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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

785よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/24(日) 15:57:37 ID:7MwzBGYg0
桂米朝さん「病床日記」70年ぶり見つかる 米朝落語の原点
2012.6.24 13:59
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062413590009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062413590009-n2.htm

 人間国宝で落語家の桂米朝さん(86)が第二次大戦中、腎臓病を患い陸軍病院に入院中に書いた「病床日記」が約70年ぶりに自宅で見つかっていたことが23日分かった。日記は昭和20年3月から終戦間際までの約5カ月間。「今研究中の(落語の)東西比較についても益多かりき」などと落語の研鑽(けんさん)を積んでいた。演劇評論家は「芸への貪欲さが若くして揺るぎない。米朝落語の神髄に触れる思いだ」と話している。

 日記は、今春、米朝さんの自宅書庫で整理にあたっている落語研究家が見つけた。几帳面な性格を伺わせるように大学ノート2冊にびっしり書かれている。

 米朝さんは大東文化学院(現大東文化大学)在学中に招集を受け、昭和20年2月に地元・姫路の十師団三九連隊に入隊。当時、作家で寄席研究家の大御所、正岡容(いるる)(1904〜58年)に師事していた。

 日記は3月2日から始まり、約2カ月後から落語に関する記述が増え始める。「今日あたりより、また何か始めんと思い居りしに…。東西共存落語を書きぬく」(5月25日)

 「米之助(四代目米團治)の小咄(こばなし)二題、明ばん丁稚、鶴の由来、巧みなれど話そのものは良からず」(同26日)とラジオ寄席を評論。

 翌27日、落語家の橘ノ円都(たちばなのえんと)(1883〜1972年)が慰問にきた際には、「急いで楽屋に行き円都に会い、余の病棟へ案内す」。面談の様子を「(前座の)『紀州飛脚』の解説、珍しいネタを話してくれ、且(か)つ、余の今研究中の東西比較についても益多かりき」と記している。

 8月9日、体調の回復がみられ、療養所の演芸大会で落語「がまの油」を披露している。また、20歳の青年らしく「ああ、家にて療養せば、全癒も早かるべし。ああ母恋し」と母への心情を綴っている。さらに夏目漱石など150冊に及ぶ読書の記録もある。

 今回、日記が見つかったことについて米朝さんは、「よくこんなものが出てきたなぁ。入院中は暇で、落語ほど面白い芸はないと思って、夢中で日記に書いていた。昔のことが甦ってくる」と話している。

 演劇評論家の権藤芳一さんの話「桂米朝の博識ぶりは広く知られているが、芸に対する真摯(しんし)な態度と貪欲さが20歳にしてすでに揺るぎのないものであったことを示している」


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