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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02
1773
:
よっさん
◆XxkTNAUYOc
:2014/05/18(日) 06:10:39 ID:/b1eD7WA0
【舞台の遺伝子】
大阪で叶えた夢 歌舞伎の原点取り戻す 中村勘三郎
2014.5.17 14:35
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n2.htm
初夏が近づくと、中村勘三郎さんを思い出す。
20〜30年ほど前、大阪の7月は、勘三郎さんの舞台で熱く燃えた。
道頓堀の中座を舞台に、躍動的に動き回り、すさまじいエネルギーを撒き散らし、愛嬌(あいきょう)たっぷりの演技に客席は沸いた。「東海道四谷怪談」では客席から幽霊を出して悲鳴を上げさせ、「高坏(たかつき)」では軽やかな下駄のタップダンスに場内から手拍子がわき起こった。
「歌舞伎ってこんなに面白い」。勘三郎さんは古典芸能に見向きもしなかった大阪の若者たちをぐいっと歌舞伎に引き寄せた。それがいまに続く歌舞伎ブームのさきがけとなった。
そんな勘三郎さんの涙を大阪で見たことがある。
平成22年、大阪城公園西の丸庭園に建てられた「平成中村座」のお披露目のとき。江戸時代の芝居小屋を現代に蘇らせた平成中村座は、勘三郎さんの夢の結晶でもあった。
その舞台後方を開け放った瞬間、大阪城の天守閣が姿を現したのだ。「これはすごい」。勘三郎さんの目に涙がにじんだ。
天守閣の向こうに大阪の摩天楼がそびえる。それは伝統と現代を結びつけた希代の歌舞伎役者が夢見た風景だったのかもしれない。
勘三郎さんが初めて大阪で「平成中村座」公演を行ったのは平成14年11月。
梅田の繁華街にほど近い扇町公園の砂ぼこり立つ空間に突如、その芝居小屋は出現した。入り口には色とりどりの幟(のぼり)がはためき、場内に入ると桟敷(さじき)席。江戸時代にタイムスリップしたような風景に、観客は度肝を抜かれたものだ。
勘三郎さんから任されて設計、建築を行った金井大道具の金井勇一郎社長(53)は「テントですから外の騒音も聞こえる。雨はうるさいけど、パトカーの音はかえっておもしろかった。ここでいったい何ができるんだろう。勘三郎さんも僕もワクワクしながら作り上げた」と振り返る。
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