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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02
1161
:
よっさん
◆XxkTNAUYOc
:2013/02/03(日) 06:38:54 ID:OVnbLZn.0
旧家の誇り、かなわぬ恋 歌人 石上露子 大阪・富田林の旧杉山家住宅
2013.2.2 14:40
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n2.htm
朝方の大雨が、道に沿って連なる民家の白壁を洗っていった。
江戸や明治の古い町並みが残る大阪府富田林市の寺内町(じないまち)。4層の屋根がひときわ立派な旧杉山家住宅は、当時の面影をそのまま映す美しい日本家屋である。
清楚な美貌とあふれる才気で流麗な歌を詠み、「白菊の君」と謳われた明星派の女流歌人、石上露子(いそのかみ・つゆこ)(本名、杉山タカ)は明治15(1882)年この家に生まれ、昭和34(1959)年この家で亡くなった。
富田林きっての旧家の跡取りに生まれ、家を継ぐため愛する人との結婚をあきらめた露子は、かなわぬ恋の思いを歌に詠み続けた。その生きざまは同時代に生きた与謝野晶子の奔放さと対比される。
〈君ならぬ車つれなう門すぎてこの日も暮れぬ南河内に〉
愛する人の訪れを富田林のわが家で終日待ち続け、むなしく日が暮れていったと嘆く露子の切ない恋心が綴られている。
いまも残る若き日の写真。きゃしゃな着物姿だが、じっとこちらを見つめる黒い瞳には強い意志の力が感じられる。
□
その美しい歌人の名は久しく忘れ去られていた。
明治後期、『明星』誌上に哀愁漂う短歌を発表し、明治41年、忽然と姿を消した石上露子。再び文壇に登場したのは昭和6年だった。彼女の身に一体何があったのか。
南河内の大地主の跡取り娘として生まれ育った露子。何不自由のない暮らし、才能にも美貌にも恵まれながら彼女の歌には悲しみが溢れている。
最大の原因は初恋の人、長田正平との恋の破綻。露子は杉山家の長女、正平も長田家の長男。当時、旧家の相続人同士の結婚は非常に困難な時代であった。
明治40年、露子は意に染まぬ結婚をする。彼女が筆を折ったのはその翌年。夫が露子の文筆活動を望まなかったという。
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