk11081412270004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110814/osk11081412270004-n2.htm

 終戦前日の昭和20年8月14日、米軍の爆弾が現在のJR京橋駅(大阪市城東区)を直撃し、乗客ら数百人の命が奪われた京橋駅空襲。14日に66回目の慰霊の日を迎え、同駅近くで慰霊祭が営まれる。

 「今でも高架下で電車が通り過ぎる轟音(ごうおん)を聞くと、爆撃を思い出す」と話すのは慰霊祭世話人会会長で元府議の京極俊明さん(80)=大阪市北区。

 当時、旧制生野中学校(同市生野区)に通っていた京極さんは、空襲警報が鳴ったため、直ちに帰宅を命じられ、友人2人と城東線の寺田町駅から大阪駅行きに乗った。途中、「爆撃のたびに、電車が上下に揺れた。車内は大混乱だった」と振り返る。

 電車が京橋駅に到着したのは午前11時過ぎ、片町線の連絡口へ走ると、40〜50歳ぐらいの男性から「ここはもういっぱいや」と突き飛ばされた。泣きじゃくりながら別の避難場所を探し、屋外の高架下に駆け込むと、そこでも軍刀を持った将校から別の場所へ行くように指示をされた。

 結局、京極さんは近くの溝に隠れたが、まもなく、爆弾が駅を直撃し、将校らの姿は消えていた。

 「もし、将校らが自分を迎え入れていたら、自分も死んでいたかもしれない」と京極さん。その後、一緒に下校した友人が亡くなっていたことも知った。

 「駅で亡くなった人たちは避難のため家などに向かう人々が多かったはず。途中で命を落とし、家族に会えず、どれほど無念だったことか」

 京極さんは、昭和30年から始まった慰霊祭への出席を30年以上、続けている。「今では地元でも、当時のことを知る人が少なく、慰霊碑にいたずらをする人さえいる。戦争の悲惨さを伝え続ける灯を守っていきたい」と話していた。

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401よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/15(月) 18:44:14 ID:XBa16Z460
四天王寺 戦没者の慰霊式
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004871731.html

きょうは、終戦の日です。
大阪・天王寺区の四天王寺では戦争で亡くなった人たちを悼む慰霊式が行われました。
この慰霊式は戦争で亡くなった人たちを悼み、平和な世界になるよう祈ろうと終戦の日にあわせ大阪の四天王寺が毎年行っているものです。
終戦から66年になるきょうは、戦争で亡くなった人の遺族などおよそ40人が参列し僧侶が追悼のお経を唱えた後、順番に焼香し、戦争の犠牲者を思いながら静かに手を合わせていました。
式が行われたお堂には、戦前、重さがおよそ160トンある当時、世界最大級の釣り鐘がありましたが戦争中に物資として供出され戦後は遺族の願いで戦没者をまつるお堂として改装されたということです。
参列した76歳の男性は「戦争が終わって66年が経っても私にはまだ時間が止まっているように感じられます。当時は小学生でしたが戦地に行く父親を見送った時の最後の姿がよみがえってきました」と話していました。

08月15日 16時05分

402よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/16(火) 06:49:30 ID:WdUVLwBs0
精霊流し オフィス街協力
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110816-OYT8T00026.htm

お盆の15日、大阪市内を流れる堂島川にかかる玉江橋南詰めで、先祖をしのぶ「精霊流し」があった。行事を担う中之島連合振興町会(同市北区)の高齢化が進み、今年から近くのオフィス街の会社員らがボランティアで参加。町会メンバーらは「伝統行事に新しい息吹を」と期待を寄せた。

 精霊流しではかつて、川に供え物を流していたが、数十年前に川の汚染防止のために中止になり、今は供え物を市の清掃車が回収。同時に住民らが川岸に設置されたろうそく台に灯をともし、手を合わせている。

 町会は、最年少役員でも60歳近くと高齢化が進行し、「このままでは担い手がいなくなる」と危機感を強め、注目したのが近くのオフィス街。7月、約700事業所に協力依頼の文書を投函(とうかん)すると、約30人がボランティアに名乗り出た。

 この日、ボランティアはろうそく台の設置や、交通誘導に汗。中之島にある建設会社の社員五百井絢子さん(34)は、PR活動に役立てるために写真撮影を担当。「大勢の人が次々と来て、生活の一部になっている大切な行事だと感じた」と言う。町会の依田均会長(67)は「伝統を絶やせない。外からの目で課題を指摘してもらいながら、協力して残していきたい」と話した。

(2011年8月16日 読売新聞)

403よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/16(火) 20:15:08 ID:A2bPOB8A0
大阪空襲死没者追加銘板を除幕 名前確認 遺族安ど
2011年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110816/20110816024.html

 大阪市中央区のピースおおさか(大阪国際平和センター)で14日、「大阪空襲死没者追加銘板」の除幕式が行われ、集まった遺族らが新たに記された空襲被災者の名前を確認し、冥福を祈った。

 「大阪空襲死没者銘板」は、米軍による大阪空襲の死没者の氏名を登載した銅板。「大阪戦災障害者・遺族の会」が調査・作成した6千人分の名簿が1999年に同センターに寄託され、センターが引き継いで調査を実施し、9千人近くの名前が判明している。死没者を追悼し平和を祈念するため銅板に名を入れ、2005年につくった「刻(とき)の庭」に設置。設置以降に判明した死没者数は94人で、今回追加登載された。

 「豊中市に住んでいて防空壕(ごう)に逃げ込んだ時、爆弾が落ちた。私も含め家族が生き埋めになり、兄が亡くなった」と話す上田文子さんは、戦後生まれの妹の南節子さんとともに、兄の名前を確認しホッとした様子だった。

 「大阪戦災障害者・遺族の会」の伊賀孝子さんは「(遺族の気持ちとして)刻んだり、掘ったりするのは嫌だったので(銘板の名前は)打ち出してもらった。国籍も職業も問わないことに決めて行っている」と話していた。

404名無しさん:2011/08/16(火) 20:33:53 ID:9jiMpZ5k0
終戦記念日、私は東京在住なので靖国にまいりますが、
大阪の皆様はどこか決まって英霊を追悼しに行かれる場所ありますか?

405よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/17(水) 21:26:24 ID:hMsUk6To0
大阪税関:引き揚げ者の紙幣など虫干し−−1万点 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110817ddlk27040247000c.html

 大阪税関(大阪市港区)は、終戦後に海外引き揚げ者から預かった紙幣や証券など約1万点の虫干しを公開した。

 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は経済の混乱を防ぐため、海外からの通貨や国債、株券などの持ち込みを制限。大阪税関では、京都・舞鶴港と和歌山・田辺港で約5万3000人から11万点以上を預かった。

 約6割は持ち主や家族に返したが、返却数は年々減り、昨年は6点のみ。現在も4万5000点の引き取り手が現れていない。大阪税関は「貴重な品をできるだけ多くの方に返したい。気軽に連絡を」と話している。問い合わせは大阪税関(06・6576・3115)。【近藤希実】

406よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/17(水) 21:34:19 ID:hMsUk6To0
つなぐ(上)児童書で大阪の模擬原爆描く
2011年08月17日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001108170004

 本当(ほんとう)にあったことなのだ。それもすごく遠(とお)い、だれか知(し)らない人(ひと)どうしがやったことではなく、あたしの住(す)んでいるこの町(まち)の、いつもアイスを買(か)いに行(い)くコンビニの場所(ばしょ)にも、爆弾(ばくだん)が落(お)ちたのだ。

 先月26日に出版された児童書「パンプキン! 模擬原爆(もぎげんばく)の夏」(講談社)の一場面。小学5年生のヒロカは、冷えたスイカを食べる気にもなれないくらいショックを受けた。夏休みのある日、大阪市東住吉区の自宅近くに昔、米軍が原爆投下の訓練のための爆弾「パンプキン」(模擬原爆)を落とした事実を知り、その理由を聞いたからだ。ヒロカの驚きは、本を書いた児童文学作家の令丈(れいじょう)ヒロ子さん(47)の体験でもある。

 ヒロカと同じ、大阪市東住吉区で生まれ育った。1990年にデビューし、ヒット作の「若おかみは小学生!」シリーズは発行部数230万部を数える。2005年、近くのコンビニに行く道すがら、ビルの脇にひっそりたたずむ石碑に気がついた。

 「模擬原子爆弾投下跡地」。何だろう、これ。繰り返し読んでもピンとこない。近所の人に聞いても首をかしげるばかり。08年、地元で模擬原爆の歴史を語り継いでいるメンバーに出会い、碑の意味を知った。

 終戦直前の45年7月26日、この地にパンプキン爆弾が落とされ、7人が亡くなり、多くの住民がけがをしたこと。パンプキンは14日後に長崎に落とされ7万人以上の命を奪った原爆と同じかたち、重さだったこと。大阪だけでなく日本各地に計約50発が落とされたこと――。

 自分の生活から遠かった「ヒロシマ」「ナガサキ」が急に身近に感じられた。「大阪が被爆地になっても、おかしくなかった」。メンバーの思いを受け止め、初めて史実に基づく著作に挑戦することにした。

 調べるほどに事実は重く、何度もくじけそうになった。「直接の体験者でも、2世でもない自分が、原爆を扱っていいのか」と悩んでいる時、被爆2世の同業者朽木祥さんから励まされた。「無関心になるのが一番怖い。子どもたちに伝えてほしい」

 裾野の広い児童書で、戦争を体験した世代と子どもたちの「中継ぎ役」になろう。そう思った令丈さんは子どもたちが理解しやすいように、戦争に関心が薄い子どもだった自分を登場人物にダブらせた。

 作品では、事実を知ったヒロカは、父親や祖父、同い年のいとこの助けを借り、パンプキン爆弾や原爆、戦争、日本以外の核の被害も調べ、自由研究として壁新聞にまとめた。

 「パンプキン!」は発売1週間で増版が決まった。令丈さんは「受け止め方は様々でいい。大人も含め、パンプキン爆弾のことを知り、事実を知るきっかけになってくれたら」と話す。

◇若いみなさんへ◇

 痛みを伴うかもしれないけれど、自分の国の過去、事実を知る努力をしてほしいです。事実を知らないと、声の大きい人の意見に「そうかな」と思ったり、他者の気持ちがわからなかったりしてしまいます。自分の意見を持つことが大事。新聞でいつもは読まないような記事をみる、ケータイやパソコンで検索してみるなど、ほんのちょっとした「知る努力」をするだけで、ずいぶん違うのではないでしょうか。(談)

 ◇

 戦後66年。戦争体験者の高齢化が進む中、戦争の事実を若い世代につなぐ取り組みをする戦後世代を紹介する。(この連載は3回です)

407よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/17(水) 21:41:39 ID:hMsUk6To0
66年目の「終戦の日」 ろうそくともし戦没者供養
2011年8月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110817/20110817023.html

 66年目の「終戦の日」を迎えた15日、大阪市天王寺区の旧真田山陸軍墓地では埋葬される戦没者らを供養しようと約5500本のろうそくに火がともされ、墓地一帯が幻想的な雰囲気となった。

 同墓地は、1871(明治4)年創設。明治維新後の戦没者や、病気、事故などで亡くなった兵士らが埋葬されており、墓碑は5200基以上あるという。

 ろうそくの点火は、近隣の興徳寺(青木隆興住職)が毎年この日に寺の精霊流しに合わせて実施。本堂に参った檀家(だんか)らがろうそくを手に墓地を歩き、周囲に生えた草などを取り除きながら1本ずつ丁寧に明かりをともしていった。

 また今年は「日本の心」の探究を目的に教養講座などを開くNPO法人大楽小楽(同市中央区)の会員らも初めて参加。真田山陸軍墓地維持会常務理事の吉岡武さん(73)らの案内で墓地を巡った後、ろうそくの点火に加わり、鎮魂の思いを込めて「ふるさと」などを合唱した。

 同NPO法人理事長の石黒一さん(81)は「今の日本では国を守るという議論が一切なされていない。人によって思いを異なるだろうが、きょうの活動をきっかけに皆で真剣に考えてほしい」と話していた。

408名無しさん:2011/08/19(金) 21:01:03 ID:zxAJVKpU0
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/19/20110819-056730.php

2011年8月19日
【海を越えて 松下幸之助研究】(上)欧州で共鳴した経営理念

 8月の強い日差しを浴びた南欧風の建物は、周囲の工場と一線を画し、そこだけ異彩を放っていた。

 1933(昭和8)年の本店社屋を復元した大阪府門真市の「パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館」。パナソニックの幹部、社員もたびたび足を運ぶこの歴史館に、50回以上訪れた外国人がいる。

 パナソニックの英国販売会社パナソニック イギリスの社長をつとめるキース・エバンス(55)だ。

 「歴史館で会社の変遷を見ると、創業者は大恐慌を経験し、第二次世界大戦後は一からやり直さなければならなかった。しかし、決して諦めなかった」

 日本の企業経営者で、幸之助のことを知らない人はまずいない。書店には幸之助の関連本があふれ、自らも数え切れないほどの言葉を残している。それらは日本だけでなく、海を越え、エバンスのように海外にも熱烈な信奉者を生み出してきた。

      □   □
 
 幸之助が活躍した時代は日本の高度成長期と重なっていたため、国内でのさまざまな経営政策に目が奪われがち。が、海外に対する興味と熱意は創業時から並々ならぬものがあった。

 1935年に初の海外駐在員をフィリピンに置き、この年には外国人社員を初採用。39年には中国・上海に乾電池を生産する海外初の工場を設立した。

 終戦で海外の工場は相手国に接収されたが、59年に海外販売会社「アメリカ松下電器」、61年に戦後初の海外製造会社「ナショナル・タイ」を設立した。

 幸之助自身も、生涯で計19回、11カ国を訪問。海外の先端技術や経営手法を相次いで導入する一方、「経営理念は当社の方がすぐれているとの確信を得た」という。

      □   □
 
 幸之助は51年に英国など欧州を初視察した。それから約60年―。欧州は今、各国の財政不安が高まり、物価高騰で消費低迷が続く英国の経済状況も厳しい。

 「欧州は文化も言語も生活習慣も異なる。こうした中では、経営理念の存在がビジネスを展開するときに重要となる」とエバンスは強調する。

 幸之助がわずか34歳で定めた「綱領」、いわゆる経営理念は単純明快だ。

409名無しさん:2011/08/19(金) 21:01:33 ID:zxAJVKpU0
《生産・販売活動を通じて社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与すること》

 きわめて当たり前のことが書かれているが、こうした理念を掲げる企業は確実に減りつつある。だが、同社幹部の一人は「創業者の言葉がよりどころとなることは少なくない」と話し、エバンスも「コモンプラットフォーム(共通基盤)があることは強みだ」と説く。

 経営理念の存在は、同じ思想を持つ企業同士を結びつけることもある。フランスで家電量販店などを展開する流通大手Fnac社と同国で強固なサプライチェーン(供給網)を構築できたのは「経営理念を共有化できたことが大きい」と顧問の大月均(64)は話す。両社の協業は商品の共同企画にまで発展し、欧州における量販店政策のビジネスモデルとなっている。

      □   □ 

 幸之助が死去し、すでに22年。パナソニック イギリス社長のエバンスは、生前の幸之助に一度も会ったことがない。

 「もしも生きていたらこう言われるでしょうね」

 『新しい変化を何か取り入れましたか?』

 軸(理念)は変えず、それ以外は変化を恐れない―。これは混沌(こんとん)とする世界経済など激動の今を乗り切るためのヒントでもある。 =敬称略

       ◇
 
 米欧の財政悪化は金融市場を揺さぶり、世界経済の先行きは不透明さを増している。経営者が今なすべきことは何なのか。「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助の海外展開を通じ、その答えを導き出してみた。

 まつした・こうのすけ 明治27年和歌山県生まれ。9歳のとき奉公に出され、15歳で大阪電燈(現・関西電力)入社。大正7年に松下電気器具製作所を創業した。一代で世界的な電機メーカーを築き上げるとともに、独自の経営論などで後の企業経営者に大きな影響を及ぼした。昭和54年には私財を投じて松下政経塾を設立、政治家の育成にも力を注いだ。平成元年4月、94年の生涯に幕を閉じた。

410名無しさん:2011/08/19(金) 22:14:19 ID:zxAJVKpU0
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/19/20110819-056736.php

2011年8月19日

【リポート大阪 2011】旧府庁舎跡にマンション建設 "大大阪の証言者"に保存の声
 明治初めに建設され、昭和20年の大阪大空襲で焼失した旧府庁舎跡が、大阪市西区江之子島(えのこじま)の発掘調査で見つかった。建物の豪華さから「江之子島政府」といわれ、大阪市が人口、面積とも首都・東京市(当時)をしのぐ「大大阪時代」(昭和初め)を見届けた歴史の証言者。しかし、マンション建設で破壊されることになり、研究者らから「一部でも保存を」との声が上がる。(小畑三秋)

 旧府庁舎跡は、高層マンションなどに囲まれた一角で出土。地下のレンガ積みの壁は人の背丈まで残り、旧府庁舎のシンボルだった円形ドームの基礎や石の階段などは当時のまま。発掘現場を歩くと明治期にタイムスリップしたようで、7月30日の現地説明会には千人近くが訪れた。さびた鉄扉もひしゃげた状態で残り、66年前の空襲の痛々しい姿をとどめる。

 発掘は、旧府庁舎跡用地の民間売却に伴って府文化財センターが実施。重機で1メートルほど掘り下げると大量のレンガが出土し、レンガ積みの高さ2メートル近い暖炉や、床がタイル敷きの豪華な部屋なども見つかった。

 石田潤一郎・京都工芸繊維大教授(近代建築史)は「レンガの大量生産ができなかった時代に、これほどふんだんに使ったのは当時の先端技術を駆使した証し」とし、「明治という新しい時代の到来を示す最高の権威として造られたのだろう」と話す。

 しかし、旧府庁舎跡はマンション建設で姿を消すことになり、「記録保存する」(府教委文化財保護課)という。記録保存は、発掘調査で写真撮影や測量などを行い報告書として記録することで、遺跡そのものは残らず、保存とは程遠い。

 文化庁記念物課によると、平成21年度に本格調査された全国の遺跡のうち記録保存は8割以上を占め、残りは史跡整備や学術調査などに伴うもので保存が前提。開発で破壊される予定の遺跡が、保存される例は極めてまれという。

 旧府庁舎跡の全面的保存となれば、売却した土地を再び買い戻さなければならず、事実上不可能。暖炉や壁など一部の保存について府教委文化財保護課は「技術的には可能」としながらも、「調査費として開発業者側に数千万円を負担してもらっている」とし、保存する場合、費用面などの課題も多い。同課は「レンガの一部など、現場で取捨選択して資料として持ち帰る」と説明するにとどまる。

 近代遺跡が大規模に調査される例は少なく、石田教授は「保存には大変な面もあるだろうが、大阪が輝いていた時代を示す貴重な資料。暖炉やドームの基礎など一部でも残すよう努力してほしい」と話す。

旧府庁舎 明治維新とともに江戸幕府の旧西町奉行所(大阪市中央区)が使われたが、明治7年に外国貿易の拠点となる大阪湾近くの江之子島に移転。今回見つかった建物跡は2代目にあたる。円形ドームのある2階建ての中央棟と南北棟があったが、手狭になったため大正15年に現在の場所(中央区大手前)に移された。2代目庁舎はその後、府工業奨励館として使われたが、空襲で焼失した。

411名無しさん:2011/08/19(金) 22:27:29 ID:zxAJVKpU0
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/18/20110818-056685.php

2011年8月18日

弥生時代の謎 銅鐸に迫る 和泉市の弥生文化博物館で特別展
 弥生時代最大の謎を秘めた青銅器「銅鐸(どうたく)」をテーマにした特別展「豊饒(ほうじょう)をもたらす響き 銅鐸」が、大阪府和泉市池上町の府立弥生文化博物館で開かれている。精巧な文様のある国宝銅鐸(神戸市桜ケ丘出土)など70点を展示。弥生人の高度な技術や精神世界に迫ることができる。9月11日まで。

 銅鐸は約2200年前の弥生時代中期から同時代末までの約400年間にわたり、近畿から中四国を中心に出土。全国で約600個が確認されている。

 銅鐸にはシカや鳥、人が脱穀をする様子などが描かれ、五穀豊穣(ほうじょう)などを祈ったとされる。本来は鐘のようにつるして音を鳴らしていたのが弥生時代末になると1㍍以上の大型になり、祭壇に置いて祭祀(さいし)で使ったとされる。集落中心部より山間部などで見つかることが多く、勢力圏の境界に埋めることで外敵の侵入を防ごうとしたともいわれる。

 特別展では、時期とともに製作技術の変遷がたどれるよう工夫。製作途中で青銅が行き渡らなかったため補修した痕跡のあるものや、表面が極めて丁寧に磨かれたものなど“匠の技”もたどることができる。

 銅鐸に詳しい奈良文化財研究所の難波洋三企画調整部長は、同博物館の講演会で銅鐸の意義について解説。当初は河内地域など限られた場所で生産されたのが近畿周辺も含めて10カ所以上に増え、再び数カ所に集約されていくとし「倭国が『百余国』から『三十国』になり、邪馬台国など有力勢力にまとまっていく状況を反映した可能性もある」と指摘した。

 会期中の講演会の日程は次の通り。27日=「大岩山銅鐸からみえてくるもの」鈴木康二・滋賀県立安土城考古博物館学芸課主任▽9月11日=「弥生時代祭祀と銅鐸」金関恕(ひろし)・弥生文化博物館長。いずれも午後2時から。

 問い合わせは同博物館(電話0725・46・2162)。

412よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/20(土) 18:45:43 ID:n9uWDWaM0
なにわ人物伝 −光彩を放つ−

北畠 顕家(2)
2011年8月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110820/20110820050.html

学問優秀、武芸・軍略に通ず 18歳で2国を与えられる

 三善 貞司
 大阪では今も花と散った若武者として人気の高い北畠顕家は、文保2(1318)年北畠親房(ちかふさ)の長男に生まれた。

 父親房は後宇多(ごうだ)・後醍醐(ごだいご)・後村上(ごむらかみ)三天皇に仕えた宮廷の元老で、とりわけ後醍醐天皇の信任は厚く、元亨元(21)年院政が廃され後醍醐天皇の親政になるや右腕となって補佐し、皇子世良(ときなが)親王の養育に当たったが、元徳2(30)年親王が夭折(ようせつ)、嘆き悲しんで宗玄と名を改めて出家、表舞台から消える。

 そちの責任ではないと強く慰留してならなかった天皇は、この年代わりにまだ12歳の顕家を左中弁(さちゅうべん)に任じ、2年後には参議に昇進、左中将(さちゅうじょう)も兼ねるという異例の出世で、廷宮たちの物議をかもした。しかし天皇のえこひいきではない。学問に優れ武芸・軍略に通じ、しかも天皇の北山行幸に供奉(ぐぶ)したおり、花宴で羅陵王(らりょうおう)(雅楽の演目の一。中国北斉の羅陵王長恭が、美貌を仮面でかくし敵軍を破ったもの=抜群の技量と美少年でなければ勤まらぬ)を演じて列座の人たちを感嘆させたから、誰もが麒麟児(きりんじ)だ、神童だともてはやすようになる。

 政治改革を目指していた後醍醐天皇は、幕府の失政が続き武家の信頼までゆらぐのに目をつけ、王朝統一を図り元弘元(31)年討幕の計画を立てるが捕縛され、隠岐に流された。いわゆる「元弘の変」だ。しかしこの事件は北条幕府に不満を持つ足利尊氏(あしかがたかうじ)・新田義貞(にったよしさだ)・名和長年(なわながとし)らが挙兵する火種になり、全国的な内乱となって幕府は壊滅、同3年「建武の中興」と呼ばれる王朝中心の新政府が誕生する。

 建武の中興は鎌倉から西の畿内・中国地方が中心だったから、難題は奥羽両国(陸奥と出羽)の治安だ。そこで天皇はまだ15歳の顕家を従三位に叙し陸奥守に任命、皇子義良(のりなが)親王をつけて任地に赴任させる。顕家は宮城郡多賀を国府とし、鎌倉幕府の職制をまねた政務機構をつくり、高官に奥羽の武将たちを起用、大変な努力と苦心を重ね、なんとか人心を掌握する。もちろん建武の中興のときは、出家の身として政治に全く関わりを持たなかった父親房が同行、神童とはいえ世事に慣れぬ顕家をよく支え、なにかと知恵を出したのが大きい。

 奥羽安定の知らせを受けた後醍醐天皇は手放しで喜び、勲功白眉(はくび)なりとして従二位、鎮守府将軍に任命との破格の待遇で報いる。

 しかし天皇の性急な理想政治構想は、2年たらずで破綻した。建武中興最大の功労者足利尊氏の野望だ。彼が北条幕府を倒したのは父祖の志を継ぎ、源氏による幕府再興のためで、百数十年も続いた武家政治を王朝政治に改めることではない。論功行賞に不満を持つ地方の武将たちも取り込み、建武2(35)年北条の残党北条時行(ときゆき)の反乱を押さえると称して大軍を率いて下向、鎌倉に居座って勅命にも従わなくなる。

 天皇は新田義貞軍を差し向け、京に召喚しようとするが両軍は箱根で激突、義貞軍は大打撃を受けて敗走する。尊氏軍は追跡して京に迫り、朝廷方は楠木正成(くすのきまさしげ)に防戦させたが兵数に大差があり、天皇は京を離れ比叡山の延暦寺に落ちた。天皇が待ち焦がれていた顕家が、ようやく奥羽から駆け付けたのは、その直後である。

 翌延元元(36)年1月、顕家は新田義貞・楠木正成・結城宗広(ゆうきむねひろ)らと軍略を練り、京の皇居を占拠した尊氏軍と激突する。正成の知略と顕家軍の勇猛果敢な攻撃はすさまじく、尊氏軍は徹底的にたたきのめされ逃走、追撃した正成・義貞軍に西宮の打出浜で包囲され壊滅、尊氏らは辛うじて海上に逃げ、船で鎮西(九州)目指して落ちていった。

 顕家は京にとどまり足利色を一掃、大喜びの天皇は、鎮守府大将軍、権中納言に任じ、常陸(ひたち)・下野(しもつけ)の二国を与える。まだ18歳の若者にだ。

(地域史研究者)

413よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/20(土) 19:09:58 ID:n9uWDWaM0
2011年8月20日
【海を越えて 松下幸之助研究】(中)アジア進出 利益は二の次
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/20/20110820-056767.php

 2008(平成20)年5月10日、大阪府門真市の松下電器産業(現パナソニック)本社は朝から緊張したムードに包まれていた。国賓として訪日した中国の胡錦濤国家主席が午後、同社を視察することになっていたからだ。

 「中国の省エネ・環境保護分野に新たな貢献を果たしてほしい」

 胡主席は応対した中村邦夫会長にこう要請した。その光景は30年前のあの日を再現したかのようだった。

 ■ □ ■

 小雨が降る中、当時相談役だった83歳の松下幸之助は大阪府茨木市のテレビ工場正門前で、中国のトウ小平副総理(当時)を出迎えた。1978(昭和53)年10月28日のことだ。

 トウ氏は、音声多重のカラーテレビなどに関心を示しながら工場を視察。電子レンジであっという間に出来上がった湯気を立てるシューマイを工場社員に差し出され、驚いた表情を見せながら口にほうり込んだ。

 「技術・経営面での援助をお願いしたい」

 「できる限りのお手伝いをします」

 中国の改革開放を進めていたトウ氏の要請に対し、幸之助はこう快諾した。パナソニックの中国事業が本格的に動き出した瞬間だ。

 79年に白黒テレビのブラウン管プラントを初輸出。87年には現地企業との合弁によるカラーブラウン管の製造会社「北京・松下彩色顕象管」を設立。日本企業による戦後初となる中国への工場進出となった。現在、パナソニックは中国に約120社を展開、社員数は計約10万人にのぼるなど、日本企業として最大規模を誇る。

 ■ □ ■

 業界に先駆けて中国進出を決断した幸之助だが、それは市場の成長性を先読みして商機と考えたからではない。進出にあたっては収益性を詳細に調べ、検討を重ねるが、相手国の発展につながるかどうかを最終の判断基準としていた。

 《まず相手国の利益を第一に考える。自分の企業のため、自分の国のためをまったく考えないというのではないが、それが先になってはいけない》

 株主重視で利益を優先したり、円高対応で海外に生産移転する今の企業経営者とは異なり、「進出国の発展、人々の福祉に役立つこと」にこだわり、それを進出理由としてきた。インドネシアもそのひとつだ。

 ■ □ ■

 「1万以上の島々に住む国民とコミュニケーションがとれるようラジオの生産に協力してほしい」。インドネシアの財閥企業の創業者モハメッド・ゴーベル氏の要請に対し、ある日系電機メーカーは「商売にならない」と一蹴。だが、幸之助は「産業を興す手伝いができるのならば」と技術援助を決めた。中国進出のときと同じだ。

 1962年に同国初の白黒テレビを生産以来、両社の事業提携は相乗効果を発揮し、販売、製造会社が次々と設立された。「創業者がすごいのは産業の基盤となる人づくりにも真剣に取り組んだところだ」。白物家電などの生産会社パナソニック マニュファクチャリングインドネシアの菅沼一郎社長はこう話す。

 《ものをつくる前にひとをつくる》

 幸之助が残した有名な言葉のひとつだが、インドネシアでは79年に私財を投じて教育財団を設立し、人材育成にも心血を注いだ。

 ■ □ ■

 トウ氏の要請から約30年を経てパナソニックは今、中国の環境先進化のための協力を求められている。5月末には、中国に家電リサイクルの新会社を合弁設立すると発表した。

 韓国勢が世界の家電市場を席巻する中、「幸之助のグローバル観はそのままに今後は新たな強みが求められる」(関係者)と指摘する。そのひとつが環境技術での貢献であることは間違いない。 =敬称略

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415よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/23(火) 20:33:05 ID:vjw6fg8g0
2011年8月23日
近代建築 民都の底力 大阪歴史博物館で特別展
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/23/20110823-056837.php

 精密な図面や美しい装飾などを通して大阪の近代建築の魅力を紹介する特別展「民都大阪の建築力」が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている=写真。9月25日まで。

 開館10周年を記念して企画。近代の大阪では、大阪市中央公会堂や大阪城天守閣など、優れた構造やデザイン、細部装飾を持つ公共建築や商業施設が、民間の力や市民の協力などで数多くつくられた。今回は、大阪が誇るこうした“建築力”を、図面に表現された「描く力」、建物の細部に魅力を加える「装飾の力」、建築を愛する人たちによる「伝える力」の3つの視点から展覧している。

 会場には、初公開となる2代目通天閣の設計図のほか、旧鴻池本店のステンドグラスや漆工芸作家の島野三秋作「旧そごう大阪店エレベータ漆螺鈿(うるしらでん)装飾扉」など約280点が並ぶ。

 注目は、明治45年〜大正元年の「大阪市公会堂設計競技第1席 岡田信一郎案透視図」。当時はコンペ自体珍しく、1席作品をはじめ応募した建築家13人の図面が一堂に展示され、「100年前の図面が全部残っているなんて」と来館者を驚かせている。

 開館時間は午前9時半〜午後5時(金曜日は午後8時まで)。火曜日休館。

 観覧料は大人800円、高大生600円、中学生以下無料。

416名無しさん:2011/08/24(水) 12:28:09 ID:rpDEow8U0
「明治の大阪府庁」保存へ レンガ積み暖炉など遺構
2011年8月24日
http://www.sankei-kansai.com/2011/08/24/20110824-056879.php
 明治7年建設の旧大阪府庁舎跡=大阪市西区江之子島(えのこじじま)=から7月に発掘されたレンガ積みの暖炉など一部の遺構について、府が保存する方針を決めたことが23日、分かった。マンション建設に伴い破壊される予定だったが、研究者や市民らから保存を求める声が寄せられ、決断したという。

 旧府庁舎跡は、府有地の民間売却に伴い発掘。中央棟と南北両棟の地下のレンガ壁や、花崗(かこう)岩を組み合わせた中央棟の円形ドームの基礎部分(直径約6メートル)、レンガ積みの暖炉などが当時の状態で残っていた。

 研究者も歴史的価値が高いと評価、現地説明会には歴史ファンら千人近くが訪れるなど関心が高かった。府が開発業者側と協議し、円形ドームの基礎部分と暖炉、石の階段を現地から取り外して保存することを決定。担当の府財産活用課は「多くの人に見てもらえるよう保存場所などを検討したい」としている。府庁舎は大正15年に大阪市中央区の現在の場所に移転され、旧府庁舎の建物は昭和20年の大阪大空襲で焼失した。

417よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/25(木) 22:21:17 ID:KpXmsKCU0
旧大阪府庁舎:遺構の一部、移築・保存へ
http://mainichi.jp/kansai/news/20110825ddn041040009000c.html

 大阪府は24日、7月に発掘された明治初期建設の旧府庁舎跡(大阪市西区江之子島2)の遺構のうち、れんが造りの暖炉など一部を移築・保存すると発表した。マンション建設に伴い取り壊される予定だったが、府民や研究者から保存を求める声も寄せられ、「府民に親しまれる貴重な遺構で残すべきだ」と判断した。

 保存されるのは、遺構のうち、直径約10メートルの庁舎中央ドームの基礎部分▽れんが積みの暖炉(高さ約2メートル)▽石造りの階段(奥行約1メートル)−−の3点。府の担当者は「いずれも当時の庁舎の様子を伝えるシンボル的なもの」と説明する。遺構は現本庁舎(大阪市中央区大手前2)に移転する前に使われた1874年完成の庁舎の一部。

 旧府庁舎は2階建てで円形天井などしゃれたデザインで親しまれ、現庁舎への移転後も工業奨励館として活用されたが、1945年の大阪大空襲で焼失した。遺構はもろくなっているため、府は仮置き場を設置して保管し、保存方法や場所を決める。【高山祐】

418よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/25(木) 22:47:27 ID:KpXmsKCU0
行ってみよっと:枚方宿 思い巡らす江戸時代 変わらぬ淀川と景観美 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110825ddlk27040363000c.html

 「ぜひ枚方宿(しゅく)を行きましょう」。枚方観光ボランティアガイドの会の竹島健次さん(71)イチ押しのコースへ出発。

 東海道がこの枚方市を通っていた。「枚方宿は東海道56番目の宿です」と竹島さん。東海道……といえば五十三次と習ったもの。なのに56番目?? 江戸時代、東海道は江戸−京都の区間より延長整備され、大坂までとなった。それに伴い、宿も伏見、淀、枚方、守口と四つが加わった。枚方宿は品川の宿から数えて56番目というわけ。宿は幕府が指定した。荷物や書状は当時、宿から宿へとリレー方式で送り継ぎ、宿で荷物の積み替えなどを行った。

 ところで、東海道のうち大阪−京都間は、京都に向かう人は「京街道」などと呼び、「東海道」の名は地元で浸透しなかった。

 さて、その京街道の枚方宿を枚方市駅から歩き始める。両脇はビル。江戸の面影は見当たらない。「通りでタイルの色が違うところがあるでしょ」。道の脇はグレーだが、中央付近は赤などのタイルにして、街道跡を示している。これで江戸時代をイメージしよう。

 「ここ、ゾウも通ったんです」。ゾウ!? 八代将軍、徳川吉宗は外国の知識吸収や珍しい動植物の輸入にご熱心で、「ゾウを見たい」とのたまわれたらしい。“注文の品”は、享保13(1728)年、ベトナムから長崎港に上陸。陸路江戸へ向かう途中、枚方宿にも泊まった。

 さて先へ進む。道路工事にぶつかる。「電線の地中化工事です」と竹島さん。ありし日の情景に近づけようとの取り組みだ。

 万年寺山を登って、秀吉が建てた御茶屋御殿跡へ向かう。「見晴らしがものすごくええんですよ」。竹島さんが待ちきれないように予告する。なるほど、とうとうと流れる淀川が見下ろせる。わんわと波打つ水は生き物のよう。秀吉はここに枚方城主の娘を住まわせた。美女(?)をはべらせ、景観よし。ぜいたくなことよ。

 すぐ近くに梅林がある。花の頃はもちろんすばらしいだろうが、訪ねた6月は青々とした葉で覆われ、グリーンの空間がすがすがしい。「ほら、実が付いてますよ」。まんまるに太った青い梅の実がたわわに実っていた。

 家並みの中、竹島さんが、歩くのがやっとほどの細い路地を入る。えっ行くんですか? 進んだ先で納得。でーんと大きなムクの木が現れた。高さ20メートル以上、樹齢600〜700年。府指定天然記念物という堂々たる老木。「なんでムクの木っていうか知ってますか?」と竹島さん。考えたこともない。「ムクドリがたくさん来るからです」。葉はザラザラしているので、鋳物を磨くのに利用したと言われている。このムクの木の隣にはかつて鋳物工場があった。仕上げに役立てたのだろうか。

 淀川河川敷の淀川河川公園に降りた。シロツメグサのじゅうたんだ。ふわふわした感触が足の裏に伝わる。一歩一歩が腰に響かない。水辺ではたっぽたっぽと川の流れを楽しめる。

 「風が気持ちよろしいな」と地元の竹島さんも、顔にあたる風を感じている。向こうで、若者が草刈り機で雑草を刈り込んでいる。きれいな公園も彼らのおかげ。約2キロ、気持ちいいウオーキングだった。【三角真理】

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 枚方観光ボランティアガイドの会は希望コースを案内する。半日まで無料。問い合わせは072・841・0774(木曜休み)▽市立枚方宿鍵屋資料館に歴史資料展示がある。入館料(一般200円、小中学生100円)。火曜休館。072・843・5128。

419よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/25(木) 22:58:10 ID:KpXmsKCU0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/220 太左衛門橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110825ddlk27070369000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇芝居町へ、虚実つなぐ わけあり男女、題材に
 相合(あいあう)橋の西隣の太左衛門橋(たざえもんばし)は、道頓堀川の遊歩道整備に合わせて、08年に板を張り合わせて木製調に姿を変え、芝居町華やかなりしころをしのばせる。

 かつての芝居町・道頓堀と対岸の宗右衛門町を結ぶ太左衛門橋は、芝居と切っても切れない関係にある。

 松井今朝子さんの時代小説「東洲しゃらくさし」に、1794(寛政6)年ごろの道頓堀の描写がある。

 「数ある芝居小屋のなかでも、通りの真ん中に位置する『中の芝居』と、太左衛門橋を渡った角にあたる『角の芝居』の二つの小屋が、当時もっとも格式の高い大芝居とされていた」

 江戸時代、芝居といえば歌舞伎のことで、中の芝居とは中座、角の芝居は角座。いずれも今はない。中座の跡はレジャービルに、角座の跡は更地のままになっている。

 太左衛門橋の名は、芝居小屋の興行主だった大坂太左衛門に由来するらしい。「大阪人物辞典」によると、1652(承応元)年、太左衛門橋南詰めの東角に若衆歌舞伎の小屋を創設した。ちょうど角座の場所あたりだ。のちに角座の名代、つまり興行権の名義人(江戸では座元といった)として知られた。角座のご先祖さんだ。橋がいつ架けられたかは不明だが、大坂太左衛門が芝居見物に便利がいいよう、私費で架けたと推察される。

 芝居町のためにできたような橋だから、芝居の舞台にもなった。「宿無団七(やどなしだんしち)時雨傘(しぐれのからかさ)」は、太左衛門橋の橋詰めが重要な場となっている。

 太左衛門橋北詰めの髪結い床の職人が、湯女を殺した実際の事件を題材に、大当たりを取っていた芝居「宿無団七」に事寄せた作品で、作者は並木正三。回り舞台や役者の宙づりなど、次々に奇抜な舞台仕掛けを編み出した人で、この作品でも、作中に自身を登場させて話題になった。浄瑠璃の近松門左衛門と人気を二分した奇才だ。

 正三の弟子が、「東洲しゃらくさし」の一方の主人公である並木五兵衛(のちの五瓶)。京坂一の作者と名をはせ、大金で江戸の小屋に引き抜かれた。同作では、五兵衛が謎の絵師、写楽を見いだしたという筋立てになっている。

 恐らく、そんないわれも知ってのうえで、織田作之助は太左衛門橋を連作「女の橋」「船場の娘」「大阪の女」の舞台に使った。

 瀬戸物問屋「伊吹屋」の頼りない若だんなが芸者の小鈴にほれる。太左衛門橋の欄干にもたれながら、小鈴は赤子ができたと告げ、動転した若だんなは結婚を約束する。しかし、お家大事の番頭が仲を引き裂き、小鈴が産んだ女の子は伊吹屋が引き取る。数年後、落ちぶれ体を病んだ小鈴は、引き離された娘の舞踊の舞台で三味線を弾いて息絶え、太左衛門橋を運ばれていく。

 伊吹屋のいとはんとして育てられた小鈴の娘、雪子は、奉公人の秀吉と互いに恋心を抱く。東京に出た秀吉から電話があった、その最中に関東大震災が起きる。

 5年後、2人が再会するのが太左衛門橋。「もう春が近いのか、川風も何か生暖かく、ふと艶めいた道頓堀の宵である」。一度は嫁(か)した雪子は、芸者の子であるのがばれて離縁され、宗右衛門町の芸者になっている。片や秀吉は、仕事もなくうらぶれているが、妻がいる。2人はそのまま別れてしまう。

 第二次大戦の空襲で、狭い木橋だった太左衛門橋は焼け落ちる。落ちる寸前の燃え盛る橋を、雪子は娘の葉子の手を引いて北へ逃げる。木橋の太左衛門橋を最後に渡った、という設定だ。

 そののち。雪子が営む喫茶店の客と駆け落ちしたいという娘の恋情にほだされ、雪子は思う。「空襲の夜、雪子が太左衛門橋を渡って逃げる気になったのは、その橋が生みの母の死骸を送って行った橋であり、初恋の男と再会した橋であったからだ」

 いま、南詰めの角座の跡の辺りは、なぜかたこ焼き屋だらけで、健康そうな若い男女ばかりが目立つ。若だんなと小鈴のような、あるいは雪子と秀吉のような、いわくありげな二人連れの姿は、芝居町とともに消えたようだ。【松井宏員】

420よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/25(木) 23:06:35 ID:KpXmsKCU0
創業100年以上は大阪で1272社 帝国データバンク大阪支社
2011.8.25 20:35
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110825/biz11082520350037-n1.htm

 1912(明治45、大正元)年までに創業した「老舗企業」が大阪府内で1272社にのぼることが25日、帝国データバンクの調べで分かった。同社は昨年9月に全国ベースで創業100年以上の企業を調査した結果を公表したが、来年が大正元年からちょうど100年になるのを機に、初めて大阪府ベースでまとめた。

 全国には老舗企業が2万4847社あり、国内最古の飛鳥時代(578年)に創業した寺社仏閣建築「金剛組」(大阪市天王寺区)が府内でも最古。他に府内では、戦国時代(1566年)創業の寝具類卸「西川リビング」(同市中央区)もみられ、江戸時代も1610年創業の総合建設会社「竹中工務店」(同区)、1611年創業の医薬品小売り「ヒサヤ大黒堂」(同区)などがある。

 業種別で最多は「貸事務所業」(35社)。繊維卸などが構造不況に伴う業態転換を強いられ、所有するビルや駐車場などの運営を手がけるケースが多い。

 一方、近畿2府4県の老舗企業は計4258社。大阪府以外では業種別の最多は兵庫、奈良、滋賀の3県が「清酒製造」、京都府は「織物卸」、和歌山県は「酒小売」で、地場産業との関連性が強い。

421よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/27(土) 20:12:44 ID:kCKripNo0
なにわ人物伝 −光彩を放つ−

北畠 顕家(3)
2011年8月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110827/20110827044.html

天皇に異例の上奏文提出 北条幕府の腐敗政治批判

 三善 貞司
 延元元(1336)年1月、18歳の若武者北畠顕家は、楠木正成(くすのきまさしげ)・新田義貞(にったよしさだ)らと京を占拠した足利尊氏(あしかがたかうじ)軍を攻撃、敗北した尊氏らは鎮西(九州)に逃走する。

 王朝政治が復活した後醍醐(ごだいご)天皇は、顕家の功績は抜群だと鎮守府大将軍、権中納言に任じ、顕家は再び奥羽地方の治安のため、宮城郡多賀の国府に帰国した。

 ところがわずか4カ月後、急激に兵力を回復した尊氏・直義(ただよし)兄弟は大軍を率いて東上。防ごうとした楠木正成を湊川合戦で破り自害させ、後醍醐天皇は吉野に遷幸する。入京した尊氏は光明(こうみょう)天皇を擁立し建武式目を制定、新しい朝廷が誕生して異例の南北朝時代の幕が開いた。

 もちろん天皇は顕家に尊氏討伐を命じるが、天下の体勢は足利氏に加担する者が多く、奥羽の豪族たちも多賀国府を攻撃、翌2年に顕家は多賀を離れ霊山(福島県伊達郡)に移ったほどで、余裕はない。ようやくこの年9月、結城宗広(ゆうきむねひろ)・伊達行朝(だてゆきとも)らと軍兵を集め西上、まず足利義詮(よしあきら)(尊氏の子)を破り鎌倉を鎮圧、翌3年鎌倉を発(た)って東海道から京に入ろうと美濃に到着する。驚いた尊氏は高師冬(こうのもろふゆ)(高師直(もろなお)の養子)、師泰(もろやす)(師直の弟)を派遣して青野原で防戦、戦況は一進一退だったが沿道の今川・土岐(とき)らの諸将が全て足利方についたから、顕家はこのコースを断念、伊勢・伊賀を経て大和から京に進攻する道を選んだ。

 同年2月21日、奈良に入った顕家軍を倒すため、尊氏は執事高師直に大軍を付けて差し向ける。師直は尊氏の右腕で北条幕府を倒した最大の功労者、南北朝時代では並ぶ者なしといわれた軍略家でもある。これは尊氏がどんなに若武者顕家を恐れていたかの証しであろう。

 21日の合戦では顕家に利があらず、彼は河内に走るが官軍を再編成し、3月8日師直軍と天王寺(大阪市天王寺区)で戦い勝利。四天王寺を占拠して本陣とし、男山(京都府八幡市)に弟の北畠顕信(あきのぶ)を籠(こ)もらせ、京を攻撃しようとする。驚いた尊氏は師直に弟の直義を援軍に付け、まず男山の攻略に出るが失敗、続いて洞ケ峠(ほらがとうげ)(京都府南部と大阪府枚方市との境)合戦でも顕信に敗れた。

 師直は作戦を変更、男山を囲んで顕信軍を封じ込め、直義軍と合流して河内方面に進み、14日交野(かたの)(大阪府交野市)、15日渡辺橋(大阪市中央区)、16日天王寺と安部野(同市阿倍野区)で顕家軍と激突、今度はいずれも顕家方の旗色が悪く敗退した。

 5月6日顕家は四散した官軍を集め、堺浦(堺市堺区大浜〜石津一帯)に拠点を構えようとするが、頼みの和泉の豪族日根野道悟たちが足利方に味方、怒った顕家が彼らの居城熊取・佐野・長滝を無謀にも攻撃して大敗、官軍から逃亡する者が増える。

 一方、師直は5月8日天王寺を本陣とし、16日堺浦にも布陣、万全の構えをかためてから顕家との決戦に出た。顕家らは獅子奮迅の働きをみせるが衆寡(しゅうか)敵せず、「顕家卿立つ足もなく成(なり)給ひて、芳野へ参らむと志し、僅(わずか)に二十余騎にて大敵の囲(かこみ)を出でむと、自破利砕堅(かため)給ふといへども、其(その)戦功徒(いたず)らにして、五月二十二日討死し給ひければ、相従ふ兵悉(ことごと)く腹切(きり)て一人も不残(のこらず)失せにけり」、と『太平記』にある。

 死の数日前、彼はあれほどの高庇(こうひ)を受けた後醍醐天皇に、七カ条からなる上奏文を提出している。(1)民衆は戦乱で疲弊しており、税を減免すること(2)宮廷は質素倹約をむねとし、臨時の行幸や酒宴等は控えること(3)恩賞が片寄っている。地方ほど不満が強い。審査し直して公平にすべきこと−などの率直な提案で、建武中興が北条幕府の腐敗政治を十分に正してはいないことを、痛烈に批判している。当時としては異例の上奏だ。

(地域史研究者)

422よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/27(土) 20:19:44 ID:kCKripNo0
畑ヶ田遺跡:銭貨入った土器のかめ見つかる きょう説明会−−富田林 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110827ddlk27040446000c.html

 富田林市若松町1の「畑ヶ田(はたけだ)遺跡」から、銭貨5枚が納められた土器のかめや、掘っ立て柱の建物跡が見つかった。市教委は27日午前10時から正午まで、現地説明会を開く。

 遺跡は、弥生時代から中世にかけての集落跡。保育園建設に伴って、市教委が7月から約760平方メートルを発掘調査していた。

 市教委によると、今回の発掘はいずれも奈良時代の物。銭貨は1枚に「開」とみられる字があり、「和同開珎(わどうかいちん)」か「神功開宝(じんぐうかいほう)」と推定。複数枚の銭貨が納められた土器の発見は、府内では2例目という。柱穴は大きいもので一辺約1メートルあり、最大で直径約40センチの柱を持つ建物が存在していたとみられる。

 現地説明会は小雨決行。問い合わせは、市教委文化財課(0721・25・1000)。【三上健太郎】

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424よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/30(火) 20:26:21 ID:dA10OV3A0
情報プラザ:大阪市中央公会堂「館内ガイドツアー」参加者募集 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110830ddlk27040372000c.html

 9月27日(火)10時半・13時半・15時半(各60分)、同公会堂(地下鉄・京阪淀屋橋駅徒歩5分、京阪なにわ橋駅すぐ)。重要文化財に指定されている公会堂の大・中・小集会室と特別室を特別公開。公会堂スタッフが歴史や装飾などの見どころを紹介する。各回50人(応募多数の場合抽選)。参加無料。9月2日(金)必着の往復はがきの往信面に<ガイドツアー参加希望>・氏名・住所・電話・参加希望時間・参加人数(1枚で4人まで)、返信面に住所・氏名を明記し、〒530−0005 北区中之島1の1の27、大阪市中央公会堂「ガイドツアー」係(06・6208・2002)へ。

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427よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/01(木) 22:33:02 ID:B7yshcwE0
2011年9月 1日
「済美館」改修 輝く110周年 清水谷高、あす文化祭でお披露目
http://www.sankei-kansai.com/2011/09/01/20110901-057194.php

 明治33(1900)年に大阪府第一高等女学校として創立された府立清水谷高校(大阪市天王寺区清水谷町)で、高女時代に建築の同窓会館「済美館(せいびかん)」の全面改修が終わり2、3の両日、同校文化祭に合わせて披露される。

 済美館は明治40年に木造で建築、大正14(1925)年に現在の鉄筋コンクリート3階建てに改築された。当時の府庁営繕課による優雅なデザイン・重厚な設計で、86年たった現在も高い耐震性能を持つ。

 11月6日に開く110周年式典に合わせた記念事業として、同窓会「清友会」やPTAの募金で外観を改修。外壁を白く塗り直し、当時の首相、西園寺公望(さいおんじきんもち)の揮亳(きごう)をかたどった館名や高女時代の校章も鮮やかによみがえった。

 同校卒業生でもある中西修一校長は「文化祭で110年の校風も味わってほしい」と話している。

428よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/03(土) 12:50:37 ID:bTuPGB/60
名水復活 伝統の酒を
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110902-OYT8T00040.htm

大阪天満宮 井戸掘削プロジェクト

 大阪天満宮(大阪市北区)で、境内の井戸を復活させるプロジェクトが始動した。江戸時代には、道頓堀や千日前の湧き水と並んで、大阪四清水の一つと称された「天満天神の名水」。当時は付近で酒造りが盛んだったとされ、「くみ上げた水を生かした酒造りで地域の活性化を」と、地元住民らは「名水復活」に期待を寄せている。(斎藤七月、羽尻拓史)

 大阪天満宮文化研究所によると、天満宮の井戸水は江戸時代、宮崎・延岡藩主ら大名が参勤交代の途中に在阪した際、飲用していたとみられ、藩の役人が宮司に水を依頼する手紙が残る。周辺には酒蔵が多くあり、井戸水を利用した酒造りが盛んだった、との説もある。

 約20年前までは、境内の清掃などに井戸水が使われていたが、地下水利用や地下鉄の開発などが進むにつれて水位は徐々に低下し、近年は使われなくなっていた。

 地元商店主らから井戸水の歴史を聞いた関西大の与謝野有紀教授らが、天満宮の協力も得て、今回のプロジェクトを計画。8月に、かつて境内にあった井戸の脇を試掘したところ、地下約60〜70メートル付近の地層に豊富な水が含まれていることがわかり、楠見晴重・関西大学長らに水質の調査を依頼した。

 1日、楠見学長は天満宮に集まった天神橋筋商店連合会の役員らに対し、採取した土のサンプルを示しながら、マンガンの含有量など調査結果を説明。飲料用に適していたとして、「予想以上に良い水で、十分活用できると思う」と結論づけた。メンバーらは今後、本格的な掘削に向けて掘削する場所や時期、水の活用方法などを話し合うことにした。

 土居年樹・同商店連合会長は「酒造りを復活させるなど、地域の歴史が分かるような活用をしていきたい」と期待。寺井種伯宮司は「いい水が出ると分かって安心した。どんな味がするのか、早く口にしてみたい」と話していた。

(2011年9月2日 読売新聞)

429よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/03(土) 13:13:36 ID:bTuPGB/60
大阪天満宮の水OK 地下水水質検査飲用に問題なし
2011年9月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110903/20110903025.html

 大阪天満宮(大阪市北区、寺井種伯宮司)の境内で行われた地下水試掘後の水質検査の結果が2日までに判明。採水した地下水は飲用上、問題のないことが分かった。今後、本掘が行われることになり、大阪天満宮などは活用を含め詳細について詰めていくことにしている。

 大阪天満宮のある天満地区にはかつて多くの酒蔵が立ち並び、地下水をくみ上げた酒造りが盛んに行われていた。大阪天満宮文化研究所によると、幕末期に宮崎・延岡藩の藩主が大阪を訪れた際、大阪天満宮の井戸水を飲用していたとみられるという。

 地域の活性化に向けた地下水の活用を地元の天神橋筋商店連合会と関西大「社会的信頼システム創生センター」が提案。大阪天満宮の協力を得て、8月に試掘を行った。

 1日夕、大阪天満宮で試掘に携わった同大の楠見晴重学長が、寺井宮司や同連合会の土居年樹会長ら関係者に水質検査の結果を報告。地下約70メートルを試掘し、2カ所の水質を調べた結果、水銀など人体に有害な物質は食品衛生法の基準値以内で飲用上、問題のないことを知らせた。

 今後、本掘に向けてスケジュールを詰めることになり、寺井宮司は「大変うれしい。ぜひ本格的に掘り、地域の皆さんに活用してもらいたい」と話していた。

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431よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/03(土) 16:48:42 ID:qz2B/Deg0
なにわ人物伝 −光彩を放つ−

北畠 顕家(4)
2011年9月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110903/20110903046.html

石津で最後の決戦 花の若武者、20歳で討死

三善 貞司
 延元2(1337)年5月22日、足利尊氏(あしかがたかうじ)が派遣した高師直(こうのもろなお)の大軍と最後の決戦場になった石津で、多勢に無勢、花の若武者と謳(うた)われた北畠顕家は、ついに討死した。まだ20歳の眉目秀麗な武将であった。石津川に架かる太陽橋を渡った南詰め(堺市西区浜寺石津町中4丁目)に、彼の墓が現存する。

 井上正雄の名著『大阪府全志』に、詳しい解説があり、大要を記しておく。

 「太陽橋南詰に鎮守屋敷といへるあり。高さ三尺余の角石に『南無阿弥陀仏』と題し、背面中央に『行家』、側面に『正徳三年四月十七日』と刻せり。従来除地にて延宝7(1679)年検地帳に鎮守宮屋敷、宮建の小祠(しょうし)在せしとあるも、小祠正徳年間(1711〜16)台風のために倒壊す。祠(ほこら)は再建に至らず共に倒れし塚上の老松を売却して、現在の碑建てり。(行家とあるが)塚は行家の墓にあらず、顕家の墓なるを、村民『あ』を『ゆ』に誤りて、行家の墓と伝えしものか。顕家の戦没地なれば、顕家の墓なり」

 注を加える。源行家は源為義(みなもとのためよし)の第十子。平治の乱で敗れ熊野に隠れるが、鎌倉の源頼朝(よりとも)の挙兵に応じ、諸国に散った源氏を集め平家と合戦して手柄をたてる。しかし横柄な男で叔父さん風を吹かせたため頼朝に嫌われ、木曽義仲(きそのよしなか)と組んで京に入るが、義仲とも不仲になり、河内の石川で合戦し敗北。今度は源義経(よしつね)を頼るが頼朝は義経・行家を攻撃、2人は大物浦から船で西国へ落ちるも嵐に遭い、行家は和泉に漂流して頼朝派の北条時定(ほうじょうときさだ)に捕らえられ、文治2(1186)年斬首となった。顕家より150年ほど前の人物。

 『吾妻鏡』(1260年ごろ成立。日本初の武家記録)には、行家が捕らわれた場所は近木郷、それより二十数年前成立の『平家物語』には、八木郷と出る。八木郷は山城国だから誤記であろうが、近木郷も和泉国ではなく現在の貝塚市近木(こぎ)・南町のあたりで、石津とはかなり離れている。ゆとあの誤記かどうかは知らないが、石津の墓が行家であるはずはない。

 顕家の死後2年の延元4年、彼の実父北畠親房(ちかふさ)は有名な『神皇(じんのう)正統記』(皇室の正統は後醍醐(ごだいご)天皇の『南朝』で、足利尊氏らの『北朝』ではないとの内容)を執筆するが、そのなかで顕家は忠孝の道を歩いて、和泉の石津で死亡と記している。

 以上で顕家戦没地は石津に確定できるが、本連載(1)で述べたように、長年『太平記』の記述「顕家卿和泉の境安部野にて討死」は、事実として信じられた。『吉野拾遺』(正平13[1358]年成立。南朝を中心とした説話集・伝藤原吉房著)の「源中納言(顕家)の北の方発心(ほっしん)の事」は、その代表である。大要を口語に直して紹介する。

 「刑部丞(ぎょうぶのじょう)から主君顕家公が阿部野の露と消えたと知らされた北の方は失神され、あわてた周りがお顔に水などをかけてやっと気をとりもどし、玉の緒よたえし果(はて)なくくり返し同じ浮世にむすほふるらむ とお詠みになり、観心寺といふ山寺で髪をおろされた。3年ほどたって世の中は静かになったので、夫の戦死した跡を弔おうと刑部丞の案内で阿部野を訪れ、草の上に倒れ伏して号泣し、なき人のかたみの野への草枕ゆめも昔の袖の白露 とお詠みになり、自害されようとする。刑部丞は懸命になって制止し、菩提(ぼだい)を弔おうと住吉や天王寺に案内する。四天王寺の亀井の水のほとりでは、のちの世も契りのために残しけり結ぶ亀井の水茎の跡 と経木にお書きになった。その後お亡くなりになるが、北の方は中納言資朝(すけとも)卿の娘で、顕家戦死のおりはまだ17歳であった」

 阿部野神社(大阪市阿倍野区北畠3丁目)は明治18(1885)年の創建。祭神は北畠親房・顕家父子。境内に顕家の銅像がある。気品ある凛々(りり)しい姿に美のはかなさを感じる。

 ※病気療養のため休筆します。ご愛読ありがとうございました(筆者)。

(地域史研究者)

432よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/04(日) 15:47:12 ID:xyHU1sHs0
お化けは「豊臣」ばかり 徳川の罪悪感から生まれた「大阪城の怪談」(上)
2011.8.28 12:00
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110828/ent11082812000009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110828/ent11082812000009-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110828/ent11082812000009-n3.htm

 ナニワのシンボル「大阪城」は、言わずとしれた豊臣の城。が、実際には豊臣時代はごく短く、江戸期に再建された徳川の城が300年近く続いた。その時代、城に“勤務”する武士の間で、多くの怪談が語られたことはあまり知られていない。「化物屋敷」「暗闇の間」「禿雪隠(かむろせっちん)」…。雨のそぼふる真夏の一夜、城にまつわる恐怖伝説にふれるイベント「大阪城の怪談」に参加した。(松田則章)

 「この地では、歴史的にみて、ものすごい数の人たちが死んでいるが、お化けは『豊臣』ばかり。まず、この点をおさえてほしい」。イベント案内役の大阪城天守閣研究主幹、北川央(ひろし)さんはまず、参加者にこう語りかけた。

 《「大阪城の怪談」は、産経新聞の応援団組織「ウェーブ産経」の主催。約130人が集まり、開催告知の新聞記事を出していない東京や熊本からの参加者もいた》

天下普請で造られた

 大阪城は、上町台地と呼ばれる大阪の中心地の北端に築かれた。その歴史は、戦国から安土桃山時代にかけての浄土真宗の拠点「石山本願寺」にさかのぼる。織田信長の本願寺攻め後に焼失し、豊臣秀吉が跡地に大坂城(当時は「大阪」ではなく「大坂」)を築城。大坂夏の陣(1615年)により落城したあと、2代将軍の徳川秀忠の命により、諸国の大名が加わった“天下普請”で徳川大坂城が建てられた。

433よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/04(日) 15:48:36 ID:xyHU1sHs0
>>432

 しかし、幕末の混乱で城内の多くの建造物が焼失。明治以降は旧陸軍用地となり、第4師団司令部庁舎や軍需工場「大阪砲兵工廠(こうしょう)」も建設。戦時中には米軍の標的となり、終戦間際の空襲で、櫓(やぐら)や門など多くの建造物が焼けた。こうした長い歴史の中で、幾多の人々が亡くなったわけだ。

 では、なぜ怪談は豊臣家ゆかりのものばかりなのか。北川さんは「江戸時代に大坂城に着任した大名や旗本の家臣らによって、怪談が語られ始めている。それは、豊臣家(から政権を奪い滅亡に追い込んだこと)に対して徳川方が後ろめたさを共有していたから」と説明。怪談の“正体”は「徳川家の家臣たる譜代大名や旗本の心中にある罪悪感」と分析する。

「千姫観音」の願文

 《北川さんは「怨霊(おんりょう)になった秀吉・秀頼」のテーマで、徳川家がいかに豊臣のたたりを恐れていたかについて、ある文書を紹介した》

 豊臣秀頼の正室、千姫は徳川秀忠と江(ごう)の娘。大坂夏の陣では落城の際に脱出し、翌年には、伊勢・桑名の城主・本多忠政の嫡子、忠刻(ただとき)に嫁いだ。しかし、嫡子・幸千代や忠刻、江と、再嫁から約10年間で相次いで近親を亡くす不幸に見舞われた。

 ちょうどそのころ造られた仏像「千姫観音」の胎内から、こんな願文が見つかっている。

 「占いをしてみましたところ、播磨の姫君様(千姫)にお子ができます度々に、あなた様(秀頼)にお恨みのお心があって、それが障りになっているということです(中略)あなた様の菩提を弔うように姫様に申し上げますので、くやしいお心をあきらめてほしいのです」(現代訳)

 願文を書いたのは、千姫ゆかりの尼寺の上人。不幸の原因は、秀頼の恨み、たたりとみられていたのだ。

 《イベントでは、北川さんのほか、推理作家の有栖川有栖(ありすがわ・ありす)さん、“平成の怪談師”と呼ばれる怪異蒐集(しゅうしゅう)家の中山市朗さんもイベントに招かれ、3人による怪談鼎談(ていだん)も行われた。鼎談が終わると、知らない間に外は雨。蒸し暑さの中にどこかヒンヤリとした空気も漂い、怪異ムードが高まっていた》

434よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/09(金) 20:24:01 ID:ACqaWGg20
大阪城の石垣になるはずが… 「残念石」曳いてみよう
2011.9.9 02:07
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110909/osk11090902070000-n1.htm

 ■そりの体験イベント 来月1日

 大阪(大坂)城の石垣に使われるはずだった「残念石(ざんねんいし)」を巨石運搬用のそり「修羅(しゅら)」で曳(ひ)く体験イベントが10月1日午後2時25分から、大阪城内の特設会場で開かれる。主催する大阪市中央区役所は参加者を募集している。

 天守閣復興80周年の記念行事として、同区役所が企画。大坂城の築城や改修に伴って全国各地で切り出されながら、使われずにそのまま残った「残念石」と呼ばれる石材を通じ、城の歴史を振り返ってもらうねらい。

 当日は、香川県・小豆島の「大坂城残石(ざんせき)記念公園」から、現地に残された重さ2トンの巨石と、当時運搬に使用された修羅のレプリカを借り、残念石の修羅曳きにチャレンジしてもらう。対象は、小学5年生以上(小学生は保護者同伴で)。定員100人で先着順。

 会場ではこのほか、大阪城の石垣をテーマにしたパネルディスカッションなども行われる。

 修羅曳きの参加希望者は、ファクス(06・6264・9999)かメール(te0002@city.osaka.lg.jp)で、参加者全員の氏名(4人まで可)と年齢、電話番号を記入して申し込む。問い合わせは同区役所市民協働課((電)06・6267・9837)。

435よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/09(金) 20:26:43 ID:ACqaWGg20
「梶原寺」の礎石?発見
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110909-OYT8T00068.htm

 高槻市教委は8日、7世紀半ばから平安時代頃まで存在したとされる「梶原寺」の礎石とみられる巨石(縦約100センチ、横約75センチ、高さ約30センチ、重さ約600キロ)が同市梶原で見つかったと発表した。同寺があったと推定される付近で、市教委は「伽藍(がらん)を備えた本格的な寺院だったことを証明する貴重な資料」としている。

 市教委によると、巨石は約8年前、同寺の中心地だったとみられる現在の畑山神社に近い民家で、塀を新設する際に地中から見つかった。その後、民家敷地内の竹やぶに置かれていたが、所有者が今年5月、梶原寺関連の発掘調査をしていた市教委職員に相談し、調査が始まった。

 柱を据えるため、上面を円形に彫られた直径約50センチ、高さ約10センチの「柱座」が、奈良時代頃のほかの寺跡から出土した礎石と似ていることなどから、梶原寺の礎石と判断したという。

 34年前に付近で実施された発掘調査では僧侶の住居と推定される建物の柱穴が出土したが、礎石が見つかったのは初めて。裏面にも直径約70センチ、高さ約5センチの柱座があり、市教委は「建て替えの際に再利用したとみられ、珍しい」とする。

 畑山神社周辺ではこれまで、奈良時代から平安時代にかけての瓦や瓦を焼く窯跡が出土。「正倉院文書」には同寺について、757年に、造営中だった奈良・東大寺の建物に使う瓦を大阪・四天王寺とともに発注を受けたことが記されるなど、大きな寺だったことがうかがわれるという。

 礎石は畑山神社の境内で保管、展示している。問い合わせは、市立埋蔵文化財調査センター(072・694・7562)。


梶原寺:正倉院文書に記述、礎石発見 厚さ30センチ靴のような形状−−高槻 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110909ddlk27040341000c.html

 高槻市内最古の寺院で、「正倉院文書」にも記述のある梶原寺の礎石が初めて見つかり、市教委が8日発表した。上面には直径50センチ、下面には同70センチの柱座があり、市教委は「建て替え時にひっくり返して再利用した珍しいケース」としている。

 古文書や発掘調査によると、同寺は7世紀半ばに建立され、12世紀には廃寺になった。正倉院文書には「東大寺大仏殿の回廊の瓦を梶原寺に発注した」との記述があり、中心建物があったとされる畑山神社(同市梶原1)付近からは、実際に瓦窯跡も見つかっている。

 この他、瓦や僧坊跡とみられる柱穴が確認されているが、本堂や講堂といった主要伽藍(がらん)に直結する発見は初めて。

 神社に隣接する民家敷地内で見つかり、市が今年5月から調査。長辺1メートル、短辺75センチ、厚さ30センチで、まるで靴のような形状だ。直径70センチの面は削り方がややいびつで、市教委は「建物内でより大きな柱に付け替える際、急ごしらえしたのではないか」としている。

 神社境内に保管し自由に見学できる。市立埋蔵文化財調査センター(072・694・7562)。【熊谷豪】

436よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/09(金) 20:43:22 ID:ACqaWGg20
2011年9月 9日
住吉大社 11日に「献灯式」
http://www.sankei-kansai.com/2011/09/09/20110909-057527.php

 創建1800年を迎えた住吉大社(大阪市住吉区)で11日午後6時半から「献灯式」が行われ、13日までの3日間、境内の灯籠約100基がともされる。

 今年1年間を通して同神社で繰り広げられている「御鎮座(ごちんざ)1800年」の記念行事の一環で、住吉名勝保存会が企画。12日に恒例の「観月祭」が営まれるのに合わせて境内の雰囲気を盛り上げようと、灯籠をLED(発光ダイオード)でともすことにした。

 点灯するのは、境内にある灯籠約600基のうち、「西の大鳥居」から国宝の本殿4棟にいたる正面参道と、本殿付近の卯之日(うのひ)参道にある約100基。11〜13日の日没から午後10時まで点灯する。

 11日は献灯式に先立ち、神楽殿で午後3時半から奉納式。観月祭は、12日午後6時から。同神社では「ここ10年近く、灯籠に明かりがともされることがなかったので観月祭、ありがたい試み」と話している。

437よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/10(土) 18:27:00 ID:C295MzWw0
幻の「法安寺」跡か 室町期?の礎石発掘
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201109100057.html

浄土真宗中興の祖・蓮如(1415〜99)が建てた石山本願寺(大坂本願寺)推定地(大阪市中央区)の南東で、室町時代の礎石建物跡が見つかった。本願寺の進出前からあった法安寺(ほうあんじ)の一部とみられる。同寺の可能性がある遺構が確認されたのは初めて。調査した大阪文化財研究所は「大阪の“空白の中世”を埋める貴重な資料」としている。

 遺構は、現在の大阪城天守閣付近にある石山本願寺推定地の約600メートル南東で見つかった。周囲に溝を巡らせた東西7メートル、南北4メートル以上の土壇(高さ約50センチ)があり、均等に礎石が並んでいた。1辺5.5メートルの正方形の仏堂のような建物とみられる。出土した瓦や土器の種類から、室町時代の建立の可能性が高い。

 土壇の下からは焼土や炭を含む平安時代末〜南北朝時代の大量の瓦が出土。古い寺院が火災で焼失した後、今回の礎石建物が建てられたことがわかった。

 法安寺は、「日本書紀」にも登場する生国魂(いくくにたま)神社(難波大社)の神宮寺として、周辺集落・森三ケ庄の政治・信仰の中心的役割を果たした。やがて石山本願寺が大阪に入り、寺内町が拡大するにつれ、本願寺に取り込まれていったとされる。本願寺は石山合戦(1570〜80年)で織田信長に攻められて1580年に焼失。法安寺の場所も分からなくなった。

438よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/11(日) 14:25:52 ID:Gb59qfcs0
大阪の「空白の中世」埋めるかも 法安寺?の礎石発掘
http://www.asahi.com/culture/update/0910/OSK201109100043.html

 浄土真宗中興の祖・蓮如(1415〜99)が建てた石山本願寺(大坂本願寺)推定地(大阪市中央区)の南東で、室町時代の礎石建物跡が見つかった。本願寺の進出前からあった法安寺(ほうあんじ)の一部とみられる。同寺の可能性がある遺構が確認されたのは初めて。調査した大阪文化財研究所は「大阪の“空白の中世”を埋める貴重な資料」としている。

 遺構は、現在の大阪城天守閣付近にある石山本願寺推定地の約600メートル南東で見つかった。周囲に溝を巡らせた東西7メートル、南北4メートル以上の土壇(高さ約50センチ)があり、均等に礎石が並んでいた。1辺5.5メートルの正方形の仏堂のような建物とみられる。出土した瓦や土器の種類から、室町時代の建立の可能性が高い。

 土壇の下からは焼土や炭を含む平安時代末〜南北朝時代の大量の瓦が出土。古い寺院が火災で焼失した後、今回の礎石建物が建てられたことがわかった。

439よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/11(日) 17:42:54 ID:Gb59qfcs0
岸和田だんじり77年ぶり新調
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003746621.html

勇壮な「だんじり祭」で知られる大阪・岸和田市で、だんじりの1台が77年ぶりに新調され、きょう、市内を勢いよく駆け抜けて地元の人たちにお披露目されました。けさ5時頃、大阪・岸和田市中井町の神社に昭和9年以来、77年ぶりに新調されただんじりが到着しました。
新しいだんじりは樹齢300年のケヤキの大木を使って宮大工と彫刻師が5年がかりで作り上げたもので、高さ4メートル、重さが5トンあります。
神事の後、お披露目のため、市内の約5キロのコースに出発しました。
岸和田市では自治会ごとにだんじりを所有していて、毎年9月から10月にかけて80台以上のだんじりが市内各地で引き回されます。ことし新調されただんじりは、この1台だけだということで、沿道には大勢の人が集まり、だんじりが勢いをつけたまま交差点を直角に曲がる見せ場の「やりまわし」では大きな歓声があがっていました。
孫を抱いて見物に訪れた男性は「自分も若い頃はだんじりを引いた。孫も岸和田の伝統を引き継いで大きくなったらだんじりを引いてほしい」と話していました。
だんじりを新調した中井町町会長の西村喜代一さんは「だんじりは岸和田のシンボルだ。今後もだんじりとともに地域を発展させていきたい」と話していました。

09月11日 16時35分

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441よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/14(水) 09:08:04 ID:M/PqjuC20
環境配慮、LED灯籠 住吉大社で献灯
2011年9月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110913/20110913017.html

 大阪市住吉区の住吉大社の灯籠100基に、発光ダイオード(LED)の灯がともっている。住吉名勝保存会(高野伸生理事長)が12日の観月祭に合わせて献灯。環境に配慮した明かりが情緒的なムードを演出している。13日まで。献灯時間は日没から午後10時。

 保存会によると、住吉大社で灯籠をともしたことはこの約10年の間になく、住吉大社発足1800年記念大祭の一環として献灯を計画。境内は樹木が多いため、ろうそくを使用すると火災の恐れがあるため、ワイヤレスのLEDを使い、消費電力量を軽減する「節電」にもつなげた。

 11日の献灯式には住吉大社や保存会の関係者約30人が出席。東日本大震災の復旧・復興を念頭に、高野理事長は「未来への灯でもあってほしい」と語った。

442よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/14(水) 14:44:31 ID:hRTKka8s0
上方落語協会の新拠点 三枝さんら集い地鎮祭
2011年9月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110914/20110914047.html

 上方落語協会の拠点となる上方落語協会会館の着工を前に13日、大阪市北区天満4丁目の同会館建設予定地で新築地鎮祭が行われ、同協会の桂三枝会長や、設計を手掛けた建築家の安藤忠雄さんらが工事の無事を祈った。

 約60年ぶりに復活した上方落語の定席である天満天神繁昌亭(同区)が、大阪天満宮所有の土地に建てられているため「協会所有の拠点を持ちたい」と用地を探し、建設にこぎ着けた。桂春團治さんをはじめ同協会に所属する落語家や地元の住民、工事関係者が集まった。

 三枝会長は「繁昌亭ができたからここまで来られた。地元やファンの皆さんのおかげ。この会館で100年200年先を見越し、次の世代を育てていきたい」と強調。安藤さんは「今の日本も先行きも暗い中で、心から笑えることを新しいエネルギーにできるような会館になれば」と話していた。

 完成は来春の予定。

443よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/14(水) 15:09:26 ID:hRTKka8s0
桂三枝「笑いで笑顔…日本に発信」 安藤忠雄設計、上方落語の殿堂が地鎮祭
2011.9.13 14:23
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110913/osk11091316260009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110913/osk11091316260009-n2.htm

 上方落語協会(桂三枝会長)の新たな殿堂「上方落語協会会館」が来年4月、大阪市北区に誕生する。きょう13日、建設の安全を祈願する地鎮祭が行われた。この近くに建つ定席「天満天神繁昌(はんじょう)亭」も平成18年、上方落語の殿堂としての期待を担い建設され、15日に開場5周年を迎える。落語ブームは一段落ちついたかに見えるが、協会では同会館を新たな拠点に、さらに全国的な落語ファンの拡大に努める構えだ。(豊田昌継)

 

75万人超の人気を追い風


 地鎮祭には三枝会長のほか協会員、設計を担当した建築家、安藤忠雄氏ら約100人が出席し、鍬(くわ)入れなどを行った。

 三枝会長は「日本が総じて暗いなか、心から笑える発信地になれば。この会館をきっかけに次の世代を育てるのが我々の使命です」とあいさつし、工事の無事を祈願した。

 同会館は鉄筋コンクリート3階建て(延べ床面積約260平方メートル)で、大阪天満宮正門の南東約50メートル、繁昌亭から同約100メートルの、住宅やオフィスビルが混在する約130平方メートルの敷地に建設される。これまで繁昌亭内に置かれていた事務所や、近くのビルに分散していた資料室、稽古場などを1カ所にまとめる。

 総工費は7千万円。土地は「三枝会長の知り合いで、協会の活動に理解ある方が格安で提供してくださった」(協会幹部)といい、設計についても、やはり三枝会長と懇意にする安藤さんが、「落語は日本が誇る文化。意義あること」と無償で請け負うなど、会館建設には大きな期待がかかっている。

 「喜怒哀楽」をコンセプトに、事務所機能のほかに、一般のファンが立ち寄れるスペースも確保。展示や教室など交流の場も持ちたい考えだ。

 一方、協会の念願として建てられた繁昌亭も15日で開場から丸5年。当初は、NHK連続テレビ小説の題材になるなど“落語ブーム”にも乗り、わずか1年で15万人を突破。観客数は月平均1万4千〜1万5千人で、特に昼席は“プラチナチケット”と言われたが、昨年ごろから動員がやや鈍化。月平均も1万人前後で、当日券で入場できる日も出てきた。

 ただ、三枝会長は「(当初の動員が)ミラクルだった。心配はしていない。若い落語家が切磋琢磨(せっさたくま)してくれれば、(お客さんも)来てくれる」と冷静だ。

 定員220人の定席で、今年8月末現在の総入場者数75万人超という数字は誰も予想できなかった上々の記録。この“人気”による蓄財が、会館建設をよりスムーズにさせたともいえ、三枝会長は「将棋会館のように、全国から来ていただいて、新たに落語ファンになっていただけたらありがたい」と、新しい落語の殿堂に期待を込めた。

444よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/14(水) 15:11:13 ID:hRTKka8s0
旧桜宮公会堂:カフェレストランに改装へ 結婚式などにも利用 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110914ddlk27040333000c.html

 大阪市は13日、歴史的建造物「旧桜宮公会堂」(北区天満橋1)を、結婚式や披露宴会場としても利用できるカフェレストランとして改装し、来秋オープンすると発表した。明治の趣を感じられる施設として周辺と一体で整備する。事業費は、3億7500万円。

 旧桜宮公会堂は、1935(昭和10)年、明治天皇記念館として建設。正面玄関(国の重要文化財)は、旧造幣寮(現造幣局)鋳造所にあったものを移築している。これまで、図書館やギャラリーとして使われてきたが、07年に閉鎖して以降、立ち入りできなくなっていた。

 事業者は、市が公募し、選定委員会の審査を経て決定した民間事業者。市は、同一敷地内にあり、現在補修工事中の「泉布観」(国の重要文化財)も同時に外観を公開したいとしている。【林由紀子】

445よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/14(水) 15:12:48 ID:hRTKka8s0
能勢人形浄瑠璃:古代の伝説など4演目 久佐々神社で17日 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110914ddlk27040381000c.html

 神社境内でかがり火をたいた幻想的な雰囲気の中で、200年の伝統がある浄瑠璃を楽しむ「能勢浄瑠璃公演」(能勢町など主催)が17日、同町宿野の久佐々(くささ)神社で開かれる。古代の伝説や、中世のお家騒動などを題材にした4演目で、観覧無料。

 同町では江戸時代の文化年間から、人形を持たずに語りと三味線で物語が進行する「素浄瑠璃」が伝わっている。こうした伝統を踏まえつつ視覚でも楽しんでもらおうと、98年には人形を取り入れ、「能勢人形浄瑠璃鹿角座」を設立した。

 同神社は和銅6(713)年の創建で、境内には樹齢数百年のスギやヒノキが茂る。豊かな自然を舞台美術として活用しようと、3年前から町内の神社で公演が開かれてきた。

 素浄瑠璃の他、人形浄瑠璃では近松門左衛門原作の「傾城(けいせい)阿波の鳴門 巡礼歌の段」を上演する。大阪・玉造の盗賊の館に、故郷に残してきた実の娘が巡礼で事情を知らずに訪ねてきた。母親はいったんは「難儀がかかっては」と娘を帰すが、思い直して後を追う−−というあらすじ。

 大衆演劇のため江戸中期に建てられた境内の長床を舞台に上演。境内の敷地に座って鑑賞する。

 午後6時半開演で、上演時間は約1時間半。椅子がないため座布団持参がおすすめ。雨天の場合、18日に延期。問い合わせは、浄るりシアター(072・734・3241)。【熊谷豪】

446よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/23(金) 10:52:40 ID:3LBOcdWo0
百舌鳥・古市古墳群:シンボルマークとロゴデザイン発表 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110922ddlk27040316000c.html

 府や堺、羽曳野、藤井寺各市でつくる「百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議」は21日、両古墳群の世界遺産登録に向けた情報発信などに使うPR用シンボルマークとロゴデザインを発表した。

 デザインは公募で、審査対象となった46作品の中から、大阪市内のデザイン会社が提案した案が採用された。

 選定理由として、シンボルマークについて、「古墳の造形と豊かな自然をシンプルにシンボライズしている」とした。ロゴのデザインも「シンボルマークとのバランスがよい」として選ばれた。

 推進本部会議は今後、パンフレットや府や3市の職員の名刺などに活用していきたいとしている。【内田幸一】

447よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/23(金) 10:55:35 ID:3LBOcdWo0
情報プラザ:金曜歴史講座〜むかしの大阪をみらいの大阪へ伝える〜 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110922ddlk27040345000c.html

 10月7日〜28日の金曜18時半〜19時45分、大阪市中央区大手前4の大阪歴史博物館4階講堂(地下鉄谷町四丁目駅9号出口)。大阪の歴史や文化財の最新情報を届ける連続講座。「陶技の粋ー佐賀藩蔵屋敷跡出土の『鍋島』ー」「おおさかの中心を掘るー難波宮・本願寺・大坂城ー」など。当日先着250人(18時受け付け開始)。参加費200円(資料代)。問い合わせは大阪市博物館協会大阪文化財研究所(06・6943・6833)。

448よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/23(金) 12:13:21 ID:3LBOcdWo0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/224 八兵衛大明神 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110922ddlk27070353000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇中座支えた「おタヌキ様」 解体工事で爆発、たたり?
 道頓堀の中座には「八兵衛大明神」なるおタヌキ様がまつられていた。それには、こんな逸話が残っている。

 元禄時代のこと、淡路島の三熊山に柴右衛門というタヌキがすんでいた。中座の片岡仁左衛門の評判を聞きつけて、三熊八兵衛というさむらいに化けて船に乗り、大坂へやってきた柴右衛門は、木の葉を木戸銭に変えて毎日、中座へ通った。

 小屋では、毎日、木戸銭箱に木の葉が交じっているのを不審に思い、犬を待機させていた。そこへやってきた柴右衛門は、タヌキと見破られて犬にかみ殺されてしまう。ところが、それまで大入りが続いていた中座は客の入りが悪くなる。「タヌキのたたり」と、舞台下の奈落に柴右衛門をまつったところ、客足が戻ったという−−。

 以来、「中座の守り神」として役者たちの信仰厚かったが、99年の閉館で、ご神体は淡路島へ里帰り。三熊山のふもとの洲本八幡神社にまつられている。酒井一成宮司(47)は「ご神体を移す時、私も白装束で中座に行きました」。芸能関係者の参拝が絶えず、亡きいとし・こいしさんや藤山直美さんらもお参りしたという。

 02年に中座が解体工事中、爆発・炎上した時は「柴右衛門のたたり」とうわさされたとか。約350年も続いた中座が売り飛ばされて、しかも解体されるという最悪の末路に、柴右衛門が怒ったとしても不思議ではないが……。

 実は、中座跡に建っている中座くいだおれビルの地下に、八兵衛大明神のほこらが残っている。ビル管理会社に写真撮影を申し込んだが、オーナーの外資系会社に断られた。理由は不明。

 こっちはあきらめて、ご神体が分祀(ぶんし)されている生国魂神社の源九郎稲荷を訪ねた。案内してくれた権禰宜(ごんねぎ)の中村文隆さんによると、もともとこの稲荷は天王寺七坂の源聖寺坂にあったそうだが、大正時代ごろに移されたという。八兵衛大明神が里帰りした時、「大阪に何もしのぶものがなくなるのは寂しい」と、「ミナミの代表的な神社で、芸能とも縁が深い」生国魂神社に分祀されたという。「今も松竹の関係者がお参りにこられてると聞きます」とのこと。

 余談だが、稲荷の裏手に神木の楠(くすのき)がそびえている。雷が落ちて焼けたといい、黒ずんで裂けている。「みーさん(ヘビ)がいるといわれてまして、ヘビを見たら、特に女性は願い事がかなうとされてて、張り込む人もいるんです」と中村さん。なんと、木の根元をヘビがはっているではないか! なんかええこと、あるかな。

 7月末日、道頓堀で公開披露宴があった。大阪市史料調査会の古川武志さん(40)と、なにわの海の時空館名誉館長の石浜紅子さん。「八兵衛大明神のおかげで道頓堀は繁盛しました。大明神にあやかって、僕たちの結婚式が道頓堀、ひいてはミナミの繁栄につながれば」と古川さんは語る。

 八兵衛大明神のほこらにお参りしたあと、キツネの嫁入りならぬ「タヌキの嫁入り」と銘打った宴とあいなった。講談師の旭堂南陵さんが、民話を基にした柴右衛門タヌキの物語を語って喝采を浴びたり。宴の後は道頓堀を練り歩き。道行く人々は、なにごとならんと目を丸くしながら、お2人を祝福。なんともド派手な披露宴に、さぞやおタヌキ様も喜んではったことでしょう。【松井宏員】

449よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/23(金) 12:14:03 ID:3LBOcdWo0
あす20回目「ひらおか薪能」 東大阪・枚岡神社
2011.9.23 01:51
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110923/osk11092301510002-n1.htm

 ■観世流の親子3代で「船弁慶」

 秋恒例の「ひらおか薪能(たきぎのう)」が、24日午後5時半から、東大阪市出雲井町の枚岡神社境内の特設舞台で催される。20回目となる今年は、兄・源頼朝から追われる身となった源義経、静御前らの心情などを描いた能「船弁慶」を、観世流の親子3代で共演する。

 ひらおか薪能は、観阿弥の母が河内国にいたとの伝承から「東大阪は能のふるさと」を合言葉に、市民でつくる実行委員会が主催。市内企業や個人からの協賛金で運営されている。

 「船弁慶」では、観世流の大江又三郎さんが静御前、息子の信行さんが平知盛、孫の女性子役、美乃(よしの)さんが義経を演じる。

 また、大蔵流狂言師の木村正雄さんらが出演する狂言「梟(ふくろう)」や、大阪樟蔭女子大客員教授でもある木村さんによる「船弁慶」の作者、観世小次郎についての解説も行われる。

 入場無料で事前の申し込み不要。問い合わせは実行委事務局((電)072・981・4177)。

450よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/25(日) 19:41:23 ID:WpZMYPx.0
来月15日で100回目 上方伝統芸能ナイト
2011年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110924/20110924027.html

 大阪市、大阪商工会議所と共催し、山本能楽堂(大阪市中央区)が主催してきた「初心者のための上方伝統芸能ナイト」が10月15日に第100回を迎える。節目を記念し、10月から年末にかけての6公演を記念公演として特別版で実施する。

 数多くある大阪の伝統芸能を、凝縮した形で観光客にも大阪の市民にも知ってもらおうと2006年の大みそかに初めて開催。文楽や講談、上方落語、浪曲、能、狂言、お座敷遊びなどの中から4種類程度を15〜20分ずつ上演し、解説や体験などで多彩な芸能の魅力を紹介してきた。

 10月1日の99回は「東北スペシャル編」と題し、東北にちなんだ演目を披露。大阪へ避難している東日本大震災の被災者を招待する。15日の100回公演は「感謝の気持ちをこめて〜100回スペシャル!スペシャル編」として、落語家の桂南光さん、桂春蝶さんらを招き落語や能、文楽の上演のほか、これまでの出演者などとともに記念のトークを行う。

 11月5日の「英語で上方・スペシャル!編」は、講談、落語など全編英語で上演、解説。19日は「大阪の音色を楽しむ!スペシャル編」で「大阪の音」をテーマに公演。12月9日は東西の芸の違いが楽しめる「落語・講談東西対決スペシャル編」を、12月31日は「大晦日!年越しスペシャル編」を行う。

 同能楽堂の山本章弘さんは「上方の芸能同士で横のつながりができるようになり、コラボ公演の実現などにもつながってきた」と手応えを語る。一方で「まだ見に来られたことのない地元の方も多い。府外から来る人にこのイベントを薦めてくれる人が増えるよう、今後も継続していきたい」と話している。

 公演はいずれも料金3500円〜。問い合わせは電話06(6943)9454、同会場へ。

451よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/25(日) 20:16:21 ID:WpZMYPx.0
蕪村俳句講座で小中学生を表彰
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005818331.html

江戸時代の俳人で大阪出身の与謝蕪村の功績を学びながら、俳句に親しもうという講座で小中学生がつくった俳句の表彰式が行われました。
この講座は、大阪市のNPO法人が開いているもので、きょうの表彰式は大阪・都島区の淀川小学校で行われました。
講座を受講する小学校や中学校の教師の教え子たちから寄せられた1100余りの俳句の中から22の作品が表彰されました。
最優秀賞に選ばれたのは、大阪・港区の中学3年、井上健さんが詠んだ「桜咲き僕ら今日から新学年」という俳句です。
井上さんは、「新しい学年になってうきうきした気持ちをまとめました。俳句は短い中に気持ちを伝えられるところがおもしろい」と話していました。
5年後には、蕪村が生まれて300周年を迎えるということで講座を開いているNPO法人は今後も活動を続け、より多くの人に蕪村の功績を知ってもらいたいとしています。

09月25日 13時44分

452よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/25(日) 20:17:34 ID:WpZMYPx.0
沈む夕日に極楽浄土見る 四天王寺「日想観」
2011年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110924/20110924030.html

 「秋分の日」の23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で、浄土信仰の伝統行事「日想観(じっそうかん)」が執り行われた。境内の西大門(極楽門)と鳥居と落日が一直線に結ばれ、集まった参詣者らは夕日に手を合わせ、日没を見届けた。

 同寺は創建(593年)当初、門前には海が広がり沈む夕日を見ることができた。弘法大師・空海はその落陽風景を見て極楽浄土は日の沈んだ向こう側「彼岸」にあると説いたことが、彼岸会のルーツとされている。

 この日は、日没前に同寺の高僧らが門前に参集し、読経などをして法要を執行。参詣者らは差し込む黄金色の日を写真に収め、合掌してこうべを垂れるなどした。

453よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/27(火) 07:19:50 ID:w9gS0Nvo0
国内最古の「現役」 愛珠幼稚園舎を一般公開 大阪
2011.9.27 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110927/osk11092702020003-n1.htm

 ■来月22日 建物解説やピアノ演奏

 国内最古の“現役”幼稚園施設で国重要文化財の大阪市立愛珠(あいしゅ)幼稚園・園舎(同市中央区)が10月22日、一般公開される。学芸員による建物解説や明治期に製造されたドイツ製ピアノの演奏などが行われる。

 愛珠幼稚園は、明治13年に船場北部の連合町会が創設。22年に市立園となり、34年に現在地へ移転。園舎もその際に建てられた。

 敷地の周囲に瓦ぶきの高塀を巡らせ、園舎は大屋根を持つ御殿風の木造建築。内部は、保母らが設計に携わり、採光や通風を良くしたり園児がけがをしないような配慮をしたりと、保育者ならではの工夫が随所にみられる。

 明治42年、“世界最高級”との評価を受けていた独・イルムラー社製のグランドピアノを購入。老朽化が進んだため近年、修復されて往時の音色を取り戻した、という。

 当日は午後1〜4時の間、開放。30分に1回、市教委の学芸員が建物を解説し、幼稚園教諭がピアノ演奏を披露する。入場無料で、事前の申し込みなどは不要。問い合わせは、市教委生涯学習部文化財保護担当((電)06・6208・9030)。

454よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/09/28(水) 22:23:19 ID:a4AnteDQ0
大阪ニュース
「曽根崎心中」の成功祈願 お初天神で坂田藤十郎さん
2011年9月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110928/20110928030.html

 大阪市北区曽根崎2丁目の露天神社(お初天神)を27日、上方歌舞伎の重鎮で人間国宝の坂田藤十郎さん(79)が参拝した。11月に東京・国立劇場で行われる「曽根崎心中」公演(3〜26日)の成功祈願。1953年にお初の役で初演しこれまで1300回以上上演したライフワークで代表作だ。

 徳兵衛役の中村翫雀(かんじゃく)さん(52)を伴って境内に設置された「お初・徳兵衛」像を訪れ「久しぶり。また、よろしくね」と藤十郎さん。

 「初演から58年たっているのに毎回新鮮で、初日は初役のつもりでいつも取り組んでいる。自分の分身のようでもあり、翫雀の徳兵衛とも親子とか関係なく、超越した気持ちで恋をしている。こんな幸せなことはない」と藤十郎さんはお初像に手を合わせる。

 「父の相手役をしてから30年たっているが、いつも徳兵衛が入っていきやすいようにお初を演じてもらえる」と、翫雀さんもあうんの呼吸を強調。「どこの劇場でも同じ世界(近松門左衛門作)で演じられる作品。機会があればぜひ国立劇場へ」と親子で声を合わせていた。

455よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/02(日) 10:50:00 ID:KM59RV920
「残念石」が400年越しの大阪城へ
http://www.ktv.co.jp/news/date/main.html

大阪城の築城工事にまつわる「残念なもの」歴史ファンらが関心を寄せるその残念なものとは?

【記者レポート】
「3.5トンもあるいわゆる「残念石」400年の時を超え今、大阪城に到着しました」

「残念石」は江戸幕府が大阪城を築いた時に石垣用に切り出されたものの、結局は使われず放置された石のことです。石が切り出された香川県小豆島には今も2800個以上が残っています。この「残念石」、大阪城の天守閣復興80周年を祝うイベントで400年越しの念願が叶い大阪城に運ばれ、修羅引きと呼ばれるソリを使った当時の運搬方法でお披露目されました。

【参加した親子連れ】
「重たかったです。昔の人はすごい努力したんだと思いました。」
「嬉しいだろうなと、残念石もやっと大阪まで来れて。」

そのほか、運搬の際の掛け声から生まれた小豆島の伝統的な「石節おどり」が披露され、訪れた観客を喜ばせていました。

456よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/03(月) 22:50:57 ID:QyhW23kY0
【大阪の20世紀】
(1)1901年“新春” 穏やかに明けた元日
2011.9.20 10:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/110928/wlf11092822090138-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/110928/wlf11092822090138-n2.htm
■産経新聞アーカイブ(1999年01月06日 大阪府下版に掲載)

 一九〇一年(明治三十四年)の元日、大阪は穏やかな晴天に恵まれた。気象台の記録では、この日の最低気温は一・二度。冷え込みは厳しかったが、百万人に近かった大阪市民の多くが「良き一年」を祈願して朝日に手を合わせたことだろう。当時は西暦が普及していなかったため、ごく一部の知識人を除いて、「二〇世紀の到来」を意識した人はほとんどいなかった。しかし、この年、大阪で起きた数々のエピソードは「激動の世紀」の幕開けを予感させるに十分だった。

賑わい天下一

 「サアサアお入り、看板ばかりではお分かりにならぬ」「ヤアヤア、今が始まりじゃ」「アーリャ、アリャアリャ」−。

 西日本一の繁華街、大阪・ミナミの千日前通り。明治三十四年も新春から、連日、祭りのような賑わいを見せた。軒を連ねる見せ物小屋からは、威勢のいい口上が響く。

 行き交うのは、前掛姿の中年の商人、キョロキョロと物見遊山の旅行客、遊び人風の男、着飾った良家の「いとはん」、人力車に乗った旦那さん、丸髷(まげ)を結った婦人、書生、丁稚、肩に大きなふろしき包みを背負った男、出前持ち、芸妓…。

 このうち七割は旅行客、地元の人は三割ぐらい。ほとんどは和装だが、洋服の紳士もちらほら。当時は珍しい自転車もたまに行き交う。

 ちなみに三月十一日午後一時から二時までの通りの通行量は、南行きが男八百十七人、女三百六十人の計一千百七十七人、犬一匹。北行きが男五百十四人、女二百二十三人の計七百三十七人、犬は二匹だった。

 大きな劇場「播重定席」の新春の演目は「女義太夫」。美女四十人余りが美声を聞かせるとあって初日から大入りが続く。「南大劇場」は村田正雄一座の新演劇で対抗した。

 小規模な見せ物小屋では、「萬歳席」にひと際大きな人垣ができた。演目は「轆轤(ろくろ)首」。舞台上のちよ(二十一歳)、たき(二十二歳)、きみ(十五歳)の美人三人娘が小唄を歌うと「あら不思議」。三人の首が三尺ほど伸び、また縮む。

 「アナトミ館」のリアルな「人体解剖ロウ細工」、空中ブランコなどを披露する「奥田席」の「西洋大運動」なども盛況。流行の移り変わりは早く、前年流行した洋弓店は、すべて空気銃に代わってしまった。

 どの見せ物小屋にも「懐中物御用心」と立て札が上がる。「掏賊(ちぼ)」といわれるスリたちが客の懐を狙っているからだ。袖を刃物で切ったり、ドンと突き当たったり、手口はさまざま。巷では、「スリ」と「マッチを擦る」をかけて「マッさん」などとも言われた。

 「食い倒れ」の伝統は当時から。「京與」の魚肉すき焼きは「東京人などのかつてその味わいを知らざるところなり」。「滋養亭」の「牛肉すき」も「安くてうまい」と人気を呼んだ。値段は、「魚肉すき焼き」十五銭、「うなぎまむし」十二銭、小鉢五銭、酒九銭、飯四銭、卵四銭、ネギ一銭。物価高は著しく、六、七年前に比べ、二−三倍になってしまった。

幕開け無関心

 こうしたまちの様子は、大阪を代表するジャーナリスト、永江為政(一八六一−一九二五年)が発行した隔週刊誌『大阪経済雑誌』の記事をもとに再現したものだ。

 永江は「日光の美を観ぞして美術の美を語る可(べか)らぞとせば、道頓堀千日前の光景を観ざる者は、以て大阪の繁昌を知る能(あた)はざる也」と断じて、当時の様子を克明に記録した。

 「天下の台所」といわれ、江戸時代から水利を生かした商業の中心地として栄えてきた「大坂」は、明治中期から紡績業など工業都市としても急速に発展した。日清戦争から七年を経た明治三十四年は、「第五回内国勧業博」の開催を二年後に控えていたこともあり、一種独特の活気に満ちていた。

 しかし、今では、当時の大阪の様子を記憶する人はほとんどいない。そんな中、地歌の菊原流の継承者で人間国宝の菊原初子(九九)は、大阪・船場で生まれ育った貴重な証人の一人。

457よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/03(月) 22:52:46 ID:QyhW23kY0
>>456

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/110928/wlf11092822090138-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/110928/wlf11092822090138-n4.htm

 「船場は大きなお商売のお店が並んでましてな。通りはお商売の人や人力車が次々通って賑やかでした。けど、若い娘は表を一人では歩けしません。歩くと丁稚さんたちが並んで出てきはって、こっちの方が気がはりましたわ」

 「明治の奇人」「反骨のジャーナリスト」といわれる宮武外骨(一八六七−一九五五年)が大阪で『滑稽新聞』を発行し始めたのも同じ年の一月。退廃的な風刺画と中傷記事が満載された新聞だが、爆発的な人気を呼び、一時は三万部の発行部数を誇った。ただ、この新聞でも二十世紀についての記述はほとんどない。

 『大阪朝日新聞』の元日の紙面でも、「この新年を迎えるに当たりて、吾輩は二の賀すべきことあるをみる。一は明治三十四年を迎えることにして、他は二十世紀の第一年を迎えることなり」と一言触れたにすぎず、大阪で記念行事が開かれた形跡はない。

取り付け騒ぎ

 平穏に新春を迎えた大阪だったが、四月十六日、大阪市内の第七十九銀行の取り付け騒ぎに端を発した金融恐慌が起き、これまで表に出なかった社会不安が一気に噴出し始めた。

 前年の五月に起きた清国・山東省に義和団が蜂起した「北清事変」で、対清貿易に支障が出たことが恐慌の原因とされるが、波紋は難波銀行、天王寺銀行などに次々と広がり、結局、半月の間に大阪周辺の二十四行で取り付けが発生、十四行が一時的に休業に追い込まれた。

 日本銀行大阪支店が救済融資を行い、騒ぎはいったん収まるが、五月末には堂島米穀取引所の紛争から、北浜銀行が取り付けにあい、恐慌が再発。逸身銀行が解散に追い込まれる。

 『日本金融史資料』(日本銀行調査局編)は「全市の恐慌を来たし、大阪の貨幣市場は全く暗黒の世界となり」と解説。大阪経済雑誌も「暗黒世界」と題し「世の中は斯(かく)の如く物騒なり。故に火を見れば火事と思い、人を見れば泥棒と思ふの外(ほか)なきは、実に是(これ)大阪の現状なり」と憂いを吐露している。

 それでも、当時の大阪にみなぎるエネルギーはすさまじかった。六月末には恐慌も沈静化。中小銀行は淘汰されたが、住友銀行など大銀行はかえって資産を増やしている。

 住友金属工業が同年六月、安治川河口に住友鋳鋼場を開設するなど、軽工業中心の大阪の工業基盤は、重化工業まで裾野を広げた。さらに御影石づくりの二代目の大阪駅が完成するなど鉄道や道路などインフラ整備が急速に進んでいく。

 三和総研主任研究員(貨幣金融史)の飛田紀男は「一九〇一年は大阪の産業構造の大きな転換期だった。この年をもって日本の産業革命は完成したともいえ、大阪は近代都市としての第一歩を踏み出した」と解説する。

 =文中敬称略、肩書は当時


 (石橋文登)

458よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/04(火) 21:34:35 ID:CWyqQU1k0
茨木城が日本史に与えた影響を解説 8日に講演会 大阪
2011.10.4 02:13
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111004/osk11100402140001-n1.htm

 戦国時代、今の茨木市に存在したとされる茨木城が日本の歴史に与えた影響などを紹介する講演会「茨木城と城下町の復元」(市観光協会主催、産経新聞社など後援)が8日、同市駅前の市福祉文化会館で行われる。

 茨木城は現在の阪急茨木市駅西側付近に建てられていたとされ、近くの茨木神社には廃城の際に移築された搦手門(からめてもん)などが残っている。城主は中川清秀らが知られ、戦国から江戸前期に活躍し、武将で茶人としても名をはせた古田織部も城下町に居住していたという。

 茨木市の歴史を調査している京都大人文科学研究所共同研究員の豊田裕章さんを講師に招き、城の歴史や当時の町並みを紹介。城が日本史に与えた影響なども解説する。

 午後2〜4時。入場無料。問い合わせは市観光協会事務局((電)072・645・2020)。

459よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/04(火) 21:43:37 ID:CWyqQU1k0
近つ飛鳥博物館で特別展 百舌鳥・古市古墳群の資料540点 大阪
2011.10.2 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111002/osk11100202050001-n1.htm

 世界遺産国内暫定リストに記載された府の「百舌鳥・古市古墳群」をテーマに、宮内庁の所蔵資料を中心にして最新の発掘成果まで約540点を紹介する特別展(府立近つ飛鳥博物館、産経新聞社など主催)が1日、河南町の同博物館で始まった。

 両古墳群の宮内庁の発掘資料がこれだけ一堂に並ぶのは初めてという。百舌鳥古墳群の仁徳天皇陵(堺市)、古市古墳群の応神天皇陵(羽曳野市)という2大古墳を中心に形象埴輪が多い。御廟山(ごびょうやま)古墳(堺市)から出土した囲形(かこいがた)埴輪と家形埴輪は、囲形に家形がすっぽり入るセットだったことが分かる珍しい例。水にまつわる祭祀(さいし)を行った建物の埴輪とみられている。

 また、本展をきっかけにした成果も展示。明治に津堂城山古墳(藤井寺市)から出土した銅鏡の破片は宮内庁と関西大学で別々に保管され、計測で合致することは判明していたが、今回初めて実際に合わせて並べられた。

 12月4日まで(月曜休館、10月10日は開館、11日は休館)。入館料は一般600円など。

460よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/05(水) 20:27:35 ID:o6XZPBsk0
技と心を結集 16日、高津宮で「氏子菓子祭り」
2011年10月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111005/20111005025.html

 四季折々の行事を通して気軽に高津宮(大阪市中央区高津1丁目、小谷真功宮司)に集う「たかきや倶楽部(くらぶ)」の発足10周年を記念した「第1回 上町台地 高津宮・氏子菓子祭り」が16日、同宮で開かれる。倶楽部員の中で菓子業に携わるメンバーでつくる「高津宮・氏子菓子製作委員会」が開き、「高津宮氏子ロール」などの氏子菓子を販売。高津宮にちなんだ料理が味わえる屋台が並ぶ。

 同倶楽部は現代生活で失われつつある四季の行事を通して神社に集うことで、日々の潤いを取り戻そうと2001年に発足。メンバーのうち菓子業に携わる高津宮の氏子衆が、高津宮の祭神である仁徳天皇の国民の幸せを第一に願った「特政の精神」に通じる氏子菓子を開発し、製作委員会を09年に結成した。

 地域の活性化に貢献しようと初めて開く氏子菓子祭りは、「それぞれの技と心の結集」がテーマ。スポンジに米粉を使った「高津宮氏子ロール」(ハーフサイズ500円)や、神社にちなみピリッとしたショウガと濃厚なチョコレートの味わいが楽しめる「高津宮ジンジャーチョコ」(35グラム、420円)などを販売する。

 このほか、高津宮の梅林にちなんだ梅のほのかな香りを楽しめる「高津宮 梅香うどん」(500円)などが味わえる「氏子グルメ屋台」もある。

 同委員会の木村裕一さん(60)は、「出店する各社の持てる技と心が結集した氏子菓子祭り。ぜひ味わってほしい」と呼び掛けている。

 祭りは午前11時〜午後5時。問い合わせは電話06(6754)7263、氏子菓子製作委員会(木村アルミ箔内)へ。

461よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/08(土) 08:20:28 ID:gE0RNVt20
豪商“夢の跡”たどる 「落語と街歩きで巡る船場」
2011年10月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111007/20111007017.html

 江戸時代の豪商の“夢の跡”をたどる「落語と街歩きで巡る船場・豪商夢の跡」が9日、大阪市中央区今橋2丁目の大阪美術倶楽部(旧鴻池本宅跡)などで行われる。淀屋屋敷跡などを巡る街歩きスタンプラリーでは、淀屋と関係が深い鳥取県の新米コシヒカリなどが抽選で当たる。木戸銭2千円(落語鑑賞・スタンプラリー)。先着120人。

 淀屋研究会と文化活動グループ「熟塾」の共催で船場まつりの一環として行う。

 落語会は午後1時半から同倶楽部3階備前の間で。笑福亭竹林さんの落語入門の一席で始まり、淀屋の栄枯盛衰を物語る「雁(がん)風呂」を林家染雀さんが、鴻池本宅も登場する「莨(たばこ)の火」を笑福亭松枝さんが披露。上方落語を盛り立てるお囃子(はやし)の実演レクチャーもある。

 同倶楽部をスタートするスタンプラリーは午後4時から。淀屋屋敷跡や適塾など8カ所を巡り、江戸時代に“タイムスリップ”する。6カ所以上巡ると抽選会(会場=淀屋橋odona2階ispot)に参加できる。

 鳥取県関西本部や同県倉吉市などが景品を提供。同県奥日野産コシヒカリの新米や倉吉絣(かすり)の小物品などが当たる(空くじなし)。

 問い合わせ、申し込みは電話・ファクス072(994)2856、熟塾へ。

462よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/08(土) 08:27:28 ID:gE0RNVt20
「世界遺産」効果360億円
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111007-OYT8T00089.htm

百舌鳥・古市古墳群 宮本・関大教授ら試算

 2015年の世界遺産登録をめざす百舌鳥(もず)・古市古墳群について、登録されれば最初の1年間の府内での経済効果は約360億円との試算を、宮本勝浩・関西大教授(理論経済学)らが6日、発表した。世界最大級の仁徳陵古墳のある堺市だけでも約169億円に上るとした。

 登録に伴い、府内で世界中から観光客などが2割増え、日帰り客と宿泊客を合わせて156万人増加するとし、飲食費は54億円、土産物代は80億円などと推計し、食材や土産物の材料費など生産面への波及も考慮した。

 堺市によると、2004年に登録された三重、和歌山、奈良県にまたがる世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」で、和歌山県での経済効果の試算は約196億円。竹山修身市長は「堺市だけで和歌山県に迫るほどの非常に高い効果があるとわかった。厳しい経済の中で明るい話題だ」とコメント。

 宮本教授は「古墳の全景を眺めたりイメージしたりできる工夫をすれば来客が伸びて効果はもっと増やせる」とアドバイスした。

(2011年10月7日 読売新聞)

463よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/08(土) 08:44:32 ID:gE0RNVt20
大阪城天守閣 復興80年の歩み 特別展8日開幕
2011.10.7 13:35
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111007/osk11100714070009-n1.htm

 復興80周年を11月に控えた大阪城天守閣(大阪市中央区)の記念特別展「天守閣復興」が、天守閣3・4階展示室で、8日開幕する。80年の歩みを写真パネルや模型などでたどるほか、天守閣所蔵の重要文化財「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」も展示する。

 天守閣は昭和6年、大阪市民の寄付150万円(現在の貨幣価値換算で約100億円)で再建。豊臣秀吉が建てた初代天守閣から数えて3代目にあたり、鉄骨鉄筋コンクリート造り。今年11月7日に復興80周年を迎える。

 展示されるのは、3代目天守閣の設計原図10点や復興工事の写真パネル、復興と同時に開園した大阪城公園のイラスト風案内図、シャチホコの小型模型、空襲によって荒廃した櫓(やぐら)の写真パネルなど121点。

 重文の「大坂夏の陣図屏風」は、豊臣・徳川両軍の激突や大坂城(当時は大坂と表記)落城後の光景が描かれた六曲一双の屏風で、秀吉築城の大坂城の外観を伝える貴重な絵画資料として知られる。

 特別展は11月27日までの連日午前9時から午後5時(入館は同4時半)まで。土・日曜日と祝日は開館時間を1時間延長する。入館料は大人600円などで、復興記念日の11月7日は無料。

 また、期間中の11月23日には、復興天守閣の価値を学術的視点から探るシンポジウム「大阪城天守閣復興の意味を問う」が開かれる。参加無料だが、申し込みが必要(先着順)。午後1時から。

 特別展とシンポジウムの問い合わせは大阪城天守閣((電)06・6941・3044)。

464よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/08(土) 13:35:27 ID:gE0RNVt20
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/226 阿倍野墓地 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111006ddlk27070432000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇地域発展に一役 広さ6万2305平方メートル・1万3697基、人が集まる場に
 「大阪市南部は歴史の宝庫です」と大阪案内人の西俣稔さんにいざなわれ、今回から阿倍野区、西成区を歩きます。

 「大阪24区で、川が流れてない区が二つあります。どこか知ってる?」。天王寺区と阿倍野区です。市内で最も高台の上町台地があるから、川は流れてません。

 「なら、なんであべの橋があるか?」と西俣さんがたたみかけてくる。たぶん、川の橋ではなくて、陸橋なのでは。「正解。いまのJR大和路線をまたぐ陸橋です」。JR天王寺駅南のあべの筋に架かっているのがあべの橋。近鉄の駅や市バスのバス停にその名が付いている。

 さて、地下鉄阿倍野駅から歩き始める。チンチン電車が走るあべの筋の阿倍野交差点を西へ折れると、すぐに広大な墓地が現れる。「墓地からぼちぼち行きましょ」と西俣さん。はいはい。

 ここ阿倍野墓地は正式名称を大阪市設南霊園といい、広さ6万2305平方メートル、1万3697基のお墓が並ぶ。1874(明治7)年に、千日前や飛田にあった墓が集められてできた。なにぶん、古い墓地なので空きはなく、お墓を建てたくても新しく建てることはできない。

 江戸時代から大坂には「七墓めぐり」という風習が流行した。お盆の夜にかねや太鼓をたたきながら七つの墓地を巡ると、自分の葬式の日の天気がいいとかいわれた。七墓は諸説あるようだが、今も残るのは京橋の蒲生、北区豊崎の南浜の2カ所だけ。蒲生墓地は京橋の繁華街の中にあり、屋台の立ち飲みから墓地が見下ろせる。花見ならぬ「墓見」ができるわけだ。

 それはともかく、昔から墓地は町の中心には造らなかった。町の周縁に造ったものだから、昔は京橋も町なかではなかった。梅田にも墓地があって(毎日新聞社のすぐ近く)、もとの地名は埋田というくらいだから、住む人もいない土地だった。

 もちろん阿倍野もそうで、墓地ができるまでは、熊野街道筋にあたる今の阪堺電車の東天下茶屋駅辺りと、JR鶴ケ丘駅近辺に農村があっただけ。田畑や原野が広がる土地だった。だから、いくらでも広い墓地を造ることができたのだ。

 「阿倍野墓地ができたことで、阿倍野が発展していくんです」と西俣さん。火葬場もできたので、葬儀に関わる店などができて、人が集まるようになる。【松井宏員】

465よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/10(月) 09:04:58 ID:fGFPH.Zc0
実りの季節祝う太鼓・神輿の巡行 大阪・吹田
2011.10.10 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111010/osk11101002010003-n1.htm

 府内各地で9日、秋祭りがにぎやかに繰り広げられ、吹田市の山田伊射奈岐(いざなぎ)神社では市無形民俗文化財に指定されている太鼓と神輿(みこし)の巡行が行われた。

 氏子の若者たちが早朝、「エッサ、エッサ」のかけ声とともに太鼓や神輿を担ぎ、同神社を出発して山田地区一帯を巡行。花笠をかぶり、白や水色、黄色などカラフルな長いタスキをなびかせた小学4年生の「乗り子」たちが「ドンデンドン」と太鼓をたたくと、地区内は秋祭り一色に染まった。

466よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/10(月) 14:39:55 ID:fGFPH.Zc0
千利休ゆかりのだんご茶会
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003103961.html

千利休が茶会を開いたと伝えられる大阪市内の神社で、当時を再現した「だんご茶会」が開かれています。
大阪・中央区の玉造稲荷神社は、豊臣家とのゆかりが深く、千利休が茶会を開いてだんごとお茶で武将らをもてなしたと伝えられています。
神社の境内では、当時の茶会を再現する「だんご茶会」が毎年この時期に開かれていて、きょうも裏千家の人たちが屋外で茶をたてる「野だて」を行って、訪れた人にだんごとともにふるまいました。きょうの大阪市は野だてにはうってつけのさわやかな秋晴れとなり、訪れた人たちは千利休をしのびながらお茶とだんごをゆっくりと味わっていました。
市内に住む60代の女性は、「結構なお手前でとてもおいしかった。当時の茶会がいまに受け継がれていることを知り、千利休の偉大さを改めて感じた」と話していました。
「だんご茶会」はきょう午後3時まで開かれています。

10月10日 12時21分

467よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/11(火) 20:34:15 ID:FCYavg/s0
”豊臣秀吉と尼崎”展
http://www.nhk.or.jp/lnews/kobe/2023077901.html

天下統一を果たした豊臣秀吉と尼崎の関わりをテーマにした展示会が尼崎市で開かれています。
豊臣秀吉の時代、大坂の隣接地として大きく発展した尼崎には秀吉ゆかりの品が数多く残されており、展示会ではおよそ80点が紹介されています。
このうち尼崎市内の寺院に伝わる「豊臣秀吉木像」は高さが23センチあまりで、慶長3年=1598年に秀吉が死んだあとに作られたものとされています。
また秀吉が京都の聚楽第に天皇を招いた「聚楽第行幸」の様子を描いた屏風は、平成16年に市内の住宅で見つかりました。
このほか尼崎の代官からまつたけ200本を贈られたお礼に記された秀吉の朱印状も展示されています。
訪れた女性は「尼崎にこれほど多くの歴史的な資料が残っていることに驚きました」と話していました。
尼崎市教育委員会のカド野一裕学芸員は「伏見桃山時代の尼崎を展示品から感じとってもらいたい」と話していました。
この展示会は来月13日まで尼信博物館で開かれています。
学芸員カド野さんのカドは木偏に四の下に方です。

10月11日 18時10分

468よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/13(木) 21:06:14 ID:hRx6FiCo0
>>464

わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/227 続・阿倍野墓地 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111013ddlk27070468000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇経済界の大物眠る 意外と多い他県出身者
 阿倍野墓地を歩いてみる。これだけお墓が並んでいると壮観だ。天を突かんばかりにそびえたつ墓石がそこここにある。中でもひときわ目立つのが五代友厚の墓だ。

 中央の通路から奥まった所に据わる墓は、なんと石鳥居付き。巨大な墓石の前には石灯籠(どうろう)が10基も並び、それはそれは立派な墓所だ。五代友厚が大阪にとって、いかに重要な人物だったかを物語っているようだ。

 薩摩藩士だった五代は、明治維新後、新政府で外国との交渉役として働いた。ヨーロッパ外遊の経験を生かして、堺で土佐藩士とフランス兵が衝突した堺事件の処理に当たり、大阪開港に踏み切って、大阪税関の前身となる川口運上所を開設。造幣局も大阪にもってきた。

 実業家に転じて、堺紡績所や全国16カ所の鉱山を経営。インド藍の輸入を防ぐため、堂島に製藍所を設け、さらには証券取引所の前身の大阪株式取引所や、大阪商工会議所の前身の大阪商法会議所を設立して初代会頭を務め−−とまあ、いまの大阪経済界の礎を築いた人物なのだ。このため、北浜の大阪証券取引所の前と、本町橋の大阪商工会議所の脇に銅像が建っている。

 これだけのやり手だったが、私腹を肥やすということをせず、身なりは粗末だったという。西洋通だったが洋食嫌いで、薩摩隼人らしく焼酎好き。明治18年9月25日没。

 大阪案内人の西俣稔さんは、五代の言葉がお気に入りのよう。「成功と失敗の分かれ道はほんの一歩。進めば成功し、遅れれば失敗する、と言うてます」

 大阪になくてはならぬ人物が、薩摩生まれだというところに興味をひかれる。大阪で名をなした人物には、大阪生まれでない人がけっこう多い。阿倍野墓地を逍遥(しょうよう)して墓を見つけた土居通夫もそうだ。

 この人は四国は愛媛の宇和島藩士で、同じ四国の坂本龍馬と意気投合して脱藩し、大坂にやって来た。五代友厚に目をかけられて運上所に勤務。没落寸前の鴻池家の番頭に抜てきされるが、その時の条件がふるっている。「私が職務を怠るか、不利益を与えた時は即刻解雇すること。そうでなければ、何があっても終身雇用せよ」。よほどの自信家でないと吐けないセリフだ。

 鴻池を立て直した土居は、それから大阪電燈、明治紡績の社長や日本生命、大阪毎日新聞の取締役など数々の会社の経営に関わり、大阪商業会議所の第7代会頭も務めた。大阪商議所に五代と並んで銅像が建っている。

 また、1903(明治36)年に大阪で開かれて大きな経済効果を挙げた第五回勧業博覧会を、東京と争って誘致に成功した。5カ月で約450万人を集めた博覧会の跡地が、天王寺公園や新世界だから、土居は新世界の生みの親といえる。

 初代通天閣の建設という功もある。通天閣の名は、土居通夫の通を取って「天に通じる建物」という意味で命名されたと長らく信じられていたが、儒学者の藤沢南岳が名付けたことが1985年に明らかになった。通天閣観光の西上雅章社長は「土居通夫が親交のあった藤沢南岳に、名付け親になって、と頼んだんです。藤沢南岳が土居通夫をヒントにしはったかどうかはわかりませんが」と話す。

 大阪生まれでない大物が経済界になぜ多いのか。商都だったのが大きな要因なのはもちろんだが、大阪が進取の精神にあふれていたからではないか。新しいもの好き、誰もやらないことをやる−−。その気風はいま、どうか? 墓地で考えてしまった。【松井宏員】

469よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/13(木) 21:08:12 ID:hRx6FiCo0
行ってみよっと:レトロ建築めぐり 戦火の中、生き残る /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111013ddlk27040445000c.html

 大阪の都心に残るレトロ建築を観察しに出た。

 オフィス街の北浜(大阪市中央区)。堺筋沿いに細くそびえるのは1930(昭和5)年、生駒時計店の本店として建てられた生駒ビルヂング。「ビルヂング」がいい。

 「これ、スクラッチタイルです。ひっかいたみたいな模様が特徴です」と案内していただく建築士、山本尚子さん(54)。外壁に目を近づけると、なるほど凝っている。「ちょっと離れて見てみましょう」。向かいの歩道から見上げる。ビルのてっぺんの6階で、悠然と時を知らせる時計。当初は英国製だったが、今はリズム社製。そのまま視線を下へ。5階から3階までの壁に振り子の棒が描かれ、2階にはおもりがデザインされている。街路樹の陰になって見えにくいところが、これまた奥ゆかしい。ちなみに午後8時から同10時に行くとイルミネーションの明かりが振り子が振れるように揺らめいてきれい!

 玄関を入ると、鐘が鎮座している。かつては時報を鳴らしたが、昭和40年代に“引退”。現在はデジタル録音で残された音が、毎日8、12、16、20時の4回流れる。「周辺のご迷惑にならないよう、音量を控えめにしています」と生駒伸夫社長。ちょっと耳を澄ませた方がよいかも。

 ガス灯が並ぶ三休橋筋を通って、1927(昭和2)年築の芝川ビルへ。当初は芝蘭社家政学園が入り、いとはんが花嫁修業にいそしんだ。今はチョコレート店、ブティックなどが入居するオシャレなビル。

 角から見る姿がどっしりとしてカッコいい。内部で楽しいのは洗面所のタイル。丸みのある一枚一枚に、心もまあるくなる。山本さんは「インカ文明ふうの彫刻がある部屋があります。今度、ショッピングがてら見てください」。

 次は、1931(昭和6)年築の綿業会館。威厳のある風格は重要文化財だ。何しろ建築にかけた事業費がケタはずれ。故・岡常夫・東洋紡績専務の寄付などで150万円。この数字がどんなもんかこれだけではよくわからないが、同じ年、大阪城天守閣が再建された。その費用が47万円。つまり天守閣三つ建つ勘定。

 では内部へ。玄関ホールはイタリアルネサンス様式。2階までの高い天井を見上げる。「シャンデリアはミラノのスカラ座のものを模したものです」と事務局長の花崎正男さん。絢爛(けんらん)豪華さに、ため息が出る。続いて会員食堂へ。「石の壁のようにみえるでしょ?」と花崎さん。ノックすると、コンコンと軽い音がはねかえってきた。「木製の吸音材です。フォークとお皿がガチャガチャいうのを響かせないためです」と山本さんが解説。当時の紳士淑女は、ナイフ&フォークにまだ不慣れだった!?

 ところで、この辺りは戦火で焼け野原となったが、この建物はしっかと残った。なぜ生き残れた?「壁は耐火れんが、窓はワイヤ入りの耐火ガラスを使っていましたから。関東大震災を教訓に設計したのです。でも、あの窓ガラス見てください」と花崎さん。ゆがんだガラス。熱さに食いしばったよう。

 大正10(1921)年築の青山ビルは、ツタがトレードマーク。巻き付いているのは、昭和期に甲子園から株分けされたものだ。「ツタは建物の温度を下げたり、壁の老化防止に役立っています」と青山正美社長(70)。ビルの奥からのぞくイチョウは樹齢90年、クスノキは300〜400年。自然とともに年を重ねている。さて、1階の丸福珈琲店で一服。趣のある内装に包まれ、カフェインがじんわりしみる。【三角真理】

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 綿業会館(電話06・6231・4881)は通常は公開していないが、第4土曜日のみ、有料で予約制で館内見学できる▽青山ビル(電話06・6231・6397)の見学は要予約。

470名無しさん:2011/10/14(金) 19:33:44 ID:N9lOGkPU0
ちょっと気になりましたが大阪のいいニュースってやたらと「写真なし」
が多いですよよね。

471名無しさん:2011/10/15(土) 02:39:12 ID:pr3MS3dk0
大阪国際女子マラソンでも、コースが御堂筋にかかると選手のアップになります
御堂筋の左右の建物は見せません

472よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/15(土) 05:21:04 ID:eS4imkoo0
玉造稲荷神社に豊臣秀頼の銅像を奉納
2011年10月14日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001110140004

 豊臣秀頼(1593〜1615)が再興した玉造稲荷(いなり)神社(大阪市中央区玉造2丁目)に秀頼の銅像が建てられ13日、除幕式があった。大阪城天守閣の復興80周年を記念して兵庫県西宮市の女性(53)が奉納し、氏子ら約160人が400年前の城主の「登場」を祝った。


 銅像は衣冠束帯姿で高さ3メートル、重さ約720キロ。高さ3メートルの御影石の台座の上に立つ。除幕式には赤い甲冑(かっちゅう)姿で大阪城内の清掃に取り組むNPO法人「大阪城甲冑隊」も登場し、像の前で演舞を披露した。


 禰宜(ねぎ)の鈴木伸広さん(36)は「『ひよわ』などと語られることもあるが、帝王学を学んだ秀頼公の本当の姿を伝えたい」と話した。

473よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/15(土) 20:51:11 ID:ybQsD.uY0
第13回和泉弥生ロマン・ツーデーウオーク開幕 大阪
http://www.asahi.com/kansai/sports/news/OSK201110150045.html

 弥生時代の大型遺跡や寺社を巡る「第13回和泉弥生ロマン・ツーデーウオーク」(大阪府和泉市、和泉商工会議所、朝日新聞社など主催)が15日、和泉市いぶき野4丁目の中央公園で開幕した。全国から約1300人が参加し、10〜30キロの3コースに分かれて同市内を歩いた。

 前日からの雨で山道を通るコースの一部が変更となったが、午前7時半に30キロコースの参加者約250人が先頭を切って出発。紅葉で知られる松尾寺や途中の公園などに立ち寄った。

 16日は、弥生時代最大規模の建物跡を復元した池上曽根史跡公園などを回る25キロ、20キロ、10キロの3コースがあり、当日参加も受け付ける。問い合わせは実行委事務局(0725・43・4555)へ。

474よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/15(土) 21:27:12 ID:ybQsD.uY0
あすから茨木神社で「黒井の清水大茶会」 大阪
2011.10.14 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111014/osk11101402060003-n1.htm

 豊臣秀吉ゆかりの名水にちなむ「黒井の清水大茶会」が15、16の両日、茨木市元町の茨木神社で開かれる。

 黒井の清水は同神社境内にあり、秀吉が茶の湯に使ったと伝えられる名水。両日とも午前10時〜午後3時に、黒井の清水をモチーフにした創作生菓子付きの野点(のだて)席が設けられるほか、地元物産の販売や写真展なども。また、15日は奉茶式(午前9時〜10時)や茨木神社雅楽会の演奏(午後2時半〜3時)、16日は琴の演奏(午前11時〜11時半、午後1時半〜2時)が行われる。

 茶券は1枚500円で、市観光協会事務所などのほか当日の会場でも販売。着物での参加者には茶券がプレゼントされる。問い合わせは市観光協会((電)072・645・2020)。

475よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/16(日) 03:55:51 ID:ybQsD.uY0
「大大阪」の心斎橋体感 ファッションなど展示 歴博で特別展
2011.10.16 02:35
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111016/osk11101602350002-n1.htm

 近代の大阪・心斎橋筋にスポットを当てた特別展「心斎橋きものモダン−煌めきの大大阪時代−」が15日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で始まり、当時の若い女性のファッションやライフスタイルが紹介されている。12月4日まで。

 開館10周年を記念し、昭和初期に呼ばれた「大大阪時代」の、華やかで活気ある心斎橋筋のにぎわいを体感してもらおうと企画。

 会場には、断髪姿の和装モダンガールを描いた高橋成薇(せいび)作「秋立つ」やしま柄の着物を粋に着こなした小磯良平作「着物の女」など絵画のほか、心斎橋に生まれ育った女性たちが愛用した着物や心斎橋の宣伝が印刷されたマッチラベルなど約150点が並ぶ。

 注目は、近代大阪で隆盛を誇った化粧品メーカーの商品やポスター。製造技術の革新だけでなく、パッケージデザイン自体がモダンで、来館客らは「かわいい」と展示ケースをのぞき込んでいた。

 午前9時半〜午後5時(毎週金曜日は午後8時まで)。観覧料は特別展のみ大人800円、高大生600円、中学生以下無料。

476よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/17(月) 05:59:16 ID:/2u/a5lw0
光の中に富田の歴史 高槻で「灯露祭」 大阪
2011.10.17 02:25
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111017/osk11101702260003-n1.htm

 幻想的な「光」の中で歴史、文化に思いをめぐらす「灯露祭」が16日夕、高槻市富田(とんだ)地区の本照寺と三輪神社で行われた。

 富田の町は戦国時代に寺内町として栄えた。「本能寺の変」で織田信長を暗殺した明智光秀を討つため、羽柴(豊臣)秀吉が「山崎の合戦」に臨んだ際、この町に一時宿陣を設けたという故事もある。江戸時代には酒造業などが盛んだった。

 「灯露祭」はこうした歴史や遺構、文化を活用して町おこし活動をしている地元有志の集まり「けさたんと会」(石井清隆会長)が開催した。

 子供たちが描いた絵を張った灯籠約400個がともされ、寺社の輪郭が夜空に浮かびあがった。

 訪れた家族連れや若いグループは、名物の「水まんじゅう」や酒かすでつくった「あやめうどん」を味わい「きれいやなあ」と話しながら灯籠の間を散策し、地元の歴史や文化を話し合っていた。

477名無しさん:2011/10/17(月) 17:25:31 ID:KeZVWiPQ0
>>470
やっぱり同じように感じてる人が多いようですね。

478よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/17(月) 20:42:03 ID:aX1mdG4E0
これも写真が欲しかったですね。


黄金の古墳 大阪に出現?
2011.10.17 14:24
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111017/osk11101715530010-n1.htm

 世界遺産登録の暫定リスト入りした古市古墳群(大阪府藤井寺市)の一角に、収穫期を迎え黄金色に色づいた稲でかたどった前方後円墳が登場し、注目を集めている。

 世界遺産登録に向けた機運を盛り上げようと、藤井寺市が平成21年から始めた。市職員が苗を植え、稲の一部を刈って形を整えた。

 仁賢天皇陵(同市)の10分の1の大きさで、全長15メートル。古墳のくびれ箇所に片方だけある「造出し」と呼ばれる突出部も忠実に再現した。22日に地元の小学生が、古代の方法にのっとって石包丁で刈り取る予定。

479470:2011/10/18(火) 19:13:07 ID:Rg7FkJvQ0
>>477
それを聞いて改めてこの不快感は関東人の言う「被害妄想」ではないと確信しました。

480名無しさん:2011/10/19(水) 16:39:58 ID:rpDEow8U0
上方落語の寄席発祥の地に顕彰碑…上方落語協会
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111019-OYO1T00699.htm?from=main1

 上方落語協会が、上方落語の寄席発祥の地とされる坐摩(いかすり)神社(大阪市中央区)境内に顕彰碑を建立し、19日、除幕式を行った。

 上方落語は、江戸中期から神社境内や道端など屋外で披露されていたが、江戸後期に入り、東西桂派の祖・初代桂文治が坐摩神社境内に初めて定席の寄席小屋を建てて演じたとされる。

 碑は高さ1・3メートル、幅1・5メートル。大阪庶民文化史の研究者である肥田晧三・元関西大教授と、同協会の桂三枝会長が、文治の功績など碑文を寄せた。

 除幕式で、三枝会長は「文治の開いた寄席が、脈々と天満天神繁昌亭につながってきた。碑はその原点の証し。ここへ来たら元気をもらえそうだ」と話した。
(2011年10月19日 読売新聞)

481よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/20(木) 21:52:00 ID:PUMKw6U20
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/228 続々・阿倍野墓地 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111020ddlk27070381000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇「千日前」育てた弁次郎も 知人のために巨大紀念碑

 前回は、阿倍野墓地に眠る五代友厚と土居通夫を紹介したが、まだまだ数多くの著名人のお墓がある。訪ねる人が多いので、霊園事務所には著名人の36基の墓の位置を示した図を用意している。これがないと、とてもじゃないが探せるものではない。

 ほかの著名人をざっと紹介すると−−。名市長の誉れ高い七代目大阪市長の関一。御堂筋を現在の幹線道路に拡幅し、地下鉄御堂筋線を通し、大阪城天守閣を再建し−−と、いまの大阪の基礎を築いた。

 文化関係では、江戸時代に上方舞の山村流を開いた山村友五郎。それから明治期に活躍した日本画家の菅楯彦。絵画はさっぱりの私は、この人の絵は見たことがないが、名前は知っている。南地「富田屋」の名妓とうたわれた芸者、八千代を妻にしたからだ。無名だった菅楯彦は、この結婚で名を上げ、妻をモデルに画業でも腕を上げていく。八千代こと美記は結婚7年後に病死してしまう。お墓は五代友厚の墓の手前にあって、2人の名前が仲良く並んでいる。

 この近くには、生涯を売春反対、女性解放運動にささげた林歌子の墓もある。隣には「大阪婦人ホーム共同墓地」の墓石が建つ。大阪婦人ホームは、元遊女らを守り、仕事をあっせんするために林歌子が設立した施設だ。

 面白いところでは奥田弁次郎という人物。天満の天神さんの境内で露天商を営んでいたが、1870(明治3)年に刑場が廃止された千日前に真っ先に飲食店を出した。場所が場所だけに、誰も気持ち悪がって手を出さなかったというのにだ。露天商仲間を集めて夜店を出し、さらに興行の許可を取って、千日前を歓楽街に育てあげた。

 弁次郎の墓には、名前の脇に「千日前」と刻まれている。千日前といえば奥田弁次郎だったのだろう。彼の墓より目立つのが巨大な「紀念碑」だ。「自分の知り合いは墓など建ててもらえないだろう」と生前に建てたものだという。人柄をしのばせる逸話だ。「奥田知人死亡者」として68人の名前が刻まれていて、中には「飴捨」という何者なのかわからない名前や、「曲馬師アームストン」という外国人らしき名前もある。みな貧しく名もない人たちなのだろう。

 新聞人も眠っている。毎日新聞の前身である大阪毎日新聞社長で、「中興の祖」といわれた本山彦一。1903(明治36)年に社長に就任し、30年もその座にあった。この間に、サンデー毎日や英文毎日、唯一の点字新聞の点字毎日を創刊。社会事業団を創設して、文化・福祉事業にも乗り出した。

 ライバル紙の関係者では、大阪朝日新聞を創立した村山龍平、名編集長の名をはせた朝日新聞の西村天囚。墓地の一番奥には、無縁墓や警察官の墓地がある。

 墓石の森をさまよっていて、ふと顔を上げると、北を走る阪神高速の高架下の青い塀の向こうから、人の頭が飛び出してきてギョッとした。どうやらトランポリンをしているのだった。【松井宏員】

482よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/20(木) 21:54:45 ID:PUMKw6U20
神前に3種の供え物 再建の吉志部神社で「どんじ祭」
2011年10月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111019/20111019019.html

 今年5月に再建された「吉志部(きしべ)神社」(奥田正夫宮司、大阪府吹田市岸部北)で17日、地元に古くから伝わる「どんじ祭」が行われた。4月に同市の無形民俗文化財に指定されてから初めてで、白蒸しなど3種の供え物が神前に供えられた。

 同祭は、秋の収穫に感謝して3種の供え物を神前に供える習わしがあり、「どんじ」は握り飯をさす「屯食(とんじき)」がなまったといわれている。同神社裏の釈迦(しゃか)ケ池に住む大蛇への人身御供の名残と伝えられる稚児(女児)たちが、供え物を奉納する大切な役割を担う。

 戦後は中断していたが、1990年に本殿の再建380年記念行事として復活し、以後お供えを担当する岸部の東、小路、南の3地区が継承に努めてきた。国の重要文化財だった神社本殿は2008年5月の火災で全焼したが、神事は地元有志で07年に発足した「吉志部神社どんじ保存会」の手によって継続されてきた。

 この日は早朝から南、小路、東地区の順に氏子らが神社を訪れ、3地区の供え物が神前にそろった。小路では氏子らが地区の集会所に集まり、供え物を唐櫃(からびつ)と呼ばれる木の箱に詰めて運び出し、神社まで約2キロの道を練り歩いた。4人の稚児が木綿の着物にしめ縄の帯を締めて緒のついた草履をはき、サンドラと呼ばれる輪を頭に載せたいでたちで行列に加わった。

483よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/20(木) 22:08:22 ID:PUMKw6U20
秀吉側近、上方落語の元祖 曽呂利新左衛門ゆかりの地歩こう 大阪
2011.10.19 02:12
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111019/osk11101902130002-n1.htm

 ■23日「堺めぐり」

 豊臣秀吉の側近である「お伽衆(とぎしゅう)」として仕え、上方落語の元祖ともいわれる堺出身の人物、曽呂利(そろり)新左衛門を顕彰しようと、落語家の桂福団治さんが堺市内で「曽呂利寄席」と銘打った落語会を行っている。23日には3回目の寄席を開くのに合わせ、新左衛門にちなんだ町歩きツアーも開催、参加者を募集している。

                   ◇

 曽呂利新左衛門はもともと、刀の鞘を作る職人。秀吉にお伽衆として仕え、とんちで秀吉を感心させたと伝えられ、その活躍は「曽呂利噺(ばなし)」として現代に伝わっている。上方落語の内容と重なる話もあるため、落語の元祖ともされる。

 しかし、「今ではその名が忘れられつつある」として、桂福団治さんが曽呂利噺を盛り込んだ寄席を始めた。「曽呂利寄席」として今年1月に初開催。今回で3回目を迎え、福団治さんは「上方落語の始祖ともされる重要な方。曽呂利噺とともに存在を広めたい」と話す。

 また、合わせて開く町歩きツアーは「お伽衆の町 堺めぐり」として、大阪城天守閣研究主幹の北川央(ひろし)さんを案内人に、新左衛門らお伽衆ゆかりの地を巡る。

 ツアーでは、新左衛門の屋敷跡(堺区市之町東)のほか、同様にお伽衆だった茶人、千利休の屋敷跡(同区宿院町西)などをたどる。北川さんは「お伽衆は秀吉のブレーンとして政策の立案にも関わった。堺が、政治に参画する人材を輩出していたことが分かるはず」と話している。

 町歩きは当日午前10時に和菓子店「曽呂利」本店(堺区宿屋町西)前集合、「曽呂利寄席」は午後2時からホテルリバティプラザ(堺区翁橋町)。町歩きのみの参加も可能で無料、寄席は2800円(前売り2300円)。問い合わせは、桂福団治事務所((電)090・1027・9611)。

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485よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/21(金) 20:48:43 ID:z0j.FnA20
大阪城歴史 多面的に 大阪市役所でパネル展
2011年10月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111021/20111021027.html

 大阪市役所玄関ホール(北区)で「大阪城天守閣復興80周年記念パネル展」が開かれている。写真や模型、映像などによって大阪城の歴史を学ぶことができ、来庁者が興味深そうに見入っている。28日まで。

 大阪城天守閣は1931(昭和6)年に復興して来月7日に80周年を迎える。

 パネル展示は「豊臣期から徳川時代」「幕末から近代・戦後」など時代の移り変わりに焦点が当てられ、びょうぶに描かれた絵や写真を通じて大坂城の歴史を理解することができる。

 3次元レーザスキャナーのコーナーもあり、大手門など重要文化財の一部を計測したデータを使い、パソコンで立体映像が楽しめる。豊臣秀吉が築造し大坂夏の陣で焼けた天守閣の精巧な50分の1模型も展示されている。

 平日午前9時〜午後5時半、土・日曜日午前10時〜午後6時。問い合わせは電話06(6469)5154、大阪城魅力担当へ。

486よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/23(日) 10:48:16 ID:dPCmwGdc0
天満天神えびす祭:招福娘を募集 来年1月9〜11日開催 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111022ddlk27040346000c.html

 来年1月9〜11日に開催される大阪天満宮(大阪市北区)の「天満天神えびす祭」で、参加者に酒を振る舞う「招福娘」(4人)の募集が始まった。

 戦後の中断を経て07年に復活。招福娘の募集は昨年に続いて2回目で、御利益があるとされる学徳向上にちなんで大学生限定としている。

 応募締め切りは11月20日。書類選考後、12月3日に同天満宮で代表選考会を行う。問い合わせは同天満宮広報課(06・6353・0025)へ。【稲生陽】

487よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/24(月) 21:38:53 ID:Y4l6LkGI0
鎧姿で練り歩く 高野街道まつり 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111023-OYT8T00920.htm

 河内長野市が高野山へ至る街道の宿場町だった頃の様子を感じてもらうイベント「高野街道まつり」が23日、同市内であり、大勢の家族連れらでにぎわった。

 今年で5回目。近鉄・南海の河内長野駅と南海三日市町駅周辺などを会場に、特産品販売や、2会場間をつなぐ高野街道約3・5キロの散策を楽しむスタンプラリーなどが行われた。

 今年は初めて、大阪城の清掃活動などをするNPO法人「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」が街道を行進。大坂夏の陣で名をはせた武将・真田幸村が蟄居(ちっきょ)先の和歌山県・九度山から高野街道を通って大坂城に入ったとの一説にちなみ、メンバー10人が真っ赤な鎧(よろい)姿でほら貝を鳴らしながら、勇壮に練り歩いた=写真=。

 河井計実代表(49)は「幸村が大坂方にはせ参じるため、歩いた道と思うと感無量です」と話していた。

(2011年10月24日 読売新聞)

488よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/26(水) 21:27:46 ID:S9E7QCHc0
秋の風物詩、市街地駆ける 勇壮に流鏑馬神事
2011年10月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111026/20111026017.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、秋大祭の流鏑馬(やぶさめ)神事が行われた。大阪の市街地で行われる流鏑馬に、多くの参詣客が見入った。

 起源は不明だが、戦国時代には流鏑馬が行われていたという同宮。江戸時代初期に一時中断したこともあったが、復興後は浪速の秋の風物詩として随筆や絵画の題材にもなっている。

 同宮では江戸時代後期から、周辺に人家が密集し、参詣者が激増したことから、的を矢で射る一般的な形式でなく、馬上から半弓で的を打ち破る独特の形式で行われている。

 神職が騎乗し、表門から南の折り返し地点までの馬場をはらい清める「馬場清祓(きよはらい)の儀」の後、室町時代の狩装束を着た本駆者が馬を駆って登場。折り返し地点までを3往復し、3カ所の的を半弓で打ち破ると、沿道に詰めかけた参詣客から大きな歓声と拍手が起こった。

 的の破片は厄よけの縁起物とあって、多くの参詣客が持ち帰っていた

489よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/26(水) 21:47:05 ID:S9E7QCHc0
豊臣秀頼:銅像を除幕−−中央・玉造稲荷神社 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111026ddlk27040374000c.html

 豊臣秀吉の次男・秀頼と縁が深い大阪市中央区玉造2の玉造稲荷神社(鈴木一男宮司)でこのほど、秀頼の銅像の除幕式があり、関係者ら約160人が出席した。同神社によると、秀頼の銅像は全国で唯一という。

 銅像は、高さ約3メートル。青年時代の秀頼の人物画をもとに、文化勲章受章者の彫刻家、中村晋也さんが制作した。悠然とした表情の衣冠束帯姿の立像で、石台(高さ約3メートル)に載せられている。

 同神社は、秀吉が築いた大阪城三の丸の内にあり、戦乱で消失した社殿を秀頼が再興した。当時の鳥居が境内に保存されているほか、秀頼誕生の際の胎盤などが祭られている。

 除幕式では、神事の後、NPO法人大阪城甲冑(かっちゅう)隊によるほら貝の合図で幕が引かれ、参列者から拍手が起こった。彫刻家の中村さんは「秀頼公の像が大阪の人々に親しまれ、街のシンボルになるよう願っています」とあいさつ。甲冑隊による演舞も披露された。【矢島弓枝】

490よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/26(水) 22:02:50 ID:S9E7QCHc0
船上で楽しむ淀川の秋 来月、「歴史探訪の旅」開催 大阪
2011.10.26 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111026/osk11102602100004-n1.htm

 淀川の秋の風情を船上から楽しみ、周辺の歴史をたどる恒例の「舟運復活! 淀川歴史探訪の旅」が11月3〜6日と10、11、17、18日に催される。大阪市から枚方市に向かう「上り」と、枚方市から大阪市に向かう「下り」の2コースを設定している。

 「淀川上りの旅コース」(道中弁当付き、4700円)は、京阪・天満橋駅(大阪市中央区)下車すぐの八軒家浜船着場を午前9時半に出航、大川−毛馬閘門(こうもん)−枚方淀川河川公園枚方船着場に午後0時半ごろ到着したあと、枚方市内を自由散策する。

 「淀川下りの旅コース」(くらわんか鮨(ずし)付き、4700円)は、枚方市内を自由散策後、京阪・枚方市駅から徒歩約15分の枚方船着場を午後1時に出航、毛馬閘門−大川−八軒家浜船着場に午後3時半ごろ到着の予定。

 両行程とも語り部による淀川流域案内や淀川ゆかりの民謡の披露、かつての船宿「鍵屋資料館」(枚方市)入館券付き。予約制。問い合わせは大阪水上バス予約センター((電)0570・057771)。

491よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/27(木) 21:40:15 ID:yEUaq/oY0
藤田伝三郎サミット:関西財界立役者、業績振り返る−−あす /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111027ddlk27040410000c.html

 建設、鉄道、金融など数多くの事業を手掛けた関西財界の立役者、藤田伝三郎の業績を振り返る「藤田伝三郎サミット」(大阪商工会議所後援)が28日、藤田家旧本邸の太閤園(大阪市都島区網島町)で開かれる。

 藤田は1841年、現在の山口県萩市で生まれ、今年生誕170年。明治政府高官の人脈も生かして事業を展開し、大阪商法会議所(現大阪商工会議所)の2代目会頭を務めた。サミットでは、大阪企業家ミュージアム館長の宮本又郎・関西学院大大学院教授が藤田の先見性などを基調講演し、ゆかりの関西電力や毎日新聞の関係者らによるパネルディスカッションがある。

 午後6時半開始で、懇親会もある。参加費は講演のみ1000円、懇親会込みは6000円。予約制で、太閤園(06・6356・1110)へ。

492よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/27(木) 22:00:24 ID:yEUaq/oY0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/229 馬2題 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111027ddlk27070431000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇阪堺電車、ご先祖は馬車 有名人だったアームストン
 前回、千日前を開発した奥田弁次郎の「知人死亡者」として紀念碑に刻まれていた「曲馬師アームストン」について触れたところ、読者からご指摘をいただいた。名もない人ではなく、ずいぶん有名人であったのだ。

 興行師、奥田弁次郎が、上海で興行中だったアームストン社中を日本に呼んだのは1892(明治25)年。男女45人、馬35頭、大象2頭、虎3頭、獅子1頭、大熊2頭−−という大一座だった。

 ミナミでの興行の様子を大阪毎日新聞は大要、次のように報じている。「昼夜2回とも立錐(りっすい)の余地のない大入り」「1人の少女が10頭の馬を自由に使い分け、2頭の大象を思うがままになす。わけてもアームストンが2頭の馬を手指のように自由に動かし、種々の芸をさせるのは感賞するほかない。その上、道化もある」。今でいうサーカス団だ。

 アームストン社中は横浜や東京でも興行し、大成功を収める。アームストンは英国人で、馬を自由に使うことができ、長女は美人で、次男、三男も座員だった−−と当時の新聞は伝えている。

 翌明治26年12月、アームストンはシンガポールで死去。奥田弁次郎が知り合いのために紀念碑を建てたのは同28年。親交を結び、遠い異国で果てた大曲馬師をしのんで、名前を刻んだのだろう。座は2代目が継ぎ、その後も来日している。

 府立中之島図書館の3階で開催中の「浪華の見世物」展(12月3日まで)に、「奥田弁治郎曲馬興業絵番付」が展示されている。これは興行の宣伝チラシで、文中に「アームストン」の名前も見える。空中ブランコやはしごの曲乗り、人間ピラミッドなどの絵が描かれていて、動物は出てこない。

    ◇

 阿倍野墓地を出て、大阪案内人の西俣稔さんと先へ行くことにする。あべの筋に出ると、ガタンゴトンと阪堺電車が走っている。大阪唯一の路面電車だ。

 経営は阪堺電気軌道。南海電鉄の100%子会社で、1980年に分離・独立した。そのチンチン電車を見ながら、西俣さんが「最初は馬が客車をひく馬車やったんです」。

 経営は、その名もズバリ「大阪馬車鉄道」。アームストン社中の来日と同じ、明治25年ごろにできた天下茶屋遊園地に行く客を見込んで馬車鉄道を通す計画だったが、他社に先を越されたため、路線を変更。1900(明治33)年、四天王寺西門前から遊園地東側の東天下茶屋までの約3キロを結んで開通した。45頭の馬を抱え、客車7両を交代でひいていた。

 線路の上を馬車が走るという、現代からすると珍妙な光景だが、けっこう人気だったようだ。翌々年には住吉大社まで延伸され、明治36年には第5回内国勧業博覧会が天王寺・堺を会場に開かれて入場者が詰めかけた。明治39年には堺・浜寺に海水浴場や水練学校が開設されて一大リゾート地となり、馬車鉄道は大いににぎわったのだ。

 しかし、次第に馬車では間に合わなくなり、明治42年に南海と合併して電車になった。1両編成でトコトコ走る阪堺電車は、このせわしない現代社会にあって、どことなくのんびり見える。ご先祖が馬車だと聞いたから、よけいそう見えるのかもしれない。

 馬がひく鉄道を、馬使いの名手が見たら何と言っただろうか。らちもないことを妄想してみる。【松井宏員】

493よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/10/28(金) 06:20:31 ID:sPxodiI60
戦後航空機のさきがけ 木製グライダー、修理終え母校に里帰り 大阪・布施
2011.10.27 21:29
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111027/osk11102722060015-n1.htm

 戦後航空機のさきがけとなる木製グライダーが27日、修理を終え、5年ぶりに製造元の大阪府立布施工科高校に戻ってきた。

 戦後の航空機製造などを禁じるGHQ(連合国軍総司令部)の「航空禁止令」が解かれた昭和27年、同校教員や生徒が4カ月かけて製作。戦後初の航空機製造という。

 部品の傷みなどもあるため滑空は難しいが、同校OBは「戦後の日本グライダー史のさきがけとなった機体が往年の状態に戻った」と笑みを浮かべた。

494よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/03(木) 14:15:26 ID:yyyxulSA0
七五三の準備大詰め 住吉大社
2011年11月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111101/20111101027.html

 七五三で毎年多くの参拝客が訪れる大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で31日、参拝者に渡すお下がりの袋詰め作業がピークを迎えた。この日までに計6千袋の袋詰めを終え、シーズン本番を迎える。

 袋詰め作業は、頭に「挿頭(かざし)」という髪飾りをつけた「神楽女(かぐらめ)」と呼ばれる女性職員が6人が行い、手分けして千歳あめなどを詰めていった。作業は10月初旬から行い、この日は最も多い約500袋に詰めた。

 20代の神楽女の女性は「お子さまが元気ですこやかに育っていただければとの願いを込めて入れています。来られた方には、一生に一度の記念に残るよう心掛けてご奉仕していきたい」と話していた。

 住吉大社によると、七五三のピークは今月中旬ごろで、来月初旬まで参拝者は続く。

495よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/03(木) 14:18:22 ID:yyyxulSA0
七五三 成長願って 住吉大社
2011年11月01日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001111010003

 15日の七五三を前に、大阪市住吉区の住吉大社は31日、参拝者に配る祝い袋を詰める作業を報道陣に公開した。赤いはかま姿の巫女(みこ)6人が千歳飴(ちとせあめ)やお守り、折り紙などを袋に手早く詰め込んでいった。


 住吉大社の七五三参りは祈願料と記念品のセットで1万円。例年約6千組が訪れる。


 今年の参拝者は日曜日の13日に約800組とピークを迎える見通し。


 権禰宜(ごんねぎ)の武田昌也さん(33)は「10年ほど前は1組3人程度が多かったのが、最近は5〜10人が目立つ。親族が集まる行事になっているのでは」と話す。

496よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/03(木) 14:23:35 ID:yyyxulSA0
今宮戎神社が福娘を募集 奉仕期間は1月5〜11日
2011年11月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111103/20111103037.html

 今宮戎(えびす)神社(大阪市浪速区)は、来年1月の「十日戎」に花を添える福娘を募集している。奉仕期間は1月5〜11日。

 福娘はそろいの着物に千早を着用し、頭には烏帽子(えぼし)をかぶり、官公庁などへのあいさつ回りや十日戎関連の神事に参列するほか、福ザサの授与や宝恵(ほえ)かご行列に参加する。

 対象は18〜23歳の未婚女性(高校生は除く)。書類審査を経て面接を実施し、今月23日の審査で40人の福娘を選出。12月4日の発表会で、福娘の装束を着てお披露目される。40人には15万円と訪問着1着が贈呈される。

 応募は市販の履歴書に所定の事項を記入、写真を添付し、〒556−0003、大阪市浪速区恵美須西1の6の10、今宮戎神社へ。10日必着。問い合わせは電話06(6643)0150、同神社へ。

497よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/03(木) 14:53:52 ID:yyyxulSA0
東成区の魅力に触れる 5、6日に歴史文化まつり 大阪
2011.11.2 02:29
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111102/osk11110202290004-n1.htm

 大阪市東成区を通る歴史街道「暗越(くらがりごえ)奈良街道」を舞台に、地域の魅力を発信する町おこしイベント「東成歴史文化まつり」が5、6日に開催される。

 歴史や文化を中心とする地域資源を活用した区民主体の企画。昨年まで4回行われた「暗越奈良街道フォーラム」から名称を変えて装いを一新した。

 玉造、深江など4会場があり、玉造エリアでは、若手の飲食店経営者らが今年初めてグルメ屋台を出店。オリジナルカクテルや自家製ソーセージなどが味わえ、小学生以下にはうどんの無料配布も。古い町並みが残る深江エリアでは、歴史的建造物を巡るスタンプラリーを開催。また平野川で実施されている川魚のモツゴを使った環境活動をアピールする「もつごのぼり」も登場する予定。

 このほかゆるキャラのステージや町家ライブ、寺院での落語会など盛りだくさんの内容で、東成区役所市民協働課の田中信吾さんは「今年は初の企画も多くさらににぎやかになりそう。イベントを通して東成区の魅力を広く伝えたい」と話している。問い合わせは同まつり実行委員会((電)06・6977・9118)。

498よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/03(木) 14:59:06 ID:yyyxulSA0
大阪城天守閣復興80周年「夢祭」きょう開幕 市民に感謝、盛大に祝う
2011.11.3 02:44
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111103/osk11110302440001-n1.htm

 大阪城天守閣の復興から80周年を迎えることを記念した「復興80周年祭 大阪城夢祭2011」が3日、大阪城天守閣前本丸広場(大阪市中央区)で開幕する。13日までの期間中、特設ステージでさまざまなイベントが繰り広げられるほか、戦国武将にちなんだグルメ大会なども行われ、節目の年を盛大に祝う。

 大阪城の天守閣は豊臣秀吉が建てた初代から数えて3代目。落雷で焼失したが、昭和6年11月7日に市民の寄付金により復興、今年で80周年を迎える。

 夢祭では3〜6日、広場の特設ステージで地元の高校生らによる和太鼓演奏や大道芸ステージ、よさこいイベントなどを展開。期間中には「大阪城知られざるおもしろパネル展」を広場と天守閣2階会議室(天守閣入館料として高校生以上600円が必要)で催す。

 12、13日には豊臣秀吉や伊達政宗、直江兼続といった人気の戦国武将のゆかりの地にちなんだグルメ大会も。それぞれの地域の名産品を使った飲食ブースでの食事が楽しめる。

 担当者は「3代目天守閣は市民により復興された。市民への感謝とともに復興当時のにぎわいをイベントを通じて知ってほしい」としている。問い合わせは大阪城天守閣((電)06・6941・3044)。

499よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/03(木) 23:37:03 ID:/kEqOQSQ0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/230 聖天山 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111103ddlk27070441000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇住民が守ったクスノキ 戦後、「復興資材」から逃れる

 あべの筋を西へ折れる。すぐ北に阿倍野墓地。車1台が通れる幅の道沿いには、「チロリン村」という何屋さんかわからん看板や畳屋さん、たばこ屋さん、銭湯など昔ながらの商売が、住宅にまじって残っている。きのうきょうできたばっかりの街と違って、こういう時を経た街は歩いていて飽きない。

 町名表示は共立通となっている。元は経立(きょうだつ)といった。字を置き換えたのだ。

 約600メートルばかり歩くと、その先はドーンと地面が落ちている。こちらが崖(がけ)の上、すぐ先は崖の下。上町台地の西端だ。「落差15メートルといわれてます」と大阪案内人の西俣稔さんの解説。「この下は大昔は海で、弥生時代の人々は、タコつぼでイイダコを捕ったりして、崖の上の竪穴式住居で暮らしてたんです」

 阿倍野墓地に隣接する区民センターには、遺跡から出土した品々が展示されている。網に付けるおもりや鉄製のヤスリなどがあり、海と密接した暮らしぶりがうかがえる。

 崖の上を南北に通る道を境に、こっちが阿倍野区、石段を下りたあっちが西成区。石段の下にも住宅街が広がり、子どもたちが自転車に乗って遊んでいたりする。大昔、そこは海だったんだよ。

 南に下る。崖の上には大谷中学・高校、その反対側には朽ち果てた廃屋がいくつか目に付いた。道は次第に下り坂になり、公園に出た。聖天山(しょうてんやま)公園だ。大阪七低山の一つ、標高15メートルの聖天山がある一帯だから。聖天山には昔、古墳があった。公園の南には「聖天さん」と呼ばれる正圓寺(しょうえんじ)がある。

 聖天山の西は聖天下という地名だ。聖天山の下だからで、ここは西成区になる。以前、老夫婦がやってはる聖天下の立ち飲みに行ったことがある。居合わせた地元の常連さんたちと一杯やってしばらくあと、この辺りを散歩していたら、角を曲がった所で常連さんの1人と出くわした。なぜか手押し車にリンゴを山ほど積んでいたその常連さんは、私の顔を覚えていてくれて、リンゴを2個くれた。なんだかうれしくて、リンゴを両手でお手玉のようにポンポンと弾ませながら歩いた覚えがある。

 閑話休題。聖天山公園では小さな子どもたちが遊具で遊んでいたり、高校生たちがだべっていたりする。「これが大事」と西俣さんが指さす先には、高さ約3メートル、直径約10メートルの円形の石垣に囲まれて、1本の大きなクスノキが屹立(きつりつ)している。

 阿倍野育ちの難波りんごさんが00年に著した「私たちの阿倍野」によると、眺めが良くて遊びに来る人もいた所運山は終戦後、建材業者が買い取り、戦災復興のために木を切り、壁土用に土を掘った。あっという間にハゲ山となったが、ただ1本、このクスノキを地元の人たちが寝ずの番をして見張り、残したのだ。もともとは石垣の上部までが表土だったそうだ。

 「阿倍野には、地元の力で守り抜いたものが、あと二つあるんです」と西俣さん。おいおい紹介していく。【松井宏員】

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 ◇「古地図で散歩する大阪」 西俣さん講座、受講生を募集

 大阪案内人、西俣稔さんが大阪の街を案内する毎日文化センターの講座「古地図で散歩する大阪」(11月27日〜来年4月)の受講生を募集しています。「菅原道真ゆかりの天満」「コリアタウン生野」「秀吉と乱歩ゆかりの守口」など計6回。毎月第4日曜の14時集合。受講料は6カ月で9650円(交通費は自己負担)。申し込みは毎日文化センター(06・6346・8700)。

500よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/06(日) 21:44:47 ID:hXhAUd4I0
南大阪「KANSAIウオーク」 620人、歴史実感
2011.11.6 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111106/osk11110602020003-n1.htm

 「KANSAIウオーク2011」(産経新聞社主催、ライオン特別協賛)が5日、藤井寺市の石川河川公園を発着点に行われた。府民ら約620人が参加し、古市古墳群や道明寺などを散策した。

 「大阪市内エリア」(7月)、「奈良エリア」(9月)に続く3回シリーズの最終回。「南大阪エリア」として開かれ、13キロと6キロのコースが設けられた。

 午前9時半から出発式が行われ、参加者たちは注意を聞き、準備体操。応援に駆けつけた着ぐるみの「ライオンちゃん」や藤井寺、羽曳野両市のマスコットらに見送られてスタートした。

 昼前からあいにくの雨天となったが、仲姫(なかつひめ)皇后陵や応神天皇陵とされる巨大古墳、誉田(こんだ)八幡宮などの社寺も訪ね、古代からの歴史を実感。ゴールで「完歩証」やライオン製品の詰め合わせを受け取っていた。

501よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/07(月) 05:42:01 ID:9YmHFqIc0
「真田の抜け穴」3時間待ち
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111107-OYT8T00039.htm

 大坂冬の陣(1614年)で豊臣方の武将・真田幸村が大坂城と出城「真田丸」の間に掘ったとの伝説が残る「真田の抜け穴」跡が6日、大阪市天王寺区玉造本町の三光神社境内で一般公開された。大勢の歴史ファンらが訪れ、見学まで3時間待ちとなるほどのにぎわいだった。

 NPO法人「大阪城甲(かっ)冑(ちゅう)隊」が昨秋、同神社に掛け合って初公開されたのに続き2回目。抜け穴跡は、入り口から3メートルほどで土砂で遮られ、現在はどこにも通じていないが、赤色の甲冑姿の同隊メンバーが見守る中、見学者らが1人ずつ内部に入っていった。

 歴史好きの女性「歴女」も多く、横浜市神奈川区から駆けつけた会社員木挽みなさん(26)は「思っていたよりも狭く、甲冑を着た当時の武将がどのようにして通ったのかなどを想像するだけで楽しかった」と話した。


大阪城きれいに 中学生460人 清掃活動
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111107-OYT8T00041.htm

 大阪市中央区の大阪城公園に中学生約460人が集まり、一斉に清掃活動を行った=写真=。青少年の健全育成を目的に府警と大阪少年補導協会が企画し、市内14中学校の生徒たちが教員とともに参加した。

 生徒たちは、午前10時半過ぎから約2時間にわたり、落ちているペットボトルや空き缶などを回収した。市立蒲生中2年、松波伶奈さん(13)は「大阪城がきれいになってほしいとの思いで参加した。友人と一緒に、楽しく清掃できた」と話していた。

(2011年11月7日 読売新聞)

502よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/07(月) 20:47:52 ID:5vyFi6jA0
「真田の抜け穴」公開 三光神社で歴史イベント
2011年11月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111107/20111107018.html

 大坂冬の陣で勝利した安土桃山時代の武将・真田幸村をしのぶイベントが6日、ゆかりのある大阪市天王寺区の三光神社で行われた。幸村が大阪城まで掘らせた伝説のある史跡「真田の抜け穴」が公開されるなど、多くの歴史ファンや近隣住民らでにぎわった。

 大坂城の南側を守るために造られたとりで「真田丸」跡が同神社に近いことなどから、手作りの甲冑(かっちゅう)姿で幸村の活躍を啓発するNPO法人「大坂城甲冑隊」が主催。

 「抜け穴」は大坂の陣のとき、幸村が大坂城まで掘らせ、脱出用に使ったなどと伝説が残り、歴史ファンのロマンを駆り立てている。

 イベントでは、普段は入れない「抜け穴」を一般公開。入って数メートルで行き止まりになっているものの、来場者はかつての合戦に思いをはせていた。

 ほかにも、甲冑の試着体験コーナーや殺陣の実演などが行われ、子どもから大人まで楽しんでいた。

 家族で訪れた白野貴一君(11)=兵庫県西宮市=は「兵士たちが通ったかもしれない抜け穴を踏みしめることができて感激した」と喜んでいた。

503よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/07(月) 21:08:57 ID:5vyFi6jA0
大阪城天守閣復興から80年
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003742021.html

大阪のシンボルとして親しまれている大阪城の天守閣が市民の寄付で復興されてから、きょうで80年を迎え、地元の子どもたちも参加して記念式典が行われました。80年を記念して、きょうは天守閣が無料で公開され観光客らが次々と訪れていました。
大阪城の現在の天守閣は3代目で、市民からの寄付で昭和6年11月7日に復活しました。
高さは地上55メートル、当時としては最先端の工法だった鉄骨鉄筋のコンクリート造りで建設されました。
きょうは天守閣前の広場で記念式典も開かれ、鉄砲隊が祝砲を鳴らしたり地元の小学生100人が風船を飛ばしたりして80年を祝いました。
また、天守閣と同じ昭和6年11月7日生まれで、きょう80歳の誕生日を迎えた大阪・中央区の関登喜子さんら2人に記念品が贈られました。
子どもを連れて訪れた大阪・平野区の女性は「天守閣の眺めはいいし、公園の緑も多いし、いい所です。昔の人たちは、すごいことをしたなあと思います」と話していました。
天守閣内部の展示室では今月27日まで天守閣復興の貴重な資料を集めた特別展が開かれています。

11月07日 12時28分

504よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/08(火) 05:43:36 ID:MsXgMDb.0
大阪城天守閣 復興80周年 同い年の4人を祝福
2011.11.8 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111108/osk11110802030003-n1.htm

 復興から80周年を迎えた大阪城天守閣(大阪市中央区)で7日、天守閣と同じ誕生日の入館者にプレゼントが贈られたほか、記念セレモニーも行われるなどして3代目天守閣の“傘寿”を祝福した。

 プレゼントを受け取ったのは、現在の天守閣が完成した昭和6年11月7日生まれの入館者。呼びかけに応じるなどして訪れた4人に、地元の伝統工芸品「大阪欄間(らんま)」の大阪城が贈られた。

 このうち、関登喜子さん(同市中央区)と宮成喬子さん(同市東成区)の2人が記念のセレモニーに出席し、「お城とともに一生を過ごせて光栄」と関さん。宮成さんは「イベントのことを知らずに来たので驚きました」と話していた。

 セレモニーではこのほか、大阪城鉄砲隊による祝砲の演武や、鷹匠による放鷹(ほうよう)術の実演なども行われた。またこの日は天守閣への入館料が無料となり、ふだんの平日の3倍以上に当たる7277人が訪れた。

505よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/09(水) 05:43:53 ID:nsUGndDA0
大阪城よ永遠に 天守閣復興80周年祝う
2011年11月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111108/20111108017.html

 1931(昭和6)年11月7日に大阪城天守閣が市民の寄付により復興して80周年を迎えた7日、「大阪城天守閣復興80周年記念セレモニー」が大阪市中央区の大阪城天守閣前本丸広場で行われ、訪れた大勢の人たちが80周年を祝った。

 セレモニーでは、復興と同じ日に生まれ、この日80歳の誕生日を迎えた人にプレゼントが手渡され、大阪城鉄砲隊が祝砲を撃ち上げた。近くの小学生約100人が夢や願い事を書いた風船を空に放ち、いつまでも大阪のシンボルとして残るよう願った。

 大阪城天守閣館長の松尾信裕さんから記念品を手渡された関登喜子さん(80)は「この大阪城と暮らしてきたことを誇りに思っている」と感想を述べ、松尾さんは「80年の間、愛されてきたことを痛感する。子どもたちにも親しみを覚えてもらい、また来てもらえたら」と話していた。

506よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/09(水) 05:45:08 ID:nsUGndDA0
若い女性に施設の魅力PR 大阪歴史博物館、フリーペーパー発行
2011.11.9 02:18
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111109/osk11110902180000-n1.htm

 若い女性にも博物館へ足を向けてもらおうと、大阪市中央区の大阪歴史博物館が「えんそくのしおり」と題したフリーペーパーを作った。女性の目線で施設の魅力や展覧会の見どころ、スイーツ情報などが紹介されている。

 企業支援を手がける大阪産業創造館(同区)が今年5月、博物館や美術館を活性化させるアイデアを企業から募集。同歴博だけでも300件以上の活性化案が寄せられ、その中から「ウィルコミュニケーションデザイン研究所」(同区)が提案した「女性向け広報媒体の製作」が、「若い女性にアピールする視点がおもしろい」との理由で採用された。

 遠足の前日のようなワクワク感を体験してもらおうと名付けられ、随所に写真をちりばめたカラフルでかわいらしいしおりに仕上がった。大きさもバッグからすぐ取り出せるよう四つ折りA3サイズで入館時に見せると特別展のオリジナルグッズがもらえる。

 創刊号は8月に発行。現在配布中の第2号は「モダン」をテーマに、常設展「大(だい)大阪の時代」と12月4日まで開催している特別展「心斎橋きものモダン」を特集した。大正から昭和初期にかけて花開いた大大阪時代のファッションやライフスタイルなどをユーモアたっぷりに掲載。しおりを手に“えんそく気分”で館内を楽しめるよう工夫されている。

 約5千部発行。抹茶カフェ「袋布向春園(たふこうしゅんえん)本店」(城東区)やジュンク堂書店大阪本店(北区)などで配布。火曜休館。問い合わせは大阪歴史博物館((電)06・6946・5728)。

507名無しさん:2011/11/13(日) 11:54:16 ID:47Cw9ZNg0
http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html

大空襲 一夜の奇跡 地下鉄・御堂筋線

 年の瀬の夜、イルミネーションに彩られた大阪市の御堂筋。会社員や正月準備の買い物客らが慌ただしく行き交う。64年前、この一帯は火の海となった。

 1945(昭和20)年3月13日深夜から14日未明。大阪市上空に、米軍のB29戦略爆撃機274機が来襲した。低空から投下された焼夷(しょうい)弾が、次々に木造の家屋を焼き尽くした。

 12歳だった近藤豊子さん(76)=大阪府豊中市=は西区にあった自宅を飛び出した。家族は祖父母と両親、きょうだい5人の計9人。母は、水でぬらした防空ずきんをかぶせてくれた。安全な場所を求めてさまようなか、母、足の不自由な祖父とはぐれた。

 御堂筋にたどり着くと、地下鉄心斎橋駅の出入り口が開いていた。やがて到着した電車で梅田へ避難した。しかし、構内で祖父と母を待ち、梅田の地下街で我に返るまでの記憶がない。どうやって電車に乗ったか。車内は込んでいたのか。はぐれた時は兵庫県の親類宅で落ち合う約束だったが、地下鉄に乗れなかった母と祖父には二度と会えなかった。

 大阪市交通局によると、空襲時の地下鉄の運行は禁じられていた。強力な爆弾でトンネルが破壊され、乗客が死傷する恐れがあったからだ。45年当時の運行資料などは敗戦直後に処分され、記録は残っていないという。

 でも、自分は確かに乗った。そして、命を救われた。

■命乗せ チカテツは走った

 「大大阪(だいおおさか)の地下に脈うつ新生の血管/誕生だ! 我らのチカテツ」

 1933(昭和8)年5月21日付の大阪朝日新聞は、大阪市営地下鉄の開業をこう報じた。梅田―心斎橋間(3.1キロ)を5分30秒で結んだ。当時、東京には民間の地下鉄があったが、公営地下鉄は国内で初めてだった。

 拡幅された御堂筋沿いにはモダンなビルが立ち並んでいた。建築史家で大阪府立大教授の橋爪紳也さん(49)によると、「大大阪」の都市構想には、電化▽地下も使う都市の立体化▽高速移動の三つがあった。「御堂筋かいわいは当時、人々が思い描いた未来都市そのもの。地下鉄は欠かせなかった」と指摘する。

 アーチ形の高い天井、シャンデリア風の電灯など内装にも大阪市の意気込みがうかがえた。建築家らがつくる団体「DOCOMOMO(ドコモモ) JAPAN」は2003年、近代名建築「100選」に地下鉄御堂筋線を選んだ。

      ◇

 45年、B29機100機以上が爆撃した大阪大空襲は8回に及んだ。3月13、14日の第1次大阪大空襲では市中心部の約13万千戸が焼け、約4千人が死亡した。

 京大名誉教授の村松繁さん(77)=京都市左京区=は12歳だった。猛火に追われ、父と姉、兄と心斎橋にたどり着いた。

 「早く入りなさい」。駅員がホームに誘導してくれた。地下の構内には大勢の人がいた。30分ほどたったころ、難波駅方面から電車が到着した。空襲でみな混乱していたが、先を争って乗ったという記憶はない。ぎゅうぎゅう詰めではなかった。梅田に着くと、夜が白々と明けかけていた。梅田は焼けていなかった。

 心斎橋にほど近い西区にある最勝寺。住職の佐野彰義さん(62)の母で、89年に亡くなった義(よし)さんも地下鉄で避難した一人だ。空襲時の恐ろしい体験を繰り返し話してくれた。護憲運動に取り組む佐野さんは来年、仲間たちと劇「地下鉄は動いていた―大阪大空襲」を作り演じる予定だ。

 「若い人たちに大空襲のことを伝え、受け継がせなければならへんのです。憲法9条を守り、平和を守るために」

      ◇

 市交通局の労働組合でつくる公営交通研究所は、市民や職員OBに第1次大空襲時の地下鉄運行について情報提供を呼びかけ、結果を98年3月に組合紙に掲載した。市民43人が地下鉄構内に避難し、うち36人が地下鉄に乗ったとの証言を得ることができた。

 同研究所は、村松さんらが乗ったのは始発電車の前に駅員を各駅に送る「お送り電車」ではないかとみている。同研究所の担当者は「見るに見かねて被災者を駅に入れ、お送り電車などに乗せたのかもしれない。当時は職務違反の恐れがあり、語り継ぐこともなかったのではないか」と話す。

(文・鈴木 剛志 写真・寺脇 毅)

508名無しさん:2011/11/13(日) 11:55:12 ID:47Cw9ZNg0
鉄ちゃんの聞きかじり〈香り立つモダニズム〉

 地下鉄御堂筋線で最初に開業した梅田―心斎橋間の各駅のホームは、豪壮なアーチ形の高い天井が特徴だ。開業当時は、そんな天井に見合うシャンデリア風の立派な電灯も据え付けられていた。改修されても、その精神は受け継がれ、御堂筋線の照明は味のある独特な形をしている。

 天王寺駅のホームから階段を上がったところにある電灯は、駅が開業した1938(昭和13)年当時の形を唯一、残している。

 新しい照明では、本町駅のホームデッキにある蛍光灯もユニークだ。よく見ると「HOMMACHI」の英文字の形で配列されている。当初は直線で配置する予定だったが、冷房の吹き出し口と重なるため、できなくなった。その際、「設計担当者の発想の転換」(大阪市交通局)でこのような配列にしたという。

探索コース

 大阪の威信をかけて整備された御堂筋の周辺には、モダンな建築物が多く造られた。耐震性の問題などで取り壊されたものもあるが、今も存在感を放つ建物が残ってもいる。地図の(1)〜(5)は、橋爪紳也さんが挙げたそんな建物の一部。特にお勧めは1927(昭和2)年に建設された芝川ビル。ユニークなマヤ・インカ様式の装飾が美しい。

509よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/13(日) 21:27:39 ID:tIZ4zJyk0
http://www.youtube.com/watch?v=n7kgW6KYNh0&feature=related

八分十秒位から大阪の実業家一家が宝塚まで自家用車で遊びに行った時の戦前の映像があります。

510よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/14(月) 20:17:48 ID:N1GSsXXQ0
「近代大阪と堀江・新町」出版 NPO活動を紹介
2011年11月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111113/20111113053.html

 大阪市西区堀江地区の歴史研究などに尽力するNPO法人「なにわ堀江1500」(同区北堀江1丁目)の代表理事・水知(みっとも)悠之介さん(69)がこのほど、設立からの活動をまとめた著書『近代大阪と堀江・新町』(B6判188ページ、1500円、新風書房)を出版した。

 かつて水知さんは地元に本社がある鋳鉄管メーカー「栗本鐵工所」に勤務し、在職中には創業100年史の編さんも担当するなど堀江と接点があった。関連企業の栗本人材センター社長を経て退社後の2003年にNPOを立ち上げ、1年後に法人化。現在は大阪の歴史の啓発活動を通じて新旧の住民をつなげるなどの目標を掲げて活動を展開している。

 今回6作目となる水知さんの著書は、同NPOが7月、まちづくりなどユニークな活動をしている個人・団体に贈られる第14回なにわ大賞の「歴史おこし特別賞」を受賞した記念として出版。大阪を代表する花街だった堀江の歴史文化の解説をはじめ、戦災で失われたまちの面影を図上に復元する「堀江戦前住宅地図」の作成(05年)、これに関連した企画展「なつかしの昭和・堀江展」開催(08年)など、苦労話も盛り込みながら数々の活動を紹介している。

 このうち住民が熱望した戦前地図は大きな反響を呼び、2年後、より詳細にした改訂版も出版。地図作成にあたっては地元の高齢者や戦後府外へ転居した堀江出身者と連絡を取り、位置関係などの情報を求めて奔走。白紙の地図を抱えた聞き取り調査は約100人に及んだ。水知さんは「遠い記憶のあいまいさもあり情報の精査に時間を要したが、皆さん一様に生き生きとした表情だったのがとても印象的。その後3割の方がこの思い出を胸に他界されました」とページをめくり振り返る。

 このほか歴史や文化、産業など幅広い研究の成果に触れながら、活動の中で出会った人々とのふれあいなども紹介。「人々が住み、働き、楽しむ『なりわい』を象徴する掘江・新町にこだわった軌跡をかたちにできた。これからも終わりのない広がりが続いていくと思う」と万感の思いを込めて語った。

 問い合わせは電話06(6533)1550、同NPO、または電話06(6768)4600、同書房へ。

511よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/14(月) 20:28:36 ID:N1GSsXXQ0
天王寺商高創立100周年記念式典 節目祝う
2011年11月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111113/20111113052.html

 大阪市立天王寺商業高校(大阪市天王寺区)の創立100周年(建学132年)記念式典が12日、同市北区の大阪市中央公会堂で行われ、卒業生や在校生らが節目を祝った。

 同校は五代友厚が創設した「私立大坂商業講習所」を起源とし、商都大阪の発展に貢献してきた。「天商」は2年後に閉校し、その名は消えるが、来年4月には同校敷地に完成した新校舎で「大阪ビジネスフロンティア高校」として新生する。

 式典には、同校生徒約500人をはじめ、卒業生や保護者、平松邦夫市長らが参列。木口誠一校長は「天商は2年後に閉校となるが、歴史と誇りをビジネスフロンティア高に託すことで悠久に対峙(たいじ)しうる存在となる」とあいさつした。

 続いて在校生と卒業生が合同で記念演奏会を行い、節目に花を添えた。同高情報システム科3年の阪口捺葵さん(18)は生徒を代表し、「天商魂を受け継いだ後輩が仲間とすばらしい学校をつくってくれることを信じたい」と述べていた。

512よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/15(火) 20:54:13 ID:EqaK6aYk0
天守閣の隣、豪華な昭和 旧大阪市立博物館を特別公開
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201111150074.html

 大阪市中央区大阪城にある旧大阪市立博物館(陸軍第4師団司令部庁舎)の特別公開が15日、始まった。大阪城天守閣の復興80周年を記念した催しの一つ。同館は現天守閣と同じ1931年に完成した鉄筋コンクリート造り地下1階、地上3階の建物。西洋の古城風の外観で、2001年までの約40年間は博物館として使われた。天守閣の再建以上に工費を掛けた豪華な建築だという。入場無料。20日まで(午前10時〜午後4時30分)。

 問い合わせは、大阪市ゆとりとみどり振興局観光室(06・6469・5165)へ。

513よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/17(木) 21:20:47 ID:AKuB08GM0
都の錦:浮世草子作者、自筆の忠臣蔵本発見 300年ぶり大阪で
http://mainichi.jp/kansai/news/20111117ddn012040059000c.html

 江戸中期の浮世草子作者、「都(みやこ)の錦(本名・宍戸与一)」が1711(宝永8)年に書いた自筆の忠臣蔵本「播磨椙原(はりますぎはら)」が約300年ぶりに発見された。現存する同書の自筆本としては2例目。鑑定した山本卓(たかし)・関西大学文学部教授は「赤穂浪士を物語的に扱った書としては最も古い部類の一つ。都の錦の自筆本はほとんど残っておらず、資料的価値は極めて高い」と話す。【渡辺亮一】

 「播磨椙原」は、浅野長矩(ながのり)が江戸城中で刃傷に及び、切腹した経緯から、四十七士が敵討ちするまでを講談風に描いた作品。1675(延宝3)年大阪生まれで、「元禄大平記」などの著書がある都の錦が、流罪先の鹿籠(かご)金山(現・鹿児島県枕崎市)で執筆したと伝えられている。

 自筆本はNPO法人「なにわ堀江1500」代表、水知(みっとも)悠之介さん(69)が昨年12月、大阪府枚方市の自宅で、義父の遺品を整理中に見つけた。山本教授が鑑定、筆跡などから、都の錦の自筆本に間違いないと判断した。

 「播磨椙原」は出版されていないが、内容は口づてで伝わり、赤穂浪士伝説の原型になったとも言われる。1709年に書かれたといわれ、唯一現存が確認されていた同種の自筆本は鹿児島県枕崎市が所蔵し、同市の文化財に指定されている。

 自筆本は水知さんから寄贈を受けた大阪市立中央図書館(大阪市西区)で、18日から12月14日まで公開される。

514よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/19(土) 20:52:52 ID:7Dhw3uSQ0
国史跡新たに2件
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111119-OYT8T00068.htm

 国の文化審議会が18日、文部科学相に指定を答申した国史跡に、府内からは、戦国時代に合戦の舞台となった山城跡「烏帽子(えぼし)形城跡」(河内長野市喜多町)と、7世紀に創建された古代寺院跡「鳥坂(とさか)寺跡」(柏原市高井田)が選ばれた。府内の国史跡は69件となる。

 烏帽子形城は、河内守護職の畠山氏が治め、1467年に始まった応仁の乱前後から激しい戦いの場となり、1584年には豊臣秀吉も河内の軍事拠点として使った。烏帽子の形をした山の尾根に建てられ、城兵が陣取るために斜面を平らに造成した「曲輪(くるわ)」や、敵の侵入を防ぐ堀、土塁などが残っている。

 今回の答申では、「中世から近世初頭にかけての畿内の政治・軍事の歴史を理解する上で貴重」と評価された。河内長野市教委は来年度以降、整備計画を進める方針。

 鳥坂寺跡は、金堂の石段や講堂、塔柱の礎石が現存。出土した土師器(はじき)に「鳥坂寺」と墨書されていたことから、756年に孝謙天皇が難波宮に向かう途中に立ち寄った「河内六寺」の一つと判明した。

(2011年11月19日 読売新聞)

515名無しさん:2011/11/23(水) 16:16:32 ID:Fq0PFaGQ0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111122/osk11112214520007-n1.htm

古墳時代の船発掘、外洋航海でも活躍? 大阪・瓜破北遺跡
2011.11.22 14:09
 大阪市平野区瓜破(うりわり)東の瓜破北遺跡で、古墳時代後期(6世紀)の木造船「準構造船」の一部が府教委の調査で見つかっていたことが21日、分かった。当時の大阪は大和政権の水上交通を担い、船は瀬戸内海から朝鮮半島への外洋航海に使われた可能性もあるという。準構造船の出土は全国で数十例しかなく、航海技術を知る上で貴重な資料になりそうだ。

 見つかったのは、船べりの一部(長さ1・2メートル)や船体の側板、船内の仕切り板など数十点で、いずれもスギ材。湾曲した部材やほぞ穴の形状などから準構造船の一部と判断した。全長十数メートルの中型船で、5〜10人乗りと推定している。

 準構造船は、縄文時代以来使われた丸木舟を改良し、側面や前後に板材を組み合わせて大型化した構造。弥生時代末(約1800年前)から導入され、古墳時代には大陸との交流などに使われたという。

 遺跡一帯は、大阪湾から続く古代の湖「河内湖」が広がっていたとされ、今回の船は河内湖から大阪湾に出て各地の物資輸送などに使われたとみられている。

 現地公開は12月3日午後1時から。地下鉄谷町線・喜連(きれ)瓜破駅から東に徒歩10分。問い合わせは府教委文化財保護課・現地事務所((電)06・6708・1213)。

517よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/24(木) 05:53:02 ID:UrhCAt.c0
懐かしの汽車土瓶がザックザク 大阪・吹田操車場跡で大量発見
2011.11.23 17:42
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111123/osk11112317540005-n1.htm

 明治から昭和にかけ全国の鉄道駅で温かいお茶を入れて販売され、プラスチック製容器の登場で姿を消した小型陶器「汽車土瓶」が、旧国鉄吹田操車場跡地(大阪府吹田市、摂津市)で大量に見つかったことが23日、大阪府文化財センターの調査で分かった。

 同操車場で大阪駅終点の客車の清掃作業が行われていた昭和初期の1928〜33年の製品で、数万点あるとみられる。担当者は「ひと昔前の汽車の旅が見えるよう」と話している。

 土瓶は高さ約7〜10センチ、容量は約220ミリリットルと320ミリリットルの2種類。摂津市の跡地内にある石炭を捨てた穴で、付属の湯飲みやふたとともに見つかった。「五銭」「七銭」と販売価格のほか「空壜はこしかけの下江お置を願います」などと車窓から投げ捨てないよう注意書きがあるものも。少なくとも24種類の図柄や形状を確認した。

518よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/24(木) 06:00:29 ID:UrhCAt.c0
「薬の町」で健康祈願 少彦名神社・神農祭
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111123-OYT8T00056.htm

 「薬の町」として知られる大阪市中央区道修町にある少(すくな)彦(ひこ)名(な)神社で22日、無病息災や健康増進などを願う「神農祭」が始まった。市内で年内最後の祭りであることから「止めの祭り」とも呼ばれている。23日まで。

 同神社には、日本と中国の薬の神がまつられている。大阪でコレラが流行した江戸末期にお守りとして「張り子の虎」が丸薬に添えられたことにちなみ、ササに虎の置物を付けた縁起物を買い求める人でにぎわった。

 同市淀川区新高、製薬会社員寺島誠秀さん(56)は「製薬業界で働く者として、神農さんは忘れてはならない存在。みなさんの健康を願いながらお参りした」と話した。

(2011年11月23日 読売新聞)

519よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/27(日) 16:14:29 ID:xavcumfw0
出版:伝統芸能、楽しもう 着付け講師・堀口さん解説本、鑑賞マナーなど紹介 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111127ddlk27040226000c.html

 ◇劇場には何を着て行けばいい?

 「劇場には何を着て行けばいい?」−−。基本的なことが分からない人にも、気軽に伝統芸能を楽しんでもらおうと、大阪市の着付け講師、堀口初音さん(41)が「上方伝統芸能あんない」(創元社)を出版した。鑑賞のポイントに加え、ドレスコードや幕間の食事の要領まで、約束事の多い伝統芸能の「いろは」を丁寧に解説している。

 堀口さんは03年から、大阪で着付け教室を主宰。東京でも毎月、教室を開いている。生徒は、「カジュアルに着物を楽しみたい」という30代女性が中心で、着物で劇場や演芸場に出かける人も多い。こうした生徒からの「お弁当はいつ食べるの」など、「舞台鑑賞以前でつまずいた」という声が執筆のきっかけだった。

 歌舞伎、文楽、落語、能、狂言、講談、浪曲、舞を取り上げた。ジャンルごとに、座席の選び方や公演の流れ、拍手のタイミング、鑑賞マナーの目安を紹介。片岡愛之助(歌舞伎)、豊竹英大夫(文楽)、大槻文蔵(能)といった、上方を拠点に一線で活躍する演者へのインタービューや、和装のコーディネート例も掲載している。

 上方舞・山村流師範でもある堀口さんは「『分からないとけない』と思うと、しんどくなってくる。初めはどこを見ればいいのか分からないことが多いが、自分の感受性を信じて足を運ぶうち、楽しめるようになります」と鑑賞のこつを語る。

 A5判、128ページ。1680円。主要書店で取り扱っている。【花牟礼紀仁】

520よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/30(水) 22:01:46 ID:1gq.gD7E0
伝統野菜が給食に登場
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004274911.html

子どもたちに地元の食材を知ってもらおうと、大阪市の小学校で、なにわの伝統野菜「田辺大根」を使った料理が給食に登場しました。これは地元の食文化や歴史に興味を持ってもらおうと行われたもので、30日は、市内の約50の小学校などで実施されました。
このうち中央区の南大江小学校でも田辺大根の味噌汁や田辺大根の葉と白菜の煮びたしなどが給食で出され、子どもたちは、田辺大根の歴史や特徴などの説明を受けたあと、興味深そうに味わっていました。
田辺大根は、大阪・東住吉区の田辺地区が発祥で柔らかく甘みが強いことや、葉の裏に大根特有の毛がないのが特徴です。
長い間、栽培が中断していましたが、伝統野菜の復活を目指し地元の農家で栽培されていて、30日の給食には580本余りが使われました。
給食を食べた1年生たちは「おいしい、大根が甘い」などと口々に話し、中には、おかわりをする子もいました。
大阪市教育委員会では、今後も、地元の伝統野菜を給食に使用することにしています。

11月30日 20時19分

521よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/11/30(水) 23:11:41 ID:1gq.gD7E0
梅田で「初号アサヒビール復刻版」試飲イベント−当時のつまみも再現
http://umeda.keizai.biz/headline/1211/

 アサヒビール(東京都墨田区)が食と健康をテーマに開設した双方向コミュニケーション拠点「アサヒ ラボ・ガーデン」(大阪市北区小松原町)で11月29日、「初号アサヒビール復刻版」発売を記念したイベント「120前に大阪で生まれたアサヒビール」が開催された。

 「初号アサヒビール」は1892(明治25)年、アサヒビール前身の大阪麦酒会社吹田村醸造所(現・アサヒビール吹田工場)で製造・出荷されたもので、現在の会社名の由来ともなったもの。重くて苦いイギリス風のビールしかなかった当時、本格的な国産ビール製造を目指して同社を設立し、ドイツの最新技術を導入して製造した。

 製造当時の分析値や処方を基に再現した復刻版は、「コクと飲み応えが特徴」の麦芽100%ビールで、当時のラベルデザインも忠実に再現。裏面には、出荷記念式典や「吹田村醸造所」の絵を入れ、ビールの歴史を感じられるデザインにした。今月29日から全国のスーパー、コンビニ、酒販店で350ミリリットル缶、500ミリリットル缶を数量限定で販売している。

 イベントでは同社資料室の菅野直樹さんが講師となり、当時のエピソードを交えながらビールの歴史、同社の歴史を紹介。同社を設立した各人の紹介、「アサヒビール」の名前の由来、ビールびんの形状などについて話した。その後、現在の大阪市庁舎付近にあった同社直営のビアホール「アサヒ軒」を紹介し、当時の「おつまみ」を検証。1902(明治35)年当時のメニューについて、「おつまみというよりは、しっかりした洋食だった」と話した。

 参加者には、「初号アサヒビール復刻版」と、西洋料理書をもとに当時の味を再現した「アサヒ軒」の「カレイライス」「サラダ」を提供。赤大根、レタス、タマネギ、ゆで卵に牛乳、砂糖、塩、練りからしで作ったドレッシングをかけたサラダ、ジャガイモの入ったビーフカレーと、再現するため現在4〜6度で提供するビールを、当時と同じ8〜10度で提供。「もっと冷たかったらおいしいのに」という参加者に、「当時はお燗(かん)も提供していた」などと解説しながら、当時のビアホールの味を味わった。

 同施設では今後、芋焼酎をテーマにしたセミナーや、ブックディレクター・幅允孝さんをファシリテーターに迎え、お酒を飲みながらテーマ本について語る読書会を予定する。イベント情報はホームページで確認できる。

522よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/04(日) 20:21:24 ID:U1JepgeI0
「招福娘」4人決まる 天満えびすアピール
2011年12月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111204/20111204028.html

 来年1月9〜11日の「天満えびす」をアピールする「招福娘」の代表選考会が3日、大阪市北区の大阪天満宮であり、関西大や同志社大、同志社女子大の学生4人が選ばれた。4人は「“維新の会”に負けないくらい大阪を元気にしたい」などと機転を利かせた抱負を語り、早くもエンジンを全開にさせた。

 選考会は、書類審査を通った25人が芸や特技を披露。大阪天満宮の土居年樹総代代表は「大阪らしい明るさと大阪弁のうまさ」をポイントに選び、「お客へのおもてなしの姿勢を貫いてほしい」と4人の代表招福娘に期待を寄せた。

 代表招福娘に選ばれた関西大の田中愛さん(21)と林留理子さん(19)は「大阪から東日本や日本全体に笑顔、幸せ、愛を届けたい」、同志社女子大の山本麻由さん(22)は「天満えびすに来てもらえるよう笑いで奉仕したい」と抱負。

 大阪市長選挙に勝利した橋下徹前府知事が代表の大阪維新の会の“勢い”を意識した同志社大の弘松優衣さん(20)は「負けないくらい大阪を元気にしたい」と笑顔で話していた。

523よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/05(月) 05:49:08 ID:zO2Xgszk0
「鳥坂寺跡の保存活用探る」 柏原シンポに古代史ファン150人 大阪
2011.12.5 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111205/osk11120502060000-n1.htm

 続日本紀(しょくにほんぎ)に登場する「河内六寺」のひとつ、鳥坂(とさか)寺跡(柏原市)の実像に迫るシンポジウム「再び灯る古代の光−鳥坂寺を語る」が4日、柏原市安堂町のリビエールホールで開かれ、約150人の古代史ファンらが耳を傾けた。

 近畿大学の大脇潔教授は基調講演で、鳥坂寺が古墳を壊して敷地を確保していたことなど過去の発掘成果を紹介。出土した●仏(せんぶつ)(粘土を型押しして作った小さな仏像)や瓦などから7世紀に活躍した河内ゆかりの入唐僧・道昭との関係を説き明かした。

 パネル討論では岡本泰明市長が鳥坂寺跡について「市内の竜田古道や高井田古墳などとつなげてロマンを感じてもらえる保存活用をしていきたい」と語った。

 鳥坂寺跡は調査で金堂、講堂、塔などの建物跡が確認され、11月に国史跡指定の答申を受けた。

●=つちへんの右に專

524よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/06(火) 21:56:01 ID:BkosQkhI0
天王寺公園で「なにわ伝統野菜」収穫イベント開催へ−試食会も
http://abeno.keizai.biz/headline/262/

 天王寺公園(大阪市天王寺区茶臼山町)で12月10日、イベント「天王寺蕪(カブラ)収穫祭」が開催される。

 天王寺動物園のゾウの有機肥料で成長した「なにわ伝統野菜」を当日朝に天王寺小学校の生徒たちが収穫し、天王寺蕪は「なめらかポタージュ」に、田辺大根は「大根ステーキ」にして、試食会を開く。

 水上ステージでは、天王寺商業高校音楽部の吹奏楽演奏、アカペラ・ライブ、天王蕪の話、植物なぞなぞ大会などを展開。司会はお笑いコンビ「女と男」が務める。

 当日は、阿倍野・天王寺のマスコットキャラクターも集結。「ももてんちゃん」(天王寺区)、「あべのん」(阿倍野区)、「ゴーゴくん」(天王寺動物園)、「あのんくん」「てのんちゃん」(Welcomingアベノ・天王寺キャンペーン)。

 会場では、なにわ伝統野菜の漬物、野菜などの販売ブースも設ける。

 開催時間は11時〜14時ごろ。伝統野菜の試食会は11時30分〜(無くなり次第終了)。

 入園料は150円。中学生以下、大阪市内在住の65歳以上は無料。

525よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/08(木) 20:26:09 ID:eSazzLnA0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/233 松虫塚 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111208ddlk27070388000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇エノキも地元に守られ 市の「粋な計らい」に拍手
 松虫通を東へ行く。伊東静雄文学碑のすぐ先には、歩道に大きなエノキがせり出していて、「自転車はスピードを落として下さい」と注意書きが掲示されている。

 「これが阿倍野の住民が守ったものの二つ目。松虫塚のエノキです」と大阪案内人の西俣稔さん。「聖天山」の項で、住民が守ったクスノキを紹介した。あの時、西俣さんが「地元の力で守ったものがあと二つあるんです」と話していたが、その一つがこの樹齢800年といわれるエノキなのだ。

 松虫塚はその名が示すようにお墓なのだが、いろいろな説がある。塚の説明板にはその諸説が記されている。いずれにしても、大昔はこの辺りが松虫の名所であったと伝わる。

 文部省唱歌「虫のこえ」は「あれ松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん あれ鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりん」と歌う。ところが、松虫塚の伝説の舞台である平安、鎌倉時代は「ちんちろりん」が鈴虫で、「りんりん」が松虫と呼ばれていたのだという。だから、松虫塚の松虫は、今の鈴虫のことなのだ。ややこしいけど。

 さて、諸説とはどんなものか。一つは謡曲「松虫」説。2人の男が松虫の声を聞きながら阿倍野を歩いていた。1人が草に伏して聞きほれているうちに死んでしまい、残る1人は泣く泣く親友の亡きがらを埋めて立ち去る。そののち、酒を売っている商人のところに夜な夜な男が飲みに来る。商人に問われて男が答えるに、私が死んでしまった方の亡霊だと−−。

 もうひとつは官女の出家説。後鳥羽上皇の女官だった松虫、鈴虫の姉妹が法然上人の教えに感銘して出家する。仏教を広く庶民に広めた法然上人は当時の新興宗教で、貴族や貴族と結びついた僧侶らの目の敵にされた。姉妹の出家に激怒した上皇は、法然と弟子の親鸞を流罪にする。松虫は世を避けて阿倍野に庵(いおり)を結んだ。

 いつもお世話になっている三好貞司さんの「大阪史蹟(しせき)辞典」は、京都市左京区の安楽寺に姉妹の墓があることから、この説は「無理である」と退けている。ちなみに、姉妹は容姿端麗と伝えられる。薄幸の女性は美女と相場が決まっているのは、今も昔も変わらないようだ。

 ほかに、才色兼備の琴の名手といわれた美女が阿倍野に住んでいたが、秘技を尽くした琴の音が松虫の音に及ばないのを嘆いて琴を捨てた−−などというのもある。

 通りや町の名にもなっている松虫塚。エノキの根元に建つ石碑は、自然石の方が大正時代に建てられたという。1961(昭和36)年の毎日新聞の連載「大阪の町」は松虫塚について、「目と鼻のところに大阪の南の玄関口として発展したアベノの繁華街ができ(中略)風流とはおよそ縁遠いところになっている。高さ約一メートルの松虫塚をおさめた社の前を通っても足をとめる人はほとんどいない(後略)」と書いている。

 ところが、大阪市が計画した都市計画道路が松虫塚を貫き、エノキが切られることを知った地元の人たちが保存運動に乗り出し、新聞記事にもなって一躍脚光を浴びた。交渉の結果、80年に市は計画を変更。塚がすっぽり納まるように道路北側の歩道を広げた。

 塚は地元の丸山連合町会が管理している。衣斐(えび)雅一会長(55)は「晴れの日はほぼ毎日、掃除してます」という。今は、週末はまちあるきの団体らが訪れてにぎわうそうだ。

 足を止める人がほとんどいない遺跡など、つぶしてもいいと思うか、復元不可能なものだから、経済的なロスは覚悟の上で残そうと考えるか−−。どっちを取るかで街のたたずまいは大きく変わる。粘り強く交渉した地元の人々と、その要望をいれて「粋な計らい」をした大阪市当局に拍手を送りたい。街は経済原理だけでは成り立たないのだから。【松井宏員】

526よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/08(木) 21:12:19 ID:eSazzLnA0
枚方宿から はばたいて
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111208-OYT8T00045.htm

地元商店主ら 貸店舗 56un にぎわい再び ■ 挑戦の場に

 江戸時代に宿場町として栄えた枚方市の旧街道沿いに10日、物品販売や作品展示に使える町家風の貸店舗「56un(ゴロクアン)」がオープンする。近くで青空市を開いている地元の商店主らが「若者らが将来、店を構えるためのステップにしてもらい、街のにぎわいづくりにもつなげたい」と企画。希望者に有料でレンタルする。(中田敦之)

 大坂と京都を結ぶ京街道沿いの「枚方宿」は、東海道の品川宿から数えて56番目の宿場町。1840年頃には、紀州藩(和歌山県)の大名が参勤交代の際に泊まった本陣や旅籠(はたご)計約70軒が並び、旅人たちで活気にあふれていたという。

 近くを流れる淀川では客船・三十石船が行き交い、「餅くらわんか(食わないか)」などと料理を売る行商の小舟「くらわんか舟」も名物として知れ渡った。

 当時のにぎわいをよみがえらせようと、地元の商店主らが2007年、枚方宿くらわんか五六市実行委員会をつくり、月1回、旧街道沿いで青空市を開催。出店するのは、普段、店を持たない主婦や学生らが多く、「枚方で店舗を出すチャレンジの場にしてもらおう」と貸店舗の開設を決めた。

 店名のうち「un」には、憩いの場としての「庵」などの意味を込めたという。

 京阪枚方市駅の西約200メートルにあり、飲食店だった平屋(21平方メートル)を改装。冷暖房、テーブルやイスを備えている。貸出期間は1日〜1か月。料金は1日6000円で、7日以上なら1日当たり1000円割引になる。営業は午前11時〜午後5時(金・土曜は午後7時まで)で火曜定休。

 10〜29日はオープン記念として寝屋川市のパン店などが共同出店し、酵母パンやアクセサリーを販売。実行委で雑貨店経営の宮地なおみさん(38)は「商品だけ持ってくれば、すぐに開店できるので気軽に使ってほしい」とPRしている。出店希望は同実行委出店受付係(080・4645・5611)。

(2011年12月8日 読売新聞)

527よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/13(火) 21:33:31 ID:Xf4hk/O.0
「エイエイオー」元気よく 赤穂奉賛義士祭
2011年12月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111213/20111213022.html

 「忠臣蔵」の赤穂浪士の討ち入りの時期に合わせ、浅野家大阪菩提(ぼだい)寺である大阪市天王寺区六万体町の万松山吉祥寺(村山雅雄住職)で11日、「赤穂奉賛義士祭」が行われた。近隣住民らが多数参詣する中、法要や奉納武道が行われ、義士に扮(ふん)した子どもたちが行列をつくり、大阪城などを表敬した。

 47人の子ども義士は、大阪城天守閣や四天王寺を訪れ、大石内蔵助に扮した村山晟太郎ちゃん(3)を中心に、「エイエイオー」と声を合わせてかちどきを上げた。上本町YUFLAでは、天王寺署の協力を得て自転車の防犯カバーなど防犯グッズを通行人に配布、防犯啓発に努めた。

 万松吉祥寺の境内では、奉納合気道や奉納無外流居合道、裏千家のお点前による野だてなどが行われ、参詣者が伝統文化とじかに触れる機会にもなった。

 主催は大阪義士会(北川喜久蔵会長)。子どもたちの健全育成と伝統文化の保持継承を目指し、毎年討ち入り当日の14日に行ってきたが、2010年から子どもたちが参加しやすいようにと日曜日開催になった。北川会長は世相を憂いて「今こそ足元を見つめ直し、元気ある大阪を」と話していた。

528よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/14(水) 05:31:14 ID:XeOU4i0M0
百舌鳥・古市古墳群の国際的な価値探る 来月15日、堺でシンポ
2011.12.14 02:19
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111214/osk11121402210004-n1.htm

 ■世界文化遺産登録めざして

 世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の価値を国際的な視点で探るシンポジウムが来年1月15日午前10時半から、堺市北区の市産業振興センターで開かれる。同月13、14日に市内で開催される国際専門家会議の検討結果が報告されるほか、国内外の専門家らによる講演、討論などで登録への機運を盛り上げる。

 堺、羽曳野、藤井寺の各市にまたがるわが国屈指の古墳群で、昨年11月、ユネスコの世界遺産暫定一覧表に記載された。この貴重な文化財が大阪初の世界遺産となるよう、府と地元3市で同古墳群の世界文化遺産登録推進本部会議を設置し、登録実現に向けた取り組みを進めている。

 シンポジウムもその一環で、当日は府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長が基調講演。英・ヨーク大のマーティン・カーバー名誉教授、中国社会科学院考古研究所の王巍所長らも海外の研究者の視点で講演する。

 また、「世界の墳墓との比較から描き出される百舌鳥・古市古墳群の価値」と題してパネルディスカッション。白石館長をコーディネーターに、国内外の専門家らが意見を交換する。

 シンポジウムは聴講可能(無料)で、同本部会議は参加者を募集している。定員800人で先着順。申し込み方法などの問い合わせは堺市世界文化遺産推進室((電)072・228・7014)。

529よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/15(木) 05:30:36 ID:873I8ViI0
「忠臣蔵」に思い巡らせ 箕面の旧邸や墓など散策 大阪
2011.12.15 02:27
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111215/osk11121502280002-n1.htm

 ■「もう一人の義士」萱野三平

 元禄15(1702)年の「忠臣蔵」討ち入りの日の14日、箕面市で、「もう一人の義士」といわれる萱野(かやの)三平の旧邸や墓を訪ねるハイキングが行われ、約60人の参加者らが忠臣蔵の世界に浸った。

 箕面観光ボランティアガイド「MVクラブ」が主催。萱野三平は、元禄14年3月14日、江戸城内で主君、浅野内匠頭(たくみのかみ)が吉良上野介(こうずけのすけ)に斬りかかった殿中刃傷(にんじょう)事件の第一報を、国元の赤穂城に早かごで知らせた。

 あだ討ちを決心した家老、大石内蔵助(くらのすけ)の義盟にいったん加わったが、郷里(今の箕面市萱野)の父に反対され、忠・孝の板ばさみで進退きわまり、元禄15年1月14日、自宅で切腹して果てた。赤穂義士47人(46人説もある)の中には入らないが、忠義の武士として忠臣蔵ファンにはなじみの人物だ。

 ハイキングではまず、切腹の前日に別れを告げに行った姉、こきんの墓(同市新稲)へ。三平はこきんの嫁ぎ先の庄屋、吉田家を訪ね、「姉さま、とんと、おさらばでございます」と言って去ったという。

 一行はこのあと、三平が自刃した同市萱野の旧邸(長屋門)や墓を訪問。墓前で手を合わせ、観光ボランティアの説明に耳を傾けた。

530よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/23(金) 09:32:26 ID:iTNO9xEE0
「府市合わせから幸せに」 招福娘が松井知事、橋下市長を表敬
2011.12.22 14:15
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111222/osk11122215140010-n1.htm

 大阪天満宮(大阪市北区)で来年1月9〜11日に行われる天満天神えびす祭を彩る、「招福娘」10人が22日、松井一郎大阪府知事と橋下徹大阪市長を相次いで表敬訪問した。府と市の関係を揶揄(やゆ)した「府市合わせ(不幸せ)」からの脱却を目指す2人に縁起物を渡し、福を授けた。

 最初に訪れた府庁では、招福娘たちは「笑顔と元気と福をもって、ますます活気ある町にしてまいります」とあいさつ。

 大阪締めをアレンジした「うちまーしょ」で始まる「えびす締め」では、松井知事もかけ声に合わせて一緒に手を打ち、来年の幸福を祈った。

 松井知事は「ありがたい。(府と市の発展は)最後は神頼みやから」と、周囲の笑いを誘っていた。

 市役所では、橋下市長が招福娘のメンバーに「みなさん大学生?就職活動厳しいですよ」と声をかけ、「今度、海外留学制度をつくるので応募してください」と話していた。

531よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/25(日) 23:27:42 ID:sMdM8Bzc0
戦前の岸和田 勢い感じた
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111224-OYT8T01057.htm

 NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」の舞台・岸和田市で戦前に発行された地元の新聞5紙が、大阪歴史博物館(大阪市中央区)の近代現代フロアで展示され、「ドラマの時代背景がよくわかる」と好評だ。来年3月26日まで。

 岸和田市に住んでいた郷土資料収集家が寄贈したもので、1925〜37年の「岸和田新聞」や「泉州毎日新聞」など。当時の岸和田は、紡績業を中心に工業都市として発展しており、これだけたくさんの新聞が発行されたようだ。男子の普通選挙法が施行されたばかりの頃で、市長選や市議選の予想にも熱が入っている。

 昭和初期の大阪の街が再現された同フロアで新聞を眺めていると、建物からふらっとドラマに出てくる頑固オヤジが現れ、「もっと記事の勉強をするように」とどなられそうだ。(司)

(2011年12月25日 読売新聞)

532よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/26(月) 22:14:13 ID:N9OHBwvc0
大阪天満宮で「終天神」 献湯大祭や絵馬たき上げ
2011年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111226/20111226015.html

 大阪天満宮(大阪市北区)の一年を締めくくる行事「終(しまい)天神」が25日、同宮で行われた。献湯神事の最後を飾る献湯大祭や絵馬のたき上げが行われ、参拝者が「天神さん」の一年の加護に感謝した。

 毎月25日は天神さんの縁日で、1月の初天神で始まり、12月の終天神で締めくくる。

 本殿前で行われた献湯大祭では、みこが厳かな動作で湯の沸いた釜に束ねたササを漬けて振ると、しぶきとともに白い湯気がもうもうと立ち上った。神事に使ったササはみこによって配られ、無病息災の御利益を求めて参拝客が列をつくった。

 境内では、この一年絵馬掛けに奉納された約5万枚の祈願絵馬のたき上げや元日朝の歳旦祭に供えるための餅つきも行われ、もちの一部は参拝客に振る舞われた。

 東大阪市から訪れた泉満子さん(65)と西井浩さん(41)は「初めて来たが、ありがたいササをいただけて良かった。玄関に飾って運を呼びたい」と話していた。

533よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/30(金) 11:06:58 ID:4v6Mpnsg0
泉佐野の神社で和太鼓と尺八、琴の新春特別奉納 大阪
2011.12.30 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111230/osk11123002010002-n1.htm

 泉佐野市中庄の奈加美(なかみ)神社で来年1月1日、和太鼓と尺八、琴の新春特別奉納が行われる。「春の海」など新年にふさわしい楽曲が披露されるという。

 同神社は政府の神社合祀(ごうし)令により明治42年、当時の中庄、上瓦屋、湊の3村の神社を合祀、各地区の頭文字をつないで「奈加美神社」と改称し、誕生した。

 特別奉納は午前10時と正午、午後2時からの3回。海外でも演奏活動を行う和太鼓の寺尾智也さんと、同市出身で今年東京・邦楽コンクール2位入賞の尺八、川崎敦久さん、関西を中心にコンサート活動を行う琴の伊藤麻衣子さんが演奏を担当する。北岡忠澄宮司は「新しい年の始めに、みやびな演奏を楽しんで」と話している。問い合わせは同神社((電)072・462・7080)。

534よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/30(金) 11:16:25 ID:4v6Mpnsg0
どーんと大門松
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111229-OYT8T00769.htm

成田山不動尊

 寝屋川市の成田山不動尊の山門前に、新年の参拝者を迎える大門松(高さ13メートル)がお目見えした=写真=。1月末まで設置される。

 男性を表す黒松と女性を表す赤松に、計26本の竹と葉ボタン、梅、南天などをあしらった。一対の松は「夫婦の和合」、束ねた竹は「家庭円満」を意味しているという。

 毎年初詣に訪れるという主婦恒吉喜代子さん(70)は「こんな大きな門松は、ほかに見たことがない。正月に見上げたら、気持ちが明るくなりそう」と話していた。

(2011年12月30日 読売新聞)

535よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/12/31(土) 00:20:25 ID:4EvtCLE20
温か大根に1年感謝 東住吉・法楽寺「終い不動」
2011年12月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/111229/20111229024.html

 大阪市東住吉区の法楽寺(小松庸祐住職)は28日、一年を締めくくる「終(しま)い不動」の行事を同寺で行った。参拝者に地元の伝統野菜「田辺大根」とこんにゃくの炊き物を振る舞い、来年の健康や幸運などを祈願した。

 法楽寺は大日大聖不動明王を本尊とし、近隣住民から「田辺のお不動さん」として親しまれている。8年前から毎年12月の縁日に、西横門周辺の畑地で栽培され「田辺横門大根」と称された田辺大根を振る舞っている。

 寺に残るかまど「へっつい」に載せた二つの大鍋で職員や地域住民らが約150本の大根を炊き上げ、参拝者らに配った。受け取った親子連れやお年寄りは温かい大根を頬張りながら、この一年の無事に感謝したり来年の健康を祈ったりした。

 同区南田辺の田口遼太郎君(8)は「今年は家で田辺大根を作ったけど、こっちのもおいしかった。お正月は家でテレビとか見て、ゆっくりしたい」と言い、母親の睦子さん(40)は「地域の風物などを体験することはとても意義があると思う」と話していた。

536よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/02(月) 21:39:22 ID:4Ezunm8Y0
府内の創業100周年企業 シャープなど109社
2012年1月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120101/20120101038.html

 帝国データバンク大阪支社は、2012年に創業100周年など節目を迎える大阪府内のアニバーサリー(周年)企業をまとめた。100周年を迎えるのはシャープ(大阪市阿倍野区)やヤンマー(同市北区)、サステック(同市中央区)など109社に上る。

 創業30、50、100年など大きな節目を迎えるのは8397社。130周年の東洋紡績(同市北区)、120周年の浅沼組(同市天王寺区)、110周年の大同生命(同市西区)などがあり、最も業歴が長いのは創業350周年を迎える能勢酒造(能勢町)だった。

 データベース(DB)には集計されていないが吉本興業(同市中央区)も創業100周年を迎える。

 100周年企業を業種別にみると、卸売業が34社(31・2%)でトップ。次いで製造業30社、小売業15社と続く。

 年商規模では「1億円以上10億円未満」48社(44%)、「1億円未満」34社(31・2%)の順に多く、「10億円未満」の中小企業が4分の3を占めた。

 近畿では、神戸学院(兵庫県)、菊の井(京都府)、伊藤佑(滋賀県)、西垣林業(奈良県)など280社が創業100周年を迎える。

 調査は、同社の企業概要DB「COSMOS2」(140万社収録)から集計した。

537名無しさん:2012/01/03(火) 12:33:59 ID:2yggvuBc0
きょうの関西
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004936691.html

【大阪】
大阪の国立文楽劇場で伝統芸能の「人形浄瑠璃文楽」の人形が鏡開きを行います。この鏡開きは1年の公演の成功を祈って毎年正月3日に行われています。劇場の前に設置された舞台で文楽人形が木づちで酒だるのふたを割って訪れた客たちに祝い酒をふるまいます

538よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/04(水) 12:29:52 ID:7xvVWVjE0
幸せ、明るく、元気に 住吉大社、初詣でにぎわう
2012年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120103/20120103023.html

 新年を迎え、府内各地の神社が初詣の参拝客でにぎわった1日、大阪市住吉区の住吉大社でも多くの親子連れやカップルが訪れ、広い境内はことし1年の家内安全や商売繁盛を願う人であふれた。

 急な傾斜を上り下りする太鼓橋は、手をつないで歩く親子連れや着物姿のカップルなど足元を気にしながら進む人波で埋もれ、境内では、お守りを買う人やおみくじを引く人の行列が、終日続いた。

 本宮では多くの参拝客が思い思いの願いを込めてさい銭を投げ、手を合わせて祈念。五穀豊穣(ほうじょう)、庶民繁栄、家庭和楽を願い、歌い手の周囲を四人一組で踊る住吉踊りにも、参拝客が集まっていた。

 家族4人で訪れた大阪市在住の植村正さん(47)は「家族が幸せに、明るく、元気に暮らせますようにとお願いした」と話していた。

 住吉大社によると、1日の参拝客は165万人で、三が日の参拝客は昨年並みの250万人を見込んでいる。

539よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/04(水) 12:53:54 ID:7xvVWVjE0
そろばんの上達願う 大阪天満宮ではじき初め
2012年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120104/20120104026.html

 大阪府珠算教育連合会の「新春奉納そろばんはじき初め大会」が3日、学問の神様、菅原道真公を祭る大阪天満宮(大阪市北区)で開かれた。小学生を中心に約1200人が参加し、ことし1年の上達を願ってパチパチとそろばんをはじいた。

 大会は、学業やそろばん技能の向上を願い、同会が新春の恒例行事として開いており、ことしで28回目になる。

 参加者は、境内に設けられた奉納そろばんコーナーに早朝から列をなした。「心を合わせてそろばんをはじく」という意味を込め、はじき初め用に特別に作られた長さ180センチ、127桁の巨大そろばんを3人で使い、3桁の読み上げ算に挑んだ。

 参加した同市旭区の有坂和佳さん(9)は「正解できて良かった。今は暗算5級なので、ことしは3級を目指して頑張りたい」と話していた。

540よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/05(木) 09:28:40 ID:I3ANuviM0
元禄時代の梅酒再現 池田で限定販売
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120105-OYT8T00069.htm

 池田市などが出資するまちづくり会社「いけだ3C」は、元禄時代の梅酒を再現した「水月」(300ミリ・リットル、740円)=写真=を限定販売している。

 同市鉢塚の市立水月公園周辺は古くから梅林が広がり、「秦野の梅林」として知られてきた。現在、公園内に約250本の梅の木が植えられており、この梅の実約200キロを使い、小西酒造(兵庫県伊丹市)が江戸時代の製法を再現した。2010年12月に初めて製造したところ、限定500本が2日間で完売。今回は梅の収穫が好調だったため、製造数を1700本に増やした。澄んだ色合いとまろやかな口当たりが楽しめる。同市栄町の「引札屋」(6日から営業)や市内の酒販組合加盟店で買うことができる。

(2012年1月5日 読売新聞)

541よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/05(木) 20:22:00 ID:tn2a95cY0
一年の健康祈願 住吉大社で「福の餅神事」
2012年1月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120105/20120105014.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で4日、新春の行事「踏歌(とうか)神事」が執り行われた。神楽奉納や神前に供えられた餅の振る舞いが行われ、参拝客が一年の健康などを祈願した。

 踏歌神事は朝廷で行われた儀式に由来し、五穀豊穣(ほうじょう)と福を招く神を祈る行事とされている。式の最後に紅白の餅を参拝者に投げ渡すことから「福の餅神事」とも呼ばれている。

 神事は第1本宮で行われ、神職らが祝詞を奏上し、神楽女が「白拍子」を舞った。

 このあと振る舞われた餅は2斗分。大黒天などに扮(ふん)した神職が、神楽女らとともに高く投げ上げると、参拝者は競うように拾い集めていた。

542よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/05(木) 20:54:34 ID:tn2a95cY0
第60代「福娘」がやってきた!
http://www.ktv.co.jp/news/date/main.html

来週の十日戎を前に5日、関西テレビに一足早く「福」が届けられました。

やってきたのは…そう、大阪・今宮戎神社の福娘14人!

【山本浩之アナウンサーー】「みなさんこんにちはー!今年は第60代。3000人の中から選ばれたんですよね」
【村西利恵アナウンサー】「すごい倍率ですね」さっそく縁起物の「辰の額」をいただきました」

個性豊かな福娘のみなさん。
中にはこんな人も…。

【山本アナ】「今、サッカーの試合真っ只中。市立西宮出身の方はいませんよね?うそー!すごい!今同点に追いつかれたで」
【福娘・宇野名都美さん】「今、同点なんですか?さっき2点勝ってたのに」
【山本アナ】「2対2になってるで!」
【宇野さん】「え、そうなんですかー?」

543よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/05(木) 20:55:55 ID:tn2a95cY0
>>542

【山本アナ】「ちょっと気になったんですけど、国際色豊かですね。アーユージャパニーズ?」
【福娘・ジェイキシンダスアルチャナさん】「ノー!インド、インドです」
【山本アナ】「キャンユースピークジャパニーズ?」
【ジェイキシンダスアルチャナさん】「関西弁大丈夫!大阪生まれなんで。めっちゃ関西弁なんですよ」

その時、福娘に近付く怪しげなカメラが…。

【気象予報士・片平敦さん】「あ、いいですね、笑顔いただけますか。福娘さんが来られると聞いて、うずうずして借りてしまいました」
【山本アナ】「十日戎の天気、これを言わないと、来てる意味がないで」
【片平さん】「今年の十日戎は平年並みの冬の寒さ。朝晩は寒いんですけどめちゃくちゃ冷え込むことはなさそう。気になる天気はズバリ、晴れ。ですからみなさん安心してくだハレ」

福娘のみなさん、判定は??

【山本アナ】「せーの」
【村西アナ】「バツ多い!」
【山本アナ】「あなた笑ってたやん!」
【福娘・岡田明恵さん】「もうちょっとひねってほしい」
【山本アナ】「パンチがたりひんねんパンチが」

【福娘】「みなさま、お手を拝借。打ーちましょ、よいよい、もうひとつせい、よいよい、祝うて三度、よよいのよい。おめでとうございます!!」 .

544よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 20:21:41 ID:MUDUgLfI0
今宮戎神社福娘が「十日戎」PR
2012年01月06日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001201060001

 商売繁盛の神様として親しまれる今宮戎神社(大阪市浪速区)の福娘14人が5日、「十日戎」(9〜11日)のPRに、朝日新聞大阪本社を訪れた。


 若草色の着物に白い千早、金烏帽子(えぼし)をつけた福娘らは、明るい声で「打ちましょ」「祝うて三度で」と「上方締め」を披露した=写真。


 今宮戎神社では、十日戎で参拝客の福笹(ざさ)に縁起物を結ぶ福娘を毎年募集しており、今回の選考会で60回目となった。応募者2984人から選ばれた40人と立命館大と関西大の留学生10人が福娘に決まった。このほか60回を記念して歴代の福娘ら約100人も9日、十日戎に参加する。福娘代表の京都産業大4年の岡田明恵さん(22)=京都市=は「きらきら輝く福娘が憧れでした。元気いっぱいの笑顔でお迎えします」と話した。

545よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 20:36:57 ID:MUDUgLfI0
関西から笑顔届けたい 今宮戎の福娘来社
2012年1月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120106/20120106021.html

 “えべっさん”の愛称で親しまれる商売繁盛の神様、今宮戎(えびす)神社(浪速区恵美須西1丁目)の「十日戎」を前に5日、同神社の福娘14人が大阪市中央区の大阪日日新聞を訪れ、ことし一年の福を授けた。

 福娘は、着物に白い千早を羽織り、金色の烏帽子(えぼし)をまとった華やかな姿で来社。代表の岡田明恵さん(22)が「お手を拝借」と言うと、それに続いて残りの福娘が「打ちまひょ」「もうひとつせい」「祝うて三度で」と上方締めを披露。大阪日日新聞大阪本社の畑山博史代表に今年のえとの辰(たつ)を描いた縁起物の額を手渡し、新年の門出を祝った。

 今年の福娘は、外国人留学生10人を含む総勢50人。2984人の応募者の中から選ばれた。岡田さんは「今年で60代目を迎える伝統ある福娘。代表として責任を持って奉仕していきたい。関西から笑顔を届け、みんなで日本を元気にしていきたい」と抱負を語った。

 福娘は十日戎で「商売繁盛でササ持って来い」の掛け声とともに参拝者に福ザサを授ける。

546よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 20:46:56 ID:MUDUgLfI0
今宮戎福娘:「笑顔と元気届ける」 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120106ddlk27040247000c.html

 商売繁盛などを願う「十日戎(えびす)」(9〜11日)を前に、今宮戎神社(大阪市浪速区恵美須西1)の福娘14人が5日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社を訪れた。

 そろいの若草色の着物に白い千早、金色の烏帽子(えぼし)をまとった福娘は、「上方締め」で商売繁盛を祈願。岡田明恵さん(22)は「昨年は東日本大震災の影響で暗いニュースが多かったので、笑顔と元気を届けたい」と話した。【林田七恵】

547よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 21:19:35 ID:MUDUgLfI0
船場伝統の正月もてなし 北原で「初市」
2012年1月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120106/20120106022.html

 衣料製品卸の「北原」(大阪市中央区博労町、北原祥三社長)は5日、年始あいさつに訪れた取引先に酒や料理を振る舞う船場繊維問屋街伝統の正月行事「初市」を行い、にぎやかに来訪者をもてなした。

 船場の商店では、正月に店先にたる酒やおせちを置き、杯を酌み交わしながら話の輪を広げる習慣があった。近年は繊維の製造拠点が海外や地方に移り、問屋街も4日ごろまで休むなど商売のスタイルが様変わりし、“船場式”の正月のもてなしを続けているのはごく一部となった。

 同社では、創業50周年を迎えた15年前に初市を復活させ、おでんやすしの屋台も設置して来訪者をもてなしている。この日は、大阪プロレスの松山勘十郎さんも訪れ「ここに来るまでに何人もびっくりされた」と会場を和ませた。このあと来訪者がペア観戦券をめぐってじゃんけん大会を繰り広げた。

 北原社長は「景気の悪い時期だが、東日本大震災の復興も祈念し、経済の中心の大阪が頑張らなければいけない。今年は65周年の年で私の社長元年の年でもある。勝負の年として経済・文化をリードするかつての大阪の姿を目指したい」と抱負を話していた。

548よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 21:49:09 ID:MUDUgLfI0
阪神梅田駅で「えべっさん」をPR−「戎舞」披露、大熊手の贈呈も
http://umeda.keizai.biz/headline/1233/

 阪神梅田駅東改札口前で1月6日、今月9日〜11日に西宮神社で執り行われる「十日えびす」のPRイベントが行われた。

 新春恒例となった十日えびすのPRと電車の安全運行を祈願する同イベント。縁起の良い「戎舞(えびすまい)」の披露や、非売品のトラッキー人形付き熊手の配布が行われることから、毎年来場する人も多い。2010年からは難波・奈良方面からの来場も見込み、梅田駅、大阪難波駅の2カ所でイベントを開いている。

 イベントでは、淡路人形座による「戎舞」を披露。淡路人形芝居は約500年前、西宮の傀儡師(かいらいし=人形操りを業とする者)である百太夫が淡路島に伝えたもので、現在の文楽人形浄瑠璃の元祖とされるもの。「戎舞」は、えびす様が庄屋を訪れ、世界平和や豊漁・豊作、海の安全を肴(さかな)に酒を飲み、酔っ払って漁に出てタイを釣り上げる縁起のいいストーリーで、観客からはえびす様が願い事を言って酒を飲み干す度に拍手が起こった。

 被災地で公演した淡路人形座の吉田史興さんは「復興は進んでいなかったが、そこに住んでいる人たちは笑顔で逆に勇気づけられた。笑顔は大事。西宮えびすで福をもらって、笑顔で一年を過ごしてもらえたら」と話す。戎舞披露の後には、西宮神社の巫女(みこ)が梅田駅駅長に大熊手を贈り、運行の無事を願った。

 十日えびすでは、前日の8日に特大マグロを奉納する「大マグロの奉納」、9日14時からは日本最古の温泉・有馬温泉の金泉を奉納する「有馬温泉献湯式」、10日6時からは赤門が開くと同時に約5000人が走り参る「開門神事福男選び」が行われる。期間中、約800軒の露店が軒を連ね、毎年約100万人が参拝に訪れにぎわう。

 8日には阪急梅田駅1階で福娘が福ザサを授与するキャンペーンも行う。

549よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 21:53:30 ID:MUDUgLfI0
華やかに宝恵駕籠行列、今年も開催へ−十日戎への参拝行事
http://namba.keizai.biz/headline/2120/

 商売繁盛の神様「えべっさん」として親しまれている今宮戎(いまみやえびす)神社(大阪市浪速区)の「十日戎」が1月9日〜11日に行われるのに合わせ、福娘らを乗せた宝恵駕籠(ほえかご)行列が10日、ミナミの中心部を練り歩く。

 宝恵駕籠行列とは元禄(げんろく)期、南地の芸妓(げいこ)が船場の旦那衆の代わりに今宮戎神社に参拝したことから始まった新春の恒例行事で、現在はミナミの各商店街らが参加する宝恵駕振興会が主催している。毎年、芸妓や福娘のほかタレントなどが宝恵駕籠に乗り込み、今宮戎神社への参道だった「戎橋」を中心にミナミを練り歩くもので、昨年8月には、地域文化の発展に貢献したとして「第33回サントリー地域文化賞」を受賞した。

 行列の本隊は、9時50分に道頓堀川遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で出発式を行った後、10時に宗右衛門町の元・南地大和屋前(現・ホテルビスタグランデ大阪前)を出発。宗右衛門町から堺筋を回って道頓堀を進み、10時40分ごろに戎橋横に設けた「戎舞台」に到着。市川右近さん、間寛平さんら文楽、歌舞伎役者、芸能人などがあいさつし、「大阪締め」で出立を祝う。

 その後行列は、「ほえかご、ほえかご」の掛け声と共に戎橋筋商店街を南下、難波センター街商店街、吉本会館など各商店街を巡りながら12時10分ごろに今宮戎神社に到着、参詣を行う。12時40分ごろ、再びなんば駅方面に向けて折り返し、神官や福娘らとともになんばCITY、高島屋、なんばマルイ、大丸などに福ザサを授け歩く。

 宝恵駕籠行列は数百メートルにも及ぶ。今年は、大阪松竹座から市川右近さん、日本舞踊上方舞山村流家元の山村若さん、吉本興業の間寛平さん、NHK連続テレビ小説「カーネーション」ヒロインの小野真千子さん、OSK日本歌劇団の桜花昇ぼるさん、オリックスバファローズの選手、松竹芸能のチキチキジョニーさん、文楽劇場の文楽人形、テイチクレコードの山口ひろみさん、福娘代表の岡田明恵さん、杉本由希さん、浪速区商店会連盟から井岡弘樹さんらが駕籠に乗る予定。

550よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 10:10:16 ID:30Jyuwpg0
堀川戎神社:「絆大切にし経済発展を」 福娘、毎日新聞大阪本社に縁起物届ける /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120107ddlk27040367000c.html

 商売繁盛を願う「十日戎(えびす)」(9〜11日)を前に6日、堀川戎神社(大阪市北区西天満5)の福娘や神職らが同区の毎日新聞大阪本社を訪れ、福笹(ふくざさ)など縁起物を届けた。

 金色の烏帽子(えぼし)に白い千早姿の福娘5人は元気よく「商売繁盛、家内安全、お神楽」と声を合わせ、鈴を振り祈願。甲南女子大4年の大塚咲季さん(21)は「昨年は東日本大震災があったが、人と人との絆が確かめられた年でもあった。この絆を大切にし、商売の街大阪から日本中に福を届け、経済発展につながれば」と話していた。【堀江拓哉】

551よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 10:28:05 ID:30Jyuwpg0
野田恵美須神社で「絆」をより強く 福娘、宝の市大祭PR 大阪
2012.1.8 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120108/osk12010802100001-n1.htm

 大阪市福島区の野田恵美須神社で9〜11日に「宝の市大祭」(十日戎(えびす))が開かれるのを前に、同神社の福娘が7日、産経新聞大阪本社(同市浪速区)を訪れ、祭りをPRした。

 大祭では、福島区花のノダフジをあしらったかんざしを挿した福娘たちが、参拝者に福笹(ざさ)などの縁起物を授与する。福娘のひとり、北口千裕さん(21)は「今年はみなさんが『絆』をより強められるように笑顔で福をお授けしたい」と話していた。

552よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 14:03:59 ID:lki74tA60
「笑顔で福を」 福娘が十日えびす控え来社
2012年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120108/20120108022.html

 商売繁盛など新年の幸福を願う「十日えびす」(9〜11日)を前に、野田恵美須神社(大阪市福島区)の福娘3人が7日、同市中央区の大阪日日新聞を訪れた。

 朱色の着物に白い羽織をまとい、地域のシンボルの花・藤の花をあしらったかんざしを挿した福娘らは、鈴でおはらいをすると、大阪締めの手打ちをしながら商売繁盛を祈願。福俵などの飾りを付けた縁起物の福ザサを大阪日日新聞大阪本社の畑山博史代表に手渡した。

 同神社は、約900年前の創建とされ、十日えびすの期間中は毎年約10万人が参拝。今年は、80年ぶりに改修した朱色と金箔(きんぱく)があでやかな鯛鉾(たいほこ)を飾り付け、13人の福娘が参拝者を出迎えるという。

 また、各日とも夕方ごろからだんじりばやしを奏で、祝い酒を振る舞う。福娘の梅野美紀さん(21)は「昨年は東日本大震災が起き、大変な日々が続いているからこそ、明るく笑顔で福を届けたい」と話していた。

553よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 14:06:05 ID:lki74tA60
軽快 邪気はらい 住吉大社で「白馬神事」
2012年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120108/20120108021.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で7日、邪気をはらう行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。神事の最後で同大社の神馬が本宮の周りを駆け回り、多くの見物人から歓声が送られた。

 同大社は平安時代ごろから白い馬が神馬として奉納されている。新春を向かえ、馬が境内を回ることで邪気をはらう儀式として、毎年同日に神事を行っている。今回は3連休の初日に重なったため、例年よりも多くの人出でにぎわった。

 今回は昨年5月に奉納されたばかりの雄の3歳馬「白雪号」が初登場。神馬守に引かれて四つある本宮を巡拝したのち、境内を軽快に駆け回った。初めは興奮していたが、神事後、御利益に預かろうとする参拝者に鼻先などをなでられると、落ち着きを取り戻していた。

554よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 15:26:02 ID:lki74tA60
シャープ、ヤンマー、通天閣… 関西で100周年続々
http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819A96E2E4E2E09C8DE2E4E2E3E0E2E3E09E9693E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E5

 シャープやヤンマー、通天閣やひらかたパークなど、関西の有力企業や名所が2012年、相次ぎ100周年を迎える。1912年は明治から大正に改元された年で、大阪は紡績業を中心に発展し、「東洋のマンチェスター」と称されるほどの繁栄を見せていた。各企業や施設では今年、記念の催しや事業が計画されており、経済効果への期待も高まっている。

 9月15日に創業100周年を迎えるシャープは20年ぶりに社史を出す計画だ。「100」をかたどったロゴマークも作成。国内外で名刺や商品カタログに使う。ホームページには今月から100周年の記念コーナーを開設。創業者・早川徳次氏の功績やこれまでの代表的な商品を紹介する。

 ヤンマーは同社の歴史や製品を一般客に紹介する「ヤンマーミュージアム」(仮称)を滋賀県長浜市に建設する。12年5月に着工し、13年4月に開業する。ディーゼルエンジンを使った農漁業の体験コーナーを設置。社会見学に訪れる学生や観光客らの来場を見込む。

 明治から大正に変わる時期の関西は、都市化が進展し、大衆文化が生まれた時期でもあった。今年は観光やエンターテインメントの分野でも100周年が相次ぐ。

 通天閣は初代通天閣の開業から100年を迎えるのを機に、大阪の街を一望できる展望台を改装する。内装を金色で統一して観光客を呼び込む狙いだ。通天閣周辺の名所、新世界でも商店会などが100周年を祝う。

 京阪電気鉄道系の遊園地「ひらかたパーク」は3月から来年2月までを100周年特別イヤーとして、人気アニメ「ワンピース」のイベントなどを矢継ぎ早に展開する。

 吉本興業は4月からグループの旗艦劇場「なんばグランド花月」で、吉本の歴史を題材にした芝居を1年間、月替わりで上演する。映画やテレビ、舞台を記録したDVD集やCD集も発売する。

 国産魔法瓶の第1号も100年前の大阪で誕生した。当時の大阪はガラス工業の中心地で、魔法瓶の真空構造を作るのにガラスの生産技術が生かされた。象印マホービンは本社1階に開設した「まほうびん記念館」(大阪市北区)で、魔法瓶の歴史や過去の製品を紹介。100周年にちなんだ企画展も検討する。

 四条烏丸周辺に出店して100周年となる大丸京都店は4月以降、年内に4回のキャンペーンを実施する計画。京都にゆかりのあるオリジナル商品を開発・販売する。

555名無しさん:2012/01/08(日) 19:04:26 ID:9/iOb5lY0
>>554
おお、これはまためでたい話ですね。

>9月15日に創業100周年を迎えるシャープは20年ぶりに社史を出す計画だ。
>ヤンマーは同社の歴史や製品を一般客に紹介する「ヤンマーミュージアム」(仮称)を滋賀県長浜市に建設する

節目の年に自社の歴史を再認識するのは大事なことです。
その上で、さらなる発展への目標設定をすれば、未来は安泰でしょう。

>通天閣は初代通天閣の開業から100年を迎えるのを機に、大阪の街を一望できる展望台を改装する。内装を金色で統一して観光客を呼び込む狙いだ

展望台改装はいいけど、全面金一色ってのはちょっと・・・
展望台は景色を楽しむものですから、室内は地味でいいんですよ。
金一色に染めるくらいなら、新世界の街の紹介のパネルでも展示したほうがいい気がします。

>京阪電気鉄道系の遊園地「ひらかたパーク」は3月から来年2月までを100周年特別イヤーとして

かつてほぼ全ての鉄道会社が持っていたテーマパークですが、
生き残っているのはこのひらかたパークとみさき公園のみですからね。
名物の菊人形は残念ながら終わってしまいましたが、テーマパークの部分だけでも
今後とも続いてほしいものです。

>吉本興業は4月からグループの旗艦劇場「なんばグランド花月」で、吉本の歴史を題材にした芝居を1年間、月替わりで上演する

なんだかんだでここも100年ですか。
いろいろと黒いうわさも絶えない企業ですが、曲がりなりにも大手芸能事務所であることには変わりないので、
これからは正しい方向での芸能活動を目指して生まれ変わってほしいものです。

556名無しさん:2012/01/08(日) 22:58:37 ID:HBsCf/nY0
今宮戎神社が「祝い箸」授与 食の安全願い、今年から
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201201040014.html

 商売繁盛の神様をまつる大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社が、新年の台所や食卓を飾る「祝い箸」を販売している。初めての試みで、初穂料込みで3千円。

 放射能汚染や生肉の集団食中毒など、食の不安が広がった2011年。新たな年、安全を願って十日戎の最終日の11日までに3千膳を授与する。

 縁起物の福笹(ふく・ざさ)にちなんだ竹製で、塗り箸で有名な福井県小浜市の業者に特注した。「竹のように真っすぐな気持ちで自然の恵みに感謝する1年に」と宮司。

557よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/09(月) 18:44:14 ID:5RgP4Qg20
十日戎:野田恵美須神社、きょうから11日まで 福娘3人、毎日新聞大阪本社でPR /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120109ddlk27040158000c.html

 野田恵美須神社(大阪市福島区玉川4、玉田義宣宮司)の福娘3人が7日、毎日新聞大阪本社(同市北区)を訪れた。

 同神社では恒例の十日戎(えびす)を9〜11日に開催。境内では昨年80年ぶりに改修した鯛鉾(たいほこ)などが出迎える。毎年期間中に計約10万人が訪れる。

 福娘の北口千裕さん(21)は「昨年の漢字に選ばれた『絆』を今年はより強めてもらい、みなさんが笑顔で過ごせるように福を授けたい」と抱負を語った。【三上健太郎】


季語刻々:その前にデートせえへん?宵戎
http://mainichi.jp/enta/art/news/20120109ddm041070050000c.html

 ◆今

 ◇その前にデートせえへん?宵戎(よいえびす)−−児玉硝子(がらす)

 「せえへん?」は大阪弁、「しませんか」と誘っている。OKの返事、大阪弁だと「ほんまか?」だろうか。「ほんとう? うれしいなあ」という返事である。

 宵戎は明日の十日戎の前夜祭。大阪の今宮、兵庫の西宮など関西各地の戎神社がにぎわう。戎信仰は関東の「酉(とり)の市」に相当し、人々が商売繁盛を願って参詣する。<坪内稔典>

558よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/09(月) 18:45:34 ID:5RgP4Qg20
福あめ売り:家庭養護促進協、今宮戎周辺できょうから11日まで /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120109ddlk27040160000c.html

 大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社の「十日戎」に合わせ、家庭養護促進協会(大阪市天王寺区)は9〜11日、神社周辺で恒例の「福あめ売り」をする。

 同協会は、家庭の事情などにより施設で暮らしている子どもたちの里親探しをしており、棒あめや福豆(200〜300円)の売り上げは、協会の活動資金に充てられる。

 各日とも午前8時半〜午後11時ごろ(11日は売り切れ次第終了)で、出店場所は神社北門西側と、地下鉄恵美須町駅5番出口から神社に向かう参道北側の2カ所。「ぼくにもほしいパパとママ」と書かれた緑色ののぼりが目印。【矢島弓枝】

559よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/09(月) 19:06:40 ID:5RgP4Qg20
■十日戎始まる〜大阪・今宮戎神社
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120109112300528306.shtml

 商売繁盛の神様「えべっさん」を祀る大阪・今宮戎神社の十日えびすが9日から始まりました。

 十日えびす初日の9日は「宵えびす」です。

 祝日ということもあって朝から多くの人がご利益を授かろうと訪れています。

 今年は「福娘」を選び始めて60年を迎えるため、現役だけでなく歴代の福娘も参加し、参拝者に笹を授けるということです。

「きょうは福をいただきに参りました。たくさんいただいて帰ろうと思います」(30年前の「福娘」)

 十日えびすは11日の「残り福」まで3日間開かれ、およそ100万人の参拝が見込まれています。
(01/09 12:28)

560名無しさん:2012/01/09(月) 21:09:11 ID:Li85Ryj.0
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE1E5E4E2E7E3E3E2E0E5E3E0E0E2E3E39393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4
しめ飾り、大阪と東京でこんなに違う
2012/1/6 7:00

 昨年末、大阪の街でしめ飾り(正月飾り)が目に入った。しめ縄が横に伸び、そこにダイダイなどが付いている。大阪で生まれ育った会社の先輩によればこの形が関西風という。関東でよく見かける縄の部分が輪になったものと形が異なる。大阪伝統のしめ飾りにはどんな特徴があるのだろうか。

 大阪府豊能町で約40年にわたってしめ飾りやしめ縄を作っている「注連縄職人」を訪ねた。しめ飾りは年間8万個を生産している。

 「うちで作っているものの9割はこの形かな」。代表の島袋浩二さんは大阪の街で見たものと同じ形の商品を見せてくれた。縄の部分は向かって右側が太く、左側にいくほど細くなる。

◇            ◇

 ごぼうに似ていることから、縄自体は「ごぼう締め」と呼ばれることが多い。浩二さんの父親で40年のキャリアを持つ信夫さんによると、昔からこの形が出回っていたため、見よう見まねで作るようになったという。縄の形に合わせてごぼう締め型のしめ飾りと呼んでみたい。

 ほかの地域はどうなのか、調べていたところ、耳寄りな情報に出合った。三重県伊賀市の伊賀鉄道上野市駅に毎年、長さ約2メートルの「関西風のしめ縄」が飾られるとのこと。地域おこしグループ「伊賀地域研究会Be」が地元繁栄の願いを込めて寄贈している。

 関西風とはどのようなものか。グループ代表の池沢基善さんに聞いてみた。




 「向かって右側が太いしめ縄です。同じ三重県でも伊勢地方は左側が太い。伊賀は文化圏としては関西なので、しめ縄でもそれを示したいと考えました」。しめ飾りに関しても、伊勢、伊賀ともにごぼう締め型が主流だが、伊勢は左が太く、伊賀は大阪と同じで右が太いという。

 全国にはどんな形があるのか。各地のしめ飾りを調べ、絵本「しめかざり」にまとめたグラフィックデザイナーの森須磨子さんを東京の自宅に訪ねた。

 「想像以上にたくさんの種類がありますよ」。森さんは各地の写真を次々と見せてくれた。例えば京都。竜が玉を抱いた形をイメージしたものもあれば、江戸時代に流行した大道芸「ちょろけん」をモデルにした変わり種もある。

561名無しさん:2012/01/09(月) 21:10:22 ID:Li85Ryj.0
>>560

http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE1E5E4E2E7E3E3E2E0E5E3E0E0E2E3E39393E082E2E2;df=2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

 「大阪風」の定義は難しいかもしれないと頭を抱え始めたところ、森さんが助け舟を出してくれた。「調査不足かもしれませんが、大阪でしめ飾りというと、この形になります」

 写っていたのは右が太いごぼう締め型だった。「関東などに多い、扇やエビなどいろいろなものが付いているしめ飾りに比べるとシンプルで、実質本位という印象ですね」


◇            ◇


 起源を探りたいと思い、京都大学こころの未来研究センター教授(宗教学)の鎌田東二さんを訪ねた。

 「アマテラスが天の岩戸から引き出されたとき、二度と戻れないようにフトダマが戸をふさいだと日本神話にあります。そこで使った『尻久米縄(しりくめなわ)』がしめ縄の始まりとされます」とのことだった。

 ごぼう締め型が大阪に多い理由について「はっきりした文献がないので推測になりますが」と前置きしたうえで、分析してくれた。

 ごぼう締め型と縄を輪にしたような型では、ごぼう締め型の方が古くから存在した可能性が高い。大阪ではそれを残そうとする伝統の力が働いたのではないか。

 続いて縄の太さの問題。原則として南に向かって建てられる神社にとって、日の昇る東、つまり左側が上位となる。「すなわち参拝者から見れば向かって右側に、しめ縄の綯(な)いはじめ(太い部分)を置くのが一般的です」(鎌田さん)

 変わっていると感じた大阪伝統のしめ飾り。実はオーソドックスなものだった。

(大阪・文化担当 中野稔)

562よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/10(火) 20:58:29 ID:TlUVxi4c0
今宮戎神社:福呼び込め 宵戎に福娘OG−−大阪
http://mainichi.jp/kansai/news/20120110ddn001040004000c.html

 大阪市浪速区の今宮戎神社は9日、「十日戎」の宵戎。今年は同神社が毎年恒例の「福娘」の募集を始めて60周年を迎え、過去の福娘約100人も駆けつけた。

 同神社では例年、約50人の福娘を募集。最近は3000人前後の応募がある。同日集まった歴代の福娘は、19〜57歳の女性96人で、金色の烏帽子(えぼし)をかぶり「千早」と呼ばれるみこ風の着物を着用した。「商売繁盛でササ持って来い」のかけ声が響く中、今年の福娘約50人とともに、福ザサに「商売繁盛」の札などの縁起物を結び付け、参拝客に手渡していた。

 99年度に福娘を務めたOGの波根田ゆかりさんは、参拝客が手にした福ザサに縁起物の飾りをつけながら「境内いっぱいにあふれる活気が懐かしいです。参加してよかった」と話した。【宮武祐希】

563よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/11(水) 20:44:01 ID:5E7Z7l/s0
おはやしと掛け声 「宝恵かご」練り歩く
2012年1月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120111/20120111015.html

 「商売繁盛笹持ってこい」の掛け声が飛び交う今宮戎神社(大阪市浪速区)の十日戎「本えびす」の10日、恒例の「宝恵かご行列」が行われた。道頓堀川を起点に芸妓衆や有名人を乗せたかごなど約500人の列が、ミナミのまちを華やかに練り歩いた。

 川沿いの遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で行われた出発式では、歌舞伎役者の市川右近さん、OSK日本歌劇団の劇団員、NHK連続テレビドラマ小説「カーネーション」のヒロイン、尾野真千子さん、間寛平さんらが、船乗り込みで登場。

 法被姿の若い衆がちょうちんや小判などで飾った宝恵かごを担ぎ、観光客など大勢の人々が見守る中、おはやしと「ほえかーご」の軽快な掛け声に乗せて巡行した。劇場前など随所で「大阪締め」を繰り広げた。

564よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/11(水) 21:09:37 ID:5E7Z7l/s0
福こい、宝恵駕行列 今宮戎神社の十日戎
2012年01月11日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001201110002

 商売繁盛を願う今宮戎神社(大阪市浪速区)の十日戎(えびす)は本戎の10日、宝恵駕(ほえかご)行列があった。NHK連続テレビ小説「カーネーション」のヒロインを演じる尾野真千子さんや福娘らを乗せたかご20台が「ほえかご、ほい」のかけ声とともにミナミの繁華街を練り歩いた。


 大阪市中央区の道頓堀川遊歩道で出発式があり、タレントの間寛平さんが「今年一年商売繁盛しますよう、言葉を言いたい。アヘアヘウヒハ〜」とギャグを披露。その後、地元商店主や芸能関係者ら約500人の行列が道頓堀や難波の商店街を回った。


 道頓堀でそば店を経営する堀寿郎(ひさお)さん(46)は「行列のかけ声を聞くと1年が始まった実感がわく。震災の影響で海外からの観光客が減ったが、今年はいい年にしたい」と意気込んだ。

565よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/11(水) 23:38:42 ID:1as3MsJ20
宝恵駕籠行列が道頓堀を出発−500人の大行列がミナミを練り歩く
http://namba.keizai.biz/headline/2121/

 道頓堀川遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で1月10日午前、宝恵駕籠(ほえかご)行列の出発式が行われ、吉本興業の間寛平さん、NHK連続テレビ小説「カーネーション」ヒロインの尾野真千子さんらが登場した。

 宝恵駕籠行列は元禄(げんろく)期、南地の芸妓(げいこ)が船場の旦那衆の代わりに今宮戎神社に参拝したことから始まった新春の恒例行事。戦後、花街の衰退に伴い途絶えていたものを、1966(昭和41)年に「宝恵駕保存会」(現、宝恵駕振興会)を結成し復活。庶民の正月の恒例行事として定着している。

 出発式には、間さん、尾野さん、松竹芸能のチキチキジョニーさんら芸能人のほか、役者、スポーツ選手、歌手らが登場。あいさつを行った後、全員で駕籠の形をしたくす玉を割ると、詰めかけた観客らからは拍手が沸き起こった。その後、「大阪締め」で出立を祝い駕籠上げを行った。

 行列の本体は10時20分、宗右衛門町の元・南地大和屋前(現・ホテルビスタグランデ大阪前)を出発し、堺筋、道頓堀、戎橋筋など地元商店街を巡り、12時10分ごろに今宮戎神社に到着、参詣を行う予定。12時40分ごろ、再びなんば駅方面に向けて折り返し、ミナミの各所に福を届ける。

566よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/12(木) 22:28:39 ID:hFISGPjA0
えべっさんでさい銭勘定 大阪・今宮戎神社、参拝客減少
2012年1月12日 10:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120112/20120112039.html

 「えべっさん」の愛称で親しまれている大阪市浪速区の今宮戎神社で12日、「十日えびす」で集まったさい銭の勘定が始まった。

 午前9時すぎ、法被姿の銀行員10人が拝殿でおはらいを受け、集計作業を開始。さい銭の入った白い収納袋を開けていくと、テーブルは紙幣や硬貨のほか、「29451(福よ来い)」と縁起を担いだ金額の小切手でいっぱいになった。

 同神社によると、今年の十日えびすは9日からの3日間で約94万人の参拝客が訪れた。例年に比べ数万人少なく、過去10年で最少だったという。

 正確な集計は約2週間かかるが、総額は4500万円程度を見込んでいる。

567よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/13(金) 05:07:12 ID:qpxboUGs0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/235 安倍晴明 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120112ddlk27070395000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇特別な霊力、キツネの子か 神社境内に産湯井戸跡

 昨年末の回で、阿倍野が平安時代の陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明とゆかりが深い土地だというところまで紹介した。小説やマンガ、映画にもなっているから、ご存じの方も多いだろう。

 陰陽師は、天文に通じ、世の中の先行きなどを占う術師で、式神という鬼神を使って常人にできないことをやってのける。安倍保名という武士と白ギツネの間に生まれたとされる安倍晴明は、陰陽師の中でもずばぬけた能力を持ち、天皇にも仕えた。天皇の退位を予告したり、大江山の鬼退治を指揮したり。キツネの子だから特別な霊力を授かったのか。

 1005年に85歳で亡くなるが、この時代としては異例中の異例の長寿だ。05年が没後1000年にあたった。子孫が興した土御門(つちみかど)家は陰陽師を統率する陰陽頭を務め、江戸時代は暦も作っていた。土御門家の家紋が、五角の星をかたどった五芒星(ごぼうせい)。陰陽五行の木・火・土・金・水を表し、魔除(よ)けの印として用いられた。ちなみにイスラエルの国旗のダビデの星は六角の星、六芒星(ろくぼうせい)だ。

 松虫通とあべの筋が交差する松虫交差点から、あべの筋の一筋西の細い道に入る。そのまた西側には阪堺電車が走っている。「これが旧熊野街道です」と大阪案内人の西俣稔さん。京から船で淀川を下ると八軒家(今の天満橋南詰め)に着く。ここから四天王寺を通過し、今のあべの筋を通って、この細い通りに入ったのだ。

 安倍晴明は阿倍野の地名のいわれともされる豪族、阿倍氏の出で、阿倍野生まれと伝えられる。阪堺電車の西側の町名は晴明通。古い蔵が建つ旧熊野街道をぶらぶらと歩きながら、西俣さんが民家の「保田」という表札をさして、「保田さんは保名の子孫だという説もあるんです」と解説する。

 しばらく歩くと神社が現れた。その名も安倍晴明神社。こぢんまりした境内には、安倍晴明やキツネの像が建ち、「誕生地」の石碑や晴明の産湯井戸の跡が残る。

 社務所のおばあさんに、神社の由緒を記したものがないか尋ねたら、「そこにあるでしょ。よう見なさい」と怒られた。

 その由緒によると、安倍晴明の没後2年目に、時の上皇の意向で創建されたと伝わる。安倍晴明の子孫とされる保田家が社家(一つの神社の神職を世襲する家)として奉仕していた。しかし幕末に没落し、大正時代に社家の子孫の保田伊之助氏が土地を寄進して復興したという。

 すぐ東をあべの筋が通っているが、境内は静けさに包まれていた。【松井宏員】

568よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/13(金) 21:01:51 ID:ZSGTIuA.0
よみがえる大正ロマン 大阪府庁の式典会場「正庁」復元
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201201130059.html

 現役の都道府県庁舎では全国で最も古い大阪府庁本館(大阪市中央区)にある式典会場「正庁(せいちょう)」が、建設当時の大正時代の姿に復元された。最近は職員の執務室に使われていたが、橋下徹前知事が昨春に「歴史的価値が高い。府民に本来の姿を見てもらおう」と改修を決定。ほぼ工事が終わり、近く公開される。

 府庁本館は1926(大正15)年に完成。正庁は建物中央の5、6階部分にあり、吹き抜け構造で約250平方メートル。天井には計55平方メートルのステンドグラス、壁は金色の獅子や天使のレリーフで装飾されるなど豪華な造りになっている。

 かつては府民や職員の表彰など公式行事の際に使用され、映画「ブラック・レイン」(1989年)にも登場した。しかし職員数の増加で執務室となり、約20年前からは装飾を覆うように蛍光灯を取り付け、レリーフの一部もペンキで塗られていた。改修費は約4200万円という。(池尻和生)

569よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 21:35:13 ID:JOdNOGg60
魔よけの札求め「どやどや」四天王寺
2012.1.14 17:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120114/osk12011419200004-n1.htm

 紅白の鉢巻きにしめこみ姿の中高生らが魔よけの札を奪い合う恒例の「どやどや」が14日、大阪市天王寺区の四天王寺境内で行われた。

 元日から続けられる五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る法要の締めくくり。魔よけの札をもらおうと、地元の農家が境内に「どやどや」と集まったのが起源とされる。

 幼稚園児や中高生計約1100人が参加。中高生らは紅白に分かれ、舞い落ちる札を取ろうと、裸の体を激しくぶつけ合って手を伸ばしていた。

570よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 21:38:22 ID:JOdNOGg60
大阪と京都だけなぜ「府」なのか
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE1E5EBE3E7EAE4E2E3E3E2E3E0E2E3E09393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE1E5EBE3E7EAE4E2E3E3E2E3E0E2E3E09393E082E2E2;df=2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

 「『府』は『県』と何が違うのだろう」。大阪都構想が争点となった昨年の大阪府知事・市長選挙をきっかけに、こんな疑問が湧いた。現在、「府」を使うのは大阪府と京都府だけだ。ただ戦前までは東京都の前身「東京府」があった。明治維新直後には「奈良府」なども存在したという。「府」の歴史を調べた。

 「大政奉還後に明治政府が、幕府直轄地のうち奉行が支配した土地や開港した港などを『府』、代官の支配地を『県』と称したのが始まりです」。幕末・明治期の歴史が専門の佐々木克・京都大学名誉教授を訪ねると、明快に教えてくれた。「『府』という漢字は軍事・政治の拠点や大都市を意味します。要地として直接管理する意志を示すため『府』と称したようです」

 「府」になったのは1868年に設置された京都府を皮切りに江戸府、神奈川府、奈良府、大阪府、長崎府などの計10カ所。ただ神奈川府がわずか2カ月足らずで神奈川県に変わるなど、地方制度や境界線はめまぐるしく変わった。

 「この時期の府県の統合分離は、各地にあった飛び地を整理統合する狙いがありました」。明治期の地方制度を研究している神奈川県立鶴見高校の石田諭司教諭が教えてくれた。

 1869年、「京都、東京、大阪以外は府と呼ばない」との内容の太政官布告が発令され、3都市のみの呼称となった。なぜこの3都市に限られたのか。

 佐々木名誉教授は「行政の中心である江戸、経済の中心である大阪、天皇が住まう京都と、江戸以来の『三都』を引き継いだようです」と話す。最重要地だった3都市を、他と「別格扱い」する意味があったという。

571よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 21:41:22 ID:JOdNOGg60
>>570

 「3都市が首都候補地だった表れでは」と唱えるのは、都道府県の由来に詳しい琵琶湖博物館(滋賀県草津市)の戸田孝主任学芸員。事実、明治政府は当時3都市を念頭に、遷都論を活発に議論していた。浪速(大阪)遷都論、江戸(東京)と京都(西京)の東西二京論などだ。

 戸田学芸員は「開発余地やインフラから、江戸はもともと本命でした。ただ戊辰戦争で江戸が戦禍に巻き込まれていれば、財政難の明治政府には新都を造る余力はありませんでした」と指摘。戊辰戦争後も各地で反乱が続き、「決して安泰ではなかった東京から、再び天皇の居所を変える事態も視野に入れていたのでは」と付け加える。

 「府」は、1871年の廃藩置県を経て1890年の府県制で確立。太平洋戦争中に東京府が東京市と統合して東京都になるまで、3府が続く。戦後の地方自治法施行で「府」の立場は「都」「道」「県」と対等になったが、名称は引き継がれた。

 大阪都構想を唱える大阪維新の会の幹部は「東京と同じ行政の枠組みが実現した場合、名称も『大阪都』にしたい」と話す。確かに「都」について地方自治法には「首都所在地に限る」との規定がない。

 そもそも現在は東京を首都とする法律自体がなく、政府や天皇の居所などがあることから慣習的に「首都」とされているという。「実は維新の際、京都から東京に移るにあたって天皇は、詔を出すなど明確な形で遷都を宣言していません」と佐々木名誉教授が教えてくれた。いまだに京都を都と見なす説もあるという。「大阪都構想の余波で『首都とは何か』という議論が起きるかもしれませんね」(大阪社会部 舩越純一)

572よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 21:49:02 ID:JOdNOGg60
阿部寛が映画のヒット祈願、福娘からパワー
2012.1.14 10:21
http://www.sanspo.com/geino/news/120114/gnj1201141025013-n1.htm

 俳優の阿部寛(47)が13日、大阪市浪速区の今宮戎神社で主演映画「麒麟の翼〜劇場版・新参者〜」(28日公開)のヒット祈願を行った。

 劇中で阿部ふんする刑事が追う謎の刺殺事件解明のカギが日本橋七福神巡りであることから、全国6都市で七福神を回ることに。大阪では十日戎の装飾が残る本殿前で福娘に囲まれた。

 「人を愛するすばらしさに感動して涙が止まりませんでした」と映画を見た谷口菜月さん(20)。若い福娘の感涙コメントに、「人が元気な大阪からいつも元気をもらって帰ってる」と思わずニンマリだった。

573よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 22:33:24 ID:JOdNOGg60
天地の邪気払い天下太平を祈願 御結鎮神事
2012年1月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120114/20120114030.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で13日、弓で邪気などをはらう「御結鎮(みけち)神事」が行われた。大阪府弓道連盟(中野英夫会長)の会員ら30人が参加し、一年の天下太平などを祈願した。

 「お弓神事」とも呼ばれている同大社の伝統行事。弓のつるや、矢の風きりの音などで、天の魔や地の邪気をはらうとされている。境内に設けられた会場で烏帽子(えぼし)に直衣(ひたたれ)姿の9人の射手が18本の矢を放ち、一年の安全を祈願した。

 同連盟の中野会長(67)は「昨年は全国優勝者が出るなど個人が活躍した。今年は国体での団体優勝を目指し、飛躍の年にしたい。府内に弓道場をつくるなど競技の普及にも努めていきたい」と抱負を話していた。

574名無しさん:2012/01/15(日) 03:27:04 ID:J4nD8NLc0
上方   江戸時代以降の呼称。本来京都(あるいは京都の方向)を指すが、大阪を含む広い範囲をも指す。
上方舞や上方落語など、近世以降の上方文化に関わってよく用いられる。

京阪神 京都市・大阪市・神戸市およびその周辺。 近畿 畿内とその周辺。通常、大阪府・京都府・兵庫県・
奈良県・滋賀県・和歌山県・三重県の2府5県を指す。

畿央   近畿の中央部。首都機能移転候補地である三重・畿央地域などと用いられる。

関西   関東に対応して大正時代以降、関東の民間で使われだした語。 「近畿」または「京阪神」と
同じ範囲を指して用いられることが多いが、西日本を広く指す場合もある。

575名無しさん:2012/01/15(日) 04:41:52 ID:BDRsFnXA0
>>571
大久保利通の大阪遷都の話をもう少し書いて欲しかったな…

576名無しさん:2012/01/15(日) 14:30:04 ID:8L2DpcDE0
すぐに潰されてしまった大久保の浪華奠都案を晒して、大阪を笑おうという工作ですか。

577名無しさん:2012/01/15(日) 19:53:48 ID:pr3MS3dk0
今度は東京から遷都もありうるので、その事前の勉強かと思ってましたが

578よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/15(日) 20:32:26 ID:zQMN/bBE0
道頓堀で綱引神事
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005209281.html

大阪の道頓堀で、神話に登場する大蛇、ヤマタノオロチに見立てた綱を引っ張り、ことし1年の無病息災を祈る「綱引神事」が行われました。
「綱引神事」はスサノオノミコトが大蛇のヤマタノオロチを退治した神話にちなんだ行事で、大阪・浪速区の「難波八阪神社」が毎年、1月の第3日曜日に開いています。例年は神社の境内で行われていますが、ことしは、より多くの人に神事を知ってもらおうと、初めて大阪・道頓堀の戎橋で行われました。
ヤマタノオロチに見立て、両端が8つに分かれた長さ18メートル、重さ約500キロの綱が道頓堀に姿を見せると大勢の買い物客や観光客などが足を止めて集まりました。
そして、地元の人など約100人が「難波の綱引き、よーいよい」と威勢よく掛け声をあげながら今年の恵方である北北西に向けて綱を引っ張り、1年の無病息災を祈っていました。
難波八阪神社の氏子総代、鳥居学さんは「最近はミナミも元気がないので、1年の始まりに元気の出る神事を皆で行うことで、多くの人が笑顔で元気に、この1年を過ごせたらいいですね」と話していました。

01月15日 19時16分

579よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/15(日) 20:45:32 ID:zQMN/bBE0
「天皇陵の調査を」の声相次ぐ 世界遺産目指すシンポ
http://www.kobe-np.co.jp/knews/0004745399.shtml

 世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが15日、堺市で開かれた。

 世界遺産としての価値を見極める必要性から、国内外の研究者からは、宮内庁が管理する天皇陵の調査を求める声が相次いだ。

 二つの古墳群は4世紀後半から6世紀前半に大阪平野に造営され、10年に世界文化遺産の候補地として、ユネスコの暫定リストに掲載された。

 シンポでは、古墳群について、(1)日本にしか見られない前方後円墳が多くある(2)副葬品が東アジアとの活発な交流を示す-などの点を評価する声が上がった。

580よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/16(月) 20:34:58 ID:d/Z1YlW60
被災地復興を祈願 難波八阪神社で綱引神事
2012年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120116/20120116018.html

 ヤマタノオロチに見立てた綱を引き合う伝統行事「綱引神事」が15日、大阪市浪速区の難波八阪神社で開かれ、氏子らが地域の発展や東日本大震災の被災地復興を願った。

 同神社の祭神・スサノオノミコトが、八つの頭と八つの尾があるヤマタノオロチを退治した説話に由来。江戸時代から伝わり、同市の無形民俗文化財に指定される。

 境内では、氏子たちでつくる綱引神事保存会が、ヤマタノオロチに見立てた綱作りから開始。暴れる大蛇を制するように3本の綱を数十人がかりで編み上げる作業を繰り返し、太さ約25センチ、長さ約22メートルの大綱に仕上げた。

 完成した大綱を使い、頭に見立てた側を今年の恵方の北北西に向けながら綱引き。その後、「難波の綱引き、よーいよい」と掛け声を上げながら近隣の地域を巡行した。

 同保存会の竹立威三雄会長は「東日本大震災の被災地に元気を送る気持ちで取り組んだ。一日も早い復興を願っている」と話していた。

581よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/16(月) 21:05:06 ID:d/Z1YlW60
王権の強大さ誇示
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120115-OYT8T00846.htm

世界遺産目指すシンポ 堺

 堺、羽曳野、藤井寺3市にまたがる「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録を目指す国際シンポジウムが15日、堺市北区の堺市産業振興センターで開かれ、約700人の聴衆を前に、国内外の考古学研究者らが同古墳群の価値について語り合った。

 福永伸哉・大阪大教授が「国家の形成と前方後円墳の時代」と題して講演。「古墳の形や大きさで有力者の社会的地位や政治的立場を表した。文字を介さずとも王権の強大さや地位の正統性を人々に示した」と説明。その典型例の同古墳群には普遍的な価値があると結論づけた。

 続くパネルディスカッションでは、国内のほか、韓国と中国、イギリスの研究者が参加。「中国や北米では墳墓は人々が集まる儀礼の場。そうした視点で調査することも必要」などとの指摘があった。

(2012年1月16日 読売新聞)

582名無しさん:2012/01/17(火) 22:36:34 ID:pQ3u6GtE0
大阪企業家ミュージアム
ナイトミュージアム講演会

関一と近代大阪 大大阪を築いた、第7代市長

http://blog.kaigisho.jp/museum/
http://www.osaka.cci.or.jp/b/pdf12/120215kan.pdf

583名無しさん:2012/01/17(火) 22:47:07 ID:8L2DpcDE0
關一の偉大さは、彼自身が優れた教育者であり、社会政策の専門家であったこと
によります。このような大人物はもう出ないでしょう。

584名無しさん:2012/01/18(水) 00:15:11 ID:QvFIS.uo0
>579

毎度のことだが発掘調査を妨害するのは宮内庁。
大阪に文化財ができるのを阻止。

585名無しさん:2012/01/18(水) 11:12:56 ID:LzOM4R1Y0
宮内庁管理の古墳とそれ以外の古墳を見てまず気付くのは、堀の周りに
巡らされている柵についての金のかけ方。

子供が間違って中に入り込めない程度のに作られた高さの柵ではなく、
あからさまに不法侵入禁止!と言っているような、高さ2M近くもある
周辺住民は信用していない!といわんばかりの金をかけて設置した柵。

固定資産税なども払っていないのに、市や周辺住民には清掃も暗に強要
して維持を求める態度。

一番ヒドイのはそこに誰が埋葬されているのかを全く調査しようとしない
姿勢。考古学者がそこを追求した後に善良な市民が「私たちは何を信じれば
良いの?」と問うと「大丈夫です。100年以上ここでおまつりさせて
いただいていますので、御霊はここへ移られています。ご安心を。」
と説明する。つまりここに誰が埋葬されていようが関係なく、仁徳天皇陵
だと私たちが言えばここが仁徳天皇陵であることに決まるのだと
言っているに相違ありません。それが事実であれば全く活用されない
不毛な土地が市内に放置されている状況であると言っても間違いでは
ないでしょう。

その代償として多少だけでも観光資源として市や府が活用させていただく
のはある意味当然の権利であり、宮内庁がとやかくいう筋合いのものでは
ありません。

宮内庁と喧嘩をするのは不毛な事ですし無駄な時間ですが、世界遺産登録
に向けて何らかの妨害があるのであれば徹底的に戦っていくべきです。

586名無しさん:2012/01/18(水) 19:56:54 ID:4Q6nqwkI0
それはどういう戦いですか?
血を流しての戦いですか?
それでしたら私も是非戦いたい。この命を郷土のために捧げたい!

 南無阿弥陀仏

587よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/18(水) 21:20:46 ID:KPKleE7U0
射抜け好景気 御霊神社で御弓神事
2012年1月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120118/20120118023.html

 大阪市中央区の御霊神社(園文夫宮司)で17日、御弓神事が行われ、静寂に包まれた境内に弓で的を射る音が響き渡った。

 国の平和を祈るとともに、商人の町・北船場にある同神社では矢を放ち景気を占う神事として行われている。

 本殿での神事に続き参拝者らが見守る中、神職や大阪ガス弓道部の部員が2度矢を放つ前までの所作をした後、境内に設けられた的に向けて、力強く矢を放った。

 園宮司は「昨年は東日本大震災などがあったが、矢を放つことで昨年の災いを力強く乗り越えられるようになれば」と話していた。

588よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/18(水) 21:26:04 ID:KPKleE7U0
「南部陽一郎賞」を創設 豊中市が発表
2012年1月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120118/20120118026.html

 大阪府豊中市は、同市名誉市民でノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎さん(91)の名を冠した「南部陽一郎賞」を創設すると発表した。21日に同市内で開かれる科学をテーマにしたイベント「サイエンスフェスティバル」の出展団体の中から来場者の投票で選出される。南部さんも選考に当たるとともに、受賞団体に賞状などを贈る。

 南部さんは1949〜52年に同市に居住していた。現在は米国在住だが、日本に帰国した際は同市の自宅で過ごしているという。昨年10月には同市から第1号となる名誉市民称号を贈られた。

 同フェスティバルは今年で7回目を迎え、同市立第十一中学校自然科学部をはじめ、17団体が科学の実験などを行うブースを出展する。当日は投票により、子どもたちに科学の有用性などをアピールし科学に対する興味・関心を高めた1団体に同賞が贈られる。

 イベントについての問い合わせは電話06(6844)5294、同市教育センターへ。

589よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/20(金) 05:41:45 ID:7RejEkk60
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/236 阿倍王子神社 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120119ddlk27070362000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇府内唯一現存の王子社 南側に「花将軍」北畠顕家の墓

 安倍晴明神社を出て、旧熊野街道を南へ少し行くと、阿倍王子神社がある。安倍晴明神社の本社であるこの神社は、熊野街道と密接な関係がある。

 前回述べたように、熊野街道は、京からの船が着く天満橋のたもとの八軒家から、四天王寺、阿倍野を経由して熊野三山へ至る。平安から室町時代にかけて、貴族から武士、庶民までに大流行し、アリのように人々が行き交ったことから「蟻(あり)の熊野詣」と称されるほどだった。

 熊野街道には「熊野九十九王子」と呼ばれる末社があった。地名を取って「○○王子」と名付けられた九十九王子は、長い道中の休憩所の役割があり、今で言うなら高速道路のサービスエリアみたいなものか。熊野まで行けない人は、王子社から熊野を遙拝した。

 大阪案内人の西俣稔さんと境内に入る。「王子社は南北朝の戦乱で焼けるなどして、大阪で現存するのはここだけです」と解説。四天王寺と住吉大社のちょうど中間に位置していた阿倍野王子は、もともとは第四王子社、スタートから数えて4番目の王子社だったが、西俣さんが言うように戦乱でほかの王子社が焼け、安土桃山時代には第二王子社となった。

 「厄除(やくよけ)祈願」ののぼりがはためく境内では、若いお母さんたちが井戸端会議中。今も昔も、神社は人が集まり、語り合う場なのだ。

 あべの筋を200メートルばかり南へ下ると史跡がある。北畠顕家(きたばたけあきいえ)の墓だ。「藁(わら)打石」(昨年11月10日付)の回で紹介したが、顕家は南北朝の戦乱で南朝につき、遠く奥州からはせ参じた若武者。「徒然草」の吉田兼好は、「花将軍」と称された顕家の死を悼んで阿倍野に隠棲(いんせい)したと伝わる。

 顕家は、北朝の武将、高師直(こうのもろなお)と阿倍野で戦うも敗走し、最後は堺・石津で戦場に散る。

 北畠公園の一画の鉄柵で囲われた中に、立派な墓石がある。きれいに手入れされ、まだ新しい花が供えられていた。のちに触れるが、顕家をまつる阿倍野神社が「北畠顕家公顕彰会」の事務局を兼ねている。若いお母さんが墓所には目もくれず、携帯電話とにらめっこしていた。

 もともと、ここは「大名塚」と呼ばれる古墳だったのだが、並河誠所(なみかわへいしょ)という江戸時代初期の学者が顕家の墓と断じて、1733年に自ら墓を建てた。ありていに言えば、ここが顕家の墓かどうかはわからないのだが、地元の人たちが阿倍野の誇りとして守り続けておられる。顕家の命日は5月22日で、月命日には墓前で祭礼を行っているそうだ。顕彰会に敬意を表したい。それに、歴史というのは空想を働かせる余地があった方が面白い。

 顕家が戦死したという堺市西区の石津川のたもとにも、1936年に建てられた顕家の墓がある。【松井宏員】

590よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/22(日) 23:11:17 ID:Bk8q0uzM0
府内45遺跡の最新情報紹介 大阪・近つ飛鳥博物館
2012.1.22 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120122/osk12012202000003-n1.htm

 府内で行われた発掘調査の最新情報を紹介する「歴史発掘おおさか2011」が21日、河南町の府立近つ飛鳥博物館で始まった。45遺跡から出土した土器や瓦などの遺物が解説パネルとともに展示されている。3月25日まで。

 縄文時代に煮炊きに使った後に棺に転用したミヤケ北遺跡(太子町)の土器棺、子供の成長を願って奈良時代の銭貨「神功開寶(じんぐうかいほう)」5枚を入れて土に埋めた畑ケ田(はたけだ)遺跡(富田林市)の甕(かめ)などが並ぶ。

 関連イベントとして、2月5日に白石太一郎・同館館長が「藤井寺市津堂城山古墳の再検討」、3月11日に水野正好・奈良大名誉教授が「天平勝宝四年と明治七年の考古学−大仏開眼会と旧大阪府庁舎」をテーマにそれぞれ講演する。問い合わせは同館((電)0721・93・8321)。

591よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/26(木) 22:16:41 ID:ZHOORM0I0
四天王寺 後世に 文化財防火デー訓練
2012年1月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120126/20120126028.html

 大阪市消防局は25日、同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で文化財防火デー消防総合訓練を行い、貴重な文化財を後世に伝えようと、関係者が放水や文化財搬出などの訓練に真剣に取り組んだ。

 文化財防火デー(26日)は、1949年1月26日に国宝の法隆寺金堂から出火し、十二面壁画が消失したことを機に55年に国が定め、今年で58回目を迎える。

 訓練は、境内の五重塔の1階部分から出火した想定で行われた。四天王寺の自衛消防隊は119番通報や初期消火、文化財の建物外搬出を行った。消防局は、車両14台とヘリコプター1機を投入し、負傷者2人を救出した後、五重塔に向けて放水した。奥田管長は「多くの文化財を後世に伝える義務がある。特に防火体制が重要で、万一のときは今日学んだことを忠実に行いたい」と話していた。

592よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/26(木) 22:43:01 ID:ZHOORM0I0
消防訓練:文化財防火デー前に、府内の神社仏閣で /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120126ddlk27040369000c.html

 文化財防火デー(26日)を前に、大阪市など府内の各自治体で25日、歴史ある寺院などでの消防訓練があった。各訓練では消防車やヘリが出動し、手際よく文化財搬出やけが人救出にあたった。

 文化財防火デーは1954年1月26日の法隆寺(奈良県斑鳩町)の火災をきっかけに文化庁などが定めている。

 東大阪市では、平安時代以前の創建とされる同市加納の宇波神社から出火という想定で訓練を実施。消防職員など約30人が参加し、拝殿から逃げ遅れた参拝客を救出したり箱に入った文化財を運び出した。

 同神社の氏子総代、河西定行さん(71)は「ちょっとした油断で起こった火事が、人命や貴重な財産に取り返しのつかない被害を出す。こうした訓練で注意を呼びかけたい」と気を引き締めていた。【稲生陽】

593よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/26(木) 23:04:07 ID:ZHOORM0I0
2基、古墳じゃなかった…世界遺産目指す百舌鳥・古市古墳群
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120126-OYO1T00771.htm?from=top

 大阪府などが世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(4世紀後半〜6世紀前半)の構成資産候補とされていた堺市内の「古墳」2基が、中世以降に土を盛って築かれた「塚」であることが、堺市教委の発掘調査で分かった。2基はすでに候補から除外された。同古墳群には、日本最大の「仁徳陵古墳(大山古墳)」をはじめ、周辺の87基が資産候補に挙げられているが、調査を必要とする古墳が多く、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)への正式推薦までに、さらに絞り込まれそうだ。

 大阪府立大の敷地内にある「聖塚古墳」と、南西約500メートルの「舞台塚古墳」。いずれも小規模ながら、皇族が葬られた陵墓の可能性がある大型前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半頃)の近くに位置することから、同古墳の被葬者の臣下らが葬られた同時期の古墳とみられてきた。

 このため、府などは2007年、この2基を含め、堺、羽曳野、藤井寺の3市に広がる前方後円墳42基、方墳22基、円墳23基を、文化遺産を構成する古墳の候補として文化庁に提案。ところが、09年度に市教委が初めて聖塚古墳を発掘調査したところ、墳丘とみられていた部分(高さ約1・5メートル)の最下層から、江戸時代の磁器が出土し、18世紀以降に土を盛ってつくられたことが判明。舞台塚古墳からも、13世紀頃のものとみられる土器が見つかり、市教委は、いずれも古墳の可能性が極めて低いと判断した。

 同古墳群は、文化庁が10年に世界文化遺産の国内候補地リストに入れ、府と3市は、15年の登録を目指している。府と3市は現在、世界遺産への正式推薦に備え、ユネスコに提出する推薦書に記載する構成資産を精査中で、今後、候補に挙げた87基のうち、宮内庁が管轄する陵墓を除き、未調査のものなど約10基について発掘を進める予定。登録が実現すれば、大阪では初の世界遺産となる。

 府教委文化財保護課は、今回の調査結果について「思わぬ結果だが、百舌鳥・古市古墳群の価値が損なわれたわけではない」としている。

(2012年1月26日 読売新聞)

594名無しさん:2012/01/27(金) 01:39:28 ID:BDRsFnXA0
>>593
一方で古墳が住宅地になったりね
天皇陵以外の古墳って価値ないんかね
高槻・茨木あたりも古墳多かったけど、住宅地になってるみたいだし

595よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/29(日) 14:14:56 ID:GTZyIh/60
堂島薬師堂節分お水汲み祭り:2月3日、大阪で 「北新地に春を」毎日新聞大阪本社でPR
http://mainichi.jp/kansai/news/20120128ddn012040041000c.html

 大阪・北新地の早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲(く)み祭り」が2月3日、大阪市北区の堂島アバンザ周辺で行われる。舞を奉納する北新地芸妓(げいぎ)の清一さんと小牧さんらが27日、毎日新聞大阪本社を訪れ、「おめでたい曲を舞って北新地に春を呼び込みたい」とPRした。

 鬼が飲食店を回り客が福豆を投げて厄をはらう「鬼追い」や、僧侶が参拝者の竹筒に薬師寺(奈良市)の水を汲む「お水汲み」、薬師堂に祭られる竜や僧侶ら約80人が通りを練り歩く「竜の巡行」などが行われる。【鈴木一也】

596よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/31(火) 22:32:36 ID:BqW4EDaI0
五六市・京街道ウォーク:ひらにゃんこ・くらわんこと枚方宿を歩こう 歴史の街PR−−来月12日・3月11日 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120131ddlk27040316000c.html

 ◇一緒にね

 ゆるキャラ「くらわんこ」「ひらにゃんこ」と枚方の街を歩きませんか−−。江戸時代に宿場町として栄えた枚方宿(ひらかたしゅく)地区をPRしようと、実行委は2月12日と3月11日に枚方文化観光協会のゆるキャラと歩くイベント「五六市・京街道ウォーク」を開く。参加無料。【牧野宏美】

 枚方宿地区は京阪電鉄枚方市−枚方公園駅間の北側を中心とした一帯で、かつて東海道品川宿から数えて56番目の宿場町だった。現在も街道や史跡が残り、地元住民らでつくる実行委員会は07年から、青空市「枚方宿くらわんか五六市」(露店約180)を毎月第2日曜日に開いている。

 「くらわんこ」は江戸時代、淀川を往来する大型船に「飯くらわんか」と声を掛け、飲食物を売った小舟「くらわんか舟」の船頭がモデルの犬のキャラクター。09年に枚方市に枚方観光大使に任命された。「ひらにゃんこ」はくらわんこの友達という設定の猫のキャラクター。

 今回のウオークイベントは、五六市の開催日にあわせ、正午に市民ふれあいセンター前(枚方市駅東口改札前)に集合。枚方宿地区の市立枚方宿鍵屋資料館までの1・5キロを1時間半かけて歩き、途中、同行する観光ガイドが枚方宿の歴史の紹介などを行う。問い合わせは同協会(072・804・0033)。

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598よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/01(水) 21:42:20 ID:F7438Scs0
浪華紙魚百景  大商大商業史博だより

土地台帳はいつから
2012年2月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120201/20120201045.html

水帳

 水帳は「みずちょう」と読む。『広辞苑』では、「検地帳・人別帳」とある。「『御図帳』の当て字」とも書いている。近世初期に出された『日葡(にっぽ)辞書』も「御図帳」となっている。『日本国語大辞典』『国史大辞典』なども似た解釈を示している。念のため歴史事典や古語辞典も見たが右記の理解の範疇(はんちゅう)にある。

 水帳は今の土地台帳のことである。所有者の名前・役数・表口・裏行が書かれ、家屋敷の売買(帳切り)の場合には、新しい所有者名を貼り紙するので、当該地の所有者は前回の水帳作成時まで遡及(そきゅう)できる。土地所有に関するもっとも基礎的な帳簿で、大切に保管された。

 水帳の表紙か裏表紙に袋を作り、絵図を収納する。そこには、方位・所有者の名前・表口・裏行・大道幅・水道幅・水道の上に架けた石橋などが記されており、二つそろって水帳・絵図と呼んでいる。

 絵図があれば往時の町を復元することができる。故矢内昭氏により玉造方面、伏見町・道修町・平野町などが復元されている。商業史博物館には安政3(1856)年の旧南区(現中央区)の絵図がそろっているので、旧南区の復元が可能である。

 水帳は3部作成され、惣(そう)年寄(北組・南組・天満組それぞれの組の上級町役人)、町年寄、地方役所(東町奉行所・西町奉行所)が1部ずつ所有し、帳切りにより所有者が変わると、貼り紙を6枚作成し水帳・絵図に1枚ずつ貼り付ける。

 現存する大阪の水帳は、明暦年間を最初に以後、寛文・延宝・天和・元禄・宝永・享保・宝暦・明和・安永・寛政・文化・文政・安政・明治と作成されてきた。横堀炭屋町の水帳奥書に、「前廉之水帳四拾年ニおよひ申候故」という記述がある。明暦元(1655)年からさかのぼること40年といえば元和だが、現物はいまだに発見されていない。

 (大阪商業大学商業史博物館元学芸員・小田忠)

599よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/01(水) 22:08:46 ID:F7438Scs0
戦国武将の実像伝える 大阪城天守閣、資料71点紹介
2012.1.29 03:20
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120129/osk12012903200002-n1.htm

 戦国武将の実情や人柄に迫る展示「武将たちの生きざま」が、大阪市中央区の大阪城天守閣で開催中だ。強くて指導力もあるとして人気の戦国武将だが、生き方はさまざま。それらを知るエピソードや戦いの臨場感を伝える資料71点を展示している。3月2日まで。

 注目は、豊臣秀吉の家臣、仙石秀久(1552〜1614年)の鎧(よろい)「革包伊予札菱綴二枚胴具足(かわづつみいよざねひしとじにまいどうぐそく)」。保存状態が良く、戦国の世を生き延びて後に徳川氏に仕えるなど成功した背景も感じ取れる。

 一方、やりで突かれた傷痕がある鎧「色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)」や、弾痕がみられる鉄兜「黒塗一(くろぬりいち)の谷張懸兜(たにはりかけかぶと)」など激しい戦いを伝える無名武将の武具も。

 また、関ケ原の戦いで大垣城にたてこもった女性の体験談を筆録した「おあむ物語」には、身分の高い武将に見せかけようと、討ち取った首に細工している様子が紹介されている。

 学芸員は「戦国ブームだが、生と死が隣り合わせの中、かっこいいばかりではない。自分の道を必死に生きた武将がいたことに気付いてほしい」

 午前9時〜午後5時。高校生以上600円。問い合わせは大阪城天守閣((電)06・6941・3044)。

600よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/01(水) 22:33:48 ID:F7438Scs0
百舌鳥古墳群:仁徳陵、水清く 堺市、井戸補修し浄化 世界遺産へ弾み
http://mainichi.jp/kansai/news/20120201ddf041040022000c.html

◇宅地化、水源減少し周濠汚濁

 世界遺産への登録を目指す堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)など百舌鳥古墳群について、市は来年度から仁徳陵と周辺3古墳の周濠(しゅうごう)の抜本的な水質浄化に乗り出すことを決めた。仁徳陵は水源が井戸1本だけで、水質は悪化の一途をたどっており、故障中の井戸を補修したり、新たに井戸を掘る。このほか、それぞれの古墳の周濠をつないで水を循環させることも視野に、古墳群一体で浄化する研究にも着手する。水質改善でイメージアップをはかり、遺産登録へ弾みをつけたい考えだ。【内田幸一】

 市によると、古墳群の多くの周濠はかつて、狭山池(大阪狭山市)からの水路でつながり、農業用水としても使われていた。しかし、宅地化などで水路が分断されたため水が滞留し、水質の悪化につながったという。

 仁徳陵の周濠には、さらに排水管を通じて生活排水の流入が増加。1970年代、古墳を管理する宮内庁の要望で排水管が閉じられたが、同じく排水管をつたって注いでいた雨水の流入がなくなり、水量の低下とともに水質悪化が進んだ。

 00〜05年度、市は府の工業用水を導水し、水質は一時的に改善。現在は約1・5キロ東にある井戸から池や水路を通じて導水しているが、井戸2本のうち1本は不調で使えなくなった。このため1日の導水量は500トン程度と、工業用水導水時の5分の1にとどまっている。水の汚れは昨年度、前方部の最も外側で、BOD(生物化学的酸素要求量)が1リットルあたり15ミリグラムで02年度の6倍、T−P(総リン)が同0・36ミリグラムと、01年度の約6倍になるなど、改善前の水質に逆戻りする事態となっている。

 これらから市は来年度当初予算で、故障した井戸の改修費と新たな井戸の建設費を計上、水の流入量を確保して水質改善を図ることを決めた。また、履中天皇陵など仁徳陵周辺の周濠も、昨夏の市の調査で、アオコの発生をうかがわせるデータが出ており、水質改善が急務な状況。このため、仁徳陵の周濠と周辺古墳の周濠を水路でつなぎ、水を循環させることや、水質浄化システムを設置することも含めて、研究する費用も計上する。

601よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/03(金) 05:50:58 ID:o/dFDFeI0
縄文後期の集落裏付け 豊中の内田遺跡 大阪
2012.2.2 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120202/osk12020202030002-n1.htm

 豊中市桜の町の内田遺跡で、縄文時代後期の土坑(穴)2基と古墳時代後期の竪穴住居2棟、掘っ立て柱建物4棟が見つかった。昨年12月から行われていた第10次調査で発見され、縄文時代後期には同遺跡周辺で集落が営まれていたことが確実となった。また古墳時代の須恵器生産に関わると考えられる建物群が見つかり、短期間に多くの建物が立ち並ぶ集落であったことが確認された。

 内田遺跡は古墳時代後期〜終末期(6世紀後半〜7世紀初頭)に千里川の河岸段丘上を中心とした集落で東西400メートル、南北350メートルに広がる遺跡。

 昨年10月に同地への共同住宅の建築に先立って行われた試掘調査で、古墳時代の遺構などが確認されたことから発掘調査を行うことになった。同市内では縄文時代の遺物は出土していたが、住居など人間の暮らしの痕跡が残されていることは少なく、野畑遺跡(西緑丘)以外に集落として特定された遺跡がなかった。

 今回発見された土坑はごみを廃棄するために掘られた穴とみられ、一定期間居住した集落跡であると推定される。

 また昭和61年の初調査で同遺跡周辺から古墳時代の建物群が見つかるとともに須恵器を廃棄した穴も多く見られ、須恵器生産に関連する集落であることも判明。須恵器を焼くためには燃料のまきが大量に必要なため、新たに窯を築く場を求めて次第に山奥に入っていったと考えられている。

 福永伸哉・大阪大学大学院文学研究科教授は「今回の確認で千里川流域に縄文時代の人の活発な活動域があったことが明らかとなった」と話している。

 現地説明会は、2月4日午前10時〜午後3時に同遺跡で行われる。雨天決行、申し込み不要。問い合わせは同市地域教育振興室((電)06・6858・2581)。

602よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/03(金) 05:55:13 ID:o/dFDFeI0
願い込め「火渡り修行」 箕面・帝釈寺 大阪
2012.2.3 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120203/osk12020302050003-n1.htm

 箕面市粟生外院の帝釈寺で2日、節分会(え)があり、焼けた護摩木(ごまぎ)の残り火の上を素足で歩く「火渡り修行」に参拝者らが挑んだ。

 厳しく冷え込み、雪が舞う境内に設けられた護摩壇に火がともされるとほのおが大きく上がり山伏らが祈祷(きとう)。参拝者らは「家内安全」「厄除」などと書かれた護摩木を火の中へ投げ入れた。

 このあと火渡り修行。長さ5メートルほどにならした残り火の上を、小さな子供からお年寄りまで、さまざまな年齢層の参拝者が素足で次々と進んでいき、今年一年の無病息災を祈った。修行に臨んだ女性(18)は「熱かったけれど、周囲の人たちが健康で幸せに過ごせるようにと願って渡りました」と話していた。

603よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/03(金) 22:07:18 ID:b9dl4Xe.0
節分:復興豆まき−−大阪・成田山不動尊
http://mainichi.jp/kansai/news/20120203ddf041040013000c.html

 節分の3日、大阪府寝屋川市の成田山不動尊(成田山大阪別院明王院)で恒例の豆まき式があった。今年は東日本大震災の被災地復興への祈りも込め、集まった参拝客1万8000人(主催者発表)に向けて福豆がまかれた。

 境内には、NHK連続テレビ小説「カーネーション」に出演中の女優の尾野真千子さんや松井一郎・大阪府知事らが登場。「不動明王がいる境内に鬼はいない」とする言い伝えから、「福は内」だけの独特の掛け声で豆をまいた。不動尊はこの日3回行う豆まき用に約1トンの落花生を準備。福豆の販売も行い、売り上げの一部を震災の義援金として寄付するという。【牧野宏美】

604よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/04(土) 23:08:37 ID:oo.UD1I60
「福よ来い」祈り込め 尾野真千子さんら豆まき
2012年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120204/20120204037.html

 節分の3日、大阪府内各地で豆まきや巻きずし丸かじりなどの恒例の行事が行われ、参拝者らが厄よけや交通安全など、思い思いにことし一年の願いを込めた。

 寝屋川市の成田山不動尊の節分祭では、NHK連続テレビ小説「カーネーション」に出演している尾野真千子さんや松井一郎府知事らが特設舞台から豆をまき、交通安全や被災地の復興を祈願した。

 同祭は、落語家やお笑いタレント、関西政財界の関係者らが福豆をまくことで毎年多くの人が集まる。不動明王を祭る境内に鬼はいないという考えに基づき、「福は内」のみの掛け声が特徴だ。

 今年も日本一大きな「千升大福升」に山盛りの落花生約2トンを用意。「カーネーション」人気で例年より多い計約3万3千人が訪れた。境内を埋め尽くした来場者は、帽子や紙袋を使って「福」を受け止めていた。

 松井知事は「福を感じることが増える大阪府にしたい」とあいさつ。尾野さんは「人が多くてびっくりした。役名で声を掛けられ、自分も福をもらえた」と笑顔。同じドラマ出演者でいずれも大阪府出身の黒谷友香さんと田丸麻紀さんは「大阪で豆まきができて光栄」と話していた。


堂島薬師堂節分お水汲み祭り:竜勇ましく−−大阪・北新地
http://mainichi.jp/kansai/news/20120204ddn041040007000c.html

 節分の3日、大阪市北区堂島1の「堂島アバンザ」周辺で、早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲(く)み祭り」があった。商売繁盛を祈る「竜の巡行」などがあり、多くの参拝者でにぎわった。

 祭りは曽根崎新地の伝統行事「節分祭」と、地域活性化を目指して始まった「堂島薬師堂お水汲み祭り」を一つにしたもので、今回8回目。一年の厄を払い、福を招くとされる。

 参拝者に奈良・薬師寺の水を清めた「お香水(こうずい)」が振る舞われたほか、北新地の芸妓衆が舞を披露。華やかに着飾った北新地の飲食店に勤める女性ら約150人が北新地一帯を練り歩き、祭りを盛り上げた。【三上健太郎】

605よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/04(土) 23:24:22 ID:oo.UD1I60
内田遺跡:縄文時代後期の土坑2基を確認−−豊中 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120204ddlk27040353000c.html

 豊中市教委が、同市桜の町3の内田遺跡で進めていた発掘調査で、縄文時代後期(今から4000年ほど前)の土坑2基が見つかった。縄文時代後期にすでに集落があったことを示す資料といえ、同市地域教育振興室は「千里川周辺に散在する他の縄文期の小規模遺跡と合わせ、縄文人が短期間で集落を移転させていた生活実態が浮かび上がる」としている。

 内田遺跡は古墳時代後期(600年ごろ)に千里川の河岸段丘上を中心に形成された集落で、東西400メートル、南北350メートル。遺構の発見により、同じ場所に縄文期にも集落があった可能性が高まった。

 発見された土坑は、大きさや、中から出土した土器が破片だらけであることなどから、ごみを廃棄するために掘られたものとみられる。このため、一定期間縄文人が生活したと推定され、集落跡であったと考えられるいう。

 4日には現地説明会を開催する。午前10時〜午後3時。雨天決行。【高橋隆輔】

606よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 06:12:56 ID:FrDQZGeA0
昭和初期のバスツアー復活 大阪・富田林、正成ゆかりの地
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819A91E2E6E2E3828DE2E6E2E0E0E2E3E09391EAE2E2E2

 現在の近鉄南大阪線や長野線を戦前に運営していた「大阪鉄道」が1935年に企画し、人気があったバスツアーが今月下旬と3月上旬に計4日間、復活する。

 大阪府千早赤阪村が生誕地とされる南北朝時代の武将、楠木正成ゆかりの地を巡るコース。同府富田林市と同市観光協会が、昭和初期のパンフレットを基に再現する。

 パンフレットは地元郷土史家の松本浩さん(66)が2005年、古本屋で見つけた。新たなツアー名は「復権 楠公遺蹟めぐり」。2月24、29日、3月2、7日に運行する。〔共同〕

607よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 11:03:21 ID:FrDQZGeA0
秀吉の家臣・片桐且元の裁許状見つかる 加古川 
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0004792444.shtml

 豊臣秀吉の家臣で「賤ケ岳の七本槍」の一人に数えられる武将片桐且元(通称・市正、1556〜1615)が、草を刈り取る権利をめぐる加古川地域での争いで下した裁許状が、兵庫県加古川市の旧庄屋宅から見つかった。市内で安土・桃山時代の文書が見つかるのは珍しいといい、同市は「新たな史実を明らかにするものではないが、秀吉や家臣団を研究する上で貴重」とする。(武藤邦生)


 裁許状は旧庄屋宅の蔵に保管されており、同市文化財調査研究センターの職員らが調査。肥料にする草を得る場所をめぐり、益田村(同市東神吉町升田)と平村(同市平荘町)の間で起きた争論の裁定が記され、天正14(1586)年8月6日付で益田側に示された。

 草は当時、田畑に敷き込んだり、焼いて灰にしたりし、貴重な肥料となったため、しばしば草場争いが起きたという。両村で問題となった草場について、裁許状は益田側に「苅可申候」と刈ることを許可。ただし境界を越えて草を刈った者は成敗される、とした。

 末尾に「片桐市正」と、もう一人が連署し、花押もあることから、写しではなく原本とみられる。且元は秀吉没後、豊臣秀頼の後見役になり、昨年の大河ドラマ「江」では俳優三田村邦彦さんが演じた。当時は秀吉の命で、この地域の代官的な立場を担っていたらしい。

 この争いでは、相手の平側に示された裁許状も写しの存在が確認されている。ただし、「苅可申候」の部分が「益田之者ニからセ可申候」(益田の者に草を刈らせること)となるなど、裁許状が下された先によって微妙な違いもある。

 同市は「双方への裁許状が明らかになるのは珍しく、400年以上前の争論が立体的に把握できる」としている。

608よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 11:07:30 ID:FrDQZGeA0
江戸時代の堂島、先端マネー術…豪商日記に記述
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120205-OYO1T00084.htm?from=top

コメ権利担保に借金、再買い付け

 世界初の先物市場として知られる江戸時代の大阪・堂島(大阪市北区)の米市場について、取引を支えた金融の仕組みを示す240年前の史料が大阪市内で見つかった。米の買い取り証書を担保に両替商がお金を貸し、小さな元手で大きな取引ができる仕組みを作り上げていた。関連史料は戦災で大半が焼失しており、専門家は「当時の金融機能が分かる初の史料だ」と評価している。

 両替商などを営み、明治期に大同生命保険(大阪市)の創業にかかわった大阪・堂島の豪商・加島屋(広岡家)が戦後、大同生命へ寄贈した史料約2500点の中から見つかった。表題は「御用(ごよう)日記」。1772年に加島屋当主の広岡久右衛門(きゅうえもん)が作成した。B5判程度の大きさで158ページにわたり墨で書かれている。


 他の史料と併せて読み解くと、堂島周辺には各藩が集めた年貢米を保管する「蔵屋敷」が約100か所あり、卸売業者「米仲買(こめなかがい)」を集めて競争入札をしていた。米仲買は競り落とした米を現物では引き取らず、藩から米10石(1・5トン)当たり1枚の保管証「米切手」を受け取った。米仲買は約1300人おり、米切手は堂島米会所で売買された。相場が上がっている時に米会所で米切手を売れば、もうけが出る仕組みだ。

 競争入札は年貢米の収穫後、10〜12月に集中し、米仲買は1年分の買い付け資金をこの間に一気に調達する必要があった。

 御用日記によると、その仕組みが用意されていた。米仲買が米切手1枚(平均600匁(もんめ)、現在の60万円相当)を加島屋に担保として差し出すと、時価が600匁ならば約8%割り引いた550匁を貸した。金利は月0・45%程度だった。

 仲買が米切手1枚を加島屋に持ち込んで550匁を借りれば、自己資金50匁ほどを追加するだけで新たに米切手を1枚買える。担保にした代金との合計650匁で2枚の米切手を入手できることになる。仮に2枚目の米切手が米会所で700匁で売れたら、50匁のもうけが出る。これを短期に繰り返してもうけを増やし、担保に入れた米切手も取り戻した。最終的には米切手は現物の米に替えて消費者に販売していた。

 御用日記を調べた高槻泰郎・神戸大学経済経営研究所講師(日本経済史)は「当時の大阪で経済活動の大動脈である金融の仕組みがすでに完成したことに驚いた。米市場を支えた資金の流れが初めて分かったと言える」としている。

(2012年2月5日 読売新聞)

609よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 20:59:46 ID:koYZ1tos0
東洋紡、南海、三和銀…大阪財界の生みの親は維新の志士 藤田伝三郎に学ぶ
2012.2.5 07:00
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120205/bsg1202050700000-n1.htm
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120205/bsg1202050700000-n2.htm

 大阪商工会議所の第2代会頭を務めた明治期の関西財界のリーダー、藤田伝三郎(1841〜1912)とその一族の財界人脈にスポットを当てたユニークな特別展が、藤田の出身地、山口県萩市の萩市博物館で開かれている。後の財閥、企業グループにつながる会社「藤田組」を設立するなどし、日本の近代化にも大きく貢献した藤田。特別展は当時の写真や資料とともに、「気骨の人」といわれた藤田の企業家精神も伝えている。

 藤田伝三郎は、幕末に萩の酒造家に生まれ、長州藩の奇兵隊に身を投じた。明治時代には大阪で維新政府の軍関係の仕事を請け負い、明治14年に藤田組を設立、京都・大津間鉄道や琵琶湖疎水の建設工事などを行った。大阪市都島区の太閤園と隣接する藤田美術館は、藤田の大阪本邸跡だ。

 また大阪紡績(後の東洋紡)、阪堺鉄道(同南海電鉄)、北浜銀行(同三和銀行)などの創設にも関わった。まさに“大阪経済界の生みの親”だ。さらに秋田県の小坂鉱山開発や、岡山県の児島湾干拓事業を成功させるなど日本の近代化にも貢献した。

 明治11年に大阪商法会議所(現商工会議所)を五代友厚らとともに設立したのも藤田で、五代に続き第2代会頭に就任した。吉田松陰の親戚で大阪の戦後復興に尽力した萩市出身の杉道助も後に大商会頭を務めており、大阪経済界は萩市に足を向けて寝られないともいわれた。

 同館学芸員の樋口尚樹副館長によると、大阪などでの藤田の事業を支えたのは、長州藩出身の政治家、井上馨の紹介による藩主毛利家からの融資だったという。

610よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 21:00:42 ID:koYZ1tos0
>>609

「藩の産業振興策で稼いだ資産を、藩会計とは別に“特別会計”として毛利家資産に積み立てていた。幕末に藩の戦費にも使われたが、明治維新後もかなりあったようだ」と樋口さんはみる。

 同展では、藤田とその一族が設立した企業から、ゆかりの写真や資料など171点を出品。藤田の立像や実業家としての歩みを紹介したパネル・書簡、大阪本邸で撮影した写真などを展示している。

 樋口さんは「井上馨と一緒に写っている藤田一族の写真を見ると、藤田が気概と気骨が感じられる企業家だったことが分かる。萩の出身者は政治家ばかりが有名だが、経済界で活躍した人もいることを知ってほしい」と話す。ただ、「藤田は写真が嫌いだったようで、自身の写真はあまり残っていない」という。

 藤田の事業はその後、おいにあたる久原房之助と、房之助の義兄の鮎川義介が継承発展させ、日立製作所、日産自動車、日本水産など、日本を代表する名だたる大企業の基礎を作った。同展には、こうした企業に関する資料や写真も多く出品されている。

 日産自動車所蔵の「ダットサン14型ロードスター」は、昭和10年に最初に製造された乗用車で、同年萩市で開かれた産業大博覧会にも出展され、市内で乗車会が開かれたという。



 特別展は、4月10日まで。同館は年中無休。観覧料は大人500円、高校大学生300円、小中学生100円。問い合わせは同館((電)0838・25・6447)。

611よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 23:02:49 ID:koYZ1tos0
ザビエル像が300年間潜んだ大阪の隠れ里 キリシタン遺物史料館(大阪府茨木市) 古きを歩けば(17)
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819A91E0E1E2E0958DE0E7E2E3E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;m=96948D819791E18D8D8D8D8D8D8D
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819A91E0E1E2E0958DE0E7E2E3E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;df=2;m=96948D819791E18D8D8D8D8D8D8D
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819A91E0E1E2E0958DE0E7E2E3E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;df=3;m=96948D819791E18D8D8D8D8D8D8D

 大阪北部、茨木市の山あい。小さな棚田が連なる山裾の道を行くと家々の並ぶ一角が現れる。千提寺(せんだいじ)地区。戦国時代から江戸時代にかけ、禁じられる中で信仰を続けたキリスト教徒が住んでいた集落だ。隠れ里という先入観があるせいだろうか。家々は、ひっそりした山中でもとりわけ目立たぬような場所にあるように思えた。

■墓碑に発見した「マリア」の名

 この地はキリシタン大名として知られた高槻城主・高山右近の領地だった。布教を許した織田信長、宣教師を追放し信仰を禁じた豊臣秀吉、禁教令を出し信者を厳しく弾圧した徳川幕府……。権力者に翻弄された山里の民の信仰をうかがわせる遺物や旧跡が点在する。

 千提寺が隠れキリシタンの里だったことが知られたのは大正8年(1919年)2月。地元の元教師が千提寺地区にある雪の積もった丘陵(寺山)で「マリア」と刻まれた墓碑を発見したのがきっかけだった。以後、同地区や北に少し離れた下音羽地区の民家の屋根裏や土蔵などから、キリシタン遺物が次々に見つかった。墓碑は寺山の隣のクルス山(名前の由来不明)や下音羽の曹洞宗の寺・高雲寺からも発見された。

 明治維新でキリスト教禁教が解かれてから40年以上が経過していたが、住民には当時でも発覚への恐怖があったようだ。「知れたらお縄になる」と心配した家もあったという。多くの遺物が見つかった東家は、それらを木製の櫃(ひつ)に入れ、わかりにくい場所にくくり付け、当主だけに伝えてきた。教科書にも載る有名な「聖フランシスコ・ザビエル像」(重要文化財、神戸市立博物館所蔵)は「あけずの櫃」と呼ばれるこの中にあった。

612よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 23:05:13 ID:koYZ1tos0
>>611

 発見された遺物は、聖母マリアらを描いた絵画、キリスト磔刑(たっけい)像などの彫刻、金属製のメダルなど。一部は現在、茨木市が千提寺地区に建設したキリシタン遺物史料館で公開されている。史料館で案内役などを務めるのは、東家の満理亜さん(62)と同じく多くの遺物が見つかった中谷家の早苗さん(55)。2人にとって遺物は歴史資料であると同時に、先祖からの貴重な伝承品でもある。

■京都所司代が暗黙の承認?

 「遺物から考えると、単なる信者だったとは思えません。宣教師をかくまっていたのでしょうか」と東さん。「歴史を知ると、きちんと後世に伝えていかねばならないなと思います」と中谷さん。隠れキリシタンに関する謎は多く、今も研究は続く。茨木市文化財保護審議会委員で考古学研究者の井藤暁子さん(66)は遺物の質と量から、江戸初期にかけては治める側と治められる側の間に暗黙の承認があったかもしれないと推測する。

 キリシタンの有力者を庄屋などの村役人にして地域をまとめさせ、京都所司代だった板倉勝重・重宗親子が禁教や弾圧を強くはせずに済ませた可能性だ。貴重な遺物の数々を知ると、確かに「日本の中でなぜこの地で残ってきたのか」という疑問が膨らんでくる。

■ザビエル像を巡る宿縁

 ザビエル像を巡っては近年、因縁めいた巡り合わせがあった。この絵の入手に執念を燃やした神戸の資産家・池長孟(はじめ)の子息、潤氏(74)=カトリック大阪大司教、日本カトリック司教協議会会長=が2010年11月、千提寺地区を訪れ、住民にミサやザビエル像についての講演をしたのだ。「若い頃、突然この道に進もうと決めたのです。幼い頃から父の収集した美術品に触れていたこともキリスト教に関心を持った要因です」と池長さん。東家が「断腸の思いで手放した」(満理亜さん)絵が日本のカトリック教会のトップになる若者に啓示をもたらしたのだろうか。

【アクセス】名神高速茨木ICから車で約20分。
 この地域では近く、新名神高速道路の建設工事が始まる。寺山やクルス山で見つかり現地に置かれていた3つの墓碑は史料館に“一時避難”という形で移され、展示されている。道路が完成すれば地域の景観は一変するだろう。「ここがどんな歴史を持った場所なのか、多くの人に知っていただきたい」。東さんと中谷さんは口をそろえた。

(文 編集委員 堀田昇吾、写真 上間孝司)

613よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:23:33 ID:9bE6.2LU0
裁縫技術向上を祈願 大阪天満宮で「針供養祭」
2012年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120209/20120209018.html

 古くなった針を供養する「針供養祭」が8日、大阪市北区の大阪天満宮内にある吉備社で行われた。参拝者が持参した針を針塚前に置かれたこんにゃくに刺し、針の供養を行うとともに裁縫技術の向上を祈願した。

 大阪和服裁縫協同組合、日本和裁士会大阪府支部の主催。同社での針供養は1926年から毎年行われ、例年約1500人が参拝する。

 この日はまず、大阪天満宮の神職による祝詞の奏上などの神事が執り行われた。その後、着物姿の女性の参拝者らが古くなった針をこんにゃくに刺して手を合わせた。境内では同祭に合わせて裁縫用具や和装小物の販売なども行われた。

 同組合の岡村博之理事長は「先輩方が続けてこられた針供養祭を絶やさずに続けていきたい」と話していた。

614よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:28:19 ID:9bE6.2LU0
楽しく歴史散策 「とらとうちゃん」と行くまち歩きツアー
2012年2月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120210/20120210021.html

 玉造を「勝手に盛り上げよう」というちゃめっ気たっぷりのマスコットキャラクター「とらとうちゃん」と戦国時代の武将・真田幸村ゆかりの地を訪ねるまち歩きツアーが5日、大阪市内で開かれた。参加者はマスコットが歩くまちの風景とともに歴史散策を満喫した。

 同ツアーは、上町台地の建物や空間を公開する大型イベント「オープン台地in OSAKA」の一環。アートディレクターの藤田ツキトさんの企画で、事前予約の歴史愛好家やとらとうちゃんファンら20人が参加した。

 JR玉造駅を出発し、天王寺区の三光神社で史跡「真田の抜け穴」を見学。後半にはとらとうちゃんとともに電車に乗り込み天王寺に移動し、茶臼山一帯を散策した。

 とらとうちゃんはツアー客を誘導したり、写真撮影に応じたりと大活躍。通行人や買い物客との交流にも汗を流し、人気を集めていた。

 羽曳野市から参加した津村元さん(49)は「とらとうちゃんも玉造に着実に浸透しているようでうれしい。歴史のロマンも感じることができて良かった」と喜んでいた。

615よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:39:03 ID:9bE6.2LU0
樹齢200年など20品種50鉢 大阪天満宮で大盆梅展
2012年2月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120211/20120211029.html

 大阪市北区天神橋2丁目の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で「大盆梅展〜天神様と梅〜」が始まり、樹齢約200年の梅の古木などが会場を飾り、訪れた人を魅了している。3月4日まで。

 梅をめでた菅原道真にちなんだ行事「てんま天神梅まつり」の一環として開かれる恒例行事。20品種約50鉢を展示している。

 畳敷きの参集殿内には樹齢約200年の「鶯宿(おうしゅく)」や「天草野梅」、同100年の「大和野梅」などが並び、訪れる人がじっくりと見入っている。同宮所蔵の「天神画像掛け軸」や大阪府指定文化財の「御迎え人形」も併せて展示されている。

 入場受け付けは午前9時半〜午後4時(午後4時半閉場)。22〜26日は夜間拝観として午後7時半まで入場を受け付ける(午後8時閉場)。拝観料は大人500円、小学生300円。

616よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:54:41 ID:9bE6.2LU0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/239 紹鴎の森 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/archive/news/2012/02/09/20120209ddlk27070401000c.html

 ◆大阪市阿倍野区−西成区

 ◇先人の恩受け継ぐ 天満宮勧請、紀州街道の元に

 「岸の姫松」が残る府立住吉高校から、さらに西へと歩を進めると、阿部野神社に行き当たる。これまで何度も触れてきた北畠顕家を祭っている神社で、境内には銅像と、「花将軍 北畠顕家」という題名の歌の歌詞まで掲げられている。

 南北朝時代、南朝について戦場の花と散った美丈夫の若武者は、いつの時代もモテるようだ。同じく南朝の若武者で、戦場の露と消えた楠木正行(まさつら)は四條畷市の四條畷神社に祭られている。死後、神様となった2人をほふったのは北朝の高師直(こうのもろなお)だから、大変な敵役だ。

 大阪案内人の西俣稔さんが、玉垣の一角を指さす。懐かしい名前があった。「大屋政子」。派手な衣装と甲高い声で「うちのお父ちゃんなあ」と言うてた。「うちのお父ちゃん」は帝人社長の大屋晋三。「天下茶屋の政子ちゃん」と呼ばれていたそうで、生まれはこの辺りなのだろう。

 阿部野神社から下っていくと、阪堺電車の天神ノ森駅。西成区になる。天神ノ森というからには、天神さんがあるはず。しばらく歩くと、天神森天満宮が現れた。ここは「安産の神様」。境内に「子安石」が鎮座する。古来から信仰を集めた霊石だといい、豊臣秀吉も淀君のご懐妊の時に安産祈願をしたと伝わる。この石の周囲にある小石を持ち帰ると御利益があるとされ、出産後は小石を元の場所に戻してお礼参りをするという。

 鳥居の脇に、大きな石塔が二つ並んでいる。「天下茶屋あだ討ち供養塔」。岡山藩士の林重次郎、源三郎の兄弟が、父を闇討ちにした当麻三郎右衛門を追って艱難辛苦(かんなんしんく)、母は病没、兄重次郎は返り討ちに遭う。かたきを追って9年、1609(慶長14)年4月7日、弟源三郎が父と兄の恨みを、ついに天下茶屋で晴らした。返り討ちもあって世間の同情を集めた「天下茶屋のあだ討ち」は、歌舞伎や浄瑠璃となって人気を博した。

 西俣さんが着目するのは、石塔の裏に刻まれた文字だ。1829(文政12)年建立の石塔に「大阪」とあるのだ。確か、江戸時代の表記は「大坂」で、明治になって「大阪」に変わるのではなかった? 「土へんは『土に還る』といって縁起が悪いとされ、厄災など悪い時代の時は大阪を使っていたんです」と西俣さんの解説。

 神社の前を通る道が旧紀州街道。境内にはこんもりと木が茂り、森閑としている。昔はもっと緑深く、「天神ノ森」と呼ばれていた。「別名、紹鴎(しょうおう)の森です」。戦国時代、天神ノ森は交通の障害となっていて、東の熊野街道か西の勝間(こつま)街道に迂回(うかい)せざるを得なかった。この辺りに茶室を構えていた茶人、武野紹鴎が私財をなげうって森を開いて道を通し、天満宮を勧請した。これが紀州街道となる。人々はこの功績をたたえて「紹鴎の森」と呼ぶようになったという。

 この連載で歩いてきた道々には、人名が冠せられた橋や町がいくつもあった。そこには、恩人を忘れまいとする人々の情が込められている。この森もそう。私たちも先人の思いを受け継いで、こういう名前を残していかなくては。【松井宏員】

617よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:58:48 ID:9bE6.2LU0
堺刃物まつり
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005774511.html

約600年の歴史がある大阪・堺市の伝統産業、刃物づくりの魅力を知ってもらおうという催しが、きょうから堺市で開かれています。この「堺刃物まつり」は地元の刃物業者でつくる団体が毎年この時期に開いてるもので、今回で25回目です。
堺市北区にある堺市産業振興センターにはプロの料理人が使う包丁や家庭用の包丁、それに植木の枝切りに使うはさみなど、300種類を超える刃物が通常より2割以上安く販売されていて、大勢の人たちでにぎわっています。
このうち、家庭で使う刃物を安い価格で研ぎ直すコーナーでは熟練の職人たちが研磨機や、といしを使い、預けられた刃物を1つ1つ丁寧に磨き上げ切れ味をよみがえらせていました。
また、80年前まで行われていたふいごや金づちを使った刃物づくりを体験できるコーナーも設けられていて、訪れた人たちは伝統産業の魅力を改めて確認していました。
堺市に住む68歳の男性は「自分ではうまく研ぐことができないので来ました。ここで研いでもらうと1年間は切れ味が持つので重宝しています」と話していました。この「堺刃物まつり」は、あすも開かれます。

02月11日 12時40分

618よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/14(火) 05:25:58 ID:GodMSqiU0
大阪市電の起点 歴史にスポット キララ九条商店街、17日にイベント
2012.2.14 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120214/osk12021402100003-n1.htm

 大阪市電の“発祥の地”を知っていますか−。同市の市電が花園橋−築港桟橋間で開業した歴史にスポットを当てた催しが17日、かつて花園橋停留所のあった付近の「キララ九条商店街」(大阪市西区)で開催される。

 市電は明治36年、大阪港と都心を結ぶ交通手段として開業。日本初の公営電気鉄道だった。以降、路線が延長され、60年以上の間、市民の足として活躍してきた。

 しかし今では、同商店街付近に市電の起点があったという歴史を知る人も減り、九条新道交差点に「大阪市電創業の地」の碑がひっそりとたたずむのみ。そこで、同商店街の店主らでつくる「九条新道3丁目振興組合」が、「市電と関わりの深い町の歴史を若い世代や新しい住民にも伝えたい」と催しを企画した。

 会場では当日、午前10時から計5回、市電についての説明会を開催。市交通局の職員が車両模型などを使って市電の歴史や運行当時の町のにぎわいなどについて解説する。また、広島県の広島電鉄が買い取った旧市電車両の写真パネルも展示されるという。

 同組合の芝本勝利理事長は「町の歴史を知ると地元への愛着も増すのでは。これを機に商店街に足を運んでくれる人が増えればうれしい」と張り切っている。問い合わせは同組合((電)06・6584・0700)。

619よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/14(火) 05:29:09 ID:GodMSqiU0
「白鳥伝説」歌い継ごう 羽曳野市民合唱団、26日に初舞台 大阪
2012.2.14 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120214/osk12021402100004-n1.htm

 世界遺産の暫定リストに記載されている古市古墳群(羽曳野、藤井寺両市)にまつわる伝説を歌い継ごうと、羽曳野市の有志らが市民合唱団を結成した。都市開発の波から古墳群を守るとともに古墳に眠る古代の英雄の魂を鎮めようと、歌声を響かせる。合唱団は26日、同市のLICはびきので開かれる古代史フォーラムで初舞台に立つ。

 日本書紀などには、日本武尊(やまとたけるのみこと)が「東方遠征の帰りに能褒野(のぼの)(三重県亀山市)で亡くなり、琴弾原(ことひきはら)(奈良県御所市)に降り立ったあと埴生野(はにゅうの)(羽曳野市)に飛び去った」と記されている。その飛翔の様子から「白鳥伝説」と呼ばれ、同古墳群の中にある日本武尊の墓とされる前方後円墳は「日本武尊白鳥陵」と名付けられている。

 都市開発が進む同市では白鳥陵の周りにも住宅が立ち並ぶ。文化財を取り巻く環境の保全が課題となるなか、歌で伝説を語り継ぎ、古墳群の存在をアピールしようと市民らが「シグナス混声合唱団」を結成した。

 歌い継ごうとしている歌は、作曲家の三枝成彰さんらが手がけた楽曲「ヤマトタケル」。参加費千円。問い合わせは主催のNPO法人「フィールドミュージアムトーク史遊会」((電)080・5328・1137)。

620名無しさん:2012/02/14(火) 20:00:47 ID:8ceuOVv60
羽曳野という地名自体が日本武尊の神話に由来しています。羽曳野が市制化する
時、当初予定の市名であった南大阪市を即時否定して羽曳野市としたのは大変良かった
と思います。

621よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/15(水) 05:48:29 ID:G5slulOE0
ものづくりの伝統 脈々と 出土鋳型基に銅鐸復元 東大阪
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120215-OYT8T00064.htm

破片わずか3個から

 東大阪市弥生町の鬼虎川(きとらがわ)遺跡で約30年前に出土した弥生時代中期の銅鐸(どうたく)鋳型のかけらを参考に、同市内の鋳物業者が、銅鐸(高さ31センチ、重さ3キロ)を復元した。ものづくりのまち・東大阪市のルーツを感じてもらおうと市教委が企画した。17日まで同市役所1階で展示している。(浦野親典)

 市教委によると、同遺跡では1981年に鋳型の破片が3個出土した。約2000年前のものとみられ、石製で、つなげると長さ約15センチ、幅約7センチ。銅鐸のすそ部にあたる。

 同遺跡ではこのほか、銅剣や腕輪などの複数の鋳型も出土し、青銅器製造の拠点だった場所として知られる。96年に島根県の加茂岩倉遺跡で出土した「12号銅鐸」(国宝)が、鬼虎川遺跡の鋳型で製造される銅鐸と特徴が類似することも判明しており、弥生時代に河内で製造した銅鐸が出雲に運ばれたとされている。

 銅鐸の復元は、文化財の復元作業を手がける同市内の鋳物製造会社「上田合金」が手がけた。

 市教委の委託を受けて同社では「12号銅鐸」や、鬼虎川遺跡出土の銅鐸のかけらを参考に復元図を作成。木型を製作した後、鋳物用の特殊な砂を木型に押しつけたうえで、炭酸ガスを吹き付けて鋳型を完成させた。

 鋳型の中に、銅やスズを混ぜ合わせて高熱で溶かした合金を流し込んだ。12号銅鐸は厚さ3〜4ミリで、高度な技術が必要だったという。上田富雄社長(76)は「穴が開く可能性もあった。古代の技術レベルは高い」と感心している。

 市教委の芋本隆裕次長は「銅鐸は技術を大切にする東大阪の原点とも言える。まちの魅力をPRするために活用したい」と話している。

(2012年2月15日 読売新聞)

622よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/16(木) 20:56:45 ID:Msh.lAJM0
大阪天満宮の七不思議を探る 18日からボランティアガイドが紹介
2012.2.16 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120216/osk12021602100000-n1.htm

 大阪天満宮(大阪市北区)にまつわるさまざまな謎をボランティアガイドが紹介する「大阪天満宮七不思議めぐり」が18日から境内で開かれる。昨年初めて実施し、参加者から「新たな一面を発見できた」と好評だったため、再び企画した。

 ボランティアガイドが参加者とともに約1時間かけて境内を歩き解説する。大阪天満宮文化研究所の高島幸次研究員が「七不思議」を選定し、ボランティアガイドが説明できるよう指導した。

 「七不思議」のひとつが火除けの石垣。寛政7(1795)年に戎門の西側に石垣が築かれたが、天保8(1837)年の大塩平八郎の乱では、東側から火が迫ったため天満宮も類焼。江戸時代に少なくとも7回火災に見舞われたため、明治以降は北側にも石垣が設けられた。その結果、明治42(1909)年のキタの大火や第二次世界大戦の空襲では類焼を免れたという。

 「七不思議めぐり」の開催日は18、19、25、26日、3月3、4日。定員先着20〜30人。午後3時に大阪天満宮表門に集合。無料。

623よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/16(木) 21:31:26 ID:Msh.lAJM0
475種類を味見せよ!!日本一の梅酒決定戦
http://www.ktv.co.jp/news/date/20120215.html

日本一の梅酒とリキュールを決める大会が大阪天満宮で開かれています。
475種類のお酒が味見し放題です。

梅の花が咲くのが待ち遠しいこの季節。
しかし、もっと待ち遠しいものを求める人たちが、大阪天満宮に集まりました。

【参加者】
「毎年来てるんですけど、この1年が待ち遠しくて」

梅酒とリキュールの日本一を決める「天満天神梅酒大会」。
今年で6回目の開催となり、過去最多となる475の銘柄が出品されています。
東日本大震災で蔵が半壊した福島県の酒蔵から日本酒ベースのヨーグルトリキュールなどが出品された他、中には、ちょっと変わった梅酒も・・・

【記者】
「ゴーヤの梅酒を飲んでみます。少し苦くて、お酒も強いですが、梅酒好きには、オススメできそうです」

好きなだけ梅酒やリキュールを試飲することができるとあって、お酒好きの参加者たちが、ハイペースでコップの中身を空けていきます。

【参加者】
「おいしいよ、ここから、一個ずつ飲んできている。これだけ呑めたら幸せ」

大会は2月21日まで開かれていて、来場者の投票をもとに3月4日に「日本一のお酒」が発表されます。 .
(

624よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/19(日) 12:27:33 ID:iIrjJCXM0
刀装具、名品の数々 「装剣奇賞」展にぎわう
2012年2月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120219/20120219030.html

 刀装具や根付の細密工芸に関する初の本格的な手引書「装剣奇賞(そうけんきしょう)」が1781年に大阪で出版されて230年の節目を迎えた記念展示が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている。15日に開幕し、最初の週末を迎えた18日は大勢の愛好者らでにぎわった。

 装剣奇賞の著者は大阪の町人、稲葉通龍。もともと刀剣や刀装具を扱う商人だったが、商いの対象を深めるため、商売を後進に譲って調査、執筆に専念したとされる。

 「大阪の偉人でありながら埋没した存在になっていた」として、同博物館は通龍に焦点を当て、装剣奇賞に掲載された作家の手による刀装具、根付、絵画など約110点を展示。金工の名門・後藤家が手掛け、大阪の豪商・鴻池家に伝来した刀装具も紹介している。

 「細密工芸の華」と題した記念展示を担当する同博物館学芸員の内藤直子さんは「昔の日本人の手先の器用さは今では再現できない。その細密な作品に注目してほしい」と説明。内藤さんは、4月1日に関連する講演会も開く。

 同博物館によると、年配者を中心に来場があり、梅の花が見ごろの大阪城を訪れる途中に立ち寄る人の姿も。八尾市の女性(62)は「これだけきれいに残っているのが不思議」と名品の数々を眺めていた。

 4月2日まで。火曜休館。

625よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/19(日) 13:09:03 ID:iIrjJCXM0
盆梅見頃 香り堪能
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120219-OYT8T00061.htm

 学問の神様・菅原道真をまつる大阪天満宮(大阪市北区)で、鉢植えの梅を楽しむ「大盆梅展〜天神様と梅〜」が開かれている。会場となった書院造りの参集殿には甘い香りが漂い、来場者が見頃を迎えた花や、枝ぶりをじっくりと眺めている。

 梅を愛したとされる道真をしのぼうと、毎年開催。奈良県桜井市の盆栽業者の協力で、樹齢約200年の野梅など約60鉢を並べた。紅白それぞれに色づいた梅の古木2本に流木を組み合わせて2匹の竜に見立てたものなどが注目を集めている。

 神戸市東灘区、会社員城戸秀雄さん(59)は「寒い季節にあって美しい花を咲かせる梅のパワーはすごい。私も見習いたい」と話していた。

 3月4日まで。入場の受け付けは午前9時30分〜午後4時(22〜26日は午後7時30分まで延長)。拝観料は中学生以上500円、小学生300円。問い合わせは大阪天満宮(06・6353・0025)へ。

(2012年2月19日 読売新聞)

626よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/19(日) 21:44:38 ID:Hu8P8qxs0
川端康成「初掲載」の雑誌発見 大正期、恩師の葬儀つづる
http://www.kobe-np.co.jp/knews/0004827235.shtml

 日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した小説家川端康成(1899〜1972)が、旧制中学時代に執筆した文章を掲載した大正6(1917)年刊行の雑誌を、熊本市の尚絅大の宮崎尚子助教が19日までに見つけた。

 川端は、初めて雑誌に掲載された自分の文章と紹介、川端文学の研究に役立つ貴重な資料といえそうだ。

 見つかったのは、大阪市にあった出版社が発行した家庭雑誌「団欒」の大正6年3月号。大阪府立茨木中学の恩師を追悼する「生徒の肩に柩を載せて 葬式の日、通夜の印象」と題した文章で、同中5年生だった川端が、同級生とひつぎを担いだ葬儀などの模様を記した。

627よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/20(月) 22:14:49 ID:CAVPZLkc0
日韓台コラボ てんま天神梅まつり水墨画奉納式
2012年2月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120220/20120220020.html

 「てんま天神梅まつり」が開かれている大阪市北区の大阪天満宮で19日、水墨画奉納式が行われ、水墨画のライブペインティングと琴伝流大正琴、朝鮮民族楽器のコラボレーションパフォーマンスが本殿正面で披露された。

 「境内に絵でも梅を増やそう」と、NPO法人アジア文化芸術連盟の李鴻儒代表が水墨画奉納を提案、毎年行っており今年で9回目。李さんの水墨画制作に合わせ、琴伝流大正琴の前垣友紀さんらが、韓国の伝統楽器、チョッテ(笛)とチャング(太鼓)の「男寺党(ナムサダン)」と演奏を披露。韓国の楽器で日本の「赤とんぼ」、大正琴で韓国の「アリラン」を同時に披露する趣向を凝らした演奏で、パフォーマンスは大いに盛り上がった。

 30分ほどでえとにちなんだ力強い竜と梅の絵が描かれると参拝者からは大きな拍手が送られた。李さんは「音楽のイメージが絵で浮かび上がるのを楽しんでもらえたら」、前垣さんは「台湾、韓国、日本のコラボができて良かった」と話していた。

628よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/21(火) 21:37:47 ID:gQE57xZ60
推古天皇陵、謎秘める2つの石室 23日に初の立ち入り調査
2012.2.21 19:21
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120221/osk12022119330006-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120221/osk12022119330006-n2.htm

 初の女性天皇で飛鳥時代の第33代・推古天皇(554〜628年)と息子の竹田皇子を葬ったとされる大阪府太子町の推古天皇陵で23日、考古学研究者らによる初の立ち入り調査が行われる。宮内庁の調査で2つの横穴式石室があるとされているが、詳細は分かっておらず、今回の立ち入り調査で被葬者をめぐる謎解明の一歩へ期待がかかる。

 推古天皇陵は東西63メートル、南北55メートルの長方形で、7世紀前半の築造とされる。同庁による約20年前の調査で、墳丘南側に横穴式石室の一部とみられる幅2〜3メートルの巨石が3・5メートル間隔で東西に2つ並んでいるのを確認。石室が2つある可能性が高まった。

 古事記や日本書紀によると、推古天皇は奈良・大野岡の竹田皇子の墓にいったん埋葬。この墓は奈良県橿原市で2つの横穴式石室が見つかった植山古墳とほぼ確定され、その後に現在の推古天皇陵に移されたという。

 推古天皇陵でも、植山古墳と同様に2つの石室が並んでいれば、被葬者の信憑(しんぴょう)性は学術的により高くなる。ただし、石室とみられる東西2つの巨石は、宮内庁の調査では表面を覆う落ち葉などを除去しただけで本格的な発掘ではなく、石室の規模や副葬品などは不明。東西どちらが推古天皇の石室かなどは、謎のまま。今回の立ち入り調査で、石室の状況が少しでも分かれば研究が進む可能性もある。

 陵墓問題に詳しい大久保徹也・徳島文理大教授(考古学)は「宮内庁によって確認された石材が石室の一部かどうかなど、現地で詳しく観察できれば、被葬者に迫るヒントが得られるかもしれない。トップクラスの古墳を直接観察できる意義は大きい」と話す。

 23日の調査は、日本考古学協会などの研究者が墳丘1段目を歩いて観察するもので、発掘や測量はできない。同日は約1キロ離れた聖徳太子の父の用明天皇陵(太子町、一辺60メートル)でも立ち入り調査が行われる。

 陵墓は原則的に宮内庁関係者以外は入れないが、平成20年から研究者団体の要請を受けて立ち入り調査を許可。これまでに神功(じんぐう)皇后陵(奈良市)、国内2番目の巨大前方後円墳、応神天皇陵(大阪府羽曳野市、全長約420メートル)など計5カ所で行われている。

629よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/22(水) 05:07:17 ID:gQE57xZ60
スマホに往時の難波宮 AR技術で再現“記念撮影”も 大阪歴史博物館
2012.2.22 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120222/osk12022202050002-n1.htm

 ■4月アプリ配布

 かつて「難波宮(なにわのみや)」にあった大極殿や倉庫群などの建造物をスマートフォンやタブレットPCなど多機能情報端末の画面上に再現するシステムを、大阪歴史博物館(大阪市中央区)が導入し、報道関係者に21日公開した。今年4月以降、このアプリケーションソフトのダウンロードが可能になるという。

                   ◇

 AR(拡張現実)技術を活用した「難波宮展示ガイドシステム」。かつて600〜700年代に難波宮が存在した場所に立地する同館の館内と、隣接する難波宮史跡公園内で利用できる。遺跡を対象にしたAR技術の活用は、全国でも珍しいという。

 利用方法は、館内の場合、所定の位置に表示されたARマーカーを端末で読み込み、かつて建物が存在した方向に端末をかざすと、端末の画面に復元された建物の画像が浮かびあがる。

 また、難波宮史跡公園でも、大極殿の基壇に向けて端末をかざすと、大極殿が画面上に“出現”するだけでなく、基壇上で大極殿の内部も体感できる。

 また、聖武天皇や鑑真ら難波宮ゆかりの人物と“記念撮影”できる機能も備えた。

 同館の積山洋学芸課長代理は「想像が難しい往時の姿を、現代の技術を駆使して示すことで利用者の理解を助け、現在と過去との結びつきを実感してほしい」と話している。

630よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/23(木) 23:16:15 ID:X2EnvB/c0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/241 天下茶屋公園 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120223ddlk27070402000c.html

 ◆大阪市西成区

 ◇阿倍氏の氏寺なぜここに 枯れた大木は霊木?

 天下茶屋跡から天神森天満宮前へ戻る。かつて紹鴎(じょうおう)の森と呼ばれた森を切り開いて付けられたという旧紀州街道を北へ約30メートル歩くと、天下茶屋公園がある。

 この辺りの地名は岸里東。大阪案内人の西俣稔さんが「地名ネタいきましょか」と語る。「岸里、敷津、粉浜、津守」と大阪市南西部の地名を指折り数えて、「古代、海べりだったから、岸や津、浜が付いてるんです」。地名が、遠い昔の地形の記憶を伝えているわけだ。

 西俣さんの天下茶屋公園のお目当ては、石だ。もちろん、ただの石ではない。真ん中に丸い穴が開いただ円形の石は、府指定有形文化財「阿倍寺塔心礎」だ。文化財だけど、公園の中に無造作に置かれているから、思わず上に乗りたくなる。ああ、文化財を踏んづけてしまった。

 塔心礎とは、塔の芯柱の礎石のこと。中央の直径約60センチ、深さ約13センチの穴は柱を立てる柱穴で、その真ん中にある直径約10センチの小さい穴は、舎利、つまりお骨を入れる穴だ。

 阿倍寺とは、豪族「阿倍氏」の氏寺ともいわれる奈良時代のお寺だ。ここに阿倍寺があったのかというと、そうではなく、今の阿倍野近鉄の南側の阿倍野区松崎町にあった。なのに、なんで約2キロも南西のここに礎石があるのか?

 しかも、礎石のすぐそばには、茶色く変色した見上げんばかりの石碑があって、人を恐れぬハトの群れが止まったりして遊んでいる。「明治天皇駐□遺址」と刻まれているが、□の字は見たこともないから読めやしない。西俣さんも首をひねるばかり。

 その西側には、柵で囲われた枯れた大木がある。灯明台が据えられているところをみると、たぶん霊木として信仰されているのだろうが、はて? 枯れた幹には、とうに過ぎた季節を惜しむように、セミの抜け殻が二つ残っていた。

 この公園には謎が多い。多すぎる。しかも、文献に記されている、この公園にあるはずの碑が見当たらない。見過ごして先を急いでもいいのだが、気になる。とりあえず、市の公園管理事務所に電話したら、公園の近くに住む寺田靜雄さん(81)を紹介してくれた。

 寺田さんは前の岸里連合振興町会長で、天下茶屋跡の邸宅を所有していた芽木家とは親戚筋にあたる。しかも天下茶屋跡愛護会と天下茶屋公園愛護会の会長として、両方の清掃などに当たって、案内もしているので、謎解きにはうってつけの人だ。

 芽木家と寺田家は、互いをよく知る天下茶屋の名家。芽木家は空襲で邸宅が焼けたあと、泉州に越したという。その芽木家の珍しい名前の由来を、寺田さんはこう語る。

 「河内から出て来て、紹鴎の森に住んでいたんやけど、住吉大社や堺にいてた千利休に会いに行ったりする豊臣秀吉さんに、道を通せと言われたそうです。最初は抵抗したそうやけど、太閤はんが『おまえは木の芽のように芽が出るやっちゃ』と。まあ、おだてられて、芽木いう名前をもろたと聞いてまんのやけど」

 オモロイ話ですな。当時は武士以外は名字などないから、名字を付けてやって心をくすぐるという秀吉の人心掌握術はさもありなんと思わせる。ただ、ほかの文献では、紹鴎の森の呼び名のもととなった茶人、武野紹鴎が道を付けたとなってますけど……。「紹鴎が道付ける金も必要もおまへんわ」と寺田さん。寺田家の前を通るのがその道で、秀吉の時代は住吉街道と呼ばれ、次第に南へ南へ、紀州まで延びたので紀州街道と呼び名が変わった。

 天下茶屋公園の数々の謎を解き明かすのは次回。【松井宏員】

631よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/23(木) 23:17:43 ID:X2EnvB/c0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

大阪町人の救民記録   
2012年2月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120222/20120222038.html

仁風便覧

 小説の題材を江戸時代の事蹟(じせき)に求めた鴎外は、考証のため「武鑑」を蒐集(しゅうしゅう)したが、江戸時代の弘前の医者が自分と同じく武鑑を蒐集していたことに親しみを覚え、史伝「渋江抽斉」を書いた。大阪では「難波丸」「難波丸綱目」がこの類の資料で、地誌としても名所案内としても役立つが、商人に特化したものが本欄第7回で紹介した「商人買物独(ひとり)案内」である。

 来阪する仕入れ客が便利なように業種別、イロハ順に商工業者を記載した「江戸時代のタウンページ」は、同種のものが明治時代まで発刊されたが、掲載料負担が掲載条件と推察でき、「武鑑」と違って掲載情報の偏りは否めない。

 今回紹介する「仁風便覧(じんふうべんらん)」は、天保の大飢饉(ききん)に際しての大阪他兵庫の一部の施行(せぎょう)者名を町ごとに一覧にした本である。何を商う、どんな人物かは分からないが、掲載人数は9600余名、単純に比較すれば「独案内」の2000軒を優に超える。

 天保の飢饉(天保4〜7年)では大阪も大打撃を受けたが、豪商たちが救民のため施行を行った。施行者やその額、内容を記した1枚刷りの番付が出版され、誰がどれくらい御救に貢献したのかが一目瞭然となった。

 この「仁風便覧」は、天保8(1837)年8月、大塩の乱後に出版されたが、実は天保5年の施行の記録を幕府の意向によって出版したもので、施行者名を公開して施行を奨励することを意図した。施行者には無料かと思いきや、価格は銀八匁(もんめ)と町触れにある。

 天保8年2月、大塩平八郎は天保の飢饉での幕府の救民対策の不十分さ、上方米の江戸廻送(かいそう)を批判して武力蜂起した。大阪の豪商が施行に消極的なことも非難した。大塩の乱で大阪三郷の5分の1が焼けたが、その町も天保5年に施行している。数多く出た施行番付も大塩にはアピールしなかったのか。

 大塩焼け(火災)で焼け出された人のため御救い小屋が造られ、町人が施行し、また番付が出版された。天保8年の施行については「仁風便覧」中に予告があるが、同様の本は出版されなかった。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

632よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/25(土) 21:55:25 ID:stFeFhaA0
■推古天皇陵 初の民間人調査入る
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120223223000542858.shtml

 日本で最初の女帝推古天皇を埋葬したとされている大阪の陵墓に考古学者ら民間人が初めて調査に入りました。

 23日午後2時半過ぎ、大阪府太子町にある推古天皇陵に考古学者ら16人が民間人として初めて足を踏み入れました。

 推古天皇陵は7世紀前半に造られたとみられる長方形の陵墓です。

 日本書紀などによると当初は、奈良県の植山古墳に竹田皇子とともに埋葬され、その後いまの場所に移されたと見られていて、陵墓内に植山古墳と同じような2つの石室があれば推古天皇が葬られている信ぴょう性が高くなります。

 23日は石室1つを確認できたということで今後、飛鳥時代の謎を解くきっかけになると期待されています。
(02/24 00:02)

633よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/26(日) 03:03:21 ID:stFeFhaA0
直木三十五の暮らし感じて
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120225-OYT8T00050.htm

 直木賞の由来となった作家・直木三十五(さんじゅうご)の生まれ故郷にある「直木三十五記念館」(大阪市中央区谷町6)は命日にあたる24日、昨年取り壊された直木の旧宅(横浜市)の所有者から備品約40点を譲り受け、展示を始めた。

 記念館が譲り受けたのは、トイレに張られていた黒色のタイル、オリーブ色の革張りの椅子など、いずれも旧宅が建築された昭和初期のもの。入れ替えながら15点前後を常時、展示する。

 椅子を眺めていた横浜市戸塚区、会社員坪井達也さん(56)は「直木が実際に座ったかと思うと歴史を感じる。直木賞のルーツを知る手がかりになった」と感動した様子。記念館運営委員の山根秀宣さん(46)は「名前は有名だが、どんな作家だったか知る人は少ない。譲り受けた品を見て、直木の息吹を感じてほしい」と話している。

 開館は午前11時〜午後5時。水曜休館。入場料は一般200円、小学生以下100円。問い合わせは同記念館(06・6767・1906)へ。

(2012年2月25日 読売新聞)

634よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/26(日) 14:32:50 ID:rMMmLjbw0
よみがえる江戸期和時計 泉南 山田家住宅、きょう公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120226-OYT8T00046.htm

 江戸時代の庄屋屋敷で、国登録有形文化財の「山田家住宅」(泉南市新家)にある、350年以上前の江戸時代前期に作られたとみられる「和時計」が修復され、新たな時を刻み始めた。26日午前10時〜午後4時、同住宅で一般公開される。

 山田家は代々、庄屋を務めた豪農。時計は高さ約30センチ、横10センチ、奥行き10センチで、ひもで垂らした重りで歯車を回して動く。明治時代に旧暦から新暦に切り替えられて以降は使われなくなっていた。

 住宅を所有する山田洋二さん(70)らが、「貴重な時計なのに動かないのは寂しい」と、和時計の修復に取り組む沢田平さん(76)(大阪市東成区)に修理を依頼。沢田さんは時計を分解し、無くなっていたネジなどを作ったり、サビを磨いたりして、3か月かけて調整した。

 山田さんは「屋敷も時計も江戸時代のものなので、当時の暮らしぶりを想像してもらえるはず」と期待。沢田さんは「日本が誇るハイテク技術のルーツである和時計を見て、歴史に思いをはせてほしい」と願っている。

 3月以降も同住宅の一般公開(12月を除く毎月第4日曜)の際に、見学できる。

(2012年2月26日 読売新聞)

635よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/27(月) 22:54:17 ID:VggRuJrM0
難波宮跡に往時の姿 仮想体験ソフト開発
2012年02月26日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001202270002

 7〜8世紀に大阪の中心部にあった難波宮(なにわのみや)跡にスマートフォン(高機能携帯電話)など端末のカメラを向けると、画面上の現実の風景に古代宮殿がCG映像で浮かび上がる展示ガイドシステムを、大阪市博物館協会が開発した。4月から一般利用される予定。

636よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/27(月) 22:58:37 ID:VggRuJrM0
地元紙にみる「カーネーション」時代
2012年02月26日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001202270001

 NHK連続テレビ小説「カーネーション」の舞台となっている岸和田市で戦前に発行された地元紙5紙が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で展示されている。現存する戦前の地方紙は貴重という。

 現在の新聞と同じ大きさか一回り小さいタブロイド判(縦40・6センチ、横27・3センチ)などの大きさで2〜4ページ。1925(大正14)年から1937(昭和12)年までに発行された。

 25年発行の南海自由民報は、約1年後に実施予定の市議選について「新顔連が多く激戦になる」と予想する記事を掲載。ほかの紙面には市内屈指の大企業だった岸和田紡績の社長「甚さん」を批判する記事や、花街で働く女性の紹介記事があり、「カーネーション」の時代の世相がうかがえる。

 岸和田市内では地元で発行された同様の新聞が20紙ほどあったとみられ、飯田直樹学芸員は「広告が多いものもあり、現在の新聞とは違う機能を持っていたのでは」と話す。

 3月26日まで。常設展の入場料は大人600円、高校・大学生400円、中学生以下無料。問い合わせは大阪歴史博物館(06・6946・5728)へ。

637よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/27(月) 23:09:09 ID:VggRuJrM0
「大大阪」築いた市長・関一 没後80年前に足跡脚光
2012年2月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120227/20120227032.html

 大阪商工会議所の大阪企業家ミュージアムが15日開いた講演会で焦点を当てた先人は、大正・昭和初期に大阪市長を務めた関一(1873〜1935年)。「大阪の世論が日本の政策を定める鍵を握るかどうかは大阪に“健全なる世論”が起こるかどうか、そこが問題だ」との関語録を紹介した講演は、昨年12月に就任した橋下徹市長が「大阪都」構想を進める現在にあって、問題提起の場になった。「大大阪」を築いた関の足跡が、没後80年を前に脚光を浴びつつある。

■健全なる世論

 「大阪への関心が全国的に高まることに対し、大阪で暮らす私たちがどう応えるかが問われている」

 講師を務めた大阪市史料調査会調査員の松岡弘之さん(35)は、関が言及した“健全なる世論”に着目し、「(現在の大阪は)複雑で難しい問題がゴロゴロ転がっている。だからこそ多くの人々がより良い大阪の在り方を探らなければいけない」と続けた。

■新たな時代
 大阪企業家ミュージアムが仕事帰りの市民を迎えるため水曜日の夜に開くナイトミュージアム講演会は、主に電鉄や工務店の創設者など企業家の精神を紹介し、歴代市長を題材にしたのは今回が初めて。

 「新市長主導のもと、大阪は今、新たな時代の扉を開こうとしています…これからの大阪を考えるきっかけになれば」と同ミュージアムが受講者を募ったところ、初めて定員80人を満たす応募が寄せられた。

 当日は、静岡県に生まれ、東京高等商業学校(現・一橋大学)の教授だった関がそれまで無縁だった大阪市の助役に転じ市長に就任した背景や、市役所内で関を支える人物の有無を尋ねる受講者の声が上がるなど、関心の高さをうかがわせた。

■メッセージ
 御堂筋の整備や地下鉄の導入など全国の都市行政をリードした関の「大大阪時代」は、大阪商工会議所が7月1日に開く「なにわなんでも大阪検定」のテーマでもあり、市民が関の足跡を振り返る機会は増す。

 昨年の大阪ダブル選挙を経て変革の機運が増す大阪にあって、関の足跡をどう捉えるか。

 『関一の手帖』(大阪市史料調査会発行)の編集、解題も手掛けた松岡さんは、この日の講演を次のように締めくくった。

 「関は没後80年弱を経て、今を生きる私たちを試しているというか、“俺の言葉”をどう読み取ってくれるのかを見ているように思います」

638よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/27(月) 23:21:36 ID:VggRuJrM0
世界発信へ助言続々
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120227-OYT8T00099.htm

上方伝統芸能演者ら外国人と交流会

 大阪市中央区徳井町の山本能楽堂で、外国語の指導助手などとして関西に長期滞在する外国人と、上方伝統芸能の演者らの交流会が開かれている。外国人に日本の伝統文化を楽しむ機会を提供するとともに、日本語がわからなくても理解しやすい方法をアドバイスしてもらい、海外からの観光客らを呼び込むのが狙いだ。能楽堂の関係者らは「交流を深め、上方伝統芸能のすそ野を広げたい」と意気込んでいる。(安田弘司)

 交流会初回の先月中旬。夜、大阪、兵庫両府県に住む18か国出身の約40人が能楽堂に集まり、桟敷席に座った。舞台には、能楽師の林本大さん。「上を向くと喜びで、うつむくと悲しみを表します。手をかざすと、泣いていることになります」と、顔を上げ下げしながら説明し、日本語が堪能な参加者の一人が通訳した。このあと、酒の妖精が主人公の「猩々(しょうじょう)」が披露された。

 ほかに、落語家や講談師、芸妓(げいこ)らが演じる舞台があり、それぞれの演目について、出演者が歴史や特徴などを解説。演目が終わるごとに出演者と参加者の意見交換の時間が設けられ、参加者は「一つの動作ごとに説明をつければわかりやすい」「謡を英語に訳してはどうか」などと、活発に注文を付けた。

 2年前に米国テネシー州から来日、和泉市の小中学校で英語指導助手をするケイリー・カストロヴェールデさん(25)は「伝統文化に興味があったが、どこに行けば鑑賞できるのかわからなかった。歴史がある上方芸能は宝物のようだ」と話した。



 交流会を提案したのは、自治体や国の「外国青年招致事業」で来日した外国人の支援・交流団体会長で、大東市の英語指導助手、マシュー・クックさん(32)。昨秋、能楽堂で開かれた外国人向けの公演を鑑賞した。事前に英語での説明があり、舞台の横で字幕が流れたが、「語学指導助手らは滞在期間が1〜3年のことが多く、これだけでは理解できないだろう。出演者と直接、話をできないか」と考えたという。

 能楽堂では日頃、能や狂言、文楽、上方舞、落語などの上方伝統芸能を紹介している。外国人のファンも一部いるが、一般の外国人観光客にはなじみが薄いといい、能楽堂側も「どうすれば外国人に広く興味を持ってもらえるか、何がわかりにくいのかを知ることができる」と提案を快諾した。

 交流会は今後、毎月1回程度開かれる予定だ。能楽堂事務局長の山本佳誌枝さん(48)は「私たちだけでは気づかないような助言を頂いてありがたい。英語での説明や字幕などの工夫を重ね、上方の伝統芸能を世界に広めたい」と話している。

■山本能楽堂 1927年に建設され、戦災で焼失したが、50年に再建された。現在は、公益財団法人「山本能楽堂」が運営する。木造3階建てで、能舞台、桟敷席があり、国の登録有形文化財。

(2012年2月27日 読売新聞)

639よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/29(水) 05:42:18 ID:2H.zCFlk0
七夕伝説歌ってつなごう 交野・星田妙見宮 宮司らでオリジナル曲
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120229-OYT8T00042.htm

4年後に創建1200年祭 市民1000人の合唱計画

 七夕伝説の残る交野市の神社・星田妙見宮が2016年に創建1200年を迎えるのを記念し、佐々木久裕宮司(60)と知人の信田隆司さん(65)が伝説を織り込んだ記念の歌3曲を作った。節目の年に祭りを開き、星空の下で市民1000人に歌ってもらう計画で、佐々木宮司は「郷土の歴史や伝説を皆で共有し、後世に残したい」と意気込んでいる。(中田敦之)

 「平安(いにしえ)の天地(あめつち)ゆるぎ 降りたまう」と神社の起こりを厳かに歌う「千年の杜(もり)」、天女と人間の男性との悲恋を描く「交野の天女ものがたり―天の川羽衣伝説より」、「空には星が輝いて 笑顔の君を照らしてる」と軽やかに唱和する「妙見さんの七夕まつり」の各曲。近くに住む信田さんが佐々木宮司らから09年に記念祭の話を聞いて、「歌を作ろう」と提案し、ピアノ伴奏をつけて昨年11月に仕上げた。

 信田さんは、佐々木宮司に交野や妙見宮の歴史を教わり、平安時代の歌集などの文献を参考に歌詞を創作。定年退職後に作曲や編曲を学んでおり、「伝説をたたえ、守り続けたいという願いを込めた」と話す。

 東大阪市出身の佐々木宮司は、コンピューター関連会社を経営していた30年前、妙見宮を初めて参拝。社殿は荒廃していたが、山の中の厳粛な雰囲気に感動し、「復興しよう」と神主の資格を取り、1996年から宮司を務める。途絶えていた七夕祭りを再開させるなどしてきた。

 創建記念祭は16年7月に開かれる。妙見宮の境内で、神楽などを奉納し、ペンライトを掲げた浴衣姿の市民らが3曲を歌う。1月末に、歌を吹き込んだCDを作っており、今後、市民コーラス団体などに協力を依頼し、歌い手を募る。

 佐々木宮司は「天地、自然をおそれつつしむ気持ちが、交野の伝説や言い伝えを生んだ。歌を通じ、郷土愛を育んでほしい」と話している。

星田妙見宮 816年、弘法大師が修行に訪れ、空から星が降った妙見山(162メートル)の山頂に建てられたと伝えられる。佐々木宮司によると江戸時代の学者・貝原益軒の著書で「牽牛織女(けんぎゅうしょくじょ)の社」と紹介された。

(2012年2月29日 読売新聞)

640よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/01(木) 21:52:01 ID:zPMy.ybM0
行ってみよっと:大阪歴史博物館(大阪市) 古代人の気分堪能 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120301ddlk27040360000c.html

 ◇難波宮に思いはせ

 大阪城の足元に、にょっきりと建つビル、大阪歴史博物館(大阪市中央区、13階建て)。名前からくるイメージとこの姿が、どうもそぐわない、とずっと思っていた。行ってみて最後にわかった。なぜ、こんなのっぽビルにしたのか−−。

 開館は01年。古代から現代までの大阪の歴史と文化を紹介している。くまなく回るのはきっと大変。「大極殿を復元したフロアが見応えあります」と同館広報担当者の言葉に、難波宮をテーマに回ることにした。この付近は、難波宮の宮殿が置かれたところでもあるし。

 見る前に、少し予習−−。難波には過去2回、都が置かれた。前期難波宮と後期難波宮と呼ばれ、前期は7世紀半ばの孝徳天皇の時代、後期が8世紀前半の聖武天皇の時。都が置かれた際、一番重要な建物となるのが大極殿。外国の使者が天皇に謁見(えっけん)したり、国家的儀式が行われる場だ。

 これぐらいを頭において、エレベーターで一気に10階へ。朱塗りの柱がドーン、ドーンと立つ。直径70センチ、高さは約6メートル。後期難波宮の大極殿を、原寸大で復元している。

 「怖ッ」と思ったのは直立姿勢で整列している官人や女官たち。リアルな人形なのだ。装いなどは「中国の壁画などを参考にしています」と学芸員の伊藤純さん(55)。

 人形の顔をのぞき込む。丁寧にメークしている。いつの時代も、女性が求めるのは美。よく見れば、地位が高いほど、ヘアスタイルもファッションも凝っている。ひがみ、ねたみ、あっただろうな……。みんな小柄なところが愛らしい。男163センチ、女152センチ。原始・古代の出土人骨の平均身長を採用しているとか。

 室内が暗くなり、エキゾチックで緩やかな音楽をバックに映像が流れ出す。744(天平16)2月26日、大極殿で催されている遷都の儀式だ。

 終わると、窓の幕がスッと上がる。まぶしい! と同時に大きな窓から57メートル下の地上に見えたのは、史跡難波宮跡の中にある、ホンモノの大極殿跡だ。1200年以上前の世界にどっぷり浸った直後に、ヒョイと今ある姿を目に飛び込ませる。この演出、見事!

 次は「遺構見学ガイド」に参加する。参加者5、6人に、ガイドしてくれるのは伊藤さん。「足元を見てください」。1階の床の一部がガラス張りになって、その下に発掘調査の跡を残している。「これは前期難波宮が置かれたころの建物の柱跡です」。発掘調査で、こうした柱跡がわんさと見つかった。

 1階の床のタイルにはたくさんの丸い模様がある。まさにそれが、柱跡。フロア続きのNHKの入り口近くには丸が一列に並んでいる。「これは建物でなく、塀の柱だったのでしょう」。なるほどーと参加者がうなずく。

 細い階段を下りて、地下へ。ちょっとミステリアスな気分。地下通路からガラス越しに室内を見る。部屋の中は全て発掘跡。天井から円柱のちょうちんがぶら下がる。ちょうちんは、1階フロアの丸い模様と同様、柱に見立てたものだ。

 昔の土木作業も大したもんだが、保存した現代人の根性もすごい。この遺構の上にビルを建て、下には駐車場をつくったのだから。この遺構、月1回業者がきてメンテナンスをしており、ひび割れなどを防いでいる。年間数百万円かかっているとか。

 博物館前の外の広場に出る。「ここに難波宮よりも古い古墳時代中期の遺跡が見つかりました。16棟の倉庫跡でした」。広場の舗装に、黒っぽく四角く色が付いているのは、倉庫跡を表示したものだ。

 さて、これで冒頭の疑問が解決。「この遺跡を壊さないため、建物をここまで広く建てられなかったのです」(伊藤さん)。面積が小さくなった分、上に高いビルとなった。

 広場に、高床式倉庫1棟が復元されて建つ。のっぽビルの横で今は目立たないが、「古墳時代には、この高さが権力を見せつけるものだったかもしれません」と学芸員の岩佐伸一さん(40)。柱跡が、いろんなことを語っている。【三角真理】

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 ◇大阪歴史博物館

 9時半〜17時(金曜は20時まで)。火曜休館。電話06・6946・5728。常設展の入館料大人600円、高大生400円、中学生以下無料。遺構見学ガイド(無料)は毎日6回。

641名無しさん:2012/03/02(金) 22:39:27 ID:A1CWVErY0
条坊制が難波宮で、日本最初に布かれていたことはほぼ確定だそうですね。

642よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/04(日) 08:17:56 ID:mCkC.vkk0
大阪大空襲:67年前、父が写した“地獄” 京都の男性宅に未発表写真11枚
http://mainichi.jp/kansai/news/20120303ddn012040067000c.html

 太平洋戦争中の大阪大空襲の被災状況を伝える未発表写真11枚が京都市内の個人宅で見つかり、大阪国際平和センター(ピースおおさか、大阪市中央区)で展示されている。第1回大空襲(1945年3月13日)の直後に写真愛好家が撮影していた。ピースおおさかは「きわめて珍しい角度から撮影した写真があり、被災状況を知るうえで貴重な資料だ」としている。【平川哲也】

 写真は宮澤堂(たかし)さん(82年に74歳で死去)の撮影。京都市山科区の長男潔さん(70)宅にネガが残っており、古い写真から市民生活の変遷を研究する大阪府立大の中村治教授(環境思想)を介して、ピースおおさかに持ち込まれた。

 このうち、旧そごう(現大阪市中央区)が写る1枚は、ねじ曲がった鉄骨や焼け焦げた立ち木から空襲のすさまじさが伝わる。

 潔さんは「何にでもレンズを向けた父は数千枚の写真を残しているが、ほとんどは京都の風景や家族の写真。その中にこうした貴重な写真が残っているとは……。多くの人に見てほしい」と話している。

    ◇

 ピースおおさか(06・6947・7208)は4日午後1時半、平和祈念行事「大阪大空襲 決して忘れない」を開く。この写真についての解説講演もある。入館料250円。

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 ■ことば

 ◇大阪大空襲

 大阪市内への空襲は1944年末から終戦直前まで50回以上続いた。最大規模の第1回大空襲は20平方キロ以上の範囲に無数の焼夷(しょうい)弾が投下され、死者は約4000人とされる。

643よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/04(日) 16:12:08 ID:SzSPBpfA0
大阪にもあった清水寺 「舞台」や「滝」京都とそっくり
2012/3/2 7:00
http://www.nikkei.com/life/culture/article/g=96958A9C93819B9AE0E1E2E2978DE0E1E2E0E0E2E3E09393E082E2E2;p=9694E0E5E3E0E0E2E3E2EBE3E7E5
http://www.nikkei.com/life/culture/article/g=96958A9C93819B9AE0E1E2E2978DE0E1E2E0E0E2E3E09393E082E2E2;df=2;p=9694E0E5E3E0E0E2E3E2EBE3E7E5

 清水寺は言わずと知れた京都を代表する観光名所だが、実は大阪にも清水寺がある。同じなのは名前だけではない。境内には見晴らしの良い「舞台」があり、情緒豊かな滝が流れ落ちるのも共通するという。大阪の清水寺の歴史を調べた。

 大阪市営地下鉄の四天王寺前夕陽ケ丘駅から5分ほど歩く。出入り自由の境内を進むと、一気に視界が開けた。こぢんまりした見晴らし台が西向きに張り出す。足元に住宅街が迫り、その向こうにオフィスビルやマンションなど。左手遠く、小さく見えるのは通天閣だ。欄干には「清水寺 舞台」とのプレートが。

■江戸期に「建立」、当時は観光名所

 石段を下ると、崖の上から細々と流れ落ちる3条の滝。京都・清水寺で「清水の舞台」と並んで有名な「音羽の滝」を模したと一目で分かる。傍らの説明書きには「玉出の滝」とある。大阪市内で唯一の天然の滝で、水源は近隣の四天王寺という。飲料には適さない、とも。

 健代和央住職に聞いた。この清水寺の創建時期は不明だが、中興の祖とされる江戸期の延海阿闍梨(あじゃり)が観音様のお告げを聞き、1640年に京都の清水寺にそっくりの寺院として再建した。その際、京都の清水寺から千手観音を移して本尊としたという。1615年の大坂夏の陣で荒れ果てた境内を整備する目的もあったと伝わる。

 「江戸期は付近に高い建物が無く、すぐ近くに海が迫っていました。今以上に見晴らしが良く、大阪で有数の観光名所だったそうです。今でもきれいな夕日が見られますよ」と、健代住職。

644よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/04(日) 16:13:15 ID:SzSPBpfA0
>>643

 さらに詳しく知りたいと、大阪歴史博物館(大阪市中央区)を訪ねた。八木滋学芸員が「それなら当館にいい展示がありますよ」と教えてくれた。9階で江戸期の大坂の様子をジオラマで再現しており「堂島米市」や「天満青物市」などと並んで「新清水寺」を紹介している。

 江戸期には新清水寺と呼ばれていたらしい。ジオラマによると、当時の「舞台」は木材を水平と垂直に組んだ「懸造(かけづくり)」だった。現在の京都の清水寺と同じだ。3条の滝の下では落水に打たれる人も描かれている。

 「大阪の清水寺は江戸期以降、何度か姿を変えてきたようです」と八木学芸員。江戸期の旅行ガイドと言うべき「摂津名所図会」に記された清水寺は崖の上に舞台が張り出すが屋根はない。明治期の写真では舞台の上にも建物が建つ。現在は舞台だけの鉄筋コンクリート製だ。

■「清水寺」名乗る寺、全国に90も

 京都の清水寺にも確認してみた。加藤眞吾学芸員は「大阪の清水寺との関わりを示す文献は当寺では見当たりません」とのこと。一方で「大阪の清水寺の伝承も尊重すべきだと考えています」

 加藤学芸員によると、全国に「清水寺(きよみずでら・せいすいじ)」と名乗る寺院は90ほどもあるという。「多くは当寺と同じく、清らかな水が湧く場所に由来して創建されたと思われますが、当寺を模して建てられた寺院も多いと聞いています」

 記者は生まれも育ちも大阪だが、不覚にも大阪の清水寺のことは知らなかった。京都府よりも数が多いと言われる大阪府の寺院。知られざる名所というべき寺院はまだ多いのではないか。後日、健代住職の言葉通りの美しい夕日を眺めていると、そんなふうに思えてきた。

(大阪・文化担当 田村広済)

645よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/06(火) 05:21:08 ID:Jkhf7apo0
100年前の響き軽やか
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120305-OYT8T00042.htm

堺 古民家ホールでピアノ演奏

 堺市堺区錦之町東の古民家を改装したホール「堺テクネルーム」で4日、100年前に作られたオーストリア製のグランドピアノを使ったコンサートが開かれ、ひな祭りや春にちなんだ曲を、約25人が楽しんだ。

 ホール周辺の旧市街の町家にひな人形を飾る行事に合わせて開催。ピアノは同ホールが約10年前に購入したもので、1世紀前の音を伝えてきたが、今月中に弦と、弦を振動させるハンマーを取り換えて大阪市内のレストランに運ぶという。

 ピアニスト土岐友季子さん(26)(豊中市)が、エルガーの「愛の挨拶(あいさつ)」やメンデルスゾーンの「春の歌」など春を感じさせる3曲を披露。締めくくりには童謡「うれしいひなまつり」を、高校、大学で一緒に音楽を学んだ、鍛冶職人水野七菜子さん(26)(堺市堺区)の歌声とともにこぢんまりとした室内に響かせた。

 100年を経たピアノについて、土岐さんは「軽やかで昔を感じさせる和音の響きが魅力」と話していた。

 コンサートは11日にも午後1時、2時、3時から各回15分開かれる。コーヒーとお菓子付きで500円。問い合わせは堺テクネルーム(072・221・2731)へ。

(2012年3月5日 読売新聞)

646よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/06(火) 22:06:18 ID:6AvloOXI0
大阪大国技館の時代 歴史博物館が企画展
2012年3月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120306/20120306023.html

 11日から大阪府立体育会館で行われる大相撲春場所を前に、中央区大手前4丁目の大阪歴史博物館で、「生誕100年記念 双葉山と大阪大国技館」展が開かれている。2年ぶりの春場所の開催を控え、相撲ファンでにぎわっている。26日まで。

 本場所での69連勝など「相撲の神様」ともたたえられる第35代横綱、双葉山にスポットを当てるともに、双葉山が横綱になった1937(昭和12)年に現在の城東区に建設された「大阪大国技館」に関連する資料12点を展示している。

 大阪大国技館は関目国技館とも呼ばれ、収容定員は2万5千人と現在の両国国技館(約1万千人)を上回る規模だった。しかし、戦争により4年間に7回の準本場所が開かれただけで、戦後間もなく解体された。

 会場には、大阪大国技館の完成を記念して作られた国技館を模した「たばこ盆」をはじめ、国技館が完成した年の場所で撮影されたと思われる、双葉山の土俵入りの写真などを展示している。

 淀川区内にあった「双葉温泉」の屋根に設置され、銭湯の名前の由来となった双葉山をかたどった鬼瓦もあり、訪れる人の目を引いている。

 同館の飯田直樹学芸員は「巨大な国技館が大阪にあったことが、大阪が昔から相撲熱の高かったことの証拠だと思う。双葉山や昭和10年代の相撲人気のすさまじさの痕跡が鬼瓦として残っていることを感じてもらえれば」と話している。

 火曜日休館。常設展の入館料大人600円、高大生400円が必要。

647よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/07(水) 05:42:36 ID:6AvloOXI0
峯ケ塚古墳 副葬品20点公開 17日、羽曳野ウオーク&清掃 大阪
2012.3.7 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120307/osk12030702010001-n1.htm

 豪華な副葬品が多数出土して注目を集めた峯ケ塚古墳(羽曳野市)の発掘調査から20周年を記念し、普段は非公開の副葬品約20点が17日、古墳近くの峰塚公園管理棟で特別公開される。

 峯ケ塚古墳は、古市古墳群の中で石室などの主体部が調査された唯一の古墳。全長96メートルの前方後円墳で、これまでの調査で石室から約3500点の副葬品が見つかった。今回はそのうち、装飾品の魚佩(ぎょはい)や装身具の三叉形垂(さんさたれ)飾り、ガラス玉などを特別展示する。

 この展示は、古市古墳群(藤井寺市、羽曳野市)を清掃しながら巡る「第3回ウオーク&クリーン 墓山古墳の陪冢(ばいちょう)群と峯ケ塚古墳の至宝」の中の企画。イベントの参加者に対し、特別に公開する。

 コースは約3・7キロで、羽曳野市役所から墓山古墳、仁賢天皇陵古墳、峯ケ塚古墳などを巡る。

 問い合わせ、申し込みは、羽曳野市世界文化遺産推進室((電)072・958・1111)。

648よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/07(水) 21:58:42 ID:mvtQL/YE0
浪華紙魚百景  大商大商業史博だより

明治の大阪名所ガイド
2012年3月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120307/20120307050.html

新撰大阪往来

 東京スカイツリーがオープン間際である。天望(展望ではない)回廊からの眺めはさぞかしであろうが、所在地の墨田区は在原業平ゆかりの場所として、また、永井荷風の『※東綺譚(ぼくとうきだん)』の舞台としても有名だ。今回、墨田区にとって無敵の観光名所が加わることになる。

 どっこい、浪花にも空にそびえる?通天閣があるではないか。ビリケンさんもいるし、村田英雄の「王将」で歌われるように新世界がその裾野を守っているぞ、と言いたいところだが、高さが足りぬ、華やかさに欠ける。

 もとより、名所とは文学的な背景から、歴史的事象、地形的な特性などによるものが多いが、近年、不景気故か?都市部に集中する建築物がそれに取って代わろうとしている。すなわち、何もなかった所にこつぜんと現れる建築施設は商業の流れを誘発し、人を呼び、時に町をも形成する。

 さて、われらが大阪である。ここに取り上げるのは1874(明治7)年発行の名所案内『新撰大阪往来』だ。本文は七五調の文語体で「明治紀元辰の年。四海に仰ぐ王政の。昔に復る歴代は。無辺無経の各国に。肩をならべる知識のみち」といかめしいが、巻頭には市中略図とともに大阪造幣寮と心斎橋鉄橋が色鮮やかな木版で紹介されている。早くも明治7年にして、大阪名所は文明開化による西洋建築が選ばれているのが面白い。

 心斎橋は、1622(元和8)年、長堀川の開削に貢献した岡田心斎に由来するというが、1873(明治6)年、木橋からドイツ輸入の鉄橋に架け替えられた。橋脚がない珍しい構造に対して「無智の鄙人(ひなびと)は見てもわからず聞てさえ。その理を得ぬ寄工なり」と驚いたという。

 図版の心斎橋は北詰めから南を望み、道頓堀ののぼりから四天王寺の塔が見えているが、まげに着物のご婦人連や、こうもり傘に洋装ステッキのカップル、人力車が入り乱れて明治の開化風情が濃厚だ。スカイツリーを仰ぎ見る現代人のごとく、橋脚なしの鉄橋を物珍しげに渡る人々の姿は、新名所となった明治の心ぶらを今日に伝えている。

 (大阪商業大学商業史博物館主席学芸員・明尾圭造)

 ※はサンズイに墨

649よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/07(水) 22:17:13 ID:mvtQL/YE0
丸萬本家:魚すき、150年の歴史展 創業時の道頓堀で /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120307ddlk27040374000c.html

 かつて道頓堀に店を構えていた魚すきの「丸萬(まるまん)本家」(現在は堺筋本町で営業中)の創業から現在までの150年の歩みをたどる「ひさしぶりにもどりまし展−丸萬本家リターンズ」が大阪市中央区道頓堀1の中座くいだおれビル内「いちびり庵」で開かれている。11日まで。入場無料。

 丸萬本家は幕末の1864年創業。タイやサワラなどの魚を秘伝のだしに漬け込み、すき焼きのように炊いてとき卵をつけて食べる魚すきは、ほかにない魚の鍋料理として浪花名物となった。十日戎(えびす)で今宮戎神社に参拝した帰りは、丸萬で魚すきを食べる人が多かったという。

 空襲で焼け、戦後はミナミの鰻谷に移転して営業していたが、96年に店主が亡くなって閉店を余儀なくされた。客からの再開の要望を受け、先代の弟で、一時は店で働いていたことがある後藤隆平さん(80)が、息子の英之さん(49)と07年に再開。店構えは創業時のものを再現したという。

 同展は、道頓堀時代の店の写真や、店で作っていたマッチのデザイン、空襲にも焼けずに残り、今も店で使われている鉄鍋や皿、とくりなどが展示されている。

 後藤隆平さんは「街の変遷とともに店も変遷しました。そんな歴史とともに、魚すきという食文化ももっと知っていただければ」と話している。

 丸萬本家は大阪市中央区瓦町1。電話06・6201・4950。【松井宏員】

650よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/08(木) 05:22:23 ID:qghafOFc0
堺の孫太夫山古墳周濠跡 仁徳天皇陵と類似の埴輪片出土
2012.3.8 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120308/osk12030802000003-n1.htm

 ■「陪塚」の可能性高まる

 堺市堺区の孫太夫山(まごだゆうやま)古墳の周濠(しゅうごう)跡から、埴輪(はにわ)片などが見つかり、市が7日発表した。製造技法が隣接する仁徳天皇陵古墳(5世紀中ごろ)から出土した埴輪と似ていることなどから、市は、仁徳天皇の家臣か副葬品などを埋葬した「陪塚(ばいづか)」だった可能性が高まったとしている。

                   ◇

 孫太夫山古墳は、仁徳天皇陵の拝所から約30メートル南にある帆立貝(ほたてがい)形の前方後円墳で、今回の調査で全長が約56メートルと判明。出土した埴輪片は、円筒埴輪と朝顔形埴輪で、多くは復元すれば直径約20センチの小型のものとみられる。

 市文化財課によると、埴輪の表面の特徴が仁徳天皇陵古墳から出土した埴輪と類似。木べらで表面を平らにする工程で、木べらの動きを止めた際にできる線の間隔が共通しているという。

 こうしたことから、同課は築造時期も仁徳天皇陵古墳に近いと推測。「仁徳天皇陵の主軸上にあることから以前から陪塚とされてきたが、今回の調査結果によりその可能性が高まった」と説明した。文献によると仁徳天皇陵の陪塚は少なくとも15基あったという。

 市は、百舌鳥(もず)古墳群の世界文化遺産登録に向けて平成19年から各古墳で発掘調査を行っている。現地説明会は10日午後1時〜4時。午後2時と3時に担当者が説明する。JR阪和線百舌鳥駅から西約500メートルの大仙公園内。問い合わせは市文化財課分室((電)072・273・6101)。

651よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/08(木) 06:28:23 ID:qghafOFc0
百済寺跡北西に建物跡  枚方市教委 「付属院地」規模判明
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120308-OYT8T00056.htm

 枚方市教委と同市文化財研究調査会は7日、同市中宮西之町の国特別史跡・百済寺跡(8世紀後半)の北西部で、築地(ついじ)で区画された掘っ立て柱建物跡(東西約12・5メートル、南北約10・5メートル)が出土し、寺の運営に必要な施設とされる「付属院地」と判明したと発表した。

 同寺跡で付属院地が見つかるのは、寺の修繕などを担う北東部の修理院跡(すりいん)に続き2例目。だが、今回は柱跡が多数あり、市教委は「建物の正確な規模がわかり、貴重」としている。

 市教委によると、建物跡は寺の中心にある金堂から約50メートル北西で、母屋1棟の両脇に庇(ひさし)がついた様式。柱跡は7か所あり、2007年度に出土した4か所と合わせて計11か所が確認された。柱穴はいずれも直径約1メートルだった。寺務所だった可能性が高いという。

 現地説明会は10日午後1時、2時、3時からの3回(各回30分)。雨天決行。問い合わせは、枚方市文化財研究調査会(072・858・2852)。

(2012年3月8日 読売新聞)

652よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/08(木) 23:07:26 ID:D5mg1aXE0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/243 天下茶屋公園 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120308ddlk27070414000c.html

 ◆大阪市西成区

 ◇謎解けてすっきり ほこらの灯に時間の流れ

 天下茶屋公園の「謎解きの巻」といこう。ようやく、ここまでたどり着いた。三つの謎とは、(1)阿倍野の阿倍寺の礎石がなんであるの(2)明治天皇ナンタラの石碑はなに?(3)枯れた木がなんで祭られているの?

 江戸時代、是斎屋(ぜさいや)という薬屋があり、明治になって橋本兄弟が住んだ、というところまで明かしてきた。さらにその後を、高津神社の神職だった高津久右衛門が引き継いだ。地元の旧家の主で天下茶屋公園愛護会の会長などを務めてはる寺田靜雄さん(81)は「私らが小学校時分、高津の家を見学に行ったほど立派なもんやったんです。池もあってね」と述懐する。「その高津さんが、明治天皇が来たことをいつまでも残しておきたい、と屋敷に碑を建立したんです」

 明治天皇は住吉大社参拝の帰りの休憩などに、明治元年と明治10年の2回、橋本邸を訪れている。これを記念したのが、見たこともないから読めやしない漢字交じりの「明治天皇駐□遺址」の石碑(謎の(2))だ。□は「蹕(ひつ)という字で、「天子が行幸するときに、その道の通行人をおさえて封じこめる」という意味だ。

 「駐蹕遺址(ちゅうひついし)」の碑は1919(大正8)年の建立で、裏面には儒学者、藤沢南岳が漢文で由来を記している。南岳は通天閣の命名者でもある。「残念ながら、高津邸は空襲で焼けて、石碑も火をかぶったんでボロボロになったんです」と寺田さんが解説してくれる。

 石碑の西にある枯れた大木(謎の(3))は楠(くすのき)。「白龍(はくりゅう)さんがいると言いまんねん。誰がおまつりしたかはわかれしませんねん」と寺田さん。白龍とは白ヘビのことで、大阪では「みぃさん」と呼ばれる。こんな言い伝えがある古木はいっぱいあるが、今もお参りする人がいるという。

 高津邸は空襲で焼けて、そのあとが公園になった。庭にあったという池は、寺田さんの記憶では「25〜30年前まで公園にあった」そうだが、虫がわいたりするので埋め立てられたという。

 これで謎の二つは解けた。残るは一つ。阿倍野の地名の語源となった豪族、阿倍氏の氏寺だった阿倍寺の礎石だ。寺田さんによると、これも高津家が一枚かんでいる。

 阿倍野区松崎町の阿倍寺跡とされる所には、松長大明神というほこらがある。「その横手に、誰も寄りつかん不気味な所があって、昭和の初めの水害で、そこから礎石が出てきたんです。大明神の近くには高津さんが土地を持ってたので、礎石は高津邸に持ってきた。高津神社の神官におはらいしてもうて」。これですべての謎が解けた。といっても、解いてくれたのは寺田さんだが……。公園の歴史からも、土地の移り変わりが見えてくる。

 その松長大明神を探して、すっかり様相が一変した阿倍野を歩いた。JR天王寺駅と近鉄の間の陸橋も取り払われて、どうにも落ち着かない。あべの筋を南へ歩き、路地を東へ入ってうろうろ。

 ビルの陰に、石鳥居と常夜灯、朱色の木柵に囲われた小さなほこらがあった。なかなかの構えだ。ほこらの裏にはこけむした石垣が積まれた穴がある。「阿倍寺跡推定地」の碑もあった。寺田さんが言うように、1935(昭和10)年にこの辺りから礎石や瓦が見つかって、阿倍寺跡と考えられるようになった。

 ほこらには卵と赤飯が供えられ、灯明台にはろうそくが揺れている。大昔から連続している時間を感じることができた。【松井宏員】

653名無しさん:2012/03/08(木) 23:15:35 ID:D5mg1aXE0
孫太夫山古墳 仁徳陵と同時期
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003511711.html

堺市にある「孫太夫山古墳」について市が発掘調査を行った結果、古墳が作られた時期は、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理している古墳と同じ5世紀なかごろと見られることがわかりました。
「孫太夫山古墳」は、全長56メートルの前方後円墳で、大阪府や堺市などが世界遺産への登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」の1つですが、作られた時期などはよくわかっていませんでした。後円部分は宮内庁が管理していて、それ以外の場所で堺市が去年11月から発掘調査を行った結果、小型の円筒埴輪などの破片が多数見つかりました。
この古墳のすぐ近くには、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理している古墳があり、5世紀なかごろと見られる似た特徴の埴輪が出土しています。
このため堺市は、2つの古墳は同じ5世紀なかごろに作られたと見られるとしています。
またこの古墳の周囲を囲む濠の跡も確認されました。
堺市文化財課の十河良和調査第一係長は「この古墳は世界遺産登録を目指す古墳群のひとつなので、今後も調査を続け資料の蓄積を続けたい」と話しています。
今月10日には現地説明会が行われることになっています。

03月08日 06時59分

654よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/09(金) 22:40:16 ID:tIwUNxJQ0
堺・孫太夫山古墳:5世紀半ば製造、仁徳陵と同時期の埴輪 円筒など「陪塚」裏付け /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120309ddlk27040322000c.html

 堺市は、同市堺区の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に隣接する孫太夫山(まごだゆうやま)古墳の調査で、仁徳陵が作られたのと同時期の小型の円筒埴輪(はにわ)や朝顔形埴輪の破片が出土したと発表した。同古墳は仁徳天皇の副葬品などを埋葬した陪塚(ばいづか)とされていたが、今回の調査は、それを裏付ける資料となりそうだ。【内田幸一】

 調査は、仁徳陵をはじめとする百舌鳥古墳群の世界遺産登録に向けた一環。

 調査では、古墳の周(しゅう)濠(ごう)の堆積(たいせき)層から円筒埴輪などの破片が出土した。埴輪は直径20センチ程度とみられる。表面の整形の方法から、5世紀中ごろのものとみられるといい、仁徳陵が作られた時期と一致することが分かった。

 前方部の正面では転落した葺(ふ)き石も発見され、前方部の範囲がはっきりし、前方部が短いホタテ貝の形に似た前方後円墳であることも裏付けられた。

 市文化財課は「仁徳陵の陪塚である可能性が高いことが判明した。また古墳の形状や位置から計画的に築造された可能性も高い」としている。

 現地説明会が10日午後1〜4時にある。小雨決行。問い合わせは072・273・6101。

655よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/09(金) 22:44:56 ID:tIwUNxJQ0
演奏:西洋古楽と邦楽が共演 あす、17日−−大阪歴史博物館 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120309ddlk27040349000c.html

 西洋の古楽と邦楽のコラボレーションが相次いで開催される。10日午後2時「ほうがくdeバロック」と17日同「和洋の再会」。いずれも大阪歴史博物館(大阪市中央区)で。

 バロック音楽とは、17世紀初めから18世紀半ばまでヨーロッパで演奏されていた音楽。「ほうがく−−」では、ヘンデル「メサイア」や鹿児島おはら節などが演奏される。鎖国により交わることのなかった二つの音楽が300年の時を超えて交流する。出演は赤坂放笛さん(バロックオーボエ)ら。

 「和洋−−」では、オペラ「アルミード」と能「黒塚」などが演奏され、それぞれ独自に発展してきた和洋の音楽の違いを聴く。出演は能楽笛方森田流、左鴻泰弘さんら。

 いずれも1000円。問い合わせは、そう楽舎(0745・55・2478)。【宮辻政夫】

656よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/11(日) 13:06:26 ID:ZvjjRegk0
新発見の写真11枚展示 第1次大阪大空襲
2012年3月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120311/20120311040.html

 大阪市内中心部を焼き尽くした第1次大阪大空襲から今月13日で67年目となるのを前に、この空襲後の町の様子を撮った写真11枚が見つかり、大阪国際平和センター(ピースおおさか、同市中央区)で展示されている。被災したビルや寺、橋などが鮮明に映っており、歴史資料として「非常に貴重」と注目を集めている。

 写真の所有者は京都市在住の宮澤潔さん(70)で、撮影者は父・堂(たかし)さん(1908〜82年)。古写真を歴史資料として活用する作業を進めていた大阪府立大人間社会学部の中村治教授の目に留まり、昨年12月にピースおおさかに持ち込まれ、分析が進められていた。

 堂さんは望遠鏡の製造を手掛ける技術者で、プライベートでも写真を多く撮影。今回見つかった写真は電気科学館(西区新町、89年閉館)から撮ったと思われるものがあり、同館には当時、望遠鏡があったことから、潔さんは「父は自分の望遠鏡のある場所を訪れては写真を撮っていた。ここの望遠鏡にも携わっていて気になっていたのではないか」と推測する。

 ピースおおさかによると、写真からは、御津八幡宮(中央区西心斎橋)の焼けた灯籠や、無残ながれきの山の中で残った旧そごう(同区心斎橋筋)、空襲直後のためか回収されずに残っている垂れ下がった電線などが分かる。

 電気科学館から撮った写真では、旧西横堀川に架かる新町橋を正面に、後方には焼け残った難波神社の鳥居や難波別院(南御堂)の焼け跡が見える。ピースおおさかでは、堂さんが撮った同じアングルの空襲前の写真も合わせて展示している。

 中村教授は「大阪は産業都市として知られるが、空襲前の写真からは風情ある町の様子がよく分かり、空襲後の写真と見比べることで戦争が何を奪ったがはっきりする」と評価する。

 4日にピースおおさかで開かれた平和祈念イベントでは、大阪電気通信大工学部の小田康徳教授が11枚の写真をテーマに講演し、「焼け跡の写真から、空襲のひどさだけでなく、その後の人の暮らしにつながっていくということも含めて理解してほしい」と解説。

 会場には潔さんも駆け付け「電気科学館は子どものころに父に連れて来てもらい、初めてプラネタリウムを見た場所。まさか父があそこでああいう角度から写真を撮っていたとは知らなかった」と思い出話を披露した。

 展示会場を見て回った潔さんは「自由奔放で、新しいものが好きで、ものすごい多く写真を撮っている父だった。67年もたった今、その写真が何かの役に立つのであれば本当にうれしい」と話していた。

 第1次大阪大空襲 1945年3月13日深夜から14日未明にかけて、B29爆撃機が大阪の空に襲来した。ピースおおさかのまとめによると、その数は274機。市内中心部(当時の浪速区、西区、東区、天王寺区など)を焼き尽くし、被災戸数は13万6107戸、被災者数は50万1578人に上った。B29爆撃機100機以上による大阪大空襲はその後、終戦前日の8月14日まで計8回に及んだ。

657よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/11(日) 13:14:32 ID:ZvjjRegk0
なにわの宮新作万葉歌:最優秀賞に小山さん
http://mainichi.jp/enta/art/news/20120306dde018040061000c.html

 古代の宮殿跡である難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)出土の木簡に万葉仮名で書かれた「春草のはじめ」で始まる短歌「なにわの宮新作万葉歌」をNPO法人大阪府高齢者大学校が募集し、このほど優秀作品の授賞式があった。

 「なにわの宮新作万葉歌」は毎日新聞の提案に大阪市などが応えて2007〜09年に3回にわたって全国公募された。7世紀半ばの古代人が残した言葉に続けて現代人が短歌を完成させる試みで、今回は西日本各地から89首の応募があった。過去の公募と同様、優秀作品には副賞として、作品を記した木簡模造品が贈られた。

 受賞作は次の通り。(敬称略、◇は「春草のはじめ」)

 <最優秀賞>大阪市、小山外志代(74)「◇のよろこび湧き出づる身籠りしとふ子よりの電話」<優秀賞>滋賀県野洲市、本荘育緒(63)「◇に啜(すす)る白粥(しらかゆ)の椀(わん)のぬくもり心安らぐ」<佳作>大阪府茨木市、熊野治子(72)「◇に遠き外(と)つ国に嫁ぎゆく娘(こ)よ幸多かれよ」▽大阪府松原市、北川寿子(61)「◇の季節巡り来て春の日射しに手をかざしたり」▽大阪市、三原后代(72)「◇の空に凧(たこ)さがす興じし子らはすでに父となり」▽大阪府寝屋川市、峰松朱実(70)「◇の年よ古希となるわれに学びの春始まりぬ」【佐々木泰造】

658よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/14(水) 21:02:23 ID:ajGJmZjU0
第1次大阪大空襲から67年 国民学校生が供養
2012年3月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120314/20120314021.html

 太平洋戦争末期の第1次大阪大空襲からちょうど67年に当たる13日、同空襲で全焼した大阪市西区の和光寺に当時の堀江国民学校6年生が集まり、空襲の犠牲者を悼み静かに手を合わせた。

 同校の6年生は、島根県に集団疎開していたが、卒業式のために大阪へ戻り、式前日の空襲で被災。一帯は焼け野原になり、同寺境内には引き取り手のない遺体約150体が埋葬されたという。

 2008年にあらためて卒業式が行われて以降、卒業生が3月14日に供養のため自主的に集まるようになった。今年は昨年に続き、東日本大震災の犠牲者の冥福も祈った。

 当時、旧西長堀川へ逃げて助かったという瀬戸寛治さん(79)=大阪市北区=は「布団をかぶったが足元の隙間から火の粉が吹き込み、もうだめだと何度も思った」と振り返る。

 空襲で焼け出され西区に戻ることはなかったという長浜末子さん(79)=交野市=は「あかんたれだった私がここまで生きてこれたのだから、震災の被災者の人たちも決して諦めないで」と話していた。

 大阪大空襲は、1945年3月から8月にわたった、米爆撃機100機以上による8回の空襲。3月13日深夜から14日未明の第1次では、300機近くの爆撃機が襲来、焼夷(しょうい)弾で大阪市の中心部を焼き尽くした。


空襲後写真また発見 京都に次ぎ尼崎から5枚
2012年3月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120314/20120314022.html

 第1次大阪大空襲(1945年3月13日深夜〜14日未明)後の大阪の町の様子が分かる写真が大阪国際平和センター(ピースおおさか、大阪市中央区)に相次いで持ち寄られている。同センターは京都市内で見つかった写真11枚を譲り受けて公開。これを知った兵庫県尼崎市の市民が新たに5枚の写真を提供した。

 空襲被災の写真は、当時の状況を知る上で貴重な資料だが、同センター所蔵は115枚(新たな16枚を含まず)と決して多くはない。似たアングルを1枚と考えれば「100枚に満たなくなるほど」(同センター)。その大部分が第1次大阪大空襲によるもので、それ以降の空襲後の写真はない。

 公開した11枚は、所有者である宮澤潔さん(70)=京都市=の父親が撮ったもので、被災した大丸や旧そごうがはっきりと分かる。古い写真から暮らしの変容を調べる大阪府立大の中村治教授の調べで分かり、昨年12月にピースおおさかに持ち込まれた。

 宮澤さんは「父の写真は京都で家族を撮ったものが多く、空襲後の大阪の写真があり、これだけ注目を集めるとは思わなかった」と驚く。

 これを報道で知った大阪市中央区出身の中澤潔さん(72)=尼崎市=が、「以前からあるのは分かっていたが重要とは思っていなかった」という写真10枚を同センターに提供。「空襲後の写真は父がもらったもので、自分が若いころは50枚ぐらいあった。残ったのはこれだけだが、何かの役に立てば」と話す。

 同センター専門職員の常本一さんによると、中澤さんの写真は旧御津国民学校(大阪市中央区、現在のビッグステップ)の屋上から撮ったもので、同センター所蔵の「池島写真」と呼ぶ一連の提供写真に当たると判断。10枚のうち5枚が同館にはない角度からの写真で、「池島写真」を補完する貴重な資料になるという。

 うち2枚は、氏子の寄贈により難波神社(前川壽宮司、同区)にもあることが本紙取材で分かった。所有者が複数いることから、常本さんは「撮影者が何かの節目に地域の人に配ったのだろうが、今も残っているのは少なく、貴重だろう」と推測する。

 常本さんは二つの提供写真が大阪府外から出たことに着目。大阪府内ではこれまでも写真が見つかるたびに報道などで話題となってきたが、一般からの写真提供は2010年3月から止まっており、「もっと府外に目を向けるなど、探し方を工夫し、広く提供を呼び掛けながら探していきたい」と話している。

659よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/15(木) 21:40:34 ID:25hoNyPQ0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/244 安養寺−旧勝間街道 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120315ddlk27070427000c.html

 ◆大阪市西成区

 ◇近松浄瑠璃、おさんの墓 「こつま」は「舟」、昔は海岸か
 天下茶屋公園の謎も解けたし、案内してくれた寺田靜雄さん(81)に、そろそろお別れしようかと思ってたら、公園の向かいのお寺を指して「うちと縁があるんです」とおっしゃる。

 安養寺の創建は1689年。西国巡礼中の女官が寺田家に泊めてもらったのをきっかけに、庵(いおり)を結んで念仏修行、遂に出家し寺を開いた、という。

 安養寺にお邪魔してみた。墓地の中に、瓦屋根にガラス戸付きのほこらに納められた墓石がある。なにやら特別なお墓のよう。説明書きを読むと、近松門左衛門の「心中天網島」で、遊女小春と心中する紙屋治兵衛の妻おさんの墓だ。

 大当たりした近松の浄瑠璃だが、1720年に起きた実話の心中事件で、登場人物も実在した。おさんは夫の一周忌を済ませると出家し、晩年をこのお寺で過ごした。墓石には「宝暦九年」(1759年)とある。自分と子どもを捨てて遊女との死を選んだ夫の菩提(ぼだい)を、39年も弔った貞女である。

 その隣のひときわ大きい墓には「猪名川弥右衛門墓」とある。大坂相撲の力士で、浄瑠璃「関取千両幟(のぼり)」のヒーローでもある。徳島出身で1849年没。実は、猪名川の墓はもう一つある。池田市の西光寺で、こちらでは池田生まれとなっている。孤児だったのを酒どころ池田の杜氏(とうじ)が助け、長じて怪力の持ち主となり、相撲取りとなった−−。ひょっとして別の猪名川なのかもしれない。大正時代まで猪名川という名跡が大坂相撲にはあったというから。

 ここで久しぶりに大阪案内人の西俣稔さんと合流し、先へと進む。南へ歩き、南海の高架を越えた所に赤レンガの建物が現れた。「明治44年にできた変電所です」と西俣さん。その横を阪堺電車がガタゴトと通っていった。

 路地を折れて南海岸里玉出駅に出る。玉出本通商店街の中で立ち止まった西俣さんが、魚屋さんと電器屋さんの間を横切っている道を指す。「これが旧勝間街道です」。天神森天満宮の回で、茶人、武野紹鴎(じょうおう)が森を開いて紀州街道を付けたと紹介した。それまでは森を迂回(うかい)して、東の熊野街道か西の勝間街道を通らなければならなかった。

 勝間とは、最近見直されているなにわ伝統野菜の勝間なんきんで名前を耳にする。この辺りの古い地名だが、由来は何なんです?

 「こつまとは、かごのこと。昔はかごのことを堅間(かたま)と言ったんです」。信じないわけではないが、一応辞書で確かめてみる。「竹で目を細かく編んだかご。別名勝間(かつま)」と出てくる。さらに言えば、古代、竹で編んだかごのような舟を「堅間」とか「勝間」と呼んだようで、「昔は海にたくさんの舟が浮かんでいた光景がここから見えたのでしょう」と西俣さん。

 「米」や「とうふ」の看板が架かる旧勝間街道を、2人の老婦人がゆっくりと歩いていた。【松井宏員】

660よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/17(土) 04:53:27 ID:fCPF23Ss0
東成・生野で堤楢次郎絵画展 26日から 大阪
2012.3.17 02:07
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120317/osk12031702070001-n1.htm

 ■「共生」前の鶴橋描く

 大阪・鶴橋で生まれ、生涯この地を愛した日本画家、堤楢次郎(ならじろう)の絵画展「大正と昭和の鶴橋・猪飼野の世界」が大阪市の東成区役所(26日〜30日)と生野区役所(4月2日〜26日)で開かれる。

 堤楢次郎は明治29年生まれ。18歳のころから鶴橋や猪飼野を描き、昭和58年に87歳で亡くなるまで約350点の作品を残した。

 「鶴橋、猪飼野といえば日本人と韓国・朝鮮人らが共に暮らす『多文化共生の街』として知られますが、楢次郎が描いたのはそれ以前の風景」と話すのは、絵画展を主催する猪飼野探訪会副代表で小学校教諭の小野賢一さん(60)。「田園地帯から住宅、工業地帯に変わりゆく東成や生野の様子がよくわかる」と説明する。

 小野さんが楢次郎の作品に出合ったのは11年前。地元の歴史をテーマにした総合学習の教材作りの中で楢次郎の存在を知り、そこに描き出された100年前の鶴橋の色や息づかいに魅せられたという。

 昨年11月には、楢次郎の作品を管理する孫の條治さん(61)の協力を得て楢次郎の作品集「鶴橋・猪飼野画集」を自費出版した。

 今回の絵画展では、この中から旧平野川や桃谷駅を描いた作品など約20点を展示する。小野さんは「歴史資料としても価値が高い絵画。多くの人に楢次郎の存在とその作品を知ってほしい」と話している。

 作品展に先立ち25日午前10時から東成区役所で、大商大・商業史博物館の明尾圭造主席学芸員による記念講演を開催。同日午後1時からは町歩きイベント「描かれた東成・生野区を歩く」も開く(要資料代)。問い合わせは小野さん((電)072・852・8124)。

661よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/18(日) 08:58:34 ID:JWXB0S1E0
海の時空館で企画展 大阪港の発展、電車で学ぶ
2012.3.18 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120318/osk12031802040000-n1.htm

 大阪港の発展とそれを支えた市電の歴史を紹介する企画展「海をめざした鉄道〜なにわの海の鉄道もけい展」が17日、大阪市住之江区の市立海洋博物館「なにわの海の時空館」で始まった。4月8日まで。

 築港発展の歴史を市電や地下鉄がどのように支えてきたかを知ってもらおうと企画した。記念切符をメーンに懐かしい写真や絵はがき、市電双六など約100点を展示。“魚釣り電車”とも呼ばれ人気があった2階付き電車「大阪市電第5号車」など、路面電車から最新の地下鉄までさまざまな車両模型も並んだ。

 実際に模型を走らせる「鉄道模型デモ運転ブース」も設けられ、親子連れらが楽しんでいた。

 午前10時〜午後5時、月曜休館(26日は開館)。入館料は大人600円、中学生以下無料。

662よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/18(日) 09:00:26 ID:JWXB0S1E0
小松左京の夢たどる 吹田市立博物館で写真展 大阪
2012.3.18 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120318/osk12031802040001-n1.htm

 小説「日本沈没」などで知られるSF作家で昨年7月に亡くなった小松左京さんの足跡をたどる「小松左京写真展 宇宙に翔(はばた)く夢」が17日、吹田市立博物館で始まった。4月22日まで。

 興味深いのは、小松さんがテーマ館サブプロデューサーを務めた日本万国博覧会(大阪万博=昭和45年)の理念やアイデアを練るために文化人類学の梅棹忠夫さんらと立ち上げた「万国博を考える会」の議事録やメモなど11点約100ページの資料。小松さんの家の段ボール箱から見つかった。

 昭和39年の議事録(手書き)で小松さんは「ばかばかしい大きなスケールの話にこそ、ユニバーサル(万国共通)な理念がある」と巨大イベントを大阪で開催する夢や意義を語っている。

 このほか映画「日本沈没」に自ら出演した一場面をはじめ少年時代、阪神大震災の現地取材の様子、晩年の講演会の写真などが展示されている。

 18日は石毛直道・国立民族学博物館名誉教授らのフォーラム「小松左京を語る」がある。月曜と祝日の翌日が休館。問い合わせは同博物館((電)06・6338・5500)。

663よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/18(日) 13:53:22 ID:3aHauWEY0
戸開式:生駒山に春呼ぶ−−東大阪・慈光寺 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120318ddlk27040225000c.html

 修験道の開祖・役小角(えんのおづの)(役行者(えんのぎょうじゃ))が生駒山中に開いたと伝えられる東大阪市東豊浦町の慈光寺で17日、生駒山に春を告げる「戸開(とあけ)式」があった。役行者が使っていたとされる2匹の鬼や行者らが護摩をたくと、信者らは安全や無病息災を願って手を合わせた。9月下旬の戸閉(とじめ)式まで、生駒山は修行や行楽のシーズンに入る。

 同寺は約1300年前、山中を荒らし回っていた2匹の鬼「前鬼(ぜんき)」「後鬼(ごき)」を役行者が改心させ、修験道場として創建したとされる。戸開式は修行者の遭難を避けるため、大正時代から毎年続けられているという。

 この日は修験道の修行に使われる開山堂の扉を行者らが開ける儀式の後、鬼や山伏姿の行者らが登場した。副住職の槙尾基希さん(30)は「現在では修験道の儀式は減ったが、安全を願う思いは同じ。今後も続けたい」と話していた。【稲生陽】

664よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/18(日) 15:04:21 ID:3aHauWEY0
大坂冬の陣の布陣図発見、合戦直後に作成か
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120317-OYT1T00493.htm?from=main8

 1614年の大坂冬の陣の布陣を描いた絵図が東京都内で見つかった。

 豊臣家が滅びた大坂夏の陣(1615年)の絵図は江戸後期に写されたものが多く残るが、冬の陣図は珍しい。戦いの直後に描かれた可能性もあるという。

 この絵図は縦37センチ、横27センチで、表題部分は欠けている。東京・神田の古書補修業者が古書を分解中、裏紙として使用されていたのを発見した。

 徳川秀忠を示す「将軍様」、家康を示す「御所様」のほか、布陣する武将名と兵数、大坂城の堀の位置や、中之島や日本橋など地名が記されている。また、豊臣側に、実際には徳川側で参戦した武将「杉原長房 4万人」との記述があり、誤記とみられる。

 出版文化史に詳しい大東急記念文庫(東京)の村木敬子学芸員は、陣立ての描き方や紙の古び方などから、一枚刷りの「冬の陣図」としては、「大坂城之図」(江戸東京博物館蔵)に次ぐ古さである可能性が高いと指摘。入手した安土堂書店の八木正自代表(大阪青山短大非常勤講師・日本文化史)は、〈1〉速報用に絵を簡素に描写〈2〉紙を縦に使用――しているため、「瓦版」の先駆けのようなものと判断。「社会が少し落ち着いた江戸時代の攻城戦だったので、市民は遠巻きに戦見物しており、戦況を知らせれば売れると思って刷ったのでは」と推測している。

(2012年3月18日13時10分 読売新聞)

665よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/18(日) 15:10:56 ID:3aHauWEY0
梶井基次郎「檸檬」の原型…幻の自筆稿見つかる
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120317-OYT1T00526.htm

 近代日本文学を代表する短編小説「檸檬(れもん)」の原型となった挿話を含んだ、梶井基次郎(1901〜32)の小説「瀬山の話」の自筆原稿74枚が見つかった。

 専門家らも長年見ることがなかった幻の原稿で、実践女子大学が東京・神田の古書店から購入、今年中にも公開を予定している。

 「瀬山の話」は、梶井が東京帝大文学部英文学科に入学した1924年(大正13年)、仲間と創刊した同人雑誌「青空」第1号に掲載するために書いたが、作品はまとまらず、この物語の一部の「檸檬」を短編小説に書き直して載せた。

 梶井が31歳で没した翌年、友人の文芸評論家・淀野隆三氏が「瀬山の話」を校訂し、遺稿として雑誌「文芸」(改造社)に掲載。自筆稿は、67年に亡くなった淀野氏が当初は保管していたとみられるが、その後所在がわからなくなった。

 自筆稿は、400字詰め原稿用紙に万年筆で書かれ、随所に推敲(すいこう)の跡がある。

(2012年3月18日13時10分 読売新聞)

666よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/18(日) 15:17:18 ID:3aHauWEY0
五穀豊穣など願い 住吉大社・祈年祭
2012年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120318/20120318028.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で17日、五穀豊穣(ほうじょう)と産業の繁栄を祈る「祈年祭」が執り行われ、参列者らが玉ぐしをささげるなどした。

 祈年祭に先立って境内の種貸社で神様から稲の元種を頂く神種(かむざね)祭もあり、授かった元種の御利益を得て祈年祭が執り行われ、約80人が参列した。

 雨のため、第一本宮から屋内の神楽殿に斎場を移して、コメやタイなどをはじめ海の幸、山の幸がささげられ、真弓宮司が祝詞の奏上を行った。その後、同大社の太田重彦責任役員らが代表して玉ぐしを奉納した。

 また昨年は東日本大震災の直後だったため中止となった直会が祈年祭の後、吉祥殿であり、真弓宮司が「皆さんのご健勝と繁栄を願います」とあいさつ。同大社は昨年、鎮座1800年記念大祭の節目を迎えたこともあり、太田責任役員が「皆さんこれからも支援と協力を」と呼び掛けた。


「神馬塚」の由来紹介 案内板お目見え、除幕式
2012年3月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120314/20120314025.html

 住吉大社(真弓常忠宮司)の馬をかつて放牧していた大阪市東住吉区山坂1丁目の「神馬塚」に由来などを記した案内板がお目見えし、除幕式が行われた。近隣住民ら約40人が参加し、完成を祝った。

 住吉大社では、1月の「白馬(あおうま)神事」などに古くから神の使いとして馬を使っている。同地域には昭和初期まで「神馬」が飼育されており、たてがみや遺骨が埋葬されている場所を「神馬塚」として丁重に祭っている。数年前から地域住民らの間で「神馬」に関するイベントなどが行われ、地域の歴史資産として知られるようになった。

 案内板は馬を奉納している団体「神馬講」などが提供。木製で、富山県の彫刻師、南部白雲さんらが製作し、1月に大社に納められた。神馬をイメージしたたくましい馬が躍動的に掘り込まれ、中央部に由来が記されている。

 「神馬講」メンバーの大阪府燃料卸売業協同組合の西脇利一副理事長は「地域の人にこの場所がますます愛されるようになればうれしい」と言い、日ごろ塚の掃除などを行っている近くの「うどんや風一夜薬本舗」の末廣美沙取締役は「できるだけ地域の方にこの場所を紹介し、活性化につながっていけば」と話していた。

667よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/19(月) 05:43:57 ID:nFVyyoPE0
「子持ち」の勾玉出土 寝屋川の讃良郡条里遺跡 大阪
2012.3.19 02:08
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120319/osk12031902080003-n1.htm

 古墳時代中後期(5〜6世紀)に集落が広がっていた寝屋川市新家の讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡で、宝物や祭祀(さいし)道具だったと考えられている「子持ち勾玉(まがたま)」が出土し、同市教委が18日発表した。子持ち勾玉は遺跡などから単独で出土することが多いが、500個以上の小さな玉も同時に出土。市教委は「古墳時代の祭祀を考える重要な資料になる」としている。

 子持ち勾玉は、大きな勾玉に突起状の「子」が付随したデザインで、全国で数百個の出土例があり、同市内でもこれまでに数個が出土。今回見つかった子持ち勾玉は滑石製で全長6・7センチ、重さ69・1グラム。上部にひもを通す穴がある。

 周辺からは、ひも穴のある小玉や、穴が2つ開いた板状の「双孔(そうこう)(=穴)円板」も出土。市教委は「見つかった勾玉の重量を考えると、装飾具として身に着けたのではなく、草木に掛けるなどして祭祀に使ったのではないか」と話している。

 現地説明会は24日午後1〜3時。京阪寝屋川市駅から京阪バス「楠根南町」下車。駐車場はない。当日の問い合わせは現地事務所((電)072・812・2855)。

668よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/20(火) 06:32:24 ID:lUGMc4lg0
豊臣再興を期す金箔瓦発見 京都・石清水八幡宮
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120320-OYO1T00094.htm?from=main4

 武家の信仰を集めた京都府八幡(やわた)市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で、豊臣秀吉の子・秀頼(1593〜1615)が改修した回廊(重文)の屋根瓦に金箔(きんぱく)が施されていたことが、市教委の調査でわかった。権威の象徴とされる金箔瓦が寺社で使われるのは珍しい。改修は、関ヶ原の戦いで豊臣方が敗れた6年後で、市教委は「捲土重来(けんどちょうらい)を期す秀頼の意図が読み取れる」としている。

 市教委によると、八幡宮に残る古い瓦を調べたところ、かつて回廊周辺などで見つかった3点の破片に金箔が付着しているのを確認。焼成具合などから、1606年に秀頼が回廊を改修した時のものとみられる。

 金箔瓦は城郭で多用され、織田信長が安土城(滋賀県近江八幡市)で使ったのが最初とされる。秀吉や各大名も居城に使用。権勢を示す狙いがあったという。秀頼が改修したのは豊臣家が力を失いつつあった時期で、9年後の1615年に徳川家康に滅ぼされた。

 永井規男・関西大名誉教授(建築学)の話「秀頼は豊臣家の威光を示そうとしたのだろう。緊迫した時代背景を表している」

(2012年3月20日 読売新聞)

669よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/20(火) 06:50:40 ID:lUGMc4lg0
「きれいに撮れてる?」 文楽写真展を人形訪問
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120320-OYT8T00056.htm

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田簑二郎(みのじろう)さん、簑紫郎(みのしろう)さん、簑次さんが19日、読売新聞大阪本社1階ロビーで開催中の本紙夕刊連載「点描 文楽の素顔」の写真展を訪れ、文楽人形と共に観覧した。

 「赤姫」と呼ばれる女形の人形を携えて訪問した簑二郎さんらは、会場で来場者らに、首(かしら)の種類や内部の仕組みなどを解説。主(おも)遣い、左遣い、足遣いの3人の役割分担による操作などを実際にやってみせた。

 写真展では、2009年10月から12年1月にかけて大阪・国立文楽劇場、東京・国立劇場などで撮影した「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」「夏祭浪花鑑(かがみ)」など計12演目を紹介している。31日まで。入場無料。

(2012年3月20日 読売新聞)

670よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/21(水) 21:21:23 ID:i5v/gWF.0
難波が都でなくなってからも、この夕陽を見に貴族たちは訪れたそうです。


沈む夕日に手合わせ 四天王寺で日想観法要
2012年3月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120321/20120321025.html

 「春分の日」の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で西門石鳥居の向こうに沈む夕陽を拝む「日想観法要」が行われ、参詣者らは僧侶とともに般若心経を唱えて夕日に手を合わせた。

 弘法大師・空海が同寺で真西に沈む夕日を見て、西方に極楽浄土を見いだす修行を始めたことに由来する行事。毎年春分・秋分の日に行っている。

 彼岸参りの参詣者らは極楽門前に集まり、僧侶の導きで読経して極楽浄土を観想する“修行”を行った。少し日が落ちるのが遅く、読経が終わってしばらくしてから鳥居に入った太陽は黄金色の優しい光を発していた。

671よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/22(木) 21:38:51 ID:cT6DLH2E0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

明治期の大阪電話事情
2012年3月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120321/20120321049.html

明治36年3月改電話番号簿

 先日、新聞でシンガポールと日本を最短ルートで結ぶ光ケーブルが設置され、情報の行き交う速度が千分の5秒短縮されるという記事を見た。事業主はNTTコミュニケーションズ。担当者の談話では、千分の1秒の情報遅れで数百万ドル損をすることもあり、約3600億円かけたこのプロジェクトにはそれだけの意味があるのだという。

 遠隔地間の通信方法としては、日本では延享2(1745)年にはじまる堂島の旗振り通信があった。通信内容は米相場や油、金の相場だが、慶応元(1865)年、欧米の艦隊が開港を迫って大阪湾に向かった時、旗振り信号でその急を京都所司代に知らせたという。

 戦争と経済が情報の速度を問うのは今に限らない。公衆電報の取り扱いは東京・横浜間が明治2年(1869年)12月、大阪・神戸間は翌年だが、電話はその二十数年後、明治23年東京・横浜間で電話交換を開始、大阪・神戸間に至っては明治26年である。

 明治13年ごろには電報の便利さが一般に知られたが、その後インフレや不況が重なり、政府には新たに電話事業に割く財政の余裕がなかった。だが、大阪では、公的機関での直通電話の導入は早く、特に警察電話の発達が目覚ましかった。一般電話も既に機が熟していたのか、申込者が殺到、設備が追い付かず加入できない人も多かった。

 日清戦争勝利後には、第1次電話拡張計画に乗って加入者数は神戸を含めて7952人と当初の10倍以上となった。今回紹介する電話番号簿は拡張計画の終了ごろ、明治36年3月発行のものである。34年には加入者は繊維業、金属製造販売業が大きな比重を占め、当時の大阪の産業の特質がみえるが、36年には飲食関係が伸び2位になった。

 同月、大阪では第5回内国勧業博覧会が開催される影響だろうが、このことは加入者第1号が既に予告していたのかもしれない。加入申込者と異なる住所への設置を申し込む男に、申込担当者がその理由を尋ねると、その男は小指を立てて「これの家だんねん」と言ったという。「欲と道連れ」の欲に色が付いている−−これを大阪らしいとはあまり言いたくないのだが。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

672よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/22(木) 21:42:06 ID:cT6DLH2E0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/245 生根神社 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120322ddlk27070429000c.html

 ◆大阪市西成区

 ◇商いの神様「勝間南瓜」 浜村淳さんの句碑も

 旧勝間(こつま)街道が横切る玉出本通商店街を西へ抜け、国道26号を渡ると間もなく、生根(いくね)神社が現れた。つかの間、国道の喧噪(けんそう)を忘れる。

 大阪案内人の西俣稔さんが指すのは、境内の「こつま南瓜(なんきん)塚」だ。旧勝間村の特産だったカボチャは、小ぶりで身はよくしまり、うまいと評判を取った。生根神社では、古くから冬至に「こつま南瓜祭り」が執り行われている。勝間南瓜への愛情の表れだ。無病息災を祈願するもので、今も多くの人々でにぎわう。当日は蒸した勝間南瓜を食べることができる。水気が多いのが特徴だという。

 塚のそばに「勝間南瓜石」がある。この石をなでると、「中風除(よ)け、ぼけ払い、生気、才気、商魂」によいという。生根は「しょうこん」とも読めることから商人がありがたがったとか、カボチャは中に種を抱えているから、利益が逃げないと縁起をかついだとか。ともかく商いの神様として、商都・大阪を支えてきたわけだ。

 吉見友伸宮司(43)によると、カボチャに似た形の南瓜石は戦前からあったが、戦災で失われた。1986年に氏子さんが塚を奉納した時に、南瓜石も復活させたのだそうだ。

 勝間南瓜には商売ばかりでなく、色っぽい含意もある。僧侶で作家の今東光の小説「こつまなんきん」は、南瓜の話ではない。主人公、お市のあだ名がこつまなんきん。小柄な女性の代名詞で、今東光は「女は小柄にとどめを刺すというところから、こつまなんきんという渾名(あだな)は一種の色気を含んだ雰囲気を持った代名詞となったほどだ」と記す。没落した河内の旧家の娘に生まれたお市は、その色気を武器に男を翻弄(ほんろう)しながら、宗教の教祖となったり河内音頭の芸人となったりして世を渡っていく。映画にもなった。

 境内をぶらぶらしていたら、朝のMBSラジオでおなじみ、「ありがとう」の浜村淳さんの句碑を見付けた。

 「いざうたえ だいがく音頭に 夏の月」

 吉見宮司に尋ねると、「当社には『だいがく』というのがありまして、雨ごいの神さんなんですが、浜村さんは毎年、だいがくが出る7月の夏祭りに、福笹(ふくざさ)の授与に来られてるんです。もう35年以上も」。

 だいがくとは「台楽」とも書く。御神灯や鈴を飾り付けた高さ20メートルもあるやぐらで、昔はこれを担いで、太鼓を打ち鳴らしながら村を練り歩いたという。明治の頃はこの周辺に6基あったが、戦災で焼失し、現存するのは生根神社の1基だけで、府の文化財に指定されている。

 浜村さんは一昨年、福笹授与35年の節目に、神社の求めに応じて句を奉納したのだ。浜村さんにうかがうと、「日本の祭り」というテレビ番組の司会をした時にだいがくを知り、興味を持って夏祭りに足を運んだのがきっかけで、毎年参加するようになった。

 「だいがくというものが面白い。優しい優美なものではないんです。なんともいえないデザインで、これを若い男の子たちが音頭に乗せて揺すりまくるんです。頑張って生きていこやないか、という浪花のパワーをひしひしと感じるんです」

 生根さんとだいがくに「ありがとう」なんですね。【松井宏員】

673よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/22(木) 22:14:02 ID:cT6DLH2E0
「愛珠幼稚園」園舎を公開 来月21日 建物解説やピアノ演奏も 大阪
2012.3.22 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120322/osk12032202060004-n1.htm

 国重要文化財建造物の「大阪市立愛珠(あいしゅ)幼稚園」園舎(同市中央区)が4月21日に一般公開される。学芸員による古い園舎の解説のほか、明治期に購入されたドイツのイルムラー社製グランドピアノの演奏が行われる。

 愛珠幼稚園の園舎は明治34(1901)年に完成した国内最古の現役幼稚園施設。学校建築では珍しい御殿風の建築で、内部は採光と通風を良くするなどの工夫が見られる。

 公開時間は午後1〜4時で約30分に1回、建物解説とピアノ演奏がある。入場無料。問い合わせは市教委文化財保護担当((電)06・6208・9030)。

674よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/23(金) 21:46:05 ID:JG2WaV8E0
霊気強い?デコボコ勾玉
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120323-OYT8T00051.htm

寝屋川・四條畷 讃良郡条里遺跡

 寝屋川市と四條畷市にまたがる讃良(さら)郡条里遺跡の古墳時代(5〜6世紀)の集落跡で、祭祀(さいし)の道具とされる「子持勾玉(こもちまがたま)」が、両市教委と府文化財センターの発掘調査で見つかった。小さな玉や二つの穴があいた円盤も一緒に出土し、寝屋川市教委は「集落内での祭祀の様子を知る上で重要な発見」としている。

 子持勾玉は側面などに小さな突起があることが名前の由来で、玉としての霊気を増すためと考えられている。発掘されたのは一つ。濃い緑色の滑石製で、長さ6・7センチ、幅2・8センチ、重さ69・1グラム。上部にひもを通す穴(直径6ミリ)があいていた。

 小さな玉は500個以上見つかり、円盤(直径2〜3センチ)は10個以上あった。いずれも滑石を用いていた。

 遺跡からは弥生時代の集落や水田も見つかっており、24日午後1時〜3時に現地説明会が開かれる。

 小雨決行。問い合わせは、寝屋川市教委文化スポーツ振興課(072・838・0188)。

(2012年3月23日 読売新聞)

675よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/24(土) 04:52:00 ID:qtdVaeR.0
満開の桜の下で 能の魅力感じて 来月7日、中大江公園でお茶会 大阪
2012.3.24 03:47
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120324/osk12032402220000-n1.htm

 満開の桜の下、能の舞と野だてを楽しむ恒例の「桜まつりお茶会」が4月7日、大阪市中央区の中大江公園で開かれる。園内に舞台が設けられ、「羽衣」が上演される。

 この催しは、同公園の近くにある山本能楽堂が「花見とともに古典芸能にも親しんでもらおう」と平成20年、中大江校下社会福祉協議会が主催する桜まつりで能の演目を上演したのが始まり。昨春は東日本大震災のため中止された。

 当日は園内のあずまや付近に畳を敷き詰めて舞台を作り、観世流能楽師の山本章弘さん(51)らが羽衣伝説をもとにした人気曲「羽衣」をダイジェストで披露する。

 山本能楽堂は、能楽に触れたことのない若い世代にも伝統文化に親しんでもらおうと「ストリートライブ能」を開くなど普及活動に熱心。「美しい桜の下で能楽の魅力を身近に感じてほしい」と話している。

 開演は午前11時45分。入場無料。雨天の場合は中大江小学校で行う。問い合わせは中大江校下センター((電)06・6910・7986)。

676よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/25(日) 11:53:04 ID:u.4oTJaA0
16−17世紀の甲冑並ぶ 「日欧のサムライたち展」
2012年3月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120324/20120324040.html

 大阪城とオーストリアのエッゲンベルグ城の友好城郭提携3周年を記念した特別展「日欧のサムライたち−オーストリアと日本の武器武具展−」(24日〜5月6日、大阪歴史博物館)の内覧会が23日、報道関係者らを招いて大阪市中央区の同博物館で開かれた。16〜17世紀にかけての日本と欧州の甲冑(かっちゅう)などが展示されている。

 2006年にオーストリア・シュタイヤーマルク州グラーツ市のエッゲンベルグ城の一室に飾られていた絵画が、豊臣時代の大阪城と城下町を描いたびょうぶであることが判明したのを記念し、09年に大阪市と同州立博物館ヨアネウムとの間で、二つの城の友好城郭提携が締結されている。

 今展では同州立博物館から、男性の衣服の意匠を参考に作られた「貴人の四分の三甲冑」をはじめ、当時のエッゲンベルグ城の様子を伝える版画など46点を出展。大阪城天守閣が所蔵する豊臣時代のものとされる「色々威二枚胴具足(いろいろおどしにまいどうぐそく)」や「長篠合戦図屏風(びょうぶ)」など38点が展示されている。

 期間中は火曜日休館。観覧料は特別展のみの場合大人千円、高校・大学生700円。

677よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/25(日) 12:30:20 ID:u.4oTJaA0
鶴橋・猪飼野 原風景淡く
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120324-OYT8T00039.htm

大正、昭和の日本画家 堤楢次郎氏

 大正から昭和時代の鶴橋、猪飼野地区(大阪市生野区などの平野川沿い)を描いた日本画家、堤楢次郎(ならじろう)氏(1896〜1983年)の作品約300点が見つかった。今は見ることのできない当時の町並みや、住民の生活を水彩などで柔らかなタッチで描いている。25日から、東成区役所などで絵画展や講演会が開催される。(梶多恵子)

 堤氏は、鶴橋、猪飼野周辺の風景を精力的に描いたことで知られるが、地元の小学校に寄贈した作品など、20〜30点しか公表されていなかった。

 堤氏の絵に興味を持った大阪市立小の教諭で、郷土史を研究している小野賢一さん(61)が、同市生野区内の堤氏の孫の條治さん(62)宅を訪ね、約300点が保管されていたことがわかった。

 作品は、今は埋め立てられた大正時代の旧平野川や周辺の民家、桃谷駅(現・JR桃谷駅)に停車する蒸気機関車や大阪砲兵工廠(しょう)の建物など、当時の日常が描かれている。堤氏は作品の裏に、「絵を見るのではなく大正時代の鶴橋を見てください」と記したメモを残していた。

 大阪市史編纂所の堀田暁生所長は「人々や民家のたたずまいなどの当時の様子を知ることができる貴重な資料」と評価している。

 作品の一部は、東成区役所(25日〜30日)、生野区役所(4月2日〜26日)で展示されるほか、3月25日には、午前10時から東成区役所で講演会と、描かれた地域を歩くフィールドワークが行われる。無料。問い合わせは、小野さん(072・852・8124)。

(2012年3月24日 読売新聞)

678よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/25(日) 12:31:57 ID:u.4oTJaA0
意外なええもん 富田林で再発見
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120325-OYT8T00084.htm

駅周辺でツアー

 富田林市中心部の商店街を巡る「ええもん・ええとこ再発見ツアー」が24日、近鉄富田林駅周辺で行われた。午前と午後の2部に計24人が参加、重要伝統的建造物群保存地区として観光客に人気がある寺内町周辺を歩き、街の魅力に触れた。

 地元のまちづくり協議会が初めて企画。「健康と自然を見直すスローライフツアー」のテーマで行われた午後の部では、有機栽培の栗を使った天津甘栗販売店や創業55年の電器店など7店を10人が訪れた。

 生花店では店主が「花束の注文を受けた場合はどんな場面で使うか尋ね、どんな花にするか考える」など、気配りをしていることを説明。自然食品販売店では大豆を原料にした肉のような味の食品を試食した。

 同市出身の吹田市千里山、関西大3年東祥平さん(21)は「古い街並みが好き。何気なく通り過ぎがちな道沿いに面白い店がたくさんあることがわかった」と話していた。

(2012年3月25日 読売新聞)

679よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/25(日) 12:43:46 ID:u.4oTJaA0
28古墳の出土品ずらり 開館1周年の特別展 大阪・今城塚古代歴史館
2012.3.25 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120325/osk12032502020002-n1.htm

 「大王の陵墓」といわれる今城塚古墳(国史跡)の出土品を展示する高槻市郡家新町の市立今城塚古代歴史館で、開館1周年記念特別展「阿武山古墳と牽牛子塚(けんごしづか)古墳−飛鳥を生きた貴人たち」が開かれている。5月13日まで。

 阿武山古墳は高槻市の山間部で昭和9年に発見され、ミイラ化したほぼ完全な遺体1体と玉枕、金糸、絹織物などが出土した。その後の研究で遺体は「大化の改新」(645年)の立役者のひとり、中臣鎌足(なかとみのかまたり)の可能性が高いとされる。

 同古墳発掘時の写真や副葬品のガラス玉製の玉枕(復元)のほか、鎌足が仕えた斉明天皇の陵墓とされる奈良県明日香村の牽牛子塚古墳など大阪、奈良両府県の28古墳の出土品や資料300点以上が展示されている。

                   ◇

 開館1周年記念イベントが25日に同歴史館と今城塚古墳公園で行われる。同市出身の男子フィギュアスケート選手、織田信成さんが「一日館長」を務め、8万2千人目の来館者に記念品が贈られる。

 問い合わせは同館((電)072・682・0820)。

680よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/27(火) 21:40:43 ID:M4Yi7uZM0
能の会:能楽シテ方観世流・寺澤幸祐さん、長男と共演 31日、大阪能楽会館で公演 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120327ddlk27040438000c.html

 能楽シテ方観世流、寺澤幸祐(こうすけ)さんと小鼓方大倉流、久田陽春子(やすこ)さんの「能の会」第2回公演が31日午後1時、大阪能楽会館で開かれる。2人とその長男、寺澤拓海さん(12)が「烏帽子折(えぼしおり)」で共演する。

 「烏帽子折」は元服する牛若を描く。当時は元服して成人になると烏帽子をかぶるので牛若が烏帽子屋を訪れると、主人(幸祐さん)は源氏ゆかりの者で祝福する。その後、盗賊の熊坂長範(幸祐さん)一味が牛若を襲うが、みな牛若に切られる。牛若の役は能の子方(子役)卒業の大役。陽春子さんは小鼓を打つ。

 幸祐さんは「牛若は出ずっぱりで1曲通して緊張感を持続するのが難しい」と話す。陽春子さんは「研さんの会ですが、次世代へのステップの場になれば」と言い、拓海さんは「牛若のように堂々とやりたい」と元気いっぱい。

 他に、東日本大震災の被災者鎮魂の意味を込めた半能「高砂」(井上裕久さん)などを上演する。5000〜8000円。問い合わせは事務局(0797・22・0375)。【宮辻政夫】

681よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/27(火) 23:21:13 ID:M4Yi7uZM0
大阪万博へ 燃えた討論
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120327-OYT8T00060.htm

小松左京さん宅に議事録

 1970年の大阪万博開催に先立つ60年代、作家や芸術家、学者ら関西の文化人有志を中心に自由な立場で討議を重ねた「万国博を考える会」の議事録が、昨年7月に亡くなったSF作家小松左京さんの府内の自宅で見つかった。万博のテーマ「人類の進歩と調和」が打ち出された過程に迫る貴重な資料。吹田市立博物館で開催中の「小松左京写真展――宇宙に翔(はばた)く夢」で公開されている。(西田朋子)

 発見されたのは、青焼き印刷の冊子や手書きメモ類など計10点(約100ページ)。非公式の集まりである同会については、小松さんらが回想記で言及しているが、詳細な中身は知られていなかった。

 それによると、大阪万博の開催決定より11か月早い64年6月に、小松さんらが「準備会」として活動を開始。同年10月作成の趣意書には漫画家の手塚治虫さん、SF作家の星新一さんらも名を連ね、「民衆の知恵を結集し、見本市の規模を超え(開催後に)国連本部を誘致するくらい雄大なことをしないと人は集まらない」とある。

 メンバーの一人で、当時、京都大学人文科学研究所助手だった評論家の加藤秀俊さんは、「大阪開催の博覧会が、東京の官僚に指導されるのは関西文化にとってまことに心外。大阪は民間主導で、という機運と切迫感があり、関西の学界の知恵を集めた『考える会』が発足した」と振り返る。

 65年3月の「考える会」では、候補地として千里丘陵のほか大阪南港、琵琶湖畔、神戸港などを挙げ、来場者3000万人を見込んで新空港を含む交通網整備などの必要性を指摘。同年10月の「第1回総会」では、後にテーマ館展示プロデューサーに就任する芸術家・岡本太郎さんが「個人が部品化、分業化された近代社会において、未来に向けて個人を超えた芸術・作品を作り上げるとすれば、それは博覧会」と発言した。

 こうした議論を踏まえ、人類学者の梅棹忠夫さんらメンバー有志が徹夜を重ね、翌月パリで開催される国際万国博理事会に向け、「テーマと基本理念」の草案をまとめたという。

 吹田市立博物館の小山修三館長(国立民族学博物館名誉教授)は「学問は広く世界とかかわるべきだ、という60年代の刺激的な空気とメンバーの熱い思いが伝わってくる。現代の関西文化の原点を、多くの人に知ってもらえれば」と話す。

 4月22日まで。無料。開館は午前9時30分〜午後5時15分。4月2、9、16日は休館。問い合わせは同館(06・6338・5500)。

 大阪万博

 正式名称は日本万国博覧会。世界77か国と国際機関、都市、企業などが116の展示館を出展。70年3月15日〜9月13日の会期中、約6422万人が訪れた。原始から未来に向かう生命の素晴らしさを表現するテーマ展示館は、地下展示場から高さ70メートルの「太陽の塔」内部を通り、大屋根の空中展示場を観覧する構造だった。

(2012年3月27日 読売新聞)

682よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/01(日) 13:53:10 ID:hlQdgRgU0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

有名両替屋の所在地
2012年3月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120328/20120328046.html

手形便覧

 天王寺界隈(かいわい)の古書店の目録に「手形便覧」が掲載された。その本屋を訪れ、店主にその話を向けると、「皆、よう知ってますなぁ」。午前中に4、5人から引き合いがあったが、最初の注文者の手に落ちたという。この言葉に精気を失い、私は黙り込んで数分後に店を後にした。もう40年は経過しただろうか。思い出すといまだに惜しい気がする。

 古書店は、平等を期するために、目録を市外に早く、市内は遅れて発送する。目録が届くと同時に血眼になって目を通す。他人よりも早く目的の史料を見つけると、直ちに発注しなければ史料を入手することはできない。

 目録買いが難しいのは、現物を見ずに資料の保存状態や内容、金額の妥当性を考慮して判断をしなければならないことだ。常に古書と向き合っていても知らない本はいくらでもある。当時の私は若くて、この本の存在を知らなかったのである。

 「手形便覧」は大阪の両替屋の名前と住所を記した横長の冊子(三切本)で、寛政11(1799)年に初めて刊行された。手形取り扱いの便宜に供するためのもので、内容は若干異なるが、十人両替、本両替、南両替、銭両替、遣来(やりくり)両替屋などの代表的な店名と町名が記載され、有名両替店の分家・別家も一目でわかる。これ以後は一紙もので「大阪両替屋所附」=文政11(1828)年=「大阪両替手形便覧」=天保14(1843)年=等がある。

 大阪には多くの手形が回っていた。大手形・預かり手形・振出手形・振差紙・約束手形・為替手形等、種別も多い。金や手形を江戸や地方とやりとりするのには飛脚を使う。

 ここに挙げた「大阪両替手形便覧」=安政4(1857)年=は、「山」形に「中」と書かれた島屋佐右衛門の商標があり、正月の刊期からみて、「お年玉」として関係者に配布したようである。

 島屋は江戸の京・大阪宛ての定飛脚問屋で、大阪の組合店が元禄14(1701)年に作った江戸の飛脚宿であり、金銀逓送を行った。本店は江戸瀬戸物町で、上州・奥州・函館・越後などに出店を展開した。明治期には陸運元会社に参加、のちの内国通運会社(現在の日本通運の前身)になった。

 (大阪商業大学商業史博物館元学芸員・小田忠)

683よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/05(木) 05:57:41 ID:j3dAegs.0
日欧の戦いの歴史紹介 歴史博物館で特別展 大阪
2012.4.4 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120404/osk12040402030002-n1.htm

 16〜17世紀の日本とオーストリアの“戦い”に関する資料を集めた特別展「日欧のサムライたち」が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている。東西の戦いの歴史や戦闘方法などを分かりやすく比較、紹介している。5月6日まで。

 大阪城とオーストリアのエッゲンベルグ城の友好城郭提携3周年を記念し、同博物館と大阪城天守閣が合同で企画した。

 見どころは、同時代の日本と欧州の武器や武具の比較展示。オーストリアからは、州立博物館ヨアネウムなどに所蔵される神聖ローマ帝国時代の甲冑(かっちゅう)や長槍(やり)、銃などの武器・武具や、当時のエッゲンベルグ城や戦闘の様子を描いた版画など46点が並んだ。

 日本側からは、大阪城天守閣などが収蔵する、室町時代から江戸時代にかけての合戦図屏風(びょうぶ)や、真田幸村らが用いたと伝える甲冑など38点が紹介されている。

 特別展の観覧料は大人千円、高校・大学生700円、中学生以下無料。火曜休館。問い合わせは同館((電)06・6946・5728)。

684よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/05(木) 21:16:53 ID:9efkOlQI0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/246 江戸川乱歩寓居跡 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120405ddlk27070418000c.html
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120405ddlk27070418000c2.html

 ◆守口市

 ◇時の流れに建物消え 近くに説明板あれば

 前回まで阿倍野から玉出へと歩いて、ふと気付けば、この連載も8年目に突入した。この間に、残念ながら消えてしまったものもある。歌の文句じゃないが、「時の流れを恨むじゃないぞ」などとつぶやきながら、しばし、そんな所をたどってみる。

 連載16回目(06年1月)で取り上げた守口市の「江戸川乱歩の家」。地下鉄谷町線・守口駅2番出口を上がってすぐの所に、古びた洋館があった。名探偵・明智小五郎と怪人二十面相の血湧き肉おどる推理小説を生み出した江戸川乱歩が、1924(大正13)年から2年間、住んでいた家だった。明智小五郎が初めて登場する「D坂の殺人事件」はこの時期に書かれており、名探偵が生まれた家でもあった。

 久しぶりに訪ねてみると、マンションと洋風の民家に変わっていた。一昨年に建て変わったようだ。産婦人科医だった大野正さんが所有していて、80年に乱歩が住んでいたことがわかってから、資料を集めては訪ねてくるファンを案内していた。取材した時は亡き夫に替わって奥さんが、この家を守っていた。

 その頃は既に開放されていなかったが、家の中を見せてもらった。2階が乱歩の書斎で、ここで天井の節穴を眺めていて着想したのが、節穴から毒薬をたらして人を殺すという「屋根裏の散歩者」だった。大阪生まれの推理作家、芦辺拓さんは取材で本当にこの家の天井裏に入ってほこりだらけになったという。

685よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/05(木) 21:20:48 ID:9efkOlQI0
>>684

http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120405ddlk27070418000c3.html
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120405ddlk27070418000c4.html

 老朽化が激しく、国道脇という一等地でもあって、一昨年に建物は解体し、建て替えたという。資料類は保管しているそうだ。それは致し方ないが、守口市にはひとつ注文をつけたい。地下鉄の改札を出た所の地図にも、元寓居脇の遊歩道の標識にも「江戸川乱歩居住跡」などとあるのだが、当の場所の表示も説明もない。大野さんが作った説明板があることはあるのだが、物陰に隠れていて人目に触れない。

 何も残っていないし、今は一般の方が住んでいるから、場所を明示するのは難しいかもしれない。しかし、すぐ近くの遊歩道の起点に、ちょっとした緑地のような空間があるので、そこに「乱歩寓居跡」の説明板を据えることくらいはできるだろう。何もなしでは、大野さんご夫婦が守ってきた厚意が報われない。

 芦辺さんは当時の取材に「行政が関わって、書斎を再現するなど保存すべき」と語っておられた。それができなくなったいま、せめてできることをしてほしい。【松井宏員】

686よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/05(木) 21:58:41 ID:9efkOlQI0
巨大な仁徳陵、見えた! 50年ぶり、堤の樹木伐採
2012.4.5 16:18
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120405/osk12040517330011-n1.htm

 仁徳さん、すっきり−。日本最大の前方後円墳、仁徳天皇陵(大山古墳、堺市)で5日までに墳丘の“目隠し”となっていた堤防の樹木が一部伐採され、木立の間から巨大な前方部のシルエットが見えるようになった。

 管理する宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所によると、伐採は少なくとも50年ぶり。「見えない天皇陵」の大変身に、市民や春休みで訪れた親子連れには「墳丘がいかに大きいか初めて分かった」「圧迫感がなくなり、すっきりした」と好評だ。

 3重の周濠に挟まれた二つの堤防にはカシなどがびっしりと生えており、これまでは内側の堤防(内堤)上にある拝所から、前方部のごく一部が見えるだけだった。

 伐採したのは、拝所周辺の約120本。枝が広がりすぎたものや倒れそうな古木を同事務所の陵墓職員が慎重に見定め、間引くように切った。

687よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/06(金) 05:33:33 ID:Xer6aqs20
国立文楽劇場前で除幕式 高津の「二ツ井戸」復元 大阪
2012.4.6 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120406/osk12040602000000-n1.htm

 織田作之助の小説「夫婦善哉」にも登場する文楽発祥の地、大阪市中央区の高津(こうづ)地区にかつてあった井戸「二ツ井戸」が同区の国立文楽劇場前に復元され、5日、除幕式が行われた。

 町の歴史と文化を再評価することで町の魅力を高めようと、同地区の住民らで組織する二ツ井戸復元実行委員会などが企画した。

 二ツ井戸とは、長方形の石の井げたの真ん中を石板で仕切った井戸のことで、2つの井戸が隣接していたことからこう呼ばれた。江戸時代の文献にも記載されている由緒ある井戸で、当時は近隣住民の生活用水として利用され、明治5年からしばらくは「二ツ井戸町」という町名にもなったが、明治22年の道路拡張の際に埋設された。

 復元された二ツ井戸は縦約1・1メートル、横約1・9メートルと当時の約8割の大きさ。実行委員長の金田(かなた)次郎さん(68)は「地域の歴史遺産、観光遺産として後世に伝え続けたい。町おこしのきっかけとともに、ミナミの新たな魅力になれば」と話していた。

688よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/08(日) 06:49:06 ID:LWSczBNs0
弥生期復元建物 暴風雨で倒壊 和泉の史跡公園
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120407-OYT8T00048.htm

 和泉市の池上曽根史跡公園で、弥生時代(約2000年前)の姿をイメージして復元された掘立柱建物(約20平方メートル)が、3日の暴風雨で倒壊していたことがわかった。市教委は修復を検討する。

 市教委によると、3日午後1時30分頃、住民が市教委に通報した。建物は10本の柱(直径約20センチ)で茅葺(かやぶ)き屋根を支えていたが、全ての柱が根元から折れ、横倒しになっていた。市教委は周囲にロープを張り、近づけないようにしている。

 池上曽根遺跡は弥生時代の大規模な環濠(かんごう)集落跡で、1976年に国史跡に指定された。同公園は2001年5月に整備され、5棟が復元された。他の4棟は倒壊していない。

(2012年4月7日 読売新聞)

689よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/08(日) 06:55:37 ID:LWSczBNs0
我が国最古の寺、四天王寺。
四天王寺の悠々たる時の流れの中で見る桜は、また一味違うのかもしれません。
時間のある方は日曜日の今日、行かれてみては如何でしょうか。


極楽もうすぐ満開 四天王寺
2012年4月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120407/20120407036.html

 6日の大阪市は最高気温11・7度と平年を6度余り下回り、3月上旬並みの肌寒い一日。それでも各地のサクラはようやく花開き、確実に春の足音を刻んでいる。

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺では、境内のサクラが見頃に。一般公開している極楽浄土の庭(本坊庭園)に並ぶ約100本のサクラは、週末から来週初めにかけて満開のピークと予想されている。

 中心伽藍(がらん)と六時礼讃堂の西側、参詣客らの休憩所となっている和労堂前の丸池周辺に並ぶサクラも七分咲きとなっており、記念撮影する観光客や写真愛好家の姿が見られた。

690よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/08(日) 10:03:42 ID:.Am/9SmU0
岸和田城周辺がリニューアル
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003682731.html

桜の名所として知られる大阪・岸和田市の岸和田城周辺に観光客を呼び込もうと、新たに芝生の広場や石畳の道などが整備されました。岸和田城は、誰が建てたのかはわかっていませんが、豊臣秀吉の天下統一の際は大阪南部の拠点として重要な役割を果たしました。
現在の天守閣は昭和29年に再建され、桜の名所として知られています。
岸和田市は、観光客を呼び込むため、国や府から補助を受け4億円あまりをかけてお城周辺の広場や歩道を新たに整備ました。
このうち、「二の丸広場」には、新たに芝生エリアが作られたほか、無料の休憩施設や飲食店を併設した「観光交流センター」が新築されました。
このセンターは内装工事を終えた後、5月ごろにオープンするということです。
また、以前は砂利道だった天守閣への入り口やお堀沿いの歩道が石畳の道となり、訪れた人たちが快適に散策できるようにしたということです。
岸和田市観光課の中島剛さんは、「岸和田城は花見のシーズンになるとお客さんも多く、桜がたくさん咲いていますので、これからのシーズンにぜひ来ていただきた」と話していました。

04月08日 08時00分

691よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/08(日) 18:41:22 ID:o6TNPu4U0
関西パワースポット、春はピクニックがてら「すみよっさん(住吉大社)」へ
http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/googirl/2012/04/post-1118.html

 長く寒い冬が終わり、春の訪れを感じることが増えた今日この頃。「暖かくなったら何しようかな」、「春になったらどこにいこう・・・」そんな楽しいことを考えることも多くなりましたね。そこで今日は関西の人にお友達とぜひ足を運んで欲しいスポット&オススメのまわり方をご紹介したいと思います。

「住吉大社」に行ったことはありますか?

 大阪の人々に「すみよしさん」、「すみよっさん」などの愛称で親しまれている「住吉大社」。商売繁盛をお願いする大阪商人たちがよく訪れる場所でもありました。今でも初詣には毎年200万人の人が訪れる場所でもあります。
 商売繁盛以外にも境内にはたくさんのお社や文化財があり、恋愛成就から勝負運や交通安全などを願うことができると、現在は若い女性たちの間でパワースポットとしても有名です。

女友達といくならまず美味しいお買いものを!

 仲の良い女友達と住吉さんにいくのならば、まずはお昼前になんば高島屋地下入り口で待ち合わせしましょう。まずはここでピクニックの準備です。住吉大社の向かいには「住吉公園」という大きくのどかな公園が広がっています。せっかく暖かい気持ちの良い気候になったのですから、外でおいしいご飯を食べてピクニック気分を楽しみましょう!
 高島屋デパ地下にてお昼ご飯に最適なお惣菜を買って行きます。焼きたてのパンでできたサンドウィッチ?それとも春野菜を使ったサラダ?揚げたてのコロッケ?もちろんスイーツも!なんでも揃っちゃいます。思う存分買ったら、南海線で住吉大社駅へと向かいます。25分ほどで到着です。

住吉公園にてお弁当広げてピクニック!

 駅についたらホームの自販機やコンビニでお茶を買って、目の前に広がる住吉公園へ。緑が多くベンチも多い公園ですから、軽く歩けばお昼ごはんを広げる場所はすぐに見つかるでしょう。そこで買ってきたお惣菜を友達と喋りながら食べるとピクニック気分満点!このあと行く住吉大社10 件で何をお願いするか相談してもいいですね。

692よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/08(日) 18:43:39 ID:o6TNPu4U0
>>691

住吉大社で「五所御前」GO!

 お腹が満たされたら住吉大社へ!その広さにびっくりするはず。国宝でもある御本殿はもちろん、川端康成の小説の舞台になった住吉大社の「反橋」など見所たくさん!しかしせっかく女友達と訪れたのだったら、「五所御前」に行きましょう。
 別名「高天原 (たかまがはら) 」とも言われる杉の木があります。そこには石が敷き詰められており、その石の中には「五」・「大」・「力」の漢字が書かれている石があります。この石を3つ集めると、「五大力」=体力・智力・福力・財力・寿力が得られるのだとか。たくさんの石の中からこの文字が書いてある石を一つ一つ探すのはなかなか大変!ですがここは友達と力を合わせて探し出し、3つの漢字を揃えましょう。わいわい言いながらだと探す作業も楽しいもの。
 この見つけ出した3つの石は授与所で袋を買ってその中に入れると、お守りとして持つことができます。300円で買え、小さい巾着のようで可愛いお守りなのでいい記念になります。

 ほかにもいろんな周り方ができる住吉大社。パワースポットでパワーをチャージしたい人はもちろん、大阪に住みながらもまだ行ったことがない人や、女友達とどこかお出かけしたい、そんな人にもオススメです。

▽ 住吉大社駅とその周辺のグルメ・お土産・みどころ・イベント情報[あきない住吉参り]

ライター:宮野茉莉子
証券の営業を経て、現在フリーライター&子育て中。読書、写真、旅、お酒、哲学が好き。「哲学=アート。自由▽ オリジナリティー▽ 実験的に物事を考える。がモットー。

693よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/08(日) 19:45:43 ID:WDtcA4bc0
>飛鳥時代に聖徳太子や斉明天皇などが道後温泉に訪れたという伝説にちなみ、朱、緑、黄色を基調に
>四天王寺(大阪府)や


「飛鳥の湯」松山市に提言へ 道後温泉第3の外湯
2012.3.28 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120328/ehm12032802040001-n1.htm

 ■本館の2倍以上、露天風呂も

 松山市の道後温泉周辺の観光関連業者や住民などで作る団体「道後温泉誇れるまちづくり推進協議会」(宮崎光彦会長)は27日、松山市の子規記念博物館で臨時総会を開き、道後地区の活性化を目指して道後温泉本館、椿の湯に続く第3の外湯「道後 飛鳥の湯」の建設を松山市に提言することを満場一致で決議した。同市への提言は30日に行われる見込み。

 「飛鳥の湯」は敷地面積約2840平方メートルで、道後温泉本館の2倍以上。近隣のホテル椿館別館の敷地(同市鷺谷町)が第1候補地にあげられている。

 建物は飛鳥時代に聖徳太子や斉明天皇などが道後温泉に訪れたという伝説にちなみ、朱、緑、黄色を基調に四天王寺(大阪府)や法隆寺(奈良県)など、飛鳥建築のイメージを取り入る。

 温泉は男女合わせて176平方メートルの内湯と285平方メートルの露天風呂があり、女湯の内湯では古代の入浴着をもとにデザインした「湯帳」を着て入浴するスタイルも新サービスとして盛り込まれる。建設や土地の所有・借地は同市、運営管理は指定管理制で民間に委託し、経営は道後温泉本館、椿湯と複合させて行うことなども提言する予定。

 宮崎会長は「飛鳥の湯は道後温泉本館の改修工事に伴う代替施設ではない」としたうえで「100年後も誇れる道後温泉のシンボルとして、早期実現を目指したい」と力を込めた。

694よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/10(火) 02:25:35 ID:ivC1zZaU0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産登録へ PRピンバッジ 大阪
2012.4.10 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120410/osk12041002010004-n1.htm

 ユネスコの世界遺産暫定一覧表に記載されている巨大古墳群「百舌鳥(もず)・古市古墳群」について、堺市は世界文化遺産への登録の重要性をPRするピンバッジを作製し、9日に販売を始めた。

 同古墳群は、堺市の百舌鳥古墳群と、羽曳野、藤井寺両市にまたがる古市古墳群からなる。バッジは縦が最大で1・7センチ、横2・5センチ。百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵をモチーフにし、「堺」の文字も配したデザインで、「百舌鳥古墳群のあるまち堺」をPRしている。

 価格は1個500円。市内の観光案内所や市産業振興センター、堺伝統産業会館のほか、東京・有楽町の大阪百貨店堺産品展示販売コーナーなどでも扱っている。市は売り上げの一部を、市の世界文化遺産登録推進基金に積み立てる方針。

695よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/12(木) 06:00:32 ID:zpjtFojM0
春の大古本祭り28日から テーマは「1960年代」 大阪・四天王寺
2012.4.12 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120412/osk12041202060000-n1.htm

 関西の古書店29店が出店する「春の大古本祭り」が28日〜5月3日、大阪市天王寺区の四天王寺境内で開かれる。古書を身近に感じてもらおうと、関西古書研究会と同寺が毎年春と秋の年2回開催している。

 今回は「リメンバー1960年代」をテーマにさまざまなジャンルの古書約50万点が並ぶほか、昨年秋の古本祭りで好評だった「災害支援チャリティー本コーナー」も開設。

 注目されるのは、1881年に発行されたケイト・グリーナウェイのマザーグース絵本や、飛行船ツェッペリン号から撮影された戦前の映画「空中世界一周」のポスターなど。19〜20世紀のイラスト入り雑誌も多数出品されるという。

 午前10時〜午後5時(最終日は午後4時まで)。問い合わせは大仙堂書店((電)072・994・8852)。

696よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/13(金) 05:25:27 ID:OYy9pwDE0
世界遺産へ民間推進協 百舌鳥・古市古墳群 大阪
2012.4.13 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120413/osk12041302020002-n1.htm

 百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界遺産登録を目指して関係の府、堺市、羽曳野市、藤井寺市で構成する「登録推進本部会議」が12日、府咲洲(さきしま)庁舎(大阪市住之江区)で会合を開いた。「オール大阪」での登録推進の機運を盛り上げるため、民間団体による協議会を設立することなどが決まった。

 「本部会議」は昨年5月に発足。会合は2回目となる。府と3市の関係者らが出席し、平成24年度の事業として、情報発信のためのホームページの作成、国内外向けのDVDの作製をすることを決定。また、ユネスコに提出する登録推薦書の作成に取りかかることなども決めた。

 民間団体による協議会は、5月末までに設立する計画。経済団体や観光団体などに加入を求めることを検討するという。

697名無しさん:2012/04/15(日) 14:44:16 ID:DOQMvGnM0
四天王寺や住吉さんで見る桜は染井吉野以外がいいですね
できれば当時の品種であればよりいいと思う
全国どこでも一種類の桜を見るのもいいのですが、
当時の都に想いを浮かべるにはそうでない桜がいい

698よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/15(日) 19:38:26 ID:Ynx27Ruk0
「夏の陣」など11点 大阪城収蔵の屏風展示
2012年4月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120415/20120415026.html

 花見客などでにぎわう大阪市中央区の大阪城天守閣内3階展示室で、「テーマ展 世情−大阪城天守閣収蔵風俗屏風(びょうぶ)にみる」が開かれている。重要文化財の「大坂夏の陣図屏風」「南蛮屏風」など11点を展示。天守閣の学芸員が屏風内に描かれた人々の様子をピックアップし説明を加えるなど、桃山時代から江戸時代にかけての当時の人々の様子を知り、楽しめる内容となっている。

 「大坂夏の陣図屏風」では、徳川家康や真田幸村なども登場し大坂城の南方で繰り広げられた戦闘の様子が描かれた右隻とは対照的に、左隻には大坂を脱出する敗残兵や町民などの様子が細やかな描写で表現されている。

 また「大坂市街・淀川堤図屏風」の中の天満橋上でけんかする男女の姿や「吉野花見図屏風」の酔っぱらって動けなくなった男性の姿など、当時の人々のさまざまな姿を楽しむことができる。

 富山市から会社の仲間とともに観光で訪れていた城川実さん(79)は「屏風がこうして残っているのがすごいと思う。(人々の様子も)時代が変わると感覚が違いますね」と話していた。

 5月6日までの午前9時から午後5時(入館は閉館の30分前まで。28日〜5月6日は午後6時閉館)。

699よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/17(火) 05:14:30 ID:IMxFL1wU0
更紗 エキゾチック花模様 堺の博物館
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120416-OYT8T00097.htm

代表3産地の40点展示

 木綿の布に花などの文様を染め出したインド発祥の更紗(さらさ)を集めた企画展「和更紗―堺・京・長崎―」が、堺市堺区の市博物館で開かれている。6月3日まで。

 和更紗は、日本で江戸時代後期に庶民に広まった。会場には代表的な産地だった堺、京都、長崎で当時作られた異国情緒あふれる色とりどりの約40点が並ぶ。

 くっきりとした柄の京更紗、赤色が印象的な長崎更紗に対し、堺更紗は藍色を多用。大柄な花模様も特徴で、白の花びらに「霰(あられ)」と呼ばれる点描が入っており、来客用の布団や座布団に使われたという。

 宇野千代子学芸員は「歴史や技法、模様の面白さを比べながら楽しんで」と呼び掛けている。月曜休館(30日、5月21日は開館)。問い合わせは堺市博物館(072・245・6201)へ。

(2012年4月16日 読売新聞)

700よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/18(水) 05:29:05 ID:FKftKj6o0
竹内街道歩き、楽しみたい人たちへ お役立ちマップ改訂版 大阪
2012.4.18 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120418/osk12041802010002-n1.htm

 ■トイレやコンビニ網羅

 7世紀ごろから大阪と奈良を結び、日本最古の官道とされる「竹内(たけのうち)街道」の全行程を網羅したウオーキングマップが完成した。トイレやコンビニエンスストアの位置など最新の“お役立ち情報”が詰め込まれ、同街道歩きを楽しみたい人たちをサポートする。

 関西の歴史文化の魅力を発信する歴史街道推進協議会(本部・大阪市北区)が、街道沿いの魅力を再発見してもらおうとこれまでに製作したマップの改訂版。今回は地域のボランティアガイドが中心となり、より詳しく正確な情報を集めた。

 竹内街道は、難波〜飛鳥京間を結ぶ官道として飛鳥時代に整備された。距離は約35キロ。

 マップは、堺市〜松原市▽松原市〜羽曳野市▽太子町〜奈良県葛城市−の3部構成。街道沿いにある駅や交差点などの基本情報に社寺や史跡などの歴史的スポットを加え、トイレやコンビニなどを記号で図示。「ここ(羽曳野市の峰塚公園)から見る二上山の遠景はおすすめ」などの“ひとことガイド”も盛り込んだ。

 また改訂版では新たに、周辺地域の祭りやイベントの時期や内容を写真入りで紹介している。

 同協議会やボランティアガイド団体で配布しているほか、「歴史街道」のホームページからも無料でダウンロードできる。1万部を製作。問い合わせは同協議会((電)06・6223・7745)。

701よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/18(水) 21:26:15 ID:/nZL1Oj.0
何に使った? 亀形土器
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120417-OYT8T00057.htm

泉佐野・諸目遺跡 腹部に穴


 泉佐野市長滝の諸目(もろめ)遺跡で、飛鳥時代〜奈良時代(7〜8世紀)頃の、亀の形をした土器が、府文化財センターの発掘調査で見つかった=写真、同センター提供=。奈良市の平城京などでは亀の形をしたすずりが出土しているが、墨をためるくぼみがなく、腹部に穴があるなど、すずりとは特徴が異なるという。

 市立長南小学校の体育館建て替えに伴い、2月から約1100平方メートルを調査。亀形の土器は長さ約20センチ、高さ約6センチで、甲羅の部分などが一部欠けていた。頭の部分に穴を開けて目や鼻などを表現し、脚を付けた跡も残っていた。

 同センターの担当者は「すずりとしては使えそうになく、類例がない。いったい何に使ったのか」と首をかしげている。同センターによると、亀は神仙世界の使いのめでたい動物とされ、亀形のすずりは、奈良のほか滋賀や福岡などで出土している。

(2012年4月17日 読売新聞)

702よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/18(水) 21:27:20 ID:/nZL1Oj.0
高槻・成合遺跡から弥生集落跡 より安全な高台へ移住か 大阪
2012.4.18 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120418/osk12041802010001-n1.htm

 府内で出土例が少ない弥生時代の翡翠(ひすい)製の勾玉(まがたま)が見つかった高槻市の成合(なりあい)遺跡。付近では昭和20年代に土器片が見つかるなど遺跡の存在は知られていたが、これまで本格的な調査は行われていなかった。今回の調査で弥生時代の建物跡が見つかったが、短期間で廃絶した集落だったと考えられている。弥生時代の集落跡が集中するこの地域の歴史をたどる貴重な発見になりそうだ。

 今回の調査で、弥生時代中期〜後期の竪穴建物跡が8棟分見つかった。数十人が暮らした比較的小規模な集落とみられるが、建物跡はいずれも改築された跡がなく、遺物の出土も少ないことから、調査にあたる府文化財センターは「集落は短期間で廃絶した」と推測している。

 成合遺跡の衰退期は、川を挟んでより高台にある古曽部・芝谷遺跡の出現期と重なる。成合遺跡の集落が安全な場所を求めて移住した可能性があるという。

                   ◇

 現地説明会は21日午後1〜3時(雨天実施)。問い合わせは現地事務所((電)072・689・9265)。

703よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/18(水) 21:33:14 ID:/nZL1Oj.0
弥生集落跡からヒスイ勾玉
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120418-OYT8T00052.htm

高槻・成合遺跡 淀川の水運で流通か

 府文化財センターは17日、高槻市東部の丘陵上にある成合(なりあい)遺跡で弥生時代(約2000年前)の集落跡を確認し、ヒスイ製の勾玉(まがたま)=写真、同センター提供=を発掘した、と発表した。大規模な遺跡を中心に出土する貴重な勾玉で、北摂地方の拠点集落「安満(あま)遺跡」(国史跡)とのつながりがうかがえるという。

 勾玉は長さ1・7センチ、幅1・4センチで、淡い緑色に乳白色が交じっている。ヒスイは新潟県の糸魚川が産出地で、生産遺跡が見つかっている北陸地方で加工されたらしい。勾玉は、安満遺跡(東西1・4キロ、南北0・6キロ)にいったん運ばれ、北約2キロにある比較的小規模な成合遺跡にもたらされたとみられる。

 北摂地方では、弥生時代後期に平野部の安満遺跡が衰退し、北西約1キロの丘陵部にある防御的な性格を備えた古曽部・芝谷遺跡が出現する。成合遺跡の時代はその移り変わりの時期で、高槻市立今城塚古代歴史館の森田克行館長は「弥生集落の変遷がたどれる貴重な発見。勾玉は淀川を利用した流通で運ばれたのだろう」と話している。

 現地説明会は21日午後1時から3時。雨天決行。高槻市営バスの「上成合」バス停下車、東へ徒歩5分。問い合わせは、現場事務所(072・689・9265)。

(2012年4月18日 読売新聞)

704Bristol Airport Hotels:2012/04/19(木) 11:18:52 ID:fR.ID1YY0
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705よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/22(日) 06:52:51 ID:AHkfD0go0
幽玄の夕べ、150人酔う 豊中不動尊で「島熊山桜能」 大阪
2012.4.22 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120422/osk12042202000003-n1.htm

 万葉の歌に詠まれた島熊山の風雅を味わう「島熊山桜能」が20日夕、豊中市緑丘の豊中不動尊で行われ、大勢の能楽ファンが幽玄の世界にひたった。

 千里丘陵の一角にある島熊山は標高が116メートルほどだが昔は急峻(きゅうしゅん)で旅人が通行に難渋したといわれ、万葉集に「玉かつま 島熊山の夕暮れに ひとりか君が山道(やまじ)越ゆらむ」と詠まれた。その島熊山の歴史、風情を語り伝えようと、能楽観世流シテ方の山本博通さんを中心に5年前から「桜能」を始めた。

 本堂前に特設された能舞台でまず、知ったかぶりで威張る人間を笑い飛ばす狂言「菌(くさびら)」が演じられた。

 法師役の大蔵流狂言方、善竹忠重さんと、採っても採っても生えてくるキノコ役の小学生5人のユーモラスなやりとりがあり、子供たちが舞台狭しと跳びはねると大きな拍手がわき起こった。

 続いて、山本さんによる能「羽衣」が演じられた。三保の松原で漁師に羽衣を見つけられた天女が、優雅な舞を演じて羽衣を返してもらい、天へ舞い戻る物語。

 時折降る雨にもかかわらず、詰めかけた約150人からため息がもれた。

706よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/22(日) 21:11:21 ID:agPkcwdg0
心安らぐ和風庭園 川端康成ゆかりの極楽寺に 大阪・茨木
2012.4.22 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120422/osk12042202000001-n1.htm

 ■開園式に60人

 文豪・川端康成ゆかりの極楽寺(浄土宗、茨木市宿久庄(しゅくのしょう))に和風庭園「東心園」が完成し21日、檀家(だんか)や関係者ら約60人が参加して開園式が行われた。

 庭園は、地元の通称「東村」の人たちがいつでも集え、心を安らげることができる場所にと造られた。広さ約500平方メートルで、周囲の田園や里山が借景となっている。

 本尊や観音菩薩などを表す「三尊石」の前に「心」をイメージした池が掘られ、5大陸を意味する「五石」の周りに人間の煩悩と同数の108個の念珠石が埋められている。

 住職の森昭順(しょうじゅん)さんは「五石の周りを歩いて世界平和を祈ってほしい」と話す。

 同寺は戦国時代の16世紀末の開創と伝わる。川端康成は、この寺の近くの祖父方で少年時代をすごした。川端家の菩提寺(ぼだいじ)でもある。開園式では、康成の遠縁にあたる川端億佳(やすよし)さんが総代として司会役を務めた。

707よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/23(月) 05:26:42 ID:WJPJ3BAs0
細川ガラシャ 音楽でしのぶ 29日に終焉の地で 大阪
2012.4.23 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120423/osk12042302030003-n1.htm

 ■来年、生誕450年控え

 戦国武将、明智光秀の娘で細川家に嫁ぎ、キリスト教に改宗した細川ガラシャ(1563〜1600年)が関ケ原の戦いで命を絶ったとされる屋敷跡に建つという「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」(大阪市中央区)で29日、「細川ガラシヤ様に捧(ささ)げる音楽会」が開かれる。

 熊本県のテレビ局が、細川家末裔(まつえい)という元首相、護煕氏の妻、佳代子さんがガラシャの足跡を訪ねる企画を進めており、音楽会もその一環。当日は、佳代子さんも会場であいさつし、来年で生誕450年というガラシャを、音楽などでしのぶという。

 ガラシャは、現在の京都府長岡京市周辺を支配していた細川家の忠興のもとに嫁いだが、光秀が本能寺の変(1582年)で織田信長を討つなどしたため、山里に幽閉されるなど苦難のときを過ごしキリスト教に改宗。関ケ原の戦いでは、大阪の屋敷にいたところを石田三成の軍勢に攻め込まれ、悲劇的な最期をとげたとされる。

 音楽会は同日のミサのあと、午前11時半ごろにスタート。ガラシャの揺るぎない信仰を歌ったとされるシュタウトのオペラ「勇敢な婦人」より「“不変”のアリア」などが披露される。入場無料。

708よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/24(火) 05:45:49 ID:7XSJBIic0
「大阪商人」じゃなくても知りたい「大阪締め」
(1/2ページ) 2012/4/22 7:00
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE6E2E7E1E2EAE4E2E3EAE2E6E0E2E3E09393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

 春本番となり、歓送迎会やお花見などの機会が増えた。関東出身の記者が気になっていたのが、宴席の中締めなどで耳にする独特の手締め。いつも聞いていた一本締めや三本締めと違い、独特の掛け声が覚えにくい。聞くと「大阪締め」という大阪ならではの手締めらしい。

 大阪のオフィス街の中心地、北浜。土佐堀川沿いのおしゃれな店では、夜が更けるとほろ酔い気分の人たちがテラスに集まってくる。「せっかくだから、あれ、やりましょか」。皆で円陣を組み、手を掲げた。「打ちまぁーしょ」……。独特の口上と手拍子が夜空に響く。

■天神祭では行き交う船が手拍子送り合う

 さっそく「大阪検定」を運営する大阪商工会議所に問い合わせてみた。「一番多く大阪締めに接する機会があるのは天神祭です」と話すのは地域振興部の中野亮一部長。大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭は日本三大祭りの1つで、約120万人もの観光客が訪れる。川面に約100隻の船を浮かべる祭りの目玉「船渡御(ふなとぎょ)」で行き交う船が互いに手拍子を送り合う光景を見たことがある。

 まず手を掲げ、手拍子の準備。「打ちまぁーしょ」の掛け声とともに「パン、パン」と2回手を打つ。次に「もひとつせぇ」で「パン、パン」。最後に「いおう(祝う)てさんど(三度)ぉ」の掛け声に「パパン、パン」と打ち返す。これまで関東で聞いたことのある「いよーっ、パン」や、「パパパン、パパパン、パパパン、パン」を3回繰り返す三本締めに比べ、セリフが多いのが特徴だ。

709よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/24(火) 05:48:10 ID:7XSJBIic0
>>708

http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE6E2E7E1E2EAE4E2E3EAE2E6E0E2E3E09393E082E2E2;df=2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

 船渡御は神体や神霊を船に乗せて川や海を渡す神事だ。「神聖なことと関係があるに違いない」とにらみ、生国魂神社(大阪市天王寺区)、通称「いくたまさん」を訪ねた。

■生国魂神社の手締めが発祥

 神主の中村文隆さんが快く応じてくれた。「実は大阪締めの発祥は生国魂神社の例祭で用いられていた手締め。これの短縮バージョンが、天神祭を通じて、今の『大阪締め』になったと言われています」

 生国魂神社に伝わる手締めでは前述の大阪締めに続きがある。「いおうてさんどぉ」の手拍子は「パン、パン、パン」。その後「めでたいなぁ」「パン、パン」「本決まりぃ」「パン、パン」と続く。全部で節が5つなのだ。「川の流れが速く、船がすれ違う時間内に間に合わないので3つに減ったのではないかと言われています」と中村さん。

 江戸時代になるとビジネスの場にも広がった。船場や堂島などの“大阪商人”は商談成立を祝って「ここらで手ぇうちましょか」と言って手締めをしていたようだ。契約を文書に残す習慣が普及していなかった時代。北回り船などの航路に乗って人の口から口へ、北は北海道、南は九州まで伝わった。今でも大阪締めと拍子のよく似た手締めが残る地域があるという。

■大阪証券取引所が復活させる

 とはいえ、大阪締めが以前ほど頻繁に見られなくなっていることを、上方落語協会の小山暁生事務局長は残念がる。司会などで呼ばれた落語家はパーティーや宴席で必ず大阪締めをするが「事前に練習してもだいたい拍子のタイミングがずれてしまう」。伝統を守り伝え、威勢の良い掛け声で関西の証券業界を盛り上げようと、大阪証券取引所は2001年、新年祝賀会で恒例だった三本締めをやめ、大阪締めを復活させた。

 「過去を大切にすることが大阪の未来の発展につながるのでは」と中村さんは話す。様々に変遷しながら、何百年も受け継がれてきた大阪締めを廃れさせてしまう理由はない。もっと手軽に楽しむ機会は見つかるはずだ。さて、私も今回の取材を無事に終えたところで、お手を拝借。「打ちまぁーしょ」……。

(大阪経済部 根本舞)

710名無しさん:2012/04/24(火) 10:11:41 ID:nxo1jDdY0
毎年2億じゃないよな、とりあえず2億か、MKタクシーだよな
関西興銀(韓国系)潰れてそれの営業引き受けた近畿産業信用組合
いい話ではあるが、日本人としては情けない話でもあるわな。


朝日新聞・橋下番 ‏ @asahi_hb
本日最後に、ほっとするニュースを。近畿産業信用組合は23日の決算会見で、日本センチュリー交響楽団に2億円の支援をする方針を明らかにしました。同信組の青木定雄会長は「文化を守るため、継続してやっていく」。大阪府からの補助金がカットされている楽団にとっては朗報ですね。
https://twitter.com/#!/asahi_hb/status/194441648271405057

711よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/24(火) 21:57:01 ID:Aqqsukbo0
>舞楽は15世紀に大阪・四天王寺から伝わったとされる。


能生白山神社で春季大祭
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/34630.html

舞楽に来場者「うっとり」

 国重要無形民俗文化財の舞楽で知られる糸魚川市能生の能生白山神社春季大祭が24日、同神社で開かれた。色とりどりの衣装で舞う11演目が、境内に設けられた舞台で披露され、見物客を魅了した。

 舞楽は15世紀に大阪・四天王寺から伝わったとされる。鉾(ほこ)や太刀を使う「泰平楽(たいへいらく)」など8演目は児童が舞い、竜をモチーフにした「納曾利(なそり)」を含む3演目は大人が担う。

新潟日報2012年4月24日

712よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/26(木) 20:43:23 ID:V9/XseWE0
上方落語:協会の本拠地が大阪・天満に完成
毎日新聞 2012年04月26日 14時48分(最終更新 04月26日 15時00分)
http://mainichi.jp/select/news/20120426k0000e040243000c.html

 上方落語協会(桂三枝会長)の本拠地となる「上方落語協会会館」が26日、大阪市北区天満4に完成した。

 建築家の安藤忠雄さんが無償で設計を請け負った。天満天神繁昌亭や大阪天満宮の近くに建てられた会館は、鉄筋コンクリート3階建て(延べ床面積約260平方メートル)。上部に大きな三角窓と天窓を採用し、自然光を取り入れたデザイン。協会の事務所のほか、上方落語の資料室や落語家の稽古(けいこ)場などを備えた。

 完成式で三枝会長は「こんな素晴らしい大きなものができたのも先輩、師匠方のお陰です」、安藤さんは「大阪を元気にしたいので、少しお手伝いができればと思いました。大阪の職人さんに、うまく造っていただきました」と語った。【油井雅和】

713よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/26(木) 21:32:51 ID:V9/XseWE0
>住吉大社の図で構成されていたが大正時代、37枚に分けられた。


気品漂う紀貫之の肖像画公開
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201204260057.html

尾道市瀬戸田町の耕三寺博物館で国重要文化財「佐竹本三十六歌仙断簡 紀貫之」が特別公開されている。5月6日まで。衣冠姿の紀貫之の肖像に、散る花を雪になぞらえた一首が添えられた鎌倉時代の作品。肖像を藤原信実が描き、和歌は江戸時代に入って狩野探幽が修復したと伝わる。もともと「佐竹本三十六歌仙」は歌人36人の和歌や肖像と、住吉大社の図で構成されていたが大正時代、37枚に分けられた。

714よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/28(土) 05:45:41 ID:pMDwDqig0
俳諧への夢残る 御堂筋
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120428-OYT8T00018.htm

芭蕉終焉の地 (大阪市中央区)

 次々に南へ走り去る車の頭上で、イチョウの若葉がゆったりと風に揺れる御堂筋。大阪市中央区久太郎町。東側道と、中央の4車線を仕切る、幅4・5メートルの緑地帯に、石碑「芭蕉終焉(しゅうえん)の地」がひっそりとたたずむ。

 20センチ四方、高さ1メートルの石柱。南面に〈此附近芭蕉翁終焉ノ地ト傳(つた)フ〉と刻まれている。多くの名句を残した松尾芭蕉(1644〜94)がこの付近で世を去った、と伝える。

 伊賀上野に生まれ、江戸で活躍した芭蕉は1694年9月10日、大阪に入った。仲たがいする弟子の仲裁のためとされている。間もなく病に倒れ、南御堂(難波別院)前の花屋仁右衛門邸に身を寄せ、同年10月12日、51歳で生涯を閉じた。南御堂は石碑から見て、御堂筋をはさんで南西側に立つ。

 かつての御堂筋は幅が狭く、商家が立ち並んでいた。商業の中心地・船場の商人たちが行き交う通りだった。

 石碑の東面には「昭和九年三月 建之大阪府」とある。府が建立した1934年は、幅6メートルだった御堂筋を現在と同じ44メートルに拡幅する工事の最中で、日本初の公営地下鉄・御堂筋線梅田―心斎橋間が開業した翌年だ。地域の歴史に詳しい、近くの坐摩(いかすり)神社宮司・渡辺紘一さん(72)は「街の大改造が行われていた時期で、御堂筋沿いの商家が多数消えた。芭蕉が亡くなった場所がわかるようにと建てたのでしょう」と話す。

 開業当時の地下鉄出入り口は今の緑地帯にあったとの記録もある。船場で生まれ育った米谷浩さん(76)(大阪市住吉区)は子どもの頃、車馬道(しゃばみち)と呼んでいた側道で、馬の引く荷車にこっそり飛び乗って遊んだという。「今のように車が走っておらず、緑地帯にも自由に行き来できた」。石碑は人の営みの中にあった。

 石碑の管理はいつの頃からか、府から大阪市に移った。担当者らが緑地帯の草木を育て、清掃をする。市では最近、御堂筋を全面緑化し、歩行者専用とする構想を検討している。

 石碑の西面には、〈句碑ハ昭和十年三月 難波別院内北築山ヨリ茲(ここ)ニ移ス〉との文字がうっすらと残るが、周りに句碑はない。南御堂によると、俳人らが江戸末期、150回忌に合わせて境内に建てたものを、昭和初期に移した。しかし戦後、御堂筋の交通量が激増し、1962年、句碑だけ再び境内に戻した。

 句碑には辞世の句が記されている。

 〈旅に病(やん)でゆめは枯野をかけまはる〉

 時代とともに碑(いしぶみ)を取り巻く風景は移る。客死した俳人は最期の地で、今も時間を旅しているのかもしれない。

(安田弘司)

  
死の予感 名句生む 俳人・佛教大教授 坪内 稔典さん 68

 俳句研究の第一人者は、芭蕉の句の新たな解釈を試みているという。例えば、有名な〈古池や蛙飛び込む水の音〉。「わびさびの句とされてきたが、荒れた池に、カエルがどぼどぼ飛び込んで、新たな命がよみがえったと読めはしないか」と笑う。「後の世に作られた芭蕉像にこだわりすぎると、本来の句の良さを見失う」との思いからだ。

 芭蕉が諸国を巡った末、大阪を訪れた理由についても新説を掲げる。「体に不調を抱えているのに旅を決行しており、弟子を仲裁するためだけとは思えない。俳諧に対する自らの考えを、文化の中心である上方にも広めたいという夢を持っていたのでは」とみる。その結果、辞世の句や、〈この道や行く人なしに秋の暮〉など、数多くの名句が大阪で生まれた。「新たな刺激を受けながら、突然の病に死を予感し、心の澄んだ状態になった」と解説する。

 俳句を愛し、芭蕉の足跡をたどる人は多い。「石碑のおかげで最期の場所がわかるが、今は容易に近づけない」と、緑地帯にあることを残念がる。「亡くなった場所は、その人の生き様を表すもの。終焉の地を伝える意味は大きいのではないでしょうか」


 ◆交通手段 大阪市営地下鉄御堂筋線・中央線本町駅12番出口から御堂筋東側歩道を南に約90メートル。句碑のある南御堂は、同駅13番出口から南に約150メートル。

 この連載で取り上げる石碑を募集しています。連載へのご意見、ご感想もお寄せください。いずれも読売新聞大阪本社社会部(ファクス06・6361・3001、メールo‐naniwa@yomiuri.com)へ。次回は5月中旬に掲載します。

(2012年4月28日 読売新聞)

715名無しさん:2012/04/28(土) 14:10:28 ID:BrOXFiqU0
>>712
落語の頑張りには頭下がるね、みんな自費で頑張ってる
ワッハ上方や文楽はどうしょうもねえよ

716よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/29(日) 10:14:37 ID:kwElhwiw0
7世紀、泉北に「瓦工場」 陶邑窯跡群 仏教隆盛で生産拠点化? 寺院から受注
2012.4.29 07:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120429/wlf12042907050001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120429/wlf12042907050001-n2.htm

 5世紀から10世紀までの約500年間に千基もの窯(かま)が築かれたとされる大阪府南部の大規模窯業(ようぎょう)生産地の遺構「陶邑(すえむら)窯跡群」で、瓦を焼いた7世紀中頃の窯跡が発見されていたことが29日、分かった。7世紀には、寺院にしか瓦の使用がほぼ認められておらず、通常は寺院ごとに瓦が生産されており、同窯跡群は、陶磁器のルーツである須恵器(すえき)の生産拠点として知られていた。だがこの発見で、同窯跡群が、仏教の普及した比較的早い時期から、瓦の生産拠点でもあったことが初めて明らかとなった。

 発掘調査は、大阪狭山市の山本地区で今年1〜2月、ため池の埋め立てに伴って実施された。窯跡は、ため池から出土し「陶器山(とうきやま)310号窯」と名付けられた。平瓦(ひらがわら)や煉瓦(れんが)などのかけら約200点と、須恵器のかけら約千点が見つかった。瓦は須恵器を作るように、丁寧に表面をなでて仕上げられていた。

 同窯跡群は、須恵器の生産が朝鮮半島から伝わった5世紀に開設。食器類や副葬品などを生産し、九州から東北まで全国に供給するようになった。同窯跡群の須恵器は、時代とともに形状が変遷していることから、さまざまな遺構の時代特定の基準となっている。

 瓦ぶきは7世紀、藤原京(奈良県橿原市)の大極殿など“特例”を除けば、寺院にしか許されていなかった。千基あるとされる同窯跡群の窯のうち、これまで約400基が調査されたが、同窯跡群内の7世紀以前の窯から、寺院の建材が出土したのは初。煉瓦は寺院の基礎部分や古墳の石室に使われたとみられる。

 瓦は仏教とともに6世紀中頃、日本に伝来。その後、仏教の普及が進み、7世紀後半には全国各地で寺が建設されるようになった。一般的には、寺院ごとに瓦を焼く窯がそれぞれ設けられていた。同窯跡群のような大規模生産地で、各地の寺から受注生産されていたことは、これまで知られていなかった。同窯跡群では、近畿各地から受注していた可能性もある。

 大阪狭山市教委の学芸員、土江文子さんは「瓦が足りないなど、急な必要があった場合に発注を受け、それに応じて作っていたのでは」と指摘。須恵器に詳しい京都府立大の菱田哲郎教授(考古学)は「この調査結果で(瓦の伝来以降)比較的早い時期に、同窯跡群で瓦を生産する技術があったということが初めて分かった」と話している。

 出土した瓦などは、大阪府立狭山池博物館で同日始まった発掘成果速報展で初公開されている。同博物館は、南海高野線大阪狭山市駅下車、北西約700メートル。

 
陶邑窯跡群

 大阪府南部に位置する、須恵器を焼くために用いられた窯の遺構群。古墳時代から平安時代まで続いたとされる。名称の由来は、「日本書紀」に書かれた古い地名「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」にあたる、とされていることによる。堺市の泉北ニュータウンを中心に、西は和泉、岸和田両市、東は大阪狭山市の、東西約15キロ、南北約9キロにおよぶ泉北丘陵一帯に広がり、日本最大の須恵器生産地跡といわれる。

717よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/29(日) 10:58:53 ID:kwElhwiw0
「猪飼野」の歴史見つめよう あす生野区民センターでイベント 大阪
2012.4.29 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120429/osk12042902000003-n1.htm

 日本書紀に記され、大正・昭和初期には朝鮮半島・済州島から多くの人たちが移住した地「猪飼野(いかいの)」(現在の大阪市生野・東成区の一部)について考えるイベントが30日、大阪市生野区勝山北の生野区民センターで開かれる。歴史、文化、日本と朝鮮半島との交流など多角的な観点で、5世紀からの地域の変遷を語る。

 「王仁(わに)博士 難波津 猪飼の津 1600年のルネッサンス」と題し、地域文化の研究団体・キュリオ勝山(勝山文化研究会)が主催。昨年、同地域に関する2冊の本(『ニッポン猪飼野ものがたり』『王仁博士 難波津の歌と猪飼野』)が相次いで発行されたのに合わせて開催する。

 「ニッポン猪飼野…」の編集を担当した地域歴史研究家、足代(あじろ)健二郎さんが「1600年の猪飼野を考える」のテーマで基調講演。続いて識者8人がパネリストとなって意見交換する。

 当日は午後1時半〜5時。参加費は500円(資料代含む)。問い合わせは康守雄(カン・スゥン)さん((電)090・5045・9756)。

718よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/29(日) 21:58:12 ID:B.qpXmF60
その1冊きっとある 四天王寺大古本祭始まる
2012年4月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120429/20120429029.html

 和宗総本山四天王寺で28日、恒例の「第10回四天王寺春の大古本祭」が始まった。来場者らはお目当ての一冊を探し出そうと、境内随所に出店・陳列された文学、歴史、芸術などの書籍に見入っている。5月3日まで。

 関西一円の古書籍関連30業者が出店。今回は「リメンバー1960年代」を特集テーマとし、各業者が陳列の一部に60年代の書籍を集めたコーナーを作っている。フォークやシャンソン、当時の絵本などが人気だという。

 5年前から同祭を訪れている岡山県笠岡市の高橋常忠さんは、買い求めた文学全集を手に「これだけ多くの古書があれば、他でなかなか無いようなものが見つかる」と話していた。

 また今回は、東日本大震災復興チャリティーコーナーも設置している。収益金を被災地に寄付する予定で、同祭を主催する関西古書研究会の菅哲夫会長は「本を購入し協力いただいたお金が何らかの形で役に立てば」と話している。

719よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/30(月) 19:45:20 ID:KMSxQ7nQ0
>かつて天皇の即位後に浪速の海に向かって行われた儀式にちなみ、

大阪湾背に心と体躍動 踊りの祭典ワールドあぽろん
2012年4月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120430/20120430029.html

 ジャンルを超えた踊りの祭典「第7回ワールドあぽろん」(同実行委員会主催、大阪日日新聞など後援)が29日、大阪市住之江区のアジア太平洋トレードセンター周辺で開かれた。大阪湾を前に約100チームが競演し、心と体を躍動させた。

 かつて天皇の即位後に浪速の海に向かって行われた儀式にちなみ、大阪のベイエリアのにぎわいづくりにつなげようと実施。あらゆる分野の踊りが集結する一大文化芸能祭を目指す。

 会場は六つに分かれ、約3千人が出演。大阪湾を背にした海辺のステージでは、オープニングセレモニーが開かれ、祭典の幕が上がった。

 室内外の各舞台の上では、各チームがよさこいソーランなどの演舞を約5分間隔で次々と披露。大人から子どもまで目いっぱいの力を発揮していた。

 海辺のステージで出演した大学生の多川佳祐さん(21)は「楽しくて仕方がない。踊りの輪がもっと広がっていけば」と笑顔を見せていた。

720よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/30(月) 19:47:11 ID:KMSxQ7nQ0
>同地区には奈良時代の僧・行基が猪名川に橋を架ける工事成功祈願を同総社にした際、無数のコイが集まり、
>その背に乗って工事を完成させたという「鯉伝説」が残っている。


大空に”神の使い” 椋橋総社こいのぼり100匹
2012年4月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120430/20120430031.html

 端午の節句を前に、私立庄本幼稚園(大阪府豊中市庄本町1丁目、川辺豊園長)の園児らが作った長さ約80センチのこいのぼり100匹が、同園のある椋橋総社(川辺豊宮司)の境内に掲げられている。赤や青、オレンジ色など色とりどりのビニール袋で作られたこいのぼりが、「鯉伝説」の伝わる庄本地区の人らを楽しませている。

 同地区には奈良時代の僧・行基が猪名川に橋を架ける工事成功祈願を同総社にした際、無数のコイが集まり、その背に乗って工事を完成させたという「鯉伝説」が残っている。以降、同地区はコイは神の使いとして大切にされ、現在も境内の池には100匹以上のコイが飼育されている。

 同園では地域に伝わるこれらの話を伝えていこうと2005年から毎年、この時期に園児に伝説を語り聞かせるとともに、こいのぼりを手作りして境内に掲げている。こいのぼりは赤、青、黄など7色の色付きビニール袋を使って作られており、気持ち良さそうに泳ぐ姿が見られる。

 川辺園長は「自分たちが作ったこいのぼりが大空を泳ぐ姿に子どもたちは大喜び。地元の人たちからも親しんでいただいていますので、これからも季節の風物詩として続けていきたい」と話している。

 こいのぼりは5月中旬まで飾られる。

721よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/01(火) 22:10:34 ID:M3IY1u2g0
行方不明の右隻みつかり、左右そろって初公開! 大阪城天守閣蔵の洛中洛外図屏風
2012.4.30 19:21
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043019250020-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043019250020-n2.htm

 京都のにぎわいや四季の景観を描いた左右1対の風俗画「洛中洛外図屏風(びょうぶ)」で、行方が分からなくなっていた右側の屏風が見つかり、大阪城天守閣(大阪市中央区)で左右そろって初公開されている。

 「大阪城天守閣本」と呼ばれるこの洛中洛外図屏風は、江戸前期の寛永年間(1624〜44年)ごろの制作とみられる。左隻(させき)には二条城などが、右隻(うせき)には内裏や豊臣秀吉をまつる豊国廟(びょう)などがそれぞれ描かれている。

 左隻は大阪市内の民間美術館(平成16年閉館)が所蔵していたが、右隻の所在は長らく分かっていなかった。

 その後、時期は不明だが、右隻がアメリカに流出していたことが判明。秀吉ゆかりの資料などの収集を手がける大阪城天守閣が19年に左隻、20年に右隻を購入した。調査などを終え、今年3月から開催中の屏風絵のテーマ展で初めて左右そろって公開している。

 跡部信主任学芸員は「近年は洛中洛外図屏風が新たに見つかること自体珍しい。離ればなれになっていたペアが長い年月を経て再びめぐりあった奇跡を感じてもらえたら」と話している。展示は5月6日まで。

722よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/04(金) 16:16:11 ID:chYekN0E0
歴史や文化感じて 大阪城前ファミリーフェス始まる
2012年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120504/20120504025.html

 大阪城の歴史や文化を身近に感じてもらおうと、大阪市中央区の大阪城天守閣前本丸広場特設ステージで3日、大阪城ファミリーフェスティバル2012が始まった。高校生などのステージイベントに、観光客が足を止めて見入っていた。6日まで。

 毎年ゴールデンウイークにあわせ、観光客、地元住民の両方に楽しんでもらおうと開催している恒例行事。初日は大道芸や歴史トーク&クイズ、大阪市立鶴見商業高、市立大阪ビジネスフロンティア高、市立扇町総合高の吹奏楽部が日ごろの成果を披露した。

 吹奏楽の演奏では、子どもに人気のアンパンマンのテーマソングや懐メロ、大阪らしく阪神タイガース応援歌の六甲おろしなどを披露。来場者は「元気をもらった」「心があたたまった」と笑顔で拍手を送っていた。

 4日は高校生和太鼓の演奏、5日はよさこい踊りの祭典であるメチャハピー祭、6日は本物の火縄銃で迫力満点の演武を行う大阪城鉄砲隊が登場する。入場無料。

723よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/04(金) 16:20:14 ID:chYekN0E0
あす、府内の文化人ら 真田まつりでトークショー 大阪
2012.5.4 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120504/osk12050402100001-n1.htm

 「大坂の陣」で活躍した戦国武将、真田幸村を顕彰しようとゆかりの和歌山県九度山町で4、5日に開かれる「真田まつり」に、府内の文化人、芸能人、一般住民らでつくる「『大坂の陣』を大河ドラマにする会」が招待され、メンバーらがトークショーを繰り広げることになった。

 真田まつりは、幸村らが九度山に隠棲(いんせい)していたことにちなみ、幸村の命日(5月7日)に近い5月4、5日に毎年開かれている。

 トークショーは5日午前10時半から同町入郷の会場内で行われる。OSK日本歌劇団の桜花昇(の)ぼるさん、講談師の旭堂南陽さん、大阪城天守閣研究主幹の北川央(ひろし)さんらが出演。幸村の魅力をざっくばらんに話すほか、活躍ぶりを南陽さんが講談で披露する。

 まつりの問い合わせは実行委((電)0736・54・2019)。

724よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/04(金) 16:24:05 ID:chYekN0E0
大阪唯一の木造五重塔が完成 富田林の願昭寺
2012.5.2 14:39
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120502/trd12050214410005-n1.htm

 大阪府富田林市の願昭寺に大阪府内では唯一となる木造五重塔が完成し、5日に落慶法要が営まれる。塔の高さは37・27メートルで、設計や施工を担当した大成建設によると、国内の五重塔では10番目の高さ。

 五重塔は開山55周年などを記念して、横手慶隆住職(73)らが発願し、2009年12月に起工、工事は昨年11月に終了したが、東日本大震災の発生から1年もたっていなかったことから、落慶法要開催を自粛していた。

 塔は朱塗りで、心柱は樹齢800年を超えるカナダ産ヒノキを使用した。

 横手住職は「五重の塔が希望の光をみなさんに注ぎ、心の安らぎになることを願っています」としている。

725名無しさん:2012/05/05(土) 23:21:36 ID:3zi6eNFQ0
なぜ大阪にはこんなに寺が多いのか
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE6E2EBE5E5E0E5E2E2E3E2E7E0E2E3E09393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4
大阪市内を歩いていて、1キロ以上にわたって寺院の甍(いらか)の波が続く地域があるのに気づいた。ざっと数えて数十の寺院が門を構えている。住所標記をみると「天王寺区下寺町」。聖徳太子にゆかりの深い四天王寺にも近い。そういえば大阪府は京都府や奈良県より寺院が多い、と聞いたことがある。なぜ大阪には寺院が多いのか、歴史背景を調べてみた

726よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:09:46 ID:4uFzLL9o0
私は大阪の持つ多面的な顔の一つが『祈りの街』であると思っていましたが、なるほど、これは。
日本国初の首都が置かれたという『歴史の街』という顔、水都という『水の街』、大都会であるという『超高層の街』、交通が集積しているという『交通の街』・・・
大阪とは単純化して語る事の出来ない、日本の中でも世界の中でも稀有な大都市なのです。


なぜ大阪にはこんなに寺が多いのか
2012/5/5 7:00
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE6E2EBE5E5E0E5E2E2E3E2E7E0E2E3E09393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

 大阪市内を歩いていて、1キロ以上にわたって寺院の甍(いらか)の波が続く地域があるのに気づいた。ざっと数えて数十の寺院が門を構えている。住所標記をみると「天王寺区下寺町」。聖徳太子にゆかりの深い四天王寺にも近い。そういえば大阪府は京都府や奈良県より寺院が多い、と聞いたことがある。なぜ大阪には寺院が多いのか、歴史背景を調べてみた。

■約80の寺が密集

 「下寺町を含む南北1400メートル、東西400メートルのエリアに約80のお寺さんが集中しています。府内では随一、全国でも珍しい寺町ですよ」。天王寺区役所に尋ねると、森茂樹・まちづくり担当課長代理がこう教えてくれた。

 寺院が集まり始めたのは16世紀、豊臣秀吉が大阪城を築いた時期という。城のある場所にはかつて、織田信長と対立し激しく争った石山本願寺があった。同寺は難攻不落の“砦(とりで)”として10年以上、合戦に耐えたが、地形から南側の守りが手薄だった。

 森さんによると「大阪城を築く際、大阪各地の寺をここに移転させて防壁代わりにした、との説があります」。寺の堂宇のような高い天井が弓の取り回しに欠かせなかったといい、江戸時代になっても寺の移転と集積は続いた。


 「一帯が古来、聖地だったことも背景にあるようです」と話すのは下寺町の古刹、大蓮寺の秋田光彦住職。周辺には四天王寺のほか浄土宗開祖の法然が住んだ一心寺など要地が多い。寺院を説得して移転させるのに、うってつけの場所だったわけだ。

 一帯はかつて近くまで海が迫り、台地状の地形と相まって夕日の名所だった。浄土信仰が広がった平安末期以降、夕日を眺めて西方浄土を思い描く修行「日想観」が広まり、大阪湾や六甲の山並みに沈む夕日を求め多くの人が集まったという。

 秋田住職は「大阪は商都とされますが、実は古くから一大宗教都市だったのですよ」と指摘する。現在の大阪の街は、石山本願寺の寺内町から発展したとされる。宗教都市としての面影は、今も寺院の数に色濃く残っている。

727よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:19:59 ID:4uFzLL9o0
>>726

http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE6E2EBE5E5E0E5E2E2E3E2E7E0E2E3E09393E082E2E2;df=2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

■大阪の寺密度、全国トップ

 文化庁の宗教年鑑(2009年版)などによると大阪府にある寺院数は3289。京都府(3026)や奈良県(1785)を上回り、愛知県(4598)に次いで全国2位だ。寺院の密度でみると1平方キロメートルあたり1.73と、47都道府県で首位に立つ。


 寺院は大阪市に3割強、残りは堺市や八尾市、高槻市など府内に広く分布している。「宗教的自治都市として権勢を誇った石山本願寺は、大阪平野各地に“衛星都市”として寺内町を抱えていました。八尾市の顕証寺や貝塚市の願泉寺、高槻市の教行寺など今に残る寺院も多く、分布に現れています」。京都大学の西川幸治名誉教授(歴史都市論)はこう分析する。

 西川さんによると、当時の門徒の日記に「石山に上洛(じょうらく)する」などと記され、石山本願寺は「首都」とみられていたという。「寺院勢力の強さを身をもって知っていた秀吉は、各地の寺院を移転させた上で小さいままにしました。宗教勢力を再び台頭させたくないが、統治には利用したいと考え、分断を図ったのでは」と西川さん。それが現在までつながっているという。

 確かに大阪は京都や奈良と違い、宗派の本山や観光バスで乗り付けるような大寺院が少ない。「中小企業の街とされる大阪ですが、中小寺院が多い街でもあります。こうした視点で一度、下寺町を歩いて宗教都市・大阪の息吹を感じてほしいですね」。秋田住職はこう話す。

(大阪社会部 船越純一)

>下寺町を歩いて宗教都市・大阪の息吹を感じてほしいですね

 これは本当にお勧めです。
 観光地・観光名所化される寺が多いなか、ここはごく普通で日常が営まれている。
 非常に歴史があり大事な場所なのに。

 地元の人がノンビリと歩き、法事などが営まれ、ネコがあくびをしながら日向ぼっこしている・・・
 『あぁ、いいなぁ、大阪は』と思える。
 
 でもここで注意を。
 街歩きをする時は、地元の人の迷惑にならないようにしましょう。
 ゴミを出さない、交通法規を守るなどなど当然に守らなければいけない事は守りましょう。
 守るべきことを守っていれば大阪は温かく皆を受け入れてくれます。

728よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:28:03 ID:4uFzLL9o0
7月に「天神祭コレクション」 浴衣作品を募集
2012年5月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120505/20120505029.html

 「なにわ文化サポーター倶楽部」(大阪市港区)は浴衣のコンテスト形式によるファッションショー「天神祭コレクション」(7月21日、JR大阪駅6階『時空の広場』)の作品を募集している。「意匠デザイン」「コーディネート」「クリエーション」の3部門で、厳選された作品はコレクション当日にお披露目発表する。

 同倶楽部は大阪青年会議所の卒業生が中心となって活動しているボランティア団体。主な活動は天神祭の花火協賛金の奉納や船渡御への参加で、「天神祭コレクション」も天神祭を盛り上げるために2010年に第1回を開催。浴衣という日本古来の文化の継承と新たな価値の創造、そして大阪のまちが元気になることを目指して取り組んでいる。

 前回は各専門学校とコラボレーションし、大阪市中央区の八軒家浜船着場で開催。2回目のことしは、募集範囲を学生以外にも拡張し、浴衣の柄を創作する「意匠デザイン」▽浴衣の着方をアレンジする「コーディネート」▽自由は発想で浴衣を創作する「クリエーション」の3部門で募集する。

 中でも注目なのは「意匠デザイン」部門で、JR大阪三越伊勢丹、高島屋、大丸、呉服屋さん.comとコラボレーションして商品化を目指す。応募する作品のテーマは「変わらないのに新しい」(大阪高島屋)と「ステーションシティに遊びに行く浴衣」(JR大阪三越伊勢丹&大丸)の2種。全体に細かい模様が入っている「小紋柄」のデザインのみの受け付けとなる。

 15日(必着)が締め切りで、その後百貨店バイヤーが作品を厳選し、30日〜6月5日に店頭に展示。来客による投票の結果で1〜3位を決定し「天神祭コレクション」当日に発表する。「コーディネート」と「クリエーション」の2部門は5月31日(必着)締め切りで、1次審査で各10作品ほど選出し、「同コレクション」で最終審査を行う。

 天神祭コレクション実行委員長の中井康之さんは「若手がもっともっと元気になれば産業が活性化し大阪も元気になる。『天神祭コレクション』を通して若者のパワーを引き出していきたい」と話している。

 ホームページから応募受け付け。アドレスは次の通り。

http://www.naniwa-bunka.com/ten-colle/

729よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:33:37 ID:4uFzLL9o0
神島女子が団体・個人制す 住吉大社8 件全国弓道大会
http://www.agara.co.jp/modules/sports/article.php?storyid=230974

 大阪市の住吉大社で1日、第61回住吉大社全国弓道大会(遠的)があり、学生の部女子団体で和歌山県田辺市の神島高校が優勝と準優勝した。同部女子個人でも坂本望選手が優勝するなど神島勢が3位までを独占した。

 学生(高校生と大学生対象)の部男・女、一般の部男・女でそれぞれ団体(1チーム3人)と個人があり、計490人が参加した。60メートル先にある直径1メートルの的に向かって矢を放った。

 学生の部女子団体には23チームが参加。1人4射の計12射で競い、神島の楠あゆみ、谷口亜由美、坂本望選手のチームが9中でトップ。同じメンバーで大会2連覇を飾った。

 また、同校の西野佳苗、芝本真喜子、山本静香選手のチームが8中で2位に入った。 学生の部女子個人は、団体の的中数をもとに争った。4中だった神島の坂本選手と西野選手が参加全選手の中で最高成績となり、的の直径を50センチにして矢を外すまで行う射詰めをした結果、坂本選手が勝った。3位に楠選手が入った。

 学生の部男子個人でも、神島の佃恭平選手が3位に入賞。紀南勢では4位に南部高校(みなべ町)の山本直樹選手が入った。

 神島高校弓道部の山崎涼子顧問は「女子団体は頑張って2年連続優勝と準優勝を果たした。今大会を弾みに次の県高校総体でも頑張ってほしい」と話した。

730よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:36:35 ID:4uFzLL9o0
>慈恩寺舞楽は、西暦786年の平安時代に、大阪四天王寺の楽人、林越前正照が
>山寺に奉納したのが起源とされている。


古式ゆかしく慈恩寺舞楽奉納
http://news24.jp/nnn/news8872318.html

(山形県)

 慈恩寺舞楽は、西暦786年の平安時代に、大阪四天王寺の楽人、林越前正照が山寺に奉納したのが起源とされている。
 その後、慈恩寺、そして谷地に移り住んだ林家が「林家舞楽」として代々受け継ぎ、現在は慈恩寺や八地八幡宮で毎年、奉納されている。
 5日は鼻が高く赤い面をかぶることから狗舞とも呼ばれる散手の舞や、甲冑を身にまとった4人が日本刀を手に繰り広げる「太平楽など8つの舞が披露され、
 訪れた人は古式ゆかしい舞いを堪能していた。

731よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:42:36 ID:4uFzLL9o0
>>726>>727に関連して。
大阪のお寺の数が多いのは、それが日常に溶け込んでいるから、という理由もありそうです。


※記事より必要な部分を抜粋
http://www.news-postseven.com/archives/20120423_103831.html

大阪などでは月命日ごとに僧侶が檀家の家を訪れてお経を上げるなど、いまなお寺は身近な存在だが、
東京の寺院のほとんどは葬儀の数の多さにあぐらをかいている。

・・・ここでも東京の傲慢さが出ていますね。

732よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/09(水) 22:46:50 ID:F9VP7OD.0
名建築を見て学ぶ市民講座 大阪・中之島
2012年05月09日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001205090001

 近代建築を見て学ぶ市民講座が8日、大阪・中之島であり、参加者は府立中之島図書館や大阪市中央公会堂などをまわった。


 講座は「仕事や子育てを終えた世代に、文化を学ぶ機会を」と、兵庫県川西市の亀治中(かめじなか)吉男さん(66)らが企画した。この日は、講師で1級建築士の柴田正己さん(67)が、参加した女性6人に、中之島の名建築を解説しながら、「歴史的な建物を後世に伝えていくのも建築家の仕事」と語った。参加した女性(62)は「講師の話を聞いて街を見ると、違う姿が見えてきます」と話していた。講座は秋にも予定している。詳細は、企画会社の澪標(みおつくし)(06・6944・0869)へ。

733よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/09(水) 23:02:53 ID:F9VP7OD.0
四天王寺の名宝公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120509-OYT8T00070.htm

聖徳太子の剣など

 四天王寺(大阪市天王寺区)の宝物館で特別公開「珠玉の名宝」が開かれ、寺が所有する飛鳥〜南北朝時代の国宝7件や重要文化財を多数展示している。6月3日まで。

 同館の耐震補強工事完了を記念し、宝物約3000点の一部を公開。聖徳太子が身に着けていたとされる剣「丙子椒林剣(へいししょうりんけん)」(飛鳥〜白鳳時代、国宝)と「七星剣(しちせいけん)」(同)を6年ぶりに同時公開。扇形の料紙に平安貴族らの生活が色鮮やかに描かれた「扇面法華経冊子」(平安時代、国宝)2点のほか、通常は拝観できない秘仏「金銅菩薩半跏像(こんどうぼさつはんかぞう)」(白鳳時代、重文)も間近で見られる。拝観料は大人1000円、高校・大学生500円、中学生以下無料。期間中の開館時間は午前8時半〜午後4時半(入場は閉館の20分前まで、毎月21日は午前8時〜午後5時)。問い合わせは同館(06・6771・0066)。

(2012年5月9日 読売新聞)

734よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/10(木) 22:43:24 ID:LJLPCw6A0
商都・大阪示す資料一堂 江戸期堂島絵図や地誌
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120510-OYT8T00074.htm
 
大商大博物館に新展示室 14日から記念展

 耐震工事のため閉館していた大阪商業大学商業史博物館(東大阪市御厨栄町)が14日、再オープンする。新たに企画展示室が設けられ、これまであまり展示されなかった所蔵品のうち、近世の大阪の様子を伝える貴重な歴史資料を集めた開設記念展「秘蔵の虫干し」が、同日から6月15日まで開かれる。(安田弘司)

 同館の入る谷岡記念館は、1935年建築の旧校舎を移築した建物で、滑らかな白壁やアーチ形の窓など、当時流行したデザインをとどめる。2000年に国の登録有形文化財に指定。補強工事は昨年6月から今年3月まで行われた。企画展示室は、2階の収蔵庫を改装し、約60平方メートル。大型のショーケース5台が並ぶ。

 記念展では、約13万点の所蔵品から、大阪の商業史を研究した同大学の佐古慶三元教授(1898〜1989)の収集品を中心に、江戸〜明治期の史料54点を公開する。

 諸藩の蔵屋敷が立ち並んだ大阪・堂島の江戸初期〜末期の町割(まちわり)の変遷を年代ごとに記録した絵図「堂島沿革図」は5枚組みの4枚を展示。蔵屋敷が増える前の古い町名が見て取れるほか、河川改修や米市の成立時期などもわかる。現代の観光ガイド本のように、名所や名物、有名料亭などを挿絵入りで紹介した地誌、色鮮やかな引札(ひきふだ)(現在の広告チラシ)、銀や銭を量る道具類も展示される。

 明尾圭造・主席学芸員は「秘蔵品から、日本経済を動かしていた大阪の活力を感じてほしい。展示室を生かし、商業大学らしいユニークな企画を打ち出していきたい」と話している。

 常設展示を含め、入館無料。開館は午前10時〜午後4時30分(日曜・祝日は休館)。団体での見学も受け付ける。問い合わせは同館(06・6785・6139)。

(2012年5月10日 読売新聞)

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736よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/11(金) 05:53:06 ID:M8fhdsGA0
新宮遺構?全体像じわり
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120511-OYT8T00070.htm

難波宮跡 発掘調査進む

 大阪文化財研究所が2009年度から行っている難波宮跡(大阪市中央区)東方地域の発掘調査で、奈良時代に孝謙天皇(在位749〜758年)が訪れた「東南新宮」とみられる遺構の様子が明らかになりつつある。昨年度には、建物の土台部分「基壇」の規模が判明し、瓦や基壇の装飾に使う石の破片なども出土。同研究所は「今後も調査を続け、詳細を明らかにしていきたい」としている。

 続日本紀には、756年に孝謙天皇が都のあった奈良・平城京から難波を訪れた際、東南新宮を使ったと記されている。名称から「東南方向にある新たな宮」と考えられ、今回の調査地は、後期難波宮の天皇が住む区域「内裏(だいり)」の東南にあたる。

 09、10年度の調査では、基壇とみられる盛り土や瓦などが出土。さらに昨年度の調査で、基壇の大きさが東西約19・5メートル、南北約14メートルと判明した。建物は塀で区画され、少なくとも二つの区画があったらしい。

 調査区域周辺では、これまでに建物の屋根の両端に置く飾り「鴟尾(しび)」や石敷きなども出土しており、建物の格の高さを裏付けるものとみられている。

 中尾芳治・元帝塚山学院大教授は「基壇は宮殿の建物群の一部と推測できる。今後は中心的な建物の発掘に期待したい」と話している。

(2012年5月11日 読売新聞)

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739よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/12(土) 00:48:35 ID:y0T5at0I0
美しい大阪の街並みを体現する御堂筋。その昔はたった6m幅だった
http://suumo.jp/journal/2012/05/11/18456/?vos=nsuusbsp20111206001

大阪を代表する美しい街路の御堂筋。大阪市の中心部を南北に縦断するこの国道は、日本の道100選のうちのひとつ。北区の阪神前交点から、中央区の難波西口交点まで、全長4027mある御堂筋の沿道には、887本の銀杏の木が植えられており、幹線道路としてのにぎわいだけでなく、美しい銀杏並木の景観スポットとしても親しまれている。

さて、なぜ御堂筋の話かと言えば、実は今日5月11日は今から80年以上前の1937年に、現在の御堂筋が完成した日にあたるから。欧陽菲菲の『雨の御堂筋』、関ジャニ∞の『大阪ロマネスク』、DREAMS COME TRUEの『大阪LOVER』など御堂筋が舞台となる歌も、こじつけるとこの日がないと誕生していないのだ。

御堂筋の歴史をたどると、豊臣秀吉の時代にまでさかのぼる。その当時、天下の台所として発展していた大阪(当時は大坂)には、1596年に南御堂、1597年に北御堂が創建され、沿道にふたつの御堂を持つ道として御堂筋が誕生したという。

1598年からは、秀吉による城下町整備が行われたが、まだそのころは大阪城へと続く東西の道が主要導線で、南北を結ぶ御堂筋は道幅わずか6mほどと、さほど広くもない道だった。

明治期、梅田と難波に駅ができると、南北を結ぶ幹線の重要性が議論されるようになり、1921年にはついに大規模な都市計画事業が打ち出されることに。1930年に着工した工事は、電柱の完全地中化や地下鉄同時開発も行われるという過去に類をみないほど大きな工事であったのだそうだ。

こうして1937年5月11日に完成した御堂筋は幅44m。ゆったりとした歩行空間をもち、銀杏並木の長く続く美しさで人々を驚かせた。1970〜80年代には御堂筋は関西一のビジネスゾーンとして隆盛を極め、1983年から御堂筋パレードがはじまるなど、その存在感を世界にも示すことになった。

現在の御堂筋は、1937年のころよりさらに道幅が広がり、その美しい街並みの文化的価値にも注目が高まっている。2006年からは、大阪フィルハーモニー交響楽団による「大阪クラシック」もスタート。御堂筋に中心にした魅力ある街づくりが円熟期を迎えどのような姿を見せてくれるのか。これからはじまる歴史にも注目したい。

740よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/13(日) 10:51:12 ID:sZv/muKk0
愛用ぬいぐるみなど奉納して 15日、大阪天満宮で「人形祭」
2012.5.13 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120513/osk12051302010002-n1.htm

 大阪市北区の大阪天満宮で15日、ひな人形からぬいぐるみまで愛用していた人形を奉納する「人形祭」が開かれる。節句人形を製造する関西の企業約20社でつくる関西節句人形工業協同組合の主催で、「愛用の人形は要らなくなっても捨てられない。処理に困っている方はこの機会を利用して」と呼びかけている。

 「製造者の立場から最後まで人形の面倒をみたい」と同組合が昨年から始め、今回が2回目。午前9時から午後3時まで奉納する人形を受け付け、午後3時から祭典を行う。

 また、新しい節句人形やひな人形、市松人形などを展示するほか、人形を作る際に出る端切れで作った小物などを販売、売上金の一部を東日本大震災の義援金に充てるという。問い合わせは「小町人形」((電)06・6349・2076)。

741よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/13(日) 16:02:34 ID:sZv/muKk0
浪華紙魚百景 

大商大商業史博だより   北新地堂島の移り変わり
2012年5月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120509/20120509036.html

堂島沿革図

 大阪の川の多くは埋め立てられた。50年ほど前まであった西横掘川や長堀川はよく知られているが、堂島と梅田の境界を流れていた川があったことはご存じだろうか。

 堂島は、その昔、曽根崎川(蜆(しじみ)川)によって北の曽根崎や梅田から切り離されており、南の中之島との境界を流れる堂島川との間に挟まれた、文字通りの島であった。曽根崎川には蜆橋・曽根崎橋・桜橋・緑橋・梅田橋・汐津橋などの橋が架けられ、「堂島沿革図」にも描かれている。

 「堂島沿革図」は、江戸時代のこの地域の移り変わりを年代の違う5枚の絵図と見開きの序文によって記録した珍しい史料である。そして、最新の絵図年代が天保6(1835)年であることと、史料の中に天保6年までの経年が随所に記されていることから、この史料の成立が同年であることが分かる。

 序文には、平安末期の図に天王寺木場(四天王寺の用材を置いた所)と記載があり、このことから聖徳太子が四天王寺の堂宇を建てた時代にはこの島があったとされること、さらに15世紀半ばの図にはすでに堂島と記載があることが記されている。

 堂島の名をつとに有名にしたのは、堂島新地を舞台にした近松門左衛門の作品である。この新地は貞享2(1685)年に河村瑞賢の曽根崎川改修をきっかけに開発され、さらに元禄2(1689)年に、新地10町が成立したことが「天保六年之図」の内容から明らかである。

 ここに土地繁栄策として遊里がつくられ、その華やかさの陰で「曽根崎心中」に代表される遊女悲哀の物語が生まれた。事実この時期には心中事件が多発し、「曽根崎心中」も実際の事件を翻案したノンフィクションの要素を兼ね備えている。

 「曽根崎心中」下巻の「道行」で、お初と徳兵衛は堂島から梅田橋を渡り曽根崎の天神の森へと死出の旅路をたどる。作中では「梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りていつまでも。われとそなたは女夫星(めをとぼし)。」の文句によって、この橋は来世での二人の逢瀬(おうせ)を渡す架け橋としてシンボリックに描かれる。

 その後色町は曽根崎へ移り、新地の南岸には米市場ができて堂島は商業地区に変貌してゆく。近代になって、明治42(1909)年の北の大火の影響で大正13(1924)年までに曽根崎川は全て埋め立てられ、堂島は島ではなくなった。その川床が現在の新地本通を中心とする北新地のネオン街となり、その周辺に立ち並ぶ高層ビルの陰にひっそりと立つ橋跡の石碑が、かすかな面影をしのばせる。

 (大阪商業大学商業史博物館学芸員・池田治司)

742よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/15(火) 05:24:11 ID:ojQ4eGP.0
大商大商業史博物館再オープン 「企画展示室」新設
2012年5月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120514/20120514018.html

 国の登録有形文化財「谷岡記念館」(東大阪市御厨栄町)内の大阪商業大学商業史博物館では、耐震工事後の再オープンに合わせ、新しく企画展示室が誕生した。商都大阪の歴史と文化を伝える同大の貴重な資料を学内外に発信していく方針。開設記念企画展として、本紙連載中の企画「浪華紙魚(なにわしみ)百景」で学芸員らが紹介してきた同館資料などを公開する。14日〜6月15日。

 同館は1935年、同大の前身となる大阪城東商業学校の本館として鉄筋コンクリート造りの4階建てで建設。軍艦をイメージして小さな小窓が並ぶなど、従来の学校建築の型を破り、「白亜の殿堂」と評される。館内には学園資料室や、地元の文化団体が使うスペースなどもある。約1年間、耐震工事に伴って閉館していた。

 博物館では商業史関連など約13万点の資料を所蔵。従来から常設展示などを行うスペースはあったが、再オープンを機にさらに多彩な展示ができるよう、設備を充実させた企画展示室(63平方メートル)を創設した。

 開設記念企画展「秘蔵の虫干し」で紹介するのは、商業史を中心にした佐古慶三コレクションなど。同館学芸員らが昨年11月から本紙連載で紹介してきた資料など約50点を並べる。佐賀藩蔵屋敷史料や堂島沿革図など貴重な品々を見ることができる。

 企画展示室では今後多彩な展開を予定。商業史はもちろん、上方文化や町民の生活などにも注目し、多角的に大阪の文化を伝えていく構えだ。明尾圭造主席学芸員は「過去を知ることで今の大阪で何をすべきか見えてくるような、大阪の文化にエールを送る運営をしていきたい」と思いを込めている。

 開場は午前10時〜午後4時半。入場無料。日曜祝日は休館。問い合わせは電話06(6785)6139、同博物館へ。

743よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/16(水) 22:16:24 ID:S2PVokg60
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

“元祖スカイツリー”
2012年5月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120516/20120516047.html

第五回内国勧業博覧会案内記

 634メートルは言わずと知れた東京スカイツリー。では、45メートルとは?

 答えは、明治36(1903)年、大阪今宮で開催された第5回内国勧業博覧会場内に築かれた、150尺の望遠楼、通称「大林高塔」。この後初代通天閣が似せて造られたほど、話題を呼んだ。「博覧会案内記」によると、下層は勧工場(かんこうば)や音楽ホール、上層は展望台を備え、観客の昇降にはエレベーターを設置。が、何といっても驚きは、木造でそれを成し遂げたことである。

 大坂城天守閣は、江戸幕府が再興し、秀吉築造時を超える58メートルの高さを誇った(『大阪城の歴史』大阪城天守閣、2001年)が、寛文5(1665)年には落雷により焼失。幕末の大修復で再建されるも、明治維新でまた焼失。廃墟の石塁は平地面から36メートルくらい。盆地の京都や奈良と違い、大阪は山、川、平野、海の大景観が望める地、それを楽しめる高層建築が待望されていたと、この案内記の執筆者は記す。

 当時、富国強兵、殖産興業のため、政府は4回の内国勧業博覧会を開催。工業地として経済復興を果たした大阪にとって、4回目を京都にさらわれ、この第5回内国博こそは、「晴れの舞台」。そして、会場施設工事を受託したのは、清水組、大倉組というライバルに競り勝った大林組だった。

 初代社長大林芳五郎は大阪靫永代浜(うつぼえいたいはま)生まれ。家業の没落後、呉服商のでっちから一転、建築請負業に修業に出、明治25(1892)年に同社を創業した。

 従来の博覧会の建物はバラック式の粗末なもので、会期中に雨漏りや崩壊の恐れもあったという。だが、この内国博で芳五郎は、会期終了後も文化事業に益するよう損益度外視で、材を選び、構造に苦心を払う。建物群は電飾で照らされ不夜城のようだった(『大林芳五郎伝』1940年)。合計5回の内国博で一番の、来場者数約435万人の記録は、芳五郎の心意気に負うものだろう。

 その後、大林組は、大阪だけでも、大阪城天守閣、四天王寺五重塔、大阪万博のエキスポタワーや鉄鋼館他、多くのランドマークを手掛けた。そして、東京スカイツリー。大林組の超高層建築の始まりは、この内国博にあったのだ。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

744よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/21(月) 21:53:34 ID:eusshoWs0
>次に大阪で見ることができるのは、300年後の2312年だということです。

 と、いう事は住吉大社創建2101年目ということですね。
 (昨年が創建1800年の記念すべき年でした)


■大阪で282年ぶり 関西でも「金環日食」観測
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120521112100570125.shtml

 「金環日食」は、関西各地でも観測されました。

 大阪で見られるのは282年ぶり、多くの人が世紀の天文ショーに見入りました。

 午前7時28分。

 関西空港では雲に遮られることなく、「金色のリング」がくっきりと見えました。

 大阪・淀屋橋では多くのビジネスマンが足をとめ、東の空を眺めていました。

 あいにくの曇り空でしたが・・・

 「雲が出てたんで見られるとは思わなかったが、ちゃんと見られてよかったです、では仕事行ってきます」(ビジネスマン・淀屋橋)

 「あー、半分出てきた。あっ、出てきたわ。すごい、すこい、すごい。太陽が欠けるってどういうことかな」(女性・大阪城公園)

 ここでは残念ながら雲が多く、「金環日食」は見えなかったようです。

 「3・2・1・ゼロー!」(「金環日食」までのカウントダウンをする子どもたち)

 大阪府箕面市の小学校では、登校時間を1時間半繰り上げて、観測会を行いました。

 「300年に1回しか大阪では見られへんねん。ここの時に見られてよかった」(女の子)

 「生まれててよかったと思う」(女の子)

 こんな贅沢な観測をした人たちもいました。

 上空からの観測なので、雲の心配は関係ありません。

 次に大阪で見ることができるのは、300年後の2312年だということです。
(05/21 12:49)

745よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/22(火) 20:27:05 ID:JGwf0fg20
ホテル大阪ベイタワー、「天神祭 どんどこ船講『供奉船』乗船券付きステイプラン」を限定販売
水上からの花火鑑賞と天神祭「船渡御(ふなとぎょ)」を体験
『天神祭 どんどこ船講「供奉船(ぐぶせん)」乗船券付きステイプラン』
開催日 2012年7月25日(水)
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=310155&lindID=5

 株式会社グランビスタ ホテル&リゾート(本社:東京都中央区、代表取締役社長:須田貞則)が運営するホテル大阪ベイタワー(大阪市港区/総支配人 平川 進太郎)では7月25日(水)に行われる日本三大祭の一つ天神祭の開催に合わせ、『どんどこ船講「供奉船(ぐぶせん)」乗船券付き特別ステイプラン』を6月1日(金)〜7月13日(金)まで限定販売いたします。

 ホテル大阪ベイタワーは、大阪の文化に根ざしたホテルづくりを目指し、今年も大阪の夏祭りを代表する天神祭の花形「船渡御(ふなとぎょ)」を体験いただける特別ステイプランをご用意いたします。この夏の観光に、他府県の方にも天神祭の感動と、ホテル大阪ベイタワーが誇る”大阪でいちばんきれいな夜景”をお楽しみいただけるよう企画いたしました。
 毎年100万人以上の人手で賑わう天神祭は、一年中で大阪が最も熱くなる夏の大イベントです。なかでも、大阪市中心部の大川に船100隻が行き交う本宮の「船渡御(ふなとぎょ)」は神事最大の見所となっています。
 本プランにて乗船いただくのは、神様のお供をする供奉船(ぐぶせん)といい、中之島から出航し、大川を下り、道頓堀まで約3時間の船渡御をお楽しみいただけます。下船場所は、大阪でも最も賑やかな、グリコの看板で有名な戎橋桟橋です。この道頓堀川に入ることができるのは、船100隻の中でも、一般の方が乗れる唯一の船「供奉船(ぐぶせん)」と、「どんどこ船」「文楽船」「落語船」のみとなっています。
 船上では、うな重とお飲物(飲み放題)をご用意。船渡御では、すれ違う船と交わす「大阪締め」やクライマックスの花火など、天神祭の醍醐味を水上から間近で体験いただけます。
 下船後は、大阪でも有数の夜景が望める当ホテルの高層階30階以上の客室にて、朝食付きの特別ステイプランをご用意しております。天神祭の後は、”大阪でいちばんきれいな夜景”とともに大阪の夜をご満喫ください。

※参考画像・商品概要は、添付の関連資料を参照

● 関連リンク
(株)グランビスタホテル&リゾート ホームページ

746よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/22(火) 20:42:56 ID:JGwf0fg20
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜

西区の北堀江地区
2012年5月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/120522/20120522030.html

灯籠にスリーダイヤ「三菱財閥」始まりの地


 大阪市西区の北堀江地区は、土佐藩にゆかりが深い。幕末から明治にかけて近代国家が形成されていく中、現在の西区で三菱財閥を創業した岩崎彌太郎の足跡をたどるのが今回のコース「日本一の海運王へ…岩崎彌太郎、起(た)つ〜三菱発祥の地をたずねて〜」だ。

 ガイド役は、大阪のまち歩きツアーを主宰している「関西下町探索会 K2ファクトリー」の横田健司さん(51)、香織さん(42)夫妻。新世界コースなどの案内役もこなす夫妻だが、今回は香織さんがガイドとなり、健司さんがサポート役を務めた。

 土佐稲荷神社のある場所には、かつて土佐藩の蔵屋敷があり、コメや材木など土佐藩の物産が扱われていた。土佐藩主の山内豊隆が1717年に社殿を造営。1873年に元土佐藩士で明治新政府の高官だった後藤象二郎のあっせんにより、坂本龍馬の海援隊の経理担当だった岩崎彌太郎が三菱商会を設立する。

 「現在の西区役所の辺りで三菱商会は発足した」と香織さん。土佐藩の負債を肩代わりする条件に船を入手して海運業を始めるが、これが三菱財閥の始まりとされる。

 土佐藩主の山内家の三ツ柏紋と岩崎家の三階菱紋を合わせて、三菱の社章であるスリーダイヤが作られる。香織さんに「土佐稲荷神社の境内の至る所にスリーダイヤが残っている」と教えられて周囲を見回すと、灯籠などあらゆるとこにスリーダイヤが刻まれていた。

 作家の司馬遼太郎も住んでいたという西長堀アパートを過ぎ、着いたのは細野ビルヂング。建設会社「細野組」の営業部として1936年に建築された。現在のビルのオーナーで3代目社長の細野房雄さん(64)は一時、老朽化のためビルの建て替えも考えたという。しかしビルの魅力に気付き、修復。現在はビルの魅力を生かしたアートイベントなどを開いているという。

 参加した東大阪市の主婦、板本裕子さん(61)は、「個人で歩いていると素通りしてしまいがちだが、知らないことがたくさんあった。チャンスがあればまた参加したい」と話していた。

 ○…三菱発祥の地を訪ねる今回のコースだったが、比較的コンパクトにまとまったエリアの中に歴史の息吹を感じるたくさんの見どころがあった。オーナーの厚意で細野ビルヂングの屋上に上がらせてもらい街並みを見下ろすと、このまちが歩んできた歴史を垣間見た気がした。

747よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/28(月) 05:21:53 ID:Labfpy3o0
平安貴族もスッポンパワー 大阪・八尾市で数百匹出土
2012.5.27 22:59
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120527/wlf12052723090025-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120527/wlf12052723090025-n2.htm

 大阪府八尾市周辺で発掘された平安〜室町時代のため池跡から、現代でも美容や滋養強壮で人気のスッポンが大量に出土したことが、府文化財センターなどの調査で分かった。文献史料によると、平安時代には甲羅が薬として都に納められ、江戸時代以降は鍋料理として好まれ、大阪近郊が一大生産地だったともみられる。遺跡で大量に発掘されるのは珍しく、“スッポンパワーの源”に迫る資料になりそうだ。

 八尾市の久宝寺遺跡では、室町時代(15〜16世紀)のため池跡(縦28メートル、横14メートル)で、スッポンがほぼ完全な状態で出土。全体の5分の1の範囲で99匹分、残りの範囲でも密集した状態で見つかり、数百匹に上るという。

 約4キロ北東の池島・福万寺遺跡(八尾市、東大阪市)では、平安時代後半(11世紀後半〜12世紀初め)のため池跡(縦35メートル、横18メートル)で、1メートルほどの範囲で8匹分出土。いずれも頭が上向きで、泥の中にもぐっていた際に突然土に覆われて生き埋めになり、呼吸するために頭を上げた状況がうかがえるという。

 スッポンは全国約70カ所の遺跡で確認されているが、大半は甲羅の一部など。両遺跡では、何らかの原因で一気に埋まり“真空パック”状態になったことで全身が残ったらしい。

 平安時代の宮中行事などを記した「延喜式(えんぎしき)」では、スッポンは都周辺から甲羅が薬として貢納されたといい、江戸時代中ごろ(17世紀末)にはスッポン料理が普及し、大阪市内の蔵屋敷跡では包丁で解体された痕跡のある甲羅も出土した。

 スッポンは、冬眠期間が11月から5月ごろまでと長いため生育が遅く、養殖が本格的に始まったのは幕末ごろとされる。現在は大分県宇佐市安心院(あじむ)町などの養殖が全国的に知られ、関西などに出荷されている。

 今回のスッポンは、別の場所で捕獲され、ため池で出荷まで育てられたらしい。共同研究を行った府立環境農林水産総合研究所の上原一彦主幹研究員は「スッポンは肉食系で単独行動が基本。何百匹もいるのは自然の状態では考えられない。冬眠中は仮死状態で動かないため、出荷で持ち運ぶ際はかみつかれることもなかったのでは」と話す。

748よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/29(火) 02:20:00 ID:P49urL6U0
甲冑:段ボールなどで作る−−下関 /山口
毎日新聞 2012年05月20日 地方版
http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20120520ddlk35040230000c.html

 下関市長府中浜町の西中国信用金庫長府中央支店に、同市前田のうどん店店主、長谷川博政さん(66)が段ボールなどで作った色鮮やかな甲冑(かっちゅう)が今年も登場し、訪れた人を楽しませている。

 長谷川さんは40年以上前から、段ボール紙や合皮、ひもなどで武将の甲冑を作り続けており、その数なんと100体。今回はNHK大河ドラマ「平清盛」にちなみ、清盛役が着用した甲冑と色違いの実物大模型を1年かけて作り上げた。

 仕事後、録画した大河ドラマを見て、当時の気分に浸りながら作品作りに没頭。「実物大なので細部にもこだわった。今回の出来は、ばっちり」と満面の笑みを浮かべた。

 31日まで作品を展示し、平清盛が馬などを奉納したとされる住吉大社(大阪)に奉納するという。

749よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/29(火) 02:24:26 ID:P49urL6U0
吉備池廃寺:「素弁」軒丸瓦を初発見 斑鳩寺と同じ型枠 埋蔵文化財センターで初公開−−桜井市教委 /奈良
毎日新聞 2012年05月28日 地方版
http://mainichi.jp/area/nara/news/20120528ddlk29040232000c.html

 日本で初めての勅願寺とされる百済大寺(くだらのおおでら)と推定されている桜井市の吉備池廃寺で、素弁蓮華文軒丸瓦(そべんれんげもんのきまるがわら)が初めて見つかった。桜井市教委によると、斑鳩寺(斑鳩町)や四天王寺(大阪市)で出土している瓦と同じ型枠で作られた瓦で、建立の謎の解明につながる貴重な資料になるという。軒丸瓦は現在、同市立埋蔵文化財センターで初公開されている。【矢追健介】

 奈良国立文化財研究所(当時)の97年の調査で、飛鳥時代最大の金堂基壇跡が見つかり、吉備池廃寺と命名。日本書紀に舒明(じょめい)天皇が639年に建立の詔をしたと記される百済大寺である可能性が高まり、翌98年には100メートル近い高さだったとみられる塔の基壇跡も確認された。

 吉備池廃寺で見つかった瓦はこれまで、花びらの文様の中に子葉がある「単弁蓮華文軒丸瓦」で、この瓦の型枠はその後、四天王寺で用いられた。

750よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/29(火) 02:26:55 ID:P49urL6U0
担当者40人が安全対策協議 天神祭
2012年5月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120526/20120526039.html

 天神祭(7月24、25日)を前に25日、大阪市北区の大阪天満宮で警備態勢などについて協議する担当者会議が開かれた。大阪府警や警備会社、同宮の担当者ら約40人が出席。当日の行事予定や安全対策などについて確認した。

 会議では同宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)が「皆さんの指導を仰ぎながら、安全かつ盛大に天神祭をできるようによろしくお願いします」とあいさつした。

 引き続き、奉納花火のタイムスケジュールなどが報告され、周辺の立ち入り禁止エリアや自転車の駐輪対策などについて協議した。

751よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/30(水) 05:41:04 ID:r0fbA4og0
もう一度知りたい晶子 命日の29日 故郷・堺で「白桜忌」
2012.5.30 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120530/osk12053002020004-n1.htm

 ■没後70年・渡欧100年「まちなかミュージアム」イベント

 明治から昭和にかけて活躍した歌人、与謝野晶子(1878〜1942年)の没後70年と渡欧100年に当たる今年、生まれ育った堺市で晶子の歌や業績などを紹介する展覧会、講演会などのイベントが多彩に予定されている。晶子の命日の29日には、同市堺区の覚応寺で「白桜忌」が行われた。市はこれらの催しを「晶子まちなかミュージアム」としてPRしている。

 「白桜忌」は、晶子を顕彰しようという市民団体が主催し今回が30回目。同寺の2代前の住職が晶子と夫の鉄幹の仲を取り持ったとされることから同寺で行い、晶子が白いサクラを好み、晩年の歌集名が「白桜集」だったことから「白桜忌」と名付けている。約80人が参加。読経や献歌、献句などのあと、合唱の披露などもあり晶子の業績をしのんだ。

 「晶子まちなかミュージアム」の他のイベントの概要は以下の通り。問い合わせは市文化課((電)072・228・7143)。

                   ◇

 【与謝野晶子文芸館常設展示「与謝野晶子 生涯と作品」】7月8日まで市立文化館(与謝野晶子文芸館)。月曜休館。入場料は一般500円、高校・大学生300円、小中学生100円。6月23、24日は無料。同文化館((電)072・222・5533)。

 【与謝野晶子没後70年記念講演会「晶子恋歌−日本的浪漫の命脈」】6月2日午後2時から開口神社瑞祥閣で。講師は東洋大元教授の竹内清己氏。無料。

 【渡欧100年記念「日本人がパリでみたもの〜寛・晶子の旅から〜」パネル展 晶子にちなんだグッズの販売】パネル展は6月15〜25日、グッズ販売は同7〜25日、堺伝統産業会館((電)072・227・1001)で。入場無料。

 【晶子渡欧100年記念「われもコクリコ〜女三人日本画展」】6月22〜27日にギャラリーいろはにで。堺市美術協会の女性会員3人の日本画を展示。同ギャラリー((電)072・232・1682)。無料。

 【第18回与謝野晶子短歌文学賞 晶子フォーラム2012】短歌文学賞は6月23日午後1時からサンスクエア堺で。産経新聞社主催。入場料は一般千円。表彰式や選評会など。フォーラムは同22〜24日に市立文化館ギャラリーで。与謝野晶子倶楽部主催。無料。

752よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/30(水) 05:43:06 ID:r0fbA4og0
スタンプ7つ集めて“ご利益” 天王寺七坂の魅力、再発見を 大阪
2012.5.30 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120530/osk12053002020002-n1.htm

 大阪市天王寺区の観光スポット「天王寺七坂」の魅力を再発見してもらおうと、地元の「てんのうじ観光ボランティアガイド協議会」が企画したスタンプラリーが始まった。押印用の冊子には坂ごとに歴史や見どころなどを紹介、同会では「スタンプ7つを集めるともらえるのは『ご利益(りやく)』です」とPRしている。

 天王寺七坂は、同区の上町台地西側にある7つの坂の総称で、江戸時代に大阪城下から移転した寺院が数多く集まっている。同会では平成13年からこのエリアで観光ガイドを行っているが、柳原勝会長(80)が観光客から「七坂を巡っても何も残らない」と言われ、スタンプラリーを思いついた。

 柳原会長は各寺院にスタンプラリー実施の了解を得るとともに、知人の現代美術作家、植村佳菜子さん(40)に「遊び心のあるおもしろいものを作って」とスタンプと冊子のデザインを依頼。各坂の伝説などをもとに“ゆるキャラ”風のスタンプと手書き文字でつづった魅力的な冊子が完成した。

 口縄坂は文学碑がある織田作之助、天神坂は天神さまにちなんで菅原道真−など、各坂に置かれたスタンプは、それぞれゆかりの人物がモチーフ。ユニークなのは源聖寺坂のタヌキ。昭和末期まで付近にあった源九郎稲荷(いなり)の伝説「こんにゃく八兵衛」に登場するタヌキにちなんだキャラクターだという。

 冊子は、持ち歩きに便利な4つ折りコンパクトサイズ。裏面にはスタンプの設置場所を記した地図も掲載。一心寺をはじめ11の社寺で販売。1部100円。「全部回ると約2時間かかりますが、ウオーキングにはちょうどよい距離。スタンプラリーで上町台地の魅力を知ってほしい」と柳原会長。問い合わせは天王寺区民センター((電)06・6771・9981)。

753よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/31(木) 23:38:13 ID:lEdyxW9o0
蝦夷の頭領、私たちが劇に…大阪・枚方市の小中高校生
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120531-OYT8T00301.htm

 平安時代初期に東北地方の民・蝦夷(えみし)を率い、攻め込んできた朝廷軍との戦に降伏して現在の大阪府枚方市で処刑されたと伝わる阿弖流為(アテルイ)の生涯を描いた演劇を、同市の小中高校生が12月に市内で上演する。稽古に励む子どもたちは「枚方の歴史を学びつつ、感動できる舞台に仕上げたい」と意気込んでいる。


 劇の名は「火怨(かえん)の蝦夷、阿弖流為」。リーダーの阿弖流為は、朝廷軍に抗しきれないと見るや、仲間たちは処罰されないよう朝廷と和解させ、自分だけが戦を続けようとしていたと朝廷に信じ込ませて降伏する――とのストーリーだ。芝居と幕あいのダンスで構成される。


 自治体の支援をする同市のNPO法人役員・小野裕行さん(62)が、阿弖流為を描いた高橋克彦さんの歴史小説「火怨」(1999年発行)を読み、朝廷から野蛮な民族だと迫害され続けた人々の暮らしを守ろうとする生きざまに感動。小説をもとに脚本を書き上げ、昨年夏、劇団「ひらかた肝高(きむたか)倶楽部」を設立した。


 劇団は現在、小4〜高2の11人がメンバーで、週1回、枚方市民会館などで稽古を重ねている。出演者を募集中で、本番までに50人に増やしたいという。


 小野さんを動かしたのは「歴史や先人の気高さに触れ、子どもたちに地元への愛着を持ってもらいたい」との思い。稽古の際、子どもや付き添いの親らにもよく話しているという。


 小学生の子ども2人を参加させた同市黄金野、会社社長松浦正記さん(43)は「そんな歴史があったとは知らなかった。目標に向かって努力することで、子どもが成長してくれるいい機会になれば」と期待。阿弖流為役の同市立第三中3年、林田佳典君(15)は「頭が良く、仲間思いな人物。しっかり演じたい」と稽古に熱を込めている。


 公演は12月23日、枚方市民会館で。問い合わせは同倶楽部事務局(072・857・6000)へ。(中田敦之)

754よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/01(金) 05:48:01 ID:zk0afZ9I0
ナツハギ見頃、境内彩る 豊中・東光院 大阪
2012.6.1 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120601/osk12060102070003-n1.htm

 俳人・正岡子規も愛した“萩の寺”、豊中市南桜塚の曹洞宗東光院(村山廣甫住職)でナツハギが見頃を迎え、かれんな花が参拝客らの目を楽しませている。

 参道には、秋に見頃を迎えるマルバハギなど約10種3千株にまじり、ナツハギ約30株が植えられており、今年は例年より早く赤紫の花が房状に咲き始めたという。

 東光院は、奈良時代の天平7(735)年に僧の行基(668〜749年)が現在の大阪市北区中津に薬師如来像を自作し、薬師堂を建立したのが始まりとされる。行基が死者の霊を慰めるために当時、淀川に群生していたハギを供えたことから境内にもハギが植えられ、「萩の寺」として親しまれるようになった。

 子規や高浜虚子ら多くの俳人が好んで訪れ、子規はハギが咲き誇る風情を「ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露」と詠んだという。

 同院は「ハギの群生美は、日本らしい『和』の民族性を表しているよう。1度花を咲かせたあと、さらに茎を伸ばし花を咲かせる姿は、私たちに希望を与えてくれる」と話している。

 見頃は6月中旬ごろまで。

755よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/03(日) 20:44:31 ID:0mScRP6E0
「お母さん、来たよ」 第2次大阪大空襲慰霊法要
2012年6月2日
 太平洋戦争末期に大阪沿岸部を中心に襲った第2次大阪大空襲から67年となる1日、大阪市港区の西栄寺で空襲による区内の犠牲者を悼む慰霊法要が営まれた。今年は3月13日深夜の空襲で母親と伯母を亡くした三宅カズヱさん(76)=広島県呉市=が初めて出席。「お母さん、来たよ」と静かに声を掛けていた。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120602/20120602025.html

 慰霊法要は、同寺の多田篤史住職(24)の曽祖父にあたる先々代が戦後間もないころから、空襲による区内の被害が大きかった6月1日に毎年実施。同区空襲犠牲者過去帳を作った先代の住職も今年3月に亡くなり、多田住職が跡を継いでいる。

 当時10歳だった三宅さんは、疎開先の香川で母親と伯母の死を知った。「父がお骨と焼け焦げた着物のきれを持ってきた。そのような知らせを受ける子どもは周りにもいて、私だけが悲しんでいられなかった」と振り返る。

 住み慣れた地や母の最期について詳しく知りたかったが、区内は空襲で焼け野原となっていたためか「預けられた親戚からは“あかん”と言われてばかり」。何も分からないまま長く大阪から離れていたが、どうしても知りたいという気持ちが募り今年3月、通っていた国民学校の名を頼りに波除小学校を訪ねた。

 そこでは何もつかめなかったが、紹介された大阪国際平和センター(ピースおおさか)の空襲犠牲者の名を刻んだモニュメント銅板に母親と伯母の名前があることを確認。その際に港区内での法要も知った。

 焼香台の前に立った三宅さんは目の前に母親がいるかのように目線を上げ、静かに手を合わせた。過去帳で母親と伯母の名前も確認。「毎年3月に墓参りはしているが、母と過ごした港区での慰霊法要に出席でき、67年ぶりに再会できたよう。感動しています」と目を潤ませていた。

756よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/03(日) 20:53:25 ID:0mScRP6E0
「戦略」「家紋」テーマ常設展 大阪城天守閣
2012年6月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120603/20120603023.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康の“戦い”に着目した常設展「天下人たちの戦略」が7月18日まで、家紋にスポットを当てた常設展「家紋」が同19日まで開かれている。

 大阪城天守閣の常設展は毎回、新たなテーマの下、約2カ月に1回ペースで展示替えを行い開催。観光客だけでなく地元大阪からのリピーターも多く、好評を集めている。

 開催中の「家紋」では、武将らが使っていた家紋入りのかぶとや陣羽織、幟(のぼり)、千両箱など42点を展示。徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮となった東福門院和子が使っていた厨子(ずし)には菊紋と三葉葵紋の二つが描かれており、持ち主の歩みが見て取れる。

 同展担当者で同天守閣研究主幹の北川央さんは「同じ所蔵品でもテーマによって説明の仕方も変わる。さまざまな角度から自分たちの国や地域の歴史を知ってほしい」と話していた。

757よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/08(金) 05:52:57 ID:Flstu.QQ0
薬の町 繁栄の歴史 大阪歴史博物館が特集展
2012年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120607/20120607040.html

 特集展「なにわの薬屋さん」が、大阪市中央区大手前4丁目の大阪歴史博物館で開かれている。近年同館に寄贈された貴重な資料を展示し、“薬の町”を紹介している。7月23日まで。

 江戸から明治期にかけての薬屋に関する資料の寄贈を受け、大阪の産業で重要な役割を果たした“薬屋さん”に対する理解を深めてもらおうと企画した。

 大阪は江戸時代以来、薬の原料となる「薬種」が国内外から集まる最大の町で、薬業に携わる商人や店が多かった。道修町を中心に栄え、ここを出身として現在まで存続する製薬会社もある。

 今展は、江戸時代後期から明治時代にかけての資料30点余りを展示。薬屋を記した観光案内地図や薬を製造・販売する大阪市内の「合薬(あわせぐすり)屋」約180軒を掲載した名鑑を通して、当時の繁栄をうかがい知ることができる。

 16、30日、7月8、16日には学芸員による展示解説が行われる。各日午後2時から30分程度。参加無料(入場には、常設展示観覧券が必要)。当日直接会場で集合。

758名無しさん:2012/06/10(日) 15:08:39 ID:qW3Ayj5Y0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120610/osk12061002030000-n1.htm
850人「大大阪」にひたる レトロ建築たどり「KANSAIウオーク」
2012.6.10 02:03
 
関西の名所を歩いて巡るウオーキング大会「KANSAIウオーク2012」(産経新聞社主催、ライオン特別協賛)が9日、大阪市中央区の大阪城天守閣前広場を発着点に開かれた。家族連れら約850人が市内のレトロ建築をたどるなどし、大正から昭和にかけて「大(だい)大阪」と呼ばれた時代に思いをはせながら心地よい汗を流した。

年間3回開催されるシリーズの第1回で、「レトロ建築から大大阪時代を知る」をテーマに、大阪市内エリアをコースに開催。参加者は約15キロのスペシャルコースと約7キロのファミリーコースに分かれて大阪城を出発し、大正7年に完成した市中央公会堂(北区、国重文)など、市内に多数残るレトロ建築をながめながら散策を楽しんだ。

出発地点では中央区のマスコットキャラクター「ゆめまるくん」や熊本県のキャラクター「くまモン」らも登場し、イベントを盛り上げた。ゴールした人たちは「完歩証」を受け取り、中学生以上の完歩者にはライオン製品が贈られた。

第2回は10月27日に「神戸エリア」で、第3回は12月8日に「奈良エリア」でそれぞれ開催される予定。

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761よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/11(月) 21:21:32 ID:EPkBiRmQ0
■大阪で初会合 百舌鳥・古市古墳群を世界遺産へ
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120611112000576960.shtml

 仁徳天皇陵がある堺市など3つの市に点在する百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を目指し、初めての協議会が大阪で開かれました。

 大阪府庁で開かれた初めての会議には、委員長の橋爪紳也大阪府立大学教授や自治体、経済団体の関係者などが参加しました。

 百舌鳥・古市古墳群は世界3大墳墓と言われる仁徳天皇陵をはじめ堺市、藤井寺市、羽曳野市にまたがる巨大な古墳群で、世界遺産の国内暫定リストに登録されています。

 会議では今後キャンペーンなどで国内外へ情報を発信し、世界遺産登録への機運を盛り上げることにしています。

 まずは暫定リストから国の代表となることが必要で、世界遺産登録は最も早くても3年後になるということです。
(06/11 12:42)

762よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/11(月) 21:42:49 ID:EPkBiRmQ0
〔Naniwaなう〕 堺の知られざる史実 コラム集に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120610-OYT8T00081.htm

 古代から近代までの堺の都市発展をテーマにしたコラム集「堺都市史探訪」(ホウユウ出版部)を出版した。

 江戸時代の絵図から、鎖国や大和川の付け替えなどによる堺港の変遷をたどり、近代都市への足がかりを築いた跡をたどった。路面電車・阪堺電気軌道のうち、1949年に営業休止になり、その後廃止された大浜支線(宿院―大浜海岸、約1・5キロ)も取り上げた。さらに、明治になって府内で初めて開かれた堺博覧会、堺と住吉大社の結びつきなど、幅広い。

 元堺市職員で市博物館副館長を務めた。仕事を終えた後や土日を利用して史料や文献にあたり、堺の歴史を研究。「江戸時代、仁徳天皇陵の墳丘は花見の名所だった。文献をたどれば、意外な史実がわかる」

 11年前に退職し、府内の歴史、文化、産業を紹介する季刊誌「大阪春秋」の編集委員に。コラム集には、同誌の連載などから、地元でもあまり知られていないテーマを中心に15編を選んだ。

 堺の歴史をテーマにした市民向け文化講座も開く。今秋には太成学院大(堺市美原区)の非常勤講師に就き、「堺学」を教える予定だ。「かつて海外交易で栄えた自由都市・堺の歴史を知ることは、今後のまちづくりを考える上で参考になるはず」(南省至)

(2012年6月10日 読売新聞)

763名無しさん:2012/06/12(火) 19:25:32 ID:A2/jRzH.0
>>761 そのためにも、堺と南河内を結ぶ公共交通を。阪急今津線とか川崎の南武線の小型版として。
現市長によっておじゃんにされたLRTは前任の時代に松原まで延伸なんて荒れた?ハナから構想外かよ。
そんなだから、福助に原宿へ逃げられた?

764名無しさん:2012/06/12(火) 19:29:29 ID:wNN923Oo0
ここに福助は関係ないでしょ

765よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/12(火) 22:50:36 ID:4DOLwLIU0
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜

アメリカ村かいわい
2012年6月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/120612/20120612025.html

若者の街に江戸の名残 三角公園に誕生秘話

 若者文化の発信拠点として知られる大阪・ミナミのアメリカ村。今回はアメリカ村の誕生から発展、そしてその歴史を探るコースに参加した。案内人を務めるのは以倉敬之さん(26)。吉本興業の子会社に勤務後、企画会社を立ち上げ、地域活性化イベントも手掛ける。大阪あそ歩のオープニングイベントに参加者してガイドになったという経歴の持ち主だ。

 地下鉄四つ橋線「四ツ橋駅」の改札口に集合し、早速、参加者の皆さんととともに、まち歩きに出発。地下鉄の駅名に残る「四ツ橋」は、かつて西横堀川と長堀川が交差し、時計回りに上繋橋、炭屋橋、下繋橋、吉野家橋が架かっていたことに由来する。駅を出てほどなく歩くと、四つの橋をしのぶ橋の欄干などが再現された場所に到着した。

 現在では車がひっきりなしに行き交う騒々しい印象を受けるが、以倉さんは「かつては納涼の名所だった」と説明し、碑に刻まれている小西来山の「涼しさに 四つ橋を四つ わたりけり」という句を紹介した。

 その後、たどり着いたパチンコ店の前に立ち以倉さんが教えてくれたのが「大坂屋銅吹所跡」。日本はかつて世界有数の産銅国で、この付近にあったとされる大坂屋銅吹所は、銅の生産量が住友銅吹所に次ぐナンバー2を誇ったとされる。もっとも当時をしのばせるものは付近に見当たらず、以倉さんの話を聞きながら往時の活気を想像するしかなかった。

 この後、アメリカ村のにぎわいの中にあって細い路地の奥にあり、1960年代に若者らの間に「アイビーファッション」ブームを起こした故・石津謙介氏が創業したヴァンヂャケット社の創業の地を巡った。

 後に「アメリカ村のママ」と呼ばれた日限萬里子さんが開いた喫茶店「LOOP」跡を回り、御津公園(通称・三角公園)に到着。三角公園の名前の由来について以倉さんは、かつて道路の整備に合わせて公園の場所が三角に削られたためと説明。「アメリカ村のシンボル」だが、(建設)作業員宿舎が設置されていたことや、長らく児童公園として使われていたことなど公園の変遷について語った。

 路地裏を進み、「アメリカ村に江戸時代の名残が残っている」と言われたその先に、蔵が立っていた。路地はかつて水路だったのはないかという以倉さんの推測に耳を傾け、まち歩きを終えた。

 東大阪市から参加した森鼻雅彦さん(64)は、「三角公園の時代の流れを知って面白かった。コースを回ってみて、史跡を紹介する案内板があればと思った」と話していた。

 (大阪あそ歩'12春のコースが終了し、この連載も次回のコース再開まで休載します)

 ○…若者の街という印象のアメリカ村だが、以倉さんのガイドで歩いてみると、見慣れた街並みもまた違って見えた。独自の推測を交えながらガイドを務める以倉さん。「そうしながらまち歩きをすると楽しくなるのでは」との言葉に納得した。

766名無しさん:2012/06/12(火) 23:26:48 ID:i7jakmWg0
福助は裏切り者

767名無しさん:2012/06/13(水) 01:23:27 ID:RR1FtkEc0
福助って倒産して政府系のファンドから金もらって藤巻が
社長として送られてきただけでしょ、今もう殆ど名前聞かないけどね。

野村證券も死にかけだし、住友グループはバラバラだし
創業の地を捨てるってことは自分たちのIDを消すことだから
20年たち30年たってったら、もう会社としての求心力がなくなる。

768名無しさん:2012/06/13(水) 01:48:33 ID:NljF3Dd.0
発展するどころか、維持することもできない様な風土だなんて
なんでそんなところに移転したのだろうか

769よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/15(金) 22:27:46 ID:OTsMQ3bQ0
「愛染さんじゃ、宝恵かご」 PR一行、元気にかけ声 大阪
2012.6.15 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120615/osk12061502040003-n1.htm

 大阪三大夏祭りの先陣を切って30日〜7月2日に大阪市天王寺区の愛染堂勝鬘院で開催される「愛染まつり」をPRする愛染娘らの一行が14日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ「愛染さんじゃ、宝恵かご」と元気よくかけ声を披露した。

 江戸時代に芸者らが参拝したようすを再現した「宝恵かごパレード」が見どころ。30日の午後1時半から6基のかごが約2時間かけて谷町筋を練り歩く。

 また秘仏の特別開帳やダンスステージ、夜店なども楽しめ、各日とも浴衣着用の参拝者にはオリジナルブレスレットをプレゼント(先着100人)。

 愛染娘の渡辺麻乃さん(26)は「7月1日の『ミス愛染娘コンテスト』では負けません」と意気込みを語った。

770よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/15(金) 23:21:35 ID:OTsMQ3bQ0
豊作を願って 住吉大社「御田植神事」
2012年6月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120615/20120615023.html

 昨年、鎮座1800年を迎えた大阪市住吉区の住吉大社で14日、国の重要無形民俗文化財で稲の豊作を願う「御田植神事」が行われ、御田(おんだ)に植女(うえめ)が早苗を手植えし、ほとりで神事芸能が繰り広げられた。

 大社鎮座の際に神功皇后が神田を定め、現在の山口県にあたる長門国から植女を召したことが起源とされる。

 神事は諸役が奉仕資格を得るための粉黛(ふんたい)・戴盃(たいはい)式から始まり、諸役は本殿での祭典後、列をなして御田まで練り歩いた。

 植女に早苗を授けられた替植女が田植えを始めると、中央舞台や周囲で八乙女舞や神田代(みとしろ)舞などの神事芸能が奉納された。

 初めて拝観したという奈良県の秋田法子さん(64)と吹田市の加藤眞知子さん(63)は手植えされた約2反(約20アール)の御田を見て「手植えは一部だけと思っていたら、きれいに手早くこなしていてびっくりした。伝統を大事にしているのが伝わってきた」と感心していた。

771よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/16(土) 05:33:12 ID:OTsMQ3bQ0
仏像マニア必見! 仏教文化の宝庫・和泉で特別展 初公開の“お宝”も 
2012.6.15 17:27
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120615/wlf12061517320017-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120615/wlf12061517320017-n2.htm

 大阪府和泉市内の寺院などに残されている貴重な仏像や仏画を集めた特別展「ほとけのかたち」が、和泉市まなび野の市いずみの国歴史館で開かれている。運慶、快慶の流れをくむ慶派の仏像など、所蔵する寺以外では初公開となる作品もあり、市教委は「和泉の豊富な仏教美術を知ってほしい」としている。7月16日まで。

 和泉市では飛鳥時代の終わりに仏教文化が花開き、今も多くの寺院が残る。市教委では市史編纂(へんさん)事業に伴い平成7年ごろから市内全域の寺院の調査を継続。この過程で美術的価値が確認された文化財を広く紹介しようと特別展を企画した。

 初公開作品のひとつ、羅漢寺(平井町)の大日如来坐像(ざぞう)は、鎌倉時代初期の作品で、顔の表情や衣の表現に慶派の特徴がみられるという。養福寺(池上町)の紙本著色仏涅槃図(しほんちゃくしょくぶつねはんず、展示は17日まで)も初公開で、江戸時代初期に活躍した和泉出身の絵師、桃田柳栄(1647〜98年)の作品。

 市教委文化財振興課の乾哲也課長補佐は「これほど価値が高い仏教美術作品が多数残されていることは把握できていなかった。寺院だけでなく地元の町会が保存していたものもあり、地域で文化財を大切に守ってきたおかげだ」と話している。

 仏像12体、仏画約50点などを展示。期間中、展示の入れ替えがあり、前期は17日まで、後期は19日〜7月16日。大人200円、高校・大学生100円。月曜休館。問い合わせは同館((電)0725・53・0802)。

772よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/16(土) 23:09:08 ID:YyH67sgo0
大阪・交野市 天孫降臨の伝承秘めた社 巨岩信仰、古代人を体感
2012/6/13付
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO42507760S2A610C1EL1P01/

 大阪府北東部の交野市の南端、奈良県との県境付近に、巨岩信仰と天孫降臨神話に彩られた古(いにしえ)の社がある。生駒山系の北麓、天野川の渓谷沿いに立つ磐船(いわふね)神社だ。巨石群がつくり出す珍しい岩窟めぐりで知られるとともに、大和朝廷の成立にかかわる多くの伝承に包まれた「古代から続く謎の聖地」を訪ねた。

 鳥居をくぐると、まず眼前に現れる巨大な岩に圧倒される。磐船神社のご神体である「天の磐船」だ。高さ12メートル、幅12メートルの巨岩。拝殿の後ろにのしかかるようにそそり立っている。頂上部は平らで、上や横から見るとまさしく船の形をしている。

 同社の創建の時期は不明だが、自然の巨岩や巨石に神の御霊(みたま)が宿るとして敬う「磐座(いわくら)信仰」と呼ばれる神道最古の信仰形態をとっていることから、有史以前に遡るという。宮司の西角明彦さんは「ご神体の岩が地上に完全に露出している磐座信仰の神社は、ここぐらい。古代人が受けた衝撃は大きかったはず」と話す。

 ご神体の隣には多くの岩や巨石が重なり合った岩窟が広がる。古来、神道家や修験道の行場として使われてきたが、現在は一般の人も拝観料(大人500円)を納めれば、岩窟めぐりを体験できる(年齢制限あり)。

 「古代の人々と同じ空間を体感できますよ」。社務所で渡された白いたすきを肩に掛け、岩と岩の隙間に身をねじ込んだり、細い板きれのような橋を渡ったり、狭い穴を足から滑り降りたりと、ハリウッド映画の「インディ・ジョーンズ」的なミニ冒険(約20分)を、古代の人々には失礼ながら堪能できた。

 磐船神社が他の神社と異なるもう1つの大きな特徴は「天孫降臨の社」であることだ。

 天孫降臨といえば、普通は天照大神の孫(天孫)であるニニギノミコトが、天上の国・高天原から地上(日向=現在の宮崎県)へ統治のために降り立った説話を思い浮かべるだろう。実は天照大神にはもう1人、ニギハヤヒノミコトという孫がいて、そのニギハヤヒをご祭神として祭っているのが磐船神社だ。

773よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/16(土) 23:11:12 ID:YyH67sgo0
>>772

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO42507760S2A610C1EL1P01/?df=2

 日本書紀や伝承によると、ニギハヤヒは高天原から「天の磐船」に乗って、河内国河上哮ケ峯(いかるがみね)に降臨した。哮ケ峯は磐船神社周辺の一帯を指し、ご神体の船形の巨岩を「天の磐船」と呼ぶのはこの伝承に由来する。全国にニギハヤヒを祭る神社は少なからずあるが「天孫降臨の地であり、社であると衆目が一致するのは、磐船神社だけ」(西角さん)という。

 さらに、古代においてニギハヤヒを祖先神としてあがめたのが、皇室と並び立つ勢力を誇った物部氏。同氏に関する独自の記述の多い「先代旧事本紀」は、ニギハヤヒはニニギの兄で、降臨も先と明記する。日本書紀も神武天皇(ニニギのひ孫)の東征より前にニギハヤヒが大和に降臨していたと記している。

 ニギハヤヒは神武天皇に帰順するが、見方によっては大和朝廷の成立の真相や禁忌に触れかねない伝承を内蔵し、今に伝えているのが磐船神社なのだ。

 同社を含む周辺一帯は金剛生駒紀泉国定公園に属し、複数のハイキングコースも整備されている。途中で「星のブランコ」と名付けられた全国有数の長さの木床式の人道つり橋を渡れるコースもあり、岩窟めぐりの後、さっそく約2時間かけて歩いてみた。つり橋や展望台からの眺めは美しく、時折吹く涼風はほおに心地よかった。

 古代人が駆け抜けたかもしれない山あいや川沿いの道――。古代の神々や天孫降臨の伝承に思いを巡らしながら、同じ道をゆっくり歩くのも一興だろう。

(編集委員 中川内克行)

<旅支度>駅から車で 七夕伝説も

 最寄り駅はJRなら学研都市線の河内磐船駅、京阪電車なら交野線の私市(きさいち)駅。河内磐船駅前にはタクシー乗り場があり、所要時間は10〜15分。私市駅からは磐船神社前を通る京阪バスが出ているが、土日のみで、本数も少ない。
 磐船神社を含む交野市の一帯は古くは「交野が原」と呼ばれ、七夕伝説発祥の地として知られる。市内には織姫を祭る「機物(はたもの)神社」があり、毎年7月6、7日に開かれる七夕祭りは大勢の人でにぎわう。七夕にちなむ地名も多い。

774名無しさん:2012/06/17(日) 00:02:46 ID:A2/jRzH.0
「天皇陵を発掘せよ」(31新書)における住井饐えの言動は、妖怪だからと言えばそれまでかもしれないが
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/2012-06.html?p=4#20120601
次の西村真悟氏の時事通信には、地方公務員による皇室破壊行為が行われている事が伝えられています。
なんと、天皇御陵をユネスコの世界遺産に申請したというのですから、あきれ返ります。
エジプトのピラミッドと仁徳天皇御陵を同じにしようというのか。

調査という名目で御先祖様のお墓をひっくり返し、観光名所にするという罰当たりな行為が許されると思う人間ばかりになってしまったのでしょうか。しかも、パンフレットには「仁徳陵」と記し、

わざわざ「天皇」の言葉を外していたというから意図的に天皇制破壊をねらっているとさえ思えます。全く、とんでもない事ばかりで眩暈がしますね。


天皇の御陵  西村真悟の時事通信

No.737 平成24年 5月28日(月)

まず概略から、我が郷里である旧国名で言えば、泉州、河内そして摂津の地には、まず、
日本武尊(やまとたけるのみこと)の皇子にして三韓征伐の最高指揮官である神功皇后を后とする第十四代仲哀天皇の御陵が造営され(藤井寺)、
以後、その皇子である八幡さんの祖である第十五代応神天皇の御陵(羽曳野)、その皇子である第十六代仁徳天皇の御陵(堺)が造営されてゆく。 第十六代仁徳天皇の三人の皇子は
第十七代履中天皇(堺)、第十八代反正天皇(堺)、第十九代允恭天皇(藤井寺)である。

 第二十代の安康天皇の御陵は、奈良に造営されるが、
第二十一代の雄略天皇陵は藤井寺、第二十六代継体天皇は茨木、第三十三代推古天皇陵と聖徳太子廟は太子町、そして、南北朝時代の第九十七代後村上天皇陵(河内長野)までが泉州、河内そして摂津の天皇陵である。

 このうち、仁徳天皇と履中天皇と反正天皇の親子三人の御陵は、堺の中心部の三国ヶ丘に南北に並んでいる。
そして、その周辺には多くの陪塚(家臣の墳墓)があり、東側には御廟山、にさんざい、いたすけなどの巨大古墳が並んでいる。このうち、御廟山古墳は、
近くに百舌鳥八幡神社があることから応神天皇の御陵ではないかと古くから言われている。

 この古墳群を抱える田園の丘陵が、子供達の遊び場だった。三国ヶ丘とは、泉州、河内、摂津の三国の堺にあるからそう呼ばれるようになった。古代、船が西から
明石海峡を抜けて茅渟の海(大阪湾)に入ってくると、正面に丘の上の巨大な仁徳天皇陵が遠望できる。そこが進路である。そして、神功皇后が朝鮮から帰着した
現在の住吉神社の南の津に着いた船から揚げられた物資と人は、仁徳天皇陵と反正天皇陵の間の竹内街道を通り、御廟山古墳の側を通り聖徳太子廟のある

太子町を抜け二上山の竹内峠を越えて奈良の明日香に入ってゆく。墳丘の面積では世界一の広さである仁徳天皇陵は南北に囲む皇子である

履中天皇陵と反正天皇陵とともに正確に南を向いており、空から見ても宇宙から見ても絶好の目印になる。

八尾にある陸上自衛隊航空基地の隊員に聞くと、仁徳天皇陵は、おそれおおいので真上は飛ばないが絶好の目印だと言っていた。航空機のない古代には、
仁徳天皇陵を空から目印とした人はいないが、海からは絶好の目印だった。但し、竹取物語には、月から来た姫もいる。当時の人が、空からの目印の為に仁徳天皇陵を造形したのかも知れない。

誰が、このことを否定できようか。

775名無しさん:2012/06/17(日) 00:15:13 ID:A2/jRzH.0
現実に戻る。私の子供の頃(昭和三十年代)、三国ヶ丘の巨大天皇陵と巨大墳墓は、ほぼ田園に囲まれていた。
その墳丘の森には数千羽の白鷺が舞っていて、彼等の餌であるドジョウやモロコやフナは、付近の田園で生息していた。しかし、現在、白鷺は
カラスに変わり、彼等の餌である人間の残飯は、住宅街と繁華街が提供している。そして、土地開発により、多くの陪塚が破壊された。今でも、三国ヶ丘駅近くの
巨大な前方後円墳がブルトーザーで一挙に破壊されたときの無惨な情景を思い出す。
 
仁徳御陵の東側の田園は宅地で覆い尽くされ、家庭排水とガソリンスタンドの廃油は、
仁徳天皇陵の堀に流れ込み、僕たちが「キンタイ」と呼んでいたすばらしく綺麗な小さな魚はいち早く姿を消し、コイやフナ、ナマズや台湾ドジョウまで姿を消した。そして、履中天皇の堀沿いにあった
空き地は、分譲されて、仁徳天皇と履中天皇の親子の御陵を結ぶ緑の空間は建ち並んだ新築住宅によって分断された。その上で、堺市は何をしているのかとと、仁徳天皇陵を中心とする百舌鳥古墳群と

応神天皇陵を中心とする古市古墳群をあわせてユネスコの「世界遺産」に申請しているのである。

 一体全体、天皇陵を囲む歴史的風土を破壊されるに任せている堺市に、天皇陵を「世界遺産」にと

申請する資格があるのか。断じてない。その理由は、「天皇陵を囲む歴史的風土」が「世界遺産」に
ふさわしいのであり、「天皇陵」それ自体は「遺産」ではないからである。
冒頭に述べたように、天皇陵は、我が国が万世一系の天皇を戴く国家である限り、「現在に生きている我が国の聖域」であり、「世界遺産」として外国の学者が
掘り起こして「学術調査」をしたり、観光客がソフトクリームを舐めながら墳丘を歩き回るなど許されない地域なのだ。このこと、諸兄姉の先祖の墓のことを思えば分かるであろう。自分のご先祖の墓を
大切にするように、天皇陵を大切にしなければならない。

いや、天皇陵を大切にすることが自分のご先祖の墓を大切にすることにつながるのだ。
「かくの如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、また以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん」(教育勅語)
 万世一系の基に断絶することなく今に生きており尊ばれるべき存在としての天皇をいただく国家。

これが、我が国の国柄であり、この国柄と不可分であることに天皇陵の本質がある。従って、天皇陵は「遺産」ではなく、「天皇陵を戴く周辺の歴史的風土」こそが遺産なのだ。ここがエジプトのピラミッドと我が国の天皇陵とが決定的に違うところだ。
ピラミッドの被葬者と現在のエジプトは無関係である。

しかし、天皇の御陵は、万世一系の現在の天皇と不可分である。従って、「世界遺産」申請は、まさに、この決定的違いを前提にして為されねばならないのだ。
しかるに、堺市は、周辺の「歴史的風土」を破壊させながら、「天皇陵」を「世界遺産」として申請している。

 そもそも堺という地方自治体の職員は、「天皇陵」を何だと思っているのか。彼等は、世界一の「巨大古墳」を「世界遺産」として申請しているという意識なのだ。つまり、驚くべきことに、申請の対象を「天皇陵」だとは思っていない。従って、「天皇陵」という性格をできるだけ捨象し捨て去ろうとしている。

 これは、左翼的自治体職員による、歴史破壊、歴史的風土破壊という文化破壊であり暴挙そのものである。堺に来られたら、堺市発行のパンフレットを手に取られたし。そこには、「仁徳天皇陵」とは書かれていない。
 
天皇を捨象して外し、単に「仁徳陵古墳」と書かれている。従って、このパンフレットによるプロパガンダが続くと、仁徳天皇陵は単なる「巨大古墳」になる。

文化の破壊とはこういうことだ。

つまり、天皇制否定の自治体に巣くう反日組織によって、「天皇陵」が単なる「遺産」にされ、世界の考古学者の「発掘調査」に委ねられようとしている。

 そうなれば、現実には、歴史を自国に有利なプロパガンダとファンタジーだとみなす、反日侮日の使命をおびた支那や朝鮮の「学者」が日本の反日学者と
反日政治家と共同して、仁徳天皇陵を掘り起こして調査という「破壊」を行うことは目に見えている。

(三年前の民主党幹事長による韓国の大学での講演内容を思い出されよ)以下略

776名無しさん:2012/06/17(日) 00:18:58 ID:A2/jRzH.0
6月1日分である。その上における志村の某糞芸no人に対する当てこすりはお見事。

777名無しさん:2012/06/17(日) 00:52:51 ID:A2/jRzH.0
>>763における我がカキコは、無知の産物とはいえ撤回せざるを得ない。トホホ。
でも堺の東西交通は松原あたりに伸ばして欲しい。

778よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/17(日) 05:51:26 ID:Xu9rLtCY0
[碑にきく]<6>七夕伝説に永遠の愛詠む
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120617-OYT8T00059.htm

 古木が茂る参道を抜けると、朱塗りの社殿が姿を現す。七夕伝説の織姫を祭る機物(はたもの)神社(交野市倉治)。境内に、平安時代の歌人・紀貫之(きのつらゆき)(868頃〜945頃)の歌碑がある。

 〈一年(ひととせ)に 一夜と思えど 七夕の 逢(あ)ひ見む秋の限りなき哉(かな)〉

 中国が起源とされる伝説では、天帝の娘・織姫は、牽牛(けんぎゅう)(彦星(ひこぼし))と出会い、楽しさのあまり機織りの仕事を怠ける。天帝の怒りで、天の川の両岸に引き離された2人は、年に一度だけ、七夕の日に会うことを許された。

 1年のうち一晩しか会えないと思うと寂しいが、会うことができる秋の日は、毎年、限りなく巡って来る――。紀貫之は、悲恋のイメージが濃い伝説を、永遠の愛として詠んだ。七夕(7月7日)は現在は夏だが、旧暦(今年は8月24日)では秋と位置付けられている。

 一帯は平安時代、交野が原と呼ばれ、貴族以外の狩りを禁じた「禁野(きんや)」だった。天野川という名の川が流れ、京の都から狩りに訪れた貴族が、空の「天の川」になぞらえた歌も伝わる。「枕草子」では、美しい野原の一つに挙げられている。

 歌が詠まれた場所は定かでないが、交野市は1991年、有名な紀貫之の歌で伝説ゆかりのまちをアピールしようと、境内に歌碑を設けた。伝説を顕彰する市民団体・天の川七夕星まつりの会会長の鳥居貞義さん(76)(枚方市宇山町)は「天野川のほとりに立つと、水面(みなも)に星が映り、空の天の川にいるような気持ちになれたはず。紀貫之も訪れ、想像を膨らませたに違いない」と推測する。

 その交野が原に機物神社があるいきさつも、記録には残されていない。周辺には、4世紀に渡来人が住み着いたという伝承があり、中村武三宮司(97)は「養蚕技術を持った渡来人が、織物の神様として織姫を信仰したのが始まりでは」とみる。

 伝説は、時代が下っても多くの人の心を引きつけ、江戸時代には、七夕の日に願い事を記した短冊をササに結ぶと、希望がかなうと広く信じられるようになった。江戸初期に幕府の代官が描いた絵図には、機物神社の場所に「織女」と書かれ、当時、織姫の社として信仰を集めていたことがわかる。江戸後期の書物には、七夕の日に祭りが行われていたと記されている。

 祭りはやがて途絶え、神社が1979年に再興。参拝者は年々増え、昨年は約2万人でにぎわった。

 天野川の両岸には今、住宅が立ち並ぶが、空の天の川では今年も、年に一度の逢瀬(おうせ)がかなう。その幸せは、紀貫之が歌を詠んだ1000年以上前から毎年続き、これからも繰り返される。(中田敦之)

779よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/17(日) 05:52:40 ID:Xu9rLtCY0
>>778

◇古代の想像力生かそう 作詞家・もず唱平さん

 男と女の様々な物語を描いてきた作詞家は、「夜空を仰ぎ見て、年に一度だけ会う男女の物語を作り出した古代人の発想力、想像力」に感心する。「伝説のおかげで、古代人の思いが現代にまで伝わった」

 交野市の北側、枚方市に30年以上暮らす。交野が原は両市にまたがって広がっており、枚方市側にも牽牛ゆかりの大きな石がある。「はっきりした史実はわからなくても、貴重な伝承文化がこの地域にある。両市や住民、企業が力を合わせれば、おもしろいことができるはず」

 枚方や交野の里山に育つ竹で作った楽器の国際音楽祭、七夕伝説の語り部検定、ササ飾りで電車の駅舎を覆い尽くす――。次々にアイデアが飛び出す。「古代人のように想像力を働かせば、この文化をこれからの私たちの生活に生かすことができる」と語る。

 「電子望遠鏡で天の川の正体も何もかもわかってしまうと、夢がしぼんでしまう。便利にはなったが、古代よりも幸せになったかというと、そうではない。このあたりで立ち止まって考えた方がいい」。七夕の夜、いにしえのロマンに思いをはせることで、現代の生き方を見つめ直すきっかけになれば、と願う。

 <もず・しょうへい> 1938年神奈川県生まれ。枚方市在住。67年に「釜ヶ崎人情」で作詞家デビュー。代表作は「花街の母」など。日本音楽著作権協会監事。

 ◆交通手段 JR片町線津田駅の南約900メートル。京阪交野線交野市駅からは北東約2キロ。機物神社には、紀貫之の歌碑のほか、万葉集にある七夕の和歌(作者未詳)を刻んだ七夕万葉歌碑もある。

(2012年6月17日 読売新聞)

780よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/19(火) 23:54:48 ID:bnzUXJGQ0
「幸せ、届けるわぁ」祭り彩る愛染娘がPR
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120615-OYT1T00609.htm

 大阪三大夏祭りの一つ、四天王寺別院・愛染(あいぜん)堂(大阪市天王寺区)の愛染まつり(30日〜7月2日)を前に、催しを彩る愛染娘らが14日、読売新聞大阪本社を訪れた。

 愛染娘は一般公募で選ばれた10人と、韓国、中国からの留学生各1人。30日午後2時からのパレードでは、かごに乗って「あべのマーケットパーク キューズモール」(大阪市阿倍野区)から愛染堂境内まで約3キロを練り歩く。

 愛染娘の同志社大3年の女性(20)(大阪市中央区)は、「はじける笑顔でまつりを盛り上げ、皆さんに幸せを届けたい」とPRした。

(2012年6月18日14時55分 読売新聞)

781よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/20(水) 22:39:33 ID:uZlSJteI0
歩いて知る「暗越奈良街道」 有志がガイドブック編集 大阪
2012.6.20 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120620/osk12062002070004-n1.htm

 ■AEDの場所も地図に

 大阪と奈良を暗峠(くらがりとうげ)経由で結ぶ「暗越(くらがりごえ)奈良街道」沿線の見どころをまとめた「暗越奈良街道ガイドブック2012−歩いて知る街道の歴史と生活文化−」が読書館(奈良県生駒市)から出版された。歴史的、文化的施設や著名飲食店などのガイドを載せたほか、沿線にあるAED(自動体外式除細動器)設置場所などを地図上に示し、防災にも役立つよう工夫している。

                   ◇

 沿線の大阪市、東大阪市、生駒市、奈良市のまちづくり団体や行政機関の関係者らで平成20年に組織した「暗越奈良街道倶楽部」の有志が編集委員会をつくり、執筆を分担するなどして一冊の本にまとめた。

 暗越奈良街道は、大阪市中央区の高麗橋から、東成区、東大阪市、暗峠、生駒市を通って奈良市の春日大社に至る約34キロ。ガイドブックでは、難波津▽布施▽生駒山西麓▽平城京▽春日大社と奈良町−など計17項目に分け、写真や地図などを使って寺社、古墳、文化施設などのガイドや、地域の歴史に関するコラムなどを掲載した。

 また防災の観点から、コンビニエンスストア、トイレ、AED設置場所など緊急時に利用できるポイントを地図上に示している。

 編集委員会メンバーで一部執筆を担当した大阪市東成区わがまち推進会議世話人の松下和史さんは「これをとっかかりに街道沿線の魅力を発見、発掘していきたい」と話している。216ページ。1500円。問い合わせは読書館((電)0743・73・0676)。

782よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/20(水) 23:59:05 ID:uZlSJteI0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

浪花名物の商品券
2012年6月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120620/20120620033.html

鰻券・鮮魚券

 梅雨の訪れとともにお中元の時季がやってきた。あの顔、この顔とお世話になった方々を思い浮かべ、好みや趣味を勘案して贈り物を考えるのも日本ならではの風習だ。近年、官公庁をはじめ勤務先での贈答の自粛がけん伝されるが、百貨店における贈答コーナーの盛況ぶりを見る限り、どこまで徹底されているかは疑わしい。

 本来は、世話になった先様へ直接持って伺うのが礼儀だが、近年は注文先から配送業者を経て届けるのが一般化しており、甚だ形式化されている。

 現在、生ものはクール宅配便が便利だが、これとて冷蔵庫の空きスペースの問題もあり、ときにありがた迷惑なこともある。その点、ここに紹介する「鰻(うなぎ)券」や「鮮魚券」の商品切手は随時、有用の時に交換できるのがありがたい。以前紹介した「饅頭(まんじゅう)切手」などとともに生もの故の欠点を補って余りある知恵才覚の現れだろう。いずれも明治期のものと思われるが読み下しは以下の通りだ。

 「一 鮮魚 一折 この券を以て、引き換えお渡し申し上ぐべく候也 安土町 森田吉五郎一 鰻 一箸 ご入用の節、差し上げ申し候 なには橋 網彦」

 「鮮魚一折」は額面通りでいけば、折り箱1箱分の鮮魚ということになるが、関西では折り詰めに入ったコイを一折と言うそうな。安土町の森田商店ではこの券と引き換えに随時、鮮魚を用立てた。

 一方、「鰻一箸」は箸が2本で用を足すように、かば焼き2枚ということであろうか。やはり、引き換え時に、さっと焼いて渡したものであろう。興味深いのは、「なには橋 網彦」だ。

 聞くところによると、創業は寛永年間というから360年余の歴史がある老舗だ。今日、鰻料理で有名だが、その昔は川魚商でもあったという。ともあれ、難波橋のたもとで鰻好きの大阪人の嗜好(しこう)を一手に引き受け、現在も北浜(現、阿み彦北浜店)で営業を続けているというからすごい。

 紹介する鰻券には1銭印紙が貼ってあるのは興味深いが、この券はあくまでも持ち帰り用の商品券であろう。うまいもん好きの御仁であれば、店で蒲焼きを待つ間に、1本銚子(ちょうし)を付けてチビリチビリとやりながら「もうここで食べていくわ」とのたまうに違いない。

 (大阪商業大学商業史博物館主席学芸員・明尾圭造)

783名無しさん:2012/06/21(木) 18:44:08 ID:A2/jRzH.0
>>775 カラスをホームレスや凶悪犯に見立てれば、その餌を供給するヤカラがいるわけで。それはな〜に?
ホームレススレへGo

784よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/24(日) 15:03:27 ID:7MwzBGYg0
平和の意義伝えたい 戦争遺跡の調査記録を出版
2012年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120624/20120624016.html

 大阪東部地域に残る戦争遺跡の調査、研究を進める郷土史家の大西進さん(71)=八尾市黒谷=が、9年間の研究成果をまとめて出版した。タイトルは「日常の中の戦争遺跡」。現在、八尾空港として使われている旧陸軍大正飛行場を中心に紹介し、「歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史があることを身近な戦争遺跡から知ってほしい」と訴えている。

 大西さんが戦争遺跡を調べ始めたのは、太平洋戦争の激戦地、ニューギニア島で戦死した父の足跡探し。調査は難航を極めたが、防衛省防衛研究所に1冊だけあった所属部隊の陣中日誌から父の名を発見。「記録がない出来事は存在しないことと同じで、後世に伝わらない」と記録の大切さを実感し、2004年から郷土の戦争遺跡を調べ、記録を続けている。

 大正飛行場は、旧陸軍が飛行学校だったところを接収し、1941年に軍用飛行場として整備。終戦後は米軍に接収されたが、54年に返還された。八尾市周辺には、旧陸軍の航空機を格納するための掩体壕(えんたいごう)(同市垣内)や戦闘指揮所(現陸上自衛隊八尾駐屯地・広報展示室)などが現存している。

 大西さんは「飛行場に建設された全長1600メートルのコンクリート舗装の滑走路は東洋一の規模といわれた。中四国の東部から阪神、中部地方まで統括する第11飛行師団や、大阪航空廠が置かれていた」と、役割の大きさを強調。

 一方、現在の「日常の中」の視点から「こんなものを作らないといけなかったのが戦争。戦争の無残さやむなしさを目で見て、手で触れて感じることができる」と説明する。

 同書は、2006年から12年まで地域史に発表した論文を再編。元軍人や地域住民、研究者ら約250人から聞き取り、資料などと照らし合わせながらまとめている。大正飛行場については戦争時のパイロットらの証言から、所属部隊の動きや戦争末期の状況などを克明に記録。地道な資料調査やフィールドワークで「水濠(ごう)」「官舎」「合宿所」にも迫っている。

 A5判、2730円。アットワークス。

 大西さんは、「河内の戦争遺跡を語る会」を立ち上げ、会員を募りながら戦争を各地域の住民目線で把握する活動を続けている。7月21日には八尾市生涯学習センターで開かれる市民大学講座(参加無料)で、「八尾の空襲と防空施設」について報告する。

 「八尾には史跡として保存するべき戦争遺跡がたくさん存在する。これを戦争の無残さ、そして平和の意義を伝える教材として多くの人に知ってもらいたい」

785よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/24(日) 15:57:37 ID:7MwzBGYg0
桂米朝さん「病床日記」70年ぶり見つかる 米朝落語の原点
2012.6.24 13:59
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062413590009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062413590009-n2.htm

 人間国宝で落語家の桂米朝さん(86)が第二次大戦中、腎臓病を患い陸軍病院に入院中に書いた「病床日記」が約70年ぶりに自宅で見つかっていたことが23日分かった。日記は昭和20年3月から終戦間際までの約5カ月間。「今研究中の(落語の)東西比較についても益多かりき」などと落語の研鑽(けんさん)を積んでいた。演劇評論家は「芸への貪欲さが若くして揺るぎない。米朝落語の神髄に触れる思いだ」と話している。

 日記は、今春、米朝さんの自宅書庫で整理にあたっている落語研究家が見つけた。几帳面な性格を伺わせるように大学ノート2冊にびっしり書かれている。

 米朝さんは大東文化学院(現大東文化大学)在学中に招集を受け、昭和20年2月に地元・姫路の十師団三九連隊に入隊。当時、作家で寄席研究家の大御所、正岡容(いるる)(1904〜58年)に師事していた。

 日記は3月2日から始まり、約2カ月後から落語に関する記述が増え始める。「今日あたりより、また何か始めんと思い居りしに…。東西共存落語を書きぬく」(5月25日)

 「米之助(四代目米團治)の小咄(こばなし)二題、明ばん丁稚、鶴の由来、巧みなれど話そのものは良からず」(同26日)とラジオ寄席を評論。

 翌27日、落語家の橘ノ円都(たちばなのえんと)(1883〜1972年)が慰問にきた際には、「急いで楽屋に行き円都に会い、余の病棟へ案内す」。面談の様子を「(前座の)『紀州飛脚』の解説、珍しいネタを話してくれ、且(か)つ、余の今研究中の東西比較についても益多かりき」と記している。

 8月9日、体調の回復がみられ、療養所の演芸大会で落語「がまの油」を披露している。また、20歳の青年らしく「ああ、家にて療養せば、全癒も早かるべし。ああ母恋し」と母への心情を綴っている。さらに夏目漱石など150冊に及ぶ読書の記録もある。

 今回、日記が見つかったことについて米朝さんは、「よくこんなものが出てきたなぁ。入院中は暇で、落語ほど面白い芸はないと思って、夢中で日記に書いていた。昔のことが甦ってくる」と話している。

 演劇評論家の権藤芳一さんの話「桂米朝の博識ぶりは広く知られているが、芸に対する真摯(しんし)な態度と貪欲さが20歳にしてすでに揺るぎのないものであったことを示している」

786よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/29(金) 05:29:34 ID:j3m9RK.M0
新選組・近藤勇、幕府復活へ大金無心? 借用書公開 結局、敗死で借金は返済されず…
2012.6.28 20:53
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120628/wlf12062820570014-n1.htm

 幕末史を彩った新選組局長、近藤勇(1834〜68年)が慶応3(1867)年、豪商から現在の2千万円に相当する大金を借り入れたことを示す借用書が7月14日から、大阪市西区の大同生命保険本社で公開される。同社が所蔵している古文書約2500点の一つで、新選組が幕府再興へ多額の資金を必要とするなど、明治維新前後の実態がうかがえる。

 借用書には、「預申金子之事(あずかりもうすきんすのこと)金四百両 但し月四朱利息慶応三年十二月」などと記載。新選組副長の土方歳三とともに、保証人として近藤の名が記されている。同社の母体となった豪商「加島(かじま)屋」から400両を借り、毎月4朱の利息で翌年5月に返済するという内容で、いずれも直筆という。

 慶応4(1868)年1月には、新政府軍と旧幕府軍による戊辰(ぼしん)戦争が始まり、新選組は当時、緊急に資金を必要としたらしい。しかし新政府軍に敗れた近藤は同年4月25日に東京で処刑。返済期日にはすでに亡くなっており、同社の担当者は「借用書が残っているということは、借金は返済されなかったのだろう」と話している。

787よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/29(金) 22:33:07 ID:SyRbuKqI0
大阪に夏の訪れ、道頓堀川で「船乗り込み」 歌舞伎俳優らがあいさつ
2012.6.29 21:02
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120629/trd12062921050018-n1.htm

 水都・大阪の夏の風物詩、歌舞伎俳優の「船乗り込み」が29日、大阪市の道頓堀川などで行われ、浴衣姿の中村吉右衛門さんらが声援を送る川岸のファンにあいさつした。

 船乗り込みは7月3日から大阪松竹座で始まる「七月大歌舞伎」の前触れとして行われてきた古式ゆかしい行事。

 色とりどりの幟(のぼり)や提灯で飾られた船に乗り込んだ吉右衛門さんや、七月大歌舞伎で襲名披露を行う中村又五郎さん、中村歌昇さんら一行は、大阪市中央区の八軒家浜から出発。真夏のような日差しの中、東横堀川、道頓堀川などをめぐり、橋の上から「播磨屋!」などと声が掛かると、笑顔で手を振って応えた。

788よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/30(土) 22:10:24 ID:iwZd5NV60
愛染まつり 大阪三大夏祭りのトップを飾り
http://news24.jp/nnn/news8894574.html

 大阪の三大夏祭りのトップを飾る「愛染まつり」が30日始まり、恒例の宝恵かごパレードが難波の街を練り歩いた。「愛染まつり」は、この日に浴衣をおろすことから「浴衣まつり」とも呼ばれる。初日のきょうは、小雨の降るあいにくの天気の中、華やかな浴衣姿の愛染娘11人が、6台の宝恵かごに乗って天王寺から愛染堂までを練り歩き、威勢のいい掛け声で浪速の街を彩った。まつりは来月2日まで行われる

789よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:18:06 ID:q.YnI.gY0
震災復興へ「国旗掲げ、心一つに」広がる 創祀2670年の枚岡神社
2012.6.30 19:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n1.htm

 子供だった昭和40年代(1965〜1974)、自宅玄関の壁には国旗立て金具が付いていた。国民の祝日にはそこに国旗(日の丸)が立てられた。隣近所も大抵国旗を玄関に立てていた。今ではあまり見かけない。そんな中、大阪府東大阪市の枚岡(ひらおか)神社が昨年の東日本大震災後、「祝日に国旗を掲げましょう」という活動を始め、氏子地域の東大阪市松原自治会では約150軒が祝日に国旗を掲げる。枚岡神社の中東弘(なかひがし・ひろし)宮司(71)は「せめて祝日には国旗を掲げ、日本の歴史と文化を見つめ直していただきたい。それが日本人の絆にもなる」と話している。

(野瀬吉信)

 国旗掲揚活動のきっかけは昨年3月11日発生の東日本大震災だった。

 たまたま中東宮司は所用で上京していた。地震発生後、電車は全線不通となり、いつ来るのかわからないタクシー乗り場も長蛇の列ができていた。寒風の中、ひたすらさまよい歩き、なんとかホテルを探し当てた。

 何度も余震が続く中、ホテルのテレビには、津波によって家屋や車がまるで玩具のように壊れ、流されていく姿が繰り返し映し出され、絶句した。

 「被災した方には申し訳ないが、震災を通じてある“気付き”をした。いかに日本人が傲慢になっていたか。自然に対していかに無力であるか」

790よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:19:18 ID:q.YnI.gY0
>>789

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n2.htm

 反省のいい機会だったと中東宮司は振り返る。

 そして、震災を通じてのもう一つの反省が「国を思う」ということ。祝日に国旗を掲げる家などほとんどない現状。「この国難を乗り越え、復興するには、日本人の心を一つにすることができる国旗掲揚が必要だ」という考えに至ったという。


地元・松原自治会が呼応

 中東宮司の国旗掲揚の呼びかけに応じたのは氏子総代の一人、松原功典(こうすけ)さん(79)だった。松原さんは昨年10月中旬、松原自治会(約450世帯)の役員会で国旗掲揚を提案した。役員からは「大賛成」「掲げるべきだ」という前向きな意見が相次ぎ、「やろう」ということになった。

 松原自治会は近鉄花園ラグビー場北側の旧伊勢街道沿いで、松原さんは自治会員宅を一軒一軒回り、理解を求めた。そして、初めての祝日となった昨年11月3日の「文化の日」、多くの国旗が玄関前に掲げられた。今では自治会員宅約150軒が祝日に国旗を掲げるまでになったという。

 「若い世帯も多く、国旗掲揚に問題がないわけではない。しかし、今後も理解を求め、半分ぐらいの自治会員の家に国旗が掲げられるようにしたい」と松原さんは話す。

791よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:21:55 ID:q.YnI.gY0
>>789>>790

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n4.htm

高まる掲揚の機運

 国旗掲揚の動きは松原自治会にとどまっていない。

 「祝日に国旗を掲げようという機運が高まり、近隣の自治会にもどんどん広がっている」

 松原さんはいう。

 祝日には各家の玄関前に国旗が掲げられ、町中に日の丸がはためく。40年ほど前には当たり前だったそんな風景を再び目にすることができるのだろうか。

 「松原地区はもともと歴史のある町。誇りある日本の国づくりを再び松原地区から日本中に広げていきたい」と松原さんは意気込んでいる。

  「来年を境に世の中はいい方向に進む。日本人の心の転換期にもなる。その流れに乗って多くの人が国を思い、国旗掲揚も広がりをみせるに違いない」。中東宮司も期待している。

                           ◇

 【用語解説】枚岡神社

 創祀(そうし)=起こり=は社伝によると神武天皇即位の3年前で、今から2670年以上前になる。平安末期以降は「河内国一之宮」となり、明治4(1871)年に「官幣(かんぺい)大社」の一つとなった。特殊神事として粥占(かゆうら)神事(大阪府無形民俗文化財)や別名・お笑い神事と呼ばれる注連縄掛(しめかけ)神事(東大阪市無形民俗文化財)が知られる。大阪府東大阪市出雲井町7の16。

792よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:28:24 ID:q.YnI.gY0
ナニワ初夏の風物詩「愛染まつり」始まる 
2012.6.30 22:34
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063022380022-n1.htm

 大阪の初夏の風物詩、愛染まつりが30日、大阪市天王寺区の四天王寺の支院、愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)で始まり、浴衣姿の愛染娘を乗せた「宝恵(ほえ)かご」の行列が、威勢のいいかけ声とともに沿道を練り歩いた。

 愛染まつりは天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭のひとつで、商売繁盛や縁結びに御利益があるとされる。祭りを境に女性が浴衣を着始めるため、「浴衣まつり」とも呼ばれる。

 宝恵かごには公募で選ばれた愛染娘が乗り込み、天王寺公園から愛染堂までの約1・5キロを行進。あでやかな浴衣姿の愛染娘らは「愛染さんじゃ!」「ほーえーかーごー」とかけ声をうけながら、集まった見物客に笑顔で手を振り、愛嬌(あいきょう)を振りまいていた。

793よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 10:07:55 ID:xXsuLPyE0
大阪ロマン紀行
大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

七夕伝説と羽衣伝説の地

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年6月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120629/20120629033.html

星田神社・星田妙見宮 交野市星田

 前々から気になっていたのが枚方・交野に伝わる一連の星にまつわる伝説。実際に天野川が流れ、星田や河内磐船(かわちいわふね)など、駅名を見ただけでも伝説にまつわるような地名が存在する。そこで、もうすぐ七夕でもあることだし、交野市星田の星田神社へと向かった。

 「ここは七夕伝説、羽衣伝説、そして北辰(ほくしん)信仰のすべてが重なる地なのです」と佐々木久裕宮司。詳しくお話を伺い、資料も見せていただいた。

 七夕伝説は、皆さんご存じの織姫と彦星の話だが、交野市には織姫を祀(まつ)る機物(はたもの)神社があり、天野川の対岸には彦星の牽牛石(けんぎゅうせき)があり、逢合(あいあい)橋やかささぎ橋(かささぎが翼を連ねて橋を架け二人を逢わせた)という名の橋も架かっている。伝説が実際の地名になっているのが興味深い。

 また、星田神社の近くの星田妙見宮(正式名:小松神社)には、太古の昔から存在するといわれる巨石が祀られていて、俗称「織女石(たなばたせき)」と呼ばれている。

 星田妙見宮は、弘法大師が唐から宿曜経(しゅくようきょう)を持ち帰り、星の道場を創建したことに始まる。宿曜とは、天体の動きと人間の運命の関係を表したもので、後に陰陽道(おんみょうどう)に吸収された。

 この織女石を頂点とした妙見山は、大きく馬蹄形(ばていけい)にえぐられた形をしていて、それは、弘法大師が天より七曜星(北斗七星)を降臨させた跡といわれている。具体的には隕石(いんせき)落下の跡で、天体の専門家によると、たしかに弘仁(こうにん)7(816)年7月23日に北斗七星の方角からペルセウス流星群が通過していて、そこから隕石が落下したと考えられるという。

 また、この枚方・交野一帯は、古くは交野が原といわれ、物部(もののべ)一族の本拠地であった。その物部氏が最高神として祀る「豊受大神(とようけのおおかみ)」は北斗七星から降臨した天女であるといわれ、この地の羽衣伝説と結びついていく。このように興味深い話が続くのだが、ここでの文字数では、とても書ききれない。

 取材した日は早朝におじゃまして、毎朝行っているラジオ体操に参加させていただいた。多いときには周辺の方々100人以上が参加される。その後、佐々木宮司が制作した、この地の伝説を歌にした曲(4曲)をみんなで歌う。

 星田妙見宮が2016年に創建1200年を迎えるに際し、星空の下で市民1000人の大合唱を行う予定である。

 取材した日は途中で雨が降りだしたが、傘をさしてでも一緒に歌う人々がここにいる。夢はきっと4年後に実現するに違いない。

794よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 12:41:11 ID:xXsuLPyE0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」始まる−宝恵駕籠パレードで盛り上がる
http://abeno.keizai.biz/headline/493/

 大阪三大夏祭りの幕開け「愛染まつり」が6月30日、「あべのマーケットパーク キューズモール」(大阪市阿倍野区)3階スカイコートでの出発式で始まり、谷町筋で恒例の宝恵駕籠(ほえかご)パレードが行われ、雨の中でも多くの人が訪れた。

  「愛染まつり」は、毎年6月30日〜7月2日に寺院「愛染堂・勝鬘院(あいぜんどう しょうまんいん)」(天王寺区夕陽丘町)で開催。天神祭・住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りの一つ。「愛染まつりで始まり、天神祭でピークを迎え、住吉祭で終わる」といわれる。

 当日は、311人から公募で選ばれた10人と外国人枠2人の愛染娘が浴衣姿で宝恵駕籠に乗り込み、谷町筋を同寺院までパレード。「愛染さんじゃ」「ほっえっかご」などの掛け声を出しながら約2時間かけて練り歩いた。同寺院に着くと、かごを持ち上げる(かご上げ)が盛大に行われた。

 寺院周辺には多くの夜店が出店。1日19時には、今年の愛染娘のナンバーワンを決めるミス愛染娘コンテストも行われる。

795よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/03(火) 20:22:09 ID:1VdD5MlY0
大阪天満宮で「星愛七夕まつり」−流氷・風鈴展示で「涼」を演出
http://umeda.keizai.biz/headline/1366/

 大阪天満宮境内(大阪市北区天神橋2)で7月7日、天神橋筋商店街1・2・3丁目合同イベント「2012星愛(ほしあい)七夕まつり」が開催される。主催は天神橋筋商店連合会。

 当日は16時から、天神橋3丁目「夫婦橋」から子ども織り姫・ひこ星を先頭に天神天満花娘、大阪市立扇町総合高校吹奏楽部らが同1丁目までパレード。その後、大阪天満宮までパレードを行い、17時から境内特設ステージで、約70人の応募者から選ばれた今年の天神天満花娘10人をお披露目する。ステージでは、大阪市立扇町総合高校吹奏楽部の演奏や大道芸コンテスト「第14回天神天満街道芸祭」などを開催。伊賀上野観光協会のブースには伊賀上野おまねき隊が登場し、手裏剣体験や津ギョーザの実演販売も行う。

 境内の本殿前から星合池には、「恋愛成就」「学徳向上」「心身健康」「商売繁盛」「厄よけ」「交通安全」「家内安全」の願いを書いた7つの茅(ち)の輪を用意し、短冊を持って7つの茅の輪をくぐって祈願する「茅の輪くぐり」も執り行う。星合池では、大川の「平成OSAKA天の川伝説」で放流するものと同じLED光源の「いのり星」とお札を1,000円で販売し、池に浮かべて奉納する。

 昨夏比15%以上の節電目標が設定され各所で節電対策が実施される中、同祭では「涼」を感じるさまざまな演出を企画。境内や南森町交差点北側、天三おかげ館には、網走市役所の協力でオホーツク海の氷柱を設置。天三おかげ館では、岩手県の南部風鈴、富山県の高岡風鈴など10県を代表する風鈴を展示する「ふるさと風りん展」を開催する。

 昨年に続き、前日の6日には「星愛七夕まつり前夜祭」も開催。18時からは6月の予選を勝ち抜いた9人が自慢の歌を披露する「昭和歌謡ヒットパレード」を開催。審査員に中村鋭一さん、桂福団治さん、塩乃華織さんを招き、のど自慢大会を展開する。19時からは「昭和野外映画祭」と題し、人形アニメ「てんまのとらやん」、実写「ふるさとのどうぶつえん」を上映する。会場ではトルコアイスや台湾かき氷、タイラーメンなどを販売する「ワールド屋台」も出店する。ワールド屋台と7日の夜店ではエビせんで作った「食べられるトレー」も試験的に導入する。

 同連合会の築部健二さんは「流氷や風鈴の展示では電気を使わず涼を感じられ、食べられるトレーはゴミを減らすことができる。いずれもエコを取り入れ企画した」と話す。

 「星愛七夕まつり」の開催時間は16時〜21時。入場無料。雨天決行。

796よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/03(火) 20:48:53 ID:1VdD5MlY0
あまりに昔過ぎて現実感が無いのですが、これも大阪の歴史の一部です。


大阪で発見の化石、海の最強爬虫類の仲間
2012/7/1 0:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG30023_Q2A630C1CR8000/

 大阪府泉南市の中生代白亜紀末期(約7千万年前)の地層から見つかった海生爬虫(はちゅう)類「モササウルス類」の顎の化石が、当時海で最強だったとされるプログナソドンに近い種のものであることが30日、分かった。

 ロイヤル・ティレル古生物学博物館(カナダ)の小西卓哉研究員と大阪府東大阪市の会社員、宇都宮聡さんらのチームが解明した。チームによると、プログナソドンの近縁種が見つかったのは国内で初めて。

 モササウルス類は、陸で繁栄したティラノサウルスと並び、白亜紀に栄えた。この中でプログナソドンは大きさ、凶暴性などから「海のティラノサウルス」とも称される。

 化石は顎の一部で、茶色。長さ約15センチ、幅は約8センチ。2010年3月に宇都宮さんが発見し、きしわだ自然資料館(大阪府岸和田市)で展示されている。

 生える前の歯が顎の中に残っており、表面が滑らかで直線的という特徴などが海外のプログナソドンの顎の化石と一致した。ただ、今回の部位だけでは種の特定は難しいという。

 顎から推定した体長は8メートル以上で、モササウルス類では国内最大級。

 プログナソドンの化石は、ニュージーランドやカナダ、モロッコなどの地層で見つかっており、頑丈な顎に太く巨大な歯が密に生え、他の海生爬虫類などを襲って食べていたとみられる。

 宇都宮さんは「海の暴れん坊が日本にもいたと分かってうれしい」と話している。成果は日本古生物学会の英文誌に掲載された。〔共同〕

797よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:05:58 ID:qV2f.g4I0
4役6人決意新た 大阪天満宮で装束賜式
2012年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120701/20120701034.html

 天神祭(7月24、25日)で奉仕する神童ら4役6人に辞令を交付し、当日に着用する装束を渡す儀式「装束賜(たばり)式」が30日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。6人は緊張した面持ちで装束に身を通し、本殿に参拝し拝命を奉告した。

 今年の神童に任命されたのは西天満小学校6年、大槻英生君(11)。長年、猿田彦を務める波多野肇さん(71)のほか随身の尾上正憲さん(23)、上谷隼太さん(20)、牛曳(びき)童児の田中大地君(11)、牛曳童女の関野佑さん(11)らととに、寺井種伯宮司から辞令を交付された。

 寺井宮司が「きちっと御奉仕できるよう健康に留意してください」とあいさつ。寺井種治権宮司は、四足の動物の肉を食べないなど、天神祭までに奉仕者が守らなければならない決まり事を言い渡した。その後、6人は装束を着て本殿に参拝し、拝命を奉告する「社参之儀」が執り行われた。

 神童の装束を身に着けた大槻君は「(装束は)重たいけど、実感が湧いてきた。頑張って神童を務めたい」と話していた。

798よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:07:21 ID:qV2f.g4I0
神童役務める大槻君宅で清祓式 神職らが訪問
2012年7月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120702/20120702022.html

 天神祭(24、25日)に奉仕することしの神童に任命された西天満小6年、大槻英生君(11)の「自宅清祓(はらい)式」が1日、大阪市北区で執り行われた。大阪天満宮の神職らが大槻君宅を訪れ、各部屋をはらい清めた。

 神童は24日の鉾流(ほこながし)神事で、船上から大川に神鉾を流すなどの重要な役割を担う。毎年、神鉾講の推薦を受けた同小に通う児童から選ばれる。

 この日は寺井種治権宮司ら同宮の神職をはじめ、講の関係者らが大槻君の自宅を訪問。神職が祝詞を読み上げ、家族らのおはらいの後、各部屋をはらい清めた。清祓式を終えた大槻君は「健康に注意して、立派に大役を果たしたい」と話していた。

799よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:11:20 ID:qV2f.g4I0
クライマックスの奉納花火 個人協賛を募集
2012年7月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120703/20120703023.html

 大阪天満宮花火実行委員会は、25日に行う天神祭のクライマックスを飾る奉納花火の個人協賛を募集している。協賛金は1発5千円で、3号玉の花火玉のレプリカ1個が記念品としてもらえる。

 大阪市都島区の桜宮公園野球グラウンドから打ち上げられる2・5号玉(直径約9センチ)の「紅梅」が対象。打ち上げられると、ピンクの大輪の梅の花びらが咲いたように夜空に浮かび上がる。協賛金が10万円以上なら5号玉、30万円以上なら10号玉の花火玉のレプリカが進呈される。

 受け付けは23日まで。問い合わせは電話06(6353)0025、大阪天満宮社務所へ。

800よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 00:19:29 ID:sy71M6uc0
「『文枝』の名に恥じぬよう頑張る」 三枝さん、大阪で盛大に襲名披露パーティー
2012.7.5 21:32
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120705/wlf12070521370014-n1.htm

 7月16日に上方落語の大名跡「六代目桂文枝」を襲名する桂三枝さん(68)の襲名披露パーティーが5日、大阪市内のホテルで行われ、各界から約1千人が駆けつけ祝福した。

 2日の東京でのプリンセス天功さんのイリュージョンによる華やかな演出と違って、この日の三枝さんは上方落語隆盛の象徴で、初代桂春団治(1878〜1934年)ら人気者が移動に使った「赤い人力車」の復刻版に乗って登場。三枝さんは、阪神タイガースの和田豊監督や作家の藤本義一さんから贈られたサインボールと色紙も披露、「文枝の名に恥じないよう頑張りたい」と誓った。

801よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 05:46:33 ID:sy71M6uc0
彦星・織姫キャラ初対面
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120705-OYT8T00130.htm

 七夕伝説にゆかりの枚方、交野両市は7日、京阪電鉄と共同で、両市のゆるキャラ「ひこぼしくん」「おりひめちゃん」をPRするイベントを枚方市役所前の岡東中央公園などで開く。伝説になぞらえ、枚方市の「ひこぼしくん」が京阪電車で交野市の「おりひめちゃん」に会いに行く。

 両市には「天の川」にちなんで和歌に詠まれた天野川が流れ、七夕ゆかりの地とされる。枚方市が5月、新ゆるキャラの「ひこぼしくん」を発表し、2年前から活躍中の交野市の「おりひめちゃん」との<出会い>を演出し、地域を盛り上げることにした。

 イベントでは、7日午前9時45分、京阪枚方市駅に「ひこぼしくん」が登場。車体などに両キャラのイラストをあしらったラッピング電車で交野市の私市(きさいち)駅へ出かける。「おりひめちゃん」と対面した後、そろって枚方市に戻り、午後1時半、岡東中央公園で開かれる青空市場「七夕マルシェ」に参加する。問い合わせは枚方市地域振興総務課(050・7102・3222)へ。

(2012年7月5日 読売新聞)

802よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 06:10:44 ID:sy71M6uc0
大阪城天守閣に「七夕かざり」−2000人の願い、色とりどりの短冊に
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1054/

 大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城1、TEL 06-6941-3044)で7月6日・7日、ササを飾る「七夕かざり」が行われる。

  3年前に始まった同イベント。小天守台に高さ1メートル80センチのササを5本設置し、来場者が書いた願い事の短冊を飾る。両日で2000人分の短冊を用意。短冊は小天台に設置したテーブルで書いてもらい、自分でササに飾ってもらう。色とりどりの短冊が天守閣を彩る予定だ。

 イベント担当の高満津子さんは「ぜひ思いをしっかり込めて自分の手で飾ってほしい」と話す。「昨年の東日本大震災を風化させないよう、イベントを通して復興の願いも込められれば」とも。

 同日夜には「七夕ライトダウン(クールアース・デー)」も行う。環境省が地球温暖化防止のために施設の消灯を呼び掛ける「CO2削減/ライトダウンキャンペーン」の一環で、今回が10回目。20時〜22時の2時間完全消灯し、ライトアップに慣れた日常生活の中、電気を消すことでいかに照明を使っているかを実感し地球温暖化問題について考えるもの。大阪城天守閣をはじめ、1万7297の企業や施設が参加予定。

 「七夕かざり」の開催時間は9時〜16時。

803よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:04:20 ID:Hs9jW./.0
短冊に願い事 大阪城天守閣「七夕かざり」
2012年7月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120707/20120707040.html

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は6日、来場者に願い事を書いてもらい短冊を笹(ササ)に飾り付ける「七夕かざり」を始めた。平日のこの日は海外からの観光客が多く、英語や中国語、韓国語で書かれた短冊が日本の夏の風物詩を彩っていた。7日午後4時まで。

 夏休み前に季節の行事を楽しんでもらおうと3年前から行っている。今年は1・8メートルの笹を5本と2千枚の短冊を用意。初日は617枚の短冊が飾られた。

 大阪の祖母に会いに来たというハワイに住む岡田大画君(9)は「いつもみんなでいろんなところにいけますように」とつづり、新婚旅行で英国から訪れたルークさん(28)とメリッサさん(29)は「ビューティフル」と言い、色とりどりの笹を眺めていた。

 天守閣の広報担当者は「この時季に来るお客さまに楽しんでいただき、東日本大震災を風化させないよう復興の願いも短冊に込めてもらえたら」と話していた。

804よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:07:58 ID:Hs9jW./.0
墨一色の躍動感 割り箸で天神祭描く
2012年7月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120707/20120707047.html

 大阪府和泉市池上町4丁目の府立弥生文化博物館で、割り箸を筆代わりに墨で天神祭などの風景を描いたぼく画家、潮見満英さん(72)の作品展「天神祭とたつ」が開かれている。目前に迫った天神祭(24、25日)の魅力を、一足早く伝えている。14日まで。

 ぼく画は、割り箸を使い墨の色のみで独自の絵を描き上げる手法で、潮見さん自身の「僕」、割り箸の「木」、絵の具代わりの「墨」の三つの意味を指す。今展では天神祭やことしのえとの「辰(たつ)」をテーマにした約50点を展示している。

 会場には天神祭の宵宮の24日に行われる鉾流(ほこながし)神事をはじめ、大阪市の大川を行き交う船渡御の様子などが墨一色で描かれ、一味違った祭りの魅力を伝えている。

 同館学芸員の角南なつみさんは「墨の色だけで描かれた躍動感を感じてもらうとともに、実際の天神祭と比べて楽しんでもらえれば」と話している。

 9日休館。入館料は一般400円、65歳以上・高大生300円。

805よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:22:39 ID:Hs9jW./.0
大阪、ゆるキャラが七夕イベント 
2012年7月7日 12時38分
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2012070701001423.html

 七夕伝説ゆかりの地とされる大阪府枚方市と交野市が7日、京阪電気鉄道と合同で、七夕にちなんだ両市のゆるキャラが出会うイベントを開いた。

 「天野川」が流れる両市と、川に並走する京阪交野線を「七夕伝説 出会いのまち」としてPRし、地域活性化につなげるのが狙い。

 枚方市のゆるキャラ「ひこぼしくん」が枚方市駅から京阪電車に乗って交野市の私市駅に行き、同市の「おりひめちゃん」に出会った。2人は抱き合って喜び、寄り添ってイベントに参加した。

 電車の車体には、ひこぼしくん、おりひめちゃんがラッピングされており、交野線で8月26日まで運行される。

806よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:42:02 ID:Hs9jW./.0
四天王寺で七夕のゆうべ
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003359121.html

七夕の昨夜、大阪の四天王寺の境内に200本のササと天の川をイメージしたイルミネーションがお目見えし、大勢の家族連れなどでにぎわいました。
「七夕のゆうべ」と名付けられたこの催しは、大阪・天王寺区の四天王寺で、地元の商店街などが中心となって4年前から行われています。
境内では、200本のササが約20メートルに渡って飾りつけられ、頭上には、天の川をイメージしたLEDのイルミネーションがともされました。
昨夜はあいにく雲が広がり星空を見ることはできませんでしたが、浴衣姿の家族連れなどが大勢訪れて、「家族みんなが笑って過ごせますように」などと願い事を書いた短冊をササに結びつけていました。
幼い息子と夫と一緒に初めて訪れたという女性は「イルミネーションがきれいだと聞いていましたが、実際に見てみるととてもきれいで、来てよかったです」と話していました。
この催しはきょうも四天王寺で午後1時から行われ、イルミネーションは午後7時から午後9時まで点灯されます。

07月08日 07時21分

807よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/09(月) 22:27:39 ID:sJcBjt8U0
「花娘」口上を披露 大阪天満宮星愛七夕まつり
2012年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120708/20120708062.html

 大阪市北区の大阪天満宮で7日、七夕恒例の「星愛七夕まつり」が開かれた。家族連れやカップルらが「恋愛成就」や「家内安全」を願い、境内に設置された七つの「茅(ち)の輪」をくぐった。

 天神橋筋商店連合会の主催で、天神祭の関連行事。同宮の神事「天満天神七夕祭」に花を添える催しとして親しまれている。

 今年は「エコ感たっぷり」に涼んでもろうと、会場内にオホーツク海の流氷による40センチ角の氷柱を設置。忍者による「冷や汗の出る」演技などもあり、参拝者らがひとときの涼を楽しんでいた。

 またこの日お披露目となる天神天満花娘らが、扇町総合高吹奏楽部の演奏に合わせて商店街をパレード。境内の特設ステージで、「そうらえ、聞きそうらえ、われれ天神花娘」と口上を初披露した。

 たくさんの声援を受け励みになったという田中梨乃さん(20)は「天神祭では暑い中でも笑顔と元気を与えられるように頑張りたい」と意気込んでいた。

808よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/10(火) 00:07:25 ID:sJcBjt8U0
創業110年迎える大同生命 所蔵文書を公開
2012年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120708/20120708061.html

 15日に創業110周年を迎える大同生命保険は、記念事業として行っている同社所蔵文書研究プロジェクトの研究成果の一部とその資料を14日から、同社大阪本社で一般公開する。同社の創業一族である大坂の豪商・加島屋(広岡家)より伝わる米取引にまつわる文書や新撰組の借用書をはじめ、戦前から残る同社の株主総会議事録など歴史的意義のある文書と、その研究成果を展示する。

 同社は、3社合併による創業時に中核をなした大阪の豪商「加島屋」に伝わる江戸時代からの文書を含め約2500点の文書を保存している。今回、110周年記念事業の一環として、大阪大や神戸大、秀明大の教授らの協力を得て、産学協同で保存文書の研究を進めている。

 6月28日には研究の中間報告が行われ、保存文書を基に得られた研究成果の一部が報告された。

 米の現物ではなく米切手と呼ばれる兌換(だかん)券を流通し世界初の先物市場といわれた堂島米会所を舞台に、米切手を担保に融資を行う入れ替え両替として市場を金融的に支えた加島屋久右衛門と、大名の過剰発行による米切手の信用低下に悩む幕府との間の対応策に向けてのやりとりや、米価安定のために幕府が米の買い支え資金として御用金の拠出を求めた際のやりとりなど。

 今回の展示では、これら加島屋の足跡や堂島米会所の概要などを紹介するほか、同社創業時の様子や肥後橋のランドマークといわれた旧本社ビルの建築を手掛けたヴォーリズについてなど、同社の源流とその発展の歴史を貴重な資料とともにたどる内容となっている。

 会場は同社大阪本社(西区江戸堀1の2の1、大阪市営地下鉄四つ橋線肥後橋駅すぐ)2階メモリアルホール。展示期間は9月28日まで。入館無料。開館は午前10時〜午後4時(入館は同3時半まで)。毎週土、日曜日、祝日は休館(7月14〜16日、8月11〜12日、9月15〜17日は開館)。

809よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/12(木) 07:05:40 ID:wcJK9wmk0
枕太鼓の練習 小学生威勢よく 大阪・茨木神社
2012.7.12 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120712/osk12071202020002-n1.htm

 茨木市元町の茨木神社で今月13、14日に行われる夏祭りに向け、小学生たちが祭りを盛り上げる枕太鼓の練習に取り組んでいる。境内では威勢のいいかけ声と太鼓をたたく音が鳴り響き、祭りの準備が着々と進んでいる。

 同神社の夏祭りは約300年の伝統があるといい、古くから「島下郡の祇園祭」として親しまれてきた。14日の本宮には、神輿(みこし)や枕太鼓が登場し、神社周辺を練り歩く。

 境内で行われている練習には、近くの小学校に通う5、6年生ら二十数人が参加。子供たちは太くて短い木製のばちを握り、「ヨイサー、ヨイサー」との大きなかけ声とともに、本番用の枕太鼓2台と太鼓に見立てた古タイヤを一生懸命たたいていた。

810よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/12(木) 21:09:00 ID:C.OPEedw0
「のしてーのしてー」威勢よく 杭全神社夏祭り始まる
2012年7月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120712/20120712029.html

 大阪市平野区の杭全(くまた)神社(藤江正謹宮司)の恒例の夏祭りが11日始まった。初日は早朝から布団太鼓の出発式が行われ、4日間の安全を祈願。その後、祭り装束の若者たちが威勢よく「のしてーのしてー」の掛け声とともに神社周辺を練り歩いた。

 町を9組に分け、各組のだんじりが境内に入る「宮入(みやいり)」には毎年多くの人が訪れ、にぎわいを見せる。布団太鼓の巡行には当番である「野堂町南組」をはじめ、すべての組が参加。練り歩いた後、同区平野東4丁目の樋乃尻橋にある祭壇でみこしを清める「足洗い神事」が執り行われた。

 祭りは14日まで。クライマックスのだんじりの「宮入」は13日夜に行われる。

811よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:30:20 ID:sxcg7VYM0
江戸時代の豪商の古文書を一般公開=新選組の借用書も−大阪
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012071300650

 大同生命保険は創業110周年を記念して、14日から同社が保有する古文書約2500点の一部を一般公開する。大阪本社ビル(西区)2階メモリアルホールで、9月28日まで開催する。入館は無料。
 同社は、ルーツとなる江戸時代の豪商「加島屋」の古文書の分析を大阪大学などの研究者に委託し、世界初の先物市場として知られる大阪米市場の取引実態を示す史料などが見つかった。展示される古文書の中には、新選組が加島屋から400両を借金した借用書があり、局長の近藤勇と副長の土方歳三の名前が記されている。また、幕府の金融市場統制政策について幕府と加島屋など両替商とのやりとりを記した「御用日記」や、加島屋を含む両替商が、米価の買い支え資金として幕府に拠出した20万両の御用金控えなども展示される。

812よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:32:29 ID:sxcg7VYM0
金銀みこし大阪城へ 生國魂神社夏祭り本宮
2012年7月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120713/20120713026.html

 「いくたまさん」の愛称で親しまれる生國魂神社(中山幸彦宮司・大阪市天王寺区)の夏祭りは12日、本宮を迎え、同神社元来の鎮座地である大阪城(同市中央区)への渡御などが執り行われた。

 築城前には同地に生國魂神社が鎮座し、大阪城への渡御はその里帰りにあたる。枕太鼓を先頭に獅子舞や金銀の神輿(みこし)などの渡御列が同神社を出発、大阪城内の鎮座跡を目指した。

 渡御列一行が大阪城公園内南西に位置する鎮座跡に到着すると、御羽車と金神輿、銀神輿を鎮座跡の駐輦(れん)所に据え置き、元宮著御(もとみやちゃくぎょ)祭を斎行。神職による祝詞奏上のほか、神楽や枕太鼓の奉納などが行われた。

813よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:40:50 ID:cDW8FLLk0
大阪ロマン紀行

母なる森の「葛の葉姫」
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年7月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120713/20120713031.html

信太森神社(葛葉稲荷神社) 和泉市葛の葉町

 今回は信太森(しのだもり)神社、通称、葛葉稲荷(くずのはいなり)神社に伺った。創建は和銅元(708)年。この神社には有名すぎる伝説がある。ご存じの人も多いと思うので、簡単にあらすじをご紹介しよう。

 大阪阿倍野の里に住む安倍保名(あべのやすな)という若者が、家の再興を志して、信太の森の稲荷に日参していた。ある日、一匹の白狐(キツネ)が保名に助けを求めてきたのでかくまうと、追ってきた狩人と争いになり、保名は負傷し、その場に倒れてしまった。そこへ、一人の女性が現れ、彼を介抱した。名を葛の葉と言い、その後、保名と夫婦となり、男の子が生まれた。

 しばらくは幸せな生活が続くが、葛の葉が子どもに添い寝して眠っているうちに、神通力を失って元の姿にもどってしまった。葛の葉は実は助けた白狐であったのだ。

 自分の本来の姿を見られた葛の葉は、今後は一緒には住めないと、口にくわえた筆で障子に「恋しくは たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみくずの葉」という歌を残して去った。残された子は、後に出世して陰陽師となる安倍晴明である。

 この伝説が、古浄瑠璃の「信田妻」となり、歌舞伎の「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」となった。歌舞伎は葛の葉の子別れの場面を中心に構成することが多く、そのときは「葛の葉子別れの場」「しのだ妻」というような名称となる。

 過去のさまざまな書物にも、この神社は記されていて、雑誌や書籍の類いは沼通子(ぬまみちこ)宮司も知らないところで掲載されていることが多い。古くは「和泉名所図会」(寛政8・1796年)や、境内にも掲示している「松井章之(てるゆき)参府日記」(安政3・1856年)に絵入りで描かれている。手塚治虫のマンガにも「悪右衛門」という作品がある。

 このごろは、昨今の安倍晴明ブームで、晴明の母とはどんな人か興味を持った人が訪れるという。境内を沼宮司に案内していただきながらお話を聞くと、なんと、この神社にはまだまだたくさん神様が祀(まつ)られていて、全部で68もの神様がいらっしゃる。しかも本殿に集めているのではなく、ちゃんとそれぞれ鳥居や祠(ほこら)があり、森の中に点在しているのだ。

 そう、ここは森なのである。昔はうっそうとした森の中を散策するように、一つ一つ、歩きながら巡って参ったのだろう。

 周りが森であることにあらためて気づくと、きつい日差しもやわらいで、木々の間を風がさわやかに通り過ぎていく。森全体がやさしい……。

 そうか、だからここは葛の葉の、母なる森なのである。

814よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/14(土) 06:20:07 ID:57U9VDtg0
国内最古の木造洋式灯台「旧堺燈台」 15、16日に内部公開
2012.7.13 17:56
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120713/wlf12071317590018-n1.htm

 堺市のシンボルとなっている国史跡「旧堺燈台」(堺区大浜北町)の内部が15、16の両日、無料公開される。「海の日」(16日)に合わせた恒例行事で市文化財課は「年に1度の機会に現存する国内最古の木造洋式灯台に親しんで」とPRしている。

 旧堺燈台は明治10年に建設。堺旧港の突端にあり、所在地が変わらずに現存する灯台としては国内最古のものの一つとして、昭和47年に国史跡に指定された。老朽化が激しかったため、市が平成13〜18年度に大規模な保存修理を行った。

 高さ11・3メートル。英国人技師が設計した美しい六角形の白い灯台は、周囲の埋め立てに伴って役割を終える昭和43年までの約100年間、堺港を照らし続けた。15、16の両日は午前10時〜午後4時、市文化財課の職員4人が常駐し、普段非公開の1階内部を特別に公開。灯台からの堺港の眺望なども楽しめる。問い合わせは市文化財課((電)072・228・7198)。

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816よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:19:11 ID:n262VVqo0
シカゴも驚いた!? 先端金融市場に響く大証の伝統「大株締め」
2012.7.14 17:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n1.htm

 「打ーちまひょ、もひとつせー」−。

 大阪証券取引所は毎年最初の取引開始に先立って開く記念行事「大発会」や新規上場の記念式典で、独特の節回しの口上と拍子木(ひょうしぎ=木打ち)による「大株(だいかぶ)締め」を披露する。戦後、全国の取引所は一般的な「三本締め」で行事を納めるようになったが、大証では平成13(2001)年に56年ぶりに復活した。大証はデリバティブ(金融派生商品)取引きで東京証券取引所を凌駕(りょうが)する国内最大の取引所。そんな最先端の金融の世界で、なぜこんな“古めかしい”行事が復活したのか…。

 「打ーちまひょ」(拍子木でチョンチョン)

 「もひとつせー」(チョンチョン)

 「祝うて三度」(チョチョンのチョン)

 独特の掛け声と拍子木の組み合わせは、最先端のコンピューターシステムを駆使する証券取引所を考えると、どこかのんびりとした調子で、ユーモラスにさえ思える。

 これを拍子木を使わずに手拍子でやると「大阪締め」と呼ばれ、今も関西財界などの集まりではよく使われている。

817よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:22:49 ID:n262VVqo0
>>816

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n3.htm

 この「大株締め」の歴史は1730(享保15)年ごろまでさかのぼる。青物市場など、関西の流通経済の中心を担った大阪・中之島で、堂島米市場の契約成立時に使われた「手打ち」が発祥とされる。

あの“北浜の風雲児”、合理主義者だが文化を重視

 平成12年、大阪の手締めを研究していた大塚清明・大阪高検次席検事(当時)が、老舗の料亭から聞き取りや確認をしたところ、昭和20(1945)年に全国の取引所が一時閉鎖され、4年後に再開されたときには全国共通で三本締めになっていた。

 大塚氏がこの経緯をある会合で同席した巽悟朗・大証理事長(当時、故人)に指摘したことが見直しのきっかけになり、平成13年1月の大発会で56年ぶりに大株締めが復活した。

 巽氏といえば、25歳で光世証券を創業。一代で東京証券取引所1部上場を果たし、その豪快ぶりから「北浜の風雲児」と称された人物。大証と米ナスダックの提携に貢献した立役者としても知られる。

 北浜の地場証券関係者は「コンピューター化の最先端の業界にあって、巽さんは大阪証券マンの心意気を何らかの形で残したかったとも聞いている。批判的な意味で合理主義者と称された人だったが、その一方で文化の保護に理解があった」と振り返る。

 その後、大証は伝統を受け継ぎ、今日、新規上場など記念ごとがあるたびに大株締めで祝い続けており、上場会社や関係者から好評を得ている。

 今年5月にダウ工業株平均に関連した商品を上場した際、会場にはダウ指数のライセンスを持つ、米シカゴで商品取引所を運営するCMEグループ関係者が出席した。

 商品説明やくす玉有りといったセレモニーに続き、「これより大株締めで祝います」と、赤いひものついた拍子木を渡されると、CME関係者は一瞬面食らった後に破顔一笑。にこやかに拍子木を打ち鳴らした。

 大証関係者は「大株締めは上場日の記念として、経営者らに記憶にとどめてもらえる。他の証券取引所にはないサービス」と話している。

 ともすれば“非情”なイメージのある金融取引きの最先端と、温もりを感じる伝統文化のコントラストがどこか大阪らしく、社員の誇りにもなっているようだ。

(平岡康彦)

                           ◇

 【用語解説】大阪証券取引所

 1878(明治11)年大阪株式取引所として売買取引を開始。本社は大阪市中央区北浜。大証1、2部市場と新興企業向けのジャスダック市場があり、指数先物、オプション市場など、金融派生商品(デリバティブ)が得意分野。営業収益は224億円(平成24年3月期)、従業員は323人(同3月末)。来年1月に東京証券取引所と経営統合し、「日本取引所グループ」になる予定。

818よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:25:59 ID:n262VVqo0
縄文魂継いで豊かな大阪を 一心寺でシンポ
2012.7.15 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120715/osk12071502010001-n1.htm

 「大阪に“縄文魂”を!」と題するシンポジウムが14日、大阪市天王寺区の一心寺三千佛堂で開かれ、上田篤元大阪大教授らが「縄文時代の精神を受け継ぎ、幸福で豊かな大阪を築こう」などと訴えた。

 上田氏は講演で「自立自尊の精神で時代を築いた縄文人の心意気は、戦争が起きるたびに立ち直った大阪人の復興の原動力になっている」と指摘。こうした精神は、失敗が許されない官僚社会とは異なり、失敗を可とする大阪の中小企業の風土に引き継がれているのではないかとの見解を示した。

 講演を受けたパネルディスカッションでは、「日本は約1千兆円に上る借金国家となり、国民が自立をしていない」(平岡龍人・清風明育社理事長)、「縄文魂は大阪よりも日本人全体に呼び覚ますべきだ」(高口恭行・一心寺長老)などと意見が交わされた。

819よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 20:20:33 ID:Ncsc3MzE0
今日は「大阪港開港記念日」。意外と知らない、大阪港の歴史とは?
http://suumo.jp/journal/2012/07/15/24643/?vos=nsuusbsp20111206001

本日7月15日は、大阪港開港記念日。1868年のこの日、安治川の河口に開港されたことを記念して制定された。大阪港といえば、大阪府大阪市にある日本を代表する港湾。スーパー中枢港湾の指定を受けている、国際戦略港湾だ。

そもそも、大阪港の歴史は1400年前までさかのぼるとされている。それまで国際港として栄えていた難波津や住吉津といった海港が衰退してしまったため、安治川上流の川口波止場に運上所をつくり、大阪港として開港した。

しかし、安治川は洪水のたびに土砂がたまってしまい、大きな船が入れなくなる。そのため大型船は沖合いで小さな船に貨物を積みかえて、港に運ばなければいけなかった。そこで安治川河口に新しい大阪港を作ろうとなり、1897年に築港工事を開始して、約30年もの時間をかけて完成された。

その後大阪港は、1939年には取り扱い貨物量が3,000万トンを超える、日本一の港として繁栄。さらに、フェリーターミナルや客船ターミナル、鉄道や橋、スポーツ施設、住宅、学校などをつくり、いくつもの働きを兼ねた今のような新しい姿へと変わっていった。

ちなみに現在大阪市では、大阪港を通して海や港へより親しんでもらおうと、「大阪港みなとまつり」を開催中。本日は「大阪港カッターレース」や「大阪市長杯市民ヨットレース」、「ヨット体験乗艇」などが行われている。さらに、7月21日〜22日には「大阪港見学会」も予定されているなど、イベントが目白押しだ。

中でも目玉の「大阪湾クルーズ」には、今年は募集定員720名のところ、8114通もの応募があったという好評ぶり。抽選に外れた方も興味が出てきた方も、ぜひ来年また応募して、普段とは違った大阪港を楽しんでもらいたい。

820よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 20:52:16 ID:Ncsc3MzE0
暗越奈良街道 歩いて知って 大阪、奈良の4団体でガイド制作
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120714-OYT8T00090.htm

 奈良時代から江戸時代に幹線道としてにぎわった暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)の見所約150か所を紹介するガイドブックを、街道沿いにある大阪と奈良の住民グループなど4団体が作った。それぞれ、各地域の旧跡を生かしたまちおこしなどを手がけてきたが、「街道を軸に名所をつなげれば、より広く発信できる」と協力した。「多くの人に訪れてもらい、歴史を実感してほしい」と呼び掛けている。(中山亨一)

 ガイドブックを作ったのは、大阪市東成区の「区未来わがまち推進会議」と、東大阪市の「まち・むら文化研究会」、奈良県生駒市の出版社「読書館」、奈良市の社団法人「奈良まちづくりセンター」。

 4団体はいずれも、地域の活性化につなげようと、長年、各地域の忘れられた旧跡やユニークな建造物などを探して紹介。活動を通じて知り合い、2008年に「暗越奈良街道倶楽部(くらぶ)」を結成、年1回シンポジウムを開くなどしてきた。昨年1月にガイドブック作りを始め、今年3月に完成。5月から販売している。

 ガイドブックでは、街道沿いにある見所を解説し、カラー写真を添えた。創建に聖徳太子が関わったとされる熊野大神宮(東成区大今里)や周辺の古民家、江戸時代に幕府が認めた街道唯一の宿場「松原宿」の道しるべ(東大阪市松原)など、さまざまな歴史について説明。表紙には、東大阪市と生駒市の境にある暗峠(標高455メートル)に残る江戸時代の石畳を掲載した。

 また、昭和のレトロな雰囲気が漂う「喫茶むらかみ」(東成区大今里)、河内平野の特産品・河内ブナの洗いなどが食べられる「居酒屋淡路屋」(東大阪市足代新町)など、地域に詳しい住民グループならではの情報も。付属のマップには、街道を歩く際の助けになるようにと、トイレやコンビニエンスストアも収録した。

 編集に携わった同倶楽部代表の松下和史さん(63)(東成区)は「名所は、長い歴史を今に伝える『まちの遺伝子』。ぜひ実際に歩いてみて」と話している。

 1500円(税込み)。216ページ。問い合わせは読書館(0743・73・0676)。

◆暗越奈良街道

 高麗橋(大阪市中央区)から春日大社(奈良市)に至る約40キロ。奈良時代に東大寺大仏建立に協力した仏僧・行基や、江戸時代の俳人松尾芭蕉も行き来した。生駒山の暗峠を越えることから命名された。現在は、一部が国道308号になっている。

(2012年7月14日 読売新聞)

821よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:17:45 ID:EEXiIliA0
再三兵火にさらされた「葛井寺」
2012.7.16 10:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n1.htm

 藤井寺駅前の商店街に入ると、まもなく左手に中国風の帽子をかぶった小さな石像が立っていた。目をまるくし、にっこりと笑った少年の像である。

 「井真成」とあり、「いのまなり」とルビをふっていた。かたわらには、藤井寺市観光案内所の入り口があった。観光パンフレットなどが置いてあり、「井」君はそのシンボルキャラクターとなっているらしい。

 2004年10月、中国の西安市で、日本からやってきた留学生の古い墓誌が見つかった。「井真成」という名前で、藤井寺が有力な出身地であった。

 だが「いのまなり」という訓読みをするのはあやまりで、ただしくは「せい・しんせい」であろう。「井」は、この商店街のすぐ先にある「葛井寺(ふじいでら)」を造った渡来系の葛井連の「井」だという。

 19歳で遣唐使船に乗って留学し、36歳で客死した「井」君の生涯を書いた墓誌の最後のくだりは、ちょっと泣かせる。

 「哀しきは茲(こ)れ遠方なること。形は既に異土に埋むるとも、魂は故郷に帰らんことを庶(こいねが)う」

 同時期、唐にわたり、百人一首にも採用された阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」という、これまた哀切に満ちた歌を思い出させる墓誌である。

822よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:20:00 ID:EEXiIliA0
>>821

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n2.htm

 「井」君は勉学に励んだとあるが、仲麻呂のように中国の官位に就くまでにはいたっていない。

 常識的に考えれば、青春の17年間、ずっと勉強ばかりしていたとは思えない。色恋沙汰のひとつくらいは、あったはずであろう。なかったら、それこそ哀れである。

   *  *  *

 商店街のアーケードを抜けると、すぐ左手に葛井寺の伽藍(がらん)が建っていた。西国第五番札所である。四国八十八カ所とことなり、西国三十三カ所は観音霊場巡りである。とりわけ、この寺の千手観音菩薩は屈指の傑作とされ、国宝にも指定されている。

 西国巡礼の札所には、これまで十数カ所ほど見学したが、四国のお遍路さんのような集団参拝の客にはめったに会わない。

 だが歴史は四国よりも古い。三十三カ所は、和歌山県・熊野から岐阜県にまでまたがり、気軽にまわるというわけにはいかない。

 葛井寺は7世紀代の建築とされるから、「井」君が生まれたころには、完成したばかりの大伽藍が建ちならんでいたはずである。

 大きな藤の棚が、濃いミドリに濡れていた。千年ほどまえに訪れた花山法皇が、

 「まゐるより頼みをかくる葛井寺はなのうてなに紫の雲」

 と詠んだ。春には薄い紫色の藤の花が雲のように咲き乱れるのである。山号を「紫雲山」とよぶゆえんである。

823よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:21:56 ID:EEXiIliA0
>>821>>822

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n4.htm

 それにしても、こぢんまりとした古刹である。白洲正子の『西国巡礼』でも、「何となく、町に侵蝕(しんしょく)されたという感じで、閑散とした境内は、子供達の遊び場になっている」と、拍子抜けしたように書いている。

 あたりの古墳群は砦(とりで)として「再利用」できたため、南北朝時代から戦国期にかけて再三、戦場となった。この寺も兵火にさらされた。なかでも有名なのは、「藤井寺の合戦」である。

   *  *  *

 勝算のまったくない神戸・湊川の戦いに向かうまえ、楠木正成は摂津・桜井で、息子の正行(まさつら)と今生の別れをした。「青葉茂れる桜井の〜」の唱歌とともに、戦前はだれもが知っていた。

 異説はあるが、このとき、正行は13歳だったとされる。それから11年後の正平2(1347)年には、24歳になっていることになる。

 この頃から正行はときたま、摂津方面に進出し、得意のゲリラ戦を展開した。「あの正成の遺児が……」と京方も驚き、同年夏、細川顕氏を大将とする3千余騎を藤井寺に派遣した。

 正行勢は約700騎、正規戦ではまず勝てない。「誉田の八幡宮の後ろなる山陰」(『太平記』)に潜み、菊水の旗をはためかせ、突入した。

 藤井寺球場跡付近にさしかかったあたりで、正行は「いてまえ!」と雄叫(おたけ)びをあげたにちがいない。この「いてまえ攻撃」のまえに、大混乱に陥った細川勢はたちまち潰走し、300騎が討ち死にしてしまった。

 葛井寺を出て、商店街の反対側に辛国神社という、これまた由緒ありげな神社があった。「からくに」と読むから、渡来人と関係のある社であろう。

 さらに行くと、住宅街の一角に、先端が二股に分かれた屋根を持つ「シュラホール」という、ユニークなかたちをした建物に行きあたった。もうだいぶまえ、巨石を運ぶ「修羅」が見つかったという記事を読んだことがあった。屋根はその修羅をかたどっている。

 「阿修羅」というコトバが浮かんだ。「井」君は阿修羅の決意を持って唐にわたり、正行は阿修羅の形相で突撃したのであろう。

824よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:37:10 ID:DhF/6Gtk0
福島天満宮天神祭「一番みこし」 25年ぶり修復
2012年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120715/20120715031.html

 福島天満宮(大阪市福島区福島2丁目)の天神祭(7月24、25日)を前に、老朽化のため約25年ぶりに行っていた陸渡御で巡行する「一番神輿(みこし)」の修復作業が、このほど終わった。神輿に再びきらびやかな輝きが戻り、一番神輿の巡行に携わる福島天満宮八丁目西町会神輿講と、福島天満宮七丁目南町会神輿講の講員らは、神輿を通じた街の活性化に期待を込める。

 二つの講は天神祭宵宮の7月24日、陸渡御で一番神輿による氏地の巡行を交互に担当してきた。しかし担ぎ手の高齢化により長年、神輿を台車に載せて執り行うのが慣例化していた。そんな中、「神輿はやっぱり担ぐもの」と、昨年の天神祭では約15年ぶりに、八丁目西町会神輿講が、御輿を担いでの巡行を復活させた。

 一方、地元の関係者によると、現在巡行で使われている神輿はおそらく戦前に作られていたとされ、約25年前には修復したという。しかし神輿の上部に設置されている鳳凰像の尻尾が折れるなど、老朽化が目立っていた。昨年は巡行中に御神体の鏡が脱落する事態も起きた。

 そのため修復を求める声が上がり、二つの講が修復費用の約110万円を集め、同区の宮匠永田神器に修復を依頼。鳳凰像の尻尾が復元されたほか、剥がれていた金箔などが張り替えられるなどして、輝きを取り戻した。

 八丁目西町会神輿講総代の渡部基義さん(63)は「去年15年ぶりに担いだことで、今まで傷んでいたところに負担がかかったかもしれない。これからも大切に使っていきたい」と今年の巡行を待ち望む。七丁目南町会神輿講総代の古高英比己さん(64)は「神輿がきれいになり、街が活気づけば」と期待を込める。

825よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:39:53 ID:DhF/6Gtk0
[Naniwaなう]地域の誇り一新
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120716-OYT8T00115.htm

 だんじりやふとん太鼓がにぎやかに巡行する堺の秋祭り。そんな伝統を守ろうと堺市西区草部、石橋自治会(約700世帯)は約120年間使ってきただんじりを6年がかりで新調した=写真=。

 高さは3・8メートル余り、重さは4トン。岐阜県産の15トン以上の原木から質の良い中心部分を使った総ケヤキ造り。浦島伝説を表現した細かな彫刻が施されている。

 テンポと威勢の良い音を奏でる大太鼓やだんじりを保管する地車(だんじり)庫などの刷新を含めた総事業費は約1億5000万円。地域住民の寄付でまかなった。

 新調委員会の木綿哲也さん(69)は「お年寄りから子どもまで団結するだんじりは時代とともに希薄になったコミュニケーションの場にもなる。伝統を次代に引き継ぎたい」。

 16日、地元の日部(くさべ)神社での入魂式後、記念曳行(えいこう)される。(夏)

(2012年7月16日 読売新聞)

826よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:40:48 ID:DhF/6Gtk0
陸渡御250人ミナミ練る 難波八阪神社夏祭
2012年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120715/20120715027.html

 巨大な獅子舞台で有名な大阪市浪速区の難波八阪神社の夏祭本宮祭が14日、開かれた。前日の道頓堀川などでの船渡御に続き、約250人が市内を練り歩く陸渡御が執り行われた。

 陸渡御は、氏子衆らが境内の渡御祭典で身を清めた後、先導役の猿田彦を先頭に出発。子どもたちが勢いよくたたく太鼓や、屋根に鳳凰の飾りを載せるみこし、にぎやかなだんじりなどが続いた。

 渡御列は、氏子地域となる同区や西区、中央区を巡行。大阪ミナミに夏祭りの音色が響き渡った。

 渡御委員長を務めた氏子総代会の甲斐幸治会長は「一人でも多くご参拝いただき、難波八阪神社が繁栄していけば」と思いを込めていた。

 難波八阪神社は、高さ12メートル、幅7メートル、奥行き7メートルの巨大獅子頭の中に舞台がある獅子舞台があることなどで知られる。

827よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:45:13 ID:DhF/6Gtk0
一足早く祭りムード 天神祭を前に催太鼓台絡み
2012年7月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120716/20120716034.html

 日本三大祭りの一つ、「天神祭」(24、25日)を前に15日、大阪市北区の大阪天満宮では、25日に斎行される陸渡御の先陣を切る催(もよおし)太鼓の担ぎ棒などを組み付ける「台絡み」が執り行われた。大阪市内ではこのほか、同祭を盛り上げようと企画されている創作浴衣のファッションショー「天神祭コレクション」のリハーサル、奉納ドラゴンボート大会も行われ、一足早く祭りムードを盛り上げた。

 大阪市北区の大阪天満宮では、催(もよおし)太鼓の台絡みが行われた。太鼓を担ぐ「太鼓中」のメンバー約千人のうち約320人が、台に担ぎ棒を組み付ける作業などを行った。

 催太鼓は25日の陸渡御の先頭を務める大役で、太鼓を打ち鳴らす願人(がんじ)や担ぎ手らが「チェーサジャー」の掛け声で勇壮に進む。23日夜の前夜祭、24日の宵宮にも登場する。

 この日、午前6時ごろから集まった太鼓中のメンバーは、麻ひもを結んだり、担ぎ棒を押さえて木づちでたたいて締め付けを強くしたりと、声を掛け合いながら伝統の手法に従って作業を進めていた。

 本殿では、「太鼓中願人定書授与式」が行われ、寺井種伯宮司から定書を受け取った36人の願人は、気持ちを引き締めていた。願人の一人で寝屋川市の豊田光昭さん(23)は「ことしで8年目。全力でやり、みんなを引っ張っていきたい」と意気込んでいた。

 戦後第1回から催太鼓に携わってきた太鼓中の島田学総代(85)と西川輝彦幹事長(73)は「けがのないよう、無事に終わってくれれば」と作業を見守り、祭りの安全を祈っていた。

828名無しさん:2012/07/16(月) 23:49:54 ID:NljF3Dd.0
>>823
>>821>>822

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n4.htm


> 藤井寺球場跡付近にさしかかったあたりで、正行は「いてまえ!」と雄叫(おたけ)びをあげたにちがいない。この「いてまえ攻撃」のまえに、大混乱に陥った細川勢はたちまち潰走し、300騎が討ち死にしてしまった。

藤井寺球場が出ているのは大阪近鉄バファローズのいてまえ打線に掛けているから
産経新聞なのにこういう記事が書ける人がいることに驚きます

829よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:59:29 ID:DhF/6Gtk0
大阪の三大夏祭りに「生玉さん」は欠かせない
2012.7.16 16:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n1.htm

 大阪三大夏祭りというと、皆さんは何を挙げるだろう。

 大阪天満宮の「天神祭」は文句なしだ。京都の祇園祭、東京の神田祭とともに日本三大祭りにも数えられるし、7月25日の本宮に大川を舞台に繰り広げられるメーンイベントの船渡御と花火は、例年、ちょうど梅雨が明ける頃で、なにわの夏をひときわ熱くする。

 これも異論がないのは住吉大社の「住吉祭」だろう。7月30日から8月1日までの、夏祭りシーズンの締めくくりである。

 なにしろ住吉さんは、お正月の初詣の人出が大阪ではダントツのメジャーな神社だ。仁徳天皇が開いたとされる住吉津に鎮座する海の神で、古くは遣隋使、遣唐使を守護し、のちの元寇の際には社前で蒙古撃退の浜祈祷(きとう)が行われた。住吉祭は大阪中をお祓いする「お清め」の意味があるという。

                    ◇

 で、もう一つだが、これは意見が分かれる。

 どうやら多数意見は「愛染まつり」のようだ。四天王寺の別院・愛染堂勝鬘(髪の友の部分が曼)院の夏祭りで、6月30日の宵宮から7月1日の本宮、2日の残り福は三大夏祭りのさきがけとされる。

 公募で選ばれた愛染娘が浴衣姿で参加することや、この時期から浴衣を着始めることから「浴衣まつり」とも呼ばれる。「宝恵駕籠(ほえかご)」のパレードなど華やかさでも群を抜いている。

 大阪の夏祭りは、愛染まつりから始まって住吉祭で終わるところから「あい(愛)すみ(住)ません」と言うそうだ。

830よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 00:01:05 ID:DhF/6Gtk0
>>829

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n2.htm

 だが、異論を唱えたい。やはり大阪三大夏祭りのさきがけは生国魂(いくくにたま)神社の「いくたま夏祭」だと思うからだ。

 生国魂神社は神武東征の際、大八洲(おおやしま)(日本列島)の御霊である生島大神・足島大神を祀(まつ)ったと伝えられる大阪で最古の神社である。

 古代、大阪は海で、淀川、大和川が運んだ土砂によって次々に島が生まれた。八十島(やそしま)と呼ばれ、それが日本の国土を意味した。

 当初、生国魂神社は上町台地の北端にあったが、豊臣秀吉がその地に大坂城を築城、明け渡して現在の天王寺区生玉町に移った。

 いくたま夏祭は7月11日が宵宮、12日が本宮だが、ハイライトは「陸の生玉」「川の天神」と並び称された元宮の大阪城まで巡行する陸渡御である。明治から昭和初期にかけての最盛期には数千人が行列に参加して、先頭が大阪城に到着しているのに最後尾はまだ神社を出発していないほどだったという。

                        ◇

 ところが、現在は交通事情から陸渡御はトラックによる巡行になってしまった。

831よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 00:04:31 ID:DhF/6Gtk0
>>829>>830

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n4.htm

 生国魂神社そのものも歴史に翻弄された。戦争中、空襲で社殿のあらかたが焼け、宝物や貴重な資料も焼失、散逸してしまった。本殿は戦後まもなく再建されたが、今度はジェーン台風によって倒壊してしまう。それでも寄進で昭和31(1956)年に鉄筋コンクリートの本殿が建てられ、夏祭も地元の人たちの熱意によって再興された。

 神様のお通りを知らせる勇壮な枕太鼓や、子供たちが演じる獅子舞お練りなどは、ほかにはない由緒ある行事だ。

 以前、中山幸彦宮司に取材したことがある。橋下徹大阪市長が、府知事時代に大阪都構想をぶち上げた頃で、中山宮司は、これは冗談ですが、と断って、「大阪府庁はあるところも昔は生国魂神社の境内でした。もし、大阪都になって府庁が移転するのなら、お返し願いたいものです」。

 だが、これは本気です、と。「せめてお祭りは昔のようににぎやかにしたい。行列で陸渡御ができるように、交通規制など知事さんも力を貸してもらえませんかね」。

 かつて勤めた大阪天満宮で、ギャルみこしを実現するばど天神祭を盛り上げたアイデア宮司である。

 いくたま夏祭が異論なく大阪三大夏祭りに数えられるようになるのも近いと思う。いや、愛染まつりも加えて四大夏祭りでいいではないか。

>「せめてお祭りは昔のようににぎやかにしたい。行列で陸渡御ができるように、交通規制など知事さんも力を貸してもらえませんかね」。

 これは本当に何とかならないものでしょうか。
 交通量が少ない時間帯を選ぶとかすれば、何とか出来ると思うのですが。

832よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 22:53:46 ID:Rwt6YnsM0
囃子交え花娘ら天神祭PR リーフレット手渡す
2012年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120717/20120717032.html

 天神祭(24、25日)を目前に控えた16日、大阪市北区のディアモール大阪や都島区の京阪京橋駅などで天神天満花娘らが同祭をPR。にぎやかなだんじり囃子(ばやし)が通行人らの注目を集めた。

 ディアモール大阪では、天満宮の象徴である梅をあしらった花飾りをかぶった花娘らが、「そうらえ 聞きそうらえ われら天神花娘−」と口上を披露。天神祭を紹介するリーフレットを通行人らに手渡し、PRした。

 まただんじり囃子「車楽(しゃがく)」のメンバーらが、お囃子と龍おどりを披露。買い物客であふれるディアモール一帯を祭りムードで包んだ。

 天神橋筋商店連合会の土居年樹会長は「みなの安全・安心を願い、祝う一日。たくさんの方々にお越しいただき、楽しんでいただければ」と祭りへの来場を呼び掛けていた。

833名無しさん:2012/07/18(水) 15:37:42 ID:rKMyAT7Q0
文楽協会への補助金全額カット、これ余裕のない大阪市ではなく金持ちのパトロンがここぞと保護するチャンスですよ。

芸術文化に理解がなく全部経済面でフラットに見る政治手法の橋下さんじゃ無理もないから、いっそ文化人コンプレックスのある石原さんが保護すればいいのではないかな?

東京都が金出して文楽を保護すればいいと思う。ケチらずどーんと太っ腹なところを東京は見せるべき。
文楽を守るのは金持ちの仕事!

834よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:46:35 ID:xt8fH85k0
いや石原が都知事の東京じゃダメでしょう。
文化人コンプレックスをこじらせて何が良いかが分からなくなっているしね。


都民の税金を石原慎太郎家臣団が食い漁る
http://www.asahi.com/business/aera/TKY200612180178.html

 豪華視察、度を過ぎた身内登用と公費出張――。剛腕、石原慎太郎知事の足元がざわついている。「無駄遣い許さず」の言葉は誰に向けていたのか。国のせいではない。事務方のせいでもない。家臣団を束ねる知事の自覚こそ問われている。(編集部・藤生明)

     ◇

 東京都庁7階の会議室に、石原慎太郎知事の四男延啓氏が描いた曼陀羅模様の絵が飾られている。知事はもともと画家志望で、息子の絵を前に誇らしげだという。その知事が、よもや「私のトップダウン」とみえを切って始めた文化事業「トーキョーワンダーサイト」(TWS)で、しかも自分の夢を叶えてくれた息子をめぐってケチがつくとは、思いもよらなかったに違いない。

 「適正な手続きを経て旅費の費用弁償を受けたもので、違法性も問題もない」

 12月7日夕の都議会本会議場。四男の公費出張を執拗に追及する野党議員に、知事は不機嫌極まりない様子で、そう答えた。

 ●憶測呼ぶ「指示」メール

 TWS事業は、若手芸術家の育成を目的に2001年度から始まった知事肝いりの事業。本郷、渋谷、青山の3カ所に施設がオープンし、発表や制作の場として内外の芸術家に提供されている。

 この事業に当初から深く関わってきた四男をめぐって、二つの公費出張が発覚した。一つは、TWSのアドバイザリー委員に1カ月就任し、その間にドイツとフランスへTWS館長夫妻らと一緒に渡航した一件。もう一つは、ダボス会議(04年)で都が催したパーティーをめぐり、事前調査と合わせて2度現地を訪ねていた一件だ。

 特にダボスの一件では、四男の旅費約130万円が、パーティーで太鼓公演をした演奏者への会場装飾委託費に組み込まれていたことから、様々な憶測を呼んでいる。それというのも、公演の舞台背景「鏡板」を制作した四男の旅費支払いについて記した「指示文書」ともいえそうなメールが存在するからだ。

 そのメールは、荒川満文化振興部長(当時)が、公演に関わっていた都参与の今村有策TWS館長に送った業務連絡で、03年11月26日発信の文面には、こうある。

 《都と○○さん(太鼓演奏者)とで公演委託契約を結びます。その契約の中に鏡板制作費を盛り込まさせていただきます。この鏡板は、○○さんから延啓さんに制作発注してもらいます。延啓さんの旅費も含めて》

 当の荒川氏は、

 「太鼓演奏者が四男を芸術家として指名したもので、公費の迂回支出では決してない」

 と言うのだが、編集部が独自に手に入れた領収書や見積書と重ね合わせると、この説明はいかにも不自然にみえる。

835よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:47:20 ID:xt8fH85k0
>>834

●芸術家仲間招くサロン

 たとえば、渡航滞在費。「事前調査時@61万7440円*2、公演時@63万8940円*2」と記された見積書は、メールから20日も後の12月17日付。都側がおぜん立てし、見積書に延啓氏を含めた2人分の渡航費を盛り込ませた、と読み取るのが自然だろう。

 事情をよく知る都職員は言う。

 「四男のドイツ・フランス公費出張が問題になった後ですから、ダボスにも行っていたとは、とても言えない。しかし、共産党や新聞社が噂を聞きつけ、情報公開を仕かけてきた。『メールも明細もなかったことにしよう』と信じられない議論までされたようです」

 かつて、薬害エイズ問題で厚生省がないと言っていた文書が大臣の一喝でロッカーから「発見」されたことがあったが、存在する文書を「ない」と言えば、都民を裏切る行為だ。メールの写しが出回っていたため観念したようだが、現物が外部に漏れていなかったら「公費出張」は闇に葬られてしまったのではないか。

 別の都関係者は、こう解説する。

 「そもそも、知事は家族がすべて。四男の活躍する場を自分がつくったとはさすがに言いませんが、本郷のTWSに、息子の芸術家仲間を招いてブランデーを傾ける、そんなサロン化した様子は庁内で知られていました。画家になりたかった知事にとって、この事業は特別な思いがあるんですよ」

 ●日テレ氏家氏が諫言

 そもそも、延啓氏とはどんな人物なのだろうか。次男の良純氏が書いた『石原家の人びと』(新潮文庫)には、こんな一文がある。

 《弟はそのまま画家の道を選んでしまった。そんな弟の選択に親父が反対しようはずもない。自分のやりたかったことを子供にやらせる、親父の深遠なる計画にまんまと引っかかったとも解釈できる》

 慶大2年の時、水球部をやめ、画家で生きることを宣言した。大学卒業後、ニューヨークへ。そこで留学仲間として知り合ったのが、知事特別秘書の高井英樹氏と今村氏だった。高井氏は石原氏の秘書になり、知事当選とともに都庁に乗り込んだ。その2年半後、今村氏も参与に抜擢された。

 「だから、知事に忠誠を示すためにも、みんなで延啓さんをもり立てる、彼らの中では至極当然の行動原理なんですよ」(都関係者)

 知事は今村氏について「単に延啓氏の友人だから選んだのではない」と最近の記者会見でも説明している。だが、外野からは、息子の友人ゆえに公職に就いたように見えるから皮肉だ。その上、知事の厚い信頼に反して今村氏の評判が内外で芳しくないことが、皮肉な見方を助長してもいる。

 04年の都監査報告は、TWSのずさんな運営の改善を求めている。

 《事業計画の決定と決算の認定が審議されないまま、補助金の申請と精算書を提出している》

 《事業経費配分、事業内容の変更、中止や廃止には、都の承認が必要なのに手続きがされていない》

 税金の使い道が厳しく問われるこのご時世に、知事肝いりの事業が手続きを無視して運営されてきたとは驚きなのだが、ある関係者は、TWS事業が都歴史文化財団(理事長・氏家齊一郎日本テレビ取締役会議長)に統合されてもなお常勤21人態勢が整わず、派遣の事務方2人が切り盛りしている、と嘆く。

 「今村で大丈夫なのか。四男をかわいがりすぎるのもどうか」

 11月上旬にあったTWS青山の開所式の際、氏家氏が知事に、そう諌言した。氏家氏は、今村氏が03年に主導した「能オペラ」が頓挫したことで、今村氏に懲りたと言われている。知事は一言も返さずに黙っていたが、見るからに不機嫌な様子になったという。

 一目も二目も置く氏家氏の一言。肝に銘じたのかと思いきや、その後の追及にも、こう反論し続けている。

 「違法なんですか、違法だったら指摘してほしい」

836よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:48:18 ID:xt8fH85k0
>>834>>835

●知事名代で浜渦氏訪欧

 長野県政策アドバイザーを務めた青山貞一武蔵工大教授(公共政策論)は、こう批判する。

 「李下に冠を正さずのたとえどおり、政治家は、身内なり側近を説明責任が十分果たせないような形で重用・登用することには慎重であるべきです。違法でなければ何をしてもいいなんてことは、政治家にはありえません」

 この秋、都庁で、もう一つの欧州旅行が噂になっていた。その主は、昨年自民党との暗闘の末に辞職した浜渦武生前副知事。知事も同氏の専横を認めたはずが、今年7月末に参与として都庁に返り咲いた。9月、ベネチアの国際建築展に参加し、ウィーン、プラハと訪ね歩いたというのだ。

 知事の推薦文には、こうある。

 《浜渦参与は都市計画行政分野を担当していた前副知事、(中略)私の代わりに赴く人物として最適であると考えております》

 かくして浜渦氏は、都市整備局技監ら4人を引き連れて欧州3カ国を歴訪したのだが、元都最高幹部の一人は首をかしげる。

 「知事名代は副知事の役割です。前副知事といっても、今は参与。問責決議もされた人をなぜ」

 ところが、浜渦氏は厚遇されたようだ。

 まず、航空運賃。「8時間以上のフライトで体力的に厳しい」などとして、往復ともエコノミークラスからビジネスクラス(計92万2200円)へとアップグレード。さらにベネチアのホテルでは、参与の条例規定額1泊1万8800円をはるかに超える6万1000円(食卓料6700円含む)に切り替えた。

 「出張が急だった」「秋の観光シーズンと重なった」が増額の理由で、一行の予定経費は約835万円に膨らんだ。そもそも訪欧の約10日前になって名代を立て、高額の出張を組む必要があったのだろうか。

837よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:49:15 ID:xt8fH85k0
>>834>>835>>836

●高額な知事交際費

 騒動の中、知事の新刊『もう、税金の無駄遣いは許さない!』(WAC刊)が出された。都が今春導入した新会計方式をつづった内容で、知事はこう書いている。

 《無駄遣いを許さないこの上なく強力な方法を編み出した》

 高らかに宣言した知事に期待したいところだが、一連の知事発言を聞く限り、にわかには信じられない。

 市民の知る権利擁護を目的に活動している情報公開クリアリングハウスの三木由希子室長は、高額な公費出張や知事の豪華出張に関する報道からこんな感想をもった。

 「自分では説明がついていると思っている節があるのですが、客観的にみて、あれで説明がついていると思っている人は少ないんじゃないでしょうか」

 そして、目を通したことがある都知事交際費の開示資料を例に、こう付け加えた。

 「あれは『知事の交際費』ではなくて、『政治家個人の交際費』といった中身でした。友達の有名人など、都の支出基準から考えると信じられない金額。いまどきの他県の知事交際費は儀礼的なものですが、石原知事は質が違うんですよ」

 知事が率いた政策集団「黎明の会」で事務局長だった大貫悦司氏は、知事の心中を、こう忖度する。

 「『オレはこれだけ東京のために成果をあげている。だから、そんな小さなことで何を言っているんだ』と石原さんは思っているのかもしれませんね。古い政治家にはそうした傾向がありましたが、今の時代、手続きが重要。もう通用しないんですけれどね」

838名無しさん:2012/07/19(木) 02:17:29 ID:F4/fewOY0
文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。
補助金全額って3900万円でしたか?
東京で、伝統文化を守ろう!

と言いたいが・・・石原都知事ねえ。
芸術コンプではあるが・・・

839よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/19(木) 06:26:36 ID:JWAZTDx.0
オフィス街で武者行列
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003600521.html

大阪の御霊神社で夏祭りが行われ、よろいやかぶとをつけた武者行列がオフィス街を練り歩きました。18日は、江戸時代から続く武者行列を再現しようと、よろいやかぶとをつけた武者姿の氏子など約150人が、午後2時に神社を出発しました。
大阪・中央区の御霊神社の周辺には、江戸時代、土佐藩や島津藩などの蔵屋敷がたち並び、大勢の武士や商人でにぎわいました。
武者姿の一行が太鼓やひちりきの音色とともに御堂筋のオフィス街を練り歩くと、道ゆく人たちは、江戸時代さながらの行列に驚いた様子で、足を止めて眺めたり写真をとったりしていました。
このあと、一行は淀屋橋の船着き場から5そうの船に乗り込み、大阪の中心部を流れる木津川や道頓堀川を回遊する船渡御を行いました。
船渡御は、大阪を元気づけようと、去年約140年ぶりに復活したということです。

07月18日 21時06分

840名無しさん:2012/07/19(木) 08:30:57 ID:J4nD8NLc0
>文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。

なんでそんな事をさせなきゃいけないんでしょう?
なんか変な人間が混じってますね。

841名無しさん:2012/07/19(木) 08:34:03 ID:lA46cLCQ0
>>文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。
>なんでそんな事をさせなきゃいけないんでしょう?
>なんか変な人間が混じってますね。

そのあとを読めばわかるでしょうが、単なる皮肉ですよ。

842よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/20(金) 22:10:52 ID:U65AqPNo0
「日本の文化は神話から」 大阪で講演会 滋賀
2012.7.20 02:17
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120720/shg12072002170003-n1.htm

 産経読者ファンクラブ・ウェーブ産経の文化サロン「神話で日本を元気に」の第1回講演会が19日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれた。枚岡神社(大阪府東大阪市)の中東弘宮司が「国生み・神生み」と題して講演した。

 会員約150人が参加。中東宮司はまず「古い神道の中に先人の知恵があり、日本の文化は神話を知らないと分からない」と神話の大切さを強調。

 その上で古事記の国生み神話を紹介し、人と人とを結ぶ神ともされる高御産巣日(たかみむすびの)神について「中間子も素粒子も知らない祖先が、何か結ぶための力があることを感性で分かっていた」と解説。「国生みで誕生した島々には、人々が大陸から渡ってきた流れが書かれていると思う」と述べた。第2回は9月19日に「天の岩戸」をテーマに開かれる。

843名無しさん:2012/07/20(金) 23:10:47 ID:NljF3Dd.0
普段、大阪を犯罪の巣ごとく決めつけている産経がこんなことをするなんて
どういうことだろう?

844名無しさん:2012/07/21(土) 00:10:26 ID:F4/fewOY0
古事記ブームに乗ろうってことじゃないですか?

845よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:34:12 ID:zXYqpNSw0
「発見」が楽しい天神祭
2012.7.22 13:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120722/wlf12072213000012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120722/wlf12072213000012-n2.htm

 夏祭りの季節。祇園祭も天神祭も若いころに行ったきりで、この猛暑の最中、人混みに突っ込んでいく元気はとてもないが、祭りへの関心はこの年になってふくらんでいる気がする。

 そもそもの由来とか変遷とか。とくに大阪最大の祭り、天神祭については地元だけあってお勉強の機会に事欠かない。思いがけない発見に「へええ」といちいち感心できるのもうれしい。由緒なんてどうでもよかった時代にはわからなかった祭りの楽しみ方のひとつ。

 昨年は大阪天満宮文化研究所の高島幸次さんの話を聞く機会があった。夏祭りには疫病払いの意味合いがあり江戸時代すでに40万人が住んだ密集都市では重要な行事であったとか、御迎え人形とか大阪締めとか見物客を楽しませる仕掛けが多く臨機応変に行事を変えるサービス精神があるとか、大阪に軸足を置いた話が面白かった。

 ことしは同じ天満宮文化研究所の研究員、近江晴子さんの話を聞く機会に恵まれた。昭和16年生まれ、船場の商家に育ったことから大阪の古い習慣にも精通しており、おっとりと上品な船場言葉でのお話をたっぷり楽しんだ。

 歴史研究の一端を知る思いだったのが天神祭が古文書にどう登場するかの話。由緒では祭りの始まりは天満宮鎮座の2年後、951年だが、文書ではお公家さんが平安末期に詠んだ漢詩で初めて登場する。その後もお公家さんの祭礼見物として記述が残る。そうかお公家さんか。だから古い記述は京都が手厚いのだ、などと妙に納得。

 天神祭が江戸時代に隆盛を誇るようになったのは、御旅所(おたびしょ)がざこば(いまの西区)に移動してから。魚市場の面々が天満宮の氏子になり、もともとの天満の青物市場、堂島の米市場がそろって天神祭を支え、商都・大阪を代表する祭りになった。などなど古地図をもとに聞くのも興味深い体験だった。

 天神祭のごちそうに欠かせないのはハモ、タコ、きくらげ入りの白天。「大阪でも年中行事は仕出料理。店員さんも同じもん食べました。大阪はケチやといわれますが、やるときはやりますよ」

 御迎え人形随一の男前、近江さんイチ押しの「安部保名(あべのやすな)」も一度お目もじしたい。

(編集委員・石野伸子)

846よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:36:23 ID:zXYqpNSw0
お皿も食べられまっせ! ゴミ減量 天神祭に向け開発
2012.7.21 18:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120721/wlf12072118300024-n1.htm

 大阪の夏の風物詩「天神祭」がクライマックスを迎える25日の本宮で出る大量のごみを減らそうと、協賛企業のセキュリティー会社「関西SCシステム」(大阪市中央区)の矢口浩二社長(39)が、えびせんべいと同じ材料で作った「食べられるトレイ」を開発した。

 大勢の観光客らでにぎわう本宮の翌日は例年、船渡御や奉納花火大会などが行われる大川沿いなどで大量のごみが発生。矢口社長は「ボランティア500人が3日間清掃しても片付けきれないほど」と話し、ごみを減らすだけでなく、天神祭をごみ問題を考えるきっかけにしてもらおうとトレイを考案したという。

 原材料はデンプンやエビなどでサイズは縦10センチ、横14センチ、深さ2センチ。たこ焼きや焼きそばを載せてもソースが漏れ出さないようプレスして密度を高め、深さ1ミリの凹凸を入れて格子模様の底にするなど工夫した。

 船渡御の奉拝船に計460枚を無償で提供する。効果をみて、今後導入を検討する。

847よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:46:51 ID:zXYqpNSw0
浪華紙魚百景 
大商大商業史博だより

淀川治水の利害関係
2012年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120718/20120718039.html

江州瀬田川洲浚絵図

 先日、夜間の大雨による大和川の増水で、通勤に使っているJR大和路線のダイヤが早朝から乱れた。徐行運転中の車窓から見ると河川敷の公園が水没しており、大量の水流の静かなうねりに巨大な生き物の蠕動(ぜんどう)のような不気味さを感じた。

 昔から河川の増水は流域の住民にとって脅威であった。大阪商業大学商業史博物館蔵の「河内国若江郡御厨村加藤家文書」には、享和2(1802)年の大雨による水害の記録が残されている。

 6月28日から降り続いた大雨で7月1日に茨田郡点野村・仁和寺村両所(現在の寝屋川市)の淀川堤防が決壊し、その水害は若江郡御厨村(現在の東大阪市御厨)にまで及んだ。御厨村の記録には7月2日から居宅床上1・2尺ほども浸水したと記されている。このように淀川の決壊は、沿岸地域だけではなく、かなり広い範囲に影響を及ぼしたことが分かる。

 さて、「河内国若江郡御厨村加藤家文書」の中には、江戸時代の「江州瀬田川洲浚絵図」が含まれる。この絵図は明確な年代表記はないが、比較的保存状態の良い鮮明な彩色図で、堆積した土砂の浚渫(しゅんせつ)箇所を図示した瀬田川の治水資料である。瀬田川は琵琶湖畔の近江国にあり、地理的にはかなり離れているのに、なぜ御厨村にこの絵図が残ったのだろうか。

 淀川の上流にあたる瀬田川沿岸地域とその下流域の摂津・河内の淀川及びその支流の沿岸地域は川続きのため、治水の状況いかんが相互に甚大な影響を及ぼす。たびたび、浸水の被害に悩まされていた湖辺の村々からの、文政9(1826)年の瀬田川浚渫願を受けて、幕府は文政10(1827)年に淀川沿岸の村々に瀬田川浚渫の承認を迫った。

 これに対し同年8月、土地が低い淀川通南水場摂河州165カ村は下流域の増水を恐れて、この瀬田川浚渫の中止を求める歎願書を奉行所に提出している。その中に御厨村が含まれていた(加藤家文書「江州勢田川浚差障ニ付歎御願写」)。

 この反対運動は同一利害に基づく摂津・河内の大規模な治水連合の形成を短期間に促し、最終的には摂河309カ村の反対運動にまで発展した(小林茂『近世農村経済史の研究』)。幕府はその抵抗に抗しきれず、この瀬田川浚渫は計画倒れに終わる。そして、この反対運動を通じて関係した村々に瀬田川浚渫に関する史料が残されたのである。

 (大阪商業大学商業史博物館学芸員・池田治司)

848よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:49:13 ID:zXYqpNSw0
きよし・なるみ名コンビ復活 天神祭、今年も生中継
2012年7月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120721/20120721026.html

 開局以来欠かさず天神祭の生中継特番を放送しているテレビ大阪。開局30周年を迎えたことしは、西川きよし、なるみの名司会コンビと、同局の他番組に出演するゲストを招いた、節目にふさわしい豪華な布陣で「2012 天神祭生中継〜ようこそ祭りの特等席へ〜」(25日後6・59)と題して放送する。

 祭りの迫力を美しい映像たっぷりで伝えるため、これまでで最も多い16台のカメラを駆使し、9カ所を中継。「祭りを見るならここが一番」と言われる恵まれた立地のテレビ大阪屋上特設スタジオをメーンに、天満宮の境内や参道、大川川岸、取材船などからリアルタイムで祭りの雰囲気を伝える。

 ゲストには、「和風総本家」に出演する大阪出身の萬田久子、「おとな旅あるき旅」の三田村邦彦、「たかじんNOマネー」から眞鍋かをり、「カイロスの微笑」ナビゲーターで大阪出身の國村隼を迎える。

 9年連続司会を務める西川きよしは「大阪やテレビ大阪にゆかりのあるゲストから、天神祭の思い出を引き出し、視聴者に共感してもらえる番組にしたい」と意気込む。9年ぶりに司会を務めるなるみは「自宅の近くにタワーマンションが建ち、花火が見えなくなった。花火がよく見えるこの番組にまた呼んでもらえないかと思っていたのでうれしい」と笑わせた。

849よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:51:02 ID:zXYqpNSw0
関西国際大の留学生 大阪天満宮で参拝方法や歴史学ぶ
2012年7月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120722/20120722036.html

 天神祭(24、25日)で船渡御に参加する関西国際大学(濱名篤学長)の留学生10人が21日、同祭への知識を深めるため、大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)を訪れ、神社の参拝方法や祭の歴史について学んだ。

 留学生は手水舎で身体を清め、本殿前で二礼二拍手一礼をして勉強会に臨み、大阪大招聘教授で大阪天満宮研究所の研究員の高島幸次さんと、同研究所が養成する祭の案内人「天満天神御伽衆(おとぎしゅう)」の喜多條啓子さんら2人を講師に、神様の年に一度のお出かけ「渡御」について学んだ。

 講師の高島さんは「乗船に先立って神様にあいさつし、祭の歴史を知ることは大学生らしい」と語ったほか、御伽衆の喜多條さんは「祭を一人でも多くの人に知ってもらい楽しんでもらえたら」と話していた。

 勉強会の最後では、大阪締めも練習し、日本に来て約1年の中国浙江省出身の沈〓穎(セイイン)さん(21)は「日本三大祭りの一つで、とても興味がある。大阪締めを練習して当日楽しみます」と、笑顔で話し、祭りの本番を楽しみにしていた。

850よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:58:21 ID:zXYqpNSw0
住民が見た戦争伝える 軍事施設の日常再現
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120722-OYT8T00164.htm

 八尾市黒谷の郷土史家・大西進さん(71)が、大阪東部に残る太平洋戦争の遺構や証言をまとめた「日常の中の戦争遺跡」を出版した。旧陸軍の拠点だった大正飛行場(現八尾空港)と関連施設の資料や記録、戦争体験者約230人の声を集めており、庶民の日常にあった戦争を忘れないでほしいという思いを込めたという。(安田弘司)

 大西さんは2002年、40年間勤めた不動産会社を退職した。翌03年、厚生労働省の遺骨収集団に参加し、父親が戦死した東部ニューギニアを訪問。現地で約70人の遺骨を拾い、「誰が何のために戦争したのか、あの戦争は何だったのか」と強く思い、父の足跡や最期を少しでも知ろうと、戦争資料の収集や調査を始めた。

 現在の八尾市域には、大正飛行場のほか、第11飛行師団司令部や大阪陸軍航空廠(しょう)など、航空部門の拠点が集中。周辺も米軍の爆撃や機銃掃射に遭い、死傷者95人、焼失戸数130戸などの被害を受けたが、戦争を郷土史としてまとめた本はなかったという。

 そこで、資料の収集と並行して、05年から地元住民や軍人、軍属として司令部などで働いた高齢者らの聞き取りをスタート。地域誌「河内どんこう」に19回のリポートとして掲載するとともに、府東部にある戦争の遺構を訪ね歩いた。

 「日常の中の戦争遺跡」では、これらのリポートを再構成、これまでに集めた証言から、軍事施設での日常を再現し、米軍機による襲撃の様子や八尾周辺が受けた空襲被害も盛り込んだ。軍用機を隠すため、生駒山麓に設けられた壕(ごう)跡や、八尾空港近くに残る航空廠格納庫の支柱などの現在の写真や、戦時中の地図を添え、住民たちが間近に見た戦争を細かに記した。

 終戦からもうすぐ67年。調査の中で出会った後で亡くなった人もいる。大西さんは「証言は単なる昔語りではなく、体験者のみが知る事実。あの戦争に関心を持ち続け、耳を傾ける人が増えてほしい」と願う。

 A5判ソフトカバーで328ページ、2600円(税別)。府内の大手書店で販売。問い合わせは、出版元のアットワークス(06・6920・8626)。

 大西さんは2002年、40年間勤めた不動産会社を退職した。翌03年、厚生労働省の遺骨収集団に参加し、父親が戦死した東部ニューギニアを訪問。現地で約70人の遺骨を拾い、「誰が何のために戦争したのか、あの戦争は何だったのか」と強く思い、父の足跡や最期を少しでも知ろうと、戦争資料の収集や調査を始めた。

 現在の八尾市域には、大正飛行場のほか、第11飛行師団司令部や大阪陸軍航空廠(しょう)など、航空部門の拠点が集中。周辺も米軍の爆撃や機銃掃射に遭い、死傷者95人、焼失戸数130戸などの被害を受けたが、戦争を郷土史としてまとめた本はなかったという。

 そこで、資料の収集と並行して、05年から地元住民や軍人、軍属として司令部などで働いた高齢者らの聞き取りをスタート。地域誌「河内どんこう」に19回のリポートとして掲載するとともに、府東部にある戦争の遺構を訪ね歩いた。

 「日常の中の戦争遺跡」では、これらのリポートを再構成、これまでに集めた証言から、軍事施設での日常を再現し、米軍機による襲撃の様子や八尾周辺が受けた空襲被害も盛り込んだ。軍用機を隠すため、生駒山麓に設けられた壕(ごう)跡や、八尾空港近くに残る航空廠格納庫の支柱などの現在の写真や、戦時中の地図を添え、住民たちが間近に見た戦争を細かに記した。

 終戦からもうすぐ67年。調査の中で出会った後で亡くなった人もいる。大西さんは「証言は単なる昔語りではなく、体験者のみが知る事実。あの戦争に関心を持ち続け、耳を傾ける人が増えてほしい」と願う。

 A5判ソフトカバーで328ページ、2600円(税別)。府内の大手書店で販売。問い合わせは、出版元のアットワークス(06・6920・8626)。

(2012年7月22日 読売新聞)

851よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 20:51:30 ID:27L/6d7I0
阪急電鉄で『天神祭』ヘッドマーク
http://railf.jp/news/2012/07/19/225800.html

 阪急電鉄では,2012(平成24)年7月18日(水)から,『天神祭』のヘッドマークを一部編成に掲出して運転しています.
 『祇園祭』のヘッドマークと同様,今年2012年はデザインが変更され,奉納花火,大川に掛かる綺麗な斜張橋「川崎橋」,屋形船などを配し,天神祭の見所を凝縮したイラストになっています.
 掲出編成は神戸・宝塚・京都の各本線8編成ずつで,掲出期間は7月25日(水)までとなっています.

852よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/23(月) 22:49:41 ID:uKpiKV5A0
コンテスト浴衣ショー 天神祭コレクションが開催
http://www.apalog.com/report/archive/554

第二回「天神祭コレクション」が7月21日、JR大阪駅上の「時空(とき)の広場」にて開催された。「天神祭コレクション」は、伝統的夏の和装である浴衣を題材に、コンテスト形式で行うファッションショーである。

「大阪のまちを元気にしたい」そんな思いから始まったこのショーイベントは、服飾系の学生をはじめとした若手クリエイターたちの創作活動の発表の場となっており、「次世代の教育」「まちや産業の活性化」「文化の継承」「新たな文化の創造」というそれぞれのテーマに一石を投じている。

実際、モデルやイベントの運営にも専門学生たちが参加しており、会場全体に若者のパワーが溢れていた。

ショーは「意匠デザイン部門」、「コーディネート部門」、「クリエイション部門」
の3部門からなっており、「意匠デザイン部門」はあらかじめ決定している1位〜3位のデザインの発表、「コーディネート部門」及び「クリエイション部門」は当日のコンテストで受賞者が決められた。

浴衣の柄を創作する部門である「意匠デザイン部門」は百貨店の協力で行われ、それぞれの百貨店からテーマが出されていた。大阪高島屋からは「変わらないのに新しい」。JR大阪三越伊勢丹&大丸は「ステーションシティに遊びに行く浴衣」。

受賞作はどれも独創性に溢れ、伝統にオリジナリティを加え新たな息吹を吹き込んだものや、全くの新しい感覚でデザインされたグラフィカルなものなど、浴衣という限られた表現の場ながらも、枠にとらわれない自由な発想を見せつけていた。特に目をひいたのは、通天閣をかぶった女の子をモチーフにしたパターンの浴衣。大阪らしさを全面に出した大胆な発想だが、淡い色味とふぞろいの優しいドット柄で違和感なく浴衣に馴染んでいた。

続いての「コーディネート部門」では、「洋服と浴衣の融合」をテーマに、様々な新しい浴衣の着方が提案された。浴衣をドレスやワンピース、トレンチコートなどに見立てたり、ユニークな小物で遊び心を表現したりと、可愛らしく元気で楽しいコーディネートが登場し、会場を明るい雰囲気で包み込んだ。
1位となったのは、タイトル「和tashi(わたし)」で、白黒の鮮やかなストライプに小さなハットやレースの手袋などでゴシック要素をプラスしたスタイル。一見融合しえないもの同士の組み合わせが斬新であった。

853よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/23(月) 22:52:18 ID:uKpiKV5A0
>>852

最後の「クリエイション部門」のテーマは「海外との融合」。和の伝統と異文化のユニークなコラボレーションが次々と発表された。海外の伝統衣装や民族衣装を浴衣で表現したり、浴衣をベースにさりげなくデザインやアクセントとして海外の要素を取り入れたりと、どれも個性的でインパクトがあり、目が離せないショーであった。
1位は、タイトル「レースとお花」。紺地のシックな浴衣に華やかなレース刺繍をあしらった、女性的な美しさを最大限に引き出すデザイン。かごや帯につけたピンクの花が可愛らしさを添えた。

今、大阪で最も活気がある大阪ステーションシティで行われたエネルギッシュなショーイベント。オープンスペースで行われたショーは多くの観客に囲まれ、かなりの熱気に包まれていた。これから大阪の夏の風物詩の一つとして根付いていきたいという同イベントは、若者の表現の場として非常に重要な役割を果たしている。若者が元気になることによって未来が明るくなり、まち全体の活性化にもつながるのだ。これからも一人でも多くの若者にチャンスを提供し、大いに大阪を盛り上げて行ってもらいたい。

天神祭コレクション
http://www.naniwa-bunka.com/ten-colle/

854よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 05:31:53 ID:bIZl5Nvo0
きょうから天神祭、ムード上昇 前夜祭 大阪
2012.7.24 02:07
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120724/osk12072402070004-n1.htm

 24、25日に行われる天神祭の前夜祭が23日、大阪市中央区の大阪ビジネスパークツイン21ギャラリーであり、天神祭で披露される代表的な出し物が紹介され、会社帰りのサラリーマンやOLらを喜ばせた。

 前夜祭は、天神祭の伝統的な出し物を多くの人に知ってもらおうと大阪天満宮(大阪市北区)などが企画。昭和61年から行われ、天神祭のムードを盛り上げる恒例行事となっている。

 「講」と呼ばれる祭りの支援組織のメンバーによる催太鼓や獅子舞などが次々と披露され、威勢のいい掛け声やリズミカルな太鼓のリズムで会場を盛り上げた。

 大阪狭山市の大石邦代さん(62)は「太鼓がすごく迫力があるので、毎年楽しみに見に来ています」と笑顔で話していた。

855よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:14:14 ID:pAw.WwsE0
かれん古代の美 東大阪で「原始ハス」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120724-OYT8T00179.htm

 府の天然記念物に指定されている「枚岡の原始ハス」が、東大阪市善根寺町4の会社役員稲田清治さん(69)方の池で咲き始め、涼しげな雰囲気を漂わせている。

 この地区の周辺では5世紀頃からハスが自生し、花が咲きそろう風景を詠んだ歌が古事記にも載る。1920年代まで普通に見られたが、都市化や大発生したアメリカザリガニの食害などで激減。稲田さん方では、ちょうど50年前の62年、父が自宅に池を作って移植し、大切にしてきた。

 通常のハスより花はやや小さく、直径15センチほど。淡いピンク色の花びらは、日の出とともに開き、昼前にはしぼむ。3日程度で散るが、8月上旬まで次々に新しい花が開くという。

 稲田さんは「開花は例年より10日ほど遅かったが、一度に複数がそろって咲くのは珍しい」と話していた。

(2012年7月24日 読売新聞)

856よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:24:43 ID:pAw.WwsE0
大阪 天神祭の鉾流神事
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003118371.html

大阪の夏の風物詩、「天神祭」は、きょう、大阪の堂島川に木でつくったほこを流す神事が行われ、2日間にわたる祭りが始まりました。この「鉾流神事」は大阪天満宮の夏祭り、「天神祭」の幕開けを告げる神事です。
けさは本殿で神童と呼ばれる神の使いを務める小学生が、ひのきの白木でできた神鉾と呼ばれるほこを授かったあと、300人ほどの行列とともに大阪の中心部を流れる堂島川まで練り歩きました。
一行は川岸に到着した後、おはらいを受けて身を清めた神童が神職とともに手こぎの舟に乗り込みました。
そして、川の中央付近で神童が船から身を乗り出して神鉾を川に流し、無病息災などを祈願しました。天神祭は、あすの夕方から約100そうの船が川を行き交う、「船渡御」が行われるほか、約3000発の花火が打ち上げられる予定です。

07月24日 19時12分

857よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:38:18 ID:pAw.WwsE0
天神祭 鉾流神事復活祝う縁起物
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120724-OYT8T00177.htm

 24日に大阪天満宮(大阪市北区)で天神祭の開幕を告げる鉾流(ほこながし)神事が行われるのを前に、昭和初期に数年間だけ作られたとみられる〈飾り鉾〉の展示が、同区のそば店「衣笠総本店」で23日、始まった。江戸初期以降、中断していた神事が復活した際の記念の縁起物とみられる。天満宮にも残っていない貴重な品で、今年2月に見つかった。関係者は「多くの人に見てもらいたい」と呼びかけている。(斎藤七月)

 飾り鉾は、長さ約30センチで木製。黒塗りの柄に、「鉾流神事」と記されている。今年2月、同店の3代目・高木浩也さん(51)が、京都市内の古美術品店で見つけた。幼い頃から天神祭に親しんできた高木さんは、1995年に親族から店を継いで以来、祭りに関わる品や本を収集。今回の飾り鉾も、柄の鉾流神事という文字を見て、「天神祭に関係があるはず」と購入し、天満宮に持ち込んだ。

 天満宮の南西約700メートルの堂島川に神鉾(かみほこ)を流す鉾流神事は、江戸初期に中断し、1930年(昭和5年)に復活した。高木さんの相談を受け、天神祭の神事を担当する禰宜(ねぎ)の柳野等さんが調べたところ、国内の郷土玩具について記した書物に、神事復活後の数年間、約30センチの白木に色を施し、神鉾を模した縁起物を毎年600個作製したことが記されていた。特徴が似ていることから、柳野さんは今回見つかった飾り鉾が、この縁起物だと判断したという。

 空襲に遭った天満宮には、この飾り鉾は残っていない。柳野さんは「神事が復活した当時、その意味を広く知ってほしいと考えた天満宮の強い思いが感じられる。大切に保管してもらいたい」と話した。

 高木さんの店は、神事が行われる場所のそばにある。高木さんは「珍しい物を見つけることができてうれしい。地元の一員として、神事への興味がさらに広がることを願っています」と語り、25日まで、飾り鉾とともに絵皿などを展示する。



 天神祭宵宮の24日は、午前7時45分から天満宮で宵宮祭が行われた後、午前8時50分頃から鉾流神事が始まる。終日、境内には地車が飾られ、夕方には勇壮な催太鼓(もよおしたいこ)が宮入りし、午後6時半からは、獅子舞の披露がある。

(2012年7月24日 読売新聞)

858よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/25(水) 05:50:35 ID:9LtZYAoE0
八軒家浜に江戸の風情
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120725-OYT8T00214.htm

 江戸時代に舟運の拠点としてにぎわった大阪市の大川沿いの八軒家浜(中央区北浜東)で、当時、乗下船の際の明かりとして使われた石灯籠2基が「川の駅はちけんや」北西の川べりに再建され、24日、除幕式が行われた。

 石灯籠は幅1.7メートル、奥行き1.7メートル、高さ4メートル。往年のにぎわいの象徴を再建し、地域の歴史資産として残したいと考え、近くの近畿大名誉教授湯浅富一さん(81)と妻禮子さん(73)が費用を出して明治時代に生國(いく)魂(たま)神社(天王寺区)に移された石灯籠や古文書を参考に当時の姿を再現、府に寄贈した。午後6時から同10時まで、電灯をつける。

 湯浅さんは「昔のにぎわいが戻ってくれればうれしい」と話していた。

 八軒家浜は周辺に8軒の船宿があったことから、その名がついたとされ、江戸時代、京都・伏見との間で物資や人を運ぶ三十石船が航行し、にぎわった。石灯籠は、地元の町人らが建立した。

(2012年7月25日 読売新聞)

859よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/25(水) 05:58:42 ID:9LtZYAoE0
天神祭公式サイト
http://www.tenjinmatsuri.com/

860名無しさん:2012/07/25(水) 19:38:19 ID:BGtNQy6k0
>>858
>八軒家浜に江戸の風情
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120725-OYT8T00214.htm

なんか嫌な記事タイトルと思いました
江戸時代の風情 または 徳川時代の風情 にして欲しいなと
大阪版の記事なのでそう言わずとも分かるんですけどね

861<削除>:<削除>
<削除>

862よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:24:41 ID:h7KzoO9o0
天神祭 夏満開、花火4000発
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120726-OYO1T00299.htm?from=newslist

 大阪・天神祭は25日、本宮を迎えた。恒例の「船渡御(ふなとぎょ)」で、約100隻の船団が大阪市中心部の大川を行き交う中、夜空に打ち上げられた約4000発の奉納花火を、約100万人(大阪天満宮発表)が楽しんだ。

 午後6時過ぎ、法被姿の氏子ら約1万2000人が乗り込んだ船団が天神橋を出発。船は鉦(かね)や太鼓の音を響かせて悠然と進み、川面はかがり火や提灯(ちょうちん)、色とりどりの花火で煌々(こうこう)と輝いた。

(2012年7月26日 読売新聞)

863よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:29:59 ID:h7KzoO9o0
>遠く離れた大阪でも、天神祭のように復興への祈りをささげている場があることが伝われば

 大都会でありながら「祈りの街」でもある大阪らしい言葉です。


被災児童になにわの夏
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120726-OYT8T00154.htm

 25日夜に本宮を迎えた日本三大祭りの一つ、大阪・天神祭に、東日本大震災で被災した宮城県岩沼市立玉浦小の6年生22人と教員ら4人が招待され、夏のひとときを楽しんだ。船渡御(ふなとぎょ)が行われた大川に浮かぶ能船で、薪能や花火を見学、祭りの風情を満喫した。(東礼奈)

 今年、創立60周年を迎えた「大阪北ロータリークラブ(RC)」が、被災した児童を励まそうと招いた。同小では震災による津波で校舎1階や体育館が浸水、児童1人が亡くなった。今も全校の3分の1、約100人が仮設住宅などで生活し、校区外からスクールバスで通学している。

 大阪は初めてという子が多く、道頓堀でたこ焼き作りを楽しんだ後、能楽奉賛会の能船に乗り込んだ。船上で揺れる舞台に上がり、能楽師に鬼や女性の面を着けてもらって舞台歩きにも挑戦。「前が見えなくて怖い」「お面が暑くてびっくり」などと興奮していた。

 舞台では狂言「口真似(まね)」や能「羽衣」「土蜘蛛(ぐも)」が披露され、児童らは迫力いっぱいの演目を堪能。行き交う船に手を振ったり、大輪の花火が広がると一斉に歓声を上げたりして笑顔を見せていた。

 津波で家が流され、仮設で暮らしているという菊地悠花さん(12)は初めての能に「土蜘蛛の戦いのシーンは格好良くて、せりふがなくてもこんなに面白いんだと思った」と満足そう。千葉桃華さん(12)も「家族や一緒に来られなかった友達にも、舞台や花火のことを伝えたい」と喜んだ。

 大阪北RCではこの日の様子などをDVDにして東北の小学校に配り、伝統芸能の教材に活用してもらう。同RCで被災地支援を担当する鴻池一季さん(60)は「元気よく過ごし、楽しんでもらえて安心した。遠く離れた大阪でも、天神祭のように復興への祈りをささげている場があることが伝われば」と話していた。

(2012年7月26日 読売新聞)

864よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:31:03 ID:h7KzoO9o0
帝国ホテル大阪・感謝の夕べ 天神祭盛り上げ
2012年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120726/20120726038.html

 ことし開業17年目を迎えた帝国ホテル大阪の「感謝の夕べ」が23日夜、大阪市北区天満橋の同ホテルで常連顧客ら400人を招いて開かれた。ホテルの面した大川一帯で行われる25日の天神祭にちなんだ「ジキジン、ジキジン」と独特のリズムを刻む講社社中の鐘や太鼓の生演奏でお出迎え。奉納花火のイメージで壁に大輪の光の輪が咲き、獅子舞も繰り出して、お祭りムードを盛り上げた。

 帝国ホテル常務取締役専務執行役員の前田康廣・帝国ホテル大阪総支配人は「昨年は東日本大震災があり、その直後の天神祭開催でわれわれも正直心配したが、当日の広範囲の盛り上がりは国土全体に元気を送る日本三大祭りの一つとしての熱気がビンビンと感じられ感動した。この地で、毎年祭りに関われるのはわれわれの誇りでもある。日頃からお世話になっている皆さまにぜひ御利益も一緒に持ち帰っていただきたい」とあいさつした。

 永井明総料理長が「関西の夏らしくハモと京野菜、京ガモ、さらに瀬戸内マダイに泉州スズキ、明石だこの料理を用意しました」と説明。正統神戸牛の約半分を消費する同ホテルが誇るステーキのコーナーには長い行列ができた。

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<削除>

866よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:47:21 ID:h7KzoO9o0
川面彩る夏の花 4000発奉納花火で最高潮
2012年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120726/20120726032.html

 日本三大祭りの一つに数えられ、千年を超える伝統を有する天神祭が25日、本宮を迎えた。色とりどりの衣装に身を包んだ約3千人の大行列で「時代絵巻」を出現させる陸渡御、約100隻の船団が大川を行き交う船渡御などが執り行われた。夜には船渡御の船団ににぎわいを添える第66回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が大川一帯で催され、訪れた人らを魅了した。

 大阪天満宮(大阪市北区)の本殿では、災害疫病がないように市中の平安と繁栄を祈願する本宮祭、菅原道真公の御神霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す「神霊移御祭(しんれいいぎょさい)」が執り行われた。その後、陸渡御列が催(もよおし)太鼓を先頭に、船渡御の乗船場になっている天神橋までの約3キロを練り歩いた。夕方からは船渡御の船団が、大川を舞台ににぎやかに航行した。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは、奉納花火。約4千発の打ち上げ花火と約30基の仕掛け花火が、船渡御列の行き交う大川の川面を華やかに彩り、水の都・大阪を華やかに演出した。

867よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:49:00 ID:h7KzoO9o0
大阪城、豊臣時代の石垣を募金で再現 売店一新、公募で
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201207260043.html

 大阪市は26日、国特別史跡である大阪城の観光振興策として、豊臣秀吉が築いた石垣の発掘・復元や、新たな売店事業者の公募を始めると発表した。石垣は、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣から400年を迎える2015年の公開を目指し、発掘や公開の費用は市民に募金を呼びかける方針。

 大阪府市は6月の統合本部会議で、大阪城周辺を世界的な観光の重点エリアにする方針を示していた。

 現在の石垣は、秀吉による初代大坂城が落城後、徳川幕府が土を盛って新たに築いた。1959年の調査で、本丸の地下に豊臣時代の石垣が埋まっていることが確認されていた。市は発掘や再整備に向け、今秋から募金を開始。市によると、熊本城の復元の際は約5億円が集まったという。

868名無しさん:2012/07/26(木) 22:51:00 ID:J4nD8NLc0
>>860

江戸の風情は確かに違和感ありますね。
「江戸」とするなら「江戸時代の・・・」とすべきで

こここそ「浪花」or「大浪花の・・・」とすべきですね。

普段、しょうもないコテコテ用語でカタカナの「ナニワ」を
乱用し過ぎてるから逆に違和感があるかも?ですが。

869よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:02:51 ID:eDvrme4A0
「模擬原爆」犠牲者しのぶ 東住吉追悼式 大阪
2012.7.27 02:30
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120727/osk12072702300000-n1.htm

 昭和20年7月26日に大阪市東住吉区田辺に投下された「模擬原爆」の犠牲者をしのぶ追悼式が26日、同区の「模擬原子爆弾投下跡地の碑」で行われ、遺族や広島、長崎の被爆者、府内の中学生、東日本大震災の被災地から同区に避難している人たちが参列した。

 模擬原子爆弾は、米軍が広島や長崎への原爆投下を想定して訓練のために作った重量4・5トンの爆弾。20年7月20日から8月14日にかけ東京、富山、愛知、大阪などに計約50発が投下された。大阪では7人、全国で400人以上が犠牲になったことが後の愛知県の市民グループの調査で明らかになっている。

 東住吉区の慰霊碑は、大阪の犠牲者の遺族が戦争のない世界の実現を願い、平成13年に投下場所近くに建立した。追悼式は地元の市民グループ「7・26田辺模擬原爆追悼実行委員会」が毎年主催し、今年で12回目。平和教育の一環で模擬原爆について学んでいる地元の市立東住吉中学校の生徒をはじめ府内の中学生らも参加した。

 長崎の被爆者で同区に住む山科和子さん(90)は「親きょうだいがみんな死に、私1人が生き残った。原爆の悲劇、苛酷さを伝えるため世界22カ国を回ったが、この大阪も模擬原爆で広島、長崎とつながっていることを若い人に知ってほしい」と話していた。

870よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:19:02 ID:eDvrme4A0
幽玄な世界 観衆を魅了 北区で水上薪能
2012年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120725/20120725024.html

 天神祭の宵宮に当たる24日夕、大阪市北区の帝国ホテル大阪前のOAP港に係留した船上で、恒例の「天神祭 宵宮祭 奉納水上薪能」(能楽奉賛会、能楽協会大阪支部主催)が行われた。船上で繰り広げられる幽玄な世界が観衆を魅了した。

 毎年、天神祭の宵宮に合わせて行われ、今年で8回目を迎えた。

 25日の天神祭船渡御列の舞台船の一つ「能船」の船上を舞台に、大阪天満宮の神職による火入れ式の後、狂言の舞「三番三(さんばそう)」、能「羽衣」などが上演され、幽玄の世界が繰り広げられた。

 能船の周りでは、人形船でのおはやしも行われ、祭りの雰囲気をいっそう盛り上げていた。

871よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:23:00 ID:eDvrme4A0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

月が照らす住吉大社と機関車
2012年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120725/20120725044.html

大阪名所「住吉の月影」

 松の木はあり得ないほど倒れ込んで、汽車の勢いと速度を表す効果を生み、客車が放つ光が、月明かりに薄ぼんやりと浮かび上がる住吉大社の反橋の姿を、また鳥居前で人力車に乗ろうとする人や、赤いちょうちんを持つ女性を夜目に浮き出させる。その一方で、汽車は地面に長い影を引くが、これは月明かりによるものである。松の木が平伏するなか機関車がごう音を立てて通り過ぎれば、住吉大社はまた薄闇の中に沈んでいく。

 住吉大社といえば反橋が有名で、大阪の中でも定番の名所として知られている。その前を機関車が走るという景色は出色の出会いだ。この機関車は、日本最初の私設鉄道「阪堺鉄道」(後に南海鉄道が買収)の小型機関車で、明治18(1885)年に難波・大和川間が開通している。描いたのは、林基春(もとはる)、1858年生まれ。大阪の浮世絵師である。

 基春が機関車に何を見たのかは分からないが、私は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というSF映画の、火が燃える中を走る自動車型のタイムマシーンを無意識に連想し、機関車に時代を切り裂いていくようなイメージを重ね合わせてしまう。

 先日見たウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』という映画の影響もあるかもしれない。映画では、パリ観光中の小説家志望の脚本家が、真夜中を告げる鐘が鳴る中、なぜかヘミングウェーやフィッツジェラルド夫妻の闊歩(かっぽ)する1920年代のパリにタイムスリップするのだが、そこでも自動車がタイムマシーンになるのだった。主人公は雨のパリを傘もささずに歩いたり、コール・ポーターの音楽が流れる「懐かしのパリ」といった情趣を好む。

 映画ではこうした古いものに対するセンチメンタルな愛着が創造の契機となるのだが、基晴の月明かりの描き方にも同様のものを感じるのだ。

 今はもっと住吉大社に近い所を、今年で創業101年の「チンチン電車」が走っている。機関車のような迫力は毛頭ないが、街のたたずまいを担い、一つの風情となっている。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

872名無しさん:2012/07/27(金) 09:59:42 ID:9/iOb5lY0
橋下市長が文楽観賞=協会への補助金問題で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120726-00000179-jij-soci

大阪市の橋下徹市長は26日、国立文楽劇場(同市)を訪れ、
市からの補助金を全面凍結する意向を示している人形浄瑠璃・文楽を就任後初めて鑑賞した。
鑑賞後に取材に応じた橋下市長は「(関係者と補助金について)意見交換させてほしい」との考えを改めて表明。
一方、演者として市長と面談した鶴沢藤蔵さんは「一歩前進したんじゃないか」と述べた。 

時事通信 7月26日(木)22時49分配信

アンチ市長の連中が伝統保持を盾に批判コメを書きまくっていますが、
こいつらのなかで本当に今の文楽を愛してやまないという人間がどれほどいるかも疑わしいですな。
伝統伝統とそれにばかり固執し過ぎて、現代人に見向きもされない状態になっているのでは何の意味もない。
古き良き部分を残しつつ、現代人に受け入れられるようなアレンジは絶対に必要でしょう。
まして、税金を入れると言う状況の重さを、文楽協会及びその支持者には深く理解梨てもらいたいものです。

873名無しさん:2012/07/27(金) 11:59:36 ID:F4/fewOY0
>>872
税金を入れると言う状況の重さもわかりますが、伝統を絶やさないという価値の重さもまたあるんですよねえ・・・

私は、伝統芸能分野に関してはなるたけ「金のことは任せてもらっていいから」という態度で保護してくれる自治体なりパトロンなりが
ないといけないと思ってるんです。言い方変えると自助努力だけでは無理。

これはそもそも経済合理性に反した領域の価値観になりますので、財政難の大阪には重いわなあと同情してはいます。

874名無しさん:2012/07/27(金) 12:03:40 ID:F4/fewOY0
いっそのこと、橋下市長が文楽の宣伝マンになれば一番良いのでは?と思います。
(皮肉にもすでにそうなってるかも!)

「人気が出るようやり方を変えてください」と要求するだけではなく、もっと皆さん文楽観に行きましょうよ!と宣伝してあげること。
市長自ら旗を振ってあげること。
なんとか3900万円の補助金も無駄ではないぞと価値をアピールしてあげること。

それが一番良いのではないのかなあ。

875よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 20:41:11 ID:rdC9O4sM0
金は任せろ、というのはイコール『無批判で惰性でだまって金を出し続ける』、ではないのでは。

876よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 21:53:17 ID:rdC9O4sM0
大阪ロマン紀行

寺は人が集まる出会いの場
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年7月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120727/20120727050.html

「全興寺」大阪市平野区平野本町

 今まで何度か足を運んだことのあるお寺、全興寺(せんこうじ)。なぜ、何度も来たことがあるかと言うと、それはなんと言っても「おもしろい」から。

 取材のその日も境内には、珍しそうにシャッターを切る人、自分が地獄へ行くのか極楽に行くのか、イエス・ノー形式で地獄堂の壁のボタンを押す女性、地獄の音が聞こえるという石に頭を突っ込む男の人、地下に下りて行く瞑想(めいそう)空間「ほとけのくに」のステンドグラスの上でくつろぐ学生カップル……。

 とにかく、それぞれに、このお寺を楽しんでいる。それが全興寺である。「お寺は出会いの場。人が集まる場所であり、安らぎ、癒やされる場所です」

 と語る川口良仁(かわぐちりょうにん)住職。境内の一角には世代を超えた遊びと学びの場「おも路地」があり、そこでは定期的に催しが行われている。「みちくさ学校」は、平日の帰り道にちょっと寄って、いろんな講座を受講でき、「だがし屋広場」は、駄菓子屋さんを兼ねた遊び場で、土・日に子供といっしょに楽しめる。

 また、全興寺は平野の町おこしにも熱心で、「平野の町づくりを考える会」の事務局もお寺の中にある。その一環として行っている「町ぐるみ博物館」は、町を観光化して人を呼ぶのが目的ではなく、住民自身が楽しみながら地域を再発見しようとする試みである。平野にあるお店など、それ自体が博物館になっており、博物館から博物館へと歩く道中で、町並みや歴史や文化を体感できるように考えられている。

 素晴らしいのは、あくまで民間の組織として活動していることで、逆に市の方から後になって補助を付けにきた、という感じがいい。何事も「補助金ありき」で、そこからしか活動を開始しない団体とは大きく違う。あくまで「自分たちが楽しみながら活動する」という信条を貫いているからこそ、誰が訪れても素直に、いっしょになって楽しい気分になれるのだ。

 全興寺の創建は飛鳥時代。平野がまだ、ただの野っ原であったころ、聖徳太子が薬師堂を建て、その周辺に人々が住み始め、しだいに村が形成されていったという。ここの旧町名「平野野堂町」はその過程をものがたっている。

 つまり、昔からこのお寺は人が集まる場所であったということだ。

 千年以上もお寺を中心に人が集まり、町が栄えてきた歴史が、今もなお続いている。「人の集まるおもしろい寺」も、ここまでくれば筋金入りである。

877名無しさん:2012/07/27(金) 22:45:41 ID:9/iOb5lY0
>>873
価値ある伝統文化は残すべきだと言うのは同意するところなのですが、
果たして文楽が「残す価値ある」伝統文化であるか否かというところです。

現状、文楽の鑑賞者のほとんどは中高年層で、
若年層はと言えば、学校の芸術教室などで見に行くだけ。
自発的に見に行っている人はほとんどいないでしょう。

みんなに大事にされて、愛されているのなら存在意義も出てきますが、
ただあるだけで、関心を浴びていないのではないのと同じです。

今の文楽の課題は、後者から前者になれるかどうかですよ。

878よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 23:08:12 ID:rdC9O4sM0
結局、何でもそうですが『新規参入が無い業界は必ず廃れる』ということです。

文楽の場合、伝統に重きを置きすぎて、ややもすると文楽を知らない人にとって「難解で取っ付き難い」という印象を持たれてしまっている感があります。
そして普通の人が見に来なければ、見に来るのは一部の人たちだけとなり、その一部の人たちの為だけになってしまう。

これの極めて顕著な例が劇団です。日本には数多の劇団があるけれども、普通の人には取っ付き難く、限られた人たちだけを対象にしていまっている。
だから日本で劇団で採算が取れているのは、十も無いと言われています。
これは普通の人を弾いてきた結果、市場が広がらなかったのが大きな理由です。

歌舞伎や落語も伝統文化ですが、これらは伝統を守りつつも新しい事に挑戦しています。
新しく六代目桂文枝を襲名した桂三枝さんは、創作落語の達人とも言える人ではないでしょうか。
歌舞伎も落語も新しいものを取り入れる事で新しい客層を開拓し成功している。

文楽の場合は大阪の言葉を使う、という大きな制約があるのも事実ではあります。
何年か前に文楽関係の記事で「テレビの影響で純粋な大阪の言葉を使える若手が少なくなってきていて、文楽の水準の維持が難しくなってきた」とあるのを読んだ事があります。
ですから歌舞伎や落語のように自由に新しい事に挑戦するのが難しいのかもしれない。

しかしまったく新しい事に挑戦出来ない事は無いと思うのです。
私が見てみたい新しい文楽。
それは高知出身で近畿在住の大人気作家の有川浩さんの「図書館戦争シリーズ
」。
曽根崎心中が昔の恋愛ものの大傑作なら、「図書館戦争シリーズ」は21世紀の軽やかな恋愛ものの大傑作。
むろん恋愛だけではない要素も一杯で、とっても面白い。
とてつもなくトンデモナイ提案だとは自分でも理解はしていますが、若い人に向けた「敷居の低い・親しみを感じる・見てみたい」という新しい作品を作っていかないと文楽は将来、ジリ貧になるのではないかと私は危惧しています。

879名無しさん:2012/07/27(金) 23:24:32 ID:9/iOb5lY0
>>878
それいいかもしれません。

「図書館戦争」シリーズは、アニメや映画も大ヒットを飛ばした作品な上、
昨今のもろもろの表現規制騒動の影響で、非常に身近な題材となっています。
若年層の注目を集めるにはもってこいの作品だと思いますよ。

・・・ただし、作品人気で人を集めてしまうと、
演目が変わったら元の黙阿弥、となりかねないという危惧はありますが・・・

880名無しさん:2012/07/28(土) 04:18:27 ID:F4/fewOY0
>>877
>>878
今はお互いやり取りをしている最中ですので
これを機会に文楽教会側が変化するか、大阪市側が歩み寄るかは決まってないですし、その影響もどうでるかは未知数ですので
単に「伝統文化をなくしていいのか!」と突き上げるつもりはないのですが、
報道だとどうしても文化のわからない橋下が経済合理性だけで伝統文化を潰す、という単純化したものになっているのが嫌ですね。

私はそう見られてしまっている橋下さんは可哀想だと感じてます。
彼本人も誤解されて世間に伝わるリスクは自覚しているはずですし、何事も政治なんかそういうものですが
結果的には協会側と市側の付きあわせが良い方向に進むろうなという気はします。
(タブーをおそれず踏み込む市長の方法は皆が評価している通り効果的ですので)

具体的に文楽をどう現代化するか、どういうアピールをすればよいか、という案は私にはありません。
興味のある方がどうぞお考えなさって、というだけです。(私は文楽自体には全然興味ないのです。)
ただ伝統は消えたらまた復活させるのは難しいということだけは常に警戒しておくべき真実だとは思います。
それを踏まえた上で「消えるものは消えるべき運命だった」というのは、淘汰を受け入れる覚悟・姿勢ということでもちろん理解できます。

881名無しさん:2012/07/28(土) 04:42:12 ID:F4/fewOY0
 大阪市の橋下徹市長の文楽批判が止まらない。27日には「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」、
前日には人気作「曾根崎心中」を批判するなど、わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。
文楽には、人形遣い個人の魅力を楽しむため江戸時代から顔をみせるようになった歴史がある。観客動員の努力不足などを
指摘する橋下市長の発言に一定の理解を示す文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。(亀岡典子)

 橋下市長が国立文楽劇場(大阪市)で文楽を鑑賞したのは26日夜。その後、竹本源大夫さん(80)ら人間国宝の
楽屋を表敬訪問した後の記者会見で、「『曾根崎心中』の脚本は昭和30年に作られたそうだが、ラストシーンがあっさりしすぎ。
ファン獲得のために演出を考え直すべきだ」と批判。記者の「文楽のほとんどが江戸時代に作られた。
それでも見直しが必要ですか」との質問に、橋下市長は「へえー、そうなんですか」と答えた。

 「曾根崎心中」は江戸時代に近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いて大当たりをとった。その後、
心中が流行したため、幕府は心中物の上演を中止。ようやく昭和30年に江戸時代の脚本をもとに復活された。

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120728/lcl12072800150000-n2.htm

>わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。
>文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。

これが本当に可哀想なのです。
2回しか観てない立場でモノ申すことの必要性、それを示してくれてる市長は本当に体張ってるとおもいます。
100回文楽見た立場ではなく、市井の人々と同じく「文楽?ナニソレ?」という立場からの発言をあえてしている。
一方で伝統を大事にする人たち、もう一方で「文楽?ナニソレ?」という人たち。
後者のポジションで語り、勉強不足と突き上げられることのリスクと辱めをあえて受けてたつ橋下市長はやっぱり立派としかいいようがない。

882名無しさん:2012/07/28(土) 04:49:35 ID:F4/fewOY0
>>881記事の続き) 
 三味線の鶴澤藤蔵さん(47)も「『曾根崎心中』が作られた時代、経緯もご存じなかったようですし、
ただ面白いものを作ればいいという考え方にはうなずけない」と戸惑う。

橋下市長は、文楽の演出についても批判したが、そもそも文楽をはじめ古典芸能には「演出」は存在しない。
長い年月の中でさまざまな人たちの手で磨かれた「型」があるからだ。

 さらに橋下市長は27日には、前夜見た舞台について「人形劇なのに人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」と発言。
これに対して国立文楽劇場の制作担当は「江戸時代から人形遣い個人の魅力が楽しめるよう、
半透明の幕から人形遣いが見えるやり方をしていた。それが顔を出す原点」と説明する。

 人形遣いの桐竹勘十郎さん(59)は「文楽は、人形を遣う3人、そして人形という、全部の影かたちで一つの役。
そこが他の人形劇とは異なるところ。根幹の部分でわかってもらえていない」と困惑する。

 長年文楽を見続けてきた作家の有栖川有栖さん(53)は橋下市長について「文化行政に一石を投じた」と評価しながらも、
「最近の相次ぐ発言は高い芸を磨いている文楽の人々を侮辱するもの。どんな芸術でも、一、二回見ただけでわかる人はほとんどいない。
知識を深めたり何度も見たりしながら好きになっていく。もし、橋下市長のように『僕の感覚』で文化を取捨選択するなら、
大阪ではその基準の文化しか残らない」としている。

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120728/lcl12072800150000-n2.htm

883よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 06:01:39 ID:n7BQw0GE0
>「人形劇なのに人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」と発言。

 これはさすがに橋下市長、おかしいですよ。
 これは歌舞伎を見て「何であんなに派手なメイクをしているのだ? あれが気になって集中出来ない」と言っている様なもの。
 ね、変でしょう。
 文楽とはそういうものです。それが様式美です。それすら理解していないのでは文楽への橋下市長の発言は全て文楽への無理解からのものだ思われてしまう。
 文楽をまったく知らない人がした発言なら理解出来るのですが、仮にも大阪市長として文楽への補助金問題を扱う身でこれはダメですね。
 府知事時代のクソ教育委員会発言をはるかに超える問題発言だと私は思いますよ。

>どんな芸術でも、一、二回見ただけでわかる人はほとんどいない。

 文化や芸術を語る時に、よく出てくるフレーズですが、私はこれを聞く度に「そうかな?」と思ってしまう。
 
 私の実体験ですが、私が小学校三年生の時、おやじに連れられて生まれて初めて落語を見に行きました。
 演じてらっしゃたのが先代の三遊亭園楽師匠の「目黒のさんま」。 
 生まれて初めての落語でしたが、私は笑いまくっていました。
 それからですね、落語にはまったのは。
 
 落語が文化ではない芸術ではない、という意見は拝聴するに値しないので捨て置きます。
 
 一回見ただけでわかる文化や芸術もあるのですよ。何回か見ないと分からないというもの文化や芸術ではある。
 ただそれに胡坐をかいてはいませんかね、と私は思うのです。
 胡坐をかいて普通の人と縁遠くなってしまったのが舞台・劇団だと私は思っている。
 これも実体験ですが、中学生の時に文化体験という事である芝居を見に行ったのですが、これがまったく理解出来ない。
 すごい劇団だ、という事だったのですが、それがまったく伝わらない。
 ようは玄人には受ける、慣れている人には受けるけども、知らない人にはまったく受けない。
 こういう世界はいずれジリ貧になります。新しい顧客が得られないから。
 
 文楽もそうならないと誰が断言できるのでしょうか。
 玄人には受ける、通には受ける、というのは言い換えれば「オタクの世界」と一緒ではないですか。
 あまりに「オタク臭」が強いと普通の人は敬遠します。
 文楽はあまりに伝統ばっかり連呼するとそうなりかねない。
 様式美は守りつつ、新しいことを取り入れて、裾野を広げていかないとまずいと私は思います。
 普通の人向けに、分かりやすいものを作る。
 それを見てすぐにファンになってくれれば良し、すぐにはファンにならなくても何年後かに「そういえばあの時に文楽を見たっけな」と思い出してまた足を運んでくれればそれでも良し。
 一回見て二度と来ないのもそれで良し、なのです。
 一番良くないのは「これはこうだから、これしかダメ」と決め付けて、限られた人にしかわからないようにしてしまうこと。
 そういう世界はいずれ滅びます。

884よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 23:09:22 ID:eXs2H96A0
〔碑にきく〕空の旅事業化の夢追う
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120728-OYT8T00037.htm

 潮の香りに抱かれた、堺市堺区の出島漁港外れ。夏草に埋もれて、「航空輸送発祥記念碑」がたたずむ。

 石碑脇の石板に、〈日本最初の定期航空を開始〉と刻まれている。1922年、大阪市でタクシー会社を経営していた徳島県出身の事業家・井上長一(1887〜1972)が、日本航空輸送研究所を設立。ここから和歌山市を経由し、徳島県小松島市までの100キロを1時間10分で結ぶ定期航空路を開設した。

 周辺は戦後、埋め立てて臨海工業地帯が造成されたが、当時は南北約7キロにわたる大浜海岸だった。建設に莫大(ばくだい)な費用がかかる陸地の飛行場ではなく、水上が飛行場になり、下部の平らな飛行艇が海岸沿いの海面で離着水した。定員は乗員乗客計6人程度。海岸から研究所の格納庫までレールが敷かれ、飛行艇を台車に載せて人力で押した。

 大浜海岸には当時、遊園地や水族館、海水の浴場・潮湯が立ち並んでいた。堺で生まれ育った郷土史家の中井正弘さん(73)(堺市南区)は「関西有数のリゾート地としてにぎわっていた。需要があるとみたのでしょう」。

 だが当初、旅客数はわずかで、業績は赤字だった。大卒初任給が50円程度だった時代に、片道40円の運賃を支払うことができる人は限られていた。事故も起きた。石板には、試験飛行などで殉職した飛行士ら20人の名前が残る。

 それでも井上はあきらめなかった。航路を高松市や愛媛県今治市、大分県別府市に延長し、36年には海軍の払い下げを受けて改造した19人乗り大型飛行艇「麒麟(きりん)号」を就航させる。キリンビールをスポンサーにつけ、客室乗務員の先駆け「エアガール」がビールを振る舞い、人気を博した。

 井上の評伝「征空野武士伝」の著書がある元新聞記者の岸積さん(77)(徳島県石井町)は、本人から、若い頃パイロットを目指して操縦の訓練を受けたが上達せず、航空事業を志したと聞いた。「自動車や汽車のように飛行機が商用や旅行で使われるようになる、と信じていた。商才があると同時にロマンチスト。その夢に多くの人がついて行った」

 日本が戦争への道を突き進んだ39年、研究所は国策会社との合併で解散を余儀なくされた。回顧本で「惜別の情がひしひしと胸底を往復する」と悔しさをにじませた井上は戦後の52年、民間航空再開に伴い、現在の全日本空輸の前身「極東航空」を設立。7年後、この石碑を建てた。

 それから半世紀。工場が並ぶ、かつての水上飛行場の上空を、300人乗りの旅客機が行き交う。発祥の地の記憶は薄れたが、夢は現実のものとなった。(南省至)

885よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 23:10:27 ID:eXs2H96A0
>>884

◆気楽に月へ 時代来る

 漫画家松本零士さん74

  SFアニメの巨匠は、自他ともに認める飛行機マニア。幼い頃、陸軍少佐で、最新型飛行機のテストパイロットをしていた父に憧れた。「自分もパイロットになる、と決めていたが、漫画の描きすぎで近眼になり、あきらめた」

 それでも空への興味が尽きることはなく、世界中の航空機を見て歩いた。鉄の塊が空を飛ぶメカニズムに触れ、代表作「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」を生み出した。

 民間航空の黎明(れいめい)期を生きた井上も、「空が好きだからこそ、資金の問題や事故など、多くの挫折にめげず、歯を食いしばることができた」と推し量る。「それが航空業界の今につながっている」と、功績をたたえる。

 井上の時代から飛行機のエンジンや機体の性能は向上した。現代も開発の歩みが止まることはない。「漫画で描いた世界に現実が追いついてきた。近い将来、飛行場から気軽に、月や火星に行く時代が必ず来る」と予測する。「空を飛ぶという人類の夢が、多くの人の努力や犠牲で実現した。そのことを忘れず、今を生きる人たちにも、夢に向かって突き進んでほしい」


 まつもと・れいじ 1938年福岡県久留米市生まれ。東京都在住。著書多数。宝塚大教授。2010年に旭日小綬章を受章。

 ◆交通手段 南海本線湊駅の北西約800メートル。出島漁港の北端の突き当たり。そばには船待(ふなまち)神社御旅所と魚貝海虫慰霊碑がある。

(2012年7月28日 読売新聞)

886よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/30(月) 22:02:47 ID:xlwBj1k.0
「昭和の大阪」写真集発売 産経カメラマンの写真で振り返る
2012.7.30 20:16
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120730/wlf12073020200016-n1.htm

 産経新聞の報道カメラマンが昭和時代の大阪を撮影した写真集「昭和の大阪」(光村推古書院)が発刊され、大阪を中心に全国の主要書店で発売されている。第二次大戦後の焼け野原から驚異的な経済成長を遂げた大阪のエネルギーがモノクロ写真で捉えられている。

 昭和20〜50年の大阪を写真で振り返るというコンセプトで、産経新聞の歴代カメラマンが撮影した数十万以上のカットの中から厳選した228枚を収録。戦争で焼け野原になった大阪の市街地や、復興に向けて動き出す住民たち、高度経済成長期を迎え活気づく街など、“激動の昭和”が伝えられている。

 旭屋書店なんばCITY店(大阪市中央区)は、店内3カ所に特設コーナーを設置。担当者は「写真を通して、懐かしの大阪の街をぜひ振り返ってほしい」と話している。写真集はA5横変型で240ページ、定価2千円(税抜き)。

887よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/02(木) 05:58:53 ID:vDxJ6MYQ0
夜市にエコ屋台
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120801-OYT8T00002.htm

 鎌倉時代に起源のある夏祭り「堺大魚夜市(さかいおおうおよいち)」が31日、堺市堺区の大浜公園で開かれ、約22万人でにぎわった。府立堺工科高校の生徒がリサイクル燃料で発電機を動かして綿菓子などを作り、販売。収益金を東日本大震災の被災地へ送る。

 「被災地の役に立ちたい」と、環境化学システム系で学ぶ3年生11人が昨年に続き出店。高校の食堂で使った天ぷら油などの廃油と、家庭から集めたペットボトルのふたを、生徒らが手作りした装置で燃えやすい油にした。この燃料を利用して、製造器で綿菓子350個、ホットプレートでフランクフルト300本を作った。

 炎天下、訪れた家族連れらに元気に声を掛け、売り込んだ。参加した下川床真さん(17)は「学校で学んだことを生かして、被災者を少しでも手助けしたい」と話していた。

(2012年8月1日 読売新聞)

888よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/04(土) 20:32:38 ID:WwEhoGJo0
情報プラザ:大阪歴史博物館特別企画展「大阪を襲った地震と津波」 /大阪
毎日新聞 2012年08月04日 地方版
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120804ddlk27040407000c.html

 26日(日)まで。9時半〜17時(金曜20時まで)、大阪市中央区大手前4の同館6階特別展示室(地下鉄谷町四丁目駅9号出口前)。大阪20+件を襲った地震や津波とその被害の実態について、地質学・考古学・歴史学などさまざまな学問分野による最新の研究成果などを展示する。「嘉永七年大坂大地震つなみ 一枚刷」や「友ケ島深蛇池(しんじゃいけ)津波堆積物試料」など約50点の資料を出品するほか、関西を中心に防災や震災復興に向けて活動する機関・団体・個人の取り組みも紹介する。講演会「震災と資料保存」(5日)と「歴史に学ぶ防災の知恵」(19日)は当日先着順。観覧料(常設展示とも)540円。高大生360円(8月末までの家族でお出かけ節電キャンペーン割引料金)。中学生以下・市内の65歳以上・障害者無料。火曜休館。同館(06・6946・5728)。

889よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/08(水) 20:31:06 ID:HW9noyaA0
どんなきっかけであれ、こうやってメディアで取り上げられると多くの人に知ってもらえるわけです。
言い換えれば、橋下市長に文楽の件で、やいのやいのと言っているメディアは果たして文楽を取り上げ、多くの人に知ってもらえるように努力をしてきたか、ということです。
また文楽も伝統文化・世界遺産という称号に胡坐をかいていなかったか、ということです。


禍転じて…文楽夏休み公演の入場者数、なんと4割増
2012.8.8 12:59
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120808/waf12080813050011-n1.htm

 国立文楽劇場(大阪市中央区)で行われた「夏休み特別公演」(7月21日〜8月7日)の入場者数が、前年の約4割増の2万5516人だったことが8日、同劇場のまとめでわかった。

 夏休み特別公演が3部制になった平成5年以来、2番目に多い。同劇場では、夜間公演の「曾根崎心中」が人気演目であることが大きい、と分析。また、大阪市の橋下市長が、集客への努力不足など文楽批判を繰り返す中、公演前には技芸員がJR大阪駅前でPRイベントを開催しており、「橋下市長の影響があったかどうかはわからない。ただマスコミなどで大きく取り上げられたことで、ふだん来られない方が足を運んでくださったのでは」と話している。

890名無しさん:2012/08/09(木) 00:32:37 ID:F4/fewOY0
やはり橋下効果は間違いないですね。

この人、とんでもない傑物です。
影響力が物凄い。

891よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/10(金) 22:59:36 ID:w9Dppq2Y0
文楽の夏公演観客数が前年比4割増し
http://www.tax-hoken.com/news_afzwdZh88W.html

橋下徹大阪市長が補助金削減方針を示したことから注目を浴びている文楽の夏休み特別講演(7月21日〜8月7日)の入場者数が、前年比約4割増しの2万5,500人を記録した。

技芸員が努力した成果

同公演は大阪・国立文楽劇場で開かれた。8日に劇場がおこなった集計で、期間中の入場者総数がここ10年で最多であることが判明した。

この結果について、橋下市長は「人形遣いらが公演をPRした結果であり、技芸員の努力の成果」と評した。一連の騒動で注目されたこともあり、人気演目の「曽根崎心中」などは期間後半、ほぼ満席の状態が続く盛況だった。


補助金25%カットの方針

橋下大阪市長は今年6月にまとめた「市政改革プラン」最終案の中で、市がおこなってきた文化活動への助成金についても見直す方針を示した。

この中には公益社団法人である大阪フィルハーモニー交響楽団、公益財団法人である文楽協会なども含まれる。文楽協会については、昨年度から25%減となる3,900万円の予算を計上し、関係者の意識改革を求めた。


橋下市長が指摘した3つの問題点

文化事業への補助金カットは一見、芸術を解さない乱暴な政策に見えるが、市長が指摘した問題点は現場の技芸員とも共有できる部分がある。

補助金に頼り切っており、プロモートする努力が足りないこと。報酬が適正配分されていないこと。演者である技芸員、劇場公演をプロモートする「日本芸術文化振興会」、その他の公演をプロモートし、演者のマネジメントをおこなう「文楽協会」の間にコミュニケーションがないこと。

いずれも補助金をもらえるから、という甘えがもたらす組織の構造的な欠陥である。これを改革しないのであれば補助金をカットする、という橋下市長の対応は理にかなっている。


「もう一度見たいとは思わない」

橋下市長はさらに、文楽を鑑賞した後、「もう一度見たいとは思わない」と一蹴。創意工夫が感じられない、と批判した。今回の公演成功は、こういったムチを受け、人形遣い自らが公演のPRにつとめるなど努力をおこなった成果といえる。

乱暴との声も高いが、これまでスルーされてきた因習にメスを入れ、税金の無駄遣いを徹底的にカットしようとする姿勢は、これまでの大阪市長と一線を画す。

892よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 08:00:19 ID:H5HAjNhQ0
〔Naniwaなう〕行基さんゆかり墓市そぞろ歩き
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120811-OYT8T01377.htm

 暑さが和らいだ夕刻、無数のちょうちんがともった。東大阪市岩田町の岩田墓地で11日に開かれた恒例行事「墓市(はかいち)」。近鉄若江岩田駅から墓地までの約500メートルに夜店が軒を連ね、大勢の家族連れらがそぞろ歩く。

 奈良時代の高僧・行基が中河内(東大阪市、八尾市)で飢餓や疫病の犠牲者供養につくったとされる「河内七墓」の一つ。文字の読める最古の墓石には、江戸中期の年号「元禄」と刻まれている。約1500基が並び、今も地元の共同墓地として守られている。

 〈盆の月内に七墓を巡れば、極楽往生できる〉。中河内ではそう言い伝えられ、東大阪市の長瀬墓地など各地の墓地で、8月下旬まで同様の行事が行われる。“行基さん”の記憶は、約1300年を経ても生きている。(司)

(2012年8月12日 読売新聞)

893よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 10:14:06 ID:H5HAjNhQ0
神妙に鎮座する雷の手形石
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120810/20120810055.html

「若江鏡神社」 東大阪市若江南町

 その昔、雷が誤ってご神前に落ちてしまった。神の前に落ちるとは何事か、と怒りにふれ、雷は天に返してもらえなくなった。そこで今後、決してこの村には落ちない、という約束をし、その印として手形を残したのがこの石=写真=である。

 ここは、東大阪市若江南町にある若江鏡(わかえかがみ)神社。伝説によると神功(じんぐう)皇后の御世(201〜269在位)の出来事というからあまりにも古い。この若江鏡神社の創建年代は定かではないが、「文徳(もんとく)実録」(平安時代初期に編まれた歴史書)には、すでにこの神社のことが記されているから、少なくとも1200年以上は、この地に鎮座していることになる。社格も郷社(ごうしゃ)で、敷地も2千坪におよぶ由緒ある神社である。

 この雷の手形石は本殿正面の真ん中に位置しているので、本殿に向かって、何らかの儀式に使われていたものかもしれない。神主が座る「座(ざ)」であったのか、それとも神様が現れるときによりつく依代(よりしろ)であったのか……。

 この本殿が、また実に素晴らしい。山間社流造(さんげんしゃながれづくり)といって、柱と柱の間が三間ある。つまり部屋が横並びに三つあると思ってもらえればわかりやすい。向かって右に大伊迦槌火明大神(おおいかづちほのあけのおおかみ)を、左に仲哀(ちゅうあい)天皇と神功皇后を祀(まつ)っている。ということは、真ん中の部屋は空き部屋ということで、これだけでロマンをかき立てられる。どうして何もないのか、ひょっとして、ときどき何かがやってくるのか、それとも神様どうし距離を置く必要があるのか、など、楽しい想像がふくらんでいく。

 もちろん、部屋をのぞいて見ることなどできない。「見ることができるのは、代々の宮司ただ一人です」と奥野紀(ただし)宮司は語る。お寺は秘仏などを開帳することがあるが、神社ではご神体を確認するのは宮司のみ。しかも、それが何かを口外することは許されない。これもまた神社の興味深い側面だ。

 この雷の手形石も神の領域のものと思えば、異様な形状も妙に納得がいく。

 奥野宮司が小学校でお話をされてから、近所の子どもたちも連れ立ってやってくる。この石は中庭にあるので通常は見ることができない。宮司が中庭まで案内する。子どもたちも雷の手形石の後ろにある本殿を前にして神妙な気持ちになるのか、ふざけたりすることもなく、ゆっくり、興味をもって見学していくようである。

 気持ちを静かに落ち着かせて、おだやかな気持ちになれる場所。それもまた、神社の役割であろう。子どもにも大人にも、必要な空間がここにある。

894よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 18:40:23 ID:cmlHUy3E0
大阪襲った地震・津波の歴史展
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004029561.html

大阪を襲った地震や津波の歴史資料を集めて、市民に防災意識を高めてもらおうという展示会が開かれています。
大阪・中央区にある大阪歴史博物館で開かれているこの展示会には大阪を襲った地震や津波について記録した縄文時代から昭和までの文書や写真など50点が展示されています。
このうち、江戸時代の末期に起きた「安政南海地震」による津波を記録した瓦版には何隻もの船が津波で押し流されて川をさかのぼり、道頓堀などに架かる橋を壊したことが地図と文書で記されています。また、大阪・平野区にある「長原遺跡」で見つかった地層を保存したパネルは引きちぎられた木の杭がそのまま土の中に埋まっていて、平安時代後期の「康和南海地震」で地層がずれた地震の痕跡とみられます。
大阪歴史博物館の飯田直樹さんは「大阪は地震や津波に何度も襲われた歴史があることを市民にもっと知ってもらいたい」と話しています。
この展示会は今月26日まで開かれています。

08月12日 12時22分

895よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 18:55:45 ID:cmlHUy3E0
幽玄の世界を堪能 夏の風物詩大阪薪能始まる
2012年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120812/20120812055.html

 大阪の夏の風物詩「第56回大阪薪能」(能楽協会大阪支部など主催)が11日、大阪市天王寺区の生国魂神社で始まった。夕暮れから宵へと移り変わる中、かがり火に照らされながら能楽が披露され、来場者らは幽玄の世界を堪能した。12日まで。

 大阪薪能は、同神社が1546年に新築された際、祝いの能が演じられた故事にちなみ1957年から毎年開かれている。観世、宝生などの5流派が競演し、2日間で6番の能楽、2番の狂言などを繰り広げる。

 セミの鳴き声が響く野外の特設会場では、能「竹生島」などが演じられた後、火入れ式が執り行われ、かがり火が灯ると一気に幻想的な雰囲気が深まった。炎の揺らめく中、能「千手」などが披露され、来場者はたえなる日本の古典芸能の魅力に浸っていた。

 家族連れで来場した福西広和さん(40)=同区=は「欧米化された生活の中で本当の日本が舞台の中に残っている」と感じ入っていた。

 12日は午後5時半開演、能「船弁慶」などが演じられる。

896よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/13(月) 09:59:31 ID:OPmButos0
あの大阪の輝きと戦争の影 「旧大阪府庁舎跡」が伝える当時の様子
2012.8.13 08:56
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120813/wlf12081309020002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120813/wlf12081309020002-n2.htm

 まるで明治時代のテーマパークに足を踏み入れたようだった。昨年夏、大阪市西区江之子島の旧大阪府庁舎跡の発掘現場を訪れると、高層ビルに囲まれた空き地の地下数メートルに、レンガ壁や御影石の階段、人の背丈ほどもあるレンガ積みの暖炉が100年以上前の姿で残っていた。

 旧府庁舎は明治7年に建てられ、中央に円形ドームがそびえた西洋風。大正15年に現在の大阪城近くに移転してからは、別の府施設として使われ、昭和20年3月の大阪大空襲で焼失したという。

 階段付近の鉄扉は茶色くさびて、全体が大きくひしゃげていた。空襲による衝撃かと思って、調査を担当した市村慎太郎・府立近つ飛鳥博物館総括学芸員に尋ねると、「考古学的には判断できないが、空襲以外にはちょっと考えられない」とのことだった。

 発掘からちょうど1年、成果をまとめた調査報告書がこの夏、府文化財センターから刊行された。建物跡や出土遺物の分析が主だが、とりわけ目を引いたのが昭和23年に米軍が同市西区一帯を撮影した航空写真だった。多くの建物が空襲で失われ、旧府庁舎も円形ドームの痕跡がかろうじて判別できる程度。遺跡や遺物中心の発掘報告書で、こうした写真は異例のことだ。

 「建物が空襲で焼け落ちるのを見た」。昨年7月、旧府庁舎跡の発掘を紹介する現地説明会が行われた際、当時の惨状を話すお年寄りもいたという。「たくさんの人が、さまざまな思いを抱きながら関心をもってくれた遺跡だった」と市村さん。「それだけに、報告書は少しでも詳しい内容にしたかった」と話した。

 写真も含めて全268ページで、厚さは2センチ。ずしりとした重みは、近代大阪の輝きとともに、戦争の影をも伝えていた。報告書は1冊千円。問い合わせは府文化財センター((電)06・6785・4531)へ。(文化財担当 小畑三秋)

897よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/15(水) 09:49:43 ID:CJvNXreQ0
羽広げサギソウ涼しげ 中央区の坐摩神社で見頃 大阪
2012.8.15 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120815/osk12081502000001-n1.htm

 シラサギが羽を広げたような形の白い花をつけるサギソウが大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社で咲き始め、涼しげな風情が訪れた人たちを楽しませている。9月上旬まで見頃だという。

 ラン科の多年草で、長さ20〜30センチの細い茎に直径2、3センチの清楚(せいそ)な花を次々と咲かせる。神社では神紋の「鷺丸(さぎまる)」にちなみ、権禰宜(ごんねぎ)の北岡忠澄さんが約10年前から育て、毎年植え替えて増やしてきた。現在では「暁」「玉竜花」など5種類約2千株を栽培。このうち3割ほどが見頃を迎えた。

 例年よりやや開花が遅れたが、小さな“シラサギ”を撮影しようと、境内にはカメラマンたちが時折訪れている。神社は「花でひとときの涼を感じてもらえたら」と話している。問い合わせは坐摩神社((電)06・6251・4792)。

898よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/15(水) 12:02:07 ID:TchyxtxI0
京橋駅で空襲慰霊祭 遺族ら200人参列
2012年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120815/20120815029.html

 終戦前日の最後の大阪大空襲で犠牲になった人たちの冥福を祈る「第58回京橋駅空襲被災者慰霊祭」(京橋駅慰霊祭世話人会主催)が14日、大阪市城東区のJR京橋駅南口の京橋慰霊塔前で行われた。大雨で交通事情も悪い中、遺族や地域住民ら約200人が参列し、平和への思いを確かめ合った。

 法要を行った妙見閣寺(大阪市旭区)の竹内日祥住職は「市民一人一人の立場から戦争や平和について考え、未来に備えることが大切。67年たった今も慰霊祭を行うことには重要な意味がある」と語った。市立聖賢小6年の畑みゆきさん、佐藤希海(のぞみ)君、南和葵(なぎ)君が式典で「戦争が悲惨で悲しいものだと知った。(その中で親切にしてもらった話を聞き)親切がとても大切だと思った。二度と戦争を起こさないと誓います」と決意を述べた。

 大阪城兵器工場「大阪砲兵工廠」で空襲に遭った高原秀夫さん(79)=城東区=は、自身に防空壕(ごう)に入るよう指示し、直後の爆撃で亡くなった将校のことを思うと「胸が苦しく、今も涙が止まらない」。祭壇を見詰め、「心を込めて焼香し、平和のために少しでも役立つなら私の体験を語っていきたい」と述べた。

 帝塚山学院中、高からは生徒13人が参列。山口みや美さん(18)=住之江区=は「昔のことという意識だったが、ここに来て身近に感じた。もっと平和について考え、意識しないといけないと思う」と話した。

 京橋駅空襲は1945年8月14日の米軍機の爆撃で、判明しているだけで225人が犠牲になっている。

899よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/15(水) 12:40:31 ID:EbZV3Nfw0
出版:大阪の郷土史家、日常の中にある戦争遺跡を踏査
毎日新聞 2012年08月14日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20120814dde018040081000c.html

 大阪府八尾市にあった旧陸軍大正飛行場(現・八尾空港)と周辺の軍事施設について詳細に調べた『日常の中の戦争遺跡』(アットワークス、2730円)が刊行された。著者の大西進さんは1940年、八尾市生まれ。2003年、厚生労働省の遺骨収集団に参加し、父が戦死したニューギニアを訪ねたのがきっかけで、郷土の戦争について調べ始めた。遺跡を踏査し、軍と官が残した史料を調べ、施設に関わった人など約250人から聞き取りをした。

 大正飛行場は国内最大規模の滑走路を持ち、1941年に運用が始まった。建設に伴う強制買収によって土地と職業を同時になくした住民は軍需工場に就職し、子弟は航空機や燃料、弾薬などの補給、整備、修理をする併設の大阪陸軍航空廠(しょう)で働いた。

 飛行機を空襲から守るための格納庫「掩体壕(えんたいごう)」が飛行場内と場外にそれぞれ約20基設けられた。場外からは砂利道を人や牛、トラックが機体を引っ張って運んだという。約4・5キロの誘導路で飛行場とつながる1基が山麓(さんろく)に残っている。旧陸軍飛行第246戦隊の戦闘指揮所は陸上自衛隊の広報展示室となって現存し、機銃砲の弾痕が残る。大西さんは、戦争を想起させるこれらの遺跡を文化財として保存し、平和の意義を問い直す記念物として活用すべきだと訴えている。【佐々木泰造】

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900よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/17(金) 13:50:49 ID:.DUBpICU0
平和思い絵灯籠1300個 八尾・大聖勝軍寺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120815-OYT8T01415.htm

 聖徳太子ゆかりの寺として知られる八尾市太子堂、大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)で15日夜、絵灯籠供養が行われた。盆の行事で、約1300個の灯籠(高さ約20センチ)にろうそくの火がともされ、訪れた人たちは先祖や、昭和戦争の犠牲者らへの思いを胸に静かな時を過ごした。

 鐘の音が響く境内につるされた灯籠には、檀家(だんか)らがお地蔵さんや金魚、犬、猫、花、アニメキャラクターなどを描いた和紙が張られており、暗くなるにつれて絵が闇に浮かび上がっていった。

 1945年3月の大阪大空襲で、住んでいた大阪市内の自宅が焼かれて火の手から逃げ延びたという八尾市春日町、下山トシ子さん(76)は「あんなつらい思いは今の子どもたちに二度とさせたくない」と灯籠を見つめ、平和への思いを新たにしていた。絵灯籠は16日も午後7時から午後10時頃までともされる。

(2012年8月16日 読売新聞)

901よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/17(金) 14:02:57 ID:.DUBpICU0
130年ぶり復活 町民文化「七墓巡り」
2012年8月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120817/20120817021.html

 先人をしのぶために江戸時代の大阪で行われていた町民文化「七墓巡り」が15日、約130年ぶりに復活した。参加した延べ約40人は七墓由来の地を巡り、各所で披露される踊りや音楽などのパフォーマンスを通して先祖らの霊を弔っていた。

 七墓巡りは、かつて盆の時期に有縁無縁を問わず、大阪に住んでいた先人をしのぶために始まった町民文化。江戸後期ごろには遊び心も加わって若い男女のデートコースとしても親しまれてきたという。

 大阪の歴史文化に関心を持つ有志らが「大阪七墓巡り復活プロジェクト」と銘打ち企画した。

 一行は、葭原墓所(大阪市北区)ゆかりの地などを起点に梅田や南浜、蒲生、小橋、千日、鳶(とび)田を巡回。葭原墓所跡地では、舞踊家・木室陽一さんが西方を向いて鎮座している沖向地蔵を前に、太極拳のような緩やかな動きと獅子舞を思わせる激しい動きを合わせた独特の舞を舞うなどさまざまなジャンルのアーティストたちが各墓所跡地で得意のパフォーマンスを披露していた。

 主催者の一人は「かつてはやっていた大阪の夏の風物詩になれるよう、今後も続けていきたい」と話していた。

902よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/17(金) 22:00:35 ID:OJe/Ze9E0
[やすらぎ探訪]抜け穴残る真田幸村ファンの聖地…宰相山公園(大阪・天王寺区玉造)
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/serial/health/news/20120815-OHO1T00120.htm

 大阪市営地下鉄・玉造駅から南へ100メートル。緑豊かな宰相山公園(通称・真田山公園=天王寺区玉造)は都心のオアシスであり、戦国武将・真田幸村ファンの一大聖地。

 というのも、大坂冬の陣(1614年)で幸村が出城(真田丸)を築いたのがこの辺り。対陣した加賀宰相(前田利常)を苦しめ、徳川家康を震え上がらせたのは有名な話。翌年の夏の陣で徳川が勝利し、加賀宰相の名が地名に残った。それでも徳川嫌いの浪速っ子は今でも「真田山公園」と呼び合っている。

 「山」と言うだけあって小高い丘は標高15メートル。石段を上ると“山頂”には古社・三光神社。社務所によれば、戦前は生駒や六甲の山並みが一望できたそうだ。

 神社の麓には、真田の家紋・六文銭の盾を背にした真田幸村の銅像がある。故郷(長野・上田市)の銅像は騎馬姿だが、こちらは右手を高く上げて陣中指揮する勇壮な立ち姿。台座は故郷の菩提寺・長谷寺から運ばれた真田石。イラストレーター・成瀬国晴氏のデザインで1987年に建立された。

 銅像の左側には史跡・真田の抜け穴が見える。約2キロ先の大坂城に通じていたといわれる秘密の地下道跡と伝えられ、入り口にはしめ縄が張られた六文銭入りの鉄格子。非公開なので暗い穴の中をのぞく人が後を絶たない。神社の話では、数メートル先で行き止まりだとか。この地下道から豊臣秀頼と淀君がひそかに脱出したという秘話も生まれ、幸村伝説に花を添えている。

 ◆宰相山公園 大阪市天王寺区玉造本町。三光神社(TEL06・6761・0372)で11月に開催される「真田祭り」は甲冑隊の行列や抜け穴の公開などイベントも多彩。陸軍墓地もあり、桜の名所としても有名。

903よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/19(日) 11:10:41 ID:ZBTD0mvc0
文楽「広く世界へ」 初のアフリカ公演へ出発
2012.8.18 23:57
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120819/wlf12081900030000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120819/wlf12081900030000-n2.htm
 
 大阪発祥の伝統芸能で世界無形遺産の人形浄瑠璃文楽が初のアフリカ公演を行うため、人形遣いの桐竹勘十郎さん(59)を団長とする技芸員ら一行が20日未明、羽田空港からパリ経由でアフリカ北部のアルジェリア民主人民共和国に出発する。大阪市の橋下徹市長の補助金削減問題で揺れる文楽界。勘十郎さんは「いま文楽は厳しい状況にある。こんなときだからこそ、日本の伝統芸能である文楽の存在や奥深さを海外の人たちに広く伝えたい」と話している。

 日本を発つのは、勘十郎さんをはじめ太夫、三味線、人形遣いら総勢12人。トランクに文楽人形や舞台セットを作るための道具、絵の具などを詰め込み、自ら手に持ってアルジェリア入りする。一行は21日午後に首都アルジェに到着、25日と27日にアルジェなど2都市の劇場で公演を行う。

904よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/19(日) 11:12:18 ID:ZBTD0mvc0
>>903

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120819/wlf12081900030000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120819/wlf12081900030000-n4.htm

 今回の公演は、アルジェリアと日本の国交樹立50周年を記念して行われる。上演されるのは、文楽の人気作「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の「奥庭狐火の段」。戦国の世を背景に、長尾(上杉)謙信の息女、八重垣姫が、敵方の若者に恋をしたことから、父を裏切るという物語。華やかな女方(おんながた)の人形の魅力とともに、姫に狐が乗り移って超人的な動きをするケレン(派手な演出)たっぷりで、「ビジュアル的にもわかりやすくおもしろいので、アルジェリアの人々にもきっと文楽の魅力をわかっていただけると思う」と勘十郎さんは話す。

 アルジェリアは、北は地中海に面し、南にはサハラ砂漠が広がるアフリカ大陸で最も広大な国。宗教はイスラム教。1830年以来フランスの植民地支配を受けたが、1962年に独立を果たした。

 文楽は昭和37年にアメリカのシアトルで初めて海外公演を行って以来、アジア、ヨーロッパ、南米、オーストラリアなど世界各地を訪問。今回のアフリカ公演で五大陸を制覇する。

 現地では、文化人との交流や文楽人形のワークショップなども行う予定。勘十郎さんは「アルジェリアには伝統のある人形劇もあるそうですので、人形遣い同士で交流して刺激を受けたい」と期待している。

905よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/19(日) 11:45:52 ID:ZBTD0mvc0
秋祭りの「主役」、毎日練習
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120819-OYT8T00099.htm

 「ベーラ ベーラ ベラショッショイ」。日の落ちた堺市中区土塔町の住宅地で男の子たちの掛け声と太鼓の音が響く。300年以上の伝統がある百舌鳥(もず)八幡宮(堺市北区)の秋祭り(9月29、30日)に向けた練習だ。

 祭りには周辺9町が、朱色の座布団を重ねたようなふとん太鼓を繰り出し、子どもたちはその上に乗って太鼓を打ち鳴らす。土塔町のふとん太鼓は1961年の第2室戸台風で収納庫ごと倒壊して途絶えたが、2003年に重さ約2トンの1基が復活した。

 収納庫に小学5、6年の16人が集まり、毎日1時間、太鼓のまわりに座ってばちを振るう。一度に4人ずつ。ほかの子どもは毛布を置いたパイプいすを太鼓に見立てて打つ。

 「声がちっちゃくならないよう、息をぴったり合わせて楽しい祭りにしたい」と小学6年森川勇哉君(12)。指導する目賀弘二青年団長(24)は「担ぎ手はリズムに合わせて歩くので、太鼓が一番大事」と子どもたちのがんばりに期待を寄せる。(夏)

(2012年8月19日 読売新聞)

906よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/21(火) 05:48:06 ID:L/Q//kOQ0
法隆寺と四天王寺違い説明 斑鳩の里大学21
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20120819-OYT8T00933.htm

. 聖徳太子の遺徳を顕彰する公開講座「斑鳩の里大学21」(斑鳩町文化振興財団主催)が19日、斑鳩町興留のいかるがホールであり、奈良大名誉教授の水野正好・元興寺文化財研究所長が「法隆寺と四天王寺」をテーマに講演して、約330人が耳を傾けた。

 水野所長は「太子は一族で法隆寺や中宮寺などを建て、斑鳩で区画整理を行った」と解説。太子が建立したという法隆寺と四天王寺(大阪市)が今日まで守られてきた経緯に触れ、「法隆寺は創建当初の場所から移されて再建され、四天王寺は同じ場所で何度も建て直された」と違いを説明した。

 大和郡山市の主婦石田美知子さん(74)は「熱心に仏教を広めた太子の姿を改めて、しのぶことができました」と話した。次回の講座は9月16日午後2時からで、講師は阿部泰郎・名古屋大教授。問い合わせは、いかるがホール(0745・75・7743)。

(2012年8月20日 読売新聞)

907よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/25(土) 03:46:40 ID:kEcqVIMA0
「行灯展」準備整う 服部天神宮、夏天神祭
2012年8月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120824/20120824030.html

 足の神様として知られる服部天神宮(大阪府豊中市服部元町1丁目、加藤芳哉宮司)で24、25の両日に行われる「夏天神祭」を前に23日、「行灯(あんどん)展」の準備が行われた。Jリーグ・ガンバ大阪の選手や地域の幼稚園児らが描いた絵や書、計320枚が160個もの行灯の両面に張られ、神職によって同天神宮の本殿横に奉納された。行灯は同祭の期間中、夕方から点灯され、幻想的な雰囲気を醸し出す。

 同祭は菅原道真(845〜903)の月命日である25日に各地である天神祭の一つ。行灯の展示は夏天神祭で毎年行われる行事で、夏の終わりを告げる風物詩として参拝者らに親しまれている。

 神職と地域の婦人会のメンバーがこの日までに、ガンバ大阪所属の日本代表・遠藤保仁選手らの直筆サインやタレントの浜村淳さんの絵手紙、節電やロンドン五輪にちなんだ水彩画などを行灯の外側2面に張り付ける作業を終えており、この日は長さ約4メートルの木枠五つにつるされた行灯を、境内に設けた高さ約3メートルの支柱に設置した。

 加藤宮司は「夏天神祭は商店街をはじめ、地域と一丸となって開催するお祭りです。残暑が厳しいですが、夏休み最後の思い出に家族で楽しんでもらえれば」と参拝を呼び掛けている。

908よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/25(土) 22:24:10 ID:dU5ohp1g0
津波被害者の冥福祈る  安政南海地震  浪速区で40人
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120824-OYT8T00125.htm

 地蔵盆に合わせ、大阪市浪速区幸町の石碑「大地震両川口津浪(つなみ)記」前で23日、1854年の安政南海地震による津波犠牲者らの冥福を祈る慰霊祭が行われた。

 石碑には、多くの人が亡くなった当時の様子や、津波への心構えがびっしりと刻まれている。住民らは「おじどうさん」と呼んで守り、今年も数日かけて碑文に墨が入れ直された。

 慰霊祭には住民ら約40人が参加。地元の浪速さくら保育園の園児らも手を合わせた。

 近くの増井健蔵さん(75)は「今は意味がわからなくても、記憶に残れば、いつかわかってくれる」と話していた。石碑は24日まで、地蔵盆の飾り付けが施されている。

(2012年8月24日 読売新聞)

909名無しさん:2012/08/26(日) 14:14:47 ID:oT1pFky60
西三国・渡辺邸のいま

http://atamatote.blog119.fc2.com/

910よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/27(月) 23:42:24 ID:lxAhXmY60
大阪城の巨石、どう船積み? 小豆島で海中初調査 
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005332704.shtml

 大坂城や幕末の西宮・今津砲台の建設に使われた巨石が、どう船積みされ運搬されたのか‐という謎の解明に、神戸の研究者らが28日から香川・小豆島で挑む。小豆島には大坂城の残石が残っているが海中は未調査。今回初めて水中考古学の手法で海底を調べ、船積みの係留施設などを確認する。

 江戸幕府は、1620(元和6)年から10年かけて豊臣秀吉の造った大坂城を抜本的に改造。西国などの大名64家が、六甲山や小豆島など瀬戸内の島から巨石を切り出した。幕末には、海防のため砲台が兵庫県と大阪の海域に造られ、今津砲台(西宮市今津真砂町)では小豆島の石が使われた。

 巨石運搬には、船が使われたが、船積み法は、後世に推測して書かれた絵図や文献があるだけ。巨石だけに船積みは容易でなく、作業中に海中に落ちた石も少なくない。

 調査は同志社大文化遺産情報科学研究センター(津村宏臣センター長)の高田祐一研究員(29)=神戸深江生活文化史料館研究員、神戸市東灘区在住=らが、香川県小豆島町の協力を得て計画。同大の学生ら14人が、400年間、海底に眠っている大坂城残石を初めて調査する。

 メンバーらは、三つの採石場沖で漁船を使うなどして潜水。石を切り出すときに刻まれたくさびの跡をもとに海中残石の分布を調べる。また小豆島・岩谷地区の海中に「かもめ石」と呼ばれる目的不明の人工石があり、石の上の突起部分が船積み遺構ではないかと推測されるが、詳しい利用目的などを研究する。11月に小豆島町が開催するシンポジウムで成果を報告する。(大国正美)

911名無しさん:2012/08/28(火) 09:43:25 ID:oT1pFky60
西三国・渡辺邸のいま

http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-709.html

912名無しさん:2012/08/28(火) 09:44:18 ID:oT1pFky60
旧精華小など取り壊さず利益を フォーラムで示唆

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120827/20120827023.html

913よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/30(木) 06:09:20 ID:nvqRlNXc0
奈良時代の「海獣葡萄鏡」出土 四條畷の讃良郡条里遺跡 大阪
2012.8.30 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120830/osk12083002040002-n1.htm

 四條畷市教委は29日、讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡(同市砂、寝屋川市新家)で奈良時代の鏡「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」が出土したと発表した。小型の海獣葡萄鏡は出土例が少なく、府内での出土は初めて。全国でも12枚目で大半が平城京跡と藤原京跡で見つかっていることから、市教委は「都と関係が深い有力者がいたことを示している」としている。

 見つかった鏡は直径3・9センチ。一般的な海獣葡萄鏡の外側(外区)部分を最初から取った状態で鋳造されている。担当者は「小型の鏡は水辺での出土例が多く、雨ごいなどの祭祀(さいし)で使用されたのでは」と推測している。

 今回の調査では、3世紀後半から4世紀前半(古墳時代前期)の竪穴住居と水田跡も見つかっており、近くの前方後円墳、忍岡(しのぶがおか)古墳(4世紀)との関連が考えられるという。

 現地説明会は9月1日午後1〜3時。JR片町線忍ケ丘駅徒歩約20分。駐車場はない。

 問い合わせは現地調査事務所((電)072・812・2855)。

914よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/31(金) 05:40:56 ID:WyisDA7c0
残暑にひやり幽霊画 大念仏寺で公開
2012年8月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120829/20120829031.html

 大阪市平野区平野上町1丁目の大念仏寺で26日、年に一度の「幽霊画」の公開が行われた。多くの親子連れなどが訪れ、「野ざらし図」や亡霊、妖怪を描いた12枚の絵や幽霊由来の品々を興味深そうに見つめていた。

 展示された絵は同寺が保管するもので、「姑獲鳥(うぶめ)」や「平知盛」などが迫力ある筆致で描かれている。地獄に落ちた女性が供養を願って巡礼者に渡したとされる「香合(こうごう)」なども展示された。

 絵の作者や品々の由来などの詳細は分かっていない。一般への公開は「平野町ぐるみ博物館」の一環として、十数年前から行っている。残暑厳しい中、寺には朝から多くの人たちが訪れ、順番待ちの列を作った。中には絵の恐ろしさに涙を流す子どももいた。

 家族4人で訪れた区内の会社員の男性(45)は「3歳の長男が泣きだして大変だった。前から幽霊画については聞いていたが、見るのは初めて。うまく幽霊の様子が描かれていて、迫力があった。子どもが大きくなったら、また来たい」と話していた。

915よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/31(金) 05:42:28 ID:WyisDA7c0
「中村座精神で弟とがんばる」 勘九郎さん襲名奉納
2012年8月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120829/20120829030.html

 大阪市福島区福島2丁目の福島天満宮で27日夜、歌舞伎の中村勘九郎さんが9月1日から大阪松竹座で始まる「九月大歌舞伎」に先駆けて勘九郎襲名奉納イベントに参加した。平成中村座公演などでゆかりの同天満宮の地車講社中、津軽三味線の高橋竹童さん、太鼓の英哲風雲の会のメンバーがライトアップされた本殿前で演奏を行って、襲名公演に臨む勘九郎さんにエールを送った。

 勘九郎さんは弟の中村七之助さんと一緒に神社を訪れ「いろいろお世話になった先輩に激励していただいて感謝している。中村座スピリッツで弟の七之助とがんばりたい」とあいさつ。七之助さんも「手術後リハビリ中の父(中村勘三郎さん)から“兄をサポートして来い”と言われている」と兄弟目を合わせにっこり。

 演目は人間国宝の坂東玉三郎さんと共演する「瞼の母」「女暫」などで、兄弟で踊る「団子売」では「劇中口上」も行う。夜の部の襲名披露「口上」だけなら一幕料金(千円)で見られる。公演は25日まで。

916よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/31(金) 21:54:02 ID:S0Q3tY0I0
淀川区、江戸初期の豪農屋敷 9日にイベント開催 大阪
2012.8.31 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120831/osk12083102060000-n1.htm

 ■「渡辺邸」保存 市民ら動く

 江戸時代初期に建てられたという豪農屋敷「渡辺邸」(大阪市淀川区西三国)が解体の危機にあるとして、その保存、活用を求めていこうと住民有志らが「大阪市渡辺邸保存会」を立ち上げ、署名活動を始めた。貴重な文化価値などを知ってもらおうと、9月9日に渡辺邸近くの自敬寺でイベント「渡辺邸を知ろう」も催し、地域一体で運動を盛り上げていく。

 渡辺邸は、約2500平方メートルの敷地に母屋や土蔵など貴重な建物群が並び、歴史的価値などから昭和40年に府文化財に指定。しかし、所有者が建物を解体して土地を売却することを決めたとして、府教委は今年4月、文化財指定の解除を発表した。

 保存会は、大阪市最古ともいう民家を後世に残していくべきだとして今月中旬に結成。現在、大阪市が進める同地域の土地区画整理事業で、渡辺邸を歴史公園として保存、活用することを求める署名活動を展開している。

 保存会世話人の山本憲作さん(40)は「大阪市で最も古い民家を、なんとか残してほしいとの思いで活動している」と話す。自敬寺でのイベントに関する詳細などは、保存会のホームページ(http://watanabetei.org/)。

917よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/02(日) 20:59:53 ID:nDOtrll20
大阪・堺に「徳川家康の墓」の謎 夏の陣で討ち死に伝説
2012/9/1 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH22004_T20C12A8AA2P00/?n_cid=DSTPCS004

 「堺に徳川家康の墓があるのは知っていますか」。堺支局に赴任してしばらくしたころ、こんな話に耳を疑った。家康は大坂夏の陣翌年の1616年(元和2年)、駿府城(静岡市)で亡くなり、その後に日光東照宮に改葬されたはず。なぜ堺に家康の墓があるのか。謎を探った。

■戦災で焼けるまで東照宮があった

 1557年(弘治3年)創建の堺市にある名刹、南宗寺。一画に「東照宮 徳川家康墓」と碑銘が刻まれた立派な墓がある。「この墓が建てられている場所は戦災で焼けるまで東照宮があったところです」

 同寺を訪れる人を案内する特定非営利活動法人(NPO法人)堺観光ボランティア協会のガイド部長、川上浩さんが説明してくれた。同協会は堺の歴史を前面に出した観光振興に協力している。東照宮跡へ至る石畳の先には、17世紀中ごろに建てられたとみられる徳川家の葵(あおい)の紋が付いた唐門が残る。

 「南宗寺史」には「(家康が)大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れ駕籠(かご)で逃げる途中、後藤又兵衛の槍(やり)に突かれた。辛くも堺まで落ち延びたが、駕籠を開けてみると既に事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されている。

■松下幸之助氏も建立に賛同

 家康の墓はこの伝説に沿って1967年(昭和42年)に建てられたものだ。墓の裏側には、賛同者として松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助氏の名前も記されている。

 幸之助氏は東京・浅草寺の雷門、大阪・四天王寺の極楽門の再建にも寄進。いずれもこの家康の墓の発起人で、幸之助氏と親交があった三木啓次郎氏の進言による。パナソニック社史室などに尋ねても幸之助氏がこの墓に言及した記録は見つからなかったが、この墓の建立にかかわったのも三木氏との深い関係があったためと思われる。

 三木氏は水戸徳川家の家老を先祖に持ち、この墓を建てた理由について「徳川家と縁故があり、心から(家康)公を礼賛する者の一人として墓碑を改めたいとの多年の宿願を果たすべく……」と碑文に残す。

918よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/02(日) 21:01:52 ID:nDOtrll20
>>917

http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH22004_T20C12A8AA2P00/?df=2

■「伝説を裏付けるものがあるんです」

 単なる伝説で、こんな大がかりなことをするだろうか。そんな思いを抱いていると「伝説を裏付けるものがまだあるんです」と川上さん。家康の墓の斜め後ろには伝説にも登場する開山堂の跡がある。そこにある無名塔の隣には、幕末の幕臣だった山岡鉄舟の筆という「この無名塔を家康の墓と認める」との内容の碑文が埋め込まれている。

 開山堂跡近くの坐雲亭内の板額には1623年(元和9年)7月10日に徳川秀忠、8月18日に家光と、代替わりした両将軍が相次ぎ同寺を訪れた記録が残る。川上さんは「2人の将軍が1カ月ほどの間に南宗寺を訪ねるのは、かなり異例でしょう」と説明する。

 ただ、墓を巡る伝説には疑問もある。堺は夏の陣の決戦前に豊臣方に焼き払われた。徳川幕府により街が復興されるなか、南宗寺も元の場所から移転している。伝説があったとされる当時、開山堂はなかったはずだ。また、夏の陣の最後の決戦で真田幸村が家康の本陣を脅かした記録は残るが、槍で突いたとされる後藤又兵衛はその前に討ち死にしたことになっている。

■家康の駕籠の写真、浮かぶ新たな謎

 季刊誌の「大阪春秋」編集委員で堺の歴史に詳しい中井正弘さんは「焼かれた堺の復興に徳川幕府はすぐに取りかかり、以前の街の規模を上回る商工都市にした。堺の人たちには家康への強い感謝の思いがあったはずで、供養の気持ちがいつしか墓伝説になったと考えられる」とみる。

 半信半疑の私に「まだ疑っているようですね」と川上さん。「ではこれを見てください」と取り出したのは、日光東照宮宝物館に収蔵される家康の駕籠の写真。天井には丸い穴が開いている。宝物館に尋ねてみると「(伝説にある)槍による穴ではないと思います。幸村の鉄砲によるとの伝承があります。穴は下まで貫通し、2つありますから」。その時、狭い駕籠に人が乗っていたらどうなったのか。新たな謎が浮かんだ。

(堺支局長 原明彦)

919よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/02(日) 21:33:46 ID:nDOtrll20
御霊神社で公演成功祈願 咲くや花形文楽出演者ら
2012年9月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120902/20120902028.html

 「咲くやこの花賞」を受賞した文楽の若手らでつくる公演「咲くや花形文楽」(10月1日、大阪倶楽部ホール・大阪市中央区)の出演者らが1日、同区の御霊神社を訪れ、公演の成功を祈願した。

 同賞は、大阪市が大阪文化を担う人材の育成を目的に1983(昭和58)年から実施。公演では出演者のトークと公演「義経千本桜 道行初音旅」の2部構成で、文楽の魅力を分かりやすく伝える。

 この日は受賞経験のある豊竹呂勢大夫さん、豊竹咲甫大夫さん、三味線の鶴沢藤蔵さん、人形遣いの吉田幸助さん、吉田一輔さんが出席。おはらいを受けた後、それぞれに玉串をささげた。

 式後の記者会見で呂勢大夫さんは「大阪市が毎年このような賞を出していることは若手にとって大きな励み。公演も頑張りたい」と抱負を述べた。

 大阪の文楽は、市による補助金の打ち切り問題でも注目を集めているが、一輔さんは「あんまり(橋下徹)市長のことは意識せずに、自分から動いていかなければと思っている。この賞がこれからの人たちの憧れになるよう華やかな舞台にしたい」と意気込んでいた。

920よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/03(月) 22:00:45 ID:nmADnWk60
楽器や能楽流儀紹介 「なにわ芝能」公演前に
2012年9月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120903/20120903023.html

 古事記1300年記念「第五回なにわ芝能」が行われた2日、公演本番を前に大阪市中央区のエルシアターでは記念講演と能楽ワークショップが開かれ、能の鑑賞を前にした来場者らが楽器の体験などを楽しんだ。

 記念講演では、上方文化評論家の福井栄一氏が「王仁(わに)さんから太閤はんへ」と題し、記紀に記されるイザナギとイザナミから始まる日本創世記からのなにわの歩みについて紹介。天岩屋戸(あまのいわやと)神話の八百万神(やおよろずのかみ)の咲(わら)いが日本の笑いの始まりであったり、岩戸の前での天鈿女命(あめのうずめのみこと)の踊りが、日本の芸能の始まりであることなどを紹介した。

 また芝能で演じられる「難波」に登場する王仁博士が仁徳天皇の即位をたたえて詠んだ「難波津に咲くやこの花冬ごもり−」の歌や、当時の仁徳天皇の即位までの流れなどを紹介した。

 ワークショップでは、芝能の出演者らが、笛と小鼓、大鼓、太鼓の4種の楽器についてや、ひな祭りの五人囃子(ごにんばやし)同様、謡を含めた5人の並び、陰陽五行思想に基づいた能楽のさまざまな考え方や流儀などを紹介した。

921よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/04(火) 21:31:48 ID:DZiQ1..60
大阪市、文楽協会と非公開協議へ
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120904-1011531.html

 大阪市は4日、文楽協会への補助金削減問題をめぐり、市の担当部局と協会側で、近く非公開で協議すると発表した。市はその後、橋下徹市長が求めている協会側との公開での意見交換についても、調整を進める方針。

 市は10月中旬までに問題解決のめどが立たない場合、予算編成のスケジュール上、2012年度の補助金は予算執行せず、13年度も支出できないとの方針を4日、協会側に伝えた。

 市は文楽を担当する市特別参与や、補助金を出している大阪府の担当者も出席させる方向で調整。市の担当者は「とにかく話し合わないと前に進まない」と話している。

 橋下市長は公開での意見交換を補助金支出の条件としているが、協会側は拒否し続けており、実現していない。(共同)

922よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/05(水) 06:16:47 ID:rWvymRFY0
文楽補助金問題 来月中旬期限
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004773851.html?t=1346791774546

大阪の伝統芸能「文楽」の運営団体「文楽協会」への補助金をめぐって、大阪市は、来月中旬までに、橋下市長との公開での意見交換が実現するメドが立たなければ、今年度の補助金3900万円は執行できないという方針を協会に、文書で通知しました。
「文楽協会」に対する大阪市の補助金をめぐっては、橋下市長が、削減の理由などを公開の場で協会側に説明したいとしているのに対し、協会側は、非公開にするよう求めていて、対立が続いています。こうした中で、大阪市は、4日、協会に対して、補助金に対する市の考え方を文書で伝えました。
文書では、来月中旬までに橋下市長との公開での意見交換が実現するメドが立たなければ、今年度の補助金3900万円は執行できないとしているほか、来年度の補助金についても、協会の要求を認めないとして、意見交換への協力を求めています。
これについて、橋下市長は、記者団に対し、「公開ヒアリングをやらないのであれば、『税の投入はいらない』ということだ。市の税が入らない以上、文楽について口は出さない」と述べました。
一方、「文楽協会」は「双方の事務レベルでは橋下市長と公開で意見交換を行うかどうかの議論は避けられないが、ほかのさまざまな問題についても話し合いたい」としています。

09月05日 00時40分

923名無しさん:2012/09/05(水) 19:33:26 ID:yFRC/RE.0
>>922
日頃、市民の知る権利を盾に橋下市政の情報公開にうるさいマスコミが、
なぜ税金投入を左右する、公開ヒアリング拒否の文楽界を批判しないのだろうか?

924よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/06(木) 22:07:06 ID:5P/0.AD.0
ヤマト政権、新潟も勢力圏か 最北の畿内型、未盗掘で発見「日本海の王と同盟」
2012.9.6 16:47
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120906/art12090616470004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120906/art12090616470004-n2.htm

 新潟県胎内(たいない)市にある「城(じょう)の山古墳」(4世紀前半)から、長大な舟形木棺や矢を入れる靫(ゆぎ)、刀剣、銅鏡などが未盗掘の状態で出土し同市教委が6日、発表した。北部日本海側では例のない、ヤマト政権期の畿内的要素を持っており、市教委は「初期ヤマト政権と同盟関係にあった王の墓」とみている。この時期、畿内の影響は能登半島付近までしか確認されておらず、専門家も「ヤマト政権の北限が書き換えられる発見」としている。

 城の山古墳は同市大塚にある全長41メートルの楕円墳。主体部から長さ8メートル、幅1・4〜1・8メートルの舟形木棺が見つかった。人骨片も残り、頭部を北東に向け、木棺やそれを覆う粘土には多量の赤色顔料(水銀朱とベンガラ)がまかれていた。

 副葬品は直径9センチの小型銅鏡やヒスイの勾玉(まがたま)、ガラス玉、銅鏃(どうぞく)など畿内の古墳にみられる遺物が残っていた。靫は鮮やかな黒い漆塗りだった。築造時期は4世紀第2四半期(316年−330年)。

 市教委は「ヤマト政権と同盟関係があったため築造を許された」としている。日本海側で畿内と深い関係を持つ前期古墳は、石川、富山両県までしか確認されていない。

 日本書紀には、第10代崇神(すじん)天皇の10年、北陸道を治めるため四道(しどう)将軍の一人、大彦命(おおひこのみこと)が派遣されたと記される。同古墳は、四道将軍伝承に象徴される日本海側での政権の勢力伸張を裏付ける遺跡といえそうだ。

 福永伸哉・大阪大学教授(考古学)の話「邪馬台国の女王・卑弥呼の没後、数世代しかたってない4世紀前半のこの地に、これほど畿内色を持った古墳が築かれていたことに驚いた。ヤマト政権の勢力伸長の理由は、農具や武器の材料の鉄を独占的に供給できたことだろう」

    ◇

 ヤマト政権 大和朝廷との呼称が一般的だが、近年は国としての大和を越えた広域の連合王国だったとの見方が広がったことなどからカタカナ表記が普及している。卑弥呼の邪馬台国後の、3世紀後半から7世紀前半にいたる古墳時代に、奈良盆地など近畿地方を中心として本州、四国、九州に勢力を伸ばしたことが、遺跡などから確認されている。

925名無しさん:2012/09/07(金) 10:48:53 ID:G1hYGUE60
カタカナ表記は関東の学者たちによるイメージ下げでしょう
なにわがナニワと表記するマスコミと同じで
関東では漢字かつ音読みするのが偉いという風潮ですから

926名無しさん:2012/09/07(金) 11:20:01 ID:ETjK5w6g0
ヤマト政権だなんて
ボラーとかガルマン・ガミラスとかを連想してしまいます

漢字で表記できるものをカタカナにした意図が別にあるのに、連合王国だからと誤魔化しているとしか思えません

927よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/09(日) 22:13:23 ID:v4uO.LpE0
文楽の演者ら「半数以上」が橋下氏との公開討論を希望
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201209080035.html

 人形浄瑠璃文楽の複数の技芸員(演者)が、文楽協会への補助金を凍結した橋下徹大阪市長との公開討論を希望していることが分かった。市は討論が実現しなければ補助を打ち切る方針だが、協会側はこれまで「非公開での面談が技芸員の総意」として市の要請を拒否してきた。

 協会への補助金問題は、公開討論の是非という議論の「入り口」で橋下氏と協会の意見が平行線をたどってきた。技芸員の一人は「協会の説明と異なり、技芸員の半数程度は公開討論に賛成している」と指摘しており、関係者からは「協会に交渉を一任した結果、思わぬ方向に話が進んだ」との声もあがっている。

 昨年末に市長に就いた橋下氏は、行財政改革の一環として文楽協会への補助金見直しを指示。今年度予算には前年度比25%減の補助金3900万円が盛り込まれた。橋下氏はさらに、協会のマネジメントや技芸員の収入格差などに課題があると主張し、技芸員との公開討論が実現しなければ補助金支出を見合わせる方針を示している。
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928よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/12(水) 20:33:42 ID:e2RhqwXI0
たった一言『公開で面談に応じなければ補助金を支給しない』といっただけで、文楽の世界は大きく変わり始めた。
橋下さんという人は、こういう言葉の使い方が本当に上手だと思います。


文楽変わります 補助金凍結に奮起
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120912-OYO1T00789.htm?from=newslist

 大阪市の橋下徹市長の補助金凍結表明で、窮地に立たされている人形浄瑠璃文楽。「演出が物足りない」など痛烈な“橋下節”を浴びながらも、夏公演の入場者数は前年比4割増を達成した。危機感を募らせた演者や劇場関係者、ファンの間に「逆境をチャンスに」との気概が芽生えつつある。

「花形」売り込み

 来月1日、30、40歳代の演者5人が大阪倶楽部(くらぶ)ホールで公演を開く。タイトルは「咲くや花形文楽」。歌舞伎の「花形役者」にならい、将来を担う演者を「花形」として売り込む、文楽界では初めての試みだ。

 「チームプレー重視で、花形として売り出すという発想がなかった」とメンバーの豊竹呂勢(ろせ)大夫さん(46)。吉田一輔(いちすけ)さん(42)も「劇場外でファンを開拓しようという意欲が演者の間で高まっている」と語る。

 企画した演劇プロデューサーの松原利巳(としみ)さん(61)は「『何か行動しなければ』という演者の思いが一つになった。今後、シリーズ化したい」と意気込む。

目玉演目に焦点

 今年の大阪・国立文楽劇場の夏休み特別公演の入場者数は2万5508人。3部制となった1993年以降、歴代2位を記録した。

 劇場は宣伝用チラシ作りに知恵を絞った。重鎮に配慮し、複数の演目の写真を並べるのが定番だったが、今回は目玉の「曽根崎心中」のみをクローズアップ。同劇場などを運営する日本芸術文化振興会の水野英二理事は「思い切ってアピール度が強い手法に転換したが、反発はなかった」と明かす。〈一点豪華主義〉が奏功し、同演目を上演する夜公演は好調な売れ行きだった。

 演者も積極的に動いた。ボランティアとして有志21人が参加。JR大阪駅で実演し、チラシを配った。

 11月の本公演は「仮名手本忠臣蔵」。大阪では8年ぶりとなる人気演目の通し上演だ。地下鉄の駅などでもPRする予定だという。

ファンが写真展 

 ファンの間でも支援が広がる。東京在住の写真家、渡邉肇(わたなべはじめ)さん(48)は今月、吉田簑助(みのすけ)さん(79)、桐竹勘十郎さん(59)らが演じる「曽根崎心中」を3Dカメラで撮影。黒衣(くろご)なしで、人形を持たない人形遣いの動きだけを撮影した「エア人形」シリーズも撮り下ろした。

 来年2月、東京・表参道のギャラリーで上映・展覧会を開く。渡邉さんは「連綿と受け継がれてきた技の美しさを伝えることで、文楽を応援できれば」と話す。

◆大阪市と面談巡り対立

 橋下市長は、今年度補正予算に文楽協会への補助金として昨年度比25%減額の約3900万円を計上。公開の場で、文楽界改革に向けた演者との意見交換が実現しなければ、予算は執行しない、と条件を付けた。

 演者側は個人の年収なども議題になると予測されることから、非公開での面談を要望。両者の対立が続いていたが、今月初め、市担当者と協会側が事務レベルで意見交換することで合意に達した。市側は10月中旬を最終期限と通告している。

(2012年9月12日 読売新聞)

929よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/16(日) 21:55:38 ID:mskUEl0I0
大阪は約1800年の歴史を誇る。
50年ということは、その歴史の三十六分の一を千里ニュータウンは過ごしたということです。


街の過去・未来話そう 千里ニュータウン50年…大阪
http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20120916-OYT8T00276.htm?from=yoltop

 国内初の大規模団地・千里ニュータウン(大阪府吹田市・豊中市)への入居が始まって50年を迎えた15日、吹田市津雲台の千里ニュータウンプラザで、記念事業がスタートした。住民らでつくる実行委員会が企画し、11月25日まで展示やフォーラムなどが開かれる。初日は、50年前からここで暮らす住民によるトークセッションなどがあり、参加者は半世紀にわたる街の変遷に思いをはせた。(辻和洋)

 千里ニュータウンを舞台にした吉永小百合さん主演の映画「青春のお通り」(1965年)の上映や、市立高野台中学校(吹田市高野台)合唱部約20人による合唱の後、最初に入居が始まった吹田市佐竹台の住民5人が登壇。同地区の谷川一二連合自治会長(79)をコーディネーターに、入居当時の様子や未来の街づくりについて語り合った。

 家族で一緒に入居した南部正代さん(78)は「当時の府営住宅は人気で、抽選に16回目の応募で当たった」と振り返り、「昔は子どもがたくさんいて、近所同士でお下がりの服を交換し合う助け合いがあった」と懐かしんだ。

 住宅の老朽化で近年は建て替えが進み、若い世代の転入も増加。榊清子さん(76)は「8月にあった地元の夏祭りでは大学の留学生も招待した。高齢化が進んでいるが、いろいろな人と交流のある街にしたい」と語った。

 会場は約250人で満員に。約35年前、千里ニュータウンに住み始めた吹田市高野台、無職藤原千さん(69)は「街開き当時の様子が伝わってきて、自分の暮らす街の歴史がよくわかった」と話していた。

◆千里ニュータウン

 府が吹田、豊中両市の丘陵地1160ヘクタールに開発、1962年に街開きした。1万人規模のエリアごとに学校や診療所、商業施設を徒歩圏内に配置した住区が12(吹田市8、豊中市4)ある。ピーク時の人口は約13万人(1975年)。その後、人口は減少傾向にあるが、団地の建て替えなどで新たに入居する人もおり、現在は約9万人。

◆「一緒に育った」佐竹台小1期生・吉田さん

 トークセッションで語り部の一人となった吉田純威さん(62)は、1962年に開校した佐竹台小学校の1期生。ともに歩んできた千里ニュータウンは高齢化が進んだ。「街を再生させるために奔走するつもり」と話す。

 吉田さんは62年、府が販売する一戸建ての分譲住宅に、両親と姉2人の5人で大阪市内から移り住んだ。当時は小学6年生。卒業までの半年間、自宅近くに開校した同小学校に通った。

 校舎は鉄筋造りで玄関はガラス張り。大阪市内の小学校は木造だっただけに、モダンな校舎での学校生活がうれしかった。入居が始まったばかりで児童数が少なく、6年生は十数人の1クラスだけ。体育では5年生と一緒にドッジボールなどをした。「学年の隔たりがなく、学校全体に一体感があった」

 街は道路が舗装されておらず、土がむき出しだった。大きなブルドーザーやショベルカーがあちらこちらで工事をしていた。道路沿いの木々は直径5センチ、高さも3メートルほどで、自分と同じ〈子ども〉だった。

 「街が活気づく予感がした」。高野台中学校に入学すると、1週間に2人のペースで転校生がやって来た。「かわいい子来るかな、と楽しみだった」

 街の成熟を象徴したのは、高度経済成長期の1970年。自宅近くで万博が開催され、広い舗装道路、新しい駅が整備された。名古屋市の大学で学んだ後、実家に戻り、門真市内の会社に通勤。仕事でミスをして上司に怒られても、千里ニュータウンまで戻ると、ほっとした気分になった。

 2年前、会社を定年退職。久しぶりに小学校を訪れると、道路沿いの木々は枝を張り、すっかり〈大人〉になっていた。「自分と一緒に育ったのだなぁ」と感慨深かった。その後も時折小学校に立ち寄り、子どもたちにかつての様子や街の歴史を語る。「仕事に忙殺されて、街に何も貢献してなかった」と、自治会の役員も引き受けた。

 トークセッションでは舞台からこう呼びかけた。「バトンを渡す次世代がいなかったら、街が終わってしまう。住みやすい環境を守りながら、若い住民を受け入れて、たくさんの子どもたちがいる街にしよう」

930よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/16(日) 21:58:11 ID:mskUEl0I0
>>929

http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20120916-OYT8T00276.htm?from=yoltop

◆変化 空から実感

 千里ニュータウンを上空から撮影した50年前の写真を、府公文書館で見つけた。佐竹台の荒涼とした造成地に、真新しい団地がぽっかりと浮かぶ。

 写真と同じと思われる高度1000フィート(約300メートル)まで上がった。かつての土肌はマンションや住宅で覆い尽くされ、様相が一変していた。阪急南千里駅が見えた。50年前に鉄道はなく、目印にはならない。写真にあった、「く」の字形の菩提(ぼだい)池を探すが、見あたらない。

 1300フィート(約400メートル)まで上がると、こんもりとした森の間から水面が姿を現した。かつてはなかった樹木が大きく伸び、池を隠していたのだ。住区と住区の間に植えられた樹木も成長し、緑のベルトのようになっている。

 半世紀にわたる、人と自然の営み。その力の大きさを感じながら、シャッターを押した。(金沢修)

◆「お祝い」住民が主人公

 2か月以上にわたる記念事業「千里ニュータウンまちびらき50年事業」を企画、運営するのは、公募で集まった住民60人だ。過去の記念事業は行政が中心だったが、今回は住民が主人公になった。(渡辺彩香)

 60人は実行委員会を作り、今年2月から準備を重ねてきた。8月28日、府営千里佐竹台住宅(吹田市佐竹台5)。住民らが足踏み式ミシンや洗濯板、おけなどを運び込んだ。50年前、最初に入居が始まった団地の一室に当時の生活を再現し、タイムスリップ展を開くためだ。家具や生活用品は住民らが今も使っていたり、押し入れの中にあったりするものを持ち寄った。

 「ここでお裁縫して、子どもを寝かしつけて……」「このミニスカート、奥さんがはいてたの、私、覚えてるわ」。時折、準備の手が止まるほど話が尽きない。入居当時2DKだった部屋は二十数年前増築され、浴室や洗面所、和室が加わった。増築部分には、古い新聞記事や写真も並べる。住民らがガイドを務め、16日から11月25日までの計10回、公開する。

 10月20、21日にセルシー広場(豊中市)などで開かれる「千里50年まつり」では、高校生や大学生のダンスや楽器演奏、物産販売、人前結婚式などがある。11月10日夜は千里南公園(吹田市)で、人口と同じ9万個の竹灯籠を並べ、音楽コンサートも催す。最終日の同25日は、よみうり文化ホール(豊中市)で、子どもたちが千里ニュータウンの未来について語り合う「市民まちづくりフォーラム」を予定している。

 実行委員会の永田昌範委員長(67)は、「最初はいろいろな場所から住民が移り住んだ寄せ集めの街だったが、50年がたち、多くの人の古里になった。住民たちが中心になってこれからも千里ニュータウンの歴史を築いていきたい」と話している。

 問い合わせは、同委(06・7172・9102、日祝以外の午前10時〜午後5時)へ。

◆思い出や情報募集

 読売新聞大阪版では、千里ニュータウンの50年をたどる連載を予定しています。次の6項目に関する思い出や情報を9月30日までにお寄せいただけませんか。〈1〉簡易型ユニットバス「バスオール」〈2〉日本初の自動改札機〈3〉竹見台小学校と南竹見台小学校〈4〉近隣センター〈5〉老朽化住宅の建て替え〈6〉その他。〒530・8551(住所不要)読売新聞大阪本社社会部大阪版担当へ郵送か、ファクス(06・6361・3001)、メール(o‐naniwa@yomiuri.com)で。

(2012年9月16日 読売新聞)

931よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/17(月) 05:02:06 ID:qj5tiaBg0
「やりまわし」に歓声 岸和田だんじり祭 本宮 大阪
2012.9.17 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120917/osk12091702020003-n1.htm

 16日に祭り最終日の「本宮」を迎えた岸和田市の「岸和田だんじり祭」。だんじりが市内3神社に無事宮入りすると、祭り関係者は安堵(あんど)の涙を浮かべるなど、盛り上がりは最高潮に達した。

                   ◇

 この日も、最大の見せ場である交差点を猛スピードで駆け抜ける「やりまわし」を見ようと、市役所や南海岸和田駅周辺は多くの観客で身動きがとれないほど。堺市堺区の会社員、坂本晶子さん(24)は「大工方の男らしい感じが格好良かった」と喜んだ。

 日差しの強まった午後からは自由曳行(えいこう)が続き、子供らも汗をかきながら「ソーリャ、ソーリャ」と大きなかけ声で街中を駆け抜けた。宮本町のだんじりを曳(ひ)いた吉福愛利(まなと)君(10)は「勢いがあって面白い。大きくなってもずっとやりたい」と話していた。

932よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/18(火) 22:54:33 ID:3ft2p.ck0
履中陵「円丘」くっきり 大阪府教委が百舌鳥・古市古墳群をレーザー測量
2012.9.18 20:50
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120918/wlf12091820540016-n1.htm

 大阪府教委などは、世界遺産登録を目指す堺、羽曳野、藤井寺3市を中心に広がる百舌鳥(もず)・古市古墳群の航空レーザー測量図を作成し、18日発表した。履中(りちゅう)天皇陵では、前方部分に高さ5メートルほどの「円丘」が浮かび上がり、府教委は「埋葬施設が眠っている可能性がある」と分析している。

 測量は世界遺産登録に必要なデータ取得のため実施。古墳の半数近くは、宮内庁が管理する陵墓や陵墓参考地で立ち入り調査ができないため、本格的な測量調査は80年ぶりになる。

 今年2月、古墳群がある一帯28・7平方キロメートルの上空500メートルを飛行するヘリコプターからレーザー光を照射。全87基中、光が届かなかった古墳などを除く82基の測量図を作成した。

 履中天皇陵の円丘は、大正から昭和初期に作成された測量図でも「ふくらみ」が記録され、埋葬施設がある可能性が指摘されていたが、今回の測量で精密な形状が判明。応神天皇陵でも、一部が崩れた同様の円丘が確認できた。

 仁徳天皇陵は、過去の自然災害で崩れた様子が鮮明になった一方、履中天皇陵やニサンザイ、墓山古墳は築造当初の形を保っていた。また、中世に城に改造された仲哀(ちゅうあい)天皇陵は、兵士が城内の移動に使う「武者走り」のような通路跡も確認された。

 測量図は今月25日〜10月8日、府立近つ飛鳥博物館(大阪府河南町)で公開されるほか、10月からは堺、羽曳野、藤井寺の各市役所でも順次展示される。

933よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/19(水) 06:05:08 ID:xwaWoxQM0
来年1400歳最古の官道知って 難波−飛鳥
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120919-OYT8T00148.htm

 大阪・難波から奈良・飛鳥を東西に結んだ日本最古の官道「竹内(たけのうち)街道・横大路」が来年、整備されてから1400年を迎えるのを前に18日、太子町や堺市、奈良県葛城市など街道沿いの自治体首長ら11人が同町役場で、「1400年首長サミット」の準備会を開いた。

 竹内街道・横大路は、日本書紀の613年に「難波(大坂)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」とあり、2013年に節目を迎える。

 準備会では、実行委員会長に浅野克己・同町長、副会長に山下和弥・葛城市長を選出。浅野町長が「各自治体が一体的な取り組みを進め、節目を契機に元気なまちにしよう」とあいさつした。

 来年中に同サミットを開き、約2週間で集中的にイベントを行い、継続的な活動にする。一帯に点在する博物館が連携するほか、行政や大学、会社、地域が協力して街道を歩くウオーキング、ワインや菓子など「竹内ブランド」の商品を開発する。

 参加者からは「街道を自転車で往復しては」「共通のロゴを作ってPRを」などの意見が出た。今後、イベントの開催時期や内容などを詰める。

(2012年9月19日 読売新聞)

934名無しさん:2012/09/19(水) 06:17:01 ID:vDvSkBz60
橋下手法によって文楽協会も着実にフェアな公開討論へと本腰入れて進み始めました。

文楽技芸員:「橋下市長と公開討論」決議 方針転換
毎日新聞 2012年09月19日 02時30分(最終更新 09月19日 02時35分)
http://mainichi.jp/select/news/20120919k0000m040144000c.html

橋下徹・大阪市長との意見交換を「非公開」と要望してきた人形浄瑠璃「文楽」の
技芸員(演者、82人)は18日午後、公演中の東京・国立劇場内で総会を開き、
方針を転換して「公開討論に応じる」と決議した。文楽協会(大阪市中央区、山口昌紀理事長)に通知、同調を求める。
橋下市長は技芸員との公開討論を、文楽協会への補助金支出の条件としており、行き詰まっていた事態は大きく前進する見込み。

総会には数十人が出席。「補助金が一度打ち切られてしまうと復活は困難」との見方があり、
「タイムリミットが迫ってきた」などの意見が出て、約1時間話し合った結果、
公開討論に応じることを決めた。公開討論への出席者などは未定。市側は公開討論の議題として、
(1)協会が売り上げの中からマネジメント料を取る仕組みへの転換
(2)技芸員の収入の適正配分(3)文楽振興の責任の所在−−の3点を列挙。
これらに関して公開で討論するとみられる。

大阪市は今年度の補正予算で、文楽協会への補助金を昨年度比25%減の3900万円計上。
しかし、橋下市長は6月、「技芸員と公開の意見交換の場を設けなければ、補助金を全額カットする」と表明した。

935よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/19(水) 06:26:33 ID:xwaWoxQM0
文楽技芸員:「橋下市長と公開討論」決議 方針転換
毎日新聞 2012年09月19日 02時30分(最終更新 09月19日 02時35分)
http://mainichi.jp/select/news/20120919k0000m040144000c.html

 橋下徹・大阪市長との意見交換を「非公開」と要望してきた人形浄瑠璃「文楽」の技芸員(演者、82人)は18日午後、公演中の東京・国立劇場内で総会を開き、方針を転換して「公開討論に応じる」と決議した。文楽協会(大阪市中央区、山口昌紀理事長)に通知、同調を求める。橋下市長は技芸員との公開討論を、文楽協会への補助金支出の条件としており、行き詰まっていた事態は大きく前進する見込み。

 総会には数十人が出席。「補助金が一度打ち切られてしまうと復活は困難」との見方があり、「タイムリミットが迫ってきた」などの意見が出て、約1時間話し合った結果、公開討論に応じることを決めた。公開討論への出席者などは未定。市側は公開討論の議題として、(1)協会が売り上げの中からマネジメント料を取る仕組みへの転換(2)技芸員の収入の適正配分(3)文楽振興の責任の所在−−の3点を列挙。これらに関して公開で討論するとみられる。

 大阪市は今年度の補正予算で、文楽協会への補助金を昨年度比25%減の3900万円計上。しかし、橋下市長は6月、「技芸員と公開の意見交換の場を設けなければ、補助金を全額カットする」と表明した。

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938よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/20(木) 06:11:36 ID:7ZraYpMs0
顕証寺、江戸期の庫裏修復 23日に一般公開 大阪
2012.9.20 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120920/osk12092002010003-n1.htm

 八尾市の久宝寺寺内町の中核的存在である浄土真宗・顕証寺の庫裏(市指定文化財)が修復され、23日午前9時〜午後2時に内部が一般公開される。

 庫裏は傾いていたため、昨年11月に修復工事に着手、老朽化した部材の交換や耐震補強などを行ったほか、瓦をふき替え、外壁のしっくいも修復し、建造当時の姿が蘇ったという。

 市教委文化財課によると、庫裏は江戸時代中期の宝永3(1706)年に建立され、顕証寺の建物では最古。庫裏は住居としても使われるため改造されやすく、この年代にさかのぼる庫裏は少ないという。

 近松照俊住職は「伽藍(がらん)の維持は単に建物の保存ということではなく、受け継がれてきた法灯を次代に伝えることと同じ。工事が無事終えられたことに安堵(あんど)している」と話した。

939よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/22(土) 21:26:33 ID:kOLRfW4I0
古代馬、まるでポニー…近つ飛鳥博物館が模型
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120922-OYO1T00482.htm?from=newslist

 近つ飛鳥博物館(大阪府河南町)は、大阪府四條畷市の蔀屋(しとみや)北遺跡で見つかった古墳時代(5世紀後半)の馬の骨から、当時の馬を模型で復元した=写真=。古代の馬の姿や生態を考える資料になるという。

 模型は体高1・3メートル、体長2メートルで、現代の馬と比べて頭は一回り大きく、脚は短い。宮崎県・都井岬に生息する御崎馬(天然記念物)に近い体格という。

 同遺跡は日本書紀にある飼育場「河内馬飼(うまかい)」に関連するとみられ、2003年に馬1頭分の骨が完全な形で見つかった。07年に同博物館が合成樹脂で骨格を再現。今年6月から粘土で肉付けし、アクリル絵の具で彩色した。

 日本列島に馬が来たのは、副葬品として朝鮮系の馬具が見られるようになった4世紀末頃とみられる。

 市本芳三副館長は「ポニーのようなかわいらしい姿で、朝鮮半島から馬が入ってきた当時を想像してもらいたい」と話している。

 模型は、29日から同博物館で始まる「南九州とヤマト王権」(読売新聞社など主催)で展示。同日から10月31日まで、はがきなどにより愛称も募集する。

(2012年9月22日 読売新聞)

940よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/23(日) 11:05:28 ID:2n6GuS5E0
史跡公園で弥生時代の稲刈り
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120923-OYT8T00018.htm

 和泉、泉大津の両市にまたがる池上曽根史跡公園内の水田で22日、子どもたちが弥生時代の衣装・貫頭衣(かんとうい)姿で石包丁を使った稲刈りを体験した。

 公園がある池上曽根遺跡は弥生時代の環濠(かんごう)集落跡で、国史跡に指定されている。親子連れ約120人が池上曽根弥生学習館(泉大津市)の学芸員から石包丁の使い方を聞いた後、約500平方メートルの田んぼへ。ぎこちない手つきながらも、黒米の稲穂を1本ずつ刈り取っていった。

 稲刈りは初めてという和泉市立鶴山台南小2年今井久美子さん(7)は「難しいけど面白い。食べるのが楽しみ」と話していた。稲は6月に植え、ボランティアが手入れした。乾燥させ、脱穀、精米し、11月に試食する。

(2012年9月23日 読売新聞)

941よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/24(月) 20:38:18 ID:SCYKUWJM0
体験ツアー:石見銀山→大阪 銀の道体感、歴史知って−−来月26〜28日、参加者を募集 /島根
毎日新聞 2012年09月24日 地方版
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20120924ddlk32040323000c.html

 江戸時代、石見銀山から大坂に銀を運んだ陸と海のルートを体験するツアー「銀の道を歩こう」が10月26〜28日に開催される。市民ガイドグループ「石見銀山ガイドの会」による初めての企画で、「銀の道を体感することで銀山の歴史を知ってほしい」と参加者を募集している。

 江戸時代、石見銀山は徳川幕府の支配下に入った。銀貨鋳造所(銀座)は徳川家康が伏見に作ったのを皮切りに、駿府、京、大坂、江戸などに次々開設された。石見の銀は、現在の美郷、飯南両町から銀山街道を通って尾道の港に輸送、瀬戸内海を船で運ばれ、大坂・高麗橋にあった大坂銀座で鋳造されていた。

 銀山遺跡の世界遺産登録5周年を受け、県内外の人たちにルートを実際に知ってもらおうと同会がツアーを企画した。初日は石見銀山世界遺産センター(大田市大森町)を午前6時半に出発。宇津戸(広島県世羅町)から尾道(同県尾道市)まで、街道跡を約7時間かけて歩く。2日目は尾道港からチャーター船で牛窓(岡山県瀬戸内市)、姫路、神戸の各港に寄りながら大阪へ。最終日は大阪市内で銀座跡や住友銅吹所(銅精錬所)跡を見学し、バスで大田に戻る。

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942よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/24(月) 21:11:46 ID:SCYKUWJM0
12基のたいまつ完成 10月の獅子神事祭で奉納
2012年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120924/20120924028.html

 原田神社(大阪府豊中市中桜塚1丁目、高畠光典宮司)で行われる秋祭り(10月1日〜10日)で、同市指定無形民俗文化財になっている「獅子神事祭」を彩る大、小12基のたいまつが完成した。

 氏子らでつくる「たいまつ保存会」(土肥安弘会長)のメンバー10人が周囲約4メートル、高さ約1・3メートルにもなる特大サイズ2基と、胴回り約1・2メートル、高さ約1メートルの小型サイズ10基を制作。束ねたわらの周囲を縦に割った竹で囲み、縄で締め上げて円柱の形をつくり、電動カッターなどでたいまつの上部のわらを刈りそろえるなどして仕上げた。

 完成したたいまつは、宵宮祭の10月9日、上にササを刺して飾り付け、大型の2基を同神社本殿両脇に、そのほかのたいまつは境内各所に据え付けられる。獅子神事の始まる同日午後8時すぎに点火され、たいまつが燃え盛る中、本殿前で獅子神事が奉納される。

 土肥会長(76)は「たいまつは祭りに欠かせないもの。最近は竹やわらなどの材料が手に入りにくくなっているが、たいまつ作りの技術を絶やすことなく、次の世代にも伝えていきたい」と話していた。

 獅子神事は7世紀の後半、天武天皇が悪疫退散を祈願して獅子頭をかぶった舞を奉納したことが起源とされる。1987年、同市の無形民俗文化財に指定された。

943名無しさん:2012/09/25(火) 17:34:10 ID:9/iOb5lY0
今、朝日放送の「キャスト」でもやってましたけど、
なんとか壊す以外の方法はないのでしょうか。
例えば地域の憩いの場にするとか・・・

これだけ立派なのをあっさり壊すのはもったいなさすぎます。
それこそ「大阪ミュージアム構想」に指定できますよこれは・・・

府文化財解除:大阪市内最古の民家解体へ
http://mainichi.jp/select/news/20120924k0000e040182000c.html

大阪市内で最古とされ、大阪府の文化財に指定されていた江戸時代初期の民家「渡辺邸」(同市淀川区)が近く解体される。
所有者が多額の相続税を払えないという理由で建物の解体と土地売却を希望。
府の古い規則に基づく指定だったため、府の文化財保護条例などと違い、所有者の申請だけで4月に指定が解除された。
古い規則に基づく文化財は他に27件あり、府は今後も同様の事態が生じかねないと懸念している。
府教委によると、渡辺邸は平安時代の武将、渡辺綱(わたなべのつな)の子孫の家と伝えられる。
敷地約2560平方メートルに母屋や土蔵など6棟が建つ。17世紀初頭に建てられたと推定される。
府教委は1965年、「府古文化紀念物等保存顕彰規則」(1949年施行)に基づく重要美術品(文化財)に指定。住居として使用されていた。
ところが一人で住んでいた前所有者の女性が10年5月に死亡。
唯一の相続人の女性は昨年12月、府教委に文化財指定の解除を申請した。府教委は土地の買い取りを検討したが、5億円以上かかるため断念。
相続人に寄贈を勧めたが理解を得られなかったという。

944よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/27(木) 06:09:52 ID:thgAS34g0
辰野建築日台交流の場に 旅館・南天苑など
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120927-OYT8T00188.htm

 国内や台湾に名建築を残した明治時代の建築家・辰野金吾(たつのきんご)設計の旅館・南天苑(河内長野市)と奈良ホテル(奈良市)で、それぞれ30日と来月1日に、台湾の演奏家らを招いた音楽と水墨画の催し「辰野金吾 和風建築物語」が開かれる。台湾出身で河内長野市に住む水墨画家・李鴻儒さん(59)らが企画。「辰野建築の魅力を広く知ってもらい、ゆかりの場所で日本と台湾の交流を深めたい」と話している。(岡田英也)

 李さんは26歳で来日。河内長野市などで水墨画教室を開き、NPO法人アジア文化芸術連盟代表も務める。

 台湾では日本統治時代の20世紀前半に辰野の弟子たちが建てた近代建築が、現在も台中市政府や国立台湾文学館(台南市)として使われている。「辰野式」と呼ばれるなど有名で、李さんは来日後、河内長野市や奈良市に辰野設計の建物があると知って訪ね、「芸術的な建物」と魅了されたという。

 南天苑の本館は1913年に堺・大浜海岸で海水を沸かした浴場・潮湯の別館として建てられ、35年に移築された。木造2階建ての数寄屋造り。2003年に国登録有形文化財になった。奈良ホテル本館は1909年に建てられた木造2階建ての御殿風のヒノキ造り。いずれも辰野設計の和風建築の代表格とされる。

 李さんは、辰野設計の東京駅丸の内駅舎が10月に改装オープンするのに合わせて、「記念の企画を」と考え、南天苑女将(おかみ)の山崎友起子さんらに相談。知人を介して5年前に知り合った著名な台湾の伝統弦楽器「二胡(にこ)」の奏者・王文隆さんを招き、演奏と水墨画を合作した催しを開くことにした。

 南天苑では30日午後6時半から、庭園に竹灯籠1000基を設置し、王さんら台湾の演奏家や舞人6人が二胡や笛、琴で14曲を演奏。李さんは演奏中に、辰野の「辰」にちなみ、龍などを描く。奈良ホテルでは10月1日午後7時から、本館に隣接する新館で行われる。

 尖閣諸島問題を巡って台湾も領有権を主張する緊迫した情勢だが、「こういう時だからこそ、文化や芸術を通して互いの理解が進めば」と李さん。山崎さんも「幻想的な雰囲気の中で芸術を楽しんでほしい」と呼びかけている。

 南天苑は無料で、奈良ホテルは入場料3000円が必要。申し込みや問い合わせは李さん(090・2115・4996)へ。

辰野金吾 
 1854〜1919年。佐賀県出身で、工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業。ロンドンでも建築を学び、工部大学校教授に就任した。大阪市中央公会堂(重要文化財、大阪市北区)や日本銀行本店本館(同、東京都中央区)が代表作として知られる。後進の指導にも励み、伊東忠太ら多くの人材を輩出した。

(2012年9月27日 読売新聞)

945よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/28(金) 20:55:16 ID:nPxeb58w0
「舞台が一番大事」技芸員、協会に公開面談決めた経緯説明
2012.9.27 23:01
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120927/wlf12092723020026-n1.htm

 文楽協会に対する大阪市の補助金削減問題で、文楽の技芸員(演者)と協会の話し合いが27日、大阪市内で開かれ、技芸員が協会に対して、公開面談を決めた経緯などを説明した。

 この日、協会に説明に訪れたのは人形遣いの吉田玉也さん(67)ら技芸員の世話役7人。技芸員は、公開面談を決断した理由について、事態の早期収束や予算執行の期限が迫っていることなどを説明したうえで、公開面談の際には、協会にも同席してほしいと要望した。協会側は、「理事長(山口昌紀)の判断を仰ぎ、出来るだけ早く返事したい」と即答を避けた。

 技芸員側は、これまで橋下徹市長と公開面談には応じられないという姿勢を示してきたが、今月18日に一転して公開面談に応じる方針を表明していた。

 玉也さんは「我々は舞台が一番大事。心配してくれるお客さんのためにも早く舞台に専念したい。協会が公開面談に同席してくれることを信じている」と話した。

946よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:27:33 ID:H39u3WeU0
[碑にきく] 病押し、揮毫した父
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120930-OYT8T00101.htm

 大阪の石碑を訪ね、街の記憶をたどる連載「碑(いしぶみ)にきく」には、4月の開始以降、読者の方から多くの声を頂いている。石碑に込められた大切な思い出、未来に伝え残したい願い……。連載が10回を迎えたのを機に、もう一度訪ねた。(安田弘司)

◇てんのじ村記念碑

 〈本当はもっと大きな字を書く予定だったのですが……〉

 7月に「てんのじ村記念碑」(大阪市西成区山王)を取り上げると、建立当時のエピソードがつづられたはがきが届いた。差出人は、童話作家の藤田富美恵さん(73)(同市中央区)。「てんのじ村」の碑名を記した漫才作家・秋田実(1905〜77)さんの長女だ。

 石碑のある一帯は演芸街に近く、戦後、多くの漫才師らが長屋に住んだ。1970年の高速道路建設でその面影が失われていくことに危機感を抱いた住民らが77年、石碑を建てた。藤田さんによると、秋田さんは、石碑に刻む文字の揮毫(きごう)を依頼された当時、肺真菌症を患い、大阪市立大病院(同市阿倍野区)に入院していた。家に帰り、筆で書くつもりで引き受けた。

 だが、退院は実現しなかった。病床では筆が持てないため、漫才の台本を書くのに愛用したあつらえの原稿用紙に鉛筆でしたためた。「緑色のマス目にきちんと入れて書かれた文字を、拡大してもらいました」と藤田さん。〈上方漫才の父〉と呼ばれた秋田さんは、77年9月の除幕式に参加しないまま、翌月27日、世を去った。

 9月下旬、藤田さんと一緒に石碑を訪ねた。石碑を囲うフェンス内側の雑草は一夏が過ぎ、背丈ほどにも伸びていた。

 「秋田の字、ですね」

 藤田さんが石碑と対面するのは約20年ぶり。父の足跡をたどった「玉造日の出通り三光館」(玉造稲荷神社発行)の執筆で、訪ね歩いて以来という。

 「うちに仕事を持ち込まず、生きてるうちは何も知らなかった。でも、ここに来ると、『てんのじ村』と、そこで育った芸人さんを心底好きだったんだな、と感じる」。夏草の陰に、父を見つけたようなまなざしで語った。

947よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:29:55 ID:H39u3WeU0
>>946

◇先人の思い継ぎ防災誓う 大地震両川口津浪記

 4月の初回で掲載した「大地震両川口津浪(つなみ)記」(大阪市浪速区幸町)については、元中学校教諭の長尾武さん(64)(同市阿倍野区)からメールを受け取った。〈語りかけるような碑文に背中を押された〉

 約30年前、西区の中学で教諭をしていた時にこの石碑を知ったが、立ち止まることはなかった。だが、2004年のインドネシア・スマトラ島沖地震で津波の恐ろしさを痛感。碑文を詳しく調べた。

 江戸末期に建てられた石碑には、一帯を襲った津波の被害とともに、今後も起こりうるから、毎年碑文に墨を入れるように、と刻まれていた。大阪の津波被害について古文書を調査し、今はセミナーなどで心構えの大切さを説く。

 碑文の言葉を守り、今年も8月下旬、地元住民らが墨を入れ、慰霊祭を営んだ。長尾さんも足を運んだ。「石碑は、昔の人の願いを、今を生きる人に伝える『使者』。その思いをくみ、力を尽くしたい」

◇「訪ねたい」声も

 「連載で取り上げてほしい」という取材依頼も数多く寄せられているほか、「行ってみたいので、これまでに掲載された石碑の場所を教えて」との声も届く。

 森安江さん(66)(同市住吉区)は結婚後、夫の仕事の都合で、約40年間東京で過ごし、数年前に古里・大阪に戻った。4月掲載の「芭蕉終焉(しゅうえん)の地」(同市中央区)や、8月掲載の「食野宅趾(めしのたくあと)」(泉佐野市)などについて、「大阪にこんなにも知らない歴史があったことが新鮮。大阪を離れていたからこそ、その良さをしみじみ感じる。やっと夫と2人でゆっくりと過ごせるようになったので、一緒に訪ねたい」と話した。

 (11回目は10月上旬に掲載します)

(2012年9月30日 読売新聞)

>大阪を離れていたからこそ、その良さをしみじみ感じる。

 私は東京の生まれですが、大阪という存在を知り、大阪を知ろうとすればするほどに、その良さに気がつきます。

948よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:31:19 ID:H39u3WeU0
勇壮宮入り ふとん太鼓 堺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120930-OYT8T00105.htm

 堺市北区百舌鳥赤畑町、百舌鳥八幡宮で29日、秋祭りが開かれた。周辺9町から、太鼓台の上部に朱色の座布団を重ねたようなふとん太鼓9基が次々に宮入りした。

 ふとん太鼓は高さ約4メートルで、約3トン。金色の太縄や大小の白い房で飾り付けられている。そろいの法被姿の約70人が担ぎ上げ、「ベーラベーラ、ベラショッショイ」とかけ声を響かせながら境内を練り歩いた。

 祭りは、旧暦8月15日(今年は9月30日)頃に開催。豊作祈願と中秋の名月を祝う風習にちなむとされ、300年以上の歴史があるという。

(2012年9月30日 読売新聞)

949よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:50:17 ID:H39u3WeU0
ヤマト王権と地方豪族展
http://www.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/4065335801.html

奈良県を中心とした古墳時代の国家「ヤマト王権」と山口県などで勢力を築いていた「地方豪族」との関わりを紹介する展示会が、下関市で開かれています。
この展示会は、下関市立考古博物館が開いたもので、会場には山口県や奈良県などの古墳時代の遺跡から発掘された武具や装飾品などおよそ280点が並べられています。
このうち、奈良県の遺跡から発掘された「銅製の鏡」は、馬車が描かれた装飾が特徴です。
中国製とみられ、ヤマト王権が積極的に海外に進出していたことがうかがえます。
山口市吉敷で発掘された「よろい」は、ヤマト王権の所領地で生産されていたもので、ヤマト王権から地方に配布されていたと考えられ、その深い関わりが感じられます。下関市立考古博物館の学芸員、松永博明さんは、「近畿地方や中国地方、北部九州の重要な古墳の出土品を一堂に集めています。細かな装飾の違いなど中央と地方の違いを見比べてもらいたいです」と話しています。
この展示会は、11月25日まで開かれています。

09月29日 12時29分

950よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 10:08:07 ID:H39u3WeU0
橋下市長と文楽技芸員、来月3日討論会 文楽協会も同意
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201209290013.html

 人形浄瑠璃文楽の保存、普及に取り組む文楽協会は28日、技芸員(演者)とともに橋下徹大阪市長との公開討論に応じることを決め、市側に伝えた。市は同日、討論会を10月3日夕に市役所で開くと発表した。

 橋下市長は就任後、文楽協会の運営方法を疑問視し、補助金を削減。技芸員らとの公開討論も申し入れ、「応じなければ今年度分の補助金3900万円を交付しない」としていた。

 橋下氏は28日夕、「とてもうれしい。技芸員の方とは直接話す機会がなかったので、率直に意見交換したい」と報道陣に語った。
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951よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 12:56:03 ID:H39u3WeU0
まなびやの宝:大阪市立愛珠幼稚園 ビル屋上の田んぼや演奏会 /大阪
毎日新聞 2012年09月29日 地方版
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120929ddlk27070405000c.html

◇地域の支えで環境充実

 大阪市中央区のオフィスビル街にひっそりとたたずむ市立愛珠(あいしゅ)幼稚園。武家屋敷風の正門をくぐると、子どもたちの元気な笑い声が響く。創立は1880年(明治13年)。21年後に建てられた現在の園舎は、現存する最古の幼稚園で、国の重要文化財に指定されている。

 北船場の住民や商人らの寄付金で建てられ、太平洋戦争の空襲時にはバケツリレーで園舎を守ったと伝えられる。地域の情熱が教育環境の充実に注がれてきた。

 玄関に上がり、黒光りする廊下を抜けると高い天井を備える遊戯室が現れる。合唱やダンスで使用するグランドピアノは、100年以上前に作られたドイツの「イルムラー」製。バイオリンの名器「ストラディバリウス」と共に、地元の有力者から贈られたものだ。毎月プロの演奏家が訪れ、コンサートを開いている。

 園児と保護者が月1回お茶遊びを楽しむ和室を備える一方、園庭が狭いのが悩みの種。だが数年前に隣接するビルの所有者が、園児だけのために屋上に田んぼを設置。春の田植え、秋の稲刈りが新たな恒例行事になっている。

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952よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 19:48:11 ID:OxptyLss0
南九州とヤマト関連探る 近つ飛鳥博物館 特別展開幕 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120930-OYT8T00115.htm

 府立近つ飛鳥博物館(河南町)で29日開幕した秋季特別展「南九州とヤマト王権―日向・大隅の古墳」(読売新聞社など主催)では、近年発掘調査が進む宮崎や鹿児島の古墳に関する最新の成果が紹介されている。同館は「ヤマト王権との密接なつながりがうかがえる」としている。12月2日まで。

 約430点を展示。神領古墳群(鹿児島県大崎町)から出土した「盾持人埴輪(たてもちびとはにわ)」は、顔のリアルな表現が特徴的で、目と口をくりぬき、口の中には上下に歯を差し込む溝もある。大阪や愛媛から運び込まれた須恵器や、朝鮮半島から入手したとみられる鉄製品も並ぶ。

 前方後円墳8基、円墳43基が確認されている生目(いきめ)古墳群(宮崎市)には、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)と似た形や、九州で3番目に大きい全長143メートルの古墳も含まれる。白石太一郎館長は「なぜ南九州であれだけ大きな古墳が築かれたのか考えるきっかけにしてほしい」と話している。

 10月14日、28日、11月23日の午後1時30分からは、博物館地階ホールで、南九州の政治環境や古墳についての講演会が開かれる。定員は各回200人。問い合わせは同館(0721・93・8321)。

(2012年9月30日 読売新聞)

953よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 00:36:14 ID:4YzLmL9s0
文楽技芸員約50人が出席 午後6時からエンドレス? 橋下市長と公開面談
2012.10.2 13:09 [文楽]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121002/wlf12100213160011-n1.htm

 財団法人・文楽協会への補助金削減をめぐり、今月3日に行われる大阪市の橋下徹市長と文楽の技芸員(演者)との初の公開面談に、全技芸員82人のうち約50人が出席することが分かった。半数以上が参加する“異例”の面談になる予定で、文楽関係者は「技芸員の一人一人が正直にありのままの思いを伝えたいと言っている。時間が許す限り、橋下市長と話したい」としている。

 公開面談は大阪市役所で行われ、市側からは橋下市長をはじめ、担当部局のゆとりとみどり振興局が出席。文楽側からは、文楽協会の事務局長ら2人、技芸員からは、病気療養中の文楽三味線の人間国宝、鶴澤清治さん(66)をはじめ、ベテランの太夫、豊竹咲大夫さん(68)ら太夫、三味線、人形遣いの約50人が出席する予定。午後6時から始まり、現在のところ制限時間は設けられていないという。

 文楽協会への補助金削減をめぐっては、公開での面談を求める橋下市長と、非公開を主張する文楽側との間で調整が難航。橋下市長は先月4日に、10月中旬までに公開面談に応じない限り、今年度の予算3900万円を執行しないと「最後通告」。

 これを受けて、先月18日に技芸員側が緊急総会を開き、公開での面談を決断していた。

 参加する技芸員の一人は「文楽は大阪の誇るべき芸能だと自負している。先人たちが築いてくださった350年の歴史や伝統を次代につないでいくためにもしっかりと説明し、市民のみなさんの理解を得たい」と話している。

954よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 21:45:36 ID:sUvg66Kg0
公開面談詳報(1)“文楽四十七士”、紋付き袴姿で市長と対面
2012.10.3 19:55
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100319570020-n1.htm

  《財団法人・文楽協会への大阪市の補助金支出問題で、橋下徹市長が求め続けてきた文楽側との公開面談が3日午後6時から、大阪市役所で行われる》

 《協会への補助金をめぐり、橋下市長は昨年度比で25%削減を決めた上で、技芸員との意見交換を公開で行うよう要請。これに対し協会側は再三にわたり非公開での面談を要望し、議論は平行線をたどっていた。ところが一転、技芸員らは9月18日の臨時総会で公開面談に応じる方針を決定、この日の面談が実現した》

 《市役所地下1階の第11共通会議室。この日の面談には、太夫や三味線、人形遣いら82人の技芸員のうち47人が出席。いずれも紋付き袴姿で、5列に並んで座り、橋下市長を待つ。定刻の午後6時ちょうど、ジャケットなしのクールビズで、橋下市長が到着。まず技芸員側を代表して、豊竹咲大夫さんがあいさつに立った》

 豊竹さん「文楽劇場では11月3日から、仮名手本忠臣蔵を上演する予定になっております。きょうは偶然でございますけれども、47名が参加しておりますが、決して討ち入りに参ったわけではございませんので」

 《赤穂浪士四十七士にちなんだ軽い冗談のあと、豊竹さんは切実な思いを訴えた》

 豊竹さん「技芸員は一日も早く、この問題を解決して舞台に専念したいと思っております。なにぶん皆、個人事業者ですので意見もばらばらかと思いますが、よろしくお願いいたします」

955よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 21:47:52 ID:sUvg66Kg0
>>954

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100319570020-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100319570020-n3.htm

 《続いて対面の橋下市長が立ち上がり、右手にマイクを持って話し始める》

 橋下市長「けいこなどでたいへんお忙しい中、大阪市役所まで来ていただきまして、ありがとうございます。きょうは皆さんと忌憚のない意見交換をさせていただきたいと思っております」

 《前置きを終えた橋下市長が本題に入る》

 橋下市長「僕の問題意識の第一ですが、補助金は税ですから、使い方についても受け取り方についても、透明化、いわば『見える化』をしなければなりません。大阪市長になって、市の補助金すべてに見直しをかけました。市民の皆さんには見えない形で支出されているものがたくさんありました。本当に財政的に支援が必要なのであれば、きちんと見える形で支援をすべきだという方針で、見直しを進めていこうと思っています」

 橋下市長「たとえば文楽劇場の場合は、土地の貸付料の半額を援助しています。大阪市の税金から約9千万円が文楽劇場を支えるために使われているということを、ほとんどの方が知らない。そうではなくて、文楽を守っていくために、現在の苦しい状況の中で、一定の経費をしっかりと助成していくんだということであれば、市民の皆さんにも納得はしてもらえると思います」

  《橋下市長に向かって右手には、カメラが一列に並ぶ。橋下市長の額にもうっすらと汗がにじむ》

 橋下市長「今までの役所の助成金は、一定額が毎年毎年、固定費のように支出されるものが多かったんですが、毎年どんぶりでお渡しするのではなく、こういう事業について、この金額をこういう根拠でお出しする、ということを明確化する方針です。その枠組みの中で文楽協会への補助金を判断したときにどうなるかを、皆さんのご意見を聞きながら考えたいと思います。文化に対して補助・助成が必要なことは承知しています。ただし、そこは見える化をする、条件を明確化することが必要です」

 橋下市長「互いの意見がすれ違いのままにならないように、技芸員の皆さんに文楽協会の皆さん、そして大阪市のほうで、また僕のほうで、コミュニケーションをしっかりとりながら、補助金のあり方のルールも皆さんにご理解いただいて、どういう形で文化を支えていくか、意見をいただきたいと思います」

 《冒頭の橋下市長のあいさつは約15分にわたった。続いて技芸員らが交代で意見を述べていくことになる》

956よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 21:52:18 ID:sUvg66Kg0
公開面談詳報(2)「食べられるのは50歳になってから」「1億の税を入れている」おカネをめぐるシビアなやりとり続く
2012.10.3 20:58
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100320590021-n1.htm

 司会「それでは自由にご発言をお願いします」

 《橋下市長のあいさつが一区切りついたところで、いったん司会が技芸員に発言をうながすが、補助金の支出のあり方をめぐる市長の説明は、さらに続く》

 橋下市長「大阪市の補助金の支出はすべてオープンに示し、『こういう事業をやるから、こういう金額になる』という枠組みをつくります。アーツカウンシルという芸術を評価する機関を設けて審査します」

 《マイクをしっかりと握りしめ会場いっぱいに行き渡る声で話す橋下市長。その一方で、マイクに不慣れなうえ声が小さく技芸員の声はほとんど聞き取れない》

 橋下市長「もう一つは、若手の技芸員の養成事業の助成金。若手の技芸員の収入が不安定で、伝統芸能を守るためには、『こういう部分でお金がかかるので補助を』と言っていただければ、補助の対象になります」

 《橋下市長の問題提起を受けて、人形遣いの吉田玉也さんが口火を切った》

 吉田さん「予算の『見える化』について、しなければいけないとは思うが、どう技芸員が関わっていけばいいのか、すぐにいい案が浮かびません」

957よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/03(水) 21:56:10 ID:sUvg66Kg0
>>956

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100320590021-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121003/waf12100320590021-n3.htm

 橋下市長「僕が問題意識を持っているのは、文楽協会の『見える化』が不十分だということです。大阪市では、経済的に苦しいご家庭がたくさんいらっしゃっる。子供たちの助成金、補助金の新しい制度をたくさん作っています。しかし給食や塾も、個人が受け取る場合は、所得要件が必ずつきます。それが本来の補助金のルールです。相当な補助金の申請書とかもあります。そこまでを技芸員の皆さんに当てはめるかは別にして、その辺をしっかり審査させていただかないと」

 《橋下市長の発言に、「その話は今、初めて聞いた」「(今まで)漠然ともらってきた」という技芸員も。一方で別の技芸員が「われわれの世界で、平均的にご飯を食べられるようになるのは50歳」と芸の世界の厳しさを訴えると、橋下市長が何度もうなずく場面も》

 竹本津駒大夫さん「事業補助に関してお話ししたい。文楽という芸能の世界は、8月にアフリカのアルジェリアまで行って高い評価をいただいたが、大阪に限った事業とは限りません。大阪市からの補助金が大阪に限って出されるということをされると、非常に動きにくいという実情もあります」

 橋下市長「文楽のPRということを考えれば、上演する場所は大阪市に限らないと思っています」

 《こう答えた橋下市長は、表情を引き締め、言葉を続けた》

  橋下市長「本当は芸をされる皆さんにここまで細かな話をするのは失礼なんですが、なかなかこういう機会はないので、すべてお話しさせていただきたい」

 《この後、橋下市長は文楽に対する税金は、文楽劇場の土地の使用料などが9千万円で、それから府が2千万円、市が4千万円、事業委託費が1200万円であることを説明。文楽と交響楽団については、億を超える金額が入っていることを強調したうえで、こう続けた》

 橋下市長「もちろん文楽を守る、伝統芸能を守るということは承知していますが、子供たちに対する助成一つとってもぎりぎりのところで、文楽に1億円を超えるお金が出ているということも、ご理解いただきたい」

958名無しさん:2012/10/04(木) 09:58:44 ID:ZKAndj8E0
文楽の補助金、凍結を解除 公開面談終え橋下市長「事業ごと支援に変える」
2012.10.4
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100406300000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100406300000-n2.htm
 財団法人・文楽協会への大阪市の補助金支給問題で、橋下徹市長と文楽協会側の公開面談が3日市役所で開かれ、協会幹部のほか、技芸員47人が出席。橋下市長は、保存よりも振興を重視するよう意識改革を求め、協会側も応じる意向を示した。公開面談の終了後、橋下市長は「多くの人に文楽を楽しんでもらいたい」と述べ、支給対象となる事業の明確化などを条件に、今年度分の補助金3900万円の支給を認める方針を明らかにした。

「外部資金獲得の努力を」

 話し合いの中で橋下市長は、1〜2年の移行期間を設けた上で、補助金の支給目的を協会の運営資金への支援から、個別の事業(公演)ごとの支援へと切り替える方針を説明。来年度以降の支給額がどうなるかは未定だが、協会側はおおむね賛意を示した。

 文楽協会の三田進一事務局長は「市長の意向を踏まえ、改革を検討したい」と安堵(あんど)の表情を浮かべ、技芸員と今後の対応を協議する考えを明らかにした。

 公開面談で、橋下市長は「補助金の支給目的や効果を市民から見て分かりやすい形に変える」と説明。協会と技芸員が連携して特別公演などの新規事業を企画し、来年度新設する有識者による芸術評価機関「アーツカウンシル」で認められれば、協会の運営資金を含めた事業費として今後も補助金を支給する−とした。

 協会幹部は、文楽の普及・保存を目的に協会が昭和38(1963)年に設立された経緯を説明し譲歩を求めたが、橋下市長は「時代は変わる。新規事業にチャレンジして外部資金を獲得する努力をしてほしい」と一蹴した。

 また補助金の一部が養成費の名目で技芸員の収入になっていることについて、活動費の支給は領収書の添付を求めた上で認めるとも説明。技芸員の生活保障については「税でサポートするなら審査基準が必要」として来年度に制度設計する方針を示す一方、積極的に新規事業を立案し、収入を増やす努力を求めた。

959名無しさん:2012/10/04(木) 18:09:19 ID:o7IIq3aw0
文楽補助 大阪府も凍結解除…松井知事が方針
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121004-OYO1T00843.htm?from=newslist

 文楽協会(大阪市)への補助金凍結問題で、大阪府の松井一郎知事は4日、橋下徹大阪市長が技芸員(演者)との意見交換後に市の補助金の凍結解除を表明したことを受け、府の補助金も解除する方針を示した。府庁で記者団の質問に答えた。

 大阪府は2012年度当初予算で2070万円を計上していたが、市に歩調を合わせ執行を凍結していた。松井知事は「(技芸員との)話し合いがついたので、文化を守る予算は執行する」と語った。

 同協会への補助金について、府は橋下市長が知事時代の08年度に前年度の3600万円から2500万円に減額し、以後も徐々に削減。大阪市も橋下市長が今年度予算で前年度の5200万円から3900万円に減額していた。

(2012年10月4日 読売新聞)

960よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/04(木) 21:39:56 ID:XvFDycuk0
文楽はパ優勝の日ハムに学べ ピンチはチャンス
2012.10.4 16:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100416300011-n1.htm

 阪神タイガースのファンなのだが、北海道で生まれ育ったので、北海道日本ハムファイターズのパ・リーグ優勝を喜んでいる。

 かつて北海道は巨人ファンが圧倒的だった。テレビのプロ野球中継は巨人戦ばかりだから無理もない。そのなかでタイガースを応援していると変人扱いされた。

 ナマでプロ野球の試合が観戦できる機会はめったになかった。子供の頃、夏休みに父に札幌の円山球場へ連れて行ってもらった。ナイター設備がないので、デーゲームでそれも日没で試合終了となる。確か巨人戦で、満員だった。

 野球シーズンは短く、高校野球も北国のハンディで甲子園では弱かった。そんな“不毛の地”に日本ハムがフランチャイズを移すと聞いて、はたして根付くのかといぶかったのだが、結果は大成功である。

                                  ◇

 成功の一因は「北海道」と冠したことではないかと思う。もちろん本拠地である「札幌」でもいいのだが、北海道は広い。札幌は道都だが、東京の出先のイメージがあって、道民には「北海道」と名付けたほうが「おらが球団」の親しみが生まれる。

 加えて、徹底した「地域密着」と「ファンサービス」が道産子のハートをつかんだ。その陣頭指揮をしたのが、サッカーJリーグのセレッソ大阪の社長だった藤井純一さんである。

 藤井さんは赤字だったセレッソ大阪の経営を立て直した手腕を買われて、ファイターズに迎えられた。

961よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/04(木) 21:42:13 ID:XvFDycuk0
>>960

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100416300011-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100416300011-n3.htm

 まずは球場に足を運んでもらわないといけない。札幌ドームは、サッカーのコンサドーレ札幌と共用の多目的スタジアムで、シーズン初めはまだ外は雪が残っているが、ドームの中は暖かい。そこで、午前中から札幌ドームを開放し、さまざまなイベントやアトラクションを行った。野外での娯楽が少ない北海道で一日、家族で楽しんでもらおうという狙いだ。

 さらに曜日ごとに「レディースデー」「メンズデー」「シニア&学生デー」などを設け、対象者のチケットを半額にする。ナイターでは試合途中の午後7時半(現在は7時15分)からの入場を半額にした。

 ファンクラブの拡充にも力を入れた。ちなみに僕の甥(おい)はファイターズ・ファンクラブの会員になったのが縁で結婚した。

 巨人ファンから乗り換えて、いまでは北海道ではファイターズファンが圧倒的に多い。

                    ◇

 最大のファンサービスは勝つことである。北海道に移転して以来、リーグ優勝4回、日本一1回の成績は文句のつけようがない。とくに今年は、ダルビッシュ有投手が抜けて低かった下馬評をひっくり返したのは見事だ。

 阪神タイガースも見習ってほしいと思うのだが、ここでは触れない。ファイターズの経営を見習うべきは文楽協会である。

 大阪市が補助金を打ち切るかどうかでスッタモンダしたが、どうも文楽協会の体質がプロ野球の球団と似ているように感じるのである。

 黒字経営の球団は一部の人気球団を除いてほとんどない。経営改善の努力もあまりせず、親会社の宣伝費名目で赤字を補填(ほてん)してもらっているのが実情である。

 文楽協会も伝統芸能の保存のためと、市からの補助金を当然のようにあてにしてきた。公演の収入だけでは技芸員の生活は成り立たず、芸の伝承が途切れてしまう、と。

 ところが、大阪市の財政は火の車である。橋下徹市長がストップをかけたのも理解できる。ルネサンスのメディチ家のように、金は出すが口は出さないパトロンなど、もはや望むべくもない。

                 ◇

 技芸員との公開面談の結果、今年度の補助金支給は認める方向だが、橋下市長は「税金の支出には領収書が必要」と釘を刺し、協会には「新規事業にチャレンジして外部資金を獲得する努力をしてほしい」と要望した。

 さあ文楽協会はどうする。

 ピンチはチャンスである。少なくとも、これほど文楽がニュースで取り上げられ、話題になったことはない。この機を逃さず、劇場に足を運んでもらう策は。

 スポーツと芸能の違いはあるが、ファイターズといういいお手本がある。まずは“お試し”の割引チケットから始めてはどうか。

962よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/04(木) 21:51:23 ID:XvFDycuk0
文楽の補助金、凍結を解除 公開面談終え橋下市長「事業ごと支援に変える」
2012.10.4 06:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100406300000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100406300000-n2.htm

 財団法人・文楽協会への大阪市の補助金支給問題で、橋下徹市長と文楽協会側の公開面談が3日市役所で開かれ、協会幹部のほか、技芸員47人が出席。橋下市長は、保存よりも振興を重視するよう意識改革を求め、協会側も応じる意向を示した。公開面談の終了後、橋下市長は「多くの人に文楽を楽しんでもらいたい」と述べ、支給対象となる事業の明確化などを条件に、今年度分の補助金3900万円の支給を認める方針を明らかにした。

「外部資金獲得の努力を」

 話し合いの中で橋下市長は、1〜2年の移行期間を設けた上で、補助金の支給目的を協会の運営資金への支援から、個別の事業(公演)ごとの支援へと切り替える方針を説明。来年度以降の支給額がどうなるかは未定だが、協会側はおおむね賛意を示した。

 文楽協会の三田進一事務局長は「市長の意向を踏まえ、改革を検討したい」と安堵(あんど)の表情を浮かべ、技芸員と今後の対応を協議する考えを明らかにした。

 公開面談で、橋下市長は「補助金の支給目的や効果を市民から見て分かりやすい形に変える」と説明。協会と技芸員が連携して特別公演などの新規事業を企画し、来年度新設する有識者による芸術評価機関「アーツカウンシル」で認められれば、協会の運営資金を含めた事業費として今後も補助金を支給する−とした。

 協会幹部は、文楽の普及・保存を目的に協会が昭和38(1963)年に設立された経緯を説明し譲歩を求めたが、橋下市長は「時代は変わる。新規事業にチャレンジして外部資金を獲得する努力をしてほしい」と一蹴した。

 また補助金の一部が養成費の名目で技芸員の収入になっていることについて、活動費の支給は領収書の添付を求めた上で認めるとも説明。技芸員の生活保障については「税でサポートするなら審査基準が必要」として来年度に制度設計する方針を示す一方、積極的に新規事業を立案し、収入を増やす努力を求めた。

963よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/04(木) 21:55:09 ID:XvFDycuk0
武士も見た目が肝心!? 大阪の佐賀藩蔵屋敷跡から江戸時代の入れ歯
2012.10.4 08:48
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100408500002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121004/wlf12100408500002-n2.htm

食事には使えない

 武士にとっても「歯は命」!? 大阪市北区西天満の佐賀藩蔵屋敷跡で、江戸時代後期(18世紀末)の入れ歯が、市博物館協会・大阪文化財研究所の発掘で見つかっていたことが分かった。当時、絵図などに「入れ歯師」という職人が記されるなど、入れ歯は比較的普及していたとみられるが、発掘で見つかるのは珍しいという。また現在と違って食べるためではなく、藩士が見栄えを気にして装着していたとみられることも分かった。

 同研究所によると、出土したのは、上の前歯5本分の部分入れ歯(幅3センチ、高さ1・3センチ)で、完全な状態だった。滑石を加工し、入れ歯の側面には穴が開けられ、糸を通して隣の歯に結びつける形で固定したらしい。糸だけではぐらついて滑石自体も柔らかいため、実際に噛むのは困難とみられ、食べるときには外し、外出時などに装着していたとみている。

 調査担当の市川創学芸員は「武芸の稽古などで前歯を欠損した武士が、入れ歯を着けたのかもしれない。実用性より、見た目を気にしていたようだ」と話している。

 入れ歯は平安時代末ごろから作られ、現存する最古のものは、和歌山市内の寺院に伝わる室町時代末(16世紀前半)の尼僧の入れ歯といわれる。江戸時代に普及し、歯茎の部分を木、歯は木や滑石、骨などを加工。古事記研究で知られる国学者の本居宣長(もとおりのりなが、1730〜1801年)も愛用し、知人への手紙で「入れ歯致し申候。口中心持わろくもなき」と、着け心地がよかった様子を記している。

 これまでは、東京都内の武家の墓などから数十例程度、三重県四日市市の代官所跡などで出土している程度で、市川さんは「入れ歯は普及していたはずだが、発掘では意外に見つからないのが不思議だ」と話している。出土した入れ歯は、大阪市中央区の大阪歴史博物館「なにわの考古学2012」で展示中(22日まで)。

964よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/05(金) 05:38:20 ID:CAPItSPA0
秋の和泉市を散策 ツーデーウオーク開催
2012年10月04日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001210040002

 第14回和泉弥生ロマン・ツーデーウオーク(和泉市、日本ウオーキング協会、和泉商工会議所、朝日新聞社など主催)が13、14の両日、大阪府和泉市内で開かれる。平安期の陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明ゆかりの神社など歴史や自然が豊かな地域を巡る5〜40キロの計8コース。当日参加も受け付ける。

 今年は、気軽に秋の和泉路を散策してもらえるよう、両日とも新たに5キロコースが新設された。スタート、ゴール地点はいずれも和泉市いぶき野5丁目のエコール・いずみ内アムゼ広場(泉北高速鉄道和泉中央駅から徒歩2分)。

 13日は市南部を歩く。槙尾山施福寺で約650段の石段を登る「西国めぐり槙尾山大自然コース」(40キロ、午前7時半出発)▽「いずみの国光明皇后伝説コース」(20キロ、同9時)▽「歩いて広がる和泉の『わ(和・輪)』コース」(10キロ、同10時)▽タレント・森脇健児さんも参加する「気軽に和泉市お散歩コース」(5キロ、同11時)の4コース。

 14日は市北部をめぐる。安倍晴明ゆかりの信太森葛葉(しのだのもりくずのは)稲荷神社や弥生時代最大規模の建物跡を復元した「いずみの高殿」がある池上曽根史跡公園などを通る「弥生ロマン・葛葉(くずのは)伝説たんのうコース」(25キロ、午前8時出発)▽「弥生時代から現在へ 歴史探索コース」(20キロ、同9時)▽「和泉の歴史にふれあうコース」(10キロ、同10時)▽「秋風さわやかお散歩コース」(5キロ、同11時)の4コース。

 当日参加は出発時間の1時間前から受け付ける。当日参加費は2千円で、1日参加、両日参加とも同額。5キロコースだけは1日500円。中学生以下は無料。雨天決行。問い合わせは実行委員会事務局(0725・44・2882、平日午前10時〜午後4時)。
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965よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/05(金) 23:16:40 ID:73biaJp20
大阪城天守閣で6〜8日、千貫櫓など国重文3棟を特別公開
2012.10.5 10:33
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121005/wlf12100511230008-n1.htm

 大阪城公園(大阪市中央区)内にある国重要文化財の建造物3棟が6〜8日、特別公開される。公開を手がける大阪城天守閣は「普段は外側からしか見ることのできない貴重な建造物の内部見学を楽しんで」とPRしている。

 公開されるのは、千貫櫓(せんがんやぐら)と多聞櫓、金蔵(きんぞう)。千貫櫓は、さまざまな建築や造園を手がけた茶人の小堀遠州が元和6(1620)年に設計監督して創建された2層2階の隅櫓。多聞櫓は、嘉永元(1848)年の再建で、大手口の石垣の上に建つ。金蔵は、宝暦元(1751)年の築造で幕府の金庫の役割を果たした。

 期間中、幕末の解体修理の際に出土した瓦や大阪城の石垣を構成する石にある刻印の拓本などを多聞櫓内で展示する。

 公開は午前10時〜午後4時半。3棟分の入場券は200円、天守閣とのセット券は700円。中学生以下無料。問い合わせは大阪城天守閣(電話06・6941・3044)。

966よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/06(土) 05:46:22 ID:73biaJp20
大阪ロマン紀行

信長も恐れた蘇鉄の勇姿

今回の案内人 亀井澄夫 (日本妖怪研究所所長)
2012年10月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121005/20121005034.html

堺市堺区材木町東「妙國寺」

 室町時代の終わり頃のこと、織田信長は堺に鉄砲の買い付けに来ていた。当時の大名は宿泊所として寺を選ぶことが多く、その日は妙國(みょうこく)寺に泊まることにした。寺の庭には、かねてよりうわさに聞こえし見事な蘇鉄(そてつ)が植わっており、その雄大さ、美しさに信長は大いに感心し、天正4(1576)年にできたばかりの安土城に強引に植え替えさせた。

 しかし、安土城に移したその日から、夜な夜な「妙國寺に帰りたい」「堺に帰りたい」と、すすり泣くような声が聞こえる。声の出所は、なんと植えたばかりの蘇鉄である。

 怒った信長は家来に切り倒すよう命じたが、切り口から鮮血のような液体がほとばしり、大きな蘇鉄が大蛇のように身をくねらせてもだえ始めたので、さすがの信長も手に負えず妙國寺へと返した。

 この話は江戸の中頃に書かれた『絵本太閤記』に記されている。

 実際にお寺の縁側から蘇鉄を見せていただいたが、枯山水の見事な庭園で、樹齢千百年あまり、国の天然記念物に指定され、とにかく貫禄ある美しさである。

 他に妙國寺にまつわる話としては、有名な「堺事件」がある。幕末の頃、フランス人の上陸をめぐって土佐の藩士が発砲し、フランス人11人を死亡させた。

 後に土佐藩士に切腹の命が下るのだが、その切腹した場所が、ここ妙國寺である。

 この事件は、森鴎外の小説『堺事件』や司馬遼太郎の『俄(にわか)』にも書かれているので、ご存じの方も多いことだろう。変わったところでは、講談の『鮮血妙國寺』もある。

 妙國寺には、その土佐藩士たちを描いた掛け軸や、髪の毛、刀、血のりのついた三方(さんぽう)(刀を置く台)など、貴重な資料が残されている。

 当初は20人の切腹を命じたそうだが、11人で止められた。これは死亡したフランス人の数に合わせたらしい。そのへんの事情は小説などとは異なる。次は自分の番と思っていた12番目の藩士は、死ねなかったことが、さぞ無念に思ったことだろう。

 お話をお聞きし、改めて枯山水の庭に向かうと、あの信長でも言うことを聞かなかった蘇鉄の力強さと美しさが、土佐藩士のいさぎよさと重なって、凛(りん)とした気分にさせてくれる。

 また、今年の「境文化財特別公開」は10月29日から11月4日まで行われ、妙國寺はおすすめコースにも入っている。11月2、3日は午後8時まで庭園がライトアップされる予定。くわしくは「堺文化財特別公開」で検索を。見る価値ありの蘇鉄群である。

967よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/07(日) 07:37:53 ID:JR61FtFA0
ずらり40万冊 古書ファン真剣 四天王寺で秋の大古本祭り
2012.10.6 22:39
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121006/wlf12100622430022-n1.htm

 大阪市天王寺区の四天王寺で、約40万冊の古本を販売する「秋の大古本祭り」が開かれ、多くの古書ファンでにぎわっている。9日まで。

 近畿の書店でつくる「関西古書研究会」が主催し、今年で12回目。五重の塔をのぞむ境内に、約30店が文学や歴史など多分野の古書を出品している。

 お目当ての一冊を捜そうと来場者は真剣な表情。両手に約10冊の本を抱えた同市の女性は、「これだけたくさん本があると目移りして困っちゃう」。

968よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/07(日) 07:45:59 ID:JR61FtFA0
大阪城のやぐらを特別公開
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005459881.html?t=1349562430781

国の重要文化財に指定されている大阪城のやぐらの特別公開が、6日から始まりました。
大阪城のやぐらの特別公開は、秋の観光シーズンにあわせて毎年、行われています。
やぐらは、城の周辺に設けられた、敵からの攻撃を防ぐための詰め所です。
城の西側にある「多聞櫓」は、長さ40メートル余りの渡り廊下のような「続櫓」と、門の上に位置する「渡櫓」の2つで構成されています。
侵入してくる敵を鉄砲で撃つための小窓や、敵の頭上から槍などを落として攻撃する「槍落し」が設けられています。
また「千貫櫓」は、江戸時代初期につくられ、敵が攻め入る南と西の方角にだけ窓が設けられているのが特徴です。
大阪城天守閣の松尾信裕館長は、「城を守るための機能がふんだんに盛り込まれている。ぜひ足を運んで見ていただきたいです」と話していました。
大阪城のやぐらの特別公開は8日まで行われています。

10月07日 02時04分

969よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/07(日) 09:29:15 ID:JR61FtFA0
竹内街道 灯籠で彩り 7、13日催し
2012年10月06日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001210060003

 2013年に敷設1400年を迎え、日本最古の国道とされる「竹内(たけのうち)街道」を灯籠(とうろう)で照らすイベントが今月、沿道の羽曳野市と太子町で相次いで開かれる。

 竹内街道は堺市から、松原市や羽曳野市、太子町を通り、奈良県葛城市に至る約30キロの道。起源とされるのは、飛鳥時代の推古天皇21(613)年に大陸との玄関口だった難波と、飛鳥の都を結ぶ日本最古の国道として整備された「大道」。竹内街道は大道の一部で、ルートがほぼ重なっていることから、日本最古の国道と呼ばれている。

 7日には、羽曳野市の近鉄南大阪線駒ケ谷駅と上ノ太子駅周辺の沿道計約1キロで、灯籠(とうろう)約500個が並ぶ。ちょうちん行列なども催される。

 太子町は13日、太子町春日西交差点〜道の駅「近つ飛鳥の里・太子」間の約2キロの区間で、約2千個の灯籠(とうろう)で街道を照らす。古民家で二胡(にこ)の演奏などもある。

 問い合わせは羽曳野市(072・958・1111)、太子町(0721・98・5521)。
.

970よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/07(日) 15:27:27 ID:2ngqw9aE0
能面制作の奥深さ実感 豊中不動尊で講座 大阪
2012.10.7 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121007/osk12100702040001-n1.htm

 春の「島熊山桜能」で知られる豊中市の豊中不動尊で6日、能面制作実演講座が開かれ、参加者たちは、能面ができあがっていく工程に興味深そうに見入っていた。

 同不動尊の「お能ってなあ〜に?おもしろ講座」の秋講座の第1弾。

 豊中市の能面師、鳥畑英之さん(66)が、ヒノキから型紙で面の材料を切り出す「木取り」から、大まかな顔を掘り出す「荒取り」、「仕上げ」などを実演。老若、男女による顔の形の違いなどを説明した。

 さらに、彫り上がった面の下塗りや彩色工程を実演、色出しの難しさを解説した。趣味で能面彫りをしている参加者もおり、熱心に質問する人も。

 「お能ってなあ〜に?実行委員会」の能楽観世流シテ方、山本博通さんは「能面は奥が深く、ひとりの能面師が納得できる面を彫れるのは一生に1面くらいといいます」と解説していた。

971よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/08(月) 20:06:06 ID:JgPIc0qo0
豊臣家ゆかりの茶会を再現
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005487161.html?t=1349692250125

豊臣秀頼と母親の淀殿が開いたと伝えられている茶会を再現した催しが大阪市の神社で開かれました。豊臣秀頼と母親の淀殿は大坂城の鎮守の神として信仰されていた大阪・中央区の「玉造稲荷神社」の境内で茶会を開きお茶とだんごでもてなしていたと言い伝えられています。
茶会は豊臣家をしのぼうと毎年、この時期に行われ、きょうは去年建立された豊臣秀頼の銅像の前で行われました。
きょうの大阪市はさわやかな秋晴れとなり、参加した人たちは秀頼公の銅像の下で、「裏千家」の人たちがたてたお茶やだんごを味わっていました。
2人の子供を連れた38歳の女性は「おいしくいただきました。ふだんは子育てに追われていますが、風情があって、落ち着いた気持ちになれました」と話していました。

10月08日 15時02分

972よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/09(火) 06:03:09 ID:JgPIc0qo0
[碑にきく]論争呼んだ 真っすぐな思い
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121008-OYT8T01164.htm

.◆与謝野晶子詩碑(堺市堺区)

 中世の自治都市・堺を守った濠(ほり)の上に、今は阪神高速堺線がそびえる。その西側の旧市街地にある府立泉陽(せんよう)高校の中庭に、石碑「与謝野晶子詩碑」が立つ。

 〈あゝをとうとよ 君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや〉

 近くの和菓子の商家で生まれ育った与謝野晶子(1878〜1942)は、泉陽高校の前身・堺女学校で学んだ。卒業後、短歌の投稿をするようになり、1901年に22歳で上京。3年後、日露戦争に出征した2歳下の弟・籌三郎(ちゅうざぶろう)に呼びかける、この詩を発表した。戦争で死ぬのが潔いとされた時代。論争を巻き起こした。

 晶子は以後も、短歌や詩、源氏物語の現代語訳、社会評論などを多数発表し続けた。私生活では歌人で、浪漫主義雑誌「明星」創刊者の鉄幹と結婚し、11人の子を育てた。東京を拠点に忙しい生活を送りながら、母校に関する作品も残した。

 〈殿馬場(とのばば)の 柳二本(ふたもと) 三本(みもと)なほ ありつるころの わが女学校〉(殿馬場に柳が2、3本あった頃の私の通った女学校よ)

 堺女学校は1888年に創設され、晶子は同年、入学した。補習科の3年も含めて6年間学んだ。一帯は江戸時代に幕府の役所があったことから殿馬場と呼ばれ、現在でも中学校名として残る。1926年に47歳で発表した短歌には、母校を懐かしむ気持ちが表現されている。

 一方で、随筆「光る雲」(1928年)では、「世間で云(い)う高等教育を学校で受ける機会を持たなかつた」と嘆いた。晶子は当時、仲間とともに東京で専門学校を創設し、教壇に立っていた。泉陽高校の千木良(ちぎら)孝志校長(59)は「女学校は裁縫が中心だった。晶子は『女子も高等教育を受けて社会に出るべきだ』と思い、その志を実践したのでしょう」と推し量る。

 堺女学校は1900年に堺高等女学校となり、48年、共学の泉陽高校になった。石碑は、同窓会や教諭らが71年に建立。寄付を募る活動に協力した堺高等女学校の卒業生、横木妙子さん(81)(堺市北区)は「在学中は晶子が授業で扱われず、卒業後、今の時代に通じる作品の多さを知った。社会に目を開いていた姿勢や先見性はもっと評価されていい」と語る。

 「晶子を象徴する」として選ばれた碑文は、命の尊さを訴える。家族への真っすぐな思いが込められた詩は、未来ある高校生たちに、これからの人生で大切にすべきものを示している。(中筋夏樹)

973よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/09(火) 06:04:04 ID:JgPIc0qo0
>>972

◆静かで美しい晩年の歌 歌人道浦母都子さん65

 早大の学生の時に体験した学生運動。そして恋愛。揺れ動く思いを三十一文字に託した歌集「無援の抒情(じょじょう)」(1980年)で有名になった。晶子も、鉄幹への情熱的な恋を詠んだ第1歌集「みだれ髪」(1901年)で注目を集めた。だが、現代を代表する歌人は、晶子の一番好きな歌として、死後発行された遺歌集「白桜集」の一首を挙げる。

 〈木の間なる 染井吉野の 白ほどの はかなき命 抱く春かな〉(木の間から見えるソメイヨシノの白い花のように、私の命ははかない。そんな命を抱いて過ごす春よ)

 添い遂げた夫の鉄幹はすでに亡く、病に伏せがちだった晩年の歌。「死期が近いのをわかった上で一生を振り返った。静かで美しい」

 晶子は63年の生涯に短歌を数万首作った。「呼吸するのと同じように歌が出てきた」。一方で、詩は「主張したいものがあるときに用いた」。「君死にたまふことなかれ」の詩は「戦争への疑問とともに家族愛を訴えたかったのでしょう」。

 4年前、約2700首を選んで「新選 与謝野晶子歌集」にまとめた。今後は評伝を書きたいという。「一生かかってもわかりきれない偉大な女性。歌人として彼女の生き方に迫りたい」

 (2012年10月9日 読売新聞)

974よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/10(水) 22:17:23 ID:jw3jTqbs0
伝統職人の技さえる 住吉大社で「全国サミット」
2012年10月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121010/20121010017.html

 神社仏閣の建築をはじめ日本の伝統文化を支えてきた職人の文化を紹介する「全国伝統職人サミットin住吉大社」が9日、大阪市住吉区の住吉大社で始まった。職人が手掛ける彫刻作品の展示や実演で来場者らを楽しませている。10日まで。

 伝統職人技術文化研究会と住吉大社が主催する。大阪、京都をはじめ2府8県の木彫刻、石工など18職種の職人がブースを設ける。

 南部白雲木彫刻工房(富山県)が手掛け、立て替え中で間もなく竣工(しゅんこう)を迎える住吉大社の種貸社で使われる神鏡台など、職人が丹精を込めて制作した作品が並ぶ。カンナがけなど職人の仕事を体験できるコーナーも設けられている。

 同研究会事務局の南部白雲事務局長は「普段、職人が一般の人と接する機会は少ない。この機会に職人の文化に触れていただければ」と話している。

975よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/11(木) 06:28:12 ID:2sJePcJY0
利休の茶室「待庵」再現 堺市計画の文化観光施設
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121011-OYT8T00156.htm
.
 堺市の竹山修身市長は10日、定例記者会見で、2014年度末のオープンを目指して堺区宿院の旧市立堺病院跡地に建設する、千利休と茶の湯、与謝野晶子をテーマにした「(仮称)文化観光拠点施設」の完成予想図を発表した。利休の茶室で唯一、現存する国宝「待庵(たいあん)」(京都府大山崎町)の再現を目玉に、年間15万〜20万人の利用を見込んでいる。

 鉄筋3階建て延べ約3500平方メートルで、総事業費は25億円。着工は13年度。

 1階は、「茶の湯体験ゾーン」で、再現した「待庵」のほか、畳敷きの茶室を配置。周辺には山里をイメージした茶庭を整え、「市中の山居」とも表現される佗茶(わびちゃ)の世界を体験してもらう。

 2階では晶子を紹介し、市立文化館(堺区田出井町)から直筆の短冊や、愛用の家具など関連の展示品を移して展示。図書・情報スペースも設け、業績などを発信する。市は、予定通りの利用者がいた場合、経済効果を年間10億円とみており、竹山市長は「市内各地を巡る起点となるような施設にしたい」と期待している。

(2012年10月11日 読売新聞)

976よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/11(木) 21:41:19 ID:8Luck7ws0
魔法瓶が大阪で誕生して100年 意外と知られていない歴史 大阪で特別展
2012.10.11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/121011/wec12101120010002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/121011/wec12101120010002-n2.htm

 日本で初めて魔法瓶が大阪で作られて今年で100年。発祥の地、大阪には今も魔法瓶メーカーが多くあるが、象印マホービンは大阪発の日本の魔法瓶の歴史を知ってもらうため、同社が運営する「まほうびん記念館」(大阪市北区)で特別展を開いている。来年1月31日まで。

 特別展「日本のまほうびん生誕100年」では、日本での魔法瓶の歴史を年表でまとめたほか、同社だけでなく、ライバルメーカーの製品や、魔法瓶にまつわるエピソードを紹介している。

 底に回転台をつけることでさまざまな向きに給湯できる回転式をはじめ、お湯をくみ上げる構造のレバー式やエアー式などを展示。昭和40年代に大流行した花柄などの魔法瓶が並ぶコーナーでは1世紀にわたる魔法瓶の進化が分かる。

 また、32年に南極観測船「宗谷」に積み込まれて乗組員に愛用された魔法瓶や、女子マラソンの野口みずき選手が、金メダルを獲得したアテネ五輪で使用したステンレスボトルなどはエピソードとともに展示されている。このほかリンゴ型や急須型などユニークな形の魔法瓶など、館内には200点以上が集められている。

 日本で初めて魔法瓶が大阪で作られたのは、明治45(1912)年。もともと輸入品だった魔法瓶は二重構造で、内側のガラス製中瓶の製造には高度な技術が必要だったため、当時のガラス工業の中心だった大阪で多くの魔法瓶製造業者が誕生した。

 その後、東南アジアへの輸出などで売り上げを伸ばし、戦後の最盛期には年間3200万本、540億円近い出荷額を誇る世界規模の産業に成長した。一方、機械化などの進展でメーカーは最盛期の約50社から、現在の全国魔法瓶工業組合の会員社は13社まで減少。今でもこのうち11社は大阪に本社を構えている。

 同館の山口己年男館長は「意外と知られていない、大阪から牽引してきた魔法瓶業界の歴史に親しんでもらえれば」と話す。

 開館時間は午前10時〜正午▽午後1時〜4時。入館無料だが、事前の予約が必要。

977よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/12(金) 06:01:08 ID:NXZp3UyY0
死者2856人通説の10倍 江戸中期・大坂の大火「妙知焼」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121012-OYT8T00135.htm

 江戸中期の1724年(享保9年)に大坂の街の大半を焼き尽くした大火「妙知焼(みょうちやけ)」による死者数について、通説の293人の10倍近い2856人に達していたとする文書が、東京の古書店で見つかった。大坂の豪商らが建てた学問所「懐徳堂」で、初代学主を務めた儒者・三宅石庵(みやけせきあん)(1665〜1730)が大火から約1か月後に記した書簡。研究者は「現場にいた確かな人物が記した文書で、史料としての価値が高い」と話している。(安田弘司)

 大阪商業大商業史博物館(東大阪市)の学芸員らが6月、東京の古書目録に掲載された書簡を発見。幅約16センチ、長さ約76センチの書簡が2分割され、江戸時代の表具に貼られた姿に加工されていた。署名と花押から筆者は石庵と確認され、1724年4月17日付で、龍野(兵庫県)に住む知人とみられる「間宮新四郎」という人物に送られたとわかった。

 江戸時代の大坂を襲った火災の中で、妙知焼は最も大規模とされる。石庵の書簡は、〈大坂三月廿一日二日之大火(大坂で3月21、22日にあった大火)〉で始まり、火の手から逃れようとした町人らの様子がつづられている。〈或(あるいは)ふまれ或やけ(中略)渡し舟にて打ちかえり死たるも夥敷候(おびただしくそうろう)(踏まれたり、焼けたりした。逃げようとして乗った渡し船は転覆し、多数の死者が出た)〉

 さらに、町奉行所がまとめた293人の死者数は〈公儀(公職関係者)〉で、実際は〈焼死人弐千八百五十六人まどひ人千八十弐人(焼死者2856人、行方不明者1082人)〉と明記。川で溺れるなどして遺体の見つかっていない人もおり、〈四千余もあやまちいたし申候也(もうしそうろうなり)(4000人余りが亡くなった)〉。

 石庵は当時、出火場所から1里(約4キロ)離れた場所で私塾を営み、延焼に気付いたのは午後2時頃で、自らも焼け出されたと記述。その後、平野郷(大阪市平野区)に身を寄せ、避難先に京都の医学者後藤艮山(こんざん)が見舞いに訪れたとする。また、石庵の弟子で2代目学主となる中井甃庵(しゅうあん)の居宅は被害を免れたと書いている。

 一方で、死者や行方不明者数の根拠については触れていない。近世の庶民文化に詳しい山中浩之・府立大名誉教授は「石庵が詳細な数字をどう入手したのか、書簡からは不明だが、通説の死者数は火災の規模からすれば少ない。大火から間もない時期に克明に記された文書であり、数字にもリアルさがある。妙知焼の直接史料は極めて少なく、貴重だ」と評価している。

978よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/12(金) 06:01:55 ID:NXZp3UyY0
>>977

書簡は15日〜12月1日(日曜祝日休館)、同博物館で開かれる企画展「商都大阪の文化力・近世浪華の町人と文人趣味」で、一般公開される。10月20日のシンポジウムでは、書簡や文人画など展示作品の解説もある。入館、シンポとも無料。シンポは申し込みが必要。問い合わせは、同博物館(06・6785・6139)へ。

◆妙知焼 大阪編年史(1969年、大阪市立中央図書館発行)収録の古文書によると、「享保の大火」とも呼ばれ、1724年3月21日正午頃、南堀江(現在の大阪市西区)で発生。西南の大風にあおられ、当時の市街地「大坂三郷」の3分の2にあたる408町に火が回り、約1万1700棟を焼失、翌22日夕方まで燃え続けた。死者数は、複数の古文書が293人とし、通説となっている。ただ「7000人余」「1182人」などとするものもある。

◆懐徳堂 大火の約半年後の1724年11月、5人の豪商が私財を投じてつくった町人の学問所。現在の大阪市中央区今橋にあった。自由な学風で知られ、いち早く地動説を唱えた山片蟠桃(やまがた・ばんとう)ら、ユニークな町人学者を数多く輩出した。明治期に閉校となるが、1916年に再建。第2次世界大戦の空襲で焼失するまで続いた。大阪大学のルーツの一つ。

(2012年10月12日 読売新聞)

979名無しさん:2012/10/12(金) 09:53:57 ID:ZKAndj8E0
ピースおおさか、大阪空襲展示に特化…府市方針
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121012-OYO1T00290.htm?from=main2
 大阪府と大阪市は、戦争と平和に関する展示追悼施設「大阪国際平和センター」(ピースおおさか、大阪市中央区)について、満州事変(1931年)以降の昭和戦争などの展示を大幅に削り、戦争末期の大阪空襲に特化する方針を固めた。ほかのテーマは、橋下徹市長が設置に意欲を見せる、日本の近現代史を学ぶ新施設に集約する。91年の開館以来初の大幅な展示替えで、来年度にも着手する。

 同館は府市が100%出資する財団法人が運営し、経費の大半を府市の補助金で賄う。「大阪空襲と人々の生活」「15年戦争(昭和戦争)」「平和の希求」の三つの柱で構成されているが、南京大虐殺の展示内容などを巡り、府市の一部議員から「自虐的」と批判する声が出ていた。

 橋下市長は2015年度までに、日本と近隣諸国で歴史認識が分かれる近現代史のテーマについて両論併記で展示・解説する施設を整備する方針を表明。このため同館は、大阪空襲を中心に、子供が現行の学習指導要領通りに学ぶ施設に見直すことにした。
(2012年10月12日 読売新聞)

980よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/14(日) 08:40:27 ID:Wf8h57/k0
旭堂南陽のブラリ講談 歴史あるき

「楠木正成」学問の地・河内長野市
2012年10月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/rekiwalk/121013/20121013056.html

目を引く馬上の正成像

 前回、楠木正成は毘沙門天にちなんで「幼年時代は多聞丸と呼ばれていた」と書きました。しかし、「少し字が違うんではないか?」とも言われております。楠木家は武家で多くの者を抱えている身。そこで多くの武門を従える者ということで「多門丸だった」という説も存在します。皆さんはどちらが正しいと思いますか。正成の前半生というのは特によく分かっておりません。よって余計に想像が膨らみ、話が作りやすい。いよいよ講談師の登場となる訳です。

 さて、千早赤阪村から少し南へ下ったところにあるのが、河内長野市の檜尾山観心寺。ここは「修験道の開祖・役小角によって開かれた」と言われております。後には弘法大師空海も訪れました。空海が訪れたときに北斗七星を勧請(かんじょう)したそうです。日本では北斗七星を祀(まつ)るのはここだけです。今でも星塚があります。

 そんな観心寺で学んだのが多聞丸こと楠木正成。8歳から15歳までの7年間ここでしっかり勉強しました。「どれくらい勉強したか?」というと、物凄(すご)く一生懸命学びに学び、これからの事を考えに考えたそうです。そこでまわりの者が皆、「あぁ〜、多聞丸さまは本当に感心児だ」と言ったとか。

 かくいう私も河内長野で高校時代を過ごした身。ただ「勉学にすべてを傾けたか?」というとそうではなく、海外留学のために味方につけなければならない英語の先生の歓心を買うために文化祭の役員を引き受け、スウェーデンへの留学が決まってからは北欧への関心ばかりが高まって、全く勉強に身が入らなかった非感心児でした。もちろん観心寺にも行ったことがなく、今回の取材が初めてでした。

 しかし、行って大正解。駐車場にいきなり現れるのは馬上豊かに跨(またが)る楠木正成像。馬が本当によく似合う。そして少し行くと表門。そこから見える石段が山の斜面をはうようにずっと上まで続き、一番上に見えるのが国宝の金堂。「ええなぁ」を連発しながら、ふっと左手をみると小さな日本家屋。「楠公学問書 中院」と書かれていました。「のちに負け必死の大軍を翻弄(ほんろう)する知略はここで磨かれたのか!」と思わず興奮してしまいました。

 さぁ、観心寺で学問を学んだ楠木正成、いよいよ出陣の機会が訪れます。それは来週のお楽しみ。

 (大阪講談協会所属)

 旭堂南陽の公演情報=20日午前10時〜午後5時、「東谷ズム」。川西市郷土館(能勢電鉄山下駅より徒歩12分)。信長・秀吉と地域や能勢電鉄などにまつわる講談など、随時開催。参加無料。問い合わせは川西市郷土館、電話072(794)3354。

981よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/14(日) 08:57:07 ID:Wf8h57/k0
千里ニュータウン歩み一目 吹田「半世紀展」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121014-OYT8T00118.htm

. 千里ニュータウン(吹田市、豊中市)の50年の歴史を振り返る「ニュータウン半世紀展」が13日、吹田市岸部北の市立博物館で始まった。11月25日まで。

 同博物館と市民らでつくる実行委員会が企画。ニュータウンの計画図や、約50年前に団地で使用されていた牛乳瓶入れなど、計約100点が紹介されている。

 1962年に同市佐竹台に建てられた公社団地の間取りを再現したミニチュアの模型も展示。神戸女子大(神戸市)の学生がたんすやちゃぶ台なども含めて、約1か月かけて手作りした。貝塚市脇浜、会社員宮本洋樹さん(38)は「今の暮らしほど物はないけれど、生活が充実していたことがわかる」と話していた。

 月曜休館。問い合わせは、同博物館(06・6338・5500)へ。

◇情報募集しています

 読売新聞大阪版では、千里ニュータウンの50年をたどる連載を予定しています。次の6項目に関する思い出や情報をお寄せいただけませんか。〈1〉簡易型ユニットバス「バスオール」〈2〉日本初の自動改札機〈3〉竹見台小学校と南竹見台小学校〈4〉近隣センター〈5〉老朽化住宅の建て替え〈6〉その他。〒530・8551(住所不要)読売新聞大阪本社社会部大阪版担当へ郵送か、ファクス(06・6361・3001)、メール(o‐naniwa@yomiuri.com)でお願いします。

(2012年10月14日 読売新聞)

982よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/14(日) 19:46:02 ID:72PFOaIc0
会員は男性限定「大阪最古の社交クラブ」をのぞいてみた
2012/10/13 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO47093790Q2A011C1AA2P00/

大阪・淀屋橋のオフィス街を歩いていると、れんが造りのクラシカルな洋風建築を見つけた。扉を開けると「いらっしゃいませ」と、白シャツにグレーのベストをまとった受付嬢の上品な声。面食らう記者に「ここは大阪最古の社交クラブ、『大阪倶楽部(くらぶ)』です」。一体、どんな場所なのだろうか。


 実はこのクラブ、会員は男性のみ。案内冊子には「社員(会員)2名の推薦」との記載だが、男性しか受け入れていない。入会金は10万円、社費(会費)は月8000円だ。

 事務局に問い合わせると「毎週水曜日の昼に開く『午餐会(ごさんかい)』という講演会が大きな特徴です」とのこと。女性の記者は特別に見学させてもらうことになった。

              ◇            ◇

 天井にシャンデリア、床は市松模様の大理石という装いのロビーは、オフィスビルと違う厳かな雰囲気。午後0時半の講演開始に合わせて、ジャケット姿が決まった白髪の男性が次々と入っていく。ジャケット、ネクタイ、紳士靴の着用が規則だ。

 午餐会には毎回、350人ほどが集まる。この日は西上雅章・通天閣観光社長が講演。熱心にメモをとる人も少なくない。その後は喫茶・バーでくつろいだり、ビリヤード(撞球)をしたり。1階の囲碁室は24面の碁盤全てが埋まり、真剣勝負の最中だった。

 現在の会員数は約1200人で平均年齢は73歳。大企業のOBや弁護士、医者らが多い。囲碁や謡曲など21の同好会がある。「今の自分に満足していない。新しいことを知りたくてね」。会員歴20年以上で週3回通う土橋幸雄さん(88)は元気はつらつ。「それにここは、男だけの気楽さがある」

983よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/14(日) 19:47:19 ID:72PFOaIc0
>>982

http://www.nikkei.com/article/DGXBZO47093790Q2A011C1AA2P00/?df=2

 「西洋で生まれた社交クラブは、もともと紳士のためのもの」と岸本晴夫事務局長。大阪には他に日本綿業倶楽部(中央区)、清交社(北区)、中央電気倶楽部(同)があるが、これらは女性会員も認めている。「大阪最古の社交クラブということもあって、伝統を守ってきました」。ピークの1995年ころから会員数が400人ほど減り、女性の受け入れも検討されているが、「雰囲気が変わる」との反対意見が根強いという。

 設立は1912年。住友家の総理事だった鈴木馬左也らが立ち上げた。1880年に福沢諭吉が東京・銀座に日本で最初の社交クラブ「交詢社」を創ると、東京に同様のクラブが次々と誕生。大阪にもお茶屋や料亭以外の「純然たる社交の場を」との機運が盛り上がった。大阪ガスビルの設計で知られる安井武雄の手による4階建てのクラシカルな建物は、国の登録有形文化財、大阪市指定文化財だ。

              ◇            ◇

 せっかくの歴史的建造物。会員以外でも雰囲気を楽しむ方法はないのだろうか。3階の会議室、4階のホールは会員以外にも有料で貸し出す。調べてみると、クラシックコンサートが頻繁に開かれていることがわかった。

 ここを活動の拠点にしているのが日本テレマン協会。月に1度、クラシックの演奏会を開く。「バッハやモーツァルトの時代、音楽はサロン、つまり貴族の社交場で楽しむものだった。ここの雰囲気は演奏会にぴったり」と、同協会の音楽監督で指揮者の延原武春さん。文化財の中で聴けたら、と何だかわくわくする。

 大阪倶楽部は多くの人に親しんでもらおうと、2カ月に1度、見学会を実施。今年は設立100年を記念して19〜29日、会員による絵画や書道の作品展を開く。普段は会員しか入れない2階談話室が会場。紳士の社交場に足を運ぶ絶好の機会だ。

(大阪文化担当 佐々木宇蘭)

984よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/14(日) 20:36:19 ID:72PFOaIc0
【仏国ブログ】華麗で力強い大阪城、一見の価値がある日本の城
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1012&f=national_1012_015.shtml

  日本に在住しているフランス人のブログ「Horizons du Japon」では、大阪城を紹介している。

  筆者はまず、日本には多くの観光名所があるが、モニュメントと呼べるものはないのではないかと述べている。これは、エジプトのピラミッドやイタリアのコロッセオなど、その国を代表するような大型の歴史的建造物を指しているようだ。

  しかし、日本各地にある城は仏教寺院の塔を思い起こさせ、モニュメントと呼べるかもしれないと述べている。特に筆者の住む地域にある大阪城について、その美しさをたたえながら、関西圏のモニュメントといえると伝えている。

  当時の将軍だった豊臣秀吉の命で建築された大阪城は、城を守る金の虎など野心的な要素があちこちに見られると指摘。力強いとりでとしての男性的な性質がある一方で、屋根の形などいたるところに女性的な曲線が使われている。しかし、全体としては空に向かって雄々しくそびえ立ち、華麗で力強さがあると絶賛している。

  このような日本の城を観光していると、結婚式を挙げている日本人カップルを見ることがあると伝えている。これも、日本人にとっては大阪城が、その地を代表する存在だからだろうと述べている。

  最後に筆者は、日本に旅行するフランス人が大阪を訪れることは比較的少ないようだが、大阪城は素晴らしく一見の価値があるため、ぜひ訪れてほしいと述べている。(編集担当:山下千名美・山口幸治)

985名無しさん:2012/10/14(日) 22:01:46 ID:CG58C08k0
嬉しいこと言ってくれてるけど、それ太閤さん関係ないねん…
市民の寄付(600億)で建てたってのは誇れるし
まぁ、歴代大阪城で一番長い間存続してるから歴史的価値も出てるけど

986よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/18(木) 07:26:45 ID:9BWyy.3o0
弥生時代の環濠集落 調査70年、ベール脱ぐ 大阪
2012.10.18 02:07
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121018/osk12101802070002-n1.htm

■「腕輪」出土の瓜破遺跡

 弥生時代の腕輪とみられる木製品が出土した大阪市平野区瓜破(うりわり)西の瓜破遺跡。弥生時代前期末(約2400年前)の大規模な溝や建物跡も同時に見つかり、集落が環濠(かんごう)で囲まれていた可能性が高まった。同時期の環濠集落跡は高槻市の安満遺跡などにみられるが、大阪市内では初めての出土。瓜破遺跡は昭和15年に調査が始まって以来、集落の具体的な状況が不明で、70年あまり経てようやく一端が浮かび上がった。

 溝は幅3・5メートル、深さ2メートル、長さ7メートル分が検出され、両側にさらに延びていた。溝の東側には住居跡とみられる柱穴が多数確認され、環濠によって集落の内外を明確に区画していた。

 環濠集落は弥生時代前期から西日本を中心にみられ、一辺100〜150メートル規模のものが多い。今回も、周辺の地形などから100メートル程度とみられるという。溝からは数千点の土器の破片が出土し、多くの人たちが暮らしていたという。環濠は、他の勢力から集落を守る堀の役割があるとされるが、今回の溝は傾斜がなだらかで、防御用ではなく集落の区画や排水用などと考えられる。

 瓜破遺跡は、戦前から断続的に調査が行われ、大規模な弥生時代の集落跡として知られているが、住宅開発などに伴う小規模な発掘が多く全容がつかめていなかった。

987よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/19(金) 06:08:53 ID:YiHki5Ng0
「三好一族と堺町衆」 来月10日公開学習会 大阪
2012.10.19 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121019/osk12101902010002-n1.htm

 堺市の市民団体「堺・ちくちく会」は、公開学習会「三好一族と堺町衆〜蘇れ・堺商人」(産経新聞社後援)を11月10日に堺区の堺市博物館で開催する。

 同会は堺区の大道筋(紀州街道)やその周辺の歴史文化遺産を生かしたまちづくりを進めようと活動。その一環で、堺ゆかりの戦国武将、三好長慶(1522〜64年)を顕彰しようと、長慶の座像を堺区の南宗寺(なんしゅうじ)に建立するための募金活動も展開している。

 公開学習会の開催は3回目。今回は長慶ら三好一族と堺の商人たちとの関わりについて、郷土史家の桧本多加三さんが講演する。当日は午後2時から。参加費は500円(入館料、資料代含む)。申し込みはファクス(072・261・7781)か往復はがき(〒590−0078堺市堺区南瓦町2の1堺市総合福祉会館、市民サポートセンター私書箱49)で。郵便番号、住所、氏名を記載して送る。先着100人。締め切りは今月末(必着)。問い合わせは同会の崎田公明さん((電)090・5246・6384)。

988よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/20(土) 03:31:37 ID:c6.eZ2mQ0
稚児は人身御供!? 頭の輪っかは「サンドラ」… 吹田・吉志部神社でどんじ祭り
2012.10.19 17:47
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121019/wlf12101917490023-n1.htm

 大阪府吹田市岸部北の「吉志部(きしべ)神社」で、地元に古くから伝わる「どんじ祭り」が開かれ、氏子らが供え物の奉納や練り歩きを行って収穫の秋を祝った。

 同神社本殿は国の重要文化財に指定されていたが、平成20年の火災で全焼し指定解除となり、昨年5月に再建された。祭りは市の無形民俗文化財で、握り飯をさす「屯食(とんじき)」がなまったといわれている。

 朝から近隣の南地区、小路地区、東地区の氏子らが神社を訪れ、神前に供え物を奉納。小路地区では氏子らが供え物を唐櫃(からびつ)と呼ばれる木の箱に詰めて神社までの約2キロを練り歩いた。

 また、人身御供の名残と伝えられる4人の稚児が別れの食事をとった後、木綿の着物にしめ縄の帯、サンドラと呼ばれる輪を頭に乗せた姿で行列に加わった。

989よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/20(土) 04:05:54 ID:c6.eZ2mQ0
大阪ロマン紀行

挨拶する神社のある風景
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)

2012年10月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121019/20121019031.html

大阪市浪速区日本橋西「廣田神社」

 神社には、神の使いとしてさまざまな動物が祀(まつ)られている。ポピュラーなところでは、お稲荷(いなり)さん。狐(きつね)がある。他にウサギや獅子、犬、牛、猿、ねずみなど、いろいろとあるが、主に陸の動物が多い。ちょっと変わったところではウナギや蛙(かえる)など、水や海に関するものもある。そんな中で今回お話を伺ったのは、赤エイ。浪速区にある廣田(ひろた)神社である。廣田神社の赤エイは「アカエ」と関西風の呼び名で親しまれ、悪疫退散、無病息災、痔(じ)や難病治癒に効能がある。

 どうして、アカエかというと、エイの尾にはとがった鋭いトゲがあり、ノコギリ状の歯が逆向きに並んでいて、図鑑を見ているだけでも痛そうである。しかもトゲには毒があり、グサリとやられると傷口が荒れて、ものすごく痛い。

 だから漁師はアカエをつかまえると、尾の付け根からぶっつりと切り落とす。アカエのトゲを絶つことから、痛みを絶つこととなり、病魔を絶つことにつながった。漁師に痔が多かったことや、エイが漢方薬としても珍重されていたことも関係があるだろう。

 廣田神社の近くは、木津の魚市場があるように、昔は漁師町として栄えた場所。神社の境内を掘っていくと、きれいな砂が出てくると言われている。

 廣田神社のパンフレットに「わがまち、わがやしろ」というフレーズが入っている。まさにわが町の神社にふさわしい。

 取材中も、ご近所の人が町内の行事の出欠届けを持ってきたり、子どもの宮参りに来られたり、自転車で来てちょっと寄っていったり、出掛ける前に寄りましたっていう感じの人がいたり、ごく日常的な感じで気軽に拝んで帰っていく。取り立てて大きな願い事をする様子もなく、家の行き帰りにちょっと寄って、あいさつしに来ましたっていう感じなのだ。

 津江正暉宮司に、ここの神様はどのような神様ですか、とお聞きしたら「土地の氏神です」という答え。そうか、みんな氏神さんにお参りというより、あいさつに来てたのか、と納得した。

 このような「暮らしの中に生きる神社」という存在は、大げさなものではないだけに、かえって重要な気がする。みんな行き帰りに、土地の神様に頭を下げてあいさつをしていくという風景は、都市の中の神社として実に美しい。自分と住んでいる場所への思いを、さりげなく、何げなく受け止めて、廣田神社は街角に、これからもずっとたたずんでいるのだと思う。

990よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/21(日) 18:25:05 ID:w4CjuCC.0
[あの日にタイムスリップ]簡易内風呂で「快適生活」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121021-OYT8T00105.htm
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 街開きから今年で50年を迎える千里ニュータウン(吹田、豊中両市)。高度経済成長期に誕生した全国初の大規模住宅群は、常に社会の流行や世相を先取りしてきた。みんなで一緒に追いかけた夢、振り返ればあの頃の悩みも今では笑い話……。思い出の中にある、あの時代に戻ってみよう。

 広々とした洋間、ステンレス製の流し台、水洗トイレ、ベランダ……。1962年10月29日。宮崎満智子さん(77)は、結婚式を挙げたその日に、同い年の会社員の夫・圭正(よしまさ)さんと、吹田市の府営千里佐竹台住宅に入居した。約1か月半前、千里ニュータウンで最初に完成した団地には、大阪市内の実家にないものがそろっていた。

 周囲も新婚や若い家族が多かった。「新しい生活が始まる」。だが、甘くはなかった。

 道路は未舗装で、むきだしの土の上をレインシューズで歩いた。丘陵地は冷たい風が吹き抜け、ベランダに洗濯物を干す手が凍えた。「なんでこんな所に来たのかしら」。夫が出勤した後、一人で家事をしながら悔いることもあった。

 府営住宅には内風呂がなく、商店などが集まる「近隣センター」の公衆浴場「菩提(ぼだい)湯」に通った。午後3時の開店に合わせて、子どもを連れた主婦らが押し寄せた。脱衣場にずらりと並んだベビーベッドは赤ん坊であふれ、行列ができていた。宮崎さんも結婚2年後に生まれた長女を抱え、順番を待った。

 「部屋に置けるお風呂があるらしい」。その頃、主婦たちの間で話題になったのが、ガス湯沸かし器と浴槽、シャワーが一体になった簡易型ユニットバス「バスオール」だった。

 63年に水戸市の会社が国際見本市に出品したものが前身で、同年、札幌市のガス製造販売会社が発売。半畳のスペースに設置でき、ふたを兼ねた折りたたみ式の洗い台に乗って体を洗い、ふたをはずして浴槽につかる。内壁には鏡やタオル掛けもあり、1台で風呂のすべてがそろうことから名付けられた。

 「お風呂が〈家具〉になりました」「お宅の幸せをもう一つ!」。当時のチラシには胸躍るような宣伝文句が並ぶ。価格は、サラリーマンの給料1か月分に相当する約6万円。冷蔵庫、扇風機など家電製品を少しずつそろえていた宮崎さんは、思い切って月賦で買い、台所に置いた。

 「部屋は狭くなるし、床をはう排水ホースもじゃまだったはずだけど、うれしかったんでしょうね。全然、気にならなかった」。68年には長男も生まれ、「とても重宝した」。

 洗い場付きのタイプも発売され、ベランダに置く家庭も。瞬く間に千里ニュータウンの府営住宅1万戸の約3分の2に広まった。吹田市立博物館の五月女賢司学芸員は「狭い空間に様々な機能をまとめなければならない団地住民に大ヒットした。家庭用ユニットバスの先駆けといえる」。バスオールを扱う会社は複数回変わり、6年前に生産が終了した。

 宮崎さんは、増築で浴室が設けられるまでの約20年間、バスオールを1度買い替え、使い続けた。仕事で遅くに帰宅し、小さな浴槽で気持ち良さそうに汗を流していた圭正さんは、今年6月、亡くなった。子どもたちはすでに独立した。

 「家族のかけがえのない思い出が、ここには詰まってる」。半世紀守ってきた我が家を、いとおしそうに見つめた。(渡辺彩香)

(この連載は毎週日曜日に掲載します)

991よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/21(日) 18:26:00 ID:w4CjuCC.0
◇読者から 上階から水漏れたびたび

 吹田市青山台の府営住宅に住む今岡紀美恵さん(70)から、バスオールにまつわるお手紙を頂いた。〈上に住む人に何度も水漏れを起こされました。懐かしい思い出です〉

 今岡さんは65年5月に夫と入居し、2人の子どもを授かった。バスオールを購入した1階上の人が、ベランダの排水溝にホースを差し込むのをよく忘れ、そのたびに天井や押し入れ、ベランダから水が落ちてきた。「水、漏れてるよ〜」と叫びながら、慌ててあちこちを拭いたり、布団を干したりした。

 団地の中はいつも子供の声があふれ、近所で協力して育てた。〈住民は高齢化し、建物も老朽化しているが、若い人にも魅力ある街になるのを望んでいます〉

 千里ニュータウンに関する思い出や情報をお寄せ下さい。▽日本初の自動改札機▽竹見台小学校と南竹見台小学校▽近隣センター▽老朽化住宅の建て替え――など。〒530・8551(住所不要)読売新聞大阪本社社会部大阪版担当へ郵送か、ファクス(06・6361・3001)、メール(o‐naniwa@yomiuri.com)で。

992よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/21(日) 18:26:49 ID:w4CjuCC.0
◇スクラップ 「東洋一」熱気あふれ

 1962年に街開きが行われた千里ニュータウンは、その後6年かけて整備され、69年には、人口10万人を突破した。読売新聞の記事から60年代の千里ニュータウンの変化をたどる。

一番乗りは3人家族 (62年9月15日夕刊〈1〉)

 最初に完成した吹田市C住区(現在の佐竹台)の第1期1010戸への入居が始まった。家族3人で引っ越してきた一番乗りの会社員男性(34)は「これでやっと小さなアパート生活から解放された。ここは周囲が丘陵ですばらしい環境です」。

式典に知事ら800人 (62年11月2日夕刊〈2〉)

 開発主体の府が「町びらき」の式典を開催。府知事や吹田、豊中両市長ら800人が出席した。病院、商店、学校などの施設を完備した12の住区を建設する計画で、「東洋一のマンモス団地」と呼ばれていた。

都知事も視察 (65年2月10日朝刊〈3〉)

 全国に先駆けた大規模住宅群は、深刻な住宅不足に悩む東京の手本にもなった。多摩ニュータウンの用地買収を進めていた東京都の東龍太郎知事が視察に訪れ、「千里の住宅、緑地の配置や交通機関の乗り入れ計画はとくに参考になり、われわれの計画を成功させる自信がついた」と評価。府幹部は、ニュータウン東側が万博候補地になっていることを説明し、「大阪の北の副都心」と胸を張った。

住民増え電柱林立 (68年6月27日朝刊〈4〉)

 住民が増えるにつれ、課題も浮上した。無電柱のモデル地区にあった豊中市の府営住宅では、電話を設置する住民が予想以上に多く、木製電柱が林立した。

 新しい街が広がり、新たな暮らしがここから始まる――。記事からはそんな熱気が伝わってくる。(井口馨)

 大阪読売サービスでは、思い出の紙面や写真を販売しています。電話(06・6364・9085、平日午前9時半〜午後5時半)、ホームページ(http://www.oys.co.jp/service/04/kinen.html)。

(2012年10月21日 読売新聞)

993よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/21(日) 18:42:03 ID:w4CjuCC.0
武士の魂「楠木正成」合戦の地・赤坂の巻
2012年10月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/rekiwalk/121020/20121020052.html

城に篭って、次の一手

 楠木正成のイメージといえば知略、軍略、知謀。「とにかく頭がいい」という印象があります。赤坂城合戦、千早城合戦、そして洛中奪還。全ての戦いで今までの常識では考えられない戦い方を実践しました。過去に学び、良い戦法はさらに向上させ、敵を翻弄(ほんろう)。ではなぜ楠木正成は戦いを始めたのでしょうか?

 時は武家の世、鎌倉時代。平家との戦いに勝った源氏が、武家として初めてつくった幕府が鎌倉幕府。ところが、統治というのはなかなか難しい。こちらを立てれば、あちらが立たず。体制を維持するために税金の搾取も増えてくる。すると、だんだんと幕府に不満を持つ者が増えて参ります。それを敏感に感じ取ったのは後醍醐天皇。「鎌倉幕府はもうダメだ。もう一度天皇を中心とした世の中にするぞ」と笠置山で挙兵をしました。

 この一報を聞いて楠木正成は大喜び。河内国をはじめ関西全域にその力を広げ始めた楠木正成にとって関東流の統治は水に合わない。すぐに笠置山に駆けつけました。ところが、笠置山の周りはすでに幕府軍だらけの陥落必死。この中にあって正成、後醍醐天皇の前に進み出で、「お上、この正成に幕府討伐をお命じ下さい。必ず勝ちまする。天に隠れ、地に潜って、最後の勝ちを収めてご覧にいれまする」と申すと後醍醐天皇は喜びました。正成はすぐに赤坂に帰り、来たるべき合戦に備えました。

 その赤坂城趾碑は現在、村立中学のすぐ横の高台に立っています。そこからは棚田百選に選ばれた景色を見渡す事ができ、正成はそこで城下に何万と群がる敵・幕府軍を迎え撃ったと想像すると、ドキドキしてきました。現場でしか味わえない緊張感。

 笠置山が落ち、後醍醐天皇の身柄は拘束され、関東からやってきた何万という幕府軍は恩賞の種を正成と定め、「相手はわずかな小勢。一気に攻め落としてしまえ」。

 誰もが「落城必至」と思われたこの中で正成だけは悠然と構えていました。勢いに任せて攻めてくる幕府軍。ところが、城壁によじ登ってみると、その壁が倒れる。上から石が落ちてくる。「そんなのアリか、今までそんな事したヤツはおらんがな。戦いというのはなぁ…」と文句を言っているうちにバタバタと倒れる幕府軍。「くそっ、悪党めが」と思うが手が指せない。

 ところが、1カ月もすると何と楠木正成自らの手で赤坂城を焼いてしまった。それからはようとして行方知らず。さぁ、正成の次の一手は、また来週のお楽しみ。

 (大阪講談協会所属)

 ◇旭堂南陽の公演「日本一亭 南陵会」は26日午後7時、ワッハ上方(難波千日前、YES・NAMBAビル)4階小演芸場。千円。問い合わせはワッハ上方、電話06(6631)0884。

994名無しさん:2012/10/21(日) 21:52:32 ID:XDL5GIng0
幕府軍が近畿の言葉なのが残念だと思った
関東の言葉にすると何らかの支障があるのかも知れんけど

995よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/23(火) 06:21:42 ID:cSeEqlF.0
[碑(いしぶみ)にきく]街道のにぎわい願う 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121023-OYT8T00166.htm
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◆覚峰(かくほう)の歌碑(羽曳野市)

代々守り伝えてきた 金剛山地の麓に、ブドウ畑が点在する。羽曳野市駒ヶ谷。古くから竹内(たけのうち)街道と呼ばれてきた国道166号周辺に、江戸時代後期に建てられた歌碑2基がある。

 一つは大和川水系の飛鳥川のほとりに立ち、鎌倉時代初期の新古今和歌集に収録された和歌が刻まれている。

 〈あすか河 もみち葉なかる 葛城の 山のあき風 吹そしぬらし〉(飛鳥川に紅葉が流れている。きっと葛城山の秋風がひまなく吹いているのであろう)

 もう一つは、北に約500メートルの府道脇にある。歌には、約1600年前、履中(りちゅう)天皇が謀反に遭い、難波宮(なにわのみや)を脱出した場面が詠まれている。

 〈大坂に遇うや少女を道問へば 直には告(の)らず当岐麻道(たぎまち)を告(の)る〉(大坂山口まで来た時、出会った少女から直進せずに当岐麻道を越えるように言われ、難を逃れた)

 いずれも、高さ約2メートルの石碑で、側面に文化2年(1805年)の建立とある。建てたのは、当時近くにあった金剛輪寺の住職・覚峰(かくほう)(1729〜1815)。30歳で住職になり、200年近く前に焼失したままだった本堂をわずか4年で再建した。国学や和歌にも秀でていたと伝わる。

 その覚峰が二つの歌碑を建てた理由を、上野勝己・元竹内街道歴史資料館長(太子町)は「駒ヶ谷に名所を作り、旅人を集めようとしたため」と推測する。

 竹内街道は、日本書紀の613年に「難波(大坂)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記された日本最古の官道で、堺市から奈良県葛城市までの26キロを結ぶ。だが、江戸時代後期には、南西を迂回(うかい)するルートの往来が増え、街道は寂れつつあった。「覚峰は、再び人の流れを竹内街道や駒ヶ谷に戻そうとした。いわば観光振興」

 覚峰の“宣伝”には異論もある。「あすか河」は、河内の飛鳥川ではなく、奈良を流れる飛鳥川を指すとの説がある。「当岐麻道」は後の研究で、さらに東にあったと考えられている。

 金剛輪寺は明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)で廃寺になったが、歌碑は地元の人に守られてきた。「ここで歴史のロマンが繰り広げられたと思うと、誇らしい」と平山昌男さん(71)。住民たちは二つの歌の舞台を駒ヶ谷だと信じてきた。

 竹内街道が整備されて1400年の来年に向け、沿道では様々なイベントが企画されている。街道を中心に村おこしを進めた覚峰の願いは、現代に受け継がれている。(岡田英也)

◆交通手段 

「あすか河の歌碑」は、近鉄南大阪線駒ヶ谷駅から南東に約400メートル。「当岐麻道越の歌碑」は同駅から北東に約500メートル。

996よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/23(火) 06:23:07 ID:cSeEqlF.0
>>995

◆親しまれた多才な僧侶 関西大学文学部教授藪田貫さん64

 近世の大坂を専門にし、住民への聞き取りの際に、「覚峰さん」と呼ばれる僧侶を知った。今も親しまれていることに興味を持ち、詳しく調べた。

 大坂で生まれた覚峰は、19歳で出家。金剛輪寺の住職に就いてからは、地元の庄屋・真銅(しんどう)家と書状を交わすなど、村人と交流した。「地域から信頼されて支援を得たことで、住職になって4年で伽藍(がらん)を再建できた。村人と積極的に関わった、庶民的な人物像が浮かぶ」

 河内の古墳や和歌を論考した著書も残した。作家で俳人の秋里籬島(りとう)が描いた「河内名所図会(ずえ)」(1801年発刊)には、覚峰から多くの情報を提供してもらったと記されている。「地域の歴史に精通した郷土史家のような存在だった」とみる。

 文化や芸術にも造詣が深かった。平安時代に大陸から伝わり、江戸時代後期には断絶状態だった楽器「一弦琴」の再興に尽力。当時、金剛輪寺と同じ場所にあった杜本(もりもと)神社では、今も時折、奉納演奏が行われている。「僧侶の枠に収まらない人だったからこそ、歌碑建立も思いついた。根底には、地域に伝わるものを大切にし、発展させようとする精神があったのでしょう」

 
 やぶた・ゆたか 1948年、松原市生まれ。島本町在住。日本近世史。「武士の町 大坂」など著書多数。文学博士。

(2012年10月23日 読売新聞)

997よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/23(火) 23:18:23 ID:8qIHhB/U0
「文楽に来てね」中堅・若手技芸員らがJR大阪駅でキャンペーン
2012.10.23 21:10
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121023/wlf12102321140016-n1.htm

 国立文楽劇場(大阪市中央区)で来月行われる公演「仮名手本忠臣蔵」をPRしようと、文楽の中堅・若手の技芸員らが23日、JR大阪駅の「時空(とき)の広場」でキャンペーンを展開。文楽の実演や解説が行われた。

 橋下徹市長が打ち出した補助金削減問題で揺れた文楽。市が今年度分の補助金3900万円を文楽協会に支給することで決着したが、自分たちの手でも文楽の魅力を発信していこうと、大がかりな宣伝活動を行うことにした。

 この日は協会の呼びかけに賛同した太夫、三味線、人形遣いの技芸員20人が参加。義太夫節や人形の動かし方などの解説のほか、公演の一場面「裏門の段」を披露した。また、忠臣蔵の舞台となる兵庫県赤穂市から観光マスコットキャラクター「陣たくん」や「義士娘」も登場。訪れた人たちに公演のチラシなどを配り、アピールした。

 「これからも積極的に発信したい」と解説を手がけた豊竹咲甫大夫さん。義士娘の井口恵理華さん(24)は「公演とともに自然と歴史が豊かな赤穂にも遊びに来て」と呼びかけた。

 公演は11月3日〜25日。PRイベントは11月2日、地下鉄長堀鶴見緑地線「心斎橋駅」でも実施する。

998よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/25(木) 18:11:35 ID:NaHaJVd60
仁徳陵墳丘に無数の地割れ 巨大地震で繰り返し被災か
2012.10.25 11:28
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121025/wlf12102511320010-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121025/wlf12102511320010-n2.htm

 宮内庁が仁徳天皇陵として管理する堺市堺区の大山古墳(5世紀中ごろ、前方後円墳)に、巨大地震でできた無数の地割れや地滑り跡があることが、墳丘の航空レーザー測量図を調べた産業技術総合研究所の寒川旭(さんがわ・あきら)客員研究員(地震考古学)の指摘で25日、分かった。

 東海・東南海・南海地震がほぼ同時に発生したとされる684年の白鳳地震をはじめ、巨大地震の被害を繰り返し受けた可能性があるという。

 墳丘が崩れていることは平成7年の宮内庁の調査で判明しており、学界には未完成説、中世の山城改変説、暴風雨説などもあったが、地震説が決定的になった。

 測量図は、大阪府や堺市などから成る百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議が作り、今年9月に公表。等高線が10〜20センチ間隔と宮内庁が公表している1メートル(一部25センチ)間隔の図より精密で、墳丘の長軸に沿って、これまで判別できなかった地割れの痕跡などが次々見つかった。

 寒川客員研究員は「地割れの向きや形状から、墳丘が左右(短軸方向)にすさまじい力で揺れたことが分かる。マグニチュード(M)8級の巨大地震でしか説明がつかない」と指摘。

 地割れ跡が複雑に入り組み、重なっていることから「築造間もなく起きたM8級の白鳳地震や、豊臣秀吉の伏見城を崩壊させた慶長伏見地震(1596年、推定M7・5以上)などで何度も被害を受け、拡大したのだろう。古墳は通常、丘陵などを土台に築くため崩れにくいが、大山古墳は大半が盛り土かもしれない。次の南海地震でも崩れるだろう」と話す。

 地滑り跡も多く、後円部の2カ所では盛り土が大きくえぐれて崩落していた。

999よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/25(木) 18:16:35 ID:NaHaJVd60
〈二河原辺〉郷土の誇りは「楠公さん」
2012.10.25 11:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121025/wlf12102511010007-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121025/wlf12102511010007-n2.htm

 大阪府で唯一の村、千早赤阪村に「二河原辺」という40戸ほどの集落がある。府内最高峰の金剛山のふもとの農村で、「にがらべ」と読む。地元の“英雄”で南北朝時代の武将、楠木正成のゆかりの地として、週末には歴史ファンらが訪れるという。(勝田康三)

 ■川に挟まれた土地

 秋も深まりつつある日の夕方、二河原辺の集落を歩くと、自然の豊かさに圧倒される。山の木々は色づき、段々畑には黄金色の稲穂が頭を垂れていた。昔ながらのホッとする光景だ。

 畑仕事に精を出す男性に地名の由来を聞いてみると、「北側に水越川、南側は足谷川が流れ、その間にある原というので付けられた名前のはず。昔から“にがらべ”と言うとるらしい」と教えてくれた。

 2つの川に挟まれた土地だから…。地名の由来については何となく納得したが、村に尋ねても、なぜ「にがらべ」と呼ばれるようになったかは、結局よく分からない。

 ただ、外部の人のほとんどが漢字表記を見て「にかわらべ」や「にかわはらべ」と読んでしまう。集落名を示した標識には「nigarabe」とアルファベットでも表記している。

 ■楠公記念塔

 「楠公さん」。地元の人たちは正成への親しみを込めて、こう呼ぶ。周辺には正成ゆかりの上赤坂城跡や下赤坂城跡のほか、楠公生誕地、建(たけ)水(みく)分(まり)神社などがあり、週末には歴史巡りやハイキングを楽しむ人たちが訪れる。

 二河原辺にも、晴れた日には大阪市内の高層ビル群を一望できる丘に、正成没後600年を記念した「奉建塔」(楠公六百年祭記念塔)がそびえる。

 現場の案内文によると、塔の高さは43尺(約13メートル)。正成が43歳で自害した年齢にちなんで建てられたという。昭和10年11月に着工、15年5月に完成した。

 楠公史跡保存会の解説文には「(正成の)霊を弔う鎮魂碑であると共に国民精神昂揚の一大金字塔としたい」とある。

 塔柱には、正成が旗に示したという「非(ひ)理(り)法(ほう)権(けん)天(てん)」の5文字が刻まれ、「非は理に、理は法に、法は権に、権は天に勝たず」、つまり、「人事は天の命のまま動くもの」という意味らしい。

 85歳になるという男性は農作業の手を休め、「二河原辺は楠公さんの…」と、誇らしげに二河原辺と正成のことを語ってくれた。

 正成の死から680年近く経過しても、敬慕の念を持ち続ける住民。日暮れ時で吹き抜ける風はひんやりしたが、住民の心は温かく感じた。

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1003よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/26(金) 21:35:49 ID:VjLMhW/g0
かっこいい!! 大阪天満宮で流鏑馬神事
2012年10月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121026/20121026027.html

 大阪天満宮の流鏑馬(やぶさめ)神事が25日、大阪市北区の同宮周辺で開かれた。街中で行うため矢を使わず、弓で的を打ち破る独特のスタイルで行われ、大きな破裂音とともに的が粉々になると、見物客からは歓声が起こっていた。

 戦国時代には流鏑馬が行われていた同宮。江戸時代初期には一時中断されたが、復興後は浪速の秋の風物詩として随筆や絵画の題材になってきたという。

 当初は馬上から矢で的を射ていたが、江戸時代後期には周りに家が立ち並ぶようになって安全面を考慮。通常の弓より短い半弓で的を打ちたたく今のスタイルになったという。

 同神事では、最初に神職が騎乗し、表門から折り返し地点までの道を清めるおはらいをすると、室町時代の狩り装束を着た「本駆者」と呼ばれる乗り手が登場。折り返し地点までを3往復しながら、3カ所の的を次々と打ち破り、沿道に詰めかけた見物客から大きな歓声と拍手が起こった。

 的の破片は縁起物になるとされ、多くの見物客が持ち帰り、家族連れで訪れていた西川花音さん(6)=同区=は「(音に)びっくりしたけど面白かった」と喜んでいた。

1004よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/26(金) 21:44:15 ID:VjLMhW/g0
とこしえ(永遠)の舟お目見え 高津宮で初の「秋まつり」
2012年10月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121026/20121026031.html

 28日に高津宮(大阪市中央区高津1丁目、小谷真功宮司)で命の尊さを訴える「とこしえ秋祭り」が開かれるのに合わせ、同宮の表参道に2万年前の地層から出土した神代杉を使った巨大芸術作品「とこしえの舟」がお目見えする。かつてうつ病を患い、命と向き合った経験を持つ芸術家の伊原セイチさん(52)が制作を手掛け、芸術を通して命の大切さを訴える。

 同宮は凶悪な事件などが全国で相次ぐ中、「食」や「芸術」などを通して生きる喜びを感じてもらおうと、ことし初めてとこしえ秋祭りを企画した。とこしえの舟は、小谷宮司(53)がかねて親交のあった伊原さんに制作を依頼した。

 全長約5メートル。樹齢約500年といわれるケヤキが使われるほか、上部に2万年前の地層から出土した神代杉を載せ、「時空を進む“動力”」として、永遠=とこしえ=に向かってこぎ出す様子を表現している。併せて表参道に奈良県天川村から切り出された杉などを使い、長さ25メートルの“桟橋”を出現させる。

 28日夕方から、小谷宮司による御魂入れ神事が執り行われるほか、音楽家の松尾泰伸さんのシンセサイザーによる奉納演奏などがある。また当日は、同宮の氏子衆らによるアーモンドを使った菓子を販売する「氏子菓子祭り」なども開かれる。

 小谷宮司は「祭りが現代社会にどう貢献していくかの試み」。かつて、うつ病で命がなくなるのを実感したという伊原さんは「芸術という手法で、命の大切さを具体的に提示するのが役目だと思っている。とこしえの舟を見て元気になってもらえれば」と話している。

1005よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/27(土) 07:05:44 ID:XYpu6bcA0
百舌鳥古墳群で堺工科生が水質調査
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121027-OYT8T00105.htm
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 府立堺工科高校(堺市堺区)の生徒たちが、世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群(堺市、羽曳野市、藤井寺市)の一つ「いたすけ古墳」(北区百舌鳥本町)の濠(ほり)の水質を調べる取り組みを進めている。ボートに乗って毎月1回、濠の水を採取し汚れ具合を調査。古墳の水質浄化は登録に向けたポイントの一つであるとされ、生徒らは「僕たちの取り組みが、世界遺産登録につながればうれしい」と意気込んでいる。(中筋夏樹)

 いたすけ古墳(全長約146メートル)は5世紀中頃にできたと考えられる前方後円墳で、百舌鳥古墳群では8番目の大きさ。昭和30年代初めに宅地造成の計画が浮上したが、住民運動で工事を食い止めた経緯があり、出土した埴輪(はにわ)は、堺市の文化財保護のシンボルマークになっている。

 堺市によると、いたすけ古墳の濠は夏場を中心にアオコが発生して水面が緑色に覆われ、悪臭が気になることがあるという。市は同じような状況の周辺の古墳とともに、昨年から水質調査に乗り出している。

 今年はこのうち、いたすけ古墳について、環境化学システム系がある近くの堺工科高校に調査を依頼。希望した1、2年生の7人がチームを組んだ。

 救命胴衣を着けてゴムボートに乗り、決められた4地点で、水面と水深約40〜70センチの水を採取して水素イオン指数(pH)や水温を調べ、学校に持ち帰って有機物を検査して水の汚れを分析する。

 1回約2時間、ボートをこいで大きな古墳の濠を静かに揺られながら、ポイントへと移動する。古墳はタヌキが棲(す)みついていることで知られ、工事が計画された際に架けられ、今は崩れた橋の上にひょっこり顔を出す場面に遭遇することも。

 メンバーや指導する教諭らは集めたデータを基に、水質改善にも貢献したい考えだ。

 2年山野美勝(よしかつ)さん(16)は「定期的に訪れると臭いが気になる日があり、データでも夏場は汚いことがわかる。世界遺産を目指す古墳を僕らの力できれいにしたい」と話している。

(2012年10月27日 読売新聞)

1006よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/27(土) 20:13:03 ID:rBrqbB4o0
「プチレトロ」ビルが人気 重文近代建築よりも新築物件よりも魅力的な理由
2012.10.27 17:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121027/wlf12102717000019-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121027/wlf12102717000019-n2.htm

 戦後の高度経済成長期に商都・大阪を支えた築50年程度の「プチレトロ」なビルが今、見直されている。都心部に残る昭和初期の重厚な近代建築や、利便性の良い新築ビルなどに比べて家賃が安い「お得感」のほか、室内を改修したり、少しだけレトロな雰囲気を楽しんだり。デザイン事務所などのオフィスや店舗として活用する若い世代の事業主から人気を集めているという。また、不動産業者による「古ビル再生イベント」なども開催。街の発展を見守り、いったんはその役目を終えた“夢の跡”で、新たな夢を育む動きが広がっている。

“古さ”が新鮮

 ビニール素材の床に、壁紙ではなく吹きつけ塗装の壁、長年磨かれてきた手すり、むき出しの蛍光灯…。幅の狭い廊下の両側に部屋のドアが並ぶ。何となく、昭和の小学校にトリップしたような雰囲気が漂う。

 昭和31年、大阪市中央区久太郎町に建てられたOSKビル(元大阪繊維共同販売所)。かつて、大阪・船場の繁栄を支えた繊維関係の企業が林立した一帯にあり、現在は「丼池(どぶいけ)ストリート」と呼ばれる一角に建つ。ビルには繊維問屋が所狭しと入居していたが、次第に空き部屋が目立つように。古いビルの魅力を知ってもらい、にぎわいを取り戻そうと、内覧会を兼ねたイベント「古ビル再生博覧会」が現在開かれている。

 外見はごく一般的な5階建てのビル。しかし、エレベーターなどの設備はなく、狭いらせん階段がレトロな空間を醸し出す。1部屋あたり16平方メートル程度に小さく区割りされ、小窓にはビンテージ感のあるすりガラス。天井は3・5メートルと現在の建築物よりも1メートル近く高い。繊維問屋がうずたかく反物を積み上げていた名残が感じられる。

 「当時の姿を残したままのビルの内装や、修理を重ねながら長く使用されてきた建具は、かえって新鮮で魅力的に感じるのでは」と、主催する大阪市中央区の不動産業者「みんなの不動産」代表、末村巧さん(47)。部屋の活用方法を具体的に提案するコーナーを設置した。

 例えば3階の1室は、オフィスに改装。ビルの中に残されていた椅子やテーブルやキャビネットなど古い家具を塗装するなどして配置し、レトロ感を強調した。

 また、プロのデザイナー20人がリノベーション(改修)を手がけたショールームも。昭和ノスタルジーを意識し、座卓を取り入れたオフィスや、床に鏡を敷き詰めたり、壁をオレンジなど強い色に塗り替えたりした斬新なオフィスが登場した。

 末村さんは「ビルの持つ昭和の雰囲気と現代のアートな感覚は意外と調和します。思い思いの活用法でビルに愛着を持って楽しく仕事に取り組めるオフィスを」と提案する。

1007よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/27(土) 20:14:47 ID:rBrqbB4o0
>>1006

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121027/wlf12102717000019-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121027/wlf12102717000019-n4.htm

気軽に「自分の城」

 大阪市内には、イギリスの建築様式に基づいた大阪農林会館(中央区)や、ルネサンス風の建築で国重要文化財の綿業会館(同区)など格式のある近代建築が多数残る。

 現在は、賃貸オフィスや店舗として貸し出され、昭和初期の歴史的建造物として圧倒的な人気を誇る。「空き物件が出れば、すぐに埋まる状態」と末村さん。

 そうした状況に“変化”が訪れたのは、ここ2年ほど。末村さんは「近代建築よりも歴史は浅いが、ちょっとレトロな雰囲気と味のある昭和30年前後の物件にも目が向けられてきた。問い合わせが増えていますね」。

 同条件の立地にある重厚な近代建築や新築ビルと比較すると、家賃が月に3割ほど安いケースも。新しいビルとは違って、内装の改修に自由がきき、10平方メートルなど狭い部屋が多い。少人数の事業所や「自分だけの城」を作るには最適な環境が受けているようだ。

 OSKビルのように、戦後の復興途上で建てられたビルは多い。その後、バブルの崩壊直前をピークに、市内に拠点を置く事業所数は年々減少傾向。近代建築のような脚光を浴びることのないまま残され、事業所が抜けて空室が目立つ物件が多いこともあり、末村さんも積極的に仲介に携わるようになった。

 問い合わせはおもに30代の若い事業主。おしゃれに敏感なデザイン事務所やアパレル関連、ベンチャー企業のオフィスとして人気で、店舗としても活用するケースが急増しているという。

 例えば今年6月、地下鉄西梅田駅近くの堂島英和ビル(北区)の2階に入居した古本店「本は人生のおやつです!!」。昭和30年代に建てられたビルは、当時としては窓が大きく、「ハイカラでおしゃれなビル」として知られたらしい。

 経営者の坂上友紀さん(33)は「『ここだ!』と一目ぼれしました。周辺の都会の風景に取り残されたようなレトロな空間が懐かしいし、かわいらしい」と話す。一部の壁をピンクに塗り、天井から柱を通して一面を本棚に改修。「ちょっと床が傾いているんですが…。長く愛されてきたあたたかみを感じる場所で私の歴史も刻んでいきたい」とほほえむ。

1008よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/27(土) 20:17:29 ID:rBrqbB4o0
>>1006>>1007

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121027/wlf12102717000019-n5.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121027/wlf12102717000019-n6.htm

“まちづくり”に直結

 古いビルが再生することは、まちの活性化やイメージチェンジにもつながるという。

 建築家、村野藤吾が設計した昭和27年の「フジカワビル」(中央区)。画廊のために建てられ、壁一面にガラスブロックが張り詰められた外観とあめ色に輝く流線形の階段手すりなどが特徴の戦後のビンテージビルとして有名だ。グラフィックデザインや不動産会社などが入居しているが、1年半前、屋上に美容室がオープンした。

 屋上に置かれた小さな小屋のような空間に、浅い緑を基調した調度品を備えた都会のオアシスのような空間。ファッションやおしゃれに敏感な若い女性がビルに出入りするようになったという。

 末村さんは「堺筋に面したビジネス街の一角が、華やかになった。もともと美術の最先端だったビルの歴史を考えると、周辺の雰囲気はより“らしく”なったのかも」。

 ビルが持つ歴史とストーリー性を考えると楽しい。OSKビルでのイベントでは、大学生ら約20人が参加して地域の魅力をリサーチするワークショップを開催。繊維街にちなんで「布地」をキーワードに議論し、11月4日には地元の関係者も交えてビルの再生と街の活性化についてシンポジウムを開くという。

 ワークショップを取りまとめる1級建築士、河田剛さん(35)は「古いビルの魅力は、地域の歴史の中にあってこそ。若い世代が入居することで、街全体が元気になれば」と話す。

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1011よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/28(日) 05:40:58 ID:wAe3wtnM0
秀吉邸宅のびょうぶ 江戸時代の制作か
10月28日 5時7分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121028/t10013067531000.html

新潟県上越市の博物館が保管している、豊臣秀吉の邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」を描いたびょうぶが、秀吉が死去して半世紀ほどたった江戸時代の17世紀中ごろに制作された可能性が高いことが分かり、専門家は、徳川の時代になっても秀吉をしのぶ風潮が残っていたことをうかがわせる興味深い資料だとしています。

「御所参内(ごしょさんだい)・聚楽第行幸図屏風(じゅらくだいぎょうこうずびょうぶ)」には、豊臣秀吉が京都に建てた「聚楽第」に向かう後陽成(ごようぜい)天皇と、それを出迎える秀吉が描かれています。
保管する上越市立総合博物館の調査委員会が調べた結果が、27日に開かれたシンポジウムで発表されました。
それによりますと、絵の描き方から、聚楽第があった当時に描かれた絵を、秀吉が死去して半世紀ほどたった江戸時代の17世紀中ごろに、別の絵師がびょうぶに写し描いた可能性が高いことが分かったということです。
また、後陽成天皇と秀吉が対称に描かれている構図から、秀吉の政治的な力を強調して描かれたとみられ、徳川の時代になっても秀吉をしのぶ風潮が残っていたことをうかがわせる興味深い資料だとしています。
調査委員会の上越教育大学大学院の川村知行教授は、「徳川の政権になって豊臣の文化はすべて捨て去られたと思われているが、そうではないことがうかがえる」と話していました。
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1012よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/29(月) 12:49:38 ID:xqSAix/E0
切手「悠久の古墳」 世界遺産目指し大阪の有志が商品化
2012.10.28 18:48
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121028/wlf12102818500016-n1.htm

 世界遺産登録を目指す大阪府東南部の古市古墳群を知ってもらおうと、同府松原市の写真家保田紀元さん(72)や地元郵便局長らがオリジナルフレーム切手「悠久の古墳」を商品化した。

 保田さんが知人のエッセイスト川上恵さん(65)から5年前に「登録に向け、できることをしよう」と呼び掛けられたのがきっかけ。同古墳群を撮影した4千点の写真から11点を選んだ。「地域の歴史や素晴らしさが伝わればうれしい」と切手の効果に期待している。

 切手シートは今月25日から大阪府藤井寺市など9市町村65郵便局で計千枚が販売されている。1シートは80円切手が10枚だが、値段は1200円。

1013よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/29(月) 13:10:31 ID:xqSAix/E0
「大坂の陣」400年で企画 3日に道明寺合戦まつり
2012年10月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121028/20121028022.html

 大阪はもとより日本の歴史の大きな転機となった「大坂の陣」(1614〜15年)からまもなく400年を迎える。大きな節目を前に「夏の陣」合戦場の一つ、大阪府藤井寺市道明寺の商店主らが主体となって11月3日に地元で「道明寺合戦まつり」を企画した。歴史の舞台・道明寺の知名度アップと地域おこしを目指そうと準備に追われている。

 道明寺合戦は15(慶長20)年5月に徳川軍と豊臣軍が河内国道明寺村で激突。徳川側の伊達政宗と豊臣側の真田幸村という二大武将が唯一対峙(たいじ)した戦いでも知られる。

 まつりの発起人は地元在住でNPO法人「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」創設者の河井計実さん(50)。真田幸村を筆頭に「大坂の陣や大坂を守ろうとして散った人々の顕彰」を信条に、甲冑姿で多彩な歴史イベントや奉仕活動を展開しており、約10年前から「大坂の陣400年祭」の草案を練ってきた。戦いのあった各地で行政や市民が連携する、地域おこしのイベントを仕掛けるプロジェクトだ。

 今回のまつりは400年祭の重要なプレイベントという位置付けで、今春に実行委を設置。道明寺商店街有志や阪南大学などの多くの協力者と協議を重ねて、ようやく開催の運びとなった。

 まつり当日は午前9時に近鉄阿部野橋駅発で道明寺駅まで甲冑隊員が乗り込む臨時列車の運行で幕開け。道明寺商店街一帯ではスタンプラリー、古戦場をめぐるフリーハイキング、合戦の模様を彫刻しただんじりの展示、甲冑試着体験など趣向を凝らしたプログラムが予定されている。

 商店街や道明寺天満宮、道明寺の周辺では順次のぼり旗の取り付け作業が行われ、商店会理事で実行委員長の森田剛浩さん(50)は「400年という節目をうまく地元活性化に生かしたい」と期待を込め仲間と準備に汗を流す。河井さんは「藤井寺一帯は現在も大坂の陣当時の風景が残っている貴重な地域。『古墳群のまち』だけではなく、戦国時代の重要な舞台であったことも全国に広く発信したい。400年祭では慰霊のほかに石川河川敷で数千人規模の合戦を再現できれば」と壮大なプランを練る。

1014よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/29(月) 13:20:50 ID:xqSAix/E0
安倍晴明ゆかりの望遠鏡など 沢田さんが所蔵品公開
2012年10月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121029/20121029030.html

 大阪市に住む男性が、平安中期に活躍した“陰陽師(おんみょうじ)”として知られる安倍晴明にまつわる科学作品をコレクションしている。その子孫は天文時計などを発明しており、「江戸時代にこれだけ優秀な技術があり、ハイテク国家の基礎があった」と話している。

 和科学学会会員などを務め、テレビの鑑定番組にも出演する沢田平さん(77)=東成区=は、江戸期に製作された天体望遠鏡や“正密”時計など千点を超す作品を所有する。晴明の命日とされる9月26日には、ゆかりの深い阿倍王子神社(阿倍野区阿倍野元町)でコレクションのうち約20点を公開した。

 晴明は、暦をつかさどる家柄で明治期まで続いた土御門家の祖とされる。沢田さんは「安倍晴明公は科学者だった」と題した講演で「天候や豊凶作を占うには天体の変化を察知しなければならない。魔術師ではなく科学者だった」と説明した。

 江戸時代には、授時簡(じゅじかん)(天体観測用和時計)や当時の宇宙観を表した須弥山儀(しゅみせんぎ)などが発明され、正密時計は今に直して1日当たりの誤差が2、3秒、月差は15秒ほどだったという。「世界と比べても優れた技術。阿倍野区に住むみなさんにとっても誇りに思ってほしい」と話した。

1015よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/29(月) 21:29:43 ID:cgNEt0TQ0
旭堂南陽のブラリ講談 歴史あるき

武士の魂「楠木正成」桜井の別れ・島本町の巻
2012年10月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/rekiwalk/121027/20121027055.html

ここがそうだと知ってました?

 昔は多くの人が歌ったと言われる唱歌「楠公の歌」。最も有名なのは「青葉茂れる桜井の」からはじまり、6番まで続く「桜井の決別」の場面を歌ったところです。死にゆく父、父の思いを受け継ぐ子、故郷で待っている母。昔なら何ともなかったと思うのですが、今では僕も息子のいる身。思わず、涙に誘われます。

 さて、桜井の別れの地は現在、島本町にあります。JR京都線島本駅前ロータリーの横に広がるのが桜井駅跡。そこには楠木親子がその下で別れたと言われる老松の一部や明治維新時に日本で大活躍した外国人パークス英国公使の楠木親子を讃(たた)える碑、そして滅私奉公という字が書かれた台座にのる子別れの石像などがあります。

 赤坂城の合戦後、行方をくらました正成。しかし、隠れた身の上で金剛山の一角に千早城をつくり、戦に備えた正成は赤坂城跡地にできていた幕府駐屯地を襲撃。威風堂々、奇略、計略により幕府軍を打ち破った。時同じくして後醍醐天皇も隠岐を脱出。足利尊氏が京都六波羅探題を攻め落とし、新田義貞が鎌倉を攻略。こうして鎌倉幕府が滅亡しました。

 ところが、後醍醐天皇がこの後おこなったのが建武の新政。鎌倉幕府をつぶすためにまとまった武士たちでしたが、新しい政府に対しての思いはバラバラ。何か今の政治を見ているような気がします。こんな状況では何をしてもどこかに不満が残る。そんな中、足利尊氏が挙兵したのでした。不満武士たちが一同に尊氏の味方をする。楠木正成と足利尊氏がいよいよ京都で激突します。正成の知略は尊氏の大軍をもろともせず、見事尊氏を追い払うことに成功したのはさすがです。

 ところが、時代の流れは足利尊氏に向いていた。正成は再び立ち上がった尊氏の大軍との最後の決戦に向けて兵庫に向かいますが、その途中桜井の地で息子、正行に「2千人の兵と共に故郷に帰るように」と後を託すのでありました。あと見送った正成、わずか700人の兵を引き連れて兵庫に向かった。この続きは来週のお楽しみ。

(大阪講談協会所属)
 ◇旭堂南陽の公演情報 「大河ドラマ講談 平清盛を語る」=11月4日午後2時、同4時開演、神戸・元町プラネットアース、1500円(1ドリンク付き)。問い合わせは「元町で講談会」事務局、電話0798(49)6004。

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1019名無しさん:2012/10/30(火) 15:16:36 ID:ZKAndj8E0
文楽の魅力を多くの人に
http://www3.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005550661.html?t=1351577669940
大阪の伝統芸能、文楽の魅力を多くの人に知ってもらおうという催しが、きのう大阪で開かれました。この催しは、大阪市や市内の商店街などが上方文化の再生を通じてまちの活性化をはかろうと開き、大阪・中央区のホールには100人余りが集まりました。
文楽の実演では、太夫の豊竹呂勢大夫さんによる語りと鶴澤燕三さんの奏でる三味線にあわせて、3人の人形遣いが巧みな技を披露しました。
人形遣いの桐竹勘十郎さんらがあやつる女性の人形の優美な動きに、集まった人たちが見入っていました。
技芸員の座談会では文楽の世界の裏話が披露され、三味線で同じ節を繰り返し演奏したり、人形遣いが床を踏んで何度も音をたてるのは、観客に拍手を求める合図であることが紹介されました。
関東出身の技芸員は、大阪発祥の文楽にふさわしい語り口を身につけようと、ふだんの生活でも大阪弁を使っているということです。京都から訪れた女性は「実演を見ることができただけでなく、文楽の裏話も聞けてとても面白かったです」と話していました。

10月30日 08時34分

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1025よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/01(木) 21:24:40 ID:jfzkFJc.0
健やか成長願い 住吉大社で七五三準備ピーク
2012年11月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121101/20121101031.html

 11月にシーズン本番を迎える「七五三まいり」を前に、住吉大社(大阪市住吉区、真弓常忠宮司)で31日、参拝客に配布する撒下品(お下がり)を袋詰めする作業が大詰めを迎えた。この日までに計6千セットを準備し、本番に備える。

 境内にある連歌所では、髪に挿頭(かざし)と呼ばれる飾りをつけた神楽女(かぐらめ)(巫女(みこ))たちが千歳飴(ちとせあめ)や鉛筆、折り紙などの縁起物を袋詰め。黙々と、手際よく作業を進めた。

 同社によると、近年では祝祭の15日周辺にこだわらずに前倒しでの参拝も多いそうで、10月末時点で既に800組が参拝している。11月にはさらに約5千組を見込んでおり、大安の土曜日に当たる10日がピークと予想している。

 この日は6人の職員が袋詰めに参加。神楽女の一人(21)は「お子さまが元気で成長していただきたいと願い作業した。ご家族の笑顔が見られれば」と話した。

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1028よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/03(土) 23:04:41 ID:f9eap8vw0
環濠集落の跡地、石垣残る 2012年11月2日桑津コース
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/121102/20121102033.html

 いよいよ大阪あそ歩'12秋がスタートした。今回はJR大和路線東部市場駅前をスタートし、桑津環濠(かんごう)集落の跡地や作家の故開高健さんゆかりの地を巡り、近鉄南大阪線「北田辺駅」を目指すコースに参加した。

 ガイドを務めるのは、コースのある東住吉区出身で、地元のなにわの伝統野菜「田辺大根」の普及活動などに取り組む吉村直樹さん(66)。参加者の方とともに出発した。

 吉村さんはこの辺りについて「昔は百済郡といわれ、朝鮮半島から人・文化などいろいろと先進の文化が伝わった所」と教えてくれた。

 駅を出てほどなく歩くと杭全交差点に到着した。杭全は大阪の中でも難読地名の一つに数えられる。「杭(くい)を打ち尽くした」など、地名の由来の諸説について解説してくれたが、実際はどれが正解なのかは分からないという。市内でも交通量が激しく珍しい五差路の交差点で、横断歩道がないため五角形の歩道橋が架けられている。

 その後、住宅街の川沿いを歩くと、「五輪橋」に着いた。近くに五輪塔があることが由来だそうだ。大坂夏の陣では、この辺りは戦場となり、豊臣方の柴田権十郎正俊と徳川方の蜂須賀九郎右衛門が死闘を繰り広げたという。結局、柴田権十郎正俊が蜂須賀九郎右衛門の首を討ち取るも、自ら命を落とした。住民らが供養のため二つの五輪塔を建立したが、現在は柴田権十郎正俊の五輪塔が残るのみだ。

 閑静な住宅街を行くと、一帯は桑津環濠集落跡だ。戦乱が多かった中世以降、村などは周囲に水濠などを巡らして自衛したそうで、道に沿うように石垣が残っていた。吉村さんは「石垣は昔の環濠の名残で、地元の人でも知らない」と教えてくれた。

 仁徳天皇の后(きさき)・髪長媛(かみながひめ)の伝説が残る桑津天神社を経て、桑津小学校に着いた。小学校の前には桑津遺跡を知らせる石碑が建っていた。1929年に弥生時代の土器などが出土し、桑津には約1万年以上前から人々が住み始めたことが判明したという。

 ゴールの北田辺駅近くにはかつて芥川賞などを受賞した作家、故開高健さんが少年・青年期を過ごした家があった。現在は当時の建物は取り壊され、真新しい住居が建っていた。北田辺駅に到着すると、開高さんがこの地で過ごしたことを今に知らせる文学碑がまち歩きの一行を迎え、今日のコースを終えた。

 兵庫県宝塚市から参加していた北山茂さんは「環濠集落跡など、街の歴史が感じられた」と話していた。

 ○…吉村さんのガイドで大阪でも最も古い歴史を持つとされる桑津のまち歩きを堪能した。環濠集落の名残など、地元の人も知らないような場所を巡り、貴重な体験ができた2時間余りだった。

1029よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/04(日) 05:37:23 ID:f9eap8vw0
与謝野晶子歌碑 大和川にも 寄付募る
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121103-OYT8T00103.htm

 堺の生んだ女流歌人・与謝野晶子(1878〜1942)が短歌に詠んだ大和川で、晶子ファンや大和川の研究者らが、晶子の歌碑を建立する計画を進めている。全額を寄付で賄う予定で、10日には協力を呼びかけるイベントを開催する。来年9月の除幕を目指しており、関係者は「晶子の歌碑で関心を集め、多くの人が大和川に親しむようになってほしい」と話している。(中筋夏樹)

 大和川にまつわる活動をする団体・個人でつくる「大和川市民ネットワーク」で、「晶子の歌碑があれば、川に人が集うのでは」との声が上がり、5月の総会で歌碑建立を決めた。晶子の研究者らでつくる「与謝野晶子倶楽部(くらぶ)」(堺区)によると、堺市内に晶子の歌碑は23基あるが、大和川沿いにはないという。

 8月には、晶子ファンの講談師・旭堂南陵さんや作家・田辺聖子さんらが呼びかけ人となり、「大和川に与謝野晶子の歌碑をたてる会」が発足。堺区香ヶ丘町の川べりに歌碑を建てることにし、イメージ図=写真=も作った。

 晶子は幼少時、自宅の大人が蚊帳を洗うために、水のきれいな大和川まで荷車で運ぶ際、一緒に乗って行って川遊びを楽しんだ、とのエピソードを自身の随筆に書いているという。

 大和川を詠んだ歌は「大和川 砂にわたせる板橋を 遠くおもへと 月見草咲く」「沙(すな)白き 新大和川 我が町に さかひ少女(おとめ)の 浄(きよ)かれと添ふ」「橋一つ 越え大阪に 続くより 近きこころに 作れ都も」の三つが知られ、この中から碑文を選ぶ。

 制作費の80万円については、1口1000円で寄付を募る。同会などはPRイベントとして、晶子と大和川を題材にした南陵さんの講談を、10日午後2時から堺市堺区のサンスクエア堺で開催する。入場無料。

 寄付は郵便振替(00940・4・288826、大和川に与謝野晶子の歌碑をたてる会)で受け付ける。問い合わせは「たてる会」の小松清生(すがお)事務局長(080・2444・2098)へ。

(2012年11月3日 読売新聞)

1030よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/04(日) 05:42:53 ID:f9eap8vw0
屈指の人気作に酔う 国立文楽劇場で公演初日
2012.11.3 22:37
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121103/waf12110322430012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121103/waf12110322430012-n2.htm
 
 国立文楽劇場(大阪市中央区)で3日、赤穂浪士のあだ討ちを題材にした文楽屈指の人気作「仮名手本忠臣蔵」の公演が初日を迎え、太夫、三味線、人形遣いの三業が一体となって繰り広げる忠義と情のドラマに満員の観客が酔いしれた。

 今回の公演は、1日がかりで上演する本格的な“通し狂言”で、大阪では平成16年以来、8年ぶり。

 この日、初日を待ちかねたファンが劇場に詰めかけ、昼の部、夜の部ともにほぼ満員。初めて文楽を見に来たという大阪府大東市の郡(こおり)睦美さん(60)は「人形の繊細な動きに驚いた。日本の文化はすごい。また見に来たい」と感激冷めやらぬ様子だった。

 文楽は今年、文楽協会への補助金削減をめぐって大阪市の橋下徹市長と対立。先月、橋下市長と“和解”し、補助金が支給されることは決まったが、集客努力など改革を迫られている。公演は25日まで。

1031よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/04(日) 05:50:06 ID:f9eap8vw0
豊臣時代の大阪城石垣遺構 特別公開始まる
2012年11月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121102/20121102022.html

 大阪城天守閣前の本丸広場にある豊臣時代の大阪城の石垣遺構の特別公開が1日、現地で始まった。付近では豊臣時代の大阪城を25分の1のスケールで再現する砂像の作製が最終段階を迎えており、多くの歴史ファンらが訪れている。

 大阪市は大阪城の観光拠点化の一環として、大坂夏の陣から400年にあたる2015年度をめどに、豊臣時代の石垣の一般公開を計画している。今回の特別公開は豊臣時代の石垣復興の機運を高めようと、秋の観光シーズンに合わせて企画された。

 特別公開されている石垣遺構は1959年に「大阪城総合学術調査団」によって発見された。地下約7・5メートルに位置し、地上から金属製の格子越しにライトアップされた石垣を見ることができる。

 門真市から訪れていた調理師、和多美智夫さん(53)は「歴史を感じる。当時の大阪城をイメージすることができた」と話していた。

 石垣遺構の特別公開と、敷地内にある普段は非公開の旧第四師団司令部庁舎(旧大阪市立博物館)などもボランティアが案内するガイドツアーは11日まで。4日には砂像の完成イベントも予定されている。

1032よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/04(日) 06:00:57 ID:f9eap8vw0
獅子舞や曲芸優雅に 生國魂神社で神話と神楽のイベント 大阪
2012.11.3 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121103/osk12110302060003-n1.htm

 国重要無形民俗文化財の伊勢大神楽を鑑賞する「神々の世界への誘(いざな)い」(産経新聞社主催)が2日、大阪市天王寺区の生國魂(いくくにたま)神社で開かれた。獅子舞や曲芸の披露、神楽をテーマにした対談などが行われ、訪れた人たちは多彩な伝統芸を楽しんだ。

 伊勢大神楽は、伊勢神宮(三重県伊勢市)への信仰を広めるため江戸時代から各地を巡り、芸能を披露したり神札を配ったりしてきた。現在は6組の社中が主に西日本を回っている。境内の会場では、神話や神楽に詳しい大阪城天守閣研究主幹の北川央(ひろし)さんが現代語訳した神話を、元OSK日本歌劇団の美砂(みさご)まりさんが朗読し、同神社の神職と巫女(みこ)が新作神楽を披露。対談では、北川さんと伊勢大神楽の加藤菊太夫さんが「日本の大多数の獅子舞が、伊勢大神楽に学んだ」などと話した。

 このあと公演が行われ、優雅な獅子舞や刀を使ったスリル満点の技などが披露された。獅子が花魁(おいらん)に扮(ふん)して練り歩く場面もあり、多彩な芸に盛んな拍手が送られた。

1033よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/04(日) 22:26:37 ID:E8/7is2.0
暗越奈良街道 再認識を イベント通じ発信
2012年11月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121104/20121104025.html

 大阪市東成区内を横断する暗越(くらがりごえ)奈良街道を区民に重要な歴史的資源と再認識してもらい、街への愛着を深めてもらおうとするイベント「ひがしなり街道玉手箱」(同実行委員会主催)が3日、玉造や深江、東成しんみちロード商店街の各会場で昔懐かしい写真の展示やフォークソングライブ、落語寄席などが行われた。4日まで。

 前身の東成新道・暗越奈良街道フォーラムから数えて、ことしで6回目。2日間で35の団体や企業が、公園や神社、空き店舗などでイベントを実施する。

 この日商店街では、突然音楽が鳴りだし、踊りだす人が出現する「フラッシュモブ」が行われた。通行人は、突然始まったダンスパフォーマンスに足を止めて眺めていた。

 子どもとめいを連れ、イベントに参加した同区の古庄千波さん(41)は「東成区は、お年寄りが多い街。子どもから大人まで楽しめるイベントはいいと思う」と話していた。

 4日も各所でイベントを行う。約4キロの街道パレードは、午前11時に東小橋北公園を出発し、午後3時半の西深江公園の到着を予定している。

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1036よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/06(火) 08:17:30 ID:MUJk4M3c0
楠木正成ゆかりの重文・建掛塔 「頭」すっきり
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121106-OYT8T00085.htm
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 河内長野市の古刹(こさつ)・観心寺で、室町時代前期の武将、楠木正成(1294〜1336年)ゆかりの重要文化財「建掛塔(たてかけのとう)」(高さ10メートル80)の修復が完了した=写真=。

 同寺は楠木家の菩提(ぼだい)寺。正成は子どもの頃に同寺で修行に励んだとされる。鎌倉幕府倒幕後に正成は三重塔を建立しようとしたが、途中で足利尊氏軍に敗れて戦死したため、2層目以上は完成せずに初層(1階)だけの珍しい様式で残ったとされる。

 市教委によると、現在の建掛塔は、1503年に再建された。茅(かや)の劣化が進み、1984年以来の修復を6月から実施。同市内で採れた茅17トンで屋根全面をふき替え、塔を覆っていた足場も撤去した。

 同寺の永島弘教寺務長は「紅葉シーズン前に修復が終わり、美しくなった塔を参拝者に見てもらいたい」と話していた。

(2012年11月6日 読売新聞)

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1038よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/06(火) 19:41:17 ID:tuw4enxc0
「永遠」表現の舟も 高津宮命の尊さ訴え秋まつり
2012年11月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121106/20121106027.html

 「芸術」や「食」などを通し、命の尊さについて考えてもらう「とこしえ秋まつり」が10月28日、大阪市中央区高津1丁目の高津宮(小谷真功宮司)で開かれた。2万年前の地層から出土した神代杉を使った巨大芸術作品「とこしえの舟」が同宮の参道にお目見えしたほか、境内ではうどんなどを味わえる屋台が並び、多くの人らでにぎわった。

 同まつりは命の尊さを訴える新たな秋祭りとして、同宮が初めて企画した。

 参道にお目見えしたとこしえの舟は、小谷宮司の依頼で芸術家の伊原セイチさんが手掛けた。全長約5メートル。上部の神代杉を「時空を進む“動力”」として、永遠=とこしえ=に向かう姿を表している。参道にはとこしえの舟とともに奈良県天川村から切り出した杉を使った長さ約25メートルの“桟橋”も登場。この日、朝から雨模様の天候ながら、傘を差した参拝者の目を引いていた。

 境内では「氏子グルメ屋台」として「道頓堀今井」がうどんなどを販売。手作りの工芸品などを扱うブースなども人気を集めていた。

1039名無しさん:2012/11/07(水) 17:38:32 ID:DkYwJ.mU0
都市改良と遷都 大阪時事新報 1919.1.6(大正8)
名古屋高等工業学校長 工学博士 武田五一氏談

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00747189&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE
西隣支那大陸との交通、台湾、朝鮮等の新領土の編入其他戦後に於ける南洋発展の計を
想わば日本の首府の永久に東京に存在する事は稍々東方に僻在する事となり早晩或は大阪
に遷都を見るやも計られず実に大阪市は将来日本の経済上の中心点たらざる可からざると同時
に又政治上の中心となる可き可能性を有するものにして新日本の中心地は大阪市を以て最理想の処

大阪の地たる上古浪花の都と称し仁徳帝の天下を統御し給いし以来我が国中世に於ける
交通政治の中心となり来り彼の豊太閤の雄闘を抱いて茲に築城したるより考うるも覇を東洋の
天地に唱えんとする雄大なる帝国の使命を果さんとせば実に海陸の便四通八達なる我が大阪
に首府を移すべきことは蓋し当然なり

摂河泉の広大なる大平原を控え海波静かに打寄する大阪湾頭新になれる一大首都「大大阪」
の都を想見せよ帝国の首府として決して不適当にあらずして否寧ろ日本の首都として最適恰の
土地たる事を失わず

1040よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/11(日) 21:29:20 ID:WWMHs/sg0
旧居留地は神戸だけ? 新島襄といえば京都? 大阪の幻の外国人居留地が存在感アピール
2012.11.11 21:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121111/wlf12111121000018-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121111/wlf12111121000018-n2.htm

 レトロな洋館に異国情緒あふれるガス灯…。関西で外国人の旧居留地といえば、だれもが思い浮かべるのが神戸市だ。しかし、大阪市にもかつて居留地があったことはあまり知られていない。大阪港にも近い西区にあった旧川口居留地には、来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」に登場する新島襄(1843〜90年)も、京都で現在の同志社大学を創立する直前の一時期、滞在。地元では、「来年の大河ドラマを機に、そして6年後の大阪港開港150年に向けて、大阪にも居留地があったことを広く知ってもらいたい」という声が高まっている。

(袖中陽一)

西洋料理も散髪も…文明開化の発信地

 川口居留地があったのは、現在の住所でいえば、大阪市西区川口1丁目付近。ともに大阪港に注ぐ安治川と木津川が分岐するあたりだ。

 外国人居留地は日米修好通商条約など幕末に外国と結ばれた条約により、横浜、神戸、長崎、築地(東京)、大阪、函館、新潟の7カ所に設けられることになった。川口居留地は慶応4(1868)年、大阪港の開港とほぼ同時期に開かれた。

 「当時の欧米から見ても、大阪は日本の経済の中心。大阪にも当然居留地が欲しいし、その近くの港ということで神戸も、という流れで場所は決まったのでしょう」。大阪市史編纂(へんさん)所所長の堀田暁生さんはこう推測する。

 川口居留地の広さは約1万坪で、当時の記録によると、明治21(1888)年で欧米人157人が住んでいたという。住人にはビジネスマンが多かったらしく、神戸市にある国の重要文化財、旧ハンター住宅で知られる英国人実業家のエドワード・ハンター(1843〜1917年)も、ここに家を持っていたという記録がある。

 居留地内は欧米風のモダンな街並み。洋服や西洋料理、近代的な散髪など、さまざまな文物・風俗が、この町から大阪に広まっていったという。

 川口居留地に遅れること6年、木津川の対岸、江之子島には明治7(1874)年に大阪府庁が建設された。さらに明治22(1889)年に大阪市が誕生すると、市役所は当初、府庁内に、そして10年後の明治32(1899)年には府庁の北向かいに置かれた。当時、この一帯はまぎれもなく大阪の中心地だったのだ。

浅い水深がネック、神戸に奪われた貿易港の座

 その川口居留地が、なぜその後は発展しなかったのか。

1041よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/11(日) 21:31:11 ID:WWMHs/sg0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121111/wlf12111121000018-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121111/wlf12111121000018-n4.htm

 ネックとなったのが、水深の浅さだ。水運に使っていた安治川が浅く大型船の航行には不向きだったため、外国船の多くは神戸港を使うようになった。そのため川口居留地に住んでいた外国人たちも、次第に神戸へ移っていったようだ。

 「その跡地に教会、学校、病院などができ、後のプール学院、桃山学院などミッション系の学校の発祥の地になったのです」と堀田さん。だが、それらもその後、川口の地を離れていった。

 居留地そのものも条約改正により明治32(1899)年に廃止。現在の旧居留地でわずかに往時をしのぶことができるのが、明治14(1881)年に設立された川口基督(キリスト)教会だ。現在残る礼拝堂は大正9(1920)年に再建されたもので、居留地時代のものではないが、国の登録有形文化財に指定されており、旧居留地らしい雰囲気を醸し出している。

同志社は大阪に出来ていたはず?!

 「旧川口居留地は大阪におけるテニス発祥の地でもあったんです」と話すのは、旧居留地近くでお好み焼き店を経営する北村一男さん(67)だ。

 生まれ育った場所に居留地があったことは知っていたが、その価値に気づいたのは、6年ほど前。趣味のテニスについて調べるうちに、自宅近くの旧居留地にテニスコートがあり、そこからテニスが大阪に広まっていったことを知った。4年前、「川沿いを歩ける町づくりの会」を結成し、旧居留地をめぐる地図を作るなど活動を続けている。

 北村さんは来年のNHK大河ドラマの主人公が、同志社大学を創立した新島襄の妻、八重であることに注目。「ほとんど知られていないが、新島は一時期、大阪の居留地付近に逗留(とうりゅう)し、この土地で学校を作ろうとしたんです」と話す。

 明治8(1875)年1月、横浜から大阪を訪れた新島は、川口居留地近くの宣教師宅に居住。大阪で学校を開こうとするが、大阪府知事の賛同が得られなかったため断念した。その後、4月に京都府幹部と面会して学校の誘致を受け、それが京都での開校につながったとされる。

 北村さんは「新島が住んだのは短い期間だが、大河ドラマを機に新島ゆかりの地を訪れるツアーを企画して、川口の旧居留地を盛り上げたい」と意気込みをみせる。

1042よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/11(日) 21:32:40 ID:WWMHs/sg0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121111/wlf12111121000018-n5.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121111/wlf12111121000018-n6.htm

少ない観光資源…ぜひ記念館を

 旧居留地近くに住む大阪芸術大学短期大学部ビジネス学科長の谷口靖弘さん(67)=観光学=は、川口や九条など安治川と木津川にはさまれた西区の下町を紹介する「大阪・九条下町ツアー」を主宰し、この十数年で延べ1000人を案内してきた。「ここはガイドにとってやりがいのある土地」と強調する。

 案内といっても、旧居留地にある観光資源は極めて少ない。しかし谷口さんは「私がいつも心に置いているのが、『ハードよりハートでご案内』という言葉。ハード(施設)を見てもらうのではなく、心で見てもらうガイド。小さなものでも観光資源にはなりうるのです」。

 例えば、現在の川口聖マリア幼稚園の近くにはかつて立派な教会があったが、先の大戦で焼けてしまい、今はレンガの土台が約30センチの高さで残っているだけだ。「それだけのものといえばそれまでですが、そこから想像力をふくらませてもらうのが効果があるようです」。ツアーの参加者からは「明治時代や大大阪のころの大阪を想像して振り返るのが楽しかった」という感想が多いという。

 「ハードよりハート」という谷口さんだが、「それでもやはり居留地の記念館のようなハードがあれば…」と残念そう。堀田さんも、「川口の旧居留地は大阪の近代文化発祥の地。記念館や資料館のようなものを作ってもらいたい。そして、大勢の人にこの土地の歴史を知ってほしい」と話している。

1043よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/11(日) 21:34:37 ID:WWMHs/sg0
国史跡「郡山宿本陣」 秋の特別公開始まる 大阪
2012.11.11 02:34
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121111/osk12111102340001-n1.htm

 江戸時代、「忠臣蔵」で知られる赤穂藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)をはじめ参勤交代の大名が泊まったという茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿本陣」で10日、秋の特別公開が始まった。

 同本陣は京都〜西宮(兵庫県)を結ぶ西国街道の中間にあり、正面入り口の門に大きなツバキがあったことから「椿の本陣」とも呼ばれている。浅野内匠頭が数回宿泊したほか、幕末維新期には薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)の関係者が頻繁に訪れており、宿帳などが残されている。

 特別公開では、こうした資料や大名が泊まった部屋「上段の間」、米蔵、茶室などを見ることができる。また、納屋では企画展「旅する小物〜江戸時代の旅じたく」を開催している。

 17代目当主の梶洸(かじ・たけし)さんは「日本地図を作製した伊能忠敬(ただたか)も泊まっていますが、測量の際は地元の人を大勢雇うなど地域振興にも貢献しました」などと、宿帳を示しながら見学客たちに説明していた。

 18日まで。入館無料。問い合わせは、茨木市教委地域教育振興課((電)072・620・1686)。

1044名無しさん:2012/11/12(月) 02:43:08 ID:8RYs5C0U0
>>1041
安治川に限らず、川に土砂が堆積して大阪平野ができたのは、奈良京都での環境破壊のせいというかおかげ
上流での土木開発で木を切り倒したため、下流にそうした土石が流れ込んだ

神戸の上流にはそうしたものがなかったちめ、神戸の港の水深は浅くならずに済んだ

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1051名無しさん:2012/11/16(金) 12:41:18 ID:Mii5n1..0
文楽好調、来場者1.7倍 大阪市の補助金問題で注目
2012年11月16日
http://digital.asahi.com/articles/OSK201211140039.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_OSK201211140039
 【向井大輔】大阪・日本橋の国立文楽劇場で上演されている人形浄瑠璃文楽の11月公演「通し狂言 仮名手本(かなでほん)忠臣蔵」の観客数が、昨年の同じ月に比べて約1.7倍も増えている。文楽で一、二を争う人気演目の8年ぶりの上演に加え、大阪市の補助金問題で注目を集めたことが幸いしたようだ。

 劇場によると、公演が幕を開けた今月3日から10日間の来場者は約1万人にのぼり、昨年の約6千人を大きく上回った。昨年まで過去3年間の11月の総来場者数は毎年減り続けていたが、今公演の週末はほぼ満席で「近年にない入り」と劇場側。初めて足を運ぶ人が多いためか、予約した弁当の受け取り方や、トイレの場所を尋ねる観客も目立つ。

 理由の一つは「仮名手本忠臣蔵」という演目のおかげだ。赤穂藩主・浅野内匠頭(たくみのかみ)の家臣の大石内蔵助(くらのすけ)らが、主君の敵である吉良上野介(こうずけのすけ)を討った事件をもとにした物語は、文楽を見たことがない人にも広く浸透する。

 だが全編を通した上演時間は約11時間もあり、技芸員(演者)の負担は重い。大道具も多く、他の演目より手間も予算もかかるため、通常は記念の年に上演されることが多い。今回は、補助金問題で逆風にさらされた文楽の気概を示そうと上演が決まった。

 さらに補助金問題で文楽がこれまで以上にメディアに取り上げられ、関心が高まったことが追い風になったとみられ、劇場の「ご意見箱」には「応援してますよ」といった激励メッセージが多く寄せられているという。

 公演は25日まで

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1055よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/19(月) 21:22:33 ID:3o53U.3k0
無事の復帰、おめでとうございます。


脳梗塞で療養の人間国宝・竹本住大夫さん、文楽初春公演で復帰へ
2012.11.19 13:09
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121119/wlf12111913120010-n1.htm

 軽い脳梗塞のため療養していた文楽太夫の人間国宝、竹本住大夫さん(88)が、来年1月3日に始まる大阪・国立文楽劇場の文楽初春公演から復帰することが19日、分かった。天下泰平と五穀豊穣を祈念する演目「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」の翁を勤める。

 住大夫さんは今年7月12日に自宅で気分が悪くなり、病院に搬送。軽度の脳梗塞と診断され10月1日まで入院、その後は自宅で療養していた。

1056よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/22(木) 05:49:11 ID:Cd2mVJDk0
羽曳野・誉田中校庭から大量の埴輪 大阪
2012.11.22 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121122/osk12112202020004-n1.htm

■応神天皇陵近くに未知の古墳存在か

 国内2番目の巨大前方後円墳、応神天皇陵(羽曳野市誉田(こんだ)、全長425メートル)近くの市立誉田中学校校庭で、古墳時代中期(5世紀前半)の水鳥や家、甲冑(かっちゅう)などをかたどった埴輪(はにわ)が市教委の発掘調査で大量に見つかった。同天皇陵に付随する未知の古墳が近くに存在した可能性もあり、注目されそうだ。

 埴輪はいずれも破片で数百点に上り、高貴な人物が座るための椅子、冠、馬、円筒埴輪などバラエティーに富んだ種類が確認された。室町時代ごろ(14世紀)に整地された土とともに出土したことから、近くに埴輪を立て並べた古墳があって整地に伴い壊された可能性が高いという。

 円筒埴輪をモデルにした棺(ひつぎ)(長さ約1メートル、直径約50センチ)も出土。鉄斧などが副葬されており、集団のリーダーの墓だったという。

 23日午前10時〜午後2時に現地見学会が行われる。小雨決行。駐車場はない。問い合わせは羽曳野市教委歴史文化推進室((電)072・947・3903)。

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1058よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/23(金) 20:29:01 ID:yIyocs060
“幻の都”とも言える難波宮。
その全貌が、ゆっくりと、しかし、着実にその姿を私たちの前に姿を現しつつあるようです。


大阪・難波宮:従来想定より広かった 新たな建物跡発見
毎日新聞 2012年11月23日 10時34分(最終更新 11月23日 11時05分)
http://mainichi.jp/feature/news/20121123k0000e040153000c.html

 大阪市中央区の大阪医療センター敷地内の発掘調査で、大化の改新(645年)後に孝徳天皇らが造営し、天武天皇時代に火災で焼失したとされる「前期難波宮(なにわのみや)」(7世紀中ごろ〜後半)の役所の一部とみられる建物跡が見つかり、22日、大阪文化財研究所が発表した。

 建物跡が見つかったのは、朝廷の公式行事や政務を行った「朝堂院(ちょうどういん)」の西約300メートルで、これまで宮の西端と考えられてきた場所からさらに西へ約100メートル離れた地点。そのため、同研究所は「宮殿の範囲が従来の想定より西へ広がる可能性が出てきた」としている。

 医療センターの建て替えなどに伴い、同研究所が今年8月から約1900平方メートルを調査していた。調査地からは、東西16メートルの掘っ立て柱建物跡のほか、建物に伴う大型の塀跡(東西41メートル以上)を確認。建物や塀は方角をそろえて規則的に配置されており、宮の西に広がる役所群「西方官衙(せいほうかんが)」の一角とみられる。近くでは谷を埋め立てた大規模な整地跡も見つかり、整地土には7世紀中ごろ以前の土器が多数含まれていた。

 現地説明会は、12月1日午後1時半〜同3時半。少雨決行。問い合わせは、同研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)。【林由紀子】

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1060よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/23(金) 20:40:29 ID:yIyocs060
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜

愛染さんから四天王寺へ
2012年11月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/121123/20121123046.html

大阪三大夏祭り「裏話」を聞く

 今回は大阪市営地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ケ丘駅」前を出発して、「愛染(あいぜん)さん」の愛称で親しまれている愛染堂や清水寺などを巡り、四天王寺を目指すコースに参加した。ガイド役は大阪城などを回るコースでも案内役を務め、学生時代は今回のコース付近の学校に通っていたという竹山栞さん(64)だ。

 竹山さんは駅を出た一行に早速、「夕陽ケ丘」という地名について、歌人の藤原家隆が夕陽庵(せきようあん)で「契りあれば 難波の里に 宿り来て 波の入り日を 拝みつるかな」と歌を詠んだことが由来と説明してくれた。

 ほどなく歩いてたどり着いたのは愛染堂。愛染堂と聞いて思い浮かぶのは大阪三大夏祭り。愛染堂の「愛染まつり」、住吉大社の「住吉祭」、大阪天満宮の「天神祭」を大阪三大夏祭りというが、愛染堂だけが寺である理由について竹山さんは「神仏習合時代の名残」として、大阪三大夏祭りの一つについて、愛染まつりを生國魂神社の「いくたま夏祭」と入れ替える人もいると解説してくれた。

 「若者にタイガース神社と呼ばれ、多くのタイガースファンが訪れる」という狛(こま)犬ならぬ狛虎のある大江神社に参拝して次に向かったのが、清水寺。京都の清水寺から譲り受けたという十一面千手観世音菩薩を本尊としている。境内にある大阪市内唯一の天然の滝の「玉出の滝」を見た後、「清水の舞台」に立つと、阿倍野区で建設が進む超高層ビル「あべのハルカス」が間近に迫っていた。

 戦火や天災などで、度々焼失した四天王寺の再建に携わってきた現存する世界最古の企業、金剛組本社前を通り、今日の最終目的地である四天王寺に向かった。

 境内にある石舞台は日本三舞台の一つとされる国の重要文化財。毎年4月、聖徳太子の命日に合わせ、太子の聖霊を慰めるために「聖霊会舞楽大法要」が行われる。竹山さんが持参した資料をもとに舞の衣装などについて説明を受け、今も生き続ける太子信仰を感じた。

 ○…竹山さんがガイドを務めるコースに参加させてもらったのはこれで2度目になる。前回同様、多くの資料を手に丁寧にそれぞれのスポットを説明してくれる竹山さん。そのガイドぶりから誠実な人柄が伝わってきた。

1061よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/23(金) 21:48:10 ID:yIyocs060
難波宮、想定超える規模か…宮殿の一部?出土
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121123-OYO1T00512.htm?from=newslist

 大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)跡の南西部で、飛鳥時代に孝徳天皇(在位645〜654年)が造営した前期難波宮の宮殿の一部とみられる遺構が出土し、市教委などが22日発表した。従来考えられた宮殿の範囲の外側にあたり、前期難波宮が西に100メートル以上広がっていた可能性があるという。

 国立病院機構大阪医療センターの敷地内を調査。役所や倉庫とみられる建物跡4棟と建物を区画する塀跡(東西約41メートル)などが7世紀中頃の土器とともに見つかった。これまで宮殿の範囲は東西約650メートル、南北約700メートルと推定されてきたが、市教委は「宮殿がどんな構造だったのか再考を迫る発見」としている。

 前期難波宮は645年の大化の改新後、孝徳天皇が造営した「難波長柄(ながら)豊碕(とよさき)宮」とみられ、686年に焼失した。過去の調査で火災の痕跡も見つかっている。

 現地説明会は12月1日午後1時30分から。小雨決行。問い合わせは大阪文化財研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)。

(2012年11月23日 読売新聞)

1062よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/23(金) 22:08:29 ID:yIyocs060
大阪の魅力発信施設に 山本能楽堂改修募金協力訴え
2012年11月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121123/20121123021.html

 大阪の魅力を発信する観光施設としての機能向上を目的に、改修工事を行っている山本能楽堂(大阪市中央区)。舞台照明や客席など本年度の改修工事がほぼ完成したのを機に、費用の一部を民間から募ろうと22日、同能楽堂を運営する代表理事で能楽師の山本章弘さんや、応援団長に就任した大阪出身のファッションデザイナー、コシノヒロコさんらが会見を開き、協力を訴えた。

 同能楽堂は、1927年に先代の山本博之氏が設立。大阪大空襲で焼失したが、50年に再建し、能楽堂として初めて06年に国の登録有形文化財に指定された。大規模な改修は行っておらず、耐震面の不安などから改修工事を計画。11年に始まった文化庁の「重要文化財建造物等公開活用事業」に全国で初めて採択され、観光振興・地域活性化の拠点として、登録有形文化財建造物を効果的に公開活用するための計画策定や設備の整備に対する補助を受けた。

 総事業費は約1億5千万円を見込み、補助金、自己資金が3分の1ずつで、残りの5千万円程度を募金で集めるのが目標。耐震補強をはじめ客席やトイレ、空調など観光施設としての設備、能楽が屋外で演じられていたころにより近い、自然光や前衛的な表現ができるLED照明といった演出設備の強化、能に興味を持つ人が勉強できるライブラリー新設など、来年度まで工事は続く。

 コシノさんは、謡が好きだった祖父の影響で幼少期から歌舞伎や能に触れ、今も長唄を続けるなど伝統芸能に慣れ親しんできた。「譜面や指揮なしで呼吸を合わせる『間』に代表される日本人のセンスや五感は、海外からも高く評価されている。多くの人にこのすばらしい芸能を知ってもらい、人の手で文化を守りたい」と訴えた。

 募金の問い合わせは電話06(6943)9454、同能楽堂事務局へ。

1063よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/23(金) 22:10:53 ID:yIyocs060
張り子の虎大繁盛 少彦名神社「神農祭」
2012年11月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121123/20121123024.html

 “神農(しんのう)さん”の愛称で広く親しまれている少彦名(すくなひこな)神社(大阪市中央区、別所俊顕宮司)で22日、伝統行事の「神農祭」が始まった。家内安全や無病息災を祈願する参拝客らが縁起物の張り子の虎を買い求め、境内は終日にぎわいを見せた。23日まで。

 張り子の虎は、江戸時代の大坂でコレラが大流行した際、薬のまちである道修町の薬種仲間が虎の頭骨などを混ぜて作った丸薬と一緒に、厄よけとして患者に与えたのが由来とされる。

 ことしは道修町薬種屋仲間124軒が1722年、幕府から「株仲間」として公認されてから290年を迎えるとあって、例年にもまして境内はにぎわった。朝からみこの神楽鈴が鳴り響く中、張り子の虎の付いた五葉のササを買い求める参拝客でごった返した。

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1065よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/25(日) 21:55:50 ID:aMj4C8/I0
大阪の文楽入場者が60%増に 11月の忠臣蔵公演
http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012112501001575.html

 大阪・国立文楽劇場で3〜25日に行われた11月公演「仮名手本忠臣蔵」の入場者総数が、前年比約60%増の約2万4千人だったことが25日、同劇場の集計で分かった。

 人気演目の通し上演だったことに加え、補助金をめぐる橋下徹大阪市長との交渉で文楽が社会的に注目されたのも背景にあるとみられる。文楽劇場は「初めて劇場に来た観客も多かったようです」としている。

 同劇場での今年の本公演の入場者総数も、前年比約25%増の約8万6千人に上った。

 太夫の豊竹英大夫さんは「まだまだ大阪には、文化に興味のある人がたくさんいると実感した」と盛況を喜んでいた。

1066よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/26(月) 21:29:14 ID:aWhyia0w0
文楽補助金 観客数連動で支給へ
11月26日 17時53分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121126/t10013760611000.html

伝統芸能「文楽」の運営団体に対する大阪市の補助金について、文楽側は来年度から観客数に応じて支給額を決めるなど、市が示した新たな仕組みを受け入れることになり、大阪市は凍結していた今年度の補助金を支給するための手続きに近く入ることになりました。

文楽の運営団体「文楽協会」への補助金を巡って、大阪市はこれまでに、文楽側に対し、来年度から、観客数に応じて支給額を決める新たな制度の導入や、支給を凍結している今年度の補助金3900万円についても、三味線など道具代の領収書の提出を求め、使いみちを透明化することなど、支給の在り方を見直す方針を伝えていました。
文楽側は26日、「市の指導を受けながら補助金の在り方の見直しに取り組んでいきたい」などと、大阪市の方針を受け入れる考えを文書で回答しました。
また、文楽側は今後、鉄道会社と協力して、電車の中で文楽を演じるPR活動など、新たな取り組みを検討していることも伝えました。
文楽側の対応に市も理解を示しており、大阪市は近く、凍結していた今年度の補助金を支給するための手続きに入ることにしています。
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1067よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/26(月) 21:50:28 ID:aWhyia0w0
四季鮮やか花の天井画 大阪・法性寺でお披露目
2012.11.26 07:54
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121126/wlf12112607590002-n1.htm

 「花の寺」として親しまれている大阪市中央区の法性寺(ほっしょうじ)で25日、新しい本堂の落慶法要が営まれ、境内の花をモチーフにした鮮やかな天井画が披露された。

 慶長3(1598)年の創建。空襲による焼失を経て昭和37年に再建された本堂が老朽化したため、昨秋から建て替えを進め、このほど完成した。

 この寺が境内で四季折々にさまざまな花を咲かせ、檀家(だんか)や住民らに親しまれていることから、山本信行住職(65)が本堂の建て替えに併せ、本堂外陣の天井を花の絵で飾ることを発案。境内に咲く約300種類の草花の中から144種を選び、住職自ら筆をふるって天井画の制作を進めてきた。

 また、本堂内陣の天井については、仏教の花の装飾文様「宝相華(ほうそうげ)」をモチーフに山本住職がデザインし、檀家有志が色付けをした絵160枚を飾った。

 この日、法要に続いて外陣の天井が除幕され、サクラやユリ、ヒガンバナなど四季の花を鮮やかに描いた格(ごう)天井が姿を現すと、参列していた檀家らから拍手が起こった。山本住職は「さらにお寺への親しみを持ってもらえれば」と期待している。

1068よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/26(月) 21:54:46 ID:aWhyia0w0
古墳時代の“九州・新潟出張”
2012.11.26 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121126/wlf12112607000000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121126/wlf12112607000000-n2.htm

 「鹿児島まで3時間44分」。昨年3月の九州新幹線全線開業で、南九州が一気に近くなった。と思ったら、はるか1600年前の古墳時代、大阪から鹿児島・宮崎までたくさんの人が“出張”していたらしい。

 府立近つ飛鳥博物館(河南町)の特別展「南九州とヤマト王権」(12月2日まで)で展示されている宮崎県西都(さいと)市の西都原(さいとばる)古墳群出土の壺型埴輪(つぼがたはにわ)=5世紀=がそれを証明していた。

 「この埴輪は、大阪の職人が日向まで出向いて作ったとしか思えないんです」と森本徹総括学芸員が教えてくれた。埴輪の形や大きさ、作り方までが藤井寺市の野中宮山古墳出土の埴輪とうり二つ。会場では2つ並んでいたが、素人目には全く区別がつかない。「形をまねたというレベルではなく、細かい技法までそっくり。野中宮山古墳の埴輪を作った職人が、宮崎に行って作った可能性が高い」という。

 大阪から宮崎まで約500キロ。徒歩だったのか船なのか。なぜわざわざ? 疑問が次々と浮かんできた。

 ヤマトからの「風」は、東北へも吹いていた。今年9月、新潟県北部の胎内(たいない)市にある城(じょう)の山古墳(4世紀前半)を訪ねた。古代のヤマト王権(奈良県)で誕生した刀剣や銅鏡、勾玉(まがたま)の「三種の神器」がセットで出土し、畿内との密接な関係が浮かび上がった。矢を入れる革製の靫(ゆき)は滋賀県などで出土したものとそっくり。胎内市教委の水沢幸一文化財係長は「畿内から直接持ち運ばれたとしか思えない」と話していた。奈良から約500キロ、現代でも新幹線を乗り継いで5時間以上の距離だ。

 関西から南九州、あるいは新潟へ−。九州新幹線も上越新幹線もない時代、古代人たちは現代の新幹線網をたどるように、日本列島を歩き続けた。学術的には「ヤマト王権の支配力」というのが理由だろうが、便利さに慣れた身にとって、とてもまねのできない驚異の行動力を感じた。

(文化財担当 小畑三秋)

1069よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/27(火) 21:14:19 ID:wyR4AvGQ0
歴史都市・大阪、古都・大阪。
非常に長い歴史を誇る大阪の過去の姿が、ゆっくりと、しかし、着実に明らかになりつつあります。

しかしながら現王朝に繋がるお墓でもありますから、その調査・研究は慎重に節度あるものをお願いしたいものです。

真の履中天皇陵? ニサンザイ古墳が仁徳天皇陵の次に築造と判明
2012.11.27 19:56
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121127/wlf12112719570006-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121127/wlf12112719570006-n2.htm

 宮内庁が陵墓参考地として管理する全国8番目の巨大前方後円墳、堺市北区のニサンザイ古墳(全長290メートル)で円筒埴輪(はにわ)などが出土し、同庁と堺市文化財課が27日、発表した。埴輪などの分析から、5世紀後半の築造で、国内最大の仁徳天皇陵(堺市堺区、全長486メートル)の次に築造されたとみられる。16代・仁徳天皇の次に即位した17代・履中天皇の古墳の可能性も浮上し、天皇陵の被葬者論争に一石を投じそうだ。

 発掘調査は、宮内庁が墳丘1段目、堺市が墳丘縁辺部で実施。墳丘斜面に施された葺(ふ)き石や円筒埴輪、高温の窯で焼いた須恵器と呼ばれる土器などが出土した。円筒埴輪は、墳丘1段目の平坦(へいたん)面に5〜7本程度が築造当時の並んだ状態で見つかった。

 埴輪や須恵器は築造年代を絞り込む上で有効な遺物で、約1・5キロ北西にある仁徳天皇陵(5世紀中ごろ)より新しいことが判明。また、墳丘の長さが現在より5メートル以上長いことも分かり、全長が300メートルを越える可能性が高まった。

 仁徳天皇陵の南側には、宮内庁が指定する履中天皇陵(堺市西区、全長365メートル)があるが、埴輪などから仁徳天皇陵より古い5世紀初めごろとされ、仁徳天皇の次に即位した履中天皇の古墳ではないとの説が有力。ニサンザイ古墳については江戸時代、履中天皇の次の18代・反正天皇の古墳といわれたこともあった。

 一般公開は1、2両日の午前9時〜午後4時で、小雨決行。南海高野線・中百舌鳥駅から無料シャトルバスが運行される。駐車場はない。問い合わせは堺市文化財課((電)072・228・7198)へ。

         ◇

 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)の話「古市(ふるいち)古墳群(大阪府羽曳野市一帯)にも大規模な前方後円墳が築かれ、ニサンザイ古墳をそのまま履中天皇の墓と考えることはできないが、今回の調査で築造時期が絞り込まれた意義は大きい」

1070よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/27(火) 23:42:01 ID:AY2xyNNk0
大阪の文楽入場者が60%増に 11月の忠臣蔵公演
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/335899

  大阪・国立文楽劇場で3〜25日に行われた11月公演「仮名手本忠臣蔵」の入場者総数が、前年比約60%増の約2万4千人だったことが25日、同劇場の集計で分かった。

 人気演目の通し上演だったことに加え、補助金をめぐる橋下徹大阪市長との交渉で文楽が社会的に注目されたのも背景にあるとみられる。文楽劇場は「初めて劇場に来た観客も多かったようです」としている。

 同劇場での今年の本公演の入場者総数も、前年比約25%増の約8万6千人に上った。

 太夫の豊竹英大夫さんは「まだまだ大阪には、文化に興味のある人がたくさんいると実感した」と盛況を喜んでいた。

1071よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/28(水) 20:37:31 ID:DOK5KjvM0
文楽は「人形遣いを見てしまう」と向田邦子さんは言った
2012.11.28 12:57
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121128/wlf12112813020008-n1.htm

 向田邦子さんが、文楽を鑑賞すると「人形を見ないで人形遣いを見てしまう」と書いていた。「目立ってはいけない黒子(くろこ)の抑制の中にほんの一滴二滴、遣う者の驕(おご)りがないまぜになって、押えても押えても人形と同じ、いやそれ以上の喜びや哀しみや色気が滲(にじ)んでしまう」

 ▼約2万4100人が入場した国立文楽劇場の「仮名手本忠臣蔵」は、11月公演としては過去2番目の大入りだった。前年に比べて1・6倍増というから、補助金をめぐる橋下徹大阪市長とのバトルがPRになったのだろう。補助金問題は興行実績に連動して支給されるインセンティブ方式で決着するようで、こちらも千秋楽である。

 ▼初めて文楽を見た人はきっと、向田さん同様、「無表情の中に絶妙の表情がある」人形遣いに魅せられたに違いない。橋下さんは「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑(ふ)に落ちない」と言ったが、もう一度、自分の目で確かめていただきたい。選挙が終わったら、ぜひ

1072よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/29(木) 23:04:23 ID:ECsBNRL20
【10年前のきょう】
大阪・今城塚古墳 国内最大の埴輪祭祀跡(11月29日)
2012.11.29 03:07
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121129/art12112903080000-n1.htm

  大阪府高槻市の前方後円墳「今城塚(いましろづか)古墳」で、円筒埴輪(はにわ)列や馬具などをかたどった形象埴輪が30点以上見つかり、高槻市立埋蔵文化財調査センターが28日、発表した。形象埴輪はすでに確認されている分を合わせ計113点。この結果、埴輪祭祀(さいし)のスペースは国内最大と判明、大王級の葬送儀礼の規模が初めて明らかになった。

1073よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/30(金) 21:47:06 ID:7nnz69Q.0
大坂夏の陣、家康は堺で埋葬された

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年11月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121130/20121130030.html

南宗寺(堺市堺区)

 堺に徳川家康の墓があるのってご存じですか? 今回はちょっと講談調でお話しします。

 時は慶長20(1615)年、大坂夏の陣。豊臣方が優勢となり、徳川軍はちりぢりばらばら。勢いに乗った豊臣方の猛者、後藤又兵衛が見ると、一目散に逃げていく網代駕籠(あじろかご)がある。「なにやらあやしき駕籠、家康か」と思い、その駕籠ごしに槍(やり)でひと突き。「手応えあり!」と一気に引き抜いたが、まったく血のりがついていない。不思議に思った又兵衛だが、その隙に駕籠はもう遠くまで行ってしまった。

 そのとき家康は、たしかに駕籠に乗っていたが、痛いのを我慢して着物の袖で血をぬぐったというから、たいしたもの。その後、深手をおった家康は逃げきることができず、当時、宿院(しゅくいん)の南にあった南宗寺で息たえ、遺骸は敷地内の開山堂の下に埋葬された。以後、家康の代役を影武者が務め、立派に江戸幕府を開いたとか…。

 というのが、ここ南宗寺に伝わる話である。

 堺はこの戦いで丸焼けになり、南宗寺も焼失したが、元和3(17)年、当時の住職、沢庵和尚(たくあんおしょう)が、現在の地に再建した。

 この家康死亡説を指示するのは、2代将軍秀忠、3代将軍家光が、わざわざ南宗寺までやって来て参詣していることや、影武者となった人は木曽の出身で、それまで小さな藩だったのが一気に大きくなったと言われていることなど、他にもいろいろある。

 また、昭和42(1967)年、南宗寺境内に作られた徳川家康の立派な墓は、水戸徳川家初代家老の子孫、三木啓次郎を中心に、当時の堺市長・河盛安之助、国務大臣・塚原俊郎や松下幸之助までが協力して作っているのだ。

 この歴史ミステリーに興味のある方は、ぜひ、南宗寺に行ってほしい。丁寧で親切なガイドスタッフが案内してくれるし、他にも見どころがたくさんある。狩野信政が描いた八方睨(にら)みの龍(りゅう)の天井絵は、どこに行っても龍の目玉が追いかけてくるし、国の名勝庭園に指定されている枯れ山水庭園もある。

 もともと南宗寺は、三好長慶(みよしながよし)が父・元長の菩提(ぼだい)を弔うために弘治3(1557)年に建立。三好一族は文武両道に長(た)け、よほど人徳のあった人たちだったようで、今も遠方から三好を偲(しの)んで訪れる人が多い。

 大阪府内唯一の臨済宗専門道場で、歴史的にも興味のつきない、堺が誇る1万坪の寺、南宗寺である。

1074よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/11/30(金) 22:06:39 ID:7nnz69Q.0
水田の下に未知の古墳群… 大阪・河南町、未盗掘状態で出土
2012.11.30 16:50
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121130/wlf12113016520009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121130/wlf12113016520009-n2.htm

 大阪府河南町中の芹生谷(せるたに)遺跡で、古墳時代後期(6世紀後半)の横穴式石室4基が見つかり、町教委が29日発表した。これまで地元でも存在が知られていなかった古墳群で、副葬品の銀製イヤリングや土器などが未盗掘の状態で出土。当時の葬送儀礼を考える上で貴重な資料になりそうだ。

 調査は大型商業施設の建設に先立って実施。石室はいずれも長さ3・5メートル前後、幅2メートルほどで、最大1・5メートルの高さまで残っていた。墳丘はすでに失われていたが、直径12メートル程度の円墳と推定。地元の地名から石塚古墳群と命名された。

 見つかった4基のうち、同古墳群3号墳では葬送儀礼に使われたとみられる壺や高坏(たかつき)など約40点の土器、水晶や琥珀(こはく)玉などの装飾品が出土。被葬者が身につけていたとみられ、この地域の有力者が葬られたという。

 石室は当初、商業施設の駐車場造成で壊される予定だったが、業者の協力で設計変更が行われ、現地に埋めたまま保存されることになった。

 同古墳群はもともと水田地帯で、古墳の存在は知られておらず、町教委は「石塚という古墳を思わせる地名があったが、まさか古墳が眠っていたとは」と話した。現場はすでに埋め戻されている。

1075よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/01(土) 06:08:19 ID:qSR0Uc0w0
夜に浮かぶ金堂 観心寺ライトアップ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121201-OYT8T00117.htm

河内長野市寺元の古刹(こさつ)・観心寺で30日、府内最古級の国宝建造物の金堂をライトアップするイベント「観心寺 奥河内の灯里(あかり)」が始まった。2日まで。

 同寺は、南北朝時代の武将・楠木正成(1294〜1336)の菩提(ぼだい)寺。金堂は同時代に建造された折衷様建築の代表格で、1952年に国宝に指定された。

 イベントは、市観光協会などが奥河内の歴史文化を知ってもらおうと、初企画した。ライトアップは午後5時30分〜同8時30分。同6時から30分ごとに5回、極彩色で金堂壁面に四季などを表現するライティングショーが行われる。1日午後7時からは三十弦箏(そう)、2日午後5時30分からは和太鼓の演奏があるほか、梅どら焼きやコーヒーなどのミニ屋台も並ぶ。

 永島龍弘住職は「京都や奈良ばかりでなく、奥河内にも古い歴史が残っていることを知ってほしい」と話している。入山料は小中学生100円、高校生以上300円。問い合わせは市観光協会(0721・53・1111)。

(2012年12月1日 読売新聞)

1076よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/01(土) 06:11:15 ID:qSR0Uc0w0
古墳築造労働者の宿舎? 河南の遺跡で大型竪穴住居跡 大阪
2012.12.1 02:15
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121201/osk12120102150004-n1.htm

 河南町中の芹生谷(せるたに)遺跡で、古墳時代後期(6世紀後半)の大型竪穴住居跡が府教委の調査で見つかった。近くには、当時の首長の墓とされる国史跡の金山古墳(双円墳、全長80メートル)があり、古墳造営労働者の臨時宿舎の可能性もあるという。

 竪穴住居跡は4棟(一辺約5メートル)を確認。2棟ずつ重なっており、同じ場所に建て替えたらしい。また、入り口は、約200メートル南の金山古墳に向いており、古墳築造で一時的に設けられた宿舎ともみられる。

 現地公開は1日午後1時から。近鉄長野線・富田林駅から金剛バス・馬谷口(まだにぐち)下車、南西約500メートル。問い合わせは芹生谷遺跡現場事務所((電)080・4978・3055)。

1077よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/01(土) 06:11:51 ID:qSR0Uc0w0
四條畷の遺跡から和鏡 「室町時代に神社」裏付け 大阪
2012.12.1 02:14
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121201/osk12120102140003-n1.htm

 四條畷市教委は30日、讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡(同市砂、寝屋川市新家)で室町時代の和鏡が見つかったと発表した。「大将軍社」という神社があったとされる場所で、市教委は「中世には神社が存在していたことを裏付ける発見」としている。

 和鏡は直径9・5センチの青銅鏡。和風の文様が施された「柴垣柳樹双鳥鏡(しばがきりゅうじゅそうちょうきょう)」と呼ばれ、中世にさかのぼる神社に伝わる例が全国でみられるという。

 市教委によると、大将軍社は明治期に存在したことは分かっていたが、いつからかは不明。明治44年、忍陵(しのぶがおか)神社(同市岡山)に合祀(ごうし)されて廃れ、現在は雑木林になっている。

 遺跡では、中世の住居や井戸の跡、朱塗りの漆器も出土。担当者は「集落内に小さな社があった風景がイメージできる」と話す。

 和鏡は、市立歴史民俗資料館で16日まで開催中の特別展「水辺のくらし」(入館無料)で、4日から展示される。問い合わせは、同館((電)072・878・4558)。

1078よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/02(日) 20:11:35 ID:D8jzmzTg0
狭山池への貢献者学ぶ 大阪狭山でシンポ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121202-OYT8T00099.htm

 国内最古の人工のため池・狭山池の歴史を考えるシンポジウム「ため池築造と偉人」が1日、大阪狭山市の市文化会館(さやかホール)で開かれ、約150人がため池築造にかかわった人物について学んだ。

 同シンポは、同じ工法で作られた韓国南西部の金堤(キムジェ)市にある同国最古のため池・碧骨堤(ピョッコルチェ)との世界遺産共同登載を目指し、2010年に始まり、3回目。日本と韓国の歴史学者3人が研究成果を報告した。

 服部英雄・九州大教授は、狭山池の改修を手掛けた鎌倉時代の高僧・重源(ちょうげん)(1121〜1206年)の功績や、中世の水利灌漑(かんがい)について、「重源は大陸文化に精通し、東大寺再建などの経験もあり、財力、知力を持ち合わせていた」と説明。

 参加者からは「なぜ僧が中世の事業の多くにかかわっているのか」と質問があり、服部教授は「今でも地鎮祭が執り行われるように、天候や大災害など人々が恐れることに立ち向かうカリスマ性や、国家と民をつなぐ役割が、僧侶に期待されたのだろう」と答えていた。

(2012年12月2日 読売新聞)

1079よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/03(月) 23:15:06 ID:2QBU/5VQ0
桂雀松さんが文之助襲名へ
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003910281.html?t=1354543724687

上方落語の大名跡、桂文之助の三代目を来年、桂米朝一門の桂雀松さんが襲名することになりました。桂文之助は、明治時代から続く上方落語の大名跡で昭和5年に二代目が亡くなって以降80年余り空席になっていました。
文之助を襲名することになった桂雀松さんは、3日、大阪・北区で会見し、「名前に恥じないよう自分にプレッシャーをかけて仕切りなおして頑張りたい」と意気込みを語っていました。
桂雀松さんは神戸市出身の56歳、古典以外に新作落語や英語を使った落語で活躍し、平成18年には文化庁芸術祭優秀賞を受賞しています。
桂雀松さんの文之助襲名披露公演は、来年10月から大阪など各地で行われるということです。

12月03日 19時43分

1080よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/03(月) 23:44:17 ID:2QBU/5VQ0
福娘50人そろい踏み 代表4人も決まる
2012年12月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121203/20121203022.html

 商売繁盛の「えべっさん」として親しまれている今宮戎(えびす)神社(大阪市浪速区)の十日戎に花を添える第61代の福娘50人が2日、国際会議ホール(同市中央区)でお披露目された。このうち代表4人を決める選考会も行われ、福娘たちはものまねや歌など元気いっぱい特技をアピールしていた。

 ことしは2978人(昨年2984人)が応募。代表には、阪南大1年の竹井いづみさん(18)=富田林市=、大阪松蔭女子大3年の中川瑞さん(21)=堺市=、会社員の長野愛梨さん(18)=尼崎市=、立命館大3年のクリスティーンサアブさん(20)=ギリシャ=の4人が選ばれた。

 祖母と母、叔母が歴代の福娘だったという竹井さんは、「すごいプレッシャーだった。涙が止まらない。大阪に住んでいる人は1年は福娘で始まる。しっかりとご奉仕したい」と涙ぐみながら意気込みを語った。

 50人の福娘たちは、十日戎(1月9〜11日)の参拝者に福ザサを授けるほか、官公庁への表敬などを行う。

1081よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/03(月) 23:50:28 ID:2QBU/5VQ0
笑顔で繁盛届けます 今宮、布施戎の福娘
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121202-OYT8T01091.htm

 今宮戎(えびす)神社(大阪市浪速区)の十日戎(来年1月9〜11日)で商売繁盛の福笹(ざさ)を授ける福娘50人の中から、2日、代表4人が決まった。

 阪南大1年の竹井いづみさん(18)、大阪樟蔭女子大4年の中川瑞(みずき)さん(21)、会社員の長野愛梨さん(18)、ギリシャからの留学生で立命館大1年のクリスティーン・サアブさん(20)。

 大阪市中央区のホールで行われた選考会では、2978人の応募者から選ばれた50人が晴れ着姿で登場し、歌や踊りで自己PRした。

 竹井さんは「祖母、母、叔母も福娘。50人で力を合わせて奉仕したい」と笑顔を見せた。

 この日は布施戎神社(東大阪市足代)でも新春の「布施戎」(来年1月9〜11日)を手伝う福娘が決定。「ミス福娘」に、同志社大4年中野由美子さん(22)、「準ミス福娘」には、関西大3年庄田彩乃さん(21)と、奈良県立大3年小野茜さん(21)の2人が選ばれた。中野さんは「誰よりも笑顔で頑張り、多くの人に福を届けたい」と語った。

(2012年12月3日 読売新聞)

1082よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/11(火) 21:51:50 ID:YEur3fps0
子ども四十七士 墓前で勝ちどき 大阪義士祭
2012年12月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121211/20121211025.html

 「忠臣蔵」の赤穂浪士の討ち入りの時期に合わせ、浅野家大阪菩提(ぼだい)寺である大阪市天王寺区六万体町の万松山吉祥寺(村山雅雄住職)で9日、大阪義士祭があった。四十七義士の法要が営まれ、義士に扮(ふん)した子どもらが行列をつくって大阪城を訪問した。

 大阪義士会(高橋博文会長)が主催。江戸時代より毎年、四十七義士の遺徳をしのぶ目的で吉良邸討ち入りの日の12月14日に義士の遺品を展示してきたが、戦後は占領軍の命により中断。遺徳を後世に伝えようと1953(昭和28)年に「赤穂奉賛義士祭」として再開してから、ことしで60回目を迎えた。

 墓前での法要のあと、2〜11歳の子どもらが、白と黒の山形模様の衣装に着替えて集合。大石内蔵助役の河崎汰寿久君(8)を中心に「エイエイオー」と勝ちどきを上げ、大阪城へ出発した。

 武道や太鼓の奉納、野だてや「討ち入りそば」の振る舞いもあり、境内は大勢の参詣者でにぎわった。

1083よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/13(木) 06:15:16 ID:L3U4soZE0
茨木で謎の土坑群 専門家も首ひねる
2012.12.12 22:29
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121212/waf12121222320053-n1.htm

 大阪府茨木市岩倉町の中条小学校遺跡で市松状に整然と並んだ120基以上の土坑(穴)が見つかり、市教委が12日発表した。弥生時代後期(2世紀後半)とみられるが、専門家は「墓でも貯蔵庫でもない。いったい何の穴なのか」と首をひねる。

 土坑は縦2〜3メートル、幅約1メートル、深さ40〜50センチ。東西7列の穴が南北約80メートルにわたって120基以上並ぶ。

 市教委は今年4月から縄文時代〜中世の集落跡などが見つかっている同遺跡の調査を始め、土坑群を発見。土の堆積状況から墓ではなく、ごみ穴や貯蔵庫の可能性が浮上したが、穴の内部からは遺物がほとんど見つからなかった。

 土器に使う粘土を採取する穴とも考えられたが、周辺には粘土層がないことなどから、担当者は「少なくとも近畿では前例がなく、さっぱり分からない」。

 弥生集落に詳しい同志社大歴史資料館の若林邦彦准教授は「配列に意味があったと考えられるが、現時点では謎だ」としている。

 現地説明会は15日午前10時半〜午後4時。問い合わせは現地事務所((電)072・622・5905)。

1084よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/13(木) 06:32:37 ID:L3U4soZE0
「梅亀天神餅」が誕生 大阪天満宮お墨付き 参拝みやげへの定着狙う
2012.12.13 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121213/osk12121302030000-n1.htm

 「天神さん」の愛称で親しまれる菅原道真ゆかりの大阪天満宮(大阪市北区)に12日、天満宮お墨付きの新たな名物「梅亀天神餅(うめかめてんじんもち)」が誕生した。もちにこしあんをのせた菓子で、天満宮近くにある茶店「梅亀庵(うめかめあん)」で販売中。この日、天満宮では奉納式が行われ、天神さんの土産として末永く愛されるよう関係者らが祈願した。

 天満宮周辺ではこれまで、名物といえる土産物がなかったといい、天満宮の寺井種伯宮司から「名物がほしい」という話を聞いた、飲食チェーンを全国展開するフジオフードシステム(本社・大阪市北区)が開発を手がけていた。

 約半年かけて今年秋に完成したという梅亀天神餅は、天満宮とかかわりの深いウメの赤ジソを国産のもちに練り込んでいるのが特徴。ほんのりとした塩味とさわやかな香りがアクセントとなっている。

 さらに、もちの上には、国産の小豆を使ったこしあんを楕円(だえん)形にあしらい、天満宮境内にある「星合の池」(通称『亀の池』)にすむ亀の甲羅に見立てたという。

 奉納式では、約10人の関係者らが参列。梅亀天神餅を奉納し、天満宮お墨付きの土産物として親しまれるよう全員で祈願した。

 フジオフードシステムの藤尾政弘社長は「伊勢の赤福などのような参拝みやげとして定着するよう、創意工夫を重ねながら、大事に育てていきたい」。天満宮の寺井種治権宮司も「待望の一品。参拝の楽しみの一つに加えていただければ」と話している。

 2個入り210円から。午前11時〜午後7時半、無休。問い合わせは梅亀庵((電)06・6882・0871)。

1085よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/14(金) 07:06:05 ID:qpLuHSss0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

河内幕府領年貢米の江戸廻送記録
2012年12月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/121212/20121212038.html

御廻米着船要用留

 隅田川に架かる蔵前橋の西詰に「浅草御蔵跡」の石碑がある。その横には台東区教育委員会が立てた解説板があり、「浅草御蔵は、江戸幕府が全国に散在する直轄地すなわち天領から年貢米や買い上げ米などを収納保管した倉庫である。(中略)ここの米は、主として旗本・御家人の給米用に供され、勘定奉行の支配下に置かれた。…」という説明書きがある。

 隅田川河岸の浅草御蔵は享保(1716〜36)ごろまで江戸各所に散在していた米蔵を1カ所に集めたもので、その規模は幕末には合計67棟356戸にも及んだ。江戸時代、この浅草御蔵の西側を「御蔵前」といい、蔵米を扱う米問屋や札差(ふださし)が立ち並んでいた。「蔵前」はそれにちなんで昭和9(1934)年に付けられた町名である。

 さて、河内国には江戸幕府の直轄地が多く、若江郡御厨村もその一つであった。畿内幕府領の年貢米が廻(かい)送された米蔵は江戸の他に京都や大阪にもあったが、幕末期の御厨村の年貢米の多くは江戸へ廻送された。後述する安政4(1857)年を例にとると、御厨村の米納総量253石余りのうち、145石ほどの米が江戸浅草御蔵に廻送された。

 廻船の準備は廻船御用達という専門の商人が担当し、郡中の実力者の中から納名主(おさめなぬし)や上乗(うわのり)といった代表者が選ばれ、江戸への年貢米上納の任務を勤める。

 安政4年、御厨村の庄屋加藤勘左衛門は、信楽代官所が管轄する河内国南方5郡(若江郡・渋川郡・志紀郡・丹南郡・丹北郡)村々の「納名主惣(そう)代」として江戸へ赴く。勘左衛門は12月3日に陸路で江戸へ向かい、東海道を経て12月中旬に江戸へ到着した。

 この時の年貢米の廻送記録が「御廻米着船要用留」にまとめられている。廻船は河内国全体で10艘(そう)あり、このうち南方5郡の年貢米を廻送したのは3・6・7・8・9・10番船の6艘である。

 帆船のため風雨に左右されたが、3週間ほどで品川へ入り、ここで川船に積み替えて、隅田川の浅草河岸まで年貢米を運ぶ。10艘が日程前後して大阪を出発するので、最後の10番船が品川へ入津したのは2月中旬のことである。

 勘左衛門が約5600石にも上る年貢米の上納を終えて江戸をたったのは、既に3月も半ばであった。復路は中山道をたどり、3月28日に帰国。実に足かけ4カ月にも及ぶ重責であった。

 (大阪商業大学商業史博物館学芸員・池田治司)

1086よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/14(金) 07:09:28 ID:qpLuHSss0
和を願う「巳」の絵馬 迎春へ道明寺天満宮
2012.12.13 16:43
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121213/wlf12121316440014-n1.htm

 学問の神様で知られる道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)のジャンボ絵馬が迎春準備事始めの13日、来年のえと「巳」に掛け替えられた。

 絵馬は上方浮世絵の伝統を受け継ぐ女性画家の五世長谷川貞信さんが、宮司の南坊城充興さんから「和を大切にする年になるよう願いを込めた巳を描いて」と頼まれ、向き合う巳を優しい線で描いた。高さは2メートル、幅2・4メートル。

 禰宜の南坊城光興さんは「政争も絶えないし、来年はほんとに和が大切な年になりそうです。人との縁、神様との縁を大切にする年になってほしい」と話した。

1087よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/14(金) 07:10:40 ID:qpLuHSss0
大阪文化賞に桐竹勘十郎さん 文楽人形遣い
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121214-OYT8T00095.htm
.
 府と大阪市は13日、文化芸術振興に功績を果たした人に贈る今年度の「大阪文化賞」に人形浄瑠璃の文楽人形遣い、桐竹勘十郎さん(59)(大阪市)=写真=を選んだと発表した。

 府出身の桐竹さんは、1968年に文楽協会技芸員となり、2003年に3世・桐竹勘十郎を襲名。今夏、大阪・国立文楽劇場での夏休み特別公演で親子劇場「鈴の音」を上演し、8月の文楽初のアフリカ公演では団長を務めた。贈呈式は26日午後4時から、大阪市公館で行われる。

(2012年12月14日 読売新聞)

1088よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/16(日) 05:40:41 ID:q7bmrwAE0
大絵馬“巳”応えあり 道明寺天満宮
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121214-OYT8T00089.htm
.
 学問の神様・菅原道真をまつる藤井寺市の道明寺天満宮に13日、来年の干支(えと)「巳(み)」にちなんだヘビのジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えした。

 ジャンボ絵馬の飾り付けは、1970年から毎年行われている。上方浮世絵の伝統を受け継ぐ女性画家、長谷川貞信さん(66)(寝屋川市)が、白ヘビ2匹に天満宮のシンボル・紅梅をあしらった絵を描いた。

 禰宜(ねぎ)の南坊城光興(みなみぼうじょうみつおき)さん(38)は「東日本大震災の被災地復興も続く。来年は色々なことが前に進む年になってほしい」と話した。同天満宮は、正月三が日で延べ20万人の参拝客を見込んでおり、同じ絵柄の「開運干支絵馬」(初穂料1500円)を計5000枚準備する。

(2012年12月14日 読売新聞)

1089よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/16(日) 05:46:46 ID:q7bmrwAE0
国登録文化財に小谷家住宅 審議会答申
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121216-OYT8T00110.htm
.
 国の文化審議会が文部科学相に答申した登録有形文化財(建造物)に、府内からは江戸時代の住宅「小谷家住宅」(堺市南区)など4か所11件が選ばれた。

 小谷家住宅は江戸時代中期の建築で、木造平屋、銅板ぶき。地元の有力武士だった小谷氏が、城跡に築いた。府教委によると、「中世の山城の雰囲気を残している。丘陵中腹の城跡に立つ旧家の屋敷群として貴重」と評価されたという。

 また、浄土真宗本願寺派の僧侶育成のために建てられた施設「行信教校(ぎょうしんきょうこう)」(高槻市)は「木造校舎として希少な存在」として選ばれた。ほかは、大正時代の近代和風住宅「小森家住宅」(大阪市中央区)と、明治時代の住宅で、市民の文化活動の場として一般公開されている「旧田中家住宅」(富田林市)。

 今回の答申で、府内の登録有形文化財(建造物)は206か所545件となる。

(2012年12月16日 読売新聞)

1090よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/16(日) 22:36:36 ID:NaTVgWwg0
大阪ロマン紀行

 大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。


生者のための厄除け祈祷寺、あびこ観音

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年12月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121214/20121214034.html

観音宗総本山吾彦山大聖観音寺(大阪市住吉区)

 お寺には供養寺(くようでら)と祈祷寺(きとうでら)がある。供養寺は先祖や亡くなった方の供養をするお寺で、通常、寺にお墓があり檀家(だんか)制度もある。もうひとつの祈祷寺は、お墓や亡くなった人とは直接関係がない。今、生きている人を祈祷するためのお寺である。つまり、死者ではなく、生者のための寺なのだ。

 その中で厄除(やくよ)けの祈祷では大阪随一と言われる、吾彦山大聖観音寺(あびこさんたいしょうかんのんじ)、通称「あびこ観音」(大阪市住吉区)に取材した。ここは生者のための寺であるので、お墓はなく、死者を供養することもない。お寺は檀家ではなく、一般の信徒によって支えられている。

 ご本尊は一寸八分(約5・5センチ)の聖観音像(しょうかんのんぞう)で、546年に百済(くだら)(朝鮮半島)より、膳臣巴提便(かしわでのおみはてび)(今の外交官的存在)が持ち帰った胎内仏である。しかし当時、まだ仏教は一般に信仰されていたわけではなく、その頃の飛鳥の都は、聖観音像を受け入れようとしなかった。

 それで、難波依網郷(なにわよさみのさと)の阿比古浦(あびこうら)に草庵(そうあん)をしつらえて安置した。たしかに日本に仏教が伝来した歴史で見ると、諸説あるが、ちょうど、その前後ぐらいなのだ。せっかく百済の聖明王(せいみょうおう)が国の安泰を願って渡してくれた仏像が、情けない扱いになってしまった。

 しかし、近くの人々や豪族たちが噂(うわさ)を聞きつけてお参りに来るようになり、「たしかに御利益もあり霊験あらたか」という評判が立っていった。その後、聖徳太子が聖観音像のために12年がかりで安彦山観音寺を建て、以後1400年以上も続いて今に至っている。

 この寺には様々(さまざま)な逸話が伝わっていて、その中に徳川家康が大阪夏の陣で秀吉の軍から逃げて、この寺にかくまわれた話がある。そのときの和尚、快敬(かいきょう)が偶然、家康と旧知の仲で、家康を本堂の須弥壇(しゅみだん)にかくまい、真田の軍をやりすごし、無事に家康を逃がしたのだ。

 聖観音像は現在、秘仏として安置されているが、2月の節分にご開帳となる。しかし、小さすぎてよほど近くに来ないと見れないという。

 この節分が日本最古の伝統を誇る、節分厄除大法会(せつぶんやくよけだいほうえ)で、2月1日から7日まで行われ、大きなお堂の中で護摩をたく(見に来られる方は、護摩をたく日の確認を)。節分は何十万人というすごい人出になり、露店も300店以上出るので、交通規制がかかる。同じように正月も、寺の境内や周辺の町が人でいっぱいになる。非常に人気の高い寺であるが、それもそのはず、ここは死者ではなく生者が集まる生者のための寺なのだ。

1091よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/19(水) 22:49:11 ID:tk0qVwd60
少しずつ少しずつ着実に古代の大阪が明らかになっていく。
それは今までの想像以上に大きくて素晴らしい都市であったようだ。
大阪を知らずして日本を語るべからず。日本国の母なる大地は大阪なり。


大阪・難波京の南に大規模建物群 5棟整然、範囲拡大も
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/2012121901001478.htm

 大阪市天王寺区の北河堀町所在遺跡で、7〜8世紀ごろとみられる5棟の大規模な建物跡が見つかり、大阪市教育委員会と大阪市博物館協会大阪文化財研究所が19日発表した。これまで想定されていた難波京(東西約1・6キロ、南北約4・2キロ)のすぐ南側で、京の範囲がさらに南に広がる可能性もあるという。
 同市教委などによると、中心にある建物は東西6・3メートル、南北14・3メートル。柱の直径は30センチ。この建物を囲むようにほかの4棟が整然と配置されていた。担当者は「建物は難波宮内のものと比べても遜色のない大きさ」としており、有力者の邸宅か役所とみている。


難波宮と同時代の建物跡発見
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20121219/4269221.html?t=1355922279671

大阪に置かれた、古代の都「難波宮」と同じ時期に築かれたとみられる建物の跡が、大阪・天王寺区で、見つかりました。
「難波宮」の周囲にあったとされる都市については、その範囲など、不明な点も多く、今回の発見は、都市の実態に迫る貴重な資料として注目を集めそうです。
大阪の中心部にある「難波宮」は、7世紀と8世紀の2度にわたって宮殿が築かれた場所です。
この「難波宮」から、南に約3キロ離れた天王寺区で、大阪文化財研究所などがことし9月から発掘調査を進めたところ「難波宮」と同じ時代に築かれたとみられる建物の跡が、計5棟分みつかりました。
これらは「難波宮」の中にあった役所などの建物に匹敵する規模で、最も大きなものは幅が16メートル、奥行きが5メートルほどあるほか、方角をそろえて、規則正しく建てられていることなどから、大阪文化財研究所によりますと、貴族など有力者の邸宅か役所の可能性が高いとみられるということです。
「難波宮」の周囲にあったとされる都市については、その範囲など、不明な点も多く、今回の発見は、都市の実態に迫る貴重な資料として注目を集めそうです。
研究所の学芸員、市川創さんは「難波宮の周囲で整然と立てられた建物の跡が5棟も見つかるのは今回が初めてだ。今回の発見は、当時の都市の実態を把握するうえで大きな意味がある」と話しています。

12月19日 19時42分

1092よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/20(木) 06:49:45 ID:OE5eL5eQ0
難波京:大規模な建物跡見つかる 7〜8世紀、貴族邸宅か
毎日新聞 2012年12月19日 21時21分(最終更新 12月19日 21時57分)
http://mainichi.jp/select/news/20121220k0000m040052000c.html

 大阪市天王寺区の難波京(なにわきょう)跡(北河堀町所在遺跡)で、7〜8世紀の大規模な建物跡5棟が見つかり、19日、大阪文化財研究所が発表した。格式の高い1棟(南北約18メートル、東西約10メートル)を囲むように他の4棟が規則的に配置され、2500平方メートル以上の広大な敷地を有していた。同研究所は位の高い貴族の邸宅か役所だったと見ており、「古代大阪の都市構造や京の実態解明につながる重要な手がかりだ」と指摘している。

 難波京は宮殿(難波宮10+件<なにわのみや>)の周囲に存在した都市域。民間の土地開発に伴い、同研究所が9月から調査していた。現場はJR天王寺駅の北約250メートル、四天王寺の南約500メートルで、想定される京(東西約1.6キロ、南北約4.2キロ)の南端にあたる。

 建物群は、ひさしがあって最も規模の大きい建物を中心に、東西南北に1棟ずつ見つかった。北側の建物は2番目に大きく、東西約16メートル、南北約5メートル。最も小さい南側の建物は、東西約8メートル、南北約5メートルで、倉庫か門だったとみられる。柱の直径は最大約30センチ、最も高い建物は推定3〜7メートルで、これまで難波宮跡で見つかった建物に匹敵する規模だった。

 調査した市川創・学芸員は、「調査地は宮や難波津(港)に近く、北に四天王寺、南に阿倍寺の塔を望む風光明媚(めいび)な場所だっただろう。従来より京域が南に広がる可能性も出てきた」と話す。続日本紀(しょくにほんぎ)は744年ごろ、元正上皇が難波京に左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)の邸宅を訪ねたと伝えるが、この邸宅が京内のどこにあったかはわかっていない。

 現地説明会は22日午後1時〜同3時半。少雨決行。問い合わせは同研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)。【林由紀子】

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1093よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/20(木) 06:51:02 ID:OE5eL5eQ0
情報プラザ:シンポジウム『大阪上町台地から都市を考える』第5回「難波宮下層遺跡と都市−難波宮誕生前夜」 /大阪
毎日新聞 2012年12月15日 地方版
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20121215ddlk27040399000c.html

 23日(日・祝)10時〜16時20分、大阪市中央区大手前4の大阪歴史博物館4階講堂(地下鉄谷町四丁目駅4号・9号出口)。難波宮の港や交通路、外交、交易に関する資料と研究成果から、日本列島の都市の成立と成長過程を明らかにする。講師は大阪文化財研究所の南秀雄さんら。事前申し込み不要。当日9時半から先着250人。参加無料。同博物館(06・6946・5728)。

1094よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/20(木) 21:24:10 ID:z7eC5e020
観客下回れば人件費補助せず
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20121220/4187061.html?t=1356005834484

文楽の運営団体への補助金の支給額を来年度は、観客数に応じて決めるとしている大阪市は、人件費などにあてる2900万円は、大阪での公演の年間の観客数が、9万人以下の場合には支給しない方針を固めました。
大阪の伝統芸能、文楽を運営する「文楽協会」への補助金をめぐっては、来年度から、観客数に応じて支給額を決めるという大阪市の方針を協会が受け入れたことから、その具体的な対応を市が検討していました。
そして、きょう、市は、来年度の予算編成を前に、協会への補助金をめぐる考え方を橋下市長に説明しました。
それによりますと、来年度の協会への補助金はこれまでと同じ、3900万円としたうえで、このうち、1000万円は文楽の演じ手の技芸員が三味線や衣装などを買ったり、修理したりする際の補助にあてる方針です。
一方、残る2900万円は、人件費などの補助として支給するとしていますが、支給額は観客数と連動させるとしています。具体的には大阪での公演の年間の観客数が9万人以下の場合は、補助金は支給しない一方で、10万5000人以上の場合は、2900万円満額を支給する方針です。また、9万人を超え、10万5000人に満たない場合は、観客数の割合で、支給額を決定するとしています。市によりますと、平成15年度以降、観客数は、毎年、9万人を超えているということで、市では、「来年度以降、9万人以下になるようなら、協会の対応は評価できない」と話しています。

12月20日 18時51分

1095よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/21(金) 06:43:17 ID:nCADNnHs0
神様に感謝の爆笑奉納 枚岡神社「お笑い神事」
2012年12月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121220/20121220020.html

 天照大神の「天岩戸開き」にたずさわった神の一人、天児屋根命(あめのやねのみこと)を主祭神とする枚岡神社(東大阪市)では毎年12月25日、同故事にならって「笑い」を再認識し、神様に感謝をささげる神事「注連縄掛神事(通称お笑い神事)」が行われている。今年は初めて、関西演芸協会が行う「笑納演芸会」とあわせたイベントを企画。一般市民の参加を呼び掛けている。

 初代天皇の神武天皇が即位する3年前に創祀(そうし)したとされる歴史の長い同神社。この故事にならった「お笑い神事」は、同市の無形民族文化財で、神様の前で20分間笑い続け、1年を感謝で締めくくる。これまで「神事は神聖なもの」として宣伝してこなかったが、「せっかくいい神事なので多くの市民に参加してもらいたい」(山根眞人禰宜(ねぎ))と企画した。

 趣旨に賛同した同協会は、1949年の設立。落語、漫才だけでなく奇術、講談、浪曲、歌謡曲など演芸全般にわたって事務所の垣根を越え、250人以上の芸人が所属する。一事務所ならかなわない層の厚さや歴史などが信頼につながり、神事への参加が決まった。

 同協会の桂福團治会長は「ただ笑ってスッと終わるだけでなく、そのシーンを思い出して心からよみがえる笑いを身につけられるよう、協会員一丸となって頑張りたい」と話している。

 20分笑い続ける「お笑い神事」は午前10時から、参加無料。演芸会は午前11時、午後1時、同3時、同6時半の4回、木戸銭千円〜。問い合わせは電話072(981)4177、同神社へ。

1096よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/21(金) 06:45:35 ID:nCADNnHs0
「薬の町」に歴史の証人 「杏雨書屋」が移転へ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121221-OYT8T00095.htm

 「薬の町」として知られる大阪市中央区道修町(どしょうまち)に、薬に関する資料館「杏雨書屋(きょううしょおく)」(大阪市淀川区)が来秋、移転することになった。これまでは研究者が中心に利用する施設だったが、移転後は一般向け展示も予定。製薬各社の転出が続いて様変わりする道修町の歴史に触れる場になりそうだ。(山村英隆)

 資料館は、1923年の関東大震災で貴重な文献が失われたと聞き、武田薬品工業の創業家・武田家が、医薬の資料を集め始めたのが始まり。武田家から文献3万点12万冊の寄贈を受けた「武田科学振興財団」が78年、淀川区の同社大阪工場の一角に杏雨書屋(3階建て、約1000平方メートル)を整備した。

 収蔵品には、平安時代に中国の医学の古典を再編集した「黄帝内経太素(こうていないけいたいそ)」(国の重要文化財)や、江戸期に刷られた日本初の本格的西洋医学の翻訳書「解体新書」など貴重なものが含まれる。近年、資料の寄贈が相次ぎ、計4万点15万冊を所蔵し、手狭になっていた。

 同財団が来秋、設立50周年を迎えることもあり、同社の前身・武田長兵衛商店があった地に立つ同社旧本社ビル(5階建て)に資料館を移転することに。新資料館は約1400平方メートルで、これまで一般公開は年2回だったが、常設展示も行う。淀川区の杏雨書屋は移転準備のため、来年1〜9月はいったん休館とする。

 道修町周辺に集まっていた製薬、医療関係の企業は90年代後半頃から、本社機能を東京に移転させる所が増加。東京と道修町の2本社体制を維持する武田薬品工業も2007年4月、広報・IR部門を東京に集約した。同財団の横山巖理事長は「育ててもらった創業の地に杏雨書屋が移るのは感慨深い。みなさんに広く知ってもらいたい」と話す。

 大阪の歴史や文化に親しむ「船場大阪を語る会」会長で、道修町で生まれ育った三島佑一・四天王寺大名誉教授(84)は「製薬各社が東京に移転するのをさみしい思いで見てきた。研究成果も新資料館で公開すれば、道修町の歴史を学ぶ人が増えるだろう」と期待している。

<道修町> 江戸時代に薬専門の株仲間が集まり、第1次世界大戦前後に西洋の薬を扱う店が増えた。武田薬品工業、塩野義製薬、田辺製薬(現・田辺三菱製薬)が道修町御三家と呼ばれ、町内には薬の神様をまつる少彦名(すくなひこな)神社もある。同神社に併設されている「くすりの道修町資料館」によると、周辺の製薬、医療関係の企業は80年代には300社近くあったが、現在は200社を切るほどだという。

(2012年12月21日 読売新聞)

1097よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/21(金) 21:03:22 ID:ILSi5zz.0
大阪大に半世紀前の発掘映像 野中古墳、HPで公開
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201212210152.html

 1964年に大量の鉄製甲冑かっちゅうが出土した野中のなか古墳(大阪府藤井寺市)の発掘の様子を撮影したカラー8ミリフィルムが見つかり、21日、大阪大が発表した。15分間の映像を考古学研究室のホームページで公開している。

 古墳は、世界遺産登録を目指す「百舌鳥もず・古市ふるいち古墳群」の一つで、国史跡。福永伸哉ふくなが・しんや教授は「当時の発掘映像は珍しいだけでなく、出土状況も詳しく分かり貴重だ」としている。

 2009年に文学研究科の収蔵室から2巻が見つかった。学生らが発掘する様子や、遺物を取り上げる場面など計21分の映像があった。

 野中古墳は5世紀半ばに造られた1辺37メートルの方墳。64年3〜7月、大阪大が発掘。鉄製の甲冑や武器、鉄の地金、陶質土器など朝鮮半島南部との交流を物語る多数の副葬品が出土した。

1098<削除>:<削除>
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1099よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/22(土) 21:25:43 ID:DoM.PU9I0
「400歳の街」なぜニュータウンの真ん中に 大阪・千里
2012/12/22
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH1200K_T11C12A2AA2P00/
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH1200K_T11C12A2AA2P00/?df=2

大阪府の吹田市と豊中市にまたがる日本初の大規模ニュータウン「千里ニュータウン」の街開きから今秋で50年。高層団地や道路が計画的に配置され、整然とした街並みのど真ん中に開発されずに残った豊中市上新田地区がある。いったい、どんな経緯があったのだろう。

 ニュータウンの中心、北大阪急行の千里中央駅から南へ約5分歩くと上新田天神社の鎮守の森だ。辺りには家紋入りの瓦ぶきの屋根と白壁の住宅。周囲を団地群に囲まれた上新田1〜4丁目の約100ヘクタールは開発の「除外地」と呼ばれる。

               ◇            ◇

 千里ニュータウンは広さ1160ヘクタール、住居数約4万戸、人口約9万人。1958年の計画決定で「1320ヘクタールの土地買収」とし、上新田も含まれていた。

 買収地の大半は森林や田畑だったが、府によると上新田地区には当時、約1000人が居住。7割が農家で、古文書「新田由来記」によると、17世紀前半に新田の開発が始まった。400年前のニュータウンなのだ。1873年開校の新田小学校の旧校舎(1900年建築)は当時では珍しい純和風の建築で府の指定文化財だ。

 ニュータウンの用地買収は難航した。「60年安保」の時代で、農業者は労働組合と手を結ぶ「労農提携」で対抗。府は「府民の住宅確保」の錦の御旗を掲げた。府職員として開発を担った片寄俊秀・大阪人間科学大学教授は「街開きの式典の周りで『土地取り上げ反対』のむしろ旗が翻っていた」と振り返る。

 上新田でも反対の声が上がり、府は1960年5月、専門家会合で、同地区のニュータウン開発を断念。7月には用地買収対象を「既存集落周辺を除いた1155ヘクタール」に縮小、同地区を「除外地」とした。府の試算では住宅は当時、18万戸不足し、待ったなし。片寄教授は「府にとってニュータウン開業は最優先課題。人が生活する上新田を無理に開発するのは時間がかかりすぎ、困難だった」と話す。

1100よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/22(土) 21:26:41 ID:DoM.PU9I0
>>1099

「取り残された街」とも言われた上新田。今どうなっているのか。11月の日曜日、上新田天神社は七五三を祝う親子でにぎわっていた。初詣にはニュータウンから約2万人の参拝客が訪れるという。千里中央駅からの参道は参拝客でごった返す。

 千里ニュータウンではコミュニティー形成が課題とされる。天神社の中村暢晃宮司は「人は人とのかかわり合いの中でしか生きられない。天神社がニュータウンの人にとって、コミュニティーの場所としての役割を果たしている」と強調する。上新田に古くから住む氏子総代会会長の山田昭治さんは「若い人は天神社を『パワースポット』と呼ぶ。非日常の空間がうらやましいのでは」と話す。

 天神社では毎年1月、無病息災を願う火たきの行事「とんど祭り」がある。8メートル超の松を100本の竹で支える準備作業は「旧村」と呼ばれる昔ながらの地区の自治会9班が順番に担当。来年は8班だ。自治会のほぼ全戸にあたる約160戸が氏子。地区内に相次ぎ建設されたマンションの住人との交流も進み、伝統の秋祭りでは、みこしに乗る小学校4年生8人の「乗り子」は近年、マンションの子らが占める。

 上新田はニュータウン開発による鉄道・道路網の整備で恩恵を受けた。地価は上昇、住人は1万8000人を超えた。一方、ニュータウンの住民は天神社や地区の自然に癒やしを求める。片寄教授は「千里ニュータウンは上新田に救われた面もある」と指摘する。400年前のニュータウンの上新田と、50歳を迎えた千里ニュータウンがお互いを補い合いながら未来へ向かっている。

(大阪地方部 泉延喜)

1101よっさん ◆AXS9VRCTCU:2012/12/26(水) 20:13:16 ID:yLsBMtPQ0
なんで「住吉大社」と書かないのですかね、疑問です。


住よし大社で縁起物の準備進む
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20121226/4397401.html?t=1356520191468

毎年200万を超える人が初詣に訪れる大阪・住吉区の住よし大社では、みこたちが参拝者に手渡す縁起物の準備を進めています。
「すみよっさん」の愛称で親しまれている住よし大社では子供たちが神事で奉納する踊り「住よし踊」の縁起物を作る作業が、きょうから本格的に始まりました。
この縁起物は軒先に飾ると五穀豊穣や無病息災などの御利益があるとされていて、きょうは6人のみこたちが踊りをかたどったミニチュアを、1つずつ笹に取り付けて完成させていきました。
みこの野内優里さんは「境内の迎春の準備も整ったので、すがすがしい気持ちでお参りいただけるようにお待ちしています」と話していました。
住よし大社によりますと、来年の正月3が日は、あわせて250万人の参拝者を見込んでいるということです。

12月26日 19時33分

1102よっさん ◆AXS9VRCTCU:2012/12/26(水) 20:19:12 ID:yLsBMtPQ0
松井知事に「涙」の訴え? 文楽人形遣いの桐竹さんに大阪文化賞
2012.12.26 19:54
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121226/waf12122619580033-n1.htm

 今年度の大阪文化賞に選ばれた人形浄瑠璃文楽の人形遣い、桐竹勘十郎さん(59)への贈呈式が26日、大阪市公館で行われた。今年は大阪市が文楽協会への補助金を一時凍結する問題があっただけに、松井一郎知事は「心配をおかけしました」と陳謝。桐竹さんは「おかげさまで(入場者数が)昨年の1・6倍になりました」と笑顔を見せつつ、人形で泣くしぐさを披露する一幕もあった。

 松井知事は府と大阪市が協調して文楽の継承に取り組む姿勢を示す一方、大阪市が来年度、年間有料入場者数が9万人以下なら協会への補助金をゼロにする方針を打ち出したことに触れ、「橋下徹市長がハードルを設けるのは、切磋琢磨しながら文楽を守り、発展させるため」と述べた。

 桐竹さんは「大きな宿題をいただいた」と表情を引き締め、実際に人形で泣いたり、歩いたりするしぐさも披露した。

 一方、松井知事には文楽観賞経験がなく、「子供たちに見せるバージョンは短いですか」などと公演時間の長さなどを質問。桐竹さんは「子供たちに人形を見せると、目をキラキラさせる。浄瑠璃の文句が分からなくても、そういうところで伝わる」と文楽の魅力をアピールしていた。

1103よっさん ◆AXS9VRCTCU:2012/12/26(水) 21:18:19 ID:yLsBMtPQ0
ヘビ年 迎春準備本格化…大阪市・住吉大社
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121226-OYO1T00747.htm?from=newslist

 大阪市住吉区の住吉大社で26日、赤いはかま姿の神楽女(かぐらめ)6人が縁起物の飾り付けなどを行い、迎春準備が本格化した。

 この日は、古くから同大社に伝わる踊りでかぶるかさのわら細工やお札をササにくくりつけた縁起物「住吉おどり」2000点を用意。ほかに、ご神矢やお守りなどの準備が31日まで続く。

 同大社では、正月三が日の人出を今年と同じ250万人と見込んでおり、出村大光・権禰宜(ごんねぎ)は「干支(えと)のヘビのように、多くの人に末永く幸せが続くよう願って作業を続けます」と話していた。

(2012年12月26日 読売新聞)

1104よっさん ◆AXS9VRCTCU:2012/12/26(水) 21:19:18 ID:yLsBMtPQ0
迎春準備 華やぐ 国立文楽劇場に「にらみ鯛」
2012年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121226/20121226011.html

 大阪市中央区の国立文楽劇場で25日、伝統の正月飾り「にらみ鯛(だい)」の取り付けが行われた。3日からの新春公演の準備が進む中、真っ赤な張り子(全長約3メートル、重さ約15キロ)の2尾が向かい合わせに舞台上部に吊り上げられると、劇場内は一足早く華やいだ迎春ムードに包まれた。

 「にらみ鯛」は新春を祝う縁起物として、戦前は上方各地の劇場で飾られていた。時代の流れとともに戦後は途絶えていたが、同劇場が開業して最初の正月を迎えた1985年に復活させた。

 向かい合う「にらみ鯛」の間には、大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市)の鈴木寛治宮司の揮毫(きごう)による来年のえと「巳」文字の「大凧(たこ)」も掲げられた。

 3日の新春公演初日には、黒門市場から本物のタイが届けられるほか、文楽人形による鏡開きで来場者へたる酒が振る舞われるなど初芝居を盛り上げる。

1105よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/27(木) 19:15:37 ID:CZYL1RUQ0
瓦や坪を市文化財指定 大阪・四條畷、千光寺跡で出土
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201212260195.html

 【荻原千明】四條畷市教委は、田原城主一族の墓と菩提(ぼだい)寺である千光寺跡から出土した甕(かめ)など計9点を一括して市指定有形文化財とした、と発表した。

 田原城は、大和と河内の国境に位置し、戦国時代末期に三好長慶が飯盛山城に入った頃、田原氏も三好氏に属したとみられる。

1106よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/27(木) 19:21:23 ID:CZYL1RUQ0
迎春 清らかに 住吉大社で煤払式
2012年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121227/20121227017.html

 年の瀬を控え住吉大社(大阪市住吉区、真弓常忠宮司)で26日、1年間にたまったほこりを払い新年を迎える行事、「煤払(すすはらい)式」が行われた。神職らが長さ約5メートルの竹ぼうきを手に、境内にある国宝の四棟の本殿の屋根を払う所作をして、“1年の汚れ”を落とした。

 午後から行われた式では第一本宮から順に神事を行い、訪れた参拝者らが見守る中、2人の神職らが竹ぼうきでゆっくりと屋根の上のほこりを払っていった。

 同大社は例年、正月三が日は約250万人の参拝者が訪れる。境内では参拝者に授与する縁起物の準備が進むほか、この日、午前中には自衛消防隊による歳末恒例の消防訓練も実施された。

1107よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/27(木) 23:33:09 ID:CZYL1RUQ0
大阪市天王寺区・難波京南端に大型建物跡
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121220-OYO1T00627.htm?from=main3

 古代の都・難波京(なにわきょう)の南端と推定される大阪市天王寺区悲田院町で、7〜8世紀の5棟の大型建物跡が見つかり、市教委と市博物館協会大阪文化財研究所が19日発表した。都の中心・難波宮の役所跡にも匹敵する規模の建物群で、同研究所は「重要な建物だった可能性が高い」と説明、京の南端も推定より延びる可能性があるとしている。

 出土したのはJR天王寺駅北側の「北河堀町所在遺跡」と呼ばれる区域。住宅建設に伴い約2100平方メートルを発掘し、十字形に整然と並ぶ5棟の建物跡を確認した。真ん中の建物跡(南北14・3メートル、東西6・3メートル)が最大で、柱の直径は約30センチだったとみられる。

 同研究所によると、都の重要施設は北側の一等地に集まるが、南端でこれほど大規模な建物群が見つかるのは異例。この周辺で力を持っていた有力貴族の邸宅か、都を南へ拡張するために置かれた役所などが考えられるという。現在推定される京域は南北約4・2キロ、東西約1・6キロで、今後広がる可能性がある。

 難波京は7、8世紀の2度にわたって置かれた宮殿(前期、後期難波宮)の周囲にあったとされる都市域。現在は市街地のため発掘が進まず、広範囲の調査は珍しい。

 現地説明会は22日午後1時〜3時半。問い合わせは同研究所(06・6943・6836)。

 中尾芳治・元帝塚山学院大教授(歴史考古学)の話「高位の人の住居と思われるが、都の端にこれほどの規模の建物があるとは驚いた。難波京は未解明な部分が多く、今後、発掘が進めば、我々が想像する以上に壮大な都だったことがわかるかもしれない」

(2012年12月20日 読売新聞)

1108よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/28(金) 07:02:20 ID:Ewisjoe20
「巳」の巨大絵馬登場 堺・開口神社
2012.12.28 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121228/osk12122802010004-n1.htm

 堺市堺区甲斐町東の開口(あぐち)神社の本殿脇に、来年のえとの「巳」を描いたジャンボ絵馬が登場。かわいらしい表情のヘビが迎春ムードを盛り上げている。

 堺市西区の画家、岩本かずえさん(64)が描いた。絵馬は縦1・8メートル、横2・3メートルで、とぐろを巻いた白いヘビが描かれている。

 「動きを抑えて、じっくりと世の中を見る様子を描きました」という岩本さんは、「かわいらしい表情にした」とも。「来年は争いごとの少ないおだやかな年になってほしい」と話していた。

1109よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/28(金) 14:37:56 ID:7qS510ug0
文枝さん“つき”呼びまっせ…繁昌亭もちつき
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121228-OYO1T00720.htm?from=newslist

 上方落語の定席、天満天神繁昌亭(大阪市北区)で28日、歳末恒例のもちつきがあり、今夏、大名跡を襲名した上方落語協会の桂文枝会長(69)らが景気よくもちを振る舞った。

 落語家や寄席囃子(ばやし)の三味線方ら総勢約50人が参加。太鼓や三味線のお囃子がにぎやかに響く中、「よいしょ」の掛け声にあわせて勢いよくきねを振るった。約40キロのもち米をつきあげると、ぜんざいなどにして集まった人々に配っていた。

 「不景気を“つき”飛ばそう」と始まって今年で4回目。「来年も引き続き、ごひいき賜りたい」とあいさつした文枝会長は、「襲名で大変だったけれど、60代最後の年が思い出深いものになった」と、この一年を振り返っていた。

(2012年12月28日 読売新聞)

1110よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/28(金) 14:53:52 ID:7qS510ug0
大阪ロマン紀行

 大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

人々の願いと感謝で架けた「鯨の骨橋」

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年12月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121228/20121228036.html

瑞光寺(大阪市東淀川区)

 捕鯨について、様々(さまざま)な意見があるが、日本人にとって捕鯨は、古来より生活に根づいてきたものであることをあらためて記したい。日本人は昔から漁で得たものは神様からの賜物(たまもの)として、魚や鯨など、食べた後も様々に工夫し、何ひとつ残さないように、余すところなくいただいてきた。これは、日本人の「食べる」ことを通じた自然に対する美しい作法である。特に鯨は食べたいと思う所だけ食べて、他は捨てるというのではなく、全てを生活に活用する。これは日本人の鯨に対する思いやりでもある。

 そういう意味で、大阪市東淀川区にある瑞光寺は、日本人の鯨に対する思いを、あらためて感じることのできるお寺だ。境内にある弘済池(こうさいち)には、なんと鯨の骨でできた「雪鯨橋(せつげいきょう)」が架かっている。おそらく世界でも、ここだけの橋だろう。

 寺は聖徳太子の創建で、雪鯨橋ができたのは、第4世住職、潭住禅師(たんじゅうぜんし)が宝暦6(1756)年に、紀伊の国を行脚していたときのこと。太地浦(たいちうら)(現在の和歌山県太地町)の漁師から「村は鯨が捕れず飢えに苦しんでいます。豊漁祈願を、なにとぞ、お願いいたします」と涙ながらに訴えられた。

 しかし、仏の道には生き物を殺すことを禁ずる教えがあると言い聞かせ、何度も断るのだが、実際に村人が苦しんでいる姿を見かねて、ついに潭住は豊漁祈願を決意する。

 やがて満願の日の朝、願いが通じたのか鯨の大群が現れ、村人は大いに喜んだ。そして、潭住禅師にお礼にと、金30両と鯨骨18本が贈られた。潭住は鯨を手厚く供養し、生き物の命をすべて大切にしようという思いを込めて、雪鯨橋を造った。名前に雪の文字があるのは、雪のように白く美しい骨という意味である。

 現在の雪鯨橋は6代目で、平成16(2004)年に、鯨類捕獲調査で捕獲されたイワシクジラの骨を譲り受け、脂抜きのために境内近くの地中に2年間寝かし、ようやく平成18年に完成したもの。

 橋は浪花の名橋50選に選定され、日本百名橋の番外にも選ばれている。

 この橋は、人々の願いと感謝の思いで架けられたものだ。鯨もきっと後世にまで役立ち、人に喜ばれることを、うれしく思っていることだろう。捕鯨の是非を論議する前に、我々(われわれ)日本人の暮らしと鯨の関係を、あらためて思い返し考えたい。

1111よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/28(金) 15:48:38 ID:7qS510ug0
新春に大地を鎮め 五穀豊穣を祈願
大阪市住吉区・住吉大社
2013年1月4日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2427

 国屈指の初詣スポットとして知られる住吉大社。お参りの人々で賑わう新年の1月4日、神職や神楽女(かぐらめ)による古式ゆかしい「踏歌神事(とうかしんじ)」が斎行される。これは春の始めに大地を踏んで土地の精霊を鎮め、除厄と招福を祈願する儀式とされており、毎年約10万人の参拝客が訪れる。

 住吉大社禰宜(ねぎ)の富澤昇さんによると、

 「“踏歌”は、古くは“アラレバシリ”と読み、中国の唐から伝わった宮廷行事として『日本書紀』にも記されています。踏歌神事は、元来日本にあった農耕の予祝行事が踏歌によって潤色されたものと考えられており、平安時代には“踏歌節会(せちえ)” と称して盛んに催されていました」

 その後、宮廷行事としての踏歌節会は平安中期に廃絶、神社において神事として継承されてきた。現在でも残るのは熱田神宮と住吉大社だけといわれ、貴重な行事となっている。

 当日は午後1時より第一本宮において神事が始まる。斎主の祝詞(のりと)奏上に続き、烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着用した所役(しょやく)2名が、それぞれ梅の楉(すばえ)(小枝)、小餅の入った袋を持って向かい合い、梅の楉の所役が「ふくろもちー」と呼び掛けると、袋持の所役が「おーともよー」と応え、各3歩ずつ進む。これを3度繰り返し、両所役が行き違って位置を変える。袋持が神前で袋の中の小餅を取り出し、「ひ・ふ・み・よ・ご・と」と数えて、「万歳楽(まんざいらく)」と3度唱え、拝礼して退く。

 引き続き神楽女による白拍子舞と熊野舞の奉納があり、神事の終わりには4つの本宮において餅まきが実施される。この餅は紅白の“福の餅”で2500個、餅米にして4斗分(約60キロ)を用意するそうだ。

 「1年の幸福を祈り“福の餅”を授かるのも楽しいですが、踏歌神事の所作の中に、中国の唐の文化と平安の宮廷文化が現代に継承されていることを思い、悠久の歴史を感じてみるのも面白いのではないでしょうか」

 いにしえの宮廷文化に思いを巡らすのもお正月ならではの風流だ。

踏歌神事
<開催日>2013年1月4日
<会場>大阪市住吉区・住吉大社(南海本線住吉大社駅下車)
<問>☎06(6672)0753
http://www.sumiyoshitaisha.net/

1112よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/29(土) 06:44:27 ID:nhcHNQRQ0
「神宮」と「大社」の違いは? 神宮は天皇を祀る神社が多い
2012.12.25 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20121225_161978.html

  新年を迎え神社に初詣に出かける人も多いだろう。神社の名前に付けられる社号は「神宮」「大神宮」「宮」「大社」「神社」「社」の6種類。厳格な基準はないが、神社の規模や格式などで決まる。

「神宮」は、明治神宮の御祭神が明治天皇であるように天皇を祀る神社が多い。天満宮などの「宮」は、特別な由緒を認められた神社に与えられる。

 戦前、「大社」は出雲大社だけだったが、住吉大社など地域信仰の中心となる大神社に与えられた。

1113よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/29(土) 20:51:02 ID:9FP6Q45s0
太閤なにわの夢募金 大阪城秀吉の石垣発掘支援
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121229-OYO1T00205.htm?from=newslist

 大阪市は28日、国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)地下に眠る豊臣秀吉時代の大坂城の石垣を発掘、公開するための資金を募るプロジェクト名が「太閤なにわの夢募金」に決まったと発表した。大坂夏の陣から400年を迎える2015年の公開を目指し、読売新聞大阪本社と共同で来年4月から募金を始める。2年間で5億円を目標とし、事業費の一部に充てる。

 秀吉が安土桃山時代に築いた初代大坂城は、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣(1615年)で落城後、徳川幕府が埋め、その上に新しい城を築いた。現在の大阪城は市民の寄付で1931年、復元された。

 秀吉時代の石垣は読売新聞が参加した1959年の学術調査で、本丸地下から一部を発見。さらに84年の調査で本丸の別の場所で大規模な石垣が見つかった。

 プロジェクトでは、84年の調査後、埋め戻した石垣を再び発掘し、公開施設を整備する。事業を応援し、寄付を呼びかけるサポーターには、「プリンセス・トヨトミ」などの著書がある作家の万城目(まきめ)学氏、大阪在住のミステリー作家、有栖川有栖(ありすがわありす)氏らが就任した。

 8月から募集したプロジェクト名には全国から183件の応募があり、大阪市西区の会社員吉田康彦さん(36)の案が選ばれた。

(2012年12月29日 読売新聞)

1114よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:40:29 ID:7qS510ug0
真田幸村ゆかりの火縄銃 大阪に“里帰り”
2012年12月31日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121231/20121231018.html

 大坂夏の陣(1615年)で豊臣方として奮戦した信州上田の武将真田幸村が、茶臼山の徳川軍を襲った際、目前の家康を狙撃する寸前、馬上から落としたと伝わる8連発の最新火縄銃「馬上宿許筒(しゅくしゃづつ)」がこのほど大阪市内で公開された。敗軍の将ゆえに現存する幸村ゆかりの品は極めて少ないことから貴重な歴史的遺物に注目が集まっている。

 公開したのは「堺鉄砲研究会」を主宰し、テレビのお宝鑑定番組の鑑定人としても知られる研究家澤田平さん(同市東成区)。澤田さんは当該の銃が和歌山・紀州藩の記録書「南紀徳川史」に図解入りで「神祖(家康)を狙撃し奉りしもの」と記されていることから、長年にわたって銃の所在を調査。その中で紀州徳川家から家臣で砲術家の勝野家へ預けられていたが、戦後、日本に駐留したGHQ(連合国軍総司令部)による武装解除に紛れて米国に持ち帰られていたことが分かった。

 堺の鉄砲鍛冶(かじ)・芝辻が手掛けた作品で、発射ごとに火ぶたが開閉、1発分の火薬と弾丸を装填(そうてん)するなど一般の火縄銃と比べて5倍以上の連射速度を誇る半自動機構を持つ。澤田さんは2年前、米国の銃器研究家ロバート・キンブロー氏の著書を頼りに、元GHQだった所有者がオレゴン州在住であることを突きとめて渡米。「日本の文化財だけでなく世界の文化財」と熱を込めて説得を続けた後、ようやく譲り受け“里帰り”の運びとなった。

 帰国した銃は今年の7〜9月に幸村の故郷、長野県上田市にある真田氏歴史館の特別展で初公開。銃にとっての故郷大阪では、澤田さんが講師を務める大阪府高齢者大学校のカリキュラム「戦国武将から生き方を学ぶ」の中で披露された。受講生は「歴史に『もし』はないが、この銃が家康に向けて火を噴いていたら戦況が大きく変わっていたかもしれない」という解説に興味深く耳を傾け歴史ロマンに思いをはせていた。

 澤田さんは「『歴史的遺物から史実を知る』をテーマに掲げて幸村公の人物象に迫りたい」と意気込みを語り、さらに研究意欲を燃やしている。

1115よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:45:42 ID:7qS510ug0
大阪・お初天神、大阪天満宮、成田山不動尊、枚岡神社など 
2012.12.31 08:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n2.htm

大阪市内

 ◇お初天神=露天神社(JR大阪駅、阪急・阪神梅田駅などから徒歩2〜8分) 1日午前0時から参拝者に「厄除けお神酒」を無料授与。4日には恒例の「お初天神蚤(のみ)の市」が開かれる。

 ◇大阪天満宮(JR大阪天満宮駅、地下鉄南森町駅から徒歩5分) 1日午前0時〜2時に白酒が振る舞われる。1〜3日の午前10時〜午後4時には新春書き初め大会が行われ、幼稚園児から高校生までが自由に参加できる。

 ◇玉造稲荷神社(JR森ノ宮、玉造駅などから徒歩7分) 1日午前11時から歳旦祭。1〜3日にはお神酒がふるまわれる。勾玉(まがたま)の上にえとをのせた名物の土鈴も販売される。

 ◇四天王寺(地下鉄四天王寺前夕陽ケ丘駅から徒歩5分) 除夜の鐘は境内3カ所で31日午後11時半から。定員各108人(午後11時から整理券配布)。午後11時半から先着千人に甘酒をふるまう。1日午前0〜3時には「開運の鐘」(北鐘堂)と「招福の鐘」(太鼓楼)を自由につくことができる。

◇今宮戎神社(南海今宮戎駅から徒歩2分) 1日午前0時から先着千人に無料で絵馬を授与。「十日戎」は9〜11日。10日の本戎には「鯛の朝一」や宝恵かご行列があり、関連行事として7日午前11時から福娘による「餅まき」、8日午後2時から舞楽奉納なども。

 ◇住吉大社(南海住吉大社駅から徒歩3分) 4日午後1時から五穀豊穣を祈る儀式の踏歌神事があり、最後に福の餅がまかれる。

北摂

 ◇茨木神社(阪急茨木市駅から徒歩10分) 1日午前0時から越年祭。神酒や祝いもちをふるまう。午前10時から歳旦祭。

 ◇片山神社(JR吹田駅から徒歩10分) 1日午前0時から神酒をふるまう。

 ◇総持寺(阪急総持寺駅から徒歩5分) 31日午後11時に開門。参拝者が除夜の鐘をつくことができる。三が日は厄除け祈願として「牛王宝印」を希望者の額に押す。

 ◇三輪神社(阪急富田駅から徒歩10分) 1日午前0時から太鼓の合図で参拝客を受け入れる。午前6時から歳旦祭。午前10時からふるまい酒。

 ◇水無瀬神宮(阪急水無瀬駅から徒歩10分) 1日午前0時から除夜祭で先着500人に福銭を授与。歳旦祭は同6時から。1、2日午後1時から「初夢札」300枚を授与する。

1116よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:47:36 ID:7qS510ug0
>>1115

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n4.htm

 ◇勝尾寺(大阪モノレール彩都西駅からタクシーで10分) 31日午後11時開門。新年柴燈大護摩祈願は1日の午前0時半と午後2時。2、3の両日は午後2時から。

 ◇服部天神宮(阪急服部駅すぐ) 1日は午前0時から、2、3の両日は午前9時から樽神酒をふるまう。3日午前10時から謡曲と尺八の奉納演奏。

 ◇原田神社(阪急岡町駅すぐ) 1日午前0時から神酒をふるまい、3日夕方までかがり火をたく。

 ◇帝釈寺(阪急バス新家バス停か外院バス停) 31日午後11時開門。11時半から先着108人が除夜の鐘をつくことができる。甘酒のふるまいも。えとの土鈴、お年玉袋(小学生以下対象)を授与する。各500個。

 ◇瀧安寺(阪急箕面駅から徒歩15分) 1日午前0時から弁天堂を開く。3日まで。

 ◇五社神社(阪急池田駅から徒歩20分) 31日午後11時から国重文の十三重塔をライトアップ。同11時半から境内で福火をたき、神酒をふるまう。

 ◇呉服神社(阪急池田駅から徒歩3分) 31日午後11時半から除夜祭、1日午前0時から福火がたかれ神酒がふるまわれる。3日まで。

河内

 ◇成田山不動尊(京阪香里園駅から徒歩15分) 「新年護摩祈祷」と「新年お車安全祈祷」の申込者にオリジナル一筆箋セットを贈呈。

 ◇枚岡神社(近鉄枚岡駅から徒歩2分) 1日午前6時から歳旦祭。午前0時と9時の2回、参拝者に神酒が、2、3日の午前10時からは甘酒がふるまわれる。

 ◇瓢箪山稲荷神社(近鉄瓢箪山駅から徒歩3分) 「辻占い」で有名。1日午前7時から歳旦祭。1〜5日に「大とんど」がたかれる。

 ◇石切劔箭(つるぎや)神社(近鉄新石切駅から徒歩10分) 1日午前0時から年頭修祓式、午前6時から歳旦祭。

 ◇常光寺(近鉄八尾駅から徒歩5分) 31日午後10時半から「とんど」。午後11時半から約1時間にわたり参拝者が鐘をつける。

 ◇誉田八幡宮(近鉄古市駅から徒歩15分) 31日深夜、境内でかがり火をたき、参拝者に神酒をふるまう。1日には神前で神楽が奉納される。

 ◇大津神社(近鉄高鷲駅から徒歩3分) 1日午前0時から本殿で尺八を演奏する。

1117よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:50:25 ID:7qS510ug0
>>1115>>1116

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n5.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n6.htm

 ◇瀧谷不動明王寺(近鉄滝谷不動駅から徒歩15分) 1日午前0時から護摩祈祷。1〜3日に「新年よろこぶ茶」の接待がある。

 ◇金剛寺(南海・近鉄河内長野駅からバスで20分) 除夜の鐘をついた先着108人にえとのしゃもじを授与。3日午前11時から修正会。

 ◇観心寺(南海・近鉄河内長野駅からバスで15分) 除夜の鐘をついた先着108人に厄除けのしゃもじとカヤの実を授与。三が日は新春開運厄除け大祈祷会。

 ◇辛国神社(近鉄藤井寺駅から徒歩3分) 31日深夜から参拝者の名前を書いた灯籠400基を境内に並べる「万燈籠(まんとうろう)」がある。

泉州

 ◇百舌鳥八幡宮(南海百舌鳥八幡駅、JR百舌鳥駅から徒歩10分) 1日午前0時から越年祭。初太鼓を合図に参拝者を迎える。午前8時から本殿で歳旦祭。2日午前11時から、特設射場で60メートル先の的に矢を放つ古式弓道射初式。3日午後1時からは絵馬殿で堺市内の珠算教室の生徒たちが上達を願う珠算はじき初め式がある。1〜3日は厄除け開運祈願祭もある。

 ◇開口神社(南海堺駅、堺東駅から徒歩10分) 1日午前0時に太鼓の音で参拝開始。境内でかがり火がたかれる。1〜3日は神酒の無料接待がある。

 ◇菅原神社(南海堺駅、堺東駅から徒歩10分) 1日午前0時から歳旦祭。参拝者に神酒と甘酒をふるまう。

 ◇家原寺(JR津久野駅から徒歩10分) 31日午後11時45分から除夜の鐘。先着108人に「ご守護カード」授与がある。

 ◇水間寺(水間鉄道水間観音駅から徒歩5分) 31日深夜の年明け前に住職の法話があり、1日午前1時まで一般参拝者が先着順で除夜の鐘つき。2、3日は午前10時から本堂横で「千本づき餅つき」、午後2時から第2駐車場で景品付きの「利生の銭」入り餅まきがある。

 ◇泉州航空神社(南海井原里駅から徒歩10分) 31日午後11時45分から除夜祭。1日午前0時から授与品を授かった先着30人に航空カレンダー贈呈。午前6時から歳旦祭。三が日は振るまい酒があり、航空神社博物館も無料開放される。

1118よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:52:09 ID:7qS510ug0
>>1115>>1116>>1117

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n7.htm

大みそか〜元旦の終夜運転

 ◇JR

 京都線・神戸線=京都−大阪−西明石30分間隔▽大阪環状線=天王寺−京橋−大阪−西九条15分間隔、西九条−天王寺30分間隔▽ゆめ咲線=西九条−桜島15分間隔▽大和路線=難波−奈良30分間隔▽学研都市線・東西線・宝塚線=京田辺−四条畷60分間隔、四条畷−宝塚30分間隔▽阪和線=天王寺−鳳30〜40分間隔

 ◇大阪市営地下鉄

 南港ポートタウン線=15分間隔、午前2時半ごろまで10分間隔▽他路線=30分間隔(ただし御堂筋線中津−天王寺は午前2時半ごろまで15分間隔)

 ◇京阪電気鉄道

 京阪本線・鴨東線=急行、普通それぞれ20〜30分間隔▽中之島線=普通20〜40分間隔▽交野線・宇治線=普通20分間隔

 ◇南海電気鉄道

 南海線=難波−住ノ江15分間隔、住ノ江−羽倉崎30分間隔▽高野線=難波−北野田、難波−河内長野40〜60分間隔(ただし北野田−河内長野は午前3、4時台の運転はなし)

 ◇泉北高速鉄道

 中百舌鳥−和泉中央40〜60分間隔

1119よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:53:07 ID:7qS510ug0
>>1115>>1116>>1117>>1118

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n8.htm

 ◇近畿日本鉄道

 大阪線=(特急)大阪難波・大阪上本町−宇治山田・鳥羽30〜70分間隔(快速急行、急行)大阪上本町−宇治山田・五十鈴川、大阪上本町−名張・青山町60分間隔(普通、区間準急)大阪上本町−榛原・名張30分間隔▽奈良線=(普通、区間準急)大阪難波−石切・大和西大寺・近鉄奈良15〜30分間隔▽けいはんな線=学研奈良登美ケ丘−長田30分間隔▽信貴線=河内山本−信貴山口30分間隔▽南大阪線=(特急)大阪阿部野橋−橿原神宮前60分間隔(普通)大阪阿部野橋−河内天美・古市・河内長野・橿原神宮前・吉野30分間隔▽道明寺線=道明寺−柏原30分間隔▽長野線=古市−河内長野30〜40分間隔▽西信貴ケーブル=信貴山口−高安山15〜40分間隔

 ◇大阪高速鉄道

 大阪モノレール線=午前1時半ごろまで▽彩都線=午前1時10分ごろまで

 ◇能勢電鉄

 妙見線=川西能勢口−妙見口25分間隔

 ◇阪急電鉄

 神戸線・宝塚線・京都線(快速、普通など)=30分間隔

 ◇阪神電鉄

 阪神本線=梅田−高速神戸、なんば線=尼崎−近鉄奈良とも15〜30分間隔

 ◇水間鉄道

 貝塚−水間観音60分間隔

1120よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 21:02:52 ID:7qS510ug0
役場文書からわかる、各時代の暮らしぶり 泉佐野で特別展 大阪
2012.12.31 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121231/osk12123102000001-n1.htm

 泉佐野市の「歴史館いずみさの」で、所蔵する江戸時代から昭和初期にかけての公文書や地図など30点を集めた特別展「役場文書から何がわかるか?」が開かれている。神社の祭礼記録や住民の願書なども展示され、訪れた人たちの注目を集めている。

 脈々と続く人々の生活や営みに関心を持ってもらおうと、市ができる以前の旧町村の役場時代からの公文書を特別に公開した。

 展示されているのは、天保11(1840)年、坂口町の住民が倹約することを確認した「坂口町倹約申し合わせの定め」や、寺院や宗派を記した幕末の帳簿「佐野村の宗旨改帳」など。また、明治35(1902)年に佐野村の有志総代が公衆電話の開設を願い出た「公衆電話開設請願書」など、当時の人々の暮らしぶりがうかがえる資料も多い。

 同展は、1月20日まで。月曜と年末年始は休館。問い合わせは、歴史館いずみさの((電)072・469・7140)。

1121よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 00:06:49 ID:UkHm/Wcw0
人間国宝の桂米朝、新年あいさつ登場に、弟子ざこば号泣
2013.1.2 18:25
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130102/wlf13010218250015-n1.htm

 落語家で人間国宝の桂米朝(87)が2日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで行われた新春恒例の「米朝一門会」に出演。米寿を超えながらも、元気なところを見せた。

 米朝は、冒頭の「米朝一門新年ごあいさつ」に黒紋付き姿で車イスに座って登場。隣に座った弟子の桂ざこば(65)が、今春も師匠と同席できたうれしさからか、「この人がいてはらへんかったら…まあ、いてはらへんようになっても頑張りますが…」と感極まって泣き出すと、米朝は「私もなんか泣きとうなりますわ」とホロリ。

 長男の桂米團治(54)が「(涙もろい)ざこば兄さんはほっといて、何かしゃべって下さい」と促し、会場の笑いを誘うと、米朝は「明けましておめでとうを言わなあかん。お客さんにいっぱい来ていただいて、それだけでもう胸がいっぱいで、気の利いたことが言われへん。お正月が来たら、こんな同じようなことばっかり言うています」と述べると、万雷の拍手。孫弟子の桂南光(61)らと鏡開きで新年を祝った。

 昨年8月、自宅で転んで第4腰椎を圧迫骨折し心配されたが、最近はレギュラーのラジオ番組もこなすなど元気な様子。米團治も「寄る年波からか、歩く時間はだんだん少なくなって車イスに頼っているが、生番組に出るぐらいだし元気にしている」と話している。

1122よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 00:10:50 ID:UkHm/Wcw0
募金名称が決定 初代大坂城石垣復活事業
2013年1月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130101/20130101065.html

 大坂夏の陣から400年目の2015年度に一般公開が予定されている、初代大坂城の石垣復活事業費の募金名が決まった。ことし4月1日から約2年間で、見学のための施設整備費など5億円を集める。

 名称は「太閤なにわの夢募金」。昨年8月に名前を募集し、全国から応募があった183件から親しみやすさや事業趣旨にふさわしいかを考慮。市内在住の会社員、吉田康彦さん(36)が考えた名前に決めた。

 さらに担当する市ゆとりとみどり振興局によると、事業を盛り上げるために、大阪市出身の作家、有栖川有栖氏や映画「プリンセス・トヨトミ」の原作者の万城目学氏など19人の大阪城ゆかりの著名人らを募金のサポーターに任命。今後人数を増やしながら募金の協力を広く呼び掛けていくという。

 公開予定の石垣は、1984年に「金蔵」の東側、1.1メートルの地下で見つかり、高さ約7メートル、延長約5メートル。国の補助金と市民らからの募金で施設整備を目指しており、橋下徹大阪市長は「大阪のシンボルであり外すことのできないスポット。しっかり整備して観光拠点ともしていきたい」と話している。

1123よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 15:10:04 ID:7qS510ug0
大阪天満宮で「はじき初め」
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130103/4414211.html

大阪・北区の大阪天満宮でことし1年のそろばんの技能の上達を願ってはじき初めが行われました。はじき初めは大阪天満宮にまつられた学問の神様、菅原道真にあやかろうと、毎年この日、行われています。
大阪府内のそろばん教室に通う小学生と中学生およそ1000人が参加しました。
境内には、通常使うそろばんのおよそ6倍の長さの1メートル80センチ、127桁あるそろばんが6つ並べられ、子どもたちはお
はらいをうけた後、はじき初めをしました。
ことしにちなんだ「2013」や日付の平成25年1月3日にかけた「2513」が答えになる問題が読み上げられると、子どもたちは真剣な表情でそろばんの玉をはじいていました。
参加した11歳の男の子は「間違えないように緊張して臨みました。ことしはそろばんの検定試験に合格できるようにがんばりたいです」と話していました。

01月03日 12時26分

1124よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 16:01:17 ID:7qS510ug0
初詣客にぎわう 住吉大社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130102-OYT8T00736.htm

 府内の神社などは年明けから初詣客でにぎわい、住吉大社(大阪市住吉区)でも2日、景気回復などを願う参拝者が詰めかけた。この日は大阪市の最高気温が12・5度と、平年(10・3度)よりやや高く、家族連れらが、にこやかな表情でお参り。富田林市の木下昭彦さん(70)は「孫たちのために、安全で暮らしよい日本になってほしいと願いました」と話していた。同大社によると、参拝者は1日が152万人、2日が43万人。前年同期で計16万人少なかったという。

(2013年1月3日 読売新聞)

1125よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 22:00:55 ID:8.i1gJMQ0
父子初共演で幕開け 松竹座「寿初春大歌舞伎」
2013年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130103/20130103019.html

 大阪市中央区道頓堀の松竹座で歌舞伎の“浪花の初芝居”として50年ぶりの元日初日の幕を開けた「寿初春大歌舞伎」で、二代目市川猿翁さんと九代目市川中車さんの親子初共演が実現した。2日は猿翁さんが体調不良のため休演。襲名披露公演として出演中の四代目市川猿之助さんが代役を務めた。

 1日は昼の部のトリ「桜門五三桐」で色鮮やかな南禅寺の舞台で石川五右衛門の中車さんと対峙(たいじ)する場面で、真柴久吉の猿翁さんが登場。その後に行われたカーテンコールで中央に立つ猿翁さんに中車さんが寄り添い膝を折って最敬礼をすると「ご両人!」という満員のファンの温かい声援が飛び交っていた。

 3日からの猿翁さんの出演は未定。公演は26日まで。

1126よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 22:06:59 ID:8.i1gJMQ0
史実と違う?神話に秘められた意外な真実 「天孫降臨」「神武東遷」考古学から分析
2013.1.3 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010318010009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010318010009-n2.htm

 高天原(たかまがはら)の神々が地上世界に降り立った「天孫降臨(てんそんこうりん)」。初代・神武天皇が九州・高千穂宮から大和へ遷った「神武東遷(とうせん)」。今も日本人の心に根ざした神話だ。なぜこうした説話が生まれたのか。考古学からアプローチしてみると、その裏側に秘められた意外な事実が見えてきた。神武東遷ではなく「西遷」だった? 天孫降臨は、日向を取り込もうとしたヤマト王権の巧妙な政略? 地中に埋もれた歴史の“証言者”が語りかけてくるものとは−。

(小畑三秋)

日向の権力あなどれず

 天孫降臨の舞台である高千穂峰、後の神武天皇が東遷を決断した高千穂宮は、いずれも現在の日向(宮崎県)とされる。

 100年前の大正元(1912)年、神話の舞台を学術的に証明しようと西都原(せいとばる)古墳群(同県西都市)の発掘調査が行われた。ただ、神話の時代に結びつく成果はなく、関係者をがっかりさせたという。

 しかし宮崎県には、九州最大の前方後円墳で宮内庁が陵墓参考地として管理する男狭穂(おさほ)塚古墳(全長175メートル)や女狭穂(めさほ)塚古墳(同180メートル)が存在するなど、神話との結びつきを思わせる重要な遺跡が多い。

 宮崎や鹿児島など南九州の考古学研究は、この10年ほどで飛躍的に進み、ヤマト王権との関係がしだいに明らかになってきた。

 特に女狭穂塚古墳については、古墳の形が応神天皇の后の仲姫(なかつひめ)皇后陵(大阪府藤井寺市、全長290メートル)と築造企画が類似。築造も、4〜5世紀に大阪の古市・百舌鳥古墳群に巨大古墳が次々と築造された時期だった。当時のヤマト王権と日向勢力との密接な関係が浮かび上がった。

 さらに、宮崎市の生目(いきめ)3号墳は発掘調査の結果、古墳時代前期の4世紀中ごろの前方後円墳で、全長143メートルと判明。当時の大王とまではいかなくても、大和(奈良)の中枢人物の古墳に引けを取らない規模で、権力の大きさを見せつけた。

 古墳時代、日向から鹿児島東部の大隅半島一帯には、全長100メートルクラスの大型前方後円墳が次々に築かれ、一大勢力が君臨していたことも分かってきた。

畿内VS北部九州

 ヤマト王権と日向の関係について、考古学的に検証を試みるのが大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長だ。二つの関係を見ていくと、そこには弥生から邪馬台国の時代、さらに古墳時代につながる古代国家誕生のダイナミックな歴史の流れが見事に重なる。

 ヤマトを中心とした政権は、3世紀半ばごろ、畿内を中心に九州〜東海・関東一帯の勢力が連合して確立されたとされる。

 それ以前の弥生時代は北部九州が中心で、権力掌握に欠かせない鉄資源や鏡など中国や朝鮮半島の最先端の技術や文物は北部九州の勢力が独占し、畿内を圧倒していた。畿内は当時、後進国だった。

1127よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 22:10:31 ID:8.i1gJMQ0
>>1126

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010318010009-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010318010009-n4.htm

 しかし、弥生時代末の2世紀ごろになると、畿内や吉備など瀬戸内沿岸の勢力が、鉄の輸入ルートを北部九州から奪おうと連合。2世紀末ごろ、この連合勢力が北部九州と衝突して勝利し、畿内を中心とする邪馬台国連合となり、ヤマト政権へ発展していったという。

神武「西遷」?

 ここで問題となるのが、古事記や日本書紀に記された「神武東遷」説話だ。

 「どこの地なら、安らかに天下の政(まつりごと)を執り行うことができるだろう。東の方に都の地を求めて行こうと思う」

 神武天皇はこのように決断し、日向の高千穂宮から東進。福岡や瀬戸内を経て奈良の橿原宮で即位したと古事記は記す。

 この記述は、日本列島の文化や政治の中心が弥生時代の北部九州から、古墳時代に畿内に移っという考古学的事実と見事に合致するようにみえる。しかし、一筋縄ではいかないのが歴史の奥深さ。西日本各地の遺跡の状況を調べると、実は“真逆”の結果になるという。

 ちょうど邪馬台国の時代と重なる2〜3世紀。各遺跡の土器の出土状況を調べると、畿内や吉備地方などの土器が、北部九州の遺跡で数多く出土していることが分かった。一方、北部九州の土器は畿内や瀬戸内などではほとんど見られないという。

 土器はそれぞれの土地の人たちが持ち運んだとみられ、人の流れをそのまま反映している。そのため、畿内や瀬戸内の人々が北部九州にどんどん移動したことは示すものの、北部九州から畿内に大挙して移った事実は見られないという。白石氏は「考古学的には東遷説にみられる『九州から畿内へ』という動きは見られない」と指摘する。

 畿内や九州の弥生時代に詳しい西谷正・九州大名誉教授も「文化の流れは、弥生時代の中心・九州から東(畿内)へという考えが、東遷説に結びついたのかもしれない」としながらも「九州勢力が畿内を支配したという状況は、考古学的には見られない」と話す。

神々はなぜ日向に降臨した?

 もう一つの神話、天孫降臨についても、謎が多い。高天原の神々ははぜ、王権の中心だった大和(奈良)ではなく、はるか西方の日向に降臨したのか。これについても白石氏は、遺跡の状況から推測する。

 弥生時代末に畿内・瀬戸内連合が北部九州を制圧して以降、それまで絶対的な地位を占めた北部九州は一気に没落。権力を示す大型前方後円墳はほとんど見られなくなった。

 ただし、ヤマト王権にとっては、かつての巨大王国・北部九州は脅威であることに変わりなく、「北部九州を牽制するために南九州を重視した」という。

 そのため、ヤマト王権はいち早く南九州勢力と連携。宮崎の生目古墳群のような大型前方後円墳が古墳時代初めから出現し、日向から大隅半島にかけても次々と大型前方後円墳が築かれ、一大勢力を築いた。

 天孫降臨の舞台として日向が選ばれたことについて白石氏は、古墳時代当初からヤマト王権が重視した日向勢力の意向が働いたのではないかとみる。

 「生目古墳群から眺めると、高千穂峰や霧島連峰が実に見事な姿をみせる。古代人たちもこの風景を神聖なものとし、神々が降りてきたと考えたのではないか」と白石氏。日向という地理的な重要性が、天孫降臨の舞台に結びついたのかもしれない。

 高千穂峰の雄大さと歴史のダイナミズムは、今も人々の心を揺さぶり続ける。

1128よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 13:11:47 ID:7qS510ug0
「鏡開き」華やかに 国立文楽劇場 新春公演開幕
2013年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130104/20130104022.html

 大阪市中央区の国立文楽劇場で3日、新春公演の幕開けを記念した初日鏡開きが同劇場前で行われ、美しく着飾った文楽人形によるたる酒の振る舞いに、多くのファンや地元住民らが列をなした。

 正月の鏡開きは、同劇場が開場した翌年の1985年以降、毎年行われている新春の風物詩。鏡開きに先立ち、近くの黒門市場から縁起物の「にらみ鯛(だい)」2尾が届くと、一帯は一気に新春ムードに包まれた。

 鏡開きには、新春公演「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」に「出演」する2体の人形が登場し、詰めかけた大勢の文楽ファンや地元住民らに酒を振る舞った。

 神戸市から訪れた「大の文楽ファン」という女性は「今日は一部と二部を通しで見るので楽しみ」と話していた。日本芸術文化振興会の同劇場担当、水野英二理事は「昨年はいろいろあったが文楽振興のため、駅で広報活動をするなど新しい取り組みも行った。巳(み)年にふさわしく、まいた種が実る年にしたい」と話していた。


文楽の人間国宝、竹本住大夫さんが復帰 脳梗塞で休養、半年ぶり
2013.1.3 22:03
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010322080013-n1.htm

 脳梗塞で療養していた文楽太夫の人間国宝、竹本住大夫さん(88)が3日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開幕した「文楽初春公演」で、7月の「文楽素浄瑠璃の会」(同劇場)以来、半年ぶりに舞台に復帰した。「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」で翁役の住大夫さんが登場すると、満員の客席から「住大夫!」の掛け声と拍手が起こり、住大夫さんは病気前と変わらぬ力強い語りで観客を魅了した。

 住大夫さんは昨年7月、文楽補助金問題の最中に軽い脳梗塞で入院。10月に退院してからは復帰に向けてリハビリに努めていた。本公演の出演は昨年5月の東京公演以来。

 この日、天下泰平・五穀豊穣を祈る寿式三番叟で、「それ豊秋津州(とよあきつす)の大日本…」と語り始めた住大夫さん。場内は静まり返り、語り終えると同時に、復帰を祝う盛大な拍手がわき起こった。

 住大夫さんは「お客さまの万雷の拍手に胸が詰まりました。今後もリハビリを続け、よりよい舞台を勤められるように努力することが、ご恩返しになることと思う」とコメントした。

 開演前には劇場玄関前で文楽人形らによる鏡開きが行われ、華やかな新春ムードにつつまれた。

1129よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 13:19:05 ID:7qS510ug0
合格祈願 思い込め 四天王寺・元三大師法要
2013年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130104/20130104029.html

 「元三(がんざん)大師合格祈願法要」が3日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で営まれた。訪れた受験生やその家族らが、燃え上がる護摩木の炎に合格への思いを込めた。

 第18代天台座主の良源は、985(寛和元)年1月3日が命日のため、元三大師と尊称される。学業成就や合格祈願であつく信仰され、大師に祈れば知恵を授かるとされている。

 大師を祭る元三大師堂では、奥田管長による護摩祈祷(きとう)がなされた。参詣者は、堂前に設けられた知恵の輪をくぐって入堂し、僧侶から錫杖(しゃくじょう)の加持を授かりながら手を合わせた。

 堂前の2本の柱を回る「お百度廻り」で熱心に心願成就を祈る人たちの姿も見られた。

 高校受験を来月に控える和泉市の加藤樹君(15)は「法要の雰囲気に緊張した。勉強を頑張りたい」と気を引き締めた。

 同法要は、各月の3日午前10時から行われる。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺へ。

1130よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 13:27:45 ID:7qS510ug0
きょう「福の餅神事」 新春の住吉大社で縁起よく 大阪
2013.1.4 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130104/osk13010402010001-n1.htm

■7日には「白馬神事」

 毎年大勢の初詣客が訪れる住吉大社(大阪市住吉区)で4日午後1時から、餅まきなどが行われる「踏歌(とうか)神事」(福の餅神事)が営まれる。

 五穀豊穣(ほうじょう)を願って神前に福の餅をささげるなどしたあと、最後に福の餅が参拝客らにまかれる行事。福の餅を授かると幸運が訪れるとされており、大勢の参拝客らでにぎわうという。

 このほか、7日午前11時から、白馬が境内などを駆け巡る「白馬(あおうま)神事」。正月に白馬を見ると、無病息災でその一年を過ごすことができるとされ、縁起の良いものとして知られている。

※詳しい説明

新春に大地を鎮め 五穀豊穣を祈願
大阪市住吉区・住吉大社
2013年1月4日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2427

 国屈指の初詣スポットとして知られる住吉大社。お参りの人々で賑わう新年の1月4日、神職や神楽女(かぐらめ)による古式ゆかしい「踏歌神事(とうかしんじ)」が斎行される。これは春の始めに大地を踏んで土地の精霊を鎮め、除厄と招福を祈願する儀式とされており、毎年約10万人の参拝客が訪れる。

 住吉大社禰宜(ねぎ)の富澤昇さんによると、

 「“踏歌”は、古くは“アラレバシリ”と読み、中国の唐から伝わった宮廷行事として『日本書紀』にも記されています。踏歌神事は、元来日本にあった農耕の予祝行事が踏歌によって潤色されたものと考えられており、平安時代には“踏歌節会(せちえ)” と称して盛んに催されていました」

 その後、宮廷行事としての踏歌節会は平安中期に廃絶、神社において神事として継承されてきた。現在でも残るのは熱田神宮と住吉大社だけといわれ、貴重な行事となっている。

 当日は午後1時より第一本宮において神事が始まる。斎主の祝詞(のりと)奏上に続き、烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着用した所役(しょやく)2名が、それぞれ梅の楉(すばえ)(小枝)、小餅の入った袋を持って向かい合い、梅の楉の所役が「ふくろもちー」と呼び掛けると、袋持の所役が「おーともよー」と応え、各3歩ずつ進む。これを3度繰り返し、両所役が行き違って位置を変える。袋持が神前で袋の中の小餅を取り出し、「ひ・ふ・み・よ・ご・と」と数えて、「万歳楽(まんざいらく)」と3度唱え、拝礼して退く。

 引き続き神楽女による白拍子舞と熊野舞の奉納があり、神事の終わりには4つの本宮において餅まきが実施される。この餅は紅白の“福の餅”で2500個、餅米にして4斗分(約60キロ)を用意するそうだ。

 「1年の幸福を祈り“福の餅”を授かるのも楽しいですが、踏歌神事の所作の中に、中国の唐の文化と平安の宮廷文化が現代に継承されていることを思い、悠久の歴史を感じてみるのも面白いのではないでしょうか」

 いにしえの宮廷文化に思いを巡らすのもお正月ならではの風流だ。

踏歌神事
<開催日>2013年1月4日
<会場>大阪市住吉区・住吉大社(南海本線住吉大社駅下車)
<問>☎06(6672)0753
http://www.sumiyoshitaisha.net/

1131よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 23:54:25 ID:keqaW2ro0
大阪・住吉大社で「踏歌神事」
2013.1.4 21:32
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130104/wlf13010421350019-n1.htm

 大阪市住吉区の住吉大社で4日、五穀豊穣(ほうじょう)などを祈願する踏歌(とうか)神事が営まれ、「福の餅まき」では、1年の福を授かろうと約3千人の参拝客でにぎわった。

 踏歌神事は、日本書紀にも記されている行事。神前に福の餅をささげるなどした後、境内で神職約10人が、かけ声をかけながら約2千400個(計60キロ)の紅白の餅をまくと、参拝客らは「こっちにちょうだい」と手を伸ばしていた。

 堺市の会社員、北田真由子さん(27)は「今年も幸せに過ごせたら」と話していた。

1132よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 23:58:34 ID:keqaW2ro0
4月に竹本義太夫300回忌追善公演、収益で供養塔修復へ
2013.1.4 20:50 [文楽]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130104/wlf13010420520018-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の語り芸「義太夫節」の祖、竹本義太夫(1651〜1714年)の300回忌を追善する特別公演が4月5日、大阪・国立文楽劇場で開催される。文楽の技芸員全員が企画した珍しい自主公演で、収益金は四天王寺(大阪市天王寺区)にある竹本義太夫の供養塔の修復にあてる。

 竹本義太夫は江戸時代、大坂・道頓堀に人形浄瑠璃の芝居小屋「竹本座」を創設。近松門左衛門と組んで「曽根崎心中」をはじめ多くの名作を送り出した。

 現在、四天王寺には、義太夫ら人形浄瑠璃の歴代名人の供養塔が多くあるが、いずれも損傷が激しく修復が急務という。

 追善演目は、近松作の「用明天王職人鑑(ようめいてんのうしょくにんかがみ)」。豊竹呂勢大夫さん(47)は「今年は自分たちの源流ともいえる義太夫師の節目の年。公演を成功させ、供養塔や墓石の修復管理も行いたい」と話している。

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1134よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/05(土) 21:04:44 ID:dEE7udmk0
文楽運営補助 26年度で終了 大阪市検討 PRで収益化促す
2013.1.5 14:54
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130105/waf13010515020019-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130105/waf13010515020019-n2.htm

 大阪市が財団法人・文楽協会の運営資金を支援する目的で支給している補助金を平成26年度で打ち切る方向で検討していることが5日、分かった。27年度以降は、協会が国立文楽劇場(同市中央区)の主催事業のPRに参画し、その対価として公演収入の一部を受け取り運営資金に充てることを想定。だが、実現には劇場を運営する独立行政法人「日本芸術文化振興会」と協会との協力が必要で、曲折も予想される。

 橋下徹市長が示す、補助金の支給目的を運営資金の支援から、個別の事業(公演)ごとの支援へと切り替える方針に沿った計画。来年度の当初予算編成に際し担当部局が提示する。

 25〜26年度の補助金支給額の算定は従来の定額方式ではなく、劇場の年間有料入場者数に連動させて増減させる予定。9万人以下ならゼロ、10万5千人以上で満額の2900万円を年度末に後払いする方式を検討中で、協会に対し、劇場主催の大阪公演や文楽鑑賞教室をPRするよう促している。

 一方で、PRの謝礼として劇場が公演収入の一部を協会に支払う仕組みの構築を働きかけ、26年度を最後に、運営資金の支援を目的とした支給は打ち切る方針。

 市の想定では、協会は27年度以降、個別の公演ごとに、市と大阪府が今年4月に設置する有識者による芸術評価機関「アーツカウンシル」へ事業計画を提案し補助金の獲得をめざす。

 大阪公演と文楽鑑賞教室の昨年度の有料入場者数は9万1420人。過去10年間で最も多かったのは16年度の10万6687人。

 市の担当者は「国立文楽劇場の興行収入を文楽協会に分配できるような仕組みづくりを両者に働きかけ、文楽の振興を図りたい」と話している。

1135よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/05(土) 21:09:53 ID:dEE7udmk0
文楽協会への補助 27年度以降、公演ごと支援
2013.1.5 15:03
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130105/waf13010515120020-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130105/waf13010515120020-n2.htm

 昨年、橋下徹大阪市長の補助金凍結宣言に揺れた文楽協会。公開面談を経て今年度分3900万円の支給が決まったが、市は26年度を最後に運営支援を終える方向で、協会は27年度以降は公演ごとの補助金の獲得を目指すことになる。

 協会が国立文楽劇場の事業をPRし、対価として公演収入の一部を受け取るという市の想定について、協会の三田進一事務局長は「実現には劇場側との契約が必要だが応じてくれるかどうか。補助金が打ち切られるだけの結果を招く可能性もある」と慨嘆した。

 劇場の桜井弘支配人も「劇場は協会とは別の団体で市の意図が分からない」と困惑の表情を浮かべた。

 協会にとっては、来年度の劇場主催の大阪公演と文楽鑑賞教室の有料入場者数に連動して市の補助金支給額が増減する方式も悩みの種だ。

 今年度は過去10年間の最多水準の10万5千人に迫る勢いで好調だが、補助金凍結宣言で注目された影響が大きいとみられ、来年度の見通しは「明るくない」(桜井支配人)という。

 9万人以下なら来年度の補助金はゼロになる見込みで、三田事務局長は「大変厳しい。存立の危機だ」と焦燥感を募らせている。

1136よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/06(日) 00:32:57 ID:dEE7udmk0
※記事より一部抜粋

巡って楽しい七福神ランキング 1位は「大阪」
2012/12/30 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50072900X21C12A2000000/
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50072900X21C12A2000000/?df=2

家内安全や健康長寿、商売繁盛など1年の福運を願う七福神巡り。専門家にお勧めを聞いたところ、東西の歴史ある七福神巡りが挙がった。


1位 大阪七福神(大阪) 420ポイント
 大阪を代表する繁華街、ミナミを散策しながら大阪の魅力を味わう。毎年1月10日の今宮戎(えびす)神社の十日戎(写真)が有名だ。「関西の多くの人が御利益が大きいと信じている七福神」(高木桂蔵さん)、「商売繁盛のえびす神や大黒天、弁財天の人気が高い」(久慈力さん)、「今宮戎神社は今や福娘のイベントで有名」(三条杜夫さん)
 えびす/今宮戎神社、大黒天/大国主神社、毘沙門天/大乗坊(電)06・6643・4078、弁財天/法案寺、福禄寿/長久寺、寿老人/三光神社、布袋尊/四天王寺布袋堂。南海本線の今宮戎駅などを起点に徒歩3〜4時間

巳年、弁財天にぎわいそう

 七福神は鎌倉時代、漁労や商売の守り神である日本古来のえびす神の信仰に、インドから中国を経て伝わった大黒天や弁財天の信仰が加わった。室町時代に毘沙門天、福禄寿、布袋尊、寿老神が加わり、成立したといわれる。

 東日本大震災の被災地では奥州仙台七福神(仙台市)、いわき七福神(福島県いわき市)が挙がり「復興支援で巡拝したい」という選者もいた。1カ所で七福神すべてにお参りできるところもある。例えば大師寺(滋賀県彦根市)の彦根一箇所七福神。境内には石像の七福神が横一列に並ぶ。

 2013年は巳(み)年。蛇は古代インドで弁財天の使いといわれ、弁天様が守護する年となることから、天河大弁財天社(奈良県天川村)や宮島の大願寺(広島県廿日市市)など、有名な弁財天の人気が高まりそうだ。

  ◇  ◇  ◇  

表の見方 数字は選者の評価を点数化したもの。下段に七福神をまつる社寺と事務局を務める社寺または業者の連絡先、最寄り駅、所要時間などを記載した。

調査の方法 七福神巡りに詳しい東西の専門家に、歴史の古い七福神から新設の七福神まで、楽しみながら巡れる七福神を選んでもらい、おすすめの度合いで順位をつけた。選者は次の通り(敬称略、五十音順)

 板倉あつし(旅行ライター)▽岩井宏實(民俗学者)▽加藤健司(鶴岡八幡宮教学研究所所長)▽木原秀和(日本旅行経営管理部広報室)▽久慈力(ノンフィクション作家)▽小島一博(木耳社編集部)▽三条杜夫(フリーアナウンサー、放送作家、活性化講師)▽高木桂蔵(静岡県立大学名誉教授)▽月岡祐紀子(瞽女歌三味線演奏家)▽内藤勝俊(旅行愛好家)▽春野草結(巡礼ライター)

1137よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/09(水) 05:24:20 ID:TZ62Pqcc0
来てね「十日戎」 福娘らPR
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/MTW1301082800001.html

 9日から始まる「十日戎(えびす)」をPRしようと、今宮戎神社(大阪市浪速区)の福娘らが7日、大阪市北区中之島2丁目の朝日新聞大阪本社を訪れた。

 訪れたのは、昨年12月に選ばれた第61代福娘50人のうち13人で、「なでしこ色」というピンクの着物に白の千早を羽織り、金の烏帽子(えぼし)をかぶったそろいの衣装で、「打ちましょ」と「上方締め」を披露した。福娘は9〜11日の十日戎の期間中、参拝客らに縁起物を授ける。10日の本戎にある「宝恵駕(ほえかご)行列」にも参加する。かごは貴乃花親方や市川猿之助さん、中車さんらを乗せて練り歩く。

 福娘のひとり、大阪樟蔭女子大3年の中川瑞さん(21)は「福娘に選ばれて、とても幸せです。みなさまに笑顔で帰っていただけるよう、ご奉仕いたします」と話した。問い合わせは今宮戎神社(06・6643・0150)。

     ◇

 大阪市福島区の野田恵美須神社の福娘らも7日、十日戎のPRに本社を訪れた。恵美須神社の福娘は、区花の「のだふじ」にちなみ、藤の花をあしらったかんざしをつけ、十日戎では14人の福娘が参拝客を迎える。大阪音大1年の山崎さやかさん(19)は「下町らしい十日戎にも、ぜひいらして下さい」。境内では、「鯛鉾(たいほこ)」や「地車」を特別展示する。問い合わせは野田恵美須神社(06・6441・7084)。

1138よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/09(水) 21:10:32 ID:76u4H/wk0
えべっさんに景気回復を祈願 今宮戎の「十日戎」始まる
2013.1.9 20:09
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130109/wlf13010920090013-n1.htm

 商売繁盛の神様として知られる大阪市浪速区の今宮戎神社の「十日戎」が9日、宵戎で幕を開けた。同神社には朝から大勢の参拝客が詰めかけ、「えべっさん」に景気回復を祈願していた。

 境内では「商売繁盛で笹持ってこい」の景気のいいお囃子(はやし)が響く中、米俵や大判を模した縁起物が飛ぶように売れ、授与所の福娘が参拝客の持つ福笹に次々と結びつけていた。

 大阪市天王寺区の喫茶店経営、福田幸司さん(46)は「不況の影響で年々お客が減っているので、何とか今年は盛り返せるようお願いしました」と話していた。十日戎は11日の「残り福」

1139よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/10(木) 20:18:14 ID:isHK5GsU0
十日戎で宝恵駕籠行列
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130110/4578861.html?t=1357813378125

商売繁盛を願う大阪の今宮戎神社の十日戎は本えびすの10日、芸妓さんらが豪華なかごに乗って神社にお参りに向かう、「宝恵駕籠行列」が行われました。
大阪・浪速区にある今宮戎神社の宝恵駕籠行列は江戸時代に料亭の旦那衆や芸妓さんたちが十日戎にあわせて豪華なかごに乗って神社にお参りしたのが始まりとされる恒例の行事です。
今年は芸妓さんとともに、去年、師匠の名跡を襲名した落語家の桂文枝さんやNHKの朝の連続テレビ小説、「純と愛」でヒロインを演じる夏菜さんも紅白のかごに乗り込み、神社まで約2時間かけてミナミの街を練り歩きました。
担ぎ手は「ほえかご、ほえかご」と威勢のよいかけ声を上げながら進み、夏菜さんたちは沿道に詰めかけた大勢の見物客に手を振って応えていました。
夏菜さんは「子供からお年寄りまで沿道の多くの人たちに『純ちゃん』と声を掛けられてうれしかったです。東京とは違う大阪ならではの活気が感じられてよかったです」と話していました。
また、今宮戎神社の境内も参拝に訪れた大勢の人たちでごった返し、福笹と呼ばれる竹の枝に、それぞれ縁起物のお札などを飾りつけて持ち帰っていました。

01月10日 15時18分

1140よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/11(金) 06:37:31 ID:isHK5GsU0
にぎやかに入場者歓迎 文楽劇場前で「錣」演奏
2013年1月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130110/20130110040.html

 大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場は、上方演芸特選会初日の9日、「錣(しころ)」と呼ばれる大阪独自のお囃子(はやし)で入場者を出迎えた。

 劇場玄関前で、上方落語協会寄席囃子連中の5人が、ことし一年がいい年になるようにと願いを込め、太鼓や三味線、双盤を打ち鳴らして景気付けた。

 演奏の合間には、公演でトリを務める漫才師の羽田たか志さんが、ことしのえと「巳(み)」にちなんで「ことしも劇場に足を運んでいただき、長蛇の列をなしてください」と駄じゃれ交じりにあいさつし、集まった人らとともに大阪締めを行った。

 この日、入場客らにぜんざいが振る舞われ、知人と訪れた住吉区の遠藤俊子さん(75)は「演奏を聴いて、ぜんざいを食べ、公演で笑わせていただくなんて、正月からいいことばかり」と笑顔で話した。

1141よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/11(金) 21:10:12 ID:kwq6piN.0
河口慧海の直筆文書見つかる 大阪
1月11日 4時42分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130111/k10014729581000.html

堺市で生まれ育ち、明治時代、仏教の経典を求めて、日本人として初めてチベットに渡った僧侶・河口慧海の直筆の日記帳などが大阪府内で見つかりました。

堺市文化財課によりますと、河口慧海は、1866年、今の堺市堺区に生まれ、明治時代に仏教の経典を手に入れようと、ヒマラヤを越えて、当時厳しい鎖国政策をとっていたチベットに日本人として初めて入りました。
この慧海の活動を支えた親友で堺市の実業家、肥下徳十郎の子孫の家から、慧海が肥下氏に宛てた直筆の手紙やインドで撮影されたとみられる慧海の写真、それに当時の日記帳などが見つかりました。
このうち日記帳は、チベットに向かう際に肥下氏に送った遺書などを入れた箱の鍵を隠すため、後半部分から、縦7センチ、横5点7センチにわたってくり抜かれています。
また、肥下氏の死にあたって送った弔文には、「唯一無二の親友」、「父母だけでなく姉弟の世話もしてくれた」などと、感謝の気持ちがつづられています。
慧海の研究を進める高野山大学の奥山直司教授は、「肥下徳十郎が慧海の活動を物心ともに支え、非常に重要な人物だったことが分かる貴重な資料だ」と話しています。
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1142よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/11(金) 21:49:49 ID:kwq6piN.0
「福餅」に行列 浜村さんら2000個配る
2013年1月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130111/20130111032.html

 菅原道真公の足の痛みを治したとのいい伝えから「足の神様」として知られる大阪府豊中市の服部天神宮(加藤芳哉宮司)では10日、豊中えびす祭本戎が行われた。

 “えべっさんが誕生日のダブル淳ちゃん”としてすっかりおなじみになった毎日放送パーソナリティー・浜村淳さんとフリーアナウンサー・梅田淳さんコンビをはじめ、日本サッカー協会・釜本邦茂顧問や“ミスタートラ”ことパーソナリティー・唐渡吉則さんら約20人が『福男』となり、約30分掛け用意された紅白の福餅2千個を手渡しで配った。

 冬空ながら風がほとんどなかったこの日は、宝恵かごに乗り込んだ宝塚歌劇団研究科1年の暁千星(ちせい)さんと遥羽(はるは)ららさんを先頭に、浅利敬一郎同市長や地元選出の国、府、市の議会議員らが参道を掛け声とともに練り歩きながら宮入り。

 十日戎の餅まきは関西各地にあるが、子供連れ女性や年配者らに配慮し、ゆっくり安全にと手渡しするのが特徴。午前中から約300人が行列をつくって待ち受け、餅を受け取る際も握手や写真撮影などを一緒に行うなど和気あいあい。

 浜村さんは「もう20年くらいになりますかね、タカラジェンヌとも毎年ご一緒しますが、これに参加されたお嬢さんがスターになって下さると、ホントに“えべっさんの福”を感じうれしくなります」と、終始笑顔で参拝客と応対していた。

1143よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/12(土) 21:39:35 ID:AM4CXlks0
ハンカチに合格願い、家原寺 大阪・堺市
(大阪府)
http://news24.jp/nnn/news8896157.html

大阪・堺市の家原寺では多くの受験生が訪れ、合格祈願の白いハンカチを本堂に貼り付け、一面が真っ白になっている。「智恵の文殊さん」として知られる堺市西区の家原寺は毎年この時期、受験生が白いハンカチに合格祈願を書き込み本堂に貼り付けていく。以前は受験生がチョークで直接本堂に書いていたため、「落書き寺」とも呼ばれていたが、30年前からハンカチに書いてもらうようになった。受験生らは志望校などを書き込んで、柱や壁にハンカチを留め合格を祈願していた。

1144よっさん ◆UAHWXqKr/M:2013/01/14(月) 19:27:36 ID:CLMkl4Ho0
歴史ロマン道案内 百舌鳥・古市古墳群ウォーキングマップ
2013年1月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130114/20130114024.html

 世界文化遺産登録の早期実現を目指している百舌鳥・古市古墳群を紹介する「百舌鳥・古市古墳群ウォーキング・マップ−歩いて知る いにしえのロマン・謎・神秘−」が昨年12月に完成し、府外からも問い合わせが寄せられるなど話題となっている。

 古墳群を訪れたことのない人たちにその魅力を知ってもらい、興味を持ってもらおうと、大阪府と堺市、羽曳野市、藤井寺市で構成する、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議が作成した。

 マップは持ち運びに便利なポケットサイズで、百舌鳥古墳群と古市古墳群を裏表に掲載、地図とさまざまな周辺情報を収録。堺、羽曳野、藤井寺各市の市役所や観光案内所、図書館などに設置されている。

 所要時間と目的別に「健脚向け(3時間)」「クイック(1・5時間)」、写真を撮りながらビューポイントを巡る「撮っておき!(3時間)」の3種類のウオーキングコースを設定。またマップ内に記す「ビューポイント」から撮った四季折々の写真、古墳関連展示施設や古墳めぐりに便利なレンタサイクルの情報なども掲載している。

 同推進会議では現在、マップを活用して巡り撮影した古墳の写真コンテストを開催、作品を募集している。応募は、2Lサイズの作品の裏に必要事項を記入した応募票を貼り付け郵送する。送付先は〒540−0012、大阪市中央区谷町1の6の4、オフィスオルタナティブ内古墳写真コンテスト受付係。締め切りは2月18日(消印有効)。

 百舌鳥古墳群は堺市内にある約100基の古墳群で、世界最大級の墳墓、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)など4世紀後半から5世紀後半に造られた40基以上が現存する。古市古墳群は羽曳野、藤井寺の両市を中心に4世紀末から6世紀前半までに造られた123基の古墳群で、古墳総面積世界一の誉田御廟山古墳(伝応神陵)など87基が現存している。

 世界遺産登録に向けては、2006年4月設置の堺市歴史文化都市有識者会議で課題検討が開始された。10年11月に世界遺産暫定一覧表に記載されたことを受け、翌11年5月には4自治体が連携して推進本部会議を設置。最速で15年の世界遺産登録を目指して情報発信や機運醸成を図るとともに、ユネスコに提出する推薦書(案)の作成を進めている。

1145よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/14(月) 20:46:40 ID:CLMkl4Ho0
戦国武将と出会う上町台地周遊マップ 人気で増刷
2013年1月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130114/20130114029.html

 大阪市天王寺区役所が昨年作成した「戦国武将と出会う上町台地周遊マップ」が人気を集め、このほど1万部が増刷された。

 マップは近年の“歴女”にみられる歴史ブームを背景に、「戦国武将と出会う」をコンセプトに、天王寺区に限定せず、大阪城がある中央区、東成区にまたがり神社仏閣や史跡など約100カ所を掲載している。地図上に真田幸村、豊臣秀吉(秀頼)らの家紋をそれぞれの関係箇所に記したほか、表紙に真田幸村ら戦国武将のイラストを描いたのも、「女の子でも手に取りやすい」と人気の要因だ。

 昨年4月に1万部発行し、区役所や大阪市のサービスカウンターに設置したところ最初の1カ月で4千部がなくなり、10月には底をついた。増刷分では新たに大阪城の総囲いをラインで明記し、より時空を超えた歴史探訪が楽しめそう。

 2年後の2015年には「大坂の陣」から400年を迎える。同区担当者は「マップの人気を弾みにしたい」と地域発掘イベントに力を注ぎたい考え。

1146よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/14(月) 20:48:21 ID:CLMkl4Ho0
天下泰平や除魔招福を祈願 住吉大社「お弓神事」
2013年1月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130114/20130114027.html

 一年の天下泰平や除魔招福を祈願し、神前にささげられた矢で的を射る毎年恒例の「御結鎮(みけち)神事」が13日、大阪市住吉区の住吉大社で行われ、大阪府弓道連盟(中野英夫会長)の有志9人が、厳かな雰囲気の中、弓を引き、矢を放った。

 同神事は別名「お弓神事」とも呼ばれている同大社の伝統行事。年の初めに、農事に災いをもたらす悪霊を退散させることを目的に、1680年ごろ始まったと言われている。

 「射手(いて)」と呼ばれる参加者は、境内に設けられた会場に烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)の正装で登場。35メートル先に設置された的に向け、無病息災などの願いを込め、神妙な面持ちで矢を放った。見事に的を射ると、カメラを構えた参拝客などから歓声や拍手がわいた。

 京田辺市から来た夫婦は「約20年前まですぐ近所に住んでいたが、こういった行事があることを知らなかったので見に来てみた。厳かで迫力があった」と話していた。

1147よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/15(火) 05:29:32 ID:VDBDVOfw0
上がる火柱に無病息災祈願 豊中「大阪とんど祭」
2013.1.15 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130115/osk13011502000000-n1.htm

 新年の無病息災を祈る「大阪とんど祭」が14日夜、「千里の天神さん」で知られる豊中市の上新田天神社で行われた。

 家内安全や火伏せなどを祈る神事が本殿で行われた後、松明(たいまつ)奉仕員に選ばれた氏子4人が神火を神主から受けた。

 4人は高さ9メートル以上の巨大な円錐(えんすい)形の「とんど櫓(やぐら)」の前で伊勢音頭を歌いながらそれぞれに点火。次第に燃え上がり、とんど櫓全体が大きな火柱に包まれた。

 青竹がはじけ、納められた書き初め、旧年のお札やしめ縄などの正月飾りも焼かれ、とんど櫓を見上げながら市民らが手を合わせていた。

1148よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/15(火) 05:31:11 ID:VDBDVOfw0
「福」呼ぶ小切手も 今宮戎神社でさい銭勘定
2013年1月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130113/20130113020.html

 大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)で12日、新春の祭礼「十日えびす」(9〜11日)で集まったさい銭の勘定が始まった。今月末まで集計作業が行われ、総額は例年並みの約4600万円となる見込み。

 大にぎわいの十日えびすから一夜明けた境内では、神前に勘定開始を告げる「賽物勘定始奉告祭」を斎行。拝殿に参集した池田泉州銀行の行員約10人が神職からお払いを受けた後、無数の紙幣や硬貨を机に広げ、慣れた手つきで仕分け作業に取り組んだ。

 さい銭の中には板垣退助の肖像が描かれた100円札や、米ドル、ユーロ、人民元といった外国紙幣も見られ、小切手では「4129(よい福)」「2951(福来い)」などユニークな語呂合わせの額面が目を引いた。

 ことしの3日間の参拝者数は昨年より約1万1千人多い94万9千人を数えた。同神社では「期間中が平日だったため、勤め帰りにお参りされた方など人出が順調に推移した。福ザサに取り付けられる縁起物の数も増えており、景気回復の期待の高まりが表れたのでは」と話していた。

1149よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/15(火) 23:55:44 ID:ue09MpLA0
ふんどし一丁、護符手に紅潮 四天王寺で「どやどや」
2013年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130115/20130115019.html

 ふんどしと鉢巻き姿の男たちが魔よけの護符を奪い合う伝統行事「どやどや」が14日、和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)の六時堂で執り行われた。吹きすさぶ寒空の下、力水を浴び全身から湯気を立ち上らせた中高生ら約780人は宙に舞う数少ない護符を奪おうと必死に手を伸ばしていた。

 天下泰平と五穀豊穣(ほうじょう)を祈願するために元日から14日間行われている修正会(しゅしょうえ)の結願日の祭り。六時堂に「どやどや」と群衆することからその名が付いたとされている。

 気温6度という寒空の下、参拝者やアマチュアカメラマンらが多数見守る中、近くの幼稚園児らのほか、四天王寺羽曳野中学・高校、清風中学・高校、清風南海高校が紅白に分かれ、「わっしょい」との掛け声とともに境内を練り歩き入場すると、天井からひらひらと舞い落ちてくる護符を奪おうと必死の形相で体のぶつけ合いを展開。熱気で湯気が立ち上る中、護符を手にした生徒らは「取った取った」「うおー」など気勢を上げていた。

1150よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/16(水) 18:39:55 ID:vw8hEvIE0
正月締めくくる 生國魂神社で「左義長神事」
2013年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130116/20130116025.html

 正月行事を締めくくる火祭り「とんど」が15日、大阪各地の神社などで執り行われ、大勢の参拝者が松飾りやしめ縄を手に境内へ足を運んだ。

 このうち大阪市天王寺区生玉町の生國魂神社(中山幸彦宮司)では伝統行事の「左義長(さぎちょう)神事」を斎行。早朝の火入れ式では神職によって本殿から御神火が運ばれ、境内の一画に積まれた縁起物に移されると高く燃え上がった。見守る参拝者は火にあたりながら手を合わせていた。

 地元で生まれ育った玉谷静枝さん(94)は、持参したしめ縄を火の中に投じて、「幼いころから“いくたまさん”に参拝しており、これでようやく正月が終わったという気持ち。澄んだ一年になってほしい」と笑顔で話していた。

 この日の境内は参拝者が途切れることなく訪れ、中には厄よけとして灰を持ち帰る人の姿も見られた。

1151よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/17(木) 23:04:57 ID:4oETnL8A0
大数珠に願い 大阪・大念佛寺「百万遍会」
2013年1月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130117/20130117023.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺(倍巌良舜法主)で16日、伝統行事「百万遍会(え)」が盛大に行われ、大勢の参詣者が巨大な数珠を繰りながら厄よけなど所願成就を祈願した。

 1人の念仏の功徳が千人、万人と融通し壮大な功徳を生むという教えを表す行事。“億百万遍会”とも呼ばれ、1、5、9月の16日に行われている。

 本殿(登録有形文化財)内では、ケヤキの玉(直径約7センチ)5400個をつなげた大数珠が上部からゆっくりと床に下され、四隅に数珠用の滑車を設置。四辺に連座した参詣者が念仏を唱(とな)えながら一様に玉を繰っていった。

 同寺・畳講の講元を務める坂上治作さん(81)は「毎回参加しているが、年の最初の百万遍会は格別な思い」と、はつらつと話していた。参詣者は数珠繰りの後、倍巌法主から身体堅固の祈とうを受け、お札を授かった。

1152よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/18(金) 05:55:35 ID:4oETnL8A0
回廊の土台? 難波宮跡で出土 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130117-OYT8T00092.htm

 大阪文化財研究所などは16日、2009年度から行っている難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)の発掘調査で、後期難波宮(726〜784年)の区画施設の土台にあたる「土壇」が出土したと発表した。

 区画施設は敷地を囲んで内外を仕切るもので、出土した土壇は区画の南面にあたり、南北の幅8・9メートル、東西の長さ3・1メートル、高さ0・3メートル。これまでの調査から、東西方向へ約85メートル続いていたとみられる。周辺から多数の瓦も見つかった。

 規模が大きく、瓦も発掘されたことから、同研究所では、この区画施設が格式の高い瓦ぶきの回廊だったとみている。続日本紀に孝謙天皇が756年に訪れたと記されている「東南新宮(とうなんしんきゅう)」か、そのほかの重要な役所の一部だった可能性があるとしている。

 2009〜11年度の調査では、今回の土壇の南側にある別区画で建物の土台や瓦が見つかり、土台の規模が東西約19・5メートル、南北約14メートルと判明。今回の発見と合わせて、格式の高い大規模な建築物がある区画が二つあったことになる。

 現地説明会は20日午後1時半〜3時半に行われる。問い合わせは同研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)へ。

(2013年1月17日 読売新聞)

1153よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/18(金) 20:39:13 ID:1GuGn1xk0
3月に月亭文都襲名披露
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130118/4835531.html?t=1358509014125

上方落語の大名跡、「月亭文都」を月亭一門の月亭八天さんが113年ぶりに襲名することになり3月に襲名披露公演が行われることになりました。
「月亭文都」は、上方落語の大名跡で「浪花三友派」として活躍した初代・文都が明治33年に亡くなって以降、空席のままとなっていました。
今回、113年ぶりに「月亭文都」を襲名することになった月亭八天さんは、きょう大阪・中央区で会見し、「初代の月亭文都は、バイタリティーや意気込みがすごかったと思う。モチベーションを高め、平成の『浪花三友派』を実現していきたい」と意気込みを語りました。
月亭八天さんは大阪市出身の52歳、月亭八方さんの弟子で、古典落語だけでなく、創作落語にも挑戦し、活躍の場を広げています。月亭八天さんの「月亭文都」襲名披露の公演は、3月19日に大阪で、3月30日に東京で行われるということです。

01月18日 19時14分

1154よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/19(土) 22:26:47 ID:0bGMUZfk0
三好の居城研究を紹介 「大阪春秋」新年号発刊
2013年1月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130119/20130119039.html

 大阪の歴史と文化産業を発信する雑誌「大阪春秋」新年号(通巻149号)=写真=がこのほど新風書房(大阪市天王寺区)から発刊された。今号の特集は「飯盛山城と戦国おおさか」。生駒山地の北端に位置し、織田信長よりも以前に近畿を支配した三好長慶が居城とした飯盛山城の研究成果をはじめ、城を生かしたまちづくりへの取り組みなどを紹介している。

 「城郭史の舞台 おおさか」では、高槻市立しろあと歴史館の中西裕樹氏が千早城、飯盛城、大坂城など大阪の城郭の変遷について図解と写真を交えて紹介。このほか▽飯盛山城とまちづくり▽飯盛山城の構造と歴史的位置▽天上の飯盛山城〜視界270度の世界▽探訪飯盛山城跡−など。

 巻頭対談は橋爪紳也氏(大阪府立大教授)と中立公平氏(演出家、俳優、ミュージシャン)。付録は「芥川山城跡縄張り図」「飯盛山城跡縄張り図」「烏帽子形城跡縄張り図」。定価1050円。問い合わせは06(6768)4600、新風書房へ。

1155よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/20(日) 22:21:54 ID:OhiyoPF.0
着物扮装で厄落とせ 節分当日に浪速お化髪会
2013年1月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130120/20130120022.html

 扮装(ふんそう)して厄を落とす節分の日の風習「お化髪(ばけ)」を楽しむ「浪速お化髪会」(同会主催、樋口陽子代表)が2月3日、大阪市天王寺区で行われる。着物をそれぞれ自由に着こなして練り歩き、生國魂神社で厄よけの祈祷(きとう)を行う。樋口代表は「5回目のことしは初めて節分当日に開催できる。多くの人と大阪の街から元気いっぱいに厄を追い払いたい」と張り切っている。

 お化髪は、節分の日に普段と異なる服装で参拝すれば鬼を追い払えるとする風習で、江戸時代末期から盛んに行われていたという。現在は京都・祇園や大阪・北新地などで継承されており、樋口代表は北新地のホステスらが節分の日に花魁(おいらん)や舞妓(まいこ)姿で練り歩いているのを見てその風習を知ったという。

 「『もう振り袖は着られない』とタンスの奥にしまわれているような着物がたくさんある。たとえば母や祖母世代がまたそういった着物をまとえる日を作れば、こんなに楽しいことはない」と同会を企画。ドレスコードは「着物」だが、細かな着物のルールは取っ払い、それぞれが自由に“仮装”を楽しんでもらおうと参加者を募った。

 2009年の第1回には20〜60代の男女18人が集まり、日本髪や白塗りなどを施してきれいに“化けて”パーティーを開いた。第2回は参加者が約70人に増え、華やかな着物を着る喜びを感じたり、しまいこんだ着物にもう一度袖を通す機会としたり、どうやって皆をびっくりさせようかと試行錯誤したりと皆それぞれに楽しんだ。

 第3回には初めて生國魂神社までの練り歩きと厄よけ祈祷が実現。60代の女性が「バカ殿様」に扮するなど、少々奇抜な人も交じった行列だが、「厄よけという意味を持つことで、皆真剣にふざける。真剣にふざければ、面白いことも完成度が高くて美しい。アート作品のよう」と樋口代表。

 ことしも、行列と祈祷、そして趣向を凝らしたパーティーを予定している。「イベントを続けてこられたのは、着物の魅力のおかげ。お化髪の風習、そして着物がもっと身近な存在になっていくよう発信役となれれば」と話している。

 老若男女誰でも参加可。参加費8500円(行列のみ参加は2千円)。申し込みは1月末日まで。受け付けメールアドレスは次の通り。naniwaobake@gmail.com

1156よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/25(金) 22:05:42 ID:nfuMXIhg0
罪滅ぼしと招福祈願 大阪天満宮で「うそ替え神事」
2013年1月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130125/20130125027.html

 菅原道真を祭る大阪天満宮(大阪市北区、寺井種伯宮司)で24日、恒例の「うそ替え神事」が盛大に執り行われた。平素のうそを清めようと大勢の参拝者がお守り入りの封筒を交換し合った。

 “正直の神”としても知られる道真公の愛鳥「鷽(うそ)」に託して罪滅ぼしと招福を祈願する神事。参拝者のほかに神職やみこも参加し「うそを真(まこと)に替えましょう」と唱えながら、目の前の人と代わる代わる封筒を交換した。10分以上も続けられ、参拝者は最後に手元に来た封を開け、うそ鳥が描かれたお守りを大事そうに持ち帰った。一部のお守りの裏には木や土製、金、銀色のうそ鳥が授与される印があり、見事金のうそ鳥を受け取った原園真弓さん(53)=兵庫県西宮市=は「初めて参加したのに金が巡ってきて驚いた。とてもうれしい」と笑顔を浮かべていた。

 同神事は25日も午後1時から行われるほか、境内では「初天神梅花祭」に併せて、福玉まき(午前11時、午後4時)などの行事が催される。

1157よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/26(土) 20:36:41 ID:OzPOk.TY0
末期がんの笑福亭松喬さん、住吉大社で落語奉納 「誰かが受け継いでくれたらうれしい」
2013.1.26 20:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130126/wlf13012620060028-n1.htm

 末期の肝臓がんを宣告されながら芸能活動を続ける上方落語の笑福亭松喬(しょきょう)さん(61)が26日、大阪市住吉区の住吉大社で、落語「住吉詣(まい)り」を奉納し、初披露した。

 堅物の若だんなが参詣中にほうき売りの娘に恋をする「住吉詣り」は、久しく途絶えていた古典の大作「箒屋(ほうきや)娘」を上方落語協会会長の桂文枝さん(69)が練り直した作品。文枝さんが昨年秋、闘病中も積極的に落語会を開く松喬さんへ“激励”の意味を込めて演じることを勧めた。

 神殿で玉ぐしをささげた後、約170人の前で披露した松喬さんは「お客さんの反応もよく、すばらしい作品になった。さらに練って、誰かが受け継いでくれたらうれしい」と話していた。

1158よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/26(土) 20:39:18 ID:OzPOk.TY0
「続日本紀」記載の東南新宮か 難波宮跡で現地説明会
2013年1月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130126/20130126047.html

 大阪市教育委員会と大阪文化財研究所・大阪歴史博物館は20日、昨年11月初旬から実施してきた中央区法円坂の難波宮跡での発掘調査の成果を広く市民に公開するため現地説明会を開いた。参加者は瓦や礎石を伴う40メートルにわたって連続する土壇に熱心に見入っていた。

 今回の発掘調査地は後期難波宮の大極殿東方。難波宮の発掘調査が開始されて間もないころに見つかった東西に長く延びる土壇と瓦の堆積の続きが発見され、その概要が明らかになった。

 土壇は赤褐色の地山土を積み上げたもので、東西方向に延びている。土壇の北端部には礎石とみられる花こう岩が据えられ、北・南端部は丸みをおびた傾斜面となっていてその傾斜部から外側では瓦の破片が密集して出土した。

 調査結果から複廊や築地などで囲まれた格式の高い大規模な区画が二つあり、いずれも後期難波宮の中でも新しい時期に造営されたといえるという。また、格式の高い施設であることから、「続日本紀」に記載のある「東南新宮」にあたる可能性も考えられている。

 説明会では調査成果の解説がなされ、出土遺物の展示も行われた。担当者は「熱心な方たちが多数参加してくれた。これを機会に難波宮ファンが増えてくれれば。今後も調査を進めて明らかにしていきたい」と話していた。

1159よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/28(月) 21:04:29 ID:KJIEjllY0
大阪の文楽補助金、「満額条件」に足りなかった
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130128-OYT1T00672.htm?from=ylist

  大阪・国立文楽劇場は28日、今年度の文楽公演入場者数の集計結果を発表した。

 前年度比13・5%増の10万3793人で、大阪市が来年度以降の補助金の指標に掲げる「10万5000人」には届かず、ハードルの高さを浮き彫りにした。

 同劇場が制作・開催した計4回の本公演と鑑賞教室の入場者の総計。10万人を超えたのは開場25周年の記念公演が開かれた2009年度以来3年ぶりで、歴代11位となる。

 橋下徹市長が文楽協会への補助金凍結を表明した6月以降、夏休み公演、11月公演、初春公演で好成績だったものの、4月公演、鑑賞教室で前年度を下回ったことが影響した。

 市は、協会の運営補助金2900万円について、同劇場の観客数に連動するインセンティブ(意欲刺激)方式の導入を決めており、年間10万5000人以上で満額、動員が減るごとに減額され、9万人以下なら支給されない。反映されるのは来年度の入場者数から。

(2013年1月28日13時46分 読売新聞)

1160よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/30(水) 18:41:25 ID:xolkK5jY0
歴史都市・大阪らしい話題です。


大阪 発掘調査の出土品を展示
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130130/5139841.html?t=1359538734171

大阪府内の遺跡から発掘調査で見つかった出土品などを一堂に集めた展示会が、大阪・河南町で開かれています。
この展示会は大阪の歴史についてもっと知ってもらおうと、河南町の近つ飛鳥博物館が開いているもので、府内の41の遺跡から見つかった土器や写真パネルなど計380点が展示されています。
このうち大阪・北区の佐賀藩の蔵屋敷の跡から見つかった鍋島焼の皿や杯は江戸時代に藩主が大阪に立ち寄った際に使ったものとみられています。
また、東大阪市にある室町時代の集落の遺跡から見つかった1万5千枚を超える銅銭は現在の価値にすると約150万円で当時の人が貯蓄のために地面に埋めていたとみられるということです。
博物館の飯田浩光学芸員は「発掘調査によって、土の中から様々な物が見つかっています。実物をみることで、大阪の魅力を再発見してほしい」と話していました。
この展示会は3月24日まで開かれています。

01月30日 12時23分

1161よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/03(日) 06:38:54 ID:OVnbLZn.0
旧家の誇り、かなわぬ恋 歌人 石上露子 大阪・富田林の旧杉山家住宅
2013.2.2 14:40
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n2.htm

 朝方の大雨が、道に沿って連なる民家の白壁を洗っていった。

 江戸や明治の古い町並みが残る大阪府富田林市の寺内町(じないまち)。4層の屋根がひときわ立派な旧杉山家住宅は、当時の面影をそのまま映す美しい日本家屋である。

 清楚な美貌とあふれる才気で流麗な歌を詠み、「白菊の君」と謳われた明星派の女流歌人、石上露子(いそのかみ・つゆこ)(本名、杉山タカ)は明治15(1882)年この家に生まれ、昭和34(1959)年この家で亡くなった。

 富田林きっての旧家の跡取りに生まれ、家を継ぐため愛する人との結婚をあきらめた露子は、かなわぬ恋の思いを歌に詠み続けた。その生きざまは同時代に生きた与謝野晶子の奔放さと対比される。

 〈君ならぬ車つれなう門すぎてこの日も暮れぬ南河内に〉

 愛する人の訪れを富田林のわが家で終日待ち続け、むなしく日が暮れていったと嘆く露子の切ない恋心が綴られている。

 いまも残る若き日の写真。きゃしゃな着物姿だが、じっとこちらを見つめる黒い瞳には強い意志の力が感じられる。

               □

  その美しい歌人の名は久しく忘れ去られていた。

 明治後期、『明星』誌上に哀愁漂う短歌を発表し、明治41年、忽然と姿を消した石上露子。再び文壇に登場したのは昭和6年だった。彼女の身に一体何があったのか。

 南河内の大地主の跡取り娘として生まれ育った露子。何不自由のない暮らし、才能にも美貌にも恵まれながら彼女の歌には悲しみが溢れている。

 最大の原因は初恋の人、長田正平との恋の破綻。露子は杉山家の長女、正平も長田家の長男。当時、旧家の相続人同士の結婚は非常に困難な時代であった。

 明治40年、露子は意に染まぬ結婚をする。彼女が筆を折ったのはその翌年。夫が露子の文筆活動を望まなかったという。

1162よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/03(日) 06:41:01 ID:OVnbLZn.0
>>1161

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n4.htm

 近鉄富田林駅から南に徒歩約10分。現代の町並みが突然、明治時代にタイムスリップしたように変貌した。

 瓦屋根の日本家屋が連なる情緒ある町並。民家には明かりとりの「虫籠(むしこ)窓」など江戸や明治の暮らしの痕跡が見える。戦国時代に誕生した寺内町である。

 旧杉山家住宅として、現在一般にも公開されている杉山家は、寺内町設立にも関わった名家。露子が生まれた頃は造り酒屋で、家屋の後ろには酒蔵がずらりと建ち並んでいたという。

 近代文学が専門の元四天王寺大学教授、宮本正章さん(75)は「露子は当時、神山薫という進歩的な家庭教師の引率で東北や東京に旅行もしている。旧家の誇りと近代的自我の両方を持ち合わせていた人だったのではないか」。

 正平とは、東京旅行の際、神山の紹介で知り合った。正平も明治33年には杉山家を訪問している。

 しかし結局、露子は家のため、別の男性と結婚する。その苦悩は絶唱となって歌に昇華された。

 〈黒髪の千すぢのみだれ風さかひあゝ焦熱の火中をぞ行く〉 

 露子の生き方は、意志を貫き、与謝野鉄幹との恋に走った同時代の歌人、与謝野晶子とは対照的だ。

 宮本さんはいう。「露子は開明的な思想もあったが実践に移せなかった。そこが、堺という開かれた町の商家に生まれ育った晶子との違いではないか」

 旧杉山家住宅には露子が愛したアールヌーボー様式の螺旋階段が残されている。西洋式な小さな飴色の階段は純和風家屋にあって奇妙な調和を保っていた。

 それは、旧家の誇りと自分を解放する恋のはざまで苦悩しながら生きた露子の思いの結晶にも見えた。

(文・亀岡典子、写真・岡本義彦)

      ◇

【旧杉山家住宅】 大阪府富田林市の寺内町にある旧家。寺内町とは真宗の寺院を中心に堀などで防御した町をいい、富田林の寺内町は16世紀中頃に誕生した。旧杉山家は、土間部分が17世紀中頃に建てられ、その後、座敷や2階を増築、延享4(1747)年頃にはほぼ現在の姿となった。女流歌人、石上露子の生家として知られ、蔵には遺品が展示されている。昭和58年に重要文化財に指定。

1163よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/04(月) 19:53:06 ID:tGVu5w2k0
宙乗りで鬼は外! 大阪松竹座で片岡愛之助さん
2013年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130204/20130204018.html

  大阪市中央区道頓堀の大阪松竹座で3日午後、「二月花形歌舞伎」で昼夜別演目に主演して奮闘中の片岡愛之助さんが「鬼は外!」と、恒例の豆まき行事を行った。昼の部「新八犬伝」終演後では一人四役に挑んでいる愛之助さんと中村壱太郎さんら「八犬士」の面々が、場内のお客さんに袋入りの豆を手渡すなどスキンシップを図った。

 宙乗りで豆をまき観客をびっくりさせた片岡愛之助=3日午後、大阪市中央区

 夜の部では「GOEMON 石川五右衛門」上演中に、五右衛門の愛之助さんが宙乗りになって豆をまく一幕があって、「松嶋屋!」と観客席を沸かせた。同公演は片岡秀太郎さん、中村翫雀さんも参加し上方歌舞伎の若手俳優と競演しパワーあふれるにぎやかな舞台を繰り広げている。26日まで。

1164よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/05(火) 05:46:30 ID:tGVu5w2k0
利休の“料理”味わう 大阪城特別講座第1弾
2013.2.5 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130205/osk13020502060001-n1.htm

 産経新聞グループの愛読者組織「ウェーブ産経」が主催する「大阪城特別講座〜歴史を味わう〜」の第1弾「秀吉と利休」が4日、大阪市天王寺区のシェラトン都ホテル大阪で開かれた。大阪城天守閣研究主幹の北川央(ひろし)さんが豊臣秀吉と千利休の関係を解説。利休が秀吉を接待した献立などをアレンジした「秀吉おもてなし料理」を味わった。

 会員80人が参加。北川さんは「秀吉懇意の利休が頭角を現すと、秀吉の弟の秀長と並ぶ豊臣政権の両輪的存在となった」と指摘。2人の決裂については「黄金茶室は2人でつくったもの。価値観の対立ではないと思う」と、派手な秀吉と美意識で対立したとの説を疑問視し、秀長死後に若手側近が利休の追い落としを図ったとの説を紹介した。

 料理は、同ホテルの日本料理店「うえまち」の茅ケ迫(かやがさこ)正治料理長が「利休百会記」などを基に接待料理を現代風に仕立てた。参加した会員らは古風さが漂う味わいに浸っていた。

1165よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/05(火) 05:48:59 ID:tGVu5w2k0
福つかめ 岸和田・高見観音節分祭 大阪
2013.2.4 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130204/osk13020402020001-n1.htm

 岸和田市五軒屋町の高見観音(観蔵院)で3日、恒例の節分祭が営まれた。豆やもちがまかれたほか、縁起物のヒイラギの販売などがあり、大勢の参拝者でにぎわった。

 高見観音は、岸和田城の鬼門守護寺院として建てられ、節分に合わせた祭事が毎年行われている。

 境内では、訪れた家族連れらが昨年買ったヒイラギの枝木を返納。無病息災や家内安全などを祈って参拝し、新しいヒイラギを買い求めるなどしていた。参拝後には、「七福湯」と呼ばれるあめ湯のふるまいを受け、味わったり、水筒に入れてもらって持ち帰ったりしていた。一方、豆まき、もちまきも人気で、大勢の参拝者たちが「福」をつかもうと手を伸ばしていた。

1166よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/06(水) 22:02:59 ID:.Vn42cj60
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

浪速詰方日記
2013年2月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130206/20130206037.html

大阪赴任で連日接待

 バブル景気のころのサラリーマンの接待もこんな感じだったのだろうか。

 天保11(1840)年、福岡藩蔵元奉行兼勘定奉行として大阪に赴任した不惑の大岡克俊は、3月17日の到着以来、ひと月で19回の宴席をこなした。

 「酒は飲め飲め」の黒田武士でも、さすがに4月18日の日記には「少々不快につき今日より薬用いたす」と記した。

 大阪の蔵屋敷を管理する商人などに誘われ、曽根崎の茶屋「河佐(かわさ)」には12回(別に同僚と4回)、他に天満天神、住吉宮、鴻池別荘、桜ノ宮や心斎橋見物、難波新地の曲馬、能興行などの遊山に出かけている。

 これでは疲れないほうがどうかしている。彼の「浪速詰方日記」を読むと、蔵屋敷の役人の「苦労」が見えてくる。

 大岡は4度大阪に来て、3度分の「詰方日記」を残した。天保11年は初めての大阪滞在だから、最初の1カ月はあいさつ回りや顔合わせの意味で付き合いも多かろうが、結局在阪400余日中73回も前述の茶屋に行っている。

 福岡藩は享保(1716〜36年)の大飢饉(ききん)などで財政は悪化する一方で、天保年間には、担保も不足し返済も滞った。天保4(1833)年には藩主斉清(なりきよ)が藩政改革を開始し、大量の藩札を発行、家臣や領民に貸し付けてその返済分を借銀返済に充てようとした。

 また、大阪の借銀の返済を一方的に凍結し、生蝋(きろう)や石炭などの専売制を強化して収入を拡大しようとした。

 ところが、藩札の発行高は天保5年だけでも銀3万8457貫余りで、その価値は発行後3カ月余りで半分以下に下落。斉清後の藩主長溥(ながひろ)が、大阪の鴻池ら蔵元に謝罪した。

 こんな状況では福岡藩蔵屋敷が蔵元や銀主を接待するのが当然だと思うが、逆に商人のほうが大阪見物に連れて行き、茶屋で接待をしているのだ。

 それでも、4度目、文久元(1861)年の在阪の際には、手土産に特産物の鶏卵を贈ったり、蔵屋敷内の歳暮の集まりは中止にし、蔵元との付き合いもうなぎ会を催したり謡の御稽古会に出席するなど、落ち着いたものになった。生蝋の専売に力を入れ、それを扱う商人との付き合いが増えた。大岡も60歳。河佐へは、10月の着任後12月に出かけ、そのあと10回行き、6月6日の離阪前日が最後になった。

 (大阪商業大学商業史博物館専門学芸員・岡村良子)

1167よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/09(土) 07:07:33 ID:0H/azHCA0
感謝込め針供養 大阪天満宮
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130209-OYT8T00095.htm

 大阪天満宮(大阪市北区)内の吉備社で8日、「針供養」が行われ、晴れ着姿の女性ら約1500人が、裁縫の上達を願った。

 中国から裁縫技術を持ち帰ったとされる吉備真備をまつる吉備社で大正時代から続く行事。大阪和服裁縫協同組合(浪速区)などが主催し、和裁所で働いたり、裁縫を学んだりしている女性たちが、曲がったり折れたりした針を、社の前に設けられた軟らかいコンニャクに1本ずつ刺して供養していた。

 孫に振り袖や訪問着などを贈るために和裁の稽古をしているという吹田市の主婦、奥田京子さん(69)は「この1年で何十本もの針を折ってしまった。頑張ってくれた針には感謝の気持ちでいっぱい」と話していた。

(2013年2月9日 読売新聞)

1168よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/09(土) 07:08:12 ID:0H/azHCA0
巨大屋敷の堀?出土 楠葉中之芝遺跡
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130208-OYT8T00125.htm

 枚方市楠葉中之芝の楠葉中之芝遺跡から、鎌倉時代前半(13世紀前半)の屋敷の堀とみられる溝が出土し、市教委が発表した。摂関家として君臨した藤原氏の所領「楠葉御牧(みまき)」があったとされる場所で、市教委は「藤原氏に通じる有力者の屋敷の可能性もある。当時の集落の様子を知るうえで、重要な手がかり」としている。

 市教委は昨年11月から、土地区画整理事業に伴って発掘調査を実施。出土した溝は、幅約2・3〜3・1メートル、深さ約1メートル。東西約14メートル、南北約11・2メートルのL字形で、市内でこれまでみつかった屋敷の堀跡では、最大の規模になる。

 溝に囲まれた場所からは、大型の井戸(直径約4・6メートル)も出土。溝の中から、土器の「土師器(はじき)」の皿や、「瓦器(がき)」の器、木製の箸などの生活用品が大量に発掘されており、堀に囲まれた巨大な屋敷があったと推定される。

 遺跡の周辺は、良質な土器の生産拠点としても有名で、近くに流れる淀川は、重要な輸送ルートだったことから、市教委は「有力者は、水運や手工業生産の利権を手にしたのではないか」とみている。

 現地説明会は、9日午後1時30分、同2時15分、同3時の計3回。小雨決行で、駐車場はない。問い合わせは市教委文化財課(050・7105・8058)へ。

(2013年2月8日 読売新聞)

1169よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/10(日) 18:43:25 ID:0Qq6rt0c0
早春告げる盆梅展 大阪天満宮
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130210-OYT8T00094.htm

◇華やか香り うっとり

 学問の神様・菅原道真をまつる大阪天満宮(大阪市北区)で大盆梅展が開かれ、梅の盆栽が訪れる人を楽しませている=写真=。3月10日まで。

 天満宮によると、左遷された菅原道真が都を去る際、「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠むなど、梅との関わりは深い。

 会場の参集殿には、淡いピンクや白い花びらの約60鉢が展示され、甘い香りが漂う。樹齢約200年の梅や、梅と松を背景に配した天神像の掛け軸などもある。天満宮の担当者は「まだ冬の寒さが厳しいが、一足早い春の気分を味わって」と話している。

 中学生以上500円、小学生300円。問い合わせは、大阪天満宮社務所(06・6353・0025)。

◇新名物いかが 「梅亀天神餅」

 盆梅展の期間中、大阪天満宮境内では土産物店などの屋台が立ち、昨年11月に天満宮にちなんで発売された和菓子「梅亀天神餅」=写真=も並ぶ。

 梅亀天神餅は、外食チェーン会社「フジオフードシステム」(大阪市北区)が運営する「梅亀庵」(同区天神橋2)で製造販売。国産のもち米に境内の梅にあやかってシソを入れて作った餅に、北海道産の小豆を練り上げたこしあんを、亀の甲羅に見立てて載せている。

 社長の藤尾政弘さん(57)は天神橋筋商店街の食堂を営む親の元で生まれ育った。昨春、「天満宮の名物を作り、地元に恩返ししたい」と天満宮に打診したところ、了解が得られた。1月12日に天満宮に奉納された。

 天満宮の寺井種治権宮司(49)は「参拝客のお土産として定着すれば」と期待し、藤尾さんは「末永く愛されるお菓子になるように育てていきたい」と話す。2個入り210円から販売。問い合わせは梅亀庵(06・6882・0871)。

(2013年2月10日 読売新聞)

1170よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/10(日) 18:46:35 ID:0Qq6rt0c0
文楽の魅力体験 来月開催へ
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130210/5343821.html?t=1360489529250

大阪発祥の伝統芸能「文楽」の魅力を知ってもらうことで、観客の増加につなげようと、運営団体の文楽協会は、人形の操作などを直接体験してもらう催しを来月、開くことにしています。
大阪の国立文楽劇場で行われた文楽の公演の観客数は、今年度、約10万4000人で、3年ぶりに10万人を超え、運営団体の文楽協会は、演じ手の技芸員とともに観客をさらに増やすための取り組みを検討しています。
この一環として、文楽協会は、大阪府などの協力を得て、来月10日と12日の2日間国立文楽劇場で、「文楽」の魅力を幅広く知ってもらう催しを開くことになりました。
催しでは、文楽の人形の操作を体験してもらうほか、語り手の「太夫」や「三味線」、それに「人形遣い」の3つの役割の解説や文楽のミニ公演などが行われることになっています。
文楽協会では「参加費は無料なので、文楽をよく知らない人にも気軽に参加してもらいたい。こうした取り組みを続けて少しでも観客を増やしていきたい」と話しています。
申し込みの期限は、今月22日で、往復はがきや府のホームページから申し込むことができるということです。

02月10日 07時04分

1171よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/10(日) 19:59:53 ID:0Qq6rt0c0
四天王寺 フリマでにぎわう 「わっか市」
2013年2月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130210/20130210026.html

 手作り雑貨などを集めた「わっか市(いち)」(同実行委員会主催)が、大阪市天王寺区四天王寺1丁目の和宗総本山四天王寺境内の西重門前広場で、毎月第1日曜日に開かれている。手作り雑貨や無農薬・無添加食品など安全な食品を求める家族連れや友達同士、カップルらに人気を呼んでいる。

 この市は東京や関西でフリーマーケットを開いている中川誼美さん(吉水経営)や雑貨店「キャラメル・ママ」(八尾市)経営、森川弘子さんらが中心になって昨年4月から毎月開催している。

 和宗総本山の「和」、人の「輪」、食べ物の「輪」など全ての「わ」をイメージして「わっか市」と命名された。

 3日に開かれた市では、衣料・服飾雑貨をはじめ古道具、革のかばん、陶芸品、無農薬野菜、手作りにこだわったキムチ、ソーセージ、ジャム、パンなどを販売する約70ブースが出展された。参拝客を含め多くの人たちが訪れ思い思いの商品を手に取り、店主らと会話を楽しみながら購入する光景が見られた。

 市ではパントマイムショー「『ウッチー&ぴんきー』のいっぷくしあたー」(ちんどん通信社所属)や絵本の読み聞かせ会(クレヨンの会主宰)など、楽しいイベントも行われた。

 実行委員長の中川さんは「四天王寺さんが協力的で感謝している。こだわりの店がいっぱいで店主とのおしゃべりも楽しんでいただきたい」と話し、キャラメル・ママ代表の森川さんは「こだわりのお店のオーナーさんには出展していただきたい」と呼び掛けていた。

 次回開催は3月3日。午前9時〜午後3時。

1172よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/11(月) 06:40:27 ID:seBLmPhg0
敵を集め一網打尽 岸和田城の「犬走り」解説 大阪
2013.2.10 02:07
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130210/osk13021002070001-n1.htm

 岸和田市にある「岸和田城」の石垣を調べている市と市教委は9日、市民説明会を開き、担当職員らが本丸の東と南西側に位置する「犬走り」と呼ばれる石垣の段差について「敵を集めて攻撃するためとおもわれる」などと解説した。

 市では、1月下旬から今月にかけて岸和田城の内堀の水を抜き、石垣の老朽化などについて調査を進めている。犬走りについては、これまでも存在は確認されていたが、今回水を抜いたことで、その全容が姿を現し、特徴的な段差がみられるようになったとして、特別に説明会を開催したという。

 担当職員らによると、通常の城の石垣の場合、敵の足場となるような段差は設置されないことが多いとする一方、岸和田城にみられる長さ約200メートルにわたる犬走りについては「上陸した敵を1カ所にまとめて迎え撃つ利点があるとされ、他県の城(彦根城、今治城など)でも確認されている」などと説明した。

 このほか、石垣に残されている刻印などについても詳しく紹介。参加した市民らは、興味深そうに聞き入っていた。

1173よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/11(月) 18:58:05 ID:/YnYSKGM0
履中天皇陵(上) 被葬者は幻の天皇!? 築造順位“真逆”の謎 
2013.2.11 13:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130211/wlf13021113000012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130211/wlf13021113000012-n2.htm

 第15代・応神天皇、16代・仁徳天皇、17代・履中天皇−。4世紀末から5世紀にかけて絶大な権力で国内を統治し、「倭の五王」ともされる3天皇は、それぞれ国内ベスト3の巨大前方後円墳に葬られたという。

 最大の仁徳天皇陵(堺市堺区、全長486メートル)と2位の応神天皇陵(大阪府羽曳野市、同425メートル)は被葬者に矛盾はないとされるが、3位の履中天皇陵(堺市西区、同365メートル)については、研究者の多くが疑問を抱く。

 履中天皇陵の築造時期が、3天皇の即位順と全く一致しないからだ。3天皇陵の築造順位は、墳丘出土の埴輪(はにわ)などから、(1)履中天皇陵(2)応神天皇陵(3)仁徳天皇陵−と判明。第17代で最も新しいはずの履中天皇陵が考古学的には最も古いという“真逆”の結果になった。「履中天皇陵をそのまま履中天皇の墓とするのは難しい」と堺市世界文化遺産推進室の白神典之主幹。

 それでは、履中天皇陵はいったい誰の墓なのか。応神天皇より前となると、14代・仲哀(ちゅうあい)天皇になるが、同天皇は河内に葬られたと日本書紀は記し、宮内庁が指定する仲哀天皇陵(大阪府藤井寺市、同242メートル)もある。

 「日本書紀があくまで正しいとすれば、履中天皇陵に該当する天皇がいなくなる」と白神氏。日本書紀に記されていない“幻の天皇”が葬られたのだろうか。

 さらに、履中天皇自身の古墳も「所在不明」となる。仁徳天皇陵より新しい古墳は、約2キロ東の土師ニサンザイ古墳(堺市北区、同300メートル)があるが、反正天皇の墓ともいわれる。

 全長が365メートルというのもあやしいという。墳丘の周濠(しゅうごう)は満々と水をたたえているが、宮内庁が作成した古墳の測量図をよく見ると、墳丘1段目がほとんど水面に隠れている。白神氏は「水面下の分も合わせると全長は400メートル近くになるのでは」という。知られているようで意外と謎めいた巨大古墳である。

1174よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/11(月) 19:14:42 ID:/YnYSKGM0
履中天皇陵(下) 盗掘被害に室戸台風…御難続きも地域見守り 
2013.2.11 15:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130211/wlf13021115000016-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130211/wlf13021115000016-n2.htm

 「履中天皇陵、大学生らが盗掘」。昭和61年12月、新聞でショッキングな窃盗事件が報道された。天皇陵の幅約30メートルの周濠(しゅうごう)をゴムボートで渡り、墳丘に埋まっていた埴輪(はにわ)などを盗んだとして逮捕された。

 学生らは歴史に興味があったというが、このときの盗掘品が昨年秋、大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)で、宮内庁が調査した他の天皇陵などの埴輪とともに公開された。履中天皇陵で盗掘された埴輪のうち、矢を入れる容器を模した靭(ゆき)形埴輪は、全体を復元すると高さ1・5メートル近くになり、被葬者の権力の大きさをうかがわせた。

 同天皇陵は、盗掘だけでなく、台風など御難続きだった。明治31年には、被葬者を納めた石室のある墳丘後円部が直径6メートル、深さ2メートルにわたって大規模に陥没。昭和9年9月には、死者・行方不明者約3千人をだした室戸台風で墳丘の木々がなぎ倒された。

 堺市史によると、倒木は松や杉など約900本。なかでも、墳丘にそびえ、古くから大阪湾を航行する船に針路を指し示していた名松「傘の松」が折れたという。「市民の痛惜のまととなった」。市史は無念の思いをこう表現した。

 それでも地元の人たちは「御陵さん」と親しみをもって見守り続ける。かつては周濠の水が農業用水として人々の生活を支え、現在はボランティアで清掃活動などが行われている。

 都市部にある履中天皇陵はフェンスで囲まれているが、住宅がすぐそばまでせまり、裏庭が天皇陵というぜいたくな家も多い。フェンスに洗濯物を干すおおらかな光景もみられ、数十年前までは周濠から金魚の水をとるなど子供たちのひそかな遊び場だったことも。

 堺市世界文化遺産推進室の白神典之主幹は「周辺開発の恐れもあるが、地域に根ざした御陵だからこそ大切に守られてきた」と話す。

1175よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/16(土) 09:57:09 ID:QVpRrk3c0
大阪ロマン紀行

芸の神様になった芝右衛門狸

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2013年2月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/130215/20130215053.html

生國魂神社(天王寺区生玉町)

 日本の三大狸(タヌキ)といえば、佐渡の団三郎狸、香川屋島の禿(はげ)狸、淡路洲本の芝右衛門狸である。

 この芝右衛門狸は無類の芝居好き。江戸時代の初め頃、淡路から芝居でにぎわう道頓堀へとやってきた。芝居小屋の「中座」へ通うようになったが、係の者が毎日の売上金に木の葉が交じっているのを不審に思い、犬を入り口に置いてみた。いつものように芝右衛門が小屋へやって来ると、狸の苦手な犬がいる。なんとか通り過ぎようとしたが、隙をついて芝右衛門に犬がガブリ。狸の正体を現して、さんざん追い回され、ついには殴り殺された。

 この話は淡路島にも届き、最近、芝右衛門の腹鼓が聞こえないのはそのためかと、仲の良かった人々は芝右衛門の死を悼んだ。それから奇怪なことに、中座の興行成績がガタリと落ちた。これは狸の祟(たた)りに違いないと、初代の片岡仁左衛門が中座の奈落に芝右衛門狸を八兵衛大明神として祀(まつ)ったところ、客がまた来るようになった。以来、八兵衛大明神の祠(ほこら)は芸道の神様として、役者たちがお参りするようになったのである。

 さて、ここからが本題。平成11年の中座閉館にともない、大阪最古の神社である生國魂神社と淡路洲本八幡神社に八兵衛大明神の分霊が遷(うつ)されることになった。平成11年11月1日に八兵衛大明神遷座合祀祭(せんざごうしさい)が行われ、生國魂神社の摂社(せっしゃ)である源九郎稲荷(いなり)神社に合祀された。

 源九郎稲荷とは奈良県吉野の源九郎稲荷の分祠(ぶんし)であるから、狐(キツネ)と狸が祀られていることになる。では、どうして分霊したのかと言うと、350年以上も続いた芸道の神、八兵衛大明神はすでに大阪の文化としてしっかり根付いていたからである。

 大阪の芸の神はやはり、大阪に鎮座するのがよかろうと私も思う。この芝右衛門狸の伝説を知っている人は、芝右衛門としてお参りすると思うが、大阪では八兵衛大明神の名前が一般的だろう。

 また、文楽の物故者を祭神として祀る浄瑠璃神社や、生國魂神社で4千句を矢数俳諧(やかずはいかい)した井原西鶴の像や、彦八まつりで有名な上方落語の祖、米沢彦八の顕彰碑など、大阪の文化を境内のあちこちに見ることができる。

 生國魂神社は、何度も焼失や損壊の憂き目に遭っているが、その都度、民間人が私財を投じて再建してきた。空襲で焼けたときなどは、日本人の団結の力を最も恐れるGHQを尻目に、大阪人は力を合わせて、自分の家より先に大阪文化の象徴、生國魂神社を再建してしまった。

 だから小さく見えても、文化の継承を守るという意味で、八兵衛大明神をそのまま還(かえ)さず生國魂神社に分霊したことは、いかにも大阪らしいと思えるのだ。

1176よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/16(土) 10:13:53 ID:QVpRrk3c0
天満天神梅酒大会、開催迫る−大阪天満宮で奉告祭
http://umeda.keizai.biz/headline/1521/

 2月16日〜24日に開催される「第7回天満天神梅酒大会」を目前に控えた15日、会場となる大阪天満宮(大阪市北区天神橋2)で同大会の成功を祈願する開催奉告祭が執り行われた。

 梅に縁のある菅原道真を祭る大阪天満宮で、地域活性化と梅酒市場の拡大を目指して開かれる同イベント。全国の蔵元から自慢の梅酒が集められ、一般参加者の投票と専門有識者のブラインドテイスティングにより、優勝銘柄に「天下御免」の称号を授与する。運営は大学生らボランティアスタッフが行い、今年は160人のボランティアスタッフが参加。

 大会の認知度は年々上がり、昨年は2〜3時間の入場待ちができる日もあったが、今年は大阪天満宮の協力で会場を拡大したり日時指定のファストパスを発行したりするなど、混雑緩和の対策にも取り組む。大会期間中は周辺の飲食店にも人が流れるなど、地域活性の効果も見せている。

 今年は梅酒308銘柄、リキュール165銘柄が出品。参加者は700円のチケット購入で制限時間内は自由に試飲でき、1人5銘柄に投票できる。女性や主婦など普段お酒にあまり接しない人や、飲食店経営で仕入れの参考にする人、商品企画の参考にする蔵元の人など、「それぞれの立場で楽しんでいるよう」と実行委員長の上田久雄さん。会場では試飲のほか販売も行い、天神橋筋商店街の店主らが街路樹として植えた梅の実で作った「天満梅酒」も会場限定で販売する。

 今年の梅酒やリキュールは「90ミリリットルの小瓶の商品やゼリー状のもの、炭酸が入ったものなどバラエティー豊か。特産果汁を使ったものなど、それぞれの地域や蔵元の特徴が出ている」と上田さん。多彩な商品の背景には「若い世代のアルコール離れ」があるといい、「アルコールを飲むきっかけとなるような商品作りがされているのでは」と話す。期間中1万5000人の来場を見込む。

 開催時間は10時〜16時。今月24日まで。結果発表と授賞式は3月9日に行われる。

1177よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/16(土) 20:14:22 ID:5CkDbxVc0
造幣局が生んだ? 大阪の一大ガラス産地
2013/2/16 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH06006_X00C13A2AA2P00/

大阪天満宮(大阪市北区)に詣でた際、門前に「大阪ガラス発祥之地」という碑があるのに気づいた。確か天満かいわいにはガラス関連企業が幾つかあるが、大阪にガラスとそれほど深い関わりがあったのだろうか。街の歴史をひもといた。


天神橋筋商店連合会会長の土居年樹さん(75)に聞いた。今はマンションなどが立ち並ぶが「この辺りには戦前、数え切れないほどガラス関連工場があり、前を通ると炉の熱気を感じたものです」と話してくれた。

 「かいわいは旭硝子や東洋ガラスの発祥の地。工房は江戸時代からあったそうですが、産業として本格的に発展したのは明治以降です」と土居さん。旭硝子の社史を調べると、ルーツは1906年、初代社長が天満付近に設立した合資会社。「当時の最新式ガラス工場」だったという。アサヒグループホールディングスも、山本為三郎・初代社長がかつて、天満周辺のガラス瓶メーカー社長を務めていた。自著に「瓶の製造が縁でサイダーに関係し、ビールに関係することになった」とある。

 大阪市の資料では、第1次世界大戦で欧州向けにガラス製品の輸出が急増。終戦後の1919年、大阪府には全国のガラス関連工場の約7割に当たる882工場が集積していた。

 ガラス産業が発展した背景について、ガラスアーティストで大阪工業大客員教授の岡本覚さん(57)が説明してくれた。「ガラスの量産には、原料のケイ砂や燃料の石炭を運ぶ交通網が欠かせません。水利が発達していた大阪は、ガラス産業が育つ要素がそろっていたのです」

1178よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/16(土) 20:16:27 ID:5CkDbxVc0
>>1177

http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH06006_X00C13A2AA2P00/?df=2

 しかし天満で近代ガラス産業が芽吹く契機は何だったのか。大阪市史料調査会を訪ねた。「明治維新直後、様々な官営工場が大阪城周辺に建設されました。中でもガラス産業は、造幣局の存在が大きかったといえます」。調査員の古川武志さん(41)が答えてくれた。

 造幣局は明治維新から間もない1871年、大阪・天満の大川(旧淀川)沿いに設立された。「造幣局は当時、国内最新鋭の総合工場。金属精錬に必要な硫酸や燃料に使う石炭ガスなどを自前で製造してたんですよ」と古川さん。その一つがガラスの原材料となるソーダ灰(炭酸ナトリウム)で「明治政府の殖産興業政策で、余剰生産分は民間に安く供給されたのです」。

 造幣局は幕末期の混乱した幣制を立て直す国の一大プロジェクトの結晶だった。幕末期に英国に密航留学し近代技術を学んだ長州藩(山口県)出身の5人の志士のうち、井上馨や伊藤博文ら4人が造幣局長を歴任。設立に関わったメンバーには五代友厚、寺島宗則、大隈重信など、そうそうたる名前が並ぶ。

 そもそもなぜ、造幣局が大阪に設置されたのか。広報室によると、「維新に貢献した大阪の町衆に配慮した」「大久保利通が唱えた大阪遷都論が影響した」「東京の治安への懸念」「大阪が経済の中心地だったため」など諸説あるが、「はっきりした理由は分からない」そうだ。

 第2次大戦後は市街の発展とともに、公害問題から郊外に移転したり、後継者難などで廃業する企業が相次ぎ、大阪のガラス産業は急速に衰退した。

 そんな中で1970年、逆に同市中央区から天満に本社を移したのが象印マホービンだ。同社まほうびん記念館の山口己年男館長(60)は、「理由は定かではないですが、天満がガラス発祥の地ということが当時の経営陣の念頭にあったのかもしれません」と想像を巡らせる。

 造幣局がなければ、街は現在の姿とは違う発展をしていただろう。大阪と造幣局に不思議なご縁(円)があったということか。

(大阪社会部 榎本行浩)

1179よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/17(日) 05:34:07 ID:1SeL2I/A0
吹田の旧家で「ひな祭り」 大阪
2013.2.17 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130217/osk13021702060000-n1.htm

 吹田市の吹田文化創造交流館(旧西尾家住宅)で16日、「ひな祭り」が始まった。豪華に飾られたひな人形の数々に、来場者らもうっとりと見入っていた。3月3日まで。

 西尾家は江戸時代、吹田村で上皇の所領地である仙洞御料方の庄屋を務めた旧家。広い敷地に玄関棟や居住棟、茶室、離れ、米蔵など江戸後期から大正にかけての和風住宅建築群が残っており、ひな祭りはその屋敷で伝統文化に親しんでもらう催し。

 主屋(しゅおく)の座敷に、男びな、女びなや三人官女らが京都の御所を模した御殿に座る豪華な「御殿飾り雛(ひな)」や段飾り、立ち雛などが飾られ、訪れた家族連れがボランティアの説明を聞きながら、興味深そうにひな人形をのぞきこんでいた。最終日の3日は、こども着物着付けや折り紙教室などの「ひな祭りイベント」が行われる。

1180名無しさん:2013/02/17(日) 15:29:10 ID:7qUqXZ120
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130217/20130217029.html
音楽に合わせ梅満開 大阪天満宮「水墨画奉納式」
2013年2月17日
 てんま天神梅まつりが開かれている大阪市北区の大阪天満宮で16日、水墨画奉納式が開かれた。小雪がちらつく境内で多くの参拝者らが足を止め、梅の木を主題にしたライブペインティングと、大正琴や朝鮮半島の民族楽器による生演奏の競演に見入っていた。

 梅を描いたのは水墨画家の李鴻儒(リコウジュ)さん。毎年梅まつり期間中に琴伝流大正琴の前垣友紀さんらとともに境内の特設ステージでパフォーマンスを披露している。

 10回目となる今年は、前垣さんらが「交響曲第9番」や「美しく青きドナウ」などのクラシックに日本の「赤とんぼ」や韓国の「アリラン」を交えた国籍にとらわれないプログラムを用意。李さんは巧みに筆を走らせ、約20分で縦約1・8メートル×横3・6メートルに梅の花が満開の水墨画をかき上げた。

 李さんは「雪も降り、まさに寒梅となった。今年もいい一年になりそうだ。おおきに」と笑顔。前垣さんは「さまざまな文化のコラボレーションということで、世界が平和と愛であふれることを願い演奏した」と話していた。

 水墨画は、李さんが明日まで境内で制作を続け、横10メートルの大作にして大阪天満宮に奉納する予定。

1181よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/18(月) 22:17:46 ID:aFTlbeEo0
「言葉難しいけど面白い」 子どもたちが能と狂言
2013年2月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130218/20130218023.html

 子どもたちに日本の伝統芸能である能と狂言に親しんでもらうイベント「こどもとたのしむ能狂言」が17日開催され、能が大阪能楽会館(大阪市北区中崎西)、狂言が大槻能楽堂(同中央区上町)で行われた。それぞれ舞台を鑑賞した後、能面体験やお囃子(はやし)ワークショップに参加し、日ごろ接する機会の少ない伝統芸能に触れていた。

 狂言が行われた大槻能楽堂は子ども約160人とその保護者らでにぎわった。参加者らは「仏師」と「附子」を鑑賞。「仏師」の田舎者と仏師と偽った詐欺師が仏像をめぐってやりとりする場面では、子どもたちも大きな笑い声を上げて楽しんでいた。

 お囃子ワークショップは笛、太鼓、小鼓、大鼓をそれぞれの指導者の下で挑戦していた。

 祖母の園田瑞穂さん(71)に「一度、体験してみれば」と誘われて参加した純平君(12)は「日本の昔の言葉で難しかったが、面白かった」と話していた。

1182よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/19(火) 22:24:46 ID:AbyIS1/g0
全国の梅酒が大集合=大阪〔地域〕 .
http://jp.wsj.com/article/JJ11194491127056024402517174038083411837867.html

 大阪市北区の大阪天満宮で、梅酒の日本一を決める「天満天神梅酒大会」が開催中だ。今年で7回目で、酒造メーカーは過去最多の227社が参加。梅酒部門に308銘柄、ユズやシークワーサーなどの果実酒を含むリキュール部門に165銘柄出品している。

 来場者が試飲し、各部門でおいしいと思う5銘柄を投票。上位10銘柄は、ソムリエや酒販店店主ら約20人が行う最終審査に進み、3月9日に各部門の日本一が発表される。

 大会実行委員で同志社大4回生の大江雄仁さん(22)は「日本各地の梅酒を知ってもらい、梅酒文化を発展させると共に、地域活性化を図りたい」と話す。

 大会は24日まで。入場料は700円で、制限時間内に好きなだけ試飲できる。

1183よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/20(水) 19:12:30 ID:4587/SvM0
浪華紙魚百景 

大商大商業史博だより

油方御改革ニ付御触書之写
2013年2月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130220/20130220037.html

将軍家御膝元の灯油供給

 昨年の夏は原発稼働が問題となり、計画停電が取り沙汰された。実際に関西で停電はなかったものの、電力危機に肝を冷やした方々も多かったことと思う。

 片や電気がなかった江戸時代、人々は灯明で明かりをとった。その灯明の油は菜種や綿実を原料とした。特に、幕府が置かれた大都市江戸では、都市の繁栄とともに夜間の生活に灯油は必需品となった。

 明治初年代の商業者に対して大阪商法会議所が行った聞き取り調査の記録には、「燈油(とうゆ)の如(ごと)き、江戸の需要欠乏するや、江戸商賈(しょうこ)は憤然として曰(いわ)く、将軍家の膝下(しっか)をして暗黒にするを欲するや」云々(うんぬん)という記述がある。これは、将軍を頂点とした武家社会においては、そのお膝元である江戸の灯火需要が最優先されるべきものであったことを物語っている。

 そこで、幕府は商品流通の中心都市であった大阪の油商人に特権的地位を与え、大阪の油市場から江戸への「下り油」の安定供給に心を砕いた。これによって江戸への灯油供給は「下り油」に依存することになる。

 特に「下り油」の生産管理が政治的に強化されたのは明和年間(1764〜72年)で、幕府は油生産機能を大阪に一極集中させようとしたが、灘目などでの絞油業の台頭を看過しえず、結局これらを容認し政治支配の中に組み入れることによって、末端商品である搾油レベルでの大阪への廻着総量の増加を図る。

 しかし一方で、地方の無許可での絞油業者の出現が、大阪への菜種や綿実集荷減少の原因となる。さらに、大阪周辺の菜種や木綿の生産農民からは、大阪の問屋の集荷独占による製油原料の買いたたきと販売独占による油小売価格の高騰に対する反対運動が起こる。

 行きつ戻りつしながら、幕府は次第に市場開放を行う方向で政策転換をしてゆく。そして、その行政改革の終着点が天保3(1832)年に出されたこの御触書であった。この改革では、大阪の内本町橋詰町に統一的な油寄所を設置した。また、江戸にも霊岸島に新たに取引のための油寄所を設置して、「下り油」のみならず、この時期台頭してきた関東周辺での製油の集荷も行った。

 しかし、江戸への灯油供給は依然として「下り油」への依存が見られ、先述の明治初年代の聞き取り調査の記述は、「町奉行は之を審査して大坂町奉行に移牒(いちょう)し、速やかに貨物の輸送あらんことを告ぐ。依(よっ)て大坂油商は之を決して猶豫(ゆうよ)するを得ず、百方周旋して積み送る事なり」と続けている。

 (大阪商業大学商業史博物館学芸員 池田治司)

1184よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/21(木) 22:08:27 ID:oh/YA7BM0
被葬者の棺を運んだ橋? 墳丘周濠から柱穴 堺・ニサンザイ古墳
2013.2.21 17:22
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130221/wlf13022117330018-n1.htm

 17代・履中(りちゅう)天皇や18代・反正(はんぜい)天皇の墓ともいわれる国内8番目の大きさの前方後円墳、堺市北区のニサンザイ古墳(全長約300メートル、5世紀後半)で、後円部東側の周濠(しゅうごう)から、橋脚か舞台の跡ともみられる多数の柱穴が見つかり、21日、市文化財課が発表した。

 周濠からこうした施設が見つかるのは全国で初めて。柱穴は、墳丘から周濠を渡るように長さ34メートル分が確認され、被葬者の遺体を運ぶための特別な橋か、葬送儀礼の舞台との見方も浮上し、天皇陵クラスの古墳祭祀(さいし)を考えるうえで貴重な資料になりそうだ。

 調査は、墳丘を囲む周濠のうち墳丘の中心線と一致する後円部東側で行われた。墳丘に接する部分で、幅12メートル、長さ4メートルの範囲に約20本分の柱穴が整然と並んでいるのが見つかり、舞台のような構造になっていた。さらに、舞台の中央部分から周濠をまたぐように、幅2メートル、長さ30メートルにわたって柱穴が橋のように並んでいるのが確認された。

 墳丘に接する部分だけ大きな舞台のようになっていたともみられるが、調査範囲が限られていることから、幅12メートルの大規模な橋だった可能性もあるという。市文化財課は「こうした構造物は前例がなく、将来的に全体像が解明できれば」としている。

1185よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/23(土) 07:06:46 ID:avopk44Q0
窯跡に大量の須恵器 豊中・桜井谷
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130223-OYT8T00095.htm

 古墳〜奈良時代(5世紀後半〜8世紀前半)の須恵器の生産地とされる豊中市の桜井谷窯跡群で、大量の須恵器が詰まった窯跡が見つかり、市教委が22日、発表した。窯跡は天井部が破損、何らかの理由で加熱中に崩れ、そのまま放置されたとみられる。専門家らは「壊れた窯を使い捨てできるほど周囲に多くの窯があったといえる。当時の一帯の生産規模を裏付ける」としている。

 調査は、昨年7月から同市宮山町の約1000平方メートルで実施。その結果、傾斜地で全長約10メートル、幅1〜2メートル、高さ1・4〜1・6メートルのトンネル状の窯跡が見つかった。中からは杯身(つきみ)、杯蓋(つきぶた)と呼ばれる丸い器(直径12〜16センチ)など、須恵器約120点が発見された。

 窯跡には、壁面や天井の破損を補修する粘土を塗りつけた指の跡などがあったが、天井が崩壊する大きな不具合があったため、この窯で焼くのをあきらめ、中の須恵器も取り出さずに放置したとみられるという。

 大阪大の福永伸哉教授(考古学)は「破損した窯の放置から一帯の窯業の規模の大きさが推測できる。継体天皇が国家的な生産地として育て、王権の基盤を充実させるのに使った場所だったのでは」と話している。

 現地説明会は3月2、3両日の午前10時〜午後3時。問い合わせは、平日に市教委地域教育振興室(06・6858・2581)へ。

(2013年2月23日 読売新聞)

1186よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/24(日) 16:54:00 ID:FYGl./F60
燃える炎 息災祈る 四天王寺「初庚申」
2013年2月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130224/20130224029.html

 えとの組み合わせで、約2カ月ごとに巡る庚申(かのえさる)の日にちなんだ信仰行事「庚申(こうしん)まいり」のうち、ことし最初の「初庚申」が23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)庚申堂で執り行われた。建設中の日本一の超高層ビル「あべのハルカス」を望む境内では、初庚申恒例の柴灯(さいとう)大護摩供も盛大に行われ、朝から無病息災などを祈願する参詣者らであふれた。

 同寺庚申堂は日本の庚申信仰発祥の地として知られ、本尊として除災無病の霊験を持つ「青面(しょうめん)金剛童子」が祭られている。

 護摩供では同寺僧侶のほか奈良県大峯山の修験行者らが奉仕した。丸木を組んだ大きな護摩壇の周囲には結界が設けられ、法弓や法剣といった清めの前作法に続いて点火。「病気平癒」「厄除開運」など、さまざまな願いが記された護摩木が高く燃え上がると、参詣者らは一様に手を合わせて所願成就を祈っていた。

1187よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/24(日) 19:18:48 ID:FYGl./F60
槍で突き倒し討ち取った…幸村の最期「新説」
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130223-OYO1T00612.htm?from=newslist

 大坂夏の陣(1615年)で戦死した武将・真田幸村の最期を記した覚書が、越前松平家に伝わる古文書集「松平文庫」(福井県立図書館保管)から見つかった。同家の家臣と槍(やり)で戦って討ち取られたと記されており、戦わずして自ら首を差し出したとの定説を真っ向から否定する「新説」だ。幸村の最期は他にも諸説があり、専門家は「400年たっても、謎が解けないのがいかにも幸村らしい」と関心を寄せる。

 覚書は大坂の陣に徳川方として参戦したのちの福井藩主・松平忠昌の戦功を記しており、福井市立郷土歴史博物館が昨夏、文献調査で発見した。

 文面では、幸村を討ち取った人物としてよく知られるのちの福井藩士、西尾仁左衛門が登場する。

 〈西尾が馬で敵中に入り、少し高い所に上がった時に「よき敵」と遭遇。互いに馬から下りて槍で戦い、突き倒し、討ち取った〉と記述。さらに〈夕方に(幸村の顔を知る)越前松平家の家臣、花形市左衛門兄弟が陣中見舞いに来て、討ち取った首が幸村のものとわかった〉とつづっている。

 当時は一騎打ちで名乗り合うことが多かったとされるが、身分が違う場合や相手が複数の場合は名乗らないこともあったという。

 幸村の最期は「もう戦う気はない。手柄にせよ」と、西尾仁左衛門に自ら首を差し出したとする逸話が最も知られており、徳川幕府の史料にも残る。

 大坂の陣に詳しい大阪城天守閣の北川央(ひろし)・研究主幹は「福井藩として、正々堂々と戦って討った首だと主張したかったのだろう。幸村には影武者がおり、大坂の陣では首が三つ見つかったとされる。さらに異説が出る可能性もあり、真相は今も謎だ」と話している。

 真田幸村 1567〜1615年。大坂夏の陣で徳川軍の本陣に迫り、家康を窮地に追い込んだとされ、「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれた。家紋は「六文銭」。幸村を題材にした物語は多く、大正期には忍者・猿飛佐助ら「真田十勇士」を従え、家康に挑んだとする少年向けの読み物が人気を博した。池波正太郎の歴史小説「真田太平記」は今も読み継がれるロングセラー。

(2013年2月23日 読売新聞)

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1189よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/25(月) 23:47:51 ID:JSyEk74o0
ひな人形ずらり 古民家彩る
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130225-OYT8T00060.htm

. 泉佐野市の市指定文化財「旧新川家住宅」(同市本町)で、「古民家のひな祭り」が開かれ、市民らから寄贈されたひな人形が展示されている=写真=。3月3日まで(月曜休館)の午前10時〜午後4時。無料。

 「季節の風物詩を楽しんでもらおう」と、NPO法人泉州佐野にぎわい本舗などが企画。今年は、市指定文化財「旧向井家住宅」(同市土丸)でも展示している(3月10日まで、月曜休館)。

 旧新川家住宅の会場には、江戸末期以降のひな人形約20組を展示。同NPOは「趣のある建物にずらりと並んだひな人形は圧巻。ぜひ見に来て」と呼びかけている。問い合わせは、同住宅(072・469・5673)。

(2013年2月25日 読売新聞)

1190よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/27(水) 20:24:10 ID:3ByVhhd.0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

浪速詰方日記
2013年2月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130227/20130227041.html

蔵屋敷が信仰の対象

 今回は第61回の続きとして、もう少し『浪速詰方日記』を紹介しよう。茶屋通いだけを取り上げられては、執筆者の大岡克俊も浮かばれまいから。

 江戸時代によらず、寺社参詣は楽しい遊山の一つである。大岡も大阪天満宮で流鏑馬(やぶさめ)を見たり、蔵屋敷出入りの商人たちを招いて船で天神祭の神幸を見物したり、御霊社の人形芝居を見物したりしている。

 そんな中、滞坂中必ず2、3度参詣するのが、「高松屋敷金毘羅(こんぴら)宮」だ。これは大阪の高松藩の蔵屋敷内に勧請されている金毘羅宮のことで、縁日は9、10日だが、参詣人は日ごろから絶えなかったという。

 『町史ことひら』第2巻によると、大阪蔵屋敷の金毘羅権現については、宝暦2(1753)年の記録があり、明和4(1767)年の記録には、もともとは「お蔵屋敷鎮守」のため建立されたものだが、参詣人は増え、そのうち百度参りなどをする者などで、「場所柄ゆへ以来外に障る」ようになり、ほこらは取り払われたとある。が、また天明6(1786)年に再建された。江戸上屋敷にも同様の御札守所があった。蔵屋敷自体が信仰や遊山の対象でもあったわけだ。

 福岡から大阪まで、大岡は下関を通って船で瀬戸内海をやってくる。その途上でいつも本宮の金毘羅さんへ参詣している。

 特に2度目の来阪、嘉永3(1850)年のときには、多度津で、風雨が激しくなり、港に繋留(けいりゅう)できなくなった。風のために船が石垣に押しつけられ、船頭や多度津の人々大勢で、石垣と船の間に大丸太を数本差し入れ、船を引っ張ってやっとのことで山の陰に繋留することができた。

 大岡は、これも兼ねてから象頭山に参詣しているおかげで、今回何事もなかったのは、「誠ニ神力之冥助いつれも有か(が)たく奉仰事」と書き記している。

 福岡から大阪に米を運ぶ場合でも難船はつきもので、航行の無事を祈れば、自然に信仰は篤(あつ)くなる。高松藩以外にも、丸亀藩にも金毘羅宮があり、広島藩蔵屋敷には厳島神社、宇和島藩蔵屋敷には和霊神社、大岡自身の福岡藩の蔵屋敷内にも大宰府天神があった。久留米藩蔵屋敷には水天宮があったが、その様子は「久留米藩大阪蔵屋敷絵図」(大阪歴史博物館寄託。現在同館で展示中)に見ることができる。

 ちなみに、高松藩蔵屋敷は現在のリーガロイヤルホテルあたりに、福岡藩のは阪神高速中之島入口辺にあった。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

1191よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/28(木) 06:27:48 ID:.8rveRDw0
住大夫さん「みんなの気持ちで修復」 文楽の祖 竹本義太夫の供養塔 修復抜魂式 大阪・四天王寺 
2013.2.27 21:35
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130227/ent13022721370013-n1.htm

 文楽の語り芸「義太夫節」の元祖、竹本義太夫(1651〜1714年)らの供養塔と墓石の修復のための抜魂(ばっこん)式が27日、大阪市天王寺区の四天王寺で文楽の技芸員らが参列して行われた。

 今年、300回忌を迎える竹本義太夫は江戸時代、道頓堀に芝居小屋「竹本座」を創設、近松門左衛門と組んで「曽根崎心中」など多くの名作を送り出した。同寺には、没後まもなく建立された供養塔や、二代目を襲名した竹本播磨少掾(はりまのしょうじょう)の腹帯(はらおび)を納めた石塔などがあるが、劣化が激しく破損や倒壊の危機にさらされていた。

 今年1月、事態を憂慮した技芸員らが「先人の墓石が自分たちの代で壊れてしまっては申し訳ない」と、修復資金のための追善公演を企画、国立文楽劇場(大阪市中央区)でも募金活動を行っていた。

 この日、抜魂式に集まったのは人間国宝の竹本住大夫さん(88)ら技芸員約30人。神妙に供養塔に手を合わせた住大夫さんは「義太夫さんは文楽の祖。みんなの気持ちで修復できるのはありがたいこと。これを機にもっと勉強して文楽を発展させていきたい」と話した。

 7月中旬に修復を終え、8月に開眼式を行う予定。

1192よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/28(木) 20:06:10 ID:YYuOOeJ20
香り、色よく 大阪天満宮「大盆梅展」
2013年2月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130228/20130228025.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で恒例の大盆梅展が開かれ、樹齢100年を超える古木など紅白の大作約40点が大勢の来場者の目を楽しませている。3月10日まで。

 同宮の祭神・菅原道真公が梅をめでたことにちなんで開催されており、今年で10回を迎えた。境内の参集殿では奈良県桜井市の園芸業者「大香園」が作り上げた多彩な盆梅の数々を公開中。人の背丈よりも高い「玉垣」(樹齢約150年)のほか、天草野梅(同200年)や青軸野梅(同100年)などが咲きそろい、芳しい香りを漂わせながら趣ある会場を色よく飾っている。

 また今回は10回記念として、平安中期に天神信仰が起こった当初は松が天神の象徴であったことから、樹齢約100〜250年のクロマツの盆栽も併せて展示。カメラを手に訪れた人々が梅と松のコントラストを堪能していた。午前9時半〜午後4時半(入場は同4時)。

1193よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/02(土) 06:44:20 ID:7CrNPO5k0
大阪大空襲で中止 不戦誓う68年後の卒業式  
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130302-OYT8T00070.htm
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 1945年3月の第1次大阪大空襲で、国民学校の卒業式を迎えることができなかった人たちに卒業証書を贈る「幻の卒業式」が3日、大阪市中央区の「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)で開かれる。「生きて証書を受け取れることに平和の大切さをかみしめている」。参加する戦争体験者2人に、思いを聞いた。(増田尚浩)

 

 第1次大阪大空襲は、1945年3月13日深夜から14日未明にかけてあり、B29爆撃機274機が大阪市中心部に大量の焼夷(しょうい)弾を投下。約4000人が亡くなり、同市内だけで約13万6000戸が焼失した。同センターによると、14日は同市内の国民学校259校が卒業式を予定していたが、多くが中止になったという。

 幻の卒業式は、同センターが2011年に始めて3回目。これまでに計33人が参加した。

 今年は5人が参加を予定。同市天王寺区の生魂国民学校(現・生魂小学校)6年生だった植本浩子さん(80)=奈良県王寺町=もその一人だ。

 式前日の13日、植本さんは同区内の自宅で空襲警報が鳴り響くのを聞いた。激しい爆音に、至る所から上がる火の手。炎が夜空を照らす中、家族5人で知人宅に避難したが、後で見に行った自宅は、焼けて跡形もなくなっていた。

 14日の式は中止され、植本さんもその後は家族と一緒に柏原市内に移ったため、同級生たちとは離ればなれに。植本さんは「空襲で多くの人が命を落とした。こうして『卒業式』を迎えられるのは、本当にありがたい」と涙を浮かべ、「孫たちには、こんな思いはさせたくない。二度と戦争はしてはいけない」と語る。

 山田英雄さん(78)=大阪市都島区=は、68年前の卒業式に出る予定だった2歳上の姉、照子さんの代わりにと、出席を決めた。

 当時、山田さんは島根県に疎開中。堀江国民学校(現・堀江小学校)6年生だった照子さんは、卒業式に出席するため疎開先から同市西区の自宅に帰っていたが、照子さんらきょうだいと両親の家族9人が空襲の犠牲になった。

 山田さんが家族の死を知ったのは、その2か月後。自宅の焼け跡を訪れ、親族から告げられた。「俺だけ残して9人が逝ってしまったのが寂しくて。頭の中が真っ白になり、泣き続けた」

 照子さんは手をつないで遊びに連れて行ってくれるなど、弟思いの優しい姉だった。山田さんは「卒業式を楽しみにしていたはず。いつかあの世で会った時に、卒業証書を渡してあげたい」と話す。

 3日は午後1時30分から。空襲被害の記録写真を使った講演も行われる。問い合わせは同センター(06・6947・7208)。

(2013年3月2日 読売新聞)

1194よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/03(日) 05:30:58 ID:W5qWiync0
大阪ロマン紀行

地元に愛される狸坂の古狸
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2013年3月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/130301/20130301063.html

狸坂大明神(中央区神崎町南大江公園内)

 町の公園内に、無人だがきちんと掃除されていて、誰かが日々手入れしている神社や祠(ほこら)が、大阪にはけっこうある。そんな神社のひとつが、中央区の南大江公園内の狸坂大明神(たぬきざかだいみょうじん)である。

 狸坂というのは、南大江公園の南の道をまっすぐ堺筋に下りている坂道のことだが、昔は少し南にあったらしい。狸坂大明神も区画整理のため現在の公園内に移転した。

 このへんは昔から紙屋が多く、火事を最も恐れ、実際に火事が多発したこともあり、昭和41(1966)年ごろから狸坂大明神で火災封じを祈願するようになった。

 祀(まつ)られている狸がどのような狸なのか興味深いが、これといった資料がない。ただ、江戸時代初期にすぐ近くの粉川町(こかわちょう)に住んでいた、古林正温(ふるばやししょうおん)という名医の逸話にこんなのがある。

 ある日の深夜。古林正温を訪ねて奇妙な童子がやってきた。橋の上で魚をひろい食いしたら腹が痛くなった。先生、どうか助けてください、でも、お金がないのです、と涙ながらに訴えるのだ。

 正温は日頃から、金のない人からは診察の料金をいただかないでも診るという医者だったので、診察して薬を渡すと、童子は喜んで帰っていった。

 数日して、毛だらけの大男がやってきて、先生のおかげで治りました。このご恩は一生忘れませんと言って、お礼に不思議な踊りを踊って消えたという。この童子が実は狸だったのだ。これが、ひょっとしたら狸坂にいた古狸なのかもしれない。

 また、南大江公園は、それ自体、朝日神宮社という神社があった場所で、明治40(07)年に此花区に移った。公園の規模からいって、けっこう大きな神社だったのだろう。

 神社というのは、そもそも宗教というより土地の人々の拠(よ)り所(どころ)としての役割が強い。それが無人でも土地の人々が愛し、お世話するという伝統につながっている。狸坂大明神も毎年、5月28日に地元の住民たちで火除(よ)け祭を行い、子供たちにはお菓子も配られる。

 日本は神主よりも神社の数の方が圧倒的に多い。それは村や地域が育んできた協同体のシンボルでもある。このように公園の一角に神社があり、木々がこんもりあると公園全体の空気がすがすがしく感じる。それこそ場と心の浄化装置である。

 狸坂大明神からは公園全体が見渡せる。狸坂の狸は今も、公園で遊ぶ子供たちを見守って、ニコニコしているにちがいない。

1195よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/03(日) 05:40:52 ID:W5qWiync0
竹内街道1400年 役割変われど往来途切れず
2013.3.2 15:11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130302/wlf13030215120019-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130302/wlf13030215120019-n2.htm

 飛鳥時代の大和(奈良)と河内(大阪)を結んだ日本最古の官道「大道(おおじ)」が整備されて、今年で1400年を迎える。国境の竹内峠を越えることから竹内(たけのうち)街道と呼ばれ、初期の「外交の道」から経済、信仰、観光の道へと役割を変化させた。その道筋には、いまも古今の旅人の歴史が詰まっている。(川西健士郎)

 日本書紀をひもとくと、推古天皇21(613)年に、「難波より京に至る大道を置く」という記述がある。海上交通の起点だった難波の港(大阪市)と飛鳥(奈良県明日香村)を結ぶいわば最初の「国道」だ。

 沿道の大阪府太子町には、聖徳太子や推古天皇が眠る「王陵の谷」や、西域のシルクロードを連想させる奈良時代の石窟寺院跡などの遺跡が残る。遣隋使や外国の使節は、巨大古墳や美しい寺院を眺めながら都に向かったのだろう。

 考古学者の水野正好さん(78)は「国家が管理する倉や馬舎が一定間隔にあった。渡来人や軍隊、聖徳太子も通った広く、きらびやかな道だったことでしょう」と想像する。

 中世になると、聖徳太子が発見を予言した「予言石」が叡福(えいふく)寺境内の聖徳太子廟で発見されたことをきっかけに、太子信仰の巡礼者が大勢訪れる。自治都市として栄えた堺と大和を結ぶ経済の道としてもにぎわった。江戸時代には、西国三十三カ所巡りやお伊勢参りの旅人も盛んに往来するようになった。

 このころ旅人を奪い合う争いがあったことが、近年の研究で明らかになった。

 当時、竹内峠の東西の村に、旅人が一夜を明かす旅籠(はたご)街があった。ところが西側の山田村(現・太子町)が、竹内街道から分岐し、観光名所の当麻(たいま)寺につながる「岩屋道」を整備した。「できるだけ山田村に一泊してもらい、翌日に当麻寺観光を楽しんでもらう旅行ツアーを開発したという感じでしょう」と、太子町立竹内街道歴史資料館の鍋島隆宏学芸員(43)は解説する。

 この“ツアー”が当たり当麻寺に人が流れたため、東側の竹内村の旅籠から客足が遠のいたとして、竹内村が奉行所に窮状を訴えた訴状が、旧山田村から見つかった。奉行所は、岩屋道との分岐点に置かれていた旅人を当麻寺へ誘導する石の道標(みちしるべ)を撤去するよう裁定を下した。

 その道標は分岐点より手前の山田村に移されたが、かわりに「(当麻寺へは)是ヨリ十三丁程東」の文字が新たに刻まれた。「井関の道標」として資料館の近くに立っており、全国的にも例のない“予告する道標”として、ユニークな歴史を伝えている。

 1400年を記念し、沿道12市町村では3〜11月にさまざまなイベントが企画されている。鍋島さんは「歴史の深みを肌で感じられるのが竹内街道の魅力。知恵と工夫で村おこしをしてきた先人を見習い、観光を盛り上げたい」と話している。

1196よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/03(日) 22:25:30 ID:ckeyGACg0
伊能忠敬らも宿泊、「郡山宿本陣」が特別公開 茨木で10日まで
2013.3.3 14:11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130303/wlf13030314120024-n1.htm

 江戸時代、日本地図を作った伊能忠敬(ただたか)や「忠臣蔵」で知られる赤穂(兵庫県)藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)ら歴史上の人物も宿泊した茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿本陣」で2日、春の特別公開が始まった。

 同本陣は江戸時代、参勤交代などで西国街道を通る大名らが利用した宿舎で、母屋、門、米蔵、納屋、茶室などが残る。大きなツバキの木があることから別名「椿の本陣」と呼ばれる。

 宿帳が保存され、伊能忠敬らのほか、長州(山口県)の高杉晋作が組織した奇兵隊幹部の宿泊などが記録されている。

 この日は、17代目当主、梶(かじ)洸(たけし)さん(90)らが講演、訪れた人たちは全国に残る本陣の実態などを熱心に聞いていた。

 10日まで。無料。問い合わせは、同本陣((電)072・643・4622)。

1197よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/03(日) 22:30:28 ID:ckeyGACg0
兼好の碑 生かせ 関連遺構集まる寺に移転へ
2013年3月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130303/20130303020.html

 大阪市阿倍野区の聖天山公園内に鎌倉〜南北朝時代の歌人、吉田兼好(1283〜1350)がこの地で隠居生活を送っていたことを顕彰する碑がある。1983年に設置されたその碑石が、隣接する海照山正圓寺(同区)の境内へ移されることになった。境内には、当時の生活で用いたとされる「藁(わら)打ち石」など兼好にちなんだ遺構や碑が複数点集合しており、辻見覚彦住職(45)は「地域の財産が新たに加わり、ようやく一つの形になった」と喜んでいる。

 随筆「徒然草」の作者として知られる兼好だが、阿倍野で隠せいしていたことは知られていない。この地で庵(いおり)を結んだのは、南北朝の争乱の中、大阪で討ち死にしたとされる北畠顕家(1318〜1338)を慰霊するためであったという説があり、下男・命婦丸(みょうふまる)の郷里であったことにも起因しているという。

 クスノキの大木の下でひっそりとたたずむ碑石には、元東大寺管長、清水公照氏の書による「徒然草」の序文などが刻まれており、傍らにはこの地を訪れた松尾芭蕉の門人、服部嵐雪による句碑も残る。しかし、人目に触れることなく、表示もないなど地域資源として生かし切れていなかったことが懸念の一つだった。

 辻見住職によると、同寺は飛鳥時代に起源を持つ阿部寺(廃寺)の塔頭(たっちゅう)であったとも伝えられ、現在の形になったのは江戸中期の元禄年間とされる。1950年の文化財保護法の施行以前から歴史的遺構が散在しており、集積は「歴史をいびつにしてはいけない」という先代の懸案でもあったという。

 同公園があり、碑石の設置者でもある丸山連合振興町会では、理事会で移設に満場一致の賛同を得た。周辺には丸山古墳や松虫塚があり、近代では文豪・織田作之助のゆかりの地としても知られ、同町会の衣斐雅一会長(56)は「丸山って古いんやな、と感じてほしい」と地域活性化に期待している。

 4月7日には、移設を記念して式典を実施する。大阪府立大学の西田正宏地域連携研究機構教授(学芸史)による講演も行われる。

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1209よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/11(月) 19:40:58 ID:DylJri4M0
江戸時代の“起こし絵図”展
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130311/3058711.html?t=1362997251093

茶室などの建物の構造を紙を張り合わせて実物そっくりに再現した、「起こし絵図」と呼ばれる江戸時代の立体的な図面の展示会が大阪市内で開かれています。
起こし絵図は台紙に平面図を描き、その上に内部の様子を描いた厚手の紙を張り合わせて模型のように立体的に組み立てることができるものです。
大阪・北区の大阪くらしの今昔館では江戸時代に大工頭を務めた中井家に伝わる起こし絵図など、国の重要文化財を中心に約100点が展示されています。
このうち茶の湯を大成した千利休が建てたと伝えられる京都・東山の高台寺の傘亭と呼ばれる茶室の起こし絵図は土間から一段高くなった床の立体的な構造や、かまどの配置、部屋の上に張り渡された自然の姿に近い木材の様子などが詳細に記されています。
また、京都の大徳寺にあった茶室の起こし絵図は実物が東京に移築されたあと、関東大震災で焼失したため、現存しない建物の構造を知る上で貴重な資料となっています。
こうした起こし絵図は江戸時代に大名や著名な寺の僧侶などの求めに応じて作られ、今回のようにまとまった形で展示されるのは珍しいということです。
この起こし絵図の展示は来月7日まで、大阪くらしの今昔館で行われています。

03月11日 12時25分

1210よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/11(月) 20:56:20 ID:DylJri4M0
七代目文都襲名公演前に 天満宮で成功祈る
2013年3月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130309/20130309029.html

 月亭八方さんの二番弟子で、古典だけでなく創作落語にも取り組む落語家、月亭八天さんが「八天改メ七代目月亭文都襲名披露公演」(19日、なんばグランド花月)を前に8日、大阪市北区の大阪天満宮で同公演の成功を祈願し、飛躍を誓った。

 113年ぶりの復活となる大名跡の襲名を控え、八方さんをはじめ遊方さん、八光さんら一門で成功を祈願。八天さんは「八天の天は天満宮の天。文都の襲名にあたり、八天の名前を奉納、お返しするような気持ちで参拝した。当分は八天を永久欠番にし、文都を継がせて頂きたい」とあいさつした。

 「あと10年早かったら自分が襲名したかったという師匠の気持ちを1年かけて受け継いだ」と、師匠と行動を共にしてきた1年を回顧。八方さんは「公演では力いっぱい頑張ってもらいたい。大名跡だが、あまり名前の大きさを意識せず、今まで通り、老若男女に親しまれる落語家になってほしい」とエールを送った。

1211よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/11(月) 21:11:40 ID:DylJri4M0
しらうめの庭が優勝 天満天神梅酒大会表彰式
2013年3月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130310/20130310044.html

 日本一の梅酒を決める品評会「第7回天満天神梅酒大会2013」(同実行委員会主催)の表彰式が9日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれ、梅酒部門では白糸酒造(福岡県)の「しらうめの庭」が優勝した。

 同大会は梅酒文化を振興しようと実施。梅酒部門とリキュール部門の2部門を設け、各部門で優勝と知事賞、大阪市長賞を決める。

 2月に開かれた大会には全国から酒造会社が集まり、梅酒308銘柄、リキュール165銘柄を出品。審査は、来場者らの投票約5万1千票を踏まえ、上位の銘柄をソムリエら審査員が評価した。

 「しらうめの庭」は、大吟醸に南高梅を漬け込んで醸造。シニアソムリエの古川豊明審査委員長は「日本酒の香りが深く印象に残り、味わいはすっきり。新しい日本の梅酒を感じさせる」と講評し、同社の田中信彦社長(59)は「今後も精進していきたい」と喜んでいた。

 また、リキュール部門では小林酒造(栃木)の「鳳凰美田完熟もも」が優勝。日本酒を使っている点を踏まえ、小林正樹専務(43)は「リキュール愛好家に日本酒も味ってもらえるようになれば」と思いを語っていた。

 他の受賞銘柄は次の通り。

 【梅酒】知事賞=篠崎(福岡)「馬路村のゆず、はじめました。ゆず梅酒」▽市長賞=明利酒類(茨城)「梅香 百年梅酒プレミアム」

 【リキュール】知事賞=北島酒造(滋賀)「塩ゆず」▽市長賞=稲田本店(鳥取)「二十世紀梨のお酒」

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1219名無しさん:2013/03/12(火) 19:20:30 ID:K7PqwZMI0
産経新聞本日掲載「司馬作品で読む日本史」
 徳川政権は政治を江戸へ持って行ったが、経済だけは大坂に残した。大坂が流通の全国的中心であるということを奪えば徳川の天下は大混乱を起こし、経済の面で崩壊することを恐れたからであり、豊臣家の経済構造はそこまで成長していた。
言い換えれば徳川時代を通じ、政治は徳川方式であったが、経済は豊臣方式のままであり、これは幕府の瓦解まで続く。大阪人がいまだに千成瓢箪を尊崇するのはそういうことにある。
 (前略)銀本位の通貨を取ったのは(確率はしなかったが)豊臣政権であり、徳川時代に入っても大阪はそれを改めず、ついに徳川時代を通じて大阪圏は銀本位体制であった。江戸は金本位である。このため徳川期の通貨は金銀の二本立てと言う奇妙な形となった。
 
 ついでながら銀の尊貴さは金に接近していた。日本だけがそうであった。幕末、大坂が受けた大打撃はこのことにあっただろう。安政条約によって国際的な金銀の率が入ってきて、外国商人は金貨を欲し、銀貨を欲せず、さらには日本独自の銀の価値を当然ながら認めなかった。
銀をふんだんに保有してた大坂経済がにわかに衰亡するに至るのはまずこれが第一波であった。豊臣政権がのこした最後のものがほろびたのはこれがためであり、いわば開国は大坂にとって第2の夏の陣であったと言っていい。
=全集32『歴史を紀行する』(文芸春秋)

因循姑息でいると来るTPPに対処できないってか?

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1223名無しさん:2013/03/14(木) 18:21:51 ID:pSZno9go0
井山裕太本因坊、初の棋聖を獲得…史上初の六冠
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130314-OYT1T00947.htm?from=top

 囲碁の第37期棋聖戦七番勝負(読売新聞社主催)、張栩棋聖(33)と挑戦者、井山裕太本因坊(23)の第6局は13日、静岡県伊豆市の「玉樟園新井」で2日目が行われ、井山本因坊が先番中押し勝ちし、シリーズ4勝2敗で初の棋聖を獲得。

 天元、王座、碁聖、十段と合わせて、七大タイトルのうち六つを占め、史上初の六冠となった。最年少での七大タイトル制覇も達成した。
(2013年3月14日17時14分 読売新聞)

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1231よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/17(日) 14:04:51 ID:nvfKujBc0
重文住宅所蔵の人形 初公開 吹田
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130317-OYT8T00091.htm

 吹田市内本町の重要文化財「旧西尾家住宅」に所蔵されている人形などを初めて公開する特別展「西尾家に伝わった人形たち」が16日、同住宅で始まった。4月7日まで。無料。

 明治時代に建てられた同住宅は2009年、国の重要文化財の指定を受けた。敷地内の蔵に納められていた人形などは非公開だったが、市立博物館の学芸員らが制作年代などを特定し、公開に踏み切った。明治中期から昭和初期にかけて作られた京都市の名高い人形師、四世大木平蔵が作ったひな人形や五月人形のほか、太刀などの器物計約50点が紹介されている。

 江戸時代に貝合わせの遊び道具として使われた2枚貝約50組も展示。貝の内側に金箔(きんぱく)や絵の具で平安時代の貴族の暮らしぶりが色鮮やかに描かれており、訪れた人々は顔を近づけるなどして、見入っていた。同市佐竹台、主婦湯川照子さん(65)は「貝の中の絵がすごくきれい。華やかな時代の様子が伝わる」と話していた。

(2013年3月17日 読売新聞)

1232よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/17(日) 14:13:07 ID:nvfKujBc0
特別展:「天下の城下町 大坂と江戸」 二つの城下町、対比させながら−−大阪歴博
毎日新聞 2013年03月14日 大阪夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130314ddf012040009000c.html

 特別展「天下の城下町 大坂と江戸」が、大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で開かれている。絵画や古文書、考古資料など約400点を通し、二つの城下町を対比させる試み。

 天下人による本格的な城下町は豊臣秀吉が造った大坂が最初で、徳川家康が征夷大将軍に就いた後は江戸へと移る。だが、大坂城は徳川幕府によって再興され、大坂の町は「天下の台所」として発展する……。そうした流れがつかめる。

 大坂は町人の町。徳川政権下の大坂城の普請でも、町人が諸大名を支えたことを記す古文書類も並ぶ。諸藩が米や特産物を売るために設けた邸宅・倉庫が蔵屋敷。発掘調査で出土したミニチュア土製品(像)の数々(江戸後期)も紹介している。布袋やサルなど多様。用途はよく分からないが、流通基地の意外な一面を浮かび上がらせる。

 25日まで(火曜休館)。同館(06・6946・5728)。【渡辺亮一】

1233よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/17(日) 14:24:50 ID:nvfKujBc0
「文楽 劇場に来て」百貨店でPR…大阪
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130317-OYO1T00220.htm?from=main3

 人形浄瑠璃文楽の演者らが16日、大阪市北区の阪急百貨店梅田本店で、大阪・国立文楽劇場の4月公演(6〜29日)をPRするミニ出張公演を行った。

 ホールなどを備えた〈劇場型百貨店〉をうたう同店が、文楽協会側に呼びかけて実現した。人形遣いの桐竹勘十郎さんら15人が、9階祝祭広場で名作「義経千本桜」の一場面を上演。店内を巡ってチラシも配り、同劇場への来場を呼びかけた。

 同劇場の入場者数に連動して、協会への補助金を増減する大阪市の新制度は、4月公演分からが対象となる。この日は2公演を延べ約1000人が観劇した。

(2013年3月17日 読売新聞)

1234よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/18(月) 20:51:00 ID:e99SF7m.0
境内に文化の薫り再び 御霊神社、多彩な催し好評
2013年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130318/20130318028.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれ、かつて境内に文楽の劇場が開かれたことで知られる大阪市中央区淡路町4丁目の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)。都心に広がる緑豊かな境内は日ごろから参拝者が絶えないが、近年では各種催しの会場としての利用が相次ぎ好評を得ている。文化の中心地としてとりわけにぎわった、かつての境内の風景を現代に再現しようと神職らが活用法に知恵を絞る。

 人形浄瑠璃の劇場「御霊文楽座」は1884(明治17)年に開設。1926(大正15)年の火災で焼失するまでの約40年間にわたり近世文楽の全盛期を彩った名所だ。跡地には神社創建1100年記念事業の一環として98年に儀式殿(約200人収容)が建った。「ゆかりの地で、にぎわいの歴史を受け継いで地域活性化に役立てたい」という園宮司の思いから、神事や結婚式と重ならない日に無料で貸し出している。

 これまでに能や雅楽、日本舞踊、落語、文楽といった格調高い伝統芸能が多数公演されており、場所柄「縁起がいい」「運がついた」と出演者にも好評。口コミで利用の申し出が増え、今後も多くの催しが予定されている。東日本大震災から2年目となった11日にはライア(竪(たて)琴)の歌姫として知られるマリアスさんらが境内を訪れ「水の神 瀬織津姫に捧ぐ平和への祈りの響きと舞」を奉納した。

 園宮司は「もともと神社は人々のよりどころだった。疎遠になった人と人を結びつけるのも神社の務め」と尽力し、総合的な地域のにぎわい再興に期待を寄せる。

 5月24日には境内でハイクオリティーな手作り雑貨のブースが多数並ぶ市場「グランデマルクト」の開催も予定されている。

 問い合わせは電話06(6231)5041、同神社へ。

1235よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/18(月) 22:50:11 ID:e99SF7m.0
五穀豊穣、産業繁栄 住吉大社「神米」お供え
2013年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130318/20130318031.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で17日、五穀豊穣(ほうじょう)と産業の繁栄を祈る「祈年祭」が執り行われ、参列者が玉串をささげるなどした。

 「としごいのみまもり」とも言われ、重要な大祭の一つ。境内にある御田で前年に収穫した神米の種をお供えし、1年間の豊穣を祈願する。この種は御田植神事の苗になる。

 真弓宮司が祝詞の奏上を行った後、御田講の山本英夫さん(86)らが代表して玉串を奉納。巫女(みこ)による神楽(神降・熊野舞)がささげられ、参列者とともに、居合わせた参拝者も興味深そうに見入っていた。

 山本さんは「きょうは暖かくいい天気でよかった。(御田は)今はレンゲがきれいに咲いている」と、6月の御田植神事を楽しみにしている様子だった。

1236名無しさん:2013/03/19(火) 02:01:47 ID:g4vavN2Q0
「泉布観」3年ぶり一般公開 ふるさと納税活用
2013年3月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130317/20130317030.html

 大阪市は、国重要文化財(重文)の洋風建造物「泉布観(せんぷかん)」(北区天満橋1丁目)の補修工事を終え、29〜31日の3日間、3年ぶりに一般公開する。4月12日からは同エリアの旧桜宮公会堂が結婚式場やレストランとして利用開始。泉布観の南側には「桜の通り抜け」でおなじみの造幣局もあり、春本番を前に、関係者は大阪の新しいにぎわいスポットとして期待を寄せている。
国重要文化財に指定されている泉布観(大阪市提供)

 泉布観は、造幣局の応接所として1871(明治4)年に建築。れんが造りでベランダを建物全体にめぐらすなど、幕末から明治期の日本の洋風建築の特色を色濃く残し、1956(昭和31)年に国重文に指定された。

 施設の老朽化に伴う工事のため、一般公開は2010年3月で一時中断。工事費の1億500万円はふるさと納税を活用した寄付によって全額賄い、屋根瓦や外観塗装、外観補修やライトアップ設備を整えた。

 旧桜宮公会堂は市民の寄付などにより明治天皇記念館として1935(昭和10)年に建築。正面玄関部分が国重文に指定されており、市立図書館やギャラリーとして活用されてきた。

 リニューアル後はブライダル業者のノバレーゼが管理。1階にレストラン、2階に式場を配し、レストラン部分は結婚式がない平日は一般も利用可能になるという。

 橋下徹市長は「多くの方々から多額の寄付を頂き本当にありがたい。水都大阪の象徴的な拠点になると思う」と話していた。

 泉布観の一般公開は午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。観覧無料

1237よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/19(火) 05:35:13 ID:G/zsG6zE0
箕面を訪れた有名人 足跡紹介する企画展 市立郷土資料館 大阪
2013.3.19 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130319/osk13031902000000-n1.htm

 箕面市を訪れた有名人の足跡を書物などの資料とともに紹介する企画展「大阪の奥座敷みのお〜訪れた有名人たち〜」が、同市箕面の市立郷土資料館で開かれている。5月13日まで。

 会場では、明治時代の首相、桂太郎が訪れた際に書いた掛け軸や、かつて箕面公園内にあり作家の夏目漱石も訪れた保養施設「朝日閣」の看板など約30点を展示。少年時代に箕面山に昆虫採集に訪れていた漫画家の手塚治虫ゆかりの資料なども展示されている。同館は「箕面は古くからの観光地。展示を見て魅力を再発見してほしい」としている。

 開館は午前10時〜午後5時。木曜休館。入場無料。問い合わせは同館((電)072・723・2235)。

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1239よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/20(水) 20:51:12 ID:Fp/3mRvc0
江戸時代のペーパークラフト 「茶室起こし絵図展」
2013年3月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130319/20130319054.html

 「重要文化財 中井家伝来 茶室起こし絵図展〜江戸時代のペーパークラフト〜」が大阪市北区天神橋6丁目の大阪くらしの今昔館で始まっている。茶室の起こし絵図を通じて茶の湯の文化の変遷がたどれる。4月7日まで。

 起こし絵図は、実測して作った平面図の上に厚手の紙を張り合わせて作った寺社や茶室などの立体模型。観賞用として、大名や天台座主といった僧侶らの依頼で作られていたと考えられている。

 中井家は、大坂城の建築などに携わった江戸時代の大工頭。小堀遠州や古田織部など茶人からの書簡や茶伝書から、茶人と交流を深めていたことが分かる。

 会場では、重文「大工頭中井家関係資料」に含まれる約20点の起こし絵図と80点の関係資料を展示し、茶湯の文化の変遷をわび茶の祖村田珠光の時代から起こし絵図とともに紹介している。実際の寸法で再現したセットもあり、天井や屋根の仕様、間取りなど起こし絵図に詳しく記されたメモが観察できる。

 茶室のなかには、災害などにより焼失したものや現存していても改修、改築により姿を変えたものもあり、担当学芸員は起こし絵図の資料的価値について「オリジナルの姿が知れる貴重な資料」と説明している。

1240よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/20(水) 21:07:44 ID:Fp/3mRvc0
“新”寺院を提言 光聖寺住職の秋田光哉さん
2013年3月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130320/20130320036.html

 光聖寺(天王寺区生玉寺町2)の住職で蓮美幼児学園(同)の園長、秋田光哉さん(52)が新書判「社会事業による寺院の再生−MBA僧侶の挑戦」を出版した。「宗教儀式だけが僧侶の仕事ではない」と言う秋田さんが、自身が経営する蓮美幼児学園での経験を基に、新たな寺院の社会事業のシミュレーションを提言している。

 秋田さんは1988年、檀(だん)信徒も少ない、尼僧が守っていた光聖寺に縁あって入り、94年に住職に就任。「社会貢献できる寺院にしたい」との熱い思いから、「蓮美幼児学園」を設立。現在は関西や東京で乳幼児教室や東京都認証保育所を運営。2005年には光聖寺が母体となり、認可保育所を大阪と東京で運営している。乳幼児教育施設は“関西のカリスマ保育園”として知られ、乳幼児を預ける保護者から信頼を寄せられている。

 本書は宗教法人の社会事業のあり方をより深めたいと、秋田さんが07年4月に立命館大大学院経営管理研究科に入学し、経営修士(MBA)を取得した修士論文を書籍化した。

 書籍では檀家の減少、信心の低下、葬儀や墓地の多様化、寺院経営の困難さを著した第一章「寺院を取り巻く現状」から「宗教法人(寺院)の会計と優遇税制」「大阪・生玉 光聖寺の再興計画」「社会事業への目覚め」「寺院の社会事業のケーススタディ」「新たな寺院の社会事業のシミュレーション」−の六章で構成。自ら社会事業で寺院再生を実践した事例を紹介し、いかに社会と結びつき、就労支援、福祉葬儀、福祉墓地、子育て支援、地域社会へのサービスなど社会貢献ができるのか、その事業が自主自立の精神で継続できるかを綴(つづ)っている。

 秋田さんは「経済的に自立し頑張ってやろうと、今日まで歩んできた。広く公益となるであろうさまざまな社会事業も、宗教法人の取り組むべきことがらだと強く思っている」と話している。

 発行は中外日報社、新書判208ページ、945円(税込み)。

1241よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/20(水) 21:13:02 ID:Fp/3mRvc0
浪華紙魚百景 

大商大商業史博だより

満津里俄貮篇
2013年3月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130320/20130320046.html

歌舞伎を題材の「にわか」

 先日から4月の文楽の公演ポスターを最寄りの駅や大阪の地下鉄の駅中で見掛ける。夜の部は『心中天網島』の通しが楽しみだが、昼の演目のうちの一つに歌舞伎の演目としても人気の『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』が入っている。

 乳母・政岡がわが子を犠牲に若君を毒殺から救う「御殿の場」は、彼女の息子千松が殺される衝撃的な場面はもちろん、政岡が若君と息子に食べさせる「まま」を御殿で自ら、しかも茶の湯の作法で料理する場面は、「腹が減ってもひもじうない」という千松のセリフとともに見せ場の一つ。こういう動作をしっとり見せるところに文楽や歌舞伎の良さがあり、それが緊迫した場面を盛り上げる。

 文楽公演に合わせて、今回は第20回で紹介した江戸時代のコントの一種「俄(にわか)」を集めた『満津里俄(まつりにわか)』から「政岡」を題材にした「習うに慣れ」を紹介しよう。

 「習うに慣れ」は、もちろん「習うより慣れ」が正しい。「あらたまって習うより、自然になれる方が効果がある。学んで覚えられないこともなれれば自然に知ることができる」と日本国語大辞典にある。「習うに慣れ」とは、逆に「自然に知るより習いなさい」ということになろうか。

 こちらの政岡は、鶴千代(文楽では鶴喜代)を守るため御殿でご飯を炊きながらぼやくのだ。給金は安いし、第一、1人や2人の場合は茶道具でお米を炊けても、大勢の場合は「政岡のままにあわん」。ここに「マサカのマにあわん」とルビが振られており、これがオチで、「まさかの間に合わない」と、損益が釣り合わない意味の「間尺に合わない」の両方が掛けられている。

 たくさんのご飯を普通に炊くのでは政岡の「まま」に合わないが、題の「習うに慣れ」とどうつながるねん。間尺に合わん。なるようになれ、だ。

 そういえば、以前に坂田藤十郎の政岡を見たのだが、その日は用事で開演時間に遅れてしまった。劇場に入った途端、内掛けの褄(つま)を両手でしっかり持ってすっくと立った赤い着物の藤十郎ににらみつけられた。そんな私には、烈女の政岡より、給金が安いとぼやくこちらの政岡の方がしっくりくる。

 とはいえ、今年の文楽公演も千客万来でありますよう。いやさかいやさか。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

1242よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/24(日) 20:07:16 ID:zrcSVFCI0
鋳物の歴史学ぼう あす、堺で映画など上映
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130323-OYT8T00170.htm

 堺市美原区の市立みはら歴史博物館で24日午後1時から、鋳物の歴史を学ぶイベント「鋳界(ちゅうかい)まんだら」が開かれる。参加無料。

 同区は、平安時代末期から室町時代に全国に鋳造技術を広めたとされる河内鋳物師(かわちいもじ)ゆかりの地。同区の広国神社に合祀(ごうし)されている鋳物師の氏神・鍋宮大明神の奉賛会学術部と、地域の歴史を研究する美原若松会が主催する。

 鋳造業の歴史と魅力、現状に迫ったドキュメンタリー映画「時を鋳込(いこ)む」(広島県鋳物工業協同組合製作、2011年)と、東大阪市の鋳物工場が登場するTVドキュメンタリー作品を上映する。

 同奉賛会と美原若松会の会長を務める光田榮宏(よしひろ)さん(84)(美原区大保)は「美原区と鋳物の関係を学び、故郷の魅力を再発見するきっかけにしてほしい」と話している。

 定員100人。問い合わせは光田さん(072・361・1350)へ。

(2013年3月23日 読売新聞)

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1244よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/26(火) 05:45:19 ID:i6mE1PjA0
明治の気風 香る天井画 30日、枚方で一般公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130325-OYT8T00080.htm

 明治から昭和にかけて府民らに親しまれた文化・娯楽施設「府立大阪博物場」(大阪市中央区)の中央館を飾った巨大天井画が30日、移設先の関西医科大教養部大講堂(枚方市)で一般公開される。巨大な龍と鳳凰(ほうおう)が鮮やかな色彩で描かれており、当時の大阪の活気を伝えている。(梶多恵子)

 府立大阪博物場に詳しい橋爪節也・大阪大教授(日本美術史)や関西医科大などによると、同博物場は1884年に開設され、中央館はその中心に、88年に建設された。大阪で最初の本格的な美術館で、府内初の洋画展が開かれた。

 天井画は中央館の象徴として飾られた。縦約15メートル、横約6メートルの巨大な楕円(だえん)形で、雄たけびを発する龍と、悠然と舞う2羽の鳳凰が描かれている。周りの壁面には、天馬や花鳥、十二支などの絵画22枚(各約3メートル四方)が配置された。日本画家、上田耕冲(こうちゅう)(1819〜1911年)を中心に、当時大阪で活躍していた画家らが、法隆寺の献納品や正倉院の宝物の図柄などを参考に完成させた。

 中央館では様々な展覧会が催され、多くの人でにぎわったが、建物の老朽化で1937年に取り壊された。その際、府などの計らいで、関西医科大教養部の前身・大阪女子高等医学専門学校(枚方市)が天井画と22枚の絵を譲り受け、天井画は大講堂に設置された。

 昭和戦争の混乱で美術史研究家の間で忘れ去られたが、97年に枚方市で開催された市制50周年記念の企画展をきっかけに、再評価されるようになったという。橋爪教授は「荘厳な天井画を見ていると、産業化に向かって勢いづく明治時代の大阪の意気込みを感じる。文化財としてはもちろん、歴史的資料としても価値がある」と話している。

          ◇

 天井画の一般公開は30日午前10時から正午まで。橋爪教授が説明する。無料。事前申し込みが必要。希望者は、枚方市生涯学習課(050・7102・3206)へ。

 ◆府立大阪博物場 勧業を目的に、大阪市中央区本町橋の初代府庁(幕末の西町奉行所、約9600平方メートル)を改修して1875年に設けられた博物場が前身で、84年に開設された。博物館や美術館のほか、大阪市天王寺動物園の前身となる動物檻(かん)など、様々な施設が整備された。

(2013年3月25日 読売新聞)

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1259よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/29(金) 21:05:27 ID:d6.0Cf520
文楽人形もお祝い 竹本座跡に案内パネル
2013年3月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130328/20130328027.html

 江戸時代に隆盛を極めた大阪・道頓堀の人形浄瑠璃劇場「竹本座」の跡地に27日、同座の由来などを紹介したパネルが設置された。除幕式には文楽座の吉田和生さん、桐竹勘十郎さんが人形と共に参加し、山村流家元の山村若さん、OSK日本歌劇団トップスターの桜花昇ぼるさんらと共に史跡観光スポットの誕生を祝った。

 同座は竹本義太夫が1684年に創設。座付き作家に近松門左衛門を迎え、1767年まで人形浄瑠璃の拠点として親しまれていた。来月20日に道頓堀ゼロゲートとして新たに誕生するビルの建て替え工事に伴い、上方文化再生実行委員会(今井徹会長)がこれまでポツンと建っていた竹本座跡の碑とともに2枚のパネルを設置して史跡観光スポットとして整備した。

 除幕は「伽羅先代萩」の政岡と「心中天網島」の小春の人形を遣って行われ、集まった観光客らの記念撮影に応じた。今井会長は「パネルをお披露目でき文化再生の第一歩になった。これからもミナミの人間が誇れる街にしていきたい」と話していた。

1260名無しさん:2013/03/30(土) 05:22:20 ID:J4nD8NLc0
本当は国立文楽劇場は道頓堀に移した方が
いいと思うんだけどな。

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1264よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/31(日) 20:21:26 ID:Dk7uSl/A0
最古の国道1400年で活性化 近鉄に記念列車
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20130330-OYT8T01619.htm

◆沿道12自治体が宣言

 日本最古の国道とされる「竹内街道・横大路」が整備されて1400年を迎えたのを記念し、沿線の県と大阪府の12自治体で作る実行委員会は30日、明日香村の近鉄飛鳥駅前で、街道のPRなどを推進するプロジェクトの共同宣言をした。

 竹内街道・横大路は、「日本書紀」に613年、推古天皇が整備したと記される「大道」のルートと重なり、節目の年に向け、沿線自治体が昨年2月、実行委を設置。この日、大阪府太子町の「たいしくん」らご当地キャラクター10体が同乗した記念列車が、近鉄大阪阿部野橋駅を出発し、到着した飛鳥駅前で、実行委副会長の山下和弥・葛城市長が「『古代の道からまちづくり』を共通理念として、ともに地域の活性化を推進する」と共同宣言した。

 その後、乗客ら約150人が、同村の石舞台古墳や高松塚古墳など約4キロを歩いて巡った。

 今後、沿線各地で様々な行事を行うといい、実行委会長の浅野克己・太子町長は「沿線地域の魅力を再発掘し、地域活性化につなげたい」と話した。

(2013年3月31日 読売新聞)

1265よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/31(日) 20:27:35 ID:Dk7uSl/A0
【昭和おおさか写真館】
大事件見守った“東洋一の警察署” 「曽根崎警察署」
2013.3.31 15:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130331/wlf13033115010023-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130331/wlf13033115010023-n2.htm

 曽根崎警察署の3代目庁舎で勤務した経験がある現役警察官はいない。

 そこで、昭和51年3月〜53年3月、直轄警ら隊隊長として曽根崎署で勤務した元大阪府警総務部長の高橋強さん(65)に話を聞いた。高橋さんは53年3月に発行した開設100周年記念誌「治安を守る 風雪100年の歩み 曽根崎警察署」の編集委員の一人だった。

 45年4月に警察官になった高橋さんによると、「かすかに覚えている」という3代目の思い出は取り壊し直前の姿だったという。

 記念誌によると、曽根崎署は明治10年10月、人員38人(平成24年現在約370人)で開設された。3代目庁舎が完成したのは昭和4年5月で、鉄筋コンクリート5階建て(高さ19・08メートル)の「スクラッチクリンカータイル張り」。斬新な外観と構造は当時としては珍しく、“東洋一の警察”といわれ、見物人が後を絶たなかったという。

 その3代目も37年ごろから、地盤沈下や地下街建設の影響で庁舎全体が北西に1・5度も傾いた。その後、業務に支障が出るとして建て替えが決まった。仮庁舎への移転は45年10月で、48年5月に今の4代目が完成した。

 4〜45年という3代目庁舎の時期には、曽根崎署管内でさまざまな出来事があった。陸軍と警察の対立から発生した8年の「ゴーストップ事件」や45年の「天六ガス爆発」。中でも大きな出来事の一つだったと高橋さんがあげるのが36年10月21日発生の「池永巡査殉職事件」だった。

 〈夜、パチンコ店から「指名手配犯(殺人未遂)の男が店に来ている」と連絡を受け、派出所の池永利春巡査が出動。御堂筋で男と格闘となり、刃渡り26センチの短刀で胸と腹に重傷を負った。池永巡査はそれでも逃げる男を追跡したが、待ち伏せの男に体当たりで左胸を刺された。池永巡査は拳銃を1発発射して気力をふりしぼり男の体に組み付いたが、左胸の致命傷のためその場に崩れ落ちた〉

 この事件には後日談があると高橋さんはいう。

 「当時、池永巡査には2人の子供がいた。ともに男の子だった。そして、その後、2人とも府警の警察官になった。1人はまだ現役の警察官。さらに、お孫さんも府警の女性刑事として頑張っている」

 悲しい事件に隠された、心を熱くしてくれる話だ。(野瀬吉信)

1266よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/03/31(日) 20:30:55 ID:Dk7uSl/A0
【昭和おおさか写真館】
こども汽車、ゴーカートが走る 浜寺公園の「交通遊園」 
2013.3.31 19:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130331/wlf13033119000027-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130331/wlf13033119000027-n2.htm

 子供たちが待ち構えるホームに「祝開通」のヘッドマークを付け、モールで飾った車両が入ってきている。笑顔で手を振る子供たちから、ワクワクする気持ちが伝わってくるようだ。

 堺、高石両市に広がる浜寺公園の一角に昭和40年、子供が交通ルールなどを学ぶ施設「交通遊園」がオープンした。オープンの少し後、ディーゼルカーが牽引(けんいん)するこども汽車「もず号」が交通遊園の目玉として走り始めた。

 「人口40万人程度の都市をモデルに、約2万平方メートルに理想的な都市づくりをした」「交通とはどんなものであるかをみて、遊びながら交通道徳を身につけるようにした」

 交通遊園について、当時のパンフレットにはこう記されている。敷地を市街地と郊外に分け、高層ビルや工場などの模型を配置、ゴーカートの高速道路を走らせミニチュア都市とした。街路には信号や踏切が設置され、交通体験ができた。

 東京ではオリンピックが開催され、大阪では万博が控えていた。高度成長期のただ中で、郊外も開発が進み、車の需要も急増した。交通死亡事故が多発していたことが開設の背景にあったという。

 もず号は、アイボリーと明るい赤色のツートンカラーの3両編成。新幹線のような流線形のデザインで、子供たちの人気を集めた。

 交通遊園を運営する大阪府公園協会の左官宣郎・交通遊園園長(48)は「線路もホームも本物に似せ、子供向けのサイズで作られていた。自分たちが主役の汽車の存在は、子供たちにとってうれしかったのではないか」と話す。

 左官さんも幼いころのもず号を覚えている。「身近だった南海電車の角張った車両に比べてスマートで格好良く見えた。万博で見たモノレールに似てると感じました」

 もず号は昭和57年、老朽化で引退する。後継には明治時代の機関車をモデルにした「浪花号」が登場した。現在も園内を走り、浜寺公園のシンボルになっている。公園協会ではミニチュアを作って商品化する計画も進めているという。

 せっかくなので乗ってみた。休日の車内は家族連れでいっぱいだった。最近は子供のころに乗った30、40代が自分の子供を連れて遊びにきているという。世代を超えて思い出を共有できる場所だと思った。(中井美樹)

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1268よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/03(水) 00:21:14 ID:ntwc9MT20
大阪勧進相撲発祥の地・南堀江で「ふれあい相撲」−ちゃんこ鍋も
http://namba.keizai.biz/headline/2502/

 大阪・南堀江公園(大阪市西区南堀江2)のグラウンドで3月31日、「高台ふれあい相撲」が行われた。

 イベントが行われた高台(たかきや)地区は、大阪勧進相撲の発祥の地といわれ、地元関係者らが約340年ぶりに土俵に上がる力士の勇姿を復活させようと企画した。

 グラウンドには、簡易土俵が設置され、地元の日吉小学校4〜6年生の児童が参加しトーナメントによる取り組みや、二子山部屋の元力士が所属する間口相撲クラブによる模範相撲や技の実演、ユーモアを交えて行われるパフォーマンス「初っ切り」などが行われた。会場では高台特製ちゃんこ鍋(100円)も振る舞われた。

 相撲大会の参加者らは「力士の筋肉がすごかった」「迫力があった」「また参加したい」などと感想を話す。高台ふれあい相撲実行委員会の堂前裕一さんは「伝統を伝えて、街の活性化につなげたい。今後も恒例化していきたい」と話す。

1269よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/07(日) 07:44:37 ID:tEjgI0g60
竹本義太夫300回忌追善公演 墓石、供養塔など修復資金募る 大阪
2013.4.6 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130406/osk13040602020002-n1.htm

 義太夫節の創始者で竹本座の創立者、竹本義太夫の300回忌を追善する勧進特別公演が5日、大阪市中央区日本橋の国立文楽劇場で行われた。同市天王寺区にある義太夫の墓石や供養塔の修復資金を募る目的で開催され、会場では、技芸員らが募金を呼びかけ、人形と記念写真が撮影できるコーナーが人気を呼んだ。

1270よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/07(日) 07:50:25 ID:tEjgI0g60
昭和初期 躍動する「なにわ」 大阪城天守閣で行事・祭礼の古写真展
2013.4.5 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130405/osk13040502010000-n1.htm

 昭和初期に大阪で撮影された古写真を集めた「古写真にみる なにわの行事・祭礼」が大阪市中央区の大阪城天守閣で開かれている。祭りや行事などの写真が展示されており、学芸員の宮本裕次さんは「約80年前の躍動する人々の姿を楽しんでいただければ」と話している。5月6日まで。

 古写真は、上方文化研究者の故・南木芳太郎さんが、明治から昭和にかけて急速に変わる町や人々の姿を撮影したり記録として収集したりしたもの。今回は約900点の写真コレクションの中から、約100点を展示している。

 大阪市住吉区の住吉大社「御田植神事」や、天王寺区の愛染堂勝鬘(しょうまん)院「愛染祭」、大東市の慈眼寺(野崎観音)「野崎まいり」など。昭和5〜10年頃の大阪を代表する祭りや行事を通じて、当時の町の様子や人々の姿が写真に生き生きと収められている。

 かつて大阪市北区にあった運河「天満堀川」でぎっしりと人を乗せた船がひしめき合う天神祭の一コマや、農作業の休暇に普段酷使している牛を花などで飾り、自由にさせてねぎらう「牛の藪入り」など珍しい情景に、訪れた人たちは興味深そうに見入っていた。

 宮本さんは「昔を懐かしむだけでなく、当時と現代との違いや共通点、人々の気持ちの高ぶりなどを感じてほしい」と話している。

 問い合わせは大阪城天守閣((電)06・6941・3044)。

1271よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/07(日) 21:00:47 ID:o08IYbWo0
閻魔地蔵など19件、文化財に 大阪市教委が指定
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201304060130.html

 【尾崎文康】大阪市教委は5日、市内を流れる川の清らかさを伝えた石碑「青湾(せいわん)碑」(都島区)や、地元住民から長年奉られている「閻魔(えんま)地蔵」(住吉区)など19件を新たに市文化財に指定した。

 市教委によると、大川沿いの毛馬桜之宮公園内にある「青湾碑」は、この地域のきれいな水をたたえて約150年前に建立された碑で、当時は地元の水で大規模な煎茶会も開かれていたという。また「閻魔地蔵」は約500年前に作られたとみられ、閻魔の姿をしているのに地蔵として熱心に信仰されてきた「全国的にも極めて珍しい」(担当者)石仏という。

 市指定文化財は「大阪の歴史や文化を理解するうえで欠かせない文化財」との趣旨で1999年度に始まり、今回の指定で計192件となった。

1272よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/09(火) 00:09:43 ID:wjjNnjrc0
現役で国内最古の木造園舎 愛珠幼稚園を一般公開
2013年4月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130408/20130408022.html

 大阪市は、国重要文化財(重文)の幼稚園「大阪市立愛珠幼稚園」(大阪市中央区)を20日、一般公開する。築112年にもかかわらず、今なお現役の国内最古の木造建築の幼稚園。当時の保育士らの意見を基に造られており、子育てへの配慮が随所に見られる。

 同園は、1880(明治13)年、北浜で創立。その後、1901(同34)年に保育士らの要望を基に園舎が設計され、現在の場所に建てられた。

 建築面積は770平方メートル。園舎のうち、遊戯室と玄関部分は2階建て。遊戯室を囲むように階段が配置されているほか、敷地は瓦ぶきの高い塀に覆われ、中の様子を見ることができないつくりになっている。

 遊戯室は壁面上部に窓を設け、採光と通気性を高めているほか、庭は廊下と同じ高さになるように盛り土をして園児のけがを防止する対策が講じられている。

 当日は、学芸員による解説のほか、100年以上前に設置したイルムラーピアノ(ドイツ・イルムラー社製)の演奏会も行われる。

 同園舎の一般公開は2007年6月の重文指定の翌年から、毎年、春と秋の2回開いている。

 問い合わせは電話06(6208)9030、市教委文化財保護担当へ。

1273よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/09(火) 00:10:51 ID:wjjNnjrc0
舞い散る桜めで 高津宮で琴やオカリナ演奏
2013年4月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130408/20130408023.html

 大阪市中央区の高津宮(小谷真功宮司)で7日、「高津宮桜まつりイベント」が開かれ、桜の舞い散る中、集まった人たちが琴やオカリナの演奏、紙芝居のパフォーマンスなどを楽しんだ。

 今年で16回目となる恒例行事で、小谷宮司が「神さまと人、人と人との仲とりもちというつもりでいつも取り組んでいます」とあいさつした。

 絵馬殿で行われた琴の演奏会では、市立南高の笋曲(そうきょく)部の卒業生と在校生が「さくら協奏曲」や「世界に一つだけの花」などを披露。時折強風の吹く中でも、息の合った演奏に、観客から大きな拍手が送られた。オカリナ演奏はオカリナグループ・アンサンブル土土呂(ととろ)が、紙芝居のパフォーマンスは劇団・シアターOM(オム)が担当し、同宮と縁があったり、地元で活動する団体がイベントを盛り上げた。親子3人で参加した中央区在住の女性は「子どもがオカリナに興味を持ったようで良かった」と満足した様子だった。

 境内では、呈茶でお菓子とお茶を楽しんだり、フリーマーケットで買い物をしたりする人も見られた。

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1282よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/11(木) 06:26:44 ID:ByBiw33g0
「文楽みにきてニャ!」 文楽劇場と大阪市交通局がタイアップPR
2013.4.10 17:14 [文楽]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130410/wlf13041017160022-n1.htm

 大阪市交通局の「エンジョイエコカード」の提携先に4月から加わった国立文楽劇場(大阪市中央区)に9日、同局のキャラクター「にゃんばろう」が訪れ、観客に「エンジョイエコカードを使って文楽を見に来てにゃ!」と呼びかけた。

 エンジョイエコカードは市営地下鉄や市バスなどが乗り放題になる1日乗車券(大人は平日800円、土日曜・祝日600円)で、提示すると観光施設などの入場料割引などが受けられる。今月から国立文楽劇場も入場料割引の対象施設となった。

 「にゃんばろう」はこの日、2階楽屋入り口で、上演中の「新版歌祭文(しんばんうたざいもん)」に登場する「お染」と「久松」の人形と対面。1階エントランスロビーではチラシを配ったり、記念写真を撮ったりしてPRした。

1283よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/11(木) 06:28:03 ID:ByBiw33g0
適塾一新 展示3倍 洪庵の業績身近に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130410-OYT8T00111.htm

 江戸後期の蘭学(らんがく)者で医師の緒方洪庵(1810〜63)が開いた私塾「適塾」(大阪市中央区北浜)の展示が33年ぶりに一新された。精巧なレプリカを中心に展示物を従来の3倍以上に増やし、多くの人材を輩出した功績や、天然痘予防に力を尽くした姿をわかりやすく紹介している。管理する大阪大は「日本の近代化を進めた洪庵の人生や仕事を、より身近に感じられる展示になった」と来場を呼びかけている。(井口馨)

 大阪大によると、適塾は1964年に重要文化財に指定された木造2階建て。解体修理を終えた80年5月に公開されたが、展示パネルの文字が小さかったり、展示物が少なかったりして、十分に業績が伝わる内容ではなかったという。

 しかし、今年の洪庵の没後150年を機に、展示物を25点から約80点に拡充。学問に欠かせなかったオランダ語の辞書を塾生が書き写した文書や、洪庵が元塾生らに宛てた直筆の手紙などはこれまで展示が難しかったが、レプリカにすることで公開が可能になった。

 福沢諭吉や大村益次郎ら多士済々な塾生たちについては、新たに日本地図を添えたパネルを掲げ、出身地別に示している。

 洪庵らが1849年に天然痘の予防施設を設立し、種痘法を伝えようとした取り組みについては、「種痘に対して一般民衆の理解を得ることは容易ではなく、洪庵らの活動は困難を極めた」などと説明。洪庵が地方の医師にワクチンを与えた「分苗免状」(レプリカ)も添えている。

 大阪大適塾記念センターの廣川和花准教授(日本医学史)は「今後は建物の耐震化を進めるなどし、洪庵らの功績を大切に受け継いでいきたい」と話している。

 入館料一般250円、高校・大学生130円。問い合わせは、適塾(06・6231・1970)へ。

◆緒方洪庵 

 備中足守(岡山)の生まれ。若い頃、大阪や長崎で蘭学と医学を学ぶ。ドイツの医師フーフェランドが記した医学書のオランダ語版を翻訳した「扶氏経験遺訓」(30巻)は日本の医学の発展に貢献した。「病学通論」は日本初の病理学書として知られる。1838年に開いた適塾が、現在の場所に移転したのは45年。

(2013年4月10日 読売新聞)

1284よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/11(木) 23:37:59 ID:dl5Z5Ros0
大阪城公園に「ひょうたん時計」−大阪城東ロータリークラブ40周年で寄贈
2013年04月11日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1168/

 大阪城公園(大阪市中央区大阪城1)に3月29日、大阪城東ロータリークラブから寄贈された「ひょうたん時計」が設置された。

 「ロータリークラブ」はアメリカ発祥の団体で、世界各国・地域ごとにさまざまな業種の経営者らが会員となり「お互いの職業を通じてお互いを高め合い、社会に貢献する」ことを目的に活動する。1973(昭和48)年に創立した同クラブは、今年創立40年を迎えたことを受け「ロータリーとして広く地域に発信していこう」と今回の寄贈を決めた。

 15周年にも時計を寄贈している同クラブ。当時の時計が設置されていた大阪城ホール隣の噴水付近の同じ場所で「建て替え」を行った。「前回より少し大きくした」という時計の全長は5.5メートル。新たに大阪ゆかりの豊臣秀吉の馬印であるひょうたんを付け、「ロータリーのひょうたん時計」と名付けた。上部にはソーラーパネルを設置し、夜になると文字盤とひょうたん部分が光る仕組みにした。

 贈呈式では、城東区の細井敦子区長らが除幕、市立菫中学校の吹奏楽部による演奏も行われた。同クラブの大道一弘会長は「新たな待ち合わせスポットになれば」と期待を寄せる。

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1286よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/20(土) 00:51:31 ID:8sr0lAv60
維新先駆け天誅組参加 河内国の若者にスポット
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130418-OYT8T00109.htm

 明治維新の先駆けとされる幕末の尊攘急進派集団・天誅(てんちゅう)組の挙兵(1863年)から今年で150年にあたることから、ゆかりの地を訪ねる史跡ウオークが17日、河内長野市で行われた。天誅組は土佐藩出身の志士・吉村虎太郎らが有名だが、河内国から約20人が参加したことはほとんど知られていない。ウオークを主催した市は「河内の若者が新時代を切り開いた歴史にスポットを当てたい」として、秋にはシンポジウムも開く予定だ。(岡田英也)

 天誅組は孝明天皇の大和(奈良)行幸に合わせて倒幕を実現しようと、同年8月に約40人で京都を出発。大坂を経由して、現在の河内長野市を含む河内国南部に入り、庄屋の子息らが加勢。大和で武力蜂起した。

 河内国南部は後醍醐天皇を助けた楠木正成の生誕地で、勤王思想が根強かったとされる。同市内からは長野一郎や武林八郎、内田耕平ら9人が参加したが、多くは幕府軍の攻撃で命を落とした。

 日本史の元高校教諭で、天誅組を題材にした小説の筆者でもある芝田啓治市長は「天誅組が京都から直接大和に入らず、遠回りして河内国を経由したのは、人員や武器、軍資金を集めるのが目的だった」と見る。

 ウオークには、市内外の歴史ファン約30人が参加。市や同市郷土研究会のスタッフの案内で、天誅組が必勝祈願をした観心寺や同寺内にある正成の首塚、天誅組が宿泊した「油屋」跡など8キロを巡った。

 研究会の椋本進会長は観心寺で「実質的な挙兵の地と言え、菊の御紋が入った旗が掲げられた記録がある」と解説。コースを歩きながら、天誅組に住民が茶を振る舞ったエピソードを紹介した。

 参加した同市のデザイナー木之下純子さん(64)は「河内長野の人たちが天誅組を支えた歴史を詳しく知ることができた。思い半ばに亡くなった若者たちの心情がしのばれる」と話した。

 市は9月29日に幕末研究家らを招き天誅組のシンポジウムを開催する。天誅組の拠点となった奈良県五條市でも同15日に150年祭のイベントがあり、河内長野市も物産品を販売する。

◆天誅組 

 孝明天皇の大和行幸を前に、公卿・中山忠光を擁して大和五條(奈良県五條市)で挙兵。幕府の天領だった五條代官所を襲撃して「新政府」を名乗ったが、公武合体派による京都の政変(八月十八日の政変)で状況が一変。行幸は中止になり、幕府により奈良県東吉野村で討伐された。

(2013年4月18日 読売新聞)

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1288よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:16:37 ID:MbhsPmfo0
大阪・住吉大社で島津家の祖・忠久誕生祭
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20130420-OYT8T01089.htm

 旧薩摩藩主・島津家の祖で、源頼朝の庶子と伝えられる島津忠久の誕生記念祭が20日、忠久の「誕生石」がある大阪市の住吉大社で初めて行われた。島津家第32代当主で照国神社(鹿児島市)宮司の島津修久(のぶひさ)さん(75)が斎主を務め、住吉大社や島津家のほか、関西鹿児島県人会総連合会、地元団体などから計約100人が参列した。

 この日は忠久の月遅れの誕生日。誕生石の前で神事が行われ、島津家の「丸十紋」入りの提灯と、同大社の宝物で行方が分からなくなっている「島津忠久誕生図」の写し(鹿児島市の尚古集成館所蔵)が奉納された。神楽と巫女(みこ)の舞が披露され、薩摩琵琶の弾奏と示現流の演武もあった。

 忠久の出生を巡っては諸説あるが、住吉大社の神社由緒書などによると、頼朝の側室の丹後局(たんごのつぼね)が、正妻である北条政子の嫉妬を受けて西国に逃れる途中の建久元年(1190年)3月20日、同大社の境内で忠久を出産したとされる。大雨が身辺を清め、稲荷神が狐火(きつねび)をともして母子を守ったと伝えられ、吉兆とされる「島津雨」と島津家の稲荷信仰の由来となった。

 江戸時代、大社には歴代薩摩藩主が参勤交代の折に参詣し、将軍家に嫁いだ篤姫も詣でた。丹後局が出産時に力石にしたとされる誕生石は、安産の神様として今も参拝者が絶えない。

 修久さんは終了後、「(記念祭が)氏子の方々や関西の鹿児島県人会の方々の心のよりどころとして、いよいよ盛大に行われるようになることを念願します」とあいさつした。

 関係者は今後、記念祭を続けて鹿児島と関西のつながりを見直す契機にするとともに、経済イベントを連動させて両地域の交流促進につなげたい考えだ。

(2013年4月21日 読売新聞)

1289よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:30:06 ID:MbhsPmfo0
福島区 「野田藤」見頃 住民が再生
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130420-OYT8T00102.htm

 大阪市福島区の野田地区周辺で、住民がボランティアで育てた「野田藤」が見頃を迎えている。同地区は、江戸時代には花の名所として吉野の桜(奈良県)などと並び称されていたが、その後衰退。近年、住民らが再生に取り組み、今では多くの花が咲き誇っている。20日には春日神社(同区玉川)で「のだふじまつり」が行われる。(井口馨)

 「優雅ねえ」「房が立派だわ」。女性らがビルやマンションに挟まれた一角にある神社近くの藤棚に目を奪われ、周囲には甘い香りが漂う。

 手入れをする「のだふじの会」(今井啓貴会長)によると、神社周辺のほか、下福島公園など福島区内の約20か所に約140の藤棚があり、約170本のフジが見事な花を咲かせている。

 一帯はかつては湿地帯でフジが群生。貴族が花見に訪れ、1594年には豊臣秀吉もフジをめでながら茶を楽しんだと伝わる。

 しかし明治以降の都市化で減少。さらに昭和戦争の空襲で古木が焼けたことがもとで、1960年代後半にはほぼ姿を消した。その後新たに株を植えたがツルが伸び放題になり、花は次第にきれいには咲かなくなった。

 2006年、「往時のような立派なフジを復活させたい」と住民約360人が同会を結成。樹木医の指導を受けながら水やりや剪定(せんてい)を始め、今では垂れ下がる房が長さ約1メートルにもなるものも。

 メンバーの自動車部品販売業、森本秀明さん(63)は「ビルの谷間で日当たりはよくないので、成長の早いツルをこまめに切って光合成がしやすくなるように心がけている。どの木にも個性があり、育ち方はそれぞれ違う」と話す。

 ここ数年は、見頃になると約1万人が訪れるといい、神社の総代、藤三郎さん(73)は「一つでも多くの花を咲かせたいという住民の努力のたまもの」と笑みを浮かべる。

 来週末ぐらいまで楽しめそう。「のだふじまつり」は20日と27日に神社周辺で開かれ、メンバーがつくった「なにわ福島 のだふじの唄」が披露される予定。午前10時〜午後3時。問い合わせは同会事務局(06・6441・6449)。

(2013年4月20日 読売新聞)

1290よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:36:36 ID:MbhsPmfo0
ろうそくが描く幻想風景 太子・叡福寺で聖燈会
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130421-OYT8T00057.htm

 約1万本のろうそくをともす「太子聖燈会(しょうとうえ)」が20日、聖徳太子の墓・磯長御廟(しながごびょう)のある太子町の叡福寺で開かれた。21日も午後6〜9時に行われる。

 住民有志らでつくる「太子聖燈会の会」が主催。辺りが暗くなった午後6時30分頃から、御廟前に並べられたろうそくがともされ、太子の教えの「和」や空想上の鳥「鳳凰(ほうおう)」などが闇に浮かび上がった。この日は、今年が日本最古の官道「竹内(たけのうち)街道」敷設から1400年を迎えるのにちなみ、松井知事から山下和弥・奈良県葛城市長に「燈火」の引き継ぎも。約1000人の参拝客が、幻想的な風景に引き込まれた。問い合わせは同会事務局(0721・98・5521)へ。

(2013年4月21日 読売新聞)

1291よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:46:42 ID:MbhsPmfo0
行基の功績を振り返る 吹田で特別展始まる
2013.4.21 10:29
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130421/wlf13042110300014-n1.htm

 奈良時代、大仏造営に尽力した僧、行基(ぎょうき)の功績と生涯を紹介する特別展「大僧正 行基展〜なぜ菩薩(ぼさつ)とよばれたか」が20日、大阪府吹田市岸部北の市立博物館で始まった。6月2日まで。

 同博物館によると、7〜8世紀に活躍した行基は「次田(吹田)の堀川」といわれる運河や、旅人のための救護・宿泊施設「垂氷(水)布施屋」を設けるなど吹田とも深い関わりがあった。各地に出かけ、民衆のためのインフラの整備に尽力したという。

 特別展では、国重文の「行基菩薩坐像」(鎌倉時代=奈良・唐招提寺蔵)など約60点を展示。初日の20日は、オープニングイベントとして中牧弘允(ひろちか)館長の講演や舞楽、古代の食体験などが行われた。

 期間中、ワークショップ「大仏さまのお面をつくろう」(27、28日)など多彩なイベントも行われる。問い合わせは同博物館((電)06・6338・5500)。

1292よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:48:07 ID:MbhsPmfo0
古民家で能楽囃子を堪能 吹田の「浜屋敷」
2013.4.21 10:54
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130421/wlf13042110540015-n1.htm

 古民家で伝統芸能の世界に浸る「能楽(のうがく)囃子(ばやし)の世界」が20日、大阪府吹田市の吹田歴史文化まちづくりセンター「浜屋敷」で開かれた。

 面(おもて)や装束を着けて舞う本格的な能楽ではなく、笛、鼓の囃子と謡をバックに紋付き袴のシテ方がクライマックスシーンを舞う簡素な様式美を楽しむという趣向。今年は「能・人の世を寿(ことほ)ぐ祈り」をテーマに天女が優雅に舞う能「羽衣」など7曲が披露された。

 まず、天下太平、五穀豊穣(ほうじょう)、国土安穏を祈る能のルーツ「翁(おきな)」が演じられた。能の代表的な祝言(しゅうげん)曲「高砂(たかさご)」では森田流笛方、斉藤敦さんや大倉流小鼓方、上田敦史さんらの囃子と謡で観世流シテ方、山中雅志さんが「住吉明神」をリズミカルに舞うと客席から大きな拍手がわいた。

 同センターは、江戸時代の庄屋の屋敷を再利用した文化施設。台所の板間の障子をはずして舞台とし、5つのかまどがある土間にいすを並べて客席を整備しており、ファンたちは「質素な雰囲気で趣がありますね」と話していた。

1293よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/21(日) 19:49:32 ID:MbhsPmfo0
現役バリバリ! バリアフリーも 重文の愛珠幼稚園が一般公開 大阪
2013.4.21 11:07
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130421/wlf13042111070016-n1.htm

 国内最古の“現役”幼稚園施設として知られる国重要文化財の大阪市立愛珠(あいしゅ)幼稚園(大阪市中央区)が20日、一般公開され、市民ら520人が訪れた。

 同幼稚園は明治13年に船場北部の連合町会が創立。現在の園舎は同34年に完成した。

 同園は、敷地のまわりを瓦ぶきの高塀で囲み、大名屋敷などに用いられる門を置くなど寺院を思わせる外観。遊戯室には高窓や格子状の天井、シャンデリアが設置されたほか、バリアフリー設計も採用。当時の最先端の西洋技術が取り入れられたという。

 現在、70人の園児が在籍。昭和6年に園庭に設置された「廻旋すべり台」も変わらず使用されている。

 一般公開のこの日は、遊戯室で明治42年に購入した独のグランドピアノ「イルムラーピアノ」やバイオリンの演奏が披露。山口加津子園長(58)は「建物だけでなく、子供たちが今もここで教育を受けていることを知ってもらえたら」と話していた。

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1295よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/24(水) 21:22:11 ID:U01tGM860
「巨大古墳の世紀」に迫る 奈良・大阪中心に51遺跡 橿考研付属博物館
2013.4.24 14:33
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130424/wlf13042414340017-n1.htm

 奈良、大阪両府県内で5世紀に築かれた遺跡の出土品などから、当時の政治実態を探る特別展「5世紀のヤマト−まほろばの世界」が、橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館で開かれている。両府県を中心に51遺跡の埴輪(はにわ)や鉄剣などの出土品約940点を展示している。6月16日まで。

 大阪平野南部の百舌鳥(もず)・古市古墳群などで、墳丘の長さが200メートルを超える巨大な前方後円墳が次々と築かれ、「巨大古墳の世紀」と呼ばれた5世紀をテーマに、その実像に迫るのが狙い。

 応神天皇陵とされる誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(大阪府羽曳野市)近くの狼塚(おおかみづか)古墳で出土した珍しい導水施設形埴輪のほか、死者の魂を運ぶ葬送儀式で用いられたとされる、津堂城山古墳(同府藤井寺市)や巣山古墳(広陵町)の水鳥形埴輪などを展示。

 両府県内の遺跡で見つかった5世紀の有力豪族出現を示す大型の木製扉や刀装具なども紹介している。

 入館有料。月曜休館。問い合わせは、同館((電)0744・24・1185)。

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1297よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/26(金) 02:38:24 ID:p7BvKF9A0
四天王寺 盛り上げろ 地元若者がグループ結成
2013年4月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130425/20130425023.html

 和紙を使った体験や物販を通じて四天王寺かいわいを盛り上げようと、地元出身の若者たちが、参道沿いに会場を設け、月に1度イベントを開いている。町ぐるみの活動になるよう、さらなる発展を目指している。

 活動しているのは、天王寺中の同窓生で、建築やイラストなどに携わる5人。参道に訪れる人が年々減っていると感じ、にぎわいに一役買おうと昨年夏に、グループ「そら−四天王寺は謡う−」を結成し活動を始めた。

 イベントは「お大師さん」の名で親しまれる毎月21日の四天王寺の縁日に合わせて開催。メンバーの一人、和紙の卸売会社に勤める大上博行さん(26)の協力で和紙をそろえ、毎回、和紙と“何か”をかけ合わせたコラボ企画を実施している。過去には、和紙を活版印刷したり、参道沿いの商店主を写した写真を印刷したりした。

 20、21日は、近所の洋服屋の協力を得、和紙と“縫う”のコラボイベントを開催。和紙をミシン縫いして作ったトートバッグを展示し、小物入れ作りの体験会を開いた。

 活動開始から半年以上が過ぎ、なじみの顔が増えてきた。大上さんは「四天王寺に来るのが楽しくなったと言ってくれる70代の人もおり、手応えを感じている。和紙を、若者とお年寄りの交流のツールにし、いろんな人を巻き込んで面白い街をつくっていきたい」と話している。

 イベント情報はフェイスブック(https://www.facebook.com/shitennoji.sora)で発信している。

1298よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/26(金) 02:40:21 ID:p7BvKF9A0
「島熊山桜能」幽玄の美 大阪・豊中
2013.4.26 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130426/osk13042602000003-n1.htm

 豊中市緑丘の豊中不動尊で25日、新作の面を使った「島熊山桜能」が行われ、約200人のファンが幽玄の世界にひたった。

 不動尊近くにある島熊山(116メートル)で旅人が険しい山道に苦労した様子を詠んだ歌が万葉集にあり、歌碑が不動尊境内に立っている。桜能は山の歴史、風情をしのぼうと6年前から開かれている。

 本堂前に能舞台が特設され、観世流シテ方、山本博通らが、平家の武将で笛の名手といわれた平清経(たいらの・きよつね)とその死を嘆く妻の葛藤を描く能「清経」を舞った。

 清経と妻の面は昨夏に不動尊で開かれた能面祭での優秀作品が使用された。また、大蔵流狂言方、善竹忠重らの狂言「蚊相撲」も同様で、口をとがらせたユーモラスな表情が観客の笑いを誘っていた。

1299よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/29(月) 00:42:42 ID:kr41MsKo0
大阪・御堂筋:1000人がパレード 親鸞関連行事
毎日新聞 2013年04月28日 20時13分(最終更新 04月28日 20時35分)
http://mainichi.jp/select/news/20130429k0000m040045000c.html

 大阪市中央区の北御堂(みどう)(浄土真宗本願寺派本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)間の御堂筋約600メートルを結ぶ約1000人のパレードが28日、約30年ぶりに復活した。南御堂であった浄土真宗の開祖、親鸞の750回忌の関連行事。両御堂は御堂筋の名前の由来でもある。

 大谷派、本願寺派両派系列の高校から幼稚園まで約10校の児童生徒ら約500人がブラスバンドの演奏に合わせて行進。先頭では南御堂のキャラクター、ブットンくんがオープンカーに乗り、法要をアピールした。僧侶が法要前に同ルートを歩く「参堂列」の行列も続き、約500人が雅楽を伴奏にしずしずと歩いた。

 このパレードは、両御堂共催の「御堂まつり」の一環として1965年に始まり、資金などの問題で82年に中断。翌年、このパレードをちょうど引き継ぐような形で、大阪の風物詩、御堂筋パレード(2007年まで)が始まった。

 11月には北御堂主催のパレードもある。南御堂の実質的責任者、五辻(いつつじ)信行輪番(59)は「北御堂と協力して、御堂筋と両御堂の歴史などを広く市民にアピールしていきたい」と話した。【鈴木英生】

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1300よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/29(月) 00:56:05 ID:kr41MsKo0
大坂夏の陣「道明寺合戦」 チャンバラ参加者集え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130428-OYT8T00017.htm

 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から2年後で400年を迎えるのを前に、藤井寺市の商店主らが、同市道明寺であった「道明寺合戦」のPRに力を入れている。歴史ファンに人気のある真田幸村(豊臣軍)と伊達政宗(徳川軍)が戦ったが、知名度が低いためで、5月3日には「道明寺合戦まつり」を開く。

 市内の商店主らでつくる道明寺まちづくり協議会や、阪南大、市などが昨年8月、実行委を組織。400年に合わせた企画を練り、11月に古戦場を巡るウオークなどを実施した。

 第2弾のイベントとなる同まつりでは、大人や子ども約200人が真田軍と伊達軍に分かれてチャンバラ合戦を展開。参加者は腕に紙風船を付け、おもちゃの刀で風船を割られると討ち取られたことになり、生き残った人数で勝敗を決める。参加費500円が必要で、当日参加できる。

 さらに阪南大国際観光学部の来村多加史(きたむらたかし)教授らが合戦をテーマにしたトークショーを開催。NPO法人「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」(吹田市)や大阪芸術大忍術研究会(河南町)は居合などを披露する。

 今後は400年となる15年に向け、年に1、2回、イベントを企画する予定。同協議会専務理事で、かまぼこ店経営の篠田朋宏さん(50)は「様々な企画を実現して、歴史の舞台としての道明寺を広く知ってもらい、地域おこしにつなげたい」と話す。

 同まつりは午前10時〜午後8時。チャンバラ合戦は午後2時からで直前まで受け付ける。問い合わせは、平日に同市商工観光課(0729・391・1111)へ。

◆道明寺合戦 

 大坂夏の陣の戦いの一つで、1615年5月6日、藤井寺市道明寺周辺の石川河川敷などであった。伊達政宗ら圧倒的多数の徳川軍に対し、真田幸村ら豊臣軍も果敢に応戦したが、天王寺方面に撤退。その後、大坂城が落城した。

(2013年4月28日 読売新聞)

1301よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/30(火) 01:45:14 ID:uWAjRXIE0
僧侶ら千人練り歩く 親鸞750回御遠忌法要
2013年4月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130429/20130429036.html

 真宗大谷派・難波別院(南御堂)から浄土真宗本願寺派・津村別院(北御堂)まで御堂筋約600メートルのパレードが28日開かれ、両派の関係学校の生徒や門徒、僧侶ら約千人が練り歩いた。

 パレードは南御堂の主催で、宗祖親鸞の遺徳をしのび50年に一度執り行われる750回御遠忌(おんき)法要の一環として実施。北御堂の協力により、約30年ぶりの両派合同の行事となった。

 午前9時、真宗大谷派大阪教区の公式キャラクター「ブットンくん」が乗り込んだオープンカーを先頭に、パレードが北御堂からスタート。相愛中・高の吹奏楽部や大阪大谷中・高のバトントワリング部など学生らが行進を盛り上げた。

 同10時からは宗派の行事としての練り歩きが執り行われた。楽僧による笛の厳かな音色が響く中、稚児や門徒らに続き、赤色の傘の下を同宗派の大谷暢顯(ちょうけん)門首がゆっくりと進んだ。

 沿道から行列を見守っていた主婦(50)=京都市=は「先のことばかりに目を向けず、今日この一日を一生懸命、大切に生きようという気持ちを再認識した」と話していた。

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1303よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/03(金) 01:52:51 ID:p8LnLj1o0
荘厳「万部おねり」 大阪・大念仏寺で始まる
2013年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130502/20130502035.html

 25の菩薩(ぼさつ)たちが人々を極楽浄土に迎える様子を再現する法要「万部(まんぶ)おねり」が1日、大阪市平野区の大念仏寺で始まった。5日まで。

 正式名は阿弥陀(あみだ)経万部読誦(どくじゅ)・二十五菩薩聖聚来迎会(しょうじゅらいごうえ)。室町時代から始まった来迎の儀式と、江戸時代から行われる阿弥陀経一万部の読誦を合わせて執り行う。

 融通念仏宗総本山・大念仏寺最大の伝統行事で、大阪市の無形民俗文化財に指定される。

 金色の仮面などきらびやかな25の菩薩の姿をした僧らは、本堂の外側に設置された橋を練り歩き、本堂正面から入堂。かねの音や雅楽が鳴り響き、境内が荘厳な雰囲気に包まれる中、極楽浄土に往生する様子が表現された。

 二十五菩薩お練り供養は連日午後1時から行われる。

1304よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/03(金) 02:35:03 ID:p8LnLj1o0
「創立」祝い舞楽奉納 住吉大社で「卯之葉神事」
2013年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130502/20130502034.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で1日、住吉大神の鎮座を記念する祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が執り行われた。快晴の下、多くの関係者が神事に参列し、みやびやかな奉納舞楽などを見守った。

 第一本宮での本殿祭では祝詞奏上や奉仕者による献香、献茶がなされたのに続き、神前に卯の葉(ウツギ)の玉串がささげられた。この後、四天王寺、厳島神社とともに日本三大舞台として知られる境内の石舞台(重要文化財)で舞楽を奉納。天王寺楽所(がくそ)雅亮会の奉仕で、東西の楽舎から雅楽の音色が響く中、古式ゆかしい装束姿の舞人が次々と登場。舞楽の始まりに舞われる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ「桃李花(とうりか)」「綾切(あやきり)」などを繰り広げ、舞台前に集まった参拝者を魅了した。

 またこの日から境内南東にある「卯の花苑」で恒例の一般公開も始まり、来園者がタニウツギなど優美な花姿をカメラに収めていた。31日まで公開され見頃は中旬となる見通し。開園時間は午前10時〜午後4時。

1305よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/04(土) 20:40:52 ID:wCt4fX7Q0
幸村隊と政宗隊、激突 「道明寺合戦」追体験
2013年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130504/20130504021.html

 徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から400年を迎えるのを前に、人気の高い武将、真田幸村と伊達政宗が激突した道明寺合戦を追体験するイベントが3日、舞台となった大阪府藤井寺市内で開かれ、約300人がゲーム形式で“合戦”を繰り広げた。

 道明寺まちづくり協議会らでつくる実行委員会の主催。道明寺天満宮や石川河川敷を会場にさまざまなプログラムを展開した。河川敷で行ったゲーム形式の“合戦”では、約300人が豊臣側の真田軍と徳川側の伊達軍に分かれて参加。片腕に付けた風船を玩具の刀で割ると討ち取ったことになるルールで、子どもから大人まで楽しみながら迫力ある合戦の様子を再現していた。

 合戦について母親から教えられたという田中奨馬君(11)=同市=は「参加できてうれしかった」と喜んでいた。同協議会の森田剛浩会長は「400年の節目に向け、この地で合戦があったことを広め、町の魅力を高めていければ」と話していた。

1306よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/05(日) 07:28:36 ID:juV7tAo60
雨は降る降る古市で… 「竹内街道わらべ歌」1世紀ぶりに復活 5日に大阪・羽曳野で披露
2013.5.4 23:03
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130504/wlf13050423140021-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130504/wlf13050423140021-n2.htm

 飛鳥時代に整備され、日本最古の官道と呼ばれる「竹内(たけのうち)街道」が横切る大阪府羽曳野市で、大正期まで歌われていた「竹内街道わらべ歌」が約1世紀ぶりに復活。5日、同市で開かれる「第38回はびきの市民フェスティバル」で羽曳野少年少女合唱団が披露する。

 〈雨は降る降る古市で 傘を借る借る軽里で 馬に乗る乗る野々上で…〉

 手遊び歌の身ぶりで歌うわらべ歌には、羽曳野市から堺市にかけての街道沿いの地名が登場。街道の子供たちが歌っていたが、車道が整備されるにつれて忘れられていったという。

 復活へ動いたのは、同フェスティバル実行委の田仲基一さん(48)。今年が竹内街道の整備1400年となることから企画した。

 田仲さんの義理の母、立石雅子さん(71)が明治生まれの母からわらべ歌を教わっていたが、覚えていたのは冒頭部分だけ。実行委のメンバーと相談して情報を集めたところ、堺市西区の藤井一二三さん(87)が約15年前、歌詞を復元していたことが分かった。地元の高齢者から聞いたリズムと合わせ、羽曳野少年少女合唱団を指導する湊川和子さんが4月に復元させた。

 フェスティバルは市立峰塚公園(同市軽里)で開かれ、わらべ歌を披露する合唱団の公演は午前10時半。メンバーの芝田知里さん(17)は「自然に体が動く楽しい歌。覚えている人がいたら昔を懐かしんでほしい」と話している。

1307よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/06(月) 05:09:34 ID:6yEE2tfw0
勇壮「真田の赤備え」 志紀長吉神社で戦勝祈願祭
2013年5月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130505/20130505039.html

 大坂の陣で奮闘した信州上田の武将、真田幸村の威徳をたたえる行事「戦勝祈願祭」が4日、大阪市平野区長原2丁目の志紀長吉神社(鈴木理美宮司)であった。数多くの奉仕活動に取り組む大阪城甲冑(かっちゅう)隊をはじめ、長野県上田市から駆け付けた上田城甲冑隊のメンバーらが「真田の赤備え」で勇壮な行進や演武を繰り広げた。

 大坂夏の陣(1615年)の道明寺の合戦で伊達政宗軍と一戦交えた幸村が大坂城への帰路、同神社で戦勝祈願し軍旗などを奉納したことにちなんだ行事。

 約30人の甲冑隊は、多くの地域住民や歴史愛好家らが見守る中、ほら貝を響かせながら約200メートルの参道をゆっくりと行進。本殿前で軍旗奉納の様子を再現したほか、勇壮華麗な剣舞や試斬といった演武を披露した。地元から母親と訪れた柘植むつみさん(28)は「幸村公ゆかりの地とは知っていたが、歴史的な面でも興味がわいた」といい、境内の様子をカメラに収めていた。

1308よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/06(月) 20:16:09 ID:w/PIWQWg0
「適塾」展示品33年ぶり一新
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130506/4302101.html

福沢諭吉など数多くの人材を輩出した大阪・中央区の「適塾」の展示品が33年ぶりに一新され、日本の近代化を担った教育施設を知る史料60点が新たに展示されています。
福澤諭吉など日本の近代化に貢献した人材を輩出した大阪・中央区の「適塾」は今年創設者の緒方洪庵が亡くなって150年となることから、「適塾」を管理する大阪大学が33年ぶりに展示品を一新しました。
新たに展示された史料は60点に上り、このうち「適塾塾生等級別名簿」は1859年に在籍していた81人の塾生の名前をオランダ語の読解能力別にまとめたものです。
また、「頓宮篤弼宛緒方洪庵書状」は洪庵が、いまの岡山県で医師として活躍する門下生に病気の治療方法を書き記した手紙で、洪庵と弟子の交流が伺える貴重な史料です。
大阪大学適塾記念センターの廣川和花准教授は「緒方洪庵の人となり、多彩な人材を生んだ適塾の教育がわかりやすく展示されているので、多くの人に訪れていただきたい」と話しています。

05月06日 12時21分

1309よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/09(木) 05:23:27 ID:yNNOPxho0
わんぱく幸村 決戦にぎやか 天王寺でチャンバラ体験
2013年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130506/20130506082.html

 こどもの日の5日、大坂の陣(1614〜15年)で活躍した戦国武将・真田幸村にちなんだチャンバラなどの体験イベント「真田幸村 最後の決戦!!2013」が大阪市天王寺区の天王寺公園であった。参加した子どもたちは、おもちゃの刀を懸命に振り回しながら幸村顔負けの刀さばきを見せていた。

 14、15年が大阪の陣からちょうど400年に当たることから、同区が記念事業として企画した。

 園内のわんぱく広場では、子どもたちが日本殺陣道協会(西区)の指導を受けながら、敵役の同協会メンバーとの1対1の対決に挑戦。慣れない動きに戸惑いを見せながらも刀を数回ぶつけ合ってから相手の太刀筋をかわして思い切りよく腹に切り込んでいた。

 また水上ステージでは、天王寺区の水谷翔太区長が幸村に扮(ふん)したパフォーマンスショーを披露。抜いた刀をうまく鞘(さや)に収められず焦る姿に会場から笑いが起きていた。

 チャンバラをした近くに住む出水真輝ちゃん(5)は「ドキドキしたけどうまくできた。またやりたい」と息を弾ませていた。

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1316よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/13(月) 01:04:55 ID:e0Ckj1eg0
百舌鳥・古市古墳群の背景知る
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130511/4490051.html

世界文化遺産への登録を目指している百舌鳥・古市古墳群が、大阪に誕生するまでの背景を知ってもらおうと、古墳群が成立する前に作られたと見られる出土品を集めた展示会が大阪・河南町の博物館で開かれています。
堺市にある国内最大の前方後円墳、仁徳天皇陵とされる古墳などが並ぶ百舌鳥古墳群と、羽曳野市と藤井寺市にある古市古墳群は平成27年度の世界文化遺産登録を目指しています。
百舌鳥・古市古墳群は、いずれも4世紀後半以降に築かれたと見られていますが、府立近つ飛鳥博物館で開かれている展示会は、これらの古墳群が築かれるまでの歴史的背景を学んでもらおうと、古墳群が成立する前に作られたと見られる550の出土品を展示しています。
このうち、4世紀半ばに作られた「鰭付楕円筒埴輪」は、1.5メートルほどあり、百舌鳥・古市古墳群に大王の墓が築かれる前にも、大阪の地に一定の勢力を持った集団がいたことが裏付けられる資料だということです。
また、柏原市で出土された「歯車形碧玉製品」は、11個の突起物が珍しく、国の重要文化財に指定されています。
府立近つ飛鳥博物館の市村慎太郎統括学芸員は「百舌鳥・古市古墳群が成立する前の大阪南部が、当時、どういう地域だったのかを考えることができる貴重な物が展示されており、ぜひ見てもらいたい」と話しています。
この展示会は、来月30日まで開かれています

05月11日 12時20分

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1321よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/18(土) 05:06:55 ID:hUS4M8HE0
定説より200年以上前か 四天王寺の「宝蔵」再建
2013年5月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130517/20130517020.html

 境内が国指定史跡、鳥居や石舞台などの建築物が国の重要文化財に指定されている大阪市天王寺区の四天王寺で、境内に残る校倉造の「宝蔵」の遺構が、1812(文化9)年の再建時のものとされていた従来の認識から、約200年またはそれ以前にさかのぼる可能性が出てきた。

 再建時の年代は少なくとも豊臣秀吉、秀頼により再建された16世紀後半〜17世紀初頭以前。同寺所蔵の文書によると、従来通りに再建されてきたことは確実で、関係者は「極めて少ない双倉が残っているのは珍しく、貴重な遺構だ」と驚いている。解体修理に向けた事前調査の過程で分かった。

 「四天王寺式」と呼ばれる伽藍(がらん)配置を備える同寺は、593年の創建以来、16世紀後半には織田信長による焼き打ち、1614(慶長19)年には大坂冬の陣により焼け、1801(享和元)年には雷火で全焼するなど、戦災や自然災害による損壊と再建を繰り返してきた。しかし、宝蔵は境内の東端にあり、調査に携わる桜井敏雄元近畿大教授(工学博士)は「伽藍の端の端。焼け残る可能性は高い」とみている。

 宝蔵には聖徳太子ゆかりの宝物が収蔵されていることから、平安時代以降、天皇や上皇をはじめとする貴族がしばしば立ち寄ったとされ、通常は設けられることのない拝殿が備えられていたのはその証明だ。焼け残った要素として、倉への特別な意識があったという見方もある。

 建築技法に採用されている校倉造は、柱を用いずに木材を井型に組み合わせた様式だが、建物を支える12本の束柱について桜井元教授は「(上部で組み合わせる)校木に比べると決定的に古い」と話す。

 現在3間四方で残る宝蔵には過去に後方(東方向)へ伸びていた痕跡があり、建物が続いていたことを示している。本来は9間だが、3間の「仮宝蔵」として再建されたという記録が残っており、「江戸時代まで9間の双倉が残るというのは異例」(桜井元教授)だ。江戸時代に著された「新古建物間数書」によると、大坂冬の陣の際に「一部残さず焼けた」が、「この建物(宝蔵)は焼け残った」とある。建築様式は正倉院と同じで「摂津国四天王寺絵図」の図式が裏付けられた格好になる。

 焼けた形跡は解体してしまわないと分からないという。来年3月まで1年の解体修理で新たな事項が判明する可能性もあり、同寺管財課の山本修司課長は「しっかり調査し、後世に残していきたい」と話している。

1322よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/19(日) 02:42:03 ID:slkr89lY0
「住吉御文庫」すっきり 大阪、天日で蔵書を風通し
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201305170145.html

 【宮田裕介】住吉大社(大阪市住吉区)境内の「住吉御文庫(おぶんこ)」で蔵書を天日にさらし、風を通す「曝書(ばくしょ)」が17日あった。快晴で心地よい風が吹く中、法被姿の大阪出版協会のメンバーら30人が約1千冊を1冊ずつ虫干しした。

 御文庫は、1723(享保8)年に大坂、京都、江戸の本屋が発起人となり建立した。大阪最古の図書館ともいわれ、儒教や和歌など様々な種類の書籍が約5万冊保存されている。住吉大社の小出英詞権禰宜(ごんねぎ)(37)は「庶民がお金を出し合ってつくったことに意味があり、上方・町衆の心意気を感じる」と話す。

 参加したフリーアナウンサーの城井珠実さん(45)は「風を通して本が生き返ったような気がします」。出版社勤務の井沢伸吾さん(25)は「本の隙間に紙切れが挟まっていたり、読んだ跡があったり、どういう人がいたのだろうと想像しながら作業しました」と話した。

1323よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/19(日) 02:51:05 ID:slkr89lY0
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜

住友銅吹所から太閤下水
2013年5月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/130517/20130517033.html

泉屋の繁栄と秀吉の功績

 今回は住友グループのルーツである泉屋の繁栄を垣間見るとともに、豊臣秀吉の時代に築かれた下水で現在も現役で使われている太閤(背割)下水などを巡るコースに参加した。この日はあいにくの雨模様となったが、すみよし歴史案内人の会のメンバーとして地元のガイドも務めている塚越圭子さん(66)と、西野林さん(69)に連れられ、傘を差して地下鉄鶴見緑地線「松屋町駅」を出発した。

 長堀通にほど近い場所にあるのが、住友銅吹所跡。江戸時代の日本は世界有数の銅の産地として知られ、塚越さんは「大坂は日本の3分の1の銅の生産量があった」と教えてくれた。その中でも住友グループのルーツの泉屋(住友家)は、最大規模を誇っていたとされる。現地には銅の精錬に使われていた小型の炉が展示されていた。

 同じ敷地内の一角にあるのが、元住友家本邸内ビリヤード場だ。1876年に銅吹所が廃止された後、敷地は住友家の邸宅となった。1879年には洋館やビリヤード場が建てられた。ビリヤード場は玄関がアーチ状で洋風の造りだが、屋根の部分は瓦ぶきという和と洋が混在しており、独立の建物のビリヤード場としては国内最古という。

 五月人形などが並ぶ松屋町筋商店街を歩き、一角にあるUHA味覚糖本社ビルに入る。ビルの2階には同社のサテライトショップがあり、ショップ前のロビーには、平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」を制作した彫刻家・薮内佐斗司さんのオブジェがあり、こちらで一休み。

 その後、訪れたのは太閤(背割)下水の見学施設。豊臣秀吉の時代に築かれ420年以上たった今も、改良が加えられた約20キロが使われている。背割の名前は、道路に面した建物の背中に下水溝を掘ったことが由来とされ、今も残るうちの約7キロが将来にわたり保存が可能として大阪市の文化財に指定されている。

 コースの最後は南組惣会所跡。江戸時代の大坂は幕府から派遣された大坂町奉行のもとに北、南、天満の3組があり、総称として大坂三郷と呼ばれていたという。もっともある程度の自治が認められており、西野さんは「町人文化が発達していた」と当時の様子を解説してくれた。

 大阪検定を受けるための勉強にとコースに参加したという東成区の30代の男性会社員は太閤下水の存在に驚いた様子を見せ、「近所に住んでいても知らないことが多い」と話していた。

 ○…あいにくの雨だったが、塚越さんと西野さんの明るいガイドぶりで、傘を差しながらの2時間ほどのまち歩きを堪能した。コースの途中では6月に迫った大阪検定が話題に上ることも。まち歩きを楽しみながら試験対策にもなるのが、大阪あそ歩の魅力でもあるのを実感した。

1324よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/21(火) 00:56:31 ID:VmU308JI0
愛情包まれ お別れ 大阪天満宮で「人形祭」
2013年5月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130520/20130520018.html

 長年、愛情を注いできた人形を供養する「人形祭」が19日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。多くの人形やぬいぐるみが集められ、同宮の神職によって奉納された。

 府内では毎年秋に府人形問屋協同組合が四天王寺で人形供養を行っているが、「年に1度だけでは」と、節句人形を製作する20社で組織する関西節句人形工業協同組合が主催し、今年で3回目。

 境内には、午前9時の受け付け開始からひな人形をはじめ、フランス人形やこけしなどが寄せられた。同市東淀川区の平井起美代さん(70)は、幼い頃に祖母から贈られたひな人形から、親王以外の五人ばやしと三人官女の計13体を奉納。「私らの代で処分しなきゃと、春から少しずつ準備してきました。肩の荷が降りました」と穏やかな表情を見せていた。

 午後からは人形奉謝祭が行われ、神職らが玉串を奉納、祝詞をあげた。同組合の小出康雄理事長(70)は「作る以上、責任を持たなくてはいけない。今後もお役目を終えた人形たちの処分をお手伝いしていきたい」と話していた。

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1329よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/26(日) 23:08:40 ID:vrffU0KY0
北浜「住友ビル」保存へ…モダン建築の価値重視
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130525-OYO1T00614.htm?from=newslist

 三井住友銀行は、大正期に建設され、築90年近くになる大阪本店ビル(大阪市中央区)を建て替えず、保存することを決めた。大規模な改修工事にあたって、建て替え案も浮上していたが、歴史的な価値が高い建物を守るべきだと判断した。外観はそのままに内側に耐震板を設けるなどして耐震性向上を図る。

 大阪本店ビルは、関西の金融の中心地である北浜にある。地上6階、地下1階の建物は、延べ床面積約3万4000平方メートルで、重厚感にあふれる。住友財閥の本拠地として、当時の建築技術の粋を集め、1926年(大正15年)に完成。大阪市民には「住友ビルディング」として親しまれてきた。

 クリーム色の外壁は、美しく仕上げるため、古墳時代の石棺にも使われた兵庫県西部産の竜山石(たつやまいし)を粉砕してから張りつけている。現在では高価すぎて再現できない工法という。店内には、精巧な彫刻が施されたギリシャ建築様式の12メートルの柱が立つ。

 戦後の一時期は、建物の一部が、連合国軍総司令部(GHQ)の拠点になったことでも知られる。文化財には指定されていないが、建築家や研究者らが見学に訪れることもある。

 耐震性の向上やスペースの有効利用などを図るため、5年ほど前から、約50年ぶりとなる大規模な改修工事の検討が始まった。建て替える案や、東京・銀座の歌舞伎座のように後方に高層ビルを建てる案なども議論されたが、歴史的価値の高い建物をそのまま残すべきだという意見が多かった。

 95年の阪神大震災でも損傷せず、現在の建築基準に照らしても十分な強度があることがわかり、建て替えはしないという結論になった。同行の中田久義管理部長は「当時の危機管理意識の高さに驚かされた」と話している。

 今回の改修工事は、大災害があっても建物内で仕事が続けられるようにするためのものだ。内側から柱の間に板を渡し、耐震性をさらに高めるほか、川の氾濫に備えて高さ1・2メートルの防潮板を造ることにした。工事は今月から始め、2015年4月までに終える予定だ。近代建築に詳しい京都工芸繊維大の石田潤一郎教授は「モダンで洗練された大傑作で、次代に残すことは社会的意義がある」と評価している。

(2013年5月25日 読売新聞)

1330名無しさん:2013/05/27(月) 08:17:38 ID:OxyPshts0
>>1329
 読売新聞やThe Japan News、ヨミウリ・オンラインに掲載している記事や写真などは、読売新聞社の著作物で、日本の著作権法や国際条約などで保護されています。原則として、著作権者である読売新聞社の承諾を得ずに、読売新聞やヨミウリ・オンラインの記事や写真、図表などをコピー、転載、インターネット送信などの方法で利用することはできません。

http://www.yomiuri.co.jp/policy/copyright/

1331よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/28(火) 23:42:26 ID:NFqGgSAM0
百舌鳥・古市古墳群、世界遺産目指しPR作戦
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130528-OYO1T00803.htm?from=newslist

 墳墓として世界最大級の仁徳陵古墳(前方後円墳、全長486メートル)などで構成する百舌鳥(もず)・古市古墳群(堺市など)の世界遺産登録への機運を高めようと、地元が官民一体で<PR作戦>を展開している。大阪府内でも古墳群の存在は半数程度にしか認識されていないのが現状で、住民らは散策会を開いたり、古墳を模したパンなどを販売したりしているほか、府なども東京でのシンポジウムの開催を計画中。関係者は「大阪初の世界遺産登録の実現には地元の粘り強い運動が欠かせない」と力を込める。

散策ツアー
 同古墳群は、府が堺市などと連携して国に働きかけ、2010年、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)への国の推薦を待つ暫定リストに掲載された。

 15年の登録を目指しているが、府が11年9月に府民約1900人から回答を得た調査では、約45%の人が「大阪に古墳群があると知らなかった」とするなど、知名度は今ひとつだ。

 このため、府などは専門家を招いたシンポジウムを開くなどしてきたが、さらにアピールする必要があると判断。10月には東京都内の旅行会社に古墳群を巡るツアーの企画を持ちかけるほか、年内にも古墳群をテーマにした専門家のシンポジウムを都内で開く予定で、「古墳群の価値や魅力を訴え、存在を知ってもらいたい」と担当者は話す。

 地元住民も知名度アップに懸命だ。昨年2月、古墳群の価値を多くの人に知ってもらおうと、「堺百舌鳥歴史探検隊」を結成。月1回のペースで勉強会や散策会を開催、古墳周辺の清掃活動も続けている。

 隊長の米穀店経営・新宅義史さん(43)は「多くの観光客が近くの関西空港を利用しているのに、堺を素通りしているのが現状。登録が集客につながれば」と期待する。堺ライオンズクラブは今月12日、スタンプラリー方式で仁徳陵を巡る親子ウオーキングを開催、参加した約800人に地元ボランティアらが古墳の形状や埋葬者などを説明した。

関連商品

 古墳にちなむ商品も相次いで誕生している。

 JR百舌鳥駅前のパン店「ロアール」は前方後円墳形のあんパンなど5種類(105〜180円)を販売。店長の森田健司さん(44)は「お膝元の店として何かできないかと思った。見た目で、お客さんも面白がってくれる」と語る。

 同駅近くの飲食店「花茶碗(はなちゃわん)」も古墳をあしらったカレー(1000円)とパン(180円)を売り出し、人気。あめ製造業「堺あるへい堂」は仁徳陵をかたどった3色のアメ(1袋350円)を発案、観光案内所などで販売している。

 石見銀山遺跡(島根県)の登録活動にかかわり、文化庁文化審議会の世界文化遺産・無形文化遺産部会専門委員を務める中村俊郎さん(65)は「地元の盛り上がりは登録の重要な条件。ユネスコ関係者に大きな影響を与え、大きな一押しになるはず」と話している。

 百舌鳥・古市古墳群 堺市の百舌鳥古墳群と、羽曳野、藤井寺両市の古市古墳群からなり、4世紀後半〜6世紀前半築造の90基近くが現存する。百舌鳥には仁徳陵古墳、古市には国内2番目の規模の応神陵古墳(羽曳野市)がある。仁徳陵は「クフ王のピラミッド」(エジプト)や「秦の始皇帝陵」(中国)とともに世界3大古墳に数えられる。

(2013年5月28日 読売新聞)

1332よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/29(水) 23:51:31 ID:aegv8Lyo0
大坂の陣慰霊祭 399回忌を初めて営む
2013.5.29 14:06
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130529/wlf13052914160016-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130529/wlf13052914160016-n2.htm

 1614年の「大坂冬の陣」と翌15年の「大坂夏の陣」から400年を迎えるのを前に、大阪府柏原市の郷土史家や歴史ファン、ボランティアガイドら有志が戦死した豊臣方、徳川方双方の武将や兵士、民衆らを慰霊しようと、夏の陣前日にあたる6月1日の午後1時半から、柏原市の玉手山にある通称「大坂夏の陣戦没者供養塔」前で初の「大坂の陣慰霊祭」(399回忌)を行う。

 大阪府内では「大坂の陣400年」に向けて数々のイベントが計画されているが、慰霊祭実行委員長の元柏原市議、桝谷政則さんは「夏の陣は現在の柏原市をはじめ各地で大勢が亡くなった壮絶な戦であり、戦国時代を終結させ平和な時代を迎える節目だったことを知ってほしい」としている。

 現在の柏原市では小松山の戦い(1615年)で豊臣方の後藤基次ら400人が討ち死にした。玉手山の供養塔の正式名は「宝篋(ほうきょう)印塔」で、安福寺の珂憶(かおく)上人が1670〜1700年ごろ、激戦地を見下ろす山頂に建立した。

 両軍の戦没者を鎮魂している点が他の史跡とは異なっており、これまで郷土史家が研究対象にしたり、ボランティアが古戦場めぐりなどでガイドを行ったりしてきたが、慰霊祭は初めてという。

 参加自由。問い合わせは桝谷さん方(電話072・977・7677)。

1333よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/31(金) 06:09:53 ID:s07cC84M0
中宮寺跡の瓦に「難波津の歌」 職人が万葉仮名を練習
http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013052701002154.html

 聖徳太子ゆかりの中宮寺跡(奈良県斑鳩町)で、「咲くやこの花」で知られる和歌「難波津の歌」の一部が刻まれた瓦片(7世紀中〜後半)が出土し、同町教育委員会が27日、発表した。

 難波津の歌は古くから、1音に1字を当てる万葉仮名の手習いに使われ、瓦職人が生乾きの瓦で字の練習をしていたとみられる。同教委は「万葉仮名を練習する難波津の歌が、役人だけでなく瓦職人など広く一般に普及していたことが分かる」としている。

 瓦片は縦12センチ、横約10センチ、厚さ約1・6センチで、中宮寺跡から出土。平瓦の側面に「ツ尓佐久移己」の6文字がへらで記されていた。

1334よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/31(金) 06:31:15 ID:s07cC84M0
吹田から茨木まで 旧亀岡街道を散策 大阪
2013.5.12 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130512/osk13051202060003-n1.htm

 町歩きを楽しむ新緑歴史散歩「亀岡街道を歩く」が、吹田市から茨木市までの旧亀岡街道8キロで行われ、約30人が参加した。

 吹田郷土史研究会(竹田純立会長、約190人)の主催。歴史探訪や講演会を開催しており、今回が295回目のイベント。

 旧亀岡街道は大阪・高麗橋が起点とされ、吹田市南高浜町の「吹田の渡し」に上がり、摂津市千里丘などを抜けて茨木市宇野辺地区から亀岡(京都府)方面へ北上。日本海側へつながる道として重要だったという。

 今回は、JR岸辺駅北側の町並みを散策した後、奈良時代、大阪・難波宮の宮殿の瓦を生産した七尾瓦窯跡を訪ねたり、道標を見学したりした。参加者たちは「古い道に先人の暮らしの知恵を学んだ」と話していた。

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1336よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/31(金) 06:56:20 ID:s07cC84M0
【美人すぎるご当地キャラ】 日本最古の官道「竹内街道1400年」PRで初バイト
http://www.nicheee.com/archives/1910551.html

 ニッチーが“美人すぎるご当地キャラ”として密着取材する奈良県葛城市のマスコットキャラクター「蓮花(れんか)ちゃん」。今回、ご紹介するのは、ご当地キャラとしては異例ともいえる、蓮花ちゃん自身にとっても初めてとなる“アルバイト”をしたという話題だ。


奈良県と大阪府を結ぶ日本最古の官道「竹内(たけのうち)街道・横大路」が今年2013年にちょうど1400年を迎える。これをPRする資金集めのため、蓮花ちゃんは先日、竹内街道の沿道にあたる葛城市の「柿の葉すし本舗たなか」葛城店で、接客や掃除などのアルバイトを行った。


葛城市役所によると、蓮花ちゃんも、今後約1年かけて沿道各地を訪ねてその魅力を発信していく予定で、今回のアルバイトはその“事前準備”という。


今回、蓮花ちゃんは、店を訪れた客を相手に看板商品の柿の葉すしをすすめたり、女性店員と店内の掃除をしたりと約1時間のアルバイトをこなし、1400年にちなんで1400円のアルバイト代を受け取った。店側も「蓮花ちゃんはかわいいし、お客さんに対してのイメージもよかった。これから一緒に盛り上げていきたい」などと話すなど、とても好評だったようだ。


『日本書紀』によると、613年に「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道を置く」との記述があり、竹内街道・横大路のルートが重なることから日本最古の官道と呼ばれている。現在、敷設1400年を記念した関連イベントがこの沿道の各自治体で展開されている。

1337よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/31(金) 06:57:00 ID:s07cC84M0
オフィス街を彩る、癒やしのアジサイ 大阪・坐摩神社
2013.5.30 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130530/osk13053002060002-n1.htm

 オフィス街の中にある坐摩(いかすり)神社(大阪市中央区)でアジサイが咲き始め、白やピンクの淡い色の花が会社員らの目を楽しませている。6月上旬から中旬にかけて見頃を迎えるという。

 境内や石畳の参道沿いには、花が開くと手まりのような形になる「アナベル」や、円錐(えんすい)形で白色の花と深く裂けた葉が特徴の「カシワバアジサイ」など約20種150株がずらり。「緑の少ない都会の真ん中で癒やされてほしい」との思いを込め、同神社の北岡忠澄(ただずみ)さん(38)らが十数年前から育てている。北岡さんは、「まだ3分咲きですが、今年は例年より1週間ぐらい開花が早いですね」と話している。問い合わせは坐摩神社((電)06・6251・4792)。

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1350名無しさん:2013/06/01(土) 17:53:48 ID:7NCU6wfE0
YOMIURI ONLINEより
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20080926-OYO1T00255.htm?from=main1
平成版“騒動”決着か、「寺田屋は焼失」京都市が発表
 旅館「焼け残り修理、刀傷は本物」
 幕末の歴史の舞台となった旅館「寺田屋」(京都市伏見区)が当時の建物でない可能性があるとして調査していた京都市は25日、鳥羽伏見の戦い(1868年)で焼失した後、現在の建物が再建されたと考えられると発表した。市は旅館側に「維新時のまま」とする案内テープを修正するように求めた。旅館側は「一部を焼失しただけで、龍馬の弾痕や、柱の刀傷は当時のもの」と主張しながらも、市の公式見解も観光客に説明するとしており、平成の“寺田屋騒動”は収束しそうだ。

 同市歴史資料館が9件の文献資料などを調査。当時のかわら版に、鳥羽伏見の戦いによる焼失地域が描かれており、その中に寺田屋が含まれることがわかった。さらに、女将(おかみ)・お登勢が、定宿にしていた坂本龍馬の妻・お龍にあてた手紙に、焼失後に建てたとみられる仮屋を意味する「かり屋」の文言があることを確認した。こうした結果から、市は「現在の寺田屋は幕末当時の建物ではなく、その後に建て直されたとするのが妥当」と結論づけた。今後、市の観光案内のホームページに焼失について記載する予定。

 一方、龍馬暗殺未遂事件で龍馬が放ったピストルの弾の跡や、柱に残った刀傷について、旅館の運営会社「冨信」の津幡学社長(35)は「鳥羽伏見の戦いで、すべてを焼失したのではなく、修理して現在に至っている」と主張。しかし、市の見解を受け、案内テープなどに「市の調査結果も加える」としている。

 幕末史に詳しい木村幸比古・霊山(りょうぜん)歴史館学芸課長(60)は「研究者の間では、建物が全焼したことは知られていた。しかし、ロマンあふれる地に変わりなく、早く誤りを訂正して、観光客に楽しんでもらいたい」と話していた。
(2008年9月26日 読売新聞)

>市は「現在の寺田屋は幕末当時の建物ではなく、その後に建て直されたとするのが妥当」と結論づけた。今後、市の観光案内のホームページに焼失について記載する予定。
>幕末史に詳しい木村幸比古・霊山(りょうぜん)歴史館学芸課長(60)は「研究者の間では、建物が全焼したことは知られていた。しかし、ロマンあふれる地に変わりなく、早く誤りを訂正して、観光客に楽しんでもらいたい」と話していた。

 研究者の間では焼失したと結論が出ていて、市も焼失したと結論付けたのに、

>「鳥羽伏見の戦いで、すべてを焼失したのではなく、修理して現在に至っている」と主張。しかし、市の見解を受け、案内テープなどに「市の調査結果も加える」としている。

 旅館側は頑なに認めようとせず「これからも嘘をつき続ける」と堂々の宣言。
  申し訳ないがいかにも京都らしい話だと私は思います。

上記は近畿百科ニュースで私が書いた書き込みの抜粋です。
私を批判するものは何故に寺田屋の‘嘘’を批判しないのだ。
寺田屋これからも‘嘘をつき続ける’と堂々といっているんだぞ。

産地偽装ならぬ‘名所偽装’ではないか。これが許されるのか?
なんとか言ってみろ。

1351よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:23:34 ID:C92IgFns0
豪商淀屋の実像に迫る 22日に講演会
2013年6月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130603/20130603018.html

 大阪の歴史・文化、産業を発信する季刊誌「大阪春秋」の通巻150号発刊記念講演会「大坂の豪商『淀屋』の実像に迫る」が22日に大阪市北区梅田の鳥取県関西本部交流室(大阪駅前第3ビル22階)で開かれる。午後2時〜同4時半。参加無料。

 主催は新風書房「大阪春秋編集委員会」。米市場開設などで巨万の富を築きながらも幕府に没収され、山陰の倉吉で商いを続けて再び大坂へ返り咲くなどした豪商・淀屋の興亡の歴史を三部構成で探る。

 演題と講師は次の通り。

 (1)前期「天下の台所−大坂−の礎を築いた『淀屋』」蒲田建三氏(淀屋研究会副代表)(2)中期「番頭・牧田仁右衛門の忠誠と、その後」福山琢磨氏(新風書房代表、大阪春秋発行人)(3)後記「大坂・大川町に再興された『淀屋清兵衛』家」毛利信二氏(淀屋研究会代表)

 申し込みは電話06(6768)4600、新風書房または090(3263)4108、淀屋研究会へ。

1352よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:40:36 ID:C92IgFns0
芝居好き「柴右衛門」タヌキ 道頓堀の顔に
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130603-OYO1T00258.htm?from=newslist

仁左衛門ら信仰、阿波人形が中座跡地に

 かつて芝居の街として栄えた大阪・道頓堀の中座にまつられ、「人気の神様」として歴代の片岡仁左衛門や藤山寛美ら役者たちの信仰を集めてきた芝居好きのタヌキ「柴右衛門(しばえもん)」の伝説にちなんだ阿波木偶(でこ)人形が完成、7月、中座跡地のビルに飾られる。「道頓堀の歴史を伝える新たなシンボルに」と、地元関係者が徳島県の人形師に作製を依頼。4日、柴右衛門の故郷・淡路島で行われる神事には、同ビルに“先住”する「くいだおれ太郎」も駆け付け、新しい仲間を出迎える予定だ。

 かつて「道頓堀五座」と呼ばれた芝居小屋の一つで、松竹新喜劇の本拠地として親しまれた中座には、奈落の下に柴右衛門をまつるほこらがあった。浪人に化けて中座に通っていたが、大好きな仁左衛門の芝居に見とれるうち、思わず尻尾を出して正体がばれ殺された、と伝わる柴右衛門。その霊を鎮め、商売繁盛や人気の向上を願ったという。

 中座が取り壊された後、跡地に建った現在の「中座くいだおれビル」の地下に、新たなほこらが設けられたが、一般の目に触れることはなかった。

 そこで、約2年前から太郎のプロデュースを手がける会社社長、柿木央久(かきのきてるひさ)さん(46)らが「道頓堀に活気を取り戻すきっかけにできないか」と検討。知人を通じ、徳島県の伝統文化・阿波人形浄瑠璃で使われる阿波木偶人形の人形師・多田弘信さん(52)にタヌキの人形制作を依頼し、約1年かけて仕上がった。青地に金色の桜模様の装束を着けており、文楽人形の様に口や手を操ることができるという。

 4日は、分霊された柴右衛門のほこらがある、兵庫県洲本市の洲本八幡神社で関係者や太郎が出席して神事が営まれ、太郎がタヌキの人形を連れ帰る。7月中旬にも披露され、太郎が立つ同ビルの入り口付近に展示される。

 柿木さんは「道頓堀の新たな『顔』として、太郎とともに親しまれるようになれば」と期待する。

(2013年6月3日 読売新聞)

1353よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:44:41 ID:C92IgFns0
【河内幻視行】
下赤坂城跡 急ごしらえの籠城で奮戦
2013.6.3 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130603/wlf13060307010000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130603/wlf13060307010000-n2.htm
 
 たっぷりと水をはられた田んぼは、太陽の陽をまだらにうつし、そこだけが鏡となって、銀板のように照りかえしていた。数えきれないほどの堤の段差がうねうねと、下から開けっぱなしにしたタンスのように迫りあがってくる。

 おとずれたとき、ちょうど田植えの最中だった。小さな穂が目にまぶしかった。棚田は、かなり急傾斜の谷間の三方にひろがっている。

 平成11年に「日本の棚田百選」に選ばれた。驚いたことに、千早赤阪村のいたるとこにある棚田は、鎌倉期から築かれたという。

 鎌倉末期の元弘元(1331)年9月中旬、この谷あいから、裏手の千早川沿いの街道の周辺には、幕府の大軍が包囲した。旧暦だから、おそらく棚田での稲刈りは終わっていた。

 農民たちの多くは、クワを槍(やり)や刀に取りかえ、棚田の上の、いま筆者が見おろしている丘陵に馳(は)せ参じた。砦(とりで)が築かれていた。赤坂城と呼ばれた。

 赤坂城はその後、さらに奥地の山間や、金剛山の麓にも築かれたため、それぞれ下赤坂城、上赤坂城、千早城と呼んで区別している。

 下赤坂城はそのなかでも、もっとも脆弱(ぜいじゃく)であった。『太平記』には「この城三方は岸高くして屏風(びょうぶ)を立てたる如し」と書かれているが、現在の地形から推定すると、とても「屏風」を立てたほど急峻(きゅうしゅん)とはいえない。

 駿河国出身で、幕府側の武士の血筋を引いていた楠木正成が、幕府打倒を目指す後醍醐天皇側に、なぜ加わったのだろうか。

 倒幕に立ち上がった後醍醐は元弘元年8月、京を脱出し、山城国の笠置城(京都府相楽郡)に籠城した。大和、伊賀、河内にもつながる要衝だが、周辺の武士たちは、もっぱら様子見を決めこんだ。

 ここからは『太平記』のフィクションの世界に入る。神秘的な登場のしかたをする。

*  *  *

 笠置の行在所で、後醍醐は夢を見た。ふたりの童子があらわれ、天皇にはもう隠れるところはありませんと、涙ながらにのべた。ついで、

 「但しあの樹の陰(かげ)に南へ向へる座席あり」

 と告げた。この夢を後醍醐に仕える僧侶に語ったところ、「木の南」は「楠」のことであり、金剛山の西に「楠木多聞兵衛正成」という武士がいるとこたえた。

 かくて正成が召され、すぐに笠置に参じた。すでに幕府軍は笠置城に向け大軍を送っている。圧倒的に後醍醐側が不利である。

 なのに下赤坂城に戻った正成は孤軍、蜂起した。領地の安堵など、後醍醐とのあいだに密約があったような気がする。

 だが、やがて正成と対立する足利側の軍記『梅松論』には「私の計(はから)ひ」もなく、「皆心ざしを君に通じ奉りゆへなり」と書かれている。どちらがただしいか、もちろん分からない。

1354よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:46:16 ID:C92IgFns0
>>1353

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130603/wlf13060307010000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130603/wlf13060307010000-n4.htm

 「正成、蜂起!」に笠置城を包囲していた幕府軍は驚愕(きょうがく)した。すでに正成の武勇は、知れわたっていた。『太平記』の20万7600騎は大げさだが、おそらく数万の幕府軍が下赤坂城を取りかこんだ。


*  *  *


 棚田を見おろす丘は公園で、ベンチやトイレも整備されている。高台には「史蹟 赤坂城址」の石碑が立っていた。

 ときたま裏手から黄色い歓声が響いてきた。城跡に接するように、丘陵沿いに千早赤阪中学の学舎が建っていた。

 下赤坂城の規模はよく分からないが、なにしろ急ごしらえである。中学の敷地をふくむ百数十メートル四方ほどであった。深い堀もなく、わずかに塀が取り囲んでいるだけであった。籠城兵も500騎ていどとされる。

 幕府軍は「あな哀れな敵の有様や」と拍子抜けし、1日も持つまいと、思いこんだ。だが正成は周到な作戦をねっていた。

 ゲリラ戦である。農民兵を中心に別動隊を山陰の各所に潜伏させ、籠城兵が城から打って出るのと同時に、背後からゲリラ兵が攻めた。幕府軍は一時、潰走(かいそう)したほどである。千早城で行われた熱湯を長い柄でぶっかける奇襲もすでに、このときに行われたらしい。

 だがかんじんの笠置城はわずか1カ月ほどで陥落し、後醍醐も捕縄された。下赤坂城の籠城戦も20日ほど経(た)つと、兵糧がつきはじめた。

 10月17〜18日ころ、幕府軍はゲリラ兵の拠点を掃討したうえ、総攻撃に出た。正成は大雨が降った21日、敵方の死体約20体を埋めて放火したうえ、一族郎党を連れ、城をこっそりと脱出した。

 −−中学校の入り口わきの門柱には、校歌が刻まれていた。「丘あり古き城のあと 大金剛のみねの雲…」とあった。

 脱出後の正成の行方は杳(よう)として分からなかった。幕府側も焼死体をみて、死んだと思いこんでいたらしい。だが、「大金剛のみねの雲」の下で、ひそかに反攻の期をうかがっていたのである。

(福嶋敏雄)

1355よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:47:31 ID:C92IgFns0
癒やし系親子 羽曳野でカルガモ人気
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130531-OYT8T00102.htm

 羽曳野市誉田(こんだ)の誉田八幡宮で、境内の池を泳ぐカルガモのヒナが、参拝者の人気を集めている。

 同宮が8日、卵を抱く親鳥を発見。27日早朝に8羽の誕生を確認した。ヒナは親鳥を追って池を動き回ったり、岩の上で休んだり。カルガモのヒナが同宮で生まれたのは初めてという。

 中盛秀宮司(58)は「『見ていると癒やされる』と参拝者に評判。日ごとヒナは力強く泳ぎ、成長しています」と話している。

 問い合わせは同宮(072・956・0635)へ。

(2013年5月31日 読売新聞)

1356よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/04(火) 22:30:49 ID:40mutyto0
百舌鳥古市古墳群世界遺産要望
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130604/4791061.html?t=1370352501718

再来年度・平成27年度の世界文化遺産登録を目指す、大阪の百舌鳥・古市古墳群について、大阪府の副知事や周辺の3つの市の市長がきょう文化庁を訪れ、ユネスコへの推薦を依頼しました。
きょうは、大阪府の小西副知事と百舌鳥・古市古墳群がある堺市・羽曳野市・藤井寺市の3市の市長が文化庁を訪れ、近藤誠一長官に地元自治体で作った登録に向けた推薦書の原案を手渡しました。
百舌鳥・古市古墳群は、世界最大の前方後円墳、仁徳天皇陵とされる古墳をはじめ、大小およそ90の古墳が立ち並びます。
推薦書の原案では、古墳群は日本の王家や親族たちの墓の集合で、日本の当時の文明をもっともよく残す稀有な物証で世界文化遺産にふさわしいとしています。
ただ、平成27年度に世界文化遺産に登録されるためにはこの夏に国からユネスコに推薦してもらう必要があります。
しかし、日本では百舌鳥・古市古墳群以外にも、長崎の教会群や、北東北などの縄文遺跡群など3か所が同じ平成27年度の登録を目指しており、推薦されるひとつの枠をめぐり詰めの作業が進められています。
原案を手渡したあと、小西副知事は、「長官からはユネスコへの説明はまるで裁判のように厳しいと説明があった。今後も古墳群の価値を十分に世界に発信できるようしっかりと取り組んでいきたい」と話していました。

06月04日 20時17分

1357よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/04(火) 22:35:37 ID:40mutyto0
安全な斎行へ連携確認 天神祭、警備会社担当者ら
2013年6月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130604/20130604031.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭(7月24、25日)を前に、同祭渡御行事保存協賛会は3日、大阪市北区の大阪天満宮で警察、警備会社の担当者による会議を開いた。昨年の課題を踏まえ今年の天神祭の安全な斎行に向け、警備計画などについて確認した。

 現場レベルでの関係機関の連携強化が目的。府警本部や天満署などの各警察署、警備会社、同宮の担当者ら約40人が出席した。

 会議では陸渡御、船渡御、奉納花火などの行事計画を確認。警備会社の担当者からは今年から天神祭に従事する現場の警備員には「天神祭」と表記した腕章を着用させることや、見物客が集中するエリアでは熱中症に関する注意喚起の呼び掛けを定期的に行うことなどが報告された。

 同宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)は安全な祭りの斎行に向け「密に連絡を取り対応していきたい」と話していた。

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1359よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/08(土) 23:39:32 ID:ZSrXFe3g0
恒久平和を祈念 第3次大阪大空襲から68年
2013年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130608/20130608034.html

 太平洋戦争末期の1945年6月7日、米軍が大阪市北東部などを標的に実施した第3次大阪大空襲から68年がたった7日、甚大な被害を受けた各地で法要などの慰霊行事が行われた。気温が30度を超える暑い日差しの中、遺族や九死に一生を得た体験者など多くの関係者が惨事の現場を訪れ、犠牲者を悼むとともにあらためて恒久平和を祈念した。

 白昼に米軍機の銃爆撃で約400人もの市民が亡くなったとされる長柄橋(大阪市北区天神橋8丁目)では終戦直後から継続されている慰霊法要が営まれた。当時の惨状を知る高齢者をはじめ、地元幼稚園児など幅広い年齢層が参列し、平和を願う観音像前で焼香。

そばには旧長柄橋の解体の際、機銃掃射を受けた橋脚の一部を切り出して保存してあり、こぶし大の弾痕に大空襲のすさまじさを思い起こしながら、参列者が一様に手を合わせていた。
 大人から子どもへ戦争がもたらした悲惨な歴史が再び繰り返されることがないよう、将来へしっかりと平和の継承がなされた。

 第3次大阪大空襲 1945年3月13〜14日、6月1日に続いて同月7日に米軍が100機以上の規模で実施した大空襲。B29爆撃機約400機とP51護衛戦闘機約130機が来襲し、午前11時ごろから正午過ぎにかけて都島、大淀、旭、淀川、東淀川、北、福島区のほか豊中市などで爆弾や焼夷(しょうい)弾を投下、機銃掃射を行い、約6万戸が被災、約3千人が犠牲となったとされる。

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1363名無しさん:2013/06/09(日) 10:58:55 ID:gCLX6T1Q0
第一次から三次までは、大阪三大空襲と言えるだろ。

1945年3月13〜14日(第一次)焼夷弾1773トン投下、犠牲者4665人
6月1日(第二次)焼夷弾2768トン投下、犠牲者3989人
6月7日(第三次)焼夷弾1842トントン及び爆弾751トン投下、犠牲者2832人

6月7日の爆弾投下は、大阪陸軍造兵廠を狙ったが造兵廠の被害は少なかった。
その影響で住宅地へ大型爆弾が落ちて、長柄橋も直撃を受けたようだ。

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1367よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/10(月) 05:40:56 ID:7v6CRj720
葦舟再現 伊勢と出雲の遷宮記念…枚岡神社
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130609-OYO1T00212.htm?from=main1

 伊勢神宮(三重県)と出雲大社(島根県)の遷宮が同じ年に行われることを記念して、大阪府東大阪市の枚岡(ひらおか)神社が8日、古事記に登場する古代の葦(あし)舟を再現した。

 16日に出雲大社沖の日本海、23日には伊勢神宮外宮(げくう)にある勾玉(まがたま)池でそれぞれ葦舟を浮かべ、日本再生を祈願するという。

 枚岡神社は、春日大社(奈良市)の勧請(かんじょう)元で「元春日」とも呼ばれる古社。その春日大社の神職を務めたことがある中東弘宮司(72)が「国を造った神を代表する両神社の遷宮年が重なる今年こそ、不況や震災で疲弊した日本の再生を願うのにふさわしい」と考え、今回の神事を企画した。

 そのうえで、古事記に、えびす様の起源の「蛭子(ひるこ)神」を乗せたとの記述がある葦舟を神事に用いることを発案。葦原保護に取り組む大阪市のNPO法人に協力を依頼し、伊勢神宮や出雲大社近くで刈り取られた葦の提供を受けた。

 この日は枚岡神社の氏子や参拝客ら70人が8時間をかけて約250キロの葦を編み上げ、長さ約5メートル、幅1・5メートルの舟を作り上げた。9日に完成奉告祭がある。

 16日と23日の神事では、葦舟の上で祝詞の奏上や神楽奉納が行われるといい、中東宮司は「よみがえりを意味する遷宮の年に、みなさんに今後の日本の有り様をじっくり考えてほしい」と話していた。

(2013年6月9日 読売新聞)

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1376よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/10(月) 23:57:13 ID:eznICcCw0
国内最古2400年前の「分銅」 大阪の遺跡
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130610-OYO1T00462.htm?from=newslist

 大阪府八尾市と大阪市平野区にまたがる亀井遺跡(弥生時代)で1981年に出土した石製品11点(約2400年前、弥生前期)は、国内最古の分銅とみられることが、奈良文化財研究所の森本晋・国際遺跡研究室長の調査でわかった。

 国内最古とされた長崎県壱岐市、原(はる)の辻遺跡で出土した中国産の青銅製分銅より500年以上古いという。

 11点は国内産とみられる輝緑岩や砂岩などで作られ、直径1〜4・5センチ、長さ3〜8センチの円柱形。製作中とみられる1点を除く10点は8・7〜280グラムの6種類に分かれ、重さは最も軽い1点に対し約2、4、8、16、32倍と規則性がある。

 一緒に見つかった石杵(いしぎね)に祭祀(さいし)などに使う赤色顔料「水銀朱」が付着しており、森本室長は「顔料の重さを量るために使っていたのではないか」と話している。この石製品は、大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で18日〜7月21日に公開する。

 菅谷文則・奈良県立橿原考古学研究所長(考古学)の話「弥生前期に国内でこうした分銅が作られていたとすれば驚きだ。商取引にも使っていたのではないか」

(2013年6月10日 読売新聞)

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1380よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/13(木) 00:51:01 ID:eaqBdY4o0
「大阪の凧」展
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130612/5220891.html

版画による鮮やかな色づかいが特徴の大阪の伝統的なたこを集めた展示会が、きょうから、大阪市の大阪歴史博物館で開かれています。この展示会には版画を何度も刷ることで出す鮮やかな色使いが特徴の大阪のたこや、たこの骨組みに貼り付ける絵など、約70点が展示されています。
このうち現在の大阪・西成区にあった大阪のたこづくりの当時の中心地、勝間村で作られたたこは軍服姿の鳥を形取ったもので、縦が55センチ、横が80センチの大きさで、明治時代には、ヨーロッパにも輸出されていたということです。
また、「仙花」と呼ばれる和紙を使ったたこは、ほかの凧よりも高くあがることで知られ、特にたこ揚げを楽しむ大人の間で、人気があったということです。
博物館の学芸員の伊藤廣之さんは、「大阪の凧を一堂に集めた展示会は初めてなので、バラエティー豊かな世界を楽しんでもらいたい」と話していました。
この展示会は、きょうから8月5日まで開かれています。

06月12日 19時34分

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1382名無しさん:2013/06/13(木) 06:44:13 ID:1Mbr8mLo0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130613/osk13061302020004-n1.htm
棒打合戦 稽古に熱 あす住吉大社の御田植神事 大阪
2013.6.13 02:02
 14日に住吉大社(大阪市住吉区)で執り行われる御田植(おたうえ)神事を前に、当日紅白に分かれて六尺棒を打ち合う棒打合戦に挑む小中学生らが連日、稽古に励んでいる。

 御田植神事は、住吉大社の創建時に神功皇后が五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈り、長門の国(山口県)から植女(うえめ)を招き、田植えをさせたのが始まりとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。参加する小中学生らは、棒打合戦のほか、田植踊などにも取り組む。

 棒打合戦に挑む小中学生らは約40人で、紅白に分かれ、甲冑に身を包んで戦う。棒打ちには害虫を払うまじないの意味が込められており、子供たちは連日、放課後などに住吉大社に集まり、激しい打ち合いに挑んでいる。

 大阪市立墨江小3年、岩根心君(8)は「練習は厳しいけど、本番は気持ちを込めて一生懸命やりたい」と意気込む。指導する住吉青年団副団長の隅野純一さん(53)は自身の子供時代を振り返り、「時代が変わっても当時の情熱は変わりません」ときっぱり。

 当日は午後2時から。子供たちによる田植踊と住吉踊で締めくくる。

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1384名無しさん:2013/06/13(木) 20:31:29 ID:EUqU/lQg0
愛染娘がNHK大阪訪問

大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が今月30日から始まるのを前に、浴衣姿の「愛染娘」たちが、きょう、NHK大阪放送局を訪れ、祭りをPRしました。
「愛染まつり」は縁結びの寺として知られる大阪・天王寺区の「愛染堂勝鬘院」の夏祭りです。
きょうは浴衣姿の愛染娘や関係者など約30人がNHK大阪放送局を訪れ、「あいぜんさんじゃ〜、ほーえーかーご!」という威勢のよい掛け声や祭りの成功を願って大阪独特の手拍子、「大阪締め」を元気いっぱいに披露しました。愛染娘の1人、新宮領優香さんは、「愛染娘たちの元気と笑顔で祭りを盛り上げますので、訪れた人に幸せな気持ちになってもらいたいです」と意気込みを語りました。愛染まつりは今月30日から3日間行われ、約60万人の人出が見込まれています。
また、初日は愛染娘を乗せたかごが谷町筋の沿道を寺に向かって練り歩く、「宝恵かごパレード」が行われ、祭りを盛り上げることになっています。

06月13日 19時09分

http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130613/5124341.html?t=1371123039953

1385名無しさん:2013/06/13(木) 20:35:55 ID:EUqU/lQg0
>>1380

大阪の凧文化一堂 木村薫コレクション展
2013年6月13日
 大阪市中央区の大阪歴史博物館で12日、特集展示「大阪の凧(たこ)−木村薫コレクションから−」が始まった。大阪を代表する凧「勝間いか」の凧絵実物など約70点が展示されている。8月5日まで。


大阪の伝統凧「勝間いか」の凧絵の実物木版画や再現品が展示されている館内=12日午後、大阪市中央区

 池田市在住の木村さん(65)は日本やアジアの凧コレクターで、研究家として知られる。近世・近代の文献を参考に当時の凧の再現にも取り組み、本展では、勝間いかのほかに「いかのぼり」や「奴凧(やっこだこ) 与勘平」などの再現品を展示している。

 「勝間いか」は幕末から明治・大正時代に勝間村(現在の西成区玉出付近)で大量に生産された。ピークの明治36(1903)年には年間生産量が120万個に上り、国内に限らず欧米を中心とした海外にも輸出された。凧絵が錦絵の版画で制作されているのが特徴で、多くは上方浮世絵師による仕事だと推測される。

 同館周辺の大阪城南側は、かつてたこ揚げに多くの人が集まった場所だったこともあり、コレクター歴20年の木村さんは「たこ揚げの聖地みたいな場所で展示できるのは、天にも昇る気持ち。勝間いかの木版画はめずらしい物なのでぜひ見てほしい」と来館を呼び掛けていた。

 常設展示観覧料(大人600円、高大生400円)で入場。午前9時半〜午後5時。毎週火曜日休館。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130613/20130613024.html

1386名無しさん:2013/06/13(木) 20:39:52 ID:EUqU/lQg0
「ギャルみこし」参加を呼び掛け PR隊が来社
2013年6月12日
 日本三大祭りの一つ、天神祭(7月24、25日)を華やかに盛り上げる「天神祭ギャルみこし」の担ぎ手「みこしギャル」の応募を呼び掛けるPR隊が11日、大阪市中央区の大阪日日新聞を訪れた。前回のミス天神橋、吉田春菜さん(24)らがそろいの法被姿で、参加を呼び掛けた。


「天神祭ギャルみこし」への応募を呼び掛ける吉田さん(右から2人目)ら=11日午後、大阪市中央区

 天神祭ギャルみこしは今年で33回目。天神祭宵宮の前日に当たる23日午後、天神橋筋商店街(北区)を女性だけでみこしを担ぎ、練り歩く。

 7月13日に市立住まい情報センター(北区)で、「おもしろ」「スポーツ」「セクシー」のジャンルの中から選んだ仮装での自己PRと、重さ約70キロの「てんびん棒担ぎ」による選考がある。

 大阪日日新聞を訪れたのは吉田さん、前回準ミス天神橋の川野澄香さん(20)と上山真里愛さん(18)、御羽車娘の河井未菜美さん(21)ら。吉田さんは「みこしは重かったけど、夏の楽しい思い出になった。興味があれば思い切って応募して」と呼び掛けていた。

 募集人員は80人。応募資格は15歳(中学生は不可)〜30歳までの女性で、7月13日の選考会、同20日のオリエンテーション、同23日のみこしの巡行への参加が条件。

 天神祭ギャルみこしのホームページ(http://www.galmikoshi.com/)で30日まで応募を受け付けている。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130612/20130612023.html

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1388よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/15(土) 00:48:53 ID:L3eZip6.0
大阪夏祭りの始まり「愛染まつり」−愛染娘が恒例の広報活動
2013年06月14日
http://abeno.keizai.biz/headline/887/

 寺院「愛染堂・勝鬘院(あいぜんどう しょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日〜7月2日に催される「愛染まつり」で浴衣を着て宝恵駕籠(ほえかご)に乗る愛染娘が6月13日、マスコミ各社を回る恒例の広報活動を行った。

  愛染まつりは、関西で最初に浴衣を着ることで別名「浴衣まつり」。「天神祭」「住吉祭」と並び大阪三大夏祭りの一つで、「大阪の夏祭りは愛染さんで始まって住吉さんで終わる」といわれている。初日の30日に愛染娘が宝恵駕籠に乗って谷町筋を練り歩く「宝恵駕籠パレード」と愛染堂の多宝塔の前で「駕籠あげ」を行うのが恒例。今年は「あべのマーケットパーク キューズモール」が出発地点で阿倍野歩道橋も渡る予定。

 当日は、315人の応募から選ばれた10人と外国人枠2人の計12人の愛染娘がバスに乗ってマスコミ各社や大阪市役所などを回って広報活動を行った。

 広報活動を終えた愛染娘らは「緊張した」「楽しかった」などと話し、「たくさんの人に支えられて祭りができると感じた。祭りの間は笑顔を絶やさないようにします」と意気込む。

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1391よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/15(土) 22:26:41 ID:vUrDv0uE0
古式ゆかしく豊作祈願 住吉大社「御田植神事」
2013年6月15日
 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、米の豊作を祈願する「御田植(おたうえ)神事」(重要無形民俗文化財)が盛大に執り行われた。前日に続く猛暑の中、古式ゆかしい装束姿の奉仕者が踊りや舞などを奉納し伝統の神事を華やかに彩った。


御田の中央舞台で八乙女が舞う中、早苗を植える奉耕者ら=14日午後、大阪市住吉区の住吉大社

 同神事は約1800年前に同大社・第四本宮の祭神、神功(じんぐう)皇后が御田を造らせ、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源と伝わる。

 境内南側に広がる御田(おんだ)では、実際に田の中に入る替植女(かえうえめ)が植女から早苗を授かって田植えを開始。御田の中央舞台で八乙女(やおとめ)として奉仕する同大社の神楽女(かぐらめ)(みこ)が「田舞(たまい)(八乙女舞)」を奉納する中、菅(すげ)がさ姿の替植女と男性の奉耕者が青々とした早苗を手際よく植えていった。

 このほか御稔女(みとしめ)による「神田代舞(みとしろまい)」や風流武者行事、棒打ち合戦、住吉踊などが次々と奉納され、多くの参拝者を終始魅了した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130615/20130615027.html

1392よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/15(土) 22:28:35 ID:vUrDv0uE0
急病人発生の対応確認 消防と協賛会担当者会議
2013年6月15日
 大阪の夏を彩る天神祭(7月24、25日)を前に14日、大阪市北区の大阪天満宮で、同祭渡御行事保存協賛会と消防各署の担当者会議が開かれた。大阪市消防局や警備会社、大阪天満宮の担当者ら約20人が出席し、当日の急病人の発生に備えた119番通報の対応などについて確認した。


急病人の発生などに備えた協議を行った会議=14日午前、大阪市北区

 大阪天満宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)が「(担当者が)一堂に会する場。忌憚(きたん)ない意見を頂ければ」とあいさつ。引き続き、警備会社の担当者から見物客が集中する付近では、熱中症対策の注意喚起に力を入れることが報告された。119番通報時には、詳細な情報を伝えることなどが確認された。

 天神祭は7月24日に宵宮祭が執り行われる。同25日に本宮祭、陸渡御、船渡御に引き続き、奉納花火がある。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130615/20130615029.html

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1394よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/16(日) 22:24:17 ID:jlFyn8So0
“特産品に”古代米の田植え
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130616/5250741.html

歴史的な遺産が多く古くから農業も盛んな堺市美原区で、新たな地域の特産品にしようと、16日、「古代米」の田植えが行われました。
堺市美原区は全長114メートルの「黒姫山古墳」などの歴史的な遺産が多く、古くから農業も盛んな地域です。
歴史と農業のまちとしての特産品にしようと、美原区では2年前から「古代米」の栽培に取り組んでいて、今年も地元の家族連れなど約50人が参加して田植えが行われました。
16日の堺市内は30度を超える厳しい暑さとなりましたが、参加した人たちは、ひざの下まで水に浸かりながら10種類の古代米の苗をひとつひとつ丁寧に植えていました。
中には田植えにあきたのか、泥遊びに夢中になる子供の姿もみられました。
美原区では、16日、植えた苗を秋に収穫し、食用のものは日本酒や和菓子などに使い「古代米の特産品」としてPRしていきたいということです。

06月16日 21時42分

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1396よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/19(水) 00:09:21 ID:6grUy2q20
気軽に文楽 ファン開拓へ大阪市が「文楽デー」
2013年6月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130617/20130617025.html

 大阪の伝統芸能でユネスコの世界無形遺産でもある「人形浄瑠璃文楽」を気軽に楽しむ催し、「文楽デー」(大阪市主催)が16日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開かれた。子どもから大人まで、詰め掛けたファンらは解説入りの舞台を鑑賞したり、技芸員から人形遣いを学ぶなど文楽の世界を満喫していた。

 能楽や歌舞伎とともに日本の三大国劇の一つでもある文楽の新たなファンを開拓しようと同市が企画。9回目の今回は親子連れから熱心なファンまで約850人が集まった。

 舞台上演後に「大夫」「三味線弾き」「人形遣い」を技芸員から教わる体験イベントは一番の目玉。特に人形遣いは人気も高く、技芸員から操作を学んだ参加者は、2〜5キロほどある人形を懸命に持ちながらポーズを決めると、しきりに記念写真を撮っていた。

 初めて人形に触れたという北区の小池実陽君(8)は「こんなに重いとは思わなかった。腕はすぐに動かせたけど、指は難しい」と息を弾ませていた。

 このほか舞台では、和歌山県の道成寺に伝わる話を表現した「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」や豊臣秀吉と明智光秀の対立を表現した「絵本太閤記」をそれぞれ上演した。

1397よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/19(水) 00:21:12 ID:6grUy2q20
古代史懸賞論文「いましろ賞」募集 大阪
2013.6.17 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130617/osk13061702020000-n1.htm

 高槻市は、真の継体天皇陵とされる今城塚古墳や中臣鎌足の墓とみられる阿武山古墳など、市内に多く残る古代の遺跡の魅力に迫ってもらおうと、古代史懸賞論文「いましろ賞」を創設し、論文を募集している。

 対象は調査・研究論文やエッセーなど。「いましろ賞」は今城塚古墳から名付けた。

 論文は4千〜1万2千字で、引用・参考文献を明記(文字数に含まない)。応募は、論文に題名、住所、氏名、電話番号、生年を記した表紙をつけて、〒569−1136、高槻市郡家新町48の8市立今城塚古代歴史館懸賞論文係へ郵送か持参する。8月31日必着。

 専門家らが審査し最優秀作(記念品と副賞10万円)1点、佳作(記念品と副賞3万円)2点を10月末に発表、12月に表彰する。問い合わせは同係((電)072・682・0820)。

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1399よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/19(水) 23:03:56 ID:WGREqq8s0
大阪に夏告げる 30日から愛染まつり
2013年6月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130619/20130619033.html

 大阪の夏祭りスタート−。“愛染さん”の愛称で親しまれる大阪市天王寺区夕陽丘町の四天王寺支院・愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)(山岡武明住職)で、30日から7月2日までの3日間、「愛染まつり」が開かれる。境内は地域住民から納められた献灯やちょうちんが並び、情緒漂う祭りムードで沸き返る。

 大阪三大夏祭りの一つで、大阪に夏を告げる風物詩。別名「浴衣祭り」。愛嬌(あいきょう)・人気・縁結びの神、愛染さんの夏祭り。秘仏・愛染明王と大日大勝金剛尊の特別ご開帳をはじめ、紅白の布と「愛染かつら」の花などの造花で飾った宝恵駕籠(ほえかご)パレード(初日)が見ものだ。

 宝恵駕籠には12人の浴衣姿の愛染娘たちが乗り、愛染女組、男組らの掛け声とともに、「愛染さんじゃ〜!ホ・エ・カッ・ゴ〜」と谷町筋を練り歩く。

 宝恵駕籠の名前の由来は、江戸時代の年号「宝永(ほうえい)」。この宝永年間(1704〜11)に芸妓(げいこ)(芸者さん)が駕籠に乗って愛染まつりに参列したのをパレードで再現している。

 十数年前までは愛染娘ではなく、実際に北新地や今里の芸者さんたちが宝恵駕籠に乗って愛染まつりのパレードをしていた。この掛け声は「21世紀に残したい大阪の音風景」(2001年)に選定されている。

 初日午後5時からは、四天王寺管長以下一山僧侶による厄よけ開運・良縁成就の大法要が行われる。連日同6時から芸能大会や祭り囃子(はやし)などが演じられる。

 【愛染まつり初日の主なスケジュール】

 同0時半ごろ〜同1時半ごろ、あべのキューズモール3階スカイコート=出発式、大阪夕陽丘学園による浴衣ファッションショー

 同3時ごろから=天王寺公園前(交番のある所)から宝恵駕籠が出発し、谷町筋西側車道を愛染堂へ。愛染堂境内奥の多宝塔の前で「駕籠あげ」

1400よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/21(金) 00:57:55 ID:xO9h7MBs0
「能勢三番叟」「絵本太閤記」 能勢の人形浄瑠璃鹿角座公演 22、23の両日
2013.6.20 13:45
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130620/wlf13062013460023-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130620/wlf13062013460023-n2.htm

  国の無形民俗文化財に選択されている「能勢の人形浄瑠璃」を発展、継承している鹿角座(ろっかくざ)の定期公演が22、23の両日、大阪府能勢町宿野の「浄(じょう)るりシアター」で開催される。今年は平成5年6月に開館したシアターの20周年を記念し、時代物の大作「絵本太功記」が上演される。

 能勢町は約200年前から語りと三味線だけの素(す)浄瑠璃が盛んで、世襲制ではなく、広く民衆から弟子を募って養成する「おやじ制」という伝承方法で庶民によって受け継がれてきた特徴をもつ。

 人形を使わない浄瑠璃だったが15年前の10年に人形浄瑠璃一座が誕生。18年にはオーディションで選ばれた地元メンバーによって「鹿角座」として新たに旗揚げされ、現在は町内外で年間30回以上の公演を行っている。

 今回の公演では、オリジナルの「能勢三番叟(さんばそう)」に続き、恋人のために放火して火あぶりの刑に処せられる八百屋のお七の物語「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」を地元の子供が演じる。

 最後を飾る「絵本太功記」は豊臣秀吉の一代記「絵本太閤記」を浄瑠璃化した作品で、演じられるのは鹿角座の旗揚げ公演以来という。

 両日とも午後2時開演。チケットは一般2500円(当日3千円)、中学生以下1千円(当日も1千円)。当日は地元の朝採り農産物や特産物の出張販売もある。問い合わせは同シアター(電話 072・734・3241)。

1401名無しさん:2013/06/23(日) 19:40:43 ID:HT/jei8U0
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130622-OYT8T00104.htm
伝統的稲作とどめて評価 文化審答申

.◇「日根荘大木の農村景観」

 国の文化審議会の答申で、府内初の「重要文化的景観」に選ばれた「日根荘大木(ひねのしょうおおぎ)の農村景観」(泉佐野市大木)は、伝統的な稲作の様子を今にとどめることが評価された。

 重要文化的景観は、地域の風土や人々の生活で形成された文化的価値の高い風景が対象。日根荘は鎌倉時代から戦国時代にかけての荘園で、大木地区には当時のため池や水路などが多く残り、「農耕と居住が一帯となった土地利用の形態を示す景観」という。

 府内では、このほかに登録記念物(名勝)として、吹田市内にある住宅庭園「旧中西氏庭園」「旧西尾氏庭園」が選ばれた。

(2013年6月22日 読売新聞)

1402よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/23(日) 21:38:50 ID:zoK7M.KI0
AR技術使いCMとドラマ制作 住吉大社「吉祥殿」
2013年6月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130621/20130621026.html

 大阪市住吉区の住吉大社内婚礼式場吉祥殿は20日、現実の風景にデジタル情報を付け加える拡張現実(AR)技術を使ったテレビコマーシャル(CM)とドラマを制作したと発表した。また、境内の太鼓橋など3カ所でARカメラをかざすと花嫁行列の映像が流れる仕組みも構築。若者に神前結婚式をアピールしようと、最先端のAR技術と約1800年の歴史を誇る住吉大社との強力タッグが実現した。連動型映像広告は日本初の試み。

 スマートフォン(多機能携帯電話)やiPad(アイパッド)などのタブレット型端末に住吉大社専用のARカメラアプリケーション(無料)をダウンロードし、CM放送中の画面に映し出された住吉大社のロゴマークを写すと、端末に1分間のオリジナルドラマが自動的に流れ出す。ドラマは実話を元に「親子のきずな」をテーマに構成されている。

 また、同社のシンボルである太鼓橋や卯の日参道、第一本宮の3カ所では、ARアプリのカメラをかざすと、約15秒間の結婚式参列映像を見ることが可能で、結婚式の時のイメージを膨らませることができる。婚礼案内パンフレットでも同じく宴会場の様子を映像で確認できる。

 近年、チャペルや人前での結婚式が主流となり、同社の黒田昌弘マネジャーによると、神前結婚式は全体の12%だという。また、結婚式の会場探しにはインターネットや結婚情報誌が使われており、同社もホームページのリニューアルなどで対応していたが、「もう少し新しいことができないかと模索していた」と黒田マネジャー。「若い人に神前のビジュアルや内容の良さを広めていく。少しでも興味を持ってほしい」と出来栄えに自信を見せていた。

1403よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/25(火) 00:10:28 ID:FA6ulbkA0
石畳の街並みPR 大阪天満宮周辺でイベント
2013年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130624/20130624019.html

 石畳に整備された大阪市北区の大阪天満宮北側の街並みをPRするイベントが23日、同地域周辺で開かれた。子ども向けの企画などが繰り広げられ、親子連れらでにぎわった。

 同地域は、伝統的様式の建物や特徴的な道路の形状などが残り、昔ながらの雰囲気を伝える。また、落語専門の定席「天満天神繁昌亭」があり、多くの人が訪れている。

 地域関係者と大阪市は、大阪天満宮北側も含めた一帯の街並みを向上させるHOPEゾーン事業を2007年度から展開。11年度には新門周辺の道路舗装をアスファルトから石畳に整備した。

 この日のイベント「石畳がつなぐ、街と人の出会い」は天満地区HOPEゾーン協議会らが主催。大阪天満宮境内では、けん玉やこま回しといった昔ながらの遊びが体験できるコーナーを設けるなど、子どもらが楽しめる企画を中心に繰り広げた。

 同協議会の盛岡淑郎副会長は「多くの人に来てもらい、街の魅力を知ってもらうとともに、子どもたちが住んでよかったと思えるまちづくりに貢献していければ」と話した。

1404よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/30(日) 20:49:21 ID:rmhcg5Ps0
河内幻視行】
金剛山、後醍醐の皇子の夢の跡…尊氏と衝突、正成と悲劇的最期へ
2013.6.30 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130630/wlf13063018000015-n1.htm

 河内から大阪の街は、カスミのなかにあった。わずかにビル群のシルエットがぼんやりと浮かんでいるだけである。ときたま山裾をすべりあがってくる涼風が、汗にまみれたカラダを心地よくつつんでくれた。台地状の広場には、

 「金剛山頂 海抜1125米」

 と書かれていた。金剛山ロープウェイでやってきた。ロープウェイの金剛山駅には「海抜975米」の看板があった。てっきり駅のあたりが山頂だと思っていたが、駅員に聞くと、「左手の山道を30分ほど登ってください」と言われた。

 ガックリとなった。なにしろ先刻、千早城に登ってきたばかりである。腐葉土の匂いが鼻をうつ細い参道をフイゴのような息をつきながら、くねくねと登ってきた。

 右手には白っぽい樹皮のブナの林がせりあがり、左手は奥深い崖であった。ときたま、お年寄りたちが追い抜いていった。

 たどりついた山頂には、転法輪寺という古刹があった。赤字に白で、「役行者(えんのぎょうじゃ)神変大菩薩」の旗がいくつもはためいていた。葛城山系には、役行者が開基の寺がいくつもある。その大本山である。

 案内板によると、この山に登拝することは「こんごせ参り」と呼ぶらしい。「こんごせ」とは、「こんごうさん」が訛(なま)ったのであろう。

 役行者は修験道の祖である。南北朝の動乱のさい、葛城山系の修験者たちを南朝方につけたのは、後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王であった。護良は「もりなが」とも読むが、近年は「もりよし」との読みが一般的である。

1405よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/30(日) 20:51:35 ID:rmhcg5Ps0
>>1404

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130630/wlf13063018000015-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130630/wlf13063018000015-n3.htm

 後醍醐天皇が元弘元(1331)年9月、幕府につかまり、隠岐島に遠流されて以降、孤軍奮闘をつづけたのは、護良と楠木正成であった。護良は葛城山だけでなく、吉野から十津川、熊野の山中を転々とし、各地の武士団や修験者たちのオルグに奔走した。

 正成は下赤坂城の陥落後、その行方は不明であった。金剛山の山奥深くに潜伏し、河内一帯の同志たちと連絡を取り合っていたのであろう。

 ふたりの共同謀議が、どこで行われたのかは分からない。ここ、転法輪寺だったと思いたい。

*  *  *

 作家、北方謙三は『楠木正成』のなかで、正成にたいし、護良に令旨(りょうじ)を発するよう促したうえ、こう言わせている。

 「とにかく、この金剛山頂の転法輪寺からは、全国に令旨を発していただきます。(略)大塔宮様がおられるかぎり、どこかで蜂起はあるだろうと、私は思っております」

 令旨とは、親王が発する命令書である。天皇が発する綸旨(りんじ)よりも「格下」だが、後醍醐は配流の身だったから、当時、護良の令旨は最高の権威を持っていた。

 南九州から越後までの武士団にたいし、約60通にのぼる令旨を発した。内容は軍勢の督促や、領地の安堵、拡大などである。

 ふもとにある千早城で元弘3年はじめ、楠木正成が幕府の大軍をまえに100日以上も持ちこたえたのは、修験者たちからの物資や武器の補給があったからであろう。それを指示したのが、護良であったはずである。

 護良も吉野に城郭を築き、3千余騎の兵とともに籠城した。正成の千早城と両面作戦で、幕府を打倒するのがネライであった。

 ふたりには共通点もある。その最期が、あまりにも悲劇的であったことだ。

 「大塔宮護良親王尊像」と題された肖像画がのこされている。長髪で、やや下膨れの頬にヒゲをたくわえている。眉はキッとつりあがっているが、二重瞼の目は、どこかやさしげである。

 後醍醐が隠岐からの脱出に成功すると、幕府側からは足利尊氏をはじめとする謀叛(むほん)者があいついだ。幕府はあっけなく滅ぼされ、護良は元弘3年6月、意気揚々と京に入った。『増鏡』には、こう書かれている。

 「大塔の法親王、都に入り給ふ。この月ごろに御髪(ぐし)おほして、えもいはず清らかなる男になり給へり」

 肖像画のとおりの姿であったのであろう。だが護良の運命は、ほかならぬ父親によって暗転する。後醍醐にとって、やっかいだったのは護良が各地に発した令旨であった。みずからが発した綸旨と矛盾する内容が多く、「勝手なことをしよって」という思いだったはずである。

 護良は武門の棟梁をめざし、征夷大将軍になった。当然、尊氏と悶着(もんちゃく)を起こすことになる。もちろん尊氏のほうが、武士としては一枚上であった。ヤケッパチになった護良は尊氏暗殺をこころみるが、あえなく失敗し、鎌倉に送られた。

 建武2(1335)年7月、どさくさにまぎれて斬首された。28歳であった。翌年5月、兵庫・湊川の戦いで壮絶な最期をむかえる正成は護良の死に、同志をうしなったような複雑な思いを抱いたはずである。

(福嶋敏雄)

=続く

1406よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/30(日) 20:52:38 ID:rmhcg5Ps0
大役拝命にキリリ 天神祭、神童ら6人に装束と辞令
2013年6月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130630/20130630025.html

 天神祭(7月24、25日)の諸行事のスタートとなる祭りに奉仕する神童ら4役6人に辞令を交付し、当日着用する装束を渡す儀式「装束賜(たばり)式」が29日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。6人は装束姿で本殿に参拝し、拝命を奉告した。

 今年の神童に選ばれたのは西天満小6年、井上達望(たつみ)君(11)。長年、猿田彦を務める波多野肇さん(72)のほか、随身の山下淳君(15)、北村亮裕君(15)、牛曳童児の能任晋作君(11)、牛曳童女の野村珠美さん(11)とともに、寺井種伯宮司から辞令を交付された。

 寺井宮司は「体に気を付けてしっかりと御奉仕してください」とあいさつ。寺井種治権宮司が祭りの当日まで葬儀や通夜などに参列しないことなど、奉仕者が守らなければならない決まり事を伝えた。その後、6人は装束姿で本殿に参拝し、拝命を報告する「社参之儀」が執り行われた。

 神童の井上君は祭りの本番を前に「楽しみと緊張の両方」と話していた。

1407よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/30(日) 20:54:53 ID:rmhcg5Ps0
夏呼ぶ「べっぴんさん」 大阪、愛染まつり始まる
2013/6/30 16:10
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK3000D_Q3A630C1000000/

 大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が30日、大阪市天王寺区の勝鬘院愛染堂で始まった。高さ日本一の超高層ビル「あべのハルカス」を背に、浴衣姿の愛染娘が乗ったかごが「べっぴんさんじゃ」「商売繁盛」と掛け声を上げて練り歩き、沿道に詰めかけた観衆は熱気に包まれた。

 愛染娘12人が乗り込んだ6台のかごは午後1時40分ごろ、天王寺公園前を出発。かねや太鼓を鳴り響かせながら約1.5キロ先の愛染堂までを1時間近くかけ進んだ。

 この日の午後2時の気温は28.7度。奈良県大和郡山市から写真撮影に訪れた白井芳博さん(63)は「いよいよ夏が始まるのだなという風情を感じる」と話した。

 愛染まつりは593年に聖徳太子が始めた日本最古の夏祭りとされ、商売繁盛などを願う。愛染娘は約300人の中から選ばれた。7月2日まで。〔共同〕


夏呼ぶ「べっぴんさん」 大阪・愛染まつり 「あべのハルカス」を背に浴衣娘が笑顔振りまく
2013.6.30 17:17
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130630/wlf13063017220014-n1.htm

 大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が30日、大阪市天王寺区の勝鬘院愛染堂で始まった。高さ日本一の超高層ビル「あべのハルカス」を背に、浴衣姿の愛染娘が乗ったかごが「べっぴんさんじゃ」「商売繁盛」と掛け声を上げて練り歩き、沿道に詰めかけた観衆は熱気に包まれた。

 愛染娘12人が乗り込んだ6台のかごは午後1時40分ごろ、天王寺公園前を出発。かねや太鼓を鳴り響かせながら約1・5キロ先の愛染堂までを1時間近くかけ進んだ。

 この日の午後2時の気温は28・7度。愛染まつりは593年に聖徳太子が始めた日本最古の夏祭りとされ、商売繁盛などを願う。愛染娘は約300人の中から選ばれた。7月2日まで。

1408よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/02(火) 22:17:23 ID:W8LJ./v.0
宝恵かごに笑顔乗せ 愛染まつり始まる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130701-OYT8T00031.htm

 天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りの一つ「愛染(あいぜん)まつり」が30日、大阪市天王寺区の四天王寺支院・愛染堂で始まり、浴衣姿の愛染娘12人を乗せた「宝恵(ほえ)かご」行列が街に繰り出した。

 593年、無病息災を願い、聖徳太子が開いた日本最古の祭りとされる。メーンを飾る「宝恵かごパレード」は、芸妓(げいこ)がかごに乗って参拝した江戸時代の様子を再現。愛染娘らは、ちょうちんや造花で飾られたかごに乗り、太鼓の音に合わせて「愛染さんじゃ、ほーえーかーごー」と声を上げ、阿倍野区の商業施設から愛染堂までの約1・5キロで愛嬌(あいきょう)を振りまいた。

 愛染娘の一人、斎藤亜美さん(24)は、「みなさんに元気を与えられるよう、笑顔で手を振りました」とほほえんだ。祭りは2日まで。

(2013年7月1日 読売新聞)

1409よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/02(火) 22:18:28 ID:W8LJ./v.0
墓域さらに拡大か 茨木・千提寺キリシタン墓地
2013年7月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130702/20130702022.html

 キリシタン大名、高山右近の領地だった大阪府茨木市千提寺で発掘されたキリシタン墓地についての発掘報告会が1日、大阪市北区のサクラファミリア聖堂で行われ、発掘に携わった府文化財センターの亀井聡さんが講演した。

 千提寺では、新名神道路建設に伴った発掘事業が2011年から行われており、新たに16〜17世紀前半のキリシタンを葬ったとみられる墓地群が見つかった。キリシタン墓地の発掘は全国で6例目。

 同時期の一般的な埋葬が円・方形墓に遺体をかがめて納められているのに対し、キリシタン墓地は長方形型で横に寝かせた状態「伸展葬」になっているのが特徴。墓の長短はあるが、同じ方角を向いて設置されている。

 今回の発掘は、千提寺西、千提寺南、千提寺市阪、千提寺クルス山の4遺跡34調査区で行われ、発掘された中近世の墓地280基のうち、32基がキリシタン墓地と推測される。

 亀井さんによれば、今回の発掘事業範囲外だったクルス山の南側尾根にはやや広い平たん面があり、墓域の範囲が広がる可能性があると指摘していた。

 千提寺は北摂山地の佐保川と大岩川に挟まれた山間部に位置。1919(大正8)年に上野マリヤ墓碑が発見されたことにより、隠れキリシタンの存在が明らかになった。

1410よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/04(木) 23:05:54 ID:X3JpG1wQ0
文楽を通して社会問題考察 大阪市社協、参加募る
2013年7月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130704/20130704033.html

 大阪市社会福祉協議会は13日午後1時から同5時まで、大阪市中央区高津の高津宮で開く「閃きフューチャーセッションvol.3〜文楽を通して社会問題を考える〜」の参加者を募集している。

 大阪の文化である文楽の作品の中には、現代に通じる社会問題が数多く取り上げられていることから、文楽の世界に思いをはせながら、対話を通して現在の社会問題を考える。

 テーマに関心のある一般市民が対象で、定員は40人。受講料千円が必要。文楽のミニ鑑賞会もある。

 問い合わせは電話06(6765)4041、同協議会へ。

1411よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/04(木) 23:45:07 ID:X3JpG1wQ0
きらめく 太閤通宝…なにわの夢募金で
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130704-OYO1T00236.htm?from=newslist

 国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、1万円以上の寄付者に贈られる記念メダル「太閤通宝」の製造が3日、大阪市北区の造幣局で始まった。

 メダルは、直径27ミリの丹銅製。表面の中央部には、見る角度によって図柄が変わる「潜像」の技術で、秀吉のシンボルである瓢箪(ひょうたん)と大阪市章の澪標(みおつくし)がデザインされている。裏面には、秀吉時代の城があしらわれている。

 募金は大阪市と読売新聞大阪本社の共同プロジェクトで、4月の募金開始から、すでに3000万円以上(6月末現在)が集まっている。メダルは8月以降、順次発送する。

 寄付は、ゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi‐ishigaki.com/)からクレジットカードによる申し込みで受け付け。振り込みの場合は、市役所や各区役所などで配布している専用用紙が必要。寄付額に応じ、所得税、住民税が控除される。問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年7月4日 読売新聞)

1412名無しさん:2013/07/06(土) 20:36:27 ID:kxrq/ohQ0
大阪日日新聞
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130706/20130706035.html

八軒家浜で「船渡御」見よう 25日イベント
2013年7月6日
 25日の天神祭の船渡御を京阪電鉄、大阪市営地下鉄谷町線「天満橋」駅すぐの八軒家浜(大阪市中央区)から楽しめるイベント「夏や!天神祭や!みんなで行こう!船渡御観覧in八軒家浜」が現地で行われる。落語家の桂壱之輔さんらが、目の前で繰り広げられる船渡御の解説役を務める。

 水都・大阪の魅力に触れる機会の創出をと、船渡御に合わせて八軒家浜に観覧スペースを設けた「天神祭・水都大阪プロジェクト2013」の一環として、今年で4年目を迎える。大阪府と日本旅行が主催。

 午後6時から。当日は桂壱之輔さんとともに、講談師の旭堂小二三さんが船渡御の解説を行い、祭り気分を盛り上げる。ラジオ大阪で放送中の旅番組「のりのりトラベラー」に出演中のトラベルアイドルの3人も参加し、花を添える。

 メーンシートは3千円、ゆったりシート4千円、ベンチシート3千円(いずれも大人料金で、メーンシートのみ子どもは無料)。このほか団体シートなどもある。各シートは飲み物(ビールまたはソフトドリンク)2杯とおつまみ付き。

 申し込みは専用受け付けホームページ(http://v3.apollon.nta.co.jp/tenjin/)で受け付けている。締め切りは17日。

 問い合わせは電話06(6342)0230、日本旅行西日本MICE(マイス)営業部へ(平日の午前9時45分〜午後5時45分)。

1413名無しさん:2013/07/06(土) 21:08:31 ID:kxrq/ohQ0
YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130706-OYT8T00060.htm
高槻市が懸賞論文「いましろ賞」創設

.◇古代史テーマに

 高槻市教委が、古代史の懸賞論文「いましろ賞」を創設した。「真の継体天皇陵」とみられている今城塚古墳など、市内の歴史遺産について論文やエッセーにつづる機会を設けることで、歴史のまちのPRにつなげる。

 市内には、今城塚古墳のほか、藤原鎌足の墓との説がある阿武山古墳、弥生時代の集落跡・安満(あま)遺跡など、古代の史跡が多い。こうした史跡や関連する人物をテーマに、発掘調査の結果や文献、史料に基づいて調査・研究した論文やエッセーを募集する。

 選考委員は白石太一郎・府立近(ちか)つ飛鳥博物館長(日本考古学)と、塚口義信・堺女子短大名誉学長(日本古代史)、浜田剛史市長が務める。4000〜1万2000字で、図表や写真も添付できる。最優秀作1編、佳作2編が選ばれ、それぞれ副賞10万円と3万円に加えて、記念品が贈られる。

 受付期間は8月31日必着で、〒569・1136高槻市郡家新町48の8、市立今城塚古代歴史館へ、郵送か持参。選考結果は10月下旬に発表され、入賞者に通知される。問い合わせは、同館(072・682・0820)へ。

(2013年7月6日 読売新聞)

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1415よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/07(日) 21:12:30 ID:k6dmgzn20
大阪ええとこいっぱいありまっせ〜。KANSAIウオークで幕末史跡をたどる
2013.7.7 10:06
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130707/wlf13070710090006-n1.htm

 関西地方各地の名所を歩く「KANSAIウオーク2013」(産経新聞社主催、ライオン特別協賛)の第1回「大阪市内エリア」が6日開かれた。千人以上が参加し、天王寺区の四天王寺から中央区の大阪城まで幕末の史跡を巡った。

 今回のテーマは「NHK大河ドラマ『八重の桜』ゆかりの大阪の幕末史跡を歩く」。約8キロのファミリーコースと約16キロのスペシャルコースがあり、参加者らは、鳥羽・伏見の戦いで亡くなり一心寺に眠る会津藩士の墓所、新撰組が京都とは別に構えた大坂屯所跡など、激動の舞台に触れた。

 ゴールした中学生以上の参加者にはライオン製品詰め合わせなどが贈られた。

 第2回「奈良・斑鳩エリア」は9月28日に、第3回「京都エリア」は11月30日に開かれる。

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1417よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/09(火) 22:21:34 ID:bpEvuQi.0
昔も一票に必死 戦前のチラシなど展示
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130709-OYT8T00112.htm

 参院選に合わせ、大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前)は明治後期の選挙人名簿や、昭和初期の候補者チラシなど、過去の選挙の印刷物9点を展示している。9月23日まで。

 1928年(昭和3年)の第1回普通選挙で配られた候補者チラシ5枚は、B5判の2色刷り。大阪1区から出馬した候補者の名前入りの投票用紙や富士山を描き、「貴下の一票に生きる」「孤立無援」など、同情票を得ようとする言葉が並んでいる。

 1902年(明治35年)の衆院選の有権者人名表には、大阪市東区(現在の中央区の一部)の1707人の名前が記されており、当時の高額納税者のリストともいえる。このほか、11年の府議候補者の推薦状や、29年の大阪市議選の立候補者あいさつ状もある。

 来館者で、吹田市出口町の会社員、岡本一也さん(33)は「チラシの図柄には今よりも斬新な部分がある。一票を巡る候補者の切実な思いを感じられる」と話していた。

 入館料は大人600円。問い合わせは同博物館(06・6946・5728)へ。

(2013年7月9日 読売新聞)

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1421よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/11(木) 21:16:09 ID:nZkDu6T20
“お仕事”頑張れ〜 アイガモを御神田に放鳥
2013年7月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130711/20130711039.html

 住吉大社(大阪市住吉区)で10日、アイガモ農法で使うアイガモを御神田に放鳥する行事が行われた。市立粉浜幼稚園(同市住之江区)の園児らがアイガモのひなを抱え御神田にそっと放つと、かわいらしい様子で泳ぎ回っていた。

 御神田は約2300平方メートル。神事に使用されるイネが栽培されており、約20年前から害虫駆除などを目的にアイガモを放っており、2年前から地元の幼稚園児らが放鳥に参加している。

 この日は約30人の園児らが2人一組となり、生後約2週間のアイガモのひな20羽を抱え、御神田に放った。園児らは田んぼの中を泳ぎ回るひなに「頑張れ」「いっぱい食べて大きくなってね」などと声を掛けていた。

 ひなを放鳥した前田梨姫(りこ)ちゃん(5)は「かわいかった」と話していた。

1422よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/11(木) 21:39:27 ID:nZkDu6T20
随分と前の記事ですが、今日、大阪日日新聞さんのニュースランキングで一番に来ていましたので、紹介します。
ちょっと話がそれますが、今、大河ドラマ「八重の桜」が会津戦争を取り上げ、前半のクライマックスを迎えていますね。
会津藩は藩士は戦士として、どこの藩にも負けないぐらい優秀だったが(それは会津戦争の六年後の西南戦争で証明されたと言えるでしょう)、残念ながら使っている武器の殆どが旧式であったが為に新政府軍に抗しきれなかった。
では、日本には優秀な武器を作る技術が無いのかと言えばそうではない。
それはこの記事にある火縄銃が非常に優れていた点からみて間違いない。

もし、日本が鎖国をせず、大々的に海外との交流を続けていれば、当然、外国との戦争を意識せざるを得ないので武器の技術は更に進んでいたのではないかと思います。

さて今の日本、国を守るに欠かせぬ武器の技術(おっと、自衛隊では装備と呼ぶんだった、面倒くさい意味の無い言いかえだね)はどうなんでしょうかね。
本当に世界の潮流から、世界の最先端から遅れていないのでしょうかね。

なにか事があって、事後の世界の人たちから「日本の自衛隊は隊員は優秀だったけど、使っている武器が旧式でね、それで負けたんだ」と言われる恐れはないのでしょうか。
かつての会津藩のようにならないと言い切れるのでしょうかね。
私は非常に不安に思っています。


真田幸村ゆかりの火縄銃 大阪に“里帰り”
2012年12月31日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121231/20121231018.html

 大坂夏の陣(1615年)で豊臣方として奮戦した信州上田の武将真田幸村が、茶臼山の徳川軍を襲った際、目前の家康を狙撃する寸前、馬上から落としたと伝わる8連発の最新火縄銃「馬上宿許筒(しゅくしゃづつ)」がこのほど大阪市内で公開された。敗軍の将ゆえに現存する幸村ゆかりの品は極めて少ないことから貴重な歴史的遺物に注目が集まっている。

 公開したのは「堺鉄砲研究会」を主宰し、テレビのお宝鑑定番組の鑑定人としても知られる研究家澤田平さん(同市東成区)。澤田さんは当該の銃が和歌山・紀州藩の記録書「南紀徳川史」に図解入りで「神祖(家康)を狙撃し奉りしもの」と記されていることから、長年にわたって銃の所在を調査。その中で紀州徳川家から家臣で砲術家の勝野家へ預けられていたが、戦後、日本に駐留したGHQ(連合国軍総司令部)による武装解除に紛れて米国に持ち帰られていたことが分かった。

 堺の鉄砲鍛冶(かじ)・芝辻が手掛けた作品で、発射ごとに火ぶたが開閉、1発分の火薬と弾丸を装填(そうてん)するなど一般の火縄銃と比べて5倍以上の連射速度を誇る半自動機構を持つ。澤田さんは2年前、米国の銃器研究家ロバート・キンブロー氏の著書を頼りに、元GHQだった所有者がオレゴン州在住であることを突きとめて渡米。「日本の文化財だけでなく世界の文化財」と熱を込めて説得を続けた後、ようやく譲り受け“里帰り”の運びとなった。

 帰国した銃は今年の7〜9月に幸村の故郷、長野県上田市にある真田氏歴史館の特別展で初公開。銃にとっての故郷大阪では、澤田さんが講師を務める大阪府高齢者大学校のカリキュラム「戦国武将から生き方を学ぶ」の中で披露された。受講生は「歴史に『もし』はないが、この銃が家康に向けて火を噴いていたら戦況が大きく変わっていたかもしれない」という解説に興味深く耳を傾け歴史ロマンに思いをはせていた。

 澤田さんは「『歴史的遺物から史実を知る』をテーマに掲げて幸村公の人物象に迫りたい」と意気込みを語り、さらに研究意欲を燃やしている。

1423よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/11(木) 22:16:02 ID:nZkDu6T20
いくたま夏祭始まる
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130711/5852081.html?t=1373547434421

大阪で生國魂神社の夏祭りがきょうから始まり、無病息災を願って太鼓の一行が大阪の街を練り歩きました。
きょうは大阪・天王寺区の生國魂神社でいくたま夏祭の始まりの儀式が行われ、巫女が舞を奉納した後、榊をお供えして祭りの成功を祈りました。
そして、無病息災を願う「願人」と呼ばれる人たちが直径1メートル余りの太鼓を体を後ろへ反らせて叩きながら、大阪の街を練り歩きました。
いくたま夏祭は大阪の神社で行われる三大夏祭りのひとつといわれ、大阪天満宮の天神祭や住吉大社の住吉祭とともに親しまれています。生國魂神社の神主の中村文隆さんは「お祭りが始まって夏が始まったなという印象です。このお祭りは人々の無病息災を祈って始まったものなので、お祭りに参加して暑い夏を乗り切って欲しいです」と話していました。
いくたま夏祭は12日まで行われます。

07月11日 15時36分

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1425名無しさん:2013/07/13(土) 21:29:09 ID:FKOD2etM0
水道橋博士に続く途中降板アリ!? テレビ大阪「天神祭生中継」
2013.7.13 16:38

 テレビ大阪の夏恒例「2013 天神祭生中継」(25日午後6時59分)の制作発表会見が13日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。

 開局以来、今年で32回目を迎える伝統の中継。「川に風、空に華、人に熱」をテーマに、16台の中継カメラが同局屋上の特設スタジオをはじめ、天満宮境内や参道、船渡御や奉納花火などの様子を網羅する。

 司会は10年連続となる西川きよしと2年ぶりのハイヒールリンゴ・モモコ。ほかに、萬田久子や三田村邦彦、海原やすよ・ともこ、眞鍋かをりら同局の人気番組の出演者が花を添える。

 きよしは「祭りに来られない、画面の向こうの方々に楽しんでもらえるよう頑張りたい」と決意。当日は華麗な浴衣姿を披露するハイヒールの2人は、統括プロデューサーが、水道橋博士の降板騒動で話題の「たかじんNOマネー」と兼務していることになぞらえ、「(出演者の)誰かが怒って番組途中で帰らないように。いや、当日一番怒るのは私らの(化粧を担当する)メークさんかも」と笑わせていた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130713/wlf13071316520015-n1.htm

1426名無しさん:2013/07/14(日) 03:04:52 ID:9KsQJV7Y0
くいだおれ太郎と船上で大阪デビューしたタヌキ

大阪・道頓堀で語り継がれる芝居好きのタヌキ「柴(しば)右衛門(えもん)」の伝説にちなんだ阿波木偶(でこ)人形が13日、「くいだおれ太郎」とともに道頓堀川で行われた難波八阪神社の伝統行事「船渡御(ふなとぎょ)」に参加した。

 かつて道頓堀に立ち並んだ芝居小屋の一つ、中座にまつられ、「人気の神様」として信仰を集めた柴右衛門。人形は「道頓堀の歴史を伝える新たなシンボルに」と発案され、徳島県の人形師が制作、この日、大阪デビューを果たした。

 人形は見物客に船上から手を振り、太郎は吹き出しで「おめでたいことでおます」と歓迎。この後、仲良く並んで中座跡地のビルに飾られた。

(2013年7月13日21時20分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130713-OYT1T00838.htm?from=ylist

1427名無しさん:2013/07/14(日) 03:10:19 ID:9KsQJV7Y0
水都の夏にぎやかに 道頓堀川で船渡御巡幸
2013.7.13 23:31

 大阪・ミナミの道頓堀川で13日夜、難波八阪神社(大阪市浪速区)の船渡御巡幸が行われた。ちょうちんや紅白幕などで飾られた渡御船団が水面をゆっくりと行き交い、水都の夏の風情を盛り上げた。

 難波八阪神社の船渡御は無病息災を祈願する神事で、江戸時代にはすでに、盛大に行われていたという。江戸中期以降、一時途絶えてしまったが、氏子衆や地元の支援で平成13年、230年ぶりに復活した。

 復活13回目の今年は、篝火(かがりび)船など全部で22隻の船に法被姿の氏子ら計約600人が乗り込み、地元商店街が掲げたちょうちんの光が映る川を、太鼓やかねの音をにぎやかに響かせながら往復した。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130713/wlf13071323380023-n1.htm

1428名無しさん:2013/07/14(日) 03:23:14 ID:9KsQJV7Y0
猛暑上等!豪快お練り いくたま夏祭
2013年7月12日
 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる生国魂神社(大阪市天王寺区生玉町、中山幸彦宮司)で11日、恒例の「いくたま夏祭」が宵宮で幕開けした。同市の日中の最高気温が34・7度と厳しい暑さの中、太鼓やみこしなどの列が氏地を巡行。大阪天満宮、住吉大社と並んで“大阪三大夏祭り”と称される一大祭りの到来を触れて回った。12日まで。



 祭りには豊臣秀吉が同神社に奉納したことが起源となり今日まで伝統が受け継がれている枕太鼓をはじめ、金みこし・銀みこし、子ども太鼓、獅子舞など合わせて約千人の老若男女が参加した。それぞれが同神社に伝わる独特の手締め「いくたま締め」を決めた後、順次境内を出発し、同区のほか中央区などの氏地をにぎやかに練り歩いた。宮入り後、夜の境内では枕太鼓などの豪快なお練りが繰り広げられ無数の参拝者を魅了した。

 本宮の12日には、かつての同神社鎮座の場で、大阪城公園内にある「大阪城駐輦(ちゅうれん)所」などへ向かう渡御などが執り行われる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130712/20130712020.html

1429名無しさん:2013/07/14(日) 15:56:34 ID:fVy8sQm60
青葦30束を奉納 大阪天満宮
2013年7月14日
 目前に迫った天神祭(24、25日)を前に、同祭で表大門に設けられる大茅ノ輪(おおちのわ)や鉾流(ほこながし)神事などに用いられる茅ノ輪となる青葦(あおよし)を、滋賀県近江八幡市から運んで奉納する「青葦奉納式」が13日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。

 この日午後、近江八幡和船観光協同組合の関係者ら約10人が、12、13の両日に現地で刈り取った高さ約3〜4メートルの青葦30束を大阪天満宮に奉納。本殿でおはらいを受けた。

 葦には水を浄化する作用があり、罪や汚れもはらうという信仰から、茅ノ輪くぐりの神事が発生したとされる。琵琶湖の水が24時間で大川に到達することから、1998年より同組合から葦の提供を受けている。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130714/20130714024.html

1430名無しさん:2013/07/14(日) 15:58:18 ID:fVy8sQm60
渡御列川面照らす 難波八阪神社夏祭
2013年7月14日
 難波八阪神社(大阪市浪速区、藤枝春紀宮司)夏祭宵宮の船渡御巡行が13日夜、大阪・ミナミの道頓堀川で行われた。22隻による渡御列は、観光客や若者らでにぎわう日吉橋−日本橋間を往来。「川祓(はら)え」神事を行うとともに、東日本大震災からの早期復興を祈念した。

 同神社の船渡御は、大阪天満宮の船渡御と並び盛大に開催されてきたと伝えられている。江戸中期以降、一時期途絶えていたが、2001年に氏子や地元企業らによる支援で復活した。

 渡御列は夕方、浪速区の湊町リバープレイス船着場に向けて同神社をスタート。社旗を掲げた御旗船を先頭に氏神様の御霊(みたま)を乗せた鳳輦(ほうれん)船など渡御列のちょうちんの明かりが、週末の多くの人手でにぎわう道頓堀川の水面を優雅に照らしていた。

 14日の本宮では、陸渡御が行われ、みこしなどの渡御列が浪速や、西、中央区を巡行する。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130714/20130714022.html

1431よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/15(月) 19:22:56 ID:qgQ9NXQw0
先陣切る催太鼓準備 「台絡み」380人早朝から作業
2013年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130715/20130715036.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」(24、25日)を前に15日、大阪市北区の大阪天満宮で、25日の陸渡御の先陣を切る催(もよおし)太鼓の担ぎ棒などを組み付ける「台絡み」が執り行われた。太鼓を担ぐ「太鼓中」のメンバーら約380人が、早朝から作業に取り組んだ。

 催太鼓は、陸渡御の先頭を務める大役で、太鼓を打ち鳴らす願人(がんじ)や担ぎ手らが「チェーサジャー」の掛け声で勇壮に進む。23日夜の前夜祭と24日の宵宮にも登場する。

 この日、午前6時ごろから集まったメンバーらは、麻ひもを結んだり、担ぎ棒を押さえて木づちでたたいて締めつけたりと声を掛け合いながら、伝統の手法に従って作業を進めた。

 願人を務めてことしで10年目という前田光俊さん(25)は「願人ができるのはことしで最後。精いっぱい頑張りたい」と気を引き締めた。

 戦後第1回から催太鼓に携わってきた太鼓中の西川輝彦総代(74)は「けがのないよう、元気にやってもらうのが何よりも大切」と作業を見守った。


大川で奉納ドラゴンボート選手権 50チーム熱戦
2013年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130715/20130715037.html

 天神祭奉納「2013日本国際ドラゴンボート選手権大会」(天神祭渡御行事保存協賛会、日本ドラゴンボート協会など主催)が14日、大阪市の八軒家浜前の大川で開かれた。関西を中心に全国から、50チーム、1250人が参加し、熱戦が繰り広げられた。

 ドラゴンボートは中国を起源とする手こぎボートで、こぎ手、かじ取り、太鼓の3役が乗船してレースを行う。

 開会式では大阪天満宮の神職のおはらいで安全を祈願した後、大会会長の小野清子・アジアドラゴンボート連盟副会長が「試合は短い時間だが練習の成果をそこに集中してほしい」と開会を宣言。

 強い日差しが照りつけ、セミの鳴き声が響く中、ライフジャケットに身を包んだ選手たちが、太鼓のリズムで勢いよくパドルを動かすと、ドラゴンボートが水しぶきを上げながら突き進み、100分の1秒を競って248メートルの大川特設コースを疾走した。

 25回目となる同大会は、2014年に中国・マカオで開かれる「第11回アジア選手権大会」への代表最終選考を兼ねて実施された。


仮装姿でアピール みこしギャル80人決まる
2013年7月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130714/20130714021.html

 大阪の夏を彩る天神祭(24、25日)を女性パワーで盛り上げる「天神祭ギャルみこし」の担ぎ手、みこしギャルの選考会が13日、大阪市北区の市立住まい情報センターで開かれた。297人の応募の中から書類選考を通過した185人が、アイデアに富んだ仮装姿で参加。てんびん棒を担いで意気込みをアピールし、80人のみこしギャルを選出した。

 ギャルみこしは天神祭宵宮の前日に当たる23日に天神橋筋商店街などを巡行。今年で33回目を迎える。

 選考会は「仮装deワッショイ!」と題し、一般にも公開された。参加した女性らはレオタードやチャイナドレス、浴衣など好きな仮装でステージに立ち、両端に重さ約70キロの俵をつるしたてんびん棒を「ワッショイ」と威勢の良い掛け声とともに持ち上げた。

 「酔っぱらったおじさん」をテーマに、はげ頭のかつらをかぶりネクタイを頭に巻いた仮装で参加した東大阪市の会社員、神谷歩未さん(25)は、「緊張したけど笑ってもらえて楽しかった」と話していた。

1432名無しさん:2013/07/16(火) 21:41:22 ID:zJgQlu8Y0
目前の祭りPR 天神祭、ディアモールで花娘ら
2013年7月16日
 天神橋筋商店連合会のキャンペーンガール「天神天満花娘」が15日、大阪市北区の地下街、ディアモール大阪で、目前に迫った天神祭(24、25日)のPRイベントに参加した。地下街の利用者にパンフレットを配り、日本三大祭りの一つに数えられる天神祭の魅力をアピールした。

 花娘は2003年から同連合会が公募し、今年は98人の応募の中から10人が選ばれ、7日に大阪天満宮で行われた「星愛七夕まつり」でお披露目された。

 この日のキャンペーンには花娘5人が参加。紅白の梅をあしらった花飾りなどの衣装で登場。「そうらえ 聞きそうらえ われら 天神花娘」と口上を披露した。その後、地下街を訪れている人らにパンフレットを配り、祭りをPRした。

 同連合会の土居年樹会長は「華やかでにぎやかなのが天神祭の特徴。ぜひお越しを」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130716/20130716025.html

1433よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/18(木) 05:26:41 ID:VdgnbFRA0
スケジュール確認 天神祭控え打ち合わせ
2013年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130717/20130717025.html

 日本三大祭りの一つに数えられる天神祭(24、25日)を前に、同祭の関係機関の担当者による総合打ち合わせが16日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。目前に迫った祭りを前に、出席者が本番のスケジュールを確認するとともに、安全かつ盛大な斎行を誓った。

 大阪天満宮をはじめ天神祭渡御行事保存協賛会や警察、消防、警備会社などの関係機関から約70人が出席した。

 寺井種伯宮司は「盛大な斎行に一段の力添えを」と呼び掛けた。同祭実行委員会の京極俊明実行委員長は「天神祭も本宮まであと9日。忌憚(きたん)のない意見を」、同協賛会の栗原宏武副会長は「安全第一に伝統ある祭りが行われることを希望する」とあいさつした。

 この後、大阪天満宮の担当者から25日の陸渡御、船渡御のスケジュールなどが報告された。


天神祭盛り上げへ 純金扇面お目見え
2013年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130717/20130717028.html

 24、25日に斎行される大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭を前に、同祭を記念した純金製扇面の展示が16日、同市中央区心斎橋筋の貴金属ジュエリーの老舗ギンザタナカ心斎橋店で始まった。きらびやかな扇面に勇壮な地車などが彫り込まれ、日本三大祭りにふさわしい輝きとともに店頭を飾っている。参考価格は6千万円。展示は26日まで。

 作品(幅約75センチ、高さ約50センチ)には純金約7キロが使用されており、完成までに約3カ月を要した。中央に地車の細やかな正面図を配し、両脇に同宮の社紋である梅鉢紋のデザインと「祝 天神祭」の文字をあしらった。商店街に面した店頭ショーケース内にはこのほか、錦絵「浪速天満祭」をデザインした金箔扇子も並び、道行く人々が豪華なディスプレーに見入っていた。同店の小野勝由店長は「見て楽しめる作品で祭りムードを盛り上げる一助となれば」と話している。希望者には販売に応じる。

1434よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/18(木) 21:40:35 ID:AnffnVds0
都心に歴史絵巻再現 御霊神社夏祭り船渡御
2013年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130718/20130718019.html

 大阪市中央区淡路町の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で17日、夏祭りの奉幣祭が盛大に執り行われた。おととし約140年ぶりに復活した船渡御のほか武者行列など、都心で歴史絵巻を思わせる光景を再現した。

 同神社の船渡御は1780(安永9)年に始まったと伝わり、明治初期に中断されるまで約500人が参加する一大祭事として親しまれた。2011年に発生した東日本大震災を受け、大阪から元気の発信を目指して復活に至った。

 過去2回が昼間だったのに対して、今年は本来の船渡御の姿に戻そうと夕刻に斎行。船場武者講をはじめ、江戸堀猿田彦講、西船場獅子講、靱太鼓講などから約150人が集まった。一行は武者姿などで御堂筋を練り歩いた後、淀屋橋から3隻の船に分乗。土佐堀川、堂島川を経て、木津川沿いにある同神社行宮(同市西区南堀江)を船上から遥拝した。

 園宮司は「多くの方の協力を得ながら、一歩ずつ資料に描かれている元の祭事の姿に戻していきたい」と話し、勇壮華麗な行列を見守った。

1435よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/18(木) 21:43:41 ID:AnffnVds0
「浪花鑑」の成功祈願 文楽の吉田玉女さん
2013年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130718/20130718021.html

 国立文楽劇場で20日から始まる「夏休み文楽公演」の第3部サマーレイトショー「夏祭浪花鑑」(午後6時半開演)で団七九郎兵衛の人形を遣う吉田玉女さんが17日午後、芝居の舞台になる大阪市中央区高津の高津宮(高津神社)を参拝し公演の成功祈願を行った。

 この日は同宮の夏祭り宵宮。お神輿(みこし)が近くの黒門市場から宮入りし、団七九郎兵衛の人形と玉女さんが合流し境内を練り歩いた。同演目はちょうど同宮の夏祭りを背景にしており、玉女さんは「身近に起こった出来事なのでとても気合が入る」と、お神輿を担ぐ黒門市場商店街の若者たちと一緒に「わっしょい!」。

 「団七九郎兵衛は平成13年に師匠(人間国宝だった故吉田玉男)から桐竹勘十郎さんと一緒に受け継いで今回で6回目。師匠が義平次で相手をしてくださって緊張して演じたのを思い出す」と玉女さんは感慨深げ。この後、本殿で玉串奉奠(ほうてん)に臨んで「大阪の夏を盛り上げ景気づけしたい」と意気込んでいた。

 夏休み文楽公演はほかに第1部親子劇場「金太郎の大ぐも退治」(午前11時開演)、第2部名作劇場「妹背山婦女庭訓」(午後2時開演)が8月5日まで上演される。

1436よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 09:51:21 ID:tYQxg9lA0
天神祭の熱気伝える 帝国ホテルで写真コン作品展
2013年7月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130719/20130719024.html

 天神祭(24、25日)を前に、帝国ホテル大阪(北区天満橋1丁目)で「天神祭写真コンテスト作品展」が開かれている。目前に迫った天神祭の魅力を、写真を通して紹介している。入場無料。25日まで。

同ホテルの恒例行事として、今年で14回目を迎える。天神祭渡御行事保存協賛会、大阪天満宮講社連合会協賛。入賞・入選作をはじめ全応募作品222点を展示している。

 鳳神輿(おおとりみこし)を載せた船の様子を捉え、最優秀賞を受賞した「船渡御」をはじめ、どんどこ船の勇壮な姿を写した入選作、ギャルみこしの活気が見る人を魅了する1枚など、一足早く天神祭の魅力を伝えている。

 同ホテルでは25日まで、御迎え人形「羽柴秀吉」が展示されている。24日には天神講獅子と、鳳講子供みこしの練り歩きがある。

 ホテルの広報担当者は「地域とホテルが一緒になって天神祭を盛り上げていければ」と話している。

 同ホテルは来年、開催する「天神祭写真コンテスト」の作品を募集している。10月31日締め切り(当日必着)。

 問い合わせは電話06(6881)4601、帝国ホテル大阪総支配人室企画課「写真コンテスト」係(土、日祝日を除く午前9時〜午後5時)へ。

1437よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 09:58:00 ID:tYQxg9lA0
文楽の魅力をアピールを 国立文楽劇場が高津宮に成功祈願
2013.7.19 12:08 [文楽]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130719/wlf13071912110014-n1.htm

 20日から行われる国立文楽劇場(大阪市中央区)の「夏休み文楽特別公演」を前に、文楽人形遣いの吉田玉女さんらが同区の高津宮で公演の成功を祈願した。

 高津宮が演目の一つ「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の舞台となっていることにちなんで実施。玉女さんらが操る団七の人形とともに、夏祭りが行われている高津宮を訪れた。

 玉女さんらは、祭りの宵宮で地域を回っていた「黒門みこし」とともに祭りの雰囲気を盛り上げたあと、本殿で祈願。劇場関係者やファンらが見守る中、公演の無事と成功を祈った。

 玉女さんは「団七人形は特別な人形。成功祈願もできたので、力強い大きな動きをお見せしたい」と話していた。

 公演は8月5日まで(1日3部制)。夏祭浪花鑑は第3部で上演される。問い合わせは同劇場((電)06・6212・2531)。

1438よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 10:22:27 ID:tYQxg9lA0
大同生命前身の加島屋、鴻池家しのぐ豪商だった
2013.7.17 20:40
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130717/osk13071721380005-n1.htm

 大同生命保険(本社、大阪市西区)の前身で江戸時代の豪商・加島屋(かじまや)が、当時の大坂(現在の大阪)を代表する豪商だった鴻池(こうのいけ)家をしのぐ財政規模だったことを示す古文書が見つかり、同社が17日発表した。

 当時の長者番付ではいずれも「大関」として同等に位置づけられたが、具体的な数値で比較できたのは初めてという。加島屋が島根・津和野藩の財政運営に関与したことを示す文書も確認され、“メーンバンク”のシステムをいち早く確立するなどした豪商の実態を知る貴重な史料となる。

 加島屋関連の古文書は同社の所蔵で、神戸大経済経営研究所の高槻泰郎准教授(日本経済史)が調べた。

 天明2(1782)年の「勘定目録」には1年間の収支状況が記され、総資産から負債を差し引いた純資産が2万2818貫と判明。当時の銀相場から1貫を83万円として計算すると189億4千万円で、これまでに知られている鴻池家の同年の純資産1万9312貫(160億3000万円)を上回っていた。ただし、加島屋の記録は天明2年分しか確認できず、同年以外の順位は不明という。

 一方、加島屋が明和7(1770)年に津和野藩と交わした融資契約書には、藩財政(勝手向=かってむき)を全面委任することを示す「勝手向萬端打任セ(ばんたんうちまかせ)」と明記され、加島屋が顧問料を得るなどメーンバンクを務めていたことも分かった。

 鴻池家は、18世紀の鴻池新田開発や、明治時代の鴻池銀行を経て旧三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の母体になったことで知られる。高槻氏は「大坂といえば鴻池というイメージがあるが、加島屋が経営規模で上回っていたとは驚きだ」と話す。

 古文書は大同生命本社で19日から9月30日まで特別展示される。

1439よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 10:53:26 ID:tYQxg9lA0
文楽ミニ公演:阪急うめだホール、来月21日に /大阪
毎日新聞 2013年07月20日 地方版
http://mainichi.jp/feature/news/20130720ddlk27040313000c.html

 気軽に文楽の魅力に触れてもらおうと、文楽協会は8月21日、大阪市北区の阪急うめだホールで「文楽ミニ公演」を開催する。技芸員が大夫、三味線、人形の解説をし、「牛若丸・弁慶 五条橋」を上演する。

 京都・五条橋で牛若丸と弁慶が出会う有名な場面を、義太夫節の演奏に合わせて人形が演じる。大夫の竹本津駒大夫さん、三味線の鶴沢藤蔵さん、人形遣いの吉田幸助さんらが出演する予定。午後1時と午後4時の2回。各1時間半。入場無料。

 希望者は往復はがきに住所、名前、電話番号、希望時間、人数(4人まで)を書き、〒542−0073 大阪市中央区日本橋1の12の10、文楽協会「阪急うめだホール」係へ。7月31日必着。定員各400人。申し込み多数の場合は抽選。問い合わせは同協会(06・6211・1350)。【関雄輔】

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1440よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/21(日) 11:08:03 ID:tYQxg9lA0
勘十郎さんに「杉玉」 文楽公演、安全祈願に
2013年7月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130721/20130721019.html

 大阪市中央区の国立文楽劇場で夏休み文楽公演がスタートした20日、第2部「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」(午後2時開演)の上演合間の舞台上で、お三輪の人形を遣っている桐竹勘十郎さんに、三輪明神大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市)の権禰宜(ごんねぎ)・山本眞人さんから「杉玉」が授与された。

 これは同神社の神木である三輪杉の葉を球状に束ねたもので昔から「酒造のお守り」とされている。舞台のお三輪は「杉酒屋」という店の娘で、「杉酒屋の段」の場が設けられている。山本さんから「安全祈願のしるしに」ということで杉玉を受け取ったお三輪の勘十郎さんは「これで暑い夏場を乗り切り、いいお芝居を」と笑顔で応えていた。

 文楽公演は第1部親子劇場「金太郎の大ぐも」(午前11時開演)、第3部サマーレイトショー「夏祭浪花鑑」(午後6時半開演)も上演。8月5日まで。

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1444よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/22(月) 23:53:23 ID:oOziyPkQ0
当屋開きで祭り高揚 天神祭目前に控え
2013年7月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130722/20130722047.html

 24、25日の天神祭を目前に控えた21日、大阪市北区の大阪天満宮では祭りの花形である催太鼓を打つ太鼓中の当屋(とや)開きが行われた。また、京都・伏見で造られた酒を奉納する伏見三十石船献酒式も執り行われ、境内は天神祭の熱がいよいよ高まってきた。

 催太鼓は、祭りの始まりを告げる24日の一番太鼓に始まり、25日の陸渡脚で先頭を務める。約千人で構成される講で、「願人(がんじ)」と呼ばれる若者たちが担ぎ棒で組み上げられた台の上の太鼓を「チェーサジャー」の掛け声とともに打ち鳴らす。

 当屋は講の本部のことを指し、約30ある講に先駆けて太鼓中が当屋開きを行う。

 神職からおはらいを受けたメンバーは大阪締めを行い、祭り本番への士気を高めた。西川輝彦総代(74)は「けが人を出すことなく、楽しい天神祭にしたい」と話していた。

 献酒式は、江戸時代に天神祭の時期になると京都・伏見から手こぎの三十石船で酒のたるが運ばれ、同宮に奉納されていたことが起源。現在は航行ができないため、伏見から車で天神橋北詰まで運ばれた酒だるを神輿(みこし)に担ぎ、天神橋筋商店街を通って同宮に参拝する。

 この日は、淀川三十石船唄保存会のメンバーをはじめとした約30人が舟歌を歌いながら練り歩いた。同会の市川廣会長(72)は「天神祭の前夜祭として続けているので、気が晴れた」と柔らかな表情を見せていた。

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1447よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:13:17 ID:b9EomMlg0
天神祭幕明けの鉾流神事
07月24日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130724/5769241.html

大阪の夏の風物詩天神祭が始まり、木の鉾を川に流す鉾流神事が行われました。
天神祭初日の鉾流神事では、神の使いを務める地元の小学生が、大阪天満宮の本殿でひのきの神鉾を授かったあと、およそ300人の行列とともに、近くの堂島川まで練り歩きました。
川岸に着いた小学生は、おはらいで身を清めたあと、神職とともに手こぎの舟で川の中央付近まで進み、神鉾を流して祭りの安全や人々の健康を祈願しました。
大阪天満宮の岸本政夫さんは「非常に見どころが多い祭りなので大阪の暑い夏を吹き飛ばして楽しんでいただきたい」と話していました。
天神祭は、25日が本宮で、およそ100そうの船が川を行き交う船渡御が行われるほか、夜にはおよそ4000発の花火が打ち上げられます。


笑顔満開、威勢よく ギャルみこし華やか
2013年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130724/20130724025.html

 日本三大祭りの一つに数えられる天神祭(24、25日)を前に女性だけで神輿(みこし)を担ぎ、同祭を盛り上げる「ギャルみこし」の巡行が23日、大阪市北区の天神橋筋商店街で行われた。みこしを担ぐみこしギャルが「ワッショイ、ワッショイ」とにぎやかな掛け声を響かせ、商店街はお祭りムード一色に包まれた。

 ギャルみこしは天神祭の前イベントして1981年から始まり、今年で33回目。297人の応募の中から選ばれた15〜30歳までの80人が参加した。

 この日正午すぎに、そろいの法被姿のみこしギャルらは、重さが1基約200キロの神輿を2基担ぎ、同商店街の夫婦橋付近をスタート。多くの見物客らが見守る中、威勢のいい掛け声を上げながら、大阪天満宮までの約3キロを練り歩いた。

 参加した大学生の中村美南子さん(20)は、「重たくて大変だけど楽しい。感無量」と笑顔を見せていた。

1448よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:45:49 ID:b9EomMlg0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより
「天神祭十二時」   
2013年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130724/20130724039.html

本宮の長い1日

 今ならさしずめ「密着天神祭二十四時間」とでもなろうか。祭りや神事、商売や人々のにぎやかな様子を雅文で活写する。原著者は狂歌師山含亭意雅栗三、享和年間(1801〜03年)に刊行されたものだが、今日紹介するのは、それに『渡御之賑(にぎわい)』という俳書の画譜を付して、昭和2(1927)年に翻刻し自費出版されたもの。

 出版者は藤里好古。風俗研究家として雑誌『上方』にも寄稿、同誌では「民俗、伝説、考古などに趣味深く、造詣深き」一人として紹介され、天満宮史編集のため同宮蔵の文献を探索中と自らも書くように、天満宮の教学部に在籍していた。大正10(21)年、米国の人類学者で千社札マニアでもあるF・スタールの『納札史』を翻訳出版し、その後も昭和15(40)年まで、天神信仰研究などの自らの研究を自費出版する。

 さて、「十二時」は本宮当日、旧暦6月25日卯(う)の刻・午前6時から始まる。朝の天満宮境内には、拝礼する宮司、昨夜から一晩中はやしたて宮入りしただんじりを押す男たちがいる。辰(たつ)の刻・午前8時には、宮近くの家々が祭りの飾り付け。この時刻ですでにして暑い。巳(み)の刻・午前10時、天満宮の外にさまざまな店屋が出始める。

 午(うま)の刻・正午は中之島辺りの夏の日の真昼の一瞬の静けさを、未(ひつじ)の刻・午後2時は客が来る前の曽根崎新地を描いて、ようやく申(さる)の刻・午後4時、「今ぞ御幸のときうつりぬ」と神事が始まる。御幸する天神様を迎える人々が大路にくまなく立ち混むなか、猿田彦を先頭に暑さに首の回りのおしろいのとれた稚児や、荒くれ男たちが太刀装束でのどかに進む。

 酉(とり)の刻・午後6時、船渡御。川の両岸はともしびで真昼のように明るく、夜店が出る。戌(いぬ)の刻・午後8時。商いの船で川岸が混み合う中、汗をかいた客たちのために湯おけを据えた船が登場。実際に和倉温泉のお湯を大阪まで持ってきた風呂屋があったというが、暑い夏に船上で風呂とは乙な商売である。風呂でうたた寝をしていた酔客が、花火の火の粉を避けるとかつらが外れるという珍事が起こる。また、亥(い)の刻・午後10時でも、見せ物小屋、酒、三味線、太鼓、唄や舞いなど、祭りにまつわるばか騒ぎが続く。

 子(ね)の刻・深夜12時、還御。かがり火に照らされた船上では、長い赤い烏帽子(えぼし)姿の男たちが大きな太鼓を打ち、川に飛び入りまた船にはい登る。祭りのクライマックスだ。丑(うし)の刻・午前2時、曽根崎辺りはまだ人でにぎわうが、寅(とら)の刻・午前4時にはあちこちのあんどんもまばらに消え残り、かねの音が聞こえる。それはおはやしではなく、暁を告げる鐘だ。川にはスイカの皮が漂い、酔いしれた廓(くるわ)の客たちもようやく夢心地で家路をたどる。

 さて、今日は宵宮、そろそろせからしいおはやしが聞こえてくる…。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

1449よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:56:52 ID:b9EomMlg0
天神祭PRへポスター作製 天満宮とコラボ企画
2013年7月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130723/20130723019.html

 大阪日日新聞は、大阪天満宮とコラボレーション企画として、天神祭(24、25日)をPRするポスター(B1判)を作製した。夜空に打ち上がる奉納花火ととともに、大川の川面をきらびやかに彩る船渡御の光景を紹介している。大阪、京都、神戸市営地下鉄の全駅などに掲示している。

 「天神祭」「日本三大祭りのひとつ」のコピーとともに、鉾流(ほこながし)神事や勇壮な催太鼓の様子など、これまで大阪日日新聞に掲載した天神祭の写真も収めている。陸渡御、船渡御のコースマップや23日〜25日までの主な天神祭の神事などの予定も一目で分かる。

 担当者は「ポスターを見て、天神祭に足を運んでもらえれば。当日は混雑が予想され、会場へは地下鉄でお越しください」と呼び掛けている。

1450よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:59:23 ID:b9EomMlg0
重さ4トン「だいがく」出現 「祭り」前に立て起こし
2013年7月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130723/20130723018.html

 大阪市西成区の生根神社(吉見友伸宮司)は24、25日に斎行される「だいがく祭り」を前に22日、大阪府指定文化財の「だいがく」を境内に設置した。

 「だいがく」は、高さ約20メートルの柱にやぐらを組み、79張りの提灯(ちょうちん)をつるしたもので、9世紀ごろから雨乞いに使われたとされている。

 江戸時代には玉出に14基あったが、電線の敷設など社会事情により担がれる機会が減り、第2次世界大戦前には3基まで激減。現在、戦災を免れた1基のみが現存し、1年に1度、祭りに合わせて公開されている。

 普段、だいがくは同社には解体された状態で保管されており、15日から組み立てが始まった。組み上がっただいがくは重さ約4トンもあり、この日は吉見宮司の太鼓の音に合わせて氏子約20人がモーターを使って立て起こした。

 吉見宮司は「ホッとすると同時に、こんな大きな物を引き継いできたことに驚きと尊敬の思いがある」と話していた。

 祭りではだいがく福笹やだいがく土鈴の授与が行われるほか、近くの玉出西公園で小型のだいがくを担ぐ「女性だいがく」「子どもだいがく」「中だいがく」が披露される。

1451よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/25(木) 21:29:10 ID:pJnytbIw0
天神祭「陸渡御」「船渡御」
07月25日 18時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130725/5769411.html

大阪の夏を彩る天神祭は色とりどりのみこしやだんじりが街を練り歩く「陸渡御」とおよそ100隻の船が川を行き交う「船渡御」が行われ祭りのクライマックスを迎えています。
大阪の「天神祭」は本宮のきょう大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、地域を見回ったという言い伝えを再現した「陸渡御」が行われました。
午後3時半に催太鼓の力強い響きを先頭に色とりどりの衣装を身にまとったおよそ3000人の行列が天満宮を出発しおよそ3キロのコースを2時間半かけて練り歩きました。
きょうの大阪市は日中の最高気温が35度の猛暑日になり沿道では地元の人たちが冷たいお茶や塩あめなどを用意し行列の人たちに配っていました。
行列の参加者は「すでに30分以上歩いているのでこのタイミングでの冷たい飲み物はありがたい」と話していました。
天神祭は▼午後6時からおよそ100隻の船が大阪市の中心部を流れる「大川」を行き交う「船渡御」と▼午後7時半ごろからはおよそ4000発の花火が打ち上げられクライマックスを迎えます。

1452よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/25(木) 21:42:47 ID:pJnytbIw0
催太鼓にぎやかに 伝統の祭り、今年も開幕
2013年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130725/20130725027.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭が24日、大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)などで始まった。宵宮祭、鉾流(ほこながし)神事などが厳かに執り行われ、千年を超える歴史を誇る祭りが今年も幕を開けた。25日の本宮に向け、大阪の街は天神祭のにぎわいに包まれた。

 この日午前、大阪天満宮本殿で宵宮祭が斎行された。その後、大阪天満宮表門から白木の神鉾を手にした神童ら約300人の渡御列が、鉾流神事の執り行われる鉾流橋たもとの斎場に向け出発。鉾流神事では多くの見物客らが見守る中、堂島川に浮かぶ小船から神童の手で、神鉾が川に流された。

 西区でも「千代崎行宮宵宮祭」が斎行された。このほか催(もよおし)太鼓の氏地巡行やどんどこ船の宮入りなどがにぎやかに行われた。

 25日は午後3時半に陸渡御が大阪天満宮を出発する。同6時から大川一帯で、船渡御が予定されている。第67回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は午後7時20分から行われる。大川沿いの造幣局前など2カ所で約4千発の打ち上げ花火と24基の仕掛け花火が、船渡御のにぎわいに花を添える。


「大阪締め」で気勢 陸渡御クライマックス鳳神輿
2013年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130725/20130725031.html

 25日に斎行される天神祭の陸渡御で鳳神輿(おおとりみこし)を繰り出す鳳講の一行が24日、大阪市中央区の大阪日日新聞を訪れ、「大阪締め」で祭りムードを盛り上げた。

 鳳神輿は1840(天保11)年に寄進され、現在は菅原家の祖とされる野見宿禰(すくね)が祭られている。25日には重さ2・1トンの神輿を75人で担ぎ、威勢のよい掛け声で陸渡御のクライマックスを飾る。

 この日は鳳講のメンバーが手分けし、天神祭とかかわりの深い企業などを訪問。大阪日日新聞には浜上謙治さん(67)ら7人が訪れ、畑山博史代表とともに大阪締めを行い、本番への士気を高めた。

 浜上さんらは「天神祭が終わらないと安心して一年が過ごせない」と大阪商人の心意気を見せていた。

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1455よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/26(金) 22:59:25 ID:UYkXKJjY0
空に川面に大輪競演 水都祭「天神祭奉納花火」
2013年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130726/20130726019.html

 大阪の夏を彩る天神祭が25日、本宮を迎えた。約3千人の列が連なる陸渡御、約100艘(そう)の船団が大阪市内を流れる大川を行き交う船渡御などが執り行われた。大川一帯で催された第67回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は、船渡御のにぎわいに花を添え、訪れた人らを魅了した。

 大阪天満宮(同市北区)の本殿では、災害疫病がないように市中の平安と繁栄を祈願する本宮祭に続き、菅原道真公の御神霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す「神霊移御之儀」が厳かに斎行された。その後、催(もよおし)太鼓を先頭に、陸渡御の渡御列が、船渡御の乗船場となる天神橋までの約3キロを練り歩いた。約1万2千人が乗船した船渡御では、にぎやかに船団が大川を行き来した。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは、奉納花火。船渡御の船団が航行する大川を舞台に、約4千発の打ち上げ花火と24基の仕掛け花火が大阪の夜空を色とりどりに染め上げた。

1456よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/26(金) 23:04:57 ID:UYkXKJjY0
原爆投下訓練爆弾の犠牲者追悼
07月26日 12時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130726/3277961.html

68年前の7月26日、大阪・東住吉区に、原爆投下の訓練用と見られる爆弾が落とされて7人が亡くなったことを伝え、平和を訴えようと犠牲者を追悼する式典が開かれました。
68年前の昭和20年7月26日に、大阪・東住吉区の田辺地区に、アメリカ軍が爆弾を投下し、7人が死亡、70人あまりがケガをしました。この爆弾は、長崎に落とされた原爆と重さも形も同じですが、中には通常の火薬が詰められ、原爆投下の訓練用の爆弾と見られています。
この地区では、この日にあわせて、亡くなった人たちを追悼する式典が開かれ、26日は、遺族ら約100人が出席し、爆弾が投下された午前9時26分に黙とうをささげました。
式では、当時、現場近くにいたという龍野繁子さん(88歳)が、「爆発で、姉の友人が遺体で見つかり、背中に多くのガラスの破片が突き刺さった状態だった。姉は泣きながら丁寧に取っていたが、これまで思い出すのがあまりに辛かった」と述べた上で、「平和についてしっかりと考えてほしい」と訴えていました。
出席した中学生は、「戦争を体験した人たちは年々、減っているが、戦争は二度と起こしてはいけないということをわたしたちが未来につなげていきたい」と話していました。


住職日誌 堺大空襲鮮烈に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130726-OYT8T00128.htm

 1860人が亡くなった1945年7月の堺大空襲の様子がつづられ、堺市堺区の念勝寺に保管されていた日誌が27、28の両日、同区のサンスクエア堺で開かれる「堺平和のための戦争展2013」(実行委主催)で写真展示される。炎に囲まれ、死を覚悟した住職の姿が生々しく描写され、同空襲を研究する市民団体は「体験者の空襲直後の詳細な記録で、珍しい」としている。(島崎隆太)

 「戦災備忘録」と題された日誌(縦10センチ、横25センチ、36ページ)で、堺が大空襲に見舞われた7月10日から、9月末までの出来事が順に記されている。同寺の藤井茂義住職(68)の祖父で、46年に亡くなった教證(きょうしょう)さんが残した。

 7月10日は「B29二百七十 分散来襲(B29爆撃機270機が来襲)」「爆弾焼夷弾(しょういだん)ヲ以テ全市九分通焼失(爆弾と焼夷弾で市街地の大部分が焼失)」と記録。教證さんが、茂義さんの母で96年に他界した俊子さんと「風団(ふとん)ヲカムリ」逃げたが、火の粉と焼夷弾に囲まれ、「到底助カラヌ」と、一時は避難を諦めた様子もうかがえる。幸いなことに、2人にけがはなかった。

 日誌は2年前、茂義さんの長男が遺品整理中に発見。今年3〜4月、大阪市内で展示されているのを堺市の市民団体「金岡公園ピースメモリークラブ」の会員が見て、解読を申し出た。戦争展では実物写真と、今の言葉遣いに直した空襲時の記述をパネル展示する。

 同クラブの小松清生さん(65)は「当時の様子を知る上で貴重な資料。きちんと読み解き、後世に伝えたい」としている。

 同戦争展は2005年にスタート。今回は48団体が参加、昭和戦争の被害を伝える展示や学童疎開の体験を聞く集いなどがある。問い合わせは実行委事務局を務める小松さん(080・2444・2098)へ。

(2013年7月26日 読売新聞)

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1458よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/28(日) 23:32:37 ID:ukNCoFr20
大阪の難波宮を紹介の催し
07月28日 19時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130728/3286271.html

7世紀と8世紀に宮殿が築かれた大阪の難波宮を紹介する催しが、大阪・中央区の大阪歴史博物館で開かれました。
この催しは、7世紀と8世紀に、現在の大阪の中心部に築かれた古代の都、「難波宮」について知ってもらおうと、大阪歴史博物館などが毎年、語呂合わせで「なにわの日」となる7月28日に行っています。
ことしは、難波宮を発見した考古学者の山根徳太郎氏の没後40年にあたり、多くの市民が集まった会場で学芸員が、「山根氏はわずか10年で、何もわかっていなかった難波宮の建物の配置などを明らかにするなど、驚くべき成果をあげました」と功績をたたえました。

1459よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/30(火) 21:53:43 ID:9DY9/Fcw0
地下遺構を特別公開 考古学者 山根氏業績しのぶ
2013年7月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130729/20130729014.html

 古代の都・難波宮の発見や保存に尽力した考古学者、山根徳太郎氏をしのび、学びや体験の場を用意するイベント「第7回難波宮フェスタ」が、命日の28日に合わせ、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれた。山根氏の生前について語る座談会や、難波宮に関する地下遺構の特別公開などが行われ、来場者らは大阪の歴史について理解を深めていた。

 NPO「OSAKAゆめネット」が大阪歴史博物館らと協力し、毎年開いている。

 本年は、山根氏の没後40年で、山根氏の難波宮調査のきっかけとなった出土品が発見されて60年という節目の年。座談会では、山根氏の指導を直接受けた関係者らが、調査への姿勢やプライベートな部分についても語り合って故人をしのんだ。

 また、NHK大阪放送局の地下にある遺構を特別公開。約1350年前の難波宮の時代に巨石を組んで水路にした設備を紹介した。

 イベントで難波宮に関する発掘調査の成果や課題を発表した同博物館の村元健一学芸員は「日本の都が大阪にあったという事実を多くの人に知ってもらいたい。それが大阪の人にとって誇りにつながるし、大阪の魅力に深みをもたらすことになる」と話していた。

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1461よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/31(水) 21:31:14 ID:XGcbjTP20
百舌鳥古墳群 「海側から築造」…堺市
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130731-OYO1T00368.htm?from=newslist

最古・4世紀後半の古墳確認

 堺市の百舌鳥(もず)古墳群(4世紀後半〜6世紀前半、現存44基)の西端にあたる市営住宅建設予定地で、江戸時代の絵図に描かれた前方後円墳「長山(ながやま)古墳」を確認したと、市が30日発表した。出土遺物から、築造年代は古墳群で最古の乳岡(ちのおか)古墳(前方後円墳、全長155メートル)と同じ4世紀後半と判明。両古墳とも大阪湾に最も近く、市は、古墳群が海側から内陸部に向けて拡大していったことを示す発見としている。

 現場は同市堺区協和町の宅地。市が1970〜80年代に市営住宅用地として購入、更地にしていたが、周辺を描いた江戸中期の絵図にある長山古墳(別名・長塚山古墳)と場所が一致していることがわかり、今年初めて発掘調査をした。

 墳丘は削られているが、前方部東側の裾とみられる場所で、古墳特有の葺石(ふきいし)が長さ16メートル、幅1メートルにわたって出土。そばでは4世紀後半の形象埴輪(はにわ)や副葬品の車輪石の破片が見つかり、市は長山古墳と断定した。市は8〜10月にも学術調査を行い、全容解明を目指す。

 絵図から推定すると、長山古墳は全長100メートル級の前方後円墳で、古墳群では9番目の規模に相当。東の内陸へ約1キロ進むと、5世紀に築造された仁徳陵(全長486メートル)や履中陵(同365メートル)がある。

 現地説明会は8月3日午後1〜4時。問い合わせは堺市文化財課分室(072・273・6101)。

 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)の話「古墳群の成立を考える上で重要な成果。まず海上交通を掌握した勢力が港の近くに古墳を築き、やがて台地や丘陵で大きな古墳が造られていったと考えると興味深い」

(2013年7月31日 読売新聞)

1462名無しさん:2013/08/03(土) 21:26:49 ID:sm5PO0tQ0
華やか装束 茅の輪に列 住吉大社「夏越祓神事」
2013年8月1日
 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で31日、夏越祓(なごしのはらえ)神事が執り行われた。華麗に着飾った夏越女(なごしめ)らが茅(ち)の輪をくぐった。


夏越女や稚児らが茅の輪をくぐった夏越祓神事=31日午後、大阪市住吉区

 30日から始まった大阪の三大夏祭りの最後を飾る住吉祭(1日まで)の神事の一つ。大阪府の無形文化財に指定されている。

 この日、午後5時すぎ、同大社の五月殿前で大祓式が執り行われ、神職からおはらいを受けた夏越女や稚児らの行列が茅の輪をくぐった。引き続き、第一本宮前で例祭があり、神楽「熊野舞」や住吉踊りが奉納された。

 1日は午後2時ごろから、同祭のクライマックスを飾る神輿(みこし)渡御がある。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130801/20130801031.html

1463名無しさん:2013/08/03(土) 21:29:18 ID:sm5PO0tQ0
伝統芸能と「ミク」融合 3日から第3弾イベント
2013年8月3日
 音声合成ソフトウエア発祥のバーチャルアイドル「初音ミク」のライブ「HATSUNE Appearance in Knowledge Capital」(3〜7日)が2日、会場の大阪市北区のナレッジシアターで関係者に公開された。


ナレッジシアターに登場し、歌を披露する初音ミク=2日午後、大阪市北区

 面白いと聞きつけて遊びにやってきた設定で開催中の「初音ミクinナレッジキャピタル」の第3弾イベント。21〜29日に東京・秋葉原で開催される同ライブに先駆け、公演の一部を上演する。

 「夏祭初音鑑(なつまつりはつねかがみ)」と題し、人形浄瑠璃の芝居小屋を思わせるステージでミクがステージ狭しと歌い踊る。大阪が世界に誇る日本の伝統芸能、文楽をほうふつさせる光と陰影の演出などが見どころだ。ミクだけでなく、鏡音リン・レンや巡音ルカも登場し、デュエット演目も披露する。

 開発したクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は「愛情を込めて命を吹き込むという日本独特の神がかり的な点で、日本の伝統芸能と現代テクノロジーの象徴は接点がある。融合していけるのが大阪の強み」と話していた。

 全27公演、料金2100円。問い合わせは、電話06(6372)6427、ナレッジキャピタルへ。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130803/20130803030.html

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1465よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/05(月) 05:20:58 ID:hUjINdLc0
親子で護国神社を清掃 大阪・住之江区
2013.8.4 20:23
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130804/wlf13080420300016-n1.htm

 終戦記念日の英霊感謝祭(15日)を前に、大阪市住之江区の大阪護国神社で4日、境内を祓い清める清掃奉仕が行われ、親子連れら約50人が清掃作業に汗を流した。

 平成17年夏から日本会議大阪(同市中央区)などが取り組んでいる清掃奉仕活動で、この日は参加者全員でラジオ体操をした後、2つの班に分かれて清掃作業を開始。

 参加者は竹ボウキなどを使って境内に捨てられた空き缶やペットボトル、紙くずなどを拾い、本殿裏に生い茂った雑草もきれいに刈り取り、約2時間半の作業でポリ袋約15個分のごみを集めた。

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1467よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/07(水) 21:53:18 ID:Z0M08wZI0
上方舞山村流流祖の名跡が120年ぶり復活…六世宗家・若さん、来秋襲名
2013.8.7 14:10
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130807/wlf13080714120012-n1.htm

 大阪を本拠に活動する日本舞踊の上方舞山村流六世宗家、山村若(わか)さん(49)が来年9月、山村流の流祖の名跡である山村友五郎(ともごろう)の三代目を襲名することが7日、分かった。友五郎の名跡が復活するのは二代目の死去以来、約120年ぶり。

 山村流は井上流、楳茂都(うめもと)流、吉村流とともに「上方舞四流」といわれる日本舞踊の流派。江戸時代後期の歌舞伎俳優、三代目中村歌右衛門の振付師として活躍した山村友五郎が文化3(1806)年、大阪で創始した。

 昭和39年に大阪で生まれた六世若さんは幼い頃から祖母の四世若さん、母の糸さん(死後、五世を追贈)に師事し、平成4年に六世若を襲名。新作歌舞伎や宝塚歌劇団の振り付けも行うなど、日本舞踊の発展に努めてきた。

 三代目友五郎の襲名と同時に、若の名前は長男の侑(ゆう)さん(22)が継ぐという。

1468よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/08(木) 21:56:55 ID:KUXUZ6d60
大坂図屏風 東インド会社関与で 欧州へ
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130807-OYO1T00791.htm?from=newslist

1600年代中頃作…関西大調査

 オーストリアの世界遺産・エッゲンベルク城で2006年に見つかった豊臣期大坂図の屏風(びょうぶ)を関西大・大阪都市遺産研究センターが調査したところ、1600年代中頃の作で、同時期に日本からオランダ船で欧州へ輸出された可能性が高いことがわかった。同センターは「徳川支配の時代になぜ、豊臣期の栄華が描かれ、欧州に渡ったのか。謎を解明したい」としている。

 屏風は豊臣秀吉が築いた初代大坂城や城下町を詳細に描写。大坂夏の陣(1615年)で焼失する前の大坂を知る上で、国内でも例のない資料とされる。

 もとは8曲1隻(高さ約1・7メートル、幅約4・7メートル)だが、現在はグラーツ市にある城内の部屋で、8枚に分割され、壁の装飾として埋め込まれている。

 06年に存在を確認した同センターによると、豊臣秀吉死没(1598年)前後のごく短期間の景観を描いた屏風で、制作時期は描法や顔料から1600年代半ばと判明。夏の陣の前に誰かが残した下絵をもとに、半世紀後、別の絵師が描いたと考えられるという。

 オランダに残る東インド会社の文書では、同社が1643〜45年に3回、長崎から多数の屏風を船で搬出したと記述。うち欧州に到着したのは、43年のバタビア(現ジャカルタ)経由の1便とわかっており、この中に大坂図屏風があった可能性が高いという。

(2013年8月7日 読売新聞)

1469名無しさん:2013/08/11(日) 21:40:03 ID:SVkUu9b20
最古の官道「竹内街道・横大路」1400年の歴史知って
 ◆実行委、秋フェス約80行事予定

 大阪・難波と奈良・飛鳥を東西に結んだ日本最古の官道「竹内(たけのうち)街道・横大路」が整備されて1400年を迎えることから、府や堺市、太子町など関係自治体でつくる「1400年活性化実行委員会」が今秋、イベントを集中的に開く。同委では「市民や企業と連携し、街道の魅力を再発掘する機会にしたい」としている。(岡田英也)

 同委は1400年のオープニングとして街道に近いルートを走る近鉄南大阪線を利用したツアーを3月に行い、企画をスタートさせた。9月14日〜11月17日には「秋フェス」と題し、約80の企画を開催する。

 メーンは11月17日午前10時〜午後9時、大阪市中央区の大阪歴史博物館周辺で開催される「竹内街道・横大路1400年祭」。和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)らを招いて街道の歴史的価値を考えるシンポジウムや、街道沿いの自治体が特産品を販売する「大道うまいもん市」があり、1500年に向けた首長らの共同宣言も発表される。

 街道の魅力をとらえたフォトコンテスト(10月4日まで募集)や、堺市から奈良県明日香村まで街道沿いを走るサイクリング(9月15日)、街道沿線自治体に住む児童が出場する小学生相撲大会(11月9日)も。

 旅行者の目印として中・近世に4キロ間隔に置かれた一里塚をまねて、街道沿いに設置する「緑の一里塚」プロジェクトも企画され、第1号は既に、クスノキをシンボルに道標やベンチが松原市内に整備された。今後、沿線で進めていく予定で、ウオーキングの目印にしてもらうという。

 イベントなどに関する問い合わせは府事業企画課(06・6944・9268、平日)へ。

 [竹内街道・横大路] 日本書紀の613年に「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」との記述がある最古の官道。名前は府県境の竹内峠に由来し、今年で整備1400年を迎える。竹内街道は堺市から松原市、羽曳野市、太子町を経て奈良県葛城市に至る全長26キロの街道。横大路は同市から同県桜井市までの17キロ。

(2013年8月11日 読売新聞)


http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130811-OYT8T00008.htm

1470名無しさん:2013/08/11(日) 21:41:10 ID:SVkUu9b20
住吉大社  150分の1で再現
 ◆段ボールなど、2人で2年がかり

 段ボール箱やボール紙、つまようじなどを使い、大阪市住吉区の住吉大社を本物そっくりに再現した手作りのジオラマが完成し、10日、同大社で始まった鉄道フェアで披露された。フェアは15日まで。

 「住吉さんの全体像がわかり、親しんでもらえるように」と大社側から依頼を受け、鉄道模型愛好家の新聞配達員藤原寛士(ひろし)さん(65)(寝屋川市)とアルバイト山崎一男さん(73)(京都府舞鶴市)が2年がかりで制作。フェアに間に合うようにと作業を急ぎ、3日に完成させた。

 ジオラマは縦2.8メートル、横2.2メートルで、実際の大きさの150分の1。国宝の四つの本宮や反(そり)橋(太鼓橋)など建造物は写真を撮って採寸し、設計した。灯籠や鳥居から周囲の店舗まで精緻に再現するこだわりようで、参拝客や花嫁行列も配置し、にぎわいを醸し出している。

 フェアの会場入り口に置かれ、実際の景色をまねて路面電車や南海電車の模型を周囲に走らせている。大阪市立扇町小5年、山本大幹(ひろき)君(11)は「建物のガラスや木も細かく作ってあってすごい。僕も作りたい」と話していた。

 フェア終了後も、大社のイベントなどの際に展示される予定。フェアの問い合わせは同大社事業部(06・6675・3591)へ。

(2013年8月11日 読売新聞)



http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130811-OYT8T00013.htm

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1474名無しさん:2013/08/16(金) 14:34:19 ID:kznCXel60
古代船のロマン触れて  府立弥生文化博物館で開幕

 船技術が進んだ弥生時代を中心に古代船の歩みを紹介する「弥生人の船―モンゴロイドの海洋世界―」(読売新聞社など主催)が13日、和泉市池上町の府立弥生文化博物館で開幕した。来館者は出土船や船の運んだ貝製品などに見入り、いにしえの海のロマンを感じていた。10月14日まで。

 八尾市の久宝寺遺跡から出土した船首と船尾の反り上がった古代船の複製や、船の形をした埴輪(はにわ)の複製など約230点を展示。南方の貝殻で作った腕輪など船のもたらした品々も並ぶ。同館の塚本浩司学芸員(40)は「大阪では船が多く出土しているが、意外に知られていない。出土品から大きさや構造を知り、どんな船が人や物、文化を運んだかを想像してほしい」と話す。

 開館は午前9時半〜午後5時。月曜休館(祝日は開館し、翌日休館)。入館料は一般600円、65歳以上と高大生400円、中学生以下無料。問い合わせは同館(0725・46・2162)へ。

(2013年8月14日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130813-OYT8T01554.htm

1475よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/17(土) 06:01:20 ID:felsgnQY0
戦争の犠牲者悼み平和祈る集い
08月15日 17時13分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130815/3555111.html

終戦の日の15日、戦争の犠牲者を悼み平和を祈る集いが大阪市で開かれました。
大阪・中央区のピースおおさかで開かれた集いには約100人が参加し初めに黙とうが捧げられました。
この後、遺族を代表して戦争で母と弟を亡くした伊賀孝子さん(81)が「空襲の中、親はわが子の名を呼び子は親を求めて泣き叫ぶ様は地獄絵のようでした。どの地でも戦争の犠牲者を出さないことを願います」と思いを述べました。また戦争を体験した秋山美代子さんは集団疎開や防空壕への避難など当時の様子を紙芝居を使って語りました。
集いでは最後に参加者が1人ずつ白い菊の花を献花台にささげて静かに手を合わせ戦争でなくなった人たちを悼んでいました。
集いに参加し戦争のさなかに生まれたという女性は「父や祖父母から戦争は嫌だと聞いて育ちました。戦争を体験した人たちが次第に少なくなっている中でこうした集まりは大事だと感じました」と話していました。
また戦争が終わったときに小学6年生だった男性は「疎開していた時の生活を思い出しました。これからもずっと平和が続くように祈っています」と話していました。

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1478よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 19:52:23 ID:6znBBT0k0
伽藍照らす先祖の明かり 四天王寺で万灯供養法要
2013年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130814/20130814029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)でお盆行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)万灯供養法要」が執り行われている。家族連れなど多くの参詣者が先祖供養に足を運び、1万本を超えるろうそくが織りなす幻想的な明かりにじっと手を合わせている。16日まで。

 五重塔を仰ぐ境内・中心伽藍(がらん)内では、戒名など先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」が回廊沿いに整然と並び、薄暮を迎えて次々と点灯。日没とともに五重塔や金堂を赤く照らす中、先祖の思い出を語りながら、ろうそくが燃え尽きるのを見守る人々の姿が随所で見られた。

 会期中は同寺僧侶が夕刻から読経とともに伽藍内を練り歩く法要が厳かに執り行われる。法要は午後9時(15日は同10時)まで。


証言は貴重な遺産 新風書房が戦争体験手記集
2013年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130814/20130814028.html

 毎年夏にまとめられる戦争体験手記集「孫たちへの証言」の第26集がこのほど新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)から発刊された。第1集発刊から四半世紀以上が過ぎ、近年では戦争を知らない世代が祖父母や親から聞いた話や、遺品から見つかった文章をもとに投稿するケースも増えている。一貫して自分一人で編集を手掛けている代表の福山さん(79)は「タイトルの通り、戦争体験が孫や若い世代に伝承されつつある」と手応えを感じつつ、一層熱意を抱いて制作に意欲を燃やす。

 文集発刊は福山さんが開講する自分史講座の課題が原点だった。1988年、当時の受講者がそれぞれ体験した終戦の日の記憶を書いてもらい一冊にまとめた。千差万別の体験を束ねて“輪切り”にした文集には「特別な1日」を体験した市民の記憶が浮き彫りとなった。第3集以降は一般公募に変更され、毎年国内外から証言が寄せられている。

 昨年の投稿数は東日本大震災の影響などを受け、過去最低の約259編まで落ち込んだ。しかし今年は873編まで持ち直し、福山さんは「やはり人々の記憶の源泉は枯れていなかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべる。

 第26集は「これだけはなんとしても書き残したい」をテーマに募り、74編を採用。このうち米山紘一さん(71)=福島市=は1歳のとき台湾から母と日本郵船の戦時徴用船で内地へ向かう途中、敵潜水艦の雷撃を受けて漂流、母を失うも本人は奇跡的に救助された。資料を手掛かりに、まったく記憶がない自身の壮絶な体験と、母の面影を追った次第をつづっている。

 福山さんは「小さな波ながら動きがありうれしく思う。証言を貴重な遺産として、文字で具体的に残し継承してほしい」と、早くも次集への投稿(3月31日締め切り)を呼び掛けている。問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1479よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:03:08 ID:6znBBT0k0
「戦争なくす」誓い新た 京橋駅空襲被災者慰霊祭
2013年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130815/20130815035.html

 8度にわたる大阪への爆撃(大阪大空襲)のうち、終戦前日に国鉄京橋駅周辺で起きた最後の爆撃で犠牲になった人たちの冥福を祈る慰霊祭が14日、大阪市城東区のJR京橋駅南口の慰霊塔前で執り行われた。照りつける猛暑の中、参列者らは慰霊塔に手を合わせ、恒久平和への誓いを新たにしていた。

 慰霊祭は、爆撃があった8月14日に合わせ1955年から開始。ことしは遺族や地元住民ら約250人が参列した。

 法要では主催者の京橋駅慰霊祭世話人会の京極俊明会長が「親や祖父母らの犠牲の元に成り立っている平和な生活を安穏と享受するだけでなく、命の尊さを語り継いでいかないといけない」とあいさつ。折り鶴を奉納した市立聖賢小6年の古山ひとみさん(12)、大城日菜さん(11)、早川愛菜さん(12)も「いつか戦争がなくなる日がくることを誓います」と平和への思いを述べた。

 1945年8月14日に京橋駅周辺を襲った爆撃は、大阪城内の大阪陸軍造兵廠(しょう)を狙った米軍機の爆弾の一部が駅を含め周辺を直撃。判明している犠牲者は二百数十人とされているが、実際は500〜600人とも言われている。

 法要に参列した帝塚山学院高2年で、歴史研究部の市富綾香さん(17)は「戦争は関係のない人たちまで巻き込んで命を奪ってしまう。二度と起きないように、みんなでいろいろと考えていく必要がある」と話していた。

1480よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:08:16 ID:6znBBT0k0
4メートル大たいまつ完成 24日、がんがら火祭り
2013年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130816/20130816033.html

 大阪府池田市伝統の夏の火祭り「がんがら火祭り」(24日)で使う大たいまつがこのほど、完成した。23日までこのうち2本を同市役所1階ロビーで展示している。

 1644年から「家内安全」「火難厄除(よ)け」を願って行われている祭事。毎年8月24日の夜に催され、2010年には大阪府の無形民俗文化財として指定された。

 大たいまつの長さは約4メートル、重さは約100キロ。これを計8本(他に小たいまつを2本)、例年7月第1日曜日の「作業場開き」から、同市城山町の住民が中心となった「池田五月山大一文字がんがら火保存会」(谷澤貞義会長)の人たちによって作られている。

 今年も24日午後7時半〜同10時に行われ、五月山中腹で「大」、「大一」の文字火が浮かびあがり、大たいまつが市内に繰り出す。

 祭りと展示の問い合わせは電話072(754)6244、同市観光・ふれあい課へ。

1481よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:28:28 ID:6znBBT0k0
特攻隊志願…生き延びた命を野球に ホームランボールを子供たちにプレゼント 元高校教諭の朝見堅二さん  
2013.8.17 11:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130817/wlf13081711050004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130817/wlf13081711050004-n2.htm

 先の大戦で特攻隊員を志願しながら出撃することなく終戦を迎え、憧れだった野球に生き延びた命をささげてきた元高校教諭がいる。大阪府豊能町の朝見堅二さん(84)。「野球をできる喜びを感じてほしい」と、高校野球兵庫県大会で約30年間、ホームランボールに日付や対戦校を書き込み、子供たちに手渡してきた。白球には、国や家族を守るため尊い命を犠牲にした「英霊」への鎮魂も込められている。

 昭和16年、当時13歳の朝見さんは神戸市須磨区に住んでいたいとこ夫婦のもとに居候した。年が離れたいとこは学生時代、長身を武器に地元で名をはせた左腕投手だった。

 「直接話した記憶はあまりない。ただ、家に飾られていた大きいグラブをはめるたびに、『おれも…』と思っていた」

 しかし戦争が激しさを増し、進学した旧制中学校では米国発祥の野球が「敵性競技」とみなされ野球部は廃部になり、白球を追う夢は絶たれた。

 いとこは出征し、東南アジアで戦死。遺骨すら戻らなかった。米軍による空襲でいとこの自宅は炎に包まれ、グラブも焼失した。「生きていた証しがなくなってしまった」と悲しみと悔しさが込み上げた。

 「敵を討つ」。悲痛な思いを胸に特攻隊員になろうと決意。家族の反対を押し切って17歳で陸軍少年飛行兵の試験を受け、20年8月に合格通知を受けた。入隊予定日は8月中旬と決まった。

 だが直前の8月15日、終戦を迎え、特攻は「幻」に終わった。「同じ世代が何人も特攻隊で命を落としたのに、自分は何もできなかった」と悔やむ半面、「ほっとした気持ちもどこかにあった」。

 終戦から4年後の24年に教職に就き、兵庫県内の高校で教(きょう)鞭(べん)を執った。「戦場を知らない自分が語るのはおこがましい」と、生徒に戦争の体験を語ることはなかった。

 ただ、あこがれだった野球にかかわろうと野球部の部長に就任。県大会の運営スタッフを務める中、何気なく「野球をできる喜びを感じてもらいたい」と思い立ち、約30年前から県大会でホームランボールに日付や選手の名前、対戦校を記し、贈り始めた。

 今年の夏も、同県尼崎市の市記念公園野球場(ベイコム野球場)で行われた県大会で、朝見さんから記念のホームランボールを受け取り、屈託のない笑顔を浮かべる球児たちの姿があった。

 朝見さんは「戦争で野球ができなかった自分や特攻隊で命を落とした同年代の仲間を今の球児たちに重ね合わせてきたのかもしれない。これからも続けていきたい」と話している。

1482よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 22:56:45 ID:cXY9DWEA0
24日に「地蔵盆 千日供養」 宗派超え僧侶100人集結 大阪
2013.8.17 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130817/osk13081702020001-n1.htm

 ■弘昌寺住職「門前町だったミナミ知って」

 街の発展や商売繁盛などを祈願する「地蔵盆 千日供養」が24日、大阪市中央区の相合橋で営まれ、宗派を超えた100人の僧侶が集結する。事務局の鳥居弘昌(こうしょう)・弘昌寺住職(53)は「ミナミの街が好きな人はみんな信者。この機会にこの街が門前町だったことを知ってもらいたい」と話している。

 鳥居住職は千日前にある劇場「トリイホール」の経営者でもあり、上方芸能の振興に力を入れてきた。35歳の時、両親が愛した街を僧侶として守っていこうと得度し、昨年8月、法善寺近くのビルの1室に「千日山弘昌寺」を開山した。

 「かつて千日前は処刑場やたくさんのお寺があったところで、ここで処刑されたり、心中したりした人たちの話を書いたのが近松門左衛門。もともと寺町やったのに、昔のように土地を供養するお寺が移転してしまった」と鳥居住職。そこで、土地の鎮魂のために護摩を焚き始めたという。

 今回の地蔵盆も土地供養の一環。平成23年から六地蔵巡りと護摩法要を行っている。昨年は全国から僧侶と行者約90人が集まった。

 地蔵盆まで約1週間に迫り、準備に追われる鳥居住職。「これはミナミ活性化のための行事です。朝から晩までこの格好で歩いていたら安全な街やと思うでしょ。僕の夢は町中を坊さんだらけにすることです」と話している。

 当日は午後5時から六地蔵巡りを行い、護摩法要は7時〜8時半。5時から相合橋で護摩木を1本500円で販売する。問い合わせは弘昌寺((電)06・6211・7819)。

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1489よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/19(月) 20:26:18 ID:8DTH.8nA0
大阪城と並ぶ国の特別史跡

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2013年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/130816/20130816046.html

枚方市中宮西之町 百済寺跡

 「ここが東門、ここから回廊をめぐって、あそこが南門…」と、丁寧にご説明いただいたのは、百済(くだら)の会会長、花村桓(はなむらたけし)さん。ここは枚方市中宮西之町にある百済寺跡(くだらじあと)。奈良時代の寺院跡で、百済の王族の子孫、百済王(くだらのこにしき)である敬福(けいふく)が王家の氏寺(うじでら)として8世紀の終わり頃(ごろ)に創建した。

 聖武天皇が東大寺の大仏を造る際、鍍金(ときん)(メッキ)用の金が必要と聞いた敬福が、当時の任地である陸奥(むつ)(現宮城県涌谷町(わくやちょう))で産出した黄金900両を朝廷に献上した。天皇はたいそう喜んで敬福を昇進させ、これをきっかけに、百済王氏一族は、この中宮の地に移り住み、一族の氏寺として百済寺を建立したのである。

 その後、11〜12世紀頃に百済寺は焼失したが、今もかつての威容をしのばせる壇上積基壇(だんじょうづみきだん)と礎石などが残っている。大阪府内で国の特別史跡に指定されているのは、この百済寺跡と大阪城だけだ。それぐらい歴史的価値の高い場所なのである。

 過去に2度、発掘調査があったが、2005(平成17)年から始まった再発掘調査は8年たった今も続いている。07年に大型多尊※仏(おおがたたそんせんぶつ)の破片9点が見つかり、新聞の第一面を飾ったことで、記憶にある方も多いことだろう。

 ※仏とはレリーフ(浮き彫り)状の仏像のことで、特に大型多尊※仏は皇族ゆかりの寺など、格式の高い寺でしか見つかっていない。小型※仏の破片も60点以上ここで見つかっていて、大型※仏を中心に小型※仏がちりばめられた※仏壁のようなものがあったと考えられる。

 「これ、私が作りました」と見せていただいたのは、花村さんが複製した大型多尊※仏の写真。彼が実行委員長を務める「枚方・百済フェスティバル」に現物を出品し、好評を得た。「話すより、物を見せた方が早い」というその情熱には頭が下がる。フェスティバルは毎年5月に開催され、この百済寺跡の価値を知ってもらおうというのが出発点だ。

 今の技術で柱の礎石を計ると、当時どれくらいの大きさの柱だったのかが分かるそうだ。西の塔にある大きな柱の礎石を見ると、なにやら三角形や丸などの図形が書いてある。当時の大工がこれを作りながら打ち合わせをしたのか、落書きをしたのか…そんなことを考えるのも楽しい。

 花村さんの解説を聴いていると、そこに三重の塔が立ち、向こうには※仏壁のある金堂があり、一番向こうに食事をする食堂(じきどう)が見えて、古代の寺院が立ち現れる気になる。今は公園になっているが、回廊は回廊と分かるように整備されているので、古代の息吹を感じたい人は、ぜひ、枚方まで行ってみることをお勧めする。

 ※は土ヘンに専

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1492よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/19(月) 21:12:42 ID:8DTH.8nA0
有望な面打ち作家発掘 豊中不動尊で島熊山能面祭 大阪
2013.8.19 02:09
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130819/osk13081902100001-n1.htm

 後世に残る優れた新作の能面、狂言面と有望な「面打ち作家」を発掘する全国能面フェスティバル「第7回島熊山能面祭」が18日、豊中市緑丘の豊中不動尊で開かれた。

 今年は全国から240点の応募があり、観世流シテ方の梅若玄祥さんや大槻文蔵さん、山本博通さんらが「舞台で使える能面」を基準に審査した。その結果、川上尭由(たかよし)さん(愛知県)の「山姥(やまんば)」と伊庭(いば)貞一さん(滋賀県)の「深井(ふかい)」が大賞に選ばれた。

 能面祭では表彰式の後、梅若家、大槻家に古くから伝わる本面が公開された。

 会場には、入賞作品41点を含む全応募作品が展示され、入賞した面打ち作家のほか能面ファンも訪れ、梅若さんや大槻さんの解説で興味深そうに作品を鑑賞していた。

 入賞作品は30日から9月2日まで、大阪国際空港ターミナルビル3階のエアポートギャラリーで披露される。入場無料。

1493よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/21(水) 20:31:15 ID:2NHsl.Js0
3メートルの津波襲う 「近現代大阪の地震」特別展
2013年8月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130821/20130821024.html

 9月1日は防災の日。今年は関東大震災(1923年)から90年の節目の年にも当たる。大阪歴史博物館(大阪市中央区)は、大震災を記念して「近現代大阪の地震」と題して特別展示を行っている。地震の少ないとされる大阪だが、歴史をたどると過去に津波などで被害に遭っていることが分かる。想定される南海トラフ巨大地震では、甚大な被害も懸念されるだけに、同館は被災の事実を知ってほしいとしている。

 特別展示は、江戸時代から明治、大正、昭和にかけて起きた地震による被害状況や関東大震災時の被災者対応、昭和南海地震などの史料を集めた。江戸時代の1854年に起きた安政南海地震では、津波被害を記した史料が残っており、推定で高さ約3メートルの津波が大坂を襲い木津川と安治川をさかのぼり、小舟に避難していた人々を津波で運ばれた大船が押しつぶして犠牲者が出たことが分かる。

 このほか、地震を起こすと信じられていたナマズが題材の江戸時代の刷り物「鯰絵(なまずえ)」も陳列。地震鯰の取り調べを描いた作品は、安政江戸地震(1855年)の前に各地で地震を引き起こした鯰たちが、鹿島大明神の前で言い訳を述べている。

 中には「大坂のぢしん」と記された鯰もおり、飯田直樹学芸員は「前年の安政南海地震を引き起こした鯰と考えられる。当時の大坂は地震の代表的な被災地だと、全国的に知られていたと思われる」と話す。

 関東大震災の発生直後を知る史料も展示。被災地に入った当時の大阪市の助役だった有田邦敬が残した直筆の救護日誌には、戒厳令施行や暴動発生のうわさなど、限られた情報しか入手できなかった様子が記されている。「次は大阪で地震が起きるとうわさが流れた」(飯田学芸員)。2万人もの避難者の受け入れや救護活動に、現在の民生委員に当たる方面委員が中心的役割を果たしたという。

 展示を通じて飯田学芸員は「こういう地震があったのだという事実を知ってほしい。津波や内陸の地震などで、被害に遭ってもおかしくないと頭に入れておいてほしい」と強調する。

 大阪府は今月、南海トラフ巨大地震に伴う浸水被害想定を独自に見直して公表した。JR大阪駅周辺などでは約2時間後に最大で高さ2メートルの津波が押し寄せ、浸水面積は沿岸の防潮堤が機能するのを前提とした国の想定の約3・6倍の約1万1千ヘクタールに拡大するとしている。

 歴史を振り返ると、大阪はこれまでに津波による被害に遭っていることが分かり、特別展示はさまざまな教訓を伝えている。

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1499よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/22(木) 22:01:49 ID:8SF.ME8o0
「難波宮」実像迫る復元図
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130822-OYT8T00090.htm

◆和泉の北野さんら 研究重ね「大極殿」作製

 大阪城公園(大阪市中央区)の南側にある草木の茂る公園に、かつて難波宮(なにわのみや)と呼ばれる宮殿があった。発掘調査は続いているが、その姿は謎に包まれたままだ。和泉市父鬼町、製材業北野真也さん(28)と、友人の岐阜県羽島市、宮大工吉永安孝さん(37)が、その実像に迫ろうと、独自の図面を作製した。2人は「より研究が盛んになり、いつか大阪のシンボルとして建物が復元されれば」と夢を描いている。(坊美生子)

 北野さんは昨年、日本書紀に「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記され、今年で整備1400年を迎える日本最古の官道「竹内街道(たけのうちかいどう)」のイベントに仕事でかかわった。そこで、飛鳥、奈良両時代に都が置かれた難波宮を知り、大阪歴史博物館(中央区)を訪ね、奈良時代の宮殿模型を見た。

 その際、北野さんは、天皇が政治を行う建物・大極殿(だいごくでん)が、イメージとほど遠い平屋で表現されているのを不思議に思った。1954年以降の調査で構造が解明されておらず、模型は同時代の寺社などを参考に、類推して作られたという。

 北野さんは知人の吉永さんに相談。「当時は外交使節に威容を見せつける必要もあり、遠くから眺められるほどの高さがあったはずだ」と意気投合、独自に研究することを決めた。

 2人は、宮殿跡の難波宮跡公園(中央区)で測量を実施。柱の組み方や屋根の造りは、足を運んで見た同時代の薬師寺東塔などを参考にし、大極殿は2層と推測した。今年1月から吉永さんが図面を書き、これまで正面図や側面図など8種類を完成させている。

 2人は今後、専門家に図面を見てもらうことも考えており、同博物館の李陽浩学芸員も「一つの案として面白い。市民がそれぞれの観点から調査研究してくれると、議論が活発になる」と歓迎している。

 北野さんは「難波宮は大阪繁栄の原点だと思う。もっと多くの人に存在を知ってもらいたい」と話し、吉永さんは「今後も様々な角度で描き、全体の構造に迫りたい」と意気込んでいる。

◇難波宮

 大阪市中央区法円坂の地に築かれていた宮殿で、発掘された中では国内最古の本格的な宮殿跡とされる。前後期に分かれ、前期は大化の改新後、孝徳天皇が652年に造営した「難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)」。686年に焼失し、726年から聖武天皇が同じ場所に再建を始めたという。構造は前後期とも、天皇が儀式を行う大極殿、または内裏前殿(だいりぜんでん)を中心に、北側には天皇が生活する内裏、南側には官庁とみられる朝堂院や門などが配置された。難波宮跡公園の復元基壇は、聖武天皇時代の大極殿のもの。

(2013年8月22日 読売新聞)

1500よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/25(日) 19:37:51 ID:5IlmcLzQ0
ガラシャしのび舞や歌 命日の25日、大阪城周辺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130823-OYT8T00117.htm

 明智光秀の娘で、関ヶ原の合戦を巡って非業の死を遂げたキリシタンの細川ガラシャ(1563〜1600)が今年で生誕450年を迎え、新暦での命日にあたる25日、大阪城周辺で、ガラシャにまつわる舞やオペラ歌曲が披露される。戦乱の世という困難な時代に女性として生まれ、信念を通した生き方を再評価する声もあり、出演者は「自分を貫いた彼女の心の内まで表現したい」と意気込む。(井口馨)

 ?散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ人も人なれ――

 地歌舞(じうたまい)古澤流家元の古澤侑峯(ゆうほう)さんが、兵庫県宝塚市にあるけいこ場で扇子を手にゆったりと舞う。生誕450年に合わせ、ガラシャの生き方を踊りや唄にした古澤さんの創作舞「一元の夢」だ。25日午後5時から、追手門学院大阪城スクエア(大阪市中央区)で行われる上町再発見講座で披露する。

 ガラシャが家臣に自身を討たせて亡くなったと伝わる屋敷が、大阪城に近い玉造にあったとされる。古澤さんは「現代でも信念を通すことは容易でない。戦国時代に自分を曲げなかったガラシャの心に秘めた情熱が、見ている人に伝わるように舞いたい」と話す。

 一方、大阪カテドラル聖マリア大聖堂(同区)では同日午後5時半から、「細川ガラシャ祈念ミサ」が営まれる。

 ガラシャの壮絶な死はイエズス会を通じてヨーロッパに伝わったとされ、ガラシャを題材にして1698年に初演された「勇敢な婦人」(シュタウト作曲)の歌を、沖縄県立芸術大の豊田喜代美教授が歌い上げる。

 問い合わせは、上町再発見講座(入場料500円、定員200人)が追手門学院大地域文化創造機構「連携考房 童子」(072・621・6015)、祈念ミサ(入場自由)は上智大大阪サテライトキャンパス(06・6450・8741)へ。

◆細川ガラシャ 

 織田信長の勧めで細川忠興に嫁いだが、父・明智光秀が1582年、本能寺で信長を襲撃したため、反逆者の家族として京都・丹後地方に幽閉された。その後に戻った大坂で、忠興と親交のあったキリシタン大名・高山右近の影響でキリスト教の教義を知り、教会を訪問、洗礼を受けて信仰を深めた。関ヶ原の戦いで人質になることを拒否し、家臣に自分を討たせて命を絶った。

(2013年8月23日 読売新聞)

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1503よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/28(水) 21:36:49 ID:WprRk6us0
竹本義太夫の墓が新調
08月28日 19時19分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130828/4095191.html

江戸時代に文楽の義太夫節を始めた竹本義太夫の墓が文楽ファンなどの寄付で新調され大阪で法要が営まれました。
大阪・天王寺区にある四天王寺で、人間国宝の文楽の大夫、竹本住大夫さんをはじめ文楽の演者や文楽ファンなどが参列して法要が営まれました。
法要で竹本住大夫さんは「墓が新築され、文楽にかかわるものとして感慨にたえません。今後も芸の道に精進していきます」とあいさつしました。
竹本義太夫は江戸時代に活躍した人形浄瑠璃の第一人者で、文楽や歌舞伎に使われる義太夫節を作りました。
竹本義太夫の墓は四天王寺の近くの超願寺にありますが、ひびわれなどがひどく、文楽の演者らが公演などで寄付を募り、供養塔とあわせておよそ1000万円をかけてこのほど新調しました。
法要のあとには文楽の演目が披露され、集まった大勢の文楽ファンらが楽しんでいました。

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1527よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/01(日) 13:07:36 ID:yuaYesRE0
涼しげに羽ばたく 大阪・坐摩神社でサギソウ見頃
2013年8月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130829/20130829029.html

 大阪市中央区久太郎町4丁目の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で遅咲き種のサギソウ(ラン科)が見頃となった。残暑の日差しの中、シラサギが生き生きと羽ばたくような花姿を見せ、多くの参拝者の目を楽しませている。

 同神社では御神紋の「鷺(さぎ)丸」にちなみ、御神花として十数年前から境内で栽培。7月中旬から早咲き種が順次開花し、涼しげな純白の小花が本殿前に並ぶ光景は夏の風物詩として親しまれている。

 現在「暁」など5品種を栽培中。厳しい暑さの中、神職が細心の注意を払いながら管理しており、今年も翼を思わせる幅3、4センチの花があでやかに開花。参拝者のほか写真愛好家が訪れ、御神花にふさわしいサギソウをカメラに収めていた。同神社によると、花は天候にもよるが、9月中旬まで楽しめる見込み。

1528よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/01(日) 13:55:25 ID:yuaYesRE0
豪商寄贈の古書 児童が虫干し…大阪の小学校
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130831-OYO1T00643.htm?from=newslist

 大阪・船場にある大阪市立開平小学校(同市中央区)で31日、明治初期に地元の豪商・山片家から寄贈された和書や蘭書など約6000冊の「愛日(あいじつ)文庫」に風を通す曝書(ばくしょ)(虫干し)が行われた。年に1度の恒例行事だが、今年は初めて、同小の6年生18人が土曜授業で参加。〈子どもたちに良い書物を読ませたい〉という先人の思いを受け継ぎ、地域が守ってきた美しく貴重な古書に、児童らは歓声を上げた。

 同文庫は1872年(明治5年)、船場地区に小学校(後の愛日小学校)を開設するため、山片家8代当主重明が自らの邸宅とともに同家が代々、収集してきた古書を寄贈したのが始まり。開校後も蔵書を増やし、昭和30年代頃からは、卒業生らで作る「愛日教育会」が毎年、曝書をしている。

 貴重な書物も多く、山片家が仙台藩から拝領した写本「環海異聞(かんかいいぶん)」には、仙台の船乗りが漂流し、ロシアなどで見聞した風景が鮮やかな色彩の挿絵とともに記録されている。伊能忠敬の実測写図や司馬江漢の「地球全図」など、世界や国内の地図類も目立つ。

 無神論を唱えた町人学者山片蟠桃(ばんとう)の著書は戦時中、官憲ににらまれるなど破棄の危機もあったというが、当時の校長らが小学校の地下に隠して守ったという。戦後は校区内の旧住友銀行本店金庫室で一部を厳重に保管。1990年、市が旧愛日小と旧集英小を統合して開平小を新設した際、地下に専用書庫を設けた。

 この日、参加した開平小6年仲野俊介君(12)は「地域の誇りです。昔の人もこれを読んで勉強してうれしかったと思う」と目を輝かせた。

 岸田知子・中央大教授(日本思想)は「大阪は商売だけの街と思われがちだが、船場商人には、西洋の知識も含めて自由に学問をし、私財をなげうって良い教育をしようという機運があった。愛日文庫はその熱意が受け継がれている象徴だ」と話している。

(2013年8月31日 読売新聞)

1529よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/01(日) 14:11:02 ID:yuaYesRE0
[Naniwaなう]貴重な土地「世界遺産級」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130830-OYT8T00127.htm

▽隠れキリシタン研究集大成を自費出版

 東実(とうじつ)文男さん 67 茨木市

 安土桃山時代や江戸時代の禁教令に屈せず、ひそかに信仰を守った茨木市千提寺地区の「隠れキリシタンの里」。「世界遺産級の地域という認識を広げたい」と、その歴史をB5判、108ページの記録誌にまとめた。

 同地区へは約40年前、市内の小学校で教諭になった際の新任研修で訪れた。十字の紋章入りの茶わん、キリスト像――。教科書などで有名な「聖フランシスコ・ザビエルの肖像画」を秘蔵していたというキリシタンの家で“遺産”に魅せられ、「教え子にも伝えたい」と、図書館で史料を集めたり聞き取り調査をしたりして自主教材を作った。

 記録誌は、そうした活動のいわば〈集大成〉。肖像画が発見された経緯や、地区で最後の信徒となった女性が大正時代、ローマ教皇の使節団と会ったことなど、様々なエピソードを盛り込んだ。

 今年、地区を通って建設される新名神高速道路の延伸工事に先立つ発掘調査で、キリシタンの墓が新たに出土した。「キリシタン史上、とても貴重な土地」との思いをさらに強くし、道路延伸と遺跡保存の両立について著書で提言した。それが郷土史家としての責務と信じるからだ。

(上野将平)

(2013年8月30日 読売新聞)

1530よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/01(日) 14:34:03 ID:yuaYesRE0
大阪ロマン紀行

水難除けから変わる役目

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2013年8月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/130830/20130830039.html

淀川区十三本町 平和地蔵尊

 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、釈迦(しゃか)が入滅してから56億7000万年後に弥勒(みろく)菩薩が出現するまでの間、人々を救うという役目を担っている。非常に身近な存在で、人はそれぞれに名前をつけ、その名はそのときの役目によって違ってくる。病気の身代わりなら、延命地蔵、あごなし地蔵、首なし地蔵、足切り地蔵など。厄除(やくよ)けなら、釘(くぎ)抜き地蔵、とげぬき地蔵、水子地蔵など、名前を聞くだけでその役目がなんとなくわかり、救済の手は、主に拝む個人に向けられている。

 しかし、中には漠然と人類や地球全体を対象とした名前がある。そのひとつが「平和地蔵尊」である。この名は太平洋戦争で日本が痛手を負い、恒久的な平和を望むようになってから普及した。

 大阪だけでも都島や難波、旭区、東大阪などにある。探せば、もっとあるだろう。それも新しく建立する地蔵だけでなく、それまでにあった地蔵の役目を、平和を希求する方向に変えた地蔵もあり、そのひとつが淀川区十三本町にある平和地蔵尊(元子安地蔵)だ。

 江戸時代、今の平和地蔵のある周辺は森で、うっそうとした樹木が茂っていた。その中に昼なお暗い、恐ろしい噂(うわさ)のある「鏡ケ池」があった。そこは戦国時代の城のお堀の跡である。

 明治3(1870)年のこと、幼児が森に迷いこみ、鏡ケ池に落ちて死んでしまった。母親は気が動転し、自分も池に飛び込んで死のうと思ったが、石につまずいて倒れ、ようやく正気を取り戻した。これは我(わ)が子が引きとめてくれたに違いないと、その石を持って帰って、地蔵の形に刻み、子供の冥福を祈って水難除けの地蔵として祀(まつ)った。その後、安産・子育てのための子安地蔵として、人々に信仰されていった…。

 時は流れ、昭和20(1945)年6月、十三一帯が空襲で焼け野原となったが、この地蔵の周りの地域は助かった。きっとこのお地蔵さんのおかげであろうということになり、それから平和地蔵と呼ばれるようになったのである(他に、焼け跡から掘りだしたという話もあり)。

 地蔵の具体的な役目は地蔵菩薩自身が決めるのではなく、人間の都合で決めていく。それはこのように、時や世相によって変わることもある。あとまだ56億年以上あるので、途中でまた役目が変わるかもしれない。しかし、お地蔵さんはいつの世も大役を担いながら、黙々とわれわれをやさしく見守り続けているのである。

1532名無しさん:2013/09/04(水) 17:04:09 ID:X.xo7KFI0

シンポジウム「芦屋から大坂城の謎を解く トークと講演と講談の夕べ」
10月11日(金)18時半開演 芦屋市民センター ルナ・ホール

芦屋市内には大坂城築城や修復の際、六甲から切り出されながら用材として使われず、
その使命をを果たせなかった『残念石』が残されています。
2015年の大坂城落城400年を控え、
日本を代表するミステリー作家の有栖川有栖氏が「大阪城落城の謎」を解き、
大阪城天守閣研究主幹 北川央氏が「大坂城主豊臣秀頼の実像」を、
講談師 旭堂南海が残念石の嘆きを語ります。

講演:北川央
講談:旭堂南海
対談:有栖川有栖・河内厚郎

1階席前売1000円、2階席500円

問合せ;芦屋市民センター 0797-35-0700

また、同館では、芦屋市教育委員会主催による講座「芦屋から大坂城の謎を解く」(全8回)、
常設展示「芦屋と大坂城」(無料)も開催。

1533よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/04(水) 22:57:48 ID:X8pv4osA0
文楽若手会がグランプリ 「大阪文化祭賞」
2013年9月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130902/20130902027.html

 大阪府、市、関西・大阪21世紀協会が1日、大阪市北区の阪急百貨店うめだ本店で、芸術文化活動の奨励と普及のために贈る「大阪文化祭賞」を2013年度受賞者に贈呈した。

 1963年に創設され、ことしで50回の節目。同賞を広く市民に知ってもらおうと、公開の場で贈呈式を開催した。

 グランプリに輝いたのは、人形浄瑠璃文楽座の若手技芸員の技術向上を目的に2001年に発足した「文楽若手会」。第13回公演「絵本太功記」の功績が認められた。

 代表してあいさつした豊竹咲甫大夫さんは「昨年はいろいろなところから叱咤(しった)激励をもらい、一同目の色を変えてさまざまなチャレンジをしてきた。文楽を背負って立てるよう頑張りたい」と気を引き締めた。

 同会は受賞者記念公演として、「絵本太功記」から「操のクドキ」を披露。また、50周年特別記念公演として、08年度にグランプリを獲得した「地主薫バレエ団」によるバレエの名場面も披露された。訪れた買い物客らは足を止め、大阪の文化を楽しむひとときに酔いしれていた。

1534よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/04(水) 22:58:47 ID:X8pv4osA0
西鶴の偉業を研究者と回顧 8日、菩提の誓願寺
2013年9月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130902/20130902030.html

 旧暦の8月10日に亡くなった江戸時代を代表する文人、井原西鶴を供養し、偉業を振り返る「没後320年 西鶴忌」が8日午後1時から、大阪市中央区上本町西4丁目の菩提(ぼだい)寺、誓願寺で行われる。

 若くから談林俳諧の旗手として活躍し、浄瑠璃作品も残すとともに、晩年は主に浮世草子作家として「好色一代男」や「好色五人女」、「日本永代蔵」、「世間胸算用」など多くの傑作を残し、数え年52歳でこの世を去った西鶴。大阪の市民に「西鶴はん」を再認識してもらおうと毎年行われている。

 今年は日本近世文学の研究で知られる西田耕三・元近畿大教授を招き、講演「西鶴を読む楽しみ」を供養に続き午後1時半から開催する。総合進行は「西鶴忌実行委員会」代表で、関西学院大の森田雅也教授。

 講演参加は無料だが、供養献花料として500円が必要。問い合わせは同実行委員会へ電子メール(m−morita@kwansei.ac.jp)で。

1535よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/09(月) 20:01:27 ID:F/vtpuEk0
八尾河内音頭まつり
09月09日 08時01分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130909/3152841.html

大阪の河内地域に伝わる河内音頭を披露するまつりが、8日、大阪・八尾市で開かれ、大勢の人たちが、河内音頭独特の節回しを楽しみました。
このまつりは、河内音頭の伝統を守ろうと、八尾市で毎年開かれています。会場の中央に設けられた大きなやぐらの上では、河内音頭が次々に披露されました。小学生も登場し、「エンヤコラセー、ドッコイセー」という合いの手にあわせて歌い上げていました。
やぐらの周りでは、市内のそれぞれの地域に伝わる河内音頭にあわせて、浴衣姿の女性たちが踊りを披露していました。

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1537よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/12(木) 21:03:32 ID:r5t3vpaQ0
「半沢直樹」が入り口!? 歌舞伎俳優・片岡愛之助、真の魅力とは
2013.9.12 16:59
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130912/wlf13091217060012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130912/wlf13091217060012-n2.htm

 「大阪に生まれ、大阪に住む歌舞伎俳優として、大阪での座頭(ざがしら)公演は何より幸せ」と、顔をほころばせる片岡愛之助。話題のドラマ「半沢直樹」(MBS系)の金融庁エリート役でも注目の愛之助が、10月の大阪松竹座「十月花形歌舞伎」に全演目出ずっぱりで奮闘する。「チーム上方として一丸となって頑張りたい」と語る。





 今年は、愛之助にとって忘れられない年になったのではないか。

 10月は、2月の松竹座に続いて大阪での2度目の座頭公演。「半沢直樹」でのオネエ言葉を操る黒崎役の怪演もあり、一躍“時の人”となった。

 「ブログを始めたんですが、コメントを読んでいると、『半沢直樹』で僕を見て、僕を歌舞伎俳優だと知って驚かれる方も多いんです。ドラマを見て興味を持って歌舞伎を見に来てくださればうれしいですね」

 「十月花形歌舞伎」では、昼の部で新作歌舞伎「新・油地獄 大坂純情伝」の河内屋与兵衛、舞踊「三人連獅子」の親獅子、夜の部で通し狂言「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の団七を勤める。

 「すべて上方らしい演目です。昼は新作、夜は古典。歌舞伎の懐の深さも楽しんでいただければ」

 「大坂純情伝」は不良青年、与兵衛の衝動殺人を描いた近松の名作「女殺油地獄」をもとに作られた新作。平成16年、愛之助が初めて座頭を勤めた「平成若衆歌舞伎」で初演された記念碑的作品だ。

 「僕にとって平成若衆歌舞伎は人生のターニングポイント。初めての座頭であり、大敵(おおがたき)など初めて演じる役も多かった。いろいろ学ばせていただきました」と感慨深く語る。

 「『大坂純情伝』は『ウエストサイド物語』のような和製ミュージカル風の作品です。大幅に書き直し、立ち回りなどパワーアップして上演します」

 一方、「夏祭浪花鑑」の団七は3回目。毛穴の一つ一つから大坂の匂いが吹き出るような団七は当たり役となった。

 今回は、「お鯛茶屋」から「田島町大屋根の場」まで通して上演。「団七の忠義の心を大切に」と決意を語る。「今年は東京に新しい歌舞伎座が開場してにぎわっています。関西でも一年中芝居が開けられれば。その夢に近づいているような気がします」

 10月3日から27日まで。チケットホン松竹(電)0570・000・489。

1540よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/16(月) 21:10:53 ID:6Wm4UUVg0
繁昌亭 7周年で式典
09月15日 14時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130915/4281691.html

大阪市にある上方落語の寄席「天満天神繁昌亭」が7周年を迎え、落語家やファンを集めた記念の式典が開かれました。
大阪・北区にある「天満天神繁昌亭」は、15日で7周年を迎え、記念式典が開かれました。
式典には、▼上方落語協会会長の桂文枝さんや▼笑福亭鶴瓶さんが出席し、鏡開きに続いて地元の人や落語ファンに日本酒を振舞って7周年を祝いました。
「天満天神繁昌亭」は、戦争で焼失した上方落語の寄席を復活させようと平成18年にオープンし、先月、入場者が100万人に達しました。
桂文枝さんは、「この7年間、みなさんに楽しんでもらおうと『おもてなし』の気持ちを持ってやってきた。7年後は、東京オリンピックの年で、外国からも多くの人が来るので、英語の公演など、今後も『おもてなし』をしていきたい」と話していました。

1542名無しさん:2013/09/21(土) 00:52:40 ID:9AywJMZc0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130920/20130920036.html

月下朗々と 住吉大社で伝統行事「観月祭」
2013年9月20日
 中秋の名月の19日夜、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で伝統行事「観月祭」が厳かに執り行われ、千人を超える参拝者が満月を背景に披露される短歌や舞楽などを堪能した。


満月が夜空を照らす中、橋上で厳かに献詠する神職ら=19日午後6時40分、大阪市住吉区の住吉大社

 日没後の境内では第一本宮での神事に続いて、反(そり)橋で献詠行事があり、全国から寄せられた短歌と俳句の入選作を披露。ススキや団子などが供えられた橋上で神職らが声高らかに作品を朗詠、朗読した。

 このほか住吉踊(おどり)保存後援会の奉仕による躍動感あふれる住吉踊と天王寺楽所雅亮会による舞楽の奉納がなされた。舞楽では開始を告げる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」に続き、仁明天皇即位の時に作られたと伝わる「承和楽(しょうわらく)」などが演じられ、舞人の優美な所作と楽人が奏でる音色の調和で参拝者を終始魅了していた。

1543名無しさん:2013/09/21(土) 05:13:24 ID:5VGj1aH60
秀吉の城 思いはせ…石垣30年ぶり公開

 大阪城本丸(大阪市中央区)で20日、大阪市が約30年ぶりに発掘した豊臣期の石垣が一般公開された。多くの歴史ファンらが訪れ、「太閤さんの城」に思いをはせた。公開は22日まで。

 石垣(高さ6メートル)は、現在の天守閣の南東の地中から最上部が長さ約6メートルにわたって出土した。この日は、大阪文化財研究所の担当者が「野面積(のづらづ)み」と呼ばれる自然石を積み上げた当時の工法などを説明した。太閤ファンという大津市の無職平塚哲彦さん(80)は「秀吉は大阪の街をつくった功労者。彼が築いた石垣を見ることができてうれしい。石垣の全容が公開されるのが待ち遠しい」と話した。

 大阪市は、大坂夏の陣(1615年)後に徳川家に埋められた初代大坂城の石垣を公開する事業を進めており、7月から調査してきた。今後、石垣をさらに掘り進め、2015年に公開施設を整備する。

 読売新聞大阪本社は、市と共同で事業の資金を募る「太閤なにわの夢募金」を実施している。問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年9月20日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130920-OYO1T00548.htm?from=main4

1544よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/22(日) 21:49:54 ID:77MhcX/I0
大阪大国技館知って!…跡地は団地、市民ら案内
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130921-OYO1T00602.htm?from=newslist

 昭和初期、大阪市東部の城北川沿いに大阪大国技館があった。昭和の大横綱・双葉山(1912〜68年)らが活躍したが、昭和戦争後に取り壊され、跡地は団地に。往時を知る人が減る中、同市城東区と市民らがゆかりの地を巡るコースを作り、24日に講座の参加者を案内する。(桑田睦子)

 大阪市城東区古市。マンションが立ち並ぶ住宅地で、ガイド団体「OSAKAゆめネット」所長の浜田容子さん(61)(大阪市北区)らが地図を手に歩いた。跡地は団地に姿を変えたが、かつて相撲茶屋が立ち並んだ通りや、力士の墓がある霊園などを確認し、地図に書き込んだ。

 大阪大国技館は1937年5月に完成した鉄筋コンクリート造4階建て。こけら落としの興行には双葉山が出場し、満員の日が続いたと伝わるが、戦争の影響などで興行は3年後に終了。本場所は行われず、興行が計7回だった。

 倉庫などに転用された後、51年頃に解体され、周辺は住宅地に。当時の面影はなく、区が「幻の大阪大国技館」などに関する連続講座を6月から開催。浜田さんらはゆかりの地を訪ねる際のガイドを頼まれ、現地を調べた。

 講座には定員100人を上回る受講者が参加し、歴史などを学んだ。現地に行くのは初めてで、すでに受け付けは終了。飲食店経営川端ふき子さん(64)は「45年ほど城東区に住んでいるが、そんな大きな施設があったとは全く知らなかった。当時の様子を知りたい」と訪問を楽しみにする。

 城東区などによると、大阪市では1919年、浪速区・新世界に大阪国技館が建てられたが、27年には映画館になった。このため、「大阪でも相撲の常設館を」との機運が高まり、大阪大国技館が建てられた。閉鎖後、大阪では相撲興行のための施設はなくなり、現在は毎春、府立体育会館(ボディメーカーコロシアム、浪速区)で大相撲春場所が行われている。

 講座の盛況を受け、城東区は、春場所の運営に協力する維持員でつくる日本相撲協会東西会(89人)に依頼、来春、相撲体験のイベント開催などを予定。浜田さんらとともにゆかりの地巡りも検討する。

 細井敦子区長は「相撲ゆかりのまちとして広めたい」と意気込み、浜田さんは「短期間しか存在しなかった大国技館だが、華やかににぎわった大阪の相撲文化を市民に紹介し、後世にも伝えたい」と話している。

(2013年9月21日 読売新聞)

1545よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/22(日) 21:57:12 ID:77MhcX/I0
古墳群「遺産」推薦見送り 市街地に緩衝地帯 難題
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130918-OYT8T00053.htm

 2015年に府内初の世界文化遺産登録を目指していた「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(堺市、羽曳野市、藤井寺市)について、国の文化審議会は8月末、登録推薦を見送った。登録は先送りされることになり、関係者は〈再出発〉を余儀なくされた。遺産を守るためのエリア「バッファゾーン」(緩衝地帯)のあり方などが課題とされており、市民も巻き込んだ景観保護の議論が不可欠になりそうだ。(岡田英也)

 文化審議会は、15年に開かれる国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会に向け、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本県)を推薦するよう答申。政府は17日、「明治日本の産業革命遺産」(福岡など8県)を推薦すると正式発表した。

 青柳正規・文化庁長官は8月の審議会後、同古墳群を見送った要因を「都市にある遺産として緩衝地帯をどうするか、十分な方策が練り上げられていない」と語った。

 緩衝地帯とは、古墳の景観を守る周辺を指し、墳丘を含む構成資産の189万平方メートルに対し、約5倍の997万平方メートルに及ぶ。その領域内では、高層マンションの建設や巨大な広告看板の設置が景観を損なう恐れがあるとされるが、現状では建物や広告の高さを規制する条例などがない。

 例えば、古市古墳群の一つ、「允恭(いんぎょう)天皇陵古墳」(藤井寺市国府)。目の前に近鉄土師(はじ)ノ里駅前がある利便性の高さから、そばに13〜7階建ての高層マンションが林立する。

 藤井寺市は景観計画を策定し、10月から「古市古墳群景観形成促進区域」を設定。高さ15メートル、建築面積1000平方メートルを超える建築物の届け出を義務化する。堺市は20年前から、市全域で高さ15メートル以上の届け出を義務付けているが、両市とも法的にクリアしていれば高層建築は可能だ。羽曳野市では現在、景観計画が案の段階にとどまっている。

 こうした事態を受け、府と3市でつくる「世界文化遺産登録推進本部会議」(大阪市)は、届け出以上に厳しい規制の検討を始めた。建物の高さや色調について、統一的な「保存管理計画」づくりを目指す。

 だが、同会議の担当者は「既存の建物とかけ離れた高さ規制では、住民らの納得は得られない」と頭を悩ます。登録有識者会議委員の白石太一郎・府立近つ飛鳥博物館長は「市街地化してしまっている状況で、規制や保護をどこまでかけるかが難しい」と話す。

 羽曳野市在住で古墳などのガイドを続ける細見克さん(72)は「緩衝地帯には多くの住宅がある。市民の関心が高まらないと、議論は深まらない」と指摘する。

◆百舌鳥・古市古墳群

 堺市の百舌鳥古墳群と藤井寺、羽曳野両市の古市古墳群で構成。4世紀後半〜6世紀前半の築造で、現存は89基だが、世界遺産の構成資産は60基に絞った。国内最大の仁徳天皇陵古墳(百舌鳥)は、「クフ王のピラミッド」(エジプト)や「秦の始皇帝陵」(中国)とともに世界3大墳墓に数えられる。

(2013年9月18日 読売新聞)

1546よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/22(日) 22:08:43 ID:77MhcX/I0
浪速商法「温故知新」の試み 大商大商業史博物館
2013年9月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130922/20130922019.html

 大阪商業大学の商業史博物館は、大阪で100年以上続く老舗企業の営みを通して浪速商法の魅力を伝える企画イベントを始める。大阪・北浜の老舗料亭「花外楼」が所蔵する伊藤博文ら歴史的な人物の書画を集めた展覧会をはじめ、企業経営者らを講師に招いた講座などを計画。大阪商人の信用と伝統を象徴する「のれん」の重みについて考え、今の社会に生かすきっかけをつかんでもらうという温故知新の試みだ。

■掘り起こし

 江戸時代末期に創業した花外楼。明治維新の功労者たちが足しげく通い、大久保利通、木戸孝允らが会談して立憲政治体制の足掛かりをつくった「大阪会議」の舞台であり、その後も政財界の有力者が利用した。

 歴史的な人物の直筆の書画が数多く残る一方、絵画の素養がある代々の女将は床の間などに飾る書画を大阪の画家から買い求め、来店者が気に入ればその画家を紹介していたという。

 花外楼の取り組みについて、同博物館主席学芸員の明尾圭造氏は「埋もれている人材を掘り起こす美術館のような役割を果たしていた」と解説する。

 同博物館で開く展覧会「花外楼−老舗料亭の一品」の期間は10月9日〜11月30日(日曜祝日休館)で、入場無料。木戸孝允の「船中之詩」や、伊藤博文の「花魁」など約30点を展示する予定だ。

■エッセンス

 その花外楼の女将である徳光正子氏をはじめ、着物の老舗「小大丸」社長の白井禎一氏を講師に迎える連続講座は4回予定され、9月28日に白井氏、10月5日に徳光氏がそれぞれマイクを握る。同9日には大阪大名誉教授の宮本又郎氏による基調講演もある。

 「100年、会社を続けるのは並大抵のことではない。伝統の中で受け継いできたエッセンスは何かを紹介していきたい」と明尾氏。

 のれんの重みをテーマにする11月1日のシンポジウムは白井、徳光両氏らが顔をそろえる予定で、明尾氏は「企業の理念とともに、これまでの営みを今にどう生かすのか(という点について)市民、府民に提供していければ」と来場を呼び掛けている。

1547よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/25(水) 23:14:25 ID:JxbtNoXI0
荘厳の時 四天王寺で「日想観法要」
2013年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130924/20130924017.html

 「秋分の日」の23日、大阪府内各地の霊園墓地や寺院などでは朝から供えものを手にした家族連れが続々と墓参りに訪れた。このうち大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)では秋季彼岸会(え)の伝統行事「日想観(にっそうかん)」が厳かに執り行われた。

 かつて四天王寺の西側には難波の海が広がり、境内・石鳥居が極楽浄土の東門にあたると信じられていたことに由来する修行。春・秋の彼岸の中日のみ夕日が石鳥居の中央に沈む。

 夕刻の境内・西大門(極楽門)周辺では同寺僧侶による法要が執り行われ、読経が響く中、千人を超える参詣者らが参集。真西のビルの陰から赤い夕日が現れると、一様に「きれい」の歓声を上げてカメラに収めるなど幻想的な光景を見届けた。

 この日は朝から天候に恵まれ、境内は約3万5千人の参詣者で終日にぎわった。

1549よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/27(金) 21:33:15 ID:5J33CcoY0
GHQ占領の記憶 資料が語る
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130926-OYT8T00067.htm

◇1945年9月25日 近畿初上陸

  9月25日が何の日だったかを知っていますか――。この日は太平洋戦争後の1945年、連合国軍が近畿地方に初めて進駐した日。和歌山沖から上陸した連合国軍総司令部(GHQ)による占領は約7年にわたったが、今は「進駐の日」が語られることはほとんどない。資料や証言などから当時の状況をたどった。(中西賢司)

 「海辺に出てみると数百米(メートル)にわたって輸送船団が黒々とならび、やがて上陸艇が波と砂をけちらし、銃と無線機をかついだ進駐軍が続々と上がってきた」

 和歌山市の和歌浦で進駐軍の上陸を目撃した小学生は驚きを学校記録にそう記した。和歌山県史によると、29日までに約4万2000人が上陸し、大阪や京都、神戸などに進駐を続けた。占領軍は日本全体で40万人に上ったとされる。

 大阪では、御堂筋沿いの日本生命本店ビルに師団司令部が置かれ、星条旗がはためいた。占領時小学生で、近くの愛日小学校(90年閉校)に通った梶本孝治さん(72)は高級米国車が並び、連日、楽隊が演奏行進したのを覚えている。

 「楽隊に見とれているうちに、遅刻しそうになってよく学校に駆け込んだ。仕立てのいい軍服を着た米兵は紳士的で、大人たちが『鬼畜米英』と話していたイメージとは違った」

 日生ビル以外にも新大阪ホテル(大阪市北区、現リーガロイヤルホテル)が将校宿舎になるなど多数の施設が接収された。

 「キャンプ・サカイ」と呼ばれる基地(後に病院に転用)とされた大阪市立大(同市住吉区、当時は大阪商科大)では、学生らの返還運動が起きた。当時のアルバムには学生の憤りがにじむ。「兵舎!兵舎!兵舎!兵舎!兵舎!この様なキャンプの中に大学がある」

 55年に全面返還。今もキャンパスに「司令官専用」と英語で書かれた閲兵台が残るが、その存在を知る学生は少ないという。

 占領史に詳しい杉田米行・大阪大教授(日米外交史)は「地方議会で女性の政治参加は進んだのか。地元経済はどんな影響を受けたのか。占領施策が大阪など地方に与えた影響の研究はあまり進んでいない。記憶が薄れる今こそ、その進展が待たれる」と話している。

(2013年9月26日 読売新聞)

1550オリッ鉄:2013/09/27(金) 21:41:36 ID:.7o/KoeY0
>>1544
大阪国技館跡地は今URの集合住宅。
私はそこはよく知ってる。近所だから

1551よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/27(金) 22:05:57 ID:5J33CcoY0
菜の花たくさん咲かそう 菜種油発祥の地、種まき
2013年9月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130926/20130926030.html

 菜の花にゆかりのある大阪市住吉区で20日、地域住民らのアイデアをもとにした同区の事業「菜の花を咲かそう」がスタートした。関係者や住民らがJR我孫子町駅近くの「住吉区花づくり広場・地域交流広場」に集まって種をまき、開花の日を楽しみにした。

 同区の遠里小野地域は菜種油発祥の地とされ、江戸時代は菜種油の生産が盛んだった。この歴史を地元に伝えようと、住民らが中心となって2年前に「菜の花を咲かそう会」(吉田進会長)を結成。今回は会員以外にもさらに一般に広く知ってもらおうと、同区が募集するまちづくり事業に応募し実現した。

 この日、区民や同広場を拠点に活動する花づくりボランティア「花さかスミちゃん」のメンバーら約30人が参加した。土作りや種まきを分担し、作業を進めた。

 吉田会長は「遠里小野と菜種油の歴史を広めるとともに、作業を通じて住民同士が交流するきっかけになれば。黄色い花が咲いてまちを彩る頃には、会話がまた弾むはず」と期待を寄せている。

 同区によると、来年6月には、採種した種を使って油搾りの作業体験会を行う。

1552よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/30(月) 21:35:40 ID:aHuThCpw0
日本最古のため池「狭山池」…行基の堤と不思議な迷宮
2013.9.29 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130929/wlf13092907010002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130929/wlf13092907010002-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130929/wlf13092907010002-n3.htm

1553よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/08(火) 21:43:01 ID:zke3CtbY0
桂雀松さんが三代目「桂文之助」襲名 上方の大名跡が83年ぶり復活
2013.10.6 20:20
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131006/wlf13100620220025-n1.htm
 
 上方落語の桂雀松改め三代目桂文之助さん(57)の襲名披露公演が6日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで行われ、兄弟子の桂南光さん(61)らが83年ぶりの名跡復活を祝った。

 初代、二代目文之助とも明治期に活躍。二代目は「動物園」「指南書」などの新作を数多く残したが、若くして引退。晩年は京都・高台寺境内に甘味処「文の助茶屋」を開くなど悠々自適に過ごした。

 口上では、南光さんが「雀松時代は失敗がなくて、『かわいげがない』と師匠(枝雀さん)を悩ませた」、桂ざこばさん(66)は「彼はまじめすぎて、あまり思い出がないんです。もっとしくじりなさい」と笑いをまじえて激励。

 また、上方落語協会の桂文枝会長(70)は文之助さんの気象予報士の才能を買って、「雨や台風の影響を受けやすい彦八まつりの来年の実行委員長をやってもらいます。彼に懸けます」と宣言。笑福亭鶴瓶さん(61)はドラマ「半沢直樹」で使ったネジを自慢げに披露し、ざこばさんから「この男、腹立ちますやろ」と突っ込まれるなど、客席は爆笑に包まれた。

 文之助さんは「思い出に残らない噺家ですが、新しい門出を迎えて今後ともよろしくお願いします」とあいさつ。得意ネタ「替(かわ)り目」を熱演し、客席から温かい拍手を受けていた。

1554よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/08(火) 21:46:02 ID:zke3CtbY0
岸和田だんじり祭、本当は華麗? 若い編み込み女性が続々視界に
2013.10.6 17:00 [祭り]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131006/wlf13100617000020-n1.htm

 「編み込み」と呼ばれる髪形の女性たちが元気よくだんじりを曳(ひ)く−。

 9月14、15日に開かれた岸和田市の「岸和田だんじり祭」を取材した。全国的に超有名なこの行事だが、実際に目にしたのは初めて。男たちによる荒々しい祭りというイメージを抱いていたが、視界に入ってきた当日の様子は、そんな先入観を裏切るものだった。

 だんじりを曳いているのは、もちろん男性が多いが、若い女性も混じっていた。その女性のヘアスタイルに目を転じると、レゲエ歌手を思い起こすような独特の髪形。髪を細かく編んでいろいろな柄を演出するらしかった。関係者に聞くと、昔はなかったが、最近は女性参加者の間で流行しているという。

 まただんじりを曳きながら辻々を直角に曲がる「やりまわし」や、屋上で跳び上がったり手を上げたりする大工方の動きも見事だった。そうした祭りの表情一つひとつは「荒々しい」というより、別の表現が頭に浮かんだ。

 昔に比べればおとなしくなった−。まちの人からは、そんな声がもれた。でも、昔を知らない私は、「華麗」という表現がぴったりだと思った。

1555よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/08(火) 21:54:26 ID:zke3CtbY0
近松作品通し船場知る 中央区淀屋研究会が講演会
2013年10月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131006/20131006027.html

 淀屋研究会(毛利信二代表、約60人)は5日、大阪市中央区の綿業会館で、生誕360年を迎えた近松門左衛門の浄瑠璃作品を題材にした講演会を開いた。大阪・船場の地名をつづった“ご当地ソング”的な近松作品を通じ、受講者を地域の歴史にいざなった。

 4日に始まった「船場まつり」の文化イベントとして開催。近松作品に詳しい園田学園女子大学(兵庫県尼崎市)の井上勝志教授が講演し、約250人が参加した。

 船場に屋敷を構えた豪商淀屋を描いた『淀鯉出世滝徳(よどごいしゅっせのたきのぼり)』、船場の本町、久宝寺町などがテンポ良く登場する『今宮の心中』などを紹介した井上氏は、近松の思いについて「芝居と大阪の町を合体しておもろいやろ」と解説した。受講した女性(69)は「文学は遠い存在だったけど、近くなった気がする」と話していた。

 毛利代表は「自分が暮らす地域の歴史を知らない人は多いと思う。船場の中に淀屋の屋敷があったことも理解してほしい」と呼び掛けていた。

1556よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/09(水) 20:38:23 ID:SJ0eIE5M0
元気センバイ返し 「博労稲荷」のみこしが巡行
2013年10月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131007/20131007018.html

 商店街や社寺、地域が一体となって“商人のまち”大阪・船場地区を盛り上げる催し「船場まつり」(4〜6日)に合わせ、大阪市中央区博労町4丁目の難波神社に祭られている「博労稲荷」のみこしが6日、地元のせんば心斎橋筋商店街を巡行した。大勢の買い物客や観光客が往来する中、男女約40人の担ぎ手が「ヤーレ船場、ソーレ船場」と威勢のいい掛け声をアーケード内に響かせた。

商売繁盛を願うみこしの人力巡行は昨年の船場まつりで約50年ぶりに復活した。女組が中心となって重さ約300キロのみこしを担ぎ、中央大通りから南久宝寺通り間の南北約260メートルを往復。随所でみこしを高く担ぎ上げたほか、大きく回転させるなど、躍動感あふれる動きで見守る人々を魅了した。

 昨年に続き担ぎ手を務めた田浦有夏さん(25)=兵庫県三木市=は「昨年は多くの人の声援で元気をいただいたが、ことしはその『倍返し!』。たくさんの人に元気を送りたい」と気合を込めていた。

1557よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/09(水) 20:46:33 ID:SJ0eIE5M0
旧海軍「最上」再び大阪に 市民団体、返還へ活動
2013年10月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131009/20131009025.html

 国内外に現存する戦争関連施設などの調査・保存活動に取り組む戦争遺構研究会(堺市、柴田正己代表)が、大阪・中之島から広島の呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」へ移設された旧海軍の通報艦「最上」のマストなど構造物の返還を呼び掛けている。市民の周知に向けて随所で関連資料を展示するほか、大阪市や文化庁へ要望書を送るなど「近代史の生き証人」が再び大阪の地へ戻ることを願い地道な活動を続けている。

同艦は1908(明治41)年に長崎で建造。外地にも派遣され、第1次世界大戦で中国に赴いたほか、大正期のシベリア出兵では沿岸の警備任務に当たった。28年に除籍、廃艦となり、翌年、大阪の在郷軍人会がマスト(高さ約20メートル)と艦橋部分を譲り受け大阪市に寄贈した。


 中之島公園東部の天神橋付近に設置され、かつては国旗掲揚柱として使用されたことも。建造から1世紀、設置から80年間風雪に耐えたが、大阪市は構造物の老朽化による危険性の観点と同公園の整備改修に伴い撤去を決定。1級建築士で建築史家の柴田代表(70)ら市民からは大阪での保存を望む声が寄せられたが、艦船関連の資料を展示する同館が受け入れ先となり、2009年2月に移された。

 マストなどは分割状態で搬送され、現在同館の収蔵庫で保管中。柴田さんは「廃棄されなかったのは幸いだが、受け入れ先でいまだに公開展示されてないのは残念」と表情を曇らせる。保存運動の当初から移転希望先として挙げていた大阪国際平和センター「ピースおおさか」(同市中央区)などへの移設も視野に、あらためて「大阪で歴史教材として保存と活用を」と訴える。

 同館学芸課よると展示品は大小数百点で、収蔵品は約20万点にも及ぶ。このうち同艦の構造物については「現在公開の予定はないが貴重な実物資料として保管されており、今後、企画展などで公開する可能性はある」という。

 柴田さんは、堺市出身で終戦時の首相、鈴木貫太郎の生家を文化財に指定することを求める活動なども展開中。「歴史が一つ一つ埋もれていく中、『雨垂れ石をうがつ』のごとく、声を上げ続けることが大事。残された時間は限られているが、これまで提唱してきたことを実現させていきたい」と話している。

1558よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/14(月) 20:01:51 ID:yrg7DEec0
にぎやかにお練り 法善寺で落慶法要
2013年10月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131010/20131010022.html

 「水掛不動」で知られる大阪市中央区の法善寺(神田眞晃住職)で、老朽化した金毘羅堂・お初大神社殿の改修工事が完成し、9日、落慶法要が執り行われた。かつて2度の火災に見舞われ、その度に地域一丸となって復興した経緯があるだけに、この日はゆかりのある芸能、スポーツ関係者も顔をそろえた。

  法善寺と周辺の飲食店「法善寺横丁」は、2002年9月と03年4月の2度の火災による苦難が続き、04年3月の完全復興に至るまで地域が一つにまとまった強い絆のある地域。

 「2度の火災以降、大いに助けてくださり、肩を組み抱き合うほど仲良くやってきた」と神田住職が紹介した落語家の桂福団治さん、月亭八方さん、松竹新喜劇代表の渋谷天外さん、タレントの赤井英和さん、豊ノ島関などが法要の会場にズラリ並んだ。

 渋谷さんは「40年少し前、背中合わせだった中座の初舞台以来のお付き合い。今回の改修でより親しみやすい場所になった」と感慨深く語り、福団治さんは「参詣が楽しみ」と喜びの声を上げた。

 神田住職は「戦後、一帯は焼け野原になり、建立された金毘羅堂で住んでいたという先代のつらい話も聞いた。金毘羅堂、お初大神社殿にお参りいただくことで、社会が優しい心に満ちてほしい」と話していた。

 参列者は道頓堀など周辺をにぎやかにお練りして、完成をアピールした。10日は午後4時から金毘羅大祭法要などがある。

1559よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/16(水) 22:07:37 ID:z0OmT.RU0
神輿巡行に熱気 大阪・吹田で秋祭り
2013.10.14 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131014/osk13101402010002-n1.htm

 吹田市山田東の山田伊射奈岐(いざなぎ)神社で13日、秋祭りがあり、勇壮な太鼓と神輿(みこし)の巡行が行われ、住宅街が熱気に包まれた。

 豊作を祈り江戸時代に始まったという神事。一時すたれていたが、昭和55年に氏子らが太鼓神輿保存会を結成して復活。平成10年に、市の地域無形民俗文化財第1号に登録された。

 早朝、濃紺の法被、締め込み姿の「担手(かきて)」の若者に担がれて神社を出発した2基の太鼓は、神輿の露払いをしながら広い山田地区内を巡行した。

 夕刻の宮入りを前に、神社近くで太鼓2基が合流。カラフルな花笠をかぶり、長いタスキ姿の男児の「乗り子」がドンドンドンと太鼓をたたき、「担手」がエッサ、エッサと声を張りあげて太鼓を高く差し上げ練り回すと祭りは最高潮になり、詰めかけた市民から歓声が上がった。

1560よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/18(金) 04:15:30 ID:A3XKUrxA0
堺の長山古墳 後円部直径64メートルと判明
2013.10.18 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131018/osk13101802000001-n1.htm

 堺市堺区協和町の市営住宅建設予定地で発掘により確認された4世紀後半の築造とみられる「長山古墳」で、堺市文化財課は17日、後円部の直径が約64メートルの規模だったと発表した。全長は100メートルを超えると推測されるという。

 発掘調査後に古墳の規模などを調べるため学術調査を実施していた。後円部の基底石が今回新たに4カ所で確認され、後円部の直径が判明。埴輪(はにわ)の破片なども出土した。

 海側に近い北西側の後円部部分で見つかった基底石は、一辺が約40センチと大きな「和泉砂岩」が使われており、他の場所の葺(ふ)き石よりも丁寧な積み方だった。このため、海から古墳をより立派に見せようとした可能性も考えられるという。

 また、調査では、前方部と後円部がつながる「くびれ部」の場所なども判明。前方部からはこれまでの調査で東部分で長さ16メートルの葺き石が出土。今回調査で新たに9メートルの葺き石も確認された。

1562よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/22(火) 05:45:03 ID:uANVGV1k0
御神田の稲収穫を祝う 住吉大社で宝之市神事
2013年10月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131018/20131018044.html

 伊勢神宮の神嘗祭に当たる17日、御神田で生育した稲の収穫を祝う「宝之市神事」が、大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)であり、観光客らに見守られながら神職らが厳かに祭りを執り行った。

 その年の五穀豊穣(ほうじょう)に感謝するもので、重要無形民俗文化財にも指定の御田植神事(6月)と並ぶ伝統儀礼。

 神職や神楽(み)女(こ)をはじめコメ、ムギ、アワ、マメ、キビの五穀を手にした市女(いちめ)役の学生が伝統衣装をまとって列をつくり、コメを栽培している御田講(おんだこう)と呼ばれるグループの代表者らが境内にある御神田で儀礼にのっとってイネを刈り取った。第一本宮に移った一行は、コメを奉納し、祝詞や舞などを奏上した。

 句会で訪れたという奈良県広陵町の小林伊久子さん(62)は「質素だが、厳かでいいなと感じた」と話した。

 御神田は2反(2千平方メートル)。銘柄はヒノヒカリが収穫、奉納され、御田講によると、今年は豊作で実入りが良いという。

1563よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/22(火) 22:15:26 ID:0OzMCQLk0
真田幸村でイベント計画
10月18日 07時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131018/5315751.html 

豊臣と徳川の軍勢が戦った、「大坂冬の陣」と「夏の陣」から400年を迎えることから、大阪市は、観光客の増加につなげようと、豊臣方の武将、真田幸村が、いまの天王寺区に築いた要塞、「真田丸」を模型で再現するなど幸村にちなんだイベントを計画しています。1614年の「大坂冬の陣」で、豊臣方の武将、真田幸村は、いまの大阪・天王寺区に、「真田丸」という要塞を築き、巧みな戦術で徳川方をほんろうしたほか、翌年の「夏の陣」では、家康の本陣にまで攻め込んだと伝えられています。
来年と再来年が、この戦いから400年となることから、大阪市は、「歴史ブーム」で人気のある幸村にあやかって観光客を増やそうと、「真田丸」を模型で再現することになりました。

模型は、歴史ファンなどからも寄付を募ったうえで、研究者らのアドバイスも受けながら、大きさなどが検討されることになっています。

このほか、市では、戦国武将にふんする「コスプレ」のコンテストなど幸村にちなんだイベントも計画しています。

天王寺区の水谷翔太区長は、「歴史ファンからも、模型の再現について期待の声が寄せられている。多くの人に、歴史のロマンに思いをはせてもらいたい」と話しています。

1564よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:43:07 ID:8eMdeB4Q0
永遠のオダサク ゆかりの生國魂神社に銅像
2013年10月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131027/20131027024.html

 小説「夫婦善哉」で知られ大阪を代表する作家“オダサク”こと織田作之助の生誕からちょうど100年にあたる26日、大阪市天王寺区の生國魂神社で祝祭が開かれ、境内に建立、寄贈された作之助の銅像が披露された。

  祝祭は市民グループ「オダサク倶楽部」(井村身恒代表)が企画した。銅像は同倶楽部会員の石田英治さんが彫刻家の岡村哲伸さんに制作を依頼し寄贈。作之助の生地に近く幼少時に遊んだという同神社の境内、尊敬したという井原西鶴の像の近くに建立された。

 在りし日の作之助を「兄ちゃん」と慕った義理のめい浅井民さん(88)は銅像を眺め「横顔の頬がこけたあたりがそっくり」。銅像の除幕に加わった義理のおい西井基司さん(83)は「銅像は永遠。こうして愛し続けられることはうれしいこと」と話した。

 
おかえり オダサク
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131027-OYO1T00298.htm

  「夫婦(めおと)善哉(ぜんざい)」などの小説で知られ、「オダサク」の愛称で親しまれる作家・織田作之助(1913〜47年)の生誕100年を迎えた26日、生家に近い生国魂神社(大阪市天王寺区)で記念イベントが開かれた。

 愛読者らでつくる「オダサク倶楽部(くらぶ)」(井村身恒代表)の主催で、約100人が参加。織田の小説をアレンジした落語が披露されたほか、境内に建立したマント姿の立像(高さ約1.8メートル)が除幕された。

 織田の親戚筋で、生前にかわいがってもらったという吉川聖子さん(90)、浅井民さん(88)姉妹は「すばらしい場所に像を建ててもらい、お兄ちゃんも喜んでいると思う」と懐かしんだ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1565よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:47:50 ID:8eMdeB4Q0
古墳群、持続可能な管理を
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00149.htm

. 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に向けた国際シンポジウムが26日、藤井寺市の市立市民総合会館「パープルホール」で開かれ、「古墳のある街のまちづくり」をテーマに国内外の専門家らが意見交換した。

 同古墳群については、2015年度の世界文化遺産登録を目指しながら、今年度に国の推薦が見送られたため、登録が遅れることは確実となっている。

 この日のシンポは府と堺、藤井寺、羽曳野の3市でつくる同古墳群世界文化遺産登録推進本部と文化庁が主催し、約250人が参加。基調講演に立った西村幸夫・東京大先端科学技術研究センター所長は、ビルに囲まれた東京・浅草の浅草寺を例に、「本堂の後ろに高い建物がなく、歴史的な雰囲気が感じられる。古墳群も周辺環境を含めた街づくりの観点が重要」と呼びかけた。

 オランダのウィレム・ウィレムス・ライデン大教授は「登録に最も重要なことは、目の前に立った人を感嘆させられるかどうかだ。古墳群は、その点での疑念はなく、価値と研究成果を世界に伝え、持続可能な管理をすれば(登録は)必ず実現すると思う」と述べた。

(2013年10月27日 読売新聞)

1566よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:49:08 ID:8eMdeB4Q0
大阪城 今日は何の日?
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00155.htm

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は、大阪城の歴史を記した2014年版の特製カレンダー(A4判、カラー刷り)=写真=を作製した。

 徳川幕府が豊臣家を滅ぼした「大坂の陣」(1614〜15年)から400年の節目を迎えるのに合わせて企画。豊臣秀頼・淀君が自害した、豊臣氏滅亡の日(1615年5月8日)や、戊辰(ぼしん)戦争で全城ほぼ焼失(1868年1月9日)、天守閣の復興(1931年11月7日)など、城にまつわる約250のできごとを、季節感あふれる大阪城の姿とともに紹介している。

 担当者は「大阪城がいろんな時代で重要な場所であったことを知ってもらえれば」と話している。

 非売品だが、11月2〜24日の期間中、特別展「大阪城はこの姿 ―戦災からの復興、整備、そして未来へ―」の図録(1300円)を購入した人にプレゼントされる。

 問い合わせは、大阪城天守閣(06・6941・3044)へ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1567よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 15:09:45 ID:8eMdeB4Q0
白村江の戦い1350年 慰霊法要と講演会 27日、枚方 大阪
2013.10.24 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131024/osk13102402000000-n1.htm

 7世紀、朝鮮半島の南西部にあった百済(くだら)を救援するため、日本(倭国)の軍兵が海を渡って唐・新羅連合軍と戦い敗れた「白村江の戦い」(663年)から今年で1350年。日本に亡命してきた百済王族の子孫らが27日、枚方市のゆかりの地で慰霊法要と講演会を開催する。

 慰霊法要は午前11時から、枚方市大垣内町(市役所西側)の百済王神社で。舒明天皇が建立した百済大寺(大官大寺)の流れをくむ奈良・大安寺の河野良文貫主が導師をつとめる。

 また午後1時半からは、同市中宮西之町の百済寺跡公園(国特別史跡)で、猪熊兼勝・京都橘大学名誉教授による講演「百済滅亡と百済王氏」がある。参加は自由だが、マイカー禁止。百済寺跡へは、京阪交野線宮之阪駅下車。問い合わせは、主催の三松(みまつ)さん((電)0742・24・2970)。

1568よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 20:34:36 ID:F8KRTU.o0
日本最古の幼稚園 公開
10月26日 19時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131026/4302351.html

明治34年に建てられた、日本で最も古い園舎がある大阪市立愛珠幼稚園が26日、一般に公開され、大勢の人が見学に訪れました。
大阪・中央区今橋の大阪市立愛珠幼稚園の園舎は、いまから112年前の明治34年に完成し、和風の重厚な外観をした木造平屋建ての建物は、学術的な価値が高いとして国の重要文化財に指定されています。
現在も子どもたちが通っているため普段は立ち入れませんが、26日は年に2回の一般公開の日にあたり、歴史や建築に関心を持つ人などが大勢、見学に訪れました。玄関から入ってすぐの遊戯室は天井までの高さが7メートルほどある独特の造りをしていて、古風なシャンデリアが天井からつられています。
また、遊戯室には100年以上前に購入したドイツ製のピアノも置かれ、26日は訪れた人たちに優雅な音色が披露されました。
見学に訪れた淀川区の43歳の女性は「一度、中に入ってみたいと思っていたので感激です。こんなすばらしい環境で過ごす子どもたちは幸せですね」と話していました。
愛珠幼稚園は近く、耐震工事が始まるため一時的に閉鎖され、次に一般に公開されるのは2年以上先になりそうだということです。

1569よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:19:42 ID:F8KRTU.o0
馬飼いの里、埴輪でたどる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00152.htm

 四條畷市立歴史民俗資料館(四條畷市塚脇町)で、特別展「四條畷の古墳時代 王権を支えた馬飼いの里」(同市教委など主催)が開かれ、市内で発掘された埴輪(はにわ)や祭祀(さいし)用具など約500点が展示されている。入場無料。12月15日まで。

 海岸線が現在より内陸にあった古墳時代中期、同市は、現在の大阪湾につながっており、朝鮮半島から渡来人が連れてきた馬を育てる牧場として発展、多くの古墳や集落がつくられた。会場には、古墳や周辺の集落跡地から出土した子馬の形をした埴輪や、祭祀でささげられたとみられる馬の骨、朝鮮半島でつくられた土器など、同市の歴史を物語る出土品が並んでいる。開館は午前9時30分〜午後5時で、月曜日が休館(祝日は開館し、翌日が休館)。問い合わせは同資料館(072・878・4558)へ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1570よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:40:48 ID:F8KRTU.o0
澪標 ―みおつくし―

大阪を代表する神社
中村 文隆 生國魂神社権禰宜
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/131018/20131018051.html

 
前稿でいくたまさんは大阪最古の神社であるとお伝えしました。では大阪に鎮座する他の神社はどれくらいの歴史を有するのでしょうか。代表的な神社を中心に見ていきます。

 まず、神社といえば祭り、祭りといえば大阪で真っ先に名前の上がるのが、天神祭であることに異論は少ないでしょう。東京の神田祭、京都の祇園祭と並び、日本三大祭りの一角として他府県からも多数の参拝者が来訪し、大阪の観光行事の中心的な役割を担っています。

 この浪速っ子を魅了し続ける天神祭を齋行(さいこう)している神社が大阪天満宮です。菅原道真公をご祭神としてお祀(まつ)りされており、平安貴族として隆昌を極めながらも非業の死を遂げられた官公の、没後約半世紀を経た天暦3(949)年に、第62代・村上天皇の勅願によって創建されたと伝わりますから、1100年近い歴史を有します。

 次に夏から冬に目を転じますと、宝恵駕籠(かご)行列を挙行し、商都大阪に新春を告げる十日戎(えびす)で全国にその名を知られる今宮戎神社があります。通常「えべっさん」と呼ばれる同神社の縁起は、東アジア初の女帝、第33代・推古天皇の御代に、摂政・聖徳太子の四天王寺建立に際して、同寺西方の護(まも)り神としてお祀りされたのが初めと伝わります。『日本書紀』によると、同寺の建立は推古元(593)年に始まると記されていますので、えべっさんの歴史も1400年を超えることになります。

 また、大阪で最も代表的な神社といえば、住吉区や東住吉区、住之江区など、行政区名にも広範囲にわたって名を留める住吉大社が挙げられます。大阪では親しく「すみよっさん」と呼ばれていますが、全国に2千社以上鎮座する住吉神社の総本宮であり、新年の初詣では東京の明治神宮、京都の伏見稲荷大社と並び、全国でも屈指の参拝者数を誇ります。僧・永祐の撰と伝わる室町時代ころの書物で、神代から第93代・後伏見天皇までの歴史を記した『帝王編年紀』によりますと、神功皇后11(211)年、第14代・仲哀天皇の后(きさき)である神功皇后自らが住吉大神をお祀りされたと記されており、よってご由緒は1800年を超えます。

 もちろんこれらの他にも大阪には日本史のエポックとなった神社が多数鎮座していますが、それらはおおよそいま見てきた3社と同じ1000年〜1800年前の範疇(はんちゅう)に収まります

 一方、大阪最古といわれるいくたまさんのご由緒は「神武東征の砌(みぎり)」と伝わりますから、それよりさらに900年ほど遡(さかのぼ)ります。それはまさに神話と歴史のつなぎ目となる時代であり、そのつなぎ目の時間軸が約2700年前、そして場所軸がこの大阪となります。

 次稿ではそのあたりを掘り下げ、大阪の歴史が日本の歴史の始まりであるということを見て行きたいと思います。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)








2013年10月18日

1571よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:44:03 ID:F8KRTU.o0
>>1570

>前稿でいくたまさんは大阪最古の神社であるとお伝えしました。


澪標 ―みおつくし―

神社や神道を身近に
中村 文隆 生國魂神社権禰宜
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/130903/20130903028.html

  大阪上本町界隈(かいわい)に鎮座する「いくたまさん」で、平成11年より神職をしております中村文隆と申します。

 大阪人の大半は当神社をいくたまさんと親しく呼称しておられますので、以下特段の事情がない限り、私も文中ではいくたまさんと表記しますが、正式なご社名は「生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)」と言います。こう言うと慣れ親しんだ神社が、何か遠い存在に感じますね(笑)。

 このはんなりとした神社と人の近さも上方文化の一つでしょう。東京旅行で明治神宮に参拝して「明治さんへ行って来た」とおっしゃるかたは稀(まれ)ではないでしょうか。前置きなしに聞かされると、どこへ行ったのか皆目見当もつきません。鎌倉の鶴ケ岡八幡宮に至っては「鶴ケ岡さん」という言葉すら聞いたことがありません。

 そのようなことはさて置き、このたびは貴重な紙面をお借りし、私たちにとって身近であり、かつ意外と知らない神社や神道に関連するお話を5回にわたって寄稿させていただく機会を頂戴しました。

 ご依頼を頂いた当初、神社についての一般的な概要を、1回ごとの読み切りでご紹介しようかと漠然と考えていました。しかし、そのような、どこに出してもご理解いただける平たい内容は既に巷(ちまた)に溢(あふ)れていますので、大阪日日新聞さんならではの地元大阪に特化したお話をいくたまさんを通じて提供し、より身近に神社を感じていただけるよう、ご由緒のポイントを整理しました。

 とても長い歴史を有する神社ですので細部にこだわると膨大な紙幅が必要なため、おおまかなエピソードを中心に追って行きたいと思いますが、それでも号を跨(また)ぎますこと、また、あくまで私中村が日々のご奉仕の中で感じた個人の主観でありますことをお許しください。

 平素の神社でのお勤めは、お掃除に始まりお掃除に終わると言っても過言ではありませんが、それは精神的なお祓(はら)いの物理化がお掃除であるからに他なりません。試験前に慌てて部屋の掃除から始める人がいますが、ある意味理に適(かな)っていますね、私もそうですが(笑)。

 ご参拝の方とのご縁も境内でホウキを持っている時に頂くものが多く、その中でもよく耳にするのは、「いくたまさんってどんな神様ですか?」と言う類のご質問です。そんな時、決まって私は「大阪で一番古い神社で、日本列島そのものの神様なんですよ」とお答えしています。

 旅行でご来阪されたかたかと思い、「どちらからお越しですか?」と逆に問いかけますと、流暢(りゅうちょう)な関西弁で「いや、長年大阪に住んでて、何度かいくたまさんにはお参りしたことがあるんですが、今まで深く考えたことがなくて」、なんていうお答えがしばしば返ってきます。

 では大阪で一番古い神社とは、いったいどれくらい昔のことなのでしょうか。

 次回はその辺りを中心に見て行きたいと思います。

 (大阪市天王寺区)

1572よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:47:02 ID:F8KRTU.o0
伝統の「かっぽれ」 伊勢神宮に奉納 家元の櫻川ぴん助さん
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20131006/CK2013100602000151.html

>かっぽれのルーツは大阪・住吉大社の田植え踊り。

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1578よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/02(土) 05:08:53 ID:ZBwfPZlU0
千歳飴袋詰め 住吉大社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131101-OYT8T00084.htm

 子供の健やかな成長を願う七五三(11月15日)を前に、準備作業を続けていた大阪市住吉区の住吉大社が31日、子供たちに手渡す千歳(ちとせ)飴(あめ)の袋詰めを終えた。

 同大社では、毎年約6000人が七五三の参拝に訪れる。同神社は祈祷(きとう)を受けた子供向けに、巫女(みこ)らが10月初旬から千歳飴を用意。最終日となった31日も5人が手際よく飴や文房具、お守りを袋に入れていた。

 参拝のピークは15日前後。祈祷料は1人1万円で、2人目からは5000円。11月中は連日午前9時〜午後4時に受け付ける。問い合わせは同大社(06・6672・0753)へ。

(2013年11月1日 読売新聞)

1579よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/02(土) 05:34:39 ID:ZBwfPZlU0
神社で朝活 日曜カフェ 枚方・交野天神社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131030-OYT8T00068.htm

 さわやかな朝、家族や友人と外で食事を楽しみませんか――。毎月第3日曜日の朝、枚方市の交野天(かたのてん)神社境内に、オシャレなカフェがオープンする。地元の若手店主らが7月から始めた「神社カフェasaiku」。焼きたてのパンやコーヒーの香りに誘われて、散歩中の夫婦や家族連れが次々と訪れている。(梶多恵子)

 同神社近くの樟葉宮(くずはのみや)表参道商店会(34店)が主催。若手店主らが「地域の交流を図れ、ほかではやっていないイベントを」と知恵を絞り、地域のシンボルでもある同神社で「カフェ」を開くアイデアを思いついた。

 サラリーマンらが、出勤前に集まって読書会や勉強会を開く「朝活」がはやっていることに目をつけ、家族がそろう日曜日の朝に開催することを決めた。「朝の貴重な時間を使い、人生を豊かに育ててほしい」との願いを込め、「asaiku(朝育)」と名付けた。

 当日は、神社境内にテーブルといすを並べ、各店が提供するパンやソーセージ、豆腐、サラダなどの数量限定プレート(500円、メニューは変更あり)を用意。コーヒーやパンなどを単品でも販売する。9、10月は雨で中止になったが、7、8月に開催した際には、チラシや口コミなどで知った地域住民ら300〜400人が訪れる盛況ぶりだったという。

 冬は温かいメニューも用意する予定。同商店会の川口誠会長(37)は「常に工夫をして盛り上げていかないと、商店街は廃れてしまう。朝食だけではなく、地域のことを学ぶ『まちゼミ』などのイベントも企画していきたい」と意気込んでいる。

 次回の「神社カフェasaiku」は11月17日午前8時〜11時。雨天中止。交野天神社は京阪樟葉駅の北東側。駐車場はない。問い合わせは、まことの豆富「燈」内の川口会長(072・855・6022)へ。

(2013年10月30日 読売新聞)

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1583よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/08(金) 02:21:09 ID:owzEBIQ.0
若い女性を夢中にさせる文楽のスゴさ 文楽人形遣い・桐竹勘十郎さん 通し狂言「伊賀越道中双六」国立文楽劇場で公演中
2013.11.7 12:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131107/wlf13110712570010-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131107/wlf13110712570010-n2.htm

 この人の遣う人形を見ていると、文楽という芸の面白さ、深さに目を見開かされる。文楽人形遣い、桐竹勘十郎、60歳。脂の乗りきった芸で、観客を一気に文楽の世界に引きずりこむ。今月、大阪・国立文楽劇場で上演中の通し狂言「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」では、娘のために命をかける老人足の平作と剣豪・政右衛門の師、山田幸兵衛という老け役2つを遣っている。

(亀岡典子)

 「どちらも親父(人間国宝・二世勘十郎)の好きな役でした。人形の後ろにいまも親父がいるような気がします」。人形の首(かしら)をいとおしそうに見つめる勘十郎。「特に、幸兵衛は最後の役だったので、この役を遣うことは念願でした。私も還暦。こういう役をしっかり遣いたい」

 「伊賀越道中双六」は、寛永11(1634)年、伊賀上野・鍵屋の辻で実際に起こった仇討ち事件をもとに、時代を室町時代に置き換えて描かれた時代物の傑作。鎌倉から沼津、岡崎、伊賀上野と、東海道を西へ西へと向かいながら、仇討ちをめぐる人々の思いがスケール豊かに描かれる。

  今回は大阪では平成4年以来、21年ぶりの通し上演。「文楽は、これだけの大作を通しで上演できる。それが私たちの誇りです」

 勘十郎が遣う平作は、「沼津の段」に登場する老人足。呉服屋十兵衛に声をかけ、荷物を持ったことがきっかけで2人は知り合う。しかし十兵衛は幼いころ生き別れになったわが子。再会したときには敵同士の立場になっていた。

 平作が命と引き換えにやり遂げようとしたこととは−。「それまで普通の生活をしていたおじいさんが仇討ちに巻き込まれ、ある決意をする。お客さんに泣いてもらおうとは考えず、余計なことをしないで自然に遣えれば」

 一方の幸兵衛は気骨ある男。さまざまなことを腹におさめ、常に冷静に、的確な判断を下す。「昔、父の足遣いをしたとき、この役はアゴの使い方が大事だと教えてもらいました。そのことを思い出します」

 9月の東京公演も「伊賀越−」の通しだった。「仇討ちがテーマなので女性にはどうかなと心配していたのですが、初めて文楽を見た若い女性がすっかりはまったそうです。改めて文楽のすごさを感じてうれしかったですね」

 24日まで。国立劇場チケットセンター(電)0570・07・9900。

 ◇

 日本三大仇討ち 「赤穂浪士による仇討ち」「荒木又右衛門らによる鍵屋の辻の仇討ち」「曽我兄弟による仇討ち」。この3つを「日本三大仇討ち」といい、古来、文楽や歌舞伎の題材になってきた。「伊賀越道中双六」は、鍵屋の辻の仇討ちを題材に、敵を討つ者、討たれる者、その家族や師ら、仇討ちをめぐる人々の命をかけた情愛が大河ドラマのようなスケール感と迫力で繰り広げられる。特に「沼津」は、ここだけ独立して上演されるほどの傑作。人間国宝、竹本住大夫の滋味あふれる語りに耳を傾けたい。

1584よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/08(金) 02:41:14 ID:owzEBIQ.0
ゆるキャラが40キロも“ブログ旅”! 大阪・難波宮−奈良・明日香 「蓮花ちゃん」ゴール
2013.11.7 07:44
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131107/wlf13110707520000-n1.htm

 大阪市中央区の難波宮跡を出発し、竹内街道・横大路を横断してブログを更新する「ブログ旅」を続けていた奈良県葛城市のマスコットキャラクター「蓮花(れんか)ちゃん」が6日、約40キロの旅を終えて明日香村の飛鳥寺にゴールした。

 蓮花ちゃんは6月19日にスタートし、大阪府内の堺市や松原市、羽曳野市のほか、大和高田市や橿原市などを経由。各地の市役所や竹内街道関連の資料館、観光施設などに立ち寄り、その様子などをブログにつづって更新しながら旅を続けてきた。

 ゴールの飛鳥寺では、桜井市の「ひみこちゃん」や、松原市の「マッキー」など各地のマスコットキャラクターが出迎え、ハイタッチをしてゴールを祝福した。

 葛城市の担当者は「ブログの閲覧者は1日平均700人で、出発前より2倍に増えた。『竹内街道』という言葉すら知らなかった人にも、その魅力を発信でき、市のPRにもつながった」と話した。

1585よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/08(金) 02:51:54 ID:owzEBIQ.0
八重とゆかり岸和田にも
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131104-OYT8T00969.htm

.◆旧藩士の実業家と夫婦で交流、企画展で紹介

 今年のNHK大河ドラマの主人公・新島八重(1845〜1932)や夫・襄(じょう)(1843〜90)と、明治維新後に日本の先駆的事業としてレンガ会社を興した旧岸和田藩士・山岡尹方(ただかた)(1840〜1915)との交流を紹介する企画展「新島八重と岸和田」が、岸和田城(岸和田市岸城町)の天守閣2階展示室で開かれている。あまり知られていない八重や襄と岸和田の縁を示す品々に、来場者らは興味深く見入っている。(横田加奈)

 最後の岸和田藩主だった岡部長職(ながもと)(1854〜1925)が明治維新後に留学先の米国でキリスト教の洗礼を受けた際、宣教師だった襄を知り、「岸和田にも布教を」と八重と襄の2人を紹介したことから、山岡と2人の交流が始まった。

 2人は何度も岸和田を訪れ、講話・説教を行うなどして布教。山岡自身も信仰するようになり、自宅の一角に岸和田教会を創設するなどして協力した。山岡の会社の社章が十字架をモチーフにし、その社章を刻印したレンガが同志社大の校舎に使用されるなど、山岡と2人の結びつきは強い。

 今回の企画展では3人の出会いを紹介し、八重や襄から山岡やその家族に宛てた書簡13点など資料約40点を展示。実家に戻るよう言われた岸和田出身の女学生について、襄が山岡に母親を説得するよう依頼する手紙には「女性が学問を修めるのを好ましく思わない風潮は、改めなければいけない」などと、女子教育論の重要性がつづられている。

 襄と山岡が他界した後、八重が山岡家に宛てた書簡も12年ぶりに公開。岸和田教会での説教会と女学校での講演について「御話しごくごく下手」などと書かれ、文面からは八重の率直さが見て取れる。

 山岡家の武具や製品のレンガなども展示され、東大阪市の会社員西本圭佑さん(22)は「京都や福島だけでなく、岸和田も八重や襄とゆかりがあったのは驚き。手紙にも布教や女性の自立を訴える内容が細かく書かれ、2人の熱心さが伝わってきた」と感心していた。

 岸和田市教委郷土文化室の山中吾朗参事は「新島夫妻と岸和田、山岡家との関係を多くの人に知ってもらい、大河ドラマを見ながら『岸和田にも縁があったんだ』と思い出してほしい」と来館を呼びかけている。

 12月1日までの午前10時〜午後5時。月曜休館。入館料は高校生以上300円、中学生以下無料。問い合わせは岸和田城(072・431・3251)へ。

 ◆山岡尹方 旧岸和田藩の上級藩士。明治維新後、生活に困窮した士族たちに仕事を与えるため、レンガ製造業を始めるが、事業に失敗。1878年に岡部長職の依頼で、キリスト教布教で岸和田を訪れた新島襄を迎えたことがきっかけで、自らも信者となる。87年、再び設立したレンガ製造会社が西洋建築の流行に乗ったことで急成長し、日本の近代化の一端を担った。

(2013年11月5日 読売新聞)

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1588よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/09(土) 21:33:52 ID:XLv.wmw60
榎並猿楽 まちの宝に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131109-OYT8T00124.htm

.◇ゆかりの能きょう上演/歴史学ぶ講座構想も

 中世に栄えた芸能「榎並猿楽(えなみさるがく)」の発祥の地とされる大阪市城東区で、住民が猿楽の歴史を伝える取り組みを進めている。猿楽にちなんだイベントを開き、まちの歴史財産としてアピールするほか、歴史を学ぶ連続講座を開く構想も練っている。9日はゆかりの能が同市北区で上演される予定で、地元住民らも鑑賞する。(桑田睦子)

 猿楽は、能楽のもとになった中世芸能で、榎並猿楽はその一座。能を大成させた世阿弥(ぜあみ)著の能楽書「風姿花伝」などにも登場し、舞の名人らがいたとされている。

 しかし、応仁の乱(1467〜77年)以降に衰退。現在は市立榎並小の校門脇に発祥の地を示す石碑が残るものの、歴史を知る人はほとんどいないという。

 そのため、市民団体「城東区ゆめ〜まち〜未来会議」などが昨年、大衆に親しまれた猿楽にちなみ、よさこい踊りなどで交流する「SARUGAKU祭」を開催。今年も17日に開く予定で、来年には能楽師らから歴史などを学ぶ連続講座も検討している。

 9日には北区の中之島公園芝生広場で、NPO法人「なにわ文化芸術芸能推進協議会」(大阪市)が、榎並猿楽の役者が原作を書いたとされる能「鵜飼(うかい)」などを上演する。6日夜は、地元住民ら約60人が上演を前に集まり、能楽師らから榎並猿楽の歴史や演目の一部を学んだ。

 同会議代表の清水宏さん(67)は「これまでほとんど知られていなかった榎並猿楽を城東区の貴重な財産として広めたい」と意気込んでいた。

 9日の上演は午後2時30分開演。大人3000円、大学生以下1500円。雨天時は西隣の阪神高速道路高架下で行われる。問い合わせは山中雅志さん(080・5365・4038)へ。

(2013年11月9日 読売新聞)

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1592よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/13(水) 22:22:11 ID:64xBS8.20
来年姉妹校 半世紀 徳川家康ゆかりの佃小と佃島小
2013年11月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131110/20131110090.html

 1965(昭和40)年から続く大阪市西淀川区の市立佃小学校(池尻佳伸校長)と東京都中央区の区立佃島小学校(余郷和敏校長)の交歓会が2日、佃小学校で開かれた。徳川家康の時代にさかのぼる両地域の縁をもとに、姉妹校提携を結ぶ両校の児童が年ごとに行き来し交流。いよいよ来年は半世紀の節目を迎える。

■立ち往生家康渡す


  両校の縁結びの由来は、約400年前の家康の時代。多田御廟と住吉神社への参詣途中、神崎川で立ち往生していた家康を佃村大和田の漁民が漁船を出して渡したのが縁で、家康が江戸城に入った後も佃村、大和田村の漁民は日本のどこの海でも漁ができる許可を得て白魚を家康に献上していた。

 その後、隅田川で魚をとって幕府献上することを命じられた佃村の漁師17軒34人が隅田川河口に移住。1630年に拝領した干潟に島を築き、故郷をしのんで「佃島」と名付けたのが現在の東京佃島にあたる。

 大阪佃が東京佃島の本家、東京佃島の住吉神社は大阪佃の田蓑神社の分社にあたることなどから両地域の交流が始まり、1964年に大阪佃の為川作造氏が東京の佃島小を訪問。翌年、東京の佃島小から校長やPTA職員が佃小を訪れ、姉妹校関係を結んだことで交歓会がスタートした。

■今年は東京が訪問

 49回目の今年は東京から佃島小の5、6年生12人や教職員関係者ら計33人が訪れた。佃小の4年生94人が「きょう一日、佃を楽しんでください」と佃島小の児童らを歓迎。交歓会では両校の校歌斉唱やゲーム、佃島小の児童らが持参した手紙を佃小の児童に手渡すなどして交流を深めた。この後児童らは両地域ゆかりの田蓑神社にも訪問。夜には大人たちが交流会を開き、地域同士の親交を深めた。

 長年にわたり児童らが往来する交流関係は大阪市内でも珍しく、佃小の池尻校長は「ふるさとを一つにしている東京と大阪の子どもたち。地域のつながりがとても大切と感じる。来年、またその次と続けていきたい」と話す。

 50周年にあたる来年は、東京の佃島小で交歓会を開く予定にしている。

1595よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/17(日) 11:33:48 ID:Wsk9dnLg0
七五三がピーク 「すみよっさん」参拝客でにぎわう
2013.11.16 13:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131116/wlf13111613300016-n1.htm

  子供たちの健やかな成長を祈願する「七五三」が16日、ピークを迎え、各地の神社に参拝客らが詰めかけた。大阪市住吉区の住吉大社にも多くの人々が訪れ、境内は色とりどりの着物姿で彩られた。

 この日は大安とあって参拝客が集中。おはらいを終えた家族連れらは、千歳飴やお守りが入った袋を手にしながら、澄んだ秋空の下、笑顔で記念撮影をしていた。

 住吉大社によると、例年約6千組が訪れており、今年は今週末が参拝のピーク。週末の2日間で千組以上の家族が祈祷(きとう)を受ける見通しという。

1596よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/17(日) 11:45:55 ID:Wsk9dnLg0
堺 百舌鳥古墳群が国の史跡に
11月15日 18時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131115/5993021.html

大阪府や堺市などがユネスコの世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」の古墳など堺市にある17の古墳が、「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定されることになりました。
国の史跡に指定されるのは堺市にある17の古墳で、ひとくくりにして「百舌鳥古墳群」として指定されます。
このうち「いたすけ古墳」など7つは、すでに単体としては国の史跡に指定されていますが、地元、堺市の要望を受けて、「御廟表塚古墳」などほかの10の古墳とともに、歴史的価値が高い古墳群として指定されることになりました。一方、これらの古墳の多くは大阪府や堺市などがユネスコの世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」に含まれています。
堺市は、世界文化遺産として登録されるためには、古墳群が法律に基づいてしっかりと保存される環境を整えることが欠かせないとしています。
堺市の竹山修身市長は、国の史跡への指定について「ユネスコの世界文化遺産への登録実現に向け、大きなステップになる」とコメントしています。

1597よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/17(日) 12:17:54 ID:Wsk9dnLg0
巡ろう 利休・秀吉ゆかりの地
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131115-OYT8T00109.htm

 映画「利休にたずねよ」の公開(12月7日)を前に、南海電鉄と京阪電鉄は茶人・千利休と豊臣秀吉にゆかりのある堺市など3都市の名所を紹介したパンフレット約4万部を作成した=写真=。15日から南海の主要駅や京阪の全駅、堺市役所などに置く。無料。

 「堺・大阪・京都 茶の湯さんぽ 利休と秀吉ゆかりの地をたずねて」(6ページ)。利休の生家「千利休屋敷跡」(堺市)や利休が設計したとされる茶室の復元模型がある「大阪城」(大阪市)、秀吉が盛大な茶会を開いた「北野天満宮」(京都市)などを、写真や地図で説明し、最寄り駅も盛り込んでいる。

(2013年11月15日 読売新聞)

1598よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/17(日) 12:31:08 ID:Wsk9dnLg0
御堂筋 絵巻鮮やか 親鸞聖人750回大遠忌法要
2013年11月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131117/20131117024.html

 大阪市中央区の浄土真宗本願寺派・本願寺津村別院(北御堂)で16日、11日から続いた宗祖・親鸞の「750回大遠忌(おんき)法要」の最終日にちなみ、約千人の奉仕者が真宗大谷派・難波別院(南御堂)との間を練り歩く「御堂筋パレード」が盛大に執り行われた。雅楽の音が響く中、約600メートルにわたり時代行列などが繰り広げられた。

 50年に1度の大法要。ことし4月には宗祖を同じくする南御堂で同法要が執り行われ、約30年ぶりに両派合同行事として北御堂から南御堂へ南下するパレードを実施。今回は逆に北上するコースで「御堂筋」の由来でもある南北御堂が結ばれた。

 パレードは龍谷大学や相愛学園など宗門関連学校による吹奏楽演奏で幕開け。時代行列では親鸞在世の平安・鎌倉時代のほか、石山本願寺・戦国時代、江戸時代を再現した長い列が続き、沿道で見守る関係者らが親鸞の遺徳をしのぶとともに大阪の長い歴史に思いをはせた。

>石山本願寺・戦国時代、

 石山本願寺ではなく『大坂本願寺』と、安土桃山時代ではなく『安土大坂時代』と呼ぶようにしていきましょう。

1599よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/18(月) 05:17:39 ID:wcABmFX.0
竹内街道・横大路1400年祭
11月17日 12時24分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131117/5932781.html 

大阪と奈良を東西に結ぶ道「竹内街道」と「横大路」が整備されて今年で1400年になるのにあわせて街道沿いの魅力をPRする催しが大阪・中央区で開かれています。
「竹内街道」と「横大路」は大阪と奈良の飛鳥の都を結ぶ道として西暦613年に整備されたとされ今年は2つの道がつくられてから1400年の節目にあたります。街道沿いの地域の魅力をPRしようと開かれた催しでは羽曳野市のぶどうを使ったワインや松原市の小松菜を練り込んだ緑色の焼きそばなど地域の名物が販売されています。
会場を訪れた奈良市の男性は「いろんな名産があるので食べて回りたい」と話していました。
会場では街道沿いのゆるキャラも登場しそれぞれの地域をPRしていました。
この催しは今夜7時まで難波宮跡公園などで開かれています。

1600よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/18(月) 05:20:41 ID:wcABmFX.0
橋下市長も祝福 大阪−奈良結ぶ「竹内街道」1400年祭
2013.11.17 22:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131117/wlf13111722310040-n1.htm

 大阪府と奈良県を結ぶ竹内(たけのうち)街道・横大路(よこおおじ)の設置から1400年を記念した「1400年祭」が17日、大阪市中央区の難波宮跡公園などで開かれ、「古代の道からまちづくり1500年に向けてキックオフ」をテーマにさまざまな催しが行われた。

 NHK大阪放送局アトリウムでは、両府県や街道が通る10市町村の首長が集まり「首長サミット」が開かれた。大阪市の橋下徹市長は「100年先のことを考えながら難波宮を整備していきたい」、松井一郎知事は「次の世代が1500年祭を盛り上げていける大阪や奈良でありたい」とそれぞれあいさつ。「次の100年に向けて、世界に誇れる歴史的空間の創造に取り組む」とする共同宣言が発表された。

 このほか、大阪歴史博物館でシンポジウム、難波宮跡公園では河内ワイン、飛鳥ワインなど街道の特産品を販売する「大道うまいもん市」が催された。

 竹内街道・横大路は「日本書紀」で推古天皇21(613)年の11月の条に「難波(なにわ)より京(みやこ)に至る大道を置く」と記された大道のルートと重なることから、日本最古の官道(国道)と呼ばれる。1400年の節目を契機に両府県と沿線10市町村(大阪市、堺市、松原市、羽曳野市、太子町、奈良県葛城市、大和高田市、橿原市、桜井市、明日香村)で「1400年活性化実行委員会」を設置。街道の魅力を再発掘し、発信するプロジェクトを展開している。

1602よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/20(水) 05:47:16 ID:BMkP.OoM0
最古の官道・竹内街道 まちづくりに活用 大阪でイベント
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131118-OYT8T00039.htm

 日本最古の官道とされ、難波(なにわ)から飛鳥(奈良)までを結んだ「竹内(たけのうち)街道・横大路」の整備1400年を受け、大阪市中央区の難波宮跡公園や大阪歴史博物館などで17日、「1400年祭―古代の道からまちづくり1500年に向けてキックオフ」が行われた。

 府や奈良県と、大阪、奈良の街道沿い10市町村でつくる実行委が主催。シンポジウムや「大道うまいもん市」、各自治体代表による「首長サミット」などがあり、大勢の市民らでにぎわった。

 シンポジウムでは、和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)が「推古21年 難波から飛鳥間大道設置1400年」と題して基調講演。和田名誉教授は、奈良県内の縄文時代の遺跡で大阪湾から運ばれた魚類の骨が出土したことなどを紹介し、「史料から、大阪湾と大和を結ぶ細い道が推古朝に至って広い道に敷設されたとわかる。古代に遡る道が、今も残ることを認識して歩くと、違う物が見えてくる」などと解説した。

 その後、竹内街道周辺の「古代の価値」に着目して地域の魅力発信などを手がける若生謙二・大阪芸術大教授や和田名誉教授らがパネル討論を行い、街道を活用した今後の自治体の取り組みなどについて意見を交わした。

 屋外会場では、各市町などによる特産品やグルメ販売コーナー「大道うまいもん市」に、家族連れらが列を作った。

 「首長サミット」では「府県を越えて一体となり、世界に誇れる歴史的空間の創造に取り組む」との共同宣言が採択された。

(2013年11月18日 読売新聞)

1603よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/22(金) 22:59:12 ID:pqhauhsw0
観心寺関連の建物跡か 河内長野・鳩原遺跡
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131121-OYT8T00113.htm

◇同じ「巴紋」の軒丸瓦が出土

 河内長野市鳩原(はとはら)の鳩原遺跡で、鎌倉時代とみられる建物跡が見つかり、同市教委が20日発表した。建物跡周辺から同市の古刹(こさつ)・観心寺と同じ文様の軒丸瓦(のきまるがわら)が出土しており、同市教委は「観心寺関係の建物である可能性が高い」としている。

 田畑整備に伴い、9月から約1600平方メートルで発掘調査。その結果、建物の柱を据え付ける礎石1基(約40センチ四方)や、腐敗した柱の一部(直径13センチ)を確認し、同寺に残る瓦の文様「巴(ともえ)紋」と同じ軒丸瓦や軒平瓦が約10点も見つかった。

 市教委ふるさと文化課によると、鳩原には同寺僧侶の隠居所やお堂があった伝承があるという。同遺跡からは今回、縄文時代の竪穴住居跡や石製品も出土した。

 現地説明会は23日午後1時から。鎌倉時代とみられる遺構は埋め戻されているが、出土品や写真が展示される。問い合わせは現場事務所(0721・62・5290)へ。

(2013年11月21日 読売新聞)

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1606よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/24(日) 14:42:23 ID:Wm1Y6/Xw0
無病息災を求めて 少彦名神社で「神農祭」
2013年11月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131123/20131123038.html

 “くすりのまち”として知られる大阪市中央区道修町2丁目の少彦名(すくなひこな)神社(別所俊顕宮司)で22日、江戸期からの伝統行事「神農(しんのう)祭」(市無形民俗文化財)が始まった。境内や参道は無病息災などを祈願する多くの参拝客が列を成しにぎわっている。23日まで。

 同祭は大阪の年内の祭りのうち最後を締めくくることから「止めまつり」とも呼ばれ、例年約5万人でにぎわう光景は晩秋の大阪の風物詩となっている。

 薬業関係者らが参列する例大祭斎行で祭りが幕明け。境内では同神社伝統の縁起物「張り子の虎」(神虎(しんこ))を求める参拝者が途切れることなく続き、みこによるお払いの神楽鈴の音が終日鳴り響いた。同市阿倍野区から訪れた女性(85)は「腰や体のあちこちが悪いのでしっかりと健康祈願したい」と笑顔で話していた。

1607よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/24(日) 15:00:17 ID:Wm1Y6/Xw0
公開施設に寄付者名…なにわの夢募金
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131123-OYO1T00308.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、大阪市は22日、本丸内に整備予定の公開施設に掲げる高額寄付者の記念芳名板などの概要を発表した。

 100万円以上の寄付者が対象の記念芳名板(先着約200人)は、縦6センチ、横15センチで、個人・団体名や住所などを記載できる。10万円以上の寄付者についても、個人・団体名を記した板(同約1500人、縦2センチ、横7・5センチ)を飾る。

 いずれも透明のアクリル板で、秀吉時代の城の復元図などが描かれた壁面に並べる計画という。10月末現在、100万円以上の寄付は18件、10万円以上は145件に上っている。

 市と読売新聞大阪本社が共同で実施している寄付の募集は2015年3月末までの予定。個人の場合、「ふるさと寄付金」の対象となり、寄付額に応じて所得税、住民税の控除を受けられる。1万円以上の寄付者には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」の贈呈もある。

 問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)。

(2013年11月23日 読売新聞)

1608よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/24(日) 21:49:04 ID:Wm1Y6/Xw0
>>1606

“薬の神様”練り歩く 「神農祭」にゆるキャラ登場 大阪
2013.11.23 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131123/osk13112302040001-n1.htm

 「薬の神様」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社で22日、恒例の「神農祭」が始まった。露店が並び、製薬会社のゆるキャラによる初のパレードも行われて、無病息災を祈る大勢の参拝者でにぎわった。23日まで。

 道修町は江戸時代から薬の流通の中心地で、今も製薬会社が立ち並ぶ。同神社は、日本の薬祖神「少彦名命(すくなひこなのみこと)」と中国の医薬の神「神農氏」を祭り「神農さん」として親しまれている。

 神農祭は文政5(1822)年に疫病(コレラ)が流行した際、薬問屋が虎の頭骨を砕いて丸薬を作り、「張り子の虎」とともに神前に供えて病よけを祈願したのが始まり。同市内の1年の祭りを締めくくる「とめまつり」としても知られる。参拝者たちは、「五葉笹」につけられた張り子の虎を買い求めていた。

 パレードに参加したゆるキャラは、額に冷却シートを貼った小林製薬の「熱さまくん」、テレビCMにも登場するカイゲンファーマの「風神さん」など製薬会社のものや、中央区の「ゆめまるくん」といった地域のものなど計7体。列を作って道修町通を練り歩き、参拝者らの注目を集めていた。

 同神社の別所賢一禰宜(ねぎ)は「ゆるキャラを通じて、薬や健康、また道修町の歴史についても興味を持ってもらえたら」と話していた。

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1609よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/24(日) 21:50:40 ID:Wm1Y6/Xw0
華麗な足さばき披露 茨木・阿為神社で「蹴鞠」奉納 大阪
2013.11.24 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131124/osk13112402000000-n1.htm

 「大化の改新」で知られる藤原鎌足(ふじわらのかまたり)ゆかりの阿為(あい)神社(茨木市安威)で23日、雅(みやび)やかな「蹴鞠(けまり)」の奉納が行われた。

 鎌足は蹴鞠の会で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智天皇)と出会い、「大化の改新」を協力して断行したといわれる。阿為神社は、鎌足の勧請(かんじょう)で創建されたと伝わり、新社殿が完成した9年前から蹴鞠を奉納している。

 この日、社殿前の「鞠庭(まりにわ)」で、「アリ」「ヤ」「オウ」の独特の声をあげ、京都の「蹴鞠(しゅうきく)保存会」メンバーらが烏帽子(えぼし)、鞠袴(まりばかま)姿で白い鞠を輪になって蹴ると、参拝者から歓声と拍手がわいた。

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1612よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/27(水) 23:09:22 ID:lOIFSaK.0
百舌鳥・古市古墳群 29年度の世界文化遺産登録目指す 大阪府と地元3市
2013.11.26 19:28
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131126/wlf13112619290020-n1.htm

 日本最大規模の大山古墳(仁徳天皇陵)で知られる「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指している大阪府と堺、藤井寺、羽曳野の地元3市は26日、文化庁への来年度の推薦書原案の提出を見送り、平成29年度の登録を目指す方針を決めた。

 世界遺産に登録されるには、政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)への推薦を決め、原案を元に推薦書を提出する必要がある。

 府と3市は6月、文化庁に推薦書原案を提出したが、審査を担う文化審議会が「引き続き検討を深める必要がある」と見送った経緯がある。国内では遺産登録に向けた競争が激化しており、府と3市は来年度中に原案内容を充実させる方針だ。

 この日、大阪市内で開かれた登録推進本部会議で決定。原案作成に向け、審査する専門家らが理解しやすいよう説明内容を精査することや古墳群の管理体制の充実、周辺の環境保護に取り組むとした。27年度に国内推薦を得て、29年度の登録を目指すことを目標に掲げた。

 世界文化遺産への各国の推薦枠は年1件で、政府は今年度、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を選んだ。

1616よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 21:45:20 ID:F/FizfZM0
阿弖流為の雄姿 劇で伝える
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131128-OYT8T00106.htm

. ◇ゆかりの枚方で12月 小中高生が上演

 枚方市内の小中高生が12月1日午後6時30分から、同市市民会館で平安時代初期に朝廷軍と戦い、「河内国」で処刑されたと伝わる東北の民・蝦夷(えみし)のリーダー阿弖流為(あてるい)の生涯を描いた演劇「火怨(かえん)の蝦夷 阿弖流為」(ひらかた肝高倶楽部(きむたかくらぶ)など主催)を上演する。

 平安時代の歴史書「続日本紀」「日本紀略」には、阿弖流為は、蝦夷討伐で攻め込んできた朝廷軍に抵抗したが、802年、征夷大将軍の坂上田村麻呂に攻め込まれ、降伏。副将の母禮(もれ)とともに、河内国で処刑されたと記されている。

 当時の河内国内に位置する枚方市は、阿弖流為の処刑地として伝わり、市内の牧野公園には、首塚と伝わる石がある。地元の歴史を子供たちに伝えようと集まった市民グループ「ひらかた肝高倶楽部」のメンバーが、阿弖流為の生涯を描いた高橋克彦さんの小説「火怨」をもとに脚本を作り、昨年12月に初演を行っており、今年は2回目となる。

 劇には、公募で集まった市内の小学4〜高校3年の児童、生徒56人が出演。上演時間は約2時間で、沖縄舞踊のエイサーをアレンジした踊りを交えながら、野蛮な民族と迫害を受けても、蝦夷の誇りと暮らしを守るために戦った阿弖流為の物語を熱演する。

 チケットは、自由席は大人2500円(前売り2000円)、高校生以下1500円(同1000円)、指定席は3000円(同2500円)。同市民会館などで販売している。問い合わせは、同倶楽部事務局(072・857・6000)へ。

(2013年11月28日 読売新聞)

1617よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 21:56:13 ID:F/FizfZM0
金剛寺多宝塔 修理現場をあすから公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131127-OYT8T00067.htm

 河内長野市天野町の天野山金剛寺で28〜30日、重要文化財・多宝塔の修理現場が公開される。多宝塔は昨年春から修理を始めたが、修理現場公開は初めて。

 同寺では2009年度から、「平成の大修理」として金堂や多宝塔、鐘楼の修理が順次、進められている。文化財への理解を深めてもらおうと現場を一般公開し、大工作業の実演や講演会も開く。

 多宝塔(高さ17メートル)は平安時代後期に建てられたとされ、日本最古級の多宝塔として知られる。現在は屋根の葺(ふ)き替え作業中で、雨をよける工事用の建物「素屋根」の内部から、塔1階部分の屋根や組み物を間近に見ることができる。

 公開は午前10時〜午後4時(28日は午後2時から)で、無料だが、入山料が必要。問い合わせは公開事業の委託を受けるNPO法人「文化遺産保存ネットワーク河内長野」(090・6903・6137)へ。

(2013年11月27日 読売新聞)

1618よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 22:06:11 ID:F/FizfZM0
貝塚の櫛祭り 80年ぶり復活
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131130-OYT8T00089.htm

. ◇供養や稚児行列/「町の資産 後世に」

 国内最古のつげ櫛(ぐし)の産地・貝塚市の八品(やしな)神社(沢)で30日、古い櫛の供養などを行う「櫛祭り」が開かれる。全国の櫛職人や商店が参拝し、祭礼もあったとされる名物祭りだが、開催は80年ぶり。町会役員らは「町に伝わるつげ櫛を、多くの人が知る機会になれば」と期待している。(北口節子)

 同市の櫛生産は、1230年頃、8種類の櫛作りの器具を持った異国人が二色の浜に漂着し、住民に製法を伝えたのが始まりとされる。宝永7年(1710年)頃には市内に119人の職工がおり、宮中に納入していたとする記録も残る。

 昨春、町会役員らが町会館の倉庫の整理中に、つげ櫛姿の女性をあしらったはんこを発見。市郷土資料室の協力を得て調べたところ、明治初期から昭和初期にかけて神社でつげ櫛にちなんだ祭りが行われていたことがわかった。

 祭りは1933年を最後に長らく途絶えていたが、町会関係者の「子供らに地元の文化を伝えよう」などとの機運の高まりを受け、開催が決まった。

 祭りは、手作りのみこし(約50キロ)と稚児行列が宮入りする午前10時半からスタート。同11時に古いブラシや櫛などを受け付け、供養して櫛塚に納める「櫛供養」が始まり、フリーマーケットも開かれる。

 会場となる神社の落ち葉を拾う活動など準備を進めてきた町会長の田中和美さん(63)は「多くの子供たちに参加してもらい、町の貴重な資産を後世に伝えたい」と話していた。

(2013年11月30日 読売新聞)

1619よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 22:23:09 ID:F/FizfZM0
澪標 ―みおつくし―

大阪最古いくたまさんの創祀

中村 文隆 生國魂神社権禰宜 
2013年11月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/131129/20131129031.html

 前稿では大阪の代表的な神社のご由緒に触れることにより、大阪の神社史の一端を確認しました。本稿では「神武東征の砌(みぎり)」と伝わる大阪最古のいくたまさんがどのように創祀(そうし)されたかを見ていきます。

 ご存じのとおり神武天皇は125代、2673年の永きに亘(わた)り、悠久の歴史を積み重ねてまいりました皇室の祖であられます。ご東征の旅の目的は、種々の豪族が入り乱れ、騒然としていた豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)と呼ばれた日本列島の統治機構を統一し、秩序と繁栄をもたらすことにありました。

 神武一行は九州日向の高千穂(現・宮崎県日向市)を出発、船団にて瀬戸内海を東方へ進み、突き当たりに広がる大阪湾から上陸されて陸路をとり、幾多の豪族を平定の末、橿原宮(現・奈良県橿原市)にて即位され初代の天皇となられました。即位前のご尊名は神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と申し上げ、即位の3年前にあたる神武天皇即位前紀戊午(つりのえうま)年(紀元前663年)、大阪湾に入られた尊は日本統一に際し、生國魂大神と呼ばれる生島大神・足島大神からなる一対二柱の大八洲(日本列島)の御神霊を自ら「難波之碕(なにわのみさき)」にお祀(まつ)りされ、国土平安を祈念されたと伝わります。いくたまさんが神武親祭といれる由縁です。

 余談ですが、現代では新規に社殿が建立されて神社の歴史が始まることを「創建」といいますが、神武天皇がいくたまさんを祀られた当時、出雲大社など一部の例外を除き建築物に神様が鎮座されるという概念は成立していなかったようです。古(いにしえ)の人々は、神様は神奈備(かんなび)と呼ばれる清浄な森や山中におられ、その神聖な空間を象徴する磐座(いわくら)や御神木と呼ばれる巨岩や巨木に憑(よ)りつかれると考えていました。日本を代表する古社として名高い奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社には本殿が無く、三輪山そのものをご神体とする様式が今でも連綿と継承されているのはその好例です。一方、いくたまさんにも元来社殿は無かったと考えられていますが、後世、神域に南隣して難波宮が開都するなど早くより人の営みが確立し、時代をリードする要所であったため社会の変遷に合わせ社殿を構えるようになりました。それ故に太古の信仰のさなかにあったいくたまさんの始まりは「創建」ではなく「創祀」といいます。

 難波之碕は、生駒山の麓まで深く海が入り組んだ当時の大阪湾を東西に二分するように、現在の堺方面から北方に向かってせり出していました。日本三景のひとつとして名高い京都宮津の「天橋立」を大きく引き伸ばし、大阪湾に収めた様子を想像していただければイメージがつかみやすいかと思います。ちなみにこの岬の周囲の海に、大川(旧淀川)や大和川が大量の砂礫(されき)を内陸より運び、砂礫が堆積して砂州から島と成り、さらに島々が繋(つな)がり陸地へと成り、後に上町台地と名を変えた難波之碕を中心として西は西成、東は東成という地名が当時の名残として、現在も区名に引き継がれています。

 太古の大阪湾に突き出た岬から見る、島々が生まれ成長していく雄大な景色は、さぞかし素晴らしかったことでしょう。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)

1620よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 05:06:55 ID:A7j2cOAw0
■今宮戎神社 福娘の発表会
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003140.shtml

 商売繁盛の神様として知られる大阪の今宮戎神社で奉仕する福娘の発表会が行われ、代表の4人が決まりました。

 今宮戎神社の「福娘発表会」は今年で62回目となります。

 2,854人の応募者から選ばれた50人の福娘。

 このうち、さらに4人の代表が選ばれます。

 選考基準は「福を呼び込みそうな福の神のような人」ということで、50人が思い思いの自己PRを行いました。

「えびす様から皆様へ、笑顔をつなぐお手伝いをさせて頂きたいと思う」(福娘応募者)

 審査の結果、今年の代表はカナダ人留学生を含む4人に決まりました。

 福娘は来年1月、今宮戎神社の十日戎で参拝者にお守りのついた笹を授けるほか、挨拶回りなどを行います。 (12/02 08:05)

1621よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 05:13:57 ID:A7j2cOAw0
「四條畷の古墳時代」伝える土器など500点 市立資料館で特別展 大阪
2013.12.3 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131203/osk13120302010001-n1.htm

 四條畷市塚脇町の市立歴史民俗資料館で特別展「四條畷の古墳時代」が開かれている。市内などで発見された古墳時代の土器や埴輪(はにわ)、祭具やガラス玉など約500点を展示している。15日まで。

 市には古墳時代前期(約1700年前)の前方後円墳で、府の史跡に指定されている「忍岡(しのぶがおか)古墳」(同市岡山)があり、碧玉(へきぎょく)腕輪や鉄製の刀剣類など副葬品の一部が見つかっている。

 特別展では同古墳から発見された埴輪に加え、古墳造りに携わった集落とされる「讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡」(四條畷市、寝屋川市)から出土した壺などの土器や、韓式系土器、馬骨などが紹介されている。

 入館は無料。午前9時半〜午後5時。月曜日休館。問い合わせは同館((電)072・878・4558)。

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1622よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 21:25:37 ID:CN6SIZrA0
高山右近を「聖人」に…法王庁で認定審査中
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131203-OYO1T00555.htm?from=newslist

 安土桃山時代のキリシタン大名、高山右近(1552〜1615)を、ジャンヌ・ダルクや初代ローマ法王・ペトロらと並ぶ「聖人」に――。没後400年にあたる2015年に向け、国内のカトリック関係者がローマ法王庁(バチカン)に申請書を提出し、審査が進められている。右近の足跡をたどる巡礼なども行われ、聖人の認定に必要とされる地元の熱意も高まっている。(上野将平)
バチカン申請

 右近は少年期に洗礼を受けた。織田信長や豊臣秀吉に仕え、高槻(大阪)や明石(兵庫)の領主として、領内に布教。来年のNHK大河ドラマの主人公・黒田官兵衛らにも洗礼を受けさせた。だが、1587年の「バテレン追放令」で領地を没収され、1614年にマニラに追放され、翌年、現地で亡くなった。

 「信仰を貫いた右近は聖人にふさわしい」。「日本カトリック司教協議会」(東京、約800教会)は2012年10月、60人の巡礼団をバチカンに派遣し、当時の法王・ベネディクト16世に右近の列聖を要請。功績をまとめた400ページの申請書をローマ法王庁に提出した。

 右近を聖人にする運動は、亡くなった直後の17世紀にマニラであったほか、没後350年の際に国内で広がったものの、いずれも実らなかった。同協議会によると、これまで聖人は主に刑死した信者だったが、最近になって流罪中の死亡者も認定されやすくなり、「今回は実現性が高い」とする。

まずは「福者」
 ハードルもある。聖人に認められるには「右近のおかげで病気が治った」などの「奇跡」が必要だが、見つかっていない。そのため、まず、奇跡の証明が求められず、国内で崇敬される「福者」に認定してもらう。法王の代理人を招いた列福式などで関心を高めて奇跡に関する調査をし、聖人を目指す。

 認定には地元の熱意も考慮されるため、大阪大司教区に2010年、推進委員会が設けられ、右近の生誕地の大阪府豊能町などの巡礼を実施。高槻市のカトリック高槻教会を訪れた兵庫県川西市の主婦森本節子さん(61)は「すがすがしい姿。我々の生きる指針になってほしい」と右近像に見入った。

 市民の活動も盛んだ。右近が1年間潜伏した香川県小豆島では、島内の有志約10人が昨年7月、「小豆島キリシタンの足跡をたどる会」を設立。「右近の純粋な信仰心が多くの人に支持されている」と日向光徳会長(62)。小豆島の後、右近が前田利家に迎えられ、26年間を過ごした金沢市で、今年6月、資料館をオープンした奈良献児さん(55)は、「信仰だけでなく、文化人として茶道や能の発展にも貢献した」。

 右近の魅力について、同協議会で列聖運動を担当する平林冬樹神父(60)は「右近は、地位が人間を幸せにしないことを分かっていた。価値観の多様化で選択を迫られることが増えた現代人にとって、判断の物差しになる」と話している。
聖人 ローマ法王が認定するカトリック最高の尊崇対象で、信者の模範となる故人に与える敬称。世界中の教会で同じ日に足跡と信仰を思い起こす。国内では1597年に処刑された26人と、1633〜37年に殉教した16人が認定されている。「福者」は江戸初期の殉教者188人と同205人。いずれも団体で登録され、右近が単独で認定されれば国内初。

(2013年12月3日 読売新聞)

1623よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/05(木) 21:53:39 ID:I.sbQ8g60
精いっぱい地域にご奉仕 「布施戎」ミス福娘ら、東大阪市長を表敬
2013.12.5 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131205/osk13120502020003-n1.htm

 東大阪市足代の布施戎神社で来年1月9〜11日に行われる「布施戎」で福笹などを授けるミス福娘の同志社女子大3年、山本麻奈さん(20)ら3人が、同市役所に野田義和市長を表敬訪問した。

 山本さんは、今月行われた「ミス福娘コンテスト」(布施商店街連絡会主催)で、約400人の応募者の中から選ばれた。準ミス福娘は大阪樟蔭女子大3年の大橋美穂さん(21)と会社員の堀真由美さん(23)。

 市役所を訪れた3人は、巫女(みこ)の装束に金色の烏帽子(えぼし)姿。野田市長は「明るく元気な布施地域の姿を全国にアピールしてください」と語りかけ、山本さんは「布施地域活性化のため精いっぱいご奉仕させていただきます」と応じていた。

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1624よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/09(月) 05:28:23 ID:vMsRr40k0
上方漫才の父しのぶ展示会
12月08日 19時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131208/3632481.html 

「上方漫才の父」とも呼ばれる漫才台本作家、秋田実さんの生前の業績を紹介する催しが、ゆかりのある大阪の神社で開かれました。秋田実さんは、横山エンタツ・花菱アチャコなど、昭和を代表する数々の漫才師の台本を手がけ、「上方漫才の父」とも呼ばれています。
きょうは、秋田さんが生まれ育った大阪・中央区玉造にある神社で業績を紹介する催しが開かれ、台本や漫才のレコードなど100点あまりが展示されました。
初めて公開される資料も多く、昭和35年ごろ、ミヤコ蝶々さんのために書かれたラジオ番組の直筆の台本や、戦時中に軍部が掲げたスローガンを国民に知らせるための紙芝居なども展示されました。また、秋田さんの長女の藤田富美恵さんらによる対談も行われ藤田さんは、自宅で原稿用紙に向かう姿はユーモアあふれる台本とは裏腹にまじめで真剣そのものだったと、知られざるエピソードを語っていました。
藤田さんは、「漫才を通じて笑いだけでなく様々なものを伝えようとした父の思いを感じてほしい」と話していました。

1625よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/09(月) 05:30:36 ID:vMsRr40k0
大阪ニュース
教会で文楽を 23日、川口基督教会で公演
2013年12月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131207/20131207049.html

 教会で文楽を−。大阪府の指定有形文化財「川口基督教会」(大阪市西区)で23日、「イエス・キリストの生涯」と題した創作文楽が上演される。阪神大震災で被害を受けた同教会の修復を支援するチャリティー公演だ。

 外国人が多く住んだ川口居留地に1920年に建てられ、1世紀近い歴史を持つ同教会。太平洋戦争の戦火を逃れたものの、阪神大震災で塔の上半分が倒壊し、建物が1・5メートル沈下するなどの大きな被害を受けた。

 その後、レンガの積み替えや土台の強化などで復旧したが、昨年春ごろから雨漏りなどの老朽化が顕著になっていた。

 「信徒の祈りの場として、大阪の大切な文化財として教会を残したい」。こうした声が上がり、立ち上がったのがクリスチャンの豊竹英大夫さんたちだ。

 豊竹さんは91年、クリスマスイベントでキリスト誕生の場面を義太夫節で語ったことがきっかけで、キリストをテーマにした文楽を上演するようになった。23日のチャリティー公演についても「伝統的な礼拝堂で創作文楽を上演し、収益を文化財保護のため寄付したい」との思いが込められている。

 上演するテーマは「イエス・キリストの生涯」。聖母マリアの受胎から十字架にかけられ、復活するキリストの生涯を描いたものだ。

 「義理や自己犠牲、絆といった文楽が描いてきたものは、世界で最も読まれている聖書に通じるものがある」と語る豊竹さんは、チャリティー公演を前に「古典と異なる面白さや文楽の魅力をあらためて知ってもらいたい」と呼び掛けている。

 同教会の岩城聡司祭は「日本の古典芸能で表現すれば、翻訳された聖書より心に響く。意外な組み合わせを楽しんでもらいたい」と話している。

 【メモ】「ゴスペル・イン・文楽」と題して23日に上演。昼の部(午後1時半開演)、夜の部(午後5時開演)の2回。指定席は完売。当日、補助席(3千円)、立見(2千円)を販売する。問い合わせは電話06(4304)2426、「ゴスペル・イン・文楽」実行委員会へ。

1626よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/11(水) 05:18:34 ID:geIzxTT.0
社会福祉法人で平穏願い馬の土鈴作り 大阪・藤井寺の葛井寺参拝が縁
2013.12.10 22:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131210/wlf13121022080024-n1.htm

 大阪府藤井寺市の葛井寺で初詣の縁起物として販売される馬の土鈴作りが市内の社会福祉法人「賀光会」で進んでいる。

 最古の千手観音菩薩像(国宝、奈良時代)で知られる名刹。施設利用者が参拝していたことが縁で、35年前に森快隆住職が土鈴作りを委託した。

 土鈴は施設利用者やボランティア、僧侶らが絵筆を取り、絵の具でかわいい馬に仕上げる。1個500円。施設職員の鈴木照さん(60)は「寺と相談しデザインを考えた。低温で焼いているので柔らかい音が特徴。来年が穏やかな良い年にと願って作っています」と話していた。

1627よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/11(水) 05:22:25 ID:geIzxTT.0
厄除け願い「取ったぞ」 御火焚祭神事
2013年12月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131210/20131210020.html

 大阪市中央区淡路町4丁目の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で9日、師走恒例の行事「御火焚祭神事」が執り行われた。厄除(よ)けのミカンがまかれるなど境内は多くの参拝者であふれた。

 火に感謝し、今後1年間何事もなく過ごせるよう祈願する神事で江戸期からの伝統がある。神事に参列した氏子衆は、境内で焚(た)かれる斎火に「厄除開運」「家内安全」などと記した祈願木をくべて成就を祈願。続いて恒例のミカンまきに奉仕し、やぐらの上から境内を埋め尽くす参拝者へ約100箱分を豪快にまいた。参拝者の中には持参した段ボール箱や紙バッグを高く掲げる姿が見られ、方々から「こっちにも」「取った」などの歓声が上がった。

 同市天王寺区から訪れた女性(81)は「ことしは腰痛で大変な年だったが、参拝の御利益がありそう」と見事つかんだミカンを手にご満悦。園宮司は「都心の境内で伝統行事が受け継がれていることをうれしく思う」と話していた。

1628よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/13(金) 22:28:10 ID:yh3sMc0E0
防空壕わきに爆弾直撃…蘇る九死に一生の記憶 68年前の巨大な爆発穴発掘 豊中
2013.12.13 11:11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131213/wlf13121311220004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131213/wlf13121311220004-n2.htm

 弥生時代の拠点集落があったとされる大阪府豊中市の新免遺跡で、直径15メートル、深さ2・5メートルの巨大なすり鉢状の穴が見つかったことが13日、分かった。調査した市教委は、昭和20年6月の豊中空襲で米爆撃機B29が投下した1トン爆弾の爆発跡と推定。当時、この穴の脇の防空壕(ごう)で九死に一生を得た元住友金属工業専務の杉田宏さん(78)=同府箕面市=は巨大穴の発見を知り、「爆撃で防空壕が土に埋まり、救出されると外の景色が一変していた」と10歳当時に見た惨状を生々しく振り返った。

 遺跡は豊中市玉井町の阪急豊中駅西側に広がっている。調査は弥生〜古墳時代の集落関連が中心だったが、1カ所で大量の瓦やレンガが出土。平成10年に調査地近くで不発弾が見つかっていたことから、空襲の爆発跡の可能性があるとみて掘り進めると、巨大な穴が出現した。

 瓦やレンガは戦中〜戦後のもので、戦時中に生産された「統制陶器」の破片も出土した。担当者は「空襲での不発弾はよく見つかるが、爆弾による穴がそのまま出土する事例は聞いたことがない」と話す。

 豊中空襲を長年研究している元豊中市立第六中学校長の能登宏之さん(72)によると、豊中空襲は20年6月7日から7月30日まで6回あった。大阪府内の空襲では大阪市、堺市に次いで被害が大きく、死者・行方不明者は計596人にのぼったという。

 巨大穴が見つかった場所には当時、26軒の一戸建てが並んだ日本生命豊中社宅があった。20年6月7日に3発の爆弾が落下し、16人が亡くなったという。

 今月12日に能登さんから巨大穴の発見を聞いた杉田さんは、「あの日の体験がよみがえってくる」と明かした。当時、国民学校4年生だった杉田さんは空襲のあった6月7日、午前11時に空襲警報が鳴ったため下校。鉄兜をかぶって、隣家の庭に掘られた3畳ほどの防空壕に近所の人たちと入っていたという。

 「両手の親指で耳を押さえてろ。眼をつぶって静かに」と言われ、じっとしていると、大きな衝撃とともに体が宙に浮き、頭が天井に当たって息をするのも忘れた。気がつくと壕の天井が低く押しつぶされていた。隣家に直撃した爆弾により、大量の土やがれきが壕の上にかぶさったのだ。

 何時間かして、「ここは生きてるぞ」という声が聞こえ壕の出口が開いた。警防団に救出されると、両隣もその先も家がなく、見えないはずの六甲山が目前に見えた。隣家のあった場所には巨大なすり鉢状の穴があき、周囲は土砂の山と化していた。

 空襲では社宅の同級生2人を失った。「(亡くなった同級生の)新田君に近寄り、顔の泥をふいて鼻の穴に詰まった土を小枝で掻き出した。感情を喪失して涙すら出なかった」

 戦後、社宅の一角に慰霊碑が建てられた。杉田さんは毎年6月7日に合掌に訪れていたが、平成17年に慰霊碑は取り払われ、現在は68年前の出来事を示すものは何も残っていない。

 14日には新免遺跡の発掘について現地説明会が行われる。杉田さんも足を運ぶ予定だといい、「亡くなった16人の同胞たちへの思いがこみあがると思います」と話していた。

1629よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/14(土) 05:35:24 ID:Q7tU0DIQ0
道頓堀伝説のタヌキ「かぶきち」 3Dで動き出す
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131213-OYT8T00095.htm

. ◇カード配布、スマホかざして

 「兵庫・淡路島から歌舞伎を見に通ったタヌキ」という伝説から、約1年前に誕生した道頓堀のイメージキャラクター「道頓かぶきち」が、インターネットメディアを中心に知名度を上げている。道頓堀商店会などはより多くの人に見てもらおうと、スマートフォンのアプリ(ソフト)を利用して動いて話す「3Dかぶきち」を制作。14、15の両日には道頓堀で行われるイベントで、3Dかぶきちが見られるカードを配布する。(南部さやか)

 淡路島の生まれで、かつて「道頓堀五座」と呼ばれた芝居小屋の一つ、中座に人の姿に化けて通い、芝居に見とれるうちに正体がばれて殺されたと伝わるタヌキ「柴右衛門」。その霊を鎮めて中座に祭り、藤山寛美さんら舞台に立った役者たちが人気向上を願って信仰したとされる。

 中座が閉じ、今では「中座くいだおれビル」の地下に祭られているが、人の目に触れることはない。

 こうした伝説を道頓堀の活性化に生かそうと、同商店会メンバーや府内の大学生らで昨年4月に設立した町おこし団体「道頓堀Web―TV研究所」が、かぶきちを「柴右衛門の子孫が再びやってきた」との設定で誕生させ、昨年11月にお披露目。フェイスブックやインターネットテレビなどに登場するほか、現在は1日5回、道頓堀川沿いなどに設置された巨大モニター2台で、かぶきちの映像を流している。

 3Dかぶきちはスマホのアプリ「プラスAR」を利用している。同川の遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で14、15の両日に行われる「ミナミ学生祭」でカード(5000枚)を配布。カードに印刷されたかぶきちの絵にスマホをかざすと、立体的なかぶきちが動き出す。街中の「道頓堀」の文字やかぶきちの絵でも、3Dが見られるという。

 カードには別にQRコードも印刷され、スマホで読み取ると、かぶきちが「道頓堀へようこそ」「楽しいところがいっぱい」などとおしゃべりしたり、歌ったりする。英語や韓国語、中国語にも対応している。

 同商店会は「かぶきちから、多くの芝居小屋で栄えた道頓堀の歴史を思い起こしてもらえればうれしい。将来は、ミナミ全体を盛り上げるキャラクターとして活躍を」と期待している。

(2013年12月13日 読売新聞)

1630東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/14(土) 17:24:18 ID:YzY2WMug0
★藤原鎌足の墓説さらに強まる 阿武山古墳に最高級の冠帽
2013年12月14日06時33分

大阪府高槻、茨木両市の阿武山(あぶやま)古墳(国史跡)で戦前に発見された棺(ひつぎ)に副葬
されていた冠帽が、当時最高級の技法とされた綴(つづ)れ織りで金糸を織り込んだ可能性が高い
ことがわかった。被葬者として大化改新で活躍した藤原氏の祖、藤原鎌足(ふじわらのかまたり、
614〜669)が有力視されてきたが、それをさらに補強する発見だ。

古い織物に詳しい関西学院大の河上繁樹教授(日本染織史)が、男性の遺体の入った棺が発見された
1934年当時の写真やX線写真を分析。金糸の端がいずれも急角度に折れ曲がり、何度も往復して
いることから、綴れ織りで金糸を織り込んだ冠帽と判断した。河上教授は「中国で『織成(しょくせい)』
と呼ばれ、正倉院に伝わる奈良時代の織物にも類例がある技法では」という。

「日本書紀」によると、大化改新のきっかけとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)の
立役者の鎌足は、死の直前に盟友の天智天皇から最上の冠位「大織冠(たいしょくかん)」と大臣の位を
贈られた。河上教授は、阿武山古墳の冠帽がこの大織冠の可能性が高いと結論づけた。

http://www.asahi.com/articles/OSK201312120174.html

1631よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/15(日) 15:01:54 ID:CN.85ztY0
ウマくいくこと願って 道明寺天満宮にジャンボ絵馬
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131214-OYT8T00048.htm

 学問の神様・菅原道真を祭る藤井寺市の道明寺天満宮で13日、来年の干支(えと)・午(うま)のジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えし、境内には一足早く、迎春ムードが漂っている。

 上方浮世絵の伝統を受け継ぐ女性画家・長谷川貞信さん(寝屋川市)が、仲良く並走する親子の馬を描いた。飾り付けは毎年行っており、この日は午前9時から神職らが本殿前に設置した。

 南坊城光興(みなみぼうじょうみつおき)宮司(39)は「皆さんが景気の回復を実感できる年になってほしい」と願っていた。同天満宮では同じ絵柄の「開運干支絵馬」(初穂料1500円)を5000枚用意している。

(2013年12月14日 読売新聞)

1632ノースフェイス マウンテンパーカー:2013/12/15(日) 15:44:47 ID:uo8E9i/.0
1968年、米国のカリフォルニア州バークレーで創業。まもなく発売した、高品質の グースダウンを惜しげもなく使用したクオリティーの高いスリーピングバッグにより、高い 信頼を得ました。
ノースフェイス マウンテンパーカー http://www.losarrudos.com/ノースフェイス.html

1633よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/16(月) 21:25:17 ID:TVCEHKWA0
「大坂の陣」400年 市民の手で歴史検証
2013年12月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131216/20131216028.html

 大阪の歴史上で大きなターニングポイントとなった大坂冬の陣(1614年)、夏の陣(15年)から間もなく400年の節目を迎える。大阪市などではプロジェクトを立ち上げ2014〜15の両年を文化観光創造の“シンボルイヤー”と捉えてさまざまなイベントを実施する。一方で、戦いのあった各地の市民団体などが連携して、慰霊をはじめ歴史を考察する「大坂の陣400年祭」を計画しており、18日には関係者の顔合わせを兼ねたフォーラムを開催。市民の手によって歴史的な周年の検証に向けた動きが本格的に始動する。

■語り継ぐ

 同祭の実行委代表を務めるのは「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」創設者の河井計実さん(51)=藤井寺市=。本番に向けて「無数の庶民も巻き込んだ日本史最大級の内乱の節目であり、まずは歴史の中で忘れられた犠牲者を慰霊したい」と心情を語る。

 同甲冑隊は河井代表が講師を務めた、紙製よろい・かぶと制作講座の修了者らとともに2003年に創設した。「大坂の陣」をはじめ大阪を守ろうと散った人々を慰霊し、語り継いでいくことを目的とし、大阪城を中心に他府県にも遠征し各種行事に積極的に参加。豊臣方につき奮戦し倒れた信州上田の武将、真田幸村公への感謝と追悼を込めて「真田の赤備え」として知られる赤い甲冑姿で活動している。

■副産物期待

 原点は河井代表が2000年に岐阜県大垣市で見学した「関ケ原合戦400年祭」だった。単なる歴史イベントにとどまらず、犠牲者への鎮魂の要素が取り入れられていた点に心を突き動かされ、「14年後に大阪でも同様のイベントができれば」と一念発起。来るべき年の草案を練った。

 昨秋はプレイベントとして、「夏の陣」の一大合戦にちなみ、藤井寺市の地元商店街などと連携した「道明寺合戦まつり」を大々的に開催した。また各地のイベント会場に出向き400年祭のPRを展開している。

 本番の両年には同合戦の激戦地、柏原市の小松山一帯に点在する後藤又兵衛らの供養碑前での慰霊や、大規模な合戦の再現なども企画。「400年前の人々が浮かばれるような取り組み」を念頭に調整に奔走中だ。「締めくくりは落城の日に関係者や市民が大阪城に集い、しめやかに手を合わせたい」といい、「関係地域は400年祭の盛り上がりをまちづくりや活性化につなげてもらうことになれば」と、取り組みの“副産物”にも大きな期待を寄せる。

 「大坂の陣400年へつながるフォーラム」はまちライブラリー@大阪府立大学(大阪市浪速区敷津2丁目)で午後6時から開かれる。一般の参加希望者も同甲冑隊ホームページのメールフォームで申し込みのうえで来場可。

1634よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/16(月) 22:28:52 ID:TVCEHKWA0
なにわの夢募金、個人寄付4800万円に
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131215-OYO1T00235.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の本丸地下に眠る豊臣秀吉時代の城の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、「ふるさと納税(ふるさと寄付金)」の対象となる大阪市への個人寄付が11月末までに約4800万円(1860件)に達した。年内に寄付すれば来年の確定申告で税の軽減を受けられるため、市は積極的な協力を呼びかけている。

 市によると、4月にスタートした同夢募金には11月末現在、企業・団体を含めて総額約6000万円の寄付があり、ふるさと納税制度が適用される個人寄付が8割を占めた。個人寄付のうち大阪市内在住者分は約2130万円(703件)、市外は約2660万円(1157件)だった。

 市が2012年度に緑化推進や天王寺動物園の充実などを目的に集めたふるさと納税は総額4678万円(359件)で、これを8か月で超えたことになる。

 ふるさと納税は、居住地に関係なく、応援したい自治体に寄付することで税の軽減を受けられる制度。市によると、配偶者と子ども2人を扶養する給与収入700万円以上の人が3万円寄付した場合、所得税と住民税が約2万8000円軽減され、実質負担は2000円ほどで済む。年内の寄付なら、来年3月17日までに確定申告手続きをして税控除を受ける。

 同夢募金は市と読売新聞大阪本社の共同プロジェクト。募集は来年度末までの予定で、目標額は5億円。現在、大坂夏の陣(1615年)で落城して地中に埋められた豊臣時代の城の石垣を発掘中で、集まった募金は2015年完成を目指す公開施設の整備に充てる。

 1万円以上の寄付をした人には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」が贈呈されるほか、10万円以上で氏名板、100万円以上で記念芳名板がそれぞれ公開施設に掲示される。

 問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年12月15日 読売新聞)

1636よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/20(金) 22:41:32 ID:mKlsQB2Q0
文楽補助金、満額厳しく…入場者の基準達成困難
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131218-OYO1T00709.htm?from=newslist

 国立文楽劇場(大阪市)の、今年度の11月公演までの文楽公演有料入場者数がまとまった。前年同期比9・2%減の7万5027人で、大阪市が文楽協会への補助金満額支給の条件としている年間10万5000人の集客は困難な情勢となった。

 文楽協会への補助金を巡っては、昨年6月、橋下徹・大阪市長が凍結の意向を表明、協会との話し合いを経て、今年度から、同劇場での本公演4回と鑑賞教室の入場者数と連動して運営補助金の額を増減させる新制度を導入した経緯がある。具体的には、〈1〉入場者が9万人以下なら補助金はゼロ〈2〉9万1人からは、人数に比例して支給額を増やす〈3〉10万5000人以上は満額の2900万円――という仕組みだ。

 昨年度はこうした論争で文楽への注目度が高まり、「曽根崎心中」「仮名手本忠臣蔵」など人気演目の上演が続いたこともあって集客は大幅に伸びたが、それでも満額基準に届かない10万3793人だった。

 今年度、満額支給されるためには、残された初春公演(1月3〜26日、計46ステージ)で計約3万人の集客が必要。1ステージ(満席731席)あたりの入場率が約89%の計算になる。実際には、ここ数年の1月公演の入場者は2万人前後。仮に2万5000人が入り、累計が10万人の場合、補助金は1000万円近く減らされる。初春公演は「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」などを上演。第2部(午後4時開演)の「近頃河原の達引(たてひき)」には人間国宝の太夫、竹本住大夫さん(89)も登場する。

(2013年12月18日 読売新聞)

1637東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/21(土) 22:25:58 ID:4YA0C76g0
消えゆく大阪弁知って
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131221-OYT8T00115.htm

◇旭堂南陵さん 30年で600語集める

 ほあてん(慌てん坊)、しわんぼ(ケチ)、どまくれる(自滅する)――。消えつつある大阪弁の言葉を紹介する講談師・旭堂南陵(きょくどうなんりょう)さん(64)の講座「辞典にない大阪弁」が21日午後1時半〜4時、府新別館南館(大阪市中央区大手前)で開かれる。約30年かけて〈絶滅危惧種〉になった言葉を集めたという南陵さん。「言葉は生き物。忘れられた大阪弁の魅力を伝え残したい」と、多くの来聴を楽しみにしている。(桑田睦子)

南陵さんは堺出身の父と大阪・船場出身の母の間に生まれ、物心がついた頃から大阪弁の中で育った。大学入学と同時に先代の旭堂南陵に師事し、2006年に四代目旭堂南陵を襲名。上方講談の第一人者として活躍している。

 耳にしなくなった大阪弁に興味を持ち、集め始めたのは30年ほど前。「言葉を生業(なりわい)にする者にとって、大阪弁が消えていくのは嫌なことだし、寂しい」と、聞き慣れない大阪弁を耳にする度、口にした人に意味を尋ねて手帳に書き留めてきた。

 「上方語源辞典」(前田勇編)や「大阪ことば事典」(牧村史陽編)に収録された言葉は、日常会話に使われるものが意外に少なかった。そこで、「ええ言葉やなあ」と感じるものは講談や会話にも取り入れるなど、辞典にはない約600語を集めた。「おまん(正座)」や「南京割る(破産する)」など多岐にわたる。

 やんわりと断る「あかしまへん」や「あきまへん」、ばかばかしくなった時の自嘲気味な「あほらしやのかねがなる」など、昔ながらの大阪弁には「温かみがある」。それなのに、大阪弁が「下品」と思われがちな風潮が広がりつつある。

 「上品で優しい言葉遣いが大阪弁の魅力。下品な大阪弁がはびこる今、古き良き大阪弁を残したい」。南陵さんはそう、訴える。

 “収集”の成果を披露するのは今回が初めて。南陵さんは「『うちのおじいちゃんやおばあちゃんが、こんな言葉を使(つこ)うてたな』と懐かしがってもらえたら、うれしい」と話している。受講料1000円(学生500円)。問い合わせは主催する市民団体「船場大阪を語る会」の事務局(06・6532・3094)へ。

1638よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/23(月) 23:58:00 ID:3upS7hAk0
ふかし南瓜食べて健康 生根神社にぎわう
2013年12月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131223/20131223032.html

 大阪市西成区の生根神社で22日、「こつま南瓜(なんきん)祭り」が開かれ、境内でふかした南瓜を食べ健康長寿を願う多くの参拝客でにぎわった。

 かつて「勝間(こつま)村」と呼ばれた南瓜の産地だった同地域一帯。野菜が今ほど豊富でなく、夏にとれた南瓜を冬至まで大事に保存したという逸話が伝わる。そのため地元の人々は南瓜に対し強い感謝を持っている。

 この日は約300個のかぼちゃを使い、2500食を用意。寒さは厳しいものの天候に恵まれた日曜とあって、南瓜のふかしが追いつかないほど境内は参拝者でにぎわった。

 「冬至は日が一年で一番短く、体を使いきる日。こういった日に南瓜を食べて英気を養い、新年を迎えてもらえたら」と吉見友伸宮司。子どものころから訪れているという泉大津市の国久悦子さん(66)は「毎年楽しみにしている」、同市の吉川君子さん(80)は「活力をつけて一年を乗り越えたい」と話していた。

1639東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/26(木) 18:44:09 ID:EDxJFzJA0
【ベテラン記者のデイリーコラム・江戸っ子記者のなにわ放浪記】
「軍都・大阪」の歴史 乱は西から…地政学的、なにわの安全保障考
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131226/wlf13122616300026-n1.htm

 天下の台所といわれ商都としてのイメージが強い大阪。しかし、先の大戦前までは名実ともに軍都でもあった。陸軍第4師団司令部庁舎、砲兵工廠(こうしょう)など、その史跡をたどっていくと、安全保障や防衛を考えるうえで、歴史的資産があふれる街であることが浮かび上がってくる。

■陸軍第4師団…戦後も大阪市警視庁、府警に

 大阪城内に陸軍の西日本最大拠点となる大阪鎮台が明治4年にでき、明治21(1888)年には第4師団となる。

 第4師団司令部庁舎は現在も大阪城天守閣の前に地下1階・地上3階の建物として残る。この秋、特別に公開された際に内部を見学する機会を得た。2階にあった天皇の御座所には、その後に大阪市立博物館として使われた時代の展示物だった「タイムカプセル」の一部がまだ残っていた。

 外観は中世のヨーロッパの古城をイメージに建てられ、ロンバルジアバンドという連続した半円形の装飾があちこちに見られる。

 正面の塔には焦げ茶の古びた壁面に、うすく丸い形の痕跡があるが、戦前は菊のご紋が輝いていたのを戦後に取り外したためだ。

 この司令部庁舎は、昭和初期の大阪城天守閣再興のために、旧財閥の寄付や大阪市民の浄財として集まった150万円の資金のうち、80万円が庁舎建設費として使われた。

 なぜ、庁舎建設費に充当されたのか。それまで、第四師団司令部があったために、大阪城内に市民は原則入れなかった。昭和天皇即位記念として始まった天守閣再興の際に、場内を公園として開放しようとの機運が高まった。

 しかし、城内には司令部がある。そこで、司令部の新築建設費を集まった資金から拠出し、その代わりという意味合いから、公園として開放された。

 庁舎は戦後、米軍に接収され、その後は、大阪市警視庁、大阪府警本部として使用された。昭和35(1960)年から平成13(2001)年までは、大阪市立博物館だった。
(続く)

1640東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/26(木) 18:44:41 ID:EDxJFzJA0
(続き)
■東洋一の兵器工場

 現在、大阪城北側からJR京橋駅の間に「大阪ビジネスパーク」がある。超高層のオフィスビルが立ち並ぶ広大なエリアだ。

 ここに、陸軍砲兵工廠があった。当時、35万6500坪の敷地に、弾丸、小銃、大砲、戦車などあらゆる陸軍兵器を造っていた。そこで稼働する人々は、終戦時に約7万人いたとされる。この砲兵工廠を中心に大阪の製造業は拡大していった。しかし、米軍による空襲で壊滅し、廃虚になった。ここでくず鉄を盗む集団「アパッチ」を描いた『日本三文オペラ』は開高健氏の傑作としてあまりに有名だ。

■大村益二郎

 東京の靖国神社に銅像があり、長編歴史小説「花神」で生涯を描かれた大村益次郎。明治維新に日本の近代軍の創設を主導した。

 大村は軍の中核都市を江戸から首都となった東京ではなく、大阪に据えようと企図し「大阪開兵」を主唱していた。

 明治新政府の太政官制で軍務を統括した兵部省大輔となった大村はなぜ、軍の要を大阪にしようとしたのか。江戸幕府を倒し新政府がスタートを切ったものの、各地には新政府に対する反抗勢力がまだまだ多かった。特に、西日本にはそうした勢力が根強く、事実その後、西南戦争、佐賀の乱、萩の乱などはいずれも西日本で起きている。

 大村も「今後注意すべきは西である」との発言を残しているいることからも分かり、地政学的な考慮があった。

 また、大阪は当時、海運などで物資の流通の中心地であり、経済活動も盛んだったため、軍の兵站(へいたん)確保にも格好な都市であった。

 大村は「大阪開兵」のため、5つの着想を持ち、それらは、大村が明治2年に京都で不平士族によって襲われ、大阪の病床で死去した後、結実していった。まず、兵部省の基礎を大阪に設けようとした。さらには、その後、東洋一の兵器工場である砲兵工廠の前身となる造兵廠の建設。後の陸軍士官学校につながっていく兵学寮の創設、将兵の訓練地となった。

 また、近代戦の多数の負傷将兵のために陸軍病院を建設。多数の戦死者の埋葬、慰霊のためには、陸軍墓地の造設となった。

■陸軍墓地

 大阪市天王寺区に陸軍墓地は残る。最古で最大の陸軍墓地である。

 明治初期の戦死者は、遺体引き取りまで2日以上経過する場合、遺体の損傷などを考慮して陸軍墓地に

埋葬された。当初の墓地の面積は、28040平方メートルあった。陸軍創設期の病死した兵士から、明治10年の西南戦争、日清、日露、先の大戦の戦死将兵らが埋葬され、墓碑総数は5299基以上。戦死者が急増した日露戦争以降は合葬墓や納骨堂が建立されている。

 清国やドイツの捕虜となった兵士らの墓もある。碑銘には「俘虜」の文字があったが、ドイツ兵の墓石からは削られている。昭和6年に第四師団長が参拝中に、墓参に来たドイツ領事と会い、「俘虜」の碑銘が削られたという。

■米軍捕虜銃殺も

墓地入り口脇の小さな空き地は、昭和20年8月15日の終戦の日に、大阪に留置されていた米軍捕虜5人が斬首、銃殺された埋められた場所だ。戦後、米軍が掘り返し、米国に遺骨を戻した。その時の様子を記録した写真は、米公文書館に保存されている。

1641よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 21:28:47 ID:IouThzn20
ご加護に感謝 大阪天満宮「終天神」
2013年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131226/20131226019.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、年内最後の縁日「終(しまい)天神」が執り行われた。絵馬掛けに奉納された1年間の祈願絵馬のたき上げなどが行われる中、多くの参拝者が続々と境内に足を運び、この一年の天神さんのご加護に感謝し手を合わせた。

 毎月25日は祭神・菅原道真公の縁日で、1月25日の「初天神」に始まり12月の終天神で締めくくる。

 境内では諸願が記された5万枚を超える大量の絵馬が集められ、御神火(しんか)を用いて着火。参拝者は暖を取りながら高く燃え上がる光景を見届け、カメラに収めるなどした。

 一画では神職らが元日朝の「歳旦祭」に供える餅つきを行い、つきたての一部を参拝者に振る舞った。同市城東区から親子で訪れた渡辺アサ子さん(88)と堀山彩子さん(61)は「何事もなく1年を過ごせたことに感謝したい。来年も御利益があれば」と話し、授かった餅を手に笑顔を浮かべていた。

1642よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 21:40:55 ID:IouThzn20
住吉大社で初詣準備と訓練
12月26日 12時34分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131226/3324871.html 

正月を前に大阪の住吉大社では、消防訓練を行うとともに、初詣客に渡す縁起物の準備に追われています。
消防訓練は大阪・住吉区の住吉大社が毎年、この時期に行っているもので神職や巫女などおよそ50人が参加しました。
第二本宮から出火したという想定で、ご神体にみたてた箱を持ち出した後、初期消火にあたり、最後に境内に備えられている放水銃で建物に向かって一斉放水を行いました。
また社務所では、縁起物作りが進められ、6人の巫女が住吉踊りをおどる女の子の人形がついた小さな編み笠に笹をとりつけていました。
作業をしていた巫女の1人は「お参りをしてくださった方に幸福がくるように祈りながら作業をしています」と話していました。
住吉大社では、来年の正月三が日におよそ235万人の初詣に訪れると見込んでいます。

1643よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 22:19:15 ID:IouThzn20
舞台一気に迎春ムード 国立文楽劇場「にらみ鯛」
2013年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131226/20131226020.html

 伝統の正月舞台飾り「にらみ鯛(だい)」の取り付け作業が25日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場であった。新年3日初日の新春公演の準備が着々と進む中、全長約3メートルの真っ赤なタイ2尾がお目見えし、劇場内を一気に迎春ムードに変えた。

 にらみ鯛は戦前まで上方の各劇場を飾る風物詩だった。戦後は途絶していたが、同劇場が開業して初めての正月となる1985年の新春公演で約40年ぶりに復活させた。

 重さ約15キロのタイはスタッフによってワイヤで引き上げられ、慎重に調整しながら向かい合うかたちで設置。中央には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)の朝日芳英宮司が「豊穣」と揮ごうした大凧(だこ)も掲げられ、舞台をいっそう華やかに彩った。

 新春公演初日の開演前には地元の黒門市場から本物のにらみ鯛が届けられるほか、文楽人形による鏡開きも行われるなど初芝居を大いに盛り上げる。

1644よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/27(金) 23:01:33 ID:Lfs7B4ew0
すがすがしい新年を 住吉大社で縁起物準備
2013年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131227/20131227019.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、正月に授与される縁起物「住吉踊り」の準備が始まり、奉仕した6人の神楽女(かぐらめ)が「すがすがしい新年をお迎えしていただきたい」と心を込めて仕上げ作業をこなした。迎春の作業は年内いっぱい続く。

 同大社の縁起物は100種類を超え、このうち「住吉踊り」は御田植(おたうえ)神事などで奉納される住吉踊(おどり)(重要無形民俗文化財)の笠(かさ)と童子が踊る姿を麦わら細工で表現した伝統の郷土民芸品。

 この日は正月に祈祷(きとう)を予約した参拝者に授与される1500点が制作された。笠の大きさ別に直径約10センチから約60センチまで4種類があり、神楽女は青々としたササに笠を手際よく取り付けた。

 境内では恒例の「煤払(すすはらい)式」や自衛消防隊による歳末訓練もあり、間近に迫った初詣に備えた。同大社は正月三が日に約230万人の人出を見込んでいる。

1645よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/31(火) 11:36:17 ID:vtSNvsjc0
息災祈る茅の輪 錦織神社で完成
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131231-OYT8T00080.htm

 富田林市の錦織神社(宮甲田町)で、無病息災を祈る神事に使う、カヤで編まれた「茅(ち)の輪」(2.7メートル)が完成した。31日午後7時から行われる大祓(おおはらえ)式の後、参拝者にくぐってもらう。

 同神社で茅の輪を置くのは初めて。氏子の要望があり、9月に滋賀県からカヤを調達し、神職や神社の総代らが、今月に入ってから輪の形に編んでいった。

 本殿前に据え付ける作業を終えた吉年(よどし)英仁宮司(64)は「一年の出来事を思い出しながらくぐり、改まった気持ちで新年を迎えてほしい」と話していた。

(2013年12月31日 読売新聞)

1646よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/31(火) 14:48:56 ID:YJfyKjVs0
和を願う大門松 成田山不動尊にお目見え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131231-OYT8T00076.htm

.寝屋川市の成田山不動尊(成田西町)の山門前に、新年の参拝者を迎える2本の大門松(高さ13メートル)がお目見えした。

 男性を表す黒松、女性を表す赤松で、13本の竹を束ねて立て、葉ボタン、梅、南天などを飾り付けた。一対の松は「夫婦の和合」、束ねた竹は「家庭円満」を意味しているという。

 大阪市淀川区の広告会社勤務浦野祐佳子さん(39)は「こんなに大きな門松は初めて見た。御利益がありそう」と驚いていた。

(2013年12月31日 読売新聞)

1647よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 12:38:05 ID:CPRLApf.0
住吉大社 初詣でにぎわう
01月01日 04時11分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140101/4111121.html 

新年を迎え、海の神様として知られる大阪の住吉大社は、初詣の参拝者でにぎわっています。
海の神様として知られ、「すみよっさん」の愛称で親しまれている大阪の住吉大社には、大みそかの夜から大勢の参拝者が訪れ、本殿の前には、長い列ができました。新年を迎え、宮司が、年が明けたことを伝えると、訪れた人たちは大きな歓声をあげ、新しい年への願いを込めてさい銭を投げ入れ、手を合わせていました。

参拝を済ませた人たちは、縁起物の破魔矢を買い求めたり、おみくじを引いてことしの運勢を占ったりしていました。

奈良県から訪れた男性は「去年は、年末に息子が結婚したので、ことしは、孫ができたらいいなと思って祈りました」と話していました。住吉大社では、正月三が日、去年とほぼ同じ230万人の人出を見込んでいます。

1648東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2014/01/01(水) 15:25:15 ID:tPAftF160
大阪は日本の中心、畿内全体で「大阪城」守る…秀吉の壮大な構想=新解釈が示す「奈良の城」の重要性
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140101/wlf14010115000014-n1.htm

 古代の古墳や神社仏閣などが関心を集める奈良県。これまで戦国時代の城郭はあまり注目されてこなかったが、最新の研究で県内の城郭の重要性がクローズアップされている。大坂城を拠点とした秀吉との関係も深い当時の大和の城の姿を探った。

 

■文献の新解釈

 織田信長の後を継いで天下統一を果たした豊臣秀吉が、大阪城の築城にあたり、畿内(摂津、河内、和泉、大和、山城)全体で中心の大阪城を守るという構想を抱いていたとする見解が近年、専門家から提唱されている。当時の日本の中心を畿内五カ国、畿内の中心を大阪城と広域的に捉える壮大な構想。構想が実際にあったとすれば、奈良県内の城も重要な一角を占めることになり、その位置づけが新たな脚光を浴びそうだ。

 「大阪城の築城を始めた時点で、秀吉自身の構想として大阪を畿内で守る構想を持っていたのは確実」。元大阪城天守閣館長の中村博司氏は提唱する。

 こうした構想について、これまでも指摘する研究はあったが、中村氏は「根拠としていた文献に不可解な部分があり、あまり議論されてこなかった」と指摘する。

 その根拠となる文献は、秀吉が柴田勝家との合戦前後の状況を記録させた「柴田合戦記」。中村氏は、より原本に近く成立の古い文献を調査するなどし、新たな解釈を導き出した。

 中村氏の調べた古い文献には、「河内の国において城郭(大阪城)を定め、<略>五畿内において外構えとし、かの地の城主を以て警固とするものなり」と書かれていた。ただ、この記述のままでは、実際には摂津に存在する大阪城と矛盾が生じる。

 これを、中村氏は「大阪城の東西南北に大和、摂津、和泉、山城をあてはめるため、便宜的に大阪城が河内にあったことにし、周辺を守る体制を表したのでは」と推測した。

 この構想の体制を中村氏は「大坂城−五畿内外構え」と名付け、「秀吉は大阪城を単なる軍事的拠点としてではなく、日本の中心としての畿内、畿内の中心としての大阪という重層的な支配構造を描いていた」と強調する。

 

■盤石の布陣構築

 根拠となる文献によると、五畿内外構えの体制では当初、大和に筒井順(じゅん)慶(けい)、和泉に中村一(かず)氏(うじ)、摂津に中川秀政ら武将を配置したとされる。しかし、秀吉によってすぐに別の場所に移されていく。

 山城、摂津、河内は秀吉の直轄となり、和泉、大和は、信頼していた弟の秀長に与えた。畿内全体を豊臣一門と、信頼できる家臣で押さえる盤石の布陣を構築したことになる。

 その余波で、県内では大和郡山市周辺を治めていた筒井が伊賀に移され、代わりに秀長が入ってきた。秀長は大和、和泉、紀伊に100万石の所領を保有。郡山城は、その中心的な役割を果たす。

 秀長は、さらに最終拠点となる「詰め城」として高取城(高取町)を重臣に与え、大規模な城郭に改修。宇陀松山城(宇陀市)にも豊臣の家臣らを入れ、東国から大和への街道を押さえた。

 その宇陀松山城では、昨年までの発掘調査で、大型の鬼瓦やしゃちほこが出土。絵図面にある天守閣の存在を裏付け、重要性が改めて注目されている。

 中村氏は「秀吉が日本の中心として重要視していた畿内の城は、当時どうなっていたのか。発掘成果や今後の研究に注目したい」と力をこめる。

1649よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:15:29 ID:CPRLApf.0
遷宮守った太閤 出世餅に名残す
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1365410718012_02/news/20131123-OYT8T00170.htm

 伊勢神宮(三重県伊勢市)は今年、20年に一度の式年遷宮を迎えた。天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる内宮(ないくう)の門前、旧参宮街道などは例年以上のにぎわいを見せる。

 門前の一角で香ばしい焼き餅のにおいが漂う。1565年創業の名物「太閤(たいこう)出世餅」を売る店だ。できたてをほおばる客が不思議そうに尋ねた。

 「なぜ、伊勢に太閤さん(豊臣秀吉)の名前があるの」

 即座に社長の河口妙(たえ)さん(86)が答える。「実は太閤さんが喜んで食べた餅なんですよ」

 秀吉は幼名・日吉丸の頃、蜂須賀小六とともに参宮して以来、たびたび伊勢を訪れている。街道で食して「美味也(なり)」とほめたのが、この餅だそうだ。

 神宮と秀吉。その関係を示すのは餅だけではない。

 「式年遷宮にも大変貢献した人なんです。特に今年は多くの人に知ってほしいですね」と、河口さんは力を込めた。

◆下支えに徹した◆ 

 伊勢神宮の式年遷宮は7世紀末、持統天皇の時に始まったとされる。内宮、外宮(げくう)(祭神=豊受大神(とようけのおおみかみ))で、20年ごとに萱葺(かやぶ)き屋根の高床式社殿や神宝類を一新し、ご神体をうつす。神が永遠に若くあること、「常若(とこわか)」の思想に基づく行事だ。

 国家的な事業として続いたが、15〜16世紀に100年以上途絶えた時期がある。戦乱で室町幕府が弱体化、労賃やヒノキ材などの財源「役夫工米(やくぶくまい)」を全国で徴収する制度が崩壊したのが要因という。

 「社殿の柱が朽ち、屋根が腐り、惨たんたる様子だったことが読み取れる」。当時の史料を調べる歴史学者の皇学館大教授岡野友彦さん(52)は話す。

 「神さまに申し訳ない」と自発的に動いたのは、伊勢の慶光院の尼僧らだ。国家丸抱えを脱却しようと、民衆や大名などに幅広く浄財を募り、1563年、外宮で129年ぶりに遷宮が復活。次は内宮も、という時、織田信長から巨額援助の約束を取り付けたが、本能寺の変(1582年)によって頓挫する。

 その後、手を差し伸べたのが秀吉である。尼僧への協力を約束した朱印状に〈遷宮の件は承知した……詳しくは口頭で〉とある。総額は不明だが、「天下人として信長以上の気前のよさを見せたのだろう」と岡野さんは推測する。秀吉が支配体制を確立するために始めた「太閤検地」も、神宮領は免除した。

 1585年、内宮の遷宮は123年ぶりに復活。内宮、外宮の遷宮は、この年から同時に営まれるようになった。

 ただ、秀吉が復活に貢献したことは広く知られているわけではない。岡野さんは「名も無き民衆も含め、みんなで神宮を復活させる運動が実を結んだ。その輪の中に秀吉もいたということでしょう。お金の多寡(たか)よりずっと大切です」と考える。

 国家に頼らず、みんなで復活させるという尼僧たちの思いを理解し、下支えに徹したとも言えるかもしれない。

 哲学者の梅原猛さん(88)は違った視点でこう語る。「日本列島ではずっと生命流転の思想、循環の思想があった。それが遷宮の常若だ。能やお茶に傾倒したように、秀吉は理屈ではなく、感覚的に伝統文化への理解があった人物だと思う」

1650よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:16:53 ID:CPRLApf.0
>>1649

◆スタイルは健在◆ 

 式年遷宮は戦後の占領期にずれ込むこともあったが、今年で62回目、秀吉時代から数えて22回目となる。きょう2日は内宮で神の引っ越し「遷御(せんぎょ)」の儀があり、5日は外宮で催される。遷宮は最高潮を迎えている。

 今回の総費用約550億円のうち6割は神宮の資金で、4割が全国から集まった奉賛金という。新社殿の敷地に市民らが石を敷き詰める「お白石持(しらいしもち)行事」ではこれまでにない延べ約23万人が奉仕し、秀吉時代に始まった〈みんな〉で参加するスタイルは、今なお健在だ。

 「どうして太閤さん?」。太閤出世餅の店では、相変わらずお客の質問が飛び交う。

 東京から嫁いできた河口さんは、遷宮の歴史を勉強しながら「お伊勢さん」に対する多くの人々の思いに触れてきた。「にぎわいを見ると、みんなで遷宮を守ろうという精神が続いているのを実感します。未来にずっと継承してほしいですね」。そう言って内宮へ向かう人たちを見つめた。(渡辺達治)

 伊勢神宮の遷宮に貢献した豊臣秀吉は大坂城でも神仏に祈りを捧(ささ)げたのだろうか。実は当時、城内に宗教施設があったかどうかは大きな謎という。

 一つの手がかりは「大坂冬の陣図屏風(びょうぶ)」(東京国立博物館所蔵)だ。城内の本丸や山里丸(やまざとまる)の辺りに「方形造(ほうぎょうづくり)」という四角すいの屋根のやぐらが立ち、てっぺんに宝珠(ほうじゅ)に似た物があるのが分かる。「仏堂かもしれない」との見方は出ているが、遺構は地中深くに埋もれ、残念ながら未確認のままだ。

 現大阪城の宗教施設では、豊国神社が知られる。明治期、大阪・中之島に造営され、戦後移った。玉造口から梅林に向かう途中にある「蓮如上人袈裟(れんにょしょうにんけさ)がけの松」は豊臣大坂城の敷地になる前、真宗の一大拠点があった名残だ。

(2013年10月2日 読売新聞)

1651よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:30:26 ID:CPRLApf.0
太閤なにわの夢募金お知らせ
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1365410718012_02/news/20130408-OYT8T01039.htm

 大阪市は、大坂夏の陣から400年となる2015年に向け、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業を進めています。その資金を募るため読売新聞大阪本社は、市と共同で「太閤なにわの夢募金」に取り組んでいます。1万円以上の寄付をいただいた方に造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」を贈呈するなどの特典もあります。

 寄付は、ゆうちょ銀行または郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードの申し込みとなります。

 振り込みは、寄付パンフレットの専用の用紙が必要。パンフレットの配布場所は市役所1階の市民情報プラザ、各区役所、サービスカウンター(梅田、難波、天王寺)など。寄付額に応じ、所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年4月3日 読売新聞)

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1653よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/03(金) 14:03:48 ID:zTbTF29M0
新春の祈り胸に 府内の神社、初詣にぎわう
2014年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140103/20140103016.html

 新年を迎えた1日、大阪府内各地の神社では初詣の人出でにぎわい、大阪市東住吉区の住吉大社でも親子連れやカップルら多くの参拝者が行列をつくり、それぞれの思いを祈願した。

 太鼓橋の名で親しまれている赤塗りの反橋では、本宮へと向かう参拝者が橋いっぱいに広がり、急な斜面に足元を気にしながら上り下りしていた。

 四つの本宮にはそれぞれ、手を合わせる人が延々と続き、おみくじを引く人やお守りを買う人などで広い境内が埋め尽くされた。滋賀県から訪れた女性は「みんなの身が清まりますようにと願った」と話していた。

 また、五穀豊穣(ほうじょう)、庶民繁栄などを祈り、長柄の傘を持つ一人の周りを複数で踊る住吉踊りの新春特別奉納が行われ、参拝者を楽しませていた。

 1日の参拝者は昨年より3万人増の150万人で、住吉大社では三が日で昨年より5万人多い240万人の人出を見込んでいる。

1654よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/03(金) 14:11:24 ID:zTbTF29M0
心静かに思い込め 大阪天満宮で書き初め
2014年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140103/20140103018.html

 学問の神様、菅原道真を祭る大阪天満宮(大阪市北区)の境内にある梅香学院で、新春恒例の「書き初め」が行われている。クラス別に設けられた課題をもとに、幼稚園児から小、中、高校生、一般まで広く書を楽しんでいる。3日まで。

 同宮では三が日で55万人の参拝者を見込んでおり、2日は朝から多くの家族連れやカップルらが会場を訪れた。学年などに応じて設けられた「こま」「走れ小馬」「梅咲く村」など、今年のえとや菅原道真にちなんだ言葉に真剣な表情で取り組んだ。

 祖父母らと訪れた筒井琉君(6)=大阪市鶴見区=は、習いたての書道で「あんまり上手に書けなかったけど、面白かった」と笑顔で話していた。

 受け付けは午前10時〜午後4時。清書用半紙は5枚で100円。作品は毎年6千点の応募があるという「大阪梅風会全国書き初め展覧会」への申し込みが可能で、入選作品は24日から境内に展示する。締め切りは10日(郵送可)。問い合わせは電話06(6353)0025、同宮へ。

1655東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2014/01/03(金) 23:08:24 ID:nDyj1B.w0
そりゃご無体な 補助金ほしけりゃ客を呼べ 初春公園開幕も満額は厳しく
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140103/wlf14010320470019-n1.htm

 補助金問題で揺れる文楽の初春公演が1月3日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開幕した。平成25年度から観客動員数で大阪市の文楽協会への補助金の額が決まる「インセンティブ方式」が導入されたが、現在の動員数では満額助成は難しい状況で、1月はそのカギをにぎる公演として注目される。

平成財務出来高始末の段

 初日は開演前に文楽人形による鏡開きが行われ、人間国宝、竹本住大夫さんが「文楽はここしばらく重大危機が続きます。大阪府や大阪市は芸術文化にもうちょっと理解を持ってほしい。みなさまには一回でも多く劇場に足を運んでいただければうれしいです」とあいさつ。文楽人形が来場者に振る舞い酒を注ぐなど大勢のファンでにぎわった。

 インセンティブ方式は、国立文楽劇場の観客動員数によって補助金の額が増減するシステム。大阪市は平成25年度、文楽協会に3900万円の予算を計上しており、うち協会運営費などに充てられる2900万円分をこの方式で決める。

 対象公演は年間4回の本公演と鑑賞教室。年間動員数10万5000人以上で満額支給、9万人以下ならゼロ。その間の人数なら、人数割の計算になるという。

 文楽協会によると、平成25年4月からの観客動員数は現在までに計約7万5000人。満額にはあと3万人の動員が必要だが、平成25年1月公演は2万1000人、平成24年は2万人で、過去10年間で総動員数が10万5000人を超えたのは国立文楽劇場の開場20周年で記念公演が行われるなどした平成16年の1年だけ。「満額助成は大変厳しい状況」と三田進一事務局長は話す。

未来文楽窮地の巻

 2900万円は文楽協会の事務局の人件費など運営費。今夏発足した第三者機関「大阪アーツカウンシル部会」は、26年度もインセンティブ方式で支給することを決定したが、27年度以降は運営資金目的の補助金は打ち切られる方針だ。

 大阪市からの補助が打ち切られても、国などの補助金があるほか、大多数を占める本公演は国立文楽劇場と東京の国立劇場の主催で協会とは直接関係がないため、すぐさま公演ができなくなるというわけではない。

 しかし、三田事務局長は「協会の運営ができなくなると、技芸員の受け皿がなくなるなど大きな影響がある。文楽を未来につなぐため、劇場や技芸員と協議して抜本的な組織改革をしなければ」と話している。

 公演は1月26日まで。「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」などが上演される。

1656よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/04(土) 13:58:24 ID:BEzJUObw0
■文楽劇場 鏡開き
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003443.shtml

 国立文楽劇場では公演初日の3日、恒例の鏡開きが行われました。

 大阪・日本橋の国立文楽劇場では近くの黒門市場から縁起物の「鯛」が届けられ、文楽人形が集まった人たちに樽酒をふるまいました。

「華やかで非常に楽しい行事で楽しみにしています」(観客)

 文楽をめぐっては大阪市から文楽協会への補助金が1年間の観客数によって増減することになっています。

 満額を支給されるには、今年3月末までに、あと3万人の動員が必要で、3日からの公演が正念場となっています。 (01/03 18:09)

1657よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/04(土) 14:13:20 ID:BEzJUObw0
掛け声勇ましく 水間寺で「千本餅つき」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140104-OYT8T00058.htm

 貝塚市の水間寺で3日、奈良時代から続く伝統行事「千本餅つき」が行われ、檀家(だんか)の若者ら16人が勇ましいかけ声に合わせ、長さ約1・5メートルの木の棒を使って厄よけの餅をついた。

 もち米約10キロが用意され、鉢巻きにたすき掛けの若者らが本堂に続く渡り廊下で、かけ声や歌に合わせて何度も餅をついた。つき上がった餅が棒で高々と掲げられると、初詣客から歓声が上がった。

(2014年1月4日 読売新聞)

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1659よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/05(日) 21:07:51 ID:Q7tU0DIQ0
世界遺産へ3月にも保全骨格案
01月05日 06時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140105/4119421.html 

大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録を目指し、大阪府と堺市など地元の3市は、ことし3月にも、古墳群周辺の景観や環境の保全計画の骨格をとりまとめる方針です。
大阪の百舌鳥・古市古墳群は平成27年度のユネスコ世界文化遺産の登録を目指していましたが、去年8月に、古墳群周辺の景観や環境の保全計画の整備が不十分なことなどから、推薦が見送られました。
これを受けて、大阪府と堺市など地元の3市は平成29年度の世界文化遺産登録を目指すため、ことし3月にも、保全計画の骨格をとりまとめる方針です。
骨格には、保全する範囲や、建築物を新築したり、建て直したりする場合の高さやデザインの規制などを盛り込みたい考えです。
ただ、内容によっては、地元の住民や事業者から反発が出ることも予想されることから、府や堺市などでは、事前の調整もきめ細かく進める方針です。

1660よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/05(日) 21:30:08 ID:Q7tU0DIQ0
知恵の輪くぐり合格祈願 四天王寺で元三大師法要
2014年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140104/20140104036.html

 元三(がんざん)大師合格祈願法要が3日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で営まれた。受験生やその家族らが知恵の輪をくぐり、燃え上がる護摩木の炎に合格への思いを込めた。

 同法要は、985(寛和元)年1月3日の命日にちなんで「元三大師」と尊称される第18代展台座主の良源に由来する。学業成就や合格祈願であつく信仰され、大師に祈れば知恵を授かると伝わる。

 大師を祭る境内・元三大師堂では、瀧藤尊淳執事長による護摩祈祷(きとう)がなされた。参詣者は、堂前に設置された知恵の輪にくぐって入堂し、僧侶から錫杖(しゃくじょう)の加持を授かりながら手を合わせた。

 高校受験を来月に控える同市大正区の田中佑樹君(15)は「追い込みの今の時期に力をつけ、志望校に挑みたい」と話していた。

 同法要は、各月の3日午前10時から行われる。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺へ。

1661よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/06(月) 22:00:15 ID:b20cjSvg0
国宝や重文 間近で拝観 四天王寺で「新春名宝展」
2014年1月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140106/20140106013.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)宝物館で年頭恒例の「新春名宝展」が開かれている。同寺所蔵品の中でも国宝や重要文化財、重要美術品など数多くの寺宝を展示中。初詣に訪れた家族連れなど多くの参詣者が貴重な品々を見学している。2月2日まで。

 館内には法華経信仰美術の代表作「扇面法華経冊子」(国宝、平安後期)のうち「歌枕梶の葉図」「千物図」を公開。15日以降は複製と入れ替えられることから、歴史愛好家らが下絵に経文を記す繊細な技法に見入っていた。

 このほか高さ約12センチの白檀材の箱仏「千手観音・二天箱仏」(重要文化財、平安後期)や、平安期の子どもや女性が身につけていたお守り「懸守(かけまもり)」のうち「桜折枝文(さくらおりえだもん)」「桜透丸文(さくらすかしまるもん)」(ともに国宝)なども並び注目を集めている。

 兵庫県伊丹市から訪れた女性(55)は「歴史的に貴重な品々を間近で拝観することができた。初めて四天王寺を訪れたが境内も見どころが多い」と興味深そうに話していた。

 拝観料500円(高校・大学生300円、中学生以下無料)。開館時間午前8時半〜午後4時。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺へ。

1662よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/08(水) 23:22:01 ID:b9vR9XzA0
邪気はらう神馬 住吉大社白馬神事
2014年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140108/20140108032.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、年頭の伝統行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。今年はうま年とあって例年よりも多くの人々が参拝する中、同大社の神馬(しんめ)「白雪」号が駆け巡る姿を一目見ようと境内は朝から多くの参拝者でにぎわった。

同神事は宮中行事「白馬の節会(せちえ)」に由来。新春に白馬を見ると邪気をはらい、無病息災で新年を過ごせるという縁起にちなんでいる。現在の神馬は2009年、北海道函館市生まれ。11年5月9日、先代白雪の引退に伴い、大阪の燃料卸商業関係者らでつくる「神馬講」によって奉納された。

 この日は正装姿の神馬が第一本宮をはじめ各本宮をゆっくりと巡拝したほか、さっそうと早駆けなどを行った。神事の後、参拝者は縁起にあやかって目の前をゆっくりと歩く神馬の体に手を伸ばし触っていた。

 家族でたてがみに触ることができたという小林節子さん(79)=滋賀県彦根市=は「新年早々縁起がいい。よい一年となるようお祈りした」と笑みを浮かべていた。

 境内の授与所ではえとにちなみ、子ども無事成長を祈願する馬形の「竹駒守(まもり)」も並び、買い求める人々の姿が見られた。

1663よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/09(木) 00:31:09 ID:b9vR9XzA0
「十日戎」前に福娘来社 大阪
2014.1.7 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140107/osk14010702060003-n1.htm

 商売繁盛を祈願する「十日戎」(9〜11日)を前に、大阪市浪速区の今宮戎神社の福娘14人が6日、PRのために同区の産経新聞大阪本社を訪れ、「打ちましょ」と声をそろえて手拍子を打つ「上方締(じ)め」を華やかに披露した。

 福娘たちは金色の烏帽子(えぼし)、白の千早(ちはや)姿で今年の干支(えと)の「午」が描かれた絵画を寄贈した。

 十日戎では、9日からの3日間、参拝者に福笹(ふくざさ)などの縁起物を授ける。

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1665よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 21:54:51 ID:8ptyHEPg0
えびす様が出迎え 大阪天満宮の蛭子門で像除幕
2014年1月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140110/20140110032.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)の「天満天神えびす祭」が9日、宵えびすで初日を迎え、境内は「商売繁盛」の掛け声が飛び交うなど、正月三が日から続く華やいだムードに包まれた。

 この日は宵えびすに合わせ、境内南西にある「蛭子(えびす)門」横に石造りのえびす像がお目見えした。蛭子門はかつて門の付近にあった境内社「蛭子社」に由来。蛭子社は境内北西に移されたが現在も門の名称が残っている。

 早朝、本殿に祭られている蛭子命(ひるこのみこと)を蛭子社へ移す「遷幸の儀」が執り行われ、同祭の世話人を務める氏子衆が参列。お払いを受けた後、寺井宮司と共に像の除幕を行った。

 石像は守口市長の西端勝樹氏が寄贈した。台座を含む高さが約1・8メートル。タイとさかずきを抱えるにこやかな表情で多くの参拝者を迎えている。

 門前で「えびすや呉服店」を営む辻博志さん(62)は「いっそうにぎやかになって商売繁盛となれば」と笑顔でえびす像を見守っていた。

1666よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:22:01 ID:8ptyHEPg0
孝謙天皇「東南新宮」か 難波宮跡で「土壇」見つかる
2014年1月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140110/20140110034.html

 大阪市教育委員会と大阪市博物館協会大阪文化財研究所は9日、大阪市中央区の史跡難波宮跡から後期難波宮(726〜784年)のものとみられる土で盛った建物の土台「土壇」跡が見つかったと発表した。天皇の即位など重要な儀式を行う大極殿の東側に位置し、構造などから天皇の住まいや重要な役所の一部である可能性があるという。

 現地の発掘調査は1954年にも実施されたが、当時見つかった遺構の評価は定まっていなかった。その後、現地に建てられた市営住宅が老朽化で解体されたことを受け、2013年11月からあらためて発掘調査に当たっていた。

 見つかった土壇は盛土などによって、周囲より15センチほど高くなっており、長さは東西に約16メートルに及ぶ。宮殿などで使われる重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)などが出土し、後期難波宮の遺構と考えられる。ひさしなどを備えた大規模な回廊構造をもっていたとされ、高い格式を示す要素になるとみられる。

 こうした点などから、この区画が天皇に関係するものとすれば、後期難波宮の中でも比較的新しい時期に造営され、続日本紀で756年に孝謙天皇が行幸したと記載されている宮室「東南新宮」と考えることもでき、重要な役所が置かれていた可能性もある。

 同研究所難波宮調査事務所の高橋工所長は「60年前の発掘では性格が分からなかったものがある程度推測でき、難波宮の東側の区画が、かなり格式の高いということが分かってきた」と話している。

 市教委と同研究所は11日午後1時〜同3時に現地説明会を開く。市営地下鉄谷町四丁目駅10号出口から東へ約300メートルの発掘現場で、調査結果の解説や出土遺物の展示が行われる。

 問い合わせは電話06(6943)6836、同研究所難波宮調査事務所へ。

1667よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:25:26 ID:8ptyHEPg0
難波宮跡で「土壇」出土 格式高い「東南新宮」の可能性も
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140110-OYT8T00082.htm
 
 大阪文化財研究所などは9日、難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)の発掘調査で、後期難波宮(726〜784年)にあった区画で瓦ぶきの回廊とみられる施設の土台となる「土壇(どだん)」が出土した、と発表した。周辺で瓦も見つかっており、同研究所では「区画内は、天皇の住まいや重要な役所だった可能性がある」と分析している。

 見つかった土壇は区画の南面にあり、南北の幅約2メートル、東西の長さ約16メートル、高さ最大約15センチ。同研究所は過去の調査から南北の幅は約7メートルで、区画の規模については東西約85メートル、南北約120メートルと推定する。昨年1月に調査結果が発表された「土壇」の続きとみられる。

 区画内からは過去に石敷きの土壇が出土しており、後期難波宮ではこれまで、国家の重要儀式が行われた大極殿や天皇の居住する内裏だけで見つかっていることから、同研究所は「格式が高い」と推測。続日本紀に孝謙天皇が756年に訪れたと記されている「東南新宮(とうなんしんきゅう)」の可能性もある、としている。

 土壇の南側では、溝(幅約80センチ、長さ約16メートル、深さ約80センチ)も見つかり、同研究所は雨水を流すための道路の側溝とみている。

 現地説明会は11日午後1〜3時。小雨決行。問い合わせは同研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)へ。

(2014年1月10日 読売新聞)

1668よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:28:45 ID:8ptyHEPg0
ペットと一緒に 少彦名神社健康合同祈祷
2014年1月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140112/20140112027.html

 “薬の神様”を祭る大阪市中央区道修町の少彦名神社(別所俊顕宮司)で11日、ペットと飼い主へ健康祈願の祈祷(きとう)が行われ、参拝者は愛犬とともに無病息災を祈った。

 今や家族の一員で、掛け替えのないパートナーであるペット。医薬・健康の神を祭る同神社では、ペット同伴での参拝を希望する問い合わせが以前から多く寄せられ、ことし初めて「ペットと一緒に初詣」として合同祈祷を行った。

 午前11時からの祈祷には、4組の参拝者が愛犬を伴い参加。別所宮司のおはらいをペットたちも神妙な面持ちで受けた後、飼い主が玉串を奉納した。

 阿倍野区の生地義明さん(65)と由紀子さん(62)夫妻は、雄のトイプードル、ビンちゃん(12歳)とともに参拝。トイプードルは平均寿命が14歳と言われ、「子どものような存在。1日でも長く生きてほしい」といとおしそうに話していた。

 同神社の祭神は、日本の医薬の神「少彦名命」と、中国古代の医療、農業の神「神農氏」。神社がある道修町は江戸時代から薬の仲買人が集まった「薬の町」として知られる。

1669よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/14(火) 22:30:42 ID:8ptyHEPg0
福求めて活気 貝塚・脇浜戎大社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140111-OYT8T00113.htm

 「本えびす」の10日、貝塚市の脇浜戎大社で戎大祭が行われた。

 泉州最古の戎神社とされる同大社は「脇浜のえべっさん」として親しまれており、福ザサなどを買い求める参拝者でにぎわった。午後からは、積み上げた護摩木を燃やして無病息災などを願う「柴灯(さいとう)大護摩供」があり、山伏姿の修験者がお経を唱え、護摩札を炎の中に投じていた。残り火の上をはだしで歩いて無病息災を願う「火渡り行」では、参拝者が手を合わせて炭火の上を通り抜けていた。

(2014年1月11日 読売新聞)

1670よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 00:00:06 ID:Ujb1.1.A0
好景気期待 さい銭奮発 今宮戎、勘定始まる
2014年1月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140113/20140113028.html

 商売繁盛を願う新春の祭礼「十日戎(えびす)」(9〜11日)で集まったさい銭の勘定が12日、大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)で始まった。紙幣や硬貨に交じって、「29451(福よ来い)」などの額面の小切手や外国紙幣が見られた。同神社によると、3日間の参拝者数は昨年より約4万9千人少ない約90万人だったが、景気回復への期待でさい銭を奮発する人が多く、総額は例年並みの4600万円となる見込み。

 拝殿でおはらいを受けた池田泉州銀行の行員たちが大量の紙幣や硬貨を机に広げ、手際よく仕分けた。さい銭の中には、豪ドル、ウォンなどの外国紙幣や伊藤博文の旧百円札があり、小切手では「1129(いい福)」などユニークな語呂合わせの額面が見られた。

 同神社によると、今年は福ササに付ける縁起物を多く購入する人や熱心に参拝する人の姿が目立ち、担当者は「景気上昇に対する期待の表れでは」と話していた。

 さい銭の集計作業は今月末まで行われる。

1671よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 00:05:31 ID:Ujb1.1.A0
厳か宮大工「手斧始め式」 四天王寺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140112-OYT8T00050.htm

 聖徳太子ゆかりの四天王寺(大阪市天王寺区)で、宮大工の仕事始めの儀式「手斧(ちょんな)始め式」が11日、関係者ら約30人が参列して営まれた。

 儀式を担う同寺正大工(しょうだいく)(宮大工の棟梁(とうりょう))は代々、社寺専門の建設会社・金剛組(同市天王寺区)を創業した金剛家当主が務めてきた。昨秋、先代が死去し、当主不在となったため、同社相談役の植松襄一さん(71)が正大工の代務者となり、儀式を執り行った。

 ろうそくに照らされたほの暗い金堂内で、古式ゆかしい装束を身に着けた植松さんが大工道具の手斧で柱材を削り出す作業を模し、祝詞を奏上して、1年の工事の安全を願った。植松さんは「宮大工の一番大事な儀式。1400年続く伝統を担うことができ、安堵(あんど)した」と話していた。

(2014年1月12日 読売新聞)

1672よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 22:56:24 ID:7U7ycjoo0
和泉 太古の宝里帰り
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140115-OYT8T00121.htm

.◇弥生文化博物館 黄金塚古墳出土品を展示

 和泉市上代町の国史跡・和泉黄金塚(こがねづか)古墳から出土し、現在は東京国立博物館の所蔵となっている銅鏡や装身具約30点が、同市池上町の府立弥生文化博物館で展示されている。3月2日まで。

 同館が企画した「和泉黄金塚古墳と『卑弥呼の鏡』」。1950、51年の発掘調査で見つかった神像や龍、虎など神獣の模様を施した銅鏡5枚と、装飾品に使われ、断面が六角形の「水晶製大型切子(きりこ)玉」(長さ7センチ)、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国の魏に使いを送ったとされる「景初三年(239年)」の銘が入った銅鏡のレプリカなどが並ぶ。市教委の2002年以降の調査で出土した円筒や傘をかたどった埴輪(はにわ)も紹介している。

 同古墳は古墳時代前期末(4世紀後半)に築造されたとみられる前方後円墳で墳丘の長さは94メートル。地方の豪族が葬られたとみられている。08年3月に国史跡に指定された。

 塚本浩司・同館総括学芸員は「この機会に地元で見つかった貴重な出土品を見てほしい」と話している。

 月曜休館。入館料は一般400円、65歳以上と高校・大学生は300円。問い合わせは同館(0725・46・2162)へ。

(2014年1月15日 読売新聞)

1673よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 23:02:37 ID:7U7ycjoo0
勇猛果敢に体ぶつけ合う 四天王寺で「どやどや」
2014年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140115/20140115021.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で14日、年頭恒例の「どやどや」が盛大に執り行われた。紅白の鉢巻きとふんどし姿の男子中高生をはじめ約1270人が参加。多くの参詣者が見守る中、境内・六時堂でまかれるお札をつかみ取ろうと勇猛果敢に体をぶつけ合った。

 元日からこの日まで2週間にわたり、六時堂で新年の天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する「修正会(しゅしょうえ)法要」の結願(けちがん)日に執り行われる伝統行事。

 好天に恵まれたこの日の境内では四天王寺羽曳丘中学・高校、清風中学・高校、清風南海高校の生徒が紅白軍に分かれて参加した。両軍の生徒は「わっしょい」の掛け声とともに六時堂に突入。全身に冷水を浴びせられながら、法要中に祈祷(きとう)された魔よけのお札「牛王宝印の護符」に高く手を伸ばしてもみ合った。運よくお札を手にした生徒は寒さも忘れ「取った」「やった」と歓声をとどろかせた。このほか行事の冒頭では元気な園児の列が入堂し境内をなごませた。

1674よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/15(水) 23:04:46 ID:7U7ycjoo0
住吉大社で「とんど」
01月15日 14時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140115/4473951.html

正月のしめ縄や去年1年間、身につけていたお守りなどを焼き納めて、無病息災を願う「とんど」が大阪の住吉大社で行われました。「とんど」は、住吉大社が毎年この日に行っているもので、煙を浴びると、今年1年間、無病息災で過ごすことが出来ると言われています。
15日は近くに住む人たちが、朝から、しめ縄や、おふだ、それに去年1年間、身につけていたお守りなどを次々と持ち込みました。持ち込まれたものは、境内の一角に積み上げられ、「とんど」の場所を清めるお祓いなどが行われたあと、火がつけられました。
訪れた人たちは、燃え上がる火に静かに手を合わせて、家族の無事などを祈っていました。
阿倍野区に住む女性は、「しめ縄や正月に使ったお箸などを持ってきました。ことし1年間、家族みんなが健康で過ごせたらいいと思います」と話していました。

1677よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/19(日) 11:48:26 ID:v7LnV76k0
上る炎に安泰願う 府内各地で「左義長神事」
2014年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140116/20140116026.html

 しめ縄など正月の縁起物を火にくべ入れて1年の無病息災、家内安全を祈願する伝統行事「左義長(さぎちょう)神事(とんど)」が15日、大阪府内各地の神社で執り行われた。「正月の事じまい」とも言われ、訪れた参拝者は火に向かい手を合わせていた。

 大阪市天王寺区の生國魂神社(中山幸彦宮司)では、早朝の火入れ式で、神職によって本殿から御神火が運ばれ、境内の一角に積まれた縁起物に移されると高く燃え上がった。境内には、朝から破魔矢などを持った地域住民ら参拝者が多く訪れ、時折ポンポンと音を立てて燃える火を見守っていた。

 また、たき火の火種を使って作った小豆粥(かゆ)が振る舞われ、参拝者は冷えた体を温めていた。同市北区の女性(62)は「病気にならないように」と願っていた。

 「左義長」は、旧正月15日の前後に行われている神事で平安時代から行われているとされている。

1678よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/23(木) 22:38:51 ID:xFc7yW6c0
解体中本殿から墨書 大山咋神社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140119-OYT8T01051.htm

 ◆江戸前期建立記す、「地域の誇り」一転保存へ

 藤井寺市北東部・船橋町の地域の氏神「大山咋(おおやまぐい)神社」で、本殿の解体工事中、江戸時代前期にあたる「寛文八年(1668年)」の墨書が発見された。氏子ら住民は新築するとしていた当初予定を変更し、本殿を修理して保存することを決めた。市によると、墨書で年代が判明した江戸前期の神社建築は市内唯一で、文化財としての価値もあるという。(岡田英也)

 同神社は江戸時代初期、近江国(滋賀県)の日吉大社から分霊を受け、祭ったとの伝承があり、近くを流れる大和川や石川の水害に遭わず、豊作となるよう、地域住民が祈願してきた。

 本殿は高さ3・65メートル、間口1・2メートル、奥行き1・9メートルで、「一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)」と呼ばれる形式。長年の風雨で木材が腐食し、昨年7月から社寺建築を手がける「松原工務店」(堺市南区)が工事を開始した。

 本殿の解体中、上部の桁材から墨書が見つかった。年号は創建の伝承とほぼ一致し、建築様式も江戸前〜中期の特徴という。

 この新発見に、住民らは「地域の歴史を伝える文化財として保存するべきだ」と申し合わせ、工事を新築から修理に変更した。ヒノキの古材の35%を再利用し、彩色調査で朱色の塗料も確認されたことから、当時の外観を再現。本殿の修理費約1300万円を住民の寄付でまかない、昨年12月15日に落成式を営んだ。

 船橋町地区長の田中慶治さん(72)は「地元で誰も知らない古い年号が確認され、驚いた。地域の誇りとして大切に守っていきたい」と喜んでいる。

 大山咋神社は近鉄南大阪線・土師(はじ)ノ里駅の北東約1キロにあり、土、日曜は拝殿から参拝できる。

(2014年1月20日 読売新聞)

1679よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/23(木) 22:51:31 ID:xFc7yW6c0
難波の綱引「ヨーイヨイ」 難波八阪神社で「神事」 
2014年1月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140120/20140120017.html

 大阪市指定無形民俗文化財の「綱引(つなひき)神事」が19日、同市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で執り行われた。氏子衆が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を引き合って開運祈願するとともに都心に根付いた伝統の継承に努めた。

 同神事は八岐大蛇退治で知られる同神社の祭神・スサノオノミコトの遺徳をたたえ、地域繁栄を祈願する年頭行事。江戸期に刊行された観光案内書「摂津名所図(ず)会(え)」にも紹介されており、2001年度に市指定として最初の無形民俗文化となった。

 文化財保持者である同神事保存会(竹立威三雄会長)の氏子らが早朝の境内に参集。約100人が奉仕し、1本の細縄をより合わせて全長約22メートル、太さ約30センチのオロチの大綱を完成させた。この後奉仕者が二手に分かれて大綱を抱え、豪快に綱引きを開始。図会に描かれている様子を今に伝えた。

 会長の竹立さん(83)は「例年よりも太い縄を使ったことでかつてない力強い綱が完成した。これからも地域の方々の協力を得ながら伝統を後世に伝えていきたい」と笑顔で語った。この日は神社周辺で大綱の巡行も繰り広げられた。

1681よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/27(月) 21:52:46 ID:vo9MF1UU0
文楽 観客下回り補助金減へ
01月27日 18時04分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140127/4591381.html 

伝統芸能、文楽への補助金について大阪市は今年度の観客数がおよそ10万1000人で、満額の 2900万円を支給する条件を下回ったことから730万円余り減額する方針です。
文楽への補助金について大阪市は今年度から三味線などの購入費に充てる1000万円とは別に人件費などの補助に充てる2900万円を観客数に応じて支給することにしていて満額の支給には年間 10万5000人以上の観客数を条件にしています。
こうした中、今年度最後の文楽の公演「初春公演」がきのうまで行われ国立文楽劇場によりますと期間中の観客数はこれまでで最も多いおよそ2万6000人でしたが今年度の観客数はあわせて10万1200人でした。
このため大阪市は満額を支給する条件を4000人近く下回ったことから今年度の補助金を減額する方針で、きょう大阪府と共同で設けている文化事業を検証するための有識者会議で報告しました。
この中で大阪市は10万5000人を下回った人数1人につき  1930円ずつ減額する仕組みになっているとして今年度は730万円余りを減額したおよそ   2100万円を支給する見込みだと報告しました。
そのうえで会議では「文楽は『大阪の宝』であり宝を磨き継承することは国、大阪府、大阪市共通の責任であり文楽協会も振興の拡大に努めている」として補助金の支給を続けることが適当だという認識で一致しました。
大阪市の橋下市長は記者団に対し「観客数が10万人を超えるの
はかなり高いハードルだったと思うが技芸員も文楽協会もよく頑張ってくれたしやればできることが実証された。ただ残念だが補助金は当初決めたとおり減額になる。技芸員や文楽協会には今回、成功を導いたプロセスをもう一度、検証して目標達成に何が必要なのかを検証してもらいたい」と述べました。そのうえで来年度も観客数に応じて補助金を支給する仕組みを続ける考えを示しました。
文楽を運営する「文楽協会」の三田進一「決まりなので仕方が無い。協会の退職者を補充しないなど支出をおさえてきたので今回はしのげると思う。しかし来年度も同じ仕組みを適用されるのは厳しい。大阪市には上方の伝統芸能・文楽を守るという意識を持ってほしい」と訴えました。
一方で三田事務局長は今年度の観客数が10万人を超えたことについて「文楽を守ろうと多くの人が訪れてくれた結果であり、感謝している」と話しました。
また大阪市の橋下市長が国立文楽劇場が公演の演目を決めていることなど今の仕組みが問題だとして技芸員と文楽協会は仕組みを変えるよう働きかけるべきだという考えを示したことについて「劇場のメニューはあくまで劇場が決めるべきで我々が口を出す話ではない」と話しました。
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1682よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/27(月) 22:25:50 ID:vo9MF1UU0
文楽人形遣い、初の4代目が誕生 岩田悠甫さん「芸を継承していきたい」
2014.1.27 00:15
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140127/wlf14012700190000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140127/wlf14012700190000-n2.htm

 長い歴史を誇る文楽に初めて人形遣いの4代目が誕生した。古典芸能では珍しく家柄や門閥に関係ない実力主義の世界だが、曽祖父から続く文楽人形遣いの家に生まれた高校3年、岩田悠甫(ゆうすけ)さん(17)が昨秋、父、吉田一輔(いちすけ)さん(44)の師匠である吉田簑助さん(80)に入門。補助金削減問題など厳しい話題の続く文楽界の未来を明るく照らしそうだ。

 岩田家は代々、文楽人形遣いを輩出してきた。曽祖父・桐竹亀松さん、祖父・桐竹一暢(いっちょう)さんは女方の人形遣いとして活躍。一輔さんも「咲くやこの花賞」(平成21年度)を受賞するなど次代を担う人形遣いとして期待されている。

 悠甫さんにとって、文楽人形は身近で、義太夫節は子守唄代わりだったが、7歳のときに一暢さんが亡くなり、祖父の生の舞台もほとんど覚えていない。「でも父の舞台はよく見ていました。その姿はすごく格好良く、僕も将来やってみたいと思っていました」

 野球少年だったが、ひじを故障。プロ野球選手の夢を断念したとき、人形遣いへの夢が再び浮上。だが、一輔さんは「やめとけ」。人形遣いの修業は「足(遣い)十年、左(遣い)十年」といわれるように長く厳しい。さらに文楽界を揺るがす補助金問題もあり、一輔さんは「文楽がどうなるかわからない。息子を入れていいものか悩んだ」。

 江戸期以来、350年続く文楽。入門するには師匠に直接願い出て研究生になる方法と、国立劇場が行っている研修生制度がある。二世や三世もいるが、“御曹司”が代々名跡を襲名する歌舞伎などとは違い、一般家庭から入ってきた技芸員と同じ待遇。特別待遇がなく、経済的な厳しさがあることも文楽を代々継承していく家が少ない一因である。

 の文楽界では三味線の鶴澤藤蔵さんが4代目だが、父で人間国宝の竹本源大夫さんは太夫、祖父は三味線、曽祖父は太夫と、太夫、三味線を交互に輩出したかたちだ。

 現在、悠甫さんは見習いの研究生。授業のある日は放課後、休日は朝9時半に楽屋入りし、師匠や兄弟子の鏡台を磨き、楽屋の掃除。着物を畳んだり小道具を運んだり、空いた時間は舞台袖から舞台を見る。

 芸名はまだないが、高校卒業後の3月から人形遣いの卵として本格的修業が始まる。「不安はありますが文楽の芸を継承していきたい」と目を輝かせている。

1683よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/29(水) 22:55:44 ID:hdbLGMLE0
石垣発掘、チョコでPR…「なにわの夢募金」応援
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140129-OYO1T00251.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、大阪市は28日、「募金応援事業」の第1号として、吉本興業の関連会社「KO・KO・MOよしもと」の菓子「太閤石垣クランチ」を選んだと発表した。

 石垣の石をイメージしたホワイトチョコレート菓子で、14個入り560円(税別)。パッケージには、石垣公開プロジェクトの概要や募金ホームページのアドレス(http://www.toyotomi‐ishigaki.com/)も記している。31日から、なんばグランド花月(大阪市中央区)2階の「よしもと おみやげもん横丁」で販売する。

 太閤なにわの夢募金は、市と読売新聞大阪本社が共同で実施。現在、大坂夏の陣(1615年)で落城した豊臣時代の石垣の発掘を進めており、集まった募金は2015年完成を目指す公開施設の整備に充てる。

 応援事業は、募金協力への機運を高めようと、商店街や企業を対象に募集。募金の問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2014年1月29日 読売新聞)

1684よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/29(水) 23:13:03 ID:hdbLGMLE0
歌舞伎の人間国宝、坂田藤十郎さんが曽根崎心中「お初」から“引退” 通算1300回の当たり役、今年4月歌舞伎座で 
2014.1.28 13:11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140128/wlf14012813140015-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140128/wlf14012813140015-n2.htm

 歌舞伎の人間国宝で第20回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)受賞者の坂田藤十郎さん(82)が、代名詞ともいえる上方歌舞伎「曽根崎心中」のヒロインお初を、4月の東京・歌舞伎座の公演で“引退”する。昭和28年から60年余りにわたり、ほぼ一人で演じてきた当たり役は、演じ納めとなる4月26日の千秋楽で通算1351回。惜しまれながら歌舞伎座新築開場1周年の晴れ舞台で区切りを打つことになった。(亀岡典子)

 お初と徳兵衛の悲恋を描いた「曽根崎心中」は近松門左衛門の心中物の代表作だが、江戸時代以来、長く上演が途絶えてきた。だが、昭和28年8月、東京・新橋演舞場で宇野信夫さんの脚本、藤十郎さん(当時、二代目中村扇雀)のお初、藤十郎さんの父の二代目中村鴈治郎さんの徳兵衛で、歌舞伎で復活初演。社会的現象となるほど人気を集め、“扇雀ブーム”を巻き起こした。

 藤十郎さんは「お初に出会ったことで私の人生は変わった。運命ですね」と振り返る。以来、藤十郎さん以外にお初を演じたのは、次男の三代目中村扇雀さん(53)と孫の中村壱太郎(かずたろう)さん(23)だけ。平成17年11月の四代目坂田藤十郎襲名の際にもお初を勤めたほか、イギリス、ロシア、アメリカなどでも上演された。

 「演じるたびにお初の人生を生きてきた。4月は初演のときのような気持ちで、お初さんに感謝しながら演じたい」と話す藤十郎さん。初日を迎えるまでに、「お初天神」として知られる大阪・キタの露天(つゆのてん)神社にあるお初像に、報告に行く予定だという。

 日本文学研究者で米コロンビア大名誉教授、ドナルド・キーン氏の話「初めて藤十郎さんの『曽根崎心中』を見たのは、昭和28年12月の京都・南座。私が日本に留学した年でした。歌舞伎の女形の中でもこの世のものでないような美しさで、自分の目を信じられないほどでした。その後、『曽根崎心中』は文楽でも復活上演され、現在の日本の伝統芸能に大きな影響を与えたと思います」

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1688よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/02(日) 16:30:11 ID:PCWuEzFY0
「お多福のくぐり門」お目見え 市軸稲荷神社
2014年2月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140201/20140201052.html

 2月3日の節分を前に、お多福大神などを祭る市軸稲荷(いなり)神社(大阪府豊中市刀根山2丁目、寸田敦男宮司)に1月29日、その下をくぐると願い事がかなうとされる「お多福のくぐり門」がお目見えした。参拝者は福を授かるようにとお多福像を参拝した後、お多福のふくよかな笑顔をかたどった門をくぐっていた。くぐり門は3日まで。

 同神社では、ご神体であるお多福像にちなんで1955年ごろから毎年、節分の時期に鳥居の前にお多福の門を設置している。門は、高さ約3メートル、幅約2メートルの板に、お多福のふくよかな笑顔が描かれている。口の部分に約1・2メートル四方の観音開きの扉が設けられており、その左右に大根が15本ずつ束ねてつるされている。

 訪れた人は、この扉をくぐって境内に入り、短冊に名前や年齢などを書いてかんざしに結ぶ。そのかんざしを頭に挿して願いを思い浮かべ「頭いた」と3回唱えながら、お多福像を参拝。帰る時に門をくぐって外へ出て、大根にかんざしを挿して奉納する。

 子どもと一緒に訪れていた中村小弓さん(39)は「毎年恒例になっているので、ことしも節分の時期が来たと感じる。ことしは主人が前厄なので、あまり悪いことが起きないようにとお願いした」と話していた。

1689よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/03(月) 22:15:07 ID:HJeo./X60
杏さん財前さんが豆まき
02月03日 14時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140203/4715881.html 

節分のきょうNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」のヒロインを演じる杏さんらが寝屋川市の成田山不動尊で豆まきをしました。寝屋川市の成田山不動尊に設けられた舞台にはNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」でヒロインの西門め以子役を演じる杏さんや、母親役の財前直見さん、長女役の松浦雅さんらが登場しました。
杏さんたちは縦・横およそ1メートル50センチ、高さが80センチもある特大の升から両手で豆をすくい舞台の上からまいていました。
境内にまつられている不動明王の前では鬼も改心するということから「鬼は外」ではなく「福は内、福は内」と声をかけ境内を埋め尽くした人たちは福をつかみとろうと紙袋などを広げて懸命に豆を集めていました。
豆まきを終えた杏さんは「いろんな人に福を分けられるような自分でありたいです。ドラマの撮影も失速することなく駆け抜けて全力でがんばりたい」と話していました。
また財前直見さんは「3世代そろって豆まきができておめでたいことだと思いました」と話していました。
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1690よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/04(火) 05:27:28 ID:KQ3kBsB20
「お化け」キタを練り歩き お水汲み祭り
2014.2.3 21:07
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140203/waf14020321100040-n1.htm

 大阪・キタの歓楽街北新地や堂島薬師堂で、節分の3日、早春の風物詩「節分お水汲み祭り」があり、飲食店従業員らが「お化け」と呼ばれる仮装をして街を練り歩いた。

 堂島薬師堂では、商売繁盛や1年の厄払いを願って、奈良・薬師寺で祈願を受けた「お香水」をくむ参拝客が相次いだ。

 北新地には節分の夜に鬼をやり過ごすために女性たちが仮装する花街の風習が伝わる。活性化に向け、祭りが平成16年に現在の形になって11回目。

1691よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/04(火) 22:16:53 ID:NnhhKoe20
文楽人形遣いの吉田玉女さん、来春に二代吉田玉男を襲名
2014.2.4 17:13
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140204/wlf14020417160013-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女(たまめ)さん(60)が来年4月、師匠で人間国宝だった吉田玉男さんの名跡を継ぎ、二代吉田玉男を襲名することが決まった。4日、文楽協会などが発表した。

 「吉田玉男」の名跡が復活するのは平成18年9月に玉男さんが亡くなって以来、9年ぶりとなる。襲名披露公演は来年4月に国立文楽劇場(大阪)で、同5月には国立劇場小劇場(東京)で行われる。演目は未定。

 初代玉男さんは知的で品格の高い芸で、戦後を代表する立役(男役)の人形遣いとして活躍。「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の大星由良助(おおぼしゆらのすけ)、「曽根崎心中」の徳兵衛など、時代物から世話物まで幅広い役どころを勤めた。昭和52年に人間国宝に認定されたほか、平成12年には文化功労者に。その後も87歳で亡くなるまで舞台に立ち続け、多くのファンを魅了した。

 玉女さんは、昭和43年に入門した玉男さんの一番弟子。立役を中心に修業を積み、若いころから次代のホープとして注目されてきた。近年は由良助をはじめ、師匠の当たり役を次々と継承。特に骨太の時代物の主役の武将などを得意とし、存在感を見せている。平成24年、伝統文化ポーラ賞優秀賞を受賞。

 玉女さんは「偉大な師匠の名跡を継がせていただくことに、とまどいもありますが、師匠に少しでも近づけるよう頑張っていきたい。厳しい話題の多い文楽ですが、襲名を通して盛り上げていければと思っています」と抱負を語った。

1692よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/05(水) 23:14:19 ID:I6iCzs6o0
「ニサンザイ古墳」の後円部直径 10メートル超の“拡大”…全長300メートル超の可能性も
2014.2.5 22:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140205/wlf14020522540026-n1.htm

 宮内庁が陵墓参考地として管理する国内8番目の大きさの前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、堺市北区)の後円部の直径が、これまでの測量値より10メートル以上大きい約170メートルになることが分かり5日、堺市文化財課が発表した。今後の調査によっては全長も測量値の290メートルを超え、300メートル以上の結果が得られる可能性もあるという。

 調査では、墳丘の中心線から90度の位置にある後円部北側の周濠を発掘。周濠内の墳丘の端が確認され、直径を推定した。ニサンザイ古墳の後円部直径は、大正15年の測量で156メートルとされていた。

 また、墳丘の斜面には、約20〜30センチ大の葺(ふ)き石がまばらな状態で見つかった。市文化財課は「畿内の大型古墳では葺き石は6世紀ごろの築造になるとまばらになっており、『簡素化』が5世紀後半まで遡(さかのぼ)ることが伺える」としている。

1693よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/10(月) 00:39:50 ID:UhtU84TQ0
ニサンザイ古墳 後円部直径170メートルと確認
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140206-OYT8T00034.htm

.◇堺市、「定説」より14メートル大きく

 堺市の前方後円墳・ニサンザイ古墳(5世紀後半)について市は5日、後円部が直径約170メートルだったと発表した。濠(ほり)の水を抜いて行った調査で、長らく信じられてきた規模より、約14メートル長いことがわかったという。

 世界文化遺産の登録を目指している「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に含まれる古墳。皇族が埋葬されている可能性があるとされる。市が昨年12月から後円部北側で濠の水を抜き、ヘドロを取り除いたところ、従来の規模を上回る墳丘の裾部分が確認された。

 これまで後円部の直径は、当時の宮内省が1926年に行った測量で、約156メートルとされていた。

 同古墳については2012年11月、国内8番目の約290メートルとされてきた全長が、300メートル以上とみられることがわかっている。

 今回の調査では、墳丘の葺石(ふきいし)がまばらに敷かれていることも確認。市は「古墳築造のピークが過ぎ、葺石の敷き方が簡素化されたのではないか」とみている。

 後円部の正確な直径が判明したことについて、奈良県立橿原考古学研究所の宮川?(すすむ)・共同研究員は「古墳の正確な大きさがわかることで、当時の周辺王族との力関係をみる参考となる」と話す。

(2014年2月6日 読売新聞)

1694よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/11(火) 21:08:02 ID:I87QlkLc0
城東区の若宮八幡大神宮 75年ぶりに遷宮
2014年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140209/20140209025.html

 同宮は1939(昭和14)年に建てられ、周辺住民に親しまれながら地域を守り続けてきた。しかし老朽化に伴い雨漏りや白アリにむしばまれるなど、社殿の痛みがひどくなり、榊原宮司(50)が2008年4月から常駐して以降は修理の必要性に迫られていた。「いつかはやらなければいけない」と、時期をうかがいながら準備を進めていた。

 本格始動は昨年1月。準備委員会を発足させ、「少しずつ修理して10年後にまた修理というのではなく、やるからには思い切ってやりたい」という思いを氏子総代らと共有。約6千万円を投じて銅板の屋根をふき替えるなど「御社殿大修理」にこぎ着けた。

 遷座祭当日は榊原宮司がご神体を抱き、白い幕で囲って仮住まいとなる参集殿の床の間にしつらえた神座に遷す。2時間ほどの儀式となる予定で、榊原宮司も「宮司としても一生に一度あるかないかのご奉仕」と緊張を隠さない。同宮にとっても歴史の一ページとなる儀式で、「神様と息が合わないとできない」と一世一代の儀式に臨む。

 現在の屋根の銅板は青緑色のさびで覆われるなど歴史を誇り、貫禄を醸している。文献などが残っていないため、今の屋根の銅板に当時奉納した人の名前が刻まれているかは不明だが、今回、銅板は一口3千円から奉納可能で、名前を書いた銅板が御社殿の礎となり、歴史に名を刻むことができる。完成は9〜10月の秋口を見込む。

 「遷宮は地元の人たちにも関わってもらい、さらに地域に根差していきたい」と榊原宮司。地域のパワースポットとして「もっと親しんでもらえたら」と話していた。

 昨年は伊勢神宮(三重県)や出雲大社(島根県)でご神体を遷(うつ)す「式年遷宮」が執り行われ、パワースポットとして広い世代で脚光を浴びたが、大阪市城東区蒲生4丁目にある「若宮八幡大神宮」(榊原孝和宮司)でも、75年ぶりに遷宮が行われることになった。社殿の大修理に伴いご神体を移動させる儀式「仮殿遷座祭」が9日午後6時から執り行われる。

1697よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/16(日) 10:48:04 ID:o9q/qwS20
堺環濠都市遺跡で17世紀の羽子板など出土
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140214-OYT8T01637.htm

◇「豊かな暮らしうかがえる」

 堺市の堺環濠(かんごう)都市遺跡(堺区櫛屋町)で、安土桃山時代〜江戸初期(16世紀末〜17世紀初頭)とみられる羽子板(長さ39センチ)や下駄(げた)(同21・2センチ)などの遊具や生活用品が出土し、市が14日、発表した。発掘場所は当時の堺の東側に当たる町外れだが、瀬戸(愛知県)や唐津(佐賀県)で生産されたとみられる陶磁器片も見つかっており、市文化財課は「当時、堺で暮らした人々の豊かな生活ぶりがうかがえる」としている。

 市立殿馬場中学校の校舎改築工事に伴い、昨年12月から約800平方メートルを調査。溝(長さ10メートル、幅0・6〜1・2メートル、深さ0・3メートル)などから、羽子板のほか、水指や茶わん、箸、漆器片、陶磁器片などが見つかった。羽子板は同遺跡では2例目で、片面に朱色の顔料を塗ったような跡があった。いずれも、使用後に廃棄したと考えられる。

 堺環濠都市は、堺旧市街地に広がる中世後期の湾岸都市。貿易港として繁栄したが、大坂夏の陣(1615年)の戦火で壊滅、江戸時代に再建された。今回の出土品は壊滅前のものとみられる。市は発掘調査の工期に余裕がなく、現地説明会は行わないとしている。

(2014年2月15日 読売新聞)

1698よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/18(火) 22:22:29 ID:CzPdrf8A0
5世紀の甲冑ずらり…大阪大が「倭の五王」展
2014.2.18 16:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140218/wlf14021816520023-n1.htm

 5世紀の甲冑がずらり−。大阪府豊中市の大阪大総合学術博物館待兼山修学館で、保存修復処理が終わった野中古墳(大阪府藤井寺市)の鉄製甲冑などを展示する「野中古墳と『倭の五王』の時代」が開催されている。3月22日までの午前10時半〜午後5時。無料。日・祝日は休館。

 野中古墳は、世界遺産登録を目指す古市古墳群のほぼ中央にある5世紀の中型方墳で、1辺37メートル。昭和39年に大阪大が発掘、大量の鉄製品など出土し中国の歴史書に記された「倭の五王」が活躍した5世紀を代表する史料として評価されている。

 11セット見つかった甲冑のうち、三つは襟がつき、全国的にも珍しいタイプ。

 発掘後に甲冑は薬品が塗られて、光沢が出るなどの弊害があったが、今回の保存処理で出土当時の姿がよみがえった。

1699よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/23(日) 03:26:40 ID:bRoCc6rs0
金堂 南北11.84メートル、東西13.52メートル
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140218-OYT8T01514.htm

. ◇高宮廃寺跡 基壇を確認

 寝屋川市高宮の高宮廃寺跡(7世紀後半、国史跡)で金堂の「基壇」の一部と柱の礎石跡が出土し、市教委が18日、発表した。1979年に同廃寺の伽藍(がらん)の位置などを確認して以来、35年ぶりの発掘調査で、これまで不明だった金堂の正確な規模が確認された。

 今回の発掘調査は、同廃寺跡を整備、活用することを目的に、今年度から16年度までの予定で実施する。

 今回、新たに出土したのは金堂北東角の基壇と西側の柱の礎石跡。基壇はこれまで南西、南東角でも確認されており、今回の発見で大きさが南北11・84メートル、東西13・52メートルと確定した。礎石跡は建物西側の2か所で確認された。

 現地説明会は23日午後1時半から。問い合わせは市文化スポーツ振興課(072・824・1181)へ。

(2014年2月19日 読売新聞)

1700よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/23(日) 15:42:47 ID:dAQqKbvo0
地下ホールに豊臣期の石垣…大阪城16年公開へ
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140222-OYO1T00255.htm?from=newslist

 豊臣秀吉時代の大坂城の石垣を公開する事業で、大阪市は21日、現大阪城(大阪市中央区)の本丸内に整備する公開施設の概要を発表した。大坂夏の陣から400年となる2015年に着工、16年の完成を目指す。事業費の一部には、市と読売新聞大阪本社が共同で進めている「太閤(たいこう)なにわの夢募金」を充てる

 豊臣期の石垣は本丸の地下に埋もれており、現在発掘調査が進んでいる。

 施設は地上、地下の2層。石垣を展示する地下階のホールでは豊臣期の地層(深さ7メートル)から高さ6メートルの石垣を間近で見上げ、触ることもできる。石垣に連なる形で豊臣期の天守閣のイメージ映像も投影し、壮大なスケールをよみがえらせる。

 一方、出入り口のある地上階のガイダンスルームでは、豊臣、徳川両時代の大坂城の模型やパネルのほか、太閤なにわの夢募金の100万円以上の寄付者の記念芳名板、10万円以上の氏名板などを展示する。

 豊臣期の初代大坂城は夏の陣(1615年)で落城。徳川幕府がその上に2代目大坂城を再建し、現在の石垣はこの時に築いた。

 一方、地中に埋もれた豊臣期の石垣は、自然石を加工せずに積み上げる「野面積(のづらづ)み」と呼ばれる工法で築かれており、これまで、公開施設の場所を含め、数か所で見つかっている。

 太閤なにわの夢募金の目標額は5億円で、1月末現在で約2300件、計約7600万円が寄せられている。個人の場合は「ふるさと納税」の対象となり、所得税、住民税の控除を受けられる。また1万円以上の寄付者には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」の贈呈もある。

 大阪市の担当者は「多くの方の支援を得て、秀吉と大坂城の激動の歴史物語を肌で感じてもらえる施設にしたい」としている。問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2014年2月22日 読売新聞)

1702よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/24(月) 23:15:19 ID:u7lBKGbE0
前期難波宮の造営は7世紀前半、「年輪セルロース酸素同位体比法」で確定 日本書記と一致 地球研・文化財センター公表
2014.2.24 21:26
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140224/wlf14022421280022-n1.htm


 前期難波宮跡(大阪市中央区)から出土した柱2本の伐採時期が7世紀前半だったことが、新たに開発された年輪セルロース酸素同位体比の年代測定法よって分かり24日、大阪府文化財センターが公表した。日本書紀に記された難波宮の造営時期とほぼ一致した。この測定法による世界初の実証例で、歴史資料の年代決定に大きな進展をもたらす可能性がある。

 前期難波宮は、大化改新につながる「乙巳(いっし)の変」(645年)を機に飛鳥から遷都し、652年に完成した。柱は平成16年、大阪府警本部の新築の際に出土した。直径約30センチのコウヤマキで、宮域の北限を東西に延びる塀を支えていた。

 年代を確定できる遺物が乏しく、同センターは当初、気候によって変動する年輪幅から木材の伐採年代を求める「年輪年代法」の適用を目指した。紫香楽宮(しがらきのみや)(滋賀県甲賀市)や池上曽根(いけがみそね)遺跡(大阪府和泉市)の造営年代を確定させた手法だが、測定可能な樹種がスギやヒノキなどに限られ、一定の樹齢以下のコウヤマキでは困難だった。

 ところが近年、総合地球環境学研究所(京都市北区)の中塚武教授が、木材の主要成分であるセルロースに含まれる3種類の酸素の「同位体比」値を年輪ごとに測定できる年輪判定法を開発。2本の柱で試みたところ、最も外側に残る年輪はそれぞれ583年、612年と確定した。

 伐採年が分かる樹皮部分は残っていなかったが、612年の方は年輪の形状から樹皮近くまで残っていると判断、2本とも612年から間もない時期に伐採されたとみられるという。

 同センターの江浦洋事務局次長は「前期難波宮の造営の時期を決める科学的データを得られた意義は大きい。応用範囲も広く、古代史の謎が解き明かされる夢がある」と話している。

難波宮

 大阪・上町台地上に造営された古代の都宮。「乙巳の変」(645年)後の難波長柄豊碕宮(なおがらとよさきのみや)を前期難波宮といい、のち天武天皇も副都とした。これに対し、聖武天皇が神亀3(726)年に造り始めたのが、後期難波宮。2つの宮跡は重なり、考古学者の山根徳太郎氏によって遺構が確認された。近くからは西暦648年をあらわず「戊申(ぼしん)年」銘の木簡も出土している。

年輪セルロース酸素同位体比法

 酸素原子には重量の異なる3種類の「安定同位体」がある。木材のセルロース(繊維)中の酸素同位体の比率は樹木が育った時期の気候が好天だと重い原子、雨が多いと軽い原子の比率が高まる。酸素同位体比は樹木の枯死後も変わらず、年輪ごとの比率を調べれば過去の気候変動パターンが分かる。これを、あらかじめ年代が判明している気温の変動パターンと照合し、伐採年代を1年単位で確定できる。

1703よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/24(月) 23:34:07 ID:u7lBKGbE0
扇子手に軽やか 大阪天満宮にすずめ踊り奉納
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140224-OYT8T00011.htm

 約400年前に堺の石工たちが始めたと伝わる「すずめ踊り」が23日、大阪市北区の大阪天満宮で奉納された。参拝客が集まる本殿前で、法被姿で扇子を手にした踊り手や太鼓、笛など「堺すずめ踊り連盟」(堺市堺区)の会員約40人が、扇子を広げて跳びはねる軽やかな踊りを披露した。

 1603年、青葉城(仙台市)の築城を祝う宴席で、石垣工事に従事した堺の石工たちが、藩主の伊達政宗に即興で披露したのが起源とされる。跳ね踊る姿がすずめに似ており、仙台の伝統芸能として引き継がれてきた。

 同連盟は約10年前に堺で踊りを復活させ、本場の「仙台・青葉まつり」で披露。天神祭の船渡御を迎える船に飾られる「お迎え人形」の中に「すずめ踊り」がある縁で、同天満宮でも2年前から奉納している。

 同連盟の松村進一会長(31)は「東日本大震災の復興を願い、様々な行事で踊っていきたい」と話した。

(2014年2月24日 読売新聞)

1707よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/07(金) 21:17:27 ID:hhmlCOPQ0
太閤の石垣、ファン熱視線…大阪城で公開始まる
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140307-OYO1T00742.htm

 国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)の地下から発掘された豊臣期大坂城の石垣の一般公開が7日始まり、多くの歴史ファンでにぎわった。9日まで。

 石垣は1984年の水道管の取り換え工事に伴って発見。調査後いったん埋め戻されたが、2016年に公開施設をつくるため、30年ぶりに発掘された。

 この日は、午前10時の公開開始と同時に約60人が集まり、その後も大勢の人たちが訪れた。大阪文化財研究所の担当者から「野面積(のづらづ)み」という技法が用いられていることなどについて説明を受けた後、熱心に見入り、写真を撮っていた。

 大阪市住之江区の会社員鎌田英雄さん(57)は「大坂夏の陣の頃と同じ風景を目の当たりにして感動した。公開施設の完成が楽しみ」と話していた。

           ◇

 読売新聞大阪本社は公開施設の資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」を、市と共同で実施している。問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

(2014年3月7日 読売新聞)

1708よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/09(日) 13:29:05 ID:IrwYCgVQ0
金熊寺で梅林見ごろ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140309-OYT8T00074.htm

 白梅を中心に約2000本が植えられ「大阪みどりの百選」に選ばれている泉南市の金熊寺(きんゆうじ)梅林で、梅が見頃を迎えた。訪れた人は、山あいを埋め尽くす白や桃色の花が風に揺れている間を散策したり、写真撮影をしたりと楽しんでいる。

 約270年前から栽培される白梅を中心に、段々畑に連なるように植えられている梅林。周辺住民が組合を作り遊歩道を整備したり、交配をして種類を増やしたりして、管理している。

 今年は冬の冷え込みが厳しく平年より1週間程度開花が遅れたが、金熊寺梅林組合の福本寛組合長(79)によると9日頃に満開になるといい、「満開後も1週間は楽しめる。ぜひ、足を運んで」と話している。問い合わせなどは市産業観光課(072・483・8191)へ。

(2014年3月9日 読売新聞)

1709よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/09(日) 16:49:56 ID:6nt42Sw60
秘仏も開帳、地域と信仰再生へ 「十六羅漢祭」のにぎわい取り戻せ 大阪・貝塚
2014.3.8 15:25
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140308/wlf14030812480018-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140308/wlf14030812480018-n2.htm

 白鳳時代(645〜710年)の開基とされる吉祥園寺(きっしょうえんじ)(真言宗御室派)がある大阪府貝塚市王子地区の住民が、寺に伝わる秘仏「十六羅漢(らかん)画像」を開帳する春祭り「十六羅漢祭」のにぎわいを取り戻そうと、初めての“例大祭”を今月16日に開催することになった。住民の高齢化などで担い手が減少するのに伴って年々規模を縮小せざるを得なかったが、「このままでは廃れてしまう」と、地域と寺が協力して立ち上がった。

 矢野寛耕住職(56)によると、十六羅漢画像は吉祥園寺に伝わる掛け軸の秘仏で、室町中期の画僧・兆殿司(ちょう・でんす)の筆とされる。大和絵系と呼ばれる技法で描かれており、現存する羅漢図では国内で2番目に古いうえ、16幅がそろっているのは全国的にも珍しく、市の文化財にも指定されている。

 地元の口伝などでは、秘仏を開帳する羅漢祭の始まりは1500年代後半の安土桃山時代。その後、五穀豊穣(ほうじょう)を祈念する祭りになったが、江戸末期に中止したところその年泉州地域に疫病がはやり大飢饉(ききん)が起こったことから翌年復活。以降は無病息災なども祈願して実施されてきた。

 地元住民によると「戦前までは泉州一円から人が集まり、縁日の店もずらりと並ぶ盛大さで、『春の羅漢さん、秋のだんじり』と言われた」という。

 吉祥園寺は長らく無住寺だったため、地元住民が「十六羅漢講」という団体をつくって寺を支えてきたが、近年は若者の地元離れなどもあって担い手が減少。ここ十数年は、一部の住民が参加して法要を営む程度になっていた。

 今年は、もともと人気の高い恒例行事だった福引を復活。特別祈?(厄よけ、交通安全など)や願い事などを書いたのぼり奉納なども実施する。さらに地元のイベントともリンクし、貝塚市のゆるキャラ「つげさん」も参加し、グッズの販売をするなどお年寄りから子供までが楽しめる祭りにするという。

 矢野住職は「数百年も続いた行事を途絶えさせるわけにはいかないという地域の熱い思いが伝わってきました。これから手を取り合って、十六羅漢祭を盛り上げていきたい」と話している。問い合わせは吉祥園寺((電)072・423・1654)。

(藤浦淳)

      ◇

十六羅漢 仏教用語で聖者を意味する阿羅漢(あらかん、羅漢)のうち、仏法を守り、衆生(しゅじょう)を正しく導くことを誓った釈迦の16人の弟子(カナカバッサ、スピンダなど)をさす。仏像や石仏、絵画などとして全国各地に存在し、信仰を集めたり観光名所となったりしている。

1710よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/13(木) 22:04:14 ID:dy5AzadQ0
大阪の模擬原爆被害知って
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140311-OYT8T00046.htm

◇大空襲「語る会」久保さん 証言集を復刊

 1945年の広島・長崎への原爆投下直前、米軍が「訓練」として投下した模擬原爆で被害を受けた大阪市東住吉区田辺の住民たちの証言集が、戦争体験者の手で復刊された。初版は約20年前に出版されたが、その後、散逸して1冊しか残っておらず、失われつつある模擬原爆の記憶を後世に伝えたいと再編集した。(南部さやか)

 復刊したのは、「大阪大空襲の体験を語る会」代表の久保三也子さん(84)(大阪市福島区)で、自らも45年3月の大阪大空襲を経験している。

 模擬原爆は、B29爆撃機が投下後の衝撃に巻き込まれずに飛行するための訓練用として、実物と同じ重さ(5トン)で製造、火薬が詰め込まれた。45年7〜8月には全国約30都市の工場などを標的に、計50発が使用され、東住吉区田辺では7月26日午前9時26分、投下された。

 大阪市が戦後作成した資料によると、この時の爆撃の被害は死者7人、重軽傷者73人、被災家屋486戸にのぼったという。

 模擬原爆の存在は、91年に「春日井の戦争を記録する会」(愛知県)が、国立国会図書館(東京都)で米軍の資料を調査して明らかになった。当時、久保さんら、語る会のメンバー5人も田辺地区で体験者を捜し求め、2年がかりで23人分(男性15人、女性8人)の証言を集めて、93年に1000部を出版した。

 〈なんの予告もなく、ザーという落下音とともにすさまじい地響きがして、家の窓ガラスが音を立てて粉々に割れた〉〈直爆した料亭は跡形もなく、付近の家もつぶれ、大きな穴があいていた〉〈真黒な砂煙で夜のように暗くなった〉

 〈あちこちで、血で黒く染まった人が歩いていた〉〈人々が「新型爆弾や」と騒いでいた〉。体験者の証言はいずれも悲惨な状況を生々しく語っていた。

 しかし、その初版も、持っていた人が亡くなって廃棄されたり、散逸したりし、久保さんの手元にも1冊しか残っていない。証言した人の多くも亡くなり、調査をしたメンバーも久保さん以外は他界している。

 久保さんが復刊を思い立ったのは、「模擬原爆を知りたい」という研究者や教育関係者らが最近増えたことがきっかけだ。残った1冊をもとに今回、全国各地で50発を投下した米軍の訓練記録の一覧を追加して再編集し、300部(A5判、35ページ)を出版した。

 久保さんは「証言者が高齢化で少なくなる中、改めて模擬原爆の事実を知ってほしい」と話し、今後、ピースおおさか(大阪国際平和センター)などに寄贈する予定。一部は、希望者にも提供するという。

 模擬原爆を確認した「春日井の戦争を記録する会」のメンバーで元中学教諭の金子力さん(63)は「模擬原爆の被害があったことは、広くは知られていない。正確な投下場所や被害人数も分からない点があり、実際に見た住民の証言は非常に貴重だ」と話している。

(2014年3月11日 読売新聞)

1711よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/13(木) 22:33:24 ID:dy5AzadQ0
大阪大空襲から69年 当時の生徒ら出席し“幻の卒業式”
2014.3.13 21:46
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140313/wlf14031321510041-n1.htm

 大阪大空襲から69年となる13日、大阪市中央区の大阪国際平和センター(ピースおおさか)で、当時の国民学校の生徒を対象とした“幻の卒業式”が行われた。第1回大空襲は昭和20年3月13日深夜から14日未明にかけて。14日は同市内の多くの国民学校で卒業式が予定されていたが、空襲直後で開催できなかった。

 この日は、当時の国民学校の生徒で卒業式を迎えるはずだった3人が出席。同館の岡田重信館長が、当時の国民服姿で卒業証書を手渡した。

 桜川国民学校(浪速区)に在籍していた大阪府岸和田市の田中(旧姓・川本)芳子さん(81)は、証書を受け取り「当時のことを思い出しました」と感極まった様子。空襲時は近所の子供たちと学校に逃げ込んで難を逃れたという。「学校を休んだことがなく皆勤賞だったので、卒業式が迎えられなかったことが心残りだった。ほっとした」と話してた。

1712よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/14(金) 19:27:17 ID:vLSSQSuA0
常光寺本堂など 市文化財に指定 八尾市教委 大阪
2014.3.13 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140313/osk14031302020003-n1.htm

 八尾市教育委員会は、常光寺(同市本町)の「本堂・阿弥陀堂・行者堂」と、薗光寺(おんこうじ)(同市水越)所有の「木造 阿弥陀如来立像」を市文化財に指定した。

 常光寺は、府内でも珍しい臨済宗南禅寺派の寺院。また河内音頭発祥の地とされ、流し節正調河内音頭が披露される地蔵盆踊りや大般若絵(だいはんにゃえ)、狂言「八尾」でも知られる。

 薗光寺の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代に多く制作された「三尺阿弥陀像」。西方極楽浄土から迎えに来るときの印を結び、右足をわずかに前に踏み出し、やや前傾して蓮花座上に立っているのが特徴だ。

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1713よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/16(日) 17:08:00 ID:yTpqvOJs0
生駒山に春の訪れ 東大阪で戸開式
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140316-OYT8T00030.htm

 修験道場として知られる東大阪市東豊浦町の髪切山(ごぎりさん)慈光寺(槙尾実英住職)で15日、生駒山に春の到来を告げる儀式「戸開(とあけ)式」が行われ、約100人が山の安全や無病息災を祈った。

 同寺は修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、約1300年前に開いたとされる。役行者が生駒山中で悪行を繰り返していた鬼を捕らえて髪を切り、改心させて家来にしたという言い伝えから「髪切」の名がついたという。

 槙尾住職から役行者をまつるお堂の鍵を受け取った鍵役が、鬼にふんした山伏らと石段を上って扉を開け、柴灯(さいとう)護摩も行われた。

 同市立花町、主婦森本美砂子さん(69)は「ウグイスの鳴き声が聞こえ、春の足音を感じた。健康に過ごせるように祈りました」と話していた。

(2014年3月16日 読売新聞)

1714よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/16(日) 17:50:21 ID:yTpqvOJs0
礼儀正しく「仕舞」体験 豊中不動尊能舞台で「こども教室」 大阪
2014.3.16 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140316/osk14031602020000-n1.htm

 子供たちに伝統芸能・能楽の「仕舞」体験を通して、日本文化のすばらしさを感じてもらう「能楽・仕舞(しまい)こども教室」が15日、豊中市緑丘の豊中不動尊能舞台で開かれた。

 文化庁の「文化遺産を活かした地域活性化事業」の一環として、豊中こども能楽塾(山本博通代表=観世流シテ方)が開催した。

 仕舞は、能の演目の一部を面、衣装をつけず紋付袴(はかま)や着物で舞う。伴奏は地謡(じうたい)のみで、簡略化された能のエッセンスを楽しめる。

 教室には小学生ら29人が参加し、今年1月から8回にわたり、仕舞の基本的な舞い方や謡いの発声方法を、能楽師らの指導で稽古してきた。

 最終回のこの日は、稽古の成果を披露する発表会形式で行われた。

 着物に着替えた子供たちは、神妙な表情で能舞台に立ち、ひとり約1分間、春の到来や長寿を祝う「老松(おいまつ)」などを元気な謡いとともに熱演した。

 保護者らは「伝統文化に触れ、正座ができるようになるなど礼儀正しくなった」と喜んでいた。

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1715よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/19(水) 05:42:34 ID:xlhhN.wA0
「郷墓」の変遷明らかに 八尾・神宮寺墓地
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140318-OYT8T00051.htm

◇市教委が報告書、中・近世の石造物多数

八尾市の神宮寺墓地(来迎=らいごう=寺共同墓地)にある石仏や石塔などの石造物を市教委が調査し、報告書にまとめた。同墓地の中央部は複数の旧村(江戸時代の村、現在の大字)の人々が葬られた「郷墓(ごうばか)(惣墓=そうばか=)」で、鎌倉時代前期の五輪塔を始め、中世から近世の石造物が数多く残されていた。府内で郷墓の全体的な調査が行われるのは初めてで、市教委は「墓地も貴重な歴史遺産だと明らかになった」としている。

 同墓地は、奈良時代の高僧・行基が造ったとされる共同墓地「河内七墓」の一つで、八尾、柏原両市にまたがる。今回、古い石造物が多く残る八尾市側について、2010年度から3年計画で調査した。結果、石塔などの総数は約5500基で、明治時代以前のものは約1700基と判明。約150基に造立された年号が刻まれ、鎌倉時代前期〜江戸時代の石塔類の構成や時期的な変遷が明らかになった。

 市教委文化財課は「身近な文化財である石塔や石仏が、地域の信仰や歴史の解明に役立つことを知ってほしい」とし、河内七墓のうち市内にある垣内(かいち)、神立(こうだち)、植松の3か所についても今後、調査、報告する。

 白石太一郎・府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は「近年の生活様式の変化によって、中近世以来の姿をとどめる墓地は大きく変貌しつつあり、記録化が急がれる。非常に重要な取り組みだ」と評価している。

 報告書はA4判、158ページ。800円(税込み)。問い合わせは同課(072・924・8555)へ。

(2014年3月18日 読売新聞)

1716よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/21(金) 05:28:38 ID:s.Xz6LEo0
重文に府内5点 文化審議会答申
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140320-OYT8T00043.htm

◇取水施設「木樋」など、登録文化財は4か所

  国の文化審議会が文部科学相に行った答申で、現存する日本最古の人工ため池「狭山池」(大阪狭山市)から出土した取水施設「木樋(もくひ)」など府内の5点が重要文化財に選ばれた。

 狭山池は7世紀前半の築造とされ、これまで飛鳥時代の木製の通水路(全長約70メートル)などが見つかっている。中世に池を改修した僧・重源(ちょうげん)が作った石碑や、江戸時代の取水施設も同時に選ばれた。「日本の高度な土木技術が確認できる希少な資料」と評価された。

 ほかに、桃山時代の絵師・狩野永徳の弟・宗秀(そうしゅう)の代表作「紙本金地著色四季花鳥図(しほんきんじちゃくしょくしきかちょうず)」、7世紀末に中国で刊行された伝奇小説の現存最古の写本「遊仙窟(ゆうせんくつ) 残巻(ざんかん)」、安土桃山時代の医学書「啓迪集(けいてきしゅう) 自筆本」、鎌倉時代の追善供養の実態がうかがえる「後伏見院庁諷誦文(ごふしみいんのちょうふじゅもん)」の4点が選ばれた。

 また、外国人建築家が和の様式を採り入れて建設した「カトリック豊中教会」(豊中市)などの建造物4か所、25件は登録有形文化財に選ばれた。府内の重要文化財(美術工芸品)は571件、登録有形文化財(建造物)は215か所、583件となる予定。

(2014年3月20日 読売新聞)

1717よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 06:32:57 ID:J/y31gqo0
戦国武将の書状など84点  大阪城で企画展
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140322-OYT8T00009.htm

 豊臣秀吉の生きた安土桃山時代から豊臣家が滅びた大坂の陣までの古文書を集めた企画展「乱世からの手紙」が21日、大阪城天守閣(大阪市中央区)で始まった。戦国武将の書状や誓約書など、同天守閣が収蔵品などからえりすぐった84点を展示している。5月6日まで。

 上杉謙信は、永禄10年(1567年)に美濃国(現・岐阜県)を平定した織田信長に送った書状で「比類なき活躍、めでたい」とたたえている。後に敵対関係となるが、勢力を伸ばし始めた信長と良好な関係を築こうとした謙信側の思惑が読み取れる。

 また、秀吉が晩年の文禄2年(93年)に授かった我が子・秀頼の乳飲み子の頃に書いた私信には「先日は見送ってくれて満足」などとつづられ、幼子への愛情が伝わってくる。

 寝屋川市の会社員山内康さん(33)は「武将の心の内や当時の様子が想像できて楽しい」と話し、展示品に見入っていた。

 無休。入館料は一般600円、中学生以下無料。



 大阪城天守閣は桜の季節や大型連休など春の行楽シーズンに合わせ、開館時間(通常は午前9時〜午後5時)を延長する。

 4月6日までは2時間延長して午後7時まで、同26日〜5月6日は1時間延長して午後6時まで。問い合わせは同天守閣(06・6941・3044)へ。

(2014年3月22日 読売新聞)

1718よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:05:11 ID:l/NPVHr60
大阪の町名は「まち」読みが多い? 地名守った商人魂
2014/3/23 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXNASHD11024_S4A310C1AA1P00/

大阪に転勤して間もない頃、タクシーで「『あわじちょう』まで」と言うと、運転手は一瞬どこだか分からない様子。しばらくして「ああ、『あわじまち』ですね。お客さん、どこから来たんですか」。運転手いわく「大阪では『ちょう』ではなく『まち』と言うので、よそから来た人はすぐに分かります」とのこと。本当だろうか。

  大阪市営地下鉄・御堂筋線の淀屋橋駅あたりから南下すると「伏見町」「道修町」「平野町」……と「まち」と読む町名が並ぶ。「淡路町」は同じ漢字の町名が東京都千代田区にもあるが、こちらは「あわじちょう」。「安土町」は滋賀県近江八幡市では「あづちちょう」と読む。大阪以外の地域では「ちょう」と読むことが多いようだ。

 もちろん、大阪市内でも「宗右衛門町」のように「ちょう」と読む町名はある。大阪市の地図を調べてみると、市内に「町」の字が付く町名は約150あり、半数が「まち」読み。しかし中央区に限ると、45のうち35が「まち」と読むことが分かった。市の中心部に集中しているため、「大阪は『まち』が多い」という印象を与えているようだ。

 東京都内では原則、大手町など武家屋敷のあったところは「まち」、鍛冶町など町人が住んでいた地域は「ちょう」と区別されているという。では大阪はどうなのか。

 「大阪『地理・地名・地図』の謎」などの著書があるノンフィクション作家の谷川彰秀さんに聞くと、「大阪天満宮や四天王寺の周辺などに『まち』が多く見られるので、寺町が由来ではないか」という。確かに寺社の周辺に「まち」は多いが、「ちょう」も存在する。中央区は特段、寺社が多いわけでもなく、この説では説明しきれない。

1719よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:06:26 ID:l/NPVHr60
>>1718

http://www.nikkei.com/article/DGXNASHD11024_S4A310C1AA1P00/?df=2

 次に大阪歴史博物館の学芸員、八木滋さんを訪ねた。現在の中央区のあたりは、大阪城が築城されたのち、主に江戸時代に入ってから発展した。八木さんは「江戸時代から大阪は商人の町。武士はほとんど住んでおらず、身分や職業による区別はなかった」と話す。「ただ、江戸時代にはすでに『まち』と読む慣習が根付いていた」と言って、古い文献を見せてくれた。

 1842年(天保13年)刊行の「大坂町鑑」。当時の大阪の町名約600について、「まち」と読む町名には「町」の字、「ちょう」と読む町名は「丁」と分けて記載している。当時の人々がどのように「町」を読んでいたのかが分かる。「ざっと数えたところ、3分の2程度が『まち』だった」と八木さん。「理由はよく分からないが、古い町名がそのまま残っているところが多いことが、中央区に『まち』が多い一因ではないか」と指摘する。

 1962年に「住居表示に関する法律」が施行され、全国的に古い町名を整理して新しい町名に変える動きがあった。住所を頼りに訪問先を探し当てたり郵便物を配達したりしやすくするためだ。大阪市中央区の南船場や難波などはいくつかの町が統合されてできた新しい町名だ。

 ところが中央区のなかでも、長堀通以北の旧東区と呼ばれる地域は、江戸時代からの町名がそのままというところが多い。薬問屋が集まる道修町や繊維問屋が集まった安土町、本町などは江戸時代、商いのまちとして栄えた。

 中央区道修町が本社のボンドケミカル商事の小西哲夫社長は、明治初期にこの地で創業したコニシの創業家。当時の事情について聞くと「この辺りには、江戸時代から続く料亭や商家が多く、地元への愛着が強い。古い町名を残すために団結した」と話してくれた。町内会長のような立場の人が中心になって、行政などへ働き掛けたのだという。

 道修町には今でも製薬会社の本社が立ち並び、「薬のまち」の面影を残す。船場大阪を語る会の三島佑一会長は「道修町は町内会で神社を造ってしまうほど、結束が強い」と話す。薬の神様をまつる少彦名神社は道修町に店を構えた薬問屋が造ったもので、毎年11月22〜23日に開く祭りには、製薬会社など約350社が加入する薬祖講が運営。祭りの日には各社からのボランティアが集まり、見物客が道路を埋め尽くすほどだ。

 最近は新しいマンションやオフィスビルが増え、古くからの住人や商店は減ってきた。町名の由来を知る人も少なくなったが、歴史のある古い町名には先人の思いが詰まっている。

(大阪経済部 小国由美子)

1720よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:29:35 ID:l/NPVHr60
澪標 ―みおつくし―

「生國魂造」二つの特徴

生國魂神社権禰宜 中村 文隆
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/140225/20140225033.html

 前稿では大阪の始まりの地が大阪湾に浮かぶ「難波埼(なにわのみさき)−現・上町台地−」であり、その三方を海で囲まれた北端の地の占有者が日本国の実質的な統治者であることを見てまいりました。これは大坂城築城より今日に至る400年だけを指すのではなく、神話と歴史の接点となった神武東征の物語から連綿と続く2700年間のことを指します。

 では、秀吉の築城に際し、同地を離れた生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)はその後どうなったのでしょうか。

 実は秀吉・秀頼父子は後の上町台地と呼ばれるようになった難波埼の中央部、現在の上本町界隈(かいわい)に約2万5千坪の代替地を寄進し、全国に8万社ある神社の中で唯一の建築様式である「生國魂造(いくたまづくり)」と呼ばれる社殿を普請しています。この無双の生國魂造には日本の歴史を反映した二つの特徴があります。

 まず一つ目は20メートルを超える巨大な本殿であるという点です。出雲大社など、神話の時代から大きな社殿を建てることを社是としてきた神社を除き、一般的に神社建築は大きな社殿を建てる必要がありません。ちなみに仏教は建築の技法や道具、職人、果てはそれらを包括する建築という概念そのものを伴って日本に伝来したため、寺院を建立すること自体に布教の側面があり、大きければ大きほど、立派であればあるほど信仰の大きさが見て取れます。

 一方、仏教伝来前、原初の神社大半は、神の社(もり)という字が示す通り、神や祖霊の鎮まる森や山などの場所や空間を指しました。ところが、文明の進展に比例し人間の感受性が鈍り、その場所の象徴が、老木や巨石からより人間の視覚に訴えやすい社殿という人工物に変遷します。しかし、人間側が社殿を通じてその空間に神を認識できれば事足りるので、殊更大きな社殿を構える必要性はありません。

 生國魂造の二つ目の特徴は、大神様のお鎮まりになる本殿と幣物などを献じる幣殿の二つの社殿が一つの大屋根で葺(ふ)き下ろされ、その上に三つの破風(はふう)が据え付けられている複雑な桃山時代の様式を今に伝えている点です。勘の良い方は既にお気づきのことと存じますが、大坂城築城とそれに伴う生國魂神社の遷座の経緯から勘案しますと、この複雑な建築様式の社殿は、先に見た特徴である巨大さと併せ、次期に継承された徳川期大坂城も含めて兄弟関係にあるといえます。

 長らく続いた戦国の動乱が収斂(しゅうれん)へ向かう過程で集約された力は、最終局面で大きなうねりとなって前例のない二つの巨大建築をここ大阪に生み出しました。天下統一の物的証拠が今もなお街の中央部に並び立ち、そこに多くの人が訪れるのも大阪が持つ根源的な街の魅力でしょう。

 徳川方が政権を継承して以降は戦のない天下太平の江戸時代が続き、安定した営みに立脚した町衆が力をつけ始めます。特に物流の中心となり、天下の台所と呼ばれた大坂の発展は目覚ましく、そこに暮らす町衆から次々と新しい文化が生まれます。その最大の集積地がいくたまさんで、近松門左衛門や井原西鶴、上方落語の始祖・米澤彦八などをはじめとした多種多様な人材が活躍し、上方芸能・上方文化が花咲く場所となりました。

 その後、明治維新を経て日本の中心的神社として再認識され官幣大社に列格しますが、以降も度重なる災害や戦火に見舞われます。

 しかしその都度、大阪市民の皆さんと共に困難を乗り越え、街と共に歩んで現在に至り、今も生國魂祭(いくたままつり)の渡御列(とぎょれつ)復興などの課題に取り組んでいます。

 大阪繁栄の象徴がいくたまさんのご社頭の賑(にぎ)わいであるならば、逆説的ではありますが、これからもその賑わいを絶やすことなく祈り続けてまいりたいと存じます。

 以上、昨年より貴重な紙面をお預かりし、いくたまさんという定点を通じて大阪から日本を俯瞰(ふかん)してまいりました。紙幅の都合上、やむなく割愛した部分もございますので、この続きは境内でお待ちしております。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)


2014年2月25日

1721よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 21:21:38 ID:6iplpaSg0
<上宮天満宮>サル、猫に癒やされる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/feature/osaka1391186241539_02/news/20140315-OYT8T00066.htm

 車道をまたぐ大鳥居をくぐり、丁字路の突き当たりの階段を上がると、目の前に開けた境内で、猫が大あくびをしていた。

 JR高槻駅から北約500メートルにある鎮守の森に囲まれた「上宮天満宮」。境内に居着いた野良猫の保護のため、作業小屋などに5か所の「居場所」を設け、昨年4月には猫を含めたペットの健康や長寿、死んだ後の鎮魂を祈る「守護天神」も完成した。

 本能寺の変(1582年)で織田信長を討った明智光秀を、豊臣秀吉は山崎の戦いで破った。その記念として、本陣を置いていたこの天満宮の社殿を美しく改修した。秀吉が現代の天満宮ののどかな様子を見れば、思わず目を細めるのではないだろうか。

 あまり知られてはいないが、秀吉は猫好きだった。

 秀吉の重臣・浅野長政が文禄2年(1593年)、同僚に宛てた書状に、秀吉がかわいがっていた猫がいなくなり、見つけるよう命じられたとつづられている。「見つかるまで、虎毛の猫1匹を借用したい」と書かれた文面から、長政が必死だった様子がうかがえる。

 今も昔も、猫が好きな人は多いのだろう。その気持ちを知りたいと、阪急高槻市駅の近くにある猫カフェ「ねこの部屋 あまえんぼう」を訪ねた。上宮天満宮の境内と同じく、店内にはのんびりとくつろぐ猫が15匹いた。

 店員の中田愛里さん(25)は「犬猿の仲と言われるから、サルと呼ばれた秀吉さんも、犬ではなく猫をかわいがったのではないでしょうか」と笑った。

 長政が猫捜しに追われていた頃、秀吉は朝鮮に兵を出し、国内では関白職を譲った養子の秀次と不和になるなど、心がざわめく日々だった。権力者の孤独を、猫が癒やした。(上野将平)

 ◆上宮天満宮 平安時代の創建。学問の神様、菅原道真をまつる全国の天神社のうち、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に次いで、2番目に古いとされる。豊臣秀吉は1582年の山崎の戦いで、上宮天満宮の参道に本陣を置いた。近年では、1996年に本殿が火災で焼失した後、2002年に竹で再建された。JR高槻駅から北に徒歩10分。(電)072・682・0025

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi‐ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

(2014年3月15日 読売新聞)

1722よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 02:02:12 ID:Fw9nCOM20
春場所“成就”に感謝 住吉大社で土俵まつり
2014年3月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140324/20140324040.html

 大相撲春場所が千秋楽を迎えた23日、立浪部屋の宿舎となっていた大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で、土俵祭が執り行われた。参列した力士たちは相撲の守護神、住吉大神に、1カ月にわたった稽古の安全と修行成就を感謝した。

 境内の土俵で、神様を天に送る儀式「昇神之儀」を行い、力士15人が「エイエイオー」と声を上げながら、神様の象徴である御幣(ごへい)を抱いた神職を胴上げした。儀式を見守っていた約40人の地元住民からは拍手が起こった。

 このほか、参列者による神酒の乾杯や大阪締めが行われた。儀式の中で神職は「また明年会えることを待ち望み、たくさん白星をあげることを祈っている」と力士たちに声を掛けた。

 同大社は相撲と縁が深く、「横綱」の称号の起源の地と伝わる。同部屋の合宿は2007年の三月場所から受け入れている。神様を招く儀式「降神之儀」は2月20日に執り行われた。

1723よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 02:06:49 ID:Fw9nCOM20
1500年前の古墳 映像に
03月24日 19時20分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140324/3133681.html 

堺市は、世界文化遺産への登録を目指す地元の古墳群について理解を深めてもらおうと市の博物館に、古墳が作られた当時の様子を再現し、大型スクリーンの映像で紹介するミニシアターを設置しました。
「百舌鳥古墳群ガイダンスコーナー」と呼ばれるこのミニシアターは堺市博物館に作られ、あすのオープンを前に報道関係者に公開されました。
シアターは、30の座席を備え前方に縦2メートル40センチ横4メートル30センチの大型スクリーンが設置されています。
堺市が、大阪府などと世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」のうち、堺市内に点在する「百舌鳥古墳群」を12分間のビデオで紹介しています。
ビデオではこれまでの発掘調査などを元に再現されたおよそ1500年前の当時の古墳の様子などがコンピューターグラフィックスで紹介されています。
堺市世界文化遺産推進室の大村慶次長は「現在の古墳は森のように見えますが、作られた当時は、土の上に石を置いた構造物だったと見られています。多くの人たち見てもらい、百舌鳥古墳群について関心を高めてほしいです」と話していました。

1724よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 20:01:52 ID:LpBpZQOM0
山本能楽堂 改修完了へ 4月、一般向け内覧会
2014年3月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140325/20140325036.html

 2011年から実施してきた山本能楽堂(大阪市中央区)の改修が3月末で完了する見込みとなり、公益財団法人山本能楽堂の山本章弘代表理事は24日、同能楽堂を一般にお披露目する内覧会「花と芸能−春爛漫」を4月25〜27日の3日間開催すると発表した。

 同能楽堂は、1927年に設立され、大阪大空襲で焼失、50年に再建。2011年に始まった文化庁の「重要文化財建造物等公開活用事業」に初採択され、観光振興・地域活性化の拠点として、登録有形文化財建造物を効果的に公開活用するための整備に対し補助を受けた。補助金、自己資金、寄付が3分の1ずつで、総事業費は約2億円。

 安井建築設計事務所や、中之島を拠点に世界で活躍するデザイン事務所「graf」の服部滋樹さんが協力し、1670万色の色彩を表現できるLED照明や床暖房、資料室などを備えて生まれ変わった。

 内覧会では、能楽堂全体の空間を楽しんでもらおうと、東京五輪招致委員会などを担当したフラワーデザイナーの藤吉恒雄さんが、1〜3階を花で飾るほか、貴重な能の装束、当時の設計図面、てんぐが謡曲を楽しんでいる様子を描いた富岡鉄斎の掛け軸などを公開。文楽や落語、講談、舞踊、西洋音楽など、同能楽堂にゆかりのあるさまざまな演者が駆け付け、お祝いとして各種芸能を披露する。

 山本さんは「能を見るだけの場所でなく、この建物が何かの表現の場であり、社交の場になれば。ここをランドマークとして、海外旅行客を呼んだり、学校教育に生かしたりして、恥じない活動をしたい」と力をこめる。

 内覧会は25日午前11時〜午後8時(26日午後6時、27日午後4時半まで)、入場料2千円。問い合わせは同能楽堂、電話06(6943)9454。

1725よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/26(水) 22:30:05 ID:g4RgbTlo0
空から見る仁徳陵
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140325-OYT8T00043.htm

 ◇堺市博物館にミニシアター

 堺市博物館(堺区)に、墳墓として世界最大級の仁徳天皇陵古墳などで構成する「百舌鳥(もず)古墳群」の上空を飛ぶ疑似体験などが楽しめるミニシアターが整備され、24日、報道陣に公開された。コンピューターグラフィックス(CG)技術を応用し、20キロ上空から撮影した古墳群の眺めなどが楽しめる。

 市が博物館内に、同古墳群のガイダンス(案内)コーナーを新設。ミニシアターは約200インチ(縦2・4メートル、横4・3メートル)のスクリーンを備え、宅地開発などで消失した11基を含む55基や、古墳の壕(ほり)から墳丘を望む映像なども投影する。

 5世紀半ばに延べ680万人が作業したと試算される仁徳天皇陵古墳の築造当時を想像し、埴輪(はにわ)や土器で装飾されていた映像や、大阪平野の風景も再現した。上映時間は約12分。総事業費約7000万円。

 市は「古墳群の価値を理解してもらい、世界文化遺産登録に向けた機運を高めたい」としている。

 入場無料で、利用は午前10時〜午後4時半。問い合わせは市博物館(072・245・6201)へ。

(2014年3月25日 読売新聞)

1726よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/27(木) 20:41:13 ID:QjVGHqTs0
今城塚古墳築造の労力数値化 論文が懸賞最優秀に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140327-OYT8T00029.htm

◇延べ53万人動員、工期7年

  継体天皇の墓とされる今城塚古墳(6世紀、高槻市)について、築造の労力を数値化した論文が、同市の古代史をテーマにした懸賞論文の最優秀賞に輝いた。論文では、元ゼネコンの土木技術者が、現場監督の立場になって計算。使った土の量や当時の周辺人口などから、現在の市人口の1・5倍に当たる延べ53万人が動員され、約7年かけて完成させたとしている。(上野将平)

 東京都練馬区在住の高津和夫さん(84)の論文(A4判、16ページ)で、懸賞論文「いましろ賞」の応募作。

 論文では、主な作業を掘削や運搬、盛り土とし、当時の墳丘の高さや面積などから計17万5000立方メートルの土が使われたと計算。自身の経験から、1人が1日に掘ることのできる量を1・5立方メートルとし、運搬や盛り土も含めた作業には、延べ48万2380人が必要だったと推測している。

 さらに石棺や埴輪の製造・運搬にも、延べ4万4280人が関わったとした。

 1日の動員数は、周辺の水田面積や季節を考慮。農繁期は180人、農閑期は370人と時期による労働者の増減も計算し、工期は約7年と結論づけた。

 高津さんはゼネコン時代の大部分を現場で過ごし、現場監督も経験。ブルドーザーなどの重機が少なかった1960年頃まで、スコップなどを使った人力の作業を経験したという。

 1959年から6年間の大阪勤務で、仁徳天皇陵(堺市)をはじめとする百舌鳥(もず)・古市古墳群を見て、駆り出された民衆の気持ちになって研究を開始。退職後、奈良大の聴講生となり、報告書の書き方などを学んだ。

 今回の論文について、高津さんは「動員数は多いように思えるが、仁徳陵などの工事と比べると、余裕を持って築造したようだ。国力に見合った判断で、現場監督の立場としても感心させられた」と話す。今後は、土を採った場所や、水田面積などの詳細な計算を続けるとしており、市立今城塚古代歴史館の森田克行館長(63)は、「築造の様子や規模が目に浮かぶ論文だ。さらに研究を進める手助けをしたい」と話している。

(2014年3月27日 読売新聞)

1727よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/27(木) 20:46:55 ID:QjVGHqTs0
国立文楽劇場30周年で集い
03月27日 19時36分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140327/5969581.html

大阪の国立文楽劇場が来月、開館から30年になるのを記念する集いが行われ今年5月の公演を最後に引退する文楽の語り手で人間国宝の竹本住大夫さんらが演目を披露しました。
大阪・中央区にある国立文楽劇場は文楽を上演するための劇場として造られ、来月、昭和59年4月の開館から30年を迎えます。
きょうは劇場で記念の集いが行われ招待客などおよそ700人が集まりました。
劇場を運営する日本芸術文化振興会の茂木七左衛門理事長は「伝統芸能の文楽を継承するためには若い世代を中心に観客を呼び込むことが必要だ」と述べました。
続いて地元の企業などから寄贈された新しい3つのどんちょうが披露されました。
このあと今年5月の東京公演を最後に引退する文楽の語り手の第一人者で人間国宝の竹本住大夫さんらが正月などに上演される演目 「寿式三番叟」を披露し集まった人たちが熱心に見入っていました。
..

1728よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/28(金) 20:39:20 ID:9J8UFdxE0
30周年、国立文楽劇場で開場記念のつどい
2014.3.27 21:31
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140327/wlf14032721360018-n1.htm

 大阪の人形浄瑠璃文楽の本拠地、国立文楽劇場(大阪市中央区)が今月、開場30周年を迎え、「記念のつどい」が27日午後、同劇場で開かれた。4月の文楽公演が大阪での引退公演となる人間国宝、竹本住大夫さんらの出演で、おめでたい「寿(ことぶき)式(しき)三(さん)番(ば)叟(そう)」が披露されると、招待された関係者やファンら約700人から大きな拍手がわき起こった。

 国立文楽劇場は昭和59年3月に開場。文楽をはじめ、日本舞踊、歌舞伎、邦楽、演芸など上方芸能の継承、発展の本拠地として親しまれてきた。

 この日行われた「記念のつどい」では、独立行政法人日本芸術文化振興会の茂木七左衛門理事長が「文楽は大阪の地に発祥し、大阪の風土とともに発展した世界に誇る伝統芸能。国立文楽劇場には文楽を後世に伝えていくという重大な使命がある」とあいさつ。

 青柳正規文化庁長官も「東京オリンピックが開かれる2020年には上方芸能の拠点としてさらに発展することを祈念している」と祝辞を述べた。

 新しい緞帳が披露され、同劇場の三十年間の歴史を懐かしい映像で上映。

 最後に住大夫さんをはじめ、人形遣いの吉田和生さんらの出演で「寿式三番叟」が上演、荘重な語りやリズミカルな人形の動きに場内は見入っていた。

1729よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/29(土) 22:11:21 ID:UUK3FAMg0
「学童集団疎開」から70年 関連書籍2冊発刊
2014年3月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140329/20140329033.html

 太平洋戦争末期の1944年6月に閣議決定された「学童疎開促進要綱」に基づき着手された学童集団疎開から今年で70年−。四半世紀以上にわたり毎年夏に戦争体験集「孫たちへの証言」の発刊を手掛けている新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)が「記憶を風化させてはならない」と学童疎開をテーマにした書籍2冊を刊行した。いずれも体験者の貴重な証言や資料を紹介し、子どもたちに暗い影を落とした疎開の実態に焦点を当てている。

 大阪の歴史や文化、産業など毎号特色ある特集を組む同社の「大阪春秋」(本体千円)は「国民学校と学童集団疎開」を特集した。

 元天理大学人間学部教授の赤塚康雄氏、国民学校と学童疎開を考える会理事長の奥村誠一氏ら体験者による座談会をはじめ、大阪市内各区別の他府県への疎開地と疎開児童数の推移、関連年表といった詳細な資料を紹介。疎開先の火災で児童16人が犠牲となった南恩加島国民学校(大阪市大正区)の児童を悼む「16地蔵」の由来や、疎開中に空襲などで家族と死別した戦争孤児が歩んだ過酷な戦後についても触れている。

 もう一つの「学童疎開」(本体1200円)は「孫たち−」第7集以降の中から疎開関連の証言を抜粋、補筆し、多くの写真やカラーの体験画も盛り込んでいる。

 福山代表(79)は「大阪府内郊外への学童疎開があったことや、各家庭に児童一人当たり月10円の費用が必要だったことなど、知られていない点も多い。幼い児童まで戦争の黒い渦に巻き込んだ史実をしっかりと検証する必要がある」と、2冊の編集に込めた思いを話している。

 問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1730よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/05(土) 22:44:08 ID:UvJUOOwM0
竹本住大夫さん 引退公演
04月05日 21時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140405/5631031.html 

人形浄瑠璃「文楽」の語り手の第一人者として長年活躍し、来月引退する人間国宝の竹本住大夫さんの地元・大阪での最後の公演が始まりました。
大阪市生まれで89歳の竹本住大夫さんは文楽の語り手「太夫(たゆう)」の第一人者として長年活躍し、平成元年には人間国宝に認定されましたが、体調などを理由に来月東京で行われる公演を最後に引退します。
大阪市の国立文楽劇場では地元・大阪での引退前最後の公演が5日から始まりました。
演目は、平安時代に都から九州の太宰府に左遷された菅原道真と周りの人々の人間模様を描いた「菅原伝授手習鑑」です。
竹本住大夫さんは、道真の家来の切腹の場面を描いた「桜丸切腹の段」で出演し、情感豊かに語る姿に観客から大きな拍手が送られました。
竹本住大夫さんの大阪での公演は今月27日まで行われ、引退公演となる東京での公演は来月10日から26日まで行われることになっています。
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1731よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/05(土) 22:50:04 ID:UvJUOOwM0
区と市立工芸高が連携 「あべの歴史マップ」作成
2014年4月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140405/20140405038.html

 大阪市阿倍野区は同区に親しみと関心を持ってもらおうと、近くの大阪市立工芸高校と連携して「あべの歴史マップ」を作成、区民や観光客への活用を呼び掛けている。

 ビジュアルデザイン科3年の生徒10人が昨年7月から11月まで選択授業で取り組んだ。マップに使う資料や写真は同区が提供し、生徒に自由に製作してもらった。提出された10点のマップのうち、同区が審査して、平岡風花さん(当時3年)の作品を採用することにした。

 平岡さんの作品は、阿倍野区の地図を中心に置いて、名所旧跡に番号を付けて、写真と解説を周辺に配置。分かりやすく見やすいことが評価された。弥生時代に始まったとされる「あべの」の由来や、市の指定有形文化財に登録されている同校、安倍晴明神社や桃ケ池公園などを掲載している。

 マップは、同区の広報紙「広報あべの」の1月号に見開き(タブロイド判、縦約20センチ、横約40センチ)で入れ込み、4万6500部発行。新聞折り込みや配布希望のあった人、駅や図書館、区役所の情報コーナーなどに配布した。ホームページでも閲覧でき、今月上旬には英語、韓国語、中国語のマップもできる。

 同区役所企画調整課では「同区の南側にはたくさんの歴史がある。市民や外国の人にも活用してもらい、興味を持ってもらいたい」と話していた。

1732よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/06(日) 12:28:36 ID:cShBI6To0
甘茶掛け 息災願う 北御堂「花まつり」
2014年4月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140406/20140406019.html

 仏教の始祖であるお釈迦(しゃか)様の生誕を祝う「花まつり」の催しが5日、大阪市中央区の本願寺津村別院(北御堂)であり、信徒をはじめ友人、家族連れらが無病息災を願って厳かに両手を合わせた。

 お釈迦様が誕生の際に甘露の雨が降り、その露を産湯にしたという伝説に基づく習俗。逸話にならい、参列者は本堂に設けられた立像にひしゃくですくった甘茶を掛け、静かに手を合わせた。

 子どもたちによる献灯、献花もあり、菅義成輪番は講話で「人生を少しでも温かく、強く、心を豊かに生きていきましょう」と問い掛けた。

 “おつとめ”の後にはお菓子が配られ、子どもたちも笑顔。親子3代で訪れた角谷久代さん(71)=同市東成区=は「孫たちも楽しかったと喜んでくれている」とにこやかに話した。

1733よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/09(水) 21:00:13 ID:xhr83Z9Y0
「真田丸」再現の軍資金募る…模型作製へ
2014年04月09日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140409-OYO1T50025.html

 大坂の陣(1614〜15年)から400年の節目に合わせ、豊臣方の武将・真田幸村が現在の大阪市天王寺区に築いた大坂城の出城「真田丸」を模型でよみがえらせるプロジェクトが同区で進んでいる。全国の幸村ファンに寄付を呼びかけ、集まった金額が多ければ多いほど、模型のサイズを大きく、より精巧にできるという趣向だ。

 真田丸は幸村が大坂冬の陣(1614年)で大坂城の南側に構えた戦闘拠点。銃撃隊を率いる幸村の巧みな采配で徳川方の猛攻撃を防いだと伝わる。現在、跡地とみられる地域は、真田山公園になっている。

 区内にはほかにも、徳川家康が本陣を置いた茶臼山や、幸村が討ち死にしたという安居神社も残る。

 真田丸の模型作りは、大坂冬・夏の陣から400年を迎えるのを盛り上げようと、同区が計画。製作費を全額、寄付金でまかなうため、真田家の家紋にちなんだ基金「六文銭ファンド」を市が設立し、全国に善意を募ることにした。

 寄付は個人住民税や所得税が軽減される「ふるさと納税制度」を適用。六文銭をデザインしたグッズがもらえるなど特典があり、6000円以上の寄付者は模型に氏名も刻まれる。

 お金が集まるほど、模型のグレードもどんどん上がる仕組みだ。例えば、100万円あれば、発泡スチロールで縦横1メートルの模型。1000万円だと、縦横1・8メートルで、精巧な真田丸の櫓(やぐら)や幟(のぼり)、甲冑(かっちゅう)姿の武者を並べることができるという。

 寄付は3月末現在で32万円余り。8月末まで募る予定で、水谷翔太区長(29)は「皆さんの協力で、立派な真田丸を再現したい」と呼びかけている。

 模型は専門家の考証を経て再現。来年5月を目標に完成させ、同11月まで区内で開催されている「天王寺 真田幸村博」で目玉として展示される。問い合わせは同区企画総務課(06・6774・9938)。

真田幸村 1567〜1615年。信濃国・上田城主の真田昌幸の次男。1600年の関ヶ原の戦いでは敗れた西軍につき、戦後、和歌山・九度山にちっ居したが、豊臣秀頼の招きで大坂の陣に参戦。冬の陣は真田丸で奮戦し、夏の陣では徳川軍の本陣に迫って家康を窮地に追い込んだという。「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれ、現代も根強い人気を持つ。家紋は「六文銭」。


2014年04月09日

1734よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/10(木) 19:42:28 ID:udf0wvv20
>沖縄戦などで亡くなった3万5000人余りの大阪の関係者
  
 こんなにも多数の方々が沖縄で亡くなっていたとは・・・
 
沖縄で大阪の戦没者を追悼
04月10日 18時40分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140410/3474441.html 

太平洋戦争末期の沖縄戦などで命を落とした大阪の関係者を慰霊する50回目の追悼式が大阪府の松井知事と大阪市の橋下市長も出席して沖縄で開かれました。
沖縄戦などで亡くなった3万  5000人余りの大阪の関係者を慰霊するため大阪府と大阪市などは昭和40年に沖縄県糸満市の平和祈念公園に「なにわの塔」を建立し、毎年、追悼式を開いています。
今年で50回目となる追悼式には遺族およそ50人の他、大阪府の松井知事と大阪市の橋下市長も出席しました。
式では松井知事と橋下市長が追悼の意を表し、このうち橋下市長は「戦争の悲惨さと、そこから学んだ教訓を語り継ぎ世界の恒久平和の実現のため全力を尽くすことが私たちの責務だ」と述べました。
続いて出席者全員が塔の正面に設けられた献花台に花を手向け戦没者を悼みました。
松井知事は記者団に対し「今は当たり前のように平和を享受しているが戦争で亡くなられた方々の思いをしっかり受けとめ、次の世代に平和な日本を引き継がなければならない」と述べました。
橋下市長は「自分の子どもが戦争で命を落としたと考えると耐えられない。遺族の方々は僕の想像を超える悲しみをずっと抱き続けている。戦争は2度と繰り返してはならない」と述べました。

1735よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/10(木) 20:49:59 ID:udf0wvv20
江戸期おみくじ文化財に
2014年04月09日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140409-OYTNT50135.html

 ◇大吉「誰もがあなたを尊敬」

 島本町の勝幡寺(しょうばんじ)(山崎)所蔵の江戸時代中期のおみくじの版木や木箱などが、同町の有形民俗文化財に指定された。大吉の版木には「誰もがあなたを尊敬するでしょう」という意味の言葉などが刻まれている。町は今秋にも一般公開する。

 おみくじは木箱から、番号が書かれた竹棒を引き、棒の番号に応じて「大吉」「凶」などが刷られた紙の「みくじ箋(せん)」を受ける方式。版木(縦20センチ、横80センチ)9枚や竹棒99本、棒を入れる木箱、みくじ箋を入れるタンスでなる「勝幡寺 元三(がんざん)大師みくじ版木関係資料 一式」として指定された。

 大吉の版木には、購入者が尊敬の対象になるという意味の「衆人皆仰望」の文言などが並び、木箱には、比叡山中興の祖で、おみくじを考案したとされる良源(912〜85)を表す「元三大師」の文字も。

 現存するのは江戸時代後期のおみくじが多いが、彫りが深く施された版木の特徴から、同時代中期と特定された。町教委は「一式が残っていることが価値を高めている」としている。

 問い合わせは町教委生涯学習課(075・962・6316)へ。

2014年04月09日

1736よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/13(日) 16:27:52 ID:O0PdIz3Y0
【河内幻視行】
徳川政権を創り、滅ぼした「京街道」の“諸行無常の響きあり”
2014.4.13 12:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041312000003-n1.htm

 坂道を登ったところに、道幅の狭い道が場違いのような感じで、ゆるやかに曲がりながら延びていた。本町橋と書かれた橋があった。橋といっても陸橋で、左手には京阪守口市駅の高架ホームがほぼ正面に見えた。

 橋のそばにある高層マンションの手前に、「文禄堤」と書かれた案内板があった。豊臣秀吉が文禄5(1596)年、毛利輝元ら3大名に命じ、淀川沿いに築かせた堤防上の道、とあった。

 道は京と大坂を最短で結び、京に向かうときは京街道、大坂に向かうときは大坂街道と呼ばれた。付近は、江戸から大坂にいたる東海道57次の57次目で、守口宿があった。

 中2階の古い民家や寺院もあった。古街道のおもかげも、かすかに残っている。

 橋の右手の眼下には、広い道が延び、ビルや商店街が続いている。現在は淀川まで1キロほど離れているが、当時はここまで流れが迫っていた。国道1号沿いにある守口市役所を中心とする官庁街は、すべて川底か河川敷であった。

 京街道の終点は、伏見である。なぜ伏見か。秀吉がここに伏見城を築いたからである。

 伏見城は天正19(1591)年、甥の秀次に関白の地位を譲ったあと、「隠居城」として建設がはじまった。

 天才的な土木技師でもあった秀吉は隠居城であっても、ハンパな城造りでは納得しなかった。本格的な「都城」にするために、京街道のほか、宇治川沿いには奈良方面からの大和街道に植島堤を造らせた。

 大ざっぱな地理教示をすれば、ふたつの街道は逆「V」字形の先端で、伏見城下にある南北の京町通りに合流する。この通りを中心とした城下町に人々が集散し、日本一のにぎやかな繁華街にするのがネライであった。

 ふたつの街道の整備は、だが秀吉にとっては、アダとなった。大坂を攻めるさい、かっこうの進撃コースにもなるからだ。

 街道が造られてから、わずか20年後の元和元(1615)年4月、大坂夏の陣が起き、豊臣家は滅亡した。京の二条城で開かれた軍議で、徳川家康は逆「V」字形の地図を眺めながら、ニンマリと笑った。「この、ふたつの街道を利用するのじゃ」と、配下に命じたはずである。

 2代将軍秀忠が率いる12万の兵は京街道、松平忠輝率いる約3万5千は大和街道と二手にわけ、道明寺(藤井寺市)付近で合流する作戦を立てた。すでに濠(ほり)を埋め立てられてしまった大坂城は、南方面からの攻撃には弱かったからである。

 真田幸村などの活躍はあったが、大坂城は家康のネライ通りに落城した。「V」字形の街道が、「VICTORY・ROAD」となったのである。

 だが約12万もの大軍が進んだ京街道のほうは、難渋したはずである。堤の上の街道だから、道幅が狭すぎた。明治前期の史料でも「京街道 守口町ヨリ仁和寺村ヲ経テ枚方村ニ向フ 道幅二米五十ヨリ二米八十」と記載されている。

1737よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/13(日) 16:30:11 ID:O0PdIz3Y0
>>1736

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041312000003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041312000003-n3.htm

 おそらくヨコ2列程度でしか進めなかった。先頭集団が守口宿あたりに達したとき、シンガリの軍はまだ京を出発できなかった。

 この狭さが二百数十年後、こんどは徳川方の命取りとなった。鳥羽伏見の戦いである。

 15代将軍、慶喜が率いる大坂城の幕府軍が京の薩長軍討伐のために、城から出兵したのは、慶応4(1868)年正月2日から3日にかけてであった。

 総勢1万5千、対する薩長軍は5千。数で見るかぎり、幕府軍が圧倒的に有利であった。だが大和街道や西国、高野両街道のコースもあったのに、京街道から伏見、鳥羽両街道になだれこむという、愚直としかいいようがない作戦を立てた。

 京街道は、さすがに家康の時代より道幅が広くなったものの、ヨコ4列程度しか通れなかった。タテに長い兵を、アリのように進めるだけであった。信じられないことに、先頭の兵たちの銃には、弾がこめられていなかった。

 鳥羽、伏見両街道での戦いは、もちろん惨敗であった。わずか3日後の6日には、こんどは京街道だけでなく、大和、高野街道などを、ちりぢりになった敗残兵の列が続いた。

 それでも幕府軍は、守口宿で歩兵一大隊の防御陣地を築く方針だった。だが午後8時ころ、大坂城から「すべて城に引きあげよ」という慶喜の伝令がとどいた。だれもが難攻不落の大坂城での籠城戦を展開すると思いこんだ。

 だがその日の深夜、慶喜はひそかに城から逃げ出した。幕府軍の総崩れがはじまった。

 −−京街道から坂をおりると、ふつうの区画の住宅やビルが建ちならんでいた。幕府軍がこのあたりに最後の防御陣地を構築し、慶喜が徹底抗戦にのぞんだら、まだ勝利の「V」の可能性は残っていた。

1738よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/14(月) 04:57:16 ID:hg3U0WwM0
家康を殺しかけた銃も展示…大坂の陣は「科学力の闘い」
2014.4.13 21:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041321000010-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041321000010-n2.htm

 豊臣家と徳川家が争った大坂の陣の勃発から今秋で400年を迎える。人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても知られる沢田平さんは、鉄砲研究家として盛り上げに一役買おうと、豊臣方の名将・真田幸村に関するコレクションの展示を準備中だ。

(聞き手 川西健士郎)


 −−今年が大坂の陣から400年にあたるのに合わせ、自宅横の資料室で真田幸村に関する資料の展示を準備されていますね

 沢田 幸村公の研究を続けてきたものですから、今月から2年間、オープンするつもりで準備しています。私ひとりでやっている資料室ですので、事前予約制になりますが、展示品を説明させてもらい、手にとって見てもらいたいと思っています。興味のある方は電話いただければ、対応いたします。

 −−どのような品を見ることができるのでしょう

 沢田 まず、茶臼山(大阪市天王寺区)で、幸村が家康公の面前までいって発射しようとした鉄砲、馬上宿許(しゅくしゃ)筒です。馬の動揺のために幸村が取り落として敵の手にわたってしまったものです。マシンガンのルーツともいえる連発銃です。もしこのとき、この鉄砲が火を噴いていたら、家康公の命はそこで終わったわけですから、その後時代はどうなったか。江戸時代はなかったことになるかもしれませんね。

 −−馬上筒はどうやって手に入れたのですか

 沢田 紀州徳川家に伝わり、家臣の砲術家・勝野家に預けられ、勝野流秘銃として明治まで紀州藩に温存されてきたものです。戦後、進駐軍の武器狩りによって米国に流出していたのを発見しました。

 戦利品として持ち帰った進駐軍の兵隊さんが80歳を超える老齢になり、5〜6年にわたる交渉の末に譲ってもらえることになりました。幸村の出身地の長野県では何度か紹介したもので、大阪での展示は初めてです。

1739よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/14(月) 04:59:32 ID:hg3U0WwM0
>>1738

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041321000010-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041321000010-n4.htm

 −−そうした遺品から見えてくる幸村の実像とは

 沢田 幸村は日本一(ひのもといち)の強士(つわもの)と称賛されますが、単なる勇猛な武将ではありません。甲冑から推定する体の大きさも、ごく普通です。幸村の遺品には、忍術を思わせるものも数多くあります。幸村に仕えた「真田十勇士」の猿飛佐助や霧隠才蔵は架空ともいわれますが、幸村の元に忍術つかいがいたことは間違いありません。

 幸村は関ケ原の合戦後、大坂の陣までの14年間、高野山の麓の九度山に蟄居(ちっきょ)していました。馬上宿許筒はこのとき開発されたと考えていますが、同時に真田紐(ひも)という丈夫で美しい紐をつくり、全国各地に販売したことが知られています。

 幸村は身内に財政支援を求める文書が残っていて、金に困っていたといわれます。ところがどっこい、それは生活の実態を隠した表向きの顔であって、実際は優れた経済人であり、各地で真田紐や薬を売って情報を集めていたのです。

 −−徳川軍の遺品はありますか

 沢田 大坂の陣で徳川軍が使ったと考えられる全長2メートルの大鉄砲2丁を展示します。国内に大鉄砲はこの2丁を含む4丁しかありません。国友と堺でつくられたもので、関ケ原の合戦の前に砲術の第一人者、稲富祐直(いなどめすけなお)に家康が作らせたものです。

 大坂冬の陣では幸村の砦(とりで)が徳川軍の侵入を完全に防いで、大坂城は難攻不落を誇っていました。しかし、徳川軍は城の外から天守閣に砲撃を加え、淀君らを驚かせて講和に持ち込み、大坂城は堀を埋められてしまいます。大鉄砲は、徳川軍がこのとき使ったものと考えてよいと思います。

 −−鉄砲の性能が大坂の陣の勝敗に大きく影響しているのですね

 沢田 大坂の陣は、科学の力のぶつかり合いでした。幸村は世界最先端の連発銃をもっていましたが、大坂城に届く鉄砲を長年にわたって開発してきた家康の執念が勝ったといえましょう。どうですか、科学の重要性を分かっていただけたでしょうか。

【プロフィル】沢田平(さわだ・たいら) 昭和10(1935)年、大阪市生まれ。近畿大学法科、関西医療学園を経て、大阪市東成区で沢田整骨院の院長を務める。堺鉄砲研究会を主宰し、古式砲術と古式銃の研究に取り組む。和時計やエレキテルなど江戸時代の科学技術の研究家としても知られる。主な著書に「日本の古銃」「和時計」など。78歳。

1740よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/14(月) 20:47:57 ID:Kr2ABlFE0
■百舌鳥・古市古墳群 世界遺産目指し…周辺の高さを制限
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000004437.shtml

 堺市の「仁徳天皇陵」を含む百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録を目指し、大阪府と周辺自治体は景観を守るため、建築物の高さ制限などの案をまとめました。

 堺、羽曳野、藤井寺の3市にまたがる百舌鳥・古市古墳群には、「仁徳天皇陵」など61基の墓が集中し、大阪府などは世界遺産登録を目指しています。

 「建築物の高さ、形態意匠、屋外広告物を対象に規制。古墳との調和した景観を目指す」(事務局)

 選考のポイントには、周辺環境の整備も含まれています。

 大阪府などは14日の会議で、古墳の近辺で15メートル以下の高さ制限を設けるほか、屋外広告や派手な色の外壁を禁止する案をまとめました。

 今後、議会などにはかった上で、2017年の世界遺産登録を目指すということです。 (04/14 18:07)


百舌鳥・古市 周辺で高さ規制
04月14日 18時42分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140414/3650301.html 

大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録をめざして大阪府や堺市など関係する自治体は課題となっている周辺の景観保全の対策として新たな建築物の高さなどを規制する方針を決めました。
百舌鳥・古市古墳群について大阪府や地元の堺市などはユネスコの世界文化遺産への登録をめざしていましたが古墳群周辺の環境や景観を保全する対策が不十分だなどとして去年8月に推薦が見送られました。
これを受けて関係する自治体などが会議を開き、条例で周辺の建物の高さなどを規制する方針を決めました。
具体的には古墳からの距離が  100メートル前後の範囲では新たな建物の高さを15メートル以下とし外壁も目立ちにくい色に規制する他、広告物の掲示を原則禁止するとしています。
またその外側の一定の範囲では建物の高さを45メートル以下とするとしています。
関係する自治体では今後、条例の制定を目指して説明会を開くなどして地元の住民に理解を求めていくことにしています。

1741よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/14(月) 21:13:30 ID:Kr2ABlFE0
「大阪根付き『鴈治郎はん』と呼ばれる役者に」中村翫雀さん、四代目襲名へ意気込み
2014.4.14 12:58
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140414/wlf14041412580010-n1.htm

 上方歌舞伎の大名跡「中村鴈治郎(がんじろう)」を来年1月、10年ぶりに四代目として襲名する歌舞伎俳優、中村翫雀(かんじゃく)さん(55)が14日、東京都内で記者会見し、「鴈治郎は憧れの名前。どうしても継ぎたかった」と話した。

 「今年中に大阪へ住民票を移す予定。大阪に根付き『鴈治郎はん』と呼ばれるような役者になりたい」と抱負を語った翫雀さん。襲名披露興行は来年1、2月の大阪松竹座からスタート。引き続き4月に東京・歌舞伎座、6月に福岡・博多座、12月の京都・南座などで行われる。

 中村鴈治郎の初代は翫雀さんの曽祖父が名乗り、上方歌舞伎の大スターに。以降、祖父で人間国宝の二代目の後は父の人間国宝、坂田藤十郎さん(82)が平成17年の藤十郎襲名まで三代目を名乗っていた。

1742よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/18(金) 04:48:52 ID:9PbiG0ZQ0
四天王寺絵堂を特別御開扉 聖徳太子の偉業眼前に
2014年4月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140417/20140417018.html

 聖徳太子の遺業を受け継ごう−。太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、奥田聖應管長)で16日、境内・絵堂の特別御開扉が始まった。8年後の2022年に迎える「聖徳太子御遠忌(おんき)1400年」に向けた取り組み。太子一生の事跡を描いた壁画が奉納されている堂内では、僧侶による解説「絵解き」も行われ、多くの参詣者が太子の偉大な足跡に見入っている。

 「遠忌」は仏教の宗派の開祖などの年忌法要を意味し、約50年間隔で建物の修繕や記念事業といった数々の取り組みがある。1922年の御遠忌1300年記念事業では、四天王寺四箇院の一つで、仏教修行や人間教育の場「敬田(きょうでん)院」を受け継ぎ、四天王寺高校・中学校の前身である「天王寺高等女学校」の創立をはじめ大きな動きがあった。

 御遠忌1400年に向けても各種事業の計画が進み、今回の特別御開扉はその第一歩として企画された。

 絵堂は79年再建で、堂内には画家の故・杉本健吉氏が6年がかりで手掛けた7面からなる「聖徳太子絵伝」が掲げられている。これまで僧侶による絵解きは法要出席者など一部の関係者には行われていたが、一般参詣者対象としては今回が初の試み。

 この日最初の絵解きには約50人が来堂。皇位継承をめぐり崇仏派の蘇我馬子(そがのうまこ)らと排仏派の物部守屋(もののべのもりや)らが対立した際、太子が崇仏派のために仏法守護神「四天王」に戦勝を祈願した姿について、僧侶は「後の四天王寺建立につながる重要な場面」と説明し、人々が興味深く耳を傾けていた。

 池田市から家族で訪れた男性(76)は「拝観と解説で深く太子について知ることができた」と満足そう。同寺参詣部の山岡武明さんは「1400年の節目に向けて歴史的な資料の数々を通じて、人々の心の中に聖徳太子が復活することを願いたい」と話している。

 開扉は30日までで、時間は午前8時半〜午後4時半。絵解きは午後1時、同3時の2回行われる。入堂無料。

1743よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/18(金) 20:50:21 ID:tRdXJz4g0
大阪ロマン紀行

 大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

今も地元に愛される若き武人

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2014年4月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/140418/20140418051.html

八尾市幸町 木村重成の墓

 今年と来年は大坂の陣から400年ということで、各地で記念のイベントが開かれている。大阪人にとって祝うべき出来事ではないと思うが、当時の武将の中に、その生きざま、戦場での散り際の見事さが、凄(すさ)まじく、あっぱれで、今も人々の胸を熱くし、感じ得る人物がいる。

 その中の筆頭が、今なお愛され続けている武人、木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり)である。

 1614(慶長19)年の大坂冬の陣が木村重成の初陣で、当時、20歳そこそこの年齢であった。ということは、夏の陣と合わせて、生涯に2度しか参戦しなかったのである。冬の陣で佐竹義宣(さたけよしのぶ)の軍を蹴散らし、大勝利を収める。その噂(うわさ)は重成の槍(やり)の威力とともに、敵味方の双方に驚異的武将として瞬く間に伝わっていった。

 翌15(慶長20)年、大坂夏の陣の出陣に際し、死しても見苦しくないよう、体を清め、髪を洗い、髪と甲冑(かっちゅう)に香を焚(た)き込めた。これが後に、徳川家康が重成の首を手にしたとき、頭髪の香と兜(かぶと)が脱げないように緒の端を切り落としているのに気付き、二度と兜を自ら脱ぐことはないという、討ち死にの覚悟の清さに感嘆したと言われている。

 冬の陣で重成は山口重信と一騎打ちに臨む。重信は重成の妹婿にあたる(諸説あり)。この勝負を名勝負とすることが、せめてもの妹婿への情けと思い、得意の槍を手放して組み合った。激闘の末、重信を破った重成だが、井伊家の庵原朝昌(いはらあさまさ)の槍にあっさり刺されて討ち死にする。重成が槍を手にして戦っていたなら、このような死に方はしなかったものを、という思いから、八尾市幸町にある彼の墓は別称「無念塚」と呼ばれている。

 現地に行ってみると、のどかな公園の入り口に大きな石柱が2本あり「木村重成公」「噫忠勇武烈(ああちゅうゆうぶれつ)」と彫られている。墓所も公園の中で広い敷地をしめており、その立派さに重成の人気の高さがうかがえる。

 この公園は「木村公園」と呼ばれているようで、近くの三つの橋も「木村橋」「東木村橋」「西木村橋」という名で、「このへんに住む木村さんは、自分の橋や公園みたいでいいなあ」なんて思いつつ、近くのお寺「蓮城寺(れんじょうじ)」に行ってみると、5月に「木村重成公四百年御遠忌追善法要(ごおんきついぜんほうよう)」が行われるとのこと。本当に地元で今も愛されている武将なのだ。「若江岩田」駅まで歩く途中「若江木村通」の交差点まであった。

 大阪に移住を考えている木村さんが、もし、いたなら、この木村重成の墓周辺をお勧めしたい。実際に木村さんの「マイタウン」になること請け合いである。

1744よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/20(日) 05:20:20 ID:3apyuSJc0
今城塚古墳の埴輪、クリーンアップ 高槻でイベント 大阪
2014.4.20 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140420/osk14042002000003-n1.htm

 高槻市郡家新町の史跡公園「いましろ 大王(だいおう)の杜(もり)」にある今城塚古墳で19日、埴輪(はにわ)のクリーンアップ作戦が行われた。

 6世紀前半に築造された同古墳は、淀川流域最大の前方後円墳。継体(けいたい)天皇(聖徳太子の曾祖父)の真の陵墓とされており、10年間にわたる発掘作業で出土した「埴輪祭祀(さいし)場」(650平方メートル)には、約200体の埴輪が復元・配置され、古代王権の儀礼様式を今に伝えている。

 クリーンアップ作戦は、史跡公園内にある市立今城塚古代歴史館の主催。ゴールデンウイークを前に公園をきれいにし、観光客に気持ちよく散策してもらうのが狙いで、市内の小学生軟式野球チーム「リトルジャイアンツ」のメンバーや家族連れら約120人が参加した。

 参加者たちは、古墳北側にある埴輪祭祀場に入り、水でぬらしたタワシを手に、武人や巫女(みこ)、動物、家などさまざまな形をした埴輪を次々に磨き、周辺の雑草を抜いた。約1時間の作業で埴輪はすっかりきれいになった。参加した子供たちは「すごい古墳が高槻にあるんだ」と誇らしそうだった。

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1745よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/21(月) 18:55:20 ID:0nbYKVAc0
活気伝わる道頓堀 芝居小屋資料130点展示
2014年4月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140420/20140420025.html

 開削から来年で400年を迎える道頓堀をテーマにした企画展「再現!道頓堀の芝居小屋」が19日、大阪市北区天神橋6丁目の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」で始まった。芝居小屋の建絵図など貴重な資料130点を展示。多くの来館者が「道頓堀五座」に代表される大阪文化の発信地の歴史の一幕に見入っている。5月25日まで。

 同館と関西大学都市遺産研究センターが主催。会場には舞台背景やポスター制作で活躍した芝居画家山田伸吉による作品の数々や、大阪出身の劇場大工中村儀右衛門が手掛けた浪花座、角座といった劇場の建絵図など同センター所蔵の資料がずらり。来館者は「当時の活気が伝わってくる」「いい時代だった」とつぶやきながら往時に思いをはせていた。

 このほか明治中期に描かれながら不採用となった洋風の浪花座の建絵図や、これを基に精巧に復元された縮尺模型もお目見え。セレモニーでは浪花座での上演という想定で能勢人形浄瑠璃鹿角座による三番叟(さんばそう)も披露され、開幕を盛り上げた。

 同大学文学部の長谷洋一教授は「大きな節目を前にさまざまな切り口から道頓堀の良さを再認識していただきたい」と話していた。午前10時〜午後5時。

1746よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/21(月) 19:27:15 ID:0nbYKVAc0
飛び出し注意、縁もPR 四天王寺に聖徳太子看板
2014年4月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140420/20140420022.html

 聖徳太子が「飛び出し坊や」に−。聖徳太子が摂政皇太子として最初に建立したことで知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)でこのほど、太子をデザインした飛び出し注意看板が完成した。笏(しゃく)を手に、にっこりと駆け出すユーモラスなポーズ。本来の注意喚起はもちろんのこと、天王寺が聖徳太子のまちであることを発信する役目も担っている。遺業がしっかりと受け継がれている寺、まちだけに太子看板の“降臨”は話題となりそうだ。

 境内では半年ほど前から北西の「中之門」などに太子を描いた立て看板を設置。車での参詣者に一時停止や徐行といった安全運転を促している。同寺参詣部の山岡武明さんは「『四天王寺=聖徳太子』ということを皆さんに知ってもらいたい」と看板のデザインを手掛けた。約40年前に誕生し、元祖とされる看板「飛び出し坊や」が静かなブームを呼んでいることにも着目。発祥の地である滋賀県へ赴き、さまざまな関連グッズまで売られている状況なども視察した。

 「立てる場所によって左右の向きの看板が必要であることや、歩行者に危険がないように縁は必ず丸みをもたせるなど、意外と気付かない点も多く試行錯誤の連続だった」と振り返る。

 看板自体の大きさは全長約80センチ、幅約40センチで支柱は高さの調節も可能。所有者や団体名を記す空欄もある。素材にプラスチックをアルミで挟んだ複合板を使って軽量に仕上げた。現在6基が完成しており、まずは境内で設置場所を調整中という。

 看板には本来の交通安全以外の役目もある。同寺では8年後に聖徳太子の年忌法要「御遠忌(おんき)1400年」が控えており、太子を祭る「聖霊(しょうりょう)院」(太子殿)周辺や、戦後から復興してない箇所の改修など一大事業の計画が着々と進んでいる。今回の看板制作もその一環という位置付けだ。

 山岡さんは「現在、天王寺のまちを歩いても聖徳太子の姿はないが、看板がまちの方々に立つことで、より多くの人に聖徳太子とのゆかりを認識もらいたい」と力説。境内以外の設置については「地域や団体などと相談し、申し出があれば既存の古い看板と交換してもらいたい」と広がりに大きな期待を寄せる。設置場所は同寺のホームページで順次紹介していく予定。

1747よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/21(月) 19:56:48 ID:0nbYKVAc0
「公園100選」木々伐採も
2014年04月19日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140419-OYTNT50068.html

 ◇枚方・百済寺跡再整備 根が遺構一部破損

 枚方市が今年度計画する国特別史跡・百済寺跡(8世紀中頃)の再整備を巡り、市教委が難問に直面している。約1700本ある木々のうち、遺構に影響のあるものを伐採しなければならないためだ。市民からは「慣れ親しんだ景観が変わる」と、反発する声が出ている。(編集委員・関口和哉)

 1967年に史跡公園第1号として整備された際、府教委がアラカシ2200本などを植栽した。その後、市がマツやサクラなどを植えており、寺跡には現在、計約1760本が茂っている。

 市は73年、同寺跡を「百済寺跡の松風」として「枚方八景」に指定。2006年には「日本の歴史公園100選」にも選ばれており、市民らの憩いの場になっている。

 ところが、今年度からの再整備を前にした市教委の調査で、西塔跡に生えた直径約1メートルのクス2本の根が、塔の土台(基壇)を壊していることが判明。講堂跡にも、マツ2本が直径約50センチに育ち、遺構に悪影響を及ぼしていた。寺跡の下層には、寺院造営以前の遺構も存在し、根で破壊される懸念が出ているという。

 市教委文化財課は「整備当初は、樹木が遺跡に悪影響を与える認識が薄かった。保存に影響する樹木は伐採するしかない」として処分する樹木の選定を進める。文化庁記念物課は「遺跡の重要性を考慮すれば、やむを得ない」としている。

 現在の計画では多くの人が花見に訪れるサクラは残す方針だが、その他の多くの木々は処分される見込み。新緑の季節を前に地元の主婦(70)は「住宅街の中にある貴重な緑地で、長年親しんできた。一本の木も切ってほしくない」と反発している。

 椎名慎太郎・山梨学院大名誉教授(文化財保護法)の話「地域住民の協力なしに遺跡の保護・活用はできない。行政は情報公開を進めるとともに幅広く意見を聞き、伐採するなら必要性を丁寧に説明すべきだ」

<百済寺跡> 渡来系氏族の百済王(くだらのこにきし)氏が創建したとされる寺跡。国庫補助事業で整備された。当時の調査で、東西両塔や金堂など主要伽藍(がらん)を確認。2005年度からの調査では、寺域が約140メートル四方と判明した。

2014年04月19日

1748よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/22(火) 22:39:10 ID:XxvIsJGY0
命日に聖徳太子しのぶ聖霊会
04月22日 17時14分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140422/3895791.html

聖徳太子ゆかりの大阪の四天王寺で聖徳太子をしのぶ大規模な法要「聖霊会」が行われました。
大阪・天王寺区の四天王寺では聖徳太子の命日とされる4月22日に聖徳太子をしのんで毎年「聖霊会」を行っています。
午後0時半から始まった法要では、まず僧侶や寺の関係者らおよそ 100人が列を作り笛や太鼓を吹き鳴らしながら境内を練り歩きました。
このあと境内にある池の上につくられた石舞台で舞楽が奉納されました。
この舞楽はおよそ1400年の歴史を引き継ぐとされ国の重要無形民俗文化財に指定されています。
このうち「振鉾」と呼ばれる最初に行われる舞は舞台を清め法要の無事を祈るもので赤と緑の衣装をきた人たちがほこを大きく回したり左右に振ったりしながら優雅な舞を披露しました。
境内には全国各地から多くの人が訪れ華やかな舞を見つめていました。
群馬から訪れた男性は「初めて見ましたが、とてもすばらしいです。
時間の流れがゆっくり感じました」と話していました。
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1749よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/23(水) 23:06:39 ID:dXS2xURE0
華麗歴史絵巻 四天王寺「聖霊会舞楽大法要」
2014年4月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140423/20140423031.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で22日、開祖・聖徳太子の命日にちなんだ「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」(重要無形民俗文化財)が執り行われた。太子の御霊を慰める法要と舞楽が厳修され、みやびやかな音色が響く中、多くの参詣者が歴史絵巻を思わせる光景にじっくりと見入った。

  同法要は約1400年の歴史を誇り、同寺の数ある年中行事のうち重要かつ最大規模として知られる。境内の石舞台では衆僧による声明(しょうみょう)に続き、天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)(小野功龍理事長)の舞人、楽人が勇壮華麗な舞楽の数々を奉納。朝鮮半島伝来とされ、太子の目覚めを慰める供養舞と伝わる5人舞「蘇利古(そりこ)」や、鳥の羽根を背にした童子による華やかな童舞「迦陵頻(かりょうびん)」などが次々と繰り広げられた。古式ゆかしい装束と所作、舞台の四方に立つ曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の装飾などが相まって人々を終始魅了した。

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1751よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/25(金) 21:35:43 ID:Z6okUgAc0
古都・大阪と最先端大都市・大阪の融合の象徴とも言えるニュースです。


■山本能楽堂 改修完了 「メインは最新型LED」
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000004526.shtml

 大阪で最も古く、国の登録有形文化財にも指定されている「山本能楽堂」で、ほぼ3年間にわたった改修工事が完了し、関係者に公開されました。

 「メインは最新型のLED照明にしたこと」(能楽師 山本章弘さん)

 舞台には1,670万色を表現できるLED照明を設け、夕日や月の光などで効果的な演出ができるようにしました。

 能楽以外でも様々な芸能に活用できるということです。

 1927年に建てられた、「山本能楽堂」は、戦争で焼失したあと再建。

 今回の工事は、総事業費2億円で耐震性も強化されました。

 稽古場や資料室も一新され、上方芸能を世界に向けて発信できる拠点にしたいということです。 (04/24 18:06)

1752よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/26(土) 05:02:31 ID:l4D2tR7I0
大坂冬の陣400周年 「赤い通天閣」で真田幸村博をPR
2014.4.25 23:21
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140425/wlf14042523210032-n1.htm

 大坂冬の陣400周年記念イベントの一環で、大阪のシンボル・通天閣が25日、一日限定で真田幸村の甲冑と同じ赤色にライトアップされた。

 幸村は大阪市天王寺区に激戦地となった砦「真田丸」を築いた。同区などは、これにちなみ5月4日に天王寺公園で「天王寺 真田幸村博」を開催する。

 通天閣には、甲冑姿の市民約10人が集まり、点灯式を開催。新世界も練り歩き「400年ぶりに東京に倍返しを」と“燃える大坂”をPRした。

1753よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/26(土) 21:47:39 ID:RWsJT6G.0
藤十郎さん「曽根崎心中」お初を演じ納め 1351回目、異例のカーテンコール
2014.4.26 21:09
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140426/wlf14042621090033-n1.htm

 歌舞伎の人間国宝で高松宮殿下記念世界文化賞受賞者の坂田藤十郎さん(82)が26日、代名詞ともいえる「曽根崎心中」のヒロインお初を演じ納めた。60年以上にわたり演じ続けた当たり役は、この日で実に1351回目。客席を埋めた観客は、最後となるお初に名残を惜しんだ。

 藤十郎さんは今月、東京・歌舞伎座の「鳳凰(ほうおう)祭四月大歌舞伎」に出演。千秋楽のこの日、藤十郎さんのお初を惜しむ拍手は鳴りやまず、歌舞伎では異例のカーテンコールも行われた。 終演後、藤十郎さんは「明日からお初に会えないかと思うと寂しい。カーテンコールがとてもうれしかった」と話していた。

 お初と徳兵衛の悲恋を描いた「曽根崎心中」は近松門左衛門の代表作。長く上演が途絶えていたが、藤十郎さんは昭和28年の復活上演以来、ほぼ一人で演じてきた。

1754よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/27(日) 22:04:18 ID:lztlrN2g0
四天王寺で「大古本祭り」
04月27日 12時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140427/3958071.html 

関西の古書店が一堂に会する、恒例の「大古本祭り」が、大阪の四天王寺で開かれています。
ことしの「大古本祭り」には、大阪や兵庫、京都などから29の古書店が参加し、およそ40万点の古本や版画などが展示・販売されています。大阪の四天王寺の境内にはテントが並び、訪れた人たちが、専門書や児童書などを手にとって、品定めしていました。
大阪・八尾市の古書店のテントでは、明治34年に現在の早稲田大学の学生が書いたとされる絵入りの日記が展示され、創設者の大隈重信との会話や、大隈の自宅が焼けたときの様子などが書かれています。主催した「関西古書研究会」の菅哲夫会長は、「掘り出し物との出会いを楽しんでほしい」と話していました。
「大古本祭り」は、大阪の四天王寺で、今月30日まで開かれています。

1755よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/27(日) 22:13:44 ID:lztlrN2g0
「大阪で生まれ育った文楽お引き立てを」…人間国宝「竹本住大夫さん」引退公演が「千秋楽」迎える
2014.4.27 21:09
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140427/wlf14042721090024-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の人間国宝、竹本住大夫さん(89)の大阪での引退公演が27日、大阪市中央区の国立文楽劇場で千秋楽を迎え、住大夫さんは「菅原伝授手習鑑・桜丸切腹の段」を渾(こん)身(しん)の力を込めて語り、本拠地・大阪の舞台に別れを告げた。

 この日、最後の舞台に詰めかけた満員の観客は、住大夫さんの滋味にじむ語りに名残を惜しみ、拍手はしばらく鳴り止まなかった。

 語り終わった後、本舞台に登場した住大夫さんは「みなさまの支えと励ましで今日まで来られて幸せでした。私が去りました後も、大阪で生まれ育った文楽に叱咤激励とお引き立てをよろしくお願いいたします」とあいさつ。人形遣いの人間国宝、吉田簑助さん(80)が遣う桜丸の人形から花束を受け取った。

 今月は初日から大入り満員が続き、千秋楽までに2万9973人を動員。昭和59年の同劇場開場以来、2部制公演としては歴代最高の入場者数を記録した。

1756よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/03(土) 05:49:54 ID:OZANmrVw0
大阪ロマン紀行

 大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

命かけた仇討ちの連鎖

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2014年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/140502/20140502042.html

高槻市芥川町 芥川仇討ちの辻
 
 本日は、芥川仇(あくたがわあだ)討ちの一席を申し上げる。石見(いわみ)の国、吉永(島根県大田市)に早川八之丞、大崎長三郎という若侍がいた。二人は何かにつけ張り合うライバル同士。この日も城主の小姓をめぐって言い争いとなり、果たし合いまで行うこととなった。通常は立会人が必要であるが、二人だけで決着をつけることにし、斬り合いの末、長三郎は殺された。

 いかに武士の意地とはいえ、事の重大さに気づいた八之丞が、自室で切腹しようとしたところ、異変に気づいた父親、四郎兵衛が思いとどまらせ、八之丞に城下を去らせた。

 武士の社会で果たし合いは珍しくもないが、城主の側近である松下源左衛門の妻が、殺された長三郎の姉であり、彼女がこのことを城主に直接訴えた。そうなると城主も八之丞を逃がした四郎兵衛の責任を追及せざるを得ず、四郎兵衛に切腹を命じた。

 後日、八之丞の耳に父の悲報が届く。長三郎の姉が自分の立場を利用したことを怨(うら)み、八之丞は松下源左衛門をねらうようになる。しかし、なかなか好機が訪れず、10年の月日が流れてしまった。ようやく源左衛門が主命で江戸にいることをつきとめ、夜陰に乗じて寝所に押し入り「妻が勝手にしたこと」と言う言葉も耳に入らず、源左衛門を切り刻んだ。

 そうなると今度は源左衛門の息子たちが黙っていない。長男、三郎平(異説として助三郎とも言う)と次男の忠三郎、それに2人の従者がついて八之丞の後を追った。八之丞はすでに世を捨て、虚無僧(こむそう)姿で旅に出ているという。雲をつかむような話を追い続け、ついに1671(寛文11)年9月8日、芥川の宿にいるという情報をつかみ、長男と従者1人は、たまたまその日はいなかったが、好機を逃してはならないと、次男、忠三郎と従者の2人だけで、出立した八之丞の後をつけ、ついに討ち果たした。

 討たれた八之丞の懐には「自分は2人も殺した者で、討たれて当然。討った者に咎(とが)はない」という内容の書状があった。この事件は当時、本にも書かれ、美談として語られた(これらの話は弟と兄の役割や名前が違っていたり、内容の違う話がいくつか伝わっている)。

 このように、仇討ちは生涯をかけた大事業なのである。人によっては、それで一生を費やす者もいる。人を殺すということを考えぬく者もいるだろうし、だからこそ、仇討ちの重要性を感じるのだが、この芥川の仇討ちは「あっぱれ」と、手放しで喜べないものがどうしても残る。仇討ちが行われた辻(つじ)には、美談として書かれた案内板と小さな地蔵を祀(まつ)った祠(ほこら)があった。そうこうするうちに、雨が降ってきた。傘を忘れたので雨の中、辻に立ちすくみながら、殺し合いの連鎖について、濡れ鼠(ねずみ)になって、いっとき考え込んでしまった。

1757よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/03(土) 06:16:46 ID:OZANmrVw0
中之島に蔵の跡 大名のものか
05月02日 19時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140502/4128381.html 

大阪の中心部の中之島で江戸時代の大名などが使ったとみられる蔵の跡が見つかりました。蔵屋敷が並ぶ当時の姿を知る手がかりになると注目されています。
大阪文化財研究所などが大阪・中之島のマンションの建設予定地で発掘調査をしたところ幅およそ8メートル、奥行き35メートルほどの蔵の跡が4棟分見つかりました。
出土品などから18世紀後半の江戸時代に建てられたとみられ石を積んだ基礎の内側に礎石が規則正しく並べられていることから板張りの床があったと推測されています。
当時、中之島には参勤交代で江戸に向かう西国の大名が滞在したり特産品を保管したりする蔵屋敷が120ほど建ち並んでいたということです。
見つかった蔵は当時の絵図などから今の秋田県に拠点を置く生駒氏が使ったあと佐賀県にあった鹿島藩の鍋島氏が利用したとみられています。
大阪文化財研究所の市川創学芸員は「石高が多い藩の蔵屋敷は見つかっているが規模の小さい藩の蔵が見つかったのは初めてだ。大阪の経済を支えた中之島の当時の姿を知る手がかりになる」と話しています。
この発掘調査については今月10日に現地で説明会が行われます。


小藩ながら立派な蔵 中之島西部で跡確認
2014年05月03日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140502-OYTNT50542.html

 大阪市教委などは2日、同市北区中之島で江戸時代の土蔵跡が見つかったと発表した。中之島には当時、各藩の蔵屋敷が並んでいたとされ、今回の土蔵は、文献史料などから、比較的小さな藩が所有していた可能性が高いが、大きさは雄藩の蔵に劣っていないという。市教委は「小さな藩でも立派な蔵を使っていたことがわかる」としている。

 調査は今年1月から中之島の西部約2100平方メートルで実施し、土蔵4棟の基礎にあたる石積みなどが見つかった。いずれも幅約8メートルで、このうち2棟は、長さ約35メートルあることが確認でき、過去に近くで発掘された広島藩などの蔵跡に引けを取らない大きさだという。

 蔵の間には通路があり、当時、近くの堂島川から荷揚げされた特産物を運ぶのに使われていたとみられる。一方、他の藩のような、藩主が泊まったとされる屋敷跡は発見されなかった。

 市教委は、当時の地図などと位置を照らし合わせ、矢島藩(秋田県)、鹿島藩(佐賀県)が順に使用していた可能性があるとしている。石積みは1960年代まで、民間企業の倉庫の基礎に使われていたという。

 市教委などは10日午後1時から、現地説明会を開く。問い合わせは中之島蔵屋敷跡発掘現場事務所(090・2386・7682)へ。

2014年05月03日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1758よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/03(土) 06:21:48 ID:OZANmrVw0
「大坂の陣」盛り上げへ 道明寺合戦まつりPR
2014年4月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140430/20140430025.html

 5月3日に開催される「道明寺合戦まつり」(藤井寺市)と4日の「天王寺 真田幸村博プレイベント」(天王寺公園)など、大坂の陣400年にちなんだイベントのPRが29日、大阪市阿倍野区のあべのキューズモールであった。「真田の赤備え」を身にまとった天王寺区の水谷翔太区長と、道明寺の地元商店主らでつくる「道明寺甲冑(かっちゅう)隊」のメンバーが、親子連れなど多くの買い物客らに来場を呼び掛けた。

 会場に登場した水谷区長は多彩なプログラムを紹介し「連日楽しんでもらい、ゴールデンウイークを『大坂の陣』一色で盛り上げてほしい」とPR。成功を祈願して勝ちどきを上げた。後藤又兵衛に扮(ふん)した同合戦まつり実行委員長の森田剛浩さん(52)は、「老若男女に楽しんでもらえるプログラムを予定。まつりを契機に道明寺のまちに親しんでもらえれば」と期待を込めた。

 3日は石川河川敷で午前10時の出陣太鼓に続き、再現パフォーマンスや武術演武などを実施。午後からは合戦再現などが繰り広げられる。道明寺天満宮会場(午後3時〜同8時)では灯ろうづくりワークショップや旭堂南陵さんの講談(同5時)、ライトアップ(同6時)などが予定されている。

1759よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/03(土) 06:26:51 ID:OZANmrVw0
境内に極楽浄土 平野・大念佛寺「万部おねり」
2014年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140502/20140502037.html

 大阪市平野区の融通念佛宗(倍巌良舜管長)総本山大念佛寺で1日、伝統行事の大法会「万部(まんぶ)おねり」(市指定無形民俗文化財)が始まった。快晴の青空の下、菩薩(ぼさつ)が現世から極楽浄土に向かう来迎の光景が再現され、多くの参詣者が荘厳な儀式に目を奪われている。

 万部おねりの正式名は「阿弥陀(あみだ)経万部読誦(どくじゅ)・二十五菩薩聖聚(しょうじゅ)来迎会(え)」といい、同寺で最大の行事として知られる。本堂沿いに設けられた回廊では、稚児や諸講の行列に続いて、紫蓮台を手にした観世音菩薩など、きらびやかな面と装束姿の二十五菩薩が登場。参詣者が見守る中、厳かにお練りを繰り広げ、極楽浄土に見立てた本堂へ順次入堂した。

 行事は5日まで。お練りは連日午後1時から行われる。

1760よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/05(月) 01:38:39 ID:v67YhLNw0
子供の健やかな成長祈り 生國魂神社であす「走馬神事」 大阪
2014.5.4 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140504/osk14050402030001-n1.htm

 「こどもの日」の5日、「いくたまさん」の愛称で親しまれる大阪市天王寺区の生國魂神社で、子供の健やかな成長を祈る「走馬(そうめ)神事」が行われ、子供の乗馬体験などの行事がにぎやかに開催される。

 走馬神事は江戸時代、大阪城と縁の深い同神社で始まり、馬を走らせながら弓を射る流鏑馬(やぶさめ)なども行われていた。明治期以降は、神事のみが続いていたが、午年の今年、行事を拡大することにした。

 当日は午前10時から、神社近くの生玉公園で子供の乗馬体験、午後3時からは神事に続いて神社境内で、小笠原流の流鏑馬の型が木馬を使って披露される。

 参加無料。問い合わせは同神社(電)06・6771・0002。

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1761よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/05(月) 21:46:09 ID:G6UaGqm60
由縁の地、朱に染まる 「真田幸村博」沸く
2014年5月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140505/20140505026.html

 大阪市天王寺区に由縁の武将、真田幸村の魅力を発信する「天王寺・真田幸村博」(同実行委員会主催)が4日、同区の天王寺公園で開かれた。朱塗りのよろい、かぶとの「赤備え」で統一した兵士らが練り歩き、大勢のファンがカメラのシャッターを盛んに押していた。幸村の末裔(まつえい)が登場したトークショーも会場を盛り上げた。

 幸村は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣家と徳川家が争った大坂の陣(1614〜15年)は豊臣方として活躍。同区には、大坂冬の陣の「真田丸の戦い」の跡地や幸村が討ち取られたとされる安居神社など由縁の場所が多い。

 この日は、大坂の陣から400年目のことし11月と来年の2年にわたり実施される本イベントのPR行事として「幸村博」を企画。ステージでは幸村に仕えた「真田十勇士」の迫力あふれる殺陣が観客を沸かせた。

 幸村から14代目の真田徹さん(65)=東京都=が、真田丸の戦いの勝因を「とりでの中でじっと待ち、敵を引き付けたこと」と分析するなど持論を展開。音楽ライブや一般参加のちゃんばらも人気を集めていた。実行委員長の水谷翔太区長は「歴史の町としてブランド化したい」と意気込んでいた。

1762よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/11(日) 18:17:00 ID:J3HWtnw20
岸和田だんじり祭の経済効果は
05月11日 05時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140511/4030251.html 

江戸時代から 300年以上続くとされる大阪・岸和田市の「岸和田だんじり祭」の経済波及効果がおよそ40億円にのぼると見られることがわかりました。
この調査は大阪南部・泉州地域のまちづくりについて調査・研究を行っている「堺都市政策研究所」と岸和田市が、初めて行ったもので、調査では去年9月14日から2日間行われた「岸和田だんじり祭」の地元への経済波及効果を調べました。
それによりますと、祭には46万人あまりが訪れたと見られ、宿泊費など来訪者による消費額や祭の運営費として支出された額などを推計したところ、経済波及効果は泉州地域全体でおよそ39億8900万円に上ったとしています。
一方、調査は、去年は台風などの影響で祭の来訪者数が例年のおよそ60万人を大きく下回ったことから例年通りであれば経済波及効果はさらに大きかっただろうと結論付けています。
堺都市政策研究所は、「岸和田だんじり祭は地域の文化の継承という面だけではなく、経済面でも地域に大きな効果をもたらしていることがわかった」と話しています。

1763よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/11(日) 19:37:47 ID:J3HWtnw20
歴史ある街大阪

https://www.youtube.com/watch?v=7qeWX0h-zOM

1764よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/11(日) 20:08:00 ID:J3HWtnw20
みやびやか薫風に舞う 住吉大社で卯之葉神事
2014年5月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140509/20140509019.html

 住吉大神の鎮座を記念する祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が8日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で執り行われた。多くの関係者が参列し、みやびやかに奉納される舞楽を堪能した。

 卯の花(ウツギ)が咲き誇る5月最初の「卯」の日の伝統行事。この日はさわやかな風が吹き抜け葉擦れの音が響く中、第一本宮で本殿祭を斎行。祝詞奏上や献香、献茶がなされ、参列者代表が神前に卯の葉の玉串をささげた。

 重要文化財の石舞台では舞楽を奉納。大阪の四天王寺、広島の厳島神社とともに日本三大舞台として知られる名所で、天王寺楽所雅亮(がくそがりょう)会が奉仕した。

 舞人が優美な雅楽の音色に合わせて、開始を告げる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」や4人舞の「打毬楽(たぎゅうらく)」「延喜楽(えんぎらく)」などを舞った。参拝者は、古式ゆかしい装束と相まって荘重な雅楽特有の所作に見入っていた。

1765よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/12(月) 20:24:34 ID:e/g8GQkc0
大阪発 羅針盤

 地域の取り組みや課題、人々の動きや思いを通して大阪の明日、日本の未来を展望します。

淀屋闕所310年
2014年5月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/compass2011/140512/20140512035.html

閉塞した時代に活路 豪商が残した「教訓」

 高層ビルが立ち並ぶ大阪・中之島は、江戸時代に各藩の蔵屋敷が集積した。その蔵屋敷跡を発掘調査した大阪市教育委員会による10日の現地説明会に、当時豪商だった「淀屋」を顕彰するグループの姿があった。中之島を開拓した淀屋が、幕府の命によって財産没収と大坂追放の闕所(けっしょ)になった1705年から来年で310年の節目。淀屋の足跡を再評価し「閉塞(へいそく)した時代」に活路を開く試みが加速しつつある。

 「潮の満ち引きによる難工事も乗り越えた。勇気と先見性があった」。現地説明会に訪れた淀屋研究会代表の毛利信二さん(71)は、往時を想像して淀屋の業績に敬服したという。

 ススキやアシが密生する砂地だった中之島に着目した淀屋初代の常安(じょうあん)が、徳川家康に願い出て開拓を完了した1619年を境に大坂への蔵屋敷集積は進行。今回の発掘調査で見つかった4棟の土蔵跡は、蔵屋敷沿いの堂島川から荷揚げされた物資を効率的に搬入する配置を取っていたことを物語り、中之島一帯が「天下の台所」の象徴だった歴史を浮き彫りにした。

 淀屋が闕所になった原因は「ぜいだく」「おごり」と当時の大坂人は受け止め、生活の質素、倹約を進めるきっかけになったとされる。しかし、淀屋が残した「教訓」はこれにとどまらず、暖簾(のれん)復活を期した商人魂にあった。

「勇気と先見性」に目を 温故知新、実行の時

 中之島の開拓をはじめ米市の設立、青物市の再開などを手掛けて「日本一の豪商」と呼ばれた淀屋だが、持ち過ぎた財力は1705年、闕所(けっしょ)の憂き目を招いてしまう。その300年後の2005年に発足した淀屋研究会の目的は、淀屋に関する真実の探求。着目している点が、山陰地方の鳥取県倉吉市にあった旧商家「牧田家」との密接な関係だ。

1766よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/12(月) 20:25:41 ID:e/g8GQkc0
>>1765

■来年10月にサミット

 「闕所の約60年後、淀屋跡地に淀屋清兵衛を名乗る商人が活躍している。倉吉の大蓮寺には牧田家代々のお墓と共に『大坂淀屋清兵衛』と刻まれた供養塔が建てられている」

 淀屋研究会が06年に編集した図録『淀屋の歴史と偉業』に寄稿した長谷川稔倉吉市長(当時)は、地元と淀屋の関係をそう伝えている。

 つまり、淀屋は倉吉でひそかに暖簾(のれん)をつなぎ、元の淀屋橋で淀屋清兵衛を公称して再興した。その後、1859年に突如、大坂と倉吉の店を閉鎖し、資金を朝廷に献上してこの世から去ったというわけだ。

 しかし、長谷川市長と対談した関淳一大阪市長(当時)は「闕所の真相も含めて分からないことが多い。淀屋の屋敷跡の碑にこの地とのよすがを伝えるのみ」と同図録に言及。淀屋の足跡が“伝承”の域にとどまる現状に対し、淀屋研究会は、闕所310年に当たる2015年10月10日に「淀屋サミット」の開催を通して足跡を深掘りする意向だ。

■歴史に活路を

 研究会と関わりのある作家の新山通江氏は、暖簾復活を期した淀屋4〜5代の商人魂を描いた著書『真説淀屋辰五郎』の巻頭で次のようにつづっている。

 「閉塞(へいそく)した時代の、あるいは個人的な憂い事の、活路を開いていただくヒントが見つかりますように」

 折しも、今後30年間で20〜30代の女性が半分以下に減る自治体は896市区町村に上るという試算が8日に発表されたばかり。東京に続く第2の都市である大阪市内でも郊外や再開発未定の大正、浪速、西成、住之江、中央の五つの区が半減するなどまさに「閉塞した時代」を迎えている。

 だからこそ「勇気と先見性」(毛利信二研究会代表)を持っていた淀屋の足跡に目を向け、民間活力が地域を発展させた大阪の歴史に学びたい。温故知新を実行する時である。

1767よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/12(月) 21:09:36 ID:e/g8GQkc0
再来年の大河ドラマ「真田丸」
05月12日 17時47分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140512/4377221.html 

再来年、平成28年に放送されるNHKの大河ドラマは、「大坂冬の陣」と「夏の陣」で豊臣方の武将として徳川家康率いる幕府軍と果敢に戦った、真田幸村の生涯を描く「真田丸」に決まりました。
大河ドラマ「真田丸」は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将、真田幸村が主人公です。
ドラマは、天下を争う大名たちにほんろうされながらも、父や兄をはじめとする家族とともに、知恵を頼りに生き抜き、江戸幕府によって追い込まれた豊臣家のために果敢に戦った幸村の姿を描きます。
「真田丸」は、大坂の陣の際に幸村が今の大阪・天王寺区に築いたとされる砦の名前で、戦国の荒波に立ち向かう真田家を、一そうの船に例えて名付けたと言われています。
脚本を担当するのは三谷幸喜さんで、大河ドラマの脚本は平成16年の「新選組!」以来2度目となります。
大河ドラマ「真田丸」は再来年、平成28年の1月から1年間放送されます。

1768よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/14(水) 21:44:40 ID:Kcm4v5Q.0
適塾 耐震工事終え再公開へ
05月14日 19時03分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140514/4152511.html 

福沢諭吉などの多くの人材を輩出した大阪の適塾の建物が耐震工事を終え、15日から再び公開されることになりました。
適塾は、幕末の蘭学者、緒方洪庵が、蘭学や医学を教えるために開いた塾で、福沢諭吉など、日本の近代化に貢献した多くの人材を輩出しました。大阪・中央区にある適塾の建物を管理する大阪大学は内部を公開していましたが、去年秋から一時休館して耐震改修工事を行い、完成したことから、14日、内覧会を開きました。
工事では、元の土壁を取り除いたあと、金属製の2枚の板の間にゴム状の素材を挟んで揺れを吸収する特殊な壁を取り付け、その上にしっくいを塗るという、重要文化財では初めての技術が使われ、展示室では、元の景観を損なわないこれらの工法についてもパネルなどで紹介しています。
大阪大学適塾記念センターの廣川和花准教授は、「古い建物を守るため、最新の技術を応用して耐震工事を行った。たくさんの人に見にきていただきたい」と話していました。
適塾の建物は、15日から再び一般に公開されます。
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1769よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/15(木) 05:24:41 ID:knmty1Hk0
適塾が耐震工事終え、15日から一般公開 内覧会に洪庵の子孫も
2014.5.14 22:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140514/wlf14051422000027-n1.htm

江戸時代の蘭医学者、緒方洪庵(1810〜63年)が開き、大阪大の原点とされる私塾「適塾」(大阪市中央区、国重要文化財)の耐震改修工事が完了し、阪大は15日から一般公開を再開する。14日は関係者向けに内覧会が開かれ、洪庵から数えて5代目の子孫がテープカットで再オープンを祝った。

 適塾の建物は木造一部2階建ての約285平方メートル。築200年以上と推測され、洪庵が弘化2(1845)年に購入。全国から集まった若者がここで医学や蘭学を学び、慶応義塾の創設者、福沢諭吉らを輩出した。また適塾の門人が阪大医学部の前身、大阪医学校などの要職に就いたことから阪大の源流の一つとされている。

 昭和51〜55年にかけて、大規模な改修工事が実施されたが、平成の改修となる今回は昨年10月〜今年3月、約6千万円をかけて屋根の軽量化や耐震壁の設置などを行った。改修により震度7までの揺れに耐えられるという。

 内覧会に奈良市から駆けつけた洪庵の子孫、緒方惟之さん(89)は「かつて、理想に満ちた多くの若者が学んだ空気を感じてほしい」と話していた。

1770よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/15(木) 20:49:36 ID:HYCetVuM0
「天満の名水」復活へ 天神祭実行委が初会合
2014年5月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140515/20140515025.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の実行委員会は14日、2014年度の初会合を大阪市北区の天満宮会館で開き、今夏の天神祭までに天満宮境内に井戸を掘って井戸水「天満の名水」を復活させる方針が示された。

 会合には大阪天満宮の寺井種治権宮司や京極俊明実行委員長ら関係者約80人が参加。14年度の行事計画として7月24日に宵宮祭、同25日に本宮祭を例年通りの内容で執り行うと決めた。

 天満の名水復活について、寺井権宮司は「祭りのにぎわいに生かせないか検討していく」と語った。

 京極実行委員長は「伝統を受け継ぐべきところは継承しつつ、改良できる点はしていくべきだ」と述べ、15年度以降の行事計画について関係者やにぎわいづくりの専門家らを交えた検討委員会の新設を提案。今後祭りの関係者との会合で設置について議論していく。

 会合では行事に関する13年度収支の決算や14年度予算も審議。収支悪化が顕在化している現状を踏まえ、改善に向けて協議した。

1771よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/17(土) 20:33:28 ID:u9D6AiKI0
徳川大坂城の採石場跡…航空レーザー計測で確認
2014年05月17日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140517-OYO1T50022.html

 江戸初期の徳川期大坂城築造の際、石垣に使う花崗岩(かこうがん)を切り出したとされる兵庫県西宮市の甲山(かぶとやま)東側に広がる丘陵地で、林の中から採石場跡とみられる遺構を「3次元航空レーザー計測システム」で確認したと、同市が16日、発表した。大坂城にかかわる採石場で最大の「東六甲採石場」の東端と考えられるという。

 同システムは、上空からレーザー光を照射し、広範囲の地表の凹凸を精密にとらえ、立体地図の作製に利用。この光は樹木をすりぬけるため、活断層や古墳の形を調べる際にも使う。

 市によると、東六甲採石場は現在の西宮市から神戸市にかけての六甲山系に位置し、石垣の約3分の1を産出したとされる。西宮市内でも、普請した鍋島藩などの印が刻まれた石材が見つかっている。しかし、採石場跡は住宅地となって発掘が難しい箇所が多く、同市の甲陽園地区でしか確認できなかった。

 市は2012年から、切りそろえたような石(縦横約1・5メートル、高さ約3メートル)が散乱する標高140メートルの地点を同システムで調査。近くの谷に直径10〜20メートルのくぼみが連続。この形が、兵庫県芦屋市内で発掘された採石場に酷似していた。西宮市は今後、発掘して特定するという。

 芦屋市で東六甲採石場を調べた森岡秀人・日本考古学協会理事(62)は「3次元航空レーザー計測システムによる調査が進めば、採石場の全体像がわかるのではないか」と期待している。

徳川期大坂城 豊臣秀吉の築いた大坂城が大坂夏の陣(1615年)で落ち、徳川幕府は西日本の大名64人に新たな城を築くよう命じた。城は1629年に完成したが、天守閣は65年に落雷で焼失した。

1772よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/17(土) 20:44:14 ID:vPLMBLrI0
富田林興正寺別院 重文に
2014年05月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140517-OYTNT50055.html?from=ycont_top_txt

 ◇「寺内町とセットで残存」評価

 富田林市の寺内町にある人気スポット「富田林興正寺別院」が16日、国の重要文化財(建造物)に指定されることになった。寺内町が形成される第一歩となった寺で、山門は豊臣秀吉が築いた伏見城(京都)のものが移築されたと伝わる。関係者は「これを機に、さらに魅力を発信していきたい」と喜びの声を上げた。(岡田英也、桜井悠介)

 本堂は、江戸時代初期の1638年に建立され、浄土真宗寺院のものとしては府内で最古。江戸後期に建てられた鐘楼(しょうろう)、鼓楼(ころう)、御成門(おなりもん)などと合わせて計6棟が指定された。

 周囲は、東西400メートル、南北350メートルの範囲に町家などが立ち並ぶ寺内町で、府内唯一の「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれている。「寺と寺内町がセットで良好に残る貴重な事例」と高い評価を受けた。

 同地区での重文指定は「旧杉山家住宅」に続き2例目。観光客の案内を担う「じないまち・ボランティアガイドの会」の山口完内会長(76)は「ガイドで外せないスポットで、指定を待ちわびていた。本堂内のふすま絵や欄間(らんま)彫刻など見所が多く、さらに多くの観光客に魅力を伝えたい」と張り切る。

 興正寺別院の華園勝文代務住職(83)は「歴史的な価値が認められ、身が引き締まる思い。先人から守られてきた建物を、次の世代に引き継いでいく重責を感じています」と話した。


 今回の指定で、府内の重要文化財(建造物)は99件(184棟)となった。

2014年05月17日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1773よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 06:10:39 ID:/b1eD7WA0
【舞台の遺伝子】
大阪で叶えた夢 歌舞伎の原点取り戻す 中村勘三郎
2014.5.17 14:35
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n2.htm

 初夏が近づくと、中村勘三郎さんを思い出す。

 20〜30年ほど前、大阪の7月は、勘三郎さんの舞台で熱く燃えた。

 道頓堀の中座を舞台に、躍動的に動き回り、すさまじいエネルギーを撒き散らし、愛嬌(あいきょう)たっぷりの演技に客席は沸いた。「東海道四谷怪談」では客席から幽霊を出して悲鳴を上げさせ、「高坏(たかつき)」では軽やかな下駄のタップダンスに場内から手拍子がわき起こった。

 「歌舞伎ってこんなに面白い」。勘三郎さんは古典芸能に見向きもしなかった大阪の若者たちをぐいっと歌舞伎に引き寄せた。それがいまに続く歌舞伎ブームのさきがけとなった。

 そんな勘三郎さんの涙を大阪で見たことがある。

 平成22年、大阪城公園西の丸庭園に建てられた「平成中村座」のお披露目のとき。江戸時代の芝居小屋を現代に蘇らせた平成中村座は、勘三郎さんの夢の結晶でもあった。

 その舞台後方を開け放った瞬間、大阪城の天守閣が姿を現したのだ。「これはすごい」。勘三郎さんの目に涙がにじんだ。

 天守閣の向こうに大阪の摩天楼がそびえる。それは伝統と現代を結びつけた希代の歌舞伎役者が夢見た風景だったのかもしれない。

 勘三郎さんが初めて大阪で「平成中村座」公演を行ったのは平成14年11月。

 梅田の繁華街にほど近い扇町公園の砂ぼこり立つ空間に突如、その芝居小屋は出現した。入り口には色とりどりの幟(のぼり)がはためき、場内に入ると桟敷(さじき)席。江戸時代にタイムスリップしたような風景に、観客は度肝を抜かれたものだ。

 勘三郎さんから任されて設計、建築を行った金井大道具の金井勇一郎社長(53)は「テントですから外の騒音も聞こえる。雨はうるさいけど、パトカーの音はかえっておもしろかった。ここでいったい何ができるんだろう。勘三郎さんも僕もワクワクしながら作り上げた」と振り返る。

1774よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 06:13:54 ID:/b1eD7WA0
>>1773

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/write.cgi/travel/6501/1294119348/
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n4.htm

 平成中村座の「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」のラストシーン。舅(しゅうと)殺しをした浪速の侠客(きょうかく)、団七(勘三郎)と義兄弟の徳兵衛(中村橋之助)は捕手に追い詰められ、現代の扇町公園の土の上を大阪の街に向かって疾走していった。

          □

 実は勘三郎さんに平成中村座を思いつかせたのはアングラ演劇の旗手、唐十郎さんの紅(あか)テントであった。

 19歳のとき、初めて紅テントで唐さんが主宰する状況劇場の芝居を見て衝撃を受けたという。神社や公園に出現する紅テントは猥雑(わいざつ)で妖しく、劇中、テントの後ろを開けると現代の風景が飛び込んでくる演出は魅惑的であった。

 「これだよ、これ」。勘三郎さんは足しげく紅テントに通った。

 現在、唐さん主宰の唐組で俳優兼演出を務める久保井研さん(51)はそんな勘三郎さんの姿をよく覚えている。

 「他のお客さんと一緒に膝をつき合わせて桟敷席で見ていらっしゃいました。打ち上げでは劇団員たちと車座になって話されていた。『これが歌舞伎の原点なんだ。歌舞伎もこれに戻らなきゃいけないんだよ』。そんなことを飛び上がるほど興奮しながら唐さんと話していましたね」

 歌舞伎が近代化の波の中で失ったものを取り戻したい。それこそが勘三郎さんの夢だったのではないか。

         □

  勘三郎さんは歌舞伎が低迷していた大阪に、歌舞伎の種をまいて花を咲かせ、突然、逝ってしまった。

 しかし、大阪の7月の歌舞伎公演は、勘三郎さんらの奮闘のおかげで途切れることなく続き、今年も松竹座で開催される。

 〈あんたはんは東京一、道頓堀が似合う役者はんや〉。大阪の見知らぬおばちゃんからそんなファンレターをもらったと、うれしそうに教えてくれた勘三郎さんの屈託のない笑顔が忘れられない。

中村勘三郎(1955〜2012年) 人間国宝だった十七代目中村勘三郎さんの長男として生まれ、昭和34年、東京・歌舞伎座で五代目中村勘九郎を名乗って初舞台。平成17年、歌舞伎座で十八代目中村勘三郎を襲名。華のある芸風で、立役から女形まで芸域は幅広く、古典の古格を守りながらも、新作歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座など果敢に挑み、歌舞伎の地平を豊かに切り拓いた。57歳というあまりにも早い死は現代歌舞伎の底知れぬ損失となった。

1775よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 20:54:43 ID:HkvDen6w0
「歴史的な日」だんじり24台がパレード 市制60年の大阪・河内長野
2014.5.18 20:24
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140518/wlf14051820240030-n1.htm

 大阪府河内長野市で18日、市民らがだんじり24台を引きながらメーンストリートを練り歩くパレードが開かれた。今年で市制60周年を迎えたのを記念するイベントで、沿道は約2万5千人でにぎわった。

 24台は同日午後、市役所に集結。そろいの法被姿の市民らが、だんじりを引きながら威勢よく練り歩いた。例年、秋の祭りでは後輪を持ち上げてこまのように速く回す「ぶん回し」がみられるが、この日はだんじりの彫刻などを楽しんでもらおうと、ゆっくり進んだ。

 実行委員長の鉾谷祐二さん(39)は「24台が集まった歴史的な日。こんなことは秋祭りでもない」。市内に住む上田まさ子さん(67)は「24台なんてびっくり。今しかないと思って見に来ました」と話した。

1776よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/21(水) 20:04:51 ID:jKmfYW4.0
真田幸村の資料館来月オープン
05月21日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140521/4472601.html

豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年を迎え、豊臣方の武将、真田幸村ゆかりの品々を集めた資料館が、大阪市にオープンすることになりました。
「真田幸村公資料館」は「大坂の陣」から400年になるのを記念して、大阪の鉄砲研究家、澤田平さんが大阪・東成区に、来月・6月からオープンさせるものです。
「資料館」には、▼「大坂夏の陣」で幸村が、徳川方に攻め込み、家康を撃とうとしたとされる「宿許筒」と呼ばれる火縄銃や▼徳川方が使ったとされる長さ1メートル70センチの「慶長大鉄砲」、それに、▼後世の武家が幸村の戦術を学んでつくったとされる手裏剣や吹き矢など、およそ300点が展示されるということです。
また、資料館を訪れた人たちは、澤田さんの説明を受けながら見学できるということですが、入館には予約が必要だということです。
「真田幸村公資料館」の連絡先は、06−6974−1186で、随時、予約の相談や問い合わせに応じるということです。

1777よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/21(水) 20:08:53 ID:jKmfYW4.0
この地道な努力に敬服いたします。 


空襲前のミナミ、45年かけ地図…聞き取り重ね
2014年05月19日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140519-OYO1T50024.html

空襲で焼ける前の大阪・ミナミ周辺の詳細な地図を45年かけて作っている男性がいる。資料を調べ、1000人以上に聞き取りをした。情報を求めて歩くうち、ふるさとの面影がよみがえったという。千日前から、道頓堀、心斎橋と広げ、今は最後の船場地区を作業中だ。戦後70年の来年、大阪市立中央図書館(西区)に寄贈する。(南部さやか)

 安藤豊さん(78)(中央区千日前)の幼い日の思い出は、国民学校3年時点で断ち切れる。

 春休みで集団疎開先から戻っていた1945年3月13日夜、大阪大空襲に遭った。焼夷(しょうい)弾が降り、燃え上がる町を家族で逃げ回った。千日前の自宅周辺は跡形もなく焼けた。避難先の知人宅から千日前に戻れた中学入学の頃、まだバラックが並び、西部劇のように砂ぼこりが舞っていた。

 地図作りの始まりは、証券マンだった68年、小学生の息子が「町の歴史を知りたい」と言ったことだ。資料を探して訪ねた図書館で、自分が国民学校1年だった42年の職業・個人電話帳を見つけた。これを手がかりに記憶をたぐり、地図を描いてみようと思った。

 今、ビックカメラなんば店が立つ場所に大阪歌舞伎座があった。劇場は近辺に12か所。戦争映画の宣伝看板が並び、作業着姿の男性が大勢、自転車をこいで見に来ていたのを思い出した。

 通っていた精華国民学校の近くは駄菓子や肉、すし、青果店が軒を連ね、道頓堀の、今は看板がまぶしいあたりに料亭があって、芸者さんが歩いていた。

 休日に先輩や同級生、近所の商店主らを訪ね歩き、「これ間違ってへんか」と、自作の地図を見せては情報を集めた。歴史雑誌や手記を読み、知らない建物名や地名を見つけるとまた調べて回った。

 地図が埋まってくると、街の光景と、思い出がよみがえる。繁華街の路地にろう石でマルを描いてケンケンをしたこと。通りが行商人たちの声であふれていたこと。てんびん籠を下げたイワシ売り、傘の修繕、うどん、玄米パン。毎月の夜店のあめ細工……。

 古い資料を持っている人や、同じように自宅周辺の昔の地図を作っている人にも出会い、情報交換した。「戦前のメインストリートは堺筋やったんや」「ここが、織田作之助の通った波屋書房があったとこ」。聞いて集めたエピソードも一緒に記録に残す。作製中の地図の大きさは縦横約2メートルになった。

 スタートから45年がたち、話を聞かせてもらった人の多くが他界しており、「これ以上は難しいだろう」と言う。

東西約4・5キロ、南北約6・3キロ。あの空襲では、この大半が焼けた。失われたものの大きさに今も慄然とする。

 安藤さんは「たくさんの生き証人の協力があって再現できた、空襲で消えた町のことを知ってほしい」と話している。

 古川武志・大阪市史料調査会調査員は「限られた地区の絵図などはあったが、大阪大空襲前の住宅地図はなく、貴重なものだ。地元で育った安藤さんだけに細部まで書き込んでおり、当時の町並みや人々の暮らしぶりがよくわかる」と話している。

大阪大空襲 大阪国際平和センター「ピースおおさか」(大阪市中央区)によると、大阪への空襲は、1944年12月〜45年8月に約50回行われ、うちB29爆撃機100機以上の大規模な空襲は計8回あった。45年3月13日の被害が最も甚大だった。

2014年05月19日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1778よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/25(日) 05:58:40 ID:YzhJ0.rE0
古墳周辺の景観保全対策説明
05月24日 12時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140524/4641481.html 

大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録をめざして堺市は、住民説明会を開き、新たな建物の高さの規制など、周辺の景観保全対策を説明し、理解を求めました。
百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録をめぐっては、周辺の景観の保全が不十分だなどとして、去年8月に推薦が見送られたことから、地元の堺市などは、先月、建物の高さの規制など、新たな対策を決めました。これを受けて、24日、地元の住民を対象にしたはじめての市の説明会が開かれ、およそ50人が参加しました。
市の担当者は、古墳群のそばでのこれまでの規制に加え、古墳群の周辺でも、新たな建物の高さや、建物の外壁の色を規制することなどを盛り込んでいまの条例を改正する方針を説明しました。
これに対して、参加者からは、「自治会単位で必要となる対応についてもっと説明してほしい」という要望が相次いだほか、「マンションの高さを変えて、資産価値が下がった場合、補償はあるのか」といった質問も出されていました。
堺市の宮前誠世界文化遺産推進室長は、「古墳群を世界文化遺産として守っていくため理解をいただけるよう説明を続けていきたい」と話しています。

1779よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 05:01:18 ID:AfElV3sQ0
幻の「海岸寺」解明に期待
2014年05月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140523-OYTNT50017.html

 ◇明治期移築先とされる貝塚・常照寺から175年前の鬼瓦

 貝塚市の常照寺本堂(名越)で、約175年前の江戸時代に製造されたとみられる鬼瓦が見つかった。同寺は、かつて徳川将軍家の位牌(いはい)をまつり、その後、姿を消した「海岸寺」が移築されたものとみられている。瓦には当時の職人と思われる名も残っており、地元研究家は「幻の寺の全容を知る鍵になるかもしれない」と期待している。

 常照寺は、1532年建立の浄土真宗本願寺派の寺。天保時代の古文書で記された間取りや妻入り造りの建築様式などから、岸和田城の初代城主・岡部宣勝(1597〜1668)が1657年に建てた海岸寺が、後に移築されたとみられている。

 海岸寺は、3代将軍家光以降の歴代将軍の位牌堂。現在の貝塚市半田にあったが、明治時代に解体され、位牌や石灯籠の一部は泉南市の寺に移された。宝物類などは行方不明になったという。

 常照寺では、約3年前から本堂を改築。その際、古い鬼瓦を歴史研究家の赤坂勇さん(69)が調べたところ、裏に岡部家菩提(ぼだい)寺の瓦に刻まれていた「岸泉仁」や、「天保九戌三月 瓦屋周三郎」など、瓦職人とみられる人名を見つけた。今後、瓦の価値を分析したり、刻まれた人名の子孫などを調べたりするという。

 赤坂さんは「約360年前に建てられた海岸寺の実態を知る糸口になるかもしれない貴重な資料」と評価、常照寺の藤塚知暁住職(64)は「鬼瓦は寺に安置された位牌を守る役割を果たしていたのでは。壊れないよう保存方法を考えたい」と話している。

2014年05月23日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1780よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 20:59:39 ID:LMIRksUU0
長い間、本当にお疲れ様でした。

「泣いたらあかんけど…」 拍手鳴り止まず 文楽の人間国宝、竹本住大夫さんが最後の舞台
2014.5.26 20:38
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140526/wlf14052620380028-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の太夫(浄瑠璃語り)で、人間国宝の竹本住大夫(すみたゆう)さん(89)の引退公演が26日、東京・国立劇場で千秋楽を迎えた。住大夫さんは亡き父、六世住大夫さんの引退公演と同じ「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)・沓掛(くつかけ)村の段」を語り、68年の太夫人生に幕を引いた。

 住大夫さんは45分間にわたり、子供や老母らの心情を情感豊かに表現。その余韻を惜しむ拍手はしばらく鳴り止まなかった。

 舞台上で行われた引退セレモニーでは「寂しゅうてまだ、次の公演に出るような気がします。これからも文楽を末永くお願いします」とあいさつ。長年、苦楽をともにしてきた人形遣いの人間国宝、吉田簑助さん(80)から花束を贈られ、感無量の面持ちを見せていた。

 セレモニー後、取材に応じた住大夫さんは「拍手を聞いていたら胸が詰まって。泣いたらあかんと我慢したが、楽屋に戻ってみんなの顔を見たら泣いてしまいましたわ」と語った。

1781よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 21:00:50 ID:LMIRksUU0
■文楽・竹本住大夫さん引退 「感謝と敬いの心でいっぱい」
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000004786.shtml

 人形浄瑠璃文楽の最長老で、今年2月、引退を表明した竹本住大夫さん(89)の最後の舞台が東京・国立劇場で上演されました。

 68年にわたる大夫人生を締めくくった最後の演目は、「沓掛村」。

 これは父の6代目、竹本住大夫さんが引退公演で演じたものと同じです。

 住太夫さんは戦後、すぐ文楽の世界に入門し、ストーリーを語る「大夫」という役割で、1989年には人間国宝に認定されました。

 大阪市の補助金削減問題では、技芸員のトップとして奔走。

 おととし7月に脳梗塞で倒れ、リハビリを経て、半年後に舞台復帰を果たしたものの、後遺症のため引退することを決めました。

 「いい星の下に生まれた運のいい男でね。感謝と敬いの心でいっぱいでございます」(竹本住大夫さん) (05/26 18:14)

1782よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/27(火) 23:11:34 ID:twV4LRaI0
雨中 地上の“花火” 坐摩神社のアジサイ
2014年5月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140527/20140527024.html

 大阪市中央区久太郎町の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)でアジサイがほころび始め、雨空に映える紫や赤、白などの花々が境内に彩りを添えている。

 同神社では神職が挿し木で株を増やすなど、丹精込めてアジサイを栽培している。葉の形状がカシワに似た「カシワバアジサイ」や「アナベル」、「スミダノハナビ(墨田の花火)」など約20種があり、開花期に合わせて鉢植えを境内に配置。今年は約200株が連なった。

 26日の近畿地方は気圧の谷や温かく湿った空気の影響で、終日、断続的な雨に見舞われた。

 境内の花は約1週間前から確認。全体では花数はまだ少ないが、多くの参拝客が、雨に打たれながら、つつましく咲く花姿に見入っている。同神社によると花は6月中旬まで楽しめる見込み。開門時間は午前7時半〜午後5時。

1783よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/01(日) 19:03:14 ID:w03L5oM60
入浴剤あの顔のモデル

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2014年5月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/140530/20140530024.html

東大阪市大蓮東「中将姫供養塔」

 今回は麗しの中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説である。天平19(747)年、藤原豊成(ふじわらのとよなり)に女の子が生まれた。長谷寺の観音様に祈願して、ようやくできた娘である。しかし、姫が5歳の時に母は亡くなり父は後妻を迎えたが、男の子ができたことで後妻は姫を憎み、14歳の時、後妻は家臣に姫を殺すよう命じた。だが、心やさしい姫をどうしても殺せず、家臣は日張山(ひばりやま)の青蓮寺(せいれんじ)に隠した。

 翌年、父が宇陀(うだ)に狩猟に来た際、洞窟で読経する女性に出会い、それが実は姫であることが分かって、姫を都に連れ戻した。13歳の時、三位中将の位を持つ内侍(ないし)となり、それから中将姫と呼ばれるようになった。

 16歳の時、世上の栄華から離れ、二上山の當麻寺(たいまでら)にて仏の道に仕えることを決心する。姫が生身の弥陀(みだ)を拝みたいと念じていると、長谷寺の観音が現れ、蓮華(れんげ)の茎から糸を取って曼陀羅(まんだら)を織るがよい、と教えられた。

 そこで、近江・大和・河内から蓮(はす)の茎を集めて「當麻曼茶羅(たいままんだら)」を織りあげた(この織物は最古にして最大ということで国宝に指定されている)。そして姫が29歳の時、阿弥陀(あみだ)如来と二十五菩薩(ぼさつ)が現れて、中将姫を生きながら西方浄土へ迎えたという。(以上、諸説あり)

 さて、日張山で最初に身を寄せた藤村家で姫は、婦人病によく効く秘薬を藤村家に伝え、それが藤村家家伝の薬「中将湯(ちゅうじょうとう)」になった。津村順天堂(現・株式会社ツムラ)の創業者、津村重舎(つむらじゅうしゃ)は日張山青蓮寺の檀家(だんか)であり、母の実家の藤村家に伝わる中将湯を婦人薬として商品化し、大ヒットさせた。

 だから津村順天堂のマークは創業当時から中将姫なのである。中将湯もお茶だけでなく明治30(1897)年に「浴剤中将湯」が発売される。それが昭和5(1930)年に「バスクリン」と改名され、今もロングセラーを続けているのだ。

 その姫の供養塔が高槻市にあるということで行ってみた。場所を近くのおばちゃんに聞いてみたら「あんたみたいな人が、ようウロウロしてるで」と言いつつ、丁寧に教えてくれた。

 そこには案内板も何もなかったが、異説では、幼い中将姫を守った「産婆」が住んでいたともいう。多くの人は中将姫のことは知らなくても、津村順天堂のマーク(現・メモリアルマーク)の清純でかわいく、気高ささえ感じる美人のことは誰もが思い出すことだろう。

 能に姫を題材にした「當麻」や「雲雀山(ひばりやま)」があり、御伽草子や草双紙のヒロインでもある。高槻市の供養塔を誰が作ったか知らないが、中将姫のことが大好きな人であることは間違いない。

 そう、中将姫は忘れがたく、私にとっても、時として「思い出したい人」なのである。津村順天堂の成功の一因は、当時、マークと広告を手掛けた画家、高畠華宵(たかばたけかしょう)の画力が相乗効果を上げた、中将姫のイメージなのである。

1784よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/06(金) 21:24:52 ID:3i.cgynI0
そうなんや 大阪24区

中央区 難波宮跡公園
2014年6月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140606/20140606043.html

発掘調査60年の節目

  「大化の改新」「日本書紀」「聖武天皇」、教科書でもおなじみの古代ロマンを今に伝えるのが中央区法円坂一帯に広がる「難波宮(なにわのみや)」跡公園だ。ことしは発掘調査が始まって60年の節目。近隣の大阪歴史博物館は21日から特別展「大阪遺産 難波宮」を開き、メモリアルイヤーを盛り上げる。

 同地で明らかになっているのは飛鳥時代と奈良時代の2時期の宮殿跡。前期は大化の改新後の飛鳥からうつった「難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)」、後期は聖武天皇が造営し、平城京の副都として栄えたという。

 大阪市立大学教授の山根徳太郎博士(1889〜1973年)が1954年から発掘調査を行い、中心部は国の史跡に指定。調査は現在も続き、公園内には天皇が重要な儀式で使用した後期の「大極殿(だいごくでん)」の基壇などが復元、住民らの憩いの場になっている。

 大阪歴史博物館は常設展示で難波宮を年代別に紹介しているが、特別展で本格的に取り上げるのは開館以来初。視点を変え「瓦」「土器」「文字」など15テーマから出土品などを展示する。

 同館学芸員の李陽浩さん(45)は「大阪にとどまらず世界に誇る宝。まだまだ分かっていないこともあり、これを機会に多くの人に関心を持ってもらいたい」と話す。

1785よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/07(土) 04:58:24 ID:EbLrca160
21日から大阪歴博で難波宮の特別展
2014.6.7 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140607/osk14060702020003-n1.htm

 「難波宮(なにわのみや)」の発掘調査開始から今年で60年を迎えたのを記念し、大阪市中央区の大阪歴史博物館で21日から、特別展「大阪遺産 難波宮−遺跡を読み解くキーワード」が開かれる。同宮の宮殿などに使われたとみられる屋根飾りの瓦である鴟尾(しび)の破片や古代の日本語表記がうかがえる木簡などを展示する。8月18日まで。

 同館によると、難波宮は、7世紀に造営されたが、686年の火事によって焼失。東大寺建立を唱えた聖武天皇により8世紀に、平城京の副都として再建されたとされるが、いまなお謎が多いという。

 昭和28年に住宅建設工事中に、大型の屋根飾りの瓦である「鴟尾」の破片(縦49・6センチ、横38・7センチ)が発見され、60年前の29年から第1次発掘調査が行われた。鴟尾は古代宮殿・寺院などの建物に用いられたとされ、復元図と並べて展示する。

 また「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と、漢字1字を1音にあてた「万葉仮名」で記された木簡「万葉仮名文木簡」や、出土遺物、当時の記録、歴史博物館所蔵の資料など約450点を展示する。

 企画広報課の李陽浩さんは「ビジネス街の地下に眠る古代の都の風景を思い浮かべながら、歴史ロマンを楽しんでもらえたら」と話している。大人600円、高校・大学生400円。問い合わせは大阪歴史博物館(電)06・6946・5728。

                   ◇ 

 関連企画として、29日に大阪歴史博物館の栄原永遠男館長による講演会「聖武天皇と難波宮」、7月25日と8月1日には「初期の発掘地点を巡るツアー」なども開催される。

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1786よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/09(月) 19:57:10 ID:giSrOsU.0
第3次大阪大空襲69年 3千の魂に祈り
2014年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140608/20140608087.html

 あの大惨事を後世へ−。太平洋戦争末期の1945年6月に米軍が実施した「第3次大阪大空襲」から69年を迎えた7日、猛烈な銃爆撃によって甚大な被害を受けた大阪市北東部など各地で犠牲となった人々を悼む慰霊の行事が執り行われた。爆撃機と護衛戦闘機の計500機が白昼飛来。爆弾と焼夷(しょうい)弾投下、機銃掃射を繰り広げ、約6万戸が被災、約3千人が犠牲となったとされる。参列者は69年前の惨状を風化させまいと、市民を巻き込む戦争の悲惨さや平和の尊さをあらためて訴えた。


 犠牲者千数百人の遺体が火葬された大阪市旭区生江の城北公園北側の淀川堤防に立つ「千人つか」では、千人塚慰霊法要協賛会(東浦栄一会長)による慰霊法要が行われた。

 同所は当時、地域住民の避難所になっていたが、米軍機は逃げてきた人々を低空から銃撃。同年に計8回あった大阪大空襲の中でも最も悲惨を極め、遺体は三日三晩かけて荼毘(だび)に付されたとされている。

 「千人つか」は、東浦会長の父が庭の石で作り、終戦の翌年から同所で法要を続けている。

 「戦争は昔の話ではあるが、遺族の方は昨日のことのように感じていらっしゃる」と東浦会長。しかし、時とともに経験者の高齢化は進み、当時、学徒動員中で多くの女子生徒が犠牲になった愛媛県の松山城北女子高校の関係者は、昨年に続いて参列することがかなわなかった。

 4年前から法要後に慰霊の能を上演しているNPO法人フェリスモンテ(旭区)の山王丸由紀子理事長(67)は「私も戦争を知らない世代だが、この平和を私たちが守っていかないといけないとあらためて心に誓いました」と話していた。

犠牲者千数百人の遺体が火葬された大阪市旭区生江の城北公園北側の淀川堤防に立つ「千人つか」では、千人塚慰霊法要協賛会(東浦栄一会長)による慰霊法要が行われた。

 同所は当時、地域住民の避難所になっていたが、米軍機は逃げてきた人々を低空から銃撃。同年に計8回あった大阪大空襲の中でも最も悲惨を極め、遺体は三日三晩かけて荼毘(だび)に付されたとされている。

 「千人つか」は、東浦会長の父が庭の石で作り、終戦の翌年から同所で法要を続けている。

 「戦争は昔の話ではあるが、遺族の方は昨日のことのように感じていらっしゃる」と東浦会長。しかし、時とともに経験者の高齢化は進み、当時、学徒動員中で多くの女子生徒が犠牲になった愛媛県の松山城北女子高校の関係者は、昨年に続いて参列することがかなわなかった。

 4年前から法要後に慰霊の能を上演しているNPO法人フェリスモンテ(旭区)の山王丸由紀子理事長(67)は「私も戦争を知らない世代だが、この平和を私たちが守っていかないといけないとあらためて心に誓いました」と話していた。

1787よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/10(火) 22:28:32 ID:hjB8oJNo0
夏の天神祭を盛り上げる「ギャルみこし」 メンバー募集で本社来訪
2014.6.10 20:40
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140610/wlf14061020400020-n1.htm

 大阪の夏の風物詩、大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭を盛り上げる「ギャルみこし」のメンバー募集をPRしようと、昨夏の経験者で今年も参加する4人が10日、ねじり鉢巻きと法被姿で、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ、「女性だけで担ぐみこしの醍(だい)醐(ご)味(み)をぜひ味わって」と呼びかけた。

 ミス天神橋の石川亜矢子さん(28)▽準ミス天神橋の岩谷薫さん(30)と谷口萌さん(22)▽御羽車娘の池上なつ美さん(31)−で、いずれも昨夏の担ぎ手の中から選ばれた。

 今年の天神祭は7月24、25の両日開催するが、ギャルみこしは同月23日、大阪天満宮近くの天神橋筋商店街周辺の約4キロで繰り広げられる。募集するのは15〜30歳の元気で健康な女性80人。オーディションで、重さ約70キロの天(てん)秤(びん)棒を担ぎ「みこしを担ぎたい!」という熱い思いを全身でアピールしてもらうという。

 30日までに「天神祭ギャルみこし」のホームページ(http://galmikoshi.com/)から申し込む。

1788よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/12(木) 05:06:42 ID:u28V9daM0
「大坂の陣400年」イベント概要明らかに 大阪城公園にテーマパークなど登場
2014.6.11 21:13
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140611/wlf14061121130017-n1.htm

 大阪の歴史や文化を発信するイベント「大坂の陣400年天下一祭(さい)」の概要が11日、明らかになった。慶長19(1614)年冬から翌年夏にかけて豊臣方と徳川方が激突した合戦にちなみ、今年は「大坂冬の陣」として10〜12月、大阪城公園に戦国時代のテーマパークなどが登場。来年も「大坂夏の陣」を開き、戦国ロマンで観光客へのPRを図る。

 400年の節目に大阪の活性化を図ろうと、大阪府と大阪市、鉄道会社、経済団体などでつくる実行委員会が企画。大阪の歴史や文化を楽しみながら学べる−をコンセプトにしており、冬の陣では大阪城の3D映像を鑑賞したり、甲冑などを試着したりできるテーマパークが大阪城公園内に出現する。

 公園内に設けられるドーム(直径36メートル)では内壁のスクリーンに合戦のイメージ映像が映され、入場者を臨場感が包み込む。このほか、通常は立ち入れない重要文化財の大阪城の櫓や蔵も特別公開される。夏の陣は来年4月〜9月の予定で、内容は検討中という。

 この日、市役所での会合を報道陣に公開し、概要を明らかにした。天下一祭をPRする俳優やタレントでつくる武将隊「大坂RONIN5」もお披露目され、真田幸村や長宗我部盛親らにふんしたメンバーは刀ややりを振りながら勇ましく名乗りを上げていた。

1789よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/12(木) 23:36:32 ID:wSwbKWzE0
武将隊を披露 大坂の陣400年プロジェクト実行委
2014年6月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140612/20140612037.html

 「大坂の陣400年天下一祭」を大阪市中央区の大阪城公園などで開催する大阪市、大阪府、民間事業者などで構成する「大坂の陣400年プロジェクト実行委員会」の第2回会合が11日、大阪市役所で開かれ、イベントをPRする武将隊「大坂RONIN5」がお披露目された。

武将隊は、大坂の陣で豊臣方の主力として奮戦した真田幸村らに扮(ふん)した5人組。赤や黄色など色鮮やかな衣装をまとい、刀などを手に勇ましいポーズを決めた。

 大坂冬の陣イベントは10〜12月に開催。期間中は西の丸庭園に直径36メートルの「ドーム」が出現し、大阪城の築城から大坂の陣までを紹介する映像などを上映。大阪城天守閣前の本丸広場では特設ステージが設けられ、武将隊のショーなどが予定されている。

 同実行委員会の橋爪紳也委員長は会合で「大坂の陣400年を一つの契機として、官民挙げて大阪を世界にアピールする2014、15年にしていきたい」と呼び掛けた。

1790よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 05:09:28 ID:5yGSD5QQ0
東大阪の「ものづくり力」知って 上田合金が銅鐸復元 全市立中に寄贈
2014.6.12 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140612/osk14061202000001-n1.htm

 東大阪市高井田中の鋳造会社「上田合金」が市内の遺跡で発見された破片から銅鐸26個を復元し、全市立中学校26校に寄贈することになった。上田富雄社長(78)が、子供たちに東大阪のものづくりの力を知ってもらおうと発案。今後、市が作成した銅鐸の関連資料などと合わせて各校に贈る。

 同市弥生町の鬼虎川(きとらがわ)遺跡から約35年前に銅鐸鋳型の破片などが出土しており、それらをもとに製作した。

 銅鐸は、約2千年前の弥生時代中期に使われていたとされる。復元された26個の銅鐸は、銅、スズ、鉛の合金を使用しており、高さ約31センチ、厚さ約3ミリで重さは約3・7キロ。各校には銅鐸のほか、復元工程や鬼虎川遺跡の様子を解説したデータ資料も贈るという。

 市役所で野田義和市長が上田社長に感謝状を贈呈。上田社長は「技術的には現代よりも2千年前のほうがすごいと感じます。子供たちには古代の職人やものづくりの原点を理解してもらえれば」と話した。

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1791よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:27:21 ID:9lE7gTbQ0
愛染まつりをPR
06月12日 19時15分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140612/5133621.html

大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が今月30日から始まるのを前に、浴衣姿の「愛染娘」たちが、NHK大阪放送局を訪れ、祭りをPRしました。
「愛染まつり」は、大阪・天王寺区にある「愛染堂勝鬘院」の、約1400年の歴史がある夏祭りで、初日には愛染娘を乗せたかごが谷町筋を練り歩く「宝恵かごパレード」が行われます。12日は、ことしの祭りに参加する、華やかな浴衣姿の「愛染娘」など4人がNHK大阪放送局を訪れ祭りをPRしました。
愛染娘たちは、「あいぜんさんじゃ−!ほーえーかーご!」と威勢の良い声を上げ、祭りの成功を願い「大阪締め」を披露しました。
愛染娘の1人で、20歳の大学生の弘中沙也加さんは、「愛染娘全員が笑顔で祭りを盛り上げるので、多くの人に来てほしいです」と話していました。愛染まつりは、今月30日から3日間行われます。
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1792よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:33:59 ID:9lE7gTbQ0
「天神祭月間」七夕に開幕へ 天神祭
2014年6月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140613/20140613022.html

 大阪市北区の大阪天満宮は12日、日本三大祭りの一つ天神祭の幕開けを7月7日の七夕に位置付け、本宮の同25日までを「天神祭月間」と打ち出す方針を示した。現状は宵宮の同24日が天神祭の始まりとして浸透しているが、期間を拡大することで地域のにぎわづくりに一層つなげていく。

大阪天満宮は現在、七夕に天満天神七夕祭の神事を執り行っているが、室町時代には七夕に天神祭が執り行われた記録が残っていることを踏まえ「プロローグの日」にする方針を決めた。

 7〜25日は、大阪天満宮近隣の川に発光ダイオード(LED)電球を流して天の川に見立てるなど多彩なイベントがすでにある。こうした取り組みを一体的に捉えて天神祭月間を通し、お祭りムードを高めて25日のピークにつなげる。

 天神祭月間の設置をめぐっては、天神祭渡御行事保存協賛会が大阪市北区の天満宮会館で12日開いた委員総会で示した。総会では、「天満の名水」を復活させる計画についてペットボトルに入れて商品化し、売り上げを天神祭の運営費に充てて「祭りの礎」にする意向も明らかにした。

 寺井種伯宮司は「祭りの広がりにつなげていければ」と話している。

1793よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:39:53 ID:9lE7gTbQ0
澪標 ―みおつくし―

受け継がれた祭りで人の繋がり
とくいさとしイラストレーター、絵画教室講師
2014年6月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/140613/20140613033.html

4年ほど前から写真を趣味にし、生き生きとした子どもたちの笑顔を撮りたく近畿地方を中心にお祭りへ出掛けるようになりました。大阪ですと生國魂神社の「いくたま夏祭」や住吉大社の「御田植神事(おたうえしんじ)」には毎年足を運ばせていただいておりますし、御田植神事では見る側から、現在は「供奴(ともやっこ)」として参加する側にまわっております。毎年見に行っていたら「やる?」と声を掛けられました。「御田植神事」はちょうど明日14日に開催されます(午後1時より本殿祭の儀)。ぜひお越しください。

 祭りに行くと、地元の方々からすれば僕は完璧なよそ者なわけですが、どこのお祭りに行っても快く迎えてくださいます。大体は「まぁ飲んでけ」とビールを渡され、地元の方といっしょに顔を赤く染めるわけですが、その心地よさを除いても祭りって本当にいいなと思います。

 普段子どもたちが大声ではしゃぐと「静かにっ!」と顔を真っ赤にして怒る大人が、祭りの日は別の理由から顔を真っ赤にして、子どもたちに「元気がないぞ!」と率先してバカみたいにはしゃぎます。子どもからすれば理不尽な話ですが、子どもたちもこの日はどうやら騒いでもいいらしい! と元気よく大人たちの期待に応えてくれるわけです。

 和歌山に行った時の話ですが「孫が初めて天狗(てんぐ)の役目をする」とうれしそうに語ってくれた方もおられました。お孫さんは大勢の地域の人が見守る中、見事大役をやってのけ、たくさんの拍手を受けておりました。帰りの電車の中で「あの天狗はよかった」と乗り合わせた地域の方の会話が聞こえてきて、祭りが地域の人たちにとって大切であること、子どもが地域のみなさんに育てられていることを感じました。

 祭りに行くとそういった地域の人たちの繋(つな)がりや、長年変わらずお祭りを継承されてきた歴史が感じられるところが好きです。祭りを通じて地域の人同士が繋がりを深め、子どもは大人からたくさんのことを学び地域の一員として育っていくのでしょうね。

 ただ、山間の小さな神社へ行った時には、小学生が巫女(みこ)として舞いを奉納するのですが、受け継ぐ子どもがおらず、あと2年間しか今の形で祭りを催行することができないという話も聞きました。

 地域のあり方や、人と人との繋がり方、いろいろな変化が祭りにも表れているのだと思います。それでもやはり地域に根付いた歴史を持ち、地域の人たちの繋がりで受け継がれてきたお祭りは大切であると思います。祭りに参加する子どもたちの笑顔はとても生き生きとしております。

 (とくいさとし 堺市美原区)

1794よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/15(日) 21:17:08 ID:bjKJVt6s0
古式ゆかしく豊作祈願 住吉大社・御田植神事
2014年6月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140615/20140615032.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植(おたうえ)神事」(重要無形民俗文化財)が盛大に執り行われた。梅雨を思わせない快晴の下、多くの奉仕者が古式ゆかしい装束姿で参集。踊りや舞といった華やかな芸能を奉納し、秋の豊作を祈願した。

同神事は神功皇后が御田を造らせ、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源とされる。

 この日は、神前に田植を奉告する本殿祭に続き、境内南側に広がる御田(おんだ)で御田式を斎行。中央の舞台では、同大社の神楽女(かぐらめ)が八乙女(やおとめ)として奉仕し、「田舞(たまい)(八乙女舞)」を舞う中、植女から青々とした苗を受け取った替植女(かえうえめ)らが、すげがさ、赤たすき姿で手際よく苗を植え付けていった。

 このほか舞台と御田の周辺では、「神田代舞(みとしろまい)」や「風流武者行事」「住吉踊(おどり)」などが順次奉納され、国内外の参拝者の注目を集めた。

 高井宮司は「ことしの秋の豊作と、すべての産業が発展するようにお祈りしたい」とあいさつした。

1795よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/16(月) 05:03:26 ID:nR0.Fl2A0
大坂の陣400年記念連続講座 市立中央図書館で来月
2014.6.16 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140616/osk14061602040002-n1.htm

 「大坂冬の陣」から今年で400年の節目を迎えることにちなみ、「大坂の陣」をテーマにした連続講座「乱世の大坂−よみがえる大地の記憶−」が7月5日から26日にかけ4回にわたり、大阪市西区の市立中央図書館で開かれる。

 内容は、作家の有栖川有栖さんによる「上町台地と大阪の文学」(7月5日)▽市史料調査会調査員の生駒孝臣さんによる「大坂城前史−忘れられた中世の大阪−」(12日)▽講談師の旭堂南陵さんによる「難波戦記−大阪が育んだ真田幸村−」(19日)▽大阪城天守閣館長の北川央さんによる「大坂城主 豊臣秀頼の実像」(26日)。

 入場無料。いずれも午後2時〜4時で、定員は当日先着各300人。ただし第1回のみ、往復はがきまたはインターネットで申し込む(6月18日必着)。

 また関連企画として同館3階では、大坂の陣に関する資料展示や、参戦した武将たちを取り上げた図書展示も行う。問い合わせは市立中央図書館(電)06・6539・3302。

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1796よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/18(水) 04:38:05 ID:J2qhbfHo0
大坂冬の陣400年 10月から「天下一祭」
2014年06月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140617-OYTNT50040.html?from=yartcl_blist

<3D画像で合戦再現 PRグループも発足>

 「大坂冬の陣」から今年で400年となるのに合わせ、大阪の歴史や文化を国内外にPRする「大坂の陣400年天下一祭」が10月1日〜12月31日、大阪市中央区の大阪城公園で開かれる。伝統芸能の公演やコンサートなどに加え、最新の映像技術で再現したかっちゅう姿の豊臣秀吉に出会える特設ミュージアムも登場する。

 府や大阪市、民間事業者でつくる実行委員会が主催。事業費約8億8000万円のうち、府と市は計約7800万円を負担する。

 本丸に設けるステージでは、能勢町の人形浄瑠璃や八尾市の河内音頭などを地元グループが上演する。天守閣の入場者には、専用のタブレット端末を有料で貸し出し、展望台から見た街並みに大坂の陣での各軍勢の配置を映し出したり、参戦した武将を紹介したりするサービスを行う。

 ミュージアムは本丸の北側にある極楽橋前に建て、3D画像やホログラム投影技術などで、豊臣秀吉のほか、当時の合戦の様子を再現。隣接の特設ホールに武将や忍者の貸衣装コーナーも設ける。西の丸庭園ではジャズコンサートや文楽の公演などが行われる。

 国の重要文化財に指定され、普段は入場できない櫓(やぐら)の一部も期間中に数回、特別公開。石垣をよじ登って侵入してくる敵の頭上に石を落とす仕掛けなどが見学できる。

 真田幸村ら豊臣方の武将にふんした劇団俳優やタレントで結成した5人グループ「大坂RONIN5」が今後、関西各地で天下一祭をPR。大阪観光局と連携し、海外の旅行会社にも売り込み、外国人観光客の一層の誘致を図るという。

 来年春から夏には「夏の陣」から400年に合わせたイベントも開催予定で、実行委広報事務局は「時代が移り変わる歴史的な舞台となった大阪城にもっと観光客を呼び込みたい」としている。

2014年06月17日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1797よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/18(水) 04:40:00 ID:J2qhbfHo0
名水再掘 大阪天満宮、プロジェクト結実
2014年6月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140617/20140617026.html

 天神さんに名水が復活−。大阪市北区の大阪天満宮で、かつて出ていた地下の井戸水が天神祭前をめどに復活する。大阪天満宮の禰宜(ねぎ)、岸本政夫さんは「真の意味での水都大阪復活の一つのきっかけになれば」と話している。

■藩主が飲用

 江戸時代、天満宮境内の「天神水」は、「大坂4カ所の清水」の一つとして名水にたたえられた。中之島にあった延岡藩(大分県)の蔵屋敷では、参勤交代で藩主が滞在する際、天神水を取り寄せて藩主の飲食に用いていた。

 明治ごろまでは一帯に130軒以上も造り酒屋があったといい、おいしい水として親しまれていた逸話は枚挙にいとまがない。しかし近年は、地下鉄や地域の開発などで水脈が寸断され、井戸水は枯れてしまっていた。

■五知の水

 復活のきっかけとなったのは、天神橋筋商店連合会の土居年樹会長と、天神橋筋商店街にリサーチアトリエを構える関西大学の楠見晴重学長の出会いだ。

 楠見学長は地質学の専門家で「再び天満の地で名水を」という両者の思いからプロジェクトが動きだした。

 天満宮に呼び掛けたところ「境内にあった『五知の水』と呼ばれる井戸の付近を掘ってみては」と協力を得た。地下70メートルまで掘り下げ「きわめて良質な清水」が出た。

 「鉄分が多く濁りはあるが、水質検査で有害物質は検出されなかった。ろ過して、お参りに来た皆さんにもいずれ名水を楽しんでもらえるようになれば」(岸本さん)

■ガラスの里

 加えて、ガラス工業発祥の地としても知られる同エリア。名水により親しんでもらえるよう、取水口には「ガラスの祠(ほこら)」が建てられる。リサイクルしたガラスで行う工芸「ガラスおこし」など、ガラスを使ったさまざまなアートの可能性を広げるアーティストで、大阪工業大学客員教授の岡本覚さんがデザインを買って出た。

 岡本さんは「ガラス発祥の地にふさわしく、現代のあらゆるガラス素材を駆使して祠を表現する。翡翠(ひすい)のように輝く屋根や、宙に浮いたような感覚を出したい」

 現在、祠建立に向け、1口5万円もしくは10万円の寄付を、天満宮も井戸復興奉賛金を1口1万円で受け付け中。

 岸本さんは「以前は素晴らしい水が出る場所だったと知ってもらい、誇りを持てる歴史があったこと、まだ大阪も捨てたものやないと感じてもらえたら」と話している。

 【メモ】ガラスの祠寄付の問い合わせは岡本さん(okamoto@bedeverre.com)、井戸復興寄付は大阪天満宮授与所へ。

1798よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/19(木) 22:56:19 ID:QAqFInms0
そうなんや 大阪24区

東成区 深江の菅細工   
2014年6月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140616/20140616039.html

技術伝承支える保存会

東成区深江地区に約2千年前から伝わるとされる菅(すげ)細工。天皇が即位される時の大嘗祭(だいじょうさい)や、伊勢神宮(三重県)で20年に1度行われる式年遷宮の儀式で使用される菅笠を代々、献納している。地元の伝統技術を継承していこうと現在、9人のメンバーで活動するのが、深江菅細工保存会だ。

 同地区は古代から良質の菅草が自生し、菅笠作りが行われていた。江戸時代には「伊勢参り」の流行とともに必需品として深江で菅笠を買い求める旅人が増え、名産品となった。しかし戦後は都市化で宅地開発が進み、菅草を育てる菅田が姿を消した。

 伝統技術が存亡の危機を迎える中、保存会は1988年に発足。地元で菅細工教室を開くなど、活動を展開。99年には「深江の菅細工」は、大阪市の無形文化財に指定された。

 2007年には保存会が協力し、深江菅田保存会が結成され、地元の南深江公園の一角に菅田が復元された。10年には地区内に深江郷土資料館がオープン。館内には式年遷宮で献納される同じサイズの菅笠(直径170センチ)が展示され、伝統の技術を伝える。

 保存会の最年長メンバー、長尾桂子さん(81)は、「次のそしてまたその次の式年遷宮と、深江の菅細工を絶やすことなく、後継者を育てていきたい」と力を込めた。(藤林敏治)

1799よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/19(木) 23:08:52 ID:QAqFInms0
社会人向けの文楽教室
06月19日 07時58分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140619/5217711.html

大阪の伝統芸能、人形浄瑠璃「文楽」を広く知ってもらおうと、18日夜、大阪の国立文楽劇場で、社会人向けの文楽教室が開かれました。
これは、国立文楽劇場が開いたもので、会社帰りの人たちも訪れやすい午後6時半から文楽を上演し、約700人が訪れました。
文楽は、せりふやあらすじを話す語り手の太夫と、音楽を演奏する三味線、そして1つの人形を3人で操る人形遣いという、3種類の技芸員が演じますが、まずそれぞれの役割が説明されました。
続いて、「卅三間堂棟由来」という演目が上演されました。この話には、ひと組の夫婦と子どもらが登場しますが、妻が柳の木の精という設定で、法皇の病をなおすため柳の木を使って三十三間堂をたてることになります。


おので木を切ろうとすると、妻は苦しみだしますが、死ぬ前に夫に自分が柳の精であることを告白する様子や、切り倒された柳の木を母と慕う子どもの様子を太夫が、文楽ならではの独特の節回しで表現していました。
会社員の男性は、「はじめての文楽鑑賞だったが、解説もありよくわかった。会社帰りにこれたので、また見に来たい」と話していました。
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1801よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:25:33 ID:tEwMd6gY0
指定文化財新たに17件 大阪市教委
2014年6月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140621/20140621041.html

 大阪市教育委員会は20日、「愛染さん」の呼び名で親しまれている愛染堂勝鬘(しょうまん)院(天王寺区)の「木造大勝金剛坐像」を有形文化財(美術工芸品)に指定するなど計17件を新たな市指定文化財にすると発表した。1999年度から毎年、文化財を指定しており、今回の17件を加えると市指定文化財の総数は計207件になる。

木造大勝金剛坐像は、1597(慶長2)年に豊臣秀吉が寄進したと伝えられ、国指定重要文化財となっている多宝塔の本尊。塔内中央の須弥壇上に祭られている。制作年代は多宝塔の建立時より若干さかのぼる室町時代と考えられている。

 このほかの指定文化財は次の通り。

 ◇有形文化財

 【美術工芸品】木造阿弥陀如来立像(本願寺津村別院)▽木造男神坐像・木造男神半跏像(今宮戎神社)▽木造阿弥陀如来立像(真宗大谷派天満別院)▽木造千手観音菩薩立像(西念寺)▽刺繍青面金剛画像(四天王寺)▽刺繍西国三十三観音札所観音菩薩画像(宝泉寺)▽下別時関連仏画群(法明寺)▽梵鐘(真宗大谷派難波別院)

 【歴史資料】佐賀藩大坂蔵屋敷関係史料(日本生命保険相互会社)▽慧光寺真宗関係史料(慧光寺)▽耐火収蔵庫型厨子(大乗坊)▽市電801型801号車・2201型2201号車・3001型3050号車、トロリーバス200型255号車(大阪市交通局)

 【考古資料】森の宮貝塚出土人骨(大阪市教育委員会事務局)

 ◇有形民俗文化財

 木造荼吉尼天騎狐像(東大寺)▽木造弁才天及十五童子像(荘厳浄土寺)▽生玉宮寺由来彫像群(正圓寺)

1802よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:26:55 ID:tEwMd6gY0
「難波宮」ひもとく 大阪歴史博物館 特別展
2014年6月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140621/20140621039.html

 大阪市中央区の大阪歴史博物館で21日に開幕する特別展「大阪遺産・難波宮−遺跡を読み解くキーワード−」の内覧会が20日、同館で開かれた。古代日本の一時代を築いた宮殿をひもとくとともに、発掘調査の知られざるエピソードが公開された。

1954(昭和29)年に始まった発掘調査の60周年を記念した同館と大阪文化財研究所(大阪市中央区)の合同イベントとして8月18日まで続く。

 今展は瓦、土器、建築部材などの出土遺物ごとにエリア分け。初期の調査を主導した故山根徳太郎氏が記した当時の記録ノート、調査の経過を報告する年賀状などの私物も公開され、発掘調査の足跡をたどることができる。

 タイトルの「大阪遺産」について、同館学芸員の李陽浩さんは「大阪が世界に誇れるほどの遺産である」と説明。「これまで興味がなかった人にも理解を得られるようにコンパクトに展示した。難波宮に親しみを持ってほしい」と話している。

 開館は午前9時半〜午後5時。火曜日休館。観覧料は特別展のみは大人600円、高大生400円。

1803よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:28:21 ID:tEwMd6gY0
朗報喜ぶ 「木造大勝金剛坐像」市有形文化財指定
2014年6月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140622/20140622038.html

 “愛染さん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区夕陽丘町の愛染堂勝鬘(しょうまん)院(山岡武明住職)の境内・多宝塔内に祭られている「木造大勝金剛坐像」が20日、大阪市指定有形文化財(美術工芸品/彫刻)となった。関係者は、同院の伝統行事「愛染まつり」(30〜7月2日)直前に舞い込んだ朗報を喜ぶとともに、「後世に継承したい」と歴史を伝える思いを新たにしている。23〜28日には指定を記念して、初めて多宝塔内の特別拝観を実施する。

重要な仏像

 木造大勝金剛坐像が祭られている多宝塔は593(推古天皇元)年に太子創建と伝わる。石山合戦で失われており、現在の塔は1597(慶長2)年に豊臣秀吉によって再建。大阪市内最古の木造建造物として知られる。

 同院の文化財は、多宝塔(国の重要文化財、旧国宝)、金堂(大阪府指定文化財)に続く3件目。今回指定を受けたのは、勝利開運の御利益で信仰があつく「大日大勝金剛尊」として祭られている本尊(像高75センチ)。塔内の柱と壁面に仏教の世界観を表す曼荼羅(まんだら)が描かれており、その中心に位置する。

 大日如来の身代わり的な存在で、金剛界曼荼羅の中では重要な位置付けだが、市教委文化財保護担当によると、大勝金剛尊の実作例は少ない上、画像がほとんどあり、今回のような彫像は極めて珍しいという。また制作の年代は現状で特定できていないが、絵の具の質や塗り方などから、塔の建立よりもやや古い室町時代と推測している。

歴史を顕彰

 塔内は原則非公開。正面扉が開かれる「愛染まつり」の3日間も、参詣者は扉の前から本尊を拝観するのみとあって、今回の内部特別公開はまたとない機会だ。壁面には火天など「八方天」を描いた板絵をはじめ、4本の柱に綿密な柱絵があり、2010年から3カ年計画で塗膜の剥落補修作業が終わったばかり。さらに本尊の文化財指定を受け、山岡住職は「大変ありがたい。太子ゆかりの愛染堂の歴史をあらためて顕彰するとともに、かけがえのない文化財を守っていきたい」と話している。拝観は無料。午前10時〜午後4時。

1804名無しさん:2014/06/29(日) 20:19:44 ID:uF2ndxvs0
家族DE文楽参加者を募集 歴史街道推進協
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624033.html

歴史街道推進協議会は、文楽を鑑賞する夏休み特別企画「家族DE文楽」を7月27日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場で開催する。参加者を募集している。

 次代を担う子どもたちや若者に、日本の歴史や文化に親しみ、理解を深めてもらおうと行っている教育プログラムの一環。今回は、大阪が世界に誇る伝統芸能「文楽」に触れてもらおうと企画した。

 同劇場の「夏休み親子劇場」にあわせて実施。観劇、解説、小道具などに触れる「歴史街道特別教室」で、子どもだけでなく、文楽を見たことがない大人も楽しめる内容になっている。

 時間は午前11時〜午後2時半で、小学生〜高校生とその保護者20組(応募多数抽選)。参加費6400円(2人料金、追加は大人1人4100円、子ども1人1900円)で、はがき、ファクス、インターネットなどで申し込みを受け付ける。7月14日必着。

 問い合わせは電話06(6223)7745、同協議会へ(平日午前10時〜午後5時)。

1805名無しさん:2014/06/29(日) 20:45:39 ID:uF2ndxvs0
家族DE文楽参加者を募集 歴史街道推進協
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624033.html

 歴史街道推進協議会は、文楽を鑑賞する夏休み特別企画「家族DE文楽」を7月27日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場で開催する。参加者を募集している。

 次代を担う子どもたちや若者に、日本の歴史や文化に親しみ、理解を深めてもらおうと行っている教育プログラムの一環。今回は、大阪が世界に誇る伝統芸能「文楽」に触れてもらおうと企画した。

 同劇場の「夏休み親子劇場」にあわせて実施。観劇、解説、小道具などに触れる「歴史街道特別教室」で、子どもだけでなく、文楽を見たことがない大人も楽しめる内容になっている。

 時間は午前11時〜午後2時半で、小学生〜高校生とその保護者20組(応募多数抽選)。参加費6400円(2人料金、追加は大人1人4100円、子ども1人1900円)で、はがき、ファクス、インターネットなどで申し込みを受け付ける。7月14日必着。

 問い合わせは電話06(6223)7745、同協議会へ(平日午前10時〜午後5時)。

1806名無しさん:2014/06/29(日) 21:01:12 ID:uF2ndxvs0
大社の御灯明用菜種油復活へ 住吉で菜の花栽培
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624028.html

 国内の菜種油生産の発祥地とされる大阪市住吉区の遠里小野(おりおの)地区で、かつて住吉大社へ御灯明の油をささげてきたという故事を再現させようという動きがある。地元農家などの協力で今年は生産量も急増。先人が築いてきた地場産業に思いをはせ、再び地域に“伝統の灯”を復活させようと地元が一体となって取り組んでいる。

■遠里小野

 運動を進めているのは、住民約90人でつくる「菜の花を咲かそう会」。2011年にまちおこしを目指して発足し、行政も支援に乗り出した。

 菜種生産の歴史は古く、かつては住吉区から今も「遠里小野町」の地名が残る現在の堺市堺区にかけて菜種栽培が盛んだったとされる。江戸期に著された古書「搾油濫觴」などによると、大社が鎮座した古代から、染料にも用いられた地元産のハシバミが御灯明の燃料とされていたという。中世には京都・大山崎で採れるエゴマ油が台頭するようになったが、遠里小野は菜種から油を生みだすという“技術革新”により、ススの出ない良質な油の生産に成功。再び日の目を見たが、やがて全国的な広まりから衰退し、住宅地として開発された大正時代には次第に畑も減り、戦後はついに途絶えた。

 西洋菜種と違って食用には向かないが、当時は貴重な燃料源だった。住吉大社文教課の小出英詞さんによると、大社の高灯籠(どうろう)はかつては灯台の役目をし、大阪湾の航海の安全に果たす役割も大きかったそうで、「遠里小野がエネルギーを支えてきた」と強調する。

■古人の偉業

 地域を縦貫する旧熊野街道沿いの約400メートルには、街の美化にとプランターで育てた菜の花を門前に飾り、区役所前でもボランティアスタッフの手で栽培。さらにこの春からは地元の農家4軒が新たに協力を申し出、今年は計約40キロの種を収穫することに成功。21日には、住吉大社の神職や吉田康人区長も出席した会合があり、種を軽く煎(い)り、円筒型の小型搾油機に入れて押しつぶす体験会も開かれ、古人の偉業に触れた。

 「作業を通じて仲間が増え、街の連帯感、美化につながっている」と会長の吉田進さん(70)。10月には地域一体を巻き込んだイベントがあり、吉田さんは「夜にたとえ1時間だけでもご灯明をあげたい」と期待を込め、「まちを黄色一色にしたい。美しい町をアピールし、遠里小野の良さを再認識してもらいたい」と目を輝かせる。

1807名無しさん:2014/06/29(日) 21:22:28 ID:uF2ndxvs0
渡御列70年ぶり復興へ 御鳳輦など神具を公開
2014年6月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140625/20140625034.html

 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂(いくくにたま)神社(中山幸彦宮司)で24日、ことしの夏祭り「生国魂祭」本宮(7月12日)で70年ぶりに復興する渡御(とぎょ)列の神具が公開された。ご神体を、本来の鎮座地である大阪城(同市中央区)まで運ぶ御鳳輦(ごほうれん)をはじめ、戦災で失われた神具一式を新調。神職や氏子崇敬者らは長年の念願がかない、かつて「陸の生国魂」と称された往時の再現を心待ちにしている。

  同神社は秀吉の大坂城築城の際、現在地に移った。夏祭りの「生国魂祭」は、天神祭を指す「川の天神」と並び、大阪の夏祭りを象徴する一大行事として知られた。同神社によると、最盛期の明治〜戦前昭和には約2千人規模の渡御列が氏地に連なったとされるが、太平洋戦争末期、1945年3月の第1次大阪大空襲で被災し、社殿とともにすべての渡御神具が灰じんに帰した。戦後は道具もない状態で、歴代宮司が玉座のみを徒歩やハイヤーで大阪城まで運ぶなどして渡御を継承。89年以降はトラックによる渡御がなされてきたが、氏子崇敬者の寄進によって約10年前から御鳳輦、御錦蓋(ごきんがい)、八本鉾(ほこ)といった各種神具、装束類を新調。祭礼に奉仕する人員を集めるなど準備を整えた。

 渡御列の中心となる御鳳輦(重さ約500キロ)は先代をほぼ再現。使用木材の乾燥に始まり、菊の御紋や各種金具は1枚の銅板を手作業で丹念に打ち出すなど、完成までに10年を要した。中山宮司は、「かつての渡御を知る高齢者の方々も復興を心待ちにしておられる。大阪で培われた伝統の祭礼を次世代に引き継ぐ責務を感じている」と、復興元年の意気込みを語る。

 当日は、午前10時半に枕太鼓を先頭とする約500人の渡御列が境内を出発。沿道に同数の奉迎の人々が並ぶ中、約3・3キロ先の大阪城内・元宮まで練り歩き、大阪の繁栄を祈願する。宵宮の11日は、枕太鼓、みこし、獅子舞などが順次氏地を巡行し、夕刻に宮入りする。

1808名無しさん:2014/06/29(日) 21:24:51 ID:uF2ndxvs0
8世紀の梵鐘鋳造跡 藤井寺・林遺跡
2014年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140628-OYTNT50044.html?from=yartcl_blist

 ◇国内でも数例

 藤井寺市林の林遺跡で、奈良時代前期(8世紀前半)とみられる梵鐘ぼんしょうの鋳造跡が見つかり、同市教委が27日、発表した。8世紀の梵鐘鋳造跡は国内でも数例しかないといい、市教委は「当時の製造の様子を知る上で貴重な手がかりとなる」としている。

 認定子ども園の建設に伴い、市教委が4月から調査を実施。鋳型の底の一部(高さ5センチ)とともに、直径1メートル、深さ0・7メートルの跡が見つかった。高さ1・5メートル、直径0・9メートルの鐘を製造していたと推定できるという。さらに、3メートル離れた位置にも直径30センチの跡があり、大小2種類の鐘を造っていたらしい。

 遺構には瓦や粘土が残っており、鋳型を置く地盤を強化するため、地面に板や瓦を敷き詰め、その上を粘土で覆っていたとみられる。近くには中世まで存在した豪族・林氏の氏寺「拝志はやし廃寺」があり、寺院に鐘を供給していた可能性があるという。

 京都橘大の五十川伸矢教授(考古学)は「板を十字に置き、瓦も丁寧に敷き詰めている構造は珍しい。技術集団が出張して寺の近くで鐘を造ったのではないか」としている。現地説明会は29日午前10時〜午後1時。場所は市立第二保育所の西隣で、小雨決行。問い合わせは市教委(072・939・1111)へ。

2014年06月28日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1809よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/07/02(水) 08:51:50 ID:V7LZU2a60
みそぎ終え「あと半年」 生国魂神社夏越しの祓
2014年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140701/20140701031.html 

1年の上半期の最終日となった30日、大阪府内各地の神社で恒例の大祓(はらえ)式「夏越(なご)しの祓」が執り行われた。多くの参拝者が「茅(ち)の輪」をくぐるなどして、この半年に知らぬ間に身に付けた「罪」や「けがれ」を清め払った。

このうち大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、午後4時から執り行われた式に100人を超える参拝者が参列。神職からお払いを受けた後、作法にならって、紙でできた形代(かたしろ)(人形(ひとがた))で頭や腕などをなでてけがれを移した。続く道饗(みちあえ)祭では茅の輪の前に一同が参列し、厄よけを祈願した。

 4年前から毎年参列している山本慎志さん(61)=同市浪速区=は「先祖に感謝するとともに、孫の成長を祈願した」と、笑顔で話していた。

1810名無しさん:2014/07/07(月) 20:45:37 ID:jrgIWNg.0
歴史に魅せられ 有栖川さん「上町台地」語る
2014年7月6日
 大阪の歴史の発祥地とされる「上町台地」が舞台になった文学作品を紹介する講演会が5日、大阪市西区の市立中央図書館で開かれた。上町台地の天王寺七坂を描いた短編小説『幻坂』著者の有栖川有栖さん=大阪市在住=が当地の魅力を伝えた。

真言坂や天神坂などの天王寺七坂は、四天王寺をはじめ神社仏閣が連なる上町台地の西側に位置。『幻坂』は七つの坂を怪談調で作品化しており、有栖川さんはミステリーを「都市文学」として捉えて執筆したことを説明した。

 有栖川さんは、上町台地を扱った小説家の作品も紹介。大坂の陣を描いた司馬遼太郎著『城塞』について「古戦場としての上町台地が克明に描かれている。上町台地小説の頂点だ」と語った。上町台地の魅力については「大阪のにぎわいは梅田や難波にあるが、上町台地には難波(なにわ)の宮や大坂の陣など今からではつくれない歴史がある」と強調した。

 講演会は「大坂の陣400年」記念事業として同図書館が企画し、300人が受講した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140706/20140706083.html

1811名無しさん:2014/07/07(月) 20:48:02 ID:jrgIWNg.0
本宮、交通規制30分延長へ 天神祭
2014年7月2日
 天神祭の渡御行事保存協賛会と関係機関は4日、大阪市北区の大阪天満宮会館で合同会議を開き、ことしの本宮(25日)は金曜で多くの人出が予想されるため、国道1号線の交通規制の解除時間を例年より30分遅らせて午後11時にすることを申し合わせた。観覧者の安全を確保しつつスムーズな誘導を図る方針。

本宮の日は奉納花火があるため毎年多くの観覧者が会場周辺に集まる。ことしは休日前で祭り目的の外出者や仕事帰りの人たちでより多くの人出を見込み、府警本部が交通規制の解除時間を例年の午後10時半から遅らせることを報告。「安全かつ速やかに誘導してほしい」と呼び掛けた。

 警備会社関係者は、救護所をより利用頻度の高い場所に集約する方針も示した。

 雑踏警備を指導する府警本部の担当者は「関係者間の報告と連絡を徹底させなければならない」と力を込めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140702/20140702026.html

1812名無しさん:2014/07/07(月) 20:49:40 ID:jrgIWNg.0
自宅清祓式 大役を実感 神童任命の林君
2014年6月30日
 天神祭に奉仕することしの神童に任命された西天満小学校6年生、林欣次郎君(11)の「自宅清祓(はらい)式」が29日、大阪市北区で執り行われた。大阪天満宮(同区)の神職らが林君宅を訪れ、各部屋などをはらい清めた。

 林君は「清祓式」の前日、同宮での「装束賜(たばり)式」で、猿田彦や随身役ら他の3役を務める5人とともに、祭りの奉仕役の辞令交付を受けた。

 神童は、7月24日の鉾流(ほこながし)神事で、船の上から堂島川に神鉾を流す重要な役割を担う。毎年、神鉾講の推薦を受けた、同小の児童から選ばれることになっている。神童になると本人はもちろん、家族も身を清める「散斎(あらいみ)」の期間に入り、葬儀の参列などが禁じられる。

 祭りの直前からは「致斎(ちさい)」と呼ばれるさらに厳しい期間を迎え、牛や豚など四つ足の動物の肉をはじめ、ネギやニンニクなどにおいの強いものは食べることができず、虫1匹の殺生も禁じられる。

 この日は、同宮の寺井種治権宮司や神職、講の関係者らが林君の自宅を訪問。神職が祝詞を読み上げ、家族らのおはらいを行った後、各部屋をはらい清めた。林君は「あらためて神童の役割の重さをひしひしと感じる」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140630/20140630024.html

1813名無しさん:2014/07/07(月) 20:50:40 ID:jrgIWNg.0
仁左衛門さん元気に復帰 道頓堀川で船乗り込み
2014年6月30日
 「松嶋屋!」。大阪市中央区の道頓堀川・戎橋東側で29日、恒例の夏の風物詩、大阪松竹座「七月大歌舞伎」(7月3〜27日)の船乗り込みが行われ、昨年、肩の手術後休養していた片岡仁左衛門さんが元気な姿を見せて両岸に集まった大勢のファンの熱い声援を受けた。

仁左衛門さんの演目は「菅原伝授手習鑑/寺子屋」(昼の部)と「身代座禅」(夜の部)で「お客さんと一緒に舞台をつくって楽しい時間を共有したい」と力が入っている。人間国宝の坂田藤十郎さんは「沼津」(夜の部)で中村翫雀(かんじゃく)さん、扇雀さんと親子共演し、翫雀さんと扇雀さんは「女夫狐(めおとぎつね)」で兄弟共演する。

 上方歌舞伎からは他に片岡秀太郎さん、孝太郎さんらが出演。東京からは中村橋之助さん、尾上菊之助さんらが参加し、華やかな舞台を繰り広げる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140630/20140630026.html

1814名無しさん:2014/07/07(月) 20:53:50 ID:jrgIWNg.0
みそぎ終え「あと半年」 生国魂神社夏越しの祓
2014年7月1日
 1年の上半期の最終日となった30日、大阪府内各地の神社で恒例の大祓(はらえ)式「夏越(なご)しの祓」が執り行われた。多くの参拝者が「茅(ち)の輪」をくぐるなどして、この半年に知らぬ間に身に付けた「罪」や「けがれ」を清め払った。

 このうち大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、午後4時から執り行われた式に100人を超える参拝者が参列。神職からお払いを受けた後、作法にならって、紙でできた形代(かたしろ)(人形(ひとがた))で頭や腕などをなでてけがれを移した。続く道饗(みちあえ)祭では茅の輪の前に一同が参列し、厄よけを祈願した。

 4年前から毎年参列している山本慎志さん(61)=同市浪速区=は「先祖に感謝するとともに、孫の成長を祈願した」と、笑顔で話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140701/20140701031.html

1815名無しさん:2014/07/09(水) 20:29:57 ID:l5knXKRk0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140705/20140705031.html
「天満天神の水」復活 大阪天満宮
2014年7月5日
 「大坂四清水」の一つが復活−。大阪天満宮(大阪市北区)は4日、かつて名泉として親しまれた境内の地下水「天満天神の水」を復興させたと発表した。ペットボトルに詰めて販売し、収益を天神祭の発展に役立てる。

天満天神の水は江戸時代、参勤交代の途中で藩主が大坂に立ち寄った際、大坂四清水の一つとして滞在先に取り寄せるほど愛された。戦後の都市開発や地下鉄の開通に伴って地下水は枯れたとみられていたが、昨年、近隣の商店街と関西大学の連携プロジェクトを通して地下70〜80メートルから飲料用の良質な水がくみ上げられることが分かった。

 大阪天満宮は天神祭をはじめ、七夕神事のおはらいの水として活用する。天満天神の水には軟水でまろやかさがあり、ペットボトル(500ミリリットル)に詰めて販売することも計画。初回は6千本を製造する。

 天神祭の運営をめぐっては近年、警備費などのコストが膨らみ、財源の確保が課題になっているため、ペットボトルの収益を運営費に充てるという。

 大阪天満宮の万力康司権禰宜は「天神祭を未来永劫続けていくための基盤にしていきたい」と話している。

 日本三大祭りの一つである天神祭は24日に宵宮、25日に本宮を迎える。

1816名無しさん:2014/07/11(金) 12:42:07 ID:kHoHDEM60
生國魂祭 はじまる
07月11日 12時38分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140711/5613751.html
大阪の生國魂神社で11日、無病息災を祈る伝統の夏祭り「生國魂祭」が始まりました。
生國魂祭は大阪・天王寺区の生國魂神社が行う伝統の夏祭りで、11日は本殿で祭りの始まりの儀式が行われ、神職が祭りの安全を祈願して祝詞をあげました。
このあと枕太鼓と呼ばれる太鼓や6人の氏子を乗せた2台の車が神社を出て地元の大阪城周辺を巡りました。
一行は、まちのところどころで車を止め、太鼓をうちならしたり「大阪じめ」を披露したりし、地域の人たちから拍手を受けました。
生國魂祭は12日まで行われ、12日は「御鳳輦」と呼ばれるみこしを担いでまちを練り歩く「渡御行列」が、戦前まで行われた大規模な形で69年ぶりに復活することになっています。

1817名無しさん:2014/07/17(木) 19:38:30 ID:oNRfmqVE0
園児がアイガモ放鳥 住吉大社・御田で体験
2014年7月16日
 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で15日、境内南側に広がる御田(おんだ)(御神田)のアイガモ農法がことしも始まった。地元園児が放鳥に参加し、楽しみながら伝統的な稲作の一端を体験した。

御田(約2300平方メートル)では、毎年6月14日に伝統行事「御田植(おたうえ)神事」(重要無形文化財)を斎行。アイガモ農法は約20年前に取り組みが始まり、数年前からは地元園児が見学に訪れている。

 この日は区内の市立墨江幼稚園(中山教子園長)の園児約40人が参加した。神職から、アイガモが草や害虫を食べることで農薬を使わずに済む効用について説明を聞いた後、生後約3週間のひな20羽と“対面”。2人1組に分かれた園児らは恐る恐るひなを抱えてあぜに下り、青々と育った苗の間にそっと放鳥した。「ピーピー」と鳴き声を上げながら元気よく泳ぎ回る姿を見て、「かわいい」「また見に来るよ」と、手を振って大喜びだった。

 同幼稚園では、御田のイネを守ろうと近隣の幼稚園、小学校がかかしを作る「住吉かかしプロジェクト」にも参加。中山園長は「子どもたちが楽しい体験を通じて、自分たちの地域の文化や歴史を学んでほしい」と話し、目を細めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140716/20140716024.html

1818名無しさん:2014/07/19(土) 04:48:47 ID:3a21PyFc0
伝統「からうす」豪快に 催太鼓願人、練習に熱
2014年7月18日
 天神祭を支える講社の一つ「太鼓中(たいこなか)」は、祭りのピークを前に大阪府無形民俗文化財指定の太鼓打法の練習に余念がない。願人(がんじ)と呼ばれる打ち手たちは大阪市北区の大阪天満宮で、豪快な「からうす」をはじめ伝統打法の継承に向けて汗を流している。

関係者によると、太鼓中は近世から続く大阪天満宮直轄の講社。大阪市を中心に府内各地で結成される12の団体「当屋(とや)」の集合体で総数は千人規模という。

 催太鼓をたたくのは、深紅の投げずきんをかぶり、赤、白、青、黄色で宇宙全体を表現する衣装を着た願人計36人。6人一組で3人ずつ向かい合って座り、多彩な掛け声で威勢よく太鼓を打ち鳴らす。

 太鼓を乗せた担ぎ棒を激しく揺らす「からうす」は天神祭の名物。本宮(25日)の渡御行事では先陣を切って存在感を示す。

 大阪天満宮での願人の稽古は11〜20日にわたって行い、日々研さんを積んでいる。願人10年目の豊田光昭さん(25)=寝屋川市=は「(願人は10年間務めて交代するため)最後の年なので目いっぱい頑張り一生の思い出にしたい」と意気込みを示していた。

 小学生のときから天神祭で活躍してきた西川輝彦総代(75)は「神様に仕える身として事故なく務めを果たしたい」と気を引き締めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140718/20140718022.html

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1820名無しさん:2014/07/26(土) 18:43:39 ID:cvb8ZrMc0
天神祭 陸渡御と船渡御
07月25日 23時18分
大阪の夏を彩る天神祭は25日、色鮮やかなみこしやだんじりが街を練り歩く「陸渡御」が行われたのに続いて、夕方からは約100隻の船が川を行き交う「船渡御」が行われました。
大阪の天神祭は25日、本宮を迎え、大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、陸からと船の上から地域を見回ったという言い伝えを再現した「陸渡御」と「船渡御」が行われました。
午後3時半、勇壮な催太鼓を先頭に色とりどりの衣装を身にまとった約3000人の大行列が天満宮を出発し、カネや太鼓を鳴らしながら街中を練り歩きました。
猛烈な暑さのなか、沿道では大勢の人たちが行列を見守り、大阪の夏を彩る伝統の祭りを楽しんでいました。
午後6時からは、陸渡御に参加した人たちが続々と船に乗り込み、約100隻の船が大阪市の中心部の大川を行き交う「船渡御」が始まりました。
大阪市内から訪れた70代の男性は「毎年来ていますが、活気があっていいですね」と話していました。
また、午後7時ごろからは、花火の打ち上げも始まりました。
およそ4000発の大輪の花が大阪の夜空を照らしました。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140725/5908171.html

1821名無しさん:2014/07/26(土) 18:52:57 ID:cvb8ZrMc0
浪速の夏クライマックス 天神祭・水都祭奉納花火
2014年7月26日
 日本三大祭りの一つに数えられる大阪天満宮(大阪市北区)の祭事・天神祭が25日、本宮を迎え、大阪の都心部は“火と水の祭礼”で包まれた。大阪市はこの日、日中37度を超える厳しい暑さに見舞われた。約3千人が練り歩く陸渡御や約100隻が川を行き交う船渡御を盛大に挙行。第68回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が浪速の夜空を鮮やかに彩った。

千年余の歴史がある天神祭は、菅原道真公の御神霊を「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれるみこしに移し、渡御行事として陸路や航路を巡行する祭り。市中の暮らしぶりを見てもらい、加護を祈願する。

 陸渡御では大行列が都心部を練り歩いて“一大歴史絵巻”を繰り広げ、船渡御では船上の個性豊かな催しをはじめ、船の明かりが鮮やかなイルミネーションとなって見物人らの心を捉えた。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは奉納花火。約4千発の打ち上げ花火が船渡御列でにぎわう川面を華やかに彩り、水の都・大阪をあらためて印象付けた。

 ことしは江戸時代に「大坂四清水」の一つとうたわれた大阪天満宮境内の地下水が復活し、場を清めるための御神水として用いられた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140726/20140726037.html

1822名無しさん:2014/07/26(土) 19:10:13 ID:cvb8ZrMc0
訓練用「原爆」投下から69年
07月26日 12時26分
69年前の7月26日、アメリカ軍によって原爆投下の訓練用と見られる爆弾が落とされ、7人が犠牲になった大阪・東住吉区で、犠牲者を追悼し、平和を訴える式典が開かれました。
大阪・東住吉区の田辺地区は、69年前の7月26日、アメリカ軍によって原爆投下の訓練用と見られる爆弾が落とされ、市民7人が亡くなり、70人あまりがけがをしました。
爆弾が投下された場所の近くに設置された慰霊碑の前では犠牲者を追悼する式典が開かれ、当時の様子を体験した地元の住民や平和学習のために参加した中学生など、約200人が出席しました。
爆弾が投下された時刻の午前9時26分に全員で黙とうをささげ、体験者の1人で、89歳の龍野繁子さんが、「当時のことを思い出すのはつらいですが、体験者として、体が続く限り平和を訴えたい」と述べました。
また、中学3年の男子生徒は、「身近なところでこのような悲劇があったことに驚きました。今の日本が平和であることをありがたく思います」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140726/3016611.html

1823名無しさん:2014/07/28(月) 05:06:39 ID:nCp/yVtI0
戦争の記憶 後世に伝えたい 体験手記集を発刊
2014年7月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140727/20140727027.html
 毎年夏にまとめられる戦争体験手記集「孫たちへの証言」第27集(本体定価1300円)が、8月1日に新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)から発刊される。来年は終戦70年という大きな節目だが、体験者の高齢化や他界、記憶の風化など避けて通れない現実が時々刻々と迫る。1988年の第1集から単独で編集に取り組んでいる福山さん(79)は「文字で記憶を書き残す大切さ」を日々訴える。

第27集は「“あの記憶”を風化させてはならない」がテーマ。応募は前回より276通減の597通で、このうち76編を掲載した。応募者の平均年齢は81・37歳。年齢別では80代の301人に次いで70代が209人。90代は57人にとどまった。

 松下昭さん(86)=守口市=は戦争末期、本土決戦に備えて召集され、約1カ月の軍隊生活を経験。敵戦車に肉薄する訓練の様子や、上官から、上陸した敵兵を「背後からとび口や銃剣で殺せ」と、げきを飛ばされた記憶を述懐した。整備士として八尾の陸軍飛行場に配属された吉川晋吾さん(85)=東大阪市=は、特攻隊の出撃も見送った。「燃料は片道分だけ入れるようにきつく言われていた」−など、戦況の悪化で混乱していく日常を克明に記した。

■書き残す意義
 「周囲を見回せば体験を語れる人はまだまだ多く、今のうちに『5W1H』の要点を聞き取っておくことが大事」と語る福山さん。父が出征した際、小旗を手に列車を見送ったが、自分史を書くにあたり何歳の出来事だったのか記憶がなかった。無事復員した父もすでに他界していたため、県庁で軍歴を調べて確認できたが、あらためて聞き取りや記録の重要性を実感したという。

■困難を乗り越え
 編集作業には、海外を含む応募者への確認作業など多くの困難を伴う。このうち今回掲載で最高齢95歳の山本貢さん=山口県=は、掲載決定後の今春、詳細を確認中に亡くなった。駆逐艦の乗員として敵艦と交戦沈没した体験をつづった壮絶な応募が遺稿となってしまった。

 第28集は「70年への想い 記録遺産へ」をテーマに早くも応募を開始(来年3月末締め切り)。第1集からの応募総数は約1万8千通、掲載は2140編に及ぶ。福山さんは「庶民一人一人の体験はわずかでも、パズルのように組み合わせると戦争の全体像が見えてくる」といい、節目に向けて多くの応募に期待を込める。

 問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1824名無しさん:2014/07/28(月) 21:23:39 ID:padFUHIE0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140728/20140728023.html
天神祭月間 成果これから 認知度低く、話題性が鍵
2014年7月28日
 7月7日の七夕から始まった「天神祭月間」が25日の本宮で閉幕した。宵宮(24日)から2日間の日程で知られる天神祭を3週間弱に拡大し、大阪のにぎわいづくりに生かそうと大阪天満宮(大阪市北区)がことし提唱。ただ正式発表というよりも、祭り関係者への説明にとどまっている段階で、まだ具体的な成果には結び付いていない。今後期間中の行事をどう充実させ、「月間」を浸透させていけるかは関係者らの手腕にかかっている。

「祭りの広がりにつなげていきたい」

 6月に天神祭渡御行事保存協賛会の委員総会が大阪天満宮で開かれ、寺井種伯宮司は出席者らにこう呼び掛けた。

 大阪天満宮は現在、室町時代に天神祭が七夕に開かれた記録があるのを踏まえ、7日に「天満天神七夕祭」を執り行っている。これまでにもこの日を天神祭の開幕日に位置付けていくとの発言はあったが、今回は7日以降に多彩な行事を入れて祭りの彩りを増やしていくというビジョンを示した。ことしはまだ例年同様の内容だったものの、まずは「月間」の枠組みを提示した形だ。

□戦略が不可欠
 関西大学の宮本勝浩教授(国際経済学)らの検証によると、2013年宵宮、本宮2日間の大阪府内への経済波及効果は約229億円。「月間」を充実させられれば大阪の活性化に貢献するとみられる。

 ただ周知はまだ徹底されていない。ことしの天神祭について紹介する報道向け説明会で正式に発表したわけではなく、関係者らの間でも認識の共有が必要だ。

 また、いまでも「月間」中に多彩な行事が設けられているものの、集客力や露出度の差は大きく、その差をどう埋めるかが課題。

 7日には発光ダイオード(LED)電球を近隣の川に流すイベントや境内の催しに万単位の人が訪れるが、江戸時代から伝わる舟歌を披露しながら練り歩く22日の行事は、文化的価値は高くても露出度は低い。

 話題性と広報戦略がキーワード。宵宮前日に女性がみこしを担いで練り歩く「ギャルみこし」は、募集や研修、本番の全てで報道機関への発信をこなすなどし、多くのマスコミが取り上げる。

 祭りのにぎわいづくりに貢献してきた天神橋筋商店連合会の土居年樹会長は「一つずつ工夫を積み重ねるのが大切」と話す。

□改良呼び掛け
 5月の天神祭実行委員会の初会合では、祭りの運営費の赤字額が年々膨らんでいるのを受け、京極俊明実行委員長が「伝統を受け継ぐべきところは継承しつつ、改良できる点はしていくべきだ」と問題提議。15年度以降の行事計画について関係者やにぎわいづくりの専門家らを交えた検討委員会を立ち上げ、議論していこうと呼び掛けた。

 具体的な実施日程はまだ決まっていないものの、「月間」の打ち出し方も含め、天神祭の形をどう進化させていくかが問われている。

1826名無しさん:2014/08/01(金) 21:30:06 ID:ZkmdV5IY0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140801/wlf14080119180029-n1.htm
最古級木簡、貢ぎ物の肉に付けられた?大阪・難波宮から見つかる
2014.8.1 19:18
大阪市中央区の難波宮跡で「斯々一古」などと記された7世紀中ごろの木簡が見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。難波宮では万葉仮名で「皮留久佐」などと和歌を記した640年代の木簡が出土しており、ともに国内最古級という。

 木簡は長さ8・6センチ、幅2・5センチ。「斯々」は肉を、一古は「一籠」を意味するといい、宮に貢ぎ物か税として送られた肉の塊に付けられた荷札木簡とみられる。右側にも逆さに「一古」などと記されており、余白に字の練習をしたらしい。

 昨年9月に出土。埋め立てられた谷から見つかり、土器から年代を判定した。奈良文化財研究所が木簡を赤外線で撮影していた。難波宮は孝徳天皇が飛鳥(奈良県)から遷都、652年ごろ完成しており、造成中に埋められたとみられる。

1827名無しさん:2014/08/05(火) 22:00:16 ID:MEJja/BM0
勇壮華麗に舞う 四天王寺で「篝の舞楽」
2014年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140805/20140805025.html

 夏の夜の舞楽演奏会「篝(かがり)の舞楽」(天王寺舞楽協会主催、和宗総本山四天王寺後援)が4日、大阪市天王寺区の同寺で開かれ、多くの来場者がみやびやかな音色が響き渡る中、舞楽の勇壮華麗な所作などを心ゆくまで堪能した。

ことしで第60回を迎える風物詩。この日はあいにくの空模様のため、本坊・五智光院(重要文化財)が舞台となった。江戸期創建で荘厳な雰囲気が漂う建物内では、飛鳥時代からの古典芸能である天王寺舞楽を今に伝える「天王寺楽所雅亮(がくそがりょう)会」の楽人と舞人が出演。曲ごとに古式ゆかしい装束を身にまとい、開幕を告げる「振鉾(えんぶ)」をはじめ、「登天楽(とうてんらく)」などの舞楽を繰り広げ、満員の客席を終始魅了した。

1828名無しさん:2014/08/08(金) 21:32:33 ID:czOj1SUo0
島本町 後鳥羽上皇の離宮か
08月07日 18時53分
鎌倉時代、後鳥羽上皇が造った離宮とみられる建物や庭園の跡が、大阪・島本町で見つかりました。
調査した町の教育委員会は、「客を招いて歌会などを開いていた可能性がある」としています。
建物や庭園の跡が見つかったのは、大阪・島本町の中心部にある高台です。町の教育委員会がことし5月から、製薬会社の施設の建設予定地を発掘調査した結果、建物の跡とみられる溝や、庭園の池の跡などが見つかりました。
周りからは、天皇家ゆかりの京都の寺と同じ瓦や、貴重な陶磁器も数多く見つかり、これらの出土品などから、13世紀から14世紀のものとみられています。
鎌倉時代の歌人、藤原定家の日記、『明月記』などには、「上皇の新しい御所が水無瀬の山の上につくられた」、「庭に池がある」などと記され、町の教育委員会は後鳥羽上皇が造った「水無瀬離宮」の跡である可能性が高いとみています。
島本町教育委員会の木村友紀学芸員は、「後鳥羽上皇は、この地域に離宮の建物を点在させていたとみられる。客人を招いて歌会などを開いていた可能性がある」と話しています。調査結果については、9日に現地説明会が開かれる予定です。
..
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140807/3614581.html

1829名無しさん:2014/08/10(日) 07:25:00 ID:v.3hlVPE0
【記憶の中に】
撃墜戦闘機からパラシュート脱出、松の木にぶら下がった米兵はピストルを向けた…豊中空襲、機体の残骸は埋められた
2014.8.9 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140809/wlf14080918000008-n1.htm

昭和20年になると、大阪府豊中市でも6回にわたる空襲があった。当時、国民学校6年生だった中右(なかう)吉信さん(80)は、7月30日にあった6回目の空襲の際、伊丹飛行場(現・大阪空港)を襲う米軍戦闘機「P51ムスタング」が高射砲によって撃ち落とされる光景を目撃したという。

伊丹飛行場襲う戦闘機

中右さんが通っていた学校は、20年3月の大阪大空襲をきっかけに授業が休止となったが、校庭は食料を確保するためサツマイモ畑になっていた。7月30日朝、中右さんは畑に水をまく当番だった。

 登校して間もなく、警戒警報が発令され、同級生とともに急いで自宅に向かった。東の低空に1機の米軍機が見えた。「隠れろ」。大人の叫び声が聞こえ、とっさに幅1メートルほどの農水路に隠れた。水路をふさぐ木材の間の隙間から西の空が見えた。数機の戦闘機が伊丹飛行場を襲っていた。

 そのときだった。「低空で攻撃するP51に、高射砲が命中したんです。高度を下げるためエンジンを一時止めていたからだと思いますが、P51は火を噴くこともなく空中分解しました」。次の瞬間、白いパラシュートがスルスルと開いて風で南東方向へ流されていった。「『やった』と思いましたね」。中右さんは振り返る。

埋められた機体の残骸

翌日、同級生らから聞いた話などによると、パラシュートは豊中市岡町北の大きな松の木に引っ掛かり、足を負傷した若い米兵がピストルを構えていた。住民らが殺気立って囲んだが、憲兵が来て米兵を病院に連れていった。

 「豊中市史」によると、7月30日は米軍機約130機が午前8時半から11時ごろにわたって大阪を襲い、そのうち40機が伊丹や大正(大阪府八尾市)などの飛行場を銃爆撃した。

1830名無しさん:2014/08/10(日) 07:27:17 ID:v.3hlVPE0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140809/wlf14080918000008-n2.htm

伊丹上空では、墜落した2機から2人の米兵がパラシュートで脱出したが、いずれも一両日中に死亡。真田山陸軍墓地(大阪市)に埋葬された。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、2人が死亡したのは十分な医療処置が施されなかったためだとして、軍関係者を戦犯裁判にかけた。

 墜落したP51のプロペラは、高射砲の近くに戦意高揚のモニュメントとして掲げられた。しかし戦後、GHQの追及を恐れ、機体の残骸は軍によって地中に埋められたという。

 39年後の昭和59年、豊中市教委が「戦争資料展」の展示資料にするため、埋めたとされた場所を発掘し、残骸が出土した。モニュメントとなったプロペラには赤い字で力強く「P51 撃墜 7・30」と記されていた。残骸は現在、豊中市の収蔵庫で保管されている

1831名無しさん:2014/08/10(日) 07:49:03 ID:v.3hlVPE0
四天王寺「盆踊り」11年ぶりに復活 12日の本番前に講習会 大阪
2014.8.10 02:26
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140810/osk14081002260002-n1.htm

 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)の「盆踊り大会」が12日、11年ぶりに復活することになり、本番に向けての「盆踊りの踊り方の講習会」が境内で開かれた。当日出演する伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さん(51)を講師に迎え、市民ら約120人が参加した。

 盆踊り大会は昭和11年に五重塔が再建されたのを機に始まり、戦争や境内の工事などで中断を繰り返し、最後に開催されたのは平成15年。

 同寺は34年に聖徳太子没後1400年となる「御遠忌」を控えており、「プロジェクトの一環として地域の活性化にもつながる」と復活が決まった。講習会では、地元の主婦らが浴衣姿で輪に加わり、河内音頭などの踊りを習った。

 当日は、境内の亀の池周辺に盆提灯をつるし、重要文化財の石舞台がそのまま“舞台”として使われる。

 四天王寺参詣課課長の山岡武明さん(40)は「盆踊りは一番楽しんでできる仏教行事。ぜひ参加してください」と呼びかけている。

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1832名無しさん:2014/08/12(火) 08:32:33 ID:y6yR7RS60
雨のやみ間に「千日まいり」 四天王寺で盂蘭盆会
2014年8月10日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で9日、盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事が始まった。台風11号接近の影響を受け、「万灯供養法要」(16日まで)の初日は、先祖の霊名を記した万灯ろうそくの点灯が中止となったが、「千日まいり」(10日まで)は予定通り執り行われ、多くの人々が境内に足を運んだ。

千日まいりは、古来、観音功徳日とされる9、10の両日に観音様にお参りすると、1日で千日間継続でお参りしたのと同じ功徳が得られると伝わる。

 この日は、ハスを描いた無数のつり灯籠が境内の随所を飾る中、家族連れなどが続々と参詣。午後はわずかに晴れ間も見られ、祈祷(きとう)や厄病除け札の授与が行われた六時堂は老若男女でにぎわった。

 区内から知人と訪れた女性(79)は「うまいこと雨のやみ間にお寺に到着。ことしも無事にお参りできました」と、うれしそうに話していた。

 千日まいりは午前9時〜午後9時。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140810/20140810075.html

1833名無しさん:2014/08/12(火) 19:44:40 ID:DRtkK5jU0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140812/20140812017.html
「太子一代記」市民が輪 四天王寺盆踊り11年ぶり復活
2014年8月12日
 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、奥田聖應管長)で12日、11年ぶりに盆踊り大会が開催される。音頭を取るのは、伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さん。2022年の「聖徳太子千四百年御遠忌」に向けて制作中の聖徳太子の生涯を歌った「聖徳太子御一代記」から、当日は「ご誕生編」を重要文化財の石舞台の上で披露する。

四天王寺での盆踊り大会は、第2次世界大戦後に戦没者への供養のため行われてきたが、1992年を最後に休止。その後は、2003年に一度開催されたきりになっていた。今回、「御遠忌」の記念事業の一環として復活させた。

 菊水丸さんは四天王寺からの依頼を受けて、「聖徳太子御一代記」の制作を決意。「御遠忌」までの8年間で入滅までの一生を10曲に分けて歌う。

 制作にあたり、数々の資料を読み返したという菊水丸さん。「やぐらを囲んで老若男女が輪になって踊る。いろんな人が集う場所、ホッとする場所が寺であり、それこそが1400年前、聖徳太子が願ったことではなかったか」と話す。

 11年ぶりの盆踊りに向け、四天王寺では菊水丸さんも参加して2回の講習会を実施。地域の住民たちも多く参加した。阿倍野区の長谷川秀明さん(68)は「盆踊りは好きで参加するが、いつも途中で付いていけなくなる。もうこれでバッチリ」と笑顔。11年前の盆踊りにも参加していたといい、「地域が盛り上がるし、うれしい」と、久々の盆踊りを心待ちにしている様子だった。

 盆踊りは午後7時半から2時間を予定。境内の石舞台をやぐらに見立て、亀の池の周りを回る。菊水丸さんは「盆踊りの基本の形はあるが、自分流でOK。身ぶり手ぶりで楽しんでほしい」と、参加を呼び掛けている。

1834名無しさん:2014/08/16(土) 10:54:46 ID:QZ7JmY/g0
空襲から69年 京橋で慰霊祭
08月14日 19時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140814/3195371.html

69年前の終戦前日の14日、アメリカ軍の空襲で大きな被害を受けた大阪・京橋で犠牲者を追悼する慰霊祭が行われました。
慰霊祭は、大阪・城東区のJR京橋駅前で毎年、行われていて、遺族や地元の人などおよそ300人が参列しました。
JR京橋駅付近では、終戦前日の昭和20年8月14日にアメリカ軍の爆撃機による空襲を受け、住民や電車の乗客など500人を超える犠牲者が出たとされています。
慰霊祭では、地元の聖賢小学校に通う6年生の2人が「争いのない平和な世界にするためには思いやりの輪を広げることが大切だと思う。絶対に戦争を起こしてはいけないという思いをこれからも持ち続けていきたい」と述べました。
このあと、法要が営まれ、参列した人たちはハンカチで涙を拭いたり、手を合わせたりして、戦争で犠牲になった人たちに祈りをささげていました。
当時、京橋駅で勤務していたという89歳の女性は、「駅前にはたくさんの遺体があり、悲惨な状況だった。犠牲者のみなさんには安らかに眠ってほしい」と話していました。
この空襲で兄を亡くしたという83歳の女性は、「戦争を二度と起こさないために次の世代に語り継ぐことが私の役目だと思っている」と話していました。


そうなんや 大阪24区

福島区 鷺洲の機銃掃射弾痕
2014年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140815/20140815040.html

もの言わぬ歴史の証人

終戦から69年を迎えた今日でも、戦災の傷痕や軍関連施設といった戦争遺構は身近に存在する。太平洋戦争末期の大阪空襲で幾度となく被災した福島区内にも、もの言わぬ歴史の証人が深い傷を負ったまま、静かに来年の“古希”を迎えようとしている。

 昼間でも薄暗いガード下に刻まれた無数のくぼみ。同区鷺洲5丁目のJR東海道線の橋脚には、米軍機による機銃掃射の弾痕がはっきりと残る。その数は目視できるだけでも約150発。コンクリート壁面が直径約3〜8センチ、深さ約2センチもえぐられており、銃撃のすさまじさを物語る。

 地元の鷺洲小学校100周年記念誌によると、被弾したのは1945年6月7日の白昼にあった第3次大阪大空襲で、B29爆撃機の護衛任務で飛来したP51戦闘機によるものと伝わる。

 現状で現地に説明板などはないが、区民が地元の将来像を考えて実現に向けた活動方針をつくる「福島区未来わがまち会議」の冊子の中でも紹介。このほか同会議の鷺洲校区メンバーが同小児童に地域の歴史の一部として解説している。当時の状況を知る体験者が年々減り続ける中にありながら、しっかりと伝承されている。

1835名無しさん:2014/08/16(土) 10:58:38 ID:QZ7JmY/g0
供養の灯、塔染める 四天王寺で「万灯供養法要」
2014年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140814/20140814027.html

 盂蘭盆会(うらぼんえ)の伝統行事「万灯供養法要」が大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で執り行われ、多くの参詣者が日没後の境内で先祖供養の灯をともしている。16日まで。

戒名など先祖の霊名を記した特製のろうそく「万灯ろうそく」の本数は文字通り1万本を超えるとされる。境内・中心伽藍(がらん)の回廊に沿って整然と並べられ、夕刻から次々と点灯。夜空にそびえる五重塔をはじめ、講堂や金堂などを赤く染め上げている。随所で先祖の話をする家族連れや、燃えるろうそくの前にたたずんで幻想的な光景に見入る人々の姿があった。

 期間中は、同寺僧侶が午後6時半(15日は同6時)から読経とともに伽藍内を練り歩く法要が厳かに執り行われる。

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1838名無しさん:2014/08/17(日) 20:35:12 ID:.c14McE20
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140817/wlf14081718000003-n1.htm
【記憶の中に】
大阪は核投下の実験場だった…平成の時代に判明した「模擬原爆」フワッと落下、周辺は焦土に
2014.8.17 18:00 (1/2ページ)
昭和20年7月26日の朝、大阪市東住吉区の上空に1機の米軍爆撃機B29が飛来し、ある特殊な爆弾を投下した。

 「B29が爆撃するときは4機の編隊で来ることが多かったので、雲の間から1機だけが見えたときは偵察だろうと思った。ネズミ色の丸いものがスーッと飛行機から離れて、フワッと落ちた。爆弾ではなく、ごみでも捨てたのだろうと思いました」

完全に潰れた家々

当時13歳だった伊藤茂さん(81)=大阪府豊中市=は、現在は廃線になっている路面電車の南海平野線中野駅(東住吉区)の前にいた。特に緊張することもなく上空を眺めていた。

 爆弾は斜めに流れるように降下し、中野駅の西北約1キロの地点に落ちた。とたんに、爆発による振動が伝わってきた。「広い範囲で灰色の土ぼこりが舞い上がったのを見た。少し時間差があって『バシャー』という、ものすごい音が響きわたりました」

 2、3日後、落ちた場所を見にいくと、100メートル四方ほどの家々が完全につぶれていた。大阪市の記録によると、この爆弾で7人が死亡、73人が重軽傷を負い、485戸が倒壊した。

 投下された爆弾は、当時知られていた中で最も大きい「1トン爆弾」であるといわれていた。しかし、実際はそうではなかった。それが分かるのは、終戦から46年後、平成3年のことだ。


落ちたのは模擬原爆

正体を突き止めたのは、愛知県の市民グループ「春日井の戦争を記録する会」。国立国会図書館でマイクロフィルムに収められた戦時中の膨大な米軍資料を調査し、広島や長崎の原爆の訓練のために「模擬原爆」が大阪などに落とされた事実を探り当てた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140817/wlf14081718000003-n2.htm
2014.8.17 18:00 (2/2ページ)
同会によると、昭和20年7月20日から8月14日まで、全国30都市に計49発が投下され、死者400人以上、負傷者1200人以上を数えた。東住吉区に落ちた爆弾もその1発だった。

 模擬原爆は、長崎に投下されたプルトニウム爆弾「ファットマン」と形状や重さが同じで、長さ3・25メートル、直径1・52メートル、重さは1トンどころか4・5トン。カボチャのような丸い形をしているため「パンプキン爆弾」とも呼ばれる。

 同会の金子力さん(63)は「原爆を落とす準備のため、攻撃の対象でない場所に実験として投下された爆弾だった」と話す。

 模擬原爆といっても威力は大きかった。大阪大空襲などでB29が投下した1トン爆弾や焼夷弾(しょういだん)の爆撃とは明らかに異質だったという。

 着弾地点の近くにいた人たちは「周辺を一瞬で廃虚に変えた。激しい爆風があった」と証言している。

1839名無しさん:2014/08/22(金) 20:46:47 ID:DiwFDErU0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140822/wlf14082218100015-n1.htm
純白の花「サギソウ」が見ごろ 大阪・坐摩神社
2014.8.22 18:10
シラサギが羽を広げたような純白の花を咲かせるサギソウが、大阪市中央区久太郎町の坐摩(いかすり)神社で見頃を迎えた。そよ風に揺れる涼しげな風情が訪れた人たちを楽しませている。

 サギソウはラン科の多年草。20〜40センチの細い茎に直径約3センチの小さな花をつける。神社の神紋「鷺丸」(さぎまる)にちなみ、権禰宜(ごんねぎ)の北岡忠澄さんが丹精込めて育てており、「今年もよく咲いてくれます」と目を細める。

 境内に並ぶのは「輝き」「青葉」「銀河」など7種類約2000株。7月中旬の夏祭り頃から咲き始めた。

 神社では猛暑の中、ヨシズで囲んだり、風鈴をつるしたりして涼を演出。「オフィス街でサギソウが見られるなんて」と参拝者らを喜ばせている。

 9月上旬まで咲き続けるという。問い合わせは坐摩神社(06・6251・4792)。

1840名無しさん:2014/08/22(金) 21:12:19 ID:DiwFDErU0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140821/3786491.html
古墳の濠 高校生が浄化作戦
08月21日 20時25分

世界文化遺産への登録を目指している大阪の百舌鳥・古市古墳群の一つ、堺市にある「いたすけ古墳」で、地元の高校生たちが古墳の周りにある濠(ほり)の水をきれいにしようと、手作りの浄化装置を設置し効果を確かめる実験を始めました。
実験を始めたのは、堺工科高校のエコデザイン同好会の生徒13人です。
生徒たちは、2年前から堺市の「いたすけ古墳」の周りの濠の水質の改善に取り組んでいて、21日からは自分たちで作った浄化装置の効果を確かめる実験を始めました。
装置は縦横約2メートルの発泡スチロール製のいかだの上に太陽光発電で動く水中に空気を送り込むためのポンプを積んでいます。
水中の微生物の働きを活性化させ汚れを分解させようという狙いです。
生徒たちはボートで装置を目的の地点までえい航した後、スイッチを入れ、水中からぶくぶくと泡がたつのを確認すると歓声を上げて喜んでいました。
装置は、ことし11月まで稼働させて、1か月ごとに水質を調べ効果を確かめるということです。
3年生の片岡尚喜さんは「装置がうまく稼働して水がきれいになってくれればうれしいです」と話していました。
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1841名無しさん:2014/08/25(月) 10:06:20 ID:oK5Uviug0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140824/20140824041.html

そうなんや 大阪24区

西成区 日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所跡地
2014年8月24日

 南海天下茶屋駅前には、およそ110年前に存在した「日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所」跡地を顕彰する石碑が買い物客らのにぎわいの中でひっそりとたたずむ。昨年の除幕式には、在大阪ロシア連邦総領事館の参事官も出席し、西成区とロシアが友好を深めるきっかけとなった。

 駅前のスーパー敷地内に顕彰碑が建ったのは昨年4月。西成の歴史を理解し、伝えていくことを願って有志らが実行委員会を組織し、地元の歴史に詳しい区内の医師、加納政男さん(89)が寄贈した。

 「西成区史」(1968年)などによると、05年に設けられた収容所は全国に約30カ所あったうちの一つで、大阪陸軍予備病院用地約6万坪に設けられた平屋建て60棟に、ロシア兵捕虜6062人が収容されたと記されている。石碑には「ハーグ条約を順守し、俘虜を手厚く取り扱った」と刻まれている。

 除幕式以来、総領事が区民まつりに顔を出したり、ロシアの建国記念日に当たるナショナルデーを祝うレセプションには臣永正広区長や区民が招かれたりと互いの交流が深まった。両国の子どもが作品を持ち寄る友好絵画展も開かれている。

 今後の日露交流に関連し、西成区役所広聴広報担当の安井伸也さんは「次世代を担う子どもたちに焦点を当てたい」と話している。



友好深めるきっかけに

1842名無しさん:2014/08/26(火) 20:22:32 ID:oRpyLV5o0
【関西の議論】
落語あり、シェークスピアあり、キスシーンも…「文楽は難解」「悲劇」のイメージ一新図った技芸員たちの思い
2014.8.23 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n1.htm

文楽の新たなファンを開拓しようと、この夏、バラエティーに富んだ新作文楽が続々作られ、話題を呼んでいる。大阪・日本橋の国立文楽劇場で上演された「かみなり太鼓」をはじめ、8月17日まで京都劇場で上演された三谷幸喜さんの作・演出による「其礼成(それなり)心中」、9月には、東京の国立小劇場で、シェークスピア原作の「不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)」が上演。文楽のレパートリーは悲劇が中心だが、新作はいずれも喜劇というのが珍しい。そこには「文楽は難しいとの先入観をとっぱらってもらって、もっと気軽に楽しんでもらいたい」という技芸員たちの熱い思いが込められている。(亀岡典子)

脚本は落語作家・小佐田さん

「叱る親父もふんどし一丁」「かあちゃんは指ポキポキ」…。

 こんな義太夫節のせりふに客席の笑いがはじける。目を輝かせて舞台に見入る子供たち。

 国立文楽劇場「夏休み文楽特別公演」の第1部「親子劇場」で上演された新作文楽「かみなり太鼓」の評判は上々だった。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n2.htm

物語は、大阪を舞台に、天神祭が近いある日、天から太鼓職人の家に降ってきた雷のトロ吉と人間たちの交流をおもしろおかしく描いたコメディー。

 大阪弁のわかりやすいせりふ、親しみやすいストーリー、落語っぽいやりとりに場内は大受け。

 同作は、落語作家の小佐田定雄さんが書き下ろし、人形遣いの桐竹勘十郎さんが演出、三味線の鶴澤清介さんが作曲を担当した。

 ゴロゴロという雷鳴や、だんじり囃子、蝉の鳴き声などの効果音を駆使、義太夫節にエコーをつけるなど、「これまで文楽でやったことのない手を多用した」と3人。廻り舞台や宙吊りをはじめ派手な演出で子供たちの目を舞台に釘付けに。

 「笑いのいっぱいある作品で気軽に見てもらって、まずは文楽は楽しいと思ってもらいたい。ここを入り口に文楽に入ってきてほしい」と3人は声をそろえる。

1843名無しさん:2014/08/26(火) 20:26:04 ID:oRpyLV5o0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n3.htm

文楽初のキスシーン

文楽の新作が多く作られたのは昭和30年代初め。

シェークスピアの「ハムレット」をはじめ、オペラ「蝶々夫人」をもとにした「お蝶夫人」などの翻訳ものでは文楽初のキスシーンも登場した。その後も、織田作之助さんの「夫婦善哉」なども文楽になった。

 文楽は、義太夫節の文章が難しく、太夫が節をつけて語るため、初めて聞くと理解しづらい。また、物語も、人間の情を描いたテーマ自体は普遍的だが、背景にある武家社会の忠義や主従関係が現代人には共感しづらい面もある。

 新作文楽には、そういう壁をとっぱらって、先入観なく、文楽という芸能の世界に入ってきてほしいという関係者の願いが込められている。

芸能に「笑い」は不可欠

今年はこの後も、一昨年、東京・パルコ劇場で初演された三谷文楽「其礼成心中」の関西初公演、東京の国立小劇場で、シェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」などを原作とする「不破留寿之太夫」が上演される。こちらは、文楽三味線の人間国宝、鶴澤清治さんが企画した新作だ。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n4.htm

今回の3作品がすべて喜劇というのも珍しい傾向。というのも、文楽の古典は9割以上が悲劇だからだ。しかし清治さんは、「いまの時代、芸能に笑いは欠かせない要素。文楽で喜劇を作ることは難しいが、現代の観客に受け入れられるものを一作でも多く創造してレパートリーを増やすことも大切」という。

 文楽は昨今、補助金問題や竹本住大夫さんの引退など社会的な話題が続き、初めて文楽を見る観客が増えている。この機会に、新作で新たな観客を取り込みたいと、関係者は期待をかけている。

1844名無しさん:2014/08/26(火) 20:28:27 ID:oRpyLV5o0
文楽支援で財界団体が助成金
08月26日 19時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140826/3949021.html

関西の財界が文化事業を支援するために作った財団法人「アーツサポート関西」は学生に文楽に親しんでもらうための事業に初めて助成金を出すことを決めました。
これは、「アーツサポート関西」が大阪・天王寺区の生國魂神社で記者会見して明らかにしました。
それによりますと、助成金を出すのは、文楽の普及に取り組むNPO法人「NPO文楽座」が行う事業です。
大学生や専門学校の学生が500円を支払うだけで国立文楽劇場での公演を見たり、文楽の解説を受けたりできるもので、250万円が助成されます。
このあと、文楽とゆかりの深い浄瑠璃神社で助成金の贈呈式が行われ、人形遣いの)吉田玉女さんがあやつる人形が助成金の目録を受け取っていました。
NPO文楽座の理事長で三味線弾きの竹澤團七さんは「文楽を理解するには時間が必要なので、若いころから親しんでもらおうと考えた事業に対し助成をしてもらい、本当にありがたい」と話していました。
アーツサポート関西は、関西の文化活動を支援していて、10月に改めて公募し、来年4月に2回目の助成金を出すことにしています。
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1845名無しさん:2014/08/27(水) 21:26:45 ID:2u8IztSE0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140825/20140825026.html
「大坂の陣」400年節目 NPOが31日、創作舞踊公演
2014年8月25日
 来年にかけて「大坂の陣」(1614〜15年)から400年という大きな節目にあたり、大阪などで歴史を検証するさまざまな取り組みがなされている。このうち日本舞踊家の藤間遊子さんが率いるNPO「平成上方文化を創る会」は31日、大阪城を望む大阪歴史博物館(大阪市中央区)で創作舞踊の公演に挑む。「大坂の陣」後の時代に焦点を当て、メンバー一同が最終調整に余念がない。

同会は、江戸期から脈々と伝承されてきた上方文化を重んじながら、新たに創造しようと昨年6月に設立した。文化、郷土史などの研究にも取り組みつつ、ことし2月には同館で旗揚げ公演となる「上方文化語り創らん」を開催。悲運の淀君や浄瑠璃などをテーマに舞踊や小唄、民踊などをふんだんに盛り込んで、時代背景の解説と相まって好評を得た。

 4月には早くも第2回公演が決定。大坂の陣400年プロジェクト参加事業という位置付けで、タイトル「豊臣の物の怪達(けたち)」と銘打った。藤間さんは「『大坂の陣』はひときわ脚光を浴びているが、豊臣家滅亡後の陰の時代を生きた悲運の女性を描きたい」と思い立つ。市史編さん所などで関連史料と向き合い、大阪城天守閣を仰ぎながら、じっくりと作と振り付けを手掛けた。「準備期間は短かったが、メンバーがよい経験を積みながら頑張っている」といい笑顔を浮かべる。

 メンバー3人が出演する夢芝居は、よみの国の天守閣にいる太閤さんが、夏の命日に淀君と秀頼を連れて現世に戻る−という想定。豊臣方で奮戦した武将・真田幸村の化身とされる大ナマズなど物の怪たちが現れ、千姫や、秀頼の忘れ形見、千代姫の最期を物語る作品に仕上げた。

 「教会の修道士として入信した恋人への思いなど、女性の気持ちに焦点を絞りたい」。藤間さん出演の「切支丹道成寺」は柴田勝家の娘・朝子が主人公の名作で自ら振り付けを創作した。本番を目前に「今後も広く上方文化をとらえて活動に励みたい」と意気込みを語る。

 冒頭では大阪の郷土史に造詣が深い水知悠之介さんが講演。歴史の陰に隠れた幾多の悲劇など、創作舞踊の重要な導入部分として注目されている。

 【メモ】会場は大阪歴史博物館・講堂。午後3時半開園(同3時開場)。入場料3千円(同館常設展観覧チケット、1階レストランお茶券がセット)。問い合わせは電話090(1226)4454、同会へ。

1846名無しさん:2014/08/28(木) 21:46:41 ID:iYj6/rS.0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140828/wlf14082821180021-n1.htm
豊臣が負けていなければ…? 「大坂の陣から400年」テーマに 有栖川有栖さんと玉岡かおるさんが対談
2014.8.28 21:18

作家の有栖川有栖さんと玉岡かおるさんが28日、大阪市内で開かれた関西プレスクラブの会合で、「大坂の陣から400年」をテーマに対談した。2人は「豊臣方が負けていなければ、より明るい文化が築かれ、関西は文化立国として存在感を示せたかもしれない」などと意見交換した。

 今年から来年にかけて、豊臣家が徳川家に滅ぼされた「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」から400年の節目に当たる。大阪城は夏の陣で炎上し、現在の天守閣は、昭和6年に市民らの寄付で再建された。

 対談会場の窓からは大阪城が一望でき、玉岡さんは「この城は、大阪を表すアイコン。上方の心のよりどころ」。有栖川さんも「壮大な滅びの風景を持っている大阪城は、城としての経験値が高くドラマがある。また、豊臣秀吉の晩年には、作家としてひかれるものがある」と語った。

 江戸時代には“天下の台所”として発展した大阪。玉岡さんは「大阪は『負けてへんで』という気持ちが常にある。東京一極集中の今、災害など危機管理の面からも、大阪に機能の一部を分散してもいいのでは」などと指摘した。

1847名無しさん:2014/08/28(木) 23:17:47 ID:7o9XHHB60
この議論は本質をついていない。
江戸時代、大阪は天領として大いに発展し、商都としてその存在感を発揮した。諸悪の根源は戦後の東京中央集権と官僚支配、マスゴミの偏向報道である。

1848名無しさん:2014/08/30(土) 18:51:47 ID:RCafcOCM0
http://supplementary.at.webry.info/200703/article_14.html
臭いものに蓋をしてはいけない。昭和31年当時から何の反省もないやんけ。
「大鉄高校(現阪南大学高校)  恩師を(ry」

1849名無しさん:2014/08/30(土) 18:53:10 ID:RCafcOCM0
大宅壮一まで感動wさすなんて

1850名無しさん:2014/08/31(日) 03:18:51 ID:dTcufnm60
>>1847
つまり、江戸時代の大坂は江戸幕府のものだったわけだね。

1851名無しさん:2014/08/31(日) 23:50:20 ID:7/jK.lUo0
伝統とモダン鮮やか 文楽、現代舞踊が競演
2014年8月31日
 人形浄瑠璃文楽と現代演劇が融合した舞踊組曲「母子慕情〜傾城阿波の鳴門より〜」(同実行委員会主催)が30日、大阪市中央区の国立文楽劇場で上演された。現代舞踊に阿波おどりや人形浄瑠璃といった徳島の文化を組み込んだ新しい総合芸術。文楽人形とダンサーの競演が圧巻の舞台をつくり上げた。

母と子の情愛を描いた「母子慕情−」は徳島県出身のダンスアーティスト、田村典子さんが地元にこだわった演出で創作。2007年の東京・新国立劇場公演で高い評価を得た。今回は文楽発祥の地・大阪での上演で一層パワーあふれる舞台になった。

 物語は、徳島藩の家臣・十郎兵衛と妻おゆみが、主君の名刀を取り戻すために旅立つところから始まり、娘おつるとの再会や別れを描写。命を失うおつるの魂を癒やすような祈りが込められた阿波おどりの場面でフィナーレを迎えた。

 作品は同県出身者の力を集結。人形遣いの吉田文司さんが人形でおつると十郎兵衛を担当し、音楽家・住友紀人さんが現代音楽を作曲。おゆみを演じた田村さんとともに幻想的な空間を生み出した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140831/20140831029.html

1852名無しさん:2014/09/02(火) 20:07:56 ID:9Dj0A5ss0
【浪速風】
お上に頼らぬ伝統も継承する雅亮会(9月2日)
2014.9.2 11:43

天王寺舞楽を伝承する「雅亮会(がりょうかい)」の楽頭だった小野功龍(こうりゅう)さんの訃報に接した。舞楽(雅楽)は大陸から渡来して日本で独自の発展を遂げた。京都と奈良、それに四天王寺に楽所(がくそ)が置かれたが、屋外の石舞台で演じられる天王寺舞楽は、遠くからでも鑑賞できるダイナミックな演出が特徴である。

 ▼明治維新による遷都で四天王寺の楽人たちは召されて東京に移った。消滅を惜しむ町の人々によって雅亮会が設立された。戦争でメンバーの多くが亡くなったが、舞楽の装束を保管していた蔵は奇跡的に焼け残り、昭和21年に早くも聖徳太子の命日の4月22日に催される聖霊会(しょうりょうえ)を再興した。

 ▼会員はボランティアで運営は会費で賄い、海外公演も行う。小野さんは「「伝統を守る意識はありますが、誰もが好きだということにつきます」と語っていた。司馬遼太郎さんは、大阪の伝統的な市民精神を「政府に頼らず、みずからの手でやることです」と自慢し、その例として雅亮会を挙げた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140902/wlf14090211430012-n1.htm

1853名無しさん:2014/09/03(水) 04:57:41 ID:Xp4Y9TwI0
<茨木城>「幻の城」地域の心つかむ
2014年08月03日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20140803-OYTAT50005.html

高さは5メートル以上、杉30本を使っているという。木造瓦ぶきのやぐら門を、黄色い帽子をかぶった児童が元気よく、くぐっていく。

 茨木市中心部にある茨木小。門は正門として使われている。同校が茨木城跡にあることから、市が1993年、創立120周年に合わせて復元した。「タイムスリップしたようでしょう」と松木嘉英校長は笑う。

 茨木城は、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に味方した中川清秀や、家来だった片桐且元らが城主を務めた。しかし、1615年の一国一城令で廃城に。近くの茨木神社には、同じく城の門が残り、秀吉がここの井戸水を好んで茶会で用いたと伝わるが、周囲に城の名残を感じさせるものは少なく、復元は住民らが呼びかけたのがきっかけだった。

 長男が同校に通っていたため、記念事業の事業委員長を務めた小林信弘さん(67)は「来た人に喜んでもらえるし、子供たちにも地元の歴史を感じてほしくて。私自身も見てみたかった」と振り返る。

 同校では昨年度、マスコットキャラクターのアイデアを児童から募集し、やぐら門をモデルにした図案が採用された。名称は「やぐもん」。入学式では着ぐるみが登場して、新入生を歓迎した。松木校長は「子供たちは門に誇りを持つようになった。安土桃山時代の様子などを想像する児童もいますよ」と胸を張る。


                    ◇

 市内には「茨木城主もなか」という名の菓子も販売されている。和菓子店「ちとせ」の経営者・崎本悦緒さん(62)が20年ほど前から売り出した。箱には天守閣が描かれ、もなかの皮は凹凸を付けて城の石垣を表現している。

 実は茨木城は絵図などが残っておらず、今なお、全貌がわかっていないが、茨木小出身の崎本さんは、小学生の頃から、その姿を思い描いてきた。「昔からこの城に親しみがあり、どうしても商品にしてみたくて」。天守閣や石垣も自身のイメージをもとにしたという。

 姿、形もわからない「幻の城」。それがかえって、地域の人たちの心をつかんでいる。(上野将平)

 

 ◆茨木城

 築城年については諸説ある。現在の茨木小の北側に本丸があったとされ、中川清秀が入城した頃から、城郭や武家屋敷などの城下町が整備された。やぐら門は奈良県の片桐家の菩提(ぼだい)寺、慈光院に移築されたと伝えられており、同校での復元の際に参考にされた。

  

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に、造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年08月03日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1854名無しさん:2014/09/03(水) 05:01:49 ID:Xp4Y9TwI0
<淀君と岸和田>修復の御輿 地域の宝
2014年08月17日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20140817-OYTAT50000.html

華やかな飾り金具がきらめき、屋根に取り付けられる鳳凰(ほうおう)が気品を漂わせている。

 岸和田市積川(つがわ)町の積川神社。展示されている御輿(みこし)は豊臣秀吉の側室・淀君らが修復、寄進したと伝わり、昨年、約400年ぶりに再修復された。

 「それまでがらくた同然で放置されていたんですけどね」と積川敏文宮司(67)は苦笑いする。

 秀吉の子・秀頼と淀君は、秀吉の死後、畿内にある寺社の修復、造営に力を注いだ。1585年の秀吉の根来攻めで社殿が焼失した同神社も淀君らが再建し、御輿もその際、一緒に修復されたと考えられている。

 小学校の教諭だった積川さんは約40年前、婿養子として神社を初めて訪れた時、御輿は小屋でほこりをかぶっていたのを覚えている。屋根の蕨手(わらびて)は取れ、担い棒も折れていた。

 再修復のきっかけは先代の宮司から何気なく御輿の由来を聞いたことだった。「私がここの出身でなかったからですかね。淀君が岸和田とゆかりがあるとは知らずに驚きまして。後世に残さなければと思いました」

 土地を売るなどしてコツコツと資金を集め、公益財団法人の補助制度に申請。2013年3月、奈良県の施設で10か月に及ぶ作業を経て神社に戻ってきた御輿は傷も補修され、往事の姿を取り戻したように見えた。

 積川さんは昨年、秋祭りで御輿を披露した際、住民らが目を輝かせる様子が忘れられない。「地域の宝を守ることができたのかなとホッとしました」。地元の人に御輿のことをもっと知ってもらいたい。今、公開する機会を増やそうと考えている。

                     ◇

 岸和田市民が愛するだんじり祭にも、淀君らに関係するものがある。だんじりの彫り物の題材には、大阪らしく秀吉が用いられることがあり、そこで淀君も使われているのだ。

 2年前に新調した上松町のだんじりは、秀吉が活躍する様子のほか、幼い秀頼を連れて秀吉と花見をする淀君の姿も見ることができる。

 デザインした東利昭さん(72)は「男ばかりが活躍する時代で、女性として堂々と生きた淀君は欠かせない存在。華やかさも増しますしね」と話す。

 祭りで有名な岸和田での淀君と祭りとのつながり。御輿の再修復により、淀君が市民から大きく注目を集める日が来るかもしれない。(横田加奈)

1855名無しさん:2014/09/03(水) 05:02:28 ID:Xp4Y9TwI0
◆淀君と岸和田

 大坂城で仕えた岸和田の娘が大坂夏の陣で城から逃げる際、淀君からもらった化粧道具などを持って家に戻ってきたという話が残る。秀頼とともに行った寺社の修復、再建は100か所以上に及んだとされる。

 積川神社(072・479・0134)の御輿は見学可能だが、上松町のだんじりは、だんじり祭の日以外は見ることはできない。

    

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年08月17日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1856名無しさん:2014/09/03(水) 21:52:50 ID:G/Car7Ms0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140902/wlf14090213100016-n1.htm
「岸和田だんじり祭」パレード・宮入り順決まる 
2014.9.2 13:10

大阪府岸和田市で13、14日に行われる「岸和田だんじり祭」で、参加する岸和田地区の各町代表が出席する「三郷の寄り合い」が1日、同市の浪切ホールで開かれ、くじ引きで13日のパレードと、14日の宮入りの順番を決めた。春木地区はすでに決定。両地区のパレード、宮入りの順番は次の通り。

 【パレード】(13日)

 ◇岸和田地区(午後1時〜)=宮本町▽中之濱町▽中北町▽本町▽大手町▽南上町▽南町▽藤井町▽中町▽大工町▽五軒屋町▽下野町▽並松町▽上町▽大北町▽筋海町▽沼町▽北町▽紙屋町▽春木南▽別所町▽堺町

 ◇春木地区(午前9時半〜)=春木若松町▽松風町▽磯之上町▽春木旭町▽春木中町▽春木大小路町▽春木本町▽戎町▽春木宮川町▽八幡町▽大道町▽春木宮本町

 【宮入り】(14日)

 ◇岸城神社(午前9時半〜)=宮本町▽上町▽五軒屋町▽中北町▽南上町▽大工町▽大手町▽堺町▽大北町▽南町▽中之濱町▽中町▽本町▽北町▽紙屋町

 ◇岸和田天神宮(午前10時〜)=沼町▽筋海町▽並松町▽下野町▽藤井町▽別所町

 ◇弥栄神社(午前7時〜)=例年先頭となる「番外1番」の春木南の後、春木地区のパレード順。

1857名無しさん:2014/09/04(木) 21:47:02 ID:xsNin9qs0
成瀬國晴さんの学童疎開展開幕 なんばパークス
2014年09月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140901-OYTNT50009.html

イラストレーターの成瀬國晴さん(78)が、太平洋戦争末期に体験した学童疎開の様子を描いた作品展「時空の旅」が31日、大阪市浪速区のなんばパークス7階で始まった=写真=。入場無料。5日まで。

 成瀬さんは、精華国民学校(大阪市)3年だった1944年8月から1年間、滋賀県東押立村(現・東近江市)に疎開し、寺に寄宿した。今年で学童疎開から70年になるのに合わせ、77枚のイラストを描いて画集にまとめた。

 会場では、全作品を展示。友人らと列車で滋賀に向かう場面や、離れて暮らす母を思って月を眺めた情景などを柔らかなタッチで描いている。この日は、同国民学校の元教員で、疎開を引率した高橋文代さん(89)(高槻市)も来場し、「戦争は二度としてはいけないと多くの人に伝わると思います」と話していた。

2014年09月01日

1859名無しさん:2014/09/07(日) 04:41:47 ID:lTlvpdt.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140907/osk14090702060003-n1.htm
上方落語の祭典にぎやかに 生國魂神社「彦八まつり」 大阪
2014.9.7 02:06
 上方落語協会(桂文枝会長)のファン感謝祭「第24回彦八まつり」が6日、大阪市天王寺区の生國魂神社(通称・いくたまさん)で開幕した。オープニングでは、落語家らによる舞踊「雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)」が華やかに披露された。7日まで。

 例年10万人以上が入場する同協会最大のイベント。落語家による屋台やバンド演奏、素人演芸バトル、奉納落語会など、境内は大勢のファンでにぎわった。文枝さんは「今年の実行委員長、桂文之助さんは気象予報士なので天気は大丈夫と思います」などと話した。

 7日は「噺家(はなしか)大相撲」や「お茶子クィーンコンテスト」のほか、昨年、境内に銅像が建立された地元出身の作家・織田作之助にまつわる落語会(有料)などが予定されている。

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1860名無しさん:2014/09/10(水) 21:21:33 ID:e9nFTyNE0
大坂の陣400年 両雄しのぶ
2014年09月10日

◇家康と幸村が本陣 茶臼山に記念碑

 「大坂の陣」(1614〜15年)で徳川家康と真田幸村がそれぞれ本陣を置いたとされる大阪市天王寺区の茶臼山(府史跡)で9日、両雄を顕彰する記念碑のお披露目式があった。大坂の陣から400年となるのに合わせた取り組みで、地元の一心寺(高口恭典住職)が建立し、市に寄贈した。

 記念碑は花こう岩製で、高さ2・5メートル。「群雄割拠」をイメージして波形を施した石の上部に石盤が取り付けられ、家康と幸村の本陣があったと伝わることが記されている。

 茶臼山は冬の陣で徳川軍が、夏の陣で真田軍が本陣を置いたとされる。この地を拠点にした幸村が夏の陣で徳川軍を追いつめ、あと一歩で家康の首が取れたとの伝承が残るなど、歴史ファンを魅了するエピソードの舞台になっている。

 この日の式典では、野原賢一郎・天王寺動物公園事務所長が高口住職に感謝状を贈呈した。発案者の高口恭行・同寺長老は「記念碑によって、訪れた人が歴史を追体験するきっかけになれば」と話していた。

2014年09月10日

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140910-OYTNT50058.html

1861名無しさん:2014/09/11(木) 21:39:50 ID:zzORJQxY0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140911/wlf14091108580003-n1.htm
いよいよだんじり祭 「大うちわ」できた! 岸和田
2014.9.11 08:58

岸和田市で13、14両日に行われる「岸和田だんじり祭」を前に、13日のだんじりパレードの際、各町の代表者に贈られる大うちわの飾り付け準備が市役所で進んでいる。

 大うちわは、柄を含めて長さ76センチ、最大幅57センチ。祭の成功を願い、信貴芳則市長と西村芳徳市議会議長から参加34町の町会会長らに贈られる。

 このうち市長から贈呈される大うちわは、朱色地に白文字で片面に「祭」、別面には白と黒文字で「祝 御祭禮 贈 岸和田市長」と記され、職員らが飾り付けに追われた。

 パレードは、春木地区では午前9時半から南海春木駅周辺で、岸和田地区では午後1時から南海岸和田駅周辺で行われる。

1862名無しさん:2014/09/11(木) 22:10:47 ID:zzORJQxY0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140910/osk14091007020002-n1.htm
後鳥羽上皇が再建の「水無瀬離宮」跡か 島本で20日から速報展 大阪
2014.9.10 07:02

 島本町桜井で、鎌倉時代に後鳥羽上皇が造営した「水無瀬(みなせ)離宮」の一部とみられる遺構とともに、上級貴族が用いたと推定される陶磁器が出土し、調査結果の速報展が20日から25日まで、同町桜井の町立歴史文化資料館で開かれる。

 製薬会社研究棟の建設に伴う試掘調査で見つかり、地名から西浦門前遺跡と命名。過去に遺構は近くの広瀬遺跡でも見つかっていたが、今回は標高約10メートルと高い場所にあり、離宮の再建された建物の一部とみられる。

 藤原定家の日記「明月記(めいげつき)」などによると、後鳥羽上皇は1199年、水無瀬川と淀川の合流付近に離宮を建設したものの、1216年の洪水で離宮の建物が倒れ、高台で再建したとの記述があり、文献資料を裏付けた形。

 庭園跡やほかの建物跡の一部も確認されたほか、遺構からは、北宋時代の中国で焼かれたとみられる陶磁器も見つかり、当時貴重な品々で上級貴族が使ったとみられる。

 速報展では、このうち、釉薬の発色が美しい最高級の青磁で、天目(てんもく)茶碗を乗せる天目台の破片や、鉄釉を使い花紋を表現した広口壺の破片などを並べる。このほか、後鳥羽上皇が生きた時代に用いられたとされる蓮華(れんげ)紋の瓦なども展示予定。

 23日午前10時と同10時50分から、資料館近くの町ふれあいセンターで調査員によるスライドショーもある。

 22日は休館。問い合わせは同館(電)075・961・3411。JR島本駅から徒歩1分。

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1863名無しさん:2014/09/14(日) 04:09:26 ID:Gaggxq6s0
「やり回し」に歓声…岸和田だんじり祭始まる
2014年09月13日

大阪府岸和田市の「岸和田だんじり祭」が13日、始まった。重さ約4トンのだんじり34台が、交差点をスピードを落とさずに直角に曲がる「やり回し」をするたびに、見物客は歓声を上げた。

 五穀豊穣(ほうじょう)を願う祭りが始まりとされ、300年以上の歴史を持つ。「そーりゃ、そーりゃ」のかけ声に合わせてだんじりが勢いよく進むと、屋根の上では、うちわを手にした大工方が軽快な身のこなしを披露した。

 市は、14日までの2日間で55万人の人出を見込んでいる。

2014年09月13日

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140913-OYO1T50039.html?from=oycont_top_txt

1864名無しさん:2014/09/16(火) 23:06:51 ID:g44zbdhM0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140915/20140915091.html
庄屋・野口家の古文書解読 7年かけ市民活字化
2014年9月15日

 NPO法人とよなか歴史と文化の会(吉岡正起代表、86人)が、活動の拠点を置く豊中市の原田地域で江戸時代に庄屋をしていた野口家に関する古文書の解説テキストを発行した。会は市から「原田しろあと館」(同市)の管理運営を委託されており、事業の一環として市の市史編さんに携わってきた清水喜美子さん(71)を講師に、教材として野口家の古文書を使った講座を開いてきた。今回、清水さんの指導でメンバーが7年をかけて判読したものを活字化した。

同会は、原田城跡であった旧羽室家住宅が同市の所有となった後、どのように活用していくかを市が市民と一緒に考える際に集まった市民が中心となって、2011年にNPO法人として設立。法人化前の09年11月には、同館の維持管理を市から委託されることになり、週末には定期的にイベントを開催している。

 活動を通して地域の歴史に詳しくなってきたことから、現在では「阪急沿線観光あるき」事業などでのガイドもメンバーが担当し、市民に地域の歴史を伝える取り組みも実施している。

 古文書講座は、阪急電鉄豊中駅前にある市民活動情報サロンで、清水さんが地域の歴史に関する勉強会をしていたところ、参加者から古文書について勉強したいという要望が出たことから岡町図書館で7年前にスタート。現在は原田しろあと館で毎月第2土曜日に開かれている。今回の原田地域の古文書解説テキスト発行に先立ち、岡町についての古文書と講座参加者の解説を盛り込んだ冊子もことし3月に発行した。

 テキストは、江戸時代の原田地区の大名支配や水をめぐる水利問題など七つの分野で構成。難解な古文書を一般の人でも分かりやすく読めるようにした。今回、発行の中心となった大下隆司さん(69)は「江戸時代の岡町の様子もよく描かれ、また五人組という制度は相互監視の制度と思っていたが、勉強していくにつれ全員で助け合うための組織でもあったということが分かり興味深かった」と振り返った。

 吉岡会長(67)は「身近な地元の歴史に興味を持ってもらう人のすそ野を広げていきたい」と話す。

   ◇  ◇   

 テキストはA4判164ページ。1部800円。

1865名無しさん:2014/09/17(水) 22:22:34 ID:pWwxl7g.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140917/osk14091707070002-n1.htm
狭山池、かんがい施設遺産に 日本最古のダム式ため池 大阪
2014.9.17 07:07

 耕作地に必要な水を供給する灌漑(かんがい)施設のうち100年以上経過したものの中から選ばれる国際かんがい排水委員会(ICID)の「かんがい施設遺産」に、日本最古のダム式ため池とされる狭山池(大阪狭山市)が登録された。狭山池は平成28年に築造1400年を迎えることから、管理する狭山池土地改良区は「世界的な視点で価値のある施設として認められ誇りに思う」と喜んでいる。

 ICIDは、灌漑や排水、治水などの分野で、科学技術の研究開発などの促進を目的に、1950(昭和25)年にインドで設立された。灌漑と排水に関する世界規模の機関として活動を展開。「かんがい施設遺産」は、今年初めて世界を対象に、登録の申請を募った。建設から100年以上経過したものであるほか、先進性など10項目の条件のうち1項目以上を満たすことが必要。大阪狭山市によると、国内では10件が申請され、狭山池のほか、青森や群馬、三重など計9件が選ばれた。府内からは狭山池のみが選定された。

 市によると、狭山池は7世紀に築造されたとされ、自然地形を利用して川が流れる谷間をせき止め、貯水機能を強化したダム式のため池。「古事記」や「日本書紀」にも名前が記されている。昭和63年から始まった改修工事では、築造当時の堤などが発見されている。池を統一して管理するようになったのは江戸時代初期からで、現在は狭山池土地改良区が管理し、農業用水として人々に利用されている。

 大阪狭山市の吉田友好市長は「狭山池は市最大の歴史・文化遺産。これを機に、国内だけでなく、世界に向けてPRしていきたい」としている。

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1866名無しさん:2014/09/17(水) 22:26:33 ID:pWwxl7g.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140915/osk14091507030004-n1.htm
「淀屋」の業績など学ぼう 大阪で来月4日講演会
2014.9.15 07:03

 近代大阪の発展に貢献した「淀屋」について学ぶ講演会が10月4日午後1時半から、大阪市中央区備後町の綿業会館新館で開かれる。

 大阪の魅力を国内外に発信する「大坂の陣400年プロジェクト」の一環行事。大阪の近代史を多くの人に知ってもらおうと、大阪の繁栄に貢献した江戸時代の豪商、淀屋の業績や歴史について調べている淀屋研究会が企画した。

 講演会では、中之島を開拓し、北浜の米市場を開設した「淀屋」について、講談師の旭堂南青さんが話す。また、講演の合間には、琴伝流白鳳会の八幡川口サークルによる大正琴の演奏も行われる。

 同研究会幹事の佐藤紀一さん(70)は、「大阪のまちの基礎を作り上げた淀屋をもっと知ってほしい」と意気込んでいる。講演会は午後1時半〜4時。入場料千円。定員200人。参加希望者は同研究会にファクス(072・447・7074)などで事前に申し込む。

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1867名無しさん:2014/09/19(金) 22:32:12 ID:iAVi967Q0
10月1日“出陣式” 大坂の陣400年天下一祭
2014年9月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140919/20140919025.html

 大阪城公園(大阪市中央区)を中心に開かれる大坂の陣400年天下一祭「大坂冬の陣」について、大坂の陣400年プロジェクト実行委員会(橋爪紳也委員長)は18日、開幕日の10月1日に“出陣式”を実施すると発表した。同イベントの武将隊メンバーが、橋下徹市長の定例記者会見に飛び入り参加して来場を呼び掛けた。

出陣式には橋下市長や松井一郎府知事をはじめ、特命応援隊の隊長を務める歌手の和田アキ子さん、同副隊長として歌舞伎俳優の片岡愛之助さんらが出席。大坂の陣の際、豊臣方の主力として奮戦した真田幸村らに扮(ふん)した5人組の武将隊「大坂RONIN5」のメンバーと共にイベントの開幕を宣言する。

 橋下市長の会見に“参戦”したのは武将隊の真田幸村、毛利勝永に扮したメンバーと大阪城非公認キャラクターの太閤はん。「大阪城に来ていただければ楽しいイベントが盛りだくさん」とアピールし、橋下市長と一緒に「大坂冬の陣いざ出陣」と声を張り上げた。

 天下一祭は、2014、15年が冬の陣(1614年)、夏の陣(1615年)から400年の節目に当たることにちなみ企画。民間が主体となって大阪の歴史や文化、街の魅力を広く発信し、活性化につなげるのが狙い。冬の陣のイベントは12月31日まで。

1868名無しさん:2014/09/23(火) 19:19:57 ID:UynvcjHI0
四天王寺に秀吉寄進の厨子 大阪、同寺再建を裏付け
2014年9月23日 16:41

 四天王寺(大阪市天王寺区)で聖徳太子の法要に使われる厨子が、豊臣秀吉に寄進されたものとみられることが23日分かった。「文禄七(1598)年」との墨書に、豊臣家の家紋に使われる桐花があしらわれていた。寺は1576年の織田信長による石山本願寺攻めで焼失。秀吉が1594年から再建したとの寺の記録を裏付けるという。現在は修理中で一般公開されていない。

 四天王寺によると、厨子は高さ約2・8メートル、幅約1・6メートル、奥行き約0・8メートル。境内の六時堂に安置されている。厨子には同寺を創建した聖徳太子の御影(肖像画)があり、毎年行われる法要に使われていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/140923/20140923055.html

1869名無しさん:2014/09/25(木) 01:08:45 ID:bo1AcVlg0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140923-OYTNT50012.html
庄屋文書に農民の暮らし
2014年09月23日

◇豊中のNPOが解説本

 豊中市のNPO法人「とよなか・歴史と文化の会」が、同市原田元町周辺で江戸時代に庄屋だった野口家に伝わる古文書を解説した「原田村野口家文書を読む」を発行した。「助け合って耕作すること」とした隣保組織「五人組」の細則を記した文書や、水不足で近隣の村同士が水利権を争った記録など71点を掲載。当時の農民の暮らしぶりがわかる内容で、同会メンバーらが7年がかりでまとめた。(神谷次郎)

 原田村は、現在の阪急宝塚線曽根駅西側にある原田元町周辺にあり、江戸時代の石高は約1500石。うち約300石の庄屋だった野口家は、村政や財政、住民の出入り、治安など幅広い分野についての文献約1800点を残していた。

 地元の観光ガイドや資料館の管理に携わる同会が、「地元に伝わる歴史を学ぼう」と2007年から、古文書に詳しい清水喜美子さん(71)(伊丹市)を講師に迎えて古文書講座を開催。清水さんの指導を受けながら、同市の岡町図書館に所蔵されている野口家の古文書の解読に取り組んできた。

 解説本では、検地帳や年貢帳などの内容を紹介、当時の年貢や村政の仕組みがわかる図を付けた。享和3年(1803年)の五人組の細則などを定めた文書には、「耕作には精を出し、病人や独り身の農家には互いに助け合って作業すること」などと記されている。

 また、耕作に不可欠だった水を巡り、水不足の際に近隣の村との争いが起こり、町奉行に改善を求めた訴状も掲載。農民らの人件費が高騰した際には、庄屋らが集まり、賃金の値下げを決めた記録もあり、「屋根葺(ふ)き賃」「綿打ち賃」など仕事の内容によって賃金が細分化されていたことがわかる。

 同会メンバーで中心となって編集した大下隆司さん(69)は「当時は思ったより豊かで、助け合って暮らしていたことなど生活の実態が垣間見えて興味深い。ぜひ一度読んでほしい」と話している。

 A4判164ページ、税込み800円。問い合わせは、大下さん(06・6849・0926)へ。

2014年09月23日

1870名無しさん:2014/09/25(木) 08:30:27 ID:LF.UJIDU0
西方の落日に極楽浄土思う 四天王寺「日想観」
2014年9月24日

 「秋分の日」の23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で秋季彼岸会(え)の伝統行事「日想観(にっそうかん)」が厳かに執り行われた。多くの参詣者が訪れ、夕日が真西に沈む彼岸の中日だけの光景を見届けた。

日想観は夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環。かつて四天王寺のそばまで海が広がり、境内の真西は極楽浄土へ続く場所と信仰されていたことに由来する。春、秋の2日に限り「石鳥居」の中央に沈む夕景を望むことができる。

 法要では夕刻に同寺僧侶が境内・西大門(極楽門)周辺で読経。集まった参詣者は、左手のビルの陰から現れた夕日に手を合わせたりカメラで撮影したりするなど、格別なひとときを過ごした。

 この日の近畿地方は高気圧に覆われて秋晴れとなり、大阪府内各地の寺院や霊園墓地などでは、朝から家族連れが花や供えものを手に墓参りをし、四天王寺には約5万人が訪れた。

1871名無しさん:2014/09/26(金) 17:18:10 ID:OjUvyaxU0
開祖・聖徳太子など54枚で紹介 オリジナルトランプ完成
2014年9月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140926/20140926033.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で、新たな授与品としてオリジナルトランプカード「四天王寺厳選五十四図」が完成した。建物や伝統行事、開祖・聖徳太子などを54枚で紹介。美しい写真と詳しい解説文があり、同寺では資料としての活用にも期待を寄せている。

2022年に控える聖徳太子の年忌法要「御遠忌(おんき)1400年」に向けた取り組みの一環で、広報担当の参詣部が昨年5月から企画。事前に絞った250件の候補から、僧侶と職員約150人が投票、54件を“厳選”した。五重塔や西大門、五智光院といった建造物のほか「どやどや」「聖霊会(しょうりょうえ)」「万灯供養」といった行事も盛り込まれ彩り豊か。ジョーカーには金堂壁画の一つで魔王を描いた「降魔成道(ごうまじょうどう)図」を選ぶなどこだわりも見せる。

 同寺境内は超高層ビル「あべのハルカス」から一望できるとあって、今春の開業以降、参詣者が増加。同部の山岡武明課長は「四天王寺をより多くの方に親しんでもらう商品としてアピールしたい」と話していた。

 価格は900円。10月1日から境内・楽舎などで販売される。

1872名無しさん:2014/10/01(水) 08:45:37 ID:W3xIqSuA0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140928-OYTNT50368.html
躍動と幻想の舞台 創生平国神楽
2014年09月29日

東大阪市出雲井町の枚岡神社で28日夜、河内に伝わる神話にちなんだ「創生平国神楽」が上演され、市民ら約500人が見入った。

 住民らでつくる実行委員会が2010年から毎年開いており、今年で5回目。

 狂言師や舞踏家、小中学生ら出演者約35人が境内に特設された能舞台で、太鼓や笛などの音色に合わせ、躍動感のある舞などを披露。舞台をすっぽり覆うほどの衣装の裾をはためかせて山の誕生を表現したり、花のついた枝を使って四季の移り変わりを表したりする舞などもあり、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。

 上演前には、創生平国神楽の演出を担当した観光庁の「エンタメ観光マイスター」も務める表博耀(おもてひろあき)さん(52)らによる座談会があり、同神社の由来や、神楽の成り立ちなどを解説した。

 堺市堺区、会社役員田口裕康さん(64)は「伝統をもとにした新しい神楽。見る者に訴えかける力があると感じた」と話していた。

2014年09月29日

1873名無しさん:2014/10/05(日) 20:01:07 ID:k.a0109w0
楽しい“化学反応”期待 築100年の町家再生へ
2014年10月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141005/20141005032.html

 かつて大名が往来した紀州街道が通る大阪市住之江区安立(あんりゅう)で、街道沿いに立地する築100年の町家を再生させるプロジェクトが進行している。計画では八つの店舗が入り、併設する新築棟でカフェをオープンさせる。中庭や商店街に面した軒先などでは、店舗同士の合同イベントも予定しており、関係者は「楽しい化学反応が起こる場所になれば」と期待している。

安立3丁目のかつて庄屋だった建物。約430平方メートルの敷地に、1911(明治44)年築の主屋、17(大正6)年築の蔵、昭和期の離れなどが建つ。屋号の嶋屋喜兵衛(しまやきへい)にちなみ、「嶋屋喜兵衛商店」として生まれ変わる。

 プロジェクトを進めるのは、市内で長屋改修を手掛ける大阪市立大大学院の小池志保子准教授と6人の院生。十数年空き家となっていた建物の活用法を考えあぐねていた11代当主の吉井秀夫さん(62)と長屋関連イベントで知り合ったのをきっかけに2013年春、再生に向け動きだした。

 計画でこだわるのは、商店街に面した主屋正面からの見通し。共有スペースの座敷を通じ、中庭がのぞく景色をしつらえる予定だ。

 主屋正面を覆っているシャッターを取り払い、新たに生まれる軒下の空間で、買い物客らがベンチに腰を掛けたりと気軽に立ち寄れるようにする。

 現在、先行オープンする1店舗を募集している。11月ごろから近隣店舗との交流などを始め、2015年2月のオープンを目指す。全面開業に向けた準備も共に進める。

 小池准教授は「一帯にすてきな場所が点在するようになり、散策を楽しんでもらえるエリアになれば」と話している。

1874名無しさん:2014/10/06(月) 08:11:02 ID:r2BLLPCY0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141005-OYTNT50005.html?from=yartcl_blist
古墳時代に思いはせ
2014年10月05日

◇近つ飛鳥博物館 「箸墓以降」展開幕

 河南町の府立近つ飛鳥博物館で4日に開幕した秋季特別展「箸墓(はしはか)以降―邪馬台国連合から初期ヤマト政権へ―」(同博物館、読売新聞社主催)。古墳時代前期の畿内各地の古墳や、集落跡からの出土品の数々を見ようと、多くの考古学ファンでにぎわった=写真=。

 奈良盆地南東部や周辺の古墳から、当時の政権の広がりや社会背景を探る内容。メスリ山古墳(奈良県桜井市)の「玉杖(ぎょくじょう)」は長さ約50センチで、統率者の権威を示す威儀具として使われたとされる。また、元稲荷古墳(京都府向日市)の「特殊器台形埴輪(はにわ)」は、模様の一部として三角形などにくりぬかれた様子を見ることができる。

 大阪市淀川区の会社員、平櫛瑶子さん(26)は「多くの古墳の出土品を見比べることができ、埋葬された人の人生や当時の風習に興味が湧いた」と話していた。

 12月7日まで。今月26日には、奈良県天理、桜井両市の古墳の調査成果などのシンポジウムが行われるほか、5、18日と11月1、15、29日、12月6日の午後2時からは、学芸員による展示解説もある。問い合わせは同博物館(0721・93・8321)へ。

2014年10月05日

1875名無しさん:2014/10/06(月) 10:03:42 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/140930/rgn1409300033-n1.html
来月4日、大阪・四天王寺で「幻燈會」 明治期のガラススライド楽しんで

. 明治期のガラススライド(種板)を当時の幻燈器(プロジェクター)で浮かび上がらせるイベント「四天王寺幻燈會」が10月4日、大阪市天王寺区の四天王寺・安養殿で開かれる。ガラススライドには武将の高貴な姿をはじめ、表情豊かな女性もユーモアをまじえて描いており、当時の味わい深い世界が堪能できる。 

 関西古書研究会が毎年、春と秋に開催している「大古本祭り」のプレイベント。初期映画機器とフィルムの収集・研究をしている大阪芸術大非常勤講師、松本夏樹さん(62)の映写と語りで、明治の幻影をよみがえらせる。

 幻燈は、灯油ランプなどの光源を利用して静止画像を大写しにするスライド。18世紀後半、オランダとの貿易を通じて日本に入ってきた。

 今回上映するのは、日露戦争(明治37、38年)のころに制作されたガラススライド約20枚。

 このうち浮世絵師の小林清親が描いた百面相図は、明治期の女性が風呂に入っている際に、熱い湯に顔をゆがめた表情などをとらえた作品。「アツイユ」などのせりふも書かれている。

 このほか、鎌倉後期から南北朝時代にかけての武将・新田義貞が、太刀を海に投げ入れて龍神に祈願する龍神伝説など、明治期に好まれたさまざまなテーマが描かれている。

 松本さんは「暗闇の中で明治時代の方法で映写するので、来場者は当時の幻燈会がどんな雰囲気だったのか体感できるのでは」と話している。

 イベントは午後6時開始。入場無料。

 また、寺境内では10月10〜15日、約30万点の古書が並ぶ「第14回四天王寺秋の大古本祭り」が開催される。午前10時〜午後5時(15日は午後4時まで)。

 問い合わせは関西古書研究会事務局(電)072・994・8852。

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1876名無しさん:2014/10/06(月) 10:10:09 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/141006/rgn1410060019-n1.html
建築家・村野藤吾氏没後30年で特別展 大阪歴史博物館

大阪新歌舞伎座(大阪市中央区、移転)や梅田吸気塔(大阪市北区)などを手掛けた建築家、村野藤吾氏の没後30年を記念した特別展「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」が大阪歴史博物館(中央区)で開かれている。設計図だけでなく、村野氏がこだわったインテリア家具や建築部材なども紹介。大阪にゆかりの深い村野氏の建築の全貌を紹介している。(西山保子)

                   ◇

 村野氏は明治24年、佐賀県唐津市生まれ。早稲田大建築学科を卒業後、大正7年、建築家・渡辺節(せつ)氏の府内の建築事務所に入った。大阪は当時、産業と文化が華やかな“大大阪(だいおおさか)時代”で、数多くの建築を請け負った。

 昭和4年に独立し、建築事務所を設立。独立後も完成までチーフ・ドラフトマン(主任製図工)として関わった「綿業会館」(中央区)は駆け出し時代の名作として知られる。

 ほかにも旧そごう大阪店(中央区)や「近映レジャービル アポロ(現・きんえいアポロビル)」(阿倍野区)など数多くの商業施設やオフィスビルなど、全国各地で約300の作品を手掛けた。

 外観だけでなくインテリアにもこだわり、いすや机などの家具も設計。直線と曲線で構成される細くて上品な家具を好んだ。

 展示会では、村野氏が手掛けた建物を写真や図面、模型で紹介しているほか、家具や愛用品なども含め約200点を公開している。

 梅田吸気塔の設計図や関連資料も使い、複雑な構造を多彩な視点から解説。村野氏が設計し、大阪・ミナミにあった喫茶店「心斎橋プランタン」の籐(とう)のいすや衝立(ついたて)などを、当時の店内を撮影した写真とともに紹介している。

 大阪歴史博物館の主任学芸員、酒井一光さんは「現在の建築やインテリアを物足りないと感じる人も、大胆と繊細さが見事に調和した村野氏の建築をみれば、魅力的な世界が楽しめるのでは」と話している。

 13日まで。午前9時半〜午後5時(金曜は午後8時まで、火曜休館)。入館有料。問い合わせは大阪歴史博物館(電)06・6946・5728。

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1877名無しさん:2014/10/06(月) 10:18:18 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/141003/rgn1410030017-n1.html
富田林興正寺別院が国重文に 本堂や山門など6棟「歴史的景観備え」

. 浄土真宗の富田林興正寺(こうしょうじ)別院(富田林市寺内町)の本堂や山門など6棟が国の重要文化財に指定された。同市寺内町は府内で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、同院を中心に商売が盛んなまちとして発展している。

 市教委は「本堂をはじめとする境内空間が良好に保存されるとともに、歴史的景観を備えた寺院として評価された」と喜んでいる。

 市によると、富田林興正寺別院は、戦国時代後半の永禄3(1560)年、浄土真宗の有力寺院だった興正寺第16世の証秀上人(しょうしゅうしょうにん)が土地を購入し、翌年に中核の寺院として建立した。現存する本堂は寛永15(1638)年に建てられた。府内では最古、近畿地方でも最古級の浄土真宗本堂。初期の真宗本堂の成立過程を知るうえで価値がある。また江戸時代末期に整えられた境内が良好に維持されている。

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1878名無しさん:2014/10/06(月) 20:54:15 ID:xAJcGN/U0
商売繁盛!ヤーレ船場 博労稲荷社みこし巡行
2014年10月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141006/20141006029.html

 商売繁盛の神として大阪商人の信仰を集める「博労稲荷(いなり)社」(大阪市中央区、難波神社境内)のみこし巡行が5日、盛大に執り行われた。約30人の若い男女が担ぎ手となり、「ヤーレ船場」などの掛け声とともに地元船場の商店街を練り歩いた。

みこし巡行は一昨年、約半世紀ぶりに復活。3回目となることしは、かつてあった担ぎ手の講「難波神社神輿(みこし)会」も再興され、3日から開かれていた「船場まつり」の最終日を大いに盛り上げた。

 境内に参集した担ぎ手はおはらいを受けた後、早速せんば心斎橋商店街に繰り出して元気いっぱいに巡行。にぎわうアーケード内にさらなる活気を呼び込んだ。

 船場まつり推進協議会会長を務める神輿会の池永純造会長は「年々にぎわいが増しており、ことしも関係者のパワーのおかげで大盛況だった」と手応えに笑みを浮かべていた。

1879名無しさん:2014/10/07(火) 19:10:44 ID:bmzFwS3g0
「やっぱりできへん」800m道頓堀プール 堺屋氏の構想、わずか80mに縮む 運営企業なく

大阪・ミナミの道頓堀川開削400周年にあたる平成27年6月の開業を目指していた「道頓堀プール」(全長800メートル)が、
全面開業を断念したことが7日、関係者への取材で分かった。地元商店主らが出資した準備会社が発足していたが、
運営会社への移行が難航。来年8月の1カ月間、当初の10分の1規模の約80メートルで開業する。

 プールは大阪府市特別顧問で内閣官房参与の堺屋太一氏が発案。道頓堀周辺にある商店主らが資本金1400万円を出資し、
昨年4月に「道頓堀プールサイドアベニュー設立準備株式会社」を設立していた。

 建設費には約30億円を見込み、費用が集まった段階で運営会社への移行を目指したが、運営を担う企業が見つからず、
準備会社を中心に規模縮小して開業することを決めた。
http://www.sankei.com/west/news/141007/wst1410070028-n1.html

1880名無しさん:2014/10/08(水) 00:40:17 ID:8GqIND160
「後の雛まつり」を11日に富田林で再現
. 関西を中心に江戸時代、「重陽の節句」(旧暦の9月9日)に行われたとされる「後の雛(ひな)まつり」を再現するイベントが11日、大阪・富田林市の寺内町一帯で開かれる。

 後の雛まつりは、菊花とお雛様を飾ったため、別名「菊雛」とも呼ばれる。雛人形の業界では、毎年10月9日を「後の雛」の日としている。

 寺内町は、江戸時代から続く古い商家や民家が点在し、平成9年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 イベントは8回目。地域活性化のため、地元住民らでつくる実行委員会が企画・運営。民家や旧家などを会場に使い、後の雛まつりの姿をよみがえらせる。

 後の雛まつりの行事のほか、町内に残る旧酒蔵で地元の野菜や雑貨品を販売したり、昭和30年代の日本女性の家事の様子を記録した映画を上映したりする。午前10時〜午後4時。問い合わせは実行委(電)080・6205・4540。

.http://www.sankei.com/region/news/141007/rgn1410070004-n1.html

1881名無しさん:2014/10/11(土) 12:45:57 ID:/7kZB6BA0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141008/20141008020.html
太陽の塔、国有形文化財目指す 建設50年節目に
2014年10月8日

 大阪府議会は7日に一般質問を行い、大江桂子府民文化部長が、万博記念公園(吹田市)のシンボルである太陽の塔について、建設から50年の2020年を節目に国の有形文化財の登録を目指す考えを示した。民主党・無所属ネット府議団の上野和明府議の質問に答えた。


 文化庁などによると、建設から50年が経過した建築物で「造形の規範」「再現が容易でない」などの条件を満たせば登録申請ができる。

 大江部長は「20年に建設から50年になるので登録を目指したい」と答弁。世界遺産の登録については「前提として文化財登録が必要なので、まず有形文化財を目指す」と答えた。

 府が8月に同公園の活性化策をまとめた将来ビジョンの中間報告は、文化財登録を目指すことと世界遺産登録の検討が盛り込まれている。

1882名無しさん:2014/10/12(日) 19:36:37 ID:hzcPEdqA0
真田幸村の入城を再現
10月12日 19時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141012/4965031.html

豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年を迎えたことを記念して、豊臣方の武将、真田幸村が大阪城に入城する様子を再現する催しが開かれました。
この催しは、真田幸村にゆかりのある長野県上田市などが開きました。
真田幸村は、今から400年前の1614年10月、現在の和歌山県九度山町から大阪城に入城し、「大坂冬の陣」や「大坂夏の陣」を戦った豊臣方の武将として知られています。
12日は、入城の様子が再現され、真っ赤な甲冑に身を包んだ幸村や「真田十勇士」などの家臣にふんした約100人がホラ貝の合図の後、真田ゆかりの、「六文銭」が描かれた旗などを掲げながら大阪城に入りました。
そして、入城を報告したあと、大きな声でかけ声をあげ出陣していきました。
入城の様子を見た男性は「真田幸村は人気のある戦国武将なので、このような催しが開かれることはとてもいいと思います」と話していました。
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1883名無しさん:2014/10/15(水) 10:24:58 ID:2WA5T0ws0
旅行会社の先駆け「浪花講」発祥の地の神社に記念碑設置へ 大阪

. 江戸時代、現在の旅行会社の先駆けとなった組合「浪花講(なにわこう)」があった大阪・玉造の玉造稲荷神社分社に26日、記念碑が設置される。浪花講は当時、良質な宿を旅人に斡旋(あっせん)し、各地の名物や休憩所などを紹介するガイドブックも製作するなど、現在の旅行会社の原型を確立。その後、大阪だけでなく関東などにも普及したとされる。こうした大阪発祥の“商人(あきんど)魂”を知ってほしいと、近畿日本鉄道などが記念碑の奉納を決めた。

 かつて玉造はお伊勢参りの西の玄関口としてにぎわい、玉造稲荷神社に祈願して出発していた。近くで江戸時代、綿打ちに使う唐弓(とうゆみ)の弦(つる)を販売していた商人・松屋甚四郎(じんしろう)が文化元(1804)年、後に浪花講となる「浪花組」を立ち上げた。

 甚四郎の使用人が当時、全国各地を行商しており、旅人が宿で強引な客引きやぼったくり、頼んでもいない遊女の手引きなどの被害を受けていることを知り、旅人の安全を確保する現在の旅行会社のようなサービスを思いついた。

 具体的には、組合に加盟した宿には目印となる「浪花講」の看板を掲げさせ、旅人が安心して泊まれるようにしたほか、旅人にも浪花講発行の木札(後に布製に移行)を持たせ、宿側から信用されるようにした。このほか、組合に加盟している各地の宿や休憩所、地域の名物などを紹介する現在のガイドブックのような「浪花講定宿帳」や「浪花講道中記」も発行。こうしたサービスを明治維新まで続けた。

 この史実を広くアピールしようと、お伊勢参りを題材にした落語を手がける桂文我さんが今春、記念碑の設置を呼びかけ、近鉄や、三重県伊勢市の老舗和菓子メーカー「赤福」などが賛同した。

 いまに残る浪花講の木製看板をデザインしたステンレス製プレート(縦85センチ、横36センチ)を作り、石碑(縦約120センチ、横約90センチ、奥行き約30センチ)にはめこむ。浪花講のあった玉造稲荷神社の南西約600メートルの分社に設置する予定だ。神社の鈴木伸廣・禰宜(ねぎ)(39)は「商売人気質を受け継ぐ大阪の若者にも、温故知新の精神で起業にチャレンジしてほしい」と話している。

 石碑の除幕式は午後1時から分社で。4時から神社で落語会(有料)もあり、桂文我さんらが出演する。浪花講の看板や定宿帳なども公開される。問い合わせは神社(電)06・6941・3821。

.http://www.sankei.com/region/news/141011/rgn1410110039-n1.html

1884名無しさん:2014/10/15(水) 10:39:28 ID:2WA5T0ws0
「浪人」たちの魅力紹介 大阪城天守閣で特別展
. 大坂の陣で活躍した「浪人」たちの魅力を紹介する特別展「浪人たちの大坂の陣」が11日、大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城)で始まった。大坂の陣400年を記念した企画で、真田幸村や塙団右衛門(ばん・だんえもん)をはじめ浪人らの遺品や書状など104点を展示している。

 400年前の慶長19(1614)年に始まった大坂の陣。同年に冬の陣、翌年に夏の陣があった。諸大名を動員し大坂城を包囲した徳川軍を苦しめたのは豊臣秀頼のもとに各地からはせ参じた浪人たちだった。

 大阪城天守閣3、4階の会場では、大坂冬の陣の真田丸の戦いで徳川軍に完勝した真田幸村が使ったと伝わる「鉄二枚胴具足」や真田氏の家紋である「六連銭文馬印(ろくれんせんもんうまじるし)」などに幸村ファンの注目が集まっている。

 また、冬の陣で徳川方の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)隊に夜襲を仕掛け、“夜討ちの大将”とし勇名をはせた塙団右衛門のコーナーでは「定めなき世のならいなので、二度と会えないかもしれないが、また会えるかもしれない」などと旧友にあてた自筆の手紙や、塙が使ったとされる十文字槍(やり)が展示されている。

 一方、大坂の陣から50年以上後の寛文8(1668)年に製作された熱田神宮(名古屋市)所蔵の刀には「生過(いきすぎ)タリヤ」(生き過ぎたりや)の銘が刻まれている。この文言は、大坂の陣後に泰平の世が到来し、戦場を失った武士が、生き方について自問していた事実をかいま見せてくれる。

 担当の学芸員は「浪人といえば武家社会の脱落者のようにみなされがちだが、自らの意志で浪人になる武士もたくさんいた。彼らの旺盛な自立心が乱世に活力を与えたことを実感してほしい」と話している。

 11月24日まで。入館料は大人600円、中学生以下無料。問い合わせは大阪城天守閣(電)06・6941・3044。

http://www.sankei.com/region/news/141012/rgn1410120015-n1.html

1885名無しさん:2014/10/15(水) 10:40:52 ID:2WA5T0ws0
高山右近夫妻の石像建立へ 生誕地で没後400年を記念 大阪
. 戦国武将でキリシタン大名としても知られる高山右近が来年、没後400年を迎えることを記念し、生誕地・豊能町に右近夫妻の石像が建立されることになり、町立高山コミュニティセンター「右近の郷」で12日、地鎮祭が行われた。石像は高さ2メートル近くで、地元産・黒御影石(花崗(かこう)岩)が使われる。来年6月ごろ完成する予定で、除幕式をはじめ、町を挙げたイベントが繰り広げられる。

 高山右近は戦国時代、織田信長や豊臣秀吉に仕えたが、江戸時代、キリスト教の布教を禁じた幕府にフィリピンへ追放され、1615年、64歳でマニラで死去した。

 右近夫妻は豊能町生まれとされ、町や自治会、有志らが「高山右近没後400年記念実行委員会」(甲田広行会長)を結成。夫婦を顕彰する石像の建立に向け、募金活動を始めている。

 地鎮祭は、建立予定地の右近の郷の敷地内であり、右近をキリスト教の聖人にする運動をしている兵庫県芦屋市の「ユスト高山右近列福推進委員会」のマスコットキャラクター「うーこんどの」も駆けつけ、町民らと一緒に参列した。

http://www.sankei.com/region/news/141013/rgn1410130013-n1.html

1886名無しさん:2014/10/16(木) 04:47:43 ID:gjXcfEYU0
http://www.sankei.com/west/news/141015/wst1410150060-n1.html
大阪城上空にヘリ集結 御嶽山噴火の捜索で注目 陸自、消防など連携、大坂の陣イベント

今週末18日&19日、初コラボ

 御嶽山噴火で自衛隊や消防などがヘリを駆使して捜索にあたる中、ますます重要視されるヘリの連携を強化しようと新しい試みが企画されている。18、19日に大阪城公園(大阪市中央区)で開かれるイベント「大坂の陣合戦祭り」で、陸上自衛隊、近畿地方整備局、大阪市消防局、大阪府警のヘリ計4台が結集する。史上初となる競演で府民の安心、安全を守る誓いをあらたにする。

 大坂冬の陣から今年で400年、夏の陣から来年で400年にあたることから18、19日、大阪城公園一帯で開かれる「大坂の陣合戦祭り」(同実行委員会主催)の催しとして企画された。

 テーマは「おおさかを力強く守る空の勇者たち」。19日午後1時、八尾空港(大阪府八尾市)を出発し、10分後に大阪城公園の上空に到着し、地上から180メートルを飛行する。災害などで状況把握のために使われる観測用ヘリ「OH−1(オーエイチダッシュワン)」が飛行する予定という。

 行政や民間との連携に力を入れている自衛隊大阪地方協力本部が各機関に呼びかけた。イベント用に合同でヘリを飛ばすのは初めてという。連携の確認のほか、操縦技術の切磋琢磨なども期待している。

 自衛隊大阪地方協力本部長の大塚裕治陸将補は「連携している姿を見て国民に安心を感じてもらいたい」と話している。

1887名無しさん:2014/10/18(土) 00:56:53 ID:RvfJi8A.0
知ってた? 旅行会社は大阪発祥 玉造の神社に「浪花講」記念碑設置へ 近鉄など賛同

江戸時代、現在の旅行会社の先駆けとなった組合「浪花講(なにわこう)」があった大阪・玉造の玉造稲荷神社分社に26日、記念碑が設置される。浪花講は当時、良質な宿を旅人に斡旋(あっせん)し、各地の名物や休憩所などを紹介するガイドブックも製作するなど、現在の旅行会社の原型を確立。その後、大阪だけでなく関東などにも普及したとされる。こうした大阪発祥の“商人(あきんど)魂”を知ってほしいと、近畿日本鉄道などが記念碑の奉納を決めた。(北村博子)

 かつて玉造はお伊勢参りの西の玄関口としてにぎわい、玉造稲荷神社に祈願して出発していた。近くで江戸時代、綿打ちに使う唐弓(とうゆみ)の弦(つる)を販売していた商人・松屋甚四郎(じんしろう)が文化元(1804)年、後に浪花講となる「浪花組」を立ち上げた。

 甚四郎の使用人が当時、全国各地を行商しており、旅人が宿で強引な客引きやぼったくり、頼んでもいない遊女の手引きなどの被害を受けていることを知り、旅人の安全を確保する現在の旅行会社のようなサービスを思いついた。

 具体的には、組合に加盟した宿には目印となる「浪花講」の看板を掲げさせ、旅人が安心して泊まれるようにしたほか、旅人にも浪花講発行の木札(後に布製に移行)を持たせ、宿側から信用されるようにした。

 このほか、組合に加盟している各地の宿や休憩所、地域の名物などを紹介する現在のガイドブックのような「浪花講定宿帳」や「浪花講道中記」も発行。こうしたサービスを明治維新まで続けた。

 この史実を広くアピールしようと、お伊勢参りを題材にした落語を手がける桂文我さんが今春、記念碑の設置を呼びかけ、近鉄や、三重県伊勢市の老舗和菓子メーカー「赤福」などが賛同した。

 いまに残る浪花講の木製看板をデザインしたステンレス製プレート(縦85センチ、横36センチ)を作り、石碑(縦約120センチ、横約90センチ、奥行き約30センチ)にはめこむ。浪花講のあった玉造稲荷神社の南西約600メートルの分社に設置する予定だ。

 神社の鈴木伸廣禰宜(ねぎ)(39)は「商売人気質を受け継ぐ大阪の若者にも、温故知新の精神で起業にチャレンジしてほしい」と話している。

 石碑の除幕式は午後1時から分社で。4時から神社で落語会(有料)もあり、桂文我さんらが出演する。浪花講の看板や定宿帳なども公開される。問い合わせは神社((電)06・6941・3821)。

http://www.sankei.com/west/news/141017/wst1410170058-n1.html

1888名無しさん:2014/10/19(日) 10:53:26 ID:7BOsdhk.0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141012-OYTNT50370.html
歌舞伎で伝える日本の心
2014年10月13日

◆吹田 留学生ら130人鑑賞

 外国人留学生らに歌舞伎を通して日本文化への理解を深めてもらうイベントが12日、吹田市の市夢つながり未来館で開かれ、留学生ら約130人が楽しんだ。

 日本の「思いやりの心」を知ってもらおうと、NPO法人「大楽小楽」が開催。市民でつくる歌舞伎グループ「澪(みお)つくし歌舞伎」のメンバーが、演目「人情噺(ばなし) 文七元結(ぶんしちもっとい)」を演じた。

 賭け事好きの主人公の左官は、娘が遊郭に身を売って作った50両の大金を、金に困り身投げしようとする若者に与えてしまうが、それをきっかけに人生が好転する物語。時折、英語のせりふも交えながらコミカルな演技を披露し、笑いを誘っていた。

 タイからの留学生で関西大で日本史などを学ぶタナーカーン・ルートトュートサクンさん(22)は「思いやりを大切にする日本人の心が伝わってきて感動した」と話していた。

2014年10月13日

1889名無しさん:2014/10/19(日) 12:09:45 ID:7BOsdhk.0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141017-OYTNT50024.html
江戸期板番付のこった 河内長野の神社
2014年10月17日

◆決まり手描いた絵馬も

 河内長野市教委は16日、赤坂上之山神社(同市美加の台)で保管されていた相撲板番付が173年前の江戸後期に奉納されたものだと判明した、と発表した。同神社には同時期に奉納された相撲の決まり手を描いた絵馬もあり、江戸時代の相撲に関する史料が確認されるのは全国的に珍しいという。

 拝殿の壁に掛かっていた板番付(縦62センチ、横208.6センチ)。墨が消えて詳しいことは判然としなかったが、氏子らの依頼を受けた市内の天野山文化遺産研究所が6月から調査・修復をしていた。その結果、力士の名前が並んで記載されており、天保12年(1841年)に奉納された番付とわかった。興行主の勧進元は「押尾川巻右衛門」となっていた。

同神社では、相撲の決まり手の一つ「河津掛け」を繰り出す力士が描かれた絵馬(縦77センチ、横58センチ)も見つかっていた。天保6年(1835年)の献納で、にかわ絵の具で力士が躍動感ある筆致で描かれている。

 市教委は「江戸時代にこの地域で相撲が盛んに行われていたことを伝える貴重な史料」と評価。同神社は番付や絵馬を今後、一般公開するかどうかを検討する。

2014年10月17日

1890名無しさん:2014/10/19(日) 20:13:57 ID:i00Q8V6Q0
竹鶴政孝とリタ展
10月19日 18時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141019/5467241.html

NHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝夫妻と当時の大阪を紹介する展示会が、大阪市で開かれています。
この展示会は、竹鶴政孝の妻のリタが勤めていた大阪・住吉区の帝塚山学院で開かれています。
会場には、夫妻に関する資料22点が展示され、このうち、当時の卒業アルバムには、教員として働いていたリタの写真の下に「竹鶴先生」と書かれています。
学校は、このアルバムを戦争の混乱などで紛失していましたが、ことしの夏、府内の歴史資料の収集家が所有していることがわかり、展示会ために、特別に貸し出されました。
19日は、地元の歴史研究者の講演も行われ、リタが教員として働いたのは、政孝が酒造会社を辞めた後、家計を助けるためだったことなどドラマの背景が説明されると、参加者は興味深そうに聞き入っていました。
この展示会は、10月22日まで開かれています。

1891名無しさん:2014/10/19(日) 20:35:26 ID:i00Q8V6Q0
130人の甲冑武者隊が400年前の激戦を再現、大阪城で「大坂ノ陣合戦祭り」
http://www.sankei.com/west/news/141019/wst1410190045-n1.html

甲冑(かっちゅう)姿の武者たちが合戦絵巻を繰り広げる「大坂ノ陣合戦祭り」が19日、大阪市中央区の大阪城公園西の丸庭園で開かれ、豊臣軍と徳川軍が激突した400年前の戦いが再現された。

 産経新聞社などで構成する実行委員会が主催。会場は約1万5千人の人出でにぎわった。

 合戦祭りは、豊臣方の真田幸村隊が徳川軍に完勝した大坂冬の陣の「真田丸攻防戦」で幕開け。数十人の甲冑隊が勇壮なやりさばきを披露した。

 続いて約130人の武者隊が入城し、夏の陣の激戦を再現。幸村役の武者がやりをもって家康役を追い詰め、観客をわかせた。

 陸上自衛隊中部方面航空隊や大阪府警、大阪市消防局、国交省近畿地方整備局のヘリコプター4機が大阪城上空を旋回する演出もあり、空からも武者たちを鼓舞した。

 大坂の陣は大坂城とその周辺を舞台に約30万の兵が激突した合戦。慶長19(1614)年に大坂冬の陣が勃発し、翌年の大坂夏の陣で大坂城は炎上した。

1892名無しさん:2014/10/20(月) 05:00:06 ID:WN5T4V.A0
http://www.sankei.com/region/news/141019/rgn1410190038-n1.html
秀吉の好んだ名水 茨木神社で大茶会 大阪

. 豊臣秀吉が茶の湯に好んで使ったといわれる茨木神社(茨木市元町)の名水「黒井の清水」で18日、「大茶会」が始まり、大勢の観光客や市民でにぎわった。19日も行われる。

 秀吉がタカ狩りで茨木に立ち寄った際、当時、茨木城内にあった「黒井の清水」でたてた茶を飲んでたいそう気に入り、大坂城で茶の湯を行うときに、わざわざ「黒井の清水」をくみに行かせたという。

 大茶会はこの逸話をしのび、名水とお茶の文化を継承するイベントとして毎年、市観光協会が開催。今年は「大坂の陣400年天下一祭」の参加事業にもなっている。

 この日、境内に設けられた赤い毛氈(もうせん)の約80の茶席は詰めかけた人たちで常に満員となり、市茶華道連盟の女性がたてるお茶を創作生菓子とともに堪能した。

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1893名無しさん:2014/10/23(木) 18:54:32 ID:QG9CQ2Qw0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141022-OYTNT50030.html
120センチ船形埴輪など45点
2014年10月22日

◇高槻で古墳期の水運交易紹介

 古代の船をかたどった船形埴輪(はにわ)や船の部材など45点を集めた特別展「古墳時代の船と水運」が、高槻市郡家新町の今城塚古代歴史館で開かれている。12月7日まで。

 淀川の水運とともに発展してきた北摂地域の歴史を考察しようと企画。継体天皇の墓所とされる同市の今城塚古墳(6世紀前半)から見つかった船の絵が描かれた円筒埴輪や、熊本県・阿蘇山の溶岩でできた巨大な石棺の一部などを展示。淀川や瀬戸内海に通じる水運を利用して交易が行われていたことがうかがえる。

 三重県松阪市の宝塚1号墳から出土した全長約120センチの船形埴輪は、大刀などで飾り付けられており、埋葬された有力者の権威とともに、死後の世界には船で向かうとされた当時の思想も伝えている。内田真雄学芸員(38)は「かつて川は人や物を運ぶ重要な水運だったことを知ってほしい」と話した。

 入館料は一般200円、小中学生100円。問い合わせは、同歴史館(072・682・0820)へ。

2014年10月22日

1894名無しさん:2014/10/23(木) 19:19:46 ID:QG9CQ2Qw0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141023-OYTNT50054.html
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産へ動画公開
2014年10月23日

◇堺市がPR

堺市は、百舌鳥(もず)・古市古墳群(4世紀後半〜6世紀前半)の世界遺産登録をアピールする動画を作り、22日、公開を始めた。堺親善大使の歌舞伎役者・片岡愛之助さんら総勢約170人の応援メッセージを紹介している。

 動画のタイトルは「堺は元気だ!!」(1分4秒)。堺名誉大使で日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎さんのほか、古墳周辺で清掃活動に取り組む市民、古墳にちなんだカレーやパンで町おこしをする人らも登場。竹山修身市長は「世界遺産登録に向け、盛り上げていきたい」としている。市ホームページの「堺動画チャンネル」(http://videochannel.city.sakai.lg.jp/)などで閲覧できる。

2014年10月23日

1895名無しさん:2014/10/27(月) 00:01:10 ID:LQQPATq.0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141025/5573761.html
8Kで文楽「曽根崎心中」
10月25日 19時11分

文楽の「曽根崎心中」を「8Kスーパーハイビジョン」の鮮明な画質で鑑賞する催しが大阪・北区で開かれました。
この上映会は、25日から2日間、大阪・北区のグランフロント大阪で開かれ、25日の午前中は、事前に申し込んだ約150人が参加しました。上映されたのは、現代美術作家の杉本博司さんが演出を手がけた文楽の人気演目、「曽根崎心中」です。
8Kスーパーハイビジョンは、通常のハイビジョンに比べ、画素数が約16倍と、より鮮明な映像が楽しめるほか、臨場感のある音響も特徴で、会場では、人形の表情や着物などが大型スクリーンにくっきりと映し出され、太夫の語りが朗々と響き渡っていました。
8Kをめぐっては、総務省が本放送の開始時期を4年後の2018年とする方針を決め、東京オリンピックが開かれる2020年には、多くの視聴者が市販のテレビで楽しめる状況にすることを目指すとしています。
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http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141025/5689411.html
文楽補助金 一括支給は廃止へ
10月25日 19時11分

文楽に対する補助金について、大阪市は、来年度から一括して支給するいまの枠組みを廃止する方向で調整を進めています。
伝統芸能、文楽に対する補助金について、大阪市は、現在、人件費などの補助にあてる2900万円を観客数に応じて算定するなど一括して支給しています。
来年度の対応について、市は、特定の団体への一括した支給は今年度までとするとした、従来の方針を維持したいとして、いまの枠組みを廃止する方向で調整を進めていて、文楽を運営する文楽協会にも伝えました。
一方で、市は、文化事業を検証する専門家委員会が、文楽を、「大阪の宝」などと位置づけていることを踏まえ、事業ごとに必要な助成金を申請してもらう形に切り替える方針です。
これとあわせて、市は、来年度、文楽に親しんでもらうためのイベントなどの開催も検討しています。
文楽協会は、「行政の支援がなければ運営は厳しいので、今後、どう支援を受けるか協会内でも検討していきたい」と話しています。
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1896名無しさん:2014/10/27(月) 20:58:23 ID:JuS9UTXM0
文楽を動画で予習…文楽劇場が初心者向けに公開
2014年10月27日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141027-OYO1T50016.html?from=oycont_top_txt

初めて文楽を観劇する人に楽しさを知ってもらおうと、国立文楽劇場(大阪市中央区)は、11月文楽公演(11月1〜24日)の演目のダイジェスト映像を作成し、動画サイト「ユーチューブ」で公開を始めた。

 古典の文楽は、時代背景やストーリーなどの予備知識がないと、流れをつかみづらいとの声がある。文楽協会への補助金問題などで揺れるなか、文楽に詳しくない人にも魅力を伝えようと、初めて作成した。11月公演では、「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」と「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」を上演。動画では、両作品とも、過去に上演された際の映像を5、6分程度に編集し、テロップで解説している。「奥州――」では、平安時代に奥州を支配していた安倍氏が朝廷に敗れ、再起を図る物語を短くまとめた。

 NPO法人人形浄瑠璃文楽座(同市)も、太夫、三味線、人形遣いの役割について解説する動画を公開している。

 各動画は同劇場のホームページからリンクしている。

2014年10月27日

1897名無しさん:2014/10/27(月) 21:32:52 ID:JuS9UTXM0
吉田玉女さんが吉田玉男襲名
10月27日 19時09分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141027/5349641.html

人形浄瑠璃、「文楽」の人形遣いの吉田玉女さんが、人間国宝だった師匠の名跡の「吉田玉男」を襲名することになりました。
吉田玉女さんは、大阪・八尾市出身の61歳。
昭和43年、人形遣いの吉田玉男さんに入門したあと男役の人形を操る実力派となり、歴史上の人物や事件を扱う「時代物」での業績などが高く評価され、ことし日本芸術院賞を受賞しました。
玉女さんは、来年4月に、人間国宝だった師匠の名跡を継ぎ、「二代目吉田玉男」を襲名することになりました。
玉女さんは記者会見で、「念願かなって師匠の名跡を名乗れるようになりました。師匠は、男役でも女役でも、操る人形から色気が感じられるほどのすごい技を持っていました。襲名を機会に、女役の人形にほれられるような色気を出せるよう精進していきます」と抱負を述べました。
また、大阪市が文楽への補助金について、一括して支給する今の枠組みを廃止する方向で調整していることについて、「いろいろ問題がありますが、私たちは舞台でがんばるしかありません」と述べました。
襲名披露公演は、来年4月に大阪で、5月には東京で行われる予定です。

1898名無しさん:2014/10/27(月) 21:56:29 ID:JuS9UTXM0
「浪花講」の記念碑建立
10月27日 08時15分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141027/5662591.html

江戸時代、安心して旅をしてもらうために客から法外な料金を取ることを規制したといわれる宿の組合の「浪花講」の歴史を多くの人に知ってもらおうと記念の石碑が大阪に建てられ、26日、除幕式が行われました。
「浪花講」は、江戸時代に安心して旅をしてもらおうと客から法外な料金を取ったり、宿で賭博を開いたりすることを禁止する規制を設けた宿の組合で、各地の名産品や神社など旅先の情報をまとめた宿帳を発行したことなどから、現在の旅行会社のルーツといわれています。
この歴史を多くの人に知ってもらおうと、浪花講を立ち上げた商人の屋敷の跡にある大阪・中央区の玉造稲荷神社の分社に記念碑が建てられ、除幕式が行われました。
記念碑は、高さ1メートル70センチほどで浪花講に加盟した宿に掲げられていた看板がはめられ、「浪花講発祥の地」と記されています。
地元の人たち約50人が集まり、発起人の1人である落語家の4代目桂文我さんが、「伊勢参りが安全にできたのは浪花講があったおかげだということをぜひ伝えたい」とあいさつしました。
玉造稲荷神社の鈴木一男宮司は、「地元の人も知らない歴史だと思うので、これを見て新しい分野を切り開く起業家精神を培って欲しい」と話していました。

1899名無しさん:2014/10/27(月) 22:30:57 ID:JuS9UTXM0
「浪花講」発祥の地 起業家精神継承へ記念碑
2014年10月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141027/20141027023.html

 現在の旅行会社のもととなった江戸時代の「浪花講」があった玉造稲荷(いなり)神社(大阪市中央区)の分社で26日、発祥の地を記す記念碑の除幕式が行われた。行商人が旅人の安全を願って設立したことに倣い、関係者らは「起業家精神を知ってほしい」と期待を込めた。

かつて伊勢参りの玄関口として栄えた玉造は、ぼったくりをするなど悪質な宿が多かったという。浪花講は、綿打ちの道具を販売していた行商人、松屋甚四郎と使用人の源助が設立。1804年に前身となる旅宿組合「浪花組」を立ち上げた。優良な宿の紹介や旅先の情報を載せたガイド本を発行するなどサービスは全国に広まり、現在の旅行会社の原型になった。

 分社は同区上町1丁目の甚四郎の屋敷跡に立地する。高さ約1メートル70センチの石碑に、現存する浪花講の看板を模したステンレス製のプレートをはめ込んだ。

 式典は、発起人の落語家桂文我さんや賛同者の山口昌紀近畿日本鉄道会長ら約40人が出席。桂さんは「甚四郎たちは伊勢参りを安全に進めたパイオニア。皆さんから伝えてほしい」と話していた。

1900名無しさん:2014/10/30(木) 22:19:11 ID:MKAYh9b.0
司馬遼太郎が描く 大坂の陣
2014年10月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141028-OYTNT50018.html

◇記念館 「城塞」自筆原稿など34点

 東大阪市下小阪の司馬遼太郎記念館で28日から、大坂の陣400年を記念し、企画展「『城塞』―司馬遼太郎が描いた大坂の陣」が開かれる。小説「城塞」の自筆原稿など34点が公開される。来年5月17日まで。

 展示コーナーでは、城塞執筆時に使った地図などの資料や、司馬さんが描き、挿絵担当の画家に送った激戦地・道明寺(藤井寺市)付近のスケッチなどが並ぶ。上村洋行館長は「乱世の政治情勢を、司馬さんがどう考えていたかを知ってもらい、現代を生きるヒントにしてほしい」と話している。

 午前10時〜午後5時。月曜休館で、12月10日から来年1月5日までは工事のため、臨時休館。入館料500円。問い合わせは同館(06・6726・3860)へ。

2014年10月28日

1901名無しさん:2014/10/31(金) 19:37:55 ID:B2rgcwjI0
「すみよっさん」七五三に向けた袋詰め作業ピーク
http://www.sankei.com/west/news/141031/wst1410310045-n1.html

七五三参りの時期を迎え、「すみよっさん」の愛称で親しまれる住吉大社(大阪市住吉区)では子供に渡す祝い袋の袋詰め作業がピークを迎えている。

 11月中旬の週末を中心に、毎年約6千組の家族連れでにぎわう同社。最近は混雑を避けて前倒しする人も多く、今月すでに1千組が参拝に訪れた。

 袴を着けた正装で、紅白の千歳あめやお守りを一つ一つ丁寧に詰め込む神楽女(かぐらめ)の女性は「お子さんの健やかな成長をお祈りしています」と話した。

1902名無しさん:2014/10/31(金) 19:50:38 ID:B2rgcwjI0
幻の生玉宮寺ゆかりの仏画群紹介 きょうから阿倍野で特別展
http://www.sankei.com/region/news/141028/rgn1410280004-n1.html

生国魂神社(大阪市天王寺区)の神宮寺にあたる幻の寺院「生玉宮寺(いくたまぐうじ)」ゆかりの仏画群を紹介する特別展「生玉宮寺の秘宝」が28日、阿倍野区の大阪芸術大スカイキャンパス(あべのハルカス24階)で開かれる。近世大坂の信仰の様子を伝える貴重な文化遺産で、一括して公開されるのは今回が初めて。

 生玉宮寺は、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、寺宝の多くが散失したと考えられていた。

 しかし近年、ゆかりの仏画群が天王寺区の青蓮寺に伝来していることがわかり、市教委が調査していた。

 今回公開されるのは、密教画を中心としたコレクションで、「愛染明王画像」「弘法大師画像」「大勝金剛画像」など約60点。中世に制作されたものや全国的に珍しい仏画も含まれ、平成19年には一部が市の有形文化財に指定されている。

 特別展は11月12日まで。午前11時〜午後7時。11月4、10日は休み。資料代100円(中学生以下は無料)。

 問い合わせは市教委文化財保護担当(電)06・6208・9168。

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1903名無しさん:2014/11/02(日) 00:41:08 ID:gobj1fB20
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141101/20141101046.html
「七五三詣」準備大忙し 袋詰め作業ピーク
2014年11月1日

 11月の七五三シーズンを目前に控えた31日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で参拝者に渡す撤下(おさがり)の袋詰め作業がピークを迎えた。

境内の連歌所で、神楽女(かぐらめ)と呼ばれる巫女(みこ)6人が、お守りや千歳あめなどの縁起物を詰めた。作業は10月中旬に始まり、この日は最後の千個を袋詰め。全部で約6千個を用意した。

 神楽女の福永有記さん(23)は「参拝するお子さまが健やかに成長されるよう思いをこめて詰めさせていただいています」と話していた。

 七五三詣は日ごろの感謝と安全無事な成長を祈願するお祝いの儀式で、11月中旬のピークには1日に約800組が住吉大社訪れるという。

1904名無しさん:2014/11/02(日) 11:26:50 ID:Sf3EAP2Y0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141101-OYTNT50062.html
大坂城石垣 技の結晶
2014年11月01日
 
◇天守閣元館長 「穴太衆」活躍紹介

再発掘されている豊臣秀吉時代の大坂城の石垣について学ぶ歴史講座「地下に眠る豊臣大坂城の石垣を探る」(太閤なにわの夢募金実行委員会など主催)が31日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれ、多くの歴史ファンらが訪れた。

 大阪城天守閣元館長の中村博司さんが講演で、石積みの技術者集団だった近江(滋賀)出身の穴太(あのう)衆が歴史上、どのように登場し、活躍したかを紹介。「今回、公開予定の石垣も、穴太衆が担当した可能性が極めて高い」と話した。

 そのほか、大阪文化財研究所の市川創学芸員が、発掘で明らかになった石垣の様子を写真やビデオで説明するなどし、来場者が興味深そうに見入っていた。

2014年11月01日

1905名無しさん:2014/11/02(日) 15:16:28 ID:74gx5Duk0
幸村博「いざ出陣!!」 ゆかりの声優池田さん迎え
2014年11月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141102/20141102031.html

 「大坂の陣」から400年を迎えた記念イベント、天王寺真田幸村博「真田丸の陣」が1日、大阪市天王寺区の真田山公園周辺で開かれ、来年まで続くコアイベントが開幕した。幸村ゆかりのゲストとしてテレビアニメで活躍する声優の池田秀一さんが登場すると、詰め掛けたファンから歓声が湧き起こった。

武具を朱塗りにした“赤備え”は真田氏の代名詞として知られる。池田さんは人気アニメ「機動戦士ガンダム」の主人公のライバルで“赤い彗星”ことシャア・アズナブル役や、アニメ「ワンピース」に登場する“赤髪”のシャンクス役が有名。

 水谷翔太区長らを交えたトークショーで、愛車の色や好物が赤ワインであることなど、赤にまつわるエピソードを披露した。

 ステージでは、絵巻作家、正子公也さんの作品を基にアフレコのコーナーを設定。幸村役として合戦に臨むシーンで「狙うは家康の首、ただ一つ!」と勇ましいせりふを披露すると、喝采が巻き起こった。

 会場では5人組のPR武将隊「大坂RONIN5」による演武パフォーマンスのほか、殺陣や活劇、甲冑(かっちゅう)隊の行進も行われた。

 催しは区役所などでつくる実行委員会が主催し、「夏の陣」から400年を迎える来年11月まで展開する。天王寺は大坂の陣の激戦地であり、戦国武将として名を馳せた幸村の軌跡をたどる。

1906名無しさん:2014/11/02(日) 15:45:23 ID:74gx5Duk0
<七曲がり>大坂城足元 残る守り跡
2014年10月19日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20141019-OYTAT50008.html?from=yartcl_popin

大通りから中に入ると曲がりくねった道が目の前に現れた。300メートルはあるだろうか。くねくねとしたその形はさながら蛇のようだ。

 「ここからだと、向こうが見えないでしょう」。地元でガイドを務める「城東歴史探偵団」団長の酒井啓一さん(78)が語った。

 大阪市旭区高殿に「七曲がり」と呼ばれる場所がある。かつて田園に囲まれた集落「関目村」。豊臣秀吉が敵の進攻を遅らせ、陣容を把握できるようにするために設けたと伝わる。

 地元でも知る人は少ないが、酒井さんは年に何度も案内を重ねてきた。もともと歴史好きで、「地元の魅力を伝えたい」と区のパンフレットやガイド養成講座で学んだ。ここを説明すると、たいてい驚かれるそうだ。「『よく今まで残っていたなあ』と皆さん、口をそろえますね」

ただ、七曲がりについて詳しい文献はほとんど残っておらず、謎に包まれている。

 秀吉は1596年までに京都・伏見〜大坂城間を結ぶ京街道を完成させた。工事はその10年ほど前から着手したとされ、この間に造られた可能性がある。「城に攻め入られる前に、なんとかしなければ」という思いがあったのかもしれない。

 では、なぜ造ったのが関目村周辺だったのか。

 大阪歴史博物館の学芸員・大沢研一さん(52)は「京都から大坂城に着く前の最後の集落が関目村周辺。曲がった道沿いにある建物で敵陣の視界を遮り、前方を見渡せなくした可能性がありますね」と話す。

 秀吉は、このカーブが続く道を眺めながら、その先に天下統一を見定めていたのだろうか。

1907名無しさん:2014/11/02(日) 15:46:10 ID:74gx5Duk0
七曲がりのすぐ近くに関目神社がある。大坂城から見て鬼門に位置することから、秀吉はこの地にほこらを建て、毘沙門天を奉安したとされる。

 ただ、秀吉ゆかりの場所であることは、あまり知られておらず、西邑彬宮司(80)も「たまに歴史好きの人が来るみたいですがね」と言葉少なに語る。

 それでも、ツアーで神社も案内するという酒井さんは「知られていない地元の歴史を伝えていくことの意味って大きいと思うんですよ」と力を込める。そして、「それが秀吉が築いた大坂を見直すことにつながる。私はそう考えているんです」と続けた。

 秀吉の時代、大坂が日本の中心だった。隠れた秀吉の足跡をたどれば、誇りを抱かせる何かが見つかるかもしれない。(神谷次郎)

 

 ◆七曲がり

 大阪市旭区高殿4の都島通近くにある約300メートルのほか、同市営地下鉄野江内代駅付近にも約150メートルが残るとされる。旭区史にも掲載されているが出典は不明で、いずれも詳しいことはわかっていない。

 

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年10月19日 05時00分

1908名無しさん:2014/11/03(月) 07:58:26 ID:uH3D3wnc0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141102-OYTNT50362.html
懐かしの昭和振り返る 泉佐野
2014年11月03日

◇写真や生活用具130点

 昭和期の写真や生活用具を集めた特別展「昭和は遠くなりにけり」が、泉佐野市市場東の市立歴史館いずみさので開かれている=写真=。30日まで。無料。

 1964年の東京五輪の聖火ランナーが同市内を走る写真や、大阪万博(1970年)で日本館の女性スタッフが着た制服、往年のスターの名が並ぶ映画看板など約130点を展示している。同市上町の八坂五百子さん(71)は「必死に生きていた当時のことを思い出した。懐かしいですね」と話していた。

 16日午後1時30分から、同館の森昌俊館長による展示解説と講演会がある。先着40人。問い合わせは同館(072・469・7140)へ。

2014年11月03日

1909名無しさん:2014/11/03(月) 08:01:34 ID:uH3D3wnc0
http://www.sankei.com/region/news/141101/rgn1411010042-n1.html
古墳時代の水運と王権のかかわりに迫る 大阪・今城塚古代歴史館で特別展

. 古墳時代の水運と王権のかかわりを紹介する秋季特別展「古墳時代の船と水運」が、大阪府高槻市郡家新町の今城塚古代歴史館で開かれている。淀川水系唯一の大王墓で、継体天皇の墓とされる市内の今城塚古墳から出土した、船が描かれた円筒埴輪(はにわ)など45点を展示している。12月7日まで。

 特別展では、今城塚古墳から出土した、九州から運ばれてきた石棺などで淀川水運と王権のつながりを解説。久宝寺遺跡(八尾市)から出土した準構造船の部材をもとに、当時の船の大きさや構造を紹介したり、宝塚1号墳(三重県松阪市)で出土した船形埴輪などからも、当時の船の装飾を説明したりしている。

 担当者は「古墳時代は陸上交通が未整備で、水運が特に重要だった。高槻が淀川の水運によって発展したことを知り、古代の水運に思いをはせてもらいたい」と話している。月曜と、祝日の翌日は休館。入館有料。問い合わせは今城塚古代歴史館(電)072・682・0820。

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1910名無しさん:2014/11/03(月) 17:42:16 ID:ArJFbo.E0
文化勲章の親授式
11月3日 12時26分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141103/t10015900711000.html

文化の日の3日、皇居で文化勲章の親授式が行われ、ノーベル物理学賞の受賞が決まった天野浩さんや中村修二さんなどに、天皇陛下から文化勲章が贈られました。

ことしの文化勲章の受章者は、▽青色LEDの開発に取り組み、ノーベル物理学賞の受賞が決まった名古屋大学大学院教授の天野浩さん(54)と▽カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二さん(60)、▽軽やかで深みのある抽象画を制作し続けている洋画家の野見山暁治さん(93)、▽人形浄瑠璃「文楽」の語り手で人間国宝の七世、竹本住大夫さん(90)、▽「蟹」(かに)で芥川賞を受賞するなど、人間の深層心理を描く独自の文学的世界を構築した作家の河野多惠子さん(88)、▽理論経済学や経済学史の研究ですぐれた業績を挙げた東京大学名誉教授の根岸隆さん(81)、▽動物の細胞膜と同じ構造の膜を化学的に作り出すことに世界で初めて成功した九州大学名誉教授の國武豊喜さん(78)の7人です。
親授式は皇居・宮殿の松の間で行われ、天皇陛下から、欠席した河野さんを除く受章者一人一人に、橘の花にまが玉をあしらった文化勲章が贈られました。
そして、受章者を代表して根岸さんが、受章に恥じないよう一層職務に励んでいくとあいさつすると、天皇陛下は「長年努力を重ね、大きな業績をおさめられ、文化の向上に尽くされたことを、まことに喜ばしく思います」とお祝いのことばを述べられました。
このあと、受章者たちは文化勲章をつけて宮殿の前で記念撮影に臨み、受章の喜びをかみしめていました。
文化勲章の親授式のあと、宮内庁で受章者の記者会見が行われました。
天野浩さんは「初めて頭が真っ白になって、今でもどういうふうに行動したのか覚えていないくらい感激しました」と話しました。
そして、「これまで支えていただいた皆さんに感謝するとともに、少しでも恩返しができるように、これから精進していきたい」と述べました。
中村修二さんは「日本人としては、やはり、これが最高の名誉ですから、非常にうれしく、光栄に思っています」と喜びを語りました。
そして、「いろんな方に応援していただいてここまで来られ、非常に今、感謝の気持ちでいっぱいです」と述べました。
また、文楽界で初めての受章となった竹本住大夫さんは「おこがましく、亡くなった先輩・師匠はあの世で笑っていると思いますが、ありがたいことで、喜びと感謝と敬いの心に尽きます。今後も文楽の発展のために微力ながらも力を注ぎたい」と語りました。
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1911名無しさん:2014/11/07(金) 20:37:27 ID:Bgv4WOnk0
http://www.sankei.com/region/news/141106/rgn1411060102-n1.html
浅野内匠頭や伊能忠敬ら宿泊「郡山宿本陣」の秋の特別公開始まる 大阪

. 「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」で有名な赤穂藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)をはじめ、江戸時代に参勤交代の大名らが泊まった茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿本陣」で秋の特別公開が始まった。当時の宿帳や大名の宿泊部屋「上段の間」、米蔵、茶室などが見学できる。

 郡山宿本陣は旧西国街道沿いにあり、門の内側に大きなツバキがあることから「椿の本陣」とも呼ばれる。

 西国の大名のほか、幕末に日本地図を作製した伊能忠敬ら歴史上の人物が多数宿泊した。上段の間は、敵対勢力に床下から危害を加えられないように、寝床には畳を二重に敷いている。

 また、宿帳には伊能忠敬が測量の旅の途中に宿泊した際、本陣側と宿泊代の交渉をしたとされる記録なども残されている。

 特別公開は9日まで。入場無料。8、9両日は午後2時から、本陣の17代目当主、梶洸(かじたけし)さんと市学芸員が本陣内を案内し、解説する。問い合わせは市立文化財資料館(電)072・634・3433。

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1912名無しさん:2014/11/08(土) 19:25:32 ID:zENY3jhE0
不屈の名将・幸村 今なおヒーロー
2014年11月05日

それは約400年の時を超え、大阪に戻ってきた。

 大阪市東成区の真田幸村公資料館で展示されている火縄銃「宿許筒(しゅくしゃづつ)」(全長約60センチ)。1614年の大坂冬の陣と翌年の夏の陣で、徳川軍と果敢に戦った幸村の品だ。8連発を可能にした当時のハイテク銃で、幸村が堺の鉄砲鍛冶と協力して開発したとされる。

 夏の陣で、幸村はわずかな手勢を率いて徳川家康の本陣を急襲。馬上から家康を狙撃しようとしたが、誤って宿許筒を落とし、撃ち損じた。その後、宿許筒は戦利品として紀州徳川家が幕末まで保管していたが、戦後、米国人将校の手に渡った。

 そのことを知った同区の鉄砲研究家・沢田平さん(79)が米オレゴン州に出向いて所有者と20年にわたって交渉。2009年に譲り受け、今年6月に開いた同館で公開に踏み切った。

 古式砲術再興のため、各地にある約50の鉄砲隊の指導にも取り組む沢田さんは、6万丁にも及ぶ火縄銃を見てきたが、宿許筒と同じ構造の銃は一度も出会ったことがない。

 「知勇の武将とのイメージが先行するが、発明家の一面があった。潔くまじめな人柄は現代に通用する優れた日本人像だ」。沢田さんは、幸村の生き方から学ぶことは多いと指摘する。

◇「日本一の兵」

 秀吉が天下統一の本拠地として築いた大坂城は周囲8キロにも及ぶ惣(そう)堀で守られた巨城だが、唯一とも言える弱点が、大軍の攻撃にさらされる陸地続きの南側だった。

 幽閉されていた紀州・九度山から脱し、豊臣方に加勢した幸村はそのことを見抜き、現在の大阪市天王寺区の心眼寺近くに櫓(やぐら)や堀、柵を備えた要塞「真田丸」を築いたとされる。

 1614年11月。戦いの火ぶたが切られる。徳川方の軍勢20万に対し、豊臣方は10万。劣勢の中、幸村は真田丸に徳川軍をおびき寄せ、銃弾や矢を浴びせかけた。徳川方の犠牲者は冬の陣最大の数千人以上を数えた。

 幸村は夏の陣で戦死するが、その戦いぶりは「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」とまで言われた。

 大阪城天守閣の宮本裕次・研究副主幹(48)は「敗軍の将ながら、大坂夏の陣図屏風の画面中央に描かれてもいる。徳川方の幸村への評価の高さを示している」と語る。

1913名無しさん:2014/11/08(土) 19:26:40 ID:zENY3jhE0
◇合戦を再現

 「エイエイオー!」。大阪府柏原市の大和川河川敷で10月、赤と黒の集団が気勢を上げた。

 現在の柏原市や羽曳野市、藤井寺市周辺で繰り広げられ、幸村と伊達政宗が激突した夏の陣「道明寺・誉田(こんだ)の戦い」を再現したイベント。参加者は、赤、黒の甲冑(かっちゅう)(重さ約6キロ)を身にまとい、槍(やり)(長さ3・6メートル)を振り回した。

 企画したのは、国際武術文化連盟代表の横山雅始さん(60)。参加者約80人のうち、32人はフランス人だ。日本の歴史を体験することで、国際理解を深めてもらおうと考えた。仏陸軍に所属するオリコ・フィデリックさん(46)は「異国の文化や武道、友好に触れた瞬間だった。この経験をさらに広く知らせていきたい」と話す。

 2016年のNHK大河ドラマは幸村が主人公の「真田丸」に決まり、天王寺区では現在、真田丸を模型で再現する計画が進む。寄付を呼びかけたところ、これまでに幸村ファン約90人から100万円が集まった。

 JR玉造駅西側でも、商店主らが「玉造幸村ロード」と名付け、幸村や真田十勇士のパネル人形を設置したり、真田家の家紋「六文銭」をデザインしたTシャツを作ったりして、街おこしを図っている。

 大坂の陣を駆け抜けた幸村。その生き様は時代を超え、人々を熱くしている。

(山崎茂)




 ◇大坂の陣400年特別展

 大阪城天守閣は、戦国時代の合戦図屏風(びょうぶ)の最高傑作と評される「大坂夏の陣図屏風」(重要文化財)を所蔵する。戦いからまもなく、福岡藩主・黒田長政が描かせたとされる。

 右隻(うせき)には、大坂城南方で展開された豊臣方と徳川方との激戦の様子、左隻には、敗走する残兵や戦火を逃げまどう民衆たちの姿が描写されている。黒田家の記録によれば、画中の人物は5071人で、このうち旗などから21人の武将が判別できる。

 天守閣3・4階展示室では、11月24日まで同屏風を含め、大坂の陣で活躍した浪人たちにスポットを当てた特別展を開催中だ。12月下旬までは、天守閣展望台からAR(拡張現実)技術を用いた専用アプリ搭載のタブレットをかざすと、軍勢の配置や参戦した武将が分かる企画も行われている。

2014年11月05日

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141106-OYTAT50010.html

1914名無しさん:2014/11/08(土) 19:48:04 ID:zENY3jhE0
一番櫓公開 半世紀ぶり 大阪城、8日から
2014年11月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141108/20141108050.html

 大阪市中央区の大阪城公園で8日、園内4カ所のやぐらの一般公開が始まる。いずれも通常は非公開の重要文化財。このうち「一番櫓(いちばんやぐら)」は約半世紀ぶりに市民の目に触れることなる。

ことしから来年にかけた「大坂の陣400年」の大きな節目を迎え、大阪城への関心が高まる中にあって、貴重な古建築物の開扉は歴史愛好家や観光客など多くの人々の注目を集めそうだ。一般公開は16日まで。

歴史ドラマを探しに行こう 大阪城の櫓特別公開
 大阪城公園で8日に始まる「櫓(やぐら)特別公開」は、戦国時代最後の合戦をテーマに開催中のイベント「大坂の陣400年天下一祭・冬の陣2014」(実行委主催)の一環であり、関係者は「歴史ドラマを発見して」と呼び掛けている。

 公開される4カ所のやぐらは、いずれも徳川大坂城の古建築物。幕府の御用金を保管した「金蔵(きんぞう)」と、大手口を守る「千貫(せんがん)櫓」「多聞(たもん)櫓」はこれまで不定期に公開されてきたが、二の丸南東に現存する「一番櫓」は約半世紀ぶりの公開となる。

 大坂城二の丸の南側には東から一〜七番のやぐらが連なっていたが、明治維新の大火や大阪大空襲によって一、六番を除き焼失。空襲被害の大きかった一番櫓は1963〜65年に解体修理が施された。

 2階建のうち公開は1階部分のみだが、玉造口をにらむ多くの狭間(さま)(銃眼)や窓が確認できる。

 大阪城天守閣の宮本裕次研究副主幹は7日の内覧会で「公開を通じて文化財の大切さや、天守閣以外の建築物にも歴史ドラマがあることを発見してもらいたい」と話した。

1915名無しさん:2014/11/15(土) 19:41:44 ID:7A2XCs2c0
千歳飴を持って「ハイ、チーズ」晴れ着姿の子供たちが「七五三」住吉大社
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%8d%83%e6%ad%b3%e9%a3%b4%e3%82%92%e6%8c%81%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%8c%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%80%81%e3%83%81%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%80%8d%e6%99%b4%e3%82%8c%e7%9d%80%e5%a7%bf%e3%81%ae%e5%ad%90%e4%be%9b%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%8c%e3%80%8c%e4%b8%83%e4%ba%94%e4%b8%89%e3%80%8d%e4%bd%8f%e5%90%89%e5%a4%a7%e7%a4%be/ar-BBdQm5Q

子供たちの健やかな成長を祈願する「七五三」の15日、各地の神社に参拝客が訪れた。大阪市住吉区の住吉大社にも晴れ着姿の子供らが詰めかけた。

 住吉大社によると、七五三は男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳の年のこの日に神社へ参拝するのが昔からの習わし。

 おはらいを受けた子供らは、長寿を願う千歳飴(ちとせあめ)の入った長い手提げ袋を手に、笑顔で記念撮影をしていた。

 同大社では、この日は800組ほどが祈祷(きとう)を受ける見通し。12月ごろまで七五三のお参りは続くという。

1916名無しさん:2014/11/15(土) 20:08:05 ID:7A2XCs2c0
消えゆく戦争遺跡…全国3万か所、再開発進み
2014年11月15日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141115-OYO1T50015.html?from=oycont_top_txt

かつての軍事要塞など、「戦争遺跡」が次々と姿を消そうとしている。老朽化に加え、再開発による取り壊しが進んでいるからだ。来年で終戦から70年。戦争体験者も少なくなっており、平和を考えるための遺産として活用するよう求める声が高まっている。

関西防衛拠点

 和歌山市・加太港の沖に浮かぶ無人島「友ヶ島」。ツタに覆われた赤レンガの弾薬庫や砲台が残る要塞跡は、インターネットで「(アニメ映画の)天空の城ラピュタみたい」と話題になった。昨年度の観光客は約3万人に上り、3年前に比べて倍増した。

 しかし、先月の台風18号で市が管理する鉄製の桟橋が破損。定期船は運休し、島に渡れなくなった。桟橋は腐食が進んでいたが、海底に岩盤が見つかって基礎工事ができず、老朽化対策が課題になっていた。

 市によると、島は明治以降、欧州列強の侵攻に備える関西防衛の拠点だった。フランス製の大砲32門や水中音波探知機(ソナー)など最新兵器を配備。実戦には至らず、大砲やソナーは連合国軍総司令部(GHQ)に破壊されたが、歴史を感じられる場所として小中学生らが見学に訪れていた。

 桟橋復旧のめどは立たず、語り部ボランティアの男性(49)は「島の存在とともに戦争も忘れられてしまう。行政は復旧を急いでほしい」と願う。

権利関係の壁

 市民団体「戦争遺跡保存全国ネットワーク」(長野市)の推計によると、戦争遺跡は全国に約3万か所あるが、毎年数十か所ペースでなくなっているという。

 東京都は今年、零戦エンジンの製作所跡にあった変電所の解体方針を決め、三重県鈴鹿市でも2011年、旧海軍戦闘機の格納庫が解体されて住宅用地になった。

 旧陸軍の貯蔵庫として掘られた大阪府高槻市の地下トンネル群「高槻地下倉庫(暗号名タチソ)」も土砂などがなだれ込み、天井の一部が崩落。市の担当者は「登記の境界線が複雑で地権者も特定できない。予算もなく市単独で保存はできない」とする。

公園整備へ

 一方で、保存に踏み出した自治体もある。

 兵庫県加西市は2月、姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場跡を「戦争史跡公園」(仮称)として整備すると決定。1945年、「白鷺(はくろ)隊」の名で特攻隊員が訓練し、多くが戦死したとされる。

 市は、滑走路(約1・2キロ)を管理する防衛省などと2015年度中の払い下げに向けて協議している。


文化財指定・登録わずか215件

 戦争遺跡を巡っては、1990年に沖縄県南風原(はえばる)町が「沖縄陸軍病院南風原壕群」を全国初の町史跡に指定。その後、広島市の原爆ドームなどが国史跡に指定されるようになった。

 ただ、戦争遺跡保存全国ネットワークの調査では、国や自治体による文化財としての指定・登録は今年7月で計215件にとどまる。

 海外では、ナチスによるユダヤ人虐殺の舞台となったポーランドの「アウシュビッツ強制収容所」跡が国立博物館として保存され、世界遺産に登録されている。

 同ネットワーク共同代表の十菱駿武(じゅうびししゅんぶ)・山梨学院大客員教授は「歴史認識の問題もあり、行政は文化財指定に及び腰だが、法令で守らないと老朽化や開発で消えていく。過去を直視するためにも実物を残すことは重要だ」と指摘している。

2014年11月15日

1917名無しさん:2014/11/15(土) 20:48:00 ID:7A2XCs2c0
「狭山池改修」重源知って
2014年11月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141111-OYTNT50050.html 

◇重文指定の石碑や史料40点

鎌倉時代に狭山池(大阪狭山市)を改修した僧・重源(ちょうげん)の功績を知る特別展「重源と東大寺 鎌倉時代の復興を支えた人びと」が、同市の府立狭山池博物館で開かれている。30日まで。

 狭山池は616年頃に築造された農業用のため池。池から見つかった石碑「重源狭山池改修碑」が今年、重要文化財に指定されたのを記念して同展を企画した。石碑や重源が復興に関わった奈良・東大寺関連の史料など約40点を紹介している。

 石碑は、幅58・5センチ、長さ192センチ、厚さ79・5センチ。重源とともに改修に関わった技術者らの名や、改修の年代などが読み取れる。

 大阪狭山市教委の平野淳さんは「自分だけの手柄とせず、技術者らも大事にした重源の人柄を感じてほしい」と話している。

 入場無料。午前10時〜午後5時。月曜休館。問い合わせは同博物館(072・367・8891)へ。

2014年11月11日

1918名無しさん:2014/11/18(火) 19:18:12 ID:T3RRSSKE0
道明寺合戦の記念碑除幕
11月18日 14時51分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141118/3079861.html

徳川幕府が豊臣家を滅亡させた大坂夏の陣の「道明寺の戦い」の古戦場に記念碑が建てられ、除幕式が行われました。
式には豊臣方の武将後藤又兵衛と徳川方の片倉小十郎の子孫などが出席し、約400年ぶりとなる和解の握手を交わしました。
記念碑は、大阪・藤井寺市にある近鉄・道明寺駅の駅前に建てられました。
道明寺の戦いは、外堀を埋められた大坂城を打って出た豊臣勢がこの地で徳川勢を迎え撃ったもので、豊臣方の有力な武将、後藤又兵衛が、伊達政宗の重臣、片倉小十郎の部隊に討ち取られたと伝えられています。
除幕式では、碑の建立に関わった道明寺まちづくり協議会の森田剛浩会長が、「記念碑がきっかけで、戦いに加わった武将のゆかりの地と大阪との交流が深まることを願っています」と挨拶しました。
式には、後藤又兵衛の子孫で兵庫県加西市に住む後藤基保さんと片倉小十郎の子孫で仙台市に住む片倉重信さんが出席し、約400年ぶりとなる和解の握手を交わしました。
両家の顔合わせは歴史上これまでなかったということで、後藤さんは「先祖が討ち取られ、今でも悔しくないといったらうそになるがこれからは水に流して仲良く交流していきたい」と話していました。
一方、片倉さんは、「片倉家ではこの400年間後藤家のことを思ってきました。念願の和解がかないすがすがしい気持ちです」と話していました。
このほか除幕式には、豊臣方の武将、真田幸村の子孫も参加しました。
真田幸村の三女は、大坂夏の陣のあと、片倉小十郎に引き取られたとされ片倉家とはやはり、深い縁で結ばれています。
真田幸村の子孫で東京・杉並区に住む真田徹さんは、「当時の武将たちは置かれた立場で敵味方に分かれただけで相通じる思いがあったと思います」と話していました。
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1919名無しさん:2014/11/18(火) 20:31:05 ID:T3RRSSKE0
武将の勇姿にうっとり 大坂の陣特製ポスター
2014年11月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141118/20141118024.html

 豊臣方が徳川の軍勢に立ち向かった「大坂の陣」(1614〜15)の特製ポスターが人気だ。作製した大阪城天守閣(大阪市中央区)のミュージアムショップで15日から販売され、ポスターとしては異例の売り上げを記録中。墨一色で躍動的に描いた武将の姿が「素晴らしい」と評判で、外国人観光客をとりこにしている。

ポスターは、よろいをまとった兵士が馬にまたがった様子が描かれている。大坂の陣の開戦前夜をイメージし、豊臣方として戦おうと大阪城に入城する場面をモチーフにした。

■問い合わせ相次ぐ
 当初は販売用ではなく、PR用として大阪城チケット売り場に掲示。すると海外の観光客から「売ってないのか」と問い合わせが相次いだという。

 要望に応えて販売用を用意するとともに、第2弾ポスターを作り、計2種類を売り出すことにした。

 第2弾の図柄は、豊臣方の武将で、やりの名手の後藤又兵衛の勇姿を描いている。大坂冬の陣の最大の激戦「鴫野・今福の戦い」の一場面をモチーフにし、図柄はどちらも墨絵アーティストの茂本ヒデキチ氏が手掛けた。

 発売から2日間で2種類合わせて計50枚近くが売れ、売れ行きは“主役”である大阪城の写真ポスターを大きく引き離している。ミュージアムショップ店長の浜田照代さん(65)は「色違いを合わせて計4種類を買った人もいる。勇ましい武将を大阪城に求めていると感じた」と話す。

■国内外問わず人気
 なかでも外国人観光客の視線が熱い。17日に訪れたフランス人の男性観光客は熱心に品定めし「素晴らしい」と1枚購入。中国から家族と訪れた男性も「すごくいい」と一目ぼれしていた。

 歴史好きの心もくすぐっている。名古屋市の高倉秀仁さん(27)は「浪人の又兵衛が世に知られるまでの生きざまに引かれる。ポスターを買いに大阪城に来たようなもの」と興奮気味だった。

 大阪城天守閣は来年夏に第3弾のお披露目を目指しており、職員の田中美喜さん(43)は「歴史といえば京都や奈良だけでなく、大阪も知ってほしい。その切り口が大坂の陣になる」と意気込んでいた。

 ポスターは縦約70センチ、横約50センチ。1枚800円(税込み)。

1920名無しさん:2014/11/22(土) 04:52:50 ID:wc8JvIQc0
http://www.sankei.com/west/news/141120/wst1411200070-n1.html
「薬の神様」少彦名神社 神農祭に向け張り子の虎を取り付け

「薬の神様」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社で22、23日に行われる「神農祭」に向けて、張り子の虎を笹に取り付ける作業が行われた。

 張り子の虎は、江戸時代後期に大阪でコレラが流行した際、虎の頭骨を砕いて作った丸薬とともに参拝者に配ったのが始まり。現在では、無病息災のお守りとされ、1体2000円で参拝者に授与される。

 女性たちは、19、20日の2日間をかけて、五葉笹に体長約10センチの張り子の虎約8000個を手際よく取り付けていき、準備を整えた。

1921名無しさん:2014/11/23(日) 00:39:57 ID:mXAfFJTM0
製薬会社のゆるキャラ集合 大阪・道修町の神農祭
2014年11月22日 11:07

 「薬の町」として知られる大阪市中央区道修町にある少彦名神社の「神農祭」が22日開かれ、製薬会社のゆるキャラたちが勢ぞろいして祭りを盛り上げた。

 会場には、今月名前が決定したばかりの森下仁丹の新キャラクター「仁丹王子」のほか、小林製薬「熱さまくん」、大幸薬品「正露丸くん」、ロート製薬「ロッ太くん」など9体のゆるキャラが集合。参拝客らは写真を撮ったり、握手したりしてつかの間の触れ合いを楽しんだ。

 道修町は江戸時代に薬の仲買人らが集まり、幕府が独占販売権を与えたため薬の町として発展した。現在も製薬会社の本社が数多くある。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141122/20141122035.html

1922名無しさん:2014/11/24(月) 00:18:58 ID:MSgXQNRA0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141123/20141123030.html
神虎求め御利益願う 少彦名神社・神農祭
2014年11月23日

 「くすりのまち」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社(別所俊顕宮司)で22日、「神農(しんのう)祭」(市無形民俗文化財)が始まった。江戸期からの伝統行事に、境内や参道は多くの参拝客であふれた。23日まで。

大阪の年内の祭りの最後を締めくくるため「止めまつり」とも呼ばれる同祭。例年約5万人が訪れ、大阪の晩秋の風物詩になっている。

 境内では同神社伝統の縁起物「張り子の虎」(神虎(しんこ))を求めて大勢の人が長い列をなし、みこから「家内安全、無病息災」とおはらいを受けた。

 参拝者は「1年大病せずに過ごせた。来年も健やかに暮らしたい」「初めて来たがにぎやかで楽しかった」と笑顔で御利益を願っていた。

1923名無しさん:2014/11/25(火) 00:22:20 ID:sEH4IShM0
古墳群は人類史的に貴重 大阪で世界遺産シンポ
http://www.sankei.com/west/news/141124/wst1411240047-n1.html

世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが24日、四天王寺大(大阪府羽曳野市)で開かれ、約580人が詰めかけた。

 シンポジウムでは福永伸哉大阪大教授が「全長200メートルを超える墓は世界でも50ほどしかないが、そのうち約30が日本にある。墳形と大きさでランクを示す日本の古墳は人類史的にも貴重で、小さな古墳も含め古墳群として価値がある」と説明。岡田保良国士舘大教授(西アジア建築史)も「他国の墓と比べ、日本の古墳は埴輪や葺石など見せることを意識した施設で珍しい」と述べた。

 世界遺産を目指す両古墳群の61基のうち、約半数が宮内庁管理の陵墓。徳田誠志宮内庁陵墓課首席研究官は「陵墓は文化財という側面もあるが、現在も祭祀が続いている『生きたお墓』だ。かつては周濠の水は田畑などで利用されており、今後も地元から親しまれる存在を目指したい」と話した。


古墳群登録目指し世界遺産シンポ 大阪・四天王寺大
2014年11月24日 19:34
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141124/20141124075.html

 世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが24日、四天王寺大(大阪府羽曳野市)で開かれ、約580人が詰めかけた。

シンポジウムでは福永伸哉大阪大教授が「全長200メートルを超える墓は世界でも50ほどしかないが、そのうち約30が日本にある。墳形と大きさでランクを示す日本の古墳は人類史的にも貴重で、小さな古墳も含め古墳群として価値がある」と説明。岡田保良国士舘大教授(西アジア建築史)も「他国の墓と比べ、日本の古墳は埴輪や葺石など見せることを意識した施設で珍しい」と述べた。

1924名無しさん:2014/11/25(火) 11:54:16 ID:fPS3ay/A0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141123-OYTNT50454.html
中世12城で学ぶ郷土史
2014年11月24日

◇高槻で展示 金箔張り瓦や堀の絵図

 中世に府内にあった12の城について紹介する企画展「戦国 大阪の城―動乱の時代と天下統一」が、高槻市城内町の市立しろあと歴史館で開かれている。12月7日まで。

 会場には、大坂城から出土した金箔(きんぱく)が張られた瓦や、複雑な堀の様子が描かれた池田城の絵図など約100点が並ぶ。中には、城跡から出土した茶器や碁石もあり、当時の文化を伝えている。

 中西裕樹学芸員(中世史)は「城を通して、地元の歴史に興味をもってもらえたら」と話している。

 入場料は一般200円、小中学生100円。問い合わせは同歴史館(072・673・3987)へ。

2014年11月24日

1925名無しさん:2014/11/26(水) 09:03:31 ID:hhiDIYu20
国の史跡に関西から4件
11月22日 07時04分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141122/3213001.html

日本最古のため池とされる大阪狭山市の「狭山池」など関西の4件が、新たに国の史跡に指定されることになりました。
このうち、7世紀前半の飛鳥時代に造られた「狭山池」は日本最古のため池とされ、田畑などに水を供給してきました。
時代ごとに改修が行われ、土木技術の歴史を知る上で重要だと評価されました。
大阪府立狭山池博物館の工楽善通館長は、「1400年にわたって水を供給してきた価値が、認められてうれしい」と話しています。
また、大阪・八尾市の「高安千塚古墳群」は6世紀を中心に造られ、224基の古墳が確認されています。
渡来人との関わりがうかがえ、古代国家の成り立ちを知る上で重要だと評価されました。
八尾市教育委員会の藤井淳弘さんは、「渡来人と関係の深い人たちが造ったと考えられ、貴重な存在だ」と話しています。
関西ではこのほか、▼京都府の向日市と京都市にまたがる大型の前方後円墳、「寺戸大塚古墳」と、▼8世紀から9世紀に営まれた木津川市の「神雄寺跡」も、史跡に指定されることになりました。
さらに、戦国から江戸時代の城下町の集落が残る滋賀県高島市の「大溝の水辺景観」は、国の重要文化的景観に指定されることになりました。
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1926名無しさん:2014/11/27(木) 00:22:35 ID:B.kinW6o0
五穀豊穣 感謝込め 住吉大社で新嘗祭
2014年11月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141126/20141126031.html

 大阪市住吉区住吉2丁目の住吉大社(高井道弘宮司)で、神前に新穀をささげる「新嘗(にいなめ)祭」が行われた。米作りの奉仕者など関係者約150人が集まり、この1年の五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝した。

同祭は、豊かな稲の実りを祈願する「祈念祭」(3月)、境内南側の御田(おんだ)で稲を植える「御田植(おたうえ)神事」(6月)、初穂を刈り取る「宝之市神事」(10月)といった、五穀豊穣にまつわる神事の締めくくり。

 勤労感謝の日の23日に行われており、もともとは一年無事に生活できた感謝を神様に伝える目的で、豊作への感謝を述べるお祭りとされていた。

 この日は、御田でとれた7穀の新米の一部を境内の第一本宮に供えた。米作りの奉仕者でつくる御田講、蓬莱(ほうらい)講の人々が参列。玉串をささげるなどし、神前に感謝した。

 両講元の山本英夫さんは「穂の出る時期がいい日和だったこともあり、ことしは昨年の5割増しの収穫で豊作だった」と笑顔を見せた。

1927名無しさん:2014/11/28(金) 00:28:19 ID:eeiVm9q60
秀吉褒美のそろばん紫檀作り国内最古
2014年11月20日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141120-OYTAT50025.html

豊臣秀吉ゆかりで、国内最古のそろばんが今夏、大阪で確認された。

 丈夫な紫檀(したん)作りで、四隅に銀枠があしらわれた逸品。縦13・5センチ、横37・5センチと、現代のものと比べて少し大振りで、20桁の計算ができる。

 そろばんメーカー「雲州堂」(大阪市中央区)が戦後に入手したものだが、「四兵衛重勝拝領算盤(しべえしげかつはいりょうそろばん)」との箱書き以外、手がかりは何もなく、由来がわからないまま保管されてきた。

 数十年が経過して、由来が解き明かされたのは、NHKの大河ドラマなどで秀吉の軍師を務めた黒田官兵衛が脚光を浴びたことがきっかけだった。

 関連の研究が進み、四兵衛重勝は官兵衛の側近の一人で、博多の町割(区画整理)などにかかわった「久野重勝」と判明。さらに、久野家に残る古文書などから、こうした功績への褒美として、秀吉から賜ったとする記述が見つかった。

 室町時代末期に中国から伝わったそろばんは、1592年に戦国武将・前田利家が使った「陣中そろばん」が、現存するものでは国内で最古とされてきた。だが、重勝のそろばんは1591年に与えられており、文献上、陣中そろばんよりも古いことがわかった。

 玉を上下に分けるハリの両面に、重さの単位と米の単位が彫り込まれ、裏表で計算できるのも珍しい特徴だ。雲州堂の日野和輝社長(64)は「今まで見たことがない作り。秀吉が金に糸目を付けず、特別に1丁だけ作らせたものではないか」と思いをはせる。

◇「和算」の礎に/

秀吉には数学にまつわる逸話もある。

 例えばこんな話だ。

 秀吉が御伽衆(おとぎしゅう)の曽呂利新左衛門に褒美を与えることになり、何が欲しいか聞いたところ、新左衛門は今日は米1粒、翌日には倍の2粒と日ごとに倍の量の米がほしいと答えた。

 「なんと欲のないこと」。秀吉は喜び、一度は申し出を受け入れたが、計算してみると、1か月後には膨大な量になることに気づき、他の褒美に変えてもらった――。

 和算研究所(東京)の佐藤健一理事長(76)によると、この逸話は江戸初期の数学書「塵劫記(じんこうき)」を基に、利口で知られる秀吉にあてはめて創作されたとみられるという。

 ただ、秀吉が数学の発展に寄与したのは間違いない。朝鮮出兵で日本に持ち帰られた中国・元の数学書「算学啓蒙」は、後に多くの数学者に読まれ、江戸時代に発展する日本の数学「和算」の礎になった。

1928名無しさん:2014/11/28(金) 00:29:13 ID:eeiVm9q60
◇珠算盛んな大阪/

大阪市住吉区の「益田そろばん あんざん教室」。夕方になると、次から次へと子供たちがやってくる。午後5時には約50席の教室は満員となり、長机にびっしりとそろばんが並ぶ。

 2年前から教室に通う市立山之内小学校6年の八木晴香さん(12)は「難しい計算が解けると快感。算数は苦手だったけど、今は大好き。もっと鍛えて早く段を取りたい」と声を弾ませる。

 大阪では珠算をたしなむ人が多い。日本珠算連盟(東京)によると、2013年度の府内の検定試験受験者数(1〜3級)は2万6506人。2位の愛知県を約1万人も上回る。

 大阪珠算協会副会長で、教室を経営する益田明さん(70)は「大阪には昔からたくさんのそろばん教室があった。今でも子供を通わせようと、毎日のようにお母さんが相談にきますよ」と言う。

 江戸時代、全国から物品が運び込まれた大坂では、商人たちが至る所でそろばんをはじいてきた。パソコンの時代になっても、そろばんが盛んなのは、こうした歴史と無縁ではない。

 「若い指導者を増やし、先人が築いたそろばん文化を後世に伝えたい」。益田さんが力を込めた。(新庄秀規)

 ◇国造り支えた数学者

 「和算」は高次方程式など日本独自の高度な数学として、現代でも高く評価されている。

 江戸時代以前については、資料が乏しく、研究が進んでいないが、和算研究所の佐藤理事長は「戦国時代には、かなりレベルの高い計算がされていたはずだ」と話す。

 戦争のための物資の計算に始まり、築城や水路、道路の整備、町割……。戦国時代の国造りの裏には、計算にたけた数学者がいたという。江戸時代初期の数学者・毛利重能(しげよし)も、秀吉に仕えたといわれる。

 大阪城天守閣の玉造口南側の一帯は、「算用曲輪(さんようぐるわ)」と呼ばれる。築城以降、税の計算などが行われた場所とされるが、大坂冬の陣(1614年)で取り壊され、現在は案内板が置かれるだけになっている。

2014年11月20日

1929名無しさん:2014/11/28(金) 22:48:05 ID:fU76v9qY0
400年イヤー盛り上げろ 大坂の陣、手を変えPR
2014年11月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141128/20141128023.html

 「大坂の陣」(1614〜1615)から400年の節目に合わせ、大阪城天守閣(大阪市中央区)が独自の盛り上げを図っている。戦いの醍醐味(だいごみ)を紹介するガイドブックを発行したり、特製コースターをプレゼントするなどあの手この手。「歴史の町」として大阪を売り出そうと“熱戦”を展開中だ。

大坂の陣は、徳川家が政敵の豊臣家を滅ぼした戦国時代最後の大合戦。1614年に「大坂冬の陣」、15年に「大坂夏の陣」が起き、難攻不落とされた大坂城が落城した日本の歴史を語る上で欠かせない戦いだ。

■読本第2弾配布
 しかし、大阪城天守閣職員の田中美喜さん(43)は「大阪の人も大坂の陣を詳しく知らない人が多いのでは」とPRの必要性を強調する。

 大阪城天守閣は、今年と来年を「大坂の陣400年イヤー」に位置付け、啓発を展開。なぜ戦いが起きたかといった情報をはじめ、ゆかりの場所を地図に落とし込んだガイドブック「大坂の陣読本」を昨年9月に発行したところ、わずか2カ月で全5千部がはけた。

 「希望者に天守閣の事務所に取りに来てもらう形だったにもかかわらず、短期間でなくなった」と田中さんは驚く。

 今月2日からは読本第2弾の配布もスタート。女性に手に取ってもらえるよう、かわいい色使いのイラストで両軍の武将6人を紹介。硬派なファンも満足できるよう、両軍の位置関係が分かる冬の陣の配陣図を掲載したところ、40代以上の男性を中心に人気を呼んでいるという。

■ドラマチック
 盛り上げに向けて来年1月1日のスタートダッシュにも余念がない。同日は臨時開館(午前11時〜午後5時)し、先着5千人に「オリジナルコースター」をプレゼントする。天守閣の収蔵品「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」に描かれている大坂城天守閣のイラストと現在の城の写真をあしらった2枚セットになっている。

 田中さんは「大坂の陣で豊臣は敗れたが、その後、天下の台所と呼ばれる勢いのある町になった。ドラマチックな歴史があったことを知ってほしい」と話している。

1930名無しさん:2014/12/03(水) 22:45:39 ID:ZoPi6vC60
代表4人決まる 「天満えびす」招福娘
2014年12月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141203/20141203031.html

 来年1月9〜11日の「天満えびす」に奉仕する招福娘の代表選考会が2日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。代表として神戸大の秋田成子さん(21)、関西学院大の大野由衣さん(21)、京都産業大の番匠みきさん(22)、関西大の福長英美さん(20)の4人に決まった。

選考会には、大学生600人の応募者の中から招福娘に選ばれた17人が参加。紙芝居、剣道、アイドルグループのダンスなど個性豊かなパフォーマンスで熱意をアピールした。

 寺井種治権宮司は代表それぞれに委嘱状とたすきを手渡し「頑張ってください」とエール。代表に選ばれた福長さんは「体力には自信があるので元気いっぱい福を届ける」、番匠さんは「大学生活最後の良い思い出にしたい」と声を弾ませていた。

1931名無しさん:2014/12/07(日) 01:18:44 ID:XebbVGXA0
岬町の古墳で発掘現場公開
12月05日 15時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141205/3721501.html

皇族の墓として宮内庁が管理している大阪・岬町の「淡輪ニサンザイ古墳」の発掘現場が、報道関係者に公開されました。
「淡輪ニサンザイ古墳」は5世紀後半に築かれた全長170メートルの前方後円墳で、日本書紀などに記された皇族の「五十瓊敷入彦命」の墓として宮内庁が管理しています。
墳丘が「ほり」の水で浸食されるのを防ぐ工事を行うのを前にことし10月から発掘調査が行われ、現場が報道関係者に公開されました。
墳丘本体の発掘が行われるのは初めてで、これまでに、▼表面を覆う「ふき石」や、▼墳丘を囲むように並べられた埴輪が見つかり、築かれた当時の姿が良好な状態で残されているということです。
また、くびれの部分の近くにある「造り出し」と呼ばれる場所からは模様のある埴輪が数多く見つかり、祭事が行われた可能性があるということです。
宮内庁陵墓調査室の清喜裕二主任研究官は、「大阪の中心部に特有の、装飾が施された埴輪も見つかり、当時の最先端の技術を取り入れていた様子がうかがえる」と話しています。
この発掘調査は今月24日まで行われます。


淡輪ニサンザイ古墳を公開 陵墓、宮内庁が発掘調査
2014年12月5日 13:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141205/20141205071.html

 宮内庁は5日、皇族の墓として管理している大阪府岬町の淡輪ニサンザイ古墳(5世紀後半)の発掘現場を報道関係者に公開した。祭祀の場とされる造り出し部では朝顔形埴輪や家形埴輪のほか葺石も見つかった。

1967年以降、同庁は全国の陵墓等で整備工事を実施。事前に遺構を確認し、工法を決める目的で考古学的調査を行い、現場を公開している。

 淡輪ニサンザイ古墳でも、周濠の水に浸食されて墳丘が崩れるのを防ぐため護岸が検討されており、今年10月から同庁書陵部が墳丘の裾部分約20カ所を発掘していた。

 同古墳は、全長約170メートルの前方後円墳。

1932名無しさん:2014/12/07(日) 22:36:34 ID:9Z4TxH8M0
世界初「ガラスの祠」 大阪天満宮、御神水たたえる
2014年12月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141205/20141205027.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で4日、地下70メートルからくみ上げられる名水「天満天神の水」の取水口となる御神水舎「ガラスの祠(ほこら)」の完成奉告が行われた。大阪のガラス発祥の地という歴史にちなみ、地元のガラスアーティスト岡本覚さん(59)が制作。枠材のステンレス以外はすべてガラス素材という世界初のほこらに仕上げ、関係者が完成を祝い合った。

江戸期から知られる同宮の名水復活計画の一環。屋根には白い結晶が特徴で岡本さんが開発した「界面結晶化ガラス」を使用。土台は御影石を思わせるリサイクルガラスで仕上げるなど全体にこだわりの素材を駆使した。

 岡本さんは「いにしえのデザインに時代の最先端を取り入れる天神さん特有の疑似伝統の考えで表現した。名所で作品を手掛けることができ大変うれしく思う」と笑顔。同宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)は「ガラスが本殿屋根の緑青にも似た色合い。今後の名水の広がりが楽しみ」と話していた。

1933名無しさん:2014/12/09(火) 22:57:21 ID:zEMZ1SQ60
繁盛呼び込む50の笑顔 今宮戎第63代福娘
2014年12月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141208/20141208026.html

 商売繁盛の「えべっさん」として親しまれている大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江明宏宮司)の十日戎で奉仕する第63代福娘が7日、同市中央区の国際会議ホールでお披露目された。代表4人の選考会も行われ、福娘はマジックやものまねなど工夫を凝らした自己アピールを行った。

ことしは2983人の応募があり、3回の審査を経て50人を選出。代表には、関西外語大の金谷めぐみさん(21)=大阪市=、同志社女子大の中西真菜さん(21)=奈良県=、神戸市看護大の林佳名子さん(19)=神戸市=、留学生枠で、立命館大のキャサリン・リーランドさん(21)=ニュージーランド出身=が選ばれた。

 昨年の福娘代表から記念品を贈られた金谷さんは「精いっぱいの笑顔で頑張ります」と話していた。

 福娘は、神事の参列、神社授与所での福ササの授与のほか官公庁や関係機関への表敬も行う。

1934名無しさん:2014/12/09(火) 23:19:15 ID:zEMZ1SQ60
舞うミカン、厄よけ願う 御霊神社
2014年12月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141209/20141209034.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で8日、江戸期からの伝統行事「御火焚祭」が盛大に執り行われた。恒例の厄よけのミカンまきもあり、参拝者でにぎわった境内は師走ムードを漂わせていた。

境内には一つでも多くキャッチしようと大きな袋や箱を手にした人が参集。やぐら上から園宮司や氏子衆がミカン約60箱分を豪快にまくと、「やった」「ことしは取れた」など方々から歓声が沸いた。

 同祭は冬のはじめに今後1年間、事故もなく火のおかげをいただくように祈願。氏子崇敬者は、拝殿前にともされた斎火にさまざまな願いを書いた祈願木をくべていき、高く燃え上がる炎に成就を願った。

 氏子の平尾健二さん(72)=同市西区=は「ことしは各行事が大いににぎわった。来年もいっそう盛り上がることを願いたい」と笑顔で一年を振り返った。園宮司は「毎年多くの方にお参りいただいている。皆さんとともに伝統行事を継承することができ大変うれしく思う」と話していた。

1935名無しさん:2014/12/11(木) 20:59:27 ID:Xa1.Nceg0
両替商「銭屋佐兵衛」家の歴史
12月11日 12時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141211/3858891.html

大阪でかつて両替商として繁栄した「銭屋佐兵衛」家ゆかりの古文書を集めた展示会が、大阪で開かれています。
この展示会は、江戸時代中期から明治時代にかけて大阪を拠点に両替商として繁栄した「銭屋佐兵衛」家の歴史をたどろうと大阪・中央区の「大阪歴史博物館」で開かれています。
「銭屋佐兵衛」家の決算帳簿は、創業から廃業まで毎年記録され、当時の両替商の経営状況を知ることが出来る貴重な資料です。
とりわけ江戸中期から後期にかけての大阪の好景気で事業を拡大した3代目の時代には、諸藩の大名に融資を行うようになり「諸家貸」と呼ばれる帳簿に、九州や四国などの大名にまで貸していたことが記されています。
このほか「銭屋佐兵衛」家の印が入ったはっぴなども展示されています。
博物館の八木滋学芸員は「江戸時代中期以降の大阪の商人の経営実態などが分かる貴重な資料です。
当時の大阪の繁栄ぶりを感じてほしい」と話していました。
この展示会は、来年1月5日まで開かれています。

1936名無しさん:2014/12/13(土) 19:10:20 ID:A11t3JUg0
「襲名披露公演はぜひ大阪から」中村翫雀さんが「四代目鴈治郎」襲名あいさつで本社来訪
http://www.sankei.com/west/news/141211/wst1412110068-n1.html

上方歌舞伎の大名跡、四代目中村鴈(がん)治(じ)郎(ろう)(がんじろう)を襲名する歌舞伎俳優の中村翫(かん)雀(じゃく)(かんじゃく)さん(55)が11日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ、斎藤勉専務取締役大阪代表らに襲名のあいさつを行った。

 翫雀さんは人間国宝の坂田藤十郎さん(82)と元参院議長の扇千景さん(81)の長男。来年1、2月に大阪松竹座で2カ月連続の襲名披露公演を行う。

 晴れやかな笑顔の翫雀さんは「鴈治郎は上方の名跡なので、襲名披露公演はぜひとも大阪からスタートしたかった」と話した。

1937名無しさん:2014/12/19(金) 10:52:07 ID:M8S3Lrrg0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141219/4092961.html
百舌鳥古墳群の保存計画案
12月19日 06時32分

ことし3月に国の史跡に指定された「百舌鳥古墳群」について地元の堺市は今後の修復の進め方などの方針を定めた「保存管理計画」の案をまとめました。
堺市には4世紀から6世紀にかけて100を超える古墳がつくられたとされ、現存する古墳のうち宮内庁が管理する天皇陵などを除いた17の古墳が、ことし3月に「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定されました。
これを受けて、堺市は修復の進め方などについて方針を定めた「保存管理計画」の案をまとめました。
計画案では多くの古墳で墳丘が崩れた箇所が確認されたことから学術的な調査を行った上で修復を進めるとしています。
また樹木が生い茂り本来の形が分かりづらい古墳では伐採やせんていを行い、墳丘の周りのほりの水質改善にも取り組むとしています。
「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定された古墳の多くは、大阪府や堺市などが世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥古市古墳群」に含まれています。
堺市は、今年度中に保存管理計画を最終的に決めることにしていて「世界遺産登録に向けてしっかりと保全に取り組みたい」としています。

1938名無しさん:2014/12/19(金) 13:00:56 ID:M8S3Lrrg0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141219/20141219025.html
「社寺+コナン」効果大 なにわ七幸めぐり
2014年12月19日

 神仏習合理念に賛同する7社寺でつくる「なにわ七幸(しちこう)会」が取り組む「なにわ七幸めぐり」と人気漫画「名探偵コナン」のコラボ企画が人気を呼んでいる。7社寺を巡拝する朱印めぐりに“謎解き”の要素がプラスされ、若い親子も参加するほどの好調ぶり。なにわ七幸会事務局は「新たな年齢層が増え、七幸めぐりのすそ野が広がった」とコナン効果を喜んでいる。

なにわ七幸会は、1983年に大阪21世紀協会理事だった堺屋太一氏の提唱で神社仏閣と大阪の活性化を目指して発足した。現在は大阪天満宮、大念佛寺、住吉大社、今宮戎(えびす)神社、太融寺、四條畷神社、四天王寺の7社寺でさまざまな企画を展開。七幸めぐりは年間約400人が満願し、順調に推移している。

 今回の企画「なにわ七幸めぐりウォークラリー〜トレジャーバロンからの暗号文(メッセージ)」は、枚方市のひらかたパークで開催中の名探偵コナン連載20周年記念「コナン展」大阪会場(来年1月12日まで)とのタイアップとして実現。

 小学館集英社プロダクションによると、社寺とのコラボは珍しいという。

 参加者は最初の社寺で通常の朱印帳・色紙とは別にラリー専用紙(300円)を購入し、各境内の特設看板に記されているキーワードを集めて謎を解く。それぞれの朱印所(授与所)では、訪れた社寺とコナンをデザインした記念ポストカード1枚を授与。最後の社寺で全7種類がそろうほか、オリジナルクリアファイルとWチャンス応募はがきがもらえるのも魅力となっている。

 同企画は来年1月31日まで続き、期間中は冬休みや初詣をはじめ「十日戎」も含まれることから参加者の増加が見込まれる。

 なにわ七幸会事務局を置く四天王寺参詣課の山岡武明さんは「親子に愛されているキャラクターの起用で、より多くの方と各社寺とのご縁が結ばれることを願いたい」と話している。

 【メモ】なにわ七幸会事務局の問い合わせは、電話06(6771)0066、四天王寺。

1939名無しさん:2014/12/19(金) 20:05:03 ID:aIDXs.4A0
秀吉絶賛「守口大根」 天下取りの健康食
2014年12月17日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141218-OYTAT50000.html

「もしタイムスリップできるなら、太閤(たいこう)さんに僕の料理を食べてもらいたい」

 大阪府守口市の老舗料亭「柿右衛門文禄亭」。料理長の益田光志さん(56)が、同市の伝統野菜「守口大根」のかき揚げを作りながら声を弾ませる。

 羽柴(豊臣)秀吉が1585年(天正13年)、守口で宿泊した際、献上された大根の漬物を絶賛。「守口漬と名付けよ」と宿の主人に命じたことから、一帯の淀川流域で育てられていた大根を、こう呼ぶようになったと伝わる。

 益田さんが、この大根に出会ったのは2005年12月。市街化による耕作地の減少などを理由に栽培が一時途絶えたが、名物として復活させようと、農家らが取り組みを開始。「新たな郷土料理を作ってほしい」と依頼された。

 長さ約1・5メートルの細長い大根は辛くて苦く、そのままでは食に向かない。試行錯誤の末、砂糖をまぶし、高温のゴマ油を注いで苦みを抜く調理法を発案。かき揚げにして、ほどよい苦みとサクサクした食感が楽しめる料理に仕上げた。

 益田さんは「太閤さんは大根の漬物をポリポリかじりながら、天下取りの戦略を練っていたのだろうか」と想像を膨らませる。

 ◇62歳の生涯

 秀吉は1598年(慶長3年)に、62歳の生涯を閉じた。平均寿命40歳前後とされる当時としては、かなりの長寿だ。

 ぜいを尽くし、美食に明け暮れたイメージもあるが、食に関する逸話からは、健康に気を配っていた姿が浮かび上がる。

 「名将言行録」(岡谷繁実著)などによると、秀吉は若い頃から、消化酵素を多く含み、風邪の予防にも効くとされた大根や食物繊維が豊富なゴボウをよく食べていたとされる。

 根菜へのこだわりは、天下統一後、生まれ故郷だったことから年貢を免除していた尾張国・中村(名古屋市中村区)の農家に、年頭の祝儀として大根とゴボウを献上させていたことからもうかがえる。

 戦国時代の食に詳しい医学ジャーナリストの植田美津恵さんは「秀吉は権力を維持するためには健康な体が最も大切と考え、体に良いものを食べていた」と指摘する。

 「戦国武将の食生活」の著書がある食文化史研究家の永山久夫さん(82)は、秀吉が魚介類もふんだんに食べていたことにも注目する。

 秀吉が1590年(天正18年)に小田原城を落とし、奥州を平定した後、毛利輝元が戦勝の祝賀として出した献立には、鮭(さけ)、タラ、タコ、アワビ、イカ、スズキ、アユ、コイなどの料理が並んだという。前田利家も1594年(文禄3年)に自邸で秀吉を接待した際、タイやカツオ、ハモなど10種類以上の魚介類を使った料理を出したとされる。

 魚油に含まれるドコサヘキサエン酸(DHA)などの脂肪酸は、近年の研究で、脳機能低下の防止に効果があるとの報告もある。

 人の何倍も考えて行動し、戦国時代を生き抜いた秀吉。魚介類でタフな精神力を養ったともいえそうだ。

1940名無しさん:2014/12/19(金) 20:05:51 ID:aIDXs.4A0
◇ゆかり食材で人気

 秀吉ゆかりの食材を名物にしようとする動きもある。

 名古屋市中村区では今年7〜10月、JR名古屋駅西側にある飲食店約10店が、ゴボウの創作料理をメニューに加えるイベントを開催した。

 飲食店主の辻耕作さん(32)が発案した企画で、ゴボウ入りのナゲットや、鳥とゴボウのうま煮など様々な料理が登場。客の反応も上々だったといい、辻さんは「ゴボウ料理を名物にし、街も人も元気になれば」と意気込む。

 健康志向が高まる中、秀吉ら戦国武将の食事は実利的だと注目を集めている。

 11月上旬、東京都港区の慶応大で開催された「健康寿命をのばすための食べる知恵」と題した講座。講師に招かれた永山さんは、秀吉がビタミンB1やカルシウムが豊富な麦飯を食べていたエピソードなどを披露。「秀吉のように食べて、天下を取るくらい元気になってください」と高齢の受講者らに呼びかけた。

 「秀吉が好んだ食事は和食の原点でもある。参考にすれば、我々も健康になれる」と永山さん。天下人がこだわった食は、現代社会を生き抜くヒントも伝えてくれている。

(神谷次郎)


 ◇長寿願い鶴も食す

 秀吉は滋養強壮のため、現代ではなじみの薄い鳥獣も食べたらしい。

 大阪城天守閣は、秀吉が織田信長の次男・信雄から鶴の肉を贈られた際に書いた礼状を所蔵しており、随時公開している。

 同天守閣の跡部信・主任学芸員は「長寿や健康を願って、生命力が強いと信じられていた動物も食べたのだろう」と話す。

 一方、秀吉が好んだ守口大根は、守口市の農家らでつくる「守口都市農業研究会」が栽培し、毎年12月に収穫している。2007年には、府が進める「なにわの伝統野菜」として認証されている。

 柿右衛門文禄亭では、今月中旬から同会が栽培した守口大根を使ったかき揚げをメニューに出す予定。問い合わせは同店(06・6993・3651)へ。

2014年12月17日

1941名無しさん:2014/12/20(土) 22:34:28 ID:w6je/usg0
穏やかな年に 藤井寺に未の絵馬
2014年12月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141214-OYTNT50028.html

藤井寺市の道明寺天満宮の本殿前に13日、来年の干支(えと)・未(ひつじ)を描いたジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えした。

 ジャンボ絵馬の飾り付けは、同天満宮が1970年から、毎年実施。絵は寝屋川市の女性画家・長谷川貞信さんが手がけ、3匹の羊の親子の仲むつまじい様子が描かれている。

 南坊城(みなみぼうじょう)光興宮司(40)は「来年は羊のように穏やかな一年であってほしい」と話した。

2014年12月14日

1942名無しさん:2014/12/23(火) 21:37:09 ID:2K.hksqI0
大阪、干し柿まねた土製品が出土 江戸時代の玩具か
2014年12月23日 16:15
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141223/20141223050.html

 大阪市北区神山町の建築工事予定地の発掘で、干し柿をまねた江戸時代の土製品が出土し、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が23日までに明らかにした。干し柿は同時代にお菓子として親しまれたといい、同研究所の谷崎仁美学芸員は「玩具や装飾品として作ったのかもしれない」と話している。

土製品は今年4月に18世紀後半のごみ穴から出土。長さ8センチ、幅5センチで、重さ80グラムと大きく重い。中央部分に穴が開けられていた。ひもを通して同じものを何個もつなげて、店などが看板代わりにしていた可能性もあるが、用途は判明していない。

1943名無しさん:2014/12/26(金) 05:51:26 ID:U0q1y9rI0
大入りを祈願して「にらみ鯛」…国立文楽劇場
2014年12月25日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141225-OYO1T50026.html?from=oycont_top_txt

人形浄瑠璃文楽の初春公演(来年1月3〜26日)の大入りを祈願して、国立文楽劇場(大阪市中央区)の舞台に25日、新年の縁起物の「にらみ鯛」が取り付けられた。

 午前9時半から、全長約3メートルの巨大な鯛2匹が向かい合うようにつり上げられた。来年の干支(えと)の「羊」の文字が書かれた凧(たこ)も掲げられ、迎春準備が整った。

 同劇場の今年度の有料入場者数は、11月公演までで約9万4000人。大阪市の文楽協会への補助金満額支給の条件となる10万5000人まであと一息で、担当者は「一人でも多くの方にお運びいただけるように」と期待していた。

2014年12月25日

1944名無しさん:2014/12/26(金) 22:28:27 ID:8RbsaA6s0
参拝者2千人、歳末風情満喫 御霊神社「船場餅つき」
2014年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141226/20141226020.html

 餅つきを通じて歳末のあいさつをする行事「船場餅つき」が25日、大阪市中央区の御霊(みたま)神社(園文夫宮司)で開かれた。地元企業などから2千人以上が代わる代わる参拝し、得意先とあいさつを交わしつつ歳末の風情を満喫した。

行事は、氏子で地元企業の都市環境開発(根本竜司代表)が毎年開いており、ことしで10回目を迎えた。この日は社員をはじめとする応援スタッフが夜明け前から準備を開始。約240キロ分のもち米を豪快につき上げ、関係者や一般参拝者に振る舞った。

 根本代表(52)は「スタッフの協力で次なる大台を目指したい」と地域密着の活動に意欲を見せ、園宮司は「ことしは自然災害などの災いが多かったが、穏やかな新年が迎えられるよう願いたい」と話していた。

1945名無しさん:2014/12/28(日) 13:11:22 ID:iReqGwoM0
1年のご加護感謝 大阪天満宮で「終天神」
2014年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141226/20141226018.html

学問の神・菅原道真を祭る大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、年内の縁日を締めくくる「終(しまい)天神」が執り行われた。祈願絵馬のたき上げやもちつきが行われる中、天神さんのご加護で1年を平穏に過ごせたことに感謝する多くの参拝者でにぎわった。

毎月25日は道真公の縁日であり、年頭の「初天神」に始まり終天神で1年を終える。

 境内では1年間に絵馬掛けに奉納された約5万枚が御神火によって次々とたき上げられた。周囲では俳句や写真の愛好家らが題材を求め、高く燃え上がる光景に見入っていた。

 また、神職らが元旦に供える餅をつき、参拝者に振る舞った。池田市の女性(55)は「毎年お参りしているが、今季は子どもが受験なので御利益にあやかりたい」と恭しく餅を授かっていた。

1946名無しさん:2014/12/29(月) 09:55:36 ID:kmfnyec20
「鴈治郎」襲名前に船乗り込み
12月28日 19時12分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141228/4107431.html

上方歌舞伎の名跡、「中村鴈治郎」を襲名する歌舞伎俳優の中村翫雀さんが、大阪市内で、襲名の際の伝統的行事、「船乗り込み」を行いました。
上方歌舞伎の俳優、中村翫雀さんは、来月始まる襲名披露興行で、父親で人間国宝の歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんが名乗っていた名跡、「中村鴈治郎」を襲名します。
これを前に、翫雀さんは28日、大阪・中央区の高津宮で興行の成功を祈願したあと、襲名の際の伝統的行事、「船乗り込み」を行いました。
かみしも姿の翫雀さんは、中央区の本町橋で船に乗り込み、東横堀川と道頓堀川を20分あまりかけて下りました。このなかでは、川岸にいたファンから、花束が贈られる一幕もありました。
そして、到着した戎橋で、集まった大勢のファンから屋号で声をかけられると、翫雀さんは笑顔で手を振って応えていました。
「四代目中村鴈治郎」の襲名披露興行は、年明けの来月2日、大阪松竹座で初日を迎えます。
..

1947名無しさん:2014/12/29(月) 10:52:15 ID:kmfnyec20
文枝さんら落語家がもちつき
12月28日 12時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141228/4100181.html

新年を前に、大阪にある上方落語の寄席、天満天神繁昌亭で、桂文枝さんら落語家が餅をつき、訪れた人たちに振る舞いました。
この餅つきは、日頃の感謝を込めて、毎年この時期に行われています。大阪・北区の寄席、天満天神繁昌亭の正面玄関の前には、約50人の落語家が集まり、はじめに、上方落語協会の会長の桂文枝さんが、「来年もツキがあるように餅をつくので、たくさん、召し上がってください」とあいさつしました。
そして、鐘や太鼓のお囃子が響く中、落語家たちが交代できねをもち、かけ声にあわせて、次々と餅をついていきました。あわせて40キロのもち米が30分ほどかけてつきあがり、ぜんざいにして振る舞われ、訪れた人たちが、つきたての餅を味わっていました。
7歳の娘を連れてきた大阪の男性は、「あたたかくて、とてもおいしいです。ことしは仕事ばかりで忙しい1年でした。来年は、もっと景気がよくなってほしいです」と話していました。
天満天神繁昌亭は、大みそかに年越しの寄席を開くことにしています。

1948名無しさん:2015/01/01(木) 14:41:17 ID:oSwDFtG60
百舌鳥・古市古墳群、勝負の夏 大阪府内初の世界遺産へ、つかめ国内推薦
http://www.sankei.com/region/news/150101/rgn1501010003-n1.html

大阪に初の世界文化遺産を−。そんな願いが込められた堺、羽曳野、藤井寺の3市にまたがる巨大古墳群「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が、平成29年の世界文化遺産登録を目指し、国内推薦に挑む。ライバルを押しのけて国内推薦を勝ち取るには、日本の歴史を象徴する古墳への住民の理解と協力、世界遺産登録に向けた大阪を挙げた盛り上がりが不可欠。周辺環境との共存など課題も抱える中、今夏の国内推薦決定に向けて地元では着々と準備が進んでいる。

                   ◇

 世界遺産登録は年1件の国内推薦を争って、地元公共団体が「普遍的価値の証明」「万全の保護措置」などを「推薦書原案」にまとめ、文化庁に提出。文化審議会が7月ごろに国内推薦を決め、閣議決定を経てユネスコ(国連教育科学文化機関)に正式推薦される。

 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に取り組むのは、府と堺、羽曳野、藤井寺の3市。前年の選考もれを教訓に26年はあえて原案提出を見送り、27年の国内推薦、29年登録に照準を合わせ準備してきた。

 最大の課題となったのは「保護措置」。百舌鳥・古市古墳群は古墳のすぐ近くにまで住宅などが建つが、世界遺産は遺産本体の厳重な保護に加え、周辺に「緩衝地帯」が必要だからだ。

 堺市の場合、古墳近くは都市計画で建物の高さを制限しているが、その周辺に「古墳の大きさが感じられる眺望を確保するための地域」を設定。28年度から住宅地内では高さを31メートル(10階建て相当)以下とし、外壁の色や屋外広告物なども京都に準じた厳しさで規制することにした。

 緩衝地帯が設けられる堺区など4区の10小学校区では説明会を開催。市世界文化遺産推進室の宮前誠室長は「住民生活に直接影響することなので、専門家の意見を聞き、慎重かつ丁寧に理解と協力を求めてきた」と話す。

 古墳に親しんでもらいながら古墳を守る「保存管理計画」についても、宮内庁などと繰り返し協議を重ねてきた。古墳は立ち入りが原則制限されるが、世界遺産には公開の指針がある。

 このため、仁徳天皇陵に近い収塚古墳では、帆立貝形の古墳が体感できるよう墳丘に生い茂る木々の一部を剪定したり原形を再現したりして数年以内に立ち入りを可能にするという。

 近くの大阪女子大学跡地には、古墳群の説明などを行うガイダンス施設の整備計画もあり、世界遺産登録に向けた環境整備を着実に進めている。

 一方、世界遺産の国内推薦は競争が激しく、楽観できないのも事実だ。

 関係者の間では、「百舌鳥・古市古墳群」に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」「宗像・沖ノ島と関連遺産群」「金を中心とする佐渡鉱山の遺跡群」を加えた4遺産が「ネクスト・フォー」と呼ばれ、今年の国内推薦が有力視されているという。

1949名無しさん:2015/01/03(土) 15:37:48 ID:SW3L168E0
四代目鴈治郎さん「生涯精進」 ゆかりの大阪で襲名披露
2015年1月2日 19:26
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150102/20150102047.html


 曽祖父から続く上方歌舞伎の代表的な名跡を継いだ四代目中村鴈治郎さん(55)の襲名披露公演「寿初春大歌舞伎」が2日、大阪松竹座(大阪市中央区)で始まった。

 東京ではなく、ゆかりの地・大阪から襲名披露を始める念願をかなえた鴈治郎さん。公演で、上方歌舞伎の名作「廓文章」の伊左衛門役に初挑戦し、恋人の遊女を演じた父で人間国宝の坂田藤十郎さん(83)と息の合ったやりとりを見せた。

 「成駒家!」と声が掛かる中、鴈治郎さんは口上で「先祖の名に恥じぬよう、生涯芸道に精進します」と決意を語った。

1950名無しさん:2015/01/03(土) 16:46:29 ID:SW3L168E0
1年の幸運願い 初詣にぎわう府内の社寺
2015年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150103/20150103025.html

 新年を迎えた1日、府内各地の社寺は多くの人出でにぎわった。大阪市住吉区の住吉大社では、厳しい冷え込みにもかかわらず、大勢の参拝客が1年の幸運を願っていた。

 住吉大社の境内では家族連れやカップル、外国人観光客の姿も見られ、急勾配を上り下りし、太鼓橋の愛称で親しまれる朱塗りの「反橋」は、足元を気にしながら進む人波で大混雑。社殿を前に参拝者らは勢いよくさい銭を投げ入れてはかしわ手を打ち、家内安全や商売繁盛を願った。境内は絵馬や破魔矢などの縁起物やお守りなどを求める人や、おみくじを引く人たちの行列が終日続いた。

 「欲張らないよう、家族が誰も病気をしないように」と祈願したのは、毎年参拝しているという堀井健一さん(45)=同市西成区=。また、帰省中に一家で訪れたという高橋奨さん(47)=川崎市=は「子どもが小学校に入学するので、仕事や家族の健康をお願いした」と晴れやかな表情だった。

 住吉大社では、正月の三が日で昨年より4万人多い240万人の人出を見込んでいる。2014年は住吉区が舞台となったNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」の影響もあったそうで、新春もあやかって「多くの人にお参りいただきたい」と担当者は呼び掛けていた。

1951名無しさん:2015/01/04(日) 18:49:48 ID:yEgQGPE60
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150104/20150104027.html
神経研ぎ澄ませ 大阪天満宮で「はじき初め」
2015年1月4日

 学問の神である菅原道真を祭る大阪市北区の大阪天満宮で3日、大阪府珠算教育連合会の「はじき初め大会」が開かれた。机上には127桁ある長さ1・8メートルのそろばんが用意され、参加した約千人の幼児、児童、生徒が年始めの読み上げ算に挑んだ。

子どもたちの習い事が多様化する中、大阪府珠算教育連合会は「伝統文化」としてのそろばんの普及に向けてはじき初め大会を毎年1月3日に開催。大会実行委員長の岡田良章さんは「そろばんを通して自分で考える力を養ってほしい」と呼び掛けた。

 参加者は神前で珠算学習の向上を祈願した後、3人一組になって長いそろばんに向かった。

 大東市の高校1年生、利田茜さんは「ことしは1級検定に合格したい」と抱負を語っていた。

1952名無しさん:2015/01/04(日) 19:08:13 ID:yEgQGPE60
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150104-OYO1T50012.html?from=oycont_top_txt
初春文楽公演が開幕 大阪・国立文楽劇場  
2015年01月04日

国立文楽劇場(大阪市中央区)の初春文楽公演が3日、開幕した。開演前には文楽人形による恒例の鏡開きが劇場前であり、女性ファンら約520人が祝い酒を受け取った。

 今年は、昼の部「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」に登場する「太夫」と「才蔵」の人形が「一、二の三」のかけ声に合わせて豪快に鏡開き。劇場近くの黒門市場から縁起物の「にらみ鯛」も届き、正月らしいおめでたい雰囲気に包まれた。

 4月に師匠の名前を継ぎ、吉田玉男の二代目を襲名する人形遣いの吉田玉女さん(61)は、「玉女の名では最後の公演。ご支援お願いします」と呼びかけていた。公演は26日まで。

2015年01月04日

1953名無しさん:2015/01/05(月) 21:45:44 ID:S3ogv4B60
大坂はベンガラの町…9遺跡で出土、大量生産か
2015年01月05日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150105-OYO1T50024.html?from=oycont_top_txt

木造建物の塗料に使われた赤色顔料のベンガラが江戸時代後期、大坂城西側の城下町縁辺部で大量生産されていたことが、大阪文化財研究所の調査で明らかになった。大阪市内の9遺跡で、人工精製に使われた素焼きの土鍋・ほうろくの破片が出土したことで判明した。大都市・大坂の地場産業として安価な人工顔料が量産されたため、木造民家の塗装剤などとして普及したことがうかがえる。

 2004年以降、大阪市中央区の高津御蔵遺跡(19世紀)や瓦屋町遺跡(18世紀後半〜19世紀前半)で、ベンガラがべっとりと付着したほうろく(復元した直径約30センチ、深さ約10センチ)の破片数百点が出土した。14年9月にも、18世紀末から19世紀のゴミ捨て穴から、大量の破片が見つかった。

 ほうろくに鉄くずと水を入れて熱し、水を蒸発させてベンガラを製造したとみられる。

 江戸後期の本草学者、小野蘭山が著した「本草綱目啓蒙(けいもう)」には当時、大坂では鉄くずを原料にベンガラを製造していたことが記され、人名録・商業案内の「難波丸(なにわまる)綱目」には、ベンガラ生産に従事したとみられる「弁柄師」として「高津 寺田孫六」ら4人の名前が書かれている。だが、ほうろくの使用など、具体的な生産の実態はわかっていなかった。

 田中裕子学芸員は「ベンガラ生産の変遷は、近世産業史の主要なテーマの一つだが、京や江戸の実態はわかっていない。廃材を利用して安く量産できるよう工夫しており、大阪の町工場のルーツとも言える」と話している。

ベンガラ 酸化第二鉄が主成分で、赤鉄鉱として鉱物の状態で存在する。フランス・ラスコー洞窟壁画(約1万7000年前)にも使われており、人類が利用した最も古い顔料の一つ。防虫・防腐効果があり、日光に強く退色しにくい。日本では江戸時代、人工的に製造されるようになった。


2015年01月05日

1954名無しさん:2015/01/08(木) 18:17:30 ID:ahK6QgX20
ミナミで「戎舞台」13年ぶり復活 地元の念願実現、漫才や舞踊などにぎやかに奉納
http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080038-n1.html

今宮戎神社(大阪市浪速区)で9〜11日に開かれる「十日戎」に合わせ、道頓堀川にかかる戎橋(同市中央区)のたもとで伝統芸能や演奏の奉納披露を行う「戎舞台」が今年、13年ぶりに復活することになった。橋の架け替え工事などのため平成14年を最後に途絶えていたが、地元商店主らの強い要望もあって再開が決定。にぎやかな音色や笑いがミナミの街を包む十日戎が久しぶりに戻ってくる。

 心斎橋や船場地域と今宮戎の間に位置する戎橋は、商売繁盛を願うミナミの商売人たちが参拝するために架けられたことから命名されたと言われる。

 昭和53年からは、行き帰りの参拝客らに楽しんでもらおうと橋の南詰めに舞台を設置。境内で古くから行われている和太鼓の奉納演奏などを披露してきた。

 しかし、橋の老朽化に伴って平成16〜19年に行われた架け替え工事のため、14年1月を最後に舞台の設置は中断。その後も道頓堀川沿いの遊歩道整備などの工事が続いたため、本えびすの10日に行われる「宝恵駕(ほえかご)行列」の際、あいさつをするための一時的な仮設舞台が設置されるだけになっていた。

http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080038-n2.html

中止から10年以上が経過する中、橋や護岸の工事が完了した戎橋に「再び以前のようなにぎわいを作りたい」と、舞台の復活を望む声が地元の商店主らから上がり、周辺の商店会などでつくる宝恵駕振興会が舞台設置の許可を大阪市や府警などに打診。今年はミナミの街が大きく発展するきっかけとなった道頓堀川の開削から400年を迎え、さまざまな記念イベントが行われる「大阪ミナミ400年祭」が催されることもあり、13年ぶりの再開が実現した。

 奥行き3・5メートル、間口8メートルの設計はそのまま受け継ぐが、舞台の内容は一新。以前は和太鼓の奉納演奏が主体だったが、今回はさまざまな分野で大阪に縁の深い演奏家や芸人らに奉納披露を呼びかけ、日本舞踊や漫才、歌、ダンスなど多彩な催しを予定している。

 舞台復活に取り組んできた道頓堀商店会の今井徹会長は「久しぶりの戎舞台。昔を知っている人も知らない人も、みんなが楽しんでもらえる舞台にしたい」。今宮戎神社の担当者も「十日戎は神社だけでなく、ミナミの街と一体となって作り上げてきたお祭り。舞台の復活が、街全体の盛り上がりにつながればうれしい」と話している。

1955名無しさん:2015/01/08(木) 18:41:04 ID:ahK6QgX20
家電「温故知新」 くらしの今昔館で昭和レトロ家電展
2015年1月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150105/20150105016.html

 大阪市北区の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」で、昭和30年代の家電やそのカタログ、チラシに焦点を当てた「昭和レトロ家電展」が始まった。出展者は収集活動を続ける枚方市の会社員、増田健一さん(51)。「当時の勢いや元気さを感じてほしい」と展示品の魅力を紹介している。

「屋根の下の軽井沢」は東芝による扇風機のキャッチコピーだ。ナショナルが1958(昭和33)年に発売した掃除機の性能は「風速20メートルの吸引力」と表現され、当時ヒットした石原裕次郎さん主演の映画『風速40米』を連想させている。

 「当時の(カタログ)チラシは広告代理店やコピーライターではなく家電メーカーが作っていた」と増田さんは解説し、メーカーの姿勢として「製品開発に苦労した思いがストレートに伝わってくる」と話している。

 同展は2011年12月に続いての開催。増田さんによると、収集品を見た年配者は懐かしみ、若年層からは「アイデアが新鮮」「デザインがかわいい」との評価が。家電メーカーの関係者からは「自由に製品開発してうらやましい」と当時の環境を想像する声が寄せられている。

 増田さんは同市旭区出身。中学生時代にラジオ番組「懐メロ歌謡曲」を聴いて昭和30年代や昭和歌謡に興味を覚え、心斎橋の古道具イベントで購入したデミタスカップを皮切りに当時の家電製品や生活雑貨品約2千点を収集。現在、市立住まいのミュージアムの研究員を務めている。

 【メモ】昭和レトロ家電展に関連した講演会が1月25日に予定され、増田健一さんが講師を務める。会場は大阪市立住まいのミュージアムがある住まい情報センターの3階ホール。午前10時半から。定員200人で、大阪くらしの今昔館ホームページなどで申し込む。同展は1月3日に始まり、2月11日まで開催中。休館日は1月6、13、19、20、27日と2月3、10日。

1956名無しさん:2015/01/08(木) 18:59:09 ID:ahK6QgX20
大坂の肉筆、浮世絵に光 月岡雪鼎と一門展
2015年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150108/20150108028.html

 大阪歴史博物館(大阪市中央区)は7日、特集展示「月岡雪鼎(つきおかせってい)とその一門・大坂の肉筆浮世絵」を始めた。江戸時代中期の大坂を舞台に、流派にとらわれることなく活躍した絵師の月岡雪鼎をはじめ、その門人たちの作風に光を当てている。2月16日(火曜日休館)。

雪鼎は近江(現・滋賀県)の出身。狩野派や浮世絵の絵師から絵画を学び、大坂を舞台に瓜実顔(うりざねがお)に切れ長の目が印象的な美人像を描いた。浮世絵のように時流に配慮した髪形と着物の模様を細密に描き込んだ美人画を残す一方、題材によって力強い太線が特徴の狩野派の手法も取り入れ、さまざまな表現法を追求した。

 特集展示では雪鼎の約10点をはじめ門人らの作品を含む計約20点を紹介。朝鮮から派遣された朝鮮通信使をイメージした子どもたちが遊ぶ姿を描いた「唐子遊図」などの雪鼎本人の作品や、門人で雪鼎のように細やかな文様まで書き込んだ岡田玉山(おかだぎょくざん)の「源経基像」などを並べている。

 同博物館の岩佐伸一学芸員は「雪鼎と門人たちが大坂の絵師に大変な影響を与えたこと、江戸のイメージが強い浮世絵が大坂でも愛されていたことも知ってもらいたい」と話している。

1957名無しさん:2015/01/08(木) 19:12:09 ID:ahK6QgX20
神馬に願い 住吉大社で「白馬神事」
2015年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150108/20150108027.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、宮中行事に由来する新春恒例の「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。年頭に白馬を見ると年中邪気を払うという信仰にちなんで多くの人々が参拝。同社の神馬(しんめ)「白雪」号がさっそうと駆け抜ける姿を拝観した。

神事は平安時代に宮中で白馬を庭へ引き出して宴を催した「白馬節会(あおうまのせちえ)」に由来。この日、神職らに導かれた神馬は第一本宮を拝礼後、第四までの各本宮を巡拝。早駆けも行われ、見守る参拝者からは「縁起がいい」と歓声が上がった。孫の受験合格祈願で、写真仲間と参拝した女性(73)=泉佐野市=は「神馬さんのいい姿が撮れました」とご満悦だった。授与所では、朱印や子どもの無事成長を願う「竹駒守(たけこままもり)」を求める人の列ができるなどにぎわった。

1958名無しさん:2015/01/09(金) 21:01:47 ID:hoyDD7.s0
「今宮戎神社」で十日戎
01月09日 12時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150109/4243091.html

1年の商売繁盛を願う「十日戎」が始まり、大阪の「今宮戎神社」では、大勢の人たちが参拝に訪れています。
大阪・浪速区の今宮戎神社は江戸時代、大阪が経済発展したころから商売の神様として信仰を集め、新年の伝統行事「十日戎」には毎年、多くの人たちが訪れます。
9日は「十日戎」の初日、「宵えびす」で、境内には朝から次々と参拝者が訪れさい銭を投げ入れて商売繁盛を祈っていました。
また、金色のえぼしをかぶった福娘たちが、笑顔を振りまきながら参拝者が手にするささに縁起物の小づちやお札などをくくりつけていました。
大阪・平野区で串カツ店を営む70代の男性は、「今年もたくさんお客さんが来てくれるよう祈ってきました。小さな店も繁盛する1年になってほしいです」と話していました。
今宮戎神社の「十日戎」は、3日間行われ、神社では約100万人の人出を見込んでいます。

1959名無しさん:2015/01/09(金) 22:08:34 ID:hoyDD7.s0
【新春・インタビュー】
「愛される大阪の顔に」四代目中村鴈治郎の襲名披露公演
http://www.sankei.com/west/news/150109/wst1501090008-n1.html

中村翫雀改め四代目中村鴈治郎の襲名披露公演が、大阪・道頓堀の松竹座で開幕した。

 戦前、上方歌舞伎の大スターとして関西劇壇に君臨した初代から直系で四代目。新たに誕生した“大阪の顔”のお披露目に期待は高まるばかりだ。

 「関西のみなさまに愛される鴈治郎になりたい」。新・鴈治郎の決意は熱い。

 「鴈治郎になったからには、初代の当たり役を集めた家の芸『玩辞楼十二曲』をまずは勤めていきたい。いままでやったことがある演目も、もう一度洗い直して舞台にかけたい」

 2カ月連続で行われる襲名披露公演。

 1月は、「玩辞楼十二曲」から、上方和事の神髄ともいえる「吉田屋」の伊左衛門、「封印切」の忠兵衛を勤める。特に伊左衛門は初役となる。

 大坂・新町の傾城夕霧に入れあげたあげく勘当された大店の若旦那、伊左衛門。みすぼらしい紙衣の衣装を着て夕霧のいる吉田屋にやってくる−。

 落ちぶれてもなお品と色気のある伊左衛門の風情と、夕霧とのじゃらじゃらと色っぽい恋模様が展開される。

 「本当に何をするというわけでもない。だからこそ、えも言えぬ雰囲気が必要。花道の出や前半の一人芝居の場面など、芝居であって所作事(舞踊)のようでもある。和事の極致といわれるのもわかりますね」

 夕霧を父、坂田藤十郎が演じる親子共演も話題だ。

http://www.sankei.com/west/news/150109/wst1501090008-n2.html

 「封印切」の忠兵衛もまた上方らしい演目。こちらは、切れば死罪という公金の封印を切って、恋仲の遊女・梅川(中村扇雀)を身請けする忠兵衛の悲劇。悪友の八右衛門(片岡仁左衛門)とのアドリブにも見える大阪弁での丁々発止のやりとりや、タイトルになっている“封印切”の演技など見どころがいっぱい。

 2月は、「傾城反魂香」の絵師、又平と、舞踊「連獅子」の親獅子の精を勤める。

 「傾城反魂香」は、市川猿之助と夫婦役で共演。「連獅子」は、長男の中村壱太郎の仔獅子との共演と、こちらも話題の多い襲名公演になりそうだ。

 両月とも襲名披露の「口上」がつき、幹部俳優がズラリと並んでお祝いの言葉を述べる。

 「まずは、この2カ月間の襲名公演を通して、みなさまに鴈治郎として認めてもらえるよう。そして上方文化の隆盛に少しでも役立てるよう頑張りたい」

 大阪の冬を熱く盛り上げる公演になりそうだ。

1960名無しさん:2015/01/10(土) 06:06:52 ID:rpQvugc.0
華やかに景気づけ 9日から天満天神えびす祭
2015年1月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150109/20150109026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で9日、天満天神えびす祭が始まる。8日には招福娘ら約100人が区内の北新地から同宮の間を往復する堂島北新地えびす詣招福行列があり「商売繁盛でササ持ってこい」と触れて回った。

大阪天満宮青年親睦会(土井由憲会長)が主催。かつて北新地の風物詩だった「宝恵籠(ほえかご)行列」にちなみ、同会が2009年に約70年ぶりに復興させた。

 一行は、高張ちょうちんと猿田彦を先頭に北新地を出発。軽快なえびすばやしが響く中、上方落語協会の桂春之輔副会長、北新地社交料飲協会(東司丘興一理事長)の北新地クイーンらを乗せた人力車も加わり、前景気を盛り上げた。

 天満天神えびす祭は11日まで。

1961名無しさん:2015/01/11(日) 13:33:13 ID:KuR2OXzc0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150110/20150110044.html
新年彩る宝恵かご行列 今宮戎神社、本えびす
2015年1月10日 11:32

 商売繁盛を祈願する今宮戎神社(大阪市浪速区)の「十日えびす」は10日、毎年最高潮の盛り上がりとなる「本えびす」を迎えた。「ほーえかご、ほーえかご」と掛け声が響く中、宝恵かご約20台と地元の商店主ら約500人が、大阪・ミナミの商店街を練り歩き、新年を彩った。

かごには着物姿の福娘や、NHKの連続テレビ小説「マッサン」のヒロインで女優のシャーロット・ケイト・フォックスさんの姿も。手を振ったり、カメラを向けたりする見物客でにぎわった。

 宝恵かご行列は江戸時代のミナミの芸者がかごを出して派手に参拝したのが始まりとされる。

1962名無しさん:2015/01/11(日) 15:30:54 ID:KuR2OXzc0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150111/4449191.html
浮世絵師 月岡雪鼎の作品展
01月11日 12時25分


江戸時代中期に大坂で活躍した美人画で知られる浮世絵師、月岡雪鼎の作品展が大阪歴史博物館で開かれています。
月岡雪鼎は、江戸時代中期に現在の滋賀県日野町で生まれ、大坂で活躍した浮世絵師で、色白で、鼻筋の通った「うりざね顔」の美人像を作り上げ、その作品は今も国内外で高く評価されています。
大阪・中央区の大阪歴史博物館では、雪鼎やその弟子らが描いた作品、約20点が展示されています。
「貴美人図」という作品は、伊勢物語の一場面を題材にしたもので、こまやかな着物の文様やうりざね顔の貴人の姿は、雪鼎の典型的な作風とされています。
縦1メートル70センチ、横3メートルほどの1双のびょうぶ、「唐子遊図」という作品には、つばの広い帽子をかぶり、ラッパを吹いて遊ぶ異国情緒ただよう子どもの姿などがいきいきと描かれています。訪れた人たちは、当時の大坂の画壇に大きな影響を与えた雪鼎とその一門の作品のひとつひとつに見入っていました。
この特別展は、来月16日まで開かれています。

1963名無しさん:2015/01/11(日) 21:31:10 ID:krEnjQgY0
卸売市場から今宮戎神社へ献鯛行列、にぎやかに練り歩く 大阪
http://www.sankei.com/region/news/150110/rgn1501100039-n1.html

「十日戎」が始まった9日、今宮戎神社(大阪市浪速区)にタイを奉納する「献鯛式」が近くの民営市場「大阪木津卸売市場」で行われ、タイや大阪伝統野菜、えびす米などをのせた献鯛行列がにぎやかに街を練り歩いた。

 献鯛式は、市場が開場した江戸時代から続く伝統行事。宵戎に雑喉場(ざこば)魚市場が戎様にゆかりの深いタイを奉献して商売繁盛を祈願したのが始まりとされる。戦争の影響で一時途絶えたが市場の雰囲気を盛り上げようと昭和58年に復活した。

 この日は、福娘の2人が5匹並んだタイの中から重さ11・5キロと7・6キロのタイを選び、飾り鯛のみこしや市場関係者ら約180人の列が出発。「タイじゃ、タイじゃ、えべっさんのタイじゃ」の木津鯛歌とともに神社まで約800メートルを歩き、沿道から「立派なタイ」などと歓声が上がっていた。

1964名無しさん:2015/01/11(日) 21:46:49 ID:krEnjQgY0
浜村淳さんら福餅配り 服部天神宮
2015年1月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150111/20150111023.html

 “菅原道真公の足の痛みを治した”とのいい伝えから「足の神様」として知られる豊中市の服部天神宮(加藤芳哉宮司)で豊中えびす祭本戎が行われた。

 “十日戎イコール誕生日のダブル淳”のパーソナリティー・浜村淳さんとフリーアナウンサー・梅田淳さんコンビをはじめ、日本サッカー協会の釜本邦茂顧問やお笑いタレントの青芝フックさんら約20人が『福男』となり、約30分かけて用意された紅白の福餅を手渡しで配った。十日戎の餅まきは関西各地にあるが、子ども連れや女性、年配者らに配慮してゆっくり安全に手渡しするが同宮の特徴。

 冬空ながら風もやんだこの日は、宝恵(ほえ)かごに乗り込んだ宝塚歌劇団の帆純(ほずみ)まひろさんと凛乃(りんの)しづかさんを先頭に、浅利敬一郎豊中市長や地元選出の議員らが参道を掛け声とともに練り歩いて宮入り。午前中から約500人が行列を作って待ち受け、餅を受け取る際も握手や写真撮影などを一緒に行っていた。

 浜村さんは「私はもう20年を超えました。若いタカラジェンヌと毎年ご一緒しますが、音月桂(おとづきけい)さん(元雪組トップ)ら多くのお嬢さんがスターになっており、“えべっさんの福運”はすごいですね」と、終始笑顔で参拝客と触れ合っていた。

1965名無しさん:2015/01/14(水) 04:22:51 ID:LUOqoils0
紙幣や小切手 丁寧に仕分け 今宮戎でさい銭勘定
2015年1月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150113/20150113025.html

 約100万人の人出でにぎわった新春恒例の「十日戎(えびす)」(9〜11日)から一夜明けた12日、大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)で3日間に集まったさい銭の勘定が始まった。例年、総額は約4600万円に上り、集計作業は2週間ほどかけて行われる。

早朝の拝殿内では神事が執り行われ、お払いを受けた池田泉州銀行(同市北区)の行員らが机の上に積まれた大量の紙幣、硬貨などを丁寧に仕分けた。

 さい銭の中には、現行紙幣のほか、券面にハトが描かれた旧紙幣の10銭札や、米ドル、人民元、ウォンなどの外国紙幣も。また「2951(福来い)」や「11104(いい年)」といった語呂合わせの額面が印字された小切手も多く見られた。

 同神社によると、3日間の参拝者数は昨年より約10万人多く、100万人に達するのは4年ぶり。さい銭に高額紙幣は比較的少なかったものの、広報担当は「縁起物(の購入)で手応えを求められていたのでは」と話している。

1966名無しさん:2015/01/14(水) 04:25:10 ID:LUOqoils0
満額ゲットや! 文楽入場者10万5千人超え 補助金全部出します
http://www.sankei.com/west/news/150113/wst1501130064-n1.html

国立文楽劇場(大阪市中央区)は13日、平成26年度の同劇場の文楽公演の入場者数が、大阪市から文楽協会への運営補助金の満額支給の条件である10万5千人を超えたと発表した。同協会には市から2900万円が支給される予定。

 同劇場によると、初春文楽公演の入場者数が13日の第1部終了時点で、1万1500人(速報値)となり、今年度の有料入場者数が10万5233人(同)に達した。人間国宝、竹本住大夫さん(90)の引退公演や、積極的なPR活動などで注目が集まったことが要因とみられる。

 大阪市からの補助金については、昨年度と今年度は観客動員数に応じて補助金額が決定するシステムをとっている。昨年度は約3800人及ばず、補助金は約700万円減額された。市は来年度からは、現行の補助制度を打ち切り、代替策として文楽振興を図る新事業などを検討している。

1967名無しさん:2015/01/14(水) 04:40:19 ID:LUOqoils0
大阪城を自衛隊が清掃
01月13日 12時35分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150113/4373731.html

江戸時代に豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年の記念イベントが開かれている大阪城で陸上自衛隊の隊員たちが清掃活動を行っています。
清掃を行っているのは兵庫県伊丹市に駐屯する陸上自衛隊第36普通科連隊の隊員ら600人あまりです。
大阪城では豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年の記念イベントが開かれていて気持ちよく会場を訪れてもらおうと清掃を行うことになりました。
まず近藤力也連隊長が隊員らを前に「400年前の『大坂の陣』で真田幸村が大阪を守るために命を懸けて戦ったことを思いながら清掃に励み、大阪と兵庫、そして日本を守る任務をしっかりと認識して欲しい」と訓示しました。
このあとレンジャー部隊の24人が体にロープをつけて天守閣の近くにある石垣を下り、石の間から生えている木の枝をのこぎりで切り落としていきました。
また城の跡地では落ち葉などを拾い集めました。
大阪城などが会場となる、「大坂の陣」から400年の1連の記念イベントはことし9月まで行われる予定です。
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1968名無しさん:2015/01/14(水) 18:55:41 ID:Mii5n1..0
四天王寺で奇祭「どやどや」−寒中にふんどし姿でお札を奪い合う
あべの経済新聞 2015年01月14日
http://abeno.keizai.biz/headline/1603/

 四天王寺(大阪市天王寺区)で1月14日、ふんどし姿でお札(護符)を奪い合う奇祭「どやどや」が開かれた。

 元日から始まる仏事「修正会」の結願(最終)日に行われる恒例行事で、827年から続いているという同祭。天下太平・五穀豊穣(ほうじょう)を祈願し、法要中に祈とうされた午王宝印という魔よけの護符をふんどし姿の男たちが奪い合う。

 当日は、四天王寺羽曳丘中学・高校、清風中学・高校、清風南海高校の男子学生など約1000人が参加。気温が8度ほどの中、紅白に分かれたふんどし姿で掛け声と共に入場し、六時堂の天井から降る護符を取った数で勝敗を競った。学生らには冷水が浴びせられ、体から湯気が出る様子も見られた。

1969名無しさん:2015/01/15(木) 00:17:15 ID:M0rPacaE0
迫力満点! ふんどし姿で1千人が「どやどや」…大阪・四天王寺で魔よけの札奪い合う 
http://www.sankei.com/west/news/150114/wst1501140066-n1.html

紅白の鉢巻きにしめこみ姿の中高生らが魔よけの札を奪い合う伝統行事「どやどや」が14日、大阪市天王寺区の四天王寺で行われた。

 元日から続く五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る法要「修正会(しゅしょうえ)」の締めくくりで、札をもらおうと民衆が境内に「どやどや」と集まったことが由来とされる。

 参加した約1千人の地元の中高生たちは紅組と白組に分かれ、「わっしょい、わっしょい」と声を張り上げて湯気の立ち上る裸の体を激しくぶつけ合い、次々と舞い落ちる札を取ろうと手を伸ばしていた。

1970名無しさん:2015/01/15(木) 00:21:08 ID:M0rPacaE0
【浪速風】
文楽の目標達成は住大夫さんの置き土産(1月14日)
http://www.sankei.com/west/news/150114/wst1501140028-n1.html

1000万人と10万人。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)と国立文楽劇場の平成26年度の入場者数がそれぞれ大台を突破した。2桁違うが、後者の方が重い。大阪市が運営補助金のボーダーラインとしていた10万5000人を達成したからだ。これで2900万円が満額支給される。

 ▼当代随一の浄瑠璃語りと呼ばれた人間国宝の竹本住大夫さんの昨年4月の引退公演が約3万人の大入りになった。秋には文化勲章を受章した。マスコミに取り上げられることも多く、軽妙洒脱(しゃだつ)に芸一筋の人生を語って文楽への関心を高めた。今風に言えば優良コンテンツだった。

 ▼来年度から補助金が廃止される。住大夫さんが引き寄せた初めての観客をどうリピーターにするかが課題だ。谷崎潤一郎は文楽を「真の郷土芸術」と書いた。「(大阪人は文楽に)自分たちの環境や生活感情に近いもののあるのを覚え、いいしれぬなつかしさを感じるのであろう」。ならば期待できる。

1971名無しさん:2015/01/25(日) 09:49:00 ID:4120W8ow0
運引き寄せろ「ヨーイヨイ」 難波八阪神社「綱引神事」
2015年1月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150119/20150119018.html

 大阪市指定無形民俗文化財「綱引(つなひき)神事」が18日、同市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で盛大に執り行われた。氏子衆が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱で豪快に綱引きを繰り広げ、新年の開運を祈願した。

同神社の祭神で、オロチ退治の故事で知られるスサノオノミコトの遺徳を仰ぎ、年頭に地域繁栄を祈願する伝統行事。

 同神事保存会(竹立威三雄会長)の氏子衆が早朝から参集し、108本の細縄を幾重にもより合わせてオロチの大綱(全長約22メートル、太さ約30センチ)を制作。完成後に約80人の奉仕者が二手に分かれて綱引きを繰り広げ、「難波の綱引きヨーイヨイ」の掛け声を響かせてにぎやかに氏地を練り歩いた。

 会長の竹立さん(84)は若い奉仕者に大綱作りの要領を熱心に伝授。「後世に伝承することがわれわれの重要な務め。奉仕者が一致団結し、毎年大綱の出来栄えが立派になっていることをうれしく思う」と話していた。

 同神事は2001年度に大阪市指定として第1号の無形民俗文化財となった。

1972名無しさん:2015/01/25(日) 13:33:29 ID:TDn4gTi60
“うそ鳥”に招福託す 大阪天満宮で「うそ替神事」
2015年1月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150125/20150125026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で24日、祭神・菅原道真公の今年最初の縁日「初天神」宵宮祭が盛大に執り行われた。快晴の下、参拝者約1200人が伝統行事「うそ替(かえ)神事」に参加するなど境内は終日にぎわった。

同神事は、平素のうそを道真公の愛鳥「うそ鳥」に託し、罪をほろぼして招福を祈願する初天神恒例の行事。「正直の神」としての天神信仰から生まれたとされる。

 本社前では参拝者同士が、事前に配られたうそ鳥のお守り入り封筒を交換。神職やみこも加わり、「うそを誠に替えましょう」「替えましょう」と声を掛け合いながら、約20分にわたり延々と交換し続けた。

 封筒の中には金、銀、木製などのお守りが当たる印があり、このうち1個しかない「金うそ」を授与されたのは奈良県の中学3年、永井智大君(15)。高校受験の合格祈願で初めて訪れ「御利益がありそう。とても自信が付いた」と笑顔で話していた。

 25日は初天神梅花祭。うそ替神事は午後1時から。福餅(福玉)まきは午前11時、午後4時の2回行われる。参加無料。

1973名無しさん:2015/01/26(月) 21:10:39 ID:IADD6q460
大阪天満宮で初天神梅花祭 飛び交う“福”つかむ
2015年1月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150126/20150126024.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、今年初めての縁日「初天神梅花祭」が執り行われ、境内で著名人やプロ野球選手、氏子総代らによる恒例の「福玉まき」でにぎわった。

祭神である菅原道真の縁日(25日)にちなんだ神事。午前はプロ野球、阪神タイガースOBで野球評論家の赤星憲広さんら50人が社殿から餅に見立てた白球をまき、境内をぎっしりと埋めた参拝者からは「当たった!」「赤星さーん!」などと歓声が上がった。つかんだボールは福餅や景品と交換できるとあって、“福”をつかもうと懸命に手を伸ばしていた。

 台湾から観光に訪れたという黄※玲さん(29)は福玉を見事にキャッチ。「インターネットで調べて来た。今年一年幸せになりそう」と喜んでいた。

 午後からは阪神の岩崎優選手らによる福玉まきや「うそ替(かえ)神事」、本殿通り抜け参拝などが順次行われ、受験生ら多くの参拝者であふれた。

 ※は王ヘンに宛

1974名無しさん:2015/01/28(水) 00:15:15 ID:Rd7Ymqbs0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150127/4861721.html
江戸時代の天文学展
01月27日 07時06分

江戸時代に急速に発展したとされる天文学にまつわる当時の資料を集めた展示会が、大阪で開かれています。
江戸時代は外国の進んだ天文学の知識が浸透し、日本の天文学も急速に発展したとされ、大阪・北区の大阪市立科学館には、当時の資料38点が集められています。
このうち、天体の姿を絵と文章で解説した1749年の「三際図説」という書物は、望遠鏡を使った天体スケッチとしては国内で最古とされています。
土星や金星が描かれていますが、望遠鏡の性能が悪かったため、土星の周りには輪ではなく羽根のような形が描かれ、添えられた文章は「星に耳がついているようだ」と表現しています。
また、日本に持ち込まれたフランスの書物と、大阪出身の天文学者、高橋至時が手がけた翻訳本も紹介されています。
大阪市立科学館の嘉数次人主任学芸員は、「江戸時代の人たちが星をどう見ていたのか、多くの人に感じ取ってもらいたい」と話していました。
この展示会は3月1日まで開かれています。
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1975名無しさん:2015/02/01(日) 09:46:20 ID:Ds2Ry.e60
江戸時代の測量道具を展示
01月31日 12時24分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150131/3528681.html

測量技術が発展したとされる江戸時代の測量の道具を紹介する特別展が、大阪市の大阪歴史博物館で開かれています。
特別展は、大阪・中央区の大阪歴史博物館で開かれ、江戸時代の測量の道具約10点が展示されています。このうち、L字の形をした曲尺とコンパスは、角度や長さなどを測るもので、城下町の水路や建屋の設計などに使われたとされています。
江戸時代後期の天秤は、入れ物に、「極印」という、幕府が認めたことを意味する印が押されていて、幕府が、はかりの基準を全国で統一するため、検定を行っていたことを示しています。
大阪歴史博物館の木土博成学芸員は、「はかるための様々な道具から当時の人たちの生活と測量のつながりを感じ取ってもらいたい」と話していました。
この特別展は、3月23日まで開かれています。

1976名無しさん:2015/02/01(日) 09:58:52 ID:Ds2Ry.e60
5世紀巨大古墳に蓋形木製品 堺、埋葬や祭祀用か
2015年1月30日 20:38
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150130/20150130110.html

 反正天皇の墓との説がある堺市北区の陵墓参考地「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、全長約300メートル)の周濠から、蓋(きぬがさ)形木製品の飾り部分が見つかり、堺市文化財課が30日、発表した。

蓋は身分の高い人物にかざす傘。蓋形木製品の傘部分は応神天皇の墓とされる誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)などで見つかっているが、飾り部分が見つかるのは珍しい。埋葬や祭祀で使ったとみられ、文化財課は「巨大古墳が造られた当初の様子を探る重要な史料」と話している。

 飾り部分は長さ79センチ、幅14センチ、厚さ1センチで切り込みや透かしもあった。

1977名無しさん:2015/02/01(日) 10:25:07 ID:Ds2Ry.e60
文楽の入場者数が過去3番目
02月01日 07時45分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150201/5086901.html

大阪の「国立文楽劇場」で今年度、上演された人形浄瑠璃「文楽」の入場者数が、30年前の開場以来、3番目に多くなり、1回の公演あたりではこれまでで最も多くなったことが分かりました。
大阪・中央区の「国立文楽劇場」によりますと、今年度行われた文楽の公演の有料入場者数はあわせておよそ11万7000人で、30年前の昭和59年に開場して以来、3番目に多く、1回の公演あたりではおよそ550人と最も多くなりました。
国立文楽劇場は、去年4月に、人間国宝の語り手、竹本住大夫さんの引退公演が行われたほか、夏休みの時期には子ども連れの人たちが楽しめるよう、分かりやすい演目を取り入れた公演を行ったことなどが影響したとみています。
文楽をめぐっては、大阪市が昨年度から、補助金の一部を入場者数に応じて支給することにしましたが、今年度は好調だったため、満額が支給されることになっています。国立文楽劇場は、今後も工夫を凝らした公演を行い、多くの人に楽しんでもらいたいとしています。
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1978名無しさん:2015/02/01(日) 13:33:51 ID:30MrQk1A0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150201/5093721.html
飛鳥時代の荷札か 木簡発見
02月01日 12時51分

大阪の中心部にある「難波宮跡」の近くで、飛鳥時代に荷札として使われたとみられる木の札、木簡が見つかりました。
当時の税の仕組みを物語る資料として注目されています。
大阪文化財研究所が去年6月、「難波宮跡」から南に70メートルほどの場所で発掘調査を行ったところ、▼長さ15センチ余り▼幅3センチ余りの木の札、木簡が見つかりました。
表には墨で「玉作五十戸俵」と漢字で書かれています。
専門家が分析したところ、「五十戸」という部分は、7世紀中頃の飛鳥時代の行政単位を示していて、また、「玉作」という地名は、今の四国や東北地方にあったということです。
このため、この木簡は、地方から都にコメを税として送った際の荷札の可能性が高いということです。
同じような書き方をした木簡は、奈良県の飛鳥地方や藤原宮跡を中心に60点ほど見つかっていますが、難波宮跡の近くで見つかったのは初めてです。
古代史に詳しい大阪歴史博物館の栄原永遠男館長は「難波宮に都が置かれていた時期も、税の制度が機能していたことを物語る貴重な資料だ」と話しています。
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1979名無しさん:2015/02/01(日) 14:05:29 ID:30MrQk1A0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150127/20150127025.html
貴重な文化財後世に 四天王寺で消防総合訓練
2015年1月27日

 「文化財防火デー」の26日、大阪市消防局(打明茂樹局長)は、同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で消防総合訓練を行った。消防職員をはじめ同寺僧侶、職員など約70人が参加。「貴重な文化財を後世に」の思いを新たに、防火意識と消防技術の向上に努めた。

文化財防火デーは1949年1月26日、奈良・法隆寺の金堂壁画焼損を契機とし、55年に国が定めた。

 訓練は境内中心伽藍(がらん)・五重塔の火災を想定。同寺の自衛消防隊が迅速に参詣者の避難誘導や文化財に見立てた収蔵品搬出などを行った。また同局の消防部隊が模擬負傷者を救助、搬送したほか、はしご車などで一斉放水した。

 同寺は建物など大小100点を超える文化財を保有。あいさつした瀧藤尊淳執事長は「文化財は先人が苦労して残した人類の宝であり、後世に引き継ぐことが今を生きるわれわれの使命。寺院と防災機関、地域の方々が協力し、防火防災に取り組んでいきたい」と決意を述べた。

1980名無しさん:2015/02/01(日) 14:07:49 ID:30MrQk1A0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150129/20150129026.html
歴史的資料 守れ! 服部天神宮で消防訓練
2015年1月29日

 文化財防火デー(26日)にちなみ、足の神様として知られる大阪府豊中市服部元町1丁目の服部天神宮で豊中南消防署による消防訓練があった。職員らが市指定文化財である「算額」の持ち出しや初期消火などに取り組んだ。

境内の駐輪場から出火したとの想定で訓練がスタート。煙を目撃した職員が「火事だ」と別の職員に伝え、算額に見立てた箱の持ち出しや消火器による初期消火をした。その後同タンク車1台とポンプ車1台が到着し、消火活動に当たった。

 参加した同神社職員の福岡宣幸さん(44)は「算額以外にも多くの歴史的資料を所蔵しているので、訓練を重ねて火災に備えたい」と話した。

 算額は、江戸後期と明治初期に奉納された代数や微積分の問題と解法を記したもので、近世の庶民文化を伝える文化財。

 市内では、26日までに社寺13カ所で消防訓練を実施した。

1981名無しさん:2015/02/08(日) 04:39:22 ID:0BThCWB20
大阪キタで若手が文楽公演 民放5局が初めて共催
2015年2月6日 20:43
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150206/20150206131.html

 人形浄瑠璃文楽の魅力を広くPRする文楽公演「うめだ文楽」が6日、JR大阪駅北側のグランフロント大阪内の劇場「ナレッジシアター」で始まった。

 在阪の民放テレビ局5局が初めて手を組んで主催する若手中心の公演。繁華街・キタでの上演とあって客席には若者の姿も目立ち、大阪が育んだ伝統芸能に熱心に見入った。

 演目は、目の不自由な夫と献身的に支える妻が互いを思い合う姿を描く世話物「壺坂観音霊験記」の沢市内より山の段。人形遣いの吉田幸助さん(48)、太夫の豊竹希大夫さん(36)ら、20〜40代の技芸員が出演するのが特徴だ。

1982名無しさん:2015/02/08(日) 20:04:48 ID:nAIkI8dE0
大阪キタでなく大阪梅田と書けよ。

1983名無しさん:2015/02/08(日) 20:06:47 ID:nAIkI8dE0
うめだではなく梅田。ひらがな嫌い。

1984名無しさん:2015/02/09(月) 00:02:41 ID:4pA.d1f.0
春を呼び、福授かる 堂島薬師堂節分お水汲み
2015年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150204/20150204028.html

 節分の日の3日、大阪市北区の堂島薬師堂周辺で、早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲み祭り」があり、鬼追いや龍の巡行が盛大に繰り広げられた。参拝客は1年の厄を払い、福を授かった。

 「お水汲み」では、参拝者一人一人の竹筒護符に、奈良薬師寺の僧侶が祈祷(きとう)したお香水をくみ清めた。僧侶や鬼、福男らでつくる鬼追い隊は、堂島北新地の飲食店や企業を回り、従業員や客が鬼に福豆を投げて厄を払った。

 堂島薬師堂内に祭られている弁財天の化身とされる龍の巡行では、鬼追い隊、お化けに仮装した北新地の女性が参加。夜の通りを舞いながら清めると興奮は最高潮に達し、一帯は歓声と笑顔に包まれた。

 同祭りは地元で長年続いた「節分祭」と薬師堂の「お水汲み祭り」の両行事を統合し、ことしで12回目。

1985名無しさん:2015/02/09(月) 00:03:41 ID:4pA.d1f.0
大阪天満宮で針供養
02月08日 12時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150208/4796421.html

使い古した針を柔らかいこんにゃくに刺して、これまでの労をねぎらう針供養が、大阪天満宮でおこなわれました。
大阪・北区の大阪天満宮では、大阪の裁縫業者や和裁教室などでつくる組合が、毎年2月8日に針供養をおこなっています。奈良時代、中国の唐から裁縫技術を日本に持ち帰ったとされる吉備真備を祭ったほこらの前に、組合の関係者など約20人が集まり、針に感謝する神事がおこなわれました。
このあと、使い古したり、曲がったりした針を持ち寄った人たちが、たて20センチ、横50センチの大きなこんにゃくに次々と針を刺しました。硬い布などに通し続けた針を、柔らかいこんにゃくに刺すことによって、これまでの労をねぎらうとともに、裁縫技術の上達を願おうと、境内では1000人近くが列を作っていました。
奈良県から訪れた和裁の仕事をしているという女性は、「『1年間おつかれさまでした』という思いを込めて針をこんにゃくに刺してきました」と話していました。

1986名無しさん:2015/02/14(土) 21:31:29 ID:Q5CqhPm.0
神戸の国宝銅鐸、鋳型と一致 大阪・東奈良遺跡で製作か
2015年2月11日 19:47
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150211/20150211079.html

 1964年に神戸市で見つかった「桜ケ丘12号銅鐸」(弥生時代中期、国宝)と、大阪府茨木市の東奈良遺跡で出土した「第1号流水文銅鐸鋳型」(重要文化財)の大きさや形状がほぼ一致することが11日、銅鐸を所蔵する神戸市立博物館への取材で分かった。

博物館の橋詰清孝学芸員によると、12号銅鐸のレプリカを製作、東奈良遺跡の鋳型のレプリカにはめ込むと一致した。青銅器製作の一大拠点とされる東奈良遺跡で作られた可能性があり、銅鐸の流通を解明する手掛かりとして注目されそうだ。

 12号鐸は高さ31センチ、重さ約2・6キロ。鋳型に彫られた銅鐸の型はほぼ同じ。

1987名無しさん:2015/02/15(日) 10:34:49 ID:5aYTlbQo0
高山右近と妻 生誕地に石像
2015年02月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150214-OYTNT50019.html

◇没後400年 豊能町民ら5月建立

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近(1552〜1615年)の没後400年を記念して、生誕地の豊能町の住民らが、5月に右近と妻・ユスタの石像を建立する計画を進めている。町ではほかにも、右近の足跡をたどる史跡巡りなど様々なイベントの開催が予定されており、町民らは「町おこしにつなげたい」と張り切っている。(神谷次郎)

 右近は、同町高山地区の生まれで、父の影響で少年期に洗礼を受け、織田信長や豊臣秀吉に仕えた。高槻や明石(兵庫)の領主となり、黒田官兵衛ら多くの大名をキリスト教に導くなどしたが、1587年の「バテレン追放令」で領地を没収され、1614年にマニラに追放され、翌年、現地で亡くなった。信仰を貫いた殉教者として、日本カトリック司教協議会は、ローマ法王庁に右近をカトリックで「聖人」に次ぐ「福者」に認定するよう申請しており、年内にも認められる公算が大きいという。

 石像の建立は、ユスタも同町出身であることから、自治会や町観光ボランティアガイドの会などが「2人の生誕地に目に見える証しを残したい。ここだけにしかないものを」と昨年4月に実行委員会を発足させて、取り組みを進めてきた。

 現在、等身大のものを地元の御影石を使って制作中で、廃校となった高山小跡地に建て、5月に除幕式を行う。費用は約500万円で、実行委が住民や企業などから寄付を集めている。

 町内ではこのほか、10月に右近に関する講座やクイズ大会のほか、右近が茶人としても名高いことから茶会も開催する予定。右近やユスタ役を公募し、仮装行列を行う計画もある。

 一方、町は昨年11月に、右近の生涯や魅力を伝えるシンポジウムを開催。町観光協会も、没後400年をPRするのぼり約300本を町内に立てて、ムードを盛り上げている。

 実行委の甲田廣行会長(79)は「右近がこの地に生まれたことを知ってもらい、多くの人が町を訪れ、活性化につながればうれしい」と話している。

◆バチカン大使ら石碑の前で祈り

 町には今月4日、ジョセフ・チェノットゥ駐日バチカン大使のほか、日本国内のカトリックの大司教ら約10人が訪問した。

 前日に神戸市で開催された没後400年を記念したミサに参加した有志らが「ぜひ右近の生誕地を見てみたい」と希望したためで、田中龍一町長が「みなさまと歩調を合わせて顕彰事業を進めたい」とあいさつ。一行は右近の生誕地にある石碑の前で、祈りをささげた。

2015年02月14日

1988名無しさん:2015/02/15(日) 15:43:52 ID:5aYTlbQo0
僧侶転読に息災祈る 四天王寺で「初庚申」
2015年2月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150213/20150213031.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)の庚申(こうしん)堂で12日、市指定無形民俗文化財の伝統行事「庚申まいり」のうち今年最初の「初庚申」が始まった。朝から多くの参詣者が荘厳な堂内で無病息災などを祈願している。

えとの組み合わせで約60日ごとに巡る「庚(かのえ)」「申(さる)」の日にちなむ信仰行事。四天王寺南大門から南約200メートルに位置する庚申堂は日本の庚申信仰の発祥地と伝わり、本尊に除災無病の霊験あらたかと伝わる青面(しょうめん)金剛童子を祭っている。

 この日は、同寺僧侶が全600巻の大般若経を順次頭上に広げて速読する「大般若転読祈祷(きとう)会」が執り行われた。転読で起こる風が災いを退けて福を招くとされることから、参詣者は真剣な面持ちで手を合わせ僧侶の所作を見守った。

 毎年夫婦で訪れている女性(69)=堺市北区=は「健康と安全を祈願した。元気なうちは通い続けたい」と話していた。

 13日の本庚申は午後2時から「柴燈(さいとう)大護摩供」が執り行われる。

1989名無しさん:2015/02/15(日) 17:25:31 ID:5aYTlbQo0
優雅な花姿に感嘆 大阪天満宮「盆梅と盆石展」
2015年2月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150214/20150214036.html

 大阪市北区の大阪天満宮で13日、てんま天神梅まつりが始まった。境内の参集殿では梅の高齢樹など約50点を集めた「盆梅と盆石展」が開かれ、趣ある枝や花姿が拝観者の目を楽しませている。3月15日まで。

祭神の菅原道真公が梅をめでたことにちなんで毎年開かれ、書院造り百畳敷きの会場には樹齢約300年の大和野梅や同80〜100年の八重野梅がずらり。小輪が古木の枝先を優雅に彩る姿に、人々からは「すごい」「きれい」の声が上がった。

 日本一の梅林で知られる和歌山県みなべ町で出土した「瓜渓石(うりだにいし)」の盆石も展示され、注目を集めている。

1990名無しさん:2015/02/19(木) 04:23:51 ID:.Ep5OaHg0
「大阪相撲れきはく場所」展
02月18日 15時12分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150218/4854451.html

大阪で古くから行われている相撲の歴史を知ってもらおうと、江戸時代から昭和にかけての力士の絵や番付表などを集めた展示会が、大阪・中央区の大阪歴史博物館で18日から始まりました。
この展示会は、3月8日から大阪で大相撲春場所が行われるのにあわせて開かれ、江戸時代から昭和にかけての大阪の相撲にまつわる資料などおよそ60点が集められています。
大阪では江戸時代から相撲の興行が行われ、「古今相撲大全」という江戸時代の書物には、当時の大阪の力士が腕を大きく振って歩く姿が描かれています。
また、昭和の初めに69連勝を果たした横綱、双葉山の土俵入りを見ようと大阪の国技館に大勢の人が詰めかけた様子を収めた写真や、大阪の銭湯の屋根に飾られていた双葉山をイメージした形の鬼瓦などが展示され、当時の相撲人気を伺うことができます。
大阪歴史博物館の飯田直樹学芸員は「春場所にあわせて、大阪の相撲の歴史を感じ取ってもらいたい」と話しています。
この展示会は、3月30日まで開かれています。
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1991名無しさん:2015/02/24(火) 20:56:31 ID:aTcDP6ZU0
「上方落語若手噺家グランプリ」を開催へ
2015年2月24日
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01502240036.html
 上方落語協会会長の桂文枝(71)が24日、大阪市北区の定席寄席小屋、天満天神繁昌亭で、今春に協会所属落語家のトーナメント「上方落語 若手噺家 グランプリ」を開くと発表した。今年から10年連続開催を目指す。

 会長職に就き、悲願の上方定席(繁昌亭)を開き、自らは師匠の名跡を襲名。文枝にとって、次の悲願は後進の育成だった。

 「先日も(ラッスンゴレライでブレークした)8.6秒バズーカーと共演しましたが、類い稀な才能があり、どうも最近は若い人の才能があちら(漫才、コント)へ流れている」と危惧。未来の落語スターを発掘しようと思案してきた。

 そんなおり、上方芸能の支援を目的としたアーツサポート関西へ、500万円の寄付金が届いた。文枝が三枝時代から親交のあるアートコーポレーションが若手落語家育成を支援しようとしたもので、これを機に、今グランプリの創設が決まった。

 すでに入門6年目〜15年目までの協会所属落語家に希望を募り、31人の参戦を決定。4月7、14、16、22日に繁昌亭で予選を行い、6月に本選を行う。本戦の審査員には在阪テレビ各局のプロデューサー、ディレクターらが入り、大賞(賞金20万円)1人、奨励賞(同5万円)1人を選出する。

 文枝は入門1年足らずだった67年、MBSラジオ「ヤングタウン」に抜てき。駆け出しながら頭角を現し、タレント活動のかたわら、240本を超える創作ネタを生み出すなど、今なお第一線で走り続ける。

 「今の若い人にもチャンスを作ってあげたい」と言い、審査員にはテレビ局関係者を選んだ。タレントの原石を発見し、レギュラーに採用してもらいたい考えもある。

 「私たちのときのように、落語家にもまずはチャンスが与えられるようになれば。おもしろいと思ったらリポーターでも使ってもらいたい。ただし、その後の未来は本人の努力次第」と話す。

 協会内に賞レースを設けて活性化をはかるとともに、自らが歩んできたように、ワンチャンスを確実に物にし、スターへの道を駆け上がる形を作るねらいもある。

 また、6月に予定される本選について「今年は放送はないですけども、来年はM-1やR-1のようにテレビや、ラジオでも中継、もしくは深夜でもいいので、そういった形を思い描いています」とし、将来的にはテレビ、ラジオでの本選中継も望んでいる

1992名無しさん:2015/02/28(土) 20:05:28 ID:7pzVWyhk0
大阪大空襲画集、3月に出版…元看板職人の男性
2015年02月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150228-OYO1T50008.html?from=oycont_top_txt

火の粉が飛び交う中、逃げ惑う人々の姿、忘れることのできない恐怖――。大阪市平野区の元看板職人、矢野博さん(77)が自宅を失った第1次(1945年3月13〜14日)の大阪大空襲の様子や、戦時中の生活を描いた画集をちょうど70年がたつ来月13日に出版する。「今でも夜、飛行機の音を耳にすると炎の中を走り回った日を思い出す。7歳の目で見た体験を残しておきたい」と4年がかりで鮮明な漫画風の絵に仕上げた。

 「あの日、あの時 国民学校一年生の記憶」と題した画集はB5判126ページ。空襲での体験を中心に「変わってしまった学校生活」などをテーマに描いた。

 矢野さんは大阪・日本橋近くで3人兄弟の末っ子として育った。45年3月13日、当時は国民学校1年生。父と長兄は徴用で留守の深夜、空襲警報が鳴り、母と次兄と3人で近所の防空壕(ごう)に走り込んだ。

 米軍の爆撃機B29が落とした焼夷(しょうい)弾の音が壕内に響き、やがて煙が入ってきた。外に出ると周囲は火の海。3人で300メートル北東にあった百貨店を目指したが、炎に行く手を遮られた。

 どこを走ったかわからず、浪速区の鉄道の高架下でひと息つき、自宅から直線で2キロほどだった天王寺区の親戚宅に着いたのは、14日の夜明け前だった。

 絵には必死の形相で逃げる子供たち、おぶわれたお年寄り、リヤカーに乗せられた病人らが描かれ、<焼夷弾は雨のように降り注ぎ、一面炎が舞っていた。ただただ走るしかなかった><みんなパニックで目は恐怖で見開き、何処(どこ)へ行けばいいのかわからず右往左往する人が大勢いた>などと記した。家族は無事だったが、自宅は全焼、街は一晩で消えた。

 終戦の5年後、母をがんで亡くした。生活の苦しさやさみしさを埋めてくれたのは貸本屋で借りた手塚治虫の漫画。自分も漫画を描くようになり、中学卒業後には映画の看板の絵などを手がける職人に。59年に大阪で看板業者として独立、2005年まで営んだ。

 空襲の様子を取り上げるようになったのは5年前。「絵に残せばいつか孫娘が見てくれるだろう」との思いからだった。「戦争当時の写真はどんよりした白黒ばかりだが、カラーの絵にすることで、『こんな出来事があったんだ』と現実のこととして、子どもたちにもわかってもらえるはず」と水彩絵の具と色鉛筆で描き込んだ。

 出版にあたって疎開先や学校のことなど詳細を確かめようと母校にも協力を求めてきた。「画集は母校の小中学校にも寄贈したい。空襲を伝えられる最後の世代の一人として、出来るだけのことをしておきたい」と話す。

 問い合わせは新風書房(06・6768・4600)へ。

大阪大空襲 1944年12月〜45年8月、大阪は約50回にわたって米軍機の攻撃を受けた。このうちB29爆撃機100機以上が来襲した8回を「大阪大空襲」と呼ぶ。大阪国際平和センター(大阪市)によると、第1次の被害が最も大きく、274機が1733トンの焼夷弾を投下。死者は約4000人、被災家屋は13万6000戸とされる。

2015年02月28日

1993名無しさん:2015/03/07(土) 23:48:21 ID:n9PF6uAY0
アカペラバトルフェス 四天王寺で過去最大規模
2015年3月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150305/20150305027.html

 「アカペラバトルフェスティバル」(実行委員会主催)が14日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で開かれる。1次選考を勝ち抜いた24組が、歴史ある寺院建築を背景に歌声を披露する。午後1時から。観覧無料。小雨決行。

周辺の阿倍野、天王寺エリアは2013年以降、鉄道会社や不動産会社が「アカペラタウン化計画」を展開。街中でコンサートを開き、学生や一般のグループの活動を後押ししている。

 フェスティバルは14年度の最終イベントとして、仁王門前に特設ステージを備えて過去最大規模で開催。上位2組は活動応援資金と、5月の「関西アカペラジャンボリー」への出場権が与えられる。

 歌手の相川七瀬さんをはじめ、関西を拠点に活動するアカペラグループもゲスト出演し、スペシャル共演も披露する。

 問い合わせは電話078(242)8617、実行委員会事務局。

1994名無しさん:2015/03/18(水) 20:18:17 ID:2WhEeRCw0
古墳や埴輪 手にとる歴史
2015年03月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150316-OYTNT50442.html

◇3Dプリンターで教材

 ◇藤井寺市 小学生向け 点字図書館にも

 「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に関連する古墳や埴輪(はにわ)などの模型を、藤井寺市が3Dプリンターで作製した。同市立小で教材に使うほか、視覚障害者のために府内の点字図書館にも寄贈する予定だ。

古墳群は堺、羽曳野、藤井寺3市にまたがり、府と3市が共同で世界文化遺産登録を目指している。

 藤井寺市では、2011年度から市立小6年の授業で、独自の教材「ふじいでらの世界遺産学習ノート 百舌鳥・古市古墳群」を使っている。

 視覚障害のある児童が新年度から6年生になるため、教材の点訳に協力している市内のボランティア団体から、「3Dプリンターで教材を作ってみては」との意見が出た。市が協力を呼びかけると昨年10月、市内の団体からプリンターが寄贈された。

 樹脂製の模型は、大きさが5〜10センチ程度。津堂城山古墳から出土した水鳥形埴輪(重要文化財)や重量物の運搬に使う木製のそり「修羅」など市に関連する模型のほか、鏡や前方後円墳など全部で23種類を用意した。

 市は、市や府立近つ飛鳥博物館が所有する埴輪のレプリカを専用の機器でデータ化。古墳の測量データなどを用いたり、インターネット上で無料公開されているデータを参考にしたりして作った。

 市世界遺産登録推進室の山田幸弘室長は「触れることができない発掘史料も多いなか、模型を手にとって具体的にイメージし、地域の歴史に理解を深めてほしい」と話している。

2015年03月17日

1995名無しさん:2015/03/18(水) 21:17:22 ID:2WhEeRCw0
文楽の移動舞台をお披露目 六本木での公演を前に
2015年3月18日 18:40
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150318/20150318106.html

 人形浄瑠璃文楽を気軽に体験してもらおうと、日本財団が新調した移動舞台が完成し、東京都港区の六本木ヒルズの屋外広場で18日、お披露目された。「にっぽん文楽」と題した公演を同地で19日から4日間開き、今秋には大阪、来年以降は年2回のペースで各地を巡る。

都心に出現したヒノキの舞台は幅約20メートル、高さ約7メートル。開放的な雰囲気の中、舞台開きに続いて招待客向けの公演があり、関係者らが大阪発祥の伝統芸能を楽しんだ。

 六本木ヒルズの「にっぽん文楽」ではお祝いの時の演目「二人三番叟」などを上演(雨天中止)。チケットは2千円(自由席)で、飲食しながら観劇できる。

1996名無しさん:2015/03/18(水) 22:24:11 ID:2WhEeRCw0
豊作と繁栄を願って 伝統儀式の「祈年祭」
2015年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150318/20150318031.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で17日、今年の五穀豊穣(ほうじょう)と産業の繁栄を祈る伝統儀式「祈年祭(きねんさい)」が執り行われた。快晴の空の下、境内南側に広がる御田(おんだ)でコメ作りに奉仕する御田講など多くの参列者が神前で豊作を祈願した。

同祭は「としごいのみまつり」とも称され、最も重要な大祭として斎行される。第一本宮では、祝詞奏上に続いて住吉大社の神楽女が神楽を奉納。文楽人形遣いの桐竹勘十郎さんらも参列し、人形とともに玉串をささげたほか、祝儀の曲として知られる「寿式三番叟(さんばそう)」を奉納。3人で操る人形の繊細な所作が披露されると、参列者や一般の参拝者から大きな拍手が送られた。

 御田講で講元を務める山本英夫さん(88)は「昨年は豊作だったので、今年も皆さんの協力を得て例年以上の実りに期待したい」と胸を張った。

 この日は祈年祭に先立ち、境内・種貸(たねかし)社で種をお払いする「神種頒賜祭(かんざねはんしさい)」が厳かに執り行われた。

1997名無しさん:2015/03/18(水) 22:28:35 ID:2WhEeRCw0
四天王寺で春季彼岸会 18日から24日まで
2015年3月17日

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で18〜24日に春の彼岸「春季彼岸会(え)」が執り行われる。諸堂で先祖供養の法要が行われるほか、広い境内に骨董(こっとう)品や飲食など多彩な露店が軒を連ね、例年多くの参詣者でにぎわう。

中日の21日(春分の日)は、午後5時25分から伝統行事「日想観」を厳修。夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環で、かつて弘法大師もこの地で修行したと伝わる。春、秋の彼岸の中日にのみ、境内真西の「石鳥居(いしのとりい)」中央に夕日が沈みゆく中、同寺僧侶の読経がなされる。

 問い合わせは電話06(6771)0066。

1998名無しさん:2015/03/19(木) 20:52:06 ID:F4UIz15U0
暖かな日 先祖に手 四天王寺「経木流し」
2015年3月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150319/20150319038.html

 彼岸の入りの18日、大阪府内各地で軒並み今年最高の気温を観測した。大阪市は4月下旬並みの21・4度まで上がり、市内の霊園や寺院は朝から多くの人々が訪れ、ぽかぽか陽気の中で先祖に手を合わせた。

天王寺区の和宗総本山四天王寺では春季彼岸会が始まった。参詣者は先祖の戒名を記した経木を清水に流す「経木流し」に列をなし、極楽往生を祈念。地元の女性(71)は「『暑さ寒さも彼岸まで』の通り、暖かな日に供養できました」と話した。

 彼岸の中日の21日には落日に極楽浄土を思う「日想観法要」を厳修。同寺は24日までの期間中に約15万人の人出を見込んでいる。

1999名無しさん:2015/03/19(木) 23:26:56 ID:YzRv3Sa20
訃報:桂米朝さん89歳=上方落語復興の立役者 人間国宝
毎日新聞 2015年03月19日 
http://mainichi.jp/gougai/news/20150319urgitr090001000c.html
 戦後の上方落語復興の立役者で、落語家として初めて文化勲章を受章した人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため亡くなった。89歳だった。合同葬儀は25日午前11時、大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館。喪主は長男で落語家の桂米団治(中川明=あきら)さん。

 1925年、中国・大連生まれ。大東文化大在学中に落語評論家の故正岡容(いるる)氏に入門した。だが、演じ手が少なくなり、存亡の機にあった上方落語界の現状を見て、評論家としての道には進まず、自ら演じ手になろうと決意。47年、四代目桂米団治に入門した。

 古典を現代にマッチさせるため、細部に工夫を凝らした“米朝落語”は「わかりやすい」と定評があり、幅広い層の人気を集めた。一代で大きくした米朝の名で生涯を通した。

2000名無しさん:2015/03/19(木) 23:33:09 ID:YzRv3Sa20
桂米朝さん死去 上方落語界の重鎮 89歳
時計2015/3/19 22:57
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007835871.shtml
 上方落語界の重鎮で人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう=本名・中川清)さんが19日午後7時41分、肺炎のため、死去した。89歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は尼崎市武庫之荘5の9の14。通夜は24日午後6時から、合同葬は25日午前11時から、いずれも吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。

 米朝さんは1925(大正14)年、旧満州で生まれ、父親の実家がある姫路市で育った。旧制姫路中学(現姫路西高校)卒業後、大東文化学院(現大東文化大学)に入学、在学中から寄席や演芸の研究に取り組んだ。復員後の47(昭和22)年、4代目桂米団治に入門し、3代目米朝を襲名した。

 入門後間もなく「高津の富」で初高座。精力的に寄席や落語会を開き、戦後、消滅寸前だった上方落語の復興に中心的な役割を果たした。故笑福亭松鶴(6代目)、故桂文枝(5代目)、桂春団治(3代目)とともに「上方落語の四天王」と称された。

 ラジオやテレビ番組の司会を務めるなど、多方面で活躍。落語ファンの開拓に努めた。後進育成にも尽力し、故・桂枝雀さん、桂ざこばさんら弟子は22人、孫、ひ孫弟子まで含めると一門は60人以上に上る。

 古典の発掘にも取り組み、「百年目」「地獄八景亡者戯」など、埋もれていた数十のネタを再び世に出した。また米朝落語全集の出版や、ビデオ全集を出すなど、落語の文字化、映像化の先駆者としても知られる。著書に「上方落語ノート」「落語と私」など。

 96年4月、胆管結石で入院したが、復帰後、柳家小さん氏に次いで、落語界では2人目となる重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。このほか芸術祭優秀賞(69、70年)、神戸新聞平和賞(92年)などを受賞。87年に紫綬褒章、2002年に文化功労者。

 06年8月と08年5月に転倒して背骨を折るなどしたが回復。同年10月には長男が5代目桂米団治を襲名した。
本格派の語りでファン魅了 桂米朝さん死去
2015/3/19 23:01
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007835893.shtml
 理知的な語り口で名人芸ともいえる落語を披露し続けてきた桂米朝さんが19日、89歳で他界した。上方落語界を背負って約60年、かつて消滅の危機にひんしていた上方落語界はその尽力もあり、今や200人以上の落語家を抱える大所帯に。上方落語界がかつてないほどの隆盛期を迎えている中、最大の功労者は惜しまれつつ、生の高座から静かに降りた。

 父に連れられて小学生のころから寄席に通い、演芸好きに。旧制姫路中学を経て、現在の大東文化大学に進学。大学に籍を置きつつ、作家で演芸演芸評論家の故・正岡容氏の元でも学んだ。

 落語家への転機は戦後間もなく。上方では落語家が相次いで亡くなり、10人にも満たないほどだった。惨状を憂慮した正岡氏の「上方落語の中興の祖たれ」との言葉で、大学を中退、落語家へ転じた。

 上方落語復興への思いは、弟子への指導を激しいものにした。「芸は師匠と弟子の対決。厳しくなかったら、上達なんて絶対にありません」と言ってはばからなかった。基本に忠実なけいこは言葉づかい、アクセント、目線など細かいところにまでおよび、よく弟子を泣かせた。高座から下がる弟子に向かって、すれ違いざまに言う寸評は「米朝の袈裟懸け」と恐れられた。

 だが、いつも人を笑わせるサービス精神にあふれていた。人間国宝の認定を受けた際には「国宝と言われても、つぼや絵なら息子も売れますが、私は売れないし、扱いが難しうなると、息子はぼやいてるんやないかと思うんです」とちゃめっ気たっぷりにコメントした。

 晩年は「もうぼけてきて、噺をすっとばしたり、エピソードが前後に入れ替わったり」とこぼしていたが、豊富な知識に裏付けされた本格派の語り口は、ファンを魅了してやまなかった。

2001名無しさん:2015/03/20(金) 04:13:29 ID:J1E93mR20
【桂米朝さん死去】
「何ちゅうええ空間や…」後進うならせた落語家の理想形
http://www.sankei.com/west/news/150319/wst1503190089-n1.html

5年前の秋、文化勲章受章を記念したDVD発売会見でのこと。桂米朝さんは車いすで登壇したが、質問に的確に答えられる状態にはなかった。

 高座姿の米朝さんを見たのは平成14年、旧サンケイホール(大阪市北区)閉館前の独演会での「厄払い」が最後。でなければ、遡(さかのぼ)ること約30年。一門伝統の京都・安井金比羅宮の勉強会での凛とした姿だ。「老い」に凌駕(りょうが)されつつある大看板に、内心ショックでいっぱいだった。

 5年ほど前だったか、ラジオ局ではこんなこともあった。司会者が差し入れた大阪の十三・喜八洲(きやす)総本舗のまんじゅうを、米朝さんはほおばっていた。「私ね、甘辛ですねん。ここのまんじゅうに目がおまへんのや」。その振る舞いは希代の落語家ではなく、ごく普通の好々爺のそれだった。

 一門でも、晩年の米朝さんが表舞台に出ることに反対する人がいたと聞く。だが、米團治さんは「本人が『引退したくない』と言ったんです。ならば、素のままを見ていただこうと」。

 ある時、米朝さんが舞台に現れるだけで、会場全体がえもいえない心地よい“空気”に満たされることに気づいた。居合わせた笑福亭鶴瓶さんもこうつぶやいた。「何ちゅうええ空間や…」

 その時の感覚を、私は早世した筆頭弟子の枝雀さんが生前、理想とした高座姿に重ね合わせた。「こちらが黙ってニコッとしているだけで、お客さんも機嫌よくニコッとする。そんなんがよろしいなぁ」

 極めた者だけが醸し出す存在感。少なくとも最晩年の米朝さんは、愛してやまなかった筆頭弟子が語る落語家としての理想形を、本能的に体現していたと信じてやまない。(豊田昌継)


「関西人として誇りに思っていた」ファンや市民、惜しむ声
http://www.sankei.com/west/news/150320/wst1503200009-n1.html

「関西人の誇り」「神様のような人だった」。上方落語の大御所桂米朝さんの死去に、大阪のファンや市民からは19日夜、惜しむ声が上がった。

 大阪府池田市で居酒屋「ちりとてちん」を営み、アマチュアの落語大会で優勝したこともある南野三千世さん(53)は、米朝落語全集を教科書代わりに勉強した。突然の訃報に「えっ」と驚き「十数年前に高座を聞いたこともある。神様のような人だったと思います」。

 会社から帰宅途中だった同府寝屋川市の会社員持留多聞さん(39)は「一般人でも知っているような重鎮だった。関西人として誇りに思っていた」と残念がった。「見るからに威厳があり、若い人の見本になっていた。今後、米朝さんのような落語家が出てくるかは分からない」とも話した。

2002名無しさん:2015/03/20(金) 04:19:21 ID:J1E93mR20
古墳群で推薦書原案まとまる
03月19日 21時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150319/3075041.html

再来年の世界文化遺産への登録を目指す、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」について、大阪府と、堺市など地元の3つの市は、文化的な価値などを記した推薦書の原案をまとめました。
堺市、羽曳野市、藤井寺市には、4世紀から6世紀にかけて200を超える古墳が築かれたとされ、大阪府と地元の3つ自治体は、61の古墳について再来年の世界文化遺産への登録を目指しています。
19日、大阪府の小西副知事や地元の3市長が出席して会合が開かれ、文化的な価値などを記した推薦書の原案をまとめました。
原案では、古墳群には、仁徳天皇陵とされる古墳など世界でも最大級の王の墓があり、古代国家の形成過程を示す巨大モニュメントとして世界遺産にふさわしいとしています。
また、2年前に推薦が見送られた際には、保全管理の体制が不十分とされたことから、代表的な古墳の周辺を景観地区に指定して、建物の高さを規制することなどを盛り込んでいます。この原案は、今月27日までに文化庁に提出されます。
国内には、他にも3か所で世界遺産を目指す動きがあり、文化庁の審議会がことしの夏までにどの候補地をユネスコに推薦するか、絞り込むことになっています。
大阪府の小西副知事は、「前回は、準備不足を指摘されたが、今回は推薦を勝ち取れる内容に仕上がった」と話しています。
..

2003名無しさん:2015/03/22(日) 00:37:56 ID:TVJTby2U0
米朝さん登場の「地獄八景」熱演 米団治さん、父ゆかりの演目
2015年3月20日 19:39
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150320/20150320122.html

 上方落語家で人間国宝の桂米朝さんの死去から一夜明けた20日、長男桂米団治さん(56)は大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演、噺の中に米朝さんを登場させるなど熱のこもった高座をやり遂げ、観客を沸かせた。

 約50人のファンらが詰め掛けた寄席に、米団治さんは黒紋付き姿で現れ、噺のまくらで、米朝さんが亡くなった経緯を説明、「本当に大往生。さすが人間国宝」と笑わせた。その後「やっぱりこれかなと思って」と、古い噺を米朝さんが再構成した代表演目「地獄八景亡者戯」の前半を演じた。


米朝さん、僧侶転身の勧めに「落語修業もまともにでけへんのに無理でっせ」 ざこばさんが高座で思い出披露
http://www.sankei.com/west/news/150321/wst1503210054-n1.html

19日に亡くなった落語家、桂米朝さんのまな弟子、桂ざこばさん(67)が21日、大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演し、米朝さんを悼んで、出会いや修業時代の思い出を約50分にわたり披露した。

 師匠の没後初の高座となったこの日は、ざこばさんの弟子、桂塩鯛さん(60)の還暦記念連続落語会の初日にゲスト出演。約60人を前に落語のネタはやらず、米朝さんとの思い出を語った。

 ざこばさんは、中学時代に米朝さんの舞台を見たその場で弟子入りを志願。米朝さんと兄弟子の桂枝雀さんの前で、一度しか聞いたことのない「浮世床」を語り、大笑いされたという。また、薬師寺元管主の高田好胤氏に僧侶への転身を勧められたが、米朝さんが高田氏に「落語修業もまともにでけへんのに無理でっせ」と断った-などと数々のエピソードを披露し、客席から笑いが起きた。

2004名無しさん:2015/03/22(日) 00:40:50 ID:TVJTby2U0
「落語の神様のよう」…文枝さんら米朝さん悼む
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150321-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

上方落語界を支えて来た、人間国宝の落語家、桂米朝さんが89歳で亡くなり、一夜明けた20日、上方落語協会会長の桂文枝さん(71)が取材に応じた。仕事先の兵庫県・淡路島のホテル前に現れた文枝さんは、「落語の神様のような存在。もっともっとお話をしたかった」と涙ぐんだ。

 20歳の時に、米朝さんの口演を聴いて落語にほれたという文枝さん。「私は顔も普通だし、どうすれば笑いを取れるのか分からない」と相談すると、米朝さんは「顔だけで10分も笑わせることはできへんやろ。やっぱり噺(はなし)が大事やで」と諭してくれたという。

 一方、米朝さんの長男の桂米団治さん(56)は20日午前の記者会見を終えた後、午後には大阪市内の寄席「動楽亭」に予定通り出演。米朝さんの十八番「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を、普段と変わらぬ明るさで披露した。

 冥土旅行を楽しむ面々が、冥土の寄席に出演している米朝さんを見にいく場面があり、顔の表情と声色を父親そっくりに演じながら、桂枝雀、桂吉朝ら亡くなった一門の落語家について語り出すと、約50人の観客から拍手が湧き上がった。

 米朝さんと歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)は、1963年、雑誌「上方風流」の創刊にかかわった。藤十郎さんは「米朝さんも私も、まだまだ若手の頃で、茂山千之丞さんや藤山寛美さんをはじめ、ジャンルの違う人たちが集まって、これからの上方芸能をよくするためにはどうすればいいか、皆で朝まで話し合ったものでした」と振り返った。

2015年03月21日

2005名無しさん:2015/03/22(日) 00:54:12 ID:TVJTby2U0
桂米朝さん「落語の原点それでええ」
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150321-OYTNT50022.html?from=oytop_ymag

◇笑福亭鶴笑さん、独自の芸 後押し感謝

 上方落語の復興に力を尽くし、日本を代表する落語家として活躍した人間国宝の桂米朝さんが89歳で亡くなって一夜明けた20日も、多くの落語家やファンらが重鎮の死を悼んだ。

 上方落語の定席(じょうせき)、天満天神繁昌亭(大阪市北区)。寄席に出演するため訪れた笑福亭鶴笑さん(55)は「あの言葉がなかったら、今も続けられていたかどうか」と振り返った。

 25年前、人形を使って創作や古典を演じる「パペット落語」を始めた。周囲から「落語ではない」と批判され悩んでいた時、米朝さんから「おまはんがやっていることは、落語の原点なんや。それでええんやで」と声をかけられた。上方落語は元々、屋外で通りすがりの人を相手にしており、気を引くために道具を使っていたという。

 パペット落語は昨年末、落語家の芸としては初めて、厚生労働省の児童福祉文化財に選ばれた。「自分は桂一門ではなかったのに背中を押してくれた。感謝しきれない」と語った。

 繁昌亭近くの喫茶店「喫茶ケルン」店主の井上和彦さん(70)は、「ついにこの時が来たか、と残念だ」とうつむいた。

 米朝さん本人が訪れたことはなかったが、長男の米団治さんや、ざこばさんら桂一門が「楽屋代わり」に店を利用しているという。

 店内の壁には、米朝さんが、その芸風を思わせる丁寧な筆致で「一期一会」と記した色紙が掲げられている。約3年前、弟子を通じて贈られたものだ。

 井上さんは「お弟子さんたちには、遺志を継ぎ、再び人間国宝が出るよう頑張ってもらいたい」と話した。

 50年来の付き合いという人形浄瑠璃文楽の人間国宝、竹本住大夫さん(90)は、「お互い『べいちゃん』『すみさん』と呼び合う仲で、よく2人で酒を飲んだ」と懐かしんだ。「米朝さんは酒が強くて楽しい酒で、必ず芸の話になった。(浄瑠璃の)義太夫も落語も、人情を伝える芸。通じるところがあるので、話が合った」と語り、「最大の友達で仲間で、同志だった人が居なくなってしまった。寂しい」と言葉を詰まらせた。

2015年03月21日

2006名無しさん:2015/03/22(日) 17:55:02 ID:UyPivy/o0
米朝さんの遺業しのぶ…TV各社が追悼番組
2015年03月22日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150322-OYO1T50005.html?from=oycont_top_txt

上方演芸界を代表する落語家、桂米朝さんが19日に死去したのを受け、読売テレビ(大阪市中央区)は21日、弟子の桂ざこばさん(67)や長男の桂米団治さん(56)らが出演する追悼番組を収録した。

 収録が行われたのは、22日午後0時35分から約1時間放送する「桂米朝追悼番組〜笑うて 遺した らくごの世界」。ざこばさん、米団治さんのほかに、孫弟子の桂吉弥さん(44)、漫才師のハイヒール・リンゴさん(53)らが、生前の米朝さんの姿や桂歌丸さん、俳優の近藤正臣さんらのインタビューを撮った映像を見ながら、足跡を振り返った。

 リンゴさんは「漫才と落語はジャンルが違うのに、私に合わせて話をしてくださった」と言い、吉弥さんは「落語のうまい下手ではなく、(品性の)悪いやつだけにはなるなと言われてました」と思い出していた。

 他の放送局も追悼番組を相次いで放送する。毎日放送は23日午前1時からの特別番組で、米朝さんの代表作「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を流す。NHKは22日午前7時45分からと28日午前4時半から、関西テレビは4月12日午後4時から放送を予定。ラジオでは、ABCラジオがきょう22日午前5時からと同9時からの落語番組内で、米朝さんの落語を紹介する。

2015年03月22日

2007名無しさん:2015/03/22(日) 18:10:27 ID:UyPivy/o0
住大夫さんに「卒業証書」
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150321-OYTNT50027.html

◇空襲で焼失 近大レプリカ贈る

 人形浄瑠璃文楽太夫(義太夫語り)の人間国宝、竹本住大夫さん(90)が20日、母校の近畿大学(東大阪市)の卒業式に出席し、空襲で焼失した卒業証書のレプリカを塩崎均学長から授与された。

 住大夫さんは1944年、近畿大の母体の大阪専門学校を卒業。しかし、翌45年3月の大阪大空襲で、大阪市内の自宅で保管していた卒業証書が焼失したという。昨年、近畿大関係者が経緯を聞き、進呈が決まった。

 卒業証書のあて名は、本名の「岸本欣一」。住大夫さんは「出来の悪い学生やったのに、こんなんしてもろて。胸が熱くなりました」と語った。

2015年03月21日

2008名無しさん:2015/03/22(日) 18:14:18 ID:UyPivy/o0
地域の寄席で桂米朝さんしのぶ
03月21日 19時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150321/3366161.html

今月19日に亡くなった上方落語の第一人者、桂米朝さんをしのび、大阪・阿倍野区で長年開かれている落語会では、21日、弟子たちが米朝さんの思い出を語り、ファンが別れを惜しみました。
大阪・阿倍野区の地元の人たちが40年余り前から開いている落語会、「田辺寄席」では、亡くなった桂米朝さんの一門を中心とした5人の落語家が1席ずつ演じました。
このうち、米朝さんの弟子の桂米二さんは、食べることが大好きだった米朝さんとともに長野県に出かけた際、米朝さんが朝の5時半から、弟子が寝ているホテルの部屋をまわってケーキを食べるよう勧めてきたエピソードをユーモラスに語り、笑いを誘っていました。
幕あいには、訪れた100人余りの落語ファンが米朝さんの思い出を語り、死を悼んでいました。10年近く通っているという64歳の男性は、「若い頃からずっと、米朝さんの落語の音源を集めてきました。生きるためのヒントを教えてくれたのが落語で、米朝さんが亡くなり、悲しさと空虚さを感じます」と話していました。

2009名無しさん:2015/03/24(火) 22:29:13 ID:6C.lxnOE0
桂米朝さんの通夜祭 大阪・吹田
3月24日 21時14分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150324/k10010026561000.html

今月19日に亡くなった上方落語の第一人者、桂米朝さんの通夜祭が、24日夜、大阪・吹田市で営まれました。
桂米朝さんは、戦後上演されなくなっていた古典落語の演目を復活させるとともに、端正な語り口でみずから演じ、いわゆる人間国宝に認定されたほか、古典落語の分野で初めて文化勲章を受章しました。
米朝さんの通夜祭は、24日午後6時から大阪・吹田市の斎場で営まれ、祭壇の中央には穏やかな笑顔の遺影が飾られました。
笑福亭仁鶴さんや月亭八方さんなど上方落語の関係者のほか、親交のあった人たち、それに落語ファンなど、合わせておよそ1200人が参列しました。
この中で、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんは「米朝師匠からは大勢の人との和を大切にすることなど、人間としての育ち方を教わりました。恩人です」と話していました。
また、人形浄瑠璃「文楽」の語り手で人間国宝の竹本住大夫さんは、「50年来のおつきあいで、共に苦労してきました。酒を飲んでも最後は芸の話になりました。天国から多くの弟子を見守り、これからの上方芸能をしった激励してほしい」と述べました。
このあと参列者は祭壇に玉串をささげ、死を悼みました。
告別式は25日午前11時から、同じ大阪・吹田市の斎場で営まれます。 .

悼む声 相次ぐ

参列した西川きよしさんは「ベテラン、新人関係なく、分からないことは何でも教えてくれて、芸能界のお父さんのようでした。どうぞお父さん、向こうでも楽しくやってください」と話していました。
喜劇俳優の大村崑さんは「上方芸能を引っ張ってくれた機関車が逝ってしまったので、ショックの大きさは計り知れません。頑張らないかんと思うのですが、今までは、こういう時にいつも立ち上がらせてくれたのが米朝さんでした」と振り返りました。
また、落語家の桂小枝さんは「まだ、亡くなったという実感がありません。ほとんどの落語家は米朝さんがいなければ、はなし家にはなっていません。今までありがとうございました。師匠が残してくれた財産をしっかり守っていきます」と話していました。

2010名無しさん:2015/03/24(火) 22:32:44 ID:6C.lxnOE0
「知識の宝庫。それでいておちゃめ。改めてすごい人…」 桂米朝さん通夜に各界著名人やファン続々、別れ惜しむ 
http://www.sankei.com/west/news/150324/wst1503240060-n1.html

19日に89歳で亡くなった落語界初の文化勲章受章者で人間国宝、桂米朝さんの通夜が24日、大阪府吹田市の千里会館で営まれた。「上方落語四天王」の一人、桂春團治さん(84)や文楽太夫の竹本住大夫さん(90)、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)ら芸能界をはじめ各界著名人のほか、数多くの一般ファンが参列。戦後の上方文化最大の功労者の死を悼んだ。

 白い花で飾られた祭壇には、文化勲章や人間国宝の認定証、平成17年11月に撮影された着物姿の遺影が飾られた。通夜は神式で執り行われ、神主による祭詞の後、喪主を務める長男の桂米團治さん(56)らが玉ぐしをささげ、別れを告げた。

 参列者へのあいさつに立った米團治さんは「弟子が固まって戦っても太刀打ちできない知識の宝庫。それでいておちゃめ。改めてすごい人だと思いました」と述べた。

 この日は一般の参列も受け入れ、別れを惜しむ多くのファンらが会場を訪れた。葬儀は25日午前11時から同所で行われる。

2011名無しさん:2015/03/25(水) 00:33:50 ID:6C.lxnOE0
稽古の成就を祈願、豪快に「昇神之儀」 住吉大社
2015年3月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150323/20150323022.html

 大相撲春場所が千秋楽を迎えた22日、立浪部屋が場所中に部屋を構えた大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で、場所中を含め約1カ月間迎えた神様を天へと送る神事「昇神之儀」が執り行われた。力士衆が無事への感謝を込め、稽古の成就を祈願した。

住吉大社によると、大社には「横綱」の語源となる逸話が残るなど相撲とは縁が深い。立浪部屋は2007年から春場所中、境内に部屋を構えている。

 境内の土俵前では地元住民など多くのファンが見守る中、神職が「稽古に精進され、一つでも番付を上げて大阪に帰ってきていただきたい」とあいさつ。一同の大阪締めに続き、力士衆が「エイエイオー」の掛け声で神職を豪快に持ち上げて儀式を締めくくった。

 近くに実家があり、家族連れで初めて見学したという茨木市の会社員、石川悟さん(34)は「娘がお相撲さんに興味を持ってくれた。連れてきてよかった」と喜んでいた。

2012名無しさん:2015/03/25(水) 00:41:00 ID:6C.lxnOE0
読んで聴いて米朝の話芸…書籍やDVDなど人気
2015年03月24日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150324-OYO1T50032.html?from=oycont_top_txt

19日に亡くなった落語家、桂米朝さんの関連書籍やDVDなどの販売が伸びている。落語全集や高座の映像、音源を通して、至高の話芸に触れようというファンが絶えない。

 演芸関係の品ぞろえが豊富なジュンク堂書店千日前店(大阪市中央区)は死去した翌日に追悼コーナーを設置した。昨年完成した「米朝落語全集」の増補改訂版などを並べたが、手に取ってみる客が相次ぎ、スペースを拡大。現在は約30点をそろえた。森本浩平店長(40)は「これまでに30冊以上売れ、電話での問い合わせもあった」と驚く。大阪市北区の紀伊国屋書店梅田本店でも、落語の舞台を紹介した「米朝ばなし 上方落語地図」など、20冊以上が売れた。

 DVDやCDを発売しているユニバーサルミュージックによると、DVD「落語研究会 桂米朝全集」などの注文が相次いでいるという。


2015年03月24日

2013名無しさん:2015/03/26(木) 09:49:06 ID:c3AiAYoQ0
米朝さんは我らの誇り…告別式に弟子・ファンら
2015年03月25日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150325-OYO1T50022.html?from=oycont_top_txt

19日に89歳で亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さんの告別式が25日、大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれた。喪主を務めた米朝さんの長男、桂米団治さん(56)のほか、桂ざこばさん(67)ら米朝一門の弟子たちが黒紋付き姿で参列者を迎える中、多くのファンが訪れ、不世出の名人との別れを惜しんだ。

 式には、落語協会会長の柳亭市馬さんを始め、上岡龍太郎さん、春風亭小朝さん、井戸敏三・兵庫県知事、近藤正臣さん、松尾貴史さん、茂山宗彦さん、茂山逸平さんらが参列。一般の弔問客を含め約1500人が訪れた。天皇陛下の弔意も届けられた。

 上方落語協会会長の桂文枝さん(71)は弔辞を述べ、「繁昌亭に掲げられている、『楽』の字は師匠に書いていただきましたが、落語家は心からお客に楽しんでいただいてこそ、本物の落語家なんやと受け止めました」と振り返り、「師匠は風前のともしびだった落語を残してくださった。その血のにじむような努力を無駄にしないように、『楽』の字のもとで努力してまいります」と唇をかみしめた。人間国宝になり、文化勲章を落語家として初めて受章したことに触れ、「この偉業は我々上方落語家の誇りでございます」と心を込めてたたえた。

 一門の弟子たちもあいさつに立ち、相次いで師匠の思い出を語った。最古参の月亭可朝さん(77)は「よう私のようなムチャ者を育ててくれました。私は掃除も何もせず、キャバレーに行っていましたが、黙っててくれました。米朝師匠、あの世のほうが面白いと思います。(漫才師の)横山のやっさんもいるかもしれない。ゆっくりとお休みください」と感慨深げに語った。最後に米団治さんは「(米朝さんは)みんなのお父さんでした。今日は抜けるような青空です。たぶん高いところから見ていると思います。これからも米朝一門をよろしくお願い申しあげます」と締めくくった。

2015年03月25日


桂米朝さんの通夜に1200人 別れを惜しむ
2015年3月24日 21:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150324/20150324135.html

 上方落語の復興に尽力し、19日に89歳で死去した落語家で人間国宝の桂米朝さんの通夜が24日、大阪府吹田市で営まれた。歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)ら親交のあった芸能界の関係者やファンら約1200人が参列し、別れを惜しんだ。

 喪主を務めた長男で落語家の桂米団治さん(56)があいさつし、父であり師でもある米朝さんについて「すごい人でした。すごく知識がありました。そしてすごくおちゃめでした」とかみしめるように語った。

 続いて藤十郎さん、人形浄瑠璃文楽太夫の竹本住大夫さん(90)という伝統芸能の重鎮が盟友をしのんだ。

2014名無しさん:2015/03/27(金) 01:16:34 ID:dWxb3lvU0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150325/20150325020.html
暑さ寒さも… 四天王寺、蜂須賀桜が盛り
2015年3月25日

 春の彼岸明けの24日、近畿地方は冬型の気圧配置が続き、雲が広がる空模様となった。大阪管区気象台によると大阪市の日中の最高気温は10・3度と平年を4・6度も下回る2月中旬並みとなり、待望の桜(ソメイヨシノ)の開花がやや遠のいた。

大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺では「春季彼岸会(え)」の結願(けちがん)日法要や地蔵尊供が執り行われ、境内は朝から多くの参詣者や海外の観光客らでにぎわった。

 かつて世界最大の釣り鐘があった英霊堂の前ではカンザクラ系の「蜂須賀桜」が開花のピークに。遠目に紅梅を思わせる濃いピンクの小輪が咲き誇り、時折、風に花弁を散らしながら人々の目を楽しませた。阿倍野区から3人グループで訪れた女性(73)は「中日も暑いぐらいの天気で、いいお彼岸でした」と笑顔を浮かべた。

 同気象台によると桜の開花の平年値は3月28日。8割以上が咲く満開は4月5日となっている。

2015名無しさん:2015/03/29(日) 21:24:55 ID:dmzWAfps0
愛染まつり 未来へ 大阪市無形民俗文化財に指定
2015年3月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150329/20150329041.html

 大阪の夏祭りの幕開けを華やかに飾る、和宗総本山四天王寺支院・愛染堂勝鬘(しょうまん)院(大阪市天王寺区、山岡武明住職)の伝統行事「愛染(あいぜん)まつり」がこのほど、本年度の大阪市指定無形民俗文化財の指定を受けた。同院では前年度にも収蔵品が市指定文化財となり、2年続きの朗報に関係者一同が大喜び。「未来へ伝えたい」と伝統の重みを胸に、3カ月後に迫る祭りの準備に熱を込める。

同院の文化財は、豊臣秀吉再建で大阪市内最古の木造建造物として知られる「多宝塔」(国の重文、旧国宝)をはじめ、本堂(府指定文化財)、昨年市指定を受けた多宝塔本尊「木造大勝(だいしょう)金剛坐像」と合わせて計4件となった。

■歴史を刻む

 祭りは、本尊で良縁成就や愛嬌(あいきょう)、無病息災などの霊験あらたかな「愛染明王」の縁日にちなんだ行事。近松門左衛門の名作で人形浄瑠璃の演目で知られる「冥途の飛脚」や「心中刃は氷の朔日(ついたち)」などにも描かれている。初日恒例の「宝恵かごパレード」の原型である「宝恵駕籠(かご)行列」は、もともと大阪市内の芸妓(げいぎ)衆がかごに乗って境内へ参詣する風習で、文献史料的には「十日戎(えびす)」よりも先に行われていたとされる。

■温故知新

 長年の歴史の中には、伝統を守る一方で時代に合った変革にも挑んできた。近年では一般公募するイメージガール「愛染娘」が登場し、華やかな祭りの顔としてすっかり定着。また芸能上達の御利益もあることから、かつては地元で踊りを習う人々が「愛染おどり」を奉納していたが、現在は歌やダンスで祭りを盛り上げる一般公募の「愛染女組」に受け継がれている。

 パレードの主役となるかごも進化しており、隠れた部分にキャスターを装着、けん引できる“現代版”も登場。雰囲気を損なうことなく担ぎ手の負担を軽減し、限られた時間内に長距離の移動を可能にしている。

 祭りの世話人代表を務める池永純造さん(67)は「長年にわたって皆で盛り上げてきたので大変うれしい知らせ」と笑顔。山岡住職は「指定を受けたことでより広く認知されることに期待。伝統を未来につなげるためにも史料を再認識し、楽しいお祭りというだけではなく、歴史と信仰を大事にしていきたい」と喜びをかみしめている。祭りは6月30〜7月2日に開かれる。

2016名無しさん:2015/03/31(火) 23:01:07 ID:n1I7kM9.0
文楽人形遣い「二代目玉男」襲名 吉田玉女さん
2015年3月31日 12:51
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150331/20150331060.html

 4月の「二代目吉田玉男襲名披露公演」を前に、人形浄瑠璃文楽の人形遣い吉田玉女さん(61)が31日、師であった初代玉男さんの墓に襲名を報告し、生国魂神社(大阪市天王寺区)で公演の成功祈願をした。

墓参りを終えた玉女さんは「感無量の思いで師匠に報告しました。『頑張りや』と聞こえてくるような気がしました」と話した。

 「玉男」の名の復活は、人間国宝で多くのファンに愛された初代が2006年に亡くなって以来、8年半ぶり。玉女さんは1968年、初代玉男さんに入門。名人の下で長年、修業を積んだ。

2017名無しさん:2015/04/01(水) 21:01:36 ID:blNVTqc20
大坂の陣400年 華やか催し
2015年04月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150401-OYTNT50038.html?from=oytop_ymag

◇9月末まで 金箔の遊覧船・あんどん400個

大阪の歴史や文化をPRするイベント「大坂の陣400年天下一祭 夏の陣2015」が4月1日〜9月30日、大阪市中央区の大阪城公園で開かれる。府や大阪市、民間事業者でつくる実行委員会の主催で、昨年の「冬の陣2014」に続くイベントで、大坂城が陥落した「大坂夏の陣」から今年で400年となるのに合わせ、公園内で様々な催しが繰り広げられる。

 イベントでは4月中旬から、金箔(きんぱく)を貼った船で、城内の内濠(うちぼり)を遊覧しながら大阪城の歴史を学べる「天下一の黄金の和船 大阪城御座船」がスタート。1615年5月7日に大坂城が陥落し、戦乱の世が終わり、その後、大阪が発展したことにちなみ、5月7日の夜、本丸広場に400個のあんどんをともす「大阪城 天下泰平(たいへい)の灯」を開く。

 また、9月20〜23日には、観世流宗家の観世清和さんや、大阪能楽界の重鎮・大槻文蔵さんらによる公演「大阪城本丸薪能」も開催。7月〜8月には、西の丸庭園にお化け屋敷もオープンするほか、大阪城公園内を走る人力車も登場する。

 2015年は、道頓堀川開削400周年、天王寺動物園100周年など、大阪にとって節目のイベントが多い年で、実行委員会事務局は「各事業との相乗効果で、大阪を盛り上げたい」としている。

2015年04月01日

2018名無しさん:2015/04/01(水) 21:03:09 ID:blNVTqc20
難波京の朱雀大路か、側溝を確認 道幅は33メートル
2015年4月1日 11:34
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150401/20150401065.html

 大阪市にあった難波京のメーンストリート「朱雀大路」の側溝とみられる溝跡が同市中央区で見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。これまで見つかっていない難波京朱雀大路の一部の可能性がある。道幅は藤原京(奈良県橿原市、694〜710年)の約24メートルを上回り、推定約33メートルとみられるという。

京の中枢部に当たる難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年から造営した「後期」に分かれる。

 昨年の発掘調査で溝を発見。1993年に見つかった前期難波宮の朱雀門跡から南に約140メートルの地点。

2019名無しさん:2015/04/02(木) 18:34:34 ID:PmxbfUjY0
2015年4月6日(月)放送
“平凡な人間”こそ面白い 〜桂米朝さんが残したもの〜
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/index_yotei_3635.html

先月亡くなった人間国宝の落語家・桂米朝さん(89)。三味線や太鼓のお囃子が入り、笑いを貪欲に追求する上方落語を復活させた「上方落語中興の祖」と呼ばれる。自宅には今まで公開されなかった自筆の資料が膨大に残されている。終戦時、19歳だった米朝さんの日記には、焼け野原の大阪で行われていた文楽の公演を観て、上方文化の底力に「賛嘆」したと書かれ、「東西共存落語を書きぬく」と決意が記されている。昭和22年に桂米團治に入門、戦争の影響や漫才の隆盛によって衰退が激しかった上方落語を、古老を訪ねて聞き取りし復活に取り組んだ。面白い話を聞けば全て記録する“メモ魔”で、伝統の上方落語に時代に応じた新たなネタを加えて、多くのファンを魅了した。登場人物が小心者だったり、欲深かったり、酒好きだったり、、、「“平凡な人間”だけど、みなが助かり、世の中よくなる、という人が“落語国”にはたくさんいる」としていた米朝さん。残された肉声や、未公開のものを含む膨大な自筆資料をもとに、落語を通じて残そうとしたものに迫る。

2020名無しさん:2015/04/03(金) 04:11:02 ID:Wvxiq3ZQ0
難波京の朱雀大路か、側溝を確認 道幅は33メートル
http://news.livedoor.com/article/detail/9956626/

大阪市にあった難波京のメーンストリート「朱雀大路」の側溝とみられる溝跡が同市中央区で見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。これまで見つかっていない難波京朱雀大路の一部の可能性がある。道幅は藤原京(奈良県橿原市、694〜710年)の約24メートルを上回り、推定約33メートルとみられるという。

 京の中枢部に当たる難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年から造営した「後期」に分かれる。

 昨年の発掘調査で溝を発見。1993年に見つかった前期難波宮の朱雀門跡から南に約140メートルの地点。

2021名無しさん:2015/04/04(土) 20:07:19 ID:.MP.3pLc0
二代目吉田玉男さん襲名披露公演始まる
2015年04月04日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150404-OYO1T50021.html?from=oycont_top_txt

人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女改め二代目吉田玉男さん(61)の襲名披露となる4月文楽公演が4日、国立文楽劇場(大阪市中央区)で始まった。

 口上では、緊張した面持ちの玉男さんと太夫の豊竹嶋大夫さん(83)、人形遣いの桐竹勘十郎さん(62)らが並び、文楽三味線の人間国宝、鶴澤寛治さん(86)が「先代の元で一生懸命修業し、立派になられ、さぞかし亡き師匠も喜んでいられると思います。将来の文楽を担ってくれることを期待しています」とあいさつした。

 初代は立役(男役)で活躍した人間国宝で、2006年に87歳で死去。玉男さんは1968年に初代に入門し、存在感のある立役として活躍している。

 公演は26日まで(15日は休演)。玉男さんは「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の師匠の当たり役、熊谷次郎直実などを勤める。

2015年04月04日

2022名無しさん:2015/04/05(日) 09:43:58 ID:BGEOr9gg0
二代目玉男襲名披露始まる 初代の当たり役で登場
2015年4月4日 13:02
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150404/20150404045.html

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い二代目吉田玉男さん(61)の襲名披露公演が4日、大阪市中央区の国立文楽劇場で始まった。「玉男」の名の復活は、人間国宝で文楽界を代表する人形遣いだった初代が亡くなって以来、8年半ぶり。

「口上」では、公演の中軸となる太夫と三味線、人形遣いが登場。三味線の人間国宝鶴沢寛治さん(86)は「師匠に勝るとも劣らぬ立派な人形遣いになられ、将来の文楽を担ってくれることを期待しています」と述べた。続く「一谷嫩軍記」で、二代目玉男さんが初代も当たり役とした悲劇の主人公、熊谷直実を遣うなど、華やかな襲名披露公演になった。

2023名無しさん:2015/04/07(火) 18:40:29 ID:u4Ex5cK20
「幸村の謎」展 連日にぎわう なんばマルイ
2015年4月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150406/20150406015.html

 “日本一の兵(つわもの)”とうたわれ、大坂の陣で活躍した武将、真田幸村の企画展「真田幸村の謎」が、大阪市中央区の商業施設「なんばマルイ」の2階特設会場で開かれている。根強い人気を誇る幸村だけに連日、来場者でにぎわっている。26日まで。

会場内には、絵巻作家の正子公也さんが描いた幸村ら武将の大型作品と、「幸村の本名は」「幸村は関ケ原でなぜ西軍に味方したのか」など幸村に関するエピソードをパネルで展示。来場者は、入り口で渡された「5つの謎」と書かれた紙を手にパネルを見ながら問題を解いていた。

 真田幸村は来年のNHKの大河ドラマにも決定。大阪市西区の男性(35)は「自分は大阪の人間なので、幸村は豊臣家を守ってくれた英雄のイメージ」と語っていた。

 企画展は、大阪にゆかりの戦国武将を紹介する「戦国武将列伝フェア」の第1弾。幸村にちなんだオリジナルグルメとグッズの販売、等身大パネルを置いた撮影スポットも設置している。

2024名無しさん:2015/04/16(木) 21:52:03 ID:Mq9yPwJ.0
大阪城の石捨て場か 豊臣、徳川時代の破片
2015年4月15日 18:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150415/20150415101.html

 大阪城(大阪市中央区)の西側で豊臣期の堀跡などが見つかり、大阪府文化財センターが15日、発表した。堀跡付近では、石垣に使えず廃棄された石(長さ0・6〜1・5メートル)など38点以上が出土。石捨て場とみられ、豊臣期や徳川期の石もあった。

うち4点には墨で丸に線を引いたマークや扇形のような印が記されていた。石工らが管理用に記した可能性があるという。

 堀跡は1991年度から調査を実施。今回新たに見つかったのは、幅18メートル、長さ11メートル、深さ2・6メートルで、堀を埋め立てた土からは金箔を張った瓦や陶磁器も見つかった。

2025名無しさん:2015/04/18(土) 04:15:00 ID:hPUaIHUw0
落語家の故桂米朝氏に従三位 政府が閣議で決定
2015年4月17日 8:59
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150417/20150417023.html

 政府は17日の閣議で、3月19日に89歳で死去した人間国宝で文化勲章受章者の落語家桂米朝(本名中川清)氏に従三位を贈ることを決めた。

2026名無しさん:2015/04/19(日) 20:42:49 ID:bVu/8Q020
特別展「大坂」開幕 大阪城跡出土瓦など展示
2015年04月18日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150418-OYO1T50041.html?from=oycont_top_txt

大坂夏の陣400年にちなんだ特別展「大坂―考古学が語る近世都市―」(読売新聞社など主催)が18日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開幕した=写真=。発掘調査で出土した遺物約200件が並び、近世大坂の歴史と文化、生活、産業を知ることができる。大坂城跡から出土した「方形桐文(きりもん)金箔(きんぱく)瓦」や、「黒織部茶碗(くろおりべちゃわん)」などに来場者が見入っていた。火曜(5月5日は開館)と5月7日休館。6月8日まで。入館料は大人600円、高校・大学生400円。

2015年04月18日

2027名無しさん:2015/04/21(火) 08:42:19 ID:L6BvP.dg0
藤棚 優雅に 福島区で「のだふじ」が開花時季
2015年4月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150418/20150418037.html

 大阪市福島区で、区の花「のだふじ」が開花時季を迎えた。関係者の努力の積み重ねによって公園、神社、学校など各地の藤棚で優雅に咲き連なり、人々に晩春の訪れを告げている。

福島区の野田地区は古来「吉野の桜」などと並び称される藤の名所で、豊臣秀吉も藤の見物に訪れたと伝わる。現在は63カ所に171基の藤棚があり、このうち「藤の宮」の別名がある春日神社周辺では五分咲きに。薄紫色の房が花の波を演出している。

 ボランティアで手入れに尽力する「のだふじの会」事務局長の藤三郎さん(75)は「今季は順調に開花。区内の藤棚を巡って花を堪能してもらいたい」と話している。

 開花状況は場所によって異なり、春日神社周辺では来週いっぱい楽しめる見込み。

2028名無しさん:2015/04/22(水) 21:20:47 ID:eKrZkGco0
四天王寺で「聖霊会」
04月22日 19時07分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150422/3816541.html

大阪の四天王寺で、聖徳太子をしのぶ大規模な法要、「聖霊会」が行われ、大勢の人が訪れました。
大阪・天王寺区にある四天王寺は聖徳太子が建てたと伝えられることから命日とされる4月22日に、毎年「聖霊会」と呼ばれる法要を行っています。
法要は午後0時半から始まり、僧侶や寺の関係者ら約100人が列を作り、笛や太鼓を吹き鳴らしながら境内を練り歩きました。
このあと、国の重要文化財の「石舞台」で、長方形の布に丸や三角で人の顔をかたどった面をつけて踊る独特の舞、「蘇利古」など約1400年の歴史を引き継ぐとされる舞楽が次々と奉納されました。
四天王寺によりますと境内には約2000人が訪れたということで、兵庫県尼崎市の男性は「厳かで、見ていて心がスッキリとあらわれます。貴重なものが見られて良かったです。」と話していました。
また、アメリカのカリフォルニアから来た男性は「音楽がとてもいいです。平和で穏やかな気持ちになります」と話していました。

2029名無しさん:2015/04/22(水) 22:05:01 ID:eKrZkGco0
古墳群 展示室新設し公開へ
04月22日 06時31分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150422/4064061.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市が古墳や埴輪などの出土品を集めた展示室を新たに設置し、5月から一般に公開することになりました。
この展示室は、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市が、市役所の敷地内に設置しました。
展示室は広さがおよそ80平方メートルで、「百舌鳥・古市古墳群」のうち羽曳野市内の古墳から出土した埴輪などおよそ100点が展示されています。
また展示室につながる通路からは古墳群の1つである向墓山古墳を間近に見ることができます。
羽曳野市教育委員会の井原稔課長補佐は「この施設をきっかけにして、羽曳野市などが世界遺産への登録を目指す百舌鳥・古市古墳群についてより多くの人に関心を持ってもらいたい」と話していました。
展示室は、5月7日から一般に公開されます。

2030名無しさん:2015/04/22(水) 22:23:53 ID:eKrZkGco0
僧侶「絵解き」が好評 四天王寺絵堂特別御開扉
2015年4月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150421/20150421024.html

 聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)で、太子の偉業を描いた壁画がある境内・絵堂の特別御開扉「飛鳥から未来へ」が開かれている。僧侶による解説「絵解き」や記念品授与もあり、多くの参詣者から好評を得ている。拝観無料。30日まで。

絵堂内には7面で構成する「聖徳太子絵伝」(杉本健吉氏作)を奉納。特別御開扉は2022年に迎える年忌法要「聖徳太子御聖忌(ごせいき)1400年」に向けた取り組みの一環で昨春から実施している。

 注目の記念品はポストカードで、「聖徳太子孝養半跏(はんか)像」(白鳳〜室町)「童子と遊ぶ太子」(鎌倉)「蘇我・物部の合戦」(同)と、同寺所蔵の文化財をデザインした3種類を用意。入堂した参詣者全員に1枚配布され、封筒入りで絵柄が分からない点も楽しみの一つとなっている。

 絵解き担当の僧侶の数も以前よりも増えており、同寺参詣課の山岡武明課長は「仏教徒としてもレベルアップを図る機会。さらに多くの方に太子の偉業を知っていただきたい」と話している。

 午前8時半〜午後4時半。絵解きは連日午後1時、同3時の2回。

2031名無しさん:2015/04/25(土) 20:48:26 ID:dXaVnBx.0
みやびな舞 太子慰霊 四天王寺で大法要
2015年4月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150423/20150423022.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で22日、開祖・聖徳太子の命日にちなんだ「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が盛大に執り行われた。初夏の日差しの中、太子慰霊の法要と舞楽が繰り広げられ、参詣者を魅了した。

同法要は国の重要無形文化財に指定されており、四天王寺の年中行事のうち重要かつ最大規模。住吉大社、厳島神社とともに「日本三舞台」と称される境内・石舞台では僧侶による声明(しょうみょう)に続いて、天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)の舞人、楽人がみやびやかな舞楽の数々を奉納した。

 朝鮮半島伝来で太子の目覚めを慰める供養舞とされる「蘇利古(そりこ)」や、王朝時代の武官の正装をした舞人による「春庭花(しゅんていか)」などが舞台上で披露され、周囲に集まった人々が歴史絵巻を思わせる光景に見入っていた。

2032名無しさん:2015/04/26(日) 20:17:32 ID:Lp2ugnhw0
みやび境内に響く 大阪天満宮で「鎮花祭」
2015年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150426/20150426025.html

 大阪市北区の大阪天満宮で25日、「鎮花祭(ちんかさい)」が執り行われた。快晴の下、雅楽や神楽などの奉納があり、初夏の伝統行事をみやびやかに飾った。

同祭は「はなしずめのまつり」とも呼ばれ、疫病の流行する季節の変わり目に花に乗って散り広がる精霊を鎮めて心身の健康を祈願する。

 雅楽奉納では神職らが笙(しょう)や篳篥(ひちりき)などを演奏し、「賀殿急(かでんのきゅう)」「胡飲酒破(こんじゅのは)」の2曲を境内いっぱいに響かせた。

 このほか同宮の神職とみこが神楽を、関西雅楽松風会が舞楽をそれぞれ奉納。いずれも繊細で息の合った所作と優美な装束が相まって、多くの参拝者を魅了した。

2033名無しさん:2015/04/26(日) 20:32:05 ID:Lp2ugnhw0
三代目「桂花団治」襲名 70年ぶりの名跡復活祝う
http://www.sankei.com/west/news/150426/wst1504260047-n1.html

上方落語の桂蝶六改め三代目桂花団治さん(52)の襲名披露公演が26日、大阪府池田市の市民文化会館で行われ、桂福団治さん(74)や桂文枝さん(71)らが70年ぶりの名跡復活を祝った。

 「花団治」は、二代目が歌手や俳優もこなすなど多彩な才能を誇ったが、昭和20年の大阪空襲で亡くなった。襲名した三代目は大阪府豊中市出身。古典落語のほか狂言にも精通し、将来が期待されている。

 口上では、一門を代表して福団治さんが「上方落語にまた新しい花が咲きました。よろしくお願いします」とあいさつ。桂ざこばさん(67)は「大阪の名前がまた一つ復活できてうれしい。どっしり、そして明るい名前、応援してあげてください」と激励。花団治さんは「これからも精進してまいります」と神妙に語った。

2034名無しさん:2015/05/01(金) 20:53:26 ID:GQ7PWjh.0
「卑弥呼展」開幕…大阪・弥生文化博物館
2015年05月01日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150501-OYO1T50017.html?from=oycont_top_txt

古代史最大の謎、邪馬台国の女王の新たな実像に迫る春季特別展「卑弥呼―女王創出の現象学―」(読売新聞社など主催)が1日、大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で始まった。卑弥呼にまつわる鏡など約300点が並ぶ。7月5日まで。

 「卑弥呼と出会う博物館」として同館が3月、大規模刷新したのを記念して開催。「魏志倭(わ)人伝」に登場する伊都(いと)国の王墓とされる福岡県糸島市・平原(ひらばる)方形周溝墓の超大型内行花文鏡(国宝、直径46・3センチ)、「卑弥呼の鏡」候補の一つ、神戸市・西求女塚(にしもとめづか)古墳の画文帯神獣鏡(重文)などが並ぶ。

 月曜(4日は開館)と7日休館。問い合わせは同博物館(0725・46・2162)。

2015年05月01日

2035名無しさん:2015/05/03(日) 01:55:41 ID:ag9OrMUw0
荘厳の世界 大念佛寺「万部おねり」
2015年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150502/20150502027.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺で1日、伝統行事の「万部(まんぶ)おねり」(市指定無形民俗文化財)が始まった。文字通りの五月晴れの下、菩薩(ぼさつ)が現世から極楽浄土へ向かう来迎の光景を再現。多くの参詣者が荘厳な儀式に見入っている。7日まで。

 同寺の数多い年中行事のうち最大規模を誇る。今年は開宗900年記念に加えて、第46世上人で江戸時代の宗門再興に尽力した大通上人の300回御遠忌(おんき)という節目の大法要として執り行われる。

 本堂沿いの特設回廊では諸講元ら奉仕者の行列に続いて、きらびやかな面と装束の観世音菩薩や普賢菩薩など二十五菩薩が順次登場。また大法要にあたり特別に地蔵菩薩も厳かにお練りを繰り広げ、極楽浄土に見立てた本堂へ入堂した。

 期間中は声明コンサートや郷土芸能といった奉納行事も行われる。お練りは連日午後1時から。

2036名無しさん:2015/05/03(日) 09:08:28 ID:DlWd16nY0
桂文珍さんら磨き抜かれた話芸披露 上方落語名人会
http://www.sankei.com/west/news/150502/wst1505020076-n1.html

産経新聞社が昭和39年に上方芸能の振興を目指して創設した「上方落語名人会」(産経新聞社など主催、上方落語協会提供、大阪製紙、近鉄タクシー協賛)が2日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれた。

 52回目となる今回は、1月の新進落語家競演会で新人賞を受賞した桂二乗さんがトップバッターを務め、桂春蝶さん、桂文三さん、桂文之助さんが続いた。

 中入り後は、笑福亭枝鶴さん、トリは桂文珍さんが「憧れのホーム」を披露し、会場を大いに沸かせていた。

 上方落語名人会は、新進芸術家の育成を目指し39年から続いている総合芸術祭「なにわ芸術祭」の演目の一つとして定着。若手、中堅、大御所それぞれの魅力が楽しめる落語会として人気を博している。

 今年も日本舞踊、落語、クラシック音楽、ジャズ、洋舞の5部門で新人賞を選出し、7月17日には各受賞者が一堂に会して演目を披露する「受賞者記念公演&表彰式」が同ホールで開催されることになっている。

2037名無しさん:2015/05/03(日) 19:51:23 ID:ZS0bIma.0
道明寺合戦から400年
05月03日 12時33分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150503/4216441.html

「大坂夏の陣」からことしで400年を迎えるのにあわせて、激戦が繰り広げられた大阪・藤井寺市で3日、武者行列が行われました。
「大坂夏の陣」の「道明寺の戦い」が行われた大阪・藤井寺市にある道明寺天満宮に、かっちゅうや華やかな着物を身にまとったおよそ70人の市民が集まりました。
豊臣方の武将の真田幸村や淀君などにふんした一行は、おはらいを受けたあと、1キロ近い道のりを20分ほどかけて「えい、えい、おー」と声をあげながら練り歩きました。
そして、ゴール地点の河川敷に到着すると、鉄砲隊が火縄銃を次々に放ち、沿道につめかけた人たちが盛んに写真を撮っていました。
1歳の子どもを連れて見物に来ていた女性は「武者行列はかっこよかったです。娘にも見せられて子どもも喜んでいると思います」と話していました。
主催者の森田剛浩さんは「400年の節目となることし、この地で合戦があったことを多くの人に知ってもらう機会になればいいと思います」と話していました。

2038名無しさん:2015/05/04(月) 08:15:21 ID:0rRfemIw0
歴史や武将など紹介 「るるぶ」発行、無料配布
2015年5月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150503/20150503039.html

 大坂の陣400年プロジェクト実行委員会(事務局・大阪市経済戦略局)は、情報誌「るるぶ特別編集・大坂の陣400年天下一祭」を発行した。大坂の陣の歴史や武将、各軍の配置図を紹介。市役所、区役所、図書館、大阪城天守閣で無料配布している。

 「るるぶ-」は12ページオールカラー。大坂の陣以外の歴史スポットや食の情報も掲載している。発行部数は8万部で、東京都内の旅行代理店やバスターミナルなどにも配布。7月中旬には第2弾の発行を予定している。

 天下一祭は9月30日まで開催。期間中は金箔(きんぱく)貼りの御座船による大阪城内堀の遊覧があり、7日は「大阪城天下泰平の灯(ともしび)」、16、17の両日は「大坂ノ陣合戦祭り」が予定されている。

2039名無しさん:2015/05/04(月) 14:38:08 ID:PL380kNM0
華麗な舞 魅了 住吉大社で卯之葉神事
2015年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150504/20150504026.html

 住吉大神の鎮座を記念する伝統の祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が3日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で盛大に執り行われた。多くの参拝者が見守る中、舞楽奉納もなされるなど初夏の境内をみやびやかに飾った。

卯の花(ウツギ)の開花期となる5月最初の「卯」の日の伝統行事。境内・第一本宮で斎行された「本殿祭」では祝詞奏上や献香、献茶に続いて、参列者の代表がサカキではなく卯の葉の玉串を神前にささげた。

 舞楽は大阪の四天王寺、広島の厳島神社と並び日本三舞台として知られる境内・石舞台(国指定重要文化財)で奉納された。天王寺楽所雅亮会の舞人が東西の楽所から響く雅楽の調べに乗せて登場。舞楽の幕開けを告げる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「萬歳楽(まんざいらく)」「登天楽(とうてんらく)」などを次々と舞い、装束や勇壮華麗な所作で参拝者を終始魅了した。

2040名無しさん:2015/05/05(火) 22:19:25 ID:FkT34vbs0
大みこし復活へ 来夏の住吉祭に向け修繕
2015年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150504/20150504034.html

 住吉大社(大阪市住吉区)の大(おお)みこしが、修復を終えて来年春にお披露目される。70年以上にわたって倉庫で“眠っていた”が、地元有志が3千万円の修繕費用を確保。担ぎ手不足を乗り越え、来年夏に開かれる大阪三大夏祭りの「住吉祭」での復活を目指している。

大みこしは、1881(明治14)年に同神社に奉納された。現在、同神社で使われているみこしと比べて二回り以上の大きさを誇り、重さは約2・6トンとされている。「住吉さんのみこしと言えば大みこし」と言われるほど住民に愛されてきた。

 しかし太平洋戦争を背景に住吉祭のうち、みこしを担いで練り歩く「神輿(みこし)渡御」が中止に。戦後になって再開され、その後、再度の中止をはさんで2005年に再開されて現在に続くが、この間は新調した別のみこしなどを使っていた。

 かつての勇姿を見てもらおうと住吉祭神輿渡御実行委員会は昨年6月から奉賛金を募り、修繕に必要な3千万円以上を確保。かざり金具は京都で、木彫部などは富山に分かれ、それぞれの箇所ごとに復元作業が進められている。

 昔の熱気を取り戻そうとする動きを肌で感じ、同委員会の中野紀久雄会長(74)は「この機会を逃したら次はない。できることは何でもしたい」と意気込む。

 課題は担ぎ手の確保だ。現在は約200人が交替でみこしを担いでいるが、大みこしはその倍の人数が必要。「今も少ない20、30代の若手にどんどん参加してほしい」と中野さん。次男で担ぎ手をまとめる若者頭の光典さん(43)は「今のみこしとは大きさがまるで違う。自分たちも成長しないといけない」と気を引き締めている。

 同神社の権禰宜(ごんねぎ)の岡康史さんは「祭りが人をつなぎ、一つにする。20年、30年先を見据えて、地域をもり立てたい」と話していた。

2041名無しさん:2015/05/07(木) 11:33:29 ID:zCNjF7qc0
幸村 悲運から400年 最期の地で慰霊祭
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506089.html

 信州上田の武将真田幸村が「大坂夏の陣」(1615年)で戦死した場所と伝わる大阪市天王寺区の安居神社(中島一熈宮司)で5日、「真田幸村公戦没400年慰霊祭」が盛大に執り行われた。氏子衆や幸村崇敬者など多くの参拝者が参列。境内を静かに見守る幸村座像にじっと手を合わせた。

天王寺口の戦い」で徳川家康に迫りながらも境内で絶命した悲運の武将を悼み、戦前から「幸村祭」として毎年斎行。座像前では祝詞奏上などに続いて長野県上田市の関係者や大阪城真田鉄砲隊、大阪城甲冑(かっちゅう)隊ら参列者代表が玉串をささげた。

 このほか同鉄砲隊代表で砲術史家の澤田平さん=同市東成区=が、大坂の陣ゆかりの貴重な品々を展示した。歴史愛好家に解説しつつ「あらためて歴史を検証する好機であり、幸村公の無念を晴らすことができたと思う」と感無量の表情を浮かべた。中島宮司は「大きな節目を迎えたが、今後も皆さんとともに幸村公を温かく見守っていきたい」と話した。

2042名無しさん:2015/05/07(木) 11:42:17 ID:zCNjF7qc0
歌劇武将隊さっそうと 大阪城ファミリーフェス
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506086.html

 大阪城の歴史・文化を身近に感じてもらうイベント「大阪城ファミリーフェスティバル2015」の最終日が5日、大阪市中央区の大阪城天守閣前本丸広場で開かれた。天守閣前特設ステージには、宝塚歌劇団とOSK日本歌劇団の出身者による「大阪城歌劇武将隊」が登場。晴天の下、りりしい姿で来場者を魅了した。

歌劇武将隊は、桜花昇ぼるさん(元OSK)が真田幸村、鳴海じゅんさん(元宝塚)が後藤又兵衛に扮(ふん)するなど、大坂の陣で活躍した5人の武将をそれぞれ女性が歌やダンスで演じた。

 5人を中心とした舞台公演「太鼓×歌劇 大阪城パラディオン」(5月30、31日・サンケイホールブリーゼ)が予定されており、この日はテーマ曲「将星」や舞台の一場面を披露した。

 桜花さんは「大坂の陣から400年の年に、この作品に巡り合うことができて本当に幸せ。夏の陣の場面は、涙なしでは見られない」と公演をPRしていた。

2043名無しさん:2015/05/07(木) 11:48:23 ID:zCNjF7qc0
伝統の神事に流鏑馬の型奉納 生国魂神社
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506090.html

 「いくたまさん」と呼ばれて親しまれている大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で5日、端午の節句の伝統行事「走馬(そうめ)神事」が執り行われた。流鏑馬(やぶさめ)の型が奉納され、大勢の参拝客らは勇壮な礼法に見入った。

同神社の流鏑馬は、豊臣秀吉が大坂城を築城する約400年前、現在の場所に神社が移って武士が稽古していたことから始まったとされる。明治に入って途絶えてしまい、神事のみが続いていた。

 型は「木馬の型」といわれ、かつて武士が流鏑馬の稽古として行っていたもの。昨年の夏の大祭で、大阪城への渡御列が70年ぶりに復活するにあたり、弓馬術礼法小笠原教場の協力で、102年ぶりに復活した。

 大阪の繁栄を願う神事が本殿で営まれた後に型を披露。武士の衣装を身にまとった同教場の3人が、順次木馬にまたがり、回転しながら鏑(かぶら)矢で三つの的を射抜くと、参拝客から拍手が送られた。

 かつて流鏑馬が行われていた表参道は現在、谷町筋によって遮られているため、同神社は「氏子の皆さんとともに、流鏑馬が再び行えるように願っている」と話している。

 また、近くの生玉公園では、新庄乗馬クラブの協力で子ども向けの乗馬体験も開かれた。

2044名無しさん:2015/05/07(木) 21:27:01 ID:vjPUMxfM0
大坂城落城400年イベント開始 あんどんの明かりに願い
2015年5月7日 19:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150507/20150507096.html

 大坂夏の陣で大坂城が落城してから7日で400年となるのにちなみ、大阪市中央区の大阪城天守閣前で、400個のあんどんに明かりをともすイベントが始まった。

 大坂の陣400年プロジェクト実行委員会が、天下太平の世が訪れた重要な日に、大阪のさらなる発展を祈願したいと主催した。特設の台に並べたあんどん400個全てに、城の来場者が書いた未来の大阪への願いが貼られた。

 夕暮れとともに明かりがつくと、天守閣前の広場には幻想的な光景が広がり、訪れた人たちは城と穏やかな光の共演を楽しんだ。あんどんの展示、点灯は9日まで毎日午後6〜8時に行われる。入場無料。

2045名無しさん:2015/05/07(木) 21:43:29 ID:vjPUMxfM0
落城400年 来訪者に証明書
05月07日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150507/4393251.html

大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされてから、7日で400年になるのを記念して、城の天守閣を訪れた人に記念の証明書が配られています。
徳川家康が豊臣氏を滅ぼした1615年の大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされてから、7日で400年になります。
これを記念して、城の天守閣を訪れた人に記念の証明書が配られることになり、配布が始まる午前9時前から、約80人が列を作りました。
かぶとをかたどった証明書には、城が攻め落とされてから400年になる7日、天守閣を訪れたという内容が日本語と英語で書かれています。
静岡県から家族で訪れた男性は「いい記念になりました。4歳の息子が大きくなったら話して聞かせたい」と話していました。
台湾から訪れた男性は「どうしても証明書がほしくて会社を休んで来ました。大阪城は台湾でも人気があるので、帰って自慢したい」と話していました。
広報を担当する青木美佐子さんは「落城の日が過ぎても400年記念のイベントは続くのでたくさんの人に訪れて欲しい」と話していました。
8日は、豊臣秀吉の子、秀頼が自害した日とされ、大坂の陣終結から400年の証明書が配られます。

2046名無しさん:2015/05/07(木) 22:15:36 ID:vjPUMxfM0
夏の陣400年武将悼む…大阪の神社で慰霊祭
2015年05月07日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150507-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

大坂夏の陣から400年に合わせ、大阪市中央区の玉造稲荷神社で7日、慰霊祭が営まれ、地元の住民ら約50人が、戦いで命を落とした武将らを悼んだ。

 夏の陣では、慶長20年(1615年)5月7日に最後の決戦があり、大坂城が落城。翌日、豊臣秀頼と母の淀殿が自害した。

 同神社は大坂城三の丸があった地に立ち、豊臣、徳川の時代に「大坂城の鎮守神」として信仰を集めた。境内には秀頼が寄進した鳥居が残っている。

 慰霊祭では、祭主を務めたサントリーホールディングスの鳥井信吾副会長らが玉串を奉納した。

2015年05月07日

2047名無しさん:2015/05/08(金) 21:19:11 ID:VXCIbyd.0
幻のからくり人形を再現…右半身不自由な人形師
2015年05月08日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150508-OYO1T50020.html?from=oycont_top_txt

大阪府寝屋川市のからくり人形師、東野進さん(65)が、立ち姿の武者が矢を射るからくり人形「弓射り武者」を製作した。幕末から明治時代の発明家で、東芝創業者の田中久重(ひさしげ)の「幻の人形」を再現したものだ。東野さんは、脳梗塞で右半身が不自由になりながら、3年半かけて完成させた。

 高さ約35センチの武者人形が矢立から取った矢を弓につがえ、首を傾けて狙いを定める。放たれた矢は2・5メートル先の的に突き刺さった。台座の中のからくりは、ぜんまいが生み出す動力をカムや腕木と呼ばれる部品を介して14本の糸に伝える。両脚を通って両腕や首につながった糸に操られ、人形は4本の矢を次々と放つ。

 田中のからくり人形は、これまでに5体が確認されている。東野さんは、このうち座った童子が弓を射る「弓曳(ひ)き童子」など4体を国内外で発見し、修復。弓曳き童子は日本機械学会の機械遺産に認定された。

 弓射り武者は、田中の業績を伝える昭和初期の本で「丈(た)け一尺(約30センチ)餘(あまり)の見事な甲冑(かっちゅう)人形」と紹介されているものの、現在は所在不明となっている。東野さんは以前、高さ50センチほどの一回り大きな弓射り武者を作ったことがあるが、原寸大での再現にも挑戦したいと考えていたという。

 2011年2月、脳梗塞で倒れ、右半身が自由に動かなくなった。だが、半年間の入院中も枕元に鎧(よろい)を置いて構想を練り、退院後に製作に着手。子供の頃は左利きだったため、やすりや彫刻刀を左手で扱った。ただ、木や鉄の部品は約200個に及び、「手間は右手が使える時の倍はかかった」と振り返る。

 弓射り武者は16年の正月、江戸東京博物館(東京都)で披露する。東野さんは「渾身(こんしん)の作で、これでやり残したことはない。多くの人に楽しんでほしい」と話している。

田中久重 1799年(寛政11年)、筑後国(現福岡県)でべっこう細工師の長男として生まれた。からくり人形製作のほか、佐賀藩に招かれ、蒸気機関や大砲の技術開発にも取り組んだ。1875年(明治8年)に東京・銀座に構えた工場兼店舗が後に、東芝へと発展した。

2015年05月08日

2048名無しさん:2015/05/08(金) 21:45:58 ID:VXCIbyd.0
秀頼、淀らしのぶ ”鎮守”玉造稲荷で慰霊祭
2015年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150508/20150508022.html

 “大阪城の鎮守”として知られ、豊臣家と縁が深い大阪市中央区の玉造稲荷神社で7日、「大坂の陣400年慰霊祭」が営まれた。関係者や氏子が出席し、豊臣、徳川両家をはじめ戦いで命を落とした全ての人をしのんだ。

玉造稲荷神社は紀元前12年に建立されたが、その後は荒廃し、1603年に秀頼によって再興された。境内には、秀頼と母の淀を結ぶ胎盤と卵膜が鎮まる「秀頼公胞衣(よな)塚」がある。

 400年前の7日、大坂の陣は最後の決戦を迎え、大坂城は落城。翌8日に秀頼と淀が自害した。

 この日は、胞衣塚の前で鈴木一男宮司が祝詞を奏上。サントリーの鳥居信吾副会長、森下仁丹の駒村純一社長らが玉串を奉納した。境内にある秀頼の銅像にも献花した。

 鈴木宮司は「平和で大阪が発展していくことを祈念致します」とあいさつ。氏子代表の二ノ宮※治さん(76)=中央区=は「無事に終わって良かった。できる限り、神社を守るお手伝いをしていきたい」と話していた。

※は王ヘンに秀

2049名無しさん:2015/05/08(金) 21:52:48 ID:VXCIbyd.0
「大坂城落城」思いはせ 来館者に登閣証明書配布
2015年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150508/20150508020.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で7日、400年前の「大坂夏の陣」での落城の日にちなみ、来館者へ記念の天守閣登閣証明書が配布された。大きな節目に当たり、多くの人々が日本を揺るがした壮大な歴史ドラマに思いをはせた。

大阪城天守閣による「大坂の陣400年プロジェクト」の一環。大坂の陣関連の多彩な展示会や事業を通じて大阪の歴史や魅力に触れてもらおうと企画した。

 証明書の配布は、「大坂冬の陣終結」400年に当たる2014年12月22日に続いて2度目。城の屋根をモチーフにした前回に対し、今回はかぶとをデザインした。前回同様、日本語と英語で歴史と登閣を証明する内容が表記され、国内外の来館者が見入っていた。

 大阪歴史博物館で長年ボランティアを務める山田康広さん(74)=豊中市=は証明書を受け取り「大阪城が大好きなので、ぜひこの日に訪れたかった。これからも全国の皆さんに歴史と魅力を広めたい」と笑みを浮かべていた。

 大坂の陣終結400年の8日には「高麗橋擬宝珠」をデザインした証明書(5千枚限定)を配布。同天守閣では「縁あって皆さんがお越しになったこの場所で、積み重なってきたさまざまな歴史に思いをはせてもらえるきっかけとなれば」と話している。

2050名無しさん:2015/05/12(火) 19:12:05 ID:2Go/SKJY0
幸村博 歴女が行列 天王寺、イベント沸く
2015年5月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150511/20150511023.html

 大坂の陣400年にちなんだ歴史顕彰イベント「天王寺真田幸村博〜赤備えの章」が10日、大阪市天王寺区の近鉄大阪上本町駅周辺で行われた。戦国武将の真田幸村にスポットを当てたステージが開かれるなど、大勢の歴史ファンでにぎわった。

イベントは、同区役所などでつくる実行委員会が主催。大坂の陣を代表する戦国武将の幸村が大坂城の出城「真田丸」を築き、最期を迎えた同区の魅力を発信しようと、昨年から区内各地でさまざまなプログラムを実施している。

 10日は、同駅に隣接する商業施設「うえほんまちハイハイタウン」で、殺陣パフォーマンスや、武者行列と演武、幸村の子孫の真田徹さんを招いてのトークショーが開かれた。また、幸村関連のゲームのグッズや工芸品の販売があり、買い求める“歴女”の長い行列も。真田丸のジオラマや特設の幸村神社を参拝する幸村ファンの姿もあった。

 同区長の水谷翔太実行委員長は、来年のNHK大河ドラマに真田丸が決まって天王寺が盛り上がってきたといい「今から400年前に悲しい戦いがこの地で繰り広げられた。今回を機に、新しい400年を刻むことができれば」と話していた。

2051名無しさん:2015/05/12(火) 19:39:39 ID:2Go/SKJY0
天神祭成功へ一丸 実行委が初会合
2015年5月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150512/20150512035.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の実行委員会は11日、2015年度の初会合を大阪市北区の大阪天満宮会館で開き、7月24日に宵宮祭、翌25日に本宮祭と奉納花火を行うことなどを確認した。また実行委員長に栗原宏武氏が就任したことが報告された。

会合には大阪天満宮の寺井種伯宮司や氏子代表ら関係者約80人が出席。会の冒頭、寺井宮司が、体調不良のため京極俊明氏が実行委員長を退任し、栗原氏が就任した経緯を報告した。

 栗原氏は「伝統のある天神祭をなんとしても盛り上げ、次の時代に引き継いでいかないといけない。皆さんに協力いただき、力を一つにして頑張っていきたい」と決意を述べた。

 会合では、14年度の決算や15年度の予算が報告され、累積赤字の解消策などが話し合われた。事業計画も発表され、25日の奉納花火では約4千発の打ち上げ花火と約30基の仕掛け花火が披露される。

2052名無しさん:2015/05/14(木) 21:12:57 ID:RoDNhHXk0
初夏の薫り 住吉大社で卯の花見頃
2015年5月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150514/20150514028.html

 13日の近畿地方は高気圧に覆われ、台風6号の影響で大荒れとなった前日から一転、各地でさわやかな五月晴れとなった。

大阪市住吉区の住吉大社境内にある「卯(う)の花苑」では卯の花(ウツギ)が見頃を迎え、一帯は初夏の薫り。13種約500株が植栽されており、純白のウツギをはじめ紅白織り交ぜたハコネウツギ、八重のサラサウツギが参拝者を迎えていた。

 大阪管区気象台によると、大阪市の最高気温が25・5度まで上昇。このほか枚方市26・0度▽堺市26・0度▽八尾市25・9度と各地で夏日となり、軒並み平年を0・3〜2・9度上回った。

2053名無しさん:2015/05/14(木) 21:44:48 ID:RoDNhHXk0
「くすりの町」に薬の史料館
05月12日 22時44分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150512/4212221.html

大手製薬会社「田辺三菱製薬」の本社が「薬のまち」として知られる大阪の道修町に移転し薬の歴史などを学べる史料館が12日オープンしました。
この史料館は、「田辺三菱製薬」が大阪・中央区の道修町に新しく建設した本社ビルに設けられ、薬にまつわる歴史や知識を学ぶことができます。
このうち、明治初期の薬を扱う商店を再現したコーナーでは、店主の姿がスクリーンに映し出され、薬のまち、道修町がどのように発展してきたかを紹介しています。
また、「産前産後打ち身によし」などと書かれた江戸時代の看板や、昭和初期のはかりなども展示されています。
このほか、体の中で薬が作用する仕組みを説明する立体画像や、薬の知識を問うクイズを楽しめる展示などもあります。
見学した男性は、「薬の歴史を物語る貴重なものを見ることができてよかったです」と話していました。
田辺三菱製薬広報部の原健司さんは、「所蔵品を入れ替えて展示していくので、歴史を感じてもらいたい」と話していました。
この史料館は事前に申し込めば誰でも見学できるということです。

2054名無しさん:2015/05/19(火) 04:53:22 ID:4U8lp5tg0
感謝を込めて「家族」と別れ 大阪天満宮で人形祭
2015年5月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150518/20150518034.html

 思い出の詰まった人形に感謝の思いを込めて奉納する「人形祭」が17日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。納められた日本人形やひな人形、フランス人形、縫いぐるみなどを前に祝詞があげられ、玉串が奉納された。

関西節句人形工業協同組合の主催で2011年から毎年5月に開催。「200人以上の人が人形を持って来られ、1500体前後の人形が納められた」と元賀圓治同祭実行委員長。

 午後3時から行われた神事「人形奉謝祭」には人形を納めた人や組合の関係者、地域の人らが参列。今までの恩恵に感謝し、これからの加護も祈った。

 同組合の小出康雄理事長は「さまざまなお祝いごとで贈られ長い間親しんできた人形など、お役目を終えた後どうしたらいいかと困っている人は多い。作り手として、今後も最後まで面倒を見ていきたい」と話していた。

2055名無しさん:2015/05/22(金) 21:51:44 ID:fw7ynx6A0
まだ地中に眠る不発弾 多く残存の可能性
2015年5月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150520/20150520032.html

 全国各地で不発弾の発見が続いている。大阪市では3月にミナミの繁華街で見つかり、5月9日に撤去作業が行われた。70年前の大阪大空襲による不発弾は、まだ地中に眠っていると指摘する声も多い。戦争の記憶が風化する中、関係者は警戒感を緩めないよう呼び掛けている。


 繁華街は一時、1個の不発弾処理で機能停止に陥った。約2200人が避難を強いられ、商業施設は休業、電車も一時運休した。

 ミナミのマンション新築工事現場で見つかったのは長さ1・8メートル、直径60センチの1トン爆弾。地上で爆発すれば半径1キロの範囲で破片が吹き飛ぶサイズだ。

 「まさかこんな商業地に70年前の遺物が埋もれているなんて」。近くの団体職員、丸尾三郎さん(72)は声を震わせた。

1発の破壊力
 太平洋戦争末期、米軍は大阪を約50回にわたって空爆。100機以上の来襲も何度か繰り返され、そのたびに数百発の爆弾が投下された。空襲後は地面のあちこちに大きな穴ができたという。

 空襲による被害を調査してきた大阪電気通信大の小田康徳名誉教授(日本近代史)は「恐ろしい破壊力。1発でも直撃すれば人の体は跡形もなくなり、工場の鉄骨はあめ細工のように折れ曲がった」と指摘する。

 市内で不発弾が発見されたのは、記録がある1955年以降、今回で87個目。城東区や都島区など大阪城周辺の工事現場で見つかることが多い。民家の庭で見つかることもあり、高齢者が自宅で保管していたケースもあった。

 不発弾の処理について、近畿2府4県を管轄する陸上自衛隊第3師団への通報は年間100件程度で推移し、年数回ペースで処理されている。これまでの撤去作業はすべて成功し、けが人はない。

70年経ても機能
 しかし、全国で撤去された不発弾数の約半分を占める沖縄県では、子どもが石を投げ付けて爆発したり、処理中にさく裂するなどの事故が発生。同県防災危機管理課のまとめでは、本土復帰した72年以降の不発弾による死者は6人、負傷者は51人に上る。

 陸上自衛隊の推計によると、全国に埋もれた不発弾は約2600トン。都市開発が進む大阪市でも今後、工事現場などで見つかることが想定される。

 このため、大阪市危機管理室の橋口博之住民保護企画担当課長は「民家の下に眠っている可能性も否定できない。見つけた場合はすぐに警察へ通報し、絶対に触れないでほしい」と呼び掛け、第3師団広報班の塩津知明班長は「70年を経た不発弾の信管であっても衝撃を加えれば機能する可能性がある」と警鐘を鳴らす。

 戦後70年。不発弾の相次ぐ発見について、小田名誉教授はこう説く。

 「戦地だけでなく、市民の暮らしや命までも奪った。そんな戦争の一端を不発弾が物語っている。歴史は未来の平和を照らす。戦争が問うたことを若い世代にも考えてもらいたい」

2056名無しさん:2015/05/24(日) 18:55:36 ID:DjGiuHxM0
仁徳陵石室 CG映像で再現
2015年05月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150523-OYTNT50023.html

◇堺市博物館 ミニシアター映像公開

 世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)古墳群」を紹介する堺市博物館(堺区百舌鳥夕雲町)内のミニシアターに、仁徳天皇陵の内部の石室をコンピューターグラフィックス(CG)で再現した映像が登場し、来館者を楽しませている。

 宮内庁が管理する仁徳陵では発掘調査ができないが、1872年(明治5年)に何らかの原因で前方部が崩れた際、大王ゆかりの人物の石室が見つかり、内部で長持形石棺(幅約2・4〜2・7メートル、長さ3・9メートル)が確認された。今回のCGは、当時の様子を描いた絵図をもとに再現した。

12分間の映像はまず、多くの埴輪(はにわ)が並ぶ築造当時の外観を紹介。続いて古墳の前方部にある石室をのぞき込むようにして、内部に収められた石棺を映し出し、朱色に塗られた表面外側の突起の一部を見ることができる。石棺の傍らで発見された副葬品の甲冑(かっちゅう)や剣なども再現された。

 昨年3月に整備されたミニシアターでは、百舌鳥古墳群の上空を飛んでいるような体験ができる映像が公開されており、今後は新しい映像と交互に上映する。

 入場無料。午前10時〜午後4時30分。月曜休館。問い合わせは同博物館(072・245・6201)へ。

2015年05月23日

2057名無しさん:2015/05/24(日) 19:53:31 ID:DjGiuHxM0
淀屋の闕所 謎迫る 研究会10周年記念シンポ
2015年5月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150524/20150524032.html

 江戸時代の大坂の豪商「淀屋」を題材にした淀屋研究会(毛利信二代表)の創立10周年記念シンポジウム「豪商淀屋の闕所(けっしょ)から310年」が23日、大阪市中央区で開かれた。幕府の命で財産没収と大坂追放の闕所となった「日本一の豪商」淀屋の謎に迫った。

同研究会は、淀屋闕所300年後の2005年に発足し、淀屋に関する真実の探求や、鳥取県倉吉市など関係する自治体への貢献などを目的に活動を展開。これまでにシンポジウムを開催するほか、関係資料などの調査を進めてきた。創立10年を記念した今回は、いまだ謎に包まれている闕所をテーマに開催した。

 聴衆約300人が集まった会場では、有識者らが登壇し、それぞれの視点を披露。佛教大学歴史学部の渡辺忠司教授は「近世大坂の商業的発展と淀屋」と題して講演。淀屋が中心的な役割を担なった米や青物、塩干魚といった市場の整備によって、大坂が全国の物流拠点となったことが、江戸中心の社会を築きたい幕府の妨げとなったといい、闕所は「個人のうらみだけではなく、徳川政権が進めたい社会構造との兼ね合いによるものでは」と持論を述べた。

 また、同研究会の蒲田健三副代表と丹波紀美子幹事、淀屋の闕所を題材にした『謀(たばか)る理兵衛』の著者、松本薫さん=鳥取県米子市在住=ら3人が対談。このうち、松本さんは淀屋の番頭の出身地、伯耆・倉吉でひそかにのれんを守り、闕所から約60年後に大坂で再興を遂げたことから「大坂商人の意地を感じる。謀ったのは幕府ではなく、淀屋だったと思う」と話した。

2058名無しさん:2015/05/27(水) 04:25:47 ID:4pA.d1f.0
「天神祭」実行委員長に就任 栗原宏武さんに聞く
2015年5月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150525/20150525026.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の宵宮祭は7月24日、本宮祭は翌25日に盛大に催される。千年余りの歴史と伝統を誇る大阪の夏の風物詩。絢爛(けんらん)豪華な時代絵巻を繰る広げる渡御行事や夜空を彩る約4千発の奉納花火など、100万人以上の参拝者や見物客でにぎわう。大阪の観光や経済活性化にも寄与する同祭の実行委員長に、天神祭渡御行事保存協賛会副会長の栗原宏武さん(75)が就任した。重責を担うことになった新実行委員長に祭りへの意気込みなどを聞いた。

-実行委員長就任を打診されたときの心境は。

 「大変に責任のある仕事。困ったことになった、というのが正直な気持ちだった。前実行委員長の京極(俊明)さんとは、2011年以降、(天神祭渡御行事保存)協賛会の副会長を一緒に務め、実行委員長としての仕事ぶりを拝見してきた。その京極さんのご推薦でもあり、やらないかんのかな、と覚悟を決めた」

 -新実行委員長としての抱負は。

 「天神祭は、大阪のにぎわいにも関わってくる一大イベント。元気な大阪の象徴でもある。近年は協賛企業も少なくなり、厳しい運営となっているが、この素晴らしい伝統は、次の時代にきちんと伝えないといけない。幸い、経済情勢も上向いてきた。経済界はもちろん、各界の協力を頂きながら、さらに祭りを発展させ、盛り上げていきたい」

 -これだけの祭り、運営するのも大変だ。

 「事故なく終えることが重要だ。警察や消防などの関係機関とも十分に協議して、万全の体制を整えたい。併せて、熱中症対策にも力を入れたい。異常気象の影響か、近年は熱中症の人がものすごく増えた。医師会や医療系大学の協力も頂き、救護対策を充実しようと考えている。ただ、対策はするが、一番いいのは、熱中症にならないで祭りを楽しんでもらうこと。来場者自身に熱中症対策をしていただけるよう、事前にPRすることも考えたい」

 -宵宮祭や本宮祭の当日にも重要な役割がある。

 「陸渡御では、総奉行として馬に乗らないといけない。映画撮影用の人に慣れた馬で、引き手もいるそうだが、何といっても、身動きできないくらいのものすごい人出。馬も興奮して暴れることがあり、何度も落馬しそうになった、と京極さんに伺ったことがある。初めてのことでもあり、無事に務められるか心配だ。しかも、夏の炎天下で、時代装束。体力的にも厳しく、私より10歳年長の京極さんが、これまでよくやってこられたと感心している」

 -体力強化や体調管理も必要だ。

 「天神祭に向けて、というわけではないが、普段からバスや電車を利用して、できるだけ歩くようにしている。現在も大学で少年法の講義を持っており、学会や各種の会議などで出掛けることも多い。万歩計で測ると、1日1万歩以上。何とかなるかな、とは思っている」

 【プロフィル】栗原宏武(くりはらひろむ) 1939年、大阪市出身。関西大法学部、同大学院法学研究科を経て、64年に司法試験に合格した。67年4月に京都地裁判事補となり、大阪高裁部総括判事や大阪家裁所長などを歴任。2004年に定年退官し、同年9月に関西大法科大学院教授、10年4月から同名誉教授を務める。05年に大阪府公安委員となり、06年から14年まで同委員長。

2059名無しさん:2015/05/28(木) 20:09:57 ID:PGaBWCHM0
仁徳陵陪塚で築造時の葺石 堺市、全長も判明
2015年5月28日 16:15
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150528/20150528079.html

 仁徳天皇陵とされる大山古墳に付属する陪塚の一つ、収塚古墳(5世紀半ば、前方後円墳)で、築造時の状態とみられる葺石が見つかり、堺市が28日、発表した。前方部の端が確定し、古墳全長は従来の57・7メートルではなく約59メートルと分かった。

市によると、収塚古墳は、大山古墳のすぐ南東にあり、世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群の一つ。前方部が短い帆立て貝形だが、前方部はほとんどが削られており、明治30年代の地図には円墳として描かれていた。

 1972年ごろ前方後円墳と認識したが、円墳として国指定史跡になったままという。

2060名無しさん:2015/05/28(木) 21:19:03 ID:PGaBWCHM0
額に宝印 伝統行事で注目集める長宝寺
2015年5月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150528/20150528038.html

 「えんまさんのお寺」として親しまれる大阪市平野区平野本町の長宝寺(西脇慈容住職)が注目を集めている。中世から現在に至るまで広く信仰を集めるえんま信仰の拠点。今年3月には大阪市指定文化財に寺関連の習俗や宝物など5件が登録された。参拝者の額にえんま王の花押を彫りこんだ宝印を授与する行事は全国的にも珍しく、毎年多くの参拝者が訪れて加護を願っている。

長宝寺は坂上田村麻呂の娘春子の創建とされる真言宗寺院。永正10(1513)年の年紀を持つ『よみがへりの草紙』では、長宝寺の比丘尼がえんま王の取り計らいで蘇生した話が記される。

 『よみがへり-』にも書かれるのが宝印授与の儀式。毎年、えんま王の縁日にあたる5月18日に行う。「全国的に見ても珍しく、中世の信仰習俗が現代まで継続して行われているという、大阪市内に残る特別なえんま信仰」として、他の宝物とともに市の無形民俗文化財に指定された。

 今月18日も多くの人が参拝。「坂上田村麻呂公の守護仏」「えんま大王」の年1回の開扉の中、宝印の授与式が粛々と行われ、約300人が、えんま王と縁を結び地獄に落ちなくなるという“天国へのパスポート”を授かった。

 宝印を授与された瀬戸正樹さん(59)=福島区=は「毎年、家内安全を願い、一年健康で過ごせるようにと参拝している」と話していた。

2061名無しさん:2015/05/31(日) 19:09:35 ID:yDNiVAjE0
猪飼野だんじり新調 「地域結束の象徴に」
2015年5月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150530/20150530040.html

 約130年前から大阪市生野区の猪飼野地区に伝わるだんじりが34年ぶりに全面修復され、夏祭りを前にこのほど完成した。中高生から80代の長老まで、まちぐるみで受け継いだ“宝”が31日の「入魂式」でお披露目される予定だ。まちの活性化に取り組む猪飼野保存会では「地域結束の象徴に」と新たな希望を託している。


保存会によると、猪飼野の地名は、四足獣を食用とすることが禁じられていた明治維新以前、「ヤマクジラ」という隠語を使ってイノシシを養殖したことからその名が付いたという。旧村が集まる地域だが、戦後はコリアタウン(御幸通商店街)が形成され、観光地としてもにぎわう。

 地域に残る資料によると、だんじりが製作されたのは1887(明治20)年で、1981(昭和56)年の改修まで使用された初代の見送り幕は、その鮮やかさを表現するため、ヒヒの血で真っ赤に染め、金の刺しゅうを施したという言い伝えが残っている。

 記録では戦後51(昭和26)年と81年の2度改修。「大阪型幕式地車」と呼ばれ、棒に肩を入れ、みこしのように持ち上げる「担ぎ上げ」が特徴で、大阪では福島区の海老江と並んで知られている。また、眼光鋭い魔よけの獅噛(しがみ)も特徴で、先代に倣う赤地に勇壮な竜虎が描かれた豪華な飾り幕も新調するなど、約半年がかりで完成させた。

 村の鎮守、御幸森天神宮に入庫するだんじりは、地域にとって大きな求心力。「だんじりを残してくれたお陰で地域の結束がある」としみじみ話すのは地車修復事業実行委員長の川野恵弘さん(68)。世代間交流のツールにもなっており、保存会会長の村井公一さん(65)は「だんじりがあるから、隣の家を行き来できる。都市部でこんなことはない」と胸を張る。

 日頃から、祭りの担い手である中高生や20代の若手が、だんじりばやしの太鼓とかねの練習に来ることは年長者たちを喜ばせる。「譜面がないので耳で覚え、肌で感じてもらうしか思いは伝わらない。若い人が魅力を感じて集まってくれている」と村井さん。伝統は生き生きと受け継がれている。

 31日には、御幸森天神宮から先人たちが眠る霊園を墓参し、往復約2キロをえい航する予定だ。

2062名無しさん:2015/06/02(火) 22:12:49 ID:YABl/d1I0
「すずやか」天満に集う
2015年06月02日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150602-OYTNT50025.html

大阪市北区の大阪天満宮で1日、全国各地の風鈴工房が手作りの作品を販売する「大阪風鈴まつり」が始まり、ガラスや陶器、銅製など、さまざまな風鈴が境内の風に揺れて涼しげな音色を立てている。

 天満が、日本の産業ガラス発祥の地と言われることから、4日まで開催。全国16の工房から届いた風鈴は、1個2000〜3500円が中心という。

 同まつりの実行委員長で、東大阪市で空き瓶をリサイクルした「河内風鈴」を販売している菅二弥さん(67)は「ガラス産業の伝統を守り、風鈴の良さを伝えていきたい」と話していた。

2015年06月02日

2063名無しさん:2015/06/07(日) 18:50:11 ID:GAPePzGk0
■戦後70年 大阪市内の千人塚で慰霊法要
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007799.shtml

70年前の6月7日、大阪を襲った米軍による大空襲の犠牲者を弔う法要が、大阪市内の淀川河川敷で営まれました。
 
 法要は大阪市旭区の淀川堤防にある千人塚の石碑の前で営まれ、空襲の体験者ら150人余りが参列しました。

 70年前の1945年6月7日、アメリカ軍による3回目の大空襲で、大阪市の北東部は焦土と化しました。
 
 淀川河川敷に避難した大勢の市民も低空飛行した戦闘機の機銃掃射で狙われ、河原には数えきれないほどの遺体が積み上がったといいます。

 法要は終戦の翌年から市民らの手で毎年行われてきましたが、空襲体験者の高齢化に伴い、現在のような形で行うのは、70回目となる今年が最後になるということです。

 参列した人たちは犠牲者を弔うとともに、平和への誓いを新たにしていました。 (06/07 11:40)

2064名無しさん:2015/06/07(日) 20:58:58 ID:GAPePzGk0
笑顔でアピール 「天神天満花娘」の最終選考会
2015年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150607/20150607033.html

 天神祭に花を添える「天神天満花娘」の最終選考会が6日、大阪市北区の大阪天満宮で行われ、候補女性が花娘に懸ける思いや熱意などを審査員にアピールした。

天神天満花娘は、みこに準じる仕事で、天神祭を中心に1年間、同天満宮や地元商店街に関わるイベントに参加する。天神橋筋商店連合会などが、2003年から、19〜28歳の独身女性を対象に公募で10人を選んでおり、今年も大阪府を中心に関西地区から約200人が応募した。

 最終選考会に残ったのは、書類選考で選ばれた39人。13人ずつ3組に分かれ、同連合会の役員らが面接審査を行った。

 候補者の自己PRに続いて、面接官が天神祭や商店街への思いなどを質問。花娘候補は「ずっと花娘に憧れていました」「楽しむ側から行う側になって、祭りや商店街を盛り上げたいと思います」「明るさと元気で精いっぱい頑張ります」などと一人一人が笑顔で答えていた。

 選考結果は後日、本人に通知される予定。天神天満花娘に選ばれた10人は、20日に同天満宮で行われる研修会に参加し、天神祭の歴史やしきたり、花娘の役割などを学び、来月の祭り本番に備える。

2065名無しさん:2015/06/10(水) 00:34:03 ID:aAZ6sBh.0
大空襲の日に平和の折り鶴 大阪市営地下鉄3駅
2015年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150608/20150608032.html

 戦後70年の節目を迎えて大阪市交通局は7日から、市営地下鉄3駅で、利用客と共に千羽鶴の制作を開始した。70年前の米軍による第3次大阪大空襲と重なったこの日、参加者たちは平和への願いを折り紙に込め、鶴を作った。

千羽鶴の制作は、市営地下鉄の利用客と一緒に千羽鶴を作って平和の尊さを学び、思いを形にしようと企画。7月19日までの毎週日曜日に、心斎橋駅、梅田駅、なんば駅の3駅に会場を設けて実施する。出来上がった千羽鶴は、長堀鶴見緑地線の心斎橋駅で展示するほか、8月に開かれる大阪戦没者追悼式に献納する。

 初日となったこの日、心斎橋駅では同線沿線で行われるイベントのために大勢の利用客で大にぎわい。時折、制作の趣旨に賛同した人が足を止めては、鶴を折っていた。

 参加者のうち、名古屋市から家族3人で訪れた向文博さん(51)は、今国会に提案された安全保障関連法案や、憲法改正を不安視。「子どもたちを戦地へ行かせたくない。平和への意識を高めるために、こういうイベントを増やしてほしい」と話していた。

2066名無しさん:2015/06/10(水) 00:52:10 ID:aAZ6sBh.0
天満天神繁昌亭が値上げへ
06月09日 19時10分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150609/5433511.html

上方落語の寄席を毎日楽しめる大阪の天満天神繁昌亭が、ことし9月から入場料を値上げすることになりました。入場料は平成18年のオープン以来、据え置かれてきましたが、運営する上方落語協会は、「消費税の増税などで施設の維持費がかさんでいるため」としています。
大阪・北区の天満天神繁昌亭を運営する上方落語協会によりますと、入場料の値上げはことし9月16日からです。一般の入場料を500円引き上げ、前売りは2500円に、当日は3000円になります。小中学生の料金、1500円はそのまま据え置かれるということです。
天満天神繁昌亭は、上方落語を毎日楽しめる専門の寄席として平成18年9月にオープンしました。
入場料が値上げされるのは初めてで、上方落語協会は、「消費税の増税などで施設の維持費がかさんでいるため」としています。
上方落語協会は、「これまで入場料を据え置いてきたが、安定した経営をしていくため値上げを決断した。これからもよい落語を提供できるようがんばっていきたい」と話しています。

2067名無しさん:2015/06/17(水) 04:15:22 ID:IkqBpCjg0
文楽の魅力をわかりやすく
06月15日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150615/5132031.html

人形浄瑠璃「文楽」の魅力を初心者にもわかりやすく紹介する催しが、14日、大阪・北区で開かれました。
この催しは文楽の魅力を広く知ってもらおうと大阪市と文楽協会が初めて企画し会場の大阪市中央公会堂にはおよそ700人が集まりました。

最初に語り手の豊竹英大夫さんなどが、発声の方法についてユーモアを交えながら分かりやすく説明しました。
続いて、主人公が、恩人の息子とその恋人を守るためしゅうとを殺してしまう「夏祭浪花鑑」と、戦国時代敵同士だった上杉謙信の娘と武田信玄の息子の恋愛を描いた「本朝廿四孝」の2つの有名な演目が披露されました。
会場では初心者でも楽しめるよう太夫の語りがスクリーンに字幕で映し出され、大勢の観客が舞台に見入っていました。
家族連れで来た小学3年生の女の子は「はじめて見ましたが、人形が本当の人のように動くことにびっくりしました」と話していました。

この催しは16日まで開かれています。

2068名無しさん:2015/06/17(水) 04:17:16 ID:IkqBpCjg0
踊りや舞奉納 古式ゆかしく 住吉大社
2015年6月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150616/20150616028.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植神事」が盛大に執り行われた。境内には約420人の奉仕者が参集し、古式ゆかしい田植えをはじめ踊りや舞などの芸能を奉納、秋の豊作を祈った。

同神事は同大社鎮座の際、神功皇后が御田(おんだ)を定め、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源とされ、1979年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 神事では、神前で田植えを奉告し、早苗を授かる本殿祭の後、境内南の御田(約20アール)で御田式を斎行。田の中央に設けられた舞台上では、八乙女(やおとめ)による「田舞(たまい)」や、御稔女(みとしめ)の「神田代舞(みとしろまい)」などが奉納される中、植女から苗を受け取った替植女(かえうえめ)ら奉仕者が、たすき姿で苗を植え付けていった。

 このほか住吉踊(おどり)、風流武者行事、棒打合戦などを次々と奉納。約3500人の参拝者が伝統の重みを実感しつつ、奉仕者の一挙一動を見守った。

2069名無しさん:2015/06/20(土) 10:30:08 ID:3eG0V.Gk0
大阪大空襲、写真と祈りと
2015年06月06日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150606-OYTNT50024.html

大阪大空襲70年に合わせ、犠牲者の慰霊と平和を祈る写真パネル展「石町一丁目の歴史〜三橋楼とハリストス正教会」が5日、大阪市中央区の府立労働センター(エル・おおさか)9階ギャラリーで始まった。7日まで。

 吹田市の大阪ハリストス正教会(水口優明神父)が主催した。同教会は1878年、大阪・天満橋南詰め付近(石町一丁目)にあった高級料理旅館「三橋楼(さんきょうろう)」の建物を利用して創立。1910年、木造ビザンチン式の聖堂に建て替えたが、45年6月の大阪大空襲で焼失し、62年、吹田市で再建された。

 会場には、1875年に明治政府の方針を協議した「大阪会議」を控え、大久保利通らが最初の会合を持った三橋楼や、焼失前の聖堂の写真、大空襲当時の神父の罹災(りさい)証明書、防空壕(ごう)に保管していた燭台(しょくだい)など計約40点が並ぶ。大阪市中央区の山岡照明さん(64)は「身近に歴史ある場所があることがよくわかり、平和の大切さを改めて実感した」と熱心に見入っていた。

 無料。入場は午前10時〜午後7時(7日は午後4時まで)。問い合わせは同教会(06・6388・4512)へ。

2015年06月06日

2070名無しさん:2015/06/20(土) 12:06:51 ID:3eG0V.Gk0
父子2代で追悼70年 第3次大阪大空襲
2015年06月08日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150607-OYTNT50361.html

太平洋戦争末期、大阪市北東部を中心に約2800人が犠牲となった「第3次大阪大空襲」から70年を迎えた7日、多くの住民らが逃げ込み、命を落とした同市旭区の城北公園で慰霊法要が営まれた。体験者や遺族ら約150人が参列し、鎮魂の祈りをささげた。

同空襲は、米軍が1945年3月13日〜8月14日にかけ、8度にわたり大阪市内を襲った爆撃の3度目。

 住民らは、B29の大編隊が投下した大量の焼夷(しょうい)弾や爆弾から逃れようと城北公園に集まったが、多くが戦闘機による機銃掃射の標的となった。身元不明の遺体は淀川河川敷で荼毘(だび)に付され、遺骨はそのまま埋められた。

 地元有志でつくる「千人塚慰霊法要協賛会」会長の東浦栄一さん(86)は、公園に逃げ込んだ一人。射撃され、変わり果てた姿の子供や女性の遺体を数多く目の当たりにしたという。

 一緒にいて無事だった父の栄二郎さんが終戦の翌年、「千人つか」と刻んだ碑を河川敷に建立し、私費を投じて毎年、この日に法要を行ってきた。栄二郎さんが62年に亡くなった後は、東浦さんが引き継いだ。

 法要では、僧侶による読経の後、参列者たちが静かに焼香し、手を合わせた。

 この空襲で母を亡くした茨木市中村町の浅野日出子さん(83)は、「ここに来るとお母ちゃんに会える気がして、70年間毎年欠かさず参列してきた。今日は、『私も年をとったよ』と語りかけました」とつぶやいた。

 当初30人近くいた協賛会メンバーは今、数人に減ったが、東浦さんは「体力が続く限り、法要を続けたい。それが生き残った者の使命だ」と話している。

2015年06月08日

2071名無しさん:2015/06/20(土) 12:39:07 ID:3eG0V.Gk0
幕末の高槻、京守る砲台
2015年06月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150610-OYTNT50497.html

幕末期の京都を防衛するため、高槻市内に建設された砲台「梶原台場」などを通して当時の歴史を学ぶ展示会「幕末の梶原台場と長州藩の上洛(じょうらく)」が、同市のしろあと歴史館で開かれている。8月2日まで。無料。

 同台場は、長州藩の上洛を防ぐため、幕府側が1865年に設置。明治以降に解体されたが、当時の市の状況を知ってもらおうと、展示会では旧高槻藩士や旧家が残した古文書や絵図、同時代の甲冑(かっちゅう)など約30点を紹介。中には、洋装で刀を腰に差した旧高槻藩士を撮影した明治初期の珍しい写真もある。

 中西裕樹学芸員(城郭史)は「京都の入り口に位置し、幕末期にも重要な場所だった高槻の歴史を知ってほしい」と話していた。

 入場は午前10時〜午後4時30分。月曜と祝日の翌日は休館。7月23、30日には学芸員の講座もある。問い合わせは、しろあと歴史館(072・673・3987)へ。

2015年06月11日

2072名無しさん:2015/06/20(土) 12:46:17 ID:3eG0V.Gk0
■登呂遺跡より大規模 大阪・高槻で弥生前期の集落跡
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007897.shtml

大阪府高槻市で、弥生時代前期のものとみられる大規模な集落の跡が発掘されました。

 登呂遺跡よりも古くて規模も大きく、近畿に進んだ農耕文化が発達していたことを物語る貴重な発見だということです。

 大規模な集落跡が見つかったのは、高槻市の京大農場跡の安満遺跡です。

 水田跡は約2500年前、弥生時代前期のものとみられ、縦100メートル、横90メートルの広さに水田が整然と並んでいたことがわかります。

 有名な静岡県の登呂遺跡より時期が古くて規模も大きく、棺を収めたとみられる墓の跡が16か所で出土したことが特徴です。

 水田と住居、墓地が1つのエリアにまとまって見つかったことで、大規模に組織化された集落だったと推定されます。

 「弥生人がどのように農業を始めて、どういうところに村をつくって、どういう生活をしていたのかが、ここを分析することでよりわかってくるだろう。弥生文化の本質に迫れるのでは。今後大いに期待される重要な遺跡」(高槻市教育委員会 文化財課 森田克行主幹)

 高槻市教育委員会では来週末、一般向けの現地説明会を行います。
(06/19 19:11)

2073名無しさん:2015/06/20(土) 14:01:51 ID:3eG0V.Gk0
安満遺跡、弥生前期の大規模水田 洪水後は墓地に
2015年6月19日 17:54
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150619/20150619090.html

 弥生時代の環濠集落跡として知られる大阪府高槻市の安満遺跡で、弥生時代前期(約2500年前)の大規模な水田跡や木棺墓などが確認され、市教育委員会が19日、発表した。

集落と水田、墓の三つが一緒に見つかった例は、百間川沢田遺跡(岡山市)や、中の池遺跡(香川県丸亀市)など全国的にも珍しい。

 市教委によると、遺跡南西部を調査。約9千平方メートルの水田跡が確認された。南東部ですでに見つかっている遺跡と合わせると、弥生時代前期には、集落の南側に約1・5ヘクタールもの水田が広がっていたとみられる。

 洪水で耕せなくなった水田の上に築かれた方形周溝墓など計16基も発掘。

2074名無しさん:2015/06/20(土) 15:40:21 ID:3eG0V.Gk0
浮かぶ小舟は濠浄化…いたすけ古墳で堺工科高生
2015年06月13日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150612-OYTNT50388.html

堺市堺区、府立堺工科高校の生徒たちが、同市北区の「いたすけ古墳」の濠(ほり)に浮かべた手作りの浄化装置で、水質の改善に取り組んでいる。これまでの実地試験で水質の改善が期待できるデータを取得。同古墳は百舌鳥(もず)・古市古墳群の一つで、生徒たちは「濠を少しでもきれいにして、世界文化遺産登録を後押しできれば」と張り切っている。(吉田誠一)

生徒たちは同校エコデザイン部の13人。濠を管理する市から浄化の協力を依頼され、2012年11月に装置を製作した。約2メートル四方の木枠に発泡スチロールをはめ込み、太陽光パネル2枚とバッテリー、エアポンプを載せ、「水質浄化船」と名付けた。

 水底に垂らしたチューブから空気を送り込んで水を環流させ、微生物が汚れの原因となる有機物を分解するのを促す仕組みだ。13、14年は秋の2か月間、濠に浄化船を浮かべて水質を調査し、効果を確かめた。その結果、浄化船を設置した期間は、汚れを示す数値が下がったことが分かった。

 同部の3年、岡田弘司さん(17)は「浄化船の周辺で水質が改善されるのは確か。時間をかけて取り組めば、濠の汚れた水を浄化することも可能」と話す。

 「環境の日」の5日朝、生徒たちは濠の脇で約20分かけて組み立てた浄化船を、ゴムボートで濠の中央部まで移動させ、コンクリートブロックをいかりにして固定した。取り組みがスタートして4年目の今年は、汚れが最も目立つ夏場(6〜8月)のデータを取り、浄化船の改良などにも役立てる方針だ。

 指導する小寺雅仁教諭(39)は「自分たちで工夫して、地元の環境保全に熱心に取り組んでくれていることがうれしい」と、教育効果に手応えを感じている。

 浄化船の設置を見守った田村恒一副市長は「古墳群の世界文化遺産登録には、市民の『守ろう』という高い意識が不可欠。子供たちの取り組みは心強く、とても感謝している」と語った。

2015年06月13日

2075名無しさん:2015/06/21(日) 10:21:19 ID:JQntJ/sg0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 今年度候補に
2015年06月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150615-OYTNT50404.html

◇知事や議連、文科相らに要望

 世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群(堺市、羽曳野市、藤井寺市)について、松井知事と登録を推進する超党派国会議員連盟のメンバーらが15日、東京・霞が関で下村文部科学相、青柳正規・文化庁長官と相次いで会談し、登録に向けて同古墳群を今年度の国内推薦候補に選定するよう要望した。

 会談には、竹山修身・堺市長や北川嗣雄・羽曳野市長らも同席した。

 下村氏との会談では、松井知事らが要望書を手渡し、議連会長を務める自民党の谷垣幹事長が「応神陵や仁徳陵はどこへ出しても恥ずかしくない歴史遺産だ」と強調。公明党の北側副代表も「日本が国家として形成される5世紀頃の代表的な古墳が百舌鳥・古市古墳群だ」と価値を説明した。

 下村氏は「世界遺産に早く名前が出てもおかしくない」と評価し、「機会があれば現地を視察したい」と述べた。

 会談終了後、松井知事は記者団に「熱意は伝わったと思う。大阪初の世界遺産だという点をぜひわかっていただきたい」と期待感を示した。

 府魅力づくり推進課によると、政府は同古墳群を含む4候補から7月下旬に国内推薦候補を一つに絞る。その後、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関による審査を通過すれば、2017年度の登録が決まる。

2015年06月16日

2076名無しさん:2015/06/22(月) 22:56:08 ID:TYS/gX7k0
高山右近を「福者」認定へ ローマ法王庁
2015年6月22日 5:59
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150622/20150622002.html

 【アテネ共同】江戸時代に幕府の禁教令で国外追放となり、1615年に死亡したキリシタン大名、高山右近について、ローマ法王庁(バチカン)は22日までに、カトリックで最高の崇敬の対象とされる「聖人」となる前段階の「福者」に認定する手続きを進めることを了承した。バチカン関係筋が明らかにした。

 枢機卿らによる会議で認定を決定し、法王フランシスコの承認を経た上で、年内か来年初めにも正式に発表される見通し。福者認定の儀式「列福式」は来年日本で行われる予定という。

2077名無しさん:2015/06/26(金) 04:26:34 ID:s1yKMUEI0
高山右近生誕の大阪訪問 「福者」申請代理人の神父
2015年6月25日 12:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150625/20150625052.html

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近をカトリックの崇敬対象である「福者」に認定するための申請手続きに関わったアントン・ビットベル神父らが25日、右近が生まれた摂津国高山があった大阪府豊能町を訪れた。

生誕碑や、没後400年を記念し今年5月に完成した「高山右近夫婦石像」などを視察。通訳を通じて「右近が幼少のころにどのような経験をしたかを感じることができ、大変良かった」と話した。

 ビットベル神父は法王庁立グレゴリアナ大の教授。大名の地位を捨て信仰に命をささげた右近を殉教者として福者に認定するよう、ローマ法王庁に申請した日本カトリック司教協議会の代理人を務めた。

2078名無しさん:2015/06/28(日) 10:59:15 ID:HXBxFNrU0
■弥生時代前期の水田跡・安満遺跡で現地説明会
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007950.shtml

大阪府高槻市の安満遺跡で、弥生時代前期のものとみられる大規模な水田や集落の跡が発掘され、27日、現地説明会が行われました。

 説明会が行われているのは、大阪府高槻市にある京都大学農場跡の安満遺跡です。

 安満遺跡では、約2500年前の弥生時代前期のものとみらる水田や住居、墓などの跡がまとまって見つかりました。

 弥生時代の水田跡として有名な静岡県の登呂遺跡よりも、古く規模も大きいということで、弥生時代に農業が始まった過程を知る貴重な遺跡として注目されています。

「びっくりした。こんな近くに」(参加者)

「想像していたより、すごい発見」(参加者)

「弥生時代にどの程度の人が住んでいたか、興味がある」(参加者)

 現地説明会は28日も行われます。 (06/27 17:23)

2079名無しさん:2015/06/28(日) 12:11:08 ID:2nAE9jAc0
高山右近の領地に隠れキリシタンの墓…茨木で発見
2015年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150628-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

キリシタン大名・高山右近の領地だった大阪府茨木市千提寺(せんだいじ)地区の山中で、江戸時代中頃の「隠れキリシタン」を埋葬した墓とみられる遺構が見つかった。近世以前のキリシタン墓で現存するものは全国でも珍しいという。現場は市立キリシタン遺物史料館の移転予定地だったが、市は「思わぬ歴史遺産の出土」で新たな場所を探す方針だ。

 市によると、現場は付近の民家で伝えられてきたキリスト像などを展示する現史料館から約500メートル南の山中。移転に向けて昨年秋に試掘したところ、遺構が15基ほど見つかった。

 うち1基を4月から詳しく調べたところ、縦1・7メートル、横0・95メートル、深さ0・7メートルと判明。その形状から、近世まで一般的だった体を折り曲げる「屈葬」ではなく、足を伸ばして埋葬するキリスト教式の「伸展葬」とみられることがわかった。骨の一部も確認された。

 一帯は江戸時代の「隠れキリシタン」たちが信仰を守り続けてきた地として知られ、日本人絵師が描いたとみられる「聖フランシスコ・ザビエル像」(国重要文化財、神戸市立博物館所蔵)も民家で発見された。2012、13年度には今回の遺構近くで、新名神高速道路の建設に伴ってキリシタン墓とみられる遺構計30基が出土したが、工事が優先され、遺構は壊された。

 市は今回の遺構をさらに調査し、保存・活用する方針。元長崎歴史文化博物館研究員で、キリシタン墓に詳しい大石一久さん(63)は「当時のキリシタン墓は大分県臼杵市など数か所しか現存しておらず、貴重な発見。新施設と連携すれば、キリスト教徒が置かれた状況を学べる希少な場所になるのではないか」と話している。

高山右近 1552〜1615年。織田信長や豊臣秀吉に仕え、秀吉の軍師・黒田官兵衛に洗礼を受けさせたことでも知られる。江戸幕府のキリスト教取り締まりを受けて現在のフィリピン・マニラに追放され、翌年亡くなった。

2015年06月28日

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2081名無しさん:2015/06/28(日) 14:46:14 ID:2nAE9jAc0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産へ市民の会
2015年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150628-OYTNT50004.html

「百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界遺産登録を応援する堺市民の会」が27日、発足した。様々な立場の市民が、ともに同古墳群の世界文化遺産登録と、その前段階で7月下旬にも公表される国内推薦に選ばれるよう機運を盛り上げる。

 同会は20団体と個人193人でスタート。会員を増やし、古墳周辺の清掃をはじめとする運動を市全体に広げる。この日、市総合福祉会館で行われた設立記念式典には、各種団体の代表や市民ら390人が集った。

 会長に就任した前田寛司・堺商工会議所会頭が、「市民がこの古墳群への理解を深め、一体となって盛り上げることが登録への大きな推進力になる」と呼びかけた。来賓の竹山修身市長は「市民の誇りである古墳群が、世界の誇りになるよう登録を目指す」と誓った。

 式典後、近畿で世界文化遺産に登録されている自治体の関係者が、観光活用や市民運動のあり方をアドバイス。読売奈良ライフ社長の朝廣佳子さんは、奈良市で毎夏2万個のろうそくをともす催しを紹介し、「地元市民には世界の財産を守る義務がある。活用しながら街づくりを」と語った。

 式典には、旅行者らを案内している堺観光ボランティア協会の約50人も、そろいの黄色ジャンパーで駆けつけた。活動歴17年という堺市南区槇塚台、松永澪二さん(79)は「様々な団体が集まって心強い。早く登録実現を」と願っていた。

2015年06月28日

2082名無しさん:2015/06/28(日) 15:52:26 ID:2nAE9jAc0
日本画や御迎え人形展示 天神祭の関連事業発表
2015年6月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150627/20150627042.html

 大阪市北区の大阪天満宮は26日、同宮会館で会見を行い、今年の天神祭の概要や関連事業を発表した。7月1日から関連事業を行い、24日の宵宮祭、翌25日の本宮祭を盛り上げる。

関連行事は「OAP天神祭展」と「天神祭御迎え人形スタンプラリー」で始まる。天神祭展は大正・昭和期に大阪画壇で活躍した女流日本画家、花田花朝の天神祭を描いた作品を25日までOAP(大阪アメニティーパーク)で紹介。スタンプラリーは大阪府有形民俗文化財である天神祭の御迎え人形を、街歩きを楽しみながら観賞してもらう試みで、現存する16体のうち7体を、同天満宮や帝国ホテル大阪、OAPなどに25日まで展示する。

 7日には七つの茅ノ輪をくぐって学徳向上や健康、厄よけなどを祈願する「天満天神七夕祭・星愛七夕まつり」を実施。同日夕には、天満橋付近から北浜周辺の大川を、約5万個の青色発光ダイオー(LED)でライトアップする「平成OSAKA天の川伝説」が催される。

 2000年から始まった御迎え人形のレプリカの製作も今回の真田幸村で完成。16体全てがそろい、愛好者に販売される。

 他の主な関連行事は次の通り。

 ▽落語で楽しむ天神祭(21日・大手門学院大阪城スクエア)▽天神祭北新地巡行(23日・北新地上通り-本通り)▽天神橋筋商店街ギャルみこし(23日・天神橋5丁目-大阪天満宮)▽OBP天神祭前夜祭(23日・ツイン21タワー中央広場)

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2084名無しさん:2015/07/03(金) 01:12:08 ID:f8JWCUYE0
夏祭り 季節到来 「愛染まつり」始まる
2015年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150701/20150701033.html

 大阪の夏祭りのトップを飾る愛染堂勝鬘(しょうまん)院(大阪市天王寺区)の伝統行事「愛染まつり」が30日、華やかに幕開けした。初日恒例の宝恵かごパレードでは12人の愛染娘があでやかな浴衣姿で登場。「愛染さんじゃ宝恵かご」の掛け声を響かせながら沿道に愛嬌(あいきょう)を振りまいた。

祭りは約1400年の歴史があると伝わり、今春、大阪市の無形民俗文化財に指定された。この日は約100人の隊列が同市阿倍野区のあべのキューズモールを出発し、約1・4キロ北の境内を目指して谷町筋をパレード。境内では勇壮華麗なかご上げが繰り広げられ、夏祭りにふさわしい盛り上がりを見せた。

 同院の山岡武明住職は「大阪には数々の素晴らしい伝統があるが、その一つとして今後も多くの方々に歴史や文化を伝える祭りとして手掛けていきたい」と話した。

 祭りは2日まで。秘仏の特別開扉をはじめ、1日午後7時からは「ミス愛染娘コンテスト」が行われる。

2085名無しさん:2015/07/03(金) 04:16:36 ID:f8JWCUYE0
ドローン使用禁止 天神祭、安全確保へ合同会議
2015年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150701/20150701029.html

 日本三大祭りの一つ天神祭を主催する同祭渡御行事保存協賛会と警察、消防の合同会議が30日、大阪市北区の大阪天満宮会館で開かれた。100万人以上の人出でにぎわう天神祭を今年も事故なく実施できるように話し合い、「ドローン」については使用禁止の措置が報告された。

会議には、警察や消防、医師会、鉄道、花火会場の管理者など、天神祭の運営に関わる各機関の担当者ら約80人が出席。同天満宮の担当者が、宵宮祭や本宮祭の行事を説明した後、安全な運行について意見を交わした。

 出席者からは、ドローンへの対応や救急対応についての質問や要望が出た。ドローンについては、同天満宮の担当者が、祭りが行われる会場での使用を全面的に禁止したことを報告。救急対応についても、昨年の反省を踏まえ、救護艇での搬送方法を見直したことや、救護所に設置する救急用具などを充実させる方針を説明し、理解と協力を求めた。

2086名無しさん:2015/07/03(金) 16:20:53 ID:Mii5n1..0
高山右近に再び熱視線 没後400年のキリシタン大名…「福者」として年内にも認定へ 
2015.7.3
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n2.html
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n3.html

 織田信長や豊臣秀吉に仕えたキリシタン大名で、キリスト教を禁教とした江戸幕府から国外追放され、フィリピン・マニラで病死した高山右近(1552〜1615年)が、ローマ法王庁から、カトリック教徒の崇敬対象「福者(ふくしゃ)」として、早ければ年内にも認定される見通しになった。正式決定を前に、バチカンからイエズス会司祭が訪日し、その足跡をたどるなど、没後400年の節目の年に右近が再び世界から注目を集め始めている。

 12歳で洗礼を受けた右近は、生涯を通じてキリスト教に強く帰依していた武将として知られる。高槻城主時代の領民のうち約7割がキリスト教徒だったとされるほか、秀吉の側近、黒田官兵衛(孝高)などに入信を勧めるなど、布教活動にも熱心だった。

 秀吉からの棄教命令を拒否して大名としての地位や領地を失い、徳川家康によるキリシタン国外追放令により母国を追われたが、信仰を捨てなかった。

 こうした信仰への真摯(しんし)な態度が、在日宣教師らを通じ当時からヨーロッパ社会に伝えられ、日本を訪れた戦国時代のイエズス会宣教師、ルイス・フロイスは、著書で「全キリシタンの柱」として紹介した。

 福者は、カトリックにおいて聖人に次ぐ崇拝の対象で、マザー・テレサなども認定されている。

 右近についても、福者として認められるための列福(れっぷく)手続きに備え、死去直後に生前の足跡を記録した文書が作成された。しかし、キリスト教を禁教とした江戸幕府の政策により、日本国内での調査はできず、正式な手続きが行われることはなかった。

 第2次世界大戦前にも「右近を福者に」という機運が盛り上がることはあったが、戦時下の混乱などによって頓挫。ようやく、昭和40年になってカトリック大阪教区(当時)が「右近列福運動本部」を設立し、運動を再開した。しかし、史料の散逸や関係者の高齢化も相まって活動は先細っていった。

 転機が訪れたのは平成21年。日本カトリック司教協議会が右近の没後400年となる27年までの列福を目指し、「高山右近列福運動推進委員会」を設立。「殉教者」としての列福を目指し活動を本格化させた。

 推進委の川邨裕明委員長は「地元の方々とともに、右近の信仰の強さを確認するとともに、顕彰するための地道な活動を続けてきました」と振り返る。

 右近の生誕地とされる大阪府豊能町や、居城があった同府高槻市などで右近関連の史跡や史料などを精査。審査を行うローマ法王庁にアピールした。そして同庁は先月18日、「信仰のため国を追われた殉教者」として、列福認定手続きを進めることを了承した。

 同25日には、列福申請の日本側代理人を務めている法王庁立グレゴリアナ大学教授のアントン・ヴィットヴェル神父(67)が豊能町などを訪れ、地元住民らが建立した右近夫妻の石像や、生誕地の碑、祈祷所があったとされる寺院などを見学。

 ヴィットヴェル神父は「生まれ育った環境は人格形成に大きな影響を与える」としたうえで「右近の故郷を知ることは非常によい経験になると思う」と話した。

 同行した川邨委員長も「福者として認められ知名度が上がることで、日本国内だけでなく、世界中の人に右近の思想について知ってもらえるきっかけになれば」と期待を寄せた。

 今後、手続きが順調に進めば今年末〜来年1月にも福者として認定されるとみられ、大阪市内で式典が行われる見通しだ。

2087名無しさん:2015/07/04(土) 22:47:35 ID:H1R.jbLo0
みんなの文楽に支援の輪、ミニ公演や移動式舞台
2015年07月04日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150704-OYO1T50021.html?from=oycont_top_txt

民間団体や企業の間で、大阪市の補助金改革で岐路に立つ文楽界を支援しようと、ミニ公演を企画し、制作費などを負担する動きが広がっている。文楽の専用劇場ではなく、都心の商業施設を会場に若者層にもアピール。10月には、大阪・難波宮跡公園での野外公演も行われる。演者が所属する文楽協会は「新しいファンの獲得につながる」と歓迎している。(倉岡明菜、坂成美保)

 今月2日、大阪市北区の阪急うめだ本店。フロアに三味線の音色が響き、2体の人形が激しい立ち回りを披露すると、買い物客らから歓声が上がった。13日まで、同店で開催中の「文楽の世界展」の会場の一角に特設舞台が設けられ、今月国立文楽劇場(大阪市中央区)で上演予定の新作「ふしぎな豆の木」の一場面が上演された。「文楽を応援したい」と、百貨店側が文楽協会や国立文楽劇場に持ちかけて実現したイベントだ。

 伝統文化やスポーツの振興を目的にした「日本財団」(東京)は、「にっぽん文楽プロジェクト」を始動。約1億円を投じて、移動式の組み立て舞台を製作し、文楽公演を支援する。「日本の宝である文楽を盛り上げるために一役買いたい」と、5年かけて全国を巡演する取り組みだ。

 3月の第1回公演は、東京・六本木ヒルズを望む屋外の特設舞台で開催。飲食を楽しみながら観劇できる形態にしたところ、若者層に好評で4日間で延べ約2000人が入場した。

 会場の使用料、設営費、演者の出演料などの必要経費は財団が負担。10月17〜20日に開催される第2回公演の会場は難波宮跡公園で、屋外に舞台を設置する。

 読売テレビなど在阪民放5局も支援に乗り出した。5局が費用を分担し、2月、若手・中堅演者中心の座組による「うめだ文楽」を大阪・キタのグランフロント大阪にある劇場「ナレッジシアター」で初開催。来春、第2回公演を計画している。

 「にっぽん文楽プロジェクト」で総合プロデューサーを務める中村雅之・横浜能楽堂館長は「公演をきっかけに文楽の保存・継承について、みんなで議論してほしい」と話している。

 文楽劇場へ波及、鑑賞教室入場増

 民間支援の広がりを受けて、本拠地である国立文楽劇場の入場者数も快調だ。毎年6月開催の初心者向け鑑賞教室の入場者数は今年、2万500人に達し、過去10年で最多を記録。劇場の宣伝担当者は「ユニークなミニ公演がメディアで紹介された効果で、文楽劇場を訪れる観客も増えているのでは」と分析。協会の三田進一事務局長は「協会の事務経費や職員の人件費を捻出するのにも四苦八苦しているのが現状で、企業、団体の支援はありがたい」と期待をかける。

2015年07月04日

2088名無しさん:2015/07/09(木) 10:48:11 ID:gz4q1sG.0
難波宮跡で野外文楽開催へ
07月08日 21時18分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150708/5876201.html

大阪で生まれた人形浄瑠璃「文楽」を広く気軽に楽しんでもらおうと、ことし10月、大阪・中央区の難波宮跡公園で野外公演が行われることになりました。
これは8日、公演を主催する「日本財団」が記者会見して明らかにしました。
記者会見では日本財団の尾形武寿理事長が「もともとは、庶民の芸術だった文楽を気軽に楽しんでもらえるようにしたい」と述べ、ことしの10月17日から20日まで、大阪・中央区の難波宮跡公園に移動式のヒノキ造りの舞台を設置し、野外公演を行うと説明しました。
文楽は通常、劇場などで演じられ、屋外の開放的な空間で公演が行われるのは珍しいということです。
10月の野外公演では、食べ物と飲み物の持ち込みを自由にして、飲食をしながら、文楽を楽しめるようにするということです。
記者会見に加わった人形遣いの桐竹勘十郎さんは「お客さんの箸の動きを止めるくらい熱中してもらえる舞台にしたい」と話していました。
文楽の野外公演は、東京オリンピックが開催される平成32年にかけて、全国各地を巡業する計画だということです。

2089名無しさん:2015/07/09(木) 20:43:26 ID:GJBqMdrk0
天神祭の幕開け告げる七夕神事 所願成就祈る
2015年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150708/20150708022.html

 天神祭の幕開けを告げる「天満天神七夕祭」と「星愛七夕まつり」が7日、大阪市北区の大阪天満宮を中心に盛大に営まれ、多くの人出でにぎわった。今年の天神天満花娘が地元商店街をパレードしたほか、大勢の参拝客が天満宮の境内に設置された茅(ち)の輪をくぐって所願成就を祈った。

大阪天満宮の七夕神事は江戸時代に一度途絶えたが、1995年に復活。24日の宵宮祭、25日の本宮祭へと続く天神祭の幕開けとして盛大に営まれるようになった。

 神事に当たる天満天神七夕祭は午後3時に本殿で始まった。同宮の寺井種伯宮司の祝詞に続いて、2人のみこがササと鈴を手に神楽を披露。参列者が神前に進み、願い事を書いた短冊を供えた。

 星愛七夕まつりは織り姫、ひこ星に扮(ふん)した地元の小学生や天神天満花娘10人のパレードでスタート。扇町総合高校吹奏楽部の演奏に合わせて地元商店街を大阪天満宮まで行進し、花娘が福を招く口上を披露した。

 境内にはササ飾りのほか、恋愛成就、学徳向上、心身健康、厄よけ、交通安全、商売繁盛、所願成就の願意を込めた七つの茅の輪が設置され、浴衣姿の若者や家族連れなどが次々に訪れて、願い事を書いた短冊をササに結んだり、茅の輪をくぐった。

2090名無しさん:2015/07/09(木) 20:48:22 ID:GJBqMdrk0
寄港地の魅力探る 大阪市で北前船フォーラム
2015年7月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150704/20150704039.html

 かつて、大坂-北海道間を日本海経由でつないだ北前船(きたまえぶね)の寄港地が連携して広域観光のルートをつくる本年度の「北前船寄港地フォーラム」が、17、18の両日に大阪市で開かれる。地方創生の風が吹く中、航路の発着点となった大阪から各寄港地の魅力を発信する考え。

 フォーラムは、2007年11月の山形県酒田市での第1回以降、秋田県男鹿市や京都府宮津市など日本海側を中心にこれまでに15回開いた。現在では、民間レベルのフォーラムとして国内最大級の規模を誇る。

 16回目を迎える大阪市でのフォーラムは太閤園(都島区網島町)で開催。同フォーラム議長で作家の石川好氏や、東京国立博物館の銭谷真美館長らが基調講演。フォーラム形式で「日本遺産と北前船寄港地文化」をテーマに、国が観光資源の掘り起こしを狙った日本遺産の認定を目指して、文化庁や観光庁、認定を受けた自治体の首長らが登壇する。また、「大阪から巡る寄港地、日本遺産」と題し、陸海空の三つの交通手段から、寄港地を巡る観光ルートについて考える。

 北前船の発着点となった大阪で開かれることについて、同フォーラム実行委員会の堀井良殷副委員長は、北前船が集まり、物流の拠点となったことが大阪が栄えた理由だと指摘し、「日本海と瀬戸内海の地方と共に元気になることに、大阪の未来はあると思う。今回は、国内だけではなく、海外からも(北前船の寄港地などに)来てもらうためのキックオフの大会だ」と意気込んでいる。

 北前船 江戸時代〜明治時代にかけて繁栄した商売で、船主が西回りで大坂-北海道間を、各港で物を売り買いしながら往復。船で米や魚などを運んで巨万の富を築き、中には藩の財政を立て直すほどの豪商も生まれた。また、各地域の文化にも大きな影響を与え、船に乗って届いた北海道の昆布が使われるようになったことから、関西の“だし文化”が築き上げられたともされる。

2091名無しさん:2015/07/11(土) 23:21:08 ID:8MjPhBmc0
大阪 いくたま夏祭始まる
07月11日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150711/3208781.html

大阪の三大夏祭りのひとつといわれる生國魂神社の夏祭りが始まり、無病息災を願って、「願人」と呼ばれる若者たちの一行が太鼓をたたきながら、街を練り歩きました。
大阪・天王寺区の生國魂神社で11日から始まった「いくたま夏祭」は、大阪天満宮の「天神祭」や住吉大社の「住吉祭」とともに大阪の三大夏祭りのひとつとして親しまれています。
境内では、11日朝、地元の人たちが参列して、祭りの成功を祈る神事が行われました。
このあと、そろいの、赤い頭巾と法被を着た「願人」と呼ばれる若者たちが、無病息災を願って、直径1メートルあまりの太鼓をたたきながら、大阪の街を練り歩きました。
見物していた女性は、「たまたま運よく見ることができました。勇壮で、格好よかったです」と話していました。
「いくたま夏祭」は12日まで行われ、去年、69年ぶりに復活した「渡御列」が大阪の中心部を練り歩きます。

2092名無しさん:2015/07/12(日) 18:55:43 ID:Dz4Vmwrw0
「真田丸」新たな出演者
07月10日 14時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150710/3228341.html

戦国の武将、真田幸村の生涯を描く来年放送のNHKの大河ドラマ「真田丸」の新たな出演者21人が10日、発表され、最大の宿敵となる徳川家康役を内野聖陽さんが演じることになりました。
来年の大河ドラマ「真田丸」は、幸村の名で知られる真田信繁が、家族のきずなとみずからの知恵を頼りに戦国の世を駆け抜けるドラマで、原作はなく、人気劇作家の三谷幸喜さんが一から脚本を手がけます。
10日は東京・渋谷のNHK放送センターで新たな出演者21人が発表され、すでに主役の信繁役が決まっている堺雅人さんも出席して会見が開かれました。
このうち▼信繁の前に立ちはだかる最大の宿敵、徳川家康役を大河ドラマ「風林火山」で主役を務めた内野聖陽さんが演じることになりました。
また、▼信繁の兄で、のちに敵と味方に分かれて戦うこととなる真田信幸役は大泉洋さんが、▼信繁の父、真田昌幸役を草刈正雄さん、▼主人公の側室の「きり」役を長澤まさみさんが演じます。
会見では堺さんが、「非常にわくわくしています。信繁が戦国の武将たちにほんろうされたように私も共演の皆さんにほんろうされながらこの役を楽しみたいです」と話していました。
家康役の内野さんは「三谷さんの描く家康は思わず台本を落としそうになるくらい奇想天外でした。
見ている人が驚くような家康をお見せできると思います」と話していました。
また、会見では、脚本を手がける三谷さんが突然、記者席から記者に扮して質問する場面もあり、思いがけない登場に出演者たちが驚きの声をあげました。
大河ドラマ「真田丸」は、ことし9月から撮影が始まる予定で、来年の1月から1年間放送されます。

2093名無しさん:2015/07/15(水) 03:07:16 ID:VPoJH9io0
「ギャルみこし」天神祭をPR
07月14日 16時22分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150714/5748331.html

大阪の夏を彩る「天神祭」が今月24日から始まるのを前に、祭りを盛り上げる「ギャルみこし」の担ぎ手たちがNHK大阪放送局を訪れ、まつりをピーアールしました。
ことしで35周年を迎える「ギャルみこし」は毎年「天神祭」の前日に行われ、女性たちが長さおよそ4メートル重さ200キロのみこしを担ぎ天神橋筋商店街を練り歩きます。
14日は祭りをピーアールするため担ぎ手の女性10人が赤のそろいのはっぴ姿でNHK大阪放送局を訪れました。
担ぎ手たちは「わっしょい、わっしょい」と威勢のいいかけ声を上げたり、大阪独特の手締め「大
阪締め」を元気に披露したりしました。
「ギャルみこし」の担ぎ手は例年、一般からの公募で選ばれますがことしは、35周年ということで公募をせず歴代のメンバー合わせて105人が参加するということです。
担ぎ手の一人、豊田百佳さんは、「来てくれたみなさんに元気になってもらえるよう、笑顔で担ぎます」と意気込みを話していました。
「ギャルみこし」は、今月23日の正午に天神橋四丁目をスタートする予定です。

2094名無しさん:2015/07/15(水) 04:09:05 ID:VPoJH9io0
「生国魂祭」宵宮で幕開け 勇壮華麗なお練り披露
2015年7月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150712/20150712084.html

 「いくたまさん」で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で11日、伝統行事「生国魂祭」が宵宮で幕を開け、枕太鼓などの列がにぎやかに氏地を練り歩いた。

この日は本殿で宵宮祭が執り行われ、豊臣秀吉が奉納したと伝わる枕太鼓をはじめ、獅子舞、金、銀のみこしなどに奉仕する多くの氏子衆が参集。それぞれの奉仕者は、同神社に伝わる手締め「いくたま締め」を豪快に決め、境内を次々と出発、同区や中央区の上町台地を中心に巡行を繰り広げた。夕刻の宮入り後は境内で勇壮華麗なお練りを披露し、多くの参拝者を魅了した。

 中山宮司は「多くの方々にご参加いただき、前年以上の盛り上がりをうれしく思う」と話し、奉仕者一行を見守った。

 本宮の12日は陸渡御が行われ、約500人からなる渡御列が同神社本来の鎮座地である大阪城を目指す。

2095名無しさん:2015/07/15(水) 04:25:54 ID:VPoJH9io0
荘厳、500人街練る 生国魂祭・本宮「陸渡御」
2015年7月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150714/20150714027.html

 大阪三大祭りの一つ、生国魂神社(大阪市天王寺区)の「生国魂祭」が12日、本宮を迎え、境内から大阪城(同市中央区)までの陸渡御が執り行われた。伝統衣装を身にまとった約500人の一団が大阪の中心部を練り歩いた。

古式にのっとった大行列の陸渡御は、1945年の大阪大空襲で、行列の中心に当たる御鳳輦(ごほうれん)などが焼失。長らく途絶えていたが、氏子の寄進などでみこしや神具が整えられ、2014年に復活した。

 渡御列は、参道を経て谷町筋を北上。祭神を乗せた御鳳輦をはじめ、より代を担当した子どもや、祭神が通るのを知らせる「枕太鼓」などが、同神社の本来の鎮座地である大阪城へと向かった。

 沿道には多くの観客が集まり、カメラで撮影したりしながら荘厳な渡御列に見入っていた。太鼓をたたく役で参加した姉を応援しようと家族連れで見守っていた大久保智貴君(8)=同市中央区=は「(将来)僕もたたいてみたい」と目を輝かせていた。

2096名無しさん:2015/07/19(日) 10:25:16 ID:SOZYfEC60
床ごと吹き飛んだ火薬庫跡を発見 大阪、39年に大爆発
2015年7月15日 17:21
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150715/20150715083.html

 古墳―平安時代の集落跡が残る禁野本町遺跡(大阪府枚方市)で、1939年に約700人の死傷者を出す大爆発を起こした旧陸軍「禁野火薬庫」の建物や土塁跡が見つかり、大阪府文化財センターなどが15日発表。裏返った床の破片が折り重なって見つかっており、爆発で建物が床ごと吹き飛んだことを示していた。禁野火薬庫に詳しい鳥取県教育文化財団の駒井正明副主幹は「爆発のすさまじさが実感できる」と話している。

文化財センターなどによると、火薬庫跡地の西端を調査し、建物の周囲に巡らされた石組みの溝やコンクリート製の床の一部が見つかった。当時の配置図から五号乾燥火薬庫とみられる。

2097名無しさん:2015/07/20(月) 19:41:08 ID:Hhi3G8W.0
人間国宝 竹本源大夫さん死去
07月20日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150720/3485711.html

重厚な語り口で観客を魅了した人形浄瑠璃「文楽」の語り手で、人間国宝の竹本源大夫さんが、けさ、大阪市内の病院で亡くなりました。
83歳でした。
竹本源大夫さんは、昭和7年、大阪で生まれ、祖父の代から4代にわたって文楽の語り手の「太夫」や三味線を務める一家で幼い頃から義太夫節に親しみました。
戦後まもない昭和21年、14歳の時に入門して太夫となり、昭和38年、竹本織大夫の名跡を襲名しました。
平成6年、物語の重要な場面を語る「切場語り」となり、平成8年に師匠の名の「綱大夫」を、平成23年には祖父の名跡「源大夫」を襲名しました。
登場人物の心境や状況によって声を巧みに使い分け、重厚な語り口で聴かせる時代物を得意とする一方で、「曾根崎心中」など近松門左衛門の作品を伝承する第一人
者としても高く評価されました。
こうした功績で、平成19年にいわゆる人間国宝に認定され、平成21年には旭日小綬章を受章しました。
源大夫さんの長男の鶴澤藤蔵さんは三味線の奏者で、およそ17年にわたって相三味線を務め、息の合った義太夫節を披露したほか、平成23年には「源大夫」と「藤蔵」を同時に襲名し、話題となりました。
源大夫さんはおととし5月の東京公演のあと体調不良を理由に休演し、去年7月、引退を表明しました。そして、後進の指導などにあたっていましたが、20日、午前8時すぎ、心不全のため大阪市内の病院で亡くなりました。

2098名無しさん:2015/07/20(月) 20:31:12 ID:Hhi3G8W.0
中村鴈治郎さんが お練り
07月20日 18時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150720/5645041.html

ことし1月、上方歌舞伎の名跡、「鴈治郎」を襲名した四代目「中村鴈治郎」さんが、襲名披露の公演を前に、人力車に乗って大阪・岸和田市内を練り歩きました。
中村鴈治郎さんは、ことし1月、父親で人間国宝の歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんが名乗っていた名跡、「鴈治郎」を襲名しました。
20日から2日間、岸和田市で襲名披露公演が行われるのを前に鴈治郎さんや、坂田藤十郎さんらが岸和田駅前の商店街を人力車に乗って練り歩きました。
岸和田市で歌舞伎俳優による練り歩きが行われるのは、平成19年の父親の坂田藤十郎さんの襲名公演以来です。
商店街には、歌舞伎俳優を一目見ようと大勢のファンが集まり、鴈治郎さんは、笑顔で手を振って声援に応えていました。
岸和田市内から訪れた60代の女性は、「実際に近くでお姿を見ることができて、とてもうれしかったです。歌舞伎を見るのが楽しみです」と話していました。
中村鴈治郎さんは、「たくさんの方からご声援を頂き、舞台ではじけて精一杯演じたいです」と話していました。

2099名無しさん:2015/07/20(月) 20:41:25 ID:Hhi3G8W.0
地車ばやし 60年ぶり復活 山阪神社夏祭り
2015年7月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150719/20150719030.html

 祭りばやしが約半世紀ぶりに復活へ-。東住吉区にある山阪神社(山坂2丁目)の夏祭りで、担い手不足によって途絶えていた地車(じぐるま)ばやしが60年ぶり、獅子舞巡行は40年ぶりに復興する。子どもたちが商店街をにぎやかに練り歩く予定で、地元は「夏祭りは夜店だけじゃない」と張り切っている。

同宮の夏祭りは、境内周辺が夜店でにぎわう恒例行事だが、神事としては氏子地域を3年ごとに持ち回る子どもみこしがあるのみ。近くに住む自営業の匂梅文彦さん(40)は、祭りばやしが聞こえないことを寂しく思っていた。日本舞踊や和太鼓など伝統芸能の素養もあり、自身が呼び掛け人となってこの春、「山坂地車囃子会」を立ち上げた。

 地車は既に譲ってしまい、踊りやはやしも継承されていないため、会では各地の祭りを視察したり、地道に音源を集めるなどして手探りで素材を収集。他地域から踊りの指導を仰いだりと、計画から半年余りで古典を参考に形を仕上げた。

 同宮に近い南田辺本通商店街や町会も物心両面で支援しており、和太鼓も地元からの寄贈品だ。21日の本宮では獅子舞や傘踊り、篠笛、締太鼓が列をなし、商店街を中心に約700メートルを約1時間かけて練り歩く。氏子地域は、東住吉区の山坂や田辺をはじめ、阿倍野区の一部など広範だが、幼児や小中学生をはじめ世代間の交流が生まれ、匂梅さんは「聞いたことのないおはやしや踊りを一生懸命練習してくれている」と目を細める。

 祭りに合わせて法被を新調し、はかまは40年ぶりに境内の蔵から引っ張り出して京都で縫い直した。篠笛を担当する苗代小6年の難波洸君(11)=阿倍野区=は「吹いているときの感触、音色が好き。できることをしっかりやりたい」と胸を躍らせる。

 「3年、5年たって地域にしっかり根付いていけば」と匂梅さん。境内は大相撲春場所中に九重部屋の大阪宿舎が設けられることでも知られているが、まちの「新しい名物」として、活性化の起爆剤になれるか。

  ◇   ◇

 21日は、午後4時20分ごろから同5時半まで獅子舞巡行がある。20、21の両日とも、同8時半まで地車ばやしの演奏が続く。

2100名無しさん:2015/07/20(月) 22:17:52 ID:Hhi3G8W.0
「気負わず 歌舞伎に尽力」 仁左衛門さん
2015年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150718/20150718022.html

 人間国宝に認定された歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん(71)が、大阪市内のホテルで記者会見を開き、喜びと抱負を語った。「今日ほど緊張したのは初めて。ありがたいのと同時に大変おそろしく、責任を感じています」と苦笑いをしながらも、表情は晴れ晴れしていた。


 最初に内定の報を聞いたときは「ええっ」と驚いたが、「これからは良いか、悪いかではなく、悪いでは済まなくなる」と思ったという。それでも「気負うことなく、先輩から受け継いだものを後輩に伝えていくことを心掛け、歌舞伎繁栄に尽力したい」と語った。

 父の十三代目片岡仁左衛門さんも人間国宝だった。「父は喜んでくれていると思うが、半分は『お前が!』と嘆いているかもしれない。親孝行はできたような気はするが、一番喜んでくれているのは母親だと思います」と話した。

 1949年に片岡孝夫の名で初舞台。98年に十五代目片岡仁左衛門を襲名。「父から教えてもらったことが今日の基盤になっている」と振り返る。

 今後の抱負は「大阪道頓堀で年の8カ月は歌舞伎興行をやりたい」。自らも「まだまだ芸域を広げたい」と意欲的だ。上方歌舞伎の若手には「自分に厳しく、基本を大事に」。

2101名無しさん:2015/07/20(月) 22:33:22 ID:Hhi3G8W.0
太鼓など勇壮に練る 御霊神社・夏祭り宵宮祭
2015年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150717/20150717028.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の御霊神社で16日、伝統の夏祭り「宵宮祭」が執り行われた。台風11号が接近するあいにくの天候の中、800人を越える氏子衆が「安全第一」を合言葉に、威勢よく氏地を練り歩いた。

祭礼には氏地の同市西区内に所在する「江戸堀猿田彦講」「西船場獅子講」「靱太鼓講」が奉仕した。このうち靱太鼓講は約100人の奉仕者が境内に参し、安全確認の後、拝殿前で勇壮なお練りを披露。神職や多くの参拝者に見送られて境内を出発し、都心に豪快な太鼓の音を響かせて夏祭りの幕開けを告げて回った。

 幼少期から太鼓講に携わってきた講元の玉井英夫さん(63)は、「一生懸命練習してきた子どもたちのために皆で頑張りたい。やがて子どもたちが指導する側として成長し、地域の伝統を継承してほしい」と期待を寄せた。

 園文夫宮司は「夏祭りの台風は初めての経験だが、皆さんの協力でさらなる安全対策に取り組むことができた。この教訓を今後に生かしたい」と語った。

2102名無しさん:2015/07/25(土) 00:40:47 ID:d.TA6vno0
太鼓や踊り、はや熱気 天神祭前夜祭
2015年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150724/20150724032.html

 大阪天満宮の「天神祭」(24、25日)を目前に控え、大阪市中央区の大阪ビジネスパークで23日夕、恒例の「OBP天神祭前夜祭」が開かれた。関係者約200人が見せ場を紹介し、天神祭のムードを盛り上げた。

会場のツイン21タワー中央広場で、同宮神職によるお払い後、渡御などに参列する各講社の関係者が伝統の所作や演奏を披露した。

 帰宅途中の会社員らが見守る中、催(もよおし)太鼓に奉仕する太鼓中が豪快に太鼓をたたく所作「からうす」(大阪府無形民俗文化財)を繰り広げた。

 地車講は軽快なおはやしに乗せ、伝統の龍踊りを紹介。獅子舞を務める天神講の踊り子や、舞を奉納する講「菅公会(かんこうかい)」の面々が会場いっぱいに踊りの輪を広げ、勇壮華麗な一挙一動に歓声が沸いた。

2103名無しさん:2015/07/25(土) 10:49:05 ID:Mii5n1..0
大阪・都島で「地車囃子」 天神祭りに併せ地元保存会が披露
2015年07月25日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1388/

 大阪・都島の櫻宮境内(大阪市都島区中野1)で天神祭最終日となる7月25日、櫻宮地車囃子(だんじりはやし)保存会が地車囃子を披露する。


 和楽器の大太鼓・小太鼓・鉦(しょう)の構成で演奏する地車囃子。普段は地車を動かす際に演奏されるが、今回は舞台囃子として天神祭の奉納花火に併せて披露。当日は地元の小学生や中学生も囃子に参加する。

 同会副会長の佐藤正豪さんは「天神祭の花火が見える櫻宮境内で地車囃子をやれば、もっとにぎやかになるのではという思いから開催したのが始まり。もう10年以上たつ」と経緯を話す。「開催当初に比べ、年々観客が増えてうれしい。今では天神祭の定番スポットになっている」とも。

 同行事の他にも、伝統を残そうとさまざまな催しで地車や地車囃子を披露し活動している同保存会。「近年では地域の仲間に声を掛け、大阪の祭りを全国に発信できるよう活動している。自分たち自身も楽しんでいる」と佐藤さん。花火終了後は、境内や川沿いの道路の清掃活動も行っているという。「迫力ある花火を見ながら地車囃子を楽しんでもらえたら」と意気込みを語る。

 開催時間は、花火の上がる19時ごろを予定。

2104名無しさん:2015/07/25(土) 21:25:05 ID:Kk0DL0t.0
天神祭の船渡御にぎわう
07月25日 18時41分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150725/4759831.html

大阪の夏を彩る天神祭は25日
「船渡御」が行われ、大勢の人たちで賑わっています。
大阪の天神祭は25日本宮を迎え、夕方からは「船渡御」が行われています。
「船渡御」は大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、船の上から地域を見回ったという言い伝えを再現した行事です。
太鼓をのせた船を先頭におよそ100隻の船が大阪中心部の大川を行き交い、船に乗り込んだ人たちが互いに太鼓やカネを鳴らし、声をあげて祭りを盛り上げていました。
25日の大阪市は日中の最高気温が32度4分という厳しい暑さとなりましたが、川沿いや橋の上には浴衣姿の女性や家族連れなど見物の人たちが大勢詰めかけまつりの雰囲気を楽しんでいました。
天神祭は午後7時半から、およそ5千発の花火の打ち上げが行われまつりは最高潮を迎えます。

2105名無しさん:2015/07/26(日) 03:57:47 ID:Kk0DL0t.0
浪速の街は祭り一色 天神祭宵宮、あふれる熱気
2015年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150725/20150725042.html

 日本三大祭りの一つ天神祭は24日、宵宮を迎えた。大阪市北区の大阪天満宮をはじめ市内各地で多彩な行事があり、25日の本宮に向け、浪速の街は祭りのにぎわいに包まれた。

早朝に天満宮本殿で宵宮祭の神事が行われ、講社の一つ「神鉾(かみぼこ)講」を中心にした約300人の渡御列が同宮を出発。堂島川に面した斎場に到着すると、天神祭の本格的な幕開けを告げる鉾流(ほこながし)神事が厳かに執り行われた。

 氏地巡行で御神霊がお休みになる「御旅所」が設けられた千代崎行宮(同市西区)でも宵宮祭の神事が行われたほか、祭りの花形「催太鼓」が豪壮な太鼓の音を響かせて氏地を巡行。市内の川でも「どんどこ船」が中之島周辺から道頓堀川まで縦横に行き来して祭りムードを盛り上げた。

 この日の大阪市は前日までの雨も上がり、絶好の祭り日和。天満宮の境内には多くの参拝者が訪れ、熱気あふれる祭礼に見入っていた。

 25日は午後3時半に陸渡御が天満宮を出発。同6時から大川一帯で船渡御を展開する。第69回水都祭・天神祭奉納花火(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は午後7時20分から実施予定。大川沿いの2カ所で計約4千発を打ち上げ、船渡御のにぎわいに花を添える。

2106名無しさん:2015/07/26(日) 10:12:08 ID:SMNMZkJc0
天神祭に船100隻、夜空に花火 大阪に夏本番
2015年7月25日 20:58
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150725/20150725098.html

 夏の風物詩、大阪天満宮(大阪市北区)の「天神祭」は25日、多くの船が市中心部の大川を行き交う伝統行事「船渡御」があった。クライマックスでは約5千発の奉納花火が披露された。

約1万2千人が乗り込んだ100隻ほどの船が手拍子や三味線の音とともに、にぎやかに大川を行き来し、赤や緑、黄など色とりどりの打ち上げ花火が夜空と川面を鮮やかに照らした。河岸や橋では多くの見物客がうちわやビールを手に夏本番の訪れを楽しんだ。

 奉納花火は近年約4千発だったが、今年は市民らから資金を募り、千発増やした。天神祭には千年以上の歴史があるとされる。

2107名無しさん:2015/07/26(日) 19:28:19 ID:AwlO8qWU0
浪速の夏4000発彩る 水都祭・天神祭奉納花火
2015年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150726/20150726026.html

 日本三大祭りの一つに数えられる大阪天満宮(大阪市北区)の例大祭「天神祭」が25日、本宮を迎え、大阪の街は祭りの熱気に包まれた。約3千人が市街を練り歩く陸渡御や約100隻の船が川面を行き交う船渡御が盛大に行われ、第69回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が浪速の夜空を鮮やかに彩った。

千年余の歴史がある天神祭は、菅原道真公の御神霊を「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれるみこしに移し、渡御行事として陸路や航路を巡る祭り。市中の人々の暮らしぶりを見ていただき、加護を祈願する。

 この日の大阪市は、日中の最高気温が32・4度。強い日差しが照りつける中、陸渡御では大行列が都心部を練り歩いて“一大歴史絵巻”を展開。船渡御では船上の個性豊かなイルミネーションが見物人らの心を捉え、水都・大阪をあらためて印象づけた。

 天神祭のクライマックスを飾ったのが奉納花火。高さ15メートル、幅約60メートルの仕掛け花火「ナイアガラ」が数年ぶりに復活したほか、約4千発の花火が打ち上げられ、船渡御列でにぎわう川面を華やかに彩った。

2108名無しさん:2015/07/26(日) 19:40:11 ID:AwlO8qWU0
華やぐ水都、5000発花火で船団彩る…天神祭
2015年07月26日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150726-OYO1T50019.html?from=oycont_top_txt

 大阪天満宮の天神祭が本宮を迎えた25日、大阪市中心部の大川を約100隻の船が行き交う「船渡御ふなとぎょ」があった。例年より1000発多い約5000発の打ち上げ花火が船団を照らし=写真、本社ヘリから、里見研撮影=、見物客約114万人(大阪天満宮発表)でにぎわった。

 午後6時頃、氏子ら計1万2000人を乗せた船団が天神橋と飛翔橋から出発、鉦かねを鳴らし水面みなもを進んだ。今年はインターネットサイトで寄付を募る「クラウドファンディング」を活用。287万円が寄せられ、花火を増やした。

2015年07月26日

2109名無しさん:2015/07/26(日) 21:57:46 ID:m82BFQa20
■大阪市東住吉区で模擬原爆追悼式
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000008177.shtml

70年前、アメリカ軍が広島や長崎へ原爆を投下する訓練として、日本各地に「模擬原爆」を落としました。模擬原爆が投下された大阪市東住吉区では、26日、追悼式が営まれました。

 爆弾の投下時刻=午前9時26分に始まった追悼式には、地元の住民ら約250人が参加しました。

 「模擬原爆」は、アメリカ軍が広島や長崎への原爆投下の前に、訓練のため日本各地で同じ形状の爆弾を投下したもので、大阪市東住吉区では7人が死亡、73人が重軽傷を負いました。

「(姉の親友は)朝、私の家に来ていた。『警戒警報が出ているから帰る』が最後の言葉」(姉の親友を亡くした龍野繁子さん)

 龍野さんは、「今の日本は私が子どもの頃の状況と似てきた。体験を語り継ぐことはその後を生きた者の使命だ」と、静かに話していました。 (07/26 18:46)

2110名無しさん:2015/07/29(水) 00:47:25 ID:8aWuiCHY0
世界文化遺産推薦ならず
07月28日 18時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150728/3591211.html

文化庁の審議会は再来年の世界文化遺産への登録を目指し、福岡県の「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。
大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は、「改善すべき課題が残されている」と判断されました。
28日、文化庁の審議会の世界文化遺産特別委員会は、再来年の登録を目指す4件の候補について審議しました。
その結果、福岡県宗像市の沖ノ島や宗像大社など5つの資産からなる「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。
審議会は、「古代の祭りのあとがほぼ手つかずの状態で保存されており、現代でも神聖な島として信仰の対象であることなどが世界的に見ても顕著だ」などと評価しています。
一方、このほかの▼「北海道・北東北の縄文遺跡群」、▼新潟の「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」、それに▼大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は、「改善すべき課題が残されている」と判断されました。
世界遺産をめぐっては、今月、登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」について、韓国との調整が難航する場面がありましたが、審議会は、今回の決定について、「政治的、外交的な観点では見ておらず、学術的な立場から候補を決めた」としています。
国はことし9月末までに、暫定版の推薦書をユネスコに提出し、再来年・平成29年の世界遺産委員会で審査されることになります。

2111名無しさん:2015/07/29(水) 00:53:13 ID:8aWuiCHY0
米朝さんの追善落語会開催へ
07月28日 07時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150728/3623192.html

上方の落語家たちがファンと触れ合う大阪恒例の「彦八まつり」で、ことしは、3月に亡くなった人間国宝の桂米朝さんをしのんで一門の落語家による追善落語会が催されることになりました。
「彦八まつり」は、上方落語の祖と言われる江戸時代に活躍した米澤彦八をたたえようと、上方落語協会が毎年、彦八の記念碑がある大阪・天王寺区の生國魂神社で開いています。
上方落語協会によりますと、ことしの彦八まつりは9月5日、6日の2日間行われ、このうち6日に、桂米朝さんの追善落語会が催されることになりました。
落語会では米朝さんの長男の桂米団治さんら一門の落語家5人が話芸を披露するほか、会場には米朝さんそっくりに作られたロボットも展示されます。
また、ことしはまつりが25回目の節目にあたることからオープニングの記念イベントとして、上方落語協会の桂文枝会長が率いるハワイアンバンドがフラダンスのチームとともに演奏と踊りを披露するということです。
このほか、落語家らによる屋台がおよそ40店舗、出される予定です。
桂文枝会長は「まつりに来て頂いたお客さんに必ず握手とサインをしようとみんなで申し合わせました。落語のファンを増やすためまつりを盛り上げたい」と話していました。

2112名無しさん:2015/07/29(水) 01:01:27 ID:8aWuiCHY0
地下軍需工場「高槻倉庫」の写真、米で発見
2015年07月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150728-OYO1T50028.html?from=oycont_top_txt

太平洋戦争末期に造られた地下軍需工場、通称「高槻地下倉庫」(大阪府高槻市)の終戦直後の様子を撮影した写真17枚が、米国立公文書館で見つかった。戦闘機のエンジンを製造する極秘工場として建設され、当時の様子を伝える写真はほとんどなかった。研究者らは「工場の実態を知る貴重な資料だ」と話している。

 高槻市などによると、工場は山中に巨大な地下壕(ごう)を掘って造られた。1944年秋、旧陸軍が貯蔵庫として建設を開始。兵庫県明石市の航空機工場が空襲を受けたため、途中で代替工場に切り替えた。

 戦闘機「飛燕」のエンジン製造を目指したが、実際には稼働することなく終戦を迎えた。45年10月、米軍の調査団が内部を調べ、報告書を残している。

 17枚はこの調査団が写したとみられ、撮影日は45年10月15日。5月に渡米した「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」の福林徹代表(67)(京都府亀岡市)が同館で見つけ、大阪経済法科大の塚崎昌之客員研究員(日本近現代史)らが、周りの風景などから、高槻地下倉庫と確認した。

 写真には、木製の柱で支えられた地下壕の中に工作機械が並んでいる様子が写っていた。天井には電線が巡り、電源機器や排水溝もあって、稼働寸前だった工場の姿が具体的に確認された。壕の外にはブルドーザーや変圧器もあった。

 建設には日本兵約800人、朝鮮半島出身者約3500人も携わったとされ、居住地とみられる兵舎や宿舎も写っていた。

 武庫川女子大の三宅宏司名誉教授(産業技術史)は「本土への空襲が激しくなる中、軍需工場を地下に隠して兵器を生産し、戦い続けようとしていた様子がうかがえる」と分析する。

 45年6月半ば、大阪府立北野中(現・北野高)から学徒動員された大阪市の中原充雄さん(85)は、建設を米軍に気づかれないよう、掘り出した土砂を草木で隠すよう言われた。「当時、何のための壕なのか知らされず、中を見たのはこの写真が初めて」と話す。

 工場は当時、「タチソ」という暗号で呼ばれており、幅4メートル、長さ150メートル前後の地下壕約20本などがほぼ完成していた。現在では十数メートルの穴だけが残っており、実態は不明な点も多い。保存に取り組んでいる市民団体「高槻『タチソ』戦跡保存の会」は、壕内の写真集を制作中で、今回の写真も加え、8月15日に発売する。

 福林さんは「終戦間際だったにもかかわらず、巨大な地下軍需工場を造ってまで戦争を続けようとした。最後の最後まで、いかに多くの国民が愚かな戦争に駆り立てられたかを知ってほしい」と話している。

2015年07月28日

2113名無しさん:2015/07/31(金) 23:34:16 ID:t/xKOSI60
「パペット落語」披露
07月30日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150730/4906991.html

持ち芸の人形を使った「パペット落語」が厚生労働省の児童福祉文化賞を受賞した落語家の笑福亭鶴笑さんが、29日、大阪で記念公演を行い、夏休みの子どもたちに得意の演目を披露しました。
笑福亭鶴笑さんは、ことし5月、持ち芸の人形を使った「パペット落語」が「子どもにもわかりやすい」として厚生労働省の児童福祉文化賞を受賞しました。
大阪の「なんばグランド花月」で29日夜、記念公演が行われ、吉本新喜劇の辻本茂雄さんや
人気お笑いコンビの「8,6秒バズーカー」らも出演して、コントなどを繰り広げました。
このあと鶴笑さんが、手作りの人形を使って、賞を受賞した演目、「時ゴジラ」を披露しました。

「時ゴジラ」は、古典落語の「時うどん」をパロディーにした噺で、鶴笑さんが手作りの怪獣の人形を両足にはめて、得意のネタを演じると、会場は子どもたちの大きな笑い声に包まれていました。
小学4年生の女の子は、「普通の落語と違って、すごくわかりやすかった」と話していました。

公演のあと、鶴笑さんは、「こどもたちが大勢来てくれてうれしかった。また頑張って、新しいパペット落語を作ります」と話していました。

2114名無しさん:2015/08/06(木) 00:35:54 ID:LPLsXlQE0
■戦没者追悼式 大阪府と大阪市が合同開催
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000008271.shtml

戦後70年となる今年、大阪府と大阪市が戦没者を追悼する式典を初めて合同で開きました。

 大阪市内の会場には、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の遺族ら約2300人が参列しました。

 大阪の戦没者追悼式はこれまで、府と市がそれぞれ別の日に開催してきましたが、戦後70年の節目にあたる今年、初めて合同で式典を行いました。

 大阪府出身の戦争犠牲者は、約12万7500人に上るとされています。

 「平和と繁栄は戦没者の犠牲のおかげであることを忘れてはなりません」(大阪府松井一郎知事)

 参列者には、戦没者の子や孫など若い世代の姿も目立ちますが、戦争体験者の話に耳を傾け、「戦争の惨禍を2度と繰り返さない」との誓いを新たにしていました。 (08/05 12:21)

2115名無しさん:2015/08/09(日) 09:51:11 ID:9sKBNFgE0
戦没者追悼式 大阪府と大阪市が合同開催
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150805/00000007.shtml

戦後70年となる今年、大阪府と大阪市が戦没者を追悼する式典を初めて合同で開きました。

 大阪市内の会場には、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の遺族ら約2300人が参列しました。

 大阪の戦没者追悼式はこれまで、府と市がそれぞれ別の日に開催してきましたが、戦後70年の節目にあたる今年、初めて合同で式典を行いました。

 大阪府出身の戦争犠牲者は、約12万7500人に上るとされています。

 「平和と繁栄は戦没者の犠牲のおかげであることを忘れてはなりません」(大阪府松井一郎知事)

 参列者には、戦没者の子や孫など若い世代の姿も目立ちますが、戦争体験者の話に耳を傾け、「戦争の惨禍を2度と繰り返さない」との誓いを新たにしていました。

2116名無しさん:2015/08/09(日) 09:56:37 ID:9sKBNFgE0
祖国のため命を捧げた先人たち「国主導の慰霊を」 旧真田山陸軍墓地シンポジウム
http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n1.html

全国最古、最大の旧陸軍墓地、真田山陸軍墓地(大阪市天王寺区)の保存活動について考えるシンポジウム「今、旧陸軍墓地は」(産経新聞社など後援)が8日、大阪市中央区のタカラベルモントホールで開かれた。

 明治4年に設置された旧真田山陸軍墓地には、明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、先の大戦などで戦死した旧陸軍将兵らの約5100の墓碑があり、納骨堂には8200柱以上の遺骨が眠る。シンポジウムを主催した公益財団法人・真田山陸軍墓地維持会(吉川秀隆理事長)が維持、管理している。

 基調講演で、佐藤正久参院議員は「国のために命を捧げられた方を思い、慰霊・顕彰を大切にしなければいけない」と強調。「真田山(陸軍墓地)を大切に、次の世代につないでいく必要がある」と訴えた。

http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n2.html

パネルディスカッションでは、納骨堂が老朽化し、墓碑の9割近くに劣化が生じている現状について同維持会の永田綾奈学芸員が報告した。宇都隆史参院議員の秘書は、真田山を含め戦没者の慰霊や遺骨帰還事業が民間主導で行われてきた戦後の経緯を説明。「国が墓も守らず、遺骨も戻してくれないという状態が続いていいのか」と述べ、国の主導による慰霊・顕彰の必要性を訴えた。

 司会の近藤豊和・産経新聞東京本社正論調査室長が「祖国のために命を捧げた先人たちに思いをはせ、現代に生きる者は力、勇気をいただいて国をさらに発展させる。共通の思いを一人でも多くの人が持つことができれば」とあいさつ、閉会した。



 詳報は後日、月刊正論に掲載します。

2117名無しさん:2015/08/10(月) 05:19:39 ID:6MSBAf3I0
連歌づくりのこつ学ぶ 杭全神社で初心者講座
2015年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150805/20150805031.html

 日本で唯一連歌所がある大阪市平野区の杭全(くまた)神社で4日、初心者向けの連歌講座が開かれた。平野法楽連歌会の山村規子さんは連歌の歴史について「お茶や酒を飲みながら楽しんでいた」と解説し、受講生は地域の伝統文芸に親しんだ。

「連歌ってどんなん? なんで平野やねん?」と題して7月28日に続いて開催。2日間で延べ28人が受講した。

 連歌は短歌の「五七五」と「七七」を数人が交互につなげていく言葉遊びで、受講者は前の句を見ながら指を折って文字を数えた。講師を務めた大阪教育大付属平野中学校教諭の小村典央さんは「前にあった言葉を使わなくていいだけ」と連歌づくりのこつを説明し、山村さんは「連歌は楽しんでやるもの」と呼び掛けた。

 杭全神社連歌所記によると、杭全神社の連歌は、征夷大将軍だった坂上田村麻呂の坂上家の子孫と称する平野七名家を中心として室町時代に盛んになった。同神社連歌所は1614年に大坂冬の陣で焼失したが、1708年に再建された。

2118名無しさん:2015/08/10(月) 05:44:02 ID:6MSBAf3I0
陰影ゆらり 四天王寺で「篝の舞楽」
2015年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150805/20150805038.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で4日、恒例の舞楽公演「篝(かがり)の舞楽」(天王寺舞楽協会主催)が開かれた。多くの参詣者が夜の境内を訪れ、飛鳥時代から連綿と伝わる古典芸能を満喫した。

夏の風物詩として長年親しまれており、今年で61回目を迎えた。 中心伽藍(がらん)・講堂前庭の特設舞台には、天王寺舞楽を伝承する団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」有志の舞人、楽人らが古式ゆかしい装束姿で出演。舞楽の幕開けを告げる儀式的な舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「延喜楽(えんぎらく)」などの曲目を次々と繰り広げた。

 舞台の四方でかがり火が燃えさかる中、みやびやかな舞と雅楽の調和が満員の客席を魅了した。

2119名無しさん:2015/08/11(火) 17:32:43 ID:JFZ66pCY0
市役所食堂で「すいとん定食」
08月11日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150811/3930031.html

終戦の日を前に、大阪・吹田市役所の食堂では11日、食料が乏しかった戦時中の暮らしぶりを知ってもらおうと、当時食べられていた「すいとん」が提供されました。
大阪・吹田市の吹田市役所の食堂では、10日と11日の2日間限定で、80食のすいとん定食が提供されました。
すいとんは、小麦粉を水でこねて団子にし、かつおだしの汁で煮たもので、もちもちとした食感で腹持ちがよく、食料が乏しかった戦時中に米の代わりによく食べられていました。
11日に提供されたすいとん定食は、すいとんに麦ごはん、ふかしたサツマイモなど6品がセットになっていて、近所の人や市役所の職員などが味わっていました。
70代の女性は「娘に食べさせてあげたいと思ってきました。戦争を語り継ぐ人が減る中、こういう機会があるといいと思います」と話していました。
30代の女性は「きょうのすいとん汁は、おいしく味付けされているけど戦争中は、もっと質素な食事だったのではないかといろいろ考えました」と話していました。
吹田市人権平和室の早瀬健次郎さんは「戦時中は、このすいとんを食べて、毎日毎日必死で生きていた人たちがいます。若い人たちにも、そういうことを知るきっかけになればうれしいです」と話していました。

2120名無しさん:2015/08/11(火) 18:15:23 ID:JFZ66pCY0
<私の戦後70年>卒業式で帰阪 大空襲
2015年08月10日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150809-OYTNT50225.html

◇学童疎開先での集合写真

 ◇瀬戸 寛治さん 83

 学童疎開先での生活を半年間辛抱すれば、また元いた場所で暮らすことができる。そんな思いは、かないませんでした。

 疎開先は島根県出雲市。1944年9月、堀江国民学校(現堀江小学校、大阪市西区)6年生の時です。大阪駅から夜行列車で約20時間。みんなが一緒で遠足気分でした。

 私の男子西組の約30人は、宍道湖近くのお寺にお世話になりました。ただ、浮かれていたのは最初だけ。帰りたいと泣いたり、寺を逃げ出そうとしたりした友達もいました。

 写真は、疎開先の国民学校の正門で同じ組の友達と撮影したものです。普段はそんなに雪の積もらない場所らしいのですが、この冬はよう降りました。大阪では経験したことのない寒さで、寺では掘りごたつにみんなで足を突っ込んで眠りました。

 食糧事情は都会より多少良いと言いながら、いつも空腹でした。その頃の思い出といえばゴマ塩。みんな、家から送ってもらったゴマ塩の瓶を持っていて、おやつ代わりにゴマをなめては空腹を紛らわせてね。食事の時、大きい器に当たったら、うれしかった。小さい器でも量は同じやのに、大きい方がたくさん入っている気がして。

 みんな同じ境遇やったんで、疎開の暮らしを楽しいとも、特段つらいとも感じなかった。黄だんが出て1か月ほど学校に通えなかった時は、寺の周りでシイの実を取ったり、散歩したり。卒業式のため大阪に戻った日は、そりゃあ、うれしくて。卒業式は1945年3月14日。前日にリハーサルをして、「明日で学校ともお別れやなあ」と思いながら、コッペパンとみそ汁の最後の給食を食べました。

 ところが、13日夜に空襲警報が響きました。大阪大空襲です。空から、どんどん焼夷(しょうい)弾が落ちてきて、やがて辺りは火の海に。「もうあかんなぁ」と何度もあきらめかけました。

 両親、祖母、妹と弟の家族6人は無事でしたが、自宅は全焼。焼けこげた遺体がそこら中に横たわっていました。私たちは、空襲に遭うために疎開先から帰ってきたようなものでした。結局、卒業式はできず、空襲の犠牲になった同級生もいました。戦後、私は17歳で父を亡くし、食べていくために高校を中退し、必死で働きました。

 終戦から5年程した頃、同級生の所在を電話帳で調べ、同窓会を開きました。その後も疎開先の寺を訪ねるなど、定期的に集まりました。そんな中、2007年に「卒業証書をもらっていない」という話になったんです。堀江小学校にお願いし、08年3月14日に卒業式を開くことができました。「63年の月日を経て、あなたが堀江国民学校の課程を修めたことを証します」と書かれた卒業証書を受け取った時は、感無量でした。

 戦争は多くの子供も犠牲にしました。二度とあんなことがあったらいかん。戦争はもう、ごめんやね。(聞き手 久場俊子)

 

 ◆将来の戦力温存

 空襲から逃れるため、都市部の児童を地方に避難させた国の政策。防空態勢の強化とともに、将来の戦力を温存する目的があった。

 親族を頼る縁故疎開が原則だったが、戦局が不利になると、1944年6月の閣議決定で学校ごとの集団疎開も始まった。集団疎開したのは40万人以上で大阪からは滋賀、奈良、香川、島根などに移住した。

 学童疎開を巡っては、沖縄から長崎に航行していた学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷で沈み、780人の学童が亡くなる悲劇もあった。

2015年08月10日

2121名無しさん:2015/08/11(火) 18:26:47 ID:JFZ66pCY0
<私の戦後70年>広島長崎の訓練だった
2015年08月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150810-OYTNT50403.html?from=ycont_top_txt

◇東住吉の模擬原爆語る

◇龍野 繁子さん 90

 大阪市東住吉区田辺の一角にひっそりと碑が立っています。広島、長崎へ原爆が投下される前の1945年7月26日朝、落とされた「模擬原爆」の犠牲者を追悼する慰霊碑です。

 広野国民学校(現大阪市立摂陽中学校)の教師をしていた私はあの日、教え子約20人を引率し、海軍の制服のボタンを作る工場にいました。

 「今日も材料が入ってこない。勉強していてください」。そう工場長に言われ、生徒たちを工場の別の空き部屋に移動させて「国語にしようか、算数にしようか」と話し始めた時でした。「バリバリ」「ズドーン」。けたたましい音に、生徒たちが叫び声をあげました。

 音がやみ、さっきまでいた隣の部屋をおそるおそるのぞくと、直径1メートルほどの石が天井と床を突き破って落ちていました。幸い、生徒たちにけがはありませんでした。

 工場から約150メートル離れた料亭付近に爆弾が落ちたらしいとしか、そのときは分かりませんでした。生徒を自宅に帰した後、料亭近くへ向かう道すがら見た光景は忘れません。電線に、二つ折りになった畳や布団とともに、バラバラになった遺体の一部が引っかかっていました。足がすくみました。近くの田辺国民学校(現市立田辺小)の講堂には、亡くなった人の遺体が安置されていました。

 姉の親友のトシちゃんが亡くなったと聞かされました。トシちゃんはあの朝、病気療養中の姉を見舞いに我が家を訪れてくれていました。警戒警報の発令を聞き、「夫が隣組の組長だから帰るわ」と自宅に戻る途中に爆風で吹き飛ばされたのでした。姉と母は、泣きながらトシちゃんの背中に刺さった無数のガラス片を抜いたそうです。

 忘れられるなら、忘れたい。消したい記憶でした。戦後、体験を語ることはしませんでした。終戦から50年ほどたってから、あのときの爆弾が広島、長崎に原爆を落とすための訓練として投下された模擬原爆だと知り、驚きました。田辺で練習して、広島、長崎で多くの犠牲者を出したのかと思うと、強い憤りを感じました。

 広島で小学生の時に被爆した友人は、原爆の後遺症に苦しんで亡くなりました。今もなお、多くの人を苦しめる原爆。その原爆につながる被害が大阪にあったことを伝えなければ。そう思い始めた頃、別の友人から「孫に聞かせてやりたい」と頼まれました。自分にできることがあるのではないか。背中を押された気がしました。7、8年前から機会があるごとに体験を話すようになりました。

 7月26日に毎年、慰霊碑前で追悼式が営まれています。今年の追悼式では、小中学生ら約250人に「あの日」を語りました。聞き終えた後、子供たちが「私たちがこれからの平和を守りたい」と話す姿を見ると、体が動く限り語り継がなければとの思いを新たにします。(聞き手 斎藤七月)

 ◇全国30都市に50発

 模擬原爆は、米軍が1945年7〜8月、大阪や、東京、愛知など全国約30都市に計約50発投下した。B29爆撃機が原爆投下後の爆風に巻き込まれずに飛行するための訓練用だったという。長崎に投下された原爆と同じ形状、重さで、中には通常の爆薬が詰められていた。

 大阪市史によると、東住吉区田辺には7月26日に投下され、7人が死亡、73人が負傷したとされる。2001年、遺族と住民が協力して慰霊碑を建立。住民でつくる実行委員会が毎年、慰霊碑前で追悼式を行っている。

2015年08月11日

2122名無しさん:2015/08/12(水) 10:07:46 ID:GblVDpUA0
<私の戦後70年>「軍都大阪」戦跡に学ぶ
2015年08月12日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150811-OYTNT50357.html?from=oytop_ymag

◇旧真田山陸軍墓地

 ◇森田 敏彦さん 72

 大阪市内を中心に、太平洋戦争の遺跡を訪ね歩いています。きっかけは、約1万5000平方メートルの土地に約5100もの個人墓碑や合葬墓が並ぶ旧真田山陸軍墓地(天王寺区)の存在を知ったことです。

私は1943年に大阪市阿倍野区で生まれましたが、幸い空襲には遭いませんでした。高校生の時に父が亡くなり、遺品を整理していたら、軍隊手帳が出てきました。「父はどんな気持ちで従軍していたのか。無謀と思われる戦争を、父や当時の人々は一体どう思っていたのか」。そんな思いに駆られ、満州事変と日中戦争に出兵した父に戦争体験を聞けなかったことを悔やみました。

 旧真田山陸軍墓地を初めて訪れたのは、公立高校の社会科教員時代です。それは、まるで街中に突如として現れた墓石群。その時の衝撃は忘れられません。退職後、観光ボランティアガイドになり、大阪城や玉造界隈などの観光スポットを案内する中で、墓地への関心が深まりました。

 よく見ると、軍人のものだけでなく、外国人捕虜や軍の仕事を助けた軍役夫ら非戦闘員の墓もある。墓石の大きさは階級ごとに異なりますが、それでも身分、立場を超えて弔われていることに意義深さを感じました。日頃は戦争の傷痕など感じられない大阪の街中に、戦争遺跡がまだ多く残されていることに気づき、訪ね歩くようになりました。

 市内の寺社の境内では、焼けたご神木や、爆撃の痕跡が残るこま犬なども見ました。都島区の善源寺楠公園に残る「渡辺綱・駒つなぎの樟」は、戦災で枯死した大木の木肌が黒光りし、戦争の愚行を断罪しているように感じます。船場のレトロなビルにも弾痕があり、50回を超えた大阪空襲のすさまじさを知ることができます。

 大空襲の犠牲者を悼む慰霊塔や供養碑も、戦争の惨害を語り継いでくれています。1945年6月7日の第3次大空襲では市北東部が壊滅し、多数の死者が出ました。身元不明の千数百人の遺体を集め、遺骨を埋葬した城北公園(旭区)千人塚。爆撃の無慈悲さを思い、怒りと悲しみがこみ上げます。

 大阪城やその周辺には多くの軍事施設が作られ、現存する建物もあります。大阪が軍事都市であったことはあまり知られていません。戦争に実感が持てない若い人にも、想像力を働かせて、戦争の愚かさを知ってもらわなければなりません。

 私が実際に足を運んだ戦争遺跡のうち、約60か所を「大阪戦争モノ語り 街かどの『戦跡』をたずねて」(清風堂書店)と題した本にまとめ、戦後70年のこの夏、出版しました。これからは身近な人に戦争体験を聞くことも、どんどんなくなります。だからこそ、身近な戦跡に触れ、戦争について考えてほしい。二度と同じ過ちを起こさないために。(聞き手 東礼奈)

2123名無しさん:2015/08/12(水) 10:09:11 ID:GblVDpUA0
◇犠牲者増え合葬に

 旧真田山陸軍墓地は1871年(明治4年)に設置された全国初の陸軍墓地。西南戦争から日露戦争の戦傷病死者や、訓練中の死者らの個人墓碑が並ぶ。戦況が激しくなるとともに犠牲者が増えて合葬となり、日露戦争・満州事変の合葬墓、日中戦争から太平洋戦争の犠牲者の納骨堂もある。

 「真田の抜け穴」で知られる三光神社に隣接し、真田山陸軍墓地維持会が毎年10月に慰霊祭を行っている。「NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」のメンバーらが調査研究を進め、見学者の案内などで墓地の保存に尽力している。

2015年08月12日

2124名無しさん:2015/08/13(木) 00:28:24 ID:M/S.Cy6U0
踊りの輪 幾重にも 四天王寺で盆踊り大会
2015年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150812/20150812025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で11日夜、恒例の盆踊り大会が盛大に始まった。お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」でにぎわう中、多くの参詣者が踊りの輪に加わり、夏の夜のひとときを楽しんだ。

やぐらとして装飾された境内・石舞台(国重要文化財)の上には、昨年に続き伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さんが登場。同寺開祖・聖徳太子の年忌法要「1400年御聖忌(ごせいき)」(2022年)にちなみプロデュースしたオリジナル河内音頭「不滅の光明・聖徳太子一代記」を名調子で歌い上げた。

 軽快な調べに乗せて石舞台周辺に踊りの輪が幾重にも広がるなど、境内は大いに盛り上がった。盆踊り大会は12日まで実施。午後7時半開始で参加自由。

2125名無しさん:2015/08/14(金) 16:58:07 ID:QX0FxsFc0
陸軍地下工場、写真発見 大阪、終戦直後に米軍撮影
2015.8.14 09:40更
http://www.sankei.com/photo/story/news/150814/sty1508140003-n1.html

太平洋戦争末期、大阪府高槻市で建設が進められた陸軍の地下壕内の工場「高槻地下倉庫」(暗号名「タチソ」)の写真17枚が、米国立公文書館に残されていることが14日分かった。「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」代表の福林徹さん(67)=京都府亀岡市=が5月に渡米して持ち帰った500枚以上の写真データの中から見つけた。
 日付は1945年10月15日で、米軍が工場について報告書を作成する際に撮影したとみられる。高槻「タチソ」戦跡保存の会事務局長の橋本徹さん(75)は「日本国内で写真や資料はほとんど残っておらず、貴重な資料だ」と評価している。

地下壕内はくいで補強され、電線のような配線や工作機械などが写っていた。写真説明には「機械は入り口から600フィート(約180メートル)奥にあった」などと記述されていた。また工場建設に従事した朝鮮人労働者が住んでいたとみられる住居群も撮影されていた。橋本さんは「朝鮮人労働者たちがどのような環境で生活していたか、よく分かる」と話している。

2126名無しさん:2015/08/14(金) 18:30:20 ID:QX0FxsFc0
京橋駅慰霊祭に250人、終戦前日に空襲
2015年08月14日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150814-OYO1T50011.html?from=oycont_top_txt

 大阪市のJR京橋駅前で14日、慰霊祭が営まれた。遺族ら約250人が参列し、犠牲者を悼んだ。

 京橋駅空襲慰霊祭世話人会・寺西忠幸会長(86)は「この地で、熱い熱いとうめいて亡くなった人や、母の胸に抱かれて息絶えた人がいる。多くの犠牲があったことを忘れないことが供養になる」とあいさつ。

 続いて、千羽鶴を折って慰霊碑に供えた地元の市立聖賢小学校の児童4人が「二度と戦争しないために、自分たちになにができるか考えていきます」と誓った。

 学徒動員先の工場で一緒に働いていた同級生を空襲で失った大阪府松原市の本城実さん(86)も参列し、「終戦前日に亡くなるなんて本当に気の毒で無念。戦争のない世界を願うばかりです」と話した。

 京橋駅周辺では1945年8月14日昼、B29が駅南側の軍需工場「大阪砲兵工廠こうしょう」を狙って計約700トンの爆弾を投下した。「京橋駅空襲」と呼ばれ、犠牲者は行方不明者を含めて500〜600人とされる。

2015年08月14日

2127名無しさん:2015/08/16(日) 12:50:42 ID:TA7sMoOQ0
平和への誓い新た 京橋駅空襲慰霊祭
2015年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150815/20150815028.html

 大阪市の旧国鉄京橋駅に1トン爆弾が落とされ、多くの人が犠牲になった「京橋駅空襲」から70年の14日、慰霊祭が同市のJR京橋駅近くの慰霊塔前(都島区)で執り行われた。遺族や関係者ら約200人が手を合わせて冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。

京橋駅慰霊祭世話人会によると 、終戦前日の1945年8月14日にあった空襲では同駅周辺に1トン爆弾が数発投下され 、200人以上が命を落とした。駅舎は吹き飛び、近くの民家や工場も大きな被害を受けたという。

 慰霊祭は55年に当時の京橋駅長から「供養をお願いします」と依頼を受けて始まった。記憶の風化を防ごうと、空襲の日に法要を毎年行い、ことしで61回目になる。

 慰霊祭では妙見閣寺(同市旭区)の住職がお経を上げ、参列者が順に焼香。じっと目を閉じて静かに両手を合わせていた。

 当時44歳の陸軍軍人だった父親を亡くした女性(77)=神戸市長田区=は「壊れた腕時計と財布と軍服があり、それで父親だと分かった。その後、母親が姉の結婚式で初めて笑顔を見せたことを覚えている」と話し、若い世代には「私たちみたいな目に遭ってほしくない」と戦争のない世の中が続くよう思いを託していた。

2128名無しさん:2015/08/16(日) 14:09:08 ID:TA7sMoOQ0
<戦後70年>動物殺処分 愚かな時代
2015年08月15日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150814-OYTNT50377.html

◇天王寺動物園 剥製を展示

 太平洋戦争中に犠牲になった猛獣の剥製などを展示する「戦時中の動物園展」が、大阪市天王寺動物園のレクチャールームで開かれている。動物園で起きた悲劇を知り、平和を考える内容。(中谷圭佑)

 100年前に開園した同園にも戦争は暗い影を落とした。餌不足や栄養失調でキリンやゾウなどが次々に死んだ。戦局が悪化し、「空襲で逃げ出すと危険」として1943年9月からは、猛獣の殺処分がやむを得ず行われ、ライオンやトラなど10種26頭が犠牲になった。

 会場には猛獣の剥製や、戦意高揚のプロパガンダに使われた軍服姿のチンパンジーの「リタ」(雌)の写真なども並ぶ。同園の榊原安昭獣医師は「飼育員はどんな思いだっただろうか。戦争の愚かさと平和の大切さを感じてほしい」と話す。23日まで。入園料のみが必要。問い合わせは同園(06・6771・8401)へ。

2015年08月15日

2129名無しさん:2015/08/16(日) 14:28:01 ID:TA7sMoOQ0
万灯に先祖思う 四天王寺で盂蘭盆会行事
2015年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150814/20150814020.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で、盂蘭盆会(うらぼんえ)の伝統行事「万灯供養法要」が執り行われている。本格的なお盆休みが始まった13日も多くの参詣者が先祖をしのび、静かに供養の火をともした。16日まで。

 五重塔などが建つ境内・中心伽藍(がらん)には、回廊に沿ってろうそく台が設置され、先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」が連日1万本以上ともされている。

 日没後、ほのかな明かりが諸堂を幻想的に照らす中、家族連れなどが、ろうそくの前にたたずんで手を合わせたり、故人の思い出を語ったりするなど、心穏やかなひとときを過ごしていた。

 万灯供養は日没後から午後9時。期間中は同寺僧侶が午後6時半(15日は同6時)から般若心経とともに伽藍内を練り歩く法要も行われ、一般参詣者も加わって長い列が続いた。

2130名無しさん:2015/08/16(日) 18:37:05 ID:TA7sMoOQ0
400年ぶり「豊国踊り」 ノリノリ現代版も誕生
2015年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150815/20150815032.html

 豊臣秀吉の七回忌の祭礼で踊られたという「豊国(ほうこく)踊り」が、大阪城天守閣前で400年ぶりに復活した。忠実に再現したバージョンだけでなく、三味線を使ったノリの良い現代版も誕生。派手好みだった秀吉を彷彿(ほうふつ)とさせる出来栄えで、関係者らは「大阪を代表する踊りになれば」と思いを寄せている。

 豊国踊りは、1604(慶長9)年に京都・豊国(とよくに)神社で執り行われた秀吉の七回忌祭礼でクライマックスを飾った踊り。計1500人が参加し、グループごとにそろいの衣装を着て、工夫を凝らした造(つく)り物を出したという。その様子は、秀吉の臣下・太田牛一による「豊国大明神臨時御祭礼記録」などに残されている。

 今回、官民連携で取り組まれた「大坂の陣400年プロジェクト」の一環で、文献や絵画史料を基に再現。作・演出は大蔵流狂言師の茂山千三郎さんが務めた。

 踊りの考証に当たった橋本裕之・追手門学院大教授は豊国踊りのジャンルについて「今の盆踊りにつながっていく、当時流行した風流踊りの一つ。そこに(参加人数やそろいの衣装といった)奇抜な趣向を取り入れて行われた」と解説する。

 制作した踊りは、当時のものを忠実に再現するようにした“正統派”バージョンだけでなく、「現代の人でも楽しめるように」と、テンポが早い“平成版”も含めて3段階のスピードを用意した。

 踊りは、中央区の天守閣前で開かれた夕涼みイベントの中で8日に披露。宝塚歌劇団OGとOSK日本歌劇団OGら十数人が、軽やかなステップも盛り込まれた“平成版”を繰り広げた。

 最後には同OGと観客らが、天守閣を背景に組まれたやぐらを取り囲み、一緒になって挑戦。子どもから高齢者まで息を切らしながらも笑顔で楽しみ、「もっと踊りたかった」との声も上がっていた。

 企画・監修を担った北川央・大阪城天守閣館長は「踊りを各地の団体に取り入れてもらったり、アレンジしてもらったりしながら大阪の夏の風物詩として定着していければ」と展望を語っていた。

2131名無しさん:2015/08/18(火) 01:05:24 ID:Ydh1X6aM0
600人が戦没者悼む 大阪護国神社
2015年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150816/20150816085.html

 戦後70年の終戦の日となった15日、大阪市住之江区の大阪護国神社(柳澤忠麿宮司)で戦没者を悼む祭儀「英霊感謝祭」が盛大に執り行われた。府内各地の遺族、戦友会などの関係者をはじめ、一般参拝者が続々と参列。せみ時雨の中で犠牲者の冥福を祈った。

今年は大きな節目の年とあって例年の倍近い約600人が参列。本殿では全員が正午に合わせ黙とうをささげたのに続き、祝詞奏上、みこによる「みたま慰めの舞」が厳かに奉納された。

 柳澤宮司は、戦後の占領政策で慰霊祭の禁止や神社名の一時改称を余儀なくされた歴史にも触れ、「神社が存在する限り、絶えることなく英霊、先人への慰霊と感謝をささげていきたいと決意を新たにした」とあいさつした。

 海軍の航空機搭乗員だった男性(89)=同市阿倍野区=は「慰霊碑の掃除などで頻繁に境内を訪れているが、今日は戦友に会えるのが楽しみ」と参拝。「戦時中は多くの戦友を見送ったが、若い人には大変な思いをしてもらいたくないので平和な時代が続いてほしい」と話していた。

 夜には伝統行事の「みたま祭り」も斎行。無数のちょうちんがともる中、盆踊りが奉納され、遅くまで多くの参拝者でにぎわった。

2132名無しさん:2015/08/22(土) 21:01:33 ID:KvIrOSYE0
学童疎開「6割旅館」 鳥取での実態解説
2015年8月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150822/20150822048.html

 太平洋戦争末期の1944年から国策として実施された学童集団疎開のうち、鳥取県への疎開をテーマにした講演会が20、21の両日、大阪市北区の鳥取県関西本部交流室であった。同県立倉吉西高教諭の石田敏紀さん(50)が、児童約4千人が鳥取へ疎開した経緯や受け入れ側の体制などについて解説した。

鳥取の歴史文化や産業など各分野の識者による月例講座「鳥取学出前講座」(同本部、大阪鳥取県人会主催)として開いた。

 石田さんは冒頭、神戸市内の国民学校9校の受け入れ先が鳥取県に決まり、相互の調整を経て同年9月から疎開が始まったことを紹介。「鉄道沿線で旅館が多い地域が選ばれた」といい、他県の受け入れ施設は寺院が多数を占める中、鳥取県は旅館が約6割だったことを特徴に挙げた。

 石田さんは、当時多くの人々が子どもたちを助けるために尽力したことに触れ、「集団疎開が戦争継続のための政策であり、戦争は人々の善意も利用して遂行された」と持論を述べた。

 来場者の中には当時を知る人もあり、疎開児童の増加や再疎開など、政策が時々刻々と破たんしていく実相に聞き入っていた。

2133名無しさん:2015/08/24(月) 00:57:27 ID:ZbbGMv0s0
戦後70年シンポ・命の大切さ「創作落語」で〜大阪
更新:08/23 18:13
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150823/00000021.shtml
戦後70年の記念シンポジウムが23日、大阪市内で開かれ、落語家の桂春蝶さんが特攻隊をテーマとした創作落語を披露し命の大切さを訴えました。

 このシンポジウムは、戦後70年を迎えて戦争体験が風化する中、大阪市が平和について考えようと開いたものです。

 まず、NPO法人代表の神直子さんが、フィリピンで聞き取りをした元日本兵について基調講演を行い、最後に落語家の桂春蝶さんが鹿児島県の知覧基地跡で特攻隊員らの遺影を見て創作した落語を披露しました。

「明日があるというのは、ありがたいことやと思って生きててほしいんや」(落語家 桂春蝶さん)

 シンポジウムの参加者らは、命の大切さを訴える春蝶さんのメッセージに聞き入っていました。

2134名無しさん:2015/08/25(火) 20:32:25 ID:RJBm2YRU0
世界文化遺産の登録目指す 百舌鳥・古市古墳群
2015年8月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150825/20150825025.html

 2017年の世界文化遺産登録を目指す国内候補から外れた大阪府の百舌鳥・古市古墳群(堺、羽曳野、藤井寺各市)について、府と3市の首長でつくる世界文化遺産登録推進本部会議が24日、府庁であり、16年度の国内推薦獲得と18年度の登録を目指す方針を確認した。

 松井一郎知事の代理で小西禎一副知事らが出席し、本部長の竹山修身堺市長が「機運醸成を3市と府でスピード感を持って取り組みたい。この1年が試金石になる。来年は必ず国内推薦を得る覚悟で頑張りたい」と決意を述べた。

 今後の主な取り組みとして、首都圏など全国での広報活動の強化をはじめ、シンポジウムや講演会を通して古墳群の価値を広くPRする。海外の考古学の専門家を新たに交え、文化庁に提出する推薦書の作成検討委員会を開催することなども確認した。

2135名無しさん:2015/08/29(土) 21:01:19 ID:3Vmp/iAs0
爆笑王・桂枝雀さんの長男、落語家に ざこばさんに入門
篠塚健一2015年8月28日
http://digital.asahi.com/articles/ASH7W328CH7WPTFC001.html

 落語界の爆笑王として知られ、16年前に亡くなった桂枝雀さんの長男前田一知(かずとも)さん(43)が、枝雀さんの弟弟子の桂ざこばさん(67)に弟子入りした。芸名は「桂りょうば」。枝雀さんとざこばさんの師匠である桂米朝さんの追善の一門会が開かれた今月16日付で入門し、二世落語家として歩み出した。

 一知さんは大阪府豊中市生まれ。幼稚園の時から枝雀さんの弟子が稽古する噺(はなし)を聞き覚えてしゃべっていた。落語少年ぶりを枝雀さんは喜んでいたが、「かわいらしいと言ってもらえるのは小学生まで。本当にやりたかったら、高校を卒業してから改めて来なさい」と考える時間を与えた。

 中学に進むころに落語から離れると、高校では演劇や音楽に夢中に。英語落語の前座をすることはあったが、20代後半から東京を拠点にミュージシャンとしてバンド活動に打ち込んだ。

 転機は枝雀さんの没後10年だった2009年。亡き父の落語を改めて熱心に聴くうちに、「子どものころとは違う面白さに気づいた。すごい人だったんだ、と思いました」。自分もやってみようと、各地でアマチュアとして高座を重ねてきた。表情や口調に枝雀さんの面影が宿る。プロへの思いが高じて今年、ざこばさんに弟子入りを志願。9月から大阪で本格的な修業生活に入る。

 ざこばさんは「どうしてもなりたいと言うんでね。(枝雀)兄ちゃんへのお返しという気も少しはあるけど、そない大層には考えない。僕の弟子で噺家として渡っていけるんなら、かめへん」と話している。(篠塚健一)

     ◇

 〈桂枝雀〉 39年神戸市生まれ、本名・前田達(とおる)。神戸大を中退して桂米朝に入門し、73年に枝雀を襲名。爆笑落語で一時代を築き、84年には上方落語家で初めて東京・歌舞伎座で独演会を開いた。英語落語の先駆者でもあった。99年、59歳で死去。

2136名無しさん:2015/09/11(金) 13:30:35 ID:Mii5n1..0
大阪城で太閤秀吉の愛した「薪能」 大坂の陣400年天下一祭で
2015年09月05日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1396/
 「大坂の陣400年天下一祭 夏の陣2015」の一環として行われる同公演。大阪を代表する能楽師の大槻文藏さんをはじめ、能楽界の重鎮から若手までの実力派能楽師が4日間にわたり、天守閣を背景にした特設舞台に立つ。

 演目は、初日=「翁(おきな)」「猩々(しょうじょう)」、2日目=「蚊相撲」「土蜘蛛」、3日目=「仏師(ぶっし)」「安宅(あたか)」、4日目=「蝸牛(かゅう)」「吉野詣」。4日目の「吉野詣」は、豊臣秀吉が自分の事績をもとに作らせた「豊公能(たいこうのう)」と呼ばれる作品で、当時「豊公能」の作品のほぼ全ては、能をこよなく愛していた秀吉自らが演じていたといわれる。

 8月11日に大槻能楽堂(大阪市中央区上町A)で行われた記者発表会では、出演者を代表して大槻文藏さんと、その芸養子で高校生能楽師として注目を集めている大槻裕一さんが見どころなどを語った。

 「吉野詣」で豊臣秀吉役を演じる文藏さんは「20年ほど前に復曲した作品。この役を大坂の陣から400年という特別な年に演じさせてもらうことに大変意義を感じている」と意気込みを見せた。裕一さんは「普段は能をご覧にならない方にも分かりやすく華やかな曲を選んだ。能は難しいと感じる方にもぜひ見に来てほしい」と呼び掛けた。

 当日の出演は、ほかに観世清和さん、野村萬斎さんなど。18時30分開演。チケットは、VIP=1万5,000円、S=1万円、VIP通券=5万5,000円。チケットはイープラスなどで扱う。

2137名無しさん:2015/09/11(金) 22:57:29 ID:qtZg/EPQ0
戦時写す卒業アルバム
2015年09月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150911-OYTNT50036.html?from=ycont_top_txt

◇防空頭巾で訓練・日の丸イラスト  金光藤蔭高に遺族寄贈

 金光藤蔭高(大阪市生野区)に、71年前に発行された卒業アルバムが届いた。贈ったのは、北海道岩見沢市の獣医師、加山朋欣(ともよし)さん(59)。同校の前身・浪花高等女学校の卒業生だった母の遺品を整理中に見つけた。防空訓練の写真や開戦詔書の写しなどが載ったページからは戦時中の様子がうかがえ、加山さんは「戦争を乗り越えた人々の苦労を若い人に感じてもらえるよう、役に立ててほしい」と話している。(浅野友美)

 加山さんの母・よし子さんは、2011年9月に86歳で他界。アルバムは、よし子さんが暮らしていた京都市伏見区の家を処分するにあたり、加山さんが取り寄せた遺品の箱の中から、今年4月に見つけた。

約60ページのアルバムは、表紙はなくなっていたが、巻頭には開戦詔書の写しやアジア圏の地図、日の丸のイラストを掲載。よし子さんら卒業生約270人の顔写真のほか、防空頭巾をかぶった女学生がバケツリレーをしたり、高野山の霊場で修養をしたりする写真も収められている。

 福岡県出身のよし子さんは、下宿をしながら浪花高等女学校を卒業。終戦後に京都に嫁ぎ、加山さんら3人の子を育てた。子供が好きで、進路などについても、加山さんらの意思を尊重してくれたが、自らの生涯については、ほとんど語ることはなかったという。

 加山さんは、知らなかった母の過去の一部を目の当たりにし、「さぞかし大変な人生を生きたのだろう」と思いやった。それと同時に、アルバムで笑顔を見せる、若き日のよし子さんら卒業生たちが「戦争のことを、今の時代に伝えて」と訴えているようにも感じ、8月に金光藤蔭高に手紙で寄贈を申し出て、今月5日に届けた。

 同校には、当時の卒業アルバムは残っておらず、安元祥二校長(65)は「71年の時を経て、学校の歴史がよみがえった」と感激。加山さんの思いを受け、全校生徒にアルバムが届いたことを伝えるとともに、「厳しい時代に先輩たちが社会で自立するため必死に学んだのを見習って、感謝を忘れず、人の役に立つ人になってほしい」と呼びかけたという。同校は今後、このアルバムをデジタルデータ化して長期保存することにしている。

 加山さんは「母は生前、このアルバムを大切に保管し、何度も見返していたはず。こういう形で受け継がれ、喜んでいるでしょう」と話している。

2015年09月11日

2138名無しさん:2015/09/20(日) 14:32:04 ID:kCiGURGQ0
岸和田だんじり祭り始まる
更新:09/19 12:31
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150919/00000024.shtml

大阪・岸和田市では、だんじりが城下町を豪快に駆けぬける「岸和田だんじり祭り」が19日始まりました。

 重さ4トン、高さ約4メートルのだんじり34台が法被姿の男たちにひかれ、全速力で町を駆けぬけます。

 祭りの最大の見せ場は、勢いよく走りながら交差点で直角に向きを変える「やり回し」です。

 岸和田だんじり祭は、五穀豊穣を祈願して江戸時代に始まったとされる伝統行事で、今年も沿道を埋める大勢の見物客から、拍手が上がっていました。

「すごく迫力があっておもしろいです」(来場者の子ども)

「1年に1回の楽しみです」(来場者の子ども)

 22日は、だんじりが3つの神社に入る「宮入り」が行われます。

2139名無しさん:2015/09/20(日) 14:43:55 ID:kCiGURGQ0
天満天神繁昌亭が9周年
09月15日 14時22分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150915/4834071.html

大阪にある上方落語専門の寄席、「天満天神繁昌亭」がオープンから9周年を迎え、桂春之輔さんらが出席して記念の式典が開かれました。
「天満天神繁昌亭」は、大阪では60年ぶりとなる、上方落語専門の寄席として平成18年にオープンしました。
9周年を迎えた15日、記念の式典が開かれ、上方落語協会の副会長を務める桂春之輔さんが、「あっという間に9年がたち、来年は10周年です。消費税の値上げもあってきょうから入場料を500円上げることになりましたが、今後もよろしくお願いいたします」とあいさつしました。
続いて、四斗だるを開けて訪れた人たちに日本酒が振る舞われ、会場は華やかな雰囲気に包まれていました。
繁昌亭にはこの9年間に127万人を超える人が訪れたということで、春之輔さんは、「ここまで発展すると思いませんでした。落語家が手探りで運営してきましたが、今後も一生懸命後輩に引き継いでいきたい」と話していました。

2140名無しさん:2015/09/20(日) 16:01:36 ID:kCiGURGQ0
岸和田だんじり祭 34台疾走し開幕
2015年09月19日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150919-OYO1T50015.html?from=oycont_top_txt

大阪府岸和田市の「岸和田だんじり祭」が19日、開幕。だんじりが交差点を勢いよく曲がる勇壮な「やり回し」に、見物人が歓声を上げた。

 見せ場の「やり回し」は南海岸和田駅前などの交差点で披露。法被、ねじり鉢巻きの曳(ひ)き手たちがだんじり34台を疾走させ、猛スピードで直角に曲がったり、高さ4メートルの大屋根で大工方が華麗に舞ったりする姿に、驚きの声が上がっていた。市は20日の本宮と合わせて55万人の人出を見込んでいる。

2015年09月19日

2141名無しさん:2015/09/20(日) 16:05:28 ID:kCiGURGQ0
舞の秋 優美に 大槻能楽堂で「與桂の会・花扇会」
2015年9月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150915/20150915038.html

 日本舞踊の花柳與桂(はなやぎよか)さんによる「與桂の会・花扇会」が13日、大阪市中央区の大槻能楽堂で開かれた。與桂さんは平安時代の歌謡集で後白河法皇編さんの『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を披露。花扇会の門下生も次々に出演し、来場者約200人を楽しませた。

與桂さんは梁塵秘抄の創作舞踊や長唄『扇の的』を通して日本舞踊の美しさを表現。門下生らは長唄『梅の栄』『秋の色種』『越後獅子』などを踊り、舞台に花を添えた。

 與桂さんは「踊れる喜びをかみしめて精進し、日本舞踊の発展にまい進したい」とあいさつ。この日の舞台について「文化は秋から始まる」と話し、日本舞踊を通して文化の秋到来を盛り上げた。

2142名無しさん:2015/09/20(日) 16:52:10 ID:kCiGURGQ0
売り切れ続出 四天王寺「亀の文鎮」人気
2015年9月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150915/20150915025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)に新たな授与品として「黒い亀の文鎮」がお目見えした。境内のほぼ中心に位置する「亀の池」「亀井堂」にちなんだ品で、参詣者には「縁起がいい」と評判。境内諸堂の窓口では売り切れ続出で、亀の歩みに反し、売れ行きの出足は好調だ。

2022年に行う忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」の取り組みの一環。かねて参詣者から亀にちなんだ授与品の問い合わせが絶えなかったことを受け、実際に使えるものとして南部鉄器の本場である岩手県のメーカーに特注した。

 全長約7センチ、幅約5センチ、重さ約180グラムとほどよいサイズ。腹部に同寺の角印を刻んだ。使い込むうちに表れる鉄特有の黒光りも魅力という。

 お守りではないが「長寿の願掛けにしたい」と購入する人が相次ぎ、早くも追加生産に。同寺参詣課の山岡武明課長は「多くの方に親しんでいただけるよう今後も四天王寺の魅力を発信したい」と話している。価格は1200円。

2143名無しさん:2015/09/21(月) 20:17:58 ID:x3juxcHk0
大坂夏の陣400年 大阪城で重要文化財の櫓など公開
更新:09/21 14:57
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150921/00000032.shtml

大阪城では、大坂夏の陣から400年を記念して国内最大級の「多聞櫓」など重要文化財4つが公開されています。

 大阪城の西の丸庭園で公開されているのは重要文化財の「多聞櫓」「焔硝蔵」など4つの建造物です。

兵士たちが籠城して寝泊りするために作られた国内最大級の「多聞櫓」をはじめ、大阪城内で最古の建造物となる「千貫櫓」や「乾櫓」など普段は公開されていない櫓を見ることができ同時に4つの文化財が公開されるのは珍しいということです。

「あまり見られないものが見れるのはとても貴重だなと」(来場者)

「この床なんか昔の江戸時代ですね削った跡がありますから400年前の世界に戻れるということですばらしい」(来場者)

これらは23日までと26日・27日に公開されます。

2144名無しさん:2015/09/22(火) 11:50:43 ID:ZwuTXadk0
寝屋川に邪馬台国期集落跡
2015年09月18日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150917-OYTNT50386.html

邪馬台国時代の2世紀後半〜3世紀半ばの集落跡が、寝屋川市の小路(しょうじ)遺跡で出土したと、市教育委員会が17日、発表した。市教委は「北河内地域でこの時期の集落跡が確認されるのは初めてで、代表的な集落遺跡になる」とみている。

 市教委によると、約4000平方メートルを発掘し、柱穴や溝、井戸跡などを確認。ごみ捨て穴などから、2世紀後半〜3世紀半ばの土器片が数千点出土した。集落は南北300メートル、東西200メートルの範囲に広がると推測している。

 また、土器には、吉備(岡山県)や東海(愛知県)のものが各1点含まれており、広域的な交流があったことをうかがわせる。

 遺跡の南東500メートルには全長87メートルの前方後円墳、忍岡(しのぶがおか)古墳(4世紀初め)があり、集落と関連する可能性がある。市教委文化スポーツ振興課は「北河内地域の古墳出現期について解明する手がかりになる」と評価している。

 現地説明会は26日午後1〜3時。京阪バス小路北町バス停から南約200メートル。駐車場はない。問い合わせは同課(072・824・1181)へ。

2015年09月18日

2145名無しさん:2015/09/23(水) 11:14:06 ID:la3at3U60
「飲みながら 食べながら 文楽」 鑑賞プロジェクト
2015年9月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150921/20150921028.html

 本格的なヒノキ造りの組み立て式舞台を使った文楽公演が10月17〜20日、大阪市中央区の難波宮跡公園で上演される。「飲みながら 食べながら 文楽」をキャッチフレーズにした開放的な屋外公演となる。

「古代、難波宮があった大阪の都市文化の発祥の地で、文楽が『大阪のタカラ』『日本のタカラ』であることを多くの人に思い起こしてほしい」との思いで日本財団が取り組む「にっぽん文楽プロジェクト」の一環。3月に東京・六本木ヒルズ公演からスタートし、2020年をめどに年2回全国を巡演する。

 2都市目となる大阪公演の演目は、文楽ゆかりの地・道頓堀の開削400年を祝って「二人三番叟」と、「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」。出演は桐竹勘十郎さん、吉田玉男さんら。

 昼の部午後2時、夜の部同6時半開演。飲食物は持ち込み自由。入場料2千円(全席自由)。問い合わせは電話03(6229)2648、にっぽん文楽プロジェクト。

 【チケットプレゼント】同公演の19日と20日の昼の部または夜の部の招待チケットを計20枚プレゼント。希望者はメールで件名に「にっぽん文楽チケット希望」と書き、本文に氏名、住所、連絡先電話番号、希望公演日時、枚数(1人2枚まで)を明記し9月30日午後5時までに応募。

 メールアドレスは pr〓ps.nippon-foundation.or.jp

2146名無しさん:2015/09/24(木) 21:59:46 ID:e4A4vG9U0
大河「真田丸」新たな出演者
09月24日 19時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150924/5065011.html

戦国の武将、真田幸村の生涯を描く来年放送のNHKの大河ドラマ「真田丸」の新たな出演者9人が発表されました。
来年の大河ドラマ「真田丸」は、幸村の名で知られる真田信繁が、戦国の世を駆け抜けるドラマで、脚本は人気劇作家の三谷幸喜さんが手がけます。
東京・渋谷のNHK放送センターでは、豊臣家側の登場人物を演じる出演者9人が新たに発表され、信繁役の堺雅人さんも出席して記者会見が開かれました。
このうち、▼秀吉最愛の側室、茶々役は大河ドラマ初出演となる竹内結子さんが演じることになりました。
また▼秀吉の正室、北政所役を鈴木京香さん、▼豊臣家に絶対的な忠誠を誓う石田三成役を山本耕史さん、そして▼茶人、千利休役は桂文枝さんが演じることになりました。
会見では、茶々役の竹内さんが「これまでさまざまな方が茶々を演じていて、そこに加えていただけることをとても光栄に感じます」と話しました。
また、大河ドラマ初出演となる桂文枝さんは、「私も千利休と同じ大阪の堺出身で、ぴったりちゃうかなと思っています。史実では秀吉に自害を命じられますが、私は一生懸命生き抜いて歴史を変えたいと思います」と冗談を交えながら抱負を語りました。
会見では脚本を手がける三谷さんが突然、記者席から「台本が遅れた方が役作りに悩むことがなくなるというのは本当か」などと質問し、壇上の出演者たちから笑いが起きました。
大河ドラマ「真田丸」は、今月1日からすでに撮影が始まっていて、来年の1月から1年間放送されます。

2147名無しさん:2015/09/24(木) 22:59:51 ID:e4A4vG9U0
落日に合掌 極楽浄土思う 四天王寺で伝統の「日想観」
2015年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150924/20150924021.html

 彼岸の中日「秋分の日」の23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で伝統行事「日想観」が執り行われた。薄暮の中、多くの参詣者が真西に沈む落日に極楽浄土を観想した。

かつて四天王寺の西側は難波(なにわ)の海が広がり、境内の西門は極楽浄土の東門へ続くと信仰されたことに由来する行事。年に2度、春と秋の彼岸の中日にのみ夕日が境内「石鳥居(いしのとりい)」の中央に沈む光景を望むことができる。

 夕刻の境内・西大門(極楽門)付近では同寺僧侶が参集し、厳かに般若心経などを読経。参詣者も読経に加わり、ゆっくりと傾き始めた夕日をカメラに収めたり、手を合わせたりして見届けた。年2度のうち、あいにくの空模様で夕日が見られない場合もあることから「きれいな夕日を拝めた」「初めて見た」など方々から喜ぶ声が聞かれた。

 この日の境内は墓参りなどの家族連れなど多くの参詣者で終日にぎわった。

2148名無しさん:2015/09/27(日) 13:43:54 ID:1vDRPrZY0
都市を生きる建築(44)】
時間を超えた存在感…三井住友銀行大阪本店
http://www.sankei.com/west/news/150927/wst1509270009-n1.html

住友ビルディングとして完成してから現在までの85年間に、建物以外のさまざまなものは移り変わった。西に流れていた西横堀川は高度成長期に埋め立てられ、今は高速道路が走っている。周囲に超高層ビルも増えた。旧住友本社と連系各社の本拠であった建物も、現在では、三井住友銀行大阪本店ビルとなった。

 それでも、土佐堀川越しの景色は変わらない。大阪の発展を支えてきた川の流れは太く、建物全体を観察する余地を与えている。そんな人々の視線に対して建築は時間を超えた美しさで、臆することなく応えているように見える。

 「住友本店・銀行本店」の建設は、1895(明治28)年に住友家が本格的な銀行業への進出を決定した時から構想されていた。これを担当する部署として設立された住友本店臨時建築部は、住友家の寄付によって1904年に開館した大阪府立中之島図書館の設計を担当した後、1908(明治41)年、現敷地の南側に本格的な木造西洋建築である住友本店仮建物を竣工させた。そして、2期にわたる建設工事を経て、1930(昭和5)年に完成したものである。

 「住友ビルディング」の名と実を反映するかのように、外観には「ビルディング」らしさと「銀行」らしさが噛み合わさり、互いに引き立てあっている。西洋風の列柱を使わず、窓のプロポーションによって品位を獲得する手法は、1925年に渡辺節の設計で完成した中之島の大阪ビルヂング(現ダイビル本館)と同じもの。表現を抑制し、見た目の機能を限定しない先進性、合理性が読み取れる。

http://www.sankei.com/west/news/150927/wst1509270009-n2.html

土佐堀川に面した正面の「銀行」らしさは、中央に立つ2本のイオニア式オーダーの柱とその上の梁状のエンタブラチュアに集約されている。印象的な外壁は兵庫県高砂産の黄竜山石を砕石、これにイタリア産大理石トラバーチンを砕いて混合し、鉄筋を入れて成形した擬石ブロックで覆ったもの。そこに黄竜山石の本石によるオーダー柱とエンタブラチュアに導かれて3階部分まで達するエントランス空間が穿たれている。

 壮大な営業室が位置するのは、その先である。吹き抜けの空間に大理石製のコリント式オーダー31本が並び、植物をモチーフとした紋様が細部にまで駆使されている。圧倒的な説得力をもって、戦前の銀行本店が備えるべき質が何であったかを教えてくれる空間だ。

 建物には明治からの様式の保守本流と、大正以降の合理性が高度に統合されている。住友の本店としての重みを理解し、長期的な判断を下す精神が、時代に流されない存在感として結実している。

 もう一つ、変わらないのはその精神だろう。2015年に約2年間の改修工事を終え、ステンドグラスも当初の輝きが蘇った。建築は今日も見られることの責任を受け止め、大阪にいるのだと人々に実感させるような公共性を提供し続けている。(倉方俊輔/建築史家・大阪市立大学准教授)

2149名無しさん:2015/10/04(日) 17:34:52 ID:OcGGtAPo0
太閤はんご満悦 大阪城みやげは金平糖
2015年10月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20151001-OYTNT50018.html?from=yartcl_blist

大阪城の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘・公開するプロジェクトへの資金を募る「太閤なにわの夢募金」(◎)を応援しようと、大阪ビジネスカレッジ専門学校(大阪市北区)の学生が大阪城にちなんだお土産を開発した。第1弾として「大坂つゆの恋」と名付けた金平糖が10月下旬から販売される予定で、売り上げの一部は募金に寄付される。学生らは「お土産を通じて多くの人に夢のあるプロジェクトを知ってもらい、寄付金が集まれば」と期待している。(斎藤七月)

プロジェクトの応援事業の商品「太閤石垣クランチ」を販売する「Ko.Ko.Moよしもと」の小林広和さん(50)と同校講師の成羽学さん(50)が知人だったことから、学生のアイデアを生かしたお土産の共同開発がスタート。同校でファッションや商品企画などを学ぶ計19人が参加し、4月から課外時間に大阪城の歴史や石垣について学んだり、大阪城や大阪市内の土産物店を見学したりして、観光客の好みを調べた。

 その結果、学生たちと同世代の若者と急増している外国人観光客をターゲットに商品開発することを決定。学生らは学科ごとに検討を重ね、戦国武将の家紋柄のビニール傘やデニム生地で大阪城の石垣を表現したトートバックなど計8点の商品アイデアを生み出した。応援事業を担当する大阪市観光課の担当者やKo.Ko.Moよしもとの幹部らに説明したところ、8点の中から、まず金平糖を「大坂つゆの恋」の商品名で販売することが決まった。

 「大坂つゆの恋」は、大阪城をあしらったパッケージに、送り主からのメッセージを書き込めるのが特徴だ。秀吉の辞世の句から発想を広げたといい、開発プロジェクトのリーダーの玉川将也さん(19)は「秀吉の句のはかない雰囲気と、すぐに溶けてしまう金平糖を恋にかけた。お土産で恋心を伝えてほしい」と話す。

 パッケージは大阪城の石垣をくりぬいた形の部分から、中身の金平糖が見えるようになっている。小林さんは「金平糖が石垣を思い起こさせる。応援商品にぴったりのアイデアで、発売後の販売促進も学生ならではの発想で取り組んでもらいたい」と期待する。

 ほかのアイデアも商品化に向け検討を続ける予定という。玉川さんは「大阪が誇る大阪城のプロジェクトに関われたのは、学生時代のいい思い出になりそう。この経験を社会人になっても生かしたい」と話した。

 (◎)太閤なにわの夢募金 大阪市と読売新聞大阪本社が共同で実施し、目標額は5億円(2017年3月末まで)。8月末現在で約1億4700万円が寄せられている。1万円以上の寄付をした方には造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される。問い合わせ(平日)は市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)へ。

2015年10月01日

2150名無しさん:2015/10/04(日) 17:52:22 ID:OcGGtAPo0
「それどこやない」 船場商人の言葉紹介
2015年10月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151004/20151004025.html

 繊維や金融の中心として大阪の繁栄を築いた船場商人の言葉を紹介する展示が、大阪市西区の市立中央図書館で14日まで開かれている。「伝統を守るなにわの会」が船場言葉や風習をまとめた巻物14点を並べている。

同なにわの会発起人の故清水路子さんが生前に語った船場言葉の特徴も紹介。「特徴は丁寧語やあいさつ言葉の豊かさ。相手を思いやる優しい言葉にある」と解説している。

 船場言葉を記した巻物には「それどこやない(それどころではない)」「そないに(そんなに)」「そばえる(ふざける)」「ばあ(場所)」「ひょこっと(ひょっこり)」などと記されている。巻物のほか、いろはかるたも展示している。

 会場は大阪の書籍を集めた図書館3階の閲覧室にあり、郷土資料を求める来館者が立ち止まって見ている。担当者の沢谷晃子さんは「若い方は使わなくなったが、高齢の方は懐かしく思うのでは」と話している。

2151名無しさん:2015/10/04(日) 19:46:45 ID:OcGGtAPo0
「倭の五王」に思いはせ 大阪・近つ飛鳥博で「ワカタケル大王の時代」展
http://www.sankei.com/region/news/151004/rgn1510040058-n1.html

「古代の画期」とされる雄略(ゆうりゃく)天皇の時代を考古資料で探る特別展「ワカタケル大王の時代」(産経新聞社など主催)が3日、河南町の府立近(ちか)つ飛鳥博物館で開幕した。河内平野に築かれた巨大古墳から出土した豪華な副葬品などが展示され、訪れた古代史ファンが「倭(わ)の五王(ごおう)」の時代に思いをはせた。11月29日まで。

                  ◇

 雄略天皇は5世紀後半に実在したヤマト王権の大王で、中国・宋に使節を派遣した倭の五王のうち最後の「武(ぶ)」としても知られる。日本書紀では、第21代・大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)と贈り名されている。

 5世紀はヤマト王権の勢力が伸長した時期で、各地の首長の墓である前方後円墳も巨大化した。また国際化の時代で、朝鮮半島に出兵したり、先進技術がもたらされたりした。

 特別展では、埼玉県行田(ぎょうだ)市にある稲荷山(いなりやま)古墳から見つかり、「ワカタケル大王」と読める文字の刻まれた金錯銘鉄剣のレプリカをはじめ、真の雄略天皇陵の可能性が指摘される岡ミサンザイ古墳(藤井寺市、仲哀天皇陵)出土の埴輪(はにわ)などが展示されている。

 また、5世紀代の近畿各地の古墳の多様な出土品や、墓に供えられた須恵器なども公開。この時代の国際色豊かな文化のありようを探っている。

 この日の開会式では、白石太一郎館長が「雄略朝は古代の画期と認識されており、遺跡や遺物からもそれは裏付けられる」と見どころなどを紹介した。

 25日には仁藤敦史・国立歴史民俗博物館教授(日本古代史)による講演「『治天下大王』の支配観」があるほか、多彩な講座、シンポジウムを企画。10月4、17、31日と11月21、29日のいずれも午後2時からは、学芸員が展示解説を行う。月曜休館(ただし、10月12日と11月23日は開館)。問い合わせは同館(電)0721・93・8321。

2152名無しさん:2015/10/13(火) 04:28:01 ID:oP1PJR/k0
再現 だんご茶会
10月12日 12時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151012/5480001.html

豊臣家とゆかりが深く、千利休が茶会を開いたと伝えられている大阪の神社で、当時を再現した「だんご茶会」が開かれました。
大阪・中央区の「玉造稲荷神社」は豊臣家とゆかりが深く、千利休が茶会を開いて武将たちをお茶とだんごでもてなしたと伝えられています。
神社では、毎年この時期に当時の茶会を再現する「だんご茶会」が開かれ、12日は、裏千家の人たちが屋外で茶をたてる「野だて」を行いました。
お茶とともに、当時の茶会で出されたというよもぎだんごがふるまわれると、参加した人たちはゆっくりと味わいながら当時に思いをはせ、秋の一日を過ごしていました。
大阪・守口市から訪れた70代の女性は、「毎年、楽しみに来ています。さわやかな秋空のもとお茶をいただくのはいいですね」と話していました。

2153名無しさん:2015/10/17(土) 00:37:01 ID:3V8M37VY0
野外文楽公演 安全祈願祭
10月16日 21時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151016/5582011.html

人形浄瑠璃「文楽」の野外公演が17日から大阪で行われるのを前に16日、出演する人形遣いの桐竹勘十郎さんなどが公演の成功を願う神事を行いました。
文楽の野外公演は、開放的な場所で飲食もしながら気軽に楽しんでもらおうと、大阪・中央区の難波宮跡公園で17日から行われます。
本番を前に、会場では16日、神事が行われました。
文楽の技芸員などおよそ50人が神職からおはらいを受けたあと、出演する人形遣いの桐竹勘十郎さんが総ひのき造りの特設の舞台に上がって玉串をささげ、全員で、文楽発祥の地、大阪での公演の成功を祈願しました。
桐竹勘十郎さんは「文楽は堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、地元、大阪の皆さんに、歴史あるこの場所での公演を、気軽に楽しんでいただきたい」と話していました。
野外公演は17日から20日まで毎日2公演行われ、当日券も用意されるほか、一般の人が人形を操ることができる体験会なども開かれます。

2154名無しさん:2015/10/24(土) 12:00:34 ID:7llCaoaQ0
豊竹嶋大夫さん引退へ 人間国宝の文楽太夫
2015年10月21日 12:31
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151021/20151021057.html

 人形浄瑠璃文楽太夫の人間国宝、豊竹嶋大夫さん(83)が来年初めに現役を引退することが、文楽関係者の話で21日分かった。同日、大阪市内で記者会見する予定。嶋大夫さんの引退で、現役の文楽太夫の人間国宝は不在となる。

嶋大夫さんは松山市出身。1948年に十世豊竹若大夫に入門し、68年に八世嶋大夫を襲名した。94年には太夫の最高位の「切場語り」になった。時代物や、人物の「情」の繊細な表現が求められる世話物で高く評価され、今年10月に人間国宝に認定された。

2155名無しさん:2015/10/24(土) 19:45:33 ID:gBXZITq60
聖徳太子の偉業伝える 四天王寺絵堂特別拝観
2015年10月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151022/20151022022.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で、開祖聖徳太子の一生を描いた壁画の特別拝観が行われている。境内・聖霊(しょうりょう)院絵堂には連日参詣者が絶えず、克明に描かれた壮大な歴史の場面に見入っている。拝観無料。31日まで。

 2022年に訪れる太子の年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」記念事業として昨春から実施。7面からなる壁画「聖徳太子絵伝」には生前や誕生をはじめ、物部勢と崇仏派の争いで崇仏派の蘇我側についた太子が戦勝を祈願する、同寺建立の起源となる場面も。同寺僧侶による法話と解説「絵解き」も人気の一つで数々の偉業を分かりやすく伝えている。

 21日は弘法大師の月命日の縁日「大師会(だいしえ)」とも重なり拝観者が1千人近くに上った。生野区から家族と訪れた女性(80)は「何度見てもいい作品。より多くの人に見てもらいたい」と話していた。

 午前8時半〜午後4時。絵解きは午後1時、同3時の2回。拝観者には壁画の一部をデザインした記念ポストカードが授与される。

2156名無しさん:2015/10/25(日) 04:14:11 ID:gBXZITq60
大阪城「金蔵」囲む柱の跡
10月24日 06時48分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151024/5931151.html

大阪城で行われた発掘調査で、重要文化財の蔵を囲む塀を支えた柱の跡が見つかりました。
塀の外側では幕末の戊辰戦争で焼けた塀などとみられる炭のようなものが多数見つかりましたが、内側では柱が焼けずに残っていて、調査した研究所は塀によって蔵が焼失を免れたとみています。
大阪文化財研究所などは、おととし、大阪城の天守閣近くにある年貢などを納めた重要文化財の蔵、「金蔵」の東側で発掘調査を行いました。
その結果、金蔵を囲む塀を支えていた柱の跡が見つかりました。
塀の外側では戊辰戦争で焼けた塀などとみられる炭のようなものが多数見つかりましたが、塀を内側から支えた柱の跡では焼けずに残った柱が確認され、調査した研究所は、金蔵は塀によって焼失を免れたとみています。
このほか、天守閣の東側のやぐらの部分には、5段の石段があったことが確認され、赤く変色した痕は戊辰戦争によるものとみられています。
研究所の京嶋覚総括研究員は、「塀のおかげで金蔵が今も残っていることが明らかになった。構造が分かったので、今後、復元も可能になる」と話しています。
この発掘現場は、今月31日と来月1日に一般公開されます。

2157名無しさん:2015/10/25(日) 04:32:43 ID:gBXZITq60
伊勢神宮で太鼓演奏 11月「神恩感謝祭」
2015年10月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151022/20151022024.html

 全国の太鼓グループが一堂に会する三重県伊勢市の「神恩感謝日本太鼓祭」(11月7、8日)のPRキャラバン隊が21日、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れた。

全国の太鼓の音を、伊勢神宮に奉納することが目的。同神宮近くにある江戸時代の街並みを再現した「おかげ横丁」(伊勢市宇治中之初町)の従業員らでつくる実行委員会が、同横丁一帯で開催している。例年、全国から5、6万人が訪れる。

 今回は、新潟県や大分県から12団体約100人が出演。同横丁の誕生とともに結成したグループ「神恩太鼓」をはじめ、昔話の「酒呑童子(しゅてんどうじ)」が起源とされる和知太鼓(京都府)や世界各地で公演を行っている太鼓集団「鼓童」(新潟県)などが同横丁内に設けられた三つのステージで演奏する。

 会場にはケヤキの胴に革を張るミニ太鼓作り教室や屋台も並ぶ。 キャラバン隊は「太鼓の音で心が浄化されるとの感想をいただいた。会場では一日中、太鼓が鳴り響いているので、浄化される感覚を体感してもらえれば」と話していた。

2158名無しさん:2015/10/27(火) 04:39:03 ID:Gzq8RGgQ0
「平成中村座」25日開幕 勘九郎さんら出陣式
2015年10月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151025/20151025024.html

 大坂の陣400年記念「大阪平成中村座公演」を前に、中村勘九郎さんら出演者が24日、会場の大阪城西の丸庭園内特設劇場で出陣式を行った。5年ぶり3度目の大阪公演で、勘九郎さんは「父(勘三郎)との約束が実現できた。江戸時代にタイムスリップした歌舞伎の面白さを楽しんでください」と気勢を上げた。公演は25日から11月26日。

出演は勘九郎さんのほか、弟の七之助さんと中村扇雀さん、中村橋之助さんら、豪華俳優陣が勢ぞろい。七之助さんが「父の思いが詰まった舞台になる」と思いを新たにすれば、扇雀さんが「お兄さんを回顧する場面もあるし、お客さんがびっくりする場面も用意している」とPRに力が入る。

 演目は昼の部が「女暫」「三升猿曲舞」「狐狸狐狸(こりこり)ばなし」、夜の部が「俊寛」「盲目物語」。勘九郎さんは「三升-」と「盲目物語」で太閤さん(秀吉)を演じる。前回よりも舞台が大きくなった印象で「いい舞台にしたい」と勘九郎さんらは誓い合った。

2159名無しさん:2015/10/30(金) 03:50:26 ID:Dm61s2LI0
ねね助けた家臣に秀吉が感謝状 本能寺の変、恩賞も
2015年10月29日 19:13
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151029/20151029117.html

 滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館は29日、1582年に起きた京都・本能寺の変の際、長浜城にいた羽柴秀吉の妻「ねね」らを避難させた家臣広瀬兵庫助に感謝し、恩賞を与えると記した文書が見つかったと発表した。

文書の写しが存在し、内容は既に知られていたが、今年9月、兵庫助の子孫で東京在住の男性が原本を博物館に寄託した。博物館は「本能寺の変の際に秀吉の家族が逃げるのを家臣が助けたことを裏付ける貴重な史料」と話している。

 これまでの研究では、本能寺の変が起きた天正10(1582)年6月2日、秀吉は備中高松城(岡山市)を攻略していたが、ねねら家族は居城の長浜城にいた。

2160名無しさん:2015/10/31(土) 04:43:25 ID:xQHl7wpg0
大阪での発掘調査の成果展示
10月29日 07時14分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151029/4769451.html

大阪市内で去年おこなわれた発掘調査で見つかった瓦や土器などの展示会が、大阪・中央区の大阪歴史博物館で開かれています。
この展示会は、大阪文化財研究所が、去年、大阪市内でおこなった発掘調査の成果を紹介しようと開き、去年の出土品を中心に、縄文時代から昭和にかけての瓦や土器など約250点が展示されています。
このうち、大阪城の敷地で発掘されたしゃちほこの一部は、2代目の天守閣で使われたものとみられています。
大阪城や周辺で発掘された、すずりに水を入れるための小さな容器、「水滴」は、鳥や魚、かぼちゃなどの形をしていて、江戸時代の人たちの遊び心が感じられます。
さらに、大阪・中之島の、かつて蔵屋敷があった場所で見つかった鬼瓦は、今の秋田県や佐賀県にあった小さな藩が使っていたものとみられています。
大阪歴史博物館の学芸員、村元健一さんは、「大阪は遺跡の宝庫です。出土品を直接見て、まちの歴史の深さを感じてほしい」と話しています。
この展示会は、12月27日まで開かれています。

2161名無しさん:2015/11/01(日) 20:31:28 ID:YYVFx7dQ0
住吉大社で七五三準備 縁起物を袋詰め
2015年11月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151101/20151101035.html

 11月の七五三シーズンを前に大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)は31日、子どもたちに渡す千歳あめやお守り、鉛筆などの縁起物「撤下(おさがり)」の袋詰め作業を行った。

七五三は子どもの安全無事な成長を神様に祈願するお祝いの年中行事。袋詰め作業は10月から行っており、この日は連歌所で頭に飾り物「挿頭(かざし)」を付けた神楽女(かぐらめ)(みこ)の6人が最後の千個を詰めて合計6千個を用意した。

 神楽女の森岡可奈さん(21)は「笑顔でお参りしていただけるとうれしい」と話していた。同大社ではすでに千人が祈祷(きとう)を終えており、「近年は前倒しの傾向」(神職の武田昌也さん)という。ピークは14、15の両日。祈祷の受け付けは午前9時から。

2162名無しさん:2015/11/06(金) 14:10:44 ID:rrmXCExM0
七五三前に「ちとせあめ」準備
11月06日 12時46分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151106/3253831.html

今月15日の「七五三」を前に、大阪の住吉大社では縁起物の「ちとせあめ」などを袋に詰める作業が行われています。
大阪・住吉区の住吉大社には、毎年、およそ6000人の子どもたちが七五三のお参りに訪れるということで境内にある社務所では先月から、こどもたちに渡す「ちとせあめ」などを準備する作業が続いています。
神楽女とよばれる6人のみこが長さ20センチほどの「ちとせあめ」やお守り、それに鉛筆などを1つ1つ丁寧に袋に入れていました。
神楽女の1人は、「お子さんの健康と成長をお祈りしながら詰めています。すがすがしい気持ちでお参りしてもらえたらと思います」と話していました。
住吉大社によりますと、最近の七五三のお参りは、時期が早まる傾向にあり、ことしはすでにおよそ2000人が訪れたということですが最も多くなるのは来週末ではないかとみています。
訪れていた家族は「着物を着た我が子を見ると成長したんだなあと感じます。とにかく元気に育って欲しいです」と話していました。

2163名無しさん:2015/11/08(日) 04:31:27 ID:NwVbHvmY0
道頓堀川完成400年を記念
11月07日 18時16分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151107/5568861.html

大阪・ミナミを流れる道頓堀川が完成して400年となるのを記念して、水上のステージで歌や喜劇などを披露する催しが開かれました。
この催しは、道頓堀川が完成してから400年となるのを記念して、大阪府や地元の商店街などが開きました。
川の上に水上ステージが設けられ、出演者は船に乗って登場しました。
大阪・ミナミを拠点に活動する歌劇団が美しい歌声を披露したほか、ご当地アイドルや地元の子どもたちのダンスチームが元気いっぱいに歌ったり踊ったりして、家族連れなどが手拍子をしながら聞き入っていました。
また、お笑い芸人による新喜劇も行われ、訪れた人たちは劇場とはひと味違った開放的な雰囲気を楽しんでいました。
大阪市内の60代の女性は、「喜劇などが外で見られるのはいいですね。こうしたイベントを今後も続けてほしい」と話していました。

2164名無しさん:2015/11/11(水) 23:38:46 ID:yUIeK1Uc0
道頓堀川400年で慰霊祭
11月11日 21時13分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151111/3414731.html

大阪のシンボル、道頓堀川が完成して、ことしで400年になり、地元の人などが集まって、川の造成工事で亡くなった人たちの慰霊祭がおこなわれました。
大阪の道頓堀川は、江戸時代に水上交通などに利用する運河として造られ、工事を指揮した安井道頓の功績をたたえて道頓堀川と名付けられました。ことしは、1615年に川が完成してからちょうど400年にあたり、11日、地元の人など約70人が集まって、川の造成工事で亡くなった人たちの慰霊祭がおこなわれました。
慰霊祭には、神道や仏教、それにキリスト教の関係者も参加し、川を船でゆっくりと行き来して犠牲者を弔っていました。地元の人によりますと、道頓堀川の造成工事では、工事中の事故などで多くの人が亡くなったとみられていますが、はっきりした記録は残っていないということです。
道頓堀川近くの寺で住職を務める鳥居弘昌さんは、「宗派を越えて慰霊の活動を続けることで、今後の街の発展に貢献していきたい」と話していました。

2165名無しさん:2015/11/26(木) 04:27:32 ID:s2wOKEE.0
繁昌亭大賞に林家菊丸さん 定席の名を広めたと表彰
2015年11月24日 19:33
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151124/20151124106.html

 上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)は24日、第10回「繁昌亭大賞」に林家菊丸さん(41)を選んだ。賞金は20万円。同賞は、質の高い落語を披露して定席の名前を広めた落語家を表彰する。

また、奨励賞は桂米紫さん(41)に決まった。賞金は10万円。表彰式と記念落語会を後日、繁昌亭で開く。

 菊丸さんは三重県四日市市出身。1994年に林家染丸さんに入門し、昨年、菊丸を襲名した。米紫さんは京都市出身。94年に桂塩鯛さんに入門し、2010年に米紫を襲名した。

 上方落語協会会長の桂文枝さんは「来年は2人に繁昌亭を引っ張っていってほしい」と話した。

2166名無しさん:2015/11/27(金) 19:54:21 ID:2koqNLBE0
京都、木簡に難波津の歌全文 完成形に近い平仮名
2015年11月26日 19:48
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151126/20151126098.html

京都市中京区で見つかった平安時代の邸宅跡とみられる遺構から、「難波津の歌」の全文を記した木簡(9世紀後半)が初めて出土し、京都市埋蔵文化財研究所が26日、発表した。

平仮名の完成形に近い字が多く、合同調査した京都産業大の吉野秋二准教授(日本古代史)は「和歌の歴史を考える上で非常に重要な発見。仮名の研究をする上で基準となる史料だ」と話し、平仮名の成立の解明につながる発見とみている。

 木簡には2行あり、右側に「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の歌、左側に散文を記した珍しい様式。散文の意味は不明だが、歌の注釈の可能性がある。




 京都市中京区で見つかった平安時代の邸宅跡とみられる遺構から、「難波津の歌」の全文を記した木簡(9世紀後半)が初めて出土し、京都市埋蔵文化財研究所が26日、発表した。

2167名無しさん:2015/11/27(金) 21:04:03 ID:2koqNLBE0
幸せの使者40人決まる 今宮戎の福娘
2015年11月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151124/20151124025.html

 今宮戎(えびす)神社(大阪市浪速区)の十日戎に花を添える福娘40人を決める審査会が23日、同区のクボタ大ホールで開かれた。参加者たちは、特技や経歴を披露しながら福娘への熱い思いをアピールした。

 
今年の応募者は3123人(前年2983人)。この日は書類審査などを経て選ばれた約500人が臨んだ。

 審査会では、グループ面接で約100人に絞られた参加者が、一人15秒の自己PRに挑戦。特技のバトンを披露して「幸せのバトンをつなぎたい」とアピールしたり、ハンガリー語を披露して「ハングリー精神で頑張る」と意欲を示す場面もあった。

 40人が決まり、松原栄一禰宜(ねぎ)は「えべっさんの福を皆さんに届けてほしい」と期待を込めていた。

 29日に、留学生10人を加えた計50人がおそろいの装束で発表会を行う。その後、官公庁へのあいさつ回りや、十日戎の参拝者に福ザサを授ける役を担う。

2168名無しさん:2015/12/04(金) 01:29:14 ID:FCYu0e5E0
難波宮跡 屋根瓦を保存公開へ
12月01日 19時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151201/3835411.html

大阪の難波宮跡で行われた発掘調査で、半世紀以上前に出土したあと埋め戻された奈良時代の大量の屋根瓦が再び発掘されました。大阪市は、今後は現場を保存して公開したいとしています。
奈良時代などに宮殿が築かれた大阪・中央区の難波宮跡のうち、天皇の住まいだった「内裏」の西側にあたる部分で大阪市が発掘調査した結果、大量の屋根瓦が出土しました。
「重圏文」と呼ばれる同心円状の珍しい文様が刻まれ、製作のときに付いたとみられる縄の跡もあり、8世紀の「後期難波宮」で使われたとみられています。
今から54年前の昭和36年に発見されたあと、表面を合成樹脂で覆う、当時の最新の保存処理をしたうえで埋め戻され、今回、整備事業のための調査で再び出土しました。
樹脂の影響で一部が青みがかっていますが、損傷はないということです。
難波宮で使われた資材の多くはその後、京都の長岡宮に再利用されたため(ながおかきゅう)大量の瓦などが見つかるのは珍しいということで、大阪市は、今後は出土した状態で現場を保存し、公開したいとしています。
大阪市文化財保護課の佐藤隆主任学芸員は「未来に残したいという半世紀前の人たちの情熱を感じた。
歴史を感じてもらえるよう整備して公開したい」と話しています。
この調査結果については、12月6日に現地説明会が行われます。
半世紀余り前、25歳の時にこの屋根瓦の発掘に携わった帝塚山学院大学元教授の中尾芳治さん(79)は「無事に残っているのを確認できて、安どするとともにうれしく思う。半世紀前に掘り出した時の感動をまた味わうことができた。難波宮の姿を残す生きた遺跡を将来のために守っていってほしい」と話しています。

2169名無しさん:2015/12/05(土) 10:44:28 ID:q8NyZ1ZM0
藤原氏の居館跡か 遺構発見
12月02日 21時22分
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151204/00000061.shtml

大阪・吹田市の遺跡で、建物の四方にひさしが巡らされていたり、内部に「床張り」の部分があったりする平安時代の格式高い2つの大型建物の跡とみられる遺構が見つかりました。専門家は、貴族の屋敷や荘園の管理施設だったのではないかとみています。
吹田市と大阪府文化財センターが、ことし8月から、JR岸辺駅の北側にある「吹田操車場遺跡」で発掘調査をしたところ、10世紀前半の平安時代のものとみられる2つの大型建物の跡が見つかりました。
このうち南側の建物は、南北9メートル、東西11メートル余りの大きさで、4つの面すべてにひさしが巡らされた構造とみられています。
また、北側の建物は、南北7メートル、東西13メートル余りで、内部に床が高くなっている床張りの部分があったとみられ、いずれも当時としては珍しい構造の格式が高い建物だということです。
さらに、2つの建物を結ぶ長さおよそ5メートルの廊下のような特殊な構造物の跡や、高級な陶器も出土しました。
当時の歴史や地理に詳しい京都大学の金田章裕名誉教授は「この付近には荘園があり、藤原氏などの貴族の屋敷や、大寺院の荘園の管理施設だったのではないか。京の都や、港の難波津、それに山陽道に近く、交通や経済の要所だったことを示す貴重な資料だ」と話しています。
この調査結果については、12月5日に現地説明会が行われます。

2170名無しさん:2015/12/05(土) 11:25:38 ID:q8NyZ1ZM0
四天王寺 五重塔の耐震改修
更新:12/04 19:49
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151204/00000061.shtml


耐震改修工事が行われている四天王寺の五重塔が報道陣に公開されました。

 五重塔は高さ39メートルで、最上層の屋根からはあべのハルカスや通天閣なども見渡せます。

 2022年に聖徳太子が亡くなってちょうど1400年を迎えますがこの工事は「聖徳太子千四百年御聖忌」に伴う整備事業の一環として行われているもので、新しい五重塔は来年7月頃にお披露目の予定です。

 工事で取り外されたものの一部については、今月14日から来年の1月10日まで一般公開されます。

2171名無しさん:2015/12/05(土) 11:50:41 ID:q8NyZ1ZM0
大丸心斎橋店の歴史集めた展覧会 本館建て替え、30日まで
2015年12月2日 11:38
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151202/20151202051.html

 大丸心斎橋店(大阪市中央区)は2日、歴史的な建造物として知られる同店本館を建て替えるのを前に、1933年の完成当時の内装デザイン画などを集めた展覧会を開いた。30日まで。入場は無料。

現在の本館は、米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ボーリズが設計した。老朽化で建て替えるため、30日にいったん営業を終了する。

 7階の会場には本館の内装デザイン画や設計図面、石こう模型、昭和初期に使用した宣伝ポスターなど計60点以上の資料を展示。百貨店建築の傑作と評され、長年親しまれた歴史を振り返ってもらう。

 新本館は2019年秋に開業予定。北館と南館は営業を続ける。

2172名無しさん:2015/12/05(土) 19:26:19 ID:pZheQUA60
工事本格化 四天王寺で中心伽藍耐震改修
2015年12月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151205/20151205034.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で現在、境内中心伽藍(がらん)の耐震改修工事が行われている。2022年に控える開祖・聖徳太子の年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」に向けた一大整備事業の一環で9月に着工。長年にわたり“ランドマーク”として親しまれている五重塔(高さ39メートル)の修復を中心に、約3年にわたる一大工事が本格化した。


五重塔は長い歴史の中で災害や戦乱によって幾度も失われ、昭和では1934年9月の室戸台風で倒壊。40年に再建された塔も太平洋戦争末期の大阪大空襲(45年3月)で焼失した。現在の塔は8代目で59年に鉄筋コンクリートで再建された。

 再建後初となる大改修では塔内の耐震措置のほか、外観部分では全体の塗り直しや2万9千枚に及ぶ瓦の敷き直しを実施、来年6月の完工を目指す。新調が必要な瓦200枚は寄進を募る。

 4日は報道関係者に塔頂上の相輪「九輪塔」などの改修現場を公開。相輪は後日修復のため分解して地上に降ろし、瓦や風鐸(ふうたく)とともに一般公開(14〜1月10日)する。同寺担当者は「相輪を地上へ下ろすのは前代未聞。多くの方にご覧いただきたい」と呼び掛けている。

 工期中には伽藍内の回廊改修なども順次行われる。

2173名無しさん:2015/12/05(土) 19:34:34 ID:pZheQUA60
新たな旅の楽しみに? 全国各地のお寺のみどころ探索
http://ddnavi.com/news/270256/a/

四天王寺は大阪に建つお寺で、推古元年(593年)に聖徳太子が創建したとされる日本最古の官寺です。中門、五十塔、金堂、講堂が南北に並ぶ特徴的な様式を持っており、全体的に朱塗りの柱・白壁・瓦葺きの屋根などの色調が、飛鳥時代を感じさせます。聖徳太子に対する信仰(太子信仰)を集めているお寺であるため、宗派を問わず人気があり、そのせいかどうかは分かりませんが年中行事も豊富です。例えば、1月に行われる「生身供」です。これは聖徳太子の生誕を祝う行事なので、太子信仰が集まっている四天王寺の代表行事といってもいいかもしれません。また、同じく1月の14日には、通称「どやどや」と呼ばれる修正会結願法要が行われます。これは、下帯姿となった青年たちが赤と白の組に分かれ「どやどや」の掛け声と共に厄除けの護符を奪い合うという、なんとも血気あふれる行事です。

2174名無しさん:2015/12/05(土) 20:20:03 ID:pZheQUA60
歴史歩こう庚申街道 東住吉の住民ら新春探訪会
2015年12月02日

古くから庶民の「庚申こうしん信仰」の拠点だった、大阪市天王寺区の四天王寺庚申堂から、平野区まで延びる旧街道「庚申街道」(約10キロ)。東住吉区田辺地区の住民らによるまちづくり団体「田邊たなべHOPEゾーン協議会」が、街道をPRして地域活性化に取り組んでいる。メンバーは、町歩きイベントや街道名プレートの設置を進め、「様々な方法で街道の魅力を発信したい」と意気込んでいる。(河部啓介)

 庚申街道は、同寺南大門から旧北田邊村を横断し、平野区長吉川辺まで続く道で、庚申堂への参詣道として親しまれ、この名で呼ばれる。江戸時代頃には、村々を結んで農産物や肥料などを運ぶ生活道路としても盛んに利用されたという。

同協議会は、2008年7月に結成。皆でにぎやかにやっていこうという思いから、方言を使い、「にんやか田邊」の愛称も付けた。町並みの修景整備などで歴史や文化を活用したまちづくりを進める大阪市の事業とも連携。地元産の田辺大根を味わう行事、ホタルを育てて観賞するイベントなどを企画してきた。

 PR強化の第1弾は来年1月17日、協議会メンバーらが案内して田辺地区から庚申堂への町歩きイベントを開く。大蛇退治の伝説がある桃ヶ池(阿倍野区)や、近代建築の建物が目を引く市立工芸高校(同)などの前を通る。メンバーの谷福江さん(68)は「昔の町並みに思いをはせたり、街道の曲がり具合を楽しんだりして」と参加を呼びかける。

 協議会は「庚申街道」と書かれた木製の街道名プレート(縦40センチ、横7センチ)も製作。街道沿いの市民らに協力を求め、軒先に掲げてもらう運動も展開している。協議会の松原恵子会長(78)は「活動の輪を広げ、地元に根付いた街道の良さをもっと多くの人に知ってもらいたい」と話している。

2015年12月02日

2175名無しさん:2015/12/07(月) 04:26:46 ID:uaYN9FyE0
54年ぶり再発掘 屋根瓦公開
12月06日 11時49分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151206/3835651.html

大阪の難波宮跡で行われた、およそ半世紀ぶりの発掘調査で再び出土した奈良時代の大量の屋根瓦が、6日現地で一般に公開されました。
奈良時代などに宮殿が築かれた大阪・中央区の難波宮跡には、歴史愛好家らあわせて450人が訪れました。
大量の屋根瓦は、いまから54年前の昭和36年に発見されたあと、表面を合成樹脂で覆う当時の最新の保存処理をした上で埋め戻されましたが、遺跡を整備するための調査で再び出土しました。
8世紀の「後期難波宮」で使われたとみられていて、「重圏文」と呼ばれる同心円状の珍しい文様が刻まれ、製作のときに付いたとみられる縄の跡もあります。
一般公開では、大阪市教育委員会の担当者が、屋根瓦の特徴や、難波宮で使われた資材の多くは京都の長岡宮に再利用されたため大量の瓦が見つかるのは珍しいことなどを説明しました。
広島市から訪れた30代の女性は「1000年以上前の屋根瓦がきれいなかたちで残されていたので、驚きました」と話していました。

2176名無しさん:2015/12/08(火) 04:46:45 ID:d9Q0IudQ0
大阪 船場で「みかんまき」
12月07日 15時14分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151207/3802661.html

商人の街として知られる大阪の中心部、船場で、火の用心を祈願する恒例の「みかんまき」が行われました。
「みかんまき」は、大阪・中央区の船場にある御霊神社で江戸時代から続けられてきた火の用心を祈願する神事にあわせて毎年この時期に行われています。
はじめに、火打ち石を使っておこした火に神職が、願いごとなどが書かれた木をくべて、災厄を退ける神事を行いました。
このあと、集まったおよそ400人に向けて境内に設置されたやぐらの上からおよそ600キロのみかんがまかれるとその場で味わう人の姿も見られました。
神社によりますと、みかんは火の色を象徴し、「みかんまき」には火の用心の意識を高めてもらうとともに栄養価の高いみかんを食べて風邪を予防するという意味もあるということです。
御霊神社の園文夫宮司は「商人の街、船場は今ではオフィス街になっていますが、行事には多くの企業の代表も駆けつけてくれます。
船場の冬の風物詩として今後も続けていきたい」と話していました。

2177名無しさん:2015/12/14(月) 04:34:49 ID:AO1mnj4U0
「泉布観」来年3月一般公開
12月09日 06時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151209/4003261.html

現存する大阪府内最古の洋風建築として国の重要文化財に指定されている「泉布観」が、来年3月、一般公開されることになり、大阪市は見学者を募集しています。
大阪・北区にある「泉布観」は、現在の造幣局の応接所として、明治4年に建てられたもので、現存する府内最古の洋風建築として国の重要文化財に指定されています。
貨幣を意味する「泉布」という言葉に、見晴らしのよい建物を意味する「観」という文字をつけて名付けられた建物は、レンガ造りで、2階にめぐらされた白いベランダが特徴です。
建物を保存するため、ふだんは内部に入れませんが、大阪市は、建物の魅力をより多くの人に知ってもらおうと、来年3月12日から14日までの3日間、無料で一般公開を行うことになりました。
1日あたりの定員は400人で、はがきでの事前の申し込みが必要です。
締め切りは1月22日で、当日の消印有効です。
詳しいことは、大阪市のホームページに掲載されています。

2178名無しさん:2015/12/16(水) 01:11:09 ID:I4QK7L3k0
「九輪塔」圧倒 五重塔耐震工事で間近に
2015年12月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151215/20151215028.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で14日、大規模な耐震改修工事が進む境内中心伽藍(がらん)・五重塔(高さ約40メートル)の頂上部から降ろされた相輪「九輪塔」の展示が始まった。全長は五重塔全体のほぼ3分の1を占める約12メートルで、多くの参詣者が大きさに圧倒されながら「初めて近くで見た」と興味津々に見学している。

五重塔など伽藍全体の大改修は、2022年に営まれる開祖・聖徳太子の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」に伴う3年工期の重点事業。

 境内に降ろされた九輪塔は「宝珠(ほうじゅ)」「竜舎(りゅうしゃ)」「水煙(すいえん)」からなる先端部分と、輪が九つ連なる本体の九輪部分とを分割して展示。炎を表すという水煙部分には天人天女の細やかなレリーフ加工を見ることができる。同寺に納骨した亡夫の供養で訪れた女性(81)=堺市美原区=は「まず大きさに驚いた。またとない機会に間近で拝見でき、深いご縁を感じました」と目を細めていた。

 展示は来年1月10日まで。同寺によると五重塔改修工事は6月までとなる見通しという。

2179名無しさん:2015/12/16(水) 01:17:32 ID:I4QK7L3k0
豆内蔵助ら さっそう討ち入り 天王寺で「義士祭」
2015年12月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151215/20151215027.html


 赤穂浪士討ち入りの時期に合わせた「大阪義士祭」が13日、大阪市天王寺区の浅野家の大阪菩提(ぼだい)寺、万松山吉祥寺で開かれた。子どもたちは大石内蔵助など四十七義士に扮(ふん)し、市内各地へ“討ち入り”。元禄15(1702)年12月14日の赤穂事件を、現代に伝えた。

同寺と大阪義士会が行う恒例行事。今回は公募で集まった3〜9歳の子ども計46人が参加した。

 子どもたちは、事件を基にした『忠臣蔵』で描かれている黒地に白の山形模様の衣装を身にまとい、太鼓やビニール製の刀を手に「エイ、エイ、オー」と勝ちどきを上げて吉祥寺を出発。大阪城(同市中央区)や通天閣(同市浪速区)などを巡った。

 同寺では、恒例の「討ち入り蕎麦(そば)」が販売されたほか、真剣による形の演武が奉納された。

2180名無しさん:2015/12/21(月) 14:04:23 ID:S/n/UoZU0
白ちゃんお帰り 新春行事、息災運ぶ神馬
2015年12月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151221/20151221017.html 

大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)に20日、来年1月7日に行われる伝統行事「白馬(あおうま)神事」を前に神馬「白雪号」が帰ってきた。8日まで境内西側の神馬舎で過ごし、神事に備える。

同大社の神馬は代々白馬で、白河天皇や源頼朝らも奉納。江戸時代以降は“白”と反対の黒い炭を扱う大阪炭屋仲間の「神馬講」から奉納されている。白馬を新春に見ると無病息災の一年になるとされている。

 白雪号は2009年5月に北海道函館市で誕生したオス。日本在来馬の北海道和種馬で全身が白い毛に覆われた佐目(さめ)馬だ。年末年始と夏の住吉祭みこし渡御時のみ姿を見せる。神馬を見つけた参拝者は「白(しろ)ちゃんがいる」とうれしそうに駆け寄って眺めていた。

 世話は大阪市立大馬術部の部員が行っており、朝と夕方に馬舎から出して運動させている。馬舎横で「はぎり豆」などの授与品の販売も担当しており、2年生の勝井千尋さん(20)は「白はとても元気で力が強い。寒いけれどお世話を頑張りたい」と話していた。

 白馬神事は白雪号が2人の神職とともに各本宮を拝礼し、第一〜第四本宮の周囲を駆け巡る。午前11時から。

2181名無しさん:2015/12/24(木) 10:59:57 ID:k.CYJICQ0
東大阪・枚岡神社の不思議な神事 巫女が突然笑い出し・・・
更新:12/23 20:04
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151223/00000047.shtml

東大阪市の神社では新年の開運を願う、ちょっと変わった神事が執り行われました。

「福が来ますように!(巫女)

 参拝客を巫女さんが大笑いしながら出迎えます。

 東大阪市の枚岡神社で、毎年この時期に行われる「お笑い神事」は、天照大神が天の岩戸に隠れた際、神々の笑い声が気になり顔をのぞかせたという神話にちなんで始まったとされます。

 しめ縄が新しいものに掛け替えられると、まず宮司の笑い声に続いて参拝客が3回笑います。

 その後、およそ2,000人の参拝客は20分間笑い続け、新年の開運を願いました。

「今年で3年目なんですけど、だんだん短く感じるようになりました」(参拝客)

「もう楽しかったです。涙出てきました!笑いましょか?あーっはっはっは!」(巫女)

2182名無しさん:2015/12/25(金) 13:44:26 ID:bqNyVEOU0
迎春準備着々 国立文楽劇場「にらみ鯛」設置
2015年12月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151225/20151225022.html

 上方伝統の正月の舞台飾り「にらみ鯛(だい)」が24日、大阪市中央区の国立文楽劇場にお目見えした。1月3日開幕の「初春文楽公演」の準備が進む中、大きな張り子のタイがにらみ合うように取り付けられ、劇場を一足早く迎春ムードに包んだ。

戦前に上方の劇場で親しまれたとされるにらみ鯛は戦後に途絶えたが、同劇場は1984年4月の開業後、初めて正月を迎えた翌年に復活させた。

 作業では、舞台スタッフが1体ずつ慎重にワイヤでつり上げて取り付け位置を調整。2体の間には春日大社(奈良市)の花山院弘匡宮司の揮毫(きごう)による「申(さる)」の大たこも飾られた。

 753席ある客席も約20年ぶりに入れ替えられ、真新しいシートで新春公演の観客を迎える。

 公演初日は開演前に地元の黒門市場から本物の「にらみ鯛」が届けられるほか、文楽人形による鏡開きも予定されている。

2183名無しさん:2015/12/27(日) 10:33:13 ID:/W4wMoWI0
有馬記念「無事にゴールを」 大阪天満宮で安全祈願
2015年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151226/20151226026.html

 JRA日本中央競馬会は25日、今年の最後を飾るGIレース「第60回有馬記念」(27日・中山)の安全祈願を大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で行った。競馬ファンら多くの参拝者が見守る中、サラブレッドとポニーが出走馬に代って参拝するなど、伝統のレースを大々的にPRした。

大阪の三大商店街(天神橋筋、千林、駒川)とコラボしたキャンペーンの一環。同宮では毎年10月に「流鏑馬(やぶさめ)神事」が行われているが、競馬の安全祈願として馬が参拝するのは初めて。

 2頭は参拝に先駆けて地元の天神橋筋商店街をパレード。境内ではタレントで有馬記念PR隊長を務める、じゅんいちダビッドソンさんら関係者とともに神職からお払いを受けた。

 あいさつに立った阪神競馬場の日置耕司場長は「今年活躍した馬が一堂に会する大事なレース。16頭の出走馬が無事にゴールしてほしい」と期待を込めた。

 この日は年内の縁日を締めくくる「終(しまい)天神」にあたり、朝から祈願絵馬のたき上げや振る舞い餅などが行われ、多くの参拝者で終日にぎわった。

2184名無しさん:2015/12/28(月) 13:57:33 ID:H2VUnaNc0
もうすぐ出番 「住吉踊り」製作始まる
2015年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151227/20151227022.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、正月の縁起物「住吉踊り」の製作が始まった。奉仕した神楽女(かぐらめ)がていねいに仕上げ作業をこなした。同日には、境内の防災訓練と本宮のすす払い式が行われ、迎春準備を本格化させた。

「住吉踊り」は御田植(おたうえ)神事などで奉納される住吉踊(おどり)(重要無形民俗文化財)のかさと童子が踊る姿を麦わら細工で表現した伝統の郷土民芸品。商売繁盛・家内安全を呼び込むとされ、正月までに約3千個を製作する予定。

 かさの大きさ別に直径12センチから55センチまで4種類があり、神楽女は青々としたササにかさを手際よく取り付けていた。

 同大社は、正月三が日で約230万人の人出を予想している。

2185名無しさん:2015/12/28(月) 14:42:12 ID:H2VUnaNc0
繁昌亭で落語家が餅つき
12月28日 11時21分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151228/4497081.html

年の瀬を迎え、大阪にある上方落語の寄席、天満天神繁昌亭で28日、落語家たちが餅つきを行いました。
これは上方落語協会が毎年、行っているものです。
大阪・北区の天満天神繁昌亭には、上方落語協会の桂文枝会長をはじめおよそ30人の落語家が集まりました。
まず、文枝会長が「繁昌亭の人気もながもちするように、来年もよろしくお願いします」とあいさつをしたあと、男性の落語家が餅をつき、できあがった餅を女性の落語家が食べやすい大きさにまるめていきました。
そして、できあがった餅はぜんざいなどにして集まった人たちに配られ、親子連れなどがおいしそうに食べていました。
天満天神繁昌亭では年末年始も公演が行われ、さまざまな落語の演目が披露されることになっています。

2186名無しさん:2015/12/28(月) 17:18:58 ID:H2VUnaNc0
大丸心斎橋本館、30日閉館 ランドマークとして街に重厚な風格 「歴史を語る存在として次の時代にも」と期待
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n1.html

大阪・ミナミの大丸心斎橋店本館が建て替えのために30日、閉館する。米国出身の建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが手がけた名建築で、戦災や震災を乗り越え、心斎橋のランドマークとして街並みに風格を与え続けてきた。建物は外壁と内装の一部を除いて解体される。再開は4年後。従業員や周辺の商店主らは「今の建物の重厚な風格が、次の時代へも受け継がれていってほしい」と願う。(中井美樹、石見有紀)

 同じ日に退職

 「建築の素晴らしさに、百貨店では一番という誇りをもって働いていた」

 同店営業推進部の高野弘さん(65)は、いとおしそうに本館1階の空間を見上げた。大理石や黒曜石をふんだんに使ったぜいたくさに加え、幾何学模様で埋め尽くされた華やかさの中に動物や植物など自然を感じるデザインがある温かみが好きだったという。

 今月が誕生月で、偶然にも本館が閉館する30日に、ともに退職の日を迎える。

 昭和45年に入社。以来、主に展覧会や物産展を行う催し物会場の企画や展示デザインに関わってきた。

 本館には思い出も詰まる。昭和の百貨店は文化の発信地としてぜいたくに予算を使えた時代。延暦寺の出開帳展では、柱に本物の杉皮を巻いて杉林を演出。北海道物産展では現地から本物の流氷を運んだ。肝心の流氷は運搬の途中で半分以上解けてしまって慌てたが、今では良い思い出だ。

http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n2.html

建て替えに寂しさを覚える一方、耐震性や劣化を考えると仕方ないと感じている。「老いて朽ちていくのを見ているようで痛々しかった。外壁や内装の一部は残ると聞いている。新しい技術で元気になってほしい」と話す。

2187名無しさん:2015/12/28(月) 17:25:19 ID:H2VUnaNc0
「街の個性」

周辺の商店主らからも、建て替えを惜しむ声が上がる。

 「いよいよその時がきたかという心境」。心斎橋筋商店街に本店を構える日本茶販売「宇治園」取締役顧問の重村泰弘さん(78)はそう話す。店の真向かいが本館。大丸のシンボルともいえる中央玄関上のテラコッタ(陶製)のクジャクを毎日のように見てきた。「あれは残ってほしいな」とつぶやく。

 かつては老舗がのれんを連ねた心斎橋筋商店街も、不況と後継者不足で次々と閉店し、ほとんどがテナントとして入居している店になった。近年は、訪日外国人客の“爆買い”の影響で、観光客をターゲットにしたドラッグストアなどが増えた。「時代の変化がますます早くなっている。本館が再開する4年後、街がどう変貌しているのか期待と不安でいっぱい」と話す。

http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n3.html

心斎橋筋北商店街振興組合の前理事長、春木洋次さん(71)も「重厚な、あの建物があってこその心斎橋」。本館の外壁が残されると聞いてほっとしたという。

 「これから東京オリンピックに向けて伝統や歴史が改めて注目されていくことになると思う。その中で、大丸は心斎橋という街の個性であり、歴史を語る存在としてあり続けてほしい」

2188名無しさん:2015/12/29(火) 08:27:56 ID:Mii5n1..0
【訃報】海原小浜さんが死去…女性漫才コンビで活躍
2015.12.28
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280085-n1.html

 上方の女性漫才コンビの先駆的存在だった「海原お浜・小浜」の海原小浜(うなばら・こはま、本名・田中桃江=たなか・ももえ)さんが24日、大阪市内の病院で死去した。92歳。葬儀・告別式は近親者のみで行った。

 岡山県出身。劇団の少女座長として活躍後、叔母のお浜さん(平成6年に死去)とコンビを結成。しゃべくり漫才で頭角を現し、上方漫才大賞や上方お笑い大賞などを受賞した。

 弟子に海原千里(現・上沼恵美子さん)・万里や海原さおり・しおりのほか、実子の海原かけるは、めぐる(現・池乃めだかさん)とのコンビで活躍した。姉妹コンビ「海原やすよ・ともこ」は孫にあたる。

 昭和53年にお浜さんが病気で引退してからは、1人でテレビの司会やラジオのパーソナリティーなどを務めていた。

2189名無しさん:2015/12/29(火) 11:27:15 ID:cRAT.jKc0
「あさ」の晩年示す文献見つかる 米建築家ボーリズが記す
2015年12月28日 17:17
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151228/20151228076.html

 NHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルで、大同生命保険や日本女子大の創設に貢献した広岡浅子との交友や活動に関して、米国出身の著名建築家ウィリアム・メレル・ボーリズが約100年前に残した文献が見つかった。最晩年の浅子はボーリズを“屈指の親友”と認め、ボーリズは浅子を母のようだったと追憶している。

ボーリズは歴史的建造物とされる大丸心斎橋店(大阪市中央区)の設計などで知られる。大同生命の旧本社ビル(同市西区)も手掛け、浅子と接点があった。ただ2人を直接結び付ける記録は少ないという。

2190名無しさん:2015/12/29(火) 13:28:25 ID:cRAT.jKc0
大阪天満宮の招福娘が松井知事、吉村市長を訪問
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280066-n1.html

大阪天満宮(大阪市北区)で来年1月9〜11日に行われる「天満天神えびす祭」で福笹を授ける「招福娘」12人が28日、大阪府庁を訪れた。

 府庁ではダブル選挙でともに当選を果たしたばかりの松井一郎知事と吉村洋文大阪市長が出迎え、招福娘は「来年が府市にとって輝かしい年になりますように」と祈願。2人に商売繁盛の縁起物を授けた。

 松井知事は「若いみなさんのため、成長する大阪をつくりたい」。吉村市長は「大阪に大きな福が訪れるよう頑張りたい」と意気込んだ。

2191名無しさん:2015/12/30(水) 14:11:03 ID:0dFftqvI0
伝統芸能 面白く 児童ら能の世界体感
2015年12月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151229/20151229030.html

 小学生を対象とした能を学ぶための体験教室「能と遊ぼう!」が大阪市中央区徳井町1丁目の山本能楽堂で始まった。子どもたちは舞台裏の見学や歩き方の練習などを通し、日本の伝統芸能を楽しく体感していた。

伝統文化の継承・発展などを目的とした文化庁の事業の一つで2008年から3〜10回の連続講座として開催。第8回の今回は全5回シリーズで、1回目は27日に「能楽堂で遊ぼう!」と題して開かれた。

 能楽師の林本大さんらが講師を務め、遠近感を出すために大きさの違う松の木を植えていることや、必然的に「お辞儀をさせるために」背の低い出入り口(切戸口(きりどぐち))となっていることなどを質問形式で説明。

 約40人の子どもたちは、「猩々(しょうじょう)」の一節を一緒に謡ったり、舞台に上がって能独特の歩き方「すり足」を練習。舞台裏で竹を使って「揚幕(あげまく)」を揚げるなど、さまざまな貴重な体験を積極的に楽しんでいた。

 山本能楽堂はほかにも子ども向け事業として、造形遊びを通して「創造的」な能の世界観を体験するワークショップや、能の地謡(コーラス)のワークショップなどを開催。参加者から後継者も育っているという。山本佳誌枝事務局長は「先入観がなく、感受性が強い幼少期に能の面白さを知ってもらえたら」と参加を呼び掛けている。

 今シリーズの今後の予定は次の通り。来年1月5日「能面・能の衣装で遊ぼう!」▽11日「舞で遊ぼう!」▽17日「お囃子で遊ぼう!」▽24日「能役者になってみよう!」。いずれも午前10時半〜11時半。1日だけの参加も可、申し込み先着順(30人まで)。参加無料。申し込みはホームページから。

2192名無しさん:2015/12/30(水) 14:17:18 ID:0dFftqvI0
縄文人の骨 重労働のあとか
12月30日 06時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151230/4555471.html

大阪の「森の宮遺跡」でおよそ40年前に発掘された縄文時代の人の骨を専門家が改めて調査したところ、複数の人で、肩こりや腰痛を伴う重い病気の部分が確認されました。
専門家は過酷な労働が関係している可能性があると指摘しています。
大阪・中央区の「森の宮遺跡」では、およそ40年前、縄文時代から弥生時代にかけての人の骨が発掘されました。
その一部が去年、大阪市の指定文化財になったのを受けて、大阪市立大学大学院医学研究科の安部みき子学術博士が改めて調べたところ、見つかった骨は以前、確認された18人分ではなく、24人分あることが分かりました。
また、縄文時代の40代以上の男女2人とみられる骨には、▼肩こりや痛みを伴う「けい椎症」であることを示す首の部分の突起や、▼腰痛などを招く変形性脊椎症を示す腰の部分の異常が確認されました。
症状はかなり重く、重いものを運ぶなど過酷な労働が関係している可能性があるということです。
さらに、赤ちゃんの骨がこれまで確認されていた2人分ではなく5人分あることも分かりました。
安部学術博士は、「穏やかなイメージがある縄文時代だが、過酷な労働や子どもの高い死亡率など、厳しい環境だったと考えられる。
当時の暮らしを知る上で重要な発見だ」と話しています。

2193名無しさん:2015/12/30(水) 20:12:09 ID:pDrKspXQ0
大阪から伊勢神宮まで170キロを歩いて初詣 元日の到着目指し、4日間かけて踏破へ
http://www.sankei.com/west/news/151229/wst1512290039-n1.html

江戸時代に大流行した伊勢神宮(三重県伊勢市)への「おかげ参り」を再現し、大阪から伊勢神宮まで歩いて初詣をする「伊勢迄(まで)歩(ある)講(こう)」の一行が28日の早朝、大阪市中央区の玉造稲荷神社を出発した。元日の到着を目指し、14〜81歳までの約70人が4日間かけて約170キロを踏破する。

 協力し合うことへの喜びや達成感を得てもらおうと、大阪ユースホステル協会が年末の恒例行事として主催し、今年で43回目。1日に約35〜65キロ歩く。

 江戸時代、同神社は大阪以西の人たちの旅の玄関口としてにぎわったという。同神社が所蔵する歌川広重の錦絵「伊勢参宮 宮川の渡し」には犬の姿もあり、犬も参るほど人気があったことがうかがえる。

http://www.sankei.com/west/news/151229/wst1512290039-n2.html

この日、菅笠(すげがさ)と法被姿で安全祈願をした参加者は、道中安全木札を受け取り気合も十分。「度胸試しに」と初参加した神戸市の大学生、山田航(わたる)さん(22)は「この日のために訓練してきたので、達成できるはずです」と自信をみせていた。

2194名無しさん:2016/01/02(土) 13:38:45 ID:a1UaaI.o0
大阪・狭山池博物館 市民ボランティアらが手作り「片桐且元」展
http://www.sankei.com/region/news/151225/rgn1512250067-n1.html

 豊臣秀吉、秀頼親子に仕え、日本最古のため池「狭山池」の改修を行った片桐且元(かつもと)(1556〜1615年)の生涯や業績を紹介する特別展「片桐且元」が、大阪狭山市の府立狭山池博物館(工楽善通館長)で開かれている。同館の市民ボランティア約20人が約1年がかりで写真撮影や資料収集にあたり、手作り感あふれる展示会が話題になっている。

 同館の市民ボランティアたちは、これまでに地元特産品「河内木綿」などをテーマに、年1回程度のペースで手作りの展示会を行っている。狭山池築造1400年、且元の没後400年の節目にあたることから、今年は「賤ケ岳七本槍」の一人に数えられる武勇を持つ且元にスポットを当てることにした。

 元教師の西川正彦さん(76)=河内長野市=を代表とするメンバーたちは昨年9月、「且元集額会」と名付けたチームを結成。学芸員のアドバイスを受けながら且元の生涯や業績を調べ、手分けして写真撮影や資料収集にあたった。展示は「且元の生涯」「社寺の普請」「水利開発」の3つのテーマに分けて、且元の足跡がたどれるように工夫したという。

 西川さんは「素人ばかりで大変だったが、且元が身近な人になった。ぜひ見学にきてほしい」と自信の表情を見せる。工楽館長は「ボランティアの方々の熱心さには頭が下がる。専門の学芸員にはない視点もあって、とても面白い展示になっている。今後も続けてほしい」と話している。

 無料。展示は来年1月24日まで。月曜(月曜が祝日の場合は翌日)と12月28日〜来年1月4日休館。また、「大和川今池遺跡」の発掘調査速報展が1月17日まで開催されている。問い合わせは同館(電)072・367・8891。

2195名無しさん:2016/01/03(日) 21:09:01 ID:hsKmdIUc0
17日に年頭行事「綱引神事」 難波八阪神社
2016年1月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160101/20160101076.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で17日に年頭行事「綱引(つなひき)神事」が行われる。一般参拝者の見学可。

 八岐大蛇(やまたのおろち)退治で知られる祭神「スサノオノミコト」の威徳を仰ぐ伝統行事。江戸期の出版物でも紹介されており、2001年度に市指定無形民俗文化財の第1号となった。

 当日は午前8時から拝殿前で神事を斎行。文化財保持者である同神事保存会(竹立威三雄会長)が奉仕し、オロチに見立てた大綱を作る。完成後は双方から綱を引き、神社周辺を巡行する。

 問い合わせは電話06(6641)1149。

2196名無しさん:2016/01/03(日) 21:41:27 ID:hsKmdIUc0
「春から艶っぽく…」 愛之助さん公演始まる
2016年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160103/20160103016.html

 大阪府出身の歌舞伎俳優・片岡愛之助さんが地元の大阪松竹座(大阪市中央区)で2日から始まった「寿初春大歌舞伎」公演で新年の仕事をスタートさせた。初日開幕演目は歌舞伎十八番の「鳴神」で、鳴神上人の愛之助さんが雲の絶間(たえま)姫の中村壱太郎さんと競演し「春から艶っぽく…」と笑顔を振りまいた。

 鳴神上人が絶間姫の誘いで胸元に手を差し入れ思わずドキッとする。女に惑わされる純な鳴神が名前を替えて「かたおかあいのすけ〜」というアドリブのセリフで場内の笑いを誘う。ほかに市川中車さんと「らくだ」「研辰(とぎたつ)の討たれ」、人間国宝の坂田藤十郎さん、中村扇雀さんと上方歌舞伎の秀作「桂川連理※(れんりのしがらみ)/帯屋」。扇雀さんの「枕獅子」「芝浜革財布」が付く。26日まで。

 ※は「木へん」に「朔」

2197名無しさん:2016/01/03(日) 21:52:52 ID:hsKmdIUc0
それぞれの思い祈願 住吉大社、初詣にぎわう
2016年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160103/20160103013.html

 新年を迎えた1日、大阪府内各地の社寺は初詣の人でにぎわい、大阪市住吉区の住吉大社でも家族連れやカップルら多くの参拝者が列をつくってそれぞれの思いを祈願した。

 
「太鼓橋」の名で親しまれる反(そり)橋では、本宮へと向かう参拝者が、足元を気にしながら急な斜面をゆっくりと上り下り。罪やけがれをはらい清めた。

 四つの本宮前にはそれぞれ人だかりができ、順番が回ってくると、さい銭を投げて手を合わせていた。

 おみくじを引いたり、お守りを買い求めたりする人も多く、広い境内は無数の参拝者で埋め尽くされていた。

 また境内では、天下泰平や庶民繁栄を祈って踊る住吉踊(おどり)の新春特別奉納がなされ、注目を集めていた。

 家族4人で訪れた山下智史さん(36)=同市阿倍野区=は「おサルさんたちのように家族みんなが陽気にワイワイとやっていければ」と、えとを踏まえた思いを語っていた。

 住吉大社は、三が日で約250万人の人出を見込んでいる。

2198名無しさん:2016/01/04(月) 13:11:28 ID:BgT.CLUU0
幸せな1年願う 大阪・住吉大社、156万人が初詣
2016年1月2日23時53分
http://www.asahi.com/articles/ASJ125D4MJ12PPTB001.html

西日本は元日に続き青空が広がり、各地の寺社は初詣客でにぎわった。大阪市住吉区の住吉大社境内には「志望大学に合格しますように」「元気な子どもを授かりますように」「社会人としていいスタートを切れますように」などと書かれた絵馬がずらり。


6日から米国に赴任する大阪市西区の会社員真山裕平さん(35)は「元気で平和で楽しく過ごせますように」と手を合わせた。

 住吉大社によると、元日は昨年より4万人多い156万人が参拝。1〜3日の三が日で例年250万人前後が参拝するが、天候に恵まれた今年は例年より多そうだという。気象庁によると、3日も西日本全域で晴れるという。


新年の願い、天神さんに 大阪天満宮、初詣客でにぎわう
2016年1月1日09時18分
http://www.asahi.com/articles/ASHD04WMDHD0PTIL009.html

大阪市北区の大阪天満宮は1日未明から、大勢の初詣客でにぎわった。本殿前の大門(おおもん)が開き、午前0時、新年を告げる「報鼓(ほうこ)」の音が鳴り響くと、列をなした初詣客が次々とさい銭を投げ入れて、手を合わせた。

 大阪府門真市の高校2年三野心さん(16)は「4月から3年生。受験生となるので目標の大学に合格したい」。大阪市東成区の会社員宮井康行さん(27)は「彼女とけんかをせずに平和に過ごせますようにとお願いしました」と話した。

2199名無しさん:2016/01/04(月) 14:01:47 ID:BgT.CLUU0
天満天神えびす祭をPR 招福娘が知事、市長を訪問
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104018.html

 大阪市北区の大阪天満宮で9〜11日に行われる「天満天神えびす祭」を前に、祭りで奉仕する招福娘12人が、府庁を訪れ、同祭をPRした。

 一行は昨年末に府庁を訪問。梅鉢紋の入った赤い装束に、金色の烏帽子(えぼし)をかぶった招福娘は「笑顔と元気と福で、この大阪がますます元気で、活気のある街になるように奉仕します」などと元気良くあいさつ。掛け声を響かせ、「えびす締め」で商売繁盛を祈願した。

 招福娘から縁起物の「福箕(ふくみ)」を受け取った松井一郎知事は「福を持ってきてもらい、ありがとう。若い皆さんのために成長する大阪をつくっていきたい」と述べ、吉村洋文大阪市長は「大阪に大きな福が来るように頑張りたい」と決意を口にした。

 招福娘は、祭り期間中、境内で福ザサなどの縁起物を参拝者に授ける。

2200名無しさん:2016/01/04(月) 14:31:37 ID:BgT.CLUU0
受験生ら学業成就真剣に 「元三大師合格祈願法要」
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104015.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で3日、伝統行事「元三(がんざん)大師合格祈願法要」が盛大に執り行われた。受験生や家族らが続々と境内に足を運び、真剣な表情で学業成就などを祈った。

  元三大師は平安時代に実在した天台宗の僧侶・良源(りょうげん)上人の通称で、多大な智恵と記憶力を持ったことから、古来、学力向上などを祈る人々からの信仰があつい。

 早朝から境内に並んだ参詣者は、元三大師堂(重要文化財)の前に設けられた大きな「智慧(ちえ)の輪」をくぐって入堂。荘厳な堂内では森田管長、瀧藤尊淳執事長によって護摩供がなされ、無数の護摩木が高く燃え上がる中、手を合わせて僧侶から錫杖(しゃくじょう)で加持を受けた。

 多くの御利益に感謝して毎年訪れるという男性(84)=同市阿倍野区=は「長年子どもや孫のために祈願している。今年は天候もよく、すがすがしい気持ちでお参りできた」と笑顔で話していた。

 合格祈願護摩供は16日(午前10時)、2月3日(午後1時半)、10日(午前10時)にも行われる。

2201名無しさん:2016/01/04(月) 16:40:04 ID:BgT.CLUU0
来場者に祝い酒 国立文楽劇場で鏡開き
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104016.html

 国立文楽劇場(大阪市中央区)正面玄関前で3日、初春文楽公演の開幕を告げる鏡開きが行われ、文楽人形「太郎冠者」(吉田一輔さん)と「醜女」(吉田玉佳さん)が来場者らに祝い酒を振る舞った。

 
1985年以来、毎年行われている新春の風物詩で、地元の黒門市場からは縁起物のタイ2匹が到着。14日からNHKで始まる近松門左衛門を描いた人情喜劇「ちかえもん」に主演する俳優の青木崇高さんも交えて鏡開きを行った。

 同劇場の水野英二理事は「今年も充実したラインアップを用意している。形が固まり、一つの実を結ぶとされる『丙申(ひのえさる)』の今年、日ごろの努力が形となって現れるように」と期待を込めた。青木さんも「番組が文楽の盛り上がりにつながれば」と話していた。

2202名無しさん:2016/01/07(木) 18:02:52 ID:gqmpkY160
初詣の道は真田幸村へ続く
http://weblog.hochi.co.jp/arukulove/2016/01/post-adf8.html

 正月休みの運動不足解消と初詣を兼ねて大阪市天王寺区を歩いた。四天王寺から一心寺を訪ねたが、いつの間にか目的が変わった。このあたりは茶臼山の北側。1614年の大阪冬の陣では徳川家康が本陣を構え、翌15年の夏の陣では真田幸村が陣取った場所。NHK大河ドラマ「真田丸」も始まるので、その史跡へ足が自然に動いた。
地下鉄谷町線の「四天王寺前夕陽ケ丘」で降りて、谷街筋のひとつ東側の道を南へ向かう。そこは四天王寺の参道で、商店街が設置している「飛び出し注意」や「進入禁止」の看板まで、聖徳太子をモデルにしたイラストだ。

 四天王寺は1400年以上も前、聖徳太子が建立したと伝わるお寺だ。参道から境内に通じる門は3か所あるが、通り過ぎて南側の南大門から入る。お寺の中心伽藍(がらん)への近道だからだ。入ると目の前に仁王門(中門)が現れる。その向こうに五重塔がそびえているはずだったが、グレーのシートにすっぽり覆われていた。シートには大手ゼネコンと設計事務所の企業ロゴが張り付けてあって、その間に「聖徳太子千四百年御聖忌 2022年 厳修 中心伽藍耐震改修工事」と書かれていた。

聖徳太子こと厩戸王子(うまやどのおうじ)が死去したのが622年とされ、2022年はそれから1400年。その儀式を厳かに執り行うため、この場所の耐震改修を行っているという。現在の五重塔は1959年建立というから耐震改修は必要。仕方ない。
 見たかった五重塔が隠れていて残念だったので、西へ少し歩いて、今度は一心寺へ向かった。年が明けてまだ4日だけに初詣客は多い。幼い子供を連れた夫婦連れもいて、子供が山門の両側に立つ青銅の阿形像と吽形(うんぎょう)像を見て怖々、お母さんに「これ、動くの」と尋ねていたのが面白かった。神戸峰男さん作の像は、動くのではないかと錯覚するくらい迫力がある。

 その山門を下から眺めていて気がついた。怖い仁王にばかり気を取られていたが、その下の扉には4人の天女の像があった。秋野不矩さんの原画を神戸さんが浮き彫りにしたと説明されている。門の上では邪念を戒め世の乱れをにらんでいるが、その下には瑞々しい生命力がみなぎっている。この山門を見るだけでもこのお寺に来る意義がある。
 ところで、ここは大阪の陣の激戦地でもある。お寺のホームページによると、およそ5万人の武将が戦死。当時の住職が遺体を境内に集めて火葬し、供養したという。50年、100年、150年、200年の節目の年には供養法会を行っており、冬の陣から400年となった2014年にも関連行事を開催したと書かれている。

討ち死にした武将の中でもいまだに人気が高く、今年は大河ドラマの主人公になる真田幸村(信繁)の戦死跡とされる場所が、一心寺の北側にある安居神社。以前、このブログでも紹介したが、昨年秋に宮司さんに話を聞いてスポーツ報知大阪本社版に書いた。
 その時、分かったのは、ここが幸村戦死の史跡と認定されたのは、明治時代に陸軍が日本の過去の合戦を検証した結果だったという。2009年には宮司さんが寄付を集めてブロンズの座像も建立されている。彫刻家の播間公次さん制作のその像は、本懐を遂げた安らかな表情で夕日を眺めているイメージという。

 この日も若い参拝客が次々に訪れて、その座像に手を触れていた。あと一歩で家康の首は取れなかったが、幸村は400年後の若者たちにも愛されていた。(文と写真・鬼塚 静信)

2203名無しさん:2016/01/07(木) 18:50:41 ID:gqmpkY160
住吉大社で白馬神事
01月07日 15時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160107/4840971.html

正月に青い馬を見ると縁起が良いという故事にちなんだ神事「白馬神事」が7日、大阪の住吉大社で行われました。
白い馬と書いて「あおうま」と読むこの神事は、正月に青い馬を見ると、1年間、無病息災で過ごせるという中国の故事にちなんだもので、大阪・住吉区の住吉大社では毎年1月7日に行われています。
7日は、神職が祝詞を上げたあと、住吉大社の神馬「白雪号」が4つの本殿を回り、頭を下げる仕草をしました。
そして、境内を走って回る「早駆け」を行いました。
白馬神事を見た大阪市の40代の女性は「家族みんなが健康に暮らせたらそれが一番です」と話していました。
大阪市の30代の男性は「白馬を見られたし、ことしは元気にかけたい。仕事を頑張れそうです」と話していました。

2204名無しさん:2016/01/07(木) 19:02:53 ID:gqmpkY160
笑顔で大阪元気に 十日戎前に福娘が来社
2016年1月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160107/20160107032.html

 “えべっさん”の愛称で知られ、商売繁盛の御利益があるとされる今宮戎(えびす)神社(大阪市浪速区)の十日戎を前に、祭礼に花を添える福娘が6日、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れ、一年間の福を授けた。

 着物の上に白い千早を羽織り、金色の烏帽子をかぶった中谷芽以さん(19)ら福娘13人が来社。ことしのえと「申(さる)」を描いた縁起物の額を届け、「打ちましょ、もうひとつせい、祝うて三度で」と上方締めを披露し、新年を祝った。

 十日戎は9〜11日に行われる商売繁盛や景気回復を願う祭礼。例年、大勢の参拝者でにぎわっており、福娘代表の中谷さんは「私たちの笑顔で大阪の皆さんを元気にしたい」と話していた。

2205名無しさん:2016/01/07(木) 22:48:29 ID:wgbjZ23.0
故・桂枝雀さんの長男りょうばさん、大阪・西成で初高座
篠塚健一2016年1月7日
http://www.asahi.com/articles/ASJ166480J16PTFC00X.html?iref=com_rnavi_arank_nr03

 爆笑王と称され、一時代を築いた落語家の故・桂枝雀さんの長男桂りょうばさん(43)が7日、大阪市西成区の動楽亭で初高座に上がった。詰めかけた約100人の観客を前に上方落語「東の旅発端」を陽気に演じ、デビューを飾った。

 アマチュア落語家を経て昨年8月に桂ざこばさんに入門した。寄席の前座として笑顔で登場すると、張り扇と小拍子で見台(けんだい)を叩(たた)きながら旅ネタを披露。父の面影が宿る表情やしぐさ、落ち着き払った高座ぶりに何度も笑いが起きた。

 終演後、師匠のざこばさんは張り扇の握り方も枝雀さんとそっくりで驚いたと明かした。「あんな落ち着いた初舞台ちゅうのはない。けれどもアマチュアの延長やちゅうのを感じる。玄人やなって思える噺家(はなしか)になってほしい」とざこばさん。りょうばさんは「親子なので似ちゃうのは仕方がない。本当に腹の底からはなしができる噺家になりたい」と話した。(篠塚健一)

2206名無しさん:2016/01/09(土) 11:53:36 ID:8dYmZVgk0
「ササ持ってこい」 北新地、えびす詣招福行列
2016年1月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160109/20160109033.html

 大阪市北区の大阪天満宮で「天満天神えびす祭」(9〜11日)が始まるのを前に、同区の北新地と同宮を往復する「堂島北新地えびす詣招福行列」が8日、盛大に行われた。天満えびす招福娘ら約100人が長い列を連ね、「商売繁盛でササ持ってこい」とにぎやかに練り歩いた。

同宮の氏子崇敬者でつくる青年親睦会(土井由憲会長)が主催。戦前に途絶えた同宮の「天満えびす」が2007年に復興したことを契機に、風物詩だった北新地の「宝恵かご」復興を願う関係者の思いが実を結び、09年に実現。以後、えびす祭の前景気を盛り上げる行事として定着している。

 軽快なえびすばやしが響く中、高張りちょうちんやつり太鼓などを先頭にした一行が北新地を出発。招福娘が愛嬌(あいきょう)を振りまいたほか、上方落語協会の桂春之輔副会長や北新地社交料飲協会(東司丘興一理事長)の北新地クイーンらを乗せた豪華な人力車も列に加わり、えびす祭の到来を触れて回った。

 同親睦会の林秀昭副会長(56)は「行事を通じて大阪天満宮と北新地がますます発展してもらいたい」と願いを込めた。



大阪「十日えびす」開幕 ミナミの新年彩る宝恵かご
2016年1月9日 11:29
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160109/20160109036.html

 商売繁盛を祈願する今宮戎神社(大阪市浪速区)の「十日えびす」が9日、初日の「宵えびす」で幕を開け、芸妓や福娘が乗った宝恵かご行列が市内の繁華街・ミナミを練り歩いた。

かごには、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」にヒロインの嫁ぎ先の奉公人ふゆ役で出演している女優の清原果耶さん(13)のほか、俳優香川照之さん(50)らの芸能人も乗り込み、笑顔を振りまいた。街には「ほーえかご」という見物客や参加者の掛け声が響き、多くの人が写真を撮って楽しんでいた。

 十日えびすは10日の「本えびす」、11日の「残り福」と続く。神社は約100万人の参拝客を見込んでいる。

2207名無しさん:2016/01/10(日) 04:31:34 ID:krSUgzVY0
今宮戎神社 宵えびす
更新:01/09 18:08
http://www.mbs.jp/news/kansai/20160109/00000033.shtml

商売繁盛の神様で知られる、大阪の今宮戎は、9日が宵えびすで、朝から大勢の参拝者で賑わっています。

 十日えびすの初日となる「宵えびす」。

 今年は、三連休の初日と重なったこともあり、朝から大勢の人たちが、商売の神様のご利益を授かろうと訪れています。

 境内では、笹が無料で配られ、参拝者はひとつ1,500円ほどの縁起物の小判や金の俵などを福娘に授けてもらっていました。

「いい始まりを迎えているので、今年はすごい年になると思います。ちなみに、知り合いが引いたこの人のおみくじは、凶でした」(参拝者)

 今宮戎神社では、10日の本えびすと11日の「残り福」の3日間で、約100万人の参拝者を見込んでいます。

2208名無しさん:2016/01/10(日) 04:33:54 ID:krSUgzVY0
阪城のやぐらなど特別公開
01月09日 17時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160109/4875651.html

戦国時代の武将、真田幸村の生涯をえがくNHKの大河ドラマ、「真田丸」の放送が、10日から始まるのに合わせて、幸村ゆかりの大阪城に残るやぐらや蔵が、特別公開されています。
9日から特別公開されているのは、大阪城の大手口を守る「千貫櫓(せんがんやぐら)」と「多聞櫓(たもんやぐら)」、それに、火薬の保管庫として使われた「焔硝蔵(えんしょうぐら)」です。
いずれも、大坂夏の陣のあと再建されたもので、「焔硝蔵」は、床や壁、天井に、厚さ2点4メートルを超える巨大な石が使われ、火縄銃などに使うおよそ230トンの火薬が保管されていたということです。
また、「千貫櫓」は、大阪城に残る最も古い建物で、壁には、敵が攻めてきた際に火縄銃で応戦するための小窓が付いています。
初日の9日は、訪れた人たちが、江戸時代の足軽にふんした職員にアドバイスを受けながら、小窓から外に銃口を向けて敵に狙いを定める体験をしました。
参加した11歳の男の子は、「火縄銃の体験ができてうれしかった。
昔の人が、どうやって城を守っていたかがよく分った」と話していました。
大阪城の特別公開は、ことし6月5日まで行われます。

2209名無しさん:2016/01/14(木) 08:14:12 ID:Mii5n1..0
訃報
桂春団治さん 85歳=落語家
毎日新聞2016年1月14日
http://mainichi.jp/articles/20160114/ddm/041/060/110000c
上方落語復興に尽力

 戦後、滅亡寸前と言われた上方落語界の復興に尽くした四天王の最後の一人で、厳しいまでに磨き上げた芸風で知られる桂春団治(かつら・はるだんじ、本名・河合一=かわい・はじめ)さんが9日、心不全のため亡くなった。85歳だった。親族や直系の弟子らで密葬を営んだ。

 1930年、大阪市生まれ。父親は二代目春団治。高校を卒業後、会社に就職するが1年で辞め47年小春の名でデビュー。50年に二代目福団治、59年に三代目春団治を襲名した。

 後に上方落語四天王と称された三代目桂米朝、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝(いずれも故人)とほぼ同時期の入門で衰退していた上方落語界再生の原動力として活躍した。

 芸風は地味だが手堅く、上方落語のエッセンスを観客に見せるよう心掛けた。テレビやラジオにはほとんど出演せず落語一筋。粒よりのネタを完璧に演ずることに全力を傾け、「野崎詣(まい)り」「いかけや」「代書」などは至芸と言われた。

 若手育成にも熱心で福団治さんや故二代目春蝶、小春団治さんらを育てた。78年から83年には3代目の上方落語協会会長を務めた。

 81年に胃潰瘍、92年にはC型肝炎と診断されるなど、何度か病気に見舞われながらその度に克服。年齢とともに円熟を重ね、艶のある芸で観客を酔わせた。足のけがで正座できなくなったことなどを理由に、2013年夏以降は高座から遠ざかっていた。

 75年芸術祭優秀賞受賞、98年には紫綬褒章を受章した。

2210名無しさん:2016/01/14(木) 08:25:57 ID:Mii5n1..0
落語家の三代目桂春団治さん死去…85歳
2016年01月14日
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160114-OYT1T50033.html?from=ytop_top

 戦後の上方落語を支えた「四天王」最後の一人、三代目桂春団治(かつら・はるだんじ、本名・河合一=かわい・はじめ)さんが9日午前0時11分、心不全で亡くなった。

 85歳だった。親族と弟子たちで密葬を行った。26日にお別れの会を行う。喪主は妻、成子(しげこ)さん。

 大阪市出身。二代目春団治の実子で、1947年に父に入門した。小春、福団治を名乗った後、59年に大名跡、春団治の三代目を襲名した。

 当時は漫才人気などのあおりを受け、「上方落語は滅んだ」と評されるほどの危機的な状況だった。古典落語一筋に鍛錬を重ね、先輩の六代目笑福亭松鶴、同期入門の三代目桂米朝、五代目桂文枝とともに「四天王」と並び称される人気を確立。一方で、多くの弟子を育て、復興に尽力した。

 持ちネタは「野崎詣まいり」「代書屋」「親子茶屋」「皿屋敷」など多くはなかったが、華やいだ上品な語り口に加え、人物や情景描写の緻密さには定評があった。高座で羽織の両そでを引いてすっと落とす粋なしぐさが有名で、噺はなしの冒頭でまくらを語らない、けれん味のなさも売り物だった。

 上方落語協会会長も務め、75年に芸術祭優秀賞、96年に大阪芸術賞を受賞。98年に紫綬褒章、2004年に旭日小綬章を受章した。

2211名無しさん:2016/01/15(金) 00:20:56 ID:NJRBBpGw0
弟子ら会見「安らかな顔でした」 春団治さん、意欲変わらず
2016年1月14日 21:55
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160114/20160114101.html

 端正な高座でファンを魅了した落語家、三代目桂春団治さんの訃報が伝えられた14日、薫陶を受けた弟子らが大阪市内で記者会見を開き、名人の晩年を振り返った。

上方落語協会副会長を務める弟子の桂春之輔さん(67)は「遺族の話では、静かに息を引き取られたようだ」。筆頭弟子の桂福団治さん(75)も「目を覚ますんじゃないかと思うぐらい安らかで眠っているような顔でした」としみじみ語った。

 春之輔さんらによると、春団治さんはこの2年の間、入退院を繰り返し、高座から遠ざかっていた。落語への意欲は変わらなかったものの体調が万全ではなく、正座ができないことも気にしていたという。

2212名無しさん:2016/01/15(金) 19:16:47 ID:a7cbp8Xc0
訃報に「本当に残念」と文枝さん 春団治さん悼み
2016年1月15日 12:00
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160115/20160115052.html

 上方落語の復興に尽力し85歳で亡くなった三代目桂春団治さんの訃報を受け、上方落語協会の桂文枝会長(72)が15日、大阪市内の同協会で記者会見し「師匠はいつもそっと見守ってくれていた。本当に残念ですが、感謝の気持ちに堪えません」と言葉を詰まらせた。

六代目笑福亭松鶴さん、三代目桂米朝さん、五代目桂文枝さんら「四天王」が全員、鬼籍に入ったことは「大きな試練だが、上方落語界の第二章の始まりで、次は皆が頑張れという思いを託していただいたと思う」と語り、春団治さんのように「後進の育成に命を懸けたい」と誓った。

2213名無しさん:2016/01/16(土) 04:21:34 ID:r0wQZ.VE0
手伸ばし、熱気ぶつけ合い 四天王寺で「どやどや」
2016年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160115/20160115025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で14日、五穀豊穣(ほうじょう)や天下泰平を祈願する年頭行事「どやどや」が盛大に執り行われた。約千人の男子中高生らがふんどしに鉢巻き姿で参加し、お堂の天井からまかれた少数の護符(ごふ)をつかもうと勇猛果敢に体をぶつけ合った。

元日から14日間続けられる修正会法要の結願日に行われる伝統行事。四天王寺羽曳丘中・高、清風中・高、清風南海高の生徒が紅白両軍に分かれ、境内のほぼ中央に位置する六時堂の前に進んだ。

 双方から繰り返し冷水を浴びせられながら堂内へなだれ込み、法要中に祈祷(きとう)された護符が宙を舞うたびに手を高く伸ばした。見事に護符をつかんだ生徒は、寒風の中、体からもうもうと湯気を立て「やったぞ」などと歓声を上げた。

 境内の一画では魔よけの「牛王宝印楊枝(ごおうほういんようじ)」が授与され、参詣者の長い列ができた。

2214名無しさん:2016/01/19(火) 04:44:42 ID:vWBGPGsM0
開運願い「綱引神事」 難波八阪神社
2016年1月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160118/20160118023.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で17日、年頭の伝統行事「綱引(つなひき)神事」が執り行われた。開運を祈願しようと氏子らが八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を作り上げ、双方から引き合った。

 同神社の祭神で、オロチ退治で知られるスサノオノミコトの遺徳を仰いで地域の繁栄などを祈願する行事。2001年度に大阪市指定の初の無形民俗文化財になった。

 この日は神職や文化財保持者である同神社「綱引神事保存会」(竹立威三雄会長)の面々が早朝から境内に参集。お払いを受けた後、老若男女が作業手順を教え、教えられながら108本の細い縄をより合わせ、昼すぎに全長約20メートル、太さ約30センチの巨大な綱を完成させた。

 氏地巡行の前には、二手に分かれて豪快な綱引きが行われ「難波の綱引きヨーイヨイ、八阪の綱引きヨーイヨイ」の掛け声が境内にこだました。

 会長の竹立さん(85)は「例年を上回る立派な大綱となり、ご祭神もお喜びだと思う。若い世代にも多く参加してもらい地域の伝統を継承する絶好の機会となった」と話していた。

2215名無しさん:2016/01/20(水) 04:11:35 ID:v0jt.e7o0
好景気を射抜く 御霊神社で「御弓神事」
2016年1月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160119/20160119026.html

 大阪市中央区の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で18日、年頭恒例の「御弓神事」が執り行われ、多くの参拝者が古式ゆかしい装束や作法、美しい矢の飛翔を見守った。

平安期の正月の宮中行事「射礼(じゃらい)」にちなみ、神前で弓道の上達と国の安寧などを願う伝統行事。かつて“天下の台所”として多くの蔵屋敷などが並んだ商業の地・北船場に位置する同神社では当たり矢で景気向上などを祈念する。

 この日は神職のほか、地元企業の大阪ガスの弓道部から男女2人が奉仕。弓構えから矢を放つ寸前までの所作を2度繰り返した後、計3本の矢を放つ射法を披露した。同部の射手は28メートル先にある的へ矢を当て大きな拍手が湧いた。

 本殿の神事では、みこが神楽「弓の舞」を奉納。園宮司は「幸い雨の影響もなく年頭にふさわしい行事を斎行することができた。今年一年の繁栄を願いたい」と話していた。

2216名無しさん:2016/01/23(土) 18:11:42 ID:kZhDz8tw0
春団治さんしのび 生前好んだハナミズキ植樹
2016年1月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160123/20160123041.html

 上方落語の再興に尽力した「四天王」最後の一人で、9日に85歳で死去した三代目桂春団治さんをしのび、ゆかりのある池田市で22日、春団治一門の桂春之輔さん(67)らが、春団治さんが生前好んだハナミズキを植樹した。春之輔さんは「目立つでなく、地味でもない。春団治の人柄にふさわしい木。さぞ喜んでいることでしょう」と、しみじみと亡き師へ思いをはせた。

池田市は「池田の牛ほめ」や「池田の猪買い」など古典落語の舞台となった上方落語ゆかりの地。市内の受楽寺には、初代と二代目の顕彰碑がある。

 春之輔さんによると、同寺にもハナミズキがあり、法要と落語会がある4月下旬の「春団治まつり」には見ごろを迎え、三代目夫妻も咲き具合を気に掛けていたという。

 市内の五月山公園であった式典には、春之輔さんのほか、池田市の倉田薫市長らが出席。高さ3メートルの若木を高台に植えた。

 植樹した木は紅白の花を咲かせる予定で、親交のあった倉田市長は「ご恩に対する思いを込めた。落語のまち・池田が発展するよう天国から応援してほしい」と話していた。

2217名無しさん:2016/01/28(木) 04:15:46 ID:Eh8dD/HE0
古墳の掘に大規模な橋の痕跡
01月27日 22時05分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160127/5336541.html

大阪・堺市にある大型の古墳「ニサンザイ古墳」で、堀をまたいで長さ45メートル以上の大規模な橋がかけられていたとみられることが市の調査で分かりました。堺市は、古墳の堀に橋の痕跡が見つかったのは初めてで、埋葬方法などを知る上で重要な発見だとしています。
5世紀後半に造られた前方後円墳、「ニサンザイ古墳」は、長さがおよそ300メートルあり全国で7番目に大きいとされ、天皇を埋葬した墓の可能性も指摘されています。
3年前、堺市の調査で堀の底に柱を建てた穴の跡が見つかり、市は、柱が橋脚として使われ、堀の上に何らかの構造物があった可能性が高いとみてさらに調査を進めていました。
その結果、これまでに見つかった痕跡だけでも柱は35本あり、柱の並び方から、堀を渡るように長さ45メートル以上、幅12メートルの大規模な木造の橋がかかっていたとみられることが分かりました。
堺市によりますと、古墳の堀に橋の痕跡が見つかったのは初めてですが、橋自体は出土していないことから、埋葬などの際に一時的にかけられたとみています。
堺市文化財課の内本勝彦主査は「埋葬の時や、埋葬者の後継ぎが墓参りする際などに大がかりな儀式をするため、大きな橋が必要だったのではないか。当時の埋葬方法などを検討するうえで重要な発見だ」と話しています。

2218名無しさん:2016/01/28(木) 04:47:50 ID:Eh8dD/HE0
豊竹嶋大夫さん最後の大阪公演
01月26日 20時33分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160126/3273811.html

人形浄瑠璃「文楽」の語り手で、2月に引退する人間国宝、豊竹嶋大夫さんの大阪での最後の公演が26日、行われました。
豊竹嶋大夫さんは、松山市出身の83歳。
昭和23年に文楽の世界に入り、語り手の「太夫」として高い評価を受け、去年10月、人間国宝に認定されましたが、体力面の問題を理由に、2月に引退することになりました。
大阪の国立文楽劇場で行われていた大阪での最後の公演が26日、千秋楽を迎え、会場には多くのファンが詰めかけました。
題目は、江戸時代の人気力士の活躍を描く「関取千両幟」で、嶋大夫さんは、力士を陰で支える妻の役をつややかな声で情感豊かに語り、観客から大きな拍手がおくられました。
嶋大夫さんは幕が閉じたあと再び登場し、長年共演してきた、いずれも人間国宝の、三味線の鶴澤寛治さんと、人形遣いの吉田蓑助さんから花束を受け取りました。
最後となる東京・国立劇場での公演は、2月6日から22日まで行われます。
文楽では、おととし、竹本住大夫さんが引退し、去年は竹本源大夫さんが亡くなり、嶋大夫さんが引退すると現役の人間国宝の語り手が不在となります。
公演を見た大阪市の70代の女性は「語り口もしっかりしているのに引退はとても残念です。後継者を育てて文楽を後世に引き継いでいってほしい」と話していました。

2219名無しさん:2016/01/31(日) 20:09:54 ID:Ys.fV5620
住吉祭 大みこしが復活へ
01月31日 07時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160131/5493811.html

大阪の三大夏祭りの1つ、住吉大社の住吉祭の象徴と言われていた重さ2トンを超える「大みこし」が、ことしの8月、75年ぶりに復活することになりました。
住吉大社の「大みこし」は、明治14年に奉納されて、昭和15年まで、毎年、夏の住吉祭で担がれてきました。
今の住吉祭では、別のみこしが担がれ、「大みこし」は、境内に展示されるだけでしたが、地元の人たちが、かつての象徴を復活させようと、ことしの夏、75年ぶりに、担ぐことになりました。
「大みこし」は、長さが5メートル、高さが3メートル、重さが2.6トンあり、富山県の工房で行われていた修復作業がこのほど終わり、住吉大社の境内に戻ってきました。
このあと「大みこし」には、装飾が施されるということで、地元の人たちは、祭りを盛り上げようと、みこしの担ぎ手を募集しています。
住吉祭神輿会の中野紀久雄会長は、「みこしは、これくらい迫力あるものでなければいけないと思います。祭りが楽しみです」と話していました。
また、神職の岡康史さんは、「明治の人たちの意気込みが感じられるみこしなので、みなさんにぜひ見てほしいです」と話していました。

2220名無しさん:2016/02/02(火) 19:23:04 ID:H6Z03t5M0
大坂夏の陣の建造物焼損跡を確認…石垣再発掘
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%a4%a7%e5%9d%82%e5%a4%8f%e3%81%ae%e9%99%a3%e3%81%ae%e5%bb%ba%e9%80%a0%e7%89%a9%e7%84%bc%e6%90%8d%e8%b7%a1%e3%82%92%e7%a2%ba%e8%aa%8d%e2%80%a6%e7%9f%b3%e5%9e%a3%e5%86%8d%e7%99%ba%e6%8e%98/ar-BBp0sER

国特別史跡・大坂城跡(大阪城公園、大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣公開プロジェクトを進めている大阪市は2日、石垣の一部を再発掘し、大坂夏の陣(1615年)で櫓(やぐら)などの建造物が焼損した跡を新たに確認したと発表した。

発掘場所は現在の天守閣の南東に位置し、1984年に確認されていた石垣の周辺を範囲を広げて再調査。表土を約2メートル除去し、石垣の上端部を長さ約5メートル出土させたところ、瓦などが焼けたことを示す赤茶けた土壌が見つかった。市の担当者は、「石垣上にあったとされる櫓の存在を示すもの」としている。

調査現場の一般公開は6日、7日の午前10時〜午後4時。小雨決行。問い合わせは市教育委員会文化財保護課(06・6208・9069)。

2221名無しさん:2016/02/04(木) 00:29:48 ID:ywLvT61k0
福が来た、「あさ」も来た…成田山で節分祭
2016年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160203-OYO1T50018.html?from=oycont_top_txt

大阪府寝屋川市の成田山不動尊で3日、節分祭があり、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」に夫婦役で出演中の波瑠さんと玉木宏さんが約2万3000人の参拝者に落花生をまいた。

 境内では鬼も改心するとされ、繰り返すかけ声は「福は内」のみ。かみしも姿で特設舞台に上がった2人はヒノキの升(1・5メートル四方、高さ0・8メートル)に盛られた豆を両手ですくい上げ、開運や厄よけを願う人たちに次々と投げた。

 波瑠さんは「温かい声援をもらえて、すごく楽しい時間でした。この升から投げるイメージはなかったので、びっくりぽんでした」と笑顔で話した。

2016年02月03日

2222名無しさん:2016/02/04(木) 04:48:15 ID:ywLvT61k0
厄去れ 子背負い火渡り…帝釈寺
2016年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160202-OYTNT50412.html?from=oytop_ymag

箕面市粟生外院の帝釈寺で2日、節分の時期に合わせた「福護摩祭り」が開かれ、参拝客約260人が、今年1年の幸福と安全を祈りながら、焼けた護摩木の灰の上を歩く「火渡り修行」を行った。

 境内では、「家内安全」「厄除(やくよけ)」などと書かれた約2500本の護摩木が燃やされた。煙が残る中、長さ約5メートルの灰の上を住職らが渡った後、参拝客も素足で火渡りに挑戦。ゆっくりと灰を踏みしめたり、子供を抱えながら渡ったりしていた。

 長女(1)を背負いながら渡った豊中市の主婦、花岡愛矢さん(30)は「1年間何事もなく過ごせたらいいと願いながら渡りました」と笑顔で話していた。

2016年02月03日

2223名無しさん:2016/02/04(木) 04:49:02 ID:ywLvT61k0
厄去れ 子背負い火渡り…帝釈寺
2016年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160202-OYTNT50412.html?from=oytop_ymag

箕面市粟生外院の帝釈寺で2日、節分の時期に合わせた「福護摩祭り」が開かれ、参拝客約260人が、今年1年の幸福と安全を祈りながら、焼けた護摩木の灰の上を歩く「火渡り修行」を行った。

 境内では、「家内安全」「厄除(やくよけ)」などと書かれた約2500本の護摩木が燃やされた。煙が残る中、長さ約5メートルの灰の上を住職らが渡った後、参拝客も素足で火渡りに挑戦。ゆっくりと灰を踏みしめたり、子供を抱えながら渡ったりしていた。

 長女(1)を背負いながら渡った豊中市の主婦、花岡愛矢さん(30)は「1年間何事もなく過ごせたらいいと願いながら渡りました」と笑顔で話していた。

2016年02月03日

2224名無しさん:2016/02/05(金) 00:23:17 ID:.ZY9AVQ.0
恵方巻き1000人丸かぶり 大阪天満宮
2016年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160204/20160204018.html

 節分の3日、千人がそろって巻きずし(恵方巻き)を丸かぶりするイベントが大阪市北区の大阪天満宮であった。幼児から高齢者まで幅広い年齢の府民らが参加。今年の恵方・南南東を向き、所願成就を願いながら格別の巻きずしを味わった。

大阪海苔(のり)協同組合(村瀬忠久理事長)主催の「海苔チャリティーセール」の関連イベント。今年で15回目で、売上金の一部で車いすを購入し、大阪市社会福祉協議会に寄付している。

 巻きずしを受け取った来場者は、境内の一画に設けられた結界に集まり、同宮の神職からおはらいを受けた後、合図とともに一斉に頬張った。2人の子どもと参加した松田里沙さん(35)=大東市=は「大阪府外から嫁いで来たので初めて参加し、楽しかった。家族が笑顔で過ごせる1年であるよう祈願しました」と満足の表情。セールも早々に商品が完売する盛況ぶりで、村瀬理事長(50)は「多くの方に参加していただき節分行事として定着した。車いすの寄贈も含め継続していきたい」と話していた。


厄よけ「かぶら汁」人気 四天王寺、節分にちなみ
2016年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160204/20160204019.html

 なにわの伝統野菜「天王寺蕪(かぶら)」の発祥地とされる大阪市天王寺区の四天王寺で3日、節分にちなんだ厄よけのかぶら汁が販売された。参拝者らが温かいカブを頬張り、無病息災を願った。

天王寺蕪は平らな根が特徴の白カブで、一般のカブに比べて甘みが強い。大正時代に作成された「天王寺村誌」などには、大坂の陣の戦火から種を守った功績を評価され、地元農民が四天王寺付近に土地を与えられたという記録が残る。

 休憩所では、境内で干し、さっとゆでたカブと葉、大阪湾で採れたノリなどを具材にした白みそ仕立てのみそ汁と麦飯を提供。400食が完売した。天王寺蕪を初めて食べたという管理栄養士の女性(64)=茨木市=は「カブはもちっとして柔らかく、体も温まる。お嫁さんにも教えてあげたい」と満足そうだった。

 かぶら汁の販売は昨年に続き2回目。普及を図る天王寺蕪の会事務局長の難波りんごさんは「関心を持ってもらえて良かった。恒例行事になれば」と話した。


厄払い千客万来 堂島薬師堂節分お水汲み祭り
2016年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160204/20160204021.html

 大阪市北区の堂島薬師堂周辺で3日、早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲(く)み祭り」があり、鬼追いや龍の巡行が繰り広げられた。参拝客らは1年の厄を払い、福を授かった。

お水汲みは、薬師堂で奈良薬師寺の僧侶が参拝客の竹筒護符にお香水をくんで清め、千客万来や無病息災を祈願。僧侶や鬼、福男らでつくる鬼追い隊が地域の飲食店や企業を訪問すると、従業員や客は同隊に豆を投げて厄を払った。

 また、薬師堂に祭られている弁財天の化身とされる龍に続いて、お化けの仮装をした北新地の女性たちが街を巡行。夜の通りを清めると、見物客らから大きな歓声が沸いた。

 祭りは、地域に根付く節分行事と薬師堂のお水汲み儀式を融合して2004年に開始。今回で13回目となる。

2225名無しさん:2016/02/06(土) 07:21:48 ID:cuHBXmXM0
大坂城の石垣発掘、焼けた瓦や土 夏の陣、本丸被災跡か
2016年2月2日 16:28
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160202/20160202067.html

 豊臣秀吉が築いた大坂城の石垣が発掘され、2日、大阪市教育委員会などが発表した。大坂城本丸の「詰ノ丸」と呼ばれる区画の東南角で、大坂夏の陣(1615年)で焼けたとみられる瓦片や焼土層も確認した。見つかったのはわずかで、徳川家による再建時に片付けられた可能性があるという。

調査した大阪文化財研究所の担当者は「焼失前に詰ノ丸にあったとされる建物の存在を裏付ける材料になる」と話している。

 秀吉の天守閣は調査地点から約80メートル北にあったという。現在の城は徳川家が土を盛った上に再建。豊臣期の石垣の最上部は地下1メートルにある。

2226名無しさん:2016/02/06(土) 11:45:51 ID:cuHBXmXM0
「真田丸」の地に顕彰碑
02月01日 19時19分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160201/5401191.html

大坂の陣で戦国武将、真田幸村が築いた「真田丸」があったとされる大阪・天王寺区に顕彰碑が設置され、除幕式が行われました。
大阪・天王寺区の大阪明星学園がある辺りは、幸村の名で知られる戦国武将、真田信繁が大坂冬の陣で築いた大坂城の出城「真田丸」があったとみられることが、最新の研究で明らかになっています。
顕彰碑は、天王寺区役所が、大阪明星学園と協定を結んで敷地の一角に設置したもので、1日、関係者が集まって除幕式が行われました。
碑は花崗岩に大型の陶板を貼り付けたもので、高さが1メートル65センチ、幅が2メートル60センチあります。
「真田丸顕彰碑」という文字が刻まれているほか、陶板には大坂冬の陣を描いた図や、幸村と真田丸の戦いについての解説なども表示されています。
地元の自治会の竹田善彦さんは「石碑ができてうれしいです。地元のシンボルとして多くの人に訪れてほしい」と話していました。
天王寺区は、幸村終焉の地であることを多くの人に知ってもらうため、今後、ゆかりの地への案内図などを設置することにしています。

2227名無しさん:2016/02/06(土) 16:43:06 ID:cuHBXmXM0
住吉の文化、すごろくで紹介
2016年01月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160127-OYTNT50356.html

大阪市住吉区役所は、同区の文化や歴史にまつわる活動や団体などをすごろく形式で知ることができる「再発見! すみよし文化すごろく」を制作し、1月号の広報紙に掲載している。今後、区のホームページ(HP)やパンフレットなどにも載せ、広く活用できるようにするという。

 同区は、地元ゆかりの文化的活動などに取り組む人たちに、活動内容や地域の魅力について話を聞く、「再発見! すみよし文化レポート」を2013年からHPなどで連載している。インタビューなどを担当している区教育文化課の松永貴美さんが、過去22回分を、正月にちなんで、すごろく形式にまとめた。

 住吉大社のかかしプロジェクトや、すみよし歴史案内人の会、大阪市立大など、地域を盛り上げるために奮闘する個人や団体の写真などを升目に掲載。「住吉区内の見どころを3つ言えたら2コマ進む」「住吉区にゆかりのある歴史上の人物を1人以上言えたら2コマ進む」などと楽しみながらゴールを目指す。

 松永さんは「区内に色々な活動をしている人がいることを知り、区外の人が魅力を感じて足を運んでもらうきっかけになればうれしい」と話している。

 問い合わせは、同課(06・6694・9989)へ。

2016年01月28日

2228名無しさん:2016/02/06(土) 16:57:24 ID:cuHBXmXM0
歌舞伎役者の文明開化…逸翁美術館、絵看板や錦絵
2016年02月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160131-OYTNT50316.html

池田市栄本町の逸翁美術館で、明治期の芝居小屋に飾られた絵看板などを集めた「歌舞伎絵看板展〜文明開化の音がする〜」が開かれている。3月6日まで。

 1884年(明治17年)から95年(同28年)にかけて大阪・道頓堀にあった中座などで、上演中の歌舞伎の内容を紹介する絵看板22点や、役者を描いた錦絵などを展示。

 会場には、和装に山高帽をかぶるなどハイカラなものを身につける歌舞伎役者の姿が並ぶ。中には舞台上に電灯を置いた様子を描いた作品もあり、「文明開化」の世相が反映されている。

 展覧会に合わせて、2月20日午後2時から、明治大の神山彰教授(演劇学)が「明治の歌舞伎と散切物の風俗」と題して講演。同6、27日の午後2時からは学芸員による展示解説もある。

 午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)。月曜休館。観覧料は一般700円、65歳以上と高校・大学生500円、中学生以下は無料。問い合わせは同美術館(072・751・3865)へ。

2016年02月01日

2229名無しさん:2016/02/06(土) 19:04:31 ID:fY/otJ.A0
織姫・彦星 宇宙の愛 人形劇
2016年02月04日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160203-OYTNT50339.html

◇11日、ゆかりの枚方で地元団体

七夕伝説ゆかりの地・枚方市を人形劇でアピールしようと、地元のグループが11日、伝説を題材に創作した作品を初めて披露する。人形や舞台セットはすべて手作りで、表現の幅を広げたいと劇中に影絵も取り入れた。仕上げの稽古に励むメンバーは「自分らしく生きる織姫と彦星の物語を生き生きと演じ、まちの魅力を全国に発信していきたい」と意気込む。(広瀬毅)

 「あなたのお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」「牛飼いの彦と申します。なぜ、こんなところにいらっしゃるのですか」

 1月28日、市内の稽古場で、30センチほどの人形が軽やかに体を動かした。「一瞬、見つめ合う時間がほしいね」「はい、暗転」。各場面で、台本を書いた広田美那子さん(77)からメンバーに鋭い指示が飛ぶ。

 手がけるのは、女性9人でつくる「夕づるの会」。1970年代後半以降、市内で開かれていた人形劇の講習会で学んだ人らで公演に取り組んでいたが、一時休止。2014年6月、新たに同会を結成し、活動を再開した。

 枚方、交野両市を流れる天野川沿いには、織姫を祭る「機物(はたもの)神社」や、「牽牛(けんぎゅう)石」など七夕伝説にまつわる名所があることから、広田さんが伝説ゆかりの枚方ならではの創作劇を上演しようと提案。「私たちを育ててくれたまちへの恩返しに」と心を合わせた。

 人形や、織姫が暮らす天上界の舞台セットは、代表の木谷弥生さん(62)らがアイデアを出し合い、布や木などで手作りした。影絵のシーンでは、織姫が機織りをやめてしまったことで起きる天変地異などを効果的に表現している。

 織姫を操る横井洋子さん(45)は「劇を、みんなで作っていく過程が楽しくて。家に帰っても鏡の前で人形を持ち、お客さんにはどう見えているのか、チェックしています」と話し、広田さんは「最後には天上界の掟(おきて)も変えさせた2人の純真な愛を、ぜひ見てほしい」とアピールしている。

 「七夕伝説より『宇宙(そら)の愛―天の川ものがたり―』」は、枚方市新町のメセナひらかた会館で11日午後2時開演。入場無料で、定員150人(先着順)。申し込み、問い合わせは、ひらかた市民活動支援センター(072・805・3537)へ。

2016年02月04日

2230名無しさん:2016/02/11(木) 10:56:25 ID:FjcA5.eI0
道明寺天満宮 早咲き梅満開
02月10日 12時52分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160210/5683451.html

大阪・藤井寺市にある梅の名所「道明寺天満宮」では、例年より1か月ほど早く梅の花が咲き始めています。
大阪・藤井寺市の道明寺天満宮にある梅園には、およそ80種類、あわせて800本ほどの梅が植えられています。
梅の花は例年に比べて1か月ほど早く去年の12月中旬から咲き始めていて、このうち、「鹿児島紅梅」という早咲き梅は今、満開となっています。
この品種は、濃いピンク色の八重の花びらが特徴で、すっきりとした華やかな香りをあたりに漂わせています。
ほかにも、黄緑色の丸い花びらが特徴の茶青梅という品種の梅なども見頃を迎えていて、訪れた人たちが、写真を撮ったり、香りを楽しんだりしていました。
藤井寺市の60代の女性は「たまたま立ち寄りましたが、梅を見て心が和みました」と話していました。
東住吉区から来た70代の男性は「梅を見て新しい年を実感します。
友達と見られて楽しかったです」と話していました。
道明寺天満宮の宮司、南坊城光興さんは「ことしは、早咲き中咲き遅咲きと順番に咲いていくので長く楽しめると思います。きょうは、高校受験の日なので、お参りに来て梅を見て、花開かせてもらいたいです」と話していました。
道明寺天満宮の梅の花は、3月中旬ごろまで楽しめるということです。

2231名無しさん:2016/02/11(木) 11:40:08 ID:FjcA5.eI0
さらなる上達を祈願 大阪天満宮でお針まつり
2016年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160209/20160209030.html

 使い古した針をねぎらう伝統行事「お針まつり(針供養祭)」が8日、大阪市北区の大阪天満宮境内社・吉備社で執り行われた。和裁をはじめ裁縫に携わる人が折れ曲がった古い針を手に参拝。軟らかいこんにゃくに刺し、さらなる技術向上を祈願した。

大阪和服裁縫協同組合(岡村博之理事長)と日本和裁士会大阪府支部(大森貴之支部長)が主催。神職によるおはらいなど神事に続き、参拝者は吉備社・針塚の前に置かれた大きなこんにゃくにまち針などを代わる代わる刺していき、感謝と供養の気持ちを込めて手を合わせた。

 岡村理事長(53)は「コンピューターなどさまざまな機器が発達する時代でも手縫いの技術は不可欠。皆さんには日々研さんしていただき、より美しい着物を手掛けていただきたい」とあいさつ。長年和裁を教えている野田利子さん(75)=奈良県=は生徒と参拝し、「生徒さんと自分自身の上達を祈願した。昔と比べて着物を手掛ける人は減っているが、いくつになっても頑張りたい」と話した。

 境内では和裁用品の販売なども行われ、大いににぎわった。

2232名無しさん:2016/02/11(木) 11:47:06 ID:FjcA5.eI0
無病息災祈り初庚申 四天王寺・庚申堂
2016年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160209/20160209028.html

 えとの組み合わせで約2カ月ごとにめぐってくる「庚(かのえ)」「申(さる)」の日にちなんだ信仰行事、庚申(こうしん)まいりの内、1年で最初の「初庚申」が8日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺・庚申堂で盛大に執り行なわれた。護摩たきなどが行われた境内は無病息災、家運繁栄などを祈願する大勢の参詣者でにぎわった。

日本の庚申信仰の縁起である同寺庚申堂には、徐災無病の霊験を持つ青面金剛童子が祭られている。古来、人々のあつい信仰を集めており、庚申まいりは2012年度に市指定無形民俗文化財に指定された。

 この日は、初庚申恒例の柴灯(さいとう)大護摩供がなされ、同寺僧侶をはじめ奈良県大峯山の修験行者が法弓、法剣といった作法で結界を清めた後、護摩壇に点火。護摩木にさまざまな所願を託した人々が、燃え上がる炎にじっと手を合わせた。

 今年は、4月8日、6月7日、8月6日、10月5日、12月4日に本庚申があり、各前日に宵庚申が執り行なわれる。

2233名無しさん:2016/02/12(金) 00:09:06 ID:kvwaKaLk0
大阪天満宮 梅酒を楽しむ催し
02月11日 12時24分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160211/5671731.html

全国各地の約100種類の梅酒を楽しめる催しが、大阪・北区の大阪天満宮で始まり、大勢の人でにぎわっています。
この催しは大阪天満宮で行われている盆梅展などにあわせて始まりました。
境内に設けられた会場には午前10時の開始前から大勢の人が詰めかけました。
高知県や山形県など全国各地から集まった約100種類の梅酒やリキュールを1杯100円から500円で楽しむことができます。
会場限定のオリジナルの梅酒や純米大吟醸を原料にしたふだんは高価な梅酒も並び、訪れた人たちはお目当てのものを探しては次々と飲み比べていました。
会場には全国各地のおでんを楽しめる屋台も設けられ、人気を集めていました。
訪れた人たちは「次は何を飲もうかワクワクします」と話しながら会場を巡り、「もう8種類目です。
全部美味しくて幸せな気持ちです」とほろ酔いかげんの人もいました。
この催しは今月14日まで開かれています。

2234名無しさん:2016/02/13(土) 12:29:33 ID:Mii5n1..0
大阪)「福者」右近に沸く 豊能町、活性化へPR作戦
2016年2月10日
http://digital.asahi.com/articles/ASJ256TL1J25PPTB00S.html?rm=355

 キリシタン大名の高山右近(1552〜1615)が今年1月、バチカン(ローマ法王庁)から「福者(ふくしゃ)」に認定された。カトリックで「聖人」に次ぐ崇敬の対象だ。右近の生誕の地・豊能町は喜びに沸き、「右近の故郷」を地域活性化につなげようと期待も高まる。

 右近は豊能町の高山地区で生まれ、幼少期を過ごした。地区には高山家の屋敷があったとされる場所に生誕の碑が立ち、母と言い伝えがある墓もある。妻の志野も豊能町余野地区の出身で、豊能とのゆかりは深い。

 右近没後400年だった昨年5月には、町民らが寄付を募って右近夫婦の石像を旧・高山小学校の跡地に建立した。寄付を呼びかけた町民有志の代表甲田広行さん(80)は「豊能町が聖地の一つになり、カトリック関係者を中心に町を訪れる人が増えるのでは」と福者認定を歓迎する。

 ログイン前の続き地区の自治会長を務める下野弘文さん(69)によると、福者の認定以降、数組が地区を訪れたという。「高山牛蒡(ごぼう)や高山真菜(まな)などの地域の特産物を知ってもらういい機会になる」。2014年からは右近の史跡巡りやクイズ、収穫体験などを楽しめる「右近の郷フェスタ」を開いており、今年も秋に開催予定だ。

 町観光協会は「ローマ法王が決定 祝 高山右近『福者』認定」との横断幕を作成し、今月から役場や駅前など町内6カ所で掲示を始めた。27日には町立ユーベルホールで講演会を開き、専門家が右近と郷土の関係などを解説する。榎谷靖司会長(60)は「右近が豊能出身だと知る人は少ないと思うので、積極的にPRしたい」と意気込む。

 地元の影絵劇団「おととえ座」は14日、右近の影絵劇を同ホールで上演する。福者認定を見据えて脚本を練り、信仰のために大名の地位を捨てた生き様を描いた。劇団の川村弥生代表(44)は「影絵劇で多くの人に右近のことを知ってもらい、郷土の偉人を盛り上げていきたい」と話す。

 町も昨年8月、PR策を検討するプロジェクトチームを立ち上げた。右近の名前を冠した日本酒を売り出す計画もあるという。(吉村治彦)

     ◇

 〈高山右近〉 父の影響で12歳の時に洗礼を受け、洗礼名はユスト。21歳で高槻城主となり、織田信長や豊臣秀吉に仕えた。黒田官兵衛ら多くの武将をキリスト教に導いたが、秀吉のバテレン追放令で信仰を捨てず、領地と財産を失った。徳川幕府の禁教令で1614年に国外追放され、翌年フィリピンのマニラで亡くなった。茶人としても名高い。

2235名無しさん:2016/02/14(日) 18:05:19 ID:ujSu.vKw0
大神輿復活、夏祭り練習スタート 住吉大社
2016年2月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160212/20160212031.html

 「べ〜ら、べ〜ら」-。大阪市住吉区の住吉大社で、大阪三大夏祭りの住吉祭に向けた練習がスタートした。今年は70年以上の時を経て復活する大神輿(みこし)の渡御があり、例年に比べ5カ月近く早い“初担ぎ”。「輿丁(よちょう)」と呼ばれる男衆の勇ましい声が寒風を吹き飛ばし、祭りムードが盛り上がっている。

■精鋭が集結
 「目方700貫(約2・6トン)」とも称される大神輿は現在のものより一回り以上大きく、担い棒だけでも1本11メートルで150キロ。今年1月に木部の修理が完了し、4月17日にはお披露目が予定されている。

 7日昼に始まった初練習には、安立、東粉浜、堺の3地域の神輿会から精鋭約100人が集結。まずは結び目を作らない「男結び」で大神輿に横棒や担い棒を縄でくくりつけていく。縄を締め上げる男衆の額からはじんわり汗。

 堺神輿会若頭長の芝辻益博さん(42)は「心待ちにしていた大神輿。2月だからといって寒いという人は誰もいない」と目を輝かせる。

 西日が差し始めたころに安立神輿会若者頭の中野光典さん(43)の号令で、いよいよ担ぐ練習へ。輿丁が担い棒に肩を入れ「べ〜ら、べ〜ら、べらしょっしょい」。第一本宮前まで移動して神輿を高々と差し上げると参詣者から歓声が上がった。

 飾り金具などは修繕中で本来の姿ではないが、「やっぱり担げた、いける」と中野さん。集まった「精鋭」の力強さにうなずきながらも、「新しい輿丁らが入ったときにどうなるか。練習はこれから」と気の緩みはない。

■「地域の力」
 神輿の練習はこれまで閉門後に行っており、参詣者が自由に見学できるのも今年ならでは。3月は2回行い、4月のお披露目以降も継続する予定。輿丁も随時募集している。

 東粉浜神輿会・若者頭の田中努さん(52)は「大神輿は地域の力の結晶。住吉祭りをもっと多くの人に知ってもらえるように頑張っていきたい」と話していた。

 住吉大社の大神輿 1881(明治14)年奉納。「住吉祭の象徴」として長く担がれたが、1941(昭和16)年、戦争を背景に渡御は中止。2005年に新調した神輿で渡御が再開され、地域からは大神輿の復活の声が上がっていた。地元有志が修繕費用3千万円を確保し、13年から京都と富山で修理が行われ、今夏の住吉祭での復活を目指している。

2236名無しさん:2016/02/14(日) 20:01:05 ID:ujSu.vKw0
道真公に思いはせ てんま天神梅まつり
2016年2月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160212/20160212032.html

 樹齢約300年の古木をはじめ各種銘木や盆石などを集めた「盆梅と盆石展」が11日、大阪市北区の大阪天満宮参集殿で始まった。白やピンクの花を咲かせた盆梅が、書院造り百畳敷きの会場で優美なたたずまいを見せている。3月13日まで。

菅原道真公が梅を愛(め)でた御心に思いをはせてもらおうと、2004年から「てんま天神梅まつり」と題して、毎年梅にまつわる催しを開催。そのメーンとして盆梅の展示を行い、昨年から和歌山県みなべ町の瓜渓石同好会の協力を得て、20の盆石も展示している。

 盆梅は約60点で、来場者は「かわいらしいなあ」「ええにおい」と目を細めながら観賞していた。来週末ごろに満開になり、見頃を迎えるという。

 浜辺で子どもたちに文字を教える道真公の姿が描かれた「天神画像」などの掛け軸5点も展示しており、土日祝日はボランティアガイド「天満天神御伽衆(おとぎしゅう)」が説明する。

 午前9時半〜午後4時。大人(中学生以上)500円、小学生300円、幼児無料。

2237名無しさん:2016/02/19(金) 04:37:45 ID:cGApVV4c0
春、そこまで  松山神社の梅開花
2016年2月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160218/20160218038.html

 大阪市内は17日、雲が広がったものの、時折、穏やかな日が差した。二十四節気の「雨水」を前に約100本の梅がある大阪市東淀川区の松山神社では梅の花が咲き始め、参拝客を楽しませている。

この日の市内は、気圧の谷が通過して寒気が流れ込んだために気温が上がらず、最高気温は9・6度(平年10・5度)と、1月中旬並みとなった。

 菅原道真をまつる同神社の境内では、あちらこちらで梅が開花。青空が広がった午前中には次々と地域住民が訪れ、空の青と、ピンクや赤の花のコントラストを堪能していた。同神社の国井政宏宮司は「次の日曜(21日)が見ごろになりそう。遅咲きの梅もあるので、3月も楽しんでもらえるのでは」と話していた。

2238名無しさん:2016/02/20(土) 19:17:43 ID:zcaIKSJ.0
勝利まで動じぬ心
2016年02月19日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160218-OYTNT50351.html

本格的な受験シーズンを迎え、箕面市の勝尾寺では「勝ちダルマ」が合格祈願に訪れた受験生らの人気を集めている。だるまは胴に大きく「勝」の字が記され、11センチから75センチまでの10種類。願いが成就した後、寺に奉納する。

 同寺の勝運信仰は、平安時代にまで遡るという。同寺の執事、小嶋隆文さん(35)は「苦しい時もあるでしょうが、願いを込めただるまを自分自身だと思って七転び八起きの気持ちで頑張ってほしい」とエールを送る。

2016年02月19日

2239名無しさん:2016/02/24(水) 21:44:41 ID:wCllzgKE0
豊竹嶋大夫さんが最後の舞台 「一生懸命つとめ、満足」
2016年2月22日 21:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160222/20160222131.html

 人形浄瑠璃文楽太夫で人間国宝の豊竹嶋大夫さん(83)の引退公演が22日、東京・国立劇場で千秋楽を迎えた。終演後に報道陣の取材に応じた嶋大夫さんは「長い間ありがとうございました。一生懸命につとめたことだけは自分でも満足しております」と語った。

最後の演目「関取千両幟」で関取の夫を思いやる女房の思いを味わい深く語ると、満員の場内には大きな拍手が鳴り響いた。舞台上で行われた引退セレモニーでは、三味線の人間国宝、鶴沢寛治さんから花束を贈られ、固く握手。さらに人形遣いの人間国宝、吉田簑助さんからも花束を贈られ、人形と抱き合った。

2240名無しさん:2016/02/25(木) 04:17:10 ID:wCllzgKE0
皇太子さまの健勝祈り矢放つ 高津宮で的祭神事
2016年2月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160224/20160224037.html

 皇太子さまが56歳の誕生日を迎えられた23日、大阪市中央区の高津宮(高津神社)で「的祭(てきさい)神事」が執り行われた。小谷真功宮司らが盾型の的に矢を放ち、弥栄(いやさか)を祈念した。

同宮では、仁徳天皇を主祭神として祭っており、神事は皇太子さまが誕生された1960年から毎年実施されている。

 産湯につからせる際に、魔よけのために弓を鳴らしたことから、神事では大阪府弓道連盟の有志による射が行われている。また、仁徳天皇に高麗から献上された鉄盾と鉄的を使者の前で射抜いたという「日本書紀」の記述にのっとり、盾型の的を用いている。

 小谷宮司と府弓道連盟の有志8人が伝統の所作で約20メートル先の的を射抜くと、境内に集まった観覧者からは感嘆の声がもれていた。

2241名無しさん:2016/02/27(土) 20:13:59 ID:e1f6odRw0
お雛さま、船場を染める 貴重なひな飾りなど公開
2016年2月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160227/20160227043.html

 大阪・船場ゆかりの旧家に残る貴重なひな飾りなどを公開する催し「春の船場博覧会『船場のおひなまつり』」が26日、大阪市中央区の登録有形文化財の建造物などで始まった。多くの人が、大阪の経済や文化を育んできたまちの面影を楽しみながら各会場の展示などを満喫している。3月3日まで。

 華やかな企画を通じて船場の歴史や文化に触れてもらおうと実行委が開いた。メーンの「船場のお雛(ひな)さま展」は北船場ゆかりの五家(新井家、生駒家、鷹岡家、芝川家、別所家)が4カ所で戦前の貴重なひな飾りを公開。“神農(しんのう)さん”の呼び名で知られ、別所家が代々宮司を務める少彦名(すくなひこな)神社(別所賢一宮司)では、明治期の作と伝わる人形のほか茶道具など小さな道具類も並び、訪れた人々が一様に目を細めて見入っている。

 4会場を巡った天王寺区の女性(67)は「どこも趣向を凝らした内容で楽しめた。友人を誘ってまた来たい」と話していた。

 4会場とも見学自由。周辺の老舗各店などで期間限定サービスや関連

2242名無しさん:2016/02/27(土) 22:22:49 ID:DRtkK5jU0
ここにも五代さまゆかりの地 邸宅跡は大阪科学技術センター 
http://www.sankei.com/region/news/160226/rgn1602260077-n1.html

NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍脚光を浴びた五代友厚(1836〜85年)がかつて住んでいた邸宅の跡地に、大阪科学技術センター(大阪市西区)が建っているのをご存じだろうか。現在の大阪商工会議所の設立などに奮闘していた明治4〜17年に居住し昭和35年に取り壊された。“五代さま”ブームにあやかり企画展を準備していたところ、近隣住民が譲り受けた邸宅の鬼瓦も今月「発見」され、新たな注目を集めている。

 同センターが運営する大阪科学技術館の企画展「五代友厚公ゆかりの地〜五代友厚邸跡に建つ大阪科学技術センター〜」で展示中の鬼瓦は、縦約40センチ、横約55センチ、高さ約30センチで、力強い目に鋭い角が印象的だ。明治4〜17年に五代が住んでいた邸宅に使われていた。

 同館によると、朝ドラの影響で五代に注目が集まる一方、この邸宅跡はほとんど知られず、各団体が発行する朝ドラゆかりの地マップでも紹介されていない。

 そこで、同館も五代と縁があることを広く知ってもらおうと、企画展の開催を準備していたところ、同館の近くに住む会社社長、西保吉裕(さいほ・よしひろ)さん(63)が五代邸の鬼瓦を所有していることを偶然知り、合わせて展示することになった。

 西保さんは五代邸の向かいにある住宅で生まれ育った。鬼瓦は小学校低学年だった昭和35年、五代邸を取り壊す際に祖母が記念に譲り受けたものという。取り壊し前に一度、西保さんも邸宅に入った。「とにかく大きくて、襖(ふすま)の向こうに可動式の隠し階段があり、忍者屋敷みたいだった」と懐かしそうに振り返る。

 同館などによると、五代は市内で6回にわたり転居。邸宅に住んでいた当時は、五代の人生で特に激動の時代だったという。

 明治11年には大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立し初代会頭に就任したほか、大阪株式取引所(現・大阪取引所)を設立。13年には大阪商業講習所(現・大阪市立大)、17年に大阪商船(現・商船三井)を設立するなど、大阪経済の復興に大きな功績を残した。

 五代邸の写真付き資料などを展示する企画展は入場無料。午前10時〜午後5時(日祝は午後4時半まで)。問い合わせは同館(電)06・6441・0915。

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2243名無しさん:2016/03/07(月) 22:58:03 ID:FUOGSy8I0
大正琴の調べ 水墨画奉納 てんま天神梅まつり
2016年3月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160306/20160306030.html

 「てんま天神梅まつり」が開かれている大阪市北区の大阪天満宮で5日、奉納する梅の水墨画のライブペインティングが行われた。大正琴の調べとともに、流れるように梅が描かれていく様子が多くの参拝者を魅了した。

水墨画の奉納は、NPO法人アジア文化芸術連盟会長で水墨画家の李鴻儒(りこうじゅ)さんと、琴伝流大正琴の前垣有紀さんが行っており、ことしで12回目。演奏には、尺八とケーナ奏者の山田聡さん、ドラムの原口裕司さんも加わった。ライブペインティングは本殿で行われ、幻想的な音色とともに、李さんと水墨画講師6人が流れるように筆を操った。

 李さんは「自分が表現したいことを描くのが水墨画。梅は私たちの鏡になっている」と出来栄えを表現した。前垣さんは「お客さんとの距離が近く、楽しい演奏ができた」と話していた。

 水墨画は6日も制作を続け、幅約10メートルの大作に仕上げて奉納する。

2244名無しさん:2016/03/08(火) 00:30:29 ID:FUOGSy8I0
浅野内匠頭も宿泊しました 大阪・茨木の郡山宿本陣「春の特別公開」始まる
http://www.sankei.com/west/news/160306/wst1603060036-n1.html

江戸時代、日本地図をつくった伊能忠敬(ただたか)や「忠臣蔵」の浅野内匠頭(たくみのかみ)ら多くの歴史上の人物が宿泊した大阪府茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿本陣」の春の特別公開が始まった。入館無料。13日まで。

 郡山宿は江戸時代、西国街道の主要な宿場として栄えた。郡山宿本陣は参勤交代の西国大名や公家、幕府役人、高僧らが休憩や宿泊に使った。保存されている宿帳には、宿泊者名簿やお供の人数、料金などが記録されている。

 邸内に大きなツバキの木があることから「椿の本陣」とも呼ばれ、御成門(おなりもん)や大名が泊まった「上段の間」がある座敷、母屋、茶室、米蔵などが残る。

 期間中、企画展「宿帳にみる世相のいろいろ〜郡山宿本陣でのできごと〜」が開催されているほか、6、13日には本陣当主、梶洸(たけし)さん(93)らによる本陣内の案内・解説、12日には茨木市学芸員の講座がある。

2245名無しさん:2016/03/10(木) 00:54:11 ID:kfRj6B0A0
芸術選奨にオール阪神・巨人
03月09日 16時58分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160309/3518011.html

芸術の分野で優れた業績をあげた人に贈られる文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」の大衆芸能部門に、漫才コンビ「オール阪神・巨人」の2人が選ばれました。
平成27年度の文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」には、芸術の各分野で活躍する19組が選ばれました。
このうち、大衆芸能の部門は、漫才コンビ「オール阪神・巨人」のオール阪神さんとオール巨人さんが選ばれました。
2人は、昭和50年にコンビを結成し、以来、上方伝統のしゃべくり漫才で人気を集め、高い実績を残してきました。
去年、大阪と東京でコンビ結成40周年の記念公演を行い、その場で披露した「ボケ」と「ツッコミ」を瞬時に入れ替える巧みな話芸が、高く評価されたということです。
芸術選奨の贈呈式は、今月15日に東京都内のホテルで行われます。
大衆芸能部門に選ばれた「オール阪神・巨人」のオール阪神さんは、「ほんまに降ってわいたようなありがたい賞です。若いときにもらうのと、この歳になってもらうのとでは違いますね。家族に対してもええ顔できます。お父ちゃんが『すごかったんや』と思ってもらえます」というコメントを発表しました。
また、オール巨人さんは「最初、『ほんま?』と思いましたけれど、うれしかったです。40年やってきてあとはゆっくりと思ってたんですが、こんな賞をいただくともうひと頑張りせないかんなと思います。改めて責任感が増しました」というコメントを発表しました。

2246名無しさん:2016/03/11(金) 00:58:13 ID:gEHETi7I0
文楽の吉田文雀さんが引退 人間国宝の人形遣い
2016年3月10日 12:10
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160310/20160310051.html

 人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の吉田文雀さん(87)が10日、現役を引退すると発表した。高齢のためで、昨年1月の公演が最後の舞台出演となった。

文雀さんは1945年に入門。吉田簑助さん(82)と並ぶ女形の第一人者で、老人や武士まで幅広い役柄を手掛けた。94年に人間国宝に認定。知識が豊富で「文楽の生き字引」と言われ、公演で人形の首を割り振る「首割」を長年務めた。

 文雀さんは、文楽協会などを通じ「何より好きなただ一つの道だけを70年にわたって勤められたことは、幸福以外の何物でもございません」とコメントを出した。

2247名無しさん:2016/03/15(火) 04:26:02 ID:Zsbcn8EE0
文楽の語り手 芸名も太夫に
03月14日 16時41分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160314/3682231.html

人形浄瑠璃「文楽」の世界では、一般的な語り手を示す「太夫」ということばは「太い」という文字、芸名は「大きい」という文字が使われてきましたが、文楽協会などは、義太夫節で知られる江戸時代の竹本義太夫にならっておよそ60年ぶりに「太い」という字に統一すると発表しました。
文楽の世界では、一般的な語り手を示す「太夫」は「太い」という字を使いますが、それぞれの芸名は「大きい」という字を書き、人間国宝の竹本住大夫さんや豊竹嶋大夫さんの名前も大きいという字を使っています。
これは、昭和28年ごろから、歌舞伎などのほかの芸能で使われる「太い」という字の「太夫」と区別するために始まった習わしという説があります。
しかし、文楽の起こりとされる義太夫節で知られる江戸時代の初代竹本義太夫にならって「太い」という字にそろえたいという声が技芸員からあがり、文楽協会などはおよそ60年ぶりに、「太い」という字に統一することを決めました。
担当者は「なぜ違うのかと尋ねられることも多く、これで分かりやすくなると思います」と話しています。
文楽を上演する大阪・日本橋の国立文楽劇場は、来月2日に初日を迎える春の公演から表記を統一することにしています。

2248名無しさん:2016/03/17(木) 04:13:40 ID:vFBsHS8E0
寺町文化が息づくまち 天王寺探訪(上)
2016年3月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160316/20160316042.html

 四天王寺をはじめ約200の社寺が集まる天王寺区は、京都をもしのぐ寺町でもある。その寺院の町に、20年続く春恒例の催しがある。年に一度、全国から劇団やパフォーマーが集まる「なにわ人形芝居フェスティバル」だ。

■寺院の役割

 催しが始まったのは1996年。前年に阪神大震災が起き、その年の3月には東京都内でオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。区内にある劇場「一心寺シアター倶楽」の事務局長で、企画の立ち上げに関わった脚本家の秋山シュン太郎さん(58)は「悩める若者が事件に関与していた。今まで宗教は何をしていたんだというバッシングが起こった」と当時の世相を振り返る。

 「寺だからこそ、できることがあるのではないか」というのが、フェスティバルを始めたきっかけ。教育施設としての「寺子屋」、悩みを相談できる救済施設としての「駆け込み寺」、さらには芸能表現の場など、寺院にはもともと、さまざまな役割があった。

 「寺はコミュニティーの場。喜怒哀楽がなければいけない」。当時の一心寺の住職の言葉も秋山さんらの取り組みを後押しした。

■戦後と重なる

 「境内を貸していただけないでしょうか」。20年前、寺院に協力を申し出ると、寺町の中心的な世話役だった長老が厳しい表情ながら、おもむろに口を開いた。「(阪神)大震災におびえる子どもたちが、戦争で焼け出された子どもたちとダブる」

 聞けば、戦後まもなく、プロの人形劇団に人形の操作を学び、慰問活動をしていたのだという。「ぜひやりましょう」。長老の後押しでフェスティバルの実施が決まった。

■ロケーション

 フェスティバルの舞台、下寺町は、坂の多い上町台地の西側、南北約1キロに約30の寺院が並ぶ異空間。高度な技でマリオネットを操る人形劇の面白さと、寺町ならではのロケーションを同時に味わえるのも、このフェスティバルの特長だ。

 回を重ね、現在では1日の参拝客1万5千人のうち、半数はフェスティバルの観客。「子どものころに楽しんだ」という20代の若者が子どもを連れて訪れることも多いという。

 大道芸や音楽ライブなどの路上企画、オリジナル雑貨などを体験できる「手作り市」、スタンプラリーやコスプレイベントなどもある。今年は4月3日。20都道府県の25劇団が参加する。

 「地方色豊かな公演が楽しめますよ」。秋山さんが穏やかな笑顔で来場を呼び掛けた。

   ◇  ◇   

 戦国時代末期から江戸初期にかけ、都市整備で大坂城南に寺院が集められたのが寺町の起源。聖徳太子にゆかりのある古いまちの新たな取り組みを紹介する。

2249名無しさん:2016/03/18(金) 00:49:29 ID:aA6UXrXM0
春日大社で文楽の成功祈願
03月17日 19時55分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160317/3382281.html

飛鳥時代の奈良を舞台にした人形浄瑠璃「文楽」の公演が来月、大阪の国立文楽劇場で行われることになり、関係者がゆかりの深い奈良の春日大社を訪れ、成功を祈願しました。
春日大社を訪れたのは、文楽の人形遣いの吉田玉男さんや、三味線の人間国宝、鶴澤清治さんなど5人です。
神職のおはらいを受けたあと、玉男さんが登場人物の人形を操って玉串をささげ、公演の成功を祈りました。
来月2日から公演が始まる「妹背山婦女庭訓」は、飛鳥時代の大化の改新を題材に、恋の物語を織り交ぜた人気の高い作品です。
神の遣いとされる春日大社の鹿の話も登場するなど春日大社ともゆかりが深く、20年に1度の「式年造替」が行われているのを記念して公演されることになりました。
参拝を終えた玉男さんは「身が引き締まる思いです。神様から人形にいただいた力を舞台で発揮したい」と話していました。

2250名無しさん:2016/03/18(金) 00:58:31 ID:aA6UXrXM0
寺町文化が息づくまち 天王寺探訪(中)
2016年3月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160317/20160317027.html

 四天王寺をはじめ約200の社寺が集まる大阪市天王寺区では、立地を生かした新しい取り組みも始まった。伝統文化の「体験学習会」がその一つ。「子どもたちが文化に触れられる貴重な機会」と保護者らにも好評だ。

■達人集まる
 寺院が密集する生玉町や下寺町が校区にある夕陽丘中学校では、寺に縁が深い茶道や華道をはじめ、和の文化の学習会が開かれている。講師は地元で活動する師匠ら。人間国宝も住む土地柄で、福山英利校長は「これだけ達人が集まるのは、天王寺区の特色ではないか」と話す。

 今年2月の体験会では、茶道や華道の他、日本舞踊、和菓子作り、琴など計10講座が開かれた。和菓子作りでは、練り切りと呼ばれる生地をベースに男びなと女びなを製作。参加した2年の女子生徒(14)は「季節感を勉強できてよかった」と喜んだ。

■相乗効果
 かつて、「豪商」と呼ばれた船場の商人が邸宅を構えた地。船場の木綿問屋の四姉妹を描いた谷崎潤一郎の小説「細雪(ささめゆき)」の舞台にもなり、天王寺公園にある市立美術館は住友家の本邸跡地に建つ。

 舌の肥えた旦那衆を相手にしてきたのが、創業90年を迎えた和菓子の老舗「本松葉屋」。職人で社長の松下雄一さん(50)も体験学習会の講師で、夕陽丘中のPTA役員時代に会を発案した一人でもある。

 「若い子たちにもらったエネルギーを仕事の糧にしている」と松下さん。和の体験学習会は、指導側にも相乗効果を生んでいる。

■文教地区
 寺町に由来する落ち着いた住環境が受けてか、昨年の国勢調査の速報値によると、5年間に区の人口が8・4%増えた。子育て世代の流入も念頭に、区は「日本一の文教地区」を旗印に教育施策の充実を進めている。

 英語での対話能力や論理的思考の向上を目指した「即興型ディベートスクール」、外国人留学生との相互理解を図る「国際交流カフェ」など、中高生を対象に、英語をツールにした事業を積極的に展開。医療やロボット開発の現場を中高生が体験する「就業体験事業」にも取り組んでおり、区未来人材育成担当の北吉秀輔課長は「これからも教育のニーズにしっかり応えたい」と話している。

2251名無しさん:2016/03/19(土) 05:19:18 ID:g3SDvGAU0
寺町文化が息づくまち 天王寺探訪(下)
2016年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160318/20160318021.html

 寺町の風情を生かしたガイドツアーが人気だ。大阪城に近く、以前から人気のエリアだったが、大坂の陣から400年を迎えた2014〜15年には歴史関連のイベントが花盛り。今年1月にはNHK大河ドラマ「真田丸」の放映もスタートし、さらに注目を集めている。

■感性くすぐる

 「時の権力者に対する真田幸村の姿勢が人々の感性をくすぐる。(四天王寺を建てた)聖徳太子にも同じことが言えるのではないか」。歴史の魅力をそう解説するのは、心斎橋生まれ、天王寺育ちの郷土史研究家、松村基さん(79)だ。

 幸村最期の地と伝わる安居神社や大坂城への抜け穴伝説が残る三光神社、幸村親子の冥福を祈って建てられた心眼寺など、区内には幸村や大坂の陣にゆかりの史跡が数多く現存。約200を数える区内の社寺にも、人形浄瑠璃の竹本義太夫や作家の井原西鶴ら江戸時代に活躍した文化人の墓所が点在する。

■一気に増加

 松村さんが講師や案内役を務める「てんのうじ観光ボランティアガイド協議会」は、「大坂の陣」「四天王寺」のほか、幕末に活躍した新撰組や作家の織田作之助にもゆかりが深い「天王寺七坂」など11のモデルコースを設定する。

 事務局に当たる大阪市コミュニティ協会天王寺区支部の担当者は、大坂の陣400年や真田丸の放映などを背景に「この2、3年で旅行業者からの問い合わせが一気に増えた」と話す。一コースに、定員の1・5倍以上150人の申し込みがあったり、観光バス数台に分乗して参加するツアー客もいるという。

 松村さんのガイドツアーに参加した経験のある主婦(61)は「とにかくドラマチック。情景が目に浮かぶようで楽しかった」と振り返る。

■まだまだ人気

 大阪唯一の丘陵地で、大阪市の中央を南北に貫く上町台地。古くは海に突き出た半島状だったことから「西方にある浄土を向いて、心を清算するところだった」(松村さん)という。沈む夕日に極楽往生を願う修行「日想観」という行事が四天王寺にあるのも、往時の浄土信仰の名残だ。

 昨年11月には、大阪市などが官民共同で「大河ドラマ『真田丸』大阪推進協議会」を立ち上げ、地域活性化に取り組んでいる。“歴史の街”天王寺の人気はまだまだ続きそうだ。

(おわり)

2252名無しさん:2016/03/21(月) 00:50:45 ID:Ogr2nMGg0
古市古墳群周辺を清掃して歩く
03月20日 18時42分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160320/3734881.html

大阪の羽曳野市と藤井寺市にある古市古墳群の周辺で、清掃活動をしながら歩くイベントが開かれました。
出発地点の羽曳野市の古市駅前には約100人が集まりました。参加した人たちは、ごみ袋などを持って十の古墳をめぐる総延長5キロのコースを歩きました。5世紀のものとみられる白鳥陵古墳では、日本書紀に日本武尊と古墳のある場所との関係が書かれていることを担当の職員が説明しました。
立ち入りが認められている藤井寺市の古室山古墳では、古墳にのぼってごみを拾い集めました。
参加した人たちは、「古墳の数が多く大きいことに驚きました」「せっかくの古墳なので大事にしていきたい」などと話していました。
藤井寺市世界遺産登録推進室の山田幸弘室長は、「古墳群をきれいに守り伝えていくことが世界遺産へのきっかけになればと思います」と話していました。

2253名無しさん:2016/03/21(月) 22:41:10 ID:6Oir4s/g0
旭堂南陽のブラリ講談 歴史あるき
北摂の武将を訪れる
2016年3月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/rekiwalk/160319/20160319051.html

キリシタン大名高山右近

北摂の武将で中川清秀と並んで有名なのが、高山右近。その右近が1月には大きなニュースとして世界に発信されました。発信元はバチカン。高山右近が「流刑や追放の責め苦を受けながら一生を神にささげた者」として福者に認定されたんです。福者はカトリック教会で最高位の崇拝対象となる聖人に次ぐ称号で、マザー・テレサなども認定されているすごい称号なんです。

 そんな右近の生まれは摂津国高山(現在の豊能町高山)。父が松永久秀に従って大和国宇陀(現在の奈良県宇陀市)にあった沢城主になっていた関係で、6歳のときに同城に移り住み育てられました。

 父親の高山友照は勇猛果敢な男で教養もあり、領民たちの人望も集めた方。そんな父がある日帰ってくると、「今日はすごくいい話を聞いた」と家族に話し始めました。「ロレンソ了斎という琵琶法師がキリスト教を布教するために奈良にやってきた。それを快く思わない久秀様が寺の僧侶と問答されることになった。わしはそこに居るように言われたんじゃが、何ともキリスト教というものはすごいものじゃ。わしは感心をした。もっとキリスト教のことを教えてもらうためにロレンソをこの城に呼ぶことにした」。ロレンソから話を聞き、来日していた宣教師ガスパル・ヴィレラから家族一同で洗礼を受けることになりました。右近の洗礼名はジュスト。

 しかし、時は戦国時代。群雄割拠のその中で高山家は二転三転信長に仕える事になり、その家来の和田惟政が城主の高槻城に入りました。そこで起こったのが、清秀の項で書いた白井河原の戦い。これにより惟政が討死し、その子・惟長が城主となり相談役には友照が就きました。しかし、友照をよく思わない家臣が和田家にはゾロゾロいる。ここで事件が起こります。友照・右近親子に「話し合いがしたい」と惟長からの書状が届いたのです。

◆出演情報 「旭堂南陽と行く講談ウオーキング〜五代友厚、活躍の地を歩く」 29日午後1時半から約2時間、地下鉄阿波座駅集合。料金2700円。問い合わせは電話06(6941)1112、よみうり天満橋文化センター。

2254名無しさん:2016/03/21(月) 23:09:37 ID:6Oir4s/g0
鳥居越しに西方の神秘 四天王寺で日想観
2016年3月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160321/20160321036.html

 春分の日の20日、真西に沈む夕日を拝む彼岸の伝統行事「日想観(じっそうかん)法要」が大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で執り行われ、多くの参詣者が静かに手を合わせた。

同寺は上町台地上にあり、約1400年前には以西に海が広がっていた。西の方角に極楽浄土を思い浮かべ、信仰したことに由来する修行の一つ。

 春・秋それぞれ彼岸の中日に、境内西側の「石の鳥居」中央に夕日が落ちることで知られ、毎年多くの参詣者が神秘的な光景を見届けている。

 日没前の午後5時半ごろ、西大門(極楽門)近くでは僧侶が参集し、読経などをして法要を営んだ。参詣者も一様に西を向き、夕日に染まる中で真言を唱えた。

 親子で訪れた神戸市灘区の主婦(45)は「母とただ無心で手を合わせた。こういう時間を持つことが大切だと思います」としみじみ話した。

 この日は天候にも恵まれ、境内は墓参りなど多くの人出でにぎわった。

2255名無しさん:2016/03/26(土) 07:24:10 ID:4MeXlipA0
「うめだ文楽」25日開幕
更新:03/25 07:51
http://www.mbs.jp/news/kansai/20160325/00000031.shtml

文楽の魅力を伝えようと、大阪の5つの民放局が共同で企画・制作する「うめだ文楽」公演が、25日から始まるのを前に通し稽古が行われました。

「また泣かすのかい・・・」

「うめだ文楽」は、関西発祥の文楽を身近に親しんでもらおうと、大阪の民放5局が共同で企画、制作していて、今回が2回目です。

 大阪市から補助金制度の見直しが行われ、文楽協会では観客動員数を伸ばすことが求められていますが、「うめだ文楽」では浄瑠璃も人形使いも、20代から40代の若手が務め、幅広い世代にわかりやすい演目を選んでいるということです。

「うめだ文楽」の公演は、25日から3日間、グランフロント大阪のナレッジシアターで行われます。

2256名無しさん:2016/03/27(日) 04:16:52 ID:4110Adyc0
水無瀬神宮 国登録文化財に
2016年03月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160322-OYTNT50321.html

◇本殿や拝殿 1か所5件 文化審答申

 国の文化審議会が文部科学相に行った答申で、府内からは水無瀬神宮(島本町広瀬)の本殿など1か所5件が登録有形文化財に選ばれた。これで、府内の登録有形文化財(建造物)は224か所619件となる。

 同神宮は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて後鳥羽天皇が造営した、水無瀬離宮の跡地にある。客殿と茶室は1926年に重要文化財に指定されており、今回は残る本殿などが登録される。

 本殿は、江戸時代初めの明正(めいしょう)天皇の時代に三種の神器を安置していた「内待所(ないしどころ)」を移築したとされ、府教育委員会によると「歴史的経緯や、簡素ながら風格ある意匠が評価された」という。ほかに、29年に建てられた拝殿や幣殿、大正期の手水舎(ちょうずしゃ)などが選ばれた。

 また、重要文化財(美術工芸品)には奈良時代の高僧、行基(668〜749年)が築いたとされる大野寺跡(堺市中区)の出土品など6件を指定、泉穴師神社(泉大津市豊中町)の木造神像72体を追加指定した。

2016年03月23日

2257名無しさん:2016/04/03(日) 12:47:21 ID:u7h.iwGQ0
稽古安全に感謝 住吉大社で土俵祭「昇神之儀」
2016年3月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160328/20160328025.html

 大相撲春場所が千秋楽を迎えた27日、立浪部屋の稽古場がある大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で場所中の稽古安全を相撲の守護神・住吉大神に感謝する土俵祭「昇神之儀」が執り行われた。力士衆が御幣を抱いた神職を胴上げし、修行成就を祈願した。

住吉大社によると、平安時代より同社では神事相撲が行われた記録があり、力士の最高位の「横綱」の起源は住吉相撲会とされるなど、ゆかりが深い。

 境内の稽古場ではファンが見守る中、神職が土俵に神酒をささげた。権禰宜(ねぎ)の岡康史さんが「来年、大阪に来られたときは、たくさんの力士が誕生していることを祈念します」とあいさつ。一同の大阪締めに続き、稽古を見守った神さまを天へ送る意味を込め、神職の増田椋太さんを力士衆が「えいえいおー」の掛け声で持ち上げて儀式を締めくくった。

 立浪部屋は2007年から春場所中の部屋を境内に構え、場所中は、近隣の幼稚園児を招くなど、地域と交流。土俵祭は12年から執り行っている。

2258名無しさん:2016/04/03(日) 12:52:20 ID:u7h.iwGQ0
秘蔵 重文神像写真展…泉穴師神社の80体
2016年04月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160331-OYTNT50345.html

◇泉大津、5日から

泉大津市は、同市豊中町の泉穴師(いずみあなし)神社に安置されている神像80体の写真を5〜12日、市役所ロビーで展示する。同神社の神像は、既に重要文化財に指定されていた8体に加え、3月に72体の追加指定が決まり、重文指定の神像数としては京都市の大将軍八神社と並び全国最多。これまで一般に公開されたことはなく、市教委は「地元の貴重な文化財に関心を持ってもらいたい」としている。

 泉穴師神社の主祭神「栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)」は織物の神として、地場産業の織物業界などから信仰を集めている。市教委によると、神像は平安時代後期から鎌倉時代(12〜13世紀)につくられたヒノキ材の一本造による座像で、高さ58・1〜8・8センチ。8体は1950年に重文指定され、72体も今年3月、国の文化審議会が追加指定するよう答申した。

 男神像44体は大半が巾子(こじ)冠、上着の「袍(ほう)」姿。女神像36体は「垂髪(すべらかし)」という髪形で、大袖衣を着用する。多くに赤や緑の彩色文様が残り、金色の像もある。X線のCT撮影で年輪を調べたところ、同じ木から男女一対、または3体一組で彫られていたことが判明。貴重な神木が材料のため、同じ木から複数体をつくって節約した可能性があるという。

 市教委によると、仏像の多くが公開され、学術調査もされているのに対し、神像は神職らにしかなじみがなく、不明な点が多い。全国で数百体しか確認されておらず、なぜこれほど多くの神像が泉穴師神社にあるのかもわかっていない。市教委は「今後さらに神像研究が進み、文化的価値が高まれば」と期待している。

2016年04月01日

2259名無しさん:2016/04/03(日) 17:10:24 ID:u7h.iwGQ0
【都市を生きる建築(58)】
金融街に誕生した“カップルの聖地”…オペラ・ドメーヌ高麗橋
http://www.sankei.com/west/news/160402/wst1604020012-n1.html

御堂筋と堺筋のちょうど真ん中を南北に通る三(さん)休(きゅう)橋筋は、沿道に歴史的建築が多く残る通りで、本連載でも既にグランサンクタス淀屋橋と重要文化財の綿業会館を取り上げた。今回は高麗橋の交差点に建つオペラ・ドメーヌ高麗橋(高麗橋ビル)をそれに加えたい。

 大正元年に完成した赤煉瓦の外観は、ちょうど三休橋筋の北詰にアイストップのように建つ、中之島の中央公会堂と印象が似ている。白い御影石で帯を幾重にも回す意匠も同じだ。それもそのはずで、この建物を設計したのは建築家・辰野金吾が片岡安と共同で設立した辰野片岡事務所。辰野は中央公会堂の監修者であり、片岡は岡田信一郎という若手建築家の案をもとに、実施設計を担当した。一街区北に建つグランサンクタス淀屋橋も、最初の建物は彼らの設計によるものだし、中之島には辰野金吾の代表作のひとつである日本銀行大阪支店がある。辰野は首都東京を拠点に活躍した建築史上の偉人だが、近代における彼の影響は、大阪においても大きかったことがよくわかる。

http://www.sankei.com/west/news/160402/wst1604020012-n2.html

金融街という立地もあって、最初は大阪教育生命保険の社屋として建てられた。戦後は長らく証券会社が入っていたが、2002(平成14)年に高級フレンチレストランが本店を構えた際に内部を大きく改修し、現在はオペラ・ドメーヌ高麗橋というブライダル会場として活用されている。2013年度には地域の協議会のサポートを得て外観の改修を実施、レストランへと改修した際に開かずの窓となってしまった三休橋筋に面する窓枠に照明を仕込み、沿道の夜の賑わいづくりに一役買っている。そして屋根裏にずっと眠っていた色鮮やかなステンドグラスが、改めて正面玄関に据えられた。以前から古い教会での結婚式は人気があったが、近年は中央公会堂や綿業会館など、レトロな近代建築で式を挙げるカップルが増えているようで、週末になるとオペラ・ドメーヌ高麗橋には新郎新婦を中心に祝福の輪が広がり、北船場の街並みに彩りを添えている。

2260名無しさん:2016/04/03(日) 17:11:31 ID:u7h.iwGQ0
 三休橋筋と直交する高麗橋通は、その名が示す通り東横堀川に高麗橋が架かり、江戸時代から東の大阪城へと至る目抜き通りであった。越後屋が大阪に両替商を構えたのも高麗橋通で、堺筋には三越百貨店と三井銀行が建つなど、北船場のなかでも格式の高い通りといわれている。しかし近年はかつての活気が失われ、長らく停滞期が続いていた。それが2000年代の後半くらいから、地域と大学や行政が協働して、近代建築などの文化遺産を活かした地域活性化に取り組み始め、オペラ・ドメーヌ高麗橋も催しに建物を開放するなど、歴史・文化を活かしたまちづくりが進んでいる。老舗も集積するこの一角は、北船場の復権を担う中核的なエリアといえるだろう。(高岡伸一/建築家・大阪市立大学特任講師)

2261名無しさん:2016/04/03(日) 18:44:10 ID:u7h.iwGQ0
百舌鳥・古市古墳群、世界遺産候補対象から2古墳除外 景観上の問題考慮 大阪
http://www.sankei.com/region/news/160324/rgn1603240057-n1.html

世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群の登録推進本部会議は23日、3月末までに59基で推薦書原案を文化庁に提出することを決めた。今夏の国内候補獲得を目指す。昨夏の文化審議会では国内候補から外れたが、当時は61基で、「景観上問題がある」とする2基を外した。

 本部会議は、大阪府と、古墳群の立地自治体である堺市、羽曳野市、藤井寺市で構成。この日、大阪市内で市長らが集まり、決定した。

 今回外されたのは百舌鳥古墳群の鏡塚古墳(堺市北区)と古市古墳群の赤面山(せきめんやま)古墳(藤井寺市)。

 鏡塚古墳は5世紀中頃に築造された円墳で、仁徳天皇陵の東側に位置するが、JR阪和線沿いのスーパーの駐車場の中にあり、周辺に商業ビルも建てられている。赤面山古墳は方墳で、5世紀前半に築造、高速道路の西名阪自動車道の高架下に保存されている。

 昨年10月に大阪市内で国内外の世界遺産専門家が集まる会議があり、両古墳の景観上の問題が指摘されていた。

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2262名無しさん:2016/04/06(水) 04:04:56 ID:w0Rp74as0
「良き月の良き日に」巫女ら優雅な舞い 富田林の佐備神社「神楽祭」
http://www.sankei.com/region/news/160405/rgn1604050043-n1.html

1150年以上の歴史を持つ佐備神社(大阪府富田林市佐備)で4日、恒例の「神楽祭」が営まれ、同神社の巫女(みこ)らを含む約20人が優雅な舞いを披露した。

 もともと佐備神社で神楽の稽古(けいこ)を積んでいた巫女らが「日頃の練習の成果を発表しよう」と始めたことが起源。「良き月の良き日に」との言葉に合わせ、毎年原則として4月4日に行われている。

 34回目の今回は約20人が参加。タイを釣る場面を盛り込んだ「大海の幸」や、4人が淡い緑色を基調にした衣装で登場する「浦安の舞」などを披露。訪れた観客らは、舞台上で繰り広げられる華やかな神楽に見入っていた。

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2263名無しさん:2016/04/18(月) 00:54:31 ID:VZOWHj260
「家造りの神」知って 生國魂神社でセミナー
2016年4月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160417/20160417040.html

 日本で唯一、家造りの神様「家造祖(やづくりみおや)神社」を祭る生國魂神社(天王寺区生玉町)でセミナー「住まいと家造りの神様-生國魂神社で学ぶ、いい家造りのために大切なこと」(いい家塾主催)が開かれ、受講者は神社の歴史や長屋再生事例などの話に熱心に耳を傾けていた。

家造祖神社は大阪城築城の大事業にも大きく関わり、現代も土木建築関係者が崇敬。毎年4月11日に例祭を執り行っており、これに参列していた「いい家塾」の釜中明塾長は「大阪に日本で唯一の家造りの神様がいることを広く知ってほしい」という思いから初めてセミナーを企画した。

 第1部は釜中塾長のコーディネートで「大切な『住まいと家造りの神様』を知っとこ!」と題したパネルディスカッションが行われ、同神社権禰宜(ごんねぎ)の中村文隆さんが家造祖神社の歴史や家造りに欠かせない神事など、寺西家阿倍野長屋当主の寺西興一さんが大阪府登録文化財である寺西家長屋と町家の活用と収益について話した。

 第2部では本殿や家造祖神社、境内を案内。家造りの相談も受け付けた。釜中塾長は「生國魂神社との共同行事として、毎年家造祖神社の例祭前に開催できれば」と話していた。

2264名無しさん:2016/04/24(日) 04:09:04 ID:HI.dKpnM0
古式ゆかしく鮮やかに 四天王寺で聖霊会舞楽大法要
2016年4月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160423/20160423037.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で22日、開祖聖徳太子の命日にちなんだ「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」があった。多くの参詣者が見守る中、太子慰霊の法要と舞楽が混然一体となった一大行事が繰り広げられた。

聖霊会は同寺最大規模の行事で、ここで舞われる古典芸能「天王寺舞楽」は千数百年の伝統があり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 四方に曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の飾りを立てた境内・石舞台では僧侶による声明(しょうみょう)や合掌礼拝に続き、舞楽伝承団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」の舞人、楽人が奉仕。太子の目覚めを慰める供養舞と伝わる「蘇利古(そりこ)」のほか、勇壮な4人舞「甘州(かんしゅう)」といった舞楽を古式ゆかしく奉納した。

 大阪管区気象台によると、この日の同市の日中の最高気温は5月上旬並みの23・8度。初夏の日差しが歴史絵巻のような法要を色鮮やかに引き立たせた。

2265名無しさん:2016/04/25(月) 12:17:49 ID:NOv3W6260
平野に女神の加護 あかる姫まつり
2016年4月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160424/20160424035.html

 女神を祭る赤留比売命(あかるひめのみこと)神社の神事に合わせた「あかる姫まつり」が23日、境内のある大阪市平野区の平野公園周辺であった。装束姿の住民らが商店街をパレードした。今年10回目を迎え、地元関係者は「(1980年の)南海平野線廃止でまちが一時衰退したが、皆が力を出し合い盛り上がっている」と節目を喜んだ。

地元町会や商店街でつくる実行委が主催。祭りのヒロイン赤留比売命に扮(ふん)したのは地元出身の小学校教諭淡路真優さん(28)で、「皆さんが笑顔になるよう精いっぱい務めたい」とみこしの上から爽やかな笑顔で手を振った。

 太鼓やかね、どらの勇壮な音色が響く中、地元ゆかりの武将坂上田村麻呂のほか、区内が「大坂夏の陣」の舞台でもあることから豊臣方の武将真田幸村も列に加わった。総勢100人がアーケード内を含む1・2キロを1時間半かけて練り歩き、一帯は出店もあって終日にぎわった。

 家族で見物に訪れた会社員武田健太郎さん(37)=同区=は「まちが活気づく。お姫さまはかわいいですね」と喜んでいた。

2266名無しさん:2016/04/28(木) 22:40:40 ID:0A8VyNqc0
花の霊に安寧の祈り 大阪天満宮「鎮花祭」
2016年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160426/20160426026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、伝統行事「鎮花祭」があった。本殿前に設けられた舞台上で雅楽や神賑行事が奉納され、多くの参拝者がみやびやかな光景に見入った。

古来、季節の変わり目に災厄が生じやすいのは花の精霊に起因すると考えられたことから、舞い散る花とともに飛び行く精霊を鎮めて健康を祈願する行事。別名「はなしづめのまつり」とも呼ばれる。

 奉納雅楽では同宮神職の管弦に続き、神職、みこが神楽「浦安の舞」などを厳粛に奉納。関西雅楽松風会の奉仕者による舞楽もあり、優美な所作で見守る人々を魅了した。

 ほぼ毎年訪れているという東淀川区の男性(65)は「伝統がしっかりと受け継がれている点が素晴らしい。息の合った神職の方々の姿に魅せられた」と話し、熱心に撮影していた。

2267名無しさん:2016/04/30(土) 19:11:34 ID:ObkfRf760
古墳価値の明確化 世界遺産へ鍵握る
2016年04月18日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160418-OYTNT50021.html

◇百舌鳥・古市古墳群シンポ

百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが17日、大阪市内で開かれた。専門家らが実現に向けた課題を探り、約450人が熱心に耳を傾けた。

 府と堺、羽曳野、藤井寺の3市でつくる世界文化遺産登録推進本部会議(会長・松井知事)が主催した。

 文化遺産に詳しい西村幸夫・東京大大学院教授が講演で、いったん国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会へ推薦された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が、禁教史に焦点を当てるようユネスコの諮問機関から推薦書見直しを求められた例を紹介。

 「個々の資産に『顕著で普遍的な価値』があるかが問われている」と解説し、同古墳群が3市に現存する古墳89基のうち59基を遺産候補とした点について「59基と他との違いを明確に説明できるかが鍵を握る」と助言した。

 パネルディスカッションも行われ、宮内庁の徳田誠志・陵墓調査官は「環境の変化が激しい都市部にあり、いかに保存していくかも大きな課題だ」と指摘した。

2016年04月18日

2268名無しさん:2016/05/01(日) 04:15:14 ID:Tdv/6YMw0
東海道は五十七次? 400年の節目“最終地”守口宿アピール 大阪
http://www.sankei.com/region/news/160420/rgn1604200064-n1.html

「東海道五十三次」ではなくて、実は「五十七次」あった-。東海道最後の57番目の宿場町があったとされる「守口宿」(大阪府守口市)が400年の節目を迎えるのを機に、地元の市民団体が地域活性化に力を入れている。街道近くの商店街では、当時の旅人が食べた「にぎりめし」をイメージした弁当を開発した。今秋には街道イベントを計画して、知名度アップを図るという。

 東海道は江戸と京都を結ぶ主要ルートとして徳川家康が慶長6(1601)年に定めた。途中には公用の人や物資、通信物などを次の宿まで運ぶ「宿駅」を置き、当初は四十数駅があったとされる。その後、大坂城の再建を始めた2代将軍・徳川秀忠が、豊臣秀吉の制定した京街道(京都〜大坂)を加え、新たに4つの宿駅を置いた。

 歌川広重が江戸時代後期に手がけた浮世絵「東海道五十三次」は江戸〜京都間だったが、実際は江戸〜大坂間を結ぶ「五十七次」の街道だったと考えられる。江戸時代の「宿駅制定証文」では、元和2(1616)年に守口宿が制定されたことが記されている。

 守口市のまちおこしを手がける市民団体「守口門真歴史街道推進協議会」は、こうした史実をもとに、今年で守口宿制定から400年の節目を迎えることに着目。知名度アップを図り、地域活性化につなげる活動に乗り出している。

 まずはかつての宿場町にふさわしい名物を作ろうと、江戸時代の旅人が食べていた「にぎりめし」をアレンジした弁当「竹皮むすび」を開発した。炊き込みご飯と沖縄名産「油みそ」の2種類のおにぎりに、守口大根の奈良漬や野菜の煮しめなどを竹皮に包んだ。

 同市の土居商店街の沖縄料理と物産の店「さとうきび畑」の店主、高井律子さんが考案し、500円(お茶付き、1日20食限定)で販売している。

 守口宿は枚方宿(枚方市)から3里(約12キロ)大坂・京橋へは2里(約8キロ)の位置にあり、天保14(1843)年に幕府の街道調査をまとめた「東海道宿村大概帳」(道中奉行所編)によると、当時の人口は764人、177軒もあってにぎわっていたとされる。

 しかし、現在では住宅化が進み、宿場町の風情を残す建物は寺やちょうちん屋など数軒しかない。その一方で、古い建物を生かした喫茶店や写真店などがあり、秀吉が淀川沿いに築いた堤防「文禄堤」の一部(長さ約700メートル)も現存している。

2269名無しさん:2016/05/01(日) 04:17:40 ID:Tdv/6YMw0
昨年に草津宿街道交流館(滋賀県草津市)が実施した宿場町の人気投票「TKD(とうかいどう)57総選挙」では4位に入るなど、“東海道の本当に最後の宿”として知名度を上げている守口宿。

 11月には東海道五十七次や守口宿をテーマにした歴史イベントを計画中で、同協議会の加藤忠広事務局長は「地元の人が守口宿を『わが町の誇り』と思ってもらえる仕掛けづくりをしていきたい。街道沿いの地域の盛り上がりによって、東海道や宿場町の価値を高め、いつか『東海道五十七次』として世界遺産登録も狙えれば」と大きな夢を語っている。

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2270名無しさん:2016/05/05(木) 09:52:03 ID:VKLCjBl20
荘厳 万部おねり 平野区・大念仏寺
2016年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160502/20160502030.html

 大阪市平野区の融通念仏宗総本山大念仏寺で1日、伝統行事の二十五菩薩(ぼさつ)練り供養「万部(まんぶ)おねり」が始まった。境内で菩薩が現世から極楽浄土へ導く来迎(らいごう)の様子が再現され、多くの参詣者が荘厳なお練りを見届けた。5日まで。

同寺最大規模の年中行事で、2002年度に市指定無形民俗文化財となった。

 本堂に沿って設けられた来迎橋上では、僧侶や稚児、講元の行列に続き、いかなる災難からも衆生を救済すると伝わる観世音(かんぜおん)菩薩を先頭に二十五菩薩が厳かに登場。快晴の下、大勢が見守る中、紫連台(しれんだい)や琵琶などを手にした菩薩がお練りを繰り広げ、極楽浄土に見立てた本堂へ順次入堂した。

 地元在住で幼少期から行事を見てきた女性(81)は、「何年たっても色あせることない素晴らしい伝統。多くの方に知ってもらいたい」と話していた。

 お練りは連日午後1時から。拝観自由。期間中はお練りに先立ち仏教賛歌(3、4日)や声明コンサート(3日)、雅楽(4日)といった奉納行事も予定されている。

2271名無しさん:2016/05/08(日) 15:12:56 ID:wh51SplY0
戦死の地で幸村悼む 天王寺・安居神社
2016年5月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160507/20160507044.html

 NHK大河ドラマ「真田丸」で注目が高まる武将・真田幸村が戦死したとされる大阪市天王寺区の安居神社(中島一熈宮司)で5日、恒例の慰霊祭「幸村祭」が盛大に執り行われた。氏子関係者や歴史愛好家ら大勢が続々と参拝し、境内にひっそりとたたずむ座像に手を合わせた。

大坂夏の陣(1615年)の終盤「天王寺口の戦い」で戦死した幸村を悼み同神社が毎年手掛けている。

 祭壇が設けられた座像前では中島宮司によるおはらいや祝詞奏上などに続き、真田家の子孫や故郷である長野県上田市の関係者ら参列者代表が玉串をささげた。中島宮司は「大坂の陣400年の節目や大河ドラマなど近年の盛り上がりに驚いているが、今後も変わることなく幸村公の慰霊に努めたい」と話した。

 境内には大阪城真田鉄砲隊(澤田平代表)のコーナーもお目見え。幅広い年齢層の幸村ファンがスタッフの解説に耳を傾けながら甲冑(かっちゅう)や火縄銃の弾丸といった品々に見入っていた。

 生野区から訪れた足代健二郎さん(73)は「長年の幸村祭の積み重ねがあったからこそのにぎわい」、幸村の肖像画を奉納している“歴女”山下栞さん(18)は「ファンが集える素晴らしい場所」と笑みを浮かべた。

2272名無しさん:2016/05/08(日) 22:32:45 ID:HaM4wtjY0
勇ましく的射抜く いくたまさんで走馬神事
2016年5月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160507/20160507043.html

 「いくたまさん」と呼ばれて親しまれている大阪市天王寺区の「生国魂神社」で5日、端午の節句の伝統行事「走馬(そうめ)神事」が執り行われた。流鏑馬(やぶさめ)の型を奉納するもので、大勢の参拝者らが勇ましい礼法に見入った。

同神社の流鏑馬は、豊臣秀吉が大坂城を築城する約400年前、現在の場所に神社が移って武士が稽古していたのが始まりとされている。1912(明治45)年の「南の大火」で、社殿とともに武具類が焼失して以降は途絶えてしまい、神事のみが続いてきた。

 型は「木馬の型」といわれ、武士が流鏑馬の稽古として行っていた形式。2014年の夏の大祭で、70年ぶりに大阪城への渡御列を行うのに合わせ、弓馬術礼法小笠原教場の協力で102年ぶりに復活した。

 境内では、大阪の発展を願う神事が営まれた後、武士の衣装を身にまとった同教場の3人が型を披露。木馬にまたがり、回転しながら鏑(かぶら)矢で三つの的を射抜くと、参拝客から大きな歓声が上がった。

 型を奉納した一人、和田太地さん(27)=岐阜県関市=は「歴史ある“いくたまさん”の走馬神事で、型を奉納させていただいて光栄だった」と話していた。

 また、近くの生玉公園では、新庄乗馬クラブ(奈良県)の協力で乗馬の体験会も開かれた。

2273名無しさん:2016/05/11(水) 04:25:09 ID:N2Gv0X6s0
華麗な舞楽を奉納 住吉大社で卯之葉神事
2016年5月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160510/20160510029.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で9日、祭神・住吉大神の鎮座記念の祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が執り行われた。あいにくの雨にもかかわらず大勢の参拝者が境内を訪れ、厳かな神事や舞楽奉納などを見守った。

住吉大神の鎮座が神功皇后摂政11年、辛卯(かのとう)年卯月上の卯日と伝わることから、卯の花(ウツギ)が開花する5月最初の卯日に執り行われている。

 第一本宮であった本殿祭では、参列者代表が通常のサカキの玉串ではなく卯の葉を神前にささげた。続く舞楽奉納は雨天のため本来の石舞台から屋内の神楽殿へ会場が移され、古典芸能「天王寺舞楽」の伝承団体である天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)の有志が奉仕した。

 みやびやかな装束で登壇した舞人らは舞楽の幕開けを飾る儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「承和楽(しょうわらく)」「地久(ちきゅう)」などを披露。参拝者は「例年よりも間近で拝見できた」「屋外と異なる雰囲気で楽しめた」などと話し勇壮かつ華麗な所作に見入っていた。

2274名無しさん:2016/05/11(水) 22:03:06 ID:7dgw1sFs0
レーザー光、演出アップ 奉納花火で初登場へ
2016年5月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160510/20160510041.html

 日本三大祭りの一つ天神祭の花火「水都祭・天神祭奉納花火」(実行委員会主催)で、今年初めてレーザー光を使った演出が加わることが9日分かった。仕掛け花火で表現していた文字の部分に使う。演出効果を向上させ、祭りのにぎわいにつなげるのが狙い。

毎年7月25日の天神祭本宮祭では、都心部の大川沿いで 奉納花火が打ち上げられ、協賛企業名などが浮かび上がる仕掛け花火が“名物” となっていた。

 今回、さらに演出効果を高めようと奉納花火実行委メンバーがレーザー光への変更を企画。文字の掲示部分はこれまでの縦2メートル、横10メートルから縦10メートル、横20メートルに拡大し、メッセージの発信など多彩な演出ができるようにする予定だ。

 9日に大阪市北区の大阪天満宮で開かれた天神祭実行委の初会合で明らかになった。

 会合では、大阪観光局が製作する天神祭のパンフレットについて、日本語と英語版だけだったのをハングルと中国語版を加える方針も示された。アジアからの外国人観光客の増加を踏まえた。

 栗原宏武実行委員長は「大阪の経済や観光の活性化に寄与していく」と話していた。

2275名無しさん:2016/05/11(水) 22:41:52 ID:7dgw1sFs0
守口市だんじり祭 勇壮に10回目
2016年5月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160509/20160509023.html

 大阪府守口市内の地車(じぐるま)保存会が集まって、だんじりやパフォーマンスを披露する「第10回守口市だんじり祭記念大会」(同市地車連絡協議会主催)が7、8の両日、同市の京阪電鉄守口市駅前一帯で行われた。8日には地車パレードが行われ、沿道は大勢の見物客でにぎわった。

祭りは、10年前に地域活性化や保存会の相互交流などを目的に立ち上がった同協議会が毎年開催し、地域の恒例行事になっている。

 2日間のうち、8日の大枝公園(同市松下町)から同駅前までを練り歩く地車パレードには、同協議会に加盟する九つの保存会の地車と計約400人が参加。沿道には大勢の見物客が詰めかけ、スマートフォンやカメラで勇壮なだんじりを写真に収めていた。

 パレード後、同祭りの寺井正昭実行委員長の大阪締めとクラッカーで開会宣言。同協議会の田中正文会長が10回目の節目を迎え「さらなる充実を図り、いい祭りにしていきたい」と意気込みを語った。

2276名無しさん:2016/05/17(火) 18:58:09 ID:YdjJSazg0
発展への思い込めて 講社連奉納、門帳お披露目
2016年5月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160513/20160513030.html

 大阪天満宮(大阪市北区)は12日、天神祭を支える講社連合会から奉納された「門帳」を境内でお披露目した。白地の織物に大阪天満宮の神紋「剣梅鉢」を金色で刺しゅうしたデザイン。今後、祭事の際に表門に飾る。

講社連合会は、2015年に設立40周年を迎え、節目を記念して大阪天満宮の門帳の新調を企画。このほど完成し、奉納していた。

 大きさは縦約180センチ、横約440センチ。その中に金色の糸で縦横60センチ程度の神紋を2カ所あしらった。神紋は、「梅鉢」の花びらの間に剣の模様が描かれている。

 この日開かれた講社連合会の会合で披露され、寺井種伯宮司は「立派な門帳を奉納していただき感謝している」と謝意を表していた。

 宗石剛会長は「門帳とともに天神祭を発展させ、次世代に引き継いでいければ」と思いを込めていた。

2277名無しさん:2016/05/17(火) 19:04:23 ID:cGApVV4c0
藤山寛美27回忌松竹新喜劇初日 直美さんが黙とう
2016年5月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160514/20160514036.html

 大阪市中央区道頓堀の大阪松竹座で13日、「藤山寛美27回忌追善/松竹新喜劇興行」の初日開幕前に娘の藤山直美さんが姿を見せ、劇場ロビーの遺影前で遺族を代表して黙とうを行った。直美さんはおいの藤山扇治郎さんが寛美さんの代表作「夜明けのスモッグ」などに出演しており「扇治郎が天外さんをはじめ先輩方に親戚以上に大事にしていただき感謝しています」と渋谷天外代表ら劇団員にあいさつした。

続いて開幕後、冒頭に満員の観客を前にして、天外さん、扇治郎さん、高田次郎さん、小島慶四郎さんら劇団員が並んで27回忌追善のあいさつを行った。天外さんが「今後は入団して3年半の扇治郎君を中心にして…」と新しい看板を押し出すと、扇治郎さんは「祖父の芸に少しでも近づけるように頑張ります」と誓った。

 サプライズで、寛美さんと生前に親交があった西川きよしさんが舞台袖から登場し「寛美先生に大変お世話になりました。孫の扇治郎さんには偉大な寛美先生の芸を継いで劇団を盛り上げてください」とエールを送った。公演は24日まで。

2278名無しさん:2016/05/17(火) 20:45:46 ID:cGApVV4c0
「押し照るや」難波の海の絶景

八木 孝昌
帝塚山学院大学 生涯学習センター講師・文学博士
2016年5月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/160513/20160513037.html

地質学で明らかになっているように、6千年前から7千年前の大阪平野は河内湾と呼ばれる海であった。海岸線は生駒山の麓に至っていた。やがて諸河川が運ぶ土砂によって水底が浅くなり、河内湾は河内潟に変貌する。そして、3世紀から5世紀には河内湖という広大な湖となった。湖の水をせき止めていたのは、大阪市の中心部を南北に延びる上町台地で、その北端に当たる東淀川区の崇禅寺の辺りから湖水が大阪湾に注いでいた。時代が下って万葉の時代になると、河内湖は水量を減らして、生駒山の麓の草香から上町台地に至る、東西に長い草香江になっていた。それでも大阪平野は、なお入江と湿地帯からなる広大な水浸しの地域であった。

 古代の難波宮(なにわのみや)は、上町台地の上にあった。西側は大阪湾で、往時、海岸線は御堂筋の辺りにあった。東側の入江の岸は森ノ宮の辺りにあった。つまり、細長い上町台地は両側を水に挟まれていた。古代の難波京(なにわのみやこ)は水の都であった。

 難波の枕詞は「押し照るや」である。『古事記』の仁徳天皇記の「押し照るや/難波の崎よ」がその初出である。意味は「一面に照り輝く」であるが、それは難波の地形から来ているに違いない。上町台地から眺められる西側の海と東側の入江の水面が、陽光を受けて一面にキラキラと照り輝く様子、それが「押し照るや」の枕詞を生んだと考えられる。

 事実、万葉集にそのありさまを詠んだ歌がある。「(天平)五(733)年癸酉(きいう)、草香山を越えし時に、神社忌寸老麿(かみこそのいみきおゆまろ)の作れる歌二首」という題詞をもつ歌の2首目は、「直越(ただごえ)の/この道にして/押し照るや/難波の海と/名づけけらしも(巻六、977)」と歌っている。

 「直越」とは難波と大和を結ぶ草香山越えの道のことで、生駒山の北側にある。歌意は、直越のまさにこの道で、「押し照るや難波の海」と名付けたに違いない。見事なものではないか、一面に照り輝く海がはるかかなたに延びるこの眺めは、である。

 「難波の海」には、眼下の草香江の淡水の湖も含まれていると見てよい。この時代の「海」は、琵琶湖を「淡海の海」と呼んだように、淡水湖も含んでいる。草香山からは、足元の草香江が約10キロメートルにわたって森ノ宮まで延び、その先、上町台地の向こうには大阪湾がある。それは「押し照る」水の壮大な眺めであっただろう。

 記紀万葉の歌謡から推し量って、畿内には二つの絶景の地があった。一つは、「やまとは 国のまほろば/たたなづく/青垣/山ごもれる/やまとし美し」と歌われた、山々に囲まれる大和の盆地である。もう一つは、「押し照るや」と形容される、東西の海に挟まれる難波である。一方は「青山四周」(『日本書紀』の中の言葉)の山の都、もう一方は水の都。古代の二つの都が、山と海という異なる絶景からなっていたのは、「大八島国」(『古事記』にある日本国の古称)にいかにもふさわしいことであった。

 (やぎ・たかまさ、堺市南区)

2279名無しさん:2016/05/18(水) 22:28:39 ID:X9XwLnxc0
講談の名跡「玉田玉秀斎」、旭堂南陽さん襲名
2016年05月18日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160518-OYO1T50014.html?from=oyartcl_blist

97年ぶり復活

講談師の旭堂南陽(きょくどうなんよう)さん(39)が17日、大阪市内で記者会見し、上方講談の名跡・玉田玉秀斎(ぎょくしゅうさい)の四代目を襲名することを明らかにした。名跡復活は明治・大正期に活躍した三代目以来、97年ぶりとなる。

 三代目は、講談「真田十勇士」などを完成させ、その口演は当時人気を博した講談本シリーズ「立川文庫」にも収録された。南陽さんは大阪市出身。2001年に四代目旭堂南陵(当時・小南陵)さんに入門した。

 旭堂南陵さん一門の小二三(こふみ)さん(40)も五代目旭堂小南陵を襲名。2人の襲名披露興行は11月25日、国立文楽劇場で行われる。

2016年05月18日

2280名無しさん:2016/05/20(金) 04:31:57 ID:8YlCwJ3c0
諸神事復興、5千発奉納花火を ネットで資金募る
2016年5月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160519/20160519036.html

 天神祭花火実行委員会は、インターネットで資金を募るクラウドファンディングで協賛金の募集を始めた。4千発だった奉納花火を5千発にしようと昨年初めて取り組んで達成。同規模の花火の継続に挑戦する。今年は途絶えていた神事の復興も掲げており、呼び掛けにも熱が入っている。

事業名は「天神祭の諸神事を復興し5千発の奉納花火を打ち上げたい」。募集は専用サイト「READYFOR(レディーフォー)」で行い、7月15日までに350万円が集まれば達成となる。

 昨年、日本三大祭りの一つ天神祭の奉納花火を盛り上げようと企画し、成功。今年は同規模の花火打ち上げに挑むとともに、神事の一部の復興も掲げた。

 天神祭は、都心部の川を船団が行き交う「船渡御(ふなとぎょ)」が目玉の一つ。しかし、長年続いてきた経済の低迷を受けて運営が逼迫(ひっぱく)し、一部を取りやめてきた経緯がある。

 数年前には、神に舞をささげる「神楽船」が削減された。また、江戸時代中期から続き、船上でかがり火をたく「大篝船(おおかがりぶね)」も昨年協賛企業の撤退が決まり、文字通り「天神祭の歴史の火」が消えようとしているという。

 そこで奉納花火とともに船の運営費も募集することにした。

 資金提供者には、金額に応じて「大篝船」を描いたハンカチや、天神祭で登場する「御迎人形」の一つ「羽柴秀吉」を模した人形、間近で花火を楽しめる拝観席の券などを贈る。

 大阪天満宮の寺井種治権宮司は「大阪の元気を象徴する祭りをよりよい形で次代に継承するため、力をお貸しいただければ」と呼び掛けている。

2281名無しさん:2016/05/22(日) 22:57:15 ID:8MnbtYw20
小二三さんが旭堂小南陵を襲名 女性は史上初
2016年5月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160518/20160518031.html

 大阪講談協会は17日、旭堂小二三さん(40)が5代目旭堂小南陵を、旭堂南陽さん(39)が4代目玉田玉秀斎を襲名すると発表した。小二三さんと南陽さんは、協会長の4代目旭堂南陵さん(66)の弟子で、11月25日に大阪・国立文楽劇場で合同の襲名披露を行う。

小南陵は過去3回南陵を継いだ出世名で復活は9年ぶり。女性が襲名するのは史上初となる。玉秀斎は3代目が病没以来97年ぶりの襲名。玉田一門は京都・神道系講釈師の系統で、長く廃絶していた関西講談界の名門が復活する。

 小二三さんは「師匠に『賞を取ったやつに小南陵をやる』と言われ、一念発起して文化庁芸術祭新人賞を頂いた。さらに精進して、一門を代表するような講談師になりたい」と神妙。南陽さんは4年間続いた本紙コラム「ぶらりさんぽ」の連載を4月に終えたばかり。「区切りの時期に大きな名跡をいただき緊張している。復活した玉田一門の名に恥じないよう精進します」と約束した。

 南陵協会長は「女性講釈師に対する講談界の反発は根強いが、腕前さえ上げてくれれば男女で区別はしない。玉田一門は明治時代に一世風びした流派。名門復活を機に、基本を重んじながら新たな芸風を築いてほしい」とエールを送った。

2282名無しさん:2016/05/26(木) 04:32:32 ID:Du4lZ6zo0
閻魔さんに幸せ願う 長寳寺で市無形文化財行事
2016年5月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160524/20160524041.html

 閻魔(えんま)大王に家内安全や健康などを願う「閻魔さんの日」が平野区平野本町3丁目の長寳寺(ちょうほうじ)(西脇慈容住職)であり、多くの参拝客でにぎわった。

同寺は、本尊の十一面観音と共に閻魔大王を祭っており、年に1度、秘仏である本尊の公開に合わせ、閻魔大王に御利益を願う「閻魔さんの日」を行っている。行事は大阪市の無形文化財、同寺に伝わる閻魔大王の御宝印は有形文化財に指定されている。

 今年も18日に行われ、西脇住職らが、十一面観音と五色のひもで結ばれた仏具で参拝者の額や肩、手をなでて縁を結び、祈願書に御宝印を押した。「大王の証判(印)を持つ者は地獄に落ちない」という言い伝えがあり、府内はもちろん、関東などからも多くの人が参拝。同区宮町の主婦(71)も「気持ちが落ち着くので毎年、お参りしています。ありがたいことです」と穏やかな表情で話していた。

 西脇住職の講話もあり、参拝者は「この世では、辛(つら)いこと、嫌なことが地獄、楽しいことが天国になります。地獄になるか、天国になるかは、皆さんの思い一つ」という話にじっと耳を傾けていた。

2283名無しさん:2016/05/28(土) 20:23:35 ID:8uhDJfXM0
「大阪を歌舞伎の拠点に」 五代目中村雀右衛門さん
2016年5月27日 12:40

 3月に女形の大名跡を襲名した歌舞伎俳優の五代目中村雀右衛門さん(60)が27日、大阪松竹座(大阪市)で7月3〜27日に行われる襲名披露公演を前に、吉村洋文市長を表敬訪問し「大阪が歌舞伎の拠点として根付いていくよう、少しでもお役に立てれば」と抱負を語った。




 雀右衛門さんは、2012年に91歳で死去した人間国宝の四代目雀右衛門さんの次男で、1964年に七代目中村芝雀を襲名。時代物のお姫さまから世話物の女房まで演じられる芸域の広さに定評がある。

 吉村市長は「大阪を世界都市として盛り上げるためにも、ごひいきにお願いします」と笑顔で話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160527/20160527050.html

2284名無しさん:2016/05/31(火) 03:50:28 ID:Grix4ouw0
ぜいたくな時間 天王寺七坂スタンプラリー体験
2016年5月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160529/20160529026.html

 大阪市天王寺区の七つの坂「天王寺七坂」の魅力や歴史を伝えるスタンプラリー。寺が集まる町並みの石畳や新緑の下を歩きつつ、スタンプを押して「御利益」を集めていく。登場から4年たつが、チェックポイントには放映中の大河ドラマにまつわる神社もあると聞き、本紙記者(35)が実際に歩いて魅力を探った。

スタンプラリーは、「てんのうじ観光ボランティアガイド協議会」(山口和子会長)のメンバー、柳原勝さん(84)が2011年秋から準備を進め、12年5月に始まった。

 生玉真言(いくたましんごん)坂、源聖寺(げんしょうじ)坂、口縄(くちなわ)坂、愛染坂、清水(きよみず)坂、天神坂、逢坂が並ぶ一画は約50の寺が集まる。戦国武将・真田幸村戦死の碑がある安居神社や、「ベルリンの壁」の一部が境内にある統国寺、市内唯一の「玉出の滝」がある清水寺など、見どころがいっぱいだ。

 スタンプラリーはどこから始めてもいいが、記者は北側に位置する生玉真言坂からスタートした。

 近くの生國魂神社がスタンプ設置場所。生國魂造りと呼ばれる建築様式が珍しい。淀姫がデザインされたスタンプを台紙に押し、石畳と白壁の風情ある源聖寺坂へ。歩いているうちに坂は急勾配に。昼休憩と思われる男性作業員が階段を駆け上がりトレーニングしていた。

 坂が蛇のように見えることから名付けられた口縄坂。「口縄」は「蛇」を示す言葉で、坂の下から見上げるとまさに大蛇のよう。南進し愛染坂の愛染堂には、豊臣秀吉が1597年に再建したといわれる多宝塔があり、スタンプ設置場所になっている。

 押印していた兵庫県三田市の野口裕久さん(64)に声をかけると「スタンプラリーが大好き。七坂めぐりは自然豊かで静かな雰囲気が良いですね」と笑顔だった。

 緩やかな石畳の清水坂にある清水寺は通天閣が望める高台からの見晴らしが魅力。天神坂を下ると、参拝客が後を絶たない安居神社。真田の六文銭が記された絵馬には、大学受験合格など“戦”に挑む人たちの思いが書かれていた。

 かつては急な坂で荷車が坂を登りきれず、荷車を押す「押屋」と呼ばれる人がいたという逢坂の一心寺で全てのスタンプがそろい、完歩証をもらった。

 千日前通から国道25号までの南北約1・5キロの範囲で、完歩するのに約2時間。谷町筋から一歩入った閑静な寺町を歩くと、すがすがしい気持ちに包まれる。柳原さんは「静かな時間と歴史散歩が楽しめる」と強調。都会の騒々しさからしばし離れ、ぜいたくな時間を堪能してはいかがだろう。

2285名無しさん:2016/06/02(木) 04:22:29 ID:zAaEQwuY0
六代目豊竹呂太夫を襲名へ 文楽の豊竹英太夫さん
2016年5月31日 23:39
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160531/20160531150.html

 国立文楽劇場(大阪市)は31日、人形浄瑠璃文楽太夫の豊竹英太夫さん(69)が来年4月に六代目豊竹呂太夫を襲名すると発表した。

 英太夫さんは大阪府出身。1967年に竹本春子太夫さんに入門し、時代物などを得意としている。

 襲名披露は来年4月に国立文楽劇場、翌5月に東京の国立劇場で。

2286名無しさん:2016/06/04(土) 18:28:15 ID:0kfUCQtw0
天神祭本宮祭平日開催 人出、十数万人増も
2016年6月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160604/20160604037.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は3日、今年の天神祭は奉納花火のある本宮祭(7月25日)が月曜に当たり、昼間の人口が昨年の土曜よりも増えるため、人出が数万人から十数万人増える見込みを示した。前日の宵宮祭と合わせて135万人前後と予想。安全な運営に向け、警備体制や交通規制への対応を警察などと調整していく。

天神祭は、昼間人口の多い大阪市内中心部で行う。例年24日に宵宮祭、25日に本宮祭を開いており、曜日は年ごとに変わる。土日休日以外に奉納花火がある場合、仕事帰りの会社員らが立ち寄るなど、人出が増える傾向があるという。

 この日、大阪市北区の大阪天満宮で協賛会と警察、警備会社による担当者会議が開かれ、対応を協議。警察関係者が交通規制関連の説明をし、警備会社は人員の増員や車道の無理な横断を防ぐ手だてについて方針を示した。

 大阪天満宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)は、安全な実施に向け「密に連絡を取り対応していきたい」と話していた。

2287名無しさん:2016/06/04(土) 20:21:23 ID:0kfUCQtw0
ぜい尽くした150点…大阪くらしの今昔館で「船場花嫁物語」展
http://www.sankei.com/region/news/160529/rgn1605290058-n1.html

戦前の大阪・船場の豪商が調えた花嫁支度の品々を集めた企画展「船場花嫁物語」が28日、大阪市北区の大阪くらしの今昔館で始まった。振り袖や帯、かんざしといった花嫁衣装をはじめ、美しい刺繍(ししゅう)が施された袱紗(ぶくさ)や装身具などぜいを尽くしたものばかりで、会場は華やかな雰囲気に包まれている。6月26日まで。

 同展は、昭和14年に船場の商家、廣野家が娘のカツさんのために用意した花嫁道具約150点を展示して、古き良き船場の文化を知ってもらおうと企画された。これらの品々は戦火を免れ、家族が大切に保管してきたといい、結納や荷飾りの様子を撮影した当時の写真も公開されている。

 そのなかでも目を引くのが着物類。礼装から日常着まで季節に合わせて膨大な数に及ぶ。黒地に鳳凰(ほうおう)など吉祥を意味する図柄が描かれた豪華な「松竹梅橘吉祥円紋黒振袖」は、後にカツさんの孫娘たちが結婚式を挙げた際に着用したという。

 このほかにも、桐に透かし彫りなどの精緻な装飾を施した桐だんすなどもあり、当時の大阪文化の豊かさを伝えている。

 所蔵者でカツさんの長女、佐野恵美子さん(69)は「母は着物が大好きで、ほとんど洗い張りをして大事にしていました。日本の伝統工芸や着物文化の魅力に触れてもらえれば」と話している。

 問い合わせは大阪くらしの今昔館(電)06・6242・1170。

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2288名無しさん:2016/06/20(月) 03:33:53 ID:uJReOkpM0
歴史ロマン 歩いて体感 大阪シティウオーク2016
2016年6月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160617/20160617033.html

 大阪市は、戦国時代から昭和までの歴史をテーマにしたコースを歩くイベント「大阪シティウオーク2016」をスタートさせた。参加者たちは市内の名所や史跡を訪ねながらウオーキングを楽しんでいた。

都市の魅力を再発見してもらおうと3年前から実施。本年度は「大阪歴史ロマン」をテーマに計5回開く。今回初めて外国人観光客に対応したガイド付きのコースも設けた。

 初回の12日は、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で脚光を浴びた明治の実業家、五代友厚の像が建つ大阪商工会議所や大阪取引所をはじめ、都心部の近代建築を回るコースで実施。約13キロと約7キロの2種類を用意した。子どもから高齢者まで参加。それぞれのペースで街中をめぐってゴールし、「完歩証」やオリジナルバッジを受け取っていた。

 市担当者は「マイペースで大阪の魅力を楽しんでもらえれば」と話していた。

 今後の日程とテーマは次の通り。

 9月19日「水都大阪・リバーウオーク」▽10月2日「インバウンド対応ガイドコース」▽11月27日「大坂の陣・徹底ウオーク」▽2017年3月12日「住吉大社から平野郷をウオーク」

 問い合わせは電話06(6205)0818、事務局。

2289名無しさん:2016/06/25(土) 01:00:05 ID:vkpMeMFg0
高山右近、来年2月大阪で列福式 戦国時代のキリシタン大名
2016年6月23日 20:19
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160623/20160623116.html

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近が、カトリックで最高の崇敬対象とされる「聖人」に次ぐ地位の「福者」に認定される儀式「列福式」が来年2月7日、大阪城ホール(大阪市中央区)で開かれることが決まった。日本カトリック司教協議会が23日、明らかにした。

 同協議会は、右近が大名の地位を捨てて信仰に命をささげたとして、福者に認定するようローマ法王庁(バチカン)に申請。列福式には列聖省のアマート枢機卿が派遣される。

 大阪で生まれた右近は父の影響で洗礼を受けた。

2290名無しさん:2016/06/25(土) 20:41:51 ID:Nb9lgvLw0
古墳群を世界遺産に
06月25日 18時37分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20160625/3396741.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産に登録してもらうために地元の住民ができることを学ぼうという集いが堺市で開かれました。
大阪の堺市、羽曳野市、それに藤井寺市にまたがる「百舌鳥・古市古墳群」は、再来年の世界文化遺産への登録を目指しています。
25日は古墳群を世界遺産にするため住民でできることを考えようと地元の人たちが集いを開き、およそ400人が集まりました。
このなかで、世界遺産に登録された長崎の「旧グラバー住宅」があるグラバー園の名誉園長、ブライアン・バークガフニさんは、「地元で古くから親しみを持って守り続けられている古墳群の価値をどう伝えていくかが大切だ」とアドバイスしました。
世界文化遺産への登録をめざすのは、ほかにも▼「北海道・北東北の縄文遺跡群」や、▼新潟県の「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」、▼「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」があり来月下旬ごろ日本からユネスコに推薦される候補地が1か所に絞り込まれます。
集いを開いた市民の会の会長で堺商工会議所の前田寛司会頭は、「市民一体となって機運を高め、なにがなんでも、ことしの国内推薦を勝ち取りたい」と話していました。

2291名無しさん:2016/06/28(火) 12:38:49 ID:x58mt6gk0
天神祭の魅力完全収録 大阪天満宮などDVD作製
2016年6月28日
 大阪天満宮(大阪市北区)などは、日本三大祭りの一つ天神祭の魅力をまとめたDVDを作製した。祭りの打ち合わせの段階から、都心部の川を船が行き交う本宮祭当日の様子まで一連の流れを紹介。売り上げは祭りの運営資金に充て、今後の発展に生かすという。

千年を越える歴史を誇る天神祭については、7月25日の本宮祭に合わせた奉納花火や、船渡御の露出度が高いものの、七夕の日に開かれる祭りなど、毎年多彩な関連行事を展開。関係者らは事前に何度も会合を開いて、より安全で盛大な開催を目指している。

 DVDでは2011〜15年の5年間を対象に、事前の準備段階から各種行事の様子まで収録。万力康司権禰宜(ごんねぎ)は「天神祭の全てを完全収録しており、各シーンをご理解いただける」と出来栄えをアピールしている。

 33分。3千円。7月15日から大阪天満宮境内の授与所で購入できる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160628/20160628027.html

2292名無しさん:2016/06/30(木) 04:13:46 ID:LD9amo960
「愛染祭」地下鉄でお越しを 愛染娘ら呼び掛け
2016年6月28日
 30日から天王寺区夕陽丘町の愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)(山岡武明住職)で大阪の夏祭りの幕開けを飾る「愛染祭(まつり)」が始まるのを前に、地下鉄長堀橋駅(中央区島之内1丁目)構内で「公共機関をご利用くださいキャンペーン」があった。一般公募のキャンペーンガール「愛染娘」らが駅利用者に「地下鉄で来てね」と笑顔で夏祭りの到来を告げた。

キャンペーンは市交通局の賛同を得て22日に実施。“愛染さん”の愛染祭は参詣者が年々増える一方、近年は迷惑駐輪が顕著となっていることから、山岡住職が対策とPRを兼ねて企画した。

 ポスターやのぼりなどで飾られた構内では、ゆかた姿の愛染娘に交じって駅員も参加。乗客や地下街を行き交う人々にチラシを手渡して協力を呼び掛けた。

 愛染娘の青山奈里香さん(26)、葉山夢さん(21)は「最寄り駅の四天王寺夕陽ケ丘駅から徒歩2分という便利な場所なので、ぜひ地下鉄でお越しください」「愛染娘が笑顔でお待ちしています」と話していた。愛染祭は7月2日まで。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160628/20160628030.html

2293名無しさん:2016/07/01(金) 00:49:55 ID:9a1rQBBY0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」始まる
更新:06/30 20:30

無病息災を祈願して約1400年前に始まった「愛染まつり」が大阪・天王寺区で始まりました。

 初日の6月30日は、「宝恵かごパレード」が行われ、色鮮やかな駕籠に乗せられた12人の愛染娘が天王寺公園前から愛染堂・勝鬘院まで練り歩きました。

 中には、こんな「べっぴんさん」も・・・

 「ベトナムから来ました。楽しかったです。」(ベトナム出身の愛染娘)

 「愛染まつり」は7月2日まで開かれています。

http://www.mbs.jp/news/kansai/20160630/00000065.shtml

2294名無しさん:2016/07/06(水) 09:00:32 ID:T7zJUrN20
浴衣姿の歌舞伎役者に歓声、大阪 船で川巡る初夏の風物詩
2016年6月29日 18:05

 歌舞伎役者が船で川を巡る初夏の風物詩「船乗り込み」が29日、大阪市内で催され、襲名披露の中村雀右衛門さんをはじめ、片岡仁左衛門さんら浴衣姿の人気役者に歓声が上がった。

大阪松竹座の「七月大歌舞伎」をPRする恒例行事。雨が降る中、役者らは同市中央区の船着き場「八軒家浜」から船に乗り込んだ。船はゆっくりと航行し、川岸や橋の上に集まったファンから「京屋!」「松嶋屋!」などと声が掛かると、傘を差した役者らが手を振って応えた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160629/20160629096.html

2295名無しさん:2016/07/06(水) 09:06:58 ID:T7zJUrN20
「不落(おちない)」兵糧米が受験生らに人気 楠木正成ゆかりの地、大阪・千早赤阪村
南北朝時代の武将・楠木正成ゆかりの地、大阪府千早赤阪村で販売されている合格祈願の「正成公御兵糧米(まさしげこうおんひょうろうまい)」が、就職活動を迎えた学生や受験生の人気を集めている。

 「日本の棚田百選」にも選ばれた下赤阪の棚田(同村)で収穫された米150グラムを詰めたもので、副題は「不落(おちない)千早城」。鎌倉幕府の大軍を前に落城しなかった正成築城の千早城にあやかったものだ。

 扱っているのは同村内で飲食業などを手がける「金剛山麓まつまさ」。正成が倒幕を掲げる後醍醐天皇に応じて挙兵、籠城戦に耐え抜いた話にちなんで、千早城跡にある千早神社で収穫米をおはらいし、平成25年から販売を始めた。一袋千円だが、縁起がいいと受験生らに注目され、これまでに1500袋が売れた。

 同社の松本公成社長(43)は「『兵糧米』を通じて正成公の名声が広まってくれるのは、うれしいことです」と話している。

http://www.sankei.com/west/news/160706/wst1607060026-n1.html

2296名無しさん:2016/07/06(水) 10:46:16 ID:T7zJUrN20
「五代友厚一色に」 船渡御で、関係者ら意欲
2016年6月29日
 NHK連続テレビ小説「あさが来た」で脚光を浴びた明治の実業家五代友厚が、日本三大祭りの一つ天神祭でも存在感を示しそうだ。都心部の川を船が行き交う船渡御におととしから登場している「五代友厚船」。今年は世間の盛り上がりを受けて例年以上に企画に力が入っており、関係者は「彼一色にしたい」と意気込んでいる。




 同船は、大阪の中小企業の社長らでつくる市民団体「なにわ文化サポーター倶楽部」が出航。五代の生きざまを映画化しようと弁護士が立ち上げたプロジェクトの関係者と連携して取り組んできた。五代もかつて天神祭に参加したという。

 当日は、源八橋東詰の大川沿いに停船。五代と血縁関係のある人や、ゆかりのある企業関係者を招くほか、出身地の鹿児島県にちなんだ食事や酒を振る舞い、彼をテーマにした講談やパネル展示を行う。

 同倶楽部の中本敦士代表は「五代さんに成り代わって大阪の元気を発信したい」と意欲を示し、船長を務める不二建物の近藤潔社長は「大阪の未来のために滅私奉公した人生を将来に伝えていければ」と意気込んでいる。

 問い合わせは携帯電話090(8231)9251、五代友厚プロジェクト。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160629/20160629022.html

2297名無しさん:2016/07/06(水) 11:02:20 ID:T7zJUrN20
中国語、ハングル版追加 天神祭パンフ
2016年7月1日
 大阪観光局は、天神祭を見に訪れる外国人観光客に対応しようと、中国語とハングルで表記した案内パンフレットを作製した。従来は日本語と英語の2種類だけだった。




 同局は例年、24日の宵宮祭と25日の本宮祭を紹介したパンフレットを製作。伝統衣装に身を包んだ一団が都心部を練り歩く陸渡御や、約100隻の船団が大川を行き交う船渡御の様子を詳しく紹介している。

 昨年までは日本語と英語だけだったが、アジア圏からの外国人観光客が増加し、天神祭を見学する人も増えているとして、2カ国分を増やした。

 パンフレットは、大阪天満宮(大阪市北区)の境内をはじめ、大阪市の観光案内所や外国人観光客が多い一部の施設で配布する。

 同局地域素材開発担当の松本浩一課長は「できるかぎり母国語に近い形で天神祭を理解してもらえれば」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160701/20160701048.html

2298名無しさん:2016/07/06(水) 11:23:48 ID:T7zJUrN20
江戸時代のちょうちん再現 OAPで展示始まる
2016年7月2日
 日本三大祭りの一つ天神祭に合わせ、大阪天満宮の氏地で江戸時代に飾られていたちょうちんが再現され、大阪市北区の大阪アメニティパーク(OAP)で1日、展示が始まった。各町の独自性があふれる計28種類が勢ぞろい。わざと読めない字を書き、参拝者と住民の対話のきっかけにしていたという「おもてなし」の文化が体感できる。31日まで。入場無料。



 OAP開業20周年を記念し、テナント会が大阪天満宮などと連携して実施した。

 大阪天満宮文化研究所研究員の高島幸次・大阪大招聘(しょうへい)教授によると、各町が掲げた「お祭りちょうちん」の役割は大きく三つ。足元を照らす「照明」と、神にささげる「献灯」に加え、各町があえて難解な字を書いて、参拝者が住民に意味を聞く形で会話が始まる「コミュニケーションを誘発する装置」の役割があったという。

 会場では、てん書で「夜燈(やとう)」と書かれていたり、草書や隷書で「献燈」と書き込まれていたりと、多彩なちょうちんを展示。27張は江戸時代の再現で、一つはOAP開業を受けて1998年に誕生した。

 OAP事務局の飯守将平・三菱地所プロパティマネジメント主査は「地元に根ざした取り組みで天神祭のにぎわいに貢献できれば」と来場を呼び掛けている。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160702/20160702036.html

2299名無しさん:2016/07/08(金) 04:30:06 ID:.HUxyLJw0
「天神祭月間」機運高まる 祭り料理で盛り上げ意欲
2016年7月7日
 大阪天満宮の寺井種伯宮司と天神祭渡御行事保存協賛会の尾崎裕会長(大阪商工会議所会頭)は6日までに、大阪市北区の大阪天満宮で大阪日日新聞のインタビューに応じ、天神祭を七夕から本宮祭までの19日間と位置付け、「期間中にさまざまな催しを展開して盛り上げることが大切」などと意見交換した。寺井宮司は来年以降、祭りの時期に振る舞われる料理をテーマにしたキャンペーンを実現させる意向を示した。



 天神祭は日本三大祭りの一つとして知られ、24日の宵宮祭と25日の本宮祭の関連行事が有名。室町時代には天神祭を七夕の日に行った記録がある点を踏まえ、近年は7日を天神祭の開始日とし、25日まで「天神祭月間」として盛り上げようとする機運が関係者の間で高まっている。

 期間中は例年、七夕関連の行事をはじめ、ヨットレースや京都・伏見の酒の奉納など多彩な催しが開かれている。

 尾崎会長は、インターネットを活用した発信の重要性を指摘した上で「単発よりも一定期間ある行事のほうが打ち出しやすい。プレゼンテーションのやり方次第でいろいろなことができるのではないか」と語った。

 寺井宮司は「夏祭り気分を満喫してもらえることをやっていきたい」と強調。その一つとしてハモやタコ、魚のすり身を油で揚げた「白天」といった伝統的な祭り料理を地元飲食店が扱うキャンペーンに意欲を示した。関係者に協力を求め、早ければ来年の実施を目指す。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160707/20160707029.html

2300名無しさん:2016/07/09(土) 02:34:25 ID:uA3u27O20
七夕神事で幕開け 天神祭「月間」行事 多彩に
2016年7月8日
 天神祭の幕開けを告げる七夕の神事が7日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われ、19日間に及ぶ「天神祭月間」がスタートした。今年は、江戸時代に氏地で飾られていた「お祭りちょうちん」が再現され、地域の施設で展示されているほか、25日の本宮まで多彩な恒例行事が各地で繰り広げられ、浪速の夏を盛り上げていく。


ササと鈴を手に神楽を披露したみこ=7日午後、大阪市北区の大阪天満宮

 「天神祭月間」は、室町時代に天神祭を七夕の日に行った記録がある点を踏まえ、7日を天神祭の開始日とし、船渡御や奉納花火のある25日まで祭りを盛り上げようと関係者らが打ち出している。

 この日、大阪天満宮は本殿で天満天神七夕祭の神事を行い、寺井種伯宮司の祝詞の後、2人のみこがササと鈴を手に神楽を披露。参列者らは願い事を書いた短冊を奉納した。

 天神祭を支える講社連合会の宗石剛会長は「これから夏本番を迎えるが、関係者一同、元気で盛大に祭りを行っていけるように励んでいきたい」と話していた。

  ◇    ◇

 宵宮、本宮までの主な行事は次の通り。

 大阪アメニティパーク(大阪市北区)で「お祭りちょうちん」の展示。31日まで▽9日午後2時半から大阪天満宮(同)で「青葦(あおよし)奉納式」▽22日午後7時半から北新地地区(同)で「天神祭北新地巡行」▽23日正午ごろから天神橋筋商店街(同)でギャルみこし巡行▽23日午後5時から大阪ビジネスパーク(中央区)で「OBP天神祭前夜祭」

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160708/20160708027.html

2301名無しさん:2016/07/09(土) 21:58:17 ID:46dRe3lQ0
大阪・生國魂祭、初の平日「渡御」 府警難色も警備員配置など協議実る
 7月12日に生國魂(いくくにたま)神社(大阪市天王寺区)で行われる「生國魂(いくたま)祭」の中心神事で、氏子ら約500人が大通りを練り歩く「渡御(とぎょ)」が、平成26年に往時の形に復活させて以降、初めて「平日」に実施されることになった。26、27年はいずれも「休日」に行われていたが、今年は12日が平日にあたるため、大通りの交通規制に府警が難色を示し、実施が危ぶまれていた。神社側が警備員を独自に配置するなどして協議を進めた結果、実施にこぎ着けた。

 生國魂神社は「いくたまさん」の愛称で知られる大阪最古の神社。毎年7月11、12の両日に行われる生國魂祭は、天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭の一つに数えられる。疫病を鎮めるため、平安時代から始まった「夏越(なごし)の祓(はらえ)」がルーツとされ、江戸時代ごろから祭りになった。今では夏の風物詩として知られ、12日には、氏子らが神社から大阪城まで練り歩く。

 渡御は戦後70年の節目を前に26年、往時に近い形で復活。今年が初の平日にあたるため、府警は当初、平日に大規模な通行止めを実施した前例がないとして難色を示していたが、神社側が渡御の巡行順路や警備員の配置図、交通規制の実施予定時刻などをまとめた「警備計画書」を作成して協議を進め、府警の了解を取り付けた。当日午前9時半〜午後5時半、神社周辺と谷町筋で交通規制を行う。中村文隆権禰宜(ごんねぎ)(40)は「今後も渡御を永続させ、地域文化を継承していきたい」と話している。

http://www.sankei.com/region/news/160702/rgn1607020073-n1.html

2302名無しさん:2016/07/13(水) 21:49:09 ID:Y61B2Lac0
暑さ吹き飛ばすお練り 「生国魂祭」にぎやか宵宮
2016年7月12日
 大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)の「生国魂祭」が11日、宵宮で幕を開けた。獅子舞やみこし、布団太鼓が氏地へ繰り出し、勇壮華麗な姿で伝統の夏祭りの到来を触れて回った。



 奉仕する氏子崇敬者は本殿でおはらいを受けた後、同神社特有の手締め「いくたま締め」を交わしてにぎやかに宮出した。

 大阪管区気象台によると、この日の大阪市の最高気温は8月上旬並みの33・7度まで上昇。奉仕者は暑さを吹き飛ばすような勢いで、区内や中央区の氏地でお練りを繰り広げ、日暮れに宮入りした後も、多くの参拝者が見守る境内で勇壮華麗な所作を披露した。

 子ども約150人が参加した「いくたま子供獅子」は今春から練習を開始し、祭り直前の集中練習を終えて参加。指導者の村田弦さん(34)は「万全の態勢で臨み、昨年を上回る良いお祭りにしたい」と息を弾ませた。

 本宮(12日)では陸渡御が行われ、約500人からなる壮大な渡御列が同神社本来の鎮座地である大阪城を目指す。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160712/20160712024.html

2303名無しさん:2016/07/20(水) 12:00:24 ID:LqSzuzew0
お米しっかり守ってね 住吉大社でアイガモ農法
2016年7月20日
 住吉大社(大阪市住吉区住吉2丁目、高井道弘宮司)の境内に広がる御田(おんだ)(御神田)で今年も恒例のアイガモ農法がスタートした。愛らしいひなたちは、6月14日の「御田植(おたうえ)神事」(重要無形文化財)で奉仕者が植えた苗の間をすいすいと往来。雑草や害虫を食べる“仕事”ぶりが参拝者ら多くの人々の注目を集めている。


御田でアイガモの放鳥を体験する園児

 御田(約20アール)でのアイガモ農法は約20年前から実施。数年前からは地元幼稚園が農業の一端に触れることのできる機会として参加している。11日に約20羽の放鳥があり、区内の市立墨江幼稚園(大倉有紀園長)から園児約30人が訪れた。

 興味津々の園児たちは生後2週間のひなを代わる代わる抱え上げて大はしゃぎ。「頑張って」「しっかり虫を食べて」などと声を掛けながら広い御田に放った。

 同大社では2013年度から近隣の幼稚園、小学校に御田のかかしを制作してもらう「住吉かかしプロジェクト」に取り組んでいる。担当者で同大社権禰宜(ごんねぎ)の岡康史さんは「身近にある御神田を訪れて、日頃自分たちが食べているコメができる過程を見ていただきたい」と期待を込める。

 大倉園長は「子どもたちの心に残る大事な取り組み。食育にもつながる貴重な体験ができた」と笑顔で話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160720/20160720033.html

2304名無しさん:2016/07/25(月) 04:37:33 ID:a1xhaCmU0
天神祭前夜祭 会場熱気あふれ 大阪ビジネスパーク
2016年7月24日
 天神祭(24日宵宮、25日本宮)をハイライトで楽しめる「天神祭前夜祭inOBP」(実行委員会主催)が23日、大阪市中央区の大阪ビジネスパークで開かれた。渡御などに参列する各講社は伝統の舞や演奏などで会場を熱気で包み込んだ。


吹き抜けの会場で踊りの輪を広げる菅公会=23日午後、大阪市中央区のツイン21

 1986年から続くイベントで、今年は第31回。地域住民や会社員らが“祭りの心と力”に触れられる場にしようと大阪ビジネスパーク協議会と大阪天満宮が実行委となって取り組んでいる。

 今年もツイン21で本式にのっとった清祓(きよはらい)式の後、太鼓中、地車講、天神講獅子、菅公会が登場。太鼓中は祭りの花形「催(もよおし)太鼓」に奉仕し、太鼓の下に丸太を敷いて大きく揺らして打つ「からうす」を披露。地車講はおはやしに乗せた龍おどり、天神講は獅子舞で、本番とはひと味違う室内会場での祭りを盛り上げた。

 地域の復興を目的に始められた天神踊が母体となり48年に結成された菅公会は、天神祭ばやしに合わせて会場いっぱいに踊りの輪を広げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160724/20160724031.html

2305名無しさん:2016/08/01(月) 00:16:39 ID:6KBKdBAw0
ど田舎ど僻地だった東京に幕府を開いた徳川家康

https://www.youtube.com/watch?v=UsZy6KF8Ypg

2306名無しさん:2016/08/11(木) 04:54:27 ID:HefL02SY0
参詣者続々 先祖を供養 四天王寺「盂蘭盆会」
2016年8月10日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で9日、お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が始まった。無数の献灯灯ろうが飾られる中、多くの参詣者が墓参りなど先祖供養に訪れている。16日まで。


西大門(極楽門)に飾られた無数の献灯灯ろう=9日午前、大阪市天王寺区の四天王寺

 灯ろうは門や諸堂などに奉納。先祖の霊名と清らかなハスの花が書かれ、時折吹き抜ける風に揺れながら人々を迎えている。

 この日の夜から境内に約1万本のろうそくに火をともす「万灯供養法要」(16日まで)が始まり、日中は先祖の霊名を記す万灯ろうそくの申し込みに列ができた。同寺の東門近くで生まれ育った女性(73)=同市生野区=は「万灯ろうそくは、わが家の習わしで、生きている者の務め。今年も亡き夫やおしゅうとめさんらの供養ができ、ひと安心」と笑顔で汗をぬぐった。

 境内・六時堂では観音功徳日にちなんだ「千日まいり」(9、10日)も始まった。古来、両日に参詣すると千日間続けてお参りしたのと同じ功徳を授かるとされることから、大勢が祈願や厄病よけ札の授与に並んだ。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160810/20160810049.html

2307名無しさん:2016/08/13(土) 17:24:06 ID:kD/uDf2s0
伝統芸能「かっぽれ」後世に 普及へ教室開講
2016年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160810/20160810050.html

 滑稽な踊りとして親しまれている「かっぽれ」。その伝承・普及活動に取り組んでいる桜川梅后さん(54)=大阪市浪速区敷津西=は東京から大阪に移住したのをきっかけに先月、カルチャー教室「梅后流かっぽれ」をなんばカルチャービル(浪速区難波中)で開講した。

 かっぽれは、大衆文化を代表する日本の伝統芸能として関心が高まっており、桜川さんは「3代目家元として、母(宗家で初代家元)が築き上げた梅后流かっぽれの種を大阪でまき続けたい」と張り切っている。

 かっぽれは、大阪・住吉大社の御田植え神事の住吉踊りが起源とされ、江戸時代に伊勢神宮(三重県)の参拝者を前に街道で披露する大道芸として広まっていった、という。

 その後、江戸に伝わり、三味線伴奏に乗せて「かっぽれ、かっぽれ」のおはやしに合わせて踊る現在のスタイルが形成され、明治になってお座敷芸の余興として評判を呼んだ。

 桜川さんは母でもある初代桜川梅后さん(1998年に文部大臣表彰、故人)のそばで幼少期から、かっぽれに親しみ、「母とそっくり」といわれる芸を習得。「座敷芸であるかっぽれを、パレードのできる大道芸としても発展させたい」という母の思いを形にしていった。

 浴衣に鉢巻きを締めた粋なスタイルで、老若男女が踊る、かっぽれは、「見ても、踊っても楽しい」と人気を集め、桜川さんは踊り手の中心的存在として、全国各地のイベントに参加。アメリカ、ヨーロッパ各国で開かれる日本文化紹介イベントにも出演している。

 教室はこれまで関東地区を中心に開講。かっぽれを踊る愛好者は全国で4千人といわれているが、大阪での普及はこれから。「基礎を作り上げた初代家元の娘として、かっぽれの楽しさをできるだけたくさんの人に味わってもらえるよう、汗を流していきたい」と目を輝かせている。

 「梅后流かっぽれ」は毎週金曜日の午後0時半から同2時まで開講。問い合わせは電話06(6645)1236、なんばカルチャービル。

2308名無しさん:2016/08/14(日) 04:11:40 ID:K2KRraq60
大阪城で秀吉にささげた踊り再現 市民らが天守閣前広場で
2016年8月13日 19:50

 約400年前、豊臣秀吉の七回忌で人々が踊った「豊国踊り」を再現するイベントが13日、大阪市中央区の大阪城天守閣前の広場であった。あかね色に染まる夕空の下、数百人の市民や観光客が太鼓や三味線の音に合わせて軽やかに舞った。


 大阪城天守閣前の広場で行われた「豊国踊り」を再現するイベント=13日夕、大阪市

 豊国踊りは1604年8月、京都市の豊国神社で行われた七回忌の祭礼のクライマックスで約1500人が踊ったとされる。国の重要文化財「豊国祭礼図☆(尾の毛が併の旧字体のツクリ)風」に当時の様子が描かれている。こうした史料を基に大阪城天守閣の北川央館長らが中心となって踊りを学術的に再現した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160813/20160813111.html

2309名無しさん:2016/08/14(日) 12:44:42 ID:Mu5tK16Y0
輪になり「豊国踊り」 「真田丸」ゆかりの伝統満喫
2016年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160814/20160814049.html

 大阪城天守閣(北川央館長)は13日、大阪市中央区の天守閣前本丸広場で、豊臣家ゆかりの「豊国(ほうこく)踊り」を再現、披露する催しを開いた。当時の資料に沿い、慶長時代に近い形でよみがえった“平成の豊国踊り”を来場者らが楽しんだ。

 NHK大河ドラマ「真田丸」の放映を記念し、主人公真田信繁(幸村)を顕彰する催しの一環。豊国踊りは1604年、信繁が仕えた秀吉の七回忌祭礼で奉納されたと伝わるもので、大蔵流狂言師の茂山千三郎さんが演出、上方舞山村流六世宗家の山村友五郎さんが振り付けを担うなど時代考証を踏まえて昨年再現した。

 特設の舞台では、朝宮真由さんら宝塚歌劇団、美砂まりさんらOSK日本歌劇団のOGが浴衣姿で、三味線の音に合わせてアップテンポな手踊りを披露。観光客も輪に加わり、400年前に思いをはせた。曲芸師の豊来家一輝さんは刃物や皿を用いて放下芸(曲芸)を再現し、会場を沸かせた。大阪城天守閣広報の青木美佐子さん(41)は「市民参加型の催しとして、夏の風物詩に」と期待を寄せた。

2310名無しさん:2016/08/16(火) 11:57:59 ID:RYp.RDoM0
ろうそく見つめ故人思う 四天王寺万灯供養
2016年8月16日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)でお盆行事、盂蘭盆会(うらぼんえ)の「万灯供養」が執り行われている。家族連れなど多くの参詣者が先祖をしのび、ほのかなろうそくの明かりに手を合わせている。16日まで。


無数の万灯ろうそくに照らされる中心伽藍=15日午後、大阪市天王寺区の四天王寺

 五重塔、金堂、講堂が建つ境内・中心伽藍(がらん)では回廊沿いにろうそく台が設けられ、夕刻、先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」に点火。同寺によると15日に点灯された本数は約2万5千本を数え、毎晩、幻想的な明かりが伽藍内を照らす。

 同寺僧侶が般若心経の読経とともに練り歩く法要もなされ、参詣者も続々と僧侶に続く姿が見られた。

 人々は燃えるろうそくを静かに見つめたり、「今年も来たよ」と故人の人柄を思い出したりしながら、思い思いに供養のひとときを過ごしていた。

 万灯供養は日没後から午後9時まで。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160816/20160816049.html

2311名無しさん:2016/08/17(水) 01:31:50 ID:Ug7Y25ck0
大阪文化PRのポスター展 環状線と地下鉄の95駅で 大阪商議所が発表 18日スタート
 大阪商工会議所は16日、大阪の歴史や文化をクイズ形式で紹介する「大阪検定ポスター展」を、JR大阪環状線と大阪市営地下鉄の計95駅で開催すると発表した。大商が平成21年から毎年主催している「なにわなんでも大阪検定」の認知度を高めるとともに、地域の魅力を再発見してもらう狙い。18日から10月5日まで。

 環状線の全19駅と地下鉄の76駅を対象に、駅ごとに異なるポスターを1枚ずつ展示する。クイズは4択形式で、大商に近い地下鉄中央線の堺筋本町駅では、前身の「大阪商法会議所」の初代会頭五代友厚にちなみ、「大阪経済の立役者、五代友厚の功績でないものはどれ?」とした。

 クイズは今回の企画に合わせた新作に加え、大阪検定の過去の出題問題で構成する。大阪らしい派手な色彩のイラストを盛り込み、目につきやすいよう工夫した。

 大商の担当者は「街めぐりを楽しむ気分でポスターを探してほしい」と話している。

http://www.sankei.com/west/news/160816/wst1608160066-n1.html

2312名無しさん:2016/08/18(木) 18:54:37 ID:X9aKZSHA0
歴史散策「一心寺」寄って…無料案内・休憩所
2016年08月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160815-OYTNT50299.html

 ◇「大坂の陣屏風」複製も

 大阪市天王寺区の一心寺そばの同寺所有地に、近隣散策の案内所と休憩所の機能を持つ施設ができた。寺近辺は「大坂の陣」の舞台となっており、観光客をサポートしようと、寺が1年あまりかけて建築。無料で利用できる。大坂の陣の様子を描いた屏風びょうぶも複製され、常設展示されている。

 大坂の陣では、真田幸村や徳川家康が、同寺周辺の茶臼山にそれぞれ陣を張ったとされる。また、今年はNHK大河ドラマ「真田丸」が放映され、観光客が増えていることから、同寺が建築を計画した。

 建物は寺境内の東につくられ、建築面積約250平方メートル、地上3階、地下1階建て。大坂の陣当時に同寺の住職だった「存牟ぞんむ上人」にちなんで、「存牟堂」と名付けた。

 大阪城天守閣が所蔵する重文「大坂夏の陣図屏風」を拡大し、複製した陶板(縦2メートル、横4・5メートル)をつくり、1階に常設。夏の陣当時の幸村や伊達政宗、豊臣秀頼らが確認できる。1階にはベンチも置いて休憩スペースとする。

 2階はギャラリースペースとして活用。3階は備蓄倉庫となっており、災害時用に500ミリ・リットル入りペットボトル1万本分の水を蓄えている。

 先月27日には、関係者や地元住民約60人が参加して法要が営まれ、同寺の高口恭行長老が「社会貢献も念頭に置いている」と建築の理由を説明。来賓の北川央・大阪城天守閣館長は「歴史観光の拠点施設になってほしい」と期待していた。

2016年08月16日

2313名無しさん:2016/08/18(木) 19:07:08 ID:X9aKZSHA0
少年救った将校「父かも」…京橋空襲71年
2016年08月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160813-OYTNT50295.html?from=yartcl_blist

 ◇半田さん 男性の話に心の区切り

 71年前の終戦前日の8月14日、京橋空襲で陸軍将校の父(当時30歳)を亡くした半田江津子さん(74)(栃木県)は戦後間もなく母とも生き別れ、父の最期を知らずに育った。以来ずっと父の足跡を求めてきたが、この夏、空襲の際に将校に助けられたという大阪市内の男性と会い、当時の話を聞いた。「父かどうかはわからないが様子が浮かび、ようやく心の区切りがついた」と特別な思いで14日を迎える。 (浅野友美)

 「お父さんは天国で見守ってくれてますよ」。慰霊塔が立つJR京橋駅南口(大阪市城東区)で先月27日、半田さんは近くに住む高原秀夫さん(83)からそう言葉をかけられ、涙ぐんだ。

 戦時中、半田さんは両親と2歳下の妹と同市旭区に住んだ。父・佐藤武さんは将校として大阪砲兵工廠こうしょうに勤務。写真とクラシックが趣味だった。半田さんが幼い頃、川で流されかけ、父が助けてくれた記憶もあるが、思い出は断片的だ。

 「お父さんは砲兵工廠で亡くなった」。そう聞かされた以外、何もわからず、1945年9月には栃木県の父の実家へ。その後、母と妹は母方の実家に移った。

 家族で一人きりになり「私はこういう宿命」と割り切ることもあったが、父の実家には、父が撮った幼い頃の自分や家族の写真が何十枚も避難させてあり、「こんなにかわいがってくれていたんだ」と感じた。幸せな時間を戦争に断ち切られた悔しさから、父のことをたどるようになった。

 妹もまた父の最期を知ろうと大阪国際平和センター(同市中央区)などに足を運んでおり、妹の様子が6年前、新聞に掲載。その記事を高原さんが見たのをきっかけに、姉妹との間につながりができた。

 高原さんは12歳の時、研修に来ていた工廠内で空襲に遭い、そばにいた将校がとっさに「防空壕ごうに入れ」と叫んでくれたお陰で生き延びた。だが爆撃音がやみ、外に出ると、3人の将校が血を流して絶命しており、その姿に大きなショックを受けた。戦後も空襲のことが頭をよぎると涙が止まらなくなり、体験をほとんど話さなかった。

 半田さんは大阪を訪れて初めて高原さんと対面。「私は全て『忍』の一文字で生きていかなくてはと、諦めたこともあった。高原さんの話を聞き、空襲の様子とともに、父の姿が浮かび、心が前向きになれた」と感謝した。

 高原さんは「家族で一番楽しい時期を奪われた半田さんのお父さんは本当に気の毒だと思う。体験を伝えることができて、私の戦後もようやく終わったような気がする」と話した。

 

 ◆京橋空襲

 1945年3月以降続いた大阪大空襲の第8次空襲。8月14日昼、大阪城東側にあった軍需工場・大阪砲兵工廠が標的となった。工廠内にいた約360人が死亡したとされる。さらに工廠北側の京橋駅にも爆弾が直撃。多数の死者、行方不明者が出た。

2016年08月14日

2314名無しさん:2016/08/23(火) 04:11:14 ID:9RJH9FfI0
間国宝の吉田文雀さんが死去 文楽人形遣い
2016年8月21日 20:22

 人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の吉田文雀(よしだ・ぶんじゃく、本名塚本和男=つかもと・かずお)さんが20日午後9時12分、心静止のため兵庫県西宮市の病院で死去した。88歳。東京都出身。葬儀・告別式は24日午前11時半から西宮市城ケ堀町1の40、公益社西宮山手会館で。喪主は長男宏(ひろし)氏。


 自前の「老女方」の首を持つ吉田文雀さん=2006年4月、大阪市の国立文楽劇場

 最後の舞台となった「花競四季寿」で、関寺小町の人形を遣う人間国宝の吉田文雀さん=2015年1月、大阪・国立文楽劇場(同劇場提供)

 1945年に文楽界に入り、50年、女形の名人として知られた三代目吉田文五郎に入門、文雀を名乗った。人間国宝の吉田簑助さんと並ぶ女形の第一人者で、他にも老人や武士など幅広い役柄を手掛けた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160821/20160821066.html

2315名無しさん:2016/08/29(月) 04:41:29 ID:rOO6C8Rk0
夏よ、さらば 晩夏恒例の「南御堂盆おどり」
2016年8月28日
 浄土真宗の開祖、親鸞の縁日にちなむ晩夏恒例の「南御堂盆おどり」が27日、大阪市中央区の真宗大谷派難波別院(南御堂)で始まり、詰め掛けた市民らが過ぎゆく夏を惜しんでいる。28日まで。


やぐらを囲み、幾重にも踊りの輪ができた境内=27日午後、大阪市中央区の難波別院

 境内が戦災から復興し、1963年に再開して今年で54回目。28日は親鸞の月命日で、前日の8月27日から法要が営まれることもあって難波別院が両日に開いている。

 境内が夕闇に包まれると、やぐらを囲んで浴衣姿の踊り手たちが一斉に手踊りを披露。「江州音頭」や「炭坑節」など全国に伝わる民踊20曲余りを、太鼓や三味線の生演奏と生歌に乗せて軽やかに踊り続けた。

 屋台が並び、「河内音頭が踊れる夏最後の祭り」(担当者)ということもあって毎年千人規模の輪でにぎわう。難波別院の宗正俊主幹(56)は「ぜひ活力にしてほしい」と来場を呼び掛けている。

 午後6時〜同9時半。問い合わせは電話06(4708)3272、難波別院。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160828/20160828025.html

2316名無しさん:2016/09/04(日) 04:42:30 ID:NXguUcI.0
くまモンもポケモンも出現? 「彦八まつり」にぎやかに 大阪・生國魂神社
「彦八まつり」のオープニングには、熊本県PRキャラクター「くまモン」(中央)も駆け付けた=3日、大阪市天王寺区
 上方落語協会(桂文枝会長)のファン感謝祭「彦八まつり」が3日、大阪市天王寺区の生國魂神社(通称・いくたまさん)で開幕した。4日まで。

 上方落語の祖、米沢彦八の功績をたたえ、同神社に顕彰碑を建立したのを機に平成3年から開催。10万人以上を動員する協会最大のイベントとして、今年で26回目を迎える。

 オープニングセレモニーでは、実行委員長で来年秋に「七代目笑福亭松喬(しょきょう)」を襲名する笑福亭三喬さんが獅子舞を披露したほか、熊本県PRキャラクターの「くまモン」も駆け付けた。

 会場では、落語家による約40の屋台やバンド演奏、奉納落語会などに大勢の落語ファンでにぎわった。会長の文枝さんは「会場には結構レアなポケモンもいます。いろいろお楽しみください」とあいさつ。

 4日は、落語家による綱引き大会や鏡開き、NHK大河ドラマ「真田丸」で千利休を演じた文枝さんによるお手前の披露などが予定されている(雨天決行)。

.http://www.sankei.com/west/news/160903/wst1609030052-n1.html

2317名無しさん:2016/09/11(日) 00:18:59 ID:puwbk0BY0
古墳の所有権移転求め提訴 大阪・藤井寺、民間から市へ
2016年9月6日 17:29
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160906/20160906075.html


 大阪府藤井寺市は6日、世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」に含まれる浄元寺山古墳(同市)の墳丘部の所有権を、民間から市に移転するよう求める訴訟を大阪地裁堺支部に起こした。


 大阪府藤井寺市にある浄元寺山古墳(左上の木立)。中央は墓山古墳

 市によると、古墳の墳丘部がある土地(約3300平方メートル)は1983年、登記名義人の孫から市に寄贈したいと申し出があり、市教育委員会が維持管理してきた。

 登記名義人と孫はすでに亡くなり、民法の規定で不動産は20年占有すると時効が発生し所有権を取得したと見なされるが、市の調査で相続人が96人いることが判明。市は所有権移転手続きのため提訴に踏み切った。認められる見通し。

2318名無しさん:2016/09/11(日) 10:00:05 ID:puwbk0BY0
USJに「純国産ホラー」登場 ハロウィーン関連イベント
2016年9月8日 19:58
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160908/20160908112.html

 大阪市の米映画テーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は9日から開催する秋のハロウィーン関連イベントの詳細を8日、パーク内で発表した。日本人形が待ち構える「純国産ホラー」のアトラクションが初登場。家族連れが楽しめるイベントも用意するなど趣向を凝らし、集客増を狙う。

 10日から期間中の毎日開催する「ハロウィーン・ホラー・ナイト」では10のアトラクションをそろえた。「Jホラー・エリア」にある迷路型の「祟 TATARI」では、荒廃した村を舞台に日本人形が来場者を出迎え、「心の底からわき上がるような」(担当者)恐怖体験が味わえる。

2319名無しさん:2016/09/11(日) 10:13:33 ID:puwbk0BY0
上方落語「繁昌亭」10年…138万人笑った
2016年09月11日 09時32分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160910-OYT1T50088.html?from=ytop_main9

 上方落語唯一の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区、216席)が15日、開場から10年を迎える。

 落語家が資金集めや運営に携わる全国的にも珍しい寄席で、上方では戦後初の常設小屋。ファンの裾野を広げ、累計入場者数は138万人に到達。落語家の数も約3割増加した。一方で、「第二の繁昌亭」構想を巡っては慎重論も出ている。

 ◆落語家自ら運営

 開場は2006年9月。上方落語協会会長の桂文枝さん(73)の先導で、大阪天満宮の隣接地を無償で借り受け、落語家や地元・天神橋筋商店街の商店主らが集めた寄付金で建設した。

 興行主が出演者を決める東京の寄席とは異なり、協会が運営に携わり、落語家自身がプログラムを組む。

 年間入場者数は、NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」効果で、16万9800人に達した08年度をピークに頭打ち傾向とはいえ、この5年間は12万〜13万人で推移。集客では、東京・浅草の観光地にある浅草演芸ホールの約11万人(15年)に劣らない。

(ここまで420文字 / 残り715文字)

2016年09月11日 09時32分

2320名無しさん:2016/09/17(土) 01:26:31 ID:F.E0k.ic0
献歌句朗詠や舞楽奉納 住吉大社で「観月祭」
2016年9月16日
 中秋の名月の15日夜、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で「観月祭」が厳かに執り行われた。雲間から時折、月の光が差す中、献歌句の朗詠や舞楽奉納があり、多くの参拝者が情緒ある光景に見入った。



 境内では第一本宮での神事に続いて、神職らが反橋で全国から寄せられた短歌、俳句の入選作を紹介。ススキや団子が供えられた橋上から秀作の数々を朗々と詠み上げた。

 舞楽は天王寺舞楽の伝承に務める団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」の有志が奉仕し、幕開けを飾る「振鉾(えんぶ)」をはじめ勇壮華麗な所作を披露。みやびやかな雅楽の音色と相まって見守る人々を魅了した。また「住吉踊(おどり)」奉納では同保存後援会の童女らが躍動感あふれる踊りを繰り広げ、伝統行事を盛り上げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160916/20160916024.html

2321名無しさん:2016/09/17(土) 01:32:57 ID:F.E0k.ic0
大阪の繁昌亭が開業10周年 落語家が商店街でお練り
2016年9月15日 9:28

 上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)が15日、オープンから10周年を迎え、地元の天神橋筋商店街を落語家がにぎやかに練り歩いた。



 上方落語協会会長の桂文枝さんが「あっという間の10年間。本当にありがとうございました」とあいさつした後、赤い人力車に乗り、おはやしなどと隊列を組み繁昌亭まで約2キロをお練りした。鏡開きの後、文枝さんら出演者による記念口上を含む特別公演を開催。

 大阪の落語定席は戦後、姿を消していたが、企業や市民からの寄付で2006年に約60年ぶりに復活した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160915/20160915028.html

2322名無しさん:2016/09/22(木) 03:40:06 ID:texUiLyI0
信繁の兜や書状 真田丸展に180点…17日から
2016年09月17日Tweet
 ◇大阪歴史博物館


 NHKで放送中の大河ドラマ「真田丸」にちなんだ展覧会「2016年NHK大河ドラマ特別展『真田丸』」(読売新聞社など主催)の開会式が16日、大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開かれた。

 ドラマの主人公・真田信繁(幸村)が使っていたとされる兜(かぶと)など真田家ゆかりの品々や、信繁を「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」と評した書状など国宝、重要文化財を含む計約180点を会期中に展示する。

 開会式で、同博物館の栄原永遠男館長が「信繁の第二の故郷といえる大阪に全国からゆかりの品々が集まった。楽しんでほしい」とあいさつ。テープカットに続き、内覧会が行われた。

 一般公開は17日〜11月6日(火曜日休館)。一般1300円など。問い合わせは同博物館(06・6946・5728)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160916-OYTNT50313.html

2323名無しさん:2016/09/22(木) 03:51:24 ID:texUiLyI0
枚方の「お台場」一般開放…史跡公園化
2016年09月16日Tweet
 ◇勝海舟設計、17日説明会

 国内唯一の河川砲台跡地「楠葉台場跡」(枚方市)の暫定的な史跡公園整備が終わり、枚方市は今月から一般開放を始めた。周辺は植栽が施され、当時の堀や土塁、番所の位置をしのぶことができる。明治期に消えた幻の要塞・大阪の「お台場」が復活し、17日に現地で説明会が開かれる。

 大阪から京都につながる淀川を上る外国船を大砲で攻撃する名目で、勝海舟が設計した。南側と西側の突出部に砲台3基を備え、北海道函館市の五稜郭と同じ西洋式の築城技術が採用され、1865年に完工した。ただ実際には、長州藩士ら尊皇攘夷派の京都入りを阻止する関門の役割だったとする考え方が有力という。

 戊辰戦争の舞台にもなったが、明治以降は民間に払い下げられ、田畑になっていた。京都で見つかった設計図を参考に枚方市教委が2008年から発掘調査を進め、堀や石垣の一部が出土。大坂と京都を結ぶ京街道を台場内に引き込んだ跡なども見つかった。幕末の政治、軍事状況を把握する上で重要と評価され、11年に約3・1ヘクタールが国史跡になった。

 市文化財課は「迫る山を望む景観を含めて、台場跡地を感じてほしい」としている。説明会は17日午前11時、午後1時の2回。いずれも30分程度で、集合は史跡南側。事前申し込みは不要で参加無料。問い合わせは同課(050・7105・8058)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160915-OYTNT50351.html?from=yartcl_blist

2324名無しさん:2016/09/23(金) 03:53:55 ID:YY9JakGI0
大和政権の影響及ぶ?「池田茶臼山」4世紀の前方後円墳と判明

 大阪府池田市教育委員会は22日までに、同市五月丘にある池田茶臼山古墳(4世紀半ば、古墳時代前期)が、前方後円墳であることが確定したと発表した。前方後円墳の発祥地とされる奈良盆地東南部にあったとされる大和政権の影響が、この時期には大阪府北西部に及んでいたと推定できるという。

 以前の測量調査で、前方後円墳と考えられていたが、今回の発掘で前方部と後円部との境界の「くびれ部」で葺石を見つけ、改めて前方後円墳だったことを確認した。また前方部は細長く、前期古墳に特徴的な「柄鏡式」と呼ばれるタイプだったことも分かった。円筒埴輪の破片も出土、全長は想定されていた62メートルよりも短い57メートルだった。

 市教委によると、大阪府北西部を流れる猪名川左岸で最も早く築造された首長墳の一つと考えられている。

 現地説明会は24日午後1〜3時。

http://www.sankei.com/west/news/160922/wst1609220037-n1.html

2325名無しさん:2016/09/25(日) 18:19:18 ID:MLQWHo7E0
http://mainichi.jp/ch160935223i/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3
大坂の陣 迫真ルポ 秀頼が裏切り者を城壁から突き落とす
毎日新聞2016年9月21日 21時25分(最終更新 9月23日 12時23分)

駐日オランダ人の書簡 初確認

 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614〜15年)について、駐日オランダ人が書き残した文書がオランダ・ハーグ国立文書館で確認された。国際日本文化研究センター(日文研)=京都市西京区=が21日、発表した。追い詰められた豊臣秀頼が寝返ろうとする大名を城壁から突き落としたなどと記されており、専門家は「大坂の陣の様子がうかがえる貴重な史料だ」と話している。

<まんがで解説>大坂の陣から400年 http://mainichi.jp/sumamachi/news.html?cid=20150517mul00m04000400sc

 オランダ東インド会社が日本での外交・貿易活動拠点としていた「平戸オランダ商館」の書簡で、一部は既に和訳されているが、09〜33年に書かれた約520点について日文研が現地の大学と共同で新たに調査していた。

 大坂の陣について書かれた文書は、豊臣家が滅亡した夏の陣の約1週間後、同社社員が長崎の平戸オランダ商館長あてに記していた。大坂城の落城直後、大坂などで大名の家臣や商人などから聞き取った情報を基にまとめたとみられる。「秀頼の数人の大名が、赦免が得られると考え、皇帝(徳川家康)側に寝返るために城に火を付けたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ。また、その火事を消すことは不可能であったため、戦う勇気を失っていた秀頼と他の大名たちは切腹し、それによって皇帝は(中略)城を奪還した。(中略)秀頼の家臣のうち兵士やその他の者約1万人が死んだ」などと書かれている。

 大阪城天守閣(大阪市)の跡部信・主任学芸員は「秀頼の家臣が裏切ったという記述は他の文献にもあるが、城壁から落としたという記述は見たことがない。外国人の目を通した客観的な記述という点でも意味がある」と評価する。調査にあたった日文研のフレデリック・クレインス准教授(日欧交流史)は「研究を進め、更に当時の日本の様子を明らかにしたい」と話している。【宮川佐知子】

2326名無しさん:2016/09/28(水) 04:53:49 ID:HspMmVCw0
木津市場の”恩人”に感謝 篠山神社例祭
2016年9月27日
 江戸期に現在の大阪木津卸売市場(大阪市浪速区)の礎を築いた大坂代官・篠山景義の偉業をたたえる例祭が26日、同区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)境内社の篠山神社で執り行われた。多くの市場関係者や氏子衆が参列し、祭壇に手を合わせ市場の原点を顧みた。


篠山神社前で神楽を奉納するみこ=26日午前、大阪市浪速区の難波八阪神社

 当時の大坂では天神橋-天満橋にあった天満青物市場のみが幕府官許の市場だったが、木津・難波の住民が地元での青物の市場開場の公認を願い出たところ、篠山代官の尽力によって開設が認められた。生活が安定し、地域が発展したことで住民たちが篠山代官に感謝し、生き神として祭ったのが同神社の起源とされる。

 神事では粟辻宮司による祝詞奏上に続き、みこが神楽を奉納。参列者が玉串を次々と奉納した。

 大阪木津市場の桑原浩社長(55)は「毎年お参りするたび原点に戻るような気持ち。心新たにする大変意義のある例祭」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160927/20160927034.html

2327名無しさん:2016/09/29(木) 03:47:12 ID:96QpRtrQ0
よみがえる極彩色・・・加賀田神社
2016年09月24日Tweet
 ◇本殿の保存修理完了

 河内長野市加賀田にある市指定文化財「加賀田神社本殿」で、塗られていた色を復活させるため、2014年度から続いていた修理が終わり、23日、報道関係者らに公開された。本殿には、明治時代に海外から持ち込まれた青や緑の独特な顔料が使われていたことがわかり、今回の修復で鮮やかな極彩色がよみがえった。(戸田聡)

 本殿は1703年(元禄16年)の建立とされる。剥落が目立ってきたため、神社側が調査。工事時期などを記した棟札が2枚見つかり、本殿は1720年(享保5年)に彩色され、1882年(明治15年)に塗り直されたことがわかった。

 さらに、本殿の壁面に描かれていた馬や花鳥の絵には、エメラルドグリーンやプルシアンブルーなど、舶来の合成顔料が使われていることも判明。明るく派手な色合いが特徴で、当時の極彩色をとどめている建物は珍しいという。市文化財保護審議会が、現状を維持して保存することを決め、修理は3年に及んでいた。

 当時の色が残っているのは全体の3割程度で、にかわで固めるなどし、剥落を防ぐ措置を講じたという。 色が欠けていた部分は、文様を復元した上で、当時と同じ顔料で補色した。

 1882年の棟札には、「大和国宇智郡二見村(現在の奈良県五條市二見周辺)」「絵師ノ」「大西安太郎」と絵師の名前もあった。修理を担当した天野山文化遺産研究所の山内章代表理事は「二見の絵師は、奈良や和歌山の神社でも活躍したのではないか」と推測する。

 修復を終え、加賀田神社の田中義光宮司は「神社を支えてきた人たちの思いに応える機会に巡り合えて、うれしい」と話している。

 同神社では24日夜、ご神体を本殿に戻す遷座祭が行われる。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160924-OYTNT50003.html

2328名無しさん:2016/09/29(木) 04:15:11 ID:96QpRtrQ0
空襲耐えた「手水舎」修復…堺・開口神社
2016年09月28日Tweet
 ◇夏の陣で焼失・再建


 堺市堺区甲斐町東の開口(あぐち)神社で、参拝者が手などを清める「手水(てみず)舎」の修復工事が完了した。1615年の大坂夏の陣で焼失した後に再建され、歴史を刻んできたが、老朽化が進んでいた。

 同神社は約1800年前に建立されたとされ、大坂夏の陣で全焼。手水舎は江戸時代に再建され、1945年の堺空襲の被害もまぬがれた。しかし近年、屋根材の腐食で雨水が漏れ、柱の一部が欠けるなど傷みが目立つようになり、同神社が修復・保存を決めた。

 寄付などで500万円が集まり、今年3〜7月に工事を実施。使用可能な部材は残し、張り替えた屋根板などは古びた感じに着色し、違和感のないようにした。

 三上尚嘉宮司は「手水舎は長年参拝者を迎えてきたので、地元の宝として守っていきたい。よみがえった姿を見て堺の歴史に思いをはせてもらえたら」と話す。

 修復を記念し、同神社は「戦前の開口神社周辺のにぎわいについて」をテーマにした講演会を29日午後7時から開く。無料で申し込み不要。問い合わせは同神社(072・221・0171)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160927-OYTNT50288.html

2329名無しさん:2016/10/05(水) 05:01:19 ID:FMR0Woyw0
来場者を魅了 大阪天満宮で神社婚フェス
2016年10月3日
 「神社婚フェス」が2日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。華やかな着物やドレスに身を包んだモデルが特設のランウエーを歩き、来場者を魅了した。


ショーで華やかな和装を披露するモデルら=2日午後、大阪市北区の大阪天満宮

 大阪天満宮が神前式を身近に感じてもらおうと初めて企画した。同所では挙式と披露宴のセットが年間で350件以上、行われているという。

 イベントでは、境内に設置された特設会場の長さ6メートルほどのランウエーを、10人ほどのモデルが練り歩いた。赤色や金色の色彩豊かな色打ち掛けをはじめ、純白のウエディングドレス、かわいらしいピンク色や大人の雰囲気が漂う紺色のイブニングドレスを披露した。

 このほか、「天神天満花娘」による野だてや、津軽三味線の演奏など多彩な催しも行われ、多くの来場者が楽しんでいた。

 天満宮会館の婚礼受付担当者は「人生の節目の結婚を伝統のある神前式で行うことは魅力」と話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161003/20161003035.html

2330名無しさん:2016/10/06(木) 21:45:35 ID:PrrArDrw0
岡本太郎さん「太陽の塔」内部公開 耐震化工事を前に
更新:10/06 13:58
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161006/00000035.shtml
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 1970年に大阪で開かれた万博のシンボル「太陽の塔」が、今月末から耐震化工事を始めるのを前に、報道陣向けに内部が公開されました。

 芸術家の岡本太郎さんがデザインした大阪万博のシンボルである「太陽の塔」。塔の内部は万博の閉会後、非公開とされてきましたが、今月末から耐震化工事が始まることになり、大阪府は6日、報道陣向けに内部の様子を公開しました。中には高さ41メートルのオブジェ「生命の樹」やマグマをイメージした壁が、当時の姿をとどめています。

 大阪府は今月末に一般向けの内覧会を予定していますが、500人の定員に対し約8万人の応募が殺到するほどの人気ぶりをみせています。太陽の塔は耐震化工事を経て2018年3月から内部が一般公開される予定です。

2331名無しさん:2016/10/10(月) 20:47:21 ID:/BY30Yd60
http://www.sankei.com/west/news/161010/wst1610100048-n1.html

 本紙「正論」欄執筆メンバーで軍事ジャーナリストの井上和彦氏と、元海軍パイロット2人によるトークライブ「大東亜戦争を語り継ぐ会」(主催・産経新聞月刊「正論」、協賛・大阪冶金興業)が10日、大阪市北区の大阪市中央公会堂で開かれた。
 出演したのは、終戦直前の昭和19年に本土防空戦の切り札として編成された精鋭部隊「第343海軍航空隊(通称「剣部隊」)のパイロット、本田稔氏と笠井智一氏。
 井上氏は「命をかけて母国を守った2人の証言を、ぜひとも胸に納めてください」と訴えた。ラバウル航空隊などに所属し、最前線で米軍機と闘った“撃墜王”こと本田氏は、今の日本について「自信をもって自分の主張をはっきりと出してもらいたい」と話した。
 また、特攻隊の直掩任務(=敵の攻撃から特攻機を守る任務)で同期の最後の勇姿を見届けてきた“エースパイロット”こと笠井氏は、「同期も私も、日本の空を守るという気持ちしかなかった」と話した。

2332名無しさん:2016/10/15(土) 22:29:55 ID:7Xt26Bio0
片桐且元が西本願寺宗主に宛てた書状発見
更新:10/15 08:27
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161015/00000010.shtml
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 大坂冬の陣で、徳川方の武将・片桐且元が豊臣方と近く和睦が成立すると、西本願寺の宗主に送った書状が発見されました。

 東京都内の古書店で今年6月に見つかった1枚の書状。これは、慶長19年(1614年)12月18日に大坂冬の陣で徳川方の武将として活躍した片桐且元が、西本願寺の宗主に送った手紙です。手紙には、豊臣方が徳川方に謝罪の意思を伝え和睦が進んでいることや、視察に訪れた徳川秀忠の機嫌が良かったことなどが記されています。豊臣方と友好関係にあった西本願寺が、かつて豊臣家に仕え親交のあった且元を通じて、戦況を見極めようとしたと考えられます。

「近日に和議が成るだろうという、見通しまで且元はちゃんと付けていますから、おそらく相当(徳川方は)強気な交渉をしていたんだと思われます」(本願寺史料研究所 大喜直彦上席研究員)

 書状は龍谷大学大宮図書館で今月21日まで公開されています。

2333名無しさん:2016/10/15(土) 22:52:57 ID:7Xt26Bio0
文楽人形が東京・浅草でお練り 屋外公演の成功を祈願
2016年10月14日 14:50

 組み立て式舞台で全国各地を巡り、人形浄瑠璃文楽の魅力を発信するプロジェクト「にっぽん文楽」の東京・浅草公演の開幕に先立ち、出演者らが14日、文楽人形と共に雷門から浅草寺本堂までを華やかに練り歩いた。



 文楽人形遣いの吉田和生さん、吉田玉男さんらが「お練り」に参加、本堂では今公演の成功を祈願。木やりの声と共に隊列が仲見世を練り歩くと、沿道にいた観光客らは「きれい」「かわいい」などと声を上げた。主催者によると、歌舞伎の襲名披露などで見られるお練りを、文楽で行うのは珍しいという。

 公演は日本財団の主催で、15日から18日まで浅草寺境内で開催する。


http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161014/20161014068.html

2334名無しさん:2016/10/24(月) 00:19:08 ID:fPgLDL2U0
「真田丸」展が5万人突破 大阪歴史博物館
大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開催中の「2016年NHK大河ドラマ特別展 真田丸」の入場者数が23日、5万人を突破した。

 5万人目となった兵庫県西宮市の小学3年生、寺下凉介君(9)は両親と兄の4人で来場。一家は伊藤広之副館長から図録や関連グッズなどを贈られた。

 この日の朝、一家で録画していた大河ドラマを見て、舞台となる大阪城の見学を思い立ち、併せて特別展に立ち寄ったという。凉介君は「幸村(主人公の真田信繁)が好き。賢くて強い」と照れながら話した。

 特別展は信繁ゆかりの品などを展示しており、11月6日まで。展示品は期間中に入れ替えがあり、現在は大坂の陣での信繁の勇猛な戦いぶりを「真田日本一の兵」などと評した内容を含む文書も展示されている。

.http://www.sankei.com/west/news/161023/wst1610230041-n1.html

2335名無しさん:2016/10/28(金) 08:16:43 ID:Mii5n1..0
大阪市で近代建築見学会、安藤忠雄氏設計の住宅公開
2016/10/28
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO08879490X21C16A0LDA000/

 普段立ち入れない大阪市内の近代建築76件の内部を見学できる「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2016」が11月5、6日に開かれる。今年は建築家、安藤忠雄氏の住宅作品「日本橋の家」が初公開される。

 市や企業、大学などで構成する実行委員会が開催する。

 日本橋の家は間口2.9メートルしかない細長い住宅で、2階から4階までの吹き抜けの居間が見ものだ。大阪府庁本館、中之島ダイビルを含む11件が初登場する。このイベントの先輩格で、ロンドンで1992年から建物を公開してきた「オープンハウスロンドン」の創始者、ヴィクトリア・ソーントン氏を招いたシンポジウムも6日午後4時半から開かれる。

 同イベントは14年から始まり、再開発などで失われていく大阪の貴重な近代建築を見直す契機になっている。

2336名無しさん:2016/10/30(日) 15:40:01 ID:CJM3pfe20
全国最古で最大の旧陸軍墓地、真田山陸軍墓地で秋季慰霊祭
 全国最古で最大の旧陸軍墓地として知られる「真田山旧陸軍墓地」(大阪市天王寺区)で29日、公益財団法人・真田山陸軍墓地維持会(理事長・吉川秀隆タカラベルモント社長)が秋季慰霊祭を開催し、多くの参列者が戦没者らに祈りをささげた。

 同墓地には、明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、先の大戦などで戦死した旧陸軍将兵らの墓碑が5100以上あり、納骨堂には8200柱以上の遺骨が眠っている。しかし、納骨堂の老朽化などが進み、維持・管理が課題になっている。

http://www.sankei.com/west/news/161030/wst1610300045-n1.html.

2337名無しさん:2016/11/01(火) 08:44:31 ID:9Pn9BVYE0
幸助さんが「五代目玉助」襲名へ 文楽人形遣い
2016年10月31日 20:04

 文楽協会(大阪市)などは31日、人形浄瑠璃文楽の人形遣い吉田幸助さん(50)が2018年4月に「五代目吉田玉助」を襲名すると発表した。祖父の三代目が1965年に死去して以来の復活となる。


 吉田幸助さん

 幸助さんは大阪府出身。80年に父吉田玉幸さん(2007年死去)に入門し、翌年、初舞台を踏んだ。立役を中心に活躍している。

 玉幸さんには「四代目玉助」が追贈される。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161031/20161031136.html

2338名無しさん:2016/11/02(水) 03:46:48 ID:ZT.hNErY0
願いを詰めて 住吉大社で撤下袋詰め
2016年11月1日
 15日の七五三参りを前に大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で参拝の子どもたちに渡す撤下(おさがり)の袋詰めがピークを迎えた。31日は同大社の神楽女(かぐらめ)5人が協力し、千歳あめやお守り、鉛筆などの縁起物一式を色鮮やかな袋に丁寧に詰めていった。


手際よく縁起物の袋詰めを行う神楽女=31日午前、大阪市住吉区の住吉大社

 子どもの安全な成長を祈願する儀礼である七五三。同大社によると例年の参拝者数は約6千人に上る。以前は15日前後に集中していたが近年は前倒し傾向にあり、今年も10月中に約千人がすでに参拝している。袋詰めも同月から始まり、この日で計約6千個の準備を終えた。

 神楽女の一人、永田由美さん(21)は「参拝に来られたお子さまが元気で健やかに成長していただきたい」と話していた。

 この日も着物姿の子どもらが両親や祖父母に手を引かれて続々と参拝に訪れ、境内は華やいだ雰囲気に包まれた。同大社では今年の参拝数は例年並みと見込んでいる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161101/20161101025.html

2339名無しさん:2016/11/03(木) 03:33:14 ID:YkpVs4SE0
桂三金が「三題噺」に挑戦 14日から繁昌亭
2016年11月2日
 客席からキーワードになるお題を三つもらい即興で高座の噺(はなし)を組み立てる「三題噺」に中堅の上方落語家、桂三金(45)が挑戦する。それも定席の天満天神繁昌亭で、14日から1週間連続での実施。120キロと上方落語会きっての“大型”芸人は「僕にとっても大冒険。1週間やり切って自信を付けたい」と張り切っている。


1週間連続で三題噺を披露する桂三金=大阪市北区の上方落語協会

 1夜だけの三題噺は、東京落語の三遊亭円丈など得意とする噺家は東西で何人かいるが、1週間続けるとなると“21題噺”となるだけに、過去にも例がない。

 おとうと弟子三幸とともに三金が登場し、場内からお題を次々と上げてもらい、その中から拍手の数で三つ選んでもらい、いったん退席。楽屋で推考した上で、上方落語で最後を指すトリの直前に当たるモタレで再び登場し、三つのお題を巧みに盛り込んだ落語を披露する。

 関大出身で金融機関勤務の経験もある三金は、古典以外の創作落語もこなすが、「三題噺となると既存のネタにかぶせてばかりでは無理。新たな創作落語にならざるを得ないと思う。創作は文枝師匠からみっちり基礎を学んでおり、思わぬ発想の展開でネタが増えれば」と前向きな姿勢。

 繁昌亭運営委員長の笑福亭松枝は「三題噺から生まれた名作に財布が元になった芝浜があるが、他にも卵酒が出てくる鰍沢(かじかざわ)などが有名。今回は即興といっても時間があるので、キチッとサゲのあるネタにしてもらいたい」と注文。繁昌亭の恩田雅和支配人は「三題噺は手間暇が掛かり昼席ではなかなか掛けることができないため、1週間連続は実にユニーク。お客さんには即興噺が持つ面白さや完成度を楽しんでもらえれば」と期待している。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161102/20161102034.html

2340名無しさん:2016/11/05(土) 04:28:03 ID:nsYbrJ2g0
南陽が「玉田派」復活 25日、国立文楽で襲名興行
2016年11月3日
 約1世紀ぶりに上方講談の名門・玉田派の名跡を復活させる上方講談師、旭堂南陽(39)が25日、日本橋・国立文楽劇場で襲名記念興行を行う。


襲名あいさつに配っている玉田派の家紋が入った扇子と手ぬぐいを示す旭堂南陽=大阪市北区の大阪日日新聞

 南陽は大阪市大法学部出身で留学経験も長く、英語や中国語など日本語以外で7カ国語を操る異色の存在。今春4代目玉田玉秀斎の襲名が決定し、同じ4代目旭堂南陵門下の小二三改め5代目小南陵と共にダブル襲名披露となる。

 当日は両名がそれぞれ1席ずつ語った後、落語家・桂米団治の司会で、東京講談の一龍斎貞水と神田松鯉をはじめ、2人の師匠南陵、落語家の桂文枝と桂春之輔がそれぞれ口上を述べる。ゲストコーナーではザ・ぼんちの里見まさとと歌手のBOROが歌を披露。南陽と日ごろからジャズ講談で競演しているジャズメン4人が集まっておなじみの曲を奏でる。襲名する両名の後輩となる南陵一門の南啓ら講談師6人が集まって真田幸村の立体講談を演じるのも見もの。

 南陽は「長年慣れ親しんだ旭堂の名前から離れるのは寂しい。由緒ある玉田派では家紋も“亀甲に柊(ひいらぎ)”と珍しい物に変わる。まず玉田の名前を広げるために高座を続け、東西のお客さまに応援していただけるよう頑張る。玉田派の代名詞である神道講談と立川文庫物に力を入れ、私がずっと取り組んできた音楽とのコラボも続け、独自性を少しずつ発揮していきたい」と抱負を述べた。

 25日午後6時半開演。入場料4500円(前売り4千円)。問い合わせはMC企画、06(7777)6680。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161103/20161103035.html

2341名無しさん:2016/11/06(日) 14:09:09 ID:htgyxG4w0
勇壮な姿、見物客歓声 地車in大阪城
2016年11月6日
 大阪市内外の多くの地車(だんじり)が一堂に集まる「地車in大阪城2016」(同実行委員会主催)が5日、大阪市中央区の大阪城公園内の太陽の広場で始まった。初日は15台が公園内のコースを巡行し、太鼓に合わせて練り歩く勇壮な姿に見物客から歓声が上がった。最終日の6日は計31台が大規模な巡行を行う。


地車を引いて練り歩く引き手たち=5日午前、大阪市中央区の大阪城公園

 同実行委によると、地車囃子(ばやし)は元々、大坂城築城の際に工事を円滑に進めるための音頭だったと言われているという。“地車の聖地”の大阪城で、歴史のある地車の魅力をアピールしようと、2011年から毎年開催。今年は大阪市城東区を中心に、東大阪市や大東市など計6市から過去最多の計31台が参加し、江戸時代に製作された地車もある。

 この日は15台が巡行し、1台あたり100〜200人の引き手が、高さ3〜4メートル、重さ約3トンの地車を鐘や太鼓に合わせて引き、勇ましい掛け声を響かせた。地車の屋根には指揮を執る「大工方(だいくかた)」と呼ばれる男性が上がり、独特のしぐさで踊る「龍踊り」を披露して見物客を盛り上げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161106/20161106026.html

2342名無しさん:2016/11/06(日) 16:39:18 ID:htgyxG4w0
まち歩きや演奏秋空の下満喫 すみ博にぎわう
2016年11月6日
 住吉大社や帝塚山地域の魅力を発信する「すみよし博覧会(すみ博)」(同実行委員会主催)が5日、大阪市住之江区の住吉公園で始まった。秋空の下、まち歩きツアーのほか、地元中高生による音楽ステージなどが行われ、多くの参加者でにぎわった。6日まで。


住吉公園の潮掛道を演奏しながらパレードする市立墨江丘中吹奏楽部=5日午前、大阪市住之江区

 すみ博は1800年の歴史を持つ住吉大社を中心に、歴史と文化に恵まれた地域を住民に再認識してもらおうと、2008年からスタート。住民有志による実行委が運営を手掛け、今回で10回目となる。

 この日は、市立墨江丘中吹奏楽部が住吉公園の潮掛道を演奏しながらパレード。園内の特設ステージでも市立住吉中の吹奏楽部、市立住吉商業高のフォークソング部が元気な演奏を披露した。

 6日は、住吉大社反橋前で伝統芸能やダンスを披露する「住吉っさんの夕べ」をはじめ、住吉福祉会館前広場で「こどもすみ博」が行われる。

 岡本惣治実行委員長(74)は「若い人も住吉の歴史や伝統を認識してほしい。日ごろ、仕事で忙しい人もすみ博を機に足元を見てもらいたい」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161106/20161106028.html

2343名無しさん:2016/11/08(火) 04:41:11 ID:yolut8GA0
【亀岡典子の恋する伝芸】
人形遣いが3人とも顔を出し呼吸と力を合わせて…ど迫力の文楽「勧進帳」
(1/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
客席に設けられた花道での弁慶の豪快な引っ込み=大阪市中央区の国立文楽劇場(提供・国立文楽劇場)
「勧進帳」は歌舞伎の方がいいと思っていたが…

 大阪・国立文楽劇場の文楽公演でいま、「勧進帳」が上演されている(11月20日まで)。ご存じ、兄の源頼朝と不仲になった源義経が、家来の弁慶らと供に奥州へ落ちてゆくときの物語だ。

 山伏と強力に姿を変えた一行だが、途中の安宅の関(現在の石川県小松市)で、関守の富樫に見とがめられる。弁慶はとっさの機転で白紙の巻物を勧進帳のように読み上げ、さらに怪しむ富樫の前で義経をさんざんに打ち据える。その行動に、真実を悟った富樫だが、弁慶の主君を思う情に心うたれ、関所を通すのであった-。

 能の「安宅」をもとに、歌舞伎の「勧進帳」が作られ、その後、文楽では明治28年、二代豊澤団平の作曲により、「鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)」のタイトルで初演された。

 正直に言おう。文楽の「勧進帳」は、これまであまりおもしろいと思わなかった。どうしても、人間が演じる歌舞伎の方が、弁慶と富樫の丁々発止のやりとりなど、迫力と緊迫感があるように感じていたのだ。

 最後の飛び六方にしても、弁慶役者が力を振り絞って稲妻のように花道を引っ込む姿に息をのんだものだ。

 もちろん、文楽の「勧進帳」も、義太夫節の力強さや、人形ならではの動きの迫力もある。それでも、やっぱり、この作品は歌舞伎の方がいいなあ、なんて思っていた。
http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n1.html

2344名無しさん:2016/11/08(火) 04:46:08 ID:yolut8GA0
(2/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
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客席に設けられた花道での弁慶の豪快な引っ込み=大阪市中央区の国立文楽劇場(提供・国立文楽劇場)
大の男が3人がかりで遣うからこその臨場感と迫力

 ところが今回、認識が変わった。平成13年以来、実に15年ぶりに花道を客席に設けて上演された「勧進帳」に興奮したのだ。

 なぜなんだろう。

 文楽人形は主遣い、左遣い、足遣いの3人が呼吸と力を合わせ一体の人形を遣うスタイルで、通常は主遣いだけが顔を出し、左遣いと足遣いは頭巾で顔を隠している。ところが今回は、3人とも顔を出して遣っていた。これは珍しい。しかも、客席を縦断する花道まで設置されている。

 この花道を、主遣いの吉田玉男さん、左遣いの吉田玉佳さん、足遣いの吉田玉路さんの3人の人形遣いが呼吸を合わせ、弁慶の人形を遣って飛び去っていった。座席が花道の近くだったので至近距離で見たが、3人とも額から汗がしたたり、ハア、ハアという荒い息まで聞こえ、驚くほどの迫力だった。

 文楽人形をなぜ、3人もの男性が遣うのか、わかった気がした。もちろん、人間よりも細かい動きや繊細な心理を表現するのに必要だろう。でも、それだけではない。大の男が3人がかりで遣うからこそ、臨場感や迫力が生まれる。人間の感情をまるごと表現するのだから、これくらいのパワーがないと、見る人の心にまで届かないのであろう。

http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n2.html

2345名無しさん:2016/11/08(火) 04:49:25 ID:yolut8GA0
(3/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
動く度にビュンと風圧が

 そういえば、以前、人形の動きを、すぐ横で見せてもらったことがあった。一番驚いたのは、風圧。人形と3人の人形遣いが動く度にビュンと風が起こるのだ。次いで足遣いが床をドンと踏みならす「足拍子」の音が、こちらの体の芯にまで響く。「文楽人形ってすごい」と、いまさらながら驚嘆したものである。

 今月の文楽公演では、19年ぶりに、「花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」より「志渡寺(しどうじ)の段」も上演されている。この作品も一度見たら忘れられない一種、異様な気配に満ちている。この曲を勤めている文楽三味線の鶴澤清介さんは「義太夫節は熱と力でお客さんを異次元に連れていく芸」と言っていたが、こういう曲を聞いていると、なるほど、と納得できるのである。

 日本の古典芸能を、静かでゆったりして退屈と、先入観を持っている人にぜひ見ていただきたいと思う。認識が覆されるに違いない。


http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n3.html

2346名無しさん:2016/11/09(水) 12:40:53 ID:qyBlkDVA0
東大阪の「樟徳館」、4年に一度の一般公開へ 「あさが来た」のロケにも
2016年11月08日
http://higashiosaka.keizai.biz/headline/367/

 樟蔭学園は11月12日・13日の2日間、同学園が保有する登録有形文化財「樟徳館(しょうとくかん)」(東大阪市菱屋西2)を一般公開する。

 同学園の創立者・森平蔵は1875(明治8)年に兵庫県で生まれ、16歳で大阪市内の木材商に見習い奉公に入り、26歳で独立開業。独立後は木材販売や植林業で成功を収め、木材を運搬する船舶に着目して汽船会社を設立した。大正初期の大阪では商家の子女を中心に教育に対する意識が高まっていたが、学校数が不足しており、平蔵は私財を投じて高等女学校設立することを決意。1917(大正6)年に設置認可を受け、翌1918年に樟蔭高等女学校を開校した。

 同館は、帝国キネマ映画長瀬撮影所の跡地を入手した平蔵が、構想を含め1939(昭和14)年の完成まで7年の歳月をかけて建築した私邸。大阪有数の材木商だった平蔵は、現在では入手困難な銘木を日本中から集め、原木から製材するための専用の製材所を隣地に設けるなど材木にこだわり、「関西で最高の松普請」といわれる大正モダンの香り漂う住居を築いた。建物は平蔵が1960(昭和35)年に亡くなった後、遺志により同学園に寄贈され「樟徳館」と名付けられた。

 建築面積1305平方メートルの建物は、外観は純和風、内観は和洋折衷の装飾が施されているのが特徴で、応接室は天井に大きなクスノキの一枚板、壁には西陣綴(つづ)れ織のクロス、曲線を用いた火灯(花頭)窓など、当時の最高技術が集結。2000年には「造形の規範となり、再現が容易でないもの」として、母屋・土蔵・鎮守社・門・東塀・南塀の6点が国の登録有形文化財に登録された。現在では、NHK連続テレビ小説「あさが来た」や「カーネーション」など、ドラマの撮影にも使われている。

 過去の一般公開時は、地域の人や建築関係者、建築に関心のある学生など、2日間で約2000人が来場した。一般公開する2日間には「樟徳館の魅力」と題し、同学園監事の藤原準二さんが解説する説明会を、各日11時からと13時からの2回行う。

 同学園スタッフは「木造2階建ての関西最高の松普請。今では入手困難な材木や、今ではできない技法を使った建築美を肌で感じていただけたら」と話す。

 開催時間は11時〜16時(受付は15時まで)。入場無料

2347名無しさん:2016/11/10(木) 18:51:54 ID:H4T.a/uA0
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%a4%a7%e5%9d%82%e3%81%ae%e9%99%a3%ef%bd%a4%e8%b1%8a%e8%87%a3%e6%96%b9%ef%bd%a2%e7%9c%9f%e3%81%ae%e6%95%97%e5%9b%a0%ef%bd%a3%e3%81%af%e4%bd%95%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%8b-%ef%bd%a2%e5%9f%8b%e3%82%81%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a0%80%ef%bd%a3%e3%82%88%e3%82%8a%e8%87%b4%e5%91%bd%e7%9a%84%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%bc%b1%e7%82%b9%e3%81%af%ef%bc%9f/ar-AAk6G2Y?ocid=spartandhp

大坂の陣、豊臣方「真の敗因」は何だったのか 「埋められた堀」より致命的だった弱点は?

「徳川vs豊臣」が激突した最後の戦いであり、戦国の世に終止符を打った「大坂の陣」。その戦いで豊臣秀頼は徳川家康に敗北するが、「その敗因」はいったい何だったのか。

(言い古された内容のため中略)

 このように、大坂の陣では、「城の堀を埋められたこと」が、豊臣秀頼が負けた「最大の理由」とされています。しかし、本当にそれだけだったのでしょうか。
 今回は、大坂の陣における「本当の敗因」について解説します。
 今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。
豊臣家が滅亡した「大坂の陣」とは?
 Q1. そもそも「大坂の陣」とはどんな戦いですか?
 江戸時代初期、大坂城で行われた2つの戦いの総称です。それぞれを「大坂冬の陣(1614年11〜12月)」「大坂夏の陣(1615年4〜5月)」と呼んでいます。
 「関ヶ原の戦い」に勝利し、江戸に幕府を開いた徳川家康が「天下統一最後の総仕上げ」として、幕府にとって最も脅威だった豊臣家をこの戦いで攻め滅ぼしました。ちなみに、「大阪」は明治までは「大坂」と表記されます。
 Q2.「大坂の陣」はなぜ起きたのですか?
 「豊臣秀頼が徳川家康への臣従を断固拒否した」からです。
 徳川家康は当初、孫娘の千姫(せんひめ)を豊臣秀頼に嫁がせるなど「融和的に」豊臣家を幕府の傘下に組み込もうと考えていました。
 しかし、豊臣家では、豊臣秀頼の母「淀殿」やそれを支持する反徳川の強硬派が実権を握り、あくまで幕府への臣従を拒否しつづけました。そのため、徳川家康が「強硬手段」に出て、大坂の陣に発展したとされています。
 Q3. 戦いの発端は「方広寺の鐘銘」と言われていますよね?
 そうです。1614年7月、豊臣家が再建した京都の方広寺の鐘の銘文に、「徳川家康を呪った」とする「国家安康」「君臣豊楽」の記述が見つかり、これがもとで「大坂の陣」が勃発したとされています。
 しかし、実際のところ、鐘自体はそれ以前の4月に完成が周知されており、「家康の言いがかり」と言われても仕方ありません。
 実際、徳川家康は2月頃からイギリスに大砲や火薬の手配を打診するなど、戦いの準備を着々と進めていました。
 Q4.諸大名が豊臣秀頼に味方しなかった理由は?
 「すでに幕府の世襲制が確立し、徳川の世となっていた」からです。
 1600年の関ヶ原の戦いのあと、徳川家康は1603年に将軍になり幕府を開きますが、2年後には将軍職を子の徳川秀忠に譲ってしまいました。これは、大名たちに対して、「これからも徳川の世が続く」ことをアピールするものでもありました。
 しかもこのころ、すでに全国の諸大名は江戸幕府の体制下に組み込まれ、徳川に従うことで領地を安堵された形になっていました。新たな主君は徳川家康であり、「豊臣秀頼に従う理由」は何もなかったのです。
 Q5. では、「戦いの敗因」は何なのでしょう?
 一般的には、「大坂城の“外堀”も“内堀”も埋められたから」といわれています。もちろん、それは間違いではありませんが、こうした状況を招いた「本当の敗因」がほかにあったように思います。
 「大坂の陣」で、豊臣秀頼はなぜ敗れたのか。それを探っていくと、引き分けとなった「冬の陣」の時点で、すでに豊臣秀頼の勝利は難しかったことが見えてきます。
こうして大坂城の堀は失われた

2348名無しさん:2016/11/10(木) 18:57:50 ID:H4T.a/uA0
 【敗因1】そもそも豊臣家が孤立していた
 大坂の陣では、豊臣秀頼の呼びかけに対し、これに呼応して10万もの牢人が集まりました。しかし、秀頼に味方した「大名」は皆無です。
 そのころ、時代はすでに「徳川の世」。豊臣秀吉に仕えて天下統一を支えた大名たちも、関ヶ原の戦いのときから徳川方についたり、豊臣方として戦って敗れたりして、多くは亡くなっていました。
 「いまさら豊臣家を支えよう」という大名はいなかったわけです。
 【敗因2】大半が牢人で「優秀な指揮官」が不足していた
 【敗因1】でも述べたように、大坂方の10万の将兵は「牢人」で、「現役の大名」はいませんでした。
 そのため、真田幸村や長宗我部盛親といった一部の武将や元大名を除き、牢人たちを統率する「大軍の用兵」に長けた「優秀な指揮官」が圧倒的に不足していたのです。
 【敗因3】安易に籠城してしまった
 大坂城での籠城策も、大坂の陣の大きな敗因のひとつです。
 「大坂冬の陣」では、本来なら十分な兵力と地の利を生かし、大坂への敵の侵入を阻止する戦いも展開できたはずでした。ここである程度、敵に損害を与えていれば、その後の形勢は変わっていた可能性もあります。
 しかし、秀頼軍は「牢人」主体だったために思うような作戦行動がとれず、早々に大坂城の堅固な守りに頼った「籠城」に踏み切るしかありませんでした。
 【敗因4】「有利な和睦」を提示できなかった
 約1カ月におよぶ籠城のあいだ、「真田丸」での真田幸村の奮戦などがあったものの、戦いは膠着状態が続きます。兵糧、弾薬も減り、冬の厳しい寒さも近づいていたため、家康は秀頼に「和睦」を提案しました。
 この時点で、秀頼が敵の包囲にある程度のダメージを与えていれば、家康から主導権を奪い、豊臣方に「有利な交渉」ができた可能性も十分あります。
 しかし、秀頼は「目先の和平」を急ぎ、城の守りで最も重要な「堀を埋める」という不利な講和条件を受け入れてしまったため、「夏の陣」の悲劇を招くことになりました。
 Q6. なぜ秀頼は「この程度の戦い方しかできなかった」のですか?
 そこが今回のテーマにおける根本的な理由、つまり「本当の敗因」です。
 では、大坂の陣の「本当の敗因」とは何か? それはズバリ、豊臣秀頼の「遅すぎた誕生」です。
 【敗因5】豊臣秀頼の誕生が遅すぎて、秀吉から学べなかった
 豊臣秀頼は「太閤秀吉」の晩年の子で、生まれたときに秀吉はすでに57歳。後継者として生まれながらも、5歳で父を失いました。そのため、彼は偉大な天下人である父の「数々のノウハウ」を受け継ぐことができなかったのです。
 豊臣秀吉は「ひとたらし」の名人ですが、こうした狡猾な「①人心掌握術」を身近で見て学ぶ機会も、秀頼にはありませんでした。
 また、「②戦いのやり方」を知るチャンスもなく、「大坂の陣」を迎えるまでの秀頼の戦歴はゼロ。対して、家康は言うまでもなく「歴戦の猛者」で、実力、経験ともにその差は歴然でした。
 そして、父秀吉には、竹中重治(半兵衛)、黒田如水(官兵衛)といった「優秀なブレーン」に加えて、加藤清正、福島正則といった「子飼い」の武将たちが両腕としてついていましたが、秀頼はそうした「③優秀な人材」に恵まれませんでした。さらに、母「淀殿」の強い影響により、自由に意思決定ができなかったともいわれています。
 「①人心掌握術」「②戦いのやり方」「③優秀な人材」その3つを父秀吉から生前に継承できなかったことが、豊臣秀頼の大坂の陣における「本当の敗因」ではないかと思います。

2349名無しさん:2016/11/10(木) 19:01:52 ID:H4T.a/uA0
「天下の豊臣家の誇り」を守り、滅んでいった
 大坂の陣より少し前、徳川家康は、成人した豊臣秀頼に京都の二条城で対面しました。そのとき家康は、想像以上に立派に成長し、威厳に満ちた秀頼の武者ぶりに「強い脅威」を抱き、これが「後に大坂を攻める遠因」になったともいわれています。
 この会見では、加藤清正が陪臣として秀頼に従い、何かの場合には「家康と刺し違える」覚悟を見せたという話は有名です。こうした豊臣恩顧の武将たちの存在も、家康には脅威だったのかもしれません。
 秀吉の死後、豊臣家は徳川家康の台頭によって「没落の一途」をたどっていました。成長期の豊臣秀頼が目にしていたのは、家族や家臣たちが日々この屈辱にじっと耐え忍ぶ姿です。
 やがて大人になった秀頼は「彼らの思い」を背負い、宿敵家康に反旗を翻します。それが絶望的な戦いであることを知りつつ、最後まで家康に屈することなく戦い抜きました。
 そこまでして彼が守ろうとしたものは何か、それは父が築き天下にその名をとどろかせた「豊臣家としての強い誇り」にほかなりません。もし、父親譲りの資質をもった秀頼が、さらに経験と知識を父秀吉から継承できていれば、その後の歴史は大きく変わっていたかもしれません。
 このように「過去の日本史の中にある経験や知識」は、「組織の永続」を考えるうえで、あるいは「ビジネスパーソンが生き抜く処世術」を身につけるうえで、大いに参考になるものです。
 過去の偉人たちの「成功と失敗」に学ぶことで、ぜひビジネス、そして人生の勝者になってください。

秀次を温存しとけば関ケ原すらなかったとか、真田昌幸が存命中に陣が起きてりゃ九度山で練った策が採用され第2の楠木正成になってた・・

2350名無しさん:2016/11/10(木) 21:22:42 ID:XwuuWezs0
二十五菩薩画が完成 区在住画家、谷さん奉納
2016年11月10日
 信仰の証しとして菩薩(ぼさつ)画を奉納し続けている大阪市平野区在住の画家が「二十五菩薩」の全25体を完成させた。足掛け10年で仕上げ、参詣者の「心のよりどころになれば」と充実感をにじませている。


内覧会の開幕を前にテープカットに臨んだ関係者ら

 奉納したのは、市立デザイン教育研究所教授などを務めた谷守さん(81)。区内の大念仏寺(平野上町1丁目)には、臨終に際して仏や菩薩が迎えに来る「来迎」を表す「万部おねり」という儀礼が伝わり、祭りで登場するのが二十五菩薩だ。

 谷さんが今回描いたのは「日照王」「大自在王」「華厳王」「薬王」の4菩薩。全作品ともアクリル画で荘厳な姿を描き、点描で金色の光沢を綿密に表現した。

 同寺は法要に合わせて2、3の両日に内覧会を開き、2日は同寺の吉村※英前宗務総長や平野区の稲嶺一夫区長らが出席してテープカットも行われた。一時は肺を患ったものの復帰し、二十五菩薩を完成させた谷さんは「ほっとした半面、寂しさもある」としみじみ話した。

 奉納式典は来春あらためて開かれる予定。

※は日ヘンに章
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161110/20161110031.html

2351undefined:2016/11/11(金) 04:48:27 ID:XwuuWezs0
四天王寺 強力な新顔 「四天王」お守り追加
2016年11月10日
 聖徳太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の数ある授与品に「四天王のお守り」(1500円)が加わった。寺の名前や地名として親しまれながら「ありそうでなかった」と好評で、太子とともに四天王が再認識されている。


4面に仏法の守護神「四天王」が刻印されたお守り

聖徳太子の一生を描いた「聖徳太子絵伝」。四天王像を刻み戦勝祈願する太子の姿が描かれている=大阪市天王寺区の四天王寺・絵堂

 現代では“トップ4”の意味で多用される四天王。本来は仏法の守護神であり、持国天、増長天、広目天、多聞天からなる。

■創建の原点
 日本書紀が伝える崇仏派の蘇我馬子勢と排仏派の物部守屋勢の衝突では、若き太子が蘇我勢として参戦し、不利な戦況を打破しようと四天王の像を彫って勝利を祈願。「勝利したら四天王を安置する寺院を建立し、世の人々を救済する」との誓いを果たし、四天王寺を建立したとされる。

 建立の経緯を含む太子の足跡は「聖徳太子絵伝」として描かれ、境内・聖霊院絵堂(1983年再建)に奉納。太子月命日の22日に公開されている。2014年春からは、22年に迎える年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌(ごせいき)」事業の一環として春と秋に特別御開扉も実施。同寺僧侶が1日数回行う「絵解きと法話」が評判となり、期間中は参詣者が続々と足を運んでいる。

■信心復活 
 絵伝の重要場面に登場し、ひときわ注目を集める四天王。関連の授与品としてはお札があるが、お守りについての問い合わせも寄せられるようになり、約1年半前に製作を企画した。

 高級工芸品の素材に用いられるナツメ材(全長約5・5センチ、1・5センチ角)の4面に四天王それぞれの全身を彫刻。微細な線も鮮明に表現し、底面には職員が手作業で「四天王寺」の焼き印を入れて仕上げている。お守りを手にした参詣者は「ほどよい大きさ」「いつも身に着けられる」と歓迎する。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「信心の復活も『1400年御聖忌』の大きなテーマ。現代人に苦しいときこそ神仏への信仰の心を取り戻してもらい、次なる1500年に向かいたい」と話している。

   ◇   ◇  

 四天王のお守りは六時堂、金堂、英霊堂、太子殿、庚申堂で販売。問い合わせは電話06(6771)0066。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161110/20161110027.html

2352名無しさん:2016/11/11(金) 12:35:28 ID:qyBlkDVA0
「野沢菜のルーツは天王寺蕪」 大阪・四天王寺の境内で絆伝える記念碑除幕
2016.11.11
http://www.sankei.com/region/news/161111/rgn1611110070-n1.html

 「信州名物の野沢菜のルーツは天王寺蕪(かぶら)」という由来を記した「野沢菜伝来記念碑」が10日、大阪市天王寺区の四天王寺境内に建立された。野沢菜は、江戸時代、野沢村(現・長野県野沢温泉村)の僧侶が京都への遊学の際に持ち帰った天王寺蕪の種が先祖とされており、除幕式には関係者ら約60人が出席し、新たなシンボルの誕生を祝った。

 高さ約1・8メートル、横約2・4メートルの記念碑が設置されたのは五重塔や金堂のある中心伽藍(がらん)の東側。記念碑には「野沢菜原種旅の起点」と刻まれ、野沢菜のレリーフと大阪から長野までの伝来のルートが紹介されている。

 野沢菜は宝暦6(1756)年、同村にある健命寺の晃天園瑞住職が修行先で天王寺蕪の味に感動し、持ち帰ったのが栽培の始まりと伝えられている。

 一方、天王寺付近が発祥の地とされる天王寺蕪は、与謝蕪村が「名物や蕪の中の天王寺」と詠んだほど全国にその名を知られ、多くの人に好まれたが、明治後期に虫の被害などで姿を消した。

 平成13年ごろ、天王寺蕪の普及を目指す「天王寺蕪の会」の関係者が野沢菜の言い伝えを知り、野沢温泉村を訪ねたのが交流のきっかけ。以来、野沢菜が伝わった道を歩いてたどる「野沢菜伝来の街道(みち)ウォーキング」に参加したり、地元で開かれる“蕪主総会”に出席したりして交流を続けてきた。

 記念碑は今年、同村が村制施行60周年に当たることから「後世にこのつながりを伝えたい」と記念事業の一環として企画された。

 野沢温泉村の富井俊雄村長(66)は「野沢菜を通して長野と大阪の絆を強めていきたい」と話している。

2353undefined:2016/11/12(土) 05:16:51 ID:W7GBlhxs0
寺跡の石、継体天皇?の棺材…市民の通報で発見
2016年11月11日Tweet
寺院跡に立っていた石材(今年10月、大阪府高槻市で)=今城塚古代歴史館提供高槻・今城塚古墳近く

 継体天皇の墓とされる大阪府高槻市の今城塚古墳(6世紀前半)近くの寺院跡に立っていた石材が、同古墳に納められた石棺の一部とみられることがわかり、同市立今城塚古代歴史館が10日発表した。長年にわたって集落の石橋として使われていたが、市民からの連絡で史料の「発見」につながった。

 石材は長さ1・1メートル、幅66センチ、厚さ25センチで、重さ250キロ・グラム。周辺で既に出土した数百点の破片から、古墳には熊本県宇土市産の「阿蘇ピンク石」を使った約7トンの石棺があったと推定され、石材は材質からその一部とみられる。天皇やその近親者が埋葬されていた可能性が高いという。

 地元の伝承によると、1596年の伏見地震後、崩れた墳丘から地元住民が石棺材を搬出し、集落の共同井戸を渡す石橋として使用。滑ってけがをする人が増えたため、たたりを恐れた住民が1960年頃から、古墳から約1キロ離れた「観音寺」でまつったが、2年前に寺が閉鎖され、更地に放置されていた。

 ところが今年7月、NPO法人「高槻市文化財スタッフの会」のメンバーがガイドとして古墳の関係先を巡った際、寺院跡の石材が石棺の材質に似ていることに気づき、連絡を受けた同館が調査にあたっていた。

 鑑定した和田晴吾・立命館大名誉教授(考古学)は「見つかった部材としては最大。納められた人物や石棺の大きさなどの実態に迫る発見だ」と話している。

 石材は今月12日から同館で展示される。問い合わせは同館(072・682・0820)。

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20161111-OYO1T50004.html?from=oyartcl_blist

2354undefined:2016/11/19(土) 21:49:40 ID:D7hqDY6w0
「真田丸」は要害堅固…彦根藩「井伊氏家伝書」と書状が語る実録大坂冬の陣
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手傷を負った井伊家家老、木俣守安への見舞い状(彦根城博物館提供)
 徳川家と豊臣家が戦った慶長19(1614)年の大坂冬の陣で、豊臣方の真田信繁(幸村)がこもった「真田丸」の攻略に参加した彦根藩の激戦の様子が分かる史料が彦根城博物館(滋賀県彦根市金亀町)で初公開される。彦根方が果敢に攻めたものの撃退された激戦のがうかがえる内容という。

 史料は、負傷した彦根藩の武将、木俣守安をかつての同僚がねぎらった書状「庵原三郎右衛門書状」と、木俣の子孫がまとめたとされる「井伊氏家伝書」。同市教委が木俣の子孫から入手していた。

 「井伊氏家伝書」は、彦根藩が福井藩と先陣を争い、真田丸の空堀まで進んだが反撃を受けて退却、100人強の死傷者を出し、木俣自身も負傷したと記している。同博物館によると、木俣は命令を受ける前に出撃する「勇み足」だったが、勇猛な先鋒隊としての面目を保ったとして幕府からたたえられたという。

 また「庵原三郎右衛門書状」は、木俣と彦根藩の同僚だった庵原三郎右衛門が書き送った。日付は木俣の負傷から約1カ月後の慶長20年1月5日。「(真田丸の堀まで突き進んだ)手柄は将軍(徳川秀忠)もお喜びで、みんなもほめている。傷を治して復帰を」などと励ましている。

http://www.sankei.com/west/news/161026/wst1610260016-n1.html

2355undefined:2016/11/19(土) 21:55:26 ID:D7hqDY6w0
(2/2ページ) .
 同博物館学芸史料課の渡辺恒一課長は「真田丸での彦根藩の戦いが分かる貴重な史料。敗れたが、将軍から評価され喜んでいたことが分かる」と話している。

 書状と井伊氏家伝書は、同博物館で開催中の「井伊家と大阪の陣」で12月1日から公開される。

http://www.sankei.com/west/news/161026/wst1610260016-n2.html

2356undefined:2016/11/19(土) 22:10:10 ID:D7hqDY6w0
後藤又兵衛討ち死に報告 豊臣秀頼に、書き付け発見
2016年11月17日 11:32

 岡山県立博物館は17日、徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614〜15年)で豊臣側の「五人衆」として戦った後藤又兵衛が討ち死にしたことを、配下の武士が豊臣秀頼に報告した書き付けが、京都府内で見つかったと発表した。


 大坂の陣で後藤又兵衛が討ち死にしたことを、配下の武士が豊臣秀頼に報告した書き付け

 同館によると、腰に重傷を負った又兵衛は配下の武士に自身の首を討たせていたが、書き付けでは、その際に秀頼から授かった脇差し「行光」を使っていたことが初めて分かったという。

 書き付けは縦27・4センチ、横35センチ。又兵衛の下で戦い、秀頼に又兵衛の討ち死にを報告したとみられる金万平右衛門の子孫宅で見つかった。25日から同館で展示する。


http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161117/20161117050.html

2357undefined:2016/11/20(日) 12:16:34 ID:ZdFP/CpA0
初代大坂城「秀吉の石垣」を限定公開
更新:11/20 01:05
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161120/00000001.shtml

 豊臣秀吉が築いた初代大坂城の石垣が19日、一般公開されました。

 地下約7メートル。地上から覗き込む形で見ることができるのは、豊臣秀吉が天下統一の拠点とした初代大坂城の石垣です。今の大阪城の真下に埋まっていて1959年に見つかりました。大阪市は普段、安全のため非公開としていますが、より多くの人にその存在を知ってもらおうと1日限定で公開しました。

 「何百年も昔のものだから、めったに見れないので、すごいと思いました」(見学者)

 「400年の歴史がこの7メートルに重なったのかと」(見学者)

 大阪市は2019年度には石垣を地下から見学できる施設を完成させる予定です。〆

2358undefined:2016/11/20(日) 14:07:48 ID:ZdFP/CpA0
泉州の魅力を語る 「村上海賊の娘」題材にシンポ
2016年11月20日
 ベストセラー歴史小説「村上海賊の娘」を題材に泉州弁について語り合うシンポジウム「泉州弁で考える」(泉州観光プロモーション協議会主催)が泉佐野市で開催された。著者の和田竜さんがパネリストの一人として登場し、約300人の参加者に泉州弁や泉州人の魅力について語った。


「俳味という言葉がいいのではないか」と泉州人の気質を表す言葉について話す和田さん

 シンポは12日に開催され、和田さんのほか、岸和田市出身の俳優林英世さん、大阪府立大の西尾純二教授、「Meets Regional」の江弘毅編集長、同協議会会長を務める竹山修身堺市長がパネリストとして登壇。主人公が属する村上海賊の敵役である泉州の侍たちが使う泉州弁について論じた。

 和田さんは「泉州の言葉をきっちり出さないと泉州の侍たちが持っているニュアンスとか感情が伝わらない」と考え、林さんから泉州弁の指導を受けたと説明。「ああ、そらあれじょ。直政(なおま)っさんの国がド田舎やさかいじょ」と総大将を友達のように呼ぶ接し方や、「塩で食(いか)んかえ」という食べ物を薦める際の勢いのある言葉など泉州弁を使うことで「せりふとしての魅力がまったく変わる」と強調した。

 交流のあった大阪人の印象について「へんてこなやつを、へんてこなままにしといてあげる」と語り、小説の中でも堂々と敵前逃亡する味方を「面白(おもしゃ)い」と感じる泉州人を表現。「異質なものを愉快がる俳味のようなものを持っている」と指摘した。

 終了後、和田さんは「ずっと残っている歴史はその土地の人が大事に思っている。自分が昔から使っている言葉を大事に思ってもらえたら」と話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161120/20161120032.html

2359undefined:2016/11/20(日) 15:05:32 ID:ZdFP/CpA0
スター浪曲師・梅中軒鶯童全盛期の映像
2016年11月19日Tweet
梅中軒鶯童の浪曲を記録したフィルムの一場面。柔和な表情に身ぶり手ぶりを交えた口演の様子を伝える 昭和の関西浪曲界を代表する人気浪曲師・梅中軒鶯童(ばいちゅうけんおうどう)の全盛期の口演を記録したフィルムが神戸映画資料館(神戸市長田区)で見つかった。1961年にテレビ番組用に収録した時のもの。レコードなどの音源は数多く残るが、映像記録は珍しいという。(横田加奈)

 鶯童は、繊細で軽やかな節回しの「鶯童節」を確立し、30年代から戦後にかけて人気を集め、レコードも多数発売された。師弟関係を重んじる浪曲界への反発から、特定の師匠に付かずに全国を巡業。束縛を嫌い、自由を愛したその生涯は「流れ雲」のタイトルでテレビドラマ化された。

 今回見つかったのは、16ミリフィルムで撮影された毎日放送の番組「浪曲名人会」。約30分間に61年4月放送の演目「紀伊国屋文左衛門」の「戻り船」が収録されている。

 毎日放送によると、当時は撮影テープが高価だったため、放送後は上書きして再利用するケースが多く、映像はほとんど残っていないという。見つかったフィルムは、スタジオ収録の様子を映し出したモニターを撮影し、関係者がたまたま保存していたとみられる。

 「紀伊国屋文左衛門」は、江戸時代の紀州の豪商・紀伊国屋文左衛門の立志伝シリーズで、鶯童の得意ネタの一つ。「戻り船」はその1編で、江戸で大もうけした文左衛門が意気揚々と故郷・紀州に戻るまでを描いている。

 鶯童は、豪快で色気のある語りで、江戸・吉原で豪遊する文左衛門を表現。船上シーンでは、悠々とキセルを吸う所作が優美で、音楽的な「節」とせりふの「啖呵(たんか)」を絶妙な間合いで使い分けている。映像の一般公開の予定はないが、同資料館では今後、検討するという。

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20161119-OYO1T50008.html?from=oycont_top_txt

2360名無しさん:2016/11/27(日) 21:26:52 ID:/Blf72kM0
上方講談、小二三さん小南陵襲名 大阪で披露公演
2016年11月25日 21:33

 上方講談、旭堂南陵さん(67)の筆頭弟子、旭堂小二三さん(41)が五代目「旭堂小南陵」を襲名し、披露公演が25日、大阪市の国立文楽劇場で開かれた。二番弟子の旭堂南陽さん(39)の四代目「玉田玉秀斎」襲名も併せて披露された。


 襲名披露の公演をする五代目旭堂小南陵さん=25日夜、大阪市の国立文楽劇場

 小南陵は師匠の前名で、女性が襲名したのは初めて。小南陵さんは俳優として活動しながら2001年に入門し、昨年、文化庁芸術祭新人賞を受けた。玉秀斎さんも01年入門。小南陵さんは「(高座に)上がった瞬間に泣きそうになった」と感無量な様子だった。

 口上では、南陵さんや上方落語協会会長の桂文枝さん(73)らが並んだ。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161125/20161125121.html

2361undefined:2016/12/01(木) 05:21:57 ID:DLqa4zxA0
堺市の履中陵陪塚に祭祀ステージ 大阪、百舌鳥古墳群の方墳で初
2016年11月30日 16:38

 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵、堺市西区)に付属する陪塚「寺山南山古墳」(方墳、5世紀初)で、祭祀を行うためのステージ状の「造り出し」が見つかり、堺市文化財課が30日、発表した。造り出しは前方後円墳に設けられることが多く、百舌鳥古墳群の方墳で確認されたのは初めて。担当者は「大王に近い人が埋葬された可能性が高まった」と説明している。


 寺山南山古墳で見つかったステージ状の「造り出し」の一部(中央上)。手前の斜面には葺石が敷かれている=堺市

 市によると、長辺約45メートル、短辺約36メートルの方墳で、墳丘は2段で築造されている。2014年3月に百舌鳥古墳群として国史跡になったことから、市が整備のため発掘したところ、古墳の東南側に造り出しが見つかった。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161130/20161130079.html

2362undefined:2016/12/01(木) 05:35:34 ID:DLqa4zxA0
後期難波宮で役所の建物群跡か 後期では初めて
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 聖武天皇が奈良時代に造営した後期難波宮(大阪市中央区)で、役人が文書処理などの実務をした役所「官衙」とみられる建物群の跡が見つかり、市教育委員会が30日、発表した。官衙跡は、飛鳥時代に完成した前期難波宮では発見されていたが、後期で確認されたのは初めて。

 調査を担当した大阪市博物館協会大阪文化財研究所の高橋工調査課長は「塀に囲まれたコンパクトな配置、簡素な構造などから官衙とみて間違いない」としている。

 発掘現場は、天皇が重要儀式や執務をした大極殿など主要建物群の西側。塀とみられる柱穴で仕切られた区域に、4棟の掘っ立て柱式建物跡が見つかり、うち二つは官衙によく見られる細長い建物だった。

 官衙跡のすぐ北側には東西に一直線に並ぶ11個の柱穴を発見。天皇が出入りするような格式の高い門を構えた「五間門区画」の一部とみられ、南北約200メートル、東西120メートル以上の大規模施設があったことも判明した。

http://www.sankei.com/west/news/161130/wst1611300069-n1.html

2363undefined:2016/12/01(木) 06:06:48 ID:DLqa4zxA0
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 高橋課長は大規模施設について「立地や格式から宴会施設だったとする説もある」と指摘。区画内に東西約12メートル、南北約6メートルの遺構も見つかった。小規模な門を建てる際の地盤改良の痕跡か、貯水施設の可能性もあるという。

 難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年に造営した「後期」に分かれる。

 現地説明会は12月3日午後1時〜3時。

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http://www.sankei.com/west/news/161130/wst1611300069-n2.html

2364undefined:2016/12/02(金) 15:25:58 ID:.Sbw6kzo0
”鬼門エリア”一般公開開始 四天王寺
2016年12月2日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の本坊庭園「極楽浄土の庭」で1日、新たに整備された北東エリア(1450平方メートル)の一般公開が始まった。通路が大幅に延長されたほか、同寺鬼門鎮守である正一位荒陵稲荷(あらはかいなり)大明神も参拝可能となり、早くも多くの来園者が足を運んでいる。


整備を終え公開が始まった荒陵稲荷大明神=1日午後、大阪市天王寺区の四天王寺

 新たな通路は、瑠璃光の池、薬師の滝の周囲を巡るように設け、北東角にあった稲荷社を約2年かけて整備した。同寺によると、かつて境内数カ所に稲荷社と仏教の神・※枳尼(だきに)社が祭られていたとされるが、明治期の廃仏毀釈(きしゃく)や太平洋戦争末期の大阪大空襲でほぼ焼失。唯一、北東の稲荷社が残り、失われた稲荷と※枳尼をここに合祀(ごうし)した。

 現在庭園は紅葉のピークで、訪れた人々が新たなビューポイントから景色を楽しみつつ稲荷社に手を合わせている。同寺参詣課の山岡武明課長は「日本の文化で忘れられかけている鬼門を知ってもらうきっかけにもなれば」と話した。開園は午前8時半〜午後4時(年内無休)。

※は托のヘンが口
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161202/20161202025.html

2365undefined:2016/12/02(金) 15:41:00 ID:.Sbw6kzo0
「野沢菜のルーツは天王寺蕪」 大阪・四天王寺の境内で絆伝える記念碑除幕
 「信州名物の野沢菜のルーツは天王寺蕪(かぶら)」という由来を記した「野沢菜伝来記念碑」が10日、大阪市天王寺区の四天王寺境内に建立された。野沢菜は、江戸時代、野沢村(現・長野県野沢温泉村)の僧侶が京都への遊学の際に持ち帰った天王寺蕪の種が先祖とされており、除幕式には関係者ら約60人が出席し、新たなシンボルの誕生を祝った。

 高さ約1・8メートル、横約2・4メートルの記念碑が設置されたのは五重塔や金堂のある中心伽藍(がらん)の東側。記念碑には「野沢菜原種旅の起点」と刻まれ、野沢菜のレリーフと大阪から長野までの伝来のルートが紹介されている。

 野沢菜は宝暦6(1756)年、同村にある健命寺の晃天園瑞住職が修行先で天王寺蕪の味に感動し、持ち帰ったのが栽培の始まりと伝えられている。

一方、天王寺付近が発祥の地とされる天王寺蕪は、与謝蕪村が「名物や蕪の中の天王寺」と詠んだほど全国にその名を知られ、多くの人に好まれたが、明治後期に虫の被害などで姿を消した。

 平成13年ごろ、天王寺蕪の普及を目指す「天王寺蕪の会」の関係者が野沢菜の言い伝えを知り、野沢温泉村を訪ねたのが交流のきっかけ。以来、野沢菜が伝わった道を歩いてたどる「野沢菜伝来の街道(みち)ウォーキング」に参加したり、地元で開かれる“蕪主総会”に出席したりして交流を続けてきた。

 記念碑は今年、同村が村制施行60周年に当たることから「後世にこのつながりを伝えたい」と記念事業の一環として企画された。

 野沢温泉村の富井俊雄村長(66)は「野沢菜を通して長野と大阪の絆を強めていきたい」と話している。


http://www.sankei.com/region/news/161111/rgn1611110070-n1.html

2366undefined:2016/12/02(金) 22:08:47 ID:X1JY42/o0
奈良時代「役所」の建物群跡か 後期難波宮で初確認
2016年11月30日 17:36

 聖武天皇が奈良時代に造営した後期難波宮(大阪市中央区)で、役人が文書処理などの実務をした役所「官衙」とみられる建物群の跡が見つかり、市教育委員会が30日、発表した。官衙跡は、飛鳥時代に完成した前期難波宮では発見されていたが、後期で確認されたのは初めて。


 後期難波宮で見つかった「官衙」とみられる建物群の跡=大阪市

 調査を担当した大阪市博物館協会大阪文化財研究所の高橋工調査課長は「塀に囲まれたコンパクトな配置、簡素な構造などから官衙とみて間違いない」としている。

 発掘現場は、天皇が重要儀式や執務をした大極殿など主要建物群の西側。塀とみられる柱穴で仕切られた区域に、4棟の掘っ立て柱式建物跡が見つかった。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161130/20161130095.html

2367undefined:2016/12/03(土) 04:37:28 ID:X1JY42/o0
【亀岡典子の恋する伝芸】
子供の頃にこんな授業があったら…国立文楽劇場近くの小学校で珍しい「文楽授業」 技芸員が指導
(1/3ページ「五条橋の段」を上演する高津小学校の児童=25日午後、大阪市中央区の高津小学校(奥清博撮影)
大阪発祥の伝統芸能通して「地元愛」高めよう

 全国でも珍しい、人形浄瑠璃文楽を授業に取り入れている小学校がある。文楽の本拠地、国立文楽劇場(大阪市中央区)から徒歩約5分の大阪市立高津小学校だ。十数年前から、大阪発祥の伝統芸能、文楽を通して、地域に誇りや愛情を持ってもらおうと文楽の授業がスタート。現在まで継続して行われている。

 そんな高津小学校の文楽の取り組みをより多くの人に見てもらって、文楽に親しく触れてもらおうと、11月25日、一般の観客を対象に、6年生による文楽公演「高津小学校子ども文楽〜伝統を未来へ〜」が開催された。地域の人々を中心に、たくさんの人たちが会場の体育館に集まり、小学生の懸命な演奏や舞台に、温かな拍手が送られた。

 同小学校は明治5年創立。現在の国立文楽劇場の場所に建っていたが、昭和45年、同劇場から約200メートルのところに移転した。その跡地に59年、開場したのが国立文楽劇場であった。そんな縁もあり、高津小学校では文楽を授業に取り入れるようになったのである。

 このプログラムができて2年後、取材で学校を訪れたことがある。子供たちは太夫、三味線、人形遣いの三業に分かれて一生懸命、稽古をしていたのを思い出す。

技芸員の熱血指導に子どもたちの顔も輝く

 “先生”は豊竹咲甫太夫(さきほだゆう)さん、鶴澤清馗(せいき)さん、桐竹勘十郎さんら文楽の技芸員。彼らは公演や稽古の合間を縫って学校を訪れ、熱心に子供たちを教えている。

 勘十郎さんによると、当初は授業のための人形をはじめ何もない状態だったそうで、「子供たちの稽古用にペットボトルで人形の足を手作りしたり、人形自体も作ったりしていました」とのこと。

http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n1.html

2368undefined:2016/12/03(土) 04:41:39 ID:X1JY42/o0
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(2/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
 見台なども手作り。教科書もない。勘十郎さんは東京公演のときなど、せりふと人形の動きを紙に絵で描いて宅急便で学校に送ったこともあった。

 同小学校の元校長、玉置美智子さんは当日の座談会で、「最初は見台を壊してしまう子もいましたが、秋の発表会が終わるころには、子供たちの顔が輝いていました。文楽の授業を続けて良かったと思いました」。勘十郎さんも「地域や先生方の熱心さでここまで続いたと思う」という。

 当日は、「とーざーい」の声で幕開き。上手に鮮やかな黄緑色の肩衣を身につけた太夫と三味線、下手には囃子方(はやしかた)、そして舞台では黒衣に身を包んだ人形遣いが、弁慶と牛若丸の出会いを描いた「五条橋」、2人の三番叟(さんばそう)が五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈って舞う「二人三番叟」を上演した。

 「二人三番叟」ではリズミカルな浄瑠璃に乗って、足拍子も軽やかに人形たちが舞う。高津小学校バージョンでは、傘の上での玉転がしや皿回しなど楽しい演出もあり、観客を喜ばせた。

 人形を遣った姫野椿さん(11)は「みんなと息を合わせて遣うのが難しい。でも頑張って出来たときはチームワークが深まった」と話してくれた。

 当日は、文楽座の竹本三輪太夫さん、鶴澤燕三さん、勘十郎さん、桐竹勘次郎さんらによる「傾城阿波(けいせいあわ)の鳴門・順礼歌(じゅんれいうた)の段」も上演。文楽にどっぷり触れた半日となった。


http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n2.html

2369undefined:2016/12/03(土) 04:44:32 ID:X1JY42/o0
(3/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
“技芸員の先生”の数が足りなくなる?

 それにしても、思うのは、もし、小学生のころ、こんな文楽の授業を受けていたら、もっと日本の伝統芸能に親しむのが早かったのではないかということ。難しそうとか、邦楽や義太夫の詞章がわかりにくいと思う前に、体に自然に浄瑠璃が染みこめば、構えずに楽しめただろう。

 いま、文楽や能、歌舞伎などで盛んに子供たちのための体験授業やワークショップが行われている。子供時代に一度触れておけば、いったん忘れても、大人になったとき必ず思い出すものだという。

 文楽は大阪が本場。高津小学校のような取り組みがもっと増えていけばいいのだが、そうなると、教えに行く“技芸員の先生”の数が絶対的に足りないし、頭の痛いところなのである。

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http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n3.html

2370undefined:2017/01/01(日) 21:40:48 ID:pAl9ciKw0
住吉大社 初詣にぎわう
01月01日 06時21分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170101/5711311.html

年を迎え、正月三が日で約240万人が訪れる見通しの大阪・住吉区の住吉大社は初詣に訪れる人たちでにぎわっています。
住吉大社は地元に住む人々を災難から守ってきた神様として知られ親しみを込めて「すみよっさん」の愛称で呼ばれています。
1日午前0時、新年を迎えると住吉大社の境内では太鼓が打ち鳴らされ、それを合図に本殿の前に列を作って並んでいた人たちが一斉に、さい銭を投げていました。
訪れた人たちは手を合わせてそれぞれこれからの1年について願いごとを祈願していました。
大阪市から訪れた60代の男性は「家族の安全を祈願しました」と話していました。
友人と訪れた大阪・岸和田市の20代の女性は「交際相手が欲しいとお願いしました」と話していました。
住吉大社では今年の正月三が日で去年とほぼ同じ、240万人程度の人出を見込んでいるということです。

2371名無しさん:2017/01/03(火) 18:27:45 ID:Yn1wk.ls0
そろばんはじき初め 大阪
01月03日 16時52分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170103/5264341.html

子どもたちが、ことし1年のそろばんの上達を願う「はじき初め」が学問の神様、菅原道真をまつる大阪天満宮で行われました。
はじき初めは、府内のそろばん教室でつくる団体が毎年1月3日に行っているものでことしは、小学生や中学生などおよそ1000人が参加しました。
大阪・北区の大阪天満宮の境内には、そろばんが並べられ、子どもたちは、読み上げられた数字を足していく「読み上げ算」に挑戦しました。
読み上げ算では、新しい年にちなんで「2017」が答えになる問題などが出され、日ごろからそ
ろばんに親しんでいる子どもたちは、次々と正しい答えをはじき出していました。
大阪・東淀川区の小学2年の男子児童は、「全問正解できてうれしい。ことしはそろばん1級を
目指して、家でも勉強して頑張りたい」と話していました。

2372名無しさん:2017/01/03(火) 18:32:46 ID:Yn1wk.ls0

正成ゆかりの地日本遺産申請へ
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170103/5457081.html

南北朝時代の武将、楠木正成、正行の親子にゆかりのある大阪と兵庫の6つの市町村が連携し、2月に、日本遺産への認定を申請することになりました。
日本遺産への認定の申請は、楠木正成の菩提寺、観心寺がある大阪・河内長野市が、正成と息子、正行にゆかりのある、大阪の四條畷市、富田林市、島本町、千早赤阪村、それに神戸市に呼びかけて準備を進めています。
日本遺産は、各地に点在する有形・無形の文化財を観光資源として国内外に発信していこうと、文化庁が昨年度、制度を設けました。
6つの市町村は、「南北朝時代の武将として、正成と正行は知略をもって大軍と向かい合い、後世まで名をはせた。浄瑠璃や講談でも演じられてきたサムライのヒーローは、この地に700年にわたって生き続けている」などとする内容で、2月に文化庁に申請することにしています。
河内長野市教育委員会の太田宏明係長は「楠木正成は全国にファンがいて、準備段階から多くのエールをいただいている。日本遺産認定を地域の活性化につなげたい」と話しています。

2373名無しさん:2017/02/03(金) 12:34:03 ID:qyBlkDVA0
「四代目春団治」、春之輔さんが来春襲名へ
2017年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20170203-OYO1T50007.html

 上方落語の大名跡「桂春団治」の四代目を、昨年1月に亡くなった三代目の弟子、桂春之輔はるのすけさん(68)が来春、襲名することになった。春之輔さんと松竹芸能(大阪市)が2日、発表した。披露興行は来春、大阪松竹座(同)で行われる。

 春之輔さんは大阪府寝屋川市出身。1965年、三代目に入門した。軽妙な語り口が持ち味で、滑稽噺ばなしから人情噺まで幅広い演目をこなす。79〜92年、テレビの情報番組「2時のワイドショー」にも出演し、人気を集めた。現在、上方落語協会副会長を務めている。

 この日、記者会見した春之輔さんは「三代目が生前、私を四代目にと指名してくれていた。芸では歴代春団治にかなわないかもしれないが、自分なりに新しい春団治を作り上げていきたい」と抱負を述べた。

2374名無しさん:2017/02/08(水) 12:19:43 ID:qyBlkDVA0
高山右近、晴れて「福者」に 大阪の列福式に1万人参列
岡田匠2017年2月7日
http://www.asahi.com/articles/ASK2745L8K27PTFC004.html

 キリシタン大名・高山右近がカトリックの「福者(ふくしゃ)」に認められたことを宣言する列福(れっぷく)式が7日、大阪城ホール(大阪市)で開かれた。ローマ法王代理としてバチカン(ローマ法王庁)から派遣された枢機卿が進行役の主司式を務め、信者ら約1万人が参列した。

 福者は、聖人に次ぐ崇敬の対象。右近は昨年1月、法王から承認された。

 式では、聖遺物として右近のチョッキの切れ端が壇上に置かれた。岡田武夫・東京大司教が福者の列に右近を加えるよう請願。法王代理のアンジェロ・アマート法王庁列聖省長官が法王の書簡を読み上げ、イタリア語で「福者の列に加えます」と告げた。その後、長崎の信者で画家の三牧(みまき)樺(か)ず子さんが今回の列福式のために描いた右近の肖像画が除幕された。カトリックは今後、右近が亡くなった2月3日を記念日として毎年祝うという。

 右近は戦国時代、今の大阪府豊能町で生まれ、12歳で洗礼を受けた。豊臣秀吉のバテレン追放令でも信仰を捨てず、前田利家に保護された。1614年に江戸幕府の禁教令で国外追放となり、翌年2月3日にマニラで亡くなった。

 これまで日本では、秀吉に処刑され殉教したパウロ三木ら42人が聖人に、江戸初期に聖地エルサレムを訪れたペトロ岐部ら393人が福者に認定されている。(岡田匠)

2375名無しさん:2017/02/22(水) 20:07:22 ID:rWPPEqz20
木彫、匠の技披露 「山本一門」が実演 大阪天満宮
2017年2月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170219/20170219033.html

 大阪市北区の大阪天満宮で開催中の「盆梅と盆石展」で18日、だんじり彫刻を手掛ける山本仲伸さん率いる「山本一門」の彫刻実演が行われた。来場者は厳かな雰囲気の中、匠(たくみ)の技に見入っていた。







黙々と作業を行う山本一門の彫師たち=18日午後、大阪市北区の大阪天満宮


 彫刻の実演は、伝統文化に触れる機会を来場者に持ってもらおうと、ことし初めて開催した。山本さんは貝塚市でだんじりのほか、置物や寺社彫刻を手掛けている。

 参集殿で午後1時から山本さんら4人の彫師がそれぞれの作品を制作。「カッ」「カッ」という木を彫る音が響く中、黙々と作業に取り組んでいた。

 兵庫県西宮市から訪れた男性(60)は「下書きがないのに、彫っていくのがすごい。頭の中でイメージができているのでしょうね」と感心しきりだった。

 「盆梅と盆石展」は3月12日まで。午前9時半〜午後4時。拝観料は中学生以上500円、小学生300円、幼児無料。

2376名無しさん:2017/02/22(水) 20:26:14 ID:rWPPEqz20
香りと花姿 来園者満喫 四天王寺で梅見頃
2017年2月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170222/20170222026.html

 21日の近畿地方は冬型の気圧配置でおおむね曇り空だったが、昼前から高気圧に覆われ中・南部では青空が広がった。

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、境内の随所に植えられている梅の一部が見頃となり、多くの参詣者を迎えている。このうち四季折々の草花が楽しめる本坊庭園「極楽浄土の庭」(約1万平方メートル)でも白やピンクのかれんな小輪が枝先を飾っている。

 この日は同寺ゆかりの弘法大師の月命日の縁日「大師会(だいしえ)」で、境内は朝から大にぎわい。庭園内も来園者が絶えず、葉擦れとせせらぎの音に包まれる中、寒風が運ぶ梅の香りと花姿を満喫していた。

 大阪管区気象台によると大阪市の最高気温は8・6度で、前日を9・2度、平年を2・0度それぞれ下回る、寒い一日となった。

 開花時期は品種よって異なり、同寺によると順次咲き替わりながら3月中旬まで楽しめるという。

2377名無しさん:2017/02/22(水) 20:36:55 ID:rWPPEqz20
大量の焼けた瓦出土・・・高宮廃寺跡
2017年02月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170216-OYTNT50320.html?from=yartcl_blist

◇「講堂焼失」裏付け

 寝屋川市高宮の国史跡・高宮廃寺跡で、中世に再建された「講堂」が火災により焼失した状況を確認した、と市教委が発表した。焼けた瓦や黒く炭化した土の層が出土しており、市教委は「火災で建物が焼失したという状況が目に見える形で裏付けられた」としている。

 寺域はほとんどが、大杜御祖おおもりみおや神社の境内地内にあったとされる。講堂は僧侶が講話や説法を行った場所で、奈良時代に廃絶し、鎌倉から室町期に再建したとみられている。

 市教委が昨年8月から約500平方メートルを調査した結果、講堂跡(東西16・5メートル、南北13・5メートル)の北東部の土層(深さ約1・2メートル)から、一部が焼損するなどした大量の瓦や炭化した土の層が見つかった。瓦の材質や色などの形状から、1420〜90年代のものとみられるという。

 現地説明会は18日午後1時、同2時から。小雨決行。JR東寝屋川駅から西へ徒歩15分。調査は今年度末で終了するため、今後、周囲は埋め戻される。現状を確認できるのは今回が最後という。問い合わせは、市教委文化スポーツ室(代表072・824・1181)へ。

2017年02月17日

2378名無しさん:2017/03/06(月) 18:54:39 ID:eRtBF0Us0
http://www.news-postseven.com/archives/20170306_498772.html?PAGE=1#container

笑福亭鶴瓶、上方四天王「松鶴」復活の大本命に急浮上
昨年死去した三代目・桂春団治の一周忌追善落語会が2月26日に開催された。そこで、来春に四代目・春団治を継ぐこととなった桂春之輔(68)へ、笑福亭鶴瓶(65)がこんな言葉を投げかけた。
だが1986年に亡くなった後は、襲名をめぐり一門を揺るがす大騒動が起こった。本来なら「松鶴」の後継者は一番弟子の笑福亭仁鶴(80)だったが、彼は「自分で大きくした仁鶴でやっていきたい」と拒否。代わりに仁鶴は独断で六代目の七番弟子である笑福亭松葉を指名した。
 これには兄弟子たちの不満が爆発。騒動は泥沼化し、お家騒動は当時のワイドショーを賑わせた。しかも、指名された松葉は病に倒れ、七代目を継ぐ前にこの世を去った。名跡は遺贈されたが、それ以来、「松鶴」は“空席”のままだ。前出の落語関係者がいう。

「大阪では『松鶴の名前も復活させてほしい』という声が根強い。だが、泥沼の後継者争いを経験した弟子たちは総じて“そんな名跡を継いで嫉妬されたくない”と敬遠気味。そこで名前が挙がっているのが鶴瓶なのです」

 近年の鶴瓶は、確かに落語へ傾注している。若い頃からテレビやラジオを中心に活躍し「落語をやらない落語家」と皮肉られてきた鶴瓶だが、2002年に春風亭小朝(61)から大きな落語会への出演オファーを受けたことをきっかけに真剣に古典を学び直した。2007年には六代目の得意とした演目「らくだ」を「鶴瓶のらくだ」へと改編し全国ツアーを開催して2万人を動員した。

「それだけじゃありません。六代目の自宅を買い取って多目的ホールに改装し、多忙にもかかわらず、月に一度は落語会を開催しています。

 六代目の死後30年近くたった今でも、毎月の墓参りは欠かさない。それほど師匠への思い入れは強いんです。大阪では鶴瓶を推す声は日増しに高まっている」(同前)

 鶴瓶の所属事務所に聞くと「(待望論は)ありがたい話ですが、それはないです」との回答。鶴瓶が“お跡がよろしいようで”と受け入れる日は来るか──。

※週刊ポスト2017年3月17日号

「僕は(襲名に)反対や。あんたが名乗る前に俺が『笑福亭春団治』を名乗るわ」

 鶴瓶流の激励に、会場は笑いに包まれた。もちろん「春団治襲名」は冗談だが、上方落語界では「別の大名跡を手にするのでは」(関西の落語関係者)と噂されている。

「春団治と並び“上方四天王”と言われる『笑福亭松鶴』の名跡です。もう20年以上の長い間、空席となっています」(同前)

 上方四天王とは、戦後、関西の落語界の復興に貢献した「春団治」、「松鶴」、「桂米朝」、「桂文枝」のこと。鶴瓶はそのひとり、六代目・松鶴の八番目の弟子である。

「六代目・松鶴といえば古典落語の大名人であり、上方落語界の巨人です。お酒好きの庶民が活躍する『らくだ』などは絶品でした」(上方文化評論家・福井栄一氏)

2379名無しさん:2017/03/06(月) 18:56:52 ID:eRtBF0Us0

笑福亭鶴瓶、上方四天王「松鶴」復活の大本命に急浮上
昨年死去した三代目・桂春団治の一周忌追善落語会が2月26日に開催された。そこで、来春に四代目・春団治を継ぐこととなった桂春之輔(68)へ、笑福亭鶴瓶(65)がこんな言葉を投げかけた。
「僕は(襲名に)反対や。あんたが名乗る前に俺が『笑福亭春団治』を名乗るわ」

 鶴瓶流の激励に、会場は笑いに包まれた。もちろん「春団治襲名」は冗談だが、上方落語界では「別の大名跡を手にするのでは」(関西の落語関係者)と噂されている。

「春団治と並び“上方四天王”と言われる『笑福亭松鶴』の名跡です。もう20年以上の長い間、空席となっています」(同前)

 上方四天王とは、戦後、関西の落語界の復興に貢献した「春団治」、「松鶴」、「桂米朝」、「桂文枝」のこと。鶴瓶はそのひとり、六代目・松鶴の八番目の弟子である。

「六代目・松鶴といえば古典落語の大名人であり、上方落語界の巨人です。お酒好きの庶民が活躍する『らくだ』などは絶品でした」(上方文化評論家・福井栄一氏)

だが1986年に亡くなった後は、襲名をめぐり一門を揺るがす大騒動が起こった。本来なら「松鶴」の後継者は一番弟子の笑福亭仁鶴(80)だったが、彼は「自分で大きくした仁鶴でやっていきたい」と拒否。代わりに仁鶴は独断で六代目の七番弟子である笑福亭松葉を指名した。
 これには兄弟子たちの不満が爆発。騒動は泥沼化し、お家騒動は当時のワイドショーを賑わせた。しかも、指名された松葉は病に倒れ、七代目を継ぐ前にこの世を去った。名跡は遺贈されたが、それ以来、「松鶴」は“空席”のままだ。前出の落語関係者がいう。

「大阪では『松鶴の名前も復活させてほしい』という声が根強い。だが、泥沼の後継者争いを経験した弟子たちは総じて“そんな名跡を継いで嫉妬されたくない”と敬遠気味。そこで名前が挙がっているのが鶴瓶なのです」

 近年の鶴瓶は、確かに落語へ傾注している。若い頃からテレビやラジオを中心に活躍し「落語をやらない落語家」と皮肉られてきた鶴瓶だが、2002年に春風亭小朝(61)から大きな落語会への出演オファーを受けたことをきっかけに真剣に古典を学び直した。2007年には六代目の得意とした演目「らくだ」を「鶴瓶のらくだ」へと改編し全国ツアーを開催して2万人を動員した。

「それだけじゃありません。六代目の自宅を買い取って多目的ホールに改装し、多忙にもかかわらず、月に一度は落語会を開催しています。

 六代目の死後30年近くたった今でも、毎月の墓参りは欠かさない。それほど師匠への思い入れは強いんです。大阪では鶴瓶を推す声は日増しに高まっている」(同前)

 鶴瓶の所属事務所に聞くと「(待望論は)ありがたい話ですが、それはないです」との回答。鶴瓶が“お跡がよろしいようで”と受け入れる日は来るか──。

※週刊ポスト2017年3月17日号

2380名無しさん:2017/03/21(火) 22:05:45 ID:f218XYX.0
http://www.sankei.com/west/news/170321/wst1703210067-n1.html

「楠木正成考」シンポジウム 井沢元彦氏と東儀秀樹氏が講演 明治神宮会館で開催
 産経新聞で連載中の「楠木正成考」に合わせ、忠義の人で知られる南北朝時代の武将、楠木正成の魅力と現代における意義を考えるシンポジウム「楠木正成考」が21日、東京都渋谷区の明治神宮会館で開かれ、約1900人が熱心に耳を傾けた。
 基調講演では作家の井沢元彦さんが「楠木正成の魅力と再評価」と題し、怨霊信仰など日本の歴史をひもときながら評価の変遷を解説。「正成は軍略家で見通しのいい人だったのに、あえて殉じる道を選んだ。優秀で誠実、魅力に富んだ人だった」と述べた。
 続いて雅楽師の東儀秀樹さんが講演。「学校教育から叙情歌が減っていることに怒りを感じる。美しい歌と言葉に日本の心がある」と話し、今回のために編曲したという唱歌「桜井の決別」で知られる「楠公の歌」を演奏すると、会場は大きな拍手に包まれた。
竹島なんぞくれてやったらよろいいがなとのたまった某落語家は楠公にちなんだ芸名を返上すべきである。

2381undefined:2017/04/20(木) 16:02:04 ID:xksMER4c0
聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を 東京大学名誉教授・平川祐弘
http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n1.html

昭和の日本で最高額紙幣に選ばれた人は聖徳太子で、百円、千円、五千円、一万円札に登場した。品位ある太子の像と法隆寺の夢殿である。年配の日本人で知らぬ人はいない。それに代わり福沢諭吉が一万円札に登場したのは1984年だが、この二人に対する内外評価の推移の意味を考えてみたい。

 ≪平和共存を優先した聖徳太子≫

 聖徳太子は西暦の574年に「仏法を信じ神道を尊んだ」用明天皇の子として生まれ、622年に亡くなった。厩(うまや)生まれの伝説があり、厩戸皇子(うまやどのみこ)ともいう。推古天皇の摂政として憲法十七条を制定した。漢訳仏典を学び多くの寺院を建てた。今でいえば学校開設だろう。

 仏教を奨励したが、党派的抗争を戒め、憲法第一条に「和ヲ以テ貴シトナス」と諭した。太子は信仰や政治の原理を説くよりも、複数価値の容認と平和共存を優先した。大陸文化導入を機に力を伸ばそうとした蘇我氏と、それに敵対した物部氏の抗争を目撃したから、仏教を尊びつつも一党の専制支配の危険を懸念したのだろう。

http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n2.html

支配原理でなく「寛容」をまず説く、このような国家基本法の第一条は珍しい。今度、日本が自前の憲法を制定する際は、前文に「和ヲ以テ貴シトナス」と宣(の)べるが良くはないか。わが国最初の成文法の最初の言葉が「以和為貴」だが、和とは平和の和、格差の少ない和諧社会の和、諸国民の和合の和、英語のharmonyとも解釈し得る。日本発の世界に誇り得る憲法理念ではあるまいか。

 ≪独立自尊を主張した福沢諭吉≫

 ところで聖徳太子と福沢諭吉は、日本史上二つの大きなターニング・ポイントに関係する。第一回は日本が目を中国に向けたとき、聖徳太子がその主導者として朝鮮半島から大陸文化をとりいれ、古代日本の文化政策を推進した。第二回は Japan’s turn to the West 、日本が目を西洋に転じたときで、福沢はその主導者として西洋化路線を推進した。

 明治維新を境に日本は第一外国語を漢文から英語に切り替えた。19世紀の世界で影響力のある大国は英国で、文明社会に通用する言葉は英語と認識したからだが、日本の英学の父・福沢は漢籍に通じていたくせに、漢学者を「其功能は飯を喰ふ字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨る食客と云ふて可なり」(学問のすゝめ)と笑い物にした。

2382undefined:2017/04/20(木) 16:03:46 ID:xksMER4c0
http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n3.html

このように大切な紙幣に日本文化史の二つの転換点を象徴する人物が選ばれた。二人は外国文化を学ぶ重要性を説きつつも日本人として自己本位の立場を貫いた。聖徳太子はチャイナ・スクールとはならず、福沢も独立自尊を主張した。太子の自主独立は大和朝廷が派遣した遣隋使が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」と述べたことからもわかる。日本人はこれを当然の主張と思うが、隋の煬帝(ようだい)は「之(これ)を覧(み)て悦(よろこ)ばず、〈蛮夷の書、無礼なるもの有り、復(ま)た以(もっ)て聞(ぶん)する勿(なか)れ〉と」いった(隋書倭国伝)。

 中華の人は華夷秩序(かいちつじょ)の上位に自分たちがおり、日本は下だと昔も今も思いたがる。だから対等な国際関係を結ぼうとする倭人(わじん)は無礼なのである。新井白石はそんな隣国の自己中心主義を退けようと、イタリア語のCina(チイナ)の使用を考えた。支那Zh●n★は侮蔑語でなくチイナの音訳だが中国人には気に食わない。

 東夷の日本が、かつては聖人の国として中国をあがめたくせに、脱亜入欧し、逆に強国となり侵略した。許せない。それだから戦後は日本人に支那とは呼ばせず中国と呼ばせた。

http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n4.html

≪学習指導要領改訂案に潜む意図≫

 アヘン戦争以来、帝国主義列強によって半植民地化されたことが中華の人にとり国恥(こくち)なのはわかるが、華夷秩序の消滅をも屈辱と感じるのは問題だ。

 その中国はいまや経済的・軍事的に日本を抜き、米国に次ぐ覇権国家である。中華ナショナリズムは高揚し、得意げな華人も見かけるが、習近平氏の「中国の夢」とは何か。華夷秩序復興か。だが中国が超大国になろうと、日本の中国への回帰 Japan’s return to China はあり得ない。法治なき政治や貧富の格差、汚染した生活や道徳に魅力はない。そんな一党独裁の大国が日本の若者の尊敬や憧憬(しょうけい)の対象となるはずはないからだ。

 しかし相手は巧妙である。日本のプロ・チャイナの学者と手をつなぎ「脱亜」を唱えた福沢を貶(おとし)めようとした。だがいかに福沢を難じても、日本人が言語的に脱漢入英した現実を覆すことはできない。福沢は慶応義塾を開設し、英書を学ばせアジア的停滞から日本を抜け出させることに成功した。だがそんな福沢を悪者に仕立てるのが戦後日本左翼の流行だった。

 これから先、文科省に入りこんだその種の人たちは不都合な史実の何を消すつもりか。歴史は伝承の中に存するが、2月の学習指導要領改訂案では歴史教科書から聖徳太子の名前をやめ「厩戸王」とする方針を示した由である。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわ・すけひろ)

2383undefined:2017/04/20(木) 18:07:51 ID:xksMER4c0
古民家の台所が幽玄の世界に 大阪・吹田で「能楽囃子」
http://www.sankei.com/region/news/170417/rgn1704170036-n1.html

 古民家の台所を舞台に、簡略化された能を堪能する「能楽囃子(のうがくばやし)の世界」が16日、吹田市南高浜町の吹田歴史文化まちづくりセンター「浜屋敷」で開かれ、約90人のファンを魅了した。

 12回目の今回のテーマは、「ものまね条々」。司会、解説役の上田敦史さん(大倉流小鼓方)によると、ものまねは「物まね」ではなく、世阿弥が説く「さまざまな役柄を演じる際の心構え」のこと。関西で活躍する若手能楽師(観世流シテ方)らが「神」「男」「鬼」などを主人公とする5曲を披露した。

 最初の4曲は、紋付きはかま姿で能のクライマックスシーンを演じる「舞(まい)囃子」形式で行われ、住吉明神が登場するめでたい「高砂」などが舞われた。最後に、宇宙のすべてを映し出す「野守の鏡」を守る鬼神と山伏のやりとりがダイナミックな「野守(のもり)」が、曲の後半の見どころを演じる「半能」形式で披露された。

 浜屋敷は江戸時代の庄屋の屋敷跡で、薄明かりの台所の板間が舞台になった。能楽ファンらは、土間のカマドの前に置かれたイスに座って鑑賞し、幽玄の世界に浸った。

2384undefined:2017/05/01(月) 19:53:49 ID:82wZygKM0
よろい片、日本最北の出土 大和政権と関係か、新潟
2017年4月29日 16:00
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170429/20170429061.html


 新潟市東区の「牡丹山諏訪神社古墳」から、5世紀初めの古墳時代中期のものとみられるよろい片が見つかった。古墳時代のよろいとしては日本最北での出土。当時は畿内しかよろいを作る技術がなく、大和政権とのつながりを示す史料として研究者から注目を浴びている。

 調査団代表の橋本博文教授によると昨年9月に発見。縦約3センチ、横約4センチで、厚さ約2ミリの鉄板が2枚重ねられていた。2カ所の穴に革ひもの跡があったことなどから短甲のかけらとみられる。

 同古墳からはこれまで、円筒埴輪や朝鮮半島由来とみられる須恵器なども出土している。

2385undefined:2017/05/01(月) 20:40:34 ID:82wZygKM0
竹内街道・横大路 日本遺産に
04月28日 15時17分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170428/5904421.html

日本の文化や伝統を国内外に発信していこうと、文化庁が認定を行っている「日本遺産」に、大阪府と奈良県の12の自治体が申請していた「最古の国道竹内街道・横大路」が選ばれました。
「日本遺産」は、各地の有形・無形の文化財を地域的なつながりや時代的な特徴ごとにまとめ、その魅力を国内外に発信していこうと、文化庁が、おととし4月から認定しているものです。
今年度は、全国から79件の申請があり、17件が選ばれました。
このうち、大阪府と奈良県の12の自治体が申請していた「最古の国道竹内街道・横大路」は、古代の難波と飛鳥を結んだ道で、現在も大阪・堺市から奈良県の桜井市までを東西に結んでいる道です。
沿道には、百舌鳥・古市古墳群などの重要な文化財が残されるなど、古代から現代まで1400年にわたる悠久の歴史を伝える「最古の国道」として認定されました。
大阪府の文化財が日本遺産に認定されるのは初めてです。
大阪府の松井知事は記者団に対し「海外からも大勢の旅行客が訪れている。日本遺産という冠がつけば、さらに多くの人が訪れてくれると思うので、うれしい」と述べました。

2386undefined:2017/05/01(月) 21:46:35 ID:82wZygKM0
雅楽奉納 うっとり 大阪天満宮「鎮花祭」
2017年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170426/20170426023.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、伝統行事「鎮花祭(ちんかさい)」が執り行われた。本殿前の特設舞台で雅楽が奉納され、多くの参拝者がみやびやかな音色や所作に見入った。

 
同祭は「はなしずめのまつり」とも呼ばれる行事。花が咲き誇るこの季節は人々の心も緩みがちで災いが生じやすいことから、古来、花の精霊の仕業と考えられ、舞い散る花に乗って飛ぶ精霊を鎮めて平安を祈念したと伝わる。

 冒頭の管絃では同宮神職が「君が代」と唐楽の「胡飲酒破(こんじゅのは)」を奏で、優美な音色を境内に響かせた。続いて、みこが浪速神楽「式神楽第一」、社伝神楽「珍しな」などを順次奉納した。このほかに関西雅楽松風会の奉仕で舞楽「白浜(ほうひん)」などが演じられ、古式ゆかしい装束と息の合った一挙一動が相まって参拝者を魅了。春の伝統行事を華やかに締めくくった。

2387undefined:2017/05/01(月) 22:02:13 ID:82wZygKM0
40万点 春の古本市 3日まで、古書ファン続々と
2017年4月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170429/20170429025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で28日、春恒例の大古本祭りが開幕した。歴史書や小説、絵本、雑貨など古書類約40万点をそろえ、目当ての品を買い求める来場者でにぎわっている。5月3日まで。

 
 同イベントは関西古書研究会と四天王寺の主催。15回目となる今回は「『長寿』は『食』から」をテーマに、チベットの医療辞典や漢方の専門書など健康に関する書籍が充実。『東京都庁・大阪市役所 庭球対抗試合二十年史』(1957年)など大阪関係の希少本も並ぶ。

 初日のこの日は午前10時の開場と同時に古書ファンが詰めかけ、100円均一コーナーなどに人気が集中。絵本を求めて京都市から訪れた佐藤エミさん(51)は「毎年初日に来るのが楽しみ。買う、買わないにかかわらず、活気があって楽しい」と話していた。

 関西古書研究会の菅哲夫会長は「今年は開店5年未満の若い店の参加が多く、初めて即売会に出すような目新しいものも魅力」とアピールしていた。

2388undefined:2017/05/01(月) 22:05:26 ID:82wZygKM0
二十五菩薩画完成、奉納 10年がかり入魂作
2017年4月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170430/20170430027.html

 大阪市平野区平野上町1丁目の大念仏寺で、伝統儀礼「万部おねり」が5月1日に始まるのを前に、同区の画家、谷守さん(82)が信仰の証しとして祭りに登場する二十五菩薩(ぼさつ)像を描き、完成させた。知人の勧めもあって描き続けてきた谷さんは「10年かかってようやく宿題を果たせた」と胸をなで下ろした。

 
今回奉納したのは、薬王、華厳王、大自在王、日照王の4菩薩。万部おねりは、臨終に際して仏や菩薩が迎えに来る「来迎」の様子を表現した奇祭で、谷さんは節目の年にしか登場しない地蔵菩薩を含めて年に1〜4体ずつ納めてきた。

 谷さんはかつて肺を患い、一時は生死の境をさまようなど筆を休めたが、「もう一度描いてくれ」という菩薩の声に力を得たという。

 24日には法要があり、僧侶や行政、地元町会の関係者ら約60人が参列。同寺の田中瑞修宗務総長が「体力、精神力の結晶だ。いつまでも大切にお守りしたい」とあいさつした。

2389undefined:2017/05/07(日) 19:14:08 ID:dmbp3C5.0
“現代版”菱垣廻船が出航 ヨットで700キロ、江戸へ
2017年5月3日 17:17
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170503/20170503071.html

 江戸時代に大阪―江戸を結び、さまざまな生活物資を定期輸送した「菱垣廻船」の航跡約700キロをたどるヨットが3日、大阪港を出発した。天候の回復などを待った港町「風待ち港」に立ち寄りながら、東京港に20日到着する予定だ。

 ヨットはサザンクロス号(全長約12メートル、幅約4メートル)。3日午前11時ごろ、約50人が見送る中、最初の寄港地の兵庫県洲本市に向け出港した。

 菱垣廻船は、「天下の台所」大阪から、しょうゆや酒、木綿などの物資を江戸に運んだ「海の大動脈」で、太平洋岸を航行する南海路の各所には風待ち港が栄えた。

2390undefined:2017/05/14(日) 19:59:43 ID:3zxVZubk0
北前船の嘉兵衛精神を現代に 兵庫で寄港地フォーラム
2017年5月12日 19:27
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170512/20170512136.html

江戸時代、日本海側や瀬戸内海を通って大阪と北海道を結んだ「北前船」が寄港した各地の自治体関係者らが集まり、観光振興や地域活性化策を話し合う「第19回北前船寄港地フォーラム」が12日、兵庫県淡路市で開かれた。淡路島は北前船で活躍した豪商高田屋嘉兵衛の出身地で、参加者は嘉兵衛の業績を現代の地域振興に生かす討論などに熱心に聞き入った。

 「嘉兵衛のフロンティア精神に学ぶ」と題された討論では、淡路島観光協会副会長の木下学さんが「嘉兵衛は寄港地で売れる物をしっかり目利きして仕入れ、売っていた」と指摘した。

2391undefined:2017/05/21(日) 14:13:58 ID:MCBszPgY0
津堂城山古墳 石棺を再現 藤井寺市
2017年05月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170513-OYTNT50156.html

藤井寺市は、世界遺産登録を目指している古市古墳群の「津堂城山つどうしろやま古墳」の石棺せっかんを原寸大で再現し、古墳北側にある案内棟「まほらしろやま」の敷地で展示を始めた。石棺は100年余り前に発掘されたが、すぐに埋め戻されて、その後、目にすることはできなくなっている。実物と同じ石を用いるなど忠実な再現が心がけられたという。

 津堂城山古墳は、古墳時代中期に築造された大型の前方後円墳。埋葬された人物が誰なのかは分かっていない。1912年(明治45年)に後円部の頂上付近から石棺は見つかった。全長3メートル以上あり、長方形の「長持形ながもちがた石棺」としては国内でも最大級とされた。

 だが、宮内省(当時)の判断ですぐ埋め戻されたため、詳細については不明な点が多い。今回、復元にあたって、残っていた図面や写真、報告書を基にして、長さ約3・5メートル、幅約1・7メートル、高さ約1・9メートルで仕上げた。実物と同じ兵庫県高砂市で採れる竜山石を使い、蓋や側面、底など板状の部材を組み合わせ、突起に施されていた意匠なども再現した。重さは約16トンになった。

 藤井寺市の山田幸弘・世界遺産登録推進室長は「レプリカであるが、これだけ大きな石棺を目にできる機会は貴重。古墳への関心を高めてもらえれば」と話している。午前10時〜午後5時に見学できる。無料。

2017年05月14日

2392undefined:2017/05/21(日) 14:15:32 ID:MCBszPgY0
百舌鳥・古市古墳群、世界遺産再挑戦
2017年5月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170521/20170521027.html

 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を目指す大阪府と堺、羽曳野、藤井寺3市が、7月末の国内推薦獲得に向けた機運の醸成に余念がない。国内推薦を過去3度見送られた経緯があり「まだかまだかと待っている」(地元関係者)状況だが、果たして4度目の挑戦は結実するのか。


■負けない

 「2025年の国際博覧会(万博)誘致活動もしている。東京に負けない『2極』と呼ばれる大阪をつくりたい」

 松井一郎知事は14日の世界文化遺産登録推進シンポジウムでこう呼び掛けた。来年11月の万博開催地決定を前に世界文化遺産登録の国内推薦を勝ち取り、大阪の魅力を高める思惑が、知事の言葉ににじんだ。

 推薦を獲得した場合、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関イコモスによる審査、現地調査を経て19年7月にも登録の可否が決まる。この年は大阪が開催地の一つになるラグビーW杯があり、21年には関西ワールドマスターズゲームズが控える。

 20年五輪・パラリンピック開催地の東京都に「負けない」ほどの素地が大阪、関西にはあり、世界文化遺産登録が実現すれば話題性は高まりそうだ。

■異彩放つ

 百舌鳥・古市古墳群はこれまでに13、15、16年の文部科学省文化審議会の選考で推薦を見送られた。4回目の今年は「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」(北海道と青森、岩手、秋田3県)と「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」(新潟県)を相手に「1件」の推薦を競う。

 その前段として府と3市が開いたシンポジウムは、有識者らの講演やディスカッションを通して百舌鳥・古市古墳群の優位性を再確認する機会だったが、福永伸哉・大阪大大学院教授(考古学)による「地球遺産」の視点は異彩を放っていた。

 1500年間受け継がれた百舌鳥・古市古墳群の歴史を念頭に「保存管理すれば1千年、2千年先まで残る。(その時に)地球外生物と関係が生まれて全宇宙外交ができれば、地球遺産としてアピールできる」と持論を展開した。「飛躍している」との指摘はあったが、世界遺産登録はゴールではなくその先を見据える姿勢は必要だろう。

 世界遺産は現時点で20件登録されているが、西和彦・文化庁参事官はこう指摘した。

 「世界遺産になれば何が変わるのか。(地元当事者は)そのことをどこかで考えていかなければ、世界遺産になっても息切れしてしまう」

 百舌鳥・古市古墳群 大阪府南部の堺市と羽曳野市、藤井寺市にまたがり、4世紀後半〜6世紀前半に築かれ、日本最大の前方後円墳で全長486メートルの仁徳天皇陵古墳など89基の古墳が現存する。

2393undefined:2017/05/21(日) 14:50:41 ID:MCBszPgY0
お茶屋文化 もっと身近に…ミナミ・たに川2代目
2017年05月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170515-OYTNT50456.html

◇一見さん柔軟対応/芸妓衣装体験/HP開設

◇「足運び魅力知って」

大阪・ミナミで唯一残るお茶屋「たに川」(大阪市中央区)の2代目谷川恵めぐむさん(43)が、お茶屋の文化を伝えようと奮闘している。ハードルの高いイメージを払拭するため、「一見いちげんさんお断り」にはこだわらないことを決め、芸妓げいこ衣装の着付け体験などができる講座も開催。谷川さんは「お茶屋をもっと身近な存在にし、大阪の花街文化を残していきたい」と話している。(南部さやか)

 大阪には江戸時代から、北新地、堀江、新町、南地なんち(現在のミナミ)の四つの花街があり、たに川は1969年、南地で芸妓として働いていた谷川さんの母・恵美子さん(77)が創業した。戦前の南地には数百件のお茶屋があったとされるが、今は、たに川を除くと、キタに2軒あるだけという。

 谷川さんは、大学卒業後、就職したものの、「幼い頃から身近にあって親しんできたミナミのお茶屋がなくなるのは寂しい」と店を継ぐことを決意した。

 すでに、2011年からは、講座形式の「お茶屋サロン」(要予約、4000円)も開き、芸妓の生活などを解説。芸妓がカツラに付けるかんざしの展示をはじめ、芸妓の裾引きの衣装を着る体験会なども実施しており、これまでに500人以上が参加したという。 さらに、谷川さんは「お茶屋に行ったことがない人にも広く知ってもらうきっかけに」と今月、店のホームページ(https://ochaya-tanigawa.amebaownd.com)を開設。「一見さんはお断り?」「何人から利用できる?」などの質問項目も設け、お茶屋の内容や魅力などの紹介をしている。

 「何度も訪れることでお茶屋の魅力を知ってもらえる」と考え、「一見さんお断り」としてきたが、谷川さんは「店の特性を理解してくだされば、その限りではありません」と柔軟に対応することも決めた。

 芸妓の後継者不足は深刻で、10〜20歳代の若者が入門しても、稽古の厳しさや芸妓になっても出番の少なさからやめてしまうケースが目立つという。谷川さんは「お茶屋の文化は、老若男女が集う場として舞踏や三味線などの伝統文化と融合して継承されてきた。さまざまな情報を発信していくことで、その文化を守っていきたい」と決意を新たにしている。

 

 ◆お茶屋

 芸妓が披露する唄や三味線の芸を楽しみながら飲食する場だが、芸妓を呼ばずに飲食しても構わない。お茶屋には板前がいないため、料亭や飲食店などから、客の注文に応じる。会議室やけいこ場として利用する人もいるという。

2017年05月16日

2394undefined:2017/06/11(日) 21:07:44 ID:H89tWGz60
大阪港開港150年目 海保が総合訓練
2017年06月04日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170603-OYTNT50195.html

大阪港の開港から今年で150年目になることを記念し、大阪海上保安監部は3日、大阪湾で、船艇や航空機を出動させ、事故対応や救助の手順を確認する総合訓練を行った。多数の市民も見学に訪れた。

 同保安監部が所属する第5管区海上保安本部の管内で、大規模な総合訓練が行われるのは5年ぶり。同管区から職員約270人と巡視船など十数隻と航空機、ヘリコプターが参加し、6種類の訓練に臨んだ。

 航空機が発見した漂流者を救助する訓練では、上空のヘリコプターから隊員がロープで海上に降下し、漂流者役を手際よくつり上げてヘリコプターに収容した。逃走する不審船の追跡訓練では、隊員が乗った2隻のゴムボートが猛スピードで追いかけ、犯人逮捕の練習をした。

2017年06月04日

2395undefined:2017/06/11(日) 21:43:00 ID:H89tWGz60
犠牲者2800人忘れない 第3次大阪大空襲72年法要
2017年06月08日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/graph/article.html?id=20170607-OYTNI50068

太平洋戦争中、大阪市北東部を中心に約2800人が犠牲になったとされる「第3次大阪大空襲」から72年を迎えた7日、同市旭区の常宣寺じょうせんじで、慰霊法要が営まれ、遺族ら約50人が参列した=写真=。

 砲兵工廠こうしょうが近くにあった同区の城北公園では、1945年6月7日の大空襲で避難した多くの市民が戦闘機の機銃掃射などで亡くなった。法要では、読経に続き、参列者が焼香をして静かに手を合わせた。大空襲を体験したという東浦栄一さん(88)は「あの経験は決して忘れられない。後世に伝えていきたい」と話した。

2017年06月08日

2396undefined:2017/06/11(日) 21:43:01 ID:H89tWGz60
犠牲者2800人忘れない 第3次大阪大空襲72年法要
2017年06月08日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/graph/article.html?id=20170607-OYTNI50068

太平洋戦争中、大阪市北東部を中心に約2800人が犠牲になったとされる「第3次大阪大空襲」から72年を迎えた7日、同市旭区の常宣寺じょうせんじで、慰霊法要が営まれ、遺族ら約50人が参列した=写真=。

 砲兵工廠こうしょうが近くにあった同区の城北公園では、1945年6月7日の大空襲で避難した多くの市民が戦闘機の機銃掃射などで亡くなった。法要では、読経に続き、参列者が焼香をして静かに手を合わせた。大空襲を体験したという東浦栄一さん(88)は「あの経験は決して忘れられない。後世に伝えていきたい」と話した。

2017年06月08日

2397undefined:2017/06/11(日) 22:08:48 ID:H89tWGz60
歌人・石上露子しのぶ 富田林
2017年06月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170610-OYTNT50091.html?from=yartcl_blist

◇旧杉山家住宅で生誕祭

 富田林市出身の女流歌人・石上いそのかみ露子つゆこ(1882〜1959年)を顕彰する「石上露子生誕祭」が10日、生家にあたる同市の旧杉山家住宅(重要文化財)などで行われ、多くの市民が訪れた。

 露子は「明星」などで短歌や詩、小説を発表。中央歌壇から注目されたが、親の言いつけで結婚を強いられ、創作活動も禁じられた。愛情を注いだ2人の息子に先立たれ、不遇のまま生涯を閉じたとされる。

 活動期間の短さから広く認知されていない露子の業績と人柄を知ってもらおうと、一般社団法人「露香会」などが、露子の生まれた6月に生誕祭を開いており、今年で7回目。

 この日は、かなわぬ恋を題材にした代表作「小板橋」が、琴の演奏にのせて披露され、露子の写真パネルに花が手向けられた。その後、参加した市民たちは中庭で、着物姿の女性らが点たてた茶を味わいながら、在りし日の露子に思いをはせていた。

2017年06月11日

2398undefined:2017/06/11(日) 22:26:46 ID:H89tWGz60
大和政権支えた「陶邑(すえむら)」大量生産の須恵器展示 18日まで狭山池博物館
http://www.sankei.com/west/news/170610/wst1706100039-n1.html

古墳時代に朝鮮半島から伝わった陶質の土器、須恵器の国内最大の産地として知られる、堺市南部一帯の「陶邑(すえむら)」を紹介した企画展が、大阪狭山市池尻中の府立狭山池博物館で開かれている。大和政権を産業面で支えた陶邑の生産態勢などがうかがえる。18日まで。

 陶邑は堺・泉北地域を中心に、大阪狭山市や和泉市にかけて東西15キロ、南北9キロに広がり、古墳時代中期(5世紀前半)〜平安時代前期(9世紀中頃)に須恵器を大量生産。約850基の窯跡が確認されている。

http://www.sankei.com/west/news/170610/wst1706100039-n2.html

企画展では、堺市南区の府立大型児童館「ビッグバン」建設に伴って発掘された、高蔵寺(たかくらでら)13号窯跡(5世紀中頃)出土の須恵器など約50点を展示。同窯跡は陶邑中心部に位置し、須恵器を焼いた窯(長さ約14メートル)が当時に近い状態で残っていた。会場には、貴人用とみられる食事を盛る高杯(たかつき)、壺を置く大型の筒形器台などが並んでいる。

 同窯跡は、仁徳天皇陵古墳(全長486メートル)など巨大古墳が次々に築かれた時期と重なる。府教育庁文化財保護課の渡辺昌宏主任専門員は「陶邑は大和政権を産業や経済面で支え、日本の焼きものの古里でもあることを知ってもらえれば」と話す。入館無料で月曜休館。問い合わせは同館((電)072・367・8891)。

2399undefined:2017/06/11(日) 22:30:43 ID:H89tWGz60
【都市を生きる建築(98)】
「開港150年」大阪に建つモダン…水辺で生き抜いてきた知恵も 商船三井築港ビル、天満屋ビル
http://www.sankei.com/west/news/170610/wst1706100011-n1.html

今年は1868(明治元)年に大阪港が開港して150年ということで、7月を中心にさまざまな催しが予定されている。当時の物流は水運が主役で、あらゆるものと人、そして文化が海を渡って大阪港に集められ、大阪の市街地へと入っていった。1903(明治36)年には陸地から突きだす槍(やり)のような築港大桟橋(さんばし)が完成し、九条の花園橋まで大道路が整備されて(現在のみなと通)、大阪市で初の市電が開通した。大阪港は海外に向かって開かれた大阪のフロンティアであり、港湾事業で大いに栄え、通りにはモダンな建築が建ち並んだ。

 現在は中央突堤と呼ばれる大桟橋の跡のたもとに、当時の面影を今に伝える近代建築が2棟並んで建っている。1933(昭和8)年に建てられた商船三井築港ビルと、1936年の天満屋ビルだ。

 商船三井築港ビルは、大阪の海運を担っていた大阪商船(現在の商船三井)が建て、船員の待合所として使われていたという。大阪商船といえば、大阪を代表する近代建築であった、中之島のダイビルを建てたことでも知られる。こちらは小ぶりなサイズであるが、外壁に貼られたクリーム色のスクラッチタイルと、正面中央の装飾が特徴的だ。もともとは凸型の外観で、両肩の仕上げの異なる部分は後からの増築。サントリーミュージアムがあった頃までは、地下に大阪有数の現代アートのギャラリーがあり、1階にはデザイナーがオフィスを構えるなど、築港のクリエーティブシーンの一翼を担っていた。その後解体の危機が訪れるが、テナントの有志や市民の保存を願う声が届いて活用が決まり、現在は1階で飲食店が営業を続けている。

http://www.sankei.com/west/news/170610/wst1706100011-n2.html

天満屋ビルは地元の有力者が建てたもので、天満屋はその屋号を引き継いだもの。こちらも色違いの茶色いスクラッチタイルで、大きなガラスの開口と幾何学的な構成がモダンだ。現在は陽光がたっぷりと注ぐ部屋にカフェが入居し、ゆったりとした時間を刻んでいる。

 いずれも地上2階建てにみえるが、実は竣工(しゅんこう)当時は3階建てだった。港区と大正区は昔から地盤が低く、台風などの水害に何度も悩まされてきた。それが戦後の復興事業によって、街の道路が約2メートル嵩(かさ)上げされ、それ以前に建てられた建築は1階が土中に埋まってしまったのだ。現在の玄関はいずれもその後に新たに設置されたもので、天満屋ビルの足元には、かつての1階が覗(のぞ)いている。

 そうした目で築港の街を見回してみると、戦後に建てられたビルのなかにも、階段を4、5段上ってから玄関に入る建物が多いことに気付く。水辺で生き抜いてきた建築の知恵だ。(高岡伸一/建築家・大阪市立大学講師)

2400undefined:2017/06/12(月) 18:32:55 ID:CYEo8K3o0
8月、朝席スタート 天満天神繁昌亭
2017年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170608/20170608025.html

 上方落語協会は8月から、大阪市北区の天満天神繁昌亭で毎週火曜日朝から朝席を実施すると発表した。また7月3日からの第1週昼席で、桂枝女太(58)が来場者からお題を三つずつ上げてもらい、中入り前にお題を盛り込んだ創作落語を即席で披露する「三題噺(ばなし)」に1週間通しで挑戦することも併せて公表した。


「朝から晩まで繁昌亭で落語を楽しんでいただくのがわれわれの願い」という桂文枝会長(73)。まずは入場料千円の深夜、乙夜寄席を考案した。そしてさらに、朝席をスタート。

 担当主任の笑福亭銀瓶(49)は「昼席でまだ出番がない若手を開口一番に起用。昼席なら中トリクラスをトリに起用して、本舞台でそれぞれ勉強してもらう」と説明する。出演者は5人で、午前10時開演、当日券1800円。9月以降の開催は、客の入りを見て決定するという。

 三題噺は昨秋に桂三金が同様に1週間取り組んだ。枝女太は「以前びわこ放送ラジオで同様の試みをしたが、高座で15分近い創作落語に仕上げるのは至難の業。兄弟子の文枝会長にヒントをもらうなど助けていただいて…」と神妙だ。

 担当の笑福亭仁智副会長(64)は「神戸の繁昌亭オープンの準備が着々と進んでいる。大阪の繁昌亭10周年の1カ月は前年比3割増しのお客さまに来ていただいた。協会員も増えたし、常に挑戦する姿勢を忘れず落語に取り組んでいってもらいたい」と意欲を見せた。

2401undefined:2017/06/12(月) 18:39:44 ID:CYEo8K3o0
12日は「恋人の日」 愛染さんで恋絵馬お目見え
2017年6月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170611/20170611029.html

 12日は「恋人の日」-。“愛染(あいぜん)さん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)(山岡武明住職)で、12日から期間限定で新たな授与品「恋絵馬」(100円)がお目見えする。古来、恋愛成就や縁結びの“パワースポット”として知られる寺院とあって、関係者が「さらに幸せになってもらいたい」と思いを込め、愛らしいハート形絵馬の準備を進めている。授与は29日まで。

「恋人の日」はブラジルの風習。恋人同士が、縁結びの聖人・聖アントニオの命日の前日に互いの写真を入れた写真立てを贈り合うことにちなみ、全国額縁組合連合会が1988年から事業活性化の一環として取り組んでいる。

 長年多くの恋人たちが足を運んでいる同院では、この記念日に着目し今年初めて企画。大阪の夏祭りの幕開けを飾る伝統行事「愛染祭」(大阪市指定無形民俗文化財、30日〜7月2日)も間近に控えており、そのPRも兼ねた。

 参詣者は恋絵馬を購入後、相合い傘の左右に自分と好きな人の名前、裏面に愛の誓いの言葉や希望を書いて奉納する。近年は外国人観光客の参詣も急増していることから、案内板には英語表記の説明文も加えた。

 奉納された恋絵馬は愛染祭初日の30日に炊き上げられる予定。山岡住職は「多くの方に幸せを願っていただき、本尊の愛染明王の御利益によってご縁が結ばれることを祈念します」と話している。

 問い合わせは電話06(6779)5800。

2402名無しさん:2017/06/12(月) 21:59:22 ID:1FwjtmIM0
http://www.geocities.jp/marco4321ice/

2403undefined:2017/07/24(月) 19:45:26 ID:TlsjoTz.0
夏本番、天神祭始まる 古式ゆかしい神事で
2017年7月24日 12:48
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170724/20170724025.html

 水の都・大阪に夏本番を告げる大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭が24日朝、市中心部を流れる堂島川のほとりで、古式ゆかしき鉾流神事とともに幕を開けた。
 
 951年に始まった天神祭では当初、天満宮近くの浜から川に鉾を流し、流れ着いた場所に菅原道真の御神霊を祭った。この際、御神霊を乗せた船を、人々が多くの船で出迎えたのが、天神祭で行われる船渡御の起源とされる。

 この日の神事には神職や氏子の代表ら約100人が参列。みこの舞などに続き、神職を乗せた斎船が川にこぎ出した。

2404undefined:2017/07/24(月) 20:17:31 ID:TlsjoTz.0
住吉さん 夏本番 厳かに神輿洗神事
2017年7月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170719/20170719022.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)の夏祭り「住吉祭」を前に、大みこしを海水で清める「神輿洗(みこしあらい)神事」が17日、同大社近くの住吉公園で盛大に執り行われた。輿丁(よちょう)と呼ばれる担ぎ手約150人によって勇壮な担ぎ出しが繰り広げられ、見守る市民が間近に迫る夏祭りムードを一足早く満喫した。

 この日は午前中から大阪住吉漁業協同組合の奉仕による「汐汲舟(しおくみぶね)」が出され、大阪湾沖合の海水が採取された。夕刻には、神事の行列の先払いを務める「供奴(ともやっこ)」に続き、獅子舞、大みこしの一行が境内を出発し、かつての住吉浜に位置する同公園斎場まで巡行。薄暮の中、神職が厳かに大みこしを海水ではらい清めた。

 大阪の夏祭りを締めくくる住吉祭は30日〜8月1日に斎行。31日午後5時から「夏越祓(なごしのはらえ)神事」、1日午後3時頃からは「神輿渡御」があり、千人を超える渡御列が堺市の御旅所・宿院頓宮(とんぐう)まで練り歩く。

2405undefined:2017/07/24(月) 20:18:43 ID:TlsjoTz.0
みこしや獅子舞、北新地 練り歩く 天神祭
2017年7月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170722/20170722041.html

 天神祭のかつての陸渡御コースをみこしや獅子舞の行列が巡行する行事が21日、大阪キタの繁華街・北新地でにぎやかに繰り広げられた。
 
 伝統的な装束姿の大行列が都心部を練り歩く天神祭本宮(25日)の陸渡御は、かつて北新地にまで及んでいたが、道路整備や交通量の問題で現在は途絶えている。そこで、渡御コースの復活や地域のにぎわいづくりにつなげようと、天神祭を支える団体「講」のうち、天神講獅子と鳳(おおとり)講が2009年から北新地巡行に取り組んできた。

 この日は北新地の関係者も含め約200人が参加。街灯がきらめくビルの谷間に鳳凰(ほうおう)をいただくみこしを躍動させ、軽快な祭りばやしの中で獅子舞や傘踊りを繰り広げた。鳳講の宮本善樹講元は「巡行が夏を乗り切る力となり、地域の活性化につながれば」と思いを込めていた。

2406undefined:2017/07/24(月) 20:22:31 ID:TlsjoTz.0
空から陸から水上から 今年も「天神祭生中継」
2017年7月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170723/20170723025.html

 テレビ大阪は36回目となる「天神祭生中継」(25日夜6時55分)の概要を発表した。司会は14年連続の西川きよしさん(71)と5年連続7回目のハイヒール・リンゴさん(55)とモモコさん(52)のおなじみトリオ。船渡御列の行き交う大川に近い同局本社には、これも恒例になった萬田久子さん(59)と今年はおかに上がっての出演となる三田村邦彦さん(63)、初出演の村井美樹さんが浴衣姿で加わり番組を盛り上げる。

 
担当の羽柴康晴プロデューサーによると、“舞い上がれ!水都彩る天空絵巻”と題し目玉企画は三つ。

 まず『空編』で、系列キー局テレビ東京から中継ヘリコプターを導入。奉納花火水都祭が川面を彩る大川の上は大阪空港への定期航空便着陸コースになり、ヘリ進入禁止のためキタやミナミ、さらにあべのハルカスなどの上空を飛行しながら大都市に上がる花火とのコラボ映像を追う。

 次に『陸編』で、携帯電話電波を使った移動中継システム。天神祭当日は、大川周辺に100万人を超える人出が予想され、通常のテレビカメラ中継は雑踏の中でほぼ不可能。そこでアナウンサーやリポーターが天神橋筋商店街や繁華街に出没し、スマホで特ダネ映像を狙う。

 最後は同じ地上派デジタル内で通常は使わないサブチャンネルによる放送。メインチャンネルは西川さんらトリオによる司会で祭りのうんちくをはじめとするトークを交えて放送するが、サブチャンネルの映像は船渡御と花火など天神祭の雰囲気をふんだんに盛り込み、過去の大阪をテーマにした歌謡曲を流し、「大阪らしいプロモーションビデオの感覚で」と張り切る。

 昨年サブチャンネルでマニアックな花火解説で視聴者を驚かせた漫才師で花火評論家でもある笑い飯哲夫さん(42)によるトークは、今年はメインチャンネルに昇格して昨年以上の切れ味で花火のノウハウを説明する。

 忘れてはならない『水上編』は、船渡御列を縫っての船上からで、今年はおなじみの斉藤雪乃さんに、小塚舞子さんが新たに加わる。

 番組提供スポンサーで奉納花火実行委の一翼を担うフジオフードシステムは、天神橋筋3丁目にある同社スイーツブランド「はらドーナッツ」で、テレビ大阪のキャラクター・たこるくんとコラボした『たこるドーナッツ』を販売。数量限定で『たこるドーナッツ』ミニトートバッグ付きドーナツ8個入りセット(880円)を天神祭当日まで販売。

 司会の西川さんは「天神祭は日本三大祭りの一つでけた違いの人出。大川端にお集まりの皆さんもなかなか祭りの全体像はつかみにくい。その点、テレビなら涼しいご自宅でゆっくり花火や船渡御をご覧いただけます。サブチャンネルを後で見返せば2度楽しめますよ」とベテランらしい説明ぶり。

2407undefined:2017/07/24(月) 20:37:08 ID:TlsjoTz.0
天神祭前夜祭 熱気包む ステージで祭り再現
2017年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170724/20170724027.html

 大阪天満宮の天神祭(24、25日)のハイライトを楽しむことができる「天神祭前夜祭inOBP」(実行委員会主催)が23日、大阪市中央区の大阪ビジネスパーク(OBP)内ツイン21のホールで開かれた。高層ビル群に囲まれた近代的な建築物を舞台に、迫力のある踊りや鳴り物の演奏が繰り広げられた。

 
天神祭を通じて地域の交流を深めようと、大阪ビジネスパーク協議会と大阪天満宮でつくる実行委が開いている。1986年から続くイベントで今年で32回目となる。

 イベントには天神祭の陸渡御に実際に参列する「講社」が参加。おはらいの清祓(きよはらえ)式の後、催(もよおし)太鼓やだんじり囃子(ばやし)、獅子舞など次々と熱気あふれるステージが披露された。

 同実行委員長の舟越照代・大阪ビジネスパーク協議会事務局長(65)は「日曜日の開催だったが思った以上に来場者が多かった。地域に定着していると感じる。つながりを深めるためにこれからも続けたい」と話した。

2408名無しさん:2017/07/26(水) 16:19:19 ID:qyBlkDVA0
「模擬原爆」空襲犠牲者を追悼
07月26日 
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170726/4552471.html

72年前の昭和20年7月26日、長崎の原爆と同じ型の爆弾に通常の爆薬をつめた「模擬原爆」による空襲を受けた大阪・東住吉区で、当時の空襲の犠牲者を追悼する式典が行われました。
「模擬原爆」は、アメリカ軍が、長崎に投下した原爆と同じ型の爆弾に、通常の火薬をつめて、昭和20年7月26日に大阪に投下したもので、7人が死亡し、73人がけがをしました。
大阪・東住吉区にある「模擬原爆」の慰霊碑の前では、26日追悼式が行われ、模擬原爆の体験者や、東住吉区や泉佐野市などの小中学生、それに広島と長崎の被爆体験者、およそ150人が参加しました。
式では、模擬原爆が投下された午前9時26分に黙とうがささげられ、空襲で亡くなった人たちを追悼しました。
模擬原爆による空襲を体験した92歳の龍野繁子さんは、「追悼式に出席したり、学校を訪れて自分の体験を話したりすることによって、若い世代の人たちに模擬原爆について語り伝えていきたい」と話していました。
東住吉区の中学校の生徒は、「日本の各地に模擬原爆が落とされたことは、知らなくて驚きました。
平和についてみんなと考えを共有したい」と話していました。

2409名無しさん:2017/07/30(日) 11:32:25 ID:5kGVTHw60
http://www.sankei.com/west/news/170730/wst1707300002-n1.html
【井上章一の大阪まみれ】
失われたアメリカ文化が大阪で保存されていた!
 ビリケンは、大阪・通天閣のマスコットである。足の裏をなでると、御利益がある。そんな評判もあって、おおぜいの人がここにはやってくる。とりわけ、受験生には人気があるという。
 これを、大阪のシンボルだと考える人も、すくなくない。そう言えば、新世界を舞台として、『ビリケン』という映画がつくられたこともある(一九九六年)。二〇〇五年には、「なにわの文化・観光交流大使」となってもいる。その称号とともに、東京へもちだされたことは、記憶に新しい。
 大阪を代表するキャラクターとしても、ひろくみとめられている。その点では、「くいだおれ太郎」なみになっていると言うべきか。ただ、あの人形とちがい、国際的な舞台では、まだ活躍をしていない。私は、アメリカへいって、その存在感をアピールしてほしいと、考えているのだが。
 とうとつに、アメリカをもちだし、読者はとまどわれたろうか。これには、訳がある。
 ビリケンは、もともとアメリカではやりだした愛玩人形だとされている。シカゴのさる彫刻家が、女性らしいけれども、発案した。夢のなかにでてきた精霊を、彼女がそのまま造形したのだと、言われている。通天閣の説明によれば、一九〇八年のことであったらしい。
http://www.sankei.com/west/news/170730/wst1707300002-n2.html
 なぜか、幸運のシンボルとして、ひところアメリカでヒットした。日本にも、もちこまれている。
 大阪では、旧ルナパークの開園にさいし、これを園地でまつることとなった。園内にもうけたビリケン堂へ、千客万来の招福人形として、しつらえたのである。招き猫や福助にかわる、その舶来版として。一九一二年のことであった。なお、今の新世界は、このルナパーク跡地にひろがる界隈である。
 ルナパークは、一九二三年に閉鎖された。以後、ビリケンは行方がわからなくなる。今のビリケンは、その代替品。戦後に再建された通天閣が、往時をしのぶためにあつらえた像である(一九七九年)。一時は下火になっていた人気も、この復活でよみがえった。
 アメリカでも、二十世紀のなかばごろまでは、そこそこ愛玩されていたという。アメリカ映画の『哀愁』(一九四〇年)にも、マスコットとして登場する。しかし、今はすっかりわすれられているだろう。
 だからこそ、私は大阪のビリケンに渡米をすすめたい。うしなわれたアメリカ文化が、大阪で保存されていたことを、しめすために。(国際日本文化研究センター教授)

2410名無しさん:2017/07/31(月) 20:39:39 ID:zgdI6lyY0
http://www.sankei.com/west/news/170731/wst1707310072-n1.html
仁徳天皇陵含む百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産国内候補に 大阪府

文化審議会は31日、平成31(2019)年の世界文化遺産登録を目指す候補として、大阪府の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」を選んだ。来年2月までに政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出し、31年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受ける見通し。
同古墳群は堺市の百舌鳥古墳群と、大阪府羽曳野、藤井寺両市に広がる古市古墳群の総称。古墳群は、国内最大規模の「仁徳天皇陵古墳」(堺市、全長486メートル)や応神天皇陵古墳(羽曳野市、同425メートル)をはじめ、古墳時代最盛期の4世紀後半〜5世紀後半に築造された49基で構成する。全長200メートルを超える前方後円墳は全国に約40基あるが、11基が立地する。
堺市など地元自治体は、古墳群について、「天皇陵を中心に、約1600年前の姿を今に伝えている」などととして推薦を求め、これまでに25、27、28年の3度、文化審議会で審議されたが、いずれも見送られていた。
このため、今回は「仁徳天皇陵古墳」をはじめ、大小さまざまな形が存在する古墳群は他に例がないとする「多様性」をアピールしたことが結果に結びついたとみられる。

http://www.sankei.com/west/news/170731/wst1707310072-n2.html
この日の文化審議会では、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田の3県)、「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」(新潟県)の2件も審議対象とされたが、今回は見送られた。

2411undefined:2017/08/06(日) 15:56:07 ID:Dgr72iNc0
百舌鳥・古市の古墳楽しむVR 地元博物館でツアー開始
2017年8月1日 11:07
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170801/20170801044.html

 世界文化遺産の推薦決定から一夜明けた1日、百舌鳥・古市古墳群の地元にある堺市博物館で、バーチャルリアリティー(VR)技術で百舌鳥古墳群を上空から眺めることのできる疑似体験ツアーが始まった。

参加者はヘッドマウントディスプレーをつけ、上空300mからの映像で、国内最大の大山古墳(仁徳天皇陵)や周囲の風景を楽しめる。CGで、約1600年前の大山古墳の壮麗な築造当時の姿も再現している。

家族で訪れた仙台市青葉区の男性(44)は「仁徳天皇陵の周囲を歩いただけでは全体像が見えないけど、VRだと手に取るように分かる」と興奮した様子だった。

2412名無しさん:2017/08/06(日) 16:11:36 ID:Dgr72iNc0
豪華な渡御列 沿道沸く 「住吉祭」神輿渡御
2017年8月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170802/20170802027.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)の「住吉祭」伝統の神輿(みこし)渡御が1日、盛大に執り行われた。千人を超える渡御列が堺市堺区の御旅所「宿院頓宮(とんぐう)」を目指して練り歩き、大阪各地で約1カ月の間に斎行された夏祭りシーズンを締めくくった。

渡御には、明治時代に奉納され昨年大改修が完了した「大神輿」を中心に、神馬(しんめ)や枕太鼓、船みこしといったさまざまな奉仕者が参列。紀州街道を南下し、地元商店街のアーケード内などを通過するたび、沿道の人々から声援や拍手が沸いた。

 このうち大神輿の一行は、「平楽」が語源と伝わる「べぇら、べぇら」の掛け声とともに、住吉大社を象徴する反橋(そりはし)を豪快に渡って境内を出発。大阪と堺の境界となる大和橋上では、担ぎ手が大阪側から堺側へ交代する「神輿受渡式」が執り行われ、勇壮な姿が終始注目を集めていた。

2413名無しさん:2017/08/06(日) 18:17:33 ID:Dgr72iNc0
境内に灯籠、お盆の準備進む 四天王寺
2017年8月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170803/20170803031.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で、間もなく迎えるお盆供養「盂蘭盆会(うらぼんえ)」(9〜16日)の準備が着々と進んでいる。連日の炎天下、境内の随所では灯籠(とうろう)などの取り付け作業が行われ、早くも荘厳なお盆の雰囲気に包まれている。

諸堂には象徴的な「献灯灯籠」が整然と飾られており、その数は例年3千灯を超えるという。六角柱の本体がわずかな風を受けてなびく姿が美しさを引き立たせている。

 お盆中の日没後は、迎え火・送り火の役目のほか、故人の供養・感謝などさまざまな意味を込めて点灯され、日中と異なる幻想的な光景が繰り広げられる。

 このほかお盆中は先祖供養の「万灯ローソク」が連日点灯されるほか、伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さんを招いた盆踊り大会(11、12日、午後7時半〜)などを予定している。

2414undefined:2017/08/06(日) 18:32:14 ID:Dgr72iNc0
境内でオペラ「椿姫」 坐摩神社 10月芸術祭
2017年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170805/20170805052.html

 都心の神社境内を舞台にしたオペラ公演「せんば鎮守の杜(もり)芸術祭2017」が10月7日、大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社で開催される。午後6時開演(開場は30分前)。入場整理券3500円(当日券3800円)。

地域住民や神社にゆかりがある人々でつくる実行委(幡地賢二郎委員長)が主催。音楽を楽しむ文化と環境の創造を目指して開催しており今年で12回目となる。プロ声楽家による趣向を凝らした演目が好評で、今年はジュゼッペ・ベルディのオペラ「椿姫」(1853年)を選んだ。

 当日は、関西を代表する若手実力派の西影星二さん(テノール)がアルフレード役、斉戸英美子さん(ソプラノ)がビオレッタ役で出演。アルフレードの父・ジェルモンは大阪音楽大教授の田中由也さん(バリトン)が務める。

 日中は同会場で、音楽・文化団体のほか若手オペラ歌手が出演する演奏会「せんば鎮守の杜音楽祭2017」(正午開演、入場無料)を開く。

 7月29日には同神社で実行委の結団式があり、出演者など関係者約30人が参集。成功と安全祈願の正式参拝や当日の全体の流れの打ち合わせなどを行い、出席者がいっそう結束を固めた。

 委員長2年目の幡地さん(69)は「昼の部から地元ぐるみで盛り上がることができるように仕掛けていきたい」と奮起。名誉実行委員長の同神社・渡邉紘一宮司は「皆さんのおかげで公演が定着し大変ありがたい。若手の方の出演もあり、今年も新たな期待を寄せている」と話した。

 チケットの問い合わせは電話06(6251)4792、同芸術祭事務局(同神社内)。

2415undefined:2017/08/06(日) 19:45:22 ID:Dgr72iNc0
世界遺産へロマン感じて 大阪・近つ飛鳥博物館で百舌鳥・古市古墳群展
http://www.sankei.com/region/news/170728/rgn1707280068-n1.html

31日の国の文化審議会で、世界文化遺産登録の候補(国内推薦)に選ばれるか注目が集まっている「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の魅力を広く発信しようと大阪府河南町の「府立近つ飛鳥博物館」で夏季企画展「百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に!-この夏、きみは古墳を知る-」が開かれている。月曜休館で9月10日まで。

 文化審議会に合わせ、地元から機運をさらに高めようという意味もある。企画展では古市古墳群に関する出土品や複製品などを中心に約210点が展示されている。

 会場では「津堂城山古墳」(藤井寺市)から出土した石棺の蓋のレプリカ(長さ約3メートル、幅約1・2メートル)や「栗塚古墳」(羽曳野市)から見つかった家形埴輪(はにわ)などのほか、ブロック玩具「レゴ」製の仁徳天皇陵古墳といったさまざまな品々が並べられている。

 同博物館は「(出土品は)百舌鳥・古市古墳群の謎を解明する重要な史料。この機会に足を運んでいただき、昔の人々の営みを考えてほしい」とPR。期間中は子供向けに「博物館バックヤードツアー」や「こども勾玉(まがたま)づくり工房」などのイベントが行われる。イベントや講演会に関する問い合わせは同博物館(電)0721・93・8321。

2416名無しさん:2017/08/06(日) 20:13:08 ID:/NrfrGio0
http://www.fujisan.co.jp/product/12791182/new/
2017年9月号 (2017年08月04日発売)
歴史のif もし戊辰戦争で幕府軍が勝っていたら首都は大坂、共通語は大坂弁になっていた
前衆議院議員 村上政俊
「秘密の藩民SHOW」>>明治維新によって生まれた47都道府県は、律令国家の66ヵ国の組み合わせを基本としながら人為的な線引きの要素も強い。
典型は大阪府だ。摂津国の1部、和泉国、河内国を人為的に合併した経緯から、今でも旧国のカラーの違いは根強く、府としての一体性は乏しい。(アフリカの国境みたい:引用者)

2417名無しさん:2017/08/12(土) 22:50:11 ID:iGeVFPVQ0
大阪うめきた:梅田墓に「大坂七墓」物証の人骨200体
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毎日新聞
8 時間前
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https://mainichi.jp/20170812k0000e040226000c
 JR大阪駅北側の再開発区域「うめきた」(大阪市北区)に江戸〜明治時代にかけてあった「梅田墓(ばか)」の発掘調査で、200体以上の埋葬人骨が見つかった。梅田墓は、江戸期に庶民の間で流行した盆行事「大坂七墓巡り」の1カ所に数えられ、近松門左衛門の「曽根崎心中」や井原西鶴の「好色二代男」にも登場するが、面影を伝えるものは残っておらず、実態はよくわかっていない。過去の工事で墓石などが出土した例はあるが、学術的な発掘調査で墓の一端が明らかになるのは初めてで、当時の大阪の都市の様相や葬送文化を知る上で貴重な発見だ。
 うめきた2期区域の再開発事業に伴い、今年2〜6月、大阪市教委の指導で大阪文化財研究所が明治期の地図から墓域と推定される約3000平方メートルの一画を含む、約700平方メートルを発掘調査した。
 調査では、きれいな盛り土の層に整然と並ぶ棺桶(かんおけ)に入った状態で土葬された人骨が見つかった。一方、火葬されて骨つぼごと穴に投げ込まれたような状態で見つかったものや、骨つぼに入れられず、同じ場所に何層にも重なって埋葬された痕跡も確認されるなど、多様な埋葬形態が明らかになった。棺桶に納められた人骨の周囲からは、とっくりのミニチュアや六文銭などの副葬品も見つかった。
梅田墓は江戸初期、天満周辺に点在していた墓の一部を旧曽根崎村に集め(現在の大阪駅前第1ビル周辺と推定)、都市化に伴って1680年代に調査地付近に移転したと伝わり、1900年代初めごろまで機能していたとみられる。
 調査地の北端と南端の計3カ所からは、墓域を区画した石垣も確認、北側の石垣は墓石を転用して築かれていた。墓地が造られる前の土層からは17世紀末ごろの磁器が出土した他、見つかった墓石には1674〜1825年の没年が刻まれており、地誌や古地図で墓があったとされる時期と矛盾しなかった。また、南北の石垣の外側からも人骨が見つかり、墓域は従来の推定より広範囲にわたっていたことがわかった。
 調査した大阪文化財研究所の岡村勝行・東淀川調査事務所長は「江戸期の大阪では、火葬が大半だったとする史料が残されているが、土葬もかなりあったことが明らかになった。多様な埋葬形態は、時期の違いや貧富・身分の差によるものかもしれない」と話す。今後、見つかった人骨の男女比や年齢層、栄養状態などの分析を進める予定といい、謎多き墓の実態解明が期待される。【林由紀子】
「歴史の一端解明」 古川武志・大阪市史料調査会調査員(日本近現代史)
 七墓巡りには、肝試しの意味合いや、子どもの大人への通過儀礼的な一面もあったようだ。全て回ると自分の葬式は晴れるとも言われ、文学では心中の場面などで象徴的に描かれた。開発で失われる歴史の一端が発掘調査で解き明かされ、記録される意義は大きい。

2418undefined:2017/08/13(日) 21:10:01 ID:ebkLAfWQ0
京橋空襲は問う 14日に若者組織が2人芝居
2017年8月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170808/20170808022.html

 72年前の終戦前日、空襲に見舞われた京橋を題材にした「未来へのメッセージ」が、空襲があった日の14日、大阪市都島区の会場で開かれる。戦争をテーマに京橋版にアレンジした舞台などで、主催者は「未来の日本を考える機会に」と来場を呼び掛けている。

主催は、若者による地元特性を生かした活性化に取り組む「京橋地域活性化機構」(鷲見慎一理事長)ら。

 同機構などによると、京橋の空襲は1945年8月14日に当時の京橋一帯(現在の大阪ビジネスパーク付近)にあったアジア最大級の陸軍砲兵工廠(こうしょう)を狙い、米軍が爆弾を投下。近くの京橋駅のホームなどを直撃し、身元が判明しただけでも二百数十人が命を落とし、実際の犠牲者は500人とも600人ともいわれている。

 その空襲を伝える被災者慰霊碑がJR京橋駅南口側にあり、記憶の風化を防ごうと1955年から毎年8月14日に慰霊祭が営まれ、遺族や関係者らが平和への誓いを新たにしている。

 「未来-」で上演する舞台は、東京の「演劇集団アトリエッジ」が手掛ける『流れる雲よ』の京橋版にアレンジした2人芝居。主人公が基地に持ち込んだラジオを聴いていると流れる放送が未来の放送で、京橋の空襲や日本の敗戦を伝えるものだと気付き…といった内容。舞台の前には空襲など戦時中の地域の歴史の説明がある。

 72年の経過の中で戦争体験者も減り、戦争への実感も薄らぐ中、舞台を通じて問いかけることで「感情も入りやすく、わかりやすいのでは」と企画した同機構の鷲見理事長(35)。空襲が忘れ去られる危惧と語り継ぐ必要性を感じるとともに、日本を取り巻く情勢不安など「現在、未来の日本を考えるきっかけづくりにし、若い人に見てもらいたい」と訴える。

 未来-は14日、京橋グランドスペース(都島区東野田町3丁目、大京ビル2階)で午後1時開演。50席限定で参加費は千円。申し込みは同機構のホームページなどで。

2419undefined:2017/08/13(日) 21:27:03 ID:ebkLAfWQ0
万の炎、先祖しのぶ 四天王寺盂蘭盆会
2017年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170810/20170810029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で9日、お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が始まり、朝から多くの参詣者が先祖供養に訪れている。


五重塔をはじめ講堂、金堂を配した境内・中心伽藍(がらん)では、夕刻から先祖の霊名を記したろうそく(万灯ろうそく)約1万本を一斉にともす「万灯供養」があり、幻想的な明かりが夏の夜空を照らしている。

 この日の伽藍内では、日没前から幼児や高齢者まで幅広い年齢層が続々と参詣。回廊沿いに設けられたそうろく台の前で故人の思い出を語り、ゆらめく炎にじっと手を合わせる家族連れや、同寺僧侶の読経とともに伽藍内を練り歩く法要の列に加わる人々など、随所で先祖をしのぶ光景が見られた。

 このほか、1日で千日続けてお参りしたのと同じ功徳が授かるという「千日詣(まい)り」(10日まで)もなされ、境内・六時堂は多くの人々でにぎわった。

 万灯供養は16日まで行われ、点灯は午後6時15分ごろ〜同9時(15日は午後5時40分ごろ〜同10時)。

2420undefined:2017/08/13(日) 21:28:38 ID:ebkLAfWQ0
大阪護国神社で清掃 「日本会議」会員と家族ら
2017年8月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170811/20170811032.html

 大阪市住之江区南加賀屋1丁目の大阪護国神社で境内の清掃活動が行われた。参加者は、ごみ拾いや草取りに汗を流した。


活動は「英霊にこたえる会大阪府本部」と「日本会議大阪」が企画して6日に実施。15日の終戦記念日に同神社で執り行う例祭を前に毎年実施し、今年で13回目を迎えた。

 「清掃活動をひとつのきっかけとして、護国神社がどういう神社であるかを語り継いでいくことも大切」と日本会議大阪の丸山公紀事務局次長。この日は日本会議大阪の会員とその家族ら約30人が参加した。

 門真市から参加した橋本輝明さん(43)は、年老いた両親に変わり、3人の子どもを連れて2年ぶりに参加。「時間がたつと戦争のことを忘れてしまうので、子どもたちのためにも良い機会なる」と話していた。

2421名無しさん:2017/09/08(金) 00:34:37 ID:GjXushS60
大阪とサカ族
https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/35471712.html

ついでにお話しておくと鹿児島方言では
「サエギル」という動詞を「セキッ」と発音する。
この方言が「セキッ所=関所」と動詞から名詞を生み出したのである。
その「サエギル」のサエは
「塞の神」と書いて「サイの神」と読むサイが、「サエ」と訛ったたものである。
この字を「サイ」発音するのは「韓音(中国の発音)」である。
「サエギル」という言葉は、古日本語にはなくて、
「塞」という漢字が入ってから生まれた「合成語」だということが分る。
中国には西域の異民族を「塞」と呼んだ文献がある。
この「塞」はもう一つ「ソク」腸閉塞(ちようヘイソクなど)という発音がある。
「塞奴」は「ソクド」と読めるから今の「ソグド人」に一近い発音になる。
『魏書倭人章』にもこれに関連した官名が出てくる。
魏の帯方郡使として当時の倭国へやってきた「塞曹掾史・張政」である。
「塞曹」とは「塞奴」担当官という名だからソグドが話せた可能性がある。
そういう役人を帯方郡に置いたり、それを倭へ派遣したのをみると、
魏人は倭人を「塞族」として分類していた可能性がある。
<塞族>はギリシャ人が「スキュタイ」と呼んだ人々であるが、
「スキュ」はギリシャ訛りで「タイ」は人という意味である。
同じ名を印度北部では「シャーキャ」と発音する。
釋迦(シャカ)はこれに対する当て字である。
鹿児島方言は「シャカ」を「サカ」と発音するが、
日本では「塞」の字を古来「サカ」と発音する。

大阪の「サカ」は敵をサエぎるもの「城塞」の意味か。
あるいは「城塞(サカ)を作る連中という意味か。
民族名の「塞」であろうか?。
今、仁徳天皇陵のある「堺」は「サカが居る土地」という
意味以外には考えられないから「民族名」が一番有力に見える。
それだと江上波夫氏の『騎馬民族説』を立証することになる。
どの意味にとっても「オーサカ」の語源は「倭塞」だったのである。
そして鹿児島の「大隈=倭住」からの移住地は
「大隈」「大住」「和泉=倭住」という地名として
大阪一体に今なお残っている。
薩摩半島の「出水と川内」というセットになった都市の名が、
大阪では「和泉と河内」というセットになった二大国の名として、
拡大した形で命名されていて、倭国の移動と、その前身が何だったかを、
よく分るように証言している。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・邪馬壹国大移動:30」

2422名無しさん:2017/09/08(金) 00:46:57 ID:GjXushS60
大阪上空:小型ヘリコプターによる空撮サンプル
https://www.youtube.com/watch?v=svrn0CrjoDU

コメント欄から抜粋
難波の宮水都
5 か月前
そもそも現文明の大元のシュメール文明を築いたシュメール人は
アジア系であり、その後ヒッタイト帝国を築き、のちに中央アジアの遊牧国
スキタイとなる。スキタイ人はサカ族のことであり、古代ギリシャではスキタイ
をサカイと呼んでいた。その後彼等は日本に渡り、古墳時代を形成する。
サカ族は釈迦(シャカ)の大元であり、古代インド南部からスリランカにかけて
弥生文明を築き、スキタイとはまた別のルートで日本に渡来している。
だから古代タミル語と日本語は膠着語などが全く同じなのだ。
シュメール文明の叡智を築いたサカ族の本拠地は堺の仁徳古墳を
見ても分かるように古代大阪である。だから反日欧米系のメディアを
支配しているユダヤ系は大阪叩きに必死なのだ。
サカ族の本拠地大阪だからこれだけの合理性がある街づくりが
古代からされてきたのだ。

NIGHT VIEW of OSAKA Ogawa AIR & SVS
https://www.youtube.com/watch?v=RfzUABWR5v0&amp;feature=youtu.be

時空の栞 -4K Osaka NIGHT VIEW- Timelapse 大阪夜景
https://www.youtube.com/watch?v=gAFlXZi4u0s

大阪都心夜景ドライブ 御堂筋・梅田・難波・天王寺 Osaka Urban Night Drive
https://www.youtube.com/watch?v=aRPqEjGTnPM
コメント欄から抜粋
last ery
2 年前
日本全国旅して回った事あるけどオシャレな街は日本中にたくさんある。
でもオシャレでかっこいい街は大阪しかない。

2423名無しさん:2017/09/08(金) 22:21:57 ID:IeoONghA0
>>2416はここ
http://www.fujisan.co.jp/product/12791182/b/1528757/

2424名無しさん:2017/09/10(日) 12:16:37 ID:1fPvI8sM0

日本人奴隷の存在に激怒した愛国者・豊臣秀吉
岩田温2015年08月21日
http://blogos.com/article/129458/

豊臣秀吉の名前を聞いて、何を思い浮かべるだろうか?
 織田信長の草履を暖めていた話だろうか? 
一夜にして築いたと伝えられる墨俣城だろうか?
 それとも、朝鮮出兵の話だろうか?
これらの話は有名だが、豊臣秀吉に関しては、多くの国民
に知られていない逸話があり、こちらの方が、非常に重要
だと考えている。詳しくは『人種差別から読み解く大東亜戦争』
を参照して欲しいが、簡単に書いておく。

それは、豊臣秀吉が、日本における奴隷制の強烈な反対論者
だったという事実だ。
 奴隷制というのは、日本の内部の話ではない。
戦国時代、多くの大名たちが欧米人との間で奴隷貿易
を行っていた。これも教科書に記載されていない重要な事実だ。
 多くの日本人が奴隷として売りとばされ、哀しい想いをしていた。
これに関して、豊臣秀吉は激怒し、キリスト教の宣教師に対して詰問する。

「予は商用のために当地方に渡来するポルトガル人、シャム人、
カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその
祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国
へ連行していることも知っている。
それらは許すべからざる行為である。よって、汝、伴天連は、
現在までにインド、その他遠隔の地に売られて行った
すべての日本人をふたたび日本に連れ戻すよう取り計らわれよ。
もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、
少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。
予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」

2425名無しさん:2017/09/10(日) 12:17:41 ID:1fPvI8sM0

私自身、この秀吉の言葉を知ったのは、奴隷について
一生懸命研究するようになった後だ。多くの日本人は、
愛国者であり、日本人を奴隷とすることに断固として
反対した秀吉の姿を知らないはずだ。
 先に引用した言葉を何度も読み返してほしい。
 私は非常に真面目で、同胞を想う秀吉の愛国心、同胞愛が
滲み出たよい言葉だと思う。
何故、教科書では、こうした豊臣秀吉の功績を記載しないのだろうか。
 伴天連追放令が出されたことだけを取り上げれば、
まるで秀吉がキリスト教を弾圧しただけのような話に聞こえるが、
この伴天連追放令の前段階で、キリスト教徒たちによる
奴隷売買に秀吉が激怒しているのだ。
こうした事実を記さなければ、「伴天連追放令」に至る理屈が理解できないだろう。

人種差別の歴史は根深いが、私たち日本人の先祖が奴隷として
売りとばされていた事実を多くの国民は知らない。

こうした過酷な事実を知ることは、大きく日本史を眺める際に重要なことだろう。

教科書で「南京事件」「慰安婦」の問題が取り上げられることは
多いが、こうした豊臣秀吉の功績については、問題にすらされていない。

どうか、一人でも多くの国民に、秀吉の素朴な愛国心と同胞愛
を知っていただきたいと思う。

南蛮貿易と日本人奴隷 〜日本人女性50人で火薬1樽〜【CGS ねずさん 日本の歴史 7-1】
https://www.youtube.com/watch?v=RS5Io8aQfWw

豊臣秀吉がザビエルの陰謀から日本を守っていなかったら・・・
https://www.youtube.com/watch?v=ywjmoebmRnI

2426名無しさん:2017/09/10(日) 18:31:05 ID:WnonV80A0

日本人の人権を守りぬいた豊臣秀吉
https://www.youtube.com/watch?v=4mG5aHtw5b4

2427名無しさん:2017/09/10(日) 18:42:20 ID:WnonV80A0

秀吉が朝鮮出兵した真実
https://www.youtube.com/watch?v=7iGilu17pos&amp;t=9

2428名無しさん:2017/09/12(火) 00:48:46 ID:XZnka.Z.0
http://www.geocities.jp/marco4321ice/Osaka.html#top

2429名無しさん:2017/10/10(火) 08:16:34 ID:qyBlkDVA0
七代目笑福亭松喬
襲名披露公演 大阪松竹座で
毎日新聞2017年10月8日
http://mainichi.jp/articles/20171009/k00/00m/040/014000c

 上方落語の本格派、笑福亭三喬(さんきょう)さん(56)が8日、七代目笑福亭松喬(しょきょう)を襲名し、お披露目の公演が大阪松竹座(大阪市中央区)で昼夜にわたり開かれた。

 松喬さんは兵庫県西宮市出身。4年前に亡くなった先代(六代目松喬)の一番弟子で、戦後の上方落語復興を先導した六代目笑福亭松鶴(しょかく)の孫弟子にあたる。襲名披露の口上には桂ざこばさん、桂文枝さん、笑福亭鶴瓶さんらが並んだ。松喬さんはトリで登場し、昼の部では、落語家を目指すきっかけとなった演目「初天神」を披露。「師匠の名を継ぐのはプレッシャーもありますが、一落語家としては限りない喜びです」と語った。襲名披露公演は来春まで、全国14カ所で行われる。

2430名無しさん:2017/12/05(火) 08:07:00 ID:qyBlkDVA0
18年2月に春団治襲名公演 道頓堀の大阪松竹座で
2017/12/4
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24214010U7A201C1AC1000/

 松竹芸能などは4日、落語家、桂春之輔さん(69)の四代目桂春団治襲名披露公演について、2018年2月11日に大阪・道頓堀の大阪松竹座で開催すると発表した。

 公演は昼夜2部制。口上には昼の部が柳家小さんさん、桂文枝さんら、夜の部は柳亭市馬さん、桂文珍さんら人気落語家が顔をそろえ、上方落語の大名跡復活を祝う。〔共同〕

2431名無しさん:2018/10/12(金) 21:36:02 ID:JlEMDSZI0
>>2416
https://www.news-postseven.com/archives/20170812_601539.html
戊辰戦争で幕府勝利ならば大坂が首都、大坂弁が共通語に

2432名無しさん:2018/10/30(火) 21:08:38 ID:NvEUoxdY0
http://www.sankei.com/west/news/181030/wst1810300003-n1.html

【萌える日本史講座】大阪・狭山池の石棺は天皇の墓だった  2018.10.30 10:00
飛鳥時代に築かれた狭山池(大阪府大阪狭山市)でかつて発掘された水路用の巨石は、その大きさや形容から古墳時代の大王クラスを葬った石棺とみられている。府立狭山池博物館の西川寿勝学芸員が、巨石の特徴をもとに、さらに製作時期を絞り込み、被葬者に迫る説を打ち出した。仏教伝来で知られる欽明天皇、聖徳太子の弟の来目(くめ)皇子らが候補という。狭山池の巨石は、古墳から運び出した石棺を水路に転用したと考えられているが、古墳を特定する研究はほとんどないという。同館の特別展「王者のひつぎ」(11月25日まで)で紹介されている。(小畑三秋)
■改修工事で思わぬ発見

 狭山池は周囲約3・4キロで、川をせき止めたダム形式のため池としては国内最古。奈良時代の僧・行基(ぎょうき)や、東大寺再興で知られる鎌倉時代の僧・重源(ちょうげん)らが大規模に改修した。

 巨石は、大正時代末〜昭和初めと、昭和末〜平成初めに行われた堤防の改修工事で計20点以上見つかった。多くが長方形で、最大のものは長さ2・6メートル、幅1・3メートル、高さ約1メートル。内部がくり抜かれ、遺体を納める石棺の本体とみられる。水路にするため、石棺の前と後ろの壁面を削り取って「U字溝」の形にして利用。家の屋根の形をした石材もあり、5〜6世紀の古墳にみられる「家形石棺」とされている。
重源の功績を記した鎌倉時代の文献には、「狭山池に石の樋を築いた」と記載。出土した巨石は、重源の時代に複数の古墳から掘り出されて水路に転用したとみられ、「狭山池石棺群」と呼ばれる。

 家形石棺は近畿の巨大古墳に多く「王者のひつぎ」と呼ばれる。西川さんは、狭山池では長さ2メートル以上の大型のものが半数以上あることに着目し、「大王クラスの古墳から掘り出された可能性が高い」と推測した。

 2メートル以上の家形石棺は、欽明天皇の墓ともいわれる巨大前方後円墳、丸山古墳(奈良県橿原市、全長318メートル)、金銅製の冠など豪華な副葬品が見つかった藤ノ木古墳(同県斑鳩町、直径50メートル)など天皇や皇子クラスの墓に多い。

2433名無しさん:2019/01/08(火) 21:00:25 ID:ylDuNnHU0
真田山旧陸軍墓地の補修費を国が予算計上
1/8(火) 0:59配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190108-00585306-kantelev-l27

関西テレビ

大阪市の真田山旧陸軍墓地について吉村市長は国に修復と保全を求めていて、国は全国の軍用墓地の補修費を大幅に増やした予算案を計上しました。

大阪市天王寺区にある真田山旧陸軍墓地は、戦争で亡くなった軍人や捕虜など1万5千人以上が埋葬されていて、国有地として大阪市が管理しています。

墓石は老朽化が進んでいるものの、個人の名前が書いてあるため市の公金で修復することが難しく、吉村市長は国に国立墓地に変えた上で歴史の遺産として保存計画を立てるよう求めていました。

政府は国立墓地にするかは決めていませんが、全国の軍用墓地の補修予算を現在の年間約300万円から5年間で約5億円に増やす予算案を計上しました。

【大阪市・吉村洋文市長】
「国のために命をおとした先人の墓地なので、きちんと国が整備していくことは重要」

吉村市長は、今後も史跡として国立墓地にするよう求めていくとしています。

2434名無しさん:2019/01/08(火) 21:02:00 ID:ylDuNnHU0
「難波は映画上映発祥の地」 市立中央図書館でエッセイスト・武部好伸さん講演 /大阪
1/7(月) 21:06配信
みんなの経済新聞ネットワーク
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190107-00000056-minkei-l27

 映画興行発祥の地として知られる大阪をテーマにした講演会「映画のはじまり、みな大阪」が2月9日、大阪市立中央図書館(大阪市西区北堀江4、TEL 06-6539-3302)で行われる。(なんば経済新聞)

 「新修大阪市史」(本文編・史料編)、「大阪市の歴史」などに書かれていることや、大阪市史編纂所の歴史情報を紹介するセミナー「探そう!大阪市の歴史魅力」の第13回企画として行う同セミナー。

 当日は、エッセイストの武部好伸さんを講師に招き、大阪が従来言われてきた映画「興行」発祥の地としてだけでなく、映画「上映」も発祥の地だったことを説明する。「『大阪の歴史』86号 日本に初めて映画を持ち込んだ男 大阪の実業家、荒木和一」(2017年、大阪市史編纂所刊)、「大阪『映画』事始め」(2016年、彩流社刊)を中心に解説する。

 1897(明治30)年1月、京都の実業家・稲畑勝太郎がフランスから持ち帰ったシネマトグラフと呼ばれる映写機を使い、京都電灯の中庭(現在は関西電力変電所と旧・立誠小学校にまたがる場所)で試写を行ったのが、日本初の映画上映という。稲畑は同年2月15日、難波の南街会館(現在のTOHOシネマズなんば)で有料上映会を開催。これが映画興行の発祥とされ、1階エレベーター乗り場の壁面には記念の碑文が掲げられている。

 武部さんは、心斎橋の西洋雑貨商・荒木和一が1896(明治29)年12月に米国で購入したという映写機「ヴァイタスコープ」を当時の福岡鉄工所(現在のなんばパークス)内、現在の難波中交差点辺りで試写を行ったとし、それが日本における最初の映画上映だと位置付けている。

 開催時間は14時〜16時(開場13時30分)。定員は300人(当日先着順)。入場無料。

2435名無しさん:2019/01/09(水) 12:20:13 ID:NrdB.GxU0
今宮戎神社で宵戎 商売繁盛願い参拝 大阪
1/9(水) 11:59配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190109-00000023-ytv-l27

読売テレビ

 大阪の今宮戎神社の十日戎が、9日から始まり、商売繁盛を願う参拝客で賑わっている。

「商売繁盛で笹もってこい」

 商売繁盛の神様、「えべっさん」で知られる十日戎は、9日が宵戎。大阪の今宮戎神社の境内では、金烏帽子に千早姿の福娘たちが「吉兆」や大判小判などの縁起物を、手際よく福笹に結び付けていた。今宮戎では、3日間で、90万人の人出を見込んでいる。

2436名無しさん:2019/01/09(水) 14:43:42 ID:NrdB.GxU0
大坂本願寺を再現…北御堂ミュージアム開館
2019年01月09日
https://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20190109-OYO1T50007.html?from=oycont_top_txt

 大阪のメインストリート・御堂筋みどうすじの名前の由来になった大阪市中央区本町の北御堂きたみどう(浄土真宗本願寺派本願寺津村別院)に、「北御堂ミュージアム」が9日、開館する。本願寺や北御堂が大阪の政治や経済、文化などと関わってきた歴史を紹介する。

 施設改修を機に、貸し展示会場などの約300平方メートルを改装した。

 北御堂は、1597年(慶長2年)、この地に坊舎が建てられたのが始まり。約600メートル南の南御堂(真宗大谷派難波別院)とともに、御堂筋の名の由来とされる。

 ミュージアムには、織田信長に対抗し焼失した大坂本願寺(石山本願寺)と周囲の当時の姿を、文献などから再現した模型(1000分の1サイズ)を展示。壁には40メートルにわたり、第1回府議会(1879年)が北御堂で開かれたことなど、大阪の成り立ちから現代までを解説している。掛け軸や古文書など約20点も並べる。

 無料。原則無休で、開館は午前10時〜午後4時。問い合わせは津村別院(06・6261・6796)。

2019年01月09日

2437名無しさん:2019/01/14(月) 13:12:02 ID:NrdB.GxU0
「盆梅と刀剣展」 大阪天満宮、2月9日から
2019年1月12日
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/travel/6501/1294119348/l50

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)で梅の銘木や刀剣を集めた「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展」が2月9日から始まる。書院造り百畳敷きの境内参集殿を会場に、樹齢約200年の古木や各種銘木を紹介するほか、祭神菅原道真と縁があった歴史上の人物ゆかりの刀剣を展示予定。午前9時半〜午後4時半(入場は同4時まで)。3月3日まで。

刀剣展示のうち入れ替え分は次の通り。

 【前半】(20日まで)肥前国忠吉(初代)▽肥前国住近江大掾忠広(2代)▽肥前国出羽大掾行広(初代)▽肥前国行広(2代)。

 【後半】備前国住長船与三左衛門尉祐定▽平安城住大隈守平広光▽帝室技芸院宮本包則▽帝室技芸院菅原包則。

 15日には関連行事として「篠(しの)笛」玲月流初代森田玲氏と門下生(午後1時〜)▽「講談」旭堂南陵氏、「舞踊」西川梅十三氏(同3時〜)を予定。

 展示拝観料は高校生以上700円、中学生以下400円、団体(10人以上)600円。

 このほかに会期中は境内で骨董(こっとう)市(12〜17日)▽アートクラフト展(18〜24日)▽陶器市(18〜24日)-など多彩な催しを予定。問い合わせは電話06(6353)0025、天満宮社務所。

2438名無しさん:2019/01/16(水) 20:10:15 ID:NrdB.GxU0
どやどや!!護符取り合い 四天王寺に熱気
2019年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190115/20190115029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で14日、天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する伝統の奇祭「どやどや」が執り行われた。男子高校生約600人が参加し、もみくちゃになりながら護符(お札)を取り合った。

 どやどやは、元日から2週間続く「修正会(しゅしょうえ)法要」の結願(けちがん)日に行われる。どやどやの名前の起源は諸説があるが、「牛王宝印(ごおうほういん)」という護符を取り合う際に参詣者があふれ返った様子からとされるものや、互いの近況を尋ねる際の「どうや」から来ているものなどが有力だという。

 多くの参詣者が見守る中、清風高と清風南海高の生徒が「わっしょい」と元気な掛け声で境内・六時堂前に集合、水を浴びながら気持ちを高めていった。堂内の天井から護符がまかれると、必死になって手を伸ばしていた。

 護符を手にした生徒らは誇らしげな表情を見せ、「最高です」などと喜びを口にした。

 終了後は魔よけの「牛王宝印楊枝(ようじ)」の授与が行われ、参詣者の長い列ができた。

2439名無しさん:2019/01/16(水) 20:22:03 ID:NrdB.GxU0
炎に無病息災祈る 生国魂神社で左義長神事
2019年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190116/20190116027.html

 大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で15日、小正月伝統の火祭り「左義長(さぎちょう)神事」(とんど焼き)が盛大に執り行われた。日の出頃から、古い正月飾りのたき上げを実施。多くの参拝者が高く上がった炎に手を合わせ、無病息災などを祈願した。
境内の一角には、大勢の住民らが持参した大量の破魔矢やしめ縄、お札などが集められ、早朝、神職が拝殿から厳かに運んだ御神火を移すと勢いよく燃え上がった。

 地元在住の自営業の男性(65)は「いい正月が過ごせた。今年は特に忙しくなると思うが、忙しいぐらいがちょうどいい」と笑顔だった。たき上げは昼頃まで続き、住民らが代わる代わる火に当たっていた。

 このほか、一年の邪気をはらう恒例の小豆がゆの接待所も設けられ、参拝者に好評。正月を締めくくる素朴な味を堪能していた。

2440名無しさん:2019/01/17(木) 20:06:47 ID:dfb3bRCo0
https://www.sankei.com/west/news/190117/wst1901170036-n1.html
【維新150年】外交官が見たOSAKA
大阪メトロ谷町九丁目駅から高津宮(こうづぐう)に向かった。谷町筋から西へ1本入った中寺町は文字通り寺院が連なる町。大相撲春場所の頃には、界隈(かいわい)の寺を宿所とする力士の姿も見られる。
 めざす正法寺(大阪市中央区中寺)は“高津さん”の参道の手前に見えた。幕末、大坂(大阪)に入った英国のハリー・パークス公使ら同国代表団のために幕府は正法寺など4つの寺を提供した。パークスの有能な部下で通訳のアーネスト・サトウが宿泊した本覚寺は、通りをはさんで東のマンションあたりにあった。
すでに幕府の機能は大坂(大阪)城にあり、英国のほか、フランス、米国、オランダの代表団も中寺町周辺に宿所=臨時公使館を置いた。大坂は外交の舞台となり、初めて見る異国人に街はざわめいていた。
   
× × ×
 慶応2(1866)年12月、徳川慶喜が「最後の将軍」となり、幕府は4カ国の公使に大坂城で会談すると通知した。第2次征長戦争で敗れ、大坂開市・兵庫開港問題で外国と朝廷とのはざまに立つ慶喜が、「積極的開国」で外国に友誼(ゆうぎ)をアピールし、併せて朝廷と薩長を牽制(けんせい)する狙いだったのだろうか。
 会談の事前準備でサトウが同僚3人と大坂に入ったのは翌年の慶応3年1月12日。その回想録「一外交官の見た明治維新」(坂田精一訳、岩波文庫)にサトウが綴(つづ)る。
 《大坂(オーザカ)の町に着いた。大きな木橋(天満橋)を渡り、左へ折れ、右へ曲がり、長い街路を通ってようやく本覚院(寺)に着いた》
 一行には護衛の兵士が付き、宿舎では外国係の役人の歓待を受けたようだ。食卓に葡萄(ぶどう)酒が置かれ、トイレには石けんとオー・デ・コロンも用意されていた。
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 翌日、早速、大坂一の繁華街、心斎橋筋に散歩に出かけたが、そこには異様な風景が広がる。
 《黒山のような人々が異国人の姿をひと目見ようと、後ろからぞろぞろついてきた。暗くなるまで本屋や呉服屋をひやかしながら歩き回った》
https://www.sankei.com/west/news/190117/wst1901170036-n2.html
将軍と外国公使の会談は3月末から4月初めにかけて行われた。パークスら英国代表団は3月25日、大坂城本丸御殿白書院で初めて慶喜に謁見(えっけん)した。
 このときの慶喜の印象をサトウは「日本人の中でも最も貴族的な容貌をそなえた一人で立派な紳士であった」と称賛した。洋式の晩餐(ばんさん)の卓上でもきわめて慇懃(いんぎん)で、パークスが壁に飾られた三十六歌仙の絵をほめると、慶喜はその1枚を贈ったという。
 サトウは大坂を拠点に多忙な日々を送った。兵庫開港が勅許され、川口と神戸の居留地が決まると、その準備のため幕府役人と交渉を重ねた。長崎で英国水兵が殺害されたイカルス号事件では、幕府最高幹部や前土佐藩主の山内容堂、長崎奉行らと折衝。この間、大坂で諸藩有力者と交流し、特に薩摩の西郷隆盛らとは緊密な関係を築いていた。
 大阪城公園の玉造口にある「市民の森」。かつて玉造口定番(じょうばん)=城代を補佐する当番の大名=の下屋敷がその一角にあり、大政奉還から1カ月後の慶応3年11月下旬、英国公使館は中寺町から、この広大な屋敷に移った。ちなみにフランス公使館は今の大阪家庭裁判所付近にあったとされる。
 城外とはいえ、本丸御殿まで徒歩数分という、大坂でも超一等地に移ったのは幕府の英仏への期待の表れだった。それは、政権を返上したとはいえ、引き続き新体制の中心となって日本を統治し、外交を継承するという慶喜の意思の表れだったのかもしれない。
 その慶喜が王政復古のクーデターを受けて都落ちした12月12日、サトウは京橋口で騎馬の一隊を迎える。
 《日本人はみなひざまずいた。私たちはこの転落の偉人に脱帽した。慶喜は黒い頭巾をかぶり、顔はやつれて物悲しげであった》
 年が明けた1月3日の夜、サトウは伏見方面に大きな火の手を見る。慶喜が城を脱出したことを知るのは7日朝。2日後、城からのぼった白煙が黒煙の雲に変わるころ、公使館は群衆の略奪に遭っていた。
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 サトウは大坂で幕府の最期を目撃したのである。(今村義明)

 アーネスト・サトウ(1843〜1929年) 英国の外交官、日本研究家。文久2(1862)年8月、駐日公使館の通訳として横浜に着任し、幕府や諸藩との交渉で活躍。日本語が堪能で、的確な情勢分析、情報収集力は高く評価された。横浜の英字新聞に発表した「英国策論」は日本語に翻訳され、その後の明治維新にも影響を与えたとされる。明治28年、駐日特命全権公使。

2441名無しさん:2019/01/20(日) 18:24:11 ID:NrdB.GxU0
20日、難波八阪神社「綱引神事」
2019年1月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190117/20190117034.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で20日、年頭恒例の「綱引(つなひき)神事」(大阪市指定無形民俗文化財)が執り行われる。

 同神社の祭神スサノオノミコトが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民衆の困苦を除いたという故事に基づく伝統行事。江戸時代に出版された「摂津名所図会(ずえ)」などにも紹介されている

 午前8時から神事を斎行。文化財保持者である綱引神事保存会(竹立威三雄会長)が奉仕し、細縄を幾重にもより合わせ、オロチに見立てた全長約30メートルの大綱を制作する。

 完成後は大綱を抱えて綱引きを行うほか、神社周辺の氏地を巡行する。一般参拝者も工程を見学可。

 問い合わせは電話06(6641)1149。

2442名無しさん:2019/01/20(日) 18:40:42 ID:NrdB.GxU0
「お弓神事」で景気向上祈願 御霊神社
2019年1月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190118/20190118027.html

 大阪市中央区の御霊神社(園文夫宮司)で17日、「お弓神事」が厳かに執り行われた。平安時代の宮中行事で大的を射る「射礼(じゃらい)」にちなむ年頭行事。都心の静寂な境内で古式ゆかしく弓の作法が披露され、多くの参拝者が矢の行方を追った。

 本内周辺は古くからの一大商業地であることから、当たり矢で景気向上も祈願したとも伝わる。

 近隣の大阪ガスの弓道部所属の2人が奉仕。本殿でおはらいを受けた後、境内に設けられた直径約70センチの的を狙い、1人が3本ずつ矢を放った。矢が的に立つと、見守る人々から歓声と拍手が沸いた。

 拝殿内の神事では、弓を持った神職が矢を射る所作を繰り返す四方邪気ばらいのほか、みこによる弓神楽も奉納された。

 園宮司は「今年は変化の多い年になると思われるが、皆さんには平穏に過ごしていただきたい」と話した。

2443名無しさん:2019/01/20(日) 19:34:52 ID:NrdB.GxU0
長原遺跡の出土品・さまざまな埴輪から知る、古代大阪の展覧会
1/19(土) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00056191-lmaga-l27

 大阪市内の大規模な遺跡「長原遺跡」(大阪市平野区)に着目した展覧会が、1月26日より「大阪歴史博物館」(大阪市中央区)でおこなわれる。

 大阪の古代遺跡といえば、堺市や羽曳野市の巨大な前方後円墳が有名だが、長原遺跡も大規模なもの。発掘調査は昭和49年(1974)から始まった。その結果、200基を超す規模の古墳群や多彩なモノ作りを行った集落(居住域)の存在が明らかに。本展では墓葬・生活・生産に注目し、約450点の資料で大阪の古墳時代を振りかえる。

第1章では長原古墳群を特徴づける形象埴輪や円筒埴輪を一堂に展覧。国指定重要文化財に指定されている「船形埴輪」を中心に、近畿地方で出土した主な船形埴輪も展示する。第2章では古墳時代中期から後期(4世紀後半〜6世紀)に形成された長原遺跡の全貌を4期に分けて紹介。第3章では古墳群に葬られた人々が暮らした集落跡としての長原遺跡を紹介する。

大阪の歴史は豊臣秀吉が大坂城を築いた近世以降がクローズアップされがちだが、実は古代にも豊かな文化が広がっていた。本展を通してその実相を確認して。期間は3月17日まで、料金は大人1000円。

文/小吹隆文(美術ライター)

2444名無しさん:2019/01/20(日) 19:38:26 ID:NrdB.GxU0
徳川家光ゆかりの「釣鐘」、立ち退き危機から一転…“救世主”現る
1/18(金) 19:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190118-00026193-mbsnews-l27

 大阪城の近くにある徳川家光ゆかりの釣鐘。この鐘がわけあって立ち退きの危機に瀕していましたが、その後、“救世主”が現れてピンチを脱したようです。

 ビルやマンションが建ち並ぶ大阪市中央区釣鐘町の一角に「時報鐘」はあります。1日3回、コンピューターで制御された棒が自動で動き、鐘を鳴らします。

 「朝8時には鳴るので、鳴ると、あ、8時なんやなと思う」(近所の人)
 「お寺の鐘あるでしょ、あれと違うね。静かないい音ですよ」
 「朝と昼と夕方。大切ですよこの音は」

 地元の人にも愛されるこの釣鐘を守っているのは、地域の保存会の会長・梅本憲史さんです。

 「これはみなさんの持ち物だから、みんなが守っていかないといけない。だから、これからも大事に大事にしてあげてくださいね」(大坂町中時報鐘顕彰保存会 梅本憲史会長)

 「時報鐘」の歴史は古く約380年前、江戸幕府の3代将軍・徳川家光が大阪城を訪れた際、大阪の地代、いまで言う固定資産税を永代免除としました。これに感謝した町民が記念に鐘をつくったと伝わっていて、釣鐘は明治時代に入ると寺や博物館などを転々としました。その後、梅本さんら地元の要望もあり、1985年にいまの場所に戻ってきました。しかし、歴史的価値の高いこの釣鐘が存続の危機に直面していました。

 「唐突に出てきて買い取れとか言われても、ちょっと私どもにとっては寝耳に水」(梅本憲史会長・2017年)

 釣鐘のある土地を所有する大阪市内の不動産会社が3年前、事前に通知した上で、保存会と大阪府を相手に土地の明け渡しを求めて提訴したのです。鐘が町に戻ってきた当時の土地の所有者と保存会との間では「土地は無償貸与する」との協定が結ばれていて、大阪府が保存会の連帯保証人となっていました。その後、2010年に今回の不動産会社が協定を引き継いで土地を購入。不動産会社は鐘のある17坪の土地の買い取り手を探しましたが見つからず、年間約17万円の固定資産税をこれ以上負担するのは困難として提訴する事態となったのです。そんな釣鐘に突如、“救世主”が現れました。

 「(土地を)買い取りますと、私どもにとっては願ってもないことだった」(梅本憲史会長)

 去年、鐘の窮状を知った大阪市内の会社経営の男性が保存会に鐘のある土地の買い取りを申し出てきたのです。そして去年11月、不動産会社が男性に1500万円で売却することを条件に和解が成立しました。

 「本当に頼もしい限りですね。庶民が徳川さんの善政をみなさんに知っていただこうということではじまった鐘なんでね、今になって固定資産税でまた苦労せなあかんのは皮肉な話」(梅本憲史会長)

 守られた鐘の音。保存会の梅本さんは男性と一緒に知恵を絞って長く守っていく方法を考えていきたいとしています。

2445名無しさん:2019/01/23(水) 20:45:27 ID:z0ZZDKf.0
江戸初期に大坂幕府構想?「ゆくゆく御居城に」 小堀遠州の書状公開
https://mainichi.jp/articles/20190123/k00/00m/040/197000c

 大阪城天守閣(大阪市)は23日、江戸時代初期に大坂幕府構想があったことを
示す小堀遠州の書状を26日〜3月19日に大阪城天守閣で展示すると発表した。

 大坂夏の陣(1615年)で焼けた大坂城の再築担当となった小堀遠州が義父・
藤堂高虎に宛てた寛永3(1626)年12月17日付の書状で、縦17センチ、横245センチ。
昨年、三重県に住む収集家が名古屋市の古美術商から購入。12月に三重大や…
(以下会員限定有料記事)


毎日新聞・会員限定有料記事(2019年1月23日 20時24分、最終更新 1月23日 20時25分)

2446名無しさん:2019/01/23(水) 22:04:48 ID:z0ZZDKf.0
大阪城天守閣に調査を依頼した。
 書状では朝廷に生まれた親王に対する祝儀を贈り終わったことや、徳川秀忠の上洛予定を質問していた。
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/entertainment/kyodo_nor-2019012301001999.html

2447名無しさん:2019/01/23(水) 22:31:10 ID:z0ZZDKf.0
更なる解説
http://hawksbaseballparkchikugo.whdnews.com/p/1812/zpKgKJUD1.html

2448名無しさん:2019/01/27(日) 13:46:28 ID:NrdB.GxU0
四天王寺庚申堂で「初庚申」 護摩木の炎に願い託し
2019年1月24日

 えとの組み合わせで約2カ月に一度巡ってくる「庚(かのえ)」と「申(さる)」の日にちなんだ信仰行事「庚申(こうしん)まいり」で、新年最初となる初庚申が23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺庚申堂であった。初庚申の際にのみ行われる盛大な柴灯(さいとう)大護摩供も斎行。無病息災や所願成就などの願いが込められた護摩木が盛大にたかれ、大勢の参詣者が立ち上る炎に手を合わせた。
 
 四天王寺庚申堂は、日本の庚申尊出現の地とされ、徐災無病の霊験を持つ青面(しょうめん)金剛童子(秘仏)が祭られている。

 護摩供では、同寺僧侶と奈良県大峯山の修験行者が奉仕。願文を読み上げた後、古式ゆかしい作法で点火されると無数の護摩木が高く燃え上がった。

 点火に先立ち護摩壇の四方を清める奉剣や、実際に弓で軽く矢を放つ奉弓などの作法も行われた。

 参詣者の宮北三郎さん(83)=同市生野区=は、昨年の初庚申で偶然キャッチした矢を持参し丁重に返納。「おかげで一年を無事に過ごすことができた」と話し、伝統行事をカメラに収めていた。

 年内の庚申まいり(本庚申)は、3月24日▽5月23日▽7月22日▽9月20日▽11月19日。それぞれの前日に宵庚申が執り行われる。

2449名無しさん:2019/01/28(月) 20:05:10 ID:NrdB.GxU0
「大坂幕府構想」書状初公開
01月26日 12時44分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190126/0011966.html

 江戸時代の初期、大坂を徳川幕府の本拠地とする「大坂幕府構想」が検討されていた可能性を示す書状が、26日から大阪城天守閣で公開されています。

この書状は、大坂の陣のあと大坂城の建て直しを担当していた小堀遠州が、遠州の義理の父親で徳川秀忠の側近、藤堂高虎に宛てたものです。
書状の中で遠州は、大坂城の茶室の庭に置く石を献上するよう高虎に進言し、その理由について、「大坂はゆくゆくは御居城にもなさるべきところ」と説明しています。
誰の城になるかは明記されていませんが、城に「御」という敬称が付けられていることなどから、当時江戸城にいた大御所の徳川秀忠や、三代将軍、家光の居城になるという前提で、遠州が大坂城の整備を進めていたことがわかるということです。
展示室を訪れた人は、大坂を徳川幕府の本拠地とする大坂幕府構想が検討されていた可能性を示す書状を興味深そうに眺めていました。
山口県から訪れた男性は「徳川は江戸城にずっといるものと感じていたが、大阪に居城を構えていたら日本の首都になっていたかもしれないと思うと、歴史の偶然を感じますね」と話していました。
この書状は3月19日まで大阪城天守閣で公開されています。

2450名無しさん:2019/01/30(水) 18:59:23 ID:NrdB.GxU0
ウメキタフロアに静御前 3月のうめだ文楽アピール
2019年1月29日 https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190129/20190129030.html


 3月に大阪市北区のグランフロント大阪北館4階ナレッジシアターで上演する「うめだ文楽2019」の出演者が28日、同館6階のウメキタフロアで文楽人形の練り歩きを行った。食事中の会社員らが驚いた様子でカメラを向ける中、「静御前」などの人形を操りながら公演をPRした。

 大阪が誇る伝統芸能である文楽をより多くの人に親しんでもらおうと、在阪民放5局とナレッジキャピタルが2015年から毎年上演。今年は5周年を祝して初めて2演目用意し、「二人三番叟(ににんさんばそう)」と「義経千本桜〜道行初音旅(みちゆきはつねのたび)〜」を上演する。

 練り歩きには「義経千本桜」に登場する「静御前」と「狐(キツネ)」の人形2体が登場。吉田簑紫郎さん、吉田玉彦さん、吉田簑之さん、吉田玉延さんらが、食事中の会社員らにあいさつしながらフロアを回った。

 簑紫郎さんは「初めて見る方にも分かりやすく、華やかな演目です。若手で力を合わせて頑張りたい」と話した。公演は3月29〜31日に行われる。

2451名無しさん:2019/02/04(月) 20:04:14 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭 改修で6月から休館に
02月02日 12時24分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190202/0012230.html

 大阪の上方落語専門の定席「天満天神繁昌亭」が、設備の改修のため、ことし6月から1か月間、休館することになりました。

繁昌亭は大阪・北区にある上方落語専門の寄席で、平成18年にオープンして以来、ほぼ休みなく上方落語の公演を行ってきました。
しかし、オープンから10年以上たち設備の老朽化が目立っていて、去年は天井につり下げられたちょうちんが割れたり、空調設備が壊れたりといったトラブルがあったということです。
このため繁昌亭を運営する上方落語協会は、設備の改修工事を行うことを決め、ことし6月から1か月間、休館することになりました。
工事では約1200個のちょうちんをすべて入れ替えるほか、ロビーも拡充するということで、7月には公演を再開するということです。
また、再開後は昼間の公演について座席指定ができるようにするほか、開演時間をこれまでより1時間遅い午後2時にするということで、ゆっくりと昼食を食べたあと落語を鑑賞したいという要望に応えたいとしています。
上方落語協会の笑福亭仁智会長は、「お客さんが快適に過ごせるようにしたい。新しくなった繁昌亭で、よりいっそうおもしろく落語を見てもらえると思う」とコメントしています。

2452名無しさん:2019/02/05(火) 22:36:20 ID:NrdB.GxU0
長原古墳群の埴輪一堂に 大阪歴史博物館で特別展
2019年2月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190202/20190202054.html

 大阪市平野区に広がる長原遺跡の出土品にスポットを当てた特別展「はにわ大行進-長原古墳群と長原遺跡」が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている。同遺跡の長原古墳群(4世紀後半〜6世紀)から出た埴輪(はにわ)を一堂に集め、「古墳時代の先進地であった大阪」に迫っている。3月17日まで。

長原遺跡は面積3平方キロメートルで、旧石器時代から始まる複合遺跡。地下鉄谷町線延伸工事に伴い1974年から発掘調査が始まり、長原古墳群からは200基以上が発見されている。調査は規模を縮小しながら現在も続いている。

 同展では人物や動物、建物、船、武具などを模した「形象埴輪」や「円筒埴輪」など約450点を展示。3章構成で、1章は埴輪の展示、2章では古墳群を4期に分けて紹介。3章では古墳群に葬られた人々の暮らしを浮き彫りにしている。

 形象埴輪の中でも、船形埴輪は船首と船尾が上下に分かれる二体構造を精巧に模したものなどを展示。動物埴輪には馬や鳥があり、当時の人々の生活と動物との関わりをうかがい知ることができる。

 主催団体の一つである大阪文化財研究所の南秀雄所長は「大阪市の考古学のルーツは、一つは難波宮で、もう一方は長原遺跡といっても過言ではない」と指摘。「大阪市の埴輪が一堂に展示されるのはまれな例であり、市内にこんな素晴らしい古墳群が埋もれていることを知っていただければ幸い」と話していた。

 関連行事として、記念講演会「発掘45周年 長原古墳群と長原遺跡」が23日に同館4階講堂で開かれる。講師は大阪文化財研究所の大庭重信学芸員と、高橋工学芸員。定員250人(先着順)、参加費300円(特別展の観覧券もしくは半券提示で無料)。

2453名無しさん:2019/02/05(火) 23:31:25 ID:NrdB.GxU0
無病息災願い舌鼓 厄よけの「天王寺かぶら汁」
2019年2月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190204/20190204036.html

 なにわの伝統野菜の一つである「天王寺蕪(かぶら)」の発祥地とされる、大阪市天王寺区の四天王寺は3日、節分の故事にちなんだ厄よけの「天王寺かぶら汁」を境内で販売した。参拝者らは無病息災を願い、温かいカブに舌鼓を打ちながらおいしそうに頬張った。

 
天王寺蕪は根が扁平(へんぺい)で、一般のカブに比べて甘みが強い白カブ。2015年から催しを手掛ける同寺によると、江戸時代には旧天王寺村の名物として竹垣に干したカブが商われたという。味に引かれた信濃の僧が故郷へ種を持ち帰り、その子孫が野沢菜に派生したという口伝も残る。

 境内では、干したカブと葉、同じ伝統野菜の難波葱(ねぎ)、大阪湾で採れたノリを具材にした白みそ仕立てのみそ汁と麦飯、野沢菜漬けを提供した。

 今年は初めて四天王寺中の生徒が、境内で育てたカブも材料に加えた。1食千円で販売したところ、用意した400食は2時間足らずで完売した。

 府内に実家があるという会社員女性(54)=奈良県大和高田市=は「体が温まった。境内にカブが干してあり、由来も知れて味わい深かった」と満足そうだった。

2454名無しさん:2019/02/08(金) 21:14:19 ID:NrdB.GxU0
甲冑姿の300人練る 三好長慶公武者行列in大東
2019年2月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190207/20190207033.html

 大東市は3月2日、同市の「飯盛城」を居城とした戦国大名・三好長慶をたたえ、約300人が甲冑(かっちゅう)姿で市内を練り歩く「第3回三好長慶公武者行列in大東」を開催する。

 長慶は近畿から四国の広大な地域を支配。堺を拠点に独自の海外交易ルートを確立し、キリスト教を保護する政治手腕を発揮した。

 小説や映画の表舞台に出ることがない長慶だが、2015年に市民による「大東・三好長慶会」(河村共之代表)が発足。武者行列は17年から始めた。

 今年は初めて長慶役を公募。11人の応募者の中から、同市にキャンパスがある大阪産業大経済学部の小川雅司教授(43)が選ばれた。

 観光など地域政策が専門で「その日だけヒーローの気分。飯盛山と三好長慶の二つの宝を市民の方に知ってほしい」と意気込む。

 武者行列には、子ども時代の長慶役3人、長慶の父・元長ら三好家も登場。長慶ゆかりの高槻市や堺市、出身地の徳島県三好市からも“援軍”が来る。

 当日は正午に「いいもりぷらざ」を出発。東高野街道から野崎参道商店街を回る2.5キロを2時間かけて歩く。会場では、長慶の紹介コーナーや物産展も行われる。

2455名無しさん:2019/02/08(金) 21:30:15 ID:NrdB.GxU0
大阪天満宮で「針供養」
02月08日 11時52分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190208/0012441.html

 使い古した針を特大のこんにゃくに刺して労をねぎらう「針供養」が、大阪天満宮で行われました。

針供養は、使い古した針をやわらかいものに刺すことで感謝をあらわすとともに裁縫技術の上達を祈る伝統行事です。
大阪・北区の大阪天満宮では、奈良時代に刺しゅうや裁縫の技術を日本に伝えたとされる遣唐使の吉備真備がまつられていることから、およそ90年前から毎年行われています。
8日は和服を仕立てる和裁士や服飾を学ぶ生徒などおよそ1000人が参加し、幅50センチ、高さが10センチほどの特大のこんにゃくに縫い針やまち針を次々と刺して針を供養していました。
兵庫県西宮市から訪れた60代の女性は「和裁を習っているので、うまくなるように1年間使ってきた針を供養にきました」と話していました。
大阪府内で洋裁教室を開いている40代の女性は「生徒たちの技術の上達と、服作りの楽しさが普及するよう願いを込めました」と話していました。

2456名無しさん:2019/02/09(土) 15:58:24 ID:ylDuNnHU0
梅酒展示でギネス世界記録
02月09日 12時42分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190209/0012468.html

 梅酒を1度にどれだけ多く展示したかでギネス世界記録を目指す催しが大阪天満宮で行われ、295種類で世界記録に認定されました。

この催しは、大阪天満宮の「梅酒まつり」にあわせて地元の商店街などが企画し、神社の本殿には全国各地から集められた梅酒の瓶が並べられました。
ギネス世界記録の公式認定員が一つ一つ銘柄を確認し、295種類の梅酒が展示されているとして、初めてのギネス世界記録に認定されました。
このあと会場では、これらの梅酒が一杯100円から500円で販売され、訪れた大勢の人たちが飲み比べるなどして楽しんでいました。
大阪市の40代の男性は、「これだけたくさんの種類があるとどれを飲もうか迷ってしまいます。何杯か飲みましたが、もう5杯ほど味わいたいです」と話していました。
催しを企画した実行委員会の上田久雄さんは、「ギネス世界記録に認定されてとてもうれしいです。大阪には国内外からたくさんの観光客が訪れるので今回の認定を機に、1人でも多くの方に大阪天満宮に足を運んでもらい地域の活性につながればいいです」と話していました。
これらの梅酒を味わえる「梅酒まつり」は、11日まで開かれています。

2457名無しさん:2019/02/09(土) 16:07:45 ID:ylDuNnHU0
1年間の労ねぎらう 大阪天満宮「お針祭」
2019年2月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190209/20190209051.html

 裁縫上達を願い、豆腐やこんにゃくといった軟らかいものに針を刺すお針祭(針供養)が8日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。大阪和服裁縫協同組合(大森貴之理事長)が主催し、職人らが1年間の針の労をねぎらいながら、さらなる精進を誓った。

 境内には日本に刺繍(ししゅう)技術を伝え、「縫い物の神様」といわれる吉備真備をまつる吉備社がある。

 長さ約40センチ、厚さ約10センチの巨大こんにゃくが用意され、参拝した人たちは縫い針やまち針、ミシン針を刺して手を合わせた。針は吉備社の針塚に納められた。和裁用具の販売やバザーもあり、境内はにぎわった。

 大森理事長は「針を大事にしながら仕事に精進し、伝統の針の技術を次の時代に伝えていきたい」と決意を新たにした。

2458名無しさん:2019/02/09(土) 16:58:26 ID:ylDuNnHU0
「人身売買」の戦国史、乱世の常識覆した秀吉の禁止令
『渡邊大門』 2019/01/27
https://ironna.jp/article/11765

渡邊大門(歴史学者)

 前回、戦国時代における人身売買の実態について、武田氏などの例を見てきた。今回は、豊臣秀吉が織田信長に代わって天下取りに名乗りを上げて以降、人身売買にどのような対策を講じたのかを確認することにしよう。

 秀吉の天下取りは、戦いの連続であった。信長が本能寺の変で横死した天正10(1582)年6月以降の主な戦いに限って列挙すると、次のようになる。

 ①天正10年――明智光秀を滅亡に追い込む(山崎の戦い)。

 ②天正11年――柴田勝家を滅亡に追い込む。

 ③天正12年――徳川家康との戦い(小牧・長久手の戦い)。

 ④天正13年――土佐の長宗我部氏を降伏に追い込む(四国征伐)。

 ⑤天正14年――薩摩の島津氏を降伏に追い込む(九州征伐)。

 ⑥天正18年――小田原北条氏を滅亡に追い込む。

 この間にも小さな戦いはたくさんあり、秀吉は全国平定に向けて、着々と足元を固めていった。戦いでは雑兵による略奪行為の「乱取り」が行われ、それが人身売買の温床になったことは言うまでもない。秀吉は人身売買を禁止すべく熱心に対策を講じており、九州征伐や小田原征伐において関係史料を確認することができる。

 天正14年の九州征伐の直前、薩摩の戦国大名・島津氏に対抗すべく、秀吉に助けを求めたのは豊後の戦国大名・大友宗麟である。かつて大友氏は九州北部を統一する勢いだったが、この頃には島津氏を相手に苦戦を強いられていた。

 宗麟は日の出の勢いの秀吉に助力を求めたが、島津氏は秀吉の実力を侮っていた。そして、大友氏を血祭りに上げるべく、豊後に攻め込んだのである。戦乱の中で、乱取りや人身売買に苦しめられたのが、豊後に住む普通の人々であった。ポルトガル人宣教師のフロイスは著作『日本史』で、乱取りや人身売買の惨状を次のように記している。

 薩摩の兵が豊後で捕らえた人々の一部は、肥後へ売られていった。ところが、その年の肥後の住民は飢饉に苦しめられ、生活すらままならなかった。したがって、豊後の人々を買って養うことは、もちろん不可能であった。それゆえ買った豊後の人々を羊や牛のごとく、高来(長崎県諫早市)に運んで売った。このように三会・島原(以上、長崎県島原市)では、四十人くらいがまとめて売られることもあった。豊後の女・子供は、二束三文で売られ、しかもその数は実に多かった。

 実に生々しい光景である。島津氏配下の雑兵は捕らえた豊後の人々を肥後で売ろうとしたが、飢饉により売買が困難と知るや、今度は現在の長崎県諫早市へ行って売買した。売られた人々は、かなりの数であったことが判明する。

 いくら奴隷が安価な労働力とはいえ、二束三文とはあまりに安すぎる。この話が事実であったことは、島津氏の家臣、上井覚兼(うわい・かくけん)の日記『上井覚兼日記』天正14年7月12日条に次の通り記されている。

 路次すがら、疵(きず)を負った人に会った。そのほか濫妨人(らんぼうにん、乱暴狼藉を働く人)などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた。

 島津領内には、戦いで負傷した兵卒たちも帰還したが、濫妨人は戦利品として豊後から女や子供をたくさん引き連れ、道が混雑していたというのである。戦利品として人を略奪するのは、すでに当たり前になっていた。

2459名無しさん:2019/02/09(土) 17:00:33 ID:ylDuNnHU0
https://ironna.jp/article/11765?p=2

 この惨劇を目の当たりにしたであろう秀吉は、いかなる対応をしたのであろうか。以下、確認しておこう。

 先に掲出したフロイスや上井覚兼の記述は事実であり、秀吉はすぐに人身売買の対策を行った。天正16年8月になって、秀吉は人身売買の無効を宣言する朱印状を発給している(「下川文書」)。次に示しておく。

 豊後の百姓やそのほか上下の身分に限らず、男女・子供が近年売買され肥後にいるという。申し付けて、早く豊後に連れ戻すこと。とりわけ去年から買いとられた人は、買い損であることを申し伝えなさい。拒否することは、問題であることを申し触れること。

 この文書は、加藤清正と小西行長に宛てられたものである。2人が肥後国に配置されたのは、天正16年閏5月15日のことである。したがって、2人の肥後入部直後には、秀吉から指示があったと考えられる。

 この場合、人を買った者には、秀吉からの金銭的な補償はなく、「買い損」ということになっている。では、どのような理由があって、秀吉は買われた人々を豊後へ連れ戻す措置を指示したのだろうか。

 戦場で雑兵が戦利品として人々を連れ去り、売買することは前回も述べた。しかし、戦争で田畑が荒れ果てたうえ、肝心の農民たちが他国に売買されたとなると、農村の復興が進まなくなる。それでは農作物の収穫がなくなるので、大名領国化の経済を揺るがす、非常に大きな問題だった。

 逃散(ちょうさん)などによって農地が放棄されるがごとく、人身売買によって肝心の耕作者がいなくなってしまうことは、秀吉の本意ではなかった。秀吉はこれまでも、戦争後に還住令(逃げた農民が元の土地に戻るよう勧める法令)を発布するなどし、戦災後の復興に力を入れていた。そうでなければ、土地を奪い取った意味がなくなるからである。

 同じような朱印状は、筑後の大名である立花宗茂と毛利秀包(ひでかね)にも発給された。やはり、対象となったのは、豊後から筑後へ売買された人々の扱いであった。大友氏の領国である豊後は戦場になったのであるが、年貢を納入する主体の農民が数多く連れ去られ、農村の荒廃が進んでいたのは疑いないところである。

 秀吉の人身売買禁止という強い姿勢は、降伏に追い込んだ島津氏にも向けられた。次に、史料を掲出しておこう(「島津家文書」)。

 先年、豊後から連れ去った男女のことは、薩摩の領内を捜し出し、見付け次第に帰国させることを申し付ける。隠し置いた場合は、落ち度である。人の売買は一切禁止することは、先年定めたとはいえ、重ねて言うところである。

 本文書の発給された年次は不詳であるが、天正16年ごろと見るのが妥当ではないだろうか。和睦したとはいえ、薩摩・島津氏は大身の大名である。それでも容赦せずに、薩摩領内にいる豊後の人々を帰還させるように命じた。2行目の後半部分にあるように、人身売買禁止はすでに決まっており、重ねての通知だったようだ。

https://ironna.jp/article/11765?p=3

 ところが、人身売買の禁止令は、戦場となった豊後だけが対象ではなかった。次に、秀吉が寺沢広高に宛てた朱印状を挙げておこう(「島津家文書」)。

 薩摩出水、肥後水俣の侍・百姓、男女に限らず、薩摩・大隅・日向そのほか隣国へ彼らが買い取られたことを聞いた。法度の旨に任せて、早々に召し返して帰還させるように申し付ける。もし違反する者があったら、すぐに報告すること。右の趣旨を堅く申し触れ、彼らを帰還させること

2460名無しさん:2019/02/09(土) 17:03:27 ID:ylDuNnHU0
 薩摩出水(鹿児島県出水市)、肥後水俣(熊本県水俣市)では侍・百姓や男女を問わず、島津氏領国の薩摩・大隅・日向やその隣国で売買されていた。秀吉は、それらの人々を早急に帰還させよというのである。こちらも本文に記されているように、人身売買は違法行為であることが強調されている。

 実は、薩摩出水、肥後水俣を治めていた島津忠辰(ただとき)は、秀吉にその領土を没収されていた。その後の措置にあたったのが肥前唐津(佐賀県唐津市)の寺沢広高であったが、混乱の中で領内の多くの人々は売り払われたのであろう。これでは、戦後の復興はままならない。秀吉は人身売買禁止という方針をもとに、その対策を広高に命じたのであった。

 かつて、戦場における人の略奪は、当然の行為として認識されてきた印象がある。しかし、秀吉は人の略奪や人身売買禁止という政策を採った。その方針は、国内の大戦争である小田原北条氏との戦いでも受け継がれた。

 天下取りを目指す豊臣秀吉にとって、最後の強敵は小田原北条氏を残すのみとなった。北条氏は関東一円を支配下に収め、その実力は侮れないものがあった。

 天正17年11月の名胡桃(なぐるみ)城事件が秀吉の惣無事(私戦の禁止)の基調に違反したため、同年末に秀吉は北条氏に宣戦布告し、両者の戦いが始まった。名胡桃城事件とは、沼田城代の北条氏の家臣である猪俣邦憲(いのまた・くにのり)が、謀略によって真田昌幸の名胡桃城を占拠した事件である。戦いは関東各地で繰り広げられたが、北条氏は徐々に劣勢に追い込まれ、ついに天正18年6月に小田原開城となった。

 この間、秀吉は諸大名に対して、人身売買を禁じる旨を申し伝えている。天正18年4月27日、秀吉は上杉景勝に宛てて朱印状を発給した。次に、内容を確認しておこう(「上杉家文書」)。

 国々の地下人・百姓などは、小田原町中の外で、ことごとく還住させることを申し付ける。そのような中で、人身売買を行う者があるという。言語道断で許しがたいことである。人を売る者も買う者も、ともに罪科は軽いものではない。人を買った者は、早々に彼らをもといた場所に返すこと。以後、人の売買は堅く禁止するので、下々まで厳重に申し付けること。

 小田原城が戦場になったものの、戦いは関東各地で繰り広げられたので、人々は戦火を避けてあっちこっちに避難したのであろう。豊臣方は戦いを優勢に進める中で、未だに戦場である小田原町を除き、そのほかの場所については、百姓らを帰還させるように手配した。秀吉は戦争が終結した地域から順に、復興を進めたのである。

https://ironna.jp/article/11765?p=4

 一連の措置には、人々が元にいた場所に帰還させることによって、できるだけ早く戦後復興を円滑に進めるという目的があった。しかし、戦争というどさくさの状況で、人身売買が横行したこともあり、秀吉はその禁止を命じた。それは人を買う者であっても、売る者であっても罪は等しく重かったのである。

 上杉景勝が主戦場としていたのは、松井田城(群馬県安中市)であり、同年4月22日に城主である大道寺政繁(だいどうじ・まさしげ)は降伏していた。人身売買の禁止は、それから5日後の措置である。実は、ほぼ同内容の書状は、同年4月29日に秀吉から真田昌幸に送られている(「真田家文書」)。

 つまり、戦いが終わった場所では、速やかに人を帰還させるように昌幸に命じ、その間の人身売買を無効としたうえで、人を売買する者の摘発を命じている。やはり小田原を除いているのは、まだ同地では戦争が継続していたからである。

 秀吉の人身売買禁止令は、小田原北条氏の滅亡後も徹底していた。天正18年8月、秀吉は下野の宇都宮国綱に対して掟書の条々を送った。そのポイントは、次の2つになろう(「宇都宮家蔵文書」)。

2461名無しさん:2019/02/09(土) 17:05:09 ID:ylDuNnHU0
・百姓などを土地に縛りつけ、他領に出ている者は召し返すこと。

・人身売買は、一切禁止すること。

 重要なことは、百姓などが勝手に移住し、耕作地が荒れることを防ぐということになろう。同時に人身売買によって、貴重な労働力が移動することも危惧された。つまり、人身売買の禁止というのは、さまざまな目的があるものの、倫理的、人道的な問題というよりも、むしろ労働力の問題として重視されたと考えられる。

 天正18年以降に秀吉が発給したと考えられる文書には、次のような規定がなされている(「紀伊続風土記」所収文書)。

 人の売買については、一切禁止する。天正十六年以降、人が売買された件は無効とする。今後、人を売る者はもちろんのこと、買う者についても罪とするので、噂を聞きつけて報告した者には褒美を遣わす。

 このように見る限り、天正16年という年を一つの基点にしていることがわかる。また、これまで人を買った者は、未だに罪として認識していなかったようである。売る方は積極的であったが、買う方は受動的であったので罪が軽かったのだろうか。いずれにしても、人身売買は売るのも買うのも、罪は等しくされたのである。

 そもそも人を略奪して人身売買をすることは、出陣した兵の給与の一部のようなものだった。しかし、戦後復興を考えたとき、人身売買によって人がいなくなり、耕作地が荒れると収穫が減るので大問題だった。それゆえ秀吉は倫理的、人道的というよりも、労働力の問題として、人身売買を禁止したのである。こうして経済基盤の安定化を図ったのである。

 ところで、人身売買の問題を考えるには、キリスト教や南蛮貿易のこと、また、ポルトガル商人を通して日本人奴隷が海外に売りさばかれた例を検討する必要がある。秀吉は日本人奴隷が海外に輸出されることを懸念していた。この点に関しては、次回に取り上げることにしよう。

2462名無しさん:2019/02/09(土) 17:08:13 ID:ylDuNnHU0
「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈
『渡邊大門』 2019/02/09
https://ironna.jp/article/11884
渡邊大門(歴史学者)

 前回、豊臣秀吉がいかにして、人身売買の対策を講じたのかを確認した。今回は、世界的な規模に達した奴隷貿易と日本との関係について触れておこう。

 最初に、キリスト教の布教について説明しておく。船による長距離の移動が可能になり、ヨーロッパの人々がアジアに行き来することも可能になった。これが大航海時代である。商人たちが貿易のために各国を訪れ、同時にキリスト教の海外での布教も積極的に行われた。その中心的な役割を果たしたのが、イエズス会である。

 1534年、スペインの修道士、イグナティウス・デ・ロヨラら6人は、パリのモンマルトルで宗教改革に対抗しイエズス会を結成した。彼らは清貧・貞潔・服従を誓約し、イエズス会がイエス・キリストの伴侶として神のために働く聖なる軍団となることを目標とした。

 その中には、後に日本でキリスト教布教の中心的な役割を果たした、フランシスコ・ザビエルも含まれている。イエズス会は、1540年にローマ教皇の認可を受けた。以降、イエズス会の面々は、アジアや新大陸で熱心に布教活動を行った。

 ザビエルとは、いかなる人物なのだろうか。ザビエルが誕生したのは1506年のことで、日本ではちょうど戦国時代が始まったころである。ザビエルは、ナバラ王国(ピレネー山脈西南部)出身のバスク人であった。

 ザビエルは19歳でパリ大学の聖バルバラ学院で神学を学び、イエズス会の創設に加わった。1542年にはインドのゴアに派遣され、布教活動に従事した。その後、ザビエルはマラッカで布教中に、「アンジロー」という薩摩出身の日本人と会う。これが日本へ赴くきっかけとなった。

 1549年4月、ゴアを出発したザビエルは、8月に薩摩に上陸した。ザビエルは島津貴久に面会を求めるなど精力的に活動し、周防の大内義隆や豊後の大友宗麟に布教への理解を求めた。ザビエルは2年余り伝道を行い、いったんインドに帰国し、さらに中国へと向かうが、1552年に中国の広東で病没した。ザビエルの布教活動により、キリスト教に理解を示した人々もいたので、大きな功績と言えるであろう。

 ザビエルの後を受け継ぐかのごとく、登場したのがルイス・フロイスである。1532年、フロイスはポルトガルのリスボンに誕生した。16歳でイエズス会に入り、その後はインドに渡海した。フロイスが日本への渡海を果たしたのは、永禄6(1563)年のことである。

 肥前横瀬浦(長崎県西海市)に上陸したフロイスは、スペイン出身の宣教師、フェルナンデスから日本語と日本の習俗について教えを受けた。その後、織田信長や豊臣秀吉に接近し、円滑に布教活動を行うべく奮闘した。これまでもたびたび引用した、フロイスの『日本史』は当時の日本を知る上で、貴重な史料である。

 キリスト教の布教と同時に盛んになったのが、南蛮貿易である。天文12(1543)年にポルトガル商人から種子島へ火縄銃がもたらされて以降(年代は諸説あり)、日本はポルトガルやスペインとの貿易を行った。

 ポルトガルから日本へは、火縄銃をはじめ、生糸など多くの物資がもたらされた。逆に、日本からは、銀を中心に輸出を行った。こうして日本は、キリスト教や貿易を通して海外の物資や文物を知ることになる。

 これより以前、ヨーロッパでは奴隷制度が影を潜めていたが、15世紀半ばを境にして、奴隷を海外から調達するようになった。そのきっかけになったのが、1442年にポルトガル人がアフリカの大西洋岸を探検し、ムーア人を捕らえたことであった。

 ムーア人とは現在のモロッコやモーリタニアに居住するイスラム教徒のことである。キリシタンからすれば、異教徒だった。その後、ムーア人は現地に送還されたが、その際に砂金と黒人奴隷10人を受け取ったという。

https://ironna.jp/article/11884?p=2

 このことをきっかけにして、ポルトガルは積極的にアフリカに侵攻し、黒人を捕らえて奴隷とした。同時に砂金をも略奪した。これまで法律上などから鳴りを潜めていた奴隷制度であったが、海外(主にアフリカ)から奴隷を調達することにより、復活を遂げたのである。では、奴隷制度は宗教的に問題はなかったのだろうか。

 1454年、アフリカら奴隷を強制連行していたポルトガルは、ローマ教皇のニコラス五世からこの問題に関する勅書を得た。その内容は、次の通りである(牧英正『日本法史における人身売買の研究』引用史料より)。

2463名無しさん:2019/02/09(土) 17:10:09 ID:ylDuNnHU0

神の恩寵により、もしこの状態が続くならば、その国民はカトリックの信仰に入るであろうし、いずれにしても彼らの中の多くの塊はキリストの利益になるであろう。

 文中の「その国民」と「彼らは」とは、アフリカから連行された奴隷たちを意味している。奴隷の多くは、イスラム教徒であった。つまり、彼らアフリカ人がポルトガルに連行されたのは「神の恩寵」であるとし、ポルトガルに長くいればキリスト教に改宗するであろうとしている。

 そして、彼らの魂はキリストの利益になると強引に解釈し、アフリカ人を連行し奴隷とすることを正当化したのである。キリスト教徒にとって、イスラム教徒などの異教徒を改宗させることは、至上の命題だったのだろう。それゆえに正当化されたのである。

 当初、アフリカがヨーロッパに近かったため、かなり遠い日本人は奴隷になるという被害を免れていた。しかし、海外との交易が盛んになり、その魔の手は着々と伸びていたのである。この問題に関しては、岡本良知『十六世紀日欧交通史の研究』(六甲書房)に詳しいので以下、同書を参照して考えてみたい。

 日本でイエズス会が布教を始めて以後、すでにポルトガル商人による日本人奴隷の売買が問題となっていた。1570年3月12日、イエズス会の要請を受けたポルトガル国王は、日本人奴隷の取引禁止令を発布した。その骨子は、次の通りである。

①ポルトガル人は日本人を捕らえたり、買ったりしてはならない。

②買い取った日本人奴隷を解放すること。

③禁止令に違反した場合は、全財産を没収する。

 当時、ポルトガルは、マラッカやインドのゴアなどに多くの植民地を有していた。まさしく大航海時代の賜物であった。彼らが安価な労働力を海外に求めたのは、先にアフリカの例で見た通りである。ところが、この命令はことごとく無視された。その理由は、おおむね二つに集約することができよう。

 一つは、日本人奴隷のほとんどが、ポルトガルではなくアジア諸国のポルトガル植民地で使役させられていたという事実である。植民地では手足となる、労働に従事する奴隷が必要であり、それを日本から調達していたのである。理由は、安価だからであった。植民地に住むポルトガルの人々は、人界の法則、正義、神の掟にも違反しないと主張し、王の命令を無視したのである。

https://ironna.jp/article/11884?p=3

 もう一つの問題は、イエズス会とポルトガル商人にかかわるものであるが、こちらは後述することにしたい。

 では、秀吉は日本人奴隷の問題にどう対処したのだろうか。天正14年から翌年にかけて九州征伐が行われ、秀吉の勝利に終わった。前回触れたが、戦場となった豊後では百姓らが捕らえられ、それぞれの大名の領国へと連れ去られた。

 奴隷商人が関与していたのは疑いなく、秀吉によって人身売買は固く禁止された。実は、人身売買に関与していたのは、日本人の奴隷商人だけでなく、ポルトガル商人の姿もあったのである。

 そのような事情を受けて、秀吉は強い決意をもって、人身売買の問題に取り組んだ。天正15年4月、島津氏を降伏に追い込んだ秀吉は、意気揚々と博多に凱旋した。そこで、ついに問題が発生する。

 翌天正16年6月、秀吉とイエズス会の日本支部準管区長を務めるガスパール・コエリョは、日本人奴隷の売買をめぐって口論になったのである(『イエズス会日本年報』下)。次に、お互いの主張を挙げておこう。

2464名無しさん:2019/02/09(土) 17:13:09 ID:ylDuNnHU0
秀吉「ポルトガル人が多数の日本人を買い、その国(ポルトガル)に連れて行くのは何故であるか」

コエリョ「ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレ(司祭職にある者)たちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることを止めるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう」

 秀吉が見たのは、日本人が奴隷としてポルトガル商人に買われ、次々と船に載せられる光景であった。驚いた秀吉は、早速コエリョを詰問したのである。コエリョが実際にどう思ったのかは分からないが、答えは苦し紛れのものであった。

 しかも、奴隷売買の原因を異教徒の日本人に求めており、自分たちは悪くないとした上で、あくまで売る者が悪いと主張しているのである。もちろんキリスト教を信仰する日本人は、奴隷売買に関与しなかったということになろう。

 日本人が売られる様子を生々しく記しているのが、秀吉の右筆、大村由己の手になる『九州御動座記』の次の記述である。

日本人数百人男女を問わず南蛮船が買い取り、手足に鎖を付けて船底に追い入れた。地獄の呵責よりもひどい。そのうえ牛馬を買い取り、生きながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼前に広がっている。近くの日本人はいずれもその様子を学び、子を売り親を売り妻女を売るとのことを耳にした。キリスト教を許容すれば、たちまち日本が外道の法になってしまうことを心配する。

 この前段において、秀吉はキリスト教が広まっていく様子や南蛮貿易の隆盛について感想を述べている。そして、人身売買の様相に危惧しているのである。秀吉は日本人が奴隷としてポルトガル商人により売買され、家畜のように扱われていることに激怒した。奴隷たちは、まったく人間扱いされていなかったのである。

2465名無しさん:2019/02/09(土) 17:15:21 ID:ylDuNnHU0
 それどころか、近くの日本人はその様子を学んで、子、親、妻女すらも売りに来るありさまである。秀吉は、その大きな要因をキリスト教の布教に求めた。キリスト教自体が悪いというよりも、付随したポルトガル商人や西洋の習慣が問題だったということになろう。イエズス会関係者は、その対応に苦慮したのである。

 理由がいかなるところにあれ、秀吉にとって日本人が奴隷として海外に輸出されることは、決して許されることではなかった。また、イエズス会にとっては、片方でキリスト教を布教しながら、一方で奴隷売買を黙認することは、伝道する上で大きな障壁となった。イエズス会は、苦境に立たされたと言えよう。そうした観点から、彼らはポルトガル国王に奴隷売買の禁止を要請していたのである。

 しかし、日本に合法的な奴隷が存在すれば、話は別である。率直に言えば、当時の奴隷は家畜のように売買される存在であった。モノを売るのであれば、それはまったく問題ないと解釈することが可能である。

 幸か不幸か、少なくとも奴隷売買商人は、日本には法律で認められた奴隷が存在すると考えていた。次の史料は、牧英正『日本法史における人身売買の研究』(有斐閣)に紹介された史料である。

日本には奴隷が存在するか否か、また何ゆえに奴隷となるのか。また子供は、奴隷である父もしくは母の状態を継続するのか否か。彼ら(=奴隷売買商人)が答えて言うには、奴隷は存在する、と。奴隷は戦争中に発生する。また、貧しい親は自分の子供を売って、奴隷とする場合もある。(以下、二つ目の質問に関する回答)子供は次の方法によって、親の状態を受け継ぐ。つまり、父が奴隷で母が自由民の場合は、誕生した男子は奴隷で、女性は自由人である。父が自由人で母が奴隷の場合は、誕生した男子は自由人で、女性は奴隷である。両親とも奴隷の場合は、誕生した男女はともに奴隷である。

 この問答の様子は、イエズス会が奴隷売買業者を破門にするか否かの尋問を記録したものである。牧氏が指摘するように、この回答は的を射たものである。たとえば、奴隷が戦争中に発生するというのも、これまで戦場での略奪行為「乱取り」で見てきた通りである。親が子を売る例も、たびたび見られた。

 加えて、親の奴隷身分(あるいは自由民の身分)がどのような形で引き継がれるかも、日本の慣習に符合したものであった。当時における日本の情勢と比較して、彼らの言葉に特段の矛盾点は見られないようである。

 このような解釈が存在したため、イエズス会では奴隷売買の商人による日本人奴隷の売買を黙認していた節がある。とはいうものの、こうしたデリケートな問題は、徐々にキリスト教の布教をやりにくくしていった。

 大きな問題だったのは、一部の宣教師たちが奴隷商人と結託して、日本人奴隷の売買に関与していたということである。そのような状況の中で出されたのが、先述したポルトガル国王の奴隷売買禁止の命令なのである。

 ここで触れた、ポルトガル商人による奴隷売買については、次回も続けて取り上げることにしよう。

2466名無しさん:2019/02/11(月) 13:09:29 ID:NrdB.GxU0
強運の鐘 次代へ
01/31 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005844/20190130-OYTAT50037/

 近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」でお初と徳兵衛が心中に向かう際に聞いた鐘の音が、現在も大阪の人たちに時刻を知らせている。大阪市中央区の「大坂町中時報鐘おおさかまちじゅうじほうしょう」(高さ1.9メートル、重さ3トン)。午前8時と正午、日没の1日3回、コンピューター制御でつかれる鐘は、数奇な運命をたどってきた。

 寛永11年(1634年)、江戸幕府の3代将軍・徳川家光は豊臣びいきの大坂の町民の心をつかむため、現在の固定資産税にあたる「地子銀じしぎん」を城下で免除した。鐘は、この恩に報いようと町民が資金を出し合って造ったものだ。2時間おきにつかれ、4度の大火を経ても焼失せず、時報の役目を果たし続けた。

 明治初期に大阪城内から打ち出される号砲が新たな「時報」になった後、鐘は寺や博物館を転々とした。1926年から府庁に保管されていたが、85年に地元の声に応えて元々あった「釣鐘屋敷跡」に戻った。

 毎年、6月10日(時の記念日)と大みそかには実際に鐘つきを体験できる。大坂町中時報鐘顕彰保存会の梅本憲史会長(76)は「戦時中の金属供出も免れて残った、まさに『強運の鐘』。平成が終わっても世代を超えて愛されてほしい」と話す。(吉野拓也)

2467名無しさん:2019/02/17(日) 11:57:39 ID:NrdB.GxU0
人間国宝一堂に 上方芸能フェスティバル
2019年2月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190215/20190215038.html

 25日に開場する「クール・ジャパン・パーク大阪」(JR・大阪メトロ森ノ宮駅前)のこけら落とし公演の一つとして、SSホール(300席)を使って関西在住の人間国宝らを集めた「上方芸能フェスティバル」が開催される。「なじみの薄い芸にも触れて」「芸の奥深さを感じて」と出演者は張り切っている。

 
初日の25日は「おめでたづくし」(午後7時開演)として、まずは祝い事の趣を持った能「猩々乱(しょうじょうみだれ)」を人間国宝の三島元太郎が太鼓方を務めて上演する。文楽はお祝いの定番「二人三番叟(さんばそう)」を人間国宝の吉田和生が演じる。筑前琵琶の人間国宝奥村旭翠による「那須与一」と続き、トリは桂文枝の創作落語「鯛(たい)」で締める。

 翌日から午後2時と7時の2回公演となり、26日は華やかな芸の魅力に触れる「忠信三変化」がテーマで、後場に焦点を当てた半能「忠信」、文楽は「義経千本桜」で狐(きつね)忠信の段、落語は林家菊丸が忠信と義経千本桜ゆかりの「猫の忠信」を口演。トリは講談で旭堂南海が「忠信三変化」。

 最終日の27日は、多彩さを演出する「船弁慶三体」がテーマで、半能で「船弁慶」の原型を見た後、文楽「義経千本桜」から知盛幽霊の段、筑前琵琶で奥村旭翠が「船弁慶」を奏で、落語「船弁慶」を月亭文都が口演。トリは講談「船弁慶三体」を真打ち講釈師の旭堂南龍が読む。

 文楽の吉田和生は「いずれも大阪で育てていただいた芸。テーマ別で一度に見られる機会はめったにありません。ぜひなじみの薄い芸にも触れてみてください」と説明。人間国宝の結集に、上方落語協会の文枝・前会長は「それぞれの芸の奥深さを感じていただければ。それにしてもこれだけ人間国宝の方が集まられると壮観ですな。私も『どうしたらなれるのか』とうかがっておかないと…」と笑いを取ると、三島と奥村は口をそろえ「うまいからなっているのではなく、後継者を育てるのが責務です」と恐縮する一幕も。

 期間中、ホールロビーでこれらの伝統芸能に関するふれあい展示会を開催。衣装や楽器、文楽人形などを展示し、入場者に無料で公開する。

 入場料7千円(25日のみ9千円)、当日券は500円増し。問い合わせは電話0570(550)100、チケットよしもと。

2468名無しさん:2019/02/17(日) 12:21:48 ID:NrdB.GxU0
天皇皇后両陛下ご結婚60年の写真展 大丸梅田店
2/16(土) 11:59配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190216-00026622-mbsnewsv-l27

 ことし4月にご結婚60年を迎える天皇皇后両陛下のこれまでの歩みを振り返る写真展が大阪で始まりました。

 日本中がお祝いムードに沸いたご結婚パレードの様子の写真。(当時)沿道を埋めた約53万人に笑顔で応えられました。ご静養のため訪れた奥日光での1枚は、仲睦まじい姿が印象的です。

 16日に大阪の大丸梅田店で始まった「天皇皇后両陛下」の写真展。ご成婚60年を記念して企画されたもので、被災地のお見舞いや高齢者など福祉施設の訪問のご様子などをおさめた写真約150点が展示されています。天皇としてのご公務をまもなく次へ引き継がれることもあり関心は高く、会場には朝から多くの人が訪れています。

 写真展は大丸梅田店で来月4日までです。

2469名無しさん:2019/02/17(日) 13:17:57 ID:NrdB.GxU0
特攻隊員恋文 思い切々
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190216-OYTNT50250/

北区 ギャラリーよみうりで企画展

 太平洋戦争末期に特攻隊員が記した手紙や遺書、写真などを公開する企画展「恋人への最後の手紙」が、大阪市北区のギャラリーよみうりで開かれている。主催する知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)は「隊員一人一人に、かけがえのない人生があったことを知ってほしい」と呼びかけている。

 九州最南端の陸軍特攻基地跡に立つ会館では、沖縄戦で戦死した陸軍特攻隊員1036人の遺書などを保管。戦後70年あまりが経過し、戦争を知る世代が少なくなっていることから、積極的に県外での展示を実施している。府内では今回、初めて実現した。

 会場では、23歳で戦死した福島県出身の穴澤利夫大尉と、府出身の特攻隊員6人が恋人や家族に宛てた手紙の複製を展示。最愛の人に向けた言葉の数々からは、自分の死後も相手の幸せを願う純粋で、強い思いが伝わってくる。

 穴澤大尉の展示では、婚約者への聞き取りや手紙を基に、2人の出会いから戦死までを説明。特攻隊入隊前に愛を打ち明けられた婚約者が恋文を読んだ後、「眺めた空が殊に美しく思われた」とつづったメモや、穴澤大尉が「あなたの幸せを希ねがふ以外に何物もない」と記した最後の手紙などを紹介している。

 大阪市阿倍野区の会社員山田彩世さん(30)は「激動の時代を生きた若い恋人たちの言葉に触れ、どんな思いで過ごしていたのかと胸が痛んだ。日々を大切に生きようと思った」と振り返り、堺市中区の会社員先山信次さん(63)は「貴重な史料を見ることができてよかった。県外展示は、すばらしい試み」と話した。

 入場無料で20日まで。問い合わせは知覧特攻平和会館(0993・83・2525)。

2470名無しさん:2019/02/17(日) 13:40:17 ID:NrdB.GxU0
川口さんグランプリ 四天王寺写真コン
2019年2月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190217/20190217034.html

 聖徳太子創建として知られる和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)が主催する「第4回四天王寺フォトコンテスト」の各賞が決まり、最高賞のグランプリ大賞には大阪府の川口清榮さんの作品「護符を求めて」が選ばれた。

 同フォトコンは、四天王寺の数多い年中行事や四季折々の風景を題材として開催。昨年7〜9月の募集期間に大阪府内外から251点の力作が寄せられ、写真家の和栗敬一郎さんを審査委員長に、同寺関係者など審査員が厳正に審査した。

 川口さんの作品は、年頭の修正会結願(しゅしょうえけちがん)日に執り行われる伝統行事「どやどや」を撮影。若者らが境内・六時礼讃堂で冷水を浴びながらも、天井からわずかにまかれる護符(お札)をつかもうとする躍動感あふれる姿を捉えた。

 このほか準グランプリ賞(2点)や各特別賞、入賞などが決定。全入選作品は同寺ホームページ上で公開している。

2471名無しさん:2019/02/18(月) 18:58:09 ID:7/nDZLDA0
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2019021702000146.html

直木孝次郎さん死去 古代史研究で指導的役割
2019年2月17日

 日本古代史研究で指導的役割を果たした大阪市立大名誉教授の直木孝次郎(なおきこうじろう)さんが二日、老衰のため死去した。百歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長女東野美穂子(とうのみほこ)さん。
 一九四三年、京都帝国大を卒業して海軍に入隊、海軍士官で終戦を迎えた。大阪市立大教授、岡山大教授などを歴任した。
 文献を中心にした律令(りつりょう)国家成立過程の研究で知られ五四年には続日本紀研究会の立ち上げに参加した。極彩色壁画が見つかった奈良県明日香村の高松塚古墳では、被葬者を天武天皇の皇子である忍壁(おさかべ)皇子と早くから推論し注目を浴びた。邪馬台国論争では畿内説の立場で加わるなど幅広く研究し、戦後の古代史研究の指導者的役割を果たした。大阪の河内地方の勢力が初期大和政権を打倒したとする河内政権説を唱えた。
 また、平城宮(奈良市)、難波宮(大阪市)の保存運動も率いたほか、万葉集に詠まれた和歌山市の和歌浦の景観訴訟も支援した。
 万葉集にひかれ、古代を学ぶ傍ら、歌にも親しみ、八七年の歌会始の召人にも選ばれた。
 憲法九条を守り、改憲を阻止しようと結成された「九条の会・おおさか」の発起人にも名を連ねた。八九年に大阪文化賞、二〇〇〇年に和島誠一賞、〇三年に井上靖文化賞を受賞。
 著書に「日本古代国家の構造」「古代河内政権の研究」など。

2472名無しさん:2019/02/20(水) 20:47:57 ID:NrdB.GxU0
「大阪落語への招待」 市立大が4月から公開授業
2019年2月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190220/20190220042.html

 大阪市立大は2019年4月に杉本キャンパス(大阪市住吉区)で開講する公開授業「大阪落語への招待」の受講者を募集している。受講無料。

 講師には大阪市大の久堀裕朗教授に加え、四代目桂春團治さん、桂春雨さんら第一線で活躍する落語家を客員教授として迎える。

 江戸落語との違いや、歌舞伎や音曲との関係など、その歴史や表現の特色を明らかにし、大阪の文化・芸能・市民生活について考える機会を提供する。

 期間は4月10日〜7月24日の全14回。開講時間は午後5時10分〜同6時50分。

 対象は18歳以上で全期間通じて受講可能な人。募集人数は100人(申し込み多数の場合は抽選で、初めての人優先)。

 申し込みは大阪市大ホームページからメールで、または往復はがきで。問い合わせは電話06(6605)3504、大阪市大地域連携センター「大阪落語への招待」係。締め切りは3月1日必着。

2473名無しさん:2019/02/20(水) 22:02:47 ID:NrdB.GxU0
大山古墳発掘調査を報告
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190217-OYTNT50182/

 堺市の大山古墳(仁徳天皇陵)で昨年、宮内庁と堺市が初めて共同で行った発掘調査について、市の学芸員が17日、同市北区で開かれた「百舌鳥もず古墳群講演会」の中で調査結果を報告し、参加した約800人が耳を傾けた。

 調査は、陵墓の保全整備に向けた基礎資料の収集を目的に昨年に実施。今回、市民らに調査について知ってもらおうと、講演会の中で説明することにした。

 調査した市文化財課の海辺博史さんが登壇。今回、堤の外側で円筒埴輪はにわ列が見つかったことに触れ、海辺さんは「堤の内側からも出てくると思っていたが予想外だった。本当に外側だけなのかは今回の調査だけではわからない」と述べた。石が敷き詰められていたことは、「堤を装飾する目的だったのか、保護だったのか。今後の課題だ」などと語った。

 ロビーでは発掘現場の写真などパネルも並べられ、訪れた人たちが熱心に見入っていた。パネルは19日〜3月3日に市博物館でも展示する予定。

2474名無しさん:2019/02/24(日) 15:16:16 ID:NrdB.GxU0
うめだ文楽盛り上げよう 記念ラッピングカー登場
2019年2月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190224/20190224033.html

 3月に大阪市北区のグランフロント大阪北館のナレッジシアターで上演する「うめだ文楽2019」を盛り上げようと、同館1階に上演を記念したラッピングカーが登場した。演目の世界観を落とし込んだデザインの乗用車が来館者の注目を集めている。

 メルセデス・ベンツの乗用車に、うめだ文楽の上演演目でもある「義経千本桜」に登場する「静御前」や「狐(きつね)」などが描かれ、鼓からの音色を車体全体に広がるようにデザインした。

 21日に同所で行われた除幕式で、人形遣いの吉田簑紫郎さんと吉田玉勢さんらが、人形の静御前と佐藤忠信を操り除幕。簑紫郎さんは「斬新で見たことないメルセデスになっている。本番を見る前に気持ちが高まる」と感激した。

 うめだ文楽は、より多くの人に伝統芸能の文楽に親しんでもらおうと、在阪民放5局とナレッジキャピタルが2015年から毎年上演。車両は、千秋楽の3月31日まで展示される。

2475名無しさん:2019/02/24(日) 15:20:06 ID:NrdB.GxU0
笑福亭松之助さん死去
02月22日 22時21分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190222/0012869.html

 上方落語界の長老として知られ、タレントの明石家さんまさんの師匠で名付け親でもある笑福亭松之助さんが、22日、亡くなりました。93歳でした。

笑福亭松之助さん、本名、明石徳三さんは、大正14年、神戸市に生まれ、昭和23年、5代目・笑福亭松鶴さんに入門しました。
松之助さんは、古典落語だけでなく数々の新作落語を創作し、明るくとぼけたキャラクターで人気を博したほか、当時、喜劇を中心に上演していた「宝塚新芸座」などで役者としても活躍しました。
その後、吉本新喜劇の前身にあたる「吉本ヴァラエティ」で座長を務め、映画やNHKの連続テレビ小説「わかば」や「まんてん」にも出演しました。
昭和49年には、明石家さんまさんが弟子入りし、明石家さんまという名前の名付け親になったことでも知られています。
また、70歳近くになってから出場した日本マスターズ水泳協会大阪大会の200メートル自由形で1位になるなど、水泳が趣味だったことでも知られていました。
関係者によりますと松之助さんは、最近は体調を崩して入院していましたが、22日、兵庫県内の病院で93歳で亡くなりました。

2476名無しさん:2019/02/24(日) 15:25:33 ID:NrdB.GxU0
江戸時代の人気浮世絵師 作品展
02月23日 12時39分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190223/0012877.html

 アメリカの収集家が集めた菱川師宣や葛飾北斎など江戸時代の人気浮世絵師たちの作品を集めた展示会が、23日から大阪・難波の百貨店で始まりました。

この展示会は、アメリカの収集家が所蔵する浮世絵のうち、江戸時代の人気浮世絵師たちの作品およそ160点あまりが、時代を追って展示されています。
このうち浮世絵の祖ともされる菱川師宣の「衝立のかげ」という作品は、衝立のかげで若い男女が見つめ合う場面を描いた作品で、伸びやかな線と素朴な色合いが初期の浮世絵の特徴を表しています。
また葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」は13点が展示されていて、このうち「神奈川沖浪裏」は、富士山を背景に荒波が船を襲う様子をダイナミックな描写で描いています。
ほかにも北斎や喜多川歌麿の世界に数点しか残っていない貴重な作品なども展示されています。
監修に参加した浮世絵研究家の岩切友里子さんは「このような世界的に貴重な作品が一同に集まる機会はめったにありません。ぜひごらんください」と話していました。
この展示会は、大阪・難波の高島屋大阪店で3月11日まで開かれています。

2477名無しさん:2019/02/24(日) 15:30:20 ID:NrdB.GxU0
天皇陛下即位30年 皇居で祝賀行事
2019年2月24日 11時28分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190224/k10011826311000.html?utm_int=all_side_ranking-social_004

 天皇皇后両陛下は24日、皇居で天皇陛下の即位30年を祝う行事に臨み、皇太子ご夫妻など皇族方から祝賀を受けられました。




天皇陛下は、先月7日に即位30年を迎えられ、24日の午後には、これを記念する政府主催の式典が、両陛下も出席されて東京の国立劇場で開かれます。

これに先立って、皇居・宮殿の「松の間」では、午前中、天皇陛下が皇后さまとともに、皇族方の祝賀を受けられました。

はじめに、皇太子さまが雅子さまとともに天皇陛下の前に進み出て「ご即位30年心からお祝い申し上げます」と述べられると、天皇陛下が「どうもありがとう」と答えられました。

続いて、秋篠宮ご夫妻など皇族方が、それぞれお祝いを述べられました。

午後の記念式典では、安倍総理大臣や衆参両院の議長のほか、国民を代表して福島県の内堀知事などが祝辞を述べたあと、天皇陛下がおことばを述べられます。

2478名無しさん:2019/02/24(日) 15:31:54 ID:NrdB.GxU0
天皇陛下おことば 全文
2019年2月24日 15時24分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190224/k10011826401000.html

 在位30年に当たり、政府並びに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。

即位から30年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。

平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。

世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。

島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。

天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。

しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。

天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。

これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした。

災害の相次いだこの30年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです。

今日この機会に、日本が苦しみと悲しみのさ中にあった時、少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々にも、お礼の気持ちを述べたく思います。

数知れぬ多くの国や国際機関、また地域が、心のこもった援助を与えてくださいました。

2479名無しさん:2019/02/24(日) 15:32:34 ID:NrdB.GxU0
心より深く感謝いたします。

平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。

ともどもに平(たひ)らけき代を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ

平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇の中に歩みを始めました。

そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。

しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています。

在位30年に当たり、今日このような式典を催してくださった皆様に厚く感謝を表し、ここに改めて、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

2480名無しさん:2019/02/24(日) 16:06:18 ID:NrdB.GxU0
大阪・船場で恒例のひな祭り 旧家のひな人形を一般公開 /大阪
2/22(金) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000002-minkei-l27

 「船場のおひなまつり2019」が2月26日、大阪・北船場エリア一帯で始まる。主催は船場博覧会実行委員会。(船場経済新聞)

 船場の歴史や文化を発信するため、毎年ひなまつりに合わせて船場の旧家に伝わるひな飾りを一般に公開する同イベント。今年で5回目を迎える。

 イベントのメインは「船場のおひなさま展」。公開するのは、新井家、尾嵜家、芝川家、別所家、鷹岡家、生駒家など9つの旧家のひな人形で、今年は、宗田(むねた)家、三原家の人形が加わった。宗田家の住居は大正時代の町家建築で、昨年リノベーションしたことをきっかけに、これまで「大阪くらしの今昔館」(北区天神橋)で展示されていたひな人形が「里帰り」するという。

 「花外楼」(北浜1)や「吉野寿司」(淡路町3)などの老舗店が特別メニューを提供する企画では、うなぎ料理の「本家柴藤(ほんけしばとう)」(高麗橋2)が初参加し、「ひなまつり御膳」(5,240円)を用意する。

 ほか、「五人ばやし」に扮した山本能楽堂の山本章弘さんらによる演奏や、子どもを対象にした撮影会など、老若男女問わず楽しめる関連イベントも展開する。

 各イベントの開催時間は会場により異なる。3月3日まで。

2481名無しさん:2019/02/24(日) 16:10:14 ID:NrdB.GxU0
大阪歴史博物館が特集、多才な指物師・三好木屑の遺した作品
2/24(日) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190224-00060067-lmaga-l27

 クギや接着剤を一切使わずに、家具を作る木工技術「指物」。「指物師」と呼ばれる家具作りのプロでありながら、他ジャンルの芸術も追求した大阪の職人・三好木屑(みよし・もくしょう)を取り上げる展示が「大阪歴史博物館」(大阪市中央区)で開催される。

 これまでも、大阪に生きた文化人にまつわる特別展示『なにわ人物誌』を開催してきた同博物館。今回フィーチャーされる指物師・三代目三好木屑は、祖父の代から活動した指物師でありながら、「漆」など家具作りとは全く勝手の違う芸術にチャレンジし続けた「奇才」として知られている。本展では指物に加え、そうした漆作品も展示する。

陶工・野々村仁清による陶器の名作を漆で再現した作品からは、いくつかの芸術・技術を行き来しようとする彼の好奇心が見て取れる。また、茶道具の家具について書き残した歴史的な資料「香茶棚物図誌」も公開。期間は3月20日から5月6日までとなる。

2482名無しさん:2019/02/28(木) 20:14:39 ID:NrdB.GxU0
歴史や文化 再発見 「船場のおひなまつり」始まる
2019年2月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190227/20190227024.html

 大阪・船場地区の旧家に伝わる貴重なひな人形などを公開する「春の船場博覧会2019『船場のおひなまつり』」(実行委主催)が26日、大阪市中央区内で始まった。多くの市民が八つの展示会場を巡りながら、船場が育んだ歴史文化の再発見を楽しんでいる。3月3日まで。

 このうち同区伏見町3丁目の芝川ビル4階では、芝川家に伝わる大正・昭和初期頃のひな飾りをはじめ、一族の芝川照吉氏が収集した日本各地の民芸・工芸品のひな飾りの数々を展示している。

 来場者は、色彩や細やかな仕上げに「どれも立派」「すてきな時代があった」と感心しながら見入っていた。このほか戦前の船場のモダンな生活を記録した写真も紹介し、注目を集めている。

 ◇同会場では、最終日にひな飾りの前で「こども撮影会」(午前10時〜同11時、申し込み不要・無料)を実施するなど、会期中は各会場でイベントを予定している。問い合わせは電話06(6681)6170、実行委(平日午前10時〜午後4時)。

2483名無しさん:2019/02/28(木) 20:59:28 ID:NrdB.GxU0
力士と対戦、礼儀も学ぶ 住吉大社で園児50人
2019年2月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190227/20190227023.html

 大相撲春場所(3月10日初日、エディオンアリーナ大阪)を前に、立浪部屋が合宿する大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、地元の園児を稽古場に招く「わんぱく相撲体験」があった。同区内の墨江、住吉の両幼稚園から計約50人が参加し、大きな力士にぶつかりながら礼儀もしっかりと学んだ。

同大社と同部屋の協力で毎年開かれており、今年で8回目。園児らは立浪耐治親方(元小結・旭豊)と11人の力士に迎えられ、四股踏みなどの準備運動から体験した。

 「勝っても負けてもきちんとあいさつする」と教わった後、5人一組が一礼して力士と“対戦”。土俵際に追い込むたびに「押せ、押せ」の大歓声で沸いた。終了後、全園児がお礼のあいさつで「春場所頑張ってください。応援しています」とエールを送った。

 墨江幼稚園の大倉有紀園長は「力士の皆さんと触れ合う貴重な機会をいただき感謝します。礼儀作法も含めていい経験になったと思います」と話した。

 住吉消防署の協力で消火訓練も行われ、力士らが訓練用水消火器を使って初期消火に挑んだ。

2484名無しさん:2019/03/03(日) 17:12:53 ID:NrdB.GxU0
住吉大社で横綱が土俵入り奉納
03月02日 19時09分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190302/0013087.html

 3月10日に初日を迎える大相撲春場所を前に白鵬と鶴竜の両横綱が大阪の住吉大社で、土俵入りを奉納しました。

大阪・住吉区にある住吉大社での横綱土俵入りは、春場所の成功と安全を祈願して毎年行われています。
今年は1月の初場所で稀勢の里が引退したため、白鵬と鶴竜の二横綱による土俵入りとなりました。
両横綱は、はじめに参拝したあと、白鵬が「不知火型」、鶴竜が「雲竜型」で順番に土俵入りを披露しました。
境内には2300人が訪れ、2人の横綱の力強い土俵入りに「日本一」などのかけ声とともに大きな拍手が送られていました。
白鵬は、二横綱となったことについて「横綱がだんだん少なくなってきたが、与えられた責任は変わらない。責任を果たしていきたい」と話しました。
また、貴景勝や御嶽海など若い力士の初優勝が相次いでいることについては「もっと早く出てきてもおかしくなかったし、遅いぐらいだ。一緒に場所を盛り上げられればと思う」と活躍を歓迎していました。
一方、鶴竜は「稀勢の里が引退してさみしくはあるが、やることをちゃんとやらなければという思いだ。大阪のファンは、物事をはっきり言ってくれるから好きなので、いい相撲を取って喜ばせたい」と話していました。
大相撲春場所は、3月10日に大阪府立体育会館で初日を迎えます。

2485名無しさん:2019/03/06(水) 22:24:01 ID:NrdB.GxU0
安閑天皇陵「本来の形、対称だった可能性」 研究者が立ち入り 大阪
https://mainichi.jp/articles/20190223/k00/00m/040/064000c

 宮内庁が「安閑天皇陵」として管理する大阪府羽曳野市の高屋築山古墳で22日、日本考古学協会など考古学、歴史学関係の16団体の研究者16人が立ち入り調査をし、墳丘の状況を観察した。

 高屋築山古墳は古市古墳群南部に位置する長さ約120メートルの前方後円墳で、中世には畠山氏の居城として使われていた。世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥( もず )・古市古墳群」の構成資産には含まれない。1992年の宮内庁の発掘調査では6世紀の円筒埴輪(はにわ)や須恵器が出土。東京国立博物館が所蔵するペルシャ製とみられるカットガラスの碗(わん)が出土したとの伝承がある。

 研究者らは午後1時半から約1時間半かけ墳丘の裾部分などを歩いた。日本考古学協会陵墓担当理事の杉井健・熊本大准教授は「中世の築城時に本来の斜面を削って急にするなど大きく造り変えられている。形が左右非対称なことが特徴と言われていたが、本来は対称だった可能性もある」と話した。

 陵墓は普段立ち入りが制限されているが、研究者団体の要望を受け宮内庁が2008年から条件付きで許可している。【花澤茂人】

2486名無しさん:2019/03/09(土) 16:11:14 ID:NrdB.GxU0
改元前にシステム改修の注意説明
03月07日 15時01分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190307/0013215.html

 ことし5月1日に元号を改める「改元」を控え、企業の情報システムの改修について、注意点などをまとめた説明会が大阪・中央区で開かれました。

説明会は、経済産業省が全国で実施しているもので、7日は、大阪・中央区で開かれ、企業や自治体からおよそ120人が出席しました。
経済産業省によりますと、企業の情報システムは、2000年問題を経て多くが西暦を使用するようになっていますが、和暦を使っている場合、改元に対応しなければ、日付が認識されず、会計システムの不具合などのトラブルが発生するおそれがあるということです。
そのうえで、▼自分の会社の情報システムで和暦が使われていないか確認して改修することや、▼改修後もテストを繰り返すなどの対応を促しました。
参加した企業の担当者は、「システムの改修はだいたい終わっているが、実際は、ふたを開けてみないとわからないところもある。不安もあるが何とか乗り切りたい」と話していました。

2487名無しさん:2019/03/11(月) 22:00:28 ID:NrdB.GxU0
仁徳天皇陵清掃に地元住民ら400人 大阪
3/11(月) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190311-00000017-san-l27

 今夏の世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」のひとつ、仁徳天皇陵(堺市堺区)の周辺で10日、地元住民や高校生らによる清掃活動が行われた。

 同古墳を訪れる人たちに、気持ちよく参拝してもらおうとボランティア団体「仁徳陵をまもり隊」が呼びかけた。同隊は堺市や地域団体などが協力して平成18年に設立。清掃活動を中心に活動を年2回のペースで定期的に行っており、今回で27回目。

 この日の清掃活動には、約400人が参加。古墳周辺の歩道上で空き缶や落ち葉などのごみ拾いを行った。同隊の草野利夫事務局長(65)は「長い間、世界遺産登録のために清掃活動に励んできた。今年こそは決まってくれることを期待している」と話していた。

2488名無しさん:2019/03/13(水) 21:11:49 ID:NrdB.GxU0
小学校の校歌にも出てくる「ご神木」残したい 台風21号から半年…語り継ぐ“災害”
3/13(水) 19:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00026970-mbsnews-l27

 昨年秋の台風の影響で、近畿各地では倒木が相次ぐなど大きな被害が出ました。あれから約半年、大阪の神社では倒れたご神木を保存して台風被害を語り継ごうと動き始めています。

 大阪府泉大津市にある泉穴師神社。1300年以上前の創建で、本殿などが国の重要文化財に指定されている由緒ある神社です。宮司の津守康有さんの案内で境内を歩いてみると…

 「まだこの大きな木も倒れているので…」(泉穴師神社・宮司 津守康有さん)

 多くの木が倒れたままになっていました。

 「根っこから倒れている気が数十本あるので、危ない木は整備しないといけない」(泉穴師神社宮司 津守康有さん)

 昨年9月に近畿地方を非常に強い勢力で縦断した台風21号。当時、各地の街路樹や公園などで数多くの倒木被害が報告され、処理が追い付かないほどでした。泉穴師神社も例外ではなく、地域の憩いの場となっていた境内の木々が、無残になぎ倒されてしまいました。特にショックを受けたのが…

 「これが今回の台風で一番大きなクスノキが倒れたところで、だいたい600年、この神社とか氏子の人を見守ってくれていたご神木なので、倒れてしまったのは残念」(津守康有さん)

 樹齢600年ともいわれる高さ25メートルのご神木が根元から倒れてしまったのです。最初は泣く泣く切断し処分するつもりでしたが、地元のシンボルでもあった御神木を残したいと、氏子から提案があったといいます。

 「小学校の校歌にも『くすの大木』とか『穴師の森』と歌詞が入っているくらい、地元にとってはなくてはならない。(自然災害遺産として)何とか残したいなと」(氏子 辻川正實さん(69))

 慣れ親しんだご神木を残し、未曾有の台風被害を語り継ぐことにしたのです。しかし、建物の屋根の修理やほかの倒木の撤去費用もかさんでいたため、保存にかかる費用はクラウドファンディングで集めることに。お礼の品には絵馬や御朱印帳のほか、普段は公開されていない本殿の見学会が用意され、締め切りまで3日を残して約130万円の寄付が集まったのです。

 「予想以上に反響があり、クラウドファンディングはあと3日ですが、すでに目標金額を大幅に超える金額をご寄付いただきました。このクスノキを残すことで、台風21号のような大きな台風が来ることを思い返すひとつのきっかけになればと思います」(津守康有さん)

 長い間、町を見守ってきたご神木。これからは自然災害遺産として地元の人たちが語り継いでいきます。

2489名無しさん:2019/03/13(水) 21:28:16 ID:NrdB.GxU0
「四代 桂小文枝」襲名披露公演
03月13日 07時15分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190313/0013397.html

 落語家の桂きん枝さんが上方落語の名跡、「桂小文枝」を襲名し、12日夜、大阪で襲名披露公演が行われました。

「桂小文枝」は、明治時代から戦後にかけて上方落語を支えた由緒ある名跡で、きん枝さんの師匠にあたる先代の桂文枝さんが長く名乗っていたことでも知られています。
「四代 桂小文枝」を襲名したきん枝さんは12日夜、大阪・ミナミの「なんばグランド花月」で襲名披露公演を行いました。
公演では、同じ一門の六代桂文枝さんや三遊亭円楽さんら東西の落語家6人が口上を行い、このうち文枝さんは「これからも一生懸命、支えていきたいと思うので、どうかよろしくお願いします」と述べました。
そして襲名後、初めて高座に上がった小文枝さんは、変わり者で知られた男が花見の代わりに墓を見に行く「天神山」という落語を披露し、勢いある滑稽な語り口に会場からは大きな笑い声が響いていました。
公演のあと、小文枝さんは「師匠の先代文枝は小文枝という名前に愛着を持っていた。師匠には及ばないかもしれないが、この名前を次につないでいくためにも大事にしていきたい」と話していました。
桂小文枝さんの襲名披露公演は、今後1年かけて全国で行われる予定です。

2490名無しさん:2019/03/13(水) 23:07:26 ID:NrdB.GxU0
南船場で写真展「わが大阪」 古き良き大阪を見つめ直す /大阪
3/13(水) 16:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00000044-minkei-l27

  大阪・南船場の写真ギャラリー「Photo Gallery 壹燈舎(いっとうしゃ)」(大阪市中央区南船場2、TEL 06-6121-6202)で3月12日、同ギャラリー開設10周年企画第1弾となる写真展「杉本征克写真展-わが大阪-」が始まった。(なんば経済新聞)

 同ギャラリーを主宰する杉本征克さんの個展。26歳から写真を始めた杉本さんは、会社員として働く傍ら写真を撮り続け、南船場のギャラリー「ナダール」での個展や、キヤノンの巡回展などの個展を開いたほか、グループ展にも多数出展。

 同展では、ドラマチックな場面ではなく、大阪の町と人々、日々の生活や風景といった何気ない瞬間をテーマに32点の作品を展示。ギャラリーソラリスで同時に個展を開いている写真家・河合止揚さんと共に、「2つの写真展が手触り感のある『大阪』を盛り上げることに、少しでも役に立つことができれば」との思いを込めて開催。

 杉本さんは「カジノ開発や万博で盛り上がっているが、そういうことと無関係に生活している人々の粘り強さを感じてもらえれば」と話す

 開催時間は12時〜19時(最終日は18時まで)。月曜・火曜定休。今月17日まで。

2491名無しさん:2019/03/15(金) 19:23:41 ID:NrdB.GxU0
【維新150年】立憲国家めざした「大阪会議」の地
2019.3.15 08:04
https://www.sankei.com/life/news/190315/lif1903150004-n1.html

京阪天満橋駅から大川沿いに岸辺を散策する。「八軒家浜(はちけんやはま)船着場」は水都・大阪の水上ターミナルの一つで、明治初年の頃は駅ビルの反対側、土佐堀通南側の昆布店のあたりにあった。その脇を抜け石段を上っていくと、高台の一角に「三橋楼(さんきょうろう)跡」の顕彰碑(大阪市中央区石町)。天満橋、天神橋、難波橋を眺望できる人気料亭だったという。

 東横堀川の葭屋(よしや)橋を渡って北浜へ。今は証券の街というイメージだが、古くは「蟹島新地」「今橋築地」と呼ばれた歓楽街だった。「専崎楼」や「竹式楼」など、中之島を望む高楼が軒を連ね、今橋、高麗橋の旦那衆が贔屓(ひいき)にしたが、市電開通や証券取引所の拡大でやがて姿を消した。唯一残るのが料亭「加賀伊」=「花外楼(かがいろう)」(中央区北浜)で、世に言う「大阪会議」の歴史を伝えている。

 明治7(1874)年、新政府は維新の大業なかばで崩壊という最大の危機にあった。

 直接の火種は、征韓論(武力で朝鮮を開国させるという主張)をめぐり、西郷隆盛や板垣退助ら征韓派が、内政改革、国力増強を優先する大久保利通や岩倉具視らに敗れ、下野した「明治6年の政変」だ。翌年には台湾征討に失望した木戸孝允が参議を辞職、維新三傑の2人が中央政府を去った。

 当時、国内には徴兵制や急激な西洋化に反発する士族・守旧派の不満がくすぶっていた。国会の開設をめぐる急進派と漸進派の対立や、大久保の専制政治への反感もあり、日本は「反政府」で爆発する寸前だったのである。


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 大久保は木戸を政府に復帰させるため伊藤博文に協力を要請。すでに下野して大阪で実業家として活躍していた井上馨と五代友厚も水面下で動いた結果、木戸と大久保が大阪で会談することが決まった。さらに井上の画策で板垣も加わることになり、明治8年1月、三者三様の思惑をのせた大阪会議が始まった。

 最高実力者の大久保は丁重に木戸をもてなした。2週間前には大阪入りし、靱(うつぼ)の五代邸(西区靱本町)に逗留(とうりゅう)を重ねながら、1月5日、神戸に木戸を出迎えた。3日後には木戸の宿泊先「加賀伊」を訪ね、天満橋の「三橋楼」に案内し、酒席を伴う最初の会談は10時間に及んだという。

2492名無しさん:2019/03/15(金) 19:25:08 ID:NrdB.GxU0
https://www.sankei.com/life/news/190315/lif1903150004-n2.html

 ところが、この会談で酒乱の黒田清隆が暴言を吐き、木戸が激怒した。初日で決裂したかと思われたが、2人を大阪にとどまらせたのは囲碁だった。大久保は何度も木戸を囲碁に誘い、木戸も囲碁会を主催し、大久保らを呼んだ。

 一方で、伊藤は「木戸の望みは政策のみ」と、木戸の政体構想に理解を示したうえで、大久保に対し、元老院や大審院の設立、地方官会議の開催など、国会の開設と三権分立につながる4カ条の改革案を提案。伊藤の斡旋(あっせん)を軸に会合は1カ月余、加賀伊や三橋楼、伊藤の宿舎「専崎楼」などで断続的に行われた。

 この間、井上の仲介で木戸-板垣会談も実現。大久保は4カ条の改革を約束し、木戸と板垣は政府に戻ることで合意した。2月11日に加賀伊で全員が顔を合わせ、大団円を迎えたが、大阪会議はこうした予備会議、個別会談を含めた総称とするのが正確だろう。

 落ち着いた雰囲気のビルの1階、料亭「花外楼」の玄関に「大阪会議開催の地」の碑がある。大阪市が歴史的な場所や文化財を顕彰する233カ所の史跡のうち、昭和34年に指定された第1号の石碑である。

 2階に上がる階段の踊り場に「花外楼」の扁額がある。大阪会議の成功に気をよくした木戸が「加賀伊」から改めるよう与えた揮毫(きごう)である。さらに、伊藤が書いた回想録か日記の下書きのような一文が店に残っている。

 その中で伊藤は大久保の「国家ノ大政ニ就テハ木戸君の驥尾(きび)に付従シ」という言葉を引き合いに、大久保の木戸招聘(しょうへい)にかける強い決意を伝えている。

 大久保は政権の強化を図り、木戸は独裁を抑制し、板垣は国会開設を急ぐ-。大阪会議はやはり同床異夢の舞台だったのか、新政権もまもなく瓦解(がかい)する。ただ、大阪で立憲国家への方向性を示し、礎を築いたことはまちがいない。(今村義明)




 明治6年の政変 征韓論をめぐり明治政府内で起きた政変。岩倉使節団の外遊中、武力行使を辞さない征韓派と全権大使の派遣を主張する遣韓派が西郷隆盛の派遣を決定。使節団帰国後、岩倉具視や大久保利通が反対し、派遣は無期限延期となり、西郷や板垣退助らが下野、軍人や官僚約600人が一斉に辞職し、後の佐賀の乱、西南戦争につながっていく。

2493名無しさん:2019/03/17(日) 17:27:04 ID:NrdB.GxU0
蕪村のまち 伝えるで…都島の商店主ら 活性期待
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190316-OYTNT50207/

おおさか東線 城北公園通駅

 府東部を南北に結ぶJR西日本の「おおさか東線」(新大阪―久宝寺、20・3キロ)が全線開通した16日、大阪市旭区の新駅「城北公園通駅」でも式典が開かれ、JRや地元の関係者らが開業を祝った。新大阪駅と10分弱で結ばれることになり、周辺の商店主らは「地元の魅力を発信し、活性化につなげたい」としている。

 駅西側の都島区は江戸期の俳人で画家の与謝蕪村の出身地とされる。城北公園通駅の西口は「蕪村口」と名付けられ、構内に蕪村像も設置された。蕪村通り商店街(約20店)で呉服店を夫婦で営む糀谷時子さん(82)が約10年前に地元住民と協力して造った像で、これまで店の中にあった。糀谷さんは「蕪村の俳句しか知らなかったが、絵を見て衝撃を受けた。蕪村のことをもっと知ってほしい」と話す。

 商店街の金子清治会長(71)は「駅ができれば商店街を通る人も増える。蕪村のまちだと誇りを持って伝えていきたい」と語り、開業式を見に来た都島区の自営業高橋英尊さん(37)は「新大阪とつながるので出張や旅行に使いやすい。商店街もにぎやかになるのでは」と期待する。

2494名無しさん:2019/03/17(日) 18:47:48 ID:NrdB.GxU0
「芸術選奨」に藤山直美、蒼井優、小野絢子、篠原聖一、菅原直樹ら
3/7(木) 11:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190307-00000029-natalies-ent

 文化庁が主催する「芸術選奨」の、2018年度受賞者が発表された。

演劇部門の文部科学大臣賞を受賞したのは文楽太夫の豊竹呂勢太夫と、「おもろい女」の成果を評価された藤山直美。新人賞には、先日、第26回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞した蒼井優が、「アンチゴーヌ」ほかの成果を認められ輝いた。

このほか、舞踊部門の大臣賞にはバレエダンサーの小野絢子、舞踊家の篠原聖一、新人賞には日本舞踊家の井上安寿子が、芸術振興の新人賞には「老いと演劇」OiBokkeShi主宰の菅原直樹が、評論等の大臣賞には「評伝 鶴屋南北」の著者・古井戸秀夫が選ばれ、メディア芸術の新人賞を蓮沼執太が獲得している。

2495名無しさん:2019/03/17(日) 19:07:56 ID:NrdB.GxU0
「天王祭舞楽」番組に 関係者、森町長に今夏放映PR
3/15(金) 7:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00000007-at_s-l22

 全国各地の祭りを後世に伝える企画「ダイドードリンコ日本の祭り」を実施しているダイドードリンコ(大阪市)の関係者が14日、取り組みの一環として放映する山名神社(森町)の「天王祭舞楽」特別番組のPRのため、同町役場に太田康雄町長を訪ねた。

 舞楽は国指定重要無形民俗文化財。毎年7月に開かれ、児童らが八つの演目を披露する。カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は、京都の祇園祭の要素も含むという。

 番組は今夏に静岡放送で放送予定。舞楽の模様を事前の練習から撮影し、1時間のドキュメンタリー番組に仕上げる。

 同社の「日本の祭り事務局」の森田忠良事務局長は「地元の皆さんと祭りの関わりや歴史を踏まえ、祭りを全国にPRしたい」と意気込んだ。太田町長は「全国有数の祭りとお墨付きをいだたいた形。取り上げていただき記録にも残る」と歓迎した。

2496名無しさん:2019/03/17(日) 19:13:17 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の悲願だった律令制度、大化改新後はどうなったのか?
3/5(火) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190305-00010144-besttimes-pol

■中臣鎌足による皇位継承の辞退案と難波宮

『日本書紀』をよく読んでみると、中大兄皇子が律令制度導入にあまり積極的でなかったと思えてくる。それどころか、むしろ中大兄皇子はこの新制度をつぶそうとさえしていたのではないかと思われる。

 
では、中大兄皇子が律令制度をつぶそうとした理由はあったのだろうか。

問題は、改新後の朝廷の動きにある。

入鹿暗殺後の朝廷が最初に取り組んだ仕事は、皇位継承問題だった。皇極女帝が譲位を申し出たのである。そしてこのとき、どういうわけかクーデターの最大の功労者、中大兄皇子が即位しなかったのだ。

『日本書紀』の記述にしたがえば、このとき皇極天皇は、まず最初に皇位を中大兄皇子に譲ろうとした。ところがこの申し出に対し、皇子の側近である中臣鎌足は辞退するよう忠告する。

「古人大兄は殿下(中大兄皇子)の異母兄、軽皇子(のちの孝徳天皇)は叔父です。それなのに、今殿下が即位すれば、人の道に反することになりましょう。そこでしばらく軽皇子を立てて民衆の願いにしたがったほうがよいと思われます」

そこで中大兄皇子は母・皇極の譲位を断ったうえで、軽皇子を推挙したのである。

2497名無しさん:2019/03/17(日) 19:17:22 ID:NrdB.GxU0
こうして孝徳天皇が誕生し、都が難波(現在の大阪)に遷され、改新の詔が出の律令制度整備のための布石であり、ここに聖徳太子の悲願は成就され
されるにいたった。ここに孝徳天皇を頂点とし、中大兄皇子が補佐するといった新体制が築きあげられたのである。そして、これは朝廷たと『日本書紀』は意味づけている。

ところが、こういった『日本書紀』の示す大化改新と律令制度という図式には、数々の腑に落ちない点が見られるのだ。

たしかに孝徳天皇は日本に新しい風を入れようと努めた気配がある。

その好例として難波宮(正確には難波長柄豊崎宮と称される)を挙げることができる。

大阪城外濠の南側の高台に位置するこの宮は、完成当時、目の前に海がせまった、水上輸送を眼中に入れた画期的な宮だった。

しかも発掘調査の結果、この宮の朝堂院の構造と規模は、のちの平城京をもしのぐほどの広さであったことが分かっている。つまり、この宮が藤原京・平城京・平安京といった都城のさきがけであったことは明らかである。

ちなみに、難波宮が完成するまでの天皇宮は天皇が替わるたびに遷しかえられるという、悪くいえば小屋に毛の生えたような意外と質素なものだった。だが、難波宮は 何代もの天皇が使用可能な構造になっていた。(次回に続く)

2498名無しさん:2019/03/17(日) 20:01:13 ID:NrdB.GxU0
「古墳」にコーフンする女子増加中! グッズ化で「女性でも好きと言いやすく」
2/1(金) 12:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00014385-jprime-life&amp;p=1

 世界遺産指定を目指す、日本最大級の古墳・仁徳天皇陵の発掘調査が、宮内庁と地元の大阪・堺市により昨年秋に行われた。

 
歴代天皇の陵墓とされる古墳を、宮内庁が外部機関と共同で発掘するのは初めての試みとあり、大きな話題を集めたが、実はここ数年、古墳が好きな女性が増加中って知ってました?

 10年ほど前に、奈良県の家具店が地元を盛り上げるためにグッズを製作。そのキュートさがネットで話題を集め、ハマる女子が急増。『古墳の歩き方』など初心者向けの本が出版されたり、ポータルサイトまで誕生するブームに♪

 そこで本誌記者が実際に現地に行って、大調査。マニアでなくても思わず欲しくなるグッズからグルメまで、古墳の楽しみ方を紹介しちゃいます♪
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女性でも好きと言いやすくなった

 古墳に関する作品もある、漫画家でイラストレーターの“古墳女子”水谷さるころさん。

「もともと興味はありましたが、足を運ぶようになったのはパワースポットとして訪れた、奈良県にある箸墓(はしはか)古墳がキッカケ。“卑弥呼の墓”ともいわれている場所なのですが、生で見て一気にハマりました」

 ’11年からは大阪・高槻市にある今城塚古墳公園で古墳×アートのコラボイベント『古墳フェスハニコット』もスタート。一昨年は2万8000人の来場者が訪れるなど、開運グッズやイベントも増加中!

「古墳シンガー・まりこふんさんが’13年に立ち上げたポータルサイト『古墳にコーフン協会』の存在が大きいですね。古墳って教科書で学ぶメジャーな存在なので、潜在的ファンは多かったと思うんです。そこに情報がまとめられたサイトができたことで、初心者も楽しみやすくなった。そして東急ハンズがグッズ販売に力を入れたり、本が出版されたことで、女性でも好きと言いやすくなった印象はありますね」

 スカパー!の旅チャンネル『行くぞ! 30日間世界一周』という企画で世界の史跡を訪れたことで、改めてその魅力に気づいたとか。

「西暦400年ごろにできた史跡が、同じ民族、文化の中で残っているのは世界的にも珍しいんです。しかも現在の日本文化とも密接な関係があり、宮内庁が管理している。古墳を通じて歴史を調べていくと、その奥深さ、日本という国の面白さも発見できると思いますよ!」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00014385-jprime-life&amp;p=2

 記者が古墳に行ってみた!大阪・堺市

 仁徳天皇陵があることで知られる堺・百舌鳥(もず)古墳群。かつては100基以上あったといわれ、現在でも44基が残っている、古墳好きの聖地。今年の世界文化遺産登録に向けて、町をあげて盛り上げているんです。そこで古墳初心者の記者が半日かけて、ガチンコ調査。古墳&ゆかりの店巡りをしてきました!

 仁徳天皇陵前にはボランティアスタッフが常駐。説明のほか、写真撮影もしてくれるので、ひとりで行っても楽しめる。

 百舌鳥・古市古墳群で撮った写真を見せるともらえる『もずふるカード』。記者は12枚ゲット!

 JR阪和線・南海電鉄の三国ヶ丘駅西出口徒歩1分の場所にある『Co.FUNカフェ』(大阪府堺市堺区向陵西町4-11-15)では、クッキーやたわしなどオリジナルグッズを多数販売中!

 JR阪和線・百舌鳥駅近くにある『お食事処 花茶碗』(大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2-265)では、古墳カレーも。このために作ったという専用容器も、古墳好きにはたまらない♪

 大仙公園内にある堺市博物館ではVR体験も(大人800円)。また博物館や近くにある土産物店には古墳グッズがたくさん販売されていました

2499名無しさん:2019/03/20(水) 21:04:55 ID:NrdB.GxU0
木造僧形八幡神及諸神坐像など 重文、府内3件指定へ
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190318-OYTNT50246/

文化審答申


 国の文化審議会が18日、柴山文部科学相に行った答申で、府内からは壺井八幡宮(羽曳野市)の「木造僧形八幡神及諸神坐像もくぞうそうぎょうはちまんしんおよびしょしんざぞう」など3件が、国の重要文化財に指定される見込みとなった。

 木造僧形八幡神及諸神坐像は、高さ20・2〜59・8センチの5体。うち1体の像の底に記された銘文などから、南北朝時代の1353〜54年に制作されたとみられる。制作年代が特定でき、彩色もきれいに残っていることから同時代の像の基準として役立つ点が評価された。
 
  ほかに答申されたのは、桃山時代の高級食器「黄瀬戸福字鉢きせとふくじはち」(大阪市中央区、湯木美術館所有)と、鎌倉時代から江戸時代にかけての文書群「和田家文書みきたけもんじょ」(個人蔵、堺市博物館に寄託)。

 黄瀬戸福字鉢は直径16・6センチで、中央に「福」の文字が押されている。和田家文書は、現在の堺市南区美木多地域に本拠を置いた武士・和田氏に関係する文書で、104通が巻物や掛け軸として整理されている。

 答申では、阿倍王子神社旧本殿など(大阪市阿倍野区)、安倍晴明あべせいめい神社本殿など(同)、萩原家住宅主屋など(八尾市)を有形文化財(建造物)に登録することも求めた。

2500名無しさん:2019/03/20(水) 22:06:40 ID:NrdB.GxU0
豊臣六大将・佐竹義宣氏邸宅か 大坂城西側で出土
3/20(水) 20:49配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-00000609-san-cul

 大坂城の建物跡としては最大規模となる大名屋敷跡が大阪市中央区の建設現場から出土し、大阪府文化財センターが20日、発表した。出土した瓦の紋=扇(おうぎ)に月丸(つきまる)紋=などから、徳川氏や島津氏などと同じ豊臣政権六大将の一人とも呼ばれる佐竹義宣の屋敷跡と推定される。大坂城の大名屋敷跡が見つかるのは初めて。難攻不落とたたえられた大坂城を壮観な大名屋敷が守る情景が明らかになった。

 豊臣秀吉が築城した大坂城の西側の三ノ丸があったとされる場所で出土。東西約20メートル、南北約15メートルで100坪を超える。柱を支える礎石や建物の周囲を囲う玉砂利が見つかり、格式の高さをうかがわせる。

 周辺では「さ竹(たけ)内」と墨書された木簡や佐竹氏の家紋瓦などが出土。その場所から、屋敷の敷地範囲は東西約150メートル、南北約100メートルと想定され、大型建物跡はその中央に位置する。

 秀吉は最晩年の慶長3(1598)年、東国諸大名の屋敷を京都の伏見城から大坂城に移し、大坂城の守りを固めた。大阪歴史博物館の大澤研一学芸課長は「大名屋敷群の様子を伝える史料は乏しい。今回の発見は具体的事例として初めてであり、非常に重要」と話す。

 現地説明会は23日午前10時〜午後3時。問い合わせは現地事務所(06・6467・4769)。

 千田嘉博・奈良大教授の話「大坂城の一等地に築かれており、佐竹義宣や妻子が過ごした書院造りの奥御殿だろう。豊臣時代の大名屋敷がこれほど大きかったとは驚いた。天下人の政権の力を示す感動的な大成果だ」

2501名無しさん:2019/03/24(日) 15:37:29 ID:NrdB.GxU0
幕末の改元詔書下書き、大阪で発見
https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20190324-OYO1T50005/

 1860年に「安政」から「万延まんえん」に改元した際、孝明天皇が発布した「改元詔書」の下書きが、大阪府内で見つかった。漢籍に詳しい公家・清岡家に伝わったものとみられ、前年の江戸城本丸焼失や、欧米への開国などの「災い」の一掃を理由に挙げ、新年を「某元年」としていた。下書きが見つかるのは珍しく、公家が改元に関与していたことを改めて示す発見だ。

 元号は明治時代に天皇一代に一つとすることが制度化されたが、その前は天皇の在位期間中にも災害や戦乱を理由に改元が行われた。下書きは縦33センチ、横45センチの和紙で、漢文で書かれている。現所有者の親族が1964年頃、清岡家の子孫から譲り受けたという古文書の一つで、元号や朝廷文化に詳しい吉野健一・京都府立丹後郷土資料館学芸員(日本近世史)が調査した。

 安政6年(1859年)に火災で江戸城本丸が灰燼かいじんに帰したことや、「蛮夷ばんい」(欧米諸国)に迫られての開国、疫病の流行を列挙。「咎在朕躬」〈その咎とが(責任)は朕ちん(天皇)の身にある〉と憂え、「宜よろしく旧号を革あらため、以もって新元を施すべし」と改元理由を説明し、「安政七年を改め某元年と為なす」としている。

 宮内庁所蔵の実際の改元詔書と比べると、「某元年」が「万延元年」となる以外は、ほぼ同内容という。吉野学芸員によると、「万延」の元号が決まる前に、清岡家が記した文書の可能性が高いという。江戸時代の改元は朝廷か幕府の申し入れで進められた。朝廷が清岡家など菅原道真の子孫とされる公家らに、元号案を複数出させる「勘申かんじん」を行い、幕府と相談の上で天皇が最終決定したとされる。

2502名無しさん:2019/03/24(日) 15:57:52 ID:NrdB.GxU0
新西国霊場の38寺院が集結 四天王寺で記念事業
2019年3月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190324/20190324035.html

 多くの人々に親しまれている近畿2府4県の巡拝コース「新西国霊場」の第1番所である和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で6月5〜9日、「霊場巡拝(おまいり)いこか〜新西国ほとけさま大集合」が執り行われる。同寺など全38札所寺院でつくる新西国霊場会の発足90周年事業のほか、2022年の年忌法要「聖徳太子一四〇〇年御聖忌」や新天皇即位に伴う新元号施行を記念する一大行事。関係者が着々と準備を進めている。

 新西国霊場は、日本仏教の基礎を築いた聖徳太子の信仰と身心健全な行楽を兼ねる巡拝コース。同寺での行事には、記念法要や趣向を凝らした特別プログラムなどを用意している。

 事業の中心となる「出開帳(でかいちょう)」(参拝料千円)では、ご朱印とお砂踏みの巡礼を行う。五重塔がそびえる境内・中心伽藍(がらん)の回廊に38カ寺がずらりと並び、札所巡りが途中の人や初めての人でも一度で集印、万願が可能だ。

 お砂踏みは“一日で巡る巡礼の旅”として人気。本坊・五智光院(ごちこういん)(重要文化財)を会場に、各寺院から集められた砂の上でお参りができることから、両方とも期間中はにぎわいが予想される。

 事前予約限定の授与品の数々も製作中。38の全ご朱印が押印されている記念法印帳(朱印帳)をはじめ、記念お軸、記念笈摺(おいずる)(いずれも朱印料込み)などが決まり、同寺によると早くも予約や問い合わせが多数寄せられているという。

 このほか、聖霊院(しょうりょういん)絵堂特別開扉での絵解きと法話▽道成寺(和歌山県)による「出張絵解き」(縁起や安珍清姫伝説)▽国内外の参詣者が世界平和など祈願する「インターナショナル座禅会」▽縁日屋台とフードコート-などを予定している。

 四天王寺参詣課の山岡武明課長は「多くの方々と大きな節目をお祝いできれば。タイトルの通り気軽に足を運んでもらい、『巡拝に来てよかった』と感じていただける行事を目指したい」と、細部の調整に励んでいる。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺。

2503名無しさん:2019/03/24(日) 16:14:44 ID:NrdB.GxU0
>天津神社の舞楽は能生白山神社の舞楽と共に大阪四天王寺の舞楽を伝承しているといわれ


神輿をぶつけ合うお祭り!新潟県糸魚川市「糸魚川けんか祭り」
3/24(日) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190324-00183931-tkwalk-life

 五穀豊穣・豊漁を祈願して二基の御輿をぶつけ合う「天津神社春大祭(糸魚川けんか祭り)」が、4月10日(水)・11日(木)の2日間、新潟県糸魚川市の天津神社で開催される。

 10日(水)は、男御輿(一の御輿)と女御輿(二の御輿)と呼ばる二基の御輿が、早朝から舞が行われる舞台の上に据えられ、舞台で神事が行われた後に、露払いの鳥爺(とりじ)を先頭に担ぎ手や獅子頭・錫杖を持った金棒などが境内を歩く行列「お練り」が行われる。

お練りには衣装をまとった「お稚児さん」が大人に肩車されて参加し、そのお稚児さんが舞台に降りると、それまでの静けさが一変した喚声の中激しく凄まじい勢いの「御輿の競り合い」が始まる。境内の周囲を全速力で走り抜け、御輿をぶつけ合い、再び疾走し激しくぶつけることを10回前後繰り返す。

激しい神輿の競い合いが終わると、神へ奉納する12の舞により静けさを取り戻す。天津神社の舞楽は能生白山神社の舞楽と共に大阪四天王寺の舞楽を伝承しているといわれ、「糸魚川・能生の舞楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。なお、舞楽は10日・11日とも12曲が奉納され、11日は衣装が変わる。

春の糸魚川市で激しい「動」のけんか神輿と、おごそかな「静」の舞を楽しむことができる「天津神社春大祭(糸魚川けんか祭り)」に参加してみよう。

2504名無しさん:2019/03/24(日) 16:16:46 ID:NrdB.GxU0
>カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の
>大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は


「天王祭舞楽」番組に 関係者、森町長に今夏放映PR
3/15(金) 7:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00000007-at_s-l22

 全国各地の祭りを後世に伝える企画「ダイドードリンコ日本の祭り」を実施しているダイドードリンコ(大阪市)の関係者が14日、取り組みの一環として放映する山名神社(森町)の「天王祭舞楽」特別番組のPRのため、同町役場に太田康雄町長を訪ねた。

 舞楽は国指定重要無形民俗文化財。毎年7月に開かれ、児童らが八つの演目を披露する。カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は、京都の祇園祭の要素も含むという。

 番組は今夏に静岡放送で放送予定。舞楽の模様を事前の練習から撮影し、1時間のドキュメンタリー番組に仕上げる。

 同社の「日本の祭り事務局」の森田忠良事務局長は「地元の皆さんと祭りの関わりや歴史を踏まえ、祭りを全国にPRしたい」と意気込んだ。太田町長は「全国有数の祭りとお墨付きをいだたいた形。取り上げていただき記録にも残る」と歓迎した。

2505名無しさん:2019/03/30(土) 21:32:03 ID:NrdB.GxU0
廻り舞台で役者気分 道頓堀ミュージアム並木座
2019年3月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190329/20190329035.html

 大阪市中央区道頓堀のビル1階に30日にオープンする歴史館「道頓堀ミュージアム並木座」が28日、報道陣に公開された。直径1・8メートルの小さな廻(まわ)り舞台も設け、歌舞伎や文楽など上方文化を育んだ芝居町の歴史を体感できる施設となっている。

 道頓堀通に面したビルを改装し、芝居小屋が並ぶ芝居町として栄えた江戸時代の道頓堀の風情を演出。「廻り舞台」や「セリ」を考案・活用した歌舞伎作家の並木正三や、「義経千本桜」など人形浄瑠璃三大名作すべてに関わった並木千柳の紹介、日本最古の芝居小屋で廻り舞台を人力で動かす様子などを捉えた動画上映などを行っている。

 スタッフが人力で動かす廻り舞台の上には顔を乗せて撮影できるパネルが設置されており、来館者はかつらを着けて役者気分で記念撮影ができる。仕掛け人の山根秀宣さん(大阪まちプロデュース主宰)は「道頓堀がエンターテインメントの街として再認識されるきっかけになれば」と話している。

   ◇    ◇

 午前10時半(30日のみ11時)〜午後6時半。大人600円、子ども300円。問い合わせは電話06(6575)7919。

2506名無しさん:2019/03/30(土) 21:57:56 ID:NrdB.GxU0
上板の9歳文楽太夫入門 藤本君(高志小3年) 小学生36年ぶり 来月から 大阪の師の下 芸磨く
3/30(土) 8:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-03182243-tokushimav-l36

 上板町の高志小3年藤本智大君(9)=同町瀬部=が、大阪の人形浄瑠璃文楽の太夫(語り手)の竹本織太夫さん(43)に弟子入りした。小学生の太夫は織太夫さん以来36年ぶりで、「竹本織子太夫」の名を授かった。4月1日から文楽協会研究生となり、師匠の下に通って芸を磨く。

 藤本君は小2だった2017年4月、徳島市で開かれた体験会で阿波人形浄瑠璃に出合った。すぐに太夫の竹本友和嘉さん(56)=徳島市八万町西山=に師事。その後、公益財団法人阿波人形浄瑠璃振興会に所属して同年12月に阿波十郎兵衛屋敷で初舞台を踏み、勝浦町や鳴門市などで計7回、語りを披露した。同年の「チャレンジとくしま芸術祭」では、最も印象深い出演者に贈られるMIPを受賞した。

 国立文楽劇場(大阪市)にも数カ月に一度のペースで通って公演を鑑賞していた。昨年6月に織太夫さんと出会い、太夫になることを決意。織太夫さんも1983年に8歳で入門していた。

 これまでは友和嘉さんの自宅に月4回通い、稽古をつけてもらっていた。藤本君は対面で「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」をおうむ返しに繰り返し、演目の後半で語りのテンポが速まっても、軽妙な語り口で情感たっぷりに語っている。

 友和嘉さんは「最初から度胸があった」と話し、「語りは人間の心情が分かっていないとできない。最近は心から言葉がにじみ出てくるようになった」と評価する。

 4月以降は週末や夏休みを利用して、大阪で稽古に励む日々が続く。藤本君は「もっと上手になって憧れの舞台に立ちたい」と話している。

2507名無しさん:2019/03/30(土) 22:03:12 ID:NrdB.GxU0
【センバツ】父と兄は人形浄瑠璃文楽の人形遣い、福知山成美・岩田「尊敬している」
3/19(火) 20:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190319-00000180-sph-base

 第91回センバツ高校野球大会(3月23日から12日間・甲子園)の甲子園練習2日目が19日、行われた。5年ぶりの出場となった福知山成美(京都)の岩田涼雅(りょうが)内野手(3年)も1時間、室内練習場で練習を行い「雨でグラウンドでできなくて残念だった。甲子園の中に入るのは初めて。スタンドは階段状になっていて、広くて包まれたような感じ」と初々しい感想を口にした。 岩田の父・哲志さん(49)と兄の悠甫さん(23)は、人形浄瑠璃文楽の人形遣いとして大阪の国立文楽劇場を中心に、東京や海外など各地で公演を行っている。自宅で夜遅くまで練習をする父を見て育った岩田も「小さい頃から人形を持たせてもらっていたりしました。小さい頃は言葉が難しくてあんまり分からなかったけど、中学からは言葉も分かるようになって、伝統的なものなんだって分かってきました」と幼少期から文楽に親しんできた。

 岩田家は曽祖父から4代にわたって人形遣いを務めてきており、父は中学卒業後から、兄も大阪・豊島高卒業後から文楽の世界に本格的に足を踏み入れた。現在、吉田一輔(いちすけ)として活躍する父と、吉田簑悠(みのひさ)として奮闘する兄を、岩田は「尊敬しています」と誇りに思っている。兄が後を継いだこともあり将来は「好きにして良いと言われています」と話すが「高校に入ってから(文楽を)1回も見に行けていないので、引退したら見に行きたい。将来の選択肢としてはアリだと思っています」と卒業後は父、兄とともに伝統芸能を継承していくことも視野に入れている。

 初戦の第4日第1試合の筑陽学園(福岡)戦は、たまたま公演がないため、父も兄も甲子園に応援に来られることになった。兄は高校まで野球を、父も中学までソフトボールをプレー。5日ほど前に右肩を脱臼してしまった岩田に対し、父からは「やりきって、でも無理だけはしないように。存分に楽しめ!」とLINEが届き、兄からも「甲子園おめでとう。友達を集めて応援に行くから」と祝福されたという。甲子園の舞台は「緊張します」と話す岩田だが、家族にとびっきりカッコイイ姿を見せる。

2508名無しさん:2019/03/31(日) 16:48:53 ID:NrdB.GxU0
大阪城の“やぐら” 内部を特別公開
3/30(土) 12:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00021288-asahibcv-cul

 大阪城にある重要文化財で、普段は非公開の「やぐら」の内部が、特別公開されています。

公開されているのは、大阪城の玄関にあたる、大手口を守る、千貫櫓などの内部、3ヵ所で、いずれも、江戸時代初期に建てられたものです。「銃眼」と呼ばれる壁の穴は、外に向けて火縄銃を構え、城を守る戦いで使われていたということです。特別公開は土曜・日曜・祝日限定ですが、春休み期間中は、毎日行われています。

2509名無しさん:2019/04/03(水) 21:53:34 ID:NrdB.GxU0
>「令和」の典拠、いわゆる出典について「『令和』は『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして、気淑く(きよ)風和らぎ(やわらぎ)、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披き(ひらき)、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす』から引用したものだ」と述べました。
 (菅官房長官の発表より引用)
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190401/k10011868721000.html?utm_int=all_side_ranking-social_001

>「『令和』は『万葉集』の梅花の歌

 そして『梅』は『大阪府の花』でもあります。

>「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」という歌で、現在の大阪市及びその辺りにおいて、
>寒さに耐え冬籠りをしていた梅の花が、春を感じ咲いた様子が詠まれたものだぞ。
 http://www.kami-chan.net/kuni-ken-flower/z0089.html

 そしてそして、

>元号使用の歴史
>難波宮で行われた大化の改新(645年)時に「大化」が用いられたのが最初であり、以降、日本という国号の使用が始まったとされる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7

 大阪は日本文化揺籃の地、日本国の母なる大地であり、今なお日本国を代表する世界中から注目を集める先端的大都市であるという稀有な存在なんですよね。
 大阪の人たちはそういう誇りを持っていい、もっと自分たちに自信を持っていい。


「奉祝の記帳」始まる 四天王寺
2019年4月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190402/20190402029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、新天皇即位(御代替大典)に伴う「奉祝の記帳」が始まった。聖徳太子を祭る境内・聖霊(しょうりょう)院(太子殿)の堂内に記帳台が設けられ、多くの参詣者が足を運んでいる。

 当初、案内看板は新元号の部分が空欄になっていたが、発表後に職員が「令和」の文字を貼り出すと、記帳に訪れた人々が足を止めて見入っていた。

 一番目に記帳した加藤利美さん(70)=和泉市=は「毎月お参りに来ているが、きょうはとてもいい記念になった。新元号に『和』の文字が入っているので四天王寺さんとの縁を感じる」と笑顔で話した。

 記帳(千円、新元号入り授与品付き)は午前8時半〜午後4時半。10月22日まで受け付けており、以後、同寺が宮内庁に奉納する。

 このほか納経所では、奉祝のご朱印(500円)が新たにお目見えし、注目を集めた。

2510名無しさん:2019/04/03(水) 22:33:03 ID:NrdB.GxU0
石切劔箭神社の改元奉祝「刀剣奉納」プロジェクト、支援額4200万円超に /大阪
4/2(火) 20:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190402-00000073-minkei-l27
石切劔箭神社(東大阪市東石切町1、TEL 072-982-3621)が所蔵する「太刀 石切丸」を新たに復元し奉納する「復元石切丸『刀剣奉納』プロジェクト」のクラウドファンディングが3月26日に始まり、4月2日現在、4200万円を超える支援金が寄せられている。(東大阪経済新聞)

 「太刀 石切丸」は重要美術品に認定されているため神前に奉納できず、同神社では、元号が「平成」から「令和」に変わる奉祝の事業として石切丸を復元し、矢筒とともに奉納しようと同プロジェクトを始動。同神社と縁が深く、奈良県無形文化財に指定されている刀匠・河内國平さんに作刀を依頼し、平安時代に作刀された当時の石切丸を復元する。

 同プロジェクトには、刀剣を擬人化したキャラクターの一人として石切丸が登場するオンラインゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」が賛同し、神社やゲームにちなんだプロジェクト限定商品や刀剣奉納祭への参加などの返礼品を用意。2,500円から50万円の20コースを設けた。クラウドファンディングの開始から4時間弱で目標金額の1000万円に到達し、翌日には3000万円の支援が集まった。

 支援金は作刀と刀装に使うとし、「余剰金が出た場合には研磨されていない刀剣の研磨など、所蔵する刀の維持管理に使わせていただきたい」と同神社宮司の木積康弘さん。「皆さまの、それも全国の皆さまからの御懇志に大変感謝している。改元奉祝事業は来年まで続く事業となるのでまだ始まったばかり。改元奉祝事業へのご協力を引き続きお願いいただければ」と話す。

 同プロジェクト支援募集締め切りは5月15日。

2511名無しさん:2019/04/07(日) 19:32:12 ID:NrdB.GxU0
笑福亭松之助でなければ、あの“お笑い怪獣”こと明石屋さんまさんを御せなかった。ここまで大きな人にはならなかった。


笑福亭松之助さんを偲ぶ会 弟子の明石家さんまさんなど約200人が参列
4/7(日) 18:22配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190407-18220608-kantelev-l27

 今年2月、93歳で亡くなった落語家の笑福亭松之助さんを偲ぶ会が開かれ、親交のあった人たちが別れを惜しみました。

大阪市内で開かれた笑福亭松之助さんを偲ぶ会には、弟子の明石家さんまさんや落語家の月亭八方さんなど約200人が参列しました。

松之助さんは、1948年に五代目・笑福亭松鶴に入門しました。自身の本名から「明石家」という名前を弟子のさんまさんに授けた名付親でもあり、式ではさんまさんが思い出を語ったということです。

【長男・明石家のんきさん】
「まさかこんな盛大に楽しい偲ぶ会になるとは思ってなかった。100歳まで生きると言うて、孫の成人式には参加するといっていたので、それは悔やまれる」

参列した人たちは、思い思いに松之助さんとの別れを惜しみました。

2512名無しさん:2019/04/10(水) 14:55:51 ID:NrdB.GxU0
"心の琴線"触れる新院歌 太魂院、年祭で披露へ
2019年4月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190410/20190410039.html

 妙見宗「太魂(ふとたま)院」(東住吉区山坂、浅田妙浄主管)は、今年5月5日の年祭に向け「変革と感謝の式典にしたい」と新しい「院歌」を作った。これまでの「参拝歌」「太魂音頭」「祝歌」も編曲し、“新曲”として披露する。完成した新・太魂音頭は「ハア〜 ここは大阪 田辺の町よ/人の情けが かよう町」と明るく元気の出る曲でラジオ関西のラジオ番組「嶺陽子の歌の散歩道」でも放送され反響を呼んだ。浅田修法副主管は「今年の年祭は、一緒に歌い楽しく踊っていただきたい」と呼び掛けている。

同院は「一人でも多くの人々に幸福になってもらいたい」と、本部玄関脇に開運の神「運子童子」の設置や落語会「にんやか寄席」を院内で開くなど地元に広く開放している。

 新曲は音楽事務所「ソルトワークス」(箕面市、塩川桂三代表)がプロデュースし、作曲家の池田八声さん、「太魂音頭」の歌を市町村演(援)歌歌手として知られる嶺陽子さん、曲の振り付けを創作舞踊家、花柳輿桂(よか)さんが担当した。

 作詞・作曲の最終案が決まり、妙浄主管の了承を得て、ソルトワークスの塩川代表、歌手の嶺さん、太魂院の「歌・音頭」チームのメンバーらも参加して、大阪市内のスタジオでレコーディングを行った。完成した新曲は妙浄主管からも「“心の琴線”に触れる未来に残るいい歌」とねぎらいの言葉を掛けられた。

 浅田芳順法嗣は「今年の5月から新元号に変わるその時を、新しい太魂院の出発の日にしたいです」と話している。

2513名無しさん:2019/04/16(火) 21:25:44 ID:NrdB.GxU0
赤字でも奮闘続ける落語茶屋 「若手」のために…オーナーの熱い落語愛
4/15(月) 10:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190415-00000053-dal-life

 落語と料理が楽しめる落語茶屋「あすか」が今年1月、大阪市住吉区にオープンし、話題を呼んでいる。オーナーの石川武さん(70)が「若手の発表の場が増えたら」との思いから作り上げた。店の中央にある小さな高座が何とも粋。プロの落語家の噺を間近で堪能し、うまい料理とお酒を楽しめる落語茶屋は「関西初です」と石川さん。落語愛を貫き、赤字でも奮闘している。

 阪堺電軌「姫松」駅から徒歩1分。レトロな路面電車を降りると、ほどなく「あすか」の看板が見える。元は串カツ店で17年間空き家だった店舗。「交通の便が良く、家賃が安くて天井が高いことを条件に探しました」と石川さん。前の借主が3億円かけたという内装は、エントランスに囲炉裏があったり、大理石のトイレなどゴージャスな片りんが残る。しかし、古さは否めず電気系統やエアコンを取り付け、落語会用の「高座」を設けるなど約800万円かけて改装した。

 石川さんは元商社マン。わけあって40歳で脱サラ後は飲食店の経営などに携わってきた。5年ほど前から落語にひかれ始め、落語会や寄席をはしごするように。落語の魅力について「たった一人、扇子と手ぬぐいという最小限の小道具で演じるひとり芝居。引き算の美学を感じます。同じ演目でも演者の表現能力によってイメージが変わるところが奥深い」と言う。

 さらに、「テレビでも落語の中継がありCDでもよく聞きましたが、ナマで聞くのが何倍も面白い」と力説する。

 寄席に通ううちに若手〜中堅噺家の勢いある落語にはまっていき、「彼らの発表する場が一つでも増えたら」という思いが大きくなっていった。飲食店経営のつながりや経験を活かし「儲からないのは覚悟の上で」落語茶屋を誕生させた。

 「あすか寄席」は現在、毎水・金曜日に開催。昼席は午前11時、夜席は午後7時から。桂佐ん吉(35)がプログラムを構成し出演者の采配も担当している。昼・夜席共に2人が各30分の落語を披露する。

 取材日は“美人落語家”露の紫(45)、昨年の繁昌亭大賞奨励賞を受賞した桂雀太(42)の出演だった。露のは、江戸と上方の賭場の違いを題材にした「看板の一(ピン)」を、雀太は古典落語「芝浜」をアレンジした「夢の革財布」を演じた。両者共にさすがはプロの迫力で、ぐいぐいと引き込んでいく。

 最前列で聴き入っていた中学生の男子は「女性落語家さんの実物は初めて。楽しかった」とにっこり。近所に住む70代の夫婦は「こんなに間近で落語が聞けるとは。楽しいひとときでした」と満足そう。

 紫は「お客さんの反応がダイレクトで勉強になります。(1席)30分という時間もちょうどいい感じですね」。

 落語2席と1ソフトドリンクで1500円。店内はテーブル席と、掘りごたつの座敷があり、くつろげる雰囲気に。料理は気鋭のシェフが手掛ける中華、洋食のメニュー。ローストビーフ500円、酢豚600円などリーズナブル。昼席のランチも炒飯500円などとなっている。

 石川さんは「落語は芸術とも言われているが良い意味で“たかが落語”だと思う。気軽にお酒を飲みながら、若い人から年配の方まで、ゆったり落語を堪能してもらえれば」。

 ただ、目下、赤字が続いているそうで「続けていくためにもいろいろと試みていきたい」と、イベントやサークルなどに店ごと貸し出す「一日席亭」を募集中。「高座は小さなステージにもなり、文化施設のように使えると思う。厨房があるので内輪のパーティーもできますよ」と呼びかけている。(デイリースポーツ特約記者・入谷晴美)

2514名無しさん:2019/04/16(火) 21:26:31 ID:NrdB.GxU0
▼落語茶屋「あすか」 大阪市住吉区帝塚山東1-3-34 PLOT帝塚山ビル地下1F 阪堺電軌姫松駅から1分、南海電鉄帝塚山駅から8分。落語2席、1ドリンク1500円。アルコールは差額で。予約がベター。「1日席亭」は午前11時〜午後5時の利用で8000円、午後5時〜同9時は1万円。

2515名無しさん:2019/04/16(火) 21:32:01 ID:NrdB.GxU0
20日に淀屋研究会講演 大阪駅前第3ビル
2019年4月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190416/20190416026.html

 講演会「幕末の鳥取藩と淀屋」が20日、大阪市北区の鳥取県関西本部交流室(大阪駅前第3ビル22階)で開かれる。午後2時10分〜4時。入場無料。

 淀屋橋で知られる江戸期の大坂の豪商「淀屋」を顕彰する淀屋研究会(大江昭夫代表代行兼事務局長)が、総会に合わせて開催する。

 講師は森本良和氏(元鳥取県立図書館長、映画監督)。幕末の京都で結成された農兵隊で、鳥取藩に加わり戊辰(ぼしん)戦争で活躍した「山国(やまぐに)隊」をはじめ、リーダーを務めた鳥取藩士・河田左久馬(影与)ら人物にもスポットを当てる。

 会員以外の入場は、総会閉会後の午後2時から。問い合わせは電話090(3263)4108、大江さん。

2516名無しさん:2019/04/19(金) 21:21:08 ID:NrdB.GxU0
剣は磨けよ、しかし使うべからず。
江戸幕府天下泰平260年の世においても、武備の整備は怠らず。
もっとも幕末の頃には幕府の鉄砲の多くは旧式となり、徳川親藩も同様。
それにより攘夷は果たせず、そして倒幕派にも抗しきれず江戸幕府は滅ぶに至る。
平和を欲するのであれば、平和な時に粛々と時代の趨勢に合わせて武備を整備しなければならないのです。

堺の鉄砲鍛冶、平和な江戸時代も活況だった 斜陽化したという通説を覆す
4/19(金) 9:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00000504-san-l27

 近世の鉄砲生産の中心地の一つだった堺で、江戸時代にも盛んに鉄砲が製造されていたことがわかった。鉄砲鍛冶(かじ)屋敷「井上関右衛門(せきえもん)家」(堺市堺区)に所蔵されていた資料を分析して判明したもので、「江戸時代に堺の鉄砲産業は斜陽化した」という通説を覆すことになる。調査関係者は「さらに精査して、知られざる鉄砲ビジネスの全容を明らかにしたい」と意気込んでいる。(古野英明)

 堺市と関西大学が、井上家に残された2万点を超える資料を4年間にわたって共同調査。鉄砲の注文数が江戸後期になるにつれて増加していた。天保10(1839)年には280丁を超える鉄砲を受注し、天保13(1842)年には関東から九州までの大名・旗本232家から注文があった。

 また、幕府の軍事拠点だった大坂城の鉄砲の維持・管理に井上家が深く関わっていたことも判明した。関西大の藪田貫(ゆたか)名誉教授(日本近世史)は「大坂城には1万丁以上の鉄砲が備蓄されていたことはわかっていたが、誰がメンテナンスしていたのかとの視点がまったくなかった」と、井上家の大きなビジネスになっていた可能性を指摘する。

 そのうえで「戦はなくても、有事の備えとして鉄砲は必要だった。農民たちも獣害対策として鉄砲を使っていた。外国船が来航した幕末には、沿岸警備の需要もあった。資料だけでも『平和が続いたから鉄砲産業が衰退した』という定説を覆すに十分な証拠になる」と評価している。

2517名無しさん:2019/04/25(木) 20:42:29 ID:NrdB.GxU0
ワッハ上方リニューアルオープン
04月24日 12時04分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190424/0014943.html

 落語や漫才など上方演芸の資料の収集などを行う大阪府の施設「ワッハ上方」が、資料の展示や解説などを充実させた施設としてリニューアルオープンしました。

平成8年にオープンした「ワッハ上方」は、入館者が目標を下回っていたことなどから規模を縮小して運営されていましたが、展示スペースを充実させた施設としてリニューアルオープンしました。
24日はオープニングイベントが開かれ、大阪府の吉村洋文知事が「全国の中で笑いの資料館は大阪が唯一です。国内外から多くの人が訪れるので、上方演芸をどんどん発信していきたい」とあいさつしました。
新たな施設は、漫才の小道具など7万点を超える所蔵資料から貴重な品々が大阪弁を解説するパネルなどとともに展示されています。
また、画面に映し出されたお笑い芸人とにらめっこをしたり一緒に記念撮影したりできる体験型のスペースもあります。
このほか施設には、NHK大阪放送局など大阪にあるテレビやラジオで放送されたおよそ3000本の落語や漫才などの演芸番組や、上方演芸に関する書籍を無料で視聴し、閲覧できるブースが備えられています。

2518名無しさん:2019/04/27(土) 19:42:19 ID:NrdB.GxU0
四天王寺の亀形石槽は飛鳥時代か
04月26日 17時29分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190426/0015036.html

 大阪の四天王寺にある亀の形をした石造物が7世紀・飛鳥時代に作られたものとみられることが分かりました。
同じ亀形の石造物は、奈良県の酒船石遺跡でも見つかっていて、専門家は、四天王寺が飛鳥時代、重要な場所であったことを示す貴重な資料だとしています。

これは、調査を行った四天王寺と元興寺文化財研究所のグループが発表したものです。
四天王寺にある亀井堂には亀をかたどった石の水槽と、そこから出た水を受ける同じく亀の形をした石の水槽があり、古くから儀式などで使われてきました。
グループがこの2つの石造物を調査したところ、古墳時代から飛鳥時代に使われていた「竜山石(たつやまいし)」と呼ばれる石が使われていたことが分かりました。
また、水が流れ出すほうの亀の形は後の時代に作られたもので、当初は単純な造りの石の水槽から出た水を、亀の形をした別の水槽が受ける構造であったことも分かったということです。
こうした構造は、奈良県明日香村にある、斉明天皇ゆかりとされる酒船石遺跡の亀形石造物と同じで、作られたのも同じ7世紀ごろと考えられるということです。
元興寺文化財研究所の佐藤亜聖研究員は「四天王寺が当時の国家にとって重要な場所であったことを示す資料だ。酒船石遺跡と比較することで当時の祭祀(さいし)について考える手がかりとなる」と話していました。


太子たたえ盛大に 四天王寺で「聖霊会」
2019年4月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190423/20190423033.html

 聖徳太子の命日にちなむ伝統行事「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が22日、太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)で盛大に執り行われた。多数の奉仕者によって舞楽と法要がみやびやかに繰り広げられた。

 約1400年の歴史があり、同寺の最も重要かつ大規模な年中行事。聖霊会の奉納舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 “日本三舞台”の一つに数えられる境内・石舞台上では、同寺僧侶が太子をたたえる声明を唱えたほか、天王寺舞楽伝承団体である天王寺楽所(がくそ)の舞人・楽人が奉仕。舞楽の幕開けを告げる「振鉾(えんぶ)」をはじめ、唐で舞われたと伝わる「賀殿(かてん)」などを数多く奉納した。

 大阪管区気象台によると同日の大阪市では日中の最高気温が6月中旬並みの27・6度まで上がり、今年最初の夏日に。境内では多くの参詣者が初夏の日差しの下で、平成最後となる一大行事に見入っていた。

2519名無しさん:2019/04/27(土) 20:22:30 ID:NrdB.GxU0
羽曳野にはにわ作り体験施設完成
04月26日 12時48分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190426/0015022.html

 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市に、はにわ作りを体験できる施設が完成しました。

この施設は、古墳やはにわにちなんだグッズを製作している地元の企業が設けたもので、27日のオープンを前に関係者に公開されました。
施設には、古墳群について紹介するパネル展示や古墳にちなんだ各地のグッズを販売するコーナー、それに、はにわ作りを体験できるスペースがあります。
26日は近所の人たちが体験に訪れ、粘土で胴体などを作ったあと、ヘラを使って顔や模様を描いていました。
はにわは、このあと窯で焼くなどして1か月から2か月ほどで出来上がります。
参加した近所の女性は「胴体に付けた輪っかの模様や頭にリボンを付けたところにこだわりました。初めて作りましたが、よくできたと思います」と話していました。
百舌鳥・古市古墳群をめぐっては、来月にもユネスコの諮問機関から世界遺産にふさわしいかどうか勧告が出される見通しです。
施設の運営会社でプロジェクトリーダーを務める朝野亜紀子さんは「1500年前の古墳時代に、たくさんの古墳やはにわが近くで作られていたという古代ロマンを感じてもらい、世界遺産の登録に向けた機運醸成に貢献したいです」と話していました。

2520名無しさん:2019/04/27(土) 20:56:01 ID:NrdB.GxU0
江戸期の農村支配地域の古文書読む 住民ら郷土史理解
2019年4月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190426/20190426031.html

 東住吉区の田辺地域に残る古文書をひもとき、大坂近郊農村の姿を明らかにする講演会「古文書から見る江戸時代の農村支配システム」が東田辺2丁目の東住吉会館であった。幕府が定める法令の回覧手段などの解説があり、住民が郷土史に理解を深めた。

 21日に講演したのは、大阪大の村田路人教授(日本近世史)。村田教授は、領主が頻繁に入れ替わり、所領も入り乱れていたのが上方の特徴とした上で、旧北田辺村に残る「御触書御用留(おふれがきごようとどめ)」を引き合いにした。

 この資料は、幕末の1858(安政5)〜66(慶応2)年の9年間に村々を回覧した「触書」が書き留めてあり、当時米英など五カ国と結んだ不平等条約を背景に、幕府が新しく鋳造した貨幣の流通制度や交換レートを収録。当時は、代官や大名、社寺など変動しがちな領主とは別に、大坂町奉行所(幕府)による広域統治を加えた二重行政が敷かれており、資料からは触書が二つのルートを通じて巡ったことが分かる。

 また、「用聞(ようきき)」と呼ばれる第三者が情報伝達に介在する役割を果たしており、大坂周辺に所領を有する領主に召し抱えられ、兼業または専業となる業者もあったとした。

 約100人が見守る中、村田教授は「支配の政策を見るだけでは不十分。実現メカニズムを併せて見ることが大事だ」と説いた。

 主催は「にんやか田辺」(田辺HOPEゾーン協議会)。

2521名無しさん:2019/05/03(金) 20:58:48 ID:NrdB.GxU0
極楽浄土へ「万部おねり」法要
05月02日 19時07分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190502/0015149.html

 人々を極楽浄土に導こうと、金色の面をかぶった僧りょがぼさつにふんして境内を練り歩く「万部おねり」という法要が、大阪・平野区の寺で行われています。

大阪市の無形民俗文化財に指定されている「万部おねり」は、平野区の大念佛寺で毎年5月1日から5日まで行われる法要です。
金色の面をかぶった僧りょが境内を練り歩き、命が尽きるときに阿弥陀仏がぼさつを従えて極楽浄土から迎えにくる様子をあらわそうとしたのが始まりとされています。
面とともにきらびやかな衣装をまとった僧りょたちが、本堂の周りに設けられた高さ2メートル余りの橋の上をゆっくりと歩いていきました。
そして、本堂に入ったあと雅楽の調べが響く中、仏前に花を手向けると、見守っていた参拝客たちも静かに手を合わせたり写真を撮ったりしていました。
大阪市から訪れた70代の女性は「すごく厳かでよかった。令和の時代になったので、平和で家族が健康でいられるよう気持ちも新たに頑張っていきたい」と話していました。

2522名無しさん:2019/05/03(金) 21:03:58 ID:NrdB.GxU0
記念御朱印色紙 きょう参拝客に授与 大阪天満宮
2019年5月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190501/20190501038.html

 新天皇の即位に合わせ、大阪天満宮(大阪市北区)では1日、記念の御朱印色紙を参拝客に授与する。神職が一枚一枚、筆で新元号「令和」の文字を金色でしたためた色紙で、新時代の幕開けへの期待が込められている。

 平成最後の日を迎えた30日、神職が筆を取り、真剣な表情で一枚一枚に丁寧に文字を書いていった。色紙の中央に大きく令和と書かれ、その横に新元号の基となった日本最古の歌集「万葉集」の一節が添えられている。

 また、1日は境内で奉祝行事も行われる。餅や酒が参拝客に振る舞われるほか、落語や雅楽が披露される。

 権禰宜(ねぎ)の小林倫宏さん(26)は「平成への感謝と令和への期待を持って新しい時代を迎えてほしい」と話している。

 記念色紙は限定250枚で、初穂料2千円が必要。午前9時から授与する。このほか、1日は「慶祝」と書かれた御朱印も授与する。

2523名無しさん:2019/05/03(金) 21:05:37 ID:NrdB.GxU0
祝賀準備万全に 新天皇陛下あす即位 府内社寺
2019年4月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190430/20190430037.html

 5月1日の「天皇の即位の日」を目前に、大阪府内各地の社寺で奉祝の準備が着々と進んでいる。

 府神社庁のお膝元、大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)では、神職が境内に掲げる奉祝懸垂旗やのぼりなどを準備。汚れなどがないかチェックしたほか掲揚する場所を調整した。田中裕人権禰宜(ねぎ)は「平成の御代に感謝するとともに、すがすがしい気持ちで新しい御代をお祝いしたい」と話した。
 このほか同市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)では、御即位奉祝奉納行事を行う。記帳や神館特別拝観(1〜6日)をはじめ、1日には風流武者行事、住吉踊(おどり)、江戸芸かっぽれ、枕太鼓など。2日にはみこし、獅子舞などを予定している。 同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、30日夜に「奉祝の鐘」が行われる。僧侶が午後11時45分ごろから境内・北引導鐘堂と太子引導鐘堂の2カ所でお経を唱え、平成から令和に変わるタイミングで引導鐘を21回突く。この様子をより多くの人に見てもらおうと、インターネットでライブ配信する予定で、同寺ホームページからリンクできるよう調整中という。

2524名無しさん:2019/05/03(金) 21:09:39 ID:NrdB.GxU0
住吉大社 平成最後の御朱印
04月30日 12時55分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190430/0015107.html

 平成最後の日の30日、大阪市の住吉大社には「平成」の日付が書かれた最後の御朱印を求めて多くの人が参拝に訪れています。

大阪・住吉区の住吉大社は神功皇后ゆかりの全国の住吉神社の総本社で、大阪では「すみよっさん」の愛称で親しまれています。
30日は、「平成」の日付が書かれた最後の御朱印を求めて朝から約50人が列を作りました。
訪れた人たちはそれぞれの御朱印帳に黒い墨で「奉拝 住吉大社平成三十一年四月三十日」の文字が入った御朱印を受け取ると、早速、平成の日付を確認していました。
住吉大社では、「平成」の日付が書かれた御朱印を求める人たちが連休に入ってから増えているということで、29日は普段の倍以上の500人ほどが御朱印を受け取ったということです。
吹田市から親子で訪れた10歳の男の子は、「平成最後の御朱印を授かって改めて平成が終わってしまう悲しみを感じています。令和は幸福な時代になってほしいです」と話していました。
住吉大社の万力一雅権禰宜は「平成最後の御朱印を受けていただくことで平成の時代を振り返ってもらい、新たな時代もすがすがしく迎えてもらいたい」と話していました。

2525名無しさん:2019/05/03(金) 21:37:31 ID:NrdB.GxU0
5日「幸村祭」 天王寺・安居神社
2019年5月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190503/20190503037.html

 「大坂の陣」の奮戦で知られる信州上田の武将・真田幸村を慰霊する伝統行事「幸村祭」が5日、大阪市天王寺区逢阪1丁目の安居神社(中島一熈宮司)で行われる。午前11時から。見学自由。

 同神社は大坂夏の陣(1615年)の「天王寺口の戦い」で幸村が戦死した地と伝わることから、神社関係者らが長年にわたり顕彰や慰霊を手掛けている。

 同日は慰霊祭に続いて、大阪城真田鉄砲隊(澤田平代表)、長野県上田市の殺陣サークル眞による奉納演武などを予定。問い合わせは電話06(6771)4932

2526名無しさん:2019/05/03(金) 22:05:04 ID:NrdB.GxU0
皇族ゆかりの「神館」 新天皇即位を祝い特別公開 大阪・住吉大社
5/2(木) 11:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190502-00000019-ytv-l27

 大阪市の住吉大社で、新天皇の即位をお祝いして、皇族ゆかりの建物・「神館」が特別に公開されている。

 住吉大社で特別公開されている「神館」は、約100年前に大正天皇の即位を記念して、皇族が滞在する建物として作られ、国の登録有形文化財に指定されている。

 建物の中には、皇族が休憩するための部屋「『玉座』の間」があるほか、明治天皇から送られたひな人形や、歴代の天皇が書かれた和歌の短冊など皇族にゆかりの品、約30点が展示されている。

 訪れた70代夫婦は「ここで結婚式を挙げさせていただいて、何十年ぶりかにお参りしようと」と話していた。

 境内には、新天皇の即位をお祝いする記帳所も設けられていて、特別公開とともに、6日まで行われる予定だ。

2527名無しさん:2019/05/03(金) 22:06:12 ID:NrdB.GxU0
「難波宮」古代水路を特別公開
05月03日 19時41分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190503/0015161.html

 古代の「難波宮」にあった巨大な石組みの水路の見学会が、大阪歴史博物館で行われました。

飛鳥時代の宮殿「難波宮」の跡にあたる大阪・中央区の大阪歴史博物館では、地下6メートルのところに、巨大な石組みの水路が保存されています。
幅およそ50センチメートル、深さ1メートルほどのこの水路は、わき水を難波宮の外に流す目的で作られたと考えられています。
ふだんは一般に公開されておらず、3日の見学会に訪れた人たちは、1300年あまり前の古代の土木技術に見入っていました。
建築関係の仕事をしているという50代の男性は「大きな石を運ぶクレーンがない時代にこれだけの水路を作るのは大変な労力だったと思う。設計も含め、大昔の土木技術に感心しました」と話していました。

2528名無しさん:2019/05/08(水) 20:45:36 ID:NrdB.GxU0
幼稚園児が作ったこいのぼり100匹 豊中の椋橋総社
2019年5月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190508/20190508034.html

 コイが神の使いであるとの伝説が伝わる豊中市庄本町の椋橋総社境内に、幼稚園児が作ったこいのぼり約100匹が飾られている。赤や青、緑と色とりどりのこいのぼりが大空を気持ち良さそうに泳いでいる。

 庄本地区には、奈良時代の僧・行基が猪名川に橋を架けるため、同総社に工事の成功を祈願すると、無数のコイが集まって背を並べて魚橋となり、工事を完成させたという「鯉(コイ)伝説」が残る。境内の池には、現在も100匹以上のコイが泳ぐ。

 こいのぼりは、鯉伝説を後世に伝えるために、同総社に隣接する私立庄本幼稚園(川辺豊園長)が2005年から制作。長さ80センチほどでビニール袋を使って作った。境内に飾られたこいのぼりを見た園児たちは「こいのぼり、飛んでる!」「作ったこいのぼりあった!」と歓声を上げて喜んでいた。こいのぼりは5月中旬まで飾られる。

 川辺園長は「例年の行事となり、地域の皆さんに鯉伝説を知ってもらえています。この時期の風物詩を多くの人に楽しんでいただけたら」と話している。

2529名無しさん:2019/05/08(水) 21:18:39 ID:NrdB.GxU0
みやびやか卯之葉神事 住吉大社
2019年5月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190508/20190508028.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)は6日、祭神である住吉大神の鎮座を記念する「卯之葉(うのは)神事」を執り行い、多くの参拝者が厳かな神事をはじめ奉納行事を見守った。

 
毎年、卯の花(ウツギ)が咲く5月最初の「卯」の日に行われる伝統行事。

 境内・第一本宮の本殿祭では、初夏の日差しの中、ウツギを装飾した神職らが厳かに神事を斎行。玉串拝礼の際、参列者らが本来のサカキではなくウツギを神前にささげた。

 同神事恒例の奉納舞楽は通常、境内の石舞台上で行われるが、今年は天皇即位奉祝記念行事として吉祥殿内の特設舞台で大々的に実施。天王寺舞楽の伝承団体「天王寺楽所(がくそ)」の舞人・楽人が奉仕し、天皇即位礼大饗(たいきょう)に必ず奏される「萬歳楽(まんざいらく)」などをみやびやかに披露した。

 続いて、すみよし反橋能実行委による奉納能「大典」が上演され、約500人の来場者を魅了した。

2530名無しさん:2019/05/10(金) 21:32:49 ID:NrdB.GxU0
ミナミに若手芸妓11年ぶり誕生
05月10日 17時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190510/0015395.html

 かつて日本有数の花街としてにぎわいを見せていた大阪・ミナミに、11年ぶりに若手の芸妓が誕生し、10日、関係者にお披露目されました。

新人芸妓としてデビューしたのは、奈良県出身で20歳の「玉幸」さんと大阪出身で24歳の「多美鶴」さんです。
10日は、大阪・ミナミに唯一残る茶屋「たに川」で、報道関係者を前に、先輩の「八重鶴」さんとともに、舞踊や三味線の演奏を披露しました。
ミナミはかつて「南地」と呼ばれる花街があり、およそ2000人の芸妓を抱えていましたが、芸妓や茶屋は次第に減り続け、ここ数年は地元の芸妓が1人だけの状況が続いていたということです。
ミナミで若手の芸妓が誕生するのは11年ぶりだということで、玉幸さんは、「中学生から続けていた日本舞踊を仕事にしたいと思い、インターネットで調べて芸妓に興味をもつようになりました。大阪は若い芸妓がいなかったので、大阪の伝統文化を継承していけるように頑張りたいです」と話していました。

2531名無しさん:2019/05/10(金) 21:40:20 ID:NrdB.GxU0
高島屋東別館が有形文化財に登録 「国土の歴史的景観に寄与」 /大阪
5/10(金) 10:52配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190510-00000015-minkei-l27

  高島屋東別館(大阪市浪速区日本橋3)が、国の有形文化財(建造物)に登録された。(なんば経済新聞)

 
同館は、1928(昭和3)年の建築。鉄筋コンクリート造、地上9階、地下3階建てで、延べ床面積は4750平方メートル。昭和の初めに建設され、これまで約90年にわたり、百貨店が最も華麗だった頃の内外装を今に伝える貴重な建築物として知られている。今回、有形文化財の登録基準である「国土の歴史的景観に寄与しているもの」と評価された。

 建築から1966(昭和41)年まで松坂屋大阪店として営業。この間、増改築を繰り返し、1940(昭和15)年には、延べ床面積が1万2000坪と松坂屋最大で、国内でも最大規模の百貨店だったという。その後、1968(昭和43)年に高島屋が東別館として事務所などとしての利用を開始。1970(昭和45)年には高島屋が保有する美術・着物・資料などを展示する高島屋史料館も開設した(現在は改装のため休館中)。

 全体にアールデコ調のデザインでまとめられた建物外観は、1階と2階の一部を「基壇」、2階〜6階を「主階」、7階を「アテック階」とする3層構成となっており、堺筋沿いの1階には約67メートルものアーケードを設け、11連のアーチ状の開口部が外観の特徴となっている。

 現在は改装工事中で、サービスレジデンス(キッチンなど長期滞在を可能とする設備を設けたホテル)を核テナントとした施設に転換するほか、高島屋史料館もリニューアルオープンを予定する。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2532名無しさん:2019/05/12(日) 14:13:01 ID:NrdB.GxU0
天神祭も「令和」お祝い 本年度初の実行委で方針
2019年5月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190511/20190511039.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭の渡御行事保存協賛会は10日、本年度の実行委員会の初会合を大阪市北区の大阪天満宮で開いた。代替わりに伴う天皇陛下即位を祝う行事を、祭りの中で斎行する方針を示し、関係者らは令和で初めてとなる祭りの成功に向けて士気を高めた。

 本年度は天皇陛下の即位に関連し、大阪天満宮の本殿前や門前、行事の道中にのぼりや懸垂幕を設置するなどして祝意を表す。

 本宮祭は、即位を祝う「奉祝祭」を兼ねて斎行することにし、国歌斉唱や万歳といった儀式を含む祭儀にすると報告。寺井種治宮司は「天神祭でも奉祝の気持ちを伝えたい」と意欲を示した。

 初会合では、例年と同じく7月24日に宵宮祭、翌25日に本宮祭や奉納花火約5千発を打ち上げるなどの事業計画案を承認。栗原宏武実行委員長は「令和の初めにふさわしく、盛大かつ安全に斎行したい」と本番に思いをはせた。

 承認された案は、5月末の委員総会で議決する。

2533名無しさん:2019/05/12(日) 16:08:39 ID:NrdB.GxU0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 登録なるか
5/9(木) 18:33配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190509-00000161-nnn-soci

  世の中で議論を呼んでいる話題について、ゲストに意見を聞く「opinions」。今回の話題は「百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 登録なるか」。雑誌「Discover Japan」の編集長・高橋俊宏氏に聞いた。

世界遺産登録に向けて期待が高まる大阪府の百舌鳥・古市古墳群。
日本最大の古墳として知られる仁徳天皇陵や、応神天皇陵など45件、49基の古墳で構成されている。

ユネスコの諮問機関「イコモス」が「世界文化遺産への登録がふさわしい」とユネスコに勧告するかどうかが注目されていて、近く結果が判明する見通しだ。

ネット上ではこんな意見が見られた。

「日本の文化が認められていいこと」
「その歴史的価値は明白」
「全体が見渡せる場所があるといいな」


――この話題について高橋さんにフリップを書いていただきました。

「天皇から日本、再発見!」です。

元号が変わり、天皇というものに対して関心が高まっていますが、天皇も神話の時代から数えると2700年続いていることになるのですが、実際は、実在した天皇というのは諸説あるのですが、仁徳天皇から実在したのではないかというような話があるんです。

つまり1700年前から天皇がいたのではないかと、そういう意味でいうと、実在された仁徳天皇のお墓の仁徳天皇陵が認められれば、さらに機運が高まるのではないかと思います。

また、仁徳天皇陵は“世界三大墳墓”のひとつなんですけど、クフ王のピラミッドも秦の始皇帝陵も世界遺産になっています。ここで世界三大墳墓の最後のひとつとして、世界遺産に認定されればと期待したいところです。


――日本にとっても大きなことですよね。

古墳でいうと日本で1位、2位、3位が、ここにありますからね。私は出身が岡山なんですが、4位の造山古墳というのがありまして、子どものころ行ったことがありますが、そこのナンバースリーがある。いわば古墳銀座です。古墳の魅力再発見につながるといいなと思います。

2534名無しさん:2019/05/12(日) 16:09:18 ID:NrdB.GxU0
――古墳に行きたいという人もいらっしゃると思うのですが、楽しみ方というのは、どういったところなのでしょう。

仁徳天皇陵は中に入れないと思うのですが、やはり想像力とロマンで見るというのと、あとは堺市の市役所の展望台から見えるらしいので、そういうところから見て楽しむのというのもあると思います。

あと、古墳マニアとしては前方後円墳があってお堀が残っているというのはすごいんです。大体、お堀が埋められてなくなっているところが多いんですが、本来の姿が残っているので上空から見ると、かなりインパクトがありますし、こういってはあれですが、インスタ映えもすると思います。


――展望台から中はどうなっているんだろうとロマンを感じながら眺めるといいんですね。

副葬品とかも出ていますので、それらは美術館や博物館で見ていただいて、当時のことに思いを寄せるというのも楽しいんじゃないでしょうか。


――気になるのが、古墳というのは海外の方はどう見ているのでしょうか。

海外から見ても、ピラミッドにみんな行きたいのと同じで、私も始皇帝の兵馬俑を見に行きましたが、観光のスポットとして重要だと思います。やはり日本を知る上でのルーツですから。

【the SOCIAL opinionsより】

2535名無しさん:2019/05/14(火) 08:46:12 ID:qyBlkDVA0
「仁徳陵」など古墳群、世界遺産へ ユネスコ機関が勧告
2019年5月14日
https://www.asahi.com/articles/ASM4L6JB7M4LUCVL01W.html?ref=yahoo

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に「大山(だいせん)古墳(伝仁徳天皇陵)」など「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)が登録される見通しとなった。事前審査する諮問機関が「登録が適当」と勧告した。6月30日からアゼルバイジャンで開かれる世界遺産委員会で最終的に決まる。

 ユネスコが13日、諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告内容を日本政府に伝えた。

 古墳時代最盛期の4世紀後半〜5世紀後半に築造された古墳群。国内最大の前方後円墳「大山古墳」(墳丘長486メートル、堺市)、2番目の規模の「誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(伝応神天皇陵)」(同425メートル、羽曳野市)のほか、帆立貝形墳や円墳、方墳など大きさも形も多様な45件49基で構成される。

 古墳が密集する堺市の百舌鳥エリアと羽曳野(はびきの)・藤井寺両市の古市エリアは、古代日本の政治や文化の中心地の一つ。個人の権力の大きさや身分の差が目に見える形で示されるようになっていった日本の歴史を物語る物証として顕著な特徴があると認められた。

 49基中29基が歴代天皇や皇后、皇族の墓として宮内庁が管理する陵墓(りょうぼ)など。「静安と尊厳の保持」を理由に一般の人の立ち入りは禁じられ、学術的な調査も制限される。名称についても、宮内庁の指定に沿って「仁徳天皇陵古墳」などで推薦されたが、考古学や歴史学者から「被葬者が学術的に確定していない」として地名に基づき大山古墳などと呼ぶべきだとの指摘がある。こうした点がどう評価されるのかが注目されていた。

 イコモスは、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階の評価で勧告する。世界遺産の総数は1092件。日本からは文化遺産18件、自然遺産4件の計22件が登録されており、正式に決まれば、大阪府では初めてとなる。

2536名無しさん:2019/05/14(火) 19:55:03 ID:NrdB.GxU0
古墳群世界遺産登録へ 喜びの声
05月14日 12時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190514/0015509.html

 世界文化遺産への登録を目指している大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」について、ユネスコの諮問機関は、登録することがふさわしいとする勧告をまとめました。
これにより、「仁徳天皇陵」として管理されている国内最大の前方後円墳などが、ことし世界文化遺産に登録される見通しとなりました。

「百舌鳥・古市古墳群」の地元大阪・堺市では市民が集まり、世界遺産に登録される見通しになったことを祝う横断幕を掲げました。
「百舌鳥・古市古墳群」を構成する古墳のひとつ「仁徳天皇陵」とされる国内最大の前方後円墳の近くにある大仙公園には、14日午前中からボランティアガイドとして活動する市民などおよそ50人が集まりました。
集まった人たちは「百舌鳥・古市古墳群登録勧告!」と書かれた横断幕を掲げ、万歳して喜びを分かち合いました。
このあと、ハニワのかぶり物をした堺市のマスコットキャラクターハニワ課長が公園を訪れた人たちに「世界遺産ニュース」と題した号外を配り、世界遺産登録に向けて大きく前進したことをPRしました。
ハニワ課長は「土器だけにドキドキして勧告を待っていました。これからも古墳のすばらしさを知ってもらえるよう活動したい」と話していました。
また、古墳周辺で10年以上清掃活動を続けていて去年9月にはユネスコの諮問機関イコモスの現地調査で活動の様子を説明した草野利夫さんは「こつこつ活動してきた結果が実り、うれしいです。イコモスの調査員にも良い説明ができていたのではないか」と話していました。

【市役所展望ロビーでも喜びの声】
「仁徳天皇陵」を見渡せる、地上80メートルの堺市役所の21階の展望ロビーでも喜びの声が聞かれました。
堺市の60代の女性は、「世界文化遺産登録を目指していると知ってから、これまで長い間待ち望んでいただけにとてもうれしいです」と話していました。
また、夫と展望ロビーに来ていた堺市の40代の女性は、「世界の人たちに堺の歴史を知ってもらえることになり、とてもうれしいです。ただ、展望ロビーから見ても、全体がはっきりと見えないので、全体が見えるような場所ができたら観光客にも喜ばれるのではないか」と話していました。

【吉村知事“観光振興につなげたい”】
大阪府の吉村知事は、大阪府庁で記者団に対し、「世界遺産にふさわしいという勧告を受けてうれしく思う。大阪初の世界遺産を目指して、正式に登録されるよう、地元自治体や国と協力しながらやっていきたい。堺、大阪にとって、ものすごく大きな魅力になるので、観光振興につなげていきたい」と述べました。

【専門家は】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録される見通しになったことについて、大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎名誉館長は、「ピラミッドや秦の始皇帝陵などとともに、世界的に非常に巨大で独特の形態や構造を持つ日本の前方後円墳が、世界遺産として登録されるにふさわしいものだと判断され、古墳の研究に従事する者として非常にうれしく思う」と述べました。
そのうえで、「畿内を中心に日本列島各地の勢力が政治連合を形成していた、日本の初期国家のあり方を反映しており、貴重な遺産であるということが評価されたのではないか。また、当時の人たちの死後の世界観についてや、東アジアの国々から日本にどのようなものが伝わってきていたのかなど、当時の国際関係について考えるうえでも、重要な遺産であることも評価されたのではないか」と述べました。
今後、必要となる取り組みについては、「宮内庁の管理のもとでこれまで保護されてきたのは良かった一方、一般に公開されていないのは問題点だと思う。公開のあり方についてはさまざまな意見があるので、世界遺産への登録を機に、国民的議論が深まることを期待したい」と話していました。

2537名無しさん:2019/05/14(火) 19:55:55 ID:NrdB.GxU0

【地元の店も「古墳効果」に期待】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録される見通しとなったことを受けて、地元では地域の魅力が高まり、より多くの人が訪れてくれると期待する声が上がっています。
このうち、仁徳天皇陵とされる古墳のすぐ近くの飲食店では世界遺産登録に向けた機運を盛り上げようと前方後円墳をかたどった「古墳カレー」を提供してきました。
古墳カレーは特製の型を使って古墳の形にごはんを盛り付けたあと、古墳群がまたがる羽曳野市で生産されたいちじくを混ぜ込んだルーをかけたこだわりのカレーです。
店主の中屋麗子さんは「国全体でこれから古墳を守っていこうという流れになっていくので良かったと思います。店に来るお客さんにも古墳は大事なものなんだと意識してもらいながらカレーを食べてもらえるとうれしいです」と話していました。
また、堺市内の堺山之口商店街にある雑貨店では5年ほど前から古墳をモチーフにしたアクセサリーやTシャツなどを販売しています。
店舗を経営する松永友美さんは大の古墳好きで去年からは商店街の中で半年に1度、「古墳祭り」と題したイベントを開催しています。
今月初めの大型連休中に開催したイベントではおよそ2500人が全国各地から訪れ、古墳に関連した商品などを買い求めていたということです。
松永さんは「全国各地を巡っていても古墳がある町にはとても魅力があると感じます。登録に向けた勧告や古墳のイベントが商店街の存在を知ってもらうきっかけになれば」と話してました。

【古墳ファン「まりこふん」さんは】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録される見通しとなったことについて、長年の古墳ファンで、古墳の歌を歌うシンガーソングライターの「まりこふん」さんは、「古墳だけに大興奮です。古墳ファンにとって歴史的な日なのではないでしょうか。やっと日本の古墳が世界に知ってもらえる時が来た」と話していました。
また、古墳の楽しみ方については、「まずは周りを歩いてどのくらい大きいか感じて、古墳を作った当時の人に思いをはせてほしい。地元には古墳型のカレーや、古墳のクッションなどさまざまなグッズがあるので、おしゃれでカワイイ古墳の形を楽しんでもらいたいです」と話していました。
まりこふんさんは、「古墳は全国におよそ16万基あり、身近なところに古墳は存在しているので、自分の街の古墳にも注目してもらえたらうれしいです」と話していました。

2538名無しさん:2019/05/14(火) 19:56:32 ID:NrdB.GxU0
【百舌鳥・古市古墳群とは】
「百舌鳥・古市古墳群」は大阪府南部の堺市と、羽曳野市、藤井寺市にまたがる2つの古墳群で、4世紀後半から5世紀後半ごろに造られた49基の古墳からなります。
巨大な前方後円墳が集中しているのが特徴で、このうち堺市にあり宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し、「大山古墳」とも呼ばれる前方後円墳は全長およそ500メートルと国内で最大です。
エジプト・クフ王のピラミッドや中国・秦の始皇帝陵などと並び世界最大級の王の墓とされています。
また、羽曳野市にあり、「応神天皇陵」として管理されている前方後円墳は国内で2番目の大きさです。
巨大な古墳の近くに大小さまざまな古墳があるのも特徴で円墳や方墳など古墳の形や大きさは埋葬された人物の地位を表していると考えられています。
巨大な前方後円墳に葬られた王の親族や臣下の墓とみられ、日本列島における古代王権の成り立ちを表す貴重な遺跡とされています。

【登録までの経緯】
日本国内の世界遺産は、文化遺産と自然遺産のあわせて22件ありますが、近畿の2府4県では唯一、大阪府だけ世界遺産がなく、府は地元とともに「百舌鳥・古市古墳群」の登録に力を入れてきました。
府と地元の3つの市がユネスコへの国内推薦を目指して初めて名乗りをあげたのが平成25年です。
しかし、国内候補地を決める文化審議会から、古墳や周囲を含む一帯の保全のあり方や計画が十分でないなど10点にのぼる課題が指摘されました。
堺市などは屋外広告を規制する条例の策定に取り組みましたが、2回目の挑戦となった平成27年にも再び推薦が見送られ、海外の人にも分かる古墳の価値の詳しい説明など5点の課題を指摘されました。
そして、翌年の3回目の挑戦でも推薦は見送られ、古墳の歴史的な価値をさらに分かりやすくすることや、観光客の移動手段など、より具体的な課題が指摘されました。
そして、4回目となったおととしの挑戦では、保存状態の悪い古墳を除いて49まで絞り込んだうえで、将来にわたる保全や管理の計画を具体化しました。
さらに巡回バスの運行など観光客の移動手段などの解決にも取り組んだ結果、その年の7月、国内推薦の候補に決まりました。

【古墳全景が見えない課題】
百舌鳥・古市古墳群は古墳の周辺に展望施設がほとんどなく、巨大な古墳の全景を見渡すことができないのが大きな課題となっています。
このうち仁徳天皇陵とされる国内最大の前方後円墳は、堺市役所の21階にある展望ホールから見ることはできますが、鍵形をした古墳の全景を確認することはできません。
堺市ではこうした課題に対応するため去年10月、民間の会社と協力して古墳の上空をヘリコプターで遊覧飛行するツアーを試験的に行いました。
市はこうしたツアーを定期的に開催できるよう調整を進めています。
このほか、仁徳天皇陵とされる古墳と隣接する場所には高さ12メートルほどの展望デッキを整備する計画もあります。
展望デッキの下には古墳群の成り立ちなどを詳しく解説するガイダンス施設も整備されるということです。

2539名無しさん:2019/05/14(火) 20:40:14 ID:NrdB.GxU0
日本文化揺籃の地・大阪。
日本国の母なる大地・大阪。
豊潤な歴史を誇る・大阪。

新しい御代・令和における日本国最初の世界遺産のある場所として選ばれた大阪。
時代は大阪。時の流れは大阪へ向かう。

世界の目が大阪へ集まる新時代の始まり。


「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録勧告 地元・堺市は早くも“お祝いモード”
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190514-00027750-mbsnewsv-l27

 大阪府にある「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコの諮問機関から世界遺産に登録するよう勧告されました。今後、世界遺産委員会で登録が正式に決定する見通しです。地元・堺市では14日朝から祝福ムードです。

 「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録勧告を受け、近くの公園では市民らが号外を配りました。イベントにはこの方も…。

 「元号が変わったタイミングでこれは運命だと思いますので、非常にめでたいと喜びたいと思います」(ハニワ課長)
 「念願がやっと叶って夢のようでございます。(Q.どれぐらい応援してきた?)1600年」(堺市民)

 一方、こんな祝い方も…。

 「古墳こんにゃくといううちのオリジナル商品があるのですが、それを勧告の記念にふるまわせていただきます」
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MBSニュース

2540名無しさん:2019/05/15(水) 22:44:05 ID:NrdB.GxU0
大阪城を眼前に、秀吉の大茶会を再現する茶道イベント
5/15(水) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190515-00067056-lmaga-l27

 「大阪城」本丸広場にある施設「ミライザ大阪城」(大阪市中央区)内の「ザ ランドマークスクエア オオサカ」 屋上で、茶道イベント『大阪城大茶会』が6月16日におこなわれる。

 かつて豊臣秀吉が開催した「北野大茶湯」を現代的に再現しようという同イベント。庶民から大名まで身分に分け隔てなくお茶をたしなむことができたという秀吉のお茶会のように、訪日外国人観光客をはじめ、初心者でも気軽に茶会に参加でき、茶道を通した日本文化と秀吉の大阪城との融合を感じることができれば、と企画された。

当日は、本格的な茶席(抹茶、干菓子付き)や野点(のだて)、外国人のための英語の解説資料も用意され、性別や年齢、国籍を問わずに広く楽しめるようになるという。5部制(要予約・各回80名)で、料金は1人500円。

2541名無しさん:2019/05/21(火) 20:31:23 ID:NrdB.GxU0
長い事、多くの人々から忘れられていた昔の大阪が徐々に姿を見せ始めてきた。
長い豊潤な歴史を誇る大阪。大阪とは歴史の玉手箱でもあるのです。

泉佐野市、河内長野市の2件 日本遺産に認定
2019年5月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190521/20190521027.html

 文化庁は20日、地域の歴史的魅力や特色を観光資源として活用する2019年度の「日本遺産」に全国の16件を認定、認定証を交付した。大阪府では泉佐野市の「旅引付(たびひきつけ)と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘(ひねのしょう)の風景-」、河内長野市の「中世に出逢(あ)えるまち〜千年にわたり護(まも)られてきた中世文化遺産の宝庫〜」の2件のほか、府内の和泉、藤井寺、茨木、箕面の各市を含み滋賀県など2府5県がネットワーク型で申請した「1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十三所観音巡礼〜」が認定された。(5月21日3面に関連記事)

 今回が第5弾となり、全国では72件の申請があった。

 泉佐野市は800年前に上級貴族の九条家の領地であった日根荘で、2枚の荘園絵図と九条政基が書いた「旅引付」という日記が残されている。絵図と日記に描かれた風景と人々の生活は、現在の農村景観にもつながっているという内容。

 審査委員会は、上級貴族の荘園に着目した興味深く魅力的なストーリーで、中世から受け継がれる荘園の景観と文化が大都市近隣に色濃く残っていると評価した。

 京と高野山を結ぶ街道の中間地に位置した河内長野市は、檜尾山(ひのおやま)観心寺と天野山金剛寺の2大寺院が隆盛した。街道沿いに白壁の塀や優美な建物などもあり、多くの社殿や堂、仏像、山城も築かれるなど、中世文化遺産の宝庫としている。

 都市近郊にあって、中世文化遺産や景観をよくとどめた豊かな地域で「寺院による荘園」というテーマも興味深いという。

 終活をテーマにストーリーをまとめた西国三十三所観音巡礼は、海外でも高い関心があり、将来的に活用面で大きな期待が持てると評価された。

 ミニクリップ

 日本遺産 地域の文化財の魅力を高め、観光資源として積極的に活用する目的で、文化庁が認定している。寺社や城郭、祭り、伝統芸能など複数の有形・無形の文化財で構成される。有識者委員会が、外国人にも分かりやすい物語性や日本遺産を生かした地域振興策などを審査する。認定されると、国が観光ガイドの育成や多言語のホームページ作成といった取り組みを財政支援する。

2542名無しさん:2019/05/21(火) 20:38:18 ID:NrdB.GxU0
船渡御に即位奉祝幕 ムード盛り上げへ 講社連合会
2019年5月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190518/20190518046.html

 大阪天満宮は17日、天神祭を支える講社連合会の会合を大阪市北区の同宮境内で開いた。祭りの呼び物の一つでもあり市内の川を約100隻の船が行き交う船渡御では、代替わりに伴う新天皇陛下即位を祝い、講社と連携して各船に奉祝の横断幕を掲げる構想を示した。

 天神祭の本宮祭は、奉祝祭を兼ねて斎行するが、一連の行事でも関係者らが連携してお祝いの意を示すことを確認。令和最初の天神祭を祝福ムードで盛り上げる考えだ。

 会合では、神職から前年度決算の報告や本年度予算の説明があったほか、渡御行事や奉納花火の計画が示された。

 講社連合会の森本幸一会長は「日本三大祭りの名に恥じない夏大祭にしたい」と、参加者らに協力を求めていた。

2543名無しさん:2019/05/21(火) 20:48:58 ID:NrdB.GxU0
別れ惜しみ人形を奉納 大阪天満宮
2019年5月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190520/20190520029.html

 長年親しんだ人形を奉納する「人形祭」が19日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。境内には、一般家庭から節句人形をはじめ、フランス人形やぬいぐるみが寄せられ、同宮の神職によって奉納された。

 関西節句人形工業協同組合の主催で2011年から毎年5月に開催。朝から訪れる人が後を絶たず、奉納台は人形たちで埋まっていった。奉納した人たちは、その様子を写真に収めるなどして別れを惜しんだ。

 高槻市から訪れた二宮玲子さんは五月人形2体とぬいぐるみ1体を奉納。3人の息子が全員成人したのを機に、人形を手放すことを決めた。「転勤が多く、何回も引っ越ししたが、(壊れることなく)無事に成長を見守ってくれた。粗末なお別れではなく、感謝の気持ちで手放せてよかった」と、穏やかな表情を浮かべていた。

 近年は住宅事情の影響もあり、奉納される人形は増加傾向。昨年は約1500体が集められたが、今年はその数を上回ると予想される。同組合の元賀圓治さんは「人形メーカーとして次の時代につながるものをアピールしていかないといけない」と話していた。

2544名無しさん:2019/05/21(火) 20:57:47 ID:NrdB.GxU0
日本遺産に認定、泉佐野市「中世日根荘の風景」
5/21(火) 8:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00000508-san-soci

 文化庁の「日本遺産」には大阪府内から、泉佐野市が申請したストーリー「旅引付(たびひきつけ)と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘(ひねのしょう)の風景-」も認定された。中世の村の生活を記録した絵図2枚と貴族の日記が基になっており、魅力ある農村の景観が現在に受け継がれていると評価された。

 市文化財保護課によると、「日根荘」は鎌倉時代の天福2(1234)年に有力貴族の九条家の領地として成立。戦国時代の享禄3(1530)年ごろまで記録が残っている。成立当初は現在の同市のほぼ全域に広がっていた。

 ストーリーの基になった2枚の「日根野村絵図」=宮内庁所蔵=は、鎌倉末期の延慶3(1310)年ごろと正和5(1316)年の荘園の様子を描いたものとされ、作者は不明。緑豊かな風景に、田畑を潤すため池や水路、社寺などが描かれている。

 日記は「政基公旅引付」と呼ばれ、領主の九条政基(くじょう・まさもと)が戦国期の文亀元(1501)年〜永正元(1504)年の4年間、日根荘に滞在中に記したとされる。村の祭りや、罪人が捕らえられる様子、寺の住職が酒でもてなしてくれたことなどが記されている。

 同課は「中世の荘園の様子がこれだけ確実な史料として残っている例は全国でもほかにない」と話す。

2545名無しさん:2019/05/21(火) 21:00:08 ID:NrdB.GxU0
日本遺産認定の河内長野市 正成は観心寺で学び、金剛寺で祈願
2019.5.20 12:11
https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/190520/lif19052012110013-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=related_link

 文化庁から20日、新たに日本遺産に認定された大阪府河内長野市は、大阪・難波から南海高野線で30分圏内という都市近郊にありながら、南北朝時代の風景をとどめている。京都と高野山(和歌山県)を結ぶ「高野街道」の中間に位置し、楠木正成とゆかりが深い観心寺と金剛寺をはじめ、多くの歴史的遺産を今に伝えている。

 観心寺は大宝元(701)年、金剛寺は天平年間(729〜749年)の草創と伝わる古刹(こさつ)。少年時代の正成は観心寺の支院「中院」で学問を修め、鎌倉幕府軍との戦いではたびたび金剛寺に戦勝祈願を依頼したという。

 中世には、両寺院とも朝廷との関係を強く築いたことから地域は繁栄し、社殿や仏像などが盛んに造られた。先の大戦でも戦災を免れ、市内には観心寺の「金堂」や金剛寺の「木造大日如来坐像(もくぞうだいにちにょらいざぞう)」をはじめ8件の国宝、76件の国指定重要文化財がある。

 市内を通る高野街道は、空海が高野山を開いて以降、京や堺などをたった参詣者が皇族や公家、庶民といった身分を問わず行き交い、発展してきた。造り酒屋や宿場町跡などの古い町並みが今も残り、地元では毎年秋に「高野街道まつり」が開かれている。





 棚田も点在している。正成が築城した古城跡と伝わるエリアや、金剛寺がかつて寺領として支配した地域などにも里山の風景が広がり、散策スポットには事欠かない。

 市は昭和29年に6町村が合併し人口約3万1000人で発足。大阪のベッドタウンとして宅地開発が進んできたが、人口は平成12年2月の約12万3600人をピークに減少に転じた。今年4月末現在は約10万5300人まで落ち込んでいる。

 市は人口減対策として観光を重視。旅行者や短期滞在者による交流人口を増やし、雇用創出や定住につなげていく狙いがある。その原動力となる日本遺産の認定は大きな目標だった。

2546名無しさん:2019/05/23(木) 00:11:38 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣でびょうぶなど展示
05月22日 12時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190522/0015778.html

 来月、日本で初めて開催されるG20大阪サミットにあわせて、大阪城天守閣で重要文化財のびょうぶなどを展示する企画展が、22日から開かれています。

この企画展「サムライたちの躍動」では、大阪城天守閣で収蔵しているコレクションの中からびょうぶやかっちゅうなど、あわせて71点が展示されています。
このうち、重要文化財の「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」は、慶長20年の大坂夏の陣の戦いを描いたものです。
びょうぶは左右ひと組で、右側には徳川軍と豊臣軍が激しくぶつかる様子が、躍動感を持って描かれ、左側には民衆たちが川を渡って逃げ惑う様子が描かれています。
また、「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織(ふじごしんかもんくろきらしゃじんばおり)」は、豊臣秀吉が使用したと伝えられています。
背中には、富士山がデザインされ、襟や袖の部分にヨーロッパの洋服をまねたフリルを取り入れるなど、目立つことを好む当時の侍たちの風潮がうかがえます。
金沢市から訪れた57歳の男性は「歴史と文化を感じる展示が多くすばらしいと思います」と話していました。
アルゼンチンから仕事で訪れたという31歳の女性は「アルゼンチンと日本の文化の違いを学べて興味深いです」と話していました。
大阪城天守閣の学芸員、宮本裕次さんは「侍文化は日本固有と思われますが、ヨーロッパの影響を受けた部分も多いので、ぜひそういった視点で展示を見てほしい」と話していました。
この企画展は7月17日まで開かれています。

2547名無しさん:2019/05/23(木) 16:31:59 ID:NrdB.GxU0
ブラタモリ、日本最大の古墳がある大阪・堺市を歩く
5/17(金) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190517-00066765-lmaga-ent

 街歩きの達人・タモリが、街の歴史や人々の暮らしに迫るバラエティ番組『ブラタモリ』(NHK総合)。5月25日放送回では、タモリが林田理沙アナと歴史の街・大阪の堺市を歩く。

 日本最大(全長約486m)の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳」がある大阪府堺市。商人の町として繁栄し、戦国時代には鉄砲技術、現在も自転車産業が盛んと、同市が誇る鉄の加工技術は古墳に原点があったという。

古墳好きを豪語するタモリが「仁徳天皇陵古墳」を訪れ、堺市に巨大古墳が作られた理由を調査。自ら抱く「古墳の夢」も語り始める。この模様は、25日・夜7時半からの放送。

2548名無しさん:2019/05/23(木) 17:50:18 ID:NrdB.GxU0
>一方、一部に「お墓をのぞき込むのはいかがなものか」との意見があるほか、

 これ、よくわかるんですよね。
 恐れ多くも現存する世界最古の王朝である皇室の墳墓を上から生で見下ろすのはどうにも抵抗感がある。
 しかし同時に学術的見地から上から見てみる事でわかることもあろう。
 ならば妥協案として上空から「あくまで学術的見地から撮った映像」を「最新のVRで見る」という形にしてはどうか。
 品位と敬意を持って古墳群には接したいものです。


仁徳陵「全景見たい」 ヘリや気球での遊覧飛行検討
5/22(水) 11:41配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190522-00000522-san-soci

 世界文化遺産登録がほぼ確実になった「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)。国内最大の前方後円墳を中心に大小の古墳が密集する雄大な景観が魅力の一つだが、大きすぎて地上からでは全体像をつかみにくい。「上空から見てみたい」との要望や登録による集客増を見込み、地元ではヘリコプターや気球による遊覧飛行などを検討している。(有年由貴子)

 「ニュースを見て駆けつけたが、やはりとても大きい。何か象徴的なものでも見て帰りたいのですが…」

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスによる世界遺産登録の勧告が明らかになった14日。古墳群で最大の仁徳(にんとく)天皇陵古墳(大山〈だいせん〉古墳、堺市堺区)を訪れた埼玉県川越市の教員、小林伸和さん(54)は撮影スポットを探しながらつぶやいた。

 エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられる仁徳陵は、最大長840メートル、最大幅654メートル。拝所のそばには全体像を示した航空写真が掲げられているが、宮内庁が管理する天皇陵のため敷地内に入場はできない。木々に覆われた巨大な墳丘が遠目に見えるのみだ。

 仕事帰りに訪れた近くの男性会社員(61)も、「まだ全景を見たことがない。これから観光客も増えるだろうし地元のPRのためにも気軽に見られるようになればいい」と話した。

 堺市によると、おなじみの「鍵穴」など仁徳陵の全景を近くで見るには、日本一高いビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)に匹敵する地上300メートル以上から眺める必要がある。

 周辺に高い展望施設はなく、一般開放されている堺市役所(堺市堺区)の21階展望ロビー(地上約80メートル)から見下ろせるが、「大きな丘のようで全体像までは見えない」(市担当者)。市は仁徳陵近くの市博物館で、ドローンで撮影した映像を使い、上空から眺めているような疑似体験ができるコーナーを設置している。

2549名無しさん:2019/05/23(木) 17:50:50 ID:NrdB.GxU0
ただ、「実際に目で全景を見たい」という市民からの要望は強い。現時点では、民間事業者が実施している遊覧飛行を利用する以外になく、朝日航空(大阪府八尾市)によると、チャーターしたセスナ機で八尾空港(同)を出発し仁徳陵周辺を18分かけてめぐるコースは大人8400円。「一度見てみたい」「子供に見せたい」といった需要が多いという。


世界遺産登録を目指す機運醸成のため、堺市は昨年10月、民間業者によるヘリコプターや気球の遊覧飛行の試行を企画した。ヘリで地上500メートル付近から古墳群を眺めるツアー(大人6500円)に市民ら計約200人が参加。アンケートでは9割以上が定期運航に賛成した。

 大阪へのインバウンド(訪日外国人客)は増加の一途をたどり、平成30年には過去最多の約1200万人を記録。世界遺産登録により古墳群を目当てにした観光客の大幅な増加も期待される。

 一方、一部に「お墓をのぞき込むのはいかがなものか」との意見があるほか、周辺には住宅地が広がるため、ヘリの離着陸場所の確保や騒音問題など都市部ならではの課題も残る。

 堺市観光企画課の担当者は「全景を見ることで、多くの人に古墳群の雄大さや歴史、価値を感じてもらえる。課題を検証しながらニーズを把握し、世界遺産登録までに民間事業者による事業化を目指したい」と意気込んでいる。

2550名無しさん:2019/05/25(土) 21:40:50 ID:NrdB.GxU0
>今後、大阪府と堺市が連携して、古墳群を上から見られる方法を検討するということです。

 くれぐれも古墳時代から今に連綿と続く皇室に非礼の無きようにお願いします。

百舌鳥・古市古墳群吉村大阪府知事が視察
5/25(土) 8:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190525-08115201-kantelev-l27

 大阪府で初めての世界遺産に登録される見通しの「百舌鳥・古市古墳群」を吉村洋文知事が視察に訪れました。

「百舌鳥・古市古墳群」は世界三大墳墓の1つとも言われる仁徳天皇陵(大山古墳)を含む
49基の古墳で構成され堺市など3市にまたがって点在しています。

世界遺産の審査を行う「イコモス」が今月14日に登録を勧告したため、
7月上旬に大阪府で初めての世界遺産になる見通しとなり、24日、吉村知事が視察に訪れました。

【吉村洋文大阪府知事】
「古墳の形を自らの目で見られるようなそんな仕組みが必要だと思いました」

今後、大阪府と堺市が連携して、古墳群を上から見られる方法を検討するということです。
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関西テレビ

2551名無しさん:2019/05/25(土) 22:06:56 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣で「サムライたちの躍動」展 初公開「うんすんカルタ貼交屏風」も /大阪
5/24(金) 16:21配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190524-00000044-minkei-l27

  大阪城天守閣(大阪市中央区大手前1)で5月22日、企画展示「サムライたちの躍動-大阪城天守閣名品セレクション-」が始まった。(京橋経済新聞)

 
重要文化財「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」、武田信玄と上杉謙信が戦った「川中島合戦図屏風」など71点が展示されている。「川中島合戦図屏風」では、謙信が馬上から刀で斬り掛かり、信玄が軍配で受け止めた迫力ある場面が描かれている。

 真田兄弟の甲冑(かっちゅう)などの武具も展示。弟・幸村が着用したとされる甲冑には、胴の部分が鉄の板を2枚つないであり、西洋の騎士の甲冑を模した作りとなっている。籠手(こて)には、真田家の家紋「六文銭」が打ち出されている。兄・信之の甲冑は、胴にはしごが描かれているのが特徴的。「上に上る」という縁起にちなんだもので、父・昌幸も同じはしごの甲冑を持っていたという。

 期間中6月28日、29日にG20大阪サミットが開催されることもあり、国際交流を意識した展示も。その一つがスペイン・ポルトガルとの貿易が盛んな様子を描いた重要文化財「南蛮屏風」。南蛮屏風はいくつかの種類があり、今回は左側に外国の港、右側に日本の港が描かれたものが展示される。ほかにも「うんすんカルタ貼交(はりまぜ)屏風」は桃山時代にポルトガルから伝えられた「うんすんカルタ」33枚を貼ったもので、西洋の剣や聖杯、中国の仙人、日本の武士などが描かれている。

 企画した大阪城天守閣研究副主幹の宮本裕次さんは、「侍の躍動を感じながら、外国の文化を受け入れ、さらにそこから日本のオリジナルティーとして発展させた日本文化の柔軟性を見ていただきたい」と話す。

 開館時間は9時〜17時。入場料は600円(中学生以下、大阪市在住の65 歳以上(要証明)、障がい者手帳持参の人は無料)。7月17日まで(南蛮屏風の展示は6月21日〜7月4日)。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2552名無しさん:2019/05/25(土) 22:48:32 ID:NrdB.GxU0
おいしく食べて合格祈願 ご祈祷最中クッキー製品化
2019年5月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190524/20190524042.html

 四天王寺大(羽曳野市、岩尾洋学長)が食べられる学業成就・合格祈願グッズ「ご祈祷最中(きとうもなか)クッキー」を製品化し、23日、母体である和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で祈とうを受けた。非売品で、6月上旬から実施するオープンキャンパスの来場者へ配布する。

 従来の配布品だった文房具類に替わるものとして、2016年にオリジナルグッズのプロジェクトが始動。地域連携を目指し羽曳野市内の菓子製造業者と共同で手掛けている。

 4作目となる今年は和菓子工房「あん庵」が製造を担当。クッキー生地に全10色もあるハート形のもなかの皮をかぶせた。2個入りパッケージに添えるイラストは3種類あり、伝統の天王寺舞楽に欠かせない「大太鼓(だだいこ)」を題材に3人の学生の作品を採用した。

 同日は境内・元三大師堂(重要文化財)で同寺の瀧藤尊淳執事長(学校法人四天王寺学園理事長)を導師に祈とうの護摩たきが執り行われ、学生の代表ら関係者が参列した。

 イラスト作者の一人で教育学科3年の大西真弘さん(20)は、「風格ある太鼓の色合いを表現するのが難しかった。多くの方にグッズを配布して、喜んでいただきたい」と話した。

2553名無しさん:2019/05/27(月) 21:00:07 ID:NrdB.GxU0
歴史感じウオークラリー スタンプ集め「ビンゴ」
2019年5月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190527/20190527036.html

 ウオークラリー形式で地域を巡る「ビンゴウォーク」が26日、大阪市住吉区の住吉大社一帯であった。鎮座1800年の歴史を感じさせる周辺の建物や商店街がコースに設定されており、親子連れや学生ら約200人が汗ばむ陽気の下で歩みを進めた。

 府レクリエーション協会が、2015年から大阪市内2カ所で実施しており、行政や地域団体と共に進めている「おおさか元気プロジェクト」の一環。

 境内を発着点に3人程度のグループが、地元の粉浜商店街を含む周辺1・5キロを巡り、スタンプを集めて「ビンゴ」を完成させた。音楽に乗せた「レク体操」でも体を動かした。

 保育士を目指しており、資格取得の一環で参加したという大阪国際大短大1年の谷口月望さん(18)は「街並みがきれいで、商店街を巡るのも楽しかった」と満足そう。一昨年に大病を患ったという茨木市の益田政男さん(67)は「リハビリには歩くのが一番。健康で仲間と参加できてよかった」と、気持ち良さそうに汗をぬぐっていた。

2554名無しさん:2019/05/27(月) 21:14:19 ID:NrdB.GxU0
登れる、触れる古墳も!古市古墳群の意外な魅力
5/24(金) 17:16配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190524-00027897-mbsnews-l27

  ユネスコの世界文化遺産への登録が勧告された百舌鳥・古市古墳群。堺市の仁徳天皇陵とされる大山古墳に注目が集まりますが、構成される49基のうち26基が藤井寺市と羽曳野市にまたがる「古市エリア」にあります。どんな魅力があるのでしょうか。

 郵便局では自慢の古墳が描かれたおそろいのベストを局員が着用し、パン屋さんでは古墳の形をしたパンを販売。勧告から1週間あまり、地元は沸いています。

 「古墳パンを持ってピクニックに行ったりする方もいるので、写真に上げてもらったりして喜んでもらっている」(パン店「coccoya」店員さん)

 玉巻映美アナウンサーは、古市古墳群の保全に30年以上携わってきた藤井寺市役所の山田幸弘さんに古墳を案内していただきました。まず、近鉄土師ノ里駅の真ん前にある小高い丘は、5世紀前半の鍋塚古墳です。実際に登ってみると…

 (玉巻アナ)「とっても見晴らしいいですね」
 (山田さん)「展望台みたいになってるでしょ」

 古墳は権力を見せつけるためのお墓。より大きく見えるよう高台に造られることが多いといいます。古市古墳群では、特にこの辺りに密集していて見て回るのには最適なんです。ここ土師ノ里は古墳の設計などをしていた土師氏の本拠地だといわれています。

 「古墳の設計をしたり埴輪をつくったりは土師氏が全部やってると思いますね」(藤井寺市 山田幸弘さん)
 Q.百舌鳥・古市古墳群の49基は土師氏が手がけた?
 「主管して作ってるのは事実だと思いますね」

2555名無しさん:2019/05/27(月) 21:14:58 ID:NrdB.GxU0

いわば百舌鳥・古市古墳群の発祥の地なんです。それもあってか、市の面積に占める古墳の割合は6.6パーセントと全国トップクラスです。このエリアには国内有数の規模の古墳もいくつもあります。前方後円墳の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は、仁徳天皇陵とされる堺市の大山古墳に次いで国内2位、仲津山古墳(仲姫命陵)は国内9位です。

 古墳の外周部にあたる場所に建つ家も多く、今でも数十センチ掘れば埴輪などが見つかるんだそうです。中にはこんな古墳も…

 (玉巻アナ)「高架の真下にありますよ!」

 西名阪自動車道の高架下にひっそりとたたずむ赤面山古墳。環境の悪さなどから世界遺産の対象からは外されたそうです。

 「陰で草生えませんしね、保全するという意味では悲しい古墳ですね」(藤井寺市 山田幸弘さん)

 数ある古墳の中で山田さんの一押しは古室山古墳です。仁徳天皇陵のように宮内庁が管理する古墳は立ち入りが制限されていますが、ここは藤井寺市が管理していて登ることもできます。

 「斜面に石がボロボロ出ていますけれども、これが古墳の表面に葺かれていた石」(藤井寺市 山田幸弘さん)

 古墳の斜面を覆っていた石が今もあちらこちらに転がっています。さらに…

 「土器、埴輪の一部ですね」(山田幸弘さん)

 古墳の上に並べられていた円筒埴輪の一部だそうです。ここでは1500年前の息吹が少し身近に感じられます。

 「大阪・住之江区の南港からぶらぶらと。この人が“古墳ガール”にデビューして」(男性)
 Q.いつから古墳ガールに?
 「土曜日から。すごく見晴らしもいいし、気持ちいいなと思って」(女性)

 市はこれらの古墳を年間約1500万円かけ維持管理しています。今後、世界遺産登録となれば、遊歩道の整備などより多くの費用がかかると見込まれますが、町おこしの起爆剤になると期待を寄せています。

 「墳丘の形や高さを体感できるので、ぜひともいろいろ見ていただければうれしい」(藤井寺市 山田幸弘さん)
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MBSニュース

2556名無しさん:2019/05/27(月) 21:26:23 ID:NrdB.GxU0
観心寺で「楠公祭」日本遺産認定後の河内長野市
5/26(日) 22:09配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190526-00000565-san-soci

  「中世に出逢えるまち」として日本遺産に認定された大阪府河内長野市にある観心寺で26日、寺にゆかりの深い南北朝時代の武将・楠木正成を供養する「楠公(なんこう)祭」が営まれ、約300人がその遺徳をしのんだ。

 観心寺は約1300年前の草創と伝わる古刹(こさつ)。支院のひとつ「中院」が楠木一族の菩提寺(ぼだいじ)で、「大楠公(だいなんこう)」として知られる正成は少年時代に中院で学問を修めたとされる。神戸・湊川の戦いで敗死した命日(5月25日)に最も近い日曜日に楠公祭が営まれている。

 日本遺産に認定された同市の中で、観心寺は中心をなす寺院のひとつ。認定後初の楠公祭では、観心寺楠公会会長の山中諄(まこと)・南海電鉄相談役が「一片の私心も持たれなかった大楠公の真心と行動は、時代を通じて最も尊ばれるべき行為」と、祭文を読み上げて功績を称(たた)えた。その後、読経の響く中で参列者は焼香し、人生を通じて「公」を貫いた正成に思いをはせた。

 出席した島田智明市長は「観光都市として自立できるよう、今後の取り組みを楠公さんとつなげていきたい」と強調。このほか、書道家・永山玳潤(たいじゅん)さん(47)が、歌い上げられる詩吟「大楠公」に合わせ、歌詞を揮毫(きごう)していくパフォーマンスを披露した。

2557名無しさん:2019/05/28(火) 21:00:55 ID:NrdB.GxU0
秀吉の陣羽織や真田幸村の鎧…サムライ文化を世界に発信する企画展 大阪城天守閣 G20控え
5/28(火) 12:04配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190528-00000026-ytv-l27

 主要20か国・地域(G20)首脳会議が来月、大阪で開かれるのを前に、大阪城天守閣では、サムライ文化を世界に発信する企画展が行われている。

 真田幸村が戦場で着たとされる鎧や、派手好きの豊臣秀吉が愛用したとされる富士山の噴火を描いた陣羽織など、大阪城天守閣に収蔵されている重要文化財6点を含む計71点が展示されている。

 日本人女性とオーストラリア人男性は「鎧とか見たかったみたいなので、見られてすごいかっこいいねって、さっきから言ってる」「it’s very cool」などと話していた。

 企画展は、7月17日まで。

2558名無しさん:2019/05/28(火) 21:19:46 ID:NrdB.GxU0
熱中症対策で救護所2倍 天神祭渡御行事
2019年5月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190528/20190528026.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は27日、昨年の記録的な猛暑を踏まえ、救護体制を拡充する方針を示した。救護所が3カ所だったのを6カ所に倍増。テントだったのを、プレハブか車両にして冷房できるようにする。

 昨年の人手は、記録的な猛暑を受け、24日の宵宮と25日の本宮両日を合わせ前年比14万2千人減の120万5千人だった。25日夕方以降の混雑時を頂点に熱中症発症者が相次ぎ、救護所が不足。重症者はいなかったというが、対応が課題となった。

 今年は、4カ所にプレハブ型を設置。2カ所に2台ずつ4台車両を置いて救護所代わりにする。全ての救護所に看護師を配置し、医師は、プレハブ型2カ所に1人ずつ待機する体制にする。救護所が目立つよう案内板を用意し、赤いランプを取り付ける。

 大阪市北区の大阪天満宮で開いた府警関係者との会議で提示。栗原宏武実行委員長は「天神祭を安全に斎行したい」と協力を求めていた。

2559名無しさん:2019/05/29(水) 21:41:32 ID:NrdB.GxU0
大阪歴史博物館で「鋳造関係遺物」展示 出土品から学ぶ、大阪の町の成り立ち /大阪
5/29(水) 14:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00000038-minkei-l27

 大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で現在、豊臣時代前期に使われた鋳型や炉跡など鋳造関係の遺物展示を行っている。(京橋経済新聞)

 
鋳型や炉跡は、大阪のビジネス街となっている船場から出土。同館学芸員の豆谷浩之さんによると、当時船場に鋳造所があったのは、大坂の城下町を開発するのに必要な道具を作り出す場所として交通のアクセスが良かったためと推測されているという。「城下町はその後、船場にまで拡大し民家が増えたため、火を扱う鋳造所は場所の移動を余儀なくされた」とも。

 展示品は、スコップのように土を掘り起こす農工具「鋤先(すきさき)」や、鍋の取っ手部分の鋳型など。鋤先は土木作業にも使えるため、船場で作られた犂先は大阪の城下町を開発するのに使われたのではないかといわれている。

 豆谷さんは「豊臣時代の発掘によって分かる、大阪の町の成り立ちを展示品から感じ取っていただければ」と話す。

 開館時間は9時30分〜17時。火曜休館。入場料は一般=600円。中学生以下、大阪市在住・65 歳以上(要身分証明証)、障がい者手帳持参者は無料。8月19日まで(予定)。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2560名無しさん:2019/05/29(水) 22:38:15 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録へ 「百舌鳥・古市古墳群」の謎を歴史作家解説
5/28(火) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00000002-pseven-soci

  今年6月末〜7月にアゼルバイジャンで開かれる「世界遺産委員会」で、「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」の世界文化遺産登録がほぼ確実な情勢だ。歴史の教科書にも登場し「日本最大」として知られる仁徳天皇陵など、49基の古墳からなる。日本人なら誰でも知っているようで、実は知らない「古墳」の謎を歴史作家の島崎晋氏が解説する。

 大阪府の悲願がまもなく叶おうとしている。百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録が今年の7月にも実現しようとしているのだ。大阪府としては初の世界遺産登録となる。

 古墳とは古代における有力者の墓のことで、文化庁の統計によれば、日本全国で発見された古墳・横穴の総数は約16万基。日本列島に広範囲に散在しているが、巨大古墳と呼ばれる大きなものは現在の奈良県と大阪府に集中している。そのなかでも4世紀後半から5世紀後半の古墳時代最盛期のものがもっとも集中しているのが、大阪府堺市から羽曳野市・藤井寺市の一帯で、西寄りにある百舌鳥と東寄りにある古市古墳群とをあわせ、百舌鳥・古市古墳群と呼ばれている。

 百舌鳥・古市古墳群には円墳、方墳、前方後方墳、前方後円墳の4種類があるが、このうち巨大古墳に分類されるのは後二者で、世界文化遺産への登録にあたっては、「顕著な普遍的価値」を有するか否かが審査の大きなポイントであった。単なる巨大墳墓では落選した可能性が高く、百舌鳥・古市古墳群の場合、大小の古墳が集中していることに加え、前方後円墳という形状が世界的に見ても極めて特殊で、なおかつ計算し尽くされた美しい造形が審査員の心を捉えたものと考えられる。

 正式に世界文化遺産に登録されれば、国連の下部機関であるユネスコから助成金が出される。それには行き届いた維持管理と一般公開が前提となるが、宮内庁の管轄下にあり、内部への立ち入りが許されない古墳は大丈夫なのかとの不安はあった。しかし、一般人の上陸を禁止している宗像大社の沖ノ島が世界遺産に指定された前例(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として、2017年に登録)ができ、外観だけの公開でも問題なしとなったことで、この問題はクリアとなった。

2561名無しさん:2019/05/29(水) 22:39:09 ID:NrdB.GxU0
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00000002-pseven-soci&amp;p=2

 ところで、百舌鳥古墳群のなかで最大規模を誇るものには仁徳天皇陵=大仙陵(大山)古墳、同じく古市古墳群のそれには応神天皇陵=誉田御廟山(誉田山)古墳と、大きく二つの呼び方がある。なぜかといえば、古墳に眠るのが誰なのか正確にはわからないからである。

 どの古墳に誰が眠るかの特定がなされたのは明治になってからのことで、それは日本初の歴史書である『日本書紀』の記述と、江戸時代の実地調査をもとに行なわれた。埋葬地として記された地域でもっとも相応しいと判断されたものが選ばれたわけで、科学的な根拠と言えるものはないに等しい。

 それだけに、戦後になって古墳周辺の発掘調査が許されるとともに、時代的に合わないものが多々明らかとなった。そのため考古学と歴史学の世界では天皇陵という呼び方をやめ、地名に由来する呼び方をするようになったのである。

 宮内庁としては過去の指定を間違いと認めるわけにはいかず、そうかと言って考古学的な裏付けを無視するわけにもいかない。天皇陵である可能性のある古墳46基を「陵墓参考地」として宮内庁の管轄下に入れ、立ち入り禁止にするという策を講じている。現在までのところ、天皇、皇后、皇族方が眠る陵墓と「参考地」の合計は約900基を数えている。

【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『春秋戦国の英傑たち』(双葉社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など多数。

2562名無しさん:2019/05/29(水) 22:42:19 ID:NrdB.GxU0
新西国霊場の38カ寺集う出開帳 6月に四天王寺で
5/29(水) 16:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00000052-asahi-soci

 聖徳太子の創建とされる大阪市天王寺区の四天王寺や、日本最古の本格的寺院として知られる奈良県明日香村の飛鳥寺など、近畿各地の名刹(めいさつ)が名を連ねる新西国霊場会の出開帳が6月5〜9日、一番札所の四天王寺で開かれる。出開帳は40年ぶり。全38札所寺院のご朱印を一度に集めて「満願」を果たすこともできる。

 
新西国霊場は1932年、地元新聞社が信仰と行楽を兼ねる巡礼コースとして、読者の意見などに基づいて近畿2府4県から選んだ38札所寺院。仏教の教えで日本を平和国家にしたいと願ったとされる聖徳太子や、皇室にゆかりの深い寺が多いのが特徴だ。

 出開帳とは、寺に安置する本尊や仏画などを、別の寺や博物館などで公開すること。今回は新天皇即位の節目に合わせ、2022年に迎える霊場会90周年の記念事業と、聖徳太子の年忌法要「1400年御聖忌」として行われる。

 五重塔がある中心伽藍(がらん)の回廊に38カ寺の「ご朱印巡礼」の会場を設けるほか、各寺の仏像なども参拝できる。遠方で行く機会の少ない寺院も参拝できるほか、会期中に一度に巡って満願を目指すこともできる。

 会期中は、特別記念宝印帳を販売。38カ寺の押印済みで、特製(1万7千円)と金紙を使った特別仕様(5万2千円)がある。ジャージー姿の聖徳太子が登場することで知られるマンガ「ギャグマンガ日和(びより)GB」(増田こうすけ作)とのコラボレーション企画「ダンボール迷路巡礼」も登場する。

 参拝料千円を納めれば、いずれの巡礼会場にも入れる。期間中は連日午前と午後に記念法要も営まれる。

 四天王寺の山岡武明執事は「今回の出開帳をきっかけに『和の精神』を唱えた聖徳太子や日本の巡拝を多くの方に知っていただき、新しい時代の参詣(さんけい)のあり方を探る機会にしたい」と話す。

 開催時間はいずれも午前10時〜午後4時。問い合わせは事務局の四天王寺総務部参詣課(06・6771・0066)へ。(田中章博)
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朝日新聞社

2563名無しさん:2019/06/04(火) 20:45:27 ID:NrdB.GxU0
豊臣期大坂城の構造が明らかに
06月04日 17時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190604/0016189.html

 現在の大阪城の地下に眠る豊臣秀吉が築いた当初の「大坂城」の詳しい構造が大阪市立大学のグループの最新の地下調査で明らかになりました。
これまで絵図などでしか確認されていなかった築城当初の大坂城の姿が大規模に確認されたのは初めてです。

これは、4日、大阪市立大学大学院の仁木宏教授らの研究グループが発表したものです。
豊臣秀吉によって築城された当初の大坂城は大坂の陣に勝利した徳川幕府によって埋め立てられ、現在の大阪城はその上に築かれています。
しかし、大阪城一帯は国の特別史跡に指定されているため、発掘調査が難しく、当時の詳しい構造は図面や絵図で確認するしかありませんでした。
このためグループでは、細い金属の棒を地中に差し込んでその際の抵抗から地中の構造を推定する調査方法を使い、4年間かけて大阪城本丸のおよそ300地点を調べました。
その結果、天守がある本丸の3段構造の石垣の一部や生活の場だった奥御殿と公務を行う表御殿をつなぐ橋とみられる跡などが確認できたということです。
こうした構造は築城当初の大坂城を描いたとされる図面とほぼ一致していたということで、実際の調査で当時の大坂城の遺構が大規模に確認されるのは初めてです。
仁木教授は、「発掘調査が難しい中で絵図などに残されていたものが実際に確認できたことは大きな意義がある。今後は文化財を破壊しない方法を組み合わせてさらに調査を進めたい」と話しています。

【専門家“非常に価値のある成果だ”】
今回の調査結果について、大阪城天守閣の北川央館長は、「歴史研究者にとって築城当初の大坂城がどのような構造物であったか知る手がかりや方法は絵図以外にはほとんどなかった。徳川の時代とは異なる豊臣期の大阪城本丸の複雑な構造が確認されたことは非常に価値のある成果だ。文化財として保護されている場所での発掘調査は難しく、今回の調査手法は今後の研究でも参考になるはずだ」と話しています。

【今回の調査方法とは】
今回の調査は「スウェーデン式サウンディング調査」と呼ばれ、もともとは地盤調査などに用いられてきました。
先端にドリルがついた直径3センチほどの細い金属の棒を地中に差し込み、その際の抵抗の強弱を測定することで、地中の構造物の位置や形を推測することができます。
詳しく調べるためには多くの地点で調査を行う必要があり、今回の調査では4年間かけておよそ300地点に金属棒を差し込むことで地下の石垣や構造物の状況が明らかになりました。
一方で、地面を掘り起こさなくても地中の調査ができるため、今後、史跡に指定されている場合など、発掘が難しい場所での調査に役立つとして注目されています。

2564名無しさん:2019/06/04(火) 21:39:27 ID:NrdB.GxU0
世界遺産で注目、大阪・古市に古墳と埴輪専門店。埴輪づくり体験も
6/2(日) 8:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190602-00067800-lmaga-l27

  世界文化遺産登録勧告を受けた大阪の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」。そんななか注目を集めているのが、古市の埴輪づくり体験施設「河内こんだハニワの里 大蔵屋」。羽曳野市の古墳群観光、体験、発信を担う拠点となりそうだ。

 「仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」に次ぐ2番目に大きな「応神天皇陵古墳」などが周辺に点在するエリアに、4月27日にオープンした同店。その母体は、地元・羽曳野の印刷会社「大蔵印刷工業」だ。2015年から、地元の企業と人々が連携して世界遺産登録推進を応援することを目的とした『もずふる応援隊』のメンバーとして、古墳メモやマスキングテープなど古墳グッズの開発を手掛けてきた。

「羽曳野市には埴輪の窯跡がたくさんあり、すぐ近くにも誉田白鳥埴輪製作遺跡があるんです。社長の『うちも埴輪工場みたいになれないか?』のひと言から、2018年夏に企画が動き出しました。世界文化遺産になってもならなくても、やり遂げようと決めていました」と、同社の企画営業部の朝野亜紀子さん。本社ビルを全面リニューアルし、オフィスは古墳グッズ売場、古墳ギャラリー、埴輪の工房へと変貌した。

5月の連休から家族連れを中心に埴輪づくり体験者が増え始め、とくにイコモスの勧告以降は、予約が続々と入っているという。「古墳グッズを買われたり、親子や大学生が埴輪づくりを体験したり・・・。幅広い層にお越しいただいています。保育園からの問い合わせもあり、地元の人にとっても楽しめる場になれば」と、同じく企画営業部の岡崎近子さんも手応えを感じている。

1階ではオリジナル文具のほか、アクセサリーやTシャツなどの古墳グッズも販売され、古墳に興味がなく立ち寄った人も「かわいい!」と、特に女性からの反応が良いそう。近隣の仕出し屋とコラボした「はにわ弁当」も販売し(要予約)、休憩スペースとしても利用できる。埴輪づくり体験は1人1700円(税別・要予約)。

取材・文/郡麻江(古墳ライター)

2565名無しさん:2019/06/04(火) 21:45:14 ID:NrdB.GxU0
皇室ゆかりの貨幣など展示 新天皇即位記念特別展
2019年6月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190603/20190603027.html

 大阪市北区の造幣局内にある造幣博物館で、新天皇即位を記念した特別展が開かれている。造幣局がこれまでに製造した皇室関係の記念貨幣やメダルのほか、皇族の人々が造幣局を訪問した際の写真も展示され、皇室との関わりを知ることができる。30日まで。

 明治天皇、大正天皇、昭和天皇の成婚や即位を記念して製造されたメダルなど約40点が並ぶ。

 1992年に、当時の皇太子が造幣局訪問の際に、七宝体験をした写真も並び、実際に釉薬(ゆうやく)を盛り付けた文鎮も紹介されている。来館者は皇室ゆかりの品をじっくり鑑賞している。

2566名無しさん:2019/06/04(火) 21:57:10 ID:NrdB.GxU0
学童疎開の体験後世に 記念冊子、6月中に発行
2019年6月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190602/20190602020.html

 太平洋戦争中の学童疎開を体験した関西在住の人々でつくる「国民学校と学童疎開を考える会(略称・国学考)」(奥田嗣夫会長)が、記憶を後世に伝えようと記念冊子「学童疎開を語り継ぐ」の製作に取り組んでいる。6月下旬の発行を目指し、編集作業もようやく大詰め。編集委員長を務める福山琢磨さん(85)=新風書房代表=は、「大阪の学童疎開の全体像がつかめる内容に仕上がった」と最終校正に目を光らせている。

 発足約10年となる同会の活動の中で冊子発行は初の試み。1944(昭和19)年6月の「学童疎開推進要領」の閣議決定から75年の節目と、2017年に当時の奥村誠一理事長、18年には代行だった寺師一清事務局長が相次いで亡くなったことを受け、会員の貴重な体験記録をまとめることになった。

 投稿の呼び掛けに約25編の手記が寄せられた。あくまでも会員が対象だが、投稿のために新たに入会した人も複数あった。

 項目は「集団」「縁故」のほか、疎開先である「受け入れ側」も設けて分類。会員の写真は、可能な限り疎開当時と現在の顔を並べるなどレイアウトも工夫した。

 福山さんは「集団疎開の途中で縁故疎開に切り替えた例や、集団疎開には費用が必要で、わが子を送り出した家族にとっては大きな負担であった事など、あまり知られていない事情もあった」と解説する。

 自身は受け入れ側として投稿し、郷里・鳥取県倉吉市の上北条国民学校に大阪から縁故疎開してきた児童との出会いを紹介。「当時から大阪に大変興味があったのでいろいろと話を聞こうとしたが、方言が大きな壁となった」と振り返り、「軍隊経験者はもとより、疎開体験者も高齢化の時代となった。より多くの人に見てもらいたい」と思いを込める。

 冊子は2部構成の約300ページで、第1部は会員の手記を中心とする「『国学考』の記録」、第2部には学童疎開展実行委員会事務局が1990年秋に発行した冊子「戦争を生きのびた子どもたち」を合本する。

◇    ◇

 国学考は発行記念の朗読発表会を7月21日に大阪市西区の市立中央図書館5階講堂で開く。午後1時半(会場は30分前)〜同4時半。1部は朗読会、2部(同2時45分)は奥田会長原作の映画「ボクちゃんの戦場」(85年)を上映する。入場無料。

2567名無しさん:2019/06/04(火) 22:03:08 ID:NrdB.GxU0
令和初の祭り成功へ 天神祭、事業計画と予算決定
2019年5月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190530/20190530035.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は29日、大阪市北区の大阪天満宮で委員総会を開き、本年度の事業計画と予算を決定した。厳しい財政状況が続くものの、工夫しながら健全化を図っていくことを確認。令和で初めての祭りの成功に向けて決意を示した。

 財政状況を巡っては、前年度は単年度での黒字化を達成し、累積赤字を圧縮したことを報告した。一方で本年度予算は、船の手配方法が変更となったことや警備費が膨らむなどし、健全化に向けては予断を許さない状況が続く。

 このため、協賛金集めや運営方法の見直しなどを説明して議決。新天皇陛下即位を祝う行事を執り行う点も申し合わせた。

 栗原宏武会長代行は「新しい年号で初めて迎える天神祭であり、奉祝の意味も兼ねて盛大に安全に斎行したい」と意欲を示し、寺井種治宮司は「環境は厳しいが、心を合わせて天神祭を守り伝えたい」と協力を呼び掛けていた。

2568名無しさん:2019/06/04(火) 22:04:52 ID:NrdB.GxU0
色めくアジサイ 坐摩神社
2019年5月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190530/20190530043.html

 “ざまさん”の呼び名で知られる大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で境内のアジサイが順次咲き始め、みずみずしい花姿で参拝者を迎えている。

 花は同神社の北岡忠澄権禰宜(ねぎ)が長年にわたり挿し木で増やし続け、現在は鉢と地植えで約30品種約300株を植栽。白のカシワバアジサイやアナベルのほか、近年はピンク系のダンスパーティーなど彩り豊かな品種を多く取り入れている。

 参道沿いに整然と並ぶ鉢植えは、環境に慣れさせるのと新緑の葉も楽しんでもらう目的で開花前の4月ごろから配置。訪れた人たちが日々変化する都心の花模様をじっくりと観賞している。

 北岡権禰宜は「昨年はやや早めだったが、今季は順調に開花している。社殿に映えるように配列した花たちを、多くの人に見ていただきたい」と話した。花は6月中旬まで楽しめる見込み。

2569名無しさん:2019/06/04(火) 22:05:50 ID:NrdB.GxU0
大阪・適塾で特別展 北船場地域の歴史をテーマに、古地図も /大阪
6/4(火) 12:48配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190604-00000024-minkei-l27

  国指定重要文化財の史跡「適塾」(大阪市中央区北浜3)で6月4日、特別展示「北船場地域と適塾・除痘館」が始まった。(船場経済新聞)

 
適塾は、医師で蘭(らん)学者の緒方洪庵が江戸末期に開いた私塾で、適塾からほど近い場所に除痘館があった。除痘館は、洪庵らが開設した天然痘予防事業の普及拠点で、現在、その跡地には緒方ビル(今橋3)が立ち、館内に記念資料室が設けられている。

 今回の特別展示では、洪庵が活動の拠点とした北船場地域の歴史にスポットを当てる。主な展示物は、洪庵が町家を購入した際の契約書「永代売渡申家屋敷之事」や、当時の土地台帳「過書町水帳」、地積図「尼崎町一丁目水帳附図(ふず)」など。いずれも実物の史料を展示する。
 
 大阪大学適塾記念センター特任研究員の尾崎真理さんは「適塾や除痘館がどういう場所に存在していたか、これまで目が向けられることは少なかった。洪庵や塾生らが活動していた頃の土地台帳や地積図から、当時の地域の姿を読み取ってほしい」と、見どころを解説する。

 開館時間は10時〜16時。月曜休館。入場料は、一般=260円、高校生・大学生=140円、中学生以下無料。今月16日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2570名無しさん:2019/06/04(火) 22:25:56 ID:NrdB.GxU0
地中に眠る「豊臣大坂城」の一端を大阪市立大の研究グループが解明
6/4(火) 18:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190604-18510605-kantelev-l27

 
今は地中に眠り、私たちが見ることがない、豊臣秀吉が築いた「大坂城」。
その構造の一端を、大阪市立大学の研究グループが解明しました。

【記者リポート】
「現在の大阪城、実は石垣などほとんどの部分が徳川家が築いたもので、豊臣秀吉の元祖大坂城は地中に眠っています」

約400年前、徳川家が豊臣方を破った大坂夏の陣の後、地中深くに埋められたかつての大坂城。

近世の城郭の出発点と言われ、歴史的にも重要なこの豊臣大坂城で今回、大阪市立大学・仁木宏教授の研究グループが、金属の棒を地中に刺す地盤調査を行いました。

調査では、「詰ノ丸」の正門を守る櫓台の高さが約4.5mだったことや、「詰ノ丸」に続く土橋の存在が初めて確認されました。

また、現在は一続きの平面である「山里丸」が、かつて高さ3m近くの石垣によって2つに分かれていたことも判明しました。

【大阪城天守閣・北川央館長】
「具体的な数字を伴ってデータが出てきたことでこれまで以上に豊臣大坂城がより具体的にイメージできるようになったかなと思っています」

地道な調査で、少しずつその姿を明らかにしている豊臣大坂城。

その全貌が分かる日も近いかもしれません。
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関西テレビ

2571名無しさん:2019/06/06(木) 19:23:16 ID:ylDuNnHU0
四天王寺で「霊場巡拝いこか」 新西国霊場38寺集結の出開帳 /大阪
6/6(木) 16:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00000047-minkei-l27

関西で人気の古刹(こさつ)が集結する新西国霊場会発足90周年記念出開帳「霊場巡拝いこか」が6月5日、四天王寺(大阪市天王寺区)で始まった。(あべの経済新聞)


新西国霊場会は、1932(昭和7)年に新聞社が近畿2府4県(大阪・和歌山・奈良・京都・滋賀・兵庫)の寺院の中から、一般読者の意見を中心に人気投票で選定された38カ寺で構成している。今回は90周年を記念して各札所寺院が一堂に集まった。出開帳は40年ぶり。

 出開帳巡礼として、五重塔・金堂が立つ中心伽藍(がらん)の回廊には38カ寺が並び、各札所のご朱印が頂けて満願成就が可能な「ご朱印巡礼」が行われる。本坊・五智光院で行われる「お砂踏み巡礼」は、各寺院から集められた砂を敷き詰め、そこを踏み締めながら各寺のエリアを礼拝することができ、全ての札所寺院を参拝したのと同じ功徳が頂けるという。

 併せて、「ギャグマンガ日和GB」20周年と新西国霊場90周年がコラボレーションした「ダンボール迷路巡礼」も展開。迷路に聖徳大使などの登場キャラが描かれている。

 開催時間は10時〜16時。出開帳参拝料は1,000円(パンフレット、結願の記念品付き)。今月9日まで。
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2572名無しさん:2019/06/06(木) 21:47:07 ID:NrdB.GxU0
東大阪の旧河澄家、江戸時代に建てられた蔵を公開 庄屋の道具100点 /大阪
6/6(木) 19:04配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00000067-minkei-l27

  東大阪市指定文化財の旧河澄家(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で現在、企画展示「蔵の中を見てみよう」が開かれている。(東大阪経済新聞)

 
土蔵は江戸時代に建てられ、2年前に初公開。市内の収蔵庫と蔵にある約1200点の所蔵品から庄屋の暮らしをテーマに、「衣」「食」「住」「娯楽」「仕事」の5つに分類し、前回と展示品を入れ替え約100点を展示する。

 「衣」では、家紋付きの箱に入った陣笠や傘、下駄を初公開。河内木綿の着物や裃(かみしも)、草履とともに、着物のしわを伸ばすための火熨斗(ひのし)や、ワラを打ったり布のしわを伸ばしたりする砧(きぬた)などの道具を並べる。

 「食」では、村人たちの集まりなどで使われた膳や弁当箱などを展示。膳が収められた箱には60人分の膳があったことが記されている。家紋の入った祝膳の近くには、養子に行った河澄作兵衛の四男・米四郎が初めて里帰りした際に出された献立をパネルで紹介し、当時の高級魚についても解説する。

 所蔵品の中には陶磁器が多くあり、「住」のコーナーでは絵皿やたばこ道具、茶道具などが並び、「娯楽」では、琴や碁盤、将棋盤、百人一首などをそろえた。

 年貢を納めるために村人の健康管理をするのも庄屋の仕事で、「仕事」のコーナーでは、漢方薬を作る際に材料を砕く薬研(やげん)や、薬の効能を記した版木などを展示。期間中、希望があれば道具について学芸員が解説する。

 学芸員の川崎有里紗さんは「庄屋の暮らしはどんな風だったのか、民具がどう使われていたのか。現代と比べてもらえれば発見があるのでは」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館(祝日の場合は翌日)。7月15日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2573名無しさん:2019/06/07(金) 20:39:51 ID:NrdB.GxU0
熱中症対策は万全 天神祭渡御行事保存協賛会が方針
2019年6月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190607/20190607037.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は6日、昨年の猛暑を踏まえた熱中症対策として、祭り会場の救護所で常駐する医師や看護師らと連携し、まずは現地での回復を図る方針を示した。体調不良者全員を救急車の要請で対応した際の混乱を避ける考えだ。

 大阪市北区の大阪天満宮で開いた消防関係者との担当者会議で説明。昨年の記録的な猛暑の中で開かれた天神祭では、熱中症の症状を訴える観覧者が相次いだ。救急車に限りがある上、激しい雑踏の中で、搬送しにくい状況が課題として浮上した。

 今年は、救護所を倍増し、医師や看護師の態勢も拡充。熱中症などの症状がみられる観覧者に対し、専門家の意見を得ながらまずは現地での回復を図る。

 症状が重ければ速やかに救急車を要請。搬送用の経路については、立ち入り禁止区域の設定や露店の移動などで工夫し、移動しやすくする。

 栗原宏武会長代行は「暑さが心配される中、しっかりと対策を講じていかないといけない」と協力を呼び掛けた。

2574名無しさん:2019/06/08(土) 21:27:16 ID:NrdB.GxU0
孝徳天皇は朝廷改革派に近い存在だった?!
6/8(土) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190608-00010349-besttimes-cul

 ■中大兄皇子の本心が朝廷守旧派だった理由

 たとえば六六三年、滅亡しかけていた百済を救援するために遠征軍を派遣した白村江の戦いがいい例だ。当時、唐と敵対関係にあった百済に援軍を送ることは、すなわち唐との国交断絶を意味していた。律令制度が未完成であったこの時期、律令制度の本家本元であった唐とのかかわりを断つことは、律令制度導入政策が頓挫したことを意味する。

したがって、中大兄皇子の本心は朝廷守旧派としての旧体制維持であり、律令制度の確立をめざした聖徳太子を否定する立場にいたと断定してもよい。

要するに、太子の遺志を引き継いだのは中大兄皇子ではなく、反対に蘇我入鹿や孝徳天皇であり、だからこそ中大兄皇子の手によって入鹿は殺され、孝徳は捨てられたということになるのだ。

 乙巳の変のクーデターが、朝廷守旧派・中大兄皇子による改革派・入鹿の暗殺だとすれば、ここで改めて大化改新の本質を見直す必要が出てくる。

「日本書紀』の示した乙巳の変の図式――すなわち、聖徳太子の夢をくじいた蘇我氏を滅亡に追いやることで、中大兄皇子は太子の遺志を引き継いだという構図は、ここで見事に崩壊してしまうのである。

2575名無しさん:2019/06/08(土) 21:27:48 ID:NrdB.GxU0
そこで、仮定した「聖徳太子と蘇我入鹿は、蘇我一族すべてを抹殺するために仕組まれた朝廷の陰謀によって滅亡に追いこまれた」という推論に立ち返って考えてみよう。

 大化改新後、皇位を継承したのは孝徳天皇だった。この孝徳天皇は、蘇我氏に近い存在だった疑いがある。その根拠は、皇極二年(六四三)の山背大兄王襲撃事件に際し、孝徳が入鹿の軍に加わっていたらしいこと、そして、蘇我系の皇族や家族が密集して眠る磯長谷に、孝徳の墓があるからである。

 そして、孝徳天皇と蘇我を結びつける最大の証拠は、難波宮である。

『日本書記』によれば、孝徳天皇が難波宮に遷都したとき、老人たちが「そういえば、春から夏にかけて、ネズミが飛鳥から難波に向かっていたのは、今思えば遷都の前兆だったのだ」と述べるくだりがある。

 春から夏というのは、入鹿暗殺の直前のことで、この一節は、難波遷都はすでに蘇我入鹿の時代に画定済みだったことを示している。難波宮は「律令制度導入の第一歩 だったのだから、孝徳天皇は「蘇我の遺志」を継承したことになる。

 孝徳天皇は入鹿暗殺後、すぐ即位し、律令制度の整備に奔走した。その一方で、入鹿を殺した中大兄皇子はどうかというと、孝徳の足をひっぱるような行動に出ている。 つまり、律令制度の導入をめざしていたのは、聖徳太子蘇我入鹿――孝徳天皇ラインであり、中大兄皇子はこのラインをつぶそうとしたのである。

(次回に続く)

『聖徳太子は誰に殺された?』(ワニ文庫)より

2576名無しさん:2019/06/09(日) 21:07:29 ID:NrdB.GxU0
伝統芸能描く「火色の文楽」音楽朗読劇に!天崎滉平、日笠陽子、熊谷健太郎ら出演
6/3(月) 14:47配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190603-00000062-nataliec-ent

 北駒生「火色の文楽」を原作とした音楽朗読劇「SOUND THEATRE × 火色の文楽」が、10月5日と10月6日の2日間、千葉・舞浜アンフィシアターにて開催される。

「火色の文楽」は“バレエ界の星”と呼ばれ、将来を期待されながらも怪我で引退を余儀なくされた青年・迫弓矢(さこゆみや)が、伝統芸能の人形浄瑠璃・文楽と出会う青春ストーリー。物語は、読み聞かせはもちろん、舞台美術、照明、衣装、特殊効果にまでこだわり、五感を刺激する“新感覚・音楽朗読劇”「SOUND THEATRE」として上演される。

朗読では迫弓矢役を天崎滉平が演じるほか、入江湊役は日笠陽子、柳川弦治役は熊谷健太郎、大楠柑太役は市川太一、藤竹潮路太夫役はてらそままさき、松永珠市役は井上和彦、蓮元光臣役は秋元羊介、菊元千鳥太夫役は高橋広樹、末広蕗役は植田佳奈が担当する。チケット代は税込9000円。チケットぴあでは6月16日23時59分までの期間、オフィシャル先行の申し込みを受け付けている。

■ 「SOUND THEATRE × 火色の文楽」
日時:2019年10月5日(土)18:00〜、6日(日)12:00〜
会場:千葉・舞浜アンフィシアター
料金:9000円

□ スタッフ
原作:北駒生「火色の文楽」(ゼノンコミックス / ノース・スターズ・ピクチャーズ)
脚本・演出:キタムラトシヒロ
音楽監督:土屋雄作
主催:サウンドシアター事務局
制作:アハバ クリエイティヴ パーティー

2577名無しさん:2019/06/09(日) 21:08:04 ID:NrdB.GxU0
□ 朗読
迫弓矢:天崎滉平
入江湊:日笠陽子
柳川弦治:熊谷健太郎
大楠柑太:市川太一
藤竹潮路太夫:てらそままさき
松永珠市:井上和彦
蓮元光臣:秋元羊介
菊元千鳥太夫:高橋広樹
末広蕗:植田佳奈

□ 演奏
ヴァイオリン:土屋雄作
ほか

※天崎滉平の崎は立つ崎が正式表記。

(c)北駒生/NSP 2017

2578名無しさん:2019/06/09(日) 22:12:40 ID:NrdB.GxU0
鎮魂、恒久平和祈る 第3次大阪大空襲74年
2019年6月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190608/20190608046.html

 太平洋戦争末期、米軍機約550機が大阪市北東部や豊中市などで銃爆撃を繰り広げた「第3次大阪大空襲」から74年となった7日、当時被災した各地で犠牲者を追悼する行事が執り行われた。朝から激しい雨が降るにもかかわらず、遺族や関係者が続々と参列。空襲の現場付近で手を合わせ、膨大な犠牲者の冥福と恒久平和を祈念した。

「生きている限り足運ぶ」 長柄橋南詰の観音像前

 6月7日の空襲で亡くなった千人以上の身元不明者らを弔う、大阪市旭区の城北公園内の「千人塚」。近隣にある常宣寺(藤林顕晶住職)では、地域住民らが慰霊法要を行い、不戦の誓いを新たにした。

 千人塚の碑は、慰霊法要協賛会の東浦栄一会長(90)の父が、犠牲者を弔うため庭の岩を使って設置。法要は終戦の翌年から続けられている。

 東浦会長は、自身の目で見た空襲直後の公園内の様子を「しし累々、昼なお薄暗く、燃えている太鼓橋。ああ、これが地獄かと思った」と説明。「74年間、日本は再び戦争しなかった。令和の時代も戦争はしないと誓いたい」と語気を強めた。

 参列者は犠牲者を悼み黙とうをささげ、焼香して静かに手を合わせた。義姉を亡くした辰本喜代子さん(74)は「74年前のことを孫や子の世代に語り、伝えていかないといけないと思っている。やっぱり戦争は嫌やから」と話していた。

「令和時代も戦争しない」 城北公園内の千人塚

 淀川に架かる長柄橋の南詰(大阪市北区)に立つ観音像前では、法要が営まれた。地元の正蓮寺(渡島正教住職)が戦後から代々手掛けており、空襲体験者を含む地域住民や同寺にある「愛の恵幼稚園」の園児らも焼香に並んだ。

 空襲では、現存しない旧長柄橋の下や淀川河川敷に集まって避難していた人々が機銃掃射や爆撃の犠牲となり、その数は推定で約400人に上るとされる。

 惨状を目の当たりにした大木末野さん(91)は「当日は橋と逆方向に避難したので助かった。橋の下以外でも多くの人が亡くなっており、自分が生きている限り足を運びたい」と気丈に語った。

 園児たちに観音像の由来を説いた渡島住職は「子どもたちに、身近な場所で悲惨な戦争があったことを伝えていくとともに、先々代から続く法要を末永く継承したい」と話した。

2579名無しさん:2019/06/10(月) 21:22:24 ID:ylDuNnHU0
寛容すぎる大阪「四天王寺」、その狙いとは?
6/6(木) 17:02配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul

  日本仏法最初のお寺である、和宗総本山「四天王寺」(大阪市天王寺区)。593年に創建され、1400年以上も歴史のある由緒正しいお寺だが、ここ2、3年、その「寛容さ」「和やかさ」が気になってきた。境内では意外性にあふれたさまざまなポイントを発見。その理由について同寺に直撃した。

 売り切れ続出、「四天王寺」のユニークグッズ

同寺を訪問し、まずは目に飛び込んでくるのが「聖徳太子の飛び出し坊や」。そして点在する売店には、個性的なアイテムがずらりと並んでいる。キューピーとコラボしたかわいい「聖徳太子ストラップ」、一斉を風靡したマンガ家・川崎ゆきおによる「四天王寺記念散華」、寺院の説明などが書かれた「四天王寺トランプ」、人気トップ3を誇る「黒い亀の寶器籠(ほうきかご)」、外国人がよく購入するというTシャツなど、ユニークなグッズのオンパレードだ。

そんななか、開発2年を費やし、売り切れ続出というのが、「御乳守(みむねまもり)」という乳パットのお守り。古代から胸の悩みを聞いてくれる布袋堂本尊の乳布袋尊。「乳がん」や「乳腺症」といった病気だけでなく、サイズに関する悩みまでもご祈祷されているお守りで、発売するや爆発的な人気に。各カラー売り切れ続出で、現在追加製造中なんだとか。

ギャグマンガ日和ともコラボ、3種のチラシ

そして、6月5日から開催される『霊場巡拝(おまいり)いこか』にも目を向けてみる。新西国霊場の札所全38カ寺が一堂に集まる、40年ぶりという一大イベントで、インターナショナル大座禅会など特別企画も盛りだくさん。それを告知するチラシは、なぜか3種類。1枚目は、オーソドックスだが、2枚目で一気にナゴヤカモードに。そして3枚目は、増田こうすけによる『ギャグマンガ日和』とコラボ。ちなみに『ギャグマンガ日和』で登場する聖徳太子は常にジャージ姿だが、ここでは初の正装が拝める(小野妹子も「太子が仕事してる」と驚いている)。

お寺の僧侶も、ユーチューバーの時代へ

公式サイトとYouTubeでは専用番組「おまいりイコカTV」も配信。「四天王寺」の2人の若手僧侶、加藤公啓さんと田渕観宝さんが霊場巡拝についてわかりやすく教えてくれる番組だが、自ら台本をつくり、スマートフォンで撮影し、編集、アップまですべてをおこなっている。これまで5回にわたって、霊場巡拝についてわかりやすく解説。厳粛で静謐なイメージのある僧侶が、ユーチューバーというのも驚きだが、その楽しそうなコメンテーターぶりが、なんだか微笑ましく、とても親しみがもてる。

2580名無しさん:2019/06/10(月) 21:23:17 ID:ylDuNnHU0
もう一度言うが、「四天王寺」は1400年以上も歴史のある由緒正しいお寺。それだけに、この「寛容さ」「和やかさ」はどういう狙いがあるのか、四天王寺の広報さんに話を訊いてみた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul&amp;p=2

「和やかですが、芯はしっかりしているんです」(田渕さん)

──まずは率直に伺います。こんなに「和やか」で大丈夫なんでしょうか?

加藤さん「実はあえてそうしているんです。と言うのも、四天王寺は聖徳太子創建のお寺であり、その土台には『和の精神』があります。ここを訪れていただいたとき、心が救われるように、また、決して信者さんが不快に思ったり、傷ついたりしないよう実は細心の注意を払った言葉遣いにしているんですよ」

田渕さん「どんな取り組みでも、住職による細かく厳しいチェックがあります。でも、これまでの型にとらわれないように、新しい取り組みをしてきなさいとも、常々教えられています。和やかですが、芯はしっかりしているんですよ」

──ユーモアあふれる企画はほかの寺院ではあまり見かけないですが、なぜ「四天王寺」はこんなに自由な発想でアイテムや企画ができるんでしょうか?

田渕さん「四天王寺が総本山であることが大きいですね。系列の寺院ですと、本山の許可が必要だったりするんです。会社でいうなら系列会社が本社に許可を取るという感じでしょうか。その許可を得るスピードが速いんです」

加藤さん「これはダメだけど、こことここを変えればOKとか。細かな訂正ならすぐできますから、やはりスピード感は出ますね」

──こちらでは多種多様なユニークなグッズが販売されていますが、特に御乳守は思いもよらないアイテムですね。

加藤さん「女性の信者さんからの要望を形にしました。女性が肌身離さず身につけれるもので、パットはどうかな?ということで開発されたんですが、かなり時間はかかりましたね」

田渕さん「あの時は肌触りや素材、耐久性もかなり追求しましたね。あらゆるメーカーのパッドをさわりました。職員たちとひとつひとつ手作業でラベルを付けて、実際に使ってもらったりもして。販売すると爆発的に人気が出て、みんな、うれしさ反面、驚いてます」

「僕ら世代にとっては当たり前のツール」(加藤さん)

──おふたりが出演しているYouTubeチャンネル「おまいりイコカTV」も話題です。しかし、僧侶自ら動画を作るというのは、とても意外でした。

加藤さん「前回の新西国霊場の出開帳は40年前に開催されたんですが、当時も一生懸命広報活動したそうです。その時代を知る住職たちに、時代に合わせたことをやりなさいと常々言われていまして。時代に合わせるなら今のツールを駆使すること。つまり、インターネット、SNS、YouTubeなど、僕ら世代にとっては当たり前のツールなんです」

加藤さん「2番目のチラシは、増田先生にチラシのデザインをイメージしてもらうためのサンプルで。イラスト担当の谷口くんが描きました。『霊場巡拝いこか』も『ジャンプ』っぽいロゴにしていて、『40年ぶり』という文字もジャンプの表紙によく使われる描き方で。するとツイッターで拡散されて、コラボ前は1000前後だった告知ページのPVがいきなり40万PVになって、SNSのいいね!も4000を超える桁違いの反応でした」

2581名無しさん:2019/06/10(月) 21:24:03 ID:ylDuNnHU0
──谷口くんっていうのは、四天王寺のイラストを担当している方でしょうか?

田渕さん「はい、ブログの挿絵や地蔵山地図も描いています。もともとマンガ家志望で、絵が上手ということもあり四天王寺のイラストはほとんど彼が描いています。呼びましょうか?」

──ぜひ、お願いします!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul&amp;p=3

「これからの時代、個性を出すことは大切」(田渕さん)

谷口さん「こんにちは、僕がイラストを担当している谷口です」

田渕さん「タレントの宮川大輔さんに似ているので、みんなから『四天王寺のペイペイ』って呼ばれています(笑)」

──お坊さんといえども、同世代が集まれば会話は普通の若い人たちと同じなんですね。

加藤さん「結構、冗談とか言ってワイワイやってますよ。番組作りもアイテム作りも、終始和やかで楽しい雰囲気です。田渕くんがイラストレーター(描画ツールソフト)などを使えるので、谷口くんが手描きで下絵を描いて、田渕くんがデジタル化するというタッグも組みます」

田渕さん「実は、今回のチラシの挿絵が『ジャンプ』の宣伝ページにも掲載されるんです。マンガ家志望だった谷口くんの夢が、ちょっと叶ったよね」

谷口さん「いやあ、まあ、とてもうれしい限りです(照)」

──アイテム、イラスト含め、オリジナリティ、ユーモア、人間味が溢れているように思います。粛々としたイメージのお寺に、親しみが湧いてきます。

田渕さん「業者に手配すれば簡単だけれど、味気ないものになってしまう。ですから、これからの時代、工夫して自己流で個性を出すことは大切でないかと思うんです。お守りひとつでも、四天王寺らしさやユーモアが出せれば、それを目当てに来てくれる人がいる。お参りだけでなく、こんなに面白い、楽しい面もあるので、ひとりでも多くの人が四天王寺に足を運んでもらえるようになればうれしいです」

そんな「四天王寺」の若手僧侶が今、もっとも力を入れている新西国霊場会発足90周年事業の『霊場巡拝いこか』は、6月5日から9日まで開催される。また、年間を通じてさまざまなイベントが企画されているので、チラシとともにチェックしてみて。

取材・写真/岡田由佳子

2582名無しさん:2019/06/13(木) 21:09:45 ID:NrdB.GxU0
大阪本町で「新・大阪長屋展」 長屋の型を現代版にアレンジ /大阪
6/13(木) 14:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190613-00000040-minkei-l27

 企画展「新・大阪長屋展」が6月13日、大阪・本町の「トーヨーキッチンスタイル大阪ショールーム」(大阪市中央区久太郎町4、TEL 06-6241-1040)で始まった。(船場経済新聞)

 
北堀江に事務所を構える建築家の高橋啓さんが、大阪の都市住宅を代表する型である「大阪長屋」を現代的にアレンジした住宅の建築デザイン20パターンの間取り図や模型を展示する。

 高橋さんは「大阪では長屋が都市住宅の主役として、終戦時まで一貫して建て続けられてきた。長い年月で、塀で囲われた表庭など大阪特有の型も生まれた。こうした長屋の型を現代的にアレンジし、狭い敷地でも庭から自然を取り入れた豊かな生活ができる住宅を設計した」と話す。

 高橋さんが今回設計した住宅は全て3階建ての一戸建て住宅。敷地面積は16坪〜50坪で、縮尺50分の1サイズの模型と間取り図、各階の模型写真などを展示する。それぞれ通り庭や裏庭、壁に囲まれた表庭など、長屋の要素を取り入れた庭を持つ間取りになっている。

 トーヨーキッチンスタイルの原一孝さんは「当ショールームでは未来型のコンパクトなキッチンを提案しており、高橋さんが設計する新しい大阪長屋のコンセプトともマッチしている」と話す。

 高橋さんは「衣食住の中で『住』だけが大阪で楽しまれていないと感じる。東京オリンピックや2025年の大阪万博、その先の未来へ向け、大阪の中心であるこの会場から豊かな『住』の提案をしていきたい」と意気込む。

 開館時間は11時〜19時。水曜休館。入場無料。6月30日まで。
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2583名無しさん:2019/06/13(木) 21:15:36 ID:NrdB.GxU0
都会のオアシス、華やか「ダンス」 大阪の坐摩神社
6/13(木) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190612-00000004-san-l27

 大阪市中央区のオフィス街にある坐摩(いかすり)神社でアジサイが咲き誇り、訪れた人たちが境内を散策したり写真を撮ったりと、思い思いに楽しんでいる。今年は少雨で昨年より開花時期がやや遅れたが、20日頃までが見頃だという。

 アジサイは、同神社の北岡忠澄権禰宜(ごんねぎ)(44)が十数年前から栽培。境内の西側や石畳の参道沿いに、鉢植えと地植え合わせて約30種約300株がずらりと並ぶ。

 まるでダンスをしているように華やかな「ダンスパーティー」や、花が開くと手まりのような形になる「アナベル」など、さまざまな色や形のアジサイが社殿に映え、「都会の真ん中にこんな癒やしのスポットがあるなんて」と境内を訪れた女性たちを喜ばせている。

 問い合わせは同神社(06・6251・4792)。

2584名無しさん:2019/06/13(木) 22:14:47 ID:NrdB.GxU0
誰をどう葬ったか!世界遺産百舌鳥・古市古墳群が変えた埋葬のルールとは―清家 章『埋葬からみた古墳時代: 女性・親族・王権』出口 治明による書評
6/13(木) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190613-00003383-allreview-life

 
僕たちは、古墳には1人しか埋葬されていないと思いがちだが、実は複数の人が埋葬されている方が多い。本書は、誰をどのように葬るかという埋葬の原理を分析し、古墳時代(3世紀半ばから7世紀)の実相に迫ったものである。

歯は遺伝的要素が強い。著者は、考古学者田中良之らの歯冠計測値法を用いた親族構造の研究をベースに、これを考古資料により補完・検証し、古墳の被葬者は兄弟姉妹が埋葬される「キョウダイ原理」が主で、父子・母子両方の親子関係を社会的に認める双系であったと分析する。初葬者(家長)の男女比はほぼ1対1だ。嫁婿などの婚入者は基本的に出身集団の墳墓に入る。なお、首長墳については、父系化が小古墳よりも早く始まっている。

夫婦原理の埋葬はかなり遅れて始まる。日本書紀が伝える欽明(きんめい)と堅塩媛(きたしひめ)の合葬は欽明の死後40年たっての改葬であった。時代は蘇我氏の全盛期。著者はこの改葬は、臣下の娘が大王と同じ墓に埋葬される様子を諸臣に見せつける蘇我馬子の政治的デモンストレーションであったとする。それまで堅塩媛は別の場所に葬られていた。つまり、夫婦別墓が原則だったのだ。

古墳時代の王墓群は、箸墓(はしはか)古墳に代表される大和盆地東南部に始まり、北部の佐紀古墳群、河内の古市古墳群、和泉の百舌鳥(もず)古墳群へと移動した。これらの王墓の移動は、これまでは大王位が交替したとする王朝交替論や、ヤマト政権は連合政権であったという学説の論拠となり、倭(わ)の五王と絡めて論じられてきた。

著者は、大和盆地に王墓が築造されていた時代は王統が複数存在したが、古市・百舌鳥古墳群成立以後、大王は両古墳群のグループに限定され首長位が父系的に継承されるようになったと仮説をたてる。理由は、わが国が韓半島の戦争に関与し、軍事的緊張が高まり首長層からの父系化を推し進めたからだと考える。知的好奇心が刺激された。

[書き手]出口 治明(でぐち はるあき・立命館アジア太平洋大学学長)

[書籍情報]『埋葬からみた古墳時代: 女性・親族・王権』
著者:清家 章 / 出版社:吉川弘文館 / 発売日:2018年04月18日 / ISBN:4642058656

朝日新聞 2018年7月7日掲載
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吉川弘文館

2585名無しさん:2019/06/15(土) 21:27:21 ID:NrdB.GxU0
梅雨時、しっとりと濡れた古都・大阪。そんな大阪を古式ゆかしく彩る神事です。


「斎牛」奉仕にも拍手 住吉大社で「御田植神事」
2019年6月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190615/20190615048.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植(おたうえ)神事」(重要無形民俗文化財)が古式ゆかしく執り行われた。参拝者約3千人が見守る中、すげがさにたすき姿の奉仕者が、境内南側の御田(おんだ)で青々とした苗を手植えした。

 住吉大社鎮座の際、祭神・神功皇后が御田を定め、長門国(山口県)から「植女(うえめ)」を召したことが同神事の起源とされる。

 約400人の奉仕者は、第一本宮での本殿祭で秋の豊作などを祈願した後、列をなして御田へ移動。実際に御田に入る「替(かえ)植女」が、植女から苗を受け取って田植えを行い、傍らで代かきを行う神聖な牛「斎牛(さいぎゅう)」が奉仕する姿にも大きな拍手が送られた。

 御田中央の舞台では、同大社のみこ・神楽女(かぐらめ)8人による「八乙女」をはじめ、「御稔女(みとしめ)」が豊作を願う舞や踊りを奉納し、伝統行事を飾った。

2586名無しさん:2019/06/15(土) 21:51:08 ID:NrdB.GxU0
【イマドキの仕事人】古墳にコ〜フンしてますか〜!? 自称1500歳シンガー 歌で魅力伝える
[ 2019年6月3日 05:30 ]
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2019/06/03/kiji/20190602s00042000433000c.html

 堺市にある日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」を含む大阪府南部の「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」が、7月に世界文化遺産として登録される見通しとなった。全国で約16万基もあるとされる古墳の魅力を歌で伝えようと活動している女性がいる。自称約1500歳の古墳シンガー「まりこふん」だ。

 毎週のように全国各地で開催される古墳イベントの会場。鮮やかな緑色の巫女(みこ)コスチュームに身を包むまりこふん。「皆さん、古墳にコーフンしてますか!」と、お約束のギャグでステージ上からファンに呼び掛ける。「古墳deコーフン♪ 土器土器するよ〜」「円墳 方墳 前方後円墳!」。全身からあふれ出る古墳愛を、魂を込めたパワフルな声で歌い上げる。

 これまで作った古墳の歌は40〜50曲。CDアルバムを2枚発表している。歌詞には「生きるに目と書き 生目(いきめ)古墳」(イキイキ!生目古墳群)など固有名詞にユーモアを織り交ぜ、覚えやすいようにはっきりとした声で歌う。「中にはお墓なのに軽薄過ぎるという人もいますが、私は何とも思ってません。応援してくれる人が何十倍もいるので」と豪快に笑う。

 全国の各自治体や市民団体などが主催する古墳まつりに引っ張りだこ。「はとバス」主催の古墳巡りツアーでは案内役を務め、車内で歌を披露する。2013年には「古墳にコーフン協会」を設立し会長に就任。訪れた古墳は3000基以上に上るという。

 城や仏像、戦国時代ファンなどと触れ合う機会も多い。ただ「“歴女”と思われがちだけど、他の時代のことは正直興味が湧かない」と3〜7世紀ごろの古墳時代ひと筋。「古墳に出合うまでの人生は、全て準備運動だったんだなと思う。それくらい人生が変わった」とまで言い切る。

2587名無しさん:2019/06/15(土) 21:51:40 ID:NrdB.GxU0
フォークソング愛好家の両親の影響で、自然と音楽の道を目指した。埼玉県の高校を卒業し都内の音楽専門学校へ進学。ブルースシンガーとして歌手、作曲活動を始めた。並行していたバンドの遠征で04年ごろに大阪を訪れた際の体験が、古墳シンガーへの転機となった。

 有名な観光地を回り尽くし、ふと「教科書に載っていたな」と仁徳天皇陵に行こうと思い立った。だが古墳があまりに巨大過ぎ、イメージした形は見ることができなかった。「観光地って普通、行けばそれなりに満足させてもらえる。それがゼロだった。衝撃でした」。規制があり中には入れず、1時間かけて一周しても歩道橋に上っても、普通の森にしか見えない。「帰りのJR阪和線に揺られながら“こんなに近くにいるのにあなたに会えない”というフレーズが降りてきた」。それが最初にできた曲「麗しの仁徳陵」だった。

 《仁徳天皇陵は大スター》百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録で、約1500年の時を経て「新古墳時代」が訪れようとしている。まりこふんは「やっとこの時が来たか」と喜びをかみしめた。改元で皇室への関心が高まった機運もあり、一報が入った5月14日は祝杯を挙げる間もなく電話や取材の申し込みが殺到。「祝賀イベントをやりたい。外国の方に知ってもらいたいし、海外のライブで“KOFUN”と叫びたい」と夢が膨らむ。

 仁徳天皇陵では依然、多くの人が自身と同じ「見えない」壁にぶつかる可能性がある。だが「古墳界の大スター、マイケル・ジャクソンなんだから、そう簡単に会えると思うなよと言いたい」と熱弁。「登れたり全景が分かる古墳も多い。それらを見てから仁徳陵を見れば、凄さがよく分かる」と力説した。

 軽飛行機に乗り、空から初めて全景を見た時の感動を歌った「仁徳陵に逢いたくて」の歌詞は「仁徳陵を残してくれた 全ての人ありがとう 世界へはばたけ仁徳陵」と締めくくられる。25年には大阪万博が開催され、多くの外国人が大阪を訪れる。まりこふんの夢が、現実のものとなる日が近づいている。

 《著名人も多く》著名人にも古墳ファンは多い。コーフン協会会員のギタリスト、ウルフルケイスケ(54)はまりこふんとライブやCDで共演。「地方に行かれた時、古墳にも行ったよと写真を送ってくれます」。漫画家「ゆでたまご」の嶋田隆司氏(58)は、代表作「キン肉マン」で仁徳天皇陵を描いた縁で、まりこふんと古墳イベントで共演した。タモリ(73)も自身のNHK番組「ブラタモリ」で古墳好きな一面を見せている。

2588名無しさん:2019/06/16(日) 21:48:51 ID:NrdB.GxU0
七夕の夜に八十島奉祝祭 途絶えた祭祀、大阪から発信 大川にLED7万個、天の川表現
6/15(土) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190614-00000042-san-l27

 古代から鎌倉時代にかけて大阪で行われていた即位儀礼「八十島(やそしま)祭」にちなんだ「八十島奉祝祭」が7月7日、大阪市中心部を流れる大川に明かりを浮かべて天の川に見立てる七夕のイベントで実施される。イベントは今年で10回目だが、令和への改元に合わせて今回、“再現”が計画された。

 地元の神社や企業関係者らでつくる団体「おしてるなにわ」が主催する「令和OSAKA天の川伝説2019」で、川に流す明かりは透明なプラスチック球に入れた発光ダイオード(LED)。今年は、LEDを過去最多の7万個流す。

 八十島祭は、難波津と呼ばれていた上町台地で行われていた。同団体理事を務める高島幸次・大阪大招聘(しょうへい)教授(日本史)は「現在は途絶えてしまったが、非常に重要な宮中祭祀(さいし)であったと考えられる。大阪から発信できるものとして、広く知ってもらいたい」と話した。

 また、イベントを控えてゆかりの大阪天満宮(大阪市北区)が清めの「天満天神の水」を授与。イベントに出演するオペラ歌手の増田いずみさんと七夕伝説にちなんだ枚方市のキャラクター「ひこぼしくん」、交野市の産業PRキャラクター「おりひめちゃん」が、岸本政夫禰宜(ねぎ)から水の入った竹筒を受け取った。

 授与された水は、大川や関連イベントが行われる枚方、交野両市を流れる天野川に注がれる。

2589名無しさん:2019/06/19(水) 21:19:27 ID:NrdB.GxU0
天神祭PRギャルみこしNHKへ
06月19日 14時01分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190619/2000016769.html

 なにわの夏を彩る「天神祭」が来月行われるのを前に、名物行事の「ギャルみこし」を担ぐ女性たちがNHK大阪放送局を訪れ、元気なかけ声で祭りをPRしました。

ギャルみこしは、来月24日から始まる天神祭の前日に、女性だけで、重さ200キロのみこしを担いで大阪・北区の天神橋筋商店街を練り歩く名物行事です。
19日は、みこしを担ぐ女性4人が、赤と白のはっぴ姿でNHK大阪放送局を訪れ、大きな赤いうちわを手に、「わっしょい、わっしょい」と元気なかけ声をあげて、一足早く祭りの雰囲気を届けました。
そして、担ぎ手の選考で使われる、重さ70キロの俵のてんびん棒を担いで、有吉伸人局長にギャルみこしの魅力をPRしました。
担ぎ手の朝倉利奈さんは、「令和初のギャルみこしを一生懸命盛りあげます。皆さんも一緒に盛りあげましょう」と意気込みを話していました。
天神祭の「ギャルみこし」は、今月30日までインターネットで担ぎ手の応募を受け付け、来月23日の正午に天神橋筋商店街をスタートする予定です。

「天神祭」を盛り上げる「みこしギャル」今年も読売テレビに・大阪
6/19(水) 19:22配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190619-00000114-ytv-l27

 日本三大祭りのひとつ「天神祭」を盛り上げる「みこしギャル」が、今年も読売テレビにやってきた。

 読売テレビにやってきたのは、赤と白の法被をまとった、みこしギャル。15歳から30歳までの体力自慢の女性を募集中で、7月には重さ70キロの米俵を担ぐオーディションが行われる。

 「天神祭ギャルみこし」は7月23日に行われる。

2590名無しさん:2019/06/22(土) 21:40:49 ID:NrdB.GxU0
鴻池新田会所で民具展「鴻池家の茶道具」 江戸から昭和にかけての道具25点 /大阪
6/21(金) 14:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190621-00000040-minkei-l27

  国指定史跡・重要文化財の鴻池新田会所(東大阪市鴻池元町、TEL 06-6745-6409)で6月15日、鴻池家寄贈民具展「鴻池家の茶道具」が始まった。(東大阪経済新聞)

 
当主の善右衛門が代々茶道に傾倒した鴻池家は、表千家に師事するとともに保護し、明治以前の当主は宗名(茶名)を名乗ったという。茶器収集を趣味とし、その様子は古典落語の演目「はてなの茶碗」にも描かれている。

 同施設では、10代当主幸富、11代幸方、12代幸昌が収集し、使ったとされる茶道具を収蔵。主に幸昌が戦後の一時期、会所を住居として使っていた際に本邸から持ち込まれたものとされており、この時期に数寄屋造りの茶室、新しい座敷が増築されていることから茶道に傾倒していたことがうかがい知れる。

 同展では、江戸時代から昭和にかけて使われた茶道具25点を展示。古い物は、江戸時代の糸目甑口釜(いとめこしきぐちがま)や朝鮮風炉(ぶろ)が残されている。銀瓶や心斎橋の錫(すず)師・錫屋新兵衛の錫挽溜(すずひきだめ、茶壺)、火入れや桐製の莨(たばこ)盆、煙管(きせる)などが並ぶ。

 「未開封の辻利一本店製の抹茶は戦後すぐにはあったので昭和初期のものと思われる」と、学芸員の別所秀高さん。

 開館時間は10時〜16時。入館料は、大人=300円、小・中学生=200円。月曜、祝日の翌日休館。7月15日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2591名無しさん:2019/06/22(土) 23:17:05 ID:NrdB.GxU0
「茅の輪」くぐり出勤前など参拝 御霊神社
2019年6月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190622/20190622041.html

 30日の「夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)(大祓式)」を前に大阪市中央区の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)境内に、「茅(ち)の輪」がお目見えした。朝な夕なに多くの参拝者が直径約3メートルの輪をくぐり、無病息災を祈願している。

 大祓式は6月と12月の末日「みそか」に斎行される神事で、半年の間に知らず知らずのうちに身に付いた罪やけがれをはらい清める。

 同神社では、毎年神職が琵琶湖のアシ(ヨシ)を使って茅の輪を製作。「皆さんに青々とした輪をくぐっていただきたい」との思いから、大祓式までに一度輪を作り替えて参拝者を迎えている。

 都心の神社とあって、地元の企業などに勤める人々が出勤前や休憩時間、仕事帰りに続々と参拝。厳しい暑さの中、8の字を描くように輪をくぐる光景が続いた。

 大祓式は当日午後4時から境内・儀式殿で執り行われる。

2592名無しさん:2019/06/26(水) 20:42:39 ID:NrdB.GxU0
経営者たちの名言などを集めた展示会
6/26(水) 12:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190626-00022323-asahibcv-l27

 
明治以降に大阪で活躍した企業経営者らの名言や、ゆかりの品を紹介する展示会が、大阪市内で開かれています。

「難有り、有難し」。これは、コニカミノルタの創業者・田嶋一雄氏の言葉です。日清食品やサントリー、江崎グリコなど、大阪には明治以降に創業し、世界的にまで成長した企業が数多くあります。こうした企業の経営者たちの名言や、ゆかりの品を集めた展示会が大阪で開かれています。主催する大阪商工会議所は「経営の本質を示し、大きな知恵を与えてくれる名言を知ってもらいたい」としています。この展示会は、9月28日まで開かれています。
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ABCテレビ

2593名無しさん:2019/06/26(水) 21:05:40 ID:NrdB.GxU0
大阪夏祭りの始まり「愛染まつり」開催へ 昨年同様に屋台無しも愛染娘は復活 /大阪
6/25(火) 15:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00000037-minkei-l27

  四天王寺の支院「愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日、「愛染まつり」が始まる。(あべの経済新聞)

 
天神祭、住吉祭と並んで大阪三大夏祭りの一つに数えられる同祭。オーディションで選ばれた愛染娘らが谷町筋を練り歩く恒例行事「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」で知られる。近年は、若者が迷惑行為で近隣住民に迷惑をかけていたことなどから、昨年は宝恵駕籠パレード、愛染娘の募集、屋台出店を中止して祭りの規模を大幅縮小した。

 今年は昨年同様、宝恵駕籠パレード、愛染娘募集、屋台出店は行わないが、愛染娘は同祭実行委員会世話人の紹介により4人が決まった。初日に境内で宝恵駕籠上げ(13時30分〜)を予定する。期間中、秘仏本尊の「愛染明王・大日大勝金剛尊」ご開帳、天皇陛下御即位記念の特製宝印帳(朱印帳)販売などを行う。

 山岡武明住職は「今年は4人の愛染娘が盛り上げてくれる。店の無いお祭りは退屈と思う方も多いと思うが、その分集中して愛染明王に祈願できるように取り組んでいきたい」と話す。

 開門時間は10時〜21時。7月2日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2594名無しさん:2019/06/26(水) 22:19:43 ID:NrdB.GxU0
>平安末期か鎌倉初期に始まったと伝わり、千葉の香取神宮、
>大阪の住吉大社とともに日本三大御田植祭の一つに数えられている。


裸男ら勇壮に「竹取神事」 志摩・伊雑宮で「御田植祭」 三重
6/25(火) 11:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00000201-isenp-l24

 
【志摩】三重県志摩市磯部町上之郷の伊勢神宮内宮別宮「伊雑宮(いざわのみや)」の御料田で24日、国指定の重要無形民俗文化財(指定名・磯部の御神田)で、五穀豊穣と豊漁を祈願する「御田植祭(おたうえまつり)」があった。

 平安末期か鎌倉初期に始まったと伝わり、千葉の香取神宮、大阪の住吉大社とともに日本三大御田植祭の一つに数えられている。昔から「磯部九郷」と呼ばれていた地元の9地区が持ち回りで奉仕を行い、今年は穴川地区が担当した。

 この日は大勢の見物人が訪れ、神事の様子を見守った。田植えに先立ち「竹取神事」があり、裸男38人が大きなうちわの付いた忌竹(いみだけ)を泥だらけになりながら奪い合った。

 御田植神事では、白い着物に赤いたすきがけをした早乙女と、はっぴ姿の田道人(たちど)らが横一列に並び、太鼓や笛などの奏でる田楽と謡に合わせて、古式ゆかしく苗を植えた。
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伊勢新聞

2595名無しさん:2019/06/28(金) 23:08:05 ID:NrdB.GxU0
大阪夏祭りの始まり「愛染まつり」開催へ 昨年同様に屋台無しも愛染娘は復活 /大阪
6/25(火) 15:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00000037-minkei-l27

  四天王寺の支院「愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日、「愛染まつり」が始まる。(あべの経済新聞)

 
天神祭、住吉祭と並んで大阪三大夏祭りの一つに数えられる同祭。オーディションで選ばれた愛染娘らが谷町筋を練り歩く恒例行事「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」で知られる。近年は、若者が迷惑行為で近隣住民に迷惑をかけていたことなどから、昨年は宝恵駕籠パレード、愛染娘の募集、屋台出店を中止して祭りの規模を大幅縮小した。

 今年は昨年同様、宝恵駕籠パレード、愛染娘募集、屋台出店は行わないが、愛染娘は同祭実行委員会世話人の紹介により4人が決まった。初日に境内で宝恵駕籠上げ(13時30分〜)を予定する。期間中、秘仏本尊の「愛染明王・大日大勝金剛尊」ご開帳、天皇陛下御即位記念の特製宝印帳(朱印帳)販売などを行う。

 山岡武明住職は「今年は4人の愛染娘が盛り上げてくれる。店の無いお祭りは退屈と思う方も多いと思うが、その分集中して愛染明王に祈願できるように取り組んでいきたい」と話す。

 開門時間は10時〜21時。7月2日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2596名無しさん:2019/06/29(土) 23:59:27 ID:NrdB.GxU0
仁徳陵-堺駅・堺東駅にシャトルバス 来月6日運行開始
6/29(土) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190628-00000038-san-l27

  仁徳天皇陵古墳(大山(だいせん)古墳、堺市堺区)を含む百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が7月に世界文化遺産に登録されることが確実視されていることから、仁徳陵の拝所と、堺市内主要駅の南海本線・堺駅、同高野線・堺東駅を乗り換えなしで結ぶシャトルバスが7月6日から運行されることになった。主要駅と仁徳陵を結ぶアクセスが課題となっており、改善を目指す。土日曜・祝日に運行し、12月29日まで。 (古野英明)

 仁徳陵の拝所を通るバス路線は堺東駅前から出ているものの、1時間に片道1、2本と便数が少なく、認知度が低かった。また拝所はJR阪和線・百舌鳥が最寄り駅だが、仁徳陵の訪問客が堺駅や堺東駅周辺の中心部に回遊しないことが課題になっていた。

 シャトルバスは市と南海バスが運行。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関・イコモスの勧告で、古墳群の世界遺産登録がほぼ確実となり、訪問客が増加することが見込まれることから決めたという。

 運行されるのは堺駅前、堺東駅前から堺市博物館前(仁徳天皇陵拝所前)を結ぶ2ルートで、10〜15分程度で結ぶ。1時間に片道3本程度の便数があり、1日に往復計96便の運行を予定している。堺駅ルートは途中、宿院で停車し阪堺電気軌道阪堺線との乗り換えが可能。堺東駅ルートは途中停車せずに直通運転となる。

 運賃は大人240円、子供120円。車内のアナウンスは、日本語のほか、英語、中国語、韓国語でも行われる。市観光部の担当者は「主要駅から仁徳陵までの快適なアクセスを確保し、国内外の来訪者が市内周遊できるようにしたい」としている。

 古墳群の世界遺産登録は、7月5日からアゼルバイジャン・バクーで審議が始まる世界遺産委員会で正式に決まる見込み。

2597名無しさん:2019/06/30(日) 15:52:03 ID:NrdB.GxU0
「純金製扇面」展示 祭りの熱気伝える
2019年6月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190629/20190629047.html

 大阪市中央区のギンザタナカ心斎橋店で28日、大阪天満宮の「天神祭」(7月24、25日)を記念した純金製扇面の展示が始まった。同店のリニューアルオープンに合わせてお目見えし、日本三大祭りの一つにふさわしく豪華な輝きを放っている。販売価格は7千万円。

 
扇面(幅約75センチ高さ約50センチ)は純金約7キロを使用しており、複雑な形状を同社の加工技術で忠実に再現。地車の正面を中心に、両脇に天満宮の社紋である「梅鉢紋」や「祝 天神祭」の文字を彫り込んである。

 金箔(きんぱく)内装を施した1階「黄金の間」に展示され、国内外の多くの来店客に天神祭の熱気を伝えている。

 同店では天神祭の無事斎行を祈願し、既に同宮で扇面のおはらいを済ませている。中村明生店長は「金製品の輝きで日本を代表するお祭りを盛り上げたい」と話した。展示は7月31日まで。

2598名無しさん:2019/06/30(日) 15:58:50 ID:NrdB.GxU0
厳かに「装束賜式」 天神祭で奉仕する四役任命
2019年6月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190630/20190630028.html

 天神祭(7月24、25日)で奉仕する四役を任命する儀式「装束賜式(しょうぞくたばりしき)」が29日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。神童ら6人が同祭で着用する装束姿で神前に拝命を奉告した。

 今年任命されたのは、神童が川崎正義君(11)、猿田彦は川北哲也さん(47)、随身は林欣次郎さん(16)と馬場達希さん(16)、牛曳童児は水木裕太さん(11)、牛曳童女は畑島花音さん(12)。

 6人は境内で寺井種治宮司から辞令を受け取ると、装束をまとって本殿での「社参之儀」に参列。今年から、前年に奉仕した神童から本年神童へ烏帽子(えぼし)が移される「初烏帽子(ういえぼし)之儀」が執り行われ、烏帽子をかぶせられた川崎君が引き締まった表情で宣誓の意味を込めた「願文」を奏上(そうじょう)した。

 6人は祭りの開始を告げる「鉾流(ほこながし)神事」や、陸渡御でみこしを警護するなどの重要な役割を果たす。今後は葬儀の参列を避けたり、牛や豚といった四つ足の獣の肉を食べないようにしながら心と体を清めた状態で行事に備える。

 神童の川崎君は「儀式を終えて、少し気持ちがほぐれた。本番までいつも通り過ごしたい」と、重責を冷静に受け止めていた。

2599名無しさん:2019/07/05(金) 22:22:43 ID:NrdB.GxU0
「百舌鳥・古市古墳群」 きょう5日夜にも世界遺産に正式登録へ
7/5(金) 12:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00022416-asahibcv-l27

 
大阪府の「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」の世界文化遺産への登録が、早ければ5日夜にも決まる見通しとなりました。

大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を新たな世界遺産に登録するかどうかを審議するユネスコの会議は、日本時間の5日午後、アゼルバイジャンの首都・バクーで始まります。「百舌鳥・古市古墳群」は、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する国内最大級の前方後円墳など、大阪府南部の3つの市にまたがる49基からなる古墳群です。古墳群については、ユネスコの諮問機関が5月に「登録が適当」と勧告していて、早ければ5日夜にも世界文化遺産への登録が正式に決定します。
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ABCテレビ

2600名無しさん:2019/07/05(金) 23:14:44 ID:NrdB.GxU0
道頓堀に「松嶋屋!」 船乗り込み
2019年7月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190702/20190702027.html

 令和元年の「七月大歌舞伎」が3日から大阪松竹座で始まるのを前に出演者たちが1日、大阪市中央区の道頓堀川で恒例の「船乗り込み」を行った。関西・歌舞伎を愛する会結成40周年を記念する行事で、人間国宝の片岡仁左衛門さんら東西歌舞伎俳優が勢ぞろいして参加。とんぼりリバーウォーク付近に集まった大勢の歌舞伎ファンからの「松嶋屋!」の大声援が、道頓堀の街並みにこだました。(9面に関連記事)

仁左衛門さんは、日ごろから「関西で歌舞伎公演を多くやりたい」と願っており、ホームグラウンドの大阪松竹座の公演には格別の思いを寄せ、「1カ月間、死にものぐるいで頑張りますので、初めての方もぜひ劇場に足を運んでほしい」と笑顔であいさつ。

 昼の部の「義経千本桜 渡海屋 大物浦」では「平家再興を願った武将の末路を壮絶に演じたい」と腕を撫(ぶ)している。

 松嶋屋の兄2人、片岡我當さん、片岡秀太郎さんと久しぶりの共演を果たすのも見どころで、秀太郎さんが「地元の公演だけに力が入る」と元気な声を響かせる。

 昼の部はほかに、松竹新喜劇を歌舞伎化した「色気噺(ばなし)お伊勢帰り」と「厳島招檜扇/日招ぎの清盛」が付く。夜の部は「芦屋道満大内鑑/葛(くず)の葉」「弥栄芝居賑」/道頓堀芝居前の場」「上州土産百両首」の3題。中村鴈治郎さんが「G20も無事終わったので、今度は歌舞伎ではじけます」と景気づけた。

 ほかに中村扇雀さん、片岡孝太郎さんら関西勢と、中村芝翫さん、尾上菊之助さんら関東勢のスターら大勢が船乗り込みで汗をかき、それぞれ意気込みを語っていた。千秋楽は27日。

2601名無しさん:2019/07/05(金) 23:24:22 ID:NrdB.GxU0
「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録 審議は6日に持ち越し
2019年7月5日 23時14分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190705/k10011984251000.html

  新たな世界遺産を決めるユネスコの世界遺産委員会の会議は初日の審議が終わり、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の審議は6日に持ち越されました。

 新たな世界遺産を決めるユネスコ=国連教育科学文化機関の世界遺産委員会の会議は5日から3日間の日程でアゼルバイジャンの首都バクーで始まり、初日の審議を終えました。

ほかの国が推薦する案件の審議に時間がかかったことから、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」は5日は審議されず、日本時間の6日午後3時以降に持ち越しとなりました。

「百舌鳥・古市古墳群」は、大阪府の堺市と羽曳野市、藤井寺市にまたがる4世紀後半から5世紀後半ごろに造られた合わせて49基の古墳からなります。

中には、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し「大山古墳」とも呼ばれる国内最大の前方後円墳も含まれています。

ユネスコの諮問機関「イコモス」はことし5月、「百舌鳥・古市古墳群」について世界遺産として記載することが適当との勧告を出していて、6日の会議で世界文化遺産への登録が正式に決まる見通しです。

2602名無しさん:2019/07/05(金) 23:33:53 ID:NrdB.GxU0
天神祭 円滑斎行へ確認 救護所スタッフの衣服も紹介
2019年7月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190704/20190704029.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は3日、祭りを巡る関係機関の合同会議を、大阪市北区の大阪天満宮で開いた。救護所関係者が身に付ける衣服を紹介するなど、祭りの円滑な斎行に向けて情報を確認し合った。

 会議には行政機関をはじめ、鉄道会社から医療機関まで担当者が集まり、今年の祭りの運営手順を確認。特に救護所に関連しては、近年の課題となっていた熱中症対策の強化が報告され、医師や看護師らが着用するベスト状の衣服が紹介された。赤色に白抜きで「天神祭」「救護」などと書かれている。

 無線機の取り扱いや行事を繰り広げる川に関する留意事項、奉納花火の対応などでも情報を共有した。

 栗原宏武会長代行は「令和の時代で初めての天神祭を、無事かつ安全に斎行したい」と各関係者に協力を求めていた。

2603名無しさん:2019/07/06(土) 17:48:08 ID:y3Vqziq.0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産に
07月06日 17時44分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190706/2000017373.html

「仁徳天皇陵」として宮内庁が管理する国内最大の前方後円墳を含む、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産として登録されることが6日、ユネスコの世界遺産委員会で決まりました。

新たな世界遺産を決めるユネスコ=国連教育科学文化機関の世界遺産委員会の会議は、カスピ海沿岸のアゼルバイジャンの首都バクーで日本時間の6日午後再開され、午後5時半すぎに大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を新たに世界文化遺産として登録することを決めました。
会場で審議の様子を見守ったユネスコ日本政府代表部の山田滝雄大使と大阪府の吉村洋文知事は、ともに登録の決定を喜びました。
「百舌鳥・古市古墳群」は、大阪府の堺市と、羽曳野市・藤井寺市にまたがる、4世紀後半から5世紀後半ごろに造られた、合わせて49基の古墳からなります。
中には、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し、「大山古墳」とも呼ばれる国内最大の前方後円墳も含まれています。
これらの古墳は、当時の高い造築技術を示しているほか、日本の古代国家の成り立ちを研究するうえで貴重なものとされ、今回の決定を受けて、今後、どのように保存していくのかが改めて問われることになります。
「百舌鳥・古市古墳群」の登録によって、日本の世界遺産は文化遺産が19件、自然遺産が4件になります。

2604名無しさん:2019/07/06(土) 20:45:26 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録 堺市民は歓喜
07月06日 17時55分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190706/2000017374.html

「百舌鳥・古市古墳群」のある大阪・堺市ではパブリック・ビューイングが行われ、世界文化遺産の登録が決まった瞬間、集まった多くの人から歓声と大きな拍手がわき起こりました。

「百舌鳥・古市古墳群」の地元の堺市では世界文化遺産に登録される瞬間を見届けようとインターネット中継によるパブリック・ビューイングが行われ、アゼルバイジャンの首都・バクーで行われているユネスコの世界遺産委員会の審議の様子が映し出されました。
会場にはおよそ700人が集まり午後5時半すぎに登録が正式に決まると大きな拍手と歓声がわき起こりました。
会場を訪れた市民の1人は「地元として盛り上げていきたい。身近な友達や外国の友達にも伝えて、古墳に連れて行ってあげたいです」と話していました。
また、「堺市民としてうれしいです胸がいっぱいようやく世界遺産になったと涙が出ました」と話す人もいて会場は大きな歓喜に包まれていました。


世界遺産登録 羽曳野市は号外
07月06日 18時34分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190706/2000017378.html

「百舌鳥・古市古墳群」がある地元の大阪・羽曳野市では6日午後5時半すぎに世界遺産への登録が正式に決まったあと、駅前で市の職員が古墳をうつした写真とともに世界遺産に登録されたことを知らせる広報誌の号外を市民に配りました。

小学5年生の男子児童は「古墳のことは学校でも習います。世界遺産になってすごいなあと思います」と話していました。
また、女性は「有名になってうれしい人がいっぱい来てくれるとうれしいです」と話していました。
世界遺産への登録を機に観光客が増えることに期待する声も聞かれ、男性は「どちらかというと堺の古墳がメインで羽曳野市の古市は話題が薄いので、世界遺産についてどういう風にアピールしていくかが課題だと思います。まだピンとこないが観光客が来ると実感がわくと思います」と話していました。
また、地元で生まれ育ったという高齢の男性は、「世界遺産といってもあまりピンとこないが、60歳以上の人が多い町なので若い人に来てもらって活性化したらうれしいです」と話していました。

2605名無しさん:2019/07/06(土) 20:54:17 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録、大阪の地元「待ち遠しかった」
7/6(土) 20:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000550-san-soci

「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録されることが決まった6日、同古墳群のうち古市エリアのある大阪府藤井寺市や同府羽曳野市では祝福のイベントが行われ、市民らが万歳するなどして、喜びを分かち合った。

藤井寺市はこの日、市内にある構成資産の一つで、登ることもできる「古室山(こむろやま)古墳」で祝福イベントを開催。夕方「登録決定」の一報が入ると集まった市民ら約200人から歓声が上がり、登録決定を祝う横断幕が掲げられた。

 「市観光ボランティアの会」会長の鈴木繁實(しげみ)さん(76)は「この日が待ち遠しかった。未来を担う子供たちが、より郷土に誇りを持つ契機となってくれれば」と感慨深げ。「世界各地から来られる方々のため、英語をはじめ、他の言語でも対応できるようにしたい」と話した。

 市内の主婦、山本綾子さん(40)は「古室山古墳は子供たちが鬼ごっこなどで遊んでいる場所。そうしたところが世界文化遺産になるのは不思議な思いだが、世界に認められてうれしい」と笑顔を見せた。

2606名無しさん:2019/07/06(土) 21:30:43 ID:NrdB.GxU0
「百舌鳥・古市古墳群」が大阪初の世界遺産に あべのハルカスで歓喜に沸く /大阪
7/6(土) 18:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000016-minkei-l27

 大阪の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が7月6日、第43回世界遺産委員会(アゼルバイジャン共和国 バクー)で世界文化遺産への登録が決定した。(あべの経済新聞)

 
日本一高いビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)の展望台「ハルカス300」では、世界遺産委員会のパブリックビューイングを開催。大阪初となる世界遺産決定の瞬間には歓声が上がり、くす玉を割って祝った。

 百舌鳥・古市古墳群は、大阪府南部の堺市、羽曳野市、藤井寺市の3市にまたがる巨大古墳群。仁徳天皇陵古墳(堺市)など、4世紀後半から5世紀後半にかけて築造された49基で構成される。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2607名無しさん:2019/07/06(土) 21:34:38 ID:NrdB.GxU0
風に揺られ涼やかな音色 大阪・水無瀬神宮に風鈴800個
7/6(土) 17:42配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00010001-kyt-l27

 夏の風情を演出する風鈴が、大阪府島本町広瀬3丁目の水無瀬神宮にお目見えし、境内に爽やかな音色を響かせている。今夏からは新たに風車も登場し、参拝者らは音と飾り物で涼を感じている。

 今年からは風車450個も

 水無瀬神宮では、日本の伝統的な夏の風物詩を楽しんでもらおうと、2年前から夏にガラスの風鈴約800個を棚につるしている。今年は風車約450個も飾ることにした。ピンクや黄の色とりどりの飾り物が新たに並び、宮司の水無瀬忠成さんは「子どもたちにも昔から続く季節の飾りを知ってほしい」と話す。
 境内の休憩所では、そよ風になびいて音を奏でる、ヒマワリなど花がプリントされた風鈴に聞き入ったり、回転する風車を眺めたりする参拝者の姿が見られた。散歩に来ていた女性は「涼しい音で気持ちがいい。立ち寄ってよかった」と笑顔を見せた。
 同神宮では参拝者が撮影した写真を紹介する展示「招福の風」も本殿前で開催している。誰でも参加することができ、9月上旬まで展示の予定という。

2608名無しさん:2019/07/06(土) 22:04:02 ID:NrdB.GxU0
「地域の宝が人類の宝に」 古墳群、世界遺産決定に歓喜
7/6(土) 20:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000058-asahi-soci

 いにしえの陵墓が世界に認められた。アゼルバイジャンで開かれたユネスコの世界遺産委員会で6日、「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の世界文化遺産への登録が決まった。国内審査で3回落選するなど苦労してきた地元は、待ちわびた吉報に喜びの声を上げた。

■委員国から「ビューティフル」

 アゼルバイジャン・バクーで開かれたユネスコの世界遺産委員会の会場。日本時間の6日午後5時36分、「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の世界文化遺産への登録決定を告げる木づちの音が鳴り響くと、場内は歓声と祝福の拍手に包まれた。

 審議はその約15分前に始まり、ユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)が古墳や埴輪(はにわ)の画像とともに古墳群について説明。委員国から「ビューティフル」「都市化の中でも保全されている」との発言があり、特に異論はないまま登録が決まった。

 決定を受け、吉村洋文・大阪府知事は「日本の歴史において大変重要な資産。これからもこの資産を次世代に引き継いでいく」とスピーチ。日本政府代表団の席には祝福の握手を求める各国の代表が集まった。日本側は「サンキュー」などと笑顔で返した。
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朝日新聞社

2609名無しさん:2019/07/06(土) 22:05:15 ID:NrdB.GxU0
「保全に向け必要な協力を」…宮内庁書陵部長
7/6(土) 20:46配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00050265-yom-soci

 世界遺産への登録を受け、宮内庁の坂井孝行・書陵部長は「皇室の祖先のお墓として、その『静安と尊厳』が損なわれないことを前提に、今後も保全に向けて必要な協力を行っていく」との談話を出した。

2610名無しさん:2019/07/06(土) 22:21:40 ID:NrdB.GxU0
京都が都となる遥か以前から大阪はとんでもなく発展していたのです。
古都・大阪、その姿が徐々に露わになってきている昨今です。


「1500年変わらぬすごさ」 登録尽力…藤井寺市の室長笑顔
7/6(土) 19:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000546-san-soci

  「『1500年変わらぬすごさ』を感じてほしい」。百舌鳥・古市古墳群の大阪府初の世界遺産登録が決まり、古市古墳群のある大阪府藤井寺市で登録に向け尽力してきた同市世界遺産登録推進室長、山田幸弘さん(59)も笑顔を見せた。

 千年以上前の人物の墓が地上に露出している形状や、敷地内の樹木が薪(まき)に使われた歴史など「人々の生活とあり続けた」点に古墳の魅力を感じてきた。さらに、「なぜこんな形なのか、どんな人物が埋葬されているのか、はっきり分かっていない。そうした点を『謎解き』のように考えるのが面白い」。

 同古墳群が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産暫定一覧表に記載されたのは平成22年11月。これを受け、府や堺市など関連自治体が翌年に「登録推進本部会議」を設置し、機運が高まる中で自身も藤井寺市の世界遺産登録推進室長となった。市内の小学生向けに古墳群を学ぶ副読本を発行したり、人気の高い「マンホールカード」にならい「古墳カード」を作ったりと、魅力発信に力を尽くしてきた。

 地元の人は「(古墳群は)そんな、すごいものやないよと」謙遜するというが、「本当はとても誇りを持っている」と打ち明ける。

 「これを機に、多くの人がこの地に訪れてくれれば。同時に『百舌鳥・古市古墳群は世界的にみてもすごい』ことを、改めて地域の人に知ってほしい」

2611名無しさん:2019/07/06(土) 22:31:10 ID:NrdB.GxU0
安倍首相「独自の文化物語る人類の遺産」 世界遺産登録にメッセージ
7/6(土) 18:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000539-san-pol

  安倍晋三首相は6日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録が決まったことを受け、メッセージを発表した。内容は以下の通り。

  古墳時代、政治・文化の中心地の一つであった大阪に残る、約500メートルにも及ぶ巨大古墳をはじめとした、形状さまざまな古墳群。

 古(いにしえ)に栄えたわが国の高度な技術を駆使して作られた建造物として、幾何学的にデザインされた数多くの古墳は、わが国独自の文化を物語るものであり、まさに世界に類を見ない人類の遺産です。

 これまで大切に守ってこられた地元の皆さまをはじめ関係者の方々に深く敬意を表するとともに、世界の宝として、その魅力を積極的に発信し、次世代に引き継いでいく、その決意を新たにしたいと思います。


河野太郎外相「誠に喜ばしい」 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録
7/6(土) 18:42配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000541-san-pol

  河野太郎外相は6日、「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録決定について「誠に喜ばしく思う」と歓迎する談話を発表した。

 談話は、古墳群に関して「墳墓の規模と形によって当時の政治・社会の構造を表現した古墳時代の文化を物語る傑出した証拠だ」と指摘した上で、「今回の登録を契機として日本列島独自の歴史文化を物語る同資産の価値が一層広く世界に知られることを期待する」と歓迎している。

2612名無しさん:2019/07/06(土) 22:32:22 ID:NrdB.GxU0
規模・形で権力構造を示した百舌鳥・古市古墳群
7/6(土) 18:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000538-san-cul

 世界文化遺産への登録が決まった百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群は、仁徳天皇陵古墳(大山=だいせん=古墳、墳丘長486メートル)など全国の巨大古墳ベスト10に5基が入り、中国の歴史書に「倭(わ)の五王」と記された大王らの墓とされる。前方後円墳を中心に、古墳の大きさや形で政治・権力構造を示した古墳時代の最盛期にあたり、古代の国の成り立ちを示すシンボルとなっている。

 古墳時代は3世紀ごろ大和(奈良)を中心に始まり、百舌鳥・古市古墳群が形成された4世紀後半〜5世紀は和泉・河内(大阪)の勢力が主導権を握ったとされる。中国や朝鮮半島との外交が活発になり、内陸にあった大和より、大阪湾に近い和泉・河内勢力の重要性が高まったためだ。

 当時の前方後円墳の分布状況から、岩手県南部から鹿児島県までを勢力下に治めていたことがうかがえ、「倭国」と呼ばれた。中国の歴史書には、倭の王が5代にわたって中国に朝貢したと記され、百舌鳥・古市古墳群の被葬者が倭国を統治し、外交を行ったという。

 同古墳群の特徴は、墳丘長が数百〜数十メートル規模まで大小さまざまあり、墳形も前方後円形や帆立て貝形、円形、方形とバラエティーに富むことだ。福永伸哉・大阪大教授(考古学)は「巨大前方後円墳は大王、周囲の中小規模の古墳は大王を取り巻く近親者らの墓で、墳形の違いも階層差を示している」と指摘する。

 日本の国家成立は、天皇を中心とする官僚制度を律令(法令)によって整備した飛鳥時代(7〜8世紀)とされるが、福永教授は「百舌鳥・古市古墳群が築かれた頃は、その前段階。国家成立の過程を示す古墳群は人類にとってかけがえのない歴史遺産」と評価。「1600年間、良好な状態で残された古墳群を、500〜千年後まで伝えるのが現代人の役割」と話す。

2613名無しさん:2019/07/06(土) 22:33:35 ID:NrdB.GxU0
「陵墓は祈りの場」宮内庁は静観、保存管理に一層努力
7/6(土) 18:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000537-san-soci

  世界文化遺産への登録が6日、決まった「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の構成資産には、世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵古墳」(大山=だいせん=古墳)など宮内庁が管理する陵墓29基が含まれる。今後参拝客の増加が見込まれるが、宮内庁は「世界遺産となっても皇室祭祀(さいし)が行われる『祈りの場』に変わりはない」と強調。「墳丘内部への立ち入りを認めることはなく、保存管理に一層努力する」と静観している。

 陵墓は宮内庁が管理する皇室祖先の墓。皇室典範では天皇と皇后、太皇太后、皇太后を葬る所を「陵(りょう)」、他の皇族の墓を「墓(ぼ)」と定める。皇族の墓である可能性が高い「陵墓参考地」を含めると計899に上る墓を宮内庁が管理している。

 陵墓は皇室祭祀が行われる聖域として宮内庁が管理してきた結果、戦後の宅地開発から守られてきた経緯がある。

 陵墓には「拝所」が設けられており、一般人も参拝が可能だ。宮内庁には「世界遺産登録がお代替わりと重なり、皇室の歴史に関心が高まる」と肯定的な見方がある一方、陵墓担当者は「現在も毎年被葬者の命日に祭祀が行われている」と説明。静かな環境と尊厳を守ることが宮内庁の役目とし、墳丘内部の立ち入りや一般公開は「墳丘の破壊につながり、今後も認めることはない」と明言する。

 ただ、宮内庁には陵墓の保存管理に「地元自治体との協力は不可欠」とする声もある。昨秋、仁徳天皇陵で初めて、堺市とともに実施した堤での共同発掘調査を念頭に「他の陵墓でも可能な範囲で学術調査に協力していきたい」(宮内庁幹部)としている。

 ■宮内庁の坂井孝行書陵部長の話「(登録決定は)喜ばしい。お墓としての『静安と尊厳』が損なわれないことを前提に、今後とも陵墓を含む世界文化遺産の保全に向けて必要な協力を行いたい」

2614名無しさん:2019/07/07(日) 20:19:42 ID:NrdB.GxU0
「古墳こんにゃく」に「はにわ型プリン」 百舌鳥・古市古墳群 大阪発の世界文化遺産登録で地元はお祝いムード一色
7/7(日) 17:48配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190707-00022442-asahibcv-l27

 
大阪の百舌鳥・古市古墳群のユネスコ世界文化遺産登録決定を受け、地元・堺市ではお祝いムードが広がっています。

古墳群のうち、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する国内最大の前方後円墳には、朝から多くの観光客が訪れました。神奈川から訪れた人は「たまたま大阪滞在中に登録と聞いて、『目の前にいるし』と思って見に来た。神聖な場所だなと(感じる)」と話し、愛媛から訪れた人は「昔から仁徳天皇陵というのは知ってたけど、その偉大さが今回初めて、ここまで素晴らしい古墳というのがわかった」と感激していました。登録を祝い、近くのみやげ物店では、前方後円墳をかたどった地元産のこんにゃくが無料でふるまわれました。口にした女の子は「おいしい!」と喜んでいました。また、地元の百貨店では特設コーナーが設けられ、古墳をかたどったクッキーやグッズ、はにわ型の容器に入ったプリンが販売されるなど、お祝いムードを盛り上げていました。
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ABCテレビ

2615名無しさん:2019/07/07(日) 20:22:44 ID:NrdB.GxU0
大阪で初の「世界遺産」登録決定 吉村知事「これからが正念場」
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_2437.html

 大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を受け、吉村知事は「これからが正念場」と意気込みを語りました。

日本時間の6日にアゼルバイジャンで開かれたユネスコの世界遺産委員会で、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録が正式に決まりました。世界遺産委員会に出席した大阪府の吉村知事は「(古墳群を)地域の皆さんや住民の皆さんが守ってきた」「そこを大事にしながら、これからさらに多くの方がいらっしゃいますから。いかに古墳のすばらしさを見ていただけるようにするのか、全体像を感じられるようにするのか(が課題)」だと語りました。大阪での世界遺産登録は初めてで、今後は、保存と観光振興をどう両立させるかが課題となりそうです。

2616名無しさん:2019/07/07(日) 20:54:32 ID:NrdB.GxU0
四天王寺で「七夕のゆうべ」 天の川を模した笹トンネルが点灯 /大阪
7/7(日) 7:07配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190707-00000003-minkei-l27

  境内に笹のトンネルを設ける七夕イベント「七夕のゆうべ in 四天王寺2019」が7月6日、四天王寺(大阪市天王寺区)で始まり、多くの人が来場した。(あべの経済新聞)

 
地元町内会が中心となって開いている今年12年目の恒例イベント。笹を取り付けた全長27メートルの笹トンネルに、夜は天の川を模したLED照明が点灯して幻想的な雰囲気を醸し出す。来場者は笹トンネルに願い事を書いた短冊を飾り付ける。最終日の8日は20時30分から、四天王寺僧侶による祈願の後、願い事が天に届くようにと短冊のおたき上げを行う。

 笹トンネルの点灯時間は19時〜24時(最終日は20時まで)。今月8日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2617名無しさん:2019/07/07(日) 20:59:17 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録決定 祝賀イベント
07月07日 19時52分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190707/2000017402.html

 「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まったことを受けて、地元の羽曳野市では、7日、登録決定を祝うイベントが開かれました。

大阪・堺市と羽曳野市それに藤井寺市にまたがる49基の古墳からなる「百舌鳥・古市古墳群」は6日、世界文化遺産に登録されることが決まりました。
これを受けて、羽曳野市の近鉄古市駅前の広場では、登録決定を祝うイベントが開かれ、およそ3000人の市民が参加しました。
はじめに、北川嗣雄市長が「みなさんと一緒にこの遺産をしっかりと守り、いい街づくりをしていきたい」とあいさつをしたあと、くす玉を割って登録決定を祝いました。
また、会場に訪れた子どもたちには、前方後円墳をモチーフにしたロゴマークが入った傘が無料で配られ、受け取った子どもたちが、傘を広げるなどして、喜んでいました。
小学4年生の男子児童は、「古墳が世界遺産になったとニュースで見た。雨が降ったらこの傘を使いたい」と話していました。
また小学5年生の女子児童は、「学校でも前方後円墳を習っていたので、登録が決まってうれしい」と話していました。

2618名無しさん:2019/07/07(日) 21:05:56 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録を祝うレセプション
07月07日 07時24分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190707/2000017390.html

 大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まったことを祝うレセプションが、日本時間の6日夜、ユネスコの会議が行われているカスピ海沿岸のアゼルバイジャンの首都バクーで開かれました。

バクーでは6日、ユネスコ=国連教育科学文化機関の世界遺産委員会の会議が開かれ、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を新たに世界文化遺産として登録することが決まりました。
これを受けてバクー市内のホテルでは6日夜、登録を祝うレセプションが開かれこれまで関わってきた自治体や国の省庁の職員、それに国内外の学識経験者も出席しました。
この中で、フランスのユネスコ日本政府代表部の山田滝雄大使は「諸外国から高い評価と多くの賛辞をもらった。1600年にもわたり人々が、古墳を愛し、育み、守ってきた成果だ」と祝辞を述べました。
大阪では8年前、大阪府知事と、古墳がある堺市、羽曳野市それに藤井寺市の3市の市長が名前を連ねる、組織が結成され、世界遺産登録の早期実現に向けた取り組みを進めてきました。
日本が推薦書を作成する際に海外の有識者の1人として助言を行った、オランダ教育文化科学省のファン・ローイエン氏はNHKの取材に対して「規模の大きな古墳は、ピラミッドや中国の皇帝の墓にも匹敵する。世界遺産に登録されたことでこれから多くの外国人観光客が訪れるだろう」と話しています。

2619名無しさん:2019/07/07(日) 21:06:44 ID:NrdB.GxU0
世界遺産決定で大勢の観光客
07月07日 12時46分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190707/2000017392.html

 大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まってから一夜明けた7日、現地には、大勢の観光客が訪れています。

「百舌鳥・古市古墳群」は、大阪・堺市と、羽曳野市・藤井寺市にまたがる、4世紀後半から5世紀後半ごろに造られたあわせて49基の古墳で、ユネスコの世界遺産委員会は、6日、世界文化遺産に登録することを決めました。
登録された古墳群の1つで、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理している国内最大の前方後円墳には、一夜明けた7日、朝から多くの観光客が訪れ、写真を撮ったり、ボランティアの説明を受けたりしていました。
愛知県から来た30代の男性は「世界遺産に登録されたので一目見たいと思って来た。教科書でしか見たことがなかったが、とても大きくて驚いた」と話していました。
また、世界遺産の登録決定にあわせて、すぐ近くの堺市博物館では、6日から特別展がおこなわれています。
古墳群から見つかった、ふだんは公開されていない宮内庁が所蔵する埴輪をはじめ、まが玉や花形の飾りなど、およそ300点が展示されていて、地元の人たちも大勢、訪れていました。
堺市に住む女子高校生は「世界遺産の登録が決まったので久しぶりに来ました。まだ登録されたという実感は無いが、堺市がにぎわってほしい」と話していました。

2620名無しさん:2019/07/07(日) 21:27:59 ID:NrdB.GxU0
アートで祝福 「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録
2019年7月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190707/20190707027.html

 堺市の「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳)を含む大阪府南部の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が6日、アゼルバイジャンのバクーで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で審査され、世界文化遺産への登録が決まった。同市の府立堺工科高の生徒たちが、20万個以上のペットボトルのキャップで制作したアート作品と共に決定を喜んだ。

 同校のエコデザイン部が、2017年に百舌鳥・古市古墳群が国内推薦候補に選定されたことを受け、市が制作した古墳群のイメージを、キャップアートのモザイク画で再現した。

 現役の部員たちが「祝世界文化遺産登録決定」の文字を新たに作り、2年前の作品に加えた。

 大仙公園で古墳グッズを販売する土産店がお気に入りだという3年の吉川萌さん(17)は「決定はうれしい。たくさんの人に堺市に来てほしい」と笑顔だった。

2621名無しさん:2019/07/11(木) 11:36:44 ID:ylDuNnHU0
上空から古墳群見る気球運航へ
07月09日 07時24分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190709/2000017448.html

 大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まり、地元の堺市では、古墳群を上空から見渡せる気球を運航し、観光客の呼び込みを図ることになりました。

世界文化遺産への登録が決まった「百舌鳥・古市古墳群」は、堺市と羽曳野市、それに藤井寺市に広がっているうえ、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し、「大山古墳」とも呼ばれる前方後円墳は、全長がおよそ500メートルと巨大で、古墳群全体を見渡せる場所がありません。
このため、堺市は、世界遺産を目当てに訪れる観光客を呼び込もうと、大山古墳に隣接する大仙公園から古墳群を見渡せる気球を運航することを決めました。
気球は上空100メートル以上に達する20人から30人乗りのもので、料金は大人1人あたり3000円未満を想定し、民間の業者に委託して、来年の春ごろから運航させたいとしています。
一方、大阪府も、3つの市にまたがる古墳群を周遊するバスの運行を早ければ来月にもはじめたいとしていて、さらなる観光客の受け入れ準備が進んでいます。

2622名無しさん:2019/07/11(木) 11:49:25 ID:ylDuNnHU0
金剛組棟梁が語る「最古の企業」の歴史と矜恃 「未来を考えて建築する」
7/11(木) 8:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190711-00000515-san-l27

  飛鳥時代の“創業”から1400年以上の歴史を持ち、「世界最古の企業」とされる大阪市天王寺区の建築会社「金剛組」で匠の技を伝える現役棟梁(とうりょう)が、伝統にまつわる秘話や宮大工の矜持(きょうじ)を語った。人気作家の木下昌輝氏が金剛組をモデルに執筆した『金剛の塔』の出版記念イベント。ゲストとして招かれた木内繁男棟梁が登壇した。

 「これが建物を組み上げる際に使う継手(つぎて)と呼ばれるものです」

 木内棟梁が、釘を使わずに隙間なくがっちり組み合わさった木材を掲げると、匠の技を目の当たりにした会場から歓声が沸いた。

 直木賞ノミネート3度という気鋭の作家、木下氏が金剛組を題材に取り上げたきっかけは、木内棟梁が講師を務めた講座を聞いたこと。「聖徳太子から続く会社があることを知って、『これは面白い!』と思いました」と振り返る。

 金剛組は578年、聖徳太子から四天王寺の施工を言い渡されたときを始まりとする。そんな「世界最古の企業」を特徴付けているのは何かというと?

 「そりゃ、四天王寺さまをお護りさせていただいた1400年という歴史やな。宮大工の技量なら、他にも優れた職人がいるかもしれんし…。だいたい、わしらは金剛組のことしか知らん」。木内棟梁はあっけらかんと言い放つ。

 だが、その歴史の長さにこそ、途方もない重みがある。例えば金剛組がこだわる「軒の勾配」。雨が多い日本では、急勾配にした方が早く雨だれが流れ落ち、耐久性が高くなる。しかし、金剛組は、あえて軒先を少し反り上がらせ、軒を深く取る。それが、五重塔などの神社仏閣の屋根に優雅な美しさを与えるからだ。丈夫さだけでなく、美しさにもこだわった建築法といえる。

 歴史の重みは、技法もさることながら、独自の儀式にも表れる。毎年1月11日に四天王寺金堂で執り行われる秘儀「手斧(ちょんな)始め式」。大工仕事を模した儀式で、選ばれた大工12人が平安貴族のような装束で参加する。一般には公開されていない。

 「選ばれたときは、そりゃ名誉なことと思いましたよ。初めての時は緊張してね。暗闇の中で行うのやけど、扉がバタンと閉まったら、そこから全く覚えてない」。厳かさに加え、伝統に直面した緊張感が伝わってくる木内棟梁の回想だ。

 小説「金剛の塔」には、五重塔が火災などで何度も失われ、その都度再建されたがゆえに、技術が継承されたとするくだりがある。「代々伝わる古文書もあるけど、実際にそれを作っていくからこそ、技術が伝わる部分もある」。技術の継承にとって実践が重要なことには、木内棟梁も同意する。

2623名無しさん:2019/07/11(木) 11:50:01 ID:ylDuNnHU0
四天王寺の建築を担ってきた金剛組だが、実は、8代目にあたる今の五重塔では施工から外れた。木造ではなく、コンクリート工法が採用されたからだ。

 その代わりというわけではないが、「なんとか請け負わせてもらった」という金堂には、金剛組の伝統技法と意地が盛り込まれている。

 「金堂もコンクリートでやったんやけど、昔から受け継いだ技術にもこだわった。コンクリートと木材の境目には、微妙に隙間を作っている。木は膨張するからな。千年先も考えて建てたんや」

 膨張率などを綿密に考えた上で、飛鳥時代から伝わる“アナログ”の技術も加える。「未来を考えて建築する」のが、歴史を背負った宮大工の矜持だ。昨今は耐震偽装問題などが発覚しているが、金剛組の建築物はその対極にある。

 「そら、信仰の対象として未来に残していくものを作っているんやから。見えへんから手を抜くとかはない」

 宮大工という職業に就いていても、五重塔の建築に関われるのは、一生に一度あるかないか。では、もしも今、四天王寺五重塔の建て替えを受注したら?

 「そら、今度は木造にしますよ。それも飛鳥時代から伝わる金剛組の技法を使ってね。現代の工法は使わないのかって? わたしらは、昔から伝わるやり方が一番いいと信じているからな」

 その言葉を実証するように、歴代の五重塔が地震で倒壊した例はない。そんな1400年伝わる奇跡の工法を今も守り続けていることが、金剛組を金剛組たらしめているのだろう。

2624名無しさん:2019/07/11(木) 12:58:05 ID:ylDuNnHU0
大阪歴史博物館で「水都大阪」特集 「漣」が重文指定後、大阪初披露 /大阪
7/10(水) 14:11配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190710-00000035-minkei-l27

  大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)の8階特集展示室で7月10日、特集展示「『漣(さざなみ)』を生んだ風景-近代水都大阪を描く-」が始まった。(京橋経済新聞)

 
今年は淀川改良工事が竣工して110年目に当たるため、同館では絵画作品を通して水と密接に関わった大阪の町並みを紹介する。錦絵「浪花繁栄東堀鉄橋図」には、大阪最初の鉄橋「高麗橋」が描かれ、日傘を差しドレスを身にまとう人の姿や蒸気船も見受けられる一方で、ちょんまげ姿の人や屋形船も描かれている。学芸員の大澤研一さんは「江戸時代から明治時代への移り変わりを感じていただけたら」と話す。

 今回注目は、湖面にきらめく波を表現した「漣」。1932(昭和7)年に福田平八郎が40歳で描いた作品で、白金(プラチナ)の箔(はく)を押した画面に不定型な群青色の色面を配置することのみで仕上げていて、福田の作風の特徴をもっともよく示す作例とされている。2016(平成28)年の重要文化財に指定後、大阪で初披露となる。

 ほかには、大正時代に架橋された東横堀川の本町橋が描かれている油絵「橋のある風景」を展示。本町橋は現存していて、現役の橋としては大阪市内最古。昭和戦前期の大阪の姿を描いた水彩画「大阪風景画帖」は写実的に描かれ、大阪の水辺空間が多様かつ日常的な存在であったことを伝える。

 大澤さんは「かつての水辺空間を知ってもらうことによって、今をもう一度見つめ直して、大阪の水辺空間に親しみをもってほしい」と語る。

 開館時間は9時30分〜17時。火曜休館。入場料は600円(中学生以下、大阪市在住・65歳以上(要身分証明証)、障がい者手帳持参者は無料)。8月19日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2625名無しさん:2019/07/13(土) 22:41:38 ID:NrdB.GxU0
世界遺産をヘリで上空から
07月13日 12時38分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190713/2000017582.html

 大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まったことを記念して、古墳群をヘリコプターで遊覧するイベントが堺市で行われています。
「百舌鳥・古市古墳群」のうち宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し「大山古墳」とも呼ばれる前方後円墳は、全長およそ500メートルと巨大で地上からは全体を見渡すことができません。
世界文化遺産への登録が決まったことを記念し、この古墳をヘリコプターから楽しむイベントが開かれています。
遊覧飛行は1回6分間で、参加した人たちは、上空およそ450メートルから古墳の全景を楽しんでいました。
小学2年生の男の子は、「鍵の穴のような古墳が見えて楽しかったです。公園や海も見えて良かったです」と話していました。
また、62歳の男性は、「横から古墳を見てもぱっとしませんでしたが上からは見栄えがよく、迫力があり見事でした」と話していました。
料金は1人5000円で15日まで行われ、天候が崩れなければ、午前9時半から午後4時半まで随時飛行するということです。

2626名無しさん:2019/07/14(日) 00:03:05 ID:NrdB.GxU0
生國魂神社の夏祭り始まる
07月11日 12時06分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190711/2000017526.html

 大阪に夏の到来を告げる三大夏祭りのひとつ、生國魂神社の夏祭りがあいにくの雨のなか11日から始まりました。

大阪・天王寺区の生國魂神社の夏祭りは、無病息災を祈願して平安時代から続く伝統行事です。
大阪天満宮の「天神祭」や住吉大社の「住吉祭」とともに大阪の三大夏祭りのひとつに数えられています。
11日朝は、あいにくの雨のなか、神社の本殿で地域の人が参列するなか、祭りの安全を祈って神職が祝詞を捧げました。
このあと、赤い頭巾にはっぴ姿の願人(がんじ)と呼ばれる男衆と、枕太鼓と呼ばれる直径1メートルほどの太鼓をのせた車が境内を出発しました。
一行は無病息災を祈願して力強く太鼓を打ち鳴らしながら地域を回り、時折車を止めて、大阪締めの手拍子も披露していました。
祭りは12日、中心となる行事が行われます。
みこしを担いで、大阪城までの道のりを練り歩く「渡御行列」が行われ、沿道にはおよそ500の屋台が並びます。

2627名無しさん:2019/07/14(日) 00:05:39 ID:NrdB.GxU0
大阪・寝屋川の成田山で8月15日に「笑魂祭」
7/13(土) 8:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190713-00000510-san-l27

 大阪府寝屋川市の成田山不動尊で8月15日、盆の行事「成田山笑魂祭(しょうこんまつり)」が開かれる。「笑魂塚」の前で、関西芸能界の物故者の冥福と芸道の上達などを祈願する屋外での護摩供(ごまく)法要と一般参加もできる「火渡り修行」がある。昭和34年建立の笑魂塚には関西芸能人の花故帳(過去帳)が納められており、横山たかし氏、タイヘイ夢路氏、水田かかし氏の名前が新たに記載される。

 午後7時からは駐車場に櫓(やぐら)を設置し、「関西芸能親和会」の芸人らが音頭を取る大盆踊り大会(飛び入り自由)を開催。夜店も並ぶという。問い合わせは同不動尊(072・833・8881)。

2628名無しさん:2019/07/15(月) 13:14:16 ID:NrdB.GxU0
ハルカスで古墳を楽しむ催し
07月15日 12時49分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190715/2000017617.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産の登録を受け、古墳群を望む高さ300メートルの「あべのハルカス」で古墳を楽しむイベントが開催されています。

日本一高いビル、「あべのハルカス」の展望台は大阪の堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがる「百舌鳥・古市古墳群」の大部分を一望できるスポットです。
展望台には、古墳の位置関係がわかるパネルが新たに設置され、訪れた人たちは古墳の名前などを確認しながら、遠くに広がる古墳群を眺めていました。
また、古墳時代の衣装を再現したコーナーもあり、家族連れなどが着付けをしてもらい笑顔で記念撮影をしていました。
このほか、展望台の下の階のカフェではラテアートで古墳が描かれた「古墳カフェラテ」や、古墳をかたどったコンニャクの「古墳田楽」も販売されています。
東京から仕事で大阪に戻っていた藤井寺市出身の30代の女性は「古墳だらけの地域で育ったので今回、世界遺産に登録されたことを受けて改めて見てみようとハルカスに登りました。上から見ることができてすごく素敵です」と話していました。

2629名無しさん:2019/07/18(木) 16:00:34 ID:NrdB.GxU0
古墳グッズ・イベント、大阪で次々と開催
7/18(木) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190718-00071909-lmaga-l27

 大阪初の世界遺産として盛り上がりを見せる「百舌鳥・古市古墳群」。そんななか、古墳の魅力を楽しむために増えているのが古墳グッズのイベント。7月17日から、「堺タカシマヤ」(大阪府堺市)で『古墳祭り in 堺タカシマヤ』がスタートした。

 古墳とハニワをモチーフとした文房具やアクセなどの雑貨、プリンやお弁当などの食物販が約200種も並ぶ同イベントは、堺のカフェ「紙カフェ」の松永友美さんによるイベントだ。2018年5月から始めて、早くも5回目となる。

「6月にも同じ場所でおこなったのですが、やはり違いますね。世界遺産になったから、買うつもりで皆さま来ていただいてます。古墳がかわいいからとお越しくださる方、また世界遺産の記念に買いに来られる方と裾野が広がっています」と、松永さんは話す。

「反正天皇陵古墳(田出井山古墳)」(堺市堺区)近くに住む40代女性は、「堺の古墳に興味を持ってもらえればと思って、マスキングテープなどをお土産用に買いました。ネタになるなって」と話題の種に購入。また、「3f STAINED GLASS WORKS」というブランド名で古墳アクセなどを作る女性作家は、「古墳雑貨を作っているとどんどん夢中になって。普段使えるものも多く、かわいいので」と、自宅用に1万円以上も購入していた。

ほかにも、すでに「東急ハンズ梅田店」では古墳好きにとっては定番イベント『古墳にコーフン!』(〜7月25日まで)が開催されているほか、堺の観光スポット「さかい利晶の杜」の『にぎわいマルシェ〜古墳を楽しもう!〜』が7月28日に、「阪急うめだ本店」では『古墳ハニワフェス』が7月31日〜8月6日におこなわれるなど、大阪での古墳グッズ・イベントがますます増えそうだ。

2630名無しさん:2019/07/18(木) 16:22:57 ID:NrdB.GxU0
渡辺美優紀、3年ぶり『LARME』で増刊号カバーモデルに 成長した美しさ&美肌披露
7/17(水) 12:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190717-00000329-oric-ent

 元NMB48のみるきーこと渡辺美優紀(25)が、17日発売の女性ファッション誌『LARME 041』(徳間書店)の特別増刊号の表紙を飾った。

 2016年8月にNMB48を卒業し、昨年9月に芸能活動を再開した渡辺。今年4月には1stソロアルバム『17%』をリリース、同作を引っさげて初の単独全国ツアーを開催、自身がプロデュース&参加するガールズユニットの発足など、精力的に活動しファンを喜ばせている。

 そんな渡辺が、『LARME 023』以来、3年ぶりに同誌にカムバック。特別増刊号のカバーモデルとして、大人に成長した美しさとかわらぬキュートさ、そして輝くような美肌を披露した。

 また、同号の通常版の表紙を飾ったのは女優・モデルの山本舞香。そのほか、人気声優の小倉唯、梅山恋和(NMB48)、小栗有以(AKB48)、吉田朱里(NMB48)、渡辺梨加(欅坂46)、アンジェラ芽衣、黒木ひかりなどが登場する。

2631名無しさん:2019/07/21(日) 09:31:41 ID:ylDuNnHU0
大阪城天守閣で「戦国の群像〜秀吉をとりまく人々〜」展 初公開「幸村の自筆書状」も /大阪
7/18(木) 22:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190718-00000084-minkei-l27

 大阪城天守閣(大阪市中央区大手前1)で7月19日、企画展示「戦国の群像〜秀吉をとりまく人々〜」が開催される。出展されるのは書状、工芸品、絵画、武具など53点。(京橋経済新聞)

 大坂城を拠点に天下統一した豊臣秀吉。秀吉と関わりのあった大名、武将、文化人の姿を、文化財を通して紹介する。見どころは大阪城天守閣で初披露となる真田幸村の自筆書状。このときの幸村は、まだ大坂方から協力の要請はなく、和歌山の九度山で蟄居させられたままの状況。「この書状から歯が抜け髭も白くなったと、老い衰えゆく自身の近況を伝える幸村の心細い心境がうかがえる」と当学芸員の岡嶋大峰さんは話す。

 秀吉の死後、ご神体として祭られた秀吉の木像も出品される。注目は秀吉がかぶっている「唐冠」。唐冠をかぶっている理由は明(当時の中国)を攻めたので、軍神としての性格を持っているのだという。

 錦絵としては「足利義教(よしのり)公」が出品。室町幕府6代将軍・義教は、秀吉とは一見関係ないように思える。だが、この絵は家臣に対して苛烈な態度をとって暗殺された義教を織田信長と見立て「嘉吉の乱」を「本能寺の変」になぞらえて描いた作品といわれている。他には豊臣秀頼が自筆した和歌を貼った屏風も。 

 岡嶋さんは「大坂城を舞台に秀吉と共に戦国の乱世を駆け抜けた武士・文化人といったさまざまな人々の生きざまを感じ取ってほしい」と話す。

 開館時間は9時〜17時(7月20日〜8月18日は9時〜19時、8月19日〜8月25日は9時〜18時)。入場料は600円(中学生以下、大阪市在住の65歳以上(要証明)、障がい者手帳持参の人は無料)

2632名無しさん:2019/07/24(水) 22:17:56 ID:NrdB.GxU0
日本三大祭の1つ「天神祭」宵宮 鉾流神事で幕開け 祭の安全と人々の無病息災祈る
7/24(水) 19:46配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190724-00000086-ytv-l27

  日本三大祭の1つ「天神祭」が宵宮を迎え、大阪市内では祭の幕開けとなる鉾流神事が行われた。

 24日午前8時半ごろ、今年の神童を中心とした約100人の行列が大阪天満宮を出発し、堂島川にかかる鉾流橋へと向かった。祭の幕開けを告げる鉾流神事は毎年、宵宮の日に行われていて、祭の安全と人々の無病息災を祈る。

 斎場でお祓いを受けた後、神童らは斎船に乗り込み、邪気を払う白木の神鉾を川に流した。

 天神祭は25日に本宮を迎え、約100隻の船の明かりが川を照らす「船渡御」が行われるほか、夜には約5000発の色鮮やかな花火が打ち上げられ、大阪の夜空を彩る。

2633名無しさん:2019/07/24(水) 22:20:48 ID:NrdB.GxU0
「古墳見物は上空から」 堺市長、世界遺産活用で検討
7/24(水) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190723-00000030-san-l27

 6月の堺市長選で初当選した永藤英機市長(大阪維新の会)が23日、産経新聞の単独インタビューに応じ、世界文化遺産に正式登録された百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群を活用した観光振興策について、「古墳群の保全を第一義とした上で、観光客にその壮大さを実感してもらえるよう、上空から眺めるためのあらゆる方策を検討する」と述べた。

 上空から眺める手段としては、熱気球やヘリコプター、セスナなどが考えられるが、ヘリやセスナには騒音問題があることから「常時は難しく、運航日や運航回数など近隣住民に配慮する必要がある」とし、「騒音のない熱気球が現時点では最も現実的」との考えを示した。

 アンコールワット(カンボジア)やカッパドキア(トルコ)などで行われている気球ツアーを参考に、「堺の実情に合う運用方法を模索する」という。

 また、観光客が充実した時間を過ごせるよう、熱気球の離着陸場となる大仙公園内にレストランやカフェを任期中に誘致する考えも明らかにした。

 一方、大阪府、大阪市との連携を強めていくとする公約については、「特に観光面が大きい。大阪を訪れている1100万人以上の外国人観光客をどう堺に呼び込むか、トップ同士の話し合いで戦略を練る」。大阪都構想については「公約通り今後4年間は議論しない」としつつ、グレーター大阪構想に関しては「消防や水道行政などは大阪に限らず、全国の自治体の大きなテーマ。その一つの案がグレーター大阪だと思う」とのスタンスを示した。

 現在の市の全事業をゼロベースで見直すとする公約については、「千を超える事業を1周見終わったところ。さらに2周、3周と、より細かいところまで見直し、8月定例市議会が始まるまでには示したい」と話した。

2634名無しさん:2019/07/24(水) 22:57:33 ID:NrdB.GxU0
令和に一新 御羽車披露 天満宮北側の氏地巡行
2019年7月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190724/20190724024.html

 天神祭の「宵々宮」を迎えた23日、大阪市北区の天神橋筋商店街では、令和で初めてとなる祭りに合わせて化粧直しされた神様の乗り物「御羽車(おはぐるま)」が、お披露目された。大阪天満宮の祭神、菅原道真公の神霊を乗せて巡行し、本宮(25日)に最高潮に達する「神様の氏地巡り」がスタートした。

 天神橋筋2〜6丁目商店街と振興町会でつくる団体「御羽車講」は、大阪天満宮で御羽車に神霊が移されると、商店街のアーケード内を練り歩いた。伝統衣装を身に着け、厳かな雰囲気の中で歩みを進めた。

 商店街の北端に到達すると、御羽車の前に祭壇を設け神職と共に「駐輦祭(ちゅうれんさい)」を斎行。天神祭の成功と商店街の繁栄を祈願した。

 「神様の氏地巡り」は、御鳳輦(ごほうれん)を核にした本宮の陸渡御と船渡御が知られるが、同宮の南側が中心。御羽車はこの日、北側を巡った。

 御羽車の修繕は、講の設立70年や改元の節目を踏まえて実施。木造部分の漆塗りを全面塗り直し、頂上部の飾りの金箔(きんぱく)を押し直したりした。田中誠一講元は「今回を一つの節目として、次は80周年に向けて伝統を紡いでいきたい」と思いを込めていた


北新地 勇壮華麗に みこしや獅子舞練り歩く
2019年7月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190724/20190724025.html

 大阪天満宮の氏地に当たる北新地(大阪市北区)では、宵々宮恒例の巡行が盛大に行われた。日没後、奉仕者の一行が大阪屈指の繁華街に繰り出して、人々に待望の「天神祭」の到来をふれて回った。

 もともと北新地での巡行は、天神祭本宮(25日)の陸渡御コースだったが、交通量の増加などの諸事情でやむなく途絶。2009年、氏子崇敬者でつくる団体の天神講獅子と鳳(おおとり)講が、さらなる地域おこしを願い本宮から宵々宮に日を移して復活させ、今年で11回目となった。

 現場では色とりどりの店の看板がともる中、鳳講のみこしと天神講獅子の獅子舞・傘踊りの奉仕者らが堂々と出発し、勇壮華麗なお練りが道行く人々の注目を集めた。巡行の列には、北新地の関係者とともに「北新地クイーン」も加わり、にぎやかな行事に花を添えた。

2635名無しさん:2019/07/24(水) 23:13:07 ID:NrdB.GxU0
浴衣と法被 天神祭気分 シティ信金が盛り上げ
2019年7月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190723/20190723036.html

 25日に本宮を迎える天神祭を盛り上げようと、大阪シティ信用金庫(本店・大阪市中央区、高橋知史理事長)は22日、メイン会場に近い本店営業部と梅田支店(同市北区)で、職員が浴衣や法被を着用した営業を始めた。店内は一足早く、祭りのにぎやかな雰囲気に包まれた。

 同金庫は1989年から天神祭に協賛し、浴衣姿での営業は94年から続く。

 本店営業部では、30人の職員が浴衣や法被をまとい、店舗の内外にちょうちんをつるすなどして祭りムードを演出。浴衣姿の女性職員が、来店客に特製のうちわを配った。

 久保隆志本店営業部長は「最近は暗いニュースが続いている。浴衣や法被の華やかな装いで、社会の閉塞(へいそく)感を吹き飛ばし、元気な大阪を発信したい」と意気込んだ。

 浴衣や法被での営業は25日まで行う。

2636名無しさん:2019/07/24(水) 23:14:05 ID:NrdB.GxU0
あすから「だいがく祭」 西成の生根神社
2019年7月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190723/20190723037.html

 大阪市西成区玉出西の生根(いくね)神社(吉見友伸宮司)で24、25の両日、伝統行事「だいがく祭」が執り行われる。竿灯(かんとう)に似た貴重な「だいがく」(府指定有形文化財)を境内で披露するほか、勇壮華麗なだいがく担ぎなどを行う。

 だいがくは農民の雨乞いが起源。最後に残った3基のうち2基が戦時中の空襲で失われたが、現存する1基は府外にあり被害を免れた。 行事内容は次の通り。

 24日=午後7時半〜「だいがく音頭」奉納(境内)、「男性だいがく」担ぎ披露(玉出西公園)▽25日=同5時〜「子どもだいがく」担ぎ披露(境内)、同6時〜「だいがく踊り」奉納、同7時半〜「だいがく音頭」奉納、「女性だいがく」「男性だいがく」担ぎ披露(玉出西公園)。問い合わせは電話06(6659)2821。

2637名無しさん:2019/07/25(木) 15:49:07 ID:NrdB.GxU0
25日本宮 大阪の夏 一気に本番
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725026.html

 日本三大祭りの一つ天神祭は24日、宵宮を迎えた。大阪市北区の大阪天満宮を中心に市内各地でさまざまな行事が繰り広げられ、25日の本宮に向けて一帯のお祭りムードは一気に高まった。近畿地方はこの日、梅雨明けが宣言され、水都・大阪にも本格的な夏が到来。強い日差しの中で令和最初の天神祭が幕を開けた。

 大阪天満宮本殿では、神職らが宵宮祭を斎行。近隣の川では神童が鉾(ほこ)を流す神事を厳かに執り行い、かつては神様が氏地を巡る「渡御」の目的地だった同市西区の千代崎行宮でも行事を行った。

 大阪天満宮の境内では、祭りを支える団体「講」の関係者らがかねや太鼓を打ち鳴らし、みこしや獅子舞を披露。中でもシーソーのように台を揺らしながら太鼓を打ち鳴らす「催太鼓(もよおしだいこ)」の打法が豪快に披露されると、響き渡る太鼓の音とともに熱気は最高潮に達し、参拝者らの注目を集めた。

2638名無しさん:2019/07/25(木) 15:51:12 ID:NrdB.GxU0
渡御に備え「鉾流神事」 本宮のための舞台整う
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725027.html

 7日の七夕に19日間の日程でスタートした天神祭月間は、大詰めを迎えた。24日の宵宮は、大阪天満宮(大阪市北区)の神職たちが厳かに神事を執り行い、祭りに奉仕する団体「講」が市内各地に祭りの活気をもたらした。「静」と「動」が交錯する中で本宮のための舞台が整った。

 天神祭の中心は、同宮に祭られる菅原道真公の神霊が氏地を巡行する行事。市内の繁栄を祈願する。

 宵宮では、渡御行事に備えるため、同区の堂島川で、川に神鉾(かみほこ)を流す「鉾流(ほこながし)神事」を斎行。951年に始まったとされ、鉾が流れ着いた場所を氏地巡行の休憩所「行宮(御旅所)」と定めた故事にちなむ。

 神霊は、船で川を下って向かい、その際に領民たちが船を仕立てて迎えたのが天神祭の起源。江戸時代に御旅所が常設され、いったん中止されたが、1930年に復活した。

 鉾流神事では、大阪天満宮から鉾流橋の斎場まで約200人の関係者が列をなして移動。神職らが舟で堂島川の中ほどまでこぎ出し、神童の川崎正義君(11)=西天満小6年=が白木の神鉾を川に流した。

 一方、一時期渡御の目的地だった千代崎行宮(同市西区)では、かつての伝統を踏まえて行宮祭を行った。

 25日の本宮は、関係者が歴史絵巻のような様相で同市北区内を練り歩く陸渡御と、大船団が大川を行き交う船渡御を繰り広げ、夜には奉納花火約5千発が打ち上げられる


「神の使い」伝承復活 願人、本殿正面から出発
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725029.html

 24日の天神祭宵宮では、「催(もよおし)太鼓」の打ち手「願人(がんじ)」が、大阪天満宮(大阪市北区)の本殿正面から出発する伝承が復活した。

 願人は、祭りを支える団体の一つ「太鼓中」の一員。近年は、本殿横側から出入りしていたが、口伝では神の使いとして正面から出発する姿が伝わっていた。改元の節目に合わせ、天神祭の由緒ある姿を後世に伝えようと、関係者らが実現に踏み切った。

2639名無しさん:2019/07/25(木) 15:54:08 ID:NrdB.GxU0
梅の枝授ける 綱敷天神社で遣梅式の神事
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725028.html

 大阪市北区茶屋町の綱敷天(つなしきてん)神社御旅社で24日、天神祭の本宮(25日)で執り行われる「神霊移御祭(しんれいいぎょさい)」で使われる梅の瑞枝(みずえ)を、大阪天満宮の関係者に授ける「遣梅式(けんばいしき)」が行われた。

 同社は菅原道真公を祭り、大阪天満宮とゆかりが深い。遣梅式は、明治維新の動乱と御旅社の現在地への移転などで途絶。2010年に関係資料が発見されたことから復活した。

 大阪天満宮の神鉾(かみほこ)講のメンバーと今年の神童の川崎正義君(11)=西天満小6年=が同社を訪れ、厳かに神事が進められた。しっかりと梅の枝を受け取った川崎君は「思っていたよりずっと大役で緊張したけど、失敗せずにすんでよかった」と話した。


大阪締めで士気高める 鳳講が来社、盛り上げ
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725031.html

 天神祭宵宮の24日、陸渡御巡行の鳳神輿(おおとりみこし)を繰り出す大阪天満宮の「鳳講」が、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れた。社内で大阪締めを披露し、祭りムードを盛り上げた。

 鳳講は祭りを支える「講」の一つ。みこしは1840年に奉納され、江戸時代は菅原道真公の神霊を乗せていた。現在は菅原家の祖先とされる野見宿禰(のみのすくね)が祭られている。本宮では重さ約2トンのみこしを、若い衆ら約80人が担ぎ、陸渡御を盛り上げる。

 鳳講の中岡勝さん(75)ら7人が来社。深田巧総局長や社員らも一緒に大阪締めを行い、士気を高めた。中岡さんは「つつがなく、盛り上げていきたい」と意気込んでいた。

2640名無しさん:2019/07/25(木) 15:55:09 ID:NrdB.GxU0
水上薪能 幽玄の世界へいざなう 能船を係留し披露
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725030.html

 能楽奉賛会は24日、天神祭の宵宮に合わせ、船上で薪能を繰り広げる「宵宮祭奉納水上薪能」を、大阪市北区の「大阪アメニティパーク(OAP)」前で行い、来場者を幽玄の世界にいざなった。

 天神祭を盛り上げようと開く恒例行事。25日の天神祭本宮で船渡御に参加する舞台船の一つ「能船」をOAP港に係留して行った。

 帝国ホテル大阪による天神祭のセミナーや、講社連合会の協力でおはやしや獅子舞も披露された。祭りの雰囲気が高まる中、薪の炎に照らされた舞台では、「羽衣」といった能が披露され、来場者は伝統の世界に酔いしれた。

2641名無しさん:2019/07/27(土) 21:07:02 ID:R6z63jak0
>>天皇陵の発掘調査を要求した学者に、“墳墓発掘罪の未遂罪”で懲役刑を課そう!
 天皇がご親拝される、皇祖皇宗の天皇陵の聖性と静謐は、国挙げて、国民挙げて、護持せねばならない。方法は次の三つ。
A、全ての「天皇陵/参考「天皇陵」/天皇陵陪塚/皇子・后・皇女陵」を、(ロシアKGBと中共が背後で操る)ユネスコの「世界遺産」から直ちに抹消する。これは、安倍晋三の鶴の一声で簡単なこと。
B、「天皇陵/参考「天皇陵」/天皇陵陪塚/皇子・后・皇女陵」に対する“皇室侮辱語”「古墳」名をすべて禁止し、廃棄させる。歴史学の時代区分「古墳時代」は「巨大墳墓時代」に、
「古市古墳群」は「古市《天皇陵ほか巨大墳墓》群」に、「百舌鳥古墳群」は「百舌鳥《天皇陵ほか巨大墳墓》群」に正しく改名する。
これは刑法第188条に基づく行政措置でも可能。が、これに抵抗する共産党系学者がいずれいっせいに蜂起する場合を考慮して、この改名を、刑法第188条に基づく、刑法ではなく一般行政法の法律として立法しておくのが常識。
C、「天皇陵/参考「天皇陵」/天皇陵陪塚/皇子・后・皇女陵」に対する、「公開させろ」「発掘調査をさせろ」は、一般国民の墳墓に対する場合ですら、刑法第188条第一項の礼拝所冒瀆の犯罪として処罰は可能。が、刑法第189条の「墳墓発掘罪」の未遂にも当たるから、この「墳墓発掘の未遂の罪」を明確にすべく、刑法第189条に、第二項として「公に墳墓発掘を強要する言動をなしたる、前項の未遂者は、六ヶ月以下の懲役に処する」を、追加する。

(附記) 応神/仁徳天皇は、神武天皇の正系。新王朝説は共産党の歴史捏造
 “天皇制廃止”&“日本という国家消滅”を、宗教ドグマとして、狂妄する狂気のカルト宗教団体・共産党は、この目的のために手段を択ばず歴史の改竄と捏造という犯罪を、やりたい放題にやっている。反人間に立脚する彼らは、良心を持つこと自体が罪で、真実は破壊尽さなければならない。当然、歴史は真実であってはならず、共産党が作為した真赤な嘘歴史であることが絶対である。
 戦後、日本の歴史学会を占領したカルト宗教団体・共産党の歴史偽造の一つが、織田信長を超える天才軍略家・神功皇后を歴史から抹殺する事であったし、“神功皇后の直系”応神天皇/仁徳天皇が、神武天皇の正系(正統 しょうとう)天皇である自明すぎる歴史を改竄して、「九州からやってきた」との荒唐無稽な架空小説を流布することであった。
 私が、この種の真赤な嘘歴史捏造で最も大きな影響をもった党員・井上光貞の『日本の歴史』第一巻(中央公論社)を読んだのは、本郷に進学した1965年。井上光貞とは、その後、正門の銀杏並木で一度すれ違ったことがあるが、上品な雰囲気にびっくりした。これほどの歴史捏造をする“歴史の大犯罪者”だから、きっと鬼のような顔立ちだろうと想像していたからだ。ともあれ、「スターリン32年テーゼ」を推し戴く、“天性の嘘つき矯激コミュニスト”井上光貞は、こう書いた。
「応神天皇は新しい王朝の創始者だ、という(水野祐の)考えには賛成である」「応神天皇は他所からきて仲姫命を娶って、皇位に即いたのであろう」「応神天皇が九州の豪族であったとする点も尤もだと思う」「応神天皇その人が、海を渡って(朝鮮半島から)日本に侵入したのであったとした方が、仮説としては合理的だと思っている」(注2)。
 なんとも馬鹿馬鹿しい三文小説。これだから、米国のように、共産党員や共産党の活動に参加したそのシンパに対し、国民の税金を一セントも支払ってはならないとする、公務員から即座に自動解雇する“共産主義者規正法”が、自由社会では必要なのだ。井上光貞は、東大教授で国家公務員。
 井上光貞よ、応神天皇が、九州の豪族なら、その豪族の名前をあげてみろ。その豪族の支配地を言えよ。それよりか、応神天皇の父母の名前を言ったらどうだ。だが、井上光貞は、「そんなこと、知るか」の一言。仲姫命は景行天皇の皇曽孫。それがどうして、九州の田舎豪族の名無し男を迎えるのか、説明できまい。何から何まで、口から出任せ、それが“悪魔の共産党員”井上光貞の正体。
 神功皇后の新羅征伐によって、朝鮮半島の南部を植民地とした大和朝廷は、経済力を鰻登りに増大させた。おそらく、景行・成務・仲哀天皇の時代に比すれば、応神・仁徳天皇の時代のGDPは、少なくとも三倍には膨れ上がったと考えられる。
 そうでない限り、応神天皇・仁徳天皇の、あの巨大な御陵は築造できない。数年以上に亘って近畿一円の農民数万人を農閑期に徴用するのだが、その運搬した土の量からして、トテツモナイ富の蓄積がなかったならば、不可能な事であった。三食の食事は無料で提供しなくてはならないし、野良着の支給と春に還る時に渡す鉄製の鍬(例えば、村ごとに二本?)やその他のご褒美は、神武天皇から仲哀天皇までの天皇であれば、財力的に決してできない。

2642名無しさん:2019/07/27(土) 21:08:43 ID:R6z63jak0
この分析は、いずれ自著で発表する。が、馬鹿げた三文小説「応神天皇 新王朝説」をデッチアゲるための詭弁の一つを、ここで叩きのめしておこう。それは、「神武天皇から一貫して皇居も御陵も、奈良の大和盆地の南部であったのに、この故郷を棄て、(今の大阪府の南部)河内地方に移動したのは、九州や朝鮮半島からのよそ者だったからだ」との、アホらしい超屁理屈。
 河内は、即位される前から神武天皇が直轄する支配地であった。大和盆地の南部に神武天皇が拠点を置かれたのは、その防備に河内からの縦深をとる必要があったからだ。大和盆地に侵略する敵は、必ず河内を占領する。奈良県橿原を護るには、河内の争奪戦争で必ず勝利しなくてはならない。河内を敵に奪われると、敵は大和川を遡行して一気に大軍を奈良県南部に投入できる。
 この地形は、満洲南部の「奉天から遼東半島の旅順/203高地」そっくり。奉天を奈良県橿原、旅順港を当時の大阪湾(湿地帯に覆われた浜名湖をイメージせよ)、203高地を生駒山に置換えて見よ。
 応神天皇以降、河内に拠点を移動できたのは、大和朝廷の軍事力が強大になり、外敵の対「河内」侵入があり得なくなったことが第一。第二は、朝鮮半島の植民地経営に国富の多くを依存する政治体制において、河内に大和朝廷の中枢を置く方が行政効率を向上できること。鉄製武具も、それまでの奈良県南部で生産するより、半島に出撃する河内での、大きな新工場で製造した方がはるかにコストを削減できること。
 なお、当時の大和川は、河口付近で北に曲がり、大阪湾内に流れ込んでいた。現在のように堺市をつきぬけ瀬戸内海に流れるようになったのは、江戸時代の開鑿による。
 「古市《天皇陵ほか巨大墳墓》群」も「百舌鳥《天皇陵ほか巨大墳墓》群」も、神武天皇の支配領域であった旧大和川の傍に築造されたように、神武天皇が直轄していた故地の中に造られている。おそらく神武天皇が狩りをした場所とか、立ち止まって休まれた場所とか、そのような言い伝えが残る場所が選ばれたはずだ。まともな学者なら、神武天皇から男系男子で一直線に繋がる応神天皇/仁徳天皇を、朝鮮半島からのツングース族とか、九州からの余所者とか、根拠ゼロの爆笑するほかない真赤な詐言を吹聴などしない。                         
(2019年7月18日記)
http://nakagawayatsuhiro.com/?p=801

2643名無しさん:2019/07/27(土) 22:45:05 ID:NrdB.GxU0
「模擬原爆」の犠牲者を追悼
07月26日 12時37分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190726/2000018206.html

 太平洋戦争末期にアメリカ軍が大阪・東住吉区に原爆と同じ形の爆弾、「模擬原爆」を投下してから26日で74年となり、犠牲となった人たちを追悼する式典が行われました。

「模擬原爆」は、本物の原爆を正確に投下するための実験用として、アメリカ軍が全国各地に落とした原爆と同じ形の爆弾です。
大阪・東住吉区の田辺地区では、74年前の7月26日に投下されて7人が死亡、73人がけがをし、26日は、当時を知る人や地元の小中学生などおよそ250人が出席して追悼式が行われました。
爆弾が投下された午前9時26分に全員で黙とうをささげたあと、投下された場所から200メートルほどの場所にいたという、龍野繁子さん(94)が「ドーンという、建物に石が突き破った音が今も忘れられません。友人を失くしたこともずっと心に重くのしかかっています」などと体験を語りました。
このあと、子どもたちが「次の世代に責任を持って平和を受け継ぎたい」と誓いの言葉を述べ、慰霊碑の前に千羽鶴を供え、犠牲となった人たちを追悼しました。
中学3年生の男子生徒は「体験者の方の声を聞いて恐ろしさを実感しました。戦争はなくしていきたい」と話していました。

2644名無しさん:2019/07/27(土) 23:52:38 ID:NrdB.GxU0
5千発華やか 令和奉祝 水都祭・天神祭奉納花火
2019年7月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190726/20190726023.html

 日本三大祭りの一つ、大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭が25日、本宮を迎えた。令和で初めての斎行は、のぼりや横断幕で天皇陛下即位への祝意が示され、約3千人の大行列による陸渡御や、約100隻の船団が行き交う船渡御が大阪市内で執り行われた。大川一帯で開催された第73回水都祭・天神祭奉納花火(実行委員会、大阪日日新聞主催)では、約5千発の花火やレーザー光の演出が繰り広げられ、観客を魅了。新たな歴史の第一歩を踏み出した。 (7月26日18、19、24面に関連記事)

 祭りでは、神職らが本殿で市中の平安と繁栄を祈願する本宮祭を斎行。今年は、令和の時代が長く続くように願う奉祝祭も行った。

 菅原道真公の神霊を御鳳輦(ごほうれん)に移して「神様の氏地巡行」がスタート。陸渡御の渡御列は、催(もよおし)太鼓を先頭に御堂筋など約3キロを練り歩き、船渡御は、乗船場となる天神橋付近から続々と船に乗り込み、約7キロを航行した。

 天神祭のクライマックスには、約5千発の奉納花火が打ち上げられ、大阪の夜空と川面を華やかに彩った。造幣局の建物にはレーザー光線で文字やイラストが表現され、会場を盛り上げた。

2645名無しさん:2019/07/28(日) 16:45:17 ID:NrdB.GxU0
近鉄電車で「こふん列車」運行開始 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産記念で /大阪
7/28(日) 14:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190728-00000006-minkei-l27

  近畿日本鉄道は7月28日、古墳をイメージするイラストをラッピングした「こふん列車」の運行を開始した。(あべの経済新聞)

 
「こふん列車」は、外装に古墳をイメージするイラストのラッピングや、車内のつり革を特別なつり革に変更するなど古墳をイメージする装飾を施した。運行区間は南大阪線、吉野線、長野線、御所線。編成数は1編成(3両、6020系車両)。

 大阪阿部野橋駅では同日、出発式を開催。藤井寺市の岡田一樹市長、羽曳野市の北川嗣雄市長が参加したほか、藤井寺市公式キャラクター「まなりくん」、羽曳野市ご当地キャラクター「つぶたん」、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録応援キャラクター「ハニワ課長」も登場した。

 近鉄は、百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録決定されたことから、羽曳野市、藤井寺市と連携し、古市古墳群エリアの魅力を発信する近鉄エリアキャンペーン「こふんまち 羽曳野・藤井寺」を実施。「こふん列車」はその一環となる。同キャンペーンは11月30日まで。
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2646名無しさん:2019/07/28(日) 16:58:08 ID:NrdB.GxU0
大阪とは長い歴史を誇りつつ、常に最先端でもあらんとする世界的にも稀な大都市であります。


しんきゅう院など国の文化財に
07月28日 05時08分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190728/2000018270.html

 重な建造物を登録・保存する国の登録有形文化財に、江戸時代に建てられた大阪・東住吉区のしんきゅう院や吹田市の旧家など大阪府内の3か所、あわせて14の建造物が新たに登録されることになりました。

これは文化庁の文化審議会が今月19日、文部科学大臣に答申したもので、大阪府内では新たに3か所、14の建造物が登録されることになりました。
このうち、大阪・東住吉区針中野の「針中野中野鍼」(はりなかの・なかのはり)は、この地域の地名の由来とされる江戸時代末期から明治にかけて建てられたしんきゅう院です。
現在も治療を行う「鍼の処」や、塀の前面に屋根を突出させた特徴的な形の「表門」などあわせて6つの建造物が登録されることになりました。
大阪府内では、このほか、江戸時代から大正時代にかけて建てられた吹田市の旧家「山本家住宅」や枚方市の旧家「松宮家住宅」なども新たに登録され、保存が図られる見通しになりました。
大阪府文化財保護課によりますと、これで府内の国の登録有形文化財は250か所、あわせて749件になるということです。

2647名無しさん:2019/08/04(日) 01:22:16 ID:NrdB.GxU0
古式ゆかしく 茅の輪くぐり 猛暑彩る「住吉祭」
2019年8月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190801/20190801039.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で31日、大阪の夏祭りシーズンの最後を飾る「住吉祭」の夏越祓(なごしのはらえ)神事が執り行われた。せみ時雨に境内で、古式ゆかしい時代装束姿の奉仕者らに続いて一般の参拝者が、列をなして大きな茅(ち)の輪をくぐった。

 神事は1972年に「住吉大社の夏越祭」として大阪府民俗文化財に指定されている。

 同市内の最高気温は35・4度まで上がり、今年の最高を更新する猛暑日。厳しい暑さの中、境内・五月殿では大祓式があり、式を終えた夏越女や稚児らが、神職に続いて第一本宮までの3カ所に設けられた茅の輪をくぐり、さらに身を清めた。

 同本宮前の祭典では、伝統の神楽や住吉踊(おどり)などが奉納され、国内外の参拝者がみやびやかな光景に見入っていた。

 同祭最終日の1日は午後2時頃から「神輿(みこし)渡御」が行われる。重さ約2トンの大みこしなど約1200人からなる奉仕者が宿院頓宮(堺市堺区)まで練り歩く。

2648名無しさん:2019/08/05(月) 20:45:10 ID:ylDuNnHU0
大阪歴史博物館でニャンダフルな「浮世絵ねこの世界展」 /大阪
8/5(月) 12:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190805-00000020-minkei-l27

 大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で6階特集展示室で現在、特別展「ニャンダフル浮世絵ねこの世界展」が開催されている。(京橋経済新聞)

 
浮世絵で描かれた猫の作品153点を7つのブロックに分けて展示。無類の猫好きである浮世絵師・歌川国芳(くによし)らの個性的な作風とともに、人々が猫とどのように関わってきたのか、人が猫にどのようなイメージを持っていたのかを紹介する。学芸員の安岡早穂さんは「猫は江戸・明治の人々も魅了してきた。かわいい猫から不気味な猫まで、さまざまな猫の姿を見てほしい」と話す。

 猫と日本人の関係は、一説によると奈良時代に仏教の経典を食い荒らすネズミ退治のために中国から輸入した時に始まったとされている。江戸時代では米を食べてしまうネズミを退治するため猫が活躍し、ネズミよけの浮世絵としても描かれた。詞書(ことばがき)には「この絵を貼るとネズミも恐れをなして次第にいなくなる」と書かれている。

 一方「源氏物語」で猫はペットとして登場する。「見立女三宮(みたておんなさんのみや)」は江戸時代の遊女と飼い猫を「源氏物語」の登場人物に見立てて描かれている。平安時代の猫はひもでつながれていたことが絵から見て取れる。人間の世界に入り込んだ猫たちは、浮世絵の中で美人や子どもと共に描かれた。絵の中での猫は添え物的な扱いが多かったが、歌川国芳によって主役的な存在として描かれた。

 かわいいという反面、不気味な一面も持つ猫。夜中に活動し足音もなく現れ、死ぬ時には人に見られないようどこかへ姿を消すといった猫の姿に、江戸時代の人たちは薄気味悪さを感じ、いくつもの「化け猫物語」が誕生した。「五拾三次之内猫之怪(ごじゅうさんつぎのうちねこのかい)」では9匹の猫が組み重なって巨大な化け猫を描いている。

 安岡さんは「当時の人々の猫の見方と現代をシンクロさせて見ることで、猫とどう付き合っていくのかということにも目を向けるきっかけになれば」と語る。

 開館時間は9時30分〜17時(会期中の金曜日は20時まで、入館は閉館の30分前まで)。火曜休館(8月13日は開館)。料金は、特別展のみ=大人800円、高大生600円、常設展との共通券=大人1,320円、高大生940円。中学生以下、障がい者手帳持参者(介護者1人含む)は無料。9月8日まで。
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2649名無しさん:2019/08/07(水) 22:26:15 ID:NrdB.GxU0
文楽貸し切り公演 「親子劇場」に700人招待
2019年8月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190804/20190804027.html

 大阪を中心にスーパーマーケットを展開するコノミヤ(大阪市鶴見区、芋縄隆史社長)は3日、国立文楽劇場(同中央区)で上演中の「夏休み文楽特別公演」の第1部「親子劇場」を貸し切り、顧客350組700人を招待した。子どもにも親しみやすい演目で、来場者は親子で伝統芸能を楽しんだ。

 大阪が誇る伝統芸能を応援し、地域社会へ貢献しようと毎年行っている事業で、今年で10回目。協賛企業の対象商品を購入して応募した約千人の中から抽選で招待した。

 「親子劇場」では「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」渡し場の段、「かみなり太鼓(だいこ)」を上演。間には3人で一つの人形を遣う文楽独特の操法を解説するコーナーがあり、舞台に上がって実際に人形遣いに挑戦した子どもたちは「重たかった」「姿勢がきつかった」などと感想を述べた。

 芋縄社長は「お客さんもメーカーもわれわれも、みんながウィンウィンになるような事業をこれからもやっていきたい」と話した。

2650名無しさん:2019/08/07(水) 22:33:32 ID:NrdB.GxU0
豪快フィナーレ 住吉祭
019年8月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190802/20190802030.html

 住吉大社(大阪市住吉区、高井道弘宮司)の「住吉祭」最終日となる1日、伝統の「神輿(みこし)渡御」が盛大に執り行われ、大阪の夏祭りシーズンを華やかに締めくくった。

 厳しい暑さの中、大阪一とたたえられる大みこし(重さ約2トン)を中心に、鳳輦(ほうれん)や獅子舞、神馬(しんめ)など約1200人からなる一大渡御列が境内を出発。一行は随所で地域住民の拍手と声援を受けながら、堺市内にある宿院頓宮を目指して練り歩いた。

 このうち輿丁(よちょう)と呼ばれる大みこしの担ぎ手は、独特の「べぇら、べぇら」の掛け声とともに境内の反(そり)橋を渡って宮出した。大阪・堺両市の間を流れる大和川では、大みこしを担いだまま川を豪快に渡り、令和最初の住吉祭を大いに盛り上げた。

2651名無しさん:2019/08/10(土) 23:10:29 ID:NrdB.GxU0
非常に長い歴史を誇る‟古都・大阪”らしい行事です。

四天王寺でお盆行事「万灯供養」 ろうそく1万本が幻想的にともる
8/10(土) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190810-00000002-minkei-l27

 和宗総本山・四天王寺(大阪市天王寺区)で8月9日、お盆の先祖供養のために行う恒例行事「万灯供養」が始まった。(あべの経済新聞)

 
平安時代から続いているといわれ、毎年多くの人が訪れる行事。五重塔がある中心伽藍(がらん)内にろうそく立てを設営し、参詣者が先祖の霊名を「万灯ろうそく」に記入して供養する。一夜でろうそく約1万本に灯がともり、幻想的な雰囲気となる。併せて1日4回(15日は7回)、僧侶が般若心経を唱えて練り歩く「万灯供養法要」も行われる。

 万灯供養の開催時間は18時ごろ〜21時(15日は22時まで)。献灯料(ろうそく)は1本700円。今月16日まで。
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2652名無しさん:2019/08/11(日) 21:29:58 ID:NrdB.GxU0
長い歴史を誇る大阪にとって悲しい歴史の一つです。


戦時中処分された動物の剥製展示
08月08日 08時11分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190808/2000018679.html

 太平洋戦争末期に動物園がみずから動物たちを殺さざるをえなかった悲劇を通じて戦争の悲惨さを伝えようと、大阪の天王寺動物園は剥製などの展示会を開いています。

天王寺動物園は、戦時中、空襲でおりが破壊される恐れがあったことから、逃げ出して人を襲わないよう猛獣26頭を殺す処分をせざるをえませんでした。
こうした悲劇を通じて戦争の悲惨さを伝えようと、動物園は処分された動物の剥製などを展示する「戦時中の動物園」展を開いています。
剥製は、毒入りの肉を与えられて犠牲となったライオンやホッキョクグマなどの毛や皮を使って、当時の職員たちが作り受け継いできたものです。
このうち、毒入りの肉をどうしても食べなかったことから絞め殺されたというヒョウの剥製のそばには、飼育員がヒョウの体に優しく触れながら寄り添う写真も飾られています。
会場を訪れた女性は、「動物はやせて栄養が行き渡らずにギリギリのところで生きていたことがわかります」と話していました。
天王寺動物園の獣医師、越智翔一さんは、「心を込めて育てた動物を自分の手で殺さなければならなかったという悲劇を二度と繰り返してはいけないということを伝えていきたいです」と話していました。
この企画展は、8月18日まで開かれています。

2653名無しさん:2019/08/11(日) 21:51:09 ID:NrdB.GxU0
>桑山さんの父、重貞さん=当時(24)=が機関士を務めた輸送船「愛国丸」

 愛国丸
>愛国丸(あいこくまる)は大阪商船が南アフリカ航路へ投入するために建造した貨客船の内の1船
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%9B%BD%E4%B8%B8_(%E7%89%B9%E8%A8%AD%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)

「日本に戻りたい」トラック諸島空襲の遺族、沈没船に残る父の思い代弁
2019.8.11 18:00
https://www.sankei.com/life/news/190811/lif1908110029-n1.html

 74回目の「終戦の日」を前に、日本統治下のトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)で米軍の空襲に遭い、海底で眠る父への思いを募らせる遺族がいる。撃沈された艦船内には無数の遺骨が残存するが、技術的なハードルが高く、収集が進んでいない実情がある。現地で慰霊を続けてきた遺児の桑山市郎治(いちろうじ)さん(77)=愛知県知多市=は「父が『日本に戻りたい』と訴えている気がしてならない」と、父親の思いを代弁する。

 日本の南東約3千キロの太平洋上に、200を超える島々が点在するチューク諸島。コバルトブルーの海深くにさび付いた船体が横たわり、一部はサンゴで覆われ、熱帯魚が漂う。ダイビングスポットにふさわしい光景が広がる一方、爆撃の痕跡が生々しい船内には戦没者の遺骨が散在する。

 桑山さんの父、重貞さん=当時(24)=が機関士を務めた輸送船「愛国丸」はデュブロン島(当時は夏島)の東約2キロ、水深50〜70メートルの地点にその姿を残す。民間貨客船から旧日本海軍に徴用され、昭和19年2月17日のトラック空襲で米軍機の爆撃により、ほんの数分で沈められた。

 重貞さんは名古屋市で戦艦や戦闘機を製造していた三菱重工業の工場で働いていたが、召集令状を受けて出征。19年1月24日、神奈川・横須賀から愛国丸でトラック諸島に向かった。

 桑山さんは当時1歳半。母のお腹の中には、弟がいた。「国のためとはいえ、幼い子供たちと離ればなれになることに心残りがあったと思う」と桑山さん。軍服姿の写真と、趣味で描いていた数枚の絵画などがわずかな父の遺品だった。

 桑山さんが母とともに初めてチューク諸島を訪れたのは、父の死から40年たった59年7月。現地のダイバーらの情報に基づき、愛国丸から349柱の遺骨が引き揚げられ、それに合わせて生還者や遺族が沈没地点での洋上慰霊祭、遺骨の焼骨式に参加した。

 洋上に花を手向け、黙祷(もくとう)をささげた時、長年待っていた父にようやく巡り合えた気がした。桑山さんは「海面に沈没船からであろう油が浮き上がっていた。父たちが祖国に帰るまでは終わっていないと訴えかけてくるようで、生への執念を感じた」と振り返る。

2654名無しさん:2019/08/11(日) 21:54:10 ID:NrdB.GxU0
https://www.sankei.com/life/news/190811/lif1908110029-n2.html

桑山さんの慰霊の旅は平成6年、25年、29年と計4回続き、25年には3年前に亡くなった母の遺骨の一部を愛国丸の沈没地点にまいた。ただ、国による戦没者遺骨の収集は6年の6柱を最後に行われていない。

 桑山さんの父が最期を迎えたとみられる愛国丸の機関室は出入り口のハッチが開かずに入れないと説明されており、「仕方がないと心の区切りをつけていた」(桑山さん)。だが最近、ダイバーが別ルートで機関室に達し、遺骨を見つけたとの情報が寄せられ、「父がまだいるのではないか」との思いに駆られた。

 遺骨収集事業を担う厚生労働省も同様の情報を把握しているが、潜水の技術面でギリギリの深さにあるとみられ、安全性など慎重な検討が必要だという。

 桑山さんはかつて参加した焼骨式で、遺骨から立ち上る煙が自然と日本の方角に流れていった情景が忘れられない。「遺骨収集が国の責務なら、せめて目に見える遺骨だけは持ち帰ることができるようにしてほしい」。桑山さんはこう強く願っている。(伊藤真呂武)

■トラック空襲 昭和19年2月17日から18日にかけ、旧日本海軍の連合艦隊停泊地だったトラック諸島に対する米機動部隊の集中攻撃。旧防衛庁編著の戦史叢書(そうしょ)によると、41隻の艦船が沈没し、このうち愛国丸を含む31隻が民間からの徴用船だった。愛国丸の犠牲者は400人以上とされる。戦艦「武蔵」など連合艦隊の主力部隊は空襲前に日本本土やパラオ・ペリリュー島に撤退していた。

2655名無しさん:2019/08/11(日) 23:41:02 ID:NrdB.GxU0
「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる
8/11(日) 19:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190811-00000516-san-soci

  飛鳥〜奈良時代に一時的に都が置かれた難波宮跡(大阪市中央区)の発掘調査現場から、1939(昭和14)年に旧満州(現中国東北部)とモンゴルの国境付近で旧日本・満州国軍とソ連・モンゴル軍が武力衝突した「ノモンハン事件」に関する旧日本軍の機密資料が見つかっていたことが11日、分かった。終戦時に米軍の接収を免れるため焼却処分された燃え残りとみられ、文書には「『ノモンハン』血ノ教訓」などの記載もあった。事件から今年で80年。戦争遂行に際しノモンハンを教訓に戦略を立てようとした状況が分かる貴重な資料になりそうだ。

 発掘調査は難波宮の遺構がある国立病院機構大阪医療センターの建て替え工事に伴い、大阪文化財研究所(現大阪市文化財協会)が平成28〜29年に実施。同所には戦前、陸軍歩兵第三十七連隊の本部があり、戦時中に同連隊が使っていた防空壕(ぼうくうごう)も十数基発見された。

 防空壕は深さ1〜2メートルほど。天井や壁などに張られた板が一部残っており、中から10丁以上の機関銃や小銃のほか、焼け焦げた冊子や文書などが見つかった。

 発掘後に調べたところ、焼け残った資料は冊子15冊分で、ノモンハン事件の戦法や考察などが記載されていた。焼け焦げて判読は困難なものが多いが、一部に「『ソ』軍戦法ノ特色ヲ考察」「國軍ノ傳統的精神力」などの記述があった。

 日ソ両軍の兵器の比較一覧表には「大隊砲」「迫撃砲」と記され、それぞれの機種や性能を列挙。マシンガンとみられる「MG」の文字の下には「日 九二式 ソ マキシム」などと記されていた。部隊の訓練内容や兵士の軍籍といった個人情報なども確認された。

 防衛省防衛研究所(東京)によると、一部文書にはノモンハン事件についてまとめた当時の書籍名が複数記載されていることから、日本軍が大打撃を受けたノモンハン事件を研究することで部隊の強化を図ったとみられるという。

 大阪市文化財協会によると、複数の防空壕は土壁が赤く変色していることなどから、終戦時に陸軍が各部隊などに命じ、防空壕内で機密文書の焼却処分を行ったとみられる。

 防衛省防衛研究所戦史研究センターの花田智之主任研究官の話「日本は1941(昭和16)年にソ連と日ソ中立条約を結んでおり、ソ連との中立関係を意識して大戦に突入していった。今回の資料では、その一方で対ソ連を意識し、精強部隊を作るためにノモンハン事件を教訓にしていたことが分かり、興味深い」

2656名無しさん:2019/08/12(月) 00:44:43 ID:NrdB.GxU0
かの有名な神様、アマテラスとスサノオ。実は〇〇から生まれた⁉
8/1(木) 6:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190801-00013395-gentosha-cul


桂竹千代 (落語家)

落語家・桂竹千代さんプレゼンツ! 日本最古の歴史書「古事記」を爆笑で読ませるこの連載。
イザナギとイザナミの悲しいはずのお話も、竹千代さんにかかると、こんなことになっちゃうんですね〜。

さて、いよいよ今回は、古事記の超人気キャラ、アマテラスオオミカミとスサノオノミコトが誕生します!
みなさんは、この有名な神様たち、どうやって生まれたか知ってますか?
びっくり仰天間違いなしですよ!*   *   *
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第4話「泣くなー!」

黄泉の国から帰還したイザナギは、全身が穢(けが)れているので、禊(みそぎ。お清めみたいなもの)をしなければなりません。日本には古来から、死と接すると自分のもつ「気」が枯れると考えられてきました。「気枯れ」が「ケガレ」という言葉になったと言われています。穢れた人はお祓いをしなくてはいけません。お祓いのなかでも、滝に打たれることや、沐浴など水を使うものを禊といいます。

この時イザナギは、日向という所にある川で、禊をしたと言います。宮崎県に日向という地名があるけど、イザナギが禊をしたところかどうかは不明。宮崎県は日本神話の舞台と言っていいほど伝承地がこれからもたくさん出てきます。また、宮崎県宮崎市には「みそぎ池」という伝承地があります。この近くに、江田神社というイザナギ&イザナミを祀った神社があります。

イザナギは身に着けていた衣服を脱ぎ、アクセサリーを外していきます。杖、帯、衣、袴、冠、腕輪など……(いつの間にこんな装飾付けてたのかよ! 黄泉国行くのに、よそ行きしていったのね)。

その外したアイテム(オシャレなアパレル店員の言い方)を投げると、そこから神が生まれていきます。

陸と海の神。計12柱の神々が誕生します(また入りました神様の確変フィーバー!)。

さあ生まれたままの姿になって、禊スタート!

黄泉の国の垢(あか)から、また神がどんどん生まれて行きます。

……意味わかんないですか? つまりカラダの汚れを落とすだけで、神が生まれちゃってるんです。

はい、せーの! アンビリーバボー!

垢を落とすと様々な神々が生まれますが……このシーンで覚えておいて頂きたいのはこちらの3兄弟。

2657名無しさん:2019/08/12(月) 00:45:15 ID:NrdB.GxU0
長男:底筒之男命(ソコツツノオノミコト。水の底の方ですすいだ時に生まれたよ)。

次男:中筒之男命(ナカツツノオノミコト。水深の中間くらいのとこですすいで生まれたよ)。

三男:上筒之男命(ウワツツノオノミコト。水面あたりですすいで生まれたよ)。

この3柱の神様は、大阪の住吉大社に祀られています。3柱を合わせて「住吉大伸(すみよしのおおかみ)」といいます。全国に約600社あると言われる住吉神社の祭神は全て住吉大神で、航海の神様と言われています。

順番はこう覚えてください。

一番上は三男♪三男♪

一番下が長男♪長男♪

間にはさまれ次男♪次男♪

すみよし兄弟♪

……すみません。歌ったことを後悔しております(航海だけにね! いいぞ落語家!)。

イザナギさん体を洗ってさっぱり、最後は洗顔です(髪の毛洗わないのかな)。

左目を洗って生まれたのが天照大神(アマテラスオオミカミ。来たー! 日本の最高神。ナルシストな女王様。以下アマテラス)

右目を洗って生まれたのが月読命(ツクヨミノミコト。意外とこの後あまり出てこないので性格よくわからん。以下ツクヨミ)

2658名無しさん:2019/08/12(月) 00:46:02 ID:NrdB.GxU0
鼻を洗って生まれたのが素盞嗚尊(スサノオノミコト。乱暴者。末っ子気質のイタズラ好き。後に大活躍。以下スサノオ)

目と鼻から生まれたことからこれを目くそ鼻く……バチあたるわ!!

この3柱の神々を三貴子(サンキシ)と呼び、特に尊い神とされます(結局、髪の毛と耳は洗ってないわね。耳は洗ってないから穢れたままですよね。実はボクも耳が穢れてるんです……というか潰れてるんです。高校の時に柔道やってて潰れました。柔道と落語は似てるんです。どちらもオトしたら勝ちです(いっぽん!)。

イザナギ「よしっ! まずはアマテラス、お前は高天原を治めなさい!」

アマテラス「はいはい、やりますよ」(女王様気質なので)

イザナギ「次、ツクヨミ、お前は夜の世界を治めなさい! (歌舞伎町とかすすきのとかのことじゃないわよ)」

ツクヨミ「はいお父様! 月にかわっておしおきよ!」

イザナギ「で、スサノオ、お前は海の世界を治めなさい!」

スサノオ「……やだーーー!!」

スサノオだけは父ちゃんのいうことを聞かず、ずーと泣いていました。とにかくずーっと。どれくらい泣いていたかというと……その涙で青々とした山はことごとく枯れ、河と海が干上がってしまい、ありとあらゆる災いが起こるほど。

2659名無しさん:2019/08/12(月) 00:47:19 ID:NrdB.GxU0
イザナギ「もう泣くなー! やめろー!!」

スサノオ「……ぐすっぐす……わあーん!!」

イザナギ「泣くなー!!」

スサノオ「……ぐすっ……うん」

イザナギ「……やっと泣き止んだか」

スサノオ「ゔわーーーん!!!」

イザナギ「うるせー!!!」

×20

イザナギ「何がそんなに悲しいんだ?」

スサノオ「……だって僕は……うっ……うわーーーん!」

イザナギ「おい、泣いてちゃわからないだろ? 理由を父ちゃんに話してごらん?」

スサノオ「……うん。ぐすっ……だってぼくね、……うわーーーん!!」

イザナギ「うるせー!!!」

×50

イザナギ「よく出るな涙そんなに。おい! いい加減に訳を話しなさい!」

スサノオ「……だって……ぐす……ぼく母ちゃんに会いたいんだもん」

イザナギ「……母ちゃん?」

スサノオ「イザナミ母ちゃんに会いたいんだ!」

まて!! (柔道風)

おかしいよねー! キミは鼻から生まれてんだから鼻毛が父ちゃんで鼻の穴が母ちゃんとか言いたいところだけど……これが神話か……よし、はじめっ!! (柔道風)

2660名無しさん:2019/08/12(月) 00:49:18 ID:NrdB.GxU0
イザナギ「何言ってんだキサマー! 母ちゃんはもういないんだ! そんなん言うならお前はこの国から出てけー!!」

勘当されます。そういえば、俳優の小泉孝太郎さんも縁を切られたそうですよ。

お父さんの純一郎さんが言ってました。「カンドウした!」

いっぽん! (柔道風) ……あ、これただのダジャレですからね。

ちなみに、今まで活躍したイザナギはこれ以降、登場しません。

最終的にイザナギは「淡海(おうみ)の多賀」に落ち着いたと『古事記』には書いてあります。

この淡海というのは近江(現在の滋賀県)のことで、そこにある多賀大社にイザナギが祀られています。

でもここで突然に近江が出てくるのがおかしいということで、「淡海」は「淡路」の書き間違いで、初めに生んだ淡路島へ帰ったのではないかとも言われます。淡路島にも「多賀」という地名があって伊弉諾神宮にイザナギが祀られています(どっちのイザナギショーやりたい)。

江戸時代、アマテラスが祀られる伊勢神宮への参拝「お伊勢参り」が大ブームとなった時(犬も参拝するくらいだワン)に、多賀大社にも来て欲しいと考えた地元の人たちが、キャッチコピーを作りました。「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」。伊勢神宮にいる日本の最高神を生んだ親神が、多賀大社にいるってわけです。来て来てキャンペーンは成功して、多賀大社も大勢の参拝客で賑わったそうです。

イザナギの祀られる神社は、彼の黄泉の国エピソードにちなんで寿命をコントロールできる神ということで、「延命長寿」のご利益があると言われています。

さあ、イザナギ父ちゃんに勘当されたスサノオは路頭に迷います。

スサノオ「うわーーん!! どうしよう! そうだお姉ちゃんに相談しよう!」

次は、アマテラスとスサノオの滑稽なやり取り。

これもツッコミどころ満載です。

2661名無しさん:2019/08/12(月) 23:19:45 ID:NrdB.GxU0
岸和田だんじり有料観覧席設けず
08月12日 12時44分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190812/2000018810.html

 毎年9月に行われる大阪・岸和田の伝統の祭り、「岸和田だんじり祭」について、主催する地元の団体は、例年設置していた有料の観覧席をことしは設けず、沿道などからの観覧に限ることを決めました。

大阪・岸和田市で毎年行われる「岸和田だんじり祭」は、はっぴ姿の若者たちが五穀豊じょうを願って重さおよそ4トンのだんじりを豪快に引き回す、江戸時代から300年以上続く伝統の祭りで、例年およそ3000席の有料の観覧席も設けられ、観光客からも人気となっていました。
ところが、去年の祭りでは台風の影響で予定通り観覧席が設けられなかったにも関わらず、主催団体が委託した業者から、有料観覧席のチケット代が払い戻されないトラブルがありました。
このため地元の人たちで作る祭りの主催団体は、トラブルの再発防止のため、ことしは有料の観覧席を設けず、沿道などからの観覧に限ることを決めました。
祭りの主催団体は「観覧席はなくなるが、沿道ではより間近に勇壮な姿を見られるので、ぜひ大勢の人に来てほしい」と話しています。
「岸和田だんじり祭」は9月14日と15日に行われます。

2662名無しさん:2019/08/12(月) 23:39:07 ID:NrdB.GxU0
菊水丸さん新曲、軽快に 四天王寺恒例盆踊り
2019年8月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190812/20190812034.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で11日夜、恒例の盆踊り大会が始まった。伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さんが、同寺を建立した聖徳太子の一生を河内音頭にしていくプロジェクトの新曲を披露。踊り手たちは、軽快な調べに乗りながら、夏の夜のひとときを楽しんだ。12日まで。

 盆踊りは、聖徳太子の没後1400年に合わせた「御聖忌(ごせいき)」記念事業の一環で、同寺が2014年、11年ぶりに復活させ、毎年繰り広げている。

 同事業広報大使の菊水丸さんは、聖徳太子の一生を毎年1曲ずつ仕上げ、全8曲にするプロジェクトを展開中。やぐらとして装飾された石舞台で6曲目に当たる「聖徳太子一代記・冠位・憲法制定編」を名調子で響かせた。舞台周辺では、多くの参拝者が踊りの輪に加わって音頭に身を委ねていた。

 盆踊り大会は午後7時半〜同9時半。参加無料。記念企画として、8月中は同寺の電話保留音の曲が、菊水丸さんの口演になるという演出も繰り広げている。

2663名無しさん:2019/08/14(水) 23:05:58 ID:NrdB.GxU0
京橋駅空襲被災者慰霊祭 「平和はみんなで作るもの」
8/14(水) 15:45配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190814-00000015-minkei-l27

  JR京橋駅(大阪市城東区新喜多1)で8月14日、「第65回京橋駅空襲被災者慰霊祭」が行われた。(京橋経済新聞)

 
例年であれば慰霊碑がある駅南口前で行われるが、今年は台風による風の影響で、駅構内の会議室で行われ、約270人が参加した。

 1945年(昭和20)8月14日、爆撃機B29が兵器を製造する「大阪砲兵工廠(こうしょう)」を集中爆撃した際、近くの京橋駅にも1トン爆弾を数発落とした。被爆犠牲者は500名とも600名とも言われている。太平洋戦争終戦前日の悲劇であった。

 慰霊祭に参加した女性(80)は当時7歳で、この空襲で大阪砲兵工廠で働いていた兄(当時24歳)を亡くした。「爆撃で兄の遺体は跡形もなくなり、名前が書かれた『木切れ』しか手元に戻ってこなかったので泣きました。今でも優しい兄の顔を覚えている」と振り返った。

 慰霊碑には地元・聖賢小学校の児童たちによる千羽鶴も供えられた。児童代表として6年生の堂後優香さん、平田紗雪さん、村井美海さん、竹中実陽さん、濱田明莉さんが平和の願いを込め「平和はみんなで作るもの。悲惨な戦争を起こさないために次の世代に、平和の大切さや命の尊さを語り継いでいきたい」と作文を読んだ。

 慰霊祭は来年も8月14日11時に京橋駅南口駅前で行われる予定。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2664名無しさん:2019/08/14(水) 23:09:29 ID:NrdB.GxU0
古代の森ノ宮人とご対面 「森の宮遺跡展示室」一般公開
8/13(火) 16:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190813-00000017-minkei-l27

  森ノ宮ピロティホール地下階(大阪市中央区森ノ宮中央1)にある「森の宮遺跡展示室」の一般公開が8月16日〜18日の3日間行われる。(京橋経済新聞)

 
展示されている「第3次1号人骨」は、約4,000年前の縄文人の頭部。大阪市で発掘された人骨の中で最も古いものという。ピロティホールに中心部が位置する「森の宮遺跡」から出土したもので、貝塚の地層の調査から年代が特定されたという。

 同遺跡から発掘されたのは、人骨だけではない。煮炊きに使用した土器などの数千年前の人類が生活で使用していた道具のほか、その土地の変遷を表すものも出土したという。大阪市教育委員会文化財保護課の学芸員は「出土する貝殻がマガキ(下層)からセタシジミ(上層)に移り変わることから、この地が湖へ移り変わったと考えられる」と話す。地層の一部を切り取って展示され、触れるようになっている。

 ピロティホール建設時の発掘調査で出土したものが展示されている同施設。遺跡を守っていかなければいけないという専門家や周辺住民の声から設立された。展示室が一般公開されるのは、一年間で春、夏、秋の時期の数日間のみ。学芸員は「大阪の歴史のホンモノだけを展示しているのでこの機会に是非見に来てほしい」と呼び掛ける。

 見学料不要。開館時間は11時〜15時。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2665名無しさん:2019/08/18(日) 20:28:33 ID:NrdB.GxU0
秋の夜長にオペラを 坐摩神社境内でラ・ボエーム
2019年8月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190817/20190817049.html

 夜の境内で繰り広げられる秋恒例のオペラ公演「せんば鎮守の杜(もり)芸術祭2019」(実行委、船場まつり推進協議会共催)が10月5日、大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で開かれる。今年はプッチーニ作曲の人気イタリアオペラ「ラ・ボエーム」のハイライトを披露。プロ声楽家たちが幻想的な境内を舞台に美声を響かせる。

 実行委(佐久本昇委員長)は地元の船場地域や同神社に縁がある人々で構成。船場から新たな文化・芸術の発信を願って2005年から公演を手掛けており、手作りのステージプログラムが毎回好評を得ている。

 主役の詩人ロドルフォを西影星二さん、恋人ミミを斉戸英美子さんが務める。このほか田中勉さん(マルチェッロ)▽東里桜さん(ムゼッタ)▽嶋本晃さん(コッリーネ)▽鳥山浩詩さん(ショナール)-が出演。ピアノは掛川歩美さん、ストーリーテラーは広瀬敦子さん。オープニングに西影純枝さん、特別ゲストに法村友井バレエ団を迎える。

 午後6時開演(同5時半開場)。入場整理券4千円(当日券4500円)。

 同日の日中は午後0時半から音楽・文化関係の11団体や若手オペラ歌手が代わる代わるステージを飾る「せんば鎮守の杜音楽祭2019〜えん結び〜」(入場無料)を開催。境内の一画には軽食やドリンクのブース「ザマサン・マルシェ」が出店する。

 佐久本実行委員長は「今年も皆さんと力を合わせ、素晴らしい文化・芸術を通じた人づくり、縁づくり、まちづくりに励みたい」と話し、事前の準備や調整に余念がない。

 雨天の場合は境内・神社会館内で開催。チケットの問い合わせは電話06(6251)4792、芸術祭事務局(同神社内)。

2666名無しさん:2019/08/18(日) 20:52:25 ID:NrdB.GxU0
桂米団治、来年3月「米朝まつり(仮称)」開催へ
8/10(土) 20:35配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190810-08101014-nksports-ent

  人間国宝だった故桂米朝さん(享年89)の長男で落語家、桂米団治(60)が10日、大阪市内で取材に応じ、神道でいう「五年祭」にあたる来年3月に、偉大な父の功績をしのぶ「米朝まつり(仮称)」を開催することを明らかにした。

 「米朝の偉業、米朝の値打ちを、あらためて知ってもらうために、もう1度花火を打ち上げようと思い、企画しました」

米朝さんは戦後、没落していた上方ばなしを復活させ、壊滅寸前だった上方落語を復興させた「上方四天王」の1人で、中核的存在だった。落語家として初めて全国ツアーを開催。あえてお盆、正月と休みの時期に、地元の大阪で一門会を定着させるなど、いまや200人を超える隆盛を誇る上方落語の礎を築いた。

昨春に米朝事務所の社長に就いた米団治は「米朝がおこした事務所。社長で1年。そろそろ、きちんとした基軸を打ち出したい」として、米朝まつりを考案した。米朝さんの命日である来年3月19日は一門の法要にあて、翌20〜22日まで、米朝一門会を定期開催してきた大阪・サンケイホールブリーゼと、米朝さんが落語会を開くなどし、ゆかりの朝日生命ホールの2カ所で一門総出、江戸からもゲストを呼び、落語会を同時間帯に同時開催する。

規模の大きなサンケイホールでは、米朝さんの映像も使い、功績を振り返る考えだ。来年は1月に恒例の新春一門会、3月の米朝まつりまでの合間、2月には大阪松竹座公演が決まったことも明らかにした。

松竹座は米朝さんと、OSSK(大阪松竹少女歌劇団=後のOSK)で、駒ひかるの芸名で活躍した中川絹子さん夫妻を描く演目になるという。米団治は「米朝夫妻もの、駒ひかる物語みたいな感じになりそうだ」と説明した。

絹子さんは戦前の同劇団でスターとして活躍。「越後獅子」の舞いを「ドラゴンスター」と称して、ダンスを披露するなど、劇団の公演をけん引してきた。

米団治は「父も母も、分野は違うけど、同じように、大きなことをやってたんやなと思い、両親の偉大さにひれ伏したような気持ちです」と、あらためて両親への敬意を語った。

米団治には、25年大阪万博と重なる「十年祭」へ向けて、大阪全体を盛り上げていきたい考えがあり「大阪の、上方文化に、こういう人がいたと、広く知ってもらいたい。五年祭でひとつ花火を上げ、十年祭へのひとつの布石にしたい気持ちです」と語る。

米団治の意向を受けて、在版のNHK、民放のテレビ各局も、特番編成に動いており「社長として、しっかりしたビジョンを示していきたい」と話していた。

2667名無しさん:2019/08/18(日) 20:55:41 ID:NrdB.GxU0
大阪市中央公会堂で、初心者向け企画『中之島文楽』
8/8(木) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190808-00073602-lmaga-l27

 大阪で生まれた古典芸能を気軽に楽しめる特別公演『中之島文楽』が10月4日・5日に、「大阪市中央公会堂」(大阪市北区)で開催。8月7日に「国立文楽劇場」で記者会見がおこなわれ、人形遣いの吉田玉男と、落語家・桂吉坊が登壇した。

 文楽初心者に向けて企画された同公演は、ゲスト(4日は遙洋子、5日は三倉佳奈)が参加する入門トークからスタート。その後に、天満や北新地を舞台とする近松門左衛門作の『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)北新地河庄の段』がダイジェスト版として上演される。

二枚目の主人公・治兵衛の人形を遣う吉田玉男は、「この役をやらしてもらえるのは大変うれしい。涙ぐむところや、笑えるところとか、いろいろな心境を楽しんでいただけたら」と話し、見どころについては「心中するようなあかんたれな男なんです。小春(愛人の遊女)に会いたいために、最初は魂の抜けたようなゆっくり歩いている姿に注目していただければ。ここは曲も非常に名曲ですので」と力説した。

また、過去4回の公演で司会をつとめる桂吉坊(今回は4日のみ出演)は、「最初は分からないでいいと思うんです。僕も高校生のときは『なんじゃこりゃ』となったので。でも人形を観ていくうちにストーリーに入り込んで、美しく感じられるようになる。観る度にいろんな気づきがあるのが面白い」と語った。

竹本織太夫(太夫)、三味線は鶴澤藤蔵(三味線)らが出演し、チケット料金は大人前売1800円、当日2000円。開演時間は19時から、5日は14時から、共に2時間を予定。


杉本博司の「杉本文楽」がアメリカに初上陸。「Japan 2019」の一環として
8/17(土) 7:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190817-00000001-btecho-cul

 現代美術家・杉本博司による人形浄瑠璃文楽『杉本文楽 曾根崎心中』が、アメリカで初上演される。

 同作は、近松門左衛門の人形浄瑠璃を下敷きに、杉本博が構成、演出、舞台美術を手がけたもの。映像は杉本とともに束芋も制作に加わっている。2011年8月に初演された後、ヨーロッパ公演(2013年9月〜10月)を経て、14年には日本凱旋公演が行われた。

 今回の上演は、パリで日本の芸術と文化を紹介した祭典「ジャポニスム
 2018:響きあう魂」に続くものとして、アメリカで日本文化を海外に向けて発信する取り組み「Japan
2019」の一環。ニューヨークのリンカーン・センターを舞台に、同館の芸術祭「リンカーン・センター ホワイト・ライト・フェスティバル」でオープニングを飾る。

2668名無しさん:2019/08/22(木) 21:52:32 ID:NrdB.GxU0
大阪・南御堂で盆踊り 先着500人にうちわと屋台チケット配布
8/22(木) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190822-00000003-minkei-l27

 「第57回 難波別院 南御堂 盆おどり」が8月27日・28日、大阪・本町の南御堂(大阪市中央区久太郎町4、TEL 06-4708-3272)で開催される。(船場経済新聞)

 
1963(昭和38)年から毎年開かれている同イベント。今年は秋に敷地内にある御堂会館の建て替え工事が完了するため、会場となる境内が昨年より拡大。本殿の前に櫓(やぐら)を組み、敷地内には金魚すくいやかき氷などの屋台が約10店並ぶ。来場者先着500人に屋台で使える金券と、竹製のうちわをプレゼントする。

 船場センタービル10号館にあるレンタル着物ショップ「和爽美(わそうび)」と提携。同店の浴衣をレンタルし、店で着付けして盆踊りに参加する人はレンタル料が割引になる。盆踊り後は同院の更衣室で着替え、会場内のクロークで返却できるサービスも行う。

 出演者は、民謡河内音頭 初音家連合会の初音家歌月さん、歌手の弘田るみさん。両日ともに炭坑節や河内音頭をはじめとした全国の民謡約20曲で踊る。特別出演として、世界宗教者平和会議でオープニングソングを歌った歌手の涼恵さんも参加する。

 司会は、リニューアル記念の特別ゲストとして「ABCおはよう朝日です」リポーターのたつをさんが務める。

 同院に住むキャラクター「ブットンくん」と船場センタービルのキャラクター「船場リリィ」も参加し、踊りの列に加わる。

 総局の上本愛さんは「以前は年配の参加者が多かったが、ここ数年はコスプレで来る若い人たちや、浴衣で楽しむ外国人観光客が増えてきた。今年は御堂会館の工事が終わり会場も広くなる。リニューアル記念で特別ゲストも参加するので、ぜひ多くの人に楽しんでいただけたら」と話す。

 開催時間は18時〜21時30分。小雨決行。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2669名無しさん:2019/08/22(木) 23:23:37 ID:NrdB.GxU0
6代目松喬をしのぶ 来月、繁昌亭で七回忌落語会
2019年8月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190822/20190822029.html

 上方落語会だけに伝わる名門でありながら爆笑系噺(はなし)家が多い笑福亭にあって、正統派のパワーあふれる話術で人気があった6代目松喬(2013年、62歳で死去)の七回忌を追善する落語会「おかえり松喬さん」が9月7日夜に天満天神繁昌亭で行われる。

 
出演は、松喬のすぐ上の兄弟子である福笑とすぐ下のおとうと弟子松枝、6代目の門弟で2番弟子の遊喬、同3番弟子の生喬、最後の6番弟子の風喬の計5人。プロデュースは6代目松喬の妻で、一門が所属する「オフィス笑」が運営企画する高田敬子代表。

 福笑は松喬と長年二人会を開き、後に松枝が合流して三人の兄弟会となり人気を呼んだ。3人の弟子は「われわれは黒子。師匠の兄弟会の延長でやっていただければ」と話し、中入り後には福笑と松枝による座談会も。トリは6代目松喬の高座を写したライブ映像を使って在りし日をしのぶ。

 敬子代表は「生前、師匠(6代目松喬)から“お前はのんきでエェなぁ”と言われていた。“お前とやったら楽や”という意味だと思う。落語という芸は“ザルで水をすくうがごとく、1回、10回では水はたまらん”と言われていた。それは“千回はやらんとアカン”という意味で、師匠の話芸はマクラで笑わせても、ネタに入るとスーッとそれぞれの登場人物が動き回って、その世界に入り込ませてくれる。私は当日、客席で師匠の芸を感じさせてもらう」と話している。

 午後6時半開演。前売り3千円、当日3500円。問い合わせは電話06(6775)6267、オフィス笑。

2670名無しさん:2019/08/22(木) 23:31:24 ID:NrdB.GxU0
四天王寺が講座受講者を募集
2019年8月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190820/20190820039.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)は、10月5日に同寺本坊・五智光院で開催する「第56回四天王寺秋季大学」の受講者を募集している。午後0時50分(開場正午)〜同4時。定員300人で事前申し込みが必要。定員になり次第締め切る。受講料千円。

 同寺、四天王寺大主催の恒例講座。各界で活躍中の識者2人を講師に招く。当日の講目と講師は次の通り。

 1「聖徳太子とその時代」舘野和己氏(近つ飛鳥博物館館長、奈良女子大名誉教授)=午後1時〜2時20分▽2「凡夫の自覚」福原隆善氏(浄土宗大本山百萬知恩寺法主)=同2時40分〜4時。

 受講希望者は、はがきに住所、氏名(ふりがな)、電話番号を明記し、〒543-0051 天王寺区四天王寺1の11の18 四天王寺「秋季大学」係に申し込む。このほか電子メールfukyou@shitennoji.or.jp 、またはファクス06(6773)4921、直接来寺(午前9時半〜午後4時)でも申し込み可。

 問い合わせは電話06(6771)0066、同寺。

2671名無しさん:2019/09/01(日) 16:58:25 ID:ylDuNnHU0
寄席や屋台、大にぎわい 生国魂神社「彦八まつり」
2019年9月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190901/20190901026.html

 上方落語協会が主催し29回目となる「彦八まつり」が31日、大阪市天王寺区の生国魂神社で始まった。前週からの秋雨前線停滞の影響で“すすき梅雨”が続き、曇り空から時折雨が落ちたり逆に日差しがあったりとはっきりしない空模様の中、奈良県葛城市のけはや相撲甚句会(吉村元延会長)による一節でスタート。同協会の笑福亭仁智会長(67)、桂米団治副会長(60)も舞台に上がり「開幕でーす」と一斉に号令を掛けた。

 今年の実行委員長として祭りを仕切る桂文福さん(66)は「ずっと雨が続いて心配していましたが、そろそろ本格的な秋のようで、たとえ雨が降っても猛暑よりはずっとええ。私は先日、故郷の和歌山で夏祭りに顔出してきました。ヒートアップし過ぎて、途中で電源がショートしてマイクもライトも切れ真っ暗。それでもしゃべりましたよ。これがほんまの闇営業や」と、所属する吉本興業の話題を早速ギャグにして笑いを取っていた。

 恒例の一門ごとの屋台では、塩鯛一門の冷やしたい焼きや仁智一門のたこ焼きなどおなじみの品々がずらりとそろい、人気者も一緒に呼び込みをしたり記念写真やサインにも気軽に応じるなどアットホームな雰囲気に包まれていた。

 子ども連れで訪れていた会社員(42)は「子どもはまだ落語は分からないけど、射的や金魚すくいなどで縁日に来たみたいで楽しいみたい。親の方がはなし家さんと写真を撮ったりして楽しんでます」と笑顔だった。

 1日は午前10時から開幕。入場無料の境内ステージでは文福一座「ふるさと寄席」やのど自慢、バンドステージなど多彩な催しが夕方まで繰り広げられる。

2672名無しさん:2019/09/07(土) 22:30:21 ID:NrdB.GxU0
寄席や屋台、大にぎわい 生国魂神社「彦八まつり」
2019年9月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190901/20190901026.html

 上方落語協会が主催し29回目となる「彦八まつり」が31日、大阪市天王寺区の生国魂神社で始まった。前週からの秋雨前線停滞の影響で“すすき梅雨”が続き、曇り空から時折雨が落ちたり逆に日差しがあったりとはっきりしない空模様の中、奈良県葛城市のけはや相撲甚句会(吉村元延会長)による一節でスタート。同協会の笑福亭仁智会長(67)、桂米団治副会長(60)も舞台に上がり「開幕でーす」と一斉に号令を掛けた。

今年の実行委員長として祭りを仕切る桂文福さん(66)は「ずっと雨が続いて心配していましたが、そろそろ本格的な秋のようで、たとえ雨が降っても猛暑よりはずっとええ。私は先日、故郷の和歌山で夏祭りに顔出してきました。ヒートアップし過ぎて、途中で電源がショートしてマイクもライトも切れ真っ暗。それでもしゃべりましたよ。これがほんまの闇営業や」と、所属する吉本興業の話題を早速ギャグにして笑いを取っていた。

 恒例の一門ごとの屋台では、塩鯛一門の冷やしたい焼きや仁智一門のたこ焼きなどおなじみの品々がずらりとそろい、人気者も一緒に呼び込みをしたり記念写真やサインにも気軽に応じるなどアットホームな雰囲気に包まれていた。

 子ども連れで訪れていた会社員(42)は「子どもはまだ落語は分からないけど、射的や金魚すくいなどで縁日に来たみたいで楽しいみたい。親の方がはなし家さんと写真を撮ったりして楽しんでます」と笑顔だった。

 1日は午前10時から開幕。入場無料の境内ステージでは文福一座「ふるさと寄席」やのど自慢、バンドステージなど多彩な催しが夕方まで繰り広げられる。

2673名無しさん:2019/09/09(月) 10:15:34 ID:NrdB.GxU0
天神祭献詠短歌大賞決まる
2019年9月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190908/20190908019.html

 「第10回天神祭献詠短歌大賞」が7日発表された。一般部門は小松丈夫さん(75)の「大阪の八百八橋くぐりたる船は涼しき水脈を曳きゆく」、子ども部門は田中舞さん(10)の「かさおどりすずなりひびき始まった令和最初の天神祭」が選ばれた。

大阪市北区の大阪天満宮で行われた授賞式で、小松さんは「中之島の橋に立つと心が落ち着く。一生の思い出になった」と喜び、田中さんは「昨年よりもいい作品ができた。令和最初の年だけに使える言葉を入れたいと思った」と振り返った。

 天神祭を斎行する大阪天満宮が歌の神様菅原道真公を祭ることから、同大賞は2010年にスタート。作品を詠んで献上するユニークな取り組みで、応募作品は年々増えていた。10周年の今年を区切りに募集を終了するが、高田ほのか実行委員長は「(過去の全作品が)心の中に小さな花火としてともり続けることを願っている」と話した。

 今年は2162首の応募があった。大賞以外の入賞作は次の通り(敬称略)。

 【一般部門】「きみの生まれた町のまつりにゆく きみの生まれた町のかみさまに会ふ」(有村桔梗)▽「大川の千の団扇がかろやかに花火の匂いの風かき回す」(toron*)▽「とりどりの作り笑顔の面を売る女の闇をひとつください」(龍田憲兒)▽「肩車ゆられて伸ばす小さき手 追いて焦がれる玉神輿かな」(うすいあさぎ)▽「獅子頭踊らせ十丁ねり歩く青年達は汗とび散らし」(家治綾子)

 【子ども部門】「夏の夜男がかつぐおみこしは空で暴れる竜のごとし」(神谷雄太)▽「あがるたび歓声起こる人波の中に聞こえる君の息づかい」(野山絢華)▽「夏祭り私と家族話したり花火のような顔をしている」(林思?)▽「これが最後前を向いて踊り出す少し寂しくとても楽しく」(横山七桜)▽「雲のない祭りの昼の青空に届けるようにみこしを上げる」(榊本一葵)

2674名無しさん:2019/09/09(月) 10:16:31 ID:NrdB.GxU0
有形・無形の文化遺産融合 新作能「水の輪」上演
2019年9月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190908/20190908022.html

 従来の能公演の枠を超えた活動を展開する大阪市中央区の山本能楽堂(山本章弘代表理事)が16日、世界文化遺産に登録された百舌(もず)鳥・古市(ふるいち)古墳群で、最新技術の発光ダイオード(LED)照明を使った現代アートとのコラボレーションによる新作能「水の輪」を上演する。市民も交えて、有形(古墳群)と無形(能楽)の文化遺産の融合に挑む。

アートを通して藤井寺の魅力を再確認するイベント「まほら藤井寺」(藤井寺市など主催)のプログラムの一つ。2017年に始まり3回目の今回は、古墳群の世界文化遺産登録を記念し「水の輪」の上演のほか、古墳にまつわるワークショップや藤井寺の話題の店が出店するマルシェが予定されている。一部が市民の憩いの場になっている同市の津堂城山古墳を会場とする。

■河内バージョンで

 「水の輪」は、世阿弥から続く観世流能楽の伝統に基づいて、同能楽堂が現代美術家による舞台美術を加えて制作し、09年に初演。水の浄化をテーマに環境問題について考え、「水を大切にする気持ち」を伝える作品で、汚れた川の水を水鳥たちが掃除して清めると、きれいな水にしかすむことができない水の神様が現れて、澄んだ水を喜び大阪の繁栄をことほぐ。

 水都大阪の再生に向けて作られた作品だが、川などの名前を開催地にちなんだものに変更し、国内外で上演を重ねてきた。毎回地元の子どもたちと作ることを大切にしており、事前に環境問題や能などについて学びながら、本番は水鳥役などで出演する。今回は大人も一緒に3回のワークショップを行い、自作の裃(かみしも)を身に着けて地謡(じうたい)を担う。

2675名無しさん:2019/09/09(月) 10:17:06 ID:NrdB.GxU0
■伝統と最先端

 現代アートとの融合も「水の輪」ならでは。照明デザイナーの藤本隆行さんがLED照明を使って「森の木々までライトアップし、古墳全体が光で満ちるように」(藤本さん)演出する。世界で活躍する藤本さんにとっても、古墳で腕を振るうのは初めてだ。

 ワークショップで習う謳(うたい)は、同能楽堂制作のアプリ「スーパーうたい」や「WeNoh!」を無料でダウンロードして練習することができ、子どもたちがゲーム感覚で楽しんでいるという。約700年続く伝統芸能も、アプリでぐっと身近になっているよう。

 「10年継続することができたことで、いろいろな人との出会いがあった。将来的にさらに広がりのある事業になっていく確信がある」と手応えを話す山本さん。今回の古墳との“コラボ”で、また新たな歴史を刻む。

 「まほら藤井寺」は正午〜午後8時、「水の輪」は同6時半〜7時半。鑑賞無料。雨天予報の場合は会場を藤井寺市立市民総合会館大ホールに変更する。

2676名無しさん:2019/09/14(土) 21:43:37 ID:NrdB.GxU0
鴻池新田会所で「現代彫刻と銅版画展」 歴史的建造物と作品の調和も楽しんで
9/13(金) 19:52配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190913-00000065-minkei-l27

  国史跡・重要文化財の鴻池新田会所(東大阪市鴻池元町)で9月10日、東大阪市民美術センター第4回出張美術展「現代彫刻と銅版画展」が始まった。(東大阪経済新聞)

 
昨年に続き、同会所で開催する出張美術展。同センターと同会所は同じ東大阪市文化振興協会が運営しており、昨年出張展示を行ったところ来場者から好評で、同会所側もイベントの幅が広がると今年も開催が決まった。

 会場には、大阪府が所蔵する「大阪府20世紀美術コレクション」から現代彫刻5点と、同センター収蔵の深沢幸雄さんの銅版画15点を展示する。

 土間では高い天井の空間を生かし、アントニーン・スティブーレックさん(チェコ)の作品「使者」や、崔石鎬(チェ・ソクホ)さん(韓国)の「幸福の門1」、ノルベール・ネスラーさん(オーストリア)の「黒と白」など大型作品を展示。和室には「じっくり細部まで落ち着いて鑑賞できる稀な機会なので、あまり大きくなく、制作時の手作業を感じ取れる作品を選んだ」と、深沢さんの銅版画作品を並べる。

 学芸員の亀井見奈さんは「江戸時代の木造建築の中にある現代彫刻が意外にも空間になじんで見えたり、意識的に異質なものとして見ようとしてしまう感覚があったりといった面白さがある。版画はじっくりと鑑賞できる。日本でしか味わえない感覚を楽しんでほしい」と来場を呼び掛ける。

 9月14日は14時から、専門職員による作品解説を行う。

 開催時間は10時〜16時。9月17日休館。観覧料は、大人=300円、小・中学生=200円。9月20日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2677名無しさん:2019/09/15(日) 16:30:55 ID:NrdB.GxU0
岸和田だんじり祭 ”熱気”駆け巡る
9/14(土) 18:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190914-18502805-kantelev-l27

 
大阪府岸和田市では「だんじり祭」が始まり、街が熱気に包まれました。

【記者リポート】「そーりゃ!の掛け声とともにだんじりが前へ前へと進んでいきます」「そーりゃ!そーりゃ!」

約300年の歴史をもつ「岸和田だんじり祭」。

最大の見せ場は、重さ4トンのだんじりが曲がり角を全速力で曲がっていく「やりまわし」です。
屋根の上の大工方がうちわを使ってタイミングを伝え、豪快に角を曲がっていきます。

その迫力に、観客からは大きな歓声が上がっていました。

【観客は】
「(やりまわしが)速かった」
「感激しました。街の活気を感じられるから最高です。」

【参加した男の子】
「(何が楽しい?)走ってるところ。(法被着れて)うれしい。」

「岸和田だんじり祭」は、15日の宮入りでクライマックスを迎えます。
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関西テレビ

2678名無しさん:2019/09/15(日) 16:32:03 ID:NrdB.GxU0
天満天神繁昌亭13周年で式典
09月15日 12時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190915/2000020134.html

 大阪にある上方落語専門の常設の寄席、「天満天神繁昌亭」が15日でオープンから13周年を迎え、記念の式典が行われました。

「天満天神繁昌亭」は平成18年に大阪・北区の大阪天満宮の境内にオープンした上方落語専門の常設の寄席で、大阪で唯一毎日、落語を上演しています。
運営する上方落語協会によりますと、8月末までに178万人以上が訪れたということで、ことし6月からは、1か月間休館して、老朽化に伴う設備の改修をし、再開後は、昼間の公演の座席指定ができるようにするなど、ファンの要望に応える工夫を行っています。
15日は、午前の部の開場を前に13周年の記念式典が行われ、上方落語協会の笑福亭仁智会長が「ことし7月にリニューアルして以降、平均200人、連日大入りが続いている状態で、とても感謝しております。みなさまに足しげく通ってもらって10年、20年と続くよう、ぜひこれからもごひいきしてもらいたい」とあいさつしました。
このあと式典では鏡開きが行われ、お囃子が演奏される中、訪れた落語ファンたちに日本酒が振る舞われてお祝いムードを盛り上げていました。

2679名無しさん:2019/09/15(日) 16:38:16 ID:NrdB.GxU0
片岡愛之助「肌で感じる舞台に」 11月に永楽館歌舞伎
2019年9月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190910/20190910038.html

 「第12回永楽館歌舞伎」が11月4〜10日、兵庫県豊岡市の出石永楽館で上演される。第1回から座長で参加している片岡愛之助(47)が今回は地元出石ゆかりの武将、仙石権兵衛に扮(ふん)した「道成寺再鐘供養(ごにちのかねくよう)/仙石権兵衛出世噺」と、安宅の関の関守、富樫左衛門を演じる「滑稽俄安宅新関(おどけにわかあたかのしんせき)」の2本が演目。「肌で感じる舞台に」と張り切っている。

 「毎年、この時期になると地元の人たちから『お帰りなさい』と言われるのがうれしい」。大阪出身の愛之助にとって出石は近い距離だが、売れっ子とあってスケジュール調整が大変で「昨年は10月になってしまったが、今年また11月に戻った。まだやっていなかったご当地の人物、仙石権兵衛をやることになって、劇場は小さいが、お客さんと距離が近く、肌で感じられる舞台にしたい」と力が入っている。

 権兵衛は石川五右衛門を捕まえた武将として知られているが「詳しいことはあまり分かっておらず、作者の水口一夫先生といろいろ構想を練っているところ。楽しく盛り上がるものにしたい」。舞台は和歌山の道成寺で、権兵衛と寺の清姫(中村壱太郎)が絡む物語になる。もう一本の「滑稽-」は富樫が関所で「一芸に秀でた者」を召し抱えるため旅人に「即興の芸」を求める喜劇。上村吉弥、澤村宗之助らが共演する。

 地元関係者は「近年、愛之助さん人気で前売りチケットが即売になるほどで、地元歌舞伎興行として定着しており、遠くからのお客さんも増えている。愛之助さんには今後も続けていただきたい」とエールを送る。愛之助は「ここでやりたいものはまだたくさんある」と笑顔を返した。

 昼の部は午前11時30分、夜の部は午後4時開演の2回公演。10日は昼の部のみ。問い合わせは電話0796(52)5300、出石永楽館。

2680名無しさん:2019/09/15(日) 16:51:38 ID:NrdB.GxU0
中秋の名月 風雅にうたげ 住吉大社で「観月祭」
2019年9月14日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190914/20190914043.html

 中秋の名月の13日夜、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で伝統行事「観月祭」が厳かに執り行われた。献歌句の朗詠や舞楽が奉納される中、国内外の参拝者が名月を仰ぎながら、初秋の夜のひとときを過ごした。

 夕刻の境内・第一本宮で祭典が行われたのに続き、反(そり)橋上に参集した神職らが全国から応募があった和歌の披講や俳句を朗詠。虫の音に包まれた会場いっぱいに秀作を響かせた。

 舞楽は天王寺楽所(以和貴(いわき)会)の舞人・楽人が奉仕し、幕開けを飾る儀式的な「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「仁和楽(にんならく)」などをみやびやかな音色とともに披露。住吉踊(おどり)保存後援会による「住吉踊」の奉納もあり、躍動感あふれる所作で伝統行事を大いに盛り上げた。

2681名無しさん:2019/09/22(日) 16:41:27 ID:ylDuNnHU0
四天王寺で「秋季彼岸会」
2019年9月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190921/20190921035.html

 秋の彼岸の入りとなった20日、大阪市内各地の寺院や霊園などでは、朝から多くの関係者らが先祖供養に足を運び、秋空の下で手を合わせた。

 「秋季彼岸会(え)」(26日まで)が始まった同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、故人の極楽往生を祈念する亀井堂の「経木流し」をはじめ、諸堂で供養が執り行われて参詣者の列が途切れることなく続いた。広い境内では、骨董(こっとう)品や食品などを扱う多彩な露店が並び、終日にぎわいを見せた。

 同市北区から家族と訪れた男性(83)は「彼岸になっても日中はまだ暑いが、いい天気の日にお参りができた」と“収穫品”の陶器を手に話した。

 秋分の日(彼岸の中日)の23日は午後5時20分から、真西に沈む夕日に極楽浄土を思う伝統行事「日想観」が行われる。同寺では秋季彼岸会の期間中に約20万人の人出を見込んでいる。

2682名無しさん:2019/09/24(火) 21:28:07 ID:NrdB.GxU0
極楽浄土 見えた!? 四天王寺で「日想観」
2019年9月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190924/20190924026.html

 彼岸の中日で「秋分の日」の23日、真西に沈む夕日を見つめ極楽浄土を思う伝統行事「日想観(じっそうかん)」が大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で執り行われた。多くの参詣者らが境内西側の石鳥居(いしのとりい)に向い、静かに手を合わせた。

 日想観は、かつて同寺の西側に海が広がっていた時代、西門からの光景が極楽浄土に続く入り口として信仰されたことに由来する。春、秋の彼岸の中日のみ、夕日が鳥居の中央に沈むことで知られる。

 この日は日没が近づく午後5時ごろから僧侶らが西大門(極楽門)付近に参集し、法要を営んだ。空が雲に覆われ、夕日が鳥居にかかる瞬間を拝むことはできなかったが、次第に雲の切れ間から太陽が見え始めると、参詣者らが感嘆の声とともに熱心に手を合わせたり、写真を撮ったりしていた。

 毎年春と秋に訪れている籾山季美さん(79)=同市平野区=は「いつも通り心身ともに健康なことをご先祖さまに感謝した。ここで手を合わせると心が安らぐ」と穏やかな表情で話していた。

2683名無しさん:2019/09/24(火) 22:05:52 ID:NrdB.GxU0
世界的最先端都市・大阪、そして古都・大阪。
大阪とは魅力が多重的かつ多層的にある素晴らしい都市なのであります。

大阪の遺跡から約300点、新発見の歴史を展示
9/23(月) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190923-00077035-lmaga-l27

 歴史が古く、数多くの遺跡が眠る大阪市内。日々新たな発見のある発掘調査で出土した資料から、約300点集めた特別展『新発見! なにわの考古学2019』が、「大阪歴史博物館」(大阪市中央区)で10月16日からスタートする。

 今回展示されるのは、弥生時代中期の形木製品や、古墳時代中期の顔の装飾がついた須恵器椀(いずれも大阪市旭区所在遺跡)、大阪の近代工業を支えた硫酸瓶などの化学薬品用陶磁器類(北区中之島蔵屋敷跡)など。発掘現場の写真パネルとともに紹介される。

「出土資料が語りかける新発見の大阪の歴史に触れていただければ幸いです」と同館。期間は2020年1月6日までで、チケットは大人600円、高校・大学生400円、中学生以下無料。

2684名無しさん:2019/09/28(土) 21:22:32 ID:NrdB.GxU0
日本文化、都会で気軽に 法善寺に外国客続々
2019年9月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190928/20190928050.html

 全身が苔(こけ)むした姿の水掛不動で知られる法善寺(大阪市中央区難波)で、毎月28日の夜に行われている水掛不動明王護摩法要の人気が高まっている。護摩法要はお不動さんの縁日として親しまれており、地元の人たちに交じってインバウンド(訪日外国人客)の参拝客が増加。「都会の中で気軽に日本文化が楽しめる」と好評だ。

 
大阪・ミナミの象徴的存在の道頓堀から、南へ50メートルほどの場所に位置する法善寺。法善寺横丁を含む一帯は、古き良き浪速の風情が味わえる観光スポットとして、根強い人気を誇る観光スポットになっている。

 近年はインバウンドが目立って増え、道頓堀から同寺へ足を延ばし、目にした護摩法要に感動。口コミで評判が広がっている。

 護摩法要の時間は午後7時〜同9時。「開運厄除」「商売繁盛」などを祈願する護摩供養料は500円と300円があり、誰でも参加できる。問い合わせは電話06(6211)4152、同寺。

2685名無しさん:2019/09/29(日) 16:33:24 ID:NrdB.GxU0
小中高生が古墳の人文字、大阪 世界遺産登録祝い
9/27(金) 10:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190927-00000054-kyodonews-soci

 世界文化遺産に登録された大阪府の百舌鳥・古市古墳群の地元、藤井寺市で27日、学校法人「四天王寺学園」の小中高生ら約700人が、登録を祝って学校の校庭で前方後円墳の形の人文字を披露した。

 児童、生徒らがブルーの紙を掲げて古墳周辺のお堀を表現。紙を並べてつくった「祝 世界文化遺産」の文字などと合わせ、人文字で縦約29メートル、横最大約25メートルの前方後円墳の形をつくった。

 当初は登録が決まった7月に予定していたが、悪天候のため延期していた。学校近くには、古墳群の一つで前方後円墳の仲哀天皇陵古墳(岡ミサンザイ古墳)がある。

2686名無しさん:2019/10/02(水) 21:59:30 ID:NrdB.GxU0
あの当時、橋下氏は散々に叩かれましたが、良い方向に行っているようです。
税金に頼って細々生きていくのは文楽らしくない。力強く生きてこその文楽。


橋下徹氏への怒りで始めた恒例落語会に桂春団治「今は文楽に応援してもらっている」
10/2(水) 18:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00000093-sph-ent

 上方落語家の桂春団治(71)と文楽太夫の豊竹呂太夫(72)らが2日、大阪市内で、「文楽応援の落語会 Part6〜忠臣蔵プレリュード〜」(28日、大阪・天満天神繁昌亭)の概要発表会見に出席した。

 2012年に当時の大阪市長だった橋下徹氏(50)が文楽協会への補助金見直しを打ち出したことを受け、「落語より文楽が好き。義憤にかられた」と春団治が中心になり、文楽とゆかりがあるネタを上演する応援落語会を14年に始めた。

 年に一度の開催で今回が6回目。今春、英太夫(はなぶさだゆう)を改め、名跡の6代目を襲名した呂太夫は「当時の橋下市長の言動が“逆効果”になって今、文楽はお客さんが入っている。感謝しています」。春団治は「今は文楽に応援してもらう落語会になっている」と苦笑した。

 サブタイトル通り、公演では忠臣蔵にまつわる落語、講談、踊りをずらりと並べる。春団治は故・6代目笑福亭松鶴さんから教わった「蔵丁稚」を演じる。


豊竹呂太夫「感謝」反目した橋下氏言動で逆に客増加
10/2(水) 20:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-10020739-nksports-ent

 4代目桂春団治(71)が2日、大阪市内で「文楽応援の落語会part6〜忠臣蔵プレリュード〜」(28日、大阪・天満天神繁昌亭)の発表会見に出席した。

この落語会は、12年に当時、大阪市長だった橋下徹氏が文楽協会への補助金見直しを打ち出したため、それに反発する形で始まった。

春団治は「(橋下氏が)今どう思っているのかは知らないが、とにかく反発したいことがいっぱい」と話した。かつて、文楽公演「曽根崎心中」を客席で鑑賞していたとき「橋下さんが来て観客が拍手したことがあった。『こんなおっさんに拍手すな』と思っていた」と明かした。

会見に同席した文楽太夫の豊竹呂太夫(72)は「橋下さんの言動で、今の文楽はかなりお客さんが入ってきている。逆効果っていうか、ある意味感謝です」。

呂太夫に義太夫を習うほどの文楽ファンである仲野徹大阪大学医学部教授(62)は「文楽を知っていた方が落語もおもしろい」と話した。

春団治は演目「蔵丁稚」を披露する。「大阪市立大で講義しているが、文楽か落語のビデオを見て、そのあとに『蔵丁稚』を見る方が学生さんも納得して見ている」と実体験を交えて説明した。

2687名無しさん:2019/10/07(月) 21:23:56 ID:ylDuNnHU0
宅配歴史講座 節目の千回 回重ねるごとに評判
2019年10月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191007/20191007029.html

 NPO「なにわ堀江1500」代表の水知(みっとも)悠之介さん(77)=枚方市=が大阪市西区内の高齢者施設などで定期的に取り組む「宅配歴史講座」が、9日で通算千回に達する。戦後の昭和をたくましく生きた年代の人々に、当時の映像などを通じて若返ってもらおうと2006年から継続。大台を目前に「自分も楽しいので続けられる」と、いつもと変わらぬ姿勢で資料作成などの準備に励んでいる。

 水知さんは、かつて大阪市西区・堀江地区に本社を置く大手鋳鉄管メーカー栗本鐵工(てっこう)所に勤務。在職中から社史編さんなどに携わり、さまざまな歴史に育まれた堀江のまちに魅了された。退職後はNPOを設立し、地元史の研究や堀江ガイド、戦前住宅地図作成、宅配歴史講座などに尽力した。

■路線変更が奏功

 中心となる歴史講座は、区内の高齢者施設の依頼で実施。回を重ねるごとに評判を呼び、方々から開催依頼が増えた。施設ごとに講座のローテーションは異なるが、おむね月1回のペースで行い、13年に通算500回、17年に800回に到達した。

 厚生労働省の助成を受けた「歴史講座・宅配事業のボランティア育成事業」(05年)にも取り組み、修了者である金田正一さん・治子夫妻(同市北区)は現在も活躍中。一部施設で水知さんと共に講師を務めている。

 当初は堀江の一時代を築いた花街など純然たる地元史の講座が中心だったが、「参加者の世代が実際に体験してこられた戦後昭和に触れた時、反響が大きかった」というきっかけで路線を変更し、これが功を奏した。

 ロカビリーブーム▽皇太子ご成婚▽東京五輪▽大阪万博-など、戦後から毎回数年ごとに区切って時代をたどっていくと、異口同音に「懐かしい」「自分も若かった」の声。各時代を華やかに彩ったスターや映画作品、流行歌の資料もふんだんに盛り込んであり、自然発生的に歌声に包まれるのもおなじみの光景となっている。

■先輩から年下へ

 講座内容は先方の依頼に沿って自在に組み替える。時には一分野に詳しい参加者から鋭い質問を受けることもあり、水知さんは「こちらも常に勉強が必要」と向学心を燃やす。

 以前はもっぱら“先輩”たちを相手に話をしていたが、最近は自分よりも年下の参加者も増えてきたことが大きな変化だ。改めて自身の年齢を考慮し、移動しやすいように居住地の枚方市内の施設でも講座を開催。ここでも西区同様に人気を博している。

 「自分自身も楽しむために取り組んでおり、今が最も充実している。健康である限り講座をお届けし、お互いの気持ちが少しでも若返ることができれば」と願いを込める。

2688名無しさん:2019/10/11(金) 22:11:18 ID:NrdB.GxU0
「梅田は埋田だった」証拠写真見つかる JR大阪駅で資料展示
10/11(金) 18:29配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191011-00000058-minkei-l27

 梅田が「埋田」だったことを示す初代大阪駅建設前の写真が発見され、10月11日からJR大阪駅の構内で展示が始まった。研究者は「伝承はあったが証拠写真は一枚もなかった。貴重な資料だ」と喜ぶ。(梅田経済新聞)

 
梅田の地名の由来には「田を埋めた『埋め田』から」や、「梅の木があった」など諸説あるが、駅舎が建つ以前の様子が分かる写真資料はこれまで見つかっていなかったという。

 発見された写真は、神戸〜京都間の鉄道敷設を指揮したイギリス人技術者のジョン・イングランドが撮影したもの。豪州に住む同氏のひ孫が保管していた古い鉄道写真24セットを大阪産業大の林田治男 名誉教授が確認し、撮影場所を特定したいと情報提供を呼び掛けていた。

 これらの写真を京都大学鉄道研究会OBの西城浩志さんらが解析した結果、建設中の初代大阪駅を写したものが5枚含まれていると判明。今年4月、鉄道史資料保存会の季刊誌「鉄道史料」で発表した。

 写真を最初に見た印象について西城さんは「何もない砂地に工事現場が写り込んだだけの写真で、皆が悩むだけある難物と分かった」と話す。窓の形状や煙突の存在、建物の構造・配置などを検証し、大阪駅であることを同定した。建設中の写真には水抜き井戸も確認でき、梅田が湿地帯だったことがうかがい知れるという。

 今回の展示について、国鉄時代を含めると39代目の大阪駅長となる新林由浩さんは「写真の存在にびっくりした。この貴重な資料を基に現在の駅舎になるまでの変遷を知っていいただけたら」と話す。現地では全16枚のポスター資料で初代大阪駅の工事開始から2代目大阪駅までを解説している。

 10月27日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2689名無しさん:2019/10/13(日) 11:16:52 ID:NrdB.GxU0
お寺が持つ潜在能力体験 下寺町で「寺フェス」
2019年10月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191012/20191012043.html

 上町台地沿いに多くの寺院が連なる大阪市天王寺区下寺町の5カ寺を会場にしたイベント「下寺町 寺フェス」(下寺町・寺塾主催)が20日に開かれる。寺と関わりのある近隣個人・団体が「お寺が持つ潜在能力を体験してほしい」との思いで初めて企画した手作りイベント。各プログラムの参加には「テラ」を単位とするユニークな寺フェス専用チケットが必要で、千テラを千円で販売。午前9時〜午後3時。雨天決行。

各寺の主なプログラムは次の通り。

 【稱念寺】ミニ寺塾(300テラ)=語り(桜座一家(ファミリー))、お説教(同寺住職)。午前9時半、同11時、午後0時半、同2時の4回(所要時間は各回約30分)▽アマチュア落語会(300テラ)=午前10時10分、同11時40分、午後1時10分、同2時40分(上演時間は各回約45分)▽おでん販売(100テラ)。

 【浄国寺】ミニミュージカル(100テラ)=出演はミュージカル集団「発起塾」。午前11時、午後1時半(各約30分)▽組みひも講座(600テラ)。午前10時半、午後1時半(各1時間)▽箔(はく)押し(漆塗り)体験(千テラ)▽野だて(600テラ)=午前10時〜午後3時▽スリランカ・カレーとパン販売(500テラ〜)▽夕霧絵馬(500テラ)。

 【源聖寺】日舞体験(500テラ)=午前10時、午後0時半、同2時半(各約45分)▽お点前(300テラ)=午前10時から随時。

 【金台寺】モスペットワークショップ(1400テラ)=コケで作ったキャラクターコケ玉を製作。午前9時〜午後3時(定員12人、45分)▽お地蔵様陶芸販売(300テラ〜)▽革小物クラフト体験(500〜1200テラ)▽龍の金運招福お守り販売(500テラ)。

 【西照寺】人形供養(千テラ〜)▽写経体験(300テラ)=午前9時〜午後2時半(最終受け付け)▽介護者のこころのやすらぎカフェ(300テラ)=同1時〜同3時。

 このほか全寺でご朱印(100枚限定)を用意。現在、ご朱印付交換券付き前売り券を発売している。

 問い合わせ、講座申し込みは
shitaderamachi2018@arigatookini.com

2690名無しさん:2019/10/13(日) 19:53:19 ID:kceB.hys0
>>2687 こないだ死んだ金やんとは別人?蝶矢のCMに出てメジャーにしてくれたから、無関係ではないな。

2691名無しさん:2019/10/14(月) 15:54:32 ID:NrdB.GxU0
慶沢園とハルカスコラボ 秋の天王寺大茶会
2019年10月14日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191014/20191014022.html

 大正期に造られた日本庭園「慶沢園」一帯の魅力を啓発する催し「秋の天王寺大茶会」が13日、大阪・天王寺地区で始まった。庭園を所有する大阪市が、近隣のあべのハルカスに入る近鉄百貨店本店などと連携して初めて企画。参加者は、地域に根付く歴史を体感していた。14日まで。

 慶沢園は、江戸時代に始まる豪商・住友家の十五代吉左衛門によって、本邸として1918年に造営された。庭を手掛けたのは七代目小川治兵衛。26年には大阪市に寄贈され、池の周りを巡る回遊式の姿は、往時の様子を伝えている。

 市は、都市部にある貴重な庭園を一帯の魅力と共に発信し、集客や地域の発展につなげようと催しを企画。日本一高いビル、あべのハルカスを背景にしながら庭園を巡るコースや、隣接する市立美術館で普段非公開のバルコニーから庭園を眺めるコースを用意し、園内の茶室での茶席も設けた。

 参加者は案内役の解説に聴き入りながら、伝統と現代の街並みのコラボを楽しんだ。慶沢園と近鉄百貨店本店では、お互いの利用を促すようにクーポンの配布も繰り広げた。

 庭園の運営に造詣が深い植彌(うえや)加藤造園も共催し、山田咲部長は「対話を伴う体験を通して愛着を育み、庭園の魅力を未来につなげていければ」と話していた。

2692名無しさん:2019/10/14(月) 16:27:41 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣の「特別展 豊臣外交」、台風19号により1日遅れで開幕
10/13(日) 20:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191013-00078653-lmaga-l27

  豊臣秀吉時代の逸品や書状からその対外交流を追う『特別展 豊臣外交』が13日に開幕。台風19号の影響により開幕が1日遅れのスタートとなったが、初日には多くの来場者が粋を極めた品々や内情溢れる書状などを観覧した。

 台風19号が通過し、快晴となったこの日。観光スポットでもある「大阪城天守閣」には多くの観光客が訪れた。そのほとんどがインバウンド観光客で、幅広い国の人が来場。現在開催中のラグビーワールドカップのユニフォーム姿の人も多く見られた。

同展では、豊臣秀吉を中心とした歴史的人物たちの心情や策略、来ていた南蛮趣味の服、使われていた茶道具や物などが、わかりやすい説明文とともに展示されている。出品数は掛け軸や刀、甲冑など89点で、「大阪城天守閣」所蔵のものだけでなく、福岡から東京までの各博物館や図書館、個人から一堂に集められた。

この日、大阪市内から親子で訪れた小学生の男子は、「歴史のなかでも戦国時代が大好き。何回か見たことある展示もあるけれど、マント(ビードロマント)は初めて。マントは羽織るだけかと思ってたけど、横から手を出す作りも不思議だった。好きな歴史的人物は藤堂高虎」と目を輝かせた。同展は11月17日まで開催され、「大阪城天守閣」入館料で観覧可(大人600円、中学生以下無料)。

取材・写真/岡田由佳子

2693名無しさん:2019/10/20(日) 15:43:42 ID:NrdB.GxU0
あんどんに願い込め 御霊神社・秋祭り宵宮
2019年10月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191017/20191017028.html

 大阪市中央区淡路町の御霊神社で16日、秋祭りの宵宮祭が執り行われた。ビジネス街に位置する境内には、周辺の会社員らが続々と参拝に訪れ終日にぎわいを見せた。

 夜には恒例の献灯があり、神職が手作りのあんどん約千基を境内に配置。薄暮から順次点灯していき、日中と異なる雰囲気の中で多くの参拝者を迎えた。

 願い事を書き込むあんどんには、場所柄として「商売繁盛」「社運隆昌(りゅうしょう)」が多いものの、今年は先日の台風19号など甚大な被害をもたらした自然災害が多かったことを受け、「被災地復興祈願」「天地安泰」の文字も見られた。

 17日は奉幣祭が行われ、午後4時から神楽を奉納。夕刻からは奉納イベントとして、ジャズライブや書道パフォーマンスなどを予定している。観覧無料。

2694名無しさん:2019/10/20(日) 16:09:12 ID:NrdB.GxU0
北前船ゆかりの自治体交流 北海道で寄港地フォーラム
2019年10月19日 20:27
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191019/20191019099.html

 江戸時代から明治時代、日本海や瀬戸内海で交易を担った「北前船」ゆかりの地が交流する「第28回北前船寄港地フォーラム」が19日、北海道小樽市で始まった。自治体関係者など約300人が集まり、北前船が寄港地に与えた影響などについて理解を深めた。20日は石狩市に場所を移す。

 主催者によると、13道府県の自治体関係者が参加。開会式で小樽市の迫俊哉市長は「北前船が伝えた歴史、文化を次の世代に引き継ぐ責任がある」とあいさつした。

 講演で大阪市の柏木陸照経済戦略局長は「北前船の交易が関西で合わせだしを生んだ。だしを使った日本食の文化は世界に広がりつつある」と強調した。

2695名無しさん:2019/10/22(火) 19:31:57 ID:NrdB.GxU0
大阪あっての皇室。皇室あっての大阪であります。

「即位礼正殿の儀」 天皇陛下が即位を内外に宣言
2019年10月22日 15時59分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191022/k10012143671000.html

 ことし5月の皇位継承に伴って、新たに即位した天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」が皇居・宮殿で行われました。天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べられました。

 
「即位礼正殿の儀」は国事行為として行われる「即位の礼」の中心となる儀式で、天皇陛下は皇居・宮殿の「松の間」で皇后さまとともに臨まれました。

儀式には秋篠宮ご夫妻をはじめ、11人の皇族方が参列されたほか、外国の元首や王族、それに内閣総理大臣など三権の長や各界の代表など、およそ2000人が参列しました。

21日夜から降り続く雨のため、中庭に整列する予定だった古式ゆかしい装束の職員は人数を減らして屋内に配置されました。

天皇陛下は平安時代から儀式での天皇の装束とされる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包んで「松の間」に入り、正面中央に置かれた高さ6メートル50センチ近くある「高御座(たかみくら)」の台座にのぼられました。

続いて十二単(じゅうにひとえ)を着た皇后さまが「高御座」と並んで置かれた高さ5メートル50センチほどの「御帳台(みちょうだい)」にのぼられました。

午後1時12分、侍従と女官によって、「高御座」と「御帳台」のとばりが開けられると両陛下が姿を見せられました。

そして天皇陛下が即位を内外に宣言するおことばを述べられました。

この中で天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と述べられました。

続いて安倍総理大臣が天皇陛下の前で「寿詞(よごと)」というお祝いの言葉を述べました。

そして安倍総理大臣の発声で参列者が万歳を三唱し、これに合わせて皇居外苑の北の丸公園で自衛隊が21発の礼砲を打ち鳴らしました。

このあと「高御座」と「御帳台」のとばりが閉じられ、両陛下が「松の間」から退出されて、儀式はおよそ30分で終わりました。


夜は祝宴の儀式も

宮殿では午後7時20分から祝宴にあたる「饗宴(きょうえん)の儀」が行われます。

この儀式では、天皇陛下が皇后さまとともに外国の元首や王族などおよそ400人を招待して即位を披露し祝福を受けられます。

2696名無しさん:2019/10/22(火) 19:52:14 ID:NrdB.GxU0
即位礼正殿の儀 天皇陛下おことば全文
2019年10月22日 13時21分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191022/k10012143681000.html

さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。

ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。

上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。





国民に寄り添う気持ち 改めて示される

「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」で天皇陛下が述べられたおことばは前回、平成2年の儀式で上皇さまが述べられたおことばを踏まえつついくつかの新しい表現が加えられたものとなりました。

天皇陛下はおことばの中で、冒頭で即位を内外に宣言し、続いて上皇さまの歩みを振り返ってみずからが象徴としてのつとめを果たすことを誓い、最後に国の一層の発展や国際社会の友好などを願われました。

こうした流れは平成2年の前回の儀式で上皇さまが述べられたおことばを踏襲したものですが、象徴としてのつとめを誓われた部分ではいくつかの新しい表現が加えられました。

平成2年に上皇さまは「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と述べられました。

一方、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べ、「国民の幸せ」とともに「世界の平和」を願いつつ、「国民に寄り添いながら」という一節を加えられました。

「国民に寄り添い」ということばはことし5月1日の「即位後朝見(そくいごちょうけん)の儀」での即位後初めてのおことばや、ことし2月の誕生日にあたって行われた記者会見などでも、天皇陛下が繰り返し述べられてきました。

天皇陛下のおことばは上皇さまの象徴としての歩みを踏まえながら、国民に寄り添う気持ちを改めて示されたものとなりました。

2697名無しさん:2019/10/22(火) 19:53:41 ID:NrdB.GxU0
即位礼正殿の儀 天皇陛下おことば全文
2019年10月22日 13時21分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191022/k10012143681000.html

さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。

ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。

上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。


国民に寄り添う気持ち 改めて示される

「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」で天皇陛下が述べられたおことばは前回、平成2年の儀式で上皇さまが述べられたおことばを踏まえつついくつかの新しい表現が加えられたものとなりました。

天皇陛下はおことばの中で、冒頭で即位を内外に宣言し、続いて上皇さまの歩みを振り返ってみずからが象徴としてのつとめを果たすことを誓い、最後に国の一層の発展や国際社会の友好などを願われました。

こうした流れは平成2年の前回の儀式で上皇さまが述べられたおことばを踏襲したものですが、象徴としてのつとめを誓われた部分ではいくつかの新しい表現が加えられました。

平成2年に上皇さまは「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と述べられました。

一方、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べ、「国民の幸せ」とともに「世界の平和」を願いつつ、「国民に寄り添いながら」という一節を加えられました。

「国民に寄り添い」ということばはことし5月1日の「即位後朝見(そくいごちょうけん)の儀」での即位後初めてのおことばや、ことし2月の誕生日にあたって行われた記者会見などでも、天皇陛下が繰り返し述べられてきました。

天皇陛下のおことばは上皇さまの象徴としての歩みを踏まえながら、国民に寄り添う気持ちを改めて示されたものとなりました。

2698名無しさん:2019/10/22(火) 20:12:25 ID:NrdB.GxU0
「即位礼正殿の儀」号外を配布
10月22日 18時07分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191022/2000021638.html

天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が行われたことを受け、JR大阪駅前では新聞の号外が配られました。

JR大阪駅前で午後3時前から号外の配布が始まると、買い物や観光で訪れていた人たちが次々と受け取り、用意された1000部は20分ほどでなくなりました。
受け取った大阪・天王寺区の69歳の男性は、「素晴らしいことだと思います。とにかく平和が一番です」と話していました。
また奈良県の18歳の男子高校生は、「うれしいし、すごいことです。令和もいい時代になってほしいです」と話していました。
さらにフィリピン出身の60歳の女性は、「私は天皇陛下を尊敬しているので、記念に号外を持っていたいと思いました。フィリピンと日本は昔は関係が悪かったですが、今はいいです。新しい時代は、日本とフィリピンだけでなく他の国も仲良くなってほしいです」と話していました。

2699名無しさん:2019/10/22(火) 20:24:39 ID:NrdB.GxU0
即位祝い大阪メトロが記念乗車券
10月22日 12時54分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191022/2000021634.html

天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」にあわせて、大阪メトロは記念の乗車券を販売しています。

この乗車券は、「即位礼正殿の儀」を記念して大阪メトロが企画したもので、御堂筋線の新大阪駅に設けられた特設の売り場には、朝早くから100人以上が長い列を作りました。
記念乗車券は、縦9センチ、横20センチで、5枚で1セットとなっていて、図柄は「鳳凰」や、天皇家の紋章に使われている菊の花などが描かれています。
購入した大阪市の小学6年生の男の子は、「売り切れてしまわないか心配でしたが、買えてよかったです。記念乗車券は自分の部屋に飾ります」と話していました。
大阪メトロ営業企画課の池田龍二係長は、「大勢のお客様に購入いただき、うれしく思います。お客様と、天皇陛下のご即位をお祝いする気持ちを共有したいです」と話していました。
記念乗車券は5000セット限定で、御堂筋線の新大阪駅のほか、あすは梅田駅となんば駅でも販売されます。。

2700名無しさん:2019/10/22(火) 20:26:47 ID:NrdB.GxU0
お祝いに大阪城天守閣を無料公開
10月22日 12時54分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191022/2000021637.html

天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が行われるのを祝って、大阪を代表する観光名所の1つ、大阪城天守閣がきょう一日無料で公開され、多くの観光客で賑わっています。

「即位礼正殿の儀」を祝って、大阪・中央区の大阪城天守閣はきょう一日無料で公開され、午前9時の開館にあわせて約150人の観光客らが一斉に入場しました。
訪れた人たちは、高さおよそ55メートルの天守閣の最上階に登ると、展望台から晴れ間の広がる大阪の街並みをゆっくり眺めたり、カメラに収めたりしていました。
群馬県から友人と訪れたという27歳の女性は、「もともと来る予定はありませんでしたが、無料と知って来ました。これからも日本が平和であってほしいです」と話していました。
また家族で訪れた46歳の女性は、「令和の時代はこれからの子どもたちのために、平和であってほしいです」と話していました。
大阪では大阪城天守閣のほか、中央区の大阪歴史博物館や北区の大阪市立科学館、天王寺区の天王寺動物園などの施設も、きょう一日無料で公開されています。

2701名無しさん:2019/10/22(火) 21:11:45 ID:NrdB.GxU0
大阪「金剛寺」が国の重要文化財指定に、吉村洋文知事「歴史的価値高い」
10/21(月) 22:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191021-00079245-lmaga-l27

 18日、国の重要文化財に指定された、大阪・河内長野市にある「金剛寺伍仏堂」や「摩尼院」。大阪・吉村洋文知事は21日におこなわれた囲み取材(大阪府庁内)で、「国内外の人に知ってもらいたい」と語った。

文化庁の文化審議会の答申(18日)で、重要文化財に新たに指定された建造物は9件。「金剛寺」には数多くの国宝・重要文化財があり、境内の江戸時代中期に建立された建物が群をなして維持されていることが高い評価を受けた。「摩尼寺」は「金剛寺」境内に所在する子院で、すでに指定されている書院と一体の価値を有することで保護を図るという。

府にとっては、ユネスコ世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」に続く喜ばしいニュース。南大阪出身の吉村知事は、「南大阪には歴史的価値の高い場所がたくさんあり、日本が世界に誇れる観光資源がたくさんある。そういったものを一体化して国内外のみなさんに発信できる仕組みをぜひ、地元の市町村と協力しながら広げていきたい」と語った。

取材・写真/岡田由佳子

2702名無しさん:2019/10/22(火) 21:48:07 ID:NrdB.GxU0
大阪駅の歴史紹介に見入る 桜橋口通路で展示
2019年10月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191021/20191021025.html

 初代大阪駅舎工事の様子を示す写真が見つかり、JR西日本がJR大阪駅構内の桜橋口中2階通路で展示している。明治初期の工事開始から、広大な空き地で駅舎を組み立てる作業、完成までの貴重な歴史を伝えている。27日まで。

 JR西によると、写真は初代駅舎の工事を担った英国人の建築長ジョン・イングランドの子孫が、オーストラリアの自宅で保管しており、複製写真5枚を鉄道資料保存会などが分析。詳細が不明だったが、2階建ての駅舎や窓の形などから大阪駅と判明した。

 展示は、駅の歴史を見てもらい、5代目となる現・大阪駅舎に愛着を持ってもらおうと、これらの写真を組み込んだポスター16枚を掲示。

 工事開始から1874年5月の初代駅舎の開業、写真の分析過程などを紹介しており、年配の利用客を中心にさまざまな世代が足を止めて展示に見入っている。

 JR西の広報担当者は「西日本で一番利用者が多い大阪駅の歴史を振り返る貴重な機会。ぜひ見ていただけたら」と話した。

2703名無しさん:2019/10/23(水) 20:47:43 ID:NrdB.GxU0
まちは奉祝ムード 即位の礼 記念御朱印に笑顔も
2019年10月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191023/20191023025.html

 天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が執り行われた22日、大阪市内では一部の神社で記念の御朱印が授与され、大阪城天守閣や市立の動物園、博物館が無料公開されるなど、慶祝ムードが広がった。

大阪市北区の大阪天満宮では、午前9時から記念の限定御朱印が授与された。境内では記帳台も設けられた。

 御朱印は、稲穂と鳳凰の2種類。それぞれ日の丸を背景にあしらった晴れやかなデザイン。「奉祝」「即位礼正殿之儀」「大嘗(だいじょう)祭」の文字と日付が記されている。

 5月1日の改元の際には、令和の基となった日本最古の歌集「万葉集」の一節が添えられた記念御朱印色紙を授与し、3時間待ちになるほど多くの参拝者が境内を埋めた。

 先頭に並んだ女性(37)=京都府八幡市=は「5月はすごく並んだので」と、午前6時前に自宅を出て、約1時間かけて境内に到着。御朱印を手にし、「記念の物はテンションが上がります」と笑顔を見せていた。

 また、同市中央区の少彦名(すくなひこな)神社では、陛下が上がられる「高御座(たかみくら)」と皇后さまが上がられる「御帳台(みちょうだい)」、宝玉が描かれた計3種類の御朱印のほか輪島塗の御朱印帳が授与された。

 大阪市内では、11施設の常設展示の入館料が無料になった。大阪城天守閣(同区)では、開館1時間前には約150人が並んだ。平日は9割を占めるという外国人観光客に加え、日本人客も多く訪れた。開館後も天守閣前本丸広場のミライザ(旧陸軍第四師団司令部庁舎)前まで列をなした。

 同市北区の林徹さん(42)は、「近くに住んでいながら家族で来たことがなかった。せっかくなので」と、家族4人で訪れた。「自分自身は10年ぶりぐらいだが、展示も新しくなっていた」と満足そう。「令和も平和な時代になってほしい」と話していた。

 大阪メトロは大人用3種類、小児用2種類の記念乗車券を販売。鶴や亀など縁起物があしらわれたデザインで、同市淀川区の新大阪駅にある特設売り場には、早朝から多くの人が訪れた。記念乗車券は23日以降は梅田駅、なんば駅でも購入できる。

2704名無しさん:2019/10/27(日) 01:01:53 ID:NrdB.GxU0
聖天山古墳 顕彰史跡に 大阪市教委
2019年10月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191024/20191024029.html

 大阪市教育委員会は本年度、新たに同市阿倍野区松虫通3丁目の「聖天山(しょうてんやま)古墳」を顕彰史跡に指定した。古墳からは6世紀後半のものとされる横穴式石室が出土しているものの、発掘調査から約70年たち、正確な場所を誤認されることが多いという。堺市の仁徳天皇陵を含む百舌(もず)鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されたばかりだが、指定には地元住民ら有志の要望も背景にあり、「大阪市の古墳にも目を向けて」と存在をアピールしている。


「顕彰史跡」は、1959年の市制70周年記念事業として始まった制度で、市内の史跡や文化財を顕彰する。第1号は同年指定の「大阪会議開催の地」(中央区)で、他に真田丸出城跡(天王寺区)や大阪国技館跡(城東区)が名を連ねる。本年度は2件が指定され、聖天山古墳は第236号となる。

 市教委によると、51年の発掘調査では横穴式石室内から須恵器、鉄刀などの副葬品や人骨が出土。同様の規模、構造を持つ古墳が集合する「群集墳」とみられる。近くでは2年前、5世紀のものとされる円筒埴輪(はにわ)が出土しており、一帯で5〜6世紀ごろに複数の古墳が築かれたとみている。

 出土品が見つかったのは、阿倍野区にある聖天山公園内の斜面。字名から北天狗(てんぐ)塚古墳とも呼ばれ、地元が木札を建てて顕彰していたが、その後散逸した。近くの小高い丘にクスノキの大木が自生していることから、同区出身の郷土史研究家、難波りんごさん(64)は「これが古墳の位置だと誤解されてきた」と指摘。難波さんを含む有志が、正確な位置の顕彰を求めてきた。

 市教委は今月16日、発掘地に当たる公園の一画にパネルを掲示。公園に隣接する正圓(しょうえん)寺は、飛鳥時代を起源とする阿部寺(廃寺)の塔頭(たっちゅう)と伝わり、この地は鎌倉時代の随筆家、吉田兼好が隠とんした地でも知られる。難波さんは指定を「うれしいし、ありがたい。『百舌鳥・古市』だけでなく、大阪市にも目を向けてほしいし、街歩きでも活用してもらいたい」と指定を喜ぶ。

 大阪市内の古墳は、茶臼山古墳(天王寺区)や帝塚山古墳(住吉区)をはじめ、市の南北に延びる上町台地に集中しており、一帯が当時の陸地であったことが推測できる。市教委文化財保護課の桜井久之主任学芸員は「大阪市では、堺市と比べて地上から見られる古墳がごくわずかしかない。古墳時代後期に群集墳が造られたことを、市民に知ってもらう一つの手掛かりになれば」と期待を寄せる。

2705名無しさん:2019/10/27(日) 01:22:47 ID:NrdB.GxU0
皇位継承安定への提言全文 自民有志「護る会」
10/23(水) 12:09配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191023-00000523-san-pol

  自民党の保守系有志議員のグループ「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」(代表幹事・青山繁晴参院議員)がまとめた「皇位継承の安定への提言」の全文は以下の通り。



【1】意義の確立

 わたしたち日本国民は、昭和20年、西暦1945年から74年間、天皇陛下と皇室の存在意義を学校で正面から教わることがないままに来た。それは家庭教育にも似通った現実をもたらしていると思われる。

 そのために、天皇陛下のご存在を男系・父系によって続けることの根本的意義あるいは世界的価値を知る機会に乏しい。

 まず、ここから再出発せねばならない。

 日本の天皇陛下は、諸国の皇帝や王と大きく異なった存在である。

 古代における仁徳天皇の「民の竈(かまど)」という故事によれば、天皇陛下は民の台所から夕餉(ゆうげ)を支度する煙が上がらないのをご覧になり、民の暮らしを楽にするために税を取るのをおやめになった。御自らの食事が粗末になり宮殿が傷むことより民を優先なさった。これは、今上陛下が祈られる際に、御自らの幸福を祈られることが無く、ただ民のために祈られることと直に繋がっている。

 すなわち「人のために生きる」という生き方、民と国の理念を、祈りを通じてすべての日本人にお示しになる存在である。

 民のための祭り主であられる役割を受け継がれることが、皇位継承の本質である。

 これらは天皇家という、初代より126代、二千数百年にわたる唯ひとつの血統によって受け継がれ、貫かれることによって実現している。

 皇位の歴史が男系・父系による継承であるために、父を一系で辿(たど)ることができ、仁徳天皇や神武天皇にまで繋がる天皇家の皇統が続いてきた。

 二千数百年にわたり変わらず受け継がれてきた、かけがえのない伝統を、ひとときの時代の価値観や判断で断絶することは許されない。

 われらはこの伝統を、日本国の根源として、また、変わりゆく世界のなかで変わらない安寧の国柄として護り抜かねばならない。

2706名無しさん:2019/10/27(日) 01:23:21 ID:NrdB.GxU0
【2】基本認識の整理

1・男系、女系の違いは何か。

 男系とは、父方の血統で神武天皇と真っ直ぐに繋がることである。女系であれば、神武天皇と繋がらない。女系による皇位継承は、日本の歴史で一度たりとも起こっていない。男系による皇位継承を、いかなる例外もなく、126代一貫して続けてきたのが日本の伝統である。これは、性差による優劣を論じるものでは全くない。有史以来一貫して民族が尊び、保ってきた男系による皇位継承を堅持するのか、その伝統を断絶させてしまうのか、この論点こそが、皇位継承をめぐる事の本質である。

2・女性天皇と女系天皇はどう違うか。

 女性天皇は過去に10代8人、いらっしゃった。いずれも即位後は結婚なさらないか、御子をもたれず、男系・父系の男子に皇位を継承された。この女性天皇がもしも皇統に属していない方と結婚され御子が即位されていれば女系天皇、母系天皇となるが、それは一度も存在されたことがない。

 今後もし女系天皇、母系天皇を認めれば天皇家の皇室は終わり、異質の王朝(皇室)、すなわち神武天皇から受け継ぐ祭り主ではない「天皇ならざる天皇」を生み出すことに直結する。

3・男系、女系ではなく父系、母系と呼ぶのはどうか。

 女性差別という誤解を避けるためには、望ましい。変更するには皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」を「皇位は、皇統に属する父系の男子が、これを継承する」と改正する必要がある。

 男系という言葉を使った法は他になく、この改正だけで良い。

4・いわゆる女性宮家を創設すれば何が起きるか。

 宮家とは本来、男系・父系による皇位継承を確保するために先人が鎌倉、室町の時代にかけて創設した。すなわち父系で皇統に繋がる男子を広く世に求め、その男子を当主とする宮家をつくり、いつでも男系・父系の継承者になれる候補を確保するためである。したがって現代に新しい宮家を興す場合にも、男子がご当主でなければならない。

 「女性宮家」がいかなるものを指すのか、未だ定義がなされておらず、共有認識はないが、一般的には、女性皇族が皇統に属していない方と結婚後も皇族にとどまり、新たに宮家を創って当主になられることを表すと解されている。仮に「女性宮家」が創設されると、皇統に属していない方が有史以来、初めて婚姻によって皇族になることになり、万一、その子や孫が皇位に就かれた場合には、皇位の男系継承という日本の伝統は終焉となる。

2707名無しさん:2019/10/27(日) 01:24:45 ID:NrdB.GxU0
5・皇位を継承できる男子皇族が極めて少ない現在の危機が起きた、その客観的な経緯は何か。

 敗戦と被占領により日本が主権を喪失していた当時に、GHQが昭和天皇の弟君の宮家以外の11宮家51人の皇族をすべて、強権を持って皇籍離脱させ、皇位を継承できる男系・父系男子の人数を極端に減らしたことによる。それ以外に、現在の危機の原因は見当たらない。

6・皇位継承の危機は初めてか。先人はどのように乗り切ってきたか。

 皇位継承の危機は、少なくとも古墳時代から起きていることであり、敗戦を経た現在だけの危機ではない。すなわち、危機を乗り切る智恵はすでにある。

 たとえば古墳時代の継体天皇は、その危機から生み出された天皇陛下である。先人は、親等の遠さ近さは問題とせず、男系・父系で皇統に繋がっていることを唯一無二の条件として広く男子を探した。そして越前(異説あり)におられた応神天皇の五世孫が即位され、継体天皇となられた。

7・父系で皇統に繋がる男子であれば、親等が大きく離れていても問題は無いのか。

 上記6の史実の通り、いかなる時代においても我が国では、男系・父系による血統で皇位を継承させることを最も重要な原則として貫いてきた実績があり、皇統として問題は生じない。

8・皇位継承をめぐる俗論の誤りとは何か。たとえば側室を置かないことが不安定化の原因だという説はどうか。

 これも上記、継体天皇の即位を考えれば、皇后陛下以外に妃(現代用語あるいは武家用語では側室)が数多くいらっしゃった時代にも、皇位継承の危機は起きている。

 したがって、側室を置かない限り問題が解決とならないなどという評論は俗説に過ぎない。前述の通り、皇位継承の安定策は先人の知恵の中にすでにある。

【3】現状の簡潔な整理

 皇室典範の定める皇位継承者が3人(秋篠宮皇嗣殿下、悠仁親王殿下、常陸宮親王殿)しかいらっしゃらず、うち、次世代の継承者と言えるのは、悠仁親王殿下お一人という現状にある。

 今後は、おそらくは数十年を経て悠仁親王殿下が即位され、そのあと男子がお生まれにならなければ皇位継承者が絶える怖れがある。その時代には、現存の宮家がすべて絶えている可能性があるからだ。

 [立法府においては、平成29年6月の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の成立の際、「政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方のご年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方のご事情等を踏まえ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」という文言を含む附帯決議を議決している。]

2708名無しさん:2019/10/27(日) 01:25:28 ID:NrdB.GxU0
【4】具体的な安定策

まず、守るべき大原則として、現在の皇位継承順位は一切変えないものとする。旧宮家の方々が皇室典範の改正あるいは特例法の制定、およびご当人の了承のご意思によって皇族に復帰された場合でも同様とする。

 事実上、以下の両案に絞られる。さらにこの両案は統合することができる。

(イ)養子および婿養子案

 旧宮家の男子が、現皇族の養子となられるか、女性皇族の婿養子となられる案。お生まれになる子が即位された場合、父が天皇の血を引くという男系・父系の原則を満たすことができる。

 後者の婿養子となられる場合、その旧宮家の男性がご当主となり新しい宮家を創設することがあり得る。またこの際の重要な注意点は、婚姻はご当人の自由意志に基づく自然なものでなければならないことである。

 さらに、皇族の養子を禁じた皇室典範9条、また一般国民の男性は皇族になれないとする皇室典範15条の改正か、特例法の制定が必要となる。

(ロ)旧宮家の皇籍復帰案

 政府機関の非公式な調べによると10代5人、20代前半2人の皇位継承者たり得る男子、すなわち男系・父系で皇統につながる男子が旧宮家にいらっしゃるという現況に鑑み、国民的理解に基づく立法措置を経たのちに、そのなかから了承の意思を持たれる方々に皇籍に復帰いただく案。

 上記の皇室典範15条を改正するか特例法を制定すれば可能となる。

(参考)

 前述の継体天皇の即位当時と同じく、皇統に父系で繋がる男子をあらためて全国から探す案もあり得るが、上述のように旧宮家のなかに皇位継承者たり得る男子が少なからずいらっしゃることを考えれば、いたずらな混乱を避けるために、実行すべきではない。

 上記を統合すると以下のようになる。

 「旧宮家の男子について、了承いただける方には皇籍に復帰いただけるよう、また現皇族の養子か女性皇族の婿養子となられることがあり得るよう、皇室典範の改正または特例法の制定を行う」

2709名無しさん:2019/10/27(日) 01:26:02 ID:NrdB.GxU0
【5】手順

(1)皇室典範を改正する(2)皇室典範の改正は行わないか、最小限度に留め、ご譲位と同じく特例法の制定を行う-の両案があり得る。

 後者の特例法は、ご譲位の際と同じく立法府の円満な合意形成に寄与することが期待できる。

 この特例法は、現在の皇位継承順位を堅持し、父系の皇位継承者を安定的に確保するため皇室典範第9条「天皇及び皇族は、養子をすることはできない」および第15条「皇族以外の●(=者の日の右上に「、」)及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」という条文に関連しての特例法の制定となる。

 すなわち、旧宮家の男子に限っては養子となることができ、また婚姻によっても皇族となることができるという特例である。

 仮に【2】基本認識の整理の3で述べた皇室典範第1条の改正により「男系」という用語を「父系」に改めておけば、特例法においても「父系」という用語を用いることができる。

2710名無しさん:2019/10/28(月) 13:52:31 ID:1LD/5B8I0
百舌鳥古市古墳に世界遺産認定書地元自治体へ伝達式
https://www.daily.co.jp/society/culture/2019/10/28/0012827323.shtml

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に今年7月登録された「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の認定書伝達式が28日、文化庁で開かれ、永藤英機堺市長をはじめ地元自治体の首長らが宮田亮平長官から認定書のレプリカを受け取った。
宮田長官は首長ら一人一人にレプリカを手渡し「素晴らしい世界遺産がさらに世界中の方々に認知され、永遠に残り続けてほしい」と登録を祝福した。永藤市長は「日本文化の象徴として全国各地の古墳と連携しながらアピールしていきたい」と語った。
北川嗣雄羽曳野市長は「地域住民は古墳と一体となって生活し守り続けてきた」と地元の熱心な活動を紹介した。

2712名無しさん:2019/11/02(土) 20:07:59 ID:NrdB.GxU0
「即位礼正殿の儀」記念入場券発売 京阪電鉄
2019年10月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191030/20191030031.html

 京阪電鉄(大阪市中央区)は11月9日から、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」を記念した「天皇陛下御即位記念入場券」を、一部の主要駅で発売する。

 桃山御陵のある桃山南口駅(京都市伏見区)など、皇室とゆかりのある沿線6駅の記念入場券をセットにした。台紙は、紫色を基調に金色の装飾を施し、吉事を象徴する鶴をデザインしている。

 淀屋橋、京橋、枚方市、中書島、丹波橋、三条、出町柳、近江神宮前の京阪各駅で発売。1セット6枚で、特製台紙付き900円。購入は1人1セット限り。限定千セット。発売期間は11月末までで、無くなり次第終了する。

2713名無しさん:2019/11/02(土) 20:31:38 ID:NrdB.GxU0
阪堺が“昭和レトロ”な車両を運行 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を記念
11/2(土) 17:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191102-00030245-mbsnewsv-l27

 
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されたことを記念して、阪堺電気軌道が昭和の時代に使用していたレトロな車両で臨時電車の運行を始めました。

 11月2日から3日間限定で運行されるのは、昭和に活躍していた車両の復元車です。百舌鳥・古市古墳群が今年7月に世界文化遺産に登録されたことを記念し、恵美須町駅〜浜寺駅前の区間を運行します。車内では、観光ボランティアガイドが乗客に堺の歴史などを紹介するサービスも行われました。

 「祖母よりも上の年にできた車両に乗れるというのは趣がある。」(乗客)
 「いいですね。こういう古い電車を大切に動かしてくれているのはありがたいです。堺の財産じゃないですか。」(乗客)

 この臨時電車の運行は11月4日までで、追加料金なしの通常料金で乗ることができます。
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MBSニュース

2714名無しさん:2019/11/04(月) 14:16:36 ID:NrdB.GxU0
健やかに 願い込め 住吉大社で七五三準備ピーク
2019年11月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191101/20191101041.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で31日、子どもの成長を祈願する七五三参りの子どもらに授ける撤下(てっか)(おさがり)の袋詰め作業の仕上げが行われた。同大社の参拝者数は年々増えており、今年は約7千人を見込んでいる。

 
朝から連歌所で行われた作業には、同大社のみこ「神楽女(かぐらめ)」6人が奉仕した。七五三に欠かせない縁起物の千歳あめをはじめ、お守り、鉛筆、おこしといった品々を鮮やかな黄色の袋に詰めていった。

 令和になって初めてでもあり、神楽女の仲野沙弥さん(20)は「新たな時代を迎え、お参りの皆さんが健やかに育っていただきたい」と願いを込め、手際よく作業をこなした。

 七五三参りのピークは本来の11月15日に最も近い9、10の両日となる見込み。最近の七五三は、ますます前倒しの傾向となっており、今年もこれまでに千組以上が境内に足を運んだ。

2715名無しさん:2019/11/04(月) 15:12:32 ID:NrdB.GxU0
>藤原宮は前期難波宮の影響を受けた可能性があるという。

大極殿後方に未知の回廊、奈良 藤原宮、難波宮の影響?
10/3(木) 17:24配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191003-00000118-kyodonews-cul

 奈良県橿原市の藤原宮(694〜710年)跡で、天皇が政務や儀式を行った「大極殿」の後方で、東西方向の回廊跡を発見したと奈良文化財研究所が3日、発表した。大極殿後方を回廊で仕切る構造は、ほかの宮では確認されておらず「未知の回廊」といい、同研究所は「宮殿中枢部の変遷を考える上で重要」としている。

 藤原宮より前に造営された前期難波宮(大阪市、7世紀半ば)では、藤原宮の大極殿に相当する「内裏前殿」の後方に内裏を区切るように配置された建物があり、藤原宮は前期難波宮の影響を受けた可能性があるという。

 調査では大極殿の北東部に、柱を据える礎石の痕跡を11カ所確認した。

2716名無しさん:2019/11/04(月) 15:14:18 ID:NrdB.GxU0
正しくは難波宮ではなく“難波京”とすべきでは、>>2715

四天王寺に7世紀の亀形石 奈良・酒船石遺跡と同構造
4/26(金) 18:07配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190426-00000146-kyodonews-cul

   四天王寺(大阪市天王寺区)にある亀形石造物は、酒船石遺跡(奈良県明日香村)で出土した亀形石造物と同じ7世紀に造られ、二つの水槽がつながる構造やサイズも同じだったことが分かり、調査した元興寺文化財研究所(奈良市)が26日発表した。

 酒船石遺跡の亀形石は2000年に出土、女帝・斉明天皇(在位655〜661年)が執り行った水の祭祀場とされる。乙巳の変(645年)後に孝徳天皇(在位645〜654年)は難波京へ遷都、四天王寺は新都の南限として重視されたことから、同寺の亀形石も天皇家による祭祀と関連があったと推測できるという。

2718名無しさん:2019/11/06(水) 17:15:47 ID:XYlD5Boo0
https://marco4321ice.web.fc2.com/

2719名無しさん:2019/11/06(水) 21:19:17 ID:NrdB.GxU0
縄文クジラで東大阪PRを 50年前出土の「骨」に着目
2019年11月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191105/20191105024.html

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の試合開催地で、さらに“ラグビーのまち”として高揚をみせた東大阪市。約5千年以上前の縄文時代には生駒山の麓まで河内湾が広がっていたとされる。長年、郷土史研究に取り組む猪飼野探訪会代表の足代健二郎さん(77)=大阪市生野区=は、50年前にマッコウクジラの骨が出土した歴史を踏まえ、「クジラのまちとしてもアピールできれば」と調査し、別の面からの盛り上げに尽力する。

 足代さんが、東大阪市のクジラに着目したのは今年3月。猪飼野探訪会など26団体が加盟する「河内の郷土文化サークルセンター」主催の郷土文化見学会(5月)を控えた打ち合わせの時だった。

 見学会のテーマは「歴史のあけぼの 河内湾・河内潟を巡る」。1974年5月、同市布市(ぬのいち)町の下水道工事現場から縄文時代の鯨骨(げいこつ)が偶然見つかったという話題に大いに引かれた。4月にルートを下見した際、布市自治会館敷地内に87年に立てられた鯨骨出土に関する解説板を確認したが、風雨などによる経年劣化で文字が消えており、「判読不可能な状態のままであぜんとした」。

 持ち前の探究心で、市文化財課から解説板の元データを入手し、見学会当日は参加者にコピーを見てもらって事なきを得た。以後も解説板や出土鯨骨調査報告(76年、市遺跡保護調査会)を基に調査を続ける中、記された出土地が、下水道工事の時期と異なる点から誤りであることを発見。市に再調査を依頼した結果、正確な出土地を特定することができたという。

 また、出土した鯨骨の一部を展示している市立郷土博物館(上四条町)の館内説明文にあった工事内容の誤りを指摘し、このほど修正されるなどわずかながらも進展があった。

 出土地の地元では、市民交流施設、東大阪市日下リージョンセンター(日下町)の建物がクジラをモチーフにしており、「くじらまつり」の名称でセンター利用者の文化祭も実施している。

 足代さんは、解説板の刷新と、より多くの住民に見てもらえるようにセンターへの移設を希望。豊中市で見つかったワニの化石(マチカネワニ)を一例に「他の団体と連携しながら、クジラや特色ある地域の歴史をPRし、東大阪を一層盛り上げることができれば」と話している。

2720名無しさん:2019/11/06(水) 21:35:21 ID:NrdB.GxU0
文楽 80年ぶりの名跡襲名へ
11月05日 06時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191105/2000022063.html

 およそ80年前に途絶えた人形浄瑠璃の名跡が復活することになりました。
語り手の「太夫」を務める竹本津駒太夫さんが、来年1月、「六代目竹本錣太夫」を襲名することになりました。

「錣太夫」は人形浄瑠璃「文楽」で昭和初期にかけて活躍した先代の五代目が「艶物」と呼ばれる男女の恋愛を描いた作品の語りの名手として知られる名跡ですが、およそ80年前に途絶えていました。
その「錣太夫」の六代目を襲名することになった竹本津駒太夫さんは、広島県尾道市出身の70歳。
昭和44年に20歳で四代目竹本津太夫に入門し、翌年、大阪にあった朝日座で初舞台を踏みました。
語り手の「太夫」として、五代目と同じように特に「艶物」が高く評価されています。
大阪市内で会見した竹本津駒太夫さんは、「先代のように自由奔放に演じる技量はまだ到底ございませんが、自分の持ち味を生かせる場面を探りながら、頂いた役を膨らませて、自由な表現ができるように自分の器を広げていきたい」と話していました。
襲名披露公演は、来年1月、大阪・日本橋の国立文楽劇場で行われます。

2721名無しさん:2019/11/06(水) 21:58:38 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣、7日で88歳に 3代目、入館者に登閣証明書
2019年11月6日 6:05
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191106/20191106003.html

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は7日、3代目となる現在の天守閣が88歳の“誕生日”を迎えるのを祝い、黄金のトラをデザインした「登閣証明書」を入館者先着5千人に無料で配布する。

 初代の城は1585年に豊臣秀吉が建てたが、1615年の大坂夏の陣で焼失。徳川幕府が再建した2代目も65年に落雷で焼け落ちた。

 現在の天守閣は1931年11月7日に大阪市民の寄付で完成。内部は歴史博物館、最上階は展望台になっている。登閣証明書は天守閣内で配布するため、入館料(高校生以上600円)が必要。問い合わせは同天守閣、電話06(6941)3044。

2722名無しさん:2019/11/12(火) 21:06:07 ID:NrdB.GxU0
野見宿禰 題材に製造 子孫は道真公、天満宮と縁
2019年11月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191112/20191112030.html

 2020年東京五輪・パラリンピック記念貨幣の打ち初め式が8日に大阪市北区の造幣局(川嶋真理事長)であった。1万円金貨に描かれた相撲の元祖「野見宿禰(のみのすくね)」の子孫は、菅原道真とされる。道真公を祭る大阪天満宮の「お膝元」に位置する造幣局が、野見宿禰を題材にした貨幣を製造する巡り合わせとなった。

 野見宿禰像は「ギリシャの女神」像と並んで1万円金貨の表面に描かれ、「心技体」の文字も記されている。

 野見宿禰とギリシャの女神を巡っては、メインスタジアムとして今月末完成予定の新国立競技場の壁画にもなる予定で、打ち初め式に出席した布村幸彦・大会組織委員会副事務総長は「旧国立競技場から無事移設された」と報告した。

 「勝利のシンボル」野見宿禰をデザインした貨幣製造について、造幣局元理事長の百嶋計・追手門学院大教授(60)は「約150年、天満宮のお膝元の天満で操業してきた造幣局が、野見宿禰の図柄の貨幣を製造できることは誠に感慨深い」と話している。

2723名無しさん:2019/11/12(火) 21:13:06 ID:NrdB.GxU0
即位パレード中継27・4% NHK、平均視聴率
2019年11月11日 13:53
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191111/20191111045.html

 天皇陛下の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」を生中継したNHK総合の10日の特別番組で、午後3時からの1時間の平均視聴率が関東地区で27・4%だったことが11日、ビデオリサーチの調べで分かった。関西地区は23・0%だった。

 瞬間最高視聴率は、関東地区はパレードの終わりの午後3時33分と35分の32・1%、関西地区は前半の午後3時9分の27・3%だった。

 9日午後の即位を祝う「国民祭典」を生中継したNHK総合の特別番組は、ビデオリサーチの調べで平均視聴率が関東地区17・0%、関西地区17・6%だった。

2724名無しさん:2019/11/17(日) 16:52:21 ID:NrdB.GxU0
装束姿で優雅に 住吉大社で「蹴鞠奉納」
2019年11月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191117/20191117021.html

 天皇陛下の即位に伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」に合わせ、「蹴鞠(けまり)奉納」が16日、大阪市住吉区の住吉大社で執り行われた。青空の下、装束姿の面々が優雅に球体を蹴り上げると、七五三の季節とも相まって参拝者でにぎわう境内から拍手と歓声が湧き起こった。

 大社によると、境内で蹴鞠神事が営まれるのは1937年以来で、当時は被害を受けた室戸台風からの復興を記念した奉納行事の場だった。今回は奉祝に「伝統的な行事を」との声が挙がり、実現した。

 行事には、技の継承団体として82年前も奉納に加わり、天皇陛下が皇太子時代にはともに蹴鞠に興じたこともあるという「蹴鞠(しゅうきく)保存会」(京都市)が参加。大社の呼びかけに、サッカー元日本代表でJリーグセレッソ大阪の森島寛晃社長も装束姿で登場した。

 一同は第一本宮前で輪になり、作法に従って「オウ」「アリ」「ヤア」と決まりの掛け声をかけ、鹿と馬の革で作られた軽量のまりを軽やかに弾ませた。

 右足しか使ってはいけないなどサッカーとの違いに悪戦苦闘したものの「球を落とさないようつなぐ“和”の意識を感じた」と森島さん。セレッソも「令和という新しい時代に歴史をつくっていきたい」と活躍を誓った。

2725名無しさん:2019/11/17(日) 18:27:57 ID:NrdB.GxU0
大阪・四天王寺で「蚤の市」、2020年2月から定期開催へ
11/13(水) 17:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191113-00081084-lmaga-l27

 令和2年(2020年)2月から、毎月第2日曜日に『四天王寺蚤の市』が「四天王寺」(大阪市天王寺区)の境内で開催されることがわかった。

同寺では、すでに毎月21・22日、関西最大級の『四天王寺骨董市』が開催されている。この催しに、第2日曜日に「四天王寺蚤の市」が加わり、骨董品、西洋アンティーク雑貨、レトロ雑貨を中心に、1日楽しめるイベントとなる。

「骨董市」とは、希少価値のある古美術品や古道具が中心。それに対して「蚤の市」は、日用雑貨やフリマなども含まれるため、蚤の市のなかに「骨董市」があるイメージだ。

会場は境内でもっとも大きい門「極楽門」を背後に控える西十門広場で、右側は骨董品や古美術品、古道具を中心とした店舗が集められる。左側は、骨董に限らずアンティークやレトロ雑貨、古雑貨などが中心となる。

担当者の丸十さんは、「とにかくいろいろな骨董品が揃い、求めている一品に出合えます。表参道周辺には、たこ焼きなどの屋台もあり、一日中楽しめるので、ぜひ訪れていただきたい」と魅力をアピールした。

取材・写真/岡田由佳子

2726名無しさん:2019/12/11(水) 21:11:09 ID:NrdB.GxU0
韓国、「倭系」前方後円墳に改めて注目…反日感情根強い中、研究者は限られていたが
12/5(木) 12:11配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00010000-yom-sctch

 百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群(大阪府)の世界文化遺産登録を受けて、構成資産の仁徳天皇陵古墳=大山(だいせん)古墳、堺市=をはじめ、規模の大きな墳墓に特徴的な「前方後円」の墳形が改めて注目されている。前方後円墳は、日本だけではなく、韓国南西部でも確認されている。韓国で研究の最前線を取材した。(大阪本社編集委員 関口和哉)

 交易を担った倭人か、大和政権に敗れた九州人か…被葬者で諸説

 商店やマンションに囲まれた市街地の一角。韓国南西部の光州にある2基の前方後円墳、月桂洞1号墳、2号墳を訪れた。この古墳からは円筒埴輪(はにわ)約100基が出土。周辺の栄山江流域では14基の前方後円墳が確認されている。

 反日感情が根強い韓国では、日本との関連がテーマになる前方後円墳に関心を寄せる研究者は長年、限られていたという。1980年代後半に、ようやく注目され始めた。

 栄山江流域の古墳は一時、「日本の前方後円墳のルーツではないか」との説も浮上したが、築造時期はいずれも5世紀後半〜6世紀前半。日本で前方後円墳の築造が始まった3世紀より後であることが判明してからは、関心は築造理由や被葬者に移った。

 月桂洞1、2号墳から東へ車で約20分。出土品などを展示している全南大博物館に林永珍(イム・ヨンジン)館長を訪ねた。林館長は93〜97年の発掘調査を担当。月桂洞古墳の築造時期、周辺は「馬韓(ばかん)」と呼ばれ、百済と倭(わ)(日本)が支配を競った。

 被葬者については、▽倭の影響を受けた百済人▽倭と結びついた馬韓人▽百済に仕えた倭人――など諸説あるが、林館長は「被葬者は磐井の乱(527年)で大和政権に敗れ、国外脱出した北部九州の倭人」と主張する。

 近年、石室や副葬品の調査が進み、より詳しい実態がわかってきた。洪●植(ホン・ボシク)・公州大副教授は「墳形や石室には日本の影響がうかがえる。一方、土器は朝鮮半島の特徴を持つ。武人的要素が少ない副葬品から被葬者は交易を担った倭人ではないか」と説く(●は「さんずい」に「普」)。
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「前方後円」以外でも…倭系の特徴

 「前方後円」以外の墳形も重視されるようになった。その一つ、咸平(ハムピョン)の金山里方台形古墳からは、鳥や人物などの形象埴輪が韓国で初めて出土し、石が敷かれた墳丘にも「倭系」の特徴が表れている。李■起(リ・ブンキ)・全南文化財研究所長は「将来は石室の発掘も目指している。被葬者像や日本との関係を解き明かしてくれるはず」と期待を寄せた(■は「金」の右に「凡」)。

 井上主税(ちから)・関西大准教授は「日韓の研究者が協力して比較、検討することで、日韓の歴史に新たな光を当てられるだろう」と話している。

2727名無しさん:2019/12/11(水) 22:37:52 ID:NrdB.GxU0
「明るく元気に奉仕」 天満天神えびす祭 招福娘代表決まる
2019年12月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191205/20191205032.html

 大阪天満宮の「天満天神えびす祭」を控え、行事に花を添える「招福娘」のお披露目と代表を決める最終選考会が4日、大阪市北区の同宮境内であった。代表には、摂南大2年の加藤由梨愛さん(21)=同市天王寺区=、立命館大2年の小西望月さん(21)=同市港区=、同志社女子大3年の高木有砂さん(20)=同市城東区=、関西大4年の松本琳さん(21)=兵庫県尼崎市=の4人を選出。「明るく元気にご奉仕したい」と声をそろえた。

 招福娘は年明けの1月9〜11日の3日間、参拝者に吉兆を授けるほか、自治体や企業への表敬訪問など一連の行事に加わる。「学問の神様」として知られる菅原道真を祭ることにちなみ、大学生約300人の応募から1次選考を通過した20人が最終選考会に臨んだ。

 壇上で2分の持ち時間内にダンスや楽器、外国語などの特技を披露。テーマパークでのアルバイト経験を踏まえ、スタッフの接客ものまねを演じた学生もおり、それぞれが“えべっさん”に通じる持ち前の笑顔で審査員に猛アピールした。

 塾講師の経験があり、授業を再現する話芸を披露した小西さんは「しっかり目を見てあいさつし、『福もろたわ』と言ってもらえるよう頑張りたい」と力強く抱負を述べた。

 同宮によると、江戸時代に活況だった「十日戎(えびす)」は戦時の混乱で途絶えたが、2007年に復興。06年に境内の一角で上方落語の定席「天満天神繁昌(はんじょう)亭」が開場し、当時上方落語協会会長だった桂三枝(現・文枝)さんが当時の宮司らに働き掛けた経緯がある。

2728名無しさん:2019/12/12(木) 22:14:32 ID:NrdB.GxU0
こうやって築城時期の違いによる石垣の違いを見れるようにする事の方が何にも考えなしに天守閣を木造で再建するより遥かに意味がある。

豊臣時代の大坂城、地下に埋められた石垣復活にかかる費用は
12/12(木) 20:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191212-00083452-lmaga-l27

 豊臣秀吉によって築城され、『大坂夏の陣』(1615年)で焼失した初代大坂城。その後、徳川幕府により城を覆い隠すように徳川大坂城が築城されたが、その際に地下に埋められた石垣を掘り起こすプロジェクトがあるのをご存じだろうか。

 石垣には大きく分けて3種類あるが、現在見られる徳川時代の石垣稜線(石垣の角)は「切り込み接ぎ」で、ほかが「打ち込み接ぎ」。

1984年に発見された豊臣石垣は、自然のままの石をあまり加工せずに積み上げた「野面積み」で、石は丸く不揃いで均整がとれておらず、両者はまったく趣の違うものだ。

調査終了後に石垣は埋め戻されたが、市では『大坂夏の陣』から400年の節目となる2013年、多くの人にみてもらえる施設をと『大坂城豊臣石垣公開プロジェクト』を開始。同時に、寄付目標額5億円の「太閤なにわの募金」をスタートした。

地下7mの地層から立ち上がる石垣を再度掘り起こし、解説と同時に本物の石垣が見られる同施設。市の担当・久村課長は、「(予定されている)公開施設は大阪城のすぐそばにあり、みなさまの思いや支援を受けて建設したい」と呼びかける。

実は大阪のシンボル「大阪城天守閣」も、1931年に市民の寄付を得て復興再建。今回も同様に多くの支援を集めて、実現を目指しているのだ。

11月末時点での寄付額は、約2億7000万円。「北海道から沖縄までたくさんの方にご寄付をいただいていますが、目標額の半分程度。ぜひ、ひとりでも多くの方にご寄付をいただきたい」と久村課長は訴える。

寄付は『ふるさと納税』の対象となるほか、金額に応じて記念メダルやミュージアム招待などの特典付き。12月13日までは「大阪城西の丸庭園 大阪迎賓館」でのフルコースランチ付きの特典も用意されている。寄付の詳細は、公式サイトにて。

取材・文/岡田由佳子

2729名無しさん:2019/12/15(日) 19:31:00 ID:NrdB.GxU0
笑顔と元気と福を 天満天神えびす祭 招福娘が市長表敬
2019年12月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191213/20191213032.html

 大阪市北区の大阪天満宮で来年1月9〜11日に行われる「天満天神えびす祭」を前に12日、祭りで奉仕する天満えびす招福娘8人が、寺井種治宮司とともに市役所を訪れ、松井一郎市長に祭りをアピールした。

 金色の烏帽子(えぼし)をかぶり、梅鉢紋とえびす紋の入った衣装を着た招福娘たちは「私たちの笑顔と元気と福をもって、大阪がますます元気で活気あふれるまちとなりますよう、ご奉仕させていただきます」などとあいさつ。2020年の大阪の発展を祈念し、「打ちまーしょ、もひとつせ、商売繁盛」との掛け声で“えびす締め”を行った。

 招福娘から縁起物の「福箕(ふくみ)」を受け取った松井市長は「福を持ってきていただきありがとう。皆さんの笑顔で、大勢の商売をしている方々に福をもたらしてほしい」と語った。

 招福娘は、大学生約300人の応募の中から20人が選ばれた。祭りの3日間、参拝者に吉兆を授けるほか、自治体や企業への表敬訪問などの行事に加わる。

2730名無しさん:2019/12/15(日) 19:50:35 ID:NrdB.GxU0
大阪ジャンボ絵馬ネズミの家族に 道明寺天満宮で掛け替え
2019年12月13日 14:58
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191213/20191213082.html

 学問の神様で知られる大阪府藤井寺市の道明寺天満宮で13日、本殿前のジャンボ絵馬が来年の干支「子」にちなんだネズミの家族の絵馬に掛け替えられた。

 絵馬は高さ2メートル、幅2・4メートル。「災害や事件が多かったので温かい気持ちになれる絵を」との依頼を受け、上方浮世絵の伝統を受け継ぐ女性画家長谷川貞信さん(73)が、米俵の上でうれしそうな表情を浮かべるネズミ一家と、天満宮の紅白の梅花を鮮やかな色彩で描いた。

 宮司の南坊城光興さん(45)は「来年は良いニュースばかりがチュー目(注目)される年になれば良いですね」と期待した。

2731名無しさん:2019/12/18(水) 20:57:32 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の父祭る「用明殿」を再建 四天王寺
12/18(水) 17:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191218-00000063-mai-soci

 四天王寺(大阪市天王寺区)に聖徳太子の父である橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)(用明(ようめい)天皇)を祭る「用明殿」が18日再建され、僧侶と関係者約50人が参列する中、森田俊朗管長らによる落慶法要が営まれた。太平洋戦争で失われた同殿が、令和元年の記念事業としてよみがえった。

 新しい用明殿は太子殿の北に隣接する形で建てられた。建築様式は、照り屋根(下向き反り)で参拝者用の空間として前流れの(正面側を長くした)庇(ひさし)を持ち、流造(ながれづくり)と呼ばれる。

 文献としては、徳川幕府が1623年の同殿再建時に記した帳簿「天王寺御建立太子堂組堂宮諸道具改渡帳(あらためわたしちょう)」に「御身躰(たい)六躰」とあり、1796〜98年刊の9巻からなる「摂津名所圖會(ずえ)」(巻二)に「祭神は欽明帝・敏達帝・用明帝・崇峻帝・推古帝・間人穴太部皇女(「穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)」を指すとみられている)等を鎮め奉る。是皇太子御母后(おんぼこう)なり」の記録が残る。

 江戸時代には徳川家康を祭る「東照宮」とされたが、倒幕後は用明天皇を祭る「用明殿」に戻った。明治期に幣殿と拝殿を併せ持つ大掛かりな建物となったが、1945年の大阪大空襲で焼失した。【大笹久光】


秋篠宮さま 天王寺動物園を視察
12月18日 12時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191218/2000023499.html

 秋篠宮さまは、18日、大阪の天王寺動物園を視察されました。

日本動物園水族館協会の総裁を務める秋篠宮さまは、動物園の飼育技術に関する研究会に出席するため、17日から大阪を訪れていて、18日は天王寺動物園に足を運ばれました。
秋篠宮さまは、園長らに案内されながら園内をまわり、このうち、は虫類を飼育している建物ではアメリカ原産で全長2メートル余りの「ミシシッピーワニ」の骨格標本をご覧になりました。
秋篠宮さまは獣医師の説明に耳を傾け、「標本を残しておくのが大切ですね」などと話されていました。
獣医師の佐野祐介さんは、「ワニの骨格標本は右の後ろ足がまがっているのですが、骨折して自然治癒した部位だということを説明しました。秋篠宮さまは説明を理解しながら聞いてくださっている様子でした。は虫類の知識も豊富で、“研究者”という印象を受けました」と話していました。

2732名無しさん:2019/12/18(水) 22:31:20 ID:NrdB.GxU0
『古事記』でいちばん有名な女神様アマテラスの誕生シーン、びっくりしすぎてのけぞる!|落語DE古事記
12/9(月) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191209-00014424-gentosha-cul

 今年は令和元年ですから、即位関連のさまざまな儀式がありました。
つい先日も、天皇皇后両陛下が伊勢神宮に参拝なさっていました。伊勢神宮の内宮(ないくう)に祀られている天照大神(アマテラスオオミカミ)に、即位の礼や大嘗祭を終えたことを報告されたとのこと。
このアマテラスオオミカミ、『古事記』の中に何度も登場しますが、いったい、どんなふうに生まれた神様なのでしょうか?
その登場のシーン、かなり印象的なんです! さっそく、落語家・桂竹千代さんにによる新刊『落語DE古事記』より、その部分をご紹介します。*  *  *
「第四話 泣くなー!」より

『古事記』のもっとも有名な女神様アマテラスは、こうして生まれた!

黄泉(よみ)の国から帰還したイザナギは、全身が穢(けが)れているので、禊(みそぎ・お清めみたいな

もの)をしなければなりません。

日本では古来、死と接すると、自分のもつ「気」が枯れると考えられてきました。

「気枯れ」が「ケガレ」という言葉になったと言われています。穢れた人はお祓いをしなくてはいけません。お祓いの中でも、滝に打たれることや、沐浴など、水を使うものを禊と言います。

2733名無しさん:2019/12/18(水) 22:31:51 ID:NrdB.GxU0
この時イザナギは、日向(ひむか)というところにある川で、禊をしたそうです。宮崎県に日向(ひゅうが)という地名があるけど、イザナギが禊をしたところかどうかは不明。宮崎県は日本神話の舞台と言っていいほど、伝承地がこれからもたくさん出てきます。また、宮崎県宮崎市には「みそぎ池」という伝承地があります。この近くに、江田神社というイザナギ&イザナミをまつった神社もあります。

イザナギは身に着けていた衣服を脱ぎ、アクセサリーを外していきます。杖、帯、衣、袴(はかま)、冠(かんむり)、腕輪など……(いつの間にこんな装飾着けてたのかよ! 黄泉の国行くのに、よそ行きしていったのね)。

その外したアイテム(オシャレなアパレル店員の言い方)を投げると、そこから神が生まれていきます。

陸と海の神。計12柱の神々が誕生します(また入りました神様の確変フィーバー!!)。

さあ、生まれたままの姿になって、禊スタート!

黄泉の国の垢あかから、また神がどんどん生まれていきます。

……意味わかんないですか? つまりカラダの汚れを落とすだけで、神が生まれちゃってるんです。

はい、せーの! アンビリーバボー!!

垢を落とすと様々な神々が生まれますが……このシーンで覚えておいて頂きたいのはこちらの3兄弟。

長男:底筒之男命(ソコツツノオノミコト。水の底の方ですすいだ時に生まれたよ)

次男:中筒之男命(ナカツツノオノミコト。水深の中間くらいのとこですすいで生まれたよ)

三男:上筒之男命(ウワツツノオノミコト。水面あたりですすいで生まれたよ)

2734名無しさん:2019/12/18(水) 22:32:35 ID:NrdB.GxU0
この3柱の神様は、大阪の住吉大社にまつられています。3柱を合わせて「住吉大神(スミヨシノオオカミ)」と言います。全国に約2300社あると言われる住吉神社の祭神はすべて住吉大神で、航海の神様と言われています。

順番はこう覚えてください。

一番上は三男♪ 三男♪

一番下が長男♪ 長男♪

間にはさまれ次男♪ 次男♪

すみよし3兄弟♪

……すみません。歌ったことを後悔しております(航海だけにね。いいぞ落語家)。

イザナギさん、体を洗ってさっぱり、最後は洗顔です(髪の毛洗わないのかな)。

左目を洗って生まれたのが天照大神(アマテラスオオミカミ。キター!! 日本の最高神。ナルシストな女王様。以下、アマテラス)。

右目を洗って生まれたのが月読命(ツクヨミノミコト。意外とこの後あまり出てこないので性格よくわからん。以下、ツクヨミ)。

鼻を洗って生まれたのが須佐之男命(スサノオノミコト。乱暴者。末っ子気質のイタズラ好き。後に大活躍。以下、スサノオ)。

目と鼻から生まれたことからこれを目くそ鼻く……バチあたるわ!!

この3柱の神々を三貴子(さんきし)と呼び、特に尊い神とされます(結局、髪の毛と耳は洗ってないわね。耳は洗ってないから穢れたままですよね。実はボクも耳が穢れてるんです……というか潰れてるんです。高校の時に柔道やってて潰れました。柔道と落語は似てるんです。

どちらもオトしたら勝ちです……いっぽん!)。

2735名無しさん:2019/12/18(水) 22:33:12 ID:NrdB.GxU0
イザナギ「よしっ。まずはアマテラス、お前は高天原を治めなさい」

アマテラス「はいはい、やりますよ(女王様気質なので)」

イザナギ「次、ツクヨミ、お前は夜の世界を治めなさい(歌舞伎町とかすすきのとかのことじゃないわよ)」

ツクヨミ「はいお父様。月にかわっておしおきよ!」

イザナギ「で、スサノオ、お前は海の世界を治めなさい」

スサノオ「……やだーーー!!」

スサノオだけは父ちゃんの言うことを聞かず、ずーっと泣いていました。とにかくずーっと。どれくらい泣いていたかというと……その涙で青々とした山はことごとく枯れ、川と海が干上がってしまい、ありとあらゆる災いが起こるほど。

イザナギ「もう泣くなー! やめろー!!」

スサノオ「……ぐすっぐす……わあーん!!」

イザナギ「泣くなー!!」

スサノオ「……ぐすっ……うん」

イザナギ「……やっと泣き止んだか」

スサノオ「ゔわーーーん!!」〜ここから先は本書でお楽しみください!桂竹千代著『落語DE古事記』〜*   *   *

特に尊い神様「三貴神」ですが、生まれ方がファンタジー。
古事記に欠かせない偉大な女神様・天照大神(アマテラスオオミカミ)は、黄泉の国から帰ってきたイザナギの左目を洗ったら、そこから生まれたのでした。謎過ぎる…。
アマテラスオオミカミは、ここから先も、なにかと登場する、見せ場の多い神様ですので、覚えておきましょう。

2736名無しさん:2019/12/18(水) 22:36:37 ID:NrdB.GxU0
豊作を祈願する「御田植祭」が始まったきっかけとは
10/30(水) 7:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191030-00000002-nshaberu-ent

 『御田植祭』とは、主に全国各地の神社やお寺で、田植えの前に豊作を祈願する伝統的な田植えの儀式です。『御田植祭(おたうえさい)』という言い方もあります。『御田植祭』の多くは4月〜6月の田植えの時期に行われますが、7月上旬に行うところもあります。

『御田植祭』の具体的な内容ですが、基本的には参拝の他に“田んぼを耕して水田を造る”、“田植えをする”といった一連の作業を、笛や太鼓の演奏のなか、本物に似せて行います。こうした作業を、お寺や神社の境内ですべて済ませるところもあれば、田植えの作業は実際に田んぼに移動して行うところもあります。

『御田植祭』のなかでも、千葉県・香取神宮の『御田植祭(おたうえさい)』、三重県・伊雑宮の『磯部の御神田(いそべのおみた)』、大阪府・住吉大社の『御田植神事(おたうえしんじ)』の3つは、『日本三大御田植祭』と呼ばれています。いずれも境内での儀式が終わった後、田んぼに移動して田植えの儀式を行うそうです。

『御田植祭』と同じように、その年のお米の豊作を願う儀式に『田遊び』があります。多くはお正月を始め、1月〜2月に行われます。

『御田植祭』も『田遊び』も、大変な作業だった田植えを少しでも楽しくするために、歌いながら作業したことが始まりとされています。

2737名無しさん:2019/12/19(木) 22:49:56 ID:NrdB.GxU0
空海伝授ゆずみそ造り、大阪 河内長野の盛松寺
2019年12月19日 17:18
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191219/20191219097.html

 大阪府河内長野市の盛松寺で19日、弘法大師・空海ゆかりのゆずみそ造りがあった。空海がこの地を通った際、疫病に苦しむ村人を救うため造り方を教えたとされ、冬の恒例行事となっている。

 信徒ら約20人は、ユズの上部約1センチを切り落とし、取り出した果肉を包丁でたたいた後、みそと混ぜて再びユズ皮の中に戻した。本堂は包丁をたたく小刻みな音とユズの香りに包まれた。2日間寝かせ、21日の「終い大師」に振る舞われる。300個限定。

 住職高橋成明さん(51)は「冬至に召し上がり、新年を健康で迎えていただければうれしい」と話した。

2738名無しさん:2019/12/21(土) 21:26:55 ID:NrdB.GxU0
2019年末回顧 (1)改元と奉祝行事
2019年12月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191220/20191220026.html

 新しい時代を迎えた2019年が、もうすぐ幕を下ろす。年の瀬が迫り、年間を振り返って次の年へと思いを巡らす頃でもある。さまざまな出来事があった大阪の街。取材記者が選んだこの1年はどんな年だったのだろうか。

 約200年ぶり、憲政史上では初の天皇陛下譲位に伴う「平成」から「令和」への改元に沸いた。約30年前の昭和天皇の崩御に伴う平成の始まりとは対照的に、5月1日の令和の幕開けは超大型連休とも重なって奉祝ムードで迎えた。大阪の各地でもさまざまな行事があり、新たな時代のスタートを祝い合った。

▽脚光浴びる

 最大の関心事であった新元号は4月1日に事前発表。誰もが歴史的瞬間を目に焼き付けようと、中継映像に見入った。大阪・ミナミの道頓堀では、戎(えびす)橋南詰の大型ビジョン前に人だかりができ、菅義偉官房長官が「令和」の額を掲げる映像に視線が集中。四天王寺(大阪市天王寺区)では、新天皇即位(御代替大典)に伴う「奉祝の記帳」が始まったさなか、案内看板に「令和」の張り出し。多くの参詣者が、見慣れぬ二文字を繰り返し声に出して読んだ。

 商業分野もいち早く動いた。食品や衣類、日用品などに「令和」の二文字を入れたユニークな商品が続々と登場し、店頭を飾ったのも異例だった。新元号が初めて国書に由来した点でも話題を呼んだ。出典元となった日本最古の歌集「万葉集」が改めて脚光を浴び、時ならぬ万葉ブームが到来。多彩な関連書籍や太宰府など、ゆかりの地を巡るツアーが人気を呼んでいる。

▽行事相次ぐ

 平成最後の4月30日から令和初日の5月1日にかけては、繁華街などで年越しを思わせるカウントダウンも自然発生。若者らが道頓堀川に相次いで飛び込み、航行中の遊覧船上への落下などの騒動も起きた。

 改元初日には、多くの神社が奉祝ののぼり旗を立てて個々に行事を斎行。旧官幣大社である住吉大社(同市住吉区)では、さまざま奉仕者が演武や伝統芸能を奉納した。とりわけ記念の日の御朱印が大人気。授与所前は人の波が途絶えなかった。夏の天神祭も、奉祝ムード一色で繰り広げられた。

 「即位礼正殿の儀」が執り行われたのは10月22日。大阪城天守閣や市立の博物館などの施設は入場無料で、大阪メトロは記念乗車券を発売し好評を得た。以後も奉祝ムードは続き、11月20日夜には「天皇陛下御即位奉祝御堂筋提灯(ちょうちん)行列」(実行委主催)を盛大に挙行。約3千人以上が中之島公園に集まり、ちょうちんや日の丸小旗を掲げて大阪のメインストリートを華やかに練り歩いた。

記者の手帳 「令和」の思い実現の年に

 ○…新元号「令和」の第一報は、聖徳太子の「和」の精神を約1400年にわたり受け継ぐ四天王寺で知った。元号に「和」が付く元号は計20に上り、昭和は国民の安寧と世界の国々の共存・繁栄を願う意味とされる。安倍晋三首相は、会見で「人が心を寄せ合う中、文化が生まれ育つ」との思いを説いた。

 華やかに歩み出した令和元年だが、台風15号などの風水害が相次ぎ各地で甚大な被害が出た災いの年でもあった。五輪イヤーの来年こそは新元号に込められた思いが、わずかでも実現する年となることを願う。

2739名無しさん:2019/12/23(月) 19:29:09 ID:NrdB.GxU0
枚岡神社で令和初の「お笑い神事」 新年の開運願い20分間大笑い
12/23(月) 18:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191223-00000049-minkei-l27

 枚岡神社(東大阪市出雲井町、TEL 072-981-4177)で12月23日、一年間の嫌なことを笑い飛ばし、笑いで新年の開運を願う「注連縄掛(しめかけ)神事」(通称=お笑い神事)が執り行われた。(東大阪経済新聞)

  天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れた際、同神社の主祭神として祭る天児屋根命(あめのこやねのみこと)の祝詞と神々の笑い声が気になり天照大神が出てきたところを、もう戻らないようにとしめ縄を張り渡したという、しめ縄の起源とされている岩戸隠れの神話にちなんだ神事。新しいしめ縄に掛け替える際に行う神事で、以前は宮司と氏子総代だけで行っていたが、2009(平成21)年から一般参加型で執り行っている。

 当日は神事が始まる前から辺り一帯に笑い声が響き、斎行前に広場は参拝客で埋め尽くされた。新しいしめ縄に掛け替えた後、10時から神事が始まり、おはらい、中東弘宮司の祝詞奏上の後、宮司の「アッハッハー」の声に続き、参拝客も3回高笑いした。

 中東宮司が岩戸隠れの神話や笑いについて話した後は、宮司の呼び掛けに続き、参拝客も大笑い。手を上げたり飛び跳ねたりしながら20分間笑い続け、境内は笑顔と大きな笑い声で包まれた。

 神事の後には、表情や笑い方を競う「お笑い競べ」が行われ、子どもや遠方から参加した人たちがそれぞれ30秒笑いを披露し、参拝客を楽しませていた。

2740名無しさん:2019/12/25(水) 21:58:32 ID:NrdB.GxU0
大阪・南御堂で「除夜の鐘」 ブットンくんによる鏡開きと振る舞い酒も
12/25(水) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191225-00000003-minkei-l27

 大阪・本町の南御堂(大阪市中央区久太郎町4、TEL 06-4708-3272)で12月31日、除夜の鐘突きが行われる。(船場経済新聞)

 今年は開始時刻が昨年より1時間早く21時にスタート。最初の鐘突きは南御堂・大阪教区公式キャラクター「ブットンくん」が行う。鐘突き整理券は20時45分から配布。総務部の上本愛さんは「昨年は360人くらい参加したが、今年は500人は突いてもらえる予定」と話す。

 同行事では21時前より鏡開きも開催。ブットンくんも参加し来場者にたる酒を無料で振る舞う。会場では「京懐石 美濃吉 心斎橋御堂筋店」(南船場4)の年越しそばを1杯200円で販売する。限定200杯。

 カウントダウンで午前0時を迎えた後は年始のあいさつが行われる。午前0時20分からは本堂で、法話とお勤めをする「修正会(しゅしょうえ)」を開く。法話は輪番の大町慶華さんが担当。本堂内では念珠作り体験やブットンくんグッズの販売を行う。

 上本さんは「今年は御堂会館のリニューアルで、御堂筋から境内が見やすくなった。鐘突きの時間も昨年より早くなったので、多くの人に来てもらえたら」と期待を寄せる。

 開催時間は21時〜翌0時20分。

2741名無しさん:2019/12/28(土) 17:47:01 ID:NrdB.GxU0
大阪天満宮「終天神」 今年の奉納絵馬 天高く
2019年12月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191226/20191226019.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)で25日、年内最後の縁日「終(しまい)天神」があった。晴天の下、今年奉納された祈願絵馬の焼納(たき上げ)やもちつきなどが行われ、境内は国内外の多くの参拝者でにぎわった。

 学問の神様で知られる祭神・菅原道真の縁日(25日)は、1月の初天神に始まり、12月の終天神で締めくくる。改元に伴い令和初の終天神になる。

 同宮によると、今年の祈願絵馬は5万枚以上で、近年は訪日外国人客による絵馬も急増している。単なる観光目的ではなく、本来の参拝・祈願を理解した上で奉納されているという。

 焼納では神職が御神火を運び、積み上げられた無数の絵馬に点火。勢いよく燃え始めると、見守る人々がカメラに納めていた。

 恒例の献湯神事や餅の振る舞いもあり、同市中央区からカメラ持参で参拝した女性(67)は「改元と猛暑で特に印象深い一年だった。来年も健康で天神さんにお参りしたい」と笑顔だった。

2742名無しさん:2019/12/28(土) 18:21:19 ID:NrdB.GxU0
迎春ムード にらみ鯛お目見え 国立文楽劇場
2019年12月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191226/20191226016.html

 大阪市中央区の国立文楽劇場は25日、新年の公演に向けた準備を始めた。上方伝統の舞台飾り「にらみ鯛(だい)」や、ロビーを彩る無数の餅花などの設置作業が粛々と進み、場内は早くも迎春ムードを漂わせている。

 2体が向かい合うタイの飾りは、戦前の上方各地の劇場に飾られたとされるが、戦後に途絶。同劇場では開場(1984年春)後の最初の正月となった85年から毎年飾っている。

 舞台作業では、スタッフが全長約3メートルのにらみ鯛を1体ずつ慎重につり上げ、にらみ合うように位置を調整。間には高津宮(中央区)の小谷真功宮司が「子(ね)」を揮毫(きごう)したえとの大たこが飾られた。

 開場35周年記念初春文楽公演は1月3〜26日(15日休演)。初日の開演前には、地元の黒門市場から本物の「にらみ鯛」が届けられるほか、文楽人形による恒例の鏡開きも予定している。

2743名無しさん:2019/12/28(土) 18:28:56 ID:NrdB.GxU0
住吉大社で迎春準備 授与品の仕上げ作業も
2019年12月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191227/20191227029.html

 例年、大阪府内最多の初詣参拝者でにぎわう大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、迎春準備がピークを迎えた。境内に多数のテントが設置される中、自衛消防訓練や伝統の煤払(すすはらい)式などが行われ、職員一同が安全第一で新年に備えた。

 計約3千個に上る授与品「住吉踊(おどり)」の仕上げ作業も始まり、同大社の神楽女(かぐらめ)(みこ)が奉仕。年中行事で奉納される「住吉踊」(重要無形民俗文化財)のかさなどを、手作りのわら細工で再現した伝統の縁起物で、現在は地元の松谷吉彦さん一軒のみが製作している。

 連歌所に参集した神楽女は、わら細工にササを取り付ける作業を手際よくこなし、主に企業の参拝者用となる約900個を完成させた。神楽女の福西永望(のりみ)さん(21)は「新たな時代にふさわしく、皆さんに一層快く参拝していただきたい」と思いを込めた。

 同大社では、三が日の人出を例年並みの約230万人と見込んでいる。

2744名無しさん:2019/12/29(日) 18:47:49 ID:NrdB.GxU0
大阪・住吉大社で正月を迎える準備進む
12/27(金) 0:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191226-00024478-asahibcv-l27

 
毎年、大勢の参拝客でにぎわう大阪の住吉大社では、令和初のお正月を迎える準備が進んでいます。

わらや笹で作られる「住吉踊」は、商売繁盛や家内安全の御利益があるとされる縁起物です。大阪の住吉大社では、毎年お正月に参拝客らに授与されていて、巫女たちが手作業で1つずつ丁寧に作っていました。巫女さんの1人の福西永望さん(21)は「笹の葉で手を痛めてしまうことがあるんですけど、1つ1つ心を込めて作ってます」と話していました。また消防訓練では、火事が起きた際の避難やご神体を運び出す手順などを確認し、関係者は令和初のお正月に向けて、真剣な表情で取り組んでいました。
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ABCテレビ

2745名無しさん:2019/12/29(日) 18:49:21 ID:NrdB.GxU0
2020年がスタート! 初詣スポットに参拝客が続々と集まる
12/27(金) 7:07配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191227-00010001-piaeigat-ent

 日付が変わり2020年の元日を迎えた。日本各地で大晦日の深夜から初詣に向かう人たちの姿が見られ、初詣スポットは多くの人たちの休みが明ける5日(日)ごろまで賑わいそうだ。また、今年の年始もスポーツ大会や話題の映画上映、初売りなど冬の休暇を楽しめるイベントが多数予定されている。

 毎年、多くの人で賑わう日本屈指の初詣スポットが東京の明治神宮だ。例年、三が日だけで300万人超の参拝者を集めており、今年も多くの人を集めそうだ。関東では他にも千葉県の成田山新勝寺、神奈川県の川崎大師 平間寺、東京の浅草寺などが人気で例年、多くの参拝客が足を運ぶ。

2746名無しさん:2019/12/29(日) 18:49:56 ID:NrdB.GxU0
関西の初詣スポットで人気なのは、大阪の住吉大社、京都の平安神宮、伏見稲荷神社、八坂神社など。八坂神社では大晦日から元日にかけて「白朮(をけら)祭」が開催され、薬草のオケラに灯された火を長い縄に移して家に持ち帰ることができる。また、住吉大社では元日の早朝に宮司が神井よりくみ上げた水を竹筒に入れて、神様にお供えする儀式“若水の儀”が行われる。

中部エリアも愛知県の熱田神宮、晴明神社、豊川稲荷、静岡県の静岡浅間神社などが毎年、人気を集めている。熱田神宮は三が日も賑わうが、1月5日(日)からは商売繁盛・家内安全・漁業豊漁を祈る恒例の“初えびす”が開催。晴明神社では元日の朝8時から歳旦祭が行われ、2020年の国家の安泰を祈願する。

多くの初詣スポットが大晦日の深夜から元日にかけて門を開け、参拝客を迎えているが、お正月の時期は周囲で交通規制が敷かれたり、参拝のルートを限定しているケースが多い。お出かけの際は案内板や係員に注目を。

また、初売りを行う店舗も続々と待機している。全国的に多くの百貨店は元日に休業し、1月2日(木)の朝から初売りを実施する。毎年、話題になる福袋も販売されるが、一部の店舗では店頭販売を行わず、ネットなどで予約・抽選を行っている。なお、一部を除く多くの映画館は元日から営業する予定で、1日はサービスデーのためお得な料金で映画が楽しめるが、朝の上映が休止になったり、最終回の上映がなかったりと変則的なスケジュールで営業することが多い。

新年からスポーツも重要な試合が目白押しだ。「天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会」の決勝が本日、国立競技場で、「第64回全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)」が群馬県で開催。明日2日(木)と明後日3日(金)は「第96回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」が開催される。

例年、三が日は帰省する人も多く、家でゆっくりと過ごす人が多いが、年末年始休みも中盤から後半に差し掛かってくると“どこかに出かけたくなる”人が多いのではないだろうか。令和を迎えてから最初のお正月も初詣スポット、小売店、レジャー施設、エンタメスポットなどが多くの人で賑わうことになりそうだ。

2747名無しさん:2019/12/30(月) 21:47:04 ID:ylDuNnHU0
鉄砲鍛冶の“無念”晴らす 専門家・澤田さん検証
2019年12月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191230/20191230024.html

 約150年前の明治元年、旧岸和田藩で起きた藩士による鉄砲鍛冶・佐藤義定(文吉郎義定)殺害事件。原因となった義定作とみられる銃がこのほど泉州地域で見つかり、堺鉄砲研究会を主宰する専門家・澤田平さん=大阪市東成区=が細部を検査、「第一級の完成度」と高く評価した。

堺市は江戸時代最大規模の鉄砲生産地であったことで知られるが、かつて岸和田城下にも「鉄砲町」「鍛冶屋町」の地名があった。長年にわたり現存する鉄砲の大多数を鑑定してきた澤田さんは、岸和田にも優れた鉄砲鍛冶が存在していたことを確信しつつ、調査・研究を継続。2010年に岸和田製とみられる義定の銘を刻んだ鉄砲が初めて確認された際は、市内外から注目され、大きな話題となった。

 同事件では、藩から旧来の火縄銃に替わる新型洋式銃(管打式銃)の納入を命じられた義定が、短銃身に改造だけの粗悪品を納入したとして、激高した若い藩士に尋問を受けた後、殺害されたと伝わる。

 今回、新たに見つかった義定の鉄砲を分解した澤田さんは「堺製の鉄砲よりも優れており、丁寧な仕上げに驚いた。これほどの鉄砲鍛冶が殺されるような理由はない」と検証。唯一思い当たる点として「藩士らが新型の管打式鉄砲に不慣れであったため、自分たちの技能の低さを棚に上げて鉄砲の責任にしたのではないか」と、大きな誤解があった可能性を指摘する。

 関与した藩士らは義定の遺体をひそかに火葬して事件を隠蔽(いんぺい)するも、藩内のお家騒動の渦中で犯行が明るみとなり、明治新政府によって処罰されている。澤田さんは「新たな時代となった今、改めて義定の無実の罪を晴らすとともに、岸和田の地に優れた鉄砲鍛冶が存在したことを後世に伝えていきたい」と力を込めた。

2748名無しさん:2019/12/30(月) 21:51:13 ID:ylDuNnHU0
新時代をイメージ 坐摩神社の巨大絵馬完成
2019年12月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191230/20191230026.html

 “ざまさん”の呼び名で親しまれている大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で29日、神職手描きの巨大絵馬が完成、境内に設置された。玉串をくわえた白ネズミなどを描いたデザインで、2月の節分祭まで飾られる。

巨大絵馬(幅約2メートル、高さ約1・2メートル)は、同神社の権禰宜(ごんねぎ)田中裕人さんが毎年手掛けており、今年で5年目。えとの動物を白く描くことを守りつつ、今年は新元号「令和」にちなみ、典拠となった万葉集を参考に梅とフジバカマの花を両脇に添えた。

 田中さんは約1週間かけて業務の合間に作業し、同日、最後の一筆を入れて仕上げた。「新時代にふさわしいデザインを練るのに時間を要した。えとが一巡して、令和最初の正月ということもあり、皆さんにいい年のスタートを切っていただきたい」と話した。

2749名無しさん:2020/01/05(日) 15:55:32 ID:NrdB.GxU0
上達を願って 大阪天満宮で児童ら書き初め
2020年1月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200103/20200103026.html

 学問の神様であり、書道の神様とも呼ばれる菅原道真を祭る大阪天満宮(大阪市北区)で、新春恒例の「書き初め」が行われている。境内が初詣の参拝者でにぎわう一方、子どもたちが上達を願い、心を落ち着けながら半紙に向き合っている。3日まで。

 課題は幼児から高校生まで11部門。子どもたちは筆を手に、学年に応じて「うし」「かしわ手」「梅花一輪」など、正月や天満宮に縁のある言葉に挑戦している。

 「初日の出」と書き上げ、「“の”の字がうまくできた」と自賛したのは、千葉県船橋市から関西に帰省中の小学5年、岩元美妃奈さん(11)。書道は四段の腕前で、今年は「より上の段へ行きたい。八段を目指し、将来は書道の先生になりたい」と目を輝かせていた。

 作品は、道真を祭る神社でつくる大阪梅風会が主催の「全国書き初め展覧会」にその場で応募できる。境内の梅香学院で。午前10時〜午後3時。

2750名無しさん:2020/01/05(日) 16:22:11 ID:NrdB.GxU0
「良い年に」初詣にぎわう 住吉大社
2020年1月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200103/20200103025.html

 「令和」初の新年を迎えた1日、大阪府内各地の社寺は初詣の参拝者でにぎわった。好天にも恵まれ、大阪市住吉区の住吉大社でも多くの家族連れらが列をつくり、それぞれが思いを込めて手を合わせた。

 「太鼓橋」の名で親しまれる境内の反橋(そりはし)では、第一本宮から第四本宮まである本殿へと向かう参拝者が、足元を気にしながら急な斜面をゆっくりと上り下りし、罪やけがれをはらい清めた。

 四つある本宮前には、それぞれに長い列ができ、順番が巡ると、さい銭を投げて手を合わせていた。おみくじを引いたり、お守りを求める人も多く、広い境内は訪日外国人観光客を含む大勢の参拝者で埋め尽くされた。

 生後7カ月の男児を伴い、家族で参拝した同市淀川区の自営業の男性(46)は「『今年からお世話になります』という思いでお参りしました。1年間、健康で過ごせれば」と願っていた。

 大社によると、三が日は好天が予想され、昨年の約230万人を上回る人出を見込んでいる。

2751名無しさん:2020/01/07(火) 21:41:50 ID:NrdB.GxU0
難波八阪神社で19日「綱引神事」
2020年1月6日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200106/20200106023.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で19日、年頭の伝統行事「綱引(つなひき)神事」(大阪市指定無形民俗文化財)が執り行われる。

 同神社の祭神スサノオノミコトが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民衆の困苦を除いたという故事に基づく行事。江戸期の有名な著書「摂津名所図会」などでも紹介されており、2001年度には大阪市指定として最初の無形民俗文化財となった。

 同日は午前8時から神事に続き、氏子崇敬者でつくる文化財保持者「綱引神事保存会」(竹立威三雄会長)の奉仕者が細縄を合わせてオロチに見立てた全長約30メートルの大綱を作り上げる。

 完成後は奉仕者が大綱を抱えて境内で豪快に綱引きを行うほか、神社周辺の氏地をにぎやかに巡行する。参拝者の見学可。

 問い合わせは電話06(6641)1149、同神社。

2752名無しさん:2020/01/08(水) 19:06:35 ID:NrdB.GxU0
神馬さん拝み平穏願う 住吉大社、年頭の白馬神事
2020年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200108/20200108026.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、年頭の伝統行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。朝からあいにくの雨にもかかわらず、大勢の人たちが続々と境内に足を運び、白馬の神馬(しんめ)「白雪」号の神々しい姿を見守った。

 平安時代の宮中行事「白馬節会(あおうまのせちえ)」にちなむ神事。正月に白馬を見ることによって一年の邪気をはらい、無病息災となると伝わる。

 「白雪」号は、神馬守(しんめもり)とともに四つの本宮を巡拝したのに続き、第一本宮の周囲を3周する「早駆けの儀」を行い、参拝者の注目を集めた。

 境内の授与所には、白馬神事限定のお守り「竹駒守(まもり)」や御朱印も並び参拝者に好評だった。毎年神事に参拝している女性(53)=同市住之江区=は「昨年は平穏に過ごせたので、神馬さんに感謝。今年もいい年であってほしい」と竹駒守を手に笑顔だった。

2753名無しさん:2020/01/08(水) 19:41:46 ID:NrdB.GxU0
十日戎を前に福娘がNHK訪問
01月08日 12時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200108/2000023988.html

 
商売繁盛を願う大阪の今宮戎神社の「十日戎(とおかえびす)」が9日から始まるのを前に、神社の福娘たちがNHK大阪放送局を訪れ、行事をPRしました。

大阪・浪速区の今宮戎神社では、江戸時代から続く、商売繁盛を願う伝統行事、「十日戎」が、9日から3日間行われます。
8日は、参拝者に縁起物のささを手渡す、ことしの福娘のうち13人がNHK大阪放送局を訪れました。
振り袖の上に、「千早」という白い衣装を身につけ、金色のえぼしをかぶった福娘たちは、新年のあいさつとともに、「福をお受け取りください」と、ことしのえとの「ねずみ」が描かれた額を、小倉啓志副局長に手渡しました。
そして、「うーちましょ」のかけ声で始まる「上方締め」を、全員で披露しました。
福娘の1人で大学生の森下愛香さんは、「令和初の福娘として笑顔で出迎えますので、ぜひ来てください」と話していました。
今宮戎神社では、「十日戎」が行われる3日間に100万人ほどの人出を見込んでいます。

2754名無しさん:2020/01/10(金) 19:37:13 ID:ylDuNnHU0
かまどで調理七草かゆ提供 優しい味わいに笑顔
2020年1月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200110/20200110033.html

 吹田市南高浜町の吹田歴史文化まちづくりセンター「浜屋敷」で7日、七草かゆの振る舞いが行われた。参加者は、春の七草が入った優しい味わいに笑顔を見せていた。

 
七草かゆは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの春の七草を入れ、一年間の無病息災を願って正月7日に食べる風習。お正月のごちそうで疲れたおなかを休めてもらおうと、同施設では2009年から毎年開いており、今回で12回目となる。

 この日は、ボランティアスタッフ15人が調理を担当。主屋の土間に江戸時代当時に使われていた姿を再現して作られた「かまど」に実際に火を入れて調理を行った。予定していた150食分が午前11時の開始から15分あまりで無くなるほどの人気ぶりだった。

 子どもと一緒に参加した村田経子さん(38)は「日本の伝統文化に触れる良い機会。かまどで炊いた七草かゆはとてもおいしくて、野菜が苦手な子どもも今日は喜んで完食しました」と話し、長男の知優君(4)は「七草かゆを食べると、体がぽかぽか温かくなった」と話していた。

2755名無しさん:2020/01/10(金) 19:39:25 ID:ylDuNnHU0
招福娘「十日戎」告げる 北新地を笑顔で練り歩く
2020年1月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200110/20200110028.html

 「商売繁盛でササ持ってこい」-。大阪市北区の大阪天満宮で9日、「天満天神えびす祭」が宵宮を迎え、キタの繁華街・北新地と同宮を往復する「堂島北新地えびす詣招福行列」が盛大に行われた。真冬とは思えない暖かな日差しの下、事前公募で選ばれた天満えびす招福娘ら約100人の奉仕者が隊列を組んで通りを練り歩き、十日戎(えびす)の到来を告げた。

 招福行列は、同宮の氏子青年会が主催し、地元関係者らの協力を得て2009年から実施している。

 一行は、堂島地域にある堂島薬師堂で巡行の安全を祈願した後、北新地を出発。「高張りちょうちん」や「つり太鼓」を先頭に、そろいの衣装の招福娘や落語家の桂春団治さん、北新地クイーンとたすきを掛けた女性を乗せた人力車などが続き、にぎやかに進んだ。

 沿道には外国人観光客らも見物のために陣取り、盛んにカメラのシャッターを切っていた。

 氏子青年会の林秀昭会長(60)は「例年にない暖かさで良いスタートが切れた。大阪天満宮と北新地、それぞれがにぎやかに発展する1年になってほしい」と笑顔で話していた。

 同宮のえびす祭は、11日まで。期間中は福酒、甘酒の振る舞いなどがある。

2756名無しさん:2020/01/10(金) 19:40:12 ID:ylDuNnHU0
えべっさん 令和も福を 「十日戎」幕開け
2020年1月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200110/20200110026.html

 七福神の一つ「えびす神」を祭る神社で9日、年頭恒例の祭礼「十日戎(とおかえびす)」が宵えびすで幕を開けた。大阪市内各地の境内にも大勢の人たちが昨年の古い福笹(ざさ)を手に次々と参拝し、令和最初の“えべっさん”に商売繁盛や景気向上の願いを込めた。

 
このうち同市浪速区の今宮戎神社(津江英宮司)では、福娘たちが笑顔で参拝者を迎え、新しい福笹の枝先に米俵や熊手、小判といったさまざまな縁起物を取り付けていった。

 日没後になると会社関係の団体参拝もどっと増えるなど、境内は終日にぎわいを見せた。浪速区商店会連盟会長の木村次郎さん(72)は「今年は年男でもあり、新たな時代に改めて商売繁盛を祈願した」と話した。

 同神社では11日の「残り福」までの3日間の人出を、例年並みの約90万人と見込んでいる。10日は大勢の奉仕者が道頓堀など、ミナミ一帯を練り歩く「宝恵(ほえ)かご」の行列も行われる。

2757名無しさん:2020/01/10(金) 19:55:29 ID:ylDuNnHU0
「福授けます」 野田恵美須神社の福娘が来社
2020年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200108/20200108028.html

 商売繁盛を願う十日戎(えびす)(9〜11日)を前に、今宮戎神社(大阪市浪速区)と野田恵美須神社(同市福島区)のそれぞれの福娘が7日、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れ、1年の福を授けた。

  “えべっさん”の呼び名で親しまれる今宮戎神社から訪れたのは、そろいの着物に白の千早を羽織り、金の烏帽子(えぼし)をかぶった福娘13人。大阪日日新聞の深田巧総局長に今年の干支(えと)「子(ね)」にちなみ、ネズミが描かれた縁起物の額を手渡した。

 同神社は3日間で90万人の人出を見込んでおり、福娘は参拝者に福笹(ふくざさ)を授けるほか、宝恵(ほえ)かごの行列にも参加する。

 代表の森下愛香さん(21)は「令和初の福娘として、このような経験をさせていただけることに感謝し、えべっさんと皆さんの橋渡しができるよう精いっぱいご奉仕したい」と話した。

 「宝の市大祭」として執り行う野田恵美須神社の福娘は、区の花「野田藤」をあしらったかんざしを挿して来社。独特の大阪締めで「ああ、めでたいな」と縁起の良い声を響かせた。

 3日間、境内では夏祭りで氏地を巡行する山車(だし)「鯛鉾(たいほこ)」「地車(だんじり)」「太鼓」が参拝者を出迎え、夕刻からは「祝い酒」の振る舞いもある。

 福娘初挑戦の坂口めぐみさん(20)は「3年前に福娘だった姉に憧れ、念願がかなった」と笑顔。昨年、みことして神楽を舞っていた北村奈三さん(22)は「神楽では出せなかった爆発的な笑顔で頑張る」と意気込んでいた。

2758名無しさん:2020/01/10(金) 19:56:08 ID:ylDuNnHU0
大阪・ミナミの街で宝恵かご行列 新春告げる本えびす
2020年1月10日 11:50
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200110/20200110058.html

 商売繁盛を祈願する今宮戎神社(大阪市浪速区)の「十日えびす」が10日、「本えびす」を迎えた。きらびやかな着物姿の福娘やタレントらが乗り込んだ約20台の宝恵かごと、地元の商店主ら約500人が行列をなし、大阪・ミナミの繁華街を練り歩いた。

 快晴の下、太鼓の音に合わせ「ほーえかご、ほーえかご」と元気の良い掛け声が響き渡り、行列が出発。かごには「お笑いで大阪を盛り上げたい」とあいさつした落語家の桂文枝さんらが乗り込み、沿道の見物客に笑顔で手を振った。

 宝恵かご行列は、江戸時代にミナミの芸者が紅白の布で装飾されたかごに乗り、参詣したのが始まりとされる。

2759名無しさん:2020/01/14(火) 21:16:06 ID:NrdB.GxU0
伝統芸能の「しころ」奉納 堀川戎神社
2020年1月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200111/20200111044.html

 大阪市北区の堀川戎神社では、関西演芸協会の会員らが「ひょっとこ」「おたふく」の面を着けて踊る伝統芸能「しころ」を奉納した。境内に太鼓やかね、三味線のにぎやかな音色を響かせ、祭りムードを盛り上げた。

 同神社の総代を務める藤田康夫さん(82)は「例年と変らないにぎわいを迎えることができた。大阪はやっぱり商いの街、繁盛する一年であってほしい」と願っていた。

 しころの奉納は、残り福の11日も午前10時〜正午に行われる。

2760名無しさん:2020/01/14(火) 21:39:45 ID:NrdB.GxU0
600人のふんどし姿の若者 真冬の裸祭り「どやどや」 大阪・四天王寺
1/14(火) 19:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200114-00024666-asahibcv-l27

 
大阪市天王寺区の四天王寺では、ふんどし姿の若者らが、お札を奪い合う、真冬の裸祭り「どやどや」が開かれました。

「ふんどし姿の赤と白の高校生たちが、わっしょいという声を張り上げ入ってきました」(記者リポート)。「どやどや」は、豊作などを祈って毎年1月14日に開かれ、今年は地元の高校生約600人が集まりました。「この真冬の中、ふんどし姿の生徒たちには容赦なく水がふりかけられていますが、熱気のせいでしょうか、湯気が上がっています」(記者リポート)。若者らは紅白に分かれ、お堂の天井からまかれた厄よけのお札を我先にと手を伸ばして奪い合います。お札を取り合う人が「どやどや」とあふれていた様子から名づけられたともされる伝統行事の「どやどや」。あいにくの曇り空でしたが、境内は若者らの熱気につつまれました。
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ABCテレビ

2761名無しさん:2020/01/15(水) 12:49:58 ID:TkwMH.3U0
>>2753
上方締め?大阪締めって言ってなかったっけ?

2762名無しさん:2020/01/15(水) 13:45:05 ID:TkwMH.3U0
とりあえずグーグル検索
大阪締め 1590万件
上方締め 116万件

どうも2018年のニュースから上方締めに変えてるようだが理由はなんだろう
2018.1.5 「今宮戎」の福娘13人、「上方締め」を披露
https://www.sankei.com/west/news/170105/wst1701050058-n1.html

2017.1.5 今宮戎の福娘14人「打ーちましょ」 大阪市役所を表敬訪問
https://www.sankei.com/west/news/170105/wst1701050058-n1.html
福娘たちは酉年にちなんだ縁起物の色紙絵を贈り、鍵田剛副市長とともに「打ーちましょ」「もうひとつせー」「祝うて三度」と大阪締めを行った。

2763名無しさん:2020/01/15(水) 16:05:35 ID:TkwMH.3U0
>>2762
リンクミス

2018.1.5 「今宮戎」の福娘13人、「上方締め」を披露
https://www.sankei.com/west/news/180105/wst1801050091-n1.html

2764名無しさん:2020/01/15(水) 16:11:11 ID:TkwMH.3U0
より正確にダブルクオーテーションでくくると
"大阪締め" 約 30,400 件
"上方締め" 約 885 件
無い言葉を作った感じ

2765名無しさん:2020/01/18(土) 13:30:35 ID:NrdB.GxU0
新たな年、平穏に 生国魂神社「左義長神事」
2020年1月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200116/20200116036.html

 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で15日、小正月伝統の火祭り「左義長(さぎちょう)神事」(とんど焼き)が厳かに行われた。多くの参拝者が、高く燃え上がる炎に手を合わせ、新たな年の平穏無事などを祈願した。

 午前7時から神事があり、前日までに納められた古いしめ縄やお札、破魔矢など大量の正月飾りに御神火を点火。正月飾りを手にした人たちも続々と境内に足を運び、冷え込む中、大勢が手をかざして火に当たっていた。

 区内から参拝に訪れた女性(87)は「毎年、三が日と合わせて元気にお参りさせてもらいありがたい。ようやく正月も一段落したので、いい一年を過ごしたい」と深々と頭を下げた。

 境内の一角には、邪気をはらう小正月恒例の小豆がゆの接待所が設けられ、参拝者に好評だった。

2766名無しさん:2020/01/18(土) 17:44:17 ID:NrdB.GxU0
皇室と切っても切れない縁がある大阪から新しい御代最初の歌会始に選ばるのは必然であったのだと思います。

令和初の歌会始に大阪からも
01月16日 17時07分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200116/2000024255.html

 令和になって初めての新春恒例の「歌会始」が、16日、皇居で行われ、入選した大阪の大学職員の短歌も披露されました。

「歌会始」は、新春の宮中の伝統行事で、毎年この時期に天皇が定めたお題で行われていて、去年5月の皇位継承後では初めてとなりました。
ことしの「歌会始」のお題は「望」で、全国と海外からあわせて1万5000首余りの短歌が寄せられ、大阪・豊中市の大学職員、土田真弓さん(33)を含む10人が入選者に選ばれました。
16日は皇居・宮殿の「松の間」で、入選者の短歌が天皇皇后両陛下や皇族方などの前で披露されました。
土田さんの歌は、「眺望は どうだ晩夏に 鳴く蝉を 咥へ(くわえ)て高く 高く飛ぶ鳥」です。
土田さんはふだん、大学で総務の仕事をしていて、通勤のとき、緑の多いキャンパスの中でカラスがセミを捕らえた場面を歌に詠みました。
カラスに捕らえられたセミに命のはかなさを感じながら、その様子を追いかけると、カラスが子どもか仲間か、ほかのカラスとセミを分け合って食べる様子を目にし、命がつながれていく様子に思いをはせたということです。

【土田真弓さんは】
大阪・豊中市の大学職員、土田真弓さん(33)は、歌会始のあとの記者会見で、「古式ゆかしい形式で行われたので、昔の時代にタイムスリップしたような気持ちです。ふだんは虫や鳥や犬など生き物の歌を詠むことが多く、保健所で保護された犬を4頭飼っていることを伝えると、皇后さまは『うちにも保護した猫がいます』と言って、天皇陛下とほほえまれていました」と話していました。

2767名無しさん:2020/01/22(水) 21:25:08 ID:ylDuNnHU0
東大阪・旧河澄家で「古民家の建築意匠展」 数奇屋風書院造の奥座敷に焦点
1/21(火) 18:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200121-00000064-minkei-l27
 
 東大阪市指定文化財の旧河澄家(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で1月16日、企画展示「古民家の建築意匠展」が始まった。(東大阪経済新聞)

 
 江戸時代に日下村の庄屋を務めた河澄家。主屋の西側には庭園を備えた奥座敷「棲鶴楼(せいかくろう)」があり、棲鶴楼は1648年〜1652年に日下村領主の曾我丹波守古祐(そがたんばのかみひさすけ)が隠居するために造らせたとされる。昨年開催した「河内の古民家展」では、主屋の構造を中心に紹介したが、今回は棲鶴楼を中心に、数奇屋風書院造りの装飾や、びょうぶ、掛け軸、扁額(へんがく)などの室内装飾品について展示解説する。

 棲鶴楼は、近年の調査の際に発見した棟札(むなふだ)から1835年に改造されたことが分かっており、主室は8畳間で、南側から西側にかけて、通路や家来が控える場所として使う1間の鞘の間(さやのま)がある。床の間前面の床かまちは黒漆塗りで、同展では、長栄寺(高井田元町)の住職を務めた真言宗僧侶・慈雲が書いた扁額と、幕末から明治時代の儒学者・岡村閑翁(かんおう)の掛け軸を床の間に飾る。

 壁は赤土を使った土壁と白色上質紙の貼り壁で、主室と鞘(さや)の間の天井は、横木を固定し、その上に天井板を取り付けた棹縁(さおぶち)天井となっている。かもいの上にある内法長押(うちのりなげし)は、室内装飾の役割を担っており、柱に固定するくぎ頭を隠すための釘隠(くぎかくし)と呼ばれる飾り金具が付けられている。主室西側には、松、竹、万年青(おもと)柄のすかし彫欄間が設けられ、南側には筬(おさ)欄間、鞘の間には櫛形(くしがた)欄間がある。

 鞘の間の外には手すりのついた縁側があり、手すりは転落防止のほか、デザイン面でも役割を担う。縁側の上には長い庇(ひさし)があり、屋根は、段差がついた錣葺(しころぶき)屋根になっている。

 会場では、江戸時代と現在の建物を比較できるパネルや河澄家屋敷図絵、数奇屋風書院造りの特徴、河内の古民家の紹介パネル、改修時の写真、古民家の模型などを展示する。

 同館統括責任者の堀木昌彦さんは「河澄家住宅は記録が残っているだけでも4回改修している。河澄家のことを深く知ってもらえたら」と話す。

 1月26日は、古民家の歴史や再生技術、事例について解説する「古民家再生講座」を開く。参加無料。同館まで要事前申し込み。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館。入館無料。2月11日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2768名無しさん:2020/01/25(土) 16:44:25 ID:NrdB.GxU0
「うそかえ祭」にぎわう、大阪 道明寺天満宮、木彫入りの袋交換
1/25(土) 16:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200125-00000069-kyodonews-soci

 大阪府藤井寺市の道明寺天満宮で25日、災難除けを祈願し、鳥のウソの木彫りが入った袋を参拝客同士が次々と交換し合う「初天神うそかえ祭」が開かれ、大勢の人出でにぎわった。

 道明寺天満宮によると、儀式中に現れたハチの群をウソが食べ尽くし、参拝者を救った故事にちなむ行事。木彫りはヒノキを使った神職の手作りで、約1万個を用意。太鼓の合図で交換を止め、袋の中の木彫りに「金」「銀」の文字が書かれていると、18金や純銀のお守りをもらえる。

 俳句が趣味という同府八尾市の主婦吉原恵子さん(71)は「うそかえの 最後は笑顔 よき人と」という自作を披露した。

2769名無しさん:2020/01/25(土) 18:33:34 ID:NrdB.GxU0
大きな炎に祈り、柴灯大護摩供 四天王寺で初庚申
2020年1月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200119/20200119035.html

 えとの「庚(かのえ)」「申(さる)」の組み合わせで約2カ月に一度ある信仰行事「庚申(こうしん)まいり」のうち、新年最初に行われる初庚申が18日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺・庚申堂で執り行われた。初庚申恒例の柴灯(さいとう)大護摩供もあり、多くの参詣者が大きな炎に所願成就を祈った。

 庚申堂は古来、日本の庚申尊出現の地と伝わり、徐災無病の霊験あらたかな青面(しょうめん)金剛童子(秘仏)が祭られている。

 護摩供は奈良県大峯山の修験行者と同寺僧侶によって行われ、願文奏上や奉弓、奉剣などで四方を清めた後、作法にのっとり護摩壇に点火。無病息災や身体健全などさまざまな願い事が記された大量の護摩木が高く燃え上がる炎へ投じられた。

 毎年訪れている亀井恵子さん(63)=同市此花区=は「大阪の心のよりどころとして代々四天王寺さんを参詣している。自分の事だけでなく、なごやかに過ごせる世の中になってくれることもお祈りした」と笑顔で語った。

 今年の庚申まいり(本庚申)は、3月18日▽5月17日▽7月16日▽9月14日▽11月13日-で、各前日に宵庚申も執り行われる。

2770名無しさん:2020/01/25(土) 18:42:25 ID:NrdB.GxU0
地域発展願い豪快に 難波八阪神社「綱引神事」
2020年1月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200120/20200120025.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で19日、伝統行事「綱引(つなひき)神事」(大阪市指定無形民俗文化財)が執り行われた。地域の老若男女が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を作って豪快な綱引きを行い、地域の発展を願いつつ都心に息づく文化財の継承に努めた。

 オロチ退治で有名な祭神スサノオノミコトの威徳を仰ぐ行事で2001年度に文化財指定を受けた。

 氏子崇敬者でつくる「綱引神事保存会」(竹立威三雄会長)の奉仕者は、早朝の境内に次々と参集し、おはらいを受けて令和初となる大綱打ちを開始。訪日外国人客ら多くの参拝者が見守る中、細い縄をより合わせるなどの工程を経て、約3時間半後に八頭八尾のオロチの大綱を完成させた。

 完成後は、奉仕者や参拝者が大綱の頭を今年の恵方(西南西)に向けて綱引きを行ったほか、「難波の綱引きヨーイヨイ」の掛け声に合わせて氏地を巡行した。

 保存会の竹立会長は(89)は「令和の新たな時代を迎えて、われわれも初心に戻ったつもりで奉仕した。今年は特に若手が増えており、少しずつでも次代に継承できたことをうれしく思う」と話した。

2771名無しさん:2020/01/25(土) 18:43:33 ID:NrdB.GxU0
警備員確保に注力 大阪天満宮の寺井宮司
2020年1月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200120/20200120027.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の維持発展に向け、大阪天満宮の寺井種治宮司(56)は、現在の「天神祭渡御行事保存協賛会」の組織を将来的に法人化したいとの方針を示した。今年は、宵宮祭の7月24日が東京五輪開会式と重なるため、警備員の確保は懸念材料だが、「伝統」を守るため従来通り執り行う意向も明らかにした。年頭に当たり、寺井氏をインタビューした。

 -東京五輪に警備員が集中するため、天神祭の警備体制に影響が生じませんか。

 「昨年の天神祭が終わった時、大阪府警に相談したところ、警備はおろそかにならないと返事をいただいた。しかし、民間の警備業界は人手不足になり、人件費が時給換算で約1・5倍になると複数の警備会社から聞いた。天神祭の財政は苦しいが、仕方ない」

 -今年に限り、東京五輪を避けて天神祭を執り行う考えは。

 「神事は決まった日に執り行うもの。天神祭の本宮祭は、大阪天満宮の御祭神菅原道真公の誕生日に由来した7月25日と決まっている。日程を変更すれば、伝統が失われてしまう。ただ、2000年に亡くなった当時の皇太后さま(香淳皇后)の斂葬(れんそう)の儀が営まれた7月25日は喪に服し、翌26日に執り行った。これは異例だ」

 -天神祭の財政運営を巡る抜本的な対策は。

 「京都の祇園祭は京都府や京都市が全面協力していると聞く。天神祭も、高騰する警備費の一部を負担してもらうような行政補助があればと思う。政教分離の面で、補助を受けやすくするため『天神祭渡御行事保存協賛会』を法人化するなど仕組み作りは必要だ。警備員をサポートするボランティアも増やしたい。今年は、大阪港に入る大型客船のツアーが船渡御と花火を観賞する計画があるため、拝観席の収入アップにつながる。25年大阪・関西万博に向け、外国人客を取り込む対応も必要だ」

 -万博に向けた展望は。

 「万博会場の夢洲(ゆめしま)がある大阪湾へ、船渡御を向かわせたい。昔、船渡御は川を下っていた。しかし、終戦を経て復活した際、地盤沈下によって橋桁が低下し、航行が困難になったため、川をさかのぼる現在の形になった。橋桁の問題などがクリアし、大阪湾に行ければ、船渡御や花火の観賞スペースが十分確保できる」

 -27年の道真公1125年大祭に合わせ、収蔵庫を建設する計画があるようですが。

 「天神祭の神輿(みこし)、御迎人形などの文化財を常設展示する収蔵庫兼宝物庫を大阪天満宮の敷地に建設したい。今年、調査・設計を始める予定だ」

 -最後に、今年の漢字を示してください。

 「『輝』。私自身も含めて大阪天満宮の職員が、氏子の皆さんから生き生きと輝いて見えるよう研鑽(けんさん)を深め、向上心を持ってご奉仕したい。私は宮司就任3年目を迎えたので、自分の色を出していきたい」

2772名無しさん:2020/01/25(土) 19:12:18 ID:NrdB.GxU0
「鷽替神事」で罪ほろぼし 「初天神」宵宮祭
2020年1月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200125/20200125036.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)で24日、新年最初の縁日「初天神」の宵宮祭が盛大に執り行われた。「鷽替(うそかえ)神事」など多くの行事があった境内は、大勢の参拝者で終日にぎわいを見せた。

 神事は同宮の祭神、菅原道真の愛鳥・ウソ鳥にちなむ伝統行事。人々が知らず知らずのうちについたうそを、ウソ鳥に託して罪ほろぼしを祈願する。

 境内に集まった参拝者は、みこからウソ鳥のお守りが入った封筒を受け取った後、回りの参拝者や神職と次々と交換を開始。お互いに「替えましょう。替えましょう。うそをまことに替えましょう」と声を掛け合いながら、15分以上かけて交換し続けた。

 終了後は手元に残った封筒を一斉に開封。一部に特別なお守りが授与される印が記されており、ただ一つの「金うそ」が当たった寝屋川市の会社員の女性(32)は「2度目の参加でまさかと思った。よい一年になりそう」と笑顔だった。

 25日は「初天神」梅花祭が執り行われる。同神事は午後1時に開始。福餅まきは午前11時(氏地著名人)と午後4時(阪神タイガース選手)の2回。いずれも一般参加可(参加無料)。

2773名無しさん:2020/01/28(火) 15:50:05 ID:NrdB.GxU0
大阪・住吉大社で、『スカーレット』の松下洸平が1日消防署長に
1/28(火) 14:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200128-00086547-lmaga-l27
 
  国宝建造物「住吉大社」(大阪市住吉区)で1月28日に、『文化財防火デーに伴う消防総合訓練オープニングイベント』が開催。NHK連続テレビ小説『スカーレット』で川原八郎役の松下洸平が、1日消防署長を務めた。

 1949年に奈良県の「法隆寺」で出火し、国宝建築物「金堂」の貴重な壁画が焼損。それを機に、1955年1月26日は文化財防火デーに制定され、今回のイベントもその一環として「大阪市住吉消防局」が企画した。

制服姿で消防車に乗って現れた松下。委嘱式がおこなわれ、1日消防署長として、「(スカーレットの)テーマでもあります陶芸は炎と向き合います。今日は同じように炎と向き合う消防署長に任命していただき、身が引き締まる思いで、しっかりと務めたいと思います」と挨拶した。

さらに、「去年10月には沖縄の首里城が焼失してしまうということがあり、世界遺産が一瞬のうちに灰となってしまいました。今後、二度とこんなことが起きないように、みなさまと文化遺産を守っていきたいと思いますので、どうぞご協力よろしくお願いいたします」と会場に集まった参加者約200人に向けて語りかけた。

松下は、境内の防火査察や、「住吉区女性防火クラブ」のメンバーや、「住吉大社」の神楽女(かぐらめ)とともに初期消火訓練をおこなった後、自衛消防隊と大阪市消防局消防隊らによる合同訓練を、真剣な目で見守った。

2774名無しさん:2020/01/31(金) 21:09:25 ID:NrdB.GxU0
守り伝える責務 文化財防火デー、住吉大社で訓練
2020年1月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200129/20200129029.html

 大阪市住吉区の住吉大社で28日、住吉消防署(出水静雄署長)主催の文化財防火デー消防総合訓練があった。神職や消防職員ら約120人と消防車両9台、ヘリコプター1機が参加。関係者が連携し、通報から放水まで一連の活動に挑み、貴重な文化財を後世へ継承する責務を再認識した。

 文化財防火デーは今年で66回目。現存する世界最古の木造建造物である奈良・法隆寺の金堂で1949年1月26日に火災が発生、壁画が焼損したことにちなみ、55年に当時の文化財保護委員会(現・文化庁)などが定めた。

 訓練は境内・第三本宮(国宝)から出火し、隣接する別の本宮へ延焼の恐れがある-という想定で実施。自衛消防隊が参拝者の避難誘導や宝物の搬出、初期消火に取り組んだのに続き、現場到着した消防・救急隊が負傷者の救護や一斉放水を繰り広げた。

 高井道弘宮司は訓練後、昨秋の沖縄・首里城火災などに触れ、「当社には大阪市内唯一の国宝建造物である本宮をはじめ、多くの重要文化財がある。先人から預かった貴重な文化財を守り伝えるのがわれわれの務め」とあいさつした。

 訓練前にはオープニングイベントがあり、NHK連続テレビ小説「スカーレット」に出演中の俳優、松下洸平さんが一日消防署長として参加。制服姿で境内の防火設備を視察したほか、地元の女性防火クラブや同大社のみこ「神楽女(かぐらめ)」とともに初期消火訓練などを行った。

2775名無しさん:2020/01/31(金) 21:26:45 ID:NrdB.GxU0
上方歌舞伎の灯、絶やさない 中村壱太郎さんが大阪で講演
2020年1月28日 16:36
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200128/20200128081.html

 歌舞伎俳優の中村壱太郎さん(29)が28日、大阪市内で開かれた関西プレスクラブの会合で「受けつぎつなぐ上方歌舞伎」をテーマに講演した。上方の役者が少ない現状を指摘し「灯を絶やしてはいけない。特に、人数が少ない上方の女形の役を僕は担っていかなければと思う」と語った。

 上方歌舞伎を支える人間国宝の坂田藤十郎さん(88)の孫で、主に女形として活躍中の壱太郎さん。上方歌舞伎の特色について、商人ら庶民を描く物語が多く、江戸歌舞伎に比べて「写実的な芝居が多い」と説明した。

 継承へ「小さい会場、短期間でいいので、もっと身近に上方歌舞伎を感じる公演ができたら」と話した。

2776名無しさん:2020/02/01(土) 18:16:06 ID:NrdB.GxU0
グランフロント大阪で「ミニ文楽」披露 技芸員が「うめだ文楽」PR
2/1(土) 13:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200201-00000007-minkei-l27

 グランフロント大阪(大阪市北区大深町)北館6階の飲食フロア「ウメキタフロア」で1月31日、「ミニ文楽」が上演された。(梅田経済新聞)

 ナレッジシアターで3月27日に始まる「うめだ文楽」のPRを目的に企画した。来場した技芸員は、太夫(だゆう)の豊竹希太夫(のぞみだゆう)さん、三味線の鶴澤寛太郎さん、人形遣いの吉田簑紫郎(みのしろう)さん、吉田簑太郎(みのたろう)さん、桐竹勘介さん。

 この日は、「うめだ文楽2019」(3月27日〜29日)で上演する演目「義経千本桜」から、登場人物の佐藤忠信とキツネを、語りと三味線、人形で演じ、居合わせた客から拍手が送られた。

 吉田簑紫郎(みのしろう)さんは「今回は初めてのダブルキャストに挑む。修業してきた100%の力を出し切ってお客さまに楽しんでもらいたい。舞台と客席の近さも本公演にはない魅力」と観覧を呼び掛ける。

 文楽は、江戸時代に大阪で生まれた人形芝居。人形を動かす「人形遣い」、語り手である「太夫」、音楽を担当する「三味線」の三業から成り立ち、3人の人形遣いが義太夫節に合わせて背後から人形を操る。通常60歳以上の熟練技芸員が演じるが、同文楽は「若手技芸員の活躍の場となること」を目的に、20〜40代の技芸員が演じる。2015(平成27)年から毎年開催し今年で6回目となる。

2777名無しさん:2020/02/04(火) 20:09:56 ID:NrdB.GxU0
四天王寺で「天王寺かぶら汁」 節分の日に無病息災・厄よけ開運祈る
2/3(月) 22:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200203-00000067-minkei-l27

  四天王寺(大阪市天王寺区)で節分の日の2月3日、天王寺蕪(かぶら)の干し蕪が入った「天王寺かぶら汁」が有料で振る舞われた。(あべの経済新聞)

 天王寺蕪は江戸時代から明治末期に栽培され、同区など一帯は蕪畑が広がっていたという。長い間栽培されていなかったが、郷土名物を復活させようとする動きが高まり1995(平成7)年に復活した。現在は大阪府による「なにわの伝統野菜」にも指定されている。節分の日に干し蕪が入ったみそ汁と麦飯を食べるのは、無病息災・厄よけ開運を祈る古くからの習わしで、同寺では2015(平成27)年に「天王寺蕪の会」などの呼び掛けで復活した。

 天王寺蕪の会事務局長の難波りんごさんは「地元の人に昔ながらの良いものを知っていただければ」と期待を寄せる。

2778名無しさん:2020/02/04(火) 20:41:12 ID:NrdB.GxU0
北新地、節分に熱気 堂島薬師堂で「お水汲み祭り」
2020年2月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200204/20200204028.html

 大阪市北区の「堂島アバンザ」庭園内にある堂島薬師堂で3日夕、恒例の「節分お水汲(く)み祭り」(実行委主催)が執り行われた。参加者が手にした竹筒護符に、奈良・薬師寺で祈とうされたお香水を注ぎ清める「お水汲み」のほか多くの奉納行事があり、周辺の北新地も含めて熱気に包まれた。
 
 地元の節分伝統行事と「薬師堂お水くみ儀式」が融合する形で2004年に始まり、今年で17回目。

 ミラーガラスの外観が特徴的なお堂では、同寺の山田法胤(ほういん)長老を導師に節分法要が営まれ、無病息災や千客万来などを祈願する人々がお水くみに並んだ。

 後半には、奉仕者の一行が夜の北新地に繰り出して一層にぎやかに。堂内に祭る白龍弁財天にちなんだ龍踊りの一団が勇壮な舞を繰り広げた。北新地の女性が仮装して練り歩く「節分お化け」、豆で鬼を追い払う「鬼追い」もにぎやかに行われ、都心の風物詩は盛り上がった。

2779名無しさん:2020/02/08(土) 19:14:41 ID:NrdB.GxU0
大阪天満宮で針供養
02月08日 11時26分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200208/2000025125.html

 使い古した針を大きなこんにゃくに刺して労をねぎらう「針供養」が、8日、大阪・北区の大阪天満宮で行われました。

針供養は、使い古した針を柔らかいものに刺すことで、労をねぎらい、裁縫技術の上達を祈る伝統行事です。大阪・北区の大阪天満宮では、奈良時代に刺しゅうや裁縫の技術を日本に伝えたとされる遣唐使の吉備真備がまつられていることから、90年以上前から毎年、針供養が行われています。和服を仕立てる和裁士や服飾を学ぶ生徒などおよそ1500人が参加し、幅50センチ、高さ10センチほどの大きなこんにゃくに縫い針やまち針を次々と刺して針を供養していました。兵庫県で和裁の講師をしている女性は「針に感謝の気持ちを伝えに来ました。ことしもたくさん着物を縫いたいです」と話していました。
また、裁縫を学ぶ福井県の女子高校生は「ふだん硬い布を縫っているのでこんにゃくに刺すといつもと違う感覚がしました。将来はウェディングドレスをつくる仕事に就きたいので頑張ります」と話していました。

2780名無しさん:2020/02/11(火) 19:57:41 ID:NrdB.GxU0
道明寺天満宮で「梅まつり」
02月10日 19時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200210/2000025164.html

  梅の名所として知られる大阪・藤井寺市の道明寺天満宮で梅まつりが開かれています。

学問の神様として知られる菅原道真が祭られている道明寺天満宮には、紅梅や白梅、それにしだれ梅など80種類・800本の梅の木が植えられています。
毎年、梅が咲き始めるこの時期に「梅まつり」が開かれます。
この冬は気温が高い日が多く、最も早咲きの品種はいつもの年より2週間ほど早い今月初めに満開になりました。
訪れた人たちは境内を散策しながら、小ぶりで鮮やかな色の花を眺めたり写真に収めたりして楽しんでいました。
松原市から初めて来たという75歳の男性は「手入れやせんていがよくされていてどの梅を見ても立派できれいです。全部が満開になったらまた見に来たいです。」と話していました。
また、大阪市の40代の女性は「時期が早いので梅が咲いているか心配でしたが、たくさん咲いていてよかったです。カメラが趣味で、よく撮れてうれしいです。」と話していました。
道明寺天満宮の「梅祭り」は来月13日まで開かれていて、今月下旬には遅咲きの梅も満開になるということです。

2781名無しさん:2020/02/11(火) 20:28:29 ID:NrdB.GxU0
方古典芸能の魅力紹介 女性が趣味や学び楽しむ
2020年2月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200209/20200209025.html

 女性が趣味や学びを楽しめるイベント「チアフルゼミスペシャル」が8日、大阪市北区の阪急グランドビルで行われた。上方古典芸能の魅力を紹介するセミナーでは講談師の旭堂南龍さんと、落語家の桂紋四郎さんが軽妙な掛け合いや一席を披露し、会場は笑いに包まれた。

 阪急交通社と阪神電車が共催。暮らしに役立つさまざまなプログラムを用意し、ヨガを体験したり、寺社巡りを楽しむこつを教わるなど10のセミナーが企画された。

 上方古典芸能のセミナーには約70人が来場。旭堂さんは講談について「歴史人物を扱っている。その逸話から派生して『こういう物語になってほしい』という夢が詰まったものが多い」と説明。桂さんは「落語の主人公は実在の人物ではなく、町内にいてたあいつ、というもの」などと基本を紹介。それぞれが一席を披露すると、来場者から何度も笑い声が上がった。

 兵庫県西宮市の主婦(70)は「楽しかった。落語が好きだが、講談も面白かった」と話していた。

2782名無しさん:2020/02/12(水) 23:29:47 ID:NrdB.GxU0
夜の趣も良し 大阪天満宮「てんま天神梅まつり」
2020年2月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200212/20200212027.html

 樹齢200年を越える古木などの銘木や刀剣を展示する「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展〜」が11日、大阪市北区の大阪天満宮で始まった。今年は映像と音の演出を加えるなど、「夜の梅」をテーマとした幻想的な空間を創出している。3月8日まで。

 書院造り百畳敷きの参集殿を会場に、祭神の菅原道真が梅をめでたことにちなんで同宮が毎年開催している。

 今年は趣向を変え、京都を拠点とするクリエーティブユニット「xorium(エクソリウム)」のプロデュースによって、道真が詠んだ梅にまつわる和歌や漢詩をデジタル映像で映し出したり、照明の当て方で梅の影を見せたり、他に類を見ない盆梅展に挑戦している。

 「梅を通して道真公の生涯を表現した。写真映えもするし、若い人にも足を運んでほしい」とエクソリウムの竹川諒さん(31)。例年より開花が早くたくさんの花が咲いた梅の木のほか、道真と縁深い人物に関わる刀剣、「天神画像」など同宮所蔵の宝物も間近で鑑賞できる。

 午前9時半〜午後4時半(入場受付は午後4時まで)。高校生以上700円、中学生以下400円。

2783名無しさん:2020/02/13(木) 20:09:36 ID:NrdB.GxU0
鴻池新田会所で鴻池家寄贈民具展 江戸から昭和初期の道具60点
2/13(木) 17:47配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200213-00000051-minkei-l27

 国史跡・重要文化財の鴻池新田会所(東大阪市鴻池元町、TEL 06-6745-6409)乾蔵で現在、鴻池家寄贈民具展「むかしの道具いろいろ」が開催されている。(東大阪経済新聞)

 
地域の小学校3年生の社会の授業で昔の道具や人々の暮らしぶりについて学ぶ時期に合わせ、毎年開催する同展。江戸時代の豪商・鴻池家と、鴻池家が開発した新田の管理・運営を行った鴻池新田会所で江戸時代から昭和初期までに使われていた道具約60点を展示する。

 会場には、人力車や嫁入り籠など乗り物や、葦戸(よしど)や簾戸(すど)など夏に使う道具、火鉢、豆炭行火(あんか)などの暖房道具、ぼんぼりやちょうちんなどの照明類などが並ぶ。11代当主の鴻池善右衛門幸方は熱心な趣味写真家だったことから、暗箱やレンズ、ガラス乾板写真などが残っており、ラジオやアンテナ、蓄音機、SPレコードなどと並べて展示する。

 期間中、午前中は小学3年生の団体見学が多く、同展のほか、常設するかまどや井戸、鉄砲風呂なども合わせて見学し学習している。上皿竿(うわざらさお)はかりと米で重さを量る体験をしたり、大正時代のアンソニー式写真機をのぞき込み、上下逆さに映る様子に驚いたりしながら昔の暮らしに思いをはせた。

 開館時間は10時〜16時。月曜・祝日の翌日休館。観覧料は、大人=300円、小・中学生=200円。3月1日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2784名無しさん:2020/02/19(水) 21:50:54 ID:NrdB.GxU0
デジタル画像で一新 大阪天満宮「盆梅と刀剣展」
2/19(水) 21:25配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200219-00000619-san-l27

  菅原道真が好んだ梅の花にちなんだ「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展〜」が、道真をまつる大阪天満宮(大阪市北区)で開かれている。毎年恒例のイベントだが、今年はデジタル映像を初導入。暗闇の中に梅の花と刀剣が幻想的に浮かぶ演出は賛否が分かれるものの、若い“刀剣女子”の来場が増えたのは間違いないようだ。3月8日まで。

 年配の愛好者が多い盆栽の梅は、会場となる書院造り百畳敷きの参集殿に、樹齢200年を超える古木をはじめ銘木約60鉢を展示。例年より10日ほど開花が早いとのことで、周りには甘い香りが漂う。

 デジタル映像による光の演出が始まると、会場は暗がりに一変。不思議な音色が流れ、ふすまや壁に道真の和歌や漢詩、花吹雪や稲妻が現れては消えていく。13振を展示する刀剣コーナーは、ピンクとブルーにライトアップされる。

 展示の刀剣では、新選組の沖田総司の愛刀「加州清光」が人気。3月2日からは、源義家が愛用したとされる太刀「天光丸」が登場する。

 「以前はお年寄りが多かったが、刀剣展が始まった昨年から急に若い人が増えた」とスタッフ。美術館では禁止されるケースの多い撮影が自由な点も好評を得ているという。午前9時半〜午後4時半。光の演出は15分間隔で実施。高校生以上700円、小・中学生400円。

2785名無しさん:2020/02/25(火) 20:40:48 ID:NrdB.GxU0
旧宮家の皇籍復帰訴え 女性有識者「皇統を守る会」
2/25(火) 18:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00000570-san-soci

 保守系の女性有識者らでつくる「皇統(父系男系)を守る国民連合の会」(葛城奈海会長)は25日、国会内で記者会見し、皇位継承策について、伝統的な男系を維持するために旧宮家の皇籍復帰を訴えた。女性・女系天皇については「連綿と紡がれてきた万世一系の皇統が断絶してしまう」として反対した。

 同会は昨年10月に発足。会長でジャーナリストの葛城氏のほか、会社役員の赤尾由美氏、政治活動家の我那覇真子氏、戦後問題ジャーナリストの佐波優子氏、歌手のsayaが発起人となっている。


「旧宮家の皇籍復帰も選択肢に」 維新・藤田氏 安定的な皇位継承策
2020.2.19 21:11
https://www.sankei.com/life/news/200219/lif2002190097-n1.html

 日本維新の会の藤田文武衆院議員は19日の衆院予算委員会で、安定的な皇位継承策をめぐり、男系維持のための継承策として有力視される旧宮家(旧皇族)の皇籍復帰について、「旧宮家の方々から何らかのお力をお借りするという選択肢は閉じてしまうべきではない」と述べた。

 藤田氏は旧宮家について「(皇族との)親戚関係が多くあり、皇族の方々と多く交流を持っておられる」と説明。敗戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による占領の下で皇族から離れた歴史にも触れ「皇室と非常に近しい立場だというのは事実だ」と指摘した。

 その上で皇位継承の議論について「女性宮家や女性天皇を認めていくかが注目されている。長い歴史の中で積み重ねられた伝統といったものを中心に、慎重に検討してもらいたい」と訴えた。

 安定的な皇位継承策をめぐり、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は10日の衆院予算委員会で、本格的な検討は4月19日からの「立皇嗣の礼」の終了後になると初めて明言した。旧宮家の皇籍復帰に関しては、男系男子子孫に復帰の意思確認をしていないと明らかにした。今後も予定はないという。

2786名無しさん:2020/02/29(土) 22:15:29 ID:NrdB.GxU0
船場の歴史再発見 「おひなまつり」始まる
2020年2月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200228/20200228038.html

 大阪・船場ゆかりの旧家に現存する貴重なひな飾りを一般公開する「春の船場博覧会『船場のおひなまつり』」が27日、大阪市中央区内で始まった。多くの市民が、歴史や文化が息づく都心を散策しながら各会場を見て回っている。3月3日まで。

 実行委主催の恒例イベント。今年は新型コロナウイルス感染拡大防止策として一部で展示形態の変更や、会期中の関連イベントを一部中止にして開いた。

 このうち“神農さん”で親しまれる少彦名神社(別所賢一宮司)では、別所宮司の曽祖母が嫁入り道具として持参した明治末期のひな飾りを公開。参拝者は、人形をはじめ、たんすや火鉢、茶器といった精巧な道具類に目を凝らし、スマートフォンなどで撮影していた。

 同市東住吉区から訪れた女性(58)は「とても貴重なひな飾りを見せていただきありがたい。船場の歴史を再発見できた」と笑顔で話した。

 同神社では3月3日午後1時から神事として、社殿で北新地芸妓(げいぎ)・清一さんによる舞奉納(観覧無料)を予定している。

2787名無しさん:2020/03/01(日) 17:52:56 ID:NrdB.GxU0
京阪・なにわ橋駅で大阪の都市形成振り返る展示企画「ビルダーズ」
2/28(金) 12:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00000023-minkei-l27

 大阪市、大阪の成り立ちを地下鉄やビルの工事記録映像を交えて振り返る展示企画「ビルダーズ:工事記録にみる都市再考」が、京阪電車なにわ橋駅(大阪市北区中之島1)地下1階コンコース内「アートエリアB1」(TEL 06-6226-4006)で始まっている。(梅田経済新聞)

 
企業や大阪市が所有する工事記録映像などで、大阪の都市形成を振り返る同イベント。1933(昭和8)年に完工した大阪ガス本社ビルの工事映像や、1958(昭和33)年に完工した新朝日ビル(現中之島フェスティバルタワー)の鉄骨が組み上がる様子などが上映される。大阪市が1937(昭和12)年に公共交通機関の普及と観光宣伝を目的に製作した映像資料なども公開されている。

 同施設は2006(平成18)年、京阪電車中之島線建設中の工事現場を舞台に展開した「中之島コミュニケーションカフェ」を継承し、2008(平成20)年に開館したコミュニティースペース。文化や芸術交流の場として京阪ホールディングス(大阪市)と大阪大学(吹田市)、NPO法人ダンスボックス(兵庫県神戸市)が協働で運営する。面積は440平方メートル。

 営業時間は12時〜19時。月曜休館。入場無料。3月22日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2788名無しさん:2020/03/02(月) 20:59:04 ID:NrdB.GxU0
近松門左衛門は桑田佳祐、文楽はサザンだ!|トップクリエイターが語る「文楽の効能」
3/2(月) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200302-00032282-forbes-bus_all

 オレ、ぬるい仕事してんな──。日本を代表する広告クリエイターをしてそう思わしめる舞台芸術、人形浄瑠璃文楽。博報堂ケトルの嶋浩一郎氏は、文楽作品の中でも「時代物」と呼ばれる演目に、とりわけクリエイティビティを刺激されているという。

「ダメ男」ほど共感を呼ぶ

企業PRの最前線で活躍する嶋浩一郎が、文楽に通い始めたのは約20年前。

当初、シンパシーを抱いたキャラクターがあった。近松門左衛門の代表的な世話物作品などに登場する、どうしようもない「ダメ男」だ。

「世話物の男の主役といえば、だいたいダメ男です。とんでもない借金をして、しかもその金で『なんでこの女に手ぇ出しちゃうかなあ』という相手に手を出しちゃう」

世話物とは、江戸時代における現代ドラマ、商人・町人が登場する街場の物語だ。嶋も、世話物のほうが感情移入しやすく楽しめていたという。

ところが近年、「時代物」が俄然、面白くなってきたと語る。

時代物とは、江戸時代における時代劇。江戸以前に時代設定された、武家や朝廷の世界、戦争やお家騒動などを題材とする。現代人には時代背景の共通認識がないため、世話物に比べてわかりにくい。だがその時代物に、嶋はビジネスの視点を見出す。

「時代物を観ると、決断力が磨かれる感じがする」というのだ。

「現代の『ゆるさ』に気づかされます。時代物に出てくる人は、一つ判断を間違うと死ぬわけです。一つの決断の重みが半端ではない。現代だとテクノロジーの進化で、なんでも先回り・先送り・保険でしょう。メルカリがあれば、買い物に失敗しても売っちゃえばいい。そんな現代に、あのバシッとした中に身を置くと、デトックスされるんです」

そして、こう思うのだ。

「なんかオレ、ぬるい仕事してんな、ヤバい、もうちょい頑張ろう」

メルカリ時代の決断力を磨く

そんな嶋が、水野学とともに文楽に関わった仕事が、文楽を初心者向けに案内する書籍『文楽のすゝめ』である。本書では、世話物をトレンディドラマ、時代物を大河ドラマにたとえ、近松門左衛門の特徴とされる字余り字足らずの音律を桑田佳祐になぞらえる。

専門的で普通なら敬遠されそうな、しかし文楽を鑑賞する悦楽へと導くツボは、この本の監修者で、嶋と親交のある文楽の太夫、竹本織太夫との会話から生まれた。 

「文楽をサザンオールスターズにたとえるなんて、という人もいると思うんですけど、文楽はそれくらい自由だって思うんです」

幾多の年月を経て、どの時代にも常に、受け止める個々の人々の心象にひきつけて解釈できるのが、古典の包容力だろう。

前述の文楽入門書に続き、続編の『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』も刊行された。こちらは、時代物の「すゝめ」になっている。武家社会を働く現場=ビジネスととらえ、ビジネスに役立つスキルを切り口に、さまざまな時代物作品を紹介する。

「メルカリ時代のデシジョンメイキング(意思決定)を学べます。僕自身も組織のリーダーとして、企画のありなしを明確に判断するのが仕事ですから、シャープでなきゃいけない。文楽の時代物からもらってきた僕自身の発見を、この本で織太夫さんと一緒にお伝えします」

しま・こういちろう◎1968年、東京都生まれ。上智大学法学部卒。93年博報堂入社。2002〜04年、博報堂刊『広告』編集長。04年、「本屋大賞」立ち上げに参画。06年、博報堂ケトルを設立し、メディアコンテンツ制作にも積極的に関わる。19年9月まで代表取締役社長を務め、現在は同社取締役、博報堂執行役員。
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Forbes JAPAN 編集部

2789名無しさん:2020/03/06(金) 21:23:30 ID:NrdB.GxU0
金剛組は大阪の会社です。

※金剛組のホームページ
 https://www.kongogumi.co.jp/#

世界最古の企業は日本に存在した!各国の最も創業が古い企業をマップにしたら、開拓の歴史を垣間見れた
3/6(金) 21:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200306-00010006-finders-bus_all

 今日の急速に変化するビジネス環境や社会において、企業の寿命は格段に縮まっている。かつては60年と言われていた米大型株500銘柄の寿命は、今や18年程度。それだけ存続させるのが難しいということだ。

そんな中、イギリスの金融関連情報を発信している『BusinessFinancing』が、「各国に現存する最古の企業」というマップを発表した。
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世界最古の企業は日本の「金剛組」

BusinessFinancingが発表したマップは、各国の最古で現存する企業を、色分けしてマッピングしている。西暦500年〜749年創業は濃い青で、現代に近づくにつれ明るくなり、1750年〜1999年創業は黄色だ。正確な情報が無いものはグレーで表示されている。

世界最古の企業のトップ10は以下の通り。

1位 金剛組(578年創業・日本)
2位 シュティフツケラー・ザンクト・ペーター(803年創業・オーストリア)
3位 シュタッフェルター・ホフ(862年創業・ドイツ)
4位 パリ造幣局(864年創業・フランス)
5位 ロイヤルミント(886年創業・イギリス)
6位 ショーンズバー(900年創業・アイルランド)
7位 ポンティフィカルマリネリファウンドリー(1040年創業・イタリア)
8位 アフリゲム醸造所(1074年創業・ベルギー)
9位 モンクスミル(1135年創業・ベルギー)
10位 マーユチンのバケツチキンハウス(1153年創業・中国)

世界に現存する最も創業が古い企業は、日本の神社仏閣の建設会社である「金剛組」だ。2位に大差をつけてのダントツのトップ。創業年の578年は、聖徳太子が統治していた飛鳥時代だから驚きだ。聖徳太子の命により四天王寺建立のために、百済から招かれた金剛重光が創業した。2006年に建設大手の高松建設グループに買収されたものの、1440余年の時代を経て、宮大工の技術を今に伝える。

2790名無しさん:2020/03/06(金) 21:24:31 ID:NrdB.GxU0

世界に現存する最も創業が古い企業は、日本の神社仏閣の建設会社である「金剛組」だ。2位に大差をつけてのダントツのトップ。創業年の578年は、聖徳太子が統治していた飛鳥時代だから驚きだ。聖徳太子の命により四天王寺建立のために、百済から招かれた金剛重光が創業した。2006年に建設大手の高松建設グループに買収されたものの、1440余年の時代を経て、宮大工の技術を今に伝える。
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それぞれの地域の最も古い企業を見てみよう

北米の最古の企業は、1534年に設立した「メキシコ造幣局」。スペインのアメリカ大陸征服者の所有だったこともあり、「8レアル銀貨」つまりスペインドルがここで造られている。南米は「ペルー造幣局」で、スペインの植民地時代の1565年に設立した。

ヨーロッパの最古の企業は、803年創業のオーストリアのザンクトペーター教会に隣接する「シュティフツケラー・ザンクト・ペーター」というレストラン。アジアでは前述の通り、日本の金剛組が最も古く、次ぐ2位は中国の 「バケツチキンハウス」で、創業は1153年。河南省の文化遺産に指定されている。

アフリカは長い間の植民地時代の影響もあり、企業はいずれも1750年以降の創業だ。最古の企業は、1772年に設立した「モーリシャス郵便局」。オセアニアでは、1809年設立の「オーストラリア郵便公社」で、正式に国家として認められる1901年のほぼ1世紀前から存続する。

全体図を見ると、日本や中国、ヨーロッパに創業年が古い企業が多く、南下するに連れ近年になって創業した企業が多くなる。南部には、20世紀になってから、脱植民地化により国家として独立したところが多いからだ。各国の最も古い企業は、その地域の開拓の歴史だ。
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coolpolaris

2791名無しさん:2020/03/11(水) 20:54:23 ID:NrdB.GxU0
四天王寺に一乗院建立 伝教大師像復活も
3/9(月) 22:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200309-00000067-minkei-l27

 四天王寺(大阪市天王寺区)に3月6日、伝教大師像を奉安する一乗院が建立され、除幕式や落慶法要が行われた。(あべの経済新聞)

 
伝教大師最澄(さいちょう)は比叡山で天台宗を創設した祖師。四天王寺を建立したと伝えられる聖徳太子の千四百年御聖忌(2022年厳修)記念事業の一環で、第2次世界大戦で寺から供出された伝教大師の御像を復活させた。

 同寺は「聖徳太子の和をもって貴しの精神の下、宗派の垣根を越えて多くの方々に参拝いただける新名所となることを願う」とコメントを寄せた。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2792名無しさん:2020/03/11(水) 22:16:57 ID:NrdB.GxU0
仁徳天皇陵貨幣セットを販売へ 造幣局、世界遺産の登録記念で
2020年3月11日 17:49
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200311/20200311112.html

 造幣局(大阪市)は11日、日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳、堺市)を含む全49基で構成する大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」が昨年、世界文化遺産に登録されたことを記念した貨幣セットを販売すると発表した。消費税と送料込みで2400円。

 仁徳天皇陵古墳が表面に描かれたメダル(丹銅製、直径27ミリ)と、「令和2年」と刻まれた硬貨6種類を組み合わせた。折り畳める特製ケースには、個々の古墳の名称や写真を入れた。

 はがきか造幣局オンラインショップで申し込む。受付期間は12日〜4月7日。問い合わせは電話050(5548)8686。

2795名無しさん:2020/03/12(木) 20:51:44 ID:NrdB.GxU0
心の中で追悼を 四天王寺に鐘の音響く
2020年3月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200312/20200312021.html

 東日本大震災発生から9年となった11日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で、犠牲者追悼と復興祈願の打鐘が執り行われた。多くの参詣者が足を止め、東北の被災地に向けて手を合わせた。

 同寺では2011年の発災以降、義援金寄付や若手僧侶でつくる仏教青年連盟による被災地慰問のほか、「食べて応援」という趣旨の東北物産展など、法要以外にも多岐にわたる支援活動に取り組んでいる。

 打鐘は一周忌の12年から毎年実施。境内にある太鼓楼、北鐘堂(黄鐘楼(おうしょうろう))、南鐘堂(鯨鐘楼(げいしょうろう))では、発災時刻の午後2時46分、各お堂に入堂した僧侶が天井内の鐘につながる綱を同時に引き、極楽浄土に届くとされる深い響きを7回繰り返した。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「今後も継続したい。今年は新型コロナウイルス感染拡大で、追悼行事などが中止となるケースがあったが、こういう状況だからこそ一人一人が心の中で追悼できるという気付きの機会となれば」と話した。

2796名無しさん:2020/03/22(日) 12:40:58 ID:ylDuNnHU0
極楽浄土に思いを寄せ 四天王寺で日想観
2020年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200321/20200321035.html

 彼岸の中日の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の極楽門前で、石鳥居の向こうに沈む夕日に手を合わせ極楽浄土に思いを寄せる伝統行事「日想観(じっそうかん)」が行われた。

 極楽の東門の中心とされた石鳥居の柱の間に太陽が沈む光景が見られる彼岸に合わせ、年2回実施。今春も夕刻から僧侶が「日想観勤行儀」を執り行い、参詣者は一緒にお経を唱えて沈む夕日を見守った。

 太陽が沈みきるまで西空を見上げていた女性(55)=大阪市=は「これから昼の時間が長くなる季節の分かれ目。コロナウイルスの感染が早くなくなり、皆が無事に過ごせますようにとお天道様にお願いした」と話していた。

2797名無しさん:2020/03/22(日) 12:42:04 ID:ylDuNnHU0
極楽浄土に思いを寄せ 四天王寺で日想観
2020年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200321/20200321035.html

 彼岸の中日の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の極楽門前で、石鳥居の向こうに沈む夕日に手を合わせ極楽浄土に思いを寄せる伝統行事「日想観(じっそうかん)」が行われた。

 極楽の東門の中心とされた石鳥居の柱の間に太陽が沈む光景が見られる彼岸に合わせ、年2回実施。今春も夕刻から僧侶が「日想観勤行儀」を執り行い、参詣者は一緒にお経を唱えて沈む夕日を見守った。

 太陽が沈みきるまで西空を見上げていた女性(55)=大阪市=は「これから昼の時間が長くなる季節の分かれ目。コロナウイルスの感染が早くなくなり、皆が無事に過ごせますようにとお天道様にお願いした」と話していた。

2798名無しさん:2020/03/22(日) 12:42:49 ID:ylDuNnHU0
極楽浄土に思いを寄せ 四天王寺で日想観
2020年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200321/20200321035.html

 彼岸の中日の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の極楽門前で、石鳥居の向こうに沈む夕日に手を合わせ極楽浄土に思いを寄せる伝統行事「日想観(じっそうかん)」が行われた。

 極楽の東門の中心とされた石鳥居の柱の間に太陽が沈む光景が見られる彼岸に合わせ、年2回実施。今春も夕刻から僧侶が「日想観勤行儀」を執り行い、参詣者は一緒にお経を唱えて沈む夕日を見守った。

 太陽が沈みきるまで西空を見上げていた女性(55)=大阪市=は「これから昼の時間が長くなる季節の分かれ目。コロナウイルスの感染が早くなくなり、皆が無事に過ごせますようにとお天道様にお願いした」と話していた。

2799名無しさん:2020/03/24(火) 21:32:03 ID:ylDuNnHU0
次期管長に加藤公俊氏 四天王寺、4月1日から
2020年3月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200324/20200324031.html

 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)は23日までに、森田俊朗管長(77)の任期満了に伴い、次期管長(第113世)に四天王寺副管長の加藤公俊(こうしゅん)氏(69)=写真=を選出した。任期は4月1日から3年。

 加藤氏は大阪市出身。大正大学仏教学部卒。四天王寺支院地蔵院住職、四天王寺総務部長、四天王寺学園常務理事、四天王寺財務部長、参詣部長などを歴任。2019年4月から副管長を務めた。

2800名無しさん:2020/03/30(月) 16:02:58 ID:ylDuNnHU0
大阪城の櫓 特別公開
3/30(月) 11:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200330-00000517-san-soci

 大阪城(大阪市中央区)に残る江戸時代の遺構、千貫櫓(せんがんやぐら)と多聞櫓(たもんやぐら)、焔硝蔵(えんしょうぐら)の特別公開が始まった。いずれも戦禍などをくぐり抜けた国の重要文化財。幕末の解体修理の際に出土した瓦や石垣の刻印の拓本なども期間中、多聞櫓内部で展示されている。11月29日まで。当初は3月1日からの予定だったが、コロナウイルス感染拡大を受けてスタートが延期された。

 大阪城の正門、大手口を守る千貫櫓は、元和6(1620)年に築かれたとされる2層2階の隅櫓(城郭の隅に設けた櫓)の一つ。城内で最も古い建物で、今年は建造から400年の節目にあたる。

 千貫櫓と名付けられた櫓は、織田信長に攻められた石山本願寺時代からあり、櫓から放たれる矢に悩まされた信長が「銭千貫文を出しても取りたい櫓だ」と言ったことが名称の由来とされる。豊臣時代と徳川時代の2回建て替えられた際にも、名称が踏襲された。

 多聞櫓は、寛永5(1628)年に建てられたものが落雷で全焼し、嘉永元(1848)年に再築された。二の丸に出入りする大門の上部にあたる渡櫓と一体化した構造。長屋型の櫓の総称で、同形式の櫓が大和(現在の奈良県)にあった多聞城で初めて築かれたとされることから、そう呼ばれる。

 焔硝蔵は、鉄砲や大砲に使う火薬庫で、貞享2(1685)年の建造。床や天井、壁などがすべて花崗(かこう)岩で、石壁の厚さは約2・4メートルに達するなど、耐火、耐久、防水性に工夫がこらされている。3施設とも昭和28年に国の重要文化財に指定された。

 4月12日までと月曜を除く7月21日〜8月30日は連日公開されるが、それ以外の期間は土、日、祝日のみの公開。午前10時〜午後4時半(入場は午後4時まで)。入場料は高校生以上700円、中学生以下300円。

 新型コロナウイルスの感染状況によっては公開を見合わせる場合がある。問い合わせは大阪城パークセンター(06・6755・4146)。

2801名無しさん:2020/04/04(土) 17:27:49 ID:ylDuNnHU0
コロナ終息を祈願 四天王寺で揮毫
2020年4月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200404/20200404047.html

 聖徳太子による「十七条の憲法」が制定された日にちなみ、太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)など全国にある太子ゆかりの23カ寺で3日、地元の書家たちが奉納揮毫(きごう)を行った。大小の筆で「疫病終息」「以和為貴(和をもって貴しとなす)」などの文字を走らせ、新型コロナウイルス感染の一日も早い終息を祈った。

 十七条の憲法の世界記憶遺産登録を目指し活動する「和プロジェクトTAISHI」(宮本辰彦代表)が主催し、今年で3回目。

 国内外で新型コロナウイルス感染拡大の不安、感染者や国・人種への差別が顕著となる中、人々の不安解消と、日本が誇る「和」の精神の世界発信を願って参加者を募った。

 同寺では初めて開かれ、同市阿倍野区在住の書家・前田龍雲さん(53)が趣旨に賛同して参加。五重塔を仰ぐ中心伽藍(がらん)・中門(仁王門)前で、僧侶や関係者が見守る中、二つの作品を力強く仕上げた。

 宮本代表(55)は、東日本大震災発生当時に「絆」という言葉が人々を結びつけた点に触れ、「対立や分断ではなく、今、私たちには互いを思う『和』の精神が必要」と呼び掛けた。

2802名無しさん:2020/04/08(水) 22:47:35 ID:NrdB.GxU0
天神祭の「ギャルみこし」中止に
04月08日 16時20分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200408/2000027839.html

大阪の夏の風物詩、「天神祭」を盛り上げようと毎年7月に若い女性たちがみこしを担ぐ「ギャルみこし」が、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、中止されることになりました。

「ギャルみこし」は天神祭を盛り上げようと、毎年7月に行われていて、15歳から30歳までの女性80人が、重さ200キロのみこしを担ぎ、天神橋筋商店街を練り歩きます。
昭和56年から毎年行われてきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、実行委員会は、ことしは開催を中止することに決めました。
ギャルみこしが中止されるのは初めてのことです。
実行委員会は、「新型コロナウイルスが収束した際には、若い女性の元気で、生き生きとした笑顔を多くの人に届けたい」としています。
一方、天神祭の実行委員会によりますと、天神祭は来週、会議を開いて、ことしの開催をどうするかについて話し合うことにしているということです。

2803名無しさん:2020/04/08(水) 22:57:08 ID:NrdB.GxU0
緊急事態宣言で大阪『住吉大社』も異例の“閉門”…5月6日までは門前からお参りを
4/8(水) 17:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200408-00032470-mbsnewsv-l27

  新型コロナウイルスをめぐる緊急事態宣言は「神社」にも影響が出ています。

 大阪市住吉区の『住吉大社』では、4月8日〜5月6日まで、異例の“閉門”を決めました。

 「神社では全ての業務を停止致しまして、ご祈祷・お守り・おみくじ・朱印など全て停止しております。」(住吉大社 神武磐彦権宮司)

 参拝客は、閉められた門の前から本殿に向かってお参りすることになります。

 「住吉大社も門を閉めているということで、蔓延防止の協力を皆様でして、1日も早い収束を願うのを神社としても希望しております。」(住吉大社 神武磐彦権宮司)

MBSニュース

2804名無しさん:2020/04/08(水) 23:06:31 ID:NrdB.GxU0
四天王寺も閉鎖、聖徳太子以来初 大阪、感染拡大防止に協力
2020年4月8日 16:39
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200408/20200408083.html

 お寺や神社も外出自粛に協力します―。新型コロナウイルスの感染拡大を防ごうと、大阪市では8日、連日大勢の参拝者らでにぎわっていた四天王寺や住吉大社が閉鎖を決めた。期間は未定。四天王寺によると、同寺を閉鎖するのは、聖徳太子が6世紀に創建して以来、初めてという。

 四天王寺では、10日から約30ある堂塔や宝物館、庭園、霊園、休憩所をすべて閉鎖。境内には入れるが、お堂の拝観や供養の申し込みなどはできなくなる。祈祷は郵送でのみ受け付ける。

 釈迦の生誕日とされる8日はさまざまな行事が予定されていたが、多くは中止に。

 住吉大社は8日朝から一切の業務を停止して閉門した。

2805名無しさん:2020/04/09(木) 22:18:15 ID:8j.Se6mg0
天下人・関白豊臣秀頼の可能性
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/7435
現実味のある話だった秀頼の薩摩落ち

家康は秀頼の関白就任を恐れていた?
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/7435?p=1

2806名無しさん:2020/04/10(金) 23:10:58 ID:NrdB.GxU0
縮小で済めばよいが。全体が中止にならんことを切に願う。

大阪 生國魂神社の夏祭りも縮小
04月09日 17時52分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200409/2000027917.html

政府の緊急事態宣言を受けて、大阪の三大夏祭りのひとつ、生國魂神社の夏祭りは、大阪城までの道のりをみこしを担いで練り歩く行事が中止になりました。

大阪・天王寺区の生國魂神社の夏祭りは、平安時代から続く伝統行事で、ことしも7月上旬に予定されています。
大阪天満宮の「天神祭」や住吉大社の「住吉祭」とともに大阪の三大夏祭りのひとつに数えられています。
この祭りでは、大阪城までの道のりをおよそ500人がみこしを担ぐなどして練り歩く「渡御行列」が中心的な行事ですが、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため政府が緊急事態宣言を出したことを受けて、中止することになったということです。
このほか、本殿で行う神事も例年は地域から多くの人が参列しますが、ことしは神職など関係者のみで執り行うということです。

2807名無しさん:2020/04/30(木) 11:49:48 ID:ylDuNnHU0
大念佛寺「万部おねり」大幅縮小
2020年4月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200430/20200430043.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺は、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、5月1〜5日に行う伝統行事「万部おねり」(市指定無形民俗文化財)の二十五菩薩(ぼさつ)によるお練りと伝供(でんぐ)などを取りやめる。

 今年の法要は非公開で職員のみが本堂で勤め、連日の布教や各種イベント、境内の出店、朱印、物品販売も中止する。

2808名無しさん:2020/05/09(土) 16:52:37 ID:ylDuNnHU0
日露戦争の捕虜写真発見、ロシア 78枚、大阪の収容所も
2020年5月9日 11:12
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200509/20200509045.html

 【モスクワ共同】日露戦争(1904〜05年)で日本の捕虜となり、大阪府の「浜寺俘虜収容所」とみられる施設などで過ごすロシア兵らの写真78枚のガラス板ネガがロシア西部イワノボ州の民家で見つかり、イワノボ国立歴史郷土博物館が公開せず所蔵していることが9日分かった。同博物館が共同通信に明らかにした。

 78枚のうち日本での撮影とみられるのは22枚。捕虜が曲芸を眺めるカットもあり、「一等国」入りを目指した日本がハーグ条約に基づき捕虜を厚遇したことが分かる。ロシア捕虜の研究を続ける立命館大の桧山真一非常勤講師は「捕虜の生活に余裕があったことがうかがえる」と評価した。

2809名無しさん:2020/05/21(木) 21:00:00 ID:NrdB.GxU0
「全国最大級」の豊臣秀吉像、大阪で見つかる 大阪市旭区・大宮神社
5/21(木) 20:07配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0eb66aebeb24d7fcb3a5054c4145f45945dd42b

 大阪市旭区の神社で全国最大級の木造の豊臣秀吉像が見つかりました。

大阪市旭区にある大宮神社。800年以上の歴史を持つこの神社で見つかったのは…

ヒノキでできた等身大の豊臣秀吉像です。

高さは「81.9cm」で、大阪市によると全国で24体ある木造の秀吉像の中で最も大きいということです。

専門家が注目するのは絵の具が意図して剥がされていることや、冠がないこと。

大坂夏の陣で大阪城が落城した後の江戸時代につくられたとみられ、秀吉を神格化することがタブーになっていた時期でも秀吉信仰が続いていたことがうかがえるということです。

【大宮神社 廣瀬哲宮司】
「(初めて社殿の)扉を開けたときにちょうど私の顔と面と向かうような形になりまして、非常に威厳があり、迫力がある像で本当に驚いたところでございます」

秀吉像は今年度中にも一般公開される見通しです。

関西テレビ

2810名無しさん:2020/06/06(土) 18:32:21 ID:NrdB.GxU0
竹生島に秀吉の大坂城から移築か
06月05日 05時55分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200605/2000030639.html

 びわ湖の竹生島にある、宝厳寺の「観音堂」など4つの建物は、豊臣秀吉が築いた大坂城から移築された可能性が高いことが、滋賀県の調査でわかりました。

宝厳寺は滋賀県長浜市の竹生島にあり、国宝の「唐門」は、豊臣秀吉が築いた大坂城で本丸と二の丸をつなぐ「極楽橋」と呼ばれた建物の一部を、息子の秀頼が移築したことで知られています。
滋賀県が寺の修繕工事にあわせて、「唐門」の周辺にある4つの建物を調べたところ、構造などからいずれも、大坂城の「極楽橋」から移築された可能性が高いことがわかったということです。
4つの建物は、寺にある重要文化財の「観音堂」と、寺に隣接する都久夫須麻(つくぶすま)神社にある国宝の本殿、これらをつなぐ2棟の「渡廊」です。
滋賀県文化財保護課は、「秀吉が築いた大坂城の建物はほかに現存せず、当時の様子を知るうえで貴重な遺構だ」としています。
宝厳寺の峰覚雄管主は、「淀君が生まれた浅井家や、豊臣家と縁が深い竹生島に橋が移築されたことに、歴史の面白さを感じます。当時の大坂城に思いをはせに来てほしい」と話しています。

2811名無しさん:2020/06/08(月) 19:55:09 ID:NrdB.GxU0
大空襲75年の祈り 長柄橋で追悼行事
2020年6月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200608/20200608017.html

 太平洋戦争末期の1945年、米軍が大阪市北東部を中心に狙った第3次大阪大空襲から7日で75年を迎えた。大阪市北区天神橋8丁目の長柄橋南詰にある明倫観世音菩薩像前では、地元の正蓮寺(渡島正教住職)による法要が営まれ、参列者が恒久平和の願いを込め、犠牲者を慰霊した。

 同所では、推定で400人以上が犠牲になった。慰霊法要は戦後すぐから執り行われているが、時代の経過とともに参列者は減少。この日は遺族の参加はなく、正蓮寺の檀家(だんか)や地元住民20人ほどが祈りをささげた。

 雲ひとつない快晴の下、渡島住職は「戦争の悲惨さに心を寄り添うようにお祈りして頂きたい」と観音像の前で念仏を唱え、参列者が一人ずつ焼香を上げた。

 空襲当時5歳だった大倉政三さん(80)=同市北区=は毎年参列。「空襲の記憶はないが、戦争は二度とやるべきではない」とかみしめるように話した。

 同空襲では3千人近くの市民が犠牲になったとされる。被害が大きかった同市旭区の城北公園堤防上「千人塚」での追悼行事は、新型コロナウイルス感染症の影響で今年は開催が見送られた。

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2813名無しさん:2020/06/15(月) 20:03:27 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭、7月1日に3カ月ぶりの全面再開
6/15(月) 18:44配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/df958c14637d598d40663e4b3dad5e1feca005a0

 上方落語協会は15日、新型コロナウイルス感染拡大防止のため休館している定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)を、7月1日に再開すると発表した。チケット販売は16日からで、繁昌亭の窓口でも平日午後1〜5時に販売する。全面再開は3カ月ぶりとなる。

 再開後は感染防止のため客に検温を行い、マスクの着用を求める。客同士の間は空席を設け、QRコードを使った施設利用者に感染の発生状況を通知する大阪府の「コロナ追跡システム」も導入する。演目自体は8席から6席に減らし、時間短縮を図る。

 昼席の様子は当面、インターネット上で有料配信する予定。記者会見した同協会の笑福亭仁智会長は「安心して笑っていただける状況に万全を期したい」と感染防止対策に理解を求め、「例えお客さんが少なくても、『待ってました』という雰囲気になれば大成功」と話している。

2814名無しさん:2020/06/15(月) 21:10:21 ID:NrdB.GxU0
住吉大社「御田植神事」で五穀豊穣祈る
6/14(日) 18:27配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/19f6b8e646c71f69c9aa12c2d011c578fa9b246a

 大阪の住吉大社では、五穀豊穣を祈る田植えの儀式、「御田植神事」が行われました。

住吉大社の境内では、新型コロナウイルスの終息が祈念された後、白装束を身にまとった人たちが田植えを行いました。

日本三大御田植祭のひとつに数えられている住吉大社の「御田植神事」は、明治時代から続く伝統的な格式が現在も守られていて、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

新型コロナウイルスの感染防止ため、例年約500人が参加するところ、ことしは30人で行われ、豊作を祈る舞いや踊りも中止となりました。

稲は10月に収穫され、宮内庁に奉納されます。

関西テレビ

2815名無しさん:2020/06/19(金) 22:11:21 ID:NrdB.GxU0
「夏季大祭」の渡御行事中止 難波八阪神社
2020年6月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200618/20200618036.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)は、新型コロナウイルス感染拡大防止対策で、7月に予定していた夏季大祭の船渡御(13日)・陸渡御(14日)などの行事を中止する。神事も神職と氏子役員らで執り行う。

 同神社の船渡御は、かつて天神祭と並ぶ規模を誇った年頭行事であったと伝わるが、江戸中期以降に途絶。2001年に氏子崇敬者や地元企業・団体の尽力で復興された。

2816名無しさん:2020/06/19(金) 22:30:27 ID:NrdB.GxU0
天満天神繁昌亭、7月1日再開 大阪の上方落語定席
2020年6月15日 17:32
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200615/20200615081.html

 上方落語協会(笑福亭仁智会長)は15日、大阪市北区の定席「天満天神繁昌亭」での公演を7月1日から再開すると発表した。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、4月1日から繁昌亭での全公演を中止していた。

 感染防止のため、客席の間隔を空けて216席のうち約100席のみを使用し、観客には入場時の検温やマスク着用を求めるといった対策を講じる。

 再開に伴い、協会主催の「昼席」を当面、インターネットで有料ライブ配信する。

 仁智会長は「繁昌亭を早く開けたくて仕方がなかったが、万全の態勢を整えていた」と強調。「来てくれたお客さんには安心して笑っていただきたい」と話した。

2817名無しさん:2020/06/20(土) 22:05:57 ID:NrdB.GxU0
東大阪・石切神社前の「すずや」に「氷梅七味ごま」 七味の辛みでスッキリと
6/19(金) 20:47配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe48b1398549e188d3f62db68e29993693dc4b11

 石切劔箭(いしきりつるぎや)神社前の「お食事処すずや」(東大阪市東石切町1、TEL 072-982-3119)で6月15日、季節限定メニュー「氷梅七味ごま」の提供が始まった。(東大阪経済新聞)

 毎年15種類以上のかき氷を提供する同店。2015(平成27)年からは石切劔箭神社が所蔵する刀剣「石切丸」「小狐丸」などをイメージしたかき氷を提供し、人気を集めている。

 同店では3年前、老舗の七味メーカー・八幡屋礒五郎(長野県長野市)に依頼し、関西人の好みに合うオリジナルの「石切丸の調合七味」を作り、店内飲食用で使用するほか、同社の七味唐からし、ゆず七味、梅七味ごま、七味ガラム・マサラとともに販売している。同店の小西学さんは「大人のイチゴミルクのようなかき氷を作ろうと思っていたが、フリーズドライのイチゴだと味が負けてしまう。梅七味ごまをかけたら面白いのではと考えた」という。

 「氷梅七味ごま」は、氷に氷糖蜜と練乳をかけた氷ミルクに梅七味ごまをトッピング。「梅の爽やかさ、ごまの香ばしさ、七味の辛み、それぞれの味がして、冷たくても七味の味が負けていない。ベースの氷ミルクが甘くて辛すぎず、後味もスッキリとさわやか」と小西さん。価格は660円(テークアウトは648円)。

 営業時間は10時30分〜15時30分。臨時休業あり。

みんなの経済新聞ネットワーク

2818名無しさん:2020/06/26(金) 22:00:41 ID:NrdB.GxU0
天神祭の神事ネット配信 来夏に向け広報活動強化
2020年6月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200625/20200625025.html

 今夏の天神祭を規模縮小する天神祭渡御行事保存協賛会は24日、実施予定の神事についてインターネット配信する計画を決めた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため陸渡御、船渡御、奉納花火の主要イベントは中止するが、来夏に向けた広報は欠かせないと判断した。

 計画によると、本宮祭の7月25日に大阪市北区の大阪天満宮本殿で斎行する神事の様子を、ライブ配信する。堂島川での鉾流(ほこながし)神事などは録画編集して配信予定。広報費として約50万円を予算化した。

 広報活動を巡っては、大阪府指定文化財「天神祭御迎え人形」の展示も、大阪天満宮の境内で計画。新型コロナ禍を念頭に、「疫病退散」を祈念する天神祭を印象付ける。

 大阪天満宮社務所で開かれた同協賛会の会合で、寺井種治宮司は「来年は今年の分まで素晴らしい祭りにする」と抱負を語り、栗原宏武実行委員長も「渡御行事の中止は残念だが、これからも継続して実施しなければいけない」と呼び掛けた。

 天神祭は、京都の祇園祭や東京の神田祭とともに日本三大祭りの一角を担い、例年約130万人の人出でにぎわう。「密集・密接の状態」を招くため、同協賛会は4月の臨時委員総会で主要イベントの中止を決めた。

2819名無しさん:2020/06/28(日) 14:18:52 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭プレオープン 生の落語に笑顔と拍手
2020年6月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200627/20200627040.html

 7月1日に丸4カ月ぶりに昼席を再開する天満天神繁昌亭(大阪市北区)は26日、プレオープンを行った。近隣商店主ら招待客を中心約100人が入場。久々の生の落語に笑顔と拍手が場内に響いた。

 入場者は、検温と手指消毒後、マスク着用を義務付けられ、場内飲食禁止で1席ごと空けられた客席へ。まず上方落語協会の笑福亭仁智会長が登場し、「ウィズ・コロナの時代となり、121日ぶりの高座でございます。噺家(はなしか)もお客さまの前で話すのは久しぶりで、いささか緊張しておりまして、ネタを忘れたり飛ばしたりしましてもご容赦を」と軽妙に復活のあいさつ。

 7月1日からの公演では、有料オンライン実況(1日1500円)を実施し、ソーシャルディスタンス(社会的距離)で空けた客席には、1カ月2千円で顔写真入りメッセージ板の掲揚希望者を募集する。

 通常の昼席は演者8人だが当分は6人に減らし、料金は一般2800円(前売り2500円)と据え置き。代わりに特製てぬぐいなどが当たる抽選会を行う。

 この日のトリを務めた桂春蝶さんは「久しぶりの高座で緊張しました。前の演者が掛けたネタをササッと帳面に書き留め、次の出番の者はそれを見て出し物を決める。これが生の寄席の醍醐味(だいごみ)で、久しぶりに感覚がよみがえってうれしかった。やはり目の前にお客さんがいていただけると全然違います」としみじみ話した。

2820名無しさん:2020/06/28(日) 14:43:31 ID:NrdB.GxU0
大阪・池田の久安寺で「あじさいうかべ」
6/27(土) 20:40配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/35f0e62d059b75c3f482f994c8bcab313eed23b1

 大阪府池田市の久安寺で、境内の池に浮かぶ色とりどりのアジサイ約250株が参拝者に涼を届けている。

 花の名所で知られる久安寺。見頃が過ぎたアジサイを池に浮かべる「あじさいうかべ」は15年前から始まり、近年は会員制交流サイト(SNS)を機に人気が広がった。国(くに)司(し)真(しん)相(しょう)住職(47)は「終わりを迎えるアジサイに潤いを与え、彩りと諸行無常を感じてほしい」と話す。

 新型コロナウイルスの影響で外出を控えていたという同府箕面市の川野佳世さん(37)は「久しぶりに散歩を楽しめ、カラフルなアジサイに癒やされた」と喜んでいた。

 あじさいうかべは6月末まで。拝観時間は午前9時〜午後4時。拝観料300円。

2821名無しさん:2020/07/01(水) 07:05:40 ID:NrdB.GxU0
大阪の夏、びょうぶで感じて 江戸時代の船渡御絵図
2020年6月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200629/20200629027.html

 大阪の夏の風物詩、天神祭のお練りや奉納花火が新型コロナウイルス対策で中止となる中、地元の川が多くの船でにぎわう主要行事「船渡御(ふなとぎょ)」を描いた江戸時代のびょうぶ絵の展示が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で行われている。8月3日まで。

 同館が、少しでも浪速の夏の風物詩を感じてもらおうと、所蔵資料などを展示した。

 縦1・8メートル、横3・6メートルの大きさで船渡御が描かれた「天神祭礼図」には、大阪天満宮の祭神、菅原道真のみ霊を移したみこしが乗る船を中心に、みこが舞う船や現在でも人気の大太鼓を搭載した船など個性豊かな船が、川を埋め尽くすようにびっしりと描かれている。

 ほかにも疫病よけの祈りが込められていたとされる大型人形の絵を描いた図や、大阪天満宮所蔵で市指定文化財の「天神祭礼船渡御図」など、天神祭関連で計5点を並べている。

 学芸員の沢井浩一課長は「江戸時代の船渡御の様子を見ていただきながら、祭りの復活を願ってもらえれば」と話していた。

 同館では、新型コロナ禍で疫病への関心が高まっているのを踏まえ、7月1日から9月28日には、古代から近代までの各時代に大阪市内を中心に、どのように疫病退散が願われていたかを紹介する展示も行う。

 開館時間は現在、午前11時〜午後4時に短縮し、1日250人までの入場制限を行っているが、7月1日からは午前9時半開館の通常に戻し、入場制限も行わない。

2822名無しさん:2020/07/01(水) 08:29:08 ID:NrdB.GxU0
大阪の3大夏祭りのひとつ「愛染まつり」今年は史上初のオンラインで…特設サイトで生配信も
6/30(火) 20:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/99c639c438d3e1e97263d18027aa8935154c685e

 大阪の3大夏祭りのひとつ「愛染まつり」が始まりました。

新型コロナウイルスの影響で史上初のインターネット配信が行われています。

「商売繁盛!宝恵駕籠!愛染さんじゃ!宝恵駕籠!」

威勢の良い掛け声と宝恵駕籠がお馴染みの愛染堂勝鬘院・愛染まつり。
大阪の3大夏祭りのひとつで去年は約5万人が訪れました。

しかし、今年は…

【記者リポート】
「夏祭りが始まった愛染堂ですが、境内は閑散としています」

新型コロナウイルスの影響もあり訪れる人は大幅に減少…。
これを見越して、準備を進めてきたのがインターネットでの生配信です。

【山岡武明住職】
「どんどん来てくださいとも言える状態ではないですから。それでも功徳というのを味わえる方法というのを見出したかったということです」

【山岡武明住職】
「大阪締めとかご存じですかね?」

【愛染娘】
「聞いたことはあります」

本来、祭りを盛り上げる愛染娘とは現場で打ち合わせを行いますが、今年はビデオ通話で。
配信のために本堂に回線を引いたりと、準備も初めてのことばかりです。

そして30日…

【山岡武明住職】
「御開帳〜!」

史上初となる「オンライン愛染まつり」が始まりました。

2823名無しさん:2020/07/01(水) 08:29:40 ID:NrdB.GxU0
【愛染娘】
「みなさん、こんにちは〜 戻ってきました。愛染TVです」

特設サイトでは、お祭りを2つのチャンネルで配信。

愛染明王の御開帳や法要を生配信するチャンネルと、愛染娘が登場し夏祭りの楽しさを伝えるチャンネルで祭りを盛り上げます。

愛染娘が宝恵駕籠に乗る様子もしっかり配信しました。

【訪れた人は…】
「時は進んでるんだなと思いました」
「実際に見るとなると、その時その場にいないとダメなので。功徳がありそうだなという感じで。この目で見たいな、生で」
「病気をもたれている人もいるし、オンラインだったら感染のリスクも下がるのでいいと思います」

【山岡武明住職】
「伝統行事だから全く汚さないようにそのまま残しておきたいというところもあるんですけど、状況に応じて未来へ進むように残していきたいものだと考えています」

今年はオンラインで楽しむ夏祭り。
来年はどうなっているのでしょうか。

関西テレビ

2824名無しさん:2020/07/01(水) 20:01:19 ID:NrdB.GxU0
上方落語の定席『天満天神繁昌亭』が客入れ公演を再開 ライブ配信も導入
7/1(水) 17:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7afabacd8d7518f28fc751ee057fbc48dde77f2

 上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)が観客を入れての公演を7月1日から再開しました。

 入口での検温・消毒、そして客席ではソーシャルディスタンス。万全な予防対策を施し、約4か月ぶりの営業再開です。

 「落語とお客さんの笑い声が帰ってまいりました!」(上方落語協会 笑福亭仁智会長)

 また、来場しなくても寄席を楽しめるよう、新しくライブ配信も導入しました。

MBSニュース

2825名無しさん:2020/07/04(土) 07:56:04 ID:ylDuNnHU0
「センターマイク」も復活 なんばグランド花月 客席の使用緩和 吉本新喜劇も7月17日から再開
7/3(金) 19:25配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c412a76af3f0cd773614845600a590b4c1fa9a0f

 6月から公演を再開した笑いの殿堂・なんばグランド花月では3日から客席数の制限を緩和しました。

センターマイクも解禁です。

【祇園】
「この距離がもどってきまして」
「アクリル板がなくなりまして」

大阪・ミナミのなんばグランド花月で3日行われた公演。

これまでは新型コロナウイルスの感染防止策として芸人の間にはアクリル板を設置し、さらに客同士の間隔をとるため、席は2割以下に減らしていました。

3日からは前後左右の席を1席ずつあける形で定員の半分まで客席を拡大。本来の舞台の姿に少しずつ戻そうとセンターマイクを使った漫才も復活です。

【中田カウス】
「無観客の中での漫才でするというのは…」
【ネイビーズアフロ】
「見えてないんすか。一本のマイクで漫才したのは3カ月ぶりくらい…」

【観客は…】
「芸人さんたちもすごく楽しそうで、アクリル板ないほうが、コロナ対策して何できるかなを考えるのが大切だと思う」

現在休止している「吉本新喜劇」については7月17日から、約4カ月半ぶりに再開する予定です。

関西テレビ

2826名無しさん:2020/07/04(土) 08:13:31 ID:ylDuNnHU0
岸和田だんじり祭、開催中止 75年ぶり、大阪
2020年7月3日 18:41
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200703/20200703112.html

 大阪府岸和田市は3日、9月19〜20日に予定していた「岸和田だんじり祭」を主催する町会が、新型コロナウイルス感染拡大防止のため開催中止を決めたと発表した。市によると1945年以来、75年ぶり。各地で新規感染が相次ぐ中、毎年数十万人が訪れる大規模な伝統行事を行うのは難しいと判断した。

 岸和田だんじり祭は五穀豊穣を願って約300年前に始まったとされ、勢いをつけたまま街角を直角に曲がる「やりまわし」が見どころ。運営は市内の岸和田地区と春木地区の町会が主体で、今回は22町会ある岸和田地区が中止を決めた。春木地区は6月に中止を発表していた。

2827名無しさん:2020/07/04(土) 08:19:56 ID:ylDuNnHU0
大河誘致へ楠木正成の甲冑寄贈 大阪・富田林の企業が市に
2020年6月29日 17:02
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200629/20200629080.html

 南北朝時代の武将楠木正成親子を描くNHK大河ドラマの誘致に役立ててもらおうと、精密金属プレス加工業を営む住吉金属(大阪府富田林市)が正成の甲冑を制作、29日に市へ寄贈した。

  同社の鹿児島工場(鹿児島県薩摩川内市)では甲冑制作をしており、正成の銅像などからイメージして作ったという。昨年、工業団地の交流会で甲冑工場が話題となり、同社が制作を決めた。

 甲冑は高さ約90センチとやや大きめのサイズ。同社によると、3カ月がかりで完成。「型作りが必要で全体のバランスを見ながら何度も修正するのが大変だった」という。

2828名無しさん:2020/07/04(土) 10:48:58 ID:ylDuNnHU0
秀吉側近の武将 駒井重勝の日記 自筆原本見つかる
2020年6月15日 5時49分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200615/k10012470411000.html

豊臣秀吉や養子の秀次の言動などを、そばで仕えた武将が記した「駒井日記」の自筆原本の一部が見つかり、調査にあたった専門家は「当時の武将の日記の原本が出てくることはほとんどなく、重要文化財クラスの価値がある」と指摘しています。

「駒井日記」は、豊臣秀吉や養子の秀次に仕えた武将の駒井重勝が書いた日記で、秀吉や秀次の言動などが記されていることから、当時の出来事を知る上で重要な歴史資料です。

江戸時代の写しが数巻分残されているだけで原本は失われていると考えられていましたが、東京大学史料編纂所がその一部とみられる日記をインターネットオークションで購入し、内容などを調べた結果、写しがある部分の自筆の原本そのものと判断されました。

調査にあたった村井祐樹准教授によりますと、見つかったのは17巻以上あるとされる日記のうち第6巻の7割程度に相当し、西暦1594年にあたる文禄3年2月の出来事が記されています。

このうち22日には、秀吉の天下統一を支えた黒田官兵衛が体調を崩した際に、秀次が出した見舞いの手紙の内容が記されているほか、27日には秀吉と秀次が今の奈良県の吉野で花見を行い、そこで詠んだ歌の内容も詳細に記録されています。

村井准教授は「この時代の武将の日記は数が少ないうえ原本が出てくることはほとんどなく、重要文化財クラスの価値がある。筆跡などの情報がある自筆原本の研究は非常に価値があることなので、大きな発見だと思います」と指摘しています。

作者は秀吉の“右筆”の1人
村井准教授によりますと、「駒井日記」の作者、駒井重勝は、豊臣秀吉や秀次の書状を書く右筆を務めていました。

秀吉や秀次の右筆は複数いたことが分かっていて、今回見つかった日記の筆跡をもとに、重勝がどの書状を担当していたのかなどの研究が進むとしています。

また、今回の原本と比べると、江戸時代の写しは体裁が整えられているうえに字の間違いなどがあり、原本によって日記の表記や内容などが正確に分かるということです。

村井准教授は「自筆が出てきたことで、『この朱印状は駒井が書いたんだ』や『この時代に駒井が右筆だったんだ』など、詳細に字を検討していけば分かると思うので、秀吉の右筆たちの研究をする上でも非常に貴重な発見です」と話しています。

2829名無しさん:2020/07/08(水) 22:50:59 ID:NrdB.GxU0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産1年 ハニワ駅長らがPR
2020年7月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200707/20200707029.html

 百舌鳥(も ず)・古市古墳群が世界文化遺産に登録されて1年を迎えた6日、南海電鉄と堺市、堺観光コンベンション協会の3者が、南海なんば駅(大阪市中央区)でPRイベントを展開した。南海電鉄高野線沿いにあるといわれる幻の駅「ハニワ駅」のハニワ駅長と堺市のハニワ部長らが、駅利用客にうちわなどを配り、世界遺産をアピールした。

 登録から1年を迎えるのを機に、大阪に世界遺産があることを府民らに再認識してもらおうと企画した。

 同協会の堺観光コンシェルジュ、篠原千咲さんも加わり、改札口周辺でうちわやポストカードを配り、古墳群の魅力を発信した。

 南海電鉄などは、堺市内を巡るクイズラリーイベントを9月22日まで実施している。ハニワ駅長は「堺市の魅力に触れてほしい」と呼び掛けた。

 新型コロナウイルスの影響で、古墳を訪れる人は減少傾向だが、観光ガイドは対策を徹底するなど、受け入れ態勢を整えている。ハニワ部長は「開放的な空間の古墳は、今の時期にピッタリの観光資産」と熱弁を振るった。

2830名無しさん:2020/07/11(土) 20:36:14 ID:NrdB.GxU0
文楽と煎茶と上町台地語る 竹本さんと佃さんが対談
2020年7月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200709/20200709035.html

 文楽太夫の六代目竹本織太夫さんと、煎茶家で一茶庵宗家嫡承の佃梓央さんが、大阪の上町台地と文楽、煎茶の関係性について対談した。

 竹本さんは、上町台地が舞台となる演目『摂州合邦辻』が謡曲『弱法師』や説教節『しんとく丸』を取り入れている点に着目。お好み焼きやミックスジュースと重ね合わせ、混ぜても成立していればよいという「うまかったらええ」が大阪の持ち味と力説した。

 佃さんは、上町台地の天王寺公園に縁の深い住友家の収集品を引き合いに、「多種多様なものを置き、併せて煎茶をたしなむ空間を設けていた」と分析。その上で、文楽と煎茶の共通点を説いた。

 2人の対談は、オープン台地実行委員会(釜中悠至代表)が5日にオンラインで開催。新型コロナウイルス感染拡大を受けた「コロナ時代」の文楽、煎茶についても語り合った。

2831名無しさん:2020/07/11(土) 21:18:42 ID:NrdB.GxU0
「お仕事頑張って」 御田で園児がアイガモ放鳥
2020年7月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200711/20200711046.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)に広がる御田(おんだ)で10日、恒例のアイガモの放鳥が行われた。参加した地元園児が、無農薬農法など自然の循環について学んだ。

 同大社では、約30年にわたりアイガモ農法を取り入れており、今年は市立住吉幼稚園(平山和子園長)の年長園児約20人が放鳥を体験した。

 園児は岡康史権禰宜(ごんねぎ)から、稲が育つ環境や仕組みについて説明を受けた後、約20羽のひなを代わる代わる抱えて御田に放し「またね」「お仕事頑張ってね」と手を振りながら声援を送っていた。

 平山園長は「園の再開後、さまざまな行事ができない状況の中、園児たちが無農薬のコメ作りを実感する貴重な経験ができた」と笑顔で話した。

 今年の「御田植(おたうえ)神事」(国の重要無形民俗文化財)は、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として規模を縮小して6月14日に関係者のみで斎行。岡権禰宜は「稲は順調に育っている。収穫の時季にはコロナが終息していることを願いたい」と思いを込めた。アイガモ農法は10月ごろまで継続する予定。

2832名無しさん:2020/07/15(水) 18:37:34 ID:NrdB.GxU0
ハスの花が見頃、大阪・盛松寺 「春不老」など約10種130鉢
7/15(水) 15:22配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5569b61931507db6cad86153f89dc4997e242930

 大阪府河内長野市にある盛松寺の境内でハスの花が見頃を迎えている。

 先代住職の時代に数種が栽培されていたが、現住職の高橋成明さん(52)が約10年かけて種類や栽培数を増やしてきた。ピンクで何枚もの花びらが重なり合う「春不老」や白の「白千葉」、花径の大きい「太白蓮」など約10種、130鉢が参道から本堂前にかけ咲き誇っている。

 高橋さんは「参拝する皆さんに楽しんでいただければうれしい。季節ごとに花のある寺にできれば」と話している。入場無料。南海高野線の千代田駅から徒歩約13分。

2833名無しさん:2020/07/21(火) 21:01:12 ID:NrdB.GxU0
関西初「大坂冬の陣図屏風」デジタル想定復元 大阪城天守閣で公開
7/21(火) 17:47配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/82fe66b83a15dcc7737712ea7c920855c131161a

「大坂冬の陣図屏風(デジタル想定復元)完成記念 夏の展示 大坂冬の陣・夏の陣図屏風〜豊臣VS徳川 激闘の記憶〜」が7月23日から、大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城1)で開催される。(京橋経済新聞)

1614(慶応19)年の大坂冬の陣を描いた大坂冬の陣図屏風については、江戸時代後期の模写本が東京国立博物館に所蔵されるのみで原本は行方不明。そこで凸版印刷が最新のデジタル技術を駆使し、昨年、同屏風図を復元。今回の展示では、デジタル想定復元された大坂冬の陣図屏風と共に、大阪城天守閣が所蔵する「大坂夏の陣図屏風」を展示する。

 あわせて大坂冬の陣・夏の陣で活躍した真田幸村(信?)・後藤又兵衛ら所有の甲冑(かっちゅう)、豊臣秀頼が自害する4日前の1615年(慶長20)5月4日付で発給した現存最後の文書、大坂夏の陣最後の決戦当日の1615年(慶長20)5月7日付の豊臣家の家臣・大野治房の書状など、関係資料が並ぶ。

 大阪城天守閣は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、2月29日から臨時休館し、5月20日に再開して2カ月がたった。18日・19日の土曜・日曜とも入館者数は1000人を下回った。広報担当の青木美佐子さんは「天気の影響もあるが、新型コロナウイルスの感染者が再び増加傾向にあり、GoToキャンペーンへの不安といった要因が観光などにもまた影響してきているのでは。感染予防対策をしっかり取り、来場者に楽しんでいただけるように今後もイベントなど計画していきたい」と話す。

 開館時間は9時〜17時(入館は閉館30分前まで)。入館料は600円、中学生以下無料。

みんなの経済新聞ネットワーク

2834名無しさん:2020/07/23(木) 23:25:46 ID:NrdB.GxU0
本宮祭を初のネット生配信 24日から天神祭
2020年7月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200723/20200723042.html

 日本三大祭りの一つとされる天神祭は、新型コロナウイルスの影響で今年は大幅に規模を縮小し、24日に宵宮、25日に本宮を迎える。練り歩きと船を運航する渡御行事や、約5千発の奉納花火は中止となったが、祭りの核となる神事を大阪市北区の大阪天満宮などで斎行。25日午後2時からの本宮祭は、初めてインターネット上で生配信し、「世界中の人とコロナ終息を祈願したい」と視聴を呼び掛けている。

 神事は、本宮祭のほかに、近隣の川で古式にのっとって行う「鉾流(ほこながし)神事」と、天神祭の起源にかかわる同市西区の千代崎行宮で宵宮祭を執り行う。密集を避けるため、本宮祭以外は日時を明らかにせずに取り組む。

 両日とも、江戸時代の天神祭で神を祭った船団を迎えるために作られた「御迎え人形」計3体を境内で展示。祭りにちなんだ7月限定の御朱印も月末まで用意している。

 本宮祭は、動画投稿サイト「ユーチューブ」の大阪天満宮公式チャンネルで生配信。同宮のホームページからアクセスできる。その際、視聴者が神職と一緒に拝礼する場面を設ける予定で、作法の動画を同チャンネルで現在公開中だ。

 柳野等禰宜(ねぎ)は「コロナ禍は世界中の災いとなっている。普段はごく少数で斎行する本宮祭を広く公開することで、世界中の人とともに終息に向けて祈りたい」と話している。

2835名無しさん:2020/07/24(金) 20:42:36 ID:NrdB.GxU0
日本三大祭りの「天神祭」 本宮祭は生配信へ…奉納花火や船渡御は新型コロナの影響で「中止」
7/24(金) 12:11配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a980bc2779be41e790deef1a0a131a64f710dfe

 日本三大祭の一つ大阪の天神祭は、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して行われています。

1000年以上の歴史を持つ「天神祭」。

大阪天満宮では25日の本宮を前に、無病息災と祭りの無事を祈る「宵宮祭」が粛々と行われました。

例年、本宮では船が神輿を乗せ川を渡る「船渡御」や、「奉納花火」が祭りを盛り上げていましたが、今年は新型コロナウイルスの影響で中止となりました。

祭囃子や掛け声が響かない中、関係者のみで神事が執り行なわれます。

【大阪天満宮 祢宜 柳野等総務部長】
「すべての大きな行事ごとができなくなったわけですけども、みなさんの気持ちがひとつになって終息にむかっていきますことを願っております」

25日の本宮祭は通常は非公開ですが、今年は初めてYouTubeでライブ配信されます。

関西テレビ

2836名無しさん:2020/07/25(土) 22:43:06 ID:NrdB.GxU0
天神祭 1000年の歴史で初、神事をライブ配信
2020.7.25 17:05
https://www.sankei.com/west/news/200725/wst2007250012-n1.html

 日本三大祭りの一つ、大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭の神事が25日、行われ、一般には非公開だった神事の様子を千年以上の歴史で初めてライブ配信した。新型コロナウイルス感染拡大で祭りの見どころである船渡御(とぎょ)など多くの行事が中止となったが、疫病退散という神事の本来の意義を広く伝える機会にした。

 25日午後、同天満宮本殿で行われた本宮祭の様子が、動画投稿サイト、ユーチューブで生中継された。御祭神・菅原道真公の御神体を納める場所につながる御扉を開ける瞬間や、宮司が祝詞を唱える様子など、例年は氏子など一部の関係者しか立ち会えない厳かな神事の様子を、複数のカメラでとらえた。映像に合わせて神職が場面ごとの説明や平安時代に始まった祭りの由来などについて解説。千年以上秘められてきた神事を丁寧に伝えた。4千近くの視聴があり「素晴らしいものを見せてもらえた」などのコメントが寄せられた。

 寺井種治宮司は「今年の祭りはコロナによって縮小されたが、ライブ配信によって多くの人と神事を共有できたことはとてもよかった。国内外の人に日本の神道の文化に興味を持ってもらえる機会になったのでは。これからも祭りの映像を残していくなどの試みを続けていきたい」と話していた。

 一方、午後8時ごろ、市内中心部を流れる大川では、船上から50発の花火が打ち上げられた。例年天神祭のハイライトとなる約5千発の奉納花火は見物客の密集を避けるために中止となったが、大阪出身の世界的建築家、安藤忠雄さんが「花火で大阪の町を少しでも元気づけてほしい」と提案。天神祭花火奉賛会(会長、藤尾政弘・フジオフードグループ本社社長)が代わりとなる花火をコロナ収束の願いも込めて準備し、大阪の夜空を彩った。

2837名無しさん:2020/07/27(月) 17:28:41 ID:NrdB.GxU0
大阪に落ちた模擬原爆 追悼式
07月26日 12時37分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200726/2000032850.html

 太平洋戦争の末期、大阪・東住吉区にアメリカ軍が投下した模擬原爆で犠牲になった人たちを、追悼する式典が開かれました。

模擬原爆は、アメリカ軍が原爆投下の訓練のために作った、原爆と同じ形をした火薬式の爆弾で、75年前の昭和20年7月26日、大阪・東住吉区に投下され、7人が犠牲になりました。
きょうの追悼式では、爆弾が投下された場所の近くにある恩楽寺で開かれ、地元の人などおよそ50人のほか、オンラインで地元の小中学生が参加しました。
模擬原爆が投下された午前9時26分に合わせて黙とうしたあと、95歳の龍野繁子さんが戦争体験を語りました。
龍野さんは、「戦争中は食べ物がなくて、道ばたで草をむしって食べたり、小さい子どもが残飯をあさったり、悲惨でした。戦争がなくなるよう、若い方々が世の中を導いていってほしい」と呼びかけました。
そしてオンラインで参加した地元の中学校の生徒が、「私たちが無関心ではいけないと思います。世界が平和であるために、ひとりひとりがしっかりと考えていきたい」と述べました。
参加した男性は、「若い世代が核兵器の怖さを改めて知り、戦争がなくなるよう、私たちの思いを引き継いでくれることを期待しています」と話していました。

2838名無しさん:2020/07/27(月) 17:31:05 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍でも伝統絶やさず 天神祭、鉾流神事
2020年7月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200726/20200726021.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭の本宮祭を迎えた25日、大阪市北区の堂島川に架かる鉾流(ほこながし)橋周辺で鉾流神事を執り行われた。今年は新型コロナウイルスの感染防止対策として、渡御行事や奉納花火を中止しており、神事を通して静かに疫病退散や地域の繁栄を祈願した。

 本宮祭に至る行事の無事を願う「宵宮祭」の斎行を変更したことから、本来は24日に執り行う同神事を1日繰り下げた。

 同市北区の大阪天満宮から斎場まで約200人が練り歩く行列はなく、大阪天満宮の寺井種治宮司ら神職とわずかの関係者のみの計約40人が参列した。

 装束に身を包み、鉾流しの大役を務める「神童」の任命も事前になかったことから、同宮の縁者が「御鉾司(おおんほこつかさ)」として代役を務め、小雨が降る中で白木の神鉾を川へ流した。例年は欄干に外国人観光客など多くの人が詰め掛けるが今年は少なく、市民らが静かに見守った。

 鉾流神事は951年に始まったとされ、鉾が流れ着いた場所を、氏地巡行の休憩所「御旅所」に定めた故事にちなむ。

2839名無しさん:2020/08/03(月) 19:41:48 ID:NrdB.GxU0
やぐら内、歴史に浸る 大阪城公園で重文連日公開
2020年8月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200802/20200802028.html

 大阪市中央区の大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)」と「多聞櫓(たもんやぐら)」「焔硝(えんしょう)蔵」の夏休み連日公開が1日から始まった。外は強い日差しが照りつける中、やぐら内部はひんやりと静か。市民や愛好家が訪れ、約400年前の歴史ロマンに思いをはせていた。

 やぐらは土日祝日限定で公開されていたが、今回は16日まで休館なく営業する。当初は7月21日からの予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大に伴う就学施設の夏季休暇の変更に合わせて延期されていた。

 西外堀内側の石垣上に建つ千貫櫓は1620年に創建され、大阪城公園内で最古の建造物。窓や銃眼から火縄銃で大手口を狙う体験ができる。

 石垣の上に造られた長屋の多聞櫓は、「武者走り」といわれる廊下や戦で籠城する際には兵士の詰め所、武器庫として使われた部屋が6室ある。1685年創建された焔硝蔵は、総石造りの火薬庫。江戸時代のまま残るのは、この一棟のみとなっている。

 吹田市から訪れた女性(26)は「(コロナで)遠出ができないから、地元をよく知ろうと思って来た。柱が太くて、窓から外をのぞいたりして楽しんでいます」と話していた。

2842名無しさん:2020/08/06(木) 20:45:39 ID:NrdB.GxU0
戦後75年 支え続けたことば
08月06日 19時05分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200806/2000033319.html

 太平洋戦争の記憶をどうつなぎ、教訓を伝えていくのか。
特集「戦後75年 考えよう、平和のこと。」です。
大阪・羽曳野市にかつて、戦災孤児となった子どもたちを保護する施設がありました。
ここでは、戦争で傷ついた子どもたちを励ましてきた、ある「ことば」がありました。

2843名無しさん:2020/08/09(日) 20:51:13 ID:NrdB.GxU0
大阪城で豊国踊り 観客も楽しむ
08月09日 00時37分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200809/2000033416.html

 豊臣秀吉にゆかりのある豊国踊りを再現したイベントが(ほうこく)8日夜、大阪・中央区の大阪城で開かれ、三味線や太鼓の音にあわせて、軽快な踊りが披露されました。

豊国踊りは、豊臣秀吉の七回忌に1度だけ披露されたとされる踊りで、5年前に有志の手で再現されてから、毎年、大阪城でイベントが開かれています。
8日夜は、天守閣前の広場に設けられたステージに「宝塚歌劇団」と「OSK日本歌劇団」の元劇団員9人が浴衣や狩衣姿で登場し、三味線や太鼓の音にあわせて、軽快な踊りを披露しました。
例年は観客も参加して一緒になって踊りますが、ことしは新型ウイルスの感染拡大防止のため、客席やステージ周辺で手だけを使って踊りを楽しんでいました。
参加した30代の女性は、「近所の盆踊りも中止となり、夏を感じられる機会がなかったのでよかったです」と話していました。
主催した大阪城天守閣の北川央館長は、「みなさんが笑顔で踊っていて、開催してよかったと感じている。1日も早く、これまで通りの開催になるよう願っている」と話していました。

2844名無しさん:2020/08/10(月) 18:03:40 ID:NrdB.GxU0
先祖へ不変の感謝 四天王寺で盂蘭盆会
2020年8月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200810/20200810021.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で9日、お盆行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が始まった。今年は恒例の万灯供養法要や盆踊り大会の中止など、さまざまな新型コロナウイルス感染拡大防止対策の中での盂蘭盆会となったが、日曜と重なった初日は朝から多くの参詣者が先祖供養に訪れた。16日まで。

 同寺では、コロナ禍で参詣できない人々のために、中心伽藍(がらん)・金堂で行われる「夏(げ)法要」(15日まで)の様子を連日午前10時20分からインターネットを使いライブ配信している。

 このほか境内の各回向(えこう)所では、参詣者が代わる代わる焼香する際に刻み香の器の共用を避けるため、同寺職員があらかじめ適量を入れた包みを手渡すといった細やかな措置も取られている。

 同寺の山岡武明参詣課長は「長い歴史で初の試みも多いが、信者さんが仏様と向き合える空間を大切にしたい。さまざまな規制の中、今後も皆さんがマナーを守って安心してお参りできる環境の維持に務めたい」と話した。

 千日詣(まい)り祈祷(きとう)会は聖霊院太子殿前で10日まで。秘仏「試みの観音」のご開帳も行われる。

2845名無しさん:2020/08/10(月) 18:26:44 ID:NrdB.GxU0
戦禍犠牲の動物たちに思い 天王寺動物園で企画展
2020年8月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200810/20200810026.html

 大阪市天王寺区の天王寺動物園内レクチャールームで、戦争の犠牲になった動物を紹介する企画展「戦時中の動物園」が開催されている。第2次世界大戦時に、衰弱死や殺処分された動物の剥製、戦時中の様子を伝える新聞記事などを展示している。16日まで。

 動物園という身近な場所で起こった悲劇と、平和の尊さを伝えるための恒例行事。同園は戦時中、空襲被害で逃げ出すのを避けるため猛獣を殺処分し、一部は剥製として保存してきた。

 また、芸達者で人気者だったことから、軍服を着せられるなど戦意高揚のために軍の広告塔として利用され、栄養環境が悪い中で子どもを死産、自身も翌日に死んだチンパンジーのリタや、毒入りの餌を食べなかったヒョウがロープで首を絞められて処分されるなど、当時の動物たちのエピソードを紹介。吹田市立平和祈念館に保管されている当時の軍服やはがきなども展示されている。

 同園飼育担当課長の今西隆和獣医師は「今も戦争が続いている国では、少なからず動物たちが犠牲になっている。剥製から平和の大切さを学びとってほしい」と話している。

2846名無しさん:2020/08/13(木) 19:27:36 ID:.E3WWbRI0
社会
出た!大阪・梅田で人骨1500体超 別の場にもウメタ?埋葬想定より遅い江戸〜明治

江戸〜明治時代に、現在のJR大阪駅北側再開発区域「うめきた」(大阪市北区)にあった「梅田墓(はか)」について、大阪市教委と市文化財協会は13日、発掘調査で1500体以上の埋葬人骨が出土したと発表した。市内でこれほど多くの埋葬跡が一度に見つかるのは初めてで、全国的にも珍しいとしている。庶民階級の墓とみられ、今後は骨を調べたりして葬送文化や生活環境などを詳しく分析する。
梅田墓は、江戸時代初期に天満周辺にあった墓を現・大阪駅の南側付近に集めたのが始まりで、その後現在のうめきた南西部に再移転したとされる。大阪に7カ所あった「大坂七墓」の一つで、近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」や「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」などにも登場する。
発掘調査はうめきた再開発事業に伴って始まり、2017年2〜6月の調査では、墓地の南北端の石垣や約200体の埋葬人骨が見つかった。19年9月から始まった今回の調査では、北を上として逆L字のような形とみられる梅田墓の東半分を発掘し、東端の石垣を見つけた。敷地内では亡くなった人が木おけや四角い木棺、かめ棺に入れて整然と土葬され、火葬後に埋葬したものもあった。
墓地内の北側は石垣で区切られて一段低くなっており、土をかけたりしただけの埋葬や、穴に何人もまとめて入れた埋葬例が複数あった。発掘担当者は「疫病で一度に亡くなった人などが埋葬された区画かもしれない」と推測している。

 副葬品には数珠玉や六文銭のほか、キセルや土人形、二朱金などがあった。今回の発掘調査の結果、墓地は江戸時代の終わりごろから明治20年代までの19世紀に使われたものとみられるという。駅南側から現在地への移転は、これまで1680年代とされていたが、間に別の場所を挟んでいた可能性が出てきた。

 墓の考古学に詳しい大阪大谷大文学部の狭川真一教授は「東京では江戸時代の墓の調査例はいくつかあるが、これほど大規模な調査は非常に珍しい。墓が密集しているのが都市的で、短時間でこれほど大規模に造るのは農村では考えられない」と指摘した。

 埋葬されたのは大坂城下町と周辺に住む一般庶民らしい。今回見つかった骨の分析結果は出ていないが、前回調査の分析では埋葬人骨は平均30歳代と若く、子どもの埋葬も少なくなかったという。安部考古動物学研究所の安部みき子所長(人類学)によると、手足を中心に病変がみられる個体が3割近くあり、梅毒や骨腫瘍を患っていた可能性がある。過去に大阪府茨木市の千提寺遺跡群で100体近く見つかった同時代の人骨の平均年齢は高く、骨の病変もなかったという。安部所長は「都市部と山村部で全然違うので驚いた。今回見つかった骨を分析することで、文献資料などと合わせて江戸時代の大坂の様子が分かれば」と期待する。

 一連の発掘調査は8月末で終了予定。発掘現場は一般公開しない。【矢追健介】


https://mainichi.jp/articles/20200813/k00/00m/040/071000c

2847名無しさん:2020/08/14(金) 22:27:17 ID:NrdB.GxU0
終戦前日の空襲犠牲者追悼、大阪 JR京橋駅、法要営む
2020年8月14日 11:50
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200814/20200814054.html

 太平洋戦争が終わった1945年8月15日の前日に大阪市であった「京橋駅空襲」から75年となる14日、犠牲となった数百人の市民らを追悼する法要がJR京橋駅(大阪市都島区)南口近くの慰霊碑前で営まれ、遺族や市民らが手を合わせた。

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、例年用意する参列者席は設けず、焼香台を設置。毎年欠かさず来るという当時旧制中学1年だった大阪市城東区の谷本利雄さん(88)は「9月になっても火葬が続いていた。服の名札を切り取って2人ずつトタンに乗せられ焼かれる無数の遺体が忘れられない。二度とあんなことになってほしくない」と話した。

2848名無しさん:2020/08/15(土) 21:24:38 ID:NrdB.GxU0
終戦の日 追悼式典とコンサート
08月15日 17時47分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200815/2000033657.html

 終戦から75年となる15日、戦没者を追悼する式典と、平和を祈るコンサートが大阪・中央区で開かれました。

大阪・中央区のピースおおさかで行われた追悼式には、戦争を体験した世代や家族連れなど70人が参加しました。
ことしは新型コロナウイルスの影響で参加人数が例年の3分の1に制限されたほか、献花も中止となりました。
式典では、戦没者に黙とうを捧げたあと、相愛大学の学生と卒業生による弦楽四重奏の平和コンサートが開かれ、中島みゆきさんの「糸」など穏やかな曲調の8曲が披露されました。
大阪は太平洋戦争末期、終戦の日の前日までに51回の空襲に遭い、およそ1万5000人が犠牲になったといわれています。
訪れた人たちは、敷地内にある犠牲者の名前が刻まれた銘板を見つめていました。
参加した大阪市の78歳の女性は「戦争に行った父がうちは帰ってきたが、帰ってこなかった人もいてかわいそうだった。先祖のお墓参りをする思いで黙とうをしました」と話していました。

2849名無しさん:2020/08/22(土) 22:20:05 ID:NrdB.GxU0
国立文楽劇場が半年ぶりに再開
08月22日 18時05分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200822/2000033956.html

 大阪市の国立文楽劇場で新型コロナウイルスの感染防止対策を徹底したうえで22日、およそ半年ぶりに公演が再開されました。

大阪・中央区にある国立文楽劇場は新型ウイルスの感染拡大でことし2月末から休演していました。
劇場では客どうしが1メートル以上離れるよう座席数を半分以下に減らし、芝居の時間を従来より短く設定して休憩時間に換気を行っていました。
また、来場者にマスク着用を義務づけたほか、入場時に消毒や検温を求め業界のガイドラインに基づいた感染防止対策を徹底させたうえでおよそ半年ぶりに公演を再開させました。
22日は、いわゆる人間国宝に認定されている豊竹咲太夫さんなどが人形を伴わない素浄瑠璃を演じ、来場した客は舞台へのかけ声を控え拍手を送っていました。
神戸市から訪れた女性客は、「きのうから楽しみで眠れませんでした。開催されるのが何よりうれしいです」と話していました。
国立文楽劇場の中島敏隆支配人は、「安心していただけるように万全の対策を行い、感動してもらえる舞台を作り上げていきたい」と話していました。
劇場では10月末から始まる本格的な公演も対策をとったうえで予定通りの日数を行うことにしています。

2850名無しさん:2020/08/24(月) 14:05:06 ID:NrdB.GxU0
彦八まつり デジタルで 笑い、催し満載 9月生配信
2020年8月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200823/20200823023.html

 今年節目の30周年を迎え、9月5日から2日間、大阪市天王寺区の生国魂神社で開催予定だった上方落語協会主催の「彦八まつり」がコロナ禍で来年に延期となったことを受け、同協会役員の桂小春団治さんと桂あやめさんがオンラインで記者会見し、5日正午から動画投稿サイト「ユーチューブ」で無料の「デジタル彦八まつり」を生配信すると発表した。

 生配信では「やるならネットの特性を生かして多方面をつなごう」と、恒例の大喜利は海外や地方に住む落語家が参加する回や、神戸喜楽館の高座をつないで行う回など各地を結んで開催。また、随所に懐かしい映像を使用し、当時を知る落語家が思い出を語るコーナーも予定している。

 あやめさんは「夕方6時までの配信なので、飛び入り参加や意外なひょっこり顔出しがあるかも。私は彦八まつり名物焼きうどんのレシピを公開して実際に作ります」と張り切る。

 また、同日午後6時半から同市北区の天満天神繁昌亭で「彦八まつり30周年記念落語会」(入場料3500円、ネット配信視聴3千円)を開くことも合わせて告知。小春団治さんは「30周年実行委員長は兄弟子福団治で、張り切っていたのに残念。繁昌亭のライブ配信は自粛明け再開後ずっとやっている。お客さまの平均年齢が高いのでなかなか配信自体が広がらない。それなら“デジタルを使って協会の配信事業をPRをして”となった」と説明した。

 記念落語会は、桂ざこばさんと笑福亭鶴瓶さんのトーク“六代目笑福亭松鶴の思い出を語る”を桂米団治さんの司会で繰り広げるのが見もの。鶴瓶さんの師匠・松鶴さん(1986年に68歳で死去)は、酒席エピソードに事欠かない豪快な人で、落語家らしい破天荒な生きざまで知られた。

 落語高座は女子大生出身の桂二葉さん、パペット落語の笑福亭鶴笑さん、米朝長男の米団治さんが務める。他に住よし踊りを笑福亭生喬さん、林家染雀さんらが演じる。

2851名無しさん:2020/08/24(月) 15:11:14 ID:NrdB.GxU0
人間国宝、豊竹嶋太夫さんが死去 人形浄瑠璃文楽の太夫
2020年8月24日 14:18
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200824/20200824058.html

 人形浄瑠璃文楽の太夫で、人間国宝の豊竹嶋太夫(とよたけ・しまたゆう、本名村上五郎=むらかみ・ごろう)さんが20日死去した。88歳。愛媛県出身。

 1948年、三代目豊竹呂太夫(後の十代目豊竹若太夫)に入門し、同年、豊竹呂賀太夫の名で初舞台。54年に四代目豊竹呂太夫を襲名したが、芸に悩み、翌年退座した。68年に復帰し、八代目嶋太夫を襲名、その後、故四代目竹本越路太夫さんの門下となった。

 94年には、重要な場面を任される「切場語り」に。よく通る美声を生かした華麗な芸風、世話物や「酒屋」など女性の情を語る演目に定評があった。

2852名無しさん:2020/09/05(土) 22:16:59 ID:NrdB.GxU0
境内の四季をテーマ 四天王寺フォトコン作品募集
2020年9月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200905/20200905039.html

 聖徳太子ゆかりの和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)は、同寺の四季をテーマにした「第6回四天王寺フォトコンテスト」の作品を募集している。締め切りは2021年9月30日(当日消印有効)。

 毎年多くの人々から年中行事の一場面や季節感あふれる境内の風景を撮影した力品が寄せられている。今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催を延期していたが、ようやく今月から募集が始まった。

 従来は募集期間が7〜9月の3カ月間だった関係で、お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」をはじめ夏の作品が圧倒的多数を占めていた。今回は、よりテーマにふさわしい四季折々の写真撮影に挑んでもらおうと期間を1年間に延ばした。

 同寺参詣課の瀧藤康教主任は「コロナの影響で、まだ非公開の行事や施設もあるが、感染対策に留意して境内の四季の風景をカメラに納めていただければ」と多くの作品応募を呼び掛けている。

 各賞は、グランプリ大賞(1人)▽準グランプリ賞(2人)▽四天王寺賞、近鉄賞、サントリー賞、大林組賞(各3人)▽四天王寺シニア賞、大林組シニア賞、あべのハルカスシニア賞、サントリーシニア賞(各2人、65歳以上対象)▽春夏秋冬賞(4人)▽入賞(10人)。

 応募点数は1人1点。プロ・アマ問わず。応募方法は次の通り。

 (1)プリント=A4サイズの用紙にプリントし、〒543-0051 大阪市天王寺区四天王寺1の11の18 和宗総本山四天王寺総務部参詣課「第6回フォトコンテスト」係に送付する。

 (2)電子メール=JPEG形式でファイルサイズは1〜3MB以内。電子メール(photo@shitennoji.or.jp)に添付して応募する。

 ともに応募用紙を同寺公式ホームページからダウンロードし、必要事項を記入し作品に添付する。応募者の責任や主催者の権利など注意事項の詳細は用紙に記載。問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2853名無しさん:2020/09/07(月) 18:22:34 ID:NrdB.GxU0
切る道具歴史学ぶ 大東・歴史民俗資料館
2020年9月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200907/20200907021.html

 はさみなどを通して歴史を学ぶ「切る道具」展が大東市の市立歴史民俗資料館で開かれている。かつて地元で使われていた船大工の工具など約50点が展示されている。入場無料。27日まで。

 身近な道具の時代ごとの移り変わりを実物で説明。地元では昭和初期まで、川舟や人力で水を押し上げる「踏車」という木製機械の生産地であったことから、当時の職人が使用していた切削道具も紹介している。

 かみそりは大正時代に製造されたものと現在の電動のものとは大きく異なる一方、のこぎりやおのは形に変化がないといった、道具別に時代変化の違いも分かる展示内容となっている。

 企画した学芸員の森田拓馬さん(42)は「切る道具になじみの少ない小学3年生前後が主な対象。文明と密接につながっている切る道具を身近に感じてもらえれば」と話していた。

 同館では企画の一環として13日に同市野外活動センターで竹を素材に弓矢を自作するワークショップを予定している。定員は20人。小中学生が対象。申し込みは電話072(876)7011、同館。

2854名無しさん:2020/09/07(月) 18:59:01 ID:NrdB.GxU0
菅楯彦幻の傑作、修復・展示 四天王寺宝物館
2020年9月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200907/20200907023.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺・四天王寺宝物館で12日から秋季名宝展「修理完成記念 菅楯彦『竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)図屏風(びょうぶ)』〜幻の傑作〜」が開かれる。11月8日まで。

 鳥取県出身の菅楯彦(1878〜1963年)は明治から昭和にかけて大阪を拠点に活躍した日本画家。62年には大阪市で最初の名誉市民に選ばれている。

 展示される「竜頭鷁首図屏風」(同寺所蔵、昭和時代、六曲一双)は金屏風に描かれた大作。長年、保存状態が悪かったため公開が困難な状態だったが、同寺が2017〜18年度にかけて保存作業を施した。

 拝観料500円(高校・大学300円)、中学生以下無料。拝観時間は午前8時半〜午後4時半(10、11月は同4時)。ただし9月19〜25日、10月21日は午前8時〜午後5時。入館は閉館の20分前まで。

 問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2855名無しさん:2020/09/12(土) 20:24:54 ID:NrdB.GxU0
8カ月ぶり歌舞伎公演 大阪文化芸術フェス2020
2020年9月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200912/20200912041.html

 大阪では8カ月ぶりとなる本格的な歌舞伎公演が11日、大阪市中央区の「クール ジャパン パーク オーサカ TTホール」で開幕した。上方ゆかりの中村鴈治郎さん、片岡愛之助さん、市川右團次さん、中村壱太郎さんらが出演し、待ちわびていたファンらが力強い拍手を送りながら久しぶりの舞台を堪能していた。13日まで。

 文化を核として大阪の魅力を広く発信していく事業「大阪文化芸術フェス2020」(大阪府・大阪文化芸術フェス実行委員会主催)のプログラムの一つ。新型コロナウイルス感染防止対策を徹底して実施し、3部制で全9公演を予定している。

 初日は鴈治郎さんが「『おもろかった!』『久しぶりの歌舞伎えーわー!』『また歌舞伎見よう!』と思っていただけるよう全身全霊を込めて、厳しい残暑も吹き飛ばす舞台を務めさせていただきます」とアナウンスし、Aプロからスタート。

 盗人(右團次さん)と田舎者(尾上右近さん)の滑稽なやりとりが笑いを誘う「茶壺(ちゃつぼ)」、名匠(鴈治郎さん)が彫り上げた人形(壱太郎さん)が動きだすユーモアのある華やかな舞踊劇「京人形」が披露された。

 1席間隔で入場制限した客席には、着物姿の熱心なファンも多く、屋号の掛け声を自粛するなどして感染防止に努めながら、久々の生舞台を目に焼き付けるかのように熱心に見守っていた。Bプロは「晒三番叟(さらしさんばそう)」「身替座禅」、Cプロは「戻駕(もどりかご)色相肩」「連獅子」。

2856名無しさん:2020/09/12(土) 20:26:02 ID:NrdB.GxU0
大阪城で「屏風展」 豊臣と徳川の激闘全容
9/12(土) 17:06配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e2d62798f0c5ce21000cefc886b24126ab03a7da

 大阪城天守閣で、豊臣と徳川の激闘の全容を描いた屏風など、貴重な資料が展示されている。

 「大坂冬の陣」を描いた屏風は、模写しか伝わっていない「幻の屏風」を大手印刷会社「凸版印刷」が専門家の監修を受け、再現した。金色の下地に極彩色で、「真田丸」での戦闘の様子や淀君と豊臣秀頼の姿が描かれている。

 一方、重要文化財の「大坂夏の陣図屏風」には5千人を超える人々が描かれ、豊臣と徳川の最後の戦いの激しさが表現されている。

 この展示は、10月7日まで開かれる。

2857名無しさん:2020/10/03(土) 16:56:36 ID:NrdB.GxU0
河内長野市 鬼伝説で町おこし
10月02日 16時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201002/2000035601.html

鬼が住み着いていたという伝説が残る大阪・河内長野市で、伝説を通して地域の魅力を発信していこうというユニークな条例が制定され、2日、市長が鬼柄のマスクをつけて記者会見を開きました。

河内長野市の島田智明市長は2日、鬼柄のマスクと角をつけて記者会見の場にあらわれ、鬼伝説を通して地域振興をはかっていく意気込みを語りました。
河内長野市の神ガ丘地区は、かつて「鬼住」と呼ばれ、鬼が住み着いていたという伝説が残っています。
河内長野市では、伝説を通して地域の魅力を発信し、経済活性化につなげようと先月、条例を制定し、11月2日を「いい鬼の日」にするとしています。
市によりますと、2日から市の職員が鬼柄のポケットチーフや髪飾りをつけて窓口業務にあたるほか、毎月2日を町おこし推進日として、さまざまなイベントを企画するということです。
また、地元の飲食店では、大盛りのメニューを「鬼盛り」や「鬼食い」と称して提供することにしています。
河内長野市を舞台に、鬼である女子高生の奮闘を描いた映画「鬼ガール!!」が今月から公開されることもあり、島田市長は、「これからいろいろな形で、地元を盛り上げていけるきっかけになると思う」と話していました。

2858名無しさん:2020/10/10(土) 17:49:42 ID:NrdB.GxU0
「仁徳天皇陵」来秋再発掘へ 保全目的、謎解明に期待
2020年10月10日 11:20
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/201010/20201010042.html

 宮内庁が仁徳天皇陵として管理する国内最大の前方後円墳・大山古墳(堺市、5世紀中ごろ)について、古墳の保全を目的に再発掘を検討していることが10日、同庁への取材で分かった。地元自治体の堺市に協力を呼び掛け、2021年秋の実施を予定している。発掘は19年に世界文化遺産に登録されて以来初めて。

 古墳の構造は不明な点も多く、被葬者を巡っては研究者の間で大きな論争が続いており、謎の多い巨大古墳の実態解明にもつながることが期待される。

 同庁によると、今回の再発掘では内側の堤で調査範囲を広げ、石敷きの広がりや、埴輪列の有無などを確認する方針。

2859名無しさん:2020/10/17(土) 16:06:48 ID:NrdB.GxU0
光秀の禁制を初公開 本能寺の変直後に発行
2020年10月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201017/20201017030.html

 戦国武将の明智光秀が、現在の豊中市若竹町にあたる石蓮寺(せきれんじ)村に対して発行した書状の禁制(きんぜい)が16日、同市立文化芸術センターで初めて一般公開された。主君である織田信長を討った本能寺の変から、わずか5日後の1582(天正10)年6月7日の発行。光秀はその6日後に山崎の合戦で羽柴秀吉軍に敗れ、居城の坂本城に向かう途中に追い詰められ自害した。刻一刻と変化する動乱の戦国時代を、うかがわせることのできる貴重な資料だ。

 禁制は、おきてや禁令を周知する書状。戦国時代は兵の盗みや暴行が横行し、村や寺や神社は有力な武将に禁制を出してもらっていた。

 展示している禁制は、石蓮寺村の役人だった渡邊(わたなべ)家に伝わる。軍勢が村人に乱暴したり、お金や米を奪うことを固く禁止させており、違反者は速やかに厳罰に処すと記している。同じく所蔵の徳川家康や豊臣秀頼らの禁制も公開された。

 同市教育委員会社会教育課の橘田正徳さんは「禁制自体は珍しくないが、家康や秀頼らトップの禁制が同じ村にあるのは珍しさがある」と説明する。

 小高い丘の上に位置する石蓮寺村は、戦略的な面と近隣の垂水西牧榎坂郷の目代(もくだい)(代官)で明智家など有力武将と婚姻関係があった今西家の存在から、本能寺の変や関ケ原の合戦、大坂冬の陣と合戦の節目に禁制が出されていたという。

 渡邊家当主の晴久さん(64)は「戦国のややこしい時代に、知恵を使って自分たちの村を存続させようとしていた人たちの姿に、思いをはせながら見てほしい」と話した。18日まで、観覧無料。

2860名無しさん:2020/10/19(月) 22:19:10 ID:NrdB.GxU0
ええやん! 「宮大工」養成塾
10月19日 19時06分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201019/2000036256.html

「ええやん!学校」。
今回は大阪・太子町の山あいにある「宮大工」を養成する塾を紹介します。

2861名無しさん:2020/10/21(水) 21:15:18 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍収束願い大阪・豊中の神社に能奉納
2020.10.21 20:30
https://www.sankei.com/west/news/201021/wst2010210024-n1.html

 新型コロナウイルス感染の収束を祈願する能の舞台が21日、悪疫退除のご利益で知られる大阪府豊中市の原田神社に奉納された。能楽観世流シテ方の山本章弘さん(59)が、天下泰平と長寿を寿ぐ「高(たか)砂(さご)」を、本殿で舞った。

 感染拡大により同神社でも今年は獅子神事祭が中止になるなど、影響が深刻化していることから、特別に今回の奉納祭を開催。新型コロナウイルス退散の祈(き)祷(とう)の後、「邯(かん)鄲(たん)男(おとこ)」の面(おもて)をかけた山本さんが高砂の舞を披露した。

 「密」を避けるため、あえて告知なしの開催だったが、神社を訪れていた参拝者ら約50人が本殿前に集まり、真剣な表情で観賞。山本さんは「多くの方にご覧いただき、少しでも社会が元気になれば」と話した。今回の能奉納の様子は11月1日午後2時から、「山本能楽堂YouTubeチャンネル」で配信される。

2862名無しさん:2020/10/21(水) 22:23:44 ID:NrdB.GxU0
何時までも縮こまっているわけにはいかない。私たちは生きていかなければいけない。
その為には芸術が、伝統文化が、エンターテインメントが必要なんです。
大阪の誇り、文楽、再開、大阪再起動の象徴的な話だと思います。

『もう涙が出ました』ファンも感激、9ヵ月ぶりに「国立文楽劇場」で文楽が再開
10/21(水) 19:09配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/8f08f88c0d95952a1e6123754d1217680ea0c9a3

 21日、約9カ月ぶりに国立文楽劇場で文楽が上演されました。

劇場に響く拍手の音…

新型コロナウイルスの影響で国立文楽劇場での上演を休止していた伝統芸能・文楽が、今年1月の初春公演以来、約9カ月ぶりに再開されました。

感染対策のため間隔を空けた座席は、文楽人形の衣装柄で飾られ、安心して文楽を楽しむ工夫が施されました。

【文楽人形遣い・桐竹勘十郎さん】
「お客さんも私たちも、ワクワクしながらね。お芝居は生がいちばんなんですけどもね。ビールではないですけど!」

【訪れた人】
「涙出ちゃう…」
「そう、もう涙出ました」
「待ってましたから本当に」
「みんな心が折れそうになりながら待ってたので」

22日午後7時の公演は、国立文楽劇場では初めての試みとなる、インターネットでの生配信も予定されています。

関西テレビ

2863名無しさん:2020/10/21(水) 22:40:24 ID:NrdB.GxU0
コロナ退散と平和を 神仏霊場会、四天王寺で祈願祭
2020年10月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201021/20201021027.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で20日、「神仏合同国家安泰世界平和並びに疫病退散祈願祭」が執り行われた。

 祈願祭は、近畿の154社寺でつくる「神仏霊場会」の呼び掛けによる。例年は加盟社寺の神職、僧侶が一堂に会し「国家安泰世界平和祈願祭」を開催しているが、今年は新型コロナ禍のため、同じ日時に各社寺が疫病退散も併せて個々に祈願する内容に変更した。

 本来の実施日時は22日午前11時の予定だが、同寺では同日に重要行事がある都合上、了承を得て前倒しで執り行った。

 会場の境内・英霊堂(市指定有形文化財)内では、3人の僧侶が巨大な阿弥陀如来立像を前に読経。世界平和をはじめ、コロナ患者やコロナの影響で苦しむ人々のために祈りをささげた。

 同寺の瀧藤康教さんは「古来、社寺では疫病退散や世界平和を祈念してきた経緯がある。コロナに苦しむ多くの方々の一日でも早い回復を願って今後も法要に務めたい」と話した。同日の祈願祭の動画は、ホームページで24日まで公開される。

2864名無しさん:2020/10/26(月) 23:17:06 ID:NrdB.GxU0
文楽、大阪でも上演再開へ 秋公演が31日開幕、9カ月ぶり
2020年10月25日 15:37
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/201025/20201025070.html

 大阪に、文楽が帰ってくる―。国立文楽劇場(大阪市)の秋公演「錦秋文楽公演」が31日、幕を開ける。新型コロナウイルスの感染が拡大し、同劇場や国立劇場(東京)は主催公演を相次ぎ中止。東京では9月に文楽の上演を再開したが、大阪では約9カ月ぶりで、待ちわびたファンから喜びの声が上がっている。

国立文楽劇場によると、休演中にさまざまな対応を検討。太夫(語り)が発声した際の飛沫量などを微粒子可視化システムで検証し、前方約1mまで飛ぶことを確認した。

 そこで、太夫が座る場所の周辺や、最前列の席を除外した上、座席の前後左右を1〜2席ずつ空け、全体の席数を半分以下にした。

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2866名無しさん:2020/10/31(土) 12:24:43 ID:XKn0Lh.Q0
9カ月ぶりに文楽堪能 大阪で公演
2020.10.31 11:56
https://www.sankei.com/life/news/201031/lif2010310020-n1.html

 人形浄瑠璃文楽の秋公演が31日、本拠地の国立文楽劇場(大阪市)で始まった。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、同劇場は1月下旬を最後に文楽公演を中止しており、大阪での開催は約9カ月ぶり。待ちわびた観客は人形遣いの手さばきや三味線の音に酔いしれた。

 今公演は「源平布引滝」など1日3部構成で、各部の上演時間はいずれも2時間台。これまでは1日2部構成、各部約4時間が通例だったが、観客や出演者の滞在時間を減らして感染リスクを下げるため、演目の構成を変えた。客席は通常の約730席を約300席とし、観客に舞台への掛け声を控えてもらうなどの対策も講じた。

 奈良県葛城市の会社員、岡本圭子さん(47)は「中止期間中はインターネット動画などで楽しんでいた。感染防止のため観客が少ないのは寂しいが劇場で再び見られてうれしい」と笑顔で話した。

 公演は11月23日まで。

2867名無しさん:2020/10/31(土) 12:44:30 ID:XKn0Lh.Q0
埋忠一門の刀剣特別展31日から
10月30日 18時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201030/2000036694.html

 桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した職人集団、「埋忠一門」が手がけた刀剣などを集めた特別展が、10月31日から大阪・中央区で開かれます。

展覧会には、桃山時代から江戸時代初期に京都の西陣を中心に活躍した職人集団、埋忠一門が製作した刀剣など、国宝7点を含む90点余りが展示されています。
このうち、慶長13年に埋忠明寿が製作した短刀は、表には上り竜が、裏には下り竜が彫られ、刀身彫刻の表現にこだわりが強まった桃山時代の特徴が色濃く表れています。
また、鎌倉時代の短刀、国宝「九鬼正宗」は、のちに、埋忠一門が刀を保護するための「はばき」と呼ばれる金具を取り付けたものとして紹介されています。
さらに、明寿が桃山時代から江戸時代初期に作ったとされる「蔦文鐔(つたもんつば)」は、しんちゅうの地金に銅や銀を流し込み、あえて金属を腐敗させることで色がにじんだような仕上がりになっています。
学芸員の内藤直子さんは、「アニメなどの影響で刀剣に関する関心が高まっている今だからこそ、皆さんに是非ご覧いただきたいです」と話していました。
特別展「埋忠 桃山刀剣界の雄」は、大阪・中央区の大阪歴史博物館で10月31日から12月14日まで開かれています。

2868名無しさん:2020/11/07(土) 22:52:41 ID:NrdB.GxU0
その建設の経緯と合わせて貴重な昭和初期のコンクリート建築の生き証人。
技術の継承と言う意味でも大事にしていきたいものです。

大阪城天守閣 “卒寿”で証明書
11月07日 11時24分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201107/2000036993.html
11月7日は、大阪城の天守閣が復興されて89年、数え年で90歳の「卒寿」にあたり、訪れた人たちに記念の証明書が配られました。

大阪城の天守閣は1585年に完成しましたが、「大坂夏の陣」で焼失、2代目も1665年に落雷で焼失し、今の3代目は市民の寄付によって、昭和6年11月7日に復興されました。
人で言えば数えで90歳、「卒寿」の誕生日を祝おうと、先着2000人に天守閣を訪れたことを示す記念の証明書が配られました。
証明書は縦13センチ、横16センチほどで、天守閣の屋根にある鬼瓦の形をしていていて、天守閣の歴史が書かれています。
検温や手の消毒を済ませて、証明書を受け取った人たちは、天守閣の展望台で眺めを楽しんだり写真を撮ったりしていました。
大阪市の80代の男性は「小学生のころからずっと見てきた大阪城で、90歳の証明書をもらい感激しています。私も90歳まで生きたいと思います」と話していました。
大阪城天守閣の北川央館長は「大阪城の天守閣は、第2次世界大戦の空襲で多くの建物が焼失された中でも破壊を免れた。新型コロナもできるだけ早く克服し、多くの人を天守閣に迎えたい」と話していました。

2869名無しさん:2020/11/08(日) 21:32:25 ID:NrdB.GxU0
‟道鏡が 正座をしたら 膝三つ”、なんて戯れ歌がある道鏡さんですが、研究が進めば新たな姿がわかってくるかもしれませんね。
明智光秀や石田三成だって時代と共にイメージが変わってきましたから。

道鏡の悪いイメージ払拭へ像奉納
11月08日 14時26分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201108/2000037020.html

奈良時代、天皇に取り入って皇位を狙っていたなどと伝えられる僧りょ、道鏡のイメージを変えようと、出身地の大阪・八尾市の市民グループが木像を寺に奉納しました。

奈良時代の僧りょ、道鏡は、女帝・称徳天皇にちょう愛されて絶大な権力を持ち、みずからも皇位を狙ったなどと伝えられています。
こうした中、出身地とされる大阪・八尾市の市民らで作るグループは、「道鏡は時代に翻弄されただけで伝えられているような悪いイメージを変えたい」として、道鏡の木像を、称徳天皇が建立したとされる奈良の西大寺に奉納しました。
高さ90センチほどの木像は、手に仏具を持って座った道鏡が柔らかな表情を浮かべているのが特徴で、8日は、像に魂を入れる開眼法要が営まれました。
木像を奉納した「道鏡を知る会」の幾島一恵代表は「道鏡は悪いうわさがあるが木像の奉納でそれが変わってくれればうれしいです」と話していました。

2870名無しさん:2020/11/16(月) 23:30:26 ID:NrdB.GxU0
藤十郎さん 大阪でも惜しむ声
11月15日 15時04分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201115/2000037291.html

坂田藤十郎さんがたびたび出演していた大阪松竹座の前では、惜しむ声が聞かれました。

60代の女性は「ベテランの役者がどんどん亡くなっていくのはさみしいです。88歳で亡くなるのは今の時代では少し早いと思います」と話していました。
歌舞伎ファンの50代の女性は「また素敵な人が亡くなってしまったと残念な気持ちでいっぱいです。人間国宝で雲の上の存在だと思っていましたが、本当に雲の上に行ってしまったんだなあとさみしい思いです。日本の文化をもっともっと私たちが受け継いでいかないといけないと感じています」と話していました。

2871名無しさん:2020/11/16(月) 23:33:12 ID:NrdB.GxU0
岸和田だんじり祭 来年へ協力を
11月13日 17時25分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201113/2000037233.html

 「岸和田だんじり祭」の関係者が、大阪府の吉村知事を訪ね、新型コロナウイルスの影響で、ことしは中止しただんじりの引き回しを、来年は復活させたいとして、協力を求めました。

江戸時代から300年以上続くとされる「岸和田だんじり祭」は、勇壮にだんじりを引き回すことで知られていますが、ことしは新型コロナの影響で引き回しは中止され、神事のみが行われました。
13日は、岸和田市の永野耕平市長や祭りを運営する団体の代表者らが、大阪府庁を訪れ、吉村知事と面会しました。
永野市長らは、「祭りがうまくいくように願ってお預けします」などとして、実物の10分の1の精巧なミニだんじりを知事に預けたうえで、来年は引き回しを復活させたいとして協力を求めました。
これに対して、吉村知事は、「だんじりは岸和田の宝であると同時に大阪にとっても宝だ。来年はコロナを乗り越えただんじりを実現させるために府としても力を入れたい」と述べました。

2872名無しさん:2020/11/18(水) 02:40:10 ID:NrdB.GxU0
晴れ着ではにかむ 七五三 多数の家族連れ参拝
2020年11月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201116/20201116023.html

 子どもの健やかな成長を祝う「七五三」を迎えた15日、大阪市内の神社では晴れ着に身を包んだ家族連れでにぎわった。雲一つない澄み切った空の下、羽織はかまやスーツ、華やかな着物姿の子どもたちが、家族に手を引かれて参拝した。

 天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、午前中から多数の家族連れが参拝。本殿で神事に臨み、神前に手を合わせて健康などを祈願した。境内では、晴れやかな表情で写真に納まった。

 次女・明(はる)ちゃん(7)のお参りで訪れた濱本芳彦さん(43)=同市中央区=は「コロナで先が見えない時代だからこそ、強く生きていってほしい」と、隣りではにかむ明ちゃんに優しいまなざしを向けていた。

 今年は新型コロナウイルス感染症の影響で、お参り時期が分散化。同神社でも平日の祈願予約が増えている。この日も祈とうは1回5組に限定、受付に消毒液を設置するなど対策を講じた。

 権禰宜(ごんねぎ)の中村文隆さんは「コロナで失われたことも多いが、与えてくれたものもある。七五三が改めて家族を見直す機会になれば」と願っていた。

2873名無しさん:2020/11/23(月) 23:16:56 ID:NrdB.GxU0
“医薬の神”に収束祈願 少彦名神社で神農祭
2020年11月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201123/20201123027.html

 「薬業のまち」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社(別所賢一宮司)で22日、江戸期から続く例大祭「神農(しんのう)祭」が始まった。新型コロナウイルスが猛威を振るう中、訪れた参拝者は“医薬の神”に家族の健康とともに、コロナの早期収束を祈願した。

 江戸期には日本の薬問屋の約9割が集まっていたとされる道修町。同祭で授与される縁起物「神虎(しんこ)」は、コレラが大坂で大流行した際、薬種仲間がトラの頭骨などを混ぜた丸薬を作り、厄よけとして張り子の虎を患者に与えたのが由来とされる。

 今年は、参道の露店を中止し、境内も混雑回避のために入場制限を行った。城東区から訪れた女性(67)は家族に医療従事者がおり、自身も看護師として働く。「毎日、大変な思いをしている。早くコロナが収束してほしい」と神妙な顔つきで話していた。

 同祭は、大阪の年内の祭りの最後を締めくくるため「止めまつり」とも呼ばれる。別所宮司は「安全に配慮しながら、いかに参拝者にご神徳を受けていただけるか。来年の祭りの試金石になるような祭りにしたい」と話した。なお、コロナ禍の状況を鑑み、縁起物は来年の節分まで授与する。

2874名無しさん:2020/11/25(水) 21:38:43 ID:NrdB.GxU0
与謝野晶子最晩年の作品 初公開
11月25日 14時02分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201125/2000037693.html


歌人、与謝野晶子が晩年に自身の代表的な歌を1枚のびょうぶに書いた作品が高知県で見つかり、大阪・堺市で公開されています。

大阪・堺市の「さかい利晶の杜」で公開されているびょうぶは、縦横およそ1メートル80センチで、地元出身の歌人、与謝野晶子が20代から50代までに詠んだ代表的な歌、148首が、晶子自身のしなやかな筆遣いで書かれています。
このうち、「海こひし 潮の遠鳴りかぞへつつ 少女となりし父母の家」は、上京した晶子が波の音を聞きながら育ったふるさとの堺を懐かしんで詠んだ歌です。
また、代表作、「みだれ髪」の中の「恋をしているときは すべてが美しく見える」との内容は、後に夫となる鉄幹を思って詠んだとされています。
びょうぶは、文通で親交があった現在の高知県いの町の知人が暮らした家から見つかったもので、晶子が亡くなる2年前に書かれた最後の大作とされ、一般に公開されるのは初めてです。
公開は来年1月18日までで、「さかい利晶の杜」の学芸員、森下明穂さんは、「晶子の集大成の作品をぜひ見に来てほしい」と話しています。

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2876名無しさん:2020/11/26(木) 20:24:51 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍「福もたらす」 今宮戎、福娘40人決まる
2020年11月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201124/20201124027.html

 大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江英宮司)は23日、十日戎に奉仕する福娘を決める審査会を、同区のクボタ大ホールで開いた。参加者たちは特技を生かして熱い思いをアピール。審査の結果、福娘40人が決まった。

 今年は2348人が応募。書類と面接審査の通過者を例年500人としているが、新型コロナウイルスの影響で318人に抑えて実施した。

 審査会では、グループ面接で126人に絞られた参加者が、1人15秒の持ち時間で自己PR。ステージではバレエやダンス、和太鼓など、それぞれの特技などを披露しながら「笑顔で皆さんに福をもたらしたい」と、福娘への熱意を審査員に訴えた。

 松原栄一?宜(ねぎ)は「新型コロナウイルスで大変な状況の中、予想以上に応募いただいたことに感謝しかない。今後どうなるか不透明なことも多いが、福を皆さんにお分けする福娘の大切な役割を果たしてもらいたい」と期待を込めた。

 今月28日の発表会は、留学生5人を加えた計45人がそろいの装束でお披露目され、代表4人も選出される。新型コロナ禍で恒例の「宝恵(ほえ)かご行列」には参加しないが、官公庁などへのあいさつ回り後、本番の十日戎(来年1月9〜11日)の参拝者に福ザサを授ける役を担う。

2877名無しさん:2020/11/29(日) 00:52:44 ID:NrdB.GxU0
だんだん高くなる石灯籠 歴史も積み重ね10メートルに
朝日新聞社 2020/11/27 21:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%81%A0%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%93%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%9F%B3%E7%81%AF%E7%B1%A0-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%82%E7%A9%8D%E3%81%BF%E9%87%8D%E3%81%AD10%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%81%AB/ar-BB1bpTVN

 約600の石灯籠(どうろう)が並ぶ住吉大社(大阪市住吉区)。江戸時代の玩具商らが商売繁盛の願いを込めて奉納した灯籠(とうろう)2基の高さが10メートルを超えた。20日に関係者を集めた除幕式が開かれた。

 灯籠は1762(宝暦12)年に建立された。改修は29年ぶり6度目。1928年からは改修の度に、灯籠の基礎部分になる「基壇部」の石を積み増し、寄進者の名前を刻んで、約30年ごとに高さを増している。住吉大社によると、改修のたびに高くなる灯籠は珍しいという。

 今回の改修は中村石材工業(大阪市港区)が担当。クレーンで上部をつり上げ、基壇部を約70センチ分高くした結果、高さ10・1メートルに達した。一部がコンクリートで固められており、石を外す作業に苦労しながら2カ月かけて2基とも高くした。同社の文化財担当の水田周一課長(57)は「江戸時代につくられた部分は、同じ石が採れなくなっているので割れないよう注意した」と話す。

 住吉大社の高井道弘宮司は「先人の思い、魂がこもっている灯籠が将来にわたって引き継がれることを心から祈念する」。改修の中心を担った大阪府玩具・人形問屋協同組合連合会の熊本和浩理事長(60)は「威圧感がありつつ、愛着もわく。石と共に歴史も積み上げたい」と話した。(鈴木智之)

2878名無しさん:2020/11/29(日) 09:10:20 ID:T2Zx9hXc0
>>2874
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/travel/6501/1185928699/1021
その上に、旧文部省と日教組をとり持ち、自民党に居ながら民主党政権に入閣したりと💢

2879名無しさん:2020/11/30(月) 21:07:01 ID:NrdB.GxU0
福娘45人勢ぞろい 今宮戎神社、代表3人決定
2020年11月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201129/20201129025.html

 大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江英宮司代務者)の「十日(とおか)戎」に奉仕する福娘の発表会が28日、同市中央区の国際会議ホールであった。留学生を含む総勢45人が勢ぞろいし、代表者が決定した。
 
 2021年度の代表者は、谷村栞里さん(22)=同区、会社員▽橋本和花子さん(22)=兵庫県西宮市、神戸大▽山本里咲さん(21)=千葉市、国学院大-の3人。

 3度目の挑戦で福娘の夢を実現した谷村さんは「代表になれるなんて信じられない、最高のビッグプレゼント」と笑顔。橋本さんは「コロナ禍だからこそ、参拝者の方々を温かくお迎えしたい」と意気込みを新たにしていた。

 十日戎(来年1月9〜11日)は「商売繁盛でササ持ってこい」の掛け声で知られる年頭の祭礼で、府の「無形民俗文化財」。今年は新型コロナ禍のため「宝恵駕(ほえかご)行列」などの関連行事は自粛する。

2880名無しさん:2020/12/07(月) 22:09:47 ID:NrdB.GxU0
年末年始 安全第一 府内社寺、入念コロナ対策
2020年12月6日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201206/20201206023.html

 2020年は残り1カ月を切ったが、新型コロナウイルス感染拡大は収まらず、ついに大阪府独自基準「大阪モデル」で非常事態となる「赤信号」が点灯し、府民に不要不急の外出自粛を要請する事態となった。初詣など年末年始の恒例行事を目前に控え、社寺では安全を第一にさまざまな対策を講じている。

 例年、三が日の参拝者数が約230万人に上る大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)では、節分までの分散参拝を勧奨▽境内の露店出店なし▽元旦〜5日まで午後6時閉門-などを基本に参拝者の集中を回避する。

 木製のおみくじ筒や、建物内で祈とうを受ける人々(20人に制限)が座る椅子も抗菌・抗ウイルスなどの加工を施した。岡康史権禰宜(ねぎ)は「住吉大社の伝統を護持しながら、新しい時代のことも考え、これまでにない取り組みを始めた」と対策に注力する。

 同市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、境内に警備員を配置して参拝者の間隔を確保し、室内は換気・消毒などに努める。例年は三が日以降に企業・団体などから数百人単位の参拝があるため、代表者と付添人程度に限定した人数制限が必至となる。

 同区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)では、おおみそかは恒例の除夜の鐘一般参加を含む、すべての行事を取りやめる。

 当初は堂内の換気などの対策を練っていたが、例年の人出と現状を鑑みて中止を決めた。年越しは普段の夜と同じ状態で、元旦から通常通り朝から各お堂を開堂する。

 新型コロナ禍は、年頭に予定されている文化財行事にも影響を及ぼしている。

 豊中市の上新田天神社(中村暢晃宮司)で、毎年1月14日夜に執り行われる「大阪とんど祭」(市指定無形民俗文化財)が中止を余儀なくされた。高さ約9メートルの巨大なとんどやぐらをたき上げることで知られるが、奉仕者の事前準備も困難な状況にあり、当日は神事斎行のみにとどめる。

 大阪市指定無形民俗文化財第1号「綱引(つなひき)神事」を、1月に執り行う同市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)でも神事中止が決定。

 神事保存会の氏子衆が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を作って豪快に引き合う神事で、江戸期の書物にも登場する。実施場所は境内屋外ながらも、大綱作りには大勢の協力が不可欠なため、3密回避を念頭にやむなく判断した。粟辻宮司は「残念ながら伝統行事も影響を受けた。一日も早い収束を願いたい」と話した。

2881名無しさん:2020/12/12(土) 02:04:05 ID:NrdB.GxU0
明治の淀川大洪水 石碑発見
12月11日 06時38分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201211/2000038435.html

明治18年に大阪の中心部を流れる淀川で起きた大洪水について、当時の様子を記した石碑が大阪市内で見つかりました。
100年以上前に建てられたもので、地元の郷土資料館は「きわめて貴重で、今後の教訓にしてほしい」と話しています。

明治18年に起きた「淀川大洪水」では、1万7000戸の家が流されたり損壊したりしたうえ、27万人以上が被災したと伝えられています。
これについて被災した地元の名士が106年前の大正3年に建立した石碑が大阪・東成区の蔵から見つかったことが、大阪市教育委員会への取材でわかりました。
石碑は高さ1メートル80センチほど、幅50センチほどで、地元の郷土資料館や専門家が調べたところ、「濁流は滔々と流れ込み」、「財産を集めるいとまもなく」など、当時の様子が生々しく刻まれていたということです。
また、家を失った人が寺の境内や旧家の門前で仮住まいをして、堤防の復旧工事で生計を立てていたことなど、被災した人たちの厳しい暮らしぶりがうかがえる記述もありました。
石碑は、過去の災害を伝える「自然災害伝承碑」として11月から、国土地理院の地図に掲載されています。
深江郷土資料館の石川健二代表理事は「石碑を見ることで、過去の水害を頭の片隅に置いて教訓とし、今後の災害への備えにしてほしい」と話していました。

2882名無しさん:2020/12/13(日) 16:42:28 ID:NrdB.GxU0
被災の記憶”追加” 2史跡を地図に掲載
2020年12月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201213/20201213028.html

 国土地理院が認定する「自然災害伝承碑」として、大阪市内の二つの史跡が新たに地図に掲載された。東成区にある大洪水(1885年)を記録した「明治十八年洪水酉(とり)年記念碑」と、天王寺区の和宗総本山四天王寺境内にある安政地震(54年)時の津波被害を記した「安政地震津波碑」の石碑で、ともに当時の被災記憶を伝える。

 自然災害伝承碑は、過去に発生した自然災害に関する事柄を記した石碑のこと。被災場所に建てられることが多く、防災意識向上を図る史跡と期待されている。

 「明治十八年洪水」は、府内最大級の水害として知られ、淀川の枚方・伊加賀の堤防が決壊し、寝屋川の増水とともに現在の東成区一帯が水没。さらに大和川も決壊し、上町台地以外がすべて水没したと記録に残っている。

 石碑(高さ185センチ、幅57センチ、厚さ18センチ)には、同区深江地域が庭より約2・6メートル上まで水位が来たこと、住民が1カ月後に帰ってきた際には家も仕事もなく、堤防の建設に働いたことなどが記されている。

 地元の旧家が自宅の庭に1914年に建立。その後、土蔵にしまって見ることはなくなっていた。今春、移転取り壊しに伴い発見。地元の有志の手で移転されることになった。

 安政地震は南海トラフ巨大地震の一つとされ、現在の静岡県をはじめ、関東から近畿など広範囲に被害が及んだ。石碑は1855年に建立。従来から同寺境内に設置され、小舟に避難した人たちが木津川口から押し寄せた津波で押し流され、多くの死者を出したことを記録している。

 今回、国土地理院への申請を担当した、市教育委員会の桜井久之主任学芸員は「二つの災害は、大阪府内におびただしい被害をもたらした。地図上に記載されることで、過去の災害について多くの人に知ってもらい、防災意識向上につながれば」と期待を寄せた。

 自然災害伝承碑は11月12日現在で、全国646基が国土地理院の地図上に掲載されている。

2883名無しさん:2020/12/16(水) 19:29:22 ID:NrdB.GxU0
ええやん!片岡仁左衛門さん
12月16日 19時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201216/2000038683.html

「ええやん!この人」です。
江戸時代からつづく、師走の京都の風物詩「吉例 顔見世興行」が、今月5日から始まりました。
新型コロナウイルスの影響で、ことし、関西の歌舞伎公演は中止が相次ぎ、大規模な興行としては感染が拡大してから、初めての開幕となりました。
この顔見世で、圧巻の演技を見せているのが、大阪出身の人間国宝、片岡仁左衛門さんです。
ようやく再開した、関西での本格的な歌舞伎公演。
その思いを聞きました。

2884名無しさん:2020/12/19(土) 20:14:16 ID:NrdB.GxU0
初詣分散へ対策さまざま 封印施し縁起物事前配布
2020年12月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201219/20201219042.html

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、さまざまな対策が打たれている中、大阪市平野区の杭全神社(藤江正謹宮司)は、初詣の分散化の一環として、お札などお正月の縁起物を事前に手渡す方法で対応することにしている。感染防止を願って渡す縁起物を包む袋には、特製の“封印”を施しており、年明けまで御利益を保つ。

 大阪府神社庁などでは初詣に際し、混雑を防ぐために分散化など対策をガイドラインとして発表。同神社では例年、三が日で約30万人が参拝することから、マスク着用などを呼び掛けるだけでなく、「密」を避ける方策を春先から講じてきた。

 初詣の期日を、来年2月3日の節分までを目安として告知。縁起物も配布するが、分散参拝を促す目的で今月20日からお札、お守りなどを事前に渡すことにした。

 包む袋の口は「封印」のタグをつけたひもでくくり、正月を迎えるのと同時に開けて、祭るように促す。同神社では「参拝者が新年の区切りがつくように」と説明する。

 初詣期間だけでなく、手水舎は2カ所に増設。一番混み合うさい銭箱前も幅を2倍にして、人の集まる場所を分散化。例年、筒を使うおみくじは棚から自由にとる方法で接触を減らす。

 祈祷(とう)に関しては三が日は原則予約制。その後も予約を優先するが、節分まで受け付ける。藤江宮司は「神社も参拝される方もコロナ禍で初めてのお正月。長々とやっておりますので、慌てずゆっくりとお越しください」と呼び掛けている。

2885名無しさん:2020/12/23(水) 22:49:10 ID:NrdB.GxU0
落語の繁昌亭大賞に桂よね吉さん コロナ禍で配信の若手に特別賞
2020年12月21日 20:15
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/201221/20201221121.html

 上方落語協会は21日、入門25年以下の落語家を表彰する第15回繁昌亭大賞に桂よね吉さん(49)、奨励賞に笑福亭由瓶さん(49)を選んだ。また、新型コロナウイルス禍で多数の寄席が中止になる中、落語のインターネット配信に積極的に取り組んだ桂紋四郎さん(32)に特別賞を贈った。

 賞金は大賞が10万円、奨励賞5万円、特別賞3万円。来年3月1日に定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)で表彰式と記念落語会を開く予定。

 記者会見したよね吉さんは「(コロナ禍で)われわれ舞台人にとって、どうなるか分からない状況だった。頑張ろうという勇気を頂いた」と話した。

2886名無しさん:2020/12/30(水) 21:05:02 ID:NrdB.GxU0
無病息災願い大根炊き 東住吉 法楽寺で「終い不動」
2020年12月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201229/20201229032.html

 大阪市東住吉区の法楽寺で28日、1年を締めくくる「終(しま)い不動」の法要に合わせ、歳末恒例の「大根(だいご)炊き」と呼ばれる炊き出しがあり、振る舞われた住民らが無病息災を願った。

 用意されたのは、「なにわの伝統野菜」の一つ「田辺大根」と「赤こんにゃく」の“紅白”一対の500食分。一帯はかつて田辺大根の一大産地で、境内に記念碑が建つなどゆかりがある。

 具材は、明治時代から寺に伝わる「へっつい」と呼ばれるかまどで炊かれ、あっさりと煮込んだものに、田楽みそとユズの風味を添えた。

 境内では例年、熱々を頬張る姿が見られるが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、持ち帰り用にパック詰めして住民らに手渡した。

 三世代で訪れた近くの主婦(69)は「こんな大変な時期に、おいしい大根をいただけてありがたい。孫も喜ぶ。大根を食べて早い収束を願うばかりです」としみじみ話した。

2887名無しさん:2020/12/30(水) 21:10:35 ID:NrdB.GxU0
迎春"繰り上げ" 「住吉踊」27日から授与
2020年12月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201227/20201227016.html

 迎春準備が進む大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、縁起物のわら細工「住吉踊(おどり)」の仕上げ作業が始まった。例年はおおみそかの夜から授与しているが、今年は新型コロナ禍で“密”を避けるため前倒しし、27日から行う。

 わら細工は、同大社の年中行事で奉納される「住吉踊」(重要無形民俗文化財)をモチーフにした民芸品。商売繁盛や家内安全の吉兆として珍重され、現在は地元の松谷吉彦さんの一軒のみで作られている。

 午前中に、5人の神楽女(かぐらめ)(みこ)がかつて歌会などに利用された連歌所に参集。わら細工にササを手際よく取り付け、27日からの参拝者用となる約1千個を完成させた。

 神楽女の仲野沙弥さん(21)は「新型コロナウイルスが1日でも早く収束し、皆さんが健やかに過ごせる1年になってほしい」と話していた。

 同大社では感染症対策として年末年始の露店は中止し、元日〜5日の閉門時間は例年より早い午後6時に変更。初詣情報のはホームページでも発信している。

2888名無しさん:2021/01/06(水) 21:39:44 ID:NrdB.GxU0
9日から天満天神えびす祭 大阪天満宮で縁起物を授与
2021年1月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210105/20210105024.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)は9〜11日、「天満天神えびす祭」を執り行う。

 同宮では昭和20年代後半頃から神職による神事を継続していたが、福笹(ざさ)・吉兆などの縁起物を授与する「神賑(にぎ)わい」は途絶。2006年の「天満天神繁昌亭」開館を記念し、授与などが復興された。

 9日(宵えびす)▽10日(本えびす)▽11日(残り福)-で、各日午前10時〜午後7時。問い合わせは電話06(6353)0025、同宮社務所。

2889名無しさん:2021/01/06(水) 21:43:49 ID:NrdB.GxU0
芸能奉納へ 聖徳太子「1400年御遠忌大法会」
2021年1月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210104/20210104019.html

 622年に薨去(こうきょ)したと伝わる聖徳太子の「1400年御遠忌大法会」が、4〜5月の1カ月間にわたって執り行われる。100年に一度の大法要で、御廟(びょう)所がある叡福寺(太子町)では、人間国宝で能楽シテ方観世流の大槻文蔵さんが演出する新作能や、狂言師・野村萬斎さんによる演目などの奉納行事も予定している。

 新作能は5月9日に披露する。演目は「聖徳太子」で、丹後国の医学生が御廟所へ立ち寄った際、太子が疫病で亡くなったことを知り、格別な思いを抱く。やがて現れた太子に薫陶を受けるが、それは旅の疲れからうたた寝をしていた青年が見た夢だった-という物語。作家の竹田真砂子さんが脚本、大槻さんが演出と節付を手掛ける。

 同日は、野村さんによる狂言「太子手鉾(たいしのてぼこ)」も上演。4月10日には雅楽師、東儀秀樹さんの演奏があり、期間中は「聖徳太子絵伝」の全8幅も特別公開する。

 昨年12月に大阪市内であった記者会見で、大槻さんは「後世に残る作品になると信じている」と強調。同席した叡福寺の近藤本龍住職は「日本が元気になり、“和”の精神を世界に発信できれば」と期待を寄せた。

 奉納行事は4月10日から5月11日まで。寄進者を招待する。

2890名無しさん:2021/01/07(木) 22:05:52 ID:NrdB.GxU0
心の距離は近く 今宮戎、9日から十日戎 福娘来社
2021年1月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210107/20210107033.html

 “えべっさん”の呼び名で親しまれる大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社の十日戎(9〜11日)を前に、祭礼に奉仕する福娘7人が6日、同市北区の大阪日日新聞を訪れ、一年の福を授けた。

 今年の福娘らは、新型コロナウイルス対策で着物の色とおそろいの紫色のマスクを着用。大阪日日新聞の深田巧総局長にえとの「丑(うし)」にちなみ、牛を描いた縁起物の額を手渡し、上方締めで新年を祝った。

 同神社は例年、約100万人の人出でにぎわうが、今年は感染症対策を講じての実施。夜通し行っていた福笹(ざさ)の授与を午前7時〜深夜1時に短縮し、郵送でも対応。授与期間は31日まで延長し、分散参拝を呼び掛けている。

 福娘代表の橋本和花子さん(22)は「マスクやアクリル板越しとなり、参拝者との距離はできますが、心の距離はできるだけ近く、温かく元気に笑顔でお迎えしたい」と話した。

2891名無しさん:2021/01/09(土) 06:09:57 ID:NrdB.GxU0
白馬駆け 新春邪気除き 住吉大社で「白馬神事」
2021年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210108/20210108036.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、年頭の伝統行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われ、小雨の中、多くの参拝者が白馬の神馬(しんめ)「白雪」号が境内を駆ける姿を見守った。

 平安時代の宮中行事だった「白馬節会(あおうまのせちえ)」にちなむ神事で、古来、新春に白馬を見れば年中の邪気を除くと信仰されている。

 同大社の神馬は代々白馬で、同神事をはじめ夏祭りの住吉祭・神輿渡御(みこしとぎょ)でも奉仕している。

 「白雪」号は神馬守(しんめもり)とともに四つの本宮をゆっくりと巡拝した後、「早駆けの儀」で第一本宮などの周囲をさっそうと駆け抜けた。

 堺市堺区から家族と訪れた男性(94)は「毎年参拝しており、今年も元気な姿が見られた。いつも以上に一年の無病息災を祈りたい」と話した。

 境内では神事限定のお守り「竹駒守(まもり)」や御朱印の授与があり、参拝者に人気だった。


野田恵美須神社 あすから十日えびす 福娘が来社
2021年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210108/20210108037.html

 大阪市福島区の野田恵美須神社の福娘5人が7日、同市北区の大阪日日新聞を訪れ、商売繁盛を祈願する「宝の市大祭」(十日えびす、9〜11日)をアピールした。

 訪れたのは、関西国際大の坂口めぐみさん(21)、追手門学院大の速水愛海さん(21)、大阪経済大の八木莉子さん(20)、近畿大の中村彩夏さん(26)、京都外国語大の浮気沙也加さん(22)。

 福島区の花「のだふじ」をあしらったかんざしを挿し、朱色のはかまに白の羽織姿で福笹(ふくざさ)を届け、大阪締めで「ああ、めでたいな」と縁起の良い声を響かせた。

 福娘にずっとあこがれていた中村さんは「こういう時だからこそ、頑張りたい」ときっぱり。昨年に続き福娘を務める坂口さんは「新型コロナウイルスの影響で大きな声は出せないが、明るく笑顔満点で福を届けます」と意気込んでいた。

 今年は新型コロナの感染拡大を受け、例年境内で行う酒の振る舞いや「鯛鉾(たいほこ)」「地車(だんじり)」の公開は取りやめ。混雑が予想される夜の参拝は避けるよう求めている。

2892名無しさん:2021/01/09(土) 06:16:40 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子像設置へ寄付募集 大阪・太子町民ら
2021年1月8日 6:14
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210108/20210108010.html

 聖徳太子(574〜622年)が没して1400年目の今年、太子の名前が町名の由来になっている大阪府太子町で、住民らが秋の記念像設置を目指し、1千万円の寄付を募っている。3万円以上の寄付者は、台座の銘板に氏名が刻まれる。

 町内の叡福寺には、太子を祭る廟がある。住民らは、十七条憲法の制定や遣隋使の派遣といった功績を発信するため、町に隣接する大阪府羽曳野市の近鉄上ノ太子駅前に像を設ける計画。像の高さは約1・8メートルで、台座を含めれば約3メートルになる予定だ。

 寄付に関する問い合わせは太子町観光産業課、電話0721(98)5521。

2893名無しさん:2021/01/15(金) 00:15:34 ID:NrdB.GxU0
寒さはねのける炎 四天王寺庚申堂で「初庚申」
2021年1月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210113/20210113032.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺・庚申(こうしん)堂で12日、庚申まいりで最初に行われる「初庚申」が執り行われた。えとの「庚(かのえ)」と「申(さる)」の組み合わせで約60日ごとに一度巡ってくる信仰行事で、多くの参詣者が新型コロナウイルス禍を受け、無病息災や身体健全を祈願した。

 同寺庚申堂は、日本の庚申尊出現の地とされ、徐災無病の霊験あらたかな秘仏・青面(しょうめん)金剛童子が祭られている。境内では初庚申恒例の柴灯(さいとう)大護摩供を奉修。同寺僧侶と奈良県大峯山寺の修験行者が願文の奏上の後、護摩壇を清めて点火した。

 同日の大阪市内は、朝方に雪やみぞれが降るなど冷え込んだが、寒さと厄をはねのけるような炎が高く上がり、見守る人々が手を合わせた。

 区内から訪れた山口和子さん(70)は「初庚申にお参りできてうれしい。今年は穏やかな年になって、お寺も含めて以前のようなにぎわいが戻ってほしい」と話した。

 今年の庚申まいり(本庚申)は、3月13日▽5月12日▽7月11日▽9月9日▽11月8日。各前日には宵庚申が執り行われる。

2894名無しさん:2021/01/16(土) 10:03:09 ID:NrdB.GxU0
天神祭 選択肢広く 大阪天満宮、寺井種治宮司
2021年1月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210113/20210113034.html

 新型コロナウイルスの収束が見込めない中、大阪天満宮(大阪市北区)の寺井種治宮司(57)は、今年の天神祭(7月24、25日)のありようについて「遅くても4月中ごろに発表する」と語った。昨年は陸渡御(とぎょ)、船渡御や神賑(にぎわい)行事の奉納花火を中止したが、「神事のみだった昨年の形から広げられるように考える」と述べ、選択肢を設けて検討していることを明らかにした。日本三大祭りの一つ、天神祭を斎行する立場の寺井宮司にインタビューした。

 -「3密」を避けるため、昨年は陸渡御、船渡御、神賑行事を中止した。今年の見通しは。

 「船の手配など準備が必要なため、昨年は4月13日に判断した。コロナ感染やワクチン普及の状況をギリギリまで見極めたい。神事のみだった昨年の形から広げられるように、どれだけできるかを考える」

 -選択肢を設けることか。

 「陸渡御、船渡御は規模縮小すれば可能性はある。西宮神社(兵庫県西宮市)は昨年9月の渡御祭で神職と祭典関係者に限り、船の数も減らして斎行した。天神祭の船渡御も神霊を乗せるだけにすることも考えられる。花火は予告無しの実施もあり得るのではないか。実際、昨年は全国各地で試みられた。また、東京五輪・パラリンピックができるようなら、天神祭もできると思う」

 -東京五輪の開会式は予定通りなら7月23日。その場合、天神祭の警備員不足が表面化する。

 「警備員確保の問題は頭が痛い。人件費約1・5倍の見積もりが出ている。警備の費用が増え、企業協賛の収入が減ると厳しい。経済界に協賛を求めるだけでなく、インターネットで資金を募るクラウドファンディングも続ける。政教分離の面で、行政の補助を受けやすくするため、現在の『天神祭渡御行事保存協賛会』を公益財団法人に改めることも必要だ」

 -明るい話をしましょう。2025年大阪・関西万博に向けて思うことは。

 「25年は万博会場の夢洲(ゆめしま)で何らかの形で『天神祭』として関わりたいと思っている。神様が“現地集合”する降神(こうしん)によって、私たちは1994年5月にオーストラリアのブリスベンで天神祭を斎行し、陸渡御、船渡御も行った。70年大阪万博にも一部の講が参加したことがある」

 -最後に、今年の抱負を漢字一文字で示してください。

 「私はこの正月にコロナ収束を願って俳句を詠んだ。『必ずや 明けぬ夜はなし 初日さす』。漢字一文字にすれば『明』。今春、当宮には女性の神職が4人増えて合計7人になる。きめ細かいご奉仕も心掛けたい」

2895名無しさん:2021/01/16(土) 12:13:40 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍 安寧を祈願 生国魂神社「左義長神事」
2021年1月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210116/20210116032.html

 小正月の15日、大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で恒例の火祭り「左義長(さぎちょう)神事」(とんど焼き)が行われた。晴天の下、多くの人々が正月飾りを手に参拝。燃え上がる炎に手を合わせ、新型コロナウイルス禍での安寧を祈願した。

 神事は日の出前から斎行され、神職があらかじめ境内に積み上げられた大量のしめ縄や破魔矢、お札などの山に御神火を運び点火した。

 当日持ち込みの縁起物も多く、神社関係者が不燃物の部品などを細かく取り除いた後、丁寧にたき上げた。

 地元の女性(84)は、マスクを指して「早くこれが取れる世の中になってほしい。去年のような1年はこりごり」と苦笑いで合掌。中山宮司は「新型コロナで例年にない正月だったが、今が踏ん張りどき。皆さんにとっていい年になってほしい」と思いを込めた。

 邪気をはらう小正月恒例の小豆がゆ接待は、新型コロナ禍を受けて自粛されたが、同日の境内は企業や団体の初詣が相次いだほか、初詣朱印の授与も好評だった。

2896名無しさん:2021/01/27(水) 20:13:23 ID:NrdB.GxU0
大阪城 約440年前、豊臣秀吉築城当時の石垣を新たに発掘 金箔瓦も
1/27(水) 19:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/01158da161b2e96c9badd0de864acd72d3fd9b4f

 大阪城の地下に埋まっていた豊臣秀吉による築城当時の石垣が新たに発掘され、報道陣に公開された。

 大阪城の天守閣の南側から発掘されたのは、高さ約6メートル・長さ約15メートルの石垣。豊臣秀吉が築いた大阪城は、1615年の大坂夏の陣で落城したが、その後、徳川幕府が新たな城を再建した。

 これだけ広い範囲で発掘されるのは初めてで、豊臣氏が築城した当初の1583年ごろの石垣とみられる。豊臣家は、自然の石を積む方法で、徳川家は、削った石を積み上げる方法など、城の築き方の違いを比べることができる。

 近くからは、豊臣期のものとみられる金箔が押された瓦も見つかった。一般公開は来月19日から。

2897名無しさん:2021/01/27(水) 20:42:00 ID:NrdB.GxU0
信長の前の天下人の貴重な足跡です。

戦国武将の三好長慶のやぐらか 大阪・高槻の山城跡
2021年1月27日 17:20
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210127/20210127103.html

 大阪府高槻市は27日、同市の三好山(182メートル)にある芥川山城跡で、戦国時代の武将三好長慶が建てたやぐらとみられる建物が見つかったと発表した。長慶は1553〜60年に居城とし、政務だけでなく連歌会も催したといい、天目茶わんやすずりなど200点以上の遺物も出土した。市は「織田信長に先駆けた天下人と言われる長慶の生活を示す貴重な史料だ」としている。

 市によると、建物の規模は4・2メートル四方。礎石の周囲に「せん」と呼ばれる四角い瓦製の板を並べた構造で、米や財宝を蓄える蔵の役割があったとされる。同様の建物は大阪や京都を中心に分布している。

2898名無しさん:2021/01/30(土) 11:27:41 ID:NrdB.GxU0
銘木や名刀ずらり 2月11日から盆梅と刀剣展
2021年1月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210130/20210130031.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)で2月11〜28日まで、恒例の「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展」が開かれる。書院造り百畳敷きの参集殿を会場に各種銘木や名刀を展示する。

 同宮の祭神で、学問の神様として知られる菅原道真が愛し、「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」-と、和歌にも詠んだ梅にちなんだ展示会。道真公の心を追慕したいとの思いで2004年から始まり、以後、多くの参拝者に親しまれている。文武両道に秀でていたとされることから、近年は刀剣も併せて展示している。

 会期中は、樹齢約200年を超える古木や銘木約50点をはじめ、名刀約10点を展示予定。このうち刀剣では、河内国出身の平安後期の武将・源義家が携えた太刀「天光丸」(羽曳野市・壷井八幡宮所蔵)が特別展示される。このほか同宮所蔵である「天神画像」など貴重な宝物も公開される。

 開場時間は午前9時半〜午後4時半(入場は同4時)。拝観料は高校生以上700円、中学生以下400円、団体(10人以上)600円。

 今年のてんま天神梅まつりは、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として「盆梅と刀剣展」のみ開催となった。問い合わせは電話06(6353)0025、大阪天満宮社務所。

2899名無しさん:2021/01/30(土) 11:32:41 ID:NrdB.GxU0
地域の歴史、水帳で知る 大阪歴博
2021年1月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210130/20210130029.html

 江戸時代の町人身分の共同体「町(ちょう)」にスポットを当てた企画展「大阪の近代化と町」が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている。大坂の町共同体ごとに作成していた土地台帳に当たる「水帳(みずちょう)」など関連資料約80件を展示。新型コロナウイルス禍で経済活動や生活様式の見直しが進む中、町共同体が果たした役割や解体過程を通し、共同体のあり方についても再考を促している。3月1日まで。

 同館によると、大坂の町共同体の歴史は「豊臣秀吉による城下町建設」が始まり。家とその敷地を所有する家持(いえもち)(町人)を構成員とし、町人の財産や仕事を守るために家屋敷の売買や譲渡を独自のルールで規制。捨て子を養育するなど相互扶助の機能も持っていた。

 明治以降、水帳は区役所に移管され公文書になっており、会場にはその痕跡が分かる背表紙が付いた大阪市立中央図書館所蔵の『今橋弐(に)丁目水帳』(1856年)や、現在も大阪市公文書館にある『天満三丁目水帳』(同年)などが並ぶ。

 また、町共同体が1880(明治13)年に「名と姿とを消してしまひました」と記す『鰻(うなぎ)谷中之町の今昔』(1942年)を紹介。同時期に水帳の移管や「町に町会という議会の導入」が行われていることに着目し、近代化が町共同体を解体する「過程」だったと分析する。

 担当学芸員の飯田直樹さんは「私たちは過去の共同体の歴史から学び、現在にふさわしい形でそれらを再建する必要があるのではないか」と指摘していた。

ミニクリップ
 水帳 町(ちょう)が家屋敷の所有者を把握するために、町ごとに作成した土地台帳。間口と奥行きの長さ、所有者を明記し、それを図にした水帳絵図も作成。名称は古代律令制下で作成された「田籍(でんせき)」を意味する御図(みず)帳の当て字といわれる。

2900名無しさん:2021/02/03(水) 21:25:37 ID:NrdB.GxU0
能の魅力 スマホで ハイテク技術で普及へ
2021年2月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210201/20210201018.html

 大阪市中央区の山本能楽堂は、180度カメラ4台を使って能「羽衣」と「安達原」を有料配信する「マルチアングル能楽『すまほ能』」を行う。配信期間は今月12〜19日を予定。「新しいデジタル技術を使って、これまで能を見たことのない新たな観客者層を開拓できれば」と準備する。

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、厳しい経営環境にある文化芸術団体などの事業構造の抜本的改革を促し、活動の持続性を高めるために文化庁が取り組む「文化芸術収益力強化事業」の委託事業として実施する。

■スマホでさくっと
 能楽の世界観を体感、体験できる機会を創造し続ける同能楽堂。新たに取り組む「すまほ能」は、「オンラインで楽しめるスマートフォン視聴型本格能」をコンセプトに、マルチアングル映像によるオンライン能楽体験として発案した。

 舞台芸術の映像の多くは、舞台後方から全景を定点撮影するが、それでは演者の足さばきなどの動き、能面の陰影、衣装など能楽をリアルに体験することが難しい。そこで、高解像度180度カメラで4方向から記録し、マルチアングル配信技術によって各自の視点での舞台視聴を実現した。

 配信する演目は「羽衣」と「安達原」の2本(字幕解説あり)。スペシャルコンテンツとして、能面のイメージを代表する「小面」と「般若」の面を、普段見ることができないくらい詳細に裏も表も披露する「3D能面」と、能楽堂内を歩くように見学できる「3D能楽堂」も用意する。

■最新テクノロジー活用
 さらに、府・市の協力のもと、大阪城と太陽の塔の前を舞台に、高画質の4Kで「高砂」と「石橋」の撮影を行い、U-NEXTや観劇三昧などで配信する(今月8〜24日、課金制)。翻訳テロップ版も作成し、外国人にも日本の能に興味をもってもらうきっかけをつくる。

 また、照明家の藤本隆行さんの照明デザインにより「葵上」を、VR(360度カメラ)2台で撮影。能の理解・普及を目的としたショートムービー(ドキュメンタリー、能入門動画3本)も配信している。

 能楽師で同能楽堂代表理事の山本章弘さんは「新しいデジタル技術を駆使することで、能がどのように映るのか新たな挑戦。古典に携わる者が、常に新しいモノとの接し方をうまくしていれば、現代社会においても古典の魅力はうまく伝わっていく。能の人もこんなことをしているんだという意外性から、能に興味を持ってもらえれば」と期待を寄せる。

2901名無しさん:2021/02/03(水) 21:32:59 ID:NrdB.GxU0
「お家で古墳巡り日本各地墳活」 藤井寺が第一弾
2021年2月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210201/20210201020.html

 インターネットライブ配信で全国の古墳を紹介する「お家で古墳巡り 日本各地墳活」が31日、スタートし、初回は世界文化遺産に登録された「百舌(もず)鳥・古市古墳群」を有する藤井寺市から中継された。関係者が実際に古墳を訪れながら、地元グルメや雑貨も紹介した。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で外出が難しい中、画面を通じて古墳や地域の魅力を発信しようと、毎年11月に高槻市の今城塚古墳で開催している「古墳フェスはにコット」の実行委員会が、ライブ配信アプリ「17LIVE(イチナナ)」を利用して企画。全国12地域の自治体と協力して、毎月1回配信する。

 司会進行は、実行委員会の「マキ墳ミカ墳」の2人。午前10時に近鉄「道明寺」駅からスタートし、町歩きをしながら小室山古墳や、高架下にある赤面山(せきめんやま)古墳を訪問した。

 晴天に恵まれ、小室山古墳の頂上部からは、あべのハルカスや六甲山、大阪城の眺望を紹介した。

 藤井寺市の岡田一樹市長も出演し、「古墳の尊厳を守りながら、古墳の素晴らしさを世界に発信していきたい」とアピールした。

 午後は同市立生涯学習センターから、ドローンを使っての撮影や館内の展示物を紹介。今後は、堺市や高槻市、奈良県での実施を予定している。

2902名無しさん:2021/02/03(水) 21:57:43 ID:NrdB.GxU0
願いかなえて「お多福さん」 市軸稲荷神社でくぐり門
2021年2月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210202/20210202035.html

 お多福大神などを祭る豊中市刀根山の市軸(いちじく)稲荷神社(寸田高則宮司)で、くぐると願い事がかなうとされる「お多福のくぐり門」が参拝者を出迎えている。節分を前に参拝者は福を授かろうと、お多福のふくよかな笑顔をかたどった門をくぐっていた。3日まで。

 お多福大神にちなみ、1957年から毎年、節分の時期に設置。門は、高さ約3メートル、幅約2メートルの板で作られ、お多福の中央下部にあるくぐり門は約1・2メートル四方の観音開き。左右には、参拝後に短冊を付けたかんざしを挿すための大根が、15本ずつ束ねてつるされている。

 長男の公紀(3)ちゃんと訪れた村野聡美さん(35)=同市=は「お多福門をくぐるのは初めて。早くコロナが収束して、実家の家族などみんなと自由に会えるようになりますように」と願いを込めていた。

 同神社では3日に節分祭が行われ、参拝者はかんざしに結ばれた短冊に名前や年齢などを書き、そのかんざしを頭に挿して「頭いた」を3回唱えた後、願いを思い浮かべながらお多福社前で参拝。帰るときに門の前につるされた大根に、かんざしを挿して奉納する。

2903名無しさん:2021/02/03(水) 22:13:37 ID:NrdB.GxU0
疫病退散 思い込めて 節分お水汲み祭り
2021年2月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210203/20210203027.html

 節分の日の2日、大阪市北区の堂島薬師堂で恒例の「節分お水汲(く)み祭り」(実行委主催)があった。奈良・薬師寺の僧侶が、祈とうしたお香水(こうずい)を竹筒護符に注ぎ清める「お水汲み」などが執り行われ、地元を中心に多くの人々が参詣した。

 「堂島薬師堂お水くみ儀式」と地域伝来の節分行事が融合する形で、2004年から続いており18回目。今年は新型コロナウイルス禍で開催が危ぶまれたが、関係者が「こういう時期だからこそ、薬師堂で疫病退散の祈願法要を」との思いを込め、規模縮小ながら実施の運びとなった。

 ミラーガラスで覆われた堂島薬師堂とお堂周辺では、厳かな節分法要に続いてお水汲みを実施。お香水は薬師寺と大阪天満宮、堂島薬師堂の3カ所の水からなり、僧侶は参詣者が手にする竹筒護符にうやうやしく注いでいった。

 実行委事務局の小沢修さん(61)は「お祭りの火を消したくないという皆さんの気持ちが大きかった。来年こそは2倍、3倍返しでにぎやかにしたい」と期待を込めた。

 同日は、コロナ対策で恒例の鬼追いの町まわりや龍(りゅう)の巡行、北新地「お化け」といった関連行事は中止になった。

2904名無しさん:2021/02/10(水) 20:36:09 ID:NrdB.GxU0
大阪空襲犠牲者名 10年ぶり銘板追加
2021年2月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210208/20210208024.html

 今年で開館30年を迎える大阪国際平和センター「ピースおおさか」(大阪市中央区)は、戦時中の大阪空襲で犠牲となった人々の情報を集めている。3月末までに新たに判明した人名は、同センター中庭「刻(とき)の庭」にある死没者銘板に約10年ぶりに追加される。戦後75年が経過しても問い合わせや申し出は途絶えることがなく、同センターでは新情報の提供に期待を寄せている。

 太平洋戦争中の大阪は、米軍によって1944年12月から45年8月の終戦前日まで8度の大空襲を含む大小約50回の空襲を受け、約1万5千人が犠牲になったとされる。

■銘板に約9千人分
 府では被害を把握しようと2002年10月〜04年3月に、戦後初の死没者名簿作成のための調査・登録作業に着手した。

 委託された同センターは、「大阪戦災傷害者・遺族の会」が過去に自力で作成していた名簿(約6千人分)を足掛かりに、全国の自治体にもチラシを配布して、死没者の氏名▽年齢▽性別▽被災場所▽被災日▽死亡場所▽死亡日▽死亡時の住所-などの情報を収集、重複部分などを精査した。

 遺族の希望で非公開となった約50人を除く約8600人分の名前を記載した名簿が完成し、04年5月から館内で一般公開を開始した。

 05年8月には死没者を追悼し、平和を祈念する場「刻の庭」を新設。モニュメント内の壁に死没者名を浮き彫り加工した銅製銘板を掲げている。

 名簿は追加情報があれば年度ごとに更新されるが、銘板は1枚の銅板に複数人の名前を加工する構造上、一定人数がまとまってから設置している。過去には06年と11年に銘板が追加され、現在計約9千人分の名前が掲げられている。

 前回の追加以降の10年間には、約130人の名前が明らかとなっており、新たな銘板に追加される。中には文字の誤りや、空襲で死没という情報の誤りが判明したケースもあったことから、より正確な情報に改めるために訂正・削除の加工も調整中だ。

■思い詰まる
 昨年は戦後75年の節目で、当初は情報が増えると予想されたが、新型コロナウイルス禍で同センターの平和祈念事業が軒並み中止・縮小されたこともあり、申し出は例年並みにとどまった。

 遺族の高齢化や戦争体験者の減少が進む中、情報収集には困難が伴うが、同センター専門職員の田中優生さんは「ご遺族の思いが詰まったよりどころとして、今後も重要性が増す。より多くの人に名簿・銘板の存在を知ってもらい、さらなる情報収集に努めたい」と話した。

 ◇銘板更新を含む「刻の庭」維持管理には市民からの寄付金「平和寄金」を活用していることから、同センターでは今後も寄付を呼び掛けている。問い合わせは電話06(6947)7208、月曜休館。

2905名無しさん:2021/02/10(水) 22:05:12 ID:NrdB.GxU0
古い針の労ねぎらう 大阪天満宮吉備社で「針供養祭」
2021年2月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210209/20210209023.html

 使い古した針に感謝する伝統行事「針供養祭(お針祭り)」が8日、大阪市北区の大阪天満宮境内社・吉備社であった。和裁など針を使う業種に携わる人々が参拝し、折れたり曲がったりした針を大きなこんにゃくに刺して手を合わせた。

 大阪和服裁縫協同組合(大森貴之理事長)と日本和裁士会大阪府支部(鈴木房子支部長)が、毎年行っている。

 「針塚」がある吉備社では、同宮の神職による神事に続き、古い針を持参した人たちが3密に注意しながら参列。まち針など酷使した多様な針を、軟らかいこんにゃくに刺して労をねぎらい、中にはいとおしそうに自分の針を撮影する人もいた。

 枚方市から親子で訪れた三谷澄江さん(59)は和裁歴40年余り。「少なからず新型コロナウイルスの影響もあるが、頑張らせてもらっている。さらなる技術向上を祈りたい」と笑顔だった。

 今年の針供養祭は、新型コロナ禍を受けて物販ブースを縮小するなどして実施。大森理事長(59)は「100年近い伝統を絶やさないという思いで取り組んだ。仕事上、新型コロナで大変な思いをしている人が多いので、早く元に戻るように願いたい」と話した。

2906名無しさん:2021/02/13(土) 18:55:29 ID:NrdB.GxU0
梅と名刀 一堂に 大阪天満宮
2021年2月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210212/20210212022.html

 鉢植えの梅の木や、名刀を展示した催し「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展」が11日、大阪市北区の大阪天満宮で始まった。樹齢約300年の古木から、擬人化されてゲームの美少女キャラクターに採用されている太刀まで約70点がずらり。気品のある姿と甘い香りで来場者を出迎えている。28日まで。

 同宮の祭神で、学問の神として知られる菅原道真が愛し、和歌にも詠んだ梅にちなみ、同宮が2004年から始めた恒例の展示会。文武両道に秀でていたとされることから、近年は刀剣も披露している。

 書院造り百畳敷きの参集殿を会場に、入り口での手指消毒や検温など、新型コロナウイルス対策を講じつつ展開。盆梅は、樹齢約300年の「大和野梅(やまとやばい)」や約200年の「天草野梅」など56点が並ぶ。

 刀剣は、同宮とゆかりのある歴史上の人物に関連した13点を紹介。このうち、平安後期の武将・源義家が携えたとされる太刀「天光丸」は、同宮の天神祭で登場する大型人形「八幡太郎義家」や、刀を擬人化したゲームのキャラクターイラストと共に展示している。

 家族連れで訪れていた小学3年の佐藤多恵さん(9)=同区=は「シャンプーのようないい香り」と梅の魅力を体感していた。

2907名無しさん:2021/02/18(木) 21:37:07 ID:NrdB.GxU0
秀吉の大坂築城題材に歴史講座 22日に平野区
2021年2月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210218/20210218029.html

 「令和2年第3回平野区歴史講座〜秀吉の大坂築城と城下町建設〜」が22日、大阪市平野区のコミュニティプラザ平野(平野区民センター)で開かれる。定員は当日先着100人(午前11時45分受け付け開始)。講演は午後1時半から。入場料500円。

 市コミュニティ協会平野区支部協議会、市教委共催。講師は大阪城天守閣の北川央館長が務める。

 同日は館内の市立埋蔵文化財収蔵倉庫で、収蔵品展示説明会(参加無料)を開催。案内・説明は市教委。時間は(1)正午(2)午後3時半の2回。定員は各回とも当日先着20人。各15分前に2階受付に集合する。問い合わせは電話06(6704)1200、同協議会。

2908名無しさん:2021/02/20(土) 23:01:32 ID:NrdB.GxU0
病魔退散の霊獣? 「奇妙な彫刻」聖徳太子の寺に現る
安井健悟  2021年2月5日 8時00分
https://www.asahi.com/articles/ASP2435WHP1XPTIL02J.html

 聖徳太子が開いた四天王寺(大阪市天王寺区)の阿弥陀堂で、奇妙な彫刻がみつかった。専門家によると、病魔を退散させる力をもつとされた想像上の霊獣の可能性がある。その名は「白沢(はくたく)(白澤)」。コロナ禍の影響で偶然みつかった、と発見者は語る。

白い胴体、人間の顔

 四天王寺の南西部分に位置する阿弥陀堂で、昨年10月、大阪市教育委員会文化財保護課主任学芸員の桜井久之(ひさし)さん(58)は、翌月に迫った市民向けツアーの下見をしていた。

 正面に掲げられた看板の後方は、これまで詳しくみたことがなかったが、目を凝らすと白い胴体が現れた。「たまに見かける麒麟(きりん)の彫刻かな」。角度を変えて確認するため看板の反対側にまわり、記録を残そうと持っていたカメラでズームをかけると、人間の顔があった。「初めて見る動物」だった。

2909名無しさん:2021/02/27(土) 21:04:53 ID:NrdB.GxU0
旧家に残るひな飾り 「船場のおひなさま展」始まる
2021年2月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210226/20210226035.html

 大阪・北船場ゆかりの旧家に残るひな人形を公開する「船場のおひなさま展」が25日、大阪市中央区内で始まった。多くの人たちがエリアを散策し、貴重なひな飾りの数々に見入っている。3月3日まで。

 「春の船場博覧会2021」(船場博覧会実行委主催)として開催。ひな飾りは、高麗橋通から平野町通までエリア内7カ所で展示している。

 このうち、少彦名神社(別所賢一宮司)の境内では、別所宮司の曽祖母の嫁入り道具だったひな飾り(明治末期)を公開中。茶道具やたんすといった道具一式も並び、多くの参拝者が精巧な品々に目を凝らし、1世紀前の時代に思いをはせていた。

 自身の手術後のお礼参りで訪れたという女性(57)=茨城市=は「子どもの頃を思い出すような懐かしい光景。また元気をいただきました」と笑みを浮かべた。

 展示7カ所のうち、同神社と芝川ビル以外の会場では建物外部からガラス越しの観覧となる。

2910名無しさん:2021/03/03(水) 22:13:31 ID:NrdB.GxU0
笑福亭鶴笑さん企画の青空寄席 上新田天神社境内
2021年3月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210301/20210301030.html

 パペット落語で知られる落語家・笑福亭鶴笑さん企画の「第2回千里天神青空寄席」が7日、豊中市上新田1丁目の上新田天神社境内で開かれる。午後2時頃から開演。観覧無料。雨天中止。

 当日は、鶴笑さんのほかに笑福亭遊喬さん▽桂三扇さん▽森乃石松さん-が出演。最新の公演情報は鶴笑さんの公式サイト(http://kakushow.sakura.ne.jp/)で。

2911名無しさん:2021/03/03(水) 22:27:31 ID:NrdB.GxU0
【特集】親方と19歳の弟子...日本最古の企業「金剛組」1400年の“宮大工の技術”を継ぐ
3/3(水) 15:38配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c

大阪に“日本最古の企業”とされる建設会社があります。創業は飛鳥時代。釘を使わずに木と木をつなぎ合わせて荘厳な神社仏閣を建てる。1400年の系譜と若い世代に受け継ごうとする宮大工たちを取材しました。

578年創業の「金剛組」 宮大工の技術を1400年以上受け継ぐ

大阪府堺市美原区にある「金剛組・関西加工センター」。ここでは、のこぎりやノミを使って木と木をつなぎ合わせる「継手(つぎて)」や柱と梁などの木材を直角に結合する「仕口(しくち)」と呼ばれる特殊な加工が行われています。ここで作業をする職人たちは『宮大工』です。

(宮大工歴45年 木口孝文さん)
「いかにこういう仕口で金物を使わないでやって、何十年何百年もたすっていうのがね。今やったらほとんどがボルトで簡単にする仕口もあるんです。こういうややこしいことをせんと。でもそれじゃあ何十年何百年というのはもたへんしね。」

2020年12月、ユネスコが「伝統建築工匠の技」を無形文化遺産に登録し、宮大工らが古くから継承してきた寺社などを建造する技術が世界的に認められました。

そんな宮大工の技術を1400年以上にわたり受け継いできたのが大阪の建設会社「金剛組」です。飛鳥時代に聖徳太子から四天王寺の建立を命じられた宮大工の1人が578年に創業し、“日本最古の企業”と言われています。年間で500件以上の神社仏閣の工事を手掛け、保存や修復も担っています。

大阪府貝塚市にある「正福寺」では、2018年の台風で瓦が吹き飛び、屋根板も剥がれる被害にあい、金剛組による修復工事が行われています。

(正福寺 長岡誠宏住職)
「昔からこの地域の人が守ってきたお堂を、きちんとした形で後世の人に残したいという思いがあるので、是非とも金剛組さんにということでお願いしました。」

2912名無しさん:2021/03/03(水) 22:33:13 ID:NrdB.GxU0
親方と新人宮大工

金剛組の宮大工たちは総勢100人で8つの組に分かれています。親方は8人いて、それぞれに弟子が所属しています。

2020年4月に金剛組に入社した山崎神聖さん(19)。木口孝文さんが親方の「木口組」に入りました。

(「金剛組」木口組 木口孝文親方)
「(山崎さんは)むちゃくちゃ真面目やね。怒られても怒られてものう、やる気満々なんやねんな。そこそこは仕事をこなせるようになってね。」

親方にとっては初めての弟子です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c?page=2

この日、木口さんが山崎さんに教えていたのは、2つの木を1つにつなぐ「継手」です。親方の教えの下、作業を進めていきます。

(「金剛組」木口組 木口孝文親方)
「それで繋がったはずや。いい、いい!上等上等!」

釘を使わずに強度のある1本の柱になりました。

(記者)「意外と丁寧に教えられるんですね。」
(木口親方)「最初は教えておかないとわからんしね。(昔は)よー指金でどつかれてましたわ。頭をノミでガーンとやられて。」

金剛組では2020年に3人が入社。宮大工を志しても半数以上が辞めてしまうといい、“技術の継承”が重い課題となっています。

(新人宮大工 山崎神聖さん)
「親父が元々一般住宅の大工していたんですけれど、小さいころから親父の背中を見て育ったので。『僕も大工になりたい』と言ったところ、宮大工の方が技術的にも細かく教えてもらえるので、宮大工を目指そうかなと思いました。」

入社以来初めての現場作業

新人宮大工の山崎さん、2020年12月に入社以来初めて現場の作業を任されました。本堂の建て替え工事が行われている大阪府箕面市の「正念寺」。

山崎さんが担当するのはお寺の玄関・薬医門の両側にある「袖塀」です。屋根の土台となる板を寸法に合わせて切断して貼り合わせていきます。

2913名無しさん:2021/03/03(水) 22:35:07 ID:NrdB.GxU0
新人宮大工は、自分の持ち場の作業を進めつつ、兄弟子の仕事も手伝います。

 (兄弟子)「もっと上やぞ。」
(山崎さん)「はい。」
 (兄弟子)「もっと上やぞ。」
(山崎さん)「あ、入ったっす。」

本堂内の柱に木材を固定する重要な工程。定規で測りながらミリ単位で表面を削り、釘などを使わずに設置していきます。

そして、親方の仕事。熟練した技で「継手」をはめていきます。
寸分のくるいもない仕上がりです。

昼休憩になりました。山崎さんは美味しそうなお弁当です。

 (記者)「誰が作ったの?」
(山崎さん)「おかん…おふくろっすね。」
(木口親方)「うらやましい。わしは30年前から手弁当みたいな感じ。」
 (記者)「棟梁は怖い?」
(山崎さん)「はい、怖いです。」
(木口親方)「もうあしたから来んでいいわ。ははは。」
(山崎さん)「(親方は)すごい宮大工だと思います。」
(木口親方)「まあ、辛抱せなあかんけどな、10年は。一人前になるまでは。僕らの仕事は何年経っても建物はずっと残っていくから、50年100年ね。孫の代、ひ孫の代に『じいちゃんやったんどー』と、自慢気にこの商売を言えるんちゃいます。」

宮大工で一人前になるには30年かかるといわれています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c?page=3

「袖塀」の屋根板の出来は?

山崎さん、「袖塀」を作り始めて5か月、屋根板が完成しました。

(山崎さん)「すみません、親方見てもらっていいですか?」
(木口親方)「終わった?はいよ。(屋根板を見て)おー上等上等!はい、OKOK!」
(山崎さん)「はい。」
(木口親方)「ここまでできるようになるとは。ちょっと時間かかるけどね。」

2914名無しさん:2021/03/03(水) 22:36:05 ID:NrdB.GxU0
宮大工を目指したきっかけは「大工の父」

この日、仕事終わりに山崎さんの実家を訪ねました。宮大工を目指したきっかけは大工である父親・功さん(51)の存在でした。

(父親 功さん)
「宮大工といえば大工の頂点なので。僕もほんまはそっちの方に進みたかったんですけれど、僕がやっぱりなられへんかった分、息子に一人前の宮大工になってほしいなというのがあったので。頑張ってほしいですね。」

父親の夢だった宮大工。その思いも受け継いでいます。

引き継がれる宮大工の技術

宮大工として初めて挑んだ「正念寺」。作業最終日、「袖塀」も美しく仕上がっていました。

(山崎さん)「おはようございます。」
(正念寺 吉田正志住職)「ほんまに満足のいく立派なものを建ててもらったわ。やっぱり普通の大工さんとは違うもんね。それがいいところやね。」
(山崎さん)「はい。」
(正念寺 吉田正志住職)「普通の大工さんになったらあかんで。」
(山崎さん)「はい。」

宮大工として技を極める。1400年にわたって受け継がれてきた技術は、今もなお後世に引き継がれています。

(3月2日放送 MBSテレビ「Newsミント!」内『特集』より)

2915名無しさん:2021/03/06(土) 02:39:17 ID:NrdB.GxU0
全国的にも珍しい双方墳の古墳発掘調査 9日からHPで映像配信 大阪・太子町の「二子塚古墳」
3/5(金) 19:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b8be092f6e86e5191cd94306d85aaabf5a92822

 大阪府太子町にある国の史跡「二子塚古墳」で発掘調査が行われ、古墳の造り方や構造の一部が明らかになった。

 二子塚古墳は、四角い墳丘を2つつなげた全国的にも珍しい双方墳の古墳で、7世紀後半に造られたみられている。石室が盗掘を受け、中にある石の棺があらわとなっており、今後の整備に向けて、太子町が5年前から発掘調査を続けてきた。

 調査では、東側の墳丘で大きな石を積み上げて石室の入り口をふさいでいた様子や、石室につながる墓道が長さ4.4mであることが判明し、太子町では古墳時代終わりごろの築造方法が分かる貴重な成果としている。

 町では、感染対策のために現地説明会を取りやめ、ホームページなどで9日から映像配信を行う。

2916名無しさん:2021/03/07(日) 22:08:04 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子かるた完成 生涯や偉業 楽しみながら
2021年3月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210307/20210307024.html

 聖徳太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は13日から、新たな授与品「聖徳太子かるた」を販売する。今秋から来春にかけて営まれる年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」記念として5年以上の歳月をかけて製作。太子の一生や数々の偉業、同寺の縁起などが分かりやすく描かれており、記念にふさわしい授与品に仕上がっている。

 同寺では、2014年秋にオリジナルトランプカード「四天王寺厳選五十四図」を販売。美しい写真と詳しい解説文で構成され、資料として活用できる点でも評判だった。

 かるたはトランプに続く品として企画し、46枚のイラストは「猟奇王」シリーズなどの執筆で知られる漫画家・川崎ゆきお氏に依頼。川崎氏は同寺から、日本中の太子絵伝の基になっている伝記「聖徳太子伝暦(でんりゃく)」など多くの関連史料の提供を受け、それらを参考に研究しながら一枚ずつじっくり手描きした。

 太子誕生の場面をはじめ、「冠位十二階」「十七条憲法」「遣隋使」などをモチーフに、独特のタッチで表現。同寺建立の由縁でもある壮大な「丁未(ていび)の乱」の描写などは2枚一組で描いてある。

 読み札は、日頃、同寺で太子の一生を描いた壁画の絵解き説法を担当している僧侶の面々が協力して考案。川崎氏の完成イラストを見て、「【か】冠位こそ 政治整う 第一歩」「【や】八耳(やつみみ)を 駆使し太子は 指導者に」「【ぬ】濡(ぬ)れ仏 天王となり 戦勝祈願」-などと知恵を絞った。

 裏面には、それぞれ関連した詳しい解説文がコラム風にまとめてあり、読み札だけでも資料として楽しめる。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「幅広い世代がかるたから聖徳太子に親しんで、さらに四天王寺の絵解きや講演会などを通じて、研究を深めてもらうことにもつながれば」と、御聖忌記念の大きな動きに期待を寄せている。

 ◇かるたの価格は1500円。13〜23日には境内・南休憩所でお披露目パネル展を開催する。入場料100円。中心伽藍(がらん)拝観チケット(300円)購入者は当日の入場無料。午前8時半〜午後4時(17日以降は午後5時)。問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2917名無しさん:2021/03/10(水) 22:00:46 ID:NrdB.GxU0
百舌鳥古墳群ビジターセンター 13日開館 「仁徳天皇陵」などの古墳群を8K高画質映像で体験
3/10(水) 19:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/19333f8926cbfe2adc403b5348718f7b29ff5d5d

一昨年、世界遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群の魅力を伝える施設が13日、堺市にオープンする。

 堺市で10日、報道関係者に公開されたのは「百舌鳥古墳群ビジターセンター」。

 8Kの高画質で撮影された古墳群がプロジェクションマッピングで楽しめ、古墳が目の前に迫ってくるような迫力があるという。

 国内最大の「仁徳天皇陵古墳」などの空からの映像を楽しめるほか、世界遺産の登録証のレプリカが展示されている。

 13日にオープンする予定で、堺市の担当者は「観光客が古墳めぐりを楽しむ際の拠点にしていきたい」と話している。

2918名無しさん:2021/03/11(木) 21:56:10 ID:NrdB.GxU0
大阪空襲犠牲者の銘板 更新へ
03月11日 12時15分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210311/2000042360.html

大阪の平和資料館、「ピースおおさか」では、太平洋戦争末期の大阪空襲で犠牲になった人たちの名前が刻まれた銘板を、新年度、10年ぶりに更新することになり、今月末の期限で情報の提供を呼びかけています。

大阪は、太平洋戦争末期に五十数回にわたる空襲にあい、1万2000人を超える人たちが犠牲になったと言われています。
大阪・中央区の平和資料館、「ピースおおさか」では、一連の空襲で犠牲になった人たちを追悼する銘板を設置していて、遺族が公開を望まない人を除く8987人の名前などが刻まれています。
「ピースおおさか」では、その後に寄せられた情報をもとに、新年度、10年ぶりに銘板を更新することになりました。
今月末を期限に情報の提供を呼びかけていて、それまでに判明した名前を、新たに刻むことにしています。
「ピースおおさか」の田中優生さんは、「戦後76年となる中で、空襲の記憶を伝えるものとしてさらに銘板の重要性は増している。これを機に、1人でも多くの名前を追加するため、情報を寄せてほしい」と話しています。

2919名無しさん:2021/03/13(土) 12:27:43 ID:NrdB.GxU0
寄り添う思い響く 四天王寺で追悼の打鐘
2021年3月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210312/20210312034.html

 東日本大震災発生から10年を迎えた11日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で、発災時刻に合わせて犠牲者を追悼する鐘が鳴らされた。

 同寺では2011年の発災以降、若手僧侶による被災地慰問や復興支援募金などさまざまな活動に取り組み、追悼の打鐘は一周忌の12年から継続している。

 境内の鼓楼(ころう)、北鐘堂(黄鐘楼(おうしょうろう))、南鐘堂(鯨鐘楼(げいしょうろう))に入堂した僧侶は午後2時46分に、それぞれ天井内の鐘につながる綱を引き、快晴の空に深い響きを7回響かせた。

 打鐘前には、参詣者に鐘の趣旨を伝える境内アナウンスがあり、多く人々がしばし東北に向けて手を合わせた。

 同寺参詣課の小嶋光英さんは「10年の節目に多くの方々と追悼できる機会となった。今後も遠く離れた大阪から追悼するとともに、被災地の復興を祈念したい」と思いを込めた。

2920名無しさん:2021/03/14(日) 22:17:48 ID:NrdB.GxU0
鎌倉時代の聖徳太子像に胎内仏
03月14日 06時43分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210314/2000042462.html

奈良県斑鳩町の寺が所蔵する鎌倉時代の「聖徳太子立像」の胎内に小さな仏像などが納められているのがわかりました。
調査した奈良国立博物館は「平安時代の後期以降に広まった聖徳太子を、観音の化身とする信仰がうかがえる」としています。

胎内から仏像などが見つかったのは斑鳩町の成福寺の本尊で、鎌倉時代に作られた「聖徳太子立像」です。
4月から始まる特別展に先だって、国の重要文化財に指定されているこの像を、奈良国立博物館がX線CTスキャンを使って調べたところ、像の胸のあたりの胎内に、高さ6センチ余りの木製の菩薩半跏像や仏舎利を模したとみられる紙に包まれた16点の鉱物が納められていることがわかりました。
この菩薩半跏像は、聖徳太子が建立したとされる大阪の四天王寺の本尊とおおむね同じ姿勢で、一般的な「如意輪観音」と同じように岩をかたどった台に座っています。
調査にあたった博物館の山口隆介主任研究員は「四天王寺の本尊に対する信仰と平安時代の後期以降に広まった聖徳太子を如意輪観音の化身とする信仰が重ね合わせられていることがうかがえ、非常に興味深い発見だ」と話しています。
今回の調査結果は4月27日から奈良国立博物館で開かれる特別展「聖徳太子と法隆寺」で紹介されます。

2921名無しさん:2021/03/18(木) 22:09:21 ID:NrdB.GxU0
彼岸の入り 春の陽気 四天王寺 参詣者が先祖供養
2021年3月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210318/20210318028.html

 春の彼岸の入りとなった17日、大阪各地の霊園や寺院などでは朝から多くの人たちが訪れ、春本番の陽気の中で手を合わせた。

 このうち大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)では、「春季彼岸会(え)」(23日まで)が始まり、境内の諸堂で参詣者が先祖供養に並んだ。

 お彼岸恒例の露店は、新型コロナウイルス感染拡大予防対策として間隔を空けて出店。骨董(こっとう)品や古着、日用品、食品など多彩なテントやブースが並ぶ中、掘り出し物を探し求めて境内を巡る人たちの姿が見られた。

 親類と訪れた女性(69)=同市東淀川区=は「人出はまだ少ない印象だが、本当に春らしいお天気の日に、ゆっくりお参りすることができた」と話した。

 20日の「春分の日」(彼岸の中日)は、午後5時20分から極楽門(西大門)で、真西に沈む夕日に極楽浄土を思う伝統行事「日想観」が行われる。

2922名無しさん:2021/03/21(日) 19:30:18 ID:NrdB.GxU0
彼岸 極楽浄土へ思い 四天王寺で「日想観」
2021年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210321/20210321032.html

 彼岸の中日「春分の日」の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)の極楽門前で伝統行事「日想観」が執り行われた。多くの参詣者が石鳥居の向こうに極楽浄土を思い、静かに手を合わせた。

 日想観は、かつて同寺の西側に海が広がっていた時代、西門からの光景が極楽浄土に続く入り口として信仰されたことに由来。春・秋の彼岸の中日のみ、夕日が石鳥居の中央に沈むことで知られるが、この日は午後から天気が崩れ、夕日を拝むことはできなかった。

 日没が近づく午後5時ごろから僧侶らが西大門(極楽門)付近に参集し、真西に向かって般若心経などを読経。参詣者も合わせてお経を唱えながら伝統行事を見届けた。

 堺市から訪れた木下恭子さん(67)は「夕日が見られなくて残念でしたが、皆さんと手を合わせることができて心が落ち着きました」としみじみと話した。

 午前中は天候に恵まれたこともあり、朝から家族連れなどが続々と参詣。露店は新型コロナウイルス感染拡大予防対策として間隔を空けて出店され、にぎわった。

2923名無しさん:2021/04/03(土) 23:18:11 ID:NrdB.GxU0
斑鳩町 世界遺産の法隆寺 聖徳太子没後1400年の特別法要
04月03日 17時06分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210403/2000043429.html

 ことしは聖徳太子が亡くなって1400年にあたるとされています。
世界遺産の法隆寺では、3日から聖徳太子の遺徳をしのぶ特別法要が始まりました。

ことしは、聖徳太子の没後1400年の「御遠忌(ごおんき)」とされ、奈良県斑鳩町の世界遺産、法隆寺では、聖徳太子の遺徳をしのぶ特別法要が、3日から3日間、行われます。
初日は、金堂や五重塔がある西院伽藍で法要が営まれ、県内外の寺社の関係者など450人余りが参列しました。
法要では、鮮やかな衣装をまとった4人の子どもたちが極楽にいるとされる鳥にふんし、雅楽に合わせて華麗な舞を奉納しました。
そのあと、法隆寺の古谷正覚住職が、聖徳太子の事績をたたえる「表白(ひょうびゃく)」を読み上げ、遺徳をしのびました。
最後に、僧侶が経を唱える中、参列者は、会場の中心に設けられた焼香台で次々に焼香を行いました。
法要を見学した愛媛県の70代の女性は「勇壮な舞や雅楽が印象に残りました。連綿と続く歴史を感じ、記念すべき1日になりました」と話していました。
法隆寺の特別法要は5日まで行われます。

2924名無しさん:2021/04/03(土) 23:22:19 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の命日法要で使うみこし初公開 四天王寺 光る江戸の技
4/1(木) 11:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c014a4b706e38dff38b4c8402c847efaf5005186

 四天王寺(大阪市天王寺区)宝物館で、毎年4月22日に営まれる聖徳太子の命日法要「聖霊会(しょうりょうえ)」で使われる2台のみこし「鳳輦(ほうれん)」「玉輿(ぎょくよ)」(いずれも江戸時代)が初めて一般公開されている。それぞれ太子の像と仏舎利(釈迦の遺骨)という寺の信仰の核となる宝物を載せる特別なみこし。当初の飾り金具がほぼ残るきらびやかな姿を間近に見ることができる。【花澤茂人】

 聖霊会などの大きな法要は境内の六時礼讃(ろくじらいさん)堂で営まれ、聖霊院に安置される太子の像を鳳輦に、金堂に安置される仏舎利を玉輿に載せ、法要の本尊となる太子の絵像「楊枝御影(ようじのみえい)」の両脇に置く。寺によると、かつてはそれぞれのお堂から練り歩いていたが近年は実施しておらず、法要中も参拝者は堂内に入れないため、みこしを見られる機会はなかった。

 鳳輦は高さ217・5センチ、玉輿は同234センチ。金具の様式から、江戸時代初期に徳川家によって寺が再興された時に作られたとみられる。これまで通常時は蔵に保管していたが、聖徳太子(622年没)の「千四百年御聖忌(ごせいき)」に合わせて宝物館に移し、今後は一般公開することにしたという。

 同寺の一本(いちもと)崇之学芸員は「豪華な金具は特別なみこしにふさわしい。江戸初期の最高の職人技を見てほしい」と話す。

 宝物館は正月と春、秋に公開され、今春は5月5日まで。拝観料は大人500円、高校・大学生300円。聖霊会の前後数日はみこしは見られない。問い合わせは同寺(06・6771・0066)。

2925名無しさん:2021/04/04(日) 00:13:26 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子ゆかりの手拭い作成 大阪の町、没後1400年記念
2021年3月30日 16:39
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210330/20210330079.html

 大阪府太子町が町名の由来となっている聖徳太子の没後1400年を記念し、太子を祭る廟がある叡福寺など町内施設を紹介する手拭いを作った。施設には20種を超える布用のスタンプを置いてあり、周遊しながら押して楽しめる。

 手拭いは町役場の観光産業課の窓口と竹内街道交流館で観光アンケートに答えた人にプレゼントする。千本を用意した。叡福寺や日本最古の官道とされる竹内街道、歴史資料館のほか、ブドウ、ミカンといった特産品などの絵を描いている。

町によると、太子の没年は621年と622年の二つの説があり、町は今年を没後1400年として記念事業をしている。

2926名無しさん:2021/04/06(火) 22:34:50 ID:NrdB.GxU0
豊臣秀吉 家臣に領地与えた書状2通発見
04月06日 17時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210406/2000043553.html

豊臣秀吉が家臣に領地を与えたことを示す書状2通が、兵庫県たつの市の旧家で見つかりました。
専門家は、秀吉が土地を与えて政権を支える家臣団を作っていった過程を知ることができる貴重な資料だと評価しています。

豊臣秀吉の書状は、たつの市の旧家に残されていた、およそ4000の古文書の中から見つかりました。
たつの市によりますと発見された2通は、秀吉が家臣の垣屋孫市にあて送ったもので、1通は天下統一前の1583年に、もう1通は「太閤」と呼ばれるようになった時期の1594年に書かれたものです。
2通とも現在の神戸市の東部に、200石の領地を与えるという内容で、このうち秀吉の書であることを示す、赤い朱印が押された1594年の書状は、高級和紙の「大高檀紙」で、紙の大きさも限られた権力者しか使うことができなかったものだということです。
日本の中世史が専門の兵庫県立歴史博物館の前田徹学芸員は、「秀吉が領地を与えることで家臣を束ね、政権を支える集団を作っていったことを知るうえで貴重な資料だ」と話しています。
発見された書状は、今月24日から兵庫県たつの市の市立龍野歴史文化資料館で一般公開されます。

2927名無しさん:2021/04/08(木) 23:23:45 ID:NrdB.GxU0
いとし・こいし 兄弟の絆紹介 ワッハ上方で特別展
2021年4月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210408/20210408037.html

 大阪市中央区の大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)で、昭和から平成にかけて活躍した兄弟漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の足跡をたどる特別展が行われている。幼少期から、紫綬褒章をはじめ数々の勲章を授かり「上方漫才の至宝」と称された晩年まで、兄弟の絆を紹介している。

 同館では、「上方演芸の殿堂入り」した芸人を特別展で紹介しており、昨年10月から2カ月開催した故ミヤコ蝶々(ちょうちょう)展に続いての第2弾。同コンビは2004年に殿堂入りしている。

 「夢路いとし・喜味こいし 上方漫才を支えた兄弟コンビ展」と題した展示では、前コンビ名の「荒川芳博・芳坊」時代から、漫才作家の故秋田實氏が主催する若手漫才集団「MZ研進会」に参加し、現コンビ名に改名した後の活躍ぶりを当時のパンフレットや出番表、写真などで振り返っている。

 また、著作物から引用し、2人の漫才の考えや兄弟への思いを紹介している。

 企画を担当した同館の五味誠さんは「2人の漫才は、感情移入してしまう身近なネタだった。大人から子どもまで楽しめるネタを作るため、どのように漫才に取り組んできたのか、2人の人柄を合わせて見ていただきたい」と話している。

 入館無料。毎週月曜休館(月曜が祝日の場合は翌平日が休館)。

2928名無しさん:2021/04/10(土) 08:39:09 ID:NrdB.GxU0
壁一面に「龍」の字 北区・国分寺「花まつり」
2021年4月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210409/20210409024.html

 大阪市北区の真言宗国分寺派大本山国分寺で8日、お釈迦(しゃか)様の誕生を祝う伝統行事「花まつり」が行われた。堂内墓地が同日オープンし、新型コロナウイルス感染症収束祈願の初護摩と書道パフォーマンスも行われ、参拝者が神妙な表情で見守った。

 堂内墓地は、霊園墓石のヤシロ(箕面市、八城正明代表)が運営する「国分寺御廟(びょう)」。境内の会館を改修し、地上4階地下1階の施設に4千基の遺骨を収蔵する。

 護摩炊きは、近隣住民が記名した護摩木を合田和教管長と僧侶4人が読経しながら燃やし、書道家の真澪(しんれい)さんが壁一面に仏法の守護獣「龍」の字を書き入れる書道パフォーマンスを繰り広げた。

 初護摩を終えた合田管長は「(昨年の感染拡大当初は)コロナはただのコロナだった。それが時間がたち、人災が入ってきている。ごく普通に暮らし、守るべき常識を守り、手を合わせれば早期に収束するのではないか」と参拝者に語り掛けた。

 境内では、花見堂の仏様に甘茶をかけたり、花のアロマキャンドルを作るワークショップ、写経体験が行われた。

2929名無しさん:2021/04/12(月) 23:24:49 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子1400年忌法会 大阪・太子町の寺で始まる
2021年4月10日 14:59
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210410/20210410048.html

 聖徳太子を祭る廟がある大阪府太子町の叡福寺で「1400年御遠忌大法会」が、10日から始まった。5月11日まで関連行事が営まれる。

 近藤本龍住職は初日の法要で、仏教の興隆とともに「十七条憲法」や「冠位十二階」を制定した太子の功績をたたえるとともに、新型コロナウイルスの感染拡大が収まるよう願った。雅楽師の東儀秀樹さんは演奏を奉納した。参拝した大阪府富田林市の50代女性は「厳かですね」と話した。

 大法会の期間中、京都の知恩院や奈良の法隆寺、和歌山の金剛峯寺などから僧が赴き、法要を営む。

2930名無しさん:2021/04/17(土) 22:33:57 ID:NrdB.GxU0
人間国宝、吉田簑助さん今月引退 文楽人形遣いの第一人者
2021年4月15日 19:37
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210415/20210415143.html

 文楽協会(大阪市)は15日、人形浄瑠璃文楽の人形遣いの第一人者で人間国宝の吉田簑助さん(87)が、国立文楽劇場(同)で開催されている4月文楽公演の25日の千秋楽をもって、舞台を引退すると発表した。協会を通じ「人形遣いとして持てる力の全てを出し尽くしました」とコメントを出した。

 同協会によると、引退後の活動は未定としている。体調面での問題はないという。

 吉田さんは大阪市出身。1940年に吉田文五郎に入門し、61年に吉田簑助を襲名。94年に人間国宝に認定され、2009年に文化功労者、12年に日本芸術院会員となった。

 女形で高い評価を獲得した。

2931名無しさん:2021/04/18(日) 11:16:47 ID:jqEGNHaE0
「言われるがままに次々とハンコを…」大阪の名刹「正圓寺」 悪名高き “事件屋”に乗っ取られ解体寸前
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a05f7aa1f01d9f7e3e3c866926f6f2abca77ad0?source=pc-detail-subcolumn

 ナニワの名刹が乗っ取られ、解体される危機に瀕している。

 大阪市阿倍野区の聖天山(しょうてんやま)に建つ真言宗「正圓寺(しょうえんじ)」は、遡ること千年前の平安時代に開基され、「おおさか十三仏霊場」にも列せられる由緒正しき寺院。地元では親しみを込め、「天下茶屋の聖天さん」と呼ばれている。

 ところが、目下、15代目住職の脇の甘さも一因で、名うての「事件屋」らの介入を招き、千年の歴史も無に帰すことになりかねない状況なのだ。

 当の辻見覚彦住職その人が、事の顛末を明かす。

「きっかけは、寺の敷地内に特養老人ホームを建設しようとしたことでした。父親の代に計画は立てられていたのですが、“聖天山古墳”という史跡に指定されているので開発許可が下りなかった。しかし、“橋下市政”の規制緩和で、鉄筋コンクリート造りの建物でも建設可能になりました」

2932働き方改革:2021/04/24(土) 07:21:31 ID:m.mdbzyo0
※新型コロナウィルス感染拡大防止!
煙草の販売!、喫煙禁止! 既設の喫煙所の撤去解体。

新型コロナウィルス感染の騒ぎが終息するまで。

「コロナ重症化の背景はタバコ?」志村けん死去でテレビが伝えにくい”真実”
多くの人々に愛された志村けんのあまりにあっけない死。死後に遺体が近親者が触れることもできないまま袋づめされて荼毘に付されたことは改めて新型コロナウイルスの怖さを思い知らせることになった。

 志村けんの死で新型コロナウイルスがどのようにして肺に炎症を起こしていくのかが注目されている。

 各テレビ局の情報番組などでは3月31日の放送でそのプロセスをくわしく説明していたが、

喫煙の習慣との新型コロナ重症化の関係が注目された。 
 以下、主な番組でこの点についてどのような説明があったのかを見てみよう。

ヘビースモーカーだった一面を指摘したフジテレビ『とくダネ!』
 番組では52歳当時の志村けんのインタビュー(2002年4月23日『とくダネ!』)映像を放送。そのなかで志村がインタビューの最中にタバコをくゆらせる場面もあったのが印象的だ。

 志村けんの兄・知之さんは「4年前に肺炎になってからお酒もだいぶ減らしてタバコも1日3箱吸っていたのが全然吸わなくなった」と話していた。

※検索!「志村けん 死因」

2933名無しさん:2021/04/24(土) 22:20:27 ID:NrdB.GxU0
万部おねりコロナ自粛 平野・大念仏寺
2021年4月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210424/20210424034.html

 大阪市平野区の融通念仏宗総本山大念仏寺は、新型コロナウイルス禍を受け、5月1〜5日の伝統行事「万部(まんぶ)法要」を職員のみで行う。

 期間中は万部おねり、伝供(でんぐ)を自粛するほか、各種イベントや布教、境内の出店を中止し、朱印、物品販売のみ行う。

 万部おねりは「二十五菩薩聖聚(ぼさつしょうじゅ)来迎会」と「阿弥陀(あみだ)経万部会(え)」が融合した伝統行事で、境内で二十五菩薩が現世から極楽浄土に導く来迎の様子を厳かに再現する。2002年度に大阪市指定無形民俗文化財となった。

2934名無しさん:2021/04/25(日) 01:31:43 ID:jqEGNHaE0
「なぜこの時期に?」強行した岸和田だんじり入魂式に地元から困惑の声
https://news.yahoo.co.jp/articles/9959ec9cc7c66196a233782d820261db4c054169

 4月11日、大阪府岸和田市で「だんじり」の入魂式が行われたことがネットで拡がり、物議を醸している。

⇒【写真】コロナ禍になり、めっきり人が減ったという岸和田の商店街

 入魂式とは新調したり修理した「だんじり」に魂を入れる行事のことで、この日は2年前に破損して修理した「だんじり」に魂を入れ、街中で曳行してお披露目された。その「だんじり」を見ようと集まった人や引き手たちが密になっている様子がSNSを通じて拡散されたのである。

 これに対してネットでは「コロナ禍でも決行してくれて嬉しい」や「自粛一辺倒の生活の中、よくやってくれた」という声が上がる一方で「なぜこの時期に?」という批判的な意見も多く見られた。なお、だんじりの本祭は毎年9月に行われているが、昨年は新型コロナウイルスの影響を受け、だんじりの曳行を自粛している。コロナ感染拡大の第3波、第4波といわれる中で入魂式を行ったことに対し、地元の住民はどう思っているのか。現地で声を聞いてみた。

これでコロナが増えたら岸和田には誰も来なくなる……
 岸和田駅に到着したのは「入魂式」が行われた5日後の夕方、入魂式の影響でさぞ盛り上がっているのでは……と駅前商店街に足を運んでみるも、客足はほとんどなく静まり返っていた。まずは、商店街周辺で話を聞いてみた。

「入魂式では感染対策としてマスクやアルコール除菌ボトルを用意して、だんじりへの声援は自粛するよういわれていました。それでもかなり密になっていたし、だんじりの綱を曳く青年団の中にはマスクをしていない人もいました。見物人も顎マスクで話している人をたくさん見かけましたね。

 祭りの総括責任者は毎年順番で決まるのですが、昨年も今年も中止となったら来年以降の参加者が減ってしまうし経済効果も期待してやらざるを得なかったという話を聞きましたね。特に最近は祭に参加する若者が少子化とか、『ケガするから危ない』と親から反対されて減少しているので、何とかしたいという気持ちは分かるのですがね……。

 入魂式が行われて、ネットでは一部『よくやってくれた!』なんて称賛の声もありましたが、近隣の私達からしたらたまったものではありません。市内のコロナ感染者は増加していて。入魂式が原因でこれから増えたら、岸和田には誰も来なくなってしまいますよ」

 入魂式を決行した英断よりも、その後の風評や感染拡大を気にした住民は少なくないという。特に商店は「岸和田はコロナの街」となれば、近隣からの買い物客は激減する。そのため、「勘弁してほしいわ」が本音だったとも。

入魂式の日は客に来てほしくなかった
 更に取材を進めると、近隣の飲食店からはこんな声を聞くこともできた。

「この辺はだんじりの曳行ルートなのですが、入魂式付近の日程をあえて避けるように休業している飲食店をわりと見かけました。特に昼カラオケやスナックでは入魂式後1週間までは休業するというところもありましたね。

 うちは飲み屋なので時短を守って営業はするけれど、入魂式があった日はなるべく客に来てほしくなかったというのが正直なところです。入魂式は朝からだったのですが、それでもだんじり好きな人は見物に行くんですよね。

 昼頃には町会や見物客が大人数で飲みに来たけれど、入店するときに『マスク会食でなるべく会話を控えてほしい』と言ったら帰っていきました。今でも、大人数の客はなるべく来てほしくないので食材を必要最低限しか仕入れないようにしています」

 時短営業で、ただでさえ厳しい状況の飲食店。もちろん、本音は客に来てほしい……のだが、この日ばかりは事情が違ったと苦しい胸の内を明かしてくれた。

入魂式の日は府外に出張という名の避難
 居酒屋にいた男性は今回の報道に対して次のような持論を述べた。

「入魂式は日曜日だったのですが、この辺りが密になることは分かっていたのであえて出張して府外に避難していました。ここ数日で岸和田市内の感染者が増加したこともあり、この周辺は商店街を見ても分かる通り出歩いている人はほとんど見かけません。

 今回はたまたま中之濱町の入魂式の様子がフォーカスされてしまいましたが、先月には別の町会がやっていましたし来月にも別の町会の入魂式があるのでまた批判されると思います。でも、大阪の緊急事態宣言解除がなければ入魂式自体も自粛していたと思うんですよね。今回は吉村さんの判断があまりにも甘すぎたのでは……とも思いますね」

 地元だからあまり大声では言えないが……と男性は口をつぐむが、想像以上に密になってしまった入魂式に対して地元からも避難の声は多いようだ。伝統を継承することも大切だが、今は非常事態ともとれる時期。なにか他の方法はなかったのだろうか。

2935名無しさん:2021/04/26(月) 23:01:38 ID:NrdB.GxU0
文楽 人間国宝の吉田簑助さん「引退」 81年の舞台生活に幕…最後の舞台では客席から大きな拍手
4/26(月) 19:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0c6ba670ba461b0fcd3ba3e27b54670a5dcea38

大阪の伝統芸能・文楽の人形遣いで人間国宝の吉田簑助さんが、24日、81年の舞台生活に幕をおろしました。

緊急事態宣言中の公演が中止となり吉田簑助さん(87)にとっては一日早い引退となりました。

簑助さんは6歳から81年にわたり人形遣いとして活躍、人間国宝にも認定されました。

98年には脳出血で倒れ、言語障害が残りましたが、舞台に立ち続け、文化功労者にも選ばれました。

出演後、一番弟子の桐竹勘十郎さんが簑助さんの言葉を代読しました。

「これからも文楽をどうぞよろしくお願いいたしします。皆さま、本当にありがとうございました」

三味線奏者で人間国宝の鶴澤清治さんから花束を受け取った簑助さんは、目を潤ませながら「ありがとう」と応じていました。

最後の舞台を終えた簑助さんに対し、客席からは大きな拍手が送られました。

関西テレビ

2936名無しさん:2021/04/30(金) 00:13:50 ID:NrdB.GxU0
江戸時代に絵師が落書 大阪・叡福寺、年代や名前
2021年4月30日 0:02
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210430/20210430001.html

 大阪府太子町教育委員会は29日、叡福寺の多宝塔(同町、国重要文化財)の内部で江戸時代前期に彩色した絵師が自身の名と制作年を記した落書が見つかったと発表した。同寺は聖徳太子の墓とされる叡福寺北古墳があることで知られる。

 町教委によると、社寺などの建造物の彩色は制作年代や絵師名の分かる事例が少ないが、落書の年代から彩色の年代が判明、江戸時代前期の建造物がどのような色で塗られていたかを知る手掛かりになるとしている。

 墨書の落書は西側上部の長押の裏側に3行に分けて「よしおか 二郎吉かたミ 承応二天六月吉日」と記されていた。

2937名無しさん:2021/05/01(土) 23:30:01 ID:NrdB.GxU0
伝統の工程、鮮やか実演 上方浮世絵館
2021年4月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210430/20210430026.html

 浮世絵制作の実演や体験をする催しが29日、大阪市中央区の上方浮世絵館で開かれた。同館の開館20周年を記念し、新型コロナウイルス感染拡大の対策を講じた会場で実施。伝統技術を受け継いだ専門家が刷る工程を披露し、5色の色彩豊かな作品を仕上げていた。

 同館は、上方浮世絵を常設展示する私設美術館。上方の歌舞伎や浮世絵にゆかりの深い大阪・道頓堀で2001年4月28日に開設した。上方浮世絵は、江戸後期から明治初期まで、主に大坂で作られていた浮世絵版画。地元の歌舞伎芝居を描いた役者絵が多く、美化しない人間味のある描写が特徴という。

 浮世絵の実演は、市村一房堂四代目の摺(すり)師、古川元偉さんが披露。富士山を背景に、波間を舟が進む「冨嶽(ふがく)三十六景 神奈川沖 浪裏」を現代風に5色で制作した。

 色を付けたい部分が凸状になった木版の上に、絵の具を塗り、紙を載せて馬連で刷り込む作業を5回実施。濃淡をつけるぼかしの技術も駆使した。

 実演後は、体験会も実施。参加者が丁寧に作業に臨む姿が見られた。

 同館の高野征子館長は「『継続は力なり』の言葉を念頭に置き、今後も上方浮世絵の魅力を伝えていきたい」と話していた。

2938名無しさん:2021/05/05(水) 22:06:39 ID:NrdB.GxU0
豪商・淀屋 実像迫る 研究会設立15周年で新資料集
2021年5月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210505/20210505032.html

 “天下の台所・大坂”の基盤を築いた江戸期の豪商・淀屋。北浜に米市場開設や「淀屋橋」架橋といった多くの偉業と歴史を顕彰する人々の集い「淀屋研究会」(大江昭夫代表)が昨年設立15周年を迎え、記念事業として資料集の総集編を発刊した。10年がかりで編集した淀屋の実像に迫る内容で、会員をはじめ歴史愛好家の注目を集めている。

 大阪市内中心部を流れる土佐堀川に架かる「常安(じょうあん)橋」にその名が残る淀屋初代・常安は、中之島一帯の開拓に尽力したことで知られる。2代・言當(げんとう)の時代に米市場を確立、発展させるも、5代・廣當(こうとう)の時代の1705(宝永2)年、幕府によって全財産を没収される闕所(けっしょ)処分、所払いとなった。

 しかし、闕所以前にのれん分けしていた淀屋番頭の牧田仁右衛門が、現在の鳥取県倉吉市に「牧田淀屋」を開店。後年に子孫が再び大坂で「淀屋」を開店させた、といった劇的なドラマがある。

 同研究会は、闕所から300年に当たる2015年当時、倉吉市大阪事務所長だった伊藤博章さん(故人)を初代代表に設立した。活動として、月例会や淀屋ゆかりの地を訪ねるフィールドワークに取り組むほか、大阪と倉吉の交流にも注力。一般対象イベントとしては、秋恒例の「船場まつり」(実行委)の一環で講演会を開き、毎年好評を得ている。

 今回の「淀屋関連資料集総集編」(220ページ)は、同研究会が11年以降に発刊した複数の資料をベースに、以後の研究で判明した内容を加筆、改訂してまとめた。淀屋の歩みや家系、文化人との交流、大阪市と谷町と京都・八幡市に残る菩提(ぼだい)寺などを詳しく解説している。

 3代目代表を務める大江さん(70)は「次代に見てもらえる一冊を残したかった。闕所処分で滅びたゆえに現存資料が極めて乏しい中、ようやく完成した」と、発刊までの道のりを振り返る。

 現在の会員数は約70人。昨年来の新型コロナウイルス禍で、月例会をはじめあらゆる活動に支障が出ているが、「100人を目標に会員を増やし、より多くの人に『淀屋』を知ってもらいたい」と意欲を燃やす。

 ◇「総集編」は2千円。初心者向けの資料「淀屋物語〜10分で分かる入門の入門編」(切手代140円で頒布)も用意。問い合わせは電話090(3263)4108、大江代表。

2939名無しさん:2021/05/17(月) 23:08:22 ID:NrdB.GxU0
聖霊院絵堂を22日特別公開 四天王寺
2021年5月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210517/20210517032.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は22日、聖徳太子を祭る境内・聖霊(しょうりょう)院(太子伝)絵堂で、太子の生涯を描いた壁画を特別に一般公開する。拝観無料。

 新型コロナウイルス対策として、一度に入堂できる人数は15人まで。午前8時半〜午後4時半。閉堂後は同寺僧侶がオンラインで絵解き説法(約30分間)を配信する。

 21、22両日の月例の露店出店は、緊急事態宣言延長を受けて中止する。供養と祈とうは通常通り行う。

 21日(大師会)は弘法大師、22日(太子会)は聖徳太子のそれぞれ月命日で、古来「お大師さん」「お太子さん」の通称で多くの市民に親しまれている。

2940名無しさん:2021/05/19(水) 22:34:41 ID:NrdB.GxU0
日本三大祭りで一番多くの観客を集める天神祭、今年も残念ながら規模を縮小しての開催です。

大阪 天神祭 花火や船渡御ことしも中止 陸渡御は一部実施へ
05月19日 18時08分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210519/2000045824.html

例年7月24日と25日の2日間、開催され、大阪の夏を代表する祭り、「天神祭」について、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で去年に続きことしも多くの人が集まる行事を一部中止とすることが決まりました。
花火や多くの船が川を行き交う船渡御はことしも中止になるということです。
一方、まちを練り歩く陸渡御については人数をおよそ3000人から50人ほどに減らしたうえで、一部、実施し、観客が集まらないよう詳しい時間を事前に周知しないとしています。

大阪 生國魂神社 夏祭りの「渡御列」 2年連続で中止決定
05月19日 19時58分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210519/2000045831.html

大阪の三大夏祭りのひとつ、生國魂神社の夏祭りは、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、大阪城までみこしを担いで練り歩く行事が2年連続で中止となることが決まりました。

大阪・天王寺区の生國魂神社の夏祭りは、平安時代から続く伝統行事で、例年、7月上旬に行われてきました。
この祭りの中心的な行事は「渡御列」と呼ばれ、大阪城までの道のりをおよそ500人の氏子や高校生などがみこしを担いで練り歩きます。
神社では新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、この行事を去年に続き中止することを決めました。
本殿などで行う神事については、一般の参列者は入れず神職など関係者のみで執り行うということです。

2941名無しさん:2021/05/24(月) 22:21:54 ID:NrdB.GxU0
「結縁綱」復元へ 100年ぶり 資金支援募る
2021年5月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210524/20210524030.html

 今年は聖徳太子没後1400年の節目。太子創建で、日本仏法最初の官寺として知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は、100年に1度の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」記念として、さまざまな事業に取り組んでいる。このうち1921(大正10)年の「千三百年御聖忌」でも行われた「結縁綱(けちえんづな)」を復元する一大プロジェクトが進行中。文字通り、多くの縁を結ぶよう目標金額500万円のクラウドファンディング支援を呼び掛けている。

 結縁綱に関する詳しい資料は現存しないが、鳥取出身の日本画家・菅楯彦(1878〜1963年)の作品に、五重塔や境内の諸堂が綱でつながった光景が細やかに描かれている。

 同寺では、かねて結縁綱と支柱「結縁柱」の設置を計画していた。新型コロナウイルス禍にあって、大々的に参詣者に寄進を募ることが困難な状況下だが、同区の近鉄グループの広告会社、アド近鉄から、沿線活性化を目指す新たなクラウドファンディングサービス「エールレール」の提案があり、双方の思惑が一致、プロジェクト始動の運びとなった。

 復元する綱は鮮やかな5色で、聖霊(しょうりょう)院に祭られている本尊・聖徳太子像の御手(みて)から空中に延び、五重塔、金堂、講堂、仁王門、六時堂とをつなぐ。総延長は約350メートルにもおよび、途中の3カ所に高さ約7メートルの結縁柱を設置。参詣者が綱や柱に触れることで、太子との縁を結ぶことができるという趣意だ。

 御聖忌は10月から来年4月まで続き、法要が中心となる。同寺参詣課の河邊啓法さんは「コロナ禍で参詣者がお堂内に参列できない現状では、お寺や法要、僧侶との距離が離れがちになる。皆さんが綱や柱に触れることによってご縁を結んでいただき、距離が縮まるという点で大変意義深い」と大きな期待を寄せる。

 クラウドファンディングは11日にスタートし、出足は好調。8月8日まで募集する。支援額は5千円からで、返礼品としては御聖忌終了後に回収し、ループ状に加工した「結縁綱」(きり箱入り)の実物をはじめ、金額に応じて複数の品々や組み合わせが用意されている。支援は同寺、同社のホームページで。

2942名無しさん:2021/05/24(月) 22:30:38 ID:NrdB.GxU0
戦前の建築特徴、今に 大規模化の過程示す史料
2021年5月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210522/20210522022.html

 大阪市浪速区の旧松坂屋大阪店(現・高島屋東別館)が21日、国の重要文化財(重文)として指定されることになった。同別館は2019年に国の登録有形文化財に指定されているが、今回の答申で戦前期に最も繁栄した商業地区、堺筋の都市景観を形成した歴史的建造物として、さらに高い評価を受けた形になる。

 同別館は、明治末から昭和前期にかけて、数多くの銀行などの設計を手掛けた鈴木禎次(1870〜1941年)の代表作。

 外観の1階から2階にかけ、下層部に11連のアーチを並べ、半円部分にテラコッタ彫刻を施している。内部の大階段やエレベーターホールなどには大理石がふんだんに用いられ、豪華な空間を醸し出している。

 創建当初の大規模商業建築の特徴も有している。2カ所の避難専用階段や消火栓などが設置され、全館に向けた冷暖房設備、エレベーターなどの当時の最新機器が一部保存されている。

 豊かな装飾を施した細部意匠や平面計画、建築設備、防火対策を入念に施すなど、百貨店建築の大規模化の過程を知る上で貴重な建物として、重文指定基準の「歴史的価値の高いもの」と評価された。

 高島屋大阪店では「歴史的、文化的な価値を評価していただき、このたびの重文指定の運びとなったことは大変ありがたい」とコメントを寄せた。

2943名無しさん:2021/05/29(土) 01:55:21 ID:NrdB.GxU0
歌舞伎俳優 人間国宝 片岡秀太郎さん死去
05月27日 12時26分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210527/2000046258.html

上方歌舞伎を代表する女形として活躍した、人間国宝の歌舞伎俳優、片岡秀太郎さんが、今月23日、慢性閉塞性肺疾患のため大阪の自宅で亡くなりました。
79歳でした。

歌舞伎俳優の片岡秀太郎さんは、十三代目片岡仁左衛門の次男として大阪で生まれ、5歳の時に初舞台を踏みました。
昭和31年に二代目片岡秀太郎を襲名し、上方歌舞伎特有のはんなりとした芝居を受け継ぐ女形として、多くの舞台で個性的な役柄を演じてきました。
また、平成9年には関西で活躍する歌舞伎役者を育成する「上方歌舞伎塾」を開講するなど、後進の育成にも力を入れてきました。
おととし、いわゆる人間国宝に認定され、この春、旭日小綬章を受章しています。
松竹によりますと、去年12月の京都・南座での舞台が最後の出演となったということで、今月23日、大阪・吹田市の自宅で慢性閉塞性肺疾患のため亡くなりました。
79歳でした。

【片岡仁左衛門さんと片岡愛之助さんのコメント】。
片岡秀太郎さんの弟で、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さんは、「兄は当人の理想どおりの最期を迎えられ、安らかに旅立ちましたことが、私どものせめてもの救いでございます。生前、皆様から賜りましたご支援、ご厚情に深く御礼申し上げます」とコメントを発表しました。
また、秀太郎さんの養子となった片岡愛之助さんは、「父は私を歌舞伎の世界に、そして、松嶋屋に入れて下さった大恩人で有ります。普段はとても優しいのですが、芝居の事になるととにもかくにも厳しい方でした。上方にこだわり、上方の歌舞伎に情熱を注がれていました。これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」とコメントしています。

2944名無しさん:2021/05/29(土) 22:34:03 ID:NrdB.GxU0
300株、心に潤い 坐摩神社のアジサイ
2021年5月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210527/20210527022.html

 大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)でアジサイが見頃間近となり、色とりどりの花が境内の随所を飾っている。

 アジサイは北岡忠澄権禰宜(ねぎ)が、約20年前から挿し木で増やし続けており、現在は地植えと鉢植えの計約30品種、約300株を植栽。

 梅雨空の下で白色のカシワバアジサイやアナベルのほか、色彩豊かなマジカルなどが豪華に咲き誇り、参拝者の目を楽しませている。

 北岡権禰宜は毎年、鉢植えの位置などを工夫しながら装飾。「新型コロナウイルス禍で落ち着かない情勢が続いているが、お参りに来られた方の気持ちが少しでも和んでもらえれば。いずれは心ゆくまで花を観賞していただけるよう、事態の早期収束を願いたい」と話した。花は6月中旬まで楽しめる見込み。

2945名無しさん:2021/05/29(土) 22:57:08 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭が平日公演再開、大阪 なんばグランド花月も
2021年5月29日 18:40
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210529/20210529089.html

 上方落語協会(大阪市)は29日、大阪府が新型コロナ緊急事態宣言期間中の演芸場や劇場などへの要請を緩和させたことを受け、上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(同市)の平日の公演を6月1日から再開すると発表した。宣言期間の同20日まで土日は休館し、平日も午後9時までに終演する。全216席のうち使用は102席のみとする。

 吉本興業も29日、「なんばグランド花月」「よしもと漫才劇場」「森ノ宮よしもと漫才劇場」(いずれも大阪市)の3カ所で6月1日から平日に観客を入れた公演を再開すると発表した。

 「よしもと祇園花月」(京都市)は観客を入れた公演の再開を見送る。

2946名無しさん:2021/06/02(水) 21:53:51 ID:NrdB.GxU0
上方落語「天満天神繁昌亭」再開 にぎわい取り戻す一歩
06月02日 18時42分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210602/2000046582.html

1日から緊急事態宣言が再延長されたことに伴い、無観客での開催が要請されていた劇場などは平日、定員の半分まで客を入れての営業が可能になりました。
営業を休止していた上方落語専門の寄席「天満天神繁昌亭」も再開。
以前のにぎわいを取り戻すための一歩を踏み出しました。

2947名無しさん:2021/06/02(水) 23:19:52 ID:NrdB.GxU0
家康、豊臣秀次宛ての新たな書状 「伊達政宗は味方」と伝達
2021年6月1日 17:31
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210601/20210601084.html

 静岡市は1日までに、徳川家康が豊臣政権下で秀吉のおい、秀次に宛てた書状が新たに見つかり、原本を入手したと発表した。ともに東北地方の平定を担っていた秀次に「伊達政宗は味方」との情報を伝える内容。

 市によると、書状は1590年12月8日付。北条氏を攻めた小田原合戦後、家康が秀吉の命で居城を駿府(現在の静岡市)から江戸に移した時期に当たる。

 当時は東北で一揆が起き、伊達政宗の関わりがうわさされていた。書状では一揆鎮圧に当たった浅野長吉(のちの長政)から報告を受けたとして「政宗の動向が分からないとのことだったが、味方であるのは間違いない」と記されている。

2948名無しさん:2021/06/05(土) 20:28:48 ID:NrdB.GxU0
大阪とは 日ノ本の中心 である。
そう言っても良いぐらいに芳醇な歴史を持つ場所なのであります。
だから大阪の人間は大阪に対してもっと自信を持っていい。

来年生誕500年、「最初の天下人」の顕彰碑
6/5(土) 19:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a54cf5312e1d420c238067a0848d1fe6978893a0

戦国時代に織田信長らに先駆けて近畿一円を支配し、<最初の天下人>とも呼ばれた武将・三好長慶(1522〜64年)が来年生誕500年を迎えるのを前に、長慶が本拠とした大阪府高槻市で、市民グループが顕彰碑を建立した。地域住民や全国の歴史ファンらから寄せられた協賛金(約300万円)を活用。メンバーは「大きな功績を広く知ってほしい」と願う。

市民らでつくる「三好芥川城の会」(大和實会長、約150人)の顕彰碑建立委員会が制作。長慶の居城だった芥川山城跡の麓にある摂津峡公園の桜広場に設置し、市に寄贈した。

 完成した石碑は高さ約2メートル。鎮座する座像は、長慶の菩提(ぼだい)寺である聚光院(京都市)に伝わる重文の肖像画に倣った。台座には、聚光院の小野澤虎洞(こどう)住職が揮毫(きごう)した「文武両道 理世安民」の文言が刻まれている。理世安民は「道理を持って世を治め、民を安心させる」という意味で、長慶の信条という。

 長慶は1553年に芥川山城に入城し、飯盛城(大東市、四條畷市)に移る60年まで居城とし近畿などを支配した。当時の長慶は権勢の絶頂期で、「三好政権」と呼ばれることもある。

 長慶の死後、三好氏は織田信長に敗れた。歴史上の人物としてあまり注目されてこなかったが、高槻市の市民有志が2002年に三好芥川城の会を設立。「高槻まつり」に武者行列を繰り出し、大東市や生誕地の徳島県三好市といった長慶ゆかりのグループと連携するなどして、長慶の功績や歴史を伝えてきた。

 一方、高槻市内には長慶を顕彰する像が1基もなかった。市ゆかりの戦国武将としては、長慶の死後に高槻城主となったキリシタン大名・高山右近が、ローマ法王庁から「福者」の敬称を与えられるなど広く知られ、市内に像が3基設置されている。

 三好芥川城の会は昨年2月に建立委員会をつくり、資金集めなどの活動を始めた。新型コロナウイルスの影響で一時活動を自粛するなど難航したが、市内外から協賛金が集まり、制作が実現。5月23日の除幕式では、関係者約20人が完成を祝った。同委員会の堀孝会長(87)は「長慶は高槻の誇り。市民の手で顕彰碑を建立するのが、会員にとって長年の念願だった」と話している。

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2950名無しさん:2021/06/08(火) 22:02:05 ID:NrdB.GxU0
最近、豊臣秀吉sageな動きが目につきます。
明智光秀の末裔が唱える明智光秀超優秀説を際立てさせるために、ことさらに豊臣秀吉を極悪人かのように扱ったりしている。
また徳川家康ひいては徳川政権が優秀であり、豊臣秀吉や豊臣政権はダメだった、とする小説が夕刊紙で始まったり。
徳川政権260年と言うが、これは単純に西洋列強の技術進化がその間緩慢であったに過ぎなかったから徳川政権は260年続いたに過ぎないとも言えるのですがね。
それが証拠に幕末に西洋列強が怒涛の如く亜細亜に進出してくると、良く状況を判断し我が国が植民地になるのを防ぎはしたが、徳川政権は持ちこたえられなかった。
この西洋列強の動きが、もし八代将軍吉宗の頃にあったのであれば、やはり徳川政権はそこで終わっていたのではないかな。
何にせよ必要以上に持ち上げる事も押し下げる事もする必要はない。これから紹介するのは豊臣秀吉が行った良い事です。

「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断、被害者の数はなんと5万人
6/8(火) 15:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21

当初は織田信長の政策を継承し、日本でのキリスト教布教を容認していた豊臣秀吉。だが、後に「バテレン追放令」によって布教を禁ずるようになる。秀吉がキリスト教の布教を防ごうとした背景には、ポルトガル人による「奴隷貿易」があった。5万人の日本人が国外に連行されたという、その実態とは?  作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える!  日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

日本にキリスト教が伝わったのは、戦国乱世まっただ中の天文18年(1549年)に薩摩、今の鹿児島・祇園之洲に上陸したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってであった。

 このザビエルからバトンを受け継ぐように永禄6年(1563年)、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日すると、ときの権力者の織田信長から布教活動を許されたこともあって、京都や西九州中心にキリシタンが急増した。信長が本能寺で斃れた天正10年(1582年)ごろには全国で約15万人の信者がいたと言われている。

 この数字は当時の京都の全人口のほぼ半数に匹敵するものだった。その後、信長の後継者となった豊臣秀吉は最初こそ信長のキリシタン保護政策を踏襲したが、天正15年になり、突然手のひらを返すかのように「伴天連(ばてれん)追放令」を発する。伴天連とはポルトガル語で宣教師を意味するパードレが訛ったものだという。

 秀吉にはこのとき、布教や商用のために日本にやってくる西欧人に対し、どうしても許せないことがあったのだという。それは一体何だったのだろうか。

2951名無しさん:2021/06/08(火) 22:03:42 ID:NrdB.GxU0
 ■最初は布教を許していたが…

 秀吉は権力の座についた当初こそ、信長の政策を継承し、キリスト教の布教を容認していた。布教の裏にある西欧諸国との交易――いわゆる南蛮貿易にうまみを感じていたからである。

 この交易では鉄砲や火薬、中国製の生糸などが輸入され、日本からは主に銀、金、刀剣類などが輸出された。そんな信長以来のキリシタンの保護政策に対し、秀吉に見直すきっかけを与えたのが、天正14年(1586年)7月に秀吉自身が始めた「九州平定」だと言われている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=2

 九州平定といっても実質的には九州統一を目論んだ薩摩の島津氏と秀吉との争いだった。この合戦では島津軍は九州各地でよく善戦したが、いかんせん20万ともいわれる秀吉軍の前に次第に薩摩一国に追い詰められ、翌15年4月21日、ついに島津家当主義久は秀吉に和睦を申し入れている。

 その後、秀吉は薩摩にしばらく滞在して戦後処理をすませると、帰国の途につき、途中、博多に立ち寄った。史上有名な「伴天連追放令」はこの地で発令されたものだ。

 それは6月19日のことで、この日秀吉は、九州遠征に勝手に秀吉軍に同行していたポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見すると、次のような四カ条からなる詰問を行っている。

 一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。

 一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。

 一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。

 一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか――という四カ条で、同時に秀吉はコエリョに対し追放令を突き付けている。

 この追放令が出されたことで九州各地や京・大坂にあったイエズス会の教会や病院、学校などが次々に破壊された。しかし秀吉が、交易やキリスト教の信仰自体を禁止したわけではなかったため、ほとんどの宣教師たちは九州などにとどまり、非公認ながら布教活動を細々と続けたことがわかっている。

2952名無しさん:2021/06/08(火) 22:04:57 ID:NrdB.GxU0
■西洋人が胸に秘めた「日本侵略」の意図

 さて、秀吉がなぜこの追放令を出したかだが、その理由の一つに、西欧人たちが胸に秘めた日本侵略の意図を読み取ったからだと言われている。宣教師コエリョが秀吉を博多で出迎えた際、自分が建造させた最新鋭の軍艦に秀吉を乗船させて、自分ならいつでも世界に冠たるスペイン艦隊を動かせると自慢半分、恫喝半分に語ったという。このとき秀吉は彼らの植民地化計画を瞬時に看破したのであった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=3

 もう一つ許せないのが、日本の大事な国土が西欧人たちによって蚕食され始めていることだった。

 たとえば、キリシタン大名の大村純忠は自分の領地だった長崎と茂木を、同じくキリシタン大名の有馬晴信は浦上の地をすでにイエズス会に寄進していたのだ。

 日本国の支配者たる秀吉にとって、いかに信仰のためとはいえ、外国人に日本の領土の一部を勝手に譲渡するなど言語道断の出来事だった。西欧人たちがそれを足掛かりとして領地を広げていくことは火を見るよりも明らかだったからだ。

 最初に宣教師を送り、続いて商人、最後に軍隊を送って国を乗っ取ってしまうという西欧列強お得意の植民地化計画が今まさに実行されようとしていたのだ。

 秀吉はそれを防ぐためには、キリシタン大名や宣教師たちの勝手な振る舞いに一日でも早く歯止めをかける必要があると考えたのである。

 さらに、秀吉がこの伴天連追放令を出した理由として、実はこれが最も大きかったのではないかと研究者たちの間でささやかれている理由がもう一つある。それこそが、先の四カ条の詰問にもあった、日本人の奴隷問題だった。

 日本人の貧しい少年少女が大勢、タダ同然の安さで西欧人に奴隷として売られていることを秀吉はこのたびの九州遠征で初めて知ったのだった。

 九州遠征に同行した秀吉の御伽衆の一人、大村由己は著書『九州御動座記』の中で日本人奴隷が長崎港で連行される様子を大要、次のように記録している。

■『九州御動座記』の記録

 「日本人が数百人、男女問わず南蛮船に買い取られ、獣のごとく手足に鎖を付けられたまま船底に追いやられた。地獄の呵責よりひどい。──中略──その上、牛馬を買い取り、生きながら皮を剝ぎ、坊主(宣教師を指す)も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼下に広がっている……」

 同胞の若者たちが鎖につながれて次々と南蛮船に押し込まれていく光景は大村由己にとってはこれ以上ないカルチャーショックだったに違いない。

2953名無しさん:2021/06/08(火) 22:06:08 ID:NrdB.GxU0
 何とも酷たらしい場面だが、当時の海外に出た西欧の商人にとって有色人種の奴隷交易はなんら恥じることのない商取引だった。これはそもそも、1452年にローマ教皇がポルトガル人に対し異教徒を奴隷にしてもよい、という許可を与えたことが根底にあるという。

 なお、牛馬の肉を手づかみで食べるというのは、西欧ではこの当時、食事にフォークやスプーンを使う習慣がまだ定着していなかったからだ。ルイス・フロイスも日本人が器用に箸を使って食事する様子を驚きをもって本国に伝えている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=4

 大村由己は自分が目撃したことを秀吉に報告したところ、秀吉は激怒し、さっそく宣教師コエリョを呼びつけ、なぜそんなひどいことをするのかと詰問した。するとコエリョは、「売る人がいるから仕様が無い」そうケロッとして言い放ったという。

 この言葉からも、こうした日本人奴隷の交易にキリシタン大名たちが直接的にしろ間接的にしろ何らかの形でかかわっていたことは間違いないだろう。

 海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるという。彼ら日本人奴隷たちは、マカオなどに駐在していた白人の富裕層の下で使役されたほか、遠くインドやアフリカ、欧州、ときには南米アルゼンチンやペルーにまで売られた例もあったという。

 この5万人という数字に関してだが、天正10年にローマに派遣された有名な少年使節団の一行が、世界各地の行く先々で日本の若い女性が奴隷として使役されているのを目撃しており、実際にはこの何倍もいたのではないかと言われている。

 こうした実情を憂慮した秀吉はコエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じた。そして、こうも付け加えた。

 「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」といった主旨のことを伝えている。

 その一方で、日本国内に向けてもただちに奴隷として人を売買することを禁じる法令を発している。こうして秀吉の強硬な態度がポルトガルに対し示されたことで、日本人奴隷の交易はやがて終息に向かうのであった。

2954名無しさん:2021/06/08(火) 22:08:19 ID:NrdB.GxU0
 もしも秀吉が天下を統一するために九州を訪れていなかったら、こうした当時のキリスト教徒が持つ独善性や宣教師たちの野望に気づかず、日本の国土は西欧列強によって侵略が進んでいたことだろう。秀吉はその危機を瀬戸際のところで食い止めたわけである。

■日本史の新視点

 慶長元年12月19日(1597年2月5日)、スペイン船サン・フェリペ号の漂着をきっかけとして、スペイン人の宣教師・修道士6人を含む26人が長崎で処刑された。これはポルトガルよりも露骨に日本の植民地化を推し進めてくるスペインに対する秀吉一流の見せしめであった。

 ともすれば現代のわれわれは秀吉に対しキリシタンを弾圧した非道な君主というイメージを抱きがちだが、実際はこのときの集団処刑が、秀吉が行った唯一のキリシタンへの直接的迫害であった。それもこのときはスペイン系のフランシスコ会に対する迫害で、ポルトガル系のイエズス会に対しては特に迫害というものを加えたことはなかった。

 ここまで見てくると、当時の秀吉は日本の為政者として領土や国民の安全を守るために最善の選択をしたように思えてくるのだが……。



戦国最大のナゾ「豊臣秀吉」が朝鮮出兵した真相
名誉のためなのか、土地が欲しかったのか??
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?utm_source=yahoo&amp;utm_medium=http&amp;utm_campaign=link_back&amp;utm_content=related

これは日本史上の難問題。秀吉はいったいなにを考えて朝鮮まで出兵したのでしょうか。

昔から言われてきた説として、まずあげられるのが名誉欲。日本のすべてを手に入れてしまった秀吉は、言ってしまえば「思い上がっていた」。権力を手にした秀吉が、それに酔ってしまい、日本を征服した自分の力をもってすれば中国でも支配できると考えた。そして実際に大陸を目指す。

もともと、朝鮮を自分のものにしようと考えていたわけではありません。本来の目的は中国大陸です。中国を手に入れて天皇を移すと、そこまで考えていたのですね。もはや妄想に近いような構想ですが、それくらい思い上がっていた、という解釈です。

そしてもう1つ、これも昔からよく言われる説として「土地が足りなくなっていた」というもの。日本全国を攻め取ってしまった結果、家来たちに配分する土地がなくなった秀吉は、家来たちの期待に応えるために、新しい土地の獲得を目指したという説。

家康1人ですら苦労したのに…
最初の「思い上がり説」ですが、果たして人間は、そこまで思い上がれるものでしょうか。本当に秀吉は「日本を全部平定した俺なら、中国大陸も取れる」と考えていたのか。

しかし新刊『「失敗」の日本史』で述べたように、結局、秀吉は家康を潰せなかった。そもそも潰す以前に、家康を家来にすることだけでも相当に苦労しているのです。

豊臣秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営がぶつかった「小牧・長久手の戦い」の当時、もし総力をあげて戦えば、秀吉は家康に勝つことができただろうと思います。しかし彼の立場も繊細なバランスの上に成り立っていた。秀吉にしてみれば「ここで1つ下手を打ったら、今は一応、俺に従っている連中まで牙をむくに違いない。なるべく早く家康と手打ちをしよう」と考えていたはず。

2955名無しさん:2021/06/08(火) 22:09:18 ID:NrdB.GxU0
実際に早々と講和した秀吉が、家康を服従させるために目をつけたのが天皇の権威でした。それまでの秀吉は、もともと天皇や官職にまったく興味がなかった。しかし家康と講和するために、これは使えると目をつけたわけです。

https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=2

すると秀吉は、朝廷の伝統をことごとく破り、官職をもの凄いスピードで獲得し始めます。本来、朝廷には朝廷なりの官職を与える手順がある。これはつまり日本の学校教育として、小学校の次に中学校があり、さらにそこから高校、大学といった段階があるようなもの。

そこで秀吉は、朝廷の記録を改ざんするという荒業に出ます。朝廷には、昔から「何年に誰々がどういう官職に就いた」という『公卿補任』という史料、つまり朝廷の職員録があります。それを秀吉は改ざんし、前歴を詐称して、圧倒的な速度で太政大臣関白まで成り上がった。天皇の権威を利用して、ようやく家康を屈服させることができたのです。

言い換えれば、家康たった1人を屈服させるためにそこまで苦労した。その大変さを秀吉もよくわかっていた。もちろん家康以外、たとえば長宗我部を倒した際も、島津を討った際も、それなりに苦労している。平定、征服というものが、それほど簡単ではないことぐらい、秀吉もわかっていたと思います。

その秀吉が、自らの名誉欲のためだけで、中国にまで手を伸ばそうとするものでしょうか。あれほど慎重だった秀吉が。僕には、そこがわからない。豊臣秀吉の影武者が存在し、どこかで入れ替わっていたのなら、まだしも納得できるのですが。

推測その1「世界を知らなかったのでは」
たとえばの話ですが、世界地図をまだ見ていなかった、ということはあるでしょうか。中国を、それこそ日本の四国くらいに考えていたのなら「よし、じゃあ行こうか」という話にもなる。しかし宣教師が持ってきた地図ぐらいは見ているでしょうし、いかに中国が広大かも、いくらなんでも知っていたはず。

実際のところ、秀吉は「中国は皇帝と官僚が治めている国。つまり基本的に貴族、長袖の連中しかいない」と理解していたようです。それも間違いではないのですが「つまり武力は弱い」という感覚でいたらしい。だとしても、中国の国土はとんでもなく広い。征服するのは決して簡単ではないと、それはわかっていたでしょう。

だから名誉欲に駆られ、思い上がって、朝鮮、中国の迷惑も顧みずに兵を送ったという説明はどうだろうと思うわけです。

2956名無しさん:2021/06/08(火) 22:10:04 ID:NrdB.GxU0
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=3

もう1つ、家来に与える土地を獲得するため海外へ出兵した、という説もよく耳にします。こちらはこちらで、秀吉という人が、果たしてそこまで家来思いだったとも思えないのです。

確かに家来にきちんと恩賞を与えないと、豊臣政権が安定しないという事情はあったのかもしれない。しかしそれを言うのであれば、繰り返しとなりますが、総力を挙げて家康を潰したほうが、よほど豊臣政権は安定したし一石二鳥ではなかったのか。

しかも日本の武士に、言葉も通じない土地を征服して支配するノウハウはありません。海の向こうの土地を与えられても、実際にどう治めたらいいのか。甲子園初出場の高校は多くの場合、1回戦で負けてしまいますが、それは実力と言うより、常連校に比べて甲子園で戦うノウハウが蓄積されていないためではないでしょうか。

これがたとえば中国の異民族、モンゴルや満州族のような北方の異民族が中国を支配するのであれば、歴史の中で蓄積してきたノウハウを持っています。しかしノウハウどころか外国と戦った経験さえない自分たちが、海の向こうの土地を征服して、支配していく。現実として秀吉がそれを構想していたとは到底思えないのです。

推測その3「東シナ海貿易の権益を握ろうとしたのでは」
 結論。では秀吉はなぜ朝鮮出兵をしたのでしょうか?

それは、東シナ海貿易の権益を握ろうとしていたのではないか。これは東北大学名誉教授の平川新先生が出された解釈なのですが、僕はこちらが今のところ、いちばん納得できる説だと思います。

当時はいわゆる大航海時代。ヨーロッパ諸国の船が東シナ海まで来て、貿易を行っていた。その貿易の主導権を握りたい。そうした織田信長以来の思惑が秀吉にもあったのではないでしょうか。

傍証的なことを言うと、秀吉はもともと土地よりも、経済を重視するタイプでした。たとえば徳川に与えた領地は250万石。しかし豊臣は220万石しか持っていない。その代わり秀吉は、日本全国の港や金山、銀山を持っていた。秀吉は金の重要性をわかっていたのです。言ってみれば、かつて明との貿易を行った室町幕府的な感覚を持ち合わせていました。

そういう面から考えると、当時の南蛮貿易、ヨーロッパとの交易に秀吉は目を向けていたのではないでしょうか。その貿易の主導権を取りたい。しかし入り口で外国との交渉を間違えてしまい、結果として出兵することになった。そういうことだったのではないでしょうか。

2957名無しさん:2021/06/08(火) 22:11:49 ID:NrdB.GxU0
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=4

玄界灘を渡った日本軍は、ふいを突いたので、まあ当たり前といえば当たり前かもしれませんが、半島の北まで快進撃を続けます。ところがそこで明の援軍がやってきた。まあでも、長袖の国の兵だし弱いだろう、などと思っていたら、彼らは荒くれものの異民族とのバトルを経験してきた軍隊。とても強かった。

日本軍も簡単には勝てなくなり、勝ったり負けたりの膠着状態に陥る。加えて朝鮮の民衆たちも立ち上がり、補給線が維持できなくなってきた。そうなると、これはもう泥沼の戦いになる。知らない土地を征服するノウハウがまったくない状態で始めた戦いですから、そうしたところで準備のなさが出てしまった。

何のために戦うのか目的がハッキリしなかった
九州や関東を平定するのとはわけが違う。そうした状況を考えないまま開戦したのは秀吉の完全な失敗です。

そもそも秀吉は「この戦争はなんのために戦うのか」という目的を、きちんと掲げることができていなかった。海を渡った諸将たちも「いったいなにをすればいいんだろう」という心境だったはず。

昔の秀吉なら「これはうまく行かない、引くべきだ」と考えた時点で、早々に手を引くことができたと思います。しかしやはり、秀吉も権力者としてかなり思い上がっていたのか「なんだ。俺に逆らうのか」といった感じで引けなくなっていた。

明と講和を結んだときも「なにかおいしいことがあるだろう」と思っていたら、明のほうから言ってきたのは「汝を日本国王に任命する」。そんなことは当たり前だと激怒し、再び出兵してしまう。もはや昔の秀吉とまるで別人になってしまった。そう感じます。

結局、朝鮮出兵について、まだ定説はない状況が続いています。研究も行われているのですが、現代では繊細な政治問題も関わってくる。なかなか難しいのが現状です。

2958名無しさん:2021/06/08(火) 22:49:06 ID:NrdB.GxU0
長柄橋南詰で慰霊法要 第3次大阪大空襲から76年
2021年6月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210608/20210608036.html

 太平洋戦争末期、1945年6月7日の「第3次大阪大空襲」から76年を迎えた7日、大阪市北区の長柄橋南詰の観音像前で、犠牲者の慰霊法要が執り行われた。新型コロナウイルス禍を受けて例年よりもやや縮小された中、参列者が手を合わせて犠牲者を悼んだ。

 76年前は米爆撃機や戦闘機など約550機が白昼に飛来し、同市北東部や豊中市などを空襲。旧長柄橋では橋の下や淀川河川敷に避難していた市民が米軍機の爆撃や機銃掃射の犠牲となり、推定で約400人が亡くなったとされる。

 法要は地元の正蓮寺(渡島正教住職)が、終戦直後から代々手掛けている。同寺にある愛の恵幼稚園、愛のめぐみ保育園の園児らも観音像前で手を合わせ、渡島住職の読経に続いて仏教賛歌「恩徳讃(おんどくさん)」をささげた。

 渡島住職は、園児に空襲の惨状や観音像の由来を説明。「戦争は悲しい出来事。一人一人が平和を忘れず、優しい気持ちを持ちながら、輝く命を大切に思ってください」と呼び掛けた。

2959名無しさん:2021/06/18(金) 23:37:41 ID:NrdB.GxU0
大阪 飯盛城跡が国の史跡に 戦国時代の山城 三好長慶が居城
06月18日 17時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210618/2000047289.html

大阪・大東市と四條畷市にまたがる飯盛山にあった戦国時代の山城、飯盛城跡が、新たに国の史跡に指定されることになりました。

飯盛城は、飯盛山の山頂一帯に築かれた山城で、戦国時代に畿内一円を支配した三好長慶が、居城としたことでも知られています。
城跡は、南北およそ700メートル、東西およそ400メートルの範囲に及び、大東市と四條畷市が、平成28年度から3年かけて調査を行った結果、詳しい城郭の構造のほか、城の全域に石垣が多用され、それらが良好に保存されていることや、瓦の利用などが確認されました。
国の文化審議会は、飯盛城が、戦国時代末期の重要な政治拠点や文化交流の場として機能していたことや、当時の城郭構造が良好に残され、山城における石垣の使用と、構築技術を示す貴重な事例であることなどを評価し、国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
大東市と四條畷市は、城跡の適切な保存を図るとともに、市民に郷土への誇りを持ってもらえるような活用事業に取り組んでいきたいとしています。
これで、大阪府内の国指定の史跡はあわせて70件となります。

2960名無しさん:2021/06/20(日) 20:52:41 ID:NrdB.GxU0
豊作祈り一苗ずつ 新田で氏子ら田植え
2021年6月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210618/20210618027.html

 平野区平野宮町の杭全神社(藤江正謹宮司)の神田(しんでん)で10日、田植えが行われた。約100平方メートルの田に藤江宮司や氏子、近隣住民ら10人が苗を植え、豊作を祈った。

 同神社では2011年から境内の南側に水田をつくり、神事に使う米を栽培している。昨秋はウンカによる虫害で例年の半分の30キロの収穫にとどまった。神田でつくられた米は神事や懸税(かけぢから)とよばれるお供えもの、参拝者に配られる「福の種」として使われている。

 この日は晴天に恵まれ、絶好の田植え日和。参加者は泥に足をとられながら、約30分かけて一苗ずつ丁寧に手植えした。藤江宮司は「今年は豊作となり、新型コロナウイルスで苦しんでおられる皆さんに少しでも多く福をおわけできれば」と話した。

 参加した歌手の中村美優さん(23)=同区=は「田植えは初めてで楽しかった。このような取り組みを続けておられる皆さんの姿勢に頭が下がる。ぜひ、稲刈りにも参加したい」と笑顔を見せた。

2961名無しさん:2021/06/23(水) 23:05:34 ID:NrdB.GxU0
住まい清め決意も新た 神童・柳生君「自宅清祓式」
2021年6月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210621/20210621022.html

 天神祭の神童に任命された柳生晃希君(12)=西天満小6年=の家をはらい清める行事「自宅清祓(きよはらい)式」が20日、大阪市北区内で執り行われた。柳生君は、大役を果たそうと気持ちを新たにしていた。

 神童は、7月24日の鉾流(ほこながし)神事で、船の上から堂島川に神鉾を流す重要な役割を担う。本人や家族らは、天神祭が終わるまで日々の礼拝や食べ物の制限などさまざまな取り決めを守って過ごす。

 昨年は、新型コロナウイルス禍の影響で神童関連の行事を見送ったが、本年は伝統の継承の観点から、対策を講じつつ運営。この日は、例年よりも人数を絞り、換気などにも配慮しながら斎行した。

 式には、祭りの神事を担う大阪天満宮の神職をはじめ、柳生君の家族や、神童に推薦した西天満連合神鉾講の関係者が出席。神職が室内に祭壇を設けて祝詞を読み上げ、各部屋を清めて回った。

 晃希君は「言葉遣いから気をつけ、決まりを守って本番に臨みたい」と決意を示し、父・勝敏さん(51)は「大変光栄な話。自分のできることを一生懸命やってほしい」と思いを込めていた。

2962名無しさん:2021/06/28(月) 22:41:10 ID:ylDuNnHU0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」開催へ 今年は規模縮小
6/28(月) 16:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/53c1108f9d2bdcb9217a5adc8cf21b594b17028f

四天王寺の支院「愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日・7月1日、「愛染まつり」が開かれる。(あべの経済新聞)
愛染まつりは、天神祭、住吉祭と並んで大阪三大夏祭りの一つに数えられ、夏祭りの先駆けとして知られる。2018(平成30)年から、愛染娘らの「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」や露店営業などは近隣住民に配慮して行っていない。

 今年も新型コロナウイルス感染症対策で規模を大幅に縮小する。例年は3日間だが2日間の開催とし、「愛染明王」「大日大勝金剛尊」の特別開帳、お守りや御朱印の授与を行う。愛染娘は公募ではなく、関係者から推薦された50人の中から5人を選んだ。愛染娘が宝恵駕籠に乗る「駕籠上げ」、四天王寺の僧侶による「夏越しの祓(はら)えの大法要」は一般公開せず、ツイキャスでの配信を予定する。

 同寺では今月27日、本年度の愛染娘が宝恵駕籠に乗るのを体験した。愛染娘の福本唯奈さんは「コロナで楽しくない時期だが、みんなで楽しい愛染まつりにして自分も楽しみたい」と話し、宝恵駕籠は「自分が持ち上がるのを初めて経験した。アトラクションみたい」と振り返った。

 開門時間は10時〜18時。

2963名無しさん:2021/06/29(火) 22:44:00 ID:NrdB.GxU0
東大阪・旧河澄家で「昔の道具展」 江戸時代の蔵公開、ゆかりの人物も紹介
6/29(火) 22:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/087caf2caa553f3fc0f20418841d5387a8e0bec7

東大阪市指定文化財「旧河澄家」(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)の蔵で6月22日、企画展「昔の道具展」が始まった。(東大阪経済新聞)

展示会場の土蔵は5メートル×11メートル、切り妻造りの2階建てで、外側と内側に白漆喰(しっくい)が塗られており窓は6カ所。外からの光を最小限に抑える工夫がされている。江戸時代後期の「河澄家屋敷絵図」によると、この蔵は現在の位置になく、別の位置から動かされたものと考えられるという。蔵の公開は今回で4回目。

 同展では、河澄家の所蔵の品、約1200点のうち約110点を展示。手前のスペースでは、河内地方の庄屋の仕事、食、娯楽、生活に関連する所蔵品をまとめた。

 庄屋の役割として年貢の納入のほか、村人の健康管理などを行っていたことから、薬剤を砕く薬研(やげん)や薬だんすなどが並ぶ。食に関するものでは、祝い膳や重箱、弁当箱など、華やかな品も多い。娯楽に関するものでは、将棋盤や碁盤、百人一首や笛など、生活の品は、灯明道具や火鉢などを選んだ。

 奥のスペースでは、河澄家にゆかりのある人物に関する品を展示。富田林の豪商・杉山家に嫁いだ河澄家19代当主・雄次郎の娘・ナミの娘で、1882(明治15)年に生まれた石上露子(いそのかみつゆこ、本名=杉山孝)は、与謝野晶子や山川登美子らとともに「新詩社の五才女」と称された歌人。初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ「小板橋」を発表した後、文学界から身を引いた。

 同展では、露子直筆の書や、露子が仲の良かったいとこの冬子に贈った杉材の小箱、冬子がその小箱にしまっていた鈴虫の姿が彫られた真竹製の帯留めなどを展示する。

 母屋西側に建てられた数奇屋風書院造りの建物「棲鶴楼(せいかくろう)」は、第15代当主・常之と親交が深かった国学者で文学者の上田秋成ら、文人が集う文芸サロンになっていたといい、秋成が目の療養で滞在した際にたしなんだ煎茶の道具や、棲鶴楼から枯山水庭園を眺めながら読んだ歌を紹介する。

 学芸員の道岡陸哉さんは「河澄家にゆかりのある人物を知ってほしい。コロナ禍の大変な時期なので、秋成のように棲鶴楼から庭を眺めていやされてほしい」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館(祝日の場合は翌日)。入館無料。9月26日まで。

2964名無しさん:2021/06/30(水) 22:17:26 ID:NrdB.GxU0
大阪に夏の訪れ告げる「愛染まつり」始まる コロナで規模縮小
06月30日 12時04分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210630/2000047807.html

大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が30日から始まり、浴衣姿の女性を乗せた「宝恵かご」の行列が規模を縮小して行われました。

大阪・天王寺区にある愛染堂勝鬘院の「愛染まつり」は、天神祭、住吉祭とともに大阪の三大夏祭りとして親しまれています。
初日の30日は、「愛染娘」と呼ばれるそろいの浴衣にマスクを着けた女性がちょうちんや色とりどりの造花で彩られた「宝恵かご」に乗り込みました。
例年は街を練り歩きますが、ことしは新型コロナ対策として見物する人で密を作らないようにと、境内だけで行われ、太鼓と鐘の音に合わせて「べっぴんさんじゃ-、ほ-えっか-ごっ」と威勢のいいかけ声を響かせていました。
愛染堂勝鬘院の山岡武明 住職は「縁日は開催されていませんが、疫病退散の法要も行っているので、元気に来年を迎えられるよう、手を合わせに来てもらえたら」と話していました。
愛染まつりは7月1日までで、「愛染明王」や「大日大勝金剛尊」が特別に公開されています。

2965名無しさん:2021/06/30(水) 22:32:43 ID:NrdB.GxU0
鎮魂碑再建、追悼の祈り 第5次大阪大空襲から76年
2021年6月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210627/20210627025.html

 太平洋戦争末期の第5次大阪大空襲から76年を迎えた26日、大阪市西淀川区の市立佃小で犠牲者の慰霊祭が行われた。佃地区では防空壕(ごう)に避難した人らが爆撃を受け、一度に亡くなったとされる。台風被害で倒壊し、再建された鎮魂碑の除幕も兼ね、住民らが犠牲者の冥福を祈った。

 地誌の「佃史探求」によると、1945年6月26日の同空襲では、左門殿川堤防下にあった防空壕付近に着弾し、避難していた五十数人が犠牲になった。鎮魂碑は以前、校舎の約50メートル西側にあったが、2019年秋の台風19号でほこらとともに損壊。その後行方不明になり、有志が再建した経緯がある。

 法要はしめやかに営まれ、遺族や住民ら約50人が参列。犠牲者を悼み、碑前で静かに手を合わせた。

 出席した望月貞子さん(88)=守口市=と丸田道子さん(80)=枚方市=の姉妹は、当時13歳だった姉と母、おじが犠牲に。二人は親類宅に疎開中だった。「慰霊碑がなくなってショックを受けていた。立派なものができ、涙が出るほどうれしい」と声をそろえ、目を潤ませた。

 地元で世話役を務める平田房夫さん(78)は「ご遺族が喜んでくれたことに感謝。地域が歴史を継承していかないといけない」と思いを新たにした。

2966名無しさん:2021/06/30(水) 22:40:00 ID:NrdB.GxU0
「篝の舞楽」鑑賞者募集 7月1日から受け付け
2021年6月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210630/20210630027.html

 天王寺舞楽協会は8月4日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺伽藍(がらん)内講堂前庭で「第66回篝(かがり)の舞楽」を開催する。午後6時〜7時半。雨天中止。

 今年は完全事前申込制とし、定員は先着300人(当日券販売なし)。申し込み期間は7月1〜19日までで、定員に達し次第終了する。

 鑑賞料千円(小学生以下無料)。希望者は同寺ホームページから申し込むか、はがきに鑑賞希望者全員の氏名、住所、電話番号を明記し、〒543-0051 天王寺区四天王寺1の11の18、四天王寺内 天王寺舞楽協会事務局へ。後日受付証を送付する。問い合わせは電話06(6771)0066、同事務局。

2967名無しさん:2021/06/30(水) 23:01:46 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍 気持ち新たに 生国魂神社で「茅の輪」設置
2021年6月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210629/20210629029.html

 30日に執り行われる大祓(はらえ)「夏越(なごし)の祓」を前に、大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で28日、神職手作りの高さ約5メートルにもなる「茅(ち)の輪」の設置作業があった。

 大阪一大きいとされる同神社の茅の輪には、琵琶湖水系のヨシを使用。毎年、神職が地元ヨシ業者の協力を得て、刈り取り作業から取り組んでいる。

 同神社では、自動車も輪をくぐるため馬てい型にするのが通例。前々日に神職が全長約13メートル、太さ約50センチのヨシの束を作り上げており、設置当日は業者が朝からクレーンや足場を使って、鳥居の内側に合わせて美しく装飾した。

 中村文隆権禰宜(ごんねぎ)は「新型コロナウイルス禍の中、おはらいで気持ちのお掃除をして、次の生き生きとした生活のスタートを切っていただきたい」と話した。同神社の「夏越の祓」は午後4時から。茅の輪は7月15日まで設置される。

2968名無しさん:2021/06/30(水) 23:09:48 ID:NrdB.GxU0
大阪市史跡探訪
 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(1) 淀川区
2021年6月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sisekitanbou/210601/20210601028.html

十三渡し跡 (新北野1丁目)
 十三には、街道を通る人たちが淀川を舟で越えるために利用した渡し場があった。1878年に木橋ができたため、渡しはなくなった。川の北側の乗り場は、現在の十三大橋北詰の辺り。南側は、淀川の大改修で川幅が広がったため今は川底となった。

三津屋城跡伝承地 (三津屋中1丁目)
 光専寺の周辺は「字 城之前」と呼ばれ、この一帯が城跡と推測される。『摂陽群談』(1701年刊)では戦国武将の三好政長や長慶が拠点とした中島城の跡にあてる。『大阪府全志』(1922年刊)では楠木正行の築城としている。

堀城跡伝承地 (十三本町2丁目)
 十三渡し北岸の要地にあった城で、『西成郡史』(1915年刊)では1566(永禄9)年に細川藤賢の築城とされる。31(享禄4)年の大物崩れの戦い時にはすでにあった堀城にあてる見解もある。武田薬品工業大阪工場前にある解説板には、城郭の一部とみられる方形区画のある堀村地籍図を紹介している。


三国の渡し跡 (西三国4丁目)
 1873年、神崎川に三国橋が架かる以前は渡しがあり、南北朝の争乱を描いた軍記物語「太平記」にも登場する。三国橋は明治以降、神崎川に架けられた最初の橋で、その後しばしば架け替えられ、1960年に現在の鋼製になった。阪急電鉄三国駅の北約250メートル。

2969名無しさん:2021/07/03(土) 21:05:52 ID:NrdB.GxU0
「岸和田だんじり祭り」2年ぶり開催へ…運営団体「中止とした場合、築き上げた伝承という財産失う」
7/2(金) 20:09配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3059ba127ae4f6e53bb1e3ecf2e4242f37955187

去年は中止された大阪の「岸和田だんじり祭」は、2年ぶりの開催を目指しています。

重さ4トンのだんじりが豪快に街を駆け抜ける大阪府岸和田市の伝統行事「だんじり祭」

去年は、新型コロナウイルスの影響で開催が中止されましたが、今年は感染対策を徹底し無観客で開催する方針が示されました。

運営団体はワクチンの職場接種の申請をしていて、祭の参加者が希望すれば接種を受けられるよう検討しているほか、密を避けるため、例年よりも道幅の広いコースが用意されるということです。

約300年の歴史を持つと言われる「だんじり祭」について運営団体は「中止とした場合、築き上げた伝承という財産を失うこととなる」と話し、実施に向け対策を検討するとしています。

関西テレビ

2970名無しさん:2021/07/08(木) 00:38:28 ID:NrdB.GxU0
“七夕伝説発祥の地”で人々が短冊に込めた『願い事』とは?伝統の七夕まつりは中止
7/7(水) 19:18配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1195292eabd2a7655c96acfe41b2531ee849ae90

大阪には“七夕伝説発祥の地”と呼ばれる神社があります。人々は短冊にどんな願いを込めたのでしょうか。

 大阪府交野市にある「機物神社」。織姫をまつる全国でも珍しい神社で、毎年七夕の時期になると多くの人が願いを胸に訪れます。人々が短冊を結ぶ笹は毎年神社の裏山で用意されています。毎年7月6日と7日の2日間で5万人が訪れるという伝統の「七夕まつり」。今年は中止となり、例年なら40本近く用意する笹は、今年は4本だけ用意されました。多くの人が集まる露店は無く、神事は規模を縮小して行い、笹と短冊は人々の願いと共に焚き上げられます。

 7月6日と7日に短冊に願いを書いた方々に話を聞きました。映像でご覧ください。

2971名無しさん:2021/07/11(日) 22:22:11 ID:NrdB.GxU0
論説委員 日曜に書く
太子に学んだ経営の神様 山上直子
2021/7/11 15:00
https://www.sankei.com/article/20210711-K2TOECTK7BJ6BPJ3AXU7XZOK6Y/
今年は聖徳太子の1400年遠忌にあたる。

ゆかりの寺院での法要に始まり、その生涯や信仰、実像を追う「和をつなぐ」を紙面やウェブサイトで連載中だが、思った以上に反響がある。背景には、誰もが知る歴史上の偉人というだけにとどまらない太子の魅力があるのだろう。古くは最澄(天台宗の宗祖)や親鸞(浄土真宗の宗祖)も信奉していた。

そして現代ではこの人も。経営の神様と呼ばれ、優れた思想家でもあった松下幸之助(1894〜1989年)である。

◆十七条憲法

まず昭和20年8月16日の午前にさかのぼる。幸之助は大阪・門真の松下電器産業(現パナソニック)の一室に幹部社員を集め、敗戦のショックから仕事が手につかない彼らを前に急遽(きゅうきょ)、「臨時経営方針」を語った。これまでの軍需産業がすべて復興産業に転換するだろうという見通しを述べ、取り組む心構えについてこう言ったという。

「この至難な仕事に成功を収めるには、これを適切に処理遂行しうる心がまえと知識、才能をもっていなければならない。その知恵才覚はしからばどうして生まれてくるか。それは三千年来培った真の日本精神を把握し、これにもとづいて的確な判断を下すことである」(『日本と日本人について』PHPビジネス新書)。

以来、幸之助は「日本の伝統精神」について考え続けた。やがて次の3つを挙げる。

その一「衆知を集める」、その二「主座を保つ」、その三「和を貴ぶ」である。

実はいずれも天皇制と、聖徳太子が定めたとされる「十七条憲法」と深くかかわる。例えば二の主座とは天皇のこと。そして一の「衆知」は憲法の第十七条「夫れ事独り断(さだ)むべからず。必ず衆と論(あげつら)ふべし」から、その三は第一条の「和を以て貴しと為(な)し」からだ。

◆四天王寺との縁

「人間の本質に即し、人情の機微をうがった、まことに高尚で立派なものだと思います。そしてこの十七条憲法には、仏教の精神も儒教の考え方も生かされている」(同書から)

実際、十七条憲法は現在の憲法とは趣が違い、人や役人の道というべきものを説いた内容だ。それを理解した上で自身の考えに取り入れ発展させた。

幸之助は多くの寺院に多額の寄付をしたことで知られるが、太子建立の寺として日本書紀にも登場する四天王寺(大阪市天王寺区)にも西大門(極楽門)や茶室などを寄進している。

2972名無しさん:2021/07/11(日) 22:22:44 ID:NrdB.GxU0
「歴史的に地元の民衆が支えてきた、いわば大阪のシンボルとしての四天王寺ということが大きかったのでは。ご自身も大阪の方ですから」というのは、学芸員で同寺勧学部文化財係主任の一本崇之さん。

第百一世管長、出口常順との親交が厚く信徒総代も務め、昭和41年度には「繁栄と平和」と題した講演を行う。このとき太子の事績に触れて、日本には外国に負けない「日本魂」というものがあり、「その日本魂のうちの大きな一つは、私は和の精神だと思います」と述べた。

◆日本精神こそ

興味深いのは昭和39年に「聖徳太子の十七条憲法と四天王寺縁起をパンフレットにして100万部くばりたい」と言っていることだ。PHP研究所によると結局、実現はしなかったそうだがどんな思いがあったのか。

こんなことも言っている。

日本人には〝和を貴ぶ精神〟すなわち平和愛好の伝統というものがある。ところが不幸にして日本は何度か戦争をし、太平洋戦争によって悲惨な姿に陥ってしまった。大いに反省しなければならない。ただ戦争そのものを憎むあまりに、本来平和を愛好する国民ではなく、戦争を好む軍国主義的な国民ではないかという考え方も一部に生まれてきたが、それは長い歴史を知らないのだ―と。

現代に生きる聖徳太子を追ううちに、松下翁の日本人論にたどりついた。

昭和39年の東京五輪を前に米有力雑誌「ライフ」が日本特集を組んだ。幸之助の写真とともに「最高の産業人、最高所得者、思想家、雑誌発行者、ベストセラー作家」の5つの顔を持つ人物と紹介されている。今も学ぶべきところがあると思うが近年、この経営の神様を知らない若者が増えているそうだ。

政治も企業も不祥事がいっこうになくならない。「無意識のうちに日本精神が顕れてくるようでありたい」と松下翁が願った世界はまだ遠い。(やまがみ なおこ)

2973名無しさん:2021/07/14(水) 22:06:21 ID:NrdB.GxU0
「生国魂祭」本宮 大阪城で「元宮駐輦祭」
2021年7月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210713/20210713020.html

 大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)の伝統行事「生国魂祭」が12日、本宮を迎えた。新型コロナウイルス禍を受けて陸渡御(とぎょ)などの行事は中止されたが、元の鎮座地である同市中央区の大阪城公園内で、恒例の「元宮駐輦(もとみやちゅうれん)祭」が粛々と執り行われた。

 同祭の陸渡御は、戦時中の大阪大空襲で社殿や神具一式が焼失したため戦後は途絶。御鳳輦(ごほうれん)をはじめ新たな神具の完成に伴い、2014年から約500人が参加する渡御行事が行われていたが、新型コロナ感染防止対策として2年連続で取りやめとなった。

 神職ら関係者は拝殿での「本宮祭神幸(かんこう)祭」の後、「御羽車(おはぐるま)」など神具を乗せたトラックに分乗し、同公園・大手前芝生広場の一角にある御旅所跡に到着。現地で合流した奉仕者ら参列者一同がおはらいを受けた後、伝統の手締め「生国魂締め」で締めくくった。

 中山宮司は「大阪の繁栄と市民の安寧に加えて、疫病退散を祈願。来年こそは元のお祭りができるよう望みたい」と話した。

2974名無しさん:2021/07/14(水) 22:54:13 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の足跡たどる 1400年御遠忌パネル展
2021年7月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210710/20210710034.html

 今年の「聖徳太子1400年御遠忌(おんき)」に合わせたパネル展が、東大阪市の府立中央図書館・1階展示コーナーで開かれている。闘争や「憲法十七条」に代表される政治施策、東アジア外交などをパネル約40枚で紹介。多くの来館者が、太子の壮大な足跡に見入っている。25日まで。

 同館と歴史街道推進協議会の共催の展示事業。会場では、関係略系図や年表をはじめ、日本仏法最初の官寺で知られる四天王寺(大阪市)など、太子建立7大寺のうち現存する寺院について、それぞれの特色も交えて紹介している。

 このほか、100年前の1921(大正10)年4月に奈良・法隆寺で営まれた奉賛法要の様子や、30(昭和5)年以降、多くの日本銀行券の肖像として採用されていた経緯を、分かりやすく解説したパネルも並び注目を集めている。

 約300冊の関連蔵書を集めたラックも併せて設置。同館担当者は「多くのパネルや書籍を通じて、太子が歩んだ時代のイメージを膨らませていただきたい」と話している。

 午前9時〜午後7時(土日祝は午後5時まで)。12、19日は休館。

2975名無しさん:2021/07/17(土) 01:36:34 ID:NrdB.GxU0
人形浄瑠璃 文楽 桐竹勘十郎さん人間国宝に認定へ
7/16(金) 23:35配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0118e528d407f63dd925209e92ee84f3dbbebff

人形浄瑠璃文楽の桐竹勘十郎さんが国の重要無形文化財「人間国宝」に認定されることになりました。

桐竹勘十郎さん(68)は、女方・立役を問わず抜きん出た表現力を持つ人形遣いで文楽の上演に欠かせない存在です。

後進の育成にも尽力するなど業績が評価され秋にも「人間国宝」に認定されることになりました。

【桐竹勘十郎さん】
「日に日に身が引き締まるといいますか、これはえらいことになったなという感じです」

師匠で人間国宝の吉田簑助さんは今年4月に引退したばかりでした。

【桐竹勘十郎さん】
「おめでとうおめでとうおめでとう、ずっとおめでとうを言ってくれはったんです。それがものすごく嬉しかったんです」

勘十郎さんは8月3日まで大阪の国立文楽劇場の公演に出演しています。

関西テレビ

2976名無しさん:2021/07/17(土) 21:51:42 ID:NrdB.GxU0
勘十郎さん人間国宝 父、師匠に次いで栄誉
2021年7月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210717/20210717025.html

 父親、そして師匠に続き人間国宝に認定された人形浄瑠璃文楽座人形遣いの桐竹勘十郎さん(68)。連絡を受けた時は実感がなかったというが、「日に日に身が引き締まる思い。これは偉いことになったなという気持ち」と吐露。「認定を受けたからと言って劇的にうまくなるわけではない。これまでやってきたことを、続けてやっていく」と誓った。

 大阪市出身で、父は二代桐竹勘十郎。1967年に14歳で三代吉田簑助さんに師事し、翌年文楽協会技芸員となり初舞台を踏む。2003年に三代桐竹勘十郎を襲名。08年に紫綬褒章を受章したほか、芸術選奨文部科学大臣賞、日本芸術院賞など多数の受賞歴を持つ。

 師匠から女方(おんながた)、父から立役(たちやく)の人形遣いを学び、数々の作品に出演してきた。人形遣いとして自信を付けたのは、襲名披露で演じた「尼ケ崎の段」の武智光秀役だったという。「立役として大きな人形の経験がなかった中で、父親が選んでくれた。大阪や東京、地方も巡り、これで大きな人形への不安がなくなった」と振り返る。

 新作の上演にも力を入れており、思い入れのある作品に、今年2月に京都で上演した自作品「端模様夢路門松(つめもようゆめじのかどまつ)」を挙げる。「自分が主役をできない頃に、足遣いをやりながら考えた最初の作品で、足遣いから左遣い、そして主(おも)遣いになりたいがなかなか思い通りにならない、当時のそんな思いと重なる作品」だという。

 本公演以外にも、他ジャンルとの連携などを通して文楽の普及に努めてきた。それらの活動も許容し見守った簑助師匠への感謝の思いも強く、人間国宝認定の知らせを受けてすぐに連絡した際に、「何度も『おめでとう』と言ってくれて、ものすごくうれしかった」と頬を緩めた。

 今後も「古くから埋もれている作品を復活させることも続けたいし、後進の育成にもっともっと力を入れていく。また、幾度も再演してもらえるような新作も作っていきたい」と文楽の未来に向け、一路邁(まい)進する。

2977名無しさん:2021/07/17(土) 21:58:22 ID:NrdB.GxU0
人間国宝 関西から新たに2人認定へ
07月16日 20時13分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210716/2000048652.html

伝統的な芸能や工芸技術の分野で高度な技術をもつ国の重要無形文化財の保持者いわゆる人間国宝に、関西から2人が新たに認定されることになりました。

このうち1人は大阪・東大阪市に住む茶の湯釜の角谷勇圭さん、本名、角谷勇治さん78歳です。
昭和17年、人間国宝である父、一圭さんの次男として生まれ、27歳のときに父の工房を手伝ったのをきっかけに釜作りを始め、その後は父のもとで伝統的な技術を習得しました。
鋳型にへらを押し込みへこませることで釜の表面に図柄を表現する「箆押(へらおし)」という技法が特徴で、日本の花鳥風月を繊細で優美に描いています。
角谷さんは「とても父には及びませんがやってきたことが認められてうれしい反面、責任も感じ、身が引き締まる思いです。今までどおり、1点1点をこつこつと作っていきたいと思います」と話していました。
もうひとりは、大阪市に住む人形浄瑠璃「文楽」の人形遣い、桐竹勘十郎さん、本名、宮永豊実さん68歳です。
昭和28年に人間国宝の父、二世桐竹勘十郎さんの長男として生まれ、14歳で入門。
のちに人間国宝に認定される吉田簑助さんのもとで修行を積みました。
女の人形=女方(おんながた)遣いの名手である師匠と、男の人形=立役を得意とする父からの教えを受け、さまざまな役柄を繊細な動きで感情豊かに表現する卓越した技量が高く評価されました。
桐竹さんは「まさか自分が認定されるとは思っておりませんでした。まことに身が引き締まる思いです。これから後進の指導育成に力を入れ、携わる方をどんどん募って増やしていきたい」と話していました。

2978名無しさん:2021/07/17(土) 22:14:22 ID:NrdB.GxU0
奉仕活動伝統継続していく 2年ぶり本宮で清掃実施
2021年7月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210716/20210716025.html

 日本三大祭りの一つ、大阪市の天神祭で清掃に従事するボランティア団体「ダストバスターズ」が、25日の本宮で2年ぶりの活動に臨む。昨年は、新型コロナウイルス禍と天候の影響で実施できなかったが、奉仕活動の伝統を小規模でも継続していく。

 ダストバスターズは、1993年に発足。祭りの神事を担う大阪天満宮(大阪市北区)が事務局となり、美化委員会を組織して運営してきた。新型コロナ流行前は、本宮と24日の宵宮の2日間で延べ500人前後が参加している。

 昨年は、天神祭の練り歩きや奉納花火といった主要行事が新型コロナ禍の影響でなくなったのを踏まえ、規模を縮小して実施を計画。奉仕活動の精神を受け継いでいく重要性を踏まえた。

 神事を執り行う近隣の川べりの事前清掃は、主要スタッフ10人程度で取り組んだものの、本宮の際の大阪天満宮周辺の掃除は、雨で中止になった。

 今年も新型コロナ禍によって、祭り自体が2年連続規模縮小となったが、ダストバスターズは本宮での清掃に改めて臨む。今年は神事が昨年よりも拡充するため、それに合わせて清掃場所も加える予定。昨年同様、神事がある川べりの事前清掃にも取り組む。

 大阪天満宮の園博年権禰宜(ねぎ)は「奉仕活動の伝統を来年につなげていきたい」と話した。

2979名無しさん:2021/07/17(土) 22:15:24 ID:NrdB.GxU0
古墳時代の生活調査資料を展示 近つ飛鳥博物館
2021年7月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210716/20210716028.html

 大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)は17日から、夏季企画展「古墳群に暮らした人たち-集落遺跡からみる古市古墳群-」を開催する。世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群では発掘調査が行われており、多くの調査資料から生活に直接関わる資料を紹介する。9月5日まで。

 調査では、古墳のそばで生活していた人たちの活動の痕跡や資料も確認されている。今回は古市古墳群内で行われた最近の調査・研究成果、これまでの資料の中から古墳時代の生活に関わる資料を展示し、集落遺跡について考える。

 期間中には土曜講座(7月24日、8月28日)のほか、8月22日には舘野和己館長による講演会も予定している。午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。月曜休館。問い合わせは電話0721(93)8321、同館。

2980名無しさん:2021/07/21(水) 20:53:08 ID:NrdB.GxU0
100年前に作られたステンドグラス 大阪市議会の議場で発見 旧庁舎の議場にあった「後世への宝物」
7/21(水) 20:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f12bd1537929093ad42456f6161960e9f27c4d7f

大阪市役所の議場で、100年前に作られたステンドグラスが見つかりました。

【大阪市会事務局 満島健太郎さん】
「この板の間に挟まっていました。物品の整理していたときにたまたま見つかった。残っているということ自体を想像していなかったのでびっくりした」

大阪市役所にある議場の一角から見つかったものとは…
ステンドグラスは40枚。
多少の傷はありますが、綺麗な状態のまま保管されていました。

これらは、約40年前に取り壊された旧庁舎内の、市議会の議場の天井に飾られていたものです。

制作に携わった1人とされるのは、木内真太郎という作家。
大阪市中央公会堂のステンドグラスをはじめ、数多くの作品に携わっています。

今回発見されたステンドグラスが作られたのは、今から100年前の大正10年。
当時、大阪市では、産業が急速に発展し人口も急増。
市のさらなる発展のため、庁舎を建て替えることにしていました。

当時の記録には「庁務いよいよ激増し、その結果、庁舎新築の必要を感ずる」と書かれています。
建て替えらた庁舎は、当時、制作の全盛期であったステンドグラスが取り入れられた最新式の庁舎となりました。

今回の発見に、ステンドグラスの研究者は…

【ステンドグラス史研究者 金田美世さん】
「ステンドグラスだけでも残ったのは、後世への宝物で、大阪市の誇れる美術がそこにあったということ。歴史的価値も含めて本当にすばらしいこと」

その後、再び現在の庁舎に建て替えられ、処分されたと思われていた大阪市のステンドグラス。

今後修復され、大阪市北区の「大阪くらしの今昔館」で展示される予定です。

関西テレビ

2981名無しさん:2021/07/21(水) 20:55:53 ID:NrdB.GxU0
江戸期祭り 体感を 船形山車や大型人形
2021年7月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210719/20210719023.html

 日本三大祭りの一つ天神祭が、新型コロナウイルス禍で2年連続規模縮小となる中、大阪市北区の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は、江戸期の祭りの様子を体感できる装いを整え、来館者を出迎えている。かつては祭礼の日に引き出されていた全長8メートルの船形山車や、今も設置される伝統が続く大型人形などがずらり。打ち上げ花火の演出もあり、関係者は「祭りの雰囲気を楽しんでほしい」と呼び掛けている。8月末まで。

 約3千人の大行列が練り歩き、約100隻の船が行き交う「渡御行事」や、約5千発の奉納花火などの行事が昨年同様に中止となる中、毎年恒例の「夏祭りの飾り」をテーマに、祭りの文化を発信し続けているのが大阪くらしの今昔館だ。

 同館には、江戸期の大坂の町並みを実物大で復元したフロアがあり、大型展示物をはじめ、家屋の飾り付けから食まで、当時の様子を味わえる。

 目玉の展示の一つが同市指定有形民俗文化財の船形山車「天神丸」。江戸期に舟運業者らが造り、1926年まで天神祭に登場していたという。2001年の同館開館に合わせて修復。大名の御座船を模した山車で、全長8メートル、高さ3メートル、幅2メートル。屋形部分には豪華な彫り物が見られる。

 大型人形「御(お)迎え人形」のうち「雀踊(すずめおどり)」も展示。新型コロナ禍前は、市内各所でさまざまな人形が披露されたが、今年は、24、25日に大阪天満宮(同市北区)で展示される3体を除くと同館でしか見られない。

 ハモの照り焼きやばらずしといった食文化の見本なども紹介。フロアは、一日の移り変わりを照明などで演出しており、夜には打ち上げ花火がにぎやかな音と共に映し出される。

 映像による解説を充実させて非接触型の運営にも尽力。上田祥悟学芸員は「コロナ対策を講じた中で夏祭りの雰囲気を楽しんでいただければ」と話していた。

2982名無しさん:2021/07/21(水) 22:32:58 ID:NrdB.GxU0
祭り継承に協力を 渡御行事保存協賛会 一般会員募集中
2021年7月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210720/20210720019.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭を斎行する「天神祭渡御(とぎょ)行事保存協賛会」(大阪市北区)は、一般会員を募集している。今年の天神祭は2年連続で規模を縮小して斎行するものの、伝統を継承する観点から、昨年よりも神事を充実させる。経費を巡って一定の損失を見込んでおり、祭り存続の基盤づくりの一環で会費を生かしたい考えだ。

 今年の天神祭は、約100隻が川を行き交う船渡御や奉納花火といった、人が集まる行事を中止。ただ、神様が氏地を巡り、街の平穏を願うという祭りの伝統を来年につなぐため、み霊を移したみこしを担ぎ、近隣の川までを往復する神事などを計画している。

 会員は、氏地外からも募集。年会費は、「3千円以上」から「10万円以上」まで6段階あり、各会費料に応じた記念品を用意。会員証や会員限定のお守りをはじめ、天神祭記念扇子といった物品関連から、初詣招待券などの体験系まである。

 会員年度は6月1日〜翌年5月末。毎年5月に更新する必要がある。入会は、大阪天満宮のホームページか境内で申し込める。

2983名無しさん:2021/07/24(土) 01:43:47 ID:NrdB.GxU0
住吉祭、堺にも関わり 神輿渡御パネルで紹介
2021年7月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210722/20210722032.html

 住吉大社(大阪市住吉区)の「住吉祭・神輿渡御(みこしとぎょ)」を紹介するパネル展が21日、堺市堺区の町家歴史館山口家住宅で始まった。今年は新型コロナウイルス禍を受けて、8月1日の渡御の取りやめが決まっているが、8枚の解説パネルを通じて夏祭りを締めくくるのにふさわしい壮大な伝統行事の姿を伝えている。8月2日まで。

 展示では、境内から堺市の宿院頓宮(とんぐう)まで約7キロを練り歩く渡御の行程や、1704(宝永元)年の大和川の付け替えまで堺までは地続きであった歴史などを、写真や図解を交えて解説。

 大和川で大阪側と堺側の担ぎ手が交代する「神輿受渡式」のパネルでは、双方の担ぎ手が豪快に川を渡る様子を紹介している。

 主催した堺市文化観光局文化部文化財課は「大阪の祭りというイメージがあるが、古来、堺と深い関わりがあることを知ってもらう機会となれば」と話している。午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。入館料200円。火曜休館。

2984名無しさん:2021/07/24(土) 19:57:29 ID:NrdB.GxU0
大阪の夏の風物詩「天神祭」始まる 初日は「鉾流神事」
07月24日 12時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210724/2000048934.html

大阪の夏の風物詩、「天神祭」が24日から始まりました。

去年に続いて、新型コロナウイルスの影響で多くの行事が中止される中、24日は、無病息災を願って、木の鉾を川に流す「鉾流(ほこながし)神事」が行われました。
大阪天満宮の「天神祭」は、例年、7月24日と25日に行われる、大阪の夏の風物詩ですが、新型コロナウイルスの感染対策として、100隻もの船が堂島川を行き交う「船渡御(ふなとぎょ)」など多くの行事が去年に続いて中止となりました。
午前中、大阪天満宮では、祭りの無事を祈る神事が行われ、神の使いの役の「神童」に選ばれた西天満小学校の6年生、柳生晃希くんにひのきで鉾を形づくった「神鉾」が授けられました。
柳生くんは堂島川の川岸に移り、川に浮かべられた船に乗り込みました。
そして、笛の音が流れる中、川の中ほどで「神鉾」を川に流して無病息災を祈りました。
「天神祭」は25日、本宮を迎えますが、関係者のみで行うとしています。
大阪天満宮では、「天神祭」の様子をおさめた動画を、およそ1週間後にYouTubeで配信することにしています。
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2985名無しさん:2021/07/24(土) 21:31:12 ID:NrdB.GxU0
2年ぶり、堂々姿 生根神社「だいがく」立て起こし
2021年7月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210724/20210724023.html

 大阪市西成区の生根(いくね)神社(吉見友伸宮司)で23日、夏祭り「だいがく祭」(24、25日)で特別公開する「玉出のだいがく」(大阪府指定有形民俗文化財)の立て起こし作業があった。新型コロナウイルス禍の影響で公開は2年ぶりとなり、境内に高さ約20メートルのだいがくが堂々復活した。

 「だいがく」は干ばつに苦しむ農民の雨乞いが由来とされる。同日は「だいがく保存会玉神会」などから奉仕者約20人が参集し、午前6時半から作業開始。寝かせた状態で台座や高さおを組み上げ、約80灯のちょうちんを装飾した後、吉見宮司のおはらいを受けて一気に立て起こした。

 吉見宮司は「コロナ禍で祭りは縮小となるが、シンボルのだいがくを立てることで皆さんに元気になってもらうとともに、組み上げる技術の継承にもつなげたい」と話した。今年も玉出西公園での「だいがく担ぎ」などの行事や露店などは中止。福ササ授与や、みこしの地域巡行(25日)は復活する。

2986名無しさん:2021/07/25(日) 22:53:08 ID:ylDuNnHU0
天神祭「本宮祭」コロナで今年も規模縮小
7/25(日) 18:44配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0bbc666caa7a564b14d5c10f87054b0db0e0c59

大阪の天神祭は本宮を迎え、無病息災を願う神事が関係者のみで行われました。

大阪天満宮では25日、天神祭の主要な神事「本宮祭」が行われました。
宮司が供え物をして祝詞を読み上げ災害や疫病がないよう街の平安と繁栄が祈願されました。

例年、祭を盛り上げる船渡御や奉納花火などは新型コロナの影響で2年連続で中止となりましたが、神事の神幸列などは2年ぶりに行われました。

今年の天神祭の様子は約1週間後にYouTubeで配信されるということです。

関西テレビ

2987名無しさん:2021/07/31(土) 22:42:21 ID:NrdB.GxU0
写経と手紙 次の100年に 御聖忌タイムカプセル
2021年7月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210730/20210730026.html

 今年は聖徳太子の没後1400年。太子ゆかりの寺院では遠忌法要が営まれるほか、各地の博物館や美術館で特別展が行われている。太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)では、「聖徳太子千四百年御聖忌(ごせいき)」として多様な関連行事や記念事業が進行中。中でも次の1500年に向けた「御聖忌タイムカプセルプロジェクト」は、一般も参加できるとあって注目されている。

 タイムカプセルとはいえ史跡地のため土地の掘削は制限があり、埋設ではなく建物内で厳重保管する。プロジェクトは三つの企画で構成。このうち「奉納写経」と「未来への手紙」が一般対象となる。「奉納写経」は来年4月22日まで募集中。奉納料込み1枚2千円で、専用用紙に写経と写仏を行う。

 木製のタイムカプセルに収納後、境内・西大門(極楽門)の上層部で未来永劫に奉安され、以後50年ごとの御聖忌で記念法要が営まれる。

 例年、写経会で奉納された写経は10月の「経供養」でたき上げられるため、永代奉安を希望していた参加者も多かった。今回のプロジェクトは大歓迎で、申し込みが相次いでいる。

 「未来への手紙」(1枚5千円、奉納料込み)は、秋頃から来年4月下旬まで受け付け予定。50年、100年と2種類のカプセルがあり、手紙の受け付け時に「奉納之証」を授与する。奉納場所は太子を祭る聖霊(しょうりょう)院(太子殿)内。手紙は最終的に焼納されるが、いずれかの開封時、本人または関係者が事前に閲覧できるように告知するという。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「手紙の内容は自由。自分の家系が続くという自信や、社長であれば100年企業を目指す励みにつながれば」と、さまざまな活用の方法を提案する。

 三つ目は、同寺が奉納者となって現代の品々を100年後に伝えるため、カプセルに納める企画だ。場所は同じく聖霊院で、奉納品は法要などに使用する装束や多彩な授与品、年中行事を記録した写真や資料が中心になる。

 このほか紙幣・硬貨、地図、改元を報じる新聞、携帯電話など、時代を彩った品々が納められる予定。山岡課長は「いずれも1400年以上の歴史がある四天王寺ゆえに可能な企画。皆さんとともに50年、100年という時間を共有しながら次代に伝えたい」と思いを込める。

 ◇プロジェクトに関する問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2988名無しさん:2021/08/04(水) 22:19:02 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭15周年で記念公演 30日から 豪華顔ぶれ
2021年8月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210802/20210802024.html

 上方落語協会は9月15日に開場15周年を迎える天満天神繁昌亭の「記念特別公演」を行う。昼席(開演午後2時)は8月30日から笑福亭松鶴一門▽9月6日から三代目桂春団治・露の五郎兵衛一門▽同13日から五代目桂文枝一門▽同20日から林家染丸一門▽同27日から桂米朝一門がそれぞれ1週間ずつ。夜席(同6時)は9月13〜19日の1週間日替わりで、メインの15日は生誕落語会として桂米団治、月亭八方、桂文枝、笑福亭仁智の豪華顔ぶれ。

 開場時と10周年時は天神橋筋商店街を赤い人力車に当時の協会長が乗り込み練り歩いたが、今回はコロナ禍で自粛。来場客100万人は7年で達成できたが、最近1年半はコロナ禍で閉館時期も長く、再開後の今も定員の216席を半分以下の102席に減らし、公演も平均して半分程度の入りで観客動員は苦戦する。15周年での200万人達成には届かず、190万人に乗せるのがやっとだった。

 今後の協会の方向性について、仁智会長は「これまで長い間“(亡き)四天王におんぶにだっこ”という状態だったが、次の15年に向け“親離れ”を目指す。皆でワンチームとなって新しい上方落語界を構築するため新たな第一歩を踏み出す」と決意を述べた。

 米団治副会長は開場当時を振り返り「最初は正直“経営していけるのか?”と心配していたが、3年目ぐらいから商店街が活気づいて協力してくれるようになった。噺(はなし)家にとってもホームグラウンドができた」としみじみ。遊方実行委員長は、一度も繁昌亭を訪れたことのない新規客獲得を念頭に「寄席にはテレビにない笑いがある。いろいろな方に来てほしいし、行ってみたいと漠然と思われている方の背中を押せるようPRを頑張る」とアピール。

 記念特別公演の期間中、来場者特典として特製パンフレットと、特製手ぬぐい(落語家のサイン入りまたはネタ番付のいずれか)をプレゼント。ロビーでは記念写真展も開催。なお昼席のネット配信は行わない。

2989名無しさん:2021/08/04(水) 22:20:28 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子研究識者の講演会 四天王寺、10月開講
2021年8月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210804/20210804028.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺は、今年の「聖徳太子千四百年御聖忌」にちなみ、10月〜来年4月まで毎月1回、日本古代史や聖徳太子研究の識者を講師に招いた「聖徳太子講演会」(全7回)を開講する。

 完全予約制で事前申し込みが必要。参加費は各回500円(7回通しは3千円)。会場は本坊・五智光院。定員は各回先着200円。

 開催日と講師は次の通り。(1)10月3日=中西進氏(国文学者、高志の国文学館館長)▽(2)11月14日=石井公成氏(駒沢大名誉教授)▽(3)12月5日=桑谷祐顕氏(叡山学院学監)▽(4)1月9日=有栖川有栖氏(作家)▽(5)2月6日=北川央氏(大阪城天守閣館長)(6)3月6日=東野治之氏(斑鳩町文化財活用センター長)(7)4月3日=阿部泰郎氏(龍谷大教授、名古屋大客員教授)。

 時間はいずれも午後1時半〜同3時(予定)。受け付け開始は同0時半。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺「聖徳太子講演会」係。

2990名無しさん:2021/08/07(土) 01:24:36 ID:NrdB.GxU0
大阪市立美術館で「聖徳太子展」開催へ ゆかりの作品が集結
8/6(金) 11:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8f4b0e93e21c43987cba39b29f278eb6140c8d8
千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処(ところ)の天子」が9月4日から、大阪市立美術館(大阪市天王寺区、天王寺公園内)で開かれる。(あべの経済新聞)

 2022年に聖徳太子(574〜622)が没して1400年を迎えることを機に開かれる同展。太子信仰の中核を担ってきた和宗総本山四天王寺(天王寺区)の所蔵品を中心に、「聖徳太子絵伝」や「聖徳太子立像」など太子に関わる美術の全貌を紹介する。

 7月7日に行われたオンライン会見で四天王寺の瀧藤尊淳執事長は「当山の寺宝のみならず、全国各地から貴重なご宝物を出品いただく。一つ一つが太子への厚い信仰の結晶であり、宝物を一堂に会して行われる本展覧会はまさに太子信仰の集大成」と話した。「1400年もの長きにわたり、脈々と受け継がれてきた太子の和の精神を心の中にとどめ、聖徳太子のご遺徳と共に、広く皆さんに知っていただく機会になれば」と期待を寄せる。

 開館時間は9時30分〜17時。月曜休館(9月20日は開館)。観覧料は一般=1,800円ほか。10月24日まで。

みんなの経済新聞ネットワーク

2991名無しさん:2021/08/11(水) 20:49:25 ID:NrdB.GxU0
四天王寺でお盆行事「万灯供養」 コロナ対策徹底し2年ぶりに
8/11(水) 14:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e563ffa64732d334c4e6b6e6842f643b9eb030dd

 和宗総本山 四天王寺(大阪市天王寺区)で8月9日、お盆の先祖供養のために行う恒例行事「万灯供養」が始まった。(あべの経済新聞)

 「万灯供養」は平安時代から続いているといわれ、毎年多くの人が訪れる行事。五重塔がある中心伽藍(がらん)内にろうそく立てを設営し、参詣者が先祖の霊名を「万灯ろうそく」に記入して供養する。多くのろうそくに灯がともって幻想的な雰囲気となり、僧侶が般若心経を唱えて練り歩く「万灯供養法要」も行われる。

 昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった。今年は密集・密接を避けるため、中心伽藍内の拝観可能エリアを入り口(西重門)の軒下までに制限するなどしてコロナ対策を徹底する。

 実施時間は17時〜20時。献灯料(ろうそく)は1本700円。今月16日まで。

2992名無しさん:2021/08/11(水) 22:59:55 ID:NrdB.GxU0
太子ゆかりの宝物結集 大阪市立美術館で特別展
2021年8月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210811/20210811015.html

 2022年に没後1400年を迎える聖徳太子に関する仏教美術を集めた展覧会「聖徳太子 日出づる処の天子」が9月4日から10月24日まで、大阪市天王寺区の市立美術館で開かれる。聖徳太子信仰の中核を担ってきた同区の和宗総本山四天王寺の所蔵品を中心に、飛鳥時代から現代の貴重な宝物など約200件を展示する。

 聖徳太子が没して1400年を迎えるにあたり、ゆかりの寺院では聖霊会(しょうりょうえ)など太子の偉業をしのぶ大規模な法会が催される。この節目に合わせ太子にかかわる美術を紹介しようと、四天王寺などが主催する。

 四天王寺は、聖徳太子が593(推古天皇元)年に建立。自然災害や織田信長による焼き打ち、大阪大空襲など幾度も焼失の憂き目に遭ったが、その度に民衆らの強い意志で再建されてきた。

 四天王寺の所蔵からは、太子が所持したと伝わる国宝の「丙子椒林剣(へいししょうりんけん)」(7世紀)と「七星剣」(同)を展示。今年作られた「聖徳太子童形半跏像」は、みこしの「鳳輦(ほうれん)」(17世紀)と合わせて公開し、同展の後は毎年の聖霊会でのみ公開する。

 また全国各地からは、「聖徳太子童形立像(孝養像)」(13〜14世紀、東京・坂東報恩寺)、「慧慈和尚坐像」(10世紀、山口・般若寺)、「聖徳太子絵伝」(15〜16世紀、大阪・杭全神社)などが展覧会初出品となる。

 四天王寺の瀧藤尊淳執事長は会期前に開かれたオンライン記者発表会で「本展覧会では当山のみならず、全国から貴重な宝物を出陳いただく。その一つ一つが先人による太子への厚い信仰の結晶であり、そうした宝物を一堂に会してごらんいただく、本展覧会はまさに太子信仰の一つの集大成になるだろう」と説明。

 昨年から続く新型コロナウイルス禍にも触れ、「今こそ1400年もの長きにわたり脈々と受け継がれてきた、太子の和の精神を改めて心の中にとどめ、太子の御遺徳と共に広く皆さまに知っていただく機会になれば」と期待していた。

2993名無しさん:2021/08/12(木) 21:39:31 ID:NrdB.GxU0
200回記念鴈治郎さん出演 上方伝統芸能ナイト
2021年8月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210812/20210812025.html

 大阪市中央区の山本能楽堂(山本章弘代表理事)は、さまざまな上方伝統芸能を一度に楽しめる公演「初心者のための上方伝統芸能ナイト」が21日に200回を迎えることを記念し、今年は各回「○○スペシャル!」と題して通常より演目を増やして企画する。

 お能や狂言、文楽、上方歌舞伎、上方舞、上方講談、上方落語、浪曲、お座敷遊びなど一晩に数種の芸能をダイジェストで上演する初心者にも親しみやすい公演。通常は1回の公演で4演目を上演しているが、今年は5演目に増やす(10月30日の落語スペシャル除く)。

 200回目の21日には、歌舞伎の中村鴈治郎さんが文楽の人形と一緒に踊る初めての試みも用意する。演目は「義経千本桜 道行」で、文楽の「道行初音の旅」と歌舞伎の「吉野山」を組み合わせたような上演になるという。「これまでにご覧になったことがないものをお見せいたします。お楽しみになさってください」と鴈治郎さん。

 能楽師の山本章弘さんは「回を重ねるごとに新しい出会いがあり、上方伝統芸能の層の分厚さ、その魅力の奥深さを感じている。これからも皆さまのご協力をいただきながら公演を続け、“芸能の都・大阪”の魅力を発信し、大阪のまちを伝統芸能の力で活性化させていきたい」と話している。

 正面席4500円、ワキ・2階席3500円、ライブ配信2千円。問い合わせは電話06(6943)9454、山本能楽堂。

2994名無しさん:2021/08/14(土) 21:15:59 ID:NrdB.GxU0
「京橋駅空襲」から76年 大阪で慰霊祭
8/14(土) 17:52配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e80b6d95427d49b8cf7d2a18bf2345c9b6128a4b
読売テレビ

 終戦の前日、大阪市で500人以上が犠牲となった「京橋駅空襲」から14日で76年となり、慰霊祭が営まれた。

 慰霊祭は、新型コロナの影響で規模を縮小して行われた。

 「京橋駅空襲」は1945年(昭和20)8月14日、アメリカ軍が、京橋駅近くの軍需工場を爆撃し、行方不明者を含む500人以上が犠牲となった。

 参列した女性は「悲惨な出来事を伝えて行かないといけない」と話していた。

 爆撃では、駅にいた大勢の民間人が巻き添えとなり、参列者は犠牲者を追悼し、平和への祈りをささげていた。

2995名無しさん:2021/08/15(日) 22:10:39 ID:NrdB.GxU0
成田山不動尊 コロナ禍死者の位牌祀り供養
8/15(日) 19:07配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f8450ce747450484c9664bb8eede2cc7fb5c492
読売テレビ

 お盆に入り、大阪府寝屋川市の成田山不動尊で15日、新型コロナウイルスで亡くなった方への供養が執り行われた。

 大阪の成田山不動尊は、新型コロナウイルス感染症で亡くなった方々の位牌を祀り、供養する「盂蘭盆会施餓鬼供養大法会」を行った。

 昨年に続き、密集を避けるため、例年は多くの人が訪れる野外での大規模な護摩法要などは中止が決まっていて、法要でも参拝者同士の間隔を開け、検温・消毒をするなど感染防止対策を取った。

 参拝者たちは、新型コロナウイルスの一日も早い終息を願いながら、静かに手を合わせていた。

2996名無しさん:2021/08/15(日) 22:14:28 ID:NrdB.GxU0
明治以降の戦没者追悼 「みたままつり」始まる
2021年8月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210815/20210815025.html

 明治以降の戦没者を追悼する「みたままつり」が14日、大阪市住之江区の大阪護国神社で始まった。神話や神社をテーマにした絵画コンクールの出品者を招く「奉納奉告祭」も同時に執り行われ、ちょうちんに添えた作品が境内を明るく彩った。祭りと作品の掲示は15日まで。

 同宮では明治維新前後から太平洋戦争まで、府出身の戦没者ら10万5千柱余りを祭っており、15日の終戦記念日に合わせて神事を斎行している。戦没者遺族に支えられている一面があり、若い世代にも広く関心を集めようと昨年からコンクールの企画を始めた。

 絵画のモチーフは、「古事記」「日本国旗」「神社」のいずれか。幼児から高校生まで67の出品があり、愛らしいウサギを描いた「因幡の白兎」の物語や荒々しいヤマタノオロチ退治など神話の一シーンをはじめ、各地にある鳥居や社殿を荘厳に描いたものなどユニークな世界観が集まった。

 藤江正鎮宮司(57)は「力の入った良い絵が集まりうれしい。今後はインターネットも活用し、広く作品を募集したい」と期待を寄せた。

2997名無しさん:2021/08/15(日) 22:16:13 ID:NrdB.GxU0
明治以降の戦没者追悼 「みたままつり」始まる
2021年8月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210815/20210815025.html

 明治以降の戦没者を追悼する「みたままつり」が14日、大阪市住之江区の大阪護国神社で始まった。神話や神社をテーマにした絵画コンクールの出品者を招く「奉納奉告祭」も同時に執り行われ、ちょうちんに添えた作品が境内を明るく彩った。祭りと作品の掲示は15日まで。

 同宮では明治維新前後から太平洋戦争まで、府出身の戦没者ら10万5千柱余りを祭っており、15日の終戦記念日に合わせて神事を斎行している。戦没者遺族に支えられている一面があり、若い世代にも広く関心を集めようと昨年からコンクールの企画を始めた。

 絵画のモチーフは、「古事記」「日本国旗」「神社」のいずれか。幼児から高校生まで67の出品があり、愛らしいウサギを描いた「因幡の白兎」の物語や荒々しいヤマタノオロチ退治など神話の一シーンをはじめ、各地にある鳥居や社殿を荘厳に描いたものなどユニークな世界観が集まった。

 藤江正鎮宮司(57)は「力の入った良い絵が集まりうれしい。今後はインターネットも活用し、広く作品を募集したい」と期待を寄せた。

2998名無しさん:2021/08/19(木) 23:12:43 ID:NrdB.GxU0
厳かな雰囲気 配信中 大阪天満宮、ユーチューブで
2021年8月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210819/20210819028.html

 大阪天満宮(大阪市北区)は、今年の天神祭の宵宮(7月24日)と本宮(同25日)の様子を動画投稿サイト「ユーチューブ」の公式チャンネルで配信している。新型コロナウイルス禍の影響で2年連続規模を縮小し、人が集まらないように各神事の時間を公開せずに斎行。代わりに神事の様子を動画にまとめ、解説文を付けて行事の様子を分かりやすく紹介している。

 見どころは、昨年にはなかった神事の創出。昨年の天神祭は、祭神・菅原道真公のみ霊をみこしに移して地域を巡る行事を取りやめ、境内で神事を完結したが、今年は、天神祭の起源にかかわる巡行を2年連続中断させてはならないと、近隣の川までの約300メートルを約70人で往復する「神幸(しんこう)列」に臨んだ。

 動画では、雅楽を響かせながら、厳かな雰囲気で歩みを進める一団を紹介。川べりでは、神の休憩所となる「御旅所(おたびしょ)」を設け、疫病退散を祈願した神事の様子を伝えている。

 また今年は、祭りで重要な役割を担う神童の選定を2年ぶりに実施。「鉾流(ほこながし)神事」で大役を果たした姿を発信している。

 動画の時間は約20分。それぞれの神事の内容について解説文を付け、千年余り続く祭りへの理解を促している。

2999名無しさん:2021/08/25(水) 22:08:12 ID:jVHXvq2s0
戦後の大阪に「警視庁」実在 GHQの影、東京に対抗心も とことん調査隊

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOHC102LG0Q1A810C2000000/

現在、2度目の大阪勤務中の記者(37)の前任地は東京。大阪府警幹部との雑談で警視庁を担当していたことを告げると、「大阪も昔は『警視庁』やったんや」と教えてくれた。半信半疑で調べてみると、確かに終戦後に5年間、「大阪市警視庁」なる組織が実在していた。その歴史から透けて見えるものとは?

大阪市警視庁が存在したのは1949〜54年。当時を直接知るOBにはたどり着けなかったが、70代の府警OBは「新人のころ『俺は警視庁採用やからな』と言う先輩もいた。警視庁という響きに強い誇りを感じた」と語る。

その誕生には、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策が関係している。戦争推進に加担した戦前の国家警察の旧弊を除くため、自治体の権限を強める警察改革を企図。47年制定の旧警察法で、比較的大きな自治体が自前の警察を持ち、名称や運用も自らの裁量で決められるようにした。


大阪府には、大阪市や堺市などをそれぞれ管轄する「自治体警察」、それ以外を管轄する「国家地方警察」が併存。大阪市の自治体警察は当初「警察局」だったが、機構改革を機に49年から「警視庁」を名乗った。ただ、名称を巡っては激論があったという。

「大阪市警察誌」(56年)などで当時の記録をひもとくと、大阪市警視庁の初代警視総監を務めた鈴木栄二氏は「大阪のような事件の多い大都会では、善良な一般市民には安心感を、不法分子には重圧感を与える意味で警視庁ほど適切な名称はない」と熱弁。大阪以外の大都市も警視庁を名乗るべきだと訴えた。

一方、当時の市長、近藤博夫氏は「警察局でいいのでは」と反対した。ところがGHQ幹部から「東京だけに警視庁を置くのはいけない」という私信を受け取り、「名称をどうしようか、とにかく随分苦しんだ」と回想している。

警察の歴史に詳しい青山学院大の小宮京教授は「名古屋や横浜も警視庁を名乗る可能性はあったが、大阪だけだった。GHQの意向もあったが、西の大都市の治安を守る立場として東京への対抗心もあったのでは」と推測する。

民主化の旗の下で誕生した大阪市警視庁は、市民目線の革新的な施策を導入。「O・P・P(Osaka police post)」という目安箱で市民の声を吸い上げ、さらに戦前の「オイコラ警察」を脱却しようと、自転車や徒歩でのパトロールを重点的に行う英米式の制度を全国に先駆けて始めた。

大阪市警視庁の本部は、大阪城内の旧陸軍第4師団司令部庁舎(現ミライザ大阪城)に置かれた。中世ヨーロッパの古城を模した同庁舎は、31年の大阪城天守閣再建に合わせて建設。天守閣の2倍近い費用をかけた堅固な建物で、国家地方警察大阪府本部が当時、城外の府庁庁舎内にあったのと比べ、特別待遇だったことがうかがえる。

全国的にも存在感が大きかった大阪市警視庁だが、54年、歴史に突如幕が下ろされた。自治体警察と国家地方警察の2本立て体制を都道府県警に統一する警察法施行で、同年7月に廃止。55年に現在の大阪府警本部の形になった。一連の経緯を当時の関係者は本部所在地になぞらえ「大阪城落城」と呼んだという。

小宮教授はその歴史的意義について「短い間ではあったが独自の施策に取り組み、地方自治の一つの挑戦だった」と評価。「警察制度改革にとどまらず、大都市に権限をどこまで与えるべきか、大都市はどのような業務を担うべきかという現在に通ずる問題を投げかけた」と指摘する。

東京への対抗心が透けて見えるという点では、2020年に2度目の住民投票が否決された「大阪都構想」とも共通項がある。名前や形はどうあれ、市民目線の行政を貫いてほしい。歴史を振り返りながら、ふとそう思った。(村越康二)

3000名無しさん:2021/08/25(水) 22:33:11 ID:NrdB.GxU0
>>2999

ゴジラの第二作「ゴジラの逆襲」で大阪市警視庁が出てきますな。

>大阪市警視庁の本部は、大阪城内の旧陸軍第4師団司令部庁舎(現ミライザ大阪城)に置かれた。

この庁舎も出てきますし、澪標を使った大阪市警視庁のマークの付いた警官も出てきます。


※ゴジラの逆襲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%81%AE%E9%80%86%E8%A5%B2
>数日後、大阪市警視庁では古生物学者の山根恭平博士と、同僚の田所博士を招いての緊急会議が開かれる。
>月岡と小林の証言により、ゴジラと戦っていた怪獣は、ゴジラと同時代に生息した凶暴な肉食恐竜のアンキロサウルス、
>通称アンギラスであることが判明する。

3001名無しさん:2021/08/25(水) 23:20:11 ID:NrdB.GxU0
今年 太子没後1400年 壮大な事業 100年前に思い
2021年8月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210824/20210824021.html

 聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)で10月から太子没後1400年の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌(ごせいき)」が執り行われる。大きな節目にちなみさまざまな記念事業が進む中、一世紀前の1300年遠忌の壮大な記念事業にも関心が集まっている。かつて世界一の大きさを誇った釣り鐘「頌徳(しょうとく)鐘」と大鐘楼「頌徳鐘楼」(現「英霊堂」、市指定有形文化財)の建造もその一つで、多くの人々が当時の時代背景や先人の熱意に思いをはせている。

 釣り鐘の鋳造計画は、「第5回内国勧業博覧会」(1903年)が地元の天王寺公園で開催されるという好機に当たり、21年の聖徳太子1300年遠忌記念事業の一環で国の安寧を願う象徴として計画された。

 同寺勧学課主任学芸員の一本崇之さんは「当時は廃仏毀釈(きしゃく)、工業の西洋化などの時代で仏教界には危機感があり、近場の一大イベントに合わせて科学技術と融合した世界一の記念事業に取り組んだ」と経緯を説明。寄付を募るためのポスターの制作や勧進相撲も興行した。門前町でも盛り上がりを見せ、現在も地元名物として親しまれている「釣鐘(つりがね)まんじゅう」が誕生している。

 高さ約8メートル、口径約5メートルの釣り鐘は03年に完成。鐘をつるす大鐘楼は06年に着工、翌年に建立された。

 現存する巨大な天井画「雲龍画」は森下仁丹創業者の森下博(1869〜1943年)が30代半ばで寄進。作品は大阪の日本画家・湯川松堂(しょうどう)が描いた。

 大阪商業大公共学部公共学科の明尾圭造教授は「森下氏は、京都の画家も数多い中、大阪の画家を後押ししようと湯川氏を選んだのでは」と推測。「作品がこうした形で残り、画家冥利(みょうり)に尽きる作品ではないか」と評価する。

 釣り鐘は太平洋戦争中の43年に金属回収令を受けてばらばらに裁断、搬出されて姿を消した。鐘なき大鐘楼は戦後、戦没者を慰霊する「英霊堂」に改修されて今日に至る。

 同寺の瀧藤尊淳執事長の案内で英霊堂を訪ね、天井画を拝観した森下仁丹の森下雄司社長は「聖徳太子の遠忌事業に関われるという創業者の喜びや栄誉はいかばかりだったかと想像する。創業者が明治の時代に描いた社会還元の思いは、時代が進んだ現代もすべての企業の命題となっていることが興味深い」と話した。

 瀧藤執事長は「100年にわたる森下さんとのご縁は聖徳太子のお導きと改めて喜んでいる。新型コロナウイルス禍など激変する日常の中、いま一度、太子の和の精神に立ち返り、感謝を忘れず日々精進したい」と気持ちを込めた。

3002名無しさん:2021/08/25(水) 23:33:18 ID:NrdB.GxU0
高野街道は文化財宝庫 保護活動呼び掛け
2021年8月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210825/20210825025.html

 異業種交流会「社交サロン ザ・クラブジャパン関西」(原田忠義会長)の「CS・ホスピタリティ・アカデミー交流会-」が18日、北区西天満2丁目の中之島LOVE CENTRALで特別ゲストに高野山学園法人本部本部長・常務理事、芝田啓治氏を招いて開かれた。
 
 芝田氏は「〜高野山 奥河内 ふるさと学〜 空海、山を下る」をテーマに講演し、「かつて京・大坂から高野山への参詣道として用いられた高野街道(大阪府河内長野市〜和歌山県橋本市)の地域には日本の国宝、重要文化財の45%がある。この地域は文化財の宝庫。心を一つにして守っていかなければならないと思います」と文化財保護を呼び掛けた。

 原田会長のあいさつに続いて、芝田氏は「関西と近畿という呼び方があるが、定義は違う」と前置きした上で「関西という言葉が使われ始めるのは平安時代中期。逢坂関(おうさかのせき)(現在の大津市)が置かれるところから西を関西と称するようになった。近畿の畿は都(みやこ)を意味し、大和、山城、摂津、河内、和泉を五畿と呼ぶ。五畿にはかつて都がありこの地域は歴史的にみても国宝、重文が多く、日本の宝」と歴史的経緯を紹介した。

 この後、高野山を開いた真言宗の開祖、弘法大師空海に言及し、「空海は中国・唐で真言密教を学び帰国し、43歳のときに仏教の修行の場として高野山を開いた。将来の国造りには教育が大切と、55歳の晩年になって私財を投じて教育施設を開設している。高野山大学は弘法大師の教えを引き継ぎ、人間性豊かで創造力にあふれた人材の育成を教育理念としている」と述べた。

 第2部では友情ゲストとして公益社団法人「浪曲親友協会」理事、4代目・天光軒(てんこうけん)満月氏が浪曲「空海一代記」を情感を込めて披歴した。

3003名無しさん:2021/08/25(水) 23:35:11 ID:NrdB.GxU0
天守閣前で豊国踊り 河内音頭「大阪城物語」初披露
2021年8月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210823/20210823019.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で21日夜、踊りの催し「豊国(ほうこく)踊りと河内音頭〜大阪城物語」があった。多くの市民が参加して踊りを楽しみながら、格別な夏の夜のひとときを過ごした。

 「豊国踊り」は、豊臣秀吉七回忌に当たる1604(慶長9)年にあった「豊国臨時祭礼」の締めくくりに京都の町人がささげた踊りと伝わる。同天守閣では2015年に文献史料などから学術的に踊りを復元。以降、夏の風物詩として多くの市民に親しまれているが、今回は新型コロナウイルス禍を受けて、参加者は等間隔の席に座ったままの状態で手踊りにとどめる対策が講じられた。

 会場の天守閣前・本丸広場では、宝塚歌劇団OGとOSK日本歌劇団OGが出演し、舞台上で華麗な踊りを披露。参加者も手踊りながらも舞台と一体となって会場を盛り上げた。

 このほか今年の天守閣復興90周年記念事業の一環で新たに制作された河内音頭「大阪城物語」が初めて披露された。音頭取りで制作者の天龍小若丸さんがライトアップされた天守閣をバックに登壇。大阪城の劇的な歴史を盛り込みながら名調子を夜空に響かせた。

 区内から踊り仲間と参加した女性(83)は「皆さんと夏らしい催しを楽しめた」と笑顔。同天守閣の北川央館長は「来年こそは、コロナ以前みたいに踊りの輪を広げて自由に楽しんでもらえるような状況に戻ること願いたい」と話した。

3004名無しさん:2021/08/29(日) 22:28:25 ID:NrdB.GxU0
秀吉が演じた能再現 5演目、12月まで毎月上演
2021年8月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210828/20210828038.html

 全国の能楽師が所属する能楽協会(全国に7支部)は「日本全国能楽キャラバン!」と題して、全国20都道府県の35施設で、71の能公演を行っている。大阪では能楽師家5家が山本能楽堂(大阪市中央区)で、能を愛好した豊臣秀吉が自ら演じた演目を29日から毎月連続で上演する。

 文化庁は大規模で質の高い文化芸術の振興を推進することを目的とした支援「大規模かつ質の高い文化芸術活動を核としたアートキャラバン事業」を実施。同協会はその採択を受け、コロナ禍で疲弊した能楽界の閉塞(へいそく)感を打ち破り、新たな挑戦をしようと「キャラバン」を企画した。

 山本能楽堂公演は上野家、梅若家、大西家、生一家、そして山本家の能楽師家が一丸となって「新たなチャレンジを行わせていただく場」と捉え、「野村美術館(京都市)には秀吉が書き残し、自らが演じた能の番組、つまり、プログラムが掛け軸となって残っている。そこに記された5演目を12月まで毎月上演する」ことを決めた。

 「秀吉はわずか50日間で15〜16種類の演目を驚異的なスピードで覚えたと言われていて、正室の北政所に送った手紙には『能に暇なく候』と書かれていた。能以外のことをする暇はないという意味で、能に熱中していた様子がよく分かる」と同能楽堂の山本佳誌枝さん。

 「のふの事〜能に暇なく候」と題し、其の一(8月29日)「弓八幡」に始まり、「芭蕉」(9月20日)▽「融」(10月16日)▽「杜若」(11月7日)▽「大会」(12月4日)。佳誌枝さんは「連続でご覧いただくと秀吉の趣向が感じられ、“大阪ならでは”の催しとして楽しんでもらえるのでは」と話す。また、番外編として、秀吉ゆかりの大阪城を見上げる場所にある大阪城音楽堂で10月21日、野外能を実施。人気の「羽衣」と「石橋」を披露する。

 チラシやパンフレットには、秀吉が能を鑑賞している様子が描かれている神戸市立博物館に残る「観能図」の屏風(びょうぶ)を使用。京都の邸宅に天皇を招いた「聚楽第行幸」の様子を描いたとされるもので、「描かれている観客の中には南蛮人の一行の姿もある。この屏風のように、日本の方も外国の方も、一緒に能を楽しんでいただけるような日が早くくれば」と佳誌枝さんは願う。

3005名無しさん:2021/08/29(日) 22:29:48 ID:NrdB.GxU0
秀吉の常山城攻略 陣立て文書確認 滋賀、軍事作戦の一端伝える
https://www.sanyonews.jp/article/1168886

戦国時代末期の織田信長による中国攻めで、織田勢を率いた羽柴(豊臣)秀吉が、毛利氏が支配する瀬戸内海航路の要衝、常山城(玉野市宇藤木など)の攻略を目指し、自軍の陣容を記した文書が26日までに、滋賀県長浜市で確認された。毛利氏との直接対決に向け、秀吉が行った具体的な軍事作戦の一端を伝える貴重な史料として注目される。

 文書は縦30・4センチ、横46・8センチで、中国攻めのクライマックス・備中高松城水攻め(1582年5〜6月)間近の同年3月17日付。加藤光泰、仙石秀久ら秀吉配下の武将名とそれぞれが率いる人数が記され、秀吉の花押も確認できる。冒頭には「はまて(浜手)の衆」とあり、編成されたのは水軍で、文書はいずれかの参加武将に送ったものとみられる。

 中国攻めでは秀吉が、山陰、山陽両方面から中国地方の覇者毛利氏の勢力圏に侵攻し、山陽では備前の戦国大名・宇喜多氏の協力で作戦を進めた。

 常山城を巡っては、信長の一代記「信長(しんちょう)公記」の中に、信長の五男で秀吉の養子になった秀勝の初陣として備前国児島の敵城を攻撃する旨の報告が秀吉からあったことが記されている。この敵城が常山城と考えられているが、他に資料がなく、実際に攻城戦があったかどうかは不明だった。

 文書を調査した長浜市歴史遺産課は「かなり具体的な計画が記され、軍勢の出動が行われた事実が裏付けられた」とし、「秀吉が高松城をはじめとする備前・備中境の城を攻撃できた背景には常山城攻略による周辺の制海権掌握があり、(秀吉の天下取りの契機である)中国大返しにもつながった」とみている。

 一方で調査に協力した倉敷市歴史資料整備室の畑和良専門員は「この文書だけで実際の戦闘行為の有無までは判断できないが、少なくとも出陣を詳細に計画したことは証明される重要な発見」としている。

 文書は長浜市在住の歴史愛好家の男性が、昨年末にネットオークションで入手。照会を受けた同課が紙質や花押から秀吉のものと判断した。
(2021年08月26日 21時39分 更新)

3006名無しさん:2021/08/29(日) 22:30:39 ID:NrdB.GxU0
大化の改新の舞台は大阪であります。

大化の改新の裏側を紹介 来月26日に平野区歴史講座
2021年8月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210827/20210827029.html

 「令和3年度 第2回平野区歴史講座」が9月26日に大阪市平野区平野南1丁目の平野区民ホールで開かれる。午後1時半(正午開場)〜同3時。受講料(資料代)500円。定員は事前申込で先着100人(定員になり次第受け付けを終了)。

 大阪市コミュニティ協会平野区支部協議会主催。当日は大阪府高齢者大学講師で関西大非常勤講師の岩井敏明氏が「大化の改新の裏側」と題して講演する。参加希望者は平野区民センター(同区長吉出戸5丁目)に直接来館または電話で申し込む。

 オープニングイベントとして同0時45分から市立加美中吹奏学部によるミニコンサート(約30分)も予定している。

 問い合わせは電話06(6704)1200、平野区民センター。

3007名無しさん:2021/09/04(土) 02:57:21 ID:NrdB.GxU0
大阪市立美術館で「聖徳太子展」 国宝や重文などゆかりの作品が集結
9/3(金) 17:20配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5fac150897aa56f2682351be41b05cb8366c3428
 
 千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処(ところ)の天子」が9月4日から、大阪市立美術館(大阪市天王寺区、天王寺公園内)で開かれる。(あべの経済新聞)

 2022年に聖徳太子(574〜622)が没して1400年を迎えることを機に開かれる同展。太子信仰の中核を担ってきた和宗総本山四天王寺(天王寺区)の所蔵品を中心に、日本各地から飛鳥時代から中世、現代までの太子ゆかりの作品を集める。「聖徳太子絵伝」や「聖徳太子立像」など国宝8件、重要文化財41を含む181件を展示する。会期中には展示替えを行う。

 開館時間は9時30分〜17時。月曜休館(9月20日は開館)。観覧料は一般=1,800円ほか。10月24日まで。

3008名無しさん:2021/09/08(水) 23:08:59 ID:NrdB.GxU0
「なにわの考古学」土器など展示 10月27日から
2021年9月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210908/20210908026.html

 大阪歴史博物館(大阪市中央区)は、10月27日から8階特集展示室で特集展示「新発見!なにわの考古学2021」を開催する。12月20日まで。会期中は、船出遺跡出土の朝鮮半島の土器(5世紀)のほか、難波宮跡出土の漆が付着した須恵器(7世紀)▽豊臣期大坂城詰ノ丸の石垣(パネル展示)と金箔(ぱく)瓦(16世紀末〜17世紀初頭)▽野崎町所在遺跡出土の大量の陶磁器(17世紀末〜18世紀初頭)など約350点を展示する。

 詳しくはhttp://www.mus-his.city.osaka.jp/

3009名無しさん:2021/09/12(日) 19:51:23 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子が亡くなって来年で1400年 太子ゆかりの品を集めた展覧会 大阪市立美術館
9/12(日) 12:25配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6614fb0c8f229c41c5d1923eb13be938283c232
読売テレビ

 聖徳太子が亡くなってから来年で1400年になるのを前に、聖徳太子について知ってもらおうと、大阪市立美術館で展覧会が開かれている。

 展覧会には、日本各地のお寺や神社約60から集められた聖徳太子にまつわる宝物が展示されている。

 国宝の「丙子椒林剣」や重要文化財の「聖徳太子童形立像」、さらに今回初めて展示される神輿など、総数は約180件に上るという。

 毎週土曜日には四天王寺の僧侶による絵画の説明会も行われている。訪れた人たちは、太子ゆかりの貴重な品々を真剣な表情で見入っていた。

 この展覧会は10月24日まで開かれている。

3010名無しさん:2021/09/22(水) 23:14:13 ID:NrdB.GxU0
秋の大古本祭り 10月8〜12日、四天王寺
2021年9月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210920/20210920025.html 

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で「四天王寺 秋の大古本祭り」(同寺、関西古書研究会共催)が10月8〜12日に開催される。

 秋恒例の古書市として長年多くの愛好家に親しまれており、今年で21回目。広い境内には、大阪を中心とする古書店のテントブースが並び、文学や歴史、芸術などあらゆる分野の古書類を販売する。古書以外では古地図や古写真、音楽CDなども人気。好評の絵本・児童書コーナーや100円均一コーナー、スタンプラリーも予定している。

 毎回「特集」として各店が統一テーマを決めて関連書籍を展示販売しており、今回は「聖徳太子とその時代」がテーマ。くしくも今年は同寺を創建した太子の没後1400年という大きな節目に当たる。同寺は「古今の書物が集まる大古本祭を通じて、人としての豊かな教養が育まれ、聖徳太子の和の精神が実践されますことを祈念」と言葉を寄せている。

 午前10時〜午後5時(最終日は同4時)。問い合わせは電話072(994)8852、事務局(大仙堂書店)。

3011名無しさん:2021/09/25(土) 21:49:22 ID:NrdB.GxU0
荘厳な景色 心穏やかに 四天王寺で「日想観」
2021年9月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210924/20210924031.html

 秋分の日の23日、真西に沈む夕日を拝む彼岸の伝統行事「日想観(じっそうかん)」が、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で厳かに執り行われた。天候に恵まれたこともあり、多くの参詣者が丸くまばゆいほどの太陽が石鳥居(いしのとりい)に沈み行く荘厳な景色を見届けた。

 日想観は夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環。かつて四天王寺のそばまで海が広がり、境内の真西は極楽浄土へ続く場所と信仰されていたことに由来する。春、秋の彼岸の中日にのみ、鳥居の中央に沈むことで知られる。

 この日は午後5時15分頃から僧侶らが西大門(極楽門)付近に参集し、法要を営んだ。参詣者は真剣な表情で読経に声を合わせ、境内は荘厳な雰囲気に包まれた。

 暮れなずむ境内では、ゆっくりと傾き始めた夕日を集まった人々がカメラに収めたり、手を合わせたりして見届けた。

 区内から訪れた女性(67)は「ここ数年、見たことがないほどきれいな夕日で感動しました。心が穏やかになりました」と、しみじみと話した。

3012名無しさん:2021/09/27(月) 22:59:46 ID:NrdB.GxU0
大阪大空襲の証言 DVD完成で試写会
09月26日 06時00分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210926/2000051741.html

戦争の悲惨さを語り継ごうと、「大阪大空襲」の当事者の証言を集めたDVDが完成し、25日夜に完成試写会が開かれました。

試写会は、DVDを制作した大阪市の新聞社、「新聞うずみ火」が開きました。
大阪大空襲を体験した3人の証言を、30分にまとめた映像が上映されました。
このうち、11人家族のうち両親や弟など9人を空襲で亡くし、10歳で孤児になったという女性は、戦後親戚の家を転々として、常に周囲の機嫌を気にして生活せざるをえなかったということで、「戦争は誰のためにもならないので二度としないでほしい」と語っていました。
新型コロナウイルスの感染拡大で、小中学校では戦争経験者を招いて話を聞く機会が激減しているということで、この新聞社ではDVDを平和資料館「ピースおおさか」に寄贈して、各学校での平和学習に使ってほしいとしています。
主催した新聞社の矢野宏代表は、「戦争は昭和20年に終わったが、証言者たちは空襲で今も苦しんでいる。戦争は一度始まると、苦しむ期間が本当に長いことを知ってもらいたい」と話していました。

3013名無しさん:2021/10/02(土) 23:37:37 ID:NrdB.GxU0
成長願い一つ一つ 住吉大社、七五三詣の撤下準備
2021年10月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211001/20211001032.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で30日、同大社のみこ「神楽女(かぐらめ)」が、七五三詣の子どもたちに授ける撤下(てっか)(おさがり)を袋に詰める準備作業が報道関係者に公開された。

 同大社では昨年、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、受付期間を10〜12月まで広げて参拝の分散を図った。今年はさらに前倒しで9月から毎日受け付けている。

 袋詰めは8月末から続いており、同日の作業では4人の神楽女が連歌所で奉仕。扉を開放した中、マスクとゴム手袋を着用して、千歳あめや鉛筆、お守りなどの品々を丁寧に袋に詰めていった。神楽女の岡冨遙さん(20)は「コロナ禍で大変な時期ですが、大事な節目を迎えられた皆さんをお祝いするとともに、健やかに成長していただけるよう一つ一つ気持ちを込めました」と話した。

 同大社によると、七五三詣のピークは11月13、14の両日と予想。約7千人の子どもが参拝すると見込んでいる。

3014名無しさん:2021/10/06(水) 22:19:32 ID:NrdB.GxU0
造幣局で創業150年記念式典 秋篠宮ご夫妻 オンラインで
10月04日 17時48分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211004/2000052138.html

貨幣の鋳造などを行う大阪の造幣局で創業150周年を記念する式典が開かれ、秋篠宮ご夫妻もオンラインで参加されました。

大阪の造幣局は明治4年(1871年)に創業され、日本で近代の貨幣の鋳造事業が始まってことしで150周年を迎えます。
これを記念する式典が4日午後、造幣局で開かれ、秋篠宮ご夫妻もオンラインで参加されました。
式典では、事前に収録された秋篠宮さまのビデオメッセージが上映され、「国民の信頼を得て円滑に運営されているのは、ひとえに長年にわたる飽くなき向上心とたゆまぬ努力による知識の蓄積と技能の向上、そして、それらを継承していくため、後進を育成してこられたたまものと申せましょう」と述べ、関係者に敬意を表されました。
このあと、ご夫妻はオンラインで来月1日に発行される新しい五百円硬貨が製造される現場を視察されました。

【新五百円硬貨は】。
大阪の造幣局では、来月1日に発行される新しい五百円硬貨の製造が進められています。
造幣局によりますと、新しい五百円硬貨は素材を変えたり最新の技術を使って複雑な構造にしたりして、偽造しにくくなっています。
大きさや基本的なデザインは今の硬貨と似ていますが、3種類の金属を使い、組み合わせる形になっています。
また、これまで等間隔に刻まれていた側面の溝は、一部だけ幅や形を変えていて、硬貨の裏面の縁には「500YEN」と「JAPAN」という小さな文字が刻まれるなど細部にわたり偽造を防ぐ加工が施されています。
当初は、ことし9月ごろまでに発行される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で銀行のATMなどの改修作業が遅れたことを理由に発行が延期されていました。
五百円硬貨が新しくなるのは21年ぶりで、大阪の造幣局のほか広島市やさいたま市にある支局の工場で製造が進められていて、今年度、2億枚を発行する予定だということです。

3015名無しさん:2021/10/06(水) 22:22:03 ID:NrdB.GxU0
水都・大坂の活況再現 くらしの今昔館
2021年10月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211004/20211004032.html

 “水都”と呼ばれた大坂にまつわる絵画を集めた企画展「商都慕情II〜水のまち大阪を巡る〜」が大阪市北区のくらしの今昔館で開かれている。「幽霊図」で知られる江戸中期の絵師、円山応挙による絵巻「淀川両岸図巻」を模写した画帖(がじょう)など約30点を出展。人や物が盛んに往来し、活況を極めた当時を鮮やかに再現している。11月14日まで。

 目玉は、昭和初期の日本画家、庭山耕園とその門人らが応挙作のうち六つの場面を忠実に模写した「淀川両岸帖」。財界人が発注したもので、昨年個人から所有が移り、館蔵品として初めて一堂に並べた。

 画帖は、京都・伏見を出発し、大阪・天満橋に至る淀川両岸の風景を描いた六曲一双。道中、淀城や枚方宿、京街道最後の宿場町で、難所とされた守口付近が描かれ、藩の旗印を掲げた御座船や瓦ぶきの屋根など細やかな描写も見所だ。時間の経過や、船に乗り込んだ人の視点で両岸の景色を上下に展開する応挙の空間表現も楽しめる。

 学芸員の服部麻衣さんは「当時は暮らしの中に川や橋が当たり前のようにあった。企画を通して水都・大阪の魅力を再発見してほしい」と来場を呼び掛けている。午前10時〜午後5時。火曜休館。

3016名無しさん:2021/10/06(水) 22:28:10 ID:NrdB.GxU0
ええやん!この街 泉大津 伝統の祭りを守る人たち
10月05日 19時00分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211005/2000052165.html

「ええやん!この街」です。
今回行ってきたのは大阪・泉大津市です。
街に伝わる伝統の祭りを愛し、守ろうとする人たちに出会いました。

3017名無しさん:2021/10/06(水) 23:13:20 ID:NrdB.GxU0
仮面ライダー記念貨幣を販売 テレビ放送50年で造幣局
2021年10月5日 18:46
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211005/20211005104.html

 独立行政法人造幣局(大阪市)は5日、「仮面ライダー」のテレビ放送開始から50年の節目を記念した貨幣セットを通信販売すると発表した。受け付けは6日から26日まで。プルーフ貨幣セットは1万4千円(送料込み)で、仮面ライダー新1号を浮き彫りで表現した銀メダルと6種類の貨幣を特製革ケースに収納。2万セット用意した。

 新サイクロン号にまたがる姿のメダルを含む貨幣セットは2700円(送料込み)で7万セット。造幣局のオンラインショップか、はがきで申し込める。申し込み多数の場合は抽選。一部はJR東京駅地下街にある「仮面ライダーストア」でも来年1月ごろに販売する予定。

3018名無しさん:2021/10/09(土) 22:31:15 ID:NrdB.GxU0
ええやん! 遊び心を大切に 伝統の「大阪欄間」
10月08日 18時53分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211008/2000052308.html

「ええやん!」です。
今回は大阪・摂津市からの中継です。
和室の天井などに用いられる、欄間の工房を訪ねています。
伝統の技術を守りながら、新しい取り組みに挑戦しているそうです。

3019名無しさん:2021/10/09(土) 23:10:28 ID:NrdB.GxU0
深野新田の歴史伝える 江戸中期の川堤絵図初公開
2021年10月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211003/20211003027.html

 江戸時代中期の深野新田(現大東市)を描いた大東市指定有形文化財の「深野新田周辺川堤絵図」(平野屋新田会所旧蔵、1717年)が、同市の歴史民俗資料館で初公開されている。市域の発展の礎を築いた深野池の新田開発の歴史や、水利環境の変化を知る上で貴重な資料として注目を集めている。

 絵図は、1716(享保元)年に洪水で破損した徳庵堤(現大阪市鶴見区)の修復をめぐる争論の際に、当事者である村々の立ち会いの下で作成。縦190センチ、横236センチの紙本着色で、各村の位置や周辺を流れる恩知川や徳庵川のほか、細かな水路や堤も克明に描いている。

 市は、昨年4月に文化財に指定。ふるさと納税を活用した絵図の修復作業が完了したため、市制施行65周年を記念した同館の企画展「新田の歴史と遺産」(17日まで、入館無料)でお披露目した。

 2日には見学会があり、同市産業・文化部生涯学習課の佐々木拓哉さんが絵図を解説。参加した市民らは深野南新田などを管理するために設けられた平野屋新田会所の跡地にも足を運び、郷土の歴史について理解を深めた。

 平野屋新田会所市民サポーター会議の水永八十生(やそお)会長(74)は「地域には水路や樋門など新田開発の歴史を示すものが残っているので、町歩きも楽しんでいただける」とアピールしていた。

3020名無しさん:2021/10/09(土) 23:13:05 ID:NrdB.GxU0
水都・大坂の活況再現 くらしの今昔館
2021年10月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211004/20211004032.html

 “水都”と呼ばれた大坂にまつわる絵画を集めた企画展「商都慕情II〜水のまち大阪を巡る〜」が大阪市北区のくらしの今昔館で開かれている。「幽霊図」で知られる江戸中期の絵師、円山応挙による絵巻「淀川両岸図巻」を模写した画帖(がじょう)など約30点を出展。人や物が盛んに往来し、活況を極めた当時を鮮やかに再現している。11月14日まで。

 目玉は、昭和初期の日本画家、庭山耕園とその門人らが応挙作のうち六つの場面を忠実に模写した「淀川両岸帖」。財界人が発注したもので、昨年個人から所有が移り、館蔵品として初めて一堂に並べた。

 画帖は、京都・伏見を出発し、大阪・天満橋に至る淀川両岸の風景を描いた六曲一双。道中、淀城や枚方宿、京街道最後の宿場町で、難所とされた守口付近が描かれ、藩の旗印を掲げた御座船や瓦ぶきの屋根など細やかな描写も見所だ。時間の経過や、船に乗り込んだ人の視点で両岸の景色を上下に展開する応挙の空間表現も楽しめる。

 学芸員の服部麻衣さんは「当時は暮らしの中に川や橋が当たり前のようにあった。企画を通して水都・大阪の魅力を再発見してほしい」と来場を呼び掛けている。午前10時〜午後5時。火曜休館。

3021名無しさん:2021/10/09(土) 23:18:18 ID:NrdB.GxU0
お供え米 豊かに実る 氏子や住民らが稲刈り
2021年10月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211009/20211009038.html

 大阪市平野区の杭全(くまた)神社(藤江正謹宮司)で8日、恒例の稲刈りが執り行われた。神田(しんでん)で藤江宮司や氏子、近隣住民、関係者ら約30人が奉仕し、豊かに実った稲穂を一つ一つ丁寧に鎌で刈り取っていった。

 同神社では、2011年から境内南側に神田(約100平方メートル)を設けて神事用の米を栽培。収穫後は神事や懸税(かけぢから)とよばれるお供えものや、参拝者に配られるお守りの「福の種」として使われている。

 同日は天候に恵まれ、奉仕者は約30分かけて収穫。刈り取った稲穂を自然乾燥させるため稲木と呼ばれる棚に掛けた。

 藤江宮司は「例年通り、皆さんのおかげで美しく実った。緊急事態宣言も明け、多くの手で収穫できて良かった」と笑顔で話した。昨秋はウンカによる虫害で収穫は約30キロにとどまったが、今年は例年通りの約60キロの見込み。

3022名無しさん:2021/10/09(土) 23:19:32 ID:NrdB.GxU0
秋晴れの下“お宝探し” 四天王寺「古本祭り」
2021年10月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211009/20211009034.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で8日、「第21回四天王寺 秋の大古本祭り」(同寺、関西古書研究会共催)が開幕した。新型コロナウイルス禍で春は2年連続の中止となったが、今秋は緊急事態宣言が解除され、感染症対策を取りながら約40万点の古書類を取りそろえて予定通りスタートを切った。12日まで。

 会場では「密」を回避するため店舗間の距離を保ち、各店でソーシャルディスタンスを取るよう求める啓発ポスターを掲出している。

 今年は同寺を建立した聖徳太子(574〜622年)の1400回忌にちなみ、太子が登場する書物や、太子が生きた時代に関する歴史書を特集。人気の絵本・児童書コーナーや100円均一コーナー、スタンプラリーも実施している。

 初日は午前10時の開場前から熱心な愛好家らが集まり、秋晴れの空の下で“お宝”探しを満喫していた。

 関西古書研究会の菅哲夫会長(78)は「初日朝の人出としては例年の約5割だが、来ていただいたことがありがたい。古書業界はコロナ禍で大きな打撃を受けているので、今回開催できてほっとしている」と話した。午前10時〜午後5時(最終日は同4時)

3023名無しさん:2021/10/10(日) 22:09:45 ID:NrdB.GxU0
最近、復興天守閣を木造にて建て替えるのが正義で、鉄筋コンクリートの天守閣はダメみたいな論調をよく目にします。
果たしてそうでしょうか?

昔の木造建築が技術の粋を集めたものならば、昔の鉄筋コンクリート建築もまた技術の粋を集めたものなのではないでしょうか。

人類は技術を進歩させてきました。建築もまた日々、技術が進歩しています。
その建造物が建築された年代の技術が詰まっているものが今もなお残っている。

大阪城天守閣、生誕90年。

90年前の昭和初期の建築技術の粋の塊です。それが今も残っている。素晴らしい事ではないでしょうか。
90年前の大阪城天守閣再建を寄付で支えた当時の大阪市民の熱い想いが今も残っている。素晴らしい事ではないでしょうか。

これから100年、200年、更にその先へ。大阪の想いを乗せて残り続けてほしいと思います。

大阪城の天守閣再建90年を記念 豊臣時代の資料集めた展示会
10月10日 11時38分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211010/2000052372.html

大阪城の今の天守閣が再建されて90年になるのを記念して、豊臣秀吉とその時代に関する貴重な史料を集めた展示会が開かれています。

この展示会は、大阪城の今の天守閣が寄付金によって再建され、昭和6年に完成してから来月7日で90年になるのを記念して企画され、豊臣秀吉とその時代に関する125点の貴重な史料が展示されています。
このうち、秀吉が1583年に城の石垣工事を始めた際の指示を伝えた「大坂築城掟書」は「作業期間中は採石場に野宿しても大坂の宿を利用してもよい」などと書かれ、工事に携わった人たちの様子が伝わる内容です。
また「大坂夏の陣」を描いた国の重要文化財のびょうぶは戦いの様子と落城直前の城、それに逃げ惑う庶民の様子が表現され、豊臣家が滅亡する歴史的瞬間を伝える傑作とされています。
このほか、秀吉のもとで活躍した武士の陣羽織や徳川家お抱えの刀工による刀など、当時の文化が伝わる遺品も多く展示されています。
大阪城天守閣の研究主幹、宮本裕次さんは「華やかな武家の文化や人々が言い残したことばなどから豊臣時代がどんな時代だったか感じ取ってほしい」と話していました。
この展示会は12月19日まで開かれています。

3024名無しさん:2021/10/13(水) 01:19:34 ID:ylDuNnHU0
東大阪・旧河澄家で「祭礼展」 ミニチュア展示、日下の先代太鼓台との違い解説
10/12(火) 19:19配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9d85867d7988721ea3c58fdd8408b2fd820f05b9

東大阪市指定文化財「旧河澄家」(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で現在、ふとん太鼓やだんじりのミニチュアなどを集めた企画展「祭礼展」が開かれている。(東大阪経済新聞)

例年10月中旬に行われる枚岡神社(出雲井町)の秋郷祭と、石切劔箭(いしきりつるぎや)神社(東石切町1)の秋季大祭に合わせて開催する同展。東大阪市内在住の大宮顕秀さん所蔵のミニチュアふとん太鼓やだんじりを中心に、刺しゅうや彫刻など、ふとん太鼓の装飾関連の物を集めた。同展の開催は6回目。

 同館のある日下地区では昨年、約100年ぶりに太鼓台を新調したが、新型コロナウイルスの感染拡大で祭りは中止。今年も祭りでのお披露目はかなわなかったが、7月に入魂式が行われた。

 同展では、ミニチュアふとん太鼓とだんじり15台やふとん太鼓の装飾をモチーフにした彫刻などを展示。見どころは、約100年運行した日下地区の先代太鼓台を飾っていたふとん締めの刺しゅうと土呂幕の彫刻。ふとん締めの刺しゅうは、桶狭間の合戦で戦った織田信長と今川義元、関ヶ原の合戦の石田三成と徳川家康の4点を展示。源平合戦の様子が彫られた土呂幕の彫刻は、4面全てを展示する。

 今年は太鼓台の新調にちなみ、新旧の太鼓台を比較し解説するパネルを作成。新しい太鼓台は先代より一回り大きくなっており、国内生産の手作業で仕上げた戦国武将のふとん締めも、先代より厚みを増し大きくなっている。水引幕や欄干部分など、各部の違いを解説する。

 学芸員の道岡陸哉さんは「ミニチュアは忠実に作られているので細かい部分まで見てもらいたい。今年もお祭りはなく、新調してまだ担がれていないが、違いをまとめたのでパネルを見てもらえたら。役目を終えたふとん締めや土呂幕なども見てほしい」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館。入館無料。10月31日まで。

3025名無しさん:2021/10/23(土) 02:22:56 ID:NrdB.GxU0
四天王寺で「不断心経」 聖徳太子千四百年御聖忌で /大阪
10/22(金) 9:44配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/067327f5370b18aa67a4cb5a88486cae39a736e6
和宗総本山 四天王寺(大阪市天王寺区)で10月21日、24時間絶え間なく僧侶が般若心経を唱える「太子奉讃 逮夜不断心経」が始まった。(あべの経済新聞)


 593年に聖徳太子が建立したと伝えられている同寺では、2022年に聖徳太子(574〜622)が没して1400年を迎えることを機に「聖徳太子千四百年御聖忌」として、さまざまな記念事業を執り行う。10月18日〜2022年4月22日は、関係宗派の僧侶を招く慶讃法要を予定する。

 「太子奉讃 逮夜不断心経」は来年4月まで、毎月21日16時30分〜22日16時30分に同寺の阿弥陀堂で行われる。

みんなの経済新聞ネットワーク

3026名無しさん:2021/10/27(水) 00:42:14 ID:NrdB.GxU0
文化功労者に人形浄瑠璃文楽の豊竹咲太夫さん 「父が頂いていない賞で僕が頂く。それが特に嬉しい」
10/26(火) 12:28配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0a7a5c2ce1619cc8d66253a95bc4c1988068435

2021年度の文化功労者が発表され、「人形浄瑠璃文楽」の太夫で人間国宝の豊竹咲太夫さんらが選ばれました。

【豊竹咲太夫さん】
「本当に本当にびっくりした。父が頂いていない賞で初めて僕が頂きます。それが特に特に嬉しい」

豊竹咲太夫さん(77)は、8世竹本綱太夫さんの長男として文楽界に入り、太夫の最高峰の「切場語り」を務めています。

2019年に人間国宝に認定され、「芸術文化の発展に尽くしている」として2021年度の文化功労者に選ばれました。

【豊竹咲太夫さん】
「20代からやっていたことが今になって糧になっているのかなと思う」

咲太夫さんは、「もう少し頑張れと励ましを頂いた」と心境を語りました。

関西テレビ

3027名無しさん:2021/10/27(水) 20:42:53 ID:NrdB.GxU0
江戸初期 豊臣秀頼が奉納 青銅製の鏡が見つかる 北野天満宮
2021年10月24日 15時17分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211024/k10013319451000.html

京都の北野天満宮で、本殿を造営した豊臣秀頼が奉納した青銅製の鏡が新たに見つかり、神社は本殿の装飾の歴史を知る貴重な発見だとしています。

京都市上京区の北野天満宮で見つかったのは、江戸時代初期の1607年に豊臣秀頼が奉納した青銅製の鏡です。

先月、境内にある倉の整理をしたところ、新たに見つかったということで、鏡は直径およそ24センチの円形で、背面には「秀頼公御再興」などと記されています。

鏡のふちには、「鈕(ちゅう)」と呼ばれるツメが6か所付けられていることや、包み紙に「御内陣天井鏡」と記されていることから、天井部分につるして装飾する「吊り鏡」とみられるということです。

「吊り鏡」は仏教的要素が影響した装飾品で、当時は神仏習合でご神体が安置されている本殿の内陣に仏像群が納められていて、その装飾のために使われていた可能性があるということです。

北野天満宮の東川楠彦権禰宜は、「当時の本殿が仏教的な要素を受けて装飾が施されていた可能性があることが分かってきた。本殿の装飾の歴史や変遷を知る上での重要な発見で、今後の研究が期待される」と話していました。

3028名無しさん:2021/11/06(土) 01:45:33 ID:NrdB.GxU0
24時間絶えず読経 聖徳太子千四百年御聖忌 四天王寺で「不断心経」
11/5(金) 11:45配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/621be416e44ae43bd17541b0dca8d286dc5d8073

聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)で、今年の太子没後1400年の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」にちなみ、来年4月22日まで数多くの関連行事が執り行われている。

 このうち境内南西にある阿弥陀(あみだ)堂では4月までの毎月21、22の両日、「太子奉讃逮夜不断心経」を厳修。4、5人の僧侶が交代しながら太子への奉讃と報恩感謝の思いを込め、絶え間がないよう24時間にわたり般若心経を唱え続ける。

 厳修日の午後4時半から翌日の午後4時半までの間も堂内のお参りが可能とあって、多くの参詣者が時間を問わず、代わる代わる足を運んで手を合わせている。

 不断心経の特製記念木札(授与料3千円)も用意。宝前に奉納した木札は結願日(来年4月22日)まで祈念した後に発送される。受け付けは境内の各お堂で同日まで。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺。

3029名無しさん:2021/11/06(土) 18:00:40 ID:NrdB.GxU0
90周年に秀吉深掘り 復興記念展「豊臣時代」
2021年11月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211104/20211104022.html

 現在の大阪城天守閣は、1931(昭和6)年に竣工(しゅんこう)した3代目。市民の全額寄付によって日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造りの天守閣として復興した「市民の城」は、その後の戦火も乗り越え、7日で復興90周年を迎える。博物館の側面を持つ天守閣では、記念テーマ展「豊臣時代」を開催中。天下統一を果たした秀吉と、その周辺の有名無名の人々の資料から「豊臣家が存在した“豊臣時代”とはどういう時代だったのか」を考察する。

 秀吉が初代天守閣を築城した1583年から大坂夏の陣で落城した1615年までの約30年間を「豊臣時代」として6章に分けて紹介。各武将のよろいや秀吉が授けた品々のほか、古文書などを展示している。大名たちに秀頼への忠誠を誓わせた「織田信雄等(おだのぶかつら)27名連署血判起請文」(重要文化財)や、勅旨伝達文書「口宣案」では、秀吉が与えた「羽柴」や「豊臣」といった姓が並び、疑似的な豊臣一門を形成しようとした一端が見えて興味深い。

 展示の最後は「大坂夏の陣図屏風」(重文)。6曲1双からなり、徳川家康や真田幸村といった武将だけでなく、名もなき民衆たちを含めて「豊臣時代を生きた人々」が描かれている。

 「大坂の繁栄の礎を築いたのは秀吉。市民には、その繁栄を再現しようという強い思いがあった」と北川央館長。当時は大大阪時代の末期、150万円の建設費用はわずか半年で集まった。鉄骨鉄筋造りの天守閣だからこそ、戦火を免れ、災害にも負けず現代に貴重な資料が残った。北川館長は「博物館機能があってこその大阪城」と言い切る。

 現在、地下に眠る初代大坂城の石垣を掘り起こす「大坂城 豊臣石垣公開プロジェクト」が進行中。100周年をめどに一般公開を目指す。

 「時代の転換点にはいつも大阪城があった」と北川館長。栄華を極めた豊臣時代から動乱を経て現代の大阪を見守る。


 6、7日に大阪城天守閣前本丸広場で「大阪城天守閣復興90周年記念 大阪城の秋まつり2021」を開催。河内音頭「大阪城物語」や神事芸能、宝塚歌劇団OGショーなどが行われる。また、両日に天守閣に入館すると、合計先着5千人に記念の登閣証明書を配布する。

3030名無しさん:2021/11/06(土) 18:04:31 ID:NrdB.GxU0
大阪城の天守閣再建90年 観光客5000人に記念の証明書
11月06日 11時40分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211106/2000053539.html

大阪城の現在の天守閣が再建されてから7日で90年になるのにあわせて、天守閣を訪れた観光客に記念の証明書が手渡されています。

大坂城の天守閣は、「大坂夏の陣」や落雷によって江戸時代に2度焼失しましたが、90年前の昭和6年11月7日に、3代目となる現在の大阪城天守閣が市民の寄付金によって再建されました。
7日で再建から90年になるのにあわせて、天守閣では訪れた観光客に記念の証明書が手渡されています。
証明書には漢字で「九十」と赤く記され、天守閣8階の展望台の壁に描かれている鶴の絵があしらわれています。
証明書を受け取った大阪・生野区の68歳の男性は「ちょうど90年になると聞いたので、楽しみに訪れました。天守閣は市民の宝なのでこれからも末永く残ってほしい」と話していました。
また、兵庫県西宮市から家族と訪れた9歳の男の子は「学校の授業で大坂城を作った豊臣秀吉のことを知って関心を持ったので、一度来てみたいと思っていました」と話していました。
記念の証明書は、6日と7日の2日間、天守閣を訪れた人5000人に先着順で配布されます。

3031名無しさん:2021/11/06(土) 18:14:46 ID:NrdB.GxU0
旧居留地の教会150周年、大阪 記念碑除幕し礼拝
2021年11月3日 18:31
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211103/20211103070.html

 明治の大阪港開港にあわせて開設された外国人のための川口居留地跡地に立つ「川口基督教会」(大阪市西区、柳時京牧師)が3日、宣教150周年の記念感謝式を開き、「大阪の近代教育発祥の地」の記念碑を除幕した。コロナ禍のため1年延期しての開催となった。

 1859年に来日し、長崎での伝道を経て大阪に来た宣教師のウィリアムズが1870年、居留地に英学講義所を開設し、礼拝も始めた。この動きが立教大ほか、在阪を中心に八つのミッションスクールの創設につながった。1920年には現在の聖堂が建設された。

 除幕式の後、聖堂に信者や関係者が集い、記念感謝礼拝と聖餐式を執り行った。

3032名無しさん:2021/11/06(土) 18:20:27 ID:NrdB.GxU0
坂田藤十郎さんをしのぶ会 皆に愛され「芝居の人生」
2021年10月28日 15:24
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211028/20211028055.html

 昨年11月に88歳で死去した上方歌舞伎界の重鎮で、人間国宝の坂田藤十郎さんをしのぶ会が28日、東京都内のホテルで開かれた。

 祭壇は白や紫のカーネーションなど約5千本の花で彩られ、柔らかな表情の遺影は文化勲章受章時の記念写真。会場には当たり役の「曽根崎心中」のお初など、数々の役を熱演する藤十郎さんの舞台写真も展示された。

 会の前に取材に応じた妻で元俳優、元参院議長の扇千景さんは「芝居のことしか分からない人だったが、皆さんに愛され、芝居の人生だった。明日納骨するのでお墓に行ってしまうと余計寂しくなると思う」と涙声で語った。

3033名無しさん:2021/11/07(日) 22:24:40 ID:NrdB.GxU0
大阪城の天守閣 再建から90年を祝い記念の式典
11月07日 15時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211107/2000053567.html

大阪のシンボルとして親しまれている大阪城の現在の天守閣が再建されてから7日で、90年を迎え、記念の式典が行われました。

大阪城の現在の天守閣は、昭和6年に市民の寄付で建て直された3代目で、7日に完成からちょうど90年を迎えました。
天守閣前の広場で開かれた記念の式典には滋賀県長浜市や長野県上田市など城のある自治体から関係者が集まり、90年の節目を祝いました。
これに対して、大阪城天守閣の北川央館長が「多くの人に愛されてこの日を迎えられたことをありがたく思います。これから100年に向けて新たな一歩を踏み出します」とお礼を述べました。
また、広場では、90年を記念して、友好都市の紹介や各地の特産品を集めたブースも設けられ、訪れた人たちは思い思いに休日を楽しんでいました。
両親らと訪れた大阪市内の小学3年生の男の子は「近くでお城を見たらとても大きかったです。90年も建っているのはすごいと思いました」と話していました。

3034名無しさん:2021/11/07(日) 22:29:52 ID:NrdB.GxU0
「七五三」前に大阪天満宮には子どもの成長願う多くの家族連れ
11月07日 11時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211107/2000053563.html

今月15日の「七五三」を前に、大阪市内の神社には、子どもたちの健やかな成長を願って、多くの家族連れが訪れています。

このうち毎年3000組以上が「七五三」のお参りに訪れる大阪・北区の大阪天満宮には、午前中から晴れ着姿の子どもたちが次々と訪れました。
子どもたちは神妙な面持ちで、神職からお祓いを受けた後、おもちゃや風船などのお祝いの品を受け取っていました。
「七五三」は今月15日ですが、土日や祝日に訪れる家族が多く、神社では感染対策として、来月5日までの土日と祝日は付き添いを5人までに制限しているほか、神事を行う本殿に入る人数も1回につき6家族として、家族ごとで仕切りを設けているということです。
神事を終えた親子は、晴天のもと、笑顔で記念写真を撮って子供たちの成長を願っていました。
3歳の娘のお参りのため家族で訪れた大阪市内の40代の男性は「安心して御祈とうを受けることができました。コロナ禍ではありますが、元気に育ってほしいです」と話していました。
大阪天満宮広報室の三宅隆室長は「安心してお参りしてもらえるよう、対策をとっています。多くの方に来ていただきたいです」と話していました。

3035名無しさん:2021/11/17(水) 02:11:11 ID:NrdB.GxU0
北浜・少彦名神社で神農祭 露店・キャラクターイベントは今年も中止
11/16(火) 7:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d59157712034b6d4b614d49dcaaf673245207a5

「神農祭」が11月22日・23日、大阪・北浜の少彦名神社(大阪市中央区道修町2)で行われる。(船場経済新聞)

医療や薬の神を祭る同神社。神農祭は大阪で「しんのうさん」と呼ばれて親しまれ、無病息災を祈願し毎年11月22・23日に行われる。祭りは1822年にコレラが大流行した際に病よけの丸薬を作り、神虎(=張り子のトラ)のお守りと一緒に祈願したことに由来する。

 毎年神社の周辺では露店が出店してにぎわいを見せるが、コロナ禍を受け、昨年に続き今年も出店を中止する。神社がある道修町には多くの製薬会社が集まるため、祭り期間中は毎年、製薬会社などのゆるキャラが集合するイベントを行なっていたが、昨年同様に今年も開催を見送る。

 同神社の宮司・別所賢一さんは「昨年からコロナ禍は続いているが、今年のご祈とうは『早くいい薬ができますように』などと願い事の中身がより具体的になってきた」と明かす。「祭りは今年も昨年のように静かになると思うが、しんのうさんは疫病退散の祭事。ぜひ多くの人に参拝してもらえたら」と呼び掛ける。

 開催時間は10時〜20時。22日9時45分前後は写真撮影のため入場規制あり。

3036名無しさん:2021/11/20(土) 01:34:28 ID:NrdB.GxU0
仁徳天皇陵・新たに埴輪の列見つかる!宮内庁と堺市共同発掘調査
11/19(金) 17:10配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/2048f666eddf7f12f1b2cbeb6627d980f92efe6a

国内最大の前方後円墳・大山古墳を共同発掘している宮内庁と堺市は19日、発掘現場を報道陣に公開し、多数の埴輪の破片が見つかったと発表しました。

仁徳天皇陵として宮内庁が管理する大山古墳の共同発掘は、2018年に続いて2回目。発掘したのは、古墳のもっとも内側の堤10か所です。

前回は、埴輪の列が堤の外側でしか見つかりませんでしたが、今回さらに北側を発掘したところ、初めて内側にも円筒埴輪列が発見されました。

【宮内庁 徳田陵墓調査官】
「ある程度想定していた。荘厳化とより装飾をするということは考えられる」

また、江戸時代以降とみられる陶磁器のかけらも1点見つかりました。

【宮内庁 徳田陵墓調査官】
「築造されてから長い期間あまり人が入っていない状況 長い間 天皇陵を御陵として、あるいは陵として地域の方々にお守りいただいていた」

TVOテレビ大阪

3037名無しさん:2021/11/22(月) 21:01:16 ID:NrdB.GxU0
“薬の町”の神社で「神農祭」 健康やコロナの終息願う 大阪
11月22日 11時40分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211122/2000054139.html

江戸時代から薬の問屋が建ち並び、薬の町として知られる大阪・中央区道修町の神社で、健康を祈願する「神農祭」が始まり、家族の健康や新型コロナウイルスの終息を願って多くの人が訪れています。

「神農祭」は、大阪・中央区道修町の少彦名神社で、およそ200年前の江戸時代末期にコレラが流行した際、薬の問屋などが薬やお守りを人々に配ったことが始まりとされています。
家族の健康や新型コロナウイルスの終息を願って神社には多くの人が訪れ、本殿に向かって手を合わせたあと疫病退散の願いが込められた「張子の虎」のお守りがつけられたささ飾りを受け取っていました。
「神農祭」は、大阪では1年を締めくくる祭りという意味で「とめの祭り」とも呼ばれ、この祭りが終わると大阪の街は一気に年末の雰囲気が深まります。
参拝に訪れた神戸市の60代の男性は、「毎年お参りには来ていますが、ことしは家族みんなの無病息災とコロナの終息を願ってお祈りをしました」と話していました。
「神農祭」は23日まで行われています。

3038名無しさん:2021/11/24(水) 22:34:07 ID:NrdB.GxU0
大阪 「鴻池組旧本店」の洋館・和館など 国の有形文化財に
11月23日 17時12分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211123/2000054187.html

明治時代に建てられた大阪市の建設会社の旧本店の建物などが国の有形文化財に登録されることになりました。

これは、国の文化審議会で答申されたもので、このうち大阪・此花区にある「鴻池組旧本店」の洋館と和館はいずれも明治43年に建てられました。
洋館の外壁は白いモルタルに赤いレンガでラインを巡らせたモダンなデザインが特徴です。
玄関ホールにはくじゃくやバラをモチーフにしたステンドグラス、応接室の暖炉や棚には当時、流行していたアール・ヌーヴォーの装飾が施されています。
一方、和館は屋根が瓦葺きで軒下はしっくいが塗り込められ、重厚な町屋の作りです。
これらの建築様式や内部の装飾が建築当時の特徴を表すものだとして評価されました。
このほか、高槻市で現在はレストランなどに使われている「旧京都大学高槻農場」のあわせて4件の建物と柏原市にある安田家住宅主屋も新たに国の有形文化財に登録されることになりました。

3039名無しさん:2021/11/25(木) 21:51:01 ID:NrdB.GxU0
我こそは!福娘希望者集結 最終審査は自己PR
2021年11月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211122/20211122033.html

 大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江英宮司)は21日、十日戎関連の神事に奉仕する福娘を決める審査会を同区のクボタ大ホールで行った。参加者らは面接や自己PRで福娘にかける思いの丈をぶつけた。

 満18〜23歳の未婚女性を対象に募集し、2087人が応募。事前の書類審査、面接審査を通過した245人が審査会に臨んだ。

 始めにグループ面接が行われ、絞られた101人が1人15秒の持ち時間で自己PRを行う最終審査へ。ダンスや歌、ものまねなど特技を披露するとともに、「度胸と愛嬌(あいきょう)は誰にも負けない」や「笑顔と感謝を届けたい」などと元気いっぱいに“我こそは!”と審査員にアピールした。

 選出された40人と留学生4人の計44人は、そろいの装束を着用して27日の発表会に臨み、来年1月9〜11日の十日戎では神社授与所で参拝者に福ザサを授ける。

3040名無しさん:2021/11/27(土) 21:34:54 ID:NrdB.GxU0
大阪に聖徳太子像お目見え 住民グループ寄付募る
2021年11月27日 18:59
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211127/20211127073.html

 聖徳太子(574〜622年)が没し1400年目となり、太子の名に由来する大阪府太子町の住民グループが、太子の銅像を町の玄関口となっている近鉄上ノ太子駅前(大阪府羽曳野市)に建立し、27日に町と共催で除幕式をした。町には太子の墓とされる古墳がある。

 十七条憲法制定や遣隋使派遣などの功績を後世に伝えようと全国に寄付を呼び掛け、地元をはじめ関東、北陸、近畿、四国などから1200万円以上が集まった。

 像は高さ1・9メートルで、台座を含めると3・2メートル。デザインは誰もがイメージを抱けるようにと、かつての1万円札に採用された肖像画をモチーフにした。

3041名無しさん:2021/12/01(水) 19:11:11 ID:NrdB.GxU0
上方伝統芸を英語で 「OSAKA TRAD SHOW」大阪市で上演
12/1(水) 11:38配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/0786dc1218b286da6f7acf4ce2993ea5ed43629a

 大阪市は訪日外国人向けに伝統文化を英語で演じてその魅力を発信させるモデルプログラム「OSAKA TRAD SHOW」(大阪伝統芸)を、大阪の子どもたちにも分かりやすい構成に一部手直しして、12月に上演する。

 出演はカナダ・マニトバ大出身の落語家で桂福団治一門の桂福龍、上方寄席囃子(はやし)三味線の第一人者で米ニューヨークでも英語で「女道楽」を演じた内海英華、京大法学部出身で福龍の兄弟子に当たる桂福丸、大阪市大法学部出身で留学経験が長く8カ国語を操る上方講談師・玉田玉秀斎。

 2〜4日は大阪市天王寺区のうえほんまち銭屋ホールで「おもしろ英語で楽しむ上方落語」を開催。4日午後2時からは“ファミリー寄席”と銘打って、一般料金2500円に対し中学生以下千円で開放。分かりやすい英語を駆使して、演目も親しみやすいものを工夫する。19、20の両日は梅田のホテルインターゲート大阪2階ラウンジのスペースを使い「おもしろ英語で楽しむ落語&三味線芸」を公開。2500円。

 福龍は「洋画を見る時、日本人は字幕で内容を知るが、私たちは英語のギャグや語呂合わせなどで笑う。落語にはそうした要素が豊富にあり、英語にしても面白い内容で楽しんでもらう」。福丸は「英語に訳したネタが7、8本あるが、お客さまの雰囲気を見てネタを選ぶ。困るのは、僕は英会話は得意でないので喜んでいただいた外国のお客さまに早口の英語で話しかけられること」と苦笑。英華は「私は女道楽を訳してもらって覚えただけで、ずっと呼んでいただいてうれしい。寄席芸の踊りを見ていただくつもり」と楽しそう。

 玉秀斎は「多くの子どもさんは、普段スマホやタブレットでのゲームや映像に慣れているはず。好き勝手に想像して物語を組み立てていく楽しさを味わってもらいたい」と張り切っている。

 いずれも開催後1週間、有料動画配信(千円)を実施する。問い合わせは電話06(6372)3690、フェスネット。

3042名無しさん:2021/12/01(水) 19:16:46 ID:NrdB.GxU0
大阪 住吉大社 早くも初詣開始 コロナ感染防止 分散参拝を
12月01日 16時41分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211201/2000054516.html

例年、多くの参拝者が初詣に訪れる大阪の住吉大社で、密を避け、分散して参拝してもらおうと1日から初詣の受け付けを開始しました。

例年、正月三が日に200万人以上が初詣に訪れる大阪・住吉区の住吉大社では、新型コロナの感染防止のため、大勢の参拝者で混雑しないようにと、初詣の期間を12月1日から来年3月末までに広げることになりました。
ふだん、おふだやお守りを授与している窓口には、1日から魔よけの矢や、しめ縄、それに来年のえとの置物などが加えられ、初詣の雰囲気に様変わりしていました。
また、例年は、多くの露店が出てにぎわいますが、初詣の期間中の出店はないということです。
初詣が始まっていることを知らずに訪れた神戸市の30代の女性は、「子どもが小さく、混雑している場所は避けたいので良い取り組みだと思います」と話していました。
住吉大社禰宜の岡康史さんは、「皆さんに安心してお参りしてもらいたいと早めに準備をしました。正月三が日でなくても、御利益は変わらないので、できるだけ分散してお参りしてほしい」と話していました。

3043名無しさん:2021/12/04(土) 20:56:02 ID:NrdB.GxU0
2年ぶり、日本舞踊醍醐味 なにわの彩2021 あす、国立文楽劇場
12/4(土) 12:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c3ee0680567fcca8ec5098908161526399568712

日本舞踊の流派を超えて師匠や家元が競演する「なにわの彩2021」(関西アクティング協会本部主催)が5日、大阪市中央区日本橋の国立文楽劇場大ホールで2年ぶりに開かれる。

 同協会が、関西を拠点に活躍する舞踊団体に呼び掛けて2年前まで毎年開催。初冬の風物詩として親しまれていたが、昨年はコロナ禍のため中止になった。今年は感染状況や日本舞踊各流派の後押しもあって同協会は開催を決定。「日本舞踊の醍醐味(だいごみ)を満喫してください」と来場を呼び掛けている。

 今回は「なにわの彩」を20年余りかけて関西を代表する日本舞踊の祭典に育て上げながら、昨春に亡くなった華扇流宗家・華扇松与の追悼公演の意味も込めており、孫の二代目華扇松与が後継者として襲名披露の舞台に上がる。

 ラストは花柳與桂師匠が今年の丑(うし)年に感謝して、新内「丑」(作詞・東條歩、作曲・新内枝幸太夫)を披露し、華やかに繰り広げられたステージを締めくくる。

 当日は午前11時に開演。入場チケットは5千円。問い合わせは電話06(6674)1000、協会事務局。

3044名無しさん:2021/12/11(土) 18:58:26 ID:NrdB.GxU0
大阪・峯ケ塚古墳に巨大造り出し 長さ20m幅6m、祭祀の場か
2021年12月10日 14:33
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211210/20211210053.html

 金銅製の馬具など豪華な副葬品が出土した大阪府羽曳野市の峯ケ塚古墳(5世紀末、前方後円墳)で、前方部と後円部の境にある造り出し部が長さ20m、幅6m以上もあることが分かった。同市教育委員会が10日までに明らかにした。

 市教委の米田拓海主事は「古墳の規模などから天皇に次ぐ人物の墓とみられており、被葬者にふさわしい規模の造り出し部が設けられたのでは」と話している。

 市教委によると、造り出し部は祭祀の場だったとされ、埴輪も置かれていたと考えられている。周濠跡からは墳丘から転落した葺石や朝顔形埴輪、ほぼ全体が残った円筒形埴輪(高さ90cm)も見つかった。

3045名無しさん:2021/12/26(日) 22:03:30 ID:NrdB.GxU0
大阪の国立文楽劇場 初春の公演に向け「にらみ鯛」の飾りつけ
12月25日 11時48分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211225/2000055711.html

 年の瀬を迎え大阪・中央区の国立文楽劇場では、舞台の上に恒例の「にらみ鯛」が飾られ、初春の公演に向けた準備が行われています。

新春を祝う縁起物の「にらみ鯛」は舞台の上に大きな張り子の鯛を2尾にらみ合う形で飾るもので、戦前、関西の劇場では、この時期の風物詩となっていました。
国立文楽劇場では、25日に初春の公演に向けた準備が行われ、鮮やかな赤色を施された2尾の鯛がワイヤーで釣り上げられ、舞台の天井近くに設置されました。
鯛は長さおよそ2.5メートル、重さおよそ15キロで、2尾がにらみ合うかたちで配置されると、舞台は新春らしい雰囲気に包まれました。
つり上げの作業は30分ほどで完了し、担当者が客席からの見栄えを確認してワイヤーのつり上げ具合を微調整していました。
国立文楽劇場の小木曽幸彦さんは「新型コロナの感染対策をしているので、多くのお客様にお越しいただき、お正月の雰囲気を味わいながら楽しんでもらいたい」と話していました。
国立文楽劇場の初春の公演は来月3日から始まります。

3046名無しさん:2021/12/26(日) 22:16:14 ID:NrdB.GxU0
開花の年願って 坐摩神社で神職手描き巨大絵馬
2021年12月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211226/20211226015.html

 “ざまさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で、恒例の神職手描きの巨大絵馬が完成した。27日に社務所前へ設置され、例年通り節分頃まで飾られる。

 権禰宜(ごんねぎ)の田中裕人さんが下絵のデザインからペイントまで全工程を手掛けており、今年で7年目。特注の木製パネル(幅2・1メートル、高さ1・2メートル)の中央に玉串をくわえた白い虎を堂々と描き、両脇には華やかな桜とネコヤナギをあしらった。虎の姿は画像などを参考にしつつ、独特の力強い動きをオリジナルのデザインで表現。業務の合間に作業しながら約1週間で仕上げた。

 田中さんは「来年は坐摩神社の元宮(もとみや)・行宮(あんぐう)の本殿改築という大きな事業が控えている特別な年」と話し、塗り残したネコヤナギに最後の一筆。「春先に一番に芽吹くとされるネコヤナギから桜へと続き、新型コロナウイルス禍にあっても物事が『開花』するいい年であってほしい」と願いを込めた。

3047名無しさん:2021/12/26(日) 22:32:33 ID:NrdB.GxU0
笑福亭たまさんに繁昌亭大賞 上方落語協会
2021年12月23日 12:41
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211223/20211223063.html

 上方落語協会は23日、活躍した入門25年以下の落語家を表彰する第16回繁昌亭大賞に笑福亭たまさん(46)、奨励賞に桂阿か枝さん(50)と林家染左さん(50)を選んだと発表した。来年3月1日に定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)で表彰式と記念落語会を開く。賞金は大賞10万円、奨励賞各5万円。

 たまさんは1998年に笑福亭福笑さんに入門。阿か枝さんは96年に故五代目桂文枝さんに、染左さんは同年に林家染丸さんに入門した。

 記者会見したたまさんは「ただただ運が良かったと思います。先輩、後輩関係なく芸を見習っていきたい」と今後の抱負を述べた。

3048名無しさん:2021/12/29(水) 06:30:55 ID:NrdB.GxU0
国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」 澪標図の陶板奉納 大阪市・住吉大社
12/28(火) 11:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e9eaafb8e0bde716951f378e245a3a7eb923e5c0

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で27日、国宝「源氏物語関屋澪標(みおつくし)図屏風(びょうぶ)」のうち「澪標図」の原寸大陶板石碑(153センチ×356センチ)がお披露目された。屏風に描かれた反橋(そりばし)(太鼓橋)を望む正面参道に設置され、時空を超えた歴史ロマンを伝えている。

 「澪標図」は、江戸時代の絵師・俵屋宗達が1631年に製作。「源氏物語」の第14帖「澪標」を題材にし、中央に住吉大社に参詣する光源氏一行、右に明石君が乗る船、左に住吉大社の反橋と鳥居が描かれている。

 所蔵する静嘉堂文庫美術館(東京都)が監修し、大塚国際美術館(徳島県鳴門市)の陶板で知られる大塚オーミ陶業(大阪市中央区・大杉栄嗣社長)が製作、エース証券(同・出口義展社長)が奉納した。

 高井宮司は「戦災を免れた境内には源氏物語のたたずまいが残っている。品格ある陶板石碑が奉納され、大変ありがたい」と喜んでいた。

3049名無しさん:2022/01/05(水) 19:25:48 ID:NrdB.GxU0
合格へ智慧の輪くぐり 四天王寺で祈願法要
2022年1月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220104/20220104021.html

 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)の元三(がんざん)大師堂で3日、年に一度の合格祈願法要が行われ、受験生らは智慧(ちえ)の輪をくぐって合格を祈願した。

 平安時代の僧侶、元三大師の仏像をまつるお堂にお参りすると、智慧聡明の御利益があると伝わる。1月3日の命日にちなみ、毎年秘仏の「鬼大師」を開帳し同法要を行っている。

 堂前に列を成した参拝者は2人ずつ錫杖(しゃくじょう)による加持祈祷(きとう)を受け、願いを込めて手を合わせた。中学受験を前に両親とお参りした小学6年の女児(12)=同市中央区=は「絶対に合格できるよう頑張りたい」と力を込めた。

3050名無しさん:2022/01/05(水) 19:57:27 ID:FaBRnToU0
お帰りなさいませ。どないされてたんですか?

3051名無しさん:2022/01/06(木) 23:22:32 ID:NrdB.GxU0
商売繁盛&コロナ退散も…今宮戎の福娘 一足先に「福」をお届け!
1/6(木) 21:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f313b7cd7eadd503d40df06f42a00e9fcca06d8

 新型コロナの退散もお願いしたいところです。商売繁盛を祈願する十日えびすを前に一足早い「福」のお届けです。

6日、テレビ大阪を訪れたのは今宮戎神社の福娘たち。

「あけましておめでとうございます!」

今年はおよそ2000人の中から選ばれた44人の福娘が福笹につける縁起物、小宝吉兆類を参拝者に授けます。

【上方締め】
「お手を拝借」
「打ちましょ」
「もうひとつせい」
「祝うて三度で」

十日えびすは9日から11日まで開かれますが16日まで分散参拝も行うということです。

【福娘】
「感染症対策を万全にしてぜひご参拝にお越しください!」

TVOテレビ大阪

3052名無しさん:2022/01/08(土) 17:02:25 ID:NrdB.GxU0
「ああ、めでたいな」 野田恵美須福娘が来社
2022年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220108/20220108031.html

 「宝之市大祭」として執り行う新春恒例の十日戎(とおかえびす)(9〜11日)を前に、大阪市福島区の野田恵美須神社で奉仕する福娘らが7日、同市北区の大阪日日新聞を表敬訪問した。華やかな大阪締めの手締めを披露し、「ああ、めでたいな」と景気の良い声を響かせた。

 訪れたのは、区の花でもあるノダフジをあしらったかんざしを挿した福娘5人ら。出迎えた、本紙を発行する新日本海新聞社の吉岡徹社長へ福ザサを手渡し、社員一同に向けて鈴でおはらいをした。

 福娘の中村いち花さん(19)=関西大1年=は「今年は(占星術で運気が強いとされる)“五黄の寅”の年でもある。皆さんの商売繁盛を願って福を授けたい」と意気込んだ。

 同宮によると、新型コロナウイルスの感染防止対策として、授与所で飛沫防止のビニールシートを設けるほか、おみくじは非接触型で番号が引ける仕組みも導入した。

 祭りは例年3日間で約10万人が参拝。縁起物の授与は例年並みを見込んでおり、12人の福娘が授与する。

3053名無しさん:2022/01/08(土) 17:03:22 ID:NrdB.GxU0
笑顔 元気で後押し 今宮戎福娘来社、9日から十日戎
2022年1月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220107/20220107026.html

 「商売繁盛でササ持ってこい」の掛け声で知られる、大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社の祭礼「十日(とおか)戎」(9〜11日)に奉仕する福娘らが6日、同市北区の大阪日日新聞を表敬訪問した。

 訪れた福娘は、山吹色のそろいの着物に千早を羽織り、金烏帽子(えぼし)をかぶった7人。本紙を発行する新日本海新聞社の吉岡徹社長へ、今年の干支(えと)にちなんでトラを描いた縁起物の額を手渡し、華やかな上方締めをそろって披露した。

 なぎなたで全国制覇の経験があるという代表の一人、瀧口麻衣さん(21)=同志社女子大2年=は「新型コロナウイルスが収束せず不安な日々が続くが、少しでも皆さまに明るい気持ちで過ごしていただけるよう笑顔と元気で後押しできれば」と思いを込めた。

 新型コロナ感染拡大防止のため、福ザサの授与は16日まで延長して分散参拝を呼び掛けるほか、関連行事の「宝恵駕(ほえかご)行列」は規模を縮小して執り行う。

 福娘は3日間、参拝者に福ザサを授けるなどの奉仕に参加する。

3054名無しさん:2022/01/12(水) 05:18:36 ID:NrdB.GxU0
大阪の今宮戎神社で1年の商売繁盛願う「十日戎」が始まる
01月09日 11時05分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220109/2000056220.html

 1年の商売繁盛を願う「十日戎」が9日から始まりました。
例年、多くの参拝者が訪れる大阪の「今宮戎神社」では、新型コロナウイルスの感染防止のため、マスクの着用のほか、分散参拝を呼びかけています。

大阪・浪速区にある今宮戎神社は商売の神様として知られ、例年、1月の9日から11日まで開かれる「十日戎」には、およそ90万人の参拝者が訪れます。
9日は「十日戎」の初日、「宵えびす」で、朝から多くの人が参拝に訪れ、ことし1年の商売繁盛や家内安全を祈っていました。
そして、境内では、参拝を終えた人たちが金色のえぼしをかぶった「福娘」に、「米俵」や「たい」などの縁起物をささに取り付けてもらった「福笹」を買い求め、ことし1年の福を授かって持ち帰っていました。
新型コロナの感染防止のため、神社では、参拝者にマスクの着用を求めているほか、「福笹」の授与も今月16日まで延長し、分散参拝を呼びかけています。
大阪・天王寺区から夫と訪れた60代の不動産業の女性は「健康第一をお願いしました。早くコロナが収まって、ふだん通りに暮らせるようになってほしい」と話していました。

3055名無しさん:2022/01/12(水) 23:33:51 ID:NrdB.GxU0
五代友厚らの書簡など展示 大阪歴史博物館で企画展
2022年1月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220112/20220112023.html

 大阪歴史博物館(中央区)は「近代化となにわの商い」を共通テーマにした資料を展示している。近代化とともに復興した大阪の商業に関する書簡が見られる。31日まで。

 近世の大阪は“天下の台所”とよばれ、商業や産業の中心地として栄えた。世界における先物取引のさきがけとなった堂島米市や、「現金掛け値なし」で知られる三井呉服店など、商業のエポックとなった発想が次々と生まれ、全国の富が集まった。明治維新ののち首都が東京へ遷り、大阪の経済は一時期停滞するが、五代友厚という実業家が登場しよみがえる。

 会場には「五代友厚・小松帯刀書簡」や「三井呉服店図絵馬」、「秋田藩米切手」、「肉を以(もっ)て肉体を養う」というキャッチコピーも付けられた引札などが展示されている。

3056名無しさん:2022/01/12(水) 23:35:00 ID:NrdB.GxU0
商売繁盛を願って 大阪各地で残りえびす
2022年1月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220112/20220112020.html

 商売繁盛などを祈願する「十日戎(とおかえびす)」は11日、3日間の祭りを締めくくる「残りえびす」を迎えた。前日とは一転、朝から降り続いた雨は正午には上がり、期間中唯一の平日ということもあって、府内各地では次々と訪れる勤め人らで境内がにぎわった。

 大阪締め華やかに 服部天神宮 福娘が町に活気
 ○…福娘の発祥地で、「豊中えびす祭」として執り行う豊中市の服部天神宮では、福娘が音頭を取る大阪締めが境内を華やかに彩った。

 加藤芳哉宮司によると、みことは別に、縁起物を授与する「福娘」の呼称が誕生したのは1951年という。今回は初めて応募が800人を超え、選ばれた30人が奉仕した。

 福娘の一人で、京都大医学部1年の福久碧海さん(20)は「福娘の活気で、大阪が元気を取り戻すお手伝いができれば」と笑顔を見せていた。

福笹準備フル回転 大宮神社 縁起物が人気に
 ○…「大宮えびす」として親しまれる大阪市旭区の大宮神社では、授与した熊手や福俵などの縁起物が前日までに予定本数に達し、この日は神職らが福笹(ざさ)の準備に追われた。

 通例、予定数に届くのは11日夕だが、総代会会長の野山忠幸さん(78)は「何とか良くなってほしいという思いの現れでは」。

 金物を商う守口市の自営業男性(81)は「地味な商売だが、夫婦で一日一日を無事に過ごしていけたら」と静かに手を合わせた。

3057名無しさん:2022/01/18(火) 23:01:44 ID:NrdB.GxU0
一年の平穏願う 生国魂神社「左義長神事」
2022年1月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220116/20220116026.html

 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で小正月の15日、伝統の火祭り「左義長(さぎちょう)神事」(とんど焼き)が行われた。新型コロナウイルス禍の中での催しとなり、一年の平穏を願いながら炎を見つめる参拝者の姿が見られた。

 晴天の下、早朝から神事が斎行され、神職が境内に積み上げられた正月飾りなどに御神火を点火。炎の中にしめ縄や破魔矢、お札などが投げ入れられるたびに火勢が増し、写真撮影する参拝者の姿もあった。

 高く燃え上がる炎をじっと見ていた同区在住の女性(60)は「とんどには幼い頃に行っていて懐かしい。緊張する日が続いているので、コロナが落ち着いて気持ちが前向きになる年になれば」と祈願。

 例年行われていた小豆がゆの接待は昨年に続いて自粛となり、中山宮司は「みなさんが明るく元気になる、そうした日が来ることを祈っている」と話した。

3058名無しさん:2022/01/18(火) 23:02:38 ID:NrdB.GxU0
若手人形遣い・吉田簑之さん 2月26日ファンフェスタ
2022年1月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220118/20220118025.html

 人形遣いの若手ホープとして注目されている吉田簑之さん=写真=の「吉田簑之ファンフェスタ」が2月26日、大阪市中央区の「北浜 RONDO」で開かれる。日頃はなかなか聞く事のできない簑之さんの本音トークや初挑戦のプチ実演など新たな事に挑戦する姿を見ることができる。

 簑之さんは2021年、国立文楽劇場4月文楽公演で引退した人形浄瑠璃文楽座人形遣い三代吉田簑助氏の弟子。劇場公演に加え、地方公演や学校での文楽体験教室など精力的に活動を続けている。

 主催はメイコー化粧品マスコットキャラクターのメイコちゃん。時間は午後2時〜同4時(中入り休憩含む)。定員は30人(事前申込制)で参加費は2千円。

 申し込みは氏名、電話番号、参加人数、質問コーナーで技芸員に聞いてみたい事(なくても可)の4項目を、メイコちゃんのSNSアカウントのDMまたはmaripen8pen@yahoo.ne.jpまで。

3059名無しさん:2022/01/20(木) 20:14:52 ID:NrdB.GxU0
ええやん!「文楽」の人形遣い 桐竹勘十郎さん
01月20日 19時12分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220120/2000056766.html

 オオヌキタクトさんが関西のエンターテインメントのいまを紹介する「ええやん!トレカル」。
今回は人形浄瑠璃「文楽」の人形遣い、桐竹勘十郎さんです。
去年、人間国宝に認定されました。
文楽と聞くと「敷居が高い」、「難しい」というイメージがあるかもしれませんが、今回、実は、初めて見たんですけど、文楽の深い世界に引き込まれました。
文楽の魅力と、そこにかける思いについて聞いてきました。

3060名無しさん:2022/01/23(日) 23:56:45 ID:NrdB.GxU0
「次の100年につなぐ」 高槻で「王将戦」
2022年1月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220121/20220121039.html

 将棋タイトル戦の一つ、「王将戦」の七番勝負第2局が22日、高槻市で開幕する。期間中は前夜祭や大盤解説会もあり、対局は棋界最高峰の二人が登場するとあって脚光を浴びている。市では2023年度に関西将棋会館(大阪市福島区)の移転を受け入れる計画があり、高槻市は「移転を追い風に“将棋のまち”として盛り上げ、次の100年につなげたい」と期待を寄せる。対局は23日まで。

 シリーズは、“最年少五冠”を狙う藤井聡太竜王(19)=王位・叡王・棋聖と合わせ四冠=を、渡辺明王将(37)=棋王・名人と合わせ三冠=が迎え撃つ。八大タイトルのうち七つを分け合い、人気、実力ともに伯仲する両者が頂上決戦に挑む構図で、今月あった第1局は藤井竜王が139手で激戦を制した。

 第2局は摂津峡の温泉旅館「山水館」で指され、地元では新型コロナウイルスの感染拡大に伴って昨年は中止した関連の催しを2年ぶりに実施する。

 21日は両対局者が登場する前夜祭、22、23の両日にはプロ棋士が司会を務める大盤解説会を開催。22日は「こども王将戦」も予定する。それぞれ新型コロナ対策として参加者を絞ったことから抽選となり、前夜祭は40人の定員に対して930人の応募があった。

 開催の背景には、市で近年高まりつつある将棋熱がある。

 市は18年、青少年の健全育成を念頭に日本将棋連盟と普及や啓発に関する包括連携協定を締結。市によると、市内の高槻城跡から江戸時代に使用したとみられる将棋駒が多数出土しており、高槻藩士らが日頃から将棋をたしなんでいたとされる土地柄もPRの材料にしている。

 また、関西将棋会館の移転案は「文化や知名度向上の一手」として市が提案した。候補地はJR高槻駅前の市営バス用地1266平方メートルで、連盟によると、移転費用約13億円のうち寄付による目標金額を5億円と設定。第1弾として1億円をふるさと納税制度を活用したクラウドファンディングで募ったところ、昨年12月までに目標額を上回る1億5千万円が集まった。

 王将戦は協定を結んだ18年度以降、3年連続で高槻市内で指され、名勝負を繰り広げてきた。対局の合間に差し入れる「おやつ」は、地元店舗の売り込みがあるなど注目度が高まっている。市文化スポーツ振興課の担当者は「市民の期待感が伝わってきている。今後の文化振興や地域活性化につながれば」と展望する。

3061名無しさん:2022/01/23(日) 23:58:20 ID:NrdB.GxU0
良き一年、火柱に祈る 四天王寺でとんど焼き
2022年1月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220121/20220121041.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で年頭の火祭り「とんど焼き」があった。元旦から2週間にわたり天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る法要「修正会(しゅしょうえ)」の結願(けちがん)日(14日)の伝統行事で、早朝から多くの参詣者が境内に足を運び、厳しい寒さの中、高く燃え上がる炎に手を合わせた。

 境内南側の仁王門前広場には事前に持ち込まれた門松やしめ縄といった正月飾りのほか、お守り、お札などが高く積まれ、僧侶が魂を抜く撥遣(はっけん)法要を行った後、厳かに着火された。

 着火の後も縁起物を手にした参詣者が続々と訪れ、年頭の風景をカメラに収める人の姿も見られた。毎年訪れている男性(77)=同市西成区=は「前日が誕生日で『喜寿』になったばかり。コロナなどで先行きが不安だが、去年よりも気を張っていい年にしたい」と話した。

 結願日のもう一つの伝統行事「どやどや」は新型コロナウイルス禍で中止となったが、恒例の牛王宝印楊枝(ようじ)や修正会御祈祷(きとう)札の授与は行われ、多くの人が授与所に並んだ。

3062名無しさん:2022/01/24(月) 00:04:25 ID:NrdB.GxU0
人形浄瑠璃文楽で最高位昇格 太夫3人が「切語り」に
2022年1月20日 21:01
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/220120/20220120113.html

 文楽協会(大阪市)などは20日、人形浄瑠璃文楽で太夫の最高位とされる「切語り」に、豊竹呂太夫さん(74)、竹本錣太夫さん(73)、竹本千歳太夫さん(62)の3人が4月に昇格すると発表した。

 切語りは物語の重要な場面「切場」を任される太夫のことで「切場語り」とも呼ばれる。切語り昇格は2009年の豊竹咲太夫さん(77)以来で、4月以降は計4人となる。

3063名無しさん:2022/01/29(土) 21:18:41 ID:NrdB.GxU0
国宝「扇面法華経冊子」 光学調査データを公開
2022年1月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220125/20220125028.html

 四天王寺大(岩尾洋学長、羽曳野市学園前3丁目)で2月3、5の両日、和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)所蔵の国宝「扇面法華経冊子」のデジタル撮影データを学外公開する。午後1〜3時。観覧無料、事前申し込み不要。

 同寺は今年の「聖徳太子千四百年御聖忌」を迎えるに当たり、東京文化財研究所の協力で寺宝である「扇面法華経冊子」の光学調査に取り組み、2億画素の超高精細デジタル撮影も実施した。同寺から同大学へ提供された撮影データは、学芸員課程を履修中の学生が学修の一環として調査分析した。今回は成果発表の学内展示実習の一環として2日間限定で学外に公開し、学芸員課程履修者の在学生が解説する。

 会場は大学3号館図書館前学習ラウンジと図書館。希望者は正門・門衛所で「観覧希望」を伝える。

 最寄り駅は近鉄南大阪線「藤井寺」または「古市」駅。ともに近鉄バス四天王寺大学行きに乗車。自動車やバイクでの来学も可。中止の際は大学ホームページで通知。問い合わせは電話072(956)3181、同大学。

3064名無しさん:2022/02/05(土) 03:05:17 ID:NrdB.GxU0
法善寺の苔地蔵は大阪の人間の切実な思いから生まれたものです。

※B-29の焼夷弾大空襲で焼け野原になった大阪市街(今宮〜道頓堀〜渡辺橋)
 https://www.youtube.com/watch?v=iHvK1SKwNYA

この映像の3分13秒あたりから道頓堀川あたりの空撮が出てきます。
何もありません。一面の焼け野原です。今の姿からはとても信じられない残酷な姿です。

当然、そういう状況下では住んでいる方々の生活は困窮を極めた。
法善寺にお参りにいくにしてもお供えを用意することすら出来なかった。

『何も無いけど、せめて水だけでも』

いつしかお参りに来た人々がお地蔵さまに水を掛けるようになり、そして苔むしていったわけです。

だから苔地蔵の苔を毟り取るのは今までの大阪の人間の思いを踏み躙る大変に酷い行為です。
物を知らないとは恐ろしい、他人の物を勝手にいじってはダメだという常識が無いとは恐ろしいものです。

法善寺の石像 男性“きれいにしたかった” 被害届取り下げ
02月04日 17時53分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220204/2000057422.html

大阪・ミナミの法善寺でこけに覆われた姿が特徴的な石像が、顔や頭のこけがはがされる被害に遭っていたことがわかりました。
別の日に石像の近くにいた男性が警察に対して「きれいにしたかった。今思えば悪いことをした」などと話したことから、寺は警察に出していた被害届を取り下げたということです。

被害にあったのは、大阪・中央区の繁華街の一角にある法善寺の2体の石像、「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」と「制※た迦童子(せいたかどうじ)」です。
法善寺によりますと、去年12月20日、2体の石像の全体を覆っていたこけのうち、顔と頭の部分のこけがはがされているのを参拝者がみつけたということです。
寺によりますと、境内の防犯カメラには前日(19日)の早朝、何者かがひしゃくを使って石像の頭をこするような様子が映っていました。
このため警察に被害届を出しましたが、別の日に紙で石像をこするような動きをしていた男性に警察が事情を聞いたところ、「みすぼらしかったのできれいにしたかった。今思えば悪いことをした」と話し、反省している様子だったため、被害届を取り下げたということです。
法善寺の神田眞英 副住職は、「被害を知ったとき、なんでこんなことをしたんだろうと思いました。こけむした姿になるまで、どれだけの方がお参りして水をかけてくださり、何年かかったのか考えるととても切ないです」と話していました。
被害にあった石像は水をかけると願いがかなうとされ、戦後まもなく参拝者が水をかける風習が始まり長い年月をかけてこけに覆われたということです。
中央の石像は「水掛不動尊」と呼ばれ、地元の人たちや観光客に親しまれています。
※「た」は「託」のごんべんが「口」。

3065名無しさん:2022/02/05(土) 14:05:43 ID:NrdB.GxU0
成田山大阪別院で節分祭 著名人の豆まき、今年も中止
2022年2月3日 12:02
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/220203/20220203042.html

 交通安全祈願で知られる大阪府寝屋川市の成田山大阪別院で3日、節分祭が行われた。新型コロナウイルス感染拡大を受け、行事の規模を縮小。恒例だった著名人の特設舞台からの豆まきは、昨年に続き、中止した。

 本尊の不動明王は鬼も改心させるとされ、掛け声は「鬼は外」と言わず、「福は内」を繰り返すのが習わし。僧侶らがコロナ終息や開運を祈願し、本尊に向かって勢いよく豆を投げた。

 境内では巨大な升に2万袋の福豆を入れ、一般参拝客に無料で配布。マスク姿の参拝客が列をなした。福豆を受け取った寝屋川市の寺西広一さん(70)は「豆まきがないのは残念だ」と話した。

3066名無しさん:2022/02/09(水) 22:43:11 ID:NrdB.GxU0
鴻池組旧本店を公開 4月下旬に見学会
2022年2月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220207/20220207026.html

 中堅ゼネコン「鴻池組」(大阪市中央区、渡津弘己社長)は此花区伝法の旧本店が今春に国の登録有形文化財として登録されることを記念し、4月下旬に無料見学会を開催する。

 旧本店は1910年に建設。洋館と和館が併置されて行き来できる。洋館は外観が19世紀末にドイツなどで起こった革新運動セセッションの流れをくみ、内装は同時期欧州で流行したアールヌーボー装飾がふんだんに施されている。扉1枚を隔てた和館は大阪の伝統的町家様式。完成時は近くの伝法川から支流を邸内に引き込んで庭を形成していた。

 長年、旧本店を研究してきた足立裕司・神戸大名誉教授(近代建築史)は「立地が大阪・尼崎の工業地帯の間だったため、戦災焼失を免れた。かつて大阪に数多くあったはずの和洋併置式建物が、完全な形で残っていることは極めて珍しい」と評価する。

 見学会は4月20、27日。10回で計100人を対象にする。申し込みは1件1人のみ。希望者は2月7日〜3月16日、同社ホームページのトピックス欄にある「旧本店見学会申し込みサイト」から。申し込み多数の場合は抽選の上で入場時間などを連絡する。

3067名無しさん:2022/02/12(土) 23:12:35 ID:NrdB.GxU0
大阪天満宮で恒例の梅まつり ことしも盆栽などの展示会のみ
02月12日 12時03分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220212/2000057698.html

大阪・北区の大阪天満宮で、春の訪れを告げる恒例の「梅まつり」が開催されています。

この催しは、大阪・北区の大阪天満宮にまつられている学問の神様、菅原道真が梅をこよなく愛したことから、毎年この時期に開かれています。
例年は、「梅酒大会」などさまざまな催しが開かれますが、ことしは去年に引き続き、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、梅の木の盆栽などの展示会だけが開かれています。
およそ60鉢が展示され、このうち、樹齢およそ100年の「八重野梅」は花びらが重なって咲くことからその名がつけられていて、訪れた人びとは幾重にも重なった白い花を静かに見入っていました。
また、樹齢およそ80年の「古金欄」は荒々しい幹に鮮やかなピンク色の花が連なって咲き、見頃を迎えています。
大阪・平野区から訪れた夫婦は「梅の花がきれいでした。穏やかな気持ちになれました」と話していました。
大阪天満宮の禰宜の柳野等さんは「こういうご時世ですが、百花に先がけて春一番に咲く梅の花を見て、少しでも和らいでいただきたいです」と話していました。
「梅まつり」は今月28日まで開かれています。

3068名無しさん:2022/02/26(土) 04:10:52 ID:NrdB.GxU0
東大阪・旧河澄家で「桃の節句展」 ひな飾り11組、稲脇秀子さんの創作ひな人形も
2/25(金) 23:58配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bb728790571b129b78a16d3e1403f80e170104e

東大阪市指定文化財「旧河澄家」(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で2月19日、「桃の節句展」が始まった。(東大阪経済新聞)

地域の家庭から「この建物で展示してほしい」と寄贈されたひな飾りを飾る同展。2017(平成29)年に始まり、今では「今年はまだ?」と問い合わせがあるなど、初春の風物詩として地域の人が楽しみにするイベントになっている。

 今年は、約100年前に作られたという親王飾りや二段飾り、七段飾り、同館のイベント参加者から新たに寄贈された物を合わせ、11組のひな飾りを展示。会場には、ひな人形の歴史や関東と関西におけるおひなさまとお内裏さまの左右の置き方の違い、桜の木とタチバナの木、桃の節句のごちそうなど、桃の節句とひな人形にまつわる解説パネルを設置する。

 奥座敷の棲鶴楼には、創作人形作家の稲脇秀子さんの創作ひな人形を展示。稲脇さんは約45年前、「夫が空けたウイスキーの瓶で何かできないか」と紙粘土を貼り付けて作り始めたのをきっかけに、独学で人形の制作を始めた。1982(昭和57)年には、大阪府羽曳野市にある自宅の地下を改装し、アトリエ「House Gallery INAWAKI」を設立して人形教室を開講。以降、教室で教えるほか、ギャラリーやホテルでの展覧会などに作品を出品している。同展では、人形のほか装飾品から小物まで、一つ一つ手作りした14組68体を展示する。

 同館で「おりがみ展」を開催した際に作品を展示した坂上慧ミ子(えみこ)さんは、折り紙で作ったひな人形の色紙などで花を添える。会場内には、扇や冠などを装着して七段飾りの前で撮影ができるフォトスポットを設ける。

 同館学芸員の道岡陸哉さんは「今回は2人の先生が展示に協力をしてくれて華やかになった。稲脇先生の人形は優しい顔をしているので、それぞれの人形の表情も見てほしい」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館。入館無料。3月6日まで。

3069名無しさん:2022/03/02(水) 18:49:08 ID:NrdB.GxU0
「文楽座」命名150年の記念公演を前に…大阪市の寺で技芸員らが『先祖のお墓参り』
3/1(火) 19:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7e4cc6eae23c98f480e4460e8e21699a4fd2908
かつて大阪にあった人形浄瑠璃の劇場「文楽座」の命名150年を記念する公演を前に、お墓参りが行われました。

 大阪の伝統芸能・文楽を演じる劇団「人形浄瑠璃文楽座」は、1872年に大阪に建てられた劇場「文楽座」が名前の由来となっています。今年4月に命名150年の記念公演が行われるのを前に、技芸員らが劇団の先祖の墓がある大阪市内の寺でゆかりの作品を披露し、公演の成功を祈りました。

 命名150年記念公演は4月2日〜24日に行われます。

3070名無しさん:2022/03/10(木) 22:15:30 ID:Tmc5leY60
18歳歌手が「歩兵の本領」奉納 大阪護国神社で陸軍記念日祭
2022/3/10 15:33
https://www.sankei.com/article/20220310-YOTCHCZITJKI7G4362ZDGOD3JU/
明治38(1905)年3月10日、日露戦争「陸の決戦」と呼ばれる奉天会戦で日本軍が勝利を収めた日にちなむ陸軍記念日の10日、大阪護国神社(大阪市住之江区)で陸軍記念日祭が行われ、関係者ら十数人が神前で英霊に感謝を伝えた。
陸軍記念日は旧満州(現中国東北部)の奉天に入城した日を祝し、翌39年に制定。昭和20年まで祝日だったが、海軍記念日(5月27日)とともに連合国軍総司令部(GHQ)による占領下で廃止された。
祭祀(さいし)は午前10時からあり、シンガー・ソングライターの小出夏花(かはな)さん(18)が「君が代」と戦時歌謡「歩兵の本領」を奉納。歴史学者で大阪観光大専任講師の久野潤氏や、元自衛官らでつくる近畿偕行会の熊谷勉事務局長、前衆院議員、地方議員らが玉串をささげて、拝礼した。
久野氏は「先人が勇敢に戦った史実をたたえ、民族的に共有していきたい」と話した。

3071名無しさん:2022/03/11(金) 23:02:37 ID:NrdB.GxU0
義太夫節で「通る声」を 大阪・羽曳野市の小学校で特別授業
3/11(金) 22:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c059bc3315d9d47811f6d73b61aed39c19c9ac6a

元気な返事で卒業式を盛り上げたい-。伝統芸能の義太夫節の呼吸法を学び、卒業式に生かそうという特別授業が羽曳野市立西浦東小学校(前田幸章校長)で行われた。昨年義太夫節を取り入れた授業を行ったことから、卒業式でも成果を発揮しようと改めて学ぶ機会を設けた。

同校では昨年12月、同市教育委員を8年間務めた河内ワイン(同市駒ケ谷)専務の金銅(こんどう)真代さんを講師に招き、国語の授業で義太夫節を学習。卒業式が迫るなか「義太夫節の腹式呼吸が声出しの練習になるのでは」と職員から声があがった。

金銅さんは、文楽太夫(たゆう)の豊竹呂太(ろだ)夫(ゆう)さん(74)が主宰する義太夫教室で10年以上稽古を続けており、前田校長が授業を依頼した。

肩衣(かたぎぬ)をつけた太夫スタイルの金銅さんが、「おなかに力を入れて」と呂太夫さん直伝の呼吸法を6年生に披露。その後、一人一人の名前を呼び、声出しの練習をした。最初は恥ずかしそうだった児童も、「はい」と大きな声が出ると笑みがこぼれた。

山口翔毅(とき)さん(12)は「割と大きな声が出せたけど、意外と難しかった」。吉田千歩さん(12)は「大きな声はたまにしか出さないので、もっと練習しようと思います」と話した。

義太夫節は、江戸時代に創始された浄瑠璃の一種。登場人物のセリフや感情などを太棹三味線にのせて語る。同校の卒業式は18日に行われる。

3072名無しさん:2022/03/13(日) 20:13:22 ID:NrdB.GxU0
ウクライナにも動物園があろうに動物たちはどうなっているのだろう。

大阪市で戦争で犠牲になった動物について伝える特別展
03月13日 11時47分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220313/2000058828.html

大阪大空襲から13日で77年となります。
大阪・中央区では、人間だけでなく動物も戦争の犠牲になったことを伝える特別展が開かれています。

77年前の第二次世界大戦中の昭和20年、大阪の街は3月13日の深夜からアメリカ軍による大空襲を受け、その後、終戦の前日まで空襲が繰り返され、およそ1万5000人が亡くなりました。
大阪・中央区の「ピースおおさか」では、戦争で犠牲になった大阪市の天王寺動物園の動物について伝える特別展「どうぶつのいのちとへいわ」が開かれています。
天王寺動物園では、大阪大空襲による焼い弾で多くの動物が犠牲になったほか、昭和18年からよくとしにかけては、空襲の被害で猛獣が逃げ出すことを防ぐためにライオンやヒグマなどが殺処分されました。
特別展では、戦時下の動物の状況がパネルで紹介され、このうち人気者だったチンパンジーの「リタ」は防毒マスクや軍服を着せられ、戦意高揚に利用されましたが、餌が不足して栄養不足となり、子どもを死産し、その後、死にました。
また、育ててきたヒョウを殺さざるを得なかった飼育員のエピソードも紹介され、動物も巻き込まれた戦争の悲惨さを伝えています。
「ピースおおさか」の駒井詩子さんは「ウクライナ情勢の報道を連日見聞きするいま、あらためて平和の大切さを感じてほしいです」と話していました。
特別展は、休館日を除いて今月30日まで、開かれています。

3073名無しさん:2022/03/14(月) 18:15:42 ID:ca8WjR6w0
ちなみにWWⅡ時にドイツとかはそんなことはせんかった。
檻が壊れるぐらいの爆撃を受ければそのまま動物も死ぬはずだし、焼野原を猛獣が闊歩しても気にせんかったとか。

3074名無しさん:2022/03/20(日) 21:42:08 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣で秀吉など120人余りの戦国武将描いた作品展
03月19日 16時03分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220319/2000059102.html

豊臣秀吉や武田信玄など、120人以上の戦国武将の表情や戦場での姿などを描いた作品の展示会が大阪・中央区で開かれています。

この「武将たちの風貌」展は大阪・中央区の大阪城天守閣で開かれていて、戦国時代の125人の武将を描いた肖像画やびょうぶ絵、絵巻物などおよそ50点が展示されています。
このうち、大阪城ゆかりの豊臣秀吉の作品は10点近くあり、没後すぐに描かれたとされる肖像画では、晩年に神格化されることを望んだという秀吉が静かな表情で描かれています。
一方、のちの江戸時代後期になって、立身出生を果たした武将として人気が出たとされる時期に描かれた秀吉はいかつい顔をしていて、同じ人物でも時代背景などによって描かれ方が違うことがわかります。
このほか、上杉謙信の刀を武田信玄が軍配うちわで受け止める姿を描いた「川中島合戦図屏風」などが展示されています。
大阪城天守閣の学芸員の宮本裕次研究主幹は「同じ武将の顔でも時代によって描かれ方がまったく異なることがよくあり、武将の逸話とともに風貌を見比べて楽しんでほしい」と話していました。
この展示会は5月8日まで開かれています。

3075名無しさん:2022/03/21(月) 23:21:01 ID:NrdB.GxU0
民家見学ツアーとコンサート 豊中、集落博物館
2022年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220321/20220321035.html

 日本各地の代表的な民家を移築展示している日本民家集落博物館(豊中市服部緑地)は4月2日に「日本民家見学ツアー&バイオリンコンサート」を開く。午後2時〜4時10分。料金3千円(入館料、お茶・お菓子、日本民家修復寄付金込み)。定員70人で事前の申し込みが必要。

 「信濃秋山の民家」保存修理工事完了記念として開催。当日は博物館員による日本民家ツアーや、「日向椎葉の民家」内でコンサートを開催。出演は金関環さん(バイオリン)、加藤英雄さん(電子ピアノ)。プログラムは「G線上のアリア」「ハンガリー舞曲第5番」など。直接来館か電話などで申し込む。問い合わせは電話06(6862)3137。月曜休館(月曜が祝日の場合は翌日)。

3076名無しさん:2022/03/21(月) 23:24:52 ID:NrdB.GxU0
90点で振り返る“大大阪”の繁栄 百貨店歴史など
2022年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220321/20220321034.html

 大正後期から昭和初期にかけての大阪の繁栄をデパートの歴史などで振り返る「大大阪の百貨店」が大阪市浪速区の高島屋史料館で開かれている。同資料館のある高島屋東別館(旧松坂屋大阪店)の建造当時のドアなどの現物や、他店の資料など約90点が展示されている。

 同別館が2021年、国の重要文化財に指定されたことを記念して企画。また、今年が高島屋長堀店の開店(1922年)から100年の節目に当たることから、大大阪と呼ばれた大阪の様子を大店舗化した百貨店から見つめ直した。

 会場には同別館で使用されていた建築当時の木製ドアや時計などの実物を展示。かつて「百貨店通り」と繁栄した堺筋の姿を北浜にあった三越の写真パネルなどで振り返る。また、御堂筋へとメイン通りが移り変わっていく歴史も分かりやすく解説している。

 同館の高井多佳子研究員は「百貨店の歴史と大阪の成長とは切り離せないことに焦点を当てた。高島屋、三越、白木屋から、阪急、阪神などのターミナル型百貨店へと変遷していく姿を展示から感じ取ってほしい」と話している。

 同展では4月10日に京都華頂大学の川島智生教授、6月12日に近畿大の高岡伸一准教授による講演会を開催。5月9日までを第1部とし、21日から7月4日までの第2部では一部、展示を変更する。4月3日と6月5日には同別館の見学ツアーも予定している。

 午前10時〜午後5時。休館日は火、水と5月12〜20日。入館無料。問い合わせは電話06(6632)9102。

3077名無しさん:2022/03/23(水) 18:47:57 ID:NrdB.GxU0
【世界遺産】百舌鳥・古市古墳群から造営の倉庫とみられる跡発見 巨大古墳の造営に関わる貴重な成果
3/23(水) 18:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/043c4b3eda9f6d3c6d70ebac5b67d5af015863a6

読売テレビ

 世界遺産の百舌鳥・古市古墳群のひとつで大阪府藤井寺市にある巨大古墳・津堂城山(つどうしろやま)古墳を造営するために使われた倉庫とみられる建物の跡が23日までに見つかった。

 藤井寺市の津堂遺跡で見つかったのは約1600年前に作られたとみられる7棟の建物の跡や土器。出土した土器が約1キロ離れた百舌鳥・古市古墳群の1つ、津堂城山古墳のものと似ていることから、古墳を作る際の道具などを入れていた倉庫の可能性が高いとみられている。

 津堂城山古墳は全長200mを超える大規模な前方後円墳で、当時の大王クラスの人物が葬られた墓と考えられている。巨大古墳の造営に関わる建物の跡が出土するのは珍しく謎が多い大阪の古墳群の時代を解明する上で注目される。

 現地説明会は今週土曜日(26日)に開催される。

3078名無しさん:2022/03/23(水) 19:14:51 ID:NrdB.GxU0
貴重な発見か 発掘調査で見つかった建物跡 世界遺産「津堂城山古墳」造るためだけに建てた倉庫群の可能性 大阪・藤井寺市
3/23(水) 16:19配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd9829b498bba371341e314af3c6aa306ca53a04

藤井寺市津堂で行われている発掘調査で見つかった建物跡は、世界遺産にも登録されている前方後円墳『津堂城山古墳』を造るためにだけに建てられた、極めて珍しい倉庫群の可能性があることがわかりました。

発掘調査は府道大阪羽曳野線の建設に伴い2021年8月から行っていて、一緒に見つかった土器などから、4世紀の後半の遺構と考えられるということです。

見つかった7棟の建物の柱の穴は、一辺が80センチ前後の正方形で、規則正しく同じ間隔で掘られていることから、いくつもの建物が同じ方向にそろって並んでいることがわかりました。

また、非常に丁寧な工法で柱を埋めた形跡があり、頑丈な建築物であったと想像されることから、住居ではなく、重たい物資などを保管する倉庫であることがうかがえるということです。

遺跡の約1キロ東には津堂城山古墳があり、今回見つかったものとよく似た土器が多数出土されています。

このためこの遺跡は古墳を造るにあたって、必要な物資を蓄えるために一時的に存在した倉庫群だった可能性があるということです。

発掘調査をしている大阪府教育庁によると、古市古墳群の中で最も古い前方後円墳『津堂城山古墳』を造るためだけにこのような大規模倉庫群が建てられたとすると、墓に葬られた人物像を解き明かす上でも貴重な発見だとしています。

※津堂遺跡の調査について現地説明会が行われます。
・日時:3月26日(土)13時〜15時
・場所:藤井寺市津堂4丁目発掘現場
・お問い合わせ 072-959-7728
 津堂遺跡現場事務所 https://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/tsudo_gensetsu.html

ABCテレビ

3079名無しさん:2022/03/23(水) 19:15:53 ID:NrdB.GxU0
秋田市で北前船寄港地フォーラム 食文化テーマに意見交換
2022年3月19日 掲載
https://www.sakigake.jp/news/article/20220319AK0029/

江戸・明治期に北海道と本州の交易を支えた「北前船」ゆかりの地が交流する第30回北前船寄港地フォーラムが19日、秋田市の秋田キャッスルホテルで開かれた。寄港地の自治体関係者ら約300人が参加し、北前船が運んだ文化をテーマに講演やパネルディスカッションを行った。秋田県や秋田市、秋田商工会議所などでつくる実行委員会の主催。

今年は江戸時代の豪商・河村瑞賢(ずいけん)が日本海、瀬戸内海を経て大阪に至る航路を確立し、350年の節目に当たる。

フォーラムでは、北前船が隆盛を誇った1871年に福井県敦賀市で創業した昆布店・奥井海生堂の奥井隆社長と、京都市の老舗料亭・菊乃井の村田吉弘社長が、「日本の食を世界に」をテーマにそれぞれ講演した。

3080名無しさん:2022/03/25(金) 23:45:11 ID:NrdB.GxU0
厳かに「日想観」 四天王寺で彼岸の伝統行事
2022年3月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220325/20220325036.html

 「春分の日」の21日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で、彼岸の中日の伝統行事「日想観」が厳かに行われ、多くの参詣者が真西に向かって伝統行事を見届けた。

 同寺の西門が極楽浄土の東門に通じるとの信仰にちなむ行事。春と秋の彼岸の中日にのみ境内西端に建つ石鳥居(重要文化財)の中央に夕日が落ちることで知られ、古来人々が極楽往生を祈願したと伝わる。

 夕刻の法要では西大門(極楽門)前に多くの人々が参列し、同寺僧侶に合わせて般若心経などを唱えた。同日はあいにく雲に阻まれて夕日が見られなかったが、心の中に夕景と極楽浄土を思いながら手を合わせた。

 導師の瀧藤尊淳執事長は法話の中で、4月まで続く100年に一度の一大行事「聖徳太子千四百年御聖忌慶讃大法会」について解説。「御聖忌を機に太子の威徳をしのび、和の精神を今後何百年も継承していきたい」と話した。

3081名無しさん:2022/03/27(日) 22:41:29 ID:NrdB.GxU0
曜変天目茶碗を展示 藤田美術館が4月開館
2022年3月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220327/20220327033.html

 2年前の夏に新築後、館内の空気環境整備に時間をかけていた大阪市都島区の公益財団法人「藤田美術館」(藤田清館長)が予定通り4月1日に開館することになり、関係者内覧が行われている。

 同館には現在、実業家で男爵だった藤田傅三郎と長男の貴族院議員・平太郎、次男の実業家・徳次郎の東洋美術を中心としたコレクションが約2千件あり、国宝9件、国重要文化財53件と民間所有ではトップクラス。

 新たな美術館は三つの特徴がある。まず年末年始を除いて休まない地域の公共施設として機能、次いで入場料を千円、19歳以下無料とし、幼い頃から美術品に触れてもらう機会の提供、最後にキャプション非標示や入館料キャッシュレス化などスマートフォン向けアプリ機能をフルに生かした現代的な公開形態。

 館内入り口には“あみじま茶屋”と名付けた喫茶カウンターを設置。抹茶と地元和菓子店指導によるだんごのセットを500円で提供。地元民の憩いの場として機能させる。

 展示は常に3テーマをコーナーで用意。1カ月ごとに1テーマずつを変更し、3カ月ごとに訪れれば常に全てが新しい展示になるように工夫されている。開館記念の4月は、「国内に三碗しかない」と言われる国宝「曜変天目茶碗(ちゃわん)」(中国南宋時代)と、同館が12巻全てを所有する国宝「玄奘三蔵絵」第1巻(鎌倉時代)が展示される。

 午前10時〜午後6時、問い合わせは電話06(6351)0582同館。

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3083名無しさん:2022/04/04(月) 04:23:41 ID:NrdB.GxU0
大阪 四天王寺で世界平和を願い書家が揮ごうする催し
04月02日 18時32分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220402/2000059698.html

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く中、大阪の四天王寺では、大きな和紙に世界平和の願いを揮ごうする催しが行われました。

この催しは、平和を訴える活動をしている「和プロジェクトTAISHI」という団体が企画し、全国38か所の寺院で行われています。
このうち、聖徳太子が建立したと伝わる大阪の四天王寺では、書家の千秋育子さんと丸山茜葉さんの2人が世界の平和を願い、揮ごうしました。
このうち、千秋さんは、縦1メートル70センチ横1メートルの大きな和紙に、2つの筆を使い分けながら、「調和」という意味の「harmony」や「寛容」という意味の「forgiveness」など、「和の精神」を英語で揮ごうしました。
また、丸山さんは、聖徳太子が唱えたとされる「以和為貴」ということばを力強く書き上げました。
揮ごうのあと、千秋さんは「和の精神があれば、戦争は起きないと思うので、多くの人に伝わるように英語で書きました」と話していました。

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3090名無しさん:2022/04/10(日) 22:34:29 ID:NrdB.GxU0
十二単や白無垢 華やか 旭通商店街が撮影会
2022年4月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220408/20220408031.html

 守口市土居町の守居神社で、地元の旭通商店街(渡壁友子理事長)が主催する和装ウエディング撮影会があった。プロカメラマンが紋付きはかまの新郎と、白無垢(むく)、色打ち掛け、略式の十二単(ひとえ)など6種類の婚礼衣装を身にまとった新婦を撮影した。

 4日に開催。今年2月に同市広報誌のアンケートで市内在住の参加者を募集し、応募82組の中から6組12人を抽選した。

 新婦は豪華絢爛(けんらん)な衣装に加え、伝統的な和の髪形「文金高島田」や宮中に仕える女性の儀式の際の髪形「おすべらかし」に整髪。神社に面した商店街の買い物客など多くの人々が足を止め、新郎新婦の門出を祝った。

 渡壁理事長は、ブライダル事業を手掛ける「美と友の会」と協力して「コロナ禍で結婚式が挙げられなかったが写真は残したい」という夫妻の願いを実現。伊藤直樹さん・めぐみさん夫妻は「和装にあこがれていたので夢がかなった」と、お互いの晴れ姿に目を細めていた。境内の随所では親族や関係者らとの記念撮影も繰り広げられ、大いに盛り上がった。

3091<削除>:2022/04/11(月) 23:45:04 ID:d5d8EUtg0
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3092名無しさん:2022/04/13(水) 06:52:23 ID:NrdB.GxU0
ええやん!この街 大阪狭山 日本最古といわれるものが
04月12日 19時23分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220412/2000060064.html

「ええやん!この街」。
今回行ってきたのは大阪狭山市です。
市の中心部には、日本最古といわれるものがあり、自然をたっぷり感じて来ました。

3093名無しさん:2022/04/25(月) 00:14:14 ID:NrdB.GxU0
大阪歴史博物館で浮世絵師が描いたなにわ百景展
04月24日 07時50分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220424/2000060482.html

江戸時代に葛飾北斎などの浮世絵師が描いた大阪の絶景などを紹介する展覧会が大阪・中央区で開かれています。

この展覧会は、江戸時代に描かれた浮世絵などを通じて当時の大阪の町や生活の様子を知ってもらおうと、大阪歴史博物館が開いているもので、およそ230点が展示されています。
このうち、葛飾北斎の「諸国名橋奇覧摂州天満橋」は大阪の代表的な夏祭り、「天神祭」の風景を描いていて、橋の下では「船渡御」の船が行き交い、橋の上は多くの見物人でにぎわっています。
また、歌川芳梅と芳豊が手がけた「滑稽浪花名所」のシリーズでは、屋形船を乗り降りする人や花火を見ていた人に起きたハプニングなどがおもしろおかしく描かれています。
島崎未央学芸員は「展示を通じて、江戸時代の人がどのようなことを考え、どういったことにおかしみを感じていたのか、知っていただけると思います。多くの方に見てほしい」と話していました。
この展覧会は6月5日まで開かれています。

3094名無しさん:2022/04/28(木) 11:16:52 ID:NrdB.GxU0
29日から大古本祭り 四天王寺、3年ぶり
2022年4月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220422/20220422032.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で「四天王寺 春の大古本祭り」(同寺、関西古書研究会共催)が29日〜5月5日に開催される。

 大阪を中心とする古書店のテントブースが並び、文学や歴史、芸術などあらゆる分野の古書類を販売する。新型コロナウイルス感染拡大を受け中止が続いており、春開催は3年ぶり。

 毎回「特集」として各店が統一テーマを決めて関連書籍を展示販売しており、今回は「木版・摺(す)りもの」がテーマ。好評の絵本・児童書コーナーや100円均一コーナー、スタンプラリーも予定している。

 午前10時〜午後5時(最終日は同4時)。問い合わせは電話072(994)8852、事務局(大仙堂書店)。

3095名無しさん:2022/04/28(木) 11:33:12 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子1400年忌「聖霊会」 魂慰める、大阪・四天王寺で
2022年4月22日 18:38
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/220422/20220422092.html

 聖徳太子(574〜622年)が6世紀に創建したとされる大阪市天王寺区の四天王寺で22日、聖徳太子千四百年忌の「御聖忌慶讃大法会」の結願となる「聖霊会」が執り行われた。太子の魂を慰める1年で最も重要な法要で、華やかな装束をまとった人たちが石舞台で舞楽を奉納した。今年は古いやり方にのっとり、例年よりも規模を大きくした。

 石舞台の四隅には曼珠沙華をかたどった大きな作り物が置かれ、「天王寺楽所雅亮会」が重要無形民俗文化財の「聖霊会の舞楽」を披露した。

 太子の「お目覚めの舞」と伝わる「蘇利古」では、人面が抽象的に描かれた「雑面」を着けた5人が優雅に舞った。

3096名無しさん:2022/05/05(木) 12:55:53 ID:NrdB.GxU0
二十五菩薩厳かに 大念佛寺で「万部おねり」
2022年5月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220503/20220503028.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺(吉村※英管長)で、伝統行事「万部おねり」が1〜5の5日間の日程で行われている。二十五菩薩(ぼさつ)が厳かに練り歩く供養が繰り広げられ、多くの参詣者が、現世から極楽浄土へ導く様子を再現した光景を見守っている。

  「二十五菩薩聖聚(しょうじゅ)来迎会(え)」「阿弥陀経万部会」が融合した行事で、数多い同寺の年中行事の中でも最大規模を誇る。2002年度に大阪市無形民俗文化財に指定。今年は新型コロナウイルス禍の影響で3年ぶりの一般公開となった。

 本堂の周りでは諸講元や僧侶のお練りに続き、観世音菩薩など二十五菩薩が順次登場し、きらびやかな装束姿で渡御を繰り広げた。

 万部おねりは午後1時〜3時半。午前中は日替わりで歌舞や声明、雅楽などの奉納行事が行われている。

 ※は日ヘン章

3097名無しさん:2022/05/05(木) 12:57:33 ID:NrdB.GxU0
桂吉弥13年連続独演会 新作や対策「らくだ」など
2022年4月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220429/20220429036.html

 上方落語界で中堅クラスをけん引するニューリーダー桂吉弥(51)が、5月14日に大阪・サンケイホールブリーゼで開く13年連続の「桂吉弥独演会」に臨む意気込みを語った。

 今年の演目は、1月にネタおろししたばかりの毎年恒例の干支(えと)にちなんだ新作「トラちゃん」に、大師匠・米朝譲りの大作「らくだ」をサゲまで、女性の焼きもちをテーマに女役が魅力の「悋気(りんき)の独楽(こま)」の3席。

 「トラちゃん」は実在の阪神タイガース球団マスコットキャラクター・キー太が主人公。その頑張りに触発され、チームはぶっちぎりで優勝-という夢物語で、大の阪神ファン吉弥が昨年のチーム躍進から構想を練り上げた。「まさか開幕からこないに負けるとは…」と当日まで気が気でない様子。「らくだ」は歌舞伎にもなっている長い話で、通常の高座では到底収まらないが、独演会のトリならではで、中入り後はこれだけの上演という熱の入れよう。

 3番弟子の弥壱を初めて開口一番に起用、吉朝門下のおとうと弟子・吉之丞も6年ぶりに呼んだ。「弟子や後輩を育てる、というより彼らが舞台そでで見たくなるような高座を僕が務めたい」と真剣な表情。すぐに「舞台そでと言えば…」と話題を移し、吉本興業の「伝説の一日」で30年ぶりに30分の漫才を演じたダウンタウンを指して「僕も見逃し配信のチケットこうて見ました」と前置きし「すごかったですねぇ。あの息と間で落語やれたらなぁと思てしもた。NGKの舞台そで、後輩や吉本の方で鈴なりやったそうで」と、芸向上に貪欲で真面目過ぎる一面をのぞかせた。

3098名無しさん:2022/05/22(日) 17:53:43 ID:NrdB.GxU0
戦死の地で悼む 厳かに「幸村祭」 安居神社
2022年5月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220516/20220516021.html

 「大坂の陣」の奮戦ぶりで知られる信州上田の武将・真田幸村戦死の地とされる大阪市天王寺区の安居神社(中島俊幸宮司)で5日、恒例の慰霊祭「幸村祭」が執り行われた。新型コロナウイルス禍の影響で氏子など一部の関係者のみが参列し、境内・座像前に設けられた祭壇に手を合わせた。

 大坂夏の陣(1615年)終盤の激戦となった「天王寺口の戦い」で戦死した幸村を悼み、同神社が長年手掛けている伝統行事。

 座像前では祭主の松本優美禰宜(ねぎ)による祝詞奏上などに続いて、参列者数人が厳かに玉串をささげた。

 コロナ禍を受けて今年も歴史解説など恒例の神賑行事が取りやめとなった。中島宮司は「来年こそは行事が復活できるように状況が落ち着くことを祈りたい」と思いを込めた。

3099名無しさん:2022/05/22(日) 17:57:25 ID:NrdB.GxU0
大阪の新聞 歴史解説 新風書房代表福山さん講演
2022年5月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220519/20220519036.html

 戦後の大阪の新聞の歴史をテーマにした講演会が東大阪市の市文化創造館であった。新風書房(大阪市天王寺区)代表で新聞・自分史研究家の福山琢磨さん(88)が自身の新聞制作体験も交えながら、多様な新聞が歩んだ歴史について解説した。

 東大阪新聞(小野元裕社長)の創刊90周年として7日に開いた。福山さんは、1県1紙を基調とする戦時中の新聞統制によって約800紙から約50紙に統合されていった経緯を紹介。帝国新聞を原点とする大阪日日新聞も、夕刊大阪、関西中央などの数紙とともに大阪新聞に統合された例にも触れた。

 福山さんは戦後に復刊・創刊された新聞を列挙する中、自身がかつて勤務していた国際新聞を紹介。経営者が台湾出身者であったため、占領下の大阪で早々に発行が許可された点や、「刷り上がりを一刻も早く駅に届けて売り場のスペースを確保するためにサイドカーに飛び乗った」「鉛版の文字をノミを使って修整した」といった多くの思い出を披露した。

 このほか中河内エリア(東大阪、八尾、柏原市)で発行されている東大阪新聞など多くの地域紙が存在し、読者に親しまれていることも解説した。

3100名無しさん:2022/05/22(日) 18:31:12 ID:NrdB.GxU0
大阪で川端康成没後50年展 小説「古都」の苦労話紹介
2022年5月17日 14:40
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/220517/20220517064.html

 作家川端康成の没後50年に合わせ、小説「古都」執筆時の苦労話などを紹介する特別展が、少年期を過ごした大阪府茨木市の川端康成文学館で開かれている。29日まで。

 「古都」は京都の呉服商の一人娘が祇園祭の夜、生き別れた双子の村娘と偶然出会う物語。揺れ動く人間模様が京都の文化や景色と共に描かれている。1961、62年に朝日新聞で連載された。

 特別展では川端が毛筆で書いた「古都」の書など約40点を展示。川端が「京都といっても、ところによって多少ことばが違うようで、私には書き分けられません」と執筆に苦戦したことを吐露する文章も紹介している。

3101名無しさん:2023/06/10(土) 20:28:03 ID:NrdB.GxU0
伝統行事「愛染祭」迫る 露店6年ぶり一部復活 祭りの幕開け華やかに
2023年06月02日
https://www.nnn.co.jp/articles/-/56567

 “愛染(あいぜん)さん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺支院愛染堂勝鬘(しょうまん)院(山岡武明住職)で30日〜7月2日に伝統行事の「愛染祭」が執り行われる。諸事情で2018年から取りやめていた露店を6年ぶりに一部復活。愛染娘9人による初日恒例の「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」も繰り広げながら大阪の夏祭りの幕開けを華やかに飾る。

 愛染祭は縁結びや商売繁盛の御利益で知られ、2014年度に「勝鬘院の愛染まつり」として市指定無形民俗文化財となった。

 30日は宝恵駕籠パレード(正午にてんしばを出発)、夏越(なご)しの祓(はら)え大法要(午後3時)を実施。3日間とも秘仏「愛染明王」「大日大勝金剛尊」を特別開帳するほか、愛染娘が午後6時から浴衣姿の参詣者(各日先着100人)へ特製腕輪「ラブ・ブレス」をプレゼント。好きな人などの似顔絵を描いて奉納する新たな「縁結び絵馬」も登場する。

 山岡住職は「コロナ禍が落ち着いたタイミングで大阪に元気を取り戻そうという気持ちを込め、お祭りの質を良くしながら段階的に復活させたい」と話し準備を進めている。

 開門時間は午前10時〜午後9時。問い合わせは電話06(6779)5800、愛染堂。


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