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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

966よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/06(土) 05:46:22 ID:73biaJp20
大阪ロマン紀行

信長も恐れた蘇鉄の勇姿

今回の案内人 亀井澄夫 (日本妖怪研究所所長)
2012年10月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121005/20121005034.html

堺市堺区材木町東「妙國寺」

 室町時代の終わり頃のこと、織田信長は堺に鉄砲の買い付けに来ていた。当時の大名は宿泊所として寺を選ぶことが多く、その日は妙國(みょうこく)寺に泊まることにした。寺の庭には、かねてよりうわさに聞こえし見事な蘇鉄(そてつ)が植わっており、その雄大さ、美しさに信長は大いに感心し、天正4(1576)年にできたばかりの安土城に強引に植え替えさせた。

 しかし、安土城に移したその日から、夜な夜な「妙國寺に帰りたい」「堺に帰りたい」と、すすり泣くような声が聞こえる。声の出所は、なんと植えたばかりの蘇鉄である。

 怒った信長は家来に切り倒すよう命じたが、切り口から鮮血のような液体がほとばしり、大きな蘇鉄が大蛇のように身をくねらせてもだえ始めたので、さすがの信長も手に負えず妙國寺へと返した。

 この話は江戸の中頃に書かれた『絵本太閤記』に記されている。

 実際にお寺の縁側から蘇鉄を見せていただいたが、枯山水の見事な庭園で、樹齢千百年あまり、国の天然記念物に指定され、とにかく貫禄ある美しさである。

 他に妙國寺にまつわる話としては、有名な「堺事件」がある。幕末の頃、フランス人の上陸をめぐって土佐の藩士が発砲し、フランス人11人を死亡させた。

 後に土佐藩士に切腹の命が下るのだが、その切腹した場所が、ここ妙國寺である。

 この事件は、森鴎外の小説『堺事件』や司馬遼太郎の『俄(にわか)』にも書かれているので、ご存じの方も多いことだろう。変わったところでは、講談の『鮮血妙國寺』もある。

 妙國寺には、その土佐藩士たちを描いた掛け軸や、髪の毛、刀、血のりのついた三方(さんぽう)(刀を置く台)など、貴重な資料が残されている。

 当初は20人の切腹を命じたそうだが、11人で止められた。これは死亡したフランス人の数に合わせたらしい。そのへんの事情は小説などとは異なる。次は自分の番と思っていた12番目の藩士は、死ねなかったことが、さぞ無念に思ったことだろう。

 お話をお聞きし、改めて枯山水の庭に向かうと、あの信長でも言うことを聞かなかった蘇鉄の力強さと美しさが、土佐藩士のいさぎよさと重なって、凛(りん)とした気分にさせてくれる。

 また、今年の「境文化財特別公開」は10月29日から11月4日まで行われ、妙國寺はおすすめコースにも入っている。11月2、3日は午後8時まで庭園がライトアップされる予定。くわしくは「堺文化財特別公開」で検索を。見る価値ありの蘇鉄群である。


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